弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人は無罪。
理由
1争点
本件公訴事実は,「被告人は,大分県由布市庄内町長野166番地1所在のA
方居宅(木造瓦葺2階建,延べ床面積約202.16平方メートル)に,前記父
Aほか4名と共に居住していたものであるが,前記居宅に放火して日頃のうっ憤
を晴らそうと決意し,平成17年11月4日午後1時ころ,前記居宅1階6畳居
間において,押入内の布団に点火したマッチを置いて火を放ち,その火を前記居
宅に燃え移らせ,よって,前記Aらが現に住居に使用している前記居宅を全焼さ
せて,これを焼損した」というものである。
これに対し,弁護人は,本件犯行当時,被告人は,統合失調症に罹患し,心神
喪失状態であったもので,無罪であると主張するので,以下検討する。
2前提事実等
関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1)生育歴,生活状況等
ア被告人は,出生時から口蓋裂の障害があり,発音・発語が不明瞭で,発達
も他の子供たちに比べて遅れ気味であった。子どものころの被告人は,家族
からは,「優しい」,「友達とよく遊ぶ」,「普通の子」という評価を受け
ていた。
イ被告人は,小学校時代,友人に恵まれ,学校関係者から,「明るく素直で
誰とでも仲良く遊ぶ。漢字,日記等,宿題を1日も欠かさず提出し,がんば
り続けた。与えられた課題にまじめに取り組む姿は大変好感がもたれる」,
「素直で真面目な性格である」,「決まった事は真面目にする。何事も最後
まで諦めない」,「協調的」,「言語的な障害に負けることなく,真面目な
努力を続け,立派に成長してきた」などの評価を受けていた。成績は振るわ
なかったが,6年間のうち欠席は1日のみであった。
ウ被告人は,中学校時代,熱心に部活動(バレーボール)に参加し,学校関
係者から「頼まれた仕事など心よく引き受け,人のために働こうとする気持
ちが感じられた。約束ごとはきちんと守る」,「きちんとした生活態度」,
「クラスのみんなと協力して活動に取り組んでいた」,「バレー部員として
熱心に練習に参加していた」,「部活動では,毎日休むことなく参加し,試
合に出る場面も少ないのに頑張る姿には頭の下がる思いで一杯です」,他方
で「もう少し進んで行う姿勢を見せて欲しいと思います」などという評価を
受けていた。成績は最下位集団に属していたが,無欠席で過ごした。
エ被告人は,高校時代,学校関係者から「温和で優しい」,「清掃等非常に
協力的で頼もしい」などという評価を受けていた。成績は下位集団に属して
いたが,真面目に生活し,欠席は1日のみであった。他方,バレーボール部
に入部したものの,1年経たないうちに退部し,友人と遊ぶことは少なくな
った。
オ被告人は,高校卒業後,自動車の運転免許を取得し,その後,自らの希望
で県外へ出て,愛知県のF鉄工所(自動車部品製造会社)に就職し,約1年
半ほど勤めた。同鉄工所に勤務する間,同鉄工所から,父親のところに,被
告人が出勤しないとの連絡が入り,父親が様子を見にいくということがあっ
た。父親は被告人に欠勤の理由を尋ねたが,被告人は答えなかった。被告人
は,その後,腰痛が悪化したとの理由で退職し,地元大分に戻った。
被告人は,大分で自ら仕事を探し,職場を転々としたが,どれも長続きし
なかった。まず,自動車整備工場に整備士見習いとして就職したが,1週間
ほどで,仕事が向いていないという理由で断られ,辞めることとなった。ク
リーニング店では,勤め始めて2,3か月したころ,配達中に会社の車で交
通事故を起こしたことが原因で辞めた。不定期で引越センターのアルバイト
も行ったが,定着しなかった。これらの仕事を辞めた明確な理由について家
族は聞かされなかった。
カ被告人は,平成14年,G屋という弁当屋にアルバイトとして就職し,約
2年半勤めた。「一緒に仕事をしている仲のよい友達が辞める」ということ
を言っていたので,父親は,被告人も仕事を辞めてしまうのではないかと心
配していたところ,平成16年7月,被告人はG屋を辞めた。被告人は,こ
の退職理由について,友達が辞めたからではない(甲17,第2回公判),
「仕事に飽きて」(乙1),「仕事がきつくて」(乙4,第2回公判)など
と供述している。
キ被告人は,同年9月,人材派遣会社からHの工場に派遣された。被告人は,
同年11月,大分と別府を結ぶ別大国道を運転中,ガソリンがなくなると,
車を交通量の多い上記国道に乗り捨てて,数時間かけて歩いて会社の寮に帰
宅し,寮に帰り着いてからも,どこにも連絡しなかった。
ク被告人は,そのころ,Hの工場を辞めているが,その理由については,
「仕事に飽きて」(乙1),「会社の人から,段ボールの蓋をきちんとガム
テープで貼っていないと注意を受け,別の仕事をした方がよいのではないか
と言われた」(乙4,第2回公判)などと供述している。被告人は,これ以
降,仕事をしていない。被告人は,仕事を辞めて以来,自分の部屋に閉じこ
もりがちになり,夜遅くまでテレビを見て,日中も寝ているという生活を送
るようになった。自分から家族に話をすることも少なくなった。
ケまた,被告人には,この前後ころ,自分の衣類を燃やすという行動がみら
れた。その理由について,被告人は,「汚いから」(甲16,第2回公判,
当時母親が聴取),「着ていた服が古くなっていらなくなったから」(乙
2),「汚れたり破けたりしたから」(第2回公判)などと供述している。
コ被告人は,同年12月31日,所持金もない状態で突然家出をし,小倉駅
で寝泊まりし,平成17年1月3日,家族の捜索願を受けていた警察に保護
