弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を東京高等裁判所に差戻す。
         理    由
 東京高等検察庁検事長佐藤博上告趣意について。
 本件は所謂占領軍物資不法所持罪につき所持という行為の個数と一事不再理の原
則の適用とが問題となつている事案である。よつて、まず一事不再理の原則の本質
を明らかにし、次いで、所持の同一性に関し説明を試みることとする。
 一事不再理の原則は、刑事判決の既判力の一作用に外ならない。元来判決の既判
力というものは一且判決によつて一定の法律干係(刑罰権又は私権等)の存否が確
定された以上、原則として、爾后は法律上有効にこれを変動せしめないということ
をその本質とするのである。それが民事においては裁判所は判決により確定された
法律関係については、その判決に接着する口頭弁論終結後の事由によるのでなけれ
ば、確定判決の趣旨と異る裁判をなすことができないという裁判所に対する拘束力
としての形であらわれている。だから、当事者は確定判決を経た法律関係について
も、新たな事由に基ずかなくても、更に重ねて訴を提起し得るのであり、裁判所は、
かかる訴と雖もこれを不適法として却下することはできない。この場合裁判所は確
定判決の趣旨を尊重して、その内容をそのまま裁判の基礎として各場合の事情に適
合する判決を為すまでのことなのである。一例を挙ぐれば後訴が給付の訴であり、
その原告が、給付の訴であつた前訴の原告であり、しかも(イ)その確定判決にお
いて、勝訴していた場合にあつては、特別の事由―記録の焼失による確定判決原本
の滅失というような事由のない限り、既に確定の給付判決を得ているのであるから、
保護の利益なきものとして請求棄却の判決を為すべく、又(ロ)敗訴していた場合
にあつては、請求権の不存在が既に確定されているのであるから、新訴についても
再び請求棄却の判決を為すの外はないのである。然るに刑事においては、公訴は独
り検事のみがこれを提起するものであるから、確定判決を経た事件については、有
効に再起訴ができないものとし、又裁判所も、これについては免訴裁判を為すべき
ものとさえして置けば確定判決の既判力は維持せられるのであり、それに人権擁護
の意味も加わり、判決の既判力も民事の場合とその姿をかえて、一事不再理の原則
という形をとつたのである。だから一事不再理の原則は判決の既判力の一作用に過
ぎない。然るところ、民事においては一個の権利関係の一部について訴を提起する
ことが認められている。例えば一個の消費貸借から発生した金一万円の貸金債権に
つきその一部である金五千円だけの返還請求の訴を提起し得るが如きである。この
場合この一部の貸金債権につき確定判決があつたとしても、その判決の既判力は現
に裁判の対象となつた金五千円の部分についてしか発生せず、訴訟物とされなかつ
た残余の金五干円の貸金債権については、既判力は及ばないのである。勿論その全
部に既判力を生ずるとする学説もないわけではないが通説ではない。これに反し、
刑事においては人権擁護の見地から検事は一罪の一部について起訴を為し、他の一
部についてはこれが公訴を他日に保留して置くというような措置をとることが許さ
れないと解されている。所謂公訴不可分の原則というのがそれである。例えば一個
の窃盗行為で衣類と金銭とを窃取した犯人に対して、その衣類の窃盗のみについて
公訴を提起し、金銭の窃盗については、その公訴を他日に保留して置くというが如
きである。従つて仮りに検事が設例のような公訴を提起したとしても裁判所は検事
の保留にも拘わらず、衣類の窃盗と併せて金銭窃盗の部分をも審理し判決を為すこ
とができると解されている。かくて、不告不理の原則の例外を認めるかのように見
えるのであるが、実は一罪の一部につき公訴の提起があつた以上その全部につき公
訴の提起あつたものと見ようというに過ぎないのである。この事は、検事が故意に
一罪の一部につき公訴を保留した場合のみに限定されるものではなく、設例の場合
起訴当時においては衣類の窃盗だけしか発覚していなかつたためこの部分のみにつ
いて公訴が提起され、裁判所の審理中に残余の金銭の窃盗が発見されたというよう
なときにも亦同様に取扱われるのである。しかし、その反面、右金銭の窃盗が裁判
所の審理中にも発見されず遂に衣類窃盗の点のみについて判決が為され、金銭窃盗
の点については全然審判されなかつたような場合においても、この判決の既判力は、
金銭窃盗の部分にも及ぶものとせられ、一事不再理の原則の適用を受けることとな
るのである。
 かように一面不告不理の原則を後退させると同時に他面一事不再理の原則を前進
せしめることとした所以のものは、かく被告人の利害を裁判上按配することによつ
て、一罪の一部につき不当に刑を免れるもののないよう適当な措置を講ずると共に、
検事の起訴のやり方によつて一罪につき数度に亘つて処罰される危険から被告人を
救済して、人権擁護の理想を現実のものとしようとしたに外ならない。この事は人
類多年に亘つて幾多の犠牲を払つて贏ち得た刑事裁判上の体験の教うるところなの
である。なお所持というような継続する、状態が処罰される犯罪にあつては、一回
の行為によつて完結し得る即時犯例えば窃盗罪のような犯罪と異なり、時間的関係
においても、一罪の一部ということが考えられるのである。すなわち窃盗罪の場合
前掲設例のように衣類の窃盗と金銭の窃盗とに区分することを幅員的関係の区分と
いうならば、所持罪の場合にあつてはかかる関係の区分の外に、延長的関係の区分
ともいうべきものが考えられるというのである。一例をあぐれば昭和二二年一月一
日から同年二月末日迄占領軍に属するペニシリンと靴下とを一括して不法に所持し
ていたものがあるとする。ペニシリンの所持罪と靴下の所持罪とに区分するのは幅
員的関係に一罪を区分することであり、これに対し、昭和二二年一月一日から同月
