弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成17年(行ウ)第58号遺族補償年金等不支給処分取消請求事件
口頭弁論終結日平成19年12月27日
判決
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
豊橋労働基準監督署長が原告に対し平成14年9月13日付けでした労働者
災害補償保険法による遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の各処分を取り
消す。
第2事案の概要
1本件は,株式会社マツヤデンキ(以下「本件事業主」という。)に勤務して
いた被災者の妻である原告が,慢性心不全を基礎疾患とする致死性不整脈発症
による被災者の死亡が業務に起因するものであると主張し,労働者災害補償保
険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金及び葬祭料を不支
給とした平成14年9月13日付けの豊橋労働基準監督署長の各処分(以下
「本件処分」という。)の取消しを求める事案である。
2争いのない事実等(掲記の証拠等により容易に認定できる事実を含む。)
(1)被災者の経歴・病歴等
ア被災者は,昭和38年▲月▲日に出生し,昭和56年4月以降,A株式
会社等で就労していたものであるが,平成9年4月末ころ,体調不良を訴
え,同年5月14日,悪心,おう吐,全身浮腫を主訴として,豊橋市民病
院を受診したところ,甲状腺クリーゼ,心不全(バセドウ病の放置に伴う
慢性心不全の急性増悪,乙39・3頁),バセドウ病及び播種性血管内凝
固症候群との臨床診断を受け,同日から入院することとなった(乙39・
4頁)。被災者は,同年11月11日,心房細動により家庭内での日常生
活活動が著しく制限される心臓機能障害(身体障害者等級3級)を有する
として,愛知県から身体障害者手帳(甲1)の交付を受け,同月15日,
同市民病院を退院した。
イ被災者は,平成10年4月,障害者職業能力開発校に入校し,平成11
年3月,同校を卒業し,同年4月,原告と結婚した。
被災者は,平成11年5月,株式会社タマディックに入社して機械設計
などの業務に従事したが,平成12年1月,同社を退職し,その後は,ア
ルバイトをしながら求職活動をしていた。
被災者は,平成12年10月17日に開催された障害者の就職のための
集団面接会において,家庭電化製品の小売等を業とする本件事業主の一次
面接を受け,同月28日の二次面接を経て,同年11月10日,本件事業
主に身体障害者枠で採用され,愛知県豊川市所在のT店で勤務することと
なった。なお,このころのT店店長は,Hであった。
(2)T店
T店では,1階で冷蔵庫や洗濯機などが販売され,2階でテレビやビデオ
などが販売されていたが,平成12年11月末ころ,店舗改装が行われ,2
階にあったパソコン売場をそれまでは倉庫として使用していた3階に移した。
店舗内には,エスカレーターがあり,従業員もエスカレーターを使用して,
各階への移動を行っていた。
T店は,毎年11月から年末にかけては,家庭電化製品の販売が増え,特
に12月に入った後は,クリスマス・年末商戦に向けて繁忙となり,平成1
2年当時も同様であった。
(3)主な担当業務
本件事業主に採用された後の被災者の主な業務内容は,平成12年12月
中旬までがT店2階のゲーム機売場における接客販売業務,その後,同月2
4日までが同店3階のパソコン売場における接客販売業務であった。T店従
業員の一般的業務内容には,接客販売業務以外にも,商品の荷受け,搬入,
配達のための出荷・配送,出張修理などがあったが,被災者は,こうした業
務には就かないこととされていた。
(4)勤務時間に関連する事実関係
ア通勤時間
被災者は,自宅からT店まで,約30分かけて,自動車で通勤していた
(被災者は,平成12年12月13日に引っ越しをしているが,通勤時間
はおおむね同じであった。)。
イ所定労働時間,所定休日及び休日出勤等(乙14)
被災者の所定労働時間は,午前10時始業,午後7時終業,休憩時間が
60分の1日8時間であった。
所定休日は,毎週1日以上,年間105日であり,勤務割表により割り
振られていた。被災者は,死亡する前の1か月間(平成12年11月25
日∼同年12月24日まで)において,別紙1労働時間集計表(原告主
張)の労働時間欄記載のとおり,8日間の休日を取得した。
ウ勤務時間管理
T店における勤務時間の管理は,タイムカードではなく,1階フロアー
長であるYが勤務表に時間等を記入することによって行われていた(乙1
7・4項)。
エT店の営業時間
被災者が配属された当時,T店の開店時刻は午前10時であり,閉店時
間は午後8時であったが,平成12年12月半ば以降,閉店時間は午後9
時に変更となった。
(5)本件訴訟に至る経緯について
ア被災者は,平成12年12月24日午後11時30分ころ,自宅におい
て,慢性心不全を基礎疾患として,致死性不整脈及びこれによる「脳血管
疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準(乙
10)」が定める対象疾病である心停止(心臓性突然死を含む。)を発症
し,そのころ死亡した(以下,上記心停止に続く被災者の死亡を「本件災
害」という。)。
イ原告は,豊橋労働基準監督署長に対し,本件災害が業務に起因するもの
であるとして,平成13年11月8日に遺族補償年金支給請求及び葬祭料
請求をした。
豊橋労働基準監督署長は,平成14年9月13日,原告の上記各請求に
ついて,不支給とする旨の本件処分を行い,本件処分は,同月17日,原
告に通知された。
原告は,本件処分を受けて,平成14年11月13日,愛知県労働者災
害補償保険審査官に対し,審査請求をしたところ,同審査官は,平成15
年7月31日,これを棄却する決定をし,同決定は,同年8月2日,原告
に通知された。
原告は,上記決定を不服として,平成15年9月26日,労働保険審査
会に対し,再審査請求をしたところ,同審査会は,平成17年4月21日,
これを棄却する旨の裁決をし,同裁決は,同月30日ころ,原告に通知さ
れた。
そこで,原告は,平成17年10月26日,本件訴訟を提起した。
(6)被災者の疾患に関する知見等
アバセドウ病,甲状腺クリーゼ(乙64の2∼4,顕著な事実)
バセドウ病とは,自己免疫性異常により甲状腺ホルモンの過剰産生及び
分泌が起こり(甲状腺機能亢進症),これによる諸症状(動悸,発汗過多
等の身体症状,昏睡等の精神症状)を中心とする病態をいう。バセドウ病
の経過中にみられる甲状腺クリーゼは,上記の甲状腺機能亢進症の諸症状
が重篤化した状態をいい,早期に治療しないと死亡する確率が高い。
イ心房細動(乙63の2)
心房細動とは,心房全体としての統一ある収縮がなくなった状態のうち,
心房の各部が無秩序,不規則に興奮して,心電図上,f波と呼ばれる毎分
400∼600回の不規則な波(拍数)が出現するものをいい,心房細動
を起こしやすい疾患には,甲状腺機能亢進症も含まれる。心房細動は,心
不全を誘発,悪化させる要因となり,また塞栓症の原因となる。
ウ慢性心不全(甲24)
慢性心不全とは,慢性の心筋障害により心臓のポンプ機能が低下し,安
静時及び運動時の各臓器の酸素需要に見合う血液量が肺静脈圧の上昇なし
には供給できない病態をいい,その結果として,肺うっ血,静脈うっ血を
来して,労作時の呼吸困難及び息切れを初期症状とする種々の症状が出現
し,運動耐容能が低下する。
エ心機能分類等(甲23,乙41添付参考文献3・1041頁・表7)
(ア)心不全の重症度の指標として,ニューヨーク心臓協会(NYHA)
が日常生活上の運動耐容能からみた息切れ,動悸といった患者の自覚症
状の出現に基づく4段階の心機能分類(以下「NYHAⅠ∼Ⅳ」とい
う。)を定めており,かかる心機能分類は,臨床的に広く用いられてい
る。
(イ)被災者は,平成9年5月の豊橋市民病院への緊急入院時に,NYH
AⅣ(心疾患を有し,無症状では身体活動が行えない,安静時にも心不
全や狭心症の症状が起き,どのような労作でも症状が増悪する状態)で
あり,同年11月の同病院の退院時は,NYHAⅡ(心疾患を有し,わ
ずかに身体活動に制限があり,安静時には症状がないが,通常の身体活
動で疲労,動悸,息切れ,狭心症を生じる状態)に回復し,その後,本
件事業主に就職した当時も,NYHAⅡであった。
(ウ)心不全患者の運動許容条件として,安静座位の酸素摂取量を1とす
る代謝当量による運動強度が広く用いられている(以下「1.0∼8.
0METS」などという。)。METS値は,各種身体運動の心臓への
負担の指標となるものである。
可能な運動強度と心機能分類との関係について,ゴールドマンの基準
では,5.0∼7.0METSの運動が可能な者をNYHAⅡに,7.
