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平成19年3月29日判決言渡し
平成15年(ワ)第4003号国家賠償請求事件
平成15年(ワ)第4004号国家賠償請求事件
平成16年(ワ)第1769号国家賠償請求事件
主文
1原告らの請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
(目次)
第1請求・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
第2事案の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
第3当事者に関する前提事実・・・・・・・・・・・・・・・・4
第4争点及び当事者の主張・・・・・・・・・・・・・・・・・5
第5当裁判所が認定した事実・・・・・・・・・・・・・・・・6
1残留孤児の発生に至る歴史的経緯・・・・・・・・・・・・6
2主権回復前の残留邦人の引揚げ状況・・・・・・・・・・・11
3後期集団引揚げ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
4未帰還者の調査究明・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
5日中国交回復後の残留孤児の身元調査・・・・・・・・・・37
6残留孤児の帰国手続及び帰国支援施策・・・・・・・・・・44
7残留孤児の自立支援に関する施策・・・・・・・・・・・・51
8中国帰国者生活実態調査の調査結果等・・・・・・・・・・64
9原告らの永住帰国時期等・・・・・・・・・・・・・・・・68
第6早期帰国実現義務違反の有無に関する当裁判所の判断・・・69
1早期帰国実現義務の有無及び法的根拠・・・・・・・・・・69
2早期帰国実現義務違反の有無の判断基準・・・・・・・・・77
3日中国交回復前の早期帰国実現義務違反の有無・・・・・・81
4日中国交回復後の早期帰国実現義務違反の有無・・・・・・110
5総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135
第7自立支援義務違反の有無に関する当裁判所の判断・・・・・135
1自立支援義務の有無及び法的根拠・・・・・・・・・・・・135
2自立支援義務違反の有無の判断基準・・・・・・・・・・・138
3日本語教育施策についての自立支援義務違反の有無・・・・139
4就労支援施策についての自立支援義務違反の有無・・・・・150
5生活支援施策についての自立支援義務違反の有無・・・・・153
6自立支援施策全体としての自立支援義務違反の有無・・・・165
7拉致被害者支援法等との比較の相当性・・・・・・・・・・166
8総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169
第8結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・169
第1請求
(甲事件)
1被告は,甲事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成15年10月
31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2訴訟費用は被告の負担とする。
3仮執行宣言
(乙事件)
1被告は,乙事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成15年12月
5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2訴訟費用は被告の負担とする。
3仮執行宣言
(丙事件)
1被告は,丙事件原告らに対し,それぞれ3300万円及び平成16年9月1
4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2訴訟費用は被告の負担とする。
3仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,いわゆる中国残留孤児(幼少期に旧満州(中国東北部)に居住して
いたが,終戦前後の混乱の渦中で日本人の肉親と離別して孤児となり,その後
も引き続き中国に残留し,中国の養父母の下で成長した者。以下当該孤児を総
称して「残留孤児」又は単に「孤児」といい,終戦後も中国に残留した日本人
一般を総称して「残留邦人」という。)である甲事件,乙事件及び丙事件の各
原告ら(一部の原告は,死亡した孤児の相続人)が,被告が孤児を早期に帰国
させるべき義務を怠り(早期帰国実現義務違反),帰国後も孤児の自立に必要
な施策を講じるべき義務を怠った(自立支援義務違反)と主張して,被告に対
し,国家賠償法1条1項に基づき,一部請求として,それぞれ慰謝料3000
万円及び弁護士費用300万円並びに各事件の訴状送達の日の翌日(甲事件は
平成15年10月31日,乙事件は同年12月5日,丙事件は平成16年9月
14日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を
求めている事案である。
以下の判示においては,上記各事件の当事者たる原告らを総称して「原告
ら」というとともに,原告らが被告の早期帰国実現義務及び自立支援義務を負
うべき対象として主張している孤児たる原告ら及び孤児たる被相続人の総称と
しても,本訴の当事者たる原告らと特に区別することなく「原告ら」との用語
を用いることとする。また,判示中で特定の原告に言及する場合には,原告名
の後に4桁の原告番号(別紙1各原告目録記載の原告番号欄参照)を括弧書き
で付記することとする。
(なお,日中国交回復(昭和47年9月29日)後に厚生省が定めた定義では,
①戸籍の有無にかかわらず,日本人を両親として出生した,②中国東北部など
において,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降の混乱により,保護者と
生別又は死別した,③当時の年齢が概ね13歳未満,④本人が自己の身元を知
らない,⑤当時から引き続き中国に残留し,成長したとの要件を全て備えてい
る者を「中国残留日本人孤児」,それ以外の上記当時から中国に残留した日本
人を「残留婦人等」としており,施策や統計の上で両者が区別されることがあ
る。原告らの中にも,国交回復以前から自己の身元を知っていた者が相当数存
在し,厳密には上記の意味での「中国残留日本人孤児」に該当しない者も含ま
れているが,身元調査以外の場面において,基本的には両者は同様の立場にあ
ることに照らし,以下の判示においては,自己の身元を知っていたか否かにか
かわらず,前述の意味において「残留孤児」又は「孤児」との呼称を用いるこ
ととする。)
第3当事者に関する前提事実(以下の各項に掲記の証拠及び弁論の全趣旨により
明らかな事実)
1原告ら(ただし,後記2ないし4記載の各原告を除く。)並びに後記2及び
3記載の各被相続人は,いずれも残留孤児である。(甲A1ないし23,甲B
1ないし16,19ないし26,28ないし67,69ないし73,75ない
し115,117,118,甲C1ないし32の各枝番1)
2原告番号2019は亡A1(平成9年9月13日死亡)の,原告番号202
6は亡A2(平成15年5月15日死亡)の,原告番号2057は亡A3(平
成13年5月29日死亡)の,原告番号2092は亡A4(平成10年7月2
日死亡)の,原告番号2111は亡A5(平成15年8月2日死亡)の,原告
番号3002は亡A6(同年12月22日死亡)の,原告番号3003は亡A
7(平成8年6月1日死亡)の,原告番号3017は亡A8(平成12年4月
15日死亡)の,原告番号3021は亡A9(平成10年11月17日死亡)
の,原告番号3026は亡A10(同年3月31日死亡)の各相続人である。
(弁論の全趣旨)
3原告番号1022の3名は訴訟承継前原告亡A11(平成18年2月8日死
亡)の,原告番号2090の2名は訴訟承継前原告亡A12(平成16年6月
1日死亡)の各相続人であり,各被相続人の訴訟承継人である。(弁論の全趣
旨)
4原告番号2068は,日本人の子として朝鮮で生まれ(昭和19年3月20
日生),終戦を朝鮮で迎えて孤児となり,その後現地の中国人養父母に育てら
れ,昭和42年12月に養父母の出身地である中国吉林省に養父母とともに移
住した者である。(甲B68の1ないし8)
第4争点及び当事者の主張
本件の主たる争点は,以下のとおりであり,各争点に関する当事者の主張は,
原告らの主張は別紙6「原告最終準備書面」(写し)に,被告の主張は別紙7
「第6準備書面」(写し)にそれぞれ記載のとおりである。
1早期帰国実現義務違反の有無
2自立支援義務違反の有無
3原告らの被侵害利益の有無及び法的性質
4消滅時効完成又は除斥期間経過による損害賠償請求権の消滅の有無
5包括一律請求の可否及び損害額(なお,原告らは,孤児の相続人の一部が原
告となっている場合においても,本訴請求は一部請求であり,当該原告の有す
る相続分に応じて相続人間で分割された損害賠償請求権の金額も,相続分の大
小を問わず,なお本訴の請求金額を超えると主張している。)
第5当裁判所が認定した事実(後記第6以下の判示において当該事実を援用する
場合には,「前記認定事実」の後に該当の項数を付する。)
証拠(甲1ないし123,128ないし150,152ないし187,甲A
1ないし23,甲B1ないし16,19ないし26,28ないし73,75な
いし115,117,118,甲C1ないし32,乙1ないし60,62ない
し173,177ないし192,194ないし197(枝番の付されている書
証は,いずれも枝番の全てを含む。),証人a,同b,並びに原告番号1013,
同1016,同1009,同1020,同1004,同1018,同1002,
同1006,同1007,同1017,同1008各原告本人)及び弁論の全
趣旨によれば,以下の各事実が認められ(当裁判所に顕著な事実を含む。),
この認定を覆すに足りる証拠はない。
1残留孤児の発生に至る歴史的経緯
(1)日本の満州における権益の掌握と拡大
日露戦争(明治37年,38年)に勝利した日本は,明治38年,ロシア
との間で講和条約(ポーツマス条約)を締結し,ロシアが中国(清)の満州
(中国東北部)に保持していた権益のうち,旅順・大連の租借権と長春以南
の南満州鉄道の経営権及びその付属利権を獲得した。
同年,日本は,大連に置いた関東総督の指揮の下,関東州(大連・旅順を
中心とした遼東半島の西南端)に後に関東軍となる駐留軍を創設し,南満州
の利権確保に当たらせた。
第一次世界大戦(大正3年ないし大正7年)が勃発すると,大正4年,日
本は,中国に対し,ドイツが山東省に保有していた権益の承継等を要求して
(二十一か条の要求),満蒙における権益の大幅な拡大を認めさせた。
(2)満州国建国と戦争開始
昭和6年9月,関東軍は,南満州鉄道の線路を爆破したのを契機に軍事行
動を開始し,奉天・長春・営口・吉林などを占拠した(満州事変)。
昭和7年3月,満州国の建国が宣言されると,同年9月,日本は,満州国
政府を承認し,日満議定書を交換した。これにより,満州国は,日本の既得
権益を承認し,国防を日本軍に委ねることとなった。
昭和8年2月,国際連盟は,満州国の不承認決議を行い,同年3月,日本
は,国際連盟の脱退を通告した。
昭和12年7月,日中両軍が廬溝橋付近で衝突したのを契機に,日中間の
全面的な戦争に突入した。
昭和16年12月,日本は,アメリカに宣戦布告し,太平洋戦争が開始さ
れた。
(3)国策による満州への大量の移民送出
昭和7年以降,政府(以下単に「政府」という場合には,日本政府のこと
を指すものとする。)は,日本国内の過剰人口の抑制と,満州における治安
維持,将来の対ソ戦に備えた兵力増強,食糧・軍需品の確保を企図して,試
験的に満州への日本人移民を開始した。
昭和11年,政府は,満州への移民政策を七大国策の一つとして決定し,
今後20年間に100万戸,500万人の日本人を開拓民として満州に移住
させるという大量移民計画を策定した。
この計画に基づき,昭和12年以降,第1期(5年間)として,10万戸,
50万人の開拓民の移民計画が実施され,途中からは一般開拓民のほかに,
軍事教練を受けた満蒙開拓青少年義勇軍も送出の対象となった。
昭和16年,政府は,第2期(昭和17年からの5年間)として,22万
戸の一般開拓民と義勇隊開拓民の移民計画の実施を決定し,移民の送出は敗
戦直前まで続けられた。
こうして国策の下に送出された開拓民数は,昭和20年5月現在の外務省
調べの開拓民送出戸数(計画戸数)によれば,一般開拓民22万0257人
(団員5万2428人,家族16万7829人),義勇隊開拓民7万987
9人(隊員6万9457人,家族1万0422人),訓練中の義勇隊2万1
738人,合計32万1874人であり,満州拓殖公社の調査によれば,そ
の当時の総人口実数は,開拓団関係者16万7091人,義勇隊関係者5万
8494人,合計22万5585人であった。
(4)対ソ戦略の転換と無防備と化す開拓民
ア昭和16年4月,日本は,ソ連との間で日ソ中立条約を締結し,条約と
同時に発出された「声明書」において,ソ連による満州国の領土保全と不
可侵が定められた。
関東軍は,昭和17,18年ころには最精鋭の軍事力を誇り,将来来る
べき対ソ戦に備えていたが,昭和18年半ば以降,日本軍の南東・中部太
平洋方面における戦局が急速に悪化したことに伴い,大量の戦力を南方に
転用することを余儀なくされた。
イ関東軍の戦力が弱化の一途をたどる中,昭和19年9月,大本営(戦時
の天皇直属の最高統帥機関)は,関東軍に対し,従来の対ソ攻勢準備に重
点を置いてきた作戦計画を根本的に転換し,全面持久作戦への転向を命じ
た。この作戦は,ソ連軍との軍事衝突を極力回避する(北方静謐)のを第
一としつつ,万一ソ連軍が侵攻を開始したときは,国境地帯で迎撃を行う
とともに,満州の広域を利用してソ連軍の侵入を阻止妨害し,最終的には
満州東南部から北鮮にわたる山岳地域を確保して長期持久を図るというも
のであり,満州の約4分の3に当たる地域を放棄することを意味した。
この方針転換に基づき,関東軍は,昭和20年1月,新作戦構想を策定
し,同年3月以降,対ソ防諜の方針の下,軍司令部と所要の兵力を密かに
後退させる作戦に着手した。
開拓民の多くは,関東軍の指導により,ソ連国境に近い北満地域に入植
していたが,ソ連軍に防戦転換を察知されることを防ぐためには,関東軍
の後退守勢の動きを知った開拓民の大量移動の事態を避ける必要があると
の判断の下に,開拓民が作戦転向と軍後退の事実を知らされることはなか
った。
ウ昭和20年2月,米英ソの三国首脳会談(ヤルタ会談)において,ドイ
ツの降伏後2,3か月後に,ソ連が南樺太(サハリン)の返還等を条件に,
連合国に与して対日参戦を行うことが密かに合意された。
同年4月,ソ連は,日本に対し,昭和21年4月に期限が切れる日ソ中
立条約を延長しないことを一方的に通告した。
このような情勢の中,昭和20年5月7日にドイツが降伏し,同月上旬
には,大本営は,兵力の東方への移送が急速に活発化していたソ連の対日
動向について,「二月下旬頃以来東ソ兵備の本格的増強を企図しあること
確実にしてその対日動向は従来に比し一層積極化の方向を辿りつつあり
(中略)向後一年の中立条約期間の存在は既にその実効を喪失せるものと
認めざるを得ず」「ソ連の対日武力戦発動の時機は左の条件を考慮せば遅
くも本年夏秋の交以降特に警戒を要するものと判断せらる」との判断を示
していた。
そして,昭和20年5月30日,大本営は,「朝鮮方面対ソ作戦計画要
領」を示達し,「満州に侵入する敵を撃破し概ね京図線(新京−図們鉄
道)以南,連京線(大連−新京鉄道)以東の要域を確保して持久を策し以
て全般の作戦を有利ならしむ」として,開拓民の多くが居住するその他の
地域を持久戦場とする方針を決定した。
同年7月,関東軍は,極度に弱体化した兵力の増強のため,在満日本人
適齢男子約40万人のうち,輸送関係等の要員を除く動員可能な約25万
人を動員するという,いわゆる「根こそぎ動員」を行ったが,訓練や兵器
の不足のため,表面上の兵力こそ増大したものの,戦力として十分とはい
い難かった。
この根こそぎ動員によって,開拓団から兵役に堪える壮年層がほとんど
召集されたため,残る大部分は老幼婦女という団が少なくなかった。
エ同月26日,米英中(後にソ連も加わった。)の首脳は,日本に対し,
即時降伏を要求する,いわゆるポツダム宣言を行ったが,日本は直ちには
これを受諾しなかった。
(5)ソ連参戦と開拓民の惨劇
ア昭和20年8月9日,ソ連は,日本に宣戦布告し,満州に侵攻を開始し
た。
何の事前情報も与えられず,突然ソ連軍の侵攻を受けた辺境地域の開拓
民は,混乱のうちに避難を余儀なくされ,関東軍の主力が既に後退して軍
の保護が受けられず,しかも,根こそぎ動員によって,残された開拓団の
ほとんど老幼婦女であったという事情と相まって,その逃避行は困難を極
め,多数の悲惨な犠牲が生じた。ソ連軍の攻撃や現地住民の反乱に遭って
命を落としたり,進退窮まって集団自決を遂げたりした者に加え,飢餓病
苦等による死者数も合わせると,在満邦人のこの間の犠牲者は3万人以上
と推定された。
イ同月14日,大本営は,ポツダム宣言の受諾を決定したが,停戦命令の
伝達が困難を極めた等の事情もあって,ソ連軍との間の戦闘は同月下旬こ
ろまで続いた。
昭和20年9月2日,政府は,正式に連合国との間で降伏文書に調印し,
戦争が終結した。
ウ戦闘による混乱が収まった同年10月ころ以降,難民と化した開拓民は,
多くが満州中南部の都市に集結し,避難行動から逐次越冬態勢に移ること
となったが,半年に及ぶ満州の厳しい冬の間,食糧・医薬の不足や狭隘な
宿舎等のため,各地に伝染病が発生し,栄養失調症や発疹チフスによる死
者が極めて多く発生した。
この越冬期間中の死亡者は,同年末までに約9万人,昭和21年5月末
までに累計約13万人に達するとされ,満州における邦人死亡者総数約1
7万人の大部分を占めるものであった。
(6)多数の残留孤児の発生
以上のような終戦前後の極度の混乱と,それに引き続く過酷な越冬状況の
中で,両親を失ったり,親等が養育できないために現地住民に託された子供
等の数は約2500人と推定され,これらの者が残留孤児となることとなっ
た。
2主権回復前の残留邦人の引揚げ状況
(1)終戦直後の引揚援護施策
ア政府は,ポツダム宣言受諾直後から,在外軍人軍属の復員と在外一般邦
人の引揚げの方策についての検討を重ね,昭和20年8月30日に「外地
(樺太を含む。)及び外国在留一般邦人引揚者応急措置要綱」を,同年9
年7日に「外征部隊及び居留民帰還輸送等に関する実施要領」を定め,在
外一般邦人の保護と引揚者の受入援護等に関する措置についての基本的事
項を示した。
次いで,同月20日に「引揚民事務所設置に関する件」,同月24日に
「海外部隊並に海外邦人帰還に関する件」,昭和20年10月4日に「海
外部隊及び海外邦人に対する食糧,衣料,衛生材料其の他所用物資の補給
並に宿営施設に関する件」が順次決定され,引揚者の受入機関,上陸地に
おける収容施設,食糧,衣料等の所用物資の調達準備等について具体的施
策を定め,政府独自の立場で引揚援護を実施した。
イしかし,占領軍の日本進駐とともに,引揚援護も政府独自の業務として
ではなく,占領政策の一環として連合国軍総司令部(GHQ)の管理下に
行われることとなった。
同月18日,GHQの指示により,厚生省が「引揚げに関する中央責任
官庁」に指定されたが,同月25日,政府の外交機能が全面的に停止され
た。
GHQは,引き揚げてくる在外邦人の受入れのための日本側の執るべき
措置について,その都度個別に指示していたが,その後,昭和21年3月
16日,これらの指令を1本化した「引揚に関する基本指令」を政府に示
した。
ウ引揚者の輸送は,GHQの立案する引揚計画とソ連政府のGHQ宛通告
に基づく輸送計画に従って実施され,その輸送に当たっては,GHQが各
地の連合国軍や各国政府と連絡を取り,軍人軍属の復員と緊急を要する地
域の邦人の引揚げを優先し,一般邦人については,各国との協定によって
順次帰還させる方針を執ったが,ソ連においては,GHQの上記方針は受
諾されなかった。
満州は,昭和20年9月2日,GHQが発した「指令第1号(陸海軍一
般命令第一号)」によりソ連軍の管理地域となり,ソ連軍は,主要都市を
占領して軍政を布き,その実権を手中に収めていたが,政府がGHQ等を
通じ,ソ連軍占領下の悲惨な状況にある在満邦人の保護について,ソ連政
府に度々要請を行ったにもかかわらず,ソ連軍は,在満邦人の本国送還に
ついては全く関心がなく,何らの措置も執らないまま,昭和21年4月こ
ろ,満州から撤退した。
このような事情のため,満州を含むソ連軍管理地域の引揚げ開始は,他
の地域に比べて大幅に遅れることとなった。
(2)前期集団引揚げ
終戦後の中国国内では,国民政府軍(国府軍)と中国共産党軍(中共軍)
との間で内戦が勃発し,相次いで満州に進駐した両軍は,昭和20年11月
以降,満州中南部において激しい内戦を繰り広げた。
両軍の満州各地での衝突により,多数の日本人が強制的に徴用されるなど
して,在満邦人の生活に一層の混乱と窮乏が生じ,内戦の最中で多くの死傷
者も生じた。
そのような中,昭和21年5月11日,ソ連軍の撤退後,旧満州地区の管
理を引き継いだ中国東北保安司令官(国府軍)と米軍代表との間に,在満邦
人の本国送還に関する協定が成立し,これによって,ようやく満州からの引
揚げが開始されることとなった。また,同年8月には,中共軍側との間にお
いても,中共軍地区にある日本人の送還協定が成立した。
これらの協定に基づき,同年5月から昭和23年8月までの間に,4期に
わたって集団引揚げが行われ,第1期に合計約101万人,第2期に約43
00人,第3期に約2万9000人,第4期に3320人の引揚げが実現し
たが,国共内戦の激化と国府軍の敗退による引揚げ条件の悪化,中国共産党
が昭和24年10月1日に樹立した中華人民共和国を反共姿勢のアメリカが
不承認とした等の事情により,集団引揚げは中断を余儀なくされた。
(3)個別引揚者に対する経済援助
中国地域からの集団引揚げの中断が続く中,昭和24年以降,残留邦人の
個別的な引揚げも行われるようになったが,これには経済的な負担を伴った。
そこで,政府は,昭和27年3月1日以降,個別引揚者の船運賃国庫負担
制度を設け,個別に引き揚げる者の経済的負担を軽減する措置を講じ,引揚
げの促進を図ることとした。
3後期集団引揚げ
(1)第1次ないし第7次引揚げ
ア昭和26年9月8日,日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条
約)が調印され,昭和27年4月28日,同条約の発効により,日本は主
権を回復した。これにより,在外邦人の引揚げは政府の自主的事業となっ
た。
同条約の調印の際,政府は,全交戦国との間で講和条約を結ぶか(全面
講和),それとも共産圏である中ソを除外した国々との間で講和条約を結
ぶか(単独講和)の選択を迫られたが,アメリカの強い意向に従って単独
講和路線を選択した。さらに,政府は,同条約の発効と同時に,中国が非
合法政府と目する台湾(蒋介石政府)との間で日台条約を締結し,その結
果,日中間の国交断絶状態が昭和47年まで続くこととなった。
イ昭和27年12月1日,北京放送は,残留邦人の引揚げ問題に関し,
「わが国にはおよそ三万人の日本居留民がいる。」「わが国政府は国に帰
りたいと望んでいる日本居留民が日本に帰るのを援助したいという考えを
今までずっと持って来た。事実上,中華人民共和国が成立してから今まで
に少なからぬ日本居留民が国に帰った。しかし後になって船が不足したた
め難かしくなった。そのため帰国を希望する多数の日本居留民は今なお彼
らの望みを達成することができないでいる。」「もし日本側が船の問題を
解決できるならば,わが国の政府と人民は日本居留民の帰国を援助するよ
う努力したいと考えている。」「これについては,日本側の適当な機関,
または人民団体が代表を派遣し,中国赤十字社と具体的に話し合って解決
すればいいだろう。」との中国政府の見解を伝える放送を行った。
旧満州地区からの引揚げについては,日本が中国との国交を有しておら
ず,残留邦人の引揚げ促進に関する事項を外交ルートによって処理するこ
とができなかったが,政府は,この問題を全くの人道上の問題として,国
際的性格を担う赤十字機関の仲介によって解決を図ることとした。
ウ昭和28年3月5日,日本側(日本赤十字社,日中友好協会及び日本平
和連絡会。以下「引揚三団体」という。)と中国側(中国紅十字会)との
間で「日本人居留民帰国問題に関する共同コミュニケ(北京協定)」が成
立した。
同協定に基づき,同月から昭和28年10月までの間に,7次にわたっ
て集団引揚げが行われ,合計2万6051人が帰国したが,同年11月1
2日,中国紅十字会は,引揚三団体に対し,残留邦人の引揚げの打切りを
通告し,集団引揚げは再び中断されることとなった。
(2)第8次ないし第11次引揚げ
ア昭和29年9月27日,しばらく中断していた残留邦人の集団引揚げが
再開され,520人が帰国した(第8次引揚げ)。
イ同年11月3日,中国紅十字会訪日代表団が来日し,同代表団と引揚三
団体代表との間で,以下の内容の「邦人帰国問題等に関する日中懇談覚
書」が確認された。
①残留邦人の総数は約8000人で,そのうち帰国を希望する者は約2
000人以内である。現在帰国を希望しないが,将来帰国を希望する者
については,中国紅十字会は以後の帰国を援助する。
②中国側は,翌年春までに行われると思われる大量の帰国が終わった後,
全残留邦人に日本へ通信するよう強力に勧奨することを約束する。日本
赤十字社としては,家族の有無又は居所の明・不明にかかわらず,全日
本人から中国紅十字会経由で日本赤十字社へ通信を送ってもらうことを
希望する。
③生死不明の日本人については,日本赤十字社より個々に安否調査を依
頼した場合,中国紅十字会はできる限り調査究明に協力する。
ウ昭和29年11月から昭和30年3月までの間に,第9次ないし第11
次引揚げが行われ,2292人が帰国した。
(3)第1・2次ジュネーブ交渉と第12次ないし第16次引揚げ
ア昭和30年7月15日,ジュネーブ駐在日本総領事(以下「日本総領
事」という。)は,政府の閣議了解の下に,ジュネーブ駐在中国総領事
(以下「中国総領事」という。)に対し,以下の内容の書簡を発し,残留
邦人のうち帰国を希望する者の帰国援助と消息不明となっている日本人の
状況調査について,人道上の問題として善処することを中国政府に求めた
(第1次ジュネーブ交渉)。
「中国紅十字会の援助によって,日本国民の中国大陸からの送還は相当行
われましたが,今年の3月以降,このような送還は中止されていま
す。」
「1954年11月に日本を訪れた李徳全女史を団長とする中国紅十字会
職員の一団がもたらした報告によりますと,1069名の日本人が戦争
犯罪人として中華人民共和国政府によって抑留されており,さらに約8
千名の日本人がなお中国大陸に留まっているのでありまして,その後2
297名が3回に分けて送還されましたから,いまなお約6千名が中国
大陸に残っていることになるのであり,この数字は,日本政府のおこな
った調査の結果と一致しています。しかしそのほかになお4万人が明ら
かに中国大陸にいたが,その状況または死亡につきましては,まだ確か
められていません。」
「いまでは戦争が終ってすでに10年になり,抑留されているものが家に
送り返されることを強く求めているのはしごく当然でありますし,同時
にまた,抑留されていないものの手紙から見ましても,その中の極めて
多くの者がやはり帰ることを望んでいるのであります。そのほかこれら
生死の程も状況も分からないものの家族も,その運命についての何らか
の消息を非常に知りたがっています。」
「日本政府は,中華人民共和国政府がこうした事態を人道上の問題として
考慮され,抑留されているものを釈放し送還する措置をとり,まだ送還
されていないものの氏名とその最近の状況について日本政府に通知し,
帰ることを望むものに帰れるよう援助を与え,状況不明のものの状況を
つとめて調査し,そのうちすでに死亡したものがあった場合でも,その
遺骨を送還するようにし,そのものの家族が速やかに通知をうける便宜
をえられるよう切に希望いたします。日本政府は,中華人民共和国政府
と協力し,有用な資料あるいはどのような可能な方法をも提供して,困
難の解決を促す用意があります。」
「日本政府と中華人民共和国政府との間の外交関係の有無にかかわらず,
日本政府は,中華人民共和国政府がこの問題についてできうる限りのこ
とをされるよう希望するものでありまして,その理由は,これが純然た
る人道上の問題だからであります。」
イ昭和30年8月17日,中国総領事は,日本総領事に対し,以下の内容
の書簡を発して,国交正常化交渉を提案する中国外交部の声明を伝達した。
「以上述べた日本人居留民(注:6000人余り)と日本人戦犯(注:1
069人)以外には,わが国には,状況不明の日本人といったものはい
ない。しかるに日本政府は,こともあろうに状況不明の4万名といった
ような問題をもち出している。」
「中国紅十字会は人道上の原則に基いて,さきに個々の日本人の行方を調
査する問題について,日本赤十字社などの団体と取極を行った。それは
もし日本赤十字社が具体的な資料を提供するならば,中国紅十字会はで
きる限り調査する用意があるということである。しかしここで指摘しな
ければならないのは,これは中国人民の日本人民に対する友好の現れで
あり,日本政府が,中国大陸にはまだいわゆる状況不明の者4万名がい
ると云いはっている問題とは何のかかわりもないということである。」
「実際には日本人居留民の帰国問題はとっくに中日両国の人民団体によっ
て適切に解決されている。この問題について,たとえ引続き処理する必
要のある事柄がまだあるにしても,それは単なる事務的な問題にすぎな
いはずである。一方中日両国の間には,現在確かに両国人民に利益をも
たらす数多くの重大な問題が存在している。例えば中日両国の正常な貿
易を発展させること,中日両国人民のお互の往き来を促進すること,中
日両国居留民の正当な権益を適切に処理することがそれであり,これら
はすべて,中日両国政府によって解決されるべき問題である。もし日本
政府が本当に誠意をもって中日両国関係正常化の道を求めるのであるな
らば,先ずこれらの問題から手をつけるべきである。中国政府はこれら
の問題について,日本政府と話し合う用意がある。」
ウ昭和30年8月29日,日本総領事は,中国総領事に対し,以下の内容
の書簡を発し,改めて前記アの政府の要請に対する中国政府の善処を求め
た。
「状況不明の約4万名の日本人居留民について。日本政府の行った調査に
よれば,彼らは,戦争の終った当時または1949年には中国大陸にい
たことが,これらのものの記述によって明らかにされており,その後は
日本政府にその行方が分かっていません。(中略)いずれにせよ,彼ら
の家族が彼らの状況について何らかの消息を待っている以上,日本政府
といたしましては,もしも中華人民共和国政府が何らかの消息を得てい
るならば,彼らについての消息を得たいと切望する次第であります。日
本政府はまた,中国政府が彼らの状況について調査を行われることを切
望いたします。前にも述べましたとおり,日本政府といたしましては,
そのもっているいかなる資料をも提供し,かかる調査に協力する用意が
あります。」
「日本政府は,日本政府と中華人民共和国政府との間で,先ず第一に戦争
犯罪人をもふくめた日本人居留民の帰国問題を解決すべきであると考え
ています。この問題は純然たる人道上の問題でありますので,両国政府
の間に外交関係がないからといって,共同してこの問題を解決する上に
困難を生じるべきはずのものではありません。中華人民共和国政府が,
日本政府のこの問題についての立場に有利な反応を示されることを心か
ら要請してやみません。」
エ昭和30年10月20日,日本総領事は,中国総領事に対し,以下の内
容の書簡を発し,残留邦人の年内送還計画の有無の確認と,送還者を政府
自ら又は日本赤十字社が受け取る用意がある旨を中国政府に申し入れた
(第2次ジュネーブ交渉)。
「1955年9月28日にジュネーブで開かれた赤十字社連盟執行委員会
の会議で,中華人民共和国紅十字会代表が,約200名の日本人居留民
の送還準備を行っていると公表したことを知りました。また中華人民共
和国主席毛沢東氏は最近中華人民共和国を訪れた一部の日本国会議員に,
「戦争犯罪人」の送還問題について,病人,老齢者あるいは軽い刑を云
渡されたものは本年末までに帰国されることになろうと述べたとのこと
であります。ここにおいてわたくしは,わが国政府の命を奉じて,この
ような送還計画の有無についてあなたの確認を求める次第であります。
それと同時に,もしもこうした計画が進められているならば,わが国政
府みずからまたは日本赤十字社に委託して,これらの送還者を受取る用
意があることを声明いたします。わたくしがさきの書簡(1955年8
月29日付)で述べました如く,日本政府は日本人居留民の送還に強く
関心をもっているとともに,われわれの間の直接の接触を通じてこの問
題を促進することを希望していることを付け加えて申し上げます。」
オ昭和30年11月4日,中国総領事は,日本総領事に対し,上記2通の
書簡に対する中国政府の返答として,以下の内容の書簡を発したが,前記
イと同様の中国政府の見解と,再度国交正常化交渉の提案に言及するにと
どまった。
「8月16日の中華人民共和国外交部スポークスマンの声明に指摘してま
す如く,中国紅十字会が,日本赤十字社,日本中国友好協会,日本平和
連絡会とともに努力した結果,帰国を希望する日本人居留民の日本への
帰国問題はすでに解決されています。いまなお中国に在留する日本人居
留民のうち,帰国を申請するものがあれば,中国紅十字会は,日本赤十
字社などの三団体との話し合いにもとづいて引続き適切な処置を講じる
ことと思います。そしてわれわれの知っているところでは,最近帰国を
申請した日本人居留民につきましては,中国紅十字会でいま彼らの帰国
を援助する準備を行っているところであります。」
「中国政府といたしましては,中日両国の国交が回復される前においては,
両国の居留民が帰国または本国に往き来する問題は,暫くの間両国の人
民団体に委託してその処理にまつよりほかないと考えます。これは勿論
極めて不便であります。従って単にこの問題だけでも,中日両国関係の
正常化を促すことがいかに緊急を要するかを充分に物語っているのであ
ります。」
「8月16日付の中華人民共和国外交部スポークスマンの声明に指摘され
ています如く,中国を侵略する戦争にかりたてられてこれに参加し,行
方不明となった日本人の問題は,日本政府が日本国民に向って明らかに
すべき問題であります。すでに帰国した約2万9千名の日本人居留民と,
処罰を免除されて送還された417名の軽い罪を犯した元日本軍人以外,
いま中国には6千余名の日本人居留民と1千余名の日本人戦争犯罪人が
いるだけでありまして,状況不明の日本人などというものは全くいない
のであります,しかし人道上の原則に基いて中国紅十字会は,個々の日
本人の状況の問題について,日本赤十字社などの三団体が具体的な資料
を提供すれば,やはり出来得る限り調査したいと考えています。中国人
民の日本国民に対するこうした友好の現われは,日本政府がいわゆる状
況不明の4万名の日本人の問題をたえず中国政府にしつこく持ち出して
いることに何らの根拠も与えることにはなりません。それどころか日本
政府が一再ならず持ち出したこの問題は,全く根拠のないものであり,
全然成りたちえないものであります。」
「中日両国の間には,たとえば中日両国の正常な貿易を発展させる問題,
中日両国人民の相互の往来を促進する問題,中日両国の居留民の正当な
権益を適切に処理する問題など,両国人民の利益に関係のある多くの重
大な問題が解決を必要としています。しかし中日両国の関係の正常化こ
そ,最もさし迫って解決を要する問題であることは,極めて明らかであ
ります。その理由は,中日両国間の戦争状態が解除されず,中日両国の
国交が回復されることなくしては,上に述べた各種の問題の解決はどう
しても妨げられるからであります。中国政府といたしましては,中日両
国政府が両国関係の正常化を促す問題について話し合いを行う時期がす
でに熟していると考えるとともに,もしも日本政府が同じ希望をもって
いるならば,両国関係の正常化を実現する道も見出すことができると信
じています。このため中国政府はさらに進んで,日本政府の派遣する代
表団と北京で中日両国関係の正常化を促す問題について話し合うことを
歓迎するという提案を行うものであります。」
カ昭和30年12月18日,前記エの書簡中にある約200人に関する集
団引揚げが従来の方式に則って行われ,283人が帰国した(第12次引
揚げ)。
キ昭和31年6月28日,引揚三団体代表と中国紅十字会代表との間で天
津協定が成立し,これに基づき,同年7月から昭和32年5月の間に,4
次にわたって集団引揚げが行われ,釈放された戦犯等1368人が帰国し
た(第13次ないし第16次引揚げ)。
また,同協定においては,中国人と結婚している在中日本人婦人の一時
