弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟の総費用は,被控訴人の負担とする。
       事実及び理由
第1 当事者の申立て
1 控訴人は,主文と同旨の判決を求めた。
2 被控訴人は,控訴棄却の判決を求めた。
第2 事案の概要
1 本件は,平成12年度東京都保育士試験の受験者である被控訴人が自己の解答
用紙と問題ごとの採点結果の開示を請求したのに対して一部非開示(記述式問題に
係る得点及び採点者記入部分のみ非開示)とした控訴人の決定につき,原審が被控
訴人の非開示部分の取消請求を認容したところ,控訴人が控訴した事案である。
 主要な争点は,個人の選考に関する個人情報である非開示部分につき,東京都個
人情報の保護に関する条例16条2号所定の非開示事由(開示することにより事務
の適正な執行に支障が生ずるおそれ)があるかどうかである。
2 本件条例の定め,前提となる事実及び当事者双方の主張は,次のとおり付加訂
正するほか,原判決「事実及び理由」欄の第2に記載のとおりである。なお,引用
に係る原判決記載の法令は,平成12年当時のものである。
 原判決7頁12行目の「他の受験者」の次に「に開示された情報」を加える。
 原判決8頁5行目から6行目までの「(福祉局地域福祉部福祉人材課)」を
「(東京都福祉局地域福祉推進部福祉人材課人材養成係)」に改める。
 原判決9頁18行目から19行目までの「上記のようなこと」を「上記(イ)の
ようなことなど」に改める。
 原判決12頁23行目の次に,改行して次のとおり加える。
 「オ 当審における主張
(ア) 原判決は,本件条例16条2号の解釈に当たり,本件条例の目的のうち個
人の権利利益の保護のみを強調し,もう一つの目的である都政の適正な運営につい
ては,当然考慮すべき要素であるのに,これを考慮せず,その結果,事務の適正な
執行への支障という要件を不当に狭く解している点で違法である。
 地方公共団体は,事務処理に当たり,最少の経費で最大の効果を挙げるようにし
なければならない(地方自治法2条14項)のであって,自己情報開示請求権の行
使が事務執行の経費の著しい増加や効率の著しい低下を来す場合には,その行使を
制限することも許されるというのが,本件条例16条2項の趣旨と考えるべきであ
る。
 また,原判決は,選択問題及び語句問題の採点に係る試験委員の裁量と記述問題
の採点に係る試験委員の裁量に差はないと判断しているが,両者に差があることは
明らかであり,この点に関する原判決の判断は,違法である。
(イ) 試験委員の職務執行の点からみた事務の支障
 解答用紙と問題ごとの得点を開示することによる受験者からの採点に関する質問
の増加により,これに対応するための試験委員の時間的負担が増加し(試算によれ
ば125時間の負担増),試験委員の職務の執行の効率性を害する。
 これらの受験者からの質問のうち,記述問題に関する質問であって試験委員の専
門的見地からする主観的裁量に係るものについては,客観的説明をすることは不可
能であり,全ての受験者の納得を得て受験者の不満を解消することはできない。
 質問の増加に対応するためには,客観的基準のみによってのみ採点し得る記述問
題を出題せざるを得ないことになるが,このような出題によっては保育士として必
要な知識,能力及び資質の有無を判定することができず(指定保育士養成施設にお
ける2年間の修業により資格を取得した保育士と同等の知識,能力及び資質の有無
を判定することもできない。),保育士試験の趣旨,目的を実現することができな
い。
 以上のような理由から,試験委員の確保も困難となり,試験の実施自体が困難又
は不可能となる。
(ウ) 事務局の職務執行の点からみた事務の支障
 解答用紙と各問題の得点を開示することによる受験者からの問題や採点に関する
質問の増加により,これに対応するための東京都の職員の事務量が増加し(試算に
よれば半年分の事務量),(イ)に記載のとおり事務が徒労に終わる可能性も高
