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H16.1.22判決 東京地方裁判所平成13年(ワ)第22501号損害賠償請求事件
主     文
1 被告は,原告Aに対し,120万円及びこれに対する平成13年11月3日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告Aのその余の請求及び原告Bの請求をいずれも棄却する。
3訴訟費用は,被告に生じた費用の10分の6と原告Aに生じた費用の10分の9を
原告Aの負担とし,被告に生じた費用の10分の3と原告Bに生じた費用を原告Bの
負担とし,被告に生じた費用の10分の1と原告Aに生じた費用の10分の1を被告
の負担とする。
4 この判決の第1項は,本判決が被告に送達された日から14日を経過した時は,
仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は,原告Aに対して,2750万円及びこれに対する平成13年11月3日から
支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 
 2 被告は,原告Bに対して,1000万円及びこれに対する平成13年11月3日から支
払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
原告Aは,東京拘置所に未決勾留されていたところ,平成13年4月1日午前7時
30分ころ,脳梗塞を起こして布団の上に半身を起こしているところを発見され(以
下「本件脳梗塞」という。),翌2日,C大学附属病院に搬送され,開頭減圧手術を
受けるなどした後,最終的には,本件脳梗塞による後遺障害が発生した。原告A
は,開頭減圧手術後しばらくの間,東京拘置所の職員によって手錠をかけられて
いた。
本件は,原告らが,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償を求め
るものであるが,第1に,原告Aが,①原告Aには血栓溶解療法の適応があった可
能性があるので,東京拘置所の医師らは,同月1日午前8時ころ,原告Aが脳卒中
であるとの疑いをもった後,速やかに専門病院へ転医させるべきであり,②仮に血
栓溶解療法の適応の可能性がなかったとしても,原告Aに適切な治療を受ける機
会を与えるために,速やかに専門病院へ転医させるべきであったのに,これを怠っ
たと主張して,期待権が侵害されたことによる精神的損害について,慰謝料の支払
を求め,第2に,原告Aが,①被告は,原告Aの脳浮腫を進行させないよう同月2日
にグリセオールの投与等を行い,脳浮腫対策をすべきであったのに,これを怠った
ために開頭減圧手術を受けることを余儀なくされた,②仮にグリセオールの投与等
が行われていたとしても,適切な脳浮腫対策を受ける機会を期待する権利を侵害
されたと主張して,慰謝料の支払を求め,第3に,原告Bが,肉親に対する説明義
務違反を主張して,慰謝料の支払を求め,第4に,原告らが,被告に対し,正当な
理由がなく原告Aに対し手錠をかけたと主張して,慰謝料の支払を求め,これらを
合計して(弁護士費用相当の損害を加える),原告Aは,損害金合計2750万円
を,原告Bは,損害金合計1100万円のうち1000万円を,それぞれ請求している
事案である。
1 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告ら
    (ア) 原告A(昭和24年4月20日生)は,本件脳梗塞発症当時51歳の男性であ
り,平成13年8月8日,東京家庭裁判所八王子支部によって,原告Aの兄
であるDが,同人の成年後見人に指定された(甲C1,C2)。
    (イ) 原告Bは,原告Aの父である(甲C1)。
   イ 被告
     被告は,東京拘置所を設置しており,平成13年4月1日当時,同拘置所医務部
長であるE医師,同医務部の医師であるF,及び同所関係職員らは,公権力
を行使する公務員であった。
  (2) 事実経過
   ア 原告Aの逮捕・勾留
 原告Aは,東京都町田市内のアパートに居住しながら,運送会社でトラック
運転手として稼働していたが,平成11年7月8日,住居侵入被疑事件の被疑
者として警察官に逮捕された。
 原告Aは,同月9日,同事件のため当庁において勾留決定された後,同月2
8日,東京地方検察庁によって起訴され,同事件については,当庁刑事部に
係属した(以下「本件刑事事件」という。)。
     そして,原告Aは,同年9月2日,東京拘置所に移監され,同日以降,同所で未
決勾留されたまま,裁判を行っていた(なお,原告Aについては,本件脳梗塞
発病により,平成13年8月29日,公判手続停止決定がなされ,それに伴い,
勾留が取り消された。)。
イ 東京拘置所における診療経過
原告Aは,平成12年2月21日以降,東京拘置所医務部病院(以下「東京
拘置所医務部」という。)において,痔の治療を受けるなどしており,同所にお
ける同日以降の原告Aの診療経過についての原告ら及び被告の主張は,別
紙診療経過一覧表記載のとおりである(当事者の主張の相違する部分を除
き,争いがない。)。
原告Aは,平成13年4月1日午前7時30分ころ,東京拘置所(単独房)内
において,布団の上で上半身をおこしたまま,「うっ」,「あっ」などとしか言えな
い状態であるところを東京拘置所職員によって発見され,翌2日午後3時20
分ころ,同所を出所し,C大学附属病院に転院した(以下,日時について,特
に年を示さない場合は,全て平成13年である。)。
ウ 東京拘置所の対応等についての事実経過
原告訴訟代理人Gは,本件刑事事件の原告Aの主任弁護人であったとこ
ろ,4月2日午前11時50分ころ,当庁刑事第11部の裁判所書記官から電話
で,原告Aが脳梗塞の疑いで,昨日入院した旨の連絡を受けた。
同時点以降の原告Aの診療経過以外の事実についての原告ら及び被告の
主張は,別紙経過一覧表記載のとおりである(当事者の主張の相違する部分
を除き,争いがない。)。
エ 特定集中治療室管理科に関する施設基準
 「基本診療料の施設基準等及びその届出に関する手続きの取扱いについ
て」(平成12年3月17日 各都道府県民生主管部(局)保険・国民健康保険・
老人医療主管部(局)老人医療主管課(部)長あて厚生省(当時)保険局医療
課長・歯科医療管理官・老人保健福祉局老人保健課長連名通知)では,特定
集中治療室(以下「ICU」という。)管理科に関する施設基準について,次のと
おり定めている。
(ア) 専任の医師が常時,特定集中治療室内に勤務していること。
(イ) 看護師が常時,患者二人に一人の割合で特定集中治療室内に勤務して
いること。
(ウ) 当該管理を行うために必要な次に掲げる装置及び器具を特定集中治療
室内に常時備えていること。
a 救急蘇生装置(気管内挿管セット,人工呼吸装置等)
     b 除細動器
     c ペースメーカー
     d 心電計
     e ポータブルエックス線撮影装置
     f 呼吸循環監視装置
    (エ) 原則として,当該治療室はバイオクリーンルームであること。
    (オ) 当該治療室勤務の医師及び看護師は,治療室以外での当直勤務を併せて
行わないものとすること。
オ 東京拘置所医務部の態勢等
 東京拘置所医務部は,昭和60年3月に設立され,診療科目として内科・精
神科・外科・整形外科・脳外科・皮膚科・泌尿器科・眼科・歯科があり,脳外科
の医師(医務官)は2名である。
 そして,同医務部にも,「ICU」という名称の病室が存在するが,医師及び准
看護師の資格を有する職員が毎日当直しているという態勢であり,その当直
場所は,ICUの存在する建物の隣の建物の2階の医務事務室であって,ICU
に駆けつける際には,2箇所の鍵を開けて行かなければならず,前記エ(ア),
(イ),(オ)の基準は満たしていない。
 なお,医務事務室で執務する医師等は,同事務室内のテレビモニターで,IC
U内に取りつけられたテレビカメラの映像を見ることが出来る。
カ 脳卒中の分類等
(ア) 脳卒中とは,脳血管障害により,急激に意識障害,神経症状が出現する
病態をいう。脳出血(高血圧性脳内出血),脳梗塞,一過性脳虚血発作,ク
モ膜下出血などがあり,それぞれに多くの原因疾患がある。脳梗塞は脳血
栓と脳塞栓によることが多く,脳塞栓の原因としては心疾患が最も多い(乙
B1・1615頁)。
(イ) 脳梗塞とは,脳血管の血流障害により,脳組織が壊死を起こすことをい
う。血流障害の原因としては,脳血栓,脳塞栓によることが多い(乙B1・16
10頁)。
(ウ) 脳血栓とは,脳血管に生じた血栓により脳血流障害が起こり脳梗塞を生
じることをいい(乙B1・1609頁),脳塞栓とは,流血中の血栓,空気,脂
肪,腫脹などの異物により脳血管が閉塞し,脳虚血を起こすことをいう(乙
B1・1615頁)。
(エ) 心原性脳塞栓症とは,遊離した心内血栓,あるいはシャント性心疾患を
介した遊離静脈血栓が脳動脈を閉塞して生じる脳梗塞をいう(乙B第2号
証97頁)。
キ 脳梗塞の治療(甲B1)
(ア) 超急性期における治療
 虚血性脳卒中は脳を灌流する動脈の閉塞により,その支配領域が虚血
に曝されることにはじまる(局所脳虚血。甲B1)。
 しかし,虚血に陥ったすべての脳組織が直ちに不可逆的な死(脳梗塞)に
いたるわけではない。虚血の中心部は,局所脳血流量が100グラム当たり
毎分10ミリリットル以下となるような高度の虚血に曝されるため急速に死に
いたるが,その周辺部にあり,100グラム当たり毎分約15ミリリットルから
40ミリリットル程度の脳血流量が保たれている組織は,より長時間の虚血
に耐えることができる。このような虚血状態にあるが,救命可能で,可逆性
の要素をもつ虚血巣はペナンブラと呼ばれている。ペナンブラは放置すれ
ば,時間経過とともに不可逆的な梗塞に移行する。また,そこに脳虚血を悪
化させる要因が加われば,更に梗塞への進行が加速される。したがって,
ペナンブラから梗塞への進行を抑止するための治療法と対策が重要であ
る。(甲B1)
 そして,脳梗塞超急性期とは,一般には血管の閉塞による血流の途絶に
よって虚血状態に陥った脳細胞を,不可逆的な細胞死(壊死)に至る前に,
血栓溶解療法で救命しうる時期を指す。
(イ) 超急性期における血栓溶解療法
 組織プラスミノーゲン・アクチベータ(tissueplasm-inogenactivator,
以下「t-PA」という。)は,組織プラスミノゲン活性化薬ともいい(甲B3参
照),血管の閉塞(血栓)を溶解させて血流を再開させる血栓溶解療法に使
用する血栓溶解薬である。また,ウロキナーゼ(プロウロキナーゼ)も,t-P
Aと同じく血栓溶解薬である。
 そして,脳梗塞については,超急性期において,血栓溶解薬を用いた血
栓溶解療法が,一定の治療効果を認められている。
 この点,米国・カナダ,ドイツでは,発症後3時間以内の脳梗塞患者に対
するt-PAの静脈内投与が認可されている(甲B8・953頁)が,日本にお
いては,脳梗塞の治療に使用することは認められていない(甲B8・963
頁)。
    日本において脳梗塞に対して承認されている血栓溶解薬とその投与法は,
発症5日以内の脳血栓症に対する低用量ウロキナーゼ(6万単位/日)の
静脈内反復投与法(7日間)のみであるが,ウロキナーゼ静脈内反復投与
法では,十分な閉塞脳血管の再開通を得ることはできない。
 そのため,日本では,現実には,高用量ウロキナーゼあるいはt-PAの
局所動脈内投与や静脈内投与による血栓溶解療法が,いくつかの脳卒中
専門施設で行われている(甲B8)。
2 本件医療行為についての原告Aの請求
(1) 請求原因
ア 責任原因
(ア) 期待権としての転医義務違反による国家賠償責任
  F医師及び被告担当職員ら(以下「F医師ら」という。)は,次のとおり,①4
月1日午前8時ころに医師が原告Aを脳卒中の疑いと診断した後,可及的
速やかに専門病院へ転医させるべきであり,②仮に①が認められないとし
ても,原告Aへの救急処置と第1回目のCT撮影(以下「第1回CT」という。)
が終了した後,速やかに専門病院へ転医させるべきであり,これを容易に
できたにもかかわらず,これを怠ったために,原告Aは期待権を侵害された
ものであるから,被告は,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償責任を負
う。
a 拘置所における適切な医療を受ける権利
(a) 何人も,自らの健康を保持し,生命を維持するために必要かつ適切
な医療を受ける機会を与えられるべきことは,最も重要な基本的人権
である(憲法13条,25条,経済的,社会的及び文化的権利に関する
国際規約12条1項参照)。
(b) そして,拘禁施設の適正な管理体制を維持するために,被疑者・被
告人が外部の医師を任意に選択し自由にその診療を受けることは制
限されている(監獄法42条)が,在監者といえども,一般に国民が社
会生活上享受すべき水準の,専門的資格のある医師による治療を受
ける機会が不当に制限される理由は何ら存しないのであるから,拘禁
を行なう国及び当該拘禁機関の職員は,被疑者・被告人の身体を適
法に拘束する反面において,在監者の診察に万全の意を用い,疾病
をかかえた者に対しては,迅速かつ適切な医療行為を行い遺漏なき
を期すべきことは,監獄法40条をまつまでもなく,当然の職責である。
  この点,被拘禁者の医療を受ける権利について,わが国内法では明
確な規定はないが,国際法規では,被拘禁者の医療を受ける権利が
保障されており,これらの規約等は,わが国においても被拘禁者の処
遇の基準とされるべきである(市民的及び政治的権利に関する国際規
約10条,被拘禁者処遇最低基準規則22条1項,あらゆる形態の拘
禁・収監下にあるすべての人の保護のための原則・原則25,医学倫
理原則・原則1,法執行官行動綱領6条参照)。
(c) さらに,医師一般としても,医療を受ける者に対し,良質かつ適切な
医療を行う等の医療上の義務が存する(医療法第1条の2第1,2項,
同条の4第1,2項参照)。
(d) 以上に加え,自己決定権(憲法13条等)の尊重の観点及び憲法31
条の要請するデュー・プロセス関係の観点を加味するならば,被拘禁
者といえども,原則としてその拘禁目的(公判廷への出頭確保,罪証
隠滅の防止等)からくる最小限のもの以外の人権制約は許されない。
b 拘置所における転医義務
 拘禁施設における転医義務は,単に健康状態の悪化という結果を回
避するための転医義務にとどまるものではない。被拘禁者は医師や医
療機関を選択する自由が認められていない状況下におかれているので
あるから,拘禁施設側は,医師を選択する「権限」を独占的・排他的に有
している反面として,一般国民なら受けるであろう最善の医療を受けさせ
る積極的な義務を負っているというべきである。
 そして,拘禁施設においては,仮に,とりわけ被拘禁者が高度に専門
領域に属する疾病に罹患し,拘禁施設の医師あるいはその医療設備等
によっては当該被拘禁者の疾病に対し,その時の医療水準に即応した
診療(医療行為)が困難な場合には,自ら積極的に専門医療施設に転医
させ,遺漏のない医療を受けさせる機会を与える義務を負うというべきで
ある。
 よって,東京拘置所においても,脳梗塞のような高度に専門領域に属
