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         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を広島高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 被告人本人の上告趣意および(一)弁護人小河虎彦、同小河正儀、(二)同阿左
美信義、同原田香留夫、(三)同青木英五郎、同沢田脩、同熊野勝之、同原滋二、
(四)同西嶋勝彦、(五)同渡辺脩、(六)同石田享、(七)同及川信夫、(八)
同佐藤久、(九)同原田敬三、(一〇)同榎本武光の各上告趣意は、末尾添付の各
上告趣意書記載のとおりである。
 職権をもつて調査すると、原判決は、刑訴法四一一条一号、三号によつて破棄を
免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。
 本件公訴事実は、被告人が、昭和二九年一〇月二六日午前零時ころ、山口県吉敷
郡a町大字bcd(現在は山口市に編入)のA方において、同人を含む家族六名(
夫婦、子供三名、老母)の頭部を唐鍬で乱打し、さらに頸部を出刃庖丁で突き刺す
などしてその全員を殺害し、金品を強取したとの強盗殺人の事実(一審判決判示第
三の事実)および昭和三〇年六月中ごろ、大阪市において、マンホールの鉄蓋一枚
を窃取したとの窃盗の事実(同第二の事実)である(なお、同第一の、昭和二七年
七月中ごろにおける山口県下での住居侵入、窃盗未遂の事実については、中間確定
裁判の関係で別個の刑が言い渡され、適法な控訴がなく確定してその刑の執行も終
了している。)。
 右強盗殺人の事実について、被告人は、いつたん捜査機関に対し自白したが、起
訴の日である昭和三一年三月三〇日、裁判官の勾留尋問に対し、犯行を全面的に否
認する陳述をなし、その後、同年五月二日に開かれた第一回公判以来、今日にいた
るまでその否認を続けている。
 一審裁判所は、審理の結果、昭和三七年六月一五日、被告人の検察官に対する供
述調書七通および被告人の検察官に対する供述を録取した録音テープ三巻のほか、
多数の証拠を掲げて右強盗殺人の事実を認定し、前記窃盗の事実とあわせて、被告
人を死刑に処する旨の判決を言い渡した。原審は、昭和四三年二月一四日、被告人
の控訴を棄却し、一審判決を是認したのであるが、この判決に対する上告が本件で
ある。ただし、右窃盗の事実については、一審以来、当審にいたるまで、全く争い
がなく、証拠上も問題がない。そこで、以下においては、もつぱら、右強盗殺人の
事実(単に「本件犯行」ないし「本件」ということがある。)につき検討する。
 原判決の是認する本件犯行についての一審判決認定事実に関し、証拠により、ほ
ぼ確実と認められる外形的事実は、つぎのとおりである。すなわち、
 一、判示日時、判示A方に何者かが侵入し、おりから座敷で就寝中であつたと思
われる家族六名の頭部を鈍器で殴打し、ついで鋭利な刃物で六名の頸部を突き刺し、
またA夫婦およびAの母Bに対してはその胸部をも突き刺して、各損傷による失血
のため、全員を死亡させたこと、
 二、右鈍器は、現場に遺留されていたA方の唐鍬(証二号)であり、刃物は、同
様遺留されていた同家の庖丁(証三号)であること、
 三、屋内物色のあとがあり、夫婦の寝室に五円貨一枚在中のチヤツク付ビニ―ル
製財布(証九号)が放置されていたこと、
 四、裏底に波形模様のある地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)の血染め
の足跡が約二〇個、主としてAの蒲団およびその付近の畳に印せられており、その
うちのひとつは月星印のマークを現わしていること、
 五、Bの死体の傍に、その状況からみて、犯人の遺留したものとも考えられる藁
縄一本(証四号)が落ちていたこと、などである。
 問題は、これが被告人の所為と認められるかどうかであるが、右凶器からは指紋
が検出されておらず、屋内の建具、什器等から採取された六六個の指紋のうち、約
三〇個は家族のものであり、かつ、その余の指紋の中に被告人の指紋に合致するも
のがあつたとの証拠はなく、その他、本件犯行と被告人とを結びつけるのに直接役
立つ物的証拠は発見されていない。検察側の提出した証拠も、被告人の捜査機関に
対する自白と、その真実性を担保するためのもの、ないし公判段階における被告人
の弁解に対する反証としての、いくつかの間接事実、補助事実に関する証拠とに限
られるのである。
 これに対する被告人側の弁解の骨子は、
 一、被告人は、本件犯行があつたというころ、当時小屋掛けをして住みついてい
た大阪市内のe公園を離れておらず、山口方面に出かけたことは全くなく、本件犯
行は被告人の所為ではない、
 二、捜査機関に対する自白は、警察における拘禁中に強制、誘導を加えられ、そ
の苦痛に耐えかね、あるいはその影響のもとになした虚偽のものである、
