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裁判例


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○ 主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
○ 事実
一 原告ら代理人は、「昭和五二年七月一〇日に行なわれた参議院大阪府選挙区選
出議員選挙を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告
代理人は、主文同旨の判決を求めた。
二 原告らは、請求の原因として次のとおり述べ、その詳細および被告の主張に対
する反論として、別紙二記載のとおり述べた。
1 原告らを含む別紙一記載の選定者らは、いずれも昭和五二年七月一〇日に行な
われた参議院大阪府選挙区選出議員選挙(以下「本件選挙」という。)における選
挙人である。
2 本件選挙は、次の理由によつて無効である。すなわち、わが国における国会議
員の選挙においては、どの選挙人の一票も他の選挙人のそれと均等な価値を有する
ことが憲法一四条一項の要求するところであり、居住場所を異にすることによつて
投票の価値に差等を設けることは右規定に違反すると解すべきところ、昭和五二年
七月一〇日に行なわれた参議院地方選出議員選挙にあつては、一覧表(別表一)の
示すとおり、各選挙区毎の投票の価値に明白かつ重大な格差が存し、その格差は平
等選挙において制度上当然に許容されるべき限度をはるかに超えるものである。
したがつて参議院地方選出議員の定数配分を定めた公職選挙法別表第二は各選挙区
毎の有権者数との比率においてあまりにも不均衡であり、何らの合理的根拠に基づ
くことなく、住所(選挙区)のいかんにより一部の国民を不平等に取扱つているも
のであつて、明らかに憲法一四条一項に違反するものであるから、右別表に基づい
て行なわれた右参議院地方選出議員選挙はいずれも無効である。
3 よつて原告らは、公職選挙法二〇四条の規定に基づき、本件選挙を無効とする
旨の判決を求める。
三 被告は、答弁として、原告ら主張の請求原因1の事実は認めるが、その余は争
うと述べ、主張として次のとおり述べた。
1 昭和五二年七月一〇日執行の参議院地方選出議員選挙における各選挙区の議員
一人当りの有権者数の全国平均値からの偏差は、下限の鳥取県選挙区においてマイ
ナス五八・九五パーセント、上限の神奈川県選挙区においてプラス一一六・〇九パ
ーセント(大阪府選挙区においてプラス八一・四一パーセント)であり、その開き
は、原告ら主張のとおり、鳥取県選挙区の指数を一として約五・二六対一(大阪府
選挙区との開きは約四・四二対一)の割合に達していたことは事実であるが、次に
述べるような事情を考慮するならば、衆議院議員選挙においては格別、参議院地方
選出議員選挙においては、いまだ立法府である国会の裁量権の範囲内の問題であつ
て憲法に違反せず、また仮に、たとえ上限の神奈川県選挙区において憲法に違反す
るとしても、大阪府選挙区の程度であれば憲法に違反しない。
(一) 憲法一四条一項に定める「法の下の平等」は、同一五条に定める選挙人資
格における差別の禁止だけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票
価値の平等もまた保障しているものと考えられるが、右の投票価値の平等は、各投
票が選挙の結果に及ぼす影響力が完全に同一であることまでも要求するものと考え
ることはできない。けだし、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その
仕組みのいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずる
ことがあるのを免れないからである。
代表民主制のもとにおける選挙制度は、選挙された代表者を通じて、国民の利害や
意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とするが、他方、政治
における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情に即
して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請される一定不変の形
態が存在するわけのものではない。わが憲法も、また右の理由から、両議院の議員
の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのであ
る。それゆえ憲法は、前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の
決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は衆
議院および参議院それぞれについて他にしんしやくすることのできる事項をも考慮
して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的
に決定することができるのであり、投票価値の平等は、憲法上正当な理由となり得
ないことが明らかな差別を除いては、原則として国会が正当に考慮することのでき
る他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解
さなければならない(最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決参照)。
(二) ところで、わが憲法は衆議院および参議院の二院制を採用しているが、両
院の組織および権限には重大な相違がある。すなわち、組織においては衆議院は議
員の任期を四年とし、解散があるのに対し、参議院は議員の任期を六年とし、三年
毎にその半数を改選することとし、解散がない。また、権限においては、法律案、
予算、条約の批准の審議および内閣の不信任議決、内閣総理大臣の指名のそれぞれ
について衆議院が参議院に優越している。右のような憲法上の両院の相違は、当然
両議院の議員の選挙制度にも影響を及ぼすべきものであり、さきに述べた国会が選
挙制度を決定する際に、投票価値の平等以外に考慮することのできる他の政策的目
的ないし理由についても自ら異つてくる筈である。
そこで、現行の公職選挙法をみると、衆議院議員については一選挙区三名ないし五
名を定数とするいわゆる中選挙区制を採用し、選挙人の国政に対する意見をとくに
選挙人の職域、地域等を考慮せず、一般的に国政に反映させることおよび内閣組織
の基礎となることを主たる目的として選挙制度が考えられている。他方、参議院議
員については総数を二五二名(もともと二五〇名であつたが、沖繩県の復帰により
二名増員となつた。)とし、そのうち一〇〇名を全国選出議員、一五二名を地方選
出議員とし、それぞれ憲法の規定に基づいて三年毎に半数ずつ改選することとされ
ている。右のように全国選出議員と地方選出議員に分けたのは憲法が二院制を採用
した趣旨、すなわち第二院である参議院は衆議院とできるだけ異なつた構成とし、
衆議院の機能を補完させようとした趣旨に則つたものであるが、具体的には、全国
選出議員は職能代表的な考え方によつて各職域からそれぞれの代表を選出させよう
としたものであり、地方選出議員については、従来わが国の政治および行政の実際
において大きな役割を果たし、国民生活および国民感情の上にも大きな比重をもつ
てきた都道府県を基礎として、地域代表的な考え方を採用し、地方の事情に精通し
た代表を選出させようとしたものである。
(三) 右に述べたように、参議院地方選出議員の総数は一五二名とされている
が、半数ずつ改選しなければならないのであるから、各選挙区は偶数の定数を持た
なければならず(奇数ということも考えられないではないが、そうすると三年毎に
改選議員を持たない選挙区もあつて不合理である。)、結局定数配分は七六名の定
数を基礎として考えなければならないこととなる。そうだとすれば、全国都道府県
の数は四七であり、配分すべき定数は選挙区の倍もないのであるから、選挙人数に
比例した定数配分はわきめて困難といわざるを得ない。
さらに、地方選出議員は前述のように地域代表的な意味合いを強くもつていること
を考慮するならば、単純に選挙人数に比例した議員数の配分のみを主張することは
妥当とはいえない。すなわち、最近の都市への人口の集中化の現状からみてそれは
都市偏重、いいかえれば都市地域ないし経済的先進地域を優先させる結果となりか
ねないのであつて、都市に対して農村、あるいは経済的先進地域(過密地域)に対
して後進地域(過疎地域)があり、両者にはそれぞれそれなりに解決を迫られてい
る重大な課題をもつており、地方選出議員はそれぞれの地域を代表させるという性
格をもつものといえるのであつて、人口流出の結果過疎となつた地域的意見こそ一
層尊重されなければならないのである。したがつて現在の議員定数配分は前述の投
票価値の平等以外に国会が考慮することのできる他の政策的目的ないし理由として
地域代表的意味合いを考慮したものであつて、参議院議員選挙に関してはそれなり
に合理性をもつものというべきである。
公職選挙法も別表第一については、「本表は、この法律施行の日から五年ごとに、
直近に行われた国勢調査の結果によつて、更正するのを例とする。」との添え書が
あるにもかかわらず、別表第二については同様の添え書がないことや、別表第一に
ついては、過去何度か改正が行なわれているのに、別表第二については、三〇年間
にわたつて一度も改正されておらず(沖繩県復帰の際の改正を除く。)、さらには
第七次まで存在した選挙制度審議会による答申すら一度もなされていないことも、
右理論の妥当性を裏付けるものといえる。
2 参議院地方選出議員選挙の実態分析の結果は次のとおりであり、これと衆議院
議員選挙のそれとを比較すると、別表第二の定数配分規定はいまだ違憲の域に達し
ていない。
(一) 参議院議員選挙法別表(現行の公職選挙法別表第二と同じ。)制定の基礎
となつた昭和二一年臨時統計調査人口による参議院地方選出議員選挙区実態分析表
(別表二、乙第一号証の二)によると、議員一人当りの人口数の最も少ない鳥取県
選挙区の指数を一〇〇とすれば、大阪府選挙区の指数は一七八、最も多い宮城県選
挙区の指数は二六二であり、参議院議員選挙法施行後の最初の参議院議員選挙であ
る昭和二二年四月二〇日執行の参議院地方選出議員選挙実態分析表(別表三、同号
証の三)によると、議員一人当りの有権者数の最も少ない鳥取県選挙区の指数を一
〇〇とすれば、大阪府選挙区の指数は一九〇、最も多い岐阜県選挙区の指数は二五
一であり、昭和五二年七月一〇日執行の参議院議員選挙の直前の国勢調査である昭
和五〇年国勢調査人口による参議院地方選出議員選挙区実態分析表(別表四、同号
証の四)によると、議員一人当りの人口数の最も少ない鳥取県選挙区の指数を一〇
〇とすれば、大阪府選挙区の指数は四七五、最も多い神奈川県選挙区の指数は五五
〇であり、昭和五二年七月一〇日執行の参議院地方選出議員選挙実態分析表(別表
五、同号証の五)によると、議員一人当りの有権者数の最も少ない鳥取県選挙区の
指数を一〇〇とすれば、大阪府選挙区の指数は四四二、最も多い神奈川県選挙区の
指数は五二六であることがいずれも明らかである。
(二) 右によれば、現行の定数配分規定は、制定当初において、すでに議員一人
当りの人口数(有権者数)の上限と下限の開きは約二倍半になつており、参議院議
員選挙法別表は定数配分が不均衡であるとの意見が国会審議において強く主張され