0METS以上の運動が可能な者をNYHAⅠに分類する。しかし,か
かる分類によると,NYHAⅠとⅡの境界が不明確となることから,日
本循環器学会では,可能な運動強度と心機能分類との関係について,N
YHAⅡの患者につき5.0∼6.0METS,NYHAⅠの患者につ
き7.0METS以上と定めている。
3争点
本件災害が業務に起因するものであるか否かが本件の争点であり,その中で,
①業務と災害との間の相当因果関係が必要であることを前提とした上で,その
判断方法,②本件災害と業務との相当因果関係の存否が主として争われている。
(1)原告の主張
ア相当因果関係の判断方法
本件のように労働者が脳・心疾患を発症して死亡するに至った事案にお
いては,他に確たる発症因子がなく,当該労働者の従事していた業務が同
人の有していた基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させる要因となりうる
負荷(過重負荷)のある業務であったと認められるときは,その基礎疾患
が確たる発症因子がなくてもその自然的経過により脳・心疾患を発症させ
る寸前まで進行していたと認められないかぎり,その増悪による死亡と業
務との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。
また,被告が主張する危険性の要件や現実化の要件についていえば,前
者は,業務が当該労働者にとって過重であったか否かによるべきであり,
後者は,業務が他の原因と共働原因となって災害を招いたと認められる場
合には,業務と災害との間に相当因果関係があると認められるべきであり
(共働原因説),被災者が日常生活において通常受ける心身の負担は業務
起因性の判断に際して考慮すべきではない。そして,そのように解すべき
理由は,前者については,労働安全衛生法,同施行規則において,事業者
が労働者に対し健康診断を実施してそれに応じた適切な労務管理を行うこ
とを義務づけられ,さらに,障害者の権利宣言等の国際条約,これを受け
た身体障害者雇用促進法,厚生労働省が定めた障害者雇用対策基本方針に
おいて,障害者の働く権利につき,事業主が,障害の特性に配慮した労働
時間の管理等をすること,職場の理解を深めること,心臓機能障害者等に
職務が身体的に過重とならないよう配慮することなどを求められているこ
とにあり,また,使用者に雇い入れ時の健康診断を怠るという重大な安全
配慮義務違反があり,当該業務が被災者にとって被災者の健康状態に照ら
して,過重なものであるか否か判断できないとすれば,そのことによる不
利益は使用者が負担すべきであるから,業務起因性の判断に当たっては,
使用者に同義務違反がない場合に比較して,相当因果関係を緩やかに解す
べきである。後者については,労災補償制度は,労働者が人たるに値する
生活を営むため必要を充たすべき最低労働条件を定立するという観点から
業務の過重性を判断すべきだからである。なかんずく,事業主に前記のよ
うな安全配慮義務違反がある場合には一層である。
さらにいえば,前記の法令,条約に鑑み,障害者に対する合理的配慮,
すなわち,障害に即した過重性判断がなされるべきであることからすると,
心臓機能に障害を有する障害者にはそもそも時間外労働をさせること自体
が過重な業務であるというべきであり,また,立ち仕事自体も過重な業務
であった可能性があるところ,仮にそうであると断定できないとしても,
それによる不利益は前記のとおり使用者に帰すべきである。
イ本件災害と業務との相当因果関係
(ア)労働時間
被災者は,別紙1労働時間集計表(原告主張)のとおり,本件災害前
の1か月間に44時間30分の時間外労働を行った。かかる時間外労働
時間の量は,認定基準(乙10)に照らしても,業務と発症との関連性
が認められる程度に達するものである上,被災者は,平成12年11月
下旬から本件災害当日に向けて,徐々に時間外労働時間が増えていき,
とりわけ本件災害前の1週間には,4日間も午後9時まで勤務するなど,
その業務は,被災者が慢性心不全の基礎疾患を有し,疲労しやすく,ま
た疲労の回復に時間がかかるものであったことをも考慮すると,量的に
過重であった。
被災者の時間外労働時間数の算出根拠は次のとおりである。
a勤務開始時刻
着替えに要する時間は,労働時間に入ると解すべきであるところ,
被災者は,毎朝,遅くとも午前9時には出社して着替えを行い,商品
に関する勉強会に出席した後,午前9時30分の朝礼に出席するなど
し,本件事業主の指揮命令の下,午前9時からT店が開店する午前1
0時までの1時間,前残業を行っていた。
b休憩時間
被災者は,昼休みには,接客業務の忙しさのため,食後すぐに職場
に戻らなければならず,60分の休憩時間を確保することができず,
とりわけ,繁忙期であった12月には,休憩時間が更に短くなった可
能性がある。他方で,被災者は,疲れたときなどに,適宜休息をとっ
ていたことを考慮すると,被災者の労働時間を算出するに当たっては,
休憩時間として1時間を控除するにとどめるべきである。
c勤務終了時刻
被災者の勤務終了時刻は,基本的に,その手帳(甲34)に記載さ
れた勤務終了時刻の予定に基づいて算出すべきであり,原告が把握し
ている帰宅時間,所定終業時刻,T店の閉店時刻等から手帳に記載さ
れた予定よりも遅い時間まで勤務をしていたことが判明する場合には,
これによるべきである。
(イ)勤務状況
aT店の繁忙さ
T店は,被災者が本件事業主に就職した平成12年11月から12
月にかけて,家庭電化製品の販売においてピークを迎える時期であり,
とりわけ12月は,クリスマス,年末に向けて,繁忙を極めた。T店
の繁忙さは,本件事業主が,平成12年12月半ば以降の営業時間を
1時間延長するほどであった。
被災者は,かかる繁忙さのため,労働時間は所定労働時間を上回る
ようになり,昼の休憩時間を十分にとることができず,また,休息す
る時間もほとんどなかったほか,休日も少なかった。心臓機能に障害
がある被災者の疲労回復は,休憩・休息時間や休日が少なかったこと
により,より一層困難なものとなった。
被災者は,このようなT店の繁忙さにより,強い身体的負荷を受け,
特に,12月中旬以降,被災者は,身体に大きな疲労を蓄積させてい
った。
b立ち仕事
立ち仕事を続けることは,発汗が減って体内に水分がたまりやすく
なるため,身体の下方に浮腫を生じさせて循環する血液量を減少させ
るほか,座位の事務的な仕事に比べて,心拍数が増加して心筋の酸素
消費量も増加するため,心臓への負担が大きくなるなど,心臓機能障
害を有する者にとって身体に極めて大きな負荷を及ぼす。また,立ち
仕事の運動強度は,接客による負荷を除いても3.0∼3.75ME
TSに達するところ,心臓機能障害を有する者は,最大酸素摂取量の
40%程度の運動にとどめるべきであるから,このような立ち仕事に
8時間にわたって従事するためには,7.5∼9.25METSの運
動耐容能が必要となる。
以上によれば,心臓機能障害を有し,運動耐容能が5.0∼6.0
METSであった被災者は,休憩もほとんどとれない状況の下,8時
間を超えて立ち仕事に従事したことにより,極めて強い身体的負荷を
受けたことが明らかである。
c商品運搬
本件事業主は,被災者が心臓機能障害を有し,重い物を持ったり,
走ったり,配達したりすることができないことを認識していたにもか
かわらず,被災者の業務内容に対する配慮をしなかったため,被災者
は,客が購入した商品を駐車場に運ぶ作業をし,繁忙期であった12
月には,そのような機会も多かった。
また,心臓機能障害を有する被災者は,大きな温度差にさらされる
ことを避ける必要があったにもかかわらず,本件事業主は,被災者が
客の購入商品を駐車場に運ぶ仕事をする際に上着を着させるなどの配
慮をしなかったため,被災者は,客の購入商品を駐車場に運ぶ際,上
着を着て外に出ることができず,大きな寒暖の差にさらされた。
被災者は,こうした商品運搬業務により,強い身体的負荷を受けた。
dノルマ
T店では,本件事業主の指示を受けた店長のHにより,個人別予算
と呼ばれる売上ノルマが決められており,被災者については,平成1
2年12月度の売上ノルマが300万円と定められた。中途採用で研
修もなく業務に就いた被災者は,こうしたノルマがあることを気に掛
け,ノルマが定められること自体で精神的負荷を受けた。
e心臓機能障害に対する偏見及び配慮不足
平成12年11月末ころから12月3日までの間に,本件事業主の
部長クラスと思われる従業員が,他の従業員に対し,被災者に聞こえ
る場所で殊更に,「何もできない奴をよく雇ったな。」と言い,この
発言をきっかけとして,T店従業員の被災者に対する態度が急に厳し
いものに変わるという出来事があった。被災者は,かかる出来事があ