末日までの所持と、同年二月一日から同月末日までの所持というように区分するの
が延長的関係における一罪の区分なのである。そしてこの両種の区分は競合的にも
これを為すことが出来る。一罪の一部を区分して公訟を提起することを認容すれば、
検事の起訴のやり方によつて一罪につき数度に亘つて処罰される危険に被告人をさ
らすであろうということは、それが幅員的に一罪を区分する場合であると、延長的
にこれを区分する場合であるとによつて、その理を異にするものではない。否延長
的に一罪を区分する場合の方が、時間的関係なるの故を以て無限にこれを区分し得
る関係上、その危険は幅員的区分の場合に比して更に一層大きいということができ
るかも知れない。一罪を延長的関係に区分することに関しては、最近廃止された連
続犯について、既に多くの判例が存在している。更に所持罪が、継続性を有し、延
長的に区分し得るということと、一事不再理の原則の適用とに関して言及しなけれ
ばならない問題がある。それは一個の所持罪につき、確定判決があつたにも拘らず、
その後なお依然として、その所持罪が継続して犯されている場合、この判決後の延
長的一部についても、一事不再理の原則が適用せられるかどうかという問題である。
かかる事態は、数個の所持禁止物件を一括して所持されているとき、その一部の物
件の所持についてのみ確定判決があり、爾余の物件に対する所持が依然継続せられ
ている場合、若しくは、一定の物件の所持罪につき確定判決があつたのであるが、
その物件を没収する等、これを取り上げる措置が講ぜられなかつたため、爾後も同
一物件の所持がそのまま持続せられているような場合に起り得るのである。しかし、
刑事判決はその基本となる弁論時における既存の犯罪事実に基ずく国家刑罰権の存
否を確定するものであるから、判決の既判力も亦当然にかかる刑罰権の存否の確定
に限界せられなければならない。そして、一事不再理の原則は判決の既判力の一作
用に外ならないのであるから、この原則の適用せられる範囲も亦判決の基本となつ
た既存の犯罪事実に限定せられなければならないのである。すなわち、一事不再理
の原則の適用に関しては、確定判決を限界として一罪の一部が延長的関係において
区分せられるということになるのである。要するに、問題は継続する状態を内容と
する所持罪の特殊性に関連するのである。だから、次に少しく所持という行為の本
質を検討し、その個別性、同一性について考究してみたいと思うのである。
 物の所持とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為である。人が物
を保管する意思を以てその物に対し実力支配関係を実現する行為をすれば、それに
よつて物の所持は開始される、そして一旦所持が開始されれば爾後所持が存続する
ためには、その所持人が常にその物を所持しているということを意識している必要
はないのであつて苟くもその人とその物との間にこれを保管する実力支配関係が持
続されていることを客観的に表明するに足るその人の容態さえあれば所持はなお存
続するのである。だから所持は人が物を保管するためその物に対して実力支配関係
を開始する行為と、その実力関係の持続を客観的に表明する容態とから成り立つて
いるというべきである。人が多数の物を同時に所持する場合、人と物との間にその
物の個数に相当するだけの実力支配関係が存在することはもとより多言を要しない。
しかし所持を行為乃至容態として(これを開始する行為とこれを持続する容態とし
て)観察するとき、その個数は必ずしもその物との間に存在する実力支配関係の個
数すなわち物の個数と一致するとは限らない。それは一個の所持という行為乃至容
態によつて二個以上の物が包括的に実力支配関係の下に置かれ得るからである。さ
りとてまた同一人が同時に数個の物に対し実力支配関係を有するのであるから、常
に必ず一個の所持しかあり得ないともいえない。それは所持という同種の内容を有
する同一人の二個以上の行為が同時に存在することが、あり得るからである。これ
を要するに所持という行為乃至容態が一個あるのか、数個あるのかを決定するのは、
必ずしも人と物との間に存在する実力支配干係にあるのではなく、その行為乃至容
態そのものの形態が社会生活上有する個別性的意義にあるといわなければならない。
そしてこの社会生活上における行為の個別性的意義はかかる数的衡量を必要ならし
める社会生活上の要求に立脚して殊に所持を犯罪として観察する場合においては、
その刑罰法規手続規定等の立法の目的に立脚してのみ、正当に理解し得るのである。
だから所持の個別性を決定せんとするにも、かかる観点に立つてその行為乃至容態
の形態を、内心的、物理的、時間的、空間的関係はもとよりその他各場合における
諸般の事情に従つて仔細に考察して、通常人ならば何人も首肯するであろうところ、
すなわち社会通念によつて、それが人と物との間に存する実力支配関係を客観的に
表明するに足る個別性を有するか否かを究め、そこに一個の所持があるか、数個独
立の所持があるかを決定しなければならない。例えば人がその自宅に多数の所有物
を漫然と保管するとき、そこに何等特別の事情の存在しない限り包括的に一個の所
持があると見て差支ない場合が多いであろう。これに反して或る種の物を特に他の
物と区別しこれを秘密室に隠匿保管しているような場合にあつては、犯罪捜査とい
うような立場からは、その物の所持を他の物の所持と区別して観察する必要がある
のではあるまいか。その他、自宅に保管するものと自宅外の店舗に保管するもの、
自ら保管するものと他人に寄託して保管するもの、内地に保管するものと外国に保
管するもの等の間においては、もとより各場合の事情にもよることではあるが、一
般には社会通念上それぞれ別箇独立の所持あるものと認められる場合が多いのでは
あるまいか。いうまでもなく、所持は継続する状態であるから、所持の継続中、そ