された。被告人はこの理由について「親と一緒にいるのが苦痛にな」った
(乙2)などと供述している。
母親は,被告人の精神病を疑い,同月,I病院という精神病院で被告人に
診察を受けさせたが,精神に異常はないと診断された。なお,被告人は,本
件犯行に至るまで,このほかに精神科で診断ないし治療を受けていない。そ
の後も,被告人は,昼は寝てばかりで,たまにハローワークや犬の散歩に行
くという生活を送っていた。
サ被告人は,同年5月か6月ころ,毛布をライターで燃やした。この理由に
ついて,被告人は,「毛布が古かったから」(乙2)などと供述している。
被告人は,同年6月ころ,母親から注意されて,母親に暴力を振るい,こ
れを止めに入った姉にも暴力を振るった。その際,姉が被告人の頭に噛みつ
いたので被告人も負傷し,頭から血が出た。このときのことについて,被告
人は,あまりに頭がガンガンし頭痛がするので,自分の使っていた眼鏡を床
に叩きつけて壊した,姉に頭を噛み付かれて血が出てきて,そのまま布団で
寝たら,掛布団や敷布団,毛布に血がついてしまった,血の付いた布団に寝
るのは嫌だなあ,もう要らないと思い,布団等を燃やした(乙2,第2回公
判)などと供述している。
シそのほか,被告人の部屋からベッドやテレビがなくなっていたので,母親
が尋ねたところ,被告人は「焼いた」と言っていた。被告人は,テレビを焼
いた理由については,「どういう理由かは思いだせない」(乙2),ベッド
を焼いた理由については,子どものころ使っていた木製のベッドがあったが,
古くて使い物にならなかったので,こんな使えないベッドは燃やしてしまお
うと考え,ベッドを燃やした(乙2)などと供述している。
ス被告人は,同年5月ころ,姉に叱責され,家から追い出されたところ,そ
のまま家出し,3日後に警察に保護された。
セ被告人は,同年5月下旬ないし6月ころ,家族の田植えを手伝い,祖父と
苗箱を軽トラックで運んだり,苗箱を洗ったりした。田植えが終わったころ
から,だんだんと部屋から出てくることも減り,犬の散歩などは頼めば行っ
てくれるが,食事も入浴も,両親が寝てからするようになった。
ソ被告人は,同年9月ころ,家にあったテレビの画面を叩き壊した。被告人
は,この理由について「このときも頭の中がガンガンと痛くなり,それで居
ても立っても居られなくなり,テレビの液晶画面を拳で叩き割って壊しまし
た」(乙2),「(テレビが)ちょうどたまたまあったんで」,「イライラ
が少しありますけど」(第2回公判)などと供述している。
被告人は,このころから,家族が話しかけても全く話をしなくなり,家族
が1階にいるときは,部屋から全く出てこなくなった。また,シャツとトラ
ンクスだけで過ごすようになり,頭髪も伸び放題となっていた。
タ被告人は,同年9月ころまでは,履歴書を送ったりハローワークに行くこ
ともあったが,同年10月ころ以降は,仕事を探すことも全くしなくなった。
母親は,仕事を探すのを止めた被告人に対して,何度か被告人の部屋に入
り「早く,仕事を探しなさい」などと注意したが,被告人は,その度に,
「来るな」と言って母親を蹴り,部屋の外に追い出した。
チ被告人は,父親によれば,同年6月ころから,母親によれば,事件の1,
2か月前ころから,母親が作った料理を食べないようになり,夜間に自身で
冷凍食品やカップ麺を調理して食べるようになった。
被告人は,本件犯行の1週間前ころ,家の襖を蹴破って穴を開けた。父親
が,何にそんなに苛立っているのかを聞こうと,部屋から出てくるように声
をかけ,手を引っ張ってリビングに連れて行こうとしたが,被告人は応じな
かった。この理由について「このときも,私の頭の中がガンガンして,どう
しようもなくなり,家の襖を足で蹴って穴を開けました」(乙2),「まあ
イライラしてて」,「(イライラの原因は)全くない」(第2回公判)など
と供述している。
(2)本件犯行状況等
被告人は,本件犯行当日,寝ているときに電話が鳴ったが誰も出ないので,
家には自分以外に誰もいないと思った。昼ころ目覚め,家に火を点けることを
決意してから,シャワーを浴び,顔を洗ったり歯を磨いたりし,台所にあった
パンを食べ,ベーコンをフライパンで焼いて食べ,フライパンを洗った。その
後,ほうきなどを使って部屋の掃除をした。被告人は,仏壇の前にあるテーブ
ルのマッチを取り,自分の部屋に戻った。押入の前に立ち,押入の中の毛布に
マッチで火を点けた。
本件で全焼したAの居宅は,木造瓦葺き2階建て建物であり,農村地帯で一
般住宅が散在する中の一角にある。同居宅の南側は,ブロック塀を隔てて隣家
に接している。そのほか,同居宅の周囲には,道路を隔てて建物が存在する。
(3)犯行後の状況等
毛布が燃え始めたので,被告人は,マッチを元あった仏間に戻し,自分の部
屋に戻ってきて,火の点いた毛布の入っている押入を背にして,あぐらをかい
て座った。その後,その場から離れて隣のリビングに行き,窓を開けてリビン
グの先の濡縁に腰掛けた。近所に住むBが,火に気付き,被告人方の1階を見
たところ,被告人が,リビングの前にある濡縁に腰掛けて頭を下げた状態でじ
っとしていた。被告人に対し,「早く逃げんかえ」と大声で言ったが,被告人
は,全く話を聞こうとしなかった。上記Bは,被告人の近くまで行き,再び
「早く逃げんかえ。車も移動させた方がよい」と言った。被告人は,「燃えて
もよい」と言いながら濡縁から離れ,庭の方へ移動し,家が燃える様子を見て
いた。2階の窓からも黒い煙がモクモクと外へ出ていた。同じく近所に住むK
が,「何しよんのかえ。家の中に誰かおるんかえ」と言ったが,被告人は,ボ