 三、自供のうち、客観的事実に符合し、自供全体の真実性を裏付けるかのごとく
見える点は、捜査官の暗示、誘導に基づくものか、あるいは本件犯行と関係なく、
過去に経験したところによつて述べたもの、ないし偶然の一致にかかるものである、
 四、検察官が、自白の真実性を担保するものであるとし、または弁解に対する反
証となると主張する諸事実は、証拠上、認められないか、あるいはその趣旨を異に
する、というのであつて、この弁解を裏付けるための証拠も多数提出されている。
 ところで、本件をめぐつては、他に若干の重要論点があるのであるが、審判の核
心をなすべきものは、この、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつき如何であ
ると考える。本件一、二審裁判所が肝胆を砕いたのも、主としてこの点に存したの
であり、多岐にわたる上告論旨も、その力点は、結局、無実の論証に向けられてい
るものと解されるのである。
 もちろん、書面審査を旨とする上告審において、事実の認定をめぐる問題につい
て検討を加え、原判決の当否を論ずることには慎重でなければならず、安易に介入
すべきものではない。しかしながら、刑訴法四一一条の法意に照らし、もし、原判
決に重大な瑕疵の存することが疑われ、これを看過することが著しく正義に反する
と認められる場合には、最終審として、あえてその点につき職権を行使することが、
法の期待にそうゆえんであり、しかして、本件は、事案の特質および審理の経過に
かんがみ、まさにかかる場合にあたると考えるのである。
 記録によれば、本件犯行が被告人の所為であることを示すとされる直接証拠は、
つぎに掲げた、捜査段階における被告人の自白およびこれに類するもの(以下にお
いて、便宜上、これらを単に「自白」と総称することがある。)のみである。すな
わち、
 一、検察官に対する供述調書(昭和三一年一月一三日付ないし同年二月一九日付、
計七通。一審判決証拠番号(58))
 二、検察官に対する供述を録取した録音テープ(昭和三一年三月二二日、検察官
が、拘置所において、録音することを明示して被告人を取り調べ、その模様を採録
したもの。一審判決証拠番号(59))
 三、司法警察員に対する供述調書(昭和三〇年一一月八日付ないし同三一年一月
二三日付、計一五通。ただし、一審判決は、任意性に疑いがあるとして証拠に挙示
しなかつたもの。なお、最初の二通は、前記窃盗未遂の事実による勾留中に作成さ
れた被疑者調書であつて、本件犯行の自白ではなく、逮捕時までの生活状況を供述
するものである。被疑事件名は空白となつている。)
 四、警察署において録取した録音テープ(昭和三〇年一一月一一日から同年一二
月二五日までの警察署における取調の際、隠しマイクにより、被告人不知の間に採
録したというもの。ただし、自白のみでなく、昭和三〇年一一月一四日の否認供述
を含む。なお、これらの録音テープは、一審五一回公判において、右三、の証拠の
任意性立証のため、との趣旨で提出された。)
 五、検察官の検証調書(昭和三一年三月二三日になされた犯行現場等の検証の際、
被告人が現場への道筋を指示し、現場において凶行の模様を再現した状況に関する
もの。一審判決証拠番号(4))
 六、被告人作成の図面(昭和三一年一月二〇日付A方見取図、同日付殺害状況図、
同月二二日付A方屋内状況図、同日付逃走経路図等、計一一通。被告人が、取調警
察官に対し、図示説明するため作成したというもの。記録四冊一四四九丁ないし一
四五九丁)
 七、被告人の手記(昭和三一年一月二九日付。記録四冊一四四七丁。原判決一の
(三)に引用。)
 八、被告人が差し出した手紙(一月三〇日とあるもの。一審判決証拠番号(56)。
原判決一の(三)に引用。)
 九、被告人が作つた和歌などをみずから記載した紙片(一審判決証拠番号(55)。
原判決一の(三)に引用。)
 一〇、C、Dの各証言(一審判決証拠番号(54)および記録二冊三八一丁以下。
昭和三〇年一〇月一九日、被告人が逮捕された直後に、大阪市天王寺署留置場で、
同房者たる右両名に対してなしたという発言に関するもの。発言内容は、原判決一
の(一三)の(1)に引用。ただし、同所判文中、被告人の逮捕された日を「昭和
二九年一〇月一九日」とするのは「昭和三〇年一〇月一九日」の誤記と認められる。
また「六人殺し」とあるのは正確ではない。調書には、「六人の口」「六人組」と
記載されている。)
 一一、Eの証言(一審判決証拠番号(53)。昭和三一年一月一〇日ころ、被告
人が、山口署留置場で、同房者たる同人に対し、自分は犯人であるから捜査官に聞
かれたらそう言つてほしいといつたというもの。)
 さて、以上の自白が、もしも信用することができ、その内容が真実に合致するも
のであると認められるならば、その余の証拠とあいまつて、本件犯行を被告人の所
為となすべきことは当然であり、原判決は、もとより正当であるわけであるが、こ
れが信用に値せず、真実に合致しないものであるとの疑いを容れる余地があるなら