の所持人の新たな行為乃至容態によつて所持の個数に変動を来たす可能性がある。
例えば時を異にして数個のものの所持を開始した場合においては、その当初にあつ
てはその物の個数だけの別個の所持があると考えられるのであるが、後にそれらの
物を一括して保管するに至れば爾後は唯一個の所持があることとなるであろう。こ
れに反して、当初一個の所持により包括して保管されていた数個の物が、後に分割
して保管せられるに至ることもあり得る。この場合、人と物との間に存する実力支
配関係は依然保持されるものであることは勿論であるが、行為乃至容態としての所
持の同一性については、これとは別個に考えられなければならない。すなわち、所
持の、同一性の異同は、前段説示の如くその保管を分割する際における所持人の為
した行為の形態如何によつて定まるのであるが、(イ)或は所持の同一性について
何等の異同を生じない場合、(ロ)或は分割保管された物についてのみ別個独立の
所持が開始し、他の物については従来の所持が同一性を失わず存続する場合、(ハ)
従来の包括的所持が分割保管の瞬間に消滅して爾後は各独立した数個の所持が新た
に開始する場合等が仮想せられるのである。そして右のうち普通最も起り得るのは
(ロ)の場合であろうと思はれるのであるが、要は分割時における所持人の行為が
社会通念に従い新らしい所持の開始と認められるか否かによつて決定せられる問題
である。
 本件において原審の確定した事実によれば「被告人は本件第二事件の物件である
靴下二八足を昭和二二年七月頃から九月頃までの間に、同ペニシリン九五本を同年
九月末頃それぞれ入手し、第一事件の物件である婦人服一着他衣類食料品等計三九
七点と共に一括して所持していたのであるが、同年一〇月七日関係官憲の家宅捜査
を受けた際、密かに第二事件の物件を他に隠匿してその発見を免れ第一事件の物件
のみをその押収に供し、爾来第二事件物件については、うちペニシリン九五本を同
年一一月一五日頃他に売却し、靴下二八足を同月二五日委託販売のため他に交付す
るまで、その所持を継続していたものである。そして第一事件は同年一二月一三日
起訴され、同月二七日有罪の判決あり、当時該判決は確定した」というのである。
右の事実関係に、所持の個別性に関し前段説示したところを当嵌めてみれば、被告
人は昭和二二年一〇月七日関係官憲の家宅捜査を受けた際、それまで一括して所持
していた本件物件の中、第二事件の物件を取り除け他に隠匿してその発見を免れし
めたというのであるから、その間の事情如何によつては、被告人はこれによつて茲
に第二事件の物件について新たに別個独立の所持を開始したものと見るべき余地が
存在するのである。蓋し被告人のかかる措置行動は、第一事件物件と第二事件物件
との所持形態に別個独立の様相を与へ官憲の捜査を妨ぐるに十分であつたことを窺
い得るからである。なお本件においては、第一事件物件も即時押収せられたという
のであるから、所持同一性の変動に関しては、前段説示の(ロ)の場合に該当する
か(ハ)の場合に該当するかについては今ここにこれを速断し得ないことは勿論で
あるが、そのいずれにもせよ、若し第二事件の物件に対し新たに別個の所持が開始
せられたものと認られるならば第一事件における確定判決が昭和二二年一〇月八日
以後の第二事件物件の所持罪に対し直ちにその既判力を及ぼすべき理由は存在しな
いこととなるであろう。尤も該物件についても、同日以前すなわち第一事件物件と
共に包括所持せられていた当時の所持罪に対しては、既に第一事件物件の所持につ
き確定判決があつた以上一罪の一部につき確定判決あつたものとして、その既判力
の及ぶべきことは多言を要しないところである。更にまた同日以後第二事件物件に
つき、新に別個の所持が開始されたものと認められ得るとしても、その所持罪が第
一事件物件の所持罪と連続犯の関係にあつたと認められるならば、第一事件の判決
の既判力が右第二事件物件の所持罪にもその効果を及ぼすべきであろうことは勿論
である。しかし、この場合においてはその間刑法の一部改正によつて昭和二二年一
一月一五日以後は連続犯の認められなくなつていることに留意すべきであつて、仮
りに第二事件物件に対する新所持罪の同日前の行動について連続犯に関する旧規定
が適用せられる結果、第一事件の判決の既判力がその効果を及ぼすものとせられる
ようなことがあつても、同日以後なお依然として該所持が意識して継続せられてい
る限り、その継続犯たる性質上、たとえ、それが一個の行為の一部であるとしても、
独立した一個の犯罪と同様、反社会性ある行動としての存在価値を具有しているの
であるから、法律が連続一罪として処断することを廃止した以後の行動については、
これを連続犯と認めらるべき他の一部から独立して所罰の対象となし得るものと解
するのが相当であろう。従つて当該部分の行動に関しては不告不理の原則が適用せ
られ、仮りに第一事件当時裁判所において、たまたま、これを発見したとしても、
公訴の対象とせられていなかつた関係上、これを処断し得なかつたのであり、これ
と同時に反面、一事不再理の原則はその適用を見ないこととなるから、第一事件の
判決の既判力はその効果を及ぼすべきでないといわざるを得ない。(そして本件公
訴は右連続犯の廃止せられた日以後の所持のみをその対象としているのである。)
さて、かかる見解をとるとすれば、確定判決後なお処罰の対象となつた所持が継続
せられている場合と同様、一個の所持が再度処罰の対象となる可能性を肯定するこ
ととなるのであるが、検事の起訴のやり方によつて一個の行為が数度処罰の対象と
なる場合とは異り、何等不当な結果を惹起するものではなく、又憲法第三九条後段
の規定の精神にも反するものではないのである。蓋し憲法の右規定は、継続犯のよ
うな犯罪において、確定判決後又は刑罰法規の改正実施後なお意識的に独立した犯
