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平成20年10月14日判決言渡
平成15年(行ウ)第33号,第50号,平成16年(行ウ)第71号,平成17
年(行ウ)第11号原子爆弾被爆者認定申請却下処分取消等請求事件
口頭弁論終結日平成20年9月2日
判決
主文
1被告厚生労働大臣が平成15年5月6日付けで原告Aに対してした原子爆弾
被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく認定申請の却下処分を取
り消す。
2被告厚生労働大臣が平成15年7月23日付けで原告Bに対してした原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく認定申請の却下処分の
うち陳旧性心筋梗塞及び脳梗塞後遺症に係る部分を取り消す。
3本件訴えのうち原告Cの被告厚生労働大臣に対する請求及び原告Dの被告国
に対する処分取消請求に関する部分をいずれも却下する。
4原告C,原告A及び原告Bの被告国に対する各請求,同原告の被告厚生労働
大臣に対するその余の請求並びに原告Dの被告国に対するその余の請求をいず
れも棄却する。
5訴訟費用は,別紙「費用負担一覧」のとおりの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1平成15年(行ウ)第33号
(1)被告厚生労働大臣が平成14年3月26日付けで原告Cに対してした
原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「援護法」という。)11
条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告国は,原告Cに対し,300万円及びこれに対する平成14年3
月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2平成15年(行ウ)第50号
(1)主文1項と同旨
(2)被告国は,原告Aに対し,300万円及びこれに対する平成15年5
月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3平成16年(行ウ)第71号
(1)被告厚生労働大臣が平成15年7月23日付けで原告Bに対してした
援護法11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告国は,原告Bに対し,300万円及びこれに対する平成15年7
月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4平成17年(行ウ)第11号
(1)処分行政庁が平成15年3月26日付けで原告Dに対してした援護法
11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告国は,原告Dに対し,300万円及びこれに対する平成15年3
月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,援護法1条所定の被爆者である原告らが,援護法11条1項に基づ
き,それぞれ疾病が原子爆弾(以下「原爆」という。)の傷害作用に起因する
旨の認定を申請したのに対し,被告厚生労働大臣(原告Dについては処分行政
庁。以下同じ。)がこれらを却下したため,各却下処分(以下「本件各処分」
という。)の取消しを求めるとともに,被告国に対し,国家賠償法1条1項に
基づき,それぞれ慰謝料200万円及び弁護士費用100万円の損害賠償金並
びにこれらに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
なお,単位について,別紙「単位記号」のとおりの単位記号を用いる。
1法令の定め等
(1)援護法は,平成6年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和3
2年法律第41号)及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭
和43年法律第53号)を統合する形で制定され,その前文において,次の
とおり述べる。
「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のな
い破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命
をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,
不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の
保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,
医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また,我ら
は,再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の
下,世界唯一の原子爆弾の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久
平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器の究極的
廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのない
よう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下
の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特
殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保
健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原
子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
(2)援護法における被爆者とは,次のいずれかに該当する者であって,被
爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(同法1条)。
ア原爆が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令(原
子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年政令第26号。
以下「援護法施行令」という。)1条1項)で定めるこれらに隣接する区
域内に在った者(いわゆる直接被爆者)
イ原爆が投下された時から起算して政令(援護法施行令1条2項)で定め
る期間内(広島市に投下された原爆については昭和20年8月20日ま
で,長崎市に投下された原爆については同月23日まで)に上記アに規定
する区域のうちで政令(同条3項)で定める区域内(おおむね爆心地から
2以内の区域)に在った者(いわゆる入市被爆者)km
ウ上記ア及びイに掲げる者のほか,原爆が投下された際又はその後におい
て,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(いわ
ゆる救護被爆者)
エ上記ア∼ウに掲げる者が当該各事由に該当した当時その者の胎児であっ
た者(いわゆる胎児被爆者)
(3)援護法は,被爆者一般に対する健康管理(7∼9条)及び一般疾病医
療費の支給(18条),都道府県知事の認定を受けた一定の被爆者に対する
健康管理手当(27条)及び保健手当(28条)の支給,その他一定の要件
を満たす被爆者に対する原子爆弾小頭症手当,介護手当の支給等(26条,
31条等)とは別に,被告厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」とい
う。)(11条)を受けた被爆者に対する医療の給付(10条)並びに医療
特別手当(24条)及び特別手当の支給(25条)を定めている。
援護法10条1項,11条の規定の内容は,次のとおりである。
10条1項厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は
疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療
の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因す
るものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受
けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。
11条1項前条第1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あら
かじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労
働大臣の認定を受けなければならない。
11条2項厚生労働大臣は,前項の認定を行うに当たっては,審議会等
(国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第8条に規定する機関
をいう。)で政令で定めるものの意見を聴かなければならない。ただ
し,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因し
ないことが明らかであるときは,この限りでない。
なお,援護法11条2項にいう「審議会等で政令で定めるもの」は,疾病
・障害認定審査会とされている(援護法施行令9条)。
(4)原爆症認定の手続
ア援護法11条1項の規定による原爆症認定を受けようとする者は,厚生
労働省令で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,
厚生労働大臣に申請書を提出しなければならず(援護法施行令8条1
項),上記申請書は,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並び
に被爆者健康手帳の番号,②負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)
の名称,③被爆時以降における健康状態の概要及び原子爆弾に起因する
と思われる疾病等について医療を受け,又は原子爆弾に起因すると思われ
る自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要等を記載した認
定申請書によらなければならず,また,同申請書には,医師の意見書及び
当該疾病等に係る検査成績を記載した書類を添えなければならないものと
されている(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則(平成7
年厚生省令第33号。平成18年厚生労働省令32号による改正前のも
の)12条)。
イ上記の疾病・障害認定審査会については,厚生労働省に置き(厚生労働
省組織令(平成12年政令252条。平成19年政令第44号による改正
前のもの)132条),援護法の規定に基づきその権限に属させられた事
項等を処理するものとされ(同令133条1項),同審査会に関し必要な
事項については,疾病・障害認定審査会令(平成12年政令第287号)
の定めるところによるものとされている(同条2項)。
そして,同審査会は,学識経験のある者のうちから厚生労働大臣が任命
する委員30人以内で組織し(疾病・障害認定審査会令1条1項,2条1
項),臨時委員及び専門委員を置くことができるものとされている(同令
1条2項,3項)。また,援護法の規定に基づき同審査会の権限に属させ
られた事項を処理することを所掌事務とする分科会として,同審査会に原
子爆弾被爆者医療分科会を置き(同令5条1項),同分科会に属すべき委
員及び臨時委員等は,厚生労働大臣が指名するものとされている(同条2
項)。
(5)原爆症認定に関する審査の方針
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成13年5月25
日付けで「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「旧審査方針」とい
う。)(甲1号証)を作成し,原爆症認定に係る審査に当たっては,これに
定める方針を目安として行うものとしていた。その概要は,次のとおりであ
る。
ア原爆放射線起因性の判断
(ア)判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原
因確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考えられる確率をいう。)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線
を曝露しなければ疾病等が発生しない値をいう。)を目安として,当該
申請に係る疾病等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を
判断する。
この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,
①おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に
関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定
②おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定
する。
ただし,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断する
ものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘
案した上で,判断を行うものとする。
また,原因確率が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,
当該疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証さ
れていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環
境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するも
のとする。
(イ)原因確率の算定
原因確率は,次の申請に係る疾病等,申請者の性別の区分に応じ,そ
れぞれ定める別表に定める率とする。
申請者
申請に係る疾病名別表
の性別
男別表1−1
白血病
女別表1−2
男別表2−1
胃がん(本判決末尾添付のとおり)
女別表2−2
男別表3−1
大腸がん
女別表3−2
男別表4−1
甲状腺がん
女別表4−2
乳がん女別表5
男別表6−1
肺がん
女別表6−2
肝臓がん
皮膚がん(悪性黒色腫を除く)男別表7−1
卵巣がん(本判決末尾添付のとおり)
尿路系がん(膀胱がんを含む)女別表7−2
食道がん
その他の悪性新生物男女別表2−1
副甲状腺機能亢進症男女別表8
(ウ)しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75とする。Sv
(エ)原爆放射線の被曝線量の算定
申請者の被曝線量の算定は,初期放射線による被曝線量の値に,残留
放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得
た値とする。
初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆地及び爆心地からの距離
の区分に応じて定めるものとし,その値は別表9(その内容は,本判決
末尾添付の別表9のとおりである。)に定めるとおりとする。
残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離及
び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10
(その内容は,本判決末尾添付の別表10のとおりである。)に定める
とおりとする。
放射性降下物による被曝線量は,原爆投下の直後に次の特定の地域に
滞在し,又はその後,長期間に渡って当該特定の地域に居住していた場
合について定めることとし,その値は次のとおりとする。
特定の地域放射性降下物による被曝線量
cGy己斐又は高須(広島)0.6∼2
cGy西山3,4丁目又は木場(長崎)12∼24
(オ)その他
前記(イ)の「その他の悪性新生物」に係る別表については,疫学調査
では放射線起因性がある旨の明確な証拠はないが,その関係が完全には
否定できないものであることにかんがみ,放射線被曝線量との原因確率
が最も低い悪性新生物に係る別表2−1を準用したものである。
(ウ)前記の放射線白内障のしきい値は,95%信頼区間が1.31
∼2.21である。Sv
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するもの
とする。
ウ方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて必要な見直し
を行うものとする。
(6)新しい審査の方針
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成20年3月17
日付けで「新しい審査の方針」(以下「新審査方針」という。)(乙209
号証)を作成し,原爆症認定に係る審査に当たっては,援護法の精神に則
り,より被害者救済の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即し
たものとするため,次に定める方針を目安としてこれを行うものとしてい
る。その概要は,次のとおりである。
ア放射線起因性の判断
(ア)積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地より約3.5以内である者km
②原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2以内に入市しkm
た者
③原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内
の期間に,爆心地から約2以内の地点に1週間程度以上滞在したkm

から,放射線起因性が推認される以下の疾病について申請がある場合に
ついては,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被爆した
放射線との関係を積極的に認定するものとする。
①悪性腫瘍(固形がんなど)
②白血病
③副甲状腺機能亢進症
④放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
⑤放射線起因性が認められる心筋梗塞
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請
者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料が
無い場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考に
しつつ判断する。
(ア)(ア)に該当する場合以外の申請について
(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,
既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を
総合的に判断するものとする。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するもの
とする。
ウ方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて随時必要な見
直しを行うものとする。
2前提事実(末尾掲記の証拠等により認定することができる。)
(1)昭和20年8月6日午前8時15分に広島市に,同月9日午前11時
2分に長崎市に,それぞれ原爆が投下された。
(2)原告Cについて
ア原告Cは,昭和20年8月6日当時,a8中学校2年生であり,広島市
に原爆が投下された同日午前8時15分には広島駅から3駅離れた駅にい
たが,その後同市内に入り,入市被爆者として被爆者健康手帳の交付を受
けている。
イ原告Cは,平成13年8月23日付けで,疾病等の名称を膀胱がんとし
て,被告厚生労働大臣に対し,援護法11条1項の規定により,原爆症認
定の申請をした。
ウ被告厚生労働大臣は,平成14年3月26日付けで,原告Cに対し,上
記申請を却下する処分(以下「本件処分A」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率を求めまし
た。そこで,この原因確率を目安としつつ,これまでに得られた通常の医
学的知見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病に
ついては,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆
弾の放射線の影響を受けてはいないものと判断されました。上記の意見を
受け,貴殿の申請を却下いたします。」
エ被告厚生労働大臣は,平成20年5月21日,原告Cに対し,本件処分
Aを取り消し,上記イの申請に基づき膀胱がんについて原爆症認定をする
処分をした。
(3)原告Aについて
ア原告Aは,昭和20年8月9日当時,6歳であり,長崎市に原爆が投下
された同日午前11時2分には同市a1町付近におり,爆心地から3.5
の地点で被爆した直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けていkm
る。
イ原告Aは,平成14年9月6日付けで,疾病等の名称を血小板減少病,
食道静脈瘤,肝硬変として,被告厚生労働大臣に対し,援護法11条1項
の規定に基づき,原爆症認定の申請をした。
ウ被告厚生労働大臣は,平成15年5月6日付けで,原告Aに対し,上記
申請を却下する処分(以下「本件処分B」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合
的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放
射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受け
てはいないものと判断されました。上記の意見を受け,貴殿の申請を却下
いたします。」
(4)原告Bについて
ア原告Bは,昭和20年8月6日当時,7歳であり,広島市に原爆が投下
kmされた同日午前8時15分には同市c1町におり,爆心地から1.7
の地点で被爆した直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けている。
イ原告Bは,平成14年10月25日付けで,疾病等の名称を腰部椎間板
障害,陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺症,腎機能障害として,被告厚生労働
大臣に対し,援護法11条1項の規定に基づき,原爆症認定の申請をし
た。
ウ被告厚生労働大臣は,平成15年7月23日付けで,原告Bに対し,上
記申請を却下する処分(以下「本件処分C」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合
的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放
射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受け
てはいないものと判断されました。上記の意見を受け,貴殿の申請を却下
いたします。」
(5)原告Dについて
ア原告Dは,昭和20年8月6日当時,10歳であり,広島市に原爆が投
下された同日午前8時15分には同市d2町におり,爆心地から1.3
の地点で被爆した直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けていkm
る。
イ原告Dは,平成14年8月13日付けで,疾病等の名称を胃がんとし
て,被告厚生労働大臣に対し,援護法11条1項の規定に基づき,原爆症
認定の申請をした。
ウ被告厚生労働大臣は,平成15年3月26日付けで,原告Dに対し,上
記申請を却下する処分(以下「本件処分D」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率を求めまし
た。そこで,この原因確率を目安としつつ,これまでに得られた通常の医
学的知見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病に
ついては,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆
弾の放射線の影響を受けてはいないものと判断されました。上記の意見を
受け,貴殿の申請を却下いたします。」
エ被告厚生労働大臣は,平成20年5月21日,原告Dに対し,本件処分
Dを取り消し,上記イの申請に基づき胃がんについて原爆症認定をする処
分をした。
(6)広島に投下された原爆にはウラン235が,長崎に投下された原爆に
はプルトニウム239が核分裂性物質(核爆薬)として使用され,それぞれ
約700g及び約1の核爆薬が核分裂して核爆発が起こり,核分裂によっkg
て生じたエネルギーが爆発的に放出されたが,発生したエネルギーの約50
%が爆風,約35%が熱線,約15%が放射線(約5%が初期放射線,約1
0%が残留放射線)のエネルギーになったとされる(爆風,熱線,放射線等
に関する概要は次のア∼ウのとおり)。
原爆の推定出力は,DS02(,線量評価システムDosimetrySystem2002
2002)策定時に,TNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して,広島
については16(キロトン),長崎については21とされた。ktkt
ア爆風,衝撃波
原爆の爆発により爆発点に数十万気圧という超高圧の状態が作られ,大
気圧との気圧差により爆風圧が発生し,爆発の衝撃から発生した音速の衝
撃波と重なって,多大な被害が生じた。
イ熱線
原爆の爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に数百万℃に達
し,0.3秒後に火球の表面温度は約7000℃に達した。火球により爆
心地の地表温度は約3000∼4000℃に達した。
ウ放射線
原爆による放射線には,爆発して1分以内に放射される初期放射線と,
それ以後放射される残留放射線とに大別される。
初期放射線のうちα(アルファ)線及びβ(ベータ)線は,空気中の透
過力が弱く,空気中に吸収され,地上に到達するのはγ(ガンマ)線と中
性子線である。
残留放射線は,初期放射線,特に中性子が地面あるいは建造物を構成し
ている原子核に衝突して誘導放射化された放射性物質が放出する誘導放射
線と,核分裂生成物や分裂しなかった核分裂性物質が地表に降り注いだ放
射性降下物(フォールアウト)とに大別される。
3争点
本件の争点は,次の各点にある。
(1)本件処分A及び本件処分Dの取消しを求める訴えの利益(争点1)
(2)放射線起因性の判断基準(争点2)
(3)各原告らの原爆症認定要件該当性(争点3)
(4)被告国に対する国家賠償請求の成否(争点4)
4争点に関する当事者の主張
(1)争点1(本件処分A及び本件処分Dの取消しを求める訴えの利益)に
ついて
(被告らの主張)
被告厚生労働大臣は,原告C及び原告Dに対し,それぞれ本件処分A及び
本件処分Dを取り消して各申請疾病について原爆症認定をしたから,上記各
処分の取消しを求める訴えの利益は消滅した。
(2)争点2(放射線起因性の判断基準)について
(原告らの主張)
別紙「原告ら主張1」のとおり
(被告らの主張)
別紙「被告ら主張1」のとおり
(3)争点3(各原告らの原爆症認定要件該当性)について
(原告らの主張)
別紙「原告ら主張2」のとおり
(被告らの主張)
別紙「被告ら主張2」のとおり
(4)争点4(被告国に対する国家賠償請求の成否)について
(原告らの主張)
別紙「原告ら主張3」のとおり
(被告らの主張)
別紙「被告ら主張3」のとおり
第3争点に対する判断
1争点1(本件処分A及び本件処分Dの取消しを求める訴えの利益)について
前記前提事実(2)エ,(5)エのとおり,被告厚生労働大臣は,平成20
年5月21日,原告C及び原告Dに対し,それぞれ本件処分A及び本件処分D
を取り消して,各原爆症認定申請に基づき,申請疾病について原爆症認定をし
たのであるから,上記原告両名は,援護法24条4項の規定に基づき,同条2
項の認定の申請をした日の属する月の翌月から医療特別手当が支給されること
となった。そうすると,本件処分A及び本件処分Dの取消しを求める法律上の
利益は消滅したものといわざるを得ない。
したがって,本件処分A及び本件処分Dの取消しを求める訴えは,不適法で
あり,却下を免れない。
2争点2(放射線起因性の判断基準)について
放射線起因性の判断基準について,被告らは,放射線物理学等の近時の科学
的知見に基づく日米の放射線学の第一人者の策定に係る原爆放射線の線量評価
システム(DS86)と,これを前提とし,財団法人放射線影響研究所(以下
「放影研」という。)の大規模かつ高度な疫学調査の結果を踏まえて考案され
たリスク評価法である原因確率の考えが十分な科学的合理性を有するものであ
り,これに基本的に依拠して放射線起因性が判断されるべきであると主張す
る。
これに対し,原告らは,DS86による線量評価には科学的合理性はなく,
原因確率の考えは疫学を誤用した誤ったリスク評価方法であるとし,これらを
適用すべきではなく,①原告らの被爆状況及び被爆後の行動,急性症状等に
より,原告らが,初期放射線だけでなく,残留放射線による外部被曝や放射性
降下物による外部被曝や内部被曝をしており,これによって放射線による人体
影響を受けたと推定できること,②原告らが,放射線が発症又は促進,増悪
の原因となり得ると考えられている疾病に罹患していることを立証すれば,原
告らの疾病は,他に放射線以外の因子のみによって発症しているとする特段の
事情が立証されない限り,放射線起因性が事実上推定されるべきであり,特段
の事情についての立証責任は被告らにあると主張する。
そこで,当事者双方に争いのある放射線起因性の判断基準について,次に検
討する。
(1)放射線起因性の立証
援護法10条1項,11条の規定によれば,原爆症認定をするためには,
被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,現に医療を
要する疾病等が原爆の放射線に起因するものであるか,又は上記疾病等が放
射線以外の原爆の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原
爆の放射線の影響を受けているため上記要医療状態にあること(放射線起因
性)を要すると解される。
そして,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,そ
の拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,
特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない
から,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明
ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結
果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,そ
の判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るもの
であることを必要とすると解すべきである(最高裁平成10年(行ツ)第4
3号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁)。
放射線起因性の要件を定めた援護法10条1項の規定は,放射線被曝と疾病
等ないしは治癒能力低下との間に通常の因果関係があることを要件として定
めたものと解すべきであるから,上記の理は,この場合にも当てはまるとい
うべきである。
もっとも,人間の身体に疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程にお
いては,多くの要因が複合的に関連していることが通常であって,特定の要
因から当該疾病等の発症に至った機序を立証することには自ずから困難が伴
うものであり,殊に,放射線による後障害は,放射線に起因することによっ
て特異な症状を呈するものではなく,その症状は放射線に起因しない場合と
全く同様である。加えて,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にそ
の詳細が解明されているものではなく,長年月にわたる調査にもかかわら
ず,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析によ
る有意性の確認など,限られたものにとどまっているだけでなく,原爆被爆
者の被曝放射線量そのものも,後に判示するように,その評価は不完全な推
定によるほかはないのが現状である。このような状況の下で,当該疾病等が
放射線に起因して発症したことの直接の立証を要求することは,当事者に対
し不可能を強いることになりかねない。したがって,疾病等についての放射
線起因性の判断に当たっては,疾病発生等の医学的機序を直接証明するので
はなく,放射線被曝による人体への影響に関する統計学的,疫学的知見に加
えて,臨床的,医学的知見をも踏まえつつ,各原告ごとの被爆状況,被爆後
の行動,急性症状等やその後の生活状況,具体的症状や発症に至る経緯,健
康診断や検診の結果等の全証拠を,経験則に照らして全体的,総合的に考慮
した上で,原爆放射線被曝の事実が当該疾病等の発生又は進行を招来した関
係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを,法的観点から,検討す
ることとするのが相当である。
(2)旧審査方針における被曝線量推定の合理性
ア原爆放射線量推定方式の変遷
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)T57D及びT65D
昭和32(1957)年に最初の個人被曝線量が推定されたが(T5
7D(暫定1957年線量)),実際の健康後影響の評価には使われな
かった。この方式が改善され,昭和40(1965)年に,T65D
(暫定1965年線量)という線量推定方式が開発され,この個人被曝
線量が約20年間使われてきた。
(イ)DS86
1970年代後半以降,T65Dに疑問が投げかけられ,米国では,
昭和56(1981)年に線量再評価検討委員会,更にその結果を評
価,吟味するための上級委員会が設置され,これに対応して日本側でも
厚生省により検討委員会と上級委員会が組織され,米国と共同してこの
問題に当たることとなった。そして,昭和61(1986)年に日米合
同の上級委員会において承認された線量評価システムが,DS86(線
量評価システム1986)である。
DS86においては,広島の原爆の出力は15(誤差は±3),ktkt
長崎の原爆の出力は21(誤差は±2)と推定された。これを前提ktkt
に,初期放射線による被曝線量については,空気中カーマ(被爆者の周
囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量),遮蔽カーマ(被爆者の周囲の構
造物による遮蔽を考慮した被曝線量),臓器線量(人体組織による遮蔽
も考慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入
力して,線量を計算している。
(ウ)DS02
DS86策定以降,中性子線量に関する理論値と測定値の不一致に関
し,日米独の研究者が研究を続けた結果,DS02が作成された。DS
kt86からDS02への大きな変更は,広島における爆弾の出力を15
から16に,爆発高度を580mから600mに修正したことであるkt
が,空気中線量全般に関して大幅な変更はない。
イDS86及びDS02による初期放射線推定の合理性について
旧審査方針別表9は,DS86に基づき,初期放射線による被曝線量を
特定しているところ,被告らは,DS86の正確性はDS02により検証
されたと主張するので,DS86の合理性について,以下検討する。
(ア)計算値と実測値との不一致
各項末尾掲記の証拠によれば,DS86による推定線量との不一致を
示す測定データに関し,次のとおり認められる。
a広島原爆の中性子によって放射化されたコバルト60のDS86に
よる計算値は,爆心から1000m付近までは実測値より1.5∼2
倍大きく,1000mを超えると実測値を下回る。
ユーロピウム152及び塩素36についても,DS86による計算
値は,近距離では実測値より大きな値を出し,遠距離では小さい値を
出す。
もっとも,コバルト60の実測値に基づいて,カイ2乗法に適合す
る(放射線の総量は,爆心からの距離の2乗に逆比例するため,これ
に従った理論式を実測値全体を最もよく表すものとする方法)中性子
線量を求めると,爆心地から700mまではDS86の計算値の方が
実測値よりも過大評価となり,900mでは過小評価になり,急速に
不一致は拡大していく。例えば,DS86の計算値は爆心地から1
500mでは実測値の約14分の1であるのに,2000mでは実測
値の約167分の1となり,爆心からの距離とともにDS86の計算
値は実測値と桁違いの過小評価となる。
b広島原爆のγ線について,星正治教授らが平成元(1989)年に
爆心地から1909mの地点で測定したγ線の線量の実測値は,DS
86による計算値の2.0倍及び2.1倍であり,また,長友教授ら
が平成4(1992)年に行った熱ルミネッセンス法による測定結果
により,爆心地から2050mの距離では,実測値がDS86による
計算値の2.2倍となったことが報告されている。
そして,長友教授らは,平成7(1995)年に,爆心地から15
91mと1635mとの間の測定も行い,この距離からγ線の線量実
測値はDS86の計算値からずれ始めることを確かめており,これま
での実測値を総合して,γ線の実測値は,爆心地から1100mより
も遠い距離においてはDS86の計算値から大きい方にずれているこ
とを指摘している。
c長崎原爆の中性子線については,遠距離において適切な測定資料を
入手するのは困難で,爆心地から約1100mまでの測定値しか得ら
れていない。もっとも,中性子によって放射化されたコバルト60に
ついて,静間清教授らが行った測定によれば,上記のとおり,DS8
6の計算値は,爆心地から900mを越えたあたりから,過大評価か
ら過小評価に転ずるとされている。
澤田昭二名古屋大学名誉教授は,ユーロピウム152について,実
測値にばらつきが大きいので,測定結果の解析から有意な結果を導く
ことができるか躊躇されたが,カイ2乗法によって適合するものを求
めると,DS86の推定値は爆心から700m以内では過大評価であ
り,700mを超えると過小評価に転ずることが分かったとしてい
る。
もっとも,厚生労働科学特別研究事業「原子爆弾の放射線に関する
研究」(平成14年度総括・分担研究報告書)(主任研究者平良専
純)は,長崎に関しては,広島と異なり系統的なズレを示さない測定
データと,広島と同様のズレを示すデータの両者があるとしている。
(イ)DS86の再評価
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a上記のとおり,DS86については,広島における熱中性子による
放射化の計算値の距離による変化が測定値と一致しないという問題が
あり,平成12年に設立された日米合同実務研究班において,DS8
6の再評価が行われた。再評価において,まず,放射線出力が再計算
され,長崎の爆弾の出力についてはDS86の推定値と同じであった
が,広島については以前の出力推定値よりも1高い出力が推定されkt
たものの,これによって,上記計算値と測定値の不一致の問題を説明
することはできなかった。そこで,測定値について再評価が行われる
こととなった。
bDS02においては,γ線量測定値の再評価が行われたが,バック
グラウンド(自然放射性物質からの放射線や宇宙線による被曝)の線
量が,広島では爆心地から約1500m,長崎では約1700mころ
から正味の線量測定値に影響し始め,バックグラウンドの誤差は,広
島では約1500m以遠,長崎では約1700m以遠の距離における
正味の線量測定値の誤差の主要な寄与因子となるとされた。
c速中性子線測定
(a)リン32の放射化測定(放射線により硫黄中に発生したリン3
2を測定することにより速中性子線を測定する。)
DS02では,リン32の放射化測定値の再評価がされ,試料の
位置の修正等がされ,その結果,①爆心地近くではDS86とD
S02は両方とも測定値と良く一致している,②DS86との間
に見られた一致は偶発的なものであり,DS02の爆発高度と出力
が測定値によって裏付けされている,とされた。
(b)ニッケル63の放射化測定(放射線により放射化された銅試料
中のニッケル63を測定することにより,原爆の放射線の中の速中
性子を測定する。)
DS02では,ニッケル63を測定するに当たり加速器質量分析
法(AMS)と液体シンチレーション計数法が使用された。
AMSによる測定に関しては,①爆心地から700m以遠にお
ける爆弾に起因する速中性子についての最初の信頼できる測定値が
得られた,②これらの測定結果の主な意義は,原爆被爆者の位置
に最も関係のある距離(900∼1500m)における速中性子の
測定値が初めて得られたことである,③バックグラウンドを差し
引いた後のデータを昭和20(1945)年に対して補正すると,
広島の銅試料中のニッケル63測定値はDS02に基づく試料別計
算値と良く一致する,④DS86に基づく計算値との比較でも,
日本銀行における試料の場合を除いて良く一致する,と評価されて
いる。
液体シンチレーション計数法による測定については,AMSから
得られたバックグラウンドデータが補正のために使用されたが,そ
の結果は,AMSの結果とよく一致している。
d熱中性子線測定
(a)ユーロピウム152の放射化測定
小村和久教授らは,多量の花崗岩試料を使い,化学的濃縮を行っ
たユーロピウムを加熱圧縮して測定試料とし,試料から発せられる
γ線を,尾小屋地下測定室に設置した2台の大型の極低バックグラ
ウンド井戸型ゲルマニウム検出器を用いて測定した。
このように極めて低いバックグラウンド環境の中で測定された結
果,ユーロピウム152の測定値とDS02による計算値とが,1
000mを超える距離(爆心から1177m,1424m)におい
ても,よく一致していることが判明した。
(b)塩素36の放射化測定
米国の国立ローレンスリバモア研究所,大学PRIME研Purdue
究室及びロチェスター大学のAMS施設において,AMSにより測
定がされ,①広島及び長崎で採取された試料における花崗岩及び
コンクリート(コンクリート表面を除く)中の塩素36の測定値
は,爆心地付近から,比がバックグラウンドと鑑別不可能に36
Cl/Cl
なる距離までDS02と一致する,②従前測定された広島の14
00m以遠における塩素36の放射化測定値(ら199Straume
2)がDS86の計算評価値と一致しなかった原因は,同測定に表
面セメント(深部コンクリートよりも高いバックグラウンドを示
す。)が使用されたことに由来する,と結論付けられた。
ドイツのミュンヘンのAMS施設において,広島で原爆中性子に
被曝した花崗岩試料及び被曝していない対照花崗岩試料における
比を決定したが,①実験の誤差の範囲内において,花崗岩36
Cl/Cl
試料中の塩素36の自然濃度を考慮すれば,地上距離800m以遠
における測定に基づく比と,DS02計算に基づく比3636
Cl/ClCl/Cl
に顕著な不一致は認められない,②広島の花崗岩試料中の塩素3
6の生成について,爆心地から約1300m以遠では,宇宙線並び
にウラニウム及びトリウムの崩壊が重要になると推定される,とし
ている。
筑波大学加速器センターにおいて,AMSによる花崗岩試料の塩
素36の測定がされたが,地上距離で近距離から1100mの間で
は,測定値とDS02の計算値がよく一致していることが確認さ
れ,地上距離約1100mを超える範囲の試料については,バック
グラウンドの影響のため,塩素36生成に関する原爆の寄与の見積
もりは困難であるとされた。
(c)コバルト60の放射化測定
DS02では,広島のコバルト60の測定値については,約13
00mの地上距離以内ではDS02に基づく計算値と非常に良く一
致するが,それ以遠では,試料の線量カウントと検出器のバックグ
ラウンド線量とを区別する際に問題があるようであるとされた。
e総括
DS02においては,前記のとおり,ニッケル63による速中性子
測定,ユーロピウム152の低バックグラウンド熱中性子測定,塩素
36の精度保証付き相互比較測定,既存のコバルト60,リン32及
び熱ルミネセンス測定値の再評価等が検討された結果,葉佐井博巳名
誉教授らは,①広島の爆心地から1以遠における中性子の不一km
致は,測定値における説明不可能なバックグラウンド値によるもので
あり,計算値の基本的問題によるものではないことが示された,②
広島の爆弾の真下における中性子の過大計算は,爆発高度が少し低く
推定されていたためであった,③これら二つの問題を修正した結
果,爆弾からいずれの距離においても測定値と計算値の間には良い一
致が見られた,と総括している。
(ウ)DS02における計算値と実測値の乖離の解消について
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
aγ線について
(a)長友教授ら「広島の爆心地から2.05における測定ガンマkm
線量とDS86の評価値との比較」(平成4年)は,広島の爆心地
から2.05におけるγ線線量を熱ルミネセンス法によって瓦km
のサンプルから測定し,2.45で収集した瓦のサンプルもバkm
ックグラウンド評価の信頼性をチェックするために解析したとこ
ろ,2.05の距離に対する結果は5枚の瓦についての測定値km
の平均で129±23であり,この値は,対応したDS86のmGy
推定より2.2倍大きい,としている。
(b)長友教授ら「爆心地から1.59から1.63の間の広kmkm
島原爆のガンマ線量の熱ルミネセンス法の線量評価」(平成7年)
は,①爆心地から1591∼1635mのビルディング(郵便貯
金局)の屋根の5か所から収集した瓦の標本を用い,熱ルミネセン
ス法によって広島原爆からのγ線カーマを測定した,②5か所の
それぞれから,各4枚の瓦の標本からサンプルを採って石英の粒子
を抽出し,これらの粒子の熱ルミネセンスを高温ルミネセンス法に
より解析してγ線カーマを得た,③組織カーマの結果は,DS8
6の評価より平均して21%(標準誤差は4.3∼7.3%)多か
った(なお,広島の爆心地から1591∼1631mの間の5地点
の平均実測値とDS86の計算値との乖離の程度は,爆心地から近
い順に0.111,0.068,−0.222,0.06GyGyGy
,0.025である。),④現在のデータと報告されていGyGy
る熱ルミネセンスの結果は,測定されたγ線カーマはDS86の値
を約1.3で超過し始め,この不一致は距離と共に増加するこkm
とを示唆している,⑤この不一致は,DS86の中性子のソース
・スペクトルに誤りがあることに原因があり,これまでの中性子放
射化の測定によって支持されている,としている。
b熱中性子線について
コバルト60の測定については,前記のとおり,DS02におい
て,広島の地上距離約1300m以遠では試料の線量カウントと検出
器のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があるようであると
されている。また,DS02報告書によれば,これらの距離における
測定値は,いずれもDS86及びDS02の計算値を上回り,その中
には前記極低バックグラウンド施設で測定が行われた小村教授の測定
値(平成13(2001)年)も含まれている。
ユーロピウム152の測定については,DS02報告書によれば,
広島における爆心地からの距離が800m以遠における測定値(静間
らの測定値(平成5(1993)年)及び中西らの測定値(平成3
(1991)年))はいずれもDS86及びDS02の計算値を上回
り,その乖離の程度は遠距離ほど大きくなっていた。小村教授らが平
成13年に極低バックグラウンド施設で行った試料の再測定による測
定値は,爆心地からの距離が1200m前後まではDS86やDS0
2の計算値とはほぼ一致するが,爆心地からの距離が約1400mの
地点の測定値は計算値よりも上回る。
c速中性子線について
爆心地からの距離がDS86によれば1461m,DS02によれ
ば1470mの放射性同位元素建屋におけるニッケル63の測定値
は,DS86計算値の1.50±1.38倍,DS02計算値の1.
88±1.72倍とされ,計算値と実測値の乖離は残っている。DS
02においては,爆心地から約1800mの距離から少なくとも50
00mの距離までは,測定値は銅1g当たりのニッケル63原子約7
万個の値で平坦となり,ほぼこれがバックグラウンドの大きさと思わ
れとしているが,他方で,約1800m以遠の見かけ上一定の「バッ
クグラウンド」については依然として完全には理解されておらず,銅
試料中の宇宙線によるニッケル63の計算値は,銅試料について測定
された高いバックグラウンドを説明できておらず,このバックグラウ
ンドは主に試料の化学成分,試料ホルダー,AMS装置等に起因する
のかもしれず,これについては更に検討すべきであるとされている。
(エ)遠距離被爆者に関する調査等
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
a日米合同調査団報告書(昭和26年)
長崎における被爆後20日後に生存していた屋外又は日本家屋内で
被爆した者を対象とする調査結果は,次のとおりである。
爆心地からの距離脱毛紫斑
∼%(人中人)%(人中人)2.12.5km7.2515373.951520
∼%(人中人)%(人中人)2.63km2.1569120.55693
∼%(人中人)%(人中人)3.14km1.3931121.493113
∼%(人中人)%(人中人)4.15km0.422610.42261
広島の爆心地から2.1∼2.5地点において,屋外又は日本km
家屋内で被爆した人1415人中68人(4.8%),その他の屋内
で被爆した人12人中1人(8.3%)に脱毛がみられ,防空壕又は
トンネル内で被爆した人には脱毛がみられなかった。
長崎の爆心地から2.1∼2.5地点において,屋外又は日本km
家屋内で被爆した人515人中37人(7.2%),その他の屋内で
被爆した人35人中1人(2.9%),防空壕又はトンネル内で被爆
した人110人中2人(1.8%)に脱毛がみられた。
長崎の爆心地から2.1∼2.5地点において,屋外(無遮km
蔽)で被爆した人115人中20人(17.4%),屋外(遮蔽あ
り)で被爆した人82人中6人(7.3%),日本家屋内で被爆した
人318人中22人(6.9%)に脱毛又は皮下出血がみられた。
b東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告
同医療班は,昭和20年10月及び同年11月,広島における爆心
地から5以内の生存罹災者5120人を対象とする調査を行っkm
た。
3以内の被爆者4406人(男2063人,女2343人)のkm
うち,男328人,女379人に脱毛がみられたが,このうち爆心地
から2.1∼2.5では男33人(5.7%),女42人(7.km
2%)に,2.6∼3.0では男2人(0.9%),女7人km
(2.4%)であった。
遮蔽状況と脱毛の発現率との関係については,「屋外開放のもの」
及び「屋外蔭にあったもの」が最も高く,「コンクリート建物内のも
の」が最も低く,「木造家屋内のもの」がその中間の率を示す。
脱毛,皮膚溢血斑及び壊疽性又は出血性口内炎症のうち1症状以上
を示した者は,全調査者5120人中に909例あったが,距離別の
発生頻度は,2.1∼2.5では9.34%(1156人中10km
8人),2.6∼3.0では3.58%(502人中18人)でkm
あった。
c於保源作論文
於保源作医師が昭和32年に発表した「原爆残留放射能障碍の統計
的観察」によれば,同年1月から同年7月までに広島市内の一定地区
に住む被爆生存者全部(3946人)について,その被爆条件,急性
症状の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各人ごとに調査した
結果は,次の(a)∼(b)のとおりである。同論文は,得られた調査結
果を総括して観察したところ,直接被爆者では被爆距離が短いほど急
性症状の有症率が高く,被爆距離が長いほど有症率が低いとしてい
る。
(a)被爆直後中心地(爆心地から1.0以内の地。以下c項内でkm
は同じ。)に入らなかった屋内被爆者
距離調査熱火傷外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
人数%%%%出血%%%km
1.52.02346.417.516.620.98.13.42.1∼
2.02.52196.816.413.218.75.90.95.4∼
2.53.02363.310.18.814.82.52.12.9∼
3.03.53370.94.13.88.42.60.90.9∼
3.54.02001.03.53.54.02.01.03.0∼
4.04.5305000.91.300.30∼
5.01170001.700.80.8∼
(b)被爆直後中心地に入らなかった屋外被爆者の場合
距離調査熱火傷外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
人数%%%%出血%%%km
1.52.013256.321.042.836.020.26.718.7∼
2.02.59153.826.335.123.010.96.510.9∼
2.53.07445.913.535.922.96.76.712.0∼
3.03.59518.97.38.412.67.30.20.1∼
3.54.0704.24.27.17.14.24.22.8∼
4.04.574002.701.300∼
5.050002.02.02.004.0∼
(c)被爆直後中心地に出入りした屋内被爆者の場合
距離調査熱火傷外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
人数%%%%出血%%%km
1.52.01086.533.023.133.312.94.612.9∼
2.02.51025.822.518.630.312.75.86.8∼
2.53.01744.017.820.128.79.77.48.6∼
3.03.51721.78.116.821.54.01.74.0∼
3.54.011104.511.711.72.70.91.8∼
4.04.51190.84.211.716.86.702.5∼
5.0761.32.622.319.714.43.95.2∼
(d)被爆直後中心地に出入りした屋外被爆者の場合
距離調査熱火傷外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
人数%%%%出血%%%km
1.52.06532.326.143.044.424.67.624.6∼
2.02.54030.010.05.030.010.007.5∼
2.53.05719.217.519.228.021.07.212.2∼
3.03.56513.99.223.024.612.34.67.6∼
3.54.0521.83.817.321.05.71.87.6∼
4.04.53203.112.418.79.33.19.3∼
5.0427.17.116.614.27.14.22.3∼
d放影研の調査
デイル・プレストンほか「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの
距離との関係」(長崎医学会雑誌73巻特集号251頁)には,①
放影研で行っている寿命調査の対象者について集められた脱毛のデー
タに基づいて脱毛と爆心地からの距離との関係を検討し,既に公表さ
れている主要調査結果とも合わせて比較検討を行った,②放影研の
寿命調査集団において脱毛の陽性を報告した被爆者数は,広島で対象
者5万8500人中3857人(うち重度1120人),長崎で2万
8132人中1349人(うち重度287人)である,③脱毛と爆
心地からの距離との関係は,爆心地から2以内での脱毛の頻度km
は,爆心地に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少し,
2から3にかけて緩やかに減少し(3%前後),3以遠でもkmkmkm
少しは症状が認められている(約1%)が,ほとんど距離とは独立で
ある,④脱毛の程度は,遠距離にみられる脱毛はほとんどすべてが
軽度であったが,2以内では重度の脱毛の割合が高かった,⑤km
このようなパターンを総合すると,3以遠の脱毛が放射線以外のkm
要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているのか
もしれず,特に低線量域では,脱毛と放射線との関係について論ずる
場合や脱毛のデータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる場合に
は注意を要すると思われる,と記載されている。
e横田賢一らの調査
横田賢一(長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設)ら「被爆
状況別の急性症状に関する研究」(平成12年3月。広島医学53巻
3号)には,①長崎における被爆距離4未満の1万2905人km
を対象に被爆者健康手帳申請時の調査票から得た被爆距離,被爆時の
遮蔽状況及び急性症状に関する情報を基に,遮蔽状況を考慮した急性
症状(特に脱毛)の発生頻度,発症時期及び症状の程度に関して調べ
た,②急性症状があったのは,4685人(36.3%)である,
③脱毛の頻度は,被爆距離3未満ではどの距離でも遮蔽なしのkm
場合が遮蔽ありの場合より高く,2.0∼2.4では遮蔽なしがkm
12.5%,遮蔽ありが5.5%,2.5∼2.9では遮蔽なしkm
が8.6%,遮蔽ありが2.8%であった,④被爆距離別にみた脱
毛の程度は,被爆距離が遠くなるほど重度及び中等度の症例は減って
いるが,2.0∼2.4においても重度21例,中等度29例,km
2.5∼2.9で重度13例,中等度15例がみられた,⑤2km
以遠でも遮蔽の有無で頻度に明らかな差がみられたこと及び脱毛km
の程度について2以遠でも被爆距離との相関がみられたことは,km
2以遠で起こった脱毛も放射線を要因としていることが考えられkm
るが,これらのことから直ちに要因が放射線であると判断することは
できず,放射線との因果関係を調査するためには,染色体分析調査な
どにより個人レベルで放射線を受けたことを確認する調査を行う必要
がある,と記載されている。
横田賢一ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研
究」(長崎医学会雑誌73巻特集号)には,①長崎市の被爆者健康
手帳保持者(被曝距離3.5以内の人から3000人を無作為抽km
出)を対象とした原爆被爆者調査から得られた急性症状に関する情報
を基に解析を行った,②対象3000人のうち嘔吐,下痢,発熱,
脱毛等の症状があった人は全体の36.2%(1086人)であり,
うち2.0以遠では30%以下であった,③脱毛の頻度は,被km
爆距離2.0∼2.4では6.1%(672人中41人),2.km
5∼2.9では3.6%(889人中32人)であり,どの距離km
でも昭和20年8月中に約60%が,同年9月中に約30%が発症し
ている,④脱毛の程度は,被爆距離2.0∼2.4で中等度7km
件及び重度2件,2.5∼2.9で中等度1件及び重度2件の症km
例がみられた,と記載されている。
f調来助らの研究
調来助(長崎医科大学外科第一教室教授)らによる「長崎ニ於ケル
原子爆弾災害ノ統計的観察」は,長崎における昭和20年10月から
同年12月までの調査の結果,①爆心地からの距離が2∼3のkm
被爆者については,生存者1739人中56人(3.2%),死亡者
km10人中2人(20.0%)に,②爆心地からの距離が3∼4
の被爆者(生存者)1079人中19人(1.8%)に脱毛の発症が
見られたとされる。
(オ)検討
aDS86は,日米の物理学,放射線化学等の専門家から成る委員会
において科学的知見を集積,解析して作成された被曝線量推定システ
ムであり,原爆の特性,原爆投下時の気象条件等の要因を考慮した上
で,原爆から放出される光子(電磁波)や粒子の個数及びそのエネル
ギーや方向の分布を基に,空気中での伝播,諸条件下での減衰等を再
現する複雑で高度な計算をコンピュータシステムで処理したものであ
る上,DS86に基づいて推定した被曝線量を前提に放射線影響のリ
スクを評価した調査(放影研で実施している原爆被爆者の寿命調査,
健康調査)は,国際放射線防護委員会の勧告の根拠とされている。
そうすると,DS86による初期放射線の線量評価システムは,シ
ミュレーション等による仮説としての性質を有するものの,科学的知
見に基づくものとして,国際的にも受け入れられており,一般的な合
理性を肯定することができる。
そして,前記(イ)のとおり,DS02においては,ニッケル63に
よる速中性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピウム1
52による熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定,既
存のコバルト60,リン32,熱ルミネセンス測定値の検証やバック
グラウンドによる測定の誤差等が検討され,DS86における計算値
と測定値との不一致は,測定値の測定に当たってバックグラウンド線
量が計測されたことによるものであって,計算値の問題によるもので
はないと総括されている。また,これを支持する見解が示されている
(小佐古敏荘:東京大学原子力研究総合センター助教授,星正浩・遠
藤暁:広島大学原爆放射線医科学研究所国際放射線情報センター,佐
々木康人:国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子爆弾
被爆者医療分科会分科会長,草間朋子:大分県立看護科学大学学長:
同分科会分科会長代理)。
bしかしながら,γ線に関しては,長友教授らの研究では,広島の爆
心地から2.05地点における測定値がDS86による計算値のkm
2.2倍となっており,また,広島の爆心地から1591∼1635
mの5箇所の平均実測値がDS86による計算値より21%多く,測
定値がDS86による計算値を約1.3で超過し始め,この不一km
致は距離と共に増加することを示唆されているところ(前記(ウ)
a),澤田昭二名誉教授の指摘によれば,長友教授らが採用している
バックグラウンド線量の値は,これを広島の爆心地から2450mの
地点におけるγ線量の測定値から差し引くとマイナスの値となるほど
大きい値であるから,上記2.05地点における原爆によるγ線km
量が過大評価ではないと考えられる。
熱中性子線に関しては,広島の地上距離約1300m以遠のコバル
ト60測定値は,DS86及びDS02の計算値を上回り,その中に
は極低バックグラウンド施設で測定が行われた測定値も含まれ,ま
た,極低バックグラウンド施設で行った試料の再測定によるユーロピ
ウム152の測定値でも,爆心地からの距離が約1400mの地点で
は計算値よりも上回る(前記(ウ)b)。
そして,速中性子線に関しては,DS02においても,爆心地から
1470mの地点のニッケル63の測定値は計算値の1.88±1.
72倍とされ,また,DS02の報告書においても,銅試料中の宇宙
線によるニッケル63の計算値は,銅試料について測定された高いバ
ックグラウンドを説明できておらず,これについては更に検討すべき
であるとされている(前記(ウ)c)。
そうすると,γ線については爆心地から約1300m以遠におい
て,熱中性子線については爆心地から約1300∼1400m以遠に
おいて,速中性子線については爆心地から約1470m以遠において
測定値が計算値を上回る測定結果となっており,DS02報告書にお
いてもバックグラウンド線量について更に検討の余地があるとされて
いることからすると,DS86における計算値と測定値との不一致の
問題が,バックグラウンド線量の見直しによって完全に解消されたと
評価するには,疑問が残るところである。
cさらに,DS86による初期放射線の計算値によれば,少なくとも
爆心地から2以遠の被爆者に初期放射線被曝による影響を受けたkm
急性症状が生ずるとは考え難いにもかかわらず,爆心地から2以km
遠の被爆者にも,脱毛,紫斑,発熱,下痢,皮下出血等の症状が一定
割合生じたとする調査結果が多数あり,また,これらの全般的な傾向
として,爆心地からの距離が遠くなるに従って発症率が低下し,被爆
時における遮蔽の有無及び程度によって発症率に差が生じていること
(前記(エ))からすると,これらの症状に初期放射線被曝による影響
がないと断ずるのは不合理である。
これに対し,被告らは,上記各調査が,症状について回答者の自由
な回答を前提としたものであって,また,偏り(バイアス)の存在が
指摘されており,被曝による急性症状を的確に把握したものではない
と主張する。そして,脱毛について,被爆直後の調査結果と15年後
以降の調査結果との一致の程度を調査すると,直後の調査を基準とし
た場合の症状有りの一致率は74.4%であるが,後の調査を基準と
した場合は42.1%となり,安定した回答が得られていないとする
長崎大学の横田賢一らによる研究結果が発表されている(乙163号
証)。また,被告らは,爆心地からの距離によって急性症状の発症率
に一定の傾向が一致して見られるわけではないことを主張し,上記各
調査結果の細部には,爆心地から距離が遠くなるのに脱毛の発症率が
増加している部分なども見られる。しかし,これらの各調査に疫学的
調査としての限界があることを考慮しても,全般的な傾向としては前
記のとおり認めることができるところである。
また,確かに,全身被曝による急性放射線症については,一般に約
1以上の線量を体幹など主要部分に被曝すると起こるとされ,国Gy
際放射線防護委員会が平成3(1991)年に研究者の研究成果をま
とめたところによると,一時的脱毛のしきい線量は3とされておGy
り,前記(ウ)a(ア)のとおり,長友教授らの研究による広島爆心地か
ら2.05地点におけるγ線の実測値は0.129±0.023km
にすぎないが,この実測値を前提としても,後記のとおり,残留Gy
放射線による被曝と相まって急性症状が生じたと考えることができ
る。
d以上によれば,DS86による初期放射線量の計算値は,少なくと
も爆心地から約1300m以遠において実際より過小に評価されてい
る可能性があるというべきであるから,爆心地から約1300m以遠
の被爆者については,この可能性を考慮する必要がある。被告らは,
そのDS86による計算値と実測値との乖離は,人の健康被害という
km視点からは無視し得ると主張するが,前記のとおり爆心地から2
以遠の被爆者に初期放射線被曝による影響を否定し難い症状が生じて
いることを示す調査結果があることからすると,上記可能性を否定す
ることには,なお慎重であるべきである。
ウDS86による残留放射線及び放射性降下物による被曝線量推定等の合
理性について
(ア)旧審査方針の定めとその根拠
a旧審査方針別表10は,誘導放射能による外部被曝線量について,
広島においては原爆爆発から72時間以内に爆心地から700m以内
に,長崎においては原爆爆発から56時間以内に爆心地から600m
以内に,それぞれ入った場合に,同表に従って算定するものとしてい
る。
同表は,グリッツナー及びウールソンの研究報告に基づき策定され
たものであり,DS86による初期放射線(中性子線)の被曝線量評
価を前提としている(弁論の全趣旨)。グリッツナー及びウールソン
の計算の過程は,①爆心からの距離ごとに入射中性子スペクトルを
計算し,入射中性子スペクトルのエネルギー,方向及び数を決定す
る,②次に,土壌中の元素の種類,含有量及び放射化断面積を基
に,生成された放射能量を計算する,③さらに,誘導放射能から放
出されたγ線が地上1mに達するまでのγ線の透過の計算をして,線
量率(単位:レントゲン/時間)を求め,人体への被曝影響と結び付
けるために空気中の組織カーマ(単位:)に換算する,というもGy
のであり,線量率が時間とともに減衰する結果となっている。
bまた,旧審査方針は,放射性降下物による被曝線量について,原爆
投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該
特定の地域に居住していた場合について定めており,具体的には己斐
又は高須(広島)にあっては0.6∼2,西山3,4丁目又は木cGy
場(長崎)にあっては12∼24としている。cGy
これは,DS86報告書において,①放射性降下物は,爆心地よ
り約3000mの距離で,広島では西に向けて,長崎では東に向けて
発生した,②爆発1時間後から無限時間まで地上1mの位置での放
射性降下物によるγ線の積算線量を推定した結果の大部分はよく一致
しており,西山地区(長崎)で20∼40R,己斐・高須地区(広
島)で1∼3Rとなり,これを吸収線量に換算すると,西山地区(長
崎)で12∼24(),己斐・高須地区(広島)で0.6∼2radcGy
()となる,とされていることに基づくものである。radcGy
cさらに,旧審査方針は,内部被曝による被曝線量を特に算出してい
ない。これは,内部被曝による被曝線量が0.01以下と極微量cGy
であったとされたことによるものである(弁論の全趣旨)。
すなわち,①DS86報告書において,長崎で放射性降下物が最
も多く堆積した地域である西山地区の住民につき,昭和44(196
9)年及び昭和56(1981)年にホールボディカウンターにより
測定した長命のγ線放出放射性核種であるセシウム137の内部負荷
のデータを用い,法により身MedicalInternalRadiationDoseCommittee
体を通じて一様な分布を仮定して,セシウム137からの内部被曝線
量を推定したところ,昭和20(1945)年から昭和60(198
5)年までの40年間の積算線量は男性で10(0.01mrad
),女性で8(0.008)と推定されたこと,②広cGymradcGy
島で放射性降下物がみられた地域での人の体内被曝については,長崎
のような調査は行われていないが,広島の放射性降下物の量が長崎の
約10分の1以下であることから,体内被曝についても上記長崎の場
合の約10分の1以下と考えられるという放射線被曝者医療国際協力
推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」の葉佐井博巳(広島
大学工学部応用理化学教授)らの執筆部分に示された見解に基づいて
いる。
dそこで,旧審査方針の前提とされたこれらの見解の合理性につい
て,以下検討する。
(イ)誘導放射線に関する知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
a橋詰雅らは,「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ
線量の推定」(昭和45年)において,中性子によって土壌及び建築
材料(屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロッ
ク片)に誘導された放射能からのγ線量を実験データに基づいて推定
した結果について,「土壌中の誘導放射能からのγ線量は,主とし
て,ナトリウム24及びマンガン56に負うものであることが判明し
た。原爆投下後1日目に広島の爆心地付近に入り,そこに8時間滞在
した者の推定被曝線量は3である。広島の爆心地から500m及rad
び1000mの距離における線量は,それぞれ爆心地の線量の18%
及び0.07%であった。爆発直後から無限時間までの累積γ線量
は,広島では爆心地で約80,長崎では同じく約30であるとradrad
推定された。」と報告している。
bエドワード・T・アラカワは,「広島および長崎における残留放射
能」(原爆傷害調査委員会(ABCC)業績報告書(昭和37年))
において,次のとおり報告している。
(a)中性子誘発放射能の強さは数種の方法によって推定することが
できるが,これらの方法を用いて得た結果は,どの方法によっても
中性子誘発放射能を正確に推定することは不可能であることを示
す。しかし,同じくこの結果によれば,いずれの方法の示す最高線
量も多数の人に有意の放射線照射をもたらすことはないであろう。
さらに結果が最も信頼できると思われる方法が示す線量は,生物学
的に明らかに有意性を持たないと考えられる。
(b)熱中性子断面積及び広島の地盤を構成している花崗岩の化学分
析の結果を利用して土壌1g当たりの誘発放射能を推定し,空中の
放射線量に換算した結果,広島においては爆発時より無限時までの
積算線量は183と推定された(第1法)。rad
上記土壌1g当たりの誘発放射能推定値に基づき,既知の放射性
同位元素崩壊率を利用した空中線量換算法を用い,直接積算を行っ
て空中の放射線量を算出した結果,広島における爆発時より無限時
までの積算線量は72と計算された(第2法)。rad
広島及び長崎の土壌標本を原子炉照射して放射能を測定し,この
測定値に基づいて第2法同様に直接積算による線量を算出した結
果,爆発時より無限時までの積算線量は,広島では24,長崎rad
では4となった(第3法)。rad
及びにより実施された中性子による放射能誘発の方法BorgConard
を用いて第3法で使用した土壌中の安定したナトリウム及びマンガ
ンの量を測定し,この測定値を基礎にして各種核兵器実験報告に現
れた土壌中の化学的成分及びその核兵器の重量に対応する産生量に
関する資料を参考として誘発放射能を算定した結果,爆発1時間後
radから無限時に至る広島の爆心地における積算放射線量は183
となった(第4法)。
(c)第4法による算定結果と第1法による結果との一致は,これら
の方法がいずれも土壌中の放射能を空中の放射線量に換算している
点がほとんど同じであることから,予期されていたものである。第
3法による算定は,一切の計算が他の資料による外挿を要すること
なく直接に行われるから,4方法中最も信頼できると考えられる。
cDS86報告集第6章を取りまとめた岡島らは,前記a,b等の広
島・長崎の土壌に中性子を照射して誘導放射線量を測定する研究か
ら,爆発直後から無限時間を想定した爆心地における積算線量を,広
島について約80R,長崎について30∼40Rと推定し,これを組
織吸収線量に換算すると,広島については約50(0.5),radGy
長崎については18∼24(0.18∼0.24)になるとしradGy
ている。
d葉佐井博巳(広島大学工学部応用理化学教授)らは,「原爆放射線
の人体影響1992」に掲載された「残留放射能」という論文におい
て,グリッツナーとウールソンの論文に基づいて誘導放射能による被
曝線量の推定を行った結果,①爆心における爆発直後から無限時間
までの積算線量の約80%は1日目が占めており,2日目から5日目
までの線量が約10%,6日目以降の総線量が約10%を占め,②
爆心における爆発直後から無限時間までの積算線量を距離別に比較す
ると,広島については爆心地で80R,500mで9.1R,100
0mで0.17R,1500mで0.0048Rとなり,長崎につい
ては,爆心地で40R,500mで3.4R,1000mで0.09
6R,1500mで0.0028Rとなったことを明らかにしてい
る。
e放影研は,原爆の中性子放射化について,「原爆から放出された放
射線の90%以上はγ線で,残りが中性子線でした。中性子線には,
γ線とは異なり,放射性でない原子を放射性の原子に変える性質があ
ります。爆弾は地上よりかなり上空で爆発したので,爆弾から放出さ
れた中性子線は,地上に届いても弱いものでしかありませんでした。
ですから,原爆中性子線によって生じた誘導放射能は,ネバダ(アメ
リカ南西部),マラリンガ(オーストラリア南部),ビキニ環礁,ム
ルロワ環礁などの核実験場で生じたような強い汚染ではなかったので
す。」という見解をホームページで明らかにしている。
f日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会「原子爆弾災害調
査報告集」(昭和28年)に掲載された故島本光顕,海野源太郎「原
子爆弾における放射能性物質,特に生体誘導放射能について」という
論説には,①広島の爆心地から500mの地点で被爆して昭和20
年9月8日に死亡した男性の遺体について,同月12日に誘導放射能
を測定したところ,大半の臓器からβ線の放出が検出され,また,記
録が流失しているものの,血液からも相当強い放射能が認められたこ
と,②同月9日,京大病院に入院していた被爆者の尿を測定したと
ころ,β線の放出が検出されたことが,記述されている。
齋藤紀は,上記①は人体が誘導放射化されることを,上記②は初期
放射線(中性子線)による人体放射化が長く遷延していることを,そ
れぞれ示しているという意見を表明している。
g佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)原爆から放出された中性子線と建物,地面等を構成する元素の
原子核とが核反応を起こし,それにより新たに放射性核種が生じる
こと(放射化)があり,この新たに生じた放射性核種からの放射線
を誘導放射線と呼ぶ。
(b)誘導放射線による累積被曝線量の80%は1日目(原爆投下当
日)に受けるものであり,誘導放射化に寄与する放射線は中性子線
だけであってγ線は関係しない。中性子によって誘導される放射性
核種の量は,①中性子のエネルギーと量(中性子フルエンスによっ
て表される),②土壌や建物に含まれる安定元素の量と,個々の安
定元素の中性子による放射化の程度(放射化断面積によって表され
る)によって決まるが,中性子のエネルギーと中性子フルエンス
は,爆心からの距離と共に減少し,中性子量(フルエンス)は爆心
から1で500分の1になる。km
上記の2点を考慮した場合,中性子によって誘導された放射性核
種で有意な被曝をもたらす可能性のある核種は,アルミニウム2
8,マンガン56,ナトリウム24で,物理的半減期はそれぞれ
2.3分,2.6時間,15時間であり,アルミニウム28の放射
能は1時間以内に減衰してしまう。爆発後の火災の発生等を考える
と1時間以内に誘導放射性物質が問題になる地域に立ち入ることは
不可能であったと考えられる。また,誘導放射性物質の物理的半減
期を考慮すれば,爆発後の被曝線量率は,1時間後を1.0とした
場合,2時間後,8時間後,1日後,1週間後には,それぞれ0.
