弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成15年(行ケ)第405号 審決取消請求事件
口頭弁論終結日 平成16年9月14日
判       決
原      告   シャイアー バイオケム インコーポレイテッド
訴訟代理人弁理士   杉 村 興 作
同          高 見 和 明
同          徳 永   博
同          梅 本 政 夫
 被      告   特許庁長官 小川 洋
指定代理人      小 柳 正 之
同          森 田 ひとみ
同          一 色 由美子
同          涌 井 幸 一
同          宮 下 正 之
主       文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30
日と定める。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1)特許庁が不服2001-5952号事件について平成15年5月1日にし
た審決を取り消す。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
 主文1,2項と同旨
第2 当事者間に争いのない事実等
1 特許庁における手続の経緯
  原告は,平成7年4月19日,パリ条約による優先権を主張して(優先権主
張日1994年4月20日(以下「本件優先日」という。),優先権主張国米
国),発明の名称を「抗ウイルス性を有する置換1,3-オキサチオラン」とする
発明(後記補正後の請求項の数は13である。)について,特許出願(平成7年特
許願第527244号,以下「本件出願」という。)をし,平成12年12月27
日付けで拒絶査定を受けたため,平成13年4月16日,これに対する不服の審判
を請求した。
  特許庁は,これを不服2001-5952号として審理した。原告は,この
審理の過程で,平成13年5月16日付け手続補正書により,本件出願の願書に添
付された明細書につき,特許請求の範囲の補正をした(以下,この補正後の明細書
を「本件明細書」という。)。特許庁は,審理の結果,平成15年5月1日,「本
件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月13日,原告
に送達された。なお,出訴期間として,90日が付加された。
2 本願発明の請求項1の特許請求の範囲
 「ヒトにおいて,2-ヒドロキシメチル-5S-(シトシン-1’-イル)-
1,3-オキサチオラン耐性又は2-ヒドロキシメチル-5-(5’-フルオロシ
トシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン耐性のヒト免疫不全ウイルスの感
染を治療するのに用いられる医薬調合物であり,当該医薬調合物は:
  2R-ヒドロキシメチル-4R-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキ
サチオラン;
  2S-ヒドロキシメチル-4S-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキ
サチオラン又は上記の2つのアイソマーの任意の組み合わせ;
  2R-ヒドロキシメチル-4R-(5’-フルオロシトシン-1’-イル)
-1,3-オキサチオラン;
  2S-ヒドロキシメチル-4S-(5’-フルオロシトシン-1’-イル)
-1,3-オキサチオラン又は上記の2つのアイソマーの任意の組み合わせ;
 それらの薬学的に許容された塩,及びそれらの薬学的に許容されたエステルよ
り選択された化合物を含み,その用量は2-ヒドロキシメチル-5S-(シトシン
-1’-イル)-1,3-オキサチオラン耐性又は2-ヒドロキシメチル-5-
(5’-フルオロシトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン耐性のヒト免
疫不全ウイルスの感染を治療するのに有効な量であり,当該医薬調合物は薬学的に
許容される担体を更に含む,医薬調合物。」
(以下「本願発明」という。)
3 審決の理由
  別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願発明は,「国際公開第9
2/08717号パンフレット(以下,審決と同じく「引用刊行物1」という。)
に記載された発明及び「Bioorganic&MedicinalChemistryLetters,Vol.3,No.