帰国についても合意され,これにより,日本人婦人とこれに随伴する子女
1071人が一時帰国した。
(4)第3次ジュネーブ交渉
ア昭和32年5月13日,日本総領事は,中国総領事に対し,中国地域の
未帰還者3万5767人の名簿を手交し,生存が判明した者については帰
国の意思の有無その他の現状,死亡したことが判明した者については死亡
時の状況等について,できる限りの調査を中国政府に依頼する旨の政府の
要望を伝達した(第3次ジュネーブ交渉)。
この名簿には,昭和32年1月1日現在で,留守家族から厚生省に未帰
還である旨の届出があった3万5767人分の姓名,生年,生別,本籍,
現地からの通信又は帰還者の証言等によって判明している最終消息が記載
されており,具体的には,その最終消息の内容に応じ,以下の4分類に従
って未帰還者が登載されていた。
①第1類(5689人)
昭和24年以降に最終の消息があるもの
②第2類(2705人)
昭和23年以前の消息しかない者のうち,中国人等と結婚したか,
又は中国人等に養育されていた消息のあるもの
③第3類(9291人)
終戦時(昭和20年9月2日)以降昭和23年末日までの間に最終
消息のあるもの(第2類登載者を除く。)
④第4類(1万8082人)
終戦時以前の消息しかないもの(第2類登載者を除く。)
第1類及び第2類中には,「中国人等に養育されている孤児(終戦前後
に孤児となりその後中国人等に養育されているもの)」として,それぞれ
406人,1647人,合計2053人が登載されており,両分類の性格
については,それぞれ「中共政権がおおむね確立した昭和24年以後中共
地域に所在していた者であって,一応中共政府に対し調査を要求できる範
囲のものである。このうち,大部は生存資料であって特別の事情のない限
り現在生存していると推定される。また,一部は死亡者と思われるが,ほ
とんど大部について中共側の回答がえられるものと考えている。」「終戦
前後から昭和23年末までの間において中共地域に所在していた者であり,
かつ,中国人等と結婚し,または結婚したと判断される消息があるか若し
くは終戦前後に孤児となり中国人等に養育されているか,または,養育さ
れていると判断される消息がある者であって,特別の事情がない限り現在
も生存している公算が大である。これらの多くは,中国人等の生活の中に
溶け込んでおり,現に生存していても日本人相互の交際も少く,また日本
に通信することもなく,最近の消息が不明になっているものと思われ,中
共側の調査により大部の消息が判明するものと考えている。」とされてい
た。
イ昭和32年5月から同年6月にかけて東南アジアを訪問していた岸信介
首相は,台湾の蒋介石国民政府総統との会談を行った際に,反共・反中国
政策の姿勢を明確化する発言を行った。
ウ同年7月25日,中国総領事は,日本総領事に対し,以下の内容の書簡
を発した。その内容は,現在中国には行方不明なる日本人は存在せず,中
国の侵略戦争に参加して行方不明となった日本人の問題は,中国政府とし
て何ら責任を負うものではないというもので,結局,前記未帰還者名簿に
基づく中国政府による消息調査の協力を得ることはできなかった。
「総数約3万5千名の日本人在華居留民のうち,中国紅十字会と日本側の
前記三団体の共同の努力によって,2万9千余名がすでに日本へ帰って
いる。目下わが国に残っている日本人居留民の数は約6千人前後で,彼
等はみなわが国に永住するか,あるいはしばらく居留することを希望す
るものばかりである。また,後になって彼等のなかに帰国を申請する者
がおれば,それらの人々も中国政府から,種々の便宜を与えられるであ
ろうと,中国政府がたびたび述べてきた。1954年11月に中国紅十
字会代表団が日本を訪問した際には,日本赤十字社等,前記三団体から
の申入れにもとづいて,日本人の一人一人について近況を調査する問題
で,双方は一つの取極を成立させた。取極のなかで,中国紅十字会は,
これに極力援助を与えたいと述べていた。けれども,前記の取極はいず
れも日本政府より申出のあったいわゆる「行方不明」の日本人の問題と
は無関係である。非常に明らかなように,「行方不明」の日本人などは,
中国には全然いないのである。(中略)日本軍国主義政府の手で対中国
侵略戦争の参加へ駆りたてられた揚句,行方不明となったそれらの日本
人に関する問題は,日本政府が日本人民に対して跡始末しなければなら
ない問題である。」
「中国政府は何回も日中両国政府が日中関係正常化を促進する問題につい
て交渉を開くよう,日本政府に申入れてきたわけである。けれども,は
なはだ遺憾なことには,日本政府は日中関係正常化の問題に対してはわ
れわれと正反対の態度をとっている。日本国首相岸信介は最近東南アジ
アとアメリカを歴訪した際に,中華人民共和国をけなす一連の言葉をは
き,また台湾へ行けば中国人民が見棄ててしまった蒋介石勢力と会談を
行っている。これと同時に,日本側は再びわが国政府へいわゆる「行方
不明」の日本人の問題を持ちかけてきたわけだが,その目的は日本人民
の目をごまかし,日中両国人民の友好関係の発展をはばみ,それを破壊
し,さらに日中関係の正常化に対する日本人民の声をおさえることにあ
ることは明らかである。日本政府のこうした態度とやり方は,中国政府
と人民が絶対に同意できないところである。」
エ上記中国政府の回答に先立つ昭和32年6月5日,衆議院海外同胞引揚
特別委員会委員長は,中国の周恩来総理と中国紅十字会会長宛に,中国に
残留している日本人の帰国の促進,戦犯者の早期釈放,未帰還者の調査等
の問題について委員会として中国側に懇請するため,委員長ほか3名の委
員と政府職員若干名の訪中を申し入れていたが,同年7月25日,同会長
名の書簡をもって,引揚三団体宛に訪中拒否の回答が寄せられた。
(5)第17次ないし第21次引揚げと集団引揚げの終焉
ア昭和32年8月20日,留守家族団体全国協議会会長有田八郎は,中国
を訪問して周恩来総理及び中国紅十字会会長と会談し,同月29日,残留
邦人問題に関し,以下の内容の覚書を交換した。
「1945年8月15日以前に中国の国土で戦争に従事し或いは生活した
日本人の行方については,日本政府がその全責任を負って日本国民に明
らかにすべきである。」
「1945年8月15日から1949年中華人民共和国が成立するまで中
国の国土にいた日本人の引揚げと居留については,当時の蒋介石政府が
責任をもって処理したことであって,中国人民政府はこれについて何ら
の責任をも負うべき筋合いのものではない。」
「1949年中華人民共和国が成立したときから,今日もなお中国に住ん
でいる日本人居留民はおよそ6千人いる。もし日本の三団体がこれらの
日本人居留民の状況を知りたいと要求するならば,中国紅十字会はこれ
に必要な協力をあたえ調査を行う用意がある。もし,日本の三団体が1
945年8月15日から中華人民共和国成立以前の間の個別的な日本人
居留民の状況について知りたいと申しでたならば,そして確かな調査資
料があれば,中国紅十字会はこれを個別的な例外としてできるだけの範
囲で調査をすることもできる。」
「中国,日本両国は今日なお国交が回復されていないので中国側は現在中
国にいるおよそ6千人の日本人居留民の名簿を日本に手渡すことはでき
ない。しかしもしも,日本側が中華人民共和国成立以後確実に中国にい
る日本人居留民の名簿を提出したならば,中国側はこれを受理し,日本
側の提出した確実な資料にもとづいて個別的な調査を行うことができる。
以上の諒解にもとづいて,中国紅十字会は有田八郎が出した解放後中国
にとどまっている日本人居留民の名簿を受理した。」
イ昭和32年12月13日,来日した中国紅十字会会長は,引揚三団体に
対し,中国紅十字会が昭和29年以来の日本人からの手紙又は日本訪華代
表団から提出された資料に基づき調査し,現在中国に居住している残留邦
人640人を登載した「中国残留日本人調査名簿」(他に既帰還者等24
0人を含む。)を手交した。
留守家族団体全国協議会は,中国側に対し,上記覚書に基づき,同月以
降,昭和33年9月までの間に5回にわたり,特に生存残留の見込みの多
い約1900人のカードを送り,消息調査を要請したが,その後3回(昭
和36年5月,昭和37年10月13日,昭和40年10月6日)にわた
って中国紅十字会から交付された名簿においては,一部の生存残留者につ
いての回答(登載者数779人,うち一部は死亡者)があったにとどまっ
た。
ウ昭和33年5月2日,一人の男が長崎の中国品展示会場に掲揚されてい
た中国国旗を引きずり降ろした事件(長崎国旗事件)の処理をめぐって,
中国側が猛反発したのを契機に,日中間の経済・文化交流は一切断絶する
こととなった。
日本人婦人の里帰りに関しても,中国紅十字会は,引揚三団体に対し,
同年6月4日,「日本の岸内閣が引続き中国を敵視しているので日本婦人
の里帰りに対する援助をしばらく中止する」旨の声明を発した。
長崎国旗事件に相前後する同年4月24日から同年7月13日までの間
に,5次にわたり,2153人の集団引揚げが行われたが(第17次ない
し第21次引揚げ),中国紅十字会は,これをもって集団引揚げは終了す
ることを日本側に通告した。
(6)後期集団引揚げの成果と残存未帰還者数
以上の昭和28年3月から再開された21次にわたる後期集団引揚げによ
り,合計3万2506人の帰国が実現し,厚生省の調査によれば,昭和33
年末時点における中国地域の未帰還者数は2万1287人であった。
なお,上記帰国者のうち,孤児の総数は93人であった。
(7)個別引揚者に対する経済援助の拡大
集団引揚げの打切りに伴い,残留邦人は,個別引揚げの方法によって引き
揚げるほかないこととなったが,帰国を希望しながら,現地の生活事情等か
ら,居住地から出境地までの旅費を支弁することが困難で事実上帰国できな
い者が相当数いることが判明したことから,政府は,昭和37年6月1日以
降,日本赤十字社に委託して,前記2(3)の船運賃のほか,上記旅費につい
ても国庫負担とする取扱いを始めた。
後期集団引揚げが終了した昭和33年から国交が回復した昭和47年まで
の間に,中国地域から合計760人が個別引揚げによって帰国した。
4未帰還者の調査究明
(1)終戦当初からの外務省による未帰還者調査
ア未帰還となっている在外一般邦人の調査を担当する外務省は,終戦から
昭和23年末ころまでに行われた集団大量引揚げの期間においては,各上
陸地に係官を派遣して,海外における邦人の在留状況に関する各種の情報
の入手に努めたが,引揚げが断続的に実施されていたことや,終戦当時の
在外邦人に関する正確な記録が必ずしも整備されていなかったこと等から,
個人消息の調査究明業務は組織的には実施されなかった。
他方,現地からの情報により,一般邦人の引揚げが必ずしも順調に行わ
れていないことや,戦後の混乱や終戦後1年目の冬ごもりの間に多くの犠
牲者が出ていること等の事実が次第に判明してきたことから,同年10月
19日,内閣に設置された引揚同胞対策審議会は,「最近の引揚状況にか
んがみ,未引揚邦人の氏名,所在,生死の別等を調査することは,極めて
緊要なるにつき,政府は右調査を実施するに必要なる措置を至急講ずるこ
と。」を決議し,政府に要請した。
同年12月に公布された特別未帰還者給与法は,「ソ連邦の地域内の未
復員者と同様の実情にある一般邦人」を特別未帰還者として処遇するとし
ていたところ(昭和24年12月の法改正により,中国の地域内において
ソ連地域内の未復員者と同様の実情にある未引揚邦人も適用対象となっ
た。),特別未帰還者を認定するためには,該当者の名簿を作成する必要
があったことから,外務省は,昭和23年11月に引揚調査室を設置し,
未帰還者の個人別の調査究明を推進することとなった。
イ外務省は,引揚げ促進に関する外交交渉に必要な資料を整備することと,
未引揚邦人及びその留守家族に対する法律上の諸問題を解決する資料を整
備する目的を達成するため,未引揚邦人届の収集,帰還者より覚書を収集
して行う消息不明者の個人究明,現地からの通信の収集,各地域における
終戦以降引揚げまでの状況資料の整備,残留者の状況に関する各般の調査,
満州開拓団に関する調査,未帰還者に関する各種集計表の作成等の業務を
行った。また,昭和24年3月には,留守家族から任意に未引揚邦人届を
提出させ,開拓団,在外商社等にも広く呼びかけて関係資料の提出を求め,
昭和25年4月から同年6月の間には,各都道府県を通じて留守宅に対す
る一斉調査を行い,同年10月実施の全国国勢調査の際には,調査員に未
引揚者の調査を依頼し,上陸地において,引揚者から残留者又は死亡者に
関する情報を取得するとともに,帰郷後においては通信調査,合同調査な
どにより現地の残留者の動態資料を入手する等の方法を通じて,未帰還者
の調査を推進した。
もっとも,占領下の各種の制約(引揚者を上陸後24時間以内に帰郷地
に向けて輸送しなければならず,上陸地での調査がほとんど不可能であっ
たこと,帰還者に対する通信調査に際し,現地略図等の資料添付を制限さ
れ,正確な調査が不可能であったこと等)と終戦直後の国内情勢の混乱等
のため,占領下における調査業務の実施には非常な困難が伴った。
ウ昭和25年5月1日調べの国連提出未帰還者統計によれば,同日時点に
おける中国地域の未帰還者数は,生存資料のある者5万3948人,死亡
した者15万8099人,生死不明の者2万6492人であった。
(2)未帰還者留守家族等援護法
昭和28年8月1日,未帰還者留守家族等援護法(以下「留守家族援護
法」という。)が公布・施行され,「国は,未帰還者の状況について調査究
明をするとともに,その帰還の促進に努めなければならない。」(29条)
ことが明記された。
この法律は,未復員者のほか,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降,
ソ連,中国地域内等において生存していたと認められる資料のある一般邦人
のうち,まだ帰還していない者(自己の意思により帰還しないと認められる
者及び昭和20年9月2日以後自己の意思により本邦に在った者を除く。)
を「未帰還者」と定め(2条),未帰還者の留守家族に対し,留守家族手当
を支給すること(5条)を規定していたが,法施行日から3年経過後(昭和
31年8月1日以降)は,過去7年以内に生存していたと認めるに足りる資
料がない未帰還者の留守家族に対しては,同手当を支給しないこととされて
いた(13条)。なお,同手当の支給停止の開始日は,その後の法改正によ
り,昭和34年8月1日,昭和37年8月1日と二度にわたって延長された。
(3)厚生省による未帰還者調査
ア留守家族援護法の趣旨に基づき,昭和29年4月1日以降,未復員者と
一般未引揚者の調査業務は,厚生省(現在の厚生労働省。以下両者を区別
せずに「厚生省」という。)引揚援護局未帰還調査部において一元的に実
施されることとなった。
厚生省の調査によれば,同年5月1日時点における中国地域の未帰還者
数は5万2169人であり,このうち孤児と認められる者の数は約250
0人であった。
なお,各都道府県においても,従前から未帰還者の調査業務を行ってい
たが,昭和27年8月の地方自治法の改正により,未帰還者の調査に関す
る事務が都道府県の処理すべき事務として正式に規定された。
イ旧満州地区に居住していた一般邦人と開拓団員の調査は,日ソ開戦前
における職域,隣組及び開拓団等ごとにその人員,人名を把握し,次い
で行動群調査によりその足取りを追い,この間に発生した事件と死亡者
の状況を明らかにし,未帰還者の個人毎の最終消息を基にして個人究明
を行い,生死の判定の拠り所を求めることを重視して調査が行われた。
生存残留者の調査は,現地に残留している者からの通信及び帰還者又
は一時帰国者からの情報により,現に生存残留している者を把握し,帰
国を希望する者については,その引揚げの促進を図ることとし,自己の
意思により帰還しないと認められる者については,未帰還者から除外す
る措置を執る方針の下に調査が実施された。後期集団引揚げ再開後も,
帰還者から,残留者について,その残留地点,残留人員,残留理由,生
活の実態等に関する情報を得て調査を行ったが,帰還者は中国側に留用
されていた者が主で,現地における行動は概ね一定していたため,目に
付かない場所に残留している者や中国人の社会に同化して残留している
者の消息は明らかにすることはできなかった。これらの残留者を把握す
るため,厚生省は,昭和32年ころからは,現地残留者から留守宅等に
通信のある者及び未帰還者のうち一時帰国し再渡航した者等で住所の明
らかな者に対し,積極的に通信調査を実施することとし,昭和33年と
昭和35年の2回にわたり,中国地域に残留し,その現地住所の明らか
な者の名簿を作成して都道府県に配布し,留守家族と協力して現地に対
する通信調査を行った。
ウ厚生省(昭和29年3月31日以前は外務省)は,旧満州地区におけ
る一般邦人の未帰還者調査の遂行に当たり,ソ連参戦時に生存していた
と認められる資料がある者で,なお帰国していない者について,留守家
族からの届出により個人資料(究明カード)を一人毎に作成し,新規の
未帰還者の情報が入る度に情報の追加・照合を行い,未帰還者の調査究
明に活用した。
また,調査の効果を上げるために,全国を6ブロックに分け,厚生省
調査課員と各都道府県の調査担当者等が資料を持ち寄って未帰還者の合
同調査等を行う究明会議を開催し,情報の交換と収集を行い,得られた
情報を個人別の究明カードに補充していった。
(4)未帰還者に関する特別措置法の制定
ア集団引揚げの再開や調査究明の進展により,未帰還者の数は急激に減
少したものの,厚生省の調査によれば,昭和32年10月1日現在にお
いても,その数は4万6560人(中国以外の地域も含む。)に上って
いた。しかも,そのうち約85%の者が,終戦直後の最も混乱した時期
である昭和20年後半から昭和21年末までに消息を絶った者であり,
戦後10年以上にわたる調査究明によってもその状況を明らかにするこ
とができず,これらの者の中には,生存の期待が持てない者や,このま
ま徹底的に調査を行ってもその状況を明らかにすることができない者が
多数あるものと推測された。
このように,未帰還者のうちの大部分がもはや生存を期待できない者
であるとの事実が明らかになってきた情勢を背景として,留守家族団体
からは,未帰還調査の徹底,特に国の十分な措置を伴った未帰還者の最
終処理等についての要望が起こり始めた。
他方,未帰還者の留守家族に対する留守家族手当は,その当時,昭和
34年8月1日以降においては,過去7年以内に生存していると認める
に足りる資料がない未帰還者の留守家族に対しては支給しない建前とな
っており,この支給終了時期である同年7月末までに未帰還者の調査究
明を完結することが望ましく,また必要でもあったが,事実上は不可能
に近く,未帰還者の最終処理について何らかの特別な措置を講ずること
が必要と考えられた。
イ未帰還者の死亡処理は,従来は戸籍法による死亡の報告に基づいて行
われてきたところ,死亡が推定可能な未帰還者であっても,その者が生
死不明者である限りは,死亡報告制度によっては死亡処理はなし得ず,
そのような生死不明者につき死亡処理を行うには,民法30条の規定す
る失踪宣告制度によるほかなかったが,利害関係人ではない国がこのよ
うな失踪宣告の請求を行い得るようにするためには特別の立法措置が必
要であり,その場合には留守家族の希望を考慮すべきものとされた。
これを踏まえて,厚生省は,昭和32年12月17日の引揚同胞対策
審議会において,「死亡したものと推定される未帰還者に関する措置
(試案)」を諮問したが,留守家族団体代表から強い反対意見が挙がり,
同試案に基づく法案の国会提出は見送られ,小委員会を設けて引き続き
検討が続けられることとなったが,留守家族団体の態度は軟化しなかっ
た。
一方,未帰還者問題解決促進全国留守家族大会は,昭和33年3月2
0日,「未帰還者の調査に全力を尽くし,引揚を促進すること」「留守
家族の心情に即して,未帰還者の最終処理を急ぐこと」「留守家族の援
護をよくし,死亡処理した未帰還者の家族に,特別な弔慰と慰霊の措置
をとること」を決議し,早急な未帰還者の最終処理の実現を求めた。
このような流れを受けて,同年5月2日,未帰還者問題処理閣僚懇談
会において,「未帰還者に関する措置方針」が申合せ事項として定めら
れた。同方針は,厚生省試案に比べて,「未帰還者調査を徹底的に行う
こと」「留守家族に対し弔慰の意を表すること」「昭和34年8月以降
も留守家族手当の支給を考慮すること」等の点において,留守家族団体
の要望を相当取り入れたものとなっており,また,当初の試案では,民
法の失踪宣告制度とは別に「死亡推定措置」を考えていたのに対して,
この取扱いを民法の失踪宣告制度に乗せて,その手続の大部分を司法機
関(家庭裁判所)に委ねようとする点において,一層慎重を期する内容
となっていた。
ウ昭和33年8月1日,「未帰還者の調査究明促進に関する特別措置に
ついて」が閣議で了解され,未帰還者に関する一斉調査を行うことを決
定し,同年12月,以下の要領の下に,国と全国都道府県が連携して,
140万人の帰還者と国外残留者に対して一斉に通信調査を行うという
未帰還者の一斉特別調査を実施した。
「国内調査
(ア)未帰還者のうち,現に外地に生存残留していると思われる者(約
7千名)の名簿を,昭和28年以後の帰還者(約2万7千名)に送
付して,これらの未帰還者の消息資料を収集し,その生存の確認に
努め,併せて,名簿外の未帰還者で生存していると思われる者の消
息資料を収集する。
(イ)前号以外の未帰還者(約2万9千名)を,未復員者については兵
団毎に,未引揚邦人についてはソ連参戦時の居住地毎に,それぞれ
名簿を作り,当該兵団又は居住地からの帰還者(約46万名)に送
付し,これらの消息資料を収集する。
(ウ)都道府県管内の未帰還者(全国合計約3万6千名)の名簿を作り,
都道府県管内の帰還者(全国合計約92万名)に送付し,これら未
帰還者の消息資料を収集する。
(エ)この調査は昭和33年12月初頭行い,年度末までに,その回答
の収集を終了することを目途とする。
(オ)この調査の実施に関連し,全国的に未帰還者に関する与論の喚起
を図る。」
「国外調査
現に外地に生存残留していると思われる者の消息につき,在外公館
を通じて,あるいは当該国の協力をえる等により,極力資料を収集し,
生存者の確認に努める。」
エ一斉特別調査の実施により,昭和34年7月末現在で,国内調査で回
答のあったもののうち,未帰還者の消息に関する資料を回答した者は1
万1183人(回答者の9.8%に相当)であり,これにより,未帰還
者1475人について資料を更新し,5962人について既得資料を再
確認することができた。
なお,中国地域の国外調査については,当時の外交状況から,他地域
に対して行っていた名簿等を現地残留者に対して一斉に発送して調査す
ることは見合わせて,昭和33年10月,日本赤十字社を通じて,中国
紅十字会に対し,前記3(2)イの覚書に基づき,現地残留者の日本宛通信
を奨励することを重ねて要請することとしたが,結局,その結果を知る
ことはできなかった。
オ同年12月17日,厚生省は,未帰還者に関する特別措置の法律の要
綱案を引揚同胞対策審議会に諮問し,同審議会が原則的に賛意を表した
ことを経て,昭和34年3月3日,未帰還者に関する特別措置法(以下
「未帰還者特別措置法」という。)が公布され,同年4月1日から施行
された。
この法律は,「未帰還者のうち,国がその状況に関し調査究明した結
果,なおこれを明らかにすることができない者について,特別の措置を
講ずることを目的」とし(1条),留守家族援護法に規定する未帰還者
についての民法の失踪宣告(以下「戦時死亡宣告」という。)の請求等
を厚生大臣も行い得るとする特例を設け(2条。なお,14条,同法施
行令1条の2により,戦時死亡宣告の請求等は,都道府県知事も行い得
るとされた。),戦時死亡宣告を受けた未帰還者の遺族に対し,当該未
帰還者一人当たり3万円又は2万円の弔慰料を支給する旨規定している
(同法3条,6条)。
なお,当初は,同宣告の請求の対象となる未帰還者を,昭和21年末
までに消息を絶った未帰還者と,昭和27年末までに消息を絶った未帰
還者のうち死亡の推定される者に限定していたが,昭和37年の法改正
により,上記制限は撤廃された。また,昭和38年の法改正により,中
国本土において,昭和16年12月8日以後生存していたと認められる
資料があるが,諸般の事情からみて死亡が推測される者(終戦後,自己
の意思により帰還しなかったと認められる者等を除く。)と,同日以前
に生存していたと認められる資料があるが,これ以後生存していたと認
められる資料がない者で,諸般の事情からみて同日以後に死亡したと推
測される者についても,同法の適用上,未帰還者とみなされることとな
った(13条の2,同法施行令1条)。
(5)未帰還者特別措置法の運用とその後の未帰還者の調査等
ア未帰還者特別措置法の施行に当たっては,戦時死亡宣告を受ける未帰
還者の名誉を尊重し,その留守家族(遺族)の心情を十分考慮する必要
があったため,同宣告の請求の要件に該当する者の決定に際しては,厚
生省保有資料によりこれに該当すると認められる未帰還者について,予
め「特別措置法該当予定者」として都道府県を通じて留守家族に通知し,
都道府県が当該留守家族の意向(少なくとも,配偶者,子,父母程度は
必要とされていた。)を直接・間接に面接調査し,同宣告の請求に同意
する場合は同意書の提出を求めた上で,厚生省が「特別措置法該当者」
との決定を行うこととされた。
厚生省の調査によれば,同法の施行された昭和34年4月1日当時,中
国地域における未帰還者は2万0798人であり,このうち死亡に関する
資料のある者と開戦前後から昭和22年までの消息資料のみの者が合わせ
て1万8232人となっていたが,これらの諸般の事情を考慮し,死亡の
公算の多い者については,留守家族の同意を得て同宣告の請求を行った結
果,昭和51年12月31日までに1万4100人につき同宣告審判が確
定し,これらの者は法律上の「未帰還者」から除かれた。
孤児に関しては,昭和29年4月当時,孤児と認められる者は約250
0人であったが,その後の調査の推移と同法の運用に伴い,このうち約1
500人が死亡届又は同宣告により除籍された。
イ一方,生存残留者について調査を進めた結果,この中には中国人と結婚
して通常の社会生活を営んでいる者や,日本宛の通信に「中国に永住す
る」旨を表明している者もあり,年月の経過により現地に生活基盤が確立
している等の事情から中国に残留を希望し,永住の目的をもって日本に帰
還しないであろうと認められる者も少なくなかった。
政府は,上記のように中国において通常の社会生活を営み,自己の意思
により帰還しないと思われる者については,さらにその残留事情を追及調
査し,その結果,約1000人について「自己の意思により帰還しないと
認められる者」(留守家族援護法2条)と認定して,法律上の「未帰還
者」としては取り扱わないこととする措置を執った。
ウ各都道府県知事宛の厚生省援護局(昭和36年以降,引揚援護局は援護
局と改称された。)長通知「昭和37年度における未帰還者等の調査究明
業務について」(昭和37年5月18日付け援発第18362号)(乙6
3)には,戦時死亡宣告審判確定者等の調査に関し,「戦時死亡宣告審判
確定者等死亡を確認していない者の諸資料は他の処理済者の諸資料と区分
して整理保管し機会あるごとに死亡時期,場所,死因ならびに遺骨等につ
いて調査するものとする。」との記載がある。
また,同通知には,「未帰還者のうち自己の意思により帰還しないと認
められる者の事実の認定について」として,「未帰還者のうち自己の意思
により帰還しないと認められる者の事実の認定は,従来極めて少数のもの
につき,これを行なってきたところであるが,本年7月をもつて大部分の
未帰還者の留守家族手当が打ち切られること等に関連し今日までの調査究
明の結果,生存が確認された者(通例の場合は過去4年以内に生存してい
たと認められる資料のあるもの)のうち,本人からの来信,帰還者の確実
な証言及び本人の生活状態等を総合判断して,残留希望が確実と認められ
る者についてこれが認定を行ない未帰還者から除外することとしたが,当
該未帰還者の留守家族が留守家族手当を受けているものについては,もち
ろん,これを受けていないものについても当該家族の生活に直接の関係が
あるので該当留守家族に対しては処理にいたった事情等を詳細に説明し十
分の納得がえられるよう配慮ありたいこと。」との記載がある。
5日中国交回復後の残留孤児の身元調査
(1)国交回復当初の身元調査
ア昭和47年9月29日,日中国交正常化に関する共同声明が出され,長
らく途絶えていた中国との間の国交が回復した。
これを機に,中国に残留している者から日本国内への通信が活発に行わ
れるようになり,また,身元を知らないまま中国において成長した孤児か
らは,「自分は一体誰なのか」「本当の名前は何というのか」「自分の両
親,兄弟は日本に健在でいるのだろうか」などの調査依頼が,国交回復に
伴い北京に設置された日本国大使館(以下在中国日本国大使館を指して
「日本大使館」という。)や厚生省,都道府県などに数多く寄せられるよ
うになった。
昭和48年3月,政府は,未帰還者2963人,戦時死亡宣告により除
籍された者1万3546人,自己の意思により帰還しないと認められ未帰
還者から除かれた者1040人の名簿を日本大使館に送付し,これに基づ
く現地調査を行うとともに,調査担当者を日本大使館に派遣して,中国に
おける未帰還者の調査を行った。
イ政府は,孤児から多数寄せられた身元調査の依頼に対応するため,孤児
の肉親捜しを新たな課題として取り組むこととした。
孤児の身元確認のための調査は,当初,孤児や中国人の養父母,資料提
供者から寄せられた手掛かり資料を基に,これまでの未帰還者調査などに
より収集・整理された厚生省や都道府県が保有する未引揚邦人索引簿,中
国各地で死亡した邦人死亡者索引簿,中国東北部各地に入植した開拓団約
27万人の開拓団在籍者名簿,中国東北部及び中国地区から引き揚げた邦
人の外地の状況などについて世帯毎に記入している在外事実調査票(中国
東北部約35万世帯分),中国本土にあった各種の職域などの在職者の名
簿(約200冊)及び旧関東軍に所属した軍人軍属約65万人の名簿など
各資料を照合して該当者らしい者を抽出し,都道府県を通じて家族に確認
を求めるなどの方法で行った。
ウ政府は,昭和48年8月,中国政府に対し,「厚生省が作成した未帰か
ん者名ぼを提出するから中国側からも在留邦人に関する資料を提供ありた
い。わが方資料は未帰かん者から本邦への手紙等を基礎として作成された
ものであり,現時点では必ずしも正確でない点もあるので中国側において
この資料を修正してほしい。」「国交正常化が実現した現在,在留邦人の
多くは帰国,さと帰りを強く希望しているところ,中国側の公安当局が出
国を許可しない事例がかなり報告されているので中国側関係当局において
速やかに出入国許可証を発給されるよう措置ありたい。」等の申入れを行
った。
これに対し,中国政府は,「日中間の長年の不正常な関係は日中そう方
の居留民の往来を困難にしたが,日中関係が正常化された現在,そう方の
居留民の往来も正常化されなければならない。中国に居留する日本人が近
しん訪問の為帰国あるいはさと帰りの希望を有していることは中国政府と
しても十分理解しており,この問題に関し現在関係部門で対策を研究中で
ある。その具体的な結論は未だ出ていないが,中国政府としては,シユウ
総理が既に指てきした通りこの問題では日本側に協力するという基本方針
をとつている。然し,解決を要する関連問題も多いし,複ざつである。日
本大使館に多数の手紙が来るのも,そういう問題があるからである。」と
回答した。
(2)公開調査
幼いころに肉親と離別した孤児は,自分や両親,兄弟等の名前,居住地
や離別状況等の手掛かりを覚えていないか,あるいは記憶が曖昧であった
り,養父母が孤児の身元の状況についての資料を有していないなど,保有
資料による調査のみでは身元の解明が進まない孤児が増えてきたことから,
政府は,昭和50年3月以降,孤児から送られた顔写真,特徴,肉親と離
別した時の事柄等を新聞,テレビなどによって広く一般に公開して情報を
求める公開調査を実施した。
その結果,昭和56年1月の第9回調査までの間に,437人の公開調
査人員中166人の孤児の身元が判明した。
(3)訪日調査
ア孤児から寄せられる肉親捜しのための手掛かりを基にした厚生省保有資
料による調査や公開調査では,身元の解明が年々困難となり,また,在日
親族からも,実際に孤児と対面して顔を見,声を聞き,身体の特徴や孤児
が覚えている手掛かりを直接確認したいとの要望が寄せられるようになっ
たことから,政府は,昭和56年3月以降,身元が確認できない孤児を一
定期間日本に招き,報道機関の協力を得て肉親捜しを行う訪日調査を実施
した。
イ第1回訪日調査に先立つ昭和55年10月28日,外務省が中国外交部
に対し,残留孤児問題の協力要請を行ったところ,中国側は,以下のとお
り回答した。
「こじの帰国に関しては人道上と中日友好の観点から今後とも援助する。
また,こじ60人の帰国に関しても中国側が確実に日本人こじと認める
ものについては協助する。なお次のような問題がある。
(イ)養ふぼなどが,こじ本人が日本に行つたきり帰つて来ないことを
心配したり,またそのため帰国に同意しないことが考えられる。
(ロ)個別の問題ではあるが中国側から見て日本人こじとは認められな
い者もいる。
(ハ)こじの問題は複雑であり,帰国に当つてはこれ以外にも多くの問
題がある。」
「実態調査に関しては,戦後35年,建国後30年を経た今日非常に難か
しいと思う。私も東北地方へ行つて現地の公安当局に聞いたことがある
が,彼等はその地域でとう記されているこじについては,だれが確実に
日本人こじであるかを知つているが,省全体としては全くはあくしてい
ない。従つて今後中国側と日本側とが相談しながら,やれるところから
やつて行こうと思う。」
ウ訪日調査の対象者は,日中両国政府で日本人孤児と確認された者である
が,この確認は,厚生省が手掛かり資料に基づいて孤児と認められる者の
名簿を作成し,これを外交ルートを通じて中国政府に送付して,中国政府
において孤児と確認された者が訪日調査対象者として政府に通知されると
いう手順で行われていた。
訪日孤児が確定すると,各孤児の申し立てている手掛かりと厚生省保有
の各種資料とを照合しながら肉親関係者の抽出を行うとともに,報道機関
の協力により,孤児が申し立てている手掛かりを公表して肉親関係者から
の名乗り出や情報の提供を呼び掛ける等の訪日期間中の調査効率を高める
ための準備を行った。
孤児が帰国すると,まず手掛かり資料の正確を期するため,厚生省係官
が直接孤児と面接し,孤児の身元の手掛かりとなる申立て内容を本人から
具体的に聞き取る面接調査を行い,公表した手掛かりなどから肉親関係者
が名乗り出た場合には,孤児と直接対面して身元の確認を行う対面調査を
実施した。
対面調査によっても身元が明確に判断できない場合や,一人の孤児に対
して複数の関係者が名乗り出ている場合等においては,当事者双方の希望
により血液鑑定(平成2年以降はDNA鑑定)を実施した。血液鑑定に要
する費用は,在日親族については原則個人負担であったが,孤児について
は全額国庫負担となっている。
エ昭和56年3月に孤児47人の第1回訪日調査が実現した後の同年8月
6日,中国外交部は,日本大使館に対し,訪日調査の人数に関し,「中国
側としては一度に60人を派遣するのではなく,省,地区毎に,30人を
超えない人数で行く方が,組織的にも,また孤児の確認を行ううえでもよ
い」旨の意見を述べた。
また,同年9月4日,中国外交部は,「中国の地方関係部門もいくらか
の資料を有している。が,30数年前の事であり,本人も幼ない時の事で
あり,これのみでは確認作業は困難である。中国は広大であり,人口も多
く,孤児の幼い時の特徴も,成長するにつれて変わっている。その人のみ
見て,日本人か中国人か判断することも困難である。」「訪日者人数につ
いては,我々の考えである30人位に分ける方が妥当であると思う。名簿
の106名は,8乃至9省に分かれ,分散して住んでいる。帰国手続を組
織する時困難が多い。前回の一時帰国は,当初60名を2回に分ける予定
であったが,47名となったので一回としたのである。我々は,1回,3
0名乃至40名にする意見を堅持する。もう一度再検討願いたい。」「1
06名の名簿確認作業は,ある者は終了し,ある者は,現在調査中である。
前回(8月6日)お会いした後,地方関係部門を催促した。ある地方では
日本孤児の資料が多くなく,困難をきたしている。故に,本人,周囲の人,
親戚,養父母等から当時の事情を聴取するのに時間がかかっている。」
「30人前後に分けるというのは,旅行社の意見でもある。60人だとこ
れら(注:宿泊,飛行機予約)の確保は困難である。」旨の意見を述べた。
昭和57年8月26日に中国残留日本人孤児問題懇談会(以下「孤児問
題懇談会」という。)が厚生大臣宛に提出した「中国残留日本人孤児問題
の早期解決の方策について」と題する報告書(以下「懇談会第1報告書」
という。)においても,「一度に多人数の者を訪日させても,成果をあげ
ることは困難であり,また,中国側との名簿の確認等調査の準備のための
期間を考えれば,中国政府の全面的な協力が得られたとしても,当面,一
