弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
       本件上告を棄却する。
       当審における未決勾留日数中520日を本刑に算入する。
         理    由
 弁護人立田廣成の上告趣意は,事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人
本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由
に当たらない。
所論にかんがみ,本件における殺人未遂罪の成否について職権で判断する。
 1 第1審判決が被告人の所為につき殺人未遂罪に当たるとし,原判決がそれを
是認したところの事実関係の概要は,次のとおりである。
 被告人は,自己と偽装結婚させた女性(以下「被害者」という。)を被保険者と
する5億9800万円の保険金を入手するために,かねてから被告人のことを極度
に畏怖していた被害者に対し,事故死に見せ掛けた方法で自殺することを暴行,脅
迫を交えて執ように迫っていたが,平成12年1月11日午前2時過ぎころ,愛知
県aの漁港において,被害者に対し,乗車した車ごと海に飛び込んで自殺すること
を命じ,被害者をして,自殺を決意するには至らせなかったものの,被告人の命令
に従って車ごと海に飛び込んだ後に車から脱出して被告人の前から姿を隠す以外に
助かる方法はないとの心境に至らせて,車ごと海に飛び込む決意をさせ,そのころ
,普通乗用自動車を運転して岸壁上から下方の海中に車ごと転落させたが,被害者
は水没する車から脱出して死亡を免れた。
 これに対し,弁護人の所論は,仮に被害者が車ごと海に飛び込んだとしても,そ
れは被害者が自らの自由な意思に基づいてしたものであるから,そうするように指
示した被告人の行為は,殺人罪の実行行為とはいえず,また,被告人は,被害者に
対し,その自由な意思に基づいて自殺させようとの意思を有していたにすぎないか
ら,殺人罪の故意があるとはいえないというものである。
 2 そこで検討すると,原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録に
よれば,本件犯行に至る経緯及び犯行の状況は,以下のとおりであると認められる。
 (1) 被告人は,いわゆるホストクラブにおいてホストをしていたが,客であ
った被害者が数箇月間にたまった遊興費を支払うことができなかったことから,被
害者に対し,激しい暴行,脅迫を加えて強い恐怖心を抱かせ,平成10年1月ころ
から,風俗店などで働くことを強いて,分割でこれを支払わせるようになった。
 (2)しかし,被告人は,被害者の少ない収入から上記のようにしてわずかずつ
支払を受けることに飽き足りなくなり,被害者に多額の生命保険を掛けた上で自殺
させ,保険金を取得しようと企て,平成10年6月から平成11年8月までの間に
,被害者を合計13件の生命保険に加入させた上,同月2日,婚姻意思がないのに
被害者と偽装結婚して,保険金の受取人を自己に変更させるなどした。
 (3)被告人は,自らの借金の返済のため平成12年1月末ころまでにまとまっ
た資金を用意する必要に迫られたことから,生命保険契約の締結から1年を経過し
た後に被害者を自殺させることにより保険金を取得するという当初の計画を変更し
,被害者に対し直ちに自殺を強いる一方,被害者の死亡が自動車の海中転落事故に
起因するものであるように見せ掛けて,災害死亡時の金額が合計で5億9800万
円となる保険金を早期に取得しようと企てるに至った。そこで被告人は,自己の言
いなりになっていた被害者に対し,平成12年1月9日午前零時過ぎころ,まとま
った金が用意できなければ,死んで保険金で払えと迫った上,被害者に車を運転さ
せ,それを他の車を運転して追尾する形で,同日午前3時ころ,本件犯行現場の漁
港まで行かせたが,付近に人気があったため,当日は被害者を海に飛び込ませるこ
とを断念した。
 (4)被告人は,翌10日午前1時過ぎころ,被害者に対し,事故を装って車ご
と海に飛び込むという自殺の方法を具体的に指示し,同日午前1時30分ころ,本
件漁港において,被害者を運転席に乗車させて,車ごと海に飛び込むように命じた。
被害者は,死の恐怖のため飛び込むことができず,金を用意してもらえるかもしれ
ないので父親の所に連れて行ってほしいなどと話した。被告人は,父親には頼めな
いとしていた被害者が従前と異なる話を持ち出したことに激怒して,被害者の顔面