8pp.1723-1728,1993」(以下,審決と同じく「引用刊行物2」という。)に記載
された発明に基づいて,当業者が容易に発明することができたものであるから,特
許法29条2項により,特許を受けることができない,とするものである。
4 審決が認定した,引用刊行物1記載の発明の内容,本願発明と引用刊行物1
記載の発明との一致点・相違点
(1)引用刊行物1記載の発明の内容
 「薬学的に有効な量の2-ヒドロキシメチル-4-(シトシン-1’-イ
ル)-1,3-オキサチオラン又は2-ヒドロキシメチル-4-(5’-フルオロ
シトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン,及び薬学的に許容されるキャ
リアからなるHIV感染に有効な医薬調合物」(審決書3頁)
(2)本願発明と引用刊行物1記載の発明との一致点
  「「薬学的に有効な量の2-ヒドロキシメチル-4-(シトシン-1’-
イル)-1,3-オキサチオラン又は2-ヒドロキシメチル-4-(5’-フルオ
ロシトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン,及び薬学的に許容されるキ
ャリアからなるHIV感染に有効な医薬調合物」である点」(審決書4頁)
(3)本願発明と引用刊行物1記載の発明との相違点
 「本願発明が,「2-ヒドロキシメチル-5S-(シトシン-1’-イ
ル)-1,3-オキサチオラン耐性又は2-ヒドロキシメチル-5-(5’-フル
オロシトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン耐性のヒト免疫不全ウイル
スの感染を治療するために,
  2R-ヒドロキシメチル-4R-(シトシン-1’-イル)-1,3-
オキサチオラン;
  2S-ヒドロキシメチル-4S-(シトシン-1’-イル)-1,3-
オキサチオラン又は上記の2つのアイソマーの任意の組み合わせ;
  2R-ヒドロキシメチル-4R-(5’-フルオロシトシン-1’-イ
ル)-1,3-オキサチオラン;
  2S-ヒドロキシメチル-4S-(5’-フルオロシトシン-1’-イ
ル)-1,3-オキサチオラン又は上記の2つのアイソマーの任意の組み合わせ;
 それらの薬学的に許容された塩,及びそれらの薬学的に許容されたエステ
ルより選択された化合物」を使用するのに対し,引用刊行物1記載の発明では,治
療対象のヒト免疫不全ウイルス(HIV)の限定,並びに,2-ヒドロキシメチル
-4-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン及び2-ヒドロキシメ
チル-4-(5’-フルオロシトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオランの
立体配置の限定,がない点」(審決書4頁)
第3 原告の主張の要点
  審決は,本件出願時における技術常識の認定を誤り,本願発明を,当業者が
容易に発明することができたと判断したものであるから,違法として取り消される
べきである。
1 審決は,
 「(2)治療対象のヒト免疫不全ウイルス(HIV)の限定について
  引用刊行物2には,「現在,AIDS治療には3つの承認された薬剤があ
るが,これらの薬剤はすべて急速な耐性の出現や,骨髄毒性(AZT),末梢神経
障害及び急性膵炎(ddI及びddC)のような重大な欠点を有する。さらに,H
IV-1のddI耐性株は,ddCに交差耐性を有することが判明した。より良い
薬剤のニーズが非常に意義あることは明かである。」と記載されている。(第17
23頁本文第3~6行)すなわち,本願出願日前より,AIDS治療の分野におい
て,薬剤に対する耐性株の出現が問題とされていたのであるから,抗HIV活性を
有する新しい薬剤を見出した場合,一般のHIVに加えて,AIDS治療薬として
従来から知られていた各種薬剤に対する耐性株についても,当該新しい薬剤の効果
を確認してみることは当業者が当然に行うことである。
  なお,請求人は,平成13年7月4日付け手続補正書(方式)において,
「構造が非常に類似した化合物については,多くの場合には交差耐性を示すという
のが,本技術分野における技術常識であった。」という理由で,2-ヒドロキシメ
チル-5S-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン耐性又は2-ヒ
ドロキシメチル-5-(5’-フルオロシトシン-1’-イル)-1,3-オキサ
チオラン耐性のヒト免疫不全ウイルスに対し,これらの化合物に構造の類似した,
本願発明の医薬有効成分である1,3-オキサチオラン誘導体が有効であるという
結果は,驚くべきものであると主張している。
  しかるに,多くの場合においては,構造が非常に類似した化合物が交差耐
性を示すとしても,構造が類似した化合物が,必ず,交差耐性を示すものでもない