ば、前記のとおり、他に本件犯行の外形的事実と被告人とを結びつけるべき直接の
証拠のない本件において、被告人を有罪とする一審判決を是認した原判決は、失当
といわなければならない。したがつて、右自白の信用性については、十二分の吟味
を必要とするのである。
 ところで、原判決は、一審判決挙示の被告人の検察官に対する供述調書のほか、
司法警察員に対する供述調書の記載内容、ならびに録音テープ、図面、手記等の存
在およびその内容、あるいは他の関連証拠によつてうかがわれる自白のなされた状
況等を検討して、一審判決の判示に照応する被告人の自白を信用できるとしている。
 そこで、まず、被告人の右各供述調書を見ると、詳細で、かつ迫真力を有する部
分もあり、また、犯人でなければ知りえないと思われる事実についての供述を含み、
さらに、客観的事実に符合する点もなしとしないのであるが、他面、供述内容が、
取調の進行につれてしばしば変転を重ね、強盗殺人という重大な犯行を自供したの
ちであるにかかわらず、犯人ならば間違えるはずがないと思われる事実について、
いくたびか取消や訂正があり、また一方、現実性に乏しい箇所や、不自然なまでに
詳細に過ぎる部分もあるなど、その真実性を疑わしめる点も少なくないのである。
供述中には、終始不動の部分もあるが、それは主として捜査官において本件発生当
初から知つていたと思われる事実についてのものであり、はたして、被告人のまぎ
れもない体験であるが故に動揺を見せなかつたものであるのか、捜査官の意識的、
無意識的の誘導、暗示によるものであるのか、他の証拠と比較して、軽々に断じ難
い。たとえば、侵入口に関する被告人の供述は、裏口からである旨、一貫しており、
捜査官らの証言中には、この点が捜査陣の予想と違つていたので、自供が真実であ
ると考えたとの趣旨のものもあるのである(記録三冊八七一丁、一四冊四八六三丁、
四九六四丁)が、昭和二九年一〇月三〇日付捜査報告書(記録一四冊五〇八三丁)
には、A方は昭和二一年以来三回にわたり盗難にかかつており、侵入口はいずれも
裏口であつた旨の記載があることをあわせ考えると、はたして右証言をそのまま信
用できるか、疑いなきをえない。そのほか、被告人の前記手記、手紙、和歌等につ
いては、原判決のごとく一義的に解釈することには問題があり、さらに、自白がな
された状況に関する証拠も明確を欠くところが多く、いずれも決定的であるとはい
い難い。
 結局、供述調書の記載自体に徴し、あるいは上記関連証拠等によつて、本件犯行
についての被告人の自白には信用性、真実性が認められるとした原審の判断は、肯
認し難いのである。
 原判決は、さらに進んで、多くの間接事実、補助事実を認定、挙示し、右自白の
内容がそれらと符合するが故にその信用性真実性に疑いがないとし、また、犯行を
否定する被告人の弁解を排斥しているのであるが、そのうち最も重要なものは、つ
ぎの六つである。すなわち、
 一、被告人が、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内
のe公園にいなかつた事実、
 二、被告人が、本件発生の日の数日前に、前記b近辺において、二人の知人に姿
を見せた事実、
 三、被告人が、本件犯行前数日間徘御した経路として供述した内容には、当時、
被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれている事
実、
 四、被告人が、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していた事実、
 五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであ
ることが、被告人の自供に基づいて判明した事実、
 六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋が、裏底に
波形模様のある月星印の十文半もしくは十文七分のものであつた事実、
以上である。
 これらは、それぞれ相互に独立した事実であるが、本件の具体的事情のもとにお
いては、そのうち一、ないし五、のいずれのひとつでも、その存在が確実であると
認められるならば、それだけで被告人の前記弁解をくつがえし、その自白とあいま
つて、本件犯行と被告人との結びつきを肯認するに足り、六、もまた、確実である
ならば、被告人の弁解に対する反証として、さらには有罪認定のための資料として、
相当の比重をもつということができる反面、一、または六、が確定的に否定された
場合には、被告人の嫌疑が消滅するか、または著しく減殺されることもありうるの
である。したがつて、これらの事実の存否は、本件事案解明の鍵をなすものである
といわなければならない。そして、もしこれらの事実を積極に認定しようとするな
らば、その証明は、高度に確実で、合理的な疑いを容れない程度に達していなけれ
ばならないと解すべきである。けだし、これらの事実は、上述のごとく、被告人と