罪と目せらるべき行動を敢えて継続するものに対してまでその刑事上の責任を問わ
ないというような不合理を要求する筈がないからである。
 人或は本件において被告人が捜査官憲の目をかすめて、隠匿した第二事件物件の
所持につき、第一事件の確定判決の効力の及ばない場合のあり得ることを結論する
ことに対し、次のような疑問を抱くかも知れない。すなわち一個の窃盗行為により
衣類と金銭とを窃取した場合、その金銭窃盗の部分を隠蔽して衣類窃盗の部分につ
いてのみ確定判決を誘致したものが、金銭窃盗の部分につき一事不再理の原則の適
用を受けるのに対し権衡を失するのではあるまいかという疑問である。しかし、設
例の場合は、既に為された一罪の一部につき隠蔽があつたために一罪の他の一部に
ついてのみ確定判決がなされるに至つたものであるが、本件の場合は一個の包括所
持罪の全部発覚をおそれてその一部を隠蔽するため新たに別個の所持罪を犯し前に
成立していた所持罪のみにつき確定判決を誘致したということになるのであるから、
両者の間必ずしもその趣を一つにするものではないのである。
 然るに原審は、所持の包括性又は継続性という理論構成の下に、本件第二事件の
物件に対する所持が第一事件物件に対する所持とは全然別個の行為と目せられる可
能性あることを究めず、漫然第一事件の確定判決の効力が第二事件の公訴事実に及
ぶものとし、免訴の判決を言渡したのであるが、原判決には所持罪成立の法理を誤
解し、延いて一事不再理の原則を不当に適用した違法あるものといわざるを得ない。
論旨は理由あり、原判決は全部破棄を免れない。
 裁判官真野毅の判決理由に関する少数意見は左のとおりである。
 本件は、わが国では、新しく時代の脚光を浴びて生れ出た所持罪理論に関する重
要な意義を有する一つの案件である。
 原判決は、所持とは人が物を支配する状態であるから、同時に同一人の支配内に
ある物は、総てを包括して一個の所持が成立し(所持の包括性)、又物が人の支配
内に置かれた時から支配外に離脱するまで継続する一箇の所持が成立する(所持の
継続性)という基本理論の下に、本件を一事不再理として免訴の言渡をした。しか
し、この考え方は、非常に簡明である点において勝れているが、あまりに単純生一
本な観念論に過ぎて実情に適しない憾みがある。
わが国従来の刑罰法規においても、所持罪はいくらか認められてはいた。すなわち、
阿片煙又はその吸食器具の所持罪(刑法第一三六条、第一三七条、第一四〇条)、
猥せつの文書・図画・その他の物の所持罪(刑法第一七五条)、爆発物若しくはそ
の使用に供すべき器具の所持罪(爆発物取締罰則第三条、第六条)、葉煙草、煙草
苗、煙草種子、煙草用巻紙、政府の売渡さざる製造煙草の所持罪(煙草専売法第三
四条、第五六条、第五七条)、政府の売渡さざる塩の所持罪(塩専売法第五条、第
二五条、)政府の売渡さざるアルコールの所持罪(アルコール専売法第二九条、第
三四条)、相当印紙の貼用なき若しくは納税済証印の押してない骨牌等の所持罪(
骨牌税法第一〇条、第一五条の三)のごときものが、認められていた。しかし、こ
れらは特殊の物件を対象とする所持を処罰するのであるから、実際にはあまり多く
事件も起らず、従つて所持罪理論は、刑法理論として注目すべき発展を示さなかつ
たのが、過去及び現在における実情である。しかるに、終戦後は、所持罪の種類及
び対象たる物件の範囲が甚だしく拡大されると共に不法所持事件は著しく増加し、
その刑罰も比較的厳しいので、所持罪は近時俄かに世人の注目をひくに至つたので
ある。されば、所持罪理論の展開は、今後の研究に待つべきものが甚だ多いと言わ
ねばならぬ。
 さて、所持とは人が物を実力的に支配する状態である。正確に言えば、すべての
犯罪は行為であるという意義において、所持罪における所持もまた行為であること
は勿論であり、この意義において所持とは、人が物を実力的に支配する行為をいう
のである。しかしながら、普通一般の犯罪行為は、積極的な行動(例えば、殺す、
傷つける、盗む、恐喝する、横領する)を内容とするが、所持はいささか趣を異に
する。、すなわち、所持の開始には、通常製造・買収・譲受・その他の収受につい
て積極的な行動を要するのであろが、一旦所持を開始した後は消極的にこれを喪失
せしめない限り、所持は時の関係において連綿として継続する性質を有するもので
ある。だから、これを客観的に見れば、行為と言うよりはむしろ状態と呼ぶ方がわ
かり易くもあり一層適切でもある。そしてこれは、各個の目的物について、時間的
の縦の関係において所持を眺めたものであるが、同一の刑罰法規の同一犯罪の対象
たる性質を有する一群の数多の目的物について、空間的の横の関係において所持を
眺めるならば、差別観をもつてすれば各目的物毎に各所持が存在するが、無差別観
をもつて一定時を基準として観察すれば、すべての目的物を通じて一定時の所持の
状態が存すると見ることができる。そこで、一方においては、時間の関係における
縦の所持状態を、他方においては、一定時を基準とする空間の関係における横の所
持状態を認識しつつ、両者を結合することによつて、はじめてよく一体を形成する
所持関係を発見することができるのである。ここが一番大切な勘どころであると言
わねばならぬ。若し、分析的に見れば、各瞬間毎の所持、各目的物毎の所持は、何
れも所持罪を構成し、従つてその各々の所持が可罰性を有する(例えば、進駐軍煙
草一個を貰つたり又は買つたりしてポケツトに入れた瞬間に発覚すれば、それだけ
で処罰される可能性があるわけである)。しかし、これは所持罪の処罰にあたり所
持罪の個数が、各瞬間毎の所持、各目的物毎の所持の数だけ複数に存在するという
考え方を是認するものではない。かかる幼稚な単純な説では、永く継続した所持に
ついては無数の所持罪が存在することになりその罪数を決めることは殆んど不可能
となるばかりでなく、各目的物の数だけ所持罪の数があるというのでは、被告人に