ていたのであるが、それにもかかわらず、このことは前述のように、数少ない地方
選出議員数を全国の都道府県に配分しなければならないという定数配分の技術上の
制約および地方選出議員が地域代表的性格をもつていることから、合理的に理由づ
けられるとされたのである。
また、(一)において述べたことから、議員一人当りの人口数の上限と下限との開
きは、現行の定数配分規定制定当初には二・六二対一であつたが、本件選挙の直前
の国勢調査年である昭和五〇年には五・五〇対一となつていることおよび議員一人
当りの有権者数の上限と下限との開きは、現行の定数配分規定制定の最初の選挙時
において二・五一対一であつたが、本件選挙時においては五・二六対一になつてい
ることが窺われるところであるが、これらによれば、人口数を基準としてもあるい
は有権者数を基準としても、上限と下限との開きそのものは現行の定数配分規定制
定当初から本件選挙に至るまでにおおよそ二倍となつたにすぎないのである。
(三) これを衆議院の場合と比較してみると、衆議院はいわゆる中選挙区制を採
用し、また半数改選という制度もないため、人口数に比例して議員数を配分するこ
とが技術的に容易であるうえ、議院の構成も地域代表的性格よりむしろ党派代表的
性格を強くもつているから、人口数に比例した定数配分の要請が参議院に比して相
当強いといわざるを得ない。
衆議院議員選挙法(昭和二二年法律第四三号)別表(現行の公職選挙法別表第一の
原型)制定当時の昭和二一年臨時統計調査人口による衆議院議員選挙区実態分析表
(別表六、乙第四号証の二)によると、議員一人当りの人口数の最も少ない愛媛県
第一区の指数を一〇〇とすれば、人口数の最も多い鹿児島県第二区の指数は一五一
であり、衆議院議員選挙法施行後の最初の衆議院議員選挙である昭和二二年四月二
五日執行の衆議院議員総選挙実態分析表(別表七、同号証の三)によると、議員一
人当りの有権者数の最も少ない愛媛県第一区の指数を一〇〇とすれば、有権者数の
最も多い愛知県第五区の指数は一六四であることが明らかである。
右によれば、衆議院議員の定数配分規定は、制定当初においては議員一人当りの人
口数(有権者数)の上限と下限の開きは、参議院地方選出議員の場合に比して相当
小さく、一倍半強にすぎなかつたのであるが、その衆議院でさえ、これが約五倍に
達してはじめて(開きそのものは四倍以上になつている。)、最高裁判所において
憲法違反とされたにすぎない。
(四) 以上のとおり、参議院地方選出議員について、上限と下限の開きが単に五
倍強にとどまる程度では(開きそのものは約二倍になつたものにすぎない。)、な
お違憲とはいえず、したがつてこれが四・五倍弱にとどまる大阪府選挙区の場合に
は、より一層違憲性に乏しいことは明白である。
3 現段階においても、地方選出議員の総数を増加させないものとして(地方選出
議員の総数は全国選出議員総数との割合および参議院議員総数と衆議院議員総数と
の割合などから合理的に決定されたものであつて、衆議院議員総数のように安易に
増加させるべきものではない。)、一部選挙区の定数を減員し、他の一部選挙区の
定数を増員することによつて若干の是正をすることはもとより可能である。しかし
ながら昭和五二年七月一〇日の選挙当日の有権者数に基づいて七六の議員定数の再
配分を試算した定数配分試算表(別表八)および右試算に基づいて選挙を行なつた
と仮定した場合の選挙区実態分析表(別表九)の示すとおり、有権者数の総数が絶
対的に少ない鳥取県選挙区であつても、少くとも二名の定数配分をしなければなら
ないから、上限(京都府選挙区)と下限(鳥取県選挙区)との開きは四倍強の割合
となるのであつて、定数の不均衡の是正は数学的に不可能なのである。
三 証拠関係(省略)
○ 理由
一 原告らを含む別紙一記載の選定者らがいずれも昭和五二年七月一〇日執行の本
件選挙における選挙人であることは当事者間に争いがなく、原告らが本件選挙の日
から公職選挙法二〇四条所定の三〇日以内である同年八月八日当裁判所に本訴を提
起したことは、本件記録に徴し明らかである。
二 原告らは、昭和五二年七月一〇日執行された参議院地方選出議員選挙にあつて
は、一覧表(別表一)に示すとおり、各選挙区毎の投票の価値に明白かつ重大な格
差が存し、その格差は平等選挙において制度上当然に許容されるべき限度をはるか
に超えるものであり、参議院地方選出議員の定数配分を定めた同法別表第二(以下
「本件議員定数配分規定」という。)は、何らの合理的根拠に基づくことなく、住
所(選挙区)のいかんにより一部の国民を不平等に取扱つているものであつて、憲
法一四条一項に違反すると主張するから、この点について判断する。
1 憲法一四条一項に定める「法の下の平等」は、国民はすべて法の適用および政
治的関係等において平等であり、選挙権に関しては政治的価値において平等である
べきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、憲法一五条一項、三項、
四四条ただし書の各規定の文言上は、単に選挙人資格における差別の禁止が定めら
れているにすぎないけれども、各選挙人が平等に一票を与えられているという選挙
権の行使の平等(一人一票主義)にとどまらず、さらに選挙権の内容の平等、すな
わち各選挙人の投票の実質的価値の平等、換言すれば、すべての投票がそれぞれ選
挙の結果に及ぼす影響力において平等であること、したがつて各選挙区の有権者数
(人口数)と配分議員定数との比率の平等も憲法の要求するところである。
しかしながら、投票価値は選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組のいかんに
より、結果的に右のような影響力に差異を生ずることがあるのを免れないから、右
の投票の実質的価値の平等は、絶対的、数学的に平等であることまでも要求するも
のではない。右の選挙制度の仕組みについては、代表民主制の国家においても、論
理的に要請される一定不変の形態があるわけではなく、要は、選挙された代表者を
通じて民意を公正かつ効果的に国政に反映させることを目標とし、他方政治におけ
る安定の要請をも考慮しながら、実情に即して具体的に決定されるべきものである
から、憲法は国会両議院の議員の選挙について、議員の定数、選挙区、投票の方法
その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条二項、四七条)、そ
の具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのであり、前記投票の実質的
価値の平等についても、これを両議院の選挙制度の決定について、唯一絶対の基準
としているわけではなく、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ない
し理由との関連において調和的に実現されるべきものと解すべきである(最高裁判
所昭和五一年四月一四日大法廷判決参照)。
2 本件は、参議院地方選出議員選挙に関するものであるところ、参議院の組織に
つき、憲法は、「参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選す
る。」(四六条)と定め、公職選挙法は、参議院議員の定数を二五二人とし、その
うち、一〇〇人を全国選出議員、一五二人を地方選出議員とする(沖繩の復帰に伴
う改正により二人増員)こと、全国選出議員は全都道府県の区域を通じて、地方選
出議員は各選挙区において選挙すること、地方選出議員の選挙区および各選挙区に
おいて選挙すべき議員の数は別表第二で定めること(四条二項、一二条一、二項、
一四条)を規定しており、都道府県を単位として四七選挙区に分け、三年毎に改選
される七六人のうち、東京都、北海道各四人、愛知県、大阪府、兵庫県、福岡県各
三人、福島県ほか一五府県各二人、残り青森県ほか二六県各一人である。
右のように全国選出議員と地方選出議員に分けられたのは、憲法が採用した二院制
の本旨に鑑み、両院の長短を相補なわしめるとともに審議の慎重を期する(一院で
論議自ら党派的感情に流れ、党派的利害に動かされるおそれがあつても、他の一院
で平静に論議せられ、それで議会全体の行動が平静になされる。)ため両院の構成
をできるだけ異なつたものとし(第九〇帝国議会においてその旨の付帯決議がなさ
れている。)、全国選出議員についてはつとめて社会各部門、各職域の知識経験者
が選出されることを容易にし、あわせて地方の事情に精通した者を地方選出議員と
して加えることとしたものと考えられるが、このような政策的配慮に立つ選挙制度
の採用が憲法上国会の裁量権の範囲に属することは異論のないところである。
参議院選挙法別表(公職選挙法別表第二にそのまま引継がれた。)に掲げられた参
議院地方選出議員の定数配分は、昭和二一年臨時統計調査人口による総人口(七三
一一万四一三六人)を定数一五〇で除して得た数値(四八万七四二七人)で各選挙
区(都道府県)の人口を除して得た数値の整数位が奇数となつた場合は端数を切り
上げて偶数とし、偶数となつた場合は端数を切り捨てて偶数とし、これを各選挙区
の議員の配分数として機械的に作成されたものであり、その結果栃木県選挙区(人
口一五〇万三六一九人)の数値は三・〇八四、定数四人、宮城県選挙区(人口一四
六万二、一〇〇人)の数値は二・九九九、定数二人となり、人口わずか四万一五一
九人の違いにすぎないのに定数において二人の差を生じ、宮城県選挙区における議
員一人当りの人口数は下限の鳥取県選挙区のそれの二・六二倍に達した。この点は
第九一回帝国議会における参議院議員選挙法案の審議において不均衡であると指摘
されたが、機械的ではあるが他の方法と比較してむしろ合理的であるとされ、憲法
違反であるとの議論はなく、可決成立をみたものである。しかしその後の人口移
動、大都市への人口集中の結果、さらに議員定数の不均衡を生じ、議員一人当りの
有権者数(人口数)の下限と上限との開きは拡大し、昭和五〇年国勢調査人口によ
る実態分析の結果では、議員一人当りの人口数の最も少ない鳥取県選挙区に対し、
大阪府選挙区は四・七五倍、最も多い神奈川県選挙区は五・五〇倍であり、昭和五
二年七月一〇日執行の参議院地方選出議員選挙における実態分析の結果では、議員
一人当りの有権者数の最も少ない鳥取県選挙区に対し、大阪府選挙区は四・四二
倍、最も多い神奈川県選挙区は五・二六倍である。以上の点は成立に争いのない乙
第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし九、第三号証の一、二によつて明らか
である。
3 ところで右のように全国を幾つかの選挙区に分け、各選挙区に選挙されるべき
議員を配分し単記投票をもつて選挙を行なわせる場合においては、各選挙区の有権
者数(人口数)と議員定数との比率が必ずしも一致せず、その間に格差を生ずるの
が通常である。
とりわけ参議院地方選出議員選挙については、衆議院議員選挙と異なり、半数改選
が憲法上の原則であるため、各選挙区に有権者数(人口数)にかかわらず、現行の
最低二人(改選期毎に一人)の議員定数を配分しなければならないから、右の格差
がさらに拡大することは明らかである。参議院地方選出議員選挙において、具体的
に、どのように選挙区を区分し、そのそれぞれに幾人の議員定数を配分するかを決
定するについては、各選挙区の有権者数(人口数)と配分議員定数との比率の平等
が最も重要かつ基本的な基準とされるべきことはもとより当然であるが、それ以外
にも、実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素(非人口的要素)は少な