った日,苛立った様子で帰宅し,原告に対し,「長くは働けない。辞
めたい。」と漏らすなどしたことから明らかなように,上記のような
出来事により,被災者は大きな精神的負荷を受けた。
また,本件事業主は,被災者を心臓機能障害3級を有するものとし
て身体障害者枠で採用しておきながら,被災者に自らの障害について
店長のHと話合いをする機会を与えなかった。これにより,被災者は,
自らの障害について他の従業員がどこまで理解しているか分からない
状態で勤務することを余儀なくされた。その他,前記のとおり本件事
業主は,被災者にその心臓機能障害に対する配慮を欠いた勤務をさせ
た。被災者は,心臓機能障害に対するこうした本件事業主の配慮不足
により,身体的にも精神的にも疲労を蓄積させた。
(ウ)過重な業務による疲労蓄積及び心不全増悪の現れ
被災者は,T店の営業時間も延長され,より繁忙となった平成12年
12月半ば以降,足が浮腫み,これを原告に訴えるようになった上,被
災者の死体検案でも,担当医師により足の大きな浮腫が確認されている
が,被災者の足が浮腫んでいたことは,立ち仕事による疲労蓄積及び心
不全の増悪の現れである。
被災者は,仕事から帰宅した後,度々,風呂に入らずに寝てしまうよ
うになり,寝ているときに,いびきをかくようになった上,鼻血を出し
たこともあった。そして,休日には,起床時間も遅くなっていった。ま
た,被災者は,T店に勤務するようになってから,自宅において,1日
の休日では疲れが取れない旨を原告に述べたことがあるほか,苛立ちを
見せたり,些細なことで言い争いをするようにもなった。これらの家庭
での被災者の様子は,心臓機能障害により,疲れやすく,疲労回復に時
間を要する被災者が,T店における業務により疲労を蓄積させていたこ
との現れである。
(エ)業務外の負荷
前記主張のとおり,被災者が日常生活において通常受ける心身の負担
は業務上の判断に際して考慮すべきではないが,この点を措くとしても,
平成12年12月12日及び同月13日の引っ越し作業を業務外の負荷
とする被告の主張は,以下のとおり誤っている。
被災者が引っ越し作業を行った時間は,平成12年12月12日は午
前10時ころから夕方まで,同月13日は午後から夕方までと短時間に
すぎず,また適宜休憩をとりながらの作業であった。引っ越し作業に際
しては,原告及びその父と手分けして行っており,引っ越し先では,原
告の母も手伝い,被災者が一人で引っ越し作業をしたわけではない。
また,引っ越し荷物は,大きなものでも,三段の引き出しがある70
cm×80∼90cm×45cmの箪笥が2竿,綿よりも軽い素材を用
いた敷き布団及び羽毛布団が大人用2組と子供用1組に過ぎず,引っ越
し先の新住居が1階に位置していた上,被災者らは,これらの荷物を2
日間に分けて運んだほか,箪笥は,引き出しをすべて抜き出して,1段
につき5∼6kgある引き出しも2人で運んだことから,引っ越し作業
は過重なものとはならなかった。
被災者は,引っ越し作業に当たり,防寒着を着用していたため,大き
な寒暖の差にさらされたということはなく,引っ越しに伴う市役所等で
の手続や買物などは,全く身体的負荷を伴うものではない。
(オ)小括
以上のように,本件事業主において,被災者が従事していた業務は,
心臓機能障害を有していた被災者にとって量的・質的に過重であり,特
に,平成12年12月に入ってからの時間外労働の増加は,被災者にと
って著しく過重であった一方で,問題となるような業務外の負荷はなか
った。
疲労の蓄積は,慢性心不全の急性増悪,又は突然死を招くものである
ところ,被災者は,上記のような過重な業務によって疲労を蓄積させ,
その心不全が急激に増悪して,死亡するに至ったものであるから,本件
災害と業務との間に相当因果関係があることは明らかである。本件災害
と業務との間に相当因果関係があることは,被災者が,豊橋市民病院退
院後に良好な経過をたどり,障害者職業能力開発校就学時期及び株式会
社タマディック勤務時期に何ら体調不良を訴えることがなかったにもか
かわらず,本件事業主に就職した後である平成12年12月中旬以降,
数々の体調不良を訴え,就職から1か月半ほどで死亡していることから
も明らかである。
(2)被告の主張
ア相当因果関係の判断方法
業務と脳・心疾患の発症との間に相当因果関係があると認められるため
には,同発症が当該業務に内在する危険の現実化であることを要し,具体
的には,第1に,当該業務に危険が内在していると認められること(危険
性の要件),すなわち,当該業務による負荷が,当該労働者と同程度の年
齢・経験等を有し,通常の業務を支障なく遂行することができる程度の健
康状態にある者又は基礎疾患を有していたとしても日常業務を支障なく遂
行できる労働者(平均的労働者)にとって,血管病変等をその自然経過を
超えて著しく増悪させ得る程度の負荷であると認められること(平均的労
働者基準説),第2に,同発症が当該業務に内在する危険の現実化による
ものと認められること(現実化の要件),すなわち,当該労働者の喫煙・
高血圧などの私的なリスクファクターや先天的な素因等の業務外の要因の
寄与が考えられる場合は,業務の危険性が,これらの要因に比して,当該
発症にとって相対的に有力な原因となったことが認められること(相対的
有力原因説)を要すると解すべきである。
そして,危険性の要件における平均的労働者基準説は重篤な基礎疾患を
有する者の発症を当然に業務起因性ありとすることはできないとする点で
妥当であり,また,現実化の要件における相対的有力原因説も,脳・心疾
患の発症の基礎疾患を有している当該労働者に対して,業務に内在する危
険がどのように作用し,その基礎疾患をどのように増悪させて脳・心疾患
の発症に寄与したのかを当該労働者本人の事情に基づいて個別具体的に判
断するものであるから,身体障害者に対しても適切な配慮をするものであ
る。
イ本件災害と業務との相当因果関係
(ア)労働時間
被災者は,本件災害直前の1か月間に,総労働時間196時間20分,
そのうち時間外労働時間24時間20分の労働をしたに過ぎず,この間,
2日連続の休日2回を含め,計8日の休日があった。また,被災者は,
本件災害前の1週間も,総労働時間46時間10分,そのうち時間外労
働時間6時間10分の労働をしたに過ぎず,本件災害の3日前と7日前
に休日を取得した。このように,被災者の業務は,量的にみて過重なも
のではなかった。
被災者の労働時間の算出根拠は次のとおりである。
a勤務開始時刻
T店においては,開店前の午前9時30分から10分ないし15分
間の勉強会が行われ,その後,5分ないし10分間の朝礼が行われて
いた。被災者も他のT店従業員同様,上記勉強会及び朝礼に出席して
おり,同人の勤務開始時刻は,午前9時30分であった。
b休憩時間
被災者は,昼に1時間の休憩をすることが認められていた。
被災者は,繁忙時期や土曜日,日曜日及び祝日における勤務では,
昼の休憩時間を十分にとることができない日があったかもしれないが,
客が少ない時間帯に随時休憩をとることができた。
c勤務終了時刻
T店では,従業員の勤務終了時刻について,1か月単位で勤務シフ
トが組まれていたが,被災者は,T店の他の従業員とは異なってこう
した勤務シフト体制に組み入れられておらず,午後7時を終業時刻と
されており,原則として,残業はなかった。なお,T店は,平成12
年12月半ばから繁忙期に入り,営業時間を1時間延長したが,被災
者は,シフト体制に組み入れられていなかったこともあり,その終業
時刻に変更はなかった。そして,本件事業主が従業員の勤怠管理に使
用していた勤務表(乙25,28)は,フロアー長が,自らが最後ま
で店舗に残っているときには,従業員の終業時刻を直接把握し,自ら
が最後まで店舗に残らなかった場合には,その翌日に最後まで残って
いた従業員に確認してこれを把握して記入したものであり,これに基
づいて勤務終了時刻を認定すべきである。
(イ)勤務状況
以下のとおり,被災者が従事した業務は,被災者の運動耐容能評価に
照らして過重なものでなく,その業務内容や職場環境,種々の配慮がな
されていたことからも,被災者に過度の負担をかけるものではなかった。
a被災者の業務内容とT店の繁忙さ
T店は,平成12年12月,繁忙期にあったが,被災者が同月中旬
まで勤務していたゲームソフト売場での業務は,ゲームソフトのレジ
打ちと袋詰めのほか,客の質問等に対応すること,商品の陳列・清掃
・掃除等であり,過重なものではなかったほか,同月中旬以降の勤務
場所であるパソコン売場では,繁忙期といえど,パソコンが1日に2
∼3台売れる程度であり,客の数も少なく,多忙ではなかった。
したがって,T店が繁忙期にあっても,被災者にとって,特に負担
となることはなかった。
b立ち仕事
被災者は,本件事業主に就職するに当たり,接客販売業務において