回の訪日調査対象孤児は60人程度,訪日調査の回数も年3回が限度であ
ると考えられる。」旨の記載がある。
オ訪日調査は,昭和56年3月から平成11年11月までの間に通算30
回実施され,2116人の参加者中670人の身元が判明した。各回の参
加人数や身元判明者数は,別紙3「孤児の肉親調査の概況」の「集団訪日
調査参加孤児の判明率の推移等」欄記載のとおりである。
(4)その他の身元調査関係施策等
ア訪中調査
平成3,4年,政府は,日中両国政府から孤児と認定されていながら,
身体に障害を有しているために訪日調査に参加することが困難な孤児18
人について,厚生省職員を中国に派遣して,面接調査等の情報収集を行う
とともに,孤児のビデオ撮影を行い,資料を報道機関に公開する訪中調査
を実施した。その結果,3人の孤児の身元が判明した。
また,平成6年度以降,政府は,日中両国政府のいずれかの側において
孤児と認定されない者(未確定者)について,厚生省職員を中国に派遣し
て,中国政府の協力の下に直接孤児と面接するなどの調査を行った。その
結果,調査対象者の一部の訪日調査が実現し,身元が判明する者もあった。
イ訪日対面調査
長い年月の経過により,孤児の保有する肉親情報が少なく,年々肉親の
判明率が低下したこと等を踏まえ,政府は,平成12年度以降,訪日調査
に替えて,訪中調査を拡充して実施し,日本で孤児の情報を公開して,肉
親情報のある場合には,孤児を訪日させて肉親関係者との対面調査を行う
訪日対面調査を実施した。
その結果,平成15年度までの間に情報公開の対象となった56人の孤
児のうち,9人の身元が判明した。
なお,同調査の導入後は,訪日調査を経なくても,身元未判明孤児の永
住帰国が可能となった。
ウキャラバン調査
昭和62年,政府は,旧満州にかかわりの深い元開拓団関係者の代表者
等で構成する身元未判明孤児肉親調査委員会を設置し,同年度から3か年
計画で,身元未判明孤児肉親調査委員と厚生省で「肉親捜し調査班」を編
成して各都道府県に派遣し,既に未帰還者届を出している関係者や当時の
状況に詳しい元開拓団関係者等と面接して,身元未判明孤児の肉親に関す
る情報を収集するキャラバン調査を実施した。
全国規模で延べ25班が各10日間の日程で調査を行った結果,15人
の孤児につき有力な情報が得られ,うち12人については,中国政府の協
力を得て再度訪日調査に参加させ,9人の身元が判明した。
エ身元未判明孤児肉親調査事業
キャラバン調査後の平成2年度以降,政府は,元開拓団関係者等当時の
事情に精通した者を都道府県に調査員として配置してきめ細やかな調査を
行い,肉親関係者の掘り起こしを図る等の事業を実施し,その結果,有力
情報が得られて身元が判明する孤児もあった。
オ孤児名鑑の発行
昭和62年,政府は,昭和58年3月に「肉親探しの手掛りを求めてい
る中国残留日本人孤児」(3分冊)として発行されていたものを,身元未
判明孤児一人一人の顔写真及び肉親と離別した状況等の資料をまとめた
「まだ見ぬ肉親を求めて・身元未判明中国残留日本人孤児名鑑」として編
纂し直し,その後も適宜情報の更新を行っている。
カ訪中説明会
昭和60年度以降,政府は,財団法人中国残留孤児援護基金による訪中
説明会を中国各地で開催し,訪日調査で身元が判明した者又は身元が判明
しなかったが日本への帰国を希望している孤児に対し,日本の実情を説明
して帰国するか否かの判断の参考に供するとともに,帰国する者には日本
社会での生活の心構えを持ってもらうための説明の機会を設けた。
6残留孤児の帰国手続及び帰国支援施策
(1)帰国旅費の国庫負担
ア残留邦人の大半は,農村に居住して経済的に余裕のない生活を送ってい
たため,帰国に当たって,居住地から出境地までの中国国内の旅費や日本
までの渡航費用等を捻出することは不可能に近いことであった。
政府は,永住帰国を希望する残留邦人と同行する配偶者及び未婚の未成
年の子等の扶養親族(身体等に障害を有していたり,在学中であったりす
るなどの成年の子を含む。)に対しては,従来から行っていた帰国旅費
(中国国内の旅費と船運賃又は航空運賃)を国庫負担とする援護措置を継
続するとともに(なお,国交正常化に伴い,昭和48年4月1日以降は,
中国国内の旅費の支給事務も厚生省が直接取り扱うこととなった。),以
下のとおり,援護対象者を順次拡大する措置を講じた。
(ア)昭和48年10月以降,一時帰国希望者に対し,往復の帰国旅費を
援護することとした。
(イ)昭和54年以降,従来は援護対象外とされていた一時帰国経験者に
対しても,永住帰国を希望する場合には永住帰国援護を行うこととした。
(ウ)平成4年度以降,身体等に障害を有する残留邦人を扶養するために
同行する成年の子1世帯について,平成6年度以降,高齢(当初は65
歳以上とされていたが,平成7年度に60歳以上,平成9年度に55歳
以上に順次引下げ)の残留邦人を扶養するために同行する成年の子1世
帯について新たに帰国援護の対象とした。
イ帰国旅費の支給申請は,当初は帰国希望者の留守家族において,帰国希
望者の戸籍謄抄本(帰国希望者が元日本人の場合は,除籍謄抄本)と,帰
国希望者が帰国旅費を支弁できない旨の申立書(帰国希望者からの通信文
の写しでも可)を添付した帰国旅費国庫負担申請書を都道府県に提出する
ことが必要とされていたが,昭和60年に後記身元引受人制度による身元
未判明孤児の永住帰国が可能となってからは,身元未判明孤児については,
孤児本人が日本永住帰国希望等調査票と日本永住帰国のための旅費申請書
を日本大使館に提出すれば足りることとなった。
また,身元未判明孤児以外の者についても,同年以降,親族以外の者が
申請に至った経緯を明らかにする書面を添付すれば,留守家族以外の者に
よる帰国旅費の支給申請も可能となり,その際には,上記書類に加えて,
親族等の状況及び帰国旅費を支弁することができない旨の申立書,帰国希
望者が永住帰国を希望している旨の申立書(帰国希望者からの通信文の写
しでも可),中国に残る親族(親(養父母),配偶者)がいる場合は帰国
希望者が永住帰国することを同意している旨を明らかにする書面を提出す
ることとされた。
(2)残留孤児の帰国手続
ア残留邦人の帰国手続は,従来は法務省が「帰(入)国に関する証明書」
を発給することにより行ってきたが,日中国交正常化に伴い日本大使館が
設置されたことから,昭和48年10月10日以降,同証明書の発給を廃
止し,日本大使館において,日本国籍を有する者については「帰国のため
の渡航書」を発給し,中国国籍を有する者については中国旅券に査証を行
う扱いに変更された。
そして,中国国籍を有する残留邦人が査証の発給申請を行うためには,
本人の除籍謄抄本と,留守家族が身元保証を行うものであることが確認で
きる内容の通信文の送付を留守家族から受けることが必要とされた。
イ出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)は,日本の国籍
を有しない者を「外国人」と定め(2条2号),外国人の本邦への入国及
び上陸手続に関し,入国の際には,有効な旅券又は乗員手帳を所持し,入
国審査官から上陸の許可を受けることが必要であること(3条1項),上
陸の際には,原則として有効な旅券で日本国領事官等の査証を受けたもの
を所持し,かつ,入国審査官に対し,法所定の上陸のための条件に適合し
ていることを自ら立証することが必要であること(6条,7条)を規定し,
残留邦人が日本の国籍を有しない場合は,上記条件適合性の立証の資料と
して,日本に居住する身元保証人の身元保証書の提出が必要とされた(平
成元年法律第79条による改正前の入管法4条1項16号,平成2年法務
省令第15号による改正前の入管法施行規則2条3号,6条9号,現入管
法2条の2,現入管法施行規則6条)。
ウ国籍法11条1項(昭和59年法律第45号による改正前の国籍法8条。
以下同じ。)は,「日本国民は,自己の志望によって外国の国籍を取得し
たときは,日本の国籍を失う。」と規定しているところ,法務省民事局長
は,入国管理局長宛に,昭和49年10月11日民5第5623号民事局
長回答をもって,「日中国交回復前に中華人民共和国へ入籍許可された者
の日本国籍喪失の有無及びその時期」として,中国国籍取得の意思が真正
と認められる限り,日中国交回復の日(昭和47年9月29日)をもって
日本国籍を喪失したものとして取り扱う旨通知した。
なお,昭和25年6月30日以前に効力のあった旧国籍法(明治32年
法律第66号)18条(大正5年法律第27号による改正後のもの)には,
「日本人カ外国人ノ妻ト為リ夫ノ国籍ヲ取得シタルトキハ日本ノ国籍ヲ失
フ」との規定があった。
エ孤児の場合,ほぼ例外なく中国旅券(中国国籍を有することが発給の前
提となる。)で日本に帰国しようとする者であったところ,上記ウの運用
に基づき,現実に多くの孤児が入管法上の外国人としての入国手続を必要
とされた結果,在日親族による身元保証が得られない限り,事実上永住帰
国が不可能な状態が生じた。
このような外国人として扱われる孤児の永住帰国に際して身元保証人を
必要とする運用は,身元未判明孤児(孤児のうち,訪日調査によっても身
元が判明しないまま,永住の目的をもって日本に帰国する者)については,
昭和60年に後記身元引受人制度が創設されるまで継続し,身元判明孤児
(査証申請時に日本戸籍の存在が確認されるか,新たに日本戸籍への就籍
が許可されている者で,国費により帰国する者)については,昭和61年
10月15日に身元保証書に代えて在日関係者(肉親に限らず,善意の第
三者でも足りる。)からの招へい理由書(招へい経緯,入国後の落着き先
の住所・連絡先,申請人の渡中時期が記載してあるもの)を提出すれば査
証を発給する扱いに改められるまで継続した。
(3)身元引受人制度
ア身元未判明孤児については,在日親族や知人がいないことや,身元保証
人を捜す手段や連絡方法もないことから,身元保証人を立てて帰国するこ
とが事実上不可能な状況にあったところ,訪日調査の回を追う毎に,調査
の結果身元が判明しなかった身元未判明孤児が年々増加し,これらの孤児
からも永住帰国を希望する声が多く寄せられるようになった。
イ昭和57年8月26日,孤児問題懇談会は,懇談会第1報告書の中で,
「孤児が,日本社会で自立していく過程で,日常生活上の諸問題の相談相
手となり,自立更生に必要な助言,指導をしてくれる人が必要なことはい
うまでもない。しかし,身元の判明しなかった孤児には,日本にはだれ一
人頼るべき親族がなく,このため,政府において,身元を引受けて相談相
手となる親代りともいうべき身元引受人をあっせんし,日本社会への早期
定着が図れるように配慮する必要がある。」との提言を行った。
昭和59年3月17日,日中両国政府間で中国残留日本人孤児問題の解
決に関する日中間の口上書が交換され,その中で,「日本政府は,孤児が
自ら日本国に永住することを希望する場合には,その在日親族の有無にか
かわらず,これを受け入れる。」「日本政府は,孤児の養父母,配偶者,
子女及びその他孤児の扶養を受ける者が,孤児と共に日本国に永住するこ
とを希望する場合には,その希望を受入れ,孤児と共に訪日できるための
査証を発給する。」ことが確認された。
ウ政府は,昭和60年度以降,身元未判明孤児の永住帰国を容易にするた
めの身元引受人制度を設け,訪日調査によっても身元が判明しなかった身
元未判明孤児とその同伴家族に対し,帰国旅費国庫負担承認書と後記定着
促進センターへの入所通知(現在は帰国旅費支給決定通知書)をもって,
身元保証人なしで査証を発給することとした。そして,帰国後は同センタ
ーへの入所を義務付けるとともに,同センター入所中に身元保証人に代わ
る身元引受人を斡旋してその近隣に定住させ,帰国孤児世帯が一日も早く
自立して生活を営めるように,身元引受人が日常生活上の諸問題の相談,
自立更生に必要な助言・指導を行うものとした。
同制度の創設に伴い,同年度以降,身元未判明孤児の大量帰国が実現す
ることとなった。
(4)特別身元引受人制度
ア身元引受人制度創設後も,身元判明孤児については,従前どおり在日親
族が身元を引き受けるものとしてきたが,年月の経過とともに,近親の親
族が既に亡くなっていたり,所在が不明となっている等の状況が生じ,ま
た,在日親族の世代交代等の事情から,親族が孤児の受入れに難色を示し
たり,明確に拒否したりするケースが増えてきた。
このような親族側の事情等によって,永住帰国を希望しながら帰国でき
ないでいる身元判明孤児の永住帰国を促進するため,政府は,平成元年7
月,かかる特別の事情を有する身元判明孤児の帰国手続の遂行,日常生活
上の諸問題の相談,定着自立に必要な助言・指導を行う特別身元引受人制
度を創設した(平成3年度以降,残留婦人等にも同制度を適用)。
なお,平成6年1月から,従来特別身元引受人が行うこととされていた
帰国手続を政府が直接行うこととし,身元引受人と特別身元引受人の役割
等が同様になったことから,平成7年2月以降は,両制度を一本化した身
元引受人制度を実施している。
イ特別身元引受人の斡旋を受けるには,永住帰国を希望する身元判明孤児
が,①肉親(三親等内の在日親族)が死亡している場合又は所在が不明で
ある場合,②肉親が孤児の受入れを拒否し,長期にわたり説得したにもか
かわらず納得が得られない場合,③その他肉親が家庭の事情等により孤児
を受け入れることができないなど,肉親以外の者が帰国受入れを行うこと
がやむを得ないと判断される場合のいずれかに該当することが必要とされ
た。このうち,②の「長期にわたり説得」とは,概ね6か月間にわたり定
期的に説得を行うことをいうものとされ,肉親に対する説得は,業務担当
都道府県の職員が市町村等の協力を得て行い,肉親が説得や帰国に応じな
いときは,親族の意向にかかわらず,特別身元引受人の斡旋が行われるこ
ととされていた。
平成6年1月以降は,特別身元引受人の斡旋の迅速化を図るため,肉親
による身元引受けを打診し,肉親による身元引受けが困難であることが明
らかな場合には,直ちに(肉親が身元引受けについて検討を要する場合に
も,遅くとも2か月以内に)特別身元引受人を斡旋することとするととも
に,帰国前に行うのを原則としていた特別身元引受人の斡旋を,予め把握
した本人の帰国希望時期から相当期間(10か月程度)を経ても何らかの
事情により特別身元引受人の斡旋が困難なときは,いったん帰国受入れを
行い,その後に特別身元引受人の斡旋を行うように運用が改められた。
なお,制度開始当初は,対象孤児が②又は③に該当する場合には,特別
身元引受人の決定後,身元判明孤児が特別身元引受人の行う帰国手続によ
り永住帰国することに異存がない旨の確認書を肉親に提出させることとな
っていたが,平成3年10月31日以降,これは省略できることとなった。
ウ特別身元引受人制度の運用状況は,平成6年3月31日現在で登録者数
565件,斡旋数197件,平成7年3月31日現在で登録者数856件,
斡旋数379件(同年2月から一本化された身元引受人のうち,身元判明
者分の件数)となっている。
(5)残留孤児の永住帰国者数
国交回復後に永住帰国した残留孤児の年度別帰国者数等は,別紙4「中国
帰国者の年度別帰国状況」記載のとおりであり,平成15年度までに合計2
472人の孤児が永住帰国した。
7残留孤児の自立支援に関する施策
(1)孤児問題懇談会の提言と残留孤児の自立支援に関する立法
ア昭和56年に訪日調査が開始されると,孤児問題は国民的関心を集める
ようになり,それとともに,各方面から様々な意見と提言が寄せられるな
ど,孤児問題の早期解決の必要性が叫ばれるようになった。
このような状況を踏まえ,厚生省は,孤児問題の早期解決を図るために
広く有識者の意見を聴いて具体的な施策を検討する必要があるとの認識の
下に,昭和57年3月,日本経済新聞社顧問(座長),帰国者三互会会長,
日中孤児問題連合会顧問,東京都引揚者生活指導員(後に自立指導員と改
称),日中友好手をつなぐ会会長等の各方面の有識者18人を構成員とす
る中国残留日本人孤児問題懇談会(孤児問題懇談会)を設置した。
イ同年8月26日,孤児問題懇談会は,総合的な孤児対策を盛り込んだ
「中国残留日本人孤児問題の早期解決の方策について」と題する報告書
(懇談会第1報告書)を厚生大臣に提出した。
同報告書は,まず初めに,「孤児問題についての基本的考え方」として,
以下の基本的な方向性を示した。
「孤児問題を考えるに当たっては,孤児がこのように過去の不幸な戦争の
なかで肉親と離別し,昭和47年の日中国交正常化までの長い間,自分
の身元を明らかにしたいと思いながらその方法さえないまま,中国で暮
らしてきたということを忘れてはならない。」
「孤児が自分の身元を明らかにしたいと願うことは,人間の本性に立った
自然な気持ちであり,彼らが孤児となった事情を考えれば,身元調査の
依頼を受けた政府が全力を挙げて肉親捜しを行うべきことは当然である。
また,孤児がその家族とともに日本に帰国することを望む場合には,政
府,国民が一体となって,その受入れ,日本社会への定着のための援助
を行う必要があることはいうまでもない。」
「肉親捜しを通じて,日中両国間の交流が深まっているが,社会体制が異
なっていることもあり,中国にいる孤児たちの間に,日本社会がバラ色
で,日本に帰ってさえくれば幸せになれるかのような,事実と相違した
情報も流布されているようである。日本は自由経済体制のもとで経済発
展をしてきたが,それだけに,自分の生活は自分の手で築いていかなけ
ればならず,既に中年に達している孤児が,言葉や社会習慣の異る日本
で職を得て自立していくことは決して容易ではない。政府が帰国した孤
児の定着のために根幹的な対策を進め,地方公共団体やボランティア団
体が新たに地域住民となった孤児たちのためにあたたかい援助を行うこ
とが必要なことはいうまでもないが,それはあくまでも側面的な援助で
あって,最終的には,孤児自らが努力して困難を克服していかなければ
ならない。日本に帰国したほうが幸せか,中国に留まったほうが幸せか
は,そのような日本社会の実情をよく知ったうえで,孤児自身がよく考
えて判断することであるが,日本国民も孤児の判断を誤らせないように,
日本社会の実情を孤児に正しく理解させるように努力しなければならな
い。孤児も,帰国を決意する以上は,多くの困難を乗り越えていくだけ
の覚悟が必要であろう。」
そして,その上で,①肉親捜しの計画的推進,②中国に残る養父母等の
扶養費援助,③養父母や中国社会に対する感謝,④帰国者センターの設置
など帰国後の定着化対策,⑤身元の判明しない孤児の受入れ,⑥民間援護
活動の推進について提言を行った。このうち,帰国者センターに関する提
言は,以下のとおりである。
「当懇談会としては,孤児が円滑に社会生活に溶け込めるようにするため,
帰国後直ちに一定期間入所させ,集中的に日本語教育を含めた生活指導
を行う帰国者センターを設け,そこで簡単な日常会話ができる程度まで
の日本語教育と日本の生活習慣等についての基礎的な生活指導を行い,
その後に親元へ帰るようにすることを提言する。」
「孤児等の引揚者世帯が日本に帰国した際,直ちに一定期間これを収容し,
生活指導(基礎的な日本語教育を含む。)を行うために帰国者センター
を設置する必要がある」
「(入所期間)簡単な日常会話と日本社会における一般的な生活習慣の習
得を目標とするが,日本に帰国した孤児をあまり長い間一般社会から遠
ざけておくことは好ましくないので,標準的な入所期間は4カ月程度に
止めることが適当であろう。」
「(定員)基礎的な日本語ができ,日本社会の事情もある程度わかってい
る者や,直接親元へ帰ることを希望する者以外の者を入所させることと
し,定員は当面150人程度(年間延べ450人程度)が適当であろ
う。」
ウ昭和60年度以降に孤児の大量帰国が見込まれることを踏まえて,同年
7月22日,孤児問題懇談会は,「中国残留日本人孤児に対する今後の施
策の在り方について」と題する報告書(以下「懇談会第2報告書」とい
う。)を厚生大臣に提出した。
同報告書は,「孤児問題についての基本的考え方」として,「帰国した
孤児が定着し,自立するためには,孤児自らが努力して困難を克服してい
かねばならないことはもちろんであるが,政府,地方公共団体は言葉と文
化の異なる日本に帰国した彼等の直面する様々の困難を少しでも軽減する
ために,物心両面にわたる施策を積極的に推進する必要があること。また,
孤児の肉親も,言葉と文化の違いに起因する様々の摩擦を忍耐強く克服し
て,孤児と共に問題を乗り越えていくことが必要であること。」との見解
を示した上で,①肉親捜しの早期完了,②扶養費援助の早期開始,③後記
定着促進センターの収容能力の大幅増,④落着先における施策の充実(日
本語指導及び生活指導の充実,公営住宅への優先入居の徹底,孤児子弟の
学校教育に対する特別配慮),⑤就労の促進,⑥民間援護活動,⑦戸籍回
復等の促進,⑧一時帰国者に対する対策,⑨老後の生活保障,⑩国民に対
する広報活動について提言を行った。
エ平成6年4月6日,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後
の自立の支援に関する法律(以下「自立支援法」という。)が制定され,
同年10月1日から施行された。
この法律は,「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き
揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくさ
れた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な
帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うこと」を目
的とし(1条),国等の責務として,「国は,本邦への帰国を希望する中
国残留邦人等の円滑な帰国を促進するため,必要な施策を講ずるものとす
る。」(3条),「国及び地方公共団体は,永住帰国した中国残留邦人等
の地域社会における早期の自立の促進及び生活の安定を図るため,必要な
施策を講ずるものとする。」(4条1項),「国は,必要があると認める
ときは,地方公共団体が講ずる前項の施策について,援助を行うものとす
る。」(同条2項),「国及び地方公共団体は,中国残留邦人等の円滑な
帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援のための施策を有機的連携の下に
総合的に,策定し,及び実施するものとする。」(5条)ことを規定し,
7条以下に国等が講じるべき各分野別の自立支援施策に関する定めを置い
ている。
(2)帰国者に対する支給金等
ア自立支度金の支給
政府は,引揚者の帰国後の当面の生活資金に充てるものとして,昭和2
8年3月以降,残留邦人を含む引揚者に対して帰還手当の支給を行ってき
たが,昭和48年度以降,長らく大人一人当たり1万円に据え置かれてき
た支給額を順次増額し,名称を自立支度金と改めた昭和62年度以降は,
個人単位支給額のほかに,少人数の世帯については少人数世帯加算額も上
乗せして支給することとした。
平成15年4月1日以降の支給額は,大人一人当たり16万0400円
(18歳未満の者はその半額)の自立支度金に,少人数世帯の場合には,
世帯人数に応じて15万9600円又は7万9800円の少人数世帯加算
額を上乗せした額となっている。
イオリエンテーション
政府は,昭和54年4月1日以降,中国帰国者に対し,帰国直後に宿泊
施設に1泊させて,帰国後の援護の内容や相談に行くべき行政機関の窓口
等の帰国後すぐに必要となる事項について,専門講師によるオリエンテー
ションを実施している。
ウ語学教材の支給
政府は,昭和52年4月以降の中国帰国者のうち,日本語が理解できな
い者に対し,語学教材として録音テープ,テキスト,カセットレコーダー
を支給している。
(3)中国帰国者定着促進センター
ア国交回復後,永住帰国する孤児とその家族が年々増加するに従って,孤
児が日本社会に定着していく過程で生じる様々な問題が指摘されるように
なり,帰国した孤児と同伴家族が日本社会で定着自立していく上で,日本
の生活習慣や日本語を習得する訓練施設の設備要請が各方面から寄せられ
るようになった。
このような社会の要請や懇談会第1報告書の提言を受けて,政府は,昭
和59年2月,埼玉県所沢市に中国帰国孤児定着促進センター(平成6年
4月から中国帰国者定着促進センターと改称。以下「定着促進センター」
という。)を開設し,昭和62年度には,孤児の大量帰国に対処するため,
所沢センターを拡張するとともに,新たに5か所(北海道,福島,愛知,
大阪,福岡)のセンターを設置した。その後,帰国孤児やその世帯員数の
増減に応じて,平成3年度に北海道,福島,愛知のセンターを閉所し,平
成6年度に所沢センターの分室を山形と長野に,平成7年度に新たなセン
ターを宮城,岐阜,広島にそれぞれ設置し,現在は埼玉と大阪の2か所が
運営されている。
イ定着促進センターの入所対象者は,開設当初は,国費により中国から永
住帰国する者のうち,孤児及び同伴家族と,それ以外に厚生省援護局長
(後の社会・援護局長。以下両者を区別せずに「援護局長」という。)が
入所を適当と認めた者とされていたが,昭和62年以降は,既に国費によ
り永住帰国した孤児等も,平成5年以降は,国費により永住帰国する残留
婦人等のうち日本語や生活習慣についてうろ覚えの者等も,平成6年以降
は,国費により永住帰国する身元判明孤児で同センターへの入所を希望す
る者等も,平成7年以降は,自費で永住帰国した残留邦人で自立支度金の
支給を受けた者等も順次入所対象者に加えられた。
ウ定着促進センターに入所した孤児等は,概ね4か月の入所期間(現在は
6か月)の間に,日本語指導と生活指導等の研修を受けることとなる。
日本語指導では,中国における学歴等が多様なことを考慮し,年齢構成,
日本語学習歴,学歴等を勘案したクラス編成を行い,日本社会に定着する
上で必要な初歩的な日常会話レベルの指導が行われる。
生活指導では,定着後に孤児世帯の異文化への適応が円滑にできるよう
に,日常生活,対人関係,制度・法律の分野に分けて,買物や交通機関の
利用等の実習を取り入れつつ,個別の指導目標を定めて指導が実施されて
いる。
そのほか,昭和61年度以降は,職業についての講話,公共職業安定所
や職業訓練校の見学,個別の就職指導等が行われ,昭和62年度以降は職
業相談員が配置されている。また,身元未判明孤児に対しては,最高裁判
所の担当者から就籍手続の説明も実施されている。
エ定着促進センターの受入可能世帯人員数(予算上のもの)及び実際の入
所世帯人員数は,別紙5「中国帰国者定着促進センター年度別受入及び入
所世帯人員」記載のとおりであり,平成15年度までに合計3039世帯,
1万1189人の孤児等を受け入れている。
(4)身元引受人による助言・指導
ア前記6(3)及び(4)のとおり,身元未判明孤児と親族が身元の引受けに非
協力的な身元判明孤児に対しては,永住帰国に当たって身元保証人に代わ
る身元引受人(特別身元引受人)を斡旋することとなったところ,これら
の帰国孤児世帯を近隣に定住させて,帰国孤児世帯が一日も早く自立して
生活を営めるように,日常生活上の諸問題の相談や自立更生に必要な助言
・指導を行うことが身元引受人の役割とされた。
身元引受期間は,身元引受けの開始日から3年以内であり,身元引受期
間中は身元引受手当(昭和60年,61当時でそれぞれ月額1万2000
円,1万3000円。なお,特別身元引受人の平成元年当時の手当は月額
1万6000円)が支給される。
イ身元引受人の資格は,上記孤児世帯の置かれている立場を理解し,かつ,
社会的信望が厚く,これらの者が日本社会に早期に定着するための指導に
熱意をもって当たることができる者とされ,昭和60年11月からは法人
も,平成元年度からはボランティア等の任意団体についても身元引受人登
録の対象となった。具体的な登録手続は,身元引受人登録希望者から申請
があると,都道府県民生主管部(局)長が,必要に応じて希望者本人と面
接したり,市町村長等の意見を聴取するなどの調査を行い,身元引受人と
して相応しい者と認めたときに厚生省援護局長に推薦し,同局長が適格者
と認めた者を身元引受人として登録するものとされている。
なお,平成元年度以降,身元引受人を対象とした身元引受人会議が全国
各地で毎年開催されている。
(5)定着地の斡旋
政府は,永住帰国した孤児に対し,帰国後の定着地の斡旋を行っていると
ころ,身元判明孤児については,中国在住中に定着予定地を聞き,希望地が
集中した場合には,公営住宅の空き状況等を勘案し,都道府県との間で調整
を行いながら定着地の斡旋を行っている。
身元未判明孤児については,本籍地に当たるものがなく,身元引受人の斡
旋が必要となるため,孤児の希望や中国における生活歴,職業及び帰国後の
生活設計等を考慮しつつ,全国各地に登録されている身元引受人から適当な
候補者を選んで定着地を斡旋しているが,孤児の第一希望が叶えられない場
合には,第二希望を聞いて受入側の事情を十分説明し,最後に両者の合意を
得て身元引受人を斡旋し,定着地の斡旋を行っている。
(6)自立指導員の派遣
ア幼いころから中国で育った孤児等は,言語や習慣等の相違から日本にお
いて通常の社会生活を営むことに困難を来していることから,政府は,昭
和52年度以降,各都道府県への委託により,中国語が理解できて,中国
帰国者に深い関心と理解を持ち,日本社会への定着・自立に向けて積極的
に協力できるような民間の篤志家に自立指導員(昭和62年度までの名称
は引揚者生活指導員)を委嘱して,都道府県が派遣を必要と認めた孤児の
家庭に派遣している。
イ自立指導員は,都道府県援護担当課の指示により,①孤児等の日常生活,
言語,就職等の諸問題に関する相談に応じて,必要な助言・指導を行うこ
と,②市区町村,福祉事務所,公共職業安定所等の公的機関と緊密な連携
を保ち,必要に応じて孤児等をこれらの機関の窓口に同行し,通訳を兼ね
て仲介すること,③孤児等に対する日本語の指導,日本語教室等日本語補
講についての相談及び手続の介助を行うこと(昭和61年度以降),④職
業訓練施設で受講している孤児等の諸問題に関する相談に応じ,必要な助
言・指導を行うとともに,円滑かつ効率的な職業訓練が行われるよう援護
措置を講じ,技能習得後の雇用安定が図られるよう配慮すること(昭和6
2年度以降。元々は昭和55年度に設置された職業訓練校協力生活指導員
の業務)を業務内容としている。
ウ自立指導員の派遣期間・日数は,当初は帰国後最初の1年間に24日と
されていたが,その後徐々に派遣日数を拡大し,昭和62年度からは派遣
期間を2年に延長して,派遣日数を1年目84日以内,2年目12日以内
とし,昭和63年度からは一定の場合に派遣期間を3年に延長し,平成6
年度からは孤児を扶養する子が同伴の場合に1年目の派遣日数を120日
以内とし,平成11年度からは一般的な派遣日数を1年目84日以内,2
年目12日以内(都道府県知事が特に必要と認める場合には72日以内),
3年目12日以内と運用を改めた。
(7)中国帰国者自立研修センター
ア定着促進センターでの4か月間の研修修了後,若年層ほどこれを基礎と
して次第に日本語力は向上するが,中年層ではなかなか周囲の住民との交
流も進まないことが明らかになったため,政府は,昭和63年度以降,地
域住民と交流しながら,1日2時間ないし3時間の継続学習を行い,孤児
等の地域社会における定着自立の促進を図る目的で,中国帰国者自立研修
センター(以下「自立研修センター」という。)を全国各地に設置し,孤
児等を対象として,8か月の通所期間(特別の事情がある場合には4か月
の延長可)中に,日本語指導,生活・就労の指導・相談等を行っている。
事業対象者は,定着促進センター修了者又は同センターに入所すること
なく直接居住地に居住した者(後者は平成6年10月1日以降)のうち都
道府県知事が自立研修センターへの入所が必要であると認めた者と,その
他都道府県知事が同センターに通所することが適当であると認めた者とさ
れた。
同センターの設置都道府県は,当初は山形,埼玉,千葉,東京,神奈川,
長野,愛知,京都,大阪,兵庫,広島,高知,福岡,長崎,鹿児島の15
か所であったが,帰国者の増減に伴い,平成7年度に北海道,岩手,福島,
東京都武蔵野市,静岡の5か所を増設した後,平成11年から平成14年
にかけて8か所(高知,長崎,静岡,兵庫,岩手,武蔵野市,福島,鹿児
島)を順次閉鎖し,現在は12か所が運営されている。
イ日本語教室では,定着促進センターで受けた初歩的な日本語教育の進度
に応じて2∼4教室にクラス分けし,1日2.5時間,1週12.5時間
を基準として,412時限の日本語指導を行っている。
また,平成9年以降は,自立研修センター修了者等で日本語の習得が不
十分な者や,より高度な日本語の習得を希望する者に対し,週7時間を基
準として2年以内の日本語の再指導も実施しており,通所者の就労等の妨
げとならないように,夜間や土日の指導も一部行われている。
ウ生活指導・相談では,地域社会での生活上生じた諸問題について,通所
者からの相談に応じ,必要な指導を行っている。
エ就労指導・相談では,平成元年度から,①日本の労働事情及び労働慣行
並びに地域固有の職業事情についての説明を行うこと,②日頃から孤児等
と十分に接して適性を見極め,個々の事情に合った職業を選択し,指導す
ること,③公共職業安定所,公共職業訓練施設,企業等への集団見学や個
別の就労指導に際して孤児等を引率すること,④地域の企業等の雇用主又
は雇用担当者に対し,帰国者等の置かれている状況について説明し,職業
開拓を行うことを専任で行う就労相談員を各自立研修センターに配置して
いる。
また,平成4年度以降,孤児等の早期離職を防止するため,就労相談員
が定期的に孤児の職場を訪問して,孤児等と事業主等からの相談を受け,
孤児等の置かれている立場について理解を求めるとともに,相互の調整を
行う就労安定化事業を実施し,平成9年度以降は,未就労孤児等の就職意
欲向上を目的として,日本の雇用システム,職業能力の習得方法,職業選
択の実態や中国との相違点などに関する講演,既に職業能力開発校を卒業
し就労している帰国者等による体験の発表などの交流会,職業能力開発校
等の見学等を行う就職促進オリエンテーション事業を実施している。
オそのほかにも,地域住民との交流事業,大学進学準備課程事業,就籍の
相談,子女の就学についての情報提供等の事業が行われている。
(8)中国帰国者支援・交流センター
ア中国帰国者の高齢化や,その第二・三世代の増加に伴って,社会的自立
が困難となっている等の問題が指摘されてきた状況を踏まえて,政府は,
中国帰国者についての国民の関心と理解を促しつつ,地方公共団体との連
携の元に民間ボランティアや地域住民の協力を得ながら中長期的な支援を
行うため,平成13年11月に東京と大阪に,平成16年6月に福岡に,
日本語学習支援事業,相談事業,交流事業等を事業内容とする中国帰国者
支援・交流センター(以下「支援・交流センター」という。)を開設した。
イ日本語学習支援事業では,現在の研修だけでは日本語が習得できない高
齢者の増加や成年層でも希望する職種に就業できないという現状に鑑み,
進度別,目的別など帰国者のニーズに合わせ,就労に結び付く日本語教育
を継続的に実施している。通所学習のほか,遠隔学習(通信教育)も実施
しており,平成14年度からは,通信教育を補完するための対面学習(ス
クーリング)も都道府県の協力を得て行っている。
ウ相談事業では,帰国者の年齢層の拡大により,相談内容も多種多様にな
ってきていることや,帰国後3年を経過した者が相談する場がないことか
ら,首都圏センターに相談窓口を開設し,専門機関,行政機関等と連携し
つつ,電話・手紙等での相談に対応している。また,平成15年度からは,
高齢帰国者の引きこもり防止対策として,首都圏センターから対象者に中
国語で電話連絡を入れたり,必要に応じてボランティア等が対象者宅を訪
問する事業を行っている。
エ交流事業では,支援・交流センターに談話室を設けて高齢者を対象とし
た常設サロンとし,教室を帰国者・ボランティア団体・サークル等の利用
に供する等の事業を通じて,帰国者が帰国者同士や地域住民,ボランティ
ア等と交流する場を提供している。
(9)国民年金の特例措置
長期間海外に居住していた残留邦人が高齢になってから帰国した場合,国
民年金の加入期間が短くて年金が受給できないか,受給できたとしても低額
にとどまるという問題があったことから,政府は,平成8年4月1日以降,
残留邦人に対する国民年金の特例措置を講じることとし,国民年金制度が発
足した昭和36年4月1日以降の中国居住期間を保険料免除期間として,当
該期間について3分の1(国庫負担相当額)を年金額に反映させるとともに,
当該期間に係る保険料の追納を認めることとした。
(10)その他の施策
ア自立支援通訳制度
日本語の会話が不自由な孤児等が医療機関で受診する場合などに,適切
な受診を確保するとともに,関係行政機関等での助言・指導・援助を受け
やすくするため,政府は,平成元年度以降,定着促進センター修了後(非
入所者は帰国後)3年以内(平成15年度以降,一定の場合には対象を拡
大)の孤児等に対し,自立指導員とは別に自立支援通訳を一定回数を限度
に派遣している。
派遣が行われるのは,①巡回健康相談事業により,健康相談医の助言・
指導を受ける場合,②医療機関で受診する場合,③福祉事務所等の関係行