44,0.082,0.022,0.0021と急激に減少する。
中性子は爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気
等との相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へ変
化するところ,熱中性子の吸収によって生ずる捕獲反応は,ホウ
素,カドニウム,ユーロピウム,カドリニウム等の元素に限られ,
これらの元素の土壌中での存在は極めて低く,被曝に寄与すること
はほとんどない。したがって,爆心から離れるほど放射化反応は弱
くなり,誘導放射線の量も少なくなる。
そこで,疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会として
は,誘導放射線による有意な被曝がもたらされる地域として爆心か
ら700m(広島),600m(長崎)以内を,核種としてマンガ
ン56及びナトリウム24を考慮すればよいと判断している。
(c)人体を構成する物質には放射化される元素(アルミニウム,ナ
トリウム,マンガン,鉄等)は極めて微量(体重1当たりの含有kg
量はアルミニウムが0.857,ナトリウムが1.5g,マンmg
ガンが1.43,鉄が86である。)しか存在せず,また,mgmg
そのすべてが放射化されるわけではない。人体には体重の60%以
上の水分(水は中性子の吸収体である。)が存在し,体表面に近い
部位に存在するこれらの元素のごく一部が放射化されるにすぎな
い。さらに,放射化された元素の半減期は短いので,被救護者の人
体が有意な放射線源となることはないと考えて差し支えない。
h厚生労働省健康局総務課(担当者:医療専門官医師医学博士中神佳
宏)は,前記(ア)aのグリッツナーらのデータに基づいて,爆心地に
おけるアルミニウム28の累積被曝線量を算定したところ,広島にお
いて0.48,長崎において0.336となったが,それだけGyGy
被曝するには,爆発直後から爆心地にいなければならず,生存してい
る確率は極めて少なく,また,爆風等でアルミニウム28が飛散し遠
隔地に移動し,その影響で被曝したと仮定しても,その被曝線量は上
記値を超えることはあり得ないから,多くの研究者が被曝線量評価に
アルミニウム28を採用していないのには一定の合理性があると結論
付けている。
i平成11年9月30日に株式会社ジェー・シー・オーウラン加工工
場において臨界事故が発生し,3人の作業員が被曝した。放射線医学
総合研究所の「ウラン加工工場臨界事故患者の線量推定最終報告書」
(平成14年)は,平成11年10月1日に,人体がどの程度の放射
線源となるかのTLD測定が行われた結果について,1時間当たりの
等価線量を最大で10.1μと報告している。Sv
(ウ)放射性降下物に関する知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
a大阪帝国大学の淺田常三郎教授らは,昭和20年8月10日,広島
市において原爆の調査に着手し,同月11日,同市内数か所から砂を
採取し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したとこ
ろ,己斐駅付近において放射能が高いことが確かめられた。
b京都帝国大学の荒勝文策教授らも,昭和20年8月10日,広島市
において原爆の調査に着手し,同月13日及び同月14日,同市の内
外約100か所において数百の試料を採集し,ガイガーミュラー計数
管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅に近い旭橋付近で採集
された試料に比較的強い放射能が認められた
c理化学研究所の山崎文男らは,昭和20年9月3日及び同月4日,
広島市内外に残留するγ放射線の強度をローリッツェン検電器を使っ
て測定した。その結果,爆央附近に極大値をもつバックグラウンドの
およそ2倍程度のγ放射線の残留することを認めたほかに,己斐から
草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ上記爆央附
近に見たのと同程度のγ放射線の存在を確かめた。
d昭和20年9月から同年10月にはマンハッタン技術部隊が,同月
から同年11月には日米合同調査団が,広島及び長崎において放射能
測定を行った。日米合同調査団の調査では,広島の100か所,長崎
の900か所においてガイガーミュラー計数管を用いた放射能測定が
行われたところ,両爆心地と風下にあたる広島市の西方3.2のkm
高須地区,長崎市の東方2.7の西山地区で放射能が高いことがkm
確かめられた。
e初期調査における線量率のデータ(長崎)
は,マンハッタン技術部隊が行った上記調査に基づいて,長Tybout
崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想定した積算線量
を算定し,これを29R(により引用されたデータ)又は24Wilson
∼43R(らによる西山貯水池近くでの最大値範囲の見積もMcRaney
り)と報告した。
とは,米国の(NMRI)PaceSmithNavaIMedicalResearchInstitute
が昭和20年10月15日から同月27日に長崎において行った調査
に基づいて,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想
定した積算線量を最大で42Rと報告した。
f初期調査における線量率のデータ(広島)
(a)藤原武夫(広島文理科大学物理学教室教授)らは,昭和20年
9月,広島において,1mの高度でローリッツェン検電器を用いた
放射線量の測定を行い,広島の己斐・高須地区における爆発1時間
後から無限時間を想定した積算線量を1Rと報告した。
藤原武夫らは,昭和20年9月,昭和21年8月及び昭和23年
1月ないし同年6月の3回にわたって,広島市内及びその近郊にお
いて,ローリッツェン電気計を地面上約1mに保持して,その放射
能を測定したところ,①第1回測定時においては,放射能の強度
が極大な地区は,爆心地のほかに市の西郊(己斐・高須地区周辺)
にもあったこと,②第1回測定時においては,爆心から約800
m離れれば放射能は標準値と同程度に帰するが,特異現象が認めら
れた地点においては必ずしもそうではなく,かなりの放射能が認め
られる地点もあること,③降雨地帯特に豪雨地帯での放射能は,
第3回測定時において他より幾分強い傾向を示しており,しかも同
一の峠路又は川筋に沿って測定点を採った場合,己斐峠付近の測定
値を除き,海抜の低い地点ほど放射能が強くなっている傾向がある
こと,との結果が得られたとする。
(b)は,マンハッタン技術部隊が広島市において行った上記Tybout
調査に基づいて,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後から
無限時間を想定した積算線量を1.2Rと報告した。
(c)らは,NMRIが昭和20年11月1日及び2日に広島市Pace
において行った調査に基づいて,広島の己斐・高須地区における爆
発1時間後から無限時間を想定した積算線量を0.6∼1.6Rと
報告した。
(d)宮崎らは,昭和21年1月27日から同年2月7日まで,広島
市において宇宙線チャンバーを用いた測定を行い,広島の己Neher
斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間を想定した積算線
量を3Rと報告した。
gミラーは,昭和57年,核実験による放射性降下物の影響が大きく
なる以前の昭和31年に採取されたセシウム137の測定データに基
づいて,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想定し
た積算線量を40Rと報告した。これは,昭和20(1945)年に
おけるセシウム137の㎢を,すべての放射性核種からの爆発後mCi/
1時間から無限大までのR単位での累積的被曝に換算するために3m
00倍する必要があるとの考え方に立って算定したものである。
h静間清らは,広島の原爆投下3日後に理化学研究所の仁科芳雄博士
により爆心地から5以内で収集された土壌試料中のセシウム13km
7濃度を測定し,すべての核分裂生成物による放射性降下物の累積線
量に換算した(静間清ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中の
セシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」平成8(199
6)年)。これによる放射性降下物の無限時間を想定した積算線量
は,強い放射性降下物地域を除く爆心地から5以内では0.12km
±0.02Rであり,己斐・高須地区の強い放射性降下物地域では4
Rであった。
i静間清は,高須地区の家屋の壁に残っていた黒い雨の痕跡に含まれ
ているセシウム137の濃度を測定したところ,前記hの積算線量の
前提となった土壌サンプル(己斐橋付近のもの)中のセシウム137
の濃度とほぼ一致していること,その濃度は,各国が行った大気圏核
実験の結果生じ全地球的に拡散して降下したセシウム137の濃度の
8分の1であることを明らかにし,「セシウム137測定データから
の集積線量の推定値も基本的には線量率からの推定値と一致すべき値
である。長崎の場合,DS86報告書のセシウム137測定データか
らの集積線量の推定値は線量率からの推定値とよく一致している。広
島の場合にはセシウム137測定データからの集積線量の推定値がこ
れまで報告されていなかったが,本研究でそのデータを得ることがで
きた。その値は3.7Rとなり,線量率からの推定値よりやや高いが
ほぼ一致している。」と結論付けている。
jエドワード・T・アラカワは,「広島及び長崎被爆生存者に関する
放射線量測定」(原爆傷害調査委員会(ABCC)業績報告書(昭和
35年))において,「原爆の一次放射線を除けば,広島及び長崎の
被爆生存者が有意線量を受けたという証左は殆どない。中性子に誘発
された放射能は事実存在したが,これは恐らく被爆者が受けた総線量
に殆ど寄与しなかったものと思われる。1954年のビキニ核実験に
よりマーシャル群島住民及び日本漁船“福龍丸”が受けた種類及び
程度の降下物の局地的落下は,両市にはなかった。日本における放射
性降下物が少量であったのは2つの因子による。すなわち1つには日
本に投下された爆弾はキロトン級のもので,そのエネルギーはビキニ
のメガトン級の約1000分の1であった。2つにはビキニにおける
局地的に見られた降下物は主として大気に吸い込まれた土及び破壊物
で,それが中性子によって放射能を持つようになった。その大きな粒
は降下物の形をなして大地に再び落下した。しかし広島及び長崎の場
合,空中で爆発したので火球は大地に接触しなかったので,上述のよ
うな事実は殆ど惹起しなかった。」と報告している。
k放影研は,放射性降下物について,「広島・長崎の原爆は地上50
0−600mの高度で爆発しました。そして巨大な火球となり,上昇
気流によって上空に押し上げられました。爆弾の中にあった核物質の
約10%が核分裂を起こし,残りの90%は火球と一緒に大気圏へ上
昇したと考えられています。その後火球は冷却され,放射線物質の一
部が煤と共に黒い雨となって広島や長崎に降ってきましたが,残りの
ウランやプルトニウムのほとんどは恐らく大気圏に広く拡散したと思
われます。当時,風があったので,雨は爆心地ではなく,広島では北
西部(己斐,高須地区),長崎では東部(西山地区)に多く降りまし
た。プルトニウム汚染については,原爆後早期に長崎で行われた測定
がありますが,ウランまたはプルトニウムが核分裂して生じる放射線
原子の中で,フォールアウトによる線量への寄与が最も大きい原子
(セシウム137)からの放射能レベルよりもはるかに低いレベルで
した。広島におけるウランの測定については,放射能レベルが低いた
め,測定値の解釈は困難です。」という見解をホームページで明らか
にしている。
l佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)黒い雨は,火災によりすすが捲き上げられ雨と共に降下したも
のであり,放射性降下物と必ずしも同じではない。黒い雨の原因と
なる炭素は,放射化断面積が3ミリバーンであり,放射化されにく
い核種であるから(例えば,鉄の放射化断面積2.81バーンの9
00分の1),黒い雨が有意な放射能を有するわけではない。
(b)疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会では,放射性
降下物による被曝に関しては,地上に降下して沈着している放射性
降下物からの外部被曝(全身被曝)のみを考慮している。外部被曝
に寄与する放射線はγ線のみであり,空気中及び皮膚組織内での飛
程の関係でα線やβ線は外部被曝に寄与しない。
また,同分科会では,外部被曝線量の評価に当たっては,地面か
ら1mの地点での線量を評価しているが,これは,被曝する人々の
放射線影響を考慮すべき重要な臓器,組織は,体幹部にあり,様々
な作業態様を考慮した場合の臓器の平均的な高さが地上1mと考え
られるからである。広い範囲の地面にほぼ均等に付着した放射性降
下物からの外部被曝線量は,地面からどの位置(高さ)で計測して
も値が変わるものではない。
(c)疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会では,放射性
降下物が皮膚に付着したことによる被曝は,皮膚に付着したままの
放射性降下物の量が少ないことから線量を評価する必要はないと判
断している。放射性降下物が直接皮膚に付着して相当量の被曝があ
ったとすれば,紅斑,水疱等の放射線皮膚障害が生じたはずである
が,黒い雨を直接浴びた場合であっても,急性皮膚障害がみられた
との報告はない。
(d)最近の報告では,米国から返還された長崎の原爆被爆者の遺体
5体のセシウム137を測定した結果では,有意な量のセシウム1
37は検出されていないことが明らかにされている。体内にセシウ
ム137が吸収されていれば,遺体となった場合には,体内のセシ
ウム137が物理的半減期約30年で減少するから,60年経過し
た時点でも,セシウム137は4分の1が残っているはずである。
m宇田道隆(文部省学術研究会議原子爆弾被害調査委員会第一分科C
班広島管区気象台気象技師)ら「気象関係の広島原子爆弾被害調査報
告」(原子爆弾災害調査報告書,昭和28年)
同報告は,宇田道隆ほか2名が昭和20年8月から同年12月まで
に収集した資料に基づいてとりまとめたものである。概要は次のとお
りである。
(a)昭和20年8月6日,広島は,夜半来快晴で午前6時ころから
薄曇となり,午前8時5分陸風から海風に交代を始め,まず静穏に
近い状態であったが,降雨状況は,原爆投下後20分∼1時間後に
降り始めたものが多く,終雨時は午前9時∼9時30分から始まり
午後3時∼4時ころまでにわたっており,降雨の範囲は爆心付近に
始まって,広島市北西部を中心に降って,北西方向の山地に延び遠
く山県郡内に及んで終わる長卵形を成している。
継続時間2時間以上の土砂降りの甚だしい豪雨域は白島の方から
三篠,横川,山手,広瀬,福島町を経て己斐,高須より石内村,伴
村を越え戸山,久地村に終わる長楕円形の区域であり,相当激しい
継続時間1時間ないしそれ以上の大雨域は,長径19,短径1km
1の楕円形ないし長卵形の区域を成し,少しでも雨の降った区km
域は長径29,短径15に及ぶ長卵形を成している(以下,kmkm
上記報告にいう雨域を「宇田雨域」という。)。
1∼2時間黒雨が降った後は続いて白い普通の雨が降った。
降雨域,降雨継続時,始雨時,終雨時のいずれの分布をみても,
爆心位置から北西方向に引いた線に対し著しく北側に偏倚し,前線
帯を中軸とするかのような特殊の分布を示している。
(b)広島の場合は,驟雨現象が特に局部的に激烈顕著でかつ比較的
広範囲で,雨水は黒色の泥雨を呈したばかりでなく,その泥塵が強
烈な放射能を呈し人体に脱毛,下痢等の毒性生理作用を示し,魚類
の斃死浮上その他の現象を現した。
長崎では広島に比しはるかに小規模な驟雨現象があったにすぎな
いが,おそらく広島の場合のような前線帯が現れなかったことと,
火災がずっと小規模であったことが,一般気象による成雨条件のほ
かの大きな因子となったからであろう。
(c)己斐高須方面の人は原爆投下後約3か月にわたって下痢するも
のがすこぶる多数に上ったが,水道破壊のため井戸水,地下水を飲
用したことが関与するものと考えられる。
大気中の塵埃は1∼2時間の雨水洗滌によりおおむね除去され,
これが地上に降ったため,この降下量の多い地区すなわち広島市西
方の高須己斐方面に高放射能性を示すに至ったのであろう。
爆発後の高須己斐方面の放射能の著大な分布は降雨による持続的
な放射性物質の雨下,特に爆弾による高放射能物質の混在と南東気
流による降灰中に放射能物質を含有しその最も強く高須己斐方面に
指向されたためであろう。
n増田善信(元気象研究所予報研究部)「広島原爆後の“黒い雨”は
どこまで降ったか」(平成元年)
増田善信は,気象官署の資料,宇田道隆らの聴き取り調査資料,増
田善信が昭和62年6月に行った聴き取り調査及びアンケート調査等
を基に,広島原爆後の黒い雨の雨域,降雨継続時間,降雨開始時刻,
推定降水量の分布図を作成し,調査したが,その結果の主なものは次
のとおりである(以下,上記調査にいう雨域を「増田雨域」とい
う。)。
(a)少しでも雨の降った区域は,爆心より北西約45,東西方向km
の最大幅約36に及び,その面積は約1250㎢(宇田雨域のkm
約4倍の広さ)に達する。
(b)この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保,海田市,江田島
向側部落,呉,さらに爆心から約30も離れた倉橋島袋内などkm
でも黒い雨が降っていたことが確認された。
(c)1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も,宇田らの小雨域に匹
敵する広さにまで広がっていた。
(d)降雨域内の雨の降り方は極めて不規則で,特に大雨域は複雑な
形をしている。
(e)推定降水量の図から,爆心の北西方約3∼10の己斐から旧km
伴村大塚にかけて,100を超す豪雨が降っていたことが推定mm
され,これは宇田らの推定とほぼ一致するものであり,また,20
を超える大雨が降ったところが数か所あり,爆心から北西方約mm
30も離れた加計町穴阿では40に近い集中豪雨があったもkmmm
のと考えられる。
(f)爆心のすぐ東側の約1の地域では,全く雨が降らなかったkm
か,降ったとしてもわずかであったと考えられ,しかも,この地域
を取り囲んで20又はそれ以上の強雨域が馬蹄形に存在していmm
た。
(g)黒い雨には原爆のキノコ雲自体から降ったものと爆発後の大火
災に伴って生じた積乱雲から降ったものとの2種類の雨があったも
のと考えられ,これは宇田らの推論と同じである。
もっとも,増田善信は,この調査の資料には,原爆投下直後から4
3年近く経った当時までのものが混在しており,記憶の薄れたものも
あり,また,当初は黒い雨を過少に報告する傾向が強かったと考えら
れる反面,宇田らの大雨域が健康診断特例地区に指定されてからは,
地域指定を進める運動と関連して過大に報告する傾向が強くなったと
考えられ,このような社会的な背景を考慮して資料を評価する必要が
あることを指摘する。そして,増田善信は,本調査において,雨の降
り方について3種類の設問を含んだアンケートを実施し,聴き取り調
査に参加した者にもアンケートを提出してもらうように努めて,相互
に矛盾のない回答が得られているかどうかを確かめ,できるだけ信頼
のおける資料の入手に努めるとともに,各種資料を併用し,総合的に
判断するよう努めたとする。
o黒い雨に関する専門家会議「黒い雨に関する専門家会議報告書」
(平成3年)
広島県及び広島市が昭和63年8月に設けた「黒い雨に関する専門
家会議」(放影研理事長重松逸造を座長とし,委員10人,オブザー
バー2人から成る。)において,原爆投下直後に降った黒い雨の実態
と,その雨に含まれていた放射能による人体への影響について,科学
的,合理的に解明する方法の有無及びその有効性について検討され,
同報告書において,その結論が報告された。その概要は,次のとおり
である。
(a)残留放射能の推定
km昭和51・53年度に採取された試料(爆心地から半径30
範囲の107地点から採取された土壌)は昭和30年以降の原水爆
実験による放射性降下物(セシウム137)を多量に含んでおり,
測定値間の有意差についても広島原爆の放射性降下物によるものと
断定する根拠は見当たらなかった。
昭和51・53年度の測定結果と宇田・増田両降雨地域とは,い
ずれも相関がみられなかった。
両降雨域について,土壌に含まれるウラン235や屋根瓦中のセ
シウム137の測定による検討がされたが,有意な結論は得られな
かった。柿木のストロンチウム90の測定は進行中であり,報告時
(平成3年5月)までの結果では,黒い雨との関連は確定できなか
った。
(b)気象シミュレーション計算法を用いた降雨地域の推定
放射性降下物となる線源として,火の玉によって生じた原爆雲,
衝撃波によって巻き上げられた土壌等で形成された衝撃雲,及び火
災煙による火災雲の3種について検討し,広島では,原爆雲の乾燥
大粒子の大部分は北西9∼22付近にわたって降下し,雨となkm
って降下した場合には大部分が北西5∼9付近に落下した可能km
性が大きいことが分かり,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い
雨)の大部分は北北西3∼9付近にわたって降下した可能性がkm
大きいと判断された。この降雨地域の推定は,宇田雨域の範囲とほ
ぼ同程度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出し
て降雨落下しているとの計算結果となり,また,原爆雲の乾燥落下
は北西の方向に従来の降雨地域を越えていることが推定されるが,
その後の降雨等でこれらの残留放射線量は急速に放射能密度を減じ
ている。
この気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域
は,これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致する
ことが確認された。
気象シミュレーション法によって得られた放射性降下物量,地上
での分布データ等を用いて最大被曝線量の推定を行った結果,広島
原爆の残留放射能による照射線量率は,炸裂12時間後で1時間当
たり約5R(最大積算線量:無限時間照射され続けたと仮定すると
約25)と推定された。rad
(c)体細胞突然変異及び染色体異常頻度の検討
黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響について,赤血球
のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白(GPA)遺伝
子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異
常頻度の検討がされた。
GPAに関しては,己斐町,古田町,庚午町,祇園町などの降雨
地域に当時在住し黒い雨に曝された40名(男性20名,女性20
名)と,対照地域に当時在住し黒い雨に曝されていない53名(男
性21名,女性32名)について調査した結果,降雨地域に統計的
に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。染色体異常に
関しては,降雨地域60名(男性29名,女性31名),対照地域
132名(男性65名,女性67名)について検討したが,どの異
常型においても統計的有意差は証明されなかった。
p前記hの静間清らの研究においては,22サンプル中11サンプル
についてセシウム137が検出されたところ,上記11サンプル中の
3サンプルは宇田雨域に含まれていないが増田雨域に含まれ,2サン
プルは増田雨域に含まれるが宇田雨域の境界上にあり,5サンプルは
両雨域に含まれているがセシウム137は検出限界より低くかった
(なお,上記5サンプルは増田雨域では小雨域に相当するのがほとん
どである。)。また,両雨域に含まれない3サンプルからは放射能は
検出されなかった。静間清らは,セシウム137の沈着と広島市内の
降雨域の比較から,降雨域は以前提案されたものよりも広いことを示
しているとする。
増田善信は,上記静間らの研究により,少なくとも旧広島市内の放
射能分布は宇田雨域よりも増田雨域のほうが合理的であることが確か
められたとし,また,増田雨域は,藤原武夫教授らの調査(前記f
(a))に基づく残留放射線に分布と良く対応していることが確かめら
れたとする。
(エ)内部被曝に関する知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
a佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)被曝線量が同じ場合には,内部被曝でも外部被曝でも,放射線
による健康被害は同程度である。内部被曝と外部被曝が異なるの
は,①外部被曝では透過性の放射線(γ線及び中性子線)しか被
曝に寄与しないのに,内部被曝では放射性核種から放出されるβ線
やα線も問題となること,②内部被曝では,放射性核種が体内に
存在する間は,放射性核種から放出される放射線により被曝し続け
るが,外部被曝と違い,徐々に被曝する連続被曝であることであ
る。内部被曝の線量は,①に関しては,線量換算係数を用いて全放
射線を考慮して線量を算定しており,②に関しては,物理的半減期
及び生物学的半減期を考慮して,預託線量(放射線核種が摂取され
た時点から生涯にわたる線量を評価する。)として評価している。
(b)最も放射性降下物の多かった西山地区の住民を対象としたホー
ルボディカウンタによる実測結果を基に算定した40年間の内部被
曝線量(全身)は,0.1(男性)及び0.08(女性)mSvmSv
であるところ,自然放射線であるラドンによる肺の被曝線量は,全
mSvmSv世界の平均で1年間に約10,全身線量に換算して約1
(UNSCEAR2000)であるから,これを下回る。
(c)中性子によって放射化される原子は,建物や地面に含まれてい
るものであり,放射化の際にこれらが物理的に破砕されて粉塵が発
生するわけではないから,誘導放射化された物質が空中を浮遊する
とは考えられない。また,放射化される原子が土壌や建物中に占め
る割合は高くなく,空気中に放出された放射性核種の量が有意な被
曝線量をもたらすことは想定し得ない。仮に大気中に誘導放射性核
種が付着した粉塵があったとしても,吸入摂取の場合は粒子径が1
μ以下のものでないと肺胞にまで到達しないが,衝撃塵に含まれm
る粉塵の粒径は1μよりも大きい。比較的粒径の小さいと考えらm
れる火災塵の場合には,その主成分の基になる木材に含まれる安定
ナトリウム及びマンガンの存在比は極めて小さいため,火災塵の中
に有意な内部被曝線量をもたらす誘導放射性核種が含まれていたと
は考えにくい。
誘導放射化された放射性物質の物理的半減期(マンガン56が
2.6時間,ナトリウム24が15時間)を考慮すると,誘導放射
性核種を含む食物を摂取する機会は小さい。
水は中性子の吸収体であるから,水の中の原子が放射化されるこ
とはないし,食物も一定の水分を含むため,水と同様に考えること
ができる。放射性物質を含む水を飲んだとしても,生物学的半減期
により時間と共に減少し,マンガン56及びナトリウム24を経口
摂取した場合の内部被曝線量は極めて少なく,これらの誘導放射線
により健康に影響を与えるような被曝がもたらされるほどの量を摂
取する可能性はない。
(d)ホット・パーティクル理論は,プルトニウムの放射線防護基準
を設定する際に持ち上がったもので,α線を放出するプルトニウム
が沈着した細胞のごく近傍の細胞に高いエネルギー(線量)を与
え,これにより重大な健康被害(肺がん等)が引き起こされる可能
性があるとした考え方で,放射線科学の常識(人体の健康影響を考
える場合に臓器,組織の平均線量を考えること)に異を唱えるもの
である。
ホット・パーティクル理論によれば,ホット・パーティクル(具
体的にはプルトニウム)が沈着した組織の細胞は集中的に高線量を
受け細胞死を来すことになる。ところが,確率的影響であるがん化
が起こるためには,突然変異が起こった細胞が生き残り,何世代に
もわたる細胞分裂の繰り返しが必要であるのに,ホット・パーティ
クル理論によれば,細胞死により以後の細胞分裂が起こらないた
め,がん化はあり得ない。また,確定的影響は臓器,組織を構成す
る多数の細胞が細胞死を起こした場合に生ずる影響であるのに,ホ
ット・パーティクルにより細胞死を起こす細胞はわずかであり,生
存した細胞で代償されて臓器や器官の機能が低下することはない。
したがって,ホット・パーティクル理論は,実際の人体影響を説
明することができない。
(e)1の被曝がもたらされる場合の1回の摂取量は,マンガンGy
56で4G(ギガベクレル),ナトリウム24で2.3GでBqBq
あり,これだけのマンガン56やナトリウム24を摂取するために
は,DS86報告書第6章で示されている広島の土壌の組成から計
算すると,マンガン56であれば36,ナトリウム24であればkg
111の土壌中の全量を1人で摂取することが必要となるとこkg
ろ,このような量の放射性物質の摂取の機会は考えられない。
(f)医療の現場においては,核医学の分野では放射性核種を投与し
て,診断に役立てており,核医学検査によって一定量の内部被曝が
起きているが,それによる人体影響はないという前提において核医
学診断が行われている。核医学診断では身体の特定の部位に集まる
放射性核種を投与し,99(テクネシウム99mリン酸mTc-MDP
塩)を用いた場合は骨等に,ヨード123を用いれば甲状腺組織に
集まるが,その場合の線量は,99を用いた場合で0.mTc-MDP
0075,ヨード123を用いた場合で0.0013となGyGy
り,原爆による内部被曝(0.0001以下)の場合より被曝Gy
線量は高い。
b石榑信人(放射線医学総合研究所放射線安全センター防護体系構築
研究グループ)は,①原爆の爆発に伴って生成される核分裂生成物
のうち,セシウム137及びストロンチウム90の半減期は30.0
4年及び28.74年であり,いずれも20年後に60%以上が残っ
ている,②様々な核分裂生成物を摂取した場合,20年後(昭和4
0年)にはセシウム137とストロンチウム90以外のほとんどの核
種は減衰しているから,長時間の内部被曝を評価する上で着目すべき
核種はセシウム137及びストロンチウム90である,③体内に取
り込まれた放射性核種は,その放射性壊変による減衰だけではなく,
各元素特有の代謝過程を経て徐々に排泄され,体内の放射能が実際に
半減する時間は半減期より短くなる,④国際放射線防護委員会のモ
デルによれば,セシウム137は10%が生物学的半減期2日で,9
0%が生物学的半減期110日で体外へ排泄され,10年後には7.
3×10に減衰し,ストロンチウム90は飲み込まれたもののう−11
ち70%が吸収されずに便として排泄され,血中に吸収された30%
も10年後にはほとんど肝臓には残っていない(血液に1注入さBq
−4
れても,10年後に軟組織全体に残留しているのは1.2×10
に減衰する。),⑤長崎の浦上川の水面へのセシウム137のBq
降下量は最大でも1㎠当たり3.3と推定され,核分裂による生Bq
成量がセシウム137より少ないストロンチウム90の降下量もこれ
を超えないと考えられるところ,水面に降下した放射性核種は,被災
日夕方には,一部は水に溶解,拡散し,水中に沈降し,川の流れによ
り下流に運ばれることにより,かなりの割合が除去され,両核種の量
は,それぞれ1㎠当たり3.3よりかなり少なかったと考えられBq
る,⑥被爆者が,浦上川の水1ℓ(水面付近の縦,横,深さ各10
の領域を仮定)を飲んだと仮定しても,その放射能は,セシウムcm
137,ストロンチウム90のいずれも330以下となるとこBq
ろ,両核種から肝臓が50年間に受ける線量の合計は,国際放射線防
−6
護委員会の線量換算係数によると,セシウム137で4.6×10
,ストロンチウム90で2.2×10となる,⑦これは自SvSv−7
然放射線により肝臓が受けると考えられる線量の1万分の1以下であ
る,という見解を示している。
c英国バーミンガム大学のチャールズらは,放射性微粒子(ホット・
パーティクル)によるような空間的に不均一な被曝は,同量のエネル
ギーが組織全体に均一に沈着する場合より,ずっと発がん性が高いと
示唆されてきたが,生体内と試験管内の実験的知見及び人間の疫学的
データからは,全体的にはこれと反対の見解が支持され,国際放射線
防護委員会が提唱するような平均的な線量が発がんリスクの適切な評
価になることが示唆されるとする論文を明らかにしている。
また,国際放射線防護委員会は,欧州放射線リスク委員会が示した
ホット・パーティクル理論による発がんリスクを否定する見解を公に
している。
d市川定夫(埼玉大学名誉教授)は,内部被曝の特徴として,次の点
を指摘する。
(a)γ線のように飛程の長い放射線の線量は,線源からの距離の2
乗に反比例するから,体外に放射性核種が存在する場合に受ける体
外被曝と比べて,それが体内に入った場合に受ける体内被曝の線量
は,格段に大きくなる。
(b)α線やβ線は飛程距離が短く,生物組織の中ではα線が0.1
以内,β線が1以内しか透過しないから,これらを放出するmmcm
核種が体内に入ると,その放射線のエネルギーのほとんどすべてが
GySv吸収される。殊にα線の生物効果は大きく,1で10∼20
にもなり,短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて
多くの遺伝子を切断するのみならず,電離密度が大きいために,D
NAの二重らせんの両方が切断され,誤った修復をする可能性が増
大する。
(c)人工放射性核種には,生体内で著しく濃縮されるものが多く,
例えば放射性ヨウ素は甲状腺,放射性ストロンチウムは骨組織,放
射性セシウムは筋肉及び生殖腺というように,核種によって濃縮さ
れる組織や器官が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集
中的な体内被曝を受けることになる。
(d)継時性の問題があり,体外被曝と異なり,体内被曝の場合に
は,その核種が体内に沈着・濃縮され,その核種の寿命に応じて体
内被曝が続くことになる。例えば,半減期が28年のストロンチウ
ム90が骨組織に沈着すると,β崩壊を繰り返し,また,ストロン
チウム90が崩壊して生じるイリジウム90もβ線を放出するた
め,長年にわたって,その周辺においてβ線の体内被曝が続く。
e安齋育郎(立命館大学国際関係学部教授)は,次のとおりの見解を
示している。
(a)外部被曝が総じて体外からの一時的な被曝であるのに対し,内
部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によ
って局所的な被曝が継続するという特徴を持つ。例えば,骨組織に
沈着したプルトニウム239は,ウラン235,トリウム231,
プロトアクチニウム231,アクチニウム227,トリウム22
7,ラジウム223,ラドン219,ポロニウム215,鉛21
1,ビスマス211,タリウム207,鉛207などと変化してい
くが,その過程で,α線,β線,γ線などを放出し,周囲の組織に
被曝を与える。
(b)細胞膜は溶液中の放射性イオンからの放射線に敏感であって,
低線量でその影響を受けるとの報告があるところ,長期間に及ぶ内
部被曝の結果,外部被曝の場合とは異なる態様において細胞組織の
DNAの損傷等が生じる可能性がある。
(c)このような内部被曝の影響は,微小な細胞レベルで生じるた
め,吸収線量や線量当量といったマクロな概念によっては正確に評
価されない可能性がある。例えば,放射線が組織1中に与えた平kg
均エネルギーが等しくても,組織全体が平均的に浴びたのか,それ
とも特定の細胞が集中的に浴びたのかによって影響が異なり得るに
もかかわらず,これらの単位は,局所的に生じた被曝について,そ
の影響を1の組織全体に対する被曝として平均化してしまうからkg
である。
(d)長崎原爆投下の約1か月半後の昭和20年9月23日から昭和
21年春にかけて長崎に駐屯していたアメリカ海兵隊員の間に多発
性骨髄腫の発生が取り沙汰された際,①誘導放射能による外部被
曝,②核分裂生成物のフォールアウトによる外部被曝,③粉塵
の吸入による内部被曝,④汚染した水の摂取による内部被曝の評
価を試みたが,放射性物質を含む大気の吸引,放射性物質の傷口へ
の付着と経皮吸収,飲料水や食料に含まれた放射性物質の種類と濃
度及びその経時変化などを知ることは極めて困難であった。この評
価の結果,未分裂のプルトニウム239の摂取に伴う内部被曝の評
価が最も重要であり,更に詳細な研究が求められること等が示唆さ
れた。
f矢ヶ崎克馬(琉球大学理学部教授)は,次のとおりの見解を示して
いる。
(a)外部被曝の場合には,透過力の小さい(飛程の短い)α線及び
β線は,放射線物質が身体のすぐ近くにある場合を除き,身体内部
には届かず,届いても皮膚表面近くで止まってしまい,透過力の大
きいγ線だけが身体を貫く。
他方,内部被曝の場合,飛程の短いα線及びβ線は身体の中で止
まってしまうので,放出された時に持っていた全エネルギーが周囲
の細胞組織を作っている原子の電離等に費やされる。
(b)内部被曝では,次のような特徴がある。
①放射性微粒子が極めて小さい場合,呼吸で気管支や肺に達し,
飲食を通じて腸から吸収されたり,血液やリンパ液に取り込まれ
たりして,身体の至る所に巡回し,親和性のある組織に入り込
み,停留したり沈着する。
②身体中のある場所に定在すると放射性微粒子の周囲にホット・
スポットと呼ばれる集中被曝の場所を作る。
③放射性物質が体外に排泄されるまで継続的に被曝を与え続け
る。
(c)体内に入った放射性微粒子が1か所に停留している場合は,ホ
ット・スポットといわれる集中的に電離作用を受ける領域が形成さ
れる。ホット・スポットの被曝影響は,放射性微粒子の大きさ,放
射性原子核の半減期等の特性,放射性微粒子の滞在時間等によって
大きく異なる。
国際放射線防護委員会による従来の評価方法は,吸収線量の計算
母体を臓器又は全身に置き,均一な被曝を仮定し平均値を求めるも
のであるのに対し,ホット・スポット周囲では,ホット・スポット
内で高密度電離が行われているのに,ホット・スポットから離れる
と電離は存在しない。
このようなホット・スポットのある不均一な被曝状況は,均一の
場合より大きな危険度を含んでいる。
(d)DNAの鎖2本が同時に切断されると(二重鎖切断),誤った
修復がされる確率が増加し,その結果,誤った遺伝情報を伝えた
り,異常細胞を生成,成長させたり,細胞を死滅させることが,分
子生物学において解明されている。密集した電離を行う放射線ほど
二重鎖切断の確率を高める。細胞核の内部にはDNAが詰まってお
り,α線が細胞核を直接ヒットすると,DNAに高密度電離を与え
てDNAの二重鎖が切断され,遺伝子が間違った再結合をする場合
がある。
(e)DNAの損傷は,放射線が細胞核を直接貫く場合のほか,細胞
質内部の水分子の電離作用等を媒介として,間接的なプロセスで行
われることも明らかとなっている。
(f)近時,α線を照射した細胞の周辺の,放射線を照射されなかっ
た細胞に損傷が及ぶバイスタンダー効果と呼ばれる放射線影響が知
られるようになった。米国コロンビア大学のらが行ったマイクHei
ロビーム装置を使ってα線を細胞に直接当てる実験では,α線を細
胞核に当てた場合に20%の細胞が死滅し,ほとんどの細胞が異常
となるが,α線を細胞質に当てたときも多くの細胞が異常細胞とな
るという結果となった。
g澤田昭二(名古屋大学名誉教授)は,次のとおりの見解を示してい
る。
(a)放射性物質を体内に取り込んだとき,水溶性又は油溶性の場合
には,放射性物質が原子又は分子のレベルで体内に広がり,元素の
種類によって特定の器官に集中して滞留することが起こる。ヨード
が甲状腺に集まるとか,リン及びコバルトが骨髄に集まるなどであ
る。こうした場合は,尿等の排泄物等から取り込んだ放射性物質の
量を推定することができる。ところが,水溶性又は油溶性でない放
射性微粒子が取り込まれ,微粒子がある程度の大きさを保ったまま
固着すると,その周辺の細胞が集中して被曝する(ホット・パーテ
ィクル理論)。この場合に,沈着した部位を特定することは,かな
り持続的に強い放射線を出し続けるようなときを除いて,困難であ
り,排泄物から推定することもできない。このような放射性微粒子
による影響は,微粒子の大きさ,微粒子に含まれる放射性元素及び
放出される放射線の種類に大きく依存する。この影響を生物学的効
果比のように単純な因子で表現することも困難である。
(b)広島原爆では,核分裂しなかったウラン235約45のほとkg
んどが放射性降下物となって降下したと考えられる。これらが酸化
ウランの微粒子になったとすると,直径5μの酸化ウランの微粒m
子には,1兆6100億個のウラン235の原子核(半減期4億2
900万年。1年間にα崩壊する確率は約10億分の1)があり,
この微粒子が体内に取り込まれてホット・スポットになって停留を
続けると,年間に放出するα粒子の個数は1580個となり,微粒
子周辺のα粒子の飛程距離内組織は127の被曝線量当量を毎Sv
年浴び続けると算定され,さらに,ウラン235の原子核がα崩壊
とβ崩壊を繰り返すため,6個のα粒子と4個の電子を放出し,こ
れらの放射線粒子による被曝が継続することになる。したがって,
内部被曝によって,国際放射線防護委員会の設定した一般人に対す
る年間許容被曝線量0.001をはるかに超える被曝を局所的Sv
に受けることとなる。
kg(c)長崎原爆では,核分裂しなかったプルトニウム239約10
は放射性降下物となって降下したと考えられる。これらが酸化プル
トニウムの微粒子になったとすると,直径5μの酸化プルトニウm
ムの微粒子には,1兆6700億個のプルトニウム239の原子核
(半減期2万4110年。1年間にα崩壊する確率は約2.88×
10)があり,この微粒子が体内に取り込まれてホット・スポッ−5
トになって停留を続けると,年間に放出するα粒子の個数は479
0万個となり,微粒子周辺のα粒子の飛程距離内組織は年間272
万の線量当量(細胞が死滅する線量)を被曝すると算定されSv
る。さらに,プルトニウム239のα崩壊後のアクチニウム系列の
崩壊による被曝が加わる。
(d)急性外部被曝の場合は,外部の様々な方向から放射線によって
照射されたとしても,ほぼ一様に被曝するため,生体組織1当たkg
りの吸収エネルギーというような平均的な量である吸収線量によっ
て被曝影響を評価することができる。これに対し,放射性微粒子に
よる内部被曝の場合は,ホット・スポットの直近の球殻の細胞組織
が集中して継続的な強い被曝を受け,これに次ぐ影響をその周りの
球殻が受ける。微粒子の大きさによっては2か月間に10以上Gy
を被曝し,球殻内の細胞が死滅してしまうような被曝も考えられ
る。微粒子の大きさによっては,がんや遺伝的影響のような晩発性
の障害を引き起こしやすい被曝線量を浴びせる可能性がある。した
がって,器官組織全体の吸収線量のような被曝影響評価では,内部
被曝の影響を評価することに適していない。
(e)一つの放射線粒子のエネルギーは数万∼数百万電子ボルトであ
り,一方,細胞内のDNA等の分子の1個の電子が電離するエネル
ギーは10電子ボルト程度であるから,1個の放射線粒子が電離さ
せる電子の数は数千∼数十万個に達する。これらの電離によって切
断された分子の大部分は元通りに修復されるが,電離によって破壊
された分子の中には正しく修復されずに染色体異常,突然変異等を
起こし,急性症状,がん等の晩発的症状を引き起こす可能性があ
る。1個の放射線粒子が1gの組織に与えるエネルギーは,被曝線
量が0.0001と極めて低線量であるが,それでも細胞のミmGy
クロのレベルでは急性症状や晩発的症状につながる変化が生じてい
る可能性がある。
(f)入市被爆者が爆心地付近に入り,中性子線によって誘導放射化
された残留放射能を帯びた微粒子を体内に取り込んだ場合には,入
市の日にもよるが,一般に半減期が数時間以上から数年間,あるい
はそれ以上の放射性原子核から放射された放射線によって体内被曝
する。特に土埃に含まれる半減期84日のスカンジウム46や半減
期5.3年のコバルト60,セシウム134による被曝が問題にな
る。
(オ)低線量被曝に関する知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
aアリス・スチュワートらは,予備的報告「幼児期の悪性腫瘍と胎内
医療被曝」(昭和31(1956)年)において,英国で昭和28
(1953)年から昭和30(1955)年までの間に白血病又は悪
性腫瘍により10歳未満で死亡した子547例のうち,85例が胎児
期に母が腹部にX線照射を受けていたこと(対照集団では45例にす
ぎない。)から,X線検査という外見上害のなさそうな検査が,時と
して出生前の子に白血病やがんを引き起こし得るという事実を示唆し
ているとしている。
bドロシー・・フォードらは,「診断用X線への胎児被曝と小児期D
における白血病その他の悪性疾患」(昭和34(1959)年)にお
いて,昭和26(1951)年から昭和30(1955)年にかけて
米国ルイジアナ州で行った調査結果も,上記aの調査結果と実質的に
符合するとしている。
cブライアン・マクマホンは,「胎児期の放射線被曝と幼児のがん」
(昭和37(1962)年)において,①昭和22(1947)年
から昭和29(1954)年までに米国北東部の37の大規模産科病
院で出生し死亡することなく退院した73万4243人の新生児集団
から,無作為に1%の標本集団を抽出したところ,7242件の単胎
妊娠のうち770件(10.6%)において,腹部ないし骨盤部のX
線照射が記録されていたが,単胎妊娠による556件のがんによる死
亡症例のうち85件(15.6%)が胎児期のX線被曝を経験してい
た,②このようにがん罹患集団では対照群に比し胎児期放射線照射
の頻度が高かったが,その差は統計的に有意であった,③影響を及
ぼし得る変数との間接的な関連について補正した後は,放射線被曝群
は非被曝群よりもがんによる死亡率が約40%高いと判断された,と
している。
dH・ベントレイ・グラス(ジョンズ・ホプキンス大学)らは,「5
Rの放射線被曝によるショウジョウバエの膨腹部黒色化の突然変異効
果」(昭和37(1962)年)において,ショウジョウバエを用い
てレントゲンの放射線照射と突然変異率の関係を調査したところ,放
射線線量を5Rまで下げても,突然変異率が放射線線量と比例関係を
保つという結論を暫定的ではあるが下すことができるとしている。
eスパロー博士(米国ブルックヘブン国立研究所)らは,ムラサキツ
ユクサの雄蕊毛が1列の細胞群からなり,各雄蕊毛が,主として頂端
細胞の分裂の繰返しによって発達(細胞数増加)し,頂端から2番目
の細胞(次頂端細胞)も分裂するが通常1回限りであり,また,頂端
細胞又は次頂端細胞で青い色素を作る優性遺伝子に突然変異が起こる
と,雄蕊毛に劣性遺伝子の働きによるピンク色の細胞が現れるという
性質を利用して,微量放射線と突然変異率の関係を調べたところ,
0.25のX線や0.01の中性子といった低線量域まで,突radrad
然変異率と線量の間に直線関係があることが確認されたとする。
f市川定夫(埼玉大学名誉教授)は,ムラサキツユクサ以外の動植物
や人体でも確かめられたとする微線量放射線の影響の例を紹介すると
ともに,低線量放射線被曝に関して,①γ線については,原子の軌
道電子に衝突すると,電子にエネルギーの一部を与えるとともに初め
と異なった方向に散乱するが(コンプトン効果,コンプトン散乱),
コンプトン散乱が起こると,γ線は散乱放射線となること,②生体
が放射線の存在を認識したときには,アポトーシスなどの細胞の防御
機能が働くが,被曝線量が微小である場合には,生体が被曝を認識し
ないために防御機能が働かないまま放射線の影響を受けてしまうとい
う逆線量率効果が,ペトカウによって実験的に確認されているが,こ
のような効果が人体にないという報告もないこと,③②の仮説が認
められると,線量反応関係が直線比例関係にあると思われてきた従来
の前提が根底から覆されることを指摘する。
g佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
総線量が同じであれば,長時間かけての被曝(慢性被曝)の影響
は,1∼数回の被曝(急性被曝)の影響より少ないことが知られてい
る。
放射線による細胞死によって発生する組織障害(確定的影響)は,
1以上でなければ生じないが,確率的影響であるがんは1以下GyGy
でも生じ得る。放射線による細胞核のDNA切断が間違って修復され
た場合に,この細胞が基になって長い間に多段階の遺伝子変異が起こ
ってがんが発生すると考えられているため,たとえ1個の細胞であっ
てもDNA切断が間違って修復された場合にはそれをきっかけにがん
が発症するおそれがある。
確率的影響について放射線起因性を考察する際には,疫学調査を基
にリスクを算出するのが妥当であるが,低線量において放射線の影響
を立証するには,すべての人々が平均毎年2.4の自然放射線をmSv
受けていることも考慮すると,非常に大きな母集団を長い年月にわた
って調査する必要がある。UNSCEARでは固形がんの場合,疫学
的に有意な結果を得るための母集団の数は,目的とする線量が0.1
では10億人,1でも1000万人と疫学の実践的限界を大cGycGy
きく超える母集団が必要であるとしている。低線量においては,この
ような規模の母集団を持つ調査でなければ,調査結果は事実上大きな
不確実性を含み,信頼性が低いものである。
分子生物学的手法と,一つの細胞や核を照射することができるマイ
クロビーム装置を利用して,放射線影響の細胞レベルでの機構解明が
進んでいるが,この研究とこれまでの疫学研究や動物実験を組み合わ
せることによっても,低線量放射線の生体影響は解明に至っていな
い。
(カ)入市被爆者に関する調査等
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
a於保源作論文
於保源作医師が昭和32年に発表した「原爆残留放射能障碍の統計
的観察」によれば,原爆投下の瞬間には広島市内にいなかった非被爆
者で被爆直後入市した人(629人)について調査した結果,中心地
(爆心地から1.0以内)に入らなかった入市者104人についkm
ては,入市時期が昭和20年8月6日から同年9月5日までの95
人,同月6日から同年12月5日までの9人いずれについても,熱火
傷,外傷,発熱,下痢,皮粘膜出血,咽喉痛及び脱毛のいずれについ
ても有症者はいなかったのに対し,中心地に入った入市者525人に
ついては,入市時期に応じて次のとおりの症状がみられた。
調入市月日別百分率
入市日査
人全身衰外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
数弱%%%%出血%%%
868416.6017.833.310.73.58.3月日
8721435.0039.339.37.42.83.2月日
887830.7035.835.815.33.83.8月日
8917005.829.411.705.8月日
8101717.60017.65.8011.7月日
811616.7050.033.333.300月日
81216006.2018.76.26.2月日
813714.2014.20000月日
815316.4012.925.83.203.2月日
8202611.503.811.53.803.8月日
まで
95283.50003.500月日
まで
同論文は,得られた調査結果を総括して観察したところ,①原爆
投下直後に中心地に入らなかった屋内被爆者の有症率は平均20.2
%であるが,屋内で被爆してその後中心地に入った人々の有症率は3
6.5%で前者より高い,②屋外被爆者でその直後中心地に入らな
かった人々の有症率は平均44.0%であり,同様の屋外被爆者で直
後中心地に入った人々の有症率は51.0%で上記のいずれの人より
も高率であった,③原爆投下時に広島市内にいなかった非被爆の人
で原爆投下直後広島市内に入ったが中心地には出入りしなかった10
4人にはその直後急性症状は見出されなかったが,同様の非被爆者で
原爆投下直後中心地に入り10時間以上活躍した人々ではその43.