く,都の事務の適正な執行の効率性を害する。」
 原判決14頁20行目の次に,改行して次のとおり加える。
 「オ 控訴人の当審における主張に対する反論
(ア) (1)オの(ア)は争う。開示が原則で非開示が例外であると考えるべき
であり,非開示事由の要件を厳格に解すべきは当然である。
(イ) (1)オの(イ)及び(ウ)は争う。控訴人の主張する事務の支障は,合
理的な根拠に基づくものではないし,試験問題及び採点基準が適正かつ明確なもの
であれば生じるおそれのないものである。」
第3 当裁判所の判断
1 甲3ないし5,26,乙1,5ないし9,15ないし20,23,24及び弁
論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 保育士試験の趣旨・目的
ア 保育士資格
 保育士とは,児童福祉施設において児童の保育に従事する者であり,指定保育士
養成施設(厚生大臣の指定する保育士を養成する学校その他の施設をいい,短大等
が指定されている。)を卒業した者又は保育士試験に合格した者が保育士となる資
格を取得する(児童福祉法49条,同法施行令13条1項。法令及び行政機関名
は,平成12年当時のもの。以下同じ。)。
 なお,児童福祉施設は,保育所に限られるものではなく,助産施設,乳児院,母
子生活支援施設,児童厚生施設,児童養護施設,知的障害児施設,知的障害児通園
施設,盲ろうあ児施設,肢体不自由児施設,重症心身障害児施設,情緒障害児短期
治療施設,児童自立支援施設及び児童家庭支援センターも,児童福祉施設に含まれ
る(児童福祉法7条)。児童福祉施設は,児童福祉法45条の規定に基づき厚生大
臣が定めた最低基準を遵守しなければならず,児童福祉施設最低基準(昭和23年
厚生省令第63号)においては,児童福祉施設の種類ごとに,これに置かなければ
ならない保育士その他の専門的資格を有する職員の数の最低基準を定めている。
 指定保育士養成施設は,修業年限が2年以上であり,厚生大臣の定める科目及び
単位数を同大臣の定める方法により履修させるなどの厚生省令の定めに適合するも
のでなければならない(児童福祉法施行令13条2項以下,同法施行規則39条の
2等)。
 保育士資格を取得するための要件として,保育士試験の合格が,指定保育士養成
施設の卒業と同等のものとされていることからすると,保育士試験を,指定保育士
養成施設において2年間修業した者とほぼ同等の内容の知識,技能を有することを
判定するための試験とするのが,児童福祉法関係法令の趣旨であると考えられる。
イ 保育士試験
 都道府県知事は,毎年少なくとも1回,保育士試験を実施しなければならない
(児童福祉法施行令13条10項)。
 各都道府県においては,保育士試験委員が,保育士試験の合格の決定その他保育
士試験に関することをつかさどる(同条12項)。各都道府県の保育士試験委員
は,10人以内で,関係行政機関の職員(4人以内)及び児童の保護,保健その他
福祉に関する事業に関し学識経験のある者の中から,都道府県知事が任命する(同
条13項)。保育士試験委員は,都道府県の非常勤職員である。
 保育士試験の受験資格は,短大卒業若しくはこれと同程度の学歴を有すること又
は所定の実務経験等を有することである(児童福祉法施行規則40条)。
 保育士試験の試験科目は,社会福祉,児童福祉,児童心理学及び精神保健,本件
科目(保健衛生学及び生理学),看護学及び実習,栄養学及び実習,保育原理及び
教育原理,保育実習の8科目である(同規則41条)。科目ごとに60点以上の得
点を得た者は,当該科目について合格したものと扱われ,既に合格した科目がある
ときは,受験者の願いにより,翌年及び翌々年に限り,当該科目の受験を免除する
ことができる(同規則42条)。
 受験を免除された科目を除く全科目について合格した者が,その年度の保育士試
験の合格者となる。実際にも,保育士試験の合格者の多数は,連続する2年又3年
にまたがる受験により,合格者となっている。