する疾病で,かつ重病の場合であるため,拘置所内においては,医療水
準に応じた医療行為を被拘禁者に対して提供できない場合には,前記
医療機会提供義務の履行として,重病患者を外部の専門医療機関に可
能なかぎり速やかに転医させる義務がある。
   c 期待権
    一般に,患者が,医療機関によって適切な治療を受ける機会を持つことは
法的に保護される権利(以下「期待権」という。)であり,これを怠った医
療機関に対しては,医師の過失と患者の結果との関係いかんにかかわ
らず,患者に精神的打撃を与えたとして,債務不履行もしくは不法行為
に基づく慰謝料の損害賠償責任が認められ,かかる期待権の法的保護
は,転医義務違反にも妥当する。
そして,転医による結果回避の可能性が転医義務発生の要件とされ
る場合も存するが,転医義務違反について期待権を問題とする場合は,
結果のいかんにかかわらず,患者に適切な医療行為の機会を失わせ,
精神的打撃を与えたものとして,債務不履行もしくは不法行為責任を負
うべきである。
 とりわけ,拘置所等の拘禁施設で被拘禁者が医師の診療を受ける場
合は,診療契約に基づくものではないが,被拘禁者は,医師や医療機関
の選択の自由を奪われているので,拘禁施設における被拘禁者に対す
る医療行為における期待権については,一般人の場合よりも一層保護さ
れるべきである。
d 脳卒中の場合の転医義務
(a) 「脳卒中の疑いのある患者は,可及的速やかに専門医療施設へ移
送すべき」である。その場合,緊急CTを撮れないような医療施設の場
合には,CTで脳出血か否かを確定してから移送するのではなく,疑い
の段階で救急車を利用してなるべく早期に専門病院へ移送することが
望ましいとされる。現在では,安静にして様子を見た方がよいというこ
とは決してなく,急性期の適切な処置,治療が,その後の病状に大きく
影響するからである。
 特に,超急性期の脳梗塞の治療については,発症後,3時間ないし
6時間以内に,血管の閉塞を取り除いて血流を再開させるための血栓
溶解療法が注目されている。例えば,①発症3時間以内に血栓溶解
薬であるt-PAを投与する,②閉塞した動脈内に,6時間以内に,直
接血栓溶解薬を投与する方法などである。
(b) このような治療法は,選択する薬剤やその投与方法,また患者の状
態によって,治療効果の有効な発症後の時間が異なっている(甲B5)
が,おおよそ,発症後3時間から6時間以内が一つの時間的目途とさ
れており,これが,一般に「超急性期」といわれているのである。
(c) そして,超急性期は,脳梗塞治療にとって重要な時期なのであり,
「この有効な時間内に治療を行うためには,発症後,早急に,脳梗塞
の発症機序(しくみ,メカニズム)と,その虚血の原因となった血管病変
を検索し,虚血領域を特定し,最も有効な治療法を選択することが必
要となる」とされているのである(甲B5)。
(d) また,失語症と片麻痺という症状の組み合わせから,左大脳半球性
の大梗塞と考えられる患者の場合は,今後脳浮腫が進行すると頭蓋
内圧が亢進し,重症化する可能性があり,更に,脳梗塞の再発や感
染症や消化管出血などの合併症を併発する危険性が高いため,容態
の急激な変化に対処できるICUやSCUなどの設備を有し,脳卒中の
診療に精通したスタッフのいる総合病院や脳卒中専門病院への早急
な転送が望まれるとも言われる。
e 本件における転医義務及び期待権の侵害
   次のとおりの事実からすれば,被告は,①遅くとも4月1日午前8時ころ
に医師が原告Aを脳卒中の疑いと診断した後には,②仮に①が認めら
れないとしても,遅くとも救急処置を行って第1回CTを撮影した後には,
速やかに,原告Aを専門病院へ転医させるべきであり,容易にこれがで
きたにもかかわらず,拘禁目的を優先させてこれを怠ることにより,原告
Aの期待権を侵害したものである。
(a) 血栓溶解療法による治療の可能性が皆無でなかったこと
 本件における原告Aの脳梗塞は,心源性脳塞栓の可能性が高いと
ころ,これを就寝中に発症する割合は少なく,普通は起きて活動して
いる時が多い。しかも,本件の場合,看守が短い間隔で巡回していた
にもかかわらず,原告Aの異常が発見できず,発見したときは布団の
上に半身を起こして,「あっ」,「うっ」などと言っていたというのであるか
ら,原告Aは,4月1日午前7時30分ころの原告Aの異常が発見され
る直前に本件脳梗塞を発症し,頭が痛くなるなどして起きあがったが,
発語できない状態で発見された可能性が高いとも考えられる。
 したがって,原告Aの脳梗塞は,4月1日午前8時ころには,超急性
期にあった可能性も否定できず,血栓溶解療法の適応の可能性がな
かったわけではない。少なくとも,速やかに脳卒中専門病院に転送し
て検査等を行っていれば,血栓溶解療法の適応の可能性が皆無では
なかった。
 以上からすれば,東京拘置所は,4月1日午前8時ころに医師が原
告Aを脳卒中の疑いと診断した後,可及的速やかに専門病院へ転医
させるべきであり,容易にできたにもかかわらず,これを怠ったもので
あり,これにより,原告Aは,上記一般国民であれば受けるであろう最
善の医療を受ける機会を保障されることに対する期待権を侵害された
ものである。
(b) 物的・人的な設備と能力の不存在
 東京拘置所医務部には,次のとおり,原告Aのような重症の脳梗塞
に対処する物的・人的な設備も能力も存しなかったのであるから(仮
に,専門病院に転医されてそこで検査を行ったところ,結果として,原
告Aに血栓溶解療法の適応性がないため,専門病院においても格別
の措置がなしえたわけではなかったり,あるいは,専門病院での診療
によっても,現在の後遺症障害が避けられなかったのだとしても),F
医師らは,原告Aの異常を発見した後である4月1日午前8時ころ,原
告Aを脳卒中の疑いと診断した後,速やかに(少なくとも,救急処置を
行って第1回CTを撮影した後,速やかに),専門病院へ転医させるべ
きであり,容易にこれができたにもかかわらず,これを怠ったものであ
り,これにより,原告Aは,専門病院でのきめ細かな経過観察等の,一
般国民であれば受けるであろう適切な医療機会を保障されることに対
する期待権を侵害されたものである。
なぜなら,脳梗塞の再発や,症状の急激な増悪,合併症の併発等に
対処するための専門スタッフと設備の整っている医療施設できめ細か
な経過観察を含む診療を受けなければ,生命の危機に瀕する可能性
も十分存したのであり,原告Aや,その家族にとっては,その様な診療
を受けたい(受けさせたい)と希望することは当然の心情であり,これ
は,現代医学の水準に沿う適切な治療を受ける機会を期待する権利
として,保障されるべきであるからである。
 他方,専門医療施設ではなく,専門医でもない東京拘置所の医師及
び管理者らは,一般国民なら受け得る適切な治療専門の医療施設を
整えている専門の医療機関で,専門のスタッフによるきめ細かな経過
観察や合併症対策等の診療を受ける機会は尊重しなければならず,
この機会を奪ったことは,拘置所医師あるいは管理者としての義務を
怠ったものといわざるをえないからである。
① 神経症状を含めたきめ細かな経過観察の必要性
   原告Aのように重症患者の場合は,専門病院においては,直ちに,
血管の病変,心疾患の有無等を調べて,それに見合った適切な対
策を行う(甲B3)。そして,原告Aのように,発語障害等が存してそ
の症状を訴えることが出来ない場合は,特に,全身の神経症状をき
め細かく観察,記録して,症状の変化を迅速的確に把握し,それに
基づいた対処が必要となる。
 この点,文献(乙B4・170頁)には,「神経学的検査は神経症状
の経時的変化を知るために繰り返して行い記録に残すことが必要
である。これは緊急手術を行うか,保存的治療を行うかの決定の際
に重要な情報を与える。救急医療においては時間的に余裕のない
場合が多く,診察は重要度の高いものを優先的に行う必要がある。
重要な項目としては,意識障害,眼症状,項部硬直,運動・感覚麻
痺,眼底検査などであるが,眼症状は特に重要で,病変の局在診
断に多くの情報を提供する。」とある。
 また,心原性塞栓症の場合,脳浮腫は高度に起こることが多いと
され,脳浮腫が進展して「周辺組織を圧迫し,虚血や出血病変を発
生させる」脳ヘルニアを引き起こすならば,最悪の場合「死亡」という
重大な結果をもたらすところ,これらの進展は,特に眼症状に現れ
るから,その観察は特に重要である(甲B2,B7・1067・1068頁
参照)。
 ところで,脳浮腫は,発作後2日から4日で,極期に達し,約2週間
で軽減するのが一般的であると言われ(甲B7・1056頁),また,心
原性脳塞栓症の場合は,脳浮腫が高度に起こることが多いとも言
われている。
 そして,本件における原告Aのように,意識障害を伴う重篤な脳梗
塞患者の場合,脳梗塞の再発や合併症を起こし,生命に危険が及
ぶ場合もあるので,バイタルサインチェックは短い間隔で行わなけ
ればならない。また,本件のように輸液を行っている場合は,輸液
で補給する水量と尿で排出する水量とのバランスをチェックしながら
行わなければ,例えば補給過剰となり脳浮腫の進行を引き起こす
などの危険性が高いため,尿量の点検も頻繁に行わなければなら
ない。
  以上の観点からすれば,バイタルサインチェックの間隔は,最初の
数日間は少なくとも1時間ごとに,重症の脳血管障害,特に意識障
害を伴う患者では30分毎に行わなければならない。
② 東京拘置所医務部の態勢等
<A> 態勢
  東京拘置所医務部においては,脳外科を専門とする医師は,常
駐しておらず,即時呼出しに応じ得る体制もとられていなかった
上,当直医が,上記医師に問い合わせをする等の態勢もとられ
ていなかった。また,訓練された医師でなければ神経症状を診る
ことができないところ,そのように訓練された医師もいなかった。
 また,同医務部には,CTは存したものの,CTを操作する技師
も常駐していなかった(そのため,緊急CTすら撮影できなかっ
た。)。
 看護師も准看護師1人が当直しているに過ぎなかった。
 さらに,医務部のICUは,いわば監獄の単独房に若干の医療
器材を置いてあるものに過ぎず,到底,一般病院のICUと比較で
きるものではなかった(この点は,東京拘置所の医師自身が,「I
CUと言っても名ばかりです。」と言って,認めている。)。
 なお,医務事務室で執務する医師等は,同事務室内のテレビモ
ニターで,ICU内に取りつけられたテレビカメラの映像を見ること
が出来るとも言われているが,それは,患者である被勾留者が
逃亡等しないかどうかをテレビモニターで遠隔監視しているに過
ぎなかった。
<B> 本件における東京拘置所医務部の対応
  本件において,東京拘置所医務部は,4月1日午前11時45
分,同午後5時30分,同午後9時20分,翌2日午前8時,同午
後0時,同午後3時に,原告Aのバイタルサインのチェックに行っ
ているだけであり,その間隔は,3時間から10時間40分にも及
び(しかも,そのチェック内容は不十分なものでしかない。),F医
師らは,それ以外の病変を把握する為のチェックを行っていなか
った。
 また,東京拘置所医務部には,MRI,MRA,頸部血管エコー,
脳血管造影などの装置もなく,脳神経内科・脳外科の専門医の
診察も行われなかった。
  なお,平成11年度厚生科学研究費補助金 健康科学総合研究
事業研究報告書「脳梗塞急性期医療の実態に関する研究」によ
ると,<ア>発症から3時間以内に来院した患者は全体の35.3パ
ーセント,発症から3時間後から6時間後までが12.4パーセント
であり,<イ>来院から頭部CT・MRI検査までの時間は,0分から
30分までが63.5パーセント,30分から1時間までが23.1パ
ーセントであり,<ウ>入院7日以内の脳血管の評価法として適用
されるのは,MRA(62.5パーセント),頸部血管エコー(34.3
パーセント),脳血管造影(18パーセント),造影CT(4.8パーセ
ント)などとなっている。
 ③ まとめ
 したがって,東京拘置所医務部には,一般病院の集中治療室に
おけるような,短い間隔での,専門医及び熟練した看護師によるき
め細かなバイタルサインや眼症状等の神経所見の経過観察をすべ
き,原告Aのような重症の脳梗塞に対処する物的・人的な設備も能
力も存しなかったのであって,F医師らは,遅くとも,<ア>午前8時こ
ろに原告Aを脳卒中の疑いと診断した後,<イ>仮に血栓溶解療法
の適応の可能性がなく,<ア>が認められなかったとしても,救急処
置を行って第1回CTを撮影した後,速やかに原告Aを専門病院へ
転医させるべきであった。
    f 以上のとおり,F医師らは,遅くとも,①4月1日午前8時ころ,原告Aを脳卒中
の疑いと診断した後には,②仮に①が認められないとしても,救急処置
を行って第1回CTを撮影した後には,速やかに原告Aを専門病院へ転
医させるべきであり,容易にこれができたにもかかわらず,これを怠った
(以下「本件転医義務違反」という。)ものであって,これにより,原告Aは
一般国民なら受けるであろう最善・適切な医療機会を保障されることに
対する「期待権」を侵害されたものであり,被告は,国家賠償法1条1項
に基づき,損害賠償責任を負う。
(イ) 脳浮腫対策義務違反による国家賠償責任
a 東京拘置所所属の医師らは,4月2日,原告Aに対して,脳浮腫の進行
を防ぐため,グリセオールの滴下を行うべきであったにもかかわらず,こ
れを行わなかった。これにより,原告Aは,開頭減圧手術を受けることを
余儀なくされた。
  このように,F医師らは,原告Aに対し,脳浮腫対策を行うべきであったに
もかかわらず,これを怠り(以下「本件脳浮腫対策義務違反行為」とい
う。),原告Aの脳浮腫を進行させ,開頭減圧手術を受けることを余儀なく
させ,同原告に精神的損害を与えたのであるから,被告は,国家賠償法
1条1項に基づき国家賠償責任を負う。
b 仮に,4月2日にグリセオールの滴下を行っても開頭減圧手術を避けら
れなかったとしても,F医師らは,原告Aに対し,一般国民なら受けるであ
ろう適切な医療機会(適切な脳浮腫対策)を保障されることに対する「期
待権」を侵害し,精神的損害を与えたものであるから,被告は,国家賠償
法1条1項に基づき国家賠償責任を負う。
イ 損害及び因果関係
(ア) (期待権侵害としての)本件転医義務違反による損害
 以上述べたことから,被告は,原告Aの専門病院への早期転送という期
待権を侵害することにより精神的苦痛を与えたものであり,これを慰謝する
ためには,1000万円が相当である。また,これに対する弁護士費用は,1
00万円が相当である。
(イ) 脳浮腫対策義務違反による損害
a 原告Aは,F医師らが前記脳浮腫対策義務を果たし,適切な脳浮腫対策
を行っていれば,開頭減圧手術を受けることは避けられた。
 しかし,F医師らが,このような対策を怠ったことにより,原告Aは,浮腫
による脳圧亢進が著しく進展し,脳ヘルニア発生にまで至って生命の危
機に直面せざるをえなかったのであり,それ自体生命の危険があり,し
かも予後が非常に悪いと言われる開頭減圧手術を受けることを余儀なく
され,精神的苦痛を受けたところ,これを慰謝するためには,1000万円
が相当である。また,これに対する弁護士費用は,100万円が相当であ
る。
b なお,仮に,開頭減圧手術を避けられたことについて相当因果関係が認
められなかったとしても,原告Aには,開頭減圧手術を受けなくてもすん
