弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
1本件各控訴をいずれも棄却する。
2控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1控訴人ら
(1)原判決を取り消す。
(2)被控訴人国は,すべての控訴人らに対する関係で,その余の被控訴人らは,
それぞれ別紙請求目録記載の各「被控訴人」欄に対応する「控訴人」欄に記
載された各控訴人に対する関係で,それぞれ対応する控訴人らに対し,北海
道新聞,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞,人民日
報,中国青年報,解放日報,河北日報,明報,山西日報及び遼寧日報の各朝
刊の全国版下段広告欄に,別紙(謝罪広告文)記載の謝罪広告を2段抜きで,
見出し及び被控訴人の名は4号活字で,その他は5号活字で1回掲載せよ。
(3)被控訴人らは,それぞれ別紙請求目録記載の「被控訴人」欄に対応する「
控訴人」欄に記載された各控訴人に対し,被控訴人国と同目録記載の同一の
「被控訴人」欄に記載された被控訴人らとは連帯して,それぞれ対応する「
請求金額(円)」欄に記載された額の金員及びこれに対するそれぞれ対応す
る「損害金起算日」欄に記載された日から各支払済みまで年5分の割合によ
る金員を支払え。
(4)訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
(5)仮執行宣言
2被控訴人国
(1)主文同旨
(2)仮執行の宣言は相当でないが,仮執行宣言を付する場合は,
ア担保を条件とする仮執行免脱宣言
イその執行開始時期を判決が被控訴人国に送達された後14日経過したと
きとすること
3その余の被控訴人ら
主文同旨
第2事案の概要
1本件は,第2次世界大戦中,中国人である別紙請求目録の「被害者」欄記載
の者ら(以下「本件被害者ら」という。)が,1審被告らによって中国から強
制的に我が国の事業場へ連行され,同所において劣悪な生活環境及び労働条件
等の下で労働を強制され,これにより名誉を毀損されるとともに精神的苦痛等
の損害を被ったとして,本件被害者ら本人又はその相続人である控訴人らが被
控訴人ら(ただし,被控訴人株式会社地崎工業は,当審において,被控訴人(
1審被告)株式会社CKプロパティー(原審当時の商号は「株式会社地崎工業
」であるが,上記の被控訴人株式会社地崎工業とは別の法人である。)から訴
訟引受をしたものである。)に対し,名誉回復の措置としての謝罪広告の掲載
並びに慰謝料相当額として本件被害者ら1人につき2000万円及びこれに対
する訴状送達の日の翌日である同目録「損害金起算日」欄に記載された日から
各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各支払を求めた事
案である。
控訴人らは,原判決においてその請求がいずれも棄却されたことから,これ
を不服として本件各控訴に及んだ。
2本件における当事者の主張は,以下のとおり,原判決を補正し,国家無答責
の法理(争点3の1)及び安全配慮義務違反の成否(争点4の1)についての
控訴人らの当審における追加主張(被控訴人らはいずれもこれを争っている。
)を付加するほか,原判決の「事実及び理由」の「第2事案の概要」の「2
請求原因の概要」(原判決3頁19行目から同6頁17行目まで)及び「3
請求原因に対する被告らの主張の概要」(同6頁18行目から同10頁21
行目まで),「第3強制連行に至る事実経過並びに原告ら等に対する強制連
行及び強制労働に関する原告らの主張」(同10頁22行目から同66頁末行
まで),「第4主な争点及びこれに対する当事者双方の主張」(同67頁1
行目から17行目まで,同111頁から同244頁までの原判決別紙(1)ないし
(6))に記載されたとおりであるから,これを引用する。
なお,上記引用に当たり,原判決に「原告ら等」とあるのは「本件被害者ら
」と,「原告F」,「原告I」,「原告AG’ことAG」又は「原告AG」,
「原告AH’ことAH」又は「原告AH」,「原告P」,「原告S」,「原告
AM」,「原告AD」とあるのは「亡F」,「亡I」,「亡AG」,「亡AH
」,「亡P」,「亡S」,「亡AM」,「亡AD」とそれぞれ読み替え,他に
「原告」とあるのは「控訴人」と,「被告」とあるのは「被控訴人」とそれぞ
れ読み替えるほか,「被告地崎工業の主張」など,被控訴人株式会社CKプロ
パティー(上記のとおり,原審当時の商号は「株式会社地崎工業」である。)
が訴訟上の主張の主体として表示された部分については,原判決に「被告地崎
工業」とあるのは「被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業」と,原判決のその
余の部分に「被告地崎工業」とあるのは「被控訴人旧地崎工業」とそれぞれ読
み替えるものとする。
また,以下,上記のとおり,被控訴人株式会社CKプロパティーは「被控訴
人旧地崎工業」と,被控訴人株式会社地崎工業は「被控訴人新地崎工業」と表
記するほか,原判決と同様に,被控訴人三井鉱山株式会社は「被控訴人三井鉱
山」と,被控訴人住友石炭鉱業株式会社は「被控訴人住友石炭鉱業」と,被控
訴人株式会社熊谷組は「被控訴人熊谷組」と,被控訴人新日本製鐵株式会社は
「被控訴人新日鐵」と,被控訴人三菱マテリアル株式会社は「被控訴人三菱マ
テリアル」と表記し,被控訴人国及び同新地崎工業を除くその余の被控訴人ら
を総称する場合は「被控訴人企業ら」と表記する。
3原判決の補正
(1)原判決6頁4行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,被控訴人旧地崎工業(平成16年4月1日,「株式会社地崎工業」
から現在の「株式会社CKプロパティー」に商号を変更した。)は,同日ま
でに,被控訴人新地崎工業(同日,「株式会社CTコーポレーション」から
現在の「株式会社地崎工業」に商号を変更した。)に会社を分割し,その会
社分割契約において,被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業は,本件訴訟に
より控訴人らから訴求されている債務については被控訴人新地崎工業が承継
する旨を合意したものであるから,被控訴人新地崎工業も,被控訴人国及び
同旧地崎工業と連帯して,控訴人らに対する損害賠償等の債務を負担する。

(2)同9頁23行目から25行目までを次のとおり改める。
「(6)被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業の主張の概要
ア被控訴人旧地崎工業による強制連行及び強制労働の事実は否認する。
イなお,被控訴人旧地崎工業から同新地崎工業への会社分割及びこれに
伴う債務の承継に係る控訴人らの主張は明らかにこれを争わない。
ウその余の主張は,前記3(2)アないしウの被控訴人三井鉱山の主張と同
旨である。」
(3)同10頁26行目の「原告ら等43名」を「本件被害者ら42名」と改め
る。
(4)同36頁8行目から10行目までを次のとおり改める。
「なお,亡Aは,第1事件の訴えを提起した後の平成11年(1999年)
10月31日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人A
1,同A2,同A3,同A4,同A5及び同A6が承継した(亡Aが被控訴
人国及び同三井鉱山に対して有していた2000万円の損害賠償請求権につ
いては,上記の控訴人らが各333万3333円ずつ承継した。)。」
(5)同39頁6行目の「同AQ,」,同頁末行から同40頁2行目まで及び同
42頁7行目から12行目まで(いずれも当審でその訴えを取り下げた1審
原告亡AQに関する記載である。)を削除する。
(6)同39頁16行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡Fは,第1事件の訴えを提起した後の平成14年(2002年)
4月10日に死亡し,その地位を,いずれも亡Fの相続人である控訴人F1,
同F2,同F3,同F4,同F5,同F6及び同F7が承継した。」
(7)同39頁25行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡Iは,第1事件の訴えを提起した後の平成14年(2002年)
9月25日に死亡し,その地位を,いずれも亡Iの相続人である控訴人I1,
同I2,同I3,同I4,同I5及び同I6が承継した。」
(8)同40頁6行目から8行目までを次のとおり改める。
「なお,亡Jは,平成11年(1999年)3月16日に死亡し,その地位
を,いずれも同人の相続人である控訴人J1,同J2,同J3及び同J4が
各4分の1の相続割合により承継した(亡Jが被控訴人国及び同住友石炭鉱
業に対して有していた2000万円の損害賠償請求権については,上記の控
訴人らが各500万円ずつ承継した。)。」
(9)同40頁12行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡AGは,本件控訴を提起した後の平成17年(2005年)11
月13日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人AG1,
同AG2,同AG3,同AG4及び同AG5が承継した。」
(10)同40頁15行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡AHは,第2事件を提起した後の平成14年(2002年)11
月12日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人AH1,
同AH2,同AH3及び同AH4が承継した。」
(11)同44頁10行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「カなお,被控訴人住友石炭鉱業は,その作成に係る「華人労務者就労顛末
報告書」(甲C1)に上記の本件被害者らの記載がないとして,そのこと
を根拠に,上記の本件被害者らが被控訴人住友石炭鉱業のa炭鉱で就労し
た事実を否認している。
しかしながら,中国では,古来から名を呼ばれることを嫌い,いわゆる
字をつける風習があり,上記の本件被害者らの中にも,我が国内では,字
を名乗っていた者もいた(例えば,控訴人Gは「G’」又は「G”」と,
亡Iは「I’」と名乗っており,そのため,「華人労務者就労顛末報告書
」には,「G’」及び「I’」の記載がある。)上に,「華人労務者就労
顛末報告書」における労務者の出身地の記載は,必ずしも正確なものでは
ないから,「華人労務者就労顛末報告書」に上記の本件被害者らの名が記
載されていない,あるいは該当する名があっても出身地が異なるというこ
とのみで,上記の本件被害者らが被控訴人住友石炭鉱業のa炭鉱で就労し
た事実はないと断定するのは拙速というべきである。
上記の本件被害者らは,いずれも「aの炭鉱」で就労したものであると
ころ,炭鉱は主要な坑口の所在地によって呼称されるのが通常であり,a
市域にあった三つの炭鉱のうち,後記の北炭の炭鉱は「b炭鉱」と,昭和
電工の炭鉱は「c炭鉱」とそれぞれ呼ばれ,「aの炭鉱」といえば,被控
訴人住友石炭鉱業のa炭鉱のことを指すのであり,その他上記の本件被害
者らが「aの炭鉱」に連行されてきた経路やそこでの作業内容等にもかん
がみれば,上記の本件被害者らが就労した「aの炭鉱」が被控訴人住友石
炭鉱業のa炭鉱であることは間違いのない事実である。」
(12)同45頁4行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡Pは,本件控訴を提起した後の平成16年(2004年)6月8
日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人P1,同P2,
同P3及び同P4が承継した。」
(13)同45頁14行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡Sは,原審口頭弁論終結後の平成16年(2004年)3月8日
に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人S1,同S2及
び同S3が承継した。」
(14)同45頁23行目から25行目までを次のとおり改める。
「なお,亡Vは,平成7年(1995年)5月15日に死亡し,その地位を,
いずれも同人の相続人である控訴人V1,同V2,同V3及び同V4が各4
分の1の相続割合により承継した(亡Vが被控訴人国及び同熊谷組に対して
有していた2000万円の損害賠償請求権については,上記の控訴人らが各
500万円ずつ承継した。)。」
(15)同46頁3行目から6行目までを次のとおり改める。
「なお,亡Wは,平成9年(1997年)9月1日に死亡し,その地位を,
いずれも同人の相続人である控訴人W1,同W2,同W3,同W4,同W5
及び同W6が,控訴人W1は12分の7,その余の上記の控訴人らは各12
分の1の相続割合により承継した(亡Wが被控訴人国及び同熊谷組に対して
有していた2000万円の損害賠償請求権については,控訴人W1が116
6万6666円,その余の上記の控訴人らが各166万6666円ずつ承継
した。)。」
(16)同46頁15行目から18行目までを次のとおり改める。
「なお,亡Yは,平成11年(1999年)4月10日に死亡し,その地位
を,いずれも同人の相続人である控訴人Y1,同Y2,同Y3,同Y4,同
Y5,同Y6及び同Y7が,控訴人Y1は14分の8,その余の上記の控訴
人らは各14分の1の相続割合により承継した(亡Yが被控訴人国及び同熊
谷組に対して有していた2000万円の損害賠償請求権については,控訴人
Y1が1142万8571円,その余の上記の控訴人らが各142万857
1円ずつ承継した。)。」
(17)同55頁12行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡AMは,本件控訴を提起した後の平成17年(2005年)12
月8日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人AM1,
同AM2,同AM3,同AM4,同AM5及び同AM6が承継した。」
(18)同55頁16行目の「その商号を株式会社地崎組に変更し」を「その組
織・商号を株式会社地崎組に変更し」と,同頁17行目の「現商号に変更し
た」を「その商号を株式会社地崎工業に変更した」とそれぞれ改める。
(19)同58頁22行目の次に改行して,以下のとおり加える。
「なお,亡ADは,原審口頭弁論終結後の平成14年(2002年)1月1
4日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人AD1及び
同AD2が承継した。」
(20)同63頁22行目から24行目までを次のとおり改める。
「なお,亡AKは,第2事件の訴えを提起した後の平成15年(2003年
)5月29日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人A
K1,同AK2,同AK3,同AK4,同AK5及び同AK6が承継した(
亡AKが被控訴人国及び同三菱マテリアルに対して有していた2000万円
の損害賠償請求権については,上記の控訴人らが各333万3333円ずつ
承継した。)。」
(21)同139頁19行目の「1形式」を「一形式」と,同151頁末行の「
法定地法」を「法廷地法」と,同160頁16行目の「1個人」を「一個人
」と,同163頁13行目の「1個」を「一個」と,同164頁4行目の「
1私人」を「一私人」とそれぞれ改め,同166頁2行目から3行目にかけ
ての「最高裁平成11年(オ)第1767号同14年9月11日大法廷判決・
民集56巻7号1439頁」の次に「,以下「最高裁平成14年判決」とい
う。」を加える。
(22)同177頁末行の「克服していかなければならなかった。」の次に改行
して以下のとおり加え,同頁末行の「日本で代理人」から同178頁3行目
の末尾までを削除し,同181頁22行目の「1月」を「1月あるいは平成
11年(1999年)5月17日,さらには平成14年(2002年)6月
5日」と改める。
「また,控訴人らの提訴の意向を受けて,本件訴訟の北海道での弁護団体制
づくりが始まったのは平成10年(1998年)になってからである。同年
12月21日に北海道の弁護士有志が集まり,平成11年(1999年)1
月に札幌の弁護士数名が中国に渡り,控訴人らから事情を聴取した後,さら
に準備会を行い,同年4月に弁護士数名で中国に渡って第一次調査を行い,
同年5月17日に,正式に控訴人ら(第1事件原告ら)の北海道訴訟弁護団
が結成されたのである。
その後,さらに弁護団の弁護士数名が同年7月に中国に渡って第二次調査
を行い,これらの調査結果に基づき訴状を作成して,同年9月1日に札幌地
方裁判所に対して第1事件を提起した。
さらに,第1事件提起後に追加提訴を希望する中国人被害者がいたことか
ら,上記弁護団は,平成14年(2002年)6月5日の弁護団会議におい
て,これら提訴についても正式に弁護団で取り扱うことを決め,そして,同
年8月26日に第2事件を提起した。
以上のとおり,本件について損害賠償請求権の行使が可能となるのは,平
成11年(1999年)1月のこと(原審での主張)であるか,第1事件原
告らについては平成11年(1999年)5月17日,第2事件原告らにつ
いては平成14年(2002年)6月5日のこと(当審での主張)であり,
これらの日以前には控訴人らの権利行使可能性はなかった。」
(23)同202頁3行目から7行目までを次のとおり改める。
「これを本件についてみると,前記のとおり,控訴人らの権利行使が現実に
期待できる時期は,平成11年(1999年)1月のこと(原審での主張)
であるか,第1事件原告らについては平成11年(1999年)5月17日,
第2事件原告らについては平成14年(2002年)6月5日のこと(当審
での主張)であるから,本件訴訟が提起された時点においては消滅時効期間
である10年は経過していない。」
4当審における控訴人らの追加主張
(1)国家無答責の法理(争点3の1)について
アいわゆる国家無答責の法理の存在形式・法的性格は,「立法政策による
権力的な作用に属する行為に係る実体法上の損害賠償請求権の否定」(原
判決79頁5行目以下,同84頁5行目以下)ではなく,民法の適用範囲
をめぐる裁判例の集積途上の法理にすぎない。
しかるに,旧憲法から現行憲法へと憲法価値の転換がなされ,憲法17
条に基づいて国家賠償法が制定された現行憲法体系下にあって,裁判所は,
国家賠償法附則6条及び民法709条又は715条の解釈適用を行うに際
し,現行憲法の根本価値である「個人の尊重」(憲法13条),その価値
原理の具体的解釈指針としての「個人の尊厳」(民法2条(平成16年法
律第147号による改正前の民法1条ノ2))を旨としてこれを行うべき
であり,「個人の尊重」,「個人の尊厳」を否定するような解釈をするこ
とは,憲法98条1項に照らしても,許されない。また,個人の尊厳を否
定する残虐で非人道的行為は,国際法上の強行法規に違反し,被害者の救
済が図られなければならないとするのが,現在の国際社会における確立さ
れた法規であり,国際社会における共通認識であり,前文及び98条2項
で国際協調主義を定めた現行憲法下において,裁判所が国際的人権保障の
諸法規に違反するような法の解釈・適用を行うことは,許されない。
旧憲法下の戦前の学者でさえ,権力的作用というだけで民法の不法行為
規定を適用しないことが,法の究極の理念である「正義公平の原則」に適
うとはいえないと疑問を呈していたのであり,いわんや憲法13条が個人
の尊厳を最高価値とすることを定めて全体主義を否定し,憲法17条によ
って国家無答責の考えを廃した(最高裁平成14年判決における裁判官滝
井繁男の補足意見参照。)現行憲法下で,しかも行政裁判所制度も廃止さ
れた司法裁判所の下で,本件のような個人の尊厳を全く無視した人倫に悖
る国家行為については,これが権力作用に基づくものであるとしても,例
外的に,民法の不法行為の適用が認められると解する。
イまた,中国人強制連行,強制労働が問題となったそもそもの発端である
事業,すなわち中国人内地移入事業は,中国人の労働力を我が国の戦時経
済体制の中で如何に効率よく利用するかという総合的経済問題であり,そ
の内容は,被控訴人国がその現地出先機関の性格を持つ華北労工協会に労
働者移入・管理を委任し代理させて行った労務供給事業であった。内地移
入事業の実体が労務供給事業であるために,中国人内地移入の実施を決め
た昭和17年(1942年)11月27日の本件閣議決定は,中国人の移
入を契約に基づくものと位置付け,各企業に割り当てた中国人労働者の労
働条件をはじめとした処遇を華北労工協会と各企業との間の中国人労働者
使用契約あるいは同契約上中国人労働者の使用条件とされた「華人労務者
対日供出実施細目」の策定という形式によって細かく定めたのであり,中
国人内地移入事業は,私経済的行為,非権力的行為と同視できるものであ
る。
個々の具体的な行為を見ても,被控訴人国が行ったこの労務供給事業と
しての中国人内地移入事業は,問題となる場面でみれば労働力の募集・輸
送・使役(雇用)行為であるところ,労働者を募集してこれを輸送し,使
役(雇用)する法律関係は,例外的な公権力行使の場合(徴兵,徴用,刑
罰としての懲役)を除けば,明らかに私法的法律関係である。
本件の強制連行,強制労働の本質は,端的に募集,輸送,使役(雇用)
という私的経済的行為(商行為)が,労働者の自由意思によらないで違法
に強制,押し付けされたという点につきるのであり,このことは,本件の
強制連行,強制労働が民間企業と共同実行された事実を見れば明らかであ
る。
そうだとすれば,本件の強制連行,強制労働は,権力的行為ではなく,
非権力的行為として,民法の適用が認められるべきである。
ウなお,被控訴人国が閣議決定に基づき国の諸機関によって行った労務供
給事業としての不法行為は,民法44条の法人としての行為でもある。
したがって,被控訴人国は,民法709条及び個々の官吏の使用者とし
て民法715条に基づいて不法行為責任を負うだけでなく,民法44条に
基づいても責任を負う。
エ最高裁昭和28年(オ)第641号同31年4月10日第三小法廷判決・
裁判集民事21号665頁(以下「最高裁昭和31年判決」という。)は,
占領軍の下で火薬焼却作業に従事した警察官らが住民に対して退避処分や
避難命令を行うべきであったのにそれを怠ったという事案につき,警察官
が危害防止のために行う退避処分や避難命令は,処分や命令などという権
力行為というより,その実体はむしろ「要請行為,急迫した勧告ないし注
意行為」(行政指導)というべきものであり,権力作用ではないとして,
国の賠償責任を肯定した。
しかるに,本件の法律関係及び事実関係の下において,被控訴人国は,
中国人労働者に対してたとえ債務不履行としての安全配慮義務を負わない
場合でも,不法行為上の保護義務は当然にこれを負っていたといわなけれ
ばならず,その具体的な関与によって中国人労働者の労働力を各企業に供
給した一方当事者の立場から,仮に各事業所の労働場面における関与が包
括的なものであったとしても,少なくとも,各企業が華北労工協会との間
で結んだ中国人労働者使用契約上中国人労働者の使用条件とされた「華人
労務者対日供出実施細目」に従い中国人労働者に対して負っている最低限
度の生命・健康保障義務を各企業に守らせるよう要請,勧告,注意し,も
って中国人労働者を保護する義務を負っていたというべきところ,この最
低限被控訴人国が負う中国人労働者に対する保護行為は,華北労工協会を
代理機関として各企業と締結させた中国人労働者使用契約に基づき労務供
給業者の立場から導き出されるものであり,権力行為として行われる保護
「処分」や保護「命令」ではなく,文字通り,使役企業に対する要請行為,
勧告ないし注意行為であるから,その性質は公権力の行使たる行政作用で
はない。これを公権力作用とするのは,明らかに最高裁昭和31年判決に
違反するというべきである。
そして,被控訴人国は,上記の義務さえも怠った過失があったというべ
きところ,この過失行為も被控訴人国が本件閣議決定に基づき国の諸機関
によって行った労務供給事業としての不法行為であるから,民法44条の
法人としての責任が生じる。また,個々の官吏の過失行為の使用者責任も
発生する。したがって,被控訴人国は,民法44条,あるいは民法709
条及び715条に基づいて不法行為責任を負う。
上記過失行為によって負う被控訴人国の不法行為責任に対して国家無答
責の原則は適用されないといわなければならない。
(2)安全配慮義務違反の成否(争点4の1)について
ア華北労工協会は,中国人労働者の募集・取りまとめを行う組織として設
立されたもので,中国の民間団体ではあるが,要職はすべて日本人が占め
ており,実質的に日本政府の意を受けて活動する存在であり,被控訴人国
との一体性を有していたところ,上記(1)において主張したとおり,華北労
工協会と被控訴人企業らの間の中国人労働者使用契約は,労働者供給契約
と考えることができるのであり,華北労工協会において管理され,訓練を
受けたことになる中国人労働者は,同協会によって派遣される労働者類似
の立場と考えることが可能であるから,華北労工協会及び被控訴人国は,
いわば派遣元の立場であり,被控訴人企業らは派遣先の立場に立つという
ことができる。
なお,中国人労働者の我が国への移入については,基本的には,華北労
工協会による募集,中国人労働者からの応募,同協会による職業訓練等の
準備,日本企業からの必要数の希望と被控訴人国によるその調整,調整後
の員数での華北労工協会との中国人労働者使用契約の締結,華北労工協会
による中国からの送り出しと日本企業による受け入れ,受け入れ企業にお
ける労働,という段階で行われることとなっており,本来契約的要素の強
いものであった。被控訴人国が関与して作成されることとなった実施細目
にしても,当初から単なる仮装のものとして作成されたというよりは,そ
の履行を前提としていたというべきである。ところが,戦局の大きな変化,
我が国における経済事情,食糧事情の急激な悪化によって,自ら作成した
これらの諸条件の履践は困難あるいは無視されるに至ったものであった可
能性が大きい。
イ派遣先である被控訴人企業らが,派遣元である華北労工協会及び被控訴
人国に対して,派遣された中国人労働者について中国人労働者使用契約に
記載されているとおりの労働条件を遵守すべき義務を負うことは,中国人
労働者使用契約がある以上当然のこととなる。
また,派遣労働者類似の立場にある中国人労働者も,派遣先で中国人労
働者使用契約の労働条件が遵守されていない場合には,その遵守を要求で
きるとすることは,自らが派遣先の直接の指揮・監督を受けてそこで労働
している以上これも当然のことといわなければならない。
したがって,その義務不履行で中国人労働者の生命・身体・健康に被害
が生じれば,派遣先である企業は,彼らに対し損害賠償責任を負うことと
なるのである。