から,シス体のシトシン誘導体10(BCH-270)及びシス体の5-フルオロシトシン誘
導体12(BCH-1081)がMT-4細胞において抗HIV活性を示すという事実に基づ
いて,2-ヒドロキシメチル-5S-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキサ
チオラン耐性又は2-ヒドロキシメチル-5-(5’-フルオロシトシン-1’-
イル)-1,3-オキサチオラン耐性の株を含めて種々のHIV株について,抗H
IV活性を確認してみるという程度のことは,当業者の容易になし得るところであ
る。
  したがって,上記の治療対象のヒト免疫不全ウイルスの限定に,格別の技
術的困難性があるとは認められない。」(審決書5頁~6頁)
 と判断している。しかし,この判断は誤っている。
2 交差耐性とは,「菌がある薬剤に耐性化した場合に,他薬剤に対しても同一
機構により耐性化する現象をいい,同一系統の薬剤間によく見られる。」(甲第1
8号証)ということである。したがって,ある菌が,特定の薬剤に対して耐性を持
つ場合,当該薬剤と構造が類似している別の薬剤に対しても,高い蓋然性で耐性
(交差耐性)を持つという技術常識が存在していた,といえる。
  本願発明に係るオキサチオラン誘導体(2R-ヒドロキシメチル-4R-
(シトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン)(本件明細書において「化
合物♯1」と表記されているものである。以下「本願化合物1」という。)と,2
-ヒドロキシメチル-5S-(シトシン-1’-イル)-1,3-オキサチオラン
(以下「3TC」という。)の化学構造の差は,次のとおりである。
N
N
NH2
O
O
SCH2
OH
  
N
N
NH2
O
S
OCH2
OH
   (本願化合物1)      (3TC)
  両者は,ペントース環において酸素原子と硫黄原子が入れ代わったというだ
けで,その構造はきわめて類似している。ペントース環において異なっている酸素
原子と硫黄原子は,周期律表において同じⅥa族に属しているために,両者は通常
は二価イオンとして存在し,また水素結合を作るのに関与する2つの孤立電子対を
有するなど,類似の性質を有している。それを考えても,3TCに耐性を示すHI
Vは,本願化合物1に対しても耐性であると考えることは当業者にとって当然であ
る。
  さらに,糖部分の構造が類似していると,特に交差耐性が生じ易いとも認識
されており,本願化合物1と3TCの糖部分の構造も非常に近いことからすると,
当業者にとって,交差耐性を生じると考えることが当然であった(甲第5号証ない
し第15号証)。
  しかし,原告が実験を行ったところ,3TCに対して耐性を持つHIV株
が,本願化合物1に対しては感受性を有することが確認できたものであって,上記
の技術常識の下では,このような実験を行うことは,当業者が容易に想到できるも
のではない。
3 被告は,本願化合物1と3TCの立体配置が異なることを強調し,構造が異
なる化合物である,と主張する。
  しかし,本願発明は,ペントース環の立体配置を限定するものではなく,そ
の立方異性体(本件明細書において,「化合物♯2」と表記されているもの)も含
み,これも薬剤として有効であることが確認されているのであって,被告の主張す
る立体配置や構造の差は,本願発明の進歩性を否定する根拠とはならない。
4 原告は,交差耐性が必ず生じると主張しているものではなく,また,甲第5
号証ないし第15号証に,交差耐性を生じない例が開示されていることを否定する
ものでもない。しかし,そのことをもって,本願発明の進歩性を否定するべきでは
ない。
  一般的に,実験を行う場合,新たな知見を得られる蓋然性がないともいえ
ず,他方,確実に成功する保障もないという状況の下で,研究者は,有益な知見が
得られる蓋然性を技術的常識に基づいて評価した上で,実験をするか否かを決定し
ている。このような選択をすることに困難があり,かかる困難を乗り越えて実験を
行い研究を飛躍的に進歩させることこそが,発明の進歩性にほかならない,という
べきである。
  本願発明の薬物についても,実験をして,耐性が生じないことを確認できる
ことが保障されていたものではなかったものの,原告はあえて実験を行い,有効な
薬物であることを確認したものである。単に,試みることが容易であるというだけ
で,進歩性を否定することは相当ではなく,成功することが合理的に予測されるか
否かをもって,進歩性の判断基準とすべきである。
  審決の判断は,進歩性を肯定する基準を不当に高く設定するものであり,相
当でない。
第4 被告の反論の要点
1 交差耐性については,ある微生物(または細胞)が耐性を獲得したことが確
認された複数の薬剤間では,一般にそれらの構造が類似しているということがいえ
るというにとどまり,構造が類似している薬剤間では必ず交差耐性が生じるという