犯行との結びつき、換言すれば被告人の罪責有無について、直接に、少なくとも極
めて密接に関連するからである。なおまた、上記一、ないし六、は、おのおの独立
した事実であるから、必ずしも相互補完の関係には立たず、そのひとつひとつが確
実でないかぎり、これを総合しても、有罪の判断の資料となしえないことはいうま
でもない。
 ところで、原判決は、これらの事実をいずれも積極に認定しているのであるが、
その理由として説示するところは、記録に照らし、必ずしも首肯し難いのである。
以下、順次、検討を加える。
 一、被告人は、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内
のe公園にいなかつたか。
 この点に関する証拠としては、つぎのものがある。
 (イ)いなかつたとするもの
  (1)Gの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(16)(
17))
  (2)Hの証言(同(15))
  (3)被告人がe公園に在住していた当時、血を売りに通つていた大阪市内の
血液銀行の被告人関係のカルテ中に
   は、本件発生前後のものが見当たらないことに関する一連の証拠(同(14)
等)
  (4)IことJの第二回証言(昭和四一年九月七日、原審九回公判。記録一四
冊四七四三丁)
 (ロ)いなかつたことはないとするもの
  (1)Iの第一回証言(昭和三四年一月一九日、一審二七回公判。記録五冊一
六九〇丁)
  (2)Kの証言(同。記録五冊一六七八丁)
  (3)Lの証言(昭和三一年八月一八日証人尋問期日。記録二冊四二一丁)
 右証人らのうち、GおよびHは、本件発生の時期における被告人との関係からみ
て、ことさら被告人にとつて不利益な証言をしなければならない立場にあつたとも
考えられないのであるが、しかし、両名とも、認識、記憶、表現等の能力において
問題があり、各供述記載の内容を見ても、意味の明らかでないところや、あいまい
な箇所が少なくなく、被告人が本件の前後に大阪にいなかつたとする各供述を全面
的に措信すべきかどうか疑問である。血液銀行のカルテに関しても、本件発生のこ
ろの被告人のカルテがないのは、検査に合格せず、血を売ることができなかつたこ
とによるもので、被告人が当時大阪を離れた証左ではないとの被告人の弁解を否定
するだけの積極的な証拠は見当たらない。また、原判決は、一の(六)において、
IことJの第一回証言をとらず、右証言の七年後になされた、しかも供述時より一
二年前に属する隣人の動静についての第二回証言をもつて判断の資料としているの
であるが、その合理性には疑いなきをえないし、のみならず同人の右第二回証言は、
被告人が二日ほど不在であつたというのであるから、被告人が、約七日間、b近辺
にいたとする一審判示を是認する根拠とはならないのである。これに対し、L証言、
K証言およびI第一回証言は、同人らの資質、年齢、生活状況、被告人との関係、
供述内容等にかんがみ、たやすく排斥し難いものがある。
 結局、本件発生の時期に、被告人が大阪にいなかつたとの点についての証明は、
いまだ十分とはいえないのである。
 二、被告人は、本件発生の日の数日前に、b近辺において、二人の知人(M、N)
に姿を見せたか。
 この点に関する証拠としては、
  (1)Mの証言(一審において二回、原審において一回。一審判決証拠番号(
18)(19)および記録一一冊三九五三丁)
  (2)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇
八四丁)
  (3)Nの証言(一審および原審において各一回。一審判決証拠番号(28)
および記録一一冊三九七八丁)
  (4)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇
八七丁)
  (5)Oの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(30)(
31))
がある。
 被告人の捜査官に対する供述調書にも、この二人に会つた旨の記載があるが、公
判において、被告人は、これを創作ないし誘導による虚偽のものであると弁解する。
記録中に存する捜査時の資料によれば、右供述調書作成当時、すでに警察側では右
両名から被告人を見かけた旨の聞き込みをえていたことが窺われるのであり、まず
被告人の自供があり、ついで両名にその真偽を確かめたものであるとなすべき証跡
は見当たらない。右両名の証言の信頼性について考えるのに、両名とも被告人の罪
責につきなんらの利害関係もなく、意識的に虚偽の供述をしたと考えるべき事情は
ないのであるが、他面、両名は、被告人と面識はあつたものの、そのころ交際があ
つたわけではないことが認められるほか、両名がそれぞれ被告人と会つたという日
時、場所、情況、および関連証拠上、各面談の事実に確たる裏付けを欠くことなど
をも考えあわせれば、人違いその他なんらかの錯誤を生じた可能性のあることも否