上記のとおり,中国人労働者移入システム自体は,中国人労働者の応募,
華北労工協会と日本企業との中国人労働者使用契約の締結,被控訴人国が
関与した実施細目により詳細に定められた労働条件に従った労働という形
で進められることが予定され,当事者の「意思」や「合意」が基本となっ
ているのであるから,使用する側である企業に安全配慮義務が生じるのは
むしろ当然のことだったのである。そのようなシステムを運用する側が暴
走し,中国人労働者の意思に反して我が国に連行し,これらの条件を無視
して強制的に労働させたとすれば,それはやはり安全配慮義務違反という
べきである。
ウさらに,中国人労働者使用契約の内容が遵守されていないときに,派遣
労働者類似の立場にある中国人労働者が,派遣元である華北労工協会及び
被控訴人国に,派遣先を改善させるように求める,つまり監督・是正を求
めることも当然認められることである。
本件のような外形を伴って作り出され,その実態が外形において定めら
れている労働条件と著しく異なるような労働関係の下では,中国人労働者
は被控訴人国に対して上記のような監督・是正を要求できると考えるべき
であり,それが「国の安全配慮義務」あるいは「国の保護義務」というべ
きものとなる。
仮に,被控訴人国が,上記の中国人労働者移入システムはあくまで虚構
であり,実際は中国人労働者をその同意なく拉致し,本人の意思を抑圧し
て強制労働をさせており,派遣類似の関係は存在しないから,被控訴人国
には中国人労働者の労働条件等の監視・監督,是正措置をとるべき義務は
ないと主張したとしても,そのような主張は,自己の免責を得るために違
法行為を主張するというものであって,許されないというべきである(禁
反言)。また,強制労働であるという理由で安全配慮義務を否定すること
は,前記のILO条約(ILO第29号条約「強制労働ニ関スル条約」)
に反するものである。
エ実質面においても,被控訴人国は中国人労働者に安全配慮義務(保護義
務)を負っている。
すなわち,中国本土から中国人労働者を我が国に移入する計画は,民間
企業のみでなし得ることではなく,被控訴人国の関与がなければ到底不可
能であった。そして,このようにして我が国に移入してきた中国人労働者
を各企業に配分することも,各企業からの要望を考慮したとはいえ,やは
り被控訴人国が決めていたことである。
被控訴人国は,本件被害者らが被害を受けた時期には,既に当初の計画
設計における想定は捨て去っており,中国人労働者を我が国の企業の作業
現場において強制労働させる目的でこのシステムを利用して,中国本土か
ら拉致して我が国に連行し,各企業の作業場所に配置するということをし
ていた。当初の計画設計においては,その労働の内容や生活環境について
は,被控訴人国が関与して作成された実施細目によって事細かに決められ
ていた。実施細目には,就労期間を2年とするといった,期間の定めまで
あったのである。
当初の計画設計は,中国人労働者を「募集」して我が国に移入させると
いうものであり,2年間の就労を原則として,その後の帰還を前提として
いたのであって,彼らが強制労働に従わなければならない状況に追い込み,
一方では実施細目を設けて彼らの労働条件・生活環境を規定した者の責任
として,被控訴人国は,彼らの生命・身体・健康が害されないように,各
企業の実施状況を監視し,違反があればこれを是正させる義務(安全配慮
義務又は保護義務)を個別に負っていたというべきである。
これは行政機関としての被控訴人国が一般的に負う,監督・是正義務で
はない。被控訴人自らが関与し,中国人労働者を拉致し,我が国に連行し,
強制労働させるべき各企業に配置したという行為から生じる個別の義務な
のである。
したがって,その義務違反による責任は,一般的な行為規範に違反した
ことを理由とする不法行為責任ではなく,債務不履行責任である。
オしかるに,被控訴人国は,上記の安全配慮義務又は保護義務を履行し,
企業の劣悪な作業環境,居住環境の改善のために指導・監督することは全
くなかった。
被控訴人国は,自らが計画設計した中国人労働者移入システムを無視し,
華北労工協会による「募集」は実際には拉致・連行に変化させてこれに軍
を関与させ,我が国内での作業現場においても,労働を強制し,警察力を
用いて中国人の反抗を抑圧し,逃走を防止していた。また,被控訴人国は,
各事業所で,中国人労働者がどのような生活環境の下で稼働しているのか,
十分知り得る立場にあったし,実際にも必要な情報を得ていたのに,何ら
の対策もとろうとしなかったのである。
そればかりか,被控訴人国は,各企業に対し,実施細目を無視すること
を容認し,むしろ奨励するなど,自ら定めた実施細目による労働条件や生
活環境を一層悪化させるような逆の指導・監督さえ行っていた。
以上から考えれば,被控訴人国の上記義務違反は明らかである。
第3当裁判所の判断
1事実関係
後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)当事者
ア控訴人ら
控訴人らは,いずれも,昭和19年(1944年)当時,中国人であり
同国内に居住していた別紙請求目録の被害者欄記載の本件被害者ら本人又
はその相続人である(弁論の全趣旨)。
イ被控訴人三井鉱山
被控訴人三井鉱山は,明治44年(1911年)12月16日設立の工
業,採石業等を目的とする会社であり,昭和19ないし20年(1944
ないし1945年)当時,北海道内において,空知郡d町(現在のd市)
所在のd炭鉱及び同e町(現在のe市)所在のe炭鉱等の炭鉱を操業して
いたものである(各炭鉱の所在地につき甲B1,2。その余の事実は,控
訴人らと被控訴人三井鉱山との間では争いがなく,その余の関係当事者間
では弁論の全趣旨によりこれを認める。)。
ウ被控訴人住友石炭鉱業
被控訴人住友石炭鉱業は,昭和2年(1927年)6月30日設立の石
炭等の採掘等を目的とする会社であり,昭和19ないし20年(1944
ないし1945年)当時,北海道内において,空知郡a町(現在のa市)
所在のa炭鉱等の炭鉱を操業していたものである(炭鉱の所在地につき甲
C1,4。その余の事実は,控訴人らと被控訴人住友石炭鉱業との間では
争いがなく,その余の関係当事者間では弁論の全趣旨によりこれを認める。
)。
エ被控訴人熊谷組
被控訴人熊谷組は,昭和13年(1938年)1月6日設立の土木建築
業を主たる業とする会社であり,昭和19ないし20年(1944ないし
1945年)当時,福島県耶麻郡f町のg出張所及び長野県下伊那郡h村
のh出張所等の事業場を有していたものである(控訴人らと被控訴人熊谷
組との間では争いがなく,その余の関係当事者間では弁論の全趣旨により
上記事実を認める。)。
オ被控訴人新日鐵及びその関連企業
被控訴人新日鐵は,昭和25年(1950年)4月1日,日本製鐵から
設備その他の資産の現物出資等を受けて設立された鉄鋼の製造・販売等を
目的とする会社であり,設立当初の商号は八幡製鐵株式会社であったが,
昭和45年(1970年)3月31日,その商号を現在の新日本製鐵株式
会社に変更し,同年5月29日,富士製鐵を吸収合併した(甲E3,弁論
の全趣旨)。
日本製鐵は,昭和8年(1933年)4月5日に公布された日本製鐵株
式會社法に基づき,昭和9年(1934年)1月29日,官営八幡製鐵所,
輪西製鉄株式会社,釜石鉱山株式会社,三菱製鉄株式会社,富士製鋼株式
会社及び九州製鋼株式会社が合同して設立された会社であり,昭和19な
いし20年(1944ないし1945年)当時,北海道内において,室蘭
市所在の輪西製鐵所を経営していたが,昭和24年(1949年)5月1
3日,応急措置法によるその特別管理人において,整備法に基づき,主務
大臣に対し,八幡製鐵,北日本製鐵株式会社,日鐵汽船株式会社,播磨耐
火煉瓦株式会社を設立し,これに設備その他の資産を現物出資するなどし
て,解散することを骨子とする整備計画を提出し,同年12月31日付け
で,主務大臣の認可を得たことから,昭和25年(1950年)4月1日,
解散した(甲E3,7,乙ホ4,5)。
日鐵輪西は,日本製鐵が輪西製鐵所における港湾及び構内荷役合理化の
ために全額を出資して(甲E3)昭和18年(1943年)3月に設立し
た会社であり,昭和19ないし20年(1944ないし1945年)当時,
同製鐵所において,石炭,コークス,鉄鉱石の積み下ろし作業等を行って
いた(甲E3,6,7)。
カ被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業
被控訴人旧地崎工業は,大正6年(1917年)4月設立の建設工事設
計及び請負,建設及び運搬用機械の設計,製作,修理,販売並びに賃貸等
を業とする会社であり,設立当初の組織・商号は合名会社地崎組であった
が,昭和18年(1943年)10月,その組織・商号を株式会社地崎組
に変更し,昭和48年(1973年)4月1日,その商号を株式会社地崎
工業に変更した。被控訴人旧地崎工業は,昭和19ないし20年(194
4ないし1945年)当時,北海道内において,常呂郡i町(現在のj市
)所在のk出張所,同郡l村(現在のl町)所在のl出張所,空知郡a町
(現在のa市)所在のm出張所及び上川郡n村(現在のn町)所在のn出
張所等の事業場を有していたほか,愛知県知多郡のo出張所の事業場を有
していたものである(以上のうち,各出張所の所在地並びにl出張所及び
o出張所の存在につき甲F1,7。その余の事実は,控訴人らと被控訴人
旧地崎工業及び同新地崎工業との間では争いがなく,その余の関係当事者
間では弁論の全趣旨によりこれを認める。)。
なお,被控訴人旧地崎工業(平成16年4月1日,「株式会社地崎工業
」から現在の「株式会社CKプロパティー」に商号を変更した。)は,同
日までに,被控訴人新地崎工業(同日,「株式会社CTコーポレーション
」から現在の「株式会社地崎工業」に商号を変更した。)に会社を分割し,
その会社分割契約において,被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業は,本
件訴訟により控訴人らから訴求されている債務については被控訴人新地崎
工業が承継する旨を合意した(控訴人らと被控訴人旧地崎工業及び同新地
崎工業との間で争いがない)。
キ被控訴人三菱マテリアル及び鉄道工業
被控訴人三菱マテリアルは,大正7年(1918年)4月設立の金属鉱
山経営を業とする会社であり,設立当初の商号は三菱鉱業株式会社であっ
たが,平成2年(1990年)12月に至り,その商号を現在の三菱マテ
リアル株式会社に変更した。被控訴人三菱マテリアルは,昭和19ないし
20年(1944ないし1945年)当時,北海道内において,空知郡p
町(現在のp市)所在の三菱p等の炭鉱を操業していた(以上のうち,炭
鉱の所在地につき甲G5。その余の事実は,控訴人らと被控訴人三菱マテ
リアルとの間では争いがなく,その余の関係当事者間では弁論の全趣旨に
よりこれを認める。)。
被控訴人三菱マテリアルは,上記当時,三菱pにおける坑内外の作業の
一部を鉄道工業に請け負わせており,鉄道工業は,三菱p鉱業所の構内に
p出張所を置き,坑内採炭等の作業を行っていた(甲G1,弁論の全趣旨
)。
クその他の関係企業
(ア)野村鉱業
野村鉱業は,鉱物採鉱,製錬及び販売を業とする会社であり,昭和1
9ないし20年(1944ないし1945年)当時,北海道内において,
常呂郡l村(現在のl町)所在のl鉱業所を有し,同鉱業所において,
水銀の採鉱を行っていた(甲A4,弁論の全趣旨)。
(イ)北炭
北炭は,鉱業及び鉱物の売買,運送等を目的とする会社であり,昭和
19ないし20年(1944ないし1945年)当時,北海道内におい
て,空知郡q町(現在のq市)所在のr鉱業所及び夕張市所在のs鉱業
所等の事業場を有し,r鉱業所では空知郡a町(現在のa市)所在のb
炭礦及び留萌郡t村(現在のu町)所在のv礦等の炭鉱を,s鉱業所で
は夕張市所在のw礦等の炭鉱を操業していた(甲A1,2,5,弁論の
全趣旨)。
また,北炭は,上記当時,r鉱業所管内のx坑坑内掘進作業を鉄道工
業に請け負わせており,鉄道工業は,上記のq町内にy出張所を置き,
同作業を行っていた(甲A3,弁論の全趣旨)。
(ウ)荒井合名会社
荒井合名会社は,土木,建築請負を業とする会社であり,昭和19な
いし20年(1944ないし1945年)当時,北海道茅部郡z村(現
在の二海郡a町)所在のz出張所において,函館本線鉄道線路増設その
他の工事を行っていた(甲A6,弁論の全趣旨)。
(エ)株式会社菅原組
株式会社菅原組は,土木建築請負業等を目的とする会社であり,昭和
19ないし20年(1944ないし1945年)当時,北海道厚岸郡b村
(現在のc町)所在のd採石場において採石工事を行っていたほか,昭
和20年(1945年)当時には,北海道小樽市所在の小樽市内除雪作
業場において鉄道沿線除雪及び港湾石炭荷役の作業を,また,北海道空
知郡e町(現在のe市)所在の北炭f鉱業所にf詰所を置き,同詰所に
おいて坑内掘進及び採炭作業をそれぞれ行っていた(甲A8,9,弁論
の全趣旨)。
ケなお,以下,上記イないしクに挙げた企業のうち,被控訴人三井鉱山,
同住友石炭鉱業,同熊谷組,日鐵輪西,被控訴人旧地崎工業,同三菱マテ
リアル,鉄道工業,野村鉱業,北炭,荒井合名会社及び株式会社菅原組を
合わせて「本件企業ら」という。
(2)中国人の我が国への移入に至る経緯
(以下の事実は,公知の事実のほか,甲3,4の1・3,10,13,92,
98,102,112,114,118,原審証人AR,当審証人AS及び
弁論の全趣旨によりこれを認める。なお,文中,文末の括弧内に認定に用い
た主たる証拠を挙げる。)
ア日中戦争の勃発と華北労工協会の設立
昭和12年(1937年)7月7日の蘆溝橋事件に端を発するいわゆる
日中戦争(日華事変)の勃発後,当時の満州国に隣接する華北と呼ばれる
中国北部地域を支配下においた華北方面軍は,昭和14年(1939年)
9月,興亜院とともに,華北の労働力を統制すべき一元的機関を設置する
方針を取り決め,その準備作業に入った(甲102)。その後,昭和15
年(1940年)3月,南京の国民政府成立と同時に,同政府下の機関と
して華北政務委員会が設置されていたが,華北方面軍及び興亜院は,昭和
16年(1941年)7月,この華北政務委員会をして,華北労工協会暫
行条例(甲114)を制定させ,同条例に基づき,華北内労働者の募集供
給及び輸送斡旋,労働者の登録,労工証,労働票の発給のほか一般職業紹
介等を行う組織として,華北労工協会を設立させた(甲92,98)。
華北労工協会は,形式上は中国財団法人の体裁をとっており,幹部には
中国人が配されていたものの,人事は華北方面軍と興亜院が掌握しており,
実務も日本人が執り行っていた(甲112)。
華北労工協会の設立後,同協会の名において,華北の中国人がもともと
労働者人口の少なかった満州国内の企業に供給されたが,その手法は,後
に控訴人Z及び同AAを除くその余の本件被害者らに対してしたのと同じ
く,強制的なものであった(甲92,98)。
イ本件閣議決定及び本件次官会議決定
他方,我が国内においては,日中戦争勃発後,昭和13年(1938年
)4月1日に国家総動員法(同年法律第55号),昭和14年(1939
年)7月8日に国民徴用令(同年勅令第451号)がそれぞれ公布される
など徐々に戦時体制が強化されていったが,炭鉱,鉱山及び土建業等のい
わゆる重筋労働部門においては深刻な労働力の不足が生じ,それは,昭和
16年(1941年)12月の対米開戦後には一層顕著となった(甲10
)。
そのため,被控訴人国は,産業界からの要望に応え,昭和14年(19
39年)から,朝鮮人を国内の炭鉱等の重筋労働部門で就労させる施策を
とってきたが,対米開戦後,さらに中国人(主として華北の中国人)も国
内に移入して炭鉱等の重筋労働部門で就労させることとし,昭和17年(
1942年)11月27日,その旨を「華人労務者内地移入ニ関スル件」
(甲4の3)として本件閣議決定により取り決めるとともに,同日,企画
院において,「華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク華北労務者
内地移入実施要領」を策定し,本件閣議決定及び上記の実施要領に基づき,
まず,昭和18年(1943年)4月から中国人の移入を試験的に開始し,
次いで,昭和19年(1944年)2月28日の次官会議において,これ
を本格的に開始する旨の本件次官会議決定をし,その実施の細目として,
「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入手續
」を取り決めた(甲4の3,10)。
ウ「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入手
續」の内容
「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」(甲4の3)においては,本
件閣議決定及び前記の実施要領に基づき実施しつつある試験移入の成績は
概ね良好であるので本格的移入を促進するとして,(ア)内地に移入する中
国人労働者の供出又はその斡旋は大使館,現地軍並びに国民政府(華北か
らの場合は華北労工協会)をしてこれに当たらせること,(イ)中国人労働
者は訓練した元俘虜又は元帰順兵のほか募集によるものとすること,(ウ)
中国人労働者はこれを鉱山業,国防土木建築業及び重要工業その他特に必
要と認めるものに従事させること,(エ)中国人労働者の契約期間は原則と
して2年とし,同一人を継続使用する場合においては2年経過後適当な時
期において希望により一時帰国させること,(オ)中国人労働者は毎年度国
民動員計画に計上し計画的移入を図ること,(カ)中国人労働者の使用に当
たっては可及的に供出時の編成を利用するようにし,かつ作業に関する命
令は日系指導員及び中国系責任者(把頭又は隊長)を通しこれを発するこ
ととし,中国人労働者に対する直接の命令は厳にこれを慎むこと,(キ)食
事はなるべく中国人労働者の通常食を給するものとし,食糧の手当につい
ては農林省において特別の措置を講ずること,(ク)中国人労働者の賃金は,
内地における賃金を標準とするが,内地と現地の賃金及び物価の間に甚だ
しい懸隔のある実情であるので,残留家族に対する送金及び持帰金を確保
するため所要の措置を講ずること,(ケ)移入及び送致に要する経費は労働
者の賃金から控除しないこととし,原則として工場事業場の負担とするが,
差し当たり必要であれば,国家補償等適当な方途を講ずること,(コ)中国
人労働者の輸送は被控訴人国,満州及び中国の関係機関において手配する
ことなどが定められた(甲4の3)。
また,「華人労務者内地移入手續」(甲4の3)においては,(サ)廳府
県は,厚生省から中国人労働者の事業主別移入雇用員数の割当予定通報を
受けたときは,事業主をして「華人労務者移入雇用願」を所管廳府県を経
由して提出させること,(シ)厚生省は,中国人労働者の割当を決定した場
合はその旨を大東亜省に通報するとともに,事業場別割当表を内務省宛に
送付すること,(ス)大東亜省は,上記(シ)の通報を受けた際は,その労働
者の引継輸送月日等を決定し,その都度厚生省に対しこれを通報すること,
(セ)厚生省は,上記(ス)の通報を受けた際は,関係廳府県を通じこれを事
業主に通報し,移入労働者の引継,輸送,到着後の措置につき遺憾なきを
期するとともに,引率責任者を選定の上,大東亜省宛通報すること,(ソ)
移入労働者の引継,輸送のため中国に渡航するに当たっては,予め下船地
及び乗船地を管轄する各警察署,関係機関と事前に充分な打合連絡を遂げ,
引率輸送上遺憾なきを期すること,(タ)移入中国人労働者が就業地に到着
したときは,事業主をして地方長官宛に労働許可証申請の手続をとらせる
とともに,速やかにその就業地を管轄する国民職業指導所に名簿を添付し
て輸送途中の概況を報告させること,(チ)移入中国人労働者の異動,災害,
紛擾その他事件が発生したときは,特に捜索,防牒等の機密保持に留意す
るとともに,事業主をして速やかに警察署,国民職業指導所に報告させる
ことなどが定められた(甲4の3)。
エ本格的な中国人移入の開始
昭和19年(1944年)3月から昭和20年(1945年)6月まで
の間,本件次官会議決定において取り決められた上記の「華人労務者内地
移入ノ促進ニ関スル件」及び「華人労務者内地移入手續」に基づき,中国
人の本格的な移入が行われた(甲4の3)。
我が国に移入された中国人のうち華北の中国人の移入の殆どを中国側で
執り行ったのは,「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」の定め(上記
ウ(ア))のとおり,華北労工協会であった(甲4の3)。
なお,華北労工協会は,上記アのとおり,その設立後,華北の中国人を
満州国内の企業に供給していたものであるが,本件次官会議決定に先立つ
昭和19年(1944年)2月1日施行の修正華北労工協会組織規程(甲
118)において,同協会動員部の管掌事項に我が国に対する労工の配分,
供出,輸送等に関する事項が盛り込まれたことから,同規程及び上記の「
華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」の定めに基づき,華北の中国人の
我が国への移入を執り行った(甲98)。
また,華中と呼ばれる中国中部地域の中国人については,運輸通信省が
華中の中国人を港湾荷役に使用するために我が国へ移入する計画を樹立し
た上,その労務供出の目的のために特設された社団法人日華労務協会(以
下「日華労務協会」という。)という日本人を理事長に置く団体が昭和1
9年(1944年)6月ころから斡旋に当たることとなり,同協会は,上
海等において,中国人労働者の募集をし,その我が国への移入を執り行っ
た(甲3,4の3,10,13,原審証人AR)。
(3)中国人の我が国への移入の全般的状況
(以下の事実は,甲4の3ないし5,10,13,92,95,甲A1ない
し7,9,甲B1,2,甲C1,甲D1,2,甲E1,2,甲F1,7,甲
G1,原審証人AR及び弁論の全趣旨によりこれを認める。なお,文中,文
末の括弧内に認定に用いた主たる証拠等を挙げる。)
ア供出方法
前記の「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」においては,大使館,
現地軍並びに国民政府(華北からの場合は華北労工協会)が内地に移入す
る中国人労働者の供出等に当たる旨が定められていたが(上記(2)ウ(ア)),
その供出等の具体的方法としては,行政供出,訓練生供出,自由募集及び
特別供出の4種があった。
行政供出は,中国側行政機関の供出命令に基づく募集であり,各省,道,
県郷村へと上級庁から下部機構に対し供出員数の割当をし,責任数の供出
をさせるものである。
訓練生供出は,日本現地軍において作戦により得た俘虜,帰順兵であり
一般良民として釈放差支えなしと認められた者及び中国側地方法院におい
て微罪者として釈放した者を華北労工協会において下げ渡しを受け,同協
会の有する各地(済南,石門,青島,邯鄲,除州及び塘沽)所在の労工訓
練所において一定期間渡日に必要な訓練をした者を供出するものである。
自由募集は,主要労工資源地において条件を示し希望者を募るものであ
る。
特別供出は,現地において特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機
関の在籍労働者を供出するものである。
昭和18年(1943年)4月の試験移入の開始から昭和20年(19
45年)6月の本格移入の終了までに,合計3万8935人の中国人の供
出が行われているところ,このうち行政供出によるのは2万4050人,
訓練生供出によるのは1万0667人で,いずれも華北労工協会の供出に
係るものであり(華北労工協会の供出人員はこれらの合計3万4717人
であり,同協会は自由募集又は特別供出による供出はしていない。),ま
た,自由募集によるのは1455人でいずれも日華労務協会の供出に係る
ものであり(日華労務協会の供出人員はこの1455人であり,同協会は
他の方法による供出はしていない。),特別供出によるのは2763人で,
国民政府等の供出に係るものであるとされている(以上につき甲4の3)。
イ本件企業らと華北労工協会又は日華労務協会との契約
(ア)華北労工協会との契約
日鐵輪西を除くその余の本件企業らは,いずれも,華北労工協会との
間で,中国人労働者の使用に係る契約(控訴人らが主張するところの中
国人労働者使用契約)を締結した上,同協会が行政供出又は訓練生供出
により供出した(甲4の3)華北の中国人を上記(1)イないしエ,カない
しクに掲げた炭鉱その他の事業場で使用した(甲A1ないし7,9,甲
B1,2,甲C1,甲D1,2,甲F1,7,甲G1,5)。
上記契約においては,上記企業は向後2年間の期限で華北労工協会の
供出する労働者を使用するものとし,その使用条件は別途華北労工協会
が策定した「華人労務者對日供出實施細目」によるものとする旨が定め
られており,この「華人労務者對日供出實施細目」には,中国人労働者
の供出,輸送,賃金,送還等に関わる事項のほか,使用条件として,(a
)契約期間は満2か年とするが,上記企業において継続使用を希望する場
合は期間満了2か月前に関係機関の承認を得て華北労工協会と上記企業
の合議の上これを定めるものとすること,(b)就労並びに就労時間は内
地人一般労働者に同じとすること,(c)上記企業は労働者の華北におい
て消費する程度を標準としてその生活必需品を就労地において調達配給
するものとするが,規準食糧以外は労働者の負担とすることなどが定め
られていた(甲A1ないし4,6,7,甲B2,甲C1,甲D1,2,
甲F1,甲G1。なお,被控訴人旧地崎工業は,華北労工協会との間で,
上記契約のほかに,これとは別の契約も締結しているが(甲F7),そ
の内容は上記契約と大差ないものである。)。
(イ)日華労務協会との契約
日鐵輪西に関しては,日本港運業会(全国の港湾荷役を事業目的とす
る会社の業者団体であり,日鐵輪西もその構成員であった。)が,日華
労務協会との間で,中国人労働者の募集及び使用に係る契約を締結した
上,日鐵輪西において,日本港運業会の室蘭第三華工管理事務所から,
同協会が自由募集により供出した(甲4の3)華中の中国人を受け入れ,
上記(1)オに掲げた製鉄所で使用した(甲E2,弁論の全趣旨)。
上記契約においては,(a)日華労務協会が日本港運業会のために華中
において中国人労働者を募集すること,(b)契約期間は向後満2か年と
するが,契約期間満了後,日本港運業会において引き続き使用を希望す
る場合は,関係官庁の承認を得て日華労務協会と日本港運業会の合議の
上これを継続することを得るものとすること,(c)労働者の使用その他
の諸条件は別途日華労務協会が策定した「内地移入華人労務者募集要綱
」によるものとすることなどが定められており,この「内地移入華人労
務者募集要綱」には,中国人労働者の募集,輸送,賃金等に関わる事項
が定められているが,上記(ア)(b)及び(c)のような中国人労働者の就
労内容や生活必需品の確保に関する具体的な定めは存在しない(甲13
)。
ウ供出の実態
(ア)華北労工協会による供出
華北労工協会による中国人の供出の実態は,控訴人Z及び同AAを除