ンッ,ボンッという爆発音が聞こえているのに,ぼーっとした感じで取り合お
うとしなかった。上記Kは,更に「あんた車動かさんかえ。車を動かさないと
燃えてしまう。犬も焼ける」と言ったが,被告人は,「車の鍵は家の中じゃ,
動かせん。犬も死んでもいい」と無気力な感じで答えた。
その後,消火活動が行われたが,被告人が消火活動に加わることはなかった。
被告人は,警察官から事情を聞かれ,「マッチで火を点けた」などと説明した。
(4)その後の事実経過等
ア平成17年11月15日,C医師は,約70分間,被告人の診察を行った。
同医師作成の精神衛生診断書(甲20)によれば,「事理弁別能力に影響を
与えるほどの知的障害はないと思われる」,「平成16年7月ころより次第
に人格変化が起こり,家族を含め他人との交流を避け,ほとんど会話をせず
引きこもり,母親に気に入らないことを言われると暴力を振るうなど,以前
では考えられない行動をとるようになり,全く違う性格になった」,「統合
失調症の陰性症状である感情鈍麻,意欲障害,思考の浅薄化,人格の崩壊な
どがあると思われる」,「問診の限りでは,明らかな幻覚や妄想はない。独
語や空笑も認めない。しかしながら,以上のような明らかな人格崩壊が平成
16年7月以降起きていることから,診断としては統合失調症の単純型を疑
わざるを得ない」,「犯行時の意識は清明であったと推察される」,「放火
は悪いことであり,放火すると逮捕されることは理解していた上で行ったこ
とであり,犯行当時,ある程度の事理弁識能力は保たれていたと思われる」,
「思考の浅薄さや行動の安直さは統合失調症の症状であり,その影響下で犯
行が行われたと思われる。幻覚や妄想に左右された結果の犯行ではないが,
統合失調症と本件犯行は無関係ではない」,「単純型のほか,破瓜型である
可能性もあり,鑑別を要す。また,幻覚妄想は診察場面でははっきりしなか
ったが,火に執着していることや,窓の障子を閉め切った生活をしているこ
となどから,何らかの体験症状がある疑いもある」とされる。
イ被告人は,平成17年11月25日,起訴された。
ウ被告人は,平成18年5月23日から同年7月7日まで,D鑑定人による
精神鑑定に付された。D鑑定人は,同年8月28日,鑑定書(弁5)を提出
した。同鑑定では,被告人は,平成11年にF鉄工所を退職したころから平
成16年11月にHを退職したころまでの間のいずれかの時点で,単純型統
合失調症を発症していた。感情鈍麻,無為・無気力で目的欠如,思考障害,
自己や周囲への関心欠如,引きこもり等が著名となり,著しい人格変化を来
した。被告人は,本件犯行当時,是非善悪の判断能力が著しい程度に障害さ
れており,是非善悪の判断能力に従って行動する能力を喪失していたと推測
されると結論付けられている。D鑑定人は,第3回公判において,鑑定書と
同趣旨の証言をした(以下「D鑑定」という。)。
エ被告人は,E鑑定人による再度の精神鑑定に付され,平成19年7月12
日から同年8月10日まで,J病院という精神病院に入院した。被告人は,
この入院中,E鑑定人との面接において,平成16年10月ころから,後頭
部から何か声が聞こえるようになった。そのため作業に集中できなくなり,
仕事を辞めた方がいいと思って,同年11月に退職した。平成17年9月中
旬から,頭の中がガンガンする頻度が増し,テレビの画面や壁や襖から人の
声が聞こえてイライラが増すようになった。本件犯行当日,仕事や家族のこ
とを考えると庭木からも声が聞こえて来るようになってイライラ感が高まっ
た。本件犯行後,ぼーっとしたまま樹木の方から聞こえてくる声を聞きなが
ら消火活動を見ていたなどという話をし,初めて,幻聴の存在をうかがわせ
る供述をした。
E鑑定人は,平成19年9月4日,鑑定書(弁12)を提出した。同鑑定
書においては,平成16年10月ころから,幻聴が出現していたことを前提
として,被告人は,本件犯行当時,軽度精神遅滞であって,かつ,破瓜型統
合失調症に罹患していたため,是非弁別能力及び行動制御能力を喪失してい
たと結論付けた。E鑑定人は,第6回公判において,鑑定書と同趣旨の証言
をした(以下「E鑑定」という。)。
3責任能力の判断
(1)生物学的要素について
アD鑑定人は,鑑定に際し,一件記録や在学時代の通知表等を検討した上で,
心理学的検査や被告人との面接,両親からの聴き取りを実施して鑑定を行い,
E鑑定人は,D鑑定を吟味した上で,被告人との面接を実施して鑑定を行っ
ているところ,両鑑定ともに,十分に鑑定資料を収集した上で鑑定を行って
いる。両鑑定人ともに,鑑定の経験は豊富であって,鑑定人としての能力に
問題もない。被告人の病状を診断するに当たって用いている基準についても,
D鑑定では,ICD−10を,E鑑定ではICD−10に加えてDSM-Ⅳを採用している
ところ,いずれの診断基準も,広く使われている信頼性のある基準である。
イところで,D鑑定は,被告人には,思考障害や,感情鈍麻,無為・無気力
で目的欠如,奇異な行動,自己や周囲への関心欠如,引きこもり等の陰性症
状が顕著であり,真面目で温和という本来の性格からはあたかも別人になっ
たような著しい人格変化を起こしていたことから,ICD−10の(h)(i)の要件を
充足するとして,単純型統合失調症であったと判断している。これに対し,
E鑑定は,著しい人格変化を起こしていたという点に加え,幻聴が存在した
ことを認定した上で,ICD−10については(b)(c)(h)(i)の各要件を充足し,D
SM−Ⅳの各要件も充足するとして,破瓜型統合失調症であったと判断してい
る。因みに,ICD−10によれば,(h)は,著しい無気力,会話の貧困及び情動