を平手で殴り,その腕を手拳で殴打するなどの暴行を加え,海に飛び込むように更
に迫った。被害者が「明日やるから。」などと言って哀願したところ,被告人は,
被害者を助手席に座らせ,自ら運転席に乗車し,車を発進させて岸壁上から転落す
る直前で停止して見せ,自分の運転で海に飛び込む気勢を示した上,やはり1人で
飛び込むようにと命じた。しかし,被害者がなお哀願を繰り返し,夜も明けてきた
ことから,被告人は,「絶対やれよ。やらなかったらおれがやってやる。」などと
申し向けた上,翌日に実行を持ち越した。
 (5)被害者は,被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなく,被告人を殺害し
て死を免れることも考えたが,それでは家族らに迷惑が掛かる,逃げてもまた探し
出されるなどと思い悩み,車ごと海に飛び込んで生き残る可能性にかけ,死亡を装
って被告人から身を隠そうと考えるに至った。
 (6)翌11日午前2時過ぎころ,被告人は,被害者を車に乗せて本件漁港に至
り,運転席に乗車させた被害者に対し,「昨日言ったことを覚えているな。」など
と申し向け,さらに,ドアをロックすること,窓を閉めること,シートベルトをす
ることなどを指示した上,車ごと海に飛び込むように命じた。被告人は,被害者の
車から距離を置いて監視していたが,その場にいると,前日のように被害者から哀
願される可能性があると考え,もはや実行する外ないことを被害者に示すため,現
場を離れた。
 (7)それから間もなく,被害者は,脱出に備えて,シートベルトをせず,運転
席ドアの窓ガラスを開けるなどした上,普通乗用自動車を運転して,本件漁港の岸
壁上から海中に同車もろとも転落したが,車が水没する前に,運転席ドアの窓から
脱出し,港内に停泊中の漁船に泳いでたどり着き,はい上がるなどして死亡を免れ
た。
 (8)本件現場の海は,当時,岸壁の上端から海面まで約1.9m,水深約3.
7m,水温約11度という状況にあり,このような海に車ごと飛び込めば,脱出す
る意図が運転者にあった場合でも,飛び込んだ際の衝撃で負傷するなどして,車か
らの脱出に失敗する危険性は高く,また脱出に成功したとしても,冷水に触れて心
臓まひを起こし,あるいは心臓や脳の機能障害,運動機能の低下を来して死亡する
危険性は極めて高いものであった。
 3【要旨】上記認定事実によれば,被告人は,事故を装い被害者を自殺させて
多額の保険金を取得する目的で,自殺させる方法を考案し,それに使用する車等を
準備した上,被告人を極度に畏怖して服従していた被害者に対し,犯行前日に,漁
港の現場で,暴行,脅迫を交えつつ,直ちに車ごと海中に転落して自殺することを
執ように要求し,猶予を哀願する被害者に翌日に実行することを確約させるなどし
,本件犯行当時,被害者をして,被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外
の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものということができる。
 被告人は,以上のような精神状態に陥っていた被害者に対して,本件当日,漁港
の岸壁上から車ごと海中に転落するように命じ,被害者をして,自らを死亡させる
現実的危険性の高い行為に及ばせたものであるから,被害者に命令して車ごと海に
転落させた被告人の行為は,殺人罪の実行行為に当たるというべきである。
 また,前記2(5)のとおり,被害者には被告人の命令に応じて自殺する気持ち
はなかったものであって,この点は被告人の予期したところに反していたが,被害
者に対し死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体については,被告人にお
いて何ら認識に欠けるところはなかったのであるから,上記の点は,被告人につき
殺人罪の故意を否定すべき事情にはならないというべきである。
 したがって,本件が殺人未遂罪に当たるとした原判決の結論は,正当である。
 よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項ただし書,刑法21
条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田
宙靖)

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