くない。
その第一は、さきに述べた憲法四六条の参議院議員の三年毎の半数改選の制度であ
る。すなわち、右の半数改選を円滑に行なうためには各選挙区の議員定数を偶数と
し、有権者数(人口数)の少い選挙区にも少くとも現行の二人(改選期毎に一人)
の議員定数を配分することが簡明であり合理的である。もつとも、半数改選は各選
挙区毎に半数である必要はなく、総数において半数であれば足りるから、議員定数
を奇数とすることも考えられないではないが、この場合一人の選挙区については、
その数を偶数にして三年毎に改選議員を持つ選挙区と持たない選挙区とに区分し、
三人、五人、七人等の選挙区についても、同様その数を偶数にして三年毎に一人と
二人、二人と三人、三人と四人というように異なる人数の改選議員を持つ選挙区に
区分して交互に選出しなければならず、きわめて煩雑であつて不合理であり、法技
術的にも至難である。そうすると結局のところ定数配分は半数改選の七六人の定数
を基礎として考えなければならず、全国都道府県の四七選挙区に各一人宛四七人を
配分し、残り二九人を有権者数(人口数)の多い選挙区(都道府県)に配分するこ
とにならざるを得ない。人口比率以外に参議院の特異性としての半数改選制度が考
慮されなければならないゆえんである。
第二に地方選出議員の地域代表的性格が挙げられる。すなわち、さきにも言及した
とおり、公職選挙法は二院制の本旨から、全国選出議員のほかに、地域代表的な観
点に立つて地方の事情に精通した者を地方選出議員として各都道府県において選出
することとしている。このように選挙区を都道府県としたのは、それが従来、わが
国の政治および行政の実際において重要な役割を果たしており、国民生活および国
民感情の上において大きな比重をもつものであるからである。ところで都道府県
は、その人口において、上限の東京都一一六七万三、五五四人から下限の鳥取県五
八万一、三一一人まで様々である(平均一四七万二八九〇人)ほか、その面積にお
いて、北海道(八万三、五一〇平方キロメートル)は別格として、岩手県、福島
県、長野県、新潟県、秋田県、岐阜県のように一万平方キロメートルを超えるもの
もあれば、大阪府、香川県のように二、〇〇〇平方キロメートルに満たないものも
あり、人口密度、住民構成、経済的基盤、交通事情、地理的状況その他の点におい
て多種多様であり、さらにまた、社会の急激な変化の一つのあらわれとしての人口
の都市集中化、とくに最近における東京、大阪、名古屋等の大都市およびその周辺
部への集中をどのように評価し、議員定数配分にどのように反映させるかも国会に
おける高度に政策的な考慮要素の一つであり、都市に対しては農村、経済的先進地
域(過密地域)に対しては後進地域(過疎地域)があり、それぞれに解決を迫られ
ている社会政策あるいは経済政策上の重大な課題を抱えており、地方選出議員の定
数を単純に人口比率によつて配分すると、いきおい都市偏重の結果になりかねな
い。以上のような観点からみると、同法は地方選出議員選挙について地方自治の根
幹をなす都道府県という地域の代表ということ、いわば都道府県そのものを重点に
置いたものであつて、人口に比例して議員定数を配分することの要請のより強い衆
議院議員選挙の場合とはかなり趣きを異にするものとみなければならない。もつと
も地方選出議員を北海道、東北、関東、東海、北陸、近畿、四国、九州などのよう
に道およびいくつかの都府県を統合した地方ブロツクから選出することも考えられ
ないではないが、前記のような参議院のもつ地域代表的性格を稀薄ならしめ、全国
選出議員に近似した性質のあいまいなものにするばかりでなく、選挙人に投票意欲
を減殺せしめる結果ともなり妥当ではない。
4 このように参議院地方選出議員選挙における議員定数の配分の決定には、きわ
めて多種多様で、複雑微妙な政策的および技術的考慮要素(非人口的要素)が含ま
れており、それらの諸要素のもつ役割はさきに述べた参議院の特異性からみて、大
きいものというべきであるが、これをどの程度考慮して具体的決定にどこまで反映
させることができるかについては、もとより客観的基準が存在するわけのものでは
ないから、結局は国会の具体的に決定したところがその裁量権の合理的な行使とし
て是認されるかどうかによつて決するほかはなく、このような見地に立つて考えて
も、具体的に決定された議員定数の配分のもとにおける投票の実質的価値の不平等
が、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合
理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているときは、もはや国会
の合理的裁量の限界を超えているものと推定せらるべく、このような不平等を正当
化すべき特段の理由が示されないかぎり、憲法違反と判断するほかはない。
ところで、従来、各選挙区毎の投票の価値が平等かどうかを判断するに当り、議員
一人当りの有権者数(人口数)が最も少ない選挙区(下限)を基準として、これと
その最も多い選挙区(上限)および選挙無効を主張する当該選挙区との開きを比較
するのが通常であるが、衆議院議員選挙についてはともかく、参議院地方選出議員
選挙については、さきに述べたとおり参議院の特異性から、有権者数(人口数)が
少なく定数一人で足りる小県についても二人(改選期毎に一人)を配分しているの
であるから、右のような基準によつて各選挙区間の開きを比較すること自体、不合
理であり、無意味でさえある。さりとて議員一人当りの有権者数の全国各選挙区の
平均を基準として、これとの比較によつてその投票の価値が平等かどうかを判断す
べきであるともいいきれない。
5 原告らは各選挙区における議員定数と有権者数(人口数)との比率の不平等
は、特別の合理的事情のないかぎり「二対一」の比率をこえることは許されないと
主張する。議員一人当りの有権者数(人口数)の最も少ない選挙区を基準として各
選挙区間の開きを比較することが不合理であることは右に述べたが、仮に右の比較
によるとしても、右「二対一」の比率をこえないよう議員定数を定めるとすれば、
別表一〇のとおり、地方選出議員の定数を七八人(改選期毎に三九人)増員して二
三〇人としなければならず、また「三対一」の比率をこえないよう議員定数を定め
るとしても、別表一一のとおり、地方選出議員の定数を一四人(改選期毎に七人)
増員して一六六人としなければならないことは計数上明らかである。
このような地方選出議員の定数の大幅な増員は、全国選出議員の定数および衆議院
議員の定数との均衡、さらには全国選出議員の性格、参議院のあり方などとも関連
して幾多の問題を生ぜしめる。
6 以上のような諸要素、とくに参議院の特異性を考慮すると、昭和五二年七月一
〇日執行の参議院地方選出議員選挙当時において、議員一人当りの有権者の最も少
ない鳥取県選挙区に対し、大阪府選挙区は四・四二倍、最も多い神奈川県選挙区は
五・二六倍に達している(もつとも原告らを含む選定者らの属する選挙区は大阪府
であるから、右両県選挙区間のそれの不均衡を主張する直接の法的利益ないし原告
適格はないというべきである。)としても、この程度ではいまだ投票の価値の不平
等が一般的に、つまり客観的・社会的に合理性を有するものと考えられない程度に
達しているとみることはできず、立法機関である国会にゆだねられた裁量権の合理
的な行使として是認されるものというべく、違憲問題を生ずるとは認められない。
もつとも、違憲問題を生じないとはいえ、参議院地方選出議員について議員定数の
不均衡は現実に生じているのであり、とくに北海道選挙区と大阪府、神奈川県、愛
知県各選挙区の間、愛知県、兵庫県、福岡県各選挙区と神奈川県選挙区の間、福岡
県選挙区と埼玉県選挙区の間、栃木県、熊本県、鹿児島県、群馬県、岡山県各選挙
区と宮城県選挙区の間などにおいて、当初の有権者数(人口数)が逆転しているの
であつて、現行の議員定数をそのまま維持するとしても、一部選挙区の定数を減員
し、他の一部選挙区の定数を増員することによつて、右のいわゆる逆転区を解消
し、各選挙区の議員一人当りの有権者数(人口数)の開きを三・五倍以下に抑える
ことは可能である(別表一二は本件議員定数配分規定制定当時の方式によつて配分
定数(八〇人)を算出し、定数が七六人になるまで配分定数の最も多いもの、同数
のときは最も有権者数の少ないものから順次各一人を減じ修正試算したものであ
る。)。他に考慮すべき合理的事情のないかぎり、国会において、可及的速やかに
これが是正の措置を講ずることが望ましい(国会の怠慢か否かは暫らく措き、政党
間の利害、政策に関することがらである。)。
三 以上の次第で、本件選挙を無効とする旨の判決を求める原告らの本訴請求は、
理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政
事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 山内敏彦 田坂友男 高山 晨)
(別紙一、三)(省略)
別紙二
原告らの主張
第一 序に代えて
日本国憲法は、その前文において、「主権が国民に存することを宣言し」ている
が、これは憲法の他の条文、例えば一条の「主権の存する日本国民」とか、四一条
の民選議会たる「国会は、国権の最高機関」であるとかの文言と相俟つて、わが憲
法が国民主権の原理にもとづくところの民定憲法であることの根拠とされており、
このことについては現在もはや疑いをさしはさむ余地はない。すなわち、国民主権
主義は、基本的人権尊重主義、永久平和主義と竝んで、わが憲法における根本規範
の命ずる基本原理の一である、といいうるのである。
この国民主権主義の理念それ自体を具体化し、これを現実的実効的に保障するため
に、国民が能動的立場において国政に参加する権利が、すなわち、選挙権である。
選挙権は、国民の政治的自治ないしは自律を認めるわが憲法のような民主制のもと
にあつては、かように国政の担当者に対する信任の表示というすぐれて人格的個人
主義的要素を有するところの権利であるがゆえに、この権利の内容、行使の態様、
享有者等の諸要件について、これを厳密に法定化し客観化してこれを侵害から保護
することが要請され義務づけられて来た。つまり、そうすることが主権者たる国民
の国政関与を恣意的専断的な政治勢力の介入から阻止し、選挙という重大事の公正
を担保し、ひいては民主制の制度的保障に寄与すると考えられたがゆえである。
すなわち、歴史的経験によれば、選挙制度は普通、平等、自由、秘密という投票に
関する諸原則を逐次保障することにより次第に民主化され進化して来たといわれる
のであるが、これらの保障が果してどの程度に充たされているか、これらの投票手
続が果して厳正且つ客観的な基準で行なわれているかどうかに応じて、一国におけ
る民主制の原理を実現する度合もまた異つて来るという言辞は、現代におけるもな
お、真理たることを失わない。
それゆえ、わが憲法が、前文冒頭において明記した「日本国民は、正当に選挙され
た国会における代表者を通じて行動」する旨の文言も、単に憲法が人類普遍の原理
と認める民主制の原理を採用することを標榜したものというよりは、むしろ一歩進
んで国民の代表者たる国会議員の選出はいやしくも不当な、不公正不平等な手続な
いし方法でなされてはならぬということを広く内外に宣言したものと解する方が、
むしろ現代的解釈にかなうと考えられるのである。
なぜならば、端的にいつて不当な、不公正不平等な手続ないし方法によつていると
ころの現代日本の国政選挙の実態は、後述するように、現在、民主制の根本原理を