 「保育士試験の実施について」(平成元年3月27日児発第186号各都道府県
知事宛厚生省児童家庭局長通知)には,下記のような内容の定めがあり,各都道府
県は,この内容に沿って保育士試験を実施している。
(ア) 試験委員が具体的問題を作成し,又は採点するに当たっては,保育士養成
施設のカリキュラムと均衡を図るように配慮すべきこと。
(イ) 筆記試験は,真偽式,完成方式,択一式,組合せ式等客観的に採点可能な
ものと,文章による解答を求めるものを組み合わせるものとし,その配点上の比率
は6対4とすることを原則とすること。
(ウ) 出題に当たっては,機械的記憶に頼るような出題は避け,理解の深さを試
す出題に心がけ,試験時間内に8割以上の受験者が問題の内容を理解し,解答を作
成し得る程度の分量及び難易度とし,偏った特殊な学説に基づく解釈や理論に関す
る出題は避けること。
(エ) 保健衛生学については,公衆衛生の基本的な考え方及びそれを保育の実際
との関係において体系的に理解しているかを見ることを基本とし,医師として必要
な知識ではなく,保育士が保育の実際においてしばしば出会うと思われる事項に関
する知識についての理解を試す出題とし,文章による解答を求める問題は,解答に
長文を要するような大きな問題を避け,簡単に解答し得るような小さな問題を数多
く出題することが望ましい。
(オ) 生理学については,保育等の実際と関連して,保健衛生学,看護学,精神
保健などの基礎となるような児童の身体の構造及び機能の理解を見ることを基本と
し,保育等の実際においてしばしば出会うと思われる事項に関して出題し,成人の
身体的機能についての出題は,生理学の基本的理解のために必要な場合以外には避
けることが望ましい。
(2) 東京都における平成12年の保育士試験の実施状況
ア 保育士試験委員
 10人の保育士試験委員が任命された。
 8科目の試験科目中には,保育実習のように科目内が複数の分野に分かれている
ものもあり,試験分野は全部で10分野に分かれる。各試験委員がそれぞれ一分野
を担当し,担当分野について,一人で,出題及び採点を担当することとされた。
 本件科目は,そのまま一分野として扱われ,この分野を専門とする私立大学教授
の試験委員が,一人で,出題及び採点を担当した。
 試験の公平性の観点から,試験委員の氏名は公表されなかった。
 試験委員は,4月に任命され,6月上旬までに試験問題を一人で作成し,8月2
日及び同月3日の筆記試験終了後直ちに採点に着手し,同月末までに一人で採点事
務を完了させた。そのほか,年3回開催される試験委員会に出席した。これらの職
務は,いずれも,本務である私立大学教授等としての職務の合間に行った。
イ 事務局
 東京都福祉局地域福祉推進部福祉人材課人材養成係が試験実施の庶務を担当し
た。同係の定員は2名で,係長1名と係員1名が配置されていた。同係には,この
ほか,勤務時間の限定された非常勤職員1名が配置されていた。同係の所掌事務
は,保育士試験の実施に関する事務のほか,東京都内に所在する短大等の指定保育
士養成施設との連絡事務,東京都が設置する高等保育学院の管理運営事務である。
ウ 試験問題等の開示,非開示
(ア) 受験者本人の個人情報以外の情報
 試験問題については,受験者が問題用紙を持ち帰ることは認めていた。したがっ
て,受験者及び受験者経由で情報を得る者には開示されていたことになるが,一般
の閲覧に供する等の方法により何人に対しても開示する体制にはなっていなかった
(なお,平成13年以降は,一般の閲覧に供する等の方法により,何人に対しても
開示している。)。
 正解及び採点基準については,一切開示していなかった(現在も開示していな
い。)。
 なお,試験委員の氏名も,前記の理由により,一切開示していなかった。
(イ) 受験者本人の個人情報
 受験者の科目別の得点(当該科目の総得点)については,本件条例に基づき,受
験者本人から請求があった場合に限り,本人に開示していた。原告も,平成12年
11月2日に開示の請求を行い,本件条例に基づく開示決定を経て,同月20日