対する処罰は不合理に加重される不都合な結果を来たすから、採るべからざること
は明白である。
 そこで、所持罪の一罪すなわち単一性をいかに定むべきかが、問題としてここに
クローズ・アツプされる。原判決のように継続性・包括性の翼を無制限に拡げきつ
て、各瞬間毎の所持・各目的物毎の所持を、悉く大包容したただ一箇の所持を観念
するにおいては、たまたま起訴の際発覚した目的物の所持は処罰されるけれども、
蔭に隠れた又はわざと隠した目的物の所持は、一事不再理で処罰を免れ、その後に
おいては大手を振つて所持することができる不都合な結果となる。また悪賢い者は、
最初から計画的に大量の目的物を入手した上、殊更に術策を弄して小量の目的物に
つき軽き処罰を誘発し、巧みに他の大量の目的物の所持について処罰を免れ得る結
果をも生ずるであろう。かかる結果は、所持罪を処罰する立法目的から見て、甚だ
不都合・不合理であつて到底許容することができない。この意義において原判決の
見解は、所持を罰する実情に適しないものと言わねばならぬ。
 次に、検察官の上告趣旨は、「数個の物が或る時期において同時に同一人の支配
内にあつた場合において、その支配関係は法律上数個の所持と判断すべきか、或は
包括して単一の所持を構成するものと認定すべきかは、これらの物の種類・所持の
場所・所持の始期・終期、或は所持の原因・目的乃至動機・支配権限の法律上の根
拠、その他所持に関する物理的・心理的諸要素を総合して、社会通念に照らし健全
な常識を以て具体的に判定すべき法律問題であつて、原判決のごとくいわゆる所持
の包括性並にその継続性というような理論をもつて抽象的に論断すべきものではな
い」と主張する。そして、多数説は、ほぼこれと同じ流れに沿うて、「社会生活上
における行為の個別性的意義は、かかる数的衡量を必要ならしめる社会生活上の要
求に立脚して殊に所持を犯罪として観察する場合においては、その刑罰法規手続規
定等の立法の目的に立脚してのみ、正当に理解し得るのである。だから所持の個別
性を決定せんとするにも、かかる観点に立つてその行為乃至容態の形態を、内心的・
物理的・時間的・空間的関係はもとよりその他各場合における諸般の事情に従つて
仔細に考察して、通常人ならば何人も首肯するであろうところ、すなわち社会通念
によつて、それが人と物との間に存する実力支配関係を客観的に表明するに足る個
別性を有するか否かを究め、そこに一箇の所持があるか、数個独立の所持があるか
を決定しなければならない」と述べている。しかし、これらの見解は、いかめしい
盛沢山な実に雑多な基準を漫然と並べ掲げているに過ぎず、少しも明確な基準を示
していない。またこれを示すことは、甚だ困難なことである。従つて、これを実際
に適用していく場合には、事実審でも法律審でも、不便この上なく極めて非実際的・
非現実的である。結局、各場合の諸般の事情に従い社会通念によつて所持の数を決
定すべきだというに帰するが、それはつまり普遍妥当性に従つて所持の数を決めよ
うということであり、さらに煎じつめると理性に従つて所持の数を決めよというこ
とになる(けだし、われわれの理性は、哲学的にはその根抵に普遍妥当性を前提と
して認められており、普遍妥当性を認めなければわれわれの理性は成立しないから
である)。そうだとすれば、すでに理性をも含む良心に従つて常に行動する裁判官
に対しては、所持の数を決するについて理性に従えと言つてみたところで実質上は
何等の基準ないし指針を示していないというも過言ではない。また、所持の数を決
することは、一々具体的事実に基き判定されるべき法律問題となり、面倒な所持の
戸籍と経歴と歴史を具体的にせんさくしなければ所持の数は決められぬわけであり、
これを確定して所持罪の罪数を決めなければ併合罪の数が定まらず処罪ができない
こととなり、この罪数の決め方に間違があればすべて違法となり上告は理由があり
原判決は破棄されることとなる。かくては、所持罪の処罰には、その罪数を決める
ことが、甚だ骨の折れる面倒な事柄となる。しかも、何の実益があるか。事実審と
法律審に有害にして殆んど無益な負担と手続を課するに終るだけのものではないか。
さらに、これを決すべき内容的な明確な基準は、前述のとおり何等示されていない。
それ故、実際の適用に当つては幾多の疑問が続出することは、容易に予見ができる。
多数説の設例では、秘密室と他室、自宅と店、自己保管と他人に寄託した保管の所
持は、一般にはそれぞれ別箇独立の所持だという。そこで、多数説に従えば、イ乃
至ヌの十箇の品を(一)最初自宅に保管し、次に店に移し、次に他人に預けると三
箇の所持罪となる。(二)次に店に移し、次に自宅に移したら、二箇の所持罪が加
わるのかどうか。(三)次に内イ乃至ホの五品だけを秘密室に移し、次に店に移し、
次に他人に預けるとさらに三箇の所持罪が加わるのかどうか。(四)次に、内へ乃
至ヌの五品を店に移し、次に他人に預けるとさらに二箇の所持罪が加わるのかどう
か。(五)所持者の知らぬ間に家族や使用人が保管の離合集散・保管換を行つた場
合に、所持罪の数に変更があるかないか。(六)所持者の意思に反してこれらが行
われた場合にどうなるか。(七)買つてポケツトに入れた物の所持と前から家にあ
る物の所持は一つか二つか。(八)腹巻に隠している所持は独立の所持であるか。
(九)天井裏と椽の下と倉の中の所持は一つか二つか三つか。(一〇)物置の所持
は独立所持か。(一一)本箱に入れて包装してこれだけ別に保管しているときは独
立の所持か。(一二)鍵をかけて金のトランクに入れてある物は独立の所持か。(
一三)従来十箇の物を所持して五箇の物を他人に預けたら所持は二つか三つか。等
々。以上の極めて簡単な事例をとつてみても疑問百出である。ましてや、これが複
雑な取引として大量にしかも頻繁に動かされる場合に、多数説のような基準で所持
の数の変動をどうして正確に定めることができようか。所持の数をきめる社会通念