蚕食しつつあり、やがてはこれが国民主権主義の自壊に導く危険性さえ内蔵してい
るといいうるからである。
憲法一五条三項、四四条但書等は成年者による無差別の普通選挙を保障している。
そして、憲法四七条の委任による公職選挙法の各条項は、選挙手続に関する具体的
細則に関して、直接選挙制、一人一票制、単記投票制等の諸制度を明定して選挙制
度の民主化に寄与して来た。
しかしながら、憲法、公職選挙法のこれらの規定は選挙権の「資格要件」の平等
と、「投票の数」に関する平等の確保について消極的例示的に保障する表現がとら
れているため、各選挙人における「投票の価値」の平等の重要性については不明確
なものとなつている。およそ一国における選挙に関する平等は、各選挙人の「投票
の価値」の平等が確立せられてこそはじめて、実現されうるものである。これが、
憲法一四条一項はじめ一五条三項および四四条が正しく要請しているところと解せ
られる。
「投票の価値」の平等とは、講学士、「数的価値」の平等、すなわち一人一票(ワ
ンマン・ワンヴオート)の原則をいうばかりでなく、西ドイツの憲法裁判所の判例
または学説等が殆んど一致して認めているところのいわゆる「結果価値」の平等、
すなわち、すべての投票が選挙の結果に平等の影響をもたらすべきであるという原
則をも包含すると解されるのであるが、この「結果価値」の平等が保障せられない
ならば、表面上一人一票制を保障したといつても、その実ある者の一票が他の者の
数票に相当する価値を有することになり、そのある者には数票を他の者には一票を
与えたと全く同一の政治的効果が生じるに至るからである。かように、一票の実質
的価値に明らかな差異が生じると、有権者の意思を公平に、かつ、合理的に立法府
に反映せしめるところの平等選挙制の機能は甚しく阻害されることになり、選挙権
の平等は全く名目化形骸化されることになろう。
原告らが本件訴訟において、居住場所を異にすることにより投票の価値に差等を設
けることは憲法一四条一項に違反すると主張するゆえんのものは、わが国の憲法が
要請しているこの投票の価値の平等を制度的にも明確にし、もつて民主政治におけ
る公正な代表機能の維持強化を図らんとするがゆえである。
第二 本件選挙の実態に関する素描
昭和五二年七月一〇日に行われた参議院地方選出議員選挙の実態は、一覧表(別表
一)を見れば一目瞭然であるが、とくに重要と思われる事項を右表の中から指摘す
ると、
(一) 議員一人当りの平均有権者数 一、〇三〇、五四八(有権者総数七八、三
二一、七一五を議員定数一五二の半分、つまり半数改選数七六にて除す。)
(二) 議員一人当りの有権者数の最大値と最小値の比 五・二六対一
(番号一四「神奈川」と番号三一「鳥取」の議員一人当りの有権者数の比)
(三) 大阪府選挙区と鳥取県選挙区の議員一人当りの有権者数の比 四・四二対

(番号二七「大阪」と番号「三一」鳥取の項参照)
つまり、公職選挙法別表第二の定めた議員定数配分によれば、各選挙区間の議員一
人当りの有権者分布差比率は最大五・二六対一にも及び、大阪府選挙区の鳥取県選
挙区に対するそれも四・四二対一であつて、その偏差は神奈川、東京に次いでい
る。
本件訴訟における「投票の価値」は、結局、各選挙区の議員定数と有権者数との比
率で表わされるのであるが、以上を1見れば、わが国の選挙がいかに投票の価値に
格差を設けた不合理なものであるかが一見極めて明白であろう。
第三 民主政治における手続的保障の重要性
わが憲法の指向する民主政治においては、手続の保障はことのほか重要である。国
権の最高機関たる国会の構成を定める選挙がいかなる手続で行なわれるか、国民の
投票が国法上いかに取扱われているかは、わが国の民主政治の程度を量るバロメー
ターといえる。
古代ギリシヤの政治理論におけるデモクラシイという文言の原初的な意味は、「人
民による政治」ということであつたという。つまり、この文言の本質は被治者の政
治への参加、政治上の自己決定という原理であつた。この原理がやがて西洋文明の
政治理論に引き継がれ、かのリンカーンのゲツテイスバーグにおける「人民の、人
民による、人民のための政治」という概念にまで発展して行つたのであるが、わが
憲法がかような民主制を予想していることは、「そもそも国政は、国民の厳粛な信
託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれ
を行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と、前文で明記していることから
も明らかであろう。
ところで、この「人民による政治」が形式的ないし方法的原理を意味し、客観的な
基準となるのに対し、「人民のための政治」は人民の利益という効用的ないし福祉
的原理を意味し、主観的価値判断を形成する。「人民による政治」がいつの時代で
も熱望されるゆえんは、そのような形態の政治が「人民のための政治」という目的
を導き易いと考えられていたからであろうが、しかしながら「人民のための政治」
という目的概念は民主政治の第一義ではない。何となれば、「人民のための政治」
は或る種の哲人政治ないし独裁政治においても実現可能だからである。
その意味において、民主政治の第一義はまず「人民による政治」ということであ
り、この治者と被治者の政治的自治ないし自律という要素こそがデモクラシイの本
質であると考えられるのである。すなわち、デモクラシイとはまず政治参加の手続
であり、社会秩序を創設したりこれに参加したりする方法を客観的に法定すること
を意味する。「人民による政治」は、かようにして民主政治における法の正当な手
続(due process of law)条項ともいうべきものとなる。
それは、単なる民主制の形式的ないし方法的原理の域を超え、民主制の本質それ自
体にかかわつて来る。それゆえ、民主政治にあつては、人民の利益ないし幸福がた
とえ窮極の目標であるにせよ、それは「人民による政治」という手続を遵守するこ
となくしては求め得ないのである。
この「人民による政治」の手続を遵守することのために、「人民のための政治」の
有効性が稀薄となる場合があるかもしれない。
しかし、民主制の原理においては「人民による政治」の手続があくまで第一義なの
であるから、そういう事態になつてもこれはまたやむを得ないのである。これがわ
が憲法の予想しているところの西欧型民主政治の本質である。
これに対して、「人民による政治」の手続を多少おろそかにし簡略化しても、なお
「人民のための政治」の実現を第一義的に企図する民主制がある。そのもつとも極
端な例は、全員一致の民主制、全会一致の民主制といわれるものであろう。後進の
発展途上国、戒厳令下の国家などにおいて採られる民主制の多くはこれである。
しかしながら、同じ民主政治という名称で呼ばれていても、これがわれわれの西欧
型民主政治と峻別されるゆえんは、「人民による政治」の手続、「人民による政
治」の仕組みが厳正かつ公平に保障されていないということに尽きる。
われわれの採る民主政治は理念であると同時に、手続ないし仕組みである。もしこ
の手続ないし仕組みに欠陥が存するならば、民主政治自体に欠陥とひずみが生ずる
のは必至であろう。本件におけるような投票の価値の不平等は、まさしくこの種の
欠陥の最たるものである。
代議政治においては、過半数の国民が過半数の議会代表を選出できるように仕組ま
れることが平等の理念からも合理的であろう。もし、過半数に充たない国民が過半
数の議会代表を選出しうることになれば、それは議会における少数者支配を是認す
ることになる。各選挙区別の有権者の投票の価値に差等を設け、或る地区で当選で
きる票数の何倍もの票数を集めても、なお、他の地区では落選するという選挙法制
を採る限り、或る地区の少数者が過大代表を形成し他の地区の多数者の過少代表を
押えて、優に議会における過半数を制することも可能となる。すなわち、或る地区
の過大代表グループが他の地区の過少代表グループの犠牲において、議会を支配す
ることが可能となるのである。
一九 六〇年代、アメリカ合衆国連邦最高裁判所が、かのベイカー事件の判決に引
き続き、ウエスベリー、レイノルズ事件等において、一連の違憲判決を打ち出しア
メリカ全土にかの画期的な再配分の季節をもたらす以前の各州議会の上下両院にあ
つては、五〇州九九院(ネブラスカ州のみ一院であるから)中、実に四七院までが
各州の有権者の三分の一以下の有権者をもつてその院を支配することが可能であつ
た、またフロリダ州のごときは僅か一割強の有権者をもつて上下両院の過半数を制
し得たというのである。
しかしながら、かような立法部における代表ギヤツプという病理現象は、それが単
に不健全であるというにとどまらず、真に憂うべきことは、自分たちの投票した者
が他の選挙区においてなら悠々当選しうる票数を獲得したに拘らず、投票の価値の
不平等というからくりないし操作のために落選し、こういう代表機能の低下現象を
通じて自分たちは結局他の地区の代表らによつて支配せられるという関係に陥ると
いうことであろう。
つまり、治者と被治者の同一性ないし自律の政治が大命題であるところの民主政治
において、治者と被治者の関係が分離切断せられ、他律の政治が行なわれる結果と
なる。これはまさしく専主制の一態様というべきものであり、わが憲法の採る民主
制の根本原理に対立するものであることは論を俟たないところである。
すべての人間は等価値であるというジヤクソニアン・デモクラシイの本義を忘れ、
国民主権を現実化する保障のもつとも重要な手段の一たる選挙における投票の価値
を軽んずることは、とりも直さずわが国の民主政治の実現を軽んじ、やがてはこれ
を崩壊せしめることに通ずる、と原告らが主張するゆえんはまさにここに存するの
である。
第四 わが国における判例理論の検討
一 最高裁判所大法廷は、昭和五一年四月一四日、昭和四九年(行ツ)第七五号事
件において、選挙無効を求める上告人の請求を棄却しながらも、昭和四七年一二月
一〇日に行なわれた衆議院議員選挙の千葉県第一区における選挙は違法である、と
判決して、投票の価値において不平等な選挙は違憲である旨の判断をはじめて示し
た。これをいいかえれば、当該選挙は違憲であるが有効である、との一般国民にと
つてはまことに理解し難い事情判決をしたのである。
従前、最高裁判所は、昭和三九年二月五日の大法廷判決において判示したごとく、
議員定数、選挙区および各選挙区に対する議員数の配分の決定に関し立法府である
国会が裁量的権限を有する以上、選挙区の議員数について、選挙人の選挙権の享有
に極端な不平等を生じさせる場合は格別、各選挙区への議員数の配分が選挙人の人
口に比例していないという一事だけでは、憲法一四条一項に反し当該参議院議員選
挙が無効であると判断することはできない、との前提判断のもとに、公職選挙法別
表第二が選挙人の人口数に比例して是正されないため、議員一人当りの選挙人の人
口比が一対四・〇九の程度の不均衡状態になつても、この程度ではなお立法政策上
の問題に止り、違憲問題を生ずるとは認められない、と判断してきた。
昭和五一年四月一四日の最高裁判所判決は衆議院議員選挙に関するものであり、昭
和三九年二月五日の最高裁判所判決は参議院地方選出議員選挙に関するものである
が、議院を異にする場合においても、各選挙人の選挙の結果に及ぼす影響力(各選
挙人の投票価値)が平等でなければならないとされる国政への平等参加の原則(憲
法一四条一項)が適用されることにおいては、その性質上いささかの差異も許容さ
れるところではない。その意味で、昭和五一年四月一四日の最高裁判所判決が、兵