だ相当程度の可能性があったにもかかわらず,被告は,原告Aが適切な
脳浮腫対策を受ける機会を奪い,精神的損害を与えたものであり,これ
を慰謝するためには,500万円が相当である。また,これに対する弁護
士費用は,50万円が相当である。
(ウ) よって,原告Aは,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,本件転医
義務違反について1000万円,本件脳浮腫対策義務違反について,主位
的に1000万円,予備的に500万円の,損害金合計2000万円(予備的に
1500万円),及びこれらに対する弁護士費用200万円(予備的に150万
円),並びにこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成13年11月3
日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を
求める。
ウ 被告の主張に対する反論
(ア) 4月1日午前8時の時点で原告Aは超急性期になかったとは言い切れな
いこと
a 原告Aの症状
  被告は,原告Aに,片麻痺・発語障害の局所神経症状が現れていたこと
から,原告Aは,4月1日午前8時の時点で超急性期にはなかった旨主
張する。
 しかし,仮に4月1日朝の第1回CT撮影の時点(CT写真上,午前10時
07分ころ)で,原告Aに,片麻痺・発語障害の局所神経症状が現れてい
たことを前提としても,「片麻痺」,「発語障害」などの神経症状は,心原
性脳塞栓の場合には,発症直後(数秒から数分以内)から出現する症候
である(甲B6)。
  また,被告は,片麻痺や感覚障害などの症候から,超急性期が過ぎて
いたと主張するが,虚血性ペナンブラは,「脳細胞の電気的活動は停止
し片麻痺や感覚障害などの症候はみられるが,まだ,不可逆的な細胞
死に陥っていない可逆性で蘇生可能な状態」とも言われている(甲B6)
ように,超急性期においても片麻痺や感覚障害などの症候が発生するこ
とは当然の前提となっている。
 よって,これらの神経症状が生じていたことをもって「超急性期が過ぎ
ていた」とすることはできない。
b 第1回CTの画像所見について
 確かに,第1回CTの画像には,原告Aの左頭頂葉に「うっすらとした広
範囲な低吸収域」が認められる。
 しかし,4月1日の第2回CT(午後0時16分ころの時刻印字の存するも
の)の画像においては,同じ部分の低吸収域がはっきりと黒い影として現
れてきている。このこととの対比でいえば,第1回CTは,明らかに「うっす
らとした低吸収域」であり,したがって,これは,脳梗塞発症後1時間程度
からCT画像上に現れ始める「ea-rlyCTsign(超急性期CT所見)」と
見るべきものである。すなわち,脳塞栓などによる大規模な脳梗塞(脳虚
血)の場合などでは異常所見(「レンズ核陰影の不明瞭化」,「脳溝の不
明瞭化」,「脳実質の淡い低吸収域の出現」等)の出現が早いと言われて
おり,この「early CT sign」の一つである,「淡い低吸収域の出現」は,
発症後2時間から3時間で出現し得るものである(甲B7)。
 したがって,このCT画像上の徴候をもって「超急性期を過ぎている」と
することもできない。
c まとめ
 以上より,第1回CTの時点で,原告Aに現れていた神経学的症候並び
にCT上の所見からは,「すでに超急性期を過ぎていた」と判断すること
は全くできず,むしろ,このCT所見は,原告Aが超急性期であった可能
性を示しているのである(したがって,逆に,「earlyCTsign(超急性期C
T所見)」を認めたならば,まさに超急性期にふさわしい適切な処置を,直
ちにとることが必要であったと言うべきなのである。)。
(イ) CT上の低吸収域が出現した場合の血栓溶解療法の適応
 被告は,CT上明らかに低吸収域が認められるときには血栓溶解療法の
適応がない旨主張する。
      確かに,低吸収域(うっすらとした低吸収域を含む。)が認められれば,血栓溶
解療法の適応を避けるのが医師としてのコンセンサスであるとはいえる(た
だし,「early CT sign」としての「うっすらとした低吸収域」しか認められな
い段階で,家族からの強い希望がある場合には,担当医師の判断で血栓
溶解療法を試みる可能性は残っており,限界的な事例の場合は,明確な線
引きはなされていない。)。
      しかし,被告の主張は,次のとおり,不当である。
     a 第1回CTの撮影時刻については,4月1日午前10時過ぎであって,原告A
の異常を発見してから2時間半以上も経過した時点で撮影したものであ
るところ,被告は,同日午前9時3分であることを前提としている。
       そして,被告は,このCT写真において,「うっすらとした低吸収域」が認めら
れることを前提に,血栓溶解療法の適応がないと主張するが,原告Aの
異常発見後,直ちに脳卒中専門病院に転送していれば,「うっすらとした
低吸収域」が出現する前に対処ができた可能性が皆無であったわけで
はない。
b 本件においては,原告Aの異常発見直後に「脳卒中」の疑いが高いとい
う診断がついたのであり,その場合の血栓溶解療法の適応の有無の判
断は,直ちに専門病院に転送することなしには行いえないものである。
 そして,この時点(4月1日午前8時ころに医師が原告Aを脳卒中の疑
いと診断した時点)で,原告Aが専門病院に搬送されていれば,血栓溶
解療法の適応の可能性がなかったとは言えない。
c そもそも,F医師は精神科医であって,脳梗塞についての適切な経験,
知識を有しておらず,4月1日午前の段階では,「うっすらとした低吸収
域」に気づいていなかった。しかも,F医師らは,拘禁目的を優先させて,
直接的な生命の危険を感じなければ専門病院への転送など考慮してい
なかったものであり,いずれにしても血栓溶解療法の適応など考慮して
いなかった。
(2) 請求原因に対する認否・反論
ア 原告Aの主張は争う。
  原告Aの脳梗塞は,次のとおり4月1日午前8時の時点で血栓溶解療法の適
応はなく,F医師らは内科的療法を行わざるを得なかったところ,F医師らは,
経過観察を行うとともにグリセオールの投与を行っており,転医の時期も原告
Aの症状がそれ程悪化する前に行われたものであって適切な処置がなされた
ものである。
  したがって,被告は責任を負わない。
イ 責任原因
(ア) 拘置所における適切な医療を受ける権利
 在監者については,拘禁目的からくる制約や施設の事情に基づく制約等
在監関係の特殊性を考慮に入れる必要があり,この限りにおいて,在監者
がすべての点において一般国民と同様の状況にあるとは解されない。
 そして,拘置所は,拘禁目的を達成するため適切な医療を行う観点から
外部の専門病院等に転医させるか否かを判断するものであって,監獄法4
2条に規定する場合を除き,被拘禁者の意思・選択に基づいて転医させる
ものではない。
(イ) 転医義務違反
  a 血栓溶解療法について
(a) 血栓溶解療法は,その適応について,我が国では未だ見解の一致
を見ていない状態であり,現時点において施行するためには,倫理規
定に基づいて臨床試験として行う必要がある(乙B第5号証110頁)。
(b) 血栓溶解療法の好適応としては,次のとおりの条件などを満足する
例とされている(乙B2・102頁,B6・78頁)。
① 塞栓性梗塞
② 発症後3時間以内又は6時間以内
③ CT上明らかな低吸収域がないこと
④ 「early CT sign」が認められたとしても,中大動脈領域の33パ
ーセント以下にとどまっていること
⑤ 内頚動脈閉塞ではないこと
⑥ 血圧レベルが収縮期圧184水銀柱ミリメートル以下,拡張期圧1
10水銀柱ミリメートル以下であること
(c) そして,前記(b)②に,発症後3時間以内又は6時間以内という条件
が挙げられているが,同条件を満たせば血栓溶解療法の適応がある
というものではなく,同条件を満たしたとしても,例えば,CT上明らか
な低吸収域が認められれば,血栓溶解療法の適応はないことになる。
 すなわち,「脳梗塞超急性期」を「血栓溶解療法で救命しうる時期」と
定義するならば,「脳梗塞超急性期」とは,「発症後3時間又は6時間」
というような単に時間によって定義される概念ではなく,脳細胞が不可
逆的な壊死には至っていないという脳細胞の状態によって定義される
概念なのである。
 そして,広範なCT上の低吸収域を伴う場合には重篤な出血性梗塞
の危険性があるのであって,t-PA投与後,致死的な出血性梗塞を
起こしたり,急激な線溶亢進により心内出血が遊離し塞栓症を再度発
症した症例もある(乙B9・71頁)。
 なお,そもそも,t-PAの使用はまだ我が国では認可されていないこ
とに注意する必要があり,この治療法の危険性を考慮すると,現段階
ではまだ一般に普及すべき治療法とはいえないのである(甲B1・705
頁)。
b 本件における血栓溶解療法の適応 
(a) 原告Aの病状に血栓溶解療法の適応があったか否かについて検
討すると,前記a(b)②(発症後3時間以内又は6時間以内)の条件に
ついて,原告Aの発症時期は明らかではない上,前記のとおり,同条
件②は,前記a(b)③(CT上明らかな低吸収域がない)の条件から導
かれるものであって,前記a(b)③の条件と一体であるところ,同条件
については,4月1日午前9時3分ころのCT写真上(乙A6),明らか
な低吸収域が認められるから(乙A1・10頁),該当しない。さらに,
前記a(b)④(「early CT sign」が認められたとしても,中大動脈領
域の33パーセント以下にとどまっている)の条件については,上記C
T写真のみから33パーセント以上であると断定することはできない
が,原告Aにすでに片麻痺,発語障害等複数の症状が生じていたこ
とからすると,梗塞部位は広範であったと考えられ,同条件にも該当
しない。
 以上のとおり,原告Aの病状は,前記a(b)③及び④の条件に該当し
なかったのであるから,血栓溶解療法の適応はなかった(また,前記
「患者が睡眠から覚醒したときに障害があった場合には,障害の持
続時間が3から6時間以内であることが明白でない限り,血栓溶解療
法は考慮すべきではない。」(乙B10・114頁)との記載からすると,
原告Aの病状に血栓溶解療法の適応がなかったことは一層明らかで
ある。)。
(b) なお,第1回及び第2回CT(4月1日午前11時15分ころ撮影した
もの)の実施時刻について,乙A6号証及び同7号証の写真に印字さ
れている時刻は正確ではなく,実際の時間より約1時間進んでおり,
被告は,F医師の記憶及びICU房動静経過表(乙A3)の記録に基づ
いて,時刻を主張している。
 かかる時刻のずれが判明した経緯については,医務部医療第二課
法務技官(診療放射線技師)が,平成13年4月2日午前9時ころ,原
告Aの頭部CT写真を撮影するよう指示された際,医務部の職員か
ら,前日に撮影したCT写真の時間がずれているのではないかとの指
摘され,CT機器のモニター画面上の時間を確認したところ,実際の
時間より約1時間進んでいることを発見したことにより判明し,同技官
がCT機器内蔵時計の時間を腕時計に合わせて修正したものであ
る。
c 一定時間経過後の脳梗塞に対する治療方法
(a) 内科的保存療法
 一定時間の経過した脳梗塞においては,既に脳組織の一部は壊
死しており,症状はいかなる治療によっても不可逆的であって基本的
には改善せず,後遺症についても壊死した脳組織の部分だけで決定
しているのであって,症状が進んでさらに悪化するということはない。
 したがって,この段階における治療法としては,脳梗塞周囲の血流
低下を防ぎ,脳浮腫の進行を和らげるため脳圧コントロールを行う内
科的保存療法しかなく,これは,壊死した梗塞部位を回復させるもの
ではない。具体的には,まず救命措置を行うが,全身状態の管理とし
て,気道・呼吸管理,水・電解質管理,血圧管理を厳密に行い(乙B
4・166頁,乙B第2号証99,100頁),脳浮腫対策としてグリセオー
ルを投与する。
(b) 開頭減圧手術
 そして,内科的保存療法を行っているにもかかわらず,脳浮腫が進
行し,脳ヘルニア症状が出現するか,あるいは出現する可能性が確
実になったら,救命のため,脳外科において開頭減圧手術を行うこと
となる(乙B3・187頁)。開頭はリスクの高い手術であるから,これを
行うことなく経過観察を継続することが可能であれば,そのようなリス
クを負わないに越したことはない。
 このように,脳梗塞は内科的治療が中心となるから,脳梗塞の大半
は内科系の科又は病院で管理されているのであり,脳外科で管理す
る必要があるのは,手術適応のある場合,すなわち超急性期におけ
る血栓溶解療法の適応がある場合と脳浮腫進行のため減圧術が必
要な場合に限られるのである。
d 東京拘置所医務部の態勢
 東京拘置所医務部においては,夜間や休日等において緊急な診療が
必要な場合には,毎日配置される当直の医師が対応しており,当直医で
対応することが相当でない場合は,専門医を呼び出し,診療に当たらせ
るなどの態勢を整えている。
 また,同医務部の医務事務室におけるテレビモニターは,保安上の理
由から設置されているものではなく,ICUに収容中の者の健康状態を
管理するという医療上の理由から設置されているものである。
 さらに,同医務部の技師は,4月1日には出勤していなかったが,それ
は同日が日曜日だったからであり,平日は毎日常駐している。
 以上からすれば,東京拘置所のICUは十分に機能しているものと考
えられる。
e 東京拘置所の職員らの行った処置
 本件において,原告Aの異常が発見されたとき,既に原告Aについて
は,超急性期が経過していたため,東京拘置所の職員らは,原告Aの異
常を発見後,直ちに全身状態を管理するためICUに収容し,呼吸や血圧
の管理,尿路の確保等を行い,また,頭蓋内圧亢進,頭蓋内浮腫治療
剤であるグリセオールの静注点滴を行ってきた(4月2日のグリセオール
の投与について,カルテ上特定の時刻の記載はないが,静注点滴により
継続して投与していたものである。)。そして,これらの内科的保存療法
を行うについて,C大学附属病院のような専門病院と東京拘置所とで治
療内容が異なるものではなく,東京拘置所で上記治療を行ったことに何
らの問題はない。
f 転医の判断
 E医師は,4月2日午前10時ころ,第2回CTの写真を見て,原告Aに
保存的治療を継続するのみでは不適当と判断した。すなわち,脳浮腫を
放置すると頭蓋内圧亢進をきたし,脳ヘルニアを起こすこととなり,その
ような状態になれば,救命のための開頭減圧手術を行うこととなるとこ
ろ,E医師は,このまま原告Aの脳浮腫が進行すると,脳ヘルニアを起こ
し開頭減圧手術が必要な状況に進展すると考えたため,手術が可能な
外部の病院へ搬送することとしたのである。
 もっとも,4月2日午前10時ころの時点においては,画像上の所見とし
て変化は出始めていたが,いまだ原告A自身の症状に変化は見られず,
時間的な余裕はあると考えられた。
 そのため,E医師は,慌てて救急車を呼び,かえって搬送先の病院探し
に手間取ることになるよりも,多少時間をかけても刑事被告人である原
告Aの立場を考慮しつつ,また,現実に脳外科の手術が可能な病院を確
実に選定して搬送した方が,原告Aの利益になると判断した。
 なお,4月2日午前10時ころの時点では,E医師が時間的な余裕はあ
ると考えたことに誤りはなかったことは,原告AがC大学附属病院に到着