定しきれない。また、右両名のことが被告人の供述調書に現われるのは、昭和三〇
年一二月一七日付および同月一八日付の司法警察員に対する各供述調書からである
が、両調書には、被告人が後に取り消した虚偽の自白にかかる事項が少なからず含
まれている点からみて、被告人の前記弁解も、あながち無視し難いのではないかと
思われる。さらに、Mの一審第一回証言の調書には、原判決一の(四)に判示する
とおり、被告人が反対尋問をした記載があり、そのなかには、被告人自身、Lが被
告人と面談したというP製材所をかつて訪れたことを認めていると見るべき発言の
あることは事実であるが、それは、被告人がLと面談したことまでも認める趣旨で
あるとはいえないのみか、右判示が引用するように、被告人のいう訪問の時期は、
本件犯行の遥か以前で、被告人がなおb近辺に居住していた昭和二八年四月ごろと
いうのであるから、この反対尋問の事実をもつて被告人の弁解を排斥するのは明ら
かに妥当を欠くといわなければならない。そのほか、前掲のOの証言等を参酌して
も、被告人が、本件犯行発生の直前に、前記両名に会つていることは、いまだ確か
な事実とは認められないというべきである。
 三、被告人が、本件犯行前数日間徘徊した経路として供述した内容には、当時、
被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれているか。
 原判決の挙げるところは、
  (1)fのQ経営の菓子店(原判決一の(五)および(一三)の(3))
  (2)g駅付近のルーフイング葺の小屋(原判決一の(八)の(1)および(
一三)の(3))
  (3)h橋際の散髪屋の前の店(原判決一の(八)の(2))
の各存在であるが、(1)については、原判決が前提とする同店の開店時期に事実
誤認ある疑いが濃く、(2)および(3)についても、被告人の供述に的確に照応
するものとはいい難いのである。
  (1)右「fのR店」につき、原判決は、昭和二九年六月中旬開店、同三三年
三月閉店と認定し、昭和二八年春以後、この付近を通行したことがないという被告
人の供述にこの店が出て来るのは、実は、昭和二九年六月中旬以後、さらにいえば
本件犯行のころに、被告人がこの店の付近を通行した証左であるとする。そして、
原判決は一の(五)において、右に関する証拠を挙示しているのであるが、そのう
ち、Qの司法警察員に対する供述調書(昭和三八年一〇月四日付。記録一二冊四一
三〇丁)には、いかにも右判示にいうごとき開店および閉店の時期の記載があるけ
れども、同じくQ、同Sの各証言(昭和四一年四月二二日になされたものであり、
店は供述の時から一二年前の昭和三〇年ころにやめたが、それまで五年ほど開いて
いた、とするもの。記録一三冊四三八五丁、四三七八丁)は、昭和二五年ころに開
店した、との趣旨と解することができるのに対し、検証調書二通のうち一通には、
昭和二九年ころ、ここに出店を出していたというだけの、場所に重点を置いたQの
指示説明の記載があるに過ぎず、他の一通には、警察官Tによる場所の指示の記載
があるのみで、開店時期については触れるところがない。かえつて、原判決が挙げ
ていない捜査状況報告書(昭和三〇年一二月二四日付。記録一四冊五一二〇丁)に
は、Qが、現在(すなわち、原判決がなお営業中と認定している昭和三〇年一二月
末ころ)、自分はそこでは店をしていない、と述べた旨の記載がある。これは、右
書面の作成時期をも考えると、前記各証言を支持すべき有力な資料とするに足り、
これを前提とすれば、R店の開店時期は昭和二五年ころと認めざるをえないから、
そうであるかぎり、この点に関する原判示は、その基礎を失なうこととなるのであ
る。
  (2)「g駅付近のルーフイング葺の小屋」に関して、被告人の司法警察員に
対する昭和三一年一月二三日付供述調書(記録四冊一三一五丁)に、被告人がg駅
北側で野宿した翌朝 「黒いような紙のようなものに何かぬつたもので屋根が葺い
てある小屋」を見た旨の供述記載があること、およびg駅北側のU方家屋の屋根が、
昭和二八年七、八月ころルーフイング葺にされた事実を認めるに足りる証拠のある
ことは、原判決一の(八)の(2)の判示するとおりである(ただし、原判決挙示
のその余の自供調書、すなわち、司法警察員に対する昭和三〇年一二月一七日付、
同月二〇日付、同月二五日付各供述調書および検察官に対する昭和三一年一月一三
日付供述調書には、いずれも、単に駅構内あるいは駅前等で寝た旨の概括的供述の
記載があるのみで、「小屋」についての言及はない。)。被告人は、前記供述につ
いて、g方面には昭和二八年五月以降行つたことがないが、たまたま昭和二六、七
年ころ同地方にルーフイング葺の住宅がいくつも建てられたことを知つていたので、
その知識に基づき、架空のことを述べたものであると弁解している。これに対し、
原判決は、右U方家屋が、前記供述の「小屋」に該当するものであると認め、被告
人の弁解はそれ自体信じ難いとし、かつ、前記供述の用語が、弁解において用いら