庫県第五区における議員一人当りの選挙人の人口と千葉県第一区のそれの不均衡度
が一対四・八一になつた状態のもとでの選挙は違憲であると判断したことは、正し
い憲法解釈に向つて前進したものとして評価することはできる。
二 しかしながら、昭和五一年四月一四日の最高裁判所判決は、憲法上許容されう
る投票の価値の不平等度合の限度については、具体的に言及することを敢えて回避
しているかに見える。まして、一対四・八一の不平等選挙は違憲であるとする判断
が、さきに違憲問題を生ぜしめないとした一対四・〇九程度の不平等選挙をも違憲
であるとするのかは、全く不明である。およそ最高法規たる憲法解釈においては、
その理論構成が鮮明であり、かつ、直らかであることが最も要請されるところであ
る。ことに、具体的事案に対して厳正に法が宣言されるべき司法判断においては、
可能な限り合法性と違法性の限界を明確に示し、法をしてより具体的に行為規範を
語らしめることこそがその生命であるといわなければならない。事案が本案におけ
るように、憲法の基本原則の一たる国民主権主義が選挙人の国政参加の上に平等に
実現されているか否かに係る場合には、なおさらこのことは強く要請されるのであ
る。
かような観点から、昭和五一年四月一四日の最高裁判所判決の理由を吟味すると
き、以下に述べるようにいくつかの大きな疑問を抱かないわけにはいかない。裁判
所がこれらの疑問に対して正しい解明の光を投げかけることにより、国会の議員構
成が憲法に適合した状態にまで是正され、平等理念に立脚した議会制民主主義が達
成せられることを原告らは真に願望するものである。
1 選挙権の平等と選挙制度の項について
(一) 右最高裁判所判決は、その理由一、(一)において、「選挙権は、国民の
国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすも
のであり、」「右の歴史的発展を通じて一貫して追求されてきたもの
は、・・・・・・選挙における投票という国民の国政参加の最も基本的な場面にお
いては、国民は原則として完全に同等視されるべく、」「このような平等原理の徹
底した適用としての選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の撤廃による選
挙権の拡大を要求するにとどまらず、更に進んで、選挙権の内容の平等、換言すれ
ば、各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響力において
も平等であることを要求せざるをえないものである」「憲法一四条一項に定める法
の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべ
きであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右一五条一項等の各規定の
文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれど
も、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の
平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが、相当である。」と判示し
て、選挙における法の下の平等について憲法上の規範を厳正にかつ明確に宣言して
いる。
(二) しかしながら、判決理由一、(二)においては、「右投票価値の平等は、
各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であることまでも要求す
るものと考えることはできない。けだし、投票の価値は、選挙制度の仕組みと密接
に関連し、その仕組みいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの
差異を生ずることがあるのを免れないからである。」として、「徹底した平等化志
向」からの後退を示すとともに、最高法規たる憲法規範が選挙の仕組みのあり方を
規制する関係にあるにもかかわらず、現存の選挙制度の仕組みという事実が、憲法
上の規範的要請に対して緩和を求める力を正当に有しているかのごとき態度となつ
て表現されている。法の世界においては、規範が事実を規制しリードして行くので
あつて、事実が規範を規制しリードして行くものでないことは自明の理である。ま
ことに遺憾といわざるを得ないのである。右の後退した解釈態度は、
「・・・・・・両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会
の裁量にゆだねているのである。それ故憲法は、前記投票価値の平等についても、
これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としてい
るわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それぞれについて他にしんしやくする
ことのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するため
に適切な選挙制度を具体的に決定することができるのであり、投票価値の平等は、
さきに例示した選挙制度のように明らかにこれに反するもの、その他憲法上正当な
理由となりえないことが明らかな人種、信条、性別等による差別を除いては、原則
として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連
において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。・・・・・・」と
いう判示として表現されるに至つている。これは、判決理由一、(一)において、
投票の価値の平等は選挙人資格の平等と同等に憲法上要請されているとする解釈と
明らかに矛盾するものである。また、「徹底した平等化志向」が憲法上要請されて
いる選挙権が議会制民主主義の根幹を構成するものであるならば、「他にしんしや
くすることのできる事項」すべてに最優先して、投票価値の徹底した平等に向けて
必要な措置がとられて行かなければならないであろう。選挙制度の法定に関し国会
になんらかの裁量権があるにしても、投票価値の平等に関しては、それは、「徹底
した平等化志向」という憲法規範のもとにおける極めて厳しく覊束された裁量の域
を出ないものといわなければならないのである。この点に関し、判決理由一、
(一)において鮮明かつ高らかに宣言された憲法解釈が、何故に、判決理由一、
(二)においては換骨的に解釈に後退しているのであろうか。まことに理解に苦し
むところである。
(三) 右の矛盾点については、さすがに判決理由においても自覚しており、「も
つとも、このことは、平等選挙権の一要素としての投票価値の平等が、単に国会の
裁量権の行使の際における考慮事項の一つであるにとどまり、憲法上の要求として
の意義と価値を有しないことを意味するものではない。」とはしているが、このく
だりに至つては、判決理由一、(一)で示された規範宣言の魂は汚泥に塗れ、色褪
せているというのほかはない。極端な表現方法を許していただくならば、判決理由
一、の論理構造は、「投票価値の徹底した平等化志向の肯定」→「投票価値の平等
の軽視」→「投票価値の平等の軽視は憲法上の要求としての意義を無視するもので
はない。」となつており、一般国民を困惑させるまでに難解なものとなつている。
2 議員定数配分規定の合憲性の項について
(一) 判決理由二、(一)における特徴は、選挙区割の際に考慮すべき諸要素
と、区割された選挙区に配分されるべき議員定数の問題とを、渾然一体のものとし
て把握する誤りを犯している点にある。このことは、「思うに、衆議院議員の選挙
について、右のように全国を多数の選挙区に分け、各選挙区に議員定数を配分して
選挙を行わせる制度をとる場合において、具体的に、どのように選挙区を区分し、
そのそれぞれに幾人の議員を配分するかを決定するについては、各選挙区の選挙人
数又は人口数(・・・)と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基
準とされるべきことは当然であるとしても、それ以外にも、実際上考慮され、か
つ、考慮されてしかるべき要素は、少なくない。」として、選挙区割に際して、考
慮すべき都道府県のもつ意義や、地理的、生活的、行政的等の諸要素を論じ、「社
会の急激な変化や、その一つのあらわれとしての人口の都市集中化の現象などが生
じた場合、これをどのように評価し、前述した政治における安定の要請をも考慮し
ながら、これを選挙区割や議員定数配分にどのように反映させるかも、国会におけ
る高度に政策的な考慮要素の一つであることを失わない。」との結論を導き出して
いることに現われている。選挙区割をどのようにすべきかを決定するに際しては、
なるほど判決理由も指摘するように、経済的・行政的・地理的・歴史的等の諸要素
を充分考慮し、効率の良い安定した選挙区割を目指すべきことは当然の要請といわ
なければならないであろう。そして、選挙区割に関しては、その性質上、国会も大
幅な裁量権を有しているとする所論は首肯できるところである。しかしながら、区
割されたその選挙区に対して幾人の議員定数が配分されるべきかを決定するに際し
ては、政策的技術的諸要素はもちろんのこと、右のごとき地理的・歴史的・行政的
等の諸要素を考慮に入れるべきではないのである。そこには、憲法が最優先的に要
請している「投票価値の平等」という規範的な基準だけが存在する、といつても過
言ではないと原告らは信じる。重ねて強調するが、選挙区割の問題と区割されたそ
の選挙区に対する議員定数配分の問題とは、全く異質別個の問題なのである。
(二) しかるに、判決理由二、(一)においては、選挙区割の問題と議員定数配
分の問題とを、性質上も同一のものと誤解し、かつ、一体のものとして把握してい
るがゆえに、選挙区制に際して考慮されるべき諸要素は議員定数配分に際しても考
慮されるべき諸要素でもあるとして、投票価値の平等という憲法上の要請を不当に
も軽視するに至るのである。加えて、国会が選挙区割に対して有している立法上の
裁量権は議員定数の配分決定にもこれを及ぼしうるとする判断上の誤りを犯すに至
るのである。このことは、「このように、衆議院議員の選挙における選挙区制と議
員定数の配分の決定には、極めて多種多様で複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素
が含まれており、それらの諸要素のそれぞれをどの程度考慮し、これを具体的決定
にどこまで反映させることができるかについては、もとより厳密に一定された客観
的基準が存在するわけのものではないから、結局は、国会の具体的に決定したとこ
ろがその裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかによつて決するほかな
く、しかも事の性質上、その判断にあたつては特に慎重であることを要し、限られ
た資料に基づき、限られた観点からたやすくその決定の適否を判断すべきものでな
いことは、いうまでもない。」とするくだりに如実に表現されている。
(三) 判決理由二、(二)は、「本件議員定数配分規定は、主として昭和三九年
法律第一三二号による公選法の一部改正にかかるもので、」「昭和四七年一二月一
〇日の本件衆議院議員選挙当時においては、各選挙区の議員一人あたりの選挙人数
と全国平均のそれとの偏差は、下限において四七・三〇パーセント、上限において