した時刻が同日午後3時40分であるにもかかわらず,開頭減圧手術の
開始時刻が同日午後9時20分であることからも明らかである。
(ウ) 脳浮腫対策義務違反(グリセオールの投与義務違反)
 F医師は,原告Aについて,グリセオールの滴下をするよう指示し,4月1
日午前10時ころから,グリセオールの滴下が行われていた(乙A1・12
頁)。なお,診療録(乙A1)上,グリセオールの滴下が明記されているの
は,4月1日午後5時30分及び同日午後9時20分(乙A1・4頁)であるが,
このほかに,准看護師Hが,4月1日午前10時ころ,同日午後2時ころ,同
月2日午前6時ころ及び同日午後0時10分ころ,原告Aに対し,グリセオー
ルを滴下したものである。
(エ) F医師の過失
a 脳梗塞に対する知識
  F医師は,精神科医として,精神医学全般を研修し,また,神経心理学
という,脳と心理現象(行動)との関係を研究する領域を専攻していた。
 つまり,従来から脳損傷とその際に生じた言語,行為,認知等の障害と
の関係を研究し,最近は統合失調症など機能性精神病における行動異
常と脳機能の関係を研究している。また,脳血管障害及びその後に生じ
た障害の研究もしており,これまでも総合病院や老人病院において脳血
管障害患者の急性期から慢性期にわたっての診断,治療に携わったこ
とがある。
 したがって,F医師は,専門は精神科であるものの,本件当時,脳血管
障害に関しても相応の知識・経験・判断能力を有していたのである。
b F医師の判断
  F医師は,上記のとおり,脳血管障害に関する相応の知識・経験・判断
能力を有していたところ,4月1日午前9時3分ころCT撮影をした際のモ
ニター画像を見て,原告Aの左頭頂葉に低吸収域が認められ,また,原
告Aに片麻痺,発語障害等複数の症状が生じていたことを併せ考え,梗
塞部位は広範であると判断した。
 このように,F医師は,原告Aの病状から,血栓溶解療法の適応はない
と判断して,その後内科的保存療法をとったものであって,F医師の上記
判断及びその後の処置に何らの過失はないというべきである。
ウ 損害及び因果関係
(ア) 原告Aの主張する損害及び因果関係及び同損害は争う。
(イ) 期待権等について
a 要件
(a) 判例は,患者の,医師等に対する適切な治療への期待,適切な治療
を受ける機会を持つこと,という意味でのいわゆる期待権侵害論を採用
しておらず,従前期待権等といわれていた被害法益の内容は「患者が
その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性」として
具体化されている。したがって,「専門医・専門施設による適切な医療を
受けること」による「安心感,満足感,そしてあきらめ」等の主観的感情
利益を保護法益として認めたものではない。そして,一般に,「可能性」
を被害法益とすると,その限界が不明瞭,無限定となるおそれが高いこ
とから慎重でなければならないにもかかわらず,判例があえてこれを肯
定したのは,生命を維持することは人にとって最も基本的な利益である
からであると解されることからすれば,判例の趣旨は,患者が死亡した
場合にのみ及ぶものと解され,客観的な生存可能性がない場合には,
法益の侵害はない。
(b) また,生存していた可能性を被害法益として損害賠償請求が認めら
れる場合については,医師の具体的医療行為を対象とし,これに注意
義務違反があったことも要件と考えられる。
(c) さらに,生存していた可能性を被害法益して損害賠償請求が認めら
れる場合については,医療水準にかなった医療が行われることと患者
がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性との
間との因果関係も要件と考えられる。
b 本件の場合
 (a) まず,本件は患者が死亡した事案ではない。
(b) また,仮に,死亡事案以外について,前記判例の趣旨が及ぶと解す
るとしても,その場合は,現実に採られた措置より適切な措置が採られ
ていたとすれば,症状が改善した相当程度の可能性の存在が証明され
ることが要件となるが,ある程度時間の経過した脳梗塞においては,既
に脳組織の一部は壊死しており,症状はいかなる治療によっても不可
逆的であって基本的には改善せず,後遺症についても壊死した脳組織
の部分だけで決定しているのであって,症状が進んでさらに悪化すると
いうことはないところ,本件においては,発見された当時の原告Aの脳
梗塞は既にこの段階にあったのであるから,他の措置が採られたとして
も,原告Aの症状が改善した可能性はない。
(c) さらに,本件において,東京拘置所が原告Aに対して採った措置が,
「その過失により,当時の医療水準にかなったものでなかった」とはいえ
ない。生命・身体を保護法益ととらえるとしても,期待権を保護法益とと
らえるとしても,国家賠償法1条1項の要件として故意又は過失が規定
されている以上,国家賠償責任の要件として,公務員の注意義務違反
が必要であることにかわりはない。そして,本件において,F医師やE医
師らの判断や措置に何らの過失がなかったことは明らかである。
(d) なお,本件において,東京拘置所が原告Aに対して採った措置より適
切な措置が採られていたとすれば,原告Aの症状が改善したであろうと
いう因果関係はない。
c まとめ
 以上からすれば,原告Aの主張する期待権侵害は認められない。
3 本件医療行為についての原告Bの請求
 (1) 請求原因
  ア 責任原因(説明義務違反に基づく国家賠償責任)
(ア) 患者には,医師,医療方法を選択する権利があり,医師は,患者に転医
の選択・判断に資する情報を提供する義務がある。
 すなわち,患者の医療に対する期待権が認められるべきであり,患者が
欲する医療を選択する利益に対して,医療機関は配慮すべき観点から,転
医勧告義務を負い,仮に当該医療機関が(他の医療機関における治療の
必要性を)積極的に評価し得ないものであっても,患者のある病状のもとで
その合理的な意思を斟酌すれば,転医することを希望することが明らかな
場合には他の医療機関での医療の機会を与える義務を否定する理由はな
いとして,患者に対する情報提供義務が医療契約に付随した医師の信義
則上の義務であるとされるものである。
(イ) このような観点から医師は,患者に対し,前記判断を適正になすため,
病状の説明とともに,治療法の説明を行なう義務がある。
 すなわち,医師は,患者に対し,①当該施設における治療の方針の説
明,②当該医療施設の治療の限界についての説明,③可能な治療法につ
いての説明(より高度の治療の存在),医療の現場において広く普及してい
る治療法以外にも,当該疾患について有効性がある程度承認されている
治療方法がないかどうか,あるとすればこれを実践している医療機関を把
握し,その情報を患者に提供する義務が存するというべきである。
 なお,拘置所等の拘禁施設で被拘禁者が医師の診療を受ける場合は,
診療契約に基づくものではないが,被拘禁者は,医師や医療機関の選択
の自由を奪われているので,この場合の転医勧告義務は,一般人の場合
よりも一層認められるべきである。
(ウ) 原告Aは,その発見の当初より,重度の発語障害,意識障害を伴ってお
り,自らはその症状と治療方針について説明を受け,治療法を選択するこ
とはできなかったのであるから(例えば,開頭減圧手術が必要になった場
合,本来は肉親が説明を受け,承諾することにならざるを得ない。),東京
拘置所としては,その肉親(又はそれに代わる弁護人等)に対し,連絡し,
上記説明を行い,治療方法などについての意向を聴取すべき義務が存し
た。
(エ) それにもかかわらず,東京拘置所が,原告Bに連絡したのは,原告Aの
病変を発見してから28時間近く経過し,生命の危機に陥った4月2日の午
後0時ころのことである。
 このような連絡,説明の遅れにより,原告Bは,弁護人等に依頼して,病
状を問い合わせたり,専門病院への転院を要請したりする機会を喪失させ
られ,甚大なる精神的損害を被ったのであって,被告は,国家賠償法1条1
項に基づき損害賠償責任を負う。
イ 因果関係及び損害
 原告Aが重度の脳梗塞に陥っていたにもかかわらず,翌日,原告Aが危篤
状態になるまで,原告Bには,全く連絡がなく,インフォームドコンセントを受け
られなかったのであって,原告Aについて納得に基づく診療を受けさせる権利
が侵害されたことによる原告Bの精神的損害は重大であり,これを慰謝する
ために相当な金額は,600万円を下らない。
 また,原告Bは,本件訴訟の追行を原告訴訟代理人らに委任したところ,弁
護士費用としては,60万円が相当である。
(2) 請求原因に対する認否・反論
ア 原告の主張は争う。
イ 原告の主張は,実務の支配的な見解である結果回避義務としての転医勧告
義務ではなく,患者の期待権に基づく転医勧告義務と把握することを前提に
するものであるところ,結果回避義務を前提としない情報提供義務を,医師に
対する職業倫理的義務として課することはともかく,法的義務として認めるの
が相当であるかどうかについては疑問があり,仮にこれを認めるとしても,そ
の要件,限界,効果については必ずしも判然としないといわざるを得ない。
 なお,患者の期待権に基づく転医勧告義務が医療契約に付随した医師の信
義則上の義務であると構成されているとすれば,原告Aと被告との間に診療
契約関係は存在しない。
4 原告Aが手錠をかけられた行為についての原告らの請求
 (1) 請求原因
ア 責任原因
 東京拘置所職員は,原告Aが,C大学附属病院高度救命救急センターにお
いて,開頭減圧手術を受け,全く意識不明の危篤状態で同センター内のベッ
ドで横たわっているにもかかわらず,同原告の左手に手錠をかけ,そこに紐を
とおしてベッドに固定し,弁護人の抗議等にもかかわらず,勾留執行停止の指
揮が来るまで,それを継続した。
 しかし,原告Aは,未決勾留の目的(逃亡の防止等)を達成する為に必要な
限度でのみ,人身の自由が制約されるにすぎないものであり,それを越えた
制約は許されない。本件における原告Aは,まさに危篤状態であったのであ
り,自ら逃亡することはもちろん,他者の助けを借りて逃亡することすら全く不
可能であったことは,誰の目にも明らかであった。したがって,その原告Aに対
し手錠をかけるということは,「勾留の目的」を達成するために必要な限度を
超えた過剰な苦痛ないし人権の制約であり,憲法31条の要請する「適正な」
内容をもった法律(デュー・プロセス)による人権の制約とは言えず,憲法36
条の「残虐な刑罰」又は「拷問」にあたるものである。  
 したがって,不必要な手錠を,病室という他人の目にも触れる形でかけたと
いうことは,原告A本人に対する違法行為であると共に,危篤状態でありなが
ら手錠までかけられた息子の姿を見せつけられた原告Bに対する違法行為で
もあることは明白である。
イ 因果関係及び損害
 (ア) 原告Aは,不必要な手錠をかけられたことにより,著しい精神的苦痛を受
けたものであり,これを慰謝するためには,500万円が相当である。また,
これに対する弁護士費用は,50万円が相当である。
 (イ) 原告Bは,原告Aが危篤状態にありながら,ベッドに手錠でつなぎ止めら
れている姿を見せつけられ,著しい精神的苦痛を受けたものであり,これを
慰謝するためには,400万円が相当である。また,これに対する弁護士費
用は金40万円が相当である。
(2) 請求原因に対する認否・反論
ア 原告らの主張は争う。
イ 責任原因について
(ア) 監獄法19条1項に基づく手錠の使用
 監獄法19条1項は「在監者逃走,暴行若クハ自殺ノ虞アルトキ又ハ監外
ニ在ルトキハ戒具ヲ使用スルコトヲ得」と規定しており,施設内において被
収容者に逃走,暴行,自殺のおそれがあるとき及び施設外に被収容者を
連れ出すとき,被収容者に戒具を使用することができるとされている。そし
て,本件においても,物的設備による裏付けのない施設外であるC大学附
属病院において勾留を執行している以上,意識が回復した場合の逃走,暴
行,自傷,身柄奪取等のおそれを考慮すると,手錠を継続する必要性は認
められた。
 ただし,手錠の使用に当たっては,片手だけに使用し,拘束の度合いを弱
くする等の配慮をした。
 したがって,手錠を使用したことは違法とはいえない
(イ)戒具使用等通達に基づく手錠の使用
  また,「戒具の使用及び保護房への収容について(通達)」(乙A第10号
証。以下「戒具使用等通達」という。)に照らしても,本件において手錠を使
用したことは違法ではない。
 戒具(手錠)が使用されるのは,監獄法19条に規定されているとおり,①
逃走,暴行,自殺のおそれのある場合と,②監外(施設の外)に出ている場
合とに大別される。
 逃走,暴行,自殺のおそれのある場合については,身柄の確保又は監獄
内の規律,秩序の維持の観点から戒具を制止的に用いるものである。
 他方,監外に出ている場合については,護送の場合がこれに該当する。こ
の場合の戒具の使用は,制止的というよりは,むしろ,特別の場合の予防的
戒護の強化と解すべきである。護送とは,監獄外において職員の戒護の下
に在監者の身柄を移送することであって,監獄の物的設備によって裏付けら
れることがないため,本条で一般に戒具を使用することができるものとされ
ている(乙A11・160,161頁)。これは,逃走,暴行,自殺のおそれのある
場合と異なり,物的設備が脆弱な監外(施設の外)において,特別の場合の
予防的戒護の強化を目的として使用する場合であると解される。
 本件のように病院に搬送された者に対する手錠の使用が,これらの場合
のいずれに該当するかは戒具使用等通達に明記されているわけではない
が,物的設備が脆弱な監外(施設の外)における特別の場合の予防的戒護
の強化を目的とした使用という点からすれば,監外に出ている場合に該当
するものと解される。
 そうすると,戒具使用等通達中の「護送時を除き」等の注意書きの付され
た条項は,病院に搬送された者に対して手錠を使用する場合には適用され
ないことになる。
(ウ) まとめ
  以上からすれば,本件における原告Aに対する戒具の使用が,監獄法19
条に照らして違法といえないことはもとより,戒具使用等通達にも反しないも
のであることは明らかである。
第3 争点に対する判断
1 認定事実
  前記前提事実,本件各証拠及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められ
る。
(1) 原告Aの診療経過等
ア 原告Aの4月1日朝の状況
 東京拘置所職員は,4月1日午前7時30分ころ,起床時の点検のため,拘
置所内の各房を巡回中,原告Aが,布団の上で上半身を起こした状態でいた
のを見たが,数分後,再度原告Aの独房を見たところ,同人が同様の状態で
あったため,不審に思い,声をかけたところ,原告Aは,何の反応もせず,ただ
「うっ」,「あっ」と言葉にならない返答をするだけでろれつが回らず,点呼もで
きなかったことから,同40分ころ,直ちに医務部に連絡し,原告Aの状況を報
告した(前記前提事実,乙A2・7頁)。
 そこで,同日午前7時50分ころ,東京拘置所職員で准看護師でもあるIが,
原告Aの独房に赴き,同房において,血圧を測定するなどの診察を実施した
ところ,同人の症状から脳内出血等も考えられたため,直ちに他の職員に応
援を求め,同人をストレッチャーで医務部へ搬送した(前記前提事実,乙A2・