なぞいうものは、実証的・経験的に見て社会のどこにも存在していないと見るが相
当である。所詮、多数説の考え方は、本来簡便なるべき所持罪処罰を規定した根本
の立法趣旨を正しく理解しないものである。この点については、今少しく卑見を述
べてみたいと思う。
 終戦後のあわただしい法制の変革を大観するとき、われわれの最も注意しなけれ
ばならぬことの一つは、プラグマテイズムの哲学思悪が、法令のそこここに採り入
れられ、暁の鐘がわれわれの迷夢を破ろうとしている現実を感得することである。
手近に二、三の例を拾つてみよう、(一)まず、最高裁判所の「裁判書には、各裁
判官の意見を表示しなければならない」(裁判所法第一一条)と規定された。従来
は長い間一元論的な哲学思想の流れをうけて、裁判というものは是が非でも無理や
りに一本に纒め統一ある姿に仕上げなくてはならぬものとされていた。しかるに、
ここには各裁判官の意見が、現実の問題として互に相岐れた場合には、無理に一つ
に纒めず、現実が多元的である以上その多元性をそのまま卒直に認めて行こうとさ
れたのである。これは、まさにプラグマテイズムの思想である。かくて、少数意見
の発表は、全く自由となり、最高裁判所判事は文字通りその良心に従い独立して裁
判に関与し、独自の意見をそのまま卒直に公表することができるのである。米国に
おいては、卓越した裁判官の示した幾多の勝れた少数意見が、やがて数年・十数年・
数十年の後には、多数意見となりロー・オブ・ザ・ランドとなつていつたことは、
すでに多くの経験の実証するところである。私は、この制度が、わが司法の進歩と
発達に、貢献するところ多いことを信じて疑わない。(二)次に、有毒飲食物の販
売等の禁止違反の罰則においては、「過失に因り同条の規定に違反したる者亦同じ」
(有毒飲食物等取締令第四条)と規定された。従来の刑罰法の伝統においては、刑
事責任を故意と過失に分ち、一般に故意犯は重く罰せられるが過失犯は軽く罰せら
れるものとされていた(例えば、故意による殺人に対しては死刑又は無期若しくは
三年以上の懲役、過失致死に対しては千円以下の罰金)。しかるに、ここでは有毒
飲食物の販売等を禁止し、人の生命・身体・健康を保護し、社会安全を保障するた
めには、経験に照らし事物の性質上立証の困難なこの故意犯を罰するだけでは足れ
りとせず、過失犯をも同等の刑をもつて処罰する必要を現実の問題として把握した
のである。すなわち、従来の刑事責任の概念理論を打ち超え、現実に即応し環境に
適応して新に認められたものである。これもまた、プラグマデイズムの思想に基く
ものと言わねばならぬ。(三)さらに、公職又は教職の追放を受けた者に対し、退
職当時の勤務先への出入及び選挙管理委員会の事務所への出入を禁止しこれを処罰
する旨が規定された(昭和二二年勅令第一号第一三条、第一五条第五項、第一六条、
昭和二二年政令第六二号第七条、昭和二一年勅令第三一一号第二条、第四条)。従
来の観念的な考え方では、一定の場所に出入することが悪いのではなく、出入りし
て勢力温存・選挙関与等の行動をすることが悪いとさるべきである。李下に冠を正
し瓜田に靴を入れるのが悪いのではなく、李を取り瓜を盗むことが悪いとさるべき
である。(ただ古人は、人の疑を招くような行動を慎しめとの趣旨をもつて、李下
に冠を正さず瓜田に靴を入れずと教えたのみである)。しかるに、前記規定におい
ては、旧勤務場所等への出入すなわち李下に冠を正し瓜田に靴を入れることそのも
のを所罰の対象とした。扉を固く閉じた中の会談の内容については、到底外部から
は知り得べくもないが、或る場所への出入は誰でも容易に目撃することができる。
この眼で見得る事柄を端的に捉えて処罰の対象とすることは、実際的に事を処理す
る上においては、簡明直裁截であり便宜に適することは言うをまたない。観念的な
理論に執着すれば、出入により行われる言動の内容を調べないで、出入そのものを
処罰するは早計であるとも思われようが、現実的な実践的見地からすれば、これが
最も時宜に適することは、経験の示すところとして認められたものであると言わね
ばならぬ。かくて、これもまた、プラグマテイズの思想に由来するのである。(四)
さて次は、本件に関する所持の問題である。終戦後、有毒飲食物の所持・銃砲等の
所持・進駐軍物資の所持・麻薬の所持・大麻の所持が、別段何等の目的要件を伴わ
ず単純に処罰されることとなつた(有毒飲食物等取締令第一条、第四条、銃砲等所
持禁止令第一条、第二条、昭和二二年政令第一六五号第一条乃至第三条、麻薬取締
法第三条、第四条、第五八条、大麻取締法第三条、第二四条)。これらの法令が、
所持の開始する製造・買取・譲受・その他の収受を禁じ、また所持の終了する販売・
譲渡・その他の処分を禁ずる外に、特にその中間に位する所持をも禁じているのは、
収受や処分のごとき性質上各一回生起的な事実を捉えて処罰の対象とするだけでは
足れりとせず、むしろ端的に容易に眼で見得る現実における在るがままの姿である
所持の状態を捉えて処罰することが、実際において遥かに簡明直截であり実用的・
能率的・合目的的であるとの考慮に出たものであると言わねばならぬ。言いかえれ
ば、経験上一番明確で動かぬしかも最も捉え易い事象(所持)を処罰の対象とする
ことによつて、現実的に法の目的の達成を簡易・迅速・的確ならしめんとするもの
で、まさに刑罰法の領域におけるプラグマテイズムの思想の現れである。しかるに、
多数説のごとく各場合の諸般の事情に従い社会通念によつて所持の数を決定し、こ
れによつて所持罪の罪数を定めようとする考え方は、全く旧来の観念論的思考の範
囲を一歩も出ることができないものである。かくては、過去におけるあらゆる所持
の形態・静止・変動の経歴的事実を審理し探求し確定しなければ、所持の数従つて
所持罪の数は定まらぬこととなる。しかも、多数説の所持の数を決する基準は、前