一六二・八七パーセントとなり、その開きは約五対一の割合に達していた、」と
し、この投票価値の不平等の状態は「前述のような諸般の要素、特に右の急激な社
会的変化に対応するについてある程度の政策的裁量を考慮に入れてもなお、一般的
に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているばかりでなく、
これをさらに超えるに至つているものというほかなく、これを正当化すべき特段の
理由をどこにも見出すことができない以上、本件議員定数配分規定の下における各
選挙区の議員定数と人口数との比率の偏差は、右選挙当時には、憲法の選挙権の平
等の要求に反する程度になつていたものといわなければならない。」と断じてい
る。
しかしながら、判決理由二、(二)は、これに引き続き、「右の理由から直ちに本
件議員定数配分規定を憲法違反と断ずべきかどうかについては、更に考慮を必要と
する。」として、憲法違反の投票価値の不平等の状態とこの不平等状態を発生させ
ている議員定数配分規定の憲法違反問題とを分離して価値判断しようと試み、容易
に理解し難い奇妙な理論的転身を示しているのである。そして、その理由として
は、「本件の場合についていえば、前記のような人口の異動は不断に生じ、したが
つて選挙区における人口数と議員定数との比率も絶えず変動するのに対し、選挙区
制と議員定数の配分を頻繁に変更することは、必ずしも実際的ではなく、また相当
でもないことを考えると、右事情によつて具体的な比率の偏差が選挙権の平等の要
求に反する程度となつたとしても、これによつて直ちに当該議員定数配分規定を憲
法違反とすべきものではなく、人口の変動状態をも考慮して合理的期間内における
是正が憲法上要求されていると考えられるのにそれが行われない場合に始めて憲法
違反と断ぜられるべきもの」であるから、としている。選挙区割を頻繁に変更する
ことは相当でないとする見解は理解できるにしても、憲法が要求する投票価値の平
等を確保していくために議員定数の配分を是正していくことが「実際的ではなく、
また相当でもない」とするのはどのような考え方に基づくものであろうか。まこと
に不可解というほかはない。
およそ、平等の概念は、計量的概念であつて、感覚的概念でも悟性的概念でもない
のであるから、約五対一という投票価値の不平等状態は憲法違反の状態であると判
断する以上は、許容される投票価値の不平等限界値を必ず前提にしているものとい
わなければならない。この不平等限界値の判断なくしては、違憲判断をなしうる余
地はないと考える。ただ漠然とかかる不平等は憲法違反であるとする感覚的判断
は、概念と理論構成をもつて具体的に法規範を宣言すべき司法の使命に悖るもので
あろう。判決理由中において、何ゆえにこの許容される不平等限界値を判示するこ
とができなかつたのか、あるいはなんらかの配慮が働いてその判示を避けられたの
かは定かではないが、裁判所に負託されている基本的な使命から考えてまことに遺
憾に思うのである。したがつて、本件事案については、憲法に照らして、この許容
されうる不平等限界値を是非とも明確に判示されるよう強く求めるものである。さ
もなければ、国会によつて、どの程度を是正すべき合理的期間とし、あるいはどの
程度まで不平等を是正する必要があるのかは不明のままに放置されることになるの
である。
(四) 判決理由二、(二)におけるもう一つの特徴は、「そして、選挙区割及び
議員定数の配分は、議員総数と関連させながら、前述のような複雑、微妙な考慮の
下で決定されるのであつて、一旦このようにして決定されたものは、一定の議員総
数の各選挙区への配分として、相互に有機的に関連し、一の部分における変動は他
の部分にも波動的に影響を及ぼすべき性質を有するものと認められ、その意味にお
いて不可分の一体をなすと考えられるから、右配分規定は、単に憲法に違反する不
平等を招来している部分のみでなく、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべ
きである。」としている点である。右前段の選挙区割および議員定数の配分は相互
に絡み合うので双方共微妙な考慮のもとで決定されるべきものと考えることの不当
性はさきに述べたところである。加えて後段においては、前提判断として、一定の
議員総数を固定不可動のものとして考えているがゆえに「一の部分における変動は
他の部分にも波動的に影響を及ぼすべき性質を有する」という誤つた結論を導き出
し、ひいては議員定数配分規定は不可分一体である(議員総数を固定して考えれば
首肯できる。)から、「不平等を招来している部分のみでなく、全体として違憲の
瑕疵を帯びる」と結論づけているのである。議員定数の配分を平等にするための是
正措置は、議員総数の変更を必要とする場合もあるのであつて、そのいずれの措置
も法改正によるものであることは申すまでもない。
3 選挙の効力の項について
判決理由三、における特徴の一は、(1)違憲な選挙であつてもその施行を事前に
抑制する制度が認められていないこと、ならびに(2)当選議員によつて構成され
る国会の活動により諸々の法律関係及び事実関係が密接な関連を保ちつつ形成され
ていく、ということから考えて、憲法九八条第一項との関係で違憲選挙無効判決の
効力の及ぶ範囲を明確にしていないことである。特徴の二は、「しかしながら、他
面、右の場合においても、選挙無効の判決によつて得られる結果は、当該選挙区の
選出議員がいなくなるというだけであつて、真に憲法に適合する選挙が実現するた
めには、公選法自体の改正にまたなければならないことに変わりはなく、更に、全
国の選挙について同様の訴訟が提起され選挙無効の判決によつてさきに指摘したの
とほぼ同様の不当な結果を生ずることもありうるのである。また、仮に一部の選挙
区の選挙のみが無効とされるにとどまつた場合でも、もともと同じ憲法違反の瑕疵
を有する選挙について、そのあるものは無効とされ、他のものはもともと有効とし
て残り、しかも、右公選法の改正を含むその後の衆議院の活動が、選挙を無効とさ
れた選挙区からの選出議員を得ることができないままの異常な状態の下で、行われ
ざるをえないこととなるのであつて、このような結果は、憲法上決して望ましい姿
ではなく、また、その所期するところでもないというべきである。」に判示されて
いる点である。議員定数配分規定が憲法一四条一項に違反していることを理由とし
て、選挙無効の訴訟が認められる以上、無効判決確定の結果憲法に適合した議員構
成に是正するため、一時的に当該選挙区選出の議員を欠くことになつても、制度上
はやむを得ないものというべきである(ちなみに、公職選挙法違反で選挙が無効と
された場合も同様の事態を招来する。)。また、各選挙区から選出される各議員
は、いずれも国民全体のための議員であつて、選出選挙区のための議員ではないと
いう法制度を併せ考えるならば、なおさら当然のことといわなければならない。部
分的にしろ違憲な選挙が無効とされ、議員定数の配分が憲法に適合した平等な状態
に是正されていくということは、国民主権主義のもとにおける議会制民主主義の根
幹がもつ瑕疵を憲法に照らして是正していくことにほかならないから、それこそ憲
法が所期し要求しているところである。投票価値の不平等が許容される限界値が裁
判所において明確に示されるならば、国会における不平等を是正する法改正はきわ
めて能率的に、かつ、全体的に行なわれることになるであろう。
以上は、判決理由の順序に沿つて昭和五一年四月一四日の最高裁判所判決理由に見
られる矛盾と疑問を指摘してきたものであるが、原告らは、不平等偏差の許容限度
を数字をもつて明らかにする考え方を排斥している点を除いては、上告人の請求を
認容した五裁判官の反対意見を、憲法規範をより厳正に宣言しているものとして、
これに賛同するものである。
第五 アメリカ合衆国における動向と本件選挙についての検討
一 二〇世紀初頭よりその中盤にかけ都市化が進むにつれ人口の都市集中がアメリ
カ合衆国における政治制度をその根幹からゆさぶり始めた。すなわち農村の住民が
都市に移住し都市の人口が急増したにもかかわらず多くの州において選挙区および
その議員定数が不変のままにされたため、農村地域の少数者が過大代表を形成し都
市地域多数者の過小代表を押えて議会における過半数を制することが可能となる事
態が発生した。このため都市地域の選挙民は、選挙区割を定める州法を過大代表と
過小代表の事実を理由にしてアメリカ合衆国憲法一条二節、同修正一四条「平等保
護条項」に違反するから無効であるとの訴訟を次々と提起するに至つた。当初アメ
リカ連邦最高裁判所は、かかる問題は「政治的問題(political que
stion)であり、司法判断に適さない(non-justiciable)と
の立場をとり(コールグローブ事件Colegrove v.Green、32 
U.S.549(1946))つづけてきたのであるが、一九六二年になるや、べ
イカー対カー事件(Baker v.Carr、369 U.S.186(196
2))において、議員の配分、すなわち選挙区割に関し、裁判所は司法判断を行な
いうることを承認するに至り、ジヨージア州選出の連邦下院議員の定数配分州法が
争われた、二年後のウエスベリー対サンダース事件(Wesberr v.San
ders、376 U.S.1(1964))もこれを踏襲し、さらに次のように
述べている。
「一人の議員が他の選挙区選出の各議員により代表される選挙人の二倍ないし三倍
を代表している該議員配分法は、ある票の価値を低め、他の票のそれを増してい
る。連邦憲法が有権者は連邦議会議員を選挙する場合には各票が他のいずれの票と
も同量のウエイトを与えられることを意図しているものならば、該法はその効力を
有しないものである。われわれは次のように考える。すなわち、その歴史的関連に
おいて解釈すると、連邦下院議員を『各州民によつて』選挙すべしという連邦憲法
一条二節の要請は選挙における一人の票が他のいずれのそれとも、実行可能な限度
において等価値であるべきことを意味する。・・・・・・一票がある選挙区におい
て他の選挙区におけるものより価値が高いということは、わが民主政治に関する基
本理念にもとるのみでなく、それは『人民によつて』選挙される連邦下院という憲
法議会において粘り強く闘い求められて確立された原則を放棄するものであ
る。・・・・・・連邦下院の基盤たるべきものが人口である。・・・・・・」
このウエスベリー判決は、ジヨージア州定数配分法は違憲である旨を宣言したので
あるが、一九四六年の前掲のコールグローブ事件判決以来右違憲判決を下すまで
に、実に一八年間もの歳月を要している。原告らはこの一八年間という長い歳月の
中に、アメリカ連邦最高裁判所の苦悩と逡巡を、そうしてそれゆえにこそ違憲判断
を下すに際してのその勇気と決断を想うとき、その良心をみることとなるのである
が、もちろん、この違憲判決を導きだしたものは、人口数こそ「代表の唯一適切な
尺度である。」という原理の確認ばかりでなく、都市地域における過小代表と農村
地域における過大代表の著しいアンバランス、さらには平等代表を確保するに際し
ての州立法部の長期的サボタージユ等がその主要な要因であつた。
二 ところで、アメリカ連邦憲法修正一四条の平等保護条項の許容する投票の価値
の不均衡の程度は具体的にどの程度をいうのであろうか。
それは違憲または合憲と判断された裁判例を具体的に検討することによつて得られ
るものである。右ウエズベリー判決においては、「実行可能な限度において等価値
(as nearly as is practicable one man’
s vote in a congressional election is