くその余の本件被害者らについてしたように,軍や警察が捕らえた中国
人又は国民政府下の行政機関の指示により同協会の事務所を訪れた中国
人を各地の収容所(訓練所)に収容して拘束し,もしくは中国人懲役囚
等の下げ渡しを受けるなどし,これらの者を契約先の企業の担当者に引
き渡すというものであった(後記(4))。
華北労工協会の管理下にある収容所のうち,塘沽(河北省)の収容所
の環境は疫病が発生するような特に劣悪なもので,同収容所に収容され
た中国人は,同収容所内,我が国へ向かう船中又は我が国の事業場内等
で多数が死亡した(甲4の4,92)。
(イ)日華労務協会による供出
日華労務協会による中国人の供出の実態は,控訴人Z及び同AAにつ
いてしたように,就労地を台湾とするなど内容虚偽の仕事募集の広告を
出し,これに応募しようとした中国人を倉庫に収容して拘束し,これを
契約先の企業の担当者に引き渡すというものであった(後記(4),甲3,
10)。
エ輸送
華北労工協会及び日華労務協会等が供出した中国人は,これらの協会等
の契約先の企業の担当者の引率の下,貨物船に乗せられて我が国に連行さ
れ,我が国に到着後,列車で各地の事業場に送り込まれた。
しかるに,上記ウ(ア)のとおり中国の収容所の中には環境が特に劣悪な
ものが存したこと,食糧の準備が十分でなく,その質も悪かったこと,航
海期間の不明のものを除いて,60パーセント程度の船は4ないし9日間
の航海で我が国に到着したものの,33パーセント余の船は10ないし1
9日間,6パーセント余の船はそれ以上の長期間の航海を要したこと,移
入の開始当初を除いて医師の付添がなかったこと,貨物船の船倉内で石炭,
塩,鉱石等の上での寝起きを強いられたこと,上陸後直ちに長途の列車輸
送を受けたことなどにより,乗船人員(前記の供出人員)合計3万893
5人のうち,船中で564人(1.5パーセント)が,また上陸後事業場
到着前に248人(0.6パーセント)が死亡した(以上につき甲4の3
・4)。
オ就労
(ア)配置事業,事業主,事業場
我が国に連行された中国人は,「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル
件」の定め(上記(2)ウ(ウ)及び(オ))のとおり,国民動員計画に従い,
鉱山業,国防土木建築業及び重要工業(造船業,荷役業)に配置された。
中国人労働者の使用事業主は35社,配置事業場数は135事業場で
あり,これを地域別にみると,北海道は58事業場で配置人員数1万9
631人,中部地方は25事業場で配置人員数1万0188人,九州地
方は23事業場で配置人員数9126人であり,この3地方が事業場数
にしても配置人員数にしても多数を占めていた。これは,戦時下におい
て,北海道及び九州地方では石炭の採掘並びに中部地方では発電所の建
設等の緊急の事業が行われていたことによるものであった(以上につき
甲4の3・4)。
(イ)就労状況
我が国に連行された中国人は,重筋労働部門で酷使された。
各地の事業場で中国人を監督・監視していた日本人の中には,中国人
を敵国人とみて残忍な仕打ちをする者もおり,殴打はもとより,死に至
らしめるような私刑に及ぶこともままあった(以上につき甲4の4,甲
E1,弁論の全趣旨)。
(ウ)生活環境
宿舎設備は,通風採光等の見地から不衛生なものや採暖の点で問題の
あるものがあったほか,そもそも宿舎設備の設営が間に合わなかった事
業場も存在した。1人当たりの居住面積は平均0.63坪と狭く,28
パーセントがござ敷又は板敷であった。
食糧については,戦後,外務省が関係事業場から受けた報告では,終
戦直前の時期に1人1日平均3991(キロ)カロリーの食糧が支給さ
れたことになっているが,これは外務省報告書(甲4の4)においても
「信憑し得ざる数字」と評されており,当時の食糧事情に照らし,質量
ともに劣悪であったことは疑いなく,一部の事業場では,死亡した中国
人の遺体を食べる者もいるという悲惨な状況にあった。
衣服の支給も十分ではなく,特に地下足袋等の不足により凍傷を起こ
す中国人もいた。
医療施設も不十分であった(以上につき甲4の4,甲E1)。
カ取締り
昭和19年(1944年)4月,内務省,厚生省及び軍需省は,移入中
国人の取締りに関して地方庁が留意すべき事項を「移入華人労務者取締要
領」(甲4の5)としてまとめた(甲10)。
この「移入華人労務者取締要領」には,地方庁において,(ア)中国人労
働者の割当予定通報を受けたときは,事業者側と連絡し,作業場宿舎等の
選定,警戒対策の樹立その他取締上必要なる諸般の準備をしておくこと,
(イ)宿舎は防牒並びに公安風俗上支障ない場所を選定させるよう指導を加
えること,(ウ)入国時における視察検索に当たっては,抗日不逞分子の計
画的潜入に特に注意し,綿密周到なる措置を講ずること,(エ)警察署長が
移入中国人労働者の引継輸送に関して事業者側から報告を受けたときは,
可及的便宜を計り,取締対策に遺憾なきを期すること,(オ)事業者側に対
しては中国人労働者の逃走はもちろん,事業者内外における事故は些細な
ものであってもすべて報告を厳行させること,(カ)逃走者がある場合は直
ちに関係方面に捜査手配をなし,これの発見に努めること,(キ)宿舎につ
いては,関係者以外の出入りを禁じ,特に在留中国人との連絡を厳断する
ことなどが定められている(甲4の5)。
関係地方庁及び警察は,この「移入華人労務者取締要領」に基づき,事
故防止,防牒等の治安上の見地から,事業主に対する指導を行った(甲1
0,95)。
キ帰国
(ア)終戦前
昭和18年(1943年)4月から開始した中国人の試験的移入に際
しての契約期間は1年間であり,この試験的移入に係る中国人の一部は
終戦前に帰国することができたが,残余の者は帰国を許されず,終戦後
にようやく帰国することができた(甲4の3)。
(イ)終戦後
昭和20年(1945年)8月17日,内務省主管の防牒委員会幹事
会は,船腹の都合のつき次第速やかに移入した中国人を帰国させる方針
を立て,その後,被控訴人国は,連合軍司令部と連絡をとりつつ,同年
10月以降,日本船舶又は米軍艇による送還を行った(甲4の3)。
ク死亡者等
上記エのとおり,乗船人員(前記の供出人員)合計3万8935人のう
ち,船中で564人,上陸後事業場到着前に248人の合計812人が死
亡していたが,残る3万8123人のうち,5999人が事業場到着後送
還前に,19名が送還の開始後に我が国内で死亡した。
これら合計6830人の死亡者の死亡原因は,外務省報告書(甲4の4
)では,傷害によるものが322人(うち公傷267人,私傷55人),
疾病によるものが6434人,自殺によるものが41人,他殺によるもの
が33人とされている。
各事業場の配置人員に対する死亡者の数,割合をみると,上記(1)イない
しクに挙げた本件企業らの事業場の中では,北炭(r鉱業所及びv鉱業所
)が配置人員300人のうち136人が死亡(死亡率45.3パーセント
),被控訴人三井鉱山(e炭鉱)が配置人員684人のうち245人が死
亡(死亡率35.8パーセント),日鐵輪西が配置人員202人のうち6
7人が死亡(死亡率33.1パーセント),鉄道工業(y出張所)が配置
人員391人のうち115人が死亡(死亡率29.4パーセント)と全国
的にみても死亡率が高いのに対し,株式会社菅原組(f詰所)での死亡率
は0.5パーセントにとどまっている。
全国135事業場の平均死亡率は,17.5パーセントとなる(以上に
つき甲4の4)。
(4)本件被害者らの被害状況
(以下の事実は,甲4の3・5,甲C7,8の1・2,甲D2,甲E2,甲
F3,4,甲G5,甲1番1,甲3番1,2,甲4番1,2の1ないし3,
甲5番1,甲6番1,2の1・2,甲7番1,甲8番1,甲9番1,甲11
番1,甲12番1,2,甲13番1,甲14番1,甲15番1,甲16番1,
甲17番1,甲18番1,甲19番1,甲20番1,甲21番1,甲22番
1,甲23番1,甲24番1,甲25番1,甲26番1,甲27番1,甲2
8番1,2,甲29番1,甲30番1,甲31番1,甲32番1,甲33番
1,甲34番1,3,甲35番1,3,甲36番1,甲37番1,甲38番
1,3,甲39番1,甲40番1,甲41番1,甲42番1ないし3,甲4
3番1,4,原審控訴人AB,同G,同AE,同AA,同K,同C,同AN,
原審原告AK,原審控訴人AP,当審控訴人AO各本人及び弁論の全趣旨に
よりこれを認め,文末の括弧内に認定に用いた主たる証拠等を挙げる。なお,
本件被害者らの中には,戦後本件企業らが外務省に提出した事業場報告書に
その名が記載されておらず,また,その名が記載されていても事業場報告書
に記載された出生地とは異なる出生地の者も存するが,その本人の供述(陳
述録取書等における供述を含む。)を弾劾するに足りる格別の証拠が存在し
ないことに加え,室蘭における中国人強制連行強制労働の記録(甲E1)に
掲載されたATの供述によれば,同人は我が国へ連行された後,敢えて本名
を隠して偽名を名乗り,出生地も偽りの出生地を申告したことが認められ,
このような本件訴訟の当事者となっていない者のいわば客観的な供述に照ら
すと,他にも我が国へ連行された後に敢えて適当な偽名を名乗り,偽りの出
生地を申告した者が相当数いることは疑いなく,また,そのような者の中に
は帰国後半世紀をすぎた現在,当時本人がいかなる偽名を名乗り,いずれの
出生地を申告したかの記憶が薄れている者もいるであろうと考えられること
から,事業場報告書にその名や出生地が記載されていない者についても,そ
の本人の供述の中で我が国での偽名等が明らかにされているか否か,あるい
はその本人の供述の中で明らかにされた我が国での偽名等が事業場報告書に
記載された名等と一致するか否かにかかわらず,後掲の関係証拠及び弁論の
全趣旨により,本件企業らの事業場で就労させられるなどの被害に遭ったも
のと認めるのが相当である。)
ア被控訴人三井鉱山関係(亡A,控訴人B,同C及び同AI)
(ア)事業場の概要
a.d炭鉱
被控訴人三井鉱山は,d炭鉱において,昭和19年(1944年)
8月12日に第1次移入中国人246人,同年11月4日に第2次移
入中国人189人を受け入れ,昭和20年(1945年)8月20日
まで,これらの中国人を,坑内雑役,運搬,採炭,掘進等の作業に使
用した(甲4の3・5)。
d炭鉱では,目標の出炭を確保することが最優先され,安全衛生が
軽視されていたため,小規模の落盤,崩落事故が頻繁に起こった。
中国人の宿舎には風呂が設置され入浴が可能であったが,寝場所等の
環境が不衛生であったため,ほとんどの者が皮膚病にかかった。
また,宿舎から脱出を試みる者は暴行を受け,それによって死亡し
た者もいた。
中国人に与えられた食事は,雑穀で作ったマントウが1日3食,1
食につき1個であり,若干の漬物と汁が添えられたものの,量が不足
し,栄養不良であったため,多くの者が下痢を患い,老齢者には死亡
する者もいた(以上につき甲1番1,甲3番1,2)。
d炭鉱では,送還前に46人の中国人が死亡した(甲4の3)。
b.e炭鉱
被控訴人三井鉱山のe炭鉱は,昭和19年(1944年)8月14
日に第1次移入中国人184人,昭和20年(1945年)3月16
日に第2次移入中国人164人,同月29日に第3次移入中国人26
2人を受け入れ,同年8月22日まで,これらの中国人を,採炭,掘
進,運搬等の作業に使用した(甲4の3・5)。
e炭鉱では,中国人に与えられた食事は,1日3回で,1回の食事
で黒くて小さいマントウが1個与えられただけであり,衛生状態も劣
悪であった(甲36番1)。
e炭鉱では,送還前に171人の中国人が死亡した(甲4の3)。
(イ)亡A(以下の事実は甲4の3,甲1番1及び弁論の全趣旨により認
める。)
a.亡Aは,昭和*年(****年)*月*日に生まれ,北京市昌平県
において,両親及び弟の4人家族で農業に従事していた。
b.亡Aは,昭和19年(1944年)8月20日(旧暦),従兄弟の
控訴人Bとともに,日本軍のための壁土を築く作業をしたが,その終
了後,担当の役人から帰宅しないよう命じられ,これに従ったところ
を拘束され,塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Aは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
被控訴人三井鉱山のd炭鉱に到着した。
c.亡Aは,d炭鉱において運搬作業に従事したが,ある日,発破後十
分な時間を経ないまま現場に入って石炭を搬出するよう命ぜられ,こ
れに従ったところ崩落に遭遇し,頭部を打撲して意識を失い,半月間
入院したものの,神経麻痺により顔面の右半分が不自由になるという
後遺障害を被った。
d.亡Aは,昭和20年(1945年)10月20日,室蘭から中国に
帰国したが,帰国後若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対す
る賃金の支給を受けていない。
e.亡Aは,第1事件の訴えを提起した後の平成11年(1999年)
10月31日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控
訴人A1,同A2,同A3,同A4,同A5及び同A6が承継した。
(ウ)控訴人B(以下の事実は甲4の3,甲1番1及び弁論の全趣旨によ
り認める。)
a.控訴人Bは,昭和*年(****年)*月**日に生まれ,北京市
昌平県において,両親と弟2人の5人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Bは,昭和19年(1944年)8月20日(旧暦),従兄
弟の亡Aとともに,日本軍のための壁土を築く作業をしたが,その終
了後,担当の役人から帰宅しないよう命じられ,これに従ったところ
を拘束され,塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Bは,貨物船に乗せられ下関に上陸し,同年11月,
被控訴人三井鉱山のd炭鉱に到着した。
c.控訴人Bは,d炭鉱において運搬作業に従事したが,落石を頭に受
け昏睡状態となったことがある。
d.控訴人Bは,昭和20年(1945年)10月20日,室蘭から中
国に帰国したが,帰国後若干の金銭を受け取った以外に,その労働に
対する賃金の支給を受けていない。
(エ)控訴人C(以下の事実は甲4の3,甲3番1,2,原審控訴人C本
人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人Cは,昭和*年(****年)**月**日に生まれ,河北
省昌平県において,両親,兄夫婦,弟及び妹の7人家族で農業に従事
していた。
b.控訴人Cは,昭和19年(1944年)8月(旧暦),日本軍に任
命された村の責任者に命じられた場所に赴いたところを拘束され,警
察官による警備の下,紐で繋がれた状態で約10キロメートル行進さ
せられるなどした後,北京を経由して塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Cは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11
月,被控訴人三井鉱山のd炭鉱に到着した。
c.控訴人Cは,d炭鉱において採炭作業に従事したが,ノルマを達成
するため度々深夜労働を強いられ,ノルマを達成できないことで作業
班の日本人から度々暴行を受けた。
d.控訴人Cは,昭和20年(1945年)10月20日,室蘭から中
国に帰国したが,その船中で若干の金銭を受け取った以外に,その労
働に対する賃金の支給を受けていない。
(オ)控訴人AI(以下の事実は甲4の3,甲36番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人AIは,昭和*年(****年)*月*日に生まれ,河北省
束鹿県において,両親及び兄弟姉妹7人の家族10人で生活し,父は
食堂で会計の仕事をし,同控訴人は薪を売っていた。
b.控訴人AIは,昭和18年(1943年)の初冬,村を包囲した日
本軍によって捕らえられ,半月ほど牢屋に入れられた後,石家荘に連
行され,翌春,塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人AIは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和1
9年(1944年)8月,被控訴人三井鉱山のe炭鉱に到着した。
c.控訴人AIは,e炭鉱において運搬作業等に従事したが,何度も天
井からの落石にぶつかり,そのため現在でも右手の親指が変形したま
まとなっている。
d.控訴人AIは,終戦後,佐世保から中国に帰国したが,帰国直前に
中国人の責任者から60円を受け取った以外に,その労働に対する賃
金の支給を受けていない。
イ被控訴人住友石炭関係(控訴人D,同E,亡F,控訴人G,同H,亡I,
亡J,亡AG及び亡AH)
(ア)事業場の概要
被控訴人住友石炭は,a炭鉱において,昭和19年(1944年)1
1月28日に移入中国人283人を受け入れ,昭和20年(1945年
)8月15日まで,これらの中国人を,岩石及び炭層掘進土取等の作業
に使用した(甲4の3・5)。
仕事は昼夜2交替制で10時間以上の労働であり,休日は1日もなく,
厳しく監視され到底逃亡ができない状況にあって,作業中に日本人が中
国人に対して理由のない暴行を加えることもあった。
中国人の宿舎は,板敷きで,ストーブがあったものの,隙間風が入る
状態であり,また,寝具は質の悪い布団一枚だけであった。
中国人に与えられた食事は,朝夕にとうもろこしの粉と大豆の粉で作
ったマントウが1個支給されただけで,病気の者は治療されないだけで
なく,働けないため食事も平常の半分に減らされた。
中国人に新たに厚手の衣類が支給されることはなかった(以上につき
甲4の5,甲4番1,甲5番1,甲6番1,甲7番1,甲8番1,甲9
番1,甲11番1,甲34番1,甲35番1)。
a炭鉱では,送還前に42人の中国人が死亡した(甲4の3)。
(イ)控訴人D(以下の事実は甲4の3,甲4番1,2の1ないし3及び
弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人Dは,大正**年(****年)**月**日(旧暦)に生
まれ,河北省徐水県において,両親,姉,妹,弟4人及び妻の10人
家族で農業に従事していた。
b.控訴人Dは,昭和19年(1944年)8月15日(旧暦)の早朝,
知人の控訴人Eとともに日本軍により寝込みを襲われ,いずれも八路
軍のゲリラと間違われて縛り上げられ,県城の中で収容された後,石
家荘の収容所に移送され,さらに塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Dは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11
月,被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.控訴人Dは,a炭鉱において掘進作業に従事したが,作業中に馬を
傷つけたであるとか,あるいは単に日本人の機嫌が悪いというだけで,
日常的に日本人から殴られるなどした。
d.控訴人Dは,昭和20年(1945年)12月1日,佐世保から中
国に帰国したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
(ウ)控訴人E(以下の事実は甲4の3,甲5番1及び弁論の全趣旨によ
り認める。)
a.控訴人Eは,大正**年(****年)*月**日(旧暦)に生ま
れ,河北省徐水県において,祖母,母及び妹2人の5人家族で農業に
従事していた。
b.控訴人Eは,昭和19年(1944年)8月15日(旧暦)の早朝,
知人の控訴人Dとともに日本軍により寝込みを襲われ,いずれも八路
軍のゲリラと間違われて縛り上げられ,県城で収容された後,石家荘
の収容所に移送され,さらに塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Eは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11
月,被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.控訴人Eは,a炭鉱において掘進作業に従事したが,単に日本人の
機嫌が悪いというだけで,日常的に日本人から殴られたり,落石を頭
に受けて怪我をするなどした。
d.控訴人Eは,昭和20年(1945年)12月1日,佐世保から中
国に帰国したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
(エ)亡F(以下の事実は甲4の3,甲6番1,2の1・2及び弁論の全
趣旨により認める。)
a.亡Fは,大正*年(****年)*月**日(旧暦)に生まれ,河
北省徐水県において,養母,妻及び子供2人の5人家族で農業に従事
していた。
b.亡Fは,昭和19年(1944年)7月(旧暦)の早朝,村を取り
囲んだ日本軍によって捕らえられ,徐水県の日本軍本部に連行され,
いったん監獄に収容された後,石家荘の収容施設に移送され,さらに
塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Fは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.亡Fは,a炭鉱において掘進,運搬作業に従事したが,ノルマが達
成できないであるとか,仕事が遅いなどの理由で日本人から殴られた
り,ノコギリの刃で叩かれたりした。また,亡Fは,当時の栄養状態
が悪かったためか,帰国後まもなくして,左眼の視力を失った。
d.亡Fは,終戦後,中国に帰国したが,終戦後に20円を受け取った
以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
e.亡Fは,第1事件の訴えを提起した後の平成14年(2002年)
4月10日に死亡し,その地位を,いずれも亡Fの相続人である控訴
人F1,同F2,同F3,同F4,同F5,同F6及び同F7が承継
した。
(オ)控訴人G(以下の事実は甲4の3,甲C7,8の1・2,甲7番1,
原審控訴人G本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人Gは,昭和*年(****年)*月**日(旧暦)に生まれ,
河北省除水県において,祖父,祖母,叔父,叔母,両親,姉及び妹2
人の10人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Gは,昭和19年(1944年)8月5日(旧暦)早朝,控
訴人Hとともに,村を包囲した日本軍によって捕らえられ,県城に連
行された後,保定へ移送され,木で作った檻の中に収容された後,石
家荘の収容施設に移送され,さらに塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Gは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11
月,被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.控訴人Gは,a炭鉱において掘進作業等に従事したが,枠にする松
の木を担げなかったり,作業中に少し腰を伸ばしたというだけで日本
人の現場監督に殴られるなどした。また,控訴人Gは,石を運び出す
作業をする際,トンネル内の凍結箇所で足を滑らせた拍子にトロッコ
に左足を挟まれ,親指を切断するともに,他の部分も変形する後遺障
害を被った。
d.控訴人Gは,終戦後,中国に帰国したが,帰国後に若干の金銭を受
け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
(カ)控訴人H(以下の事実は甲4の3,甲8番1及び弁論の全趣旨によ
り認める。)
a.控訴人Hは,大正*年(****年)**月**日(旧暦)に生ま
れ,河北省除水県において,祖父,両親,妻及び子供3人の8人家族
で農業に従事していた。
b.控訴人Hは,昭和19年(1944年)年8月5日(旧暦)早朝,
控訴人Gとともに,村を包囲した日本軍によって捕らえられ,県城に
連行された後,保定へ移送され,木で作った檻の中に収容された後,
石家荘の収容施設に移送され,さらに塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Hは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11
月,被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.控訴人Hは,a炭鉱において炊事作業等に従事した。
d.控訴人Hは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金の
支給を受けていない。
(キ)亡I(以下の事実は甲4の3,甲9番1及び弁論の全趣旨により認
める。)
a.亡Iは,大正**年(****年)*月(旧暦)に生まれ,河北省
除水県において,父,姉3人及び妻の6人家族で農業に従事していた。
b.亡Iは,昭和19年(1944年)7月(旧暦)の早朝,村を取り
囲んだ日本軍によって捕らえられ,徐水県の日本軍本部に連行され,
いったん監獄に収容された後,石家荘の収容施設に移送され,さらに
塘沽の収容所に移送された。
その後,亡Iは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.亡Iは,a炭鉱において掘進,運搬作業に従事したが,仕事が遅い
などの理由で日本人から木の棒で殴られるなどした。また,亡Iは,
靴がなかったため,凍傷になった。
d.亡Iは,終戦後,中国に帰国したが,終戦後に40円を受け取った
以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
e.亡Iは,第1事件の訴えを提起した後の平成14年(2002年)
9月25日に死亡し,その地位を,いずれも亡Iの相続人である控訴
人I1,同I2,同I3,同I4,同I5及び同I6が承継した。
(ク)亡J(以下の事実は甲4の3,甲11番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Jは,大正**年(****年)に生まれた。
b.亡Jは,昭和19年(1944年)7月23日(旧暦)早朝,村を
取り囲んだ日本軍に拉致されて県城に連行されたが,その際,日本人
通訳に頭を銃床で殴られたため頭から大出血した。さらに,亡Jは,
縛られたま石家荘の収容施設に移送された後,塘沽の収容所に送られ
た。
その後,亡Jは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.亡Jは,a炭鉱において,馬車を坑内に下ろす作業に従事した。
d.亡Jは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金の支給
を受けていない。
e.亡Jは,平成11年(1999年)3月16日に死亡し,その地位