れている「ルーヒン葺」というような技術的用語でないことをも根拠として、これ
を排斥したのである。ところで、被告人を取り調べた警察官T作成にかかる捜査日
誌(証二七号)によれば、昭和三〇年一二月二五日の項に、被告人が、g駅付近の
「黒のフア〇タール塗り」の小屋について述べた旨の記載(ただし、上記〇の部分
は、一字が判読困難なため、かりに〇としたものである。) があるから、この日
に、被告人は、警察官に対し、「小屋」につき、右のごとき表現を用いて供述した
ものと考えられる。しかるに、前述のとおり、同日付の司法警察員に対する自供調
書にも、その後における昭和三一年一月一三日付の検察官に対する自供調書にも、
「小屋」に関する供述記載は全くなく、前掲の昭和三一年一月二三日付司法警察員
に対する自供調書(これが被告人の警察における最後の調書である。) において
はじめて、g駅付近の詳しい叙述と、これに関する従来の供述を訂正する供述とが
あらわれるのであつて、前記の「黒いような云々」の供述もまた、この調書にのみ
存するのである。このような事実を総合し、特に、原判決の重視する「黒いような
云々」の供述と、右「黒のフア〇タール塗り」という表現(その意味するところは
必ずしも明らかでないが)とを比較して考えると、前記供述は、あるいは、捜査官
が実地に臨んで知りえたところに基づく取調の結果、おのずからなる誘導迎合を生
じたことによるものであつて、被告人自身の体験によらない架空のものではないか
との疑念を禁じえない。また、右捜査日誌にあらわれた用語は一応の技術的用語と
解されることに徴し、前記供述記載に技術的用語が用いられていないことをもつて
被告人の弁解を排斥する一根拠とする原判決の説示にも疑問を生ずるのである。
  (3) 「h橋際の散髪屋の前の店」に関しては、原判決一の(八)の(2)
掲記の証拠も存在するので、これによれば「散髪屋」の営業時期についての判示は
正当と認められる。しかし、その挙示する被告人作成の図面(記録四冊一四五九丁)
には、基準となるべき「散髪屋」の表示はないのである。それにもかかわらず、原
判決は、この図面に基づき、h橋北詰を基準として、その東方四軒目のV方を、被
告人の自供にいうパンを買つた店にあたると認めたのであるが、同人方で本件犯行
発生のころ、パンを売つていたかどうかについては、明確な証拠が見当たらない。
取調にあたつた警察官Wの「昭和三一年一月一七日、X方に捜査のため赴いたとき、
同人方は食料品、荒物類を販売していたのみで、パンは売つていなかつたが、店の
者が昭和二九年一〇月ころはパンも売つていたと言つていた。」との一審証言(記
録四冊一四一八丁裏)は、伝聞証言でもあり、その内容に照らしても、証明力は高
いとはいい難いし、原審第一回検証での立会人Vの指示説明中には、前にパンを売
つていたことがある旨の記載もあるが、「前」とはいつのことかこれを知る由がな
い。
 さて、このように、原判決の指摘する右(1)(2)および(3)の情況のうち、
(1)については誤認の疑いが濃く、(2)および(3)についても、自供との関
連に疑問をさしはさむ余地がある。もちろん、それがためにただちに被告人に対す
る嫌疑が消滅するわけではない。しかし、右のごとき証拠上の難点が解明されない
かぎり、右情況の存在を判断の前提とすることはできないのである。
 四、被告人は、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していたか。
 前掲「捜査日誌」(証二七号)によれば、昭和三〇年一一月二〇日の項に被告人
が「国民服」奪取の事実につきこの日はじめて供述したことを示す記載があり、ま
た同年一二月三日の項に、A方遺品である「将校服上衣」「国民服上衣」について
捜査がなされたことを示す記載があるほか、これに関連する捜査報告書の日付が昭
和三一年一月一〇日および一二日である事実をも考えあわせると、その捜査は、被
告人の右供述があつたのち、それに基づいてなされたものと見ることができる(W
の反対趣旨の証言もないわけではないが、これは恐らく同人の記憶違いであろう。
記録六冊二二九五丁)から、本事実が確実なものであれば極めて有力な証拠となり
うるのであるが、奪取したという「国民服」上衣が現存しないのみならず、この間
には、なお、つぎのような問題が存在するのである。
 けだし、本事実を積極に認定するためには、被告人の捜査官に対する自白を別と
すれば、
  (1)A方に本件発生時まで存在していた国防色の上衣が、その直後見当たら
なくなつたこと、
  (2)被告人が、本件発生直後から国防色の上衣を所持していたこと、そして、
それ以前にはこれを所持していた事実がなかつたこと、
  (3) (1)(2)の上衣が同一物であること、
が、それぞれ確実でなければならないのである。
 まず、(1)の点についてみると、A方家族全員が殺害されているため、直接の
確認は困難であつて、原判決一の(一三)の(4)の判示は、主として、昭和三一