立ち仕事に従事する旨を採用面接時に説明がされた上で,被災者自身
が販売業務を希望したことにより立ち仕事に従事することになったも
のである上,主治医に対し,接客販売業務に従事することを相談して
いなかったなど,立ち仕事に十分耐えられると考えていた。また,被
災者は,その心臓機能障害のため,持続的な業務として行う場合には
3.0∼4.0METS,短時間であれば6.0METSの運動耐容
能を有していたにとどまるが,被災者が従事していた立ち仕事は,お
おむね2.3METSの運動強度にとどまる。これに対し,被災者が
引っ越し前の住居で日常的に行っていたはずの階段の上り下りは,後
記のとおり自重しても5.0∼6.0METSの運動強度に達し,ま
た,後記のとおり被災者には心不全の悪化を示す症状や検査所見はな
かった。
以上から明らかなように,立ち仕事は,被災者の心臓機能障害を前
提としても過重な業務ではなかった。
c商品運搬
被災者は,主に接客販売業務に従事し,レジ打ち,商品説明,商品
整理商品清掃やプライスカードの作成等の業務を行っていたが,商品
運搬作業等の力仕事や客が購入した品物を1階出入口や駐車場まで運
ぶ仕事は行っておらず,被災者が寒暖の差にさらされたということも
ない。
dノルマ
本件災害当時のT店では売上値引管理表が作成され,同表には販売
予算(販売目標)が記載されていたが,これは,各従業員に対し,売
上金額の目安を示したに過ぎず,同表に記載された販売予算を達成で
きなかったとしても,特に責任等を問われることもなく,いわゆるノ
ルマとは性質の異なるものであった。
また,平成12年12月の被災者の販売予算は300万円と定めら
れていたが,12月はゲームソフトにつき多額の売上が見込まれ,そ
の中から被災者の販売予算分につき被災者の販売実績とされることに
なっており,現に,被災者は,販売予算を達成した。
以上から明らかなように,販売予算の設定は,被災者に対する精神
的負荷を与えるものではなかった。
eなお,被災者は,入社して約1か月が経過した平成12年12月半
ばに,同人の希望もあってゲーム売場の担当からパソコン売場の担当
に異動しているが,扱う商品の種類が変わっただけで,前記の業務内
容に変化はなく,前記の業務内容は,特に習熟度を要するものではな
く,担当売場の変更は,被災者に対して,身体的・精神的負荷を課す
ものではなかった。
f被災者に対する配慮
被災者の面接を担当した本件事業主の総務部長は,被災者がT店に
おいて勤務するに当たり,店長のHに対し,被災者に心臓機能障害が
あることを伝え,その業務内容について十分配慮するように伝え,H
は,被災者が勤務を開始する3,4日前の朝礼などの機会に,被災者
が勤務する売場やフロアーの責任者も含めた従業員全員に対し,被災
者の障害を周知し,特別な配慮を求めた。また,Hは,1日1,2回
の店内見回りで被災者と顔を合わせた際,客が少なければ,被災者に
対し,体の調子を尋ねるように配慮していた。
原告は,被災者が職場での偏見を受け,精神的負荷を受けた旨を主
張する。しかし,T店従業員は,被災者に対し同情的で,同人をでき
る限り手助けしようという雰囲気にあり,被災者は,他の従業員に溶
け込み,仲良くしていた。したがって,原告の上記主張に係る事実は
ない。
(ウ)業務外の身体的負荷
a被災者は,平成12年12月12日の引っ越し前,父母とともに2
階建ての住居に住み,2階にある部屋を居間としており,1日の階段
の上り下りは8回程度であったと推察されるところ,階段の上り下り
は,自重しても5.0∼6.0METSの運動強度に達する。
b被災者は,平成12年12月12日及び同月13日の両休日にわた
って,休養に努めず,原告及び原告の父親とともに,引っ越し業者を
利用せずに,自宅の引っ越し作業を行った。引っ越し作業は,軽い荷
物運びが3.5METS,家具,家財道具の移動・運搬が6.0ME
TS,重い荷物の運搬となると8.0METSの運動強度に達する上,
ふだん肉体労働を行っておらず,まして心臓機能障害があった被災者
は,同月12日が同月1日から24日までの間で最も気温が低かった
こともあり,強い身体的負荷を受け,また,生活環境が変わることな
どによって,精神的負荷も受けた。
被災者は,本件災害前の2週間において,合計4日間の休日を取得
していたが,これらの休日を上記引っ越し作業のほか,引っ越しに伴
う市役所等での手続や買物などに費やしたため,業務外の事由により
疲労を蓄積させた。
c被災者は,本件災害当日である平成12年12月24日,定時の午
後7時に退社したが,その後,友人宅での忘年会に出席し,同日午後
10時ころに実家に立ち寄った後,帰宅した。そのため,被災者は,
自動車で移動していたとはいえ,退社後,帰宅するまでの間に,通常
よりも多くの時間を外で過ごし,外気と内気の温度差にさらされたこ
とによる身体的負荷を受けた。
(エ)以上のとおり,被災者の業務は本人にとっても量的及び質的に過重
なものではなく,かえって,業務外の身体的負荷が被災者の死亡に影響
を及ぼしたと見ることができる。
(オ)被災者の基礎疾患と本件災害との関係
なかんずく,被災者は,本件業務に従事しつつ,その死亡までの間,
慢性心不全のため心機能が低下した状態にありながらも,比較的安定し
た状態を維持し,心不全が悪化したものとは認められず,基礎疾患の自
然的経過により本件災害に至ったものである。
すなわち,被災者には,長期にわたるバセドウ病,慢性心不全及び心
房細動の基礎疾患があり,かかる基礎疾患は,被災者が平成9年5月1
4日に入院した際に,生命の危険があり,入院が長期にわたる重篤なも
のであった。そして,被災者は,このような基礎疾患により,心筋変性
や繊維化など,心筋に致死性不整脈を起こしうる基質を有していた。
他方,被災者には,豊橋市民病院の最終受診日である平成12年12
月13日の心電図に心不全の増悪を示す兆候がなく,同日以降に呼吸困
難や動悸等の症状も現れていなかった上,本件災害当日,被災者は,心
停止発症の直前に原告と電話で話をしていた際に上記症状を訴えること
もなかったことにも照らすと,本件災害は,被災者の慢性心不全が増悪
したことにより発生したものではなく,上記基質によるものと考えるべ
きである。
これに対し,原告は,被災者の足が浮腫んでいたことをもって同人の
心不全が増悪していたことを指摘するが,そもそも足の浮腫を裏付ける
証拠はなく,仮に被災者の足が浮腫んでいたとしても,上記のような心
不全の悪化の現れといえる他の症状を呈しておらず,不慣れな立ち仕事
それ自体によっても足の浮腫は生じうるから,足の浮腫をもって,被災
者の心不全が増悪していたということはできない。
(カ)小括
したがって,本件災害と業務との間には,相当因果関係はなく,本件
災害に業務起因性はない。
第3当裁判所の判断
1相当因果関係の判断方法
業務と死亡等の災害との間に相当因果関係があるというためには,当該災害
の発生が業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができる
ことを要すると解すべきであるところ(最高裁平成6年(行ツ)第24号同8
年1月23日第三小法廷判決・裁判所時報1163号5頁,最高裁平成4年
(行ツ)第70号同8年3月5日第三小法廷判決・集民178号621頁各参
照),労働者が脳・心疾患を発症して死亡するに至った事案においては,他に
確たる発症因子のあったことがうかがわれず,当該労働者の有していた脳・心
疾患発症の基礎となり得る素因又は疾患が,業務によってその自然の経過を超
えて増悪したと認めることができる場合には,その増悪による死亡は,当該業
務に内在する危険が現実化したものとして,業務との相当因果関係を肯定する
のが相当である(最高裁平成6年(行ツ)第200号同9年4月25日第三小
法廷判決・裁判所時報1194号2頁,最高裁平成7年(行ツ)第156号同
12年7月17日・裁判所時報1272号1頁,最高裁平成12年(行ヒ)第
320号同16年9月7日第三小法廷判決・裁判所時報1371号2頁,最高
裁平成14年(行ヒ)第96号同18年3月3日第二小法廷判決・裁判所時報
1407号1頁各参照)。
原告及び被告は,業務による負荷が過重なものであるかの判断基準及び業務
外の要因の考慮方法につき,それぞれ主張するが,当裁判所としては一般的に
いずれを採用すべきかについて見解を示すものではないものの,本件の事案に
鑑み,前者につき被災者本人を基準として検討することとする。
2本件災害の業務起因性について
(1)被災者の家庭での生活状況に関する認定事実
前記争いのない事実等,証拠(甲28,33,乙26,27,35,原告
本人)及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,