8%が引き続いて急性症状と同様の症状を起こしており,しかもその
2割の人には高熱と粘血便のあるかなり重傷の急性腸炎があった,と
している。
b暁部隊についての調査
広島市は,昭和44年1月,「広島原爆戦災誌」の編集に当たり,
いわゆる暁部隊のうち,原爆投下当時安芸郡江田島幸の浦基地(爆心
地から約12)にいた陸軍船舶練習部第10教育隊所属201人km
(幸の浦基地救援隊。昭和20年8月6日の原爆投下当日基地から舟
艇により宇品に上陸して,正午前広島市内に進出し,直ちに活動を開
始し,負傷者の安全地帯への集結を行い,同日夜から同月7日早朝に
かけて中央部へ進出し,主として大手町,紙屋町,相生橋付近,元安
川で活動し,同月12日ないし13日まで活動して,幸の浦に帰還し
た。)及び豊田郡忠海基地(爆心地から約50の忠海高等女学校km
駐屯)の陸軍船舶工兵補充隊所属32人(忠海基地救援隊。同月7日
朝から東練兵場,大河,宇品その他主要道路沿いなど広島市周辺の負
傷者の多数集結場所において救援を行った。)の合計233人を対象
とするアンケート調査を行った。
その結果は,①出動中の症状として,2日目(昭和20年8月8
日)ころから,下痢患者多数続出し,食欲不振がみられ,②基地帰
投直後の症状(軍医診断)として,ほとんど全員白血球3000以下
となり,下痢患者が出て(ただし,重患なし),発熱する者,点状出
血,脱毛の症状の者も少数ながらあり,③復員後経験した症状とし
ては,倦怠感168人,白血球の減少120人,脱毛80人,嘔吐5
5人,下痢24人であり,④調査時(昭和44年)の身体の具合と
しては,倦怠感112人,胃腸障害40人,肝臓障害38人,高血圧
27人,鼻・歯の出血27人,白血球減少23人,めまい20人,貧
血15人であった。
上記調査によれば,対象者が従事した救護作業の内容は,死体の収
容176人,火葬146人,負傷者の収容(安全と思われる随時の1
か所に集める。)134人,輸送(所定の臨時救護所に送り届け
る。)98人,道路・建物の清掃90人,遺骨の埋葬59人,収容所
での看護59人,焼跡の警備37人,食糧配給27人,などとされて
いる。
c賀北部隊についての調査(NHK広島局・原爆プロジェクトチーム
「ヒロシマ・残留放射能の42年[原爆救援隊の軌跡](昭和63
年)」
広島地区第14特設警備隊(いわゆる賀北部隊)の工月中隊は先発
隊が昭和20年8月6日深夜に,他は同月7日昼ころに西練兵場(爆
心から約500m)に到着し,その周辺において死体処理及び救護に
従事していたが,その隊員99人に対するアンケート等調査の結果,
32人が放射線障害による急性障害に似た諸症状を訴え(内10人が
2症状,3人が3症状を訴えていた。),その内訳は出血14人,脱
毛18人,皮下出血1人,口内炎4人,白血球減少11人であった。
上記文献に収録されている加藤寛夫(放影研疫学部長)ら「賀北部
隊工月中隊の疫学的調査」は,①上記症状を訴えた者のうち脱毛6
人(内3分の2以上頭髪が抜けた者3人),歯齦出血5人,口内炎1
人,白血球減少症2人(これらの内2人は脱毛と歯齦出血の両症状が
現れていた。)は,ほぼ確実な放射線による急性症状があったと思わ
れる,②推定被曝線量は,最も多く受けたと思われる先発隊でも最
大11.8,平均5.1であり,全隊員の平均は1.3と少radradrad
なかったのであるが,このような調査対象者中に,たとえ若干名であ
ろうと急性放射線症状(脱毛,歯齦出血,白血球減少症等)を示した
者があったと思われることは,被曝当時の低栄養,過酷な肉体的・精
神的ストレス等に起因するものが混在していたにせよ,通常この程度
の外部被曝線量ではこのような急性症状がないと考えられていること
からすると興味深いものがある,③もし,放射線による急性症状と
すれば,特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下によ
ることも考えられるし,また,飲食物による内部被曝の影響の可能性
も否定し切れない,④ただし,フォールアウトによる被曝線量はほ
とんど無視することができることが今回の調査で明らかになった,⑤
被爆後42年間の死亡追跡の結果,死亡率は全国の平均死亡率と変
わらず,がん死亡は多くはなかったが,早期入市者に死亡に至らない
種々の疾病,障害があった可能性については,今後とも追究する必要
があろう,と記載している。
上記文献に収録されている鎌田七男(広島大学原爆放射能医学研究
所血液学研究部門教授)「賀北部隊工月中隊における残留放射線被曝
線量の推定−染色体異常率を基にして−」は,賀北部隊工月中隊に所
属し昭和20年8月7日から7日間西練兵場近くで救護活動に従事し
た10人の隊員と2人の対照者の染色体分析を行ったところ,上記隊
員の染色体異常率は非常に少なく,染色体異常数に基づく被曝線量の
推定式に当てはめるとせいぜい10前後と考えられたとする。rad
d日本原水爆被害者団体協議会のアンケート調査の結果
齋藤紀は,平成16年に日本原水爆被害者団体協議会が行ったアン
ケート調査結果について,広島で原爆投下当時に爆心地から4以km
遠におり,その後爆心地から2以内へ入市したが,昭和20年8km
月6日にみられた黒い雨には直接曝露しておらず,同年末ころまでに
脱毛を呈した集団(29人)を対象に分析を行い,その結果に基づ
き,次のとおり意見を述べる。
(a)脱毛事例は,昭和20年8月6日の入市者が14人(48
%),同月7日の入市者が8人(28%)と両日に76%が集中し
ており,両日の入市者においては,脱毛の症状は珍しくない事象と
みることができ,それ以降の入市者の脱毛事例集計が減少している
ことは,残留放射線の経時的減衰の反映であると理解することがで
きる。
(b)しかし,被曝11日目(昭和20年8月16日)から15日目
(同月20日)まで毎日爆心地付近へ出入りした者に,著明な脱毛
を生じた事例があるなど,後期に入市した者にも脱毛が認められ
た。
(c)爆心地から1.8の広島駅や松原町では,誘導放射線のレkm
ベルは爆心地と比べれば総体としては低かったと理解することがで
きるが,脱毛発症者が認められた。
(d)1.8付近への入市者で脱毛を発症した事例は,昭和20km
年8月6日,同月7日の入市のみならず同月9日,同月15日の入
市でも確認されており,これは,同地域における残留放射線の経時
的減衰を考慮すれば,外部被曝としての脱毛のしきい値は一層低値
と成らざるを得ない。
(e)以上からすれば,被爆後一定期間の経過後も,広島市内(爆心
地から約2以内)一円は脱毛をもたらすような放射能汚染が継km
続していたと考えられる。
e広島県立三次高等女学校の生徒の調査
原爆被害者相談員の会所属の相談員は,昭和20年8月19日から
25日までに広島市の本川国民学校(爆心地から約350m)に被爆
者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校の生徒のうち氏名
等が判明した23人(生存者10人,死没者13人)を対象として,
平成16年4月以降に対象者本人又はその遺族の聴取り調査をした。
本人又は遺族で聴取りができたのは,19人(生存者7人,死没者1
2人)である。
聴き取りができた生存者7人中6人は急性症状として脱毛,下痢,
倦怠感等を回答し,1人は覚えていないと回答している。死因が判明
した死没者11人中,7人ががん(白血病2人,卵巣がん1人,肝臓
がん2人,胃がん1人,膵臓がん1人)により死亡している。
f濱谷正晴(一橋大学大学院社会学研究科教授)は,日本原水爆被害
者団体協議会において昭和60年に実施した調査の結果を分析したと
ころ,①入市被爆者については38.8%(1414人中548
人)に,救護被爆者については28.6%(199人中57人)に急
性症状ととらえ得る症状が発症していること,②入市被爆者及び救
護被爆者で急性症状ととらえ得る症状が発症した上記575人中,発
症個数が16個のうち5∼7個の者が21.4%(123人)であ
り,被爆距離2∼3以内の被爆者における割合19.3%(55km
0人中106人)とほぼ同率であったことが,判明したとする。
g田中煕巳(日本原水爆被害者団体協議会事務局長)は,その作成し
た平成17年3月25日付け「広島・長崎原爆の入市被爆者・遠距離
被爆者の放射線障害に関する意見書」において,①原爆投下時には
遠隔の都市にありながら,夫の安否をたずねて爆心地付近を捜索して
残留放射線に被曝し,急性放射線障害で死亡した事例,②遠距離
(3.6)で被爆して爆心地で捜索活動をした結果,急性原爆症km
で死亡した事例,③遠距離(3.2)で被爆して翌日から爆心km
地に滞在し,1か月後に急性原爆症が発症した事例を紹介している。
(キ)検討
a誘導放射線について
前記(ア)aのとおり,旧審査方針においては,誘導放射能による外
部被曝線量について,広島においては原爆爆発から72時間以内に爆
心地から700m以内に,長崎においては原爆爆発から56時間以内
に爆心地から600m以内に,それぞれ入った場合に,旧審査方針別
表10に従って算定するものとしているところ,同表は,グリッツナ
ー及びウールソンの研究報告に基づいて作成されたものであり,その
計算過程に不合理なところはなく,また,DS86報告書第6章をと
りまとめた岡島らの報告は,広島・長崎の土壌に中性子を照射して誘
導放射線量を測定する研究の成果を踏まえたものであることからして
も(前記(イ)a∼c),同表の数値は,科学的知見に基づく一定の根
拠を有するものということができる。
しかしながら,旧審査方針別表10の値は,誘導放射能から放出さ
れたγ線が地上1mに達するまでのγ線の透過の計算をした線量率を
前提とするものであるところ,一般に線量は線源から距離の2乗に反
比例することとの関係において,誘導放射化された物質が被爆者の身
体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれる等した場合につい
て,上記の前提が常に妥当するか疑問の余地がある。上記前提は,考
慮すべき線源が均等に分布している状態(面線源として平行線束に近
似)を想定したものであるが,誘導放射化された物質の影響を,面線
源に解消されない点線源として考慮すべき場合が果たしてないかどう
か,疑問の余地がある。
また,広島の被爆者の遺体から,人体の誘導放射化を示すものとす
る見解もある(前記(イ)f)。
そして,前記(カ)のとおり,入市被爆者に脱毛,発熱,下痢等の放
射線被曝による急性症状と同様の症状等が一定の割合で生じたことを
示す複数の調査結果があり,特に,於保源作医師の調査によれば,原
爆投下時に広島市内にいなかった者について,爆心地から1以内km
に入って同地域に10時間以上滞在した場合について,上記症状の発
症率が高くなる傾向があるとされており,入市被爆者に現れたこれら
の症状に残留放射線の影響がないと断ずるのは不合理である。これに
対し,被告らは,上記各調査が,被曝による急性症状を的確に把握し
たものではないなどと主張するが,これらの各調査に疫学的調査とし
ての限界があることを考慮しても,全般的な傾向としては前記のとお
り認めることができるところである。
そうすると,中性子によって誘導された放射性核種で有意な被曝を
もたらす可能性のあるものについては,物理的半減期が短いこと,熱
中性子線の吸収によって捕獲反応が生ずる土壌中の元素が限られてい
ること,人体を構成する物質に放射化される元素は微量しか存在せ
ず,体表面に近い部位に存在するごく一部が放射化されるにすぎない
こと,という知見が示され(前記(イ)g),ウラン加工工場における
臨界事故による被曝翌日の人体の等価線量が10.1μにすぎなSv
かったこと(前記(イ)i)を考慮しても,誘導放射化された物質が被
爆者の身体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれるなど具体的
な被曝の態様によっては,誘導放射線による被曝線量が,旧審査方針
別表10の値を超える場合があり得ることを考慮する必要があるとい
うべきである。
b放射性降下物について
前記(ア)bのとおり,旧審査方針においては,原爆投下の直後に己
斐若しくは高須(広島)又は西山3,4丁目若しくは木場(長崎)に
滞在し,又はその後,長期間に渡って当該地域に居住していた場合に
ついて,放射性降下物による被曝線量を,前者にあっては0.6∼2
,後者にあっては12∼24としているところ,これは,DcGycGy
S86報告書における推定結果に基づくものであり,原爆投下直後に
行われた調査等の結果によれば,広島においては己斐・高須地区に,
長崎においては西山地区に,それぞれ放射性降下物が多く確認された
ところである(前記(ウ)a∼f)。
ところで,広島における原爆投下直後の降雨に関する調査結果とし
て,宇田雨域(長径29,短径15の長卵形。前記(ウ)m)及kmkm
びその約4倍の広さの増田雨域(爆心より北西約45,東西方向km
の最大幅約36に及ぶ。面積約1250㎢。前記(ウ)n)があるkm
ところ,増田善信は,増田雨域の調査の資料には,原爆投下直後から
その約43年後のものが混在し,記憶の薄れたものもあることや,健
康診断特例地区の指定を進める運動と関連した過大報告の傾向がある
ことを指摘している(前記(ウ)n)。他方において,増田善信は,雨
の降り方について3種類の設問を含んだアンケートを実施し,聴取り
調査に参加した者にもアンケートを提出してもらうようにして,でき
るだけ信頼のおける資料の入手に努めたとしており(前記(ウ)n),
調査方法に一定の信頼性があるということができる。また,静間清ら
の研究において,宇田雨域に含まれないが増田雨域に含まれる3地点
のサンプル,及び宇田雨域の境界上にあり増田雨域に含まれる2地点
のサンプルからセシウム137が検出されたこと(前記(ウ)p)から
すると,静間清らが指摘するとおり,降雨域は宇田雨域よりも広いこ
とが示されているということができる。さらに,上記静間清らの研究
におけるサンプル数は必ずしも十分なものではないが,増田雨域の範
囲と矛盾するものではない。
そうすると,増田雨域で雨が降ったとされる範囲において放射性降
下物が降った可能性を否定することができないし,また,黒い雨の原
因となる炭素が放射化されにくい核種であることから(前記(ウ)l
(a)),増田雨域と放射性降下物が降った地域とが一致しないとして
も,上記静間清らの研究結果は,少なくとも,広島においては己斐・
高須地区以外の地域に放射性降下物が降った事実を裏付けるものであ
り,長崎においても西山地区以外の地域に放射性降下物が存在した可
能性を推認させるものということができる。
そして,旧審査方針における放射性降下物による被曝線量は,地上
1mの位置におけるものであるところ(前記(ア)b),放射性降下物
が被爆者の身体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれる等した
場合についても常に妥当するものか疑問の余地があることは,前記a
のとおりである。
c内部被曝及び低線量被曝について
前記(ア)cのとおり,旧審査方針は,内部被曝による被曝線量を特
に算出していないが,これは,DS86報告書における長崎の西山地
区住民の昭和20年から昭和60年までの内部被曝線量の推定値が極
微量とされたことに基づくものである。そして,上記推定値の合理性
を指示する見解が示されているところである(前記(エ)a,b)。ま
た,低線量被爆については,人体や動植物に対する影響を示す調査結
果があるが(前記(オ)a∼e),逆線量率効果については,仮説に
とどまるというべきであり,疫学調査による裏付けはない(前記(オ)
f,g)。
しかし,内部被曝については,外部被曝とは異なり,γ線や中性子
線だけではなく,飛程距離の短いα線やβ線による被曝も加わる上,
放射性核種が体内に存在する限り,被曝が継続するという特徴があ
り,また,放射性核種によって一定の組織や器官に沈着し,集中的な
被曝を受けることになる(前記(エ)d∼g)。確かに,ホット・パー
ティクル理論については,これを否定する見解も示されており(前記
(エ)a(d),c),確立した科学的知見であるということはできない
ものの,同理論の依拠する知見にも相応の科学的根拠があることを否
定し難い。
d以上によれば,残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による
被曝線量の算定において旧審査方針の定める基準を機械的に適用する
ことには,慎重であるべきであって,入市被爆者や遠距離被爆者につ
いては,誘導放射線及び放射性降下物による被曝の可能性や内部被曝
の可能性をも念頭に置いた上で,当該被爆者の被爆前の生活状況,健
康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,活動内容,生活環境,被爆直
後に生じた症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康
状態等を慎重に検討し,総合考慮の上,原爆放射線による被曝の蓋然
性の有無を判断するのが相当である。
(3)旧審査方針における原因確率の算定の合理性
ア旧審査方針における原因確率の算定の概要及び根拠
(ア)旧審査方針においては,前記第2の1「法令の定め等」()ア5
(ア),(イ)のとおり,白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳が
ん,肺がん,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,
尿路系がん(膀胱がんを含む。),食道がん,その他の悪性新生物及び
副甲状腺機能亢進症について,疾病等及び申請者の性別の区分に応じ,
別表1−1ないし別表8に定める原因確率を目安として,当該申請に係
る疾病等の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断するもの
とし,原因確率が,①おおむね50%以上である場合には,当該申請
に係る疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性が
あることを推定し,②おおむね10%未満である場合には,当該可能
性が低いものと推定するが,当該判断に当たっては,これらを機械的に
適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活
歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとしている。
(イ)旧審査方針における原因確率の算定の根拠
旧審査方針別表1−1ないし別表8は,児玉和紀(広島大学医学部保
健学科健康科学教授)を主任研究者として行われた厚生科学研究費補助
金・厚生科学特別研究事業「放射性の人体への健康影響評価に関する研
究」の平成12年度総括研究報告書(以下「児玉報告書」という。)に
おいて,被爆者の性別及び疾病ごとに算出された寄与リスクに基づいて
作成された表を転用したものである。
イ児玉報告書
証拠によれば,児玉報告書の概要について,次のとおり認めることがで
きる。
(ア)研究の目的
原爆放射線がかんあるいはがん以外の疾患の死亡や発生に及ぼす後影
響のリスクをまとめることである。
(イ)研究方法
aリスク評価の指標
放射線の人体への健康影響に関するリスク評価の指標として,相対
リスク,絶対リスク,寄与リスクの3種類がある。相対リスクとは非
曝露群に対する曝露群の疾患発生あるいは死亡の比を示し,絶対リス
クとは曝露群と非曝露群における疾患発生率あるいは死亡率の差を示
す。寄与リスクとは曝露者中におけるその曝露に起因する疾病等の帰
結の割合を示すものであり,例えば,曝露群におけるがん死亡者(罹
患者)のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者(罹患者)の
割合を示す。
相対リスクは,被曝群と非被曝群とのリスクの相対的な比であり,
リスクの評価に適しているが,非被曝群と比べてどの程度リスクが増
加するのかということは示されない。絶対リスクは,どの程度リスク
が増加するのかという公衆衛生的インパクトにとっては重要な指標で
はあるが,その大きさは非被曝群のリスクに依存して考えなければな
らない。
一方,寄与リスクは,絶対リスクの相対的大きさで表され,相対リ
スクと絶対リスクの両指標の考えを併せ持つものである上,その大き
さは0∼100%に数値化される。この性質は,種々の疾患に対する
放射線リスクの評価が同じ枠内の数値として統一的に考えられること
を意味するから,放射線が占める割合としてのリスク評価の指標とし
ては,寄与リスクが最適と考えられる。
b寄与リスク(ATR:)AttributableRisk
寄与リスクは,過剰相対リスク(ERR:。相ExcessRelativeRisk
対リスクから1を引いたもの)によって,次のように表せる。
ATR=ERR/(1+ERR)
固形がんのリスクを調査期間における平均過剰相対リスクによって
表す場合,最近の死亡率調査では次のようなモデルが用いられてい
る。
ERR(,,)=β{γ(−)}dsageageSdexp30
:DS86による推定被曝線量d
:被爆時年齢age
β:推定すべき未知母数(一般に男女で異なる。)S
被爆時年齢30歳の人の1当たりのERRSv
γ:推定すべき未知母数
:自然対数(e)を底とする指数関数exp
このモデルでは,被爆時年齢を定めるとERRは経時的に一定であ
ることを示している。
c寄与リスクを求めた疾患
固形がんについては,寄与リスクを求めるに当たって,次の3群に
分けた。
(a)部位別に寄与リスクを求めたがん:寿命調査集団を使った過去
の死亡率・発生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認めら
れ,かつ,部位別に寄与リスクを求めても比較的信頼性があると考
えられる部位(胃がん,大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺が
ん)及び白血病
(b)原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスクを
求めると信頼区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,皮膚
がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)が
ん,食道がん)
(c)現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統計
的には有意ではないが,原爆放射線被曝との関連が否定できないも
の。(a),(b)以外のすべてのがん
寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄異形成症候群(最近,被曝
との関連が学会で発表されているが,まだ論文発表されていな
い。),放射性白内障(しきい値が求められている。),甲状腺機能
低下症(論文発表されているデータから寄与リスクを算出できな
い。),過去に論文発表がない疾患(造血機能障害等)である。
d寄与リスクを求めた基となった資料
(a)固形がん及び白血病
放影研が公開している「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1
部,癌:1950−1990年」における昭和25(1950)年
∼平成2(1990)年の死亡率調査に係るカーマ線量及び臓器線
量の情報及び「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫
瘍,1958−1987年」における昭和33(1958)年∼昭
和62(1987)年の発生率調査に係る臓器線量の情報を用い
た。多くの場合,個人の臓器線量を算出するのは難しく,カーマ線
量の方が適用しやすく,また,死亡率調査の方が長く実施されてい
ることから,死亡率調査(カーマ線量)から,白血病,胃,大腸,
肺がんの寄与リスクを求めた。
甲状腺がんと乳がんは,予後がよいから,発生率調査を使い,そ
の臓器線量をカーマ線量に変換して,寄与リスクを求めた。
(b)がん以外の疾患
副甲状腺機能亢進症は,有病率調査結果から寄与リスクを推定し
た。
肝硬変は,がん以外の疾患の死亡率調査から寄与リスクを算出し
たが,線量は,論文で使われている結腸線量を使った。
子宮筋腫は成人健康調査集団を対象にした発生率調査から求め
た。
e寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線に対する過剰死亡及び過剰発生は,
性,被爆時年齢,被爆後の経過年数の影響を受ける。特に白血病につ
いては,被爆後10年を発生のピークにして,その後年数の経過と共
に過剰相対リスクは低下しているため,昭和56(1981)年∼平
成2(1990)年データに基づき算出した。固形がんについては,
寄与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被爆時年齢によって
過剰相対リスクに有意差があるがんについては,性別,被爆時年齢別
に寄与リスクを求めた。
(ウ)研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生について,性
別,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(旧審査方針別表1−1
ないし4−2と同じ。)。
女性乳がんについても,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた
(旧審査方針別表5と同じ。)。
肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けなかったので,性
別,被曝線量別の寄与リスクを求めた(旧審査方針別表6−1及び6−
2と同じ。)。
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱
を含む)がん,食道がんについては,この5疾患をまとめて計算した寄
与リスクを求めた(旧審査方針別表7−1及び7−2と同じ。)。
副甲状腺機能亢進症の有病率調査では,被曝の影響に性差が認められ
なかったので,被爆時年齢と甲状腺臓器線量別に寄与リスクを求めた
(旧審査方針別表8と同じ。)。
肝硬変による死亡は,被曝の影響に性差,被爆時年齢による差は認め
られなかったので,被曝線量別の寄与リスクを求めた。また,子宮筋腫
の有病率については,放射線の影響に被爆時年齢による差は認められな
かったので,被曝線量別の寄与リスクを求めた。旧審査方針に,これら
に対応する表はない。
ウ放影研における疫学調査
前記のとおり,児玉報告書は,放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査
第12報,第1部,癌:1950−1990年」及び同「原爆被爆者にお
ける癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958−1987年」を基に寄与
リスクを求めているところ,各項末尾掲記の証拠によれば,放影研の疫学
調査の概要について,次のとおり認められる。
(ア)放影研の前身は,昭和22(1947)年に米国原子力委員会の資
金によって米国学士院が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)であ
り,昭和23(1948)年には,これに厚生省国立予防衛生研究所が
参加して,共同で大規模な被爆者の健康調査に着手した。昭和50(1
975)年に,日本の外務,厚生両省が所管し,日米両国政府が共同で
管理運営する公益法人である放影研として再編された。
ABCCは,昭和30(1955)年に,昭和25(1950)年の
国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料を用いて,疫学
調査の固定集団の対象者となり得る人々の包括的な名簿を作成した。こ
の国勢調査により28万4000人の日本人被爆者が確認され,この中
の約20万人が,同年当時,広島・長崎のいずれかに居住していること
が確認され,「基本群」とされた。1950年代後半以降,ABCC又
は放影研で実施された被爆者調査は,すべて同「基本群」から選ばれた
副次集団について行われてきた。死亡率調査においては,厚生省,法務
省の公式許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報の入手が
行われている。また,がんの罹患率については,地域の腫瘍・組織登録
からの情報(広島,長崎に限る。)によって調査が行われている。
(イ)寿命調査(LSS:)LifeSpanStudy
当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が
広島又は長崎にあり,昭和25(1950)年に両市のいずれかに在住
し,効果的な追跡調査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆
者の中から選ばれており,次のa∼dの4群から成る。
a爆心地から2000m以内で被爆した「基本群」被曝者全員から成
る中心グループ(近距離被爆者)
b爆心地から2000∼2500mの区域で被爆した「基本群」全員
から成るグループ
caの中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,爆心地
から2500∼1万mの区域で被爆した者のグループ(遠距離被爆
者)
daの中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,195
0年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなか
ったグループ(原爆時市内不在者と呼ばれ,原爆投下後60日以内の
入市者とそれ以降の入市者も含まれている。)
当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年
代後半に拡大され,本籍地に関係なく,爆心地から2500m以内にお
いて被爆した「基本群」全員を含めた。次いで,昭和55(1980)
年に更に拡大され,「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとさ
れ,平成11年では,爆心地から1万m以内で被爆した9万3741人
と,原爆時市内不在者2万6580人の合計12万0321人の集団と
なっている
これらの人々のうち8万6632人については,DS86による被曝
線量推定値が得られているが,7109人(このうち95%は2500
m以内で被曝している。)については,建物や地形による遮蔽計算の複
雑さや不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
現在,寿命調査集団からは,近距離被爆者のうち①1950年代後
半までに転出した被爆者(昭和25年国勢調査の回答者の約30%),
②国勢調査に無回答の被爆者,③原爆投下時に両市に駐屯中の日本
軍部隊,④外国人は除外されている。以上のことから,爆心地から2
500m以内の被爆者の約半数が調査の対象となっていると推測されて
いる。
(ウ)成人健康調査(AHS:)AdultHealthStudy
成人健康調査集団は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率と
健康上の情報を収集することを目的として設定された。成人健康調査に
よって,ヒトのすべての疾患と生理的疾病を診断し,がんやその他の疾
患の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率やがんの
発生率について追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を
入手している。
昭和33(1958)年,成人健康調査集団は,当初の寿命調査集団
から抽出された1万9961人から成り,中心グループは,昭和25
(1950)年当時生存していた,爆心地から2000m以内で被爆
し,急性放射線症状を示した4993人全員から成る。このほかに,都
市・年齢・性をこの中心グループと一致させた次のa∼cの3グループ
(いずれも中心グループと同数)が含まれる。
a爆心地から2000m以内で被爆し,急性症状を示さなかった人
b広島では爆心地から3000∼3500m,長崎では3000∼4
000mの距離で被爆した人
c原爆投下時にいずれの都市にもいなかった人
昭和52(1977)年に,高線量被曝者の減少を懸念して,新たに
次のd∼eの3グループを加えて,成人健康調査集団を拡大し,合計2
万3418人の集団とした。
d寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1以上でGy
ある2436人の被爆者全員
edと年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者
f胎内被爆者1021人
(エ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部,癌:1
950−1990年」においては寿命調査集団から線量推定値の明らか
でない者等を除いた8万6572人が,「原爆被爆者における癌発生
率。第2部:充実性腫瘍,1958−1987年」においては上記の者
等を除いた7万9972人が,調査対象集団(コホート)として選択さ
れている。
(オ)放影研における調査・研究では,「寿命調査第10報,第一部,広
島・長崎の原爆被爆者における癌死亡,1950−82年」から,外部
比較法(要因への曝露に伴う健康影響を外部集団と比較する。)を採ら
ず,ポアソン回帰分析という方法を用いた内部比較法(コホート内部で
の曝露要因量と健康影響との関連を見る。)によるリスク推定が行われ
ており,児玉報告書における寄与リスク算定の基とされた放影研の疫学
調査もこの方法を採っている。
(カ)寿命調査は,死亡診断書により死因調査がされている。そして,
「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部,癌:1950−1990
年」には,①死亡診断書に記録された原死因情報の正確さは,196
0年代前半から昭和59(1984)年まで行われたLSS(寿命調
査)剖検プログラムに基づいて調査され,報告されていること,②剖
検から得られた結果と比較すると,がん死亡の約20%が死亡診断書で
はがん以外の原因による死亡と誤分類されており,一方で,がん以外の
原因による死亡の約3%ががん死亡と誤分類されていること,③
らは,これら誤分類の割合を考慮に入れて寿命調査集団におけるSposto
がん死亡率の解析を行った結果,誤差を修正すると,固形がんのERR
(過剰相対リスク)推定値が約12%,EAR(過剰絶対リスク)推定
値が約16%上昇することが示唆されたこと,④本報では,そのよう
な補正を行っていないことが記載されている。
エ放影研の疫学調査及び原因確率についての指摘
各項末尾掲記の証拠によれば,次の事実が認められる。
(ア)福地保馬(藤女子大学大学院人間生活学研究科教授)は,次のとお
り指摘する。
a原因確率算出の基礎となった「原爆被爆者の死亡率調査第12報,
第1部,癌:1950−1990年」等によれば,放影研では,リス
クの分析において対照群を設定せず,曝露群について回帰分析を行
い,得られた回帰式から想定上のゼロ線量における罹患率等を推定し
て,バックグラウンドリスクとしている。適当な対照群を設定するこ
とができなくとも,観察範囲内において曝露群での線量−反応関係が
正しくとらえられており,観察された線量の範囲外についても観察範
囲内と同様の線量−反応関係が適用できると考えられるならば,曝露
群のデータに基づいた線量−反応関係を,観察線量の範囲外に適用
(外挿)し,回帰分析などを行うことによって,非曝露群での罹患率
等を推定することは,一つの方法と考えられる。
しかし,後記bのとおり,放影研の調査では,曝露群における線量
−反応関係が正しくとらえられておらず,正しい推定をする前提を欠
く。
特に,比較的高いレベルの放射線量曝露から得られた健康障害に関
する用量(線量)−反応関係が,より低いレベルの放射線量曝露にお
いても適用できるのか否かという問題がある。
さらに,残留放射線も含めた放射線被曝の影響を調べようとする場
合には,残留放射線の被曝も受けていない人々,すなわち,広島,長
崎両市民以外を対照群にする必要があるが,そのような調査はされて
いない。
原爆がもたらした放射線以外の要因が複合して疾病が生じた場合
に,他の要因が複合しているからといってこれらを放射線の影響では
ないとすることは,放射線の影響を正当に評価しているとはいえな
い。原爆放射線の影響がそれ以外の要因を増幅し,それ以外の要因が
原爆放射線の影響を増幅するという関係を正当にとらえるのが科学的
な立場である。
このように考えると,原爆被害を受けていない対照群が置かれてい
ないと,真の意味での放射線の影響を測定することはできないと考え
る。
b放影研の疫学調査では,初期放射線による外部被曝のみを曝露要因
として評価しているところ,放射性降下物や誘導放射能の残留放射線
は,曝露要因として評価していない。
仮に初期放射線と残留放射線とを別々の要因として,初期放射線の
影響を見ようとした場合でも,観察対象者の残留放射線の曝露量が評
価されていない場合は,残留放射線の交絡を修正して,正しく関連を
導くことはできない。
前記aのとおり,外挿による罹患率等の推定をすることによって,
対照群の設定に代えるという方法も,曝露群での線量−反応関係が正
しくとらえられているという前提条件を欠くことになる。
c寿命調査集団では昭和25年までの死亡者について,成人健康調査
集団では昭和33年までの死亡者について,それぞれ調査が行われて
いないから,いわゆる「生き残り」集団しか対照とされず,感受性が
高い人,早期に発症した人への影響を見落とすことになるという大き
な欠陥がある。
また,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存するコホートが存
在する間は,観察し続ける必要があるが,現在得られている観察途中
のデータは,今後発症するケースを把握していない。
dこのように,対照群の設定上の問題,被曝線量の推定上の問題及び
データ欠落に起因する問題がある以上,放影研の疫学調査は,被爆者
が受けた原爆や原爆放射線の影響全体をとらえられず,リスクの大き
さを正確に推定することができないという欠点を持ったものにならざ
るを得ないから,この疫学調査の結論を機械的に用いることには慎重
でなければならない。
e疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を
通して,集団における健康事象の発生要因を推定するものであるか
ら,ある共通要因を持つ集団において,その要因がある疾病発生の原
因であると分かった場合は,その集団に属する全員がその疾病にかか
る危険性又はかかった経験を有することを表す。したがって,疾病と
の因果関係が推定された要因を共通に有する集団に属する限り,特定
の個人について,その要因が疾病の原因である可能性を肯定できて
も,その要因が発生に関与していないとして関連を否定することはで
きない。このことは,その集団の寄与リスクの大きさにかかわりな
い。
また,集団についてのリスクが小さくても,罹患した者や死亡した
者だけが付加されたリスクを負ったのではなく,集団すべての個人の
罹患や死亡のリスクが高まったと考えるべきであるから,寄与リスク
が小さいからといって,その要因がその群に属するある個人の発症原
因を構成していないとするのは誤りである。
疾病は,多数の要因が互いに関連しながら,総体として作用して発
症するものである。これに対し,原因確率は,ある要因が他の要因と
は独立して個々人の疾病の発症に作用し,当該疾病を発症させた確率
とされており,疾病の多要因性にかんがみれば,この原因確率という
概念に疑問を持たざるを得ない。
(イ)児玉和紀は,次のとおり指摘する。
a放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析といったより進歩
した解析法によって曝露要因0(被曝線量0)の場合の死亡(罹患)
率を推定し,これと任意の曝露要因量(被曝線量)での死亡(罹患)
率の増加割合を推定することによって,相対リスク等を算出してい
る。解析方法が進歩したことと,被曝線量0から高線量まで非常に広
範囲にわたる線量推定がされている集団を扱っていることにより,回
帰分析でのリスク推定ができるようになったものである。
全くの非曝露群を設定して曝露群との比較を行う方法は,実施が可
能であれば望ましい方法であるが,このような方法による場合,曝露
群との間において,曝露因子以外の要因の分布が異なることが少なく
なく,この場合には結果の解釈に多大の困難さを生じさせることにな
る。放影研も,過去の疫学調査において,内部比較法と併せて外部比
較法を用いたことがあったが,非曝露群における曝露因子以外の要因
の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されたため,内部比較法
を用いることとした経緯がある。
b放影研の調査集団が,昭和25年の国勢調査に基づいて設定された
ため,昭和20年から昭和25年までの5年間に放射線に感受性の高
い人たちが死亡し,結果的に放射線に抵抗性の高い集団を追跡してい
ることにより,放影研の調査結果に偏りを来している可能性が全くな
いとは言い切れない。
しかし,放影研における検討では,そのような選択による大きな偏
りが存在する可能性は低いと報告されている。例えば,寿命調査第9
報第2部では,「1950年以前の死亡の除外による偏りの大きさを
求めるために,三つの補足的死亡率調査を使用して,寿命調査の調査
開始(1950年)以前の死亡率を再解析した。この偏りは,195
0年以後に調査対象に認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及
ぼすとは思われない」と記載されているが,具体的には,①原爆投
下1年後に広島市が行った原爆被爆者調査で確認された10万400
0人の被爆者とその家族についての集団,②同様の4200人につ
いての長崎の集団,③胎内被爆者の母親の集団について,新生物以
外の全疾患による死亡率,結核及びその他の感染症疾患による死亡率
を推定被曝線量や被爆距離で比較検討している。その結果,死亡率に
推定被曝線量や被爆距離による差を認めず,昭和25(1950)年
以前の感染症及びその他の疾患による死亡率が,同年以降の集団内の
放射線と悪性新生物との関係を大きく偏らせている可能性は少ないと
結論付けている。
また,現在寿命調査で得られるリスク推定は,昭和25年当時生存
していた者という集団におけるリスク推定になるが,現時点で生存し
ている被爆者は,同年の時点においても生存していたのであるから,
原爆放射線のリスク評価に放影研の疫学調査の結果を応用することの
問題は少ない。
(ウ)主任研究者を草間朋子(大分県立看護科学大学)とする平成13年
度委託研究報告書「電離放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」
(平成14年3月)は,現在の原因確率を補償スキームに用いることの
問題点を,次のとおりまとめる。
a非特異的疾患における因果関係論の問題。cに関係する問題と考え
ることもできる。
b疫学データだけに基づいて個人の原因確率を評価することは不可能
である。集団の平均値を個人に当てはめるには集団内の不均一性が問
題とされる。原因確率の不確かさとして扱うこともできる。
c発がんにおける放射線の関与の仕方によって異なる原因確率を与え
る。したがって,放射線発がんの生物モデルを前提にして初めて原因
確率は評価可能である。
d原因確率が評価可能であるとしても,補償スキームとしては適切で
ない指標である。これは,40歳と80歳の原因確率が50%とした
ときに同じ扱いをされるのは余命損失を考えると合理的ではない。
(エ)サンダー・グリーンランド(カリフォルニア大学ロサンゼルス校公
衆衛生学部疫学教授・文理学部統計学教授)は,「原因確率の相対リス
クと倍加曝露量との関係:社会的な問題になっている方法論上の過ち」
と題する論文において,当該曝露がなかったならば,その疾病はもっと
遅い時期に発症したか(促進的発症),あるいは全く発症しなかった
(全か無かの発症)といえるのであれば,当該曝露は原告の「寄与原
因」であるとし,「原因確率」を,問題の曝露が原告の疾病の「寄与原
因」になっている確率と定義した上で,曝露の影響が疾病発症時期を促
進するものであるときは,生物学的モデルに依らずに疫学的データのみ
に依拠する寄与リスク(同論文は「発生率割分」という。)は,疾病発
症の促進を全面的に拾い上げるものではないから,原因確率を過小評価
する傾向があると論じている。
オ検討
(ア)旧審査方針は,一定の疾病について,放影研の疫学調査に係るデー
タに基づいて算定された寄与リスクを,原因確率とするものであり,こ
れを目安として,原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断す
るものとしている。
放影研の疫学調査は,寿命調査集団及び成人健康調査集団という大規
模なコホート集団を設定し,がんを中心とする疾病による死亡率及び疾
病の発生率に関する長期間の追跡調査を行ったものであり,また,ポア
ソン回帰分析という内部比較法が採用されており,これに基づいて算定
された寄与リスクには,一般的な合理性があるということができる。
そして,放射線による後障害は,個々の症例を観察する限り,放射線
に特異的な症状をもっているわけではなく,一般にみられる疾病と全く
同様の症状をもっており,放射線に起因するか否かの見極めは不可能で
あるが,被曝集団として考えると,集中的に発生する頻度が高い場合が
あり,そのような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判断され
るから,上記の寄与リスクを原因確率として転用し,被爆者個人の放射
線起因性の程度を推認する事情として考慮することは,統計的解析の一
方法としての有用性を肯定することができる。
(イ)もっとも,寄与リスク又は原因確率は,本来的には集団の中におけ
る平均的な傾向を示すものであり,児玉報告書を作成した児玉和紀教授
も,放射線によって引き起こされた可能性を示唆するものとして参考資
料的に使うのはよいと思うが,疫学調査の指標をもって各個人の放射線
起因性を厳密に判断するのであれば,問題があると思うとしている。ま
た,原因確率の前提となる寄与リスクは,放射線が疾病発生の促進要因
となっている場合を全面的に拾い上げるものではないから,その場合を
適切にとらえるものということはできない(前記エ(エ))。
そして,上記寄与リスク算定の基となった放影研の疫学調査について
も,次のような問題を指摘することができる。
まず,寿命調査については原爆投下の5年後から,成人健康調査につ
いては昭和33年から開始されたものであるため,原爆投下直後のデー
タの欠落及びこれに伴う高線量被爆者である可能性の高い死亡者の排除
という問題が内在していることは否定し難い。
また,死亡率調査において,死因について誤差があり,その誤差を修
正すると固形がんの過剰相対リスク推定値が約12%,過剰絶対リスク
推定値が約16%上昇することが示唆されている(前記ウ)。
さらに,曝露因子以外の要因の分布を同じくする非曝露群を選定する
ことが困難であるため,外部比較法を採ることができず,ポアソン回帰
分析によることは,やむ得ないとしても,その信頼性は曝露群における
線量−反応関係が正しくとらえられていることが前提となっているにも
かかわらず,放影研の疫学調査においては,残留放射線による外部被曝
及び内部被曝が考慮されておらず,上記解析結果に一定の限界があるこ
とも否定することができない。
そして,現在得られているデータが観察途中のものであるため,その
後の発症を把握したものではないというデータの限界があることや,原
爆がもたらした放射線以外の要因が複合して疾病が生じた場合につい
て,原爆被害を受けていない対照群を置かないと,放射線の影響を測定
することに困難を伴うことも否定し難い。
(ウ)したがって,原因確率は,一応の合理性を有するものであり,旧審
査方針において原因確率が設定されている疾病等の放射線起因性を判断
するための参考要素となり得るものであるが,原因確率に基づく判断に
も一定の限界があるといわざるを得ないから,特に原因確率10%以下
であるとされた事例についても,これを機械的に適用して放射線起因性
を否定するのは相当ではなく,個々の被爆者の個別的事情を踏まえた判
断をする必要がある。
(4)小括
以上によれば,旧審査方針の採用するDS86に基づく被曝線量の推定及
び原因確率に基づく放射線起因性の判断については,一応の合理性を肯定す
ることができるものの,DS86及び原因確率のいずれにも一定の限界があ
り,これらを機械的に適用して放射線起因性を判断するのは相当ではない。
したがって,DS86によれば被曝線量が少ないと評価される被爆者や,
旧審査方針によれば,原因確率が低いとされる被爆者又は原因確率が設定さ
れていない疾病等を申請疾病等とする者であっても,その具体的な被爆状
況,急性症状の有無,態様,程度及び経過,被爆後の行動及びその後の生活
状況,申請に係る疾病等の症状及び発症に至る経緯,治療の内容及び治療後
の状況,その他の病歴等を総合的,全体的に考慮した上で,放射線被曝によ
る人体への影響に関する統計学的,疫学的,臨床的,医学的知見等を踏まえ
つつ,原爆放射線被曝の事実が上記疾病等の発生又は進行を招来した関係を
是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして検討すべき
である。
そうすると,DS86及び原因確率の考えを過大視する被告らの主張も,
また,その反対にこれらを過小評価し,その適用を排除する原告らの主張も
相当であるとはいえず,前記評価方法を尊重しつつも,その一定の限界に該
当し得る事案であるかどうか,そうであるとすれば原告らの疾病が原爆の放
射線被曝によるものであるかどうかについて,前記総合的事情を勘案して決
するのが相当であるというべきである。
3争点3(各原告らの原爆症認定要件該当性)について
(1)原告Cについて
ア原告Cの被爆状況等
前記前提事実()アの事実及び証拠によれば,次の各事実が認められ2
る。
(ア)被爆前の生活状況
原告Cは,昭和20年8月6日当時,13歳であり,a8中学校2年
1組に在籍し,被爆前に特に大きな病気や負傷をしたことはなく,健康
上特別の問題はなかった。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月6日の状況
原告Cは,広島市に原爆が投下された午前8時15分に,勤労奉仕
に集合するためにa4駅(爆心地から約8。広島駅から3駅目)km
前にいたが,汽車に乗って爆心地と反対方向のa11駅に向かい,午
前8時30分ころに同駅に到着し,午前11時過ぎまで同駅前に留ま
った。
原告Cは,その後,汽車に乗って広島方面に向かうこととなり,約
3時間後にa12駅(広島駅の1駅手前。爆心地から約4)で降km
車し,勤労奉仕のために集合した生徒は解散となった。
原告Cは,広島市a6町の自宅に戻るために,いったん芸備線沿い
に広島駅に向けて歩き出したものの,a12駅に引き返し,自宅に戻
ることを断念して,a8中学校に向かうこととし,午後4時ころ,広
島駅の東側にあるa13(爆心地から約2.5)に到着した。km
原告Cは,その後,a14山麓沿いに歩き,a15橋(爆心地から
約2)を通過するころに雨を浴び,a16橋(爆心地から約1.km
5)に到着したが,同所で大火傷を負った同級生3人を発見し,km
a17神社(爆心地から約1.8)まで連れて行って救援隊に託km
した。
原告Cは,それ以上広島市内に入ることを断念し,a18街道を経
由して,午後10∼11時ころ,市街地から北方約30の疎開先km
(a19駅から徒歩50分)にたどり着いた。
なお,証拠によれば,原告Cは,昭和49年12月13日付け被爆
者健康手帳交付申請書に,昭和20年8月6日に広島市内に入ったこ
とを記していないことが認められるが,同原告の供述によれば,最初
に入市した町名が分からず,爆心地に入った日がこれに当たるとし
て,同月8日に入市した旨を記載したというのであり,その可能性も
否定し難いことから,前掲乙号証の記載は前記認定を左右しない。ま
た,原告Cは,a4駅を爆心地から約5の地点であると主張するkm
が,a5駅は広島駅から3駅目であり,乙A7号証によれば,爆心地
からの距離は約8であると認められる。)km
b昭和20年8月7日の状況
原告Cは,広島市a6町の自宅に向かうため,列車に乗ってa12
駅(爆心地から約4)まで行ったが,火勢がひどいため,爆心地km
と反対方向のa19駅まで行き,収容所となっていたa9小学校で泊
まり,負傷者の救護を手伝った。
c昭和20年8月8日の状況
原告Cは,午前9時ころ,a9小学校を出発し,a12駅から約1
時間歩いて広島市f町の自宅(爆心地から約1.5)まで行き,km
約1時間をかけて自宅からa20橋,a7橋(爆心地付近),a21
町を通って,a8中学校(爆心地から約1.5)に行った。そしkm
て,教師の指示でa22町(爆心地から約800m)に生徒の遺体を
捜す作業を行い,再び同中学校に戻り,この夜もa9小学校に泊まっ
た。
原告Cは,この日の作業中に激しい頭痛に襲われた。
d昭和20年8月9日の状況
原告Cは,広島市内のa23山に寄ってから,爆心地付近のa24
川(現在のa25川)において遺体の収容作業を手伝った。
原告Cは,この日,発熱し,倦怠感を覚えたが,作業中に頭痛が激
しくなった。
e昭和20年8月10日の状況
原告Cは,爆心地付近で作業を行っていたが,頭痛と下痢がひどく
なり,下血も始まったことから,作業を中断し,収容所に戻った。
f昭和20年8月11日以降の状況
原告Cは,昭和20年8月11日,a26村にある母の実家に向か
い,同月12日から復学するまでの6か月間,同所において静養し
た。
原告Cは,静養している間,激しい下痢や頭痛,歯茎からの出血に
悩まされ,頭髪はすべて抜けてしまった。
(なお,原告Cの昭和49年12月13日付け被爆者健康手帳交付申請
書には,被爆時及びその後の健康状態について,異常なしと記載されて
いるが,上記症状を正確に申告すべきものとの認識の下に作成されたか
疑問があり,上記症状についての認定を左右するに足りない。)
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a昭和26年(19歳)
原告Cは,このころから,膀胱に不快感と残尿感を覚えるようにな
った。
b昭和30年(23歳)
原告Cは,頻尿と強い残尿感を感じたため,a27病院で診察を受
けたところ,膀胱炎と診断された。
c昭和31年(24歳)
原告Cは,再度,膀胱炎と診断された。
d昭和34年(27歳)
原告Cは,頻尿,残尿感,膀胱の不快感があったため,a28病院
で尿検査を受けたところ,膀胱炎と診断された。
e昭和46年(39歳)
原告Cは,a29病院に入院して2週間の検査を受けたところ,X
線写真で腎臓結石が確認され,右の腎臓が機能していないと診断され
た。
f昭和55年(48歳)
原告Cは,a30クリニックで診察を受けたところ,右の腎臓は機
能しているとされ,腎臓結石の薬を処方された。
g平成2年(58歳)
原告Cは,a31診療所で慢性前立腺炎と診断され,投薬治療を受
けた。
h平成5年8月(61歳)
原告Cは,a32病院で内視鏡検査を受けたところ,2㎜大の腫瘍
3個が発見され,膀胱がんと告知された。
i原告Cは,平成11年(67歳),平成12年(68歳)及び平成
14年(70歳)に,膀胱がんの摘出手術を受け,最後の手術では,
膀胱全部と精嚢,前立腺及びその周りのリンパ腺数本を摘出された。
そのため,原告Cは,男性機能を喪失し,右足のふくらはぎと局部に
浮腫が出でおり,また,人工膀胱の使用を余儀なくされ,数時間ごと
に人工膀胱に溜まる尿を捨て,睡眠時には腹部にチューブを取り付け
なければならない状態にある。
j原告Cは,平成15年(71歳)に腎盂炎の手術を受け,平成16
年(72歳)に尿管拡張手術を受けた。
イ膀胱がんと放射線被曝との関係についての知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)菅原務(京都大学名誉教授)監修「放射線基礎医学(第10版)」
は,膀胱上皮について,細胞分裂頻度がかなり高く,放射線感受性が高
度である組織と分類している。
(イ)放影研報告書「寿命調査第8報,原爆被爆者における死亡率,19
50−74年」には,①新しく追加された死亡診断書資料の解析の結
果,それまでにこの調査報告で認められた影響に泌尿器がんも追加すべ
きであるとの示唆が得られたこと,②泌尿器のがんによる死亡率とT
65線量との間にかなり確かな関連が認められることが記述されてい
る。
(ウ)放影研報告書「寿命調査第10報,第一部,広島・長崎の被爆者に
おける癌死亡,1950−82年」には,①T65DR線量推定値を
用いた特定のがんによる死亡の解析結果は概して従来の所見と一致して
おり,膀胱がんについて有意な線量反応が認められたこと,②昭和5
4(1979)年∼昭和57(1982)年間に発生した18件の死亡
例を加えると,泌尿器(膀胱,腎臓等)のがんに対する線量効果は更に
rad明白になったこと,③膀胱,腎臓等の部位を全部合わせた100
における平均相対危険度は1.55であり,極めて有意なこの放射線量
反応(p=.006)は,主に膀胱がんによる死亡によるものである
(p=.003)こと,④泌尿器がんの分類全体の相対危険度は有意
ではないが,わずかに経時的に増加したこと,⑤らは,少なくDarby
とも100に被曝したことに起因する膀胱がん死亡危険度は有意にrad
増加したと報告したことが記述されている。
(エ)放影研報告書「寿命調査第11報,第2部,新線量(DS86)に
おける1950−85年の癌死亡率」は,①以前にも観察されている
ように,放射線量の増加と共に死亡率が有意に高くなるものの一つとし
て,膀胱がんを挙げ,②線量に伴って統計学的に有意な増加(p<
0.05)を示す部位別がんの一つとして泌尿器がんを挙げ,③泌尿
器がんの統計学的に有意な増加をより詳細に検討すると,膀胱がんの増
加は統計学的に有意であるとする。
(オ)放影研報告書「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫
瘍,1958−1987年」には,膀胱がんの1当たりの過剰相対Sv
リスクは1.0(95%信頼限界で0.27∼2.1),寄与リスクは
16.3%(95%信頼限界で4.8∼30.1%)と推定されるこ
と,膀胱がんにおいて放射線との有意な関連性が認められたことが記述
されている。
(カ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよび
がん以外の疾患による死亡率:1950−1997年」には,放影研の
寿命調査集団について昭和25(1950)年から平成9(1997)
年までの期間のがん及びがん以外の疾患による死亡率を検討したとこ
ろ,膀胱がんについて,①被爆時年齢30歳の男性の場合,1当Sv
たりの過剰相対リスクは1.1(90%信頼区間で0.2∼2.5),
推定線量が0.005以上の被爆者における寄与リスクは17%Sv
(90%信頼区間で3.3∼34%)と推定されること,②被爆時年
齢30歳の女性の場合,1当たりの過剰相対リスクは1.2(90Sv
%信頼区間で0.10∼3.1),推定線量が0.005以上の被Sv
爆者における寄与リスクは16%(90%信頼区間で0.9∼36%)
と推定されることが記述されている。
ウ放射線起因性についての意見
(ア)a35及びa36作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a原告Cは,原爆投下の数時間後に爆心地から1.5という相当km
近距離の地点におり,誘導放射化された土壌や構造物からのγ線照射
を受け,経口,経鼻,経皮を通じ,放射能汚染物質,微粒子は体内へ
侵入,蓄積するという内部被曝を受けていたと解される。原告Cは,
x橋で黒い雨に遭遇したが,これは増田雨域の大雨地域に当たる。
また,原告Cは昭和20年8月8日から同月10日まで,爆心地付
近等で死体回収作業等に従事して,繰り返し残留放射線に被曝し,放
射化した被爆者の身体,衣類等に触れることにより被曝し,放射線に
曝露した飲食物を摂取することによって内部被曝を重ねたと考えられ
る。原告Cの急性症状は,被曝放射線量が高かったことを裏付ける。
b放影研のデータが,膀胱がんについて有意の過剰相対リスクを示し
ていることにかんがみると,原告Cの膀胱がんについては放射線被曝
の影響は否定できない。
(イ)a37及びa38作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a旧審査方針別表9の線量評価は妥当であり,広島の爆心地から25
00m離れた地点での初期放射線による被曝線量は1であるかcGy
ら,爆心地からの距離がその2倍以上の原告Cの初期放射線による被
曝線量は0とみなしてよい。cGy
b原告Cが原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の地域
へ立ち入ったのは,平成20年8月8日の午前中に爆心地付近を通過
した時のみであり,仮に同日午前中から夜まで(原爆爆発約48時間
後から約60時間後まで)爆心地付近に滞在し続けたとしても,旧審
査方針別表10により,誘導放射線による被曝線量は3を超えなcGy
い。
c原告Cは,a39に滞在した事実はないから,a15橋付近で黒い
雨に遭遇したとしても,放射性降下物による被曝を考慮する必要はな
い。
d放射性降下物による内部被曝は考慮する必要がないし,飲食物を介
しての内部被曝はあり得ない。
eしたがって,原告Cの被曝線量は3を超えないと推定される。cGy
f原告Cが急性症状として主張する症状は,非特異的なものであり,
原爆放射線以外の要因からも起こり得る。放射線被曝による急性症状
は,少なくとも約1以上の被曝線量でなければ生じないものであGy
るところ,原告Cの上記被曝線量からすると,被曝による急性症状が
出現することはあり得ない。頭痛は例えば熱中症(日射病)によるも
のであり,下痢は腸管感染症によるものと考えるのが妥当である。放
射線被曝により一過性の脱毛が生じるのは3以上の被曝をした場Gy
合であり,歯肉の出血,倦怠感は,被爆者でなくとも見られる症状で
ある。
gよって,原告Cの膀胱がんの原因確率は1.7%を上回らないか
ら,膀胱がんに放射線起因性は認められない。原告Cに膀胱炎,腎臓
結石,慢性前立腺炎の既往症があることは,膀胱がんの放射線起因性
を認める根拠とならない。
エ放射線起因性についての検討
(ア)前記認定事実によれば,原告Cは,原爆投下時に広島の爆心地から
約8の地点にいたところ,旧審査方針別表9によれば,広島の爆心km
地から2.5の地点における初期放射線による被曝線量が1であkmcGy
るとされていることからすると,原告Cは初期放射線による被曝をほと
んどしていないこととなる。
また,前記認定事実によれば,原告Cは,昭和20年8月8日午前1
0時過ぎころに,広島市a6町(爆心地から約1.5)に入り,そkm
の後約1時間をかけてa7橋(爆心地付近)等を通ってa8中学校(爆
心地から約1.5)に行ったところ,旧審査方針別表10によれkm
ば,広島の原爆投下の48時間後から56時間後まで爆心地から100
m以内に入っても,誘導放射線による被曝線量は2ということとなcGy
る。
さらに,前記認定事実によれば,原告Cは,広島市のa39に原爆投
下の直後に滞在したことも,その後長期間にわたって居住したこともな
いから,旧審査方針によれば,放射性降下物による被曝線量は0とcGy