を,いずれも同人の相続人である控訴人J1,同J2,同J3及び同
J4が各4分の1の相続割合により承継した。
(ケ)亡AG(以下の事実は甲4の3,甲34番1,3及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.亡AGは,大正**年(****年)*月*日に生まれ,河北省定
県において,両親,妻,弟及び妹の6人家族で農業に従事していた。
b.亡AGは,昭和18年(1943年)8月1日(旧暦)夕方,畑仕
事からの帰途,八路軍ではないかとの疑いを受けて日本軍及び中国人
警備隊に捕まり,詰所に連行されて拷問された上,地下室に監禁され
た後,新楽県を経由して石家荘の収容所に連行され,さらに塘沽の収
容所に送られた。
その後,亡AGは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和19年
(1944年)11月,被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.亡AGは,a炭鉱において掘進作業等に従事したが,休憩中に後頭
部を棒で殴られ流血したのに,2日間の休みの後直ちに就労させられ
た。
d.亡AGは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金の支
給を受けていない。
e.亡AGは,本件控訴を提起した後の平成17年(2005年)11
月13日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人
AG1,同AG2,同AG3,同AG4及び同AG5が承継した。
(コ)亡AH(以下の事実は甲4の3,甲35番1,3及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.亡AHは,大正**年(****)年**月に生まれ,河北省徐水
県において,両親,妻及び息子の5人家族で農業に従事していた。
b.亡AHは,昭和19年(1944年)7月22日(旧暦)早朝,日
本軍に家から連行され,保定を経由して石家荘に移送され,さらに塘
沽の収容所に送られた。
その後,亡AHは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
被控訴人住友石炭のa炭鉱に到着した。
c.亡AHは,a炭鉱において掘進作業等に従事したが,日本人の監督
から理由もなしに棒や鉄鉤で殴られたほか,飢えのため飼料を盗んで
暴行を受け,足に消えない傷が残った。
d.亡AHは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金の支
給を受けていない。
e.亡AHは,第2事件を提起した後の平成14年(2002年)11
月12日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人
AH1,同AH2,同AH3及び同AH4が承継した。
ウ被控訴人熊谷組及び野村鉱業関係(控訴人K,同L,同M,同N,同O,
亡P,控訴人Q,同R,亡S,控訴人T,同U,亡,亡W,亡X及び亡V
Y)
(ア)事業場の概要
a.g出張所
被控訴人熊谷組は,g出張所において,昭和19年(1944年)
10月9日に被控訴人熊谷組のh出張所への移入中国人のうち200
人の転入を受けたほか,同月24日に第1次移入中国人148人,同
月28日に第2次移入中国人228人,同年11月2日に第3次移入
中国人136人を受け入れ,昭和20年(1945年)1月8日まで,
これらの中国人を,発電所建設のための砂利採取,採石運搬,掘鑿等
の作業に使用した(甲4の3・5)。
仕事は10ないし12時間の長時間労働であり,疲労で休憩しよう
とした中国人には暴行が加えられた。
中国人の宿舎は,板を打ち付けて壁にしただけの粗雑な作りであっ
たため,隙間風が入り,雪が吹き込む状態であった。風呂はなく,多
くの中国人は蚤や虱に悩まされ,皮膚病に罹患する者もあった。寝具
は,塘沽の収容所にいるときに支給された毛布一枚のみであった。宿
舎の周りに複数の警察官が厳重な監視をし,逃亡した中国人はすぐに
捕らえられ,他の中国人の前で,暴行を加えられた。
中国人に与えられた食事は,1日3回混合粉から作ったマントウが
1個であり,病気の者は食事を減らされるなどした(以上につき甲1
2番1,2,甲13番1,甲14番1,甲15番1,甲16番1,甲
17番1,甲18番1,甲19番1,甲20番1,甲21番1,甲2
2番1,甲23番1,甲24番1,甲26番1及び原審控訴人K本人
)。
g出張所の中国人は,昭和19年(1944年)12月,被控訴人
旧地崎工業のg出張所に12人,昭和20年(1945年)1月,被
控訴人熊谷組のh出張所に686人が転出したが,これらの転出前に
13人が死亡し,1人が行方不明となった(甲4の3)。
b.h出張所
被控訴人熊谷組は,h出張所において,昭和19年(1944年)
6月21日に中国人397人を受け入れたほか,昭和20年(194
5年)1月,被控訴人熊谷組のg出張所への移入又は転入中国人のう
ち686人の転入を受け,同年6月23日まで,これらの中国人を,
発電所建設のための砂利採取,資材運搬等の作業に使用した(甲4の
3・5)。
h出張所での中国人の仕事の内容,宿舎の状態,食事の量等はg出
張所と大差ないものであったが,酷寒の中,体調を崩し,あるいは病
気にかかる中国人が多くおり,伝染病で多数の者が死亡した(甲12
番1,2,甲13番1,甲14番1,甲15番1,甲16番1,甲1
7番1,甲18番1,甲19番1,甲20番1,甲21番1,甲22
番1,甲23番1,甲24番1,甲26番1及び原審控訴人K本人)。
h出張所の中国人は,昭和19年(1944年)10月8日,被控
訴人熊谷組のg出張所に200人,同年12月24日,被控訴人旧地
崎工業のg出張所に3人,昭和20年(1945年)5月31日,野
村鉱業のl鉱業所に297人,同年6月,被控訴人熊谷組のh出張所
に513人が転出したが,これらの転出前に62人が死亡し,8人が
帰国した(甲4の3)。
c.l鉱業所
野村鉱業は,l鉱業所において,昭和19年(1944年)5月2
4日に第1次移入中国人145人,同年7月14日に第2次移入中国
人50人を受け入れたほか,昭和20年(1945年)6月4日,被
控訴人熊谷組のh出張所への移入又は転入中国人のうち297人の転
入を受け,同年8月20日まで,これらの中国人を,水銀の露天採掘,
土砂鉱石運搬,沈殿池築堤等の作業に使用した(甲4の3・5)。
l鉱業所は,被控訴人熊谷組の上記各出張所と比べれば,中国人の
宿舎の状態は幾分かは良く,食事の量等は大差ないものであったが,
仕事の内容はより厳しいものであった(甲12番1,2,甲13番1,
甲14番1,甲15番1,甲16番1,甲17番1,甲18番1,甲
19番1,甲20番1,甲21番1,甲22番1,甲23番1,甲2
4番1,甲26番1及び原審控訴人K本人)。
l鉱業所では,送還前に24人の中国人が死亡した(甲4の3)。
(イ)控訴人K(以下の事実は甲4の3,甲12番1,2,原審控訴人K
本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人Kは,昭和*年(****年)*月**日(旧暦)に生まれ,
北京市海淀区において,両親,妹1人,兄夫婦及び同控訴人の許嫁の
7人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Kは,昭和19年(1944年)9月,村の役人から昌平県
で仕事があると言われて働きに出ることとなったところ,北京市内の
華北労工協会管理下の建物に連れて行かれ,さらに塘沽の収容所に送
られた。
その後,控訴人Kは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Kは,g出張所において砂利運搬作業に従事したが,怪我を
したり,左足が凍傷になったほか,石が上手に運べないと日本人の監
督から平手打ちをされるなどした。
d.控訴人Kは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において砂を濾す作業等に従事したが,疥
癬にかかるなどした。
e.控訴人Kは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において鉱物を掘る作業等に従事したが,疥癬に悩まされたほか,
風邪を引いたり頭痛が生じたりした。
f.控訴人Kは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に際
して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を
受けていない。
(ウ)控訴人L(以下の事実は甲4の3,甲番13番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人L(生年月日不詳)は,北京市海淀区において,母,弟及び
妹の4人家族で生活していた。
b.控訴人Lは,昭和19年(1944年)のある日,路上で突然兵隊
から銃を突きつけられて近くの町の警察署に連行された後,北京市内
の華北労工協会管理下の建物に連れて行かれた上,さらに塘沽の収容
所に送られた。
その後,控訴人Lは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Lは,g出張所において砂利採取作業に従事した。
d.控訴人Lは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において砂利採取作業に従事した。
e.控訴人Lは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において土砂運搬作業等に従事した。
f.控訴人Lは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国後5
万元を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていな
い。
(エ)控訴人M(以下の事実は甲4の3,甲14番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Mは,昭和*年(****年)**月**日に生まれ,河北
省昌平県(現在の北京市海淀区)において両親及び妹の4人家族で農
業に従事していた。
b.控訴人Mは,昭和19年(1944年)秋,村の役人から建築の仕
事を勧められてその指示に従ったところ,昌平県を経て北京に連れて
行かれ,さらに日本軍により塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Mは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Mは,g出張所において砂利選別作業に従事した。
d.控訴人Mは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所においてトロッコを押す作業に従事したが,
蚤や虱に悩まされた。
e.控訴人Mは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られたが,
同鉱業所において皮膚病に罹った。
f.控訴人Mは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に際
して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を
受けていない。
(オ)控訴人N(以下の事実は甲4の3,甲15番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Nは,大正**年(****年)に生まれ,北京市昌平県に
おいて,母及び妻の3人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Nは,昭和19年(1944年)8月(旧暦)ころ,村の役
人から昌平県で仕事があると言われ,これに応じて所定の場所に赴い
たところ,華北労工協会管理下の建物に連れて行かれ,さらに警察の
監視下に塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Nは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Nは,g出張所において砂利採取作業に従事した。
d.控訴人Nは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において砂利採取作業に従事した。
e.控訴人Nは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において土砂運搬作業等に従事した。
f.控訴人Nは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労働
に対する賃金の支給を受けていない。
(カ)控訴人O(以下の事実は甲4の3,甲16番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Oは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,i村
において,母及び妻の3人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Oは,昭和19年(1944年)9月ころ,村長から,昌平
県で道路修理の仕事があると言われ,これに応じて所定の場所に赴い
たところ,中国人警察官によって北京に連れて行かれ,さらに塘沽の
収容所に送られた。
その後,控訴人Oは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Oは,g出張所において土砂運搬作業に従事したが,日本人
の監督から,仕事を怠けると殴られ,ときには何らの理由もなく殴ら
れるなどし,また,蚤や虱に悩まされた。
d.控訴人Oは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において土砂運搬作業に従事したが,g出
張所にいたとき程ではないものの,日本人の監督から殴られるなどし
た。
e.控訴人Oは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において土砂運搬作業に従事したが,日本人の監督からよく殴ら
れた。
f.控訴人Oは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国後1
万元を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていな
い。
(キ)亡P(以下の事実は甲4の3,甲17番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Pは,昭和*年(****年)*月*日に生まれ,北京市昌平県
において,母及び祖父の3人家族で生活し,同市内で自動車の運転手
をしていた。
b.亡Pは,昭和19年(1944年)8月(旧暦)ころ,村の幹部か
ら八達嶺(万里の長城の一部)の下の道路の修理の仕事があると声を
かけられ,これに応じて所定の場所に赴いたところ,中国人警察官に
よって華北労工協会管理下の建物に連れて行かれ,さらに警察の監視
下に塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Pは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10月こ
ろ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.亡Pは,g出張所において砂利選別作業に従事したが,皮膚病に罹
ったほか,塘沽で支給された地下足袋が破れ,裸足で過ごさなければ
ならなかったため,足が凍傷になった。
d.亡Pは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張
所に送られ,同出張所において砂利選別作業に従事したが,皮膚病は
ひどいままであった。
e.亡Pは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱業所
において土砂運搬作業等に従事したが,リヤカーを押していた際に後
ろから来た別のリヤカーの制動用の鉄の棒がその左足を貫通する大怪
我を負った。また,亡Pは,食糧を採るために山に赴いた後,宿舎に
戻って監視役の日本人に対して便所に行ってきたと嘘をついたところ,
その日本人から棒でひどく殴られた。
f.亡Pは,終戦後,北海道j市の赤十字病院で働いた後に中国に帰国
したが,被控訴人熊谷組及び野村鉱業からは,その労働に対する賃金
の支給を受けていない。
g.亡Pは,本件控訴を提起した後の平成16年(2004年)6月8
日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人P1,
同P2,同P3及び同P4が承継した。
(ク)控訴人Q(以下の事実は甲4の3,甲18番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Qは,大正*年(****年)*月**日に生まれ,北京市
昌平県において,母,妻,息子,弟2人とそれぞれの妻,弟の子及び
妹の10人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Qは,昭和19年(1944年)10月ころ,村長から数日
間の徴用に応じるよう要請され,その指示に従って華北労工協会管理
下の建物に赴いたところ,警察官の監視下に塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Qは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同月ころ,
被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Qは,g出張所において砂利選別作業等に従事したが,手指
に軽い凍傷を負ったほか,虱に悩まされ,皮膚病に罹った。
d.控訴人Qは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において砂利選別作業等に従事した。
e.控訴人Qは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において山林の伐採作業等に従事した。
f.控訴人Qは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国後若
干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を受けて
いない。
(ケ)控訴人R(以下の事実は甲4の3,甲19番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Rは,大正**年(****年)**月**日に生まれ,北
京市昌平県において,両親及び兄弟の7人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Rは,昭和19年(1944年)10月ころ,村の役人から
昌平県での仕事を勧められ,所定の場所に赴いたところ,同県の役人
に華北労工協会管理下の建物に連れて行かれ,さらに警備隊の監視下
に塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人Rは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同月ころ,
被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Rは,g出張所においてセメントを作る作業に従事したが,
蚤,虱に悩まされた。
d.控訴人Rは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所においてセメントを作る作業に従事したが,
蚤,虱に悩まされた。
e.控訴人Rは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において掘進作業に従事した。
f.控訴人Rは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に際
して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を
受けていない。
(コ)亡S(以下の事実は甲4の3,甲20番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Sは,大正*年(****年)*月**日に生まれ,北京市石景
山区において,妻及び子供2人の4人家族で生活し,発電所で就労し
ていたほか,共産党の地下活動に従事していた。
b.亡Sは,昭和17年(1942年)8月6日,北京の西正門駅で亡
Xらとともに我が国の憲兵隊に連行され,昭和18年(1943年)
1月25日に懲役3年の裁判を受けて高善法律収容所で服役していた
が,昭和19年(1944年)8月,塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Sは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10月こ
ろ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.亡Sは,g出張所においてトロッコの運転操作に従事したが,足に
竹が刺さって怪我をしたことがあるほか,皮膚炎に罹った。
d.亡Sは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張
所に送られ,同出張所において小隊長としての仕事に従事したが,皮
膚炎がより酷くなるなどした。
e.亡Sは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱業所
において整地作業に従事した。
また,亡Sは,同年7月,憲兵から,暴動を企てた疑いをかけられ,
拷問を受けた上,死刑を言い渡されたが,その手続に入る前に終戦を
迎えた。
f.亡Sは,終戦後,中国に帰国したが,帰国に際して若干の金銭を受
け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
g.亡Sは,原審口頭弁論終結後の平成16年(2004年)3月8日
に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人S1,同
S2及び同S3が承継した。
(サ)控訴人T(以下の事実は甲4の3,甲21番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Tは,大正**年(****年)**月**日に生まれ,河
北省塩山県において,母及び妹の3人家族で農業に従事していたほか,
共産党の地下活動に従事していた。
b.控訴人Tは,昭和17年(1942年)1月,我が国の憲兵隊に逮
捕され,懲役3年の裁判を受けて東新橋収容所で服役していたが,昭
和19年(1944年)8月ころ,塘沽に連行された。
その後,控訴人Tは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Tは,g出張所において炊事作業に従事した。
d.控訴人Tは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において炊事作業に従事した。
e.控訴人Tは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において炊事作業に従事したが,腸炎に罹るなどした。
また,控訴人Tは,憲兵から暴動を企てた疑いをかけられ,検事か
ら死刑になるなどと告げられたが,その手続に入る前に終戦を迎えた。
f.控訴人Tは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に際
して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給を
受けていない。
(シ)控訴人U(以下の事実は甲4の3,甲22番1及び弁論の全趣旨に
より認める。)
a.控訴人Uは,大正*年(****年)*月**日に生まれ,北京市
昌平県において,母及び妹2人の4人家族で農業に従事していた。
b.控訴人Uは,昭和19年(1944年)8月29日(旧暦),村の
役人から昌平県で倉庫を造る仕事があると言われ,これに応じて所定
の場所に赴いたところ,中国人に引率されて華北労工協会管理下の建
物に連れて行かれた後,中国軍に身柄を拘束されて塘沽の収容所に送
られた。
その後,控訴人Uは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10
月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.控訴人Uは,g出張所において石を川岸に積み上げる作業に従事し
た。
d.控訴人Uは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh
出張所に送られ,同出張所において砂利採取,運搬作業に従事した。
e.控訴人Uは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱
業所において土砂運搬作業等に従事した。
f.控訴人Uは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労働
に対する賃金の支給を受けていない。
(ス)亡V(以下の事実は甲4の3,甲23番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Vは,明治**年(****年)ころに生まれ,北京市昌平県に
おいて,妻,息子及び娘の4人家族で生活していた。
b.亡Vは,昭和19年(1944年),村の役人から仕事があると言
われてこれに応じたところ,華北労工協会管理下の建物に連れて行か
れ,さらに塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Vは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10月こ
ろ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.亡Vは,g出張所において砂を濾す作業に従事した。
d.亡Vは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張
所に送られ,同出張所において砂を濾す作業に従事したが,疥癬に罹
った。
e.亡Vは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱業所