的反応の鈍麻あるいは状況へのそぐわなさなど,通常社会的ひきこもりや社
会的能力低下をもたらす,(i)は,関心喪失,目的欠如,無為,自己没頭及び
社会的ひきこもりとしてあらわれる,個人的行動のいくつかの側面の質が全
般的に,著明で一貫して変化する,(b)は,支配される,影響されるあるいは
抵抗できないという妄想で,身体や四肢の運動や特定の思考,行動あるいは
感覚に関するもの,それに加えて妄想知覚,(c)は,患者の行動にたえず注釈
を加えたり,患者のことを話し合う幻声あるいは身体のある部分から聞こえ
る他のタイプの幻声という各症状を指し,統合失調症の診断のために通常必
要とされるのは,(a)から(d)のいずれかに属する症状のうち少なくとも1つ
の明らかな症状(十分に明らかでなければ,普通2つ以上),あるいは(e)か
ら(h)の少なくとも2つの症状が,1か月以上,ほとんどいつも明らかに存在
していなければならないとされ,また,(i)は単純型統合失調症の診断にだけ
用い,少なくとも1年間の持続が必要であるとされる。
被告人の陰性症状が著明であって,著しい人格変化を起こしており,ICD−
10の基準に当てはめると(h)及び(i)の各要件を充たし,(i)の症状が犯行時に
おいて約1年間持続していたことについては,D鑑定及びE鑑定で共通して
いる。両鑑定とも,被告人がHの工場を辞めてからの引きこもりの状況,国
道に自動車を放置する,衣類や家具などを燃やすなどの行動,2回の家出を
行っていることなど,犯行前の被告人の生活状況や,本件犯行の際の言動,
面接の際の被告人の応答,ロールシャッハテスト等の心理学的検査の結果を
踏まえた上で,上記各要件を充たすことを検討しており,その判断は,合理
的であって基本的に信用することができる。
なお,ICD−10によっても,単純型統合失調症については,確信をもって診
断することが困難であるとされているところではあるが,以上にかんがみれ
ば,本件犯行当時,被告人が単純型統合失調症に罹患していたとするD鑑定
の信用性を排斥することはできないというべきである。また,D鑑定におい
ては,被告人がHの工場を辞めた理由,テレビを壊した理由,家出をした理
由等を検討するにあたって,自己との面接における被告人の供述を重視し,
被告人が別の機会に異なる説明をしていることを軽視している部分もあるが,
後述のとおり,被告人のその余の言動等からも被告人の人格変化は十分うか
がわれるところであるし,D鑑定も上記被告人の供述のみをもって人格変化
を根拠付けているものでもない。加えて,E鑑定においても,ICD−10の(h)
及び(i)の要件を充たすことは問題ないとされているところであって,上記供
述の取捨選択が結論を左右するものとは考え難い。
ウ他方,E鑑定は,D鑑定と異なり,被告人に幻聴が存在したと認めている
ところ,被告人は,E鑑定人との面接以前には,幻聴の存在について話をし
ていない。被告人は,幻聴について話をしなかった理由について「聞かれな
かったから」などと述べているが,統合失調症を疑うD鑑定人らが幻聴に関
し全く質問しなかったとは考え難い。
しかしながら,被告人の知能の程度や供述態度に照らし,被告人が自己に
有利になるよう嘘をついているものとは認め難く,両鑑定人とも被告人が作
為的に虚偽の供述を述べている可能性を否定している。被告人が述べる幻聴
の内容は不明瞭なものであること,被告人の知能の程度及び言語障害がある
ことなどからすると,E鑑定以前にも幻聴について一応聞かれてはいたもの
の,明確に供述しなかった可能性を否定できない上,病院に入院させて行動
観察を行ったE鑑定人が,空笑を認めて幻聴の存在を疑い,同じ趣旨の質問
を形を変えて繰り返したため,被告人がはじめて幻聴について供述したとし
ても不自然ではない。また,幻聴があったことは,被告人が,捜査段階から
「頭がガンガンする」,「イライラする」から物を壊したり燃やしたりした
と繰り返し供述していたことと符合する面があり,被告人が,E鑑定人との
面接において,頭がガンガンすると刑事さんに話したことと声がすることと
は似ているかと聞かれ,「似ているかもしれません」と答えていることにも
整合する。
以上からすれば,本件犯行時,被告人に幻聴があった可能性を否定できな
いというべきである。
もっとも,幻聴が存在することを前提としても,ICD−10の(b)の基準を満
たすかどうかについては,E鑑定人自身微妙であると述べている。しかしな
がら,被告人が,D鑑定人との面接において,布団等を燃やした理由につい
て「なぜ燃やしたのかよくわからないです。操られているような感じがしま
した」と述べていることからすると,同基準を満たす可能性は否定できず,
また,E鑑定人は,DSM-Ⅳの要件を充たしているかをも検討の上,破瓜型統
合失調症に罹患していると判断しているのであるから,その鑑定結果の信用
性をただちに排斥することはできないというべきである。
エなお,被告人は,平成17年1月に,精神病院において異常はないとの診
断を受け,家族もそれ以上精神障害を疑わなかったようであるが,被告人の
幻聴が明確なものではなく,外部から認識し難い陰性症状が中心であったた
めと考えられ,そのような事実から被告人が統合失調症に罹患していたとす
るD鑑定及びE鑑定の信用性を否定することはできない。
オ以上によれば,本件犯行当時,被告人は,単純型ないしは破瓜型の統合失
調症に罹患していたものと認めることができる。
(2)心理学的要素について
ア精神の障害の状況
(ア)被告人は,平成16年11月ころ,国道を運転中にガソリンがなくなっ
たので,交通量の多い上記国道に車を乗り捨て,数時間かけて会社の寮ま