いうこととなる。
したがって,旧審査方針によれば,原告Cの原爆放射線の被曝線量が
2を超えることはないこととなる。そして,原告Cは,被爆時13cGy
歳の男性であるところ,旧審査方針別表7−1によれば,被爆時13歳
の男性被爆者に発症した膀胱がんの原因確率は,原爆放射線の被曝線量
が5の場合でも2.8%であることに照らすと,原告Cの膀胱がんcGy
の原因確率は2.8%を超えることはないこととなる。
(イ)しかしながら,前記のとおり,具体的な被爆態様によっては,誘導
放射線による被曝線量が旧審査方針別表10の値を超える場合があり得
るし,広島においては,a39に限らず,増田雨域で雨が降ったとされ
る範囲において放射性降下物が降った可能性を否定することができな
い。そして,前記のとおり,原告Cは,昭和20年8月6日の午後に爆
心地から約1.5∼4の範囲を歩き回り,a15橋を通過するころkm
に雨を浴びているところ,これは増田雨域の大雨地域に該当すること,
原爆投下の2日後の同月8日に爆心地付近まで歩き回り,その翌日及び
翌々日も爆心地付近で作業を行っていることからすると,誘導放射化さ
れた物質及び放射性降下物が身体や衣服に付着したことは十分考えられ
るから,誘導放射線及び放射性降下物による相当量の外部被曝をした可
能性があり,また,以上の行動を通じて残留放射線による内部被曝をし
た可能性も否定し難い。
さらに,原告Cには,前記のとおり,入市の2日後から頭痛が,3日
後に発熱が,4日後にひどい下痢がみられるようになり,その後も,こ
れらの症状に加えて,歯茎からの出血及び脱毛が現れており,放射線被
曝による急性症状として説明が可能な症状が発現しているところ,原告
Cは,被爆前は健康体であったことからすると,これらの症状は少なく
とも放射線被曝も影響して発症したものということができ,原告Cにお
いてその健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受けた可能性は十分に
あると認められる。
そうすると,原告Cの原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針により算
定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いというべきである。
(ウ)また,前記認定事実によれば,膀胱がんについては,放影研報告書
「寿命調査第8報」において,泌尿器のがんによる死亡率と被曝線量と
の間にかなり確かな関連が認められると記述され,同報告書「寿命調査
第10報,第一部」,同報告書「寿命調査第11報,第2部」及び同報
告書「原爆被爆者における癌発生率。第2部」において,放射線被曝と
の間に有意な関連性があることが記述され,同報告書「原爆被爆者の死
亡率調査第13報」においても,統計学的に有意な関係が認められてお
り,旧審査方針においては,尿路系がんとして,原因確率が定められて
いる。
(エ)以上のとおり,原告Cの原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針によ
り算定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いこと,膀胱がん
については,放影研の疫学調査において,原爆放射線被曝との間に統計
的に有意な関係が認められており,旧審査方針においても原因確率が定
められていること,原告Cは,被爆前は健康であったのに,被曝後は,
長期間にわたり体調不良状態が続いていること,新審査方針では,「原
爆投下より約100時間以内に爆心地から約2以内に入市した者」km
の悪性腫瘍についての申請として,格段に反対すべき事由がない限り放
射線との関係を積極的に認定するものとされていること等を総合考慮す
ると,原告Cの膀胱がんは原爆放射線に起因して発症したものとみるの
が,経験則に照らして合理的かつ自然であるから,同疾病について放射
線起因性を肯定すべきである。
オ要医療性
証拠によれば,原告Cの膀胱がんについては,膀胱自体は全摘したもの
の,他所への転移がないよう十分な経過観察が不可欠であり,また,人工
膀胱を常時使用していることに関する継続的なケアが必要であることが認
められ,本件処分A当時,要医療性の要件を満たしていたというべきであ
る。
カ結論
以上のとおり,原告Cは,本件処分A当時,膀胱がんについて放射線起
因性及び要医療性の要件を満たすものということができるから,本件処分
Aは違法である。
ア原告Aの被爆状況等
前記前提事実()アの事実及び証拠によれば,次の(ア)∼(ウ)の各事実3
が認められる。
(ア)被爆前の生活状況
原告Aは,昭和20年8月9日当時,6歳であり,被爆前に特段の健
康上の問題はなかった。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月9日の状況
原告Aは,長崎市に原爆が投下された午前11時2分に同市b1町
の自宅近くの屋外(爆心地から約3.5の地点)におり,被爆にkm
より自宅が屋根と柱程度しか残らない状態で倒壊したことから,被爆
後に自宅付近の防空壕に避難し,同所で過ごした。
b昭和20年8月10日の状況
原告Aは,午前8時ころ,上記防空壕を出て,母と姉と共に,叔母
を捜すために,爆心地から約500mの長崎市kに向かったが,その
際,爆心地の脇を通過し,昼ころまでにb2に到着し,同所付近を探
し回って,午後4時ころに物置の下敷きになっている叔母を発見し
た。原告Aらは,叔母をリヤカーに乗せて戻る際にも,爆心地の脇を
通過し,午後5時30分ころ,叔母をb3病院に預けて上記防空壕に
戻った。
cその後の状況
原告Aは,昭和20年8月10日から約2週間防空壕で生活し,同
月末には自宅跡に建築したバラックに移り住んだ。原告Aは,被爆後
2週間程度経過したころから,体調を悪くし,脱毛がみられ,起きら
れないほどの倦怠感を覚え,時々37,8℃の熱が出て寝込むように
なり,下痢も約2か月続き,便に血が混じることもあった。
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a昭和21年(7歳)
原告Aは,紫斑点が身体のあちこちにできるようになったが,一度
できると1週間ほど消えることはなく,また,歯茎から出血するよう
になるとともに,常時,頭痛と腹痛に悩まされ,少しの坂でも登ると
息切れして苦しくなった。
b昭和22∼26年(8∼12歳)
原告Aは,紫斑点,歯ぐきの出血,息切れ及び貧血がひどくなり,
食欲もなくなってやせていった。
c昭和26年4月(12歳)
原告Aは,このころ,42℃の熱が出て,腹水が溜まり,長崎大学
病院で腹膜炎と診断され,自宅近くのb4病院に通院したが,熱は下
がらず,腹水も溜まり,歩くこともできなくなり,同年9月ころ,同
病院の医師の紹介によりヤミで購入した薬を注射して,体調は回復し
た。
d昭和28年(14歳)
原告Aは,紫斑点と歯茎からの出血が続いた。
e昭和34年(20歳)
原告Aは,貧血がひどく,生理もこのころから22歳ころまで止ま
った。
f昭和36年6月(22歳)
原告Aは,ひどい頭痛と貧血のため,庚病院で受診したところ,白
血球が,1μℓ当たり4000∼9000個あるべきであるのに,1
400個しかなかったため,即日入院し,脾臓の腫れのため,同年9
月に脾臓の摘出手術を受け,同年12月に,首の左右にできたリンパ
腫の手術を受けた。原告Aのリンパ腫は年に2,3回でき,何年もの
間,手術を繰り返し,1回の手術のために,約3か月の入院を余儀な
くされた。貧血や歯茎からの出血も続いていた。
g昭和37年(22歳)
原告Aは,同年2月,盲腸炎の手術をしたが,同年3月,その手術
の痕にリンパ腫ができた旨の診断を受けて,再びその切除手術を受け
た。
h昭和38年12月(23歳)
原告Aは,吐血,下血を繰り返すようになり,貧血もひどくて入退
院を繰り返した。
i昭和40年2月(26歳)
原告Aは,十二指腸潰瘍と診断され,b9病院で開腹したが,吐血
の原因は分からなかった。原告Aは,その後も,吐血と下血を繰り返
し,また,リンパ腫にも悩まされ続けた。
j昭和48年(34歳)
原告Aは,同年2月,妊娠7か月目で,吐血や下血が止まらず,b
5病院に入院したが,胎児は死亡し,その際,大量の輸血をした。ま
た,原告Aは黄疸がひどく,肝臓は慢性肝炎となっていた。原告A
は,同年12月に再び吐血,下血をした。
k昭和49年(35歳)
原告Aは,同年1月16日にb7において食道静脈瘤と診断され,
同年2月7日に同外科に入院し,同月20日に食道静脈瘤の手術をし
た。
l昭和51年12月(37歳)
原告Aは,男子を出産した。
m昭和52年(38歳)
原告Aは,辛で貧血,肝機能障害と診断され,その後通院した。
n昭和53年(39歳)
原告Aは,貧血がひどいため,b6病院で受診し,不良性貧血と診
断され,その後通院した。
o昭和57年1月(43歳)
原告Aは,吐血,下血があり,b7に入院し,食道静脈瘤が再発し
たとの診断を受けた。原告Aの歯茎の出血は続いていた。
p原告Aは,その後,同外科に通院し,貧血,食道静脈瘤,肝硬変,
血小板減少症の診断を受け,さらにその後は,b8病院に通院してい
る。
q平成15年2月17日にb8病院で採取された原告Aの血清につい
ての肝炎ウイルス検査報告書によれば,HCVRNA定量(PC-
R)が380/と陽性(基準値0.5/未満)であり,kIUmlkIUml
C型肝炎ウイルス(HCV)への感染を示すものとなっている。
(エ)前記(イ),(ウ)の認定についての補足説明
a放影研(作成当時は原爆傷害調査委員会(ABCC))の保管する
医学記録簿等には,原告Aの被爆地点を爆心地から4150m又は4
300mとする記載がある。しかし,これらの記録等が作成された昭
和36,37年よりも前の昭和33年に作成された原爆被爆者調査票
には,爆心地との距離が3.3と記載されていることや,原告Akm
が被爆したb1町と爆心地との位置関係からすると,上記記録等の記
載をもって,前記(イ)aの爆心地との距離についての認定を左右する
ものということができない。
b原爆傷害調査委員会が作成した原告に対する基本標本質問票(調査
年月日は昭和37年8月7日)では,発熱,全身倦怠,嘔吐,悪心,
食欲不振,下痢,咽喉痛,口内痛,歯肉痛,歯齦出血,斑点出血,そ
の他の出血及び脱毛の症状並びに無月経の有無については,いずれも
「(無シ)」又は「」の項目がチェックされている。しかNoneNo
し,原告Aが,原爆傷害調査委員会の調査目的を理解することができ
たかについては疑義があるし,また,その後原爆症であることを隠し
て結婚していることからすると,原爆傷害調査委員会の調査当時にお
いても,被爆に対する社会の偏見を恐れて,正確な回答をしなかった
可能性があり,上記基本標本質問票における記載をもって,前記(イ)
c,(ウ)a∼eの認定を覆すものということはできない。このこと
は,原告Aが昭和33年の原爆被爆者調査票の「原爆による急性症
状」欄を空欄とし,「現在の健康状態」欄の「何も異常がない」との
選択肢を丸で囲んでいることを考慮しても,左右されないというべき
である。
c前記(ウ)fの脾臓の摘出手術等に関しては,証拠によれば,①原
告Aは,「昭和35年8月ころより起立時にめまいがあり,下肢に出
血斑,全身倦怠感を覚える様になった。昭和36年5月27日,脾腫
大と貧血を指摘された。中学生のころより度々歯齦出血があった。」
とされており,その診断のためにb9病院のb10医師が原爆傷害調
査委員会に対して骨髄組織検査を依頼しているが,その時の臨床診断
は「脾機能亢進症(バンチ氏症候群)」であったこと,②原爆傷害
調査委員会で実施された骨髄組織の病理検査の結果は,「1.鉄欠乏
に続発した低色素性貧血2.脾機能亢進症にみられる白血球減少と
一致する」というものであったこと,③バンチ氏症候群は,現在で
は,特発性門脈圧亢進症といい,脾腫,貧血,門脈圧亢進を示し,し
かも原因となるべき肝硬変,肝外門脈・肝静脈閉塞,血液疾患,寄生
虫症,肉芽腫性肝疾患,先天性肝線維症などを証明し得ない疾患をい
うが,原因は不明であり,発症のピークは40∼50歳代で,平均年
齢は49.4歳(女性51.9歳)であること,④特発性門脈圧亢
進症の治療対象は,門脈圧亢進症に伴う食道静脈瘤出血と,脾機能亢
進に伴う汎血球減少症であり,脾機能亢進に対しては脾摘出手術が第
1選択であること,⑤特発性門脈圧亢進症患者の予後は良好で,肝
機能異常も軽度であることが認められる。
そうすると,原告Aの昭和36年当時の脾臓の腫れ及び白血球数の
減少は,特発性門脈圧亢進症の症状であると認めるのが相当である。
d前記(ウ)f,gのリンパ腫については,証拠によれば,①b9病
院のb11医師は,昭和36年12月19日,原爆傷害調査委員会に
対し,原告Aのリンパ腫を「淋巴腺結核」と診断した上で,その診断
確定のために病理検査を依頼したこと,②これに対する原爆傷害調
査委員会の病理学的診断は,頸部肉芽腫性リンパ腺炎であったこと,
③原告Aが,昭和37年4月1日,両頸部リンパ節腫大のためb9
病院外科に入院し,同月3日,頚部リンパ節の摘出術を受け,同月1
8日に退院しているが,その際には,結核性リンパ腺炎であって悪性
リンパ腫ではないと診断されたことが認められる。
e前記(ウ)mに関し,原告Aは本人尋問において,昭和52年にb7
大学内科で肝硬変と診断を受けた旨を供述する。
しかし,b8病院の診療録においては,①平成10年7月16日
の超音波検査所見では慢性肝炎であった旨が記録されていること,②
平成11年9月22日の超音波断層検査報告書では,臨床所見は肝
硬変とされているものの,超音波断層検査は慢性肝炎と合致すると記
録されていること,③臨床所見及び超音波断層検査のいずれもが肝
硬変とされるようになったのは,平成12年7月10日の超音波断層
検査以降であることが,それぞれ認められる。
そうすると,原告Aが昭和52年に肝硬変と診断されたかどうかに
ついては,診療録から確定することはできず,したがって,原告Aが
そのころ肝硬変に罹患していたとは認め難いものの,原告Aの肝機能
障害は,遅くとも平成11年ないし平成12年ころまでには,肝硬変
へ移行していたというべきである。
イC型肝炎ウイルス,肝機能障害等について
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)我が国の慢性肝炎患者の70%がC型慢性肝炎ウイルス感染である
と推定されている。
(イ)C型肝炎ウイルスに感染し急性肝炎を示した症例の70∼80%
は,遷延化して慢性肝炎へ移行する。
(ウ)C型慢性感染の自然治癒はほとんどなく,肝病変は緩徐に進行し,
20∼30年以上をかけて慢性肝炎から肝硬変へと徐々に進展する。
(エ)約8∼10年で線維化ステージングが1段階上昇する。慢性肝炎か
ら肝硬変へと病期の進展に伴い,肝発がん率が急増し,F1ステージ,
F2ステージではそれぞれ年率0.5%,1∼2%であるのに対し,F
3ステージ(肝硬変の前段階),F4ステージ(肝硬変)ではそれぞれ
年率3∼4%,7%に達している。
(オ)肝硬変の症状には,門脈圧亢進によるものとして食道静脈瘤があ
り,また,脾機能亢進の程度により血小板数の低下が認められる。
ウ肝機能障害と放射線被曝との関係
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1
992」には,次の記述がある。
a昭和34(1959)年の原爆後障害研究会第1回シンポジウムに
おいて,浦城二郎は,呉,大竹在住の被爆者について調査したとこ
ろ,肝機能障害の比率は被爆者,非被爆者に差がなく,原爆に起因す
ると思われる肝機能障害は認めないと報告したが,重藤文夫,横田素
一郎らの原爆病院入院患者調査では,肝疾患は第2位の頻度を占め
た。
b志水清らが昭和37(1962)年に広島市の原爆医療認定申請書
を用いて行った統計的調査でも,被爆者の肝疾患の頻度は,国民健康
調査と比べて3倍近く高率であり,近距離被爆者で特に高い傾向が認
められた。
cらは,寿命調査集団の143例の肝硬変剖検例で電離放射Schreiber
線と肝硬変の間に有意の関係を認めた。
kmd石田定は,原爆病院の外来患者の肝疾患有病率について2.0
未満の近距離被爆者で高率にみられたと述べている。
e加藤らは,昭和50(1975)年から2年間に,成人健康調査対
象中の1以上の高線量被爆者全員と,その対照群として性,年Gy
齢,受診年月日を一致させた0∼0.9線量群の同数を選び,そGy
の総計2566人についてHBs抗原及び抗体の測定を行った。これ
によると,HBウイルスの蔓延度又は感染の機会を示すと考えられる
HBs抗体の陽性率は,二つの比較群の間に差はみられなかったが,
HBs抗原の陽性率は,1以上の高線量群の方が対照群よりも有Gy
意に高く(3.4%対2.0%),その傾向は,年齢別にみると,被
爆当時20歳以下の若年の者により明らかであった。この所見は,高
線量被曝群での免疫能の低下を示唆するものではないかと考えられ
た。
(イ)放影研報告書「成人健康調査第7報,原爆被爆者における癌以外の
FLennie疾患の発生率,1958−86年(第1−14診察周期)」(
ら)には,次の記述がある。Wong
a昭和33(1958)年から昭和61(1986)年までに収集さ
れた成人健康調査コホートの長期データを用いて,悪性腫瘍を除く1
9の疾患の発生率と電離放射線被曝との関係を初めて調査したとこ
ろ,放射線被曝との有意な正の関連性(p<0.05)が慢性肝疾患
及び肝硬変にあることが判明した。慢性肝疾患及び肝硬変の1でGy
の推定相対リスクは1.14(95%信頼区間は1.04∼1.2
7),寄与リスクは8.1%(95%信頼区間は2.1∼14.6
%)である。
b慢性肝疾患及び肝硬変については,大きくはないが,有意な放射線
影響が成人健康調査集団で初めて観察された。肝臓が放射線に敏感で
あるかどうかについては議論がある。しかし,放影研報告書「原爆被
爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958−1987
年」(ら)によれば,肝がん発生率には線量反DesmondEThompson
応が認められる。放影研報告書「寿命調査第11報,第3部,改訂被
曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率,1950−
85年」(清水由紀子ら)は,肝硬変による死亡率が高線量群で増加
していることを示しており,これは,発生率におけるaの所見と一致
する。動物実験も肝障害が放射線被曝により誘発されることを示して
いる。最新の証拠は,現在得ている結果を被曝の直接的影響によって
説明できるかもしれないことを示唆している。
c日本では,ウイルス感染とアルコールの過剰摂取が慢性肝炎と肝硬
変の主要原因として知られている。これらの要因を調べることによ
り,肝疾患の病因における放射線の役割を明らかにしていく上で役立
つ情報を得ることができるかもしれない。成人健康調査集団における
B型肝炎(HB)抗原と抗体の定量的調査は,抗原の正の度合が重度
被爆者では有意に増加していることを示しており,これは免疫能力の
低下がウイルス感染の原因であり得ることを示唆している。最近可能
となったHCV抗体定量の観測は,この目的に有益である。アルコー
ル摂取に関する情報など成人健康調査対象者の栄養状態に関する情報
は,放射線被曝と慢性肝炎及び肝硬変発生との関連におけるアルコー
ル摂取の相互的作用の役割について手がかりを与えてくれるであろ
う。
前記(イ)bの「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1
958−1987年」(ら)は,初めて寿命調査DesmondEThompson
集団において放射線と肝臓のがん罹患との関連性が見られたとしていた
(肝臓がん発生の1当たりの過剰相対リスクは0.49。95%信Sv
頼限界で0.16∼0.92)
(エ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部,がん以
外の死亡率:1950−1990年」(清水由紀子ら)には,次の記述
がある。
a寿命調査集団のうち被曝線量が推定されている8万6572人につ
いて,昭和25(1950)年10月1日から平成2(1990)年
12月31日までの期間のがん以外の疾患による死亡者について解析
したところ,肝硬変(死亡数920)の1当たりの過剰相対リスSv
クは0.18(90%信頼区間は0.00∼0.40)と推定され
た。
b前記の「成人健康調査第7報」では,慢性肝疾患に統計的に有意
な線量反応も確認されている。このような影響に関する機序が解明さ
れていないからといって,機序が存在しないという意味ではないと考
える。0.5∼1の線量域の全身被曝は,骨髄及び他の器官に主Sv
要な急性障害を引き起こし,完全に修復されなかった場合は,長期的
健康影響を引き起こすかもしれない。一つの興味深い機序として免疫
能不全が考えられる。
(オ)放影研報告書「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性
肝疾患の有病率」(藤原佐枝子ら)には,次の記述がある。
a原爆放射線被曝がC型肝炎ウイルス(HCV)感染陽性率を変化さ
せるかどうか,あるいはHCV感染後に慢性肝炎への進行を促進する
かどうかを検討するため,平成5(1993)年∼平成7(199
5)年に広島か長崎で健康診断を受けた成人健康調査対象者6121
人(抗HCV抗体検査結果が得られなかった53人を除く。)につい
て,血液抗HCV抗体陽性率を調査したところ,抗HCV抗体陽性率
は,実際の原爆放射線量と関係がなく,むしろ,被曝していない人よ
りも被曝した人の方が陽性率は低かった。
b慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陰性の人よりも陽性の人にお
いて放射線量に伴い大きく増加したようである。この所見は放射線被
曝がHCV感染後の肝炎の進行を促進した可能性を示唆している。こ
の仮説を明らかにするため,更なる研究が必要である。
c慢性肝疾患(主として慢性肝炎又は肝硬変)の有病率は,抗HCV
抗体陽性の対象者と陰性の対象者の両方について,放射線量と共に増
加した。線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者にお
いて20倍近く高い勾配を示したが(抗HCV抗体陰性の対象者の
0.16/に比べ,相対リスクの増加は3.04/であっGyGy
theた。),これはかろうじて有意な差異であった(英語版の原文:
)(P=0.097)。抗HCV抗differencewasmarginallysignificant
体陽性群は人数が少なく多様性に富んでいたが,特にこれは高線量域
において顕著であった。
(カ)放影研は,前記(オ)の報告書の日本語全訳版について,cの「かろ
うじて有意な差異であった」を「有意に近いが有意ではなかった」と訂
正するとともに(ただし,英語版については訂正はない。),「慢性肝
疾患に対する放射線量反応の増加が認められた。」との要約部分を「慢
性肝疾患に対する放射線量反応の増加の可能性が示唆された。」と訂正
する正誤表を配布している。
(キ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよび
DaleLがん以外の疾患による死亡率:1950−1997年」(
ら)には,放影研の寿命調査集団について昭和25(1950)Preston
年から平成9(1997)年までの期間のがん及びがん以外の疾患によ
る死亡率を検討したところ,肝臓がんについて,①被爆時年齢30歳
の男性の場合,1当たりの過剰相対リスクは0.39(90%信頼Sv
区間で0.11∼0.68),推定線量が0.005以上の被爆者Sv
における寄与リスクは8.4%(90%信頼区間で4.2∼14%)と
推定されること,②被爆時年齢30歳の女性の場合,1当たりのSv
過剰相対リスクは0.35(90%信頼区間で0.07∼0.72),
推定線量が0.005以上の被爆者における寄与リスクは6.2%Sv
(90%信頼区間で1.3∼12%)と推定されることが記述されてい
る。
(ク)放影研報告書「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外
の疾患の発生率,1958−1998年」(山田美智子ら)には,次の
記述がある。
a昭和33(1958)年∼平成10(1998)年の成人健康調査
受診者から成る約1万人の長期データを用いて,がん以外の疾患の発
生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査したところ,以前にも統計
的に有意な正の線形線量反応が認められた慢性肝疾患及び肝硬変に有
意な正の線量反応を認めた。
b慢性肝疾患及び肝硬変についての1での相対リスクは1.15Sv
(P=0.001。95%信頼区間で1.06∼1.25)であっ
た。
c昭和61(1986)年以降に発生した脂肪肝単独と,他のすべて
の慢性肝疾患での放射線影響を調べたところ,すべての肝疾患で有意
な線形線量反応があった(1での相対リスク1.14。P=0.Sv
054。95%信頼区間で1.0∼1.32)。脂肪肝のみでは,線
形線量反応が考えられたが,他の慢性肝疾患では放射線の影響は有意
ではなかった。
d成人健康調査での放射線量に伴う慢性肝疾患及び肝硬変の発生率の
有意な上昇は,寿命調査での知見(前記(エ))と一致している。日本
での慢性肝炎及び肝硬変の主因はHCV又はHBV感染症,そして過
度のアルコール摂取である。抗HBV表面抗原陽性率は,昭和50
(1975)年∼昭和52(1977)年の高線量被曝をした成人健
康調査での被験者において上昇した。平成5(1993)年∼平成7
(1995)年の抗HCV抗体陽性率に関する成人健康調査(前記
(オ))は,線量反応を示さなかったが,慢性肝疾患での放射線量と関
連した上昇の可能性が,抗HCV抗体陽性の者に見られた。放影研の
研究における慢性肝疾患及び肝硬変の線量に関係した発生率の上昇
は,高線量の被爆者でのHBV持続感染,又は活性化したHCV感染
の促進により,部分的には説明されるかもしれない。一方,昭和29
(1954)年∼昭和52(1977)年に死亡した約1100人に
関する病理学的検討に基づく肝硬変のリスク因子の分析では,原爆被
爆による肝硬変のリスクの上昇は見られなかった。HCV−RNA測
定を含む更なる研究で,線量に関する慢性肝疾患及び肝硬変の増加の
原因が明らかになるであろう。今回の報告で示された昭和61(19
86)年以降の脂肪肝に関する線量反応は,コリンエステラーゼ等の
実験的測定を含めたより包括的な将来の研究で確証されるべきであろ
う。
(ケ)平成17年度厚生労働科学研究費補助金(厚生労働科学特別研究事
業)研究報告書「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」は,主任研
究者を戸田剛太郎(財団法人船員保険会せんぽ東京高輪病院)として,
被爆が,①慢性肝障害の原因となり得るか,②ウイルス性慢性肝障
害(慢性肝炎,肝硬変)の発症,進展にかかわっているかについて,過
去の研究によってどこまで解明されたかを明らかにすることを目的に,
それまで公刊された研究報告を検討したものである。
同報告書については,海外の専門家による査読が行われ,その結果を
踏まえ,要約部分が修正された。同部分の概要は,次のとおりである。
a原爆被爆者において,現在の診断技術をもってしても,原因が明ら
かにできない肝障害をみた場合,原爆放射線曝露による肝障害の可能
性は完全に否定できない。被爆の慢性肝障害へのかかわりについて
は,肝炎ウイルス等による慢性肝障害の交絡因子としての放射線とい
う観点からも検討すべきである。
b平成5(1993)年∼平成7(1995)年の2年間の成人健康
調査受診者において,被爆者にHCV持続感染者の比率が多いという
知見は得られず,むしろ有意に低率であり,HCV持続感染成立に対
する被爆の促進的な効果については否定的な結果であった(前記(オ)
a)。また,前記(オ)の報告書によると,HCVが持続感染している
と考えられるHCV抗体高力価陽性者において,慢性肝障害有病率に
ついて有意の線量反応はみられず,HCV感染者において被爆が肝障
害発現を促進する可能性を示す知見は得られなかった。
cら(昭和36(1961)年∼昭和42(1967)年のSchreiber
剖検例)は,放射線量と肝硬変有病率の間に有意の線量反応を認めた
が(前記(ア)c),より多数例を解析したら(昭和36(19Asano
61)年∼昭和50(1975)年の剖検例)は有意の線量反応を認
めなかった。剖検例からの解析では肝硬変への進展について放射線が
関与しているかどうかについては,明確な結論が得られなかった。
d清水由紀子らの報告(放影研報告書「寿命調査第11報,第3部,
改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率,19
50−85年」。前記(イ))では,昭和25(1950)年∼昭和6
0(1985)年における被爆時年齢40歳未満の肝硬変死例の解析
からは,肝硬変過剰相対リスクは有意の線量反応を認め,また,清水
由紀子らは,昭和25(1950)年∼平成2(1990)年の寿命
調査集団(肝硬変死920例)における肝硬変の線量反応に関する研
究(放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部,がん
以外の死亡率:1950−1990年」。前記(エ))において,線形
−2次線量反応モデルにより肝硬変の過剰相対リスクを推定し,有意
の線量反応を認めた。一方,らは「健康な生存者効果」を排除Preston
するため,昭和43(1968)年以降の症例を用いて線形線量反応
モデルにより過剰相対リスクを推定したが(放影研報告書「原爆被爆
者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡
率:1950−1997年」。前記(キ)),過剰相対リスクに有意の
線量反応を認めなかった。
eB型,C型肝炎ウイルス感染,飲酒,喫煙状況を考慮に入れ,組織
診断によって診断確定した肝硬変症例を対象としたらの研究でSharp
は,被爆者の肝硬変進展において有意の線量反応は認められなかっ
た。一方,HBVあるいはHCV感染は有意に肝硬変の比を上Odds
昇させた。したがって,被爆者の肝硬変進展にかかわるのは肝炎ウイ
ルス感染であり,被爆ではないと結論された。
f論文(放影研報告書「成人健康調査第7報,原爆被爆者におWong
ける癌以外の疾患の発生率,1958−86年(第1−14診察周
期)」。前記(イ))及び山田論文(放影研報告書「成人健康調査第8
報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958−199
8年」。前記(ク))のいずれにおいても,慢性肝疾患相対リスクは有
意の線量反応を示した。これらの論文において,慢性肝疾患の種類,
進展度,活動性,成因も検討することなく,解析がされており,研究
の評価は極めて困難である。山田論文によれば,昭和61(198
6)年以降肝疾患患者の増加がみられたが,これは腹部超音波検査の
導入によるものであり,症例の69%が非アルコール性脂肪肝であっ
た。
エ放射線起因性についての意見
(ア)b20及びb21作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a原告Aは,昭和20年8月9日,爆心地から約3.5の屋外でkm
被爆し,翌10日,爆心地のすぐ近くを通って爆心地から約500m
のb2町に至り,同所で3時間以上歩き回って,物置の下敷きになっ
ていた煤や塵埃を吸入し,同日,帰宅するまで約9時間,粉塵にさら
される中を歩いており,顔や手に付着し口の中に入った埃は中性子線
によって誘導放射化されていた可能性が高く,また,これを経皮,経
口,吸入によって体内に取り入れ,α線,β線の内部被曝を受けてい
ると思われる。さらに,叔母を運んだ先の学校で,多数の被爆者の着
衣や身体に付着していた放射性物質に触れた可能性が高い。
b原告Aは,被爆の約2週間後から,脱毛,下痢が生じ,下痢は約2
か月続き,便に血が混じり,発熱もたびたびあり,歯茎の出血があっ
たが,これは被爆者の急性症状として典型的なものである。また,原
告Aは,起きられないほどひどい倦怠感に襲われたが,これも被爆者
特有の症状である。
c原告Aは,7歳ころから紫斑点が体中にできるようになり,歯茎か
らの出血もひどくなったが,造血臓器は放射線感受性の強い部位であ
ることから,放射線の影響による造血機能障害の発現ということがで
きる。原告Aは,同じころから,常時,頭痛,腹痛に悩まされ,すぐ
息切れするようになったが,これも被爆者の体質的偏倚と考えられ
る。紫斑点,出血はその後も続くが,この点も継続的に造血機能が障
害されていたとの評価が可能である。
d原告Aは,20歳から22歳ころまでひどく生理が止まっていた
が,卵巣の濾胞細胞は放射線感受性の強い部位であり,被爆者に月経
異常が多いことも報告されている。また,原告Aは,20歳の時に貧
血がひどく,22歳の時に白血球数が減少しているが,これも放射線
による造血機能障害の影響と考えても矛盾しない。
e原告Aは,脾臓の摘出手術を受けたが,脾臓の腫れも放射線による
造血機能障害の現れと考えることが可能である。リンパ腫も放射線に
よる影響と考えて矛盾しない。
f原告Aは,23歳のころから,吐血,下血を繰り返すようになり,
被爆直後からの歯茎出血,紫斑等の症状が現れており,放射線の影響
による造血機能障害が続いているとみることができる。
g原告Aは,いずれかの時期にC型肝炎ウイルスに感染し,慢性肝炎
を経て肝硬変に罹患している。食道静脈瘤や血小板減少症は肝硬変の
肝外症状と考えられる。
h原告Aは,6歳という若年時に被爆し,急性症状を発症した後,強
度の倦怠感を持続させ,その後の症状の経過,症状の種類,内容に照
らすと,原爆放射線に被曝したことが,C型肝炎ウイルス感染の進行
に影響を与えた可能性は否定することができない。原告Aと行動を共
にした母及び姉も同様の急性症状があり,母は肺がんで死亡し,姉は
大腸がんに罹患していることを考慮すると,原告Aの症状の放射線起
因性は否定することができない。
(イ)b22及びb23作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a旧審査方針別表9によれば,長崎の爆心地から2500m離れた地
点での初期放射線による被曝線量は2であるから,爆心地より3cGy
500m離れた地点での原告Aの初期放射線による被曝線量はこれを
上回ることはない。
b原告Aが原爆爆発後72時間以内に爆心地から600m以内の地域
へ立ち入ったのは,原爆爆発の翌日(原爆爆発から約24時間経過
後)の昭和20年8月10日のみであって,しかも,通過しただけで
ある。b2で2,3時間程度歩き回ったとする点についても,旧審査
方針別表10によれば,爆心地から500m離れた地点に原爆投下後
8時間以上経過した時点で立ち入った場合の誘導放射線による被曝線
量は0であり,仮にb2町内で最も爆心地寄り(爆心地から20cGy
0m以内)に原爆爆発からおおむね24時間経過後から数時間滞在し
たとしても,誘導放射線による被曝線量は1である。cGy
c原告Aは,b24に滞在した事実はないから,放射性降下物による
被曝を考慮する必要はない。
dしたがって,原告Aの被曝線量は,最大に見積もったとしても3
を超えることはない。cGy
e原告Aが急性症状として主張する症状は,非特異的なものであり,
原爆放射線以外の要因からも起こり得る。放射線被曝による急性症状
は,少なくとも約1以上の被曝線量でなければ生じないものであGy
るところ,原告Aの上記被曝線量からすると,被曝による急性症状が
出現することはあり得ない。放射線被曝により一過性の脱毛が生じる
のは3以上の被曝をした場合であり,戦前から戦後しばらくの間Gy
は,低栄養の状態が続いて感染症や寄生虫がまん延したから,被爆者
でなくとも貧血,浮腫,紫斑,出血,月経異常等を来すものがあっ
た。
f原告Aの申請疾病である血小板減少病(症),食道静脈瘤,肝硬変
は,放射線起因性の認められない疾患であり,原告Aは,C型肝炎ウ
イルス感染が原因で肝炎,肝硬変を発症し,肝硬変に合併する血小板
減少病(症),食道静脈瘤を発症したと考えられる。
放影研報告書「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性
肝疾患の有病率」(藤原佐枝子ら,前記ウ(オ))では,HCV抗体陽
性の有無別に健診で診断された慢性肝疾患(慢性ウイルス性肝炎及び
原因が特定されない慢性肝炎)有病率の線量反応を求めているが,H
CV抗体陽性群,陰性群ともに有意な線量反応関係は認められない。
さらに,HCV抗体陽性高抗体価群,HCV抗体陽性低抗体価群にお
いて,慢性肝疾患の有病率を求めているが,有意ではない。
肝硬変について,過去の調査研究では明らかな線量反応関係は示さ
れておらず,一部の報告で有意であるとされたこともあるが,死亡診
断書を用いた調査であって画像診断等の根拠が乏しいころのデータ
で,肝硬変死亡に肝がん死亡が含まれるなど,肝がん死亡による増加
を反映している可能性も考えられる等,信頼性に欠ける。最近の報告
でも線量と肝硬変との関連は認められない。また,肝機能障害の放射
線起因性に関する研究の最近のレビューによれば,C型肝炎ウイルス
感染後における感染の持続,肝障害発症のいずれに対しても,放射線
被曝による促進的な影響はみられないとしている。
慢性C型肝炎から肝硬変へと移行するには,C型肝炎ウイルスに感
染してから20年前後かかると言われており,原告Aは,昭和52年
に肝硬変を指摘されていることからすれば,昭和26年当時の不衛生
な医療行為によりC型肝炎ウイルスに感染したと考えるのが妥当であ
る。
オ放射線起因性についての検討
km(ア)前記認定事実によれば,原告Aは,長崎の爆心地から約3.5
の地点にある自宅近くの屋外で被爆したところ,旧審査方針別表9によ
れば,長崎の爆心地から2.5の地点における初期放射線による被km
曝線量が2とされていることからすると,原告Aの初期放射線によcGy
る被曝線量は2を上回らないこととなる。cGy
また,前記認定事実によれば,原告Aは,昭和20年8月10日午前
8時ころ,自宅付近の防空壕を出て,爆心地の脇を通過し,昼ころまで
には爆心地から約500mのb2に到着し,午後4時ころまで同所付近
で叔母を探し回り,再び爆心地の脇を通過して,午後5時30分ころに
上記防空壕に戻ったところ,旧審査方針別表10によれば,長崎の原爆
投下の24時間後から32時間後まで爆心地から100m以内に入って
も,誘導放射線による被曝線量は1ということとなる。cGy
さらに,原告Aは,長崎市のb24に原爆投下直後に滞在したこと
も,その後長期間に渡って居住したこともないから,旧審査方針によれ
ば,原告Aの放射性降下物による被曝線量は,0ということとなcGy
る。
したがって,旧審査方針によれば,原告Aの原爆放射線の被曝線量が
3を超えることはないこととなる。cGy
(イ)しかしながら,前記のとおり,DS86による初期放射線量の計算
値は,少なくとも爆心地から約1300m以遠において実際より過小に
評価されている可能性があるから,爆心地から約3.5の地点で被km
爆した原告Aの初期放射線による被曝線量は,旧審査方針別表9の値を
上回っている可能性がある。そして,前記のとおり,具体的な被爆態様
によっては,誘導放射線による被曝線量が旧審査方針別表10の値を超
える場合があり得るし,長崎においてもb18以外の地域に放射性降下
物が存在した可能性も推認されるところ,原告Aは,原爆投下の翌日
に,爆心地の脇を通過して,爆心地から約500m付近で叔母を探し回
るなどしていることから,誘導放射線及び放射性降下物による相当量の
外部被曝をした可能性があり,また,以上の行動を通じて残留放射線に
よる内部被曝をした可能性も否定し難い。
さらに,原告Aには,前記のとおり,被爆後に脱毛がみられ,また,
下痢が約2か月も続き,便に血が混じることがあったなど,放射線被曝
による急性症状として説明が可能な症状が発現しているところ,原告A
は,被爆前は健康体であったことからすると,これらの症状は少なくと
も放射線被曝も影響して発症したものということができ,原告Aにおい
てその健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受けた可能性は十分にあ
ると認められる。
そうすると,原告Aの原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針により算
定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いというべきである。
(ウ)前記ウ(オ)bのとおり,放影研報告書「原爆被爆者におけるC型肝
炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」(藤原佐枝子ら)では,慢性
肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陰性者よりも陽性者において放射線量
に伴い大きく増加していることがうかがわれ,この所見は放射線被曝が
HCV感染後の肝炎の進行を促進した可能性を示唆する旨を指摘してい
る。しかしながら,同報告書における相対リスクの勾配の比(抗HCV
抗体陽性の対象者の3.04/を,抗HCV抗体陰性の対象者のGy
0.16/で除すると19となる。)に係るP値は0.097であGy
り(前記ウ(オ)c),通常はP値が0.05(5%)以下の場合に,
「差がない」という帰無仮説を棄却して,「差がある」という対立仮説
を採用して,「有意差がある」という結論とすること(乙B12,同2
7号証)からすると,訂正前の「かろうじて有意な差異であった」と表
現するか,訂正後の「有意に近いが有意ではなかった」(前記ウ(カ))
と表現するかはともかくとして,有意性の評価については議論の余地が
あるというべきである。
もっとも,前記ウ(イ)∼(エ),(キ),(ク)のとおり,放影研報告書に
よれば,①「原爆被爆者における癌発生率,第2部」において,放射
線と肝臓がん罹患との関連性が認められ,②「原爆被爆者の死亡率調
査第13報」において,肝臓がんに有意な過剰相対リスクが認められ,
③「成人健康調査第7報」及び「成人健康調査第8報」において,慢
性肝疾患及び肝硬変の発生率と放射線被曝線量との有意な正の関連性が
認められ,④「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部」におい
て,肝硬変による死亡と被曝線量との間に統計的に有意な関係が認めら
れている。
これらの調査は,肝臓がん,慢性肝疾患及び肝硬変が対象とされてお
り,C型肝炎が検討対象とされているものではないが,前記イのとお
り,我が国の慢性肝炎患者の70%がC型慢性肝炎ウイルス感染である
と推定されること,C型慢性肝炎から肝硬変へ進展して発がんする可能
性もあることからすると,これらの調査結果は,原爆放射線被曝とC型
肝炎との関係を検討する上で一定の有用性があることは否定し難く,前
記ウ(ケ)の見解を考慮しても,慢性肝疾患及び肝硬変に含まれるC型肝
炎について,発症の原因がC型肝炎ウイルスによるものであっても,原
爆放射線被曝が,発症又は進行の促進に影響している可能性があるとい
うことができる。
(エ)以上のとおり,原告Aは,健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を
受けた可能性は十分にあり,その原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針
により算定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いこと,C型
慢性肝炎の発症又は進行の促進に原爆放射線被曝が影響している可能性
があること等を考慮すると,原爆放射線被曝が,原告Aの肝硬変の発生
又は進行の促進を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められる
というべきである。
そうすると,原告Aの肝硬変については放射線起因性を肯定すること
ができるところ,血小板減少病及び食道静脈瘤については,肝硬変の症
状が現れたもの(前記イ(オ))と認めるのが相当であるから,これらの
疾病についても,放射線起因性を肯定することができる。
カ要医療性
証拠によれば,原告Aの肝硬変は進行性であり,食道静脈瘤の再発は,
肝硬変の一層の進行を反映したものであり,主治医も肝がんへの移行を懸
念していたことが認められ,本件処分B当時,原告Aの申請疾病について
要医療性の要件を満たしていたことは明らかである。
キ結論
以上のとおり,原告Aは,本件処分B当時,血小板減少病,食道静脈
瘤,肝硬変について放射線起因性及び要医療性の要件を満たすものという
ことができるから,本件処分Bは違法である。
(3)原告Bについて
ア原告Bの被爆状況等
前記前提事実()アの事実及び証拠によれば,次の各事実が認められ4
る。
(ア)被爆前の生活状況
原告Bは,9人兄弟の1人として出生し,昭和20年8月6日当時,
7歳であり,被爆前に特段の健康上の問題はなかった。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月6日の状況
原告Bは,広島市に原爆が投下された午前8時15分に,爆心地か
ら約1.7の地点にある同市c1町の自宅1階部分で,障子や襖km
を開け放しにした状態で妹3人と裸になって遊んでいたが,被爆して
爆風に飛ばされ,左足に大きな火傷を負った。原告Bは,姉に抱えら
れて自宅の外に出て,周りの建物が燃えている中を逃げて,c2地区
のc3山と呼ばれる所まで避難したが,その途中,黒い雨を浴びた。
原告Bは,夜に叔父を頼ってc4に行った。
b昭和20年8月7日以降の状況
原告Bは,母(自宅玄関付近で被爆した。)が収容されていたc5
町まで通ったが,母は同月16日に死亡した。同月7日には,自宅で
被爆した姉の1人は下痢がひどくなり,別の姉の1人には脱毛がみら
れるとともに焼けた足がケロイドになり,自宅で被爆した一番下の妹
は同月8日に死亡した。
その後,原告Bは,c6にある父方の親戚の家で約半年間,c7町
にある母方の親戚の家で1年弱生活した後,もと自宅のあったc1町
に父親が建てたバラックの家で,父と2人の妹を含めた4人で生活を
するようになった。
原告Bの家は,被爆後に生活が大変苦しくなり,同原告も9歳のこ
ろから働き始めなければならず,学校教育を受けることはできなかっ
た。同原告は,昭和25年ころまで前記バラックの家で暮らしていた
が,その後,父親の体調や仕事が思わしくないことから,昭和27,
28年ころまでc5町の叔母の家で間借り生活をした後,仕事を探す
ために住居を転々とした。仕事の内容は,主に肉体労働であった。
なお,原告Bの父は昭和55年ころに肝臓がんで死亡し,姉の1人
も平成元年ころに膀胱がんで死亡した。
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a被爆直後又はそれから間もない時期
証拠中には,被爆後間もないと解される時期に,原告Bの急性症状
として,脱毛,歯茎出血,下痢があった旨記載されている。また,原
告Bの供述中には,被爆後自己の髪の毛が抜けた旨の部分がある。
しかしながら,原告Bの陳述録取書や同原告の姉の陳述書中にも,
同原告が被爆直後又はその間もないころに被爆の急性症状とみられる
前記各症状を呈したとする記載はなく,さらに,同原告の供述によっ
ても,歯茎からの出血や下痢をしたことは覚えていないというのであ
り,髪の毛が抜けたのも一遍に抜けたのではなく,また,その時期や
量も覚えていないというものであることから,同原告が被爆直後又は
それから間もない時期に原爆の放射線により急性症状を呈していたと
認められるか疑問がないわけではない。
もっとも,前記(ア)及び(イ)によれば,被爆当時,同原告と遊んで
いた兄弟に原爆放射線に起因すると説明することが可能な急性症状が
みられたことから,同原告自身も相当量の放射線を浴びたことが推認
されることに加えて,同原告は被爆後多大な苦労を伴う生活を強いら
れ,被爆直後の幼少時の記憶が鈍化している可能性も捨て難いこと等
の事情をも併せ考えると,被爆による急性症状の発症を的確に認める
には足りないものの,その可能性は否定することはできない。
b昭和29年(17歳)
原告Bは,遅くともこのころから,背中から腰にかけてのひどい痛
みを覚えるようになった。
c昭和31年(19歳)
原告Bは,第1子を出産したが,生後11か月で死亡した。
d昭和32年(20歳)
原告Bは,通勤のために電車に乗っていると,背中が圧迫されるよ
うに痛み,気分が悪くなり,吐き気を催すこともあった。原告Bは,
跪く体勢をとると背中と腰が非常に痛むため,跪くことができなかっ
た。
e昭和33年(21歳)
原告Bは,第2子を出産した。
f昭和35年(23歳)
原告Bは,第3子を出産した。
g昭和49年(37歳)
原告Bは,このころ閉経したが,このころから,背中を中心に体全
体が痛み,救急車で病院に運ばれることがたびたびあり,また,内臓
の病気が次々と現れ,腎盂炎で熱が出ることがあった。さらに,同原
告は,このころ,高血圧を発症し,不整脈が発現している。
h昭和52年(40歳)
原告Bは,このころ,腎機能障害により,c8病院に入院したが,
医師から腎臓が普通の人の3分の1しか機能しておらず,これ以上進
行すれば透析を要すると言われた。原告Bは,このころから,高熱を
発し,けいれんを起こすこともたびたびあった。
i昭和62年(50歳)
原告Bは,心臓が停止し,電気ショックを受けたが,その翌日にも
心臓が止まることがあった。
j平成元年(52歳)
原告Bは,同年3月,急性心筋梗塞を発症し,同年7月7日,c9
病院に入院し,同月14日,経皮的冠動脈形成術を受けた。腎機能障
害も続いていた。
k平成14年(54歳)
原告Bは,心筋梗塞のために冠動脈血行再建術を受けたが,その間
に,脳梗塞を発症した。
イ放射線起因性についての意見
(ア)c10及びc11作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a原告Bは,爆心地から約1.7という相当近距離の地点で被爆km
し,その直後に残留放射能を有する煤煙に濃密に取り囲まれていた状
況にあり,放射性物質を吸引したことによる内部被曝も明らかであ
る。倒壊した建物に囲まれた場所は,誘導放射化された土壌や構造物
からのγ線照射が持続している環境であり,γ線外部照射のみなら
ず,経口,経鼻,経皮を通じ,放射能汚染物質,微粒子が体内へ侵
入,蓄積するという内部被曝を受けていたと理解することができる。
また,原告Bは,黒い雨に曝露し,昭和20年8月7日以降もc5町
等へ通うことによって,繰り返し残留放射線の被曝を受けていると解
することができる。
b原告Bの急性症状の記憶は明瞭でないものの,一緒にいた妹は全身
火傷を負い,姉も火傷を負って後にケロイドになったのみならず,脱
毛も見られ,他の姉は下痢がひどく,このことは,原告Bの被曝線量
が高かったことを裏付ける。
c卵巣の濾胞細胞は放射線感受性が最も強いから,原告Bの早期の閉
経も,被曝の影響を否定することはできない。
d動脈硬化性心疾患については被曝との関係が示唆され,心筋梗塞発
症と被曝線量との間に有意の線量反応関係があることか知られている
ところ,原告Bが発症した心筋梗塞は,動脈硬化症を背景とするもの
と考えられるから,被爆の影響を考えざるを得ない。
e原告Bが発症した脳梗塞は,動脈硬化症を背景とすることからする
と,放射線被曝の影響を否定することができず,その後遺症も同様で
ある。
f腎機能障害も動脈硬化性疾患の一つであり,原告Bの腎機能障害
も,同様に動脈硬化症を背景にしたものと考えても矛盾せず,したが
って,被爆の影響を否定することができない。
g原告Bの腰部椎間板障害については,発症時期が必ずしも明らかで
はないものの,遅くとも19歳のころには,腰部関節に何らかの障害
が生じていたものと思われ,その原因を直爆又は残留放射線被曝によ
る治癒能力の低下と考えることができる。したがって,原告Bの腰部
椎間板障害について,原爆放射線による治癒能力の低下の影響がある
ことを否定することができない。
(イ)c12及びc13作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a旧審査方針別表9によれば,広島の爆心地から1700m離れた地
点での初期放射線による被曝線量は22であり,建物による遮蔽cGy
の効果を考慮し,透過係数0.7を乗ずると,15.4と推定さcGy
れる。
b原告Bは,原爆爆発後に爆心地から700m以内の区域へ立ち入っ
た事実はないから,誘導放射線による被曝を考慮する必要はない。
c原告Bが,c2,c15地区を通過した可能性を否定することはで
きないが,同地区に居住又は滞在した事実はないから,放射性降下物
による被曝を考慮する必要はない。
dしたがって,原告Bの被曝線量は15.4であり,仮に遮蔽のcGy
ない状態で被爆したとすれば22であると推定される。cGy
e原告Bは,急性症状と思われる症状を全く訴えていない。原告Bと
一緒に被爆した姉妹が火傷を負いケロイドになったとしても,原爆の
熱線によって生じるものであるから,被曝線量が高かったことになら
ない。放射線被曝による一過性の脱毛が生じるのは3以上の被曝Gy
の場合であるところ,上記dの被曝線量からすると,一緒に被爆した
姉の脱毛は,放射線以外の原因によるものと考えるべきである。
f心臓血管病変と放射線被曝との関係について,国連科学委員会(U
NSCEAR)は,平成19(2007)年発刊予定の科学付属書に
おいて,1∼2以下の被曝線量では心臓血管疾患と電離放射線とGy
の因果関係を示す十分な科学的データはない」との結論を明らかにす
る予定である。15.4∼22の被曝線量では,原告Bの心筋梗cGy
塞,脳梗塞,腎機能障害には放射線起因性は認められない。なお,心
筋梗塞,脳梗塞は,代表的な生活習慣病であり,放射線被曝がなくと
も生活習慣や加齢により生じたと考えることもできる。
g腰部椎間板障害については,原告Bには長期間立ち仕事を中心とし
た肉体労働に従事していた職歴があり,そのために慢性的な腰痛(腰
部椎間板障害)を引き起こした可能性や,加齢によるものと考えられ
る。
ウ放射線起因性についての検討
km(ア)前記認定事実によれば,原告Bは,広島の爆心地から約1.7
の地点にある自宅で被爆したところ,旧審査方針別表9によれば,広島
の爆心地から1.7の地点における初期放射線による被曝線量は2km
2であり,被爆時に遮蔽があった場合に被爆状況に応じて0.5∼cGy
1を乗じて得た値とするとされていることからすると,原告Bの初期放
射線による被曝線量は,11∼22ということとなる。cGy
また,前記認定事実によれば,原告Bは,原爆爆発後72時間以内に
広島の爆心地から700m以内の区域に入っていないから,旧審査方針
別表10によれば,原告Bの誘導放射線による被曝線量は0というcGy
こととなる。
さらに,前記認定事実によれば,原告Bは,昭和20年8月6日に広
島市のc2地区に避難しているところ,旧審査方針によれば,これを同
地区に滞在したものとすると,原告Bの放射性降下物による被曝線量は
0.6∼2ということとなる。cGy
したがって,旧審査方針によれば,原告Bの原爆放射線の被曝線量は
11.6∼24となる。cGy
(イ)他方,前記のとおり,DS86による初期放射線量の計算値は,少
なくとも爆心地から約1300m以遠において実際より過小に評価され
ている可能性があるから,爆心地から約1.7の地点で被爆した原km
告Bの初期放射線による被曝線量は,旧審査方針別表9の値を上回って
いる可能性がある。また,前記のとおり,原告Bは,昭和20年8月6
日,放射性降下物が多く確認されているc2地区への避難の途中で黒い
雨を浴び,さらに,具体的な被爆態様によっては,誘導放射線による被
曝線量が旧審査方針別表10の値を超える場合があり得るところ,原告
Bは,昭和20年8月7日にc5町へ通っており,誘導放射線又は放射
性降下物による相当量の外部被曝をした可能性があり,また,以上の行
動を通じて残留放射線による内部被曝をした可能性もある。
前記のとおり,原告B自身については,被爆後に放射線被曝による急
性症状として説明が可能な症状が発現した可能性は否定し難いものの,
確実に発症したことを認めるに足る証拠はないし,その後においても,
被爆の9年後ころから背中や腰の痛みを覚え,被爆の約30年後に閉経
するほかは,昭和49年ころまで目立った健康状態の変化が現れていな
かったが,放射線感受性に個人差があることからすると,そのような症
状が現れなかったからといって直ちに被曝線量が低いと断ずることはで
きず,原告Bと同様に被爆したその姉2人については被爆直後に下痢や
脱毛の症状が現れていることも考慮する必要がある。
そこで,以下,各申請疾病ごとに放射線起因性を検討する。
(ウ)陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺症について
a心筋梗塞及び脳梗塞について
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(a)陳旧性心筋梗塞とは,急性心筋梗塞の臨床症状及び酵素変化を
欠き,心電図変化が固定したものをいい,通常は発症後4∼8週間
以降を指す。
(b)心筋梗塞は,急激な冠動脈血流の減少により心筋壊死を来す疾
患であり,急性心筋梗塞は,多くの場合,冠動脈に存在する動脈硬
化プラークに血栓性閉塞を生じることにより突然冠血流が途絶する
ために発症する。
(c)脳梗塞は,脳動脈の一部に限局性の閉塞が何らかの機序により
起こると,その血管によって灌流されている部位が壊死して起こ
り,発生機序から,血栓性,塞栓性及び血行力学性に分けられる。
脳血栓は,血管壁の動脈硬化による障害部位に血栓が形成されて起
こるが,血栓形成には凝固異常が関与することもある。脳塞栓は,
血液が良好に保たれている部分の末梢で栓子により動脈が閉塞され
て起こる。血行力学性(血行動態の障害)による梗塞は,通常,中
枢側の血管の狭窄又は閉塞により血液供給が不十分で,しかも側副
血行も十分に機能しない場合,時には心臓の拍出力低下による脳全
体の灌流低下に伴い生じる。
(d)心筋梗塞及び脳梗塞は動脈硬化性疾患の代表であり,動脈硬化
の危険因子として,高血圧,高脂血症及び喫煙の3大要因のほか,
糖尿病,高尿酸血症,肥満,家族歴,運動不足,性格,精神的・身
体的ストレス等多くの因子がある。
b循環器疾患と放射線被曝との関係
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
(a)放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影
響1992」には,次の記述がある。
①原爆傷害調査委員会(ABCC)又は放影研では,昭和33年
から約2万人の成人健康調査集団を対象に2年に1度の定期検診
を実施しているが,その集団における循環器疾患調査において
は,その大部分の報告では虚血性心疾患,脳血管疾患及び高血圧
性心疾患有病率と原爆放射線被曝との関連は認められていない。
ただし,矢野らの昭和33(1958)年∼昭和35(196
0)年の報告では,広島の女性にのみ,近距離被爆群に虚血性心
疾患有病率が高率であることが示唆されている。
②昭和33(1958)年∼昭和39(1964)年にかけての
ジョンソンらの報告では,虚血性心疾患及び脳血管疾患発生率と
原爆放射線との関連は認められていない。しかし,ロバートソン
らの昭和33(1958)年∼昭和49(1974)年の16年
間の調査では,広島の高線量被爆女性における脳血管疾患及び虚
血性心疾患の示唆的な増加(0.05<p<0.10)が初めて
観察されており,特に被爆時年齢50歳未満の女性にその傾向が
顕著であった。児玉らは,その後観察期間を延長して,昭和33
(1958)年∼昭和53(1978)年の20年間の調査を報
告しているが,それによると,脳血管疾患発生率は広島の女性で
被曝線量と共に有意に増加しており,また,長崎の男性では10
0∼199(T65D)に高い発生率が観察されている。広rad
島の女性におけるこの循環器疾患発生率の増加は,観察期間別に
みると昭和44(1969)年以降に有意となっており,また,
被爆時年齢は30歳未満の者に顕著であった。これらの疾病は動
脈硬化を基に発生してくることから,長い潜伏期間のあることは
理解できるし,また,放射性感受性が高いと推測される若年被爆
者に放射線の影響がみられることも理解できるが,影響が女性に
主にみられることは説明が困難であり,観察期間の延長や情報収
集方法の改善等を行い,結果の確認が必要と考えられる。
③血圧異常に関しては,血圧における被曝の影響はみられないと
の報告が大部分である。
(b)放影研報告書「寿命調査第11報,第3部,改訂被曝線量(D
S86)に基づく癌以外の死因による死亡率,1950−85年」
には,次の記述がある。
①昭和25(1950)年∼昭和60(1985)年の循環器疾
患による死亡率は,線量との有意な関連を示した。脳卒中による
死亡率にはそのような関連は認められなかったが,脳卒中以外の
循環器疾患(心疾患)は,全期間で有意な傾向を示した。
②しかし,後期(昭和41(1966)年∼昭和60(198
5)年)になると,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循
環器疾患全体の死亡率及び脳卒中又は心疾患の死亡率は線量と有
意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な2次又は線形−閾値型を
示した。
③心疾患群のうち最も死亡数が多い冠状動脈性心疾患の死亡率
は,同じ期間,同じ被爆時年齢区分の心疾患と同じ傾向を示して
いる。
(c)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部,が
ん以外の死亡率:1950−1990年」には,昭和25(195
0)年10月1日から平成2(1990)年12月31日までのが
ん以外の疾患による死亡者についての解析結果は,放射線量と共に
がん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解
析結果を強化するものであり,有意な増加は循環器疾患に観察され
たと記述されている。
(d)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんお
よびがん以外の疾患による死亡率:1950−1997年」には,
次の記述がある。
①昭和43(1968)年∼平成9(1997)年の期間の寿命
調査集団におけるがん以外の疾患の死因別過剰相対リスク推定値
からは,心疾患,脳卒中,呼吸器疾患及び消化器疾患に有意な過
剰リスクが認められた。これらの特定の死因による死亡例数は比
較的少なく,1当たり10∼20%の影響を確認することはSv
困難であるが,線形線量モデルに基づく過剰相対リスク推定値
は,死亡例数がより多い疾患の結果に基づく推定値と全般的に類
似している。
②心疾患の1当たりの過剰相対リスクは0.17(90%信Sv
頼区間は0.08∼0.26),脳卒中のそれは0.12(90
%信頼区間は0.02∼0.22)と推定される。
(e)放影研報告書「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん
以外の疾患の発生率,1958−1998年」には,次の記述があ
る。
①昭和33(1958)年∼平成10(1998)年の成人健康
調査受診者から成る約1万人の長期データを用いて,がん以外の
疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査したところ,
高血圧症(P=0.028)と40歳未満で被爆した人の心筋梗