に,東京都庁において,口頭で,本件科目の総得点(○○点)及び「保育実習」の
科目の総得点の開示を受けた(平成13年以降は,希望する受験者に対し,合格発
表直後の時期に限り,本件条例に基づく開示請求と開示決定の手続を経ることな
く,本人からの請求があれば,その場で科目別の得点(当該科目の総得点)を開示
するという,簡易開示の制度が実施されるようになった。)。
 受験者の答案が記入された解答用紙及び問題ごとの得点については,開示してい
なかった(現在も開示していない。)。なお,本件解答用紙及び問題ごとの得点の
うち非開示部分を除く部分については,控訴人は,当初本件非開示決定をしたが,
平成14年11月12日に本件一部開示決定をして被控訴人に開示した。この開示
は,控訴人において,平成12年度の一部科目合格者に対する当該科目の受験免除
の適用が平成14年度試験で終了し,平成12年度の解答用紙の開示を請求してい
るのは被控訴人だけであるため,客観的評価が可能な問題についての部分を開示し
ても他の受験者に対する不公平は生じないと判断したことによる。したがって,解
答用紙及び問題ごとの得点のうち客観的評価が可能な問題についての部分が,一般
的に,受験者本人に開示されているわけではない。
エ 保育士試験の事務の流れ
 筆記試験は,8月2日及び同月3日に実施された。
 試験委員は,4月に当該年度の試験委員に任命され,6月上旬までに試験問題を
完成させなければならないので,直ちに試験問題作成作業にとりかかった。本件科
目担当の試験委員は,「保育士試験の実施について」に従うほか,選択式問題につ
いては,正解の根拠が明確であり,唯一の答えが導かれる問題とすること,記述式
問題については,選択式問題では評価しきれない知識,能力及び保育士としての資
質,適性を評価できる問題とすることに留意して,試験問題を作成した。
 試験問題作成後も,筆記試験実施までの間においては,他の試験委員が,他の科
目において,類似の試験問題を作成していることが判明した場合等に,調整作業が
必要になる(過去には,問題の再作成をしなければならないこともあった。)。ま
た,試験問題の印刷の校正には,試験委員自身が最終校正に至るまで関与する(過
去には,校正が5回ないし6回に及ぶこともあった。)。
 本件科目の筆記試験の実施の日である8月3日には,試験委員は,受験者からの
質問に備えて待機していた。
 本件科目の筆記試験受験者は,約1300人であり,試験委員は,8月4日以降
同月末までの間に,一人で,約1300枚の答案を採点した。
 試験委員は,採点作業のために必要な印やメモ等は,受験者の答案が記載された
解答用紙に,直接書き込んでいた。したがって,解答用紙には,必要に応じて,○
×その他の印,採点基準に準拠しているか,受験者間の公平性が保たれているかど
うか等について確認するためのアンダーラインその他の符号や書き込み,その他の
様々な書き込みが記載され,試験委員の採点推敲の過程が示されている。
 記述式問題の採点に当たっては,あらかじめ,採点基準(例えば,3個のキーワ
ードのうち,Aが抜けていたら3点減点,B又はCが抜けていたら各1点減点な
ど)を定めていた。しかしながら,採点の過程で採点基準の修正の必要を認める場
合もあり,その場合には,公平な採点をするため,修正した採点基準に従い採点済
みの解答用紙もチェックし直していた。また,答案の文章の意味が通っていない場
合にどの程度減点するかなど,細かな採点基準を作ってもまかないきれない部分の
加点,減点については,試験委員の主観的,専門的裁量に委ねられていた。
 試験問題については,受験者に開示されているため,これに関する質問が来るこ
とがあり,万が一にも試験問題に誤りがあってはいけないので,匿名のものも含
め,質問の全部を直ちに試験委員に伝え,誤りがないことを確認し,質問者(匿名
等連絡先不明の者を除く。)に回答することにしていた。従来から,このような扱
いをしていた。被控訴人からも,本件科目の総得点の開示後,試験問題についての