7頁)。
 なお,原告Aは,医務部へ搬送される際,1回嘔吐した(乙A1・12頁)。
イ J医師による診察等
 原告Aは,4月1日午前8時0分ころ,同医務部に運び込まれ,東京拘置所
医務部外科医師であり,同日午前8時30分までの当直医であったJによる診
察を受けたところ,脳内出血又は脳梗塞の疑いがあるとのことで,同8時10
分ころ,ICUに収容された(乙A2・7頁,A3・1頁)。
 そして,J医師は,同日午前8時30分ころ,太い静脈から血管を確保し,輸
液を可能にするため,鎖骨付近に針を刺して,経静脈栄養法(以下「IVH」とい
う。)を施行した(乙A1・12頁,乙A3・1頁,証人F,同H)。
 一方,F医師は,4月1日午前8時30分から翌2日午前8時30分までの当
直勤務であったことから,同月1日午前8時20分ころ,当直勤務のため,東京
拘置所に登庁し,同所医務部事務室に赴いた(乙A12,証人F)。
 しかし,F医師は,休日の朝は同事務室で引継を行うことになっていたにも
かかわらず,前日の当直医であるJ医師が同事務室にいなかったことから,何
かあったのではないかと思い,事務室に設置されたICUのモニターを見ると,
J医師が原告Aに対して処置を施しているのが見えた(乙A12,証人F)。
 そこで,F医師が,ICUに赴いたところ,J医師,I及びH准看護師(H准看護
師は,4月1日午前8時30分からの当直で,その直前に原告Aの治療に加わ
ったものである。)が,点滴,尿道確保,酸素吸入といった救命措置を行って
おり,F医師は,J医師から,「本朝,起床時の様子がおかしいとの連絡を受
け,午前8時過ぎにICUに運び込まれた。脳内出血又は脳梗塞が疑われる。
血管確保をした。緊急措置は行ったが,CT撮影で原因の確認をする必要が
ある。」との引継を受けた(乙A12,A14,証人F,H)。
 なお,F医師が引継を受けた当時,ソリタT3,ラクテックGの点滴がされてい
た(乙A1・12頁,A12)。
ウ F医師による診察
 F医師は,4月1日午前8時30分過ぎころ,改めて原告Aを診察したところ,
原告Aは,「問いかけに答えず。痛み刺激で手足を動かす。右半身麻痺。発語
不能。瞳孔は正円。両眼の対光反射は迅速。」という状態であり,点滴は,継
続され,酸素吸入が開始された(乙A1・12頁から14頁,A12,証人F)。な
お,酸素吸入については,同日午前9時58分ころ,酸素分圧が,149水銀柱
ミリメートルとなり,正常範囲を上回ったため,同日午前9時58分に中止され
た(乙A1・13頁,A12)。
 F医師は,その後,原告Aの症状から,原告Aは,脳内出血又は脳梗塞のい
ずれかであろうと考え,診断のため,頭部CTを撮影することとした(乙A12,A
14,証人F,同H)。
エ CT撮影及びグリセオールの投与開始
  F医師は,H准看護師とともに,ストレッチャーで原告Aを撮影室に搬送し,自
ら,原告Aの頭部のCTを撮影した(第1回CT)が出力方法が分からなかった
ため,プリントアウトすることはできなかった(甲A5,乙A12,A14,A15証人
F,同H,同K)。
 なお,第1回CTの画像については,原告Aが動いたため,アーチファクトが
写るなど画質が悪かったが,低吸収域が写っていた(乙A6,証人L,同M)。
また,撮影時刻については,画像上,4月1日午前10時7分とされていた(乙
A6)。
 F医師は,第1回CTの画質が悪かったことから,出力した画質の良い写真
によって確実に判断する必要があると考え,H准看護師に対し,東京拘置所
医務部放射線技師であるKに連絡し,登庁してくれるように依頼した(乙A1
2,A14,証人F,同H)。
 その際,F医師は,H准看護師に対し,原告Aについて,①呼吸の有無,②
心拍の急激な変化の有無,③収縮期血圧が100以下又は150以上になって
いないかを特に注意して観察するように指示した。
 また,F医師は,第1回CTの画像に,高吸収域がなかったことから,原告A
は,脳内出血ではなく,脳梗塞であると判断し,脳浮腫対策のため,H准看護
師に対し,原告Aにグリセオールの投与を開始するように指示をした(乙A1・
12頁,証人F)。
 その後,K技師が登庁し,同技師により,原告Aについて頭部CT撮影が行
われた(第2回CT。乙A3,乙A12,A14,A15証人F,同H,同K)。
 F医師は,第2回CTの画像所見で,低吸収域が認められたことから,脳梗塞
の可能性が高いという当初の判断を確認した。
 なお,原告Aの状態等については,4月1日午前11時45分,「発語なし,瞳
孔左右不同なし,対光反射あり。」,同日午後5時30分,「しきりに起きようと
する。発語なし。」,同9時20分「就寝中」というものであった(乙A1・4頁)。
 4月1日午後11時30分ころ,東京拘置所医務部職員が事務室内のモニタ
ーの電源を切り,同時点以後翌2日朝まで,准看護師や医師による巡回はな
くなった(甲A6(以下,枝番のある書証については,特に枝番を示さない限り,
すべての枝番を含む。),証人F,同H,弁論の全趣旨。)。
 なお,夜間の勤務職員は,原告Aの状態をICUの窓越しに見ることができる
ような状態であった(甲A6,乙A16,証人F,同H)。
オ E医師による診察
 E医師は,4月2日午前7時ころ,東京拘置所に登庁し,医務部長室に赴い
たところ,H准看護師が同室に来室し,原告Aの前日からの経過,現在の状況
等の説明を受けたが,F医師からは特に引継ぎをしなかった(乙A12からA1
4まで,証人E,同F,同H)。
 E医師は,同日午前7時50分ころ,原告Aを診察したところ,原告Aは,「こち
らの言うことは分かるらしい。目を閉じてというと,目を閉じる。右半身麻痺,言
語障害がある。」というような状態であり,生理食塩水100ミリリットル及びペ
ントシリン2グラムが追加投与されることになった(乙A1・14頁)。
 E医師は,その後,原告AのCTを撮影することとし,K技師が,同日午前9時
27分ころ,3回目のCT撮影を施行した(乙A1・11頁)ところ,「左,中大脳動
脈,後大脳動脈に広範な脳梗塞があり,一部出血性梗塞となっている。パタ
ーンからは心原性塞栓症と考えられる。病変による正常構造物変異は高度。
左半球(側頭頭頂後頭葉)梗塞」という所見であった(乙A1・11頁)。
 E医師は,同日午前10時頃,第3回CTの写真を見て,左の脳質が圧迫され
ており,そのまま東京拘置所で保存的治療を継続することは不適当であると
判断した(乙A5・6頁)。
カ 原告Aの重症指定と転医状況等
 (ア) そこで,E医師は,同日午前11時5分ころ,原告Aを重症指定とし,同25
分ころ,原告Aについては呼吸管理が必要であると判断して,気管切開を
することとし,同11時55分ころまでに施術を終了した。なお,同35分ころ,
重症指定されたことに伴い,東京拘置所庶務課長補佐看守長であったN
は,原告Aの刑事裁判について担当していた東京地方検察庁公判部検察
事務官に電話連絡した(乙A5・2頁,3頁,5頁,A13)。
 そして,N看守長は,同日午後0時23分ころ,原告Aが重症指定されたこ
とに伴い,原告Bに対し,電話で,「実は,Aさんの健康状態の件で至急連
絡を差し上げました。現在,Aさんは,東京拘置所に収容されており,昨日,
発語障害,右半身麻痺のため,全身管理を行い,本日CT検査を実施した
ところ,左大脳に広範囲な病変を確認し,病状についても大変危険な状態
となりました。つきましては,Aさんの病状や今後のことについてお話をした
いため,こちらにお越し願いたいのですが。」と告げたところ,原告Bは,「大
分県で遠方なもので,家内と話して電話します。」と回答した(乙A5・7頁,8
頁)。
(イ) E医師は,同日午後0時ころ,警察病院に対し,原告Aの搬送先として受
入の可否を照会したところ,同医師が通常東京拘置所の被収容者の受入
を依頼する際の窓口になっている医師が手術中であり,午後2時ころに回
答するとのことであったため,同日午後2時ころまで回答を待ったが,結局
同病院は満床で受け入れることができないとの回答であった(前記前提事
実,弁論の全趣旨)。
 なお,G弁護士は,同日午前11時50分ころ,当庁刑事第11部裁判所書
記官から「原告Aが脳梗塞の疑いで,昨日入院した」旨の連絡を受け,同日
午後0時5分ころ,東京拘置所に電話で問い合わせたところ,東京拘置所
処遇部処遇部門看守長であったOから,「原告Aが,4月1日脳梗塞の疑い
でICUに収容され,CT検査を行ったところ,脳内出血はなく,経過観察中で
ある。意識はあるが混濁しており,会話は成立しない。生きるか死ぬかとい
った状態ではないが,今警察病院へ搬送する手配をしている。CT撮影の
結果では,左脳梗塞であり,4月2日のCT撮影の結果では,10センチメー
トル×5センチメートル×5センチメートル程度の梗塞が見られ,病状が進
行すれば危険な状態ともなりうる。気道確保のため気管切開は終了した。
昨日から今日にかけては問いかけに反応したが,今は問いかけに答えな
い。」旨の説明を受けたため,早く原告Aの転送手続をとるよう要求し,同日
午後2時ころ,東京拘置所に行ったところ,N看守長から「警察病院は午後
2時まで手術しており,それから原告Aを受け入れられるかどうか協議する
とのことである。」旨の説明を受けたため,同弁護士は,再度,脳外科のあ
る病院へ一刻も早く移すよう要求した(前記前提事実,甲A7,弁論の全趣
旨)。
(ウ) E医師は,警察病院に受入れを断られたことから,同日午後2時過ぎこ
ろ,次の搬送先として,目白第3病院に連絡したが,受け入れることができ
ないとの回答であった(前記前提事実,乙A13,証人E)。
 G弁護士は,同日午後2時15分ころ,東京拘置所職員に対し,「救急車
の手配はしているのか。一刻も早く転送するために,手配はしておくべき
だ。」と要求したが,N看守長は,「まだ手配していない。現在,警察病院と
協議中である。」と回答した(前記前提事実,甲A7,弁論の全趣旨)。
(エ) その後,E医師は,更にC大学附属病院高度救命救急センターに連絡を
したところ,受入が可能との回答であったので,C大学附属病院へ転医させ
ることとし,N看守長は,同日午後2時50分ころ,G弁護士に対し,その旨
告げた(前記前提事実)。
 同日午後3時9分ころ,救急車が到着し,原告Aは,同20分ころ,救急車
で,東京拘置所を出発し,同41分に,C大学附属病院に到着した(前記前
提事実,乙A1・15頁,A3・4頁,弁論の全趣旨)。
キ C大学附属病院における診療経過
(ア) 開頭減圧手術に至る経緯
  原告Aの到着時の状態は,意識レベルは,ジャパン・コーマ・スケール(以
下「JCS」という。)で100(グラスゴー・コーマ・スケールで,E4VTM5)で
あり(甲A1。なお,C大学附属病院の診療録(甲A1)では,来院時の原告A
の意識レベルについて一部JCSⅡ-20(6頁)との記載もあるが,大半が
JCS100と記載されており,脳梗塞が悪化しつつあった原告Aの状態から
鑑みて,JCS100であったと推認される。),同日午後4時30分に行われ
た頭部CT検査上,左中大脳動脈領域に広範な脳浮腫が出現し,左半球は
脳溝は狭小化し,脳室は拡大し,大脳鎌(海馬)釣ヘルニアがあるなどし,
4月1日,翌2日午前中よりも憎悪傾向にあった(甲A1・7頁,13頁,A2)。
  そこで,同病院の医師であるPから,Q弁護士,拘置所職員等に対して,
「病名は,脳梗塞で,症状としては,右半身麻痺,言語障害,意識障害があ
る。今後脳梗塞になった領域が腫脹してくると脳浮腫憎悪により命を落とす
危険性が大きく,救命のためには手術が必要である。手術をしても予後は
非常に悪く死亡する可能性もある。また,同疾患以外の合併症の危険性も
ある。」旨の説明があり,同弁護士が手術の承諾書に署名をし,原告Aにつ
いて,前側頭部の緊急開頭減圧手術が行われることとなった(前記前提事
実,甲A1・7頁,21頁,A2,乙A4・4頁)。
  そして,同日午後9時30分ころから麻酔が開始され,同10時15分から1
1時35分までの間,前側頭部の減圧開頭術が施行され,翌3日午前0時2
3分手術は終了した(前記前提事実,甲A1・8頁)。
 なお,原告B及びDは,同日午後11時57分ころ,C大学附属病院に到着
し,手術後,C大学附属病院医師から,「外減圧術を施行し頭蓋骨を除去
し,脳浮腫による圧を逃がしてやる手術をしました。手術中トラブルはなく,
現在の所,浮腫は6水銀柱ミリメートルであり,減圧はできているが,脳浮
腫は3,4日でピークを迎えるため,今後ともまだ危険な状態にある可能性
が大きい。」旨の説明を受けた(甲A1・8頁)。
(イ) 開頭減圧手術後の状況
  原告Aの意識レベルは,4月4日まで,C大学附属病院来院時と変わらな
い状態(JCS100)であったが,4月3日午前7時45分ころ,C大学附属病
院の医師の許可を受け,原告Aに対し,手錠が施錠された(前記前提事
実,甲A1・9頁,10頁,乙A4・4頁)。
  原告B,D及び本件刑事事件の刑事弁護人であるRが,4月3日午後3時
ころ,原告Aに面会したところ,左手首に手錠がかけられていることに気付
き,R弁護士が,拘置所職員に対し,手錠を外すように抗議したが,外され
なかったので,どうしてもだめであれば,せめて動かせない右手にしたらど
うかと申し入れたが,戒具の使用は法令の範囲内で使用しており,医師と
相談の上,右手に変更することを検討する旨の回答にとどまった(前記前
提事実,乙A4・6頁,弁論の全趣旨)。
  R弁護士は,同日午後3時20分ころ,C大学附属病院の医師から,医学
的見地から言えば手錠はしない方がよい。ストレスになる。」との意見も聞
き,東京地方検察庁の検察官に対し,すぐに手錠を外すように要求したが,
同6時30分ころ,検察官から,拘置所としては手錠を外すことはできないと
の回答があったとの連絡を受けた(前記前提事実,弁論の全趣旨)。
 本件刑事事件の原告Aの弁護人は,4月4日午前中に,当庁刑事第11
部に対し,勾留執行停止の申立てを行い,同部は,同日午後1時ころ,原
告Aの勾留執行停止決定をした(前記前提事実,弁論の全趣旨)。
 そして,同日午後3時ころ,東京地方検察庁から勾留執行停止に係る釈
放指揮書がファクシミリで送信され,東京拘置所職員は,同日午後3時15
分ころ,原告Aについて釈放指揮書が出たことが確認できたため,原告Aの
手錠を解除した(前記前提事実,乙A4・9頁,弁論の全趣旨)。
(ウ) 原告Aの状態
  原告Aについては,4月11日,P医師により,今後重大な後遺症を残す可
能性が高いと診断された(甲A3)。
  また,当庁刑事第11部が,8月5日,S大学脳神経外科教授であるTに,
原告Aの症状について症状照会を行ったところ,同人の回答は,現在の病
状としては,①感覚性失語及びほぼ完全な運動性失語,②右同名性半
盲,③失読・失書(平仮名,片仮名,漢字,数字の全て),④高次の会話は
もとより抽象的な会話内容,抽象的用語を用いた疎通はできない,⑤計算
力は全くないか著しく低下している,言語や文字を要する理解,判断力は著
しく障害されている,⑥右下2分の1顔面神経麻痺,⑦右半身完全運動麻
痺等であり,原告Aの同症状は将来ある程度まで回復する可能性はある
が,現時点における神経脱落症候が著しい障害であることに加え,7月12
日に行った頭蓋単純X線検査,MRI・MRA検査,脳波検査の結果,症候に
一致してほぼ不可逆的変化を示していると考えられることからすれば,前