塞(P=0.049)に有意な2次線量反応を認めた。喫煙や飲
酒で調整しても,上記の結果は変わらなかった。
②高血圧については,放射能影響は線形の線量反応モデルでは明
瞭ではなかったが,理論的な2次モデルでは有意であった。2次
モデルに基づくと,放射線被曝の寄与リスクは2%ととなった。
発生率は前回の報告から16%増加した。非喫煙被爆者での高血
圧のリスク上昇が考えられる根拠があったが,喫煙被爆者では存
在しなかった。線量反応は他の共変量で有意に変化しなかった。
③心臓血管疾患のいずれも放射線量との有意な関係は示さなかっ
た。線形の線量反応は,すべての心筋梗塞(P=0.38)及び
被爆時年齢40歳未満の心筋梗塞での発生率(P=0.10)に
おいて有意ではなかったが,被爆時年齢40歳未満の心筋梗塞に
おいて有意な2次関係が明瞭であった。2次モデルで放射線被曝
の寄与リスクは16%であった。
c原告Bの診療経過等について
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
(a)原告Bは,平成元年3月6日に胸痛とショック状態でc8病院
へ入院し,急性心筋梗塞の診断を受け,同年6月13日に試みられ
たPTCA(経皮的冠動脈形成術)が成功せず,c9病院心臓血管
外科へ紹介され,同年7月7日に手術目的で同科に入院した。
(b)上記紹介に際してc8病院の担当医師が作成した紹介状では,
原告Bについて,右室下壁梗塞,冠動脈2枝病変,高脂血症及び慢
性腎炎と診断されている。
(c)原告Bは,平成元年6月20日,上記紹介によりc9病院心臓
血管外科を受診した際,心臓血管外科問診カードに,それまでに高
血圧となったことがある旨を自ら申告した。
(d)原告Bが上記紹介によりc9病院心臓血管外科に入院した際の
診療録に,原告Bは,44歳(昭和56年)で高血圧,高脂血症の
指摘を受けながら,服薬していなかったこと,平成元年2月まで1
日15本の喫煙をしていたことの記載がある。
(e)原告Bがc9病院心臓血管外科に入院していた平成元年8月4
日に作成された栄養指導依頼伝票に,原告Bの病名は「心筋梗塞,
高脂血症(高血圧)」,治療食名は「高脂血症食」,指導連絡事項
は「1989.3.6心筋梗塞発症(高脂血症,高血圧にて加療
中)」,「標準的脂肪,食塩摂取の食事指導お願いいたします。」
と記載されている。
(f)原告Bがc9病院を退院した際に同病院心臓血管外科医師が作
成したc8病院内科医師あての「依頼・報告書」には,治療経過に
併せて,「高脂血症,慢性腎炎のフォロー・アップよろしくお願い
いたします。」と記載されている。
(g)c8病院医師がc9病院心臓血管外科担当医師あてに作成した
平成7年5月25日付け診療情報提供書には,原告Bは,昭和62
年以降,高脂血症,高血圧,腎機能障害,心室性期外収縮であった
ことが記載されている。
(h)原告Bは,平成11年2月28日に行われた健康診断において
も,高脂血症であり,血圧が高めであると判定された。
(i)c8病院の記録には,原告Bの喫煙歴は平成元年の手術前の約
15年間に及ぶこと,原告Bが平成2年ころまで1日ビール中ビン
3本を飲酒していたことが記載されている。
d検討
(a)前記(イ)のとおり,原告Bについては,爆心地から約1.7
の地点で被爆した際の状況,その後の避難経路,その途中で黒km
い雨を浴びたこと,被爆翌日の行動の状況からすると,相当量の原
爆放射線を被曝した可能性が裏付けられるものということができ
る。
確かに,原告B自身については,被爆後に放射線被曝による急性
症状として説明が可能な症状が発現した可能性は否定し難いもの
の,確実に発症したことを認めるに足る証拠はないし,その後にお
いても,被爆の9年後ころから背中や腰の痛みを覚え,被爆の約3
0年後に閉経するほかは,昭和49年ころまで目立った健康状態の
変化が現れていない。しかし,放射線感受性には個人差があること
からすると,被爆後の急性症状やその後の健康状態の悪化を確実に
認めるに足りないことをもって,原告Bが浴びた被曝線量が低かっ
たと断ずることはできない。そして,原告Bと同様に被爆したその
姉2人については,被爆直後に下痢や脱毛といった放射線被曝によ
る急性症状として説明が可能な症状が現れている上,原告Bについ
ても,被爆の約30年後ではあるが,若年で閉経しているところ,
卵巣の濾胞細胞の放射性感受性が最も強いことからすると,このこ
とも,相当量の原爆放射線を被曝したことの影響によるものと説明
することも可能である(原告Bと同じく自宅で被爆した妹の1人及
び母が被爆後間もなく死亡したこと,姉の1人の死因が膀胱がんで
あることについても,原爆放射線被曝が影響している可能性があり
得ないわけではなく,少なくとも,原告Bが相当量の原爆放射線を
被曝したことと矛盾するものではない。)。
そうすると,原告Bにおいてその健康に影響を及ぼす程度の放射
線被曝を受けた可能性は十分にあると認められる。
(b)また,前記bのとおり,放影研報告書においては,被曝線量と
の関連について,被爆時年齢40歳未満における循環器疾患の死亡
率との有意な関係(寿命調査第11報,第3部),循環器疾患によ
る死亡の有意な増加(原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2
部),心疾患に有意な過剰リスク(原爆被爆者の死亡率調査第13
報),40歳未満で被爆した人の心筋梗塞に有意な2次線量反応
(成人健康調査第8報)を認める疫学調査の結果が報告されてお
り,相当程度の放射線被曝を受けた場合に心筋梗塞や脳梗塞といっ
た循環器疾患を発症する可能性があることは否定し難い。新審査方
針においても,放射線との関係を積極的に認定するものとしている
疾病の一つとして,「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を挙げ
ている。
(c)他方,前記cのとおり,原告Bの診療経過等からすると,原告
Bは,心筋梗塞を発症する以前から高血圧及び高脂血症であると診
断されており,平成元年2月までの約15年間の喫煙歴(1日15
本)を有し,動脈硬化の3大危険因子である高血圧,高脂血症及び
喫煙をすべて有していたほか,平成2年ころまでの相当量の飲酒歴
を有していたのであるから,原告Bの心筋梗塞及び脳梗塞は,これ
らの危険因子が働いたことによる動脈硬化を原因として発症した可
能性も否定することができない。
しかし,被爆前の健康状態に特に問題がなく,また,被爆後比較
的若年で喫煙や飲酒の影響もさほどないとみられる37歳ころに既
に高血圧と不整脈を発症していることからすれば,その高血圧症等
を生活習慣や体質からのみ説明することは困難であり,さらに,放
影研報告書「成人健康調査第8報」において報告されたとおり,4
0歳未満で被爆した人の心筋梗塞に有意な2次線量反応は,喫煙や
飲酒で調整しても結果に変わりがなかったという疫学調査の結果も
存在する(前記b(e))。
(d)以上のとおり,原告Bにおいて健康に影響を及ぼす程度の放射
線被曝を受けた可能性が十分にあることや,循環器疾患に関する疫
学調査の結果等の事情を総合的に勘案すると,原告Bの心筋梗塞及
び脳梗塞は,高血圧,高脂血症及び喫煙といった要因が影響してい
ること自体は否定することができないものの,原爆放射線被曝も影
響してその発症の原因となったか,又はそれがその進行を促進した
可能性があるとみるのが,経験則に照らして合理的かつ自然であ
り,また,上記の他要因が専ら上記心筋梗塞及び脳梗塞発症の原因
であるとする確たる証拠もない。したがって,原告Bの陳旧性心筋
梗塞及び脳梗塞後遺症については,放射線起因性を肯定するのが相
当である。
(エ)腎機能障害について
ac10及びc11作成の意見書は,原告Bの腎機能障害も動脈硬化
症を背景にしたものと考えても矛盾しないとするが(前記イ(ア)
f),原告Bの診療録に,これを裏付ける記載はなく,かえって,証
拠によれば,c8病院の入院診療録(昭和62年2月24日∼同年3
月6日)においては,原告Bの腎機能障害の原因は慢性腎盂腎炎とさ
れていることが認められる。そうすると,原告Bの腎機能障害が動脈
硬化症を背景とすることを前提とする上記意見書の意見は前提を欠
く。
そして,腎盂腎炎は,細菌(主に大腸菌,緑膿菌等のグラム陰性桿
菌及び腸球菌)によって腎盂,腎杯,さらに腎臓の髄質が炎症を起こ
している感染症であり,原爆放射線に直接起因するものでないことは
明らかである。
b他方,証拠によれば,原告Bの尿検査におけるC(クレアチニ.cr
ンクリアランス),BMG(ベータマイクログロブリン)及びNAG
(ナグ)の数値並びこれら項目の各正常値は,次の表のとおりである
と認められる。
検査日CBMGNAG.cr
(ℓ/)(μ/ℓ)(/ℓ)mmingu
昭和62年2月902.0
昭和63年10月30
平成4年12月21日30.31000.8
平成4年12月22日22.4
正常値(Cは女性の場合)57∼785∼2535.0以下.cr
上記数値に関し,証人甲は,①C(クレアチニンクリアラン.cr
ス)が低値であることは,腎機能が障害されていることの証拠であ
る,②しかし,腎盂腎炎が中心となって腎機能障害が起これば,尿
中のBMG(ベータマイクログロブリン)及びNAG(ナグ)が異常
値を示すはずであるのに,正常範囲を保っている,③腎機能が障害
されている状態で尿タンパクが陰性であることは,一般的にはないの
に,原告Bの尿検査では,全般にわたって尿タンパクが陰性となって
いる,④そうすると,原告Bについては,腎盂腎炎が腎臓の機能を
障害しているとは考えられず,どういう状態が腎臓の中で起きている
のかが分かりにくいというのが,特徴である,と証言する。
しかし,原告Bの腎機能障害に上記の特徴があるとしても,それが
動脈硬化症を原因とするものであることは,証人甲も肯定するところ
ではないし,上記特徴から,腎機能障害の放射線起因性を直ちに認め
ることはできない。
cまた,原告Bは,腎機能障害が細菌感染症である腎盂腎炎であると
しても,被爆により免疫応答能が低下したために,細菌を排除できな
かった可能性を否定することができないと主張する。確かに,抗クラ
ミジア・ニューモニエ抗体レベルが被曝線量と共に有意に低下するこ
とについて,原爆被爆者においては,免疫応答能が低下し感染性微生
物の排除が低下していることを示唆しているのかもしれないとする研
究報告もあるが,同報告においても,ヘリコバクター・ピロリなど被
曝線量と有意な相関を示さなかった病原微生物について,その種類に
よる結果の違いの原因は不明であるとしており,放射線被曝と免疫機
能の低下との関係には必ずしも十分に解明されていない。
そうすると,少なくとも,腎盂腎炎の発症について,被爆による免
疫応答能の低下が影響するかどうかについて,十分な知見が明らかに
なっていないことからしても,原告Bの腎盂腎炎について,被爆によ
る免疫応答能の低下が影響しているとは認めるに足りない。
dしたがって,原告Bの腎機能障害について放射線起因性を肯定する
ことはできない。
(オ)腰部椎間板障害について
a椎間板は,隣接する椎体の間に介在する円板状の組織で,組織学的
には線維軟骨に分類されるところ,放射線被曝者医療国際協力推進協
議会編「原爆放射線の人体影響1992」では,思春期までの活発に
骨が成長している時期に放射線に被曝すると,骨の成長が障害される
ことはよく知られていると記述され,菅原務(京都大学名誉教授)監
修「放射線基礎医学(第10版)」は,成長している軟骨及び骨組織
について,中程度の放射線感受性を有すると分類している。
そして,c10及びc11作成の意見書は,原告Bの腰部椎間板障
害について原爆放射線による治癒能力の低下の影響があることを否定
することができないとし(前記イ(ア)g),証人甲は,①腰部椎間
板障害は,一般に,腰に何らかの形で無理が起こったときに力学的に
腰椎の間の椎間板がずれて起こると考える,②若いころに放射線を
浴びた場合には骨や軟骨に一定の影響があるという文献からみると,
原告Bは幼少期に放射線を浴び,その後腰に無理がかかって椎間板に
異常が現れるという放射線の影響があった可能性があると考える,と
供述する。
b各項末尾掲記の証拠によれば,原告Bの腰痛等の症状に関し,次の
各事実が認められる。
(a)原告Bは,昭和62年2月24日,c8病院に腎盂腎炎の治療
のために入院した際に,腰痛を訴えていたが,同年3月6日に退院
したころには,腎盂腎炎及び腰痛も軽快していた。
(b)原告Bは,昭和63年9月20日から同年10月11日まで,
c8病院に腎盂腎炎の治療のために入院し,その際には,よく背部
痛を訴えていたが,不定愁訴が多いとされた。
(c)原告Bは,平成14年3月28日夕方,突然左腰部痛が出現し
たため,救急車でc9病院へ搬送され,同病院心臓血管外科に入院
したが,腰椎椎間板ヘルニア(座骨神経痛)の疑いであったため
に,同年4月2日に同病院整形外科へ転科し,同月12日に退院し
た。
(d)c9病院整形外科のc14医師は,平成14年3月29日,原
告Bについて,腰部椎間板障害の疑いがあり,「以前のMRIでは
特に明らかなヘルニアなどはなく,原因がはっきりしませんでし
た。現在も特に神経症状もなく痛みが主体ですので,安静と痛み止
めにて症状はおさまると思われます。」と診断した。
c前記認定事実のとおり,原告Bの腰部椎間板障害については,原因
がはっきりしないとされており,また,腰痛は腎盂腎炎に伴って現れ
る症状の一つであることからすると,原告Bが腎盂腎炎の治療のため
に入院したころの腰痛は,腎盂腎炎による可能性もあるということが
できる。
また,前記認定事実のとおり,原告Bは,小さい時から具体的仕事
内容は判然としないものの,長期間にわたって肉体労働に従事してい
たものであり,その影響により腰部椎間板障害を引き起こした可能性
も全く排除することはできない。
この点,証人甲も,原告Bの腰に無理がかかった事実は認めるとこ
ろ,その証言によっても,原爆放射線被曝が原告Bの腰部椎間板に障
害を及ぼした機序は明らかではなく,思春期までの放射線被曝による
骨の成長の障害や,軟骨及び骨組織の中程度の放射線感受性を指摘す
る文献があることを考慮しても,なお原告Bの腰部椎間板障害につい
て放射線起因性を認めるに足りない。
エ要医療性
証拠によれば,原告Bの陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺症は,その病変が
退縮,進展することを阻止することは難しく,フォローアップが不可欠で
あることが認められ,本件処分C当時,原告Bの上記疾病について要医療
性の要件を満たしていたことは明らかである。
オ結論
以上のとおり,原告Bは,本件処分C当時,腎機能障害及び腰部椎間板
障害について放射線起因性の要件を満たすということはできないものの,
陳旧性心筋梗塞及び脳梗塞後遺症について放射線起因性及び要医療性の要
件を満たすものということができる。したがって,本件処分Cのうち腎機
能障害及び腰部椎間板障害に係る部分は適法であるが,陳旧性心筋梗塞及
び脳梗塞後遺症に係る部分は違法である。
()原告Dについて4
ア原告Dの被爆状況等
前記前提事実()アの事実及び証拠によれば,次の各事実が認められ5
る。
(ア)被爆前の生活状況
原告Dは,昭和20年8月6日当時,小学校4年生(10歳)であ
り,被爆前に特に大きな病気にかかったことはなく,健康上特別の問題
はなかった。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月6日の状況
原告Dは,d1市に原爆が投下された午前8時15分に,爆心地か
ら約1.3の地点にある自宅(同市d2町)の2階の窓のある部km
屋(窓は開いていた。)で,父及び妹と共に就寝していた。原告Dの
隣に寝ていた妹は,黒こげになって即死した。原告Dも,額や腕を火
傷し,焦げて黒くなった。
原告Dは,つぶれた自宅を脱出し,300∼400m離れたd3橋
付近(爆心地から約1.7)まで避難し,昼過ぎに同橋を越えてkm
d4小学校(爆心地から約3)まで避難した。km
bその後の状況
原告Dは,昭和20年8月6日の夜中にd4小学校を出発して,d
5小学校(爆心地から約4.5)へ移動し,同所に3,4日ほどkm
滞在した。その間,原告Dは,体中に痛みやだるさを覚え,高熱が続
き,茶色状のものの嘔吐を繰り返し,飲食ができない状態にあり,頭
髪も1週間ですべて抜けた。
原告Dは,同月10日ころ,d6村まで移動して,同所に約2週間
滞在した(平成14年作成の健康診断個人表中には,4日間と記載さ
れているが,記憶が十分喚起される前の記述とみられるから,同記載
は前記認定を左右しない。)後,d7の一軒家で生活を始め,d4小
学校へ通うこととなった。
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a昭和30年(20歳)
原告Dは,このころ,急性虫垂炎の手術のため,d8病院に1か月
間強入院したが,医者から,被爆の影響で治癒能力が低下したため,
入院期間が長引いたと指摘された。
b昭和41年(31歳)
原告Dは,このころ,腎炎のためd9病院に約2週間入院した後,
d10病院に約1か月入院し,その際,白血球の数の異常を指摘され
た。このころにも,原告Dの頭髪が3分の2ほど抜けた。原告Dは,
当時,体がだるく,顔に血の気もなかったため,医師からは安静にす
るよう指示を受けていたが,d11委員会で検査すると,白血球が異
常であるとされた。
c昭和52年(42歳)
原告Dは,広島のd12病院に1週間入院して,扁桃腺を両方切断
する手術を受け,その後傷口が化膿したため,再度3週間ほど入院し
た。
d平成2年(55歳)
原告Dは,このころから,左腕のケロイド痕の治療のために通院す
るようになった。
e平成4年(57歳)
原告Dは,このころ,肛門付近に疼痛があったため検査を受ける
と,血便が出ていることが判明し,d13病院で検査を受けたとこ
ろ,大腸がんと診断され,大腸を約45切除する手術を受けた。cm
f平成10年(63歳)
原告Dは,このころ,両眼が白内障であるとの診断を受け,同年1
2月には右眼の手術を受けた。
g平成13年(66歳)
原告Dは,同年5月ころ,左眼の手術を受けた。原告Dは,同年秋
ころ,胃の痛みや皮膚アレルギー及び鼻炎のためd14病院で治療を
受けたが,検査の結果,再び大腸がんが発見され,約2週間入院し
て,2回に分けて腫瘍を切除する内視鏡手術を受けたが,その手術の
際の検査により,胃がんが発見された。
h平成14年5月下旬∼同年6月下旬(67歳)
原告Dは,d15に入院し,胃の3分の2の切除手術を受けた。
i平成16年11月ころ(69歳)
原告Dは,d14病院の診察により,肺がんが発見された。
j平成17年3月(69歳)
原告Dは,d15で肺がんの手術を受けた。
k平成18年1月11日(70歳)
原告Dは,被告厚生労働大臣から肺がんについて原爆症認定を受け
た。
イ胃がんと放射線被曝との関係についての知見
各項末尾掲記の証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1
992」は,放射線被曝と胃がん発生との関連及びその組織学的特徴に
ついて,次のとおり記述している。
a昭和39年度から昭和45年度にかけて広島市在住の40歳以上の
原爆被爆者4万5930例(実受験者1万5288例)を対象として
検診が行われたが,胃がん発生率は,1.9以内の直接被爆者群km
で0.56%であり,入市・他群の0.21%に比して,有意に高率
であったことが,昭和48年に報告された。これは,集団検診成績か
ら近距離被爆者に胃がん罹患率が高いとした初めての報告である。
昭和47(1972)年から昭和57(1982)年までの胃集団
検診成績について被曝線量(T65D)別に胃がん罹患率を比較した
報告でも,線量と共に罹患率の増加がみられ,100以上群ではrad
radradrad0群に比して有意に高率となっていた。0群に対する100
以上群の相対危険度は,男性4.29,女性4.02であった。
b被爆者集団ががん好発年齢に達し,胃がん発生率が増加して初め
て,放射線との関連が明らかにされた。死亡診断書に基づく分析で
は,DS86を用いた解析によると,1での胃がんの相対リスクGy
は昭和51(1976)年∼昭和55(1980)年が1.45,昭
和56(1981)年∼昭和60(1985)年が1.45,198
3年∼昭和60(1985)年が1.63となっており,昭和51年
から増加がみられる。
また,0群よりも有意に高いがん死亡率が認められる最低の線Gy
量は遮蔽カーマの場合で1,臓器吸収線量の場合で0.5と計GyGy
算されている。
c白血病以外の全部位のがん死亡率は同一の死亡時年齢では被爆時年
齢が若いほど相対リスクも絶対リスクも大きくなっており,被爆時年
齢が10歳以下の群において発がんのリスクが最大であり,高線量群
では対照群よりも発がんの時期が早まる傾向がみられる。
d胃がんの発生率は,高線量群に有意に高く,被爆時年齢が30歳以
下の群に有意に高い。
(イ)放影研報告書「寿命調査第10報,第一部,広島・長崎の被爆者に
おける癌死亡,1950−82年」には,次の記述がある。
a胃がんは非常に有意な放射線関連相対危険度を示す。胃がんは日本
人に最も多発するがんであり,当時のデータにおいても白血病以外の
がんによる死亡の37%を占める。そのため,原爆放射線に起因する
症例の割合は低いが(4.3%),平均過剰危険度(10人年当6
rad
たりの死亡数で0.96)は白血病以外の特定部位におけるがんの中
でも最も大きい。
b白血病以外の全部位のがんによる死亡の相対危険度は,被爆時年齢
の低下と共に有意に増加する。白血病以外のがんによる死亡の相対危
険度は女性の方が男性よりもかなり大きい。
(ウ)放影研報告書「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫
瘍,1958−1987年」には,次の記述がある。
aがんが最もよくみられる3部位(胃,肺及び肝)は,リスクの尺度
として相対リスク及び絶対リスクのいずれを用いてもすべて放射線と
の有意な関連を示した。
b消化器系がん(主に胃),黒色腫を除く皮膚,乳房,甲状腺のがん
において被爆時年齢の有意な影響があった。
c胃がんの1当たりの過剰相対リスクは0.32(95%信頼限Sv
界で0.16∼0.50),寄与リスクは6.5%(95%信頼限界
で3.5∼10.5%)と推定される。
d被爆時年齢10∼19歳の男性の胃がんの1当たりの過剰相対Sv
リスクは0.42と推定される。
(エ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよび
がん以外の疾患による死亡率:1950−1997年」には,次の記述
がある。
a放影研の寿命調査集団について昭和25(1950)年から平成9
(1997)年までの期間のがん及びがん以外の疾患による死亡率を
検討したところ,胃がんの死亡例は2867例であり,このうち16
85例の被曝線量は5以上であり,このうち約100例が原爆放mSv
射線に関連していると推定される。
b胃がんによる死亡は,固形がん死亡の約30%を占める。
c胃がんについて,被爆時年齢30歳の男性の場合,1当たりのSv
過剰相対リスクは0.20(90%信頼区間で0.04∼0.3
9),推定線量が0.005以上の被爆者における寄与リスクはSv
3.2%(90%信頼区間で0.07∼6.2%)と推定される。
d胃がんについて,被爆時年齢30歳の女性の場合,1当たりのSv
過剰相対リスクは0.65(90%信頼区間で0.40∼0.9
5),推定線量が0.005以上の被爆者における寄与リスクはSv
8.8%(90%信頼区間で5.5∼12%)と推定される。
ウ放射線起因性についての意見
(ア)d16及びd17作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a原告Dは,爆心地から約1.3の自宅で開放された窓を通してkm
高線量の被曝をし,その後の避難の際には,誘導放射化された粉塵等
を吸引し,土壌等の放出する誘導放射線を浴びたと考えられる。原告
Dは,体中の痛み,倦怠感,高熱,嘔吐,食欲不振,脱毛といった急
性症状を経験しているが,脱毛は被曝後の典型的な急性症状であり,
倦怠感は被爆者特有の体質的偏倚と考えられ,これらの急性症状は放
射線被曝による障害を示すものと理解される。
bその後の原告Dの一連の症状(急性虫垂炎の手術後の退院までに通
常より時間を要したこと,白血球異常,扁桃腺切除とその後の化膿)
は,環境不堪性,罹患傾向,体質的偏倚等として被爆者に広く発症す
る症状として知られている。
c原告Dの大腸がんや白内障も原爆放射線との関連性を否定すること
はできず,肺がんについては原爆症認定を受けている。
d前記イ(ア)a,b,d,(ウ)dの各知見に加えて,原告Dが1.3
地点で直接被曝を受け,その後の内部被曝が濃厚とみられ,10km
歳という若年時被曝である上,放射線と有意の関連性が認められるが
んや白内障に罹患していることを考慮すると,原告Dの胃がんの発症
について,被曝の影響を否定することはできない。
(イ)d18及びd19作成の意見書の概要は,次のとおりである。
a旧審査方針別表9によれば,広島の爆心地から1300m離れた地
点での初期放射線による被曝線量は113であり,建物による遮cGy
蔽の効果を考慮し,透過係数0.7を乗ずると,79.1と推定cGy
される。
b原告Dは,原爆爆発後に爆心地から700m以内の区域へ立ち入っ
た事実はないから,誘導放射線による被曝を考慮する必要はない。
c原告Dは,d20地区に滞在した事実はないから,放射性降下物に
よる被曝を考慮する必要はない。
dしたがって,原告Dの被曝線量は79.1であり,仮に遮蔽のcGy
ない状態で被爆したとすれば113であると推定される。cGy
e原告Dが急性症状として主張する症状は,非特異的なものであり,
原爆放射線以外の要因からも起こり得る。いわゆる放射線宿酔といわ
れる吐き気は約1の被曝で生じることから,被曝によって吐き気Gy
が生じていた可能性は否定できないが,放射線被曝による一過性の脱
毛が生じるのは3以上であることから,原告Dに生じた脱毛は放Gy
射線被曝による急性症状とは考えられない。放射線被曝による一過性
の脱毛は,被爆から約2週間経過後に生じるものが多く,その後数十
年を経てたびたび生じるようなものではないから,原告Dのその後の
大病の際の脱毛は,放射線以外の原因によると考えるのが妥当であ
る。
fよって,原告Dの胃がんの原因確率は,被曝線量79.1を前cGy
提とすれば6.1%であり,113を前提としても9%を超えるcGy
ことはないから,胃がんに放射線起因性は認められない。
エ放射線起因性についての検討
km(ア)前記認定事実によれば,原告Dは,広島の爆心地から約1.3
の地点にある自宅で被爆したところ,旧審査方針別表9によれば,広島
の爆心地から1.3の地点における初期放射線による被曝線量は1km
13であり,被爆時に遮蔽があった場合に被爆状況に応じて0.5cGy
∼1を乗じて得た値とするとされていることからすると,原告Dの初期
放射線による被曝線量は,56.5∼113ということとなる。cGy
また,前記認定事実によれば,原告Dは,原爆爆発後72時間以内に
広島の爆心地から700m以内の区域に入っておらず,また,広島市の
d20地区に原爆投下直後に滞在したことも,その後長期間に渡って居
住したこともないから,旧審査方針によれば,原告Dの誘導放射線及び
放射性降下物による被曝線量は,0ということとなる。cGy
したがって,旧審査方針によれば,原告Dの原爆放射線の被曝線量は
56.5∼113となる。そして,原告Dは,被爆時10歳の男性cGy
であるところ,旧審査方針別表2−1によれば,被爆時10歳の男性被
爆者に発症した胃がんの原因確率は,原爆放射線の被曝線量が120
の場合に9.0%,90の場合に6.9%,60の場合にcGycGycGy
4.7%であることに照らすと,原告Dの胃がんの原因確率は9.0%
を超えることはないこととなる。
(イ)しかしながら,前記のとおり,DS86による初期放射線量の計算
値は,少なくとも爆心地から約1300m以遠において実際より過小に
評価されている可能性があるから,爆心地から約1.3の地点で被km
爆した原告Dの初期放射線による被曝線量は,旧審査方針別表9の値を
上回っている可能性がある。そして,前記のとおり,具体的な被爆態様
によっては,誘導放射線による被曝線量が旧審査方針別表10の値を超
える場合があり得るところ,原告Dは,昭和20年8月6日,爆心地か
ら約1.3の地点で被爆した後,同日の昼ころまでに爆心地から約km
1.7まで避難し,その後爆心地から約3まで避難しており,誘kmkm
導放射化された物質が身体や衣服に付着したことは十分考えられるか
ら,誘導放射線による相当量の外部被曝をした可能性があり,また,以
上の行動を通じて残留放射線による内部被曝をした可能性も否定し難
い。
さらに,原告Dには,前記のとおり,被爆後に,高熱,嘔吐,脱毛,
だるさなど放射線被曝による急性症状として説明が可能な症状が発現し
ているところ,原告Dは,被爆前は健康体であったことからすると,こ
れらの症状は少なくとも放射線被曝も影響して発症したものということ
ができ,原告Dにおいてその健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受
けた可能性は十分にあると認められる。
そうすると,原告Dの原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針により算
定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いというべきである。
(ウ)また,前記認定事実によれば,胃がんについては,放影研報告書
「寿命調査第10報,第一部」,同報告書「原爆被爆者における癌発生
率。第2部」及び同報告書「原爆被爆者の死亡率調査第13報」におい
て,放射線との有意な関連性があることが記述されており,旧審査方針
においては,原因確率が定められている。
(エ)以上のとおり,原告Dの原爆放射線の被曝線量は,旧審査方針によ
り算定されるものほど低線量ではなかった可能性が高いこと,胃がんに
ついては,放影研の疫学調査において,原爆放射線被曝との間に統計的
に有意な関連が認められており,旧審査方針においても原因確率が定め
られていること,原告Dは,被爆前は健康であったのに,被曝後は,長
期間にわたり体調不良状態が続いていること,新審査方針では,「被爆
地点が爆心地より約3.5以内である者」の悪性腫瘍についての申km
請として,格段に反対すべき事由がない限り放射線との関係を積極的に
認定するものとされていること等を総合考慮すると,原告Dの胃がんは
原爆放射線に起因して発症したものとみるのが,経験則に照らして合理
的かつ自然であるから,同疾病について放射線起因性を肯定すべきであ
る。
オ要医療性
証拠によれば,原告Dは,胃の3分の2を切除したため,固形物による
食事が困難で,点滴によって栄養を摂取しなければならない状態にあり,
今後も医学的管理下におかれる必要があることが認められ,本件処分B当
時,要医療性の要件を満たしていたというべきである。
カ結論
以上のとおり,原告Dは,本件処分D当時,胃がんについて放射線起因
性及び要医療性の要件を満たすものということができるから,本件処分D
は違法である。
4争点4(被告国に対する国家賠償請求の成否)について
(1)本件各処分の実体的違法について
ア前記3のとおり,本件処分A,本件処分B,本件処分Cのうち陳旧性心
筋梗塞及び脳梗塞後遺症に係る部分並びに本件処分Dについては,放射線
起因性の要件を欠くものとした判断には誤りがある。
しかしながら,国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使
に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背し
て当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任
を負うことを規定するものである(最高裁平成13年(行ツ)第82号,
第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判
決・民集59巻7号2087頁)。そして,原爆症認定申請に対する却下
処分が,放射線起因性に関する判断を誤ったものであるとしても,そのこ
とから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるも
のではなく,被告厚生労働大臣が資料を収集し,これに基づき放射線起因
性の有無について判断する上において,職務上通常尽くすべき注意義務を
尽くすことなく漫然と却下処分をしたと認め得るような事情がある場合に
限り,上記の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁平成元年
(オ)第930号,第1093号同5年3月11日第一小法廷判決・民集
47巻4号2863頁参照)。
イこれを本件についてみるに,前記2()イのとおり,初期放射線による2
被曝線量の推定について旧審査方針が依拠したDS86の線量評価システ
ムは,科学的知見に基づくものとして国際的にも受け入れられており,一
般的な合理性を肯定することができ,DS86における計算値と測定値と
の不一致は,測定値の測定に当たってバックグラウンド線量が計測された
ことによるものとする意見を支持する見解も相当数あったものである。ま
た,前記2()ウのとおり,旧審査方針が,残留放射線及び放射性降下物2
による被曝線量推定の根拠とした研究報告も,科学的知見に基づく一定の
根拠を有するものであったり,その合理性を指示する見解も示されていた
ところである。そして,前記2()のとおり,寄与リスクを原因確率とし3
て転用し,被爆者個人の放射線起因性の程度を推認する事情として考慮す
ることには,統計的解析の一方法としての有用性を肯定することができ,
また,上記寄与リスクについても,一般的な合理性を肯定することができ
る。
そうすると,旧審査方針の定める基準を適用して,申請者の被曝線量を
推定し,膀胱がん及び胃がんについては原因確率を算出した上でこれを目
安として,申請疾病の放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断する
ことは,旧審査方針において申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合
的に勘案した上で判断を行うものとされていることをも考慮すると,全体
として合理性を欠くものということはできない。このことは,旧審査方針
が策定されたのが,最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18
日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁の言渡し後であること
や,原告らの引用する下級審判決の後に本件各処分がされたことによっ
て,左右されるものではない。
したがって,旧審査方針の定める基準よって算定された被曝線量及び原
因確率に依拠することをもって一概に不合理であるということはできない
し,被告厚生労働大臣が,旧審査方針を機械的に当てはめることのみによ
って本件各処分を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
ウ以上によれば,本件各処分について,被告厚生労働大臣が放射線起因性
の要件を判断する上において,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすこ
となく漫然と却下処分をしたということはできないから,同義務を尽くさ
なかったことをいう原告らの国家賠償法1条1項違反の主張は,採用する
ことができない。
(2)本件各処分の手続的違法について
ア行政手続法(平成17年法律第73号による改正前のもの。以下同
じ。)5条1項違反について
(ア)原告らは,本件各処分については,行政手続法5条1項所定の審査
基準を定めることなくしてされた違法があると主張するところ,被告ら
においても,同項所定の審査基準は存在せず,旧審査方針もこれに当た
らないことを認めている。
(イ)行政手続法5条1項が行政庁に対して審査基準の設定を義務付けて
いる趣旨は,一般に許認可等の要件等に関する法令の定めは抽象的であ
って行政庁にその解釈適用に際して裁量の余地がある場合が多いことか
ら,行政庁の上記裁量を公正,適正なものとし,その判断過程の透明性
の向上を図るところにある。そして,同条2項において,行政庁が審査
基準を定めるに当たっては,当該許認可等の性質に照らしてできる限り
具体的なものとしなければならない旨を定めていることからすると,当
該許認可等の性質上,個々の申請について個別具体的な判断をせざるを
得ないものであって,法令の定め以上に具体的な基準を定めることが困
難である場合には,同条1項所定の審査基準を定めることを要しないと
解すべきである。
(ウ)原爆症認定に当たっての放射線起因性及び要医療性についての判断
は,前記のとおり,医学的知見,疫学的知見等を踏まえた高度に科学的
及び専門的なものであって,その性質上,個々の申請について個別具体
的な判断をせざるを得ないものであって,援護法10条1項の規定以上
に具体的な基準を定めるこは困難であるというべきである。
そうすると,援護法11条1項の原爆症認定については,行政手続法
5条1項所定の審査基準を定めることを要しないと解するのが相当であ
る。
したがって,本件各処分に行政手続法5条1項違反があるということ
はできず,上記違反があることを前提として国家賠償法1条1項違反を
いう原告らの主張も失当である。
イ行政手続法7条違反,条理上の作為義務違反について
(ア)原告らは,申請から215日ないし271日後にされた本件各処分
は,行政手続法7条に違反し,また,不当に長期間にわたらないうちに
応答処分をすべき条理上の作為義務に違反したものである旨主張する。
(イ)しかしながら,前記のとおり,原爆症認定に当たっての放射線起因
性及び要医療性についての判断は,医学的知見,疫学的知見等を踏まえ
た高度に科学的及び専門的なものであって,申請疾病等が原爆の傷害作
用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,疾病
・障害認定審査会の意見を聴かなければならないとされていること(援
護法11条2項,援護法施行令9条)等からすると,本件各処分までに
上記日数を要したことをもって,直ちに被告厚生労働大臣における審査
の開始に遅滞があるものとは認めるに足りない。したがって,本件各処
分に行政手続法7条違反はない。
(ウ)また,原爆症認定申請を受けた被告厚生労働大臣は,不当に長期間
にわたらないうちに応答処分をすべき条理上の作為義務があり,同作為
義務に違反したというためには,客観的に被告厚生労働大臣がその処分
のために手続上必要と考えられる期間内に処分ができなかったことだけ
では足りず,その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続き,かつ,
その間,処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたの
に,これを回避するための努力を尽くさなかったことが必要である(最
高裁昭和61年(オ)第329号,第330号平成3年4月26日第二
小法廷判決・民集45巻4号653頁参照)。
前記事情からすると,本件各処分までに上記日数を要したことや原爆
放射線による被害をもって,客観的に被告厚生労働大臣が本件各処分の
ために手続上必要と考えられる期間内に処分ができず,また,その期間
に比して更に長期間にわたり遅延が続いたものと認めるに足りないか
ら,本件各処分が,条理上の作為義務に違反してされたということはで
きない。
(エ)したがって,本件各処分に行政手続法7条違反や条理上の作為義務
違反があるということはできず,上記違反があることを前提として国家
賠償法1条1項違反をいう原告らの主張も失当である。
ウ行政手続法8条違反について
(ア)行政手続法8条1項が,行政庁において申請により求められた許認
可等を拒否する処分をする場合に,当該処分の理由を申請者に示すこと
を義務付けているのは,行政庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその
恣意を抑制するとともに,処分の理由を申請者に知らせることによっ
て,その不服申立てに便宜を与える趣旨に出たものというべきであるか
ら,行政庁が申請者に示すべき処分理由の内容及び程度は,当該処分が
いかなる事実関係に基づきいかなる法的理由で行われたかを申請者にお
いて了知し得るものであることを要すると解すべきである(最高裁昭和
57年(行ツ)第70号同60年1月22日第三小法廷判決・民集39
巻1号1頁参照)。
(イ)本件各処分に係る通知書における処分理由の記載内容は,原爆症認
定を受けるために必要とされる援護法10条1項の要件が具体的に摘示
されているのに続けて,①原告C及び原告Dに対しては,疾病・障害
認定審査会において,申請書類に基づき,申請者の被爆状況が検討さ
れ,その上で申請疾病の原因確率を求め,この原因確率を目安としつ
つ,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議され
たが,当該疾病については,放射線起因性を欠くと判断され,被告厚生
労働大臣は,上記審査会の意見を受け,申請を却下した旨が,②原告
A及び原告Bについては,疾病・障害認定審査会において,申請書類に
基づき,申請者の被爆状況が検討され,これまでに得られた通常の医学
的知見に照らし,総合的に審議されたが,当該疾病については,放射線
起因性を欠くと判断され,被告厚生労働大臣は,上記審査会の意見を受
け,申請を却下した旨が,それぞれ記載されている。
これによれば,原告らは,上記各通知書の記載自体から,①疾病・
障害認定審査会において,それぞれの被爆状況や医学的知見を踏まえて
(原告C及び原告Dにあっては原因確率を目安としつつ),総合的に審
議されたが,援護法10条1項の放射線起因性の要件を欠くと判断され
たこと,②被告厚生労働大臣は,この意見を受けて本件各処分を行っ
たことを了知し得るものと認められる。
そうすると,上記各通知書の記載は,本件各処分がいかなる事実関係
に基づきいかなる法的理由で行われたかを申請者において了知し得るも
のであるということができる。
したがって,本件各処分に行政手続法8条違反があるということはで
きず,上記違反があることを前提として国家賠償法1条1項違反をいう
原告らの主張も失当である。
(3)小括
以上によれば,原告らの被告国に対する損害賠償請求は,いずれも理由が
ない。
第4結論
よって,原告Aの被告厚生労働大臣に対する本件処分Bの取消請求並びに原
告Bの被告厚生労働大臣に対する本件処分Cの取消請求のうち陳旧性心筋梗塞
及び脳梗塞後遺症に係る部分は理由があるが,本件訴えのうち原告Cの被告厚
生労働大臣に対する本件処分Aの取消請求及び原告Dの被告国に対する本件処
分Dの取消請求に関する部分は不適法であり,原告Bの被告厚生労働大臣に対
するその余の請求及び原告らの被告国に対する各損害賠償請求はいずれも理由
がない。そして,訴訟費用に負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法65条
1項本文を,原告Cの被告厚生労働大臣に対する本件処分Aの取消請求及び原
告Dの被告国に対する本件処分Dの取消請求に関しては同法62条を,原告B
の被告厚生労働大臣に対する本件処分Cの取消請求に関しては同法64条ただ
し書を,その余の請求に関しては同法61条を,それぞれ適用して,主文のと
おり判決する。
千葉地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官堀内明
裁判官阪本勝
裁判官中村有希
(別紙)
費用負担一覧
1原告C,原告A,原告B及び原告Dに生じた費用の各2分の1と被告国に生じ
た費用の各5分の1を当該各原告の負担とする。
2原告C,原告A及び原告Bに生じたその余の費用並びに被告厚生労働大臣に生
じた費用を同被告の負担とする。
3原告D及び被告国に生じたその余の費用を同被告の負担とする。
(別紙)
単位記号
放射能の単位
(ベクレル)Bq
(キュリー):ベクレルの370億倍Ci
吸収線量の単位
(グレイ)Gy
(ラド):グレイの100分の1。センチグレイ()radcGy
照射線量の単位
R(レントゲン)
線量当量の単位
(シーベルト)Sv
接頭語接頭語が表す乗数

G(ギガ)10

M(メガ)10

k(キロ)10
−2
c(センチ)10
−3
m(ミリ)10
−6
μ(マイクロ)10
(別紙)
原告ら主張1
第1起因性の認定
1長崎原爆エ訴訟上告審判決
(1)「高度の蓋然性」の意義
援護法10条1項にいう放射線起因性について,最高裁平成12年7月1
8日第三小法廷判決・訟月48巻6号1467頁は,「被爆者の訴訟上の因
果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験
則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した
関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人
が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要
とすると解すべきである」としている。原爆症の起因性の判断にあたって
も,自然科学的な厳格な証明が求められるものではなく,当該申請者の被爆
直後の急性症状や被爆後の体調の変化などの間接事実を前提として,経験則
により事実上の推定をはたらかせて,合理的な通常人が,経験則に照らし,
当該疾病の原因は放射線であると判断しうる合理的根拠が存在するならば,
放射線起因性を認めるべきである。
(2)最高裁の具体的判断過程
ア長崎原爆エ訴訟の原告は,爆心地から2.45の位置で被爆したかkm
ら,被告らの論理やDS86によれば,原告エは,ほとんど放射線被曝を
しておらず,その申請症状について,放射線起因性が認められないことに
なるはずである。ところが,最高裁は,「DS86もなお未解明な部分を
含む推定値であり,現在も見直しが続けられていることも,原審の適法に
確定するところであり,DS86としきい値理論とを機械的に適用するこ
とによっては前記三1(七)の事実を必ずしも十分に説明することができな
いものと思われる。例えば,放射線による急性症状の一つの典型である脱
毛について,DS86としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生す
るはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放
射線以外の原因によるものと断ずることには,ちゅうちょを覚えざるを得
ない。」と述べて,放射線起因性を認めた原審の判断を是認した。
イこのように,上記最高裁判決は,単に「DS86がなお未解明な部分を
含む推定値であり,現在も見直しが続けられていること」のみを根拠に申
請疾病について,原爆起因性を認めたのではなく,「放射線による急性症
状の一つの典型である脱毛について,DS86としきい値理論を機械的に
適用する限りでは」説明がつかないという客観的な事実をあげ,間接事実
を前提として経験則により事実上の推定をはたらかせて起因性を肯定して
いるのである。現に,最高裁は,上記判断に続けて,「このことを考慮し
つつ,前記三1の事実関係(原告エの被爆状況,その後の健康状態及び長
崎の遠距離被爆者の実態),なかんずく物理的打撃のみでは説明しきれな
いほどの被上告人の脳損傷の拡大の事実や被上告人に生じた脱毛の事実な
どを基に考えると,被上告人の脳損傷は,直接的には原子爆弾の爆風によ
って飛来したかわらの打撃により生じたものではあるが,原子爆弾の放射
線を相当程度浴びたために重篤化し,又は右放射線により治ゆ能力が低下
したために重症化した結果,現に医療を要する状態にある,すなわち放射
線起因性があるとの認定を導くことも可能であって,それが経験則上許さ
れないとまで断ずることはできない。」と判断した。
このように,最高裁が,被爆後脱毛等の急性症状,被爆後の体調変化を
重視して放射線影響を認定していることは明らかである。
ウ被告らは,DS86はその後DS02によって正確性が確認されたなど
と主張するが,広島,長崎の被爆者において現実に発生している急性症状
や健康被害に基づくこれらの計算上の数値の検証は全く行われていない。
したがって,被告らの主張及びこれを裏付けるものとして提出されてい
る佐々木・草間意見書が,前記最高裁判決,さらに,この判決を踏まえた
京都原爆カ訴訟に関する大阪高裁平成12年11月7日判決・判時173
9号45頁やオ原爆訴訟に関する東京高裁平成17年3月29日判決で既
に決着済みの起因性の判断枠組,特に,①DS86等による初期放射線の
数値計算にのみ基づく原爆症認定の在り方を否定し,②放射線による急性
症状等や被爆後に生じた体調不良といった被爆者(申請者)に生じた具体
的事実を重視し,③これらの被爆前後の被爆者に生じた客観的な間接事実
を前提として,その積み上げに基づき,経験則により事実上の推定をはた
らかせて判断するという考え方に背馳し,問題を蒸し返すものである。
2留意されるべき事項
(1)国家補償責任
何よりも留意されなければならないのは,原子爆弾被爆者に対する国家補
償責任の存在である。
ア判例によって承認されていること
援護法の前身である原爆医療法について,いわゆるキ訴訟に関する最高
裁昭和53年3月30日判決・民集32巻2号435頁は,「実質的に国
家補償的配慮がその制度の根底にあることは否定できない。」と判示して
いる。在外被爆者訴訟に関する福岡高裁平成17年9月26日判決も,援
護法「の国家補償的性格が明確に否定されるものとはいえない」と,国の
国家補償責任を指摘している。
イ援護法の趣旨
(ア)援護法の前文に示されているのは,核廃絶および平和への願望であ
り,被爆者の置かれた状況を理解し,国の責任において被爆者を援護す
るということである。そうであれば,同法を解釈するに当たっては,立
法趣旨を正しく受けとめ,認定認定にあたってはこれを逸脱することの
ないようにしなければならない。
(イ)援護法は,旧原爆二法を統合して作られたものであるが,旧原爆二
法について,前記キ訴訟最高裁判決は,「原子爆弾の被爆による健康上
の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで,か
かる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであ
り,しかも,被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安
定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療
法は,このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自
らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり,そ
の点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは,これを否
定することができないのである。」と判示している。
(ウ)広島地裁平成17年5月10日判決においても,援護法につき,
「援護に関する法律の立法経緯や,法の目的に照らせば,法は,社会保
障の趣旨からだけでなく,国家補償の趣旨からも原爆による健康被害に
苦しむ被爆者を広く救済することを目的としていると解される」と判示
されている。
ウ被告らの主張とその誤り
被告らは,最高裁昭和43年11月27日大法廷判決・民集22巻12
号2808頁を引用し,一般戦災者との均衡を原爆症認定を厳格にする前
提論理としている。しかし,上記のとおり,被爆者に対する国の責任は,
国の違法行為による国家補償責任を根幹として考えるべきであり,原爆症
認定は給付対象者の権利の確認行為と位置づけられるから,裁量によって
援護の必要性のある被爆者を切り捨てることは許されない。
(2)科学的未解明性
原爆症認定をめぐる従来の裁判例においても再三確認されているように放
射線が人体に影響を与える機序は,いまだ科学的にその詳細が解明されてい
るわけではなく,放射線と疾病との関係についての知見は,統計学的,疫学
的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっているだけでな
く,原爆被爆者の被曝放射線量そのものも,その評価は極めて不完全な推定
によるほかないのが現状である。このように,科学的知見にも一定の限界が
ある状況の下で,放射線起因性につき直接の立証を要求したり,科学的根拠
の存在を余りに厳密に求めることは,原告に対し不可能を強いることとな
り,被爆者の救済を目的とする法の趣旨に沿わないものというべきである。
それゆえ,今までの裁判例も,上記エ訴訟最高裁判決が示したように,間接
事実の積み上げによって事実上の推定を働かせる判断手法をとってきた。
(3)疾病の発症についての経験則と原爆症の非特異性
疾病の発症に至る過程には多くの要因が複合的に関連していることが通常
であり,特定の要因から特定の疾病が生じる機序を逐一解明することは困難
である。殊に放射線起因の疾病は,非特異性疾患であり,放射線に特有の疾
病や症状が存在するわけではなく,その疾病や症状を個々的に観察する限
り,放射線に起因しない場合と同様である。そのため,被爆者の罹患する疾
病には,一般的・抽象的には放射線以外にも原因となり得る因子の存在が考
えられるが,放射線が当該疾病の発症又は促進,増悪の原因として作用して
いることは他の因子の存在と矛盾するものではない。
仮に他の因子が存在していても,その場合,放射線は,他の因子と相乗
的,共同的又は補完的に働いて発症原因として,あるいは発症の促進若しく
は症状の増悪原因として作用するからである。
(4)他因子についての証明責任
本件訴訟において問題となっているのは,放射線と当該疾病の発症又は促
進,増悪との間の法的因果関係の証明であるから,放射線が当該疾病の発症
又は促進,増悪の因子として関係していることを証明すればそれで十分であ
る。それ以上に放射線が当該疾病の発症の唯一の原因であることまでも証明
する必要はない。むしろ非特異性疾患について(特異疾患でも同様であろ
う),これを要求することは不可能を強いる非科学的な態度である。
つまり,他因子の存在は法的因果関係を肯定するについては何の障害も及
ぼさない。また,その場合でも放射線が主因であることまでも証明する必要
はない。長崎原爆エ訴訟最高裁判決やオ原爆訴訟東京高裁判決も,このよう
なことを前提としていると解される。
そこで,他因子の存在を理由に法的因果関係を否定するなら,被告側にお
いて,当該疾病の発症,促進,増悪は放射線以外の他因子のみによって生じ
たものであることが主張,立証されていなければならない。
3総合評価の判断枠組
本件と同様の全国各地における原爆症認定訴訟につき,6地裁で原告勝訴の
判決が下されている。いずれの判決も長崎原爆エ訴訟最高裁判決における間接
事実に基づく推定の仕方を具体化し,経験則を深め,単に被爆距離や疫学的知
見の数値のみによるのではなく,申請者の被爆状況,被爆後の行動,被爆前・
被爆・被爆後の身体に現れた症状や生活状況等から総合的に認定すべきことを
判断の枠組として示している。
被告らは,一連の敗訴判決にもかかわらず,旧審査方針を絶対視し,これに
反する一連の判決は「科学的な経験則におよそ基づかないばかりか,それに反
する認定」であると論難する。
しかし,被告らの主張は,一連の判決が合理的な検討の結果,共通して旧審
査方針の欠陥,制約を指摘し,その機械的適用の誤りを明らかにしたにもかか
わらず,これを無視し,あくまでも旧審査方針に固執する頑迷な姿勢を示した
ものである。そのために被告らは殊更に「科学的な知見に基づく経験則」によ
る立証の必要性を強調するのであるが,一連の判決によって,旧審査方針の欠
陥,制約は十分合理的に明らかとされている。旧審査方針の欠陥,制約が明ら
かにされた以上,旧審査方針の機械的適用が排除されることは当然のことであ
る。それにもかかわらず,旧審査方針が科学的知見に基づいていると強調する
ものの,当の旧審査方針そのものに内在する欠陥,制約を率直に認めようとせ
ず,ただ旧審査方針を無批判に絶対視する被告らの姿勢こそ,およそ科学的で
ないといわなければならない。
4原爆放射線起因性についての具体的要証事実
(1)「被告らによる起因性の判断の誤り」についての基本的考え方
原爆症認定制度においては,放射線ががんをはじめとする各種の疾病の原
因となり得ることを前提として,DS86による初期放射線を主とする被曝
線量の推定と原因確率やしきい値を判断基準として放射線起因性の有無を審
査判定し,この審査基準をクリアしない者の申請を却下している。原告ら
は,いずれも前記審査基準に照らし,当該疾病の発症をもたらし得る放射線
量を被曝していないとして申請を却下されたのである。そこで,本件各処分
の違法性を明らかにするには,①前記審査基準が誤っていること,②各原告
は初期放射線に限らず,残留放射線による外部被曝及び内部被曝など多様な
態様によって放射線に被曝しており,これによって放射線による人体影響を
受けたと推定できること,及び③各原告は,放射線が発症又は促進,増悪の
原因となり得ると考えられる疾病に罹患していることを証明すれば,放射線
起因性が認められるべきである。
(2)原告らの立証事項
原告らは,以下の事項が証明されれば放射線起因性の存在が肯定されると
考える。
アDS86及び原因確率に基づく審査基準による判定方法は,初期放射線
すら過少評価していることに加え,イの内部被曝を考慮していないこと
や,放射性降下物や残留放射線の影響が正しく評価されていない等重大な
欠陥があり,これを機械的に当てはめることが誤りであること
イ放射線の人体影響を検討するには,初期放射線による外部被曝だけでは
なく,残留放射線や放射性降下物による外部被曝及び内部被曝による放射
線の影響を考慮する必要があること
ウ原告らの被爆状況及び被爆後の行動によって,原告らが,初期放射線だ
けでなく,残留放射線による外部被曝や放射性降下物による外部被曝や内
部被曝をしており,これによって放射線による人体影響を受けたと推定で
きること
エ原爆被爆者にみられた急性症状である,脱毛,発熱,下痢,皮膚溢血
斑,壊疽性又は出血性口内炎症,食思不振及び倦怠感等は医学的に放射線
によるものと考えられているところ,遠距離被爆者,入市被爆者にも放射
線に起因する急性症状が発生しており,したがって,遠距離被爆者,入市
被爆者の中にも,人体影響を生じる程の放射線被曝を受けた可能性のある
こと(急性症状はあくまでも「被曝の事実及びその影響」の徴表であっ
て,被曝線量の徴表として理解されるべきでない。)
オ原告らの発症に至る経緯,症状の内容及び経過によって,原告らが,放
射線が発症又は促進,増悪の原因となりうると考えられている疾病に罹患
していること
5小括
上記4()ア∼オの事実が証明されれば,経験則を働かせることによって,2
原告らが罹患している疾病が,原告らが被曝した放射線に起因するものである
ことが推定されるところ,他に放射線以外の因子のみによって発症していると
いう特段の事情が認められない限り,原告らの疾病は放射線に起因するものと
認められるべきである。そして,放射線以外の因子のみによって発症している
ということは,放射線起因性を否定する被告らにおいて主張立証すべきであ
る。
第2原爆被害の実相
1原爆被害の特殊性
(1)人類史上最初の核戦争
昭和20年8月6日広島,同月9日長崎に投下された原爆は,人類が初め
て経験する核攻撃であった。
(2)原爆の威力
原爆の威力は,TNT火薬に換算して,広島原爆で約15キロトンないし
16キロトンであり,長崎原爆では21キロトンと推定されている。
核爆発により瞬間的に爆弾内に生じた高いエネルギー密度によって,核爆
薬,核分裂生成物や爆弾容器は,数百万度の超高温,数十万気圧という超高
圧のプラズマ状態の「火の玉」を作り,著しく高温の熱線やγ線を放出する
と共に,その急激な膨脹により爆発点付近で秒速約2万mという衝撃波が形
成された。原爆によって発生したエネルギーのうち,約50%が爆風,約3
5%が熱線,約15%が放射線のエネルギーになったとされている。
(3)都市と人間の崩壊
ア都市の消失
原爆投下により,広島も長崎も都市(街)が一瞬にして消失した。衝撃
波と爆風により,約10秒で街の大半は破壊され,熱線によって起こった
火災により灰燼に帰した総面積は,広島で約13,長崎で約6.7km2
であった。km2
イ人間の消失
昭和25年末までの死亡者については,広島で20万人(被爆時の所在
人口約35万人),長崎で10万人(被爆時の所在人口約27万人)を超
えると推定されている。
(ア)熱線による死亡
原爆による熱線は,爆心地付近では瓦や岩石の表面を溶融させるほど
の熱作用をもたらした。人間を一瞬にして炭化させ,あるいは,表皮を
肉体から剥離させ,重度の火傷を負わせた。その傷害の程度は,およそ
人間が人間としての外見上の体裁を保てないほど重篤なものであり,当
然ながらこのような重度の傷害を負った者も,やがて息絶えていった。
衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線火傷(1当たり2以上の熱量でcmcal2
kmkm起こる。)は,爆心地から広島では約3.5まで,長崎では約4
まで及んだ。そして,爆心地から約1.2以内で遮蔽物のなかったkm
人が致命的な熱線火傷を受け,死亡者の20%ないし30%がこの火傷
によるものと推定されている。
(イ)衝撃波と爆風による死亡
原爆の爆風による人間の死亡は,主として建築物の崩壊や飛び散る破
片によるものであった。爆心地から約1.3以内においては,爆風km
による死傷が特に深刻で,死亡者の約20%はこれによるものであっ
た。
(ウ)火災による死亡
熱線による建築物等への全面的な着火は大規模な火災を引き起こし,
巨大な火事嵐となって大災害につながった。熱線によって着火した建築
物等は,続いてやって来る衝撃波と爆風によって着火したまま崩壊し,
屋内にいた人間をその下敷きにした。爆風によって一時的に炎が吹き飛
ばされることがあっても,しばらくくすぶり続け,衝撃波,爆風の通過
後,倒壊した建築物等から一斉に発火し,下敷きになった人間は焼死し
た。熱線と火事による人体火傷が死亡者の約60%に対する原因であっ
たと考えられている。
(エ)放射線による死亡
人間は初期放射線や放射性降下物,誘導放射能により被曝し,重度の
急性障害を発症して死亡した。さらに,誘導放射能や放射性降下物など
の残留放射線は,人体外部より被曝するだけでなく,放射性物質を呼吸
や飲食等により体内に摂取する形での内部被曝も起こした。そのため,
初期放射線のほとんど到達しなかった遠距離被爆者や,救助活動や捜索
のために広島・長崎市内に入ってきた者も,放射線に被曝し死亡した者
も多い。
(4)被害の複合性
ア身体被害
(ア)死亡
原爆による死亡原因は,爆心地からの距離や遮蔽物の有無などの諸条
件に応じ,前述のような熱線によるもの,衝撃波や爆風によるもの,火
災によるもの,放射線によるものなど様々な要因のいずれか又は複数が
複合して生じている。死亡は身体被害の最たるものである。
濱谷正晴一橋大学教授作成の分析データによれば,被爆当日に死亡し
た者の半数は圧焼死,約34%は戸外で爆死している。それに対し,翌
日以降1週間以内の死亡者の3分の2は大やけどが原因であり,それ以
降の時期になると次第に原爆症で死亡した者の割合が増え60%を超え
る状態で年末まで続いていることが分かる。また,年内死者については
爆心地から日を追う毎に同心円上に外に広がっていることが分かる。さ
らに,昭和21年以降も被爆による死亡は続いている。特に,がんによ
る死亡者は昭和20年代は14%であったのが,昭和30年代は26.