において鉱物の運搬作業に従事した。
f.亡Vは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労働に対
する賃金の支給を受けていない。
g.亡Vは,平成7年(1995年)5月15日に死亡し,その地位を,
いずれも同人の相続人である控訴人V1,同V2,同V3及び同V4
が各4分の1の相続割合により承継した。
(セ)亡W(以下の事実は甲4の3,甲24番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Wは,大正**年(****年)*月*日に生まれ,北京市昌平
県において,両親,妹,弟3人の7人家族で生活し,家業の櫛作りを
手伝っていた。
b.亡Wは,昭和19年(1944年),村の役人から仕事を要請され,
その指示に従って華北労工協会管理下の建物に赴いた後,中国の憲兵,
警察官の監視下に塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Wは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10月こ
ろ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.亡Wは,g出張所において砂を濾す作業等に従事した。
d.亡Wは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張
所に送られ,同出張所において砂を濾す作業に従事した。
e.亡Wは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱業所
において採石,運搬作業等に従事した。
f.亡Wは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労働に対
する賃金の支給を受けていない。
g.亡Wは,平成9年(1997年)9月1日に死亡し,その地位を,
いずれも同人の相続人である控訴人W1,同W2,同W3,同W4,
同W5及び同W6が,控訴人W1は12分の7,その余の上記の控訴
人らは各12分の1の相続割合により承継した。
(ソ)亡X(以下の事実は甲4の3,甲D2,甲20番1,甲25番1及
び弁論の全趣旨により認める。)
a.亡Xは,明治**年(****年)に生まれ,北京市石景山区にお
いて,妻及び子供2人の4人家族で生活し,発電所で就労していたほ
か,共産党の地下活動に従事していた。
b.亡Xは,昭和17年(1942年)8月6日,北京の西正門駅で亡
Sらとともに我が国の憲兵隊に連行され,懲役刑の裁判を受けて北京
市内の収容所で服役した後,塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Xは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和19年(
1944年)年10月ころ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着し,さ
らに昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張所に送
られた。
c.亡Xは,同年3月14日,腹痛を訴え,下痢を起こして次第に衰弱
し,同月20日,死亡した。死因は,急性胃腸カタルと診断された(
甲D2)。
d.控訴人X1は,亡Xの唯一の相続人である。
(タ)亡Y(以下の事実は甲4の3,甲26番1及び弁論の全趣旨により
認める。)
a.亡Yは,昭和*年(****年)**月に生まれ,北京市海淀区に
おいて,両親,祖母の4人家族で農業に従事していた。
b.亡Yは,昭和19年(1944年)8月(旧暦),村長から仕事を
要請され,その指示に従って昌平県,北京と移動した後,中国の警察
に引率されて塘沽の収容所に送られた。
その後,亡Yは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年10月こ
ろ,被控訴人熊谷組のg出張所に到着した。
c.亡Yは,g出張所においてトロッコを押す作業等に従事した。
d.亡Yは,昭和20年(1945年)1月,被控訴人熊谷組のh出張
所に送られ,同出張所において砂を濾す作業に従事したが,皮膚病に
罹った。
e.亡Yは,同年5月31日,野村鉱業のl鉱業所に送られ,同鉱業所
において採石,運搬作業等に従事した。
f.亡Yは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労働に対
する賃金の支給を受けていない。
g.亡Yは,平成11年(1999年)4月10日に死亡し,その地位
を,いずれも同人の相続人である控訴人Y1,同Y2,同Y3,同Y
4,同Y5,同Y6及び同Y7が,控訴人Y1は14分の8,その余
の上記の控訴人らは各14分の1の相続割合により承継した。
エ被控訴人新日鐵及び日鐵輸西関係(控訴人Z,同AA)
(ア)事業場の概要
日鐵輪西は,日本港運業会の室蘭第三華工管理事務所が昭和19年(
1944年)9月10日に受け入れた移入中国人200人を,昭和20
年(1945年)8月14日まで,日本製鐵の輪西製鐵所における石炭,
鉄鋼,コークスの貨車積み下ろし,運搬等の作業に使用した(甲4の3
・5,甲E2)。
輪西製鐵所では,中国人は,厳寒の中で過酷な労働を強いられたほか,
日本人の監督から何かと殴られ,また,逃亡を企てた者は捕らえられて
他の中国人から暴行が加えられるような状況にあった。
中国人の宿舎は,公会堂を改造した建物であり,板敷きの床の上に筵
が敷かれており,1人当たりの居住面積は畳1枚弱であり,入浴はほと
んどできなかった。
中国人に与えられた食事は粗末なものであり,米と大豆の混ざった飯
や,米とわかめが混ざった物などが出され,その量は茶碗に1杯から1
杯半位程度と少なかったため,多くの中国人は飢えに苦しんだ。
病人は日鐵輪西製鐵所病院に送られるなどしたが,同病院の設備は十
分なものではなく,多くの中国人が死亡した(以上につき甲E2,甲2
7番1,甲28番1,2,原審控訴人AA本人)。
日鐵輪西(日本港運業会室蘭第三華工管理事務所)では,送還前に6
5人の中国人が死亡し,3人が行方不明となった(甲4の3)。
(イ)控訴人Z(以下の事実は甲4の3,甲E2,甲27番1及び弁論の
全趣旨により認める。)
a.控訴人Zは,昭和*年(****年)**月**日に生まれ,上海
の租界地において,税関職員の父及び兄の3人家族で生活していた。
b.控訴人Zは,昭和19年(1944年)8月,仕事募集の広告を見
てこれに応募しようと思い,案内の者に連れられて虹口の倉庫に赴い
たところ,外に出ることを禁止され,日本軍の監視下に倉庫に監禁さ
れた。
その後,控訴人Zは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年9月,
輪西製鐵所に到着した。
c.控訴人Zは,輪西製鐵所において石炭,鉱石,鉄塊の運搬作業等に
従事した。
d.控訴人Zは,昭和20年(1945年)11月,博多から中国に帰
国したが,帰国に際して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に
対する賃金の支給を受けていない。
(ウ)控訴人AA(以下の事実は甲4の3,甲E2,甲28番1,原審控
訴人AA本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人AAは,大正**年(****年)*月*日に生まれ,上海
の租界地において,母及び姉の3人家族で生活していた。
b.控訴人AAは,昭和19年(1944年)8月12日,仕事募集の
話に応募しようと案内の者に連れられて虹口の倉庫に赴いたところ,
外に出ることを禁止され,日本軍の監視の下で倉庫に監禁された。
その後,控訴人AAは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年9
月,輪西製鐵所に到着した。
c.控訴人AAは,輪西製鐵所において鉄鉱石,耐火焼瓦,石炭の積み
下ろし作業等に従事したほか,衛生員として病人に薬を渡す仕事をし
た。
d.控訴人AAは,昭和20年(1945年)11月,博多から中国に
帰国したが,帰国に際して若干の金銭を受け取った以外に,その労働
に対する賃金の支給を受けていない。
オ被控訴人旧地崎工業関係(控訴人AB,同AL,亡AM)
(ア)事業場の概要
a.k出張所
被控訴人旧地崎工業は,k出張所において,昭和19年(1944
年)4月8日に第1次移入中国人292人及び第2次移入中国人19
6人を受け入れ,同年10月27日まで,これらの中国人を,水銀採
掘のための土砂掘鑿,盛土,トロッコ押し,モッコ擔ぎ,雑役等の作
業に使用した(甲4の3・5)。
作業中に日本人の監督が工具を使って中国人に殴りかかるというこ
とが頻発した。
中国人の宿舎は,木造で,暖炉はあったが大変寒い状態にあった。
中国人に与えられた食事は,どんぐりの粉や大麦の粉で作った麺,
マントウ,じゃが芋などであり,量が少なかった(以上につき甲39
番1,甲40番1)。
k出張所の第1次移入中国人は,同年8月15日,被控訴人旧地崎
工業のl出張所に,第2次移入中国人は,同年11月30日,被控訴
人旧地崎工業のo出張所にそれぞれ転出したが,これらの転出前に8
人が死亡した(甲4の3)。
b.l出張所
被控訴人旧地崎工業は,l出張所において,昭和19年(1944
年)8月15日に被控訴人旧地崎工業のk出張所への第1次移入中国
人292人のうち死亡した2人を除く290人の転入を受け,同年1
1月25日まで,これらの中国人を,水銀採掘のための土砂掘鑿,盛
土,トロッコ押し,モッコ擔ぎ,雑役等の作業に使用した(甲4の3
・5)。
中国人の生活状況は,k出張所と大差ないものであった(甲39番
1)。
l出張所の中国人は,同年11月30日,被控訴人旧地崎工業のo
出張所に転出した(甲4の3)。
c.m出張所
被控訴人旧地崎工業は,m出張所において,昭和20年(1945
年)6月30日に被控訴人旧地崎工業のo出張所への転入中国人(も
ともとは被控訴人旧地崎工業のk出張所への第1次移入中国人及び第
2次移入中国人)のうち475人の転入を受け,さらに同年8月27
日に被控訴人旧地崎工業のg出張所への転入中国人のうち104人の
転入を受け,同年8月20日まで,これらの中国人を,工場建設のた
めの土砂掘鑿,盛土,トロッコ押し,モッコ擔ぎ,雑役等の作業に使
用した(甲4の3・5)。
中国人の生活状況は,k出張所と大差ないものであった(甲39番
1,甲40番1)。
m出張所の中国人は,送還前に10人が死亡し,4人が行方不明と
なった(甲4の3)。
d.n出張所
被控訴人旧地崎工業は,n出張所において,昭和19年(1944
年)9月28日に第1次移入中国人264人,同年10月25日に第
2次移入中国人40人を受け入れ,昭和20年(1945年)8月2
0日まで,これらの中国人を,発電所建設のための掘鑿,盛土,トロ
ッコ押し,モッコ擔ぎ等の作業に使用した(甲4の3・5)。
冬季における土砂の掘鑿は,凍った土をタガネで砕くというもので,
1日に最低でも8時間,長いときには13時間の作業となった。また
トロッコ関係の仕事は,1日平均約12時間を要するものであった。
中国人は,飢えと寒さの中で,これらの作業を強いられた。逃亡を企
てた者には,警察官が他の中国人の前で暴行を加えた。
中国人の宿舎は,工事現場の近くにあり,朝鮮人労働者を収容して
いたものを補修したものであって,高い塀に囲われるなどして外部と
完全に遮断され,出入口には見張所があって旭川警察特高外事係の警
察官が5,6人配置されていた。建物は木造で,部屋には中間通路を
挟んで板敷きのベッドがあり,ベッドの上にござが敷かれており,厳
寒の中,1人につき布団1枚,毛布1枚及び黒い布表にゴム底の地下
足袋しか支給されなかった。
中国人に与えられた食事は,非常に少なく,食事は1日3回であっ
たが,とうもろこしの薄いおかゆや,どんぐり粉のウォトウしかなく,
消化もよくないため,下痢で苦しむ者が続出した(以上につき甲F3,
4,甲29番1,原審控訴人AB本人)。
n出張所では,送還前に54人の中国人が死亡した(甲4の3)。
e.o出張所
被控訴人旧地崎工業は,o出張所において,昭和19年(1944
年)11月30日に被控訴人旧地崎工業のk出張所への第2次移入中
国人196人のうち死亡した6人を除く190人及び被控訴人旧地崎
工業のl出張所への転入中国人290人(もともとはk出張所への第
1次移入中国人)の転入を受け,昭和20年(1945年)6月25
日まで,これらの中国人を,飛行場建設のための掘鑿,盛土,トロッ
コ押し,モッコ擔ぎ等の作業に使用した(甲4の3・5)。
中国人の生活状況は,宿舎がテントのようなものであったことのほ
かは,k出張所と大差ないものであった(甲39番1,甲40番1)。
o出張所の中国人は,同月30日,被控訴人旧地崎工業のm出張所
に転出したが,その転出前に5人が死亡した(甲4の3)。
(イ)控訴人AB(以下の事実は甲4の3,甲29番1,原審控訴人AB
本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人ABは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,河
南省南召県において,両親,弟3人及び妻の7人家族で農業に従事し
ていた。
b.控訴人ABは,国民党に徴兵されて河南省西部の通信小隊に配属さ
れていたが,昭和19年(1944年)3月ころ,日本軍に捕虜とし
て捕まり,洛陽で約20日間拘束された後,鄭州の監獄に送られ,さ
らに鄭州から石家荘に送られた後,同年9月ころ,塘沽に送られた。
その後,控訴人ABは,貨物船に乗せられて大阪に上陸し,同年9
月,被控訴人旧地崎工業のn出張所に到着した。
c.控訴人ABは,n出張所において貯水池を作るために土を掘る作業
やトロッコの鉄道保守の仕事に従事したが,靴の支給がなかったため,
足の指の爪が凍傷により3回程落ちてしまい,現在でもその跡が残っ
ている。
d.控訴人ABは,昭和20年(1945年)12月,佐世保から中国
に帰国したが,帰国に際して若干の金銭を受け取った以外に,その労
働に対する賃金の支給を受けていない。
(ウ)控訴人AL(以下の事実は甲4の3,甲39番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人ALは,大正**年(****年)*月(旧暦)に生まれ,
山西省五台県において,両親,兄,姉及び弟の6人家族で生活してい
た。
b.控訴人ALは,八路軍に入って衛生員の仕事をしていたが,昭和1
7年(1942年)初冬,日本軍に捕虜として捕まり,石家荘に連行
されて拘束された後,青島に送られた。
その後,控訴人ALは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和1
9年(1944年)4月,被控訴人旧地崎工業のk出張所に到着した。
c.控訴人ALは,k出張所において森林の伐採作業等に従事した。
d.控訴人ALは,同年8月15日,被控訴人旧地崎工業のl出張所に
送られ,同出張所においてk出張所にいたときと同じような作業等に
従事した。
e.控訴人ALは,同年11月30日,被控訴人旧地崎工業のo出張所
に送られ,同出張所において土砂運搬作業等に従事した。
f.控訴人ALは,昭和20年(1945年)6月30日,被控訴人旧
地崎工業のm出張所に送られ,同出張所においてk出張所にいたとき
と同じような作業等に従事した。
g.控訴人ALは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金
の支給を受けていない。
(エ)亡AM(以下の事実は甲4の3,甲40番1及び弁論の全趣旨によ
り認める。)
a.亡AMは,大正**年(****年)**月*日に生まれ,山東省
において,両親,兄及び弟の5人家族で農業に従事していた。
b.亡AMは,国民党軍の兵士であったが,昭和18年(1943年)
11月ころ,その所属する部隊が日本軍に包囲されたことから,投降
して済南の新華院収容所に収容された後,日本兵の監視下に列車で青
島に送られた。
その後,亡AMは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和19年
(1944年)4月,被控訴人旧地崎工業のk出張所に到着した。
c.亡AMは,k出張所において除雪及び堰を造る作業に従事した。
d.亡AMは,同年11月30日,被控訴人旧地崎工業のo出張所に送
られ,飛行場建設工事に従事した。
e.亡AMは,昭和20年(1945年)6月30日,被控訴人旧地崎
工業のm出張所に送られ,同出張所において道路工事に従事した。
f.亡AMは,終戦後,中国に帰国したが,その労働に対する賃金の支
給を受けていない。
g.亡AMは,本件控訴を提起した後の平成17年(2005年)12
月8日に死亡し,その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人A
M1,同AM2,同AM3,同AM4,同AM5及び同AM6が承継
した。
カ被控訴人三菱マテリアル及び鉄道工業(p出張所)関係(控訴人AJ,
亡AK)
(ア)事業場の概要
a.p出張所
鉄道工業は,p出張所において,昭和19年(1944年)7月1
2日,移入中国人412人を受け入れ,昭和20年(1945年)8
月20日まで,これらの中国人を,鉄道工業が被控訴人三菱マテリア
ルから請け負った三菱p炭鉱における採炭,坑道掃除,坑外雑役等の
作業に使用した(甲4の3・5)。
仕事は1日14時間に及ぶものであったが,中国人は粗末な食事し
か与えられず,また,作業中に頻繁に暴行を受けた(甲37番1,甲
38番1,1審原告AK本人)。
鉄道工業のp出張所の中国人は,送還前に87人が死亡し,1名が
行方不明となった(甲4の3)。
b.三菱p炭鉱
被控訴人三菱マテリアルは,三菱p炭鉱において,鉄道工業のp出
張所がしたのとは別に,移入中国人287人を受け入れ,これらの中
国人を三菱p炭鉱における坑内採炭作業等に使用した。
上記の中国人は,送還前に27人が死亡し,1人が行方不明となっ
た(以上につき甲4の3・5,甲G5)。
(イ)控訴人AJ(以下の事実は甲4の3,甲37番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人AJは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,山
東省金郷県において,母と妹の3人家族で生活していた。
b.控訴人AJは,国民党に拉致されて同党遊撃隊に所属させられてい
たが,昭和19年(1944年)春,日本軍に捕虜として捕まり,済
南の新華院収容所に収容された後,同年7月ころ,青島に送られた。
その後,控訴人AJは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同月,
鉄道工業のp出張所に到着した。
c.控訴人AJは,鉄道工業のp出張所において機械を操縦して石炭を
積んだ人力車を引き上げる作業等に従事したが,誤って機械を支える
台を壊した際に監督から殴られ,それ以降左耳が聞こえなくなった。
d.控訴人AJは,昭和20年(1945年)10月,室蘭から中国に
帰国したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
(ウ)亡AK(以下の事実は甲4の3,甲38番1,3,1審原告AK本
人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.亡AKは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,山東省
栄城県において,祖母,両親,妹2人及び弟の7人家族で農業に従事
していた。
b.亡AKは,八路軍の地方部隊に入隊していたが,日本軍ないしはこ
れと通じた中国人の手により青島に送られ,感化院に収容されて約1
年間をすごした。
その後,亡AKは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和19年
(1944年)7月,鉄道工業のp出張所に到着した。
c.亡AKは,鉄道工業のp出張所において石炭を掘る作業等に従事し
たが,逃亡して警察官に捕まり,鉄道工業の職員らから焼けた鉄の鉤
を左肘に押し付けられるなどの暴行を受け,火傷を負った。
d.亡AKは,昭和20年(1945年)10月,室蘭から中国に帰国
したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
e.亡AKは,平成15年(2003年)5月29日に死亡し,その地
位を,いずれも同人の相続人である控訴人AK1,同AK2,同AK
3,同AK4,同AK5,同AK6が承継した。
キ北炭及び鉄道工業(y出張所)関係(控訴人AC,亡AD,控訴人AE,
同AF及び同AN)
(ア)事業場の概要
a.r鉱業所(b炭礦)
北炭は,r鉱業所(b炭礦)において,昭和19年(1944年)
11月4日,移入中国人284人を受け入れ,昭和20年(1945
年)8月19日まで,これらの中国人を,採炭,掘進,支柱,運搬,
雑役等の作業に使用した(甲4の3・5)。
仕事は昼夜2交替制の12時間労働であり,中国人は毎日の採炭量
がノルマに達しないと暴行を受けた。
中国人の宿舎は,暖房がなく,1人1枚のゴザと2人に1枚の布団
が与えられただけであり,風呂はあったが広いものではなかったため,
入ることのできない者もいた。
中国人に与えられた食事は,1日3食で1食につき約100グラム
のマントウと冷えた野菜汁であった(以上につき甲31番1)。
北炭のr鉱業所(b炭礦)の中国人は,送還前に41人が死亡し,
1人が行方不明となった(甲4の3)。
b.r鉱業所(v礦)
北炭は,r鉱業所(v礦)において,昭和20年(1945年)3
月30日,移入中国人231人を受け入れ,同年8月20日まで,こ
れらの中国人を,採炭,掘進,支柱,運搬,雑役等の作業に使用した
(甲4の3・5)。
仕事は昼夜2交替制の12時間労働であった。
中国人の宿舎は,木造1階建の建物で,監視者が常駐していた。
中国人に与えられた食事は,1日3食で1食につきマントウ1個と
野菜のスープ等であった(以上につき甲41番1,原審控訴人AN本
人)。
北炭のr鉱業所(v礦)では,送還前に67人の中国人が死亡した
(甲4の3)。
c.s鉱業所(w礦)
北炭は,s鉱業所(w礦)において,昭和20年(1945年)4
月11日,移入中国人417人を受け入れ,同年8月20日まで,こ
れらの中国人を,採炭,掘進,支柱,運搬,雑役等の作業に使用した
(甲4の3・5)。
中国人は,朝は5時か6時に起床し,夕方6時ころまで働かされ,
休日はまったくなく,また,産出量が少なかったり,わずかでも休憩
をとると,日本人の監督に暴行を加えられたり,食事を抜かれたりし
た。また,貨車の脱線事故により,作業中の中国人が死亡したことも
あった。
中国人の宿舎は,2階建ての建物で,1階に暖房設備があったもの
の不十分で極めて寒く,また,風呂はなかった。
中国人に与えられた食事は,豆やどんぐりの粉を蒸したような団子
状のものであり,夜だけは少量のみそ汁も出た(以上につき甲30番
1)。
北炭のs鉱業所(w礦)では,送還前に44人の中国人が死亡した
(甲4の3)。
d.y出張所
鉄道工業は,y出張所において,昭和20年(1945年)3月6
日,移入中国人358人を受け入れ,同年8月20日まで,これらの
中国人を,北炭から請け負ったそのr鉱業所管内のx坑坑内における
採炭,掘進等の作業に使用した(甲4の3・5)。
作業場における指導,保安等は北炭r鉱業所が実施したが,逃亡を
企てた中国人が拷問の末に殺されたこともあった。
中国人の宿舎は,木造2階建の建物で,ストーブはあったが隙間風
とともに雪も吹き込み極めて寒く,風呂はあったが狭く,全員が入れ
るようなものではなかった。また,宿舎内を自由に歩くことは許され
ず,寝場所を動いてはならないという規則があり,違反した中国人は
こん棒などで殴られた。
中国人に与えられた食事は,1日3食であったが,とうもろこしや
豆殻,芋の粉で作ったマントウのみであり,副食はなく,栄養失調で
死亡する者も多数いた(以上につき甲32番1,甲33番1,原審控
訴人AE本人)。
鉄道工業のy出張所の中国人は,送還前に82人が死亡し,1人が
行方不明となった(甲4の3)。
(イ)控訴人AC(以下の事実は甲4の3,甲30番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人ACは,大正**年(****年)*月*日に生まれ,河北
省豊潤県において,工場を所有していた両親,妻及び弟の5人家族で
生活していた。
b.控訴人ACは,昭和18年(1943年)冬,正月用品を仕入れる
ため親戚の者らと天津市へ行き,宿に泊まっていたところ,日本軍の
憲兵隊に理由もなく逮捕され,八路軍ではないかとの疑いを受けて拷
問を加えられ,これにより聴力に障害を生じ,火傷の痕が残った。そ
して,ACは,日本兵の監視の下にトラックに乗せられ,縛られたま
ま塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人ACは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和1
9年(1944年)4月,北炭のs鉱業所(w礦)に到着した。
c.控訴人ACは,北炭のs鉱業所(w礦)において当初は防空壕を掘
ったり列車から木材を降ろす作業等に従事し,その後は坑内作業等に
従事した。
d.控訴人ACは,昭和20年(1945年)12月,佐世保から中国
に帰国したが,帰国に際して約600円を受け取った以外に,その労
働に対する賃金の支給を受けていない。
(ウ)亡AD(以下の事実は甲4の3,甲31番1及び弁論の全趣旨によ
り認める。)
a.亡ADは,大正*年(****年)ころに生まれ,河北省栾県にお
いて,妻,子供2人,両親,兄弟姉妹5人及びそれぞれの家族と生活
していた。
b.亡ADは,昭和19年(1944年)9月1日(旧暦),日本兵に
ゲリラであるとして捕らえられ,憲兵隊に連行されて暴行を受け,拘
束された後,塘沽の収容所に送られた。
その後,亡ADは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年11月,
北炭のr鉱業所(b炭礦)に到着した。
c.亡ADは,北炭のr鉱業所(b炭礦)において当初は丸太運びの作
業に従事し,その後炭坑での採炭作業に従事したが,ドリルの振動の
ほか,棒で頭を殴られたことにより,難聴とめまいの後遺障害が残っ
た。また,亡ADは,石炭を載せたトロッコを動かすことができなか
った際に,日本人の監督にこん棒で足を強く殴られため,足の痛みが
残り,歩くこともままならない状態となった。
d.亡ADは,昭和20年(1945年)12月,佐世保から中国に帰
国したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