政機関から助言・指導・援助を受ける場合,④小中高の学校に通学する子
等の学校生活上で生じた問題や進路について相談する場合,⑤介護保険制
度による介護認定・介護サービスを利用する場合(平成14年度以降)等
で,都道府県が派遣を必要と認めるとき(①を除く。)である。
イ巡回健康相談事業
中国との医療事情や食生活の相違等により,孤児等の医療,保健衛生面
での生活指導を行う必要があることから,政府は,平成元年度以降,定着
促進センター修了後(非入所者は帰国後)1年以内の孤児世帯に対し,都
道府県知事の選任した医師を派遣して健康相談を実施するとともに,必要
な助言・指導を行っている。
ウ就籍支援
身元未判明のまま帰国した孤児は,家庭裁判所に就籍許可の申立てをす
る必要があるところ,その手続に要する経費については,昭和61年度以
降,財団法人法律扶助協会が財団法人日本船舶振興会の補助を受けて援助
事業を行い,政府がその補助金交付のための副申を同財団に対して行って
いたが,平成7年度以降は,上記経費が国庫負担とされることとなった。
エ住居支援
政府は,孤児世帯の住宅の供給について,各都道府県を通じて公営住宅
の入居者選考に当たって優先的な取扱いを行うこととし,平成7年度以降
は,帰国後最初に居住する際に,公営住宅優先入居の募集選考時期等の事
情によりやむを得ず民間住宅に入居する場合に,礼金等の入居時に要する
費用の一部を当該孤児世帯に対して支給している。
オ就労支援
政府は,孤児の雇用の機会を確保するため,昭和57年度以降,職業転
換給付金制度の適用,特定求職者雇用開発助成金の適用(昭和59年度以
降),雇用促進事業団による就職時の身元保証(昭和62年度以降)等の
就労支援施策を順次実施している。
カ子の教育支援
政府は,孤児の子の教育の機会を確保するため,孤児の子女の学校への
受入れ,中国帰国者地域交流事業,中国帰国孤児子女教育研究協力校の指
定,中国帰国孤児子女教育指導協力者派遣事業等を行っている。
(11)養父母に対する扶養費の援助
日本に永住帰国する孤児が大幅に増加したことに伴い,中国に残された養
父母の生活をどう補償するのかが問題となり,中国側からも,政府において
この問題を解決するよう要請がなされ,懇談会第1報告書においても,養父
母等の扶養に関し,政府として何らかの措置を講じるべきであるとの提言が
なされていた。
これを受けて,昭和59年3月17日,日中間において,「日本国に永住
した孤児が負担すべき養父母,配偶者,子女及びその他孤児の扶養を受ける
者が必要とする生活費用の2分の1は,日本政府が援助する。」旨の合意が
なされ,昭和61年5月9日には,扶養費の具体的な額や送金方法等につい
ても合意がなされた。
なお,政府負担分以外の残りの扶養費については,財団法人中国残留孤児
援護基金(昭和58年4月1日設立)が援助することとされた。
8中国帰国者生活実態調査の調査結果等
(1)厚生省は,昭和59年以降,中国帰国者世帯の定着地における生活の実態
を把握し,今後の自立促進対策の充実を図るための基礎資料とする目的で,
中国帰国者の帰国後の生活状況実態調査(以下「生活実態調査」という。)
を設問事項や調査対象者を適宜変更しつつ,8回にわたって実施してきた。
(2)平成11年12月1日を基準日として実施された生活実態調査の調査結果
(以下「平成11年度調査」という。)は,以下のとおりである(イ以下の
統計数値は,全て孤児本人又は孤児世帯を対象としたもの)。
ア調査対象者
過去10年間の中国帰国者本人(定着促進センター入所中の者や死亡し
た者等を除く。)2562人。うち2225人から回答を得た(回収率8
6.8%)。
イ帰国者の平均年齢
58.3歳
ウ生活保護の受給状況
65.5%(世帯割合)
エ就労状況
(ア)60歳未満の孤児の就労状況29.2%
(イ)世帯で見た場合の就労状況60.6%
(ウ)就労者の職業技能工,製造・建設・労務作業が87.4%
(エ)就労収入平均22万円(世帯合計)
(一般世帯の平均就労収入は50万5000円)
(オ)就労していない理由傷病のため68.8%
日本語が不十分23.1%
オ日本語の習得状況(独力で日常生活を営める程度の会話(買物や交通機
関,郵便局,銀行等において日本語の会話により自分一人で用事を済ませ
ること。以下同じ。)ができるようになるまでの期間)
帰国前0.3%
帰国後1年未満27.4%
1年以上2年未満17.7%
2年以上3年未満8.1%
3年以上13.7%
未習得32.7%
(3)厚生省は,平成11年度調査を踏まえつつ,自立支援法に基づく帰国者の
援護施策の有機的な組合せ及び活用に関する検討を行う中国帰国者支援に関
する検討会(以下「帰国者支援検討会」という。)を開催することとし,淑
徳大学教授(座長),中国帰国者問題同友会代表幹事,中国帰国者三互会会
長,中国残留孤児問題全国協議会理事長,自立指導員(千葉県自立研修セン
ター通訳兼相談員),中国帰国者(財団法人中国残留孤児援護基金職員)等
の有識者11人が構成員となって,平成12年5月24日から7回にわたっ
て検討を重ね,同年12月4日,同検討会は,「中国帰国者支援に関する検
討会報告書」(以下「検討会報告書」という。)を厚生大臣に提出した。
同報告書は,「帰国者の自立支援施策の評価」として,「帰国者について
は,懇談会の提言においても指摘されているように,中国と日本の言語や生
活習慣の違いから,日本社会に定着適応する上で多大の困難がある。このた
め,昭和59年に中国帰国孤児定着促進センター(平成6年に中国帰国者定
着促進センターに名称変更)が開設され,帰国者はここで基礎的な日本語や
生活習慣の指導を受けた上で,各都道府県の公営住宅などに居住するように
なった。さらに,昭和63年には各地に中国帰国者自立研修センターが開設
され,中国帰国者定着促進センターの研修課程(4ケ月)を終了した帰国者
がそれぞれの居住地において日本語の指導,生活相談及び就労相談を受けら
れるようになった。懇談会の提言があった当時,帰国者本人の年齢は,主と
して40∼50歳代であり,新たな生活環境に溶け込むには努力が必要であ
ったものの,就労することが可能な年齢であり,帰国者本人が日本へ帰国す
ることを切望してきたことや,孤児の肉親の判明率も高く親族の支援が得ら
れるなど,現在に比べれば自立に有利な条件が比較的整っていたと言えよう。
こうした中で,国の行う援護施策は帰国後比較的短期間に限って行われてい
たが,帰国者の自立に一定の効果を上げることができた。しかし,戦後50
年以上を経過した今日では,実態調査で明らかになったように,帰国者の日
本社会での自立は一層難しくなっている。また,帰国者本人に同伴する二・
三世は,中国で中国国民として生まれ,生活を送ってきた人々であり,年齢
は比較的若いものの,日本語や日本の生活習慣については基礎的な知識も有
しない者が大多数であるから,日本社会への適応には本人及び関係者の相当
な年月にわたる努力を要することになる。このように,懇談会の提言があっ
た当時と現在とでは,帰国者像に著しい変化があることから,自立支援施策
については,こうした実態を踏まえて再検討する必要が生じるに至った。」
との評価を示した上で,今後の施策の方向について,帰国後当面の支援から
継続的支援への転換,高齢化や二・三世の増加に応じた支援の実施等が必要
であるとして,日本語習得,就労支援,生活相談等の具体的支援方策につい
ての提言を行った。
(4)平成15年4月1日を基準日として実施した生活実態調査の調査結果(以
下「平成15年度調査」という。)は,以下のとおりである(イ以下の統計
数値は,特に断りのない限り,全て孤児本人又は孤児世帯を対象としたも
の)。
ア調査対象者
日中国交正常化以降,基準日前日までに永住帰国した中国帰国者本人
(促進センター入所中の者や死亡した者等を除く。)5208人。うち4
094人から回答を得た(回収率78.6%)。
イ帰国者の平均年齢
61.5歳(帰国者全体では66.2歳)
ウ生活保護の受給状況
61.4%(世帯割合)
エ就労状況(帰国者全体)
(ア)現在就労中の者13.9%
(イ)就労していない理由高齢のため50.3%
傷病のため39.1%
オ日本語習得状況
(ア)日本語の理解度
日常生活のほとんどの会話に不便を感じない16.2%
買物,交通機関の利用に不自由しない35.3%
片言の挨拶程度38.7%
全くできない8.4%
(無答1.4%)
(イ)日本語の習得期間(日本語習得者の独力で日常生活を営める程度の
会話ができるようになるまでの期間)
帰国後3か月未満9.2%
3か月以上6か月未満10.6%
6か月以上1年未満18.3%
1年以上2年未満20.4%
2年以上3年未満10.1%
3年以上29.7%
(無答1.8%)
(5)本訴提起後,本件及び当庁に係属中の別件同種訴訟(当庁平成17年(ワ)
第1836号)の各原告ら(孤児本人が死亡して相続人が原告となっている
者を除く。)197人を対象として,政府の行った各種施策の実施状況等に
関するアンケートが実施され,うち172人から得られた回答を集約した
「アンケート調査結果」(以下「本件アンケート」という。)(甲138)
が作成された。
9原告らの永住帰国時期等
原告ら168人の年齢(終戦時,永住帰国時,現在),身元判明の有無,永
住帰国時期,就労の有無,生活保護受給の有無等は,それぞれ別紙2「原告ら
の永住帰国時期等」記載のとおりであり,これらを数値化して整理すると,以
下のとおりである。
(1)永住帰国時期
最も早いのが昭和52年1月(原告番号2070)
最も遅いのが平成12年8月(原告番号3007)
(2)就労の有無
現在22人が就労中(就労率14.1%。死亡孤児12人を除く。)
(3)生活保護受給の有無
現在93人(世帯)が生活保護を受給中(受給率59.6%。死亡孤児1
2人を除く。)
第6早期帰国実現義務違反の有無に関する当裁判所の判断
1早期帰国実現義務の有無及び法的根拠
(1)原告らは,被告が原告らに対して負うべき早期帰国実現義務(原告らの帰
国が実現するように,その時々において可能な限りのあらゆる手段を尽くす
こと)は,被告の先行行為(国策による満州移民,ソ連参戦と軍による開拓
民の保護の放棄,終戦時の開拓民の現地定着方針)に基づき発生する条理上
の作為義務であると主張し,これを支える法的根拠として,憲法,国際法
(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約,
国際的武力紛争の犠牲者の保護に関し,1949年8月12日のジュネーブ
諸条約に追加される議定書,日本国との平和条約,世界人権宣言,市民的及
び政治的権利に関する国際規約,経済的,社会的及び文化的権利に関する国
際規約,児童の権利に関する条約),外務省設置法,厚生省設置法,留守家
族援護法,未帰還者特別措置法,自立支援法を挙げている。そして,このよ
うな先行行為に基づく被告の義務は,先行行為の終了と同時に発生し,原告
らが残留した地を実効的に支配する中華人民共和国が成立して,被告が同国
の協力を得て孤児の引揚げを実現することが可能となった昭和24年10月
1日の時点において,被告の早期帰国実現義務違反が認められると主張して
いる。
そこで,まず初めに,被告の原告らに対する早期帰国実現義務が認められ
るか否かにつき検討する。
(2)自国民がその意に反して自国からの離脱を強制させられたり,あるいは在
外自国民にとっての不可抗力というべき事態の発生により,その意に反して
国外に残留を余儀なくされたりした場合において,国家が自国民保護のため
の措置を講じるべき責務を負うことは,条理等を持ち出すまでもなく,近代
国家の本質上,当然の理であるといわなければならない。
そして,このような在外自国民の境遇が,ほかならない国家自身の政策に
起因して創出された場合においては,国家には,条理に基づき,国策に起因
して生じた自国民の危難や意に沿わない国外残留の事態をできるだけ速やか
に解消するために,具体的状況下において可能な限度で実効的な自国民保護
のための施策を立案・実施すべきことが,当該在外自国民との関係における
法的な義務として課せられたものと解するのが相当である。
(3)本件において,原告ら(ただし,原告番号2068を除く。以下特に断り
のない限り,第6及び第7の判示において同じ。)が戦後中国に長期間残留
することを余儀なくされたのは,前記認定事実1の満蒙開拓団をめぐる戦時
中の歴史的経緯と残留孤児の発生に至った状況に照らせば,正しく国策に起
因したものであったというべきである。
すなわち,政府は,満州国の建国後,日本国内の過剰人口の抑制と,将来
の対ソ戦を念頭に置いた満州での軍事力と軍需品生産力の増強を目的として,
大量の日本人開拓民を満州に移住させることを国策として積極的に推進し,
開拓民の多くをソ連国境に近い北満地域に定住させた。
他方,太平洋戦争の戦局が目に見えて悪化し,南方転用が相次いだ関東軍
の兵力も著しく弱体化していく中,大本営は,昭和19年9月,従来の対ソ
攻勢準備の作戦計画を根本的に転換して,北方静謐を旨とし,万一ソ連軍が
侵攻してきた場合には,満州の4分の3に当たる地域を放棄して,満州の南
方山岳地帯を確保して持久戦を図ることを決定し,関東軍も,新作戦計画に
応じて,極秘裏に主力部隊を後退させた。そして,ヤルタ会談が行われた昭
和20年2月ころを境に,ソ連軍の東方への兵力移送の動きが急速に活発化
しだし,同年4月にはソ連が日ソ中立条約の不延長を一方的に通告してきた
という情勢の中,大本営は,同年5月上旬の時点において,同年の夏・秋以
降はソ連軍の侵攻に特に警戒を要するとの判断を示しており,近い時期に日
ソ開戦の事態に至る可能性が高いことを知悉していた。しかし,このような
ソ連軍の満州侵攻の危険が目前に迫っていたことや,関東軍の守勢転向の事
実は,対ソ防諜の方針の下,開拓民には一切知らされることはなかったし,
しかも,根こそぎ動員によって,開拓団に残されたのは大半が老幼婦女とい
う無防備に等しい状況と化していた。
そのような中,同年8月9日,ソ連軍が満州に侵攻を開始し,不意に居住
地が戦場と化した国境付近の開拓民は,決死の逃避行を余儀なくされ,過酷
を窮めた避難生活とこれに引き続く難民生活の過程において,多くの悲惨な
犠牲が生じた。そして,肉親と生別又は死別を余儀なくされた開拓民の子ら
は,現地住民に託されたことで何とか生き長らえ,その後も中国の養父母の
養育下で成長することとなった結果,多数の残留孤児が発生したものである。
以上の次第であるから,原告らが終戦後もその意に反して中国に残留を余
儀なくされたという事態は,政府による大量の日本人の満州移民政策と,開
戦必至と目された対ソ戦の新作戦計画下における開拓民保護策の欠如という
国策に起因して創出されたものであったと認められ(なお,原告らの中には,
開拓民の子ではない者(原告番号1010,1011,1023,200
3),終戦の約3年前に中国人の養親に預けられた者(同2096),終戦
の約1年半後に中国で出生した者(同1019)も存在するが,戦時中の日
本人の満州渡航には多かれ少なかれ国策的な色彩があり,満州に渡った日本
人の子が孤児となった点において,他の原告らと区別する必要はない。),
戦後の国家機能を回復した政府においては,原告らに対し,原告らの意に沿
わない国外残留の事態をできるだけ速やかに解消するために,具体的状況下
において可能な限度で実効的な原告らの帰国実現のための施策を立案・実施
すべきことが,条理に基づく法的な義務として課せられたものというべきで
ある。
(4)なお,原告らの主張する政府による終戦時の開拓民の現地定着方針につい
て付言すると,ポツダム宣言受諾時に,政府が在外公館に対し,居留民はで
きる限り現地に定着させる方針を執るとともに,現地の居留民の生命・財産
の保護につき万全の措置を執るよう指示を発し,昭和20年9月24日の次
官会議においても同様の方針が確認され,外務省を中心とする「海外部隊並
に海外邦人帰還対策委員会第一部会」がこの援護に当たることと決定された
ことは事実と認められる(甲31,乙1)。
しかし,他方で,在満邦人との関係で,上記現地定着方針が具体的にどの
ように実行に移されたのかは明らかでない上に,同年10月25日にGHQ
の指示により政府の外交機能が全面的に停止させられたことによって,在外
一般邦人が各地域の連合国軍と当該国官憲の強制命令又は終戦に伴って発生
した現地の混乱によって生活手段を喪失し,残留することが極めて危険,不
安な状態となったため,日本に引き揚げざるを得ないこととなったとされて
いること(乙1)に照らすと,現地定着方針が現実に実行に移されたとは認
められないというべきである。
そもそも,満州地域においては,当該地域を管理するソ連軍が,政府等か
ら度重なる在満邦人の保護の要請が行われたにもかかわらず,これに全く対
処することなく,昭和21年4月に満州を撤退するまで,在満邦人の本国送
還に全く関心を示さなかったのであるから(甲37の2,乙1,47,5
9),現地定着方針の有無にかかわらず,在満邦人の窮状や引揚げの遅延が
生じることに変わりはなかったものといわざるを得ない。
したがって,政府の現地定着方針が残留孤児の発生拡大の一因をなしたも
のとは認め難く,これを被告の原告らに対する早期帰国実現義務発生の前提
となる国策と位置付けるのは相当でないというべきである。
(5)なお,前記第3の4のとおり,原告番号2068は,いわゆる朝鮮残留孤
児であって,同原告が孤児となったり,その後も国外に残留を余儀なくされ
た事情を他の原告らと同列に論じることはできず,原告番号2068に関し
ては条理上の早期帰国実現義務を基礎付ける具体的事実(国策起因性)の主
張立証がないことからすれば,被告の同原告に対する法的義務としての早期
帰国実現義務を認めることはできないといわざるを得ず,この点において既
に,同義務違反の主張に基づく同原告の請求は理由がない。
(6)ところで,前記(2)及び(3)に判示のとおり,被告は原告らに対して早期帰
国実現義務を負うに至ったものと認められるが,前記認定事実2(1)及び(2)
のとおり,終戦後の日本はGHQの占領政策下に置かれており,政府の外交
機能が全面的に停止された状況下において,在外邦人の引揚援護業務につい
ても,占領政策の一環としてGHQの管理の下に行われており,現に,前記
認定事実4(1)イのとおり,この間に政府が独自に引揚者から未帰還者に関
する情報収集を行うに当たっても,占領下の各種制約を受けて,十分な調査
が困難な状況にあった。
政府が在外自国民の保護策を講じるためには,事柄の性質上,政府が自ら
の判断・権限で関係国と交渉し得る対外的地位を有することが必要不可欠と
解されるところ,GHQの占領下で政府の外交機能が全面的に停止された状
態においては,政府自らが在外自国民保護のための施策を能動的・有機的に
立案・実施することは現実には不可能であったといわざるを得ない。
したがって,昭和27年4月28日に日本が主権を回復し,外交機能が正
常化するまでの間は,被告の原告らに対する法的な義務としての早期帰国実
現義務は,未だ現実化していなかったものと解するのが相当である。
(7)他方,被告は,①早期帰国実現義務なる義務内容が不特定である,②国自
体が作為義務を負うことを国の代位責任を規定する国家賠償法は予定してい
ない,③原告らの主張する損害は,原告らの主張する被告の違法な先行行為
自体によって既に発生しており,これに係る原状回復義務は発生しない,④
原告らの主張する損害は,不意のソ連参戦に伴う開拓民の避難行動の過程で
生じた極度の混乱と,それに引き続く難民としての越冬生活等に起因するも
のであり,原告らの主張する被告の先行行為は作為義務発生の根拠とはなら
ない,⑤国家賠償法施行日(昭和22年10月27日)より前の違法な先行
行為に起因する危険につき,同法施行後の不作為を理由として損害賠償責任
を認めるのは,同法附則6項の趣旨(国家無答責の法理)に反する,⑥原告
らの主張する損害は戦争損害ないし戦争犠牲にほかならず,補償の要否・在
り方は立法裁量に委ねられると主張して,被告には原告らに対する早期帰国
実現義務は認められないか,あるいは原告らの主張する損害に係る損害賠償
請求はそもそも認められないと反論するが,以下に判示するとおり,いずれ
も採用できない。
ア①について
被告において,原告らの帰国をできる限り早期に実現させるための可能
な限度での施策を,その時々の具体的状況に応じて講じるべきであるとい
う義務の性質上,その内容が抽象的で一義的に確定し難いことは否定し得
ないが,原告らの主張上,被告が執るべきであったとする施策内容は,各
時期に応じてある程度具体化されており,判断の対象となる義務内容がお
よそ不特定とまではいえない。
イ②について
原告らの早期帰国実現義務違反の主張は,具体的には,海外における邦
人の保護等を任務及び所掌事務とする外務省(旧外務省設置法(昭和24
年法律第135号,昭和26年法律第283号)3条8号,4条17号,
26号(昭和26年法では27号))の長である外務大臣と,引揚援護を
任務及び所掌事務とする厚生省(旧厚生省設置法(昭和24年法律第15
1号)38条,4条2項1号,5条101号,105号,108号の2
(4条2項1号以下は,昭和27年法律第273号等の改正法により追
加))の長である厚生大臣(なお,平成13年1月6日より旧外務省設置
法及び旧厚生省設置法に替わり現外務省設置法(平成11年法律第94
号)及び厚生労働省設置法(平成11年法律第97号)が施行されたが,
前記認定事実9(1)のとおり,原告らはいずれも同施行日前に永住帰国し
ている。)を義務違反の主体たる公務員と特定するものであって,個別の
公務員の違法な公権力の行使により国民に損害が生じた場合において,国
又は公共団体が代位責任を負うことを規定する国家賠償法の枠組みから逸
脱するものではない。
そもそも,国の行政権は内閣に属し(憲法65条),国の行政作用は全
て内閣の統轄の下に行われるものであるから,国策に起因して生じた自国
民の意に沿わない国外残留という国家的対処が求められる事態に関し,各
行政機構がその任務と所掌事務に応じて具体的な対応をすべきことは当然
であり,同時に,ここにおいて個別の公務員の作為義務を論じることが可
能であるから,国自身が早期帰国実現義務を負うとするのは,単なる表現
の問題にすぎない(本判決においても,便宜上,被告自身を義務主体とし
て表記することがあるが,上記のとおり,法的な意味での義務主体は,外
務大臣・厚生大臣の意味である。)。
ウ③及び⑤について
早期帰国実現義務違反に起因するものとして原告らの主張する損害の根
幹(帰国の遅延による人格権侵害)は,前記残留孤児発生の基となった国
策の遂行後,戦争による混乱が収束した状況下において(前記(6)に判示
のとおり,政府が国家の本来的責務である在外自国民保護のための具体的
施策を執り得る地位を回復したのは,主権を回復した昭和27年4月28
日と解するのが相当である。),被告が原告らの早期帰国実現のための措
置を講じなかったことにより発生したものと解され,上記国策の遂行それ
自体を違法行為とし,これによって直接生じた事態に係る損害の賠償を求
めるものではないし,また,損害の性質上,国家賠償法施行後(昭和22
年10月27日以降)の被告の違法行為により逐次発生するものを意味す
ることも明らかである。
そもそも,前記(2)に判示のとおり,国家が在外自国民を保護すべき責
務を負うのは当然の理であって,これに加えて,当該自国民の意に沿わな
い国外残留の事態が国策(これが法的に違法か否かは問われない。)に起
因して創出されたとの前提事情が存在する場合には,国家に当該在外自国
民との関係で条理上の早期帰国実現義務が発生すると解されるのであるか
ら,原告らの主張が,戦前の国家政策の違法性を戦後の国家政策の不作為
に仮託して追及することを意図したものではないことは明らかであり,い
わゆる国家無答責の法理を潜脱するものとは解されないというべきである。
エ④について
多数の残留孤児が発生することとなった直接の契機が,日ソ中立条約を
無視したソ連の参戦とその後の開拓民の過酷な避難民生活等であったこと
は否定できないが,満州移民政策と開戦必至と目された対ソ戦の新作戦計
画下における開拓民保護策の欠如という前記国策がその契機を導く根幹的
背景事情であったと認められる以上,これをもって被告の条理上の早期帰
国実現義務を認めることに支障はないというべきである。
オ⑥について
原告らが終戦後も中国に残留を余儀なくされたのは,確かに敗戦に伴っ
て生じた事態といい得るが,他方で,日本が主権を回復し,かつ,前記認
定事実3(1)イのとおり,中国政府も残留邦人の引揚げに関する協力姿勢
を表明するに至った昭和27年末ころの時点においては,もはや戦争中か
ら戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態とはいい得ないことは明ら
かである。したがって,同時点以降,被告が原告らの早期帰国実現に向け
た国家としての本来的責務を懈怠した場合において,これに伴って原告ら
の強いられた犠牲(損害)を,非常事態下で全国民が多かれ少なかれ等し
く受忍しなければならない生命,身体,財産の犠牲,すなわち戦争犠牲な
いし戦争損害と解することはできないというべきである。
2早期帰国実現義務違反の有無の判断基準
(1)上記1に判示のとおり,被告においては,日本が主権を回復した昭和27
年4月28日以降,原告らに対する早期帰国実現義務を負っていたことが認
められるが,具体的な早期帰国実現義務違反の有無の判断に当たっては,以
下の特殊性を考慮する必要がある。
(2)第一に,早期帰国実現義務という義務自体に本質的に内在する抽象性・相
対性である。
早期帰国実現義務の核心は,被告がその時々の具体的状況に応じた可能な
限度での施策を講じて,原告らの帰国ができる限り早期に実現するように努
めるべきというものであるところ,個々の時点における可能な限度での施策
なるものは,国内的・国際的諸情勢に大きく左右される多分に流動的で不確
定なものであるし,また,義務履行の到達点となる早期帰国実現というのも,
究極的には個々の原告らがより早期に帰国を実現し得た可能性の有無・大小
を問題とするものにほかならないから,必然的に流動的で不確定な要素を含
まざるを得ず,その意味において,早期帰国実現義務には抽象的・相対的な
側面が伴うことは避けられない。
そうすると,具体的状況下において,原告らの早期帰国実現のための施策
としていかなる選択肢が考え得るのかの検討・分析を行い,その中から政府
として何を採用するのかの判断に当たっては,現実に関係事務を所掌する行
政庁(外務省・厚生省)の相当広汎な裁量の存在を前提とせざるを得ないと
いうべきである。
(3)第二に,早期帰国実現義務の遂行過程に占める国際的側面の大きさである。
中国各地に散在する孤児の帰国を実現するためには,その前提として,政
府において,まず個々の孤児の消息・所在を具体的に把握し,その上で当該
孤児に帰国意思があるかどうかを確認する必要がある(被告が早期帰国実現
義務を負うといっても,政府として孤児に帰国を強制することまではできな
い。)。しかし,孤児が日本の主権が及ばない地に所在しているという制約
上,政府が単独で行い得る消息・所在調査と帰国意思の確認作業にも自ずか
ら限界があり,中国側の協力が得られなければ,実効的な調査・確認作業は
行い得ないし,また,帰国を希望する孤児が実際に帰国を果たすためには,
中国からの出国について,現実に孤児を居住民として管理する中国側の協力
を得ることも必要となる(実際の出国の際には,中国政府の出境(出入国)
許可証が必要となった。甲17,119の19,甲C13の6,乙141,
180)。
このように,被告が早期帰国実現義務を遂行する過程においては,中国側
の協力が必要不可欠となる部分が大きいという関係上,政府の意思決定のみ
をもって成果を推し量ることはできず,外交に伴う諸々の流動的で不確定な
要素の影響を受けざるを得ない。
そして,このことは同時に,現実に中国側の協力が得られるかどうかは,
優れて政治的な日中間の外交関係に強く影響されることが避けられないこと
を意味する。一般に,二国間に国交がない状態においては,正常な国交があ
る状態と比較して,必然的に政府間交渉で解決可能な問題の幅も限られてく
るし,このことは,仮に当該交渉事項が人道問題であったとしても,多かれ
少なかれ同様に妥当する。そうすると,昭和47年9月29日に日中間の国
交回復が達成される前の段階においては,早期帰国実現義務の遂行上大きな
比重を占める中国との間の外交交渉に関し,政府として現実になし得る方策
も大幅な制約を受けることを余儀なくされたものであるから,国交回復後の
段階と比較すると,早期帰国実現義務に違反するとの判断を行うことはより
一層困難であるといわざるを得ない。
(4)以上の点を考慮すると,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有
無の判断に当たっては,政府(具体的には外務大臣・厚生大臣)が実際に講
じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,当時の具体的状況の下
で著しく不合理なものであったといえるのでない限り,当該措置ないし不作
為が同義務に違反して国家賠償法上違法となると評価することはできないと
いうべきであり,特に,日中国交回復前の段階においては,日中間に国交が
なかったという外交的事情を念頭に置いた上で違法性の判断をすべきものと
解するのが相当である。
(5)これに対し,原告らは,第二の点に関し,日中間の国交の不存在は,多数
の孤児が中国に残留していることを認識した上でなした政府の政治的判断の
結果であり,この一事をもって,原告らの早期帰国実現可能性を欠くないし
著しく低いとして被告を免責するのは不当であると主張する。
しかし,そもそも,主権回復後も日中間に国交が開かれなかったのは,当
時の厳しい冷戦体制の中で,時の政府が国益に適うとの判断の下に,共産圏
である中国と対峙する路線を選択した政治的判断の結果であって,これによ
って中国との間で孤児の帰国実現に向けた外交交渉を行う余地が狭まり,結
果的には孤児の早期帰国実現が困難となった側面があるとしても,その法的
責任を国交を開かなかった上記政治的判断に帰する結果を認めるのは相当で
ない(原告らの主張上も,上記政治的判断それ自体を違法と主張する趣旨で
はないと解される。)。
もとより,国交の不存在の一事をもって被告が免責されるものでないこと
は,前記早期帰国実現義務の成立根拠に照らして当然であるが,その一方で,
現実問題としては,日中間の国交不存在の事実が原告らの早期帰国を実現す
る上で大きな障壁となった面は否定し得ないのであって,この点が早期帰国
実現義務違反の有無の判断にも相当強く影響を及ぼす結果となる(義務違反
否定の判断方向に作用する)のはやむを得ないというべきである。
(6)また,原告らは,①本件は国の作為に起因する自国民の危険状態を回避さ
せるための作為義務の懈怠が問われる事案で,被告の違法・責任の程度が当
初から大きい,②本件は規制権限不行使型とは異なる作為起因性の不作為事
案で,被告のみが危険の創出者であり,同時に危険を解消できる立場にある,
③原告らの被害(法益侵害の程度)が極めて重大である,④原告らは日本人
でありながら,日本での参政権(公務員の選定罷免権)の行使が不可能な状
況に置かれており,立法・行政の過程に関与し得なかった分,司法的救済の
必要が高いとして,被告の裁量の余地は極めて限定されるべきであると主張
する。
しかし,①及び②については,国策に起因して孤児が発生した事実は,条
理上の作為義務を導く根拠ではあっても,同事実自体から直ちに違法性判断
の具体的基準が帰結される関係にあるものとは解されず(国策が違法か否か
や違法の程度如何にかかわらず,国家は等しく条理上の早期帰国実現義務を
負うものと解される。),これに関しては,前記(2)及び(3)に判示の早期帰
国実現義務の性質上,行政庁の広汎な裁量権の存在を前提にせざるを得ない
こと,③についても,上記と同様に行政庁の裁量の幅が広くなるのはやむを
得ないこと,④については,翻って考えると,優れて政治的な日中国交断絶
等の政府の政策判断自体を法的に非難する結果となることに照らし,いずれ
も採用できない。
3日中国交回復前の早期帰国実現義務違反の有無
(1)上記2の判示を前提に,日本が主権を回復した昭和27年4月28日以降,
日中国交回復が実現する昭和47年9月29日までの間における被告の原告
らに対する早期帰国実現義務違反の有無につき検討する。
(2)主権回復後,後期集団引揚げ終了までの間の早期帰国実現義務違反の有無
ア国内・国外情勢の概況
昭和27年4月28日,主権を回復した政府は,原告らの早期帰国を実
現すべき義務を現実的に負うこととなったところ,前記認定事実4(3)ア
のとおり,昭和29年5月1日現在における中国地域の未帰還者数は5万
2169人で,そのうち孤児の数は約2500人と把握されていたのであ
るから,政府は,未だ相当数の孤児が引き揚げることなく中国に残留して
いる事実を認識していた。また,前記認定事実4(1)のとおり,主権回復
以前から,政府は,留守家族から未引揚邦人届の提出を受ける等の未帰還
者に関する資料や情報の収集と各種調査を全国規模で行うなどして,占領
下の制約があった中でも未帰還者の調査究明を推進しており,同業務を行
うに当たって活用可能な資料(究明カードの基礎となる資料)を一定程度
収集・蓄積していた。
他方,政府がアメリカの強い意向の下に単独講和路線と日台条約の締結
を選択した結果,昭和47年に至るまで,日中間には国交が断絶した状態
が続くこととなった。
以上の概況を踏まえて,後期集団引揚げ終了までの間の政府による引揚
援護業務の実施状況等に照らし,被告の原告らに対する早期帰国実現義務
違反が認められるか否かにつき検討する。
イ後期集団引揚げ及び個別引揚者に対する援護
上記期間における残留邦人の引揚げの大多数は,昭和23年以来中断さ
れていた集団引揚げの再開によって実現することとなった。
前記認定事実3のとおり,昭和27年12月1日に中国政府が発表した,
残留邦人の引揚げ問題に関し,政府が船の問題を解決するのであれば,中
国側は残留邦人の帰国に協力する意思があるので,日本側の適当な機関等
の代表を派遣して中国紅十字会と具体的な話合いをされたい旨の声明に応
じて,政府は,正規の外交ルートを通じた対応に代えて,同問題を全くの
人道上の問題として,赤十字機関の仲介により同問題の解決に当たること
とし,日本側の引揚三団体と中国紅十字会との間の協定により,昭和28
年3月以降,残留邦人の集団引揚げが再開されることとなった。集団引揚
げは,中国側の通告によって途中一時中断も生じたが,昭和33年7月ま
での間に21次にわたって行われ,これによって合計3万2506人の帰
国が実現した。しかし,同年5月に発生した長崎国旗事件を契機に,日中
間の交流は一切断絶することとなり,集団引揚げも終了を余儀なくされ,
同年末時点で2万1287人と把握されていた未帰還者が,集団引揚げが
途絶したまま中国地域で残留ないし生死不明の状態に置かれることとなっ
た。
また,集団引揚げ以外にも,前記認定事実2(3)のとおり,政府は,個
別引揚者の船運賃を国庫負担とする措置を講じており,個別引揚げに際し
ての経済的負担を緩和することを通じて引揚げの促進を図っていた。
ウ日中政府間のジュネーブ交渉
(ア)前記認定事実3(3)及び(4)のとおり,後期集団引揚げが断続的に行
われている最中に,政府は,残留邦人問題の早期解決を図るため,中国
政府に対し,人道上の問題として残留邦人の引揚げと消息調査の促進へ
の善処をジュネーブ駐在の両国領事官を通じて直接要請するという重要
な外交上の打開策を講じている。
(イ)最初の交渉申入れは,昭和30年3月の第11次引揚げ以降,しば
らく集団引揚げの空白期間が生じていた同年7月1日に行われ,政府は,
中国政府に対し,残留邦人のうち帰国を希望している者の帰国援助と消
息不明となっている日本人4万人の状況調査について,人道上の問題と
してできる限りのことをされるよう希望する,政府としては,中国政府
と協力して,有用な資料やどのような可能な方法をも提供する用意があ
る旨を申し入れた。
しかし,これに対する中国政府の回答は,状況不明の日本人といった
ものは中国にはいない,残留邦人の帰国問題は既に引揚三団体及び中国
紅十字会によって適切に解決されているとして,政府の上記申入れには
応答しない姿勢を示す一方で,政府に対し,国交正常化交渉を提案する
ものであった。
上記回答に対し,政府は,同年8月29日,同問題は純然たる人道上
の問題であるとして,再度上記申入れに対する中国政府の善処を要請し
たが,政府の期待する返答は得られなかった。
(ウ)次いで,政府は,同年10月20日,中国政府に対し,中国側から
発言のあった戦犯の一部を含む残留邦人の年内送還計画の有無について
の確認と,送還の際には政府自ら又は日本赤十字社によりこれらの送還
者を受け取る用意がある旨を申し入れた。
しかし,中国政府の回答は,状況不明の日本人の問題は侵略戦争を行
った政府の問題であるとして,その存在を再度否定するとともに,国交
回復前においては,両国居留民の往来の問題は,しばらくの間両国の民
間団体に処理を委託するほかない旨の見解を述べて,改めて国交正常化
交渉の提案を行うにとどまった。