8%,その後は3割近くに上っていることが分かる。
(イ)熱線,爆風などによる傷害及び後遺障害
熱線を受けながらも生き残った者であっても,熱傷が全身の各臓器に
障害を招いたり,熱傷が皮膚のある深さ(真皮乳頭層)をこえると,後
障害として瘢痕やケロイドが生じるに至った。また,爆風の直撃により
身体が障害物に叩きつけられたり,爆風で吹き飛ばされた物体の直撃を
受けたりした際の打撲,骨折,創傷が身体障害の後遺として残った。
(ウ)放射線による傷害及び後遺障害
放射線により被爆直後から様々な急性症状が現れ,また2週間後くら
いからは亜急性症状が現れた。さらに慢性的な長期にわたる後障害が現
れ,特に原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難などのい
わゆる「原爆ぶらぶら病」(慢性原子爆弾症)に悩まされた。そして,
現在になってがんなど様々な晩発性障害を生じている。
(エ)身体被害の複合性
上記の熱線,爆風,放射線による身体被害は択一的なものではなく,
個々の人間に複合的に生じていることに留意する必要がある。例えば,
放射線による骨髄,リンパ節,脾臓などの組織の破壊が血球特に顆粒球
及び血小板の減少という急性症状を生じ,外傷の治癒を阻害する要因と
なるなど,複合作用を生じている場合もある。
イ精神被害
(ア)健康に対する不安
被爆者の多くは,被爆者であることを理由として不安を抱いている。
濱谷正晴一橋大学教授作成の分析データによれば,全体の4分の3以上
の者がかかる不安の存在を認めている。また,その不安の内容として
「いつ発病するか分からないので不安だ」という者が約55%,「ぐあ
いが悪くなると被爆のせいではと気になる」という者が約65%に上
り,不安の内容は健康に関するものが主である。さらに,急性症状があ
った者の方がなかった者よりも不安を感じており,またその後頻繁に入
通院をしたり,ぶらぶら病を発症したり,健康状態の変化を感じたりし
た者の方がなかった者よりも不安を感じている。したがって,不安の有
無や程度は被爆後の健康状態と密接に関連していることが分かる。
原告らが原爆症認定を求める各疾病も,今になって突然生じたもので
はなく,被爆後現在に至るまで続くかかる不安の延長上に発症したもの
である。
(イ)心の傷(PTSD)
被爆者は様々な心の傷を負っている。被爆直後における人々の地獄の
苦しみや,その死に様を目撃した人は,その恐怖を一生忘れることがで
きない。精神科医中沢正夫も,被爆者は全員,重篤なPTSDを現在も
引きずっていると述べる。
(ウ)生きる意欲の喪失
このような健康に対する不安や心の傷は,多くの被爆者から,生きる
意欲を奪っている。濱谷正晴一橋大学教授作成の分析データによれば,
生きる意欲の喪失経験を持つ者が27.4%に上り,その事由として多
いのは「毎日がずっと病気との闘いであったから」など体の傷(その後
の健康状態の悪化)を原因とするものが多いことが分かる。また,急性
症状があった者やその症状数が多かった者の方が,なかった者やその症
状数が少なかった者よりも生きる意欲の喪失経験の割合が高い。その後
の健康状態が悪かった者ほど生きる意欲の喪失経験の割合が高い。さら
に,上記データによれば,体の傷や健康に対する不安や心の傷を負って
いる者ほど,生きる意欲の喪失経験の割合が高いことが分かる。
ウ社会的被害
(ア)生活基盤の破壊
原爆は一瞬にして都市と人間を消失させてしまう程の威力を持ってい
たため,生き残った者もそれまでの生活基盤を破壊されてしまった。原
告らはみな,家族や親戚,家や財産のいずれかを失っている。
(イ)差別
生き残った被爆者は,戦後の社会生活を生きていく中で,身体の後障
害や体調不良ゆえに社会生活上の差別を受けた。
(ウ)生活の困窮
差別のために就職自体が困難であるばかりか,就職しても身体の後遺
障害や体調不良ゆえに通常人と同様の労働ができず,低廉な給料しか得
られない。その一方で複数の疾病を発症するため医療費がかさみ,生活
水準はますます落ち込み,経済的に厳しい生活を送っている被爆者も多
い。差別を受けたり受けることを恐れたりして結婚や出産を諦めた結
果,高齢となった現在になって,扶養してくれる子や孫がおらずに困っ
ている者もいる。
(エ)社会的被害の複合性
身体被害と同様,社会的被害についても個々の人間に複合的に生じて
いる。すなわち,生活基盤の破壊が戦後の復興の大きな阻害要因とな
り,生活の困窮や差別を招いたと考えられる。さらに,身体被害と社会
的被害は多重的に生じている。しかも,濱谷正晴作成の分析データによ
れば,急性症状があった者の方がなかった者よりも生活や進学,仕事,
結婚等で悩みを抱いており,またその後の健康状態が悪かった者ほどそ
のような悩みを抱いた者の割合が高い。
(5)戦後の原爆被害の隠蔽と放置
米軍占領期間は,原爆被害の実態を訴えることは,GHQのプレスコード
により禁止された。しかも,昭和20年9月3日,米国の原爆調査団は,
「死ぬべき被爆者は全部死亡し,現在原爆症で苦しんでいる者はない」との
公式見解を発表し,拡大を続ける被害実態の隠蔽を図った。その一方で,米
国政府は昭和24年2月,広島・長崎に原爆傷害調査委員会を開設し被爆者
の検診をして調査研究を続けたが,なすべき治療は行わなかった。日本政府
も米国政府の原爆被害を過小に評価する政治的配慮に従い,被爆者に対する
援護措置,特に身体被害の調査,治療方法の研究や治療の実施を戦後長期に
わたり事実上放置してきた。このように,原爆投下後の国家の対応は,原爆
被害の実体解明に極めて消極的であり,なすべき治療を目的としたなすべき
調査研究・記録作業がなされているとは言い難い。
(6)原爆被害の特殊性に関するまとめ
このように,原爆は都市と人間の広範囲を一瞬にして消失させるほどの威
力を持ち,また放射線という爆弾投下後も物質や人間に影響を与え続ける威
力も兼ね備えていたために,死亡した人間はもちろん生き残った者にもあり
とあらゆる被害を与えた。これら被害はそれら被害の代表的な一例にすぎな
いばかりか,それらが多重に複合していることに留意する必要がある。
したがって,被害を総合的,相関的に捉えなければならないという点にも
原爆被害の大きな特徴がある。
2原爆放射線の人体影響の科学的未解明性
被告らは,放射線の影響ついては科学的知見を活用して当該疾病が放射線に
起因するものか否かを推論することは十分可能であると主張する。
しかし,原爆放射線の人体影響は,十分解明されておらず,これらの基準を
当てはめて判断することはできない。原爆による被曝線量の推定についても,
疫学的知見についても,放射線の疾病への影響が全て解明されているわけでは
ない。特に,晩発性障害は,被爆後,長期間経過して明らかになるものである
から,これについての疫学的知見も,研究途中のものとならざるを得ない。原
爆症認定訴訟に関する多くの裁判例も,原爆放射線の人体影響が科学的に未解
明であることを前提に判断している。
3被爆者の症状の特徴
これまでの多数の調査,研究によって,原爆放射線の影響としか説明のしよ
うのない,被爆者に共通する一定の症状が存在することが分かっている。
(1)急性症状
被爆者には,被爆前とは明らかに異なった体調の変化があった。
それは,脱毛,悪心,吐き気,嘔吐,食欲不振,口内炎,下痢,下血,血
尿,尾出血,皮下出血,生殖器出血などの出血傾向,脱力感,前進倦怠感,
発熱,口渇,喀血,咽頭痛,白血球減少,赤血球減少,月経異常などの諸症
状として現れることが多かった。
(2)慢性原子爆弾症
被爆者には,ぶらぶら病と呼ばれる不定愁訴症候群ないし易疲労症候群,
あるいは及び病気にかかりやすいなどの体質の変化もみられた。
肥田舜太郎医師は,医師として被爆者を診察し続けてきた経験を踏まえ
て,被爆者にみられるこうしただるさは一般的にいわれるだるさとは異な
り,働けないだるさと表現し,被爆者は生活上の困難を強いられたと証言
し,高橋稔医師の臨床経験にもある。都築正男医師は著書「原子爆弾の災
害」の「慢性原子爆弾症に就て」の中で,自らの臨床医としての経験をもと
に,慢性原子爆弾症についてその実体を明らかにしている。
(3)後障害
被爆者は,被爆直後の誌を免れたとしても,長期間を経過した後に後障害
を発症することが多い。その典型例は,がん,白内障などであるが,最近で
は,多岐にわたる疾病について原爆放射線との関連性が指摘されている。
(4)免疫的影響
肥田舜太郎医師が証言したように,被爆者が病気にかかりやすいことは歴
然としており,病気になると経過が非常に悪く,病状が突然変化したり,合
併症を発症するなど,一般とは異なる症状を起こすことが特徴としてみられ
た。これらの症状と,原爆放射線との影響は,科学的に十分解明されている
わけではないが,放影研が放射線と免疫の関係について研究を進めていると
ころである。
(5)旧審査方針の基本的問題点
旧審査方針では,遠距離・入市被爆者も含めて,多くの被爆者に,被爆者
特有の症状が生じていることを説明できないが,この点から,被告らの主張
する認定基準の限界が明らかとなる。同時に,被爆者が,上記のような病歴
をたどっていることは,被爆者の疾病が,放射線に起因するものであること
を裏付ける事実となる。
4急性症状について
(1)被告の主張とその基本的問題点
被告らは,急性症状はDS86から推定される一定以上の初期放射線を浴
びたものでなければ発症しないとしている。しかし,DS86では被曝線量
が少ないとされる,遠距離・入市被爆者についても,急性症状が発症してい
ることは,以下の調査・研究からも明らかである。
(2)遠距離被爆について
ア日米合同調査
平成10年6月7日に開催された原爆後障害研究会で報告した三根真理
子長崎大学医学部助教授は,日米合同調査団の記録を調査した結果を報告
した。これによると,長崎での典型的な急性症状の発症率は以下のとおり
である。また,遮蔽の有無によっても差があることが示されている。
(脱毛)2.1∼2.57.2%km
2.6∼32.1%km
3.1∼41.3%km
4.1∼50.4%km
(紫斑)2.1∼2.53.9%km
4.1∼50.4%km
イ東京帝国大学医学部調査
東京帝国大学医学部の調査は,広島における3以内の被爆者440km
6名(男2063名,女2343名)を対象にしたものである。
これによると,
2.1∼2.5で男性5.7%,女性7.2%km
2.6∼3で男性0.9%,女性2.4%km
の脱毛の発症が見られている。
また,遮蔽の有無によっても差があることが示されている。
ウ於保論文
於保源作医師が広島で急性症状の発症率を調査した「原爆残留放射能障
碍の統計的観察」では,「原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場
合」は,熱線や爆風の影響が小さく,また,残留放射線の影響も小さいと
し,初期放射線の影響を比較的よく表しているといえる。この場合でも,
2で30%の急性症状有症率があり,3以遠においても多くの急性kmkm
症状が発症している。また,屋内・屋外の別,中心部に出入りの有無によ
って分類した距離別有症率をグラフにしたものが甲133号証図15であ
り,遠距離まで急性症状の発症が認められたことが一目瞭然である。中心
地出入りなしの2以遠では,屋外被爆者の有症率は,屋内被爆者と比km
較して,顕著に増加している。屋内被爆と屋外被爆とでは,遮蔽状況の違
いがある。遮蔽がない屋外被爆者に有症率が高いということは,人体に影
響を与える多量の放射線が2以遠の遠距離にまで到達していることをkm
示している。
被告らは,於保論文に対し,脱毛のしきい値は3とか,異なるデーGy
タがあることから,信憑性は低いと主張している。しかし,脱毛のしきい
値が3であることの根拠自体明確でないのみならず,於保医師は広島Gy
の一定地域にいた3946名全員を対象として調査した者である上,於保
医師も医師としての資格を有した上で聴き取り調査を行っているのだから
客観性も担保されている。
エ放影研の調査
同調査でも2∼3で3%に,3以遠で1%に脱毛が見られる。kmkm
オ横田らによる2つの調査
横田賢一らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の発症率の調
査を行っている。
また,横田らは,平成12年に発表した「被爆状況別の急性症状に関す
る研究」257頁において,被爆距離が4未満の1万2905人(男km
5316人,女7589人)を対象に,脱毛の発症頻度を調査している。
この調査においても,2以遠の遠距離において,脱毛の発症が観察さkm
れている。しかも,遠距離においても遮蔽の有無により脱毛の発症率に差
が出ており,やはり遠距離にも放射線が到達したことを物語っている。こ
の調査では脱毛の程度も調査されており,そのうち重度脱毛の構成比を見
てみると,1.5∼1.9約21.4%km
2.0∼2.4約16.9%km
2.5∼2.9約13.7%km
3以遠約12.5%km
となっている。この点からも遠距離に放射線が到達したことが分かる。
カ児玉証人
東京地裁で児玉和紀証人は,自ら関わった「原爆被爆者における脱毛と
爆心地からの距離との関係」において「3以遠の脱毛が放射線以外のkm
要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているかもしれ
ない」としている。しかし,3以遠で約12.5%もの重度脱毛が発km
症していることについて,「(原爆放射線による影響が)あったかもしれ
ないというのは,言えると思います」と述べている。そのうえ,遠距離で
の脱毛及び紫斑の発症率につき遮蔽の有無によって差が出ていることにつ
いて,「放射線によって起こったんじゃないかという解釈は,素直にでき
ます」,「放射線によって出てきたのかもしれないというのは,言えると
思いますよ」と証言し,放射線の影響を認めている。
キ「原子爆弾災害調査報告集」における剖検例
同報告集には,長崎の原爆投下から約1か月後に死亡した被爆者の詳細
な解剖所見が報告されている。この中には,DS86では,ほとんどある
いは全く放射線が到達しないとされている2∼3での被爆でありながkm
ら,放射線被曝特有の症状を呈して死亡した例が報告され,「総て亜急性
原子爆弾症のために死亡したものである」と結論づけられている。
ク濱谷意見書及び濱谷証人調書
同意見書は,昭和60年の被団協の被爆者調査を分析したものである。
この分析によれば,被爆距離3超でも40.5%に上る者に急性症状km
が発症しており,被爆距離との相関性も確認できる。
ケ梶谷・羽田野報告
梶谷・羽田野報告によれば,
2.1∼2.59.34%km
2.6∼3.03.58%km
の者に急性症状が発症しており,被爆距離との相関性も確認されている。
コ調来助教授らの研究
自らも被爆しながら救護活動に奔走した長崎医大外科の調来助教授らが
昭和20年10月から12月にかけて調査した記録(原爆症認定に関する
医師団意見書)では,被爆距離2∼4で被爆した2828人のうちkm
2.7%に脱毛があること,うち2名は急性期に死亡していること,ま
た,嚥下痛では11.1%に出現していることが明らかにされている。
サ長崎原爆エ訴訟の事例
長崎原爆エ訴訟の原告は爆心地から2.45離れた地点で被爆してkm
いるが,脱毛や下痢といった急性症状を発症している。また,同訴訟最高
裁判決では,長崎の遠距離被爆者の事例が指摘されている。
シまとめ
このように,DS86によれば,放射線がほとんど到達していないとさ
れる爆心地から2以遠においても,様々な急性症状の発症が確認されkm
ている。
(3)入市被爆者について
ア賀北部隊
「ヒロシマ残留放射能の四十二年」には,広島地区第十四特設警備隊
(賀北部隊)の工月中隊に所属した隊員99名に対するアンケート等の調
査結果が記載されている。同隊員は,原爆投下後の昭和20年8月6日深
夜から同月7日昼ころにかけて西練兵場に到着し,同日ころから第1,第
2陸軍病院,大本営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事し
たにもかかわらず,以下のような急性症状を発症した者が32名もいたの
である(うち10名が2症状,3名が3症状を訴えていた)。急性症状の
内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4人,
白血球減少症が11人であった。このうち,放影研は,脱毛6人(うち3
分の2以上頭髪が抜けた者が3人),歯齦出血5人,口内炎1人,白血球
減少症2人について(これらのうち2人は脱毛と歯齦出血の両症状が現れ
ていた),ほぼ確実な放射線による急性症状があったとしている。
イ於保論文
於保源作医師の調査でも,原爆の瞬間には広島市内にはいなかった者に
ついて原爆直後中心部への出入りの有無で比べたところ,中心地に入らな
かった者は発熱,下痢,脱毛などの急性原爆症はゼロであったのに対し,
中心地に入った者は発熱,下痢,脱毛などの急性原爆症を発症したことが
報告されている。しかも,中心地滞在時間の長い者に有症率が高いことが
報告されている。
ウ広島原爆戦災誌(暁部隊)
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年にとったアンケート調査では,入市
被爆者の急性症状が明らかにされている。アンケートの対象者は,原爆投
下時に爆心地から12及び約50の地点にいた暁部隊の被爆者であkmkm
る。いずれも初期放射線の影響は考えられず,残留放射線のみに被曝して
いるといえる。年齢は,主に当時18歳∼21歳の健康な男子青年であ
る。原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,負傷者の収容,遺
体の収容,火葬,道路,建物の清掃などの作業に従事した。回答者は23
3人である。救援活動中の症状としては,8月8日ころから,下痢患者が
多数続出し,食欲不振を訴えている。また,救援終了後に基地に帰ってか
らは,軍医により「ほとんど全員が白血球3000以下」と診断され,下
痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状が少数ながらあった
とされている。そして,「復員後,経験した症状」は以下のようなもので
あった(233名回答)。
・倦怠感168名
・白血球減少症120名
・脱毛80名
・嘔吐55名
・下痢24名
これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合してお
り,入市被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられている。
エ三次高等女学校の入市被爆者
昭和20年8月19日から25日まで広島市の本川国民学校(爆心地か
ら約350m)に被爆者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校
の生徒のうち,氏名等が判明した23名に対し急性症状等が調査された。
このうち,生存者10名に対する調査では,本人が認知症であることなど
から調査が未了となっている3名を除けばほとんど全員(7名中6名)に
脱毛,下痢,倦怠感等の急性症状が発症していることが明らかになった。
しかも,この23名中白血病を発症した者が2名もいるのである。さら
に,死因が判明した死没者(11名)のうち,7名ががん(白血病2名,
卵巣がん,肝臓がん2名,胃がん,膵臓がん)により死亡しているのであ
る。
オ齋藤医師による「入市被爆者による脱毛について」
(ア)齋藤医師の報告内容
齋藤紀医師が,日本原水爆被害者団体協議会アンケート調査結果を,
被爆時在住地が爆心地から4以遠で,その後爆心地から2以内にkmkm
入市した事例を集計したところ,約10%に当たる29例について脱毛
の症状があったことが明らかになった。その結果を分析すると,被爆当
日や翌日の入市者においては,脱毛は珍しくない事象であること,入市
日が後期であっても,市内移動が繰り返される場合,放射線被害が出現
しうることが示唆されること,爆心地から離れた地点(約1.8)km
への入市者でも複数の脱毛事例が報告されており,被爆後一定期間経過
した後も,広島市内(約2)一円は脱毛をもたらすような放射能汚km
染が継続していたと考えられる。
(イ)被告らの主張に理由がないこと
被告らは,この報告に対し,①脱毛の発症メカニズムを理解しないと
か,②対象選択が不適切,③非脱毛群との相違を考察していない,④入
市日ごとの脱毛の出現率を比較していない,と論難する。
しかし,①については,被告の主張が前提としている脱毛のしきい値
を3とすること自体,個人の放射線感受性を無視するものであってGy
失当である。
②については,齋藤医師は甲190号証を作成するにあたり,基礎資
料たる「実態調査票」及び「聴き取り調査票」を検討している。被告が
検討した「被団協集計表」に誤記があったものであり,被告の指摘する
ことは齋藤医師の報告書の信用性を疑わせるものではない。
③については,放射線感受性には個人差があることからすれば,同じ
ような被爆態様であっても,脱毛を生じない人と生じる人とが出てくる
ものであり,被告の主張は失当である。
④については,被告が主張するような脱毛者と入市者の数が関係する
場合のほか,入市者個々人の入市日や個々人の行動様式が関係する場合
にも,入市日が後であっても脱毛の出現率が増減するのであるから,日
々の脱毛出現率が逆転することがあったとしても,残留放射線の減衰と
は矛盾しないのであるから,被告の主張は失当である。
カ田中熙巳の広島・長崎原爆の入市被爆者・遠距離被爆者の放射線障害に
関する意見書
同意見書には,証言集より,夫の安否をたずねて爆心地付近を捜索し,
残留放射線に被曝し,急性放射線障害で死亡した事例,遠距離(3.6
)で被爆し,爆心地で捜索活動をした結果,やはり急性原爆症で死亡km
した事例,遠距離(3.2)で被爆し,翌日から爆心地に滞在し,急km
性原爆症で苦しんだ事例が紹介されている。同意見書には,その他のこれ
まで指摘した急性症状の調査結果を,入市被爆者や直爆被爆者の距離相関
と,体系的にまとめてあり,被爆の実態の把握に極めて有用である。
キ入市被爆者の「急性症状発症率」について
濱谷意見書では,入市被爆者の急性症状の発症率,その症状の重さ(発
症個数)を調査している。それによれば,38.8%に急性症状が発症
し,そのうち発症個数が16個のうち5∼7個もあったものが20%ほど
もあったことが示されている。これは,被曝距離3内被爆者とほぼ同km
率であり,入市被爆者であるからといって,急性症状が発症しなかったと
は言えないことを表している。
クまとめ
以上のように,原爆投下当時市外におり,その後入市した者について
も,急性症状が発生している。これは,残留放射線・内部被爆によるもの
としか考えられないものといえる。
(4)他原因論に対する反論
被告らは,遠距離・入市被爆者に見られた急性症状は,放射線に起因する
ものとは限らず,伝染病や,栄養・衛生不良等の原因が考えられるとする。
しかし,被爆者にみられた下痢や発熱などの急性症状は,極めて特徴的な
ものであったため,その後の研究によって「急性症状」と銘打たれたのであ
る。外傷のない入市被爆者が,これらを発症して,死亡に至る例も多数報告
されている。被告らの主張するような一般的な原因では,これらの症状を説
明することはできない。
被告が援用する荒瀬誠治作成の意見書には,バサッと落ちるような態様が
特徴であり,8∼12週後には毛包が修復されるなどと記載されているが,
医療被曝を前提としたもので,原爆放射線被曝の状況を念頭においたもので
はなく,被爆者にみられた脱毛は原爆放射線被曝以外の原因からは十分な説
明がつくものでもないことは,齋藤紀医師作成の意見書が指摘するとおりで
ある。
被告らは,明石真言の意見書に基づいて,急性症状が現れる被曝線量は最
低でも1以上,下痢は腹部に5程度以上であると主張する。しかし,GyGy
原爆被爆ではなく原発事故等にデータに基づいた知見であり,本件で妥当す
る根拠は明確ではない。のみならず,被告ら自身が提出している乙8号証1
0頁と記載とも齟齬し,爆心地から1以遠で被爆した者にも後半に下痢km
が起きていることを説明することができないことも,齋藤紀医師作成の意見
書が指摘するとおりである。
5急性症状と慢性原子爆弾症
(1)慢性原子爆弾症の存在を示す調査結果
以上のような急性症状を発症した後,被爆の態様を問わず,慢性原爆症
等,被爆者の体調不良が発生することは,次の調査から裏付けられる。
ア濱谷意見書,証言調書
濱谷正晴一橋大学社会学部教授作成の分析データ及び濱谷証言調書によ
れば,急性症状があった者の方がなかった者より,その後の入通院が頻繁
であったり,ぶらぶら病を発症したり,健康状態の変化を感じたりするこ
とが多いが,かかる傾向はどの被爆距離又は被爆状況であっても同様であ
る。したがって,その後の健康状態を規定するのは被爆距離ではなく,急
性症状の有無すなわち実際に被爆した程度であることが分かる。
イ佐々木秀隆の調査
佐々木秀隆らが1994年に福岡県在住の被爆者3100人について,
調査した結果「47年間生きぬいた原子爆弾被害者の被爆後症状と『体
調』の推移」(広島医学47巻470頁)によると,「現在の体調不良」
が被爆時の被爆距離別では明確ではなく,被爆後の体調不良こそが,関連
するものであることを示している。
ウ本田純久らの調査
長崎大学原研・放射線疫学研究分野の本田純久らの調査も同様の結果を
示すものであった。
エ濱谷調査に関する補足
濱谷正晴作成の分析データ及び濱谷証言調書によれば,急性症状がなか
った者の中でも,4割を超える者にぶらぶら病の発症又は健康状態の変化
が生じている。したがって,急性症状が明らかでないからといってその後
の健康状態に何らの影響がないと決することもできない。
オまとめ
以上のように,被爆の態様を問わず急性症状は発症し,急性症状を体験
した者について,被爆後長期間にわたる健康状態の変化が生じるという,
被爆者特有の病歴が存在することが明らかとなっている。
(2)被告らの主張とこれに対する反論
被告らは,濱谷教授の報告が「医学的,疫学的研究報告ではない。」とし
て「そのような調査結果によって,遠距離被爆者に放射線被曝による急性症
状が発症したという事実を認めることができない」等と論難する。
しかし,原告らが主張しているのは,疫学調査以前に,被爆の態様を問わ
ず,被爆者特有の症状が生じているという事実であって,被告らの主張は,
これらの事実を覆す根拠となるものではない。しかも,濱谷教授の報告内容
は,上記のとおり医師による複数の調査とも符合している。また,急性症状
後のぶらぶら病,疾病の多発という健康障害も,急性症状と同様,一般的な
症状とは到底いえず,直接被爆者にも共通する被爆者特有の症状としか考え
られない。
6被告らが初期放射線の物理的影響に固執していること
被告らは,DS86が信頼できるものであり,遠距離・入市被爆者には,放
射線の影響はないとする。
しかし,上記の調査結果で現れた症状は,DS86による初期放射線量の推
定に疑問を抱かしめるものである。それだけではなく,被告が認定に際してほ
とんど考慮していない,残留放射線及び内部被爆の影響を強く疑わせるもので
ある。遠距離,入市被爆者にも生じている症状が,初期放射線のみでは必ずし
も説明できないのであれば,なおさら,残留放射線及び内部被爆の影響が強く
疑われるというべきである。ただし,被爆者それぞれの初期放射線線量・寄与
と誘導放射線による線量・寄与,更には放射性降下物由来の残留放射線の線量
・寄与の内訳を,核分裂反応から人体組織までの放射線を追っていく物理学的
方法によって厳密に示すことは,現在の知見では不可能である。これらを考え
れば,人体に生じた影響(急性症状等やその後の体調不良)全体から,放射線
の影響を推定するほかに,放射線の具体的影響を推定する方法はない。
第3DS86による線量評価の不合理性
1原爆放射線について
被爆者は,初期放射線や残留放射能の放出した放射線に全身を晒したことに
より,体表から被曝(外部被曝)をするとともに,放射性物質を呼吸や飲食等
を通じて体内に摂取し続けたことにより,体内に沈着した放射性物質が放射し
た放射線によって局所的に集中した内部被曝を継続的に受けていたのである。
2放射線の人体影響の概略
(1)直接電離放射線と間接電離放射線
放射線には,電離放射線と非電離放射線の2種類があり,原爆爆発と同時
に原爆容器から放出されるγ線や中性子線は電離放射線に分類される。これ
らのエネルギーが体内に吸収されることによって電離や励起が起こる。
α線やβ線は原子や分子に直接電離や励起を引き起こす直接電離放射線に
分類されるのに対し,γ線や中性子線は間接電離放射線に分類される。γ線
は,原子や分子を直接電離したことによって生じた2次電子によってさらな
る電離を引き起こすものであり,しかもγ線による直接の電離よりも2次電
子による電離が圧倒的に多い。また,中性子線は,原子や分子に直接電離を
引き起こすものではないが,容易に原子核に到達するため,2次的に生じた
荷電粒子線やγ線によって新たに原子や分子に電離や励起を引き起こす。
(2)放射線の直接作用と間接作用
上記のような放射線により,まず,細胞内のタンパク質や核酸(DNAや
RNAなど)が電離や励起を起こして破壊し,細胞が損傷する。これを放射
線の直接作用という。
これに対し,原子や分子の化学的結合が切れて遊離基が生成する。この遊
離基はフリーラジカルともいう。人体に放射線が入ったときには,人体の主
成分である水分子が変化した,OH基,H基または水和電子が多い。これら
のフリーラジカルが細胞内のタンパク質や拡散と反応して細胞を損傷される
のが放射線の間接作用である。
こうした放射線の作用により細胞が損傷された場合,細胞が修復酵素によ
って修復されなかったときには,損傷した細胞が拡大し,放射線障害として
発現するといわれているが,その仕組みは十分に解明されてはいない。
(3)確率的影響と確定的影響
細胞分裂の活発な細胞再生系の増殖細胞が放射線によって損傷した場合,
細胞の修復酵素によっても修復されず,それが致命的な場合,増殖細胞は細
胞分裂能力を失うことになる。そして,臓器や組織の機能が喪失するほど大
量の細胞が失われ,それが正常な細胞の増殖によっても補うことができない
場合には,臓器や組織の傷害は回復不能のものとなる。これが確定的影響で
ある。これに対し,細胞が損傷を受けたがその損傷が致命的でもなく,そう
かといって修復も十分でもなかった場合,その細胞が増殖能力を有するとき
には,がん細胞化することがある。ただし,その仕組みは十分に解明されて
いない。こうして,被曝線量の増加によって重篤度が増加するわけではない
が,発生確率は増加するものが確率的影響である。
ここで重要なのは,がんなどが確率的影響に分類され,低線量被曝者の発
がんであっても放射線の影響を無視できないことである。
3DS86の問題点
被告らが放射線被曝に関する線量評価として依拠するDS86は,原爆の物
理学的特徴と核物理学上の理論的モデルに基づいて放射線量の計算値を算出し
たものであるが,これには以下のとおり,実測値とのズレはもとより,計算根
拠となるエネルギー分布の正確性が全く担保されないものであり,被爆の実態
を解明するにはほど遠いものと言わざるを得ない。
(1)実測値との乖離
アDS86評価体系自身も認める正確性の限界
DS86による被曝線量の推定については,正確性において限界があ
り,これに基づいて被曝線量を推定することには大きな問題がある。この
ことは,DS86自身が発表当時から認めている。
甲14号証「原爆線量再評価」に,「中性子の測定についてのこの章の
結論は,中性子線量が更に研究が進展するまでは疑わしいということでな
ければならない。爆心地より1000mを超えたところで,十分質の高い
結論を出せる別の物理学的効果による熱中性子フルエンスの再測定は特に
価値のあることである」,「現在,DS86に含まれている改訂線量推定
モデルでの誤差の解析は不完全である」と記載されており,誤差の解析が
不十分で,再測定された結果による見直しが予定されているのである。
こうした状況を反映して,上野陽里京都大学名誉教授は,エ訴訟におけ
る意見書において,「DS86を使用した最近の論文でも,今後DS86
が変更になれば,その研究結果は異なったものになると,わざわざ注釈を
つけている。すなわち,放射線科学の研究者は今後起こるであろうDS8
6の変更を予測しなければ論文自体の評価が下がる状態になっている。現
在DS86に信頼を置くことは,正当性を欠き,DS86体系を何らかの
判断根拠とすることは,誤りである。これがDS86体系を取り巻く情勢
である」と述べている。
イ実測値との不一致の実証
熱ルミネッセンス法による測定技術が大きく進歩し,半世紀前の原爆の
放出した放射線の線量測定が可能になったことから,DS86発表以後,
広島・長崎において,くり返しγ線量及び中性子線量の測定が行われた
が,その結果はDS86による推定線量と大きな不一致を示すものであっ
た。広島でも長崎でも共通して,爆心から近距離ではDS86の推定値は
実測値に比して過大評価であるが,遠距離では過小評価に転じ,爆心から
の距離が増大するにつれて過小評価の度合いが拡大することが判明した。
(ア)広島におけるDS86と実測値との不一致
広島では,中性子によって放射化されたユーロピウム152,塩素3
6又はコバルト60の測定により数多くの実測値が得られているが,こ
の実測値とDS86の計算値とを比較すると,爆心地からの距離が90
0mを越えるとDS86は過小評価に転じ,1500m付近での実測値
のDS86の約10倍に,1800mでは約100倍になることが分か
った。これを2000m以遠に延長していけばDS86の推定線量は実
測値の2桁も3桁も低い線量評価になっていくことが推測される。
広島における測定の結果,DS86によるγ線の推定線量は爆心地か
ら1以遠では,実測値に比して過小に推定していることが明らかとkm
なった。星正治教授らが平成元年に爆心地から1909mの地点で測定
したγ線の線量の実測値は,DS86による推定線量の2.0倍及び
2.1倍であったとされている。
さらに,平成4年に長友恒夫教授らの測定した結果によると,爆心地
から2050mの距離では,実測値がDS86による推定線量の2.2
倍となったことが報告されている。
また,長友らは,平成7年には,爆心地から159mと1635mと
の間の測定も行い,この距離においてはγ線の線量実測値はDS86の
推定線量からずれていることを確かめており,この結果とこれまでの実
測値を総合して,長友らは,γ線の実測値は,爆心地から1100mよ
りも遠い距離においてはDS86の推定線量より大きい方にずれている
ことを指摘している。
(イ)長崎におけるDS86と実測値との不一致
長崎においても,熱ルミネッセンス法による測定が行われており,中
性子によって放射化されたコバルト60について,静間清教授らが系統
的に行った測定によれば,DS86の評価線量は爆心地より900mを
越えたあたりから過小評価に転ずることが判明した。
長崎原爆によるユーロピウム152の放射化のデータも測定されてお
り,広島に比べて実測値にばらつきはあるものの,最小2乗法により近
似曲線を求めると,DS86の推定値は爆心から700m以内で過大評
価であり,700mを超えると過小評価になる傾向が認められた。
(2)DS86中性子推定線量見直しの可能性の示唆
放影研のD.A.ピアースとD.L.プレストンは,平成12年に発表し
た論文「原爆被爆者の低線量被曝によるガン発生リスク」において,原爆被
爆者の固形がんの発症率を求め,広島原爆の遠距離における中性子線量をD
S86に基づいて推定すると,被曝線量の0.15から0.3付近のSvSv
相対リスク値が,想定した直線よりも上にずれている,すなわち低線量域に
おいて相対リスクが高くなることを示した。彼らは,その異常なずれが,D
S86の広島原爆の中性子線量が爆心地から遠距離では過小評価になってい
る可能性を検討し,DS86の1000mを超える距離での中性子線量とし
て実測値に基づいて修正した線量を採用し(数値的操作としては,減衰率を
下げ),かつ後述する中性子線の生物学的効果比として低線量域で40とい
う大きな値を採れば,固形がんの相対リスクに見られた異常なずれをなくす
ことができることを示した。
いかなる修正を加えれば相対リスクの線形性を回復できるかどうかはとも
かくとして,DS86による遠距離の中性子線量の推定が,放影研の疫学調
査の結果と矛盾することが明らかになったのであり,DS86が,そのまま
では遠距離には適用できず,大幅に修正せざるを得ないことが示唆された。
4DS02の問題点
(1)DS02の策定
被告らは,DS02なる線量推定方式を持ち出して,DS86の問題点
は,DS02の策定過程において解消され,その正確性が検証されたなどと
主張する。しかし,DS02は,DS86の計算値を一部の実測値に一致さ
せるための極めて技巧的な線量推定方式であり,その科学的合理性は極めて
疑わしいと言わざるを得ない。
DS86の発表以後,DS86自身においても言及されていた実測値との
不一致問題を明確にする努力が精力的に取り組まれ,DS86の広島原爆の
中性子線の推定値は実測値と比較して,近距離では過大評価であり,100
0mを超える遠距離では過小評価に転じ,過小評価の度合いは距離とともに
大きくなることが明らかとなってきた。そこで,近時,DS86を見直し
て,DS02が策定された。DS86からDS02に至る議論の経過を辿る
と,①近距離における過大評価を是正するために,原爆の爆発高度を上昇さ
せ,また原爆の爆発出力を増大する変更を行っていること,②爆心地から1
000m付近の中間距離において小村らによるユーロピウム152測定と長
島ら,ら及びらによる塩素36の測定によりDS86とほぼStraumeRuehm
一致する実測値が新たに付け加わったこと,が挙げられる。
ところが,この1000m付近の中間距離は,DS86の推定中性子線量
が,近距離における過大評価から遠距離の過小評価に移行する領域で,そも
そもDS86の推定線量が実測値とほぼ一致していた領域であり,この中間
領域の一致だけをもって,従来指摘されていた不一致の問題を解消したと論
じることは到底できない。
また,平成14年度厚生労働科学特別研究事業「原子爆弾の放射線に関す
る研究平成14年度総括・分担研究報告書」によれば,1400m以遠で
は,従来の実測結果と同様に,DS86の推定値より推定線量実測値が大き
くなる傾向が認められるのであるが,DS02では,これはバックグラウン
ドであるとして無視されているのである。
これまでバックグラウンドについては,主として日本の科学者が,努力し
て測定精度をあげ,バックグラウンドの評価を行い,DS86の中性子線量
が遠距離では過小評価となっていることを明らかにしてきた。これに対し,
米国の線量評価の主たる関心は,近距離の線量評価にあったため,米国の科
学者は,遠距離におけるDS86の推定線量の実測値との不一致は,実験結
果が原爆放射線以外のバックグラウンドを含んでいるためであるとして,遠
距離における不一致問題は無視することを主張してきた。このように,遠距
離においては実測値との不一致問題を無視するのであるから,DS02がす
べての距離で実測値と一致することは当たり前である。
しかし,これまで,測定技術を工夫改良して遠距離の測定を行ってきた日
本側の科学者は,バックグラウンドの問題にもかなり神経を使って,爆心地
から4あるいはさらに遠距離の試料から原爆放射線以外のバックグラウkm
ンドを評価し,このバックグラウンドの効果を生の測定値から差し引いて原
爆放射線の実測値を求めてきているのであり,米国のように遠距離における
不一致問題を無視する姿勢とは全く異なるものである。
なお,静間らの論文には,バックグラウンドの評価は,広島の爆心地から
南方4571mの宇品にある陸軍食糧倉庫の窓から採取された鋼鉄板150
0gを用いて行ったと,表・地図を用いて明記されている。また,測定方法
についても詳細な記述がある。こうして得られた静間教授らの中性子線に関
するコバルト60の測定結果は爆心からの斜線距離1793mのデータを含
めて,極めて貴重な遠距離の測定結果であり,DS86が遠距離において過
小評価をしていることを明確に示すものとなっている。
また,γ線のバックグラウンドについては,長友教授らが2450mにお
ける瓦のサンプルについて,熱ルミネッセンス法による同様の方法でバック
グランドを差し引くと,原爆によるγ線線量はマイナスになったとの報告を
している。本来,線量がマイナスになることはありえないのであり,このこ
とは,2450mの測定値において評価したバックグランドがむしろ大きめ
であることを示しており,長友教授らの2050mの実測値が過大評価では
ないことを示している。
(2)実測値との乖離
アγ線について
γ線については,DS02によって再評価が行われ,熱ルミネッセンス
法やバックグラウンドによる測定自体の誤差等が検討された。被告らは,
その結果,爆心地から1.5以遠ではγ線量がバックグラウンド線量km
と同量となって正確なγ線量を評価することができず,これを考慮してD
S02及びDS86の各計算値と熱ルミネッセンス法による測定値を比較
したところ,DS86の計算値の正当性が検証されたとする。
しかし,小佐古は,長友教授らの測定によって爆心地から2053m離
れた地点における測定結果が,DS86の推定値よりも2.2倍も大きい
ことが明らかとなったことを受け,爆心地から1500m以遠において測
定値がDS86の計算値よりも系統的に上回っていることをほぼ認めてい
る。また,DS02自身も「遠距離では測定値が計算値よりも高いことを
示唆する若干の例がある」と明示している。
イ熱中性子について
(ア)小佐古敏荘も認める遠距離における系統的過小評価
DS02では,熱中性子について新たな測定結果が用いられている。
被告らは,ユーロピウム152と塩素36の放射化測定によってDS
86の正確性が検証されたと主張する。しかし,小佐古は,コバルト6
0及びユーロピウム152の測定値が,遠距離においては系統的に計算
値を上回っていることを明らかにした。
(イ)コバルト60
平成10年の静間教授らによるコバルト60の測定結果は,明らかに
遠距離では測定値がDS02の計算値を上回っており,また,平成13
年の小村教授らによるコバルト60の測定結果も,遠距離では測定値が
計算値を上回っている。
なお,DS02報告書は,日米の科学者が共同執筆した第8章Aでは
「広島においては,恐らくは一つの例外を除いて,約1300mの地上
距離以内ではDS02に基づく計算値と測定値は全体としてよく60
Co
一致している。」と述べていながら,米国の科学者だけによって記述さ
れた「第12章被爆者の線量測定/D.測定値と計算値の図による比
較」の記述においては「空中距離600m(ほぼ爆心地付近)以遠の測
定値は,不確実性が大きいため,放射化測定値を持って放射線量システ
ムの計算評価値と比較することができない」と矛盾した記述をしてお
り,その信頼性には問題がある。
(ウ)ユーロピウム152
ユーロピウム152についても,遠距離において,測定値が計算値を
上回っているのであるが,この点,小佐古も,「ユーロピウム152に
ついては,測定値が(計算値の)上側に固まっている」と,それを認め
ている。
広島において,平成3年に中西教授らによって,また,平成5年に静
間教授によって,ユーロピウム152の測定が行われているが,コバル
ト60同様,測定値が計算値を上回っているという系統的なずれの存在
が明らかとなった。また,小村教授らのユーロピウム152の測定結果
も,遠距離に行けば行くほど測定値が計算値を上回るという系統的なず
れが生じている。
ウ高速中性子(速中性子)について
(ア)1400m以遠では役に立たない
DS02では,高速中性子についても新たな測定結果が用いられてい
る。しかし,乙証人は,この高速中性子に関する測定結果については,
遠距離すなわち1400m以遠については線量評価としては役に立たな
いと証言している。
(イ)近距離で過大評価,遠距離で過小評価となっていること
広島において,爆心地から380mの地点における中性子線量の実測
値は,DS86の推定線量の0.64倍であり,1461mの地点では
1.52倍となっている。この点,DS02においても,同爆心地から
391mの地点における中性子線量の実測値は,推定線量の0.85倍
であり,1470mの地点では1.90倍となっている。このように中
性子線について,DS86の推定線量もDS02の推定線量も,いずれ
も近距離で過大評価となり,遠距離で過小評価となっている。特に,遠
距離における実測値とのずれは,DS86よりDS02の方が拡大して
いる。
また,液体シンチレーション法(加速器質量分析法に比べてもその信
頼性が確認されている測定方法である。)によるニッケルの再測定もな
されているが,そこでも広島における爆心地より1500m地点での実
測値がDS02の計算値を上回っていることが確認されている。
(ウ)杜撰なバックグラウンドの評価
DS02の基となったストローメらの論文においては,1880m地
点の測定値をバックグラウンドとしていた。
しかし,その内容に合理性がないとして,DS02ではバックグラウ
ンドの数値を変更しているのである。これはDS02が極めて恣意的な
操作によって策定されていることを意味する。そもそも,バックグラウ
ンドの評価は,高速中性子が全く到達し得ない遠距離の測定結果を用い
るべきであるところ,ストローメらは既に1400m以遠の測定値はバ
ックグラウンドと同程度であると決めつけバックグラウンドとして採用
すべき5000m地点における測定を杜撰に行っているのである。
5計算値と実測値が乖離する理由(線量評価システムの非信用性)
(1)主に初期放射線のみを考慮
DS86及びDS02は,残留放射線については,ほとんど線量推定に影
響を与えないものとしている。また,放射性降下物については,広島では己
斐・高須地域,長崎では西山地域の2箇所のみを検討しているに過ぎない。
したがって,DS86は,主に初期放射線のみを線量推定の対象としてお
り,残留放射線や放射性降下物の存在をほとんど重視していない。
確かに,爆心地に近い地域の,初期放射線が大量に降り注いだ地域につい
ては合理的な推定値ということもできるが,爆心地から遠距離の地域におい
ては,初期放射線は距離と共に急速に減衰するため,むしろきのこ雲からの
放射性降下物(「黒い雨」や放射能に汚染された煤や微粒子など)や,爆風
や火災の風などで運ばれる放射能をおびた埃や塵などの残留放射能の方が初
期放射線より人体に多大な影響を及ぼすことになる。
しかし,DS86及びDS02は,これらの残留放射線,放射性降下物に
ついて十分な評価がなされていないのである。
(2)エネルギー分布の正確性
DS86及びDS02では,原爆の爆発威力(放出エネルギー)を算出
し,その威力を得るために核分裂の連鎖反応がどこまで進行したかを求める
ことにより放出された線量を決定するという方法を採っている。
しかし,広島原爆に関し,原爆機材の構造や材質の詳細や火薬の量と成分
の詳細などの基本的事項が公表されていない。さらには,広島原爆がどのよ
うな厚さの鉄でおおわれていたのかさえ分からないのである。日本国に示さ
れているのは,線源のエネルギースペクトルの計算結果だけであり,例えば
原爆の構造が違うとの報告が米国からなされただけで放出エネルギーの数値
は大きく変わってしまうものである。
しかも,広島原爆では,同型の爆弾による実験は行われておらず,原子炉
から放出されるγ線と中性子線の測定をし,さらに,コバルト60を置いて
γ線のレベルを測定する実験が行われただけであり,その出力推定は困難を
極める。実際に,T65Dの時点では,TNT12.5とされており,Dkt
S86の時点では15,さらにDS02では16と変遷している。ktkt
また,長崎原爆の爆発威力については,同じ形式の爆縮型プルトニウム原
爆の爆発実験の測定値をもとに,コンピュータによる計算の結果を総合し
て,TNT21相当とされてはいるが,この設定段階でも既に若干の誤差kt
が生じている可能性は否定できない。さらに,この爆発威力を前提として爆
発時に放出される中性子線とγ線の大気中への分布状況を求めることになる
が,DS86において与えられたこの分布に関する数値は,米国の地下核実
験データが元になっており,これは高度の軍事機密となっているために算出
過程は一切明らかにされず,結果だけが示されているにすぎない。
したがって,DS86及びDS02の線量推定の基礎となるべき重要な数
値の検証ができない状況になっている。この点を敷衍すれば次のとおりであ
る。
ア原爆の構造
原爆から放出される中性子やγ線のエネルギー分布や線量は原爆の構造
に大きく依存する。
広島原爆は,臨界量以上のウラン235を砲弾状の塊とリング状の標的
の2つに分けて,それぞれは臨界条件を満たさないようにし,爆発させた
い時に砲弾状の塊を火薬爆発の圧力で他方のリング内に衝突合体させ,そ
の衝撃で中性子発生装置から中性子が放出され連鎖反応がスタートすると
いうものである。この装置自身のテストはたびたび繰り返されてその確実
性が確かめられていたので,ウランによる核爆発実験を行う必要はなかっ
たために製造段階での実験による線量のデータは存在せず,その後も実際
に同じ型の原爆を用いた実験もなされていない。
これに対して長崎原爆は「爆縮式」と呼ばれ,臨界量にわずかに達しな
い中空の球状のプルトニウム239の塊の周りを火薬で取り囲み,一斉に
火薬に点火して火薬の爆発でプルトニウムの塊が圧縮されて,プルトニウ
ムの核分裂の連鎖反応の臨界量を超えさせるという構造である。約1のkg
プルトニウムが核分裂して,高性能爆薬TNTの約2万2500t分の爆
発エネルギーを放出した。このような構造の長崎原爆では,核分裂で生成
された中性子は,周りを取り囲む火薬成分の原子核と衝突・吸収を繰り返
すため,原爆容器の外に出てきた中性子の量は,広島原爆に較べて相対的
に少なく,エネルギーも低いものが多くなった。
このように,原爆から放出される中性子やγ線の線量やエネルギー分布
は放射線発生源の構造に大きく依存する。
イ連鎖反応の違い
広島型原爆は,火薬に点火し,一気に砲弾状の塊をリング内に衝突合体
させて,瞬間的に連鎖反応をさせるのである。これはエネルギーの高い即
発中性子のみによる連鎖反応であり,また爆発した火薬が核分裂したウラ
ンに接して存在していたので,放出される中性子線のエネルギー分布は,
原子炉を使ったレプリカとはかなり異なったものの可能性がある。原子炉
のレプリカでは,火薬部分による中性子の散乱は考慮されていない。核分
裂で発生した中性子を減速剤によって低エネルギーの中性子にし,遅発中
性子によって臨界状態になるような継続した連鎖反応が用いられている。
この場合,遅い中性子の吸収によるウラン235の連鎖反応を用いる原
子炉の放出する中性子線と,高速中性子の吸収によるウラン235の連鎖
反応を用いる原爆の放出する中性子線とでは,高エネルギー中性子線の割
合において差が生じ,後者の方が高エネルギー成分が多くなる。この差
は,連鎖反応の繰り返しによって拡大する可能性があるので,原子炉のレ
プリカによる実験結果を広島原爆にそのまま適用することはできない。
逆に,構造が異なるにもかかわらず,原爆の構造を前提にしたDS86
の計算結果と原子炉による実験の結果とが一致したとすると,DS86の
うち,放射線の大気中の伝播過程を計算する際に入力すべきソース・ター
ムのうち,中性子線の高エネルギー成分がわずかに過小評価になってお
り,これが遠距離の中性子の過小評価につながった可能性を示していると
考えられる。
(3)湿度分布
中性子の遠距離への伝播については,大気中の水分,すなわち湿度が重要
な要素となる。中性子は空気中の水素の原子核により吸収・散乱するため,
湿度が低ければ吸収・散乱が少なくなり,より多くの中性子が遠距離に到達
することになるからである。
ところで,DS86及びDS02では大気中の水分量を示す値として定点
である特定の気象台の観測結果をそのまま一律に適用しているが,爆心地付
近がこれと同一の湿度であったわけではない。
DS86及びDS02では,広島原爆については広島気象台(爆心地の南
南西3.6)での測定値である湿度80%を,長崎原爆については,長km
崎海洋気象台(爆心地より南南西4.5)の測定値である湿度71%をkm
採用しているが,両気象台とも海や川に近く,家屋が密集した市街地と比べ
て湿度が高かった可能性が極めて高い。
また,DS86及びDS02は線量推定の対象となるいずれの空間領域に
おいても湿度が一定であるとの前提で計算されているが,地表付近と上空で
は湿度が大きく異なることが考えられ,前提自体が間違っている可能性もあ
る。
このように,爆心地付近の湿度が,DS86及びDS02の入力データよ
り低ければ,中性子線の大気中の水分の原子核による吸収が減少し,DS8
6及びDS02による推定値よりも多量の中性線が遠方に到達したことにな
る。
(4)ボルツマン輸送方程式
DS86における推定線量計算は,爆心から水平2812.5mまでの距
離を同心円上に,上下も高さ1500mまでを地表から一定の高さごとに区
切って,円筒形のリング空間(計算領域)ごとに放射線の伝播を計算するも
のである。しかし,1500m以上の上空や2812.5m以遠から計算領
域の円筒内に入ってくる放射線の寄与を全く無視していることは問題であ
る。また,各計算領域への放射線の入射角度についても飛び飛びの特定の角
度だけにして放射線の入射・散乱角度をデジタル化して近似し,ボルツマン
輸送方程式に基づいてコンピューター計算を行っているが,ボルツマン輸送
方程式による計算方式では,ある1つの要因で計算領域の計算値が一旦ずれ
てしまうと,これが次の計算領域での計算値の入力のための前提データとな
るため,ずれは次々に累積・拡大していき,爆心地から遠距離になるほど誤
差の生じる危険性が高まる。
このように,DS86は,実験に基づかない計算値であることから,そも
そもその線量推定には学問上も問題があると言わざるを得ない。
(5)軍事機密性
ア軍事的性格と秘密性
DS86の策定は,もともと軍事的目的に発するものであり,軍事機密
のために重要な部分の追検証が不可能で科学性が担保されない。
被爆者たちが爆心からの距離や被爆時の状況に応じてどれだけの放射線
を浴びたのかという問題は,何より被爆者の医療・救済にとって,また放
射線の人体影響を追究する諸科学にとって極めて重要な問題である。被爆
地点に応じた線量を調べるためには,核実験によって距離に応じた放射線
量を測定してそこから広島・長崎の場合を推計する方法か,あるいは粒子
の運動についての計算式をたてて計算し,計算結果を被爆試料による実測
値と照合して検証するという方法によることになる。
もし,この問題を純粋に科学的立場から追究しようとするならば,原爆
投下後できるだけ早い時期に被爆試料を十分に収集し,他方で,原爆の詳
細な構造・材質,格納されたウラン及びプルトニウムの質量等のデータに
加え,核分裂連鎖反応の進行の度合い,爆発高度や爆発時の爆弾の向き,
当時の大気と土壌の組成等の詳細なデータをも加味して,線量推定計算を
行う必要がある。この場合重要なことは,実測値と,計算値どうしを比較
し,食い違いがある場合にはその理由を明らかにすることである。独立し
た複数の研究機関(国)においてそれぞれ独自の方式によって計算し,そ
れぞれの計算式の原理,インプットされるパラメータの内容,計算に用い
るコンピュータの性能・構造に至るまで広く専門家による集団的な討議と
検討がなされる必要がある。実測値についても同様である。
そして,何より重要なことは,これらの作業・研究は,各分野の専門家
による科学的な相互批判・検証によってその科学性を担保すべく,すべて
公開の原則の下になされねばならないということである。
ところが,現実は,例えば,原爆の発した放射線がどの距離までどの程
度到達したかという調査研究は,被爆直後から日本の物理学・化学の研究
者などによって行われていたが,その発表は米国の占領政策によって抑制
され自由な研究が許されなかった。昭和31年になって,米国原子力委員
会はオークリッジ国立研究所を中心に「イチバンプロジェクト」と呼ばれ
る核実験をネバダ核実験場で行い,その結果に基づいて昭和32年に「1
957年暫定線量(T57D)」が発表された。これが線量推定研究の端
緒である。もともとオークリッジは,第2次大戦中,原爆製造を秘密裏に
進めるべく特別に作られた都市であり,同国立研究所は,マンハッタン計
画のもと原爆実用化に不可欠な兵器用プルトニウム製造のための黒鉛型パ
イロット原子炉施設が前進であり,戦後も最新核兵器開発の一翼を担う研
究所である。T57Dのとりまとめも米軍のヨーク大尉が責任者となっ
た。そして,「イチバンプロジェクト」の詳細は軍事機密との関連で公表
されなかった。追検証は不可能である。このように,被爆線量推定の研究
は,被爆者の救済や純粋な科学の立場からではなく,原子爆弾の兵器とし
ての破壊・殺傷効果を検証するという軍事的目的から出発し,その結果,
科学者の立場から極めて重要な多くの事項が軍事機密のために明らかにな
らないままでの研究を強いられているのである。
イDS86について軍事的動機の存在の指摘
DS86策定の発端は,昭和51年に米国ロス・アラモス国立研究所の
がT65Dの数値に疑問をなげかけたことにある。この時期は,ちPreeg
ょうど米国が中性子爆弾を開発した時期と符合する。中性子爆弾は,他の
核兵器とは異なり,放射線を主たる殺傷要因とする「放射線強化兵器」で
あり,戦場に展開する重戦車隊の兵士に放射線を浴びせかけて神経麻痺症
状を起こし,任務の遂行を不可能に陥れることが目的であると言われてい
る。そのため,軍事兵器としての効用を評価するためには,被曝線量の評
価を正確に行う必要があったと思われる。米国は部分的核実験禁止条約
(昭和38年)に加盟していて大気中核爆発実験ができないため,コンピ
ュータによる数値実験が行われその副産物としてコンピューターによる計
算結果とT65Dとの不整合が判明したのである。
ウ軍事機密による妨げ
さらに,DS86の計算過程も,重要な点が軍事機密との関係で日本側
には知らされず,計算過程の科学的検討の妨げとなっている。
すなわち,DS86における線量計算は,次の手順を経る。
①出力
核実験のデータや火球膨張の速度,原爆の構造に基づく理論計算等
から,原爆の出力を推定する。
②ソースターム(放出された線量等)
①で推定した爆発威力を前提に,原爆の爆発の過程をスーパーコン
ピュータで計算して,原爆から放出された中性子線やγ線の線量・エ
ネルギー分布のデータ(ソースターム)を求める。
③空中輸送
このデータを,ボルツマン輸送方程式というミクロ多粒子の伝搬
(輸送)を記述する方程式に代入して,爆心からの距離に応じた放射
線の到達量を計算する。
ところが,出力推定(①)や線源算出(②)の大前提となる原爆の構
造と材質の詳細は軍事機密とされているために完全な検証が不可能であ
る。さらに,爆発過程の再現による線源の算出については,米国側から
日本側に明らかにされたのは,核分裂連鎖反応が始まった直後に原爆容
器を通り抜けて外部へ放出された即発γ線と中性子線の線量・エネルギ
ー分布に関する計算結果だけだった。輸送計算のプログラムもその概要
のみが知らされているだけで具体的な内容は明らかにされていないので
ある。
どんなに優れた理論であろうと,いかに優秀な大型コンピュータによ
る計算結果であろうと,それが現実を説明・再現するための理論モデル
である以上,科学の名に値するためには,計算過程のそれ自体の追検証
と,他の理論モデルによる計算結果や実測データとの比較検討が不可欠
である。ところが,DS86については,上記軍事機密の壁によって,
その核心部分において計算過程の追検証が妨げられていることは否定で
きない事実である。
エソースタームの過小評価
DS86にしろDS02にしろ,遠距離での被曝線量が過小評価である
との点は,上記4()において紹介した様々な実測値からも,被告らも否2
定できないところである。そしてその理由は,いわゆるソースタームのう
ち,中性子線の高エネルギー部分に対する過小評価という共通の原因があ
ることを示唆するものである。
オ不一致問題の未解決性
DS86の策定やDS02への改訂作業には,日本側科学者も参加して
おり,日本側の科学者は基本的に科学的な態度で努力をしていることは事
実である。しかし,米国政府側で線量評価の問題を管轄しているのは,エ
ネルギー省であり,同省は,小型核兵器の開発研究をしている。米国が核
兵器使用政策を放棄していない現状では軍事的な要素は否定できないし,
軍事機密の存在が大きな妨げとなっている。
カまとめ
これら軍事機密はDS86やDS02の科学的検証を不可能にしてお
り,この一事をもってしてもこれらは信頼できないというべきである。
被告らは,DS86は他でも用いられていること,他でも頻繁に用いら
れる計算コードであるモンテカルロ・コードを用いてること,輸送計算に
用いられているデータは公開されていること,実験に用いられたレプリカ
は広島原爆の外殻を模していること,とあれこれ述べて,DS86は検証
可能と主張している。
しかし,そもそもソースタームや原爆の構造そのものが検証できない以
上,いかなる計算コードを用いてもそれが実際に使われた原爆との比較検
討ができない状態であることには変わりがない。また,ソースタームが検
証できない以上,輸送計算過程だけを検証できたとしても,輸送計算の結
果の正確性を検証できないことには変わりがない。
(6)急性症状を説明できないDS86及びDS02
第2のとおり,様々な論文,報告により,DS86によると被曝していな
いと推定されるはずの多くの被爆者について,放射線による急性症状が発症
していることが分かっている。そして,これはあくまでも事実の存在である
から,DS86の計算方法にとを加えたに過ぎないDS02によって覆させ
る性質のものない。
6先行訴訟の判断
以上のとおり,DS86及びそれに続くDS02が誤った線量評価であるこ
とは明白であり,そのことは,これまでの原爆症認定訴訟判決においても繰り
返し示唆されているところである。
第4残留放射能の危険性
1旧審査方針における残留放射線の評価及び被告らの主張
被告らは,旧審査方針における残留放射能についての被曝線量を定めた別表
は,調査結果を踏まえたものであり,これに勝る科学的な知見は存在せず,こ
れを用いることが最も科学的な推定方法であると主張する。
2入市者に見られた急性症状
前述したように,原爆放射線に被曝した被爆者の中には,いわゆる急性放射
線障害(急性症状)の発症が認められる者が多数おり,その中にはいわゆる入
市被爆者にも急性症状の発症例が多く認められたという厳然たる事実が存在す
る。このような入市被爆者に生じた急性症状について,DS86やDS02で
は説明できない。旧審査方針が依拠するDS86では,初期放射線の影響がな
い,又は極めて少ないと思われる多数の者に急性症状が発生しているという事
実を説明出来ないのであるから,このような旧審査方針の科学性を殊更強調す
ることには,意味がない。このように,旧審査方針では,被爆者の現実の症状
を説明出来ない以上,旧審査方針に合理性はないことは明らかである。
3放射性降下物の降下範囲について
被告らは,広島では己斐・高須地域,長崎では西山地域が特に放射能が高か
ったという調査結果をもとに,放射性降下物の積算線量を計算し,同地区にお
いても放射性降下物の影響は極めて低く,その他の地区においては無視し得る
程度であるから,入市被爆者に急性症状としての脱毛や下痢が発症することは
ありえないと主張しているが,これは合理的根拠を欠くものである。
(1)放射性降下物の生成過程
ア黒い雨
昭和20年8月6日,広島原爆炸裂の後には広島市の内外に,同月9
日,長崎原爆が炸裂した後には長崎市内外に,それぞれ広範囲にわたり放
射性物質を含む雨が降った。この放射性降下物を含む雨は,爆発時に黒煙
として昇った泥塵や火災による煤塵等を含んでいたために「黒色泥状」で
あったものが多かった。そのため,途中から無色の状態になり「白い雨」
と呼ばれることもあるが(甲58号証(以下「宇田論文」という。)),
一般的に「黒い雨」と呼んでいる。
イ放射性降下物の生成過程
「黒い雨」「黒いすす」「放射性微粒子」の生成過程は以下のように理
解されている。
原爆容器の中で核分裂の連鎖反応が始まると,その狭い空間内に莫大な
エネルギーが放出された。すなわち原爆の爆発である。このときの核分裂
生成物は主にβ線やγ線を放出する。さらに,原爆装置とその容器が,核
分裂で生成された中性子を吸収して放射性物質となる(誘導放射能)。
広島原爆のウラン235や長崎原爆のプルトニウム238のうち実際に
核分裂を起こしたのはほんの一部であり,未分裂のウラン・プルトニウム
も自らα線を放出し,更に異なる放射性原子核に壊変しながらγ線やβ線
を放出する。
上記の未分裂ウラン・プルトニウム,核分裂生成物,誘導放射化された
原爆容器等から放出された電磁波は直ちに周囲の空気に吸収され,空気の
温度を上昇させ,プラズマ状の空気の塊すなわち火球がつくられる。火球
が膨脹し,上昇して温度が下がると,様々な放射性物質は放射性微粒子な
いし「黒いすす」となる。さらに火球が上昇して温度が下がると,この放
射性微粒子や「黒いすす」が空気中の水蒸気を吸着して水滴となる。そし
て,地上に降り注いだ中性子は土壌や建造物などに吸収され,これらの物
を誘導放射化する。このとき,原爆の衝撃波によって地上の建造物は粉々
に破壊されているので,誘導放射化された物質が地上に立ちこめている。
そして,火球の温度が下がると,火球は急激に上昇する。すると,火球
の下の空気を補填するために,周囲の放射性微粒子や「黒いすす」を含ん
だ空気が火球の下に吹き寄せられ,火球とともに上昇して,巨大なキノコ
雲を形成する。
こうしてできたキノコ雲は,圏界面を突破して成層圏に到達した。
また,原爆の熱線によって生じた大火災によって発生した上昇気流によ
っても,地上の粉塵が上空に巻き上げられた。
さらに,このような強い上昇気流が発生した周辺では,上昇気流を補填
するために強い下降気流が発生する。こうして,「黒いすす」「黒い雨」
が相当広範囲に降下したのである。
ウ被告らの想定の誤り
被告らは,広島原爆後,未分裂ウランがあったとしても,それらは気化
(蒸発)し,大気中に拡散したと主張する。
しかし,そのような事態は発生していない。すなわち,原爆の爆発直後
は,火球が生成され膨張していくが,このとき高圧の波が伝搬する。その
伝搬速度が火球の膨張速度より速くなったときに衝撃波となるのだが,こ
れは波の移動であって,通常の爆弾の爆風のような空気の移動ではないの
で,未分裂ウラン(プルトニウム)を拡散させはしない。そもそも,原爆
爆発後にウラン(プルトニウム)は気化(蒸発)しているのではなく,プ
ラズマ状態になっているのである(温度が上昇して負電荷をもつ電子が正
電荷をもつ原子核から離れ,正と負の粒子として別々に運動している状
態)。原爆の爆発によって生じた未分裂ウラン・プルトニウムは火球の中
にとどまっているのである。火球の中には,未分裂ウラン(プルトニウ
ム)だけがあるのではなく,核分裂生成物や中性子によって誘導放射化さ
れた原爆機材の原子核もあるその核分裂生成物は質量数95や139付近
の元素が多いが,これらは空気中では2㎝内外しか進行せずに,爆風が地
上に到達しても拡散することなく火球の中にとどまっているのである。
被告らの主張は,原爆の爆発による爆風と通常爆弾の爆発による爆風と
を混同させ,放射性降下物の影響を過小評価しようとするものであって,
理由がない。
(2)「黒い雨」の降雨地域
ア宇田雨域とその後の「黒い雨」問題
「黒い雨」が降った範囲についての最初の報告は,昭和28年の宇田論
文である。宇田らは,170個の資料に基づき,長径29,短径15km
の長卵形の雨域を報告した(宇田雨域)。km
ところが,この“黒い雨”の地域が,被爆者援護の問題と関連して,政
治問題化した。すなわち,広島と長崎の被爆者に対して,「原子爆弾被爆
者の医療等に関する法律」が制定されたのが昭和32年のことであるが,
昭和40年の改正で,「残留放射能濃厚地区」が「特別被爆地区」に指定
され,「黒い雨」地域と被爆者援護との関連が生まれた。しかし,特別被
爆地区に指定された地域は,降雨域のほんの一部であったので,特別被爆
地域の指定拡大を要求する運動が起こり,昭和51年,宇田らの報告にあ
る「大雨域」が「健康診断特例地域」に指定されるようになった。
さらに,大雨域だけでなく降雨域全体を健康診断特例地域に指定せよと
いう運動が起こる中で,被爆者の中から「宇田雨域」以外でも黒い雨が降
っていることが指摘されるようになった。つまり,激しい雷や積乱雲が発
生した場合には非常や不規則な形で雨が降るのであって,川や山などの地
形の影響も小さくない。原爆投下後の気象状況も同様であって,「黒い
雨」が宇田雨域のようなきれいな卵形の形をしていたとは考え難い。
イ増田雨域の提唱
こうした問題状況の中で,長年気象研究所に勤務し数値予報の研究に携
わってきた増田善信博士は,平成元年,丹念な調査によって「黒い雨」の
新たな雨域(増田雨域)を発表した。
増田論文が基礎としたのは,宇田論文の基礎資料の他,広島県の調査資
料(1万7369人が回答したものの調査報告),72人からの聴取調
査,アンケート調査1188枚,手記集・記録集から358点の資料な
ど,2000を超える豊富なデータである。しかも,記憶の希薄化や原子
爆弾被爆者の医療等に関する法律上の健康診断特例地域の拡大運動との関
係から,増田は慎重に,相互に矛盾のない回答を得るために雨の降り方を
3種類に分け,聴き取り調査に参加した人にもアンケートを提出してもら
うよう努め,こうして集められたデータを信用度の違いなどから総合的に
吟味し,大学ノート2冊にまとめ上げた。このような緻密な資料整理のも
とに慎重に確定された増田雨域は,爆心より北西約45,東西方向のkm
最大幅約36,面積約1250㎡に達し,宇田雨域の約4倍にもなっkm
た。それでも,増田自身が認めるように,爆心地の東側や南側の資料はほ
とんどないため,今後これらの地域が雨域に含まれる可能性も否定できな
い。また,「黒いすす」や「放射性微粒子」が降下した範囲は,ほとんど
目に見えないものも多かったことから明確ではないが,「黒い雨」よりも
降下範囲が広かったことは言うまでもない。
(3)増田雨域の検証
ア静間報告との符合
静間清博士は,広島原爆投下3日後に仁科芳雄理化学研究所長(当時)
らが爆心地から5以内の地点で採取した22個の試料でセシウム13km
7の精密測定を行い,11個のサンプルでセシウム137を検出したうえ
で,降雨域と比較して報告した。その結果は,増田雨域とよく一致した。
(ア)セシウム137が検出されたサンプル18,22及び25は,増田
雨域には含まれているが,宇田雨域の境界上にある。
(イ)セシウム137が検出されたサンプル2,3,13,14及び16
では,セシウム137の沈着率は低いが,増田雨域の小雨域がほとんど
である。
(ウ)サンプル24,26及び27は,放射能が検出されなかったが,増
田雨域にも入っていない
イ藤原らの報告との符合
藤原武夫博士らは,昭和24年に旧ソ連が核実験を開始する前である,
昭和20年から昭和23年にかけて広島の残留放射能を調査した。この調
査結果は増田雨域とよく符合し,これと矛盾しない形で等値線を引くこと
が可能である。このように,増田雨域は,原爆投下後から世界中で核実験
が開始されるまでの間に採取された貴重なデータとよく符合するのであっ
て,「黒い雨」による残留放射能の影響のある地域をよく示している。
(4)「黒い雨に関する専門家会議報告書」
ア「黒い雨に関する専門家会議」設置の経緯
増田の「黒い雨」の地域に関する発表は大きな反響を呼び,これがきっ
かけになって,昭和63年,広島県・広島市が資金を出し合い「黒い雨に
関する専門家会議」を設置した。
ところが,この「黒い雨に関する専門家会議」は,降雨地域について
は,基本的にこれまでの宇田雨域の範囲とほぼ同程度であるとし,残留放
射能の推定についても黒い雨との関連は確定できなかったとした。
従来,「黒い雨に関する専門家会議報告書」の信頼性は,資料編におい
て多くの紙面を割いている吉川友章らの数値シミュレーションの評価をめ
ぐって論争が展開されていた。しかる広島地裁で吉川の尋問が行われた後
は,被告らは同氏の報告を援用することなく,体細胞突然変異に関する秋
山實利の報告及び染色体異常に関する阿波章夫の報告を援用している。
イ秋山報告と阿波報告の問題点
上記「体細胞突然変異頻度」及び「染色体異常を指標とする放射線被曝
の人体に対する影響の評価」と題する報告は,「黒い雨」に打たれない人
たちを対照グループとして,「黒い雨」に打たれた人に体細胞突然変異や
染色体異常がどれだけ多く発生したかを検討したものである。
しかし,対照グループとされた宇品等に在住していた人々が仮に「黒い
雨」にあたっていなかったとしても,「黒いすす」などによる被曝をして
いた可能性は十分にあるのであって,これらの報告は被爆者という点では
同じ人を比較している。そのうえ,サンプル数も限定的なものである(体
細胞突然変異については降雨地域40名,対照グループ53名,染色体異
常については降雨地域60名,対照グループ132名)。
佐々木・宮田ら「原爆被爆者の生物学的線量評価」は,爆心地から2.