これに反する証拠は採用できない。
ア被災者は,本件事業主に採用後,通常,仕事がある日には,午前7時2
0分ころに起床し,午前7時40分ころに食事をし,午前8時20分に自
宅を出発していた。被災者は,帰宅後,夕食をとった後,風呂に入り,午
前0時ころには就寝していた。なお,被災者は,原告と結婚する前,入浴
は,主にシャワーだけで済ませていたが,平成11年4月に結婚し,同年
7月に子供が生まれてから後記イの引っ越し前までは,家族3人で風呂に
入ることが多かった。
被災者は,休日には,午前9時か10時ころに起床し,テレビを見たり,
1歳になる子供と遊んだり,自ら車を運転して買物に出かけるなど,家族
とともに時間を過ごし,午後11時ころ就寝した(乙35・6項)。なお,
被災者と原告は,互いの身体障害のために,買物を3,40分程度で済ま
せるように心掛けており,被災者は,買物の際,1歳になる子供を抱くか,
ベビーカー等に乗せていたものの,買物中に疲れるなどして,店内に座り
込むということはなかった。
イ被災者は,本件事業主に就職した当時,妻である原告,息子,被災者の
両親とともに,T店から自家用車で30分ほどかかる愛知県宝飯郡B町に
ある被災者の実家に住んでおり,被災者,妻及び息子は,同住宅の2階部
分を主に使用しており,1日平均で6回ないし8回の階段の上り下りをし
ていた。
被災者と原告は,被災者の仕事の休みを利用して,平成12年12月1
2日及び13日の2日間にわたる引っ越し作業を行って,T店から自家用
車で30分ほどかかる愛知県豊橋市C町のアパートへの引っ越しをした。
引っ越し先のアパートは,1階に部屋があった。
引っ越し荷物は,原告が荷造りをし,12日は,被災者と原告の父とで
ワゴン車及び軽トラックに積み込み,被災者はワゴン車を原告の父は軽ト
ラックを運転して,荷物を引っ越し先に運んだ。13日は,被災者,原告
及び原告の父が,それぞれワゴン車,小型RV車及び軽トラックを運転し
て,荷物を引っ越し先に運んだ。引っ越し業者は,被災者が頼むほどでは
ないと言ったため利用しなかった。引っ越し先では,原告の母も手伝い,
4人で手分けして荷物を各部屋に運んだ。
引っ越しで運んだ荷物のうちで大きいものとしては,上下に分割できる
箪笥一竿(箪笥上下は,それぞれ,大きさが高さ70cm,横幅80cm,
奥行き60cm程度で3段の引き出しがあり,運搬は,1段5kg程度の
引き出しを抜いて行った。),布団(大人用2組,子供用一組。比較的軽
い素材のものであった。),デスクトップ型パソコン,プラスチック製衣
装ケース(大きさが高さ65cm,横幅70cm,奥行き60cm程度で,
左右3段ずつの6個の引き出しがあった。),重さ約17kgの食器洗浄
機があった。
同月12日の引っ越し作業は,午前10時ころから夕方ころまで,適宜
休憩を入れながら行われ,同日は,引っ越し作業後,実家への帰路で,フ
ァンヒーターを購入した。同月13日の引っ越し作業は,被災者が午前中
に豊橋市民病院を定期受診したこともあって,昼過ぎころから夕方ころま
で行われた。なお,被災者は,上記両日とも,防寒着を着て作業に当たっ
た。
被災者は,引っ越し作業中に辛そうな様子を見せたり,同月13日及び
14日の朝,疲れてなかなか起きられないということはなく,引っ越しに
よる疲れが残っている様子はなかった。
ウ被災者は,平成12年12月18日,午前9時ないし10時ころに起床
し,午後から原告及び息子とともに,転居手続のために,豊橋市役所の出
張所に行き,その後,B町役場に行った。その後,買物をして,午後6時
ころに帰宅した。この日,被災者は自宅で実家の年賀状を作成した。
被災者は,同月22日,午前11時ころに起床し,午後2時ころから,
豊橋市内や豊川市の家具屋に行き,その後,食料品の買物をして,午後9
時ころに帰宅した。
(2)被災者の本件災害前1か月間の労働時間に関する認定事実
ア前記争いのない事実等及び証拠(甲34,乙16,25(休日の取得状
況に関する部分),60(一部),証人H,証人S)によれば,被災者は,
別紙2労働時間集計表(認定)のとおり,本件災害前の1か月において,
合計203時間の労働をし,そのうち,時間外労働時間数は,33時間で
あったと認められる。
イ被災者の労働時間を認定した理由は,以下のとおりである。
a勤務開始時刻について
前記証拠によれば,被災者は,午前9時30分までに出社することと
され,その後,勉強会がある日には10∼15分間の勉強会に出席し,
5∼10分間程度の朝礼に出席していたものであるから,被災者の勤務
開始時刻は,午前9時30分であったと認められる。
原告は,被災者が午前9時から勤務を開始していた旨の主張をし,こ
れに沿う被災者の出社時刻に関する証拠(甲33・4頁,乙27・19
項,乙35・7項,原告本人)がある。しかし,証人Sによれば,午前
9時30分よりも前に被災者が出社することが義務づけられていたとは
認められず,被災者が早めに出社して店内で着替えをしていたとしても,
それは,労務提供のための準備行為に過ぎず,これが使用者の指揮命令
による拘束の下で行われたと評価できる特段の事情も認められないから,
着替えに要する時間を労働時間に含めることはできないと解すべきであ
る。その他,原告が店内清掃等のために午前9時30分よりも前に出社
することが恒常化していたなど,その労働時間性を裏付ける事情も認め
られない。したがって,原告の上記主張は採用できない。
b休憩時間について
被災者は,所定休憩時間の1時間の昼休みが取れないときもその前後
に休息を取っていたことから,合計1時間の休憩時間を拘束時間から控
除すべきことは当事者間に争いがない。
c勤務終了時刻について
(a)平成12年11月25日,同月26日,同月28日,同月29日,
同年12月2日,同月3日,同月4日及び同月7日の勤務終了時刻が
午後7時であったことについては,当事者間に争いがない。
(b)本件災害前の1か月間におけるその余の勤務日における勤務終了時
刻に関する主な証拠として,勤務表(乙25)及び手帳(甲34)が
あるところ,次の(c),(d)で説示するとおりであるから,被災者の勤
務終了時刻は,まず,手帳の各日欄の右端に記載された時間により,
次いで,勤務表に超過勤務に係る時間の記載があるときは,手帳の時
間を超えて勤務をしたと認定するのが相当である。そして,勤務表の
超過勤務に係る時間の記載は,平成12年12月6日,同月17日,
同月19日及び同月20日にあるが,いずれも,午後8時50分が終
業時刻と記載されているが,これらのうち,同月6日以外の日は,T
店の営業終了時刻が午後9時であること,勤務表には,同月6日も含
め他の従業員も同様に午後8時50分との記載がされていること,勤
務表には時間外として別途計上する時間につき,これを30分単位で
記載するものとされていたことに照らし,上記各日における被災者の
勤務終了時刻は,いずれも午後9時であったと推認するのが相当であ
る。
他方,12月24日の勤務終了時刻について,原告は,午後9時3
0分であった旨を主張するが,被災者は,同日の勤務終了後,午後1
0時に実家を訪れるまでに,友人宅の忘年会に招かれ,食事をしてい
ることが認められ(乙26・15項),この間に相応の時間を費やし
たと解されるから,原告の上記主張は採用できない。
以上によれば,本件災害前1か月間における被災者の勤務終了時刻
は,別紙2労働時間集計表(認定)の各労働時間欄の右端の時刻であ
ったと認められる。
(c)手帳(甲34)の信用性について
上記手帳は,その記載内容に照らし,被災者のものと認められ,ま
た,平成12年12月2日以降の各欄の右端に記載の時間は,本件災
害日以降のものについても記載があることに照らすと,被災者が,事
前に勤務終了時刻を記載したものであると認めるのが相当である。そ
して,前記(a)の説示に係る各日について,上記手帳の右端には「6
:30」と記載されているが,これは,飽くまで事前に定められた勤
務終了予定時刻であるから,上記(a)の争いのない勤務終了時刻とそ
ごがあるからといって,上記手帳の信用性が減殺されるものではない。
むしろ,上記手帳に記載の勤務終了予定時刻が平成12年上旬を過
ぎたころから遅くなっており,また,あらかじめ予想し得るクリスマ
ス商戦に向けたT店の繁忙さに合致する上,他の日に比して遅い時間
が記載された日についても,他の従業員の出勤予定や週末の来客数の
多さといったあらかじめ予想し得る事情等に基づくものとして,その
時刻を説明できることからすれば,上記手帳は,被災者が上司から指
示された勤務終了予定時刻を記載したものとして,信用性があるとい
うべきである。
そして,通常,予定された勤務終了時刻が業務の繁忙さにより延長
されることがあっても,閑暇のために短縮される事態が想定し難いこ