ような技術常識は確立していない。これは,抗HIV剤分野についても同様であ
る。
  本件出願時において,ある化合物に対して耐性のHIV株に対して,交差耐
性を含めた耐性発現の機序の解明についての研究が盛んに行われていたこと(甲第
5号証~第15号証)からは,逆に,原告のいうような技術常識がなかったことが
裏付けられるのである。
2 原告は,本願化合物1と3TCの構造を比較し,両者は,ペントース環にお
いて酸素原子(O)と硫黄原子(S)が入れ代わったというだけで,その構造はき
わめて類似しており,このように構造が近い化合物間においては交差耐性を示すで
あろう,と考えるのが当業者にとって当然である,と主張している。
  しかし,本願化合物1と3TCとは,次の図に示すとおり,ペントース環の
2カ所において,酸素原子(O)と硫黄原子(S)が置換されているのみならず,
置換基の立体配置についても異なっている。
     
     (本願化合物1)        (3TC)
  また,酸素原子と硫黄原子とが周期律表上同じ族に属し,類似の性質を有し
ているとしても,両者はその大きさが異なるから,ペントース環上の両者の置換
は,ペントース環に変換をもたらすものというべきで,この点に関する原告の主張
も失当である。
  仮に,本願化合物1と3TCとのペントース環が共通となるように,両者を
比較してみると,下記のとおりとなる。
    
     (本願化合物1)           (3TC)
 上記の図から明らかなように,本願化合物1においては,ペントース環の1’
位(1,3-オキサチオラン環の4位)にヌクレオシド塩基を有するのに対し,3
TCにおいては,ペントース環の2’位(1,3-オキサチオラン環の5位)にヌ
クレオシド塩基を有しており,両者の構造は異なる。
第5 当裁判所の判断
1 交差耐性は,
 「菌がある薬剤に耐性化した場合に,他薬剤に対しても同一機構により耐性
化する現象をいい,同一系統の薬剤間によく見られる。」(微生物学辞典(日本微
生物学協会編)・甲第18号証350頁),
 「ある微生物(または細胞)が一つの薬剤に対し感受性を失い耐性(抵抗
性)となった時,同時に他の薬剤にも同一機序により耐性化することがある。これ
を交差耐性という。一般には交差耐性が生じる薬剤間で構造や作用機序が類似して
いる。」(生化学辞典(第2版))・乙第1号証462頁)
 と説明されている。
2 エイズウイルスの治療薬(逆転写酵素阻害剤)において,交差耐性が必ず生
じるというものではないことは,原告自身認めており,また,上記の交差耐性につ
いての解説からも明らかである。さらに,以下の各証拠の記載からも根拠付けるこ
とができる。
(1)乙第2号証(日本臨牀 51巻・1993年増刊号「HIV感染症・AI
DS 1993」中の「逆転写酵素阻害剤 Reversetranscriptaseinhibitors」
(白阪琢磨ほか著))
ア「1983年にヒト免疫不全ウイルス(humanimmunodeficiencyvirus
type-1;HIV-1)が,後天性免疫不全症候群(acquiredimmunodeficiency
syndrome;AIDS)の病原体として発見同定されてから10年の間に,・・・現
在臨床投与が認可されている抗HIV-1剤は未だにわずか3つの逆転写酵素(reverse
transcriptase;RT)阻害剤,アジドチミジン(azidothymidine;AZT),ジデ
オキシイノシン(dideoxyinosine;ddI),ジデオキシシチジ
ン(dideoxycytidine;ddC)のみである。
  RTを標的とした治療法の開発はHIV固有の酵素(RT)と基質との
関係に基礎を置いたアプローチである。このアプローチはきわめて変異性の高いH
IVでもウイルスの酵素の特定の部分では,その変異が著しく制限されている事実
に基づく・・・」(192頁左欄)
イ「1985年にAZTのHIV-1に対する増殖抑制効果がヒト培養T細胞で
確認されて以来,多数のジデオキシヌクレオシド誘導体がHIVに対する抗ウイル
ス薬候補として開発されてきた。このクラスには現在,臨床で使用されているAZ
T,ddI,ddCのほかに,前臨床段階にあるd4T(2’,3’-didehydro-
2’,3’-dideoxythymidine),3TC(3’-thia-2’,3’-dideoxy-
cytidine),・・・などが属する。ジデオキシヌクレオシドはいずれも細胞質内で
の一連のリン酸化酵素反応で三リン酸化され,RTに媒介されて伸長しつつあるウ
イルスDNA鎖に効率よく取り込まれる。DNA鎖に組み込まれると,ジデオキシ
ヌクレオシドは3’位に水酸基を欠くため,DNA鎖はそれ以上伸長を続けること
ができず,DNA合成が阻止され,ターミネーション(終止)が起こ
る。・・・・・。ジデオキシヌクレオシドは,細胞分裂の際のDNA合成や,DN
Aの損傷修復をつかさどるDNAポリメラーゼα(DNApolymeraseα)に対しては