4以遠にいて初期放射線に1未満しか被曝していないと思われる群kmrad
で染色体異常が増加していることを報告している。同論文は「グループ4
の被爆者の染色体異常の予想を超える高いレベルとなったことのすべて
を,爆心地に近い中心部に入ったことによって説明することにはならな
い」としているが,初期放射線や爆心地付近の残留放射線では説明がつか
ない,つまり,放射性降下物の影響を想定せざるを得ないのである。
したがって,これをもっても,「黒い雨」と放射性降下物が同じものと
はいえないという被告らの主張を理由づけることはできない。
ウ吉川報告の問題点
本訴訟において,被告らは「黒い雨に関する専門家会議報告書資料編」
で多くの紙面を割き,被告ら側で証人申請までした吉川の報告を援用して
いない。そのことは,ひとり吉川の報告のみならず「黒い雨に関する専門
家会議報告書」に依拠することによっては被告らの主張を維持することが
できないことの表れでもある。
本書面においては,従来の経過との関係で,吉川自身の証言によって明
らかになった,その数値シミュレーションの問題点を指摘する。
(ア)キノコ雲の高度
吉川の報告では,雲長高度は8080mであるとされているが,これ
が過小であることは,「黒い雨に関する専門家会議」の重松座長自身が
原爆雲の高さが12に達したとしていることやその他の資料から明km
らかである。しかも,吉川の報告の根拠とされた写真は,写真下部が切
り取らせ,キノコ雲の高さが低くなるように改ざんされている。これに
ついては,写真には雲の高さと手書きの矢印が記載されているところ,
この矢印は吉川の手書きというのであるから,吉川の言うように意図的
な改ざんを認めていないとか編集者が印刷する段階で下を切ったという
言い訳は到底通用しない。
このような加工の上で行われた報告など,到底信用に値しない。
(イ)火災の燃焼率
吉川の報告では,午前10時から午前11時をピークとして,15時
までに燃え尽きたとされている。しかし,宇田論文によると,火災は9
時ころから大きくなり,10時から14時ころにかけて最も盛んで,8
月6日午後にはほとんど全市が火災の煙に包まれていたとされる。吉川
の報告は実態を反映したものではなく,この点においても誤っている。
(ウ)原爆雲の想定と実態の齟齬
吉川のシミュレーションは,原爆雲と粉塵,火災炎が分離されている
ことが前提となっている。しかし,砂漠での実験とは異なり,現実に原
爆が投下された地域には建造物など様々な物があり,衝撃塵も土砂には
限られない。しかも,長崎と広島の取扱いの齟齬も看過できない。
(エ)不適切な計算範囲
吉川のシミュレーションでは1の格子点を使用しているが,これkm
では局地的な上昇気流を反映することができない。また,吉川のシミュ
レーションの目的は宇田雨域と増田雨域の検証にあったはずであるにも
かかわらず,その計算範囲(30×40)では,増田雨域は収まkmkm
らない。しかも,吉川自身,雨域を示していないのである。
(オ)モデルの不適切さ
吉川が行った数値シミュレーションは,いずれも,静力学の式を使っ
た「中規模スケールの海陸風数値計算モデル」を使用している。このモ
デルでは,水平方向の気流の収束による弱い上昇気流しかシミュレート
することができない。そのため,吉川は,強烈な上昇気流が発生した原
爆投下後の状況をシミュレートするモデルとしてはそもそも不適切なも
のを使用していたのである。
(カ)恣意的な「補正」
このように,吉川のシミュレーションは,シミュレーションにとって
重要な初期値・境界条件もモデルもいずれも不適切なまま行われたもの
である。そのことについて,吉川は,上昇する部分に補正係数を掛けた
と証言する。しかし,吉川自身が補正について「実際に過去に起こった
天気がどのように再現できる日から始めて,そうしたら,現在の図った
値からスタートして,明日はどうなるかが予測できるようになる」と証
言するように,上記補正は既に一定の雨域を想定しなければなしえない
もののはずである。
そもそも補正係数の説明自体にも変遷がみられその根拠も明らかにさ
れないため,補正の事実自体疑わしいが,一定の結論すなわち宇田雨域
に合わせて報告書を記載したとしか考えられない。吉川自身「降雨域の
分布,その他を考慮すると,その南南東と南東の中間ぐらい」と証言
し,その方角はまさに宇田雨域の指し示すものであるからである。
(キ)膨大な「ケアレスミス」
吉川にいわゆる「ケアレスミス」が余りにも多い。爆心地の場所,ミ
スプリント,長崎原爆の爆発高度が60mとされていること,地表面温
度の欠落,熱力学の式の欠落,方程式の解が代入されていないなどであ
る。これらについて,吉川は,計算はきちんとしていると弁明するが,
それを検証できないことを自認している。そうした「ミス」の中で看過
し難いのは,福岡と潮岬のデータを使用した旨記載されているが,実際
には福岡のデータは存在せず,吉川自身,「草案はもう既に書いてい
て,後から色々直しますけど,それが直されなかった」というのであ
る。つまり,データを蒐集し始めたときには既に結論を得ていて,それ
に数値シミュレーションの装いを凝らしたものが吉川の報告に過ぎない
ということである。そのようなものであれば,「専門家会議」によって
集団討議に供されたはずの報告書にある数々の「ケアレスミス」が等閑
視されたのも,見やすい理である。
エ「広島原爆の残留放射能の検討(物理学面の検討)」など
「黒い雨に関する専門家会議報告書」には,吉川のシミュレーション報
告の前に4編の報告が掲載されている(「1広島原爆の残留放射能の検
討(物理額面の検討)」,「2黒い雨地区の瓦の残留放射能」,「3
広島県で採取された土壌中のウランの同位体分析」及び「4樹木の年輪
中の測定による黒い雨地域のフォールアウト検出」)。90
Sr
しかし,上記1,2は,昭和51年及び昭和53年に厚生省が行った調
査について検討しているところ,この時期には既に世界中で原水爆実験が
行われているため広島原爆の「黒い雨」の影響を他の放射性降下物の影響
と区別することが困難になっている。上記3については,精度良い推定は
困難であるとの結論である。さらに,上記4にいたっては,昭和25年以
前の年輪について「広島原爆の“黒い雨”によると考えることができるも
のであるが,確定的ではない。」と,強引に「黒い雨」の影響であること
を拒絶する始末である。
したがって,これらはいずれも,いわば「不可知論」に持ち込んで「黒
い雨」の影響を否定しようとするものに過ぎず,これらをもっては「黒い
雨」(そして「黒いすす」)と放射性降下物が同じものとはいえないとい
う被告らの主張を理由づけることはできない。
(5)「黒い雨」「黒いすす」に関するまとめ
以上のとおり,放射性降下物の影響があるのは広島では己斐・高須地域,
長崎では西山地域に限られるとする被告らの主張は,合理的根拠を欠くもの
であることは明白である。長崎については,広島での宇田らや増田のような
研究は十分ではないが,西山地域以外の場所でも放射性降下物の影響が否定
できない。のみならず,放射性降下物以外に合理的説明の困難な数々の実態
があることは既に述べたとおりである。
したがって,これらの地域にいなかったとしても,放射線降下物の影響は
否定できないと言わざるを得ない。同地域にいなかったとしても,各被爆者
の行動や被爆後の健康状態などから外部被曝・内部被曝の契機の有無を慎重
に検討しなければならない。
4誘導放射能について
(1)被告らの主張
被告らは,誘導放射化の作用について,①爆心地から600∼700m程
度を越えると初期放射線の中性子がほとんど届かないため,それより以遠で
は誘導放射化が起こることはほとんどなかった,②原爆投下直後は,市内は
大火に包まれ,爆心地は6時間以上に渡って火災が続いていたから,爆心地
付近に立ち入ることは不可能であった,③誘導放射化される原子核は限られ
ており,かつそれらの半減期は短いと主張し,誘導放射線による外部被曝の
影響を無視し得るとしている。
また,被告らは,誘導放射線量の調査結果に基づき,誘導放射線の線量の
計算を行った結果,爆心地の地上1mでの積算線量は,広島で約0.50
,長崎で約0.18∼0.24に過ぎなかったなどと主張する。GyGy
(2)被告らが誘導放射線による外部被曝の態様を限定的に捉えていること
被告らは,上記①において,誘導放射線による外部被曝の態様を限定的に
捉え,誘導放射化された物質の移動等を考慮に入れていない。
たしかに,誘導放射化の作用は,中性子の捕獲によって生じるから,爆心
地に近いほど,土壌や地上物(建物や樹木等)を構成していた原子核が誘導
放射化されやすい(線量が大きくなる)。
しかし,誘導放射化の作用を受けるものは,爆心地付近の土壌や地上にあ
った物だけではない。もともと原爆容器を構成していた原子核は,空中にあ
ったまま誘導放射化され,分解して放射性降下物となる。爆心地付近の土壌
や地上物(建物や樹木等)を構成していた誘導放射化された原子核の一部
も,衝撃波・爆風やその後の火災による破壊によって粉塵となって浮遊し,
また,爆心地付近に生じる上昇気流に乗って,放射性降下物となる。
(3)爆心地付近への立入が不可能であったとする点
原爆投下直後,爆心地付近が一定時間,大火災に見舞われたことは確かで
ある。しかし,全く入市が不可能であったわけではなく,個々の被爆者の行
動に注目して全体を再構成する必要がある。
ア救援部隊の入市
広島の場合,陸軍船舶司令部隷下の救援部隊等が,電車道や川等の経路
を用いて早期に爆心地付近に立ち入っていたことは,証拠上明らかであ
る。
イ爆心地付近に被爆当日入った原告が複数いること
大阪地裁判決の原告アは,被爆当日の夕方頃,広島駅に到着し,市電沿
いに歩いて,爆心地より0.5にあった西練兵場北側の第一陸軍病院km
(基町)に向かい,護国神社付近で野営している。広島地裁判決の原告イ
は,被爆当日,八丁堀から西練兵場を経由して基町へ入っている。名古屋
地裁訴訟の原告ウは,被爆当日の昼過ぎ,十日市町まで到着し,火災が若
干おさまった夕方から,相生橋の下をくぐり,太田川を渡渉し,爆心地付
近まで様子を見に行っている。
(4)誘導放射化される原子核の種類に関する誤り
被告らは,上記()③のとおり,誘導放射化の作用を受ける元素は,アル1
ミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄等の限られた元素であると主張する。
しかし,誘導放射化される原子核の種類は,被告らが名前を挙げたものに
限らない。むしろ,すべての原子は誘導放射化されるものであるといっても
よい。
のみならず,「原爆放射線の人体影響1992」では,経過時間による線
量率への寄与は,約30分後からマンガン56(2.6時間)とナトリウム
24(15時間)が,約1週間後からは鉄56(44日)とスカンジウム4
6(83日)が,約1年後からは,マンガン54(312日)とセシウム1
34(2.05年)が,それぞれ主であるとしている(かっこ内はいずれも
半減期)。DS86報告書第6章「残留放射能の放射線量」では,ごく短半
減期のアルミニウム28(2分)を除く代わりにマンガン56(2.6時
間),ナトリウム24(15時間),スカンジウム46(83.8日),コ
バルト60(5.3年),セシウム134(2.1年)を挙げている(かっ
こ内はいずれも半減期)。
このように,被告らは,し意的に半減期が短い元素を抽出して立論してい
るに過ぎず,その主張は失当である。
(5)半減期による誘導放射線量への寄与について
誘導放射化の作用を受ける元素が限定されているとの前提に基づく被告ら
の上記()③の主張が,その前提において失当であることは,上記()に述べ14
たが,被告らの主張は,誘導放射化された同位体の半減期の理解についても
不十分である。
アルミニウム28(半減期2分)は,半減期が極端に短いため,数時間も
経てば,当初の量に比べるとほとんどなくなってしまう。しかし,時間単位
の半減期であるマンガン56やナトリウム24は,減りやすい反面,単位時
間あたりのγ線の放出量が大きい(誘導放射化された同位体が「減る」とい
うことは,すなわち「γ線を放出する」ことである。)。したがって,早期
に爆心地付近に入った者は,マンガン56やナトリウム24が急速に減りつ
つある,すなわち急速にγ線を放出しつつある時期に被曝したのであり,短
い滞在時間で,短半減期の同位体に由来する誘導放射線が,その被曝線量に
大きく寄与するのである。
また,その一方で,比較的遅く爆心地付近に入った者については,被告ら
が意図的に例示から除外した比較的長半減期の同位体に由来する誘導放射線
の寄与も無視することはできない。
(6)誘導放射線量の測定・計算値について
ア被告ら主張の数値の由来
被告らが主張する,広島で約0.50,長崎で約0.18∼0.2Gy
4という数値は,それぞれ広島で約80R,長崎で30∼40RといGy
う数値を換算したものと思われる。換算前の広島で約80R,長崎で30
∼40Rという数値は,DS86報告書第6章「残留放射能の放射線量」
の結論部分に現れているが,DS86報告書第6章によっても,様々な測
定や計算結果から,これらの数値がどのように導かれたのかは明らかでは
ない。
イ地上において,元素の分布が均一でないこと
上記数値の推定の基礎となった測定や計算において,土壌をモデルにし
たのであれば,上記数値は,建材等他の地上物の誘導放射化に妥当しな
い。
元素の分布は,地上にあっても均一でない。土壌と建材とでは,同じ建
材でも屋根瓦と鉄骨では,それぞれ含有量が異なっている。例えば,マン
ガン56,スカンジウム46,コバルト60,セシウム134は,土壌中
では少なく,屋根瓦・煉瓦では多いことが,DS86報告書第6章「残留
放射能の放射線量で記述されている。同章には記述がないが,同じ土壌で
も,砂地であれば,石英分が多い結果,「土」よりも珪素31が多く生成
されるであろう。鉄骨であれば,鉄やコバルトを多く含むことも容易に想
像される。爆心地付近は,のっぺりとした土の地面が広がっていたわけで
はない。むしろ市街地であった。爆心地近くで,建物の瓦礫をかき分けて
捜索・救護・片づけの作業に従事した入市被爆者に適用しようとする限
り,土壌の誘導放射化の測定や計算に基づく線量推定だけでは不十分であ
ることは明らかである。
5小括
以上の次第であるから,放射性降下物の影響や誘導放射能の影響の評価につ
いて,旧審査方針第一の四3,別表10に依拠する被告らの主張に理由はな
い。
第5内部被曝と低線量被曝の危険性
1内部被爆の影響は決して無視できないこと
(1)内部被曝の機会
身体内部にある線源から放射線被曝することを内部被曝というが(以下
「市川意見書」という。)),「黒い雨」や「黒いすす」に含まれた放射性
物質が体表に付着した場合には外部被曝の原因になり,経皮侵入すると内部
被曝の原因にもなる。そして,「黒い雨」「黒いすす」に含まれた放射性核
種が,飲食物に付着して経口摂取されたり,呼吸等により吸入されたりする
こともある。
原告ら被爆者には,原爆投下後,親族や友人などをもとめて広島市内に入
り爆心地を回ったり,救護活動に従事したりした者がいたが,このような行
動によっても,放射性物質を体内に摂取することがある。
(2)内部被曝の深刻さ
内部被曝は,外部被曝とは異なった特徴を有する。
第1に,放射線が生体を透過するときにDNAを傷つけることはよく知ら
れているが,体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があ
ることになる。とりわけγ線のように飛程の長い放射線の場合には,線量は
線源からの距離に反比例するので,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段
に大きくなる。
第2に,内部被曝で重要なのは飛程の短いα線やβ線である。α線の飛程
は0.1単位であり,β線の飛程も1程度あるが,これらの放射線をmmcm
放出する核種が体内に入ると,この短い飛程で放射線のエネルギーがほとん
ど細胞に吸収される。放射線のエネルギーはほとんどの場合に100万エレ
クトロンボルト単位で表されるほど巨大なものであって,こうしたエネルギ
ーが細胞に吸収されることによって,DNAの二重らせんが多数破壊され,
細胞の誤った修復によりガン化の原因になるなど大きな影響が生じるのであ
る。
第3に,原爆の原料となったウランやプルトニウムやこれらが核分裂した
場合に生じる人工放射性核種は,()で述べるように,核種ごとに生体内の3
特定の部位に濃縮される特性がある。
第4に,体内に取り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて継続
的に放射線被曝を与えるのである。しかも,ある細胞がα線に被曝した場合
には,その近傍にある細胞にも放射線影響が見られる(バイスタンダー効
果)。
(3)人工放射性核種の生体濃縮
原爆投下後には,コバルト60,ストロンチウム90,セシウム137な
どの,天然には存在しない人工放射性核種が多数存在した。カリウム40や
ラドンなど自然界にも存在する放射性核種は,人類の進化の過程で獲得した
適応能力によって生体内で濃縮することはないのに対し,人工放射性核種は
生体内で著しく濃縮する。
例えば,ヨウ素は自然界に存在するものは全て非放射性であって成長に必
要な元素として人体は甲状腺に濃縮する機構を有するが,自然界にも存在し
ない放射性ヨウ素(ヨウ素131)も化学的性質が非放射性ヨウ素と同じで
あるため,同様に甲状腺に蓄積してしまうのである。
ストロンチウム90も,化学的性質がカルシウムと同じであるため,骨組
織に沈着,濃縮されてしまう。とりわけ,骨組織は代謝が遅いためストロン
チウム90の生物学的半減期も短くなる。のみならず,ストロンチウム90
は上記のとおり短い飛程で大きなエネルギーを細胞に吸収させるβ線を放出
する。そして,β線を放出すると,さらに強いβ線を放出するイットリウム
90が生まれるのである。
セシウム137は,化学的性質がカリウムやルビジウムに似ているので,
筋肉,脳など人体の至る所で吸収される。
プルトニウム239は骨組織に沈着しやすく,α線を放出して沈着した部
位に集中被曝を与える。安齋育郎は,昭和20年9月から翌年春にかけて長
崎に駐屯した米国海兵隊員に多発性骨髄腫が多く発生したことにつき,未分
裂プルトニウム239の内部被曝の影響が示唆されたとしている。
(4)被告らの主張に対する反論
被告らは,内部被曝による影響は無視し得るものであると主張しているの
で,この点について反論する。
アDS86第6章「残留放射能の放射線量」
内部被曝による影響は無視しうるとの被告らの主張の主たる根拠は,D
S86報告書第6章「からの内部被曝線量」である。この研究の要137
Cs
旨は,昭和44年に長崎の西山地区の住民についてホールボディカウンタ
ーにより体内のの量を測定し,その結果から被爆後30年間の内部137
Cs
被曝による積算線量を算出したものである。
しかし,ホールボディカウンターによって測定したのは,のみで137
Cs
あり,その他の原爆によって生じた放射性物質(未分裂の核物質,核分裂
生成物,誘導放射化された物質)については測定されていない点において
上記報告の不完全さは明らかである。特に,半減期の短い放射性物質は,
短い期間で大きな放射線影響を与えたはずであるが,これらについて一切
考慮されていない。DS86報告書第6章でも,「短命核分裂生成物への
潜在的被曝を評価する方法はない」とされている。実際問題として,昭和
44年の時点ではしか技術的に測定できなかったのであろうが,だ137
Cs
からといって他の放射性物質による内部被曝の影響を無視することが許さ
れるわけではない。更に付加すれば,ホールボディカウンターで測定しう
るのは,体外へ飛び出してくるγ線だけであり,α線やβ線は測定し得な
いのである。
しかも,DS86第6章で検討されているセシウム137は,西山地域
に住んでいる人が作物などから間接的に摂取したものに限られており,被
爆当時の放射性降下物を直接摂取した場合を念頭に置かれているわけでも
ないから,この点においてもこの報告は不十分である。
被告らが依拠する上記報告は,このような致命的な欠点を有しているこ
とは明らかであり,上記報告を金科玉条のごとく振りかざして内部被曝の
影響は無視しうるものである等とする被告らの主張には全く理由がない。
イ外部被曝内部被曝同一論
被告らは,外部被曝であろうと内部被曝であろうと,受けた線量が同じ
であれば影響には差はない等と主張する。
しかし,外部被曝と内部被曝とでは,人体に影響を与える機序が全く異
なることは誰の目にも明らかであって,これを線量という指標でひとくく
りにすることは,あまりにも大雑把な議論である。なお,放射線防護の立
場からは,外部被曝と内部被曝の線量を合算する方法により放射線管理が
行われているようであるが,これは内部被曝の人体影響が未解明である現
状において,放射線を管理する際の便宜上の方策であり,実際の人体影響
が同質であることを意味するものではない。
内部被曝の場合,放射性物質の周囲の細胞が集中的に放射線被曝を受け
るのであるから,当該細胞から見れば高線量被曝なのである。被告らが引
用する文献は,そのような外部被曝と内部被曝の機序の違いを認めなが
ら,何ら根拠を示すことなく「結論的にいえば,被ばくがもたらす人体へ
の影響に着目すると,どのような放射線がどこからくるかに関係なく,受
けた線量(実効線量・等価線量)が同じならば影響には差がないというこ
とです」等と結論づけるものであり,科学文献の態をなしていない。
なお,ICRPのリスク推定においても,摂取された放射性核種の被曝
線量の推定にあたり,摂取された放射性核種の分布のみならず組織内の標
的細胞の分布も考慮されているのであって,被告らの主張が暴論であるこ
とは明らかである。
ウα線被曝は発がんの原因にならないとする論の誤り
被告らは,α線の飛程は35μmと非常に短いため,それが及ばない範
囲の組織では障害を受けないと主張する。
しかし,被告が引用する「放射線基礎医学」によれば,バイスタンダー
効果といったゲノム不安定性の機構による突然変異の可能性も指摘されて
いるのであって,被告の主張は失当である。
エ核医学に関する評価の誤り
被告らは,核医学診断が一般的に行われていることを理由に,内部被曝
の健康影響が無視しうるものであることを強調している。
しかし,そもそも,核医学診断においても放射性物質の危険性は十分に
認識されていることを無視するものであり,あまりに片面的な主張であ
る。核医学診断において患者に対して放射性物質を投与した場合,当該患
者自身が放射線を帯びたものとして扱われ,移動の制限や糞尿の廃棄に至
るまで厳格に管理されるのである。しかも,診断終了後は,患者に投与さ
れた放射性物質を速やかに体外に排出するための方策がとられ,放射性物
質による内部被曝の影響を可能な限り少なくする努力が図られている。こ
のように,核医学診断においては,放射性物質による内部被曝のリスクに
ついて十分に考慮した上で,そのようなリスクを超えるだけのメリット
(がんの発見等)が存在する場合に限って,しかも,リスクを最小限に抑
えるように慎重な配慮をしながら検査を行うのである。しかも,核医学の
分野においては,内部被曝による影響(障害)に関して長期的な調査が行
われておらず,仮に調査をしたとしても,もともと病気の人に対して核医
学診断が行われるのであるから,その調査結果の正確性も担保されていな
い。したがって,核医学診断による内部被曝の影響(障害)が生じていな
いことの証明はなされていないのである。乙154号証「医療被ばくガイ
ドライン」にも,このような証明がなされている旨の記載はない。そもそ
も,放射線従事者には,白内障や高血圧が多いという事実が存在し,ま
た,白血病の治療のための放射線照射によって2次がんが発生する事実が
確認されていることなどからも,医療被曝を原爆放射線影響に類推するこ
と自体がナンセンスなのである。
このように,核医学の分野において内部被曝による「人体影響がないと
いうのが医療の常識である」等という被告らの主張は,度を過ぎた暴論で
ある。
(5)内部被曝のまとめ
このように,内部被曝は,物理的な吸収線量を図るだけでは到底把握する
ことのできない複雑な機序を有するものであり,被爆後の行動などからその
契機の有無を慎重に検討し,「黒い雨に関する専門家会議」元座長であり,
放影研元理事長でもある重松逸造も,「体内へ摂取された放射能が内臓諸器
官を直接照射する問題があり,この場合には,(中略)α線も影響してく
る。特に爆発直後のもうもうたるチリの中にいた者をはじめとして,後日死
体や建築物の残骸処理などで入市して多量のチリを吸収した者は,国際放射
線防護委員会が職業被爆者について勧告している最大許容負荷量以上の放射
能を体内に蓄積した可能性がある。」と,外部被曝とは区別して内部被曝に
言及している。
2低線量被曝について
(1)低線量被曝についての旧審査方針の考え方
被告らは内部被曝は吸収線量が極微量であるとして旧審査方針には反映さ
せていないと主張する。これが内部被曝を過小に評価したものであることは
上で述べたとおりであるが,さらに,低線量被曝であれば人体影響は無視で
きる程度のものであるという前提も科学的合理性を欠いていることを明らか
にする。
(2)人体影響が低線量域でも確認されていった過程
市川意見書19頁以下に記載されているように,昭和31年にアリス・ス
チュワートが妊娠中の女性が診断用エックス線を受けた場合に乳幼児の白血
病の発症が有意に高くなると報告し,昭和34年にフォードが,昭和37年
にマクマホンが,それぞれ更に多くの症例をもってこれを支持するなどし
て,低線量被曝の影響が確認されていった。
さらに,昭和36年にはグラス博士がショウジョウバエを使った実験で5
Rまで突然変異率の有意な上昇が見られることを確認した。
そして,市川定夫博士は,ムラサキツユクサの雄蘂毛に突然変異が起こる
radとピンクの細胞が表れることに着目し,微量放射線である0.25
(0.0025)のX線や0.01(0.0001)の中性子線でGyradGy
も突然変異率と線量との間に関係があることを確認した。その後,外国でも
ムラサキツユクサを活用した実験や,他の動植物でも次々と微量放射線によ
る有意な突然変異の上昇が確認されていった。
市川博士の実験結果は植物についてのものではあるが,市川証人を指導し
たスパロウ博士は1972年に植物とほ乳類の突然変異の機序は類似してい
ると報告しており,1975年にはヒトなどの哺乳動物の細胞の放射線感受
性とムラサキツユクサ雄蘂毛の細胞の放射線感受性や突然変異率が同程度で
あると報告している。したがって,上記の報告結果からすると,人体におい
ても低線量被曝だからといって影響を無視しうるものではないことは明らか
である。
また,市川博士の研究は,上述のように国際的な研究成果を踏まえ,ムラ
サキツユクサの雄蘂毛という優れたテスターを活用した実証的なものであっ
て,海外の研究家もその研究成果を踏まえて研究を深化させている。国内に
おいても,農業水産省放射線育種場の山下淳室長が市川証人の研究を評価し
ているところである。
そもそも,放射線の確率的影響は発症率が線量と相関関係にあるとされて
いるものの,しきい値は否定されている。このことを安齋育郎は確率的影響
を「ガン当たりくじ」と例えて説明する。宝くじを1枚買って1等が当たっ
ても100枚買って1等が当たっても1等には変わらず,ただ,100枚買
った場合の方が1枚買った人よりも当たる確率が大きいということである。
この1等がガンなどの確率的影響の発症の有無であり,くじの枚数が被曝線
量である。
児玉和紀も,疫学の所見としてではあるが,「ほんのわずかでも被曝をす
れば,それに基づいて,がんが余分に起こってくる可能性はある」と述べて
いる。
(3)低線量被曝では高線量被曝とは異なった影響がありうること
加えて,高LET放射線では低線量率でも持続的に被曝している場合の方
が高線量率で被曝した場合よりもリスクが高いことが報告されている。市川
証人は,これを生体の防御機能が働かないためと説明する。
また,γ線のコンプトン散乱によって遠距離で被曝した方が生体により多
くのエネルギーが吸収されることを示唆する実験結果も存在する。
これらのことからすれば,未だ科学的には解明されてはいないが,場合に
よっては高線量(率)被曝よりも大きな影響があることすら否定できないの
であって,低線量被曝であるからといって影響を無視できるというものでは
ないといわざるを得ない。
3小括
このように,人体内では内部被曝,人工放射性核種の生体濃縮,高LET放
射線の持続的被曝などという複雑な機構によって放射線影響が生じるのである
のであって,「広島・長崎の原爆による放射性降下物及び残留放射線(誘導放
射線)による放射線量は極めて低く,これらに起因する内部被曝の影響の程度
の無視しうる程度の線量である」との被告らの主張は暴論というほかない。
むしろ,内部被曝・低線量被曝であっても,外部被曝・高線量被曝とは異な
った機序によってより大きな影響を及ぼすことは否定できないのであるから,
原爆症認定にあっても,外部被曝・内部被曝いずれの機会も慎重に検討したう
えで判断されなければならない。
第6原因確率論の非科学性
1原爆症認定において疫学を活用することの意義
(1)非特異性
前記第2の2()のとおり,一般に,原爆放射線に起因して被爆者に生じ3
る症状は,他の原因によるものと区別することができないという特徴を有す
る(非特異性)。そのため,原爆放射線起因性の判断にあたっては,疫学的
手法を用いざるを得ない。
(2)リスク概念
ア絶対リスク,相対リスク,寄与リスク
リスクの評価には,一般に,曝露群と非曝露群の数量差によって評価す
る絶対リスク,暴露群と非暴露群との数量比によって評価する相対リス
ク,暴露群と非暴露群との数量差を割合によって評価する過剰相対リス
ク,暴露要因に起因する暴露群の割合で評価する寄与リスク(原因確率)
がある。
イ各リスク評価の問題点
(ア)相対リスク概念について
相対リスクは被爆者群(暴露群)と非被爆者群(非暴露群)とのリス
クの相対的な比であり,リスク評価には適しているが,非被爆者群に比
べてどの程度リスクが増加するのかということは示すことができない。
(イ)絶対リスク概念について
絶対数の差が示せる絶対リスクは,公衆衛生的インパクトにとっては
重要な指標であるが,リスクの大きさを示すには適さない。
(ウ)寄与リスク概念について
寄与リスク(原因確率)は,疾病発症リスクのうち,特定の原因がそ
の発症リスクにどの割合で寄与しているかを表すものではある。
寄与リスク(原因確率)は相対リスクの小差が大差と評価され,大差
が小差として評価されるおそれがあるものである。
ウこのように,リスク評価の方法は,それぞれ利点・欠点があるため,そ
れぞれがリスク評価としての一指標にはなり得るとしても,そこから導か
れた数値がリスクの絶対的基準となるものではない。
したがって,原因確率についても,そこで示される数値が,例えば原爆
放射線起因性のリスク評価を示す絶対的基準ではないことを念頭に置く必
要がある。
2旧審査方針
(1)旧審査方針の概要
旧審査方針によると,原因確率とは「疾病等の発生が,原爆放射線の影響
を受けている蓋然性のある確率」とされ,また,2001年10月19日第
10回被爆者医療分科会の配布資料によると,「個人に発生したがんについ
て,着目している個々の要因がその個人のがんの発生としてどの程度関与し
ているかについての寄与率を表すもの」とされている。
この原因確率の基となったのは,児玉和紀を主任研究者とする厚生科学研
究費補助金の特別研究事業の報告書「原爆放射線の人体の健康影響評価に関
する研究」(乙1号証,以下「児玉論文」という。)である。「『放射線の
人体への健康影響評価に関する研究』についての意見書」(以下「児玉意見
書」という。)では,「寄与リスク(注:「疾病・障害認定審査会・原子爆
弾被爆者医療分科会」においてはこれを原因確率と称している)」と記載さ
れており,旧審査方針の原因確率表は,児玉研究の末尾に添付された寄与リ
スクの表の数値を転用したものである(ただ,児玉研究で出されていた肝硬
変,子宮筋腫の表が,旧審査方針では,最終的に落とされたこと,また,児
玉研究の寄与リスクでは小数点以下2桁の%が出されているのに対し,旧審
査方針では,小数点以下1桁の%しか出されていないという相違はあ
る。)。
(2)児玉論文では寄与リスクを以下に導出しているか
児玉論文及び児玉意見書によると,寄与リスクは以下のようにして算出さ
れたことが述べられている。
ア原爆傷害調査委員会(ABCC)・放影研の疫学調査に基づき,「原爆
被爆者の死亡率調査第12報,第1部癌:1950−1990年」及び
「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958−19
87年」に用いたデータを寄与リスクの分析に利用した。
イ寄与リスク(ATR)は,ERR(過剰相対リスク)との関係で以下の
式のように算出される。
ATR=ERR/(1+ERR)
ウ固形がんのリスクを調査期間における平均過剰相対リスクによって表す
場合,死亡率調査では,以下のような式が用いられている。
ERR(d,s,e)=βs・d・[γ(x−30)]expage
この場合の左辺は,過剰相対リスク(ERR)が,d(線量),s
(性),e(被爆時年齢)を変数とすること,すなわち,これらによって
過剰相対リスクが異なることを示している。右辺のβs及びγは,未知母
数(パラメータ)で,βに付されたsは,男女別にパラメータが異なるこ
とを示す。なお,は自然対数(ネピア数e)を底とする指数関数であexp
る。は被爆時年齢,βsは被爆時30歳の人の1Sv当たりの過剰相age
対リスクを示している。
この式によると,線量と過剰相対リスクは,線形(直線的に増加する一
次関数)の関係であり,被爆時年齢とは,指数関数との関係となる。ただ
し,年齢に係るγがマイナスなので,被爆時年齢が高いほど過剰相対リス
ク(したがって寄与リスク)も低くなる。例えば,を30にすると,age
の()内は,0となって0,すなわち,eの0乗となり,その値expexp
は1となるので,この場合,ERR(過剰相対リスク)はβs×dで示さ
れる。このことから,過剰相対リスクが,線形,つまり,1当たり,Sv
βsの傾きとする一次関数であることが分かる。同様に線量を固定する
と,指数関数の関係になる。このような仮定の下にデータで示された結果
から線量,年齢についての回帰分析を行い,過剰相対リスクが出され,更
に,過剰相対リスクに基づき寄与リスクが算出されている。
エこのような計算式を前提に,以下のようにして寄与リスクの表が作成さ
れている。
(ア)寿命調査(LSS)集団を使った過去の死亡率・発生率の報告で放
射線と有意な関係が一貫して認められる等の事情がある「胃がん」「大
腸がん」「肺がん」「女性乳がん」「甲状腺がん」「白血病」について
は,部位別,男女別に寄与リスクの表を作成した。
このデータのうち,乳がんと,甲状腺がん以外のがんについては,昭
和25年から平成2年までの死亡率調査のデータを用い,また,リスク
評価の際の線量は,カーマ線量を用いた。乳がんと甲状腺がんは,予後
の良いがんため発生率調査(ただし,期間は,昭和33年から昭和62
年まで)を用いたが,発生率調査では,臓器線量()しかデータがSv
ない。この点について,児玉論文では,これをカーマ線量()に変Gy
換して寄与リスクを算出したと記載されているが,児玉意見書では,臓
器線量により寄与リスクを求めたとされており,明らかな相違がある。
Gyなお,カーマは物質中に放出された運動エネルギーを示す略語で
で表わされる。組織の単位質量あたりに放出された身体による吸収を受
けないエネルギー量をいい,被爆者の皮膚線量に相当する。臓器線量と
は,体表面から臓器までの減衰させた線量を示す。
(イ)原爆放射線との間に起因性があると考えられるが,個別に(悪性腫
瘍の部位ごと)寄与リスクを求めると信頼区間が大きくなると考えられ
るがん,すなわち,「肝臓がん」「皮膚がん(悪性黒色腫を除く)」
「卵巣がん」「尿路系がん(膀胱がんを含む)」「食道がん」について
は,これらの5つのがんを1つにまとめ,男女別1つの寄与リスクの表
にしている。
(ウ)がん以外の疾患として,副甲状腺機能亢進症,肝硬変及び子宮筋腫
について,寄与リスク表が作成されている。
(3)児玉論文の「寄与リスク」と旧審査方針の「原因確率」
ア旧審査方針では,児玉研究の「寄与リスク」を「原因確率」に転用して
いるが,この点に関する問題点は,後に7()アで述べるとおりである。2
イのみならず,以下のような点で相違がある。
(ア)「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部癌:1950−1
990年」,「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,
1958−1987年」及び「死亡率調査第12報」において,部位別
に過剰相対リスクを求めると統計的に有意ではない悪性腫瘍について,
児玉論文では,寄与リスクの表が作成されていないが,旧審査方針で
は,上記()エ(ア),(イ)以外の全てのがんについて「その他の悪性新2
生物」として,極めて「原因確率」の低い別表2−1の男子胃がんの表
を用いている。
(イ)児玉論文では,寄与リスクの表が作成されていた「肝硬変」「子宮
筋腫」について,最終的に採用された旧審査方針では,抜け落ちてい
る。なお,平成13年5月25日の被爆者医療分科会で審議にかけられ
た際には,上記の「肝硬変」「子宮筋腫」についても原因確率の表が掲
載されていた。この点に関し,児玉証人は,この点について議論が無か
ったと断言して良いと証言した。そうすると,十分な議論もないまま,
厚生労働省の事務局側で意図的(当時,肝機能障害ないし肝硬変を認定
申請疾患とするオ訴訟が係属していた)に脱落させた可能性が高い。
3放影研の疫学調査の方法
(1)ABCC−放影研の疫学調査の経過
ア放影研の設立経過とその問題点
放影研の前身は,昭和22年に米国原子力委員会の資金によって米国学
士院が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)であり,翌年には,厚生
省国立予防研究所が参加して共同調査が開始されたとされる。
ABCC及び放影研によると,ABCCは,公には米国学士院の管轄と
され,ABCCの調査事業を「米国科学院ー学術研究会議と日本の国立予
防研究所の純粋な学術的事業である」とされてきた。しかし,神戸大学で
科学史を研究していた中川保雄は,このような主張をABCCの軍事的性
格を覆い隠すものと強く批判してきた。広島市立平和研究所の高橋博子
は,海軍長官であったジョン・フォスタレルが昭和21年11月18日に
トルーマン大統領に対して,それまでの米軍の主導により行われていた米
軍合同調査団の継続を訴えた文書を引用し,この訴えの直後である同月2
6日にトルーマンが米国学士院に対してABCCの設置を命じたことを明
らかにしている。これに加えて,高橋はABCC設立後も,米軍軍医総監
局の下にあり,米軍合同調査団のスタッフを受け継いたことや,情報が軍
事目的により情報の統制がなされ,資料等が米国に持ち去られたこと等を
指摘している。
さらに,中川は,原爆投下地への侵攻作戦や民間防衛,更に核兵器製造
ための軍事施設や原子力産業のために,急性傷害を2に限ろうとしたkm
意図を指摘している。高橋はこのような中川の指摘をも踏まえ,一貫して
米軍ないしABCCが残留放射能の存在の否定ないし過小評価しようとし
てきたことを指摘している。
民間防衛においては,遮蔽の効果と致死線量が重要であった。その点か
ら,ABCCの主たる調査目的として放射線の殺傷能力にあったことを指
摘しているこれと同時に,軍事的士気や,国際法上の問題から残留放射能
の影響を過小にしたいという意図が働いたことは否定できない。
イフランシスレポート
(ア)ABCCは,日米合同調査団の調査を引き継ぎ,研究をしていた
が,このような調査を再検討してその後の調査方法の基礎を築いたもの
がフランシス委員会の報告書であ。フランシス委員会の「ABCC研究
企画の評価に関する委員会の報告書」は,その後の調査目的を「強度の
放射線の影響を受けた群について,調査を行うことが主要目的」におい
た。
事実,調査対象には,近距離被爆者を全員として,その他の群をサン
プル化しようとしていることからも,このことが裏付けられる。つま
り,殺傷能力の調査が目的であったといえる。
(イ)フランシスレポートでは,死亡診断書調査という方式と,臨床懸案
計画という方法が考えられた。
ウ基本調査集団の設定とその変化
ABCCは,フランシス委員会の勧告を受けて,昭和25年国勢調査時
に行われた被爆者調査から得られた資料により,この当時,全国で28万
4000人の被爆者が確認され,この内,昭和25年に,広島,長崎のい
ずれかに居住していた19万5000人(基本群)を調査対象とした。
エ寿命調査と成人健康調査,その他の調査
(ア)寿命調査(,LSS)LifeSpanStudy
寿命調査は,フランシスレポートの死亡診断書調査に基づくものであ
る。
寿命調査集団は,上述の基本群に含まれる被爆者の中で本籍が広島か
長崎にあり,1950年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡が可
能な条件を満たす人の中から選ばれ,4群から選ばれている。
①爆心地から2000m以内で被爆した「基本群」全員からなる中心
グループ(近距離被爆者)
②爆心地から2000∼2500mで被爆した「基本群」全員
③中心グループと性,年齢が一致するように選ばれた,爆心地から2
500∼10000mで被爆した人(遠距離被爆者)
④中心グループと性,年齢が一致するように選ばれた1950年代前
半に広島,長崎に居住し,原爆当時に市内にいなかった人
である。この④群は,市内不在者(NIC)と呼ばれるが,いわゆる入
市被爆者も含まれる。
LSS集団は,当初,9万9393人で構成されていたが,その後,
現在では,12万0321人となっている。
この集団は,LSS−E85と呼ばれ,現在の解析では,NIC群
は,解析に含まれていない。
(イ)成人健康調査(,AHS)AdultHealthStudy
成人健康調査(AHS)は,フランシスレポートの臨床検索計画に基
づくと考えられる調査である。
この集団は,LSS集団の内の1万9961人からなり,中心グルー
プは,昭和25年当時生存していた爆心地から2000m以内で被爆
し,急性放射線症状を示した4993人である。このほかに,都市,年
齢,性を一致させた3つのグループ(いずれも中心グループと同数)か
らなる。すなわち,
①爆心地から2000m以内で被爆し,急性症状を示さなかった人々
②広島では爆心地から3000∼3500m,長崎では3000∼4
000mで被爆した人
③原爆当時,広島,長崎にいなかった人々(NIC)
である。その後,集団を拡大して,2万3431人となっている。
AHSでは,2年に1度の健康診断を通じて,疾病の発生率と健康上
の情報を得ることを目的として設定されたものであり,1958年から
臨床検査がなされているが,この集団でも,NICは解析から除外され
ている。のみならず,長期データを用いて解析がなされたのは,成人健
康調査第7報になってからであることを十分に注意すべきである。
(ウ)その他の調査
このほかに,体内被爆者集団や被爆者の子供(F1)集団等が,調査
対象集団とされている。
()疫学調査と分析の方法2
アコホート研究
本件で議論となっているABCC−放影研の疫学調査は,寿命調査も,
成人健康調査も,中心集団に強く原爆放射線に被曝した集団を置き,それ
と比較集団を設定している点で,典型的なコホート調査である。
イポアソン回帰分析
被告らは,当初,対照群等との間で分析を行っていたが,その後,ポア
ソン回帰分析による方法に変更したと主張している。
ウ放影研における線量反応関係の調査
(ア)本件では,放射線影響を調査するために,回帰分析により,線量反
応関係が調査されている。前述したように,放影研では,当初,設定グ
ループごとの比較調査を実施していたが,その後は,むしろ,当初の被
曝距離,遮蔽に基づく調査に立脚して,線量毎にグループを分けて,ポ
アソン回帰分析をするようになった。すなわち,曝露群について回帰分
析を行い,得られた回帰式から想定上のゼロ線量における罹患率等を推
定してバックグラウンドリスクを外挿,すなわち,推定するというもの
である。
(イ)この場合の想定上の回帰式が前述した
ERR(d,s,e)=βs・d・[γ(x−30)]expage
という式である。この場合,線量と過剰相対リスクが線形の関係にある
とするのは,あくまで仮説に過ぎない。とりわけ,以下述べるように,
低線量域で果たして直線形であるのかは見極めることができない。
4放影研の疫学調査の方法と旧審査方針の問題点
(1)放影研の疫学調査の具体的方法
放影研では,一人一人の被爆者にID番号を振り,各被爆者の広島,長崎
の別,面接調査の結果に基づく被爆位置,遮蔽を中心にDS86の線量を割
り当て,各人ごとの死亡診断書との関係で寿命調査を行い,更には腫瘍登録
の結果を用いて発生率調査を行っている。その際,線量の割り当てに当たっ
て,被爆後の行動を考慮していないため,疫学調査では残留放射線を一切考
慮していない。そして,このような線量割り当てと結果に基づき,現在,内
部比較法による回帰分析を用いて,線量反応関係,すなわち,単位線量当た
りの相対リスクを出し,これに基づいて,寄与リスクを出したのが,児玉論
文にほかならない。その問題点を,以下,明らかにする。
アDS86の問題点が回帰分析に及ぼす影響
回帰分析の手法を用いるためには,線量反応関係が正しく把握されてい
ること及び対象集団に対する線量の割り当てが正確になされていることが
絶対条件である。
(ア)不確定部分の存在
上記のとおり,放影研の疫学調査では,線量の割り当てにDS86を
用いているが,これには,第4で述べた問題があり,これを要約的にい
うと,次のとおりとなる。
初期放射線については,広島ではウラニウム爆弾,長崎ではプルトニ
ウム爆弾という相違があり,ウラニウム爆弾と,プルトニウム爆弾との
間には,放出された中性子線とγ線の組成に大きな相違がある。広島型
原爆は実験も含め広島で1回しか炸裂していない。そして,調査対象集
団は,圧倒的に広島の被爆者が多い。ところが,中性子線とγ線の生物
学的効果比に差があることは,被告らも認めるところであり,広島型原
爆におけるソースターム,中性子線とγ線の比,遠距離における速中性
子と熱中性子が正確に把握されないと,実際には生物学的効果比を正確
に把握できない。そして,生物学的効果比の検出自体,線量と発症によ
る回帰分析に依存するという困難な問題が横たわっている。このように
回帰分析の出発点において,線量の側でも,結果の側でも不確定なもの
を相互に抱え込んでいるという問題がある。
(イ)残留放射線の無視
更に,上記のとおり,被爆後の被爆者の行動を把握しておらず,その
ため放射性降下物や誘導放射能による線量を各被爆者に割り当てること
ができない。同様の理由から残留放射線の影響を交絡要因として初期放
射線の影響から排除することができず,影響が合体して出てくる。
被告らはその影響は小さいと主張しているが,前述した急性症状等か
ら見たとき,決して小さくないことは明らかである。
しかるに,被爆後入市して救援した被爆者は,そのことによる線量は
一切加算されない。ポアソン回帰分析では,線量ごとにグループを作
り,その発生率を回帰分析をするという方法をとるが,近距離にいた者
よりも,より遠距離にいた被爆者の方が爆心地付近で救援活動を行って
いる可能性が高く,その人はゼロないし低線量グループに割り当てられ
る。この人々は回帰分析上はバックグラウンドリスクにほぼ等しく,相
対リスクや過剰相対リスクがバックグラウンドリスクとの比較から導か
れる。ところが,バックグラウンドリスクが低ければ,当然のことなが
ら,相対リスク,過剰相対リスクは低くなり,その結果,その変形であ
る寄与リスクも低くなる。
このように,残留放射線を無視することは,寄与リスクひいては原因
確率の過小評価にも繋がるのである。
(ウ)遠距離被爆者問題
遠距離被爆者に急性症状が見られたことは既に述べたとおりである。
その原因としては残留放射線が強く疑われるところであるが,遮蔽の有
無により,急性症状の発現率に相違が認められることから初期放射線の
影響の可能性も否定できない。例えば,市川博士は,同証人の実験にお
けるコンプトン効果を述べているが,原爆でも同様なことが起こった可
能性は否定できない。
ところが,一定の遠距離以上は,DS86では,ゼロ線量になるた
め,先ほどの残留放射線と同様にバックグラウンドリスクが高くなるこ
とが起きるのである。
イ被曝線量を吸収線量で示していることの問題性
原因確率表では,その表記されている単位からも明らかなとおり,被曝
線量を中性子線とγ線の単純に合算した吸収線量()で表している。Gy
児玉論文で寄与リスクを算出する際,のグループをに変換して算SvGy
出したものか,児玉証人自身答えられない。
また,人体に対する放射線の影響については,中性子線とγ線とを同列
に考えることはできない。例えば,国際放射線防護委員会の1990年の
報告では,中性子について5ないし20の線質係数が勧告され,ピアース
とプレストンは,非常に低い線量域においては40として計算している。
原因確率を主導したとされる児玉自身,正確に答えられないことは,この
研究の非科学性を物語っている。
ウまとめ
このように,原因確率表は,科学的合理性を欠く線量評価を基礎にして
作られているものであり,その不合理性は明らかである。
(2)調査開始時点までの影響の排除
放影研の疫学調査では,このような線量評価だけではなく,1950年の
調査開始までの被爆者の死亡による影響を考慮していない点でも大きな問題
がある。
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は,広島14万人,長崎7万
人,合計21万人とも言われている(ただし,調査によってかなりの幅があ
る)。少なく見積っても,1945年末までに全被爆者の3分の1程度は既
に死亡しており,とりわけ放射線感受性の高い被爆者は死亡していた。その
ため,高線量であればあるほど,被爆しながら1950年の調査開始までに
生き残っていた被爆者は,放射線の影響に対する抵抗力がある(放射線感受
性の低い)可能性が高く,そのような被爆者を疫学調査の対象とした場合に
は,死亡した被爆者を含む平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放
射線の影響が顕在化しにくいことになる。
ところが,放影研の寿命調査集団については昭和25年までに死亡した被
爆者,成人健康調査集団については,昭和33年までに死亡した被爆者は,
調査の対象となっていない。このようにABCCによる調査は,いわゆる
「生き残り集団」を対象にしているという,大きな欠陥をもっているのであ
る。
もし,この間に死亡した被爆者も含めて放射線影響が考慮されれば,放射
線の後影響評価が全く異なったものになる可能性が極めて高いのであり,そ
のことを十分に認識する必要がある。
(3)原爆の複合的影響と比較対照群の設定
これらのこと以上に問題となるのが,比較対照群の設定問題である。
ア原爆被害の複合性
原爆は,放射線だけではなく,熱線,爆風により影響を与えて肉体的に
被害を与えたばかりではなく,精神的被害を同時に与え,更に様々な意味
で人間が生きていく上で社会的基礎を破壊した。それらの影響が放射線と
複合して被爆者に影響を与えることは明らかである。
福地意見書も述べるとおり,原爆は,放射線以外の身体障害,貧困,社
会的インフラの破壊,心理的ストレス等様々な影響をもたらした。この場
合,他の要因が複合しているからといって,これらを放射線の影響ではな
いとしたり,放射線の影響のみを他と切り離してしまうことは,被爆者の
受けた放射線の影響を正当に評価しているとは言えない。原爆放射線が何
らかの影響を及ぼしている以上,被爆者に対する放射線の影響を評価する
場合には,原爆放射線の影響がそれ以外の要因を増幅し,それ以外の要因
が原爆放射線の影響を増幅するという関係を正当とらえ,放射線以外の被
害も加わった複合被害の一環としてとらえるべきなのである。
ところが,これらの影響を調査するための比較対照群をおいていないた
め,このような複合的被害を正確に捉えることができない。放影研の疫学
調査について,比較対照群をおいていないことの問題は,その複合性を検
出できないことに強く現れるのである。放影研の疫学調査では,当初,広
島については呉,長崎においては佐世保が比較対照群として考えられてい
たが,結局これを実施せず,また,上述したように比較対照群とされたN
ICについては入市被爆者が含まれるという問題があるものの,この点に
ついてさえ現在では解析を行っていない。
イ判例も指摘する複合性
原告らは,これまでの原爆症認定に関する判例が,放射線と他の影響と
の複合性を認めてきたことを強く指摘する。
エ訴訟は,長崎で爆心地から2.45の地点で被爆したエが,飛散km
した屋根瓦で脳に外傷を受け,それが放射線の影響で悪化して脳孔症とな
ったか否かが争われた事案である。この事例について,最高裁は,原爆放
射線起因性を認定したのである。
また,オ訴訟東京高裁判決は,C型肝炎ウィルスに感染した場合,70
%以上が慢性肝炎に進行することと認めながら,放射線が慢性肝炎の発
症,促進に寄与した可能性を認めて原爆放射線起因性を認めたのである。
旧審査方針では,放射線単独で放射線の影響があった場合に高度の蓋然
性を認めるかのごとき扱いがなされているが,このような扱いはこのよう
な判例の流れから見ても明らかに誤りである。とりわけ,原爆が放射線の
みにより人体を傷害したものでないことを踏まえると,PTSD,外傷,
感染症,貧困等との複合的被害としてとらえ,その結果,被爆者が放射線
の影響があると考えられる疾患に罹患した場合には,特段の事情がない限
り,広く起因性を認めるべきである。
(4)旧審査方針と死亡調査
旧審査方針の原因確率表,その基となった児玉研究の寄与リスクは,前述
したように,乳がんと甲状腺がんを除いて死亡率調査を基礎としている。
しかし,原爆症認定申請疾患は,死亡原因ではなく,現在罹患している疾
患についての認定なのであって,もし,死因よりも発生率の方が高いとすれ
ば,生存する被爆者に死亡調査の結果を適用することは誤りといわなければ
ならない。また,死亡診断書を基礎にしていたことによる実際の死因との相
違という問題もある。
(5)寄与リスクを原因確率とすること
寄与リスクを原因確率と見ていることのに根本的な問題があるが,この点
については,後に7()アで述べる。2
5死亡調査を基準とすることについて
(1)発生率調査と死亡率調査の相違
旧審査方針の基礎ないし原因確率の基礎となった児玉論文によれば,乳が
ん,甲状腺がん以外のがんについては,発症率調査ではなく,死亡率調査を
基礎に寄与リスク算定されている。しかし,児玉論文によれば,1あたSv
りの過剰相対リスクが,死亡,発生ともに出されている19のがんのうち,
過剰相対リスクが,死亡率調査の方が高いのは,食道,胆嚢と胆管,子宮頸
部と子宮のみである。そして固形がん全体では,死亡率調査の過剰相対リス
クは,1あたり,0.40であるのに対し,発生率調査では,0.63Sv
と1.5倍も以上も高くなっている。
原爆症認定は,援護法10条1項の原爆症認定の要件規定からも明らかな
ように,現に医療を要する状態を基礎に認定するのであり,このことを踏ま
えれば,死亡を前提とした調査ではなく,発症調査を基礎とすべきは当然で
ある。このような原爆症認定に当たって,発症率調査ではなく,死亡率調査
を用いていることにも,できるだけ認定率を下げようとする厚生労働省の意
図を感じざるを得ない。
(2)死亡診断書調査と死因との相違
寿命調査は,死亡診断書により死因調査がなされている。寿命調査第12
報第1部には,死亡診断書と剖検との比較が報告されており,がん死亡の2
0%が死亡診断書ではがん以外の疾患に誤分類され,他方,がん以外の原因
による死亡の3%ががん死亡と誤分類されており,これらに基づいて誤差を
修正すると固形がんの過剰相対リスク推定値が約12%,過剰絶対リスク推
定値が16%上昇することが示唆されたとされている。
このように,一つ一つの疾患名で死因調査をしていることであり,他の疾
患で死亡した場合には,死因として現れないことは,統計上看過し難い問題
点として認識されるべきである。
6非特異的な加齢の影響
最近更に明らかになりつつあるのは,広い範囲の放射線の人体に対する非特
異的な加齢の影響である。これらが,がんのみならず,多くの原爆症の基盤に
なっていることが考えられ,発症を促進しているのである。そして,原因確率
を発症するかしないかではなく,発症の促進を含めて考えれば,全ての被爆者
が発症を促進されたと推定して良い状況にあるといわなければならない。
この点は,次項で詳しく述べるが,特に,被爆者が認定申請を行っている疾
患のみならず,病名を特定できない不定愁訴に苦しめられ,その上で現在苦し
んでいることを考えると,これらを総合して原爆被害をとらえるべきである。
7疫学データを個々の認定申請者に当てはめることの問題点
(1)認定申請者への被爆線量の割り当て
被告らは,原爆症認定審査に際して,原告ら認定申請者の被曝線量を推定
して割り当て,これを原因確率表に当てはめて,当該申請者の原因確率を算
出している。
しかるに,厚生労働省の認定審査における申請被爆者の線量割り当てにつ
いては,極めて過小,不当な被曝線量が割り当てられ,かつ深刻な健康影響
を及ぼす内部被曝は全く無視されたていることは既に詳しく述べてきたとお
りであり,これにより原因確率を算出することの不当性は明らかである。
(2)疫学の誤用
ア寄与リスクの値を原因確率として転用することの問題点
「原因確率」は,個人の疾病について原爆放射線が影響を与えた蓋然性
のある確率ないし寄与率を数量的に表そうとするものである。
他方,寄与リスクは,原爆放射線への被曝によって集団が全体として受
けた影響の大きさを表す疫学上の指標である。すなわち,ある疾病につい
て,問題となる要因に曝露しない集団の罹患率がCであり,曝露した集団
の罹患率がXであったとすれば,この罹患率の違いは,当該要因への曝露
によって生じたものと考えることができ,曝露群の罹患率Xに対するこの
差X−Cの比をとることで,この要因が集団に対して与えている影響の大
きさを表すことができる。寄与リスクの値からは,当該要因を取り除いた
場合に罹患率がどれだけ低下するかを予測することができる。
このように,寄与リスク概念は,個人に対する影響を表わすものではな
く個人の起因性判断にそのまま適用することは予定されていない。しかる
に,この点に関する明確な説明は,児玉論文や児玉意見書を検討しても見
当たらない。児玉証人は,寄与リスクの説明として,「寄与リスクは,曝
露群におけるがん死亡者(罹患者)のうち原爆放射線が原因と考えられる
がん死亡者(罹患者)の割合を示す」旨唐突に述べる。
このように,旧審査方針は,寄与リスクによって曝露群の中で放射線の
影響で発症した者の割合(人数)を知ることができるという前提にたっ
て,曝露群から任意の1人を取り出した場合の「原因確率」も寄与リスク
の値に等しいという結論を導く。
しかし,これについては,①そもそも寄与リスクの値と放射性起因性あ
るものの割合は一致するのか,②仮に曝露群の中で放射線起因性ある者の
割合(比率)が判明したとして,そのままそれが個人の「原因確率」の値
と言いうるのか,という二つの重大な疑問が生じる。
以下,便宜上後者の問題から検討する。
イ集団観察の結果である「原因確率」を個人の「原因確率」とする誤り
児玉の展開する論理は,「白玉・黒球あわせて8個の玉が入った袋があ
る。うち白玉は3個だけとわかっているが8個の玉は大きさも重さも感触
も全く同じである。この袋から目をつぶって無作為に1個の玉を取り出し
た場合に,それが白玉である確率はどれだけか」という問に,「確率は8
分の3である」と答えるのと同じ発想である。
しかし,このような判断手法は,個人の放射線抵抗力(又は感受性)の
違いを無視するものであり,極めて不合理である。すなわち,放射線感受
性は個人によって異なるから,同一の線量・年齢・疾病であっても,「原
爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」や「寄与
率」は個人によって全く異なる可能性がある。
ところが,寄与リスクは,曝露群の発症率Cや非曝露群の発症率Xとい
ういわば各集団ごとの「平均値」から機械的・一義的に算出される。線量
・性別・被爆時年齢が同じであればやはり一律である。そのため,「原因
確率」を寄与リスクによって表せば,個人個人で異なるはずの放射線抵抗
力や他の要因の大小は捨象され無視される。疫学上の指標を本来の目的を
越えて個人にあてはめる原因確率論はこの一点をもってしても不合理とい
わざるをえない。
この点,被告らは,「これらを機械的に適用して判断するものではな
く,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,
生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとしている」と主張す
る。しかし,結局は,「旧審査方針では,それでも機械的に適用して判断
することがないようにいましてはいるものの,原因確率が10%を下回る
という事実自体は,最も重視されなければならない」としている以上,結
局それは本来の意味での「目安」を越えて判断の決め手となっており,上
記の問題は解消されない。また,審査の実情に照らしても,実際には原因
確率がほとんど唯一の基準となっていることは明らかである。
ウ寄与リスクが放射線による発症率を表すという前提の誤り
寄与リスクが原因確率を表すという考えは,曝露群の発症者(X)中,
バックグラウンドリスクに相当する部分(C)は放射線の作用によらない
発症であり,残り(X−C)だけが放射線の作用による発症である,との
前提に立つ。
しかし,この前提自体が誤りであり,寄与リスクが小さくても曝露群の
多くの者の疾病に原爆放射線が関与している場合が論理的にも現実にもあ
りうる。寄与リスクを起因性判断の目安とするこささえ不適切である。
(ア)共同成因と疫学の示すもの
非曝露群でC人,曝露群でX人が発症した上記の例の場合,非曝露群
でC人が発症したという事実からは,曝露群の中にも放射線に被曝せず
とも他の要因で発症した人がC人程度いたであろう,ということが推論
される(双方が等質の集団であることが前提である)。
しかし,そのことは,そのC人が被曝後に発症した場合も放射線の作