記①から⑤までの事項については,判断は変わらないであろうというもので
あった(甲A4。以下「本件後遺障害」という。)。
(2) 東京拘置所の医療設備及び看護態勢等
ア 医療設備等
 (ア) 病舎と医務棟
   東京拘置所においては,ICUは,医務棟とは別の建物である病舎の1階に
あり,医務棟と廊下でつながっており,距離は約100メートル程度である
が,病舎から医務棟に移動するためには,2箇所以上施錠箇所が存在する
(前記前提事実,乙A16,証人H)。
   そして,CT室は医務棟の1階にあり,医務事務室は,同棟の2階にあり,医
師等が夜間,休日の当直業務をする際には,医務事務室で勤務する。ま
た,医務棟の1階には仮眠室があり,医師等は,深夜は同所で仮眠する。
(前記認定事実・乙A16,証人H)
(イ) ICUの設備等
 4月1日当時,ICU内には,レスピレーター,酸素吸入器,吸引器,ハート
レートモニター,その他除細動器等,緊急処置に必要なもの等が置いてあ
った(証人H)。
そして,ICUの部屋は,手前に窓枠があり,廊下から内部の様子を確認
できるようになっており,病舎に勤務している処遇勤務者(看護師等医療従
事者としての資格は有していない。)は,外側から,中にあるモニター類を
確認することができた(乙A16,証人H)。
また,ICU内部には,監視カメラが2台設置されており,医務事務室にお
いて,患者の様子をモニターで監視できるようになっており,ICUには,医
師,看護師等が常時いるわけではなく,必要に応じて医師看護師等が来室
するという態勢であり,夜間には,誰か人を付けておかない限りは,付き添
う人もなく,医務事務室のモニターも消されるという状態であった。そして,
監視カメラのうち,1台は全体を監視するために固定されたカメラであるが,
もう1台は,事務室から方向,倍率をコントロールできるようになっていた。
もっとも,同カメラについて,倍率を最も大きくした場合でも,患者の瞳孔の
状態を観察することはできなかった。(前記前提事実,乙A6,証人H)
イ CT撮影についての所要時間(証人K)
(ア) まず,CTの撮影前には,CT室にあるCTの電源を入れておく必要があ
る。電源が入っていなければ,最初のセッティングには10から15分程度か
かり,電源が入ってる場合には,最初のセッティングは,数分程度で終了す
る。
(イ) 次に,患者をストレッチャー等によって,CT室に運び込み,CT用の撮影
台に乗せ替える(同作業については,複数人で行う。)。なお,ICUからCT
室まで移動するに当たり,最短距離で移動するルートには,3箇所の施錠
箇所があり,距離については,30メートルから50メートル程度であり,複数
人で,1人が先導して先に鍵を開けながら移動すれば,早ければ1分程度
で移動が可能である。
(ウ) そして,患者を実際に撮影する位置の所までベッドを移動させる。
(エ) その後,コントロールパネルで患者の氏名の入力,撮影条件(撮影部位
ごとにあらかじめインプットされている。)の選択等を行い,撮影を行う。
(オ) 前記(ア)から(エ)までの作業については,自分で動けないような患者につ
いては,3分から15分程度かかり,特に,点滴等色々な補器類をつけてい
るような患者については,かなり気を付けて移動しないと脱げたりするの
で,時間がかかることが多い。
(3) 原告Aについての診療録の記載(乙A1)
ア 病名
  2頁目に記載された病名については,「脳出血の疑い」と記載された上,「出
血」という部分が線で抹消され,その上に「梗塞」と記載されている。
イ バイイルサインとの表題のある表
  4頁目には,「ICU収容者 バイイルサイン」という表題で日付(時刻),体温,
血圧,尿量,脈拍,備考が記載されている表が記載され,4月1日について
は,午前11時45分(備考欄に「発語なし。瞳孔左右不同なし,対光反射あ
り。」と記載),午後5時30分(備考欄に「グリセオール滴下,しきりに起きよう
とする,発語(-)」と記載),午後9時20分(備考欄に「グリセオール滴下,就
寝中」と記載)分が記載され,4月2日については,午前8時(備考欄に「呼名
反応あり,発語なし,8:30頭部CT」と記載),午後0時(備考欄に,「11:30 
気管切開施術」と記載),午後3時(備考欄に「レスピレーター装着,瞳孔左>
右」と記載)分の記載がある。
ウ F医師が記載した原告Aの症状,処置に関する記載は,次のとおり12頁に
記載されているもののみである。
(ア) DIV(点滴)
 a 点滴①ソリタT3 500ml+ガスター1A
 b ラクテックG 500ml+ガスター1A
 c グリセオール200ml×4
(イ) 問いかけに答えず,痛み刺激で手足を動かす。右半身麻痺。発語不能。
瞳孔正円。両眼の対光反射迅速であった。その後起きあがろうとするなど
体動あり。点滴,酸素スタート,酸素分圧高く酸素止め。
(4) 東京拘置所の対応等についてのF・E両医師の供述
ア 4月の時点における供述
 G弁護士は,4月3日,弁護士であるUとともに,東京拘置所に赴き,午後3
時18分ころから4時21分ころまで,同所において,F医師及びO看守長から
原告Aの診療経過等について説明を求め,同月9日,R弁護士とともに,同所
に赴き,午後2時40分ころから同4時40分ころまで,E医師及び東京拘置所
職員から,原告Aの診療経過等について説明を求めたところ,F・E医師は要
旨次のとおり,供述した(前記前提事実,甲A5,6)。
 (ア) F医師の供述(甲A5。以下括弧内のページ数は,甲A5号証の2の頁数
である。)
a 東京拘置所のICUは,ICUといっても名ばかりで,お粗末だが,一応色
々な薬品もあり,色々な処置もできる。東京拘置所で何かあった場合
は,そこにまず入れて,色々治療的にやるということが流れである(3
頁)。
  原告Aについては,ICUに搬送された時点で,脳血管に何か障害があっ
たのではないかという推測はあった(3頁)。
b F医師がJ医師から引継を受けたころの原告Aの状態は,Aさんと呼びか
けても自分が呼びかけられているかどうか分からない,問いかけたこと
に反応しているという感じではなく,E医師が4月2日診た時点に眼の開
閉に応じたということも,たまたまそうだったのではないかという気がする
(5頁)。
c 自分は,たまたま脳外科の本も読んではいたので,原告Aのような状態
の場合は,脳内出血か脳梗塞じゃないかと思う。
d 脳出血にせよ脳梗塞にせよ,急性期の治療に関しての大まかな部分は
大体一致しており,脳圧が亢進しないように脳圧を下げて,輸液のルート
をあけて何か薬が入るようにしておく。
e 4月1日は,午前9時3分と同11時15分に頭部CTを撮影したが,9時3
分の時点では,うっすらとそれらしき所見はあるけれども,とにかく出血
はないというのは,まあ確認して,脳梗塞の疑いらしいことがまあ何となく
はっきりしないけれど,体動があって,画像がぶれていた。それで,もう1
回,午前11時過ぎくらいに撮ったときには,あ,ちょっとこれは出てきた
なという感じは確認した。ただ,それでも,脳梗塞で非常に薄いので,低
吸収域は,はっきり写らない。9時に撮影したものも,よくよく脳外科医が
診れば,低吸収域があることが分かるが,やっぱりそれでも薄い。いず
れにしても,その時点で,もう多分脳梗塞の疑いということで,治療的に
は同じことである。(8頁)
f グリセオールの投与を開始したのは,多分9時か10時くらいだと思う。ま
た,グリセオールの投与については,1日4回くらいが標準である。(9
頁)
g 第1回CTについては,自分と准看護士で操作したので,プリントアウトま
ではできなかったので,CTの技師を呼んで,第2回CTを行おうとした
が,同技師は,11時30分に来た(10頁)。
h E医師には,第1回CTと第2回CTの間くらいに,脳梗塞発症らしいとい
うことで,電話で連絡した(14頁)。
i 専門の脳外科の医師によって,超急性期という発症の間際の時期であ
れば,血栓の溶解とかいろいろやる場合もあるが,原告Aについては,
発症は多分夜中で,発症からだいぶ時間が経っているということもあり,
超急性期的な治療という適応はないと思う(15頁)。
(イ) E医師の供述(甲A6,以下括弧内のページ数は,甲A6号証の2の頁数
である。)
a 自分は,4月1日,F医師から,原告Aについての連絡を受けたことはな
く,同日午前10時30分ころ,花見をしている最中に,東京拘置所医務
部保健係長であったVから,自分の携帯電話に連絡を受けた(4,5頁)。
b 上記連絡では,原告Aについて,意識はあるが,発語障害,右麻痺があ
るというもので,病名は言われなかった。また,同連絡では,CTに関する
連絡はなく,自分は,レントゲン技師が捕まらないことから,同日午前10
時30分にはまだCTを撮っていないと思っていた(5頁)。
  なお,自分は,意識があれば,発語障害,麻痺があっても,東京拘置所
で対応できると思っていた(5頁)。
c そして,自分が,午後0時ころに,花見から帰ってきて,東京拘置所に電
話をしたところ,看護師が,レントゲン技師が見つかったので,CTを今撮
っている最中であり,発語障害,右半身麻痺はあるが,意識はあるという
話であった(5,6頁)。
d 自分は,CTを撮った結果については,報告を受けておらず,報告を聞こ
うともしなかった(7頁)。
e 原告Aについては,脳内出血又は脳梗塞であると思っており,何時から
脳圧亢進の薬を使用しているかということは確認していないが,多分使
用しているであろうと思っていた(8頁)。
f 東京拘置所では,平成13年だけで,3,4件脳内出血又は脳梗塞の患
者がいたが,皆,転医させることなく,治まっていた(8頁)。
イ 本法廷における供述
 F・E医師は,本法廷で要旨次のとおり供述した。
(ア) F医師(証人F)
a 原告Aの診療録(乙A1)の病名として,脳出血の疑いと記載したが,第1
回CTを見た後で訂正した。
b 自分は,神経心理学を専攻しており,神経内科と精神医学の境界領域
を研究していた。また,ほかの収容者について,自らCTを撮ったことは,
過去に2,3回あった。
c 第1回CTの撮影時刻は,4月1日午前9時3分ころであり,ICUにいる段
階で,CT撮影室に搬送する10分以上前には,保健助手にスイッチを入
れてくれるように頼んだ。
 なお,放射線技師についても,誰かに登庁してもらうように依頼したが,
見つからなかったと思う。
d 第1回CTの画像については,脳全体を見て大きな左右差があること,脳
溝の程度差から,最初から低吸収域があると判断しており,低吸収域が
出現しているので発症から5,6時間以上経っていると判断した。なお,4
月3日に曖昧な供述をしたのは,自分が精神科医であるため,曖昧な言
い方をするくせがあるからである。
e 自分は,第1回CTと第2回CTの間に,H准看護師又はV係長に,E医師
に電話をしてもらい,途中で変わって,原告Aの症状等について報告し
た。
f 超急性期の血栓溶解療法で助かることは,大学病院にたまたまいるか,
発症の時間が特定した急性期であるか,全設備の整った病院に近かっ
たというような場合でない限りは,無理である。
(イ) E医師(証人E)
a 自分は,V係長から,4月1日午前10時30分ころ,原告Aに関する報告
の電話をもらった(なお,同人の書いた陳述書(乙A13)には,同日昼こ
ろと記載されているが,訂正する旨供述した。)。
b 上記報告では,脳内出血ではないという話は聞いたが,脳梗塞という病
名については,聞いておらず,自分で勝手に脳梗塞であると判断した。 
c 自分は,同日午前11時過ぎに食事をしようと思い,レストランに入った
が,そこで,心配であったので,東京拘置所に電話をしたところ,経過観
察のためにCTを撮っているところであるとの報告を受けた。なお,普段
は昼ご飯を早めに摂るのが自分の習慣となっている。
d 4月9日の供述については,自分の記憶に従って,誠実に回答したもの
である。
(5) 原告Aについての医師の意見
ア M意見
 W病院脳神経血管内治療科部長であるM医師は,原告Aの治療について
意見書(甲B10)を提出し,かつ,証人として証言をしたが,同医師の意見
は,要旨次のとおりである(甲B10,証人M。以下「M意見」という。)。
(ア) 脳卒中では,急激な症状の変化が起こることは稀ではなく,特に「問いか
けに答えず,痛み刺激で手足を動かす,右半身麻痺」というような患者につ
いては重症であるという印象が強く,1時間ごとに神経症状,バイタルサイ
ン(血圧,脈拍,呼吸状態)をチェックする必要があるが,神経症状の変化
は,専門の訓練を受けた医師,看護師でなければ難しく,専門施設とスタッ
フが十分でなければ,できないと思われる。
(イ) 第1回CT写真は,アーチファクトが多く,患者の体動のために画像が歪
んでおり,細部の構造の解像力が悪く,正確な観察をするのは難しいが,
第2回CTと比較することにより,推測で低吸収域が生じていたと判読するこ
とができる。なお,低吸収域の有無の判断については,画質のいいCTで撮
ったもので判断しなければならず,最終的な判断はできないという考えに基
づいており,後記L意見の所見を否定しているわけではない。
(ウ) 第1回CT写真が撮影された時から1時間前の状態については,推測す
ることは難しく,発症から何時間経過しているかについては,判断できな
い。
(エ) 患者の発見した時から,第1回CTの撮影まで(被告主張のとおり,午前
9時3分が撮影時間であるとしても)1時間30分経過しており,通常の救急
医療の現場では,30分程度でCTを撮影していることからすると,第1回CT
の撮影が遅すぎる。
(オ) 血栓溶解療法については,色々と意見が分かれるところであり,原告A
については,もう少し早く対応を採っていれば,血栓溶解療法の適応があっ
た可能性もあり,本件後遺障害のような後遺障害が生じなかった可能性は
ある。
(カ) 原告Aについて,IVHを入れた理由は不明だが,点滴が入りにくいので
入れたのであれば,自分であれば,先にCTを撮って後からIVHを入れる。
(キ) 東京拘置所の診療録については,開眼の有無が一切ないことから,JC
Sでの意識状態を判別することはできないが,通常痛み刺激で手足を動か
すか否かは,昏睡状態か否かの見極めの時に使う刺激であるので,JCS
100の状態にあったのではないかと推測される。
イ L意見
 X大学医学部脳神経外科教室助手であるL医師は,原告Aの治療について
意見書(乙B13)を提出し,かつ,証人として証言をしたところ,同医師の意見
は,要旨次のとおりである(乙B13,証人L。以下「L意見」という。)。
(ア) 第1回CTの画像の所見については,アーチファクトは写っており,100
パーセントとはいえないが,低吸収域の有無については確実にあると断言
でき,脳梗塞の発生から6時間以上経過していると思われる。ただし,脳梗
塞の発症時期の推測については,発症後30分以内であれば,通常CT上
低吸収域が出ないところ,低吸収域が出ている場合には,数時間以上経過
したと考えられることによっており,発症時期を推測することは難しい。な
お,自分であれば,その場にいれば,第1回CTについては,アーチファクト
が写っているので,もう一度CTを取り直す。
(イ)第1回CTの1時間前にCTを撮影していた場合については,どのような所
見になるかは,分からない。なお,発症時間が特定できなくても,CT等で異