とからすれば,被災者の実際の勤務終了時刻が上記手帳の各日欄の右
端に記載の時間よりも早くなることはなかったと推認するのが相当で
ある。なお,上記手帳の「ラスト」との記載は,これを合理的に解釈
すれば,T店の閉店時間を意味するものと解するのが相当である。
(d)勤務表(乙25)の信用性について
上記勤務表の超過勤務に係る時間の記載には,少なくとも当該記載
に係る時間の勤務をしたことを認める限度で,信用性を認めるのが相
当であるが,これを超える勤務をしていないという意味では採用する
ことができないことは,前記(b)のように,証拠として提出された勤
務表(乙25,28)には,T店の閉店時間が午後9時となった平成
12年12月半ば以降についても,午後9時以降に勤務を終了した旨
の記載が一つもなく,また,勤務終了時間に関する記載が定時を意味
する空欄,「8・00」「8・50」などと画一に過ぎ,実際の勤務
終了時刻を認定するための証拠としての信用性に欠けるというべきで
あることから明らかであり,これに反するYの聴取書(乙17)等の
証拠は採用できない。
(3)被災者の勤務状況に関する認定事実
前記争いのない事実等,証拠(甲37,乙13,15,16,21,60,
証人H,証人S)及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実
が認められ,これに反する証拠は採用できない。
ア被災者のT店への配属
被災者の採用面接を担当した本件事業主の総務部長は,その部下を通じ
て,被災者をT店に配属するに当たり,事前に,店長であるHに対し,採
用面接で聴取された情報に基づき,被災者が心臓機能障害を有しており,
荷受け等の重い商品を持つ仕事及び配達等の外回りの仕事ができないこと
を説明するとともに,被災者を店内の仕事に就かせるように指示した。H
は,これを受けて,被災者がT店に配属される数日前の朝礼時に,T店従
業員に対し,上記同様の説明及び指示をするとともに,被災者には,基本
的に残業をさせないことを伝えた。
被災者は,平成12年11月10日,店舗2階にあるゲームコーナーの
従業員として,T店に配属された。
イゲームコーナーにおける勤務状況
被災者は,平成12年11月10日から同年12月中ころまで,T店の
ゲームコーナーにおいて,立位で,ゲームソフトの販売を担当し,客が購
入を決めたゲームソフトのレジ打ちと袋詰めを主に行い,重い物を運ぶ仕
事はしなかった。
休憩については,ゲームコーナーのレジ付近に被災者が座るための椅子
はなかったが,ゲームコーナーがある2階には,テーブルや椅子のある従
業員用の休憩室があり,被災者は,売場責任者に断り,昼休み以外にも,
接客業務の合間を縫って,1日数回,服薬や休息のために,休憩室におい
て,10分ないし20分程度の時間を過ごすことがあった。他方,昼休み
については,土曜日・日曜日・祝日には,接客のために忙しく,30分程
度の昼休憩しかとることができないこともあった。
ウパソコンコーナーにおける勤務状況
被災者は,平成12年12月半ばころ,自らの希望もあって店舗3階の
パソコン売場に異動となり,Hは,被災者の異動に際し,パソコン売場の
責任者に対し,被災者に重い物を持たせないようにし,重い物は,他の従
業員に持たせるようにすることを指示した。なお,パソコン売場には,当
初3人の従業員が配置されていたが,平成12年11月末ころの店舗改装
によるパソコン売場面積の拡張に伴い,配置される従業員の数が,8人に
増やされていた。
被災者は,パソコン売場において,立位で,商品の説明,レジ打ち,ほ
こり払い,プライスカードの張り付けを主に行った。客は,パソコン売場
で商品を購入すると,通常,パソコン周辺機器などの軽い商品は自ら持ち
帰り,デスクトップ型パソコンのような大きな商品は,配達を希望した。
客がデスクトップ型パソコンのように大きな商品の持ち帰りを希望した際
には,従業員が商品を台車に載せて客の車までエレベーターで運ぶことに
なるが,被災者がこうした大きな商品の持ち帰りを客に希望された際には,
他の従業員が被災者に代わって商品を運ぶこととされていた。パソコン売
場では,一人一人の接客時間が長かったものの,客数は,ゲームコーナー
に比して少なく,全体としてみると,パソコンコーナーとゲームコーナー
との間に,忙しさの違いは余りなかった。
被災者は,パソコン売場においても,ゲームコーナーにおけるのと同様
に,昼休み以外に休息をとることがあった。
被災者は,平成12年12月23日,知り合いのKがT店の3階売場ま
で被災者を捜しに来て依頼したことから,1階売場で商品選択の相談に乗
るなどし,同人が購入した加湿器とコーヒーメーカーを同人の車まで運ん
だ(甲37)。
被災者は,本件災害当日,通常の業務に従事し,仕事上のトラブルは特
になかった。
エ個人別売上予算
被災者は,平成12年11月末時点において,Hが定めた平成12年1
1月の個人別売上予算である5万円を上回る46万8000円の売上げを
達成した(乙31)。
被災者は,平成12年11月末ころ,平成12年12月の個人別売上予
算を300万円と定められたが,その際,新作ゲームソフトの販売等によ
る売上げ増加が見込まれるゲームソフトの売上げを被災者の売上げとして
計上することが前提とされていた。被災者は,本件災害までに,個人別売
上予算を1000円上回る300万1000円の売上げを達成した(乙3
1)。
なお,個人別売上予算の達成状況は,POSシステム上で従業員各自が
確認することができた。
オT店の営業時間の延長及び繁忙さ
本件事業主は,T店近隣に,Y電機が開店したことを受けて,これに対
抗するために,平成12年12月半ばころ,T店の営業時間を1時間延長
し,閉店時間を午後9時とした。
このころ,T店は,繁忙期を迎えていたものの,3階のパソコン売場は,
特に客数が増えるということもなく,格別忙しくなるということはなかっ
た。
カ勤務状況に関する原告の主張事実について
(ア)原告は,被災者が客の購入した商品を駐車場に運ぶ作業をしており,
12月はそのような機会も多かった旨を主張し,平成12年12月23
日には,被災者がKの購入商品の運搬をした事実が存する。しかし,同
事実については前記認定のような同人と被災者が知り合いであった等の
事情があり,また,前記認定によれば,ゲームコーナーでは,客の商品
を運搬する必要性が生じる事態を想定し難く,パソコンコーナーでも,
他の従業員が被災者の障害及び重い商品を持つ仕事ができないことを認
識していたことからすれば,上記事実をもって,K以外の客に対して,
被災者が客が購入した商品を駐車場に運ぶ作業をしていたと推認するこ
とはできない。また,原告の陳述書(甲33・3(7))には,被災者が,
平成12年12月14日以降の日に,原告に対し,上着を着ずに客が購
入した商品を駐車場に運んだと話した旨の記載があるが,その具体的状
況も明らかではなく,被災者が継続的に又は複数回にわたって,上着を
着ずに客の購入商品を駐車場に運んだ事実を認めるに足りる証拠はない
といわざるを得ない。
なお,原告は,被災者が顧客の目に付く店内で座り込んでいたことが
あったかのように指摘するが,そのように認めるに足りる証拠はなく採
用できない。
(イ)原告は,被災者が平成12年11月末ころから12月3日までの間
に,本件事業主の部長クラスの従業員が,他の従業員に対し,被災者に
聞こえる場所で殊更に「何もできない奴をよく雇ったな。」と言い,こ
の発言をきっかけとして,T店従業員の被災者に対する態度が急に厳し
いものに変わるという出来事があり,これにより被災者が大きな精神的
負荷を受けたと主張し,これに沿う証拠(甲32・7項,33・3(5)
項,乙20・12項,原告本人11頁)がある。
しかし,これらを裏付ける的確な証拠はなく,また,当該出来事の具
体的状況も不明である一方,T店に配属された者の中では,被災者が身
体障害者枠で採用された初めての従業員であったとしても,本件事業主
が,一定数の身体障害者を採用する方針の下,被災者の採用に先だって,
身体障害者を採用した実績があること(乙21),本件事業主において
被災者の障害に対し一定の配慮をしていること,被災者の同僚であった
Sが被災者に対する中傷や不満を聞いたことがないこと(乙16)から
すると,原告の上記主張に類する出来事があったとしても,上記主張に
係る本件事業主の部長クラスの従業員による発言及びこれによる他の従
業員の態度の変化のような深刻な事態であったとはたやすく認めること
ができない。
(ウ)原告は,被災者が,自らの障害について他の従業員がどこまで理解
しているか分からない状態で勤務することを余儀なくされたと主張する。
しかし,前記認定事実によれば,被災者は,勤務時間や勤務内容につ
いて,T店の他の従業員とは異なる待遇を受けていたものであるところ,