e.亡ADは,原審口頭弁論終結後の平成15年9月23日に死亡し,
その地位を,いずれも同人の相続人である控訴人AD1及び同AD2
が承継した。
(エ)控訴人AE(以下の事実は甲4の3,甲32番1,原審控訴人AE
本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人AEは,大正**年(****年)**月**日に生まれ,
山東省諸城市において,両親,兄弟ら10人家族で農業に従事してい
た。
b.控訴人AEは,八路軍に加わっていたが,昭和19年(1944年
)9月,日本軍に捕虜として捕まり,青島の収容所に送られた。
その後,控訴人AEは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和2
0年(1945年)3月,鉄道工業のy出張所に到着した。
c.控訴人AEは,鉄道工業のy出張所において採炭作業に従事したが,
落盤事故により一晩坑内に閉じ込められたことがあった。
d.控訴人AEは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に
際して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給
を受けていない。
(オ)控訴人AF(以下の事実は甲4の3,甲33番1及び弁論の全趣旨
により認める。)
a.控訴人AFは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,山
東省諸城市において,母,兄及び姉の4人家族で農業に従事していた。
b.控訴人AFは,国民党軍に入隊していたが,昭和19年(1944
年)12月(旧暦),日本軍に捕虜として捕まり,青島の収容所に送
られた。
その後,控訴人AFは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和2
0年(1945年)3月,鉄道工業のy出張所に到着した。
c.控訴人AFは,鉄道工業のy出張所において掘進作業に従事したが,
日本人の監督にこん棒で頭を殴られるなどしたほか,皮膚病に罹った。
d.控訴人AFは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に
際して20ないし30元に相当する日本円を受け取った以外に,その
労働に対する賃金の支給を受けていない。
(カ)控訴人AN(以下の事実は甲4の3,甲41番1,原審控訴人AN
本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人ANは,大正*年(****年)**月**日に生まれ,河
北省永清県において,両親,妻及び娘と生活していた。
b.控訴人ANは,日本軍駐屯地内の売店で働くとともに,共産党の地
下活動をしていたが,昭和19年(1944年)12月(旧暦),日
本軍の憲兵隊に捕まった後,塘沽の収容所に送られた。
その後,控訴人ANは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,昭和2
0年(1945年)3月,北炭のr鉱業所(v礦)に到着した。
c.控訴人ANは,北炭のr鉱業所(v礦)において採炭,掘進作業に
従事した。
d.控訴人ANは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,その労
働に対する賃金の支給を受けていない。
ク荒井合名会社関係(控訴人AO)
(ア)事業場の概要
荒井合名会社のz出張所は,昭和19年(1944年)7月9日,移
入中国人285人を受け入れ,昭和20年(1945年)8月15日ま
で,これらの中国人を,鉄路増設工事のための土運搬,切土,盛土等の
作業に使用した(甲4の3・5)。
仕事は1日12ないし14時間の長時間労働で,中国人には防寒具も
靴も与えられず,やむなく中国人はセメント袋を体を保護するような状
態にあった。病人に対して医師の診察がなされることもなかった。
中国人に与えられた食事は,マントウが1日400グラムと決められ,
量が不足していた(以上につき甲42番1,当審控訴人AO本人)。
荒井合名会社のz出張所では,送還前に17人の中国人が死亡した(
甲4の3)。
(イ)控訴人AO(以下の事実は甲4の3,甲42番1ないし3,当審控
訴人AO本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人AOは,大正**年(****年)*月**日に生まれ,河
北省寧晋県において,母らと生活し,工場で働いていた。
b.控訴人AOは,昭和19年(1944年)4月,仕事仲間の家にい
たところ,日本兵に拘束され,石家荘の収容所に収容された後,塘沽
に送られた。
その後,控訴人AOは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年7
月,荒井合名会社のz出張所に到着した。
c.控訴人AOは,荒井合名会社のz出張所において鉄道のトンネル掘
りの作業に従事したが,他の中国人のスコップが鼻に当たって流血し
たのに治療を受けられなかったために傷跡が残り,また,日本人から
暴行を受けて胸部に火傷の痕が残るなどした。
d.控訴人AOは,昭和20年(1945年)12月,佐世保から中国
に帰国したが,その労働に対する賃金の支給を受けていない。
ケ株式会社菅原組関係(控訴人AP)
(ア)事業場の概要
a.d採石場
株式会社菅原組は,d採石場において,昭和19年(1944年1
0月23日に第1次移入中国人290人,同年11月5日第2次移入
中国人98人を受け入れ,昭和20年(1945年)1月まで,これ
らの中国人を,採石,運搬,砕石,貨車積み等の作業に使用した(甲
4の3・5)。
仕事は1日10時間労働であった。
中国人に与えられた食事は,1日3回で,1回につき小麦粉と豆で
作られた小さなマントウを2個及び野菜スープが与えられただけであ
り,また,入浴施設や医者の診察もないなど,衛生環境は劣悪であっ
た(以上につき甲4の5,甲43番1,4,原審控訴人AP本人)。
d採石場の中国人は,同年1月5日に株式会社菅原組の小樽市内除
雪作業場に転出したが,転出前に14人が死亡した(甲4の3)。
b.小樽市内除雪作業場
株式会社菅原組は,小樽市内除雪作業場において,昭和20年(1
945年)1月6日,株式会社菅原組のd採石場への第1次及び第2
次移入中国人合計388人のうち死亡するなどした17人を除く37
1人の転入を受け,同年3月30日まで,これらの中国人を,鉄道沿
線除雪,荷役等の作業に使用した。
仕事は1日10時間労働で,中国人の生活状況はd採石場と大差な
いものであった(甲4の5,甲43番1,4,原審控訴人AP本人)。
小樽市内除雪作業場の中国人は,同月31日,株式会社菅原組のf
詰所に転出したが,転出前に5人が死亡した(甲4の3)。
c.f詰所
株式会社菅原組は,f詰所において,昭和20年(1945年)3
月31日,株式会社菅原組の小樽市内除雪作業場への転入中国人37
1人(もともとは株式会社菅原組のd採石場への第1次及び第2次移
入中国人)のうち死亡した5人を除く366人の転入を受け,同年8
月20日まで,これらの中国人を,掘進,採炭等の作業に使用した(
甲4の3・5)。
仕事は1日10時間労働であり,狭い坑内での慣れない作業で負傷
する者が多く,落盤事故で死亡する中国人もいた。
中国人の生活状況は,d採石場と大差ないものであった(以上につ
き甲43番1,4,原審控訴人AP本人)。
f詰所では,送還前に2人の中国人が死亡した(甲4の3)。
(イ)控訴人AP(以下の事実は甲4の3,甲43番1,4,原審控訴人
AP本人及び弁論の全趣旨により認める。)
a.控訴人APは,昭和*年(****年)*月*日に生まれ,河北省
保定市において,両親及び7人の兄弟の9人家族で農業に従事してい
た。
b.控訴人APは,昭和19年(1944年)7月22日(旧暦),自
宅の近くで農作業をしていたところ,村を包囲した日本軍らに捕らえ
られ,保定の日本軍営に連行された後,列車で石門市の労工訓練所に
移され,さらに青島に送られた。
その後,控訴人APは,貨物船に乗せられて下関に上陸し,同年1
0月ころ,株式会社菅原組のd採石場に到着した。
c.控訴人APは,d採石場において石材の運搬,貨車積み等の作業に
従事した。
d.控訴人APは,昭和20年(1945年)1月5日,株式会社菅原
組の小樽市内除雪作業場に送られ,同作業場において除雪作業に従事
した。
e.控訴人APは,同年3月31日,株式会社菅原組のf詰所に送られ,
同詰所において掘削,採炭作業に従事した。
f.控訴人APは,同年12月,佐世保から中国に帰国したが,帰国に
際して若干の金銭を受け取った以外に,その労働に対する賃金の支給
を受けていない。
(5)戦後の日中関係等
(以下の事実は,公知の事実のほか,甲143,144,乙イ29,31,
32,35,36,141及び弁論の全趣旨により認める。)
ア中国は,第2次世界大戦後,華北や華中を含むその領域内にある日本人
の財産(ただし,その中には,もともと中国人の財産であったものや,中
国人に労働を強制することによって形成された財産が多く含まれるのでは
ないかと推測される。)を没収したほか,いわゆるポーレー中間案に基づ
き,我が国の軍需施設で用いられていた工場機械等の引き渡しを受けたが,
これらは,中国の国民が戦争によって被った損害のすべてを回復させるに
は到底足りないものであった。
イ昭和26年(1951年)9月4日から同月8日までの間,被控訴人国
と連合国との間の戦後処理を巡るいわゆるサンフランシスコ講和会議が行
われたが,中国は,昭和17年(1942年)1月1日の連合国宣言に署
名した連合国の一員であったにもかかわらず,昭和24年(1949年)
の中華人民共和国政府の成立及び昭和25年(1950年)の朝鮮戦争の
勃発などの当時の複雑な国際情勢のために,同会議に招請されなかった。
ウ昭和26年(1951年)9月8日,サンフランシスコ講和会議に参加
した52か国のうち,当時のソビエト社会主義共和国連邦,ポーランド共
和国及びチェコスロバキア人民共和国を除く49か国が「日本国との平和
条約」(以下「サンフランシスコ平和条約」という。)に署名し,うち被
控訴人国を含む46か国がこれを批准して,昭和27年(1952年)4
月28日に同条約は発効し,これによって我が国は独立を回復した。
同条約には,戦後賠償及び請求権の処理等に関して,次のような規定が
ある。
(ア)第14条
(a)日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に
賠償を支払うべきことが承認される。しかし,また,存立可能な経済
を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,日本国がすべての前記
の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行
するためには現在充分でないことが承認される。
よつて,
1日本国は,現在の領域が日本国軍隊によつて占領され,且つ,日
本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈
船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に
供することによつて,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補
償することに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始す
るものとする。その取極は,他の連合国に追加負担を課することを
避けなければならない。また,原材料からの製造が必要とされる場
合には,外国為替上の負担を日本国に課さないために,原材料は,
当該連合国が供給しなければならない。
2(Ⅰ)次の(Ⅱ)の規定を留保して,各連合国は,次に掲げるもの
のすべての財産,権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時
にその管轄の下にあるものを差し押え,留置し,清算し,その他
何らかの方法で処分する権利を有する。
(a)日本国及び日本国民
(b)日本国又は日本国民の代理者又は代行者並びに
(c)日本国又は日本国民が所有し,又は支配した団体
(中略)
(b)この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべ
ての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動か
ら生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に
関する連合国の請求権を放棄する。
(イ)第16条
日本国の捕虜であつた間に不当な苦難を被つた連合国軍隊の構成員に
償いをする願望の表現として,日本国は,戦争中中立であつた国にある
又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資
産又は,日本国が選択するときは,これらの資産と等価のものを赤十字
国際委員会に引き渡すものとし,同委員会は,これらの資産を清算し,
且つ,その結果生ずる資金を,同委員会が衡平であると決定する基礎に
おいて,捕虜であつた者及びその家族のために,適当な国内機関に対し
て分配しなければならない。(後略)
(ウ)第19条
(a)日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられ
た行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民の
すべての請求権を放棄し,且つ,この条約の効力発生の前に日本国領
域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在,職務遂行又は行
動から生じたすべての請求権を放棄する。(後略)
(エ)第21条
この条約の第25条の規定にかかわらず,中国は,第10条及び第1
4条(a)2の利益を受ける権利を有(中略)する。
(オ)第23条
(a)この条約は,日本国を含めて,これに署名する国によつて批准さ
れなければならない。この条約は,批准書が日本国により,且つ,主
たる占領国としてのアメリカ合衆国を含めて,次の諸国,すなわちオ
ーストラリア,カナダ,セイロン,フランス,インドネシア,オラン
ダ,ニュー・ジーランド,パキスタン,フィリピン,グレート・ブリ
テン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国の過半数によ
り寄託された時に,その時に批准しているすべての国に関して効力を
生ずる。(後略)
(カ)第25条
この条約の適用上,連合国とは,日本国と戦争していた国又は以前に
第23条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し,各
場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。
第21条の規定を留保して,この条約は,ここに定義された連合国の一
国でないいずれの国に対しても,いかなる権利,権原又は利益も与える
ものではない。また,日本国のいかなる権利,権原又は利益も,この条
約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でな
い国のために減損され,又は害されるものとみなしてはならない。
(キ)第26条
日本国は,1942年1月1日の連合国宣言に署名し若しくは加入し
ており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第23条に列記
する国の領域の一部をなしていた国で,この条約の署名国でないものと,
この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平
和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し,この日本国の義務
は,この条約の最初の効力発生の後3年で満了する。日本国が,いずれ
かの国との間で,この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に
与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは,これと同一の利益
は,この条約の当事国にも及ぼされなければならない。
エサンフランシスコ平和条約第14条(b)に「連合国のすべての賠償請求
権」のほかに「戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じ
た連合国及びその国民の他の請求権」という文言が規定されているのは,
もともとの原案では連合国の賠償請求権のみが規定されていたところを,
被控訴人国がそれでは範囲が不明確で誤解が生じやすいなどと主張した結
果,上記の文言が挿入されるに至ったものであった。
サンフランシスコ講和会議の開催中,この同条約第14条(b)の規定に
ついて,オランダ王国の代表は,被控訴人国の首席全権であった吉田茂内
閣総理大臣宛書簡において,同規定は各連合国政府が自国民の私的請求権
を剥奪することを包含しておらず,したがって同条約の発効後もその種の
請求権が消滅することにはならない旨,また,日本国政府が良心ないし良
識ある便宜手段の問題として自発的に自らの方法で処置することを望むと
思われる連合国民のある種の私的請求権が存在する旨の指摘をし,これに
対して吉田茂内閣総理大臣は,オランダ王国の代表宛書簡において,同条
約の発効後連合国民の請求権が存在しなくなるものとは考えていないが,
同条約の下において連合国民はかかる請求権につき満足を得ることはでき
ないであろうということ,また,オランダ王国政府が示唆する如く,日本
国政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国民のある種の私
的請求権が存在することを指摘する旨の返答をした。
オ被控訴人国は,サンフランシスコ平和条約の発効後,同条約を批准した
連合国各国との間で,同条約に従って,役務賠償を含む戦争賠償の在り方
について交渉を行い,その結果,二国間賠償協定が締結され(フィリピン
共和国等),あるいは,賠償請求権が放棄された(ラオス人民民主共和国
等)が,そこでは,個人の請求権を含めた請求権の相互の放棄が前提とさ
れた。被控訴人国は,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった
諸国又は地域についても,個別に二国間平和条約又は賠償協定を締結する
などして,戦争賠償及び請求権の処理を進めていったが,これらの条約等
においても,請求権の処理に関し,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に
生じたすべての請求権を相互に放棄する旨が明示的に定められている。
カ被控訴人国は,中国については,当時台湾及び澎湖諸島等に対してのみ
実効的支配を及ぼす状況になっていた中華民国政府を相手方として平和条
約を締結することとし,昭和27年(1952年)4月28日に「日本国
と中華民国との間の平和条約」(以下「日華平和条約」という。)を締結
し,同条約は同年8月5日に発効した。
同条約及び関係文書には,次のような規定及び記載がある。
(ア)同条約第1条
日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に
終了する。
(イ)同条約第3条
日本国及びその国民の財産で台湾及び澎湖諸島にあるもの並びに日本
国及びその国民の請求権(債権を含む。)で台湾及び澎湖諸島における
中華民国の当局及びそこの住民に対するものの処理並びに日本国におけ
るこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれ
らの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は,日本国政府と中
華民国政府との間の特別取極の主題とする。(後略)
(ウ)同条約第10条
この条約の適用上,中華民国の国民には,台湾及び澎湖諸島のすべて
の住民及び以前にそこの住民であつた者並びにそれらの子孫で,台湾及
び澎湖諸島において中華民国が現に施行し,又は今後施行する法令によ
つて中国の国籍を有するものを含むものとみなす。(後略)
(エ)同条約第11条
この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日
本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サ
ン・フランシスコ条約の相当規定に従つて解決するものとする。
(オ)議定書1
この条約の第11条の適用は,次の了解に従うものとする。
(a)サン・フランシスコ条約において,期間を定めて,日本国が義務
を負い,又は約束をしているときは,いつでも,この期間は,中華民
国の領域のいずれの部分に関しても,この条約がこれらの領域の部分
に対して適用可能となつた時から直ちに開始する。
(b)中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サン・
フランシスコ条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利
益を自発的に放棄する。(後略)
(カ)交換公文第1号(日本国全権委員の中華民国全権委員宛書簡)
(前略)本日署名された日本国と中華民国との間の平和条約に関して,
本全権委員は,本国政府に代つて,この条約の条項が,中華民国に関し
ては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に
適用がある旨のわれわれの間で達した了解に言及する光栄を有します。
本全権委員は,貴全権委員が前記の了解を確認されれば幸であります。
(後略)
(キ)交換公文第1号(中華民国全権委員の日本国全権委員宛書簡)
(前略)本全権委員は,本国政府に代つて,ここに回答される貴全権
委員の書簡に掲げられた了解を確認する光栄を有します。(後略)
(ク)同意された議事録
一,
中華民国代表
私は,本日交換された書簡の「又は今後入る」という表現は,「及び
今後入る」という意味にとることができると了解する。その通りである
か。
日本国代表
然り,その通りである。私は,この条約が中華民国政府の支配下にあ
るすべての領域に適用があることを確言する。(後略)
キ被控訴人国は,昭和47年(1972年),中華人民共和国政府を相手
方として日中国交正常化交渉を行った。
その交渉の過程で,中華人民共和国政府が,復交三原則,すなわち,①
中華人民共和国政府は,中国を代表する唯一の合法政府である,②台湾は
中華人民共和国の領土の不可分の一部である,③日華平和条約は,不法で
あり,無効であって,破棄されなければならない,との三原則を堅持する
姿勢を示したのに対し,被控訴人国は,上記の③について,日華平和条約
が当初から無効であったことを意味することになる表現には同意できない
との姿勢を示すなどし,中華人民共和国政府と被控訴人国がいずれの立場
からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図して,共同声明
の表現が模索された結果,同年9月29日に被控訴人国及び中華人民共和
国政府の各代表が署名した「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
」(以下「日中共同声明」という。)には,次のような規定が置かれるこ
ととなった。
(ア)1項
日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共
同声明が発出される日に終了する。
(イ)2項
日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であるこ
とを承認する。
(ウ)3項
中華人民共和国政府は,台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部
であることを重ねて表明する。日本国政府は,この中華人民共和国政府
の立場を十分理解し,尊重し,ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持
する。
(エ)5項
中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対す
る戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
クその後,両国政府間で,昭和53年(1978年)8月12日,「日本
国と中華人民共和国との間の平和条約」(以下「日中平和友好条約」とい
う。)が締結され,同年10月23日に公布され,同日発効した。同条約
前文には「日本国及び中華人民共和国は,共同声明に示された諸原則が厳
格に遵守されるべきことを確認する。」旨が規定されている。
(6)本件被害者らの帰国後,本件訴訟に至るまでの経緯
(以下の事実は,公知の事実のほか,甲63ないし69,71,80,81,
原審証人AU,原審控訴人AP本人及び弁論の全趣旨により認める。)
昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明及び昭和53年(1
978年)8月12日の日中平和友好条約の後においても,中華人民共和国
の国民は我が国に自由に渡航することはできなかった。
中華人民共和国では,1986年2月1日施行の公民出国入国管理法(甲
63)において,同国公民は除外事由のない限り私事による出国の許可を取
得することができる旨(同法5条1項)定められたが,その除外事由の一つ
として,「国務院の関係主管機関が,出国後,国家の安全に危害をもたらし,
又は国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがあると認定した者」(同法
8条5号)が定められるなどしたことから,個人の戦争被害に係る賠償請求
のために出国しようとしても,この除外事由に該当するとして出国が不許可
となるおそれがあり,出国許可申請自体が躊躇されるような状況にあった。
しかるに,1990年代になって,いわゆる従軍慰安婦等の戦後補償の問
題が日中両国で関心を集めつつある中,1995年3月,中華人民共和国の
政府要人が,同国政府としては個人の賠償請求を阻止しない旨を発言したこ
とをきっかけとして,上記のように出国許可申請自体が躊躇されるというこ
とはなくなったが,中華人民共和国の国民が我が国の入国査証を受けるため
には,我が国側からの招聘と我が国での保証人が必要とされており,中華人
民共和国の国民が我が国に渡航するのは,必ずしも容易なことではない。
ともかく,1990年代になって,日中両国の法律家が戦後補償の問題に
ついて種々の調査や協議を行うようになり,その中で,北海道における中国