に述べたとおり甚だ不明確な漠然たるものであり、つきつめると所持の数を決する
社会通念というようなものは全く架空の観念の産物たるに過ぎず、実証的に実感と
して現実にはどこにも存在しないものである。それ故、多数説の考え方は、折角プ
ラグマテイズムの精神に従つて簡易・明確・迅速な所持罪の処罰を規定した立法の
趣旨に背反し、解釈の名においてわざわざ複雑・不明確・煩瑣な、そして殆んど何
等の実益なき手続を強うるものである。従来の日本は、あらゆる方面において観念
論的の考え方が強かつた。これが過去日本の著しい通弊であつたのだ。将来の日本
は、各部面においてもつともつと実証的・実践的・現実的・プラグマテイツクの態
度が強く要請されている。これが再建日本の輝やかしい旗印である、と私は確信す
る。
 それはさておき、ここにわれわれは、所持を罰する法令の目的と趣旨にピツタリ
適合するような簡明直截でありそして同時に実情にそう理論構成をもつ解釈を打ち
建てなければならぬ。所持罪は前述のとおり状態犯である。状態は、常に一定の時
を基準としてのみ具体化する。従つて、状態犯を具体的に処罰するに当つては、一
定の時を基準として観察することを要する。まず、ある一定時において、空間的の
横の関係において存在する同一犯罪の対象たる数多の目的物についての各所持は、
一体的の所持として眺めることができる。次に、時間的の縦の関係において各目的
物についての所持は、それぞれ継続的・一体的の所持として眺めることができる。
次に、さらに、この縦の関係と横の関係を連結すれば、数多の目的物についての各
所持とこれらの各所持にまで中断することなく継続する過去における各瞬間毎の各
所持は、統一ある姿に纒められた一体的の所持として観察することができる。それ
は、恰かも粋な江戸前の小料理屋の入口に垂れ下がつている長く短くずたずたにす
り切れた年を経た縄のれんを、外ずして天地を倒まに置いたような一体の姿である。
理解の便宜のために、図に示してみよう。
<記載内容は末尾1添付>
 見えるとおり縦繩は長短こそはあるが、何れも一筋の横繩によつて連結せられて、
繩のれんとして一体化しているのである。この繩のれんのどの部分を摘まんで引つ
張つてみても、全体がついて動いて来る。私の理論構成による一体の所持とは、丁
度これと同じ形態のものである。その各所持のいかなる部分を捉えて引つ張つてみ
ても、常に一体としてついて来るその全体を一体化した所持として把握するもので
ある。この結論は、至極簡単明瞭であつて、所持罪の本質にも適合し、所持罪を処
罰する立法趣旨にも妥当し、実際的処理に多くの無用な手数を省き極めてプラグマ
テイツクな解釈を提供するものである、と私は信ずる。そして、右一体の所持に属
せざる所持は、ある一定時における所持罪の一罪中には包含されることなく、他の
一定時における所持罪の別の一罪中に包含さるべきものである。かく解すれば、一
定時における所持罪の一罪中に包含せらるる所持が、たまたま審判の網の目を漏れ
一事不再理の原則により処罰を免れるようになるとしても、それはその一定時につ
ながる過去の所持だけに限られるわけであつて、その一定時の次の瞬間以後におけ
る所持は、他の一定時における所持罪の別の一罪中に包含され将来処罰を受けるこ
ととなるから、簡明に所持を罰して所持を絶滅せしめんとする立法の趣旨と実情に
適合するものと言うことができるのである。
 そこで、この一定時は、一応まず第一次的には公判請求において示される所持の
時が標準とされる。しかし、検察官は、起訴後においても、起訴された犯罪事実の
同一性を害せざる範囲において、所持の基準たる一定時を変更することができる。
また、裁判所も同様に、事件の同一性を害せざる限り、検察官の意見に拘束される
ことなく自ら自由に、審理の全過程を通ずる実体形成によつて、所持の基準たる一
定時を定めることができる。されば、結局最後的には、裁判所の判決において示さ
れる所持の一定時を基準として、前に詳しく述べた一体の所持が認識せられ、所持
罪の一罪の範囲を画するものとして処罰されることとなるわけである。
 さて、本件原判決においては、被告人が昭和二二年一一月一五日頃千代田区a町
b丁目c番地A物産株式会社内において進駐軍物資たるペニシリン九五本を所持し、
同月二五日頃中央区de丁目f番地B商店内において進駐軍物資たるナイロン靴下
二八足を所持した事実を認定した(公判請求は、昭和二三年三月一六日である)。
そして、別の第一事件として被告人が、昭和二二年一〇月七日における進駐軍物資
の不法所持により東京地方裁判所において有罪の判決を受け控訴せずして確定した
事実をも認めた(この公判請求は、昭和二二年一二月一三日、判決言渡は同月二七
日)。それ故、前記第一事件の所持罪の一罪は、昭和二二年一〇月七日を基準とす
るすべての数多の目的物についての所持を包含し、同日以前における第二物件の目
的物の所持については、一事不再理の原則の適用があつて、重ねて処罰を受けるこ
とがない。しかし、本件において問題となつた所持は、昭和二二年一一月一五日頃
を基準とする所持及び同月二五日頃を基準とする所持であつて、共に第一事件にお
ける所持罪の一罪中に包含せられない所持である。従つて、かかる所持には一事不
再理の原則の適用がないことは明白である。しかるに、原判決はその適用があるも
のとして免訴の言渡をした違法があり、結局上告は理由があるから、破棄さるべき
ものである。
 なお、弁護人は、憲法第三九条に「何人も、既に無罪とされた行為については、
刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問は
れない。」とある規定を根拠として、事件のごとく控訴審で被告人が免訴の言渡を
うけた場合において、国家公益の代表たる検察官が上告して右判決を破棄して事実
審に差戻を求め更に事実審理を求めることは、被告人が二重危殆に置かれるから違