(エ)その後,引揚三団体と中国紅十字会の両代表の間で成立した天津協
定に基づき,釈放戦犯等の引揚げが実現したが,その一方で,昭和32
年5月から同年6月にかけて東南アジアを訪問した岸信介首相が行った
反共・対中敵視の発言に対し,中国政府は反発を強め,同月5日に衆議
院海外同胞引揚特別委員会委員長が,残留邦人の引揚げ等の問題に関し
て委員と政府職員若干名の訪中を申し入れたことに対しても,引揚三団
体宛に訪中拒否の回答が寄せられるような状況であった。
集団引揚げ人員数は,再開当初の昭和28年には約2万6000人を
数えたものの,昭和29年,30年,31年にはそれぞれ約1100人,
約1800人,約1200人と極度に閑散化し,留守家族団体から再び
政府間の直接交渉の推進を求める声も高まっていた(乙1)。
(オ)このような情勢の中,政府は,昭和32年5月13日,約1年半ぶ
りにジュネーブ交渉を再開することとし,中国地域の未帰還者3万57
67人の姓名等と最終消息が記載された名簿を中国政府に手交して,生
死の状況等の調査を具体的に依頼した。
しかし,これに対する中国政府の回答は,行方不明の日本人なるもの
は中国には存在せず,侵略戦争で行方不明となった日本人の問題につい
て,中国政府は何ら責任を負うものでない旨の前述の姿勢を改めて強調
するとともに,岸首相による一連の非友好的な発言・行動と,政府が再
び行方不明の日本人の問題を持ち掛けてきたことに対する強い不満を表
明するものであり,政府が未帰還者名簿を手交して行った消息調査の依
頼に対する協力は得られなかった。
(カ)このように,政府は,残留邦人問題に関し,三次にわたってジュネ
ーブ交渉を継続してきたものの,結局,中国政府の協力を得ることはで
きず,政府間交渉は成果を上げられないまま暗礁に乗り上げる結果に終
わった。
エ未帰還者の調査
残留邦人の引揚げ促進と並行して,前記認定事実4(3)のとおり,政府
は,帰還者からの情報や現地残留者からの通信等の手掛かりを通じて,未
帰還者の調査究明を推進していた。政府は,各種調査を通じて収集・蓄積
した未帰還者の資料を,究明カードとして未帰還者一人毎に集約・整理し
て,未帰還者調査の遂行過程で有効に活用することとし,また,国ととも
に未帰還者の調査に当たる都道府県との間でも,究明会議を開催して情報
を交換し,都道府県と連携しての効率的な調査の実施に努めていた。
オ早期帰国実現義務違反の有無
(ア)以上に判示したところによれば,政府は,主権回復後間もなく,引
揚三団体を通じて残留邦人の集団引揚げを再開する段取りを整え,これ
によって,昭和29年5月1日時点で5万2169人と把握されていた
中国地域の未帰還者のうち,3万2506人の集団引揚げが実現し,そ
の間にも,三次に及ぶジュネーブ交渉を通じて,中国政府に対し,人道
上の見地からの残留邦人の引揚げと消息調査の促進の申入れや,有用な
資料等の提供の用意がある旨の申出,未帰還者名簿の交付を行っており,
日中間に国交がなく,残留邦人の引揚げ問題を正規の外交ルートを通じ
て処理することが困難な状況の中で,未帰還者の消息・所在調査と帰国
意思の確認作業について中国側の協力を得るべく,政府として相当な外
交的努力を尽くしていたものと評価し得る。
また,集団引揚げ以外の個別引揚者に対しても,引揚げを容易にすべ
く経済的支援措置を講じているし,国内での未帰還者調査の面において
も,未帰還者毎に究明カードを作成して随時情報の収集・照合を行い,
都道府県とも連携して未帰還者の調査究明を推進するなど,引揚げと未
帰還者調査の促進のために政府としてなし得る相当な努力を払っていた
ものといい得る。
(イ)これに対し,原告らは,政府は日中国交断絶と対中敵視政策との政
治的選択を行った中で,残留孤児の帰国実現という課題について終始消
極的な姿勢を取り続けたと主張し,具体的には,①孤児の特殊性に配慮
しなかった結果,後期集団引揚げにおける孤児の帰国者数が極めて少数
にとどまったこと,②未帰還者名簿に基づく孤児の消息調査の要請を継
続しなかったこと,③孤児の個別引揚げを促進する措置を執らなかった
ことが被告の早期帰国実現義務違反であるとするが,以下に判示すると
おり,いずれも採用できない。
(ウ)①について
前記認定事実3(6)のとおり,後期集団引揚げにおける引揚者3万2
506人のうち,孤児の総数は93人であり,前記認定事実3(4)アの
厚生省作成の未帰還者名簿において,孤児が2053人登載されている
ことにも照らすと,一般邦人に比して,孤児の帰国者数が極めて少数に
とどまったことは否定し難い。
しかし,昭和29年5月1日現在の中国地域における未帰還者数が5
万2169人とされ,後期集団引揚げ終了の年である昭和33年末時点
においても,なお2万1287人の未帰還者が残存しているとされ,未
だ相当数の一般邦人が未帰還者として把握されていた状況に鑑みれば,
後期集団引揚げ期間中において,政府が孤児の特殊性に配慮した特段の
措置を自らあるいは引揚三団体を通じて講じなかったことが不合理であ
ったとはいい難い。
(エ)②について
前記ウに判示のとおり,政府は,第1次ジュネーブ交渉時から,中国
地域で消息不明となっている日本人の状況調査を中国政府に申し入れ,
第3次交渉時には未帰還者3万5767人を登載した具体的な名簿も手
交していたところ,これに対する中国政府の対応は,一貫して中国国内
には行方不明の日本人なるものは存在しないとして,国交正常化交渉の
提言か,あるいはこれに応じようとしない政府の姿勢への非難を行うも
のであった。前記認定事実3(4)アのとおり,同名簿に登載の未帰還者
の大半(第2類ないし第4類に分類の約3万人)は,同名簿の作成基準
時(昭和32年1月1日現在)から8年以上消息がない者であり,また,
「特別の事情がない限り現在も生存している公算が大である」とする第
2類登載者(2705人,うち孤児1647人)についても,「中共側
の調査により大部の消息が判明するものと考えている」とされ,消息の
究明には中国側の協力が不可欠の前提とされるなど,大多数の未帰還者
については,中国側の協力が得られない限り,政府において帰国意思の
確認の前提となるべき残留邦人の消息や所在を具体的に明らかにするこ
とは極めて困難な状況であったことは明らかである。
そうすると,同名簿の手交をもって具体的になした人道的見地からの
未帰還者の状況調査の依頼に対しても,中国政府の対応姿勢が上記のよ
うな堅固なものであった以上,政府において,それ以上に同名簿に基づ
く孤児の消息調査の要請を中国政府に行わなかったことをもって,これ
が不合理であったと評価することはできないというべきである。前記認
定事実3(5)アのとおり,第3次ジュネーブ交渉に対する中国側からの
回答があった翌月の昭和32年8月に中国を訪問した留守家族団体全国
協議会会長有田八郎が,中国側との間で残留邦人問題に関する覚書を交
換した際にも,「中国,日本両国は今日なお国交が回復されていないの
で中国側は現在中国にいるおよそ6千人の日本人居留民の名簿を日本に
手渡すことはできない。」との中国側の姿勢が表明されていることに照
らしても,両国間の国交が断絶した状況においては,政府としてなし得
る外交上の方策にも限界があったことが窺われる。なお,政府が対中敵
視政策を採ったことや,中国政府からの国交正常化交渉の提案に応じる
姿勢を示さなかったことは,時の政府が国益に適うものとして行った政
治的判断の結果にほかならないから,このことを法的非難の対象とする
のは相当でない。
これに対し,原告らは,中国側は中国国内で生存する日本人について
の調査や帰国の援助を拒否する姿勢は示していなかったのであり,中国
側の協力が得られる可能性があったにもかかわらず,政府は未帰還者名
簿に基づく孤児の消息調査の要請を継続すべき義務を放棄したと主張す
る。
しかし,上記覚書においても,中華人民共和国成立(昭和24年10
月1日)以前に中国国内にいた日本人については,原則として調査の対
象外であるとの中国側の姿勢が表明されており,同名簿に登載された孤
児のうちの約8割については,上記成立前となる昭和23年以前の最終
消息しか政府は把握しておらず,その生死も不明な状況下にあったこと,
上記覚書中にある「中華人民共和国成立以後確実に中国にいる日本人居
留民の名簿」に関しても,上記未帰還者名簿の第1類登載者が概ねこれ
に該当するものと考えられ,政府が把握・整理し得る限りにおいて作成
した同趣旨の名簿は既に中国側に交付していたことに照らすと,政府が
未帰還者名簿に基づく孤児の消息調査の要請を継続すべき義務を放棄し
たと評価することはできないというべきである。
(オ)③について
前記エに判示のとおり,政府は,後期集団引揚げが行われていた間に
も,各種調査を通じて生存残留者の情報の収集・照合に努めており,他
方で,上記未帰還者名簿において,大多数の孤児が同名簿作成時から8
年以上にわたって消息がない者とされ,政府単独では孤児の消息・所在
を具体的に把握することが極めて困難であったことからすれば,政府の
実施した孤児の個別引揚げの促進に関する措置が不合理であったとは評
価できないというべきである
カ以上によれば,主権回復から後期集団引揚げ終了に至るまでの間におい
て,政府としては,孤児の早期帰国実現のためになし得る施策を行ってい
た一方で,中国との関係上,これ以上に現実に有効な外交上の方策を執る
のは困難であったといわざるを得ないから,被告の原告らに対する早期帰
国実現義務違反は認められない。
(3)後期集団引揚げ終了後,日中国交回復までの間の早期帰国実現義務違反の
有無
ア昭和33年7月の集団引揚げを最後に,残留邦人は専ら個別引揚げの方
法で帰国することとなり,前記認定事実3(6)のとおり,同年から日中間
の国交が回復する昭和47年までの間に,中国地域から合計760人が個
別引揚げによって帰国した。この間,政府は,昭和37年以降,従来から
援助の対象となっていた船運賃に加え,中国国内での旅費についても国庫
負担とする措置を講じて,個別引揚者に対する経済的援助を拡充した(な
お,同年ころ,個別引揚げの際に中国政府の出境許可を得ることが容易で
ないことが指摘されており,個別引揚者数が比較的少数にとどまったのは,
中国側の事情によるところも少なくなかったものと考えられる。甲119
の19)。
この期間における被告の早期帰国実現義務違反に関し,原告らは,昭和
34年4月1日に未帰還者特別措置法が施行され,戦時死亡宣告制度が導
入されたことに伴い,政府が極めて不十分な未帰還者調査のみをもって,
多くの孤児を生死不明者として同宣告の対象とし,あるいは多くの消息の
ある孤児につき強引に「自己の意思により帰還しないと認められる者」と
認定することを通じて,これらの孤児を未帰還者調査や帰国援護の対象か
ら違法・不当に除外する方策を執り,以後国交回復に至るまで未帰還者調
査や帰国援護の全般的な空白期間が続いたことは,原告らの帰国を著しく
困難にする極めて不合理な措置であったと主張する。
そこで,これらの制度の運用状況を中心として,後期集団引揚げ終了か
ら国交回復までの間における被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反
の有無につき検討する。
イ未帰還者特別措置法の適用・運用に関する早期帰国実現義務違反の有無
(ア)前記認定事実4(4)のとおり,未帰還者特別措置法は,昭和32年1
0月1日現在で未帰還者数(全地域)がなお4万6560人に上り,か
つ,そのうち約85%の者が終戦直後の混乱期に消息を絶っていて,生
存の期待が持てない者も多数存在すると考えられたこと,留守家族援護
法による留守家族手当が,昭和31年8月1日以降(後に延長)は,過
去7年以内に生存していると認めるに足りる資料がない未帰還者の留守
家族に対しては支給されないことの関係上,未帰還者の最終処理につき
何らかの特別な措置を講じる必要があったこと,留守家族団体の中から
も,「留守家族の心情に即して,未帰還者の最終処理を急ぐこと」を政
府に求めることが決議されるなど,未帰還者の最終処理を求める声が高
まっていたことを背景として,反対意見の強かった留守家族団体の意向
も相当程度法案に反映させ,法制定に先立ち,国と都道府県が連携して,
140万人の帰還者と国外残留者に対して一斉に通信調査を行うという
極めて大規模かつ網羅的な未帰還者の一斉特別調査を行い,未帰還者の
消息資料を得る上で一定の成果を収め,最終的に法案につき引揚同胞対
策審議会の賛同を得るという一連の経過を経た上で制定され,昭和34
年4月1日から施行に至ったものである。
これにより,一定期間生死が不明の未帰還者について,国が戦時死亡
宣告の請求を行うことが可能となったが,同宣告は,民法上の失踪宣告
制度に則って,家庭裁判所による司法審査を経た上で宣告の可否の判断
がなされるものであり,しかも,前記認定事実4(5)アのとおり,実際
の戦時死亡宣告の請求に当たっては,未帰還者の名誉を尊重し,留守家
族の心情を十分考慮するため,同宣告の対象者について,都道府県が予
め該当予定者である旨を留守家族に通知し,少なくとも配偶者,子,父
母程度の留守家族の意向は直接・間接に面接を行って調査し,留守家族
の同意が得られた場合に初めて請求を行うという慎重な運用がなされて
いた。
以上の未帰還者特別措置法の制定経過や運用状況,同法制定の前提と
して行われた未帰還者の一斉特別調査の規模・成果等に照らせば,政府
が専ら未帰還者調査の結了を図る目的の下に同法を制定し,同目的の達
成のために恣意的な運用を行って,多くの孤児を違法・不当に戦時死亡
宣告の対象としたものとは認め難く,その一方で,同法に基づき未帰還
者の最終処理を行う必要性・合理性も存在したのであるから,同法の制
定・運用が原告らの早期帰国実現を著しく困難とする不合理なものであ
ったとは評価できないというべきである。
(イ)これに対し,原告らは,①政府が戦時死亡宣告を請求するためには,
その前提として「国がその(注:未帰還者の)状況に関し調査究明した
結果,なおこれを明らかにすることができない」(同法1条)ことが必
要であるところ,政府は孤児に関して国外調査を行っておらず,極めて
不十分な調査のみをもって,孤児につき「現に生存している可能性が少
ないと認められる者」として同宣告の対象としたのは,法適用として違
法である,②同宣告がなされた孤児については,以後未帰還者調査と帰
国援護の対象から除外された結果,これらの孤児の帰国実現が著しく困
難となったと主張し,さらに,③原告らの中にも,生存の高度の蓋然性
を無視して同宣告の該当者としたり,留守家族の意向を無視して同宣告
の同意を取り付けた事例が多数見受けられると主張するが,以下に判示
するとおり,いずれも被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の根
拠とは解し難い。
(ウ)①について
前記認定事実4(4)エのとおり,政府は,未帰還者の一斉特別調査に
当たり,中国地域の国外調査については,他の地域で行った現地残留者
に対する未帰還者の名簿の送付は行わなかったものの,日中間に国交が
なく,政府間交渉による未帰還者の消息調査が実現していない等の事情
の下においては,政府が当該調査の実施を見合わせたことにも理由があ
る。他方で,政府は,昭和33年10月,日本赤十字社を通じて,中国
紅十字会に対し,昭和29年11月3日付け覚書(「日本赤十字社とし
ては,家族の有無又は居所の明・不明にかかわらず,全日本人から中国
紅十字会経由で日本赤十字社へ通信を送ってもらうことを希望す
る。」)に基づく現地残留者の日本宛の通信の奨励を要請しており,相
当の代替手段を講じている。
上記要請については,結局,その結果を知ることができなかったが,
これに加えて,その前年の第3次ジュネーブ交渉において,政府が同時
点でなし得る限りの未帰還者調査の具体的な協力を中国政府に要請した
にもかかわらず,中国政府からは期待した回答が得られなかったこと,
一斉特別調査における国内調査が極めて大規模かつ網羅的なものであっ
たこと,前記認定事実4(3)イのとおり,厚生省が昭和33年と昭和3
5年に,現地住所が明らかな残留者の名簿を作成して都道府県に配布し,
留守家族と協力して現地通信調査を行っていることも考え併せると,政
府の行った未帰還者調査の方法が未帰還者特別措置法の適用の前提を欠
くほど不合理なものであったとはいい難い。
これに対し,原告らは,政府は孤児の生存を確信していたにもかかわ
らず,個々の消息が不明なことをもって「現に生存している可能性が少
ないと認められる者」としたのは不合理と主張する。
しかし,前記(2)オ(エ)に判示のとおり,昭和32年に厚生省が作成
した未帰還者名簿において,大半の孤児は終戦前後の混乱期を含む昭和
23年以前の時点を最後に長期間消息が途絶した者とされており,中国
側の調査協力が得られなければ,生死の状況は不明というほかなかった
ところ,同名簿に基づく未帰還者の消息調査につき中国側の具体的な協
力は得られなかったのであるから,個々の資料に基づき,「現に生存し
ている可能性が少ないと認められる者」(乙62)と判定し得る孤児に
ついて戦時死亡宣告の対象としたことが不合理とはいえない。前記認定
事実4(5)アのとおり,厚生省の把握していた約2500人の孤児のう
ち,約1500人が死亡届又は同宣告により除籍されたことからすると,
現実に相当数の孤児が同宣告の対象とされたものと推認されるが,上記
消息状況に鑑みれば,このことをもって,直ちに政府による同法の運用
が違法ないし恣意的なものであったと評価することはできないというべ
きである。
(エ)②について
前記認定事実4(5)ウのとおり,戦時死亡宣告審判確定者については,
諸資料が他の処理済者とは区分して整理保管され,機会ある毎に死亡時
期,場所,死因,遺骨等につき調査されることとなっていることや,昭
和38年5月2日に厚生省援護局長が都道府県知事宛に発した「昭和3
8年度未帰還者等に関する調査等業務実施計画について」(昭和38年
5月2日付け援発第10330号)(乙62)において,「このほか生
死が明らかにされないまま戦時死亡宣告を受けた者が約12,000名
あり,これらの者についても調査究明上,問題が残されているところで
ある。」との記載があり,同宣告を受けた者についても調査究明上の問
題がなお残されているとの政府の認識が窺われることに照らせば,政府
が同審判確定者について,以後一切の調査対象から除外したものとは認
め難い。また,死亡時期等の調査を通じて生存情報や所在が判明する可
能性も考えられ,その際には厚生大臣自身が同宣告の取消の請求を行う
ことも予定されていること(未帰還者特別措置法2条3項。原告らの中
にも,都道府県知事の取消請求により同宣告が取り消された例がある。
甲B71の17)も考え併せると,政府が相当数の孤児につき同宣告を
請求し,同宣告審判が確定するに至ったことをもって,同措置が孤児の
帰国実現を著しく困難とする不合理なものであったとは評価し難いとい
うべきである。
(オ)③について
原告らは,杜撰かつ強引な手法により戦時死亡宣告がなされた具体例
として原告12人を挙げ,政府による未帰還者特別措置法の違法・不当
な運用の顕れであると主張するが,以下に判示するとおり,これらの者
を同宣告の該当者と認定したことにはいずれも相応の根拠があるし,留
守家族の意向を無視して同意を取り付けたとも認められず,最終的に司
法判断を経た上で同宣告がなされたものであるから,原告らの主張は採
用できない。
a原告番号2048について
同原告の昭和28年以降の消息は不明であり,留守家族が同年以来,
年2,3回の手紙の発信を行い,昭和38年度には本人と養育者宛に
4,5回通信を試みたにもかかわらず,一度も返信がない状態であっ
た(甲B48の13ないし16,乙B48の1・2)。そうすると,
昭和28年当時の生存情報が姉による確度の高い情報であり,その当
時の同原告の年齢が10歳であったとしても,昭和39年に長期間生
死が不明の同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者
として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(なお,
甲B48の10には,昭和31年に同原告から来信があった旨が記載
されているが,それ以前に作成された資料にこれに関する記載が全く
存在しないことからすれば,昭和51年の合同調査時に初めて把握さ
れた事実と考えられる。)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族が従
前から戸籍処理を気に掛けていたこと(乙B48の1)からすれば,
上記同意が留守家族の意向を無視して取り付けられたものとは認めら
れない。
b原告番号2070について
同原告の昭和20年8月22日以降の消息は不明であり,昭和33
年には鹿児島県(本籍地)内の帰還者約3万人に対し同原告を含む未
帰還者名簿を送付する等の調査を行ったにもかかわらず,有益な情報
は得られなかったのであるから,最終消息が最も混乱が激しかった時
期である終戦時の一般避難所であり,その後長期間生死が不明であっ
た同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦
時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B70の4
・5・11・13・29・47・48)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,同原告の父が
昭和35年8月時点では消息調査の継続を望んでいたものの(甲B7
0の47),翌36年1月時点では死亡処理を望む意向に転じていた
ことが窺われ(乙B70),昭和37年1月に得られた同意(甲B7
0の10)が留守家族の意向を無視して取り付けられたものとは認め
難い。なお,昭和50年に同人が作成した書面(甲B70の29)に
おいては,「止むを得ず昭和38年に戦時死亡宣告の申立てを行な
い」との記載があるが,昭和50年に同原告の生存が確認された後に
なってから父がその旨の心情を遡って述べるに至ったものとも解し得
るから,このことをもって,直ちに上記認定を覆すに足りるものとは
いえない。
c原告番号2071について
同原告の昭和21年3月22日以降の消息は不明であり,その後も
同原告の具体的な所在を把握し得ず,政府として実効的な消息調査が
不可能であったことからすれば,昭和38年に長期間生死が不明であ
った同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として
戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B71の
14ないし16)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意
向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。
d原告番号2075について
同原告の昭和21年8月ころ以降の消息は不明であり,昭和34年
と昭和35年の現地通信調査によっても消息や所在に関する情報が得
られなかったのであるから,昭和38年に長期間生死の不明であった
同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者として戦時
死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B75の4・
6・10)。
また,留守家族による同宣告請求の同意については,留守家族の意
向が「(黒塗りで判読不能だが,中国人の養親を指すと考えられ
る。)宅で大きくなってくれればそれでもよい」とされていること
(甲B75の6)に照らせば,同意が積極的なものであったかについ
ては疑問を差し挟む余地があるものの,その一方で,留守家族から同
宣告による処理の申出があったとされていることも考え併せれば,担
当者が留守家族の意向を無視してまで強引に同意を取り付けたと認め
るに足りる証拠はないというべきである。
e原告番号2076について
同原告の昭和20年12月9日以降の消息は不明であり,昭和34
年の現地通信調査によっても消息が把握できなかったことからすれば,
同原告の最終消息を現認した母が,昭和35年7月時点で同原告が現
在も生存していると思う旨の見解を示していたとしても,昭和38年
に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少な
いと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の
根拠がある(甲B76の15ないし19)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和35年7
月当時の母の認識が上記のとおりであったとしても,その2年半余り
後の昭和38年2月に得られた同意(甲B76の19)が留守家族の
意向を無視して取り付けられたものと直ちに認めることはできないと
いうべきである。
f原告番号2077について
同原告の昭和21年9月以降の消息は不明であり,昭和34年の3
回の現地通信調査によっても消息が把握できなかったことからすれば,
同原告の最終消息を知る父(実際に現認したのは母)が昭和35年7
月時点で同原告が現在も生存していると思う旨の見解を示していたと
しても,昭和38年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存し
ている可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者と
したことには相応の根拠がある(甲B77の4の1,甲B77の22
ないし25)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和35年7
月当時の父の認識が上記のとおりであったとしても,その約3年後の
昭和38年5月に得られた同意(甲B77の26)が留守家族の意向
を無視して取り付けられたものと直ちに認めることはできないという
べきである。
g原告番号2099について
同原告の昭和21年2月5日以降の消息は不明であり,昭和34年
の3回の現地通信調査(最初の1回は返戻となったが,後の2回は返
戻された形跡はないことから,宛先に到達したものと考えられる。)
によっても消息が把握できなかったことからすれば,昭和37年に長
期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと
認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠
がある(甲B99の5ないし8)。なお,その後,昭和39年8月に
同原告からの日本赤十字社宛通信により,新たに同原告の生存事実が
判明することになるが(甲B99の6),このことをもって,昭和3
7年時点での上記判断に誤りがあったとすることはできない。
また,留守家族による同宣告請求の同意(甲B99の8)について
も,留守家族の意向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠
はない。
h原告番号2115について
同原告の昭和20年9月以降の消息は不明であり,中国紅十字会宛
の調査依頼等によっても消息が把握できなかったことからすれば,昭
和36年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存している可能
性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者としたことに
は相応の根拠がある(甲115の4の1ないし3・5・15ないし1
7)。昭和33年7月14日の究明会議における照合の結果として,
「本名の預け先の住所等一応判るので,県公安局長宛に調査依頼が出
来る。」との記載があること(甲B115の5・15)に照らすと,
同原告につきその後現地通信調査が行われた形跡がない(甲B115
の15)のは不可解ではあるが,当時は中国側から集団引揚げの打切
りの通告を受けるなど,日中間の諸交流が一切断絶していた時期であ
り,中国の公的機関の協力を得ることが極めて困難と判断せざるを得
ない情勢であったことからすれば,同事情により県公安局長宛の通信
を差し控えた可能性も否定できず,この一事をもって,直ちに政府が
同原告の消息調査の継続を放棄したと評価するのは困難である。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和56年に
父が同原告を捜しに訪中していることは,国交回復後,多くの孤児の
消息判明や帰国が実現していた状況の中で,父が同原告の生存可能性
に改めて思いを致すこととなったとも考えられるから,このことをも
って,直ちに昭和36年時点での留守家族の同意(甲B115の1
7)が意向を無視して取り付けられたものと認めることはできないと
いうべきである。
i原告番号2117について
同原告の昭和21年7月以降の消息は不明であり,現地の所在が不
明で,その後の調査によっても消息が把握できなかったことからすれ
ば,最終消息時に病身であった同原告につき,昭和37年に長期間生
死が不明で現に生存している可能性が少ないと認められる者であると
して戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲B1
17の5の1・2,甲B117の6・16ないし18,乙B117の
1)。昭和33年の究明会議における照合の結果には,「右(注:
「同地区よりの新帰還者,現住者よりの究明」)により現地に調査依
頼にまで拡充のこと。」との記載があるが(甲B117の17),同
年末の一斉特別調査によっても同原告の所在や消息に関する有益な情
報が寄せられなかったと推認されることからすれば,その後に特段現
地通信調査が行われなかったこと(甲B117の18)をもって,直
ちに政府が同原告の消息調査の継続を放棄したと評価するのは困難で
ある。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意
向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。
j原告番号3004について
同原告の昭和21年5月以降の消息は不明であり,昭和35年の3
回の通信調査等によっても消息や所在が把握できなかったことからす
れば,昭和36年に長期間生死が不明であった同原告を現に生存して
いる可能性が少ないと認められる者として戦時死亡宣告の該当者とし
たことには相応の根拠があるし(甲C4の4・11・12),最終消
息時に同原告が11歳であったことが上記判断を覆すに足りる事情と
もいい難い。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意
向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。
k原告番号3006について
同原告の昭和21年8月8日以降の消息は不明であったが,昭和3
6年5月に入手した中国紅十字会生存該当者名簿に類似者が調査中の
ものとして登載されていたことから,昭和40年代前半に現地通信照
会を実施し,同原告の生存事実の把握に努めたものの,結局,消息情
報が得られなかった(甲C6の8ないし16)。上記類似者は「○○
○○,1941生,男」というもので,同原告とは名前が一字違いで,
生年も1年違いにすぎず,同原告のことを指している可能性が高いと
外形上判定し得るものの,なお人違いである可能性も否定できないこ
とからすれば,同名簿の入手時点では参考資料にとどめ,その後の通
信調査照会によっても成果が得られなかったことを踏まえて,政府独
自では情報の信頼性の検証ができない同名簿における類似者登載の事
実を事後的に生存情報としては取り扱わないとしたこと(昭和36年
5月当時「健在(中国紅十字会名簿)」との記載を横線で抹消)も不
合理とはいえず,このことをもって,政府が故意に同原告の生存情報
を無視・隠蔽したとは認め難い(甲C6の9・10)。そうすると,
昭和21年8月8日以降に明確な生存情報が得られなかった同原告に
ついて,昭和46年ころに現に生存している可能性が少ないと認めら
れる者として戦時死亡宣告の該当者としたこと(甲C6の6)には相
応の根拠があるというべきである。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,留守家族の意
向を無視して取り付けられたと認めるに足りる証拠はない。
l原告番号3022について
同原告の昭和21年8月12日以降の消息は不明であり,昭和34
年に2回にわたり現地通信調査を行ったものの,いずれの回答も「知
らない」であったことからすれば,昭和38年ころに長期間生死が不
明であった同原告を現に生存している可能性が少ないと認められる者
として戦時死亡宣告の該当者としたことには相応の根拠がある(甲C
22の11・12)。
また,留守家族による同宣告請求の同意についても,昭和32年5
月時点で留守家族が「本人は病死しないかぎり生きていると思ふ。
(黒塗りで判読不能だが,同原告の預け先の中国人養父母を指してい
るものと考えられる。)宛通信すれば相手が当時の誠意をもっておれ
ば返事が来ると思ふ」との見解を示していたものの(甲C22の1
3),その後の現地通信調査によっても消息情報が得られなかったの
であるから,昭和38年になって「あらゆる方面を調査したが,生死
が分からず,終戦時に死亡した者と思いますから,戦時死亡者として
処理して下さい」との意向に転じた(甲C22の12)としても不自
然ではなく,留守家族の意向を無視して同意が取り付けられたとは認
められない。
mなお,前記認定事実4(5)ウの通知(乙63)には,「「特別措置
法」の運用について一部留守家族には,留守家族手当の問題等に関連
して,政府が「特別措置法」による処理を早急に強行せんとしている
との誤解がある」「留守家族との面談の際,不用意な言動により不測
の間に留守家族の心情を害し,まさつを起こした例もある」との記載
があるが,未帰還者が「特別措置法該当予定者」に該当するか否かは
諸資料を総合的に検討した上でなされる客観的な判断である一方で,
事柄の性質上,留守家族の中には自身の親族に関してそのような判断
が示されることに心理的な抵抗感を覚える者が必然的に生じてくるこ
とも避けられなかったことからすれば,このような心情が政府の運用
姿勢に対する批判として表面化したものとも十分考えられる。また,
「「特別措置法」による戦時死亡宣告の請求,または死亡公報の発令
に同意しない家族については,面接のうえ説得するとともに同意しな
い真因を十分に把握して親切にその解明に努めること。」と記載され
ている点についても,「多年の調査究明の結果生存の希望の持てない
未帰還者について,留守家族の同意を求めて審判申立を行ない,留守
家族のおかれている不安定な身分関係を解消し,できるだけ早期にそ
の生活再建への出発を図る」のが未帰還者特別措置法の趣旨とされて
いることからすれば,留守家族に上記趣旨を説明した上で同意の可否
につき再考を促すこと自体は不合理とはいえないし,併せて同意しな
い真因の十分な把握と解明に努めるべきとされていることに照らせば,
政府が留守家族の同意が得られない場合にも執拗に説得を継続すべき
との方針を示していたとも認め難い。
そうすると,同通知の上記記載をもって,直ちに政府による留守家
族の意向を無視した強引な戦時死亡宣告処理の実態を示すものとは評
価し得ないし,これによって上記aないしlの判断が左右されるもの
でもないというべきである。
(カ)そのほか,原告らは,厚生大臣が憲法違反である未帰還者特別措置
法を執行したとも主張するが,同法がいかなる趣旨・理由において違憲
であるかについて何ら具体的な主張をしておらず,主張自体失当といわ
ざるを得ない。
(キ)以上によれば,未帰還者特別措置法の適用・運用について,被告の
原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。
ウ「自己の意思により帰還しないと認められる者」の認定に関する早期帰
国実現義務違反の有無
(ア)終戦時から海外にとどまる在外邦人のうち,「自己の意思により帰
還しないと認められる者」(以下「残留希望者」という。)は,留守家
族援護法29条により調査究明・帰還促進の対象となる「未帰還者」か
らは除外されることとなるところ(同法2条1項2号),前記認定事実
4(5)イのとおり,中国地域の残留邦人のうち約1000人について残
留希望者との認定がなされた。
(イ)原告らは,帰国意思の有無の認定は,本人の真意を慎重に確認した
上で行われなければならないにもかかわらず,政府は曖昧な帰国意思の
調査確認のみをもって,孤児を恣意的に未帰還者から除外していたもの
であり,これによって当該孤児は帰国に向けた援助活動を一切受けられ
なくなったと主張し,原告らの中にも,直接の意思確認を経ることなく,
根拠薄弱な情報に基づいて帰国意思なしと認定されたり,本人の手紙を
甚だしく曲解して帰国意思なしと認定された例が多数存在すると主張す
る。
しかし,残留邦人の中には,年月の経過により,現地に生活基盤が確