人強制連行・強制労働の問題についても調査等が行われるようになり,平成
11年(1999年)1月,札幌弁護士会等所属の弁護士らが中国に渡り,
第1事件原告らから事情聴取等を行い,同年5月,弁護団を結成した後,同
年9月1日に札幌地方裁判所に対して第1事件を提起し,さらに,第2事件
原告らから事情聴取等を行い,平成14年(2002年)6月の弁護団会議
を経て,同年8月26日に同裁判所に対して第2事件を提起した。
2本件被害者らに対する強制連行,強制労働
以上認定の事実関係によれば,本件被害者らは,(ア)ある者は我が国への移
入中国人を集めること自体を目的としたものと窺われる日本軍等の作戦行動に
よって身柄を拘束され,(イ)ある者は八路軍の掃討等を直接の目的としたもの
と窺われる日本軍等の作戦行動によって身柄を拘束され,(ウ)ある者は国民政
府下の行政機関や日華労務協会による詐欺的な労働者の募集に応じようとした
ところを身柄を拘束され,(エ)またある者は共産党の地下活動に従事していた
ことを理由に服役させられた後に華北労工協会にその身柄が引き渡されたもの
であり,本件被害者らがその身柄を拘束されるに至る過程は様々であるが,い
ずれも,華北労工協会又は日華労務協会の供出という,被控訴人国の本件閣議
決定及び本件次官決定において取り決められた中国人移入の施策及びその実施
の細目に基づく一方的な措置によってその身柄が本件企業らの担当者に引き渡
され,その引率の下,当時母国と戦争状態にあった我が国に輸送され,終戦ま
での間,各事業場において,人格の尊厳と健康の保持が困難となるような劣悪
な環境の下,その意思に反する重労働を強いられ,多大な精神的損害を受けた
ものというべきところ,このような本件被害者らの身柄の拘束(上記の(イ)及
び(エ)については華北労工協会又は日華労務協会の管理下にその身柄が引き渡
された後の拘束)から我が国への輸送,さらには各事業場での労働の強制に至
る一連の過程は,少なくとも条理に悖るという意味において違法であることは
疑いないものといわなければならない。
そこで,以下,上記のような本件被害者らの身柄の拘束から我が国への輸送,
各事業場での労働の強制に至る一連の過程を「本件強制連行・強制労働」とい
うこととし,これについて被控訴人らに控訴人らに対する損害賠償等の責任が
あるかどうか順次検討することとする。
3争点1(国際法に基づく直接請求の可否)について
当裁判所も,国際法に基づく直接請求に関する控訴人らの主張は,いずれも
これを採用することはできないものと判断する。その理由は,原判決の「事実
及び理由」の「第5当裁判所の判断」の「2争点1(国際法に基づく直接
請求の可否)について」(原判決68頁23行目から同72頁12行目まで)
に説示されたとおりであるから,これを引用する。
4争点2(中華民国民法に基づく不法行為請求の可否)について
当裁判所も,中華民国民法に基づく不法行為請求に関する控訴人らの主張は,
いずれもこれを採用することはできないものと判断する。その理由は,次のと
おり補正するほか,原判決の「事実及び理由」の「第5当裁判所の判断」の
「3争点2(中華民国民法に基づく不法行為請求の可否)について」(原判
決72頁13行目から同75頁1行目まで)に説示されたとおりであるから,
これを引用する。
(1)上記引用に係る原判決中に「本件加害行為等」とあるのを,いずれも「本
件強制連行・強制労働」と改める(後記の各引用についても同じ。)。
(2)原判決72頁16行目の「法例」の後に「(平成18年6月21日法律第
78号附則3条4項により同法による改正前のもの。以下同じ。)」を加え
る。
(3)同73頁24行目から25行目にかけての「本件加害行為等は,国家賠償
法施行前の国の権力的作用に属する行為に当たると解されるところ」を「本
件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為は,国家賠償法の施行(昭和
22年10月27日)前になされたものであり,またその本質は,後記のと
おり,国の権力的な作用そのものであると解されるところ」と,同74頁8
行目の「後記4(争点3の1)で説示するとおり」及び同頁17行目から1
8行目にかけての「後記5(争点3の2)で説示するとおり」を「後記のと
おり」とそれぞれ改める。
5争点3の1(国家無答責の法理)について
(1)控訴人らは,国家賠償法1条1項に基づき,被控訴人国に対して本件強制
連行・強制労働についての損害賠償等を請求している。
しかしながら,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為は,国家
賠償法附則1項による同法の施行日たるその公布の日(昭和22年10月2
7日)よりも以前になされたものというべきである(後記のとおり,被控訴
人国がILO条約25条により求められる刑事制裁手続ないしはその措置を
執らなかったという不作為が控訴人らに対する不法行為を構成するとする控
訴人らの主張については,これを採用することができない。)ところ,国家
賠償法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお
従前の例による。」旨を定めており,この規定は,少なくとも同法施行前の
被控訴人国の行為に基づく損害について同法の適用がないことを明らかにし
たものと解されるから,同法1条1項に基づく控訴人らの被控訴人国に対す
る請求は,その余の点につき判断するまでもなく,理由がないものといわな
ければならない。
(2)また,控訴人らは,原審において,民法709条,715条に基づき,被
控訴人国に対して本件強制連行・強制労働についての損害賠償等を請求し,
当審においてはこれに関連して,被控訴人国には同法44条に基づく責任が
ある旨の追加主張をなすに至っている。
しかるに,一般的に,被控訴人国又はその官吏(国家公務員)が非権力的
な作用に属する職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害
を加えた場合には,上記の民法の各規定が適用されると解される余地はある
ものの,前記認定の事実関係によれば,本件強制労働・強制連行に係る被控
訴人国の行為は,被控訴人国の本件閣議決定及び本件次官決定において中国
人移入の施策及びその実施の細目を取り決めた上,これらに基づき,当時華
北方面軍その他の日本軍が支配していた華北及び華中の一部地域において,
その軍事力又は国民政府の警察力を用いて,華北の労働力を統制すべき一元
的機関として国民政府下の機関である華北政務委員会をして設立させた華北
労工協会,又は運輸通信省が樹立した華中の中国人を港湾荷役に使用すると
いう計画に基づき労務供出の目的のために特設された日華労務協会に,本件
被害者らの身柄を拘束させるとともに,厚生省において移入中国人の事業主
に対する割当を行い,もってこれらの協会と本件企業らとの間での移入中国
人の使用に係る契約の締結を慫慂し,さらに大東亜省において移入中国人の
引継輸送月日等を決定し,本件企業らに移入中国人の引継,輸送時の引率,
さらには各事業場における移入中国人の使用をさせつつ,内務省,厚生省及
び軍需省が取りまとめた要領に基づき,関係地方庁及び警察をして本件企業
らに対する治安上の見地からの指導を行わせるなどしたというべきものであ
るところ,これらの行為は,国家機関としての権力なくしてなし得るもので
はなく,その本質は,権力的な作用そのものであるといわなければならない。
この点について,控訴人らは,原審において,その主張に係る公権力無責
任の原則の適用要件なるものに関して,本件閣議決定において定められた募
集と使役という行為の性質は通常の私経済活動であって,同閣議においても
これを契約に基づくものと位置づけているなどと主張し,当審において,こ
れに加えて,中国人内地移入事業は私経済的行為,非権力的行為と同視でき
るもので,個々の具体的な行為を見ても,労働者を募集してこれを輸送し,
使役(雇用)する法律関係は明らかに私法的法律関係であるから,本件強制
連行・強制労働は,非権力的行為として上記の民法の各規定の適用が認めら
れるべきであり,また,被控訴人国は各企業に対して華北労工協会との契約
により負う中国人労働者の生命・健康保障義務を守るよう要請,勧告,注意
し,もって中国人労働者を保護する義務を負っていたというべきところ,こ
れらの行為は公権力の行使たる行政作用ではなく,これを公権力作用とする
のは最高裁昭和31年判決に違反するなどと主張する。
しかしながら,前記認定の事実関係によれば,中国人移入の施策は,全体
として見れば,国家総動員体制下における重筋労働部門の労働力の不足を補
うために軍事力を直接又は間接に行使して敵国民を我が国に連行して労働を
強制したというもので,明らかに私経済的行為,非権力的行為と同視し難い
ものである。
また,控訴人らの上記主張にかんがみて中国人移入に係る供出,輸送,就
労の各過程を個々的に見ても,前記認定の事実関係によれば,被控訴人国が
華北労工協会又は日華労務協会に行わせたものというべき中国人の供出方法
のうち,日華労務協会による自由募集のみは労働者の募集の体裁をとっては
いるものの,その実態は詐欺的なものであり,まして華北労工協会による行
政供出は中国側行政機関の供出命令に基づく募集にすぎず,また同協会によ
る訓練生供出は同協会が俘虜,帰順兵又は微罪者の下げ渡しを受けるという
ものにすぎず,これらの供出は,いずれも我が国での就労を任意希望する者
を募るという意味での労働者の募集ではなかったことが明らかである。移入
中国人の輸送にしても,大東亜省においてその引継輸送月日等を決定したこ
とに端的に示されているように,戦時下における集団輸送には国家機関の関
与が必須であったといわなければならない。さらには,移入中国人の就労に
ついても,本件次官決定において取り決められた中国人移入施策実施の細目
において,各事業主が個々の移入中国人との間でその就労に係る契約を締結
することまでは予定されておらず,むしろ契約期間(これは供出機関と各事
業主との間の契約の期間のことをいうものと解される。)を原則として2年
間と定めることなどによって,少なくともその契約期間中,移入中国人が任
意帰国することを許さず,我が国での就労を強制することとしているのであ
る。すなわち,中国人移入の各過程を個々的に見ても,これを控訴人らが主
張するような私経済活動あるいは私法的法律関係とのみ評価することはでき
ず,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為の本質は,国家機関と
しての権力を行使した権力作用であるといわなければならない。
そして,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為の本質が国家機
関としての権力を行使した権力作用である以上,仮に控訴人らの主張のよう
に被控訴人国に中国人の生命・健康の保障に関して本件企業らに対する要請,
勧告,注意等をする義務があったといえるとしても,それらの行為は上記の
ような権力作用の一環として行われるものと見るほかはない。なお,最高裁
昭和31年判決は,本件と事案を全く異にしており,上記の判断が同判決に
違背するということはできない。
したがって,控訴人らの上記各主張はいずれも採用することができない。
(3)以上によれば,本件強制連行・強制労働につき被控訴人国に対して不法行
為に基づく損害賠償等を求める控訴人らの請求ないしはその主張を是認でき
るかどうかは,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為のように,
被控訴人国又はその官吏が権力的な作用そのものとしての職務その他権力的
な作用に属する職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害
を加えた場合にもなお,民法709条,715条又は44条が適用され得る
かどうかという民法の解釈の問題に帰着することとなる。
そこで,民法制定当時の法制度,立法担当者の意見,さらには国家賠償法
の制定経緯等につき検討するに,公知の事実のほか,甲31の1ないし4,
乙イ45ないし47,49,50,97,99,100,103,104,
114及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア明治維新後,法制度の整備のために招かれた外国人法律顧問のうち,フ
ランス人のボアソナードは,公私の区別なくいわゆる使用者責任が肯認さ
れるべきであると考えていたのに対し,ドイツ人のモッセは,当時のドイ
ツの判例にならい,国家が民事上の活動をする場合には民法に従って責任
を負い,被害者は民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができる
ものの,官吏が国権を執行するに際して義務違反の処置若しくは怠慢によ
り第三者に加えた損害に対し,国家は特別法のない限り財産上の責任を負
うものではないと考えていた。
旧憲法(明治22年2月11日公布,明治23年11月29日施行)6
1条は,「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟
ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁
判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」と定めていたところ,行政裁判法(同
年6月30日公布,同年10月1日施行)は,その草案を作成したモッセ
が上記のような考えを有していたことから,これに従い,その16条にお
いて「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と定め,国家は公権力の
行使による損害についての賠償責任を負わない旨を明らかにした。
また,裁判所の事物管轄等を定める裁判所構成法(同年2月8日公布,
同年11月1日施行)は,その草案段階の規定では,地方裁判所の扱う民
事訴訟の事項の中に国家責任に関する訴訟が明記されていたが,当時の法
制度の整備の中心人物であった井上毅(同人は明治21年2月に法制局長
官に就任した。)の強い反対によって,当該規定は削除されて裁判所構成
法が制定された。
イ他方,旧民法(明治23年4月21日に公布されたいわゆるボアソナー
ド民法)の草案には,ボアソナードによる起草の段階で,使用者責任に関
して国家の責任をも認める趣旨の「公私ノ事務所ノ責任」が規定されてお
り,司法省が設置した法律取調委員会においても,ボアソナードの教えを
受けた日本人報告委員は,「公私ノ」を削除した上で,国府懸町村につい
ては法律をもって特に責任を免除する場合はこの限りにあらずとする一項
を設けるべきであるとする修正意見や,国家と人民とを区別して国家は官
吏の非行により生じた損害の責めに任じないとの法理はこれを発見するこ
とができないから,上記の規定はそのままにして,特にその責任を免除す
る場合はこの限りにあらずとするただし書を加えるべきとする修正意見を
述べたにとどまった(なお,前者の修正意見は「今村報告委員」らが,後
者の修正意見は「井上報告委員」が述べたものであるところ(甲31の3
・4),今村和郎の修正意見に井上毅が賛意を示したとする控訴人らの主
張及び甲34に照らすと,控訴人らはこの「井上報告委員」が井上毅であ
ると理解しているようであるが,井上毅はむしろ旧民法の立案に関して報
告を受けるべき立場にあったことやその発言内容等に照らすと,「井上報
告委員」とは,民法編纂委員の一人でボアソナードの教えを受けていたこ
とが公知の井上操ではないかと窺われる。)。
しかし,モッセを始めとする外国人法律顧問の多くは国家責任を認める
規定を民法上に置くことに反対する意見を述べ,さらに井上毅が,上記の
規定は将来国法上の大問題となるおそれがあるなどしてこれに強く反対し,
司法大臣らにその旨を働きかけるなどしたところ,その後,上記の規定の
「公私ノ事務所」は削除されて,「總テノ委托者」と改められた。
ウ現行民法(第1編から第3編まで。平成16年法律第147号による改
正前のもの。以下同じ。)は,明治29年4月27日に公布され,明治3
1年7月16日に施行されたが,その起草委員であった穂積陳重,梅謙次
郎及び富井政章のうち,穂積陳重は,公布前の法典調査会において,政府
の事業といえども私法的関係については草案723条(現行715条)が
適用される旨を述べ,さらに,国家責任に関する特別法が制定されなけれ
ば私法的関係に限らずおよそ国家の行為につき民法が適用されるかのよう
な見解を述べたが,その一方で,「特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕
舞ウト云フ丈ケノ決心ハ我々三人共ナカツタノデアル」などと上記の見解
と矛盾するかのような陳述もし,結局,当時のドイツのようにする趣旨か
との質問に対し,「サウデス」と答えてこれを肯定した。なお,当時のド
イツにおいて,学説は種々あったものの,判例は上記のモッセの考えと同
じく,国家には特別法のない限り公権力の行使につき財産上の責任がない
とするものであった。
また,梅謙次郎は,上記の法典調査会において,明文をもって定めなけ
れば国も法人であるから法人の不法行為に関する規定が適用されるかのよ
うな見解を述べたが,その一方で,「此法人ノ規定ハ無論國ニ嵌ラヌト云
フコトハ私ノ言ヲ待チマセヌコトデ」などと上記の見解と矛盾するかのよ
うな陳述もし,さらに,民法の公布後に法律雑誌に掲載された記事の中で,
国について民法715条を適用することはできない旨を明言した。
富井政章も,民法公布後の東京帝国大学での講義に際し,民法715条
は官吏の加害行為に対する国家の責任につき適用すべき規定ではなく,民
法はこの問題の決定を行政法規に譲る考えと思われるところ,現行行政法
は特別の明文のある若干の場合を除いて一般原則としては国家に賠償の義
務がないという仕組みになっている旨を述べた。ただし,富井政章は,国
の責任を否定する裁判例は不当であるとも述べている。
エ現行憲法17条は,「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けた
ときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求め
ることができる。」と規定し,これに基づき国家賠償法が制定されたが,
同法案を審議した衆議院司法委員会において,政府委員は,民法は私法関
係の規定であるのに対して,国家賠償法は国家公共団体の公権力行使によ
る場合のいわゆる公行政の関係であり,その公権力行使に係る不法行為に
つき国家に賠償の義務ということは,国家賠償法によって初めて明らかに
されたもので,国家賠償法は国家賠償の一般法である旨を述べた。
(4)上記の認定事実によれば,現行民法が制定された明治29年当時,それ以
前の行政裁判法,裁判所構成法及び旧民法の立法・立案の過程を通じて,立
法者は,国又はその官吏が権力的な作用に属する職務を行うについて故意又
は過失によって違法に他人に損害を加えた場合に賠償の責任を負うべきとす
る趣旨の一部の意見を明確に排斥して,いわゆる国家無答責の法理に基づき,
上記の場合の国家の責任は特別の法律を定めるのでない限りこれを認めない
との統一した立法政策を採用し,その一環として民法709条以下の不法行
為法の規定を含む現行民法を制定したものであり,その制定に際しても,起
草委員はいずれもこのような立法政策に全面的に賛同していたわけではなか
ったが,これを排して国家責任につき民法を適用するという「決心ハ我々三
人共ナカツタ」のである上,さらに国家賠償法の施行前にこのような立法政
策が採用されていたことは,国家賠償法案の審議の過程で再確認されている
といわなければならない。
そうすると,民法709条以下の不法行為法,とりわけ民法715条の規
定は,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為のように国又はその
官吏が権力的な作用そのものとしての職務その他権力的な作用に属する職務
を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合に適用
されるものではないといわなければならず,このことは,大審院以来の一貫
した判例であり,国家賠償法の施行後においても,最高裁昭和25年判決及
び最高裁昭和44年判決において再確認されたところである。
また,被控訴人国は,民法に基づいて成立した法人ではない上に,上記の
場合に民法709条以下の不法行為法が適用され得ないことにも照らすと,
被控訴人国につき民法44条の規定が適用されることもないといわなければ
ならない。
(5)控訴人らは,行政裁判法16条は損害賠償請求訴訟について行政裁判所の
裁判権を否定したものにすぎず,司法裁判所の裁判権を否定するものではな
いから,国家無答責の法理の実定法上の根拠とはなり得ない旨を主張するが,
前記のとおり,行政裁判法は,国家無答責の法理の実定法上の根拠というよ
りも,むしろ国家無答責の法理に基づく統一した立法政策の一環として制定
されたものと見るべきものであり,そのことは,行政裁判法16条の規定上,
損害賠償請求訴訟につき司法裁判所の裁判権が否定されていないことによっ
て何ら左右されるものではないから,控訴人らの上記主張は,その限りにお
いてこれを採用することができない。
(6)控訴人らは,行政裁判法及び裁判所構成法下における実定法制度上の裁判
権の欠如は,実体法上の請求権を否定するものではなく,裁判上の救済(訴
権)を否定するにとどまるものであると解釈する余地もあると主張するが,
前記のとおり,行政裁判法及び裁判所構成法は,国家無答責の法理という実
体法上の請求権の有無に係る統一した立法政策の一環として制定されたもの
と見るべきものであるから,控訴人らの上記主張は採用することができない。
(7)控訴人らは,大審院の判例は,必ずしも加害行為が権力作用であると判示
して民法の適用を排除していたわけではないし,権力作用等である旨を判示
して民法の適用を排除した事案の中には道路改修工事など必ずしも権力作用
に当たらないものも含まれていると主張するが,大審院以来の判例は,用語
の違いはともかく,少なくとも国又はその官吏が権力的な作用そのものとし
ての職務その他権力的な作用に属する職務を行うについて故意又は過失によ
って違法に他人に損害を加えた場合に民法は適用されないとの点においては
一貫していることが明らかである。
また,控訴人らは,権力作用について民法の不法行為法が適用された判例
として,大審院昭和7年8月10日判決・法律新聞3453號15頁及び同
昭和16年11月26日判決・大審院民事判決全集9輯11號6頁を指摘す
るが,大審院昭和7年判決は,陸軍傷病兵療養所の井戸掘り工事により私人
の温泉利用権が侵害されたとする事案に関するものであり,また,大審院昭
和16年判決は,道路法に基づく除却命令について行政執行法上の手続要件
(戒告)に瑕疵があった事案に関し,手続違背が民法上の不法行為を構成し
ないと判示したにすぎないものであり,原告が指摘するその他の大審院の判
例と同様に,いずれも本件とは事案を異にする。
さらに,控訴人らは,最高裁昭和25年判決は,国家賠償法施行前の行為
につき,同法附則6項は,同法の遡及適用を否定したにとどまり,同項の「
従前の例」に国の賠償責任を否定することまでも含ましめたものではない旨
を主張するが,最高裁昭和25年判決は,「本件家屋の破壊は日本国憲法施
行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判
決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとして,上告人の請
求を容れなかったのは至当」と判示している。
なお,控訴人らは,国家賠償法附則6項にいう「従前の例」に判例は含ま
れない,あるいは本件では判例の先例拘束性が認められない旨を主張するが,
前記のとおり,国家賠償法施行前における民法その他の実定法制度において,
国又はその官吏が権力的な作用そのものとしての職務その他権力的な作用に
属する職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた
場合に国は損害賠償の責任を負わないものとされており,これが国家無答責
の法理であり,国家賠償法附則6項の「従前の例」であるといわなければな
らないのであるから,控訴人らの上記主張はその限りにおいてこれを採用す
ることができない。
(8)控訴人らは,いわゆる国家無答責の法理が本件で適用されるとしても,そ
の適用要件として,違法な公権力の行使に当たるといえるためには,当該加
害行為が実質的に強制力ないし権力の行使といえる性質のものであること,
当該加害行為が適法に行使されれば適法な公権力の行使と評価できるような
個別の権限が法律により与えられていること,及び当該加害行為が国の統治
権ないし主権に服する者に対する行為であることがいずれも必要であるなど
と主張し,また,国家無答責の法理の根拠が「主権と責任は矛盾する」「違
法行為は国家に帰属しない」であるとすれば,同法理は日本の主権(統治権
)に服さない在外外国人には適用されない旨を主張し,さらに,本件におい
ては加害行為等の実態に照らし条理としての正義衡平の原則により国家無答
責の法理を適用を制限すべきであるなどと主張するところ,控訴人らのこれ
らの主張は,国家無答責の法理の適用なるものがなされて初めて被控訴人国
が本件請求につき免責されるとの理解を前提とするものと解される。
しかしながら,国家無答責の法理は,その適用によって初めて国家が実体
法上の根拠を有する請求につき免責されるというようなものではなく,そも
そもの実体法上の請求権を否定する法理念ないしはそのような法律状態とい
うべきものであるから,控訴人らの上記各主張は,その前提において理由が
なく,いずれも採用することができない。
(9)さらに,控訴人らは,原審以来の主張及び当審における追加主張において,
憲法13条が個人の尊厳を最高価値とすることを定めて全体主義を否定し,
憲法17条によって国家無答責の考えを廃し,さらに憲法前文及び98条2
項で国際協調主義を定めた現行憲法下で,しかも行政裁判所制度も廃止され
た司法裁判所の下では,憲法98条1項に照らしても,本件強制連行・強制
労働のような個人の尊厳を全く無視した人倫に悖る国家行為について,上記
の憲法価値に反するような法の解釈・適用を行うことは許されず,これが権
力作用に基づくものであるとしても,例外的に,民法の不法行為法の適用が
認められるべきであるなどと主張する。
しかしながら,憲法17条の規定及びこれに基づく国家賠償法の制定過程
において明らかなとおり,現憲法下においても,国又は国家公務員が権力的
な作用に属する職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害
を加えた場合には民法709条以下の不法行為法は適用されないものといわ
なければならず,そのことの故に国家賠償法の施行前に行われた本件強制連
行・強制労働につき本件被害者らの救済がなされないこととなるとしても,