憲であるかの主張を述べている。しかし、被告人の危殆は、一事件の最初から最終
までの継続した状態である。被告人が二重危殆に置かれないということは、既に一
度裁判された以上、もはや新しい別箇の事件として重ねて審判を受けないことを意
味するものであつて、同一の事件の上級審において二度審判を受けないという意味
を有するものではない。(そして、弁護人は、米国憲法修正第五条に関する米国最
高裁判所の一九〇四年C事件の判決を援用しており、右判決は一応弁護人の主張を
支持するに足るもののごとく見えるのである。しかし、該判決には当初からホーム
ズ判事外二名の反対意見が附せられてあり、一九三七年のD事件の新判決において、
ホームズ判事等の少数意見の趣旨が認められるに至つたと解せられている)。
 裁判官斎藤悠輔の本件理田に対する意見は次のとおりである。
 所持罪は、以前からありふれた犯罪であつて(例えば明治一三年太政官布告第三
六号旧刑法第二四二条、明治一七年太政官布告第三二号爆発物取締罰則第六条、刑
法第一四〇条参照)、刑法学上古くから論じ尽されているいわゆる継続犯に属し、
或る物に対する実力支配に着手した犯人が、多少の時間その支配を完成継続するこ
とにより犯罪成立し、爾後その実力支配を失うに至るまで同一の犯罪持続する犯罪
を指すものである。それ故一個の所持罪成立後同一目的物に対しその所持を失わな
い限り単一の所持罪あるに過ぎないけれども、所持罪が一個なりや数個なりやは、
専ら所持罪成立の時を標準として、その成立時の個数に依るべきである。すなわち
所持罪の個数は、或る物に対し社会通念上実力支配完成したと認むべき犯罪事実発
生の回数に依り算定すべきものである。例えば同一人が同時に数個の物に対し実力
支配を完成したときは、その目的物の個数にかかわらず一個の所持罪成立するに過
ぎないけれども時を異にして一個宛数回実力支配を完成したときは、数個の所持罪
ありといわねばならぬ。されば原判決が「不法所持の包括性」と題し、取得の時期
や処分の時期が異つても取得後の或る時期において同一人の支配に置かれた物を総
て包括して一個の所持の対象たるに過ぎない趣旨の説示をしたのは、所持罪がその
実力支配の完成に依つて成立するものであることを看過し既に成立した数個の所持
罪が単に競合して持続する或る時期における状態を捉えて「同時に同一人の支配内
に置かれた」一個の所持罪に過ぎないと誤認する見解であるといわざるを得ない。
また、原判決は「所持の継続性」と題し「人が物を支配する状態の継続中にその所
持の場所、目的、保管方法等の変化が生じてもその所持は継続する一個の所持であ
ると説明しているが、しかし、その見解は、かかる変化を生ずるときは物が社会通
念上「支配外に離脱」し従つて所持が失われると見るべき場合あることを看過した
説であるのみならず、かかる所持の継続性は同一目的物に対し完成成立した単一所
持罪についてのみ通用するもので競合して持続する他の別個の所持罪に対し適用す
べきものでないこと前述の理由により明白なところといわねばならぬ。
 されば原判決がかかる誤つた法律見解の下に本件所持罪並びに判示第一犯罪にお
ける各対象物資に対しその所持罪成立、継続の具体的事情、詳言すれば、本件所持
罪が最初から又は後に至つて前の事件の所持罪とは別個に、成立して単にこれと競
合して持続する一個又は数個の所持罪であるに過ぎないか否か等の所持罪成立上の
具体的事情並びに既に成立して単に競合持続する数個の所持罪の一部たる一個又は
数個の独立した所持罪(一罪の一部ではない)が或る事情により支配外に離脱した
のみで、本件所持罪は依然として持続しているのであるか又は本件所持罪も同時に
支配外に離脱し単に前の事件の所持罪と別個に新に成立したに過ぎないものである
か否か等の所持罪継続上の具体的事情等を精査確定することなく、漫然包括一罪と
して免訴の言渡をしたのは、結局法令の誤解に基く事実不確定の達法あるに帰する。
蓋し、わが刑事訴訟法における確定判決を理由とする免訴の判決は、いわゆる一事
不再理すなわち訴訟手続上公訴の請求に関する実体審理を停止又は廃止して訴訟手
続を打切りこれを再び行わないという意味における訴訟手続上の形式判決ではなく、
犯罪成否の実体を徹底的に審理した上既に前に為された公訴の請求に対する確定判
決の効力すなわち有罪、無罪又は免訴の判決の既判力を「免訴」なる形式を以て再
確認する公訴の請求に関する実体判決を指すものであり、従つて、免訴の判決を為
すには、請求に対する実体審理を行い、その事実を確定するのが先決問題であるか
らである。されば、本件上告は、その理由があつて原判決は破棄を免れない。
 よつて旧刑事訴訟法第四四七条第四四八条ノ二に従い主文の通り判決する。
 この判決は裁判官真野毅、同斎藤悠輔の各少数意見を除き裁判官全員の一致した
意見である。
 検察官 安平政吉関与
  昭和二四年五月一八日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    塚   崎   直   義
            裁判官    長 谷 川   太 一 郎
            裁判官    沢   田   竹 治 郎
            裁判官    霜   山   精   一
            裁判官    井   上       登
            裁判官    栗   山       茂
            裁判官    真   野       毅
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    岩   松   三   郎
            裁判官    河   村   又   介

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