常がなければ,血栓溶解療法の適応はあるが,血栓溶解療法について
は,色々意見が分かれている。
(ウ) 第1回CTの撮影は(被告主張のとおり,午前9時3分が撮影時間である
としても)一般的な救急治療としては遅すぎるが,原告Aについて点滴が入
りにくいことからIVHを試行したこと,CTのウォーミングアップ,人の入れ替
わり等が重なったためだと思われる(なお,同人の意見書では,患者の発
見が午前7時30分で,第1回CTの撮影時刻が午前9時3分であるというこ
とは,時期として遅いということはない旨記載されているが,同人は,本法
廷で,これらの事実を前提としても第1回CTの撮影時刻が遅すぎる旨証言
した。)。
  なお,CTを撮らずに転医させるか否かの判断は,電話での交渉等事務的
な問題等から1時間半では判断しにくい。
(エ) 通常の施設であれば,入院当初は少なくとも1時間ごとに観察を行い,1
日後,状態が安定してくれば,その間隔を広げていくが,原告Aについて
は,CT上症状がどんどん進行しており安定していないので,注意を払う必
要はある。
ウ Z意見書
 Y大学附属脳神経センター神経内科教授であるZ医師は,原告Aの治療に
ついて,要旨次のとおりの意見書2通(甲B3,B9)を提出した(甲B3,B9。
以下「Z意見書」という。)。
(ア) 脳卒中の患者については,まず,バイタルサインのチェックを行い,気
道,呼吸,循環の確保を施行し,意識状態,瞳孔も必ず観察する。そして,
次に神経所見のチェックをするが(ただし,バイタルサインのチェック後にす
ぐに救急処置をしなければならないような患者については,神経所見のチ
ェックは後回しにすることがある。),神経所見のチェックは,その取り方を
学んだ専門の医師でないと難しく,見る頻度は,重症度によって異なるが,
意識障害があれば1時間ごとにチェックをする。
 なお,原告Aについては,中等症以上の脳卒中であると判断し,直ちに対
処をしなければならない。
(イ) そして,緊急CTを撮って,出血の有無を確認し,脳内出血か脳梗塞かを
判断するが,30分以内に撮影することが望ましく,重症の場合には,1時
間後に撮ったのでは遅い上,CT所見を見る医師の読影能力が必要であ
る。 
 なお,原告Aについては,4月1日午前7時30分ころ,原告Aの異常を発
見し,同8時10分にはICUに搬送したとしながら,最初のCTを撮ったのが
同9時3分又は同10時7分であり,あまりにも遅い気がする。
 瞳孔観察は,脳浮腫の進行状況を知る指標の一つであり,瞳孔不同や意
識レベルなどの神経所見はカルテに必ず記載する必要がある。
(ウ) 血栓溶解療法については,「early CT sign」がない場合,あるいはあ
っても軽度の場合に適応があり,これ以外の場合については,重篤な出血
の可能性が低いと判断した症例に限定して行うべきである。
(エ) 脳浮腫対策,合併症対策等々の処置が的確に行われ,それが少しずつ
違うとトータルでは大きく結果が違ってくる。
(オ) 脳梗塞の場合,発症した時点で頭部にガーンとする痛みがあり,上体を
起こす可能性が高い。また,心原性脳塞栓症の場合には,寝ているときに
発症することは統計的に少なく,起きて活動しているときに発症することが
多いので,原告Aの場合も,朝起きた直後に発症した可能性はあると思う。
(カ) 患者に,初発の時点で,失語と片麻痺が見られたら重症と判断し,開頭
減圧手術中が必要な状態に陥る前に専門病院へ送るべきである。
2 本件医療行為についての原告Aの請求について
(1) 転医義務違反に基づく国家賠償責任について
ア 血栓溶解療法の適応について
(ア) 第1回及び第2回CTの撮影時刻
被告は,第1回CTは,4月1日午前9時03分ころ,第2回CTについて
は,同日午前11時15分ころに撮影したものである旨主張し,F医師,H准
看護師はこれに沿う供述をし,K技師は,4月2日,職員から,4月1日のC
Tについては,撮影時刻が約1時間ずれているのではないかと指摘され,1
時間4分進んでいたため,これを1時間4分戻した旨供述する。
しかし,①画像上の撮影時刻として,第1回CTについては,4月1日午前
10時7分,第2回CTについては,同日午後0時19分と印字されており(前
記認定事実),通常各々の時刻に撮影されたと推認できること,②E医師
は,4月3日,G・R弁護士との話の中で,4月1日午前10時半ころにV係長
から,原告Aの件で電話を受け,同日午後0時過ぎに自分から東京拘置所
に電話をしたところ,原告Aについて,CTを撮影している際中である旨聞い
たと供述しており(前記認定事実),これは,第2回CTの写真に印字された
4月1日午後0時19分という表示と概ね合致すること(なお,同人は,本法
廷では,2回目の電話は11時過ぎである旨証言したが,供述が変遷したこ
とについての合理的な理由は何もなく,これを信用することはできない。),
③ICU房動静経過表(乙A3)には,第1回CTに関し,「4月1日8時58分,
CT撮影のため医務へ。」,「同9時28分,CT撮影終了し還る。」,第2回CT
に関し,「午前11時10分,CT撮影のため,医務へ。」,「同30分,CT撮影
終了し還る。」との記載があるが(乙A3),仮に,第1回CTの撮影時刻が同
9時03分,第2回CTの撮影時刻が同11時15分であるとすると,F医師ら
は,第1回CT,第2回CTとも,原告Aの移動及び撮影準備を5分間(8時5
8分から9時03分までと11時10分から11時15分まで)で行ったことにな
るが,原告Aは自分では動けず,意識もないような状態にあったものであ
り,IVHも施されていたことからすれば,そのような短時間で,撮影の準備
ができたとは考えがたいこと(前記認定事実,証人K,同F),④東京拘置所
においては,CT撮影が何回も行われていたところ(証人K),4月1日以前
から,装置の内蔵時計が1時間進んでいたのであれば,医師や准看護師
等がカルテ等を記載する際に気付くと考えられるところ,誰も気付かなかっ
たというのは不自然であること,⑤CT装置の内蔵時計のずれについては,
発生原因も不明で,3月には,定期点検も行われており(証人K),4月1日
に突然内蔵時計が1時間進んだとは考えがたいこと,⑥K技師は,電源を
入れる際に,突然1時間ずれる可能性もある旨供述するが,そうであるなら
ば,4月2日に装置の内蔵時計が進んでいたとしても,同月1日にも時計が
進んでいたということにもならず,同人も第1回及び第2回CTの撮影時刻に
ついては,時計も見ていないので分からないと供述していることなどから判
断すると,CT画像に印字されているとおり,第1回CTについては,午前10
時07分ころ,第2回CTについては,午後0時19分ころに撮影されたものと
認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
(イ) F医師の認識
被告は,F医師は,第1回CT施行当時,原告Aの症状について,第1回C
Tの画像から,うっすらとした低吸収域があり,原告Aは脳梗塞であって,血
栓溶解療法の適応もないと認識していた,F医師には脳卒中の治療につい
て十分知識があった旨主張し,F医師は,その旨供述する(証人F)。
しかし,①同医師は,4月3日の時点では,第1回CTの画像について
は,脳内出血ではないことが確認できたと供述するにとどまっており,「(第
2回CTの画像で,)あ,ちょっとこれは出てきたなという感じは確認した。」,
「(第1回CTの画像については,)よくよく脳外科医が診れば,低吸収域が
あることが分かるが,やっぱりそれでも薄い。いずれにしても,その時点で,
もう多分脳梗塞の疑いということで,治療的には同じことである。」と述べて
いたこと(前記認定事実),②同医師は,第1回CT撮影後,H准看護師に対
し,低吸収域があることについての話はせず,脳内出血ではないとしか話し
ていないこと(証人H),③同医師は,4月3日の時点では,「自分は,たまた
ま脳外科の本も読んではいたので,原告Aのような状態の場合は,脳内出
血か脳梗塞じゃないかと思う。」とも述べていたこと(前記認定事実),④そ
もそも,同医師は精神科医であって,脳神経内科・外科医ではなく,同医師
が記載した診療録の記載では,意識レベルがどの程度であるかについて
すら不明であり,M意見,Z意見書等も考慮すれば,到底,脳梗塞の治療
に必要な神経所見について,十分なチェックを行えていたとは考えられない
こと,⑤脳卒中の場合の発症当初のCT上の所見は,きわめて重要であり,
質の良い写真を撮ることが必要であるところ(証人M),F医師は,CT撮影
について不慣れであり(実際,原告Aが動いたためぶれてアーチファクトが
入ってしまっている上,プリントアウトもできなかった。),K技師はいつでも
呼び出せる状態にあったにもかかわらず(証人K),第1回CT撮影時に呼
び出していないこと(証人K),などから判断すると,同医師が血栓溶解療法
の適応の観点からCT撮影の重要性を認識していたとも,また,第1回CT
の画像を見てうっすらとした低吸収域を認識できたとも認めることはできな
い。
したがって,F医師は,第1回CT画像を見て,脳出血の所見は得られな
かったことから,脳梗塞と判断したにすぎず,血栓溶解療法の適応の有無
については,およそ考えていなかったものと認められるし,迅速なCT撮影
の必要性(前記のとおり,M・L意見,Z意見書のいずれにおいても,迅速な
CT撮影の必要性が指摘されており,第1回CT撮影が被告の主張するよう
に午前9時3分であったとしても遅すぎるとの指摘がされている。)について
の知識や脳梗塞発症者に対する経過観察の在り方(前記のとおり,M・L意
見,Z意見書のいずれにおいても,原告Aのような症状がみられた場合,1
時間ごとに神経症状,バイタルサインのチェックをする必要があるとしてい
るが,後記のとおり,F医師はそのようなチェックはしていない。)についての
知識も含めて,F医師の脳卒中の治療についての知識は極めて不十分な
ものであったと認められる。
(ウ) 血栓溶解療法の可能性
a被告は,①原告Aの脳梗塞の発症時期は明らかではないこと,②第1回
CT写真上,明らかな低吸収域が認められること,③原告Aにすでに片麻
痺,発語障害等複数の症状が生じていたことから,梗塞部位は広範であ
ったと考えられることなどから,原告Aの病状に血栓溶解療法の適応は
なかった旨主張し,内科的治療については,東京拘置所において,十分
行えるのであるから,被告に転医義務違反はない旨主張する。
b 確かに,L意見は,第1回CTの画像からは,低吸収域が存在するとし,
M意見も同様に低吸収域の存在が推測されるとしている。 しかし,片麻
痺,発語障害等の症状が生じていれば血栓溶解療法の適応がないと認
めるに足りる証拠はないし,「early CT sign」についても,Z意見書は,
前記のとおり,血栓溶解療法については,「early CT sign」がない場
合,あるいはあっても軽度の場合に適応があり,これ以外の場合につい
ては,重篤な出血の可能性が低いと判断した症例に限定して行うべきで
あるとしており,M意見も,前記のとおり,血栓溶解療法については,色
々と意見が分かれるところであり,原告Aについては,もう少し早く対応を
採っていれば血栓溶解療法の適応があった可能性もあり,本件後遺障
害のような後遺障害が生じなかった可能性はあるとしている。被告も,前
記のとおり,「early CT sign」が認められたとしても,中大動脈領域の
33パーセント以下にとどまっているときは,血栓溶解療法の適応が否定
されないこと,及び第1回CT画像のみから上記33パーセント以上である
と断定することはできないことを認めている。
c しかも,第1回CTの撮影は,前記のとおり,4月1日午前10時7分に行
われたものであるが,第1回CT画像に低吸収域が認められるからといっ
て,その前,例えば,1時間前にも低吸収域が存在したと認めることはで
きず(L意見及びM意見),原告AがICUに収容され,J医師の診察を受
けた同日午前8時10分ころ,さらにはF医師がJ医師と交替して原告Aの
診察をすることになった同日8時30分過ぎころの状態では,原告Aにつ
いてCT撮影をしても低吸収域は認められなかった可能性がある。この点
は,仮に第1回CTの撮影が被告の主張するとおり,同日午前9時3分で
あったとしても,その撮影は遅すぎたものであり(M意見及びL意見),も
っと早く撮影していれば(M意見では,前記のとおり,通常の救急医療の
現場では30分程度でCT撮影をしているという。),「early CT sign」は
認められなかった可能性がある。
d そして,東京拘置所においては,1時間に4回程度の巡回がなされてい
た(甲A6,乙A9)にもかかわらず,4月1日午前7時30分ころになって,
初めて原告Aの異常が発見されているということ,及び,原告Aは,前記
のとおり,布団の上で上半身を起こした状態でいるのを発見されたもの
であるが,脳梗塞を発症した時点で頭部にガーンとする痛みがあり,上
体を起こす可能性が高いということ(Z意見書)から判断すると,原告Aが
脳梗塞を発症したのは,4月1日午前7時30分に近接した時点であった
蓋然性が高いと考えられる。
e したがって,F医師がJ医師と交替した4月1日午前8時30分過ぎころの
時点においては,原告Aに血栓溶解療法の適応があった可能性が相当
程度あったものと認められるし,第1回CT撮影が行われた同日午前10
時7分以前であれば,その可能性を完全に否定することはできない。
イ 被告の転医義務について
(ア) 原告Aの症状と東京拘置所の態勢
a 血栓溶解療法の適応があったとしても,血栓溶解療法には,危険性も伴
い(甲B1・705頁,乙B9・71頁),これを行うかどうかの判断について
は,専門的な知識が必要とされる(M・L意見及びZ意見書)し,当然,血
栓溶解療法を行うことについての患者の同意(患者が同意できない場合
は,近親者の同意)も必要とされるものと解される。また,患者の正確な
症状の判定も不可欠である(甲B1,乙B9,M・L意見及びZ意見書)。
b 前記のとおり,F医師が原告Aを初めて診察した4月1日午前8時30分
過ぎころの同原告の症状は,「問いかけに答えず。痛み刺激で手足を動
かす。右半身麻痺。発語不能。瞳孔は正円。両眼の対光反射は迅速。」
という状態で,相当に重篤であったというべきであるが,これに対して東
京拘置所の医療設備や看護態勢等については,さきに認定したとおりで
あり,人的(F医師の脳卒中の治療についての知識は極めて不十分なも
のであったことはさきに判示したとおりであり,J医師についても,行った
処置内容から判断して,血栓溶解療法等,脳卒中の治療について十分
な知識を有していたとは認められない。)にも物的にも,原告Aの正確な
症状を判定して,血栓溶解療法を含む適切な治療を行える態勢にはな
かったものと認められる。
なお,看護態勢について,被告は,原告Aの観察は十分行われていた
旨主張し,F医師は頻繁に,H准看護師は5回以上,原告Aの容態の観
察に訪れ,瞳孔等まで観察していた旨主張するが,①診療録には,准看
護師等が記載をする「バイイルサイン」と記載されている表に,4月1日
午前11時45分,同日午後5時30分,同日午後9時20分の記録がある
のみで,F医師の記載は,全くないこと(前記認定事実,乙A1),②ICU
房動静経過表にも,第2回CT撮影後の医務室来診の記載は,同日午後