立している等の事情から中国に残留を希望する者も少なくなかったとこ
ろ,孤児についても,このような意向が確認できた場合においては,当
該孤児を未帰還者から除外すること自体に問題はないし,この場合の帰
国意思の確認方法について,確実な資料に基づきその旨の認定が可能で
あるならば,本人の直接の意思確認が必要不可欠とまではいえない。現
に,前記認定事実4(5)ウのとおり,政府は,残留者本人からの来信の
ほか,帰還者の確実な証言等の資料を総合判断し,残留希望が確実と認
められる場合に限って残留希望者の認定を行う旨を都道府県宛に通知し
て,残留希望者の認定には相応の認定根拠が必要との見解を示していた
ものであるから,政府が率先して不確実な根拠に基づく残留希望者の認
定を推進していたものとは認め難い。
確かに,同通知においては,政府が従来よりも積極的に残留希望者の
認定を行うとの姿勢も表明されてはいるが,その一方で,厚生省援護局
庶務課長が各都道府県宛に発した「自己の意思により帰還しないと認定
された者に対する引揚援護の取扱いについて」(昭和37年10月27
日庶務第604号)(乙B24)において,中国地域の未帰還者につい
ては,いったん残留希望者との認定がなされた後も,本人がその後意思
を変更し,本邦に永住する目的をもって戦後初めて帰還する場合には,
引揚援護を行う取扱いを継続するとされていることを考え併せれば,政
府の上記方針をもって,政府が調査究明・帰還促進の対象となる未帰還
者を恣意的に減少させる措置を執り,以後一切の帰国援護措置を打ち切
ったものとは評価し難いというべきである。
(ウ)原告らは,残留希望者との杜撰な認定を受けた具体例として原告1
1人を挙げ,政府が強引に残留希望者の認定を行って孤児の調査究明・
帰還促進義務を完全に放棄したことの顕れであると主張するが,以下に
判示するとおり,これらの認定にはいずれも相応の根拠が存在したもの
であるから,原告らの主張は採用できない。
a原告番号2024について
中国在住の同原告の母と思われる者からの昭和38年10月10日
付け通信において,同原告の残留希望意思が窺われることからすれば,
昭和39年5月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには
相応の根拠がある(甲B24の1・13の1・2,甲B24の14)。
b原告番号2079について
現地残留者からの昭和34年3月付け通信(甲B79の13・14
の1・2)において,同人が日本から同原告の消息調査の便りが来て
いることを告げたところ,同原告が「何分実の親としては心にかかる
ことだろうからただ元気で居るという事を知らせてくれ」旨述べたと
され,当面中国に残留する意思が窺われるし,同情報源が日本から通
信があったことを告げた上で本人と直接対話した者によるものである
ことや,同原告の養親が同原告が孤児であることを秘匿しており(甲
B79の14の2),政府として直接帰国意思を確認することは不可
能であったことからすれば,昭和37年9月に同原告につき残留希望
者との認定を行ったこと(甲B79の15)には相応の根拠がある。
c原告番号2084について
岐阜県(本籍地)は,昭和33年6月に同原告と一緒に中国で暮ら
している母からの通信で同原告が帰国を拒絶していることを把握し,
その後昭和37年9月と昭和39年10月に同原告宛に直接帰国意思
の有無を確認すべく通信を試みたが,いずれも返答がなく,翌40年
4月に母から同原告とともに中国残留することを決めた旨の通信を受
けている(甲B84の1・2・7ないし9・16,乙B84の1・
2)。同情報源が同原告と同居の母によるものであることや,これに
近接する時点で二度にわたり同原告宛の直接の通信が試みられている
ことからすれば,昭和40年6月に同原告につき残留希望者との認定
を行ったこと(甲B84の15)には相応の根拠がある。
d原告番号2105について
同原告は,後記eに判示する原告番号2106の弟であり,昭和3
5年2月の現地通信調査の後に来信のあった同原告による昭和36年
2月27日付け通信において,同年1月14日に結婚した原告番号2
105の結婚式の写真を送る旨の記載がある一方で,特段同原告の帰
国意思に関する記載がないことからすれば,昭和37年9月に原告番
号2106とともに原告番号2105につき残留希望者との認定を行
ったことには相応の根拠がある(甲B105の3の1,甲B105の
10ないし12,甲B106の7・11・12)。
e原告番号2106について
同原告から妹(B)宛に発せられた昭和36年2月27日付け通信
において,同原告が中国の夫や子供と元気に暮らしている旨の近況報
告や,「日本の○○ちゃんの家に遊びに行こうと中国公安局に申請し
ました。」旨の記載があることに加え,妹が「一度里帰りしたいと手
紙が来る度に書かれて有ります故,私達姉妹を一度,逢せて下さいま
せ。」と述べていることからすれば,同原告に一時帰国の希望はあっ
ても,永住帰国の意思はなかったことが窺われるから,昭和37年9
月に同原告につき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠が
ある(甲B106の7・9・11・12,乙B106)。
f亡A5(原告番号2111)について
亡同人からの昭和36年11月20日付け通信において,亡同人の
生活状況(毎日のようにミシン縫いをしている)と,金を送るので仕
事で使うミシンを買ってほしい旨が記載されていることからすれば,
亡同人が同時点で永住帰国の意思を有していなかったことが窺われ,
その約3年半前の昭和33年6月発信の同人からの通信において,
「私もどうにかして内地に帰りたいと思って居ります。」等の記載が
あったことを考慮しても,昭和37年7月に亡同人につき残留希望者
との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲B111の5・7な
いし9)。
なお,亡同人による昭和39年11月18日付け通信において,
「夫が病気なので生活に困っている。古い着物や何でもよいから送っ
て下さい。家内中一しょに内地へ帰りたいのです。」旨の記載があり,
政府も昭和40年1月11日に同通信の事実を把握しているが(甲B
111の5),その一方で,上記通信の約4か月後に発せられた亡同
人による同年3月12日付け通信(同年5月17日に政府も把握)に
おいては,帰国意思を窺わせる記載は何ら存在しなかったこと(甲B
111の5)からすれば,政府がそのころ亡同人に特段通信調査を行
わなかったことをもって,亡同人の帰国意思の表明を故意に無視した
とまではいい難い。
g原告番号2112について
新潟県(本籍地)は,現地残留者からの情報により,同原告が健在
であることを複数時点で把握していたが,同原告の帰国意思は表明さ
れず,昭和39年以降も帰国意思の有無の確認のために調査を継続し
たが,昭和41年以降は同原告の消息が把握できない状態が続いた。
その後,昭和49年ころに別の現地残留者に調査を依頼した際に,8
年ぶりに同原告の消息が判明したが,その時にも同原告から帰国意思
の表明はなされなかった(甲B112の4・9ないし11,乙B11
2の1ないし9)。上記調査経緯に加え,最終消息確認時点が残留邦
人の帰国等の動きが既に活発化していた国交回復後であったことを考
え併せると,本人の直接の意思確認を経ていないとはいえ,上記時点
で帰国意思の表明姿勢が何ら窺われなかった同原告につき昭和51年
7月に残留希望者との認定を行ったこと(甲B112の5)には相応
の根拠がある。
h原告番号3011について
昭和27年12月に引揚勧告に訪れた公安官とともに同原告に面会
した者の情報によれば,同原告に帰国意思はないとのことであり,そ
の後も昭和43年まで現地通信調査が行われたが,いずれも返信が得
られなかった(甲C11の4ないし6,乙C11の1ないし3)。同
原告につき最終的に残留希望者との認定がなされたのか否かは明確で
ないが(甲C11の6は昭和38年作成の資料であり,これに基づき
残留希望者との認定が行われたのであれば,昭和41年ないし昭和4
3年当時,帰国意思の確認を継続中であったことを示す乙C11の1
ないし3と整合しない。),仮に同認定が行われたものとしても,上
記経緯に照らせば,相応の根拠に基づき同原告につき残留希望者との
認定が行われたものといえる。
i原告番号3012について
岐阜県(本籍地)は,昭和36年7月以降,同原告の帰国意思の有
無につき現地通信を行って照会したところ,同原告の近隣に住む母か
ら,同年9月16日付けで「子供に相談したら言葉もわからず,頼る
人もなくここで暮らすより外ないと言っている。」旨の回答が得られ
たものであるから,昭和39年12月に同原告につき残留希望者との
認定を行ったことには相応の根拠がある(甲C12の1・9の1・2,
甲C12の11,乙C12の1・2)。
j原告番号3013について
岐阜県(本籍地)は,昭和39年10月14日付け通信により,同
原告の帰国意思の有無につき照会を行ったところ,同原告から同年1
2月27日付けで「私は,今すぐ帰国しようとは決意しておりません。
もう少しよく考えてみる必要があると思っています。また,将来帰国
するかどうかということにつきましては,今,このお便りの中で確答
はできません。」旨の回答が得られ,当時の同原告が永住帰国の意思
を有していなかったことが窺われるから,昭和40年4月に同原告に
つき残留希望者との認定を行ったことには相応の根拠がある(甲C1
3の5ないし7・13・14)。
k原告番号3018について
同原告は,中国で形成した家庭の関係から,昭和32年時点では帰
国意思を有していなかったものであり,その後同原告が留守家族宛に
発した昭和37年3月21日付け通信によれば,同原告の一時帰国の
希望は窺われても,永住帰国の意思は窺われないから,同原告の家庭
事情を勘案すれば,同年10月に同原告につき残留希望者との認定を
行ったことには相応の根拠がある(甲C18の1・8の1・2,甲C
18の10ないし12)。
(エ)以上によれば,政府が生存孤児に関し残留希望者との認定を行った
ことについて,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められ
ない。
エ誤把握削除について
原告らは,上記イ及びウに加え,厚生省が原告番号3024の生存事実
と居所を把握していたにもかかわらず,以後一切の追加調査を行うことな
く,未入籍であることを理由として未引揚届の誤把握削除処理をなし,同
原告を引揚援護の対象から除外したのは違法であると主張する。
しかし,厚生省が同処理を行った(甲C24の8・13)のは,戸籍に
入籍されていない同原告の生年月日が不明であり,兄が幼少であったため
記憶がないことから,中国で生存の母に通信を行って生年月日を照会する
ためであり(甲C24の1,乙C24),これにより同原告を一切の引揚
援護の対象から除外したものではないし,結果的にその後の同原告の消息
がつかめなかったにすぎないから,同処理を違法ということはできないし,
政府が孤児の調査究明・帰還促進義務を放棄したことの顕れとも評価でき
ない。
オなお,原告らは,原告らが戦時死亡宣告により国家の手で死亡扱いされ
たことや,真意に反して「自己の意思により帰還しない」と認定されたこ
と自体が損害(人格権侵害)であるとも主張するが,前記イ(オ)及び(カ)
並びにウ(ウ)に判示のとおり,原告らについて,政府が違法・不当な目的
の下に戦時死亡宣告の請求や残留希望者の認定を行ったと認めるに足りる
証拠はないから,上記事実の判明によって当該認定を受けた原告らが不快
感を覚えることはあっても,このことを違法と評価することはできない。
カそのほか,原告らは,未帰還者特別措置法の施行以後,政府の未帰還者
調査は無策に等しく,昭和37年以降開始された日中間の活発な貿易関係
(いわゆるLT貿易)により形成された良好な日中関係を利用して,未帰
還者問題への協力を中国側に要請することを怠ったのは,極めて重大な早
期帰国実現義務の懈怠であったと主張する。
しかし,前記イ及びウに判示のとおり,同法の施行を機に,政府による
未帰還者の調査が全く断絶したわけではなく,同法の施行後も前記認定事
実3(5)イの中国側から交付を受けた名簿や,日本赤十字社を通じて入手
した現地残留者からの来信等の新資料を未帰還者調査に活用していたと認
められるし(乙104,106,150,152),経済的交流の場面と,
ジュネーブ交渉で中国側の極めて厳しい姿勢が示されるに至った未帰還者
調査の協力要請の場面を直ちに同列に論じることもできないことに照らす
と,この間に政府が(戦時死亡宣告審判確定者を含めた)未帰還者の調査
究明・帰還促進義務を放棄したとまでは評価し難いというべきである。
キ以上によれば,後期集団引揚げ終了から日中国交回復に至るまでの間に
おいて,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。
4日中国交回復後の早期帰国実現義務違反の有無
(1)違法性の判断基準
ア昭和47年9月29日,日中間の国交が回復し,孤児の早期帰国を促進
・実現する上で,これまで障壁となっていた国交断絶に起因する問題は解
消されることとなった。そして,国交回復を機に,残留邦人から日本国内
への通信が活発化するとともに,身元を知らない孤児からも,日本大使館
や厚生省等に対し,自身の身元等に関する調査・確認の依頼が多数寄せら
れるようになった。中国政府においても,前記認定事実5(1)ウのとおり,
昭和48年8月,「日中間の長年の不正常な関係は日中そう方の居留民の
往来を困難にしたが,日中関係が正常化された現在,そう方の居留民の往
来も正常化されなければならない。(中略)中国政府としては,シユウ総
理が既に指てきした通りこの問題では日本側に協力するという基本方針を
とつている。」として,残留邦人の帰国問題につき政府に協力する姿勢を
示していた。
このように,政府は,国交回復後間もない時期に,多くの孤児が日本へ
の帰国や身元確認の希望を有していることを認識し,かつ,中国側に対し,
正規の外交交渉を通じて孤児の帰国を実現するための協力を要請すること
が可能となったものであるから,国交回復前の段階と比べると,より積極
的に孤児の早期帰国実現に向けた施策を立案・実施しなければならない義
務が課せられたものと解される。
イしかし,そうであっても,国交回復後の段階における早期帰国実現義務
違反の有無の判断に当たっては,前記2(2)及び(3)に判示の特殊性に加え
て,以下の点を特に考慮する必要がある。
被告の早期帰国実現義務違反が具体的に問題となる場面は,大別すると,
孤児の身元調査の遂行の場面と,帰国手続の整備の場面に分類することが
できるところ,前者に関しては,二国間をまたいで孤児の身元を調査究明
するといった作業の性質上,中国側の固有事情を無視しては行い得ないし,
また,実効的な身元調査のための具体的施策や実施方法の検討・選択に当
たっては,基本的には,従前から引揚援護を任務・所掌事務として長年未
帰還者の調査究明業務に携わり,豊富な資料や調査実績と知見を蓄積して
きた行政庁(厚生省)による専門的観点からの裁量的判断に委ねられると
ころが大きいといわざるを得ない。
他方,後者に関しては,孤児の出国につき中国側の協力を得ることを除
けば,中国との関係を前提としない専ら国内的な問題ではあるが,孤児の
帰国も出入国管理という国家の主権行使が問題となる場面である関係上,
国家政策として,公正を旨とする出入国管理法制・行政との整合性を無視
することはできないというべきであり,孤児の帰国も視野に入れた適正か
つ実情に即した出入国管理法制・行政の構築・運用に当たっては,基本的
には,上記と同様に,実際の出入国管理事務,海外における邦人の身分関
係事項等に関する事務,引揚援護事務を所掌する行政庁(法務省,外務省,
厚生省)による専門的観点からの裁量的判断に委ねられるべき部分が大き
いといわざるを得ない。
ウそうすると,国交回復後の被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反
の有無の判断に当たっても,やはり政府(具体的には外務大臣・厚生大
臣)が実際に講じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,当時
の具体的状況の下で著しく不合理であったといえるのでない限り,当該措
置ないし不作為が同義務に違反して国家賠償法上違法となると評価するこ
とはできないというべきである。
エ以上を前提に,孤児の身元調査の遂行と帰国手続の整備の場面毎に,被
告の原告らに対する早期帰国実現義務違反の有無につき検討する。
(2)身元調査の遂行の場面における早期帰国実現義務違反の有無
ア身元調査を永住帰国に先行させることの合理性の有無
後記(3)に判示のとおり,政府は,昭和60年までの間は,基本的には
在日親族の身元保証が得られる孤児に限って永住帰国を認める方針を執り,
身元の判明が永住帰国に当たっての原則的条件とされてきた。また,同年
に身元引受人制度による身元未判明孤児の永住帰国の途が開かれた後も,
同制度の利用に当たっては,訪日調査等によっても身元が判明しなかった
ことが必要とされており,永住帰国の前提として,まず身元調査を尽くす
必要があるとの基本的方針は維持された。
原告らは,身元調査を永住帰国に先行させる必然性はなく,一時期まで
孤児の身元の判明と親族の身元保証を永住帰国の条件とし続けてきた政府
の施策は誤っており,孤児が帰国を希望する限り,身元の判明の有無を問
わず,速やかに孤児の帰国が実現する制度を設けるべきであったと主張す
る。
しかし,長年中国で生活してきて日本に生活の基盤を持たない孤児にお
いて,帰国後に日本社会への早期定着と自立促進を図るために,できる限
り孤児と日本社会との第一次的接点となるべき親族の存在が判明した方が
望ましいとの観点から,永住帰国の前提として,まず身元調査を先行させ
るとしたこと自体は不合理とはいえない(現に,原告らの陳述書等によれ
ば,原告らが人間の本性に立った自然な心情として,肉親捜しと肉親との
再会を熱望していたことが認められる。)。そうすると,当初は身元が分
からなかった孤児との関係における早期帰国実現義務違反の成否の問題は,
身元調査の場面においては,政府の行った孤児の身元調査が不十分であっ
たことが原因で,孤児の身元の判明が遅れ,あるいは判明の機会を逸する
こととなった結果,当該孤児の永住帰国時期が遅延したことが義務違反と
なるか否かの問題ということとなる。
この点に関し,被告は,孤児の身元調査に関する主な施策として,保有
資料に基づく調査,公開調査,訪日調査を順次実施し,孤児の身元調査に
努めてきたと主張するのに対し,原告らは,これらの施策はいずれも極め
て不十分ないし時機に遅れたものであったと主張するので,以下これらの
施策の実施状況等に照らし,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反
が認められるか否かにつき検討する。
イ保有資料に基づく調査
前記認定事実5(1)のとおり,政府は,国交回復後,①孤児等から寄せ
られた手掛かり資料に基づき,厚生省等が保有する名簿等の各種資料を照
合して該当者らしい者を抽出し,都道府県を通じて家族に身元の確認を求
める,②未帰還者,戦時死亡宣告により除籍された者,自己の意思により
帰還しないと認められ未帰還者から除かれた者の合計1万7549人の名
簿を日本大使館に送付し,未帰還者の現地調査を行う(昭和48年3月),
③中国政府に対して未帰還者名簿を交付し,残留邦人に関する資料の提供
を求める(同年8月)といった施策を実施し,未帰還者の消息と身元の調
査を行った。
原告らは,政府が保有資料を公開して調査を行わなかったり,国交回復
後,即座に中国との間で外交交渉を開始しなかった等の点において,政府
が当初行った身元調査は著しく不十分であったと主張する。
しかし,前者については,膨大かつ雑多な保有資料から一般公開に適す
る形に個々の孤児の情報を整理・集約するにはある程度の時間を要すると
考えられること,国交回復から約2年半後には公開調査が行われているこ
と,後者については,国交回復から約半年後にまず現地調査を開始し,そ
の約5か月後には未帰還者名簿を中国政府に交付して,中国側からの積極
的な情報提供等を申し入れていることに照らすと,国交回復当初の段階に
おいて政府が行った身元調査に関する施策が不合理であったとは評価し難
いというべきである。
ウ公開調査
前記認定事実5(2)のとおり,政府は,昭和50年3月以降,マスコミ
を通じて孤児の情報を公開し,身元に関する情報を募る公開調査を実施し,
その結果,昭和56年1月までの間に,437人中166人の身元が判明
した。
原告らは,公開調査は,遅々として進展しない政府の身元調査に対する
世間からの厳しい批判が向けられる中で,政府の無策に耐えかねた民間団
体が主体となって行ってきたマスコミを通じた肉親捜しを渋々後追いする
形で,遅ればせながら実施されたものにすぎず,また,早くから公開調査
には限界があり,訪日調査の導入の必要性が指摘されてきたにもかかわら
ず,漫然と効率の悪い公開調査を継続し続けたとして,政府の行った公開
調査は著しく不十分ないし時機に遅れたものであったと主張する。
前者の点に関し,公開調査の実施に先立つ昭和49年8月15日,朝日
新聞紙上において,孤児の肉親捜しを支援するボランティア団体から持ち
込まれた資料を基に,孤児の情報を顔写真入りで紹介する「生き別れた者
の記録」という特集記事が掲載されて世間の大きな反響を呼び,その後も
不定期に連載されるようになったこと(甲2,79,85の1ないし24,
166の1ないし4,証人b)に照らすと,政府の保有資料による調査手
法に行き詰まりが見えていた状況の中で,政府が世間の動きに後押しされ
るような形で公開調査に乗り出したように映ることは否定し難い。
しかし,他方で,国交回復から約2年半後,朝日新聞による上記特集記
事の掲載開始から約7か月後には公開調査が開始されていること,公開調
査を通じて約38%の孤児の身元が判明し,特に初年度(昭和50年)の
公開調査対象者では205人中109人の孤児の身元が判明(身元判明率
約53%)するなど(乙113),孤児の身元調査を推進する上で一定の
成果を上げたこと,後記エ(イ)に判示のとおり,公開調査に替わる訪日調
査の導入が著しく時機に遅れたとは評価し難いことに鑑みると,政府によ
る公開調査に関する施策が不合理であったとまでは評価し難いというべき
である。
エ訪日調査
(ア)前記認定事実5(3)のとおり,政府は,昭和56年3月以降,孤児を
一定期間日本に招いて肉親捜しを行う訪日調査を実施し,その結果,平
成11年3月までの間に,2116人の参加者中670人の身元が判明
した。
原告らは,①孤児と在日親族の高齢化が進む中で,訪日調査は極めて
有力な身元調査手法であったにもかかわらず,国交回復から9年も経っ
てからようやく実施されたのは著しく時機を逸している,②訪日調査開
始当初の参加人数が極めて少数にとどまったのは,政府の施策の遅れが
原因である,③関係者の数十年前の記憶等を頼りにした対面調査のみで
は十分な身元判明の成果を上げることはできず,科学的調査方法の活用
が不可欠であったにもかかわらず,政府は費用がかかることを理由に,
終始血液鑑定等の実施に消極的姿勢を堅持し続けてきたと主張し,この
ような政府の施策の遅延や不十分さによって,多くの孤児が身元判明の
機会を失うなどして帰国時期が著しく遅れる結果となったと主張するの
で,以下これらの点につき検討する,
(イ)①について
厚生省内で訪日調査に関する具体的な検討が始まったのは昭和55年
のことと認められるが(乙104,106,172,173),その前
年の昭和54年9月22日には,厚生省が身元が分からない孤児を半年
ほど一時帰国させて,日本滞在期間中に身元調査を行う「肉親捜しの
旅」の導入を計画し,初年度は60人を対象として,その費用を次年度
の概算要求に盛り込んだことが報じられていること(乙145)に照ら
すと,遅くとも同時点においては,公開調査に替わる新たな身元調査手
法として,訪日調査に類する身元調査手法の導入の準備が進められてい
たものと考えられる。昭和51年に孤児を訪日させて肉親捜しを行うべ
きとの要望が外部から起こり始め(甲66,67の1・2,68),そ
の翌年に実施された公開調査では,従来は毎回5割前後に上った身元判
明率が3割前後に低下し,その後は公開調査人員数も身元判明率も更に
減少するなど(乙113),昭和52年ころを境に公開調査による身元
調査の限界が次第に明らかになってきたものと考えられるが,昭和51
年以前に行われた公開調査では比較的身元判明率が高く,政府が当面公
開調査を継続するとしたことが不合理であったとまではいい難いこと,
公開調査の限界が客観的に露呈し始めた昭和52年の2年後には,厚生
省内でも次の施策に向けた予算要求がなされていることに照らせば,訪
日調査の導入に向けた政府の動きが著しく時機に遅れたとまでは評価し
難いというべきである。
また,訪日調査は,手掛かり資料等を通じて,日中両国政府において
日本人孤児と認められる者を特定し(政府が孤児と考える者でも,中国
政府が孤児と認めない限り,訪日調査に参加させることは不可能であっ
た。),その上で孤児と認められた調査対象孤児を集団で訪日させる手
続を執るという,二国間をまたいで行われる過去に前例のない試みであ
り,その性質上,訪日調査の実施に至るまでには,これに伴って生じる
様々な問題を外交交渉を通じて解決しておく必要があったと考えられる。
前記認定事実5(3)イの中国外交部の声明として,中国の養父母が孤児
が訪日することに難色を示す懸念や(実際にも,訪日調査に行った孤児
が帰ってこないことを心配した養父母が訪日調査に激しく反対し,その
説得に時間を要した経緯がある。乙172,173),そのほかにも多
くの問題が存在することが挙げられていることは,訪日調査の実施に伴
う困難性を端的に示したものといえる。
加えて,訪日調査の具体的な段取りを整える上でも,まず日本側で孤
児と思われる者の名前や手掛かり等を整理した名簿を作成し,これを中
国側に送付して日本人孤児であることの確認を要請し,その回答を受け
た後,本人への連絡や参加孤児の訪日に必要な各種事務手続を執るなど
の多岐・複数回に及ぶ二国間のやり取りが必要となるところ,このよう
なやり取りを全て外交ルートを通じて行う必要があったため,準備の過
程で多くの手間と時間を要することとなるのも避け難かったものと考え
られる(乙104,106,150)。前記認定事実5(3)イ及びエの
第1回訪日調査前後の中国外交部の意見として,中国側が戦後30年以
上が経過した段階で日本人孤児の認定を行うことの困難さが重ねて指摘
されていることからも,まず最初の訪日孤児の確定までの段階で既に多
くの時間を費やさなければならなかった実情が窺われる。
以上を総合すれば,訪日調査の開始が日中国交回復から約9年後とな
ったことをもって,政府の施策が著しく時機を逸したとまでは評価する
ことはできないというべきである。
これに対し,原告らは,政府が中国政府に正式に訪日調査の協力を申
し入れたのは昭和55年10月に至ってのことであり,初動の遅れは看
過し得ないと主張する。
確かに,前記認定事実5(3)イの同月28日以前の段階において,政
府が中国政府に対して訪日調査に関する正式な外交上の協力申入れを行
っていたことを窺わせる証拠は存在しないが,過去に前例のない訪日調
査の実施に当たって,国内でまず段取りを整えるべき事項が多岐に及ん
だと考えられること(乙149),上記以前の段階においても日中間で
何らかの実務的な協議は行われていたと推認されること(甲164)に
照らせば,正式な協力申入れが同日になされたことをもって,上記判断
が左右されるものではないというべきである。
(ウ)②について
訪日調査の参加人数の推移は,別紙3「孤児の肉親調査の概況」の
「集団訪日調査参加孤児の判明率の推移等」欄記載のとおりであり,こ
れによると,参加人数が年数百人規模となる昭和60,61年よりも前
の段階においては,1回当たりの参加人数は45人ないし90人で,年
に換算しても47人ないし140人の参加人数にとどまっていたことが
認められる。
しかし,訪日調査の参加人数が当初は比較的少数にとどまったのは,
前記認定事実5(3)エのとおり,一度の派遣人数を30人ないし40人
程度とする方が,中国国内での調査や手続を円滑に進める上で好ましい
とする中国側の意向を踏まえてのものであり,政府の中国政府に対する
協力要請の遅れや事前準備が不十分であったことが原因とは一概にはい
えない。また,訪日調査の開始の翌年に出された懇談会第1報告書にお
いても,訪日調査の参加人数については,十分な成果の確保と中国側の
準備期間を考えれば,当面は1回の参加人数は60人程度,訪日調査の
回数は年3回が限度である旨の提言がなされており,当初の段階では比
較的小規模の調査の実施が相当とされていたことが窺われる。
確かに,訪日調査開始から5年後(昭和61年)の段階では,年間6
72人を対象とする当初の数倍ないし十数倍規模の訪日調査が実現する
ことになるが,これは先例のない試みを積み重ねる中で,次第に日中双
方において大勢の孤児を訪日調査に参加させ得る基盤が整った結果と見
るのが相当であり,上記数字の較差のみをもって,当初から多数の孤児
が参加可能な態勢を政府が構築し得たはずであったと認めるのは困難と
いうべきである。
なお,原告らの陳述書等によれば,肉親捜しを申請したにもかかわら
ず,訪日調査参加までに数年間も待たされた(長い者で5,6年)と述
べる者も相当数存在するが,孤児の身元に関する手掛かり資料の多寡や
信頼性の程度は孤児毎に千差万別であり,政府が初期の段階では手掛か
り資料が豊富で信頼性が高く,身元判明の見込みの高い孤児を優先的に
訪日調査に参加させる方針を執ったことによって(甲17,乙172,
173),結果的にその他の孤児の訪日調査の参加時期が数年程度遅れ
る結果となったとしても,上記のとおり,当初の参加人数の制約がやむ
を得なかったことからすれば,同結果の発生が政府による不合理な施策
・方針に起因するものと評価することはできない。
(エ)③について
前記認定事実5(3)ウのとおり,対面調査によっても身元が明確に判
断できない等の場合においては,当事者双方の希望により,血液鑑定な
いしDNA鑑定を実施することが可能であったところ,血液鑑定等には
国家による当事者のプライバシーの探索につながる人権上の問題が否定
できないことからすると,血液鑑定等を行うか否かは飽くまで当事者の
選択に委ねるほかないとするのもやむを得ないというべきであるから,
訪日調査に当たって血液鑑定等を原則として実施するとの方針を政府が
示さなかったことが不合理であったとまではいえない。
また,血液鑑定等に要する費用は,孤児の分は全額国庫負担とされて
おり,少なくとも,孤児側が費用を理由に血液鑑定等による身元判断を
躊躇する懸念はなかったものであるから,政府の費用援助が原則として
片面的なものにとどまったことが不合理であったともいい難い。
そのほかに,政府が孤児の血液鑑定等の利用促進に過度に消極的であ
ったことを認めるに足りる証拠はない。
(オ)訪日調査の実績
訪日調査全体を通じて見れば,昭和56年から平成11年までの間に
30回にわたって実施された訪日調査において,2116人の参加人数
中671人の身元が判明しており(判明率31.7%),政府が孤児の
身元調査を遂行する過程において,一定の成果を上げたということがで
きる。
他方,身元判明率の推移を見ると,別紙3「孤児の肉親調査の概況」
の「集団訪日調査参加孤児の判明率の推移等」欄記載のとおり,年間数
百人規模の参加が実現する前の訪日調査開始当初の4年間(昭和56年
3月から昭和60年3月まで)は,身元判明率が43%ないし75%と
比較的高い水準を示していたものの,その後は判明率が低下し,平成元
年以降は一度の例外を除いて判明率が10%台ないし一桁台に低迷する
結果となっている。政府が初期の段階に比較的身元に関する手掛かり資
料が豊富な孤児を優先的に訪日調査に参加させたことからすると,比較
的手掛かり資料に乏しい孤児も大勢参加できるようになった後の段階で
判明率が低下するのもやむを得ない面があるとはいえ,その一方で,訪
日調査の実施に至るまでの時の経過に伴って孤児や在日親族の高齢化が
進んだことが,肉親の死亡や関係者の記憶低下等の身元判明を困難とす
る事態の増加につながり,孤児の身元を解明する上で大きな障害となっ
たことも否定できない。
そうすると,事後的にみれば,国交回復後のより早い段階で大規模な
訪日調査を実施するのが相当であったと評価し得るものの,先に判示の
諸事情に鑑みれば,当時の具体的状況の下で,政府の訪日調査に関する
施策の誤りないし施策の遅れが国家賠償法の適用上違法な程度に達して
いたとまでは認められないというべきである。
オその他の身元調査に関する施策
前記施策のほかにも,政府は,前記認定事実5(4)のとおり,訪中調査,
訪日対面調査,キャラバン調査,身元未判明孤児肉親調査事業,孤児名鑑
の発行といった身元調査に関する補完的な施策を順次立案・実施し,これ
らの施策を通じて身元が判明する孤児も現れるなど,一定の成果を上げた。
カ以上に判示したところを総合すれば,身元調査の遂行の場面において,
被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反は認められない。
(3)帰国手続の整備の場面における早期帰国実現義務違反の有無
ア原告らは,政府は孤児の実情に合致した簡易な帰国手続を整備し,永住
帰国を希望する孤児が早期に帰国できるようにすべきであったにもかかわ
らず,政府が孤児に対して実際に課した帰国手続は,かえって孤児の帰国
を妨害する極めて不合理なものであり,これによって原告らの永住帰国が
大幅に遅れる結果を招いたと主張し,具体的な早期帰国実現義務違反の事
実として,①孤児を入管法上「外国人」として扱い,永住帰国の条件とし
て在日親族の身元保証を要求したこと,②帰国旅費の支給申請者を孤児の
留守家族に限定したこと,③昭和60年に身元引受人制度が創設されるま
での間,身元未判明孤児の帰国が事実上不可能であったこと,④身元引受
人制度の創設後も,身元判明孤児については,依然として親族の身元保証
を要求し,身元が判明したが故に帰国できないという矛盾が生じたこと,
⑤成年の子が帰国旅費の支給対象外とされたことにより,孤児が永住帰国
か家族分断かの深刻な選択を迫られたことを挙げている。
そこで,これらの点に関し,政府の執った措置に早期帰国実現義務に違
反する違法な点が認められるか否かにつき検討する。
イ孤児を入管法上「外国人」として扱ったこと等について
(ア)前記認定事実6(2)アのとおり,政府は,昭和48年10月10日以
降,従来引揚者に対して発給を行ってきた「帰(入)国に関する証明
書」の発給を廃止して,日本国籍を有する者と中国国籍を有する者とで
入国手続を峻別し,後者については,中国旅券に査証を行う扱いとし,
査証発給の条件として,留守家族による身元保証書の提出を必要とする
など,前者に比べて厳格な入国手続を求めるようになった。そして,中
国旅券により帰国する残留邦人(中国国籍取得者)の国籍については,
前記認定事実6(2)ウのとおり,国籍法11条1項との関係上,中国国
籍取得の意思が真正と認められる場合には,日本国籍を喪失したものと
取り扱われることとなり,これによって,中国旅券により帰国する残留
邦人は,現に日本国籍を有することが確認できない限り,入管法上の
「外国人」としての扱いを受けることとなった。
(イ)原告らは,政府が日本人である孤児について,中国旅券により帰国
するとの一事をもって,日本国籍を喪失した可能性があるとして,一律
に一般の外国人と同様の入国管理を行ったのは極めて不合理であると主
張する。
しかし,そもそも,入管法が「本邦に入国し,又は本邦から出国する
すべての人の出入国の公正な管理を図る」ことを目的とし(1条),外
国人及び日本人の双方を含む全ての人の出入国に関し,同法に定める要
件に該当しているか否かを審査し,所定の行政処分を公平かつ適正に行
うことを基本理念としていること,同法が出入国者が日本人であるか否
かにより出入国管理手続を厳格に峻別していること,憲法10条が「日
本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と定め,国籍法が日本国籍
の取得や喪失に関する具体的な規定を置いていることからすれば,国籍
法上,ある者につき日本国籍取得の事実が認められなかったり,日本国
籍喪失の事実が認められる場合において,その者を入管法上「外国人」
として扱うことは,同法の趣旨・目的に則った当然の措置であって,こ
の理は入国管理の対象者が孤児であっても異なるところはないというべ
きである。
そして,日本国籍を有することの確認とは,入国審査官において,対
象者について,国籍法所定の日本国籍の取得要件があり,かつ,その喪
失要件がないことを認定判断することにほかならないところ,日本国籍
取得の事実は,通常は戸籍の記載によって確認することが可能である。
しかし,身元未判明孤児については,そもそも同事実の手掛かりとなる