で歩いて帰り,その後どこにも連絡しないというような行動をとっていた
のであるから,その時点で,適切な状況判断と自己のなすべき行動を十分
には理解することができない状態であった可能性がある。その後,自分の
衣類,テレビ,ベッドなどを燃やすという行動が出現しているが,燃やし
た理由について,被告人は,汚いから,古くていらなくなったから,古く
て使い物にならなかったからなどと説明している。こうした説明は,一見,
物を廃棄する理由として合理的とも思えるが,本当に廃棄する必要があっ
たのか疑問である上,わざわざ燃やす理由も明らかではなく,正常な判断
に基づく行動であるとはにわかに考え難い。以上によれば,被告人の知能
の程度を考慮しても,正常な思考過程をとっていたとは認め難く,現実的
・合理的な判断ができない思考障害が存在していた可能性を否定できない。
(イ)被告人は,平成16年11月ころから,自分の部屋に引きこもって,昼
夜逆転した生活を送るようになり,家族に対して話しかけることも少なく
なり,平成17年6月ころからは,部屋から出てくることも減り,食事や
入浴も両親が寝てからするようになっている。平成17年9月ころからは,
家族が話しかけても全く話をしなくなり,家族が1階にいるときは,部屋
から全く出ず,ほぼ完全な引きこもりとなり,トランクスとシャツだけで
過ごし,頭髪も伸び放題で,自己の身体的保清にも気を遣わなくなってい
た。以上の生活状況に照らすと,自閉,意欲低下,無気力状態が顕著とな
っていたものと認められる。
確かに,平成17年6月には,田植えの手伝いをしているが,単発的な
出来事である上,作業の内容も苗箱を洗ったり,軽トラックで運ぶなどし
たという単純な作業であって,他人との意思疎通がそれほど必要な作業で
もないから,被告人がその当時から引きこもりがちであったことを否定す
る事実とは言い難い。また,被告人は,平成17年9月ころまでは就職し
たいという希望を持っており,実際にそのころまでは就職活動を行ってい
るが,ほとんど自分の部屋から出ることなく,家族とも会話をしていなか
ったという状況であり,就職活動といってもたまにハローワークに行くと
いう程度であって,勤労意欲のうかがえる態様ではない。しかも,犯行の
1か月前である10月以降は,就職活動すらしなくなったというのである
から,犯行時における被告人の自閉,意欲低下,無気力状態は明らかであ
る。
(ウ)被告人は,平成16年12月31日と平成17年5月ころに家出をして
いるところ,いずれも,所持金のない状態で家出をして,野宿するなどし
て過ごし,3日後に捜索されて発見されているが,家を出てからどのよう
にして生活するかということについて,具体的な考えを持っていたとはう
かがわれず,さらには,家出中の苦労や不安についても具体的なことは何
ら語っていないことからすると,被告人が自己の現在の状況や将来につい
て無関心であったことがうかがわれる。また,父親の悪性腫瘍や姉の仕事
等も全く知らないと述べ,本件犯行時には,焼け死にそうな飼い犬を助け
るように言われてもそのまま放置していることなどからすると,他者に対
する無関心及び共感性の欠如もうかがわれる。加えて,犯行の数週間前に,
母親が被告人の部屋に入って「仕事を探しなさい」と注意したところ,被
告人は「来るな」と言って,母親を蹴り,部屋の外に追い出したり,自室
の襖を蹴破るなどしており,攻撃性が出現している。
(エ)もっとも,被告人は,一貫して家族に対する嫌悪の情を述べているので
あるから,被告人が他者に対する関心を失っていたというのは妥当でなく,
引きこもりや家出についても家族に対する嫌悪感の表出であって,病状の
表象ではないとも考えられないではない。この点,捜査段階では,両親が
嫌いな理由について,「一人にしてほしいにもかかわらず,いろいろと口
出しをしてきたりして,とにかくうるさいから嫌いである」(乙7),
「いつだったか良く覚えていませんが,私が部屋で寝ているにも関わらず,
父親や母親が私の部屋に入ってきて,起こされたことで,とても頭にきま
した。この出来事が,私の中で一番親を嫌いになった理由で,今でも根に
持っています」(乙2)などと供述している。確かに,仕事に就くことが
できないストレスを抱えているときに,親からうるさく注意されれば,こ
れを疎ましく感じ,嫌悪感を抱くということもあり得ないではない。しか
しながら,従前は,特段の諍いもなく良好な関係であったのに,親と顔を
合わせないように親が寝てから食事や入浴をしたり,最終的には,親が作
った料理に一切手をつけないようになったというのは,極端に過ぎ,しか
も,そうした奇異な生活を相当長期間送っているというのであるから,こ
れを単に親からうるさく言われることに対する嫌悪感や仕事に就くことが
できないことによるストレスのみで説明することは困難である。寝ていた
ところを起こされたからというのも,これほどまでに家族を嫌悪する理由
としては納得のいくものではない。捜査官から,家族のどういうところが
嫌いなのか,もっと詳しく話をして欲しいとも質問されているが,「今私
が話をしたくらいです。私は,今まで,家族からひどいことを言われたり
暴力を振るわれ続けたりしたことはありません」(乙4)と述べていると
ころであって,他に被告人が両親を嫌悪する理由もうかがわれない。さら
には,両親以外の姉や祖父母をも嫌悪する明確な理由もうかがわれない。
そうすると,被告人の家族に対する嫌悪は,病勢が強く影響していると考
えるのが相当であって,感情の発露が適切に機能していないという感情障
害の現れであるとするD鑑定は説得的である。
(オ)以上によれば,被告人の陰性症状は著明であるというべきであるが,こ