1時20分,同5時15分,同9時20分にしかないこと(前記認定事実,乙
A3),③医療行為を行うにあたっては,その経過が大切であることから,
通常,経過について診療録,看護記録等何らかの書面に記録が残され
てしかるべきであるところ,原告Aについては,前掲の記録のほかに何も
記録が残っていないこと,④F医師,H准看護師は当日他の患者も診て
いたこと(証人F,同H)などからすれば,F医師,H准看護師は,頻回に
原告Aの観察を行っていたとは認められず,その内容についても,瞳孔
等の細かい神経所見のチェックが行われていたと認めることはできな
い。
c したがって,J医師が担当した4月1日午前8時30分までの時点におい
ても,原告Aを脳神経内科・同外科の専門知識と治療設備を有する専門
病院(総合病院を含む)へ転医させる(少なくともその手続に入る)べきで
あったし,少なくとも,午前8時30分過ぎにF医師が引き継いだ時点で
は,速やかに転医の手続をとるべきであったというべきである(原告Aの
症状が転医を困難とするようなものであったことを窺わせる証拠は何ら
存しない。)。
東京拘置所には,CT装置が存在していたので,CT撮影をしてCT画
像の所見を得てから転医の判断をするということも不相当とはいえない
が,血栓溶解療法の適応は時間を争うものである以上,CT撮影をする
のであれば,J医師の担当した午前8時30分までの時点においても,こ
れを行うべきであったし,F医師も引き継いだ後,速やかにこれを行うべ
きであった。もっとも,前記のとおり,F医師は,CT装置の取扱いに慣れ
ているとはいえない上,脳梗塞の場合のCT画像の読影能力も十分に有
していたとは認められないので,CT撮影をすることなく,転医させる方が
妥当であったと考えられるし,少なくとも,CT撮影をするのであれば,K
技師を呼ぶべきであった(K技師は,呼ばれれば応じられる状態にあった
(証人K)。)。そして,CT撮影と並行して転医の準備が行われるべきであ
った。
しかし,CT撮影は,4月1日午前10時7分になってはじめて行われ,
同日中は原告Aの転医が行われなかったことはさきに認定したとおりで
ある。
なお,原告Aと被告との間には診療契約が締結されているわけではな
いが,原告Aは勾留中であり,被告によって,東京拘置所に所属する医
師からしか医療の提供を受けることができない環境に置かれているので
あるから,被告(具体的にはJ医師やF医師)は,診療契約が締結されて
いる場合に準じた治療義務(転医義務を含む)を条理上負うものというべ
きである。
    (イ) 在監者の特殊性について  
被告は,在監者については,拘禁目的からくる制約や施設の事情に基づ
く制約等在監関係の特殊性を考慮に入れる必要があり,この限りにおい
て,在監者がすべての点において一般国民と同様の状況にあるとは解され
ないところ,拘置所は,拘禁目的を達成するため適切な医療を行う観点か
ら外部の専門病院等に転医させるか否かを判断するものであると主張す
る。
しかし,原告Aは,未決勾留されているにすぎず(前記前提事実),勾留
されていることによる必要最小限度の制約を受けるとしても,疾病によりそ
の生命・身体が危険な状態になった場合にそれに対応した適切な医療行
為を受ける利益は,最大限尊重されなければならない。
前記のとおり,原告Aは,4月1日午前7時30分ころ,「うっ」,「あっ」と言
葉にならない状態で,ろれつが回らず,点呼もできない状態で発見されたも
のであり,同日午前8時30分過ぎころには,「問いかけに答えず。痛み刺
激で手足を動かす。右半身麻痺。発語不能。瞳孔は正円。両眼の対光反
射は迅速。」という状態にあったのであるから,生命・身体に重大な危険が
及んでいることは外見からも明らかであり,その生命を守り,病状の悪化を
防ぎ,健康の回復を図るために迅速かつ適切な医療が提供されなければ
ならず,東京拘置所において血栓溶解療法を行うことができない以上,これ
を行うことができる医療施設に転医させるべきことは当然であり,未決勾留
されていることがそのような転医を妨げる理由とはなりえない。
(ウ) なお,原告Aは,血栓溶解療法の適応の可能性があったことから生じる
損害とは別に,原告Aのような症状の脳梗塞については,脳梗塞の再発
や,症状の急激な憎悪,合併症の併発等に対処するための専門スタッフと
設備の整っている医療施設できめ細やかな経過観察を含む医療を受けな
ければ,生命の危機に瀕する可能性も十分存したので,そのような現代医
学の水準に沿う適切な治療を受ける機会を期待する権利を有していたが,
被告が転医を遅らせたことによってそれを奪われたとして,その損害賠償も
主張している。
確かに,これまでに認定した事実によれば,東京拘置所で経過観察及び
治療を続けるよりも,早い段階で専門の医療施設に転医させる方が,きめ
細かな経過観察ができた可能性が高いし,必要になれば直ちに開頭減圧
手術を行えるという意味で,安全性も高かったと認められるが,東京拘置所
においても,原告Aの症状に対応した治療は行われている(後記のとおり,
グリセオールの投与も適切に行われていた。)し,転医させれば,症状,あ
るいは後遺障害の内容,程度に影響を与えたと認めるに足りる証拠も存し
ない(前記血栓溶解療法の問題を除く)から,原告Aが専門の医療施設で
の経過観察,治療を受けられなかったことのみをもって,賠償を必要とする
ような精神的損害が発生したと認めることはできず,違法性も認められな
い。
   ウ 損害及び因果関係について 
 (ア) 被告の責任
これまで判示したところによれば,J医師,F医師等の東京拘置所の職員
らが,原告Aが「うっ」,「あっ」と言葉にならない状態で発見されてから,速
やかに転医の手続をとっていれば,原告Aには血栓溶解療法の適応があっ
た可能性があり,同職員らが原告Aを速やかに専門病院に転医させるべき
義務(条理上の転医義務)に反したために,原告Aは血栓溶解療法を受け
る機会を完全に失ったものというべきであるから,これによって原告Aに発
生した精神的損害については,被告は,国家賠償法1条1項により,これを
賠償すべき責任があるというべきである。
    (イ) 原告Aの損害
原告Aの本件後遺障害は,前記のとおり,①感覚性失語及びほぼ完全
な運動性失語,②右同名性半盲,③失読・失書(平仮名,片仮名,漢字,数
字の全て),④高次の会話はもとより抽象的な会話内容,抽象的用語を用
いた疎通はできない,⑤計算力は全くないか著しく低下している,言語や文
字を要する理解,判断力は著しく障害されている,⑥右下2分の1顔面神経
麻痺,⑦右半身完全運動麻痺等であり,血栓溶解療法が行われていれ
ば,これほどの後遺症は生じなかった可能性があるものと認められる(M意
見)。そして,被告の転医義務違反は,原告Aからそのような可能性を奪う
ものであるから,これを看過することはできず,それによって生じた原告Aの
精神的損害は,慰謝料をもって賠償されるに値するものというべきである。
もっとも,慰謝料算定にあたっては,原告Aの症状は,4月1日午前8時3
0分過ぎころには,すでに,「問いかけに答えず。痛み刺激で手足を動か
す。右半身麻痺。発語不能。瞳孔は正円。両眼の対光反射は迅速。」という
状態であったので,血栓溶解療法が行われた場合,本件後遺障害がどの
程度軽減されたかは明らかではないこと,前記のとおり,血栓溶解療法に
は危険も伴うこと,東京拘置所が速やかに転医手続をとったとしても,転医
先を探す時間や搬送に要する時間など,転医には一定の時間がかかるこ
とは避けられないので,転医先の医療施設において血栓溶解療法を採用
できたとは断定できないこと,などの点も考慮されなければならず,その他
本件に現れた諸般の事情を考慮すると,慰謝料額は,100万円と認める
のが相当である。そして,弁護士費用相当の損害は,20万円と認めるのが
相当である。
(ウ) 被告の主張
被告は,①本件は死亡事案ではないこと,②期待権が保護されるために
は,症状が改善した相当程度の可能性の存在が証明されることが要件とな
るが,本件ではその証明がないこと,③F・E両医師の処置に過失はないこ
となどから,被告は,期待権侵害に基づく損害賠償責任を負うことはない旨
主張する。
そして,原告Aが専門の医療施設での経過観察,治療を受けられなかっ
たことによる期待権侵害の主張が理由がないことはさきに判示したとおりで
あるが,原告Aから血栓溶解療法を受ける機会を奪うことについては,これ
を期待権侵害と呼ぶか否かは別として,原告Aから本件後遺障害という,
生命侵害にも比肩すべき重大な後遺障害を免れる機会を奪うことであっ
て,原告Aが自らの生命・身体に関して有している人格的利益を侵害するも
のというべきであり,それによって生じた精神的損害については,賠償責任
が発生するものというべきである。
  (2) 脳浮腫対策義務違反に基づく国家賠償責任について
原告Aは,4月1日にグリセオール200ミリリットルは,4回投与されておらず,
4月2日には,グリセオールは投与されていない旨主張する。
しかし,①診療録上,グリセオールの投与について,4月1日分については,
「200ミリリットル×4」との記載があり,ICU収容者「バイイルサイン」と題する表
にも,同日午後5時30分及び同9時20分にグリセオールを投与したとの記載が
あること(前記認定事実),②F医師及びE医師は,原告Aの症状については脳
梗塞であると判断していたものであって(前記認定事実,証人F,同E),その治
療のため投与していたグリセオールの投与を中止するとは考えられないこと,③
東京拘置所おいては,一度指示のあった投薬については,変更指示がない限
り,従前と同様の投与を続けるという運用がなされており(証人H),H准看護師
は,自らグリセオールを投与した旨供述していること(証人H)等からすれば,H
准看護師は,原告Aに対し,4月1日に4回,4月2日に2回,グリセオールの投
与を行っていたと認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
したがって,グリセオールが投与されていないことを前提とする原告Aの脳浮
腫対策義務違反の主張は,その余の点について判断するまでもなく,理由がな
い。
また,原告Aは,適切な脳浮腫対策を受ける機会を期待する権利を奪われた
として,その損害賠償も主張しているが,これが認められないことは,転医義務
に関係して(1)イ(ウ)で判示したとおりである。
3 本件医療行為についての原告Bの請求(説明義務違反に基づく国家賠償請  
求)について
(1) 前記のとおり,原告Aは,4月1日午前7時30分ころ,「うっ」,「あっ」と言葉に
ならない状態で,ろれつが回らず,点呼もできない状態で発見され,午前8時30
分過ぎころには,「問いかけに答えず。痛み刺激で手足を動かす。右半身麻痺。
発語不能。瞳孔は正円。両眼の対光反射は迅速。」という状態にあり,生命・身
体に重大な危険が及んでいることは外見からも明らかであったのであるから,少
なくとも道義上,被告(東京拘置所)は,原告Aについて緊急の処置を終えた段
階(遅くとも第1回CT撮影後)では,原告Aの父親である原告Bに連絡し,原告A
の症状,治療法,予後等について説明すべきであったというべきである。
そして,原告Bに連絡がされれば,本件刑事事件の原告Aの弁護人に連絡
し,勾留の執行停止を申し立てることも可能であったと解される。また,C大学附
属病院での開頭減圧手術についても,原告Bが術前に説明を受け,手術に同意
した上で実施されたものと解される。
(2) しかし,原告Bに連絡があっても,最も重要な血栓溶解療法を行うことについて
の同意を求められる余地はなく(この点は,被告が転医義務に反したために生じ
たことであり,転医義務違反による損害は,前記のとおり,原告Aの損害として認
めている。),原告Aが専門の医療施設での経過観察,治療を受けられなかった
ことのみをもって,賠償を必要とするような精神的損害が発生したと認めることは
できないことは,さきに判示したとおりであるから,勾留の執行停止決定を得て,
原告Aを専門の医療施設に転医させられなかったことをもって,原告Bに賠償を
必要とするような固有の精神的損害が発生したと認めることもできない。
そして,C大学附属病院における開頭減圧手術については,これを行わない
という選択肢は存在しなかったものであり(前記認定事実),原告Bの原告Aに代
わって手術を受けるか否かの決定をする利益が害されたということもできない。
(3) したがって,確かに,被告(東京拘置所)が,4月2日午後0時23分ころまで原
告Bに原告Aの症状について連絡しなかったことは,適切ではなかったというべ
きであるが,これが原告Bの固有の権利を侵害する違法性を有するものであっ
たとまでは認めることはできず,原告Bの本件医療行為についての請求(説明義
務違反に基づく国家賠償請求)は,その余の点について判断するまでもなく,理
由がない。
4 原告Aが手錠をかけられた行為についての原告らの請求について
(1) 原告らは,東京拘置所の職員が,C大学附属病院において,開頭減圧手術後
の原告Aに対し,手錠をかけたことは,「勾留の目的」を達成するために必要な
限度を超えた過剰な苦痛ないし人権の制約であって,原告Aの人権を侵害し,
憲法31条の要請する「適正な」内容をもった法律(デュー・プロセス)による人権
の制約とはいえず,憲法36条の「残虐な刑罰」又は「拷問」にあたる上,危篤状
態でありながら手錠までかけられた息子の姿を見せつけられた原告Bに対する
違法行為でもあることは明白である旨主張する。
  そして,東京拘置所の職員が開頭減圧手術後である4月3日の午前7時45分
ころ,原告Aに対し手錠をかけたことは,さきに認定したとおりである。
(2) 開頭減圧手術後,原告Aには本件後遺障害が残っていることから判断して,原
告Aに「逃走,暴行若クハ自殺ノ虞」(監獄法19条)があったことは疑問であり,
東京拘置所の職員は,原告Aが「監外ニ在ル」(監獄法19条)ために手錠をかけ
たものと推認される。
このような対応はいささか杓子定規の感を免れないが,手錠をかけるか否か
の判断において,拘置所の職員に臨機応変な法解釈を求めることが適当である
とは一概にはいえないし,前記のとおり,東京拘置所の職員は,C大学附属病院
の医師の許可を得て,手錠をかけており,手錠をかけることが原告Aの症状に悪
影響を及ぼしたと認めるに足りる証拠もないから,東京拘置所の職員が監獄法
19条に従って原告Aに手錠をかけた行為が原告らに対する関係で違法性を有
すると認めることはできない。
(3) したがって,原告Aが手錠をかけられた行為についての原告らの請求は,その
余の点について判断するまでもなく,理由がない。 
 5 結論
よって,原告Aの請求は,国家賠償法1条1項に基づき,損害金120万円及びこ
れに対する訴状送達の日の翌日である平成13年11月3日から支払済みまで民
法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,原告
Bの請求は,いずれも理由がないから,主文のとおり判決する。なお,仮執行免脱
宣言は,相当でないので,これを付さないこととする。
東京地方裁判所民事第30部
裁判長裁判官   福田剛久
裁判官   新谷晋司
裁判官   平田晃史

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