べき戸籍の存否が確認できず,入管行政上,これらの者を外国人ではな
いと確実に認定するのは一般には困難である。また,戸籍の記載等によ
り日本国籍取得の事実が確認できる場合においても,上記のとおり,国
籍法11条1項との関係で,孤児が中国国籍を取得したことによって,
外形上,日本国籍の喪失要件に該当することとなり,当該孤児が帰国時
点において日本国籍を喪失している可能性が否定できない(むしろ,一
般には喪失の事実が推定されるといえる。)。加えて,旧国籍法が適用
される昭和25年6月30日以前に中国人と婚姻して妻となった孤児に
おいては,旧国籍法18条に基づき日本国籍を喪失している可能性も高
い(具体例として,原告番号2038,2053,2065,2111,
3011。昭和25年に中国人と婚姻した同3015も,婚姻時期によ
っては,旧国籍法が適用される可能性がある。)。そうすると,入国審
査官において,これらの孤児が日本国籍を有する者であることが確実な
資料に基づき確認できない以上は,入国手続の段階で当該孤児を外国人
として扱うことも,入管法の趣旨・目的に則ったやむを得ない措置とい
わざるを得ない。
したがって,政府がこのような孤児について,外国人としての入国管
理を行い,当初は永住帰国の条件として身元保証人を要求したことも,
後記エ及びオに判示のとおり,後に身元引受人制度を創設するなどして
孤児の帰国手続を次第に緩和する措置を講じていること(同措置の実施
主体は外務大臣・厚生大臣である。)を考え併せると,これが不合理な
措置であったとまでは評価し得ないというべきである。
これに対し,原告らは,孤児が中国国籍を有するに至ったのは,養父
母が幼い孤児を中国人として届け出たり,あるいは孤児が中国社会で生
きていく中で,他に選択肢がない状態で中国国籍を取得したことによる
ものであって,到底「自己の志望によって」中国国籍を取得したとはい
えないにもかかわらず,政府がこれを「自己の志望によって」中国国籍
を取得したとみなして,日本国籍を喪失させる扱いを執ったことは著し
く不合理であると主張する。
しかし,残留孤児の生じた歴史的経緯は前記のとおりであるとしても,
個々の孤児がその後中国国籍を取得するに至った事情は千差万別である
し,また,前記認定事実6(2)ウの通達は,入国審査の段階において,
対象者が自己の志望により中国国籍を取得したか否かの点の実質審査を
行うことを排除する趣旨のものではないと解され,中国国籍を有する孤
児について,一律に日本国籍を喪失したものとみなすことまで意味する
ものではないから,結果的に多数の孤児について外国人としての入国管
理が行われたことをもって,このような政府の措置が著しく不合理であ
ったとまで評価することはできないといわざるを得ない。
(ウ)次に,原告らは,孤児の帰国に際し,政府が身元保証人の資格を親
族に限定したのは,一般の外国人以上に入国要件を加重するものであり,
長期間親族との関係を断ち切られてきた孤児に親族の身元保証を要求し
たのは著しく不合理な帰国妨害措置であると主張する。
前記認定事実6(2)アのとおり,入管法上の外国人として扱われる孤
児が中国旅券に査証を受けるためには,留守家族が身元保証を行うもの
であることが確認できる内容の通信文を日本大使館に提出することが必
要とされ,これにより,孤児が永住帰国するためには,在日親族の身元
保証を得ることが必要な扱いとなった。原告らの中にも,身元引受人制
度創設以前にボランティアが身元保証人となることで永住帰国を果たし
た者が存在することに照らすと(甲B10の1・2,甲B53の1・2
・21),身元保証人が親族であることが必ずしも絶対的な要件ではな
かったものと解されるが,査証発給の要件として上記書類の提出が求め
られていたことからすると,一般的には,親族の身元保証が得られない
限り,事実上永住帰国ができないことを意味していたものと考えられる。
そこで,身元保証人の資格を事実上親族に限定した措置の合理性につ
き検討すると,日本に生活の基盤を持たない孤児において,帰国後に日
本社会への早期定着・自立促進を図るためには,親族が身元を引き受け
るのが最適との考え方は合理的であるし,また,身元保証人の保証事項
は,孤児の滞在費,帰国旅費,法令の遵守であるが,いずれも法的拘束
力はなく,身元保証人となることに関する親族の負担が過重とまではい
えない。
そうすると,身元が分からない孤児については,まず前記各手法によ
る身元調査を先行させて親族の発見に努めるとともに,身元判明孤児に
ついては,親族の身元引受けを期待して,政府が当初は帰国の際に親族
の身元保証が必要との扱いを執ったことも,後記エ及びオに判示のとお
り,訪日調査によっても身元が判明しなかったり,身元が判明しても親
族が身元を引き受けないケースが次第に増加していった実情を踏まえて,
後に親族の身元保証を不要とする措置が講じられていることを考え併せ
れば,これが不合理であったとまで評価することはできないというべき
である。
なお,原告らは,身元保証人の資格を親族に限定したのは,一般の外
国人以上に孤児の入国要件を加重するものであって,入管法上違法の疑
いが強いとも主張するが,上記のとおり,身元保証人が親族であること
が絶対的な要件とまではされていなかったものであるから,これを入管
法上違法と評価することは困難というべきである。
(エ)以上によれば,政府が孤児を入管法上の外国人として扱い,永住帰
国の条件として親族の身元保証を要求したことに関し,早期帰国実現義
務に違反する違法な点があったとは認められない。
ウ帰国旅費の支給申請者を留守家族に限定したことについて
前記認定事実6(1)のとおり,永住帰国を希望する残留邦人と同行配偶
者及び未婚の未成年の子等の扶養親族に対しては,国交回復前から帰国旅
費を国庫負担とする援護措置が行われていたところ,帰国旅費の支給申請
手続は,当初は帰国希望者の留守家族が行うこととされていた。
原告らは,孤児の大半は帰国旅費を自ら支弁することができず,帰国に
当たっては帰国旅費の支給を受けることが必要不可欠であったにもかかわ
らず,政府が支給申請者を留守家族に限ったことは,身元未判明孤児や親
族が申請に協力しない身元判明孤児の帰国を妨害する著しく不合理な措置
であると主張する。
帰国旅費の支給申請自体は形式的な事務手続であり,申請者が援護の対
象となる孤児本人であるかの確認の必要性についても,身元判明孤児につ
いては,孤児が申し立てた在日親族に政府が確認を行えば足りるし,身元
が不明な孤児についても,申請者が援護対象者に該当するかが疑わしいの
であれば,支給を認めないこととすれば足りると考えられることに照らす
と,申請手続が留守家族のみによって行われなければならない特段の必要
性は見出し難い。しかし,他方で,上記イに判示のとおり,当初は孤児の
帰国に当たって親族の身元保証を必要とした措置が違法とはいえないこと
を前提とすると,親族の身元保証が得られるのであれば,併せて帰国旅費
の支給申請を親族に行ってもらうことに特段の困難はないと考えられるし,
その後,昭和60年に身元引受人制度が創設され,身元未判明孤児の帰国
に際して身元保証人が不要とされたのに伴って,身元未判明孤児について
は孤児本人が,身元判明孤児についても留守家族以外の第三者が支給申請
を行い得るように手続が改められたこと(なお,原告らの中に,それ以前
の段階で身元判明孤児の身元保証人となったボランティアが帰国旅費の支
給申請を行い,申請が認められた例が存在する。甲B53の21・22)
を総合して考えると,帰国旅費の支給申請者が当初は留守家族に限定され
ていたことそれ自体が,孤児が永住帰国を果たすに当たっての独立の妨害
要因となったものとまでは認め難いといわざるを得ない。
そのほか,原告らは,帰国旅費国庫負担制度の周知方法を留守家族経由
にとどめたのは不合理であるとも主張するが,未帰還者の調査において,
従前から国,都道府県,留守家族,未帰還者の順(その逆も含む。)の連
絡経路が築かれていたこと(乙83,84),身元引受人(特別身元引受
人)制度を利用して帰国する孤児については,国費による帰国が前提とな
る関係上,孤児が同制度の適用を申請する際に帰国旅費国庫負担制度につ
いても説明がなされると考えられることに照らせば,同制度の周知に当た
って留守家族を通じた上記連絡経路を活用することとして,他の周知方法
を特段講じなかったとしても,その措置が不合理であったとまでは評価し
難いというべきである。
以上によれば,政府が帰国旅費の支給申請者を当初は留守家族に限定し
たこと等に関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認め
られない。
エ昭和60年まで身元未判明孤児の永住帰国が事実上不可能であったこと
について
前記認定事実6(3)のとおり,政府は,昭和60年に身元引受人制度を
創設し,訪日調査によっても身元が判明しなかった孤児を対象に,身元保
証人に代わる身元引受人を斡旋することで,従来は親族の身元保証が得ら
れなかったために事実上不可能であった身元未判明孤児の永住帰国が可能
となった。
原告らは,国交回復から13年もの間,政府が身元未判明孤児の帰国を
事実上認めない措置を講じてきたのは著しく不合理な帰国妨害措置である
と主張する。
しかし,前記(2)アに判示のとおり,身元の分からない孤児について,
永住帰国に先立って,まず身元調査を尽くす方針を執ったこと自体は不合
理とはいえないところ,昭和56年に身元判明率の比較的高い調査手法で
ある訪日調査が導入された後(訪日調査の導入が遅れたこと等につき早期
帰国実現義務違反が認められないことは,前記(2)エに判示のとおり。),
これを経てもなお身元が判明しない孤児が相当数(訪日調査参加人数の半
数以上)に上ることが次第に判明する中で,訪日調査開始の4年後には身
元引受人制度が創設されるに至っており,訪日調査の開始時点を基準とす
るならば,同制度の創設までに著しい遅延を来したとはいい難い。また,
昭和57年8月26日に孤児問題懇談会から身元未判明孤児のための身元
引受人の斡旋の提言がなされ,次いで,昭和59年3月17日に中国政府
との間で中国残留日本人孤児問題の解決に関する日中間の口上書が交換さ
れ,在日親族の有無を問わず,政府が孤児の永住帰国を受け入れるとの方
針が政府間で確認されたという流れを踏まえて,その翌年には身元引受人
制度の創設に至っていることに照らすと,国内外で身元未判明孤児の帰国
問題が焦点となった中で,政府による対応策の立案・実施が顕著に遅延し
たとも評価し難い。そうすると,国交回復から身元引受人制度が創設され
るまでの13年間,政府が身元未判明孤児の永住帰国を事実上制限する措
置を継続したことが著しく不合理であったとまでは評価できないというべ
きである。
以上によれば,政府の施策により昭和60年まで身元未判明孤児の永住
帰国が事実上不可能であったことに関し,早期帰国実現義務に違反する違
法な点があったとは認められない。
オ身元引受人制度創設後も依然として身元判明孤児につき親族の身元保証
を帰国条件とし続けたこと等について
(ア)前記認定事実6(4)のとおり,身元引受人制度の創設後も,身元判明
孤児については,引き続き永住帰国に際して親族の身元保証を求める扱
いが続いたが,平成元年に特別身元引受人制度が創設されたことにより,
親族が孤児の受入れを拒否するなどの事情により帰国ができなかった身
元判明孤児についても永住帰国が可能となった。
原告らは,①身元引受人制度の創設により,身元未判明孤児について
は身元保証人がなくても永住帰国が可能となったにもかかわらず,身元
判明孤児についてのみ親族の身元保証を要求し続けたことで,身元が判
明したが故に帰国できないという深刻な矛盾が生じたこと,②特別身元
引受人制度を利用するためには,肉親を長期間説得したにもかかわらず,
肉親が孤児を受け入れない等の厳しい要件が課され,しかも,特別身元
引受人による孤児の永住帰国手続に異存がない旨の親族の確認書が必要
という矛盾に満ちたものであったため,同制度がほとんど機能しなかっ
たこと,③特別身元引受人の登録数が少なかったため,特別身元引受人
のなり手が見つからずに帰国が遅れた孤児が多数存在することを挙げて,
政府は親族の身元保証が得られない身元判明孤児の永住帰国を妨害する
著しく不合理な措置を継続し続けたと主張するので,以下順に検討する。
(イ)①について
まず,孤児の永住帰国に当たって親族の身元保証を求める扱いについ
ては,前記認定事実6(2)エのとおり,昭和61年10月15日以降,
身元判明孤児についても,在日関係者からの招へい理由書を提出すれば
査証が発給される扱いとなったことにより,これ以後は親族の身元保証
が得られなくても永住帰国が可能ないし容易となったものと解される。
そうすると,身元未判明孤児との比較において検討すべきなのは,身元
判明孤児について,身元引受人制度創設後も,上記時点まではなお親族
の身元保証を求め続けたことと,上記扱い変更後も,なお招へい理由書
という形で在日関係者から書類の提出を求める必要があったことについ
ての合理性の有無ということになる。
そこで,まず前者の点について検討すると,親族の身元保証を得る術
がなく,身元引受人制度によらなければ事実上永住帰国が不可能な身元
未判明孤児とは異なり,身元判明孤児の場合は,一応は親族の存在が判
明しており,親族の身元保証を得ることにより永住帰国する可能性が全
くないわけではないし,また,前記イ(ウ)に判示のとおり,日本に生活
の基盤を持たない孤児の帰国後の日本社会への早期定着・自立促進を図
るために,親族が孤児の身元を引き受けるのが最適との考え方には合理
性がある。そうすると,身元判明孤児については,できる限り親族によ
る身元引受けがなされることが適当との考慮の下に,身元引受人制度創
設後もなお親族の身元保証を求める扱いを継続したことも,同制度の創
設(昭和60年3月29日。乙13)から約1年半後には上記扱いが変
更されて,親族以外の第三者による招へい理由書の提出をもって永住帰
国が可能となり,親族が孤児の帰国に非協力的であるために帰国できな
いという事態は制度上一応解消されたことを考え併せると,これが著し
く不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
次に,後者の点について検討すると,在日関係者からの招へい理由書
は,孤児が落着き先未定のまま帰国してトラブルを起こすことのないよ
うに,帰国の際に孤児との連絡や世話をしてくれる人物がいることを確
認する意味で提出が求められたものであり(乙197),日本に生活の
基盤を持たずに帰国する孤児について,帰国後の日本社会への定着が円
滑に進むように,上記のような立場の者の存在を事前に確認する必要が
あるとしたことには合理性がある。確かに,長年中国に在住していた孤
児において,招へい理由書の書き手となる親族以外の第三者を確保する
ことに困難が伴うことは否定し難いが,上記扱い変更後の約2年9か月
後には特別身元引受人制度が創設され,親族が永住帰国に非協力的で,
親族以外に在日関係者の知り合いがいない孤児についても制度上永住帰
国が可能となったことにも鑑みれば,同時点まで身元未判明孤児と異な
る扱いを継続したことが著しく不合理であったとまで評価するのは困難
といわざるを得ない。
以上の点を総合考慮すれば,身元引受人制度の創設後,身元判明孤児
の方がかえって永住帰国が困難という一見矛盾とも映る事態が一定期間
継続したことが著しく不合理であったとまでは評価し得ないというべき
である。
(ウ)②について
前記認定事実6(4)イのとおり,孤児が特別身元引受人の斡旋を受け
るためには,肉親が死亡又は所在不明の場合,長期にわたって説得後も
なお肉親の孤児の受入れを拒否する姿勢に変わりがなかった場合(後に
要件を緩和),その他肉親の事情により孤児の受入れが不可能な場合の
いずれかに該当することが必要とされていたところ,上記(イ)に判示の
とおり,可能な限り孤児の親族による身元引受けがなされることが適当
との考慮に合理性を認め得ること照らせば,肉親による孤児の受入れが
期待不可能な場合に限って特別身元引受人制度を適用するとしたことが
著しく不合理であったとまではいい難い。
また,上記要件のうち,長期にわたる説得というのは,概ね6か月間
にわたり定期的に説得を行うことをいうものとされ,著しく長期間とま
ではいえないし,これに加えて,肉親に対する説得は,業務担当都道府
県の職員が市町村等の協力を得て行うものとされ,孤児本人があらゆる
説得の負担を負わなければならないわけではないこと,平成6年1月以
降は肉親が身元引受けを拒否する場合には直ちに特別身元引受人の斡旋
が開始される運用となったことも考え併せると,当初は肉親に対する説
得が要求されたことが孤児の特別身元引受人制度の利用を著しく阻害す
る不合理なものであったとまでは認め難い。
さらに,同制度の創設当初は,孤児が特別身元引受人の行う帰国手続
により永住することに異存がない旨の肉親の確認書の提出が必要とされ
ていたところ,孤児が永住帰国した場合に孤児と肉親との関係に生じ得
る摩擦を未然に防止するとの観点から,このような確認書の提出を肉親
に求めるとしたことに必要性・合理性がなかったとまではいえないし,
制度開始の2年後には確認書の提出が省略できることとされ,比較的短
期間で同措置が撤廃されていることも考え併せると,当初の措置が著し
く不合理なものであったとまでは断じ難い。
したがって,上記の点と後記(エ)に判示の特別身元引受人制度の運用
実態を総合的に勘案すれば,同制度の適用要件が厳格であったことが著
しく不合理であったとまでは評価し難いというべきである。
(エ)③について
前記認定事実6(4)ウの特別身元引受人の運用状況に照らせば,平成
6年度及び7年度末時点において,相当数の特別身元引受人登録者と斡
旋実績があったことが窺われるから,特別身元引受人の登録数が少数で
あったことが原因で,実際には同制度の利用が著しく阻害されていたと
までは認め難いというべきである。
(オ)以上の点を総合すれば,政府の策定した身元引受人制度創設後の身
元判明孤児の帰国手続に関し,早期帰国実現義務に違反する違法な点が
あったとまでは認められない。
カ帰国旅費の支給対象を限定したことについて
前記認定事実6(1)アのとおり,帰国旅費の支給対象は,永住帰国を希
望する残留邦人と同行配偶者及び未婚の未成年の子等の扶養親族とされて
おり,成人の子については,原則として支給対象外とされていた。
原告らは,政府が成人の子を帰国旅費の支給対象外としたことにより,
当該子の帰国費用を捻出できない孤児が,日本への永住帰国を選択して中
国で形成した家族と離別するか,それとも永住帰国を断念するかの重大な
決断を迫られ,家族分断の事態に思い悩んだ孤児の永住帰国が妨害される
結果を招いたと主張する。
しかし,成年の子については,一般的に自立生活を営むことが可能であ
り,孤児本人には扶養義務がないとの考えの下に,原則として援助の対象
とはしないとの措置は必ずしも不合理とはいえない。また,成年の子であ
っても,身体等に障害を有していたり,在学中であったりするなどの孤児
本人の扶養を要する場合には援護対象とされ,孤児の永住帰国によって,
独力では生活を営み得ないこれらの者の生活に支障が生じる懸念を解消す
る措置が講じられていることや,平成4年度以降,身体等に障害を有する
孤児や高齢の孤児(平成6年度以降)を扶養するために同行する成年の子
1世帯についても援護対象に加え,対象者を順次拡大する措置が講じられ
ていることも考え併せると,政府の実施した帰国旅費の援護措置が不合理
であったとまでは評価できないというべきである。
なお,一時帰国経験者に対しては,当初は後に永住帰国を希望しても再
度の援護は受けられない扱いであったが,国交回復から7年後の昭和54
年以降はこれを付与することとしており,一時帰国経験者に対する当初の
措置が孤児の永住帰国を違法に妨げたものとは認め難い。
以上によれば,政府が帰国旅費の支給対象を限定したことに関し,早期
帰国実現義務に違反する違法な点があったとは認められない。
ここで,政府による費用援護に関して付言すると,前記認定事実7(11)
のとおり,孤児の中国の養父母等に対する扶養費については,昭和61年
5月9日,政府と財団法人中国残留孤児援護基金が所定の額を折半して援
助することが中国政府との間で合意されており,この問題が孤児の帰国を
妨げる要因になったとは認められない。
キなお,原告番号1019について,中国在住中の平成4年4月30日に
就籍許可の裁判が発効し,同年5月7日に同原告の戸籍が編成されたこと,
その当時,同原告の実父(同原告を認知していない。)が同原告の帰国手
続の協力を拒んでいたこと,平成5年4月1日付けでC作成に係る同人が
同原告の特別身元引受人を申し出る趣旨の外務大臣宛の「招聘保証書」と
題する書面が提出されたこと,その後,平成6年2月17日に同原告と同
伴家族(夫,四女)についての帰国旅費の国庫負担が承認され,同年4月
8日に同原告が上記家族を同伴して永住帰国したことが認められ(甲A2
0の1・3ないし5・16),上記「招聘保証書」と題する書面が作成・
提出された経緯は必ずしも判然としないが,上記Cが上記就籍許可の裁判
の申立人代理人を務めた者であること,帰国時の同伴家族は両名とも中国
人であったこと,同原告が家族を同伴しての帰国を強く希望していたこと
(甲A20の1・3・5・18)に鑑みれば,同原告の就籍が許可された
時点以降,政府が同原告の永住帰国を違法に遅延させたと認めるべき事情
までは窺われない。
ク以上に判示したところを総合すれば,帰国手続の整備の場面において,
被告に原告らに対する法的な早期帰国実現義務違反があったとまでは認め
られない。
5総括
以上のとおり,被告の原告らに対する早期帰国実現義務違反を認めることは
できず,国家賠償法上の違法性は肯認し得ないから,同義務違反の主張に基づ
く原告ら(原告番号2068を含む。)の請求はいずれも理由がない。
第7自立支援義務違反の有無に関する当裁判所の判断
1自立支援義務の有無及び法的根拠
(1)原告らは,被告が原告らに対して負うべき自立支援義務(日本社会での生
活の基盤を持たない原告らが自立して生活を営めるように,その時々におい
て可能な限りの手段を尽くすこと)とは,被告の先行行為(早期帰国実現義
務と同様の先行行為に加え,被告が孤児の早期帰国を実現すべき責務を懈怠
した事実)に基づき発生する条理上の作為義務であると主張し,これを支え
る法的根拠として,憲法,国際法(経済的,社会的及び文化的権利に関する
国際規約,世界人権宣言),厚生(労働)省設置法,自立支援法を挙げてい
る。
そこで,まず初めに,被告の原告らに対する自立支援義務が認められるか
否かにつき検討する。
(2)前記第6に判示のとおり,被告は,原告らに対し,戦時中の国策に起因し
て,条理に基づく早期帰国実現義務を負っていたというべきであるが,同義
務に違反したとの事実までは認められず,同義務を懈怠した事実を原告らに
対する自立支援義務の根拠とすることはできない。
しかし,他方で,前記認定事実9のとおり,原告らが実際に永住帰国を果
たすまでには,終戦時から数えて32年ないし55年,被告の早期帰国実現
義務が現実化した主権回復時を基準としても25年ないし48年という,人
によっては全人生の半分以上にも及ぶ長い年月が経過しているのであって
(別紙4「中国帰国者の年度別帰国状況」記載の最初に永住帰国した孤児
(昭和49年永住帰国)においても,帰国までに終戦後29年,主権回復後
22年の年月が経過している。),これを国家賠償法上違法とまでは評価し
得ないとしても,原告ら孤児の早期帰国を実現させるべき立場にあった政府
が,その実現過程で様々な困難はあったにせよ,実際上,非常に長期間にわ
たって原告ら孤児の帰国を実現し得なかったことは否定し得ない。
そして,原告ら孤児は,幼少期に肉親と離別し,心身発達・人格形成期を
含む帰国に至るまでの間の人生の大半の期間を中国で過ごしてきた者であっ
て,帰国の時点において,長期間に及ぶ日本の社会・文化とは隔絶された異
国の地での生活の過程で日本語の能力が著しく減退しているか,あるいはそ
もそも日本語を学習する機会を十分に持ち得なかった者が大多数に上ること
を政府は容易に予見し得たし,そのような原告ら孤児が,帰国後直ちに生活
の基盤のない日本社会の中に置かれた際に,国等による支援施策が講じられ
なければ,多大な社会生活上の困難を来すであろうことも同様に予見し得た
ということができる。
そうすると,原告らに対する早期帰国実現義務を負っていた被告において,
実際上,原告らの帰国を実現するまでの間に,終戦時から数えて約30年以
上に及ぶ年月が経過しており,同事実と上記孤児の置かれた状況から,原告
らが帰国した際に,無施策のままでは,原告らが社会的に自立した生活を営
む上で多大な困難を伴うことを具体的に予見し得たのであるから,被告(具
体的な義務主体は,引揚援護を任務・所掌事務とする厚生省の長である厚生
大臣)には,条理に基づき,具体的状況下において可能な限度で,原告らの
自立を支援する施策を立案・実施すべき義務が課せられたと解するのが相当
である。そもそも,生存権を保障した憲法25条1項の趣旨に鑑みると,原
告らのように,長期間日本の社会・文化から隔絶され,日本社会での生活の
基盤を持たない者に対し,日本社会において「健康で文化的な最低限度の生
活」を営み得るようにすべきことは,被告に課せられた当然の責務というべ
きであり,そのような原告らの境遇・生活条件が被告の国策と早期帰国の不
実現という事実に起因して生じた以上,被告には条理に基づく自立支援義務
が法的な義務として課せられたものというべきである。
(3)これに対し,被告は,自立支援義務なる義務内容は不特定であり,法的判
断の対象とはなり得ないと主張する。
確かに,被告において,原告らが日本社会で自立した生活を営めるように,
その時々の具体的状況に応じて可能な限度での施策を講じるべきであるとい
う義務の性質上,帰国の実現という意味で義務履行の最終的な到達点が明確
に把握可能な早期帰国実現義務と比較しても,「自立支援」という義務内容
にはより一層抽象的で一義的に確定し難い側面があることは否定し得ないが,
原告らの主張上,政府が執るべきであったとする施策内容が分野毎にある程
度具体化されていることに照らすと,全体としてみれば,判断の対象となる
義務内容がおよそ不特定とまではいうことはできない。
また,被告は,原告らの主張する損害は戦争犠牲ないし戦争損害にほかな
らないとも主張する。
しかし,原告らが自立支援義務違反に起因するものとして主張する損害は,
元々日本語能力や日本での生活基盤を有しないまま帰国した原告らにおいて,
政府による帰国後の自立支援施策が不十分であったために,社会的に自立し
た生活を送ることができないことに伴って発生した人格的損害をいうもので
あり,その性質上,原告らの帰国後に初めて発生した損害をいうものである
ことは明らかであって,敗戦に伴って生じた中国残留という事態に直接起因
ないしこれに引き続いて強いられた何らかの犠牲に対する補償を求めるもの
とは局面を異にするから,原告らの主張する損害が戦争犠牲ないし戦争損害
に該当すると解することはできないというべきである。
(4)なお,いわゆる朝鮮残留孤児である原告番号2068に関しては,前記第
6の1(5)に判示したところと同様に,条理上の自立支援義務を基礎付ける
具体的事実(早期帰国実現義務を基礎付ける国策起因性)の主張立証がない
以上,被告の同原告に対する法的義務としての自立支援義務を認めることは
できず,この点において既に,同義務違反の主張に基づく同原告の請求は理
由がない。
2自立支援義務違反の有無の判断基準
(1)上記1に判示のとおり,被告が原告らに対して自立支援義務を負っていた
ことが認められるとしても,その義務内容は,「孤児の社会的自立」を到達
点として,政府がその時々の具体的状況下において可能な限度での施策を講
じるべきであるというものであり,前記早期帰国実現義務と比較しても,よ
り一層抽象的・相対的なものとなることは避けられない。また,自立支援施
策の立案・実施過程においては,孤児の自立を促進する上で,政府としてい
かなる分野についての手当が必要であり,具体的な支援施策としていかなる
施策が選択肢として考えられ,その施策の効果はどの程度であるか等の分析
や見極めに専門的な検討・判断が必要となることも明らかである。さらに,
原告らの主張する自立支援義務は,究極的には国家の財政出動を伴う積極的
な福祉政策を要求し,その水準の当否を問題とする趣旨のものであって,そ
の性質上,社会経済情勢,国家財政,社会福祉の一般的水準等に係る国政全
般にわたる総合的な政策判断と密接に関連するものとならざるを得ない。
そうすると,憲法25条1項が保障する生存権に関し,何が具体的に「健
康で文化的な最低限度の生活」に該当するのかは一義的ではなく,多数の不
確定要素を総合考慮して初めて決定し得る極めて抽象的・相対的な概念であ
ることも考え併せると,原告らに対する自立支援施策として,政府がいかな
る施策を立案・実施すべきかの判断は,結局のところ,基本的には,現実に
孤児に対する援護事務を所掌する行政庁(厚生省)の裁量的判断に委ねられ
るところが大きいものといわざるを得ず,政府(具体的には厚生大臣)が実
際に講じた措置ないし特定の措置を講じなかった不作為が,個別の施策とし
て,あるいは施策総体として著しく不合理なものであったといえるのでない
限り,当該個別の措置若しくは不作為又は施策総体が同義務に違反して国家
賠償法上違法となると評価することはできないというべきである。
(2)これに対し,原告らは,前記第6の2(6)①ないし④の根拠を挙げて,被
告の裁量の余地は極めて限定されるべきであると主張するが,①ないし③に
ついては,前記と同様の理由により採用できないし,④については,原告ら
が帰国後の政府の施策の不十分さを問題とする以上,これに関連して原告ら
が参政権を行使する機会は与えられていたこと,現に政府の施策が不十分と
いうのであれば,参政権の行使を通じて現状を改める機会が存在しているこ
とに照らし,これを被告の裁量を限定する根拠とすることはできないという
べきである。
3日本語教育施策についての自立支援義務違反の有無
(1)前記1(2)に判示のとおり,政府は,国交回復後に孤児からの永住帰国や
身元調査の要望が数多く寄せられるようになった時点において,幼少期から
長期間中国で生活してきた孤児の大多数が,日本語の能力を喪失したか,あ
るいはそもそも学習する機会が乏しかった者であることを具体的に認識し得
たところ,第二言語となる日本語の習得は,孤児が日本社会で自立した生活
を営む上で必要不可欠なものであるから,政府においては,帰国後の孤児が
社会生活上必要となる日本語を学習する制度・機会を設ける施策を立案・実
施すべき義務が課せられていたというべきである。
そして,前記認定事実7(2)以下のとおり,政府は,孤児の日本語教育に
関する一定の施策を実施してきたことが認められるところ,これを整理する
と,以下のとおりとなる。
①昭和54年
語学教材として録音テープ,テキスト,カセットレコーダーの支給
②昭和59年
定着促進センター設立,4か月間の日本語指導を実施(昭和62年,平
成5年,6年,7年に順次入所対象者を拡大)
③昭和61年
昭和52年から派遣を開始した自立指導員の業務内容として日本語指導
等を追加
④昭和63年
自立研修センター設立,8か月間の日本語指導を実施(平成9年以降,
日本語の再指導も実施)
⑤平成13年
日本語学習支援事業を行う支援・交流センターを設立
(2)原告らは,帰国時には相当高齢化していた孤児が,日本社会で自立生活が
可能な程度(職場でコミュニケーションが取れる程度)の日本語を第二言語
として習得するためには,継続的かつ各人の能力と日本語習得状況を踏まえ
たきめ細やかな日本語教育体制を整え,孤児が日本語学習に専念できるよう
な処遇を行うことが必要であり,かつ,各方面から十分な日本語教育施策を
求める要望が繰り返しなされていたにもかかわらず,政府が行ってきたとす
る上記施策は,内容・規模・導入時期等の点で著しく不十分ないし時機を逸
した到底日本語教育の名には値しない貧弱なものであって,現に原告らを始
めとする孤児の大半が,日常生活に必要な日本語能力すらも身に付けること
ができていないのが現状であり,このような施策の誤りは被告の原告らに対
する自立支援義務に違反したものであると主張する。
(3)ところで,前記認定事実7(1)のとおり,孤児問題に関係の深い立場の有
識者も複数名構成員となって,孤児をめぐる様々な問題につき検討を行った
孤児問題懇談会が昭和57年8月26日に発表した懇談会第1報告書におい
ては,「孤児問題についての基本的考え方」として,「政府が帰国した孤児
の定着のために根幹的な対策を進め,地方公共団体やボランティア団体が新
たに地域住民となった孤児たちのためにあたたかい援助を行うことが必要な
ことはいうまでもないが,それはあくまでも側面的な援助であって,最終的
には,孤児自らが努力して困難を克服していかなければならない。」との記
載があり,国等が孤児に対して行う援助は,飽くまでも孤児自身による困難
克服に向けた努力を支援する側面的な援助であるとの基本的な方向性が示さ
れていた。また,同懇談会が昭和60年7月22日に発表した懇談会第2報
告書においても,「孤児問題についての基本的考え方」として,「帰国した
孤児が定着し,自立するためには,孤児自らが努力して困難を克服していか
ねばならないことはもちろんであるが,政府,地方公共団体は言葉と文化の
異なる日本に帰国した彼等の直面する様々の困難を少しでも軽減するために,
物心両面にわたる施策を積極的に推進する必要があること。」との記載があ
り,従前以上に国等による孤児に対する支援施策が積極的に講じられる必要
があるが,基本的には孤児自身の努力によって困難を克服していかなければ
ならないとの方向性が再確認されたものと解される。
このように,政府が今後の孤児問題対策を推進する上で参考とすべく諮問
を行った有識者の間においても,国等の孤児に対する支援施策は,第一義的
には飽くまでも孤児自身の困難克服に向けた努力を側面的に援助する性質の
ものとの認識が示されていたのであるから,政府の行った自立支援施策が不
合理であったか否かの判断に当たっては,上記の趣旨における側面的な援助
として不合理なものであったかどうかとの視点も加味して判断すべきものと
解するのが相当である。
そこで,上記視点を踏まえて,以下政府が行った日本語教育施策の内容・
実施状況等に照らし,当該施策の合理性の有無につき検討する。
(4)まず,前記①のとおり,政府が最初に行った日本語教育施策は,昭和54
年1月26日から実施された,昭和52年4月以降の帰国者のうち,日本語
が理解できない者として厚生省援護局庶務課が決定した者に対する語学教材
の支給措置であったところ(乙37),原告らは,昭和53年以前には政府
が何らの日本語教育施策も実施しなかったこと,昭和52年3月以前に帰国
した孤児には何らの措置もなされなかったこと,各孤児の中国語識字能力等
を踏まえずに独習用教材を支給しても語学学習の効果は上がらないこと,そ
のような状態が昭和59年にようやく定着促進センターが開設されるまで続
いたことといった点において,政府の行った上記施策は著しく不十分であっ
たと主張する。
しかし,国交回復前から,「定着地に於ける海外引揚者援護要領」(昭和
21年4月25日次官会議決定)に基づき,海外引揚者に対する援護機関は
地方自治体とされ,帰国者の帰国後の定着自立支援は第一次的には地方自治
体の役割とされていたこと(乙42,88),別紙4「中国帰国者の年度別
帰国状況」記載のとおり,孤児が最初に永住帰国した昭和49年から昭和5
3年までの間の孤児の永住帰国者世帯数は55世帯(世帯員数208人)で,
当初は孤児の帰国者数が比較的少数であったことからすれば,一定期間集合
教育を行うことに代えて,個別的に一律の語学教材を支給するとの対応を選
択したことが必ずしも不合理とまではいえないこと,当初は帰国者の年齢層
が比較的若く,後年の帰国者と比べて,一般に言語学習効率が高い条件下に
あったこと(現に,昭和59年10月1日に実施された最初の生活実態調査
(乙122の1)においては,92%の調査対象孤児が簡単な日常会話がで
きる程度の日本語を習得済みと回答していた。),孤児本人の中国語識字能
力が低い場合であっても,世帯全体で考えれば,全く学習効果が上がらない
とまではいえないこと,後記(5)に判示のとおり,独習よりも学習効率の高
い集合教育を行う定着促進センターの開設時期が著しく時機を逸したとは評
価し難いことを総合考慮すれば,政府の最初に行った上記施策が孤児に対す
る側面的な援助としての日本語教育施策として著しく不合理であったとまで
は評価できないというべきである。
(5)次に,政府の実施した集合教育方式による日本語教育施策につき検討する。
ア前記認定事実7(3)のとおり,昭和59年2月,埼玉県所沢市に定着促
進センターが開設され,帰国直後からの概ね4か月の入所期間中,学歴等
に応じて編成されたクラス毎に,初歩的な日常会話レベルの日本語指導が
行われることとなった。
また,前記認定事実7(7)のとおり,昭和63年度以降,全国15か所
に自立研修センターが開設され,原則として8か月の通所期間中,日本語
教育の進度に応じて編成されたクラス毎に,1日2.5時間,1週12.