年一月一〇日付捜査報告書(記録六冊二二四五丁。近隣の人々からの聞き込みを記
載するほか、「形見わけ一覧表」が添付されている。) およびY、Zの各証言(
記録一冊一五五丁、一一冊三九一六丁、一冊一三二丁)に依拠している。そして、
被害者Aが国防色の上衣を着用していたことのある事実は、前記の証拠から認める
ことができるのであるが、着用していた時期についてははなはだ明確を欠くのであ
つて、右捜査報告書に記載された聞き込みによれば、昭和一九年から昭和二四年ご
ろとなつており、Zは時期の記憶がないと述べ、Yは、本件事件直前ごろには見な
かつたとしているのである。なお、右「形見わけ一覧表」によれば、A方遺品中に、
対応すべき上衣のない国防色のズボン一着(証一号)があつたことは認められるが、
それがもともと上下一揃のものであつたかどうかは明らかでない。また、遺品中に
は、その他にも、軍服上衣二着と国防色の上衣一着との存することが認められるの
であつて、これらと、前記の人々の見たという国防色の上衣との異同は、まつたく
不明である。
  (2)の点についていえば、被告人が国防色の上衣を所持していたことは、H
およびAaの各証言(記録二冊三九六丁、四〇七丁)の認めるところであるが、H
の証言の信頼性については、既述のごとき問題があり、Aaの証言についても、同
女の資質、性格等のほか供述記載の内容をも考えあわせると、その信頼性には、同
様の問題があるのである。のみならず、Aaは、本件犯行発生後約半年を経た昭和
三〇年四月一七日に、はじめて被告人と相知るにいたつたものであるし、Hは、昭
和三〇年四月ごろに被告人が国防色の上衣を着ているのを見たと供述しているだけ
であるから、両名の証言をもつて、本件以前に被告人が国防色の上衣を所持してい
なかつた事実までも認定すべき資料とすることはできない。さらに、本件発生当時、
被告人と同棲していたGは、当時の被告人の服装や手持ち衣類等について明確な記
憶がないと述べており、国防色の上衣について特に尋問されたのに対しても、「兄
ちやんから借りていた」という、趣旨不明の答をしているのみである(記録二冊六
九九丁)。なお、同人の検察官に対する供述調書にも、国防色の上衣に触れるとこ
ろは全くない(記録四冊一四三七丁)。
  (3)の点については、A方の被害品という国防色の上衣なるものがいかなる
ものであつたかはもとより、その存在自体が明確を欠くのであるから、AaとHの
いう上衣との同一性の識別は本来不可能に属するのである。それにしても、もし、
Aaらのいう上衣が、A方遺品である証一号のズボンと、その生地、色合い等を同
じくしていたことが認められるならば格別であるが、その点に関し、最も重要な証
人というべきAaは、右ズボンを示されて尋問を受け、上衣の色はこれよりちよつ
と濃く、生地も違うと述べているのである。
 なお、Aaは、同人が見た国防色の上衣および被告人所持の鳥打帽に、血の「し
み」がついていたとも供述しているが、現物はいずれも同女が焼き捨てたというの
であり、その「しみ」が血痕かどうかは確めるべくもないし、一方、本件犯行発生
のころに被告人と同棲していたGは、右鳥打帽によごれのあつたことを否定してい
る(記録二冊七〇八丁)。
 結局、国防色の上衣の点についても、証拠はとうてい十分とはいえないのである。
 五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであ
ることが、被告人の自供に基づいて判明したか。
 被告人の右藁縄(証四号)に関する自供のうち、これを持ち出した場所はFの農
小屋であるとする点は、関連証拠上、捜査官の示唆誘導によるものとは考え難い。
そこで、もしこの繩の出所が右農小屋であることが確定されるならば、それはほと
んど決定的な証拠となりうるものである。この点に関し、一、二審においては、右
藁縄の用途、その製造に用いられた藁の品種および製縄機の機種、ならびにその山
口県内における普及状況等につき多数の証拠が取り調べられたのであるが、これら
の証拠はいずれも決定的なものではない。また、証四号の藁縄にはなんら顕著な特
徴がないのみならず、記録中には、捜査に際し、右農小屋から同様な縄が発見され
たとするごとき捜査官の証言もないではないが、これを裏付けるに足る的確な証拠
はなく、その他記録を精査しても、被告人の自白を除いては、この縄が、本件直前
まで右農小屋にあり、犯行に際してここから持ち出されたものであることを確認し
うべき証拠は、ついに見出だすことができないのである。
 六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋は、裏底に
波形模様のある月星印の十文半もしくは十文七分のものであつたか。
 被告人も、本件発生のころに、i駅裏商店街の、同駅から行つて右側の店で買つ
た地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)を所持し、時に着用していたことは