疑問が事務局に呈され,事務局において試験委員に連絡して誤りがないことを確認
したが,試験委員の指摘する出典を誤りがない理由として被控訴人に教示すると,
一部の受験生に参考文献を教示することになり不公平なので,事務局職員において
厚生白書の中に参考となる記述があるのを見つけて,当該記述を示して被控訴人に
回答した。なお,本件科目の試験委員においては,解答用紙や問題ごとの得点が開
示された場合には,採点基準の軽重(AがB又はCより比重が重いこと)について
の質問に対しては説明が可能であるが,なぜAの抜け落ちが2点減点でなく3点減
点なのかというような質問に対する説明をすることは,困難であると感じていた。
 私立大学教授などの本務を有しながら,試験委員として上記のような仕事を遂行
するのは大変なことである。試験委員の中には,試験委員の仕事の負担が非常に重
いと感じている者が多く,研究その他の本来の業務にあてる時間がとれないとか,
夏期休暇がとれないという苦情も多く寄せられていた。本件科目の試験委員におい
ては,優秀な保育士を輩出したいという熱意及び専門家の協力が適正な試験運営の
ために不可欠であるという義務感から,東京都からの試験委員就任の依頼に応じて
いた。
 保育士試験に関する受験者又は受験希望者からの質問は,実施された試験問題に
関しないものも多数ある。人材養成係には,時期を問わず,毎年およそ1万700
0件の保育士試験の実施に関する問い合わせがある。質問者の中には,配布済みの
保育士試験実施要綱を読めば分かる事項を繰り返し問い合わせてくる者,実施要綱
記載の内容以外は試験や出題について説明できないと事務担当者が説明しても引き
下がらない者が後を絶たず,ある科目について「勉強が足りないが受験しない方が
よいか。」と質問する者,合格に役立つ参考書を教えて欲しいと聞いてくる者,自
己の出身大学からみて自分が不合格になるはずがないという苦情を述べる者まであ
る。
2 本件開示請求は,解答用紙及び正誤の配点の開示を求めるもので,その実質は
各問題ごとの配点と得点の開示と考えられるが,その拒否は本件条例16条2号所
定の事由があるか否かにかかっている。すなわち,この事由がある場合には,開示
するかどうかは控訴人の合理的裁量に委ねられ,裁判所は,被控訴人の本件取消請
求を棄却しなければならない。この場合においては,控訴人は開示する義務を負わ
ないが,開示しても本件条例に違反するわけではない(裁量開示)。したがって,
控訴人が既に被控訴人に開示した部分についても,当該部分の開示請求に本件条例
16条2号所定の事由がないことを控訴人が自認したことになるわけではない。
 本件開示請求に本件条例16条2号所定の事由がない場合には,控訴人は,被控
訴人に開示する義務を負い(義務開示),裁判所は,被控訴人の本件取消請求を認
容しなければならないことになる。
3 そこで,前記前提となる事実及び1において認定した事実に基づいて検討す
る。
(1) 答案の記入された解答用紙と問題ごとの採点結果を受験者本人に開示する
ことは,保育士試験の採点及び合否判定の過程をいわば透明化することを意味し,
これにより次のような効果を期待することができよう。
 すなわち,このような開示をすると,受験者,ひいては受験者から情報の提供を
受けた識者その他国民から,試験問題,採点及び合否判定について一般的,抽象的
な域を超えた具体的批評,批判を可能にする。このような批評,批判は,それが相
互の信頼関係に基づく建設的かつ健全なものである限り,適切な試験問題の増加,
採点の適正化やミスの減少などにつながり,適格者への保育士資格授与及び不適格
者への資格授与の留保がより的確に実現し,試験の適正さが確保され,ひいては,
受験者の利益の保護,児童福祉行政の質の向上に資することになると考えられる。
 しかしながら,上記開示には,当然ながら弊害が伴うことも避け難いところであ
って,本件条例16条2号にいう「事務の適正な執行に支障を生ずるおそれ」の存
否の判断に当たっては,慎重な考慮が必要である。