の判断は,平成17年11月15日に診察したC医師が,面接において
「いろいろな質問をしてみたが,返答は短く,会話内容が深まらない。か
といって反抗や拒絶をしている様子はない。犯行時の心境に言及してみて
も,感情の起伏はほとんど伝わってこない。『それは全くありません』な
ど,同じ簡単な返答を繰り返すことが多い。全体に浅薄な印象が強い」と
いう状態であったと述べていることや,D鑑定が,鑑定の面接において
「最も特徴的な所見は,感情の鈍麻,自己の状況に無関心な点にあった」,
「面接の最中にしばしば欠伸をし,途中で休みにすると直ぐに机に突っ伏
してしまい,放火で拘留中の人物とは思えないくらいに全く緊張感を感じ
させず,自己の置かれた状況に関心がなかった」,「質問には拒否するこ
となく返答するが,考える時間を置くことなく『分からない』と返答する
ことが多く,感情が込められていない表面的・その場限りの返答に終始し,
他人事のようにしゃべった」としていることにも符合する。
(カ)そして,以上のとおり,統合失調症の中核的要素である陰性症状が著明
であるところ,被告人は,発症後,全く治療も受けていなかったのである
から,本件犯行当時,統合失調症の急性期にあったと認めるのが相当であ
る。
イ本件犯行の動機について
要するに,被告人は,一緒に暮らしている家族が嫌いであったことや仕事
を探しても見つからず,親が小遣いをくれなくなったので仕事探しをするこ
ともできず,何もすることがないことからイライラが募り,家に火をつけれ
ばスッキリするし,火を点ければ,逮捕されて刑務所に入ることになり,家
族と顔を合わせなくてすむことから,火を点けたと述べている。また,E鑑
定人との面接や第7回公判においては,後頭部から声が聞こえてきてイライ
ラしていたということも理由として挙げている。
家族に対する嫌悪感や就職できないことからくるストレスから火を点けた
ということや,刑務所に入ってしまえば家族と顔を合わせなくてすむという
ことは,非常識ではあるが,それなりに筋が通っており,直ちに了解不可能
とまでは言い難い。
しかしながら,前述のとおり,被告人の家族に対する嫌悪感自体が,統合
失調症に起因する感情障害による強い影響を受けていたと認められる。仕事
が見つからないことへのストレスという点についても,就職活動をしたが何
度か断られたとの事実はうかがわれるところではあるが,被告人は,平成1
7年6月ころから引きこもるようになっており,同年10月ころからは仕事
を探すこともなくなっていたのであって,熱心に就職活動をしていたとは認
められない。就職したいとの気持ちは強かったが,何度か仕事を断られたの
で諦めていたとか,実際には就職活動をしなかったが,気持ちばかり焦って
いたということも考えられないではないが,被告人はそのようには述べてお
らず,就職活動をしなくなったのは,親からお金をもらえなくなったので,
就職活動をすることができなくなったからであると述べているところ,被告
人は自分の車を持っていて,ガソリンも親が入れてくれていたのであるから,
お金がもらえなかったことが職探しをすることができなかった理由とは考え
難い。そうすると,被告人が現実を的確に把握していたのかどうか疑わしく,
仕事が見つからないことへのストレスという理由についても,思考障害の影
響を受けていた可能性がある。
また,家族に対する嫌悪感や就職できないことからくるストレスという動
機が了解可能であるとしても,そのために家に火を点けるということに飛躍
があることは否定できないし,被告人が,「家に火を付けて燃やすのも,テ
レビ等を燃やすことと同じで,特別どうこういうものではありません。テレ
ビもベッドも家も私にとっては,要らないものです」(乙3)と述べている
ことからすると,事の重大さをどれほど認識していたのかに疑問がある。犯
行前には,汚くなったからなどという理由で衣類やベッドなどを燃やすとい
う奇異な行動が繰り返しみられる上,親に対して暴力を振るったりするなど
の攻撃的な性格に変化していたこと,警察に捕まることや刑務所に服役する
ことへの不安のようなものが全く感じられないことからすると,情動的に犯
行に至った可能性も否定することができない。加えて,E鑑定及び第7回公
判においては,被告人は,幻聴によってイライラしていた旨供述していると
ころ,前述のとおり,幻聴が被告人にとって不快なものであり,「頭がガン
ガンする」,「イライラする」原因になっていることは否定できず,幻聴の
せいで「イライラ」が耐え難いものとなり,本件犯行に及んでしまった可能
性も否定できないというべきである。
以上によれば,本件犯行動機は,一見了解可能にみえるものの,統合失調
症の強い影響のもとに形成されたものである疑いがあり,その影響を抜きに
しても了解できるところがあるとはただちに言い難い。
ウ犯行の計画性
(ア)被告人は,捜査段階において,イライラしてストレスがたまっているの
で,今年の10月中旬ころから,いつかは家に火を点けて,何もかも燃や
してしまおうと考えていたが,それを実行する勇気もなく,周りにあるも
のに八つ当たりしていた(乙8)などと供述している。また,犯行当日は,
被告人は,家に誰もいないことを認識した上で本件犯行に及んでおり,D
鑑定においては,「(なぜ火を点けようと思ったのか聞かれ)いつでも良
かったけど,誰もいないときに火を点けようと思った」と答え,E鑑定に
おいては,「(火を点けたのは)家に誰もいなかったからです」と答えて
いる。一方で,家に家族が残っていたら火を点けていたかと聞かれ「わか
んないです」と答えている。