店長のHをはじめとする他の従業員の被災者の障害に対する認識と理解
を前提として,上記のように待遇を異なったものとすることができるも
のというべきであるから,被災者としても,かかる前提を認識していた
と推認できる。
(4)通院及び症状の経過に関する認定事実
前記争いのない事実等,証拠(甲22,29,乙19,36,39,42,
43の1・2,44の1・2,45∼53,証人T医師,証人N医師,原告
本人)及び後掲証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,
これに反する証拠は採用できない。
ア豊橋市民病院に入院していた当時の状況
被災者は,平成9年5月14日に豊橋市民病院に入院した当時,心胸郭
比が69%(正常値は50%未満),左室駆出率が40%前後(正常値は
60%以上)であり,心不全重症度の指標とされる肺高血圧症も認められ,
また,同月21日に主治医が被災者の家族に対し,助かるかどうか半々の
確率であると説明するほど,重篤な両心不全状態であった。
被災者の心機能は入院して間もないころは,NYHAⅣと極めて低下し
ていたものの,その後の入院治療により,被災者の心機能がNYHAⅡに
回復したため,被災者は,外来受診により治療及び経過観察をすることと
なり,平成9年11月15日に退院した。
イ退院後の状況
被災者は,退院後,本件災害当時まで,前記病院を受診し,医師の指示
に従い,服薬を着実に行い,喫煙をやめ,飲酒量を減らすなど,身体管理
に留意していた。
被災者は,平成10年4月から平成11年3月まで障害者職業能力開発
校に就学し,同年5月から平成12年1月まで,機械設計等の座位による
事務に従事していたところ,就学前には正常値に近い値であった心胸郭比
が,この間の平成10年6月ころ以降,正常値を上回る56∼58%程度
となっていたが,そのような値で安定しており,その他心不全増悪を示す
格別の症状はなく,経過はおおむね良好であり,本件事業主に就職した平
成12年11月10日当時も症状は安定していた。ただし,平成11年5
月1日には,朝から吸気時に胸部痛があると訴えて,前記病院を時間外
(19時25分∼22時15分)に受診したことがあったが,検査の結果,
特段の問題は認められず,経過観察とされたことがあった。
被災者は,本件事業主に就職してから本件災害までに,平成12年11
月13日及び同年12月13日に上記病院を受診したが,その際,浮腫の
所見はないなど,いずれも心不全増悪を示す兆候は認められず,特に,1
2月13日の受診時の心電図や心胸郭比には心不全の悪化を窺わせる変化
はなく,同日の外来診療録には,経過が良好である旨が記載されていた
(甲31,乙39・215頁,216頁,証人T医師12頁∼14頁・2
5頁,証人N医師10頁)。なお,慢性心不全が悪化した場合,被災者の
ような心房細動の患者は,心電図に変化が出やすい(証人T医師25頁)。
また,11月13日には喉の痛みを訴えて風邪と診断された。
被災者は,本件事業主に就職後,上記両日ころまで,家庭生活上も,特
に心不全の悪化を示す様子を見せることはなかった(原告本人19頁,2
6頁)。
(5)本件災害当日の状況に関する認定事実
前記争いのない事実等,証拠(乙15,26,27・4項,32・9項,
原告本人)及び後掲証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認めら
れ,これに反する証拠は採用できない。
ア被災者は,平成12年12月24日,朝,特に変わった様子はなく,体
調不良を訴えることもなく出勤し,当日の勤務を終え,友人宅の忘年会に
参加した後,午後10時ころ,作成した年賀状を届けに実家に立ち寄った。
また,被災者は,帰宅後の午後11時20分ころ,原告と電話で話をし,
10分ほどで風呂に入る旨を述べて電話を切ったが,その際,特段変わっ
た様子はなかった。
被災者は,翌25日午後2時ころ,上半身に半そでの下着,下半身に仕
事用のスラックスを着用し,シャワーを浴びようとしていたことがうかが
える状態で,死亡しているところを発見された。
その後,被災者の遺体について,豊橋市民病院のO医師による死体検案
が行われ,直接死因を不詳,直接の死因には関係しないが,死亡に影響を
及ぼした傷病名をバセドウ病とし,何らかの内因死と思われる旨の意見が
付された(乙2,39・219頁)。
イ本件災害当時の被災者の状況について,原告は,死体検案において担当
医師により下肢の大きな浮腫が確認されている旨を主張し,これに沿う証
拠(乙20,原告本人)がある。
しかし,死体検案に当たる医師は,遺体に浮腫が認められた場合には,
その旨を死体検案書に記載するのが通常である上(証人T医師14頁),
O医師はバセドウ病に起因する内因死を疑っていたのであるから,心不全
の悪化を示す浮腫があれば当然記載するはずであるにもかかわらず,被災
者の死体検案書(乙2)及びその基となったと思われる診療録部分(乙3
9・219頁)のいずれにも被災者の遺体に浮腫が認められた旨の記載が
ないことに,原告自身は浮腫を確認していないことを考え併せると,原告
の主張に沿う上記証拠はにわかに信用し難く,原告の上記主張は採用でき
ない。
(6)医学的知見
ア過労による心停止に関する医学的知見(乙9)
(ア)心室細動等の致死性不整脈発生の機序は,その回路となる電気的基
質,引き金となる心室期外収縮,これらを修飾する因子の3つの要因か
らなる。このうちの最も重要な修飾因子は心機能の低下であり,また,
大きな修飾因子として自律神経があり,その機能低下は,致死性不整脈
の発生と密接に関連する。また,ストレスも修飾因子であり,ストレス
を引き起こすストレッサー(仕事による過度の身体的,精神的負荷等)
は,中枢神経,自律神経,内分泌系の変調を起こし,その総合効果が循
環器系に影響を及ぼす。
(イ)一般的な日常の業務等により生じるストレス反応は一時的なもので,
休憩・休息・睡眠,その他の適切な対処により,生体は元に復し得るも
のである。しかし,恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作
用した場合には,ストレス反応は持続し,かつ,過大となり,ついには
回復し難いものとなる。これを一般に疲労の蓄積といい,これによって,
生体機能は低下し,血管病変等が増悪することがあると考えられている。
このように疲労の蓄積にとって最も重要な要因である労働時間に着目
すると,日常業務を支障なく遂行できるような労働者の場合には,発症
前1か月間から6か月間にわたって,1か月当たりおおむね45時間を
超える時間外労働時間が認められない場合には,その日の疲労がその日
の睡眠等で回復し,疲労の蓄積が生じないような労働に従事したものと
して,業務と心停止発症との関連性は弱いと判断される。なお,休日労
働は,その頻度が高ければ高いほど業務との関連をより強めるものであ
り,逆に休日が十分に確保されている場合は,疲労は回復ないし回復傾
向を示すものである。
イ心不全に関する医学的知見
(ア)心不全と浮腫(乙41添付参考文献2・554頁右,乙63の6,
証人T医師15・16頁,証人N医師8頁)
心不全の最も特徴的な症状として,肺循環,体循環の浮腫があり,肺
循環の浮腫は,呼吸困難として現れ,体循環の浮腫は,全身浮腫,肝腫
大として現れる。心不全の症状としての浮腫は,体位によって,これが
消失するかどうかの影響を受けることはない。ただし,心不全による浮
腫は,心不全の症状が日常生活を営むことが可能な程度であれば,翌朝
に解消することも多い。
他方,立位又は座位姿勢を長時間維持することでも浮腫が生じるとこ
ろ,この場合は,夕方ころ,膝下,特にくるぶし付近に浮腫が生じるこ
とが多く,一晩横になれば,翌朝には,軽減又は消失する。
下腿に現れた浮腫それ自体について,心不全による浮腫であるか長時
間の立位又は座位姿勢による浮腫であるかを見分けることはできない。
(イ)運動耐容能(甲30,乙41,62,証人T医師)
a心臓機能障害を有する者は,8時間程度,継続的に,労働として一
定の作業に従事する場合,その運動耐容能の60%未満で行うのが望
ましいとされており,これを超えた運動強度の作業を短時間行うこと
は可能であるが,長時間行うことは,心臓機能障害の基礎疾患を悪化
させるおそれがある。これをNYHAⅡの患者についてみると,労働
として継続的に行う作業の運動強度は,3.0METS未満にとどめ
るのが望ましく,時に運動強度が5.0METS程度に達することは
許容される。
b本件に関して参考となる各種作業等の運動強度は,おおむね,次の
とおりと考えられている。
①店内における立位での販売業務
…2.3∼3.0METS程度(会話による負荷が加わると,3.