親和性が低く,宿主細胞のDNA合成には高濃度でしか阻害効果を示さない。」(1
94頁左欄)
ウ「AZT/ddC投与群では治療後株のAZTに対する感受性は治療前株
に比べ全例で60倍から200倍と著しく低下していたが,ddC,ddIに対す
る感受性の低下は明らかではなかった(図2)。それら分離株の塩基配列を調べる
と,1例を除き既知の5つのAZT関連のアミノ酸変異が観察された。ddCに対
する感受性の低下はいずれの株でも明らかではなかったが,塩基配列ではddC投
与に関連していると報告されているアミノ酸変異(69番目の変異)が1例に認め
られた。」(195頁右欄)」
エ「著者らの分離したウイルス株の中で,AZT耐性株の1つ,ERS103で
はddCやddIに対して感受性が低下していたが,RTの塩基配列上では既知の
アミノ酸変異は認められず,かわりに,興味深いことに8つの新しいアミノ酸変異
が観察された」(196頁左欄~右欄)
オ「HIV-1は上述したように,pol遺伝子を変異させることによってそれ
ぞれのRT阻害剤に対応した薬剤耐性を獲得する。しかし・・・RTが自己複製の
ために正常のヌクレオチドを用いてDNAを合成するという正常な機能を保ちなが
ら,しかもRT阻害剤を排除するように変異するにはおのずから限界があると考え
られる。例えば複数のRT阻害剤の多剤併用投与下ではHIVにはこれらすべての
阻害剤を同時に排除するための変異が起こる可能性もあるが,一方で複数のRT阻
害剤を同時に排除する変異を有するRTは正常の機能を保つことができずに,その
HIV-1が増殖できなくなる可能性も十分考えられる。」(197頁右欄~19
8頁左欄)
(2)甲第5号証(ANTIMICROBIALAGENTSANDCHEMOTHERAPY(1990)Vol.34
p436-441)
 「驚くべきことに,非常に狭い範囲の交差耐性が観察された;交差耐性は
3’-アジド基を含んでいるヌクレオシドアナログに限定されていた。これらのデ
ータは,阻害剤を組み合わせて使用して薬剤耐性の発現が遅らせるための途を示す
ものである。」(436頁)
(3)甲第6号証(同(1991)Vol.35No.5,p988-991)
ア「10μmのAZT中で複製可能であったいくつかのHIV-1単離物
は,2’,3’-ジデオキシシチジンと,硫黄原子がペントース環の3’炭素に置
換されている新規なシトシンアナログであるBCH-189の両者に感受性を有し
ていた。いくつかの場合には,3’-ジデヒドロ-2’,3’-ジデオキシチミジ
ンと交差耐性が見られた。」(988頁)
イ「多くのアナログはAZT耐性のB-52株と,AZTに対する感受性が
減少した多くの他の単離物の複製を抑制することが可能であった。しかし,B-5
2株と試験した11の単離物の1つはd4Tに対する顕著な耐性を示した(表1及
び図2)。加えて,これらの単離物の中で2つはAZDUに対して感受性を有して
いた。これらの観察はAZT耐性変異体を研究した他の研究者による過去の報告と
は異なっている。この点において,d4T,AZTとAZDUの構造が類似してい
ることは特筆すべきである。」(990頁左欄)
(4)甲第8号証(JOURNALOFVIROLOGY(1992)Vol.66,p7128-7135)
ア「我々はインビトロ選択の技術を用いて,2’,3’-ジデオキシイノシ
ン(ddI)とに対して耐性であり,かつ2’,3’-ジデオキシシチジン(dd
C)に対して交差耐性であるヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)の変異体を
作製した。」(7128頁)
イ「そのように作製された組み換えウイルスは親株のHXB2-Dよりも5
倍以上大きなddI耐性を示した。更に5倍以上大きなddC耐性も証明された
が,その組み換えウイルスはジドブジン(AZT)によって阻害され続けた。」
(同頁)
ウ「この交差耐性は,ddIとddCの両者が2’,3’ジデオキシ部分を
有していることによるのかもしれない。」(7133頁)
3 原告は,本願化合物1と3TCとで構造がきわめて類似していることから,
当業者が,本願化合物1が交差耐性を持つと考えるのは当然であり,原告のしたよ
うな実験を行うことは,容易に想到できるものではない,と主張する。
  しかし,本願化合物1と3TCとの構造の間で,ペントース環の酸素原子と
硫黄原子の位置が入れ代わったという差しかないとしても,それが,交差耐性の発
生の蓋然性にどの程度影響するのかについて,原告は具体的な主張をせず,これを
認定できる証拠もない。
  また,糖部分の構造が類似していると,交差耐性が生じやすいと認識されて
いたとの点について,例えば甲第9号証(ANTIMICROBIALAGENTSANDCHEMOTHERAPY
(1993)Vol.37p130-133)の表3において,その11番目の「HIV-111B」