 to be worthas another’s)なる抽象的基準が示された
にとどまり、右判決を理論上補強したと評される、同年のレイノルズ対シムズ事件
(Reynolds v. Sims、377 U.S.533(1964))に
おいても明確な数理的基準は示されなかつたが、一九六九年に至りカークパトリツ
ク対プレイスラー事件(Kirkpatrick v.Preisler、39
4、U.S.526(1969))における違憲判断によつて厳格な許容基準が具
体的に示されるに至つた。同判決における多数意見(訳文)は別紙三のとおりであ
る。
三 アメリカ合衆国の判例をながめるとき、裁判所においてアメリカ合衆国におけ
る議員定数を定めた法律の規定が違憲と主張され審理をうけるケースはこれを二つ
に分類することができる。一つは、連邦議会の下院の場合であり、この場合議員数
は各州の人口に比例して配分され、その人口の算定は一〇年以内ごとに連邦議会が
法律で定めるところに従つて行ない、各州における選挙区割はその州の立法部がこ
れを定めることになつているため、この選挙区割を定める州法を違憲と主張するも
のである(連邦議会の上院については、上院が各州二人ずつの議員で組織され常に
州全域が一選挙区となつているため州における選挙区割の問題は生じない。)。他
の一つは、州立法部の上院および下院の場合であり、この場合議員につき議員定数
の配分、選挙区割を定める州法を違憲と主張するものである。そして前者の場合、
連邦憲法一条二節に論拠し、この一条二節の、代議員は「各州の人民によつて」選
出されるという規定は、「連邦議会選挙における一人の投票は実行可能な限度にお
いて正確に他人の投票と同等の価値をもたなければならない。」というものであ
り、これはまさに前記一の、ウエスベリー判決が宣言したものである。後者の場
合、連邦憲法修正一四条一節に論拠し、一四条一節の「いずれの州もその管轄内に
ある何人に対しても、法律の平等な保護を拒否してはならない。」という規定は、
両院制の州においては、その両院のいずれの議席も実質的に(substanti
ally)「人々の基礎」(population basis)の上に配分され
ることを要求している。」というものであり、これは、前記二のレイノルズ対シム
ズ事件において宣言されたものである。
四 さきに紹介したカークパトリツク対プレイスラー事件の判決は、要するに「等
しい人口に等しい代表」が憲法の要請しているところである以上、「実行可能な限
度において等価値に(as nearly  as is practicabl
e)という基準は、州に対して数学的に正確な平等を達成するため誠実な努力を要
求しているのであつて、選挙区相互間の人口偏差が、このような州の努力にもかか
わらず生じたものであることを証明しない以上、州は、その偏差がいかに僅かなも
のであろうとも、その各偏差の正当性を証明すべきであるというのである。
右判決は、州法を違憲であると主張されているミズウリー州は、各選挙区の有権者
数を確認し、それに基づく議員配分の試みをなしていない、それは精々、人口総数
に基礎をおいた案に大雑把な修正を加えたものにすぎないとし、州の努力を認める
ことはできないとし、人口偏差を正当化しうべくもないと判決しているのである。
五 ところで、昭和五二年七月一〇日に行なわれた参議院議員選挙においては、大
阪府選挙区の議員一人当りの有権者数が鳥取県選挙区の議員一人当りのそれに比
し、実に四・四二倍もの倍率を示すに至つているのであつて、選挙区を異にする選
挙についての一票の価値に著しい不均衡が存在しているのである。わが国の立法部
は、過去大雑把な修正を申し訳程度になしたにすぎず、一票の投票価値を平等にす
るための誠実な努力は全くなしていないのであり、その結果、前述の如く、昭和五
二年七月一〇日行なわれた参議院議員選挙において、大阪府選挙区と鳥取県選挙区
とで一票の価値が後者が前者の四・四二倍というきわめて不均衡な結果をもたらし
たのである。
原告らは、裁判所に対してかかる不均衡の是正を求めているのであり、この不均衡
手直しのための法改正を立法部がどの程度まで放置しておけば違憲となるかの具体
的な限界基準を明示されたく裁判所に要望するものであり、裁判所が原告らのかか
る要望に速やかにこたえることこそ、「法の下の平等」という民主主義の理念を裁
判所が実現することとなるのであつて、右要望にこたえてこそ司法の責務を果たし
たといえるものである。
第六 被告の主張に対する反論
一 被告はその主張(二)において、わが憲法における両院の組織および権限には
重大な相違が存するが故に、「右のような憲法上の両院の相違は、当然両議院の議
員の選挙制度にも影響を及ぼすべきものであり、さきに述べた国会が選挙制度を決
定する際に、投票価値の平等以外に考慮することのできる他の政策的目的ないし理
由についても自ら異つてくる筈である。」と論結しているが、右所論は被告の憲法
認識を識る上において誠に興味深いものである。
しかしながら何ゆえに、被告は両院の組織および権限の重大な相違が「当然に」両
院議員の選挙制度に影響を及ぼすというのであるか、また何ゆえに右の相違が投票
価値の平等以外に考慮することのできる「他の政策的目的ないし理由」を構成する
というのであるか。
その「何ゆえ」は、遂に明らかにせられないままの曖昧な観念に終る。
二 原告は、わが憲法が明文で両院の組織および権限に差異をもたらしたゆえん
は、両院の民主的性格の相違に依るものではなく、単に両院の跛行性ないし表見性
に依るものと解する。
それは単に、衆議院の優越とか参議院の補正的機能とかいう文言で象徴されるよう
に、国会の意思統一の形成を容易にし、かつ、これを確保するための実際的便宜的
制度に基づくのである。つまり、両院の組織および権限の相違は、あくまでも衆議
院を抑制しこれを補充するところの第二院型として憲法が参議院を性格づけている
ことに由来するのであつて、ゆめゆめ議員の民主的選出方法の程度において、参議
院が衆議院に劣後するものとは考えない。
三 被告は、さらにまた、参議院の「全国選出議員は職能代表的な考え方によつて
各職域からそれぞれの代表を選出させようとしたものであり、地方選出議員につい
ては・・・・・・地域代表的な考え方を採用し、地方の事情に精通した代表を選出
させようとしたもの」と論ずるのであるが、右所論は憲法四四条、四三条一項、一
五条二項、一四条一項等の明文に牴触するおそれなしとしない。
何となれば、国民の部分的利益を代表し、選出母体の強制的負託を受けるがごとき
職能代表制は、「全国民を代表」して「全体の奉仕者」たる憲法の概念と基本的に
相容れないのみか、職業区分に洩れる国民は社会的身分による差別を受けるものと
解さざるを得ないであろう。さらにまた、地域代表的な考え方などは、国会議員の
本質を単なる地域代表とは見ず、あくまで全国民の意思に基づく全国民の代表とし
て観念しているわが憲法の根本精神に違反するものと断ずるのほかはないからであ
る。
国会議員は「全国民を代表する。」と明記し、かつ、それは「全体の奉仕者」たる
ことを強調するわが憲法は、国会議員の選出手続においても、全国的均一的原理の
もとに各選挙区間におけるすべての投票の価値が平等となるよう、つまり結果価値
が平等となるよう仕組まれることを暗黙のうちに要請しているものと解するのが相
当である。
四 わが憲法における参議院の本質をいかに把握するかについては、従来これを民
主制度下の第二院と見ることに学説はほぼ一致している。
つまり、それは民主的勢力を抑止しこれに製肘を加える意味での明治憲法下のよう
な貴族院型ではあり得ず、また単一国たる日本の国制からしてアメリカ合衆国の上
院のような連邦型でもあり得ない。
わが国の参議院が、その議員の選出過程からして、衆議院と同質の一の民選議会で
あることは、議員の本質を「全体の奉仕者」であるとし、また「全国民を代表する
選挙された議員」であると明記する憲法の当然の帰結である。ただ、議院内閣制を
採用し、三権の厳密な分離対立化よりは立法権行政権相互間の共働依存化を試みん
とする憲法の他の要請に基づき、議院内閣制を完全に動かしうるために、名誉的序
列ならびにその組織権限においてのみ、参議院は衆議院に準ずる第二院たる地位に
とどまるにすぎないのである。のみならず、参議院は、第二院とはいつても、第一
院の行き過ぎを是正しこれに反省を促すという、衆議院にはみられない重要な国家
機能を賦与されるべく仕組まれている。
しかしながら、このような憲法における衆参両院間の地位、組織、権限の異同は、
内閣が統一ある一の基盤(結論)をもつための合議体自らに特有な機能的差別なの
であり、それは院の構成員たる議員の選出に関する差別にまで消長を及ぼすもので
はない。
憲法は衆参両院の議員の選出については、ただに「正当に選挙され」ること(前
文)、「全国民を代表する選挙された議員」であること(四三条一項)、「人種、
信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入」等「によつて差別してはな
らない。」こと(四四条)を明記するにとどまる。これらの条文の最高法規性は、
定数その他の法律委任事項によつて事実上侵犯することができないものである。ま
た、選挙する国民の側からすれば、右の諸規定は一四条の平等保障条項の当然の帰
結でもある。
参議院議員選挙における国民の平等権保障を衆議院議員のそれの場合に比し軽から
しめ、かくして両者の選挙を差別するがためには、憲法上それなりの合理的理由が
なくてはならぬ。被告の主張のごとき、定数不均衡の是正は数学的事実的に不可能
であるとか、公職選挙法の別表第二には別表第一のような添え書がないとかの理由
によるならば、それは事実が規範を規制し、下位法規が最高法規をリードする弊の
み多くして、所詮は本末顛倒の逆理といわざるを得ないのである。
第七 むすび
原告ら提出の鑑定意見書(甲第一号証)中の鑑定事項は、いずれも本件訴訟におい
て、原被告間の重要な争点を形成しているものばかりである。
すなわち、右鑑定事項中の
(一) は、わが国の国会議員選挙における選挙人の投票価値の不平等を許容する
ことの原則的可否および許容されうる場合の許容基準と限度についての鑑定を求
め、
(二) は、衆議院、参議院のそれぞれの選挙における投票価値の不平等問題をパ
ラレルに解してよいかの是非を問い、
(三) は、本件選挙を憲法上無効と解すべきか否かに関する鑑定人の結語を求め
るものである。
以上についての鑑定意見は、明晰にして確信に充ち、一点の逡巡や矛盾をも許して
いない。それゆえ原告らは、本鑑定意見書を前にしてはもはや何ら付け加えるべき
論をもたないのであるが、ただ以上の主張を整理しこれを要約する意味で、若干の
敷衍を試み、主張を全うしたいものと考える。
(一) 選挙権の平等ないし一人一票の原則
一人一票の原則は、一九世紀の西洋史において、普選実施への要求と複数投票の禁
止を求めるスローガンとして生まれ、第一次世界大戦後の諸国の憲法に漸次その思
想が採用せられ、実定法化されたものである。これが計算価値のみならず、結果価
値の平等を含む意味にまで拡張して解釈されるようになつたのは、ワイマール憲法
下のドイツの判例以降の現象であるといわれる。第二次大戦後、右の傾向は各国の
国民意識の向上とともにさらに強まり、結果価値の平等を保障してはじめて国民の
国政に参加する度合が等しなみになるという原理が学説判例上広く確認せられ、選
挙という国民の能動的権利の平等に関する制度的保障が諸外国の法制においても遂
に採択されるに至つたのである。