争わない。その現物は、被告人逮捕の時には既に存しなかつたのであるが、しかし、
もし、それが月星印の品であることが明らかにされるならば、本件犯行の現場に残
されたひとつの足跡の特徴と合致するが故に、決定的とまでは言えなくても、有罪
認定のための有力な資料となるであろう。
 一審で、検察官は、この地下足袋の買い入れ先は、i駅裏近辺で月星印地下足袋
を販売する唯一の店であるAb方であると主張したが、同人の証言で、その店はi
駅から行けば商店街左側であることが判明した。原審でも、被告人のいう店が、右
側にあるAc商店(この店では、当時大黒印地下足袋のみを販売していた。) で
あるか否かとの点について、同商店街の検証などが行なわれたが、既に一〇余年を
経たのちのことでもあり、事態を明白にするにいたらなかつた。原判決は、一の(
九)の判示において、被告人の弁解を採用しなかつたのであるが、それは、被告人
の弁解が一貫しないことなどを主たる根拠とするにとどまるのであつて、必ずしも
首肯せしめるに足りない。要するに、当時、被告人の所持、着用していた地下足袋
が、前記Ad商店から購入されたものであるとする根拠には乏しく、他に、これが
月星印の品であつたとすべき確実な証拠も存在しないのである。
 以上、一、ないし六、の事実について検討したところによれば、これらはいずれ
も証拠上確実であるとはいい難く、これによつて被告人を本件犯行の犯人と断定す
ることができないのはもちろん、原判決のごとく、これを被告人の自白の信用性、
真実性を裏付ける資料とすることも困難であると考えざるをえないのである。
 なおまた、原判決が、被告人を有罪とした一審判決を維持すべき根拠として掲げ
るその余の判示についても、疑問の余地なしとしない。一例を挙げれば、原判決は、
一の(一三)の(1)において、被告人は本件犯行発生の日時を誰からも教えられ
ずに知つていたとするが、取調にあたつた捜査官の証言にも、右にそうごとき供述
はなく、その他、右判示の根拠となしうべき積極的証拠は見当らないのである。自
白にかかる犯行の日時は、昭和三〇年一一月上旬ころ、留置場の他の房にいたAe
からこれを聞いて知つたものである旨の被告人の弁解について、原判決は、西村の
証言と比較して信用できないとし、これを排斥している。しかし、西村証言(記録
五冊一九〇九丁)は、被告人からbの六人殺しはいつあつたかと聞かれたこと、お
よびこれに対して答えた旨を明確に述べているのであつて、その点は被告人の主張
と一致するのである。それが事実であつたとすれば、被告人の用意周到な演技であ
るなどと疑うべき格別の事情のないかぎり、むしろ当時被告人は犯行発生の日時を
知らなかつたものと見る方が自然であるといえないこともないのである。
 本件が強盗殺人事件であることは、ほぼ確実である。そして、本件記録を通観す
れば、被告人がその犯人ではないかとの疑惑を生ぜしめる種々の資料が存するので
あり、犯行を否定する被告人の弁解が、はたして真実であるかどうかについても問
題がないではない。また、本件一、二審の判決裁判所は、いずれも、被告人の公判
廷における弁解を長時間にわたつて直接に聴取し、しかもなおこれを採用しなかつ
たのであつて、このことは軽視できないところである。
 しかしながら、右の諸点を十分に考慮しても、上述したとおり、本件記録にあら
われた証拠関係を検討すれば、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつきについ
て、合理的な疑いを容れるに足りる幾多の問題点がなお存するのであつて、原審が、
その説示するような理由で、本件犯行に関する被告人の自白に信用性、真実性があ
るものと認め、これに基づいて本件犯行を被告人の所為であるとした判断は、支持
し難いものとしなければならない。されば、原判決には、いまだ審理を尽くさず、
証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、このこ
とは、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義
に反するものと認められる。
 よつて各上告趣意につき判断を加えるまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号に
より原判決を破棄し、同法四一三条本文にのつとり、さらに審理を尽くさせるため
本件を原裁判所である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見
で主文のとおり判決する。
 検察官横井大三、河井信太郎公判出席
  昭和四五年七月三一日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    村   上   朝   一

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