(2) そこで,開示に伴う弊害について検討するに,まず,答案の記入された解
答用紙と問題ごとの採点結果を受験者本人に開示すると,開示された採点結果につ
いての質問や苦情が大幅に増加することが予想される。殊に当該科目の不合格者で
あって次年度以降も受験を希望する者においては,採点結果についてより詳しい情
報を得たいという気持ちが生じることは避けられないことが経験則上明らかであ
り,その対応には相当な困難が予想される。被控訴人の主張するように試験問題及
び解答が明解,適正であって公表されている場合には質問は減少するというほど簡
単なものではあり得ない。
 もっとも,控訴人は,本件条例により開示された個人情報の内容について本人か
ら質問が寄せられても,これに回答する法令上の義務を当然に負うものではない。
しかしながら,行政機関は国民からの真摯な質問には可能な限り答えることが望ま
しく,東京都においては試験問題(受験者本人に対しては開示されてきた。)に関
する質問に対しては従来からできるだけ回答してきたという経緯もあることから,
開示された採点結果についての質問や苦情についても,同様に,試験委員に問い合
わせてその意見を確認した上で,可能な限り回答するという対応をとらざるを得
ず,そうでなければ開示の意味もないということになるものと思われる。
 このような質問及び苦情が大幅に増加すると,試験の適正な実施に関して,次の
ような弊害が生じることが予想される。
 第一に,試験委員のなり手の確保が困難になることである。
 具体的な採点結果に対しての質問に回答することは,試験問題の正確性に関する
質問に回答することよりも手間のかかることである。質問者の多くは不合格者であ
ることが予想され,不正確な知識,理解に基づく質問も多くなり,したがって,こ
れらの質問に対する回答は,相当程度手間がかかるものと考えられる。
 前記のとおり,現在でも,夏期休暇等を犠牲にして採点を行うなど試験委員の負
担は重く,試験委員からは,夏期休暇がとれない,本来の研究ができないなどの苦
情が出ているところである。上記のような質問や苦情に対応するという職務が増加
し,しかも年間を通じて発生することになると,試験委員の負担が著しく重いもの
となり,試験委員にふさわしい人物が就任に応じてくれなくなることが十分に予想
される。このような事態が生じた場合には,保育士試験の実施が不可能となるか,
又は,力量の落ちる試験委員を任命せざるを得なくなり,保育士試験を適正に実施
することが困難になる。
 第二に,保育士試験にふさわしい問題が出題できなくなるおそれがあることであ
る。
 上記のとおり,開示を受けた受験者からの質問や苦情に対応しなければならない
とすると,試験委員にふさわしい者が就任に応じてくれたとしても,採点基準が,
質問や苦情に対して回答し易い機械的なもの(記述式問題の答案中に,特定のキー
ワードが書いてさえあれば,キーワードごとに機械的に部分点を与え,全体として
答案の文章の意味が通っていない場合であっても減点しない等)に偏っていくこと
が十分に予想される。そのような記述式問題は,穴埋め式問題等と大差がなく,前
記のとおりの保育士試験のあるべき姿から遠ざかることになる。そして,受験者の
知識や理解の深さを試すことはできないものになり,機械的,断片的記憶に頼って
も高得点が獲得できるという結果をもたらすおそれがある。このような記述式問題
によって前述した保育士となるのに必要な知識,能力,資質及び適性をみることは
できず,試験を実施する意味を失わせ,保育行政サービスを受ける国民の利益を害
することにもなる。
 第三に,試験委員及び事務局において質問に対応するために割く時間が増え,そ
れぞれ,その有する他の業務に支障が生じることである。
 試験委員については,常勤職員としたり,試験委員の人数を増加させたりするこ
とも考えられる。しかしながら,当該専門分野の研究や実務の第一線で活躍してい
る者が試験委員としてふさわしく,試験問題作成を職務とする常勤職員ポストをも