捜査段階の供述によれば,被告人は,犯行日以前から,家に火を点ける
ことを考えていたことがうかがえるが,その時期や方法を具体的に計画し
ていたものではない。犯行当日の朝に電話が鳴って誰もいないことがわか
ったのにそのまま寝ているなど,家族がいなくなるときを待って計画を実
行に移したというわけでもない。してみると,本件犯行当日,前日からの
イライラがかなり高じていたところに,たまたま家族が誰もいないことに
気付いたことから,イライラを解消するため家に火を点けようと考えたに
すぎないと理解するのが適当であるように思われる。
さらに,D鑑定人は,当公判廷において,被告人が家に人がいないとき
に犯行に及んだのは,家族と顔を合わせるのが嫌だったからであると述べ
ている。被告人が以前から家族がいなくなるときを待っていた事情もない
こと,被告人が家族との一切の接触を拒絶していたことからすると,D鑑
定人の当該見解には首肯できるものがある。そして,同見解を前提にする
と,家族がいないから犯行に及んだという事実は,統合失調症の影響によ
り家族との接触を避けるようになっていた被告人の行動傾向が端的に発現
したものということもできる。
(イ)また,家に誰もいないことを知って火を点けようと考えてから,すぐに
実行に移さず,シャワーを浴びたり歯磨きをしたり,パンを食べたりベー
コンをフライパンで調理して食べたりしていることについて,被告人は,
捜査段階において,「私は,いつもそうなんですけど,こうしようと決め
てからも,すぐにはそれを実行しないで,しばらくして実行するんです。
それにこのときは腹も減っていましたし,しばらく家に家族が帰ってくる
こともないと思っていましたから,別に急いで火を点ける必要もなかった
んです」などと述べており(乙8),この供述によれば,被告人には一定
の行動制御能力が働いていたかにも思われるが,放火を決意しながら,上
記のような行動を平然ととっているのは,むしろ奇異というべきであって,
被告人は,自己の欲求を押さえることができないままに,とりあえずした
いと思った行動をとっていたとも考えられる。
(ウ)以上によれば,責任能力を判断するにあたって,被告人が従前から火を
点けることを考えていたことや,火を点けようと考えてからもただちに実
行せず他のことを行っていたことを過大に評価すべきではない。
エ犯行態様,犯行後の行為等
犯行方法そのものは,仏壇に置いてあったマッチで居間の押入の中の毛布
に火を点けたというもので,特段異常性はない。そのような手段を選んだ理
由についても,以前毛布を燃やしたからよく燃えることがわかっていた,マ
ッチを使ったことがあったのでマッチで十分だと思ったと供述するなど(乙
8),被告人には,ある程度の合理的な思考が残っていたことがうかがえる。
また,被告人は,犯行当時の記憶を保持しており,犯行時の意識が清明であ
ったと認められる。
しかしながら,これらの事情は,統合失調症の急性期にあることと矛盾す
るものではない。しかも,一方で,被告人には,家に火を点けることを決意
してから部屋の掃除をしたり,火を点けてからマッチをもともとあった仏間
に返しに行くなど,奇異な行動が認められる。火を点けた押入を背にしてあ
ぐらをかいて座っていることも,普通では考え難く,危険な行為である。こ
の点,被告人は,「火の点いた場所に背を向けるのは危ないことだと思うか
もしれませんが,これも特に理由はなく,ごく自然なことです」と述べてい
る(乙3)が,不可解というほかない。その後,被告人は,まだ炎は見えて
いなかったが,煙が充満していて中が見えない状況であったリビングの前に
ある濡縁に腰掛けて頭を下げた状態でじっとしており,また,家の中から煙
がモクモクと上がり,ボンッ,ボンッという爆発音が聞こえている状況下で
あるにもかかわらず,家の近くでぼーっと立っていたと認められる。これら
被告人の行動は非常に危険な行動であり,被告人は,まだ自分のところまで
炎が迫ってきてなかったので逃げなかったと述べているが,状況判断や危険
を回避するための合理的な行動を取り得ていなかった可能性があるといわざ
るを得ない。
オ違法性についての認識
(ア)被告人は,捜査段階において,本件犯行の違法性につき,次のように供
述している。
ⅰ悪いことをしたとは思っていますねぇ。しかし,家族に悪いことをし
たとは思っていません。反省などしていません。家に火を点けたり悪い
ことをすれば,警察に通報されます。警察に捕まって刑務所でも入れば,
親の顔も見なくて済むと思いました。当然のことをしただけですねぇ。
家に火を点けるというのは,悪いことだ。悪いことをすれば,警察に捕
まってしまう。警察に捕まったら,牢屋に入れられる。刑務所に入れら
れるかもしれない。(以上,乙3)
ⅱ燃えた家を見ても,家族に悪いことをしたなあという気持ちはこれっ
ぽっちも思い浮かびませんでした。家が燃えてしまって良かったなあと
思いました。(以上,乙4)
ⅲ私は,家に火を点けるというのが,してはならないことであって,そ
んなことをすれば警察に捕まって刑務所に入ることになることは分かっ
ていました。(以上,乙8)
(イ)被告人は,第2回公判において,次のように供述している。
(洋服やテレビ等を燃やしたりするのと家を燃やすのは違いがあるかと
聞かれ)まあ同じですね。(家に火を点けたら刑務所に行くということは
考えたことがありますかと聞かれ)それは少しありますね。(今まで毛布
やテレビ等の物を壊していたのと今回の家に火を点けるのとは違うという
ことが分かるか聞かれ)はい,分かります。(家が燃えると住む所がなく
なるだとか,住む所がなくなったら家族が困るだろうということは考えな