そのような結果をもって直ちにこのような民法の解釈・適用が控訴人ら主張
に係る憲法の各規定及びそこに示された憲法価値に反するものということは
できない。
したがって,控訴人らの上記主張は採用することができない。
(10)以上によれば,本件強制連行・強制労働に係る被控訴人国の行為につき
被控訴人国に対して国家賠償法1条1項,民法709条,715条又は44
条に基づく損害賠償等を求める控訴人らの請求ないし主張は,その余の点に
つき判断するまでもなく,理由がないものといわなければならない。
6争点3の2(民法724条後段)について
当裁判所も,民法724条後段に関する控訴人らの主張は,いずれもこれを
採用することはできず,本件強制連行・強制労働に係る本件企業らの行為につ
き被控訴人国を除くその余の被控訴人らに対して民法709条又は715条に
基づく損害賠償等を求める控訴人らの請求は,その損害賠償等の請求権が存し
たとしても民法724条後段所定の除斥期間の経過により消滅したことから,
理由がないものと判断する。その理由は,原判決87頁8行目の「甲第63」
から同頁12行目の「これらの事情が」までを「本件被害者らの帰国後,本件
訴訟に至るまでの経緯は前記1(5)に認定したとおりであり,中華人民共和国の
渡航手続上の制約等といった事情が」と改めるほか,原判決の「事実及び理由
」の「第5当裁判所の判断」の「5争点3の2(民法724条後段)につ
いて」の(1)ないし(4)(原判決85頁1行目から同87頁20行目まで)に説
示されたとおりであるから,これを引用する。
7争点3の3(不作為による継続的違法を理由とする請求の可否)について
当裁判所も,不作為による継続的違法を理由とする控訴人らの被控訴人国に
対する請求は,理由がないものと判断する。その理由は,原判決の「事実及び
理由」の「第5当裁判所の判断」の「6争点3の3(不作為による継続的
違法を理由とする請求の可否)について」(原判決87頁21行目から同88
頁15行目まで)に説示されたとおりであるから,これを引用する。
8争点4の1(安全配慮義務違反の成否)について
(1)安全配慮義務は,私法関係たると公法関係たるとを問わず,ある法律関係
に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関
係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義
務であると解される(最高裁昭和50年判決参照)。
そして,前記認定の事実関係によれば,本件被害者らは,いずれも,本件
閣議決定及び本件次官決定において取り決められた中国人移入の施策及びそ
の実施の細目に基づき,国家総動員計画に組み込まれた形で,我が国に連行
されて各事業場での就労を強いられたものというべきところ,本件閣議決定
及び本件次官決定は法律そのものではないが,当時の戦時体制下にあって,
法律と同等の規範性を有していたものと窺われる上に,国家総動員計画は国
家総動員法に基づいて策定されるものであるから,本件被害者らの就労は,
公法関係たる法律関係に基づくものということができる。
ところで,被控訴人国,同三井鉱山,同住友石炭鉱業,同熊谷組及び同三
菱マテリアルは,上記の特別な社会的接触の関係とは,不法行為規範が妥当
する無限定な社会的接触関係を意味するものではなく,当事者間に雇用契約
ないしこれに準ずる法律関係が存在する必要があると主張する。
しかるに,安全配慮義務の概念が,主として当事者間に雇用契約ないしこ
れに準ずる法律関係が存在する場合の規範として形成され発展してきたこと
は明らかであるが,上記のとおり,安全配慮義務が生じる前提たる法律関係
は,私法関係たると公法関係たるとを問わないものと解されるところ,この
うち公法関係は,必ずしも相手方との契約その他の合意を本質とするもので
はなく,また相手方との契約その他の合意のない領域には信義則が適用され
ないと直ちにいうこともできないから,ある者が公法関係において他人を就
労させ,そこに公法関係たる法律関係に基づく特別な社会的接触の関係があ
ると肯認されるような場合には,その公法関係が雇用契約に準ずる法律関係
といえるものではなくとも,安全配慮義務が生じると見る余地がないではな
く,上記被控訴人らの上記主張は,そのままにはこれを採用することができ
ない。
(2)しかしながら,法律関係に基づく特別な社会的接触の関係があると肯認す
るためには,その就労が法律関係に基づくものであるというのみでは足りず,
それが特別な社会的接触の関係であること,すなわち当事者間に事実上の使
用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立し,その就労につき直接具体的
な支配管理性があることが必要であると解されるところ,以下のとおり,前
記認定の事実関係によれば,本件企業らについては本件被害者らの就労につ
き直接具体的な支配管理性があるというべきではあるものの,被控訴人国に
ついてはそれはないといわなければならない。
ア被控訴人国について
(ア)被控訴人国は,中国人移入の施策及びその実施の細目を取り決めた
上,本件強制連行・強制労働について,本件被害者らの身柄の拘束,輸
送,就労に直接・間接に関与したものであるが,その関与の程度は,本
件被害者らの身柄の拘束を除いて,極めて間接的なものであったといわ
なければならない。
すなわち,前記認定の事実関係によれば,被控訴人国は,中国人移入
の施策の実施に当たり,厚生省において移入中国人の事業主に対する割
当を行い,もって華北労工協会等と本件企業らとの間での移入中国人の
使用に係る契約の締結を慫慂し,さらに大東亜省において移入中国人の
引継輸送月日等を決定し,本件企業らに移入中国人の引継,輸送時の引
率,さらには各事業場における移入中国人の使用をさせつつ,内務省,
厚生省及び軍需省が取りまとめた要領に基づき,関係地方庁及び警察を
して本件企業らに対する治安上の見地からの指導を行わせるなどしたも
のであり,さらにこれに加えれば,本件次官決定により取り決められた
中国人移入の施策の実施の細目においては,移入中国人の食糧の手当に
ついては農林省において特別の措置を講ずることとなっており,また,
仮にこれらの関係省庁の官吏が各事業場に臨場して移入中国人の就労に
つき事業主に対する指導を行うということがあったとしても,これらの
事情をもってしては,被控訴人国と移入中国人との間に事実上の使用関
係,支払従属関係,指揮監督関係が成立し,その就労につき直接具体的
な支配管理性があったということはできない。
(イ)控訴人らは,当審において,被控訴人国は,移入中国人をして強制
労働に従わなければならない状況に追い込み,一方では実施細目を設け
てその労働条件・生活環境を規定した者として,移入中国人の生命・身
体・健康が害されないように,各企業の実施状況を監視し,違反があれ
ばこれを是正させる義務を個別に負っていた旨主張するが,各企業に対
する監視等をして,もって移入中国人の生命・身体・健康が害されない
ようにするという関係それ自体は,前記のような趣旨での特別の社会的
接触の関係ということはできないから,控訴人らの上記主張は,その限
りにおいて,これを採用することができない。
(ウ)なお,控訴人らは,安全配慮義務は危険責任の法理及び報償責任の
法理に根拠づけられるから,安全配慮義務の前提となる特別な社会的接
触の関係とは,相手方の利益を,その法律関係に伴う危険の現実化によ
って侵害し,損害を与える可能性が増大するような関係であるか,ある
いはその法律関係から利益を得ている関係をいうと主張する。
しかしながら,安全配慮義務は法の一般通則としての信義則にその根
拠を置くものであり,控訴人らが主張するところの危険責任の法理及び
報償責任の法理に根拠づけられるものと見ることはできないから,控訴
人らの上記主張は,その前提において理由がなく,これを採用すること
ができない。
(エ)したがって,安全配慮義務違反に基づき被控訴人国に対して損害賠
償等を求める控訴人らの請求は,その余の点につき判断するまでもなく,
理由がないものといわなければならない。
イ本件企業らについて
(ア)本件企業らは,公法関係に基づくものとはいえ,各事業場において
移入中国人を使用したものであるから,その使用に係る移入中国人との
間で事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立し,その就
労につき直接具体的な支配管理性があったことは明らかである(ただし,
被控訴人企業らのうち,本件被害者らを使用したのは,被控訴人三井鉱
山,同住友石炭鉱業,同熊谷組及び同旧地崎工業であり,控訴人らの主
張上被控訴人新日鐵がその債務を承継したとされる日本製鐵及び被控訴
人三菱マテリアルは本件被害者らを直接に使用したものではない。)。
(イ)被控訴人三井鉱山,同住友石炭鉱業及び同熊谷組は,国家総動員法
制の下,上記被控訴人らは本件被害者らの採用や労働条件の決定等につ
いて国の指示に従わざるを得なかったのであるから,控訴人らの主張す
る損害の発生につき過失がない旨を主張する。
しかしながら,前記認定の事実関係によれば,本件被害者らの労働環
境のすべてが被控訴人国の指示によって整えられたものと見ることはで
きず,例えば,各事業場の監督が本件被害者らに対して理由もなく暴行
を加えるというような行為は,およそ被控訴人国の指示によるものであ
るはずはなく,本件企業らには,そのような必要以上に過酷な労働環境
の下で本件被害者らを就労させたことについて,その責めに帰すべき事
由による安全配慮義務違反の事実があったという余地があるから,上記
被控訴人らの上記主張はそのままにはこれを採用することができない。
9争点4の2(安全配慮義務違反に基づく損害賠償債権の消滅時効)について
(1)以上によれば,被控訴人企業らは控訴人らに対して安全配慮義務違反に基
づく損害賠償債務を負うものと見る余地があるので,その消滅時効につき検
討するに,消滅時効の起算点を定める民法166条にいうところの「権利を
行使することができる時」とは,単にその権利の行使につき法律上の障害が
ないというだけではなく,権利の性質上,その権利行使が現実に期待できる
ことを要するものと解される(最高裁昭和40年(行ツ)第100号同45年
7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁)。
しかるに,本件強制連行・強制労働の事案の特殊性に照らせば,本件被害
者らが終戦後中国に帰国するまでに被控訴人企業らに対してその安全配慮義
務違反に基づく損害賠償を請求するなどということはおよそ期待することが
できず,また,中国への帰国後は,被控訴人国と中華人民共和国との間の国
交上の問題もあって,長らくその権利を行使することができない状態にあっ
たというべきであるから,このような状態が解消されるまでの間は,その権
利の行使につき法律上の障害がないとも,権利の性質上,その権利行使が現
実に期待できるともいい難く,消滅時効期間は進行しないものと解し得ない
ではない。
しかしながら,昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明に基
づき日中両国の国交が正常化したことにより,上記の権利の行使につき少な
くとも被控訴人国側の法律上の障害は消滅し,権利の性質上も,その権利行
使が現実に期待できる状態になったというべきであり,仮にその後も中華人
民共和国側の法制度上の制約によって控訴人らにおいてその権利を行使する
ことが現実には不可能であったとしても,そのようなことは我が国の民法が
定める消滅時効の起算点の基準に係る法律上の障害には該当せず,またその
ようなことの故に,権利の性質上,その権利行使の期待可能性がなかったと
いうこともできないから,日中共同声明の時から消滅時効期間は進行するも
のといわなければならない。
また仮に,本件強制連行・強制労働の事案の特殊性にかんがみ,控訴人ら
の権利の行使に係る中華人民共和国側の法制度上の制約が消滅時効の起算点
の基準に係る法律上の障害に該当すると解するとしても,同国においても,
1986年2月1日の公民出国入国管理法の施行により,私事による出国が
原則自由となって控訴人らの権利の行使に係る法制度上の制約は消滅したと
いうべきであるから,遅くとも同法の施行時から消滅時効期間は進行するも
のといわざるを得ない。
なお,前記認定の事実関係のとおり,1995年3月以前は,中華人民共
和国の国民が個人の戦争被害に係る賠償請求のために出国しようとしても,
除外事由に該当するとして出国が不許可となるおそれがあり,出国許可申請
自体が躊躇されるという状況にあり,また中華人民共和国の国民が我が国の
入国査証を受けるためには,我が国側からの招聘と我が国での保証人が必要
とされており,中華人民共和国の国民が我が国に渡航するのは必ずしも容易
なことではなく,さらには,日中両国の法律家が戦後補償の問題について種
々の調査や協議を行ったのは1990年代になってからのことで,中華人民
共和国内において,対日戦争賠償問題に関する個人の賠償請求は日中共同声
明によっても放棄されていないとの見解が示されたのが1995年3月のこ
とであり,北海道における中国人強制連行・強制労働の問題について札幌弁
護士会所属の弁護士らが中国に渡ったのは平成11年(1999年)1月の
ことであるが,これらの事情はいずれも権利の行使についての事実上の障害
にすぎず,またこれらの事情があるからといって,権利の性質上,その権利
行使の期待可能性がなかったということもできない。
そうすると,被控訴人企業らが控訴人らに対して安全配慮義務違反に基づ
く損害賠償債務を負うとしても,遅くとも1986年2月1日の公民出国入
国管理法の施行時から10年後の1996年(平成8年)1月31日が経過
したことにより,その債務につき民法167条1項の消滅時効が完成したも
のといわなければならない。
なお,控訴人らが本件訴訟を提起したのは,第1事件については平成11
年(1999年)9月1日であり,第2事件については平成14年(200
2年)8月26日であり,被控訴人企業らが原審口頭弁論期日(平成13年
4月10日第6回口頭弁論期日等)において控訴人らに対して上記の消滅時
効を援用する旨の意思表示をしたことは記録上明らかである。
(2)控訴人らは,被控訴人企業らによる消滅時効の援用は権利の濫用であって
許されないと主張する。
一般に,時効制度の機能又は目的については,(ア)長期間継続した事実状
態を維持し尊重することが,法律関係の安定のために必要であること,(イ)
権利の上に眠っている者は法の保護に値しないこと,(ウ)余りにも古い過去
の事実について立証することは困難であるから,一定期間の経過をもって義
務の不存在の主張を許す必要があること等であるとされ,永続した事実状態
の保護と時効の利益を受ける者との調和を図るべく,時効は当事者がこれを
援用しない限り裁判所はこれによって裁判をすることができないとされ(民
法145条),時効の援用については,援用する意思表示を要件とするのみ
で,援用の理由や動機,債権の発生原因や性格等を要件としてはいないので
あって,このような消滅時効の機能,その援用の要件等に照らすと,時効の
利益を受ける債務者は,債権者が訴え提起その他の権利行使や時効中断行為
に出ることを妨害してその権利行使や時効中断行為に出ることを事実上困難
にしたなど,債権者が時効期間内に権利を行使しなかったことについて債務
者に責めるべき事由があり,債権者に権利行使の機会を保障した趣旨を没却
するような特段の事情がない限り,消滅時効の援用が許されるというべきで
あり,時効にかかる損害賠償請求権の発生の原因となった事実関係が悪質で
あったこと,その被害が甚大で悲惨であったこと,債権者と債務者との社会
的・経済的地位や能力の格差等の事情は,債務者が消滅時効を援用すること
を権利の濫用とさせる事情とはならないと解すべきである。
したがって,控訴人らが主張する,被控訴人企業らの安全配慮義務違反の
態様の悪質性や被害が重大な人権侵害であること,控訴人らの経済的事情等
は,債務者が消滅時効を援用することを権利の濫用とさせる事情とはならな
いし,被控訴人企業らに控訴人らが時効期間内に権利を行使しなかったこと
について責められるべき事由があると認めるに足りる証拠はなく,控訴人ら
に権利行使の機会を保障した趣旨を没却するような特段の事情が認められな
いから,被控訴人企業らによる消滅時効の援用は権利の濫用となるというこ
とはできない。また,時の経過による証拠収集の困難性から当事者,とりわ
け債務者として訴えられる者を救済することにあるという消滅時効制度の趣
旨の一観点から観ても,現に本件訴訟において,本件被害者らの被害状況は
前記認定の事実関係のとおりと認められるものの,そこに被控訴人企業らの
安全配慮義務に違反する具体的な行為を肯認することができるかどうかとい
うことにかかわる個々の事情について,被控訴人企業らの側は見るべき反証
をしていないが,それは被控訴人企業らの怠慢によるものではなく,戦後半
世紀を過ぎた現在,反証をしようにも当時の状況を明らかにする証拠を収集
することが著しく困難であることによるものと窺われるのであり,本件は上
記のような消滅時効制度の趣旨の一つが現実の問題として顕われた事例であ
るというべきであること,また,安全配慮義務の概念は,少なくとも我が国
においては,不法行為に基づく損害賠償請求権が3年の短期消滅時効により
消滅することから被害者を救済することを主たる目的として形成され発展し
てきたものであると解されるところ,前記認定のとおり,本件強制連行・強
制労働に係る本件企業らの不法行為については,3年の短期消滅時効の期間
はおろか20年の除斥期間も経過しており,本件には上記のとおりの我が国
において安全配慮義務の概念が形成され発展してきた主たる目的がそのまま
には妥当しないというべきであることなどに照らしても,被控訴人企業らに
よる消滅時効の援用がその権利を濫用したものであるということまではでき
ない。よって,控訴人らの上記主張はこれを採用することができない。
(3)したがって,被控訴人企業らが控訴人らに対して安全配慮義務違反に基づ
く損害賠償債務を負っていたとしても,これは被控訴人企業らの控訴人らに
対する消滅時効を援用する旨の意思表示によって消滅したものといわざるを
得ない。
10争点5(国家間の戦後処理による賠償請求権の消滅の有無)について
(1)前記1(5)に認定した諸事実によれば,サンフランシスコ平和条約は,個
人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄する
ことを前提として,被控訴人国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連
合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具
体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという我が国の戦後
処理の枠組みを定めるものであり,この枠組みは,連合国48か国との間で
締結されこれによって我が国が独立を回復したというサンフランシスコ平和
条約の重要性にかんがみ,被控訴人国がサンフランシスコ平和条約の当事国
以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,
その枠組みとなるべきものであったと認められる。そして,日華平和条約の
規定の内容及び同条約が締結された当時における中国の状況,日中国交正常
化交渉の経過と日中共同声明の内容,さらには日中平和友好条約の規定の内
容等に照らせば,日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異
なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,
戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにした
ものというべきであって,日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民
の被控訴人国又は我が国の国民若しくは法人に対する請求権は,国際法上の
法規範性と国内法的な効力が認められる「中華人民共和国政府は,中日両国
国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言
する。」との日中共同声明5項(日中共同声明は,中華人民共和国が,これ
を創設的な国際法規範として認識していたことは明らかであり,少なくとも
同国側の一方的な宣言としての法規範性を肯定し得るものであり,さらに,
国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約におい
て,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことに
より,日中共同声明5項の内容が我が国においても条約としての法規範性を
獲得したというべきであり,いずれにせよ,その国際法上の法規範性が認め
られることは明らかである。そして,サンフランシスコ平和条約の枠組みに
おいては,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わ
せることを意味するのであるから,その内容を具体化するための国内法上の
措置は必要とせず,日中共同声明5項が定める請求権の放棄も,同様に国内
法的な効力が認められるというべきである。)によって,裁判上訴求する権
能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対
し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を
免れないこととなる。
(2)控訴人らの被控訴人らに対する本訴各請求は,いずれも,日中戦争の遂行
中に生じた中華人民共和国の国民の被控訴人国又は我が国の法人に対する請
求権を裁判上訴求するものというべきところ,国家間の戦後処理により賠償
請求権が消滅したとする被控訴人旧地崎工業及び同新地崎工業を除くその余
の被控訴人らの主張は,以上と同旨をいうものとして,理由があるから,仮
に,控訴人らが被控訴人らに対して上記の請求権を有するとしても,被控訴
人旧地崎工業及び同新地崎工業を除くその余の被控訴人らに対する本訴各請
求は棄却を免れない。
以上に反する控訴人らの主張は,これを採用することができない。
第4結論
よって,控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は相当であり,本件各控
訴はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり判決
する。
札幌高等裁判所第3民事部
裁判長裁判官伊藤紘基
裁判官北澤晶
裁判官石橋俊一
請求目録
被控訴人被害者控訴人請求金額(円)損害金起算日
A13,333,333
A23,333,333
A33,333,333

A43,333,333
国三井鉱山株式会社平成11年9月25日
A53,333,333
A63,333,333
BB20,000,000
CC20,000,000
AIAI20,000,000平成14年9月18日
DD20,000,000
EE20,000,000
F1
F2
F3
国住友石炭鉱業株式会社FF420,000,000平成11年9月25日
F5
F6
F7
GG20,000,000
HH20,000,000
被控訴人被害者控訴人請求金額(円)損害金起算日
I1
I2
I3
I20,000,000
I4
I5平成11年9月25日
I6
J15,000,000
J25,000,000

J35,000,000
国住友石炭鉱業株式会社J45,000,000
AG1
AG2
AGAG320,000,000
AG4
AG5
平成14年9月18日
AH1
AH2
AH20,000,000
AH3
AH4
KK20,000,000
LL20,000,000
国株式会社熊谷組MM20,000,000平成11年9月25日
NN20,000,000
OO20,000,000
被控訴人被害者控訴人請求金額(円)損害金起算日
P1
P2
P20,000,000
P3
P4
QQ20,000,000
RR20,000,000
S1
SS220,000,000
S3
TT20,000,000
UU20,000,000
V15,000,000
国株式会社熊谷組平成11年9月25日
V25,000,000

V35,000,000
V45,000,000
W111,666,666
W21,666,666
W31,666,666

W41,666,666
W51,666,666
W61,666,666
XX120,000,000
Y111,428,571

Y21,428,571
被控訴人被害者控訴人請求金額(円)損害金起算日
Y31,428,571
Y41,428,571
国株式会社熊谷組YY51,428,571平成11年9月25日
Y61,428,571
Y71,428,571
ZZ20,000,000
国新日本製鐵株式会社平成11年9月25日
AAAA20,000,000
ABAB20,000,000平成11年9月25日
ALAL20,000,000
AM1株式会社CKプ
ロパティー及び
株式会社CKプロパティーAM2株式会社地崎工
国業につき
株式会社地崎工業AM3平成14年9月15日
AM20,000,000
AM4
国につき
AM5平成14年9月18日
AM6
AJAJ20,000,000
AK13,333,333
AK23,333,333
国三菱マテリアル株式会社AK33,333,333平成14年9月18日
AK
AK43,333,333
AK53,333,333
AK63,333,333
国ACAC20,000,000平成11年9月25日
被控訴人被害者控訴人請求金額(円)損害金起算日
AD1
AD20,000,000
AD2
平成11年9月25日
AEAE20,000,000
国AFAF20,000,000
ANAN20,000,000
AOAO20,000,000平成14年9月18日
APAP20,000,000
(謝罪広告文)
謝罪広告
日本国は,貴殿を第2次大戦中,中国本国において身体を拘束し監禁した上,日
本へ強制的に連行しました。そして,貴殿は弊社管理下の事業場に強制的に送り込
まれ,同事業場で1945年8月15日まで極めて過酷な条件の下で強制労働をさ
せられました。しかも貴殿は弊社より賃金も一切受け取られていません。
当時貴殿の祖国である中国と日本国は戦争状態にあり,貴殿が敵国である当国や
弊社のために働くいかなる根拠もありませんでした。にもかかわらず,これを強制
したことは貴殿の人格と中国人としての名誉を著しく蹂躙した全く不法なことであ
り,法律上も人道上も許されないことでした。
ここに日本国と弊社は,貴殿に対し深くお詫び申し上げるとともに,その名誉を
回復するため本書を公表いたします。

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