うけても,試験委員にふさわしい者をこのような常勤ポストに任用することが困難
であることは経験則上明らかであって,他に本務を有する大学教授等を非常勤職員
として試験委員に委嘱するという現状は,やむを得ないものと考えられる。また,
試験委員の数の増加は,議会で承認された予算上の制約や,試験委員相互間の調整
事務の増加などの難点があり,開示だけを理由として試験委員を増加させるべきで
あるとはいえない。
 事務局については,人材養成係の定員を増員することも考えられる。しかしなが
ら,これは,多種多様な行政事務を処理しなければならない地方公共団体におい
て,限られた数の職員をどのようにやりくりして配置するかという問題であって,
予算上の制約もあり,控訴人の裁量に属する事項である(本件開示請求を認めない
ことが憲法で認められた人権の侵害や何らかの法規範の違反に当たるとはいえな
い。)。
(3) 次に,開示による採点基準の解明とこれに伴う問題点についても検討する
必要がある。
 開示された答案の内容と当該答案に与えられた得点を分析することにより,試験
委員の採点基準を推定していくことは可能であり,複数の答案とその得点を比較対
照しながらこのような分析を行えば,採点基準の推定をかなり正確に行うことがで
きることは明らかである。
 ところで,採点基準が知れ渡ると,一部の受験者においては,保育士となるのに
必要な知識等を深く理解し,体系的に身に付けるという勉強をせず,高得点をとる
ために,採点基準に沿って機械的,断片的知識の習得に走る者が現れることは,経
験則上明らかである。機械的,断片的知識の習得に偏った学習をする者が記述式問
題において高得点を獲得することは,保育士としての知識,能力,資質等の有無を
判定することが保育士試験の実施の目的であることからすると,保育士試験を実施
する意味を失わせ,保育行政サービスを受ける国民の利益を害することになるとい
うべきであって,このような事態の発生は避けなければならない。
 殊に,多数の受験者から開示を受けた解答用紙の提供を受け,これらを比較対照
し,採点基準の解明を行い,合格のための最低限の知識や答案作成のノウハウなど
のいわゆる受験技術を開発する業者などが現れるようなことになれば,事態は一層
深刻化する。
 これらの事態は,開示の直接的な効果ではなく,可能性があるに留まるものとの
見方もあり得るところであるにしても,やはり,試験の適正な実施に支障を生じさ
せ得るものとして考慮の対象とすべきである。
(4) 控訴人は,採点の結果を試験委員の主観的裁量に委ねざるを得ない部分に
ついては,採点結果に不満な受験者に対しては,説明をしてもその納得を得るのが
困難であるから,受験者の受験意欲を喪失させ,受験者と試験実施機関との信頼関
係を失わせるおそれがあるとも主張する。しかしながら,解答用紙と問題ごとの得
点の開示をした場合としなかった場合とで,受験意欲や信頼関係について,その主
張のような顕著な相違が生ずるとは考えられないというべきである。また,仮に一
部の者について受験意欲や信頼関係の喪失が生じたとしても,それらのことは,試
験問題及び採点が適正であることと直接の関係を有するものではないから,試験を
実施する意味を失わせるものとまではいえず,試験の実施を困難にするものでもな
い。そうすると,この点に関する控訴人の上記主張は,採用することができない。
(5) なお,原審は,受験者が採点結果に不服を有する場合には,適切な争訟手
段を通じて第三者が採点の適否を判断することによって問題の解決が可能であると
いう(原判決21頁15行目以下)が,そのような争訟手段としてどのようなもの
を想定したらよいのか,必ずしも明確ではない(本件条例18条は,開示の決定を
受けた個人情報に「事実の誤り」がある場合には本人が訂正請求権を有する旨を定
めるが,答案に与えられた得点が開示され,これが受験者本人が相当と考える得点
と相違する場合であっても,このような評価の結果としての得点は,同条にいう