かったか聞かれ)そういうのは考えてないです。(家に火を点けたことに
ついてはどう思っているのかと聞かれ)いや,悪いことは全くないですね。
はい,全くないです。(刑務所に行かないといけないことは分かるんでし
ょうと言われ)はい,分かりますね。(再度,悪いことをしたと思わない
かと聞かれ)いや,悪いことは全くないですね。
(家に火をつけて燃やすということがいいことか悪いことかと聞かれ)
まあ悪いことです。(先ほど全く悪いとは思っていないと答えた理由を聞
かれ)嫌いな家なんで,別に燃やしたって,何しようが別に関係ない。
(自分の家だから燃やしていいんだということなのかと聞かれ)まあそう
です。(なぜそういう考えを持つのかと聞かれ)そんなんして,普通にま
あちょうど燃やしたかったんで,燃やしただけ。(何で燃やしたかったの
かと聞かれ)何でって,ちょうど襖が破けた所があったんで,それで燃や
しただけで。(家族に迷惑がかかることは分かっていたかと聞かれ)そう
いうのは全くないですね。(家族が住む所がなくなることは分かっていた
かと聞かれ)まあ分かってたけど,別に関係ないんで,こっちは。
(ウ)D鑑定人との面接においては,次のように供述している。
(家を燃やしたことをどう思っているかと聞かれ)家を燃やしたことは,
関係ないです。(親の家だから悪いことだと思わないのかと聞かれ)親の
家だから,燃やしても良いと思っている。(家に火を点けるのは)悪いこ
とだと思わない。良いことでもないです。(火を点けたら警察に捕まると
思っていたかと聞かれ)そういうのは思っていました。
(エ)E鑑定人との面接においては,次のように供述している。
(火を点けたのは)悪いことをしたとは思いません。他の人の家に火を
点けたわけではないから悪いことはしていません。火を点けるのが悪いこ
とだとは知っています。他人の家に火を点けるのは悪いことです。(近所
に燃え移ることは考えなかったかと聞かれ)人の家は離れているから燃え
移ることはないと思いました。自分の家ならまた建てればいいと思いまし
た。父親と母親のお金で建てたらいいです。大金がかかるかどうか分から
ないけど自分の知ったことではありません。
以上の供述内容からすると,被告人は,放火を,警察に捕まるような行為
であるとは認識していたものの,他方で,他人の家ではないから悪いことで
はない,自分には関係ないと述べるなど,自己の行為が招いた結果や影響に
対し極めて無関心であり,反省の情はみられない。被告人の知能の程度を考
慮しても,放火という重大な犯罪を行うにあたり,自己の行為が家族にどれ
だけ迷惑をかけるか,周辺地域にどのような危険を招き,住民にどのような
不安を与えるかというようなことについてはほとんど考えが及んでいないと
いわざるを得ない。また,犯行前に逡巡したり躊躇したりした形跡もなく,
犯行後も現場をうろうろし,発生した重大な事態に対する実感が極めて乏し
い様子がうかがわれる。そして,これらの事実に加え,被告人には思考障害
があり,感情の鈍麻,自己及び他者への関心欠如が著しかったことを併せ考
慮すれば,被告人が言う「悪いこと」,「警察に捕まる」というのは極めて
表面的・観念的な認識に止まっており,家に放火するということの社会的・
規範的な意味をほとんど理解できていなかったのではないかとの疑いを払拭
できない。
(3)まとめ
既に指摘したとおり,本件においては,被告人に犯行時の記憶の欠落や意識
障害がなく,犯行の態様も一見合目的的で,統制がとれているようにみえる。
また,犯行の動機も一見了解可能であり,違法性の認識もあったように思われ
る。
D鑑定及びE鑑定によれば,被告人は,単純型ないしは破瓜型の統合失調症
に罹患し,行動制御能力ないしは是非弁別能力及び行動制御能力を喪失してい
て,責任能力がなかったとされるが,上記のような点にかんがみれば,少なく
とも限定責任能力はあったとの検察官の主張にも首肯できるところがないわけ
ではない。
しかしながら,被告人が単純型ないしは破瓜型の統合失調症に罹患していた
との両鑑定の精神医学的判断は信用することができるものであるところ,被告
人は,思考障害のほか,感情の鈍麻,自己や他者への関心欠如といった陰性症
状が著明であった上,発症後,全く治療を受けていなかったのであるから,そ
の病状は急性期にあったものと認められる。そして,既に詳述したとおり,そ
のような陰性症状からすれば,家に放火するということの社会的・規範的な意
味をほとんど理解できていなかった可能性があり,行為の違法性を認識してい
たとはにわかに認めがたい。したがって,被告人に是非弁別能力があったとす
るには合理的な疑いが残る。また,陰性症状の著しさにかんがみると,一見了
解可能にみえる犯行の動機や合目的的にみえる犯行の態様も,陰性症状の影響
を抜きにして理解することは困難であるともいえる。さらに,E鑑定によって
指摘された幻聴の存在からすると,幻聴が犯行の動機の形成に大きな影響を与
えた可能性もある。そして,そうであるとすると,是非弁別能力にとどまらず,
行動制御能力があったとするのにも合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
4結論
以上より,本件犯行当時,被告人に責任能力があったと認めることはできない。
よって,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
(求刑懲役5年)
平成20年5月15日
大分地方裁判所刑事部
裁判長裁判官宮本孝文
裁判官中島崇
裁判官大黒淳子

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