は,ddIに対してはEC50(uM)の値が,「236.4±19.0」と,他の
HIVウィルスと比較して非常に高い耐性を有する(一桁ないし二桁異なる。)の
に対し,ddIと糖部分の構造が類似するddCに対しては,「0.78±0.0
5」と,他のHIVウイルスと比較して同程度の低い耐性しか示さないことが開示
されている。また,同表12番目の「HIV-111B」も,ddIに対して「1
34.9±12.8」,ddCに対して「0.55±0.03」と,同様の傾向を
もつことが開示されている(別紙参照)。
  したがって,構造が非常に類似した化合物が多くの場合に交差耐性を示すと
一般に考えられていることを踏まえたとしても,本件において,原告が主張するよ
うに,酸素原子と硫黄原子の位置が入れ代わっただけであるとか,糖部分の構造が
類似している,との事実をもって,二種の薬剤間で交差耐性が生じると当業者が当
然に考え,実験して確認することに思い至らない,ということはできない。
4 本件優先日当時,本願化合物1において交差耐性が生じる可能性がどの程度
高いものと考えられていたかは,本件証拠上明らかではない。しかし,交差耐性が
発生する蓋然性がある程度高いと考えられていたにせよ,なお,本願発明の進歩性
は否定されるものというべきである。その理由は,次のとおりである。
(1)前記乙第2号証の記載にも現れているように,昭和58年にエイズウイル
スが発見されてから,その治療薬の研究開発は喫緊の課題であった。このことは,
引用刊行物2の
 「後天性免疫不全症候群(AIDS)は現代における惨事となった。AID
Sの数と,HIV陽性の症例は急速に増えており,ほとんど10年間にわたって研
究努力が行われたにも関わらずあまり抑制されていない。現在AIDSの治療のた
めに承認された薬剤は3つあるが,これらの薬剤は全て,迅速な耐性形成のみなら
ず,骨髄毒性(AZT),末梢神経障害と急性膵炎(ddIとddC)などの重大
な,障害に苦しめられている。」(甲第4号証1723頁)
 の記載にも現れている。
  このような状況の下では,交差耐性が生じる蓋然性があっても,薬剤の候
補となるべき新規な化学物質を製造したとき,その薬剤が効果を発揮するかどうか
実験して確かめるきわめて強力な動機付けが当業者にあることは,明らかである。
(2)2及び3で引用した文献のほか,HIVウイルスの交差耐性については,
甲第7号証(ANTIMICROBIALAGENTSANDCHEMOTHERAPY(1991)Vol.35No.7
p988-991),第10号証(同(1994)Vol.38No.2p275-281)においても述べられて
いる。
  これらの文献から明らかなように,HIVウイルスの薬剤に対する(交
差)耐性を確認する実験方法は,本件優先日当時,周知かつ確立しており,これを
実施することに特段技術的困難はなかった,と認めることができる。
(3)以上のとおり,本件においては,薬剤の有効性を確認するための実験を行
うことに強力な動機付けがあり,実験をすることを選択することは何ら困難なこと
でもなく,その実験方法も周知なものであって実施に何ら困難はなく,実験を行い
さえすれば,交差耐性を示すか否か容易に分かる,すなわち,本願化合物1が効用
を有するか否か分かるものである以上,当業者が本願発明を推考するのが容易であ
ることは当然である。審決の相違点についての判断に誤りはない。
(4)原告の主張は,要するに,実験をしても,望んだ結果が得られることが合
理的に予測されるものではない場合,実験をして確認した事実に基づいてした発明
には進歩性が認められるべきである,というものである。
  しかし,前述のとおり,本件においては,薬剤の有効性を確認するための
実験を行うことは,当業者にとって容易に想到し得ることであり,また,実験をす
ることに格別の困難もないのであるから,その実験が成功することが予測できない
ということだけから,進歩性を認めることができないことはいうまでもないのであ
って,原告の主張は採用できない。
5 結論
  以上のとおりであるから,原告主張の取消事由は理由がなく,その他,審決
には,取消しの事由となるべき誤りは認められない。
  よって,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担,上告及び上
告受理の申立てのための付加期間について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61
条,96条2項を適用して,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所知的財産第3部
 
 裁判長裁判官   佐  藤  久  夫
 裁判官   設  樂  隆  一
 裁判官   高  瀬  順  久
(別紙)
甲第9号証132頁表3の翻訳文

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