「事実」には該当しないと解され,得点についての訂正請求権は認められな
い。)。
(6) 以上に基づいて判断する。
 保育士試験の趣旨,目的を実現するために最も重要なことは,適正な試験問題を
作成することである。そして,そのためには,試験委員にふさわしい者を確保して
その専門的識見を活用し,かつ,良問の作成を阻害する要因をできるだけ除いてお
く必要があると考えられる。
 このような観点から見ると,解答用紙及び問題ごとの配点と得点の開示は,この
試験制度の趣旨,目的に合致しない面があることを否定できず,「事務の適正な執
行に支障が生ずるおそれ」があるといわざるを得ない。すなわち,前記のとおり,
開示することにより,一方においては,採点及び合否判定の過程を透明化し,健全
な批評,批判を通じて試験の適正の確保を実現するという効果を期待することがで
きるものの,他方においては,試験委員のなり手の確保が困難となり,試験問題が
不適切なものになりがちになり,試験委員及び事務局において質問に対する回答を
するための事務が増加するおそれに加えて,採点基準が推定されて受験技術が発達
し,機械的,断片的知識しか有しない者が高得点を獲得する可能性があるという,
いわば副作用ともいうべき難点がある。そして,全体としてみると,現時点におい
て,開示のこの弊害は,相当程度現実的なものとみられるのに対し,開示に伴う事
務の透明化が,上記副作用を押さえて試験の適正化を実現する蓋然性は低いと考え
ざるを得ず,この副作用がある以上,解答用紙及び問題ごとの配点と得点の開示
は,保育士試験の実施に関する東京都の事務の適正な執行に支障を生ずるおそれが
あるものと評価せざるを得ないのである。
(7) ところで,本件において控訴人は,前記のとおり,被控訴人からの開示請
求につき一部開示決定をしているところ,原審は,この開示部分と非開示部分との
間に質的な差異は認められないとして,非開示部分につき開示しない根拠はないと
する。これは,上述のように本件開示請求については,事務の適正な執行に支障を
生ずるおそれがあるにしても,裁量権の行使が適正でなく,濫用であるとの指摘と
みることもできる。
 しかしながら,本件で開示されたものは選択問題ないし語句問題の得点部分であ
り,非開示とされたのは記述問題の得点部分(得点欄以外に採点者が解答用紙上に
メモ的に記入した採点部分を含む。)である(甲26,乙8)。この両者を比較し
た場合,採点に当たって採点者の主観的判断を要するか否か,その程度の大小に
は,やはり大きな差異があると認めざるを得ない。だからこそ,前記のとおり,専
門的知識を有する問題作成者にその採点もすべて依頼しているのである。そして,
この主観的判断の余地が大きければ大きい程,前述の開示に伴う弊害もまた大きく
なるものと考えられる。そうであれば,控訴人が上記のとおり一部開示請求に応
じ,その余は非開示としたことに非難すべき点は見当たらないというべきである。
結局のところ,現時点においては,保育士試験の試験問題,採点基準,解答用紙,
問題ごとの得点,総得点などを開示するかしないか,開示する場合においてどのよ
うな方法,態様で公表するかについては,受験者数,受験者層,受験技術の開発及
び普及の程度など,試験を取り巻く各種の事情の変化や,行政の透明化の要請等の
推移を見守りながら,控訴人の合理的裁量に委ね,控訴人が相当と認めたものを裁
量開示させるのが相当であり,本件における被控訴人の控訴人に対する解答用紙と
採点結果の一部開示も,このような裁量開示として行われたもので,裁量権の行使
に不相当な点はないということができるのである。
4 よって,本件非開示決定の取消請求は理由がないから,これを認容した原判決
を取り消して棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第12民事部
裁判長裁判官 相良朋紀
裁判官 野山宏
裁判官 上田卓哉

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