5時間を基準とする日本語指導が行われることとなった。
イ(ア)原告らは,定着促進センターについて,開設時期が著しく時機に遅
れていたこと,同センターでのわずか4か月程度の集合教育では各孤児
の能力に応じたきめ細やかな指導はできず,日常会話程度の日本語を習
得することすら不可能であること,同センターの入所対象者や収容人数
が限定されていたことを挙げ,同センターにおける日本語教育は著しく
不十分であったと主張する。
(イ)しかし,定着促進センターの開設に至った経緯は,別紙4「中国帰
国者の年度別帰国状況」記載のとおり,昭和54年度以前は永住帰国し
た孤児の世帯員数が二桁台にとどまっていたのに対し,昭和55年度以
降は同世帯員数が常時三桁を超えるなど,帰国孤児と同伴家族が年々増
加していく中で,次第に孤児等が日本社会で定着自立していく上での様
々な困難性が指摘されるようになり,これを支援する訓練施設の設置要
請が寄せられていたこと,昭和57年8月26日に提出された懇談会第
1報告書において,帰国直後の孤児を一定期間収容して,集中的に日本
語教育を含めた生活指導を行うための帰国者センターの設置が提言され
たことを踏まえてのものであり,このような流れを受けて,厚生省が昭
和58年度の予算要求事項として定着促進センターの設置費用を盛り込
み(乙89),昭和59年2月には同センターの開設に至っていること
を全体的に考察すれば,同センターの設置時期が著しく時機に遅れたと
までは評価し難いというべきである。
(ウ)次に,入所期間が概ね4か月とされていたことについては,研修期
間に関し,合宿での集中学習は,授業が終われば家族や仲間で小中国社
会を作るだけで,日本語の学習効果という点で不十分であり,早く日本
人社会の間で生の日本語の交流を行う方が語学習得には適している旨の
日本語教育の専門家からの指摘や(乙2),「日本に帰国した孤児をあ
まり長い間一般社会から遠ざけておくことは好ましくないので,標準的
な入所期間は4カ月程度に止めることが適当であろう」旨の孤児問題懇
談会の提言がなされていたことを踏まえて設定されたものであることに
照らせば,この期間が基礎的な日本語教育を施す上で著しく短期であっ
たとまではいい難い。
また,実際の日本語指導についても,中国における学歴等が多様なこ
とを考慮し,年齢構成,日本語学習歴,学歴等を勘案したクラス編成を
行った上でなされるものであるから,集合教育とはいえ,個々の孤児等
の能力・属性にもある程度配慮し,これに対応した指導方法が採られて
いたものと認められ,指導方法が一律で形式的な著しく非効率的なもの
であったとも評価し難い。
(エ)他方,定着促進センターの収容人員について見ると,別紙5「中国
帰国者定着促進センター年度別受入及び入所世帯人員」記載のとおり,
開設当初2年余りの間(昭和58年度ないし昭和60年度)の定員(受
入可能世帯人員)が80人(年間240人)とされていたことは,懇談
会第1報告書において,帰国者センターの定員を当面は150人程度
(年間450人程度)とすることが適当である旨の提言がなされていた
ことに照らすと,受入規模として不十分であったことは否めない。しか
し,その翌年度(昭和61年度)には,上記提言を上回る年間655人
の受入数が確保され,さらにその翌年度(昭和62年度)には,孤児の
大量帰国に対処するため,所沢センターの拡張と全国5か所のセンター
の増設が行われた結果,年間1485人の受入数が確保され,別紙4
「中国帰国者の年度別帰国状況」記載の同年度における永住帰国者の総
世帯員数1424人(全年度を通じて最多)を上回る収容規模に拡張さ
れたこと,その後も帰国者数が増加傾向に転じた際には,新たにセンタ
ーを設置して,いったん縮小した定員を拡大する措置を講じていること
を考慮すれば,当初ないしその後の段階における定着促進センターの収
容人員の制限が著しく不合理であったとは認め難い。
また,入所対象者についても,当初は原則として国費により永住帰国
する孤児と同伴家族に限定されていたものの,昭和62年度以降,順次
入所対象者の範囲を拡張する措置を講じていること,同センター開設当
初から,厚生省援護局長が入所を適当と認めた者については入所対象者
とされており,孤児の個別事情に配慮した取扱いが可能であったことも
考え併せれば,同センターの入所対象者につき著しく不合理な制限がな
されていたともいい難い。
なお,原告らは,原告らのうち,同センター開設以前に帰国した者に
ついては,そもそも同センターに入所する機会が与えられなかったと主
張するが,懇談会第1報告書にもあるように,同センターは,「孤児が
円滑に社会生活に溶け込めるようにするため,帰国後直ちに一定期間入
所させ」ることを念頭に置いた施設であり,既に帰国した孤児について
は,後記自立指導員等の活用を通じて一定程度日本社会に適応している
ものと一般に考え得ることに照らせば,このことを著しく不合理であっ
たと評価するのは困難というべきである。
ウ(ア)次いで,原告らは,定着促進センターでの4か月間の日本語教育を
補完・継続するものとして設立された自立研修センターに関し,集合教
育である関係上,各人の能力等を踏まえたきめ細かな教育はできないこ
と,定着促進センターと合わせて1年間の集合教育を受けることができ
たとしても,孤児が高齢であることを考えれば,第二言語の習得期間と
しては著しく不十分であること,自立研修センターでの教育内容は,定
着促進センターで身に付かなかった挨拶や買物などに必要となる日本語
を再度教える程度のものであり,1年間の教育を受けたとしても,職場
でのコミュニケーションが可能な水準には達し得ないこと,帰国後1年
が経過すると,政府は孤児に対して就労(生活保護からの脱却)を強く
求め,孤児が職場でのコミュニケーションも取れない状態で,話をしな
くても働ける職場に就労を余儀なくされた結果,働きながら日本語が上
達することはほとんどなかったこと等の点を挙げて,このような施策の
下では,孤児が社会的自立に必要な日本語を習得するのは極めて困難で
あったと主張する。
(イ)しかし,自立研修センターの日本語指導においても,日本語教育の
進度に応じたクラス分けが行われており,各人の能力・学習状況等に一
定程度配慮した上での指導を行うことは可能であること,前述のとおり,
定着促進センターでの4か月間の基礎的な日本語学習を終えた後は,早
く日本人社会の間で生の日本語の交流を行う方が語学習得には適してい
る旨の専門家の意見があったこと,前記③のとおり,昭和61年度以降
は自立指導員の業務として日本語の指導等が追加されたこと,前記認定
事実8(3)のとおり,孤児問題にかかわりの深い有識者が半数近く構成
員となっている帰国者支援検討会において,孤児問題懇談会の提言当時
(昭和57年,60年)は,孤児が就労可能な年齢であった等の事情も
あって,同提言に沿って国が行ってきた帰国後比較的短期間に限った援
護施策も,帰国者の自立に一定の効果を上げることができたとの評価が
なされていることを考え併せると,政府が両センターを通算して1年間
の日本語教育を施し,その後は基本的には社会生活を通じて日本語を習
得していくことを想定した制度を構築していたことが,孤児の日本語習
得を側面的に援助する施策として著しく不合理なものであったとまでは
評価し難いというべきである。
(ウ)そのほか,原告らは,政府が孤児を全国に分散させる施策を執った
ために,定住地に自立研修センターがなく,通所ができない者もいたと
主張するが,そのような孤児世帯には自立指導員の派遣回数を増やして,
日本語指導を受ける代替の機会を設けていたこと(乙105,107,
151)に照らすと,定住地との関係で同センターの利用に不便を来し
た孤児が現実に存在したとしても,このことをもって,政府の同センタ
ーに関する施策が著しく不合理であったとするのは困難である。
なお,原告らは,同センター開設以前に帰国した者については,同セ
ンターでの教育を受ける機会を持たなかったとも主張するが,同センタ
ーの通所対象者に関しては,当初より帰国時期による制限は設けられて
いなかったのであるから,原告らの主張は前提を誤っている(もっとも,
平成9年7月3日以降は,日本語の再指導等を新たに実施することとし
た関係上,帰国後3年又は5年を経過した者は事業の対象外とする扱い
となったが(乙21),原告らの主張とは直接結び付かない事情であ
る。)。
(6)以上に対し,原告らは,平成7年3月に定着促進センターが発表した「中
国帰国者に対する日本語教育のカリキュラム開発に関する調査研究」と題す
る報告書(甲181)において,定着促進センターと自立研修センターを中
心とする二段階の研修システムに関し,「このシステムのもう一つの重大な
欠陥は,全体の枠組みが1年間程度の短期的,部分的な視点からしか作られ
ていないという点である。」「現行のシステムではその後の学習支援の方策
についてはまったくといってよいほどに考えられていない。」「中国帰国者
の適応過程が相当長期にわたると考えられる以上,また,JSL(注:第二
言語としての日本語)学習が生涯学習的な性格をもつことを考えても,長期
にわたる支援体制が不可欠のはずである。」との重大な問題点が指摘されて
いることからすれば,政府の日本語教育施策に根本的な誤りがあったことは
明らかであると主張する。さらに,平成15年度調査において,片言の挨拶
程度か全く日本語ができないとする孤児が47.1%にも上ることや,本件
アンケートにおいて,172人の調査対象原告中,テレビの内容が余り分か
らない又は分からないとする者が139人(81.3%),自分で買物をす
るのに不自由するとする者が83人(48.3%)にも上ることからすれば,
孤児の大半が日常生活に必要な日本語能力すら身に付けていないことは統計
上も明白であり,政府の日本語教育施策の不十分さが顕著に示されていると
主張する。
ほかならない孤児に対する日本語教育を行う第一線の現場から上記のよう
な厳しい問題提起がなされたことに鑑みると,政府の従前行ってきた日本語
教育施策が決して十分なものではなかったことは否定し得ない。しかし,他
方で,両センターでの研修修了後も,自立指導員を通じて日本語学習を継続
することが可能であり,政府において,その後の学習支援体制を全く欠いて
いたわけではないし(同報告書においても,両センターのような「学校」に
おける研修(公式の学習)修了後は,日常生活の中で続けられる非公式の学
習の支援を中心に据えた学習支援体制が必要であるとされ,その学習リソー
スの一つとして自立指導員が挙げられている。),また,前記認定事実7
(7)イのとおり,政府は,同報告書の発表から2年後の平成9年以降,自立
研修センターにおいて日本語の再指導も実施することとして,より継続的か
つ幅広い日本語学習支援体制を整備し,さらに,前記認定事実7(8)のとお
り,平成13年11月以降,日本語学習支援事業を行う支援・交流センター
を新たに設置して,検討会報告書の提言も受けて,近年は上記支援体制をさ
らに拡充する方針を打ち出している。上記統計数値に関しても,別の視点か
ら見れば,平成15年度調査において,半数以上の者は独力で日常生活を営
める程度の日本語能力を習得済みと回答しているし,そのうち38.1%の
者は帰国後1年未満で同程度の日本語能力を習得できたと回答し,2年未満
で習得と回答した者まで含めると,その割合は58.5%に達している。
以上の点を総合的に勘案すれば,政府が定着促進センターと自立研修セン
ターを通じて1年間の基礎的な日本語教育を施すとした基本路線が根本的に
誤っていたとまで断じるのは困難というべきであるし,事後的に見れば,政
府の日本語教育施策に相当程度不十分な面があったことは否定できないとし
ても,これが孤児の日本語習得を側面的に援助する施策として著しく不合理
であったとまでは評価し難いといわざるを得ない。
(7)以上によれば,日本語教育施策の面において,政府による施策に自立支援
義務に違反する違法な点があったとまでは認められない。
4就労支援施策についての自立支援義務違反の有無
(1)孤児が日本社会の中で自立した生活を営むためには,自ら収入を得る途が
開かれるように,孤児の就労を支援する施策が必要となるから,政府におい
ては,帰国後の孤児の就労を援助するための施策を立案・実施すべき義務が
課せられていたというべきである。
そして,前記認定事実7(3)以下のとおり,政府は,孤児の就労支援に関
する一定の施策を実施してきたことが認められるところ,これを整理すると,
以下のとおりとなる。
①昭和52年
自立指導員を派遣して,孤児の就労等の問題に関する相談に応じ,必要
な助言・指導を実施(昭和55年度以降は職業訓練校協力生活指導員を設
置,昭和62年度以降は同指導員の業務を自立指導員の業務として追加)
②昭和57年
職業転換給付金制度の適用
③昭和59年
特定求職者雇用開発助成金の適用
④昭和61年
定着促進センターで孤児に対する就労相談・指導の実施(翌年から職業
相談員を配置)
⑤昭和62年
雇用促進事業団による就職時の身元保証を実施
⑥平成元年
自立研修センターに専任の就労相談員を配置し,各種就職相談・指導・
企業等に対する啓発活動の実施(平成4年度以降は就労安定化事業,平成
9年以降は就職促進オリエンテーション事業を実施)
(2)原告らは,憲法25条,27条,14条に照らし,政府には各人の実情に
応じた就労を支援する制度を整備する義務が課せられており,特に孤児に対
しては,日本語が十分できないこと,中高年であること,中国で職業経験を
有していることを踏まえた上で,実効的な就労支援施策を施すべきであった
にもかかわらず,政府は,孤児に対し,帰国後1年で就労することを日本語
能力や職業訓練を欠いたままの状態で強く要求し,孤児の中国での職業経験
を活かすための措置や,公共機関での孤児の採用を義務付ける措置を一切講
じずに,時機に遅れた実効性を欠く就労支援施策しか実施しておらず,その
結果,多くの孤児が就労できないか,就労できたとしても低収入にとどまり,
生活保護の受給率が極めて高い事態が生じているのが現状であって,このよ
うな施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したものである
と主張する。
しかし,前記3(3)に判示のとおり,孤児に対する自立支援施策は,第一
義的には飽くまでも孤児自身の困難克服に向けた努力を側面から支援する性
格のものというべきところ,上記①のとおり,政府は,孤児の永住帰国が始
まった3年後の昭和52年には,自立指導員を通じて孤児の個別的な就労相
談・指導に対応する制度を設けているし,また,帰国後の孤児の自立・定着
促進の要となる定着促進センターと自立研修センターにおいても,専任の相
談員を配置して孤児の就労を個別的に支援する態勢を整えるなど,孤児の就
労支援施策を順次拡張しつつ実施しているものであって,これらの施策が孤
児の就労を側面から援助するものとして不合理であったとまでは認め難い。
中国での職業経験を活かす措置を講じなかったとの点についても,資格の認
定方法や資格者に必要とされる知識・技能等が日中間で異なると考えられる
以上,この点につき政府が特段の措置を講じなかったとしても不合理であっ
たとはいい難い。
政府が孤児に帰国後1年での就労を強く迫っていたとする点については,
懇談会第1報告書において,孤児が日本社会で自立・定着していくまでの過
程として,3段階の施策モデル(第1段階が帰国直後の帰国者センターへ入
所する段階,第2段階がセンターを退所して地域社会に入る段階,第3段階
が就職して自立する段階)が提示されており(乙90),政府もこれを指針
として各種自立支援施策を実施・運用していたものと考えられるが,同モデ
ルにおいては,第2段階から第3段階に移行すべき時期が特段明示されてい
るわけではないことからすると,政府が孤児に対し,帰国後1年で生活保護
からの脱却と就労を画一的に要求する方針を執っていたものとは認め難いと
いうべきである(なお,昭和62年3月31日発行の厚生省援護局編集に係
る書籍(甲17)には,自立指導員が「帰国後1年以内を目処に就職し,あ
るいは特別の専門資格の取得に必要な教育研修を受けるよう指導するなど自
立の手助けをしています」との記載があるが,同記述は自立指導員の派遣期
間がまだ帰国後最初の1年間であった時期(同月以前)の指導指針を表した
ものと考えられ,また,帰国後1年以内を目処に就職というのも,飽くまで
一つの目安を示したものと考え得るから,同記載をもって,直ちに原告らの
主張するような就労強要の実態が存在していたと認めるのは困難である。)。
確かに,平成11年度調査(平成15年度調査の就労状況に関する統計数
値は,帰国者全体を対象としたものなので,平成11年度調査の方が孤児の
就労状況の実態をより適切に反映したものと考えられる。)によれば,孤児
本人の就労率は29.2%で,平均世帯収入も一般世帯比で半分以下にとど
まっており,調査対象者の平均年齢が58.3歳であることを考慮すると,
必ずしも良好な就労状況が実現できているとはいい難いが,他方で,世帯全
体でみれば就労率は6割を超えること,就労していない理由の7割近くを傷
病のためが占めており,傷病により心身が就労に堪えない者が治療に専念す
るために生活保護を受給するのはやむを得ないことに鑑みれば,政府の実施
した就労支援施策が側面的な就労援助として著しく不合理なものであったと
までは評価し難いし,憲法に反する事態が生じているとも認められないとい
うべきである。
(3)以上によれば,就労支援施策の面において,政府の施策に自立支援義務に
違反した違法な点があったとは認められない。
5生活支援施策についての自立支援義務違反の有無
(1)生活保障面
ア原告らは,日本に生活基盤を有しない孤児が社会的自立を果たすために
は,帰国直後の孤児に対する単なる生活保護法による扶助以外の早期に生
活基盤を形成し得るような生活援助措置や,老後の生活保障に関する年金
についての特別な措置が必要であるところ,政府が帰国後の孤児に対して
一時金として給付する自立支度金制度や,国民年金の国庫負担相当額を孤
児の年金額に反映させる等の特例措置は,いずれも孤児に対する生活保障
施策としては極めて不十分であり,また,孤児につき他の一般国民と同様
の基準で生活保護制度を適用することは,かえって孤児の自立を阻害する
結果を招くのであって,孤児を対象とした生活保護とは別の特別の援護措
置を講じなかったことは著しく不合理であるとして,このような生活保障
に関する施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反したもの
であると主張するので,以下順に検討する。
イ自立支度金制度
前記認定事実7(2)アのとおり,自立支度金(帰還手当)は,国交回復
以前から,帰国者世帯に対し,帰国者の当面の生活資金に充てるものとし
て支給されていたものであるが,国交回復後,孤児の帰国者世帯数が飛躍
的に増加するのに合わせて,自立支度金の額も比較的短期間のうちに逐次
増額改訂が繰り返されてきたこと(乙2)に照らすと,孤児世帯が日本に
生活基盤を有さず,日本語能力も低いという側面に全く配慮を欠いた給付
金制度とまではいい難く,孤児世帯に対する帰国直後の段階における生活
支援のための経済的給付措置として不合理であったとまでは評価できない
というべきである。
これに対し,原告らは,政府が北朝鮮による拉致被害者に対し,5年を
限度として毎月給付金を支給していること(北朝鮮当局によって拉致され
た被害者等の支援に関する法律(以下「拉致被害者支援法」という。)5
条)との対比上,孤児に対しても,最低でも5年以上の帰国後の生活保障
のための特別の給付金制度を創設すべきであると主張するが,後記7に判
示のとおり,自立支援法と拉致被害者支援法とでは政策的な立法の趣旨・
目的が異なり,孤児と拉致被害者を対象とする各支援施策の内容を法的な
自立支援義務の観点から比較対照するのは相当でないというべきであるか
ら,原告らの主張は採用できない。
ウ国民年金に関する特例措置
前記認定事実7(9)のとおり,残留邦人の国民年金に関しては,平成8
年4月1日以降,各人の中国在住期間(昭和36年4月1日以降)を保険
料免除期間と扱って3分の1を年金額に反映させるとともに,上記期間に
係る保険料の追納を認めるとの特例措置が講じられたところ,これによっ
て,帰国後も低所得等を理由として保険料の全額免除措置が継続した場合
においても,満額の場合の3分の1の年金額(現在では月額約2万200
0円)は少なくとも受給することが可能となった。
このように,政府は,帰国後の孤児が加入期間が短いために年金を受給
できなかったり,あるいは受給できたとしても著しく低額にとどまる事態
を解消するために,財政出動を伴う一定の経済的給付措置を講じているも
のであり,給付の具体的内容としても,一般国民が全加入期間にわたって
保険料を全額免除された場合と同等以上の給付を受け得ることが保障され
たものであるから,政府の講じた措置が合理性を欠くものであったとは認
められないというべきである。
これに対し,原告らは,多くの孤児が生活保護の対象となっている現状
は,政府の講じた老後保障施策が不十分であることの顕れであると主張す
るが,上記給付内容に加えて,年金制度をどのように運営するかは,国家
財政や社会経済情勢,国家として相応しい社会保障制度全体の設計といっ
た諸事情を総合的に勘案した上で決定される政治的色彩と裁量性の強いも
のであることを考え併せれば,原告らの指摘する点をもって,政府による
老後保障施策が不合理であったとは評価し得ない。また,原告らは,生活
保護を受給する場合において,年金が収入として把握されて生活保護費か
ら差し引かれると,年金給付が全く無意味となると主張するが,後記エに
判示のとおり,生活保護における保護の補足性を孤児についても一般の生
活保護受給者と同様に適用することが違法とはいえないことに照らせば,
事実上原告らの指摘する不都合さがあるからといって,政府の講じた社会
保障施策が不合理であったとすることはできない。
なお,拉致被害者支援法11条は,拉致被害者に対し,在外期間に係る
保険料を全額国庫負担とする旨規定しているが,上記イに判示したところ
と同様の理由により,孤児と拉致被害者に対する各給付内容を法的な自立
支援義務の観点から比較の対象とするのは相当でない。
エ生活保護の適用
平成11年度,15年度調査によれば,孤児世帯の生活保護受給率はそ
れぞれ65.5%,61.4%とされ,原告らにおいても,前記認定事実
9のとおり,現に93人の世帯(59.6%)が生活保護を受給中であり,
一般人口比での生活保護受給率が2%未満とされていること(弁論の全趣
旨)と比較すると,孤児世帯の生活保護受給率が著しく高率となっている
のが現状である。
原告らは,生活保護制度は,わが国で義務教育を始めとする一定の自立
のための教育・訓練を受ける機会が十分に保障され,国や地方自治体の行
政サービスを享受し得た一般国民を対象として,これらの者が最低限度の
生活のために利用し得る資産・能力等を全て活用しても,なお最低限度の
生活水準に満たない場合に適用されるものであって,大半が資産も日本語
能力を始めとする稼働能力も持たないまま生活基盤のない日本に永住帰国
した孤児について,生活保護制度をそのまま適用することは実情に合わな
いばかりか,孤児にあっては,日本社会で真に自立を果たすためには,家
族とともに積極的に日本語教育や職業訓練を受けなければならない等の一
般的な生活困窮者にはない特殊な状況に置かれているにもかかわらず,こ
のような事情に全く配慮することなく,これらの者と同様に最低生活水準
までの個別的保障しか行わないことは,かえって孤児の自立を阻害するも
のであるとして,生活保護制度とは別の孤児に対する特別の生活保障制度
を講じなかった政府の施策は著しく不合理であると主張する。
しかし,生活保護制度は,生活に困窮する者が,最低限度の生活の維持
のために,その利用し得る資産・能力その他あらゆるものの活用や,民法
等に定める扶養義務者による扶養等によっても,なお最低限度の生活が維
持できない場合において(保護の補足性。生活保護法4条),その者の需
要を基準として,その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を
補う程度に経済的給付を行うとするものであって(8条),生活困窮者が
上記要件を満たす限りは,無差別平等に受け得るものであるし(2条),
上記補足性の要件と無差別平等の理念は,同法の解釈・運用に当たって拠
らなければならない基本原理とされている(5条)。
そうすると,生活保護制度自体の適用においては,孤児であることを理
由として優遇的取扱いを行うことはできないと解されるし,現行の生活保
護に基づく経済的給付によって保障される生活水準が,孤児が日本社会に
おいて「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障したものと解
される憲法25条1項の趣旨に反するほどに劣悪であるとも認められず,
また,政府は前記及び後記に判示の日本語教育施策,就労支援施策,生活
保障措置を含む各種生活支援施策を講じてきており,これらが不合理なも
のとまではいえないことを総合考慮すると,政府が孤児を対象とする生活
保護制度とは別の生活保障制度を設けることなく(特別の給付金制度等の
新たな生活保障制度の新設には何らかの立法措置が必要と考えられること
によると,ここにいう「別の生活保障制度を設けることなく」というのは,
厚生大臣が内閣を通じた法案提出等の立法実現に向けた具体的措置を講じ
なかったことを意味すると解される。),生活が困窮する孤児について,
他の生活困窮者と同様の基準をもって一律に生活保護制度を適用するとし
たことが不合理であったとまでは評価できないというべきである。
確かに,孤児世帯の生活保護受給率の高さは,当該数値だけを見れば,
一見異常とも映るものではあるが,他方で,前記3(2)に判示のとおり,
多数の孤児世帯が生活保護を受給せざるを得ない背景事情としては,傷病
のために就労できない状態にある孤児が相当数存在することも看過し得な
いのであって,当該生活保護受給率のみをもって,政府の自立支援施策の
不十分さが自立支援義務に違反する違法な程度に達していたと評価するの
は困難といわざるを得ない。
オなお,前記認定事実7(11)のとおり,中国の養父母等に対する扶養費に
ついては,昭和61年以降,日中政府間で合意した額を政府と財団法人中
国残留孤児援護基金の費用支出により送金することとされており,これ以
後は養父母等に対する扶養問題が孤児の生活困窮の一因となることはなか
ったと認められる。
カ以上によれば,政府による生活保障施策が合理性を欠くとまでは評価で
きないというべきである。
(2)居住地・住居の確保
ア原告らは,孤児が日本社会において社会的に自立した生活を営むために
は,その基盤として,孤児が希望する地において住居が確保される必要が
あり,これは憲法22条1項の保障する居住・移転の自由にも関係すると
ころ,政府は,経済力や日本語能力の点で劣る孤児単独の力のみでは,希
望地に適切な住居を確保することは著しく困難であったにもかかわらず,
孤児の希望を無視して定住地を決定し,孤児に配慮した住宅確保のための
施策をほとんど執らなかった結果,少なからざる孤児が自分の希望地に定
住できずに,自力でボランティア等が住む希望地に引越をせざるを得なく
なり,結果的に自立が遅れることとなったとして,このような居住地・住
居の確保に関する施策の誤りは被告の原告らに対する自立支援義務に違反
したものであると主張する。
イまず,帰国に当たって身元引受人の斡旋が必要となる孤児については,
身元引受人の近隣を定住先とする必要があったところ,前記認定事実7
(5)のとおり,定着地の斡旋に当たっては,孤児の希望やその他諸事情を
考慮して,全国各地に登録されている身元引受人から適当な候補者を選ん
で定着地を斡旋し,孤児の希望と相違する場合には第二希望を聞くなどの
調整を行った上で,最終的に両者の合意を得た上で身元引受人と定着地を
斡旋することとしているものであるから(身元判明孤児についても,本籍
地都道府県が定着候補地の一つとなるほかは,身元未判明孤児と同様の扱
いと考えられる。乙15),政府が孤児の希望を無視して一方的に定住地
を決定していたものとはいい難い。
また,それ以外の孤児についても,中国在住中に定着予定地を聞き,希
望が集中した場合には,各種調整を行いつつ定着地の斡旋を行っているも
のであり,政府が孤児の意思を尊重することなく定住地を決定していたと
までは認め難い。
確かに,原告らの指摘するように,身元未判明孤児の大量帰国が始まっ
てから一定時期以降,政府が「適度の集中,適度の分散」との方針の下に,
孤児を各都道府県の中規模都市に適度に分散居住させることを目標とした
ことは事実であるが(甲17,62,乙2),この方針の背景には,中国
においては,政策的に貧しい農村から都市へ移住することが厳しく制限さ
れている関係上,日本でも事情は同様と誤解した孤児が大都市への居住を
志向する最大の理由と考えられたこと,特定の地に過度に帰国者が集中す
ると,各種施策に関連して行政上のアンバランスが生じること,長い目で
見ると,帰国者が集中して帰国者同士のみの交流に偏るのでは,日本社会
への適応が遅れることとなる反面,電車で1時間掛けても帰国者に会えな
いような点在状態では,ストレスを解消することもできないとの専門家の
指摘が存在したものである(甲17,乙2,乙105,107,151)。
そうすると,これらの点を考慮して,場合によっては,孤児に地方都市へ
の定住の説得をまず試みることにも合理性を認め得るから,政府が「適度
の集中,適度の分散」との方針を掲げたことをもって,直ちに政府が孤児
の意思を不当に軽んじて一方的に意に沿わない居住地を押し付けていたと
するのは困難というべきである。
ウ他方,前記認定事実7(10)エのとおり,政府は,住居に関する支援とし
て,公営住宅の入居者選考に当たって孤児世帯につき優先的な取扱いを行
ったり,やむを得ず民間住宅に入居する場合にも,入居時の費用の一部を
支給したりする施策を講じているし,現に,平成11年度調査において,
公営住宅に入居している孤児世帯が92.3%,本件アンケートにおいて,
公営住宅に入れた,移転した場合も公営住宅に入れた,遅れて帰国した家
族が公営住宅に入れたと回答した調査対象孤児がいずれも8割以上に上っ
ていることも考え併せれば,政府の講じた支援施策が不合理であったとま
では評価し難いというべきである。
エ以上によれば,政府による居住地・住居の確保に関する施策が合理性を
欠くとはいえない。
(3)生活指導等
ア身元引受人制度
原告らは,身元引受人制度は,身元引受人個人に孤児の自立支援につい
て過大な責任を負わせるものであり,反面,手当がわずかであったことか
ら,十分な身元引受人の質や数が確保されておらず,そもそも,孤児に親
族に代わる身元引受人を3年間だけ付けて,後は孤児個人の自助努力に任
せるという方針自体が不合理であるとして,身元引受人制度は孤児の日本
社会への早期定着・自立促進を図る制度ではあり得ない大きな誤りであっ
たと主張する。
まず,身元引受人の役割の点について見ると,前記認定事実7(4)アの
とおり,孤児世帯の日常生活上の諸問題の相談や自立更生に必要な助言・
指導を行うこととされており,身元保証人の保証事項等につき保証する役
割を課せられているわけではないものの,実際の業務内容は孤児世帯の生
活面全般の多岐にわたるものであって(甲49,65,89,91,10
0の1ないし7,101の1ないし7,102の1ないし3,証人b),
これまでに身元引受人となった個人の負担が重すぎるとの指摘もなされて
きたことは否めない(甲50,乙2)。
他方,身元引受人の数については,統計上,1年間に最も斡旋数が多か
った平成8年においても,斡旋実績264件に対し,登録者数は2102
人に上っていること,その他の期間も含めた各登録者数と斡旋実績につい
て,身元引受人の身元引受期間が3年以内であることを前提に考察すると,
制度創設以来,現に身元引受人を付している件数を相当数上回る身元引受
人の登録者数が常時確保されていたと考えられること(乙96。なお,乙
88中に記載のある身元引受人の斡旋状況の数値は,乙96との関係でみ
ると,平成8年度末現在における身元引受人制度創設以来の総斡旋実績を
示したものと考えられる。)に照らすと,身元引受人の数が不足していた
とは考え難い。
また,身元引受人の質の確保についても,前記認定事実7(4)イのとお
り,身元引受人の資格が,孤児世帯の置かれている立場を理解し,社会的
信望が厚く,これらの者が日本社会に早期に定着するための指導に熱意を
持って当たることができる者とされ,申請者のうち,適格者と認められた
者を身元引受人として登録するものとしていたことにより,不適格者を予
め排除し得る仕組みが採用されていたこと,政府が身元引受人会議を開催
して資質の向上を図っていたこと,本件アンケートにおいて,調査対象原
告中,47.7%の者が身元引受人は3年間きちんと面倒を見てくれたと
回答していることに照らすと,身元引受人の質の確保の点で格別大きな問
題があったものとも認め難い。
さらに,身元引受期間が3年以内とされたことについても,検討会報告
書において,政府が当初は帰国後比較的短期間に限った支援を行うとの方
針を執ったことが誤りとは評価されていないことや,平成15年度調査に
おいて,日本語習得者中,帰国後3年未満で独力で日常生活を営める程度
の日本語を習得した孤児の割合が68.6%に上り,これらの者は身元引
受人の支援がなくても一応独力で社会生活を営み得ると考えられることに
鑑みれば,身元引受期間が3年に限定されていたことが不合理であったと
まではいい難い。
以上の点を総合考慮すれば,身元引受人の負担が重いとの実態は否定し
難く,身元引受人に支給される手当の額(昭和60年ないし平成元年当時
で月額1万2000円ないし1万6000円)の妥当性等については検討
の余地があったと考えられるし,中には身元引受人から十分な支援を受け
られなかった孤児も存在したと思われるものの,全体としてみれば,身元
引受人制度が孤児の早期定着・自立促進を図る上で有用性を欠くないし有
用性に乏しい不合理な施策であったとまでは評価し得ないというべきであ
る。
イ自立指導員の派遣
原告らは,自立指導員の派遣制度は,派遣日数や派遣対象世帯が限定さ
れており,2年目以降の派遣日数を12日に制限し,最長でも3年間で派
遣を打ち切るとしたことは,ほとんどの孤児が現在でも日本語で会話をす
ることができず,孤児の置かれた状況により自立指導員の援助を受ける必
要性も大きく異なる実情を全く無視した著しく不合理な施策であると主張
する。
しかし,前記認定事実7(6)のとおり,自立指導員は,永住帰国後の孤
児世帯が言語や習慣等の相違から社会生活上の困難が生じている実情に鑑
み,昭和52年度以降,派遣が必要と認められる孤児世帯に派遣されるも
ので,業務内容も,孤児世帯の日常生活における諸問題の相談に応じ,助
言・指導を行うこと,孤児と公的機関との仲介役となること,日本語指導
(昭和61年度以降)等の多岐に及び,派遣開始も昭和52年という比較
的早期の段階で実現したものであったこと,本件アンケートにおいて,自
立指導員がいたと回答した71.5%の調査対象原告中,自立指導員の指
導が十分であった,自立指導員に何でも頼みやすかったと回答した者がそ
れぞれ52.0%,48.0%に上ることに照らすと,自立指導員の派遣
制度は,帰国後の孤児の早期定着・自立促進を図る上で有用な施策であっ
たものと認められる。
また,派遣期間・日数についても,当初は帰国後最初の1年間に24日
とされていたが,昭和62年度以降,派遣期間を2年に延長するとともに,
派遣日数を1年目84日以内,2年目12日以内と大幅に拡張し,その後
も順次派遣期間・日数が拡張されてきたこと,孤児が通常最も支援を必要
とすると考えられる帰国後1年目の時期に相当手厚い派遣を受ける機会の
手当がなされていること,上記アに判示のとおり,政府が当初は孤児の帰
国後比較的短期間に限った支援を行うとの方針を執ったことが誤りであっ
たとまではいえず,日本語習得者中,約7割の者は帰国後3年未満で独力
で日常生活を営める程度の日本語を習得可能であったことを考え併せれば,
2年目以降の派遣日数の制限が厳しいとの印象は拭えないものの,全体と
してみれば,自立指導員の派遣期間・日数の制限が著しく不合理なもので
あったとまでは評価し難いというべきである。
以上によれば,政府の設けた自立指導員の派遣制度が著しく不合理な施
策であったとまでは認められない。
ウ自立支援通訳制度等
前記認定事実7(10)ア及びイのとおり,政府は,平成元年度以降,日本
語の会話が不自由な孤児等が医療機関で受診する場合等に適切に対処でき
るようにするため,自立指導員とは別に自立支援通訳の派遣を開始すると
ともに,孤児等の医療,保健衛生面での生活指導を行うため,孤児世帯に
医師を派遣して健康相談を行う巡回健康相談事業を開始して,孤児世帯の
保健衛生に配慮した一定の施策を実施している。
原告らは,自立支援通訳制度の導入は遅きに失し,適用要件や派遣回数
が制限された極めて不十分な制度であると主張するが,これが不合理なも
のであったとは認められない。
(4)就籍支援
原告らは,戸籍のない身元未判明孤児については,就籍許可審判の申立て
等を通じて新戸籍を設ける必要があるところ,就籍手続費用を平成7年に国
庫負担とするまでの間,これを孤児の負担としていたことは不当であると主
張する。
しかし,前記認定事実7(10)ウのとおり,平成7年以前においても,身元
未判明孤児の永住帰国が開始された昭和61年度以降,上記費用については,
財団法人法律扶助協会が財団法人日本船舶振興会の補助を受けて援助事業を
行い,政府がその補助金交付のための副申を同財団に行うことを通じて,間
接的に費用の援助を行ってきたものであるから,これを不合理ということは
できないし,また,前記認定事実7(3)ウのとおり,定着促進センターにお
いて就籍手続に関する説明も実施されているから,政府による就籍支援施策
が合理性を欠くとはいえない。
(5)家族生活に対する支援
原告らは,家族とともに生活することは人間としての基本的な権利であり,
とりわけ幼少期に家族と離別し,長期にわたって中国での生活を余儀なくさ
れてきた孤児においては,日本社会で精神的に安定した自立生活を営むため
には,家族の存在と支援が必要不可欠であるにもかかわらず,政府が帰国旅
費等の援護対象を原則として孤児の配偶者と未婚の未成年の子に限定したこ
とにより,孤児においては,中国で形成された家族の分断と,中国に残され
た家族を呼び寄せる原資を貯めるために,日本語学習や職業訓練も不十分な
うちから早々に就労することを余儀なくされ,自費で家族を呼び寄せた後も,
当該家族については政府による援助が受けられないため,家族全体が劣悪な
生活環境に置かれる事態が生じているとして,援護対象を限定した政府の施
策は著しく不合理であると主張する。
しかし,前記第6の4(3)カに判示のとおり,孤児の成人の子を原則とし
て帰国旅費の援護対象外としたことが不合理とまではいえないし,同様にし
て,自費により日本に入国した上記家族について,政府が先に永住帰国した
孤児世帯と同等の支援施策を講じなかったとしても,同措置が不合理であっ
たとまでは評価し難いというべきである。
そのほか,原告らは,帰国子女の教育に関する施策の不十分さも主張する
が,前記認定事実7(10)カのとおり,孤児の子の教育の機会確保のために一
定の施策が行われていることに照らせば,これが不合理であったとは認めら
れない。
したがって,政府による家族生活に対する支援施策が合理性を欠くとはい
えない。
(6)以上によれば,生活支援施策の面において,政府の施策に自立支援義務に
違反する違法な点があったとは認められない。
6自立支援施策全体としての自立支援義務違反の有無
以上に判示した政府の講じた自立支援施策を総合して考察すると,まず,孤
児が社会的自立を果たす上で最も基本的な資質となる日本語の教育施策に関し,
約半数の孤児が独力で日常生活を営める程度の日本語の習得に達していないな
ど,結果的に見れば,施策の成果が不十分なものにとどまったことは否定し得
ないし,このことが連鎖的に就労率の低迷や生活保護受給率の高率化等を招い
た一因をなしていることも否定し難い。
その一方で,就労支援施策や各種生活支援施策は,個別の分野毎にみれば,
それほど合理性を欠くともいえないものが多いし,日本語の学習途上で,孤児
に社会生活上様々な困難が生じると想定される帰国後最初の3年間は,身元引
受人や自立指導員等による指導・援助を通じて,孤児の日本語能力の低さを補
いつつ,社会的自立を側面的に援助する体制が構築されている。また,近時の
就労率の低迷の背景には,孤児の高齢化とこれに伴う傷病罹患率の増加といっ
た現象の影響も少なくないと考えられるし,このような事情に起因して,孤児
世帯の生活保護の受給率が一層高率化するのもやむを得ないところがあるもの
と考えられる。
そうすると,政府による孤児に対する自立支援施策を総体としてみた場合に
おいて,個々の施策として不十分な面はあるにせよ,孤児自身の社会的自立に
向けた努力を側面的に援助するものとしては,これが著しく不合理であったと
まで評価することは困難というべきであり,結局のところ,被告に原告らに対
する法的な自立支援義務違反があったとまで認めることはできないといわざる
を得ない。
7拉致被害者支援法等との比較の相当性
(1)ア原告らは,平成15年1月1日に施行された拉致被害者支援法が,北
朝鮮による拉致被害者に対し,政府による極めて手厚い支援(5年を限度
とする給付金を毎月支給等)を保障していることとの比較において,孤児
も拉致被害者も,自己の意思に反して長期間異国の地にとどまることを余
儀なくされ,その地に新たな生活基盤を確立した後になってから生活基盤
のない日本に帰国し,日本で改めて生活基盤の確立をし直さなければなら
なかった点では共通しており,しかも,孤児の場合は,その発生原因が国
策に基づくものであったという意味において,政府にはより高度の自立支
援を行うべき義務が課せられていたにもかかわらず,孤児が拉致被害者と
比べて著しく貧弱な支援しか受けることのできない現状は,憲法14条の
趣旨にも反する不合理な相違であるとして,これは被告の原告らに対する
自立支援義務違反にほかならないと主張する。
イ拉致被害者支援法に対比すべきものとして,孤児を含む残留邦人を対象
とした総合的な支援立法に該当するのは自立支援法であるが,同法の目的
は,「この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引
き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なく
された中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑
な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目
的とする。」(1条)と定められており,他方,拉致被害者支援法の目的
は,「この法律は,北朝鮮当局による未曾有の国家的犯罪行為によって拉
致された被害者が,本邦に帰国することができずに北朝鮮に居住すること
を余儀なくされるとともに,本邦における生活基盤を失ったこと等その置
かれている特殊な諸事情にかんがみ,被害者及び被害者の家族の支援に関
する国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに,帰国した被害者
及び帰国し,又は入国した被害者の配偶者等の自立を促進し,被害者の拉
致によって失われた生活基盤の再建等に資するため,拉致被害者等給付金
の支給その他の必要な施策を講ずることを目的とする。」(1条)と規定
されている。
両法自体が宣明する目的を比較すると,いずれにおいても,残留邦人又
は拉致被害者が海外に居住することを余儀なくされた立場にあったとする
点,帰国者の自立支援ないし自立促進のための国等による支援が必要であ
るとする点においては,共通の視点を見出すことができるが,後者におい
ては,自立支援ないし自立促進にとどまらず,これに加えて,拉致被害者
の失われた生活基盤の再建をもその目的として掲げていることに着目する
必要がある。
ウ原告らの主張する被告の自立支援義務違反に起因して生じたとする原告
らの損害内容は,原告らが日本語を(再)習得する機会や就労機会,就労
経験を生かす機会を失ったことによる損害,居住移転の自由を侵害された
ことによる損害,中国の家族との分断・断絶から受けた損害,経済的自立
が不可能な地位に置かれたことによる損害,生活保護受給に伴う損害とい
ったように,政府による自立支援施策が著しく不十分であったことが原因
で,原告らの永住帰国後に初めて生じた人格的損害をいうものであって,
帰国前に強いられた何らかの犠牲に対する補償を求める趣旨の損害賠償請
求でないことは明らかである(この種の損害賠償請求は,早期帰国実現義
務違反との関係で論じられるべき性質のものである。)。そうすると,法
的な自立支援義務違反の有無の観点から問題とすべきなのは,過去に発生
した犠牲に対する補償的要素を捨象した,帰国後の孤児に対する純粋な自
立支援施策としての合理性の有無ということになる。
他方,拉致被害者においては,元々日本社会において自立的な生活を営
み,あるいは営むに足りる能力を有していたところを,北朝鮮当局によっ
て拉致され,長期間海外在住を余儀なくされるという不幸な事態に遭遇し
たために,日本において築き上げた生活基盤が失われたか,あるいは少な
くとも大きな変容を余儀なくされたものであり,ここには元来存在してい
た生活基盤の喪失という犠牲の発生を観念することができる。北朝鮮当局
による国家的犯罪行為によって拉致被害者に生じたこの種の犠牲について,
日本国家として補償的措置を行うかどうかや,行うとした場合の具体的措
置の策定については,諸般の政治・社会・国際情勢に配慮した上での高度
な政治的判断に属する事項というべきであるが,拉致被害者の場合は,政
府はこれを行うとの政治的判断を行ったものであり,そうすると,拉致被
害者支援法に規定された各種支援施策においては,拉致被害者の自立促進
といった側面以外に,拉致被害者が被った過去の犠牲に対する補償という
側面を併有することとなるのは必然である。
このように考えると,孤児に対する自立支援施策と,拉致被害者に対す
る各種支援施策とは,その政策的な立法の趣旨・目的を異にするというべ
きであって,両者を同一線上にあるものとして法的な自立支援義務の観点
から比較対照するのは相当でないというべきである。確かに,そもそも日
本において生活基盤を持ち得なかった孤児においては,全くの無から生活
基盤を作り上げなければならない分,元々は日本社会に生活基盤を有して
いた拉致被害者が生活再建を果たすのに比べてより多くの困難が存在し,
その分充実した自立支援施策が必要であるとの見方もできないではないが,
先に判示のとおり,政府が孤児に対して行ってきた自立支援施策がそれ自
体として著しく不合理であったとまでは認め得ない以上,これを政策的な
立法の趣旨・目的が異なる拉致被害者支援法に規定の施策内容と単純に比
較対照し,前者の方が後者よりも施策内容が貧弱であるとの一事をもって,
憲法14条の趣旨に反する事態と評価するのは困難であるといわざるを得
ない。
エ以上によれば,拉致被害者支援法との比較を通じて被告の原告らに対す
る自立支援義務違反を論じる原告らの主張は採用できない。
(2)そのほか,原告らは,日本に生活基盤を持たない点において孤児と共通す
るインドシナ難民に対する支援施策との比較においても,政府の孤児に対す
る支援施策は著しく不十分であると主張するが,難民問題と孤児問題とを同
一線上で論じることはできないというべきである。
(3)なお,原告らは,原告らが早期に帰国を実現できていれば,戦傷病者戦没
者遺族等援護法ないし恩給法に基づく遺族補償を受け得る可能性も存在した
にもかかわらず,期間の経過等により当然に失権を余儀なくされた原告らに
対し,この水準を遥かに下回る支援しかなされていないのは平等性を欠くと
も主張するが,前述のとおり,自立支援義務違反との関係では,帰国前に生
じた犠牲を損害内容とすることはできないと解されるから,これをもって被
告の原告らに対する同義務違反の根拠とすることはできない。
8総括
以上のとおり,被告の原告ら(原告番号2068を含む。)に対する自立支
援義務違反を認めることはできず,国家賠償法上の違法性は肯認し得ないから,
同義務違反の主張に基づく原告らの請求はいずれも理由がない。
第8結論
よって,原告らの請求はいずれも理由がないので棄却することとし,訴訟費
用の負担について民事訴訟法61条,65条1項を適用して,主文のとおり判
決する。
名古屋地方裁判所民事第5部
裁判長裁判官渡辺修明
裁判官末吉幹和
裁判官篠原敦
※【別紙はすべて省略】

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