5∼4.25METSに達することもありうる。)
②階段を1階から2階に上ること
…5.0∼8.0METS
③階段を下りること
…3.0METS
④平地歩行
…2.4∼2.9METS
⑤家具・家財道具の移動・運搬
…4.0∼6.0METS
⑥シャワー
…3.0∼4.0METS
⑦一人での入浴
…4.0∼5.0METS
⑧車の荷物の積み下ろし
…3.0METS
⑨軽い荷物運び
…3.5METS
(ウ)予後(乙9・77頁)
心疾患患者において心不全症状発現以降の予後は極めて不良であり,
心不全発現後,4年目の死亡確率が男性で52%という研究結果(甲2
3・3頁右)や5年生存率が5割という報告(甲24・14頁)がある。
心不全患者の死因に占める突然死の割合は高く,NYHAの機能分類
が高度になるほど死亡率は増加するが,NYHAⅡの患者の死因のうち
突然死の割合が64%という報告や,心不全が軽いNYHAⅠ又はⅡの
患者群の方が,より重症であるNYHAⅢ又はⅣの患者群よりも突然死
の割合が高いという統計データもある(甲24・19頁)。
また,慢性心不全の患者は,心筋が伸び切ることで,心筋に変性を来
した部分が複数生じ,このような変性部分が発生源となって,単発的な
不整脈が生じて,それが致死性不整脈となることがあり,このような変
性部分がいくつもあると負荷のかからない状態でも致死的な不整脈が起
きる確率は高くなる(証人N医師)。
ウ心房細動に関する医学的知見(甲14・170頁,証人N医師31頁)
心房細動は,不整脈の中でも,致死性不整脈等による突然死を生じさせ
やすい病態ではないものの,その死亡率は,心房細動がない場合に比して,
1.7倍から1.8倍になるという知見がある。
(7)判断
ア業務の量的過重性について
被災者の本件災害前1か月間の時間外労働時間数が33時間であり,前
記医学的知見に照らせば,日常業務を支障なく遂行できるような労働者で
あれば業務と心停止発症との関連性が弱いと判断される時間外労働時間数
である45時間を大きく下回っている。また,平成12年12月半ば以降
も,勤務日の時間外労働時間数は1時間から長くとも2時間半に過ぎない。
また,前記認定事実によれば,被災者は,前日に仕事がある日でも約7時
間の睡眠をしており,本件災害前1か月間に8日間の休日もあったもので
あるから,通常,疲労の回復に十分な時間を確保できていたというべきで
ある。
そうすると,被災者が慢性心不全の基礎疾患を有し,健常人に比して,
疲労しやすく,疲労の回復に時間がかかるとしても,被災者の業務が,量
的に見て,疲労を蓄積させ,疲労の回復を困難とする程度の過重なもので
あったとするのは疑問である。
イ業務の質的過重性について
(ア)T店の繁忙さ
前記争いのない事実等及び前記認定事実によれば,T店は,平成12
年12月半ばころ,全体としてはクリスマス商戦に向けた繁忙期にあっ
たものであるが,このころ被災者が勤務していた同店3階のパソコン売
場は,特に客数が増えることもなく,格別忙しくなるということもなか
ったものであるから,T店の繁忙さにより,平成12年12月半ば以前
に比して被災者の労働密度が,その慢性心不全を悪化させるほど増した
ということはできない。
Kの陳述書(甲37)等は,この判断を左右するものではない。
(イ)立ち仕事の過重性について
前記争いのない事実等及び前記認定事実によれば,被災者は,T店に
おいて立位による接客販売等の業務に従事していたものであるが,かか
る業務の運動強度は,2.3∼3.0METSであり,NYHAⅡの心
機能であった被災者が8時間継続して従事することに無理があったとは
いえず,接客時の会話等により4.25METSに達することがあった
としても,NYHAⅡの患者の可能な運動耐容能は5.0∼6.0ME
TSである上,労働として継続的に行う場合にも運動強度がときに5.
0METSに達することも許容されるという前記医学的知見に照らして,
接客時の会話が,被災者の慢性心不全を増悪させるほどの強い負担にな
ったということもできない。なお,被災者は,平成12年12月中旬以
降,一日に9時間ないし10時間30分の労働に従事したが,他方,疲
労を感じたときには適宜休息を取ることもあったのであるから,このこ
とが上記判断を左右するものではない。したがって,原告の被災者に時
間外労働をさせること自体が過重な業務であるとの指摘は採用できない。
また,前記認定事実によれば,被災者は,平成12年12月13日ま
での間,階段の昇降,入浴等,私生活において3.0METS以上の各
種身体運動をしていたほか,とりわけ,平成12年12月12日及び1
3日の引っ越しでは,適宜の休憩を入れながらの作業であったとしても,
比較的長時間にわたり,家具・家財の運搬という強い運動強度のものを
含む作業を行ったことからすれば,上記引っ越し作業の運動強度は,T
店における被災者の業務よりも高いものであったと認められる。そして,
引っ越し前の勤務状況を見るに,被災者は,約10か月間という比較的
長い失業期間の後に本件事業主に就職し,新しい環境において不慣れな
仕事に従事したことに,被災者が不慣れな立ち仕事のためつらそうにし
ていたのは入社直後であるとの証人Sの証言を併せると,本件事業主に
就職した直後は疲労しやすく,疲労の程度も比較的強かったものと推認
される上,被災者は,引っ越しに先立つ直前一週間に14時間あまりの
時間外労働をしたものである。それにもかかわらず,前記認定・説示の
とおり,被災者は,引っ越し作業中つらそうな様子はなく,また,翌朝
に疲れた様子を見せず,そして,12月13日午前の受診時の状況から
は慢性心不全増悪の兆候はなく,経過は良好であったのである。
以上を総合すると,立位による接客販売等の業務は,被災者の慢性心
不全を前提とするとしても,これを増悪させる原因となるほどに過重な
ものであったということはできない。原告は,被災者が身体障害者等級
3級であったことや,被災者が主治医から事務的な仕事しかできない旨
を言われていたこと(乙36の2)から,立ち仕事自体が過重な業務で
あると主張するが,これらは,上記判断を左右するものではない。なお,
上記判断は,業務が被災者にとって過重なものであったかの判断であり,
日常生活における負荷が本件災害の原因になったとするものではない。
ウ原告の主張について
(ア)原告は,平成12年12月半ば以降,被災者が種々の体調不良を訴
えていたとして,その状況が過重な業務が原因で本件災害が発生したこ
とを裏付ける旨を主張し,これに沿う証拠を提出する。例えば,原告
(原告本人及び陳述書)は,平成12年12月半ばころ以降,「被災者
が,仕事がある日には,風呂に入らずに就寝してしまうことが多くなっ
た。」「また,被災者は,このころから,原告に足のむくみを訴えるよ
うになり,就寝の際,足元を高くして寝ていたほか,自宅で苛立ちをみ
せたり,原告と口論になることが増え,睡眠中に,それまではなかった
いびきをかくようになった。」「それまではなかった寒い時期の就寝中
の鼻血があった。」などと供述する。
しかしながら,原告の上記供述を裏付ける的確な証拠はない一方で,
前記イのとおり平成12年12月13日までの業務によっては被災者の
慢性心不全を悪化させることがなかったところ,14日以降の業務がそ
れ以前の業務に比べてその負荷に大きな差があるとは認めがたく,また,
被災者の慢性心不全が,平成12年12月半ば以降,急激に悪化したの
であれば,そのような症状が現れ,前記病院を受診してしかるべきであ
ると解されるのに,被災者に呼吸困難や全身の浮腫といった心不全増悪
の兆候があったとは認められず,被災者は前記病院を受診したことがな
かったものである(乙40によれば,被災者は時間外や深夜の時間に前
記病院を受診したことがある。)。さらに,前記認定事実によれば,こ
の間の休日の過ごし方や本件災害当日の様子及び直前の行動等において
も,被災者に心不全増悪の兆候があったとは認め難い。以上の点に,鼻
血については,本件事業主に就職する以前にもたびたびあったと認めら
れること(乙40の平成10年11月20日欄,平成11年5月17日
欄),入浴方法については,もともと被災者はシャワーだけで済ませて
いたこと,その他,転居により居住環境が変化したことの影響もありう
ることも考え併せると,被災者の平成12年12月半ば以降の家庭での
様子に関する前記主張事実は,少なくとも過重な業務に従事したことに
より被災者の心不全が増悪したことを推認するに足りる事情とはいえず,
したがって,原告の上記主張及びこれに沿う上記証拠は採用できない。
(イ)その他の勤務状況に関する原告主張について
原告は,被災者が寒暖の差もある商品運搬業務に従事し,また,本件
事業主が被災者の心臓機能障害に対する配慮不足,部長クラスの人の発
言,被災者が売上ノルマを課されたことにより,強い身体的・精神的負
荷を受けた旨を主張する。
しかし,これらについては,いずれも前記認定のような状況であった
ことに加え,12月13日の時点で被災者の慢性心不全に悪化が認めら
れないことからすると,特段の負荷要因となったとは認められない。
(ウ)T医師の意見書及び証言について
T医師の意見書(甲22,29)及び証言は,その結論を導く根拠が
前記(ア)の判断と異なるものであることから採用できない。
エ小括
以上のとおり,被災者が本件事業主のT店において従事した業務は,そ
の慢性心不全を増悪させるなどして,致死性不整脈による心停止(心臓性
突然死)を発症させる原因となり得るほどに過重であったということはで
きない。
他方で,前記争いのない事実等及び前記認定事実に証拠(乙36の2,
39・2頁)を併せると,慢性心不全は,その予後が極めて悪く,致死性
不整脈発症の確率が高くなる上,とりわけNYHAⅡの患者群は,より重
症であるNYHAⅢ又はⅣの患者群よりも突然死の割合が高いという統計
データもあることからすると,本件災害は,被災者の慢性心不全が本件事
業主に就職する以前より格別増悪していない状態でも,その有する致死的
不整脈の発症の危険が自然の経過において現実化することにより十分起こ
りうるものというべきである。
したがって,本件災害の基礎疾患である被災者の慢性心不全は,本件事
業主における業務によって自然の経過を超えて増悪したと認めることはで
きない一方で,本件災害は,被災者の慢性心不全が有する致死的不整脈の
発症の危険が,その自然の経過において現実化したものと解しうるから,
被災者の業務と本件災害との間に相当因果関係があると認めることはでき
ない。
3結論
以上の次第で,本件災害は,被災者が従事した業務に起因するものというこ
とはできないから,これを業務上の災害と認めなかった本件処分は違法ではな
い。
よって,原告の請求には理由がないから棄却することとし,主文のとおり判
決する。
名古屋地方裁判所民事第1部
裁判長裁判官多見谷寿郎
裁判官志賀勝
裁判官川勝庸史

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