すなわち、西独ボン基本法のもとにおける一九六三年五月二二日の憲法裁判所の判
決は、各選挙区は実行できる範囲内でほぼ同じ人口数のものでなければならないこ
と、さらに、平均値人口数から上下三分の一(三三・三分の一パーセント)の偏差
を認める連邦選挙法(一九五六年法三条三項)は合理的な理由があり違憲でないこ
と等の原理を明白にし、時を同じうしてアメリカ合衆国連邦最高裁判所も、一九六
二年のベイカー事件につづく一連の議員定数再配分事件の判決において、投票価値
の平等を保障することがアメリカ連邦憲法修正一四条の平等保護条項(州議会の場
合)ないし同法一条二節の「人民による」選挙原則(連邦議会の場合)の要請とし
ての憲法原則であることを、内外に宣言したのである。
「立法者は、木や土地ではなく、人民を代表する。立法者は、農場や都市や経済的
利益によつてではなく、有権者によつて選出される。・・・・・・市民のもつ投票
の権利が値打を落として行くその度合に応じて、有権者のもつ市民としての価値も
また減じて行くのである。・・・・・・住む場所のために投票のウエイトが薄めら
れるのは、人種や経済的地位に基づく不愉快な差別と全く同様に、修正一四条のも
とにおける憲法上の諸権利を侵害するものである。」(ウオーレン)
これはレイノルズ事件に関して、連邦最高裁判所が一九六四年六月一五日に下した
違憲判決の多数意見の立場である。
すなわち、多数意見は「或る地区の有権者らは他の地区の有権者らが唯の一回しか
投票できないのに、二回、五回または十回にもわたつて議会の代表者を選挙するこ
とができる旨を州が定めても憲法上支障がないという発想は、異常のように思われ
る。・・・・・・不利な地域に住むこれらの個々の選挙人らに生じる差別は数学的
に証明することができる。彼らの選挙権は州内の有利な部分に住む者らの選挙権と
は等しくない選挙権である。・・・・・・たまたまどこに住んでいるかという理由
だけで市民の投票の重さを測ることは、いかなる方法、手段によるにせよ、正当化
しうるものとは思われない。」と論ずる。
人格価値の平等を徹底的に追及する右のようなウオーレン・コート時代の判例の思
想は、反面、人口比例の原則を議員定数配分問題を解明する最重要概念として偏重
し、地域性等のいわゆる非人口的要素を軽視するという意味では、後述するように
批判もないわけではない。しかしながら、一人一票の原則ないしは投票価値の平等
を憲法原則として把握する基調自体については、アメリカをはじめ西欧の文明諸国
の判例学説は一致している、と結論することができるのであり、昭和五一年四月一
四日の最高裁判所大法廷判決が選挙権の平等が「憲法の要求するところである。」
と宣言したのも、以上のような歴史の趨勢を確認したものといえる。
(二) 非人口的要素を斟酌することへの批判
すでに指摘したところであるが、右大法廷判決はしかしながら、定数配分における
非人口的要素のもつ役割をかなりの程度に評価して、投票価値の「徹底した平等化
志向」からは後退しているのである。
すなわち、判決は「投票価値の平等は、・・・・・・原則として、国会が正当に考
慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現さ
れるもの」であるとし、非人口的要素への考慮を示している。その結果として判決
は、選挙区割問題と議員定数配分問題とを混同し、「極めて多種多様で、複雑微妙
な政策的及び技術的考慮要素」に対する国会の広汎な裁量権を認めるという、投票
価値の平等をむしろチエツクするところの結論に陥るのである。
いうまでもないことであるが、憲法一四条一項に違反する事例についての違憲立法
審査権の判断基準が、「合理的根拠」の有無にもとづいていることは、すでにわが
国の学説判例上確立されたところといつてよい。すなわち、これを本件のような事
案に即していえば、原則として投票の価値に差等を設けることは許されず、仮にそ
れが限定的に許されるとしても合理的根拠に基づかなければならないのである。
原告らは、判決のいう「極めて多種多様で、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要
素」に対する国会の裁量が、果して合理的根拠に基づいてなされるかどうかに関し
て、歴史的経験に徴し大いなる危惧を感じずにはおれない。右の考慮要素の観念が
そもそも形式的、かつ、曖昧であり、いかなる内容がそこに盛られるのかが未定で
あるばかりでなく、むしろ判決の趣旨とは反するような封建的非民主的政治勢力の
介入する余地すら存在する。それゆえ、「合理的根拠」の判断基準は極めて限定的
に、かつ、厳密に解釈されなければならないのである。ということは裏を返せば、
「投票の価値の徹底した平等化志向」の原則を厳正に維持しなければならないとい
うことになろう。
すでに述べたごとく、西ドイツでは平均値からの偏差として許容される限度は上
限・下限とも三三・三分の一パーセント、つまり、上限下限の開きは二対一で押え
られている。またアメリカにおいては、「実行可能の限度において可及的に」等価
値たるべきことを要請されている。かくてわが国においても、選挙権の平等を制度
的に保障するがためには、立法府の恣意ないし裁量をできるだけ制限し、また違憲
判断の基準を曖昧のままに放置しないように然るべき足枷をはめなければならない
のである。
(三) 定数の合理性を判断する基準
既述したように、国民の投票権が国法上いかに取扱われ、また「人民による政治」
を具体化するためそれがいかに法定されているかは、一国の民主政治の程度を量る
バロメーターである。
それゆえ、仮にやむを得ない合理的理由に基づき、投票の価値の不平等が存在する
に至るとしても、それが恣意的、かつ、無限定に流れないためには、明確な許容基
準と許容限界をおいておくことがどうしても必要となる。
鑑定意見書(甲第一号証)における「二対一」の基準は、その意味で歴史的理想的
要請と実質的個別的考慮とをほぼ調和せしめたところの合理的数値といえるであろ
う。本件の解明にあたつても右の判断基準が採用せられ、今後とも同種の事案に関
する判例法の嚆矢となることを原告らは切望する。一票の価値の平等を憲法の要請
であるとしつつも、なお他方において、各選挙区間の一票の価値に二倍以上の偏差
をもつ事態を放置することは、一人一票制の冒涜以外の何物でもない。「二対一」
の基準は、選挙権平等の公的担保のために堅持せらるべきである。
被告は、憲法四六条にいう参議院議員の半数改選の規定を手懸りにして「選挙人数
の総数が絶対的に少ない鳥取県選挙区であつても、少くとも二名の定数配分をしな
ければならないから、・・・・・・定数の不均衡の是正は数学的に不可能なのであ
る。」と説く。さような立論からすれば、「二対一」基準の厳格な適用はますます
困難ということになろう。
しかしながら、それは憲法四六条の規定を安易に選挙区における議員偶数制と結び
つけるから、さような数字上のジレンマに陥るのである。
憲法四六条は、参議院議員について「三年ごとに議員の半数を改選する。」ことを
規定したにとどまり、すべての選挙区について議員の半数を改選することまでを論
理必然的に要求はしていない。現行参議院の議員定数制度の成立事情が議員偶数制
を採用したからといつて、選挙権平等に関する憲法原則を看過し犠牲にしてまで議
員偶数制に固執する必要はない。原告らはあくまで、まず憲法原則を明確に打ち樹
て、然る後に各選挙区の議員を偶数にすべきかどうかのような事項については憲法
原則に則つた範囲内で法律でこれを決めればよい、と考える。かように処理すれ
ば、「二対一」原則の厳密な適用もあながち不可能ではないのである。
もし議員偶数制を採らないのであれば、人口過疎地区の議員は一人で六年ごとに改
選されるのみである。人口過密地区の議員は複数で三年ごとに改選される。そし
て、参議院議員の総議員の半数が三年ごとに改選されておれば、憲法の要求は最低
限充たされる。
もし議員偶数制を採るのであれば、端的にいつて地方選出議員の定数を現状より増
やすほかはない。仮にその増加人員が少くて、その結果、なお「二対一」の比率を
超過している選挙区があろうとも、定数是正の努力をしたことが立法府側の正当性
を証拠づける情状として、違憲審査においては違憲の瑕疵を多少とも減殺する働き
をするであろう。
その他、議員偶数制の採否にかかわりなく、全国選出議員の定数を減らすかこれを
全廃して、地方選出議員の定数を現状より増やし、これを憲法原則に則つて各選挙
区に分配することも何ら違憲ではない。また場合によつては、選挙区制の再編成を
考慮してもよいであろう。議員偶数制、全国選出地方選出の区分、選挙区の議員定
数、選挙区割等はいずれも法律事項であるから、それらは憲法原則に則つた範囲で
こそ処理せらるべきである。法律事項がさきに決められ憲法原則が後で確認された
からといつて、先行の法律事項のために後行の憲法原則がゆがめられ、侵犯される
ようなことがあつてはならない。原告らが第六の四において、「事実が規範を規制
し、下位法規が最高法規をリード」してはならないと警告を発したゆえんは、実に
ここに存するのである。
(四) 結語
現代人とてイドラ(idola)を持つ。それは人間の陥る宿命である。しかし、
現実の呪縛を去り思考方法を転換するだけで、大疑問が大疑問でなくなり、平明に
して公平な解決に達しうるのに、本件においてそれが容易になされないのはやはり
政治が関与しているからであろう。その意味では、本件のような議員定数是正の事
案はまさに法律と政治の交錯する案件である。
アメリカにおいても、定数配分問題は代表民主制の観念の中に位置づけられてお
り、これについては二つの大きな歴史観の対立があるといわれる。
その一はウオーレンに代表される多数決主義で、「代議政を基礎とする社会におい
ては、論理上、(州の)人民の多数が(州の)立法者の多数を選挙することができ
ることが合理的」であるとする立場であり、「代議政の基本原則、すなわち、市民
の投票の重さが彼の住んでいる場所に依存させられることはできないという原則
は、変らずに存在するし、また存続しなければならない。」とし、一人一票原則を
代議政治の根底におく。
その二はスチユアートに代表される利益集団代表主義で、「適切な議員定数配分
は、理想的には、他の政治権力の諸機関との協力において、(州)議会に選挙人団
を構成する種々の集団を効果的に代表させることを確保するように仕組まれるべき
である。」とする立場である。
現象的にみれば、前者はより法の立場を明確にして憲法保障機能を十全に発揮する
ことを求め、後者は社会学的な意味での政治の機能化を計ろうとする。原告らはも
とより前者の立場に立つものである。被告の説には後者のごとき口吻も感じられな
いわけではないが、しかしながら、昭和二二年法律第一七号の参議院議員選挙法の
別表を、現行公職選挙法が別表第二としてそのまま踏襲して以来、無慮三十年にな
んなんとする定数是正に関する国会のサボタージユの事実は、一切の主張の正統性
を粉砕するものである。参議院の独自性の議論も傾聴には値しない。党利党略に傾
き力の政治が理の政治を蹂りんすることも稀ではない国会の審議に、この種事案の
本質的解決を求めることは百年河清を待つに等しいであろう。
本件訴訟は、まさにかかる政治の現状に絶望し、信ずべきは独り司法あるのみと確
信する非政治的多数住民の政治勢力に対する挑戦である。
何とぞ、御庁におかれては以上の諸事情御賢察の上、本件選挙を無効とせられもつ
て警世の辞を内外に下されんことを切望する次第である。
以上

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