用と無関係に,専ら他因子に起因して発症した,よって放射線が作用し
たのは残り(X−C)人だけだ,などという根拠はない。
福地意見書は,「ある共通要因をもつ集団で,その要因がある疾病発
生の原因である(関連がある,因果関係がある)と分かった場合は,そ
の集団に属する全ての個人がその疾病にかかる危険性またはすでにかか
った経験を有することを表し」,「その集団内のその疾病にかかったす
べての人はその要因が原因でかかった可能性がある」と指摘する。これ
こそが個人の起因性について疫学の明らかにするところである。
そして,前述のとおり,放射線はきわめて微量でも人体に対し遺伝子
レベル・細胞レベル・免疫レベルでさまざまな影響を及ぼすことが実証
されている。当該疾病の発症の機序(モデル)が完全に解明され放射線
がなんら作用を及ぼさなかったことが確認されたような例外的な場合以
外,むしろ発症した被爆者全員について,放射線が共同成因として発症
に作用したと考えるべきである。
(イ)促進
この放射線の共同成因としての作用が,当該疾病の発症時期又は進行
を直接又は間接に促進するものであった場合は,まさに援護法10条1
項の「原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり」とい
え,当該疾病の放射線起因性が認められるべきものである。
オ訴訟高裁判決は,「HCV感染者の全てがC型慢性肝炎を発症する
わけではない現状において,・・・放射線を被曝したことがHCV感染
とともに,慢性肝炎を発症又は促進させるに至った起因となっているも
のと認められる以上,放射線被曝と慢性肝炎との間には,因果関係が存
在していることを否定することはできない」と判示して,放射線が他の
原因とともに,当該疾病を発症又は促進させた場合も法10条1項の放
射線起因性が肯定されることを明言した。
児玉も,証人尋問において,放射線が皮膚の加齢を促進して皮膚がん
の発症を増加させている可能性を示唆した研究について,このような場
合には「関連は大いにあると解釈できる」旨証言し,放射線が複合要因
の一つ,あるいは間接的に発症を促進する場合が現実に存在し,この場
合に,放射線が発症に作用したと考えることが自然な考えであることを
認めている。
(ウ)促進の場合の寄与リスクと原因確率
重要なことは,このように放射線が発症を促進している場合には,た
とえ寄与リスクや相対リスクがいかに小さい場合でも,放射線によって
発症した被爆者の比率はずっと大きくなることである。
促進的発症がある場合には,寄与リスクは放射線が作用して発症した
人数(割合)を表すことはできず,この割合を過小評価する。むしろ,
寄与リスクがこの割合を表すことができるのは,促進的発症が問題とな
らないきわめて例外的な場合だけである。
(エ)促進的発症の存在が実証されつつあること
原爆被爆者について,がん及び非がん疾患について,放射線が直接又
は間接に促進的な役割を果たしている可能性が指摘されている。
a児玉証言
児玉が,原因確率が1%でもあれば,起因性が認められるべきだと
とれる証言をし,更に非がん疾患については促進を認めていることも
このことの延長で理解すべきであろう。
b加齢による促進
動物実験において寿命短縮が放射線の影響であるとされてきた。放
影研も,寿命調査報告第9報までは,「癌以外の特定死因で,原爆被
爆との有意な関係を示すものは見られない。したがってこの集団で
は,現在までのところ放射線による非特異的な加齢促進は認められな
い。」とされてきた。しかし,最近の放影研の研究では,被爆者に持
続的な炎症が継続することが指摘され,「放射線被曝線量の増加と加
齢が本研究で調べたほとんどの炎症マーカーの上昇を伴っていたこと
から,放射線の影響を加齢に換算して検討を行った。すなわち,1
の放射線被曝は,被爆者のESR(赤血球沈降速度)とTNF−Gy
α,IL−10,レベルから判断して約9年の加齢に相当すTotalIg
ることがわかった。これらの結果から,原爆放射線は,加齢と同様に
炎症マーカーや抗体産生量の増加に寄与しており,従って,放射線被
曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかも知れないとい
うことが示唆される。」と述べるに至っている。放影研の研究におい
て,放射線が加齢を促進し,そのことが間接的に疾病の発症を促進す
る関係が普遍的に存在する可能性を示しているのである。
c多段階発がん説と放射線による発症の促進
近時,発がんの機序について,がんは数多くの要因(環境要因及び
遺伝要因)が複雑かつ多段階的に関わって発症するものと理解する多
段階発がん説が有力となっている。
この多段階発がん説によれば,一般にがんの発生には初発要因(発
がん遺伝子の活性化)と促進要因,さらには増殖要因(がん抑制遺伝
子の不活性化等)があり,若年時被曝による肺がんや乳がんでは,放
射線は初発要因として細胞の変異を引き起こすが,その後第二段階は
放射線以外の要因が促進要因として作用して初めておこり,さらに増
殖要因の作用でがん抑制遺伝子が不活性化されてはじめて臨床的な発
がんに至る。放射線が直接作用するのは第一段階であり,第二,第三
段階は直接的には放射線は作用しないために,これらのがんの発症に
は,被曝線量に関わらない潜伏期間があると説明される。
これを前提にがんの発症と被曝の関係を考えると,放射線は,第一
段階については直接的に,第二,第三段階については,放射線が全般
的加齢をもたらし,がん抑制遺伝子の不活性化を促すという間接的な
形で発症を促進していることになる。内部被曝による甲状腺や肝臓等
への放射性物質の蓄積と相まって,放射線による発がんの促進過程が
進行するのである。
d促進についてのまとめ
以上,被爆者については,がんについても非がん疾患についても,
放射線が他の要因とともに発症を促進しており,特段の事情が認めら
れない限り,放射線はすべての被爆者の発症に促進的に作用している
と考えるべき現実的な可能性がある。そして,前述のとおり,促進的
発症がある場合には,寄与リスクは放射線が作用して発症した人数
(割合)を表すことはできず,どんなに寄与リスクの値が小さくても
全員の発症を促進していれば,原因確率は100%になるのである。
エ草間朋子研究の「原因確率論」批判
平成14年3月,大分県立看護科学大学の草間朋子が主任研究者として
まとめた「平成13年度委託研究報告書電離放射線障害に関する最近の
医学的知見の検討」(以下「草間論文」という。)では,放射線業務従事
者に生じた健康障害について放射線との因果関係(業務起因性)を判断す
る基準のあり方が検討されている。
同論文では,原因確率の概念について,「PC(原因確率)は,個人に
罹患した疾病とそれをもたらした原因との関係を定量的に評価するための
尺度である。・・PCは,結果があって,その結果を引き起こした原因の
しめる割合()を意味する概念である」と紹介したうえetiologicalfraction
で,「しかし,評価に用いる疫学データの限界から,直接個人を対象とし
た尺度としての確率というニュアンスを避けるために,やAssignedshare
という用語も使われてきた。PCという概念とそれをAttributablefraction
いかに評価するか,評価した数値の不確かさからくる適用の問題点など多
くの論争が行われてきている」と問題点を指摘している(草間論文15
頁)。
さらに,この草間論文は,グリーンラント博士が「過剰相対リスクをも
とにした評価値(寄与リスク)は,PCと等価と考えるのは間違いである
ことを強調する」「個人のPCを疫学データのみから推定することは不可
能であることを論証している」「PCの評価(算出)には生物学的モデル
が不可欠であることが前提となっていることを認識すべきであると主張す
る」と指摘し,原因確率の問題点として,①疫学データは集団の平均値な
のでそれを個人にあてはめるには集団内の不均一性が問題とされること,
②発がんにおける放射線の関与の仕方によって異なるPCを与えるので,
放射線発がんの生物モデルを前提にして初めてPCは評価可能であること
ほかの理由をあげて,結論として原因確率を採用しないとの結論を出した
のである。
草間朋子は,長く疾病障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会の委員
をつとめ,現在は分科会長代理をつとめている。草間が,原因確率に関す
る積極・消極双方の立場の内外の論文を精査した上で,グリーンラント博
士の批判に注目して原因確率の手法を採用しないとの結論を出しているの
である。この事実からも,寄与リスクの値によって「原因確率」を表す手
法には学問的に大きな欠陥があり,それが無視し得ないものであることは
内外の専門家の間では共通認識となっていることが明らかである。
オ「疫学の誤用」まとめ
以上,原因確率論は,寄与リスクの値によって被爆者の中で放射線によ
って発症した者の比率を知ることができ,それが個人の「原因確率」を現
すとの前提に立っているが,上記のとおり,仮に放射線起因性のある確率
がわかったとしてもそれを原因確率として審査の決め手とすることは許さ
れないばかりか,そもそも,寄与リスクが放射線によって発症した被爆者
の割合(人数)を表すという考えには全く根拠が無い。むしろ,原爆放射
線は全ての被爆者の原爆症の発症を促進していると考えるのが現実に即し
ており,その場合は,寄与リスクがいかに小さくとも原因確率は100%
である。これは,原爆被爆者の場合,決して極端な想定ではない。
原因確率論は疫学の誤用であり誤った手法であるというのが内外の専門
家の共通認識である。
旧審査方針は,がん等確率的影響に属する疾病の放射線起因性の判断を
原因確率を決め手として行う。しかし,この原因確率論が疫学を誤用した
きわめて不合理なものであることは詳述したとおりである。寄与リスクを
原因確率として扱うことは,放射線起因性が認められるべき被爆者の数を
真実よりもずっと小さなものに見せる危険性がある。よって,認定審査に
あたっては,寄与リスクの値は「目安」としても一切使うべきではない。
そして,「原因確率」の概念も,現実には,寄与リスクの値を転用する
以外に算出方法が存在しない以上,用いる意味がなく弊害のみが大きい。
審査にあたって疫学が果たすことができる役割は,相対リスクが1を越
える場合に,放射線と疾病との一般的な関連性を確認することができると
いう点に尽きる。ただし,相対リスクについても,その値が小さい場合で
あっても,場合によっては1より小さい場合でも,それだけで放射線起因
性を否定する理由とはならないことに注意すべきである。けだし,曝露群
の発症者の数は偶然によって左右されることがあり,反面,曝露群を構成
する者は,すべての人が放射線を被曝したことによって発症を促進された
可能性があるからである。
第7あるべき認定基準
1原爆症認定集団訴訟に関する医師団意見書
(1)意見書作成者の立場
原告らは,原告らの各疾病とその原爆放射線起因性に関して,聞間元医師
らによる「原爆症認定に関する医師団意見書」(以下「医師団意見書」とい
う。)を提出した。
医師団意見書を作成したのは,長年にわたって被爆者の診療にあたってき
た医師11名が,その臨床経験や原爆症に関する医学論文を精査して,共同
討議を経てとりまとめたものである。したがって,被爆者の実態を最も把握
している医師団による意見書であり,また学術論文も十分に踏まえたもので
あるので,その証拠価値は極めて高い。
(2)「治療指針」
厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾後障害症治療指針について」(以下
「治療指針」という。)という基本的見解があり,そして,この「治療指
針」が示した諸点は今日でもその真価が失われていないが,そこには以下の
とおり記載されている。
「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆と
の関係を考え,その経過及び予防については特別の考慮がはらわれなければ
ならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するもの
である以上,被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子の量によってその影
響の異なることは当然想像されるが,被爆者のうけた放射線量を正確に算出
することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を
考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなけれ
ばならないが,治療を行うに当たっては,特に次の諸点について考慮する必
要がある。
①被爆距離この場合,被爆地は爆心地からおおむね2以内のときはkm
高度の,2から4までのときは中等度の,4をこえるときは軽度kmkmkm
の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
②被爆後の急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,粘
膜出血,その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射能の
影響を受けていたか判断することのできる場合がある」
(3)放影研の調査自体の進展
アがん疾患全体の傾向
放射線被曝による優位な増加があるとされるがんの部位は,放影研の報
告によると,最近の報告になる度に増加している。具体的に言えば以下の
とおりである。
(ア)LSS第10報以前(1945∼1979年)
白血病,肺がん,甲状腺がん,乳がんに関しては有意な増加があると
され,胃がん,食道がん,泌尿器がん,唾液腺がん,悪性リンパ腫,多
発性骨髄腫に関しては放射線との関係が示唆的。
(イ)LSS第10報(1950∼1982年)
白血病,食道がん,胃がん,結腸がん,肺がん,乳がん,泌尿器がん
(腎臓を除く),多発性骨髄腫に関しては有意な増加があるとされ,悪
性リンパ腫は有意差が見られない。なお,前立腺がんの過剰相対リスク
の増加率が最大であり,また長崎では膵臓がんの死亡率が有意に高い。
(ウ)LSS第11報(1950∼1985年)
上記の悪性疾患に卵巣がんが加えられた。
(エ)LSS第12報(1950∼1990年)
上記の悪性疾患に,膀胱・尿路がん・肝臓がんが加えられた。
(オ)LSS第13報(1950∼1997年)
上記の悪性疾患に,直腸がん(女性),胆嚢がん(男性),脳中枢神
経(男性)が加えられた。
なお,甲状腺がんは第11報では触れられていないが,1994(平
成6)年以降に公表された2つの論文により有意な増加が確認されてい
る。
イ多重がんの問題
今回全国で提訴している原告・被爆者が認定を求めた疾患の種類は多様
であるが,平成16年7月時点の総数146名(平成19年12月18日
現在300名)の原告のうち,がん・悪性腫瘍(脳腫瘍を含む)に罹患し
ている原告は94名にのぼる。ここには25種類ものがん・悪性腫瘍の発
生がみられる。放影研にも,被爆者には複数の原発性がん疾患すなわち多
重がんの例が多いと指摘する研究者もいる。
ウ非がん疾患全体の傾向
非がん疾患に対する原爆放射線被爆の影響に関する報告は,1960年
台の後半になってからである。そして,非がん疾患の死亡率の増加が放影
研によって最初に報告されたのはLSSの第11報からである。第11報
以後の経過は以下のとおりである。
(ア)LSS第11報(1950−85年)
被爆年齢40歳未満の推定被爆線量2を超える被爆者で,循環器Gy
疾患(その中心は心疾患と脳卒中),消化器疾患(その中心は肝硬変)
の死亡率が増加している。
(イ)LSS第12報(1950−90年)
上記疾患の他に呼吸器疾患(その中心は非結核性の肺炎)。そして,
年齢による増加の差異が消失し,低線量でも線量との関係が認められる
傾向がある。
(ウ)LSS第13報(1950−90年)
がん以外の疾患の死亡率が過去の30年間追跡期間中,1当たりSv
約14%の割合でリスクが増加していることが明らかにされ,がん以外
の疾患の過剰相対リスクの推定値ががんの場合と同程度になってきてい
ることが明らかにされた。
(エ)AHS第7報(1958−86年)
子宮筋腫,慢性肝炎および肝硬変,良性甲状腺疾患に有意な過剰リス
クあり。
(オ)AHS第8報(1958−98年)
上記の疾患に加えて,白内障,高血圧症,40歳未満で被爆した人の
心筋梗塞,男性の腎・尿路結石に有意な過剰リスクが認められた。
(4)放射線の影響を受けたことを推定させる事実
これらの成果を踏まえ,医師団意見書は,放射線の影響を受けたことを推
定させる事実として,以下のものを挙げている。
ア原子爆弾の核反応による初期放射線(γ線,中性子線)に被曝している
と推定されること(DS86で認められるような近距離被曝の事実)
これは,現在厚生労働省の実務でも,放射線の影響を受けたものとして
認めている初期放射線による影響である。
イ放射性生成物や降下物によるγ線やβ線,α線に被曝していると推定さ
れること(黒い雨,火災煙,死体や瓦礫処理時の放射性微粒子,汚染され
た食物や水などによる外部および内部被曝の事実)
これは現在厚生労働省が放射線の影響として考慮していない内部被爆で
ある。入市被爆者や遠距離被爆者が受けた放射線の影響を判断するときに
重要である。
ウ誘導放射線(土壌やコンクリート,鉄骨などからの放射線)に被曝して
いると推定されること
これも主に入市被爆者について,考慮されるべき間接事実である。
エ被爆後,およそ2か月以内に発症した身体症状(発熱,下痢,血便や歯
齦出血のような出血傾向,治りにくい歯肉口内炎,脱毛,紫班,長引く倦
怠感など)があったこと
これはいわゆる急性症状である。ただし,急性症状を認定できない場合
であっても,近距離被爆による急性症状の発現率が100%ではなく個体
の感受性に差異があることや記憶の喪失も考えられることに留意された
い。
オ熱傷,外傷瘢痕のケロイド形成
これらは,爆心地から2を越え3くらいまでの距離で被爆した被kmkm
爆者に高い率で発現するとされており,熱傷がケロイドを形成するのは放
射線熱傷の特徴と見られる。DS86,DS02ではほとんど線量がない
とされる地点でも一定の放射線を浴びたことをケロイドは示していると言
えるのである。
カ被爆後数年以内に発見された白血球減少症,肝機能障害(現時点でのB
型肝炎やC型肝炎検査陽性者を含む)
白血球減少や肝機能障害が被爆者に多く認められることは,被爆間もな
い頃から知られていた。これらは,葵訴訟や壬訴訟で起因性が認められた
疾病でもあり,一定線量の放射線被曝を推定させる事実である。
キ被爆後長く続いた原因不明の全身性疲労,体調不良状態,健忘症,労働
持続困難などのいわゆる「ぶらぶら病」状態があったこと
これらの症状は,少なくない被爆者を苦しめていた被爆者特有のものと
いってよい。内部被爆との関連が疑われているが十分解明されていない。
(5)原爆放射線によって発生する可能性のある負傷又は疾病
医師団意見書は,原爆放射線によって発生する可能性のある負傷又は疾病
として,以下のものを挙げている。
ア原爆被爆後に生じた白血病などの造血器腫瘍,多発性骨髄腫,骨髄異形
成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍
イ後嚢下混濁や皮質混濁が認められた白内障
ウ心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化
器疾患のなかで,病歴上他に有力な原因がなく,放射線被曝との因果関係
を否定できない場合
エ甲状腺機能低下症や慢性甲状腺炎で治療を要する場合
オ被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動器障害,又はガラ
ス片や異物の残存による障害を残している場合
(6)疫学の「関連性」の問題と「因果関係」の問題の関係について
被告らは,相対リスクが少なくとも2以上でなければ関連の強固性は認め
られず,疫学的因果関係すら否定されるのであって,原告らは疫学調査にお
ける「関連性」の問題と「因果関係」を混同していると論難する。
しかし,いわゆる疫学4原則が全て完全に充足しなければ疫学的因果関係
が認めらないということではない。少なくとも,放影研の疫学研究によって
も,被爆者の発症率に一定の有意な増加が見られるという知見が得られてい
る事実は,法的因果関係の判断に参画する間接事実の一つとしての地位を認
めて何ら問題はない。
したがって,疫学の関連性の問題を殊更に強調して,因果関係の問題と分
断しようとする被告らの主張に理由はない。
2齋藤紀医師の意見書
被爆者の診療に長年取り組み,広島地裁においても医学的知見について証言
した齋藤紀医師は,上記意見書において,DS86や原因確率に基礎をおく判
断手法では実態を捉えることができないとして,被爆状況から後遺,持続する
不健康状態,放射線被曝との共同成因性,発症経緯など,全体的・総合的に把
握する必要があることを強調する。
すなわち,被爆者の被爆とその後の経験から,被爆者は心身統合の変調とも
言うべき病態である急性症状を発症し,この症状は日々の生活を困難にさせる
直接的・具体的な障害であったこと,また急性症状の後も今日の日常生活上表
現するような「倦怠感」とはまるで異質の「全身倦怠感」が被爆者を襲い,さ
らに病弱となって一般通常の労働すら困難となる実態もあるなど,急性症状が
後遺として遷延していることを,これまでに明らかとなっている科学的知見を
もとに述べる。また,急性症状を発症した者が後に発癌等する確率が高いこ
と,被爆者は非被爆者と比較して優位に高い発症率を持っていること,さらに
非癌性疾患についても,LSSやAHSなどから被爆者に有意差を示す資料が
示されていることを明らかにした。
このように,齋藤医師は,決して計算上からは窺うことのできない原爆被曝
の実態を捉え,その観点からも全体的・総合的な視点によって当該被爆者の放
射線起因性を判断することが必要であることを論証している。
本件の判断にあたっては,齋藤医師の基本的視点とともに,その意見書で述
べられている医学的知見は大いに参考にされるべきである。
3肝機能障害と原爆放射線被曝の関連性
(1)肝機能障害と放射線との関連性に関する研究の到達点
ア従来の放影研の研究
放射線と肝機能障害に関する研究は昭和25年代から積み重ねられてき
ており,被爆者は非被爆者と比較して肝機能障害の頻度が高いことは疑い
のない事実となっていた。
そして,「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌以外の疾患の発
生率,1958−86年(第1−14診察周期)」(ワン論文)を契機と
して,原爆放射線被爆と肝機能障害との間に有意な過剰リスク・有意な正
の関係(線量反応関係)が認められるようになった。ここでは,「AHS
集団におけるB型肝炎(HBV)抗原と抗体の定量的調査は,抗原の正の
度合いが重度被爆者では有意に増加していることを示しており,これは免
疫の能力の低下がウイルス感染の原因でありえることを示唆している。」
と指摘されている。
イ藤原論文
このような成果を前提として,藤原佐枝子を中心としてさらに研究が進
められ諸論文が公表されている。そして,「原爆被爆者におけるC型肝炎
抗体陽性率及び慢性肝疾患の有病率」(藤原論文)では,「原爆放射線被
曝がC型肝炎ウイルス(HCV)感染陽性率を変化させるかどうか,ある
いはHCV感染後に慢性肝炎への進行を促進するかどうかを検討する」こ
とに問題意識をおき,検討を加えたところ,放射線被爆がC型肝炎感染に
関連した慢性肝疾患の進行を促進する可能性が示唆されたとの結果が得ら
れている。藤原論文は,冒頭の「要約」の項で「これらのデータから慢性
肝疾患に対する放射線量反応関係は,HCV抗体陰性の被爆者に比べてH
CV抗体陽性の被爆者において大きいことが示唆された(スロープ比2
0)。結論として,抗HCV抗体陽性者と被曝線量との関係には線量反応
関係は見られなかったが,抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対
する増加が認められた。従って,放射線被曝はC型肝炎感染に関連した慢
性肝疾患の進行を促進するかもしれない」と記している。また,同論文は
別の場所でも同一の趣旨のことを述べている。「放射線量に伴うCLD
(慢性肝機能障害)の有病率の増加は,抗HCV抗体陽性の対象者におい
て極めて顕著であり,被曝が,HCV感染後による肝機能異常を伴う慢性
肝炎の進行を促進した可能性を示した。HCV感染が放射線被曝前か後か
に関係なく,放射線量はHCVが関与した慢性肝炎の経過に影響するかも
しれない」。そして,同論文はその結論部分で「抗HCV抗体陽性率と放
射線との間には関連性がないが,慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陰
性の人より陽性の人において放射線量に伴い大きく増加したようである。
この所見は,放射線被曝がHCV感染後の肝炎の進行を促進した可能性を
示唆した」と述べている。
ウ成人健康調査第8報
その後も,放影研では上記各論文の成果を踏まえつつ,その延長線上で
さらに研究が進められている。ワン論文から12年分の調査を追加した
「成人健康調査第8報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,19
58−1998年」によれば,慢性肝機能障害及び肝硬変について,P値
が0.001と,線量反応関係の有意差が更に明確になっている。
エp値について
統計上,偶然によって同様の結論を得る可能性をp値というが,上記の
とおり,研究の進展とともにp値が小さくなっているということは,有意
な増加傾向について誤差が小さくなっているということである。
放影研は,藤原論文にいう「(p=)」の解釈marginalysignificant0.097
をめぐって争われた東訴訟が終結して相当期間が経過した後,突如,藤原
論文の訳を「有意に違いが有意ではなかった」と変更している。
しかし,藤原自身が,東訴訟での証人尋問において,放影研ではp値
(偶然確率)を0.05と設定する場合も0.10と設定する場合もあ
り,0.1から0.05の間を辛うじて有意と表現することもあることを
認めている。また,レファレンスマニュアル訳文においても,有意水準と
して0.1を採用している。
オ共同成因論
以上の研究の成果からすると,C型肝炎ウイルスに感染している被爆者
の肝機能障害は,放射線被曝が肝炎の進行を促進したと理解することが相
当である。
(2)戸田報告は解決済みの点を蒸し返しているに過ぎないこと
被告らは,戸田剛太郎医師の報告書に基づいて,放射線被曝とC型肝炎ウ
イルスとの関連性を否定しようとする。
しかし,戸田医師はいったん被告厚生労働大臣側申請証人として出廷し証
言したものの裁判所にその意見を採用されなかった人物であり,被告厚生労
働大臣の敗訴判決が確定した後に当の戸田医師に報告を依頼すること自体,
公正さが疑われる。また,被告らは海外のレビューを受けたことを強調して
いるが,戸田医師が査読を受けたものと審査会での報告書は別物であって,
後者は査読を経ていない。戸田報告の内容も,藤原論文が慎重な表現をとっ
ている点について断定的に否定するもので,それからも中立的で誠実な報告
とはいえない。
したがって,戸田報告は客観的なものとはいえず,これに基づく被告らの
主張も採用されるべきではない。
(3)裁判例でも確認されている共同成因論
原告らが主張しているような,原爆放射線・肝炎ウイルス共同成因論は,
東訴訟以降も各地の地方裁判所で採用されているものであって,このような
経験則は司法判断では定着したと言ってよい状況にある。
4原爆放射線と免疫,炎症及び加齢効果
上記知見に加え,近時,放影研は,放射線の免疫的影響についてまとめてお
り,旧審査方針の策定にも関与した児玉和紀主任研究員も東京地裁においてこ
の点について証言しているので,ここで指摘しておく。
この知見は,本件原告らの経過を解明する手掛かりを提供するものである。
(1)ナイーブT細胞とメモリーT細胞の混乱
そのことをまとめたものとして「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響
:半世紀を超えて」があげられる。その中で注目されているのがT細胞の変
化である。T細胞性は細胞性免疫の主役を演ずるが,T細胞のホメオスタシ
ス(均衡)は,ナィーブT細胞集団とメモリーT細胞集団の再生と死の均衡
の上に成り立っているとされる。ところが,原爆被爆者の場合,高齢者と同
様の免疫学的変化,すなわち,ナイーブT細胞産生能の減少と,メモリーT
細胞のクローン性増殖が確認されている。
これらの点について,甲197号証では,被爆後50年を経過した後で
も,ナイーブT細胞の数は,同年齢の非被曝群に比較して少なく,また,メ
モリーT細胞におけるT細胞受容体レパートリーの偏りは,被曝線量に伴い
有意に増加するとされている。この点は,児玉証人も認めている。
(2)放射線と免疫及び炎症との関係
更に研究の中で明らかにされているのが,放射線と免疫的変化,そして炎
症との相互関係である。すなわち,放射線の線量と,IL(インターロイキ
ン)6やCRPといった炎症反応を示すマーカーが相関していることが放影
研の研究によって明らかにされている。このようなことから,放影研では,
T細胞数の減少や偏りと,炎症反応との関係の間には,相関関係があると考
えて研究を進めている。
(3)放射線と遺伝的素因との関係
更に放影研では,疾患の発症に放射線と遺伝的素因がどのように影響する
かについても調査を継続している。その中に,広島で被爆時20歳未満であ
った人では,2型糖尿病(多くの日本人がこの型である)の有病率と,放射
線の間に有意な相関関係があることを確認するとともに,HLAクラスⅡタ
イプ遺伝子によって,放射線の影響の程度に差があることが前述のアップデ
ートに報告されている。
(4)加齢との関係
上記のような放射線と,免疫,炎症(ホルモンとの関係を含む),遺伝と
疾患の発生との関係について,放影研では,加齢を中軸とする以下に掲げる
ような図に描かれた関係を想定して研究を進めている。
(5)免疫的影響に関するまとめ
放影研の研究において,放射線が加齢を促進し,そのことが間接的に疾病
の発症を促進する関係が普遍的に存在する可能性を示していることは,前記
第6の7()ウ(エ)bのとおりである。2
また,以上述べたような免疫や炎症との関係から,心筋梗塞,脳梗塞,高
血圧,肝機能障害がある程度統一的に説明ができるかもしれないといわれて
いる。そして,悪性腫瘍も炎症や免疫を介しての放射線の影響があることが
考えられている。
そして,放影研自身,疫学調査も踏まえ「最近,原爆被爆者においてがん
以外のほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線量との間にも明確な関連
性が観察されている」と認識する状況になっている。
(別紙)
原告ら主張2
1原告Cについて
(1)原告Cの膀胱がんの原爆放射線起因性
ア放射性降下物や放射性微粒子等による外部被曝・内部被曝
(ア)原告Cは,昭和20年8月6日にa14を歩いている際に「黒い雨」
を浴びているが,この雨の中に放射性物質が含まれていたことは否定でき
ない。また,原告Cは,同日,爆心地からわずか1.5の地点(a1km
6)まで入市したのであるが,このとき,広島市内には放射性微粒子が浮
遊していたと考えられており,原告Cも,経口・経鼻・経皮によって放射
性微粒子が体内に侵入,蓄積するという内部被曝を受けていたことは十分
に考えられる。
(イ)さらに,原告Cは,昭和20年8月8日から同月10日にかけて,連日
市内爆心地付近で長時間の作業に従事していたが,このときに,原告Cは
大量の放射線を埃と共に吸い込んだり,浴びたりしていたと考えられる。
また,原告Cは,作業の合間に「焼き茄子」を食べたり,作業場で水を飲
んだりしているが,「放射線に曝露している飲食物を摂取することによっ
て,内部被曝をさらに重ねている」。
(ウ)したがって,原告Cは,爆心地付近の作業の間に,煙や埃を吸い込ん
だり,作業場で飲食をしたり,外部被爆・内部被爆をしていたと考えられ
る。
イ誘導放射線による被曝
(ア)原告Cは,昭和20年8月6日に爆心地からわずか1.5の地点km
(a16)まで入市したのであるが,同日の広島市内は,誘導放射化され
た土壌や構造物からのガンマ線照射が持続している環境であったと理解す
ることができる。
そして,原告Cが作業を行った場所は,まさに爆心地直下のa33や,
爆心地からわずか300mほどの地点にあるa22などであり,このとき
に原告は繰り返し残留放射線に被爆していると理解することができる。
於保源作医師の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」からも,8月10
日までの入市者に急性症状が多いという事実も指摘されており,原告が入
市した期間は広島市一円に放射能汚染が継続していたと思われる。
この点,被告らは,誘導放射線は「爆心地から600∼700m程度を
超えるとほとんど届かない」「放射化した元素の半減期は,アルミニウム
28が2.2日分,マンガン56が2.6時間,ナトリウム24が15時
間,鉄56が44日である」と主張している。上記被告らの主張に理由が
ないことは前記のとおりであるが,原告Cは,8月8日に爆心地からわず
か300m以内の地域で作業を行っているのであるから,被告らの主張を
前提としても,原告Cが誘導放射線を浴びていることは何ら否定されな
い。
(イ)また,原告Cはa34で遺体の収容作業をしているが,早期に死亡し
た被爆遺体は高線量被爆の遺体に他ならず,原告Cが放射化した被爆者の
身体や衣類に触れることで被爆したことは十分に考えられるほか,遺体や
被爆の負傷者が多く収容されていた収容所で原告Cが寝ていた際も,閉鎖
された建物の中で飛沫化した体液が付着して被爆した可能性も否定できな
い。
ウ急性症状
原告Cには,被爆後数日から数か月の間に,頭痛・発熱・脱毛・下痢・下
血・歯茎からの出血という症状が出ており,これらの症状は,放射線被爆の
典型的な急性症状であり,「しきい値」を超える量の放射線を原告Cが浴び
たことを裏付けるものである。また,原告Cの倦怠感は被爆者特有の「体質
的偏倚」であったと考えられる。
エ後遺症状
原告Cには,様々な病歴がある。
(ア)膀胱炎及び前立腺炎
現時点では膀胱炎に関する有意差を具体的に指摘された資料については
不明であるが,前記のとおり,研究の進展と共に有意差が確認される疾病
が増えていることからすれば,現在優位な増加傾向が顕著には認められな
いことの一事をもって放射線との関係を否定することには慎重であるべき
である。そもそも膀胱炎は若年で,かつ,男性であれば発症しにくいとい
う性質のものであるのに,原告Cの場合は23歳頃から膀胱炎と診断され
ており,その経過は通常では考えられないものである。とすれば,原爆放
射線被曝によって免疫力が低下していることが,原告Cの膀胱炎の発症に
影響していることはたやすく否定できないというべきである。同様に,前
立腺炎の発症についても,被爆の影響により免疫力低下したことの影響を
否定することはできないというべきである。
(イ)腎臓結石
原告Cは39歳と40歳の時に腎臓結石にかかっている,腎臓結石と放
射線との関係は男性において有意な線量・反応関係が認められている。こ
こでは,p値すなわち偶然確率が0.007すなわち0.7%であり,か
なりの精度によって有意差が確認されていることになる。
(ウ)膀胱がん
乙42号証13頁図4によれば,膀胱がんについては,ERR(11SV
当たりの過剰相対リスク)が1.25,すなわち被爆者の発症率は非Sv
被爆者の2.25倍となっている。しかも,同図によれば,その過剰相対
リスクの90%の信頼区間の下限は0.02以上と正になっているほか,
p値すなわち偶然確率も0.02(2%)とされていることから,統計に
よる誤差を勘案したとしても,被爆者の膀胱がんの増加傾向が顕著である
ことは明らかである。
オ原告Cの膀胱がんについての原爆放射線起因性のまとめ
このように,原告Cは,被爆後から急性症状が現れ,その後も放射線被曝
との関係を否定できない疾病にかかった後,原爆放射線との優位な関係が認
められる膀胱がんが発症しているものであり,明確な他原因は認められない
ことから,この膀胱がんが原爆放射線に起因することは明らかである。
(2)要医療性
原告Cは5年前,70歳のときに膀胱がんのために膀胱を全摘しているが,
被爆者には多重がんが多くみられることからすれば,十分経過観察が必要であ
る。また,原告Cは生涯人工膀胱を常時使用しなければならない状態である
が,人工膀胱の開口部などから細菌が入って感染したりしないよう,常にケア
が必要である。したがって,原告Cについては要医療性が認められる。
(2)小括
以上のように,原告Cが罹患した膀胱がんは原爆症と認定されるべきである
から,原告Cに対する本件処分Aは取り消されるべきである。
2原告Aについて
(1)原告Aの放射性起因性について
ア「黒い雨」「黒いすす」や放射性微粒子による外部被曝・内部被曝
(ア)原告Aは,原爆投下の翌日,爆心地付近を通過した後,爆心地から約
500mのb2まで来ている。そこで,原告Aは,煙が立ちこめ,埃が舞
う中を歩き,また,がれきの中で叔母の捜索等をしていたのである。この
間,原告は,「黒いすす」や放射性微粒子を浴びる外部被曝をした。そし
て,原告Aは,空気中の放射性物質が付着した埃等を吸ってしまった。さ
らには,昼食の際,粉塵の付着した芋を食べ,また水を飲み込んでしまっ
たものであり,内部被曝をしていたと考えられる。
(イ)さらには,原告Aは,爆心地から至近距離で被爆した叔母を運んだの
みならず,叔母を運んだ先のb12小学校には多数の被爆者が収容されて
いたのであり,その着衣や身体に付着していた放射性物質にも原告Aは触
れていた可能性が高く,そのことによる被曝の可能性も無視できない。
イ誘導放射線
原告Aは,原爆投下日の翌日に爆心地近くに来て,丸一日,叔母の捜索を
した。前記の通り,原爆から放出された中性子を吸収した原子は,放射能を
帯びるようになるところ(誘導放射化),原告Aは,誘導放射線がとても強
い時期にこれを浴びたことが認められる。
なお,DS86によっても中性子線は,b13駅のあった爆心地から約9
00m離れた地点で,地上1mで14,3であったというのであるかGy
ら,原告Aの顔や手に付着し,口の中に入った埃は中性子線によって,誘導
放射化された可能性が高いと言える。これを経皮,経口,吸入によって原告
Aは体内に取り入れ,α線,β線の内部被爆を受けていると考えられる。
ウ急性症状
原告Aは,被爆後,2週間位した8月の終わり頃から,倦怠感と,37,
8度の熱が出て,起きていられない状況になり,また,脱毛,下痢もずっと
続いていた。これらは,放射線被爆に典型的な急性症状である。ことに原告
Aが苦しんでいた下痢は,消化器粘膜が放射線感受性が強いことに鑑みる
と,放射線との関係が強く認められる
この点,被告らは,b14作成の意見書に基づき原告Aの脱毛は放射線被
曝によるものではないと主張する。しかし,b14意見が前提としている医
療被曝が原爆被爆と同様に考えることができるかの検証はされていないし,
具体的な被曝態様によって脱毛の発言が異なることは当然である。また,被
告らの主張するとおりの栄養障害等による脱毛だというのであれば,脱毛が
被爆距離に相関している事実と相容れないことになる。そこで,原告Aの脱
毛等の症状は被爆による急性症状ではないとする被告らの主張に理由はな
い。
なお,原告Aの家族も同様の症状に苦しめられており,原告Aの記憶はb
15の記憶ともよく符合している。
エその後の健康状態
(ア)原告Aは,7才の頃から紫斑点が体中に出来るようになり,また歯茎
からの出血もひどくなった。造血臓器は放射線感受性の強い部位であるこ
とから,放射線の影響による造血機能障害の発現ということができる。
(イ)同じ頃から常時,頭痛,腹痛に悩まされ,またすぐ息切れするように
なり,そのため学校を休むこともあった。これは被爆者の「体質的偏倚」
と考えられる。これは,自律神経系統を中心にして症状が出て,体のだる
さ,頭痛等の不定愁訴が出てくるのであり,原爆症の患者に多く見られる
症状の一つである。
(ウ)その後も紫斑点,歯茎の出血,息切れがひどくなり,食欲もなくな
り,やせていき,小学校は休みがちであった。上述した「体質的偏倚」は
多様なものであって,原爆放射線との関係を否定することはできない。紫
斑点,出血はその後も続いているが,この点についても継続的に造血機能
が障害されていたとの評価が可能である。
(エ)原告Aは,20才から22才ころまで,生理も止っていた。卵巣の濾
胞細胞は放射線感受性の強い部位であり,被爆者に月経異常が多いことも
報告されている。また,原告Aは20歳のときには貧血もひどかった。2
2才の時,白血球が通常は1μℓあたり1400個しかなかった。貧血や
白血球の減少は,放射線による造血機能障害の影響と考えられる。
(オ)原告Aは,昭和36年9月,脾臓の摘出手術を受けているが,このと
き,脾臓は通常の10倍に大きく腫れていた。放射線による造血機能障害
のあらわれと考えることが可能である。
(カ)原告Aは,23才の頃より吐血,下血を繰り返すようになった。その
後も吐血,下血が続いていた。原告Aには,被爆直後から歯茎出血等の症
状が見られ,その後も紫斑等の症状が現れていることからすれば,放射線
の影響による造血機能障害が続いていると見ることができる。
原告Aは,昭和48年2月,妊娠7か月目に,大量の輸血を必要とする
ほどの吐血・下血が起こっている。また,この頃原告Aは黄疸がひどくな
っており,慢性肝炎に至っていた。原告Aは同年12月,再び吐血,下血
している。
原告Aは造血機能障害によると考えられる吐血・下血が見られたことは
前記のとおりであるが,この時期のそれは,さらに,慢性肝炎に起因する
ものも加わっていると考えられる。
(キ)昭和50年,原告Aは,食道静脈瘤と診断された。慢性肝炎の肝外症
状であろう。
(ク)原告Aは,昭和52年,貧血,肝硬変と診断され,翌年にも不良性貧
血と診断されている。
(ケ)原告Aは,昭和57年にも食道静脈瘤が再発し,吐血・下血があっ
た。
原告Aは貧血,食道静脈瘤,肝硬変,血小板減少の診断を受けた。歯茎か
らの出血も続いている。これら食道静脈瘤や血小板減少症は肝硬変の肝外
症状と考えられる。
原告Aは,上記のように,いずれかの時期にC型肝炎ウイルスに感染
し,慢性肝炎を経て肝硬変に罹患しているのであって,C型肝炎ウイルス
(HCV)の持続的感染と放射線被曝が共同成因として肝機能障害の進行
に関与していると認めることができる。
オ原告Aの肝硬変等の原爆放射線起因性についてのまとめ
以上,原告Aに放射線被曝の機会があることや,放射線被爆に典型的な急
性症状と後遺症状から総合的に判断すると,原告Aは,原爆放射線に起因す
ることを否定し得ない食道静脈瘤,肝硬変,血小板減少症に罹り,後述の如
く医療を要する状態になっており,かつ,放射線の影響を否定しうる特段の
事情もないことから,放射線起因性が認められるというべきである。
カ被告らの主張に対する反論
(ア)原告Aの申請疾病についての被告らの主張
被告らは,①昭和26年,原告Aがヤミで購入した薬を注射した際に
C型肝炎ウイルスに感染したことを前提に,およそ20年後の昭和48年
に肝硬変となっていたのなら,C型肝炎ウイルス感染後慢性肝炎が20年
以上の経過で肝硬変に進展する例が多いことと合致する,②原告Aのリ
ンパ腫は悪性リンパ腫ではなかった,③原告Aの貧血や白血球減少は脾
機能亢進症(バンチ氏症候群,特発性門脈圧亢進症)が原因である,④
白血球減少は見られないので免疫機能は障害されていない,と主張してい
るが,以下に示すとおり,いずれも理由のない指摘である。
(イ)C型肝炎ウイルスの感染時期(上記①)
原告Aが,上記注射でC型肝炎ウイルスに感染した根拠はなく,原告A
は,被爆後,病院とは縁が切れず,手術も多数回行っているため,手術で
の輸血の際に感染した可能性もあり,C型肝炎ウイルスの感染時期,原因
とも不明としかいいようがない。
被告らも自らの主張を推測と言っており,これを前提に原爆放射線が原
告Aの肝機能障害の促進に関与したことを否定することはできない。
(ウ)リンパ腫が悪性ではなかったこと(上記②)
b16・b17両医師連名による意見書は,良性・悪性を区別していな
い。これを殊更に悪性である趣旨と断定して論難しても,意味がないので
あって,被告らの主張は失当である。
(エ)ABCCの記録にバンチ氏症候群との記載があること(上記③)
原告Aの脾腫、貧血、白血球減少の原因は、造血機能障害の現れではな
いとし、その理由として、原告AのABCCの検査によれば、原告Aがバ
ンチ氏症候群であったと臨床診断されていたことを指摘する。
この特発性門脈圧亢進症は、難病センターのホームページには,発症年
齢のピークは40∼50歳代といわれており,牽引については免疫異常の
関与が推測されているとのことである。
しかし,原告Aがバンチ氏症候群の診断を受けたのは30歳代のときで
あるから,やや早い発症ということになる。近時の放影研の報告によって
も,原爆放射線被曝による免疫異常の可能性を指摘されていることとあわ
せ考えると,原告AがABCCで特発性門脈圧亢進症の診断を受けていた
としても,それを理由として原爆放射線の影響の可能性を否定することは
できず,被告らの主張は失当である。
(オ)免疫機能の障害(上記④)
被告らは,平成9年から平成18年までは白血球数が正常範囲内で推移
していることから,免疫機能は傷害されていないと主張する。
しかし,被告ら自身,白血球数は「免疫機能を反映する指標の一つ」と
しかいっておらず,これだけをもって免疫機能は障害されていないという
こと自体が論理的に矛盾している。のみならず,C型肝炎ウイルスに感染
したもの全てが肝機能障害を発症するのではないことからすれば,発症の
事実それ自体から免疫機能が障害されていること自体は明確である。そし
て,免疫機能の障害に原爆放射線が関与している可能性を否定できないこ
とは既に述べたとおりである。
したがって,この点に関する被告らの主張も失当である。
(2)要治療性
原告Aの肝硬変は進行性であり,食道静脈瘤の再発は肝硬変の一層の進行を
反映している。肝硬変で命を失う可能性があるのは,①肝臓癌になる場合,②
食道静脈瘤から大量吐血によって亡くなる場合,③肝性脳症で意識がなくなっ
て亡くなる場合等たくさんあるとされている。特に主治医からも肝癌への移行
が懸念されているのであり,要医療性も明らかに認められる。
(3)小括
以上のように,原告Aが罹患した肝硬変,食道静脈瘤及び血小板減少症は原
爆症と認定されるべきであるから,原告Aに対する本件処分Bは取り消される
べきである。
3原告Bについて
(1)原告Bの心筋梗塞等の放射線起因性
ア「黒い雨」「黒いすす」による外部被曝・内部被曝
原告Bは,原爆投下当時,爆心地より約1.7離れたc1町におり,km
初期放射線に被曝している原爆投下当時は周囲が真っ暗であったというので
あるから,残留放射能を有する煤煙に取り囲まれており,内部被曝をしてい
た。
また,原告Bは,隣家が燃えている中を避難していたものであり,建造物
の剥離片や塵埃など,誘導放射化された物質や「黒いすす」による外部被曝
・内部被曝をしていたものと推測される。
そして,原告Bは「黒い雨」を浴びている。c3山があったとされるC2
地域は被爆直後から集中豪雨のような雨が降ったとされているところであ
り,粘度の高い「黒い雨」はまさにc2・c15地域のそれの特徴を備えて
いる。これに当たっていた原告Bは放射性降下物である「黒い雨」によって
外部被曝・内部被曝をしていたのである。この場所は,旧審査方針でも一定
限度で残留放射能を認めているところでもあり,甲87号証の1(増田ノー
ト)によっても,「まれにみる集中豪雨」「重油のような雨」「どしゃぶ
り」などと記録されており,雨脚も年度も強い雨が降っていた事実が認めら
れる。
なお,被告らは,c3山がc16町付近であるという。その場合でも,甲
87号証の1によると,複数の者が「急に黒い俄雨が降ってきて,私の腕ま
くりをしたシャツに点々と黒いシミを作った」「強く雨が降った」と申告し
ているのであって,やはり原告Bらが「黒い雨」にあたっていた事実は左右
されない。
イその後の繰り返しの残留放射線被曝
原告Bは,8月7日以降もc5町またはc2付近に収容されている母のも
とに通っているのであって,繰り返し残留放射線に被曝している。
これらの主張に対し,被告らは,DS86に基づく線量評価を根拠に原告
Bはほとんど被爆していなかったと主張するが,その前提としての被曝線量
評価自体に理由がない。
ウ被曝の影響を推認させる事実
原告Bと共に行動していたc21は火傷を負った後がケロイドとなったの
もみならず脱毛もみられた。c17は下痢がひどかった。また,c18も9
歳ころから眩暈があったが,これは被爆者特有の体質的偏倚と理解すること
ができる。このように,原告Bと共に行動した者に被曝の影響をうかがわせ
る諸症状が起きており,原告Bも相当量の被曝をしていると考えられる。
これに対し,被告らは,ここでもc19意見書及びc20意見書に基づく
急性症状論を展開し,これらの者の急性症状が原爆放射線に関係ないと主張
するが,本件に妥当しない。また,被告らは,c17が姉c21の脱毛につ
いてのみ供述しているが自身には脱毛が生じていないことが不自然であると
指摘するが,放射線感受性には個人差があるほか,誰にでも同じような生じ
ようが一律に生じるわけではないことは自明のことであるから,被告らの指
摘は失当である。
エ後遺症状
(ア)閉経
原告Bは,昭和49年に閉経しているが,卵巣の濾胞細胞は放射線感受
性の高い部位であり,このような早期の閉経は放射線の影響と考えること
ができる。
被告らは,原告Bに不妊は生じていなかったのだから,37歳での閉経
が原爆放射線に被曝したためであるというのは失当であると主張する。し
かし,卵巣の濾胞細胞は被爆態様によっては一旦障害されても回復するこ
ともあるのであるから,不妊が生じていないからといって原爆放射線の影
響がなかったとはいえない。よって,被告らの上記指摘は理由がない。
(イ)陳旧姓心筋梗塞
a原告Bは,平成元年と平成14年に心筋梗塞を発症させている。
これらは,冠動脈血行再建術を施していることからすれば,動脈硬化
症を背景にしていると考えられる。
動脈硬化症については,1958−1978年調査で広島の女性被爆
者において被爆との関係が示唆されているほか,寿命調査報告第13報
によると,心疾患について,1当たりの過剰相対リスク0.17Sv
(p=0.001)と,原爆放射線被曝と有意な関連性が認められてい
る。
また,成人健康調査第8報でも,若年時被爆者(40歳未満)におい
て,1当たりの相対リスク1.25(p=0.049)と,心筋梗Sv
塞発症と被曝線量との間に有意な線量反応関係が認められている。
したがって,動脈硬化を背景とする心筋梗塞の原爆放射線起因性は否
定することができない。
この点,被告らは,寿命調査第11報や同第12報においても心筋梗
塞の(過剰)相対リスクが正になっていることについて,関連の一致性
・強固性・整合性が認められないと主張するが,原爆放射線との関連性
ある疾病は時を経るごとに明らかになるという宿命をもっているのであ
って,このような指摘は当たらない。
bこのことは,近時の免疫や炎症応答関係に関する放影研の研究の方向
性とも合致する。
放影研では,被曝放射線量と炎症応答マーカー(インターロイキン6
やCRP)が相関しており,この炎症反応とT細胞の減少が相関してい
るとの仮説のもとで研究が進められている。
Chramydia動脈硬化との関係では,抗クラミジア・ニューモニエ(
)抗体レベルが被曝線量の増加と共に有意に低下しているとpneumoniae
ころ,これは原爆被爆者における免疫応答能が低下し,感染性微生物の
排除が低下していることを示唆しているのかもしれず,被曝者における
動脈効果性疾患の増加のメカニズムが,細菌感染の面から一部説明でき
るかもしれないとの報告がある。
いずれにしても,放影研では,動脈硬化と放射線との間に線量反応関
係があることを前提に研究が進められている。
cこの点,被告らは,原告Bの心筋梗塞や動脈硬化の主たる原因は,高
脂血症等のリスクファクターによるものと主張する。
しかし,上記成人健康調査第8報においても,「喫煙や飲酒で調整し
ても上記の結果は変わらなかった」とされる。
よって,被告らが指摘するようなリスクファクターを加味したとして
も,なお心筋梗塞の原爆放射線起因性を否定することはできないのであ
って,被告らの主張は当たらない。
dなお,被告らは,「原子爆弾被爆者における動脈硬化に関する検討
(第7報)」や「原子爆弾被爆者における動脈硬化に関する検討(第8
報)」を引用して,最近の研究では,動脈硬化について,原爆放射線の
影響が否定されていると主張する。
しかし,放影研の寿命調査は昭和25年から始め,第13報時点で8
6,572人の被験者,成人健康調査は昭和33年から始め,第8報時
点で10,339人の被験者のデータをそれぞれ使用している。そのよ
うな大規模かつ長期間の調査を経た上で,a及びb記載のような研究成
果を得ているのである。
これに対し,被告の引用する上記各研究は602例及び562例によ
る調査結果であって,放影研の調査規模は比較にならない。放影研の調
査対象において統計上有意に出た結果を,このような調査で軽々に否定
されるべきではない。よって,ここでの被告の主張は理由がない。
(ウ)脳梗塞後遺症
原告Bが平成14年に発症した脳梗塞もまた,動脈硬化症を背景にする
ものであって,心筋梗塞と同様,被爆との関係が否定できない。その後遺
症についても,原爆放射線起因性が認められる。
(エ)腎機能障害
a被告らは,原告Bの腎機能障害の原因は,細菌による感染症である慢
性腎盂腎炎であって,原爆放射線ではないと主張する。
しかし,原告Bの原爆症認定申請疾病の一つである腎機能障害につい
て,細菌感染である腎盂腎炎によって引き起こされた可能性があるとし
ても,原爆放射線起因性を否定することはできない。上記のとおり,原
爆被爆者は被曝線量と相関して免疫機能が低下している可能性,原爆放
射線によって原告Bの免疫応答能が低下したために,細菌を排除できな
かった可能性を否定することができないのである。
bまた,そもそも原告Bの病像は,細菌感染症というだけでは説明する
ことが困難である。
たしかに,クレアチニンクリアランスが低値であることから,腎機能
が障害されていることがわかる。
しかし,腎盂腎炎が原因となって腎機能障害が起きるとすると,再吸
収が妨げられるので,尿中のベータマイクログロブリン(BMG)が異
常値を示すはずなのに,正常範囲を保っている。
また,腎盂腎炎が原因となって腎機能障害が起きるとすると,尿中の
ナグ(NAG)が異常値を示すはずなのに,正常範囲を保っている。
加えて,腎盂腎炎が原因となって腎機能が障害されていれば同様に再
吸収が妨げられ尿淡泊が陽性になることが通常であるのに,原告Bの尿
検査の結果は,ほぼ全般にわたって尿淡泊が陰性(−)になっている。
このようなことから,C22医師としては,原告Bの検査結果は,通
常の細菌感染症による腎盂腎炎からくる腎機能障害ということでは説明
がつかないと判断した。このような一見理解しがたい所見が原告Bの身
体には起こっているのであり,科学的解明が不十分な原爆放射線の影響
がないとはいえない。
(オ)腰部椎間板障害
思春期までの活発に骨が成長している時期に放射線に被曝すると,骨の
成長が障害されることはよく知られており,「放射線基礎医学第10版」
では,「成長している軟骨,骨組織」が中程度の放射線感受性をもつと分
類されている。
原告Bは被爆時7歳で成長期にあったので,一定の障害があったことは
否定できない。
そのうえで,遅くとも原告Bが19歳のころには腰部の関節に何らかの
障害が生じていたものと思われ,その原因を直爆あるいは残留放射能被爆
による治癒能力の低下と考えることができる。
したがって,原告Bの腰部椎間板障害は,原爆放射線の影響であること
を否定することができない。
なお,被告らは,援護法10条1項ただし書にいう治癒能力が問題にな
るのは,当該負傷又は疾病が,原子爆弾の傷害作用の内の熱線及び爆風に
よる場合のみであると主張する。しかし,これは論理が逆である。同条た
だし書は,原子爆弾の傷害作用のうち放射線に起因するものでないときに
は治癒能力が原子爆弾の放射線の影響受けているときに限られるというの
である。それ以外であって原子爆弾の放射線の傷害作用の影響を受けてい
れば端的に同条本文が適用される。
オ家族に起きた原爆被害
同一行動をとった姉は膀胱がんで,父親も肝臓がんで死亡しているが,い
ずれも放射線被曝との関連性が確認されているものであり,これもまた,原
告Bが原爆放射線に被曝していたことの裏付けとなる事実である。
カ原爆放射線起因性
このように,原告Bは,初期放射線,放射性降下物,誘導放射線によって
外部被爆・内部被曝を受けており,放射線被曝との関連性が認められる疾病
にかかった後,原爆放射線起因性が認められる陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺
症,腎機能障害及び腰部椎間板障害に罹患し,かつ,放射線の影響を否定し
うる特段の事情もない。よって,原告Bのこれら認定申請疾病はいずれも原
爆放射線起因性が認められる。
(2)要医療性
原告Bの心筋梗塞等の疾病は,その病変が退縮・進展することを阻止するこ
とは難しく,今後再び冠動脈に異常が生じれば死の危険もあることからから,
厳重な医療・管理が必要今後のフォローアップは不可欠である。腰部椎間板障
害についても,完治させることは困難であり,継続的なケアが必要不可欠であ
る。したがって,原告Bの上記認定申請疾病について要医療性が認められるこ
とは明らかである。
(3)小括
以上のとおり,原告Bの陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺症,腎機能障害及び腰
部椎間板障害には原爆放射線起因性及び要医療性が認められるので,原告Bに
対する本件処分Cは取り消されるべきである。
4原告Dについて
(1)原告Dの胃がんの原爆放射線起因性
ア誘導放射線による被曝
原告Dは,爆心地からわずか約1.3の地点から避難を開始し,辺りkm
が燃えさかる中,爆心地から約1.7ほどの距離にあるd3橋付近に数km
時間滞在した後,d4小学校へ避難した。原告Dは,誘導放射化された物質
(土壌や建物や樹木等の地上物)から,原爆投下直後の誘導放射線がとても
強い時期にこれを持続的に浴びていたことが認められる。
イ「黒いすす」や放射性微粒子による外部被曝・内部被曝
原告Dは,上記ア記載の通り,原爆投下当時,爆心地より約1.3程km
の距離にある自宅におり,辺りが燃えている中,爆心地から約1.7ほkm
どの距離にあるd3橋付近に数時間滞在した後にd4小学校へ避難したもの
である。
また,d1市d21町(d3橋からやや南西付近)で被曝したd22は,
被曝後,「空が突然暗くなり,黒い灰のようなものが降ってきた。灰は燃や
した藁を手で揉んで細かくして空から巻いたような真黒な灰であった。冬に
降る吹雪とそっくりで風もなかったように思われるのに,ひらひらと音もな
く降ってきた。…黒い灰は顔,肩,腹,腕などに付いた。…上半身が薄暗く
汚れた。」と述べていることからすれば,d3橋付近にいた原告Dも「黒い
すす(黒い灰)」を相当程度浴びたことを強く推認させる。
原告Dの被爆地点(爆心地から約1.3),待機場所(d3橋付km
近),待機場所付近の状況(そこら中で火災)その後の移動経過,さらには
上記証言から,原告Dは,d3橋での待機中及びその前後の移動中等に,
「黒いすす」や放射性微粒子を相当程度体内に吸入したを合理的に推認でき
るのであり,「黒いすす」や放射性微粒子による外部被曝・内部被曝をして
いたものと認められる。
また,原告Dは,避難先での飲食を通じて,これらの飲食物に付着してい
た放射性物質を摂取し,体内で被爆していたことも合理的に推認される。
ウ急性症状
原告Dは,爆心地からわずか約1.3ほどの距離にある自宅で被曝しkm
た。妹は熱線のため黒こげになって即死し,原告D自身も肩から下の両腕全
体や額を火傷した。被爆後,原告Dには,高熱・嘔吐・脱毛・だるさといっ
た放射線被曝に典型的な急性症状を発症している。このように原告Dが1.
3という近距離での被曝し,第1次火傷を負っており,放射線被曝に典km
型的な急性症状が発症していることは,原告Dが「しきい値」を超える量の
放射線を浴びたことを極めて強く裏付けるものである。
エ後遺症状
(ア)被爆者特有の「体質的偏倚」
原告Dは,若年の頃,急性虫垂炎の手術を受けたが,回復まで時間を要
したり,風邪を引きやすい等のため扁桃腺を両方切断する手術をうけた
後,傷口が化膿したり,腎炎となって白血球の異常が指摘されるなどして
長期の入院を余儀なくされている。これは,「罹患傾向」「体質的偏倚」
等と呼ばれ,被爆者に広く発症する症状として知られているものである。
(イ)大腸がん
「原爆被爆者の死亡率調査第13報固形がん及びがん以外の疾患によ
る死亡率:1950−1997年」において,結腸ガンについて過剰相対
リスクの有意な増加が認められていることからすれば,原告Dの大腸ガン
は原爆放射線との関連性を否定できない。
(ウ)胃がん
原告Dの申請疾病である胃がんについては,被爆者における胃がん発生
は,昭和50年ころより有意な増加が示されており,被爆時年齢30歳未
満の若年者に高率であることが知られている。
また,原告Dのように被爆時10歳の場合では,過剰相対リスクは0.
42(非被爆者の1.42倍)とされている。
そして,爆心地から1.9以内の直接被爆者の胃ガン発生率は,入km
市,その他の群と比べて有意に高率である。
(エ)肺がん
被爆者に見られる肺がんについては,原爆放射線被曝と相関することが
知られており,原告Dは,肺ガンについては,既に原爆症認定を受けてい
る。
(オ)多重がん
原告Dに発症した個々のがんを見ただけでも,原爆放射線被曝との関連
性が強く認められる。放射線の影響で細胞が破壊され,その結果ガンにな
るというのは,周知の事実である。
原告Dは,これらの「がん」に繰り返し罹患しているのであり,近時被
爆者には多重ガンに罹患する人が多いという報告があることにも鑑みれ
ば,これは原告Dが放射線の影響を極めて強く受けていることの証左であ
る。原告Dの胃ガンについてのみ放射線の影響を受けていないとは到底い
うことはできない。
(カ)白内障
近時,若年時被曝において遅発性放射線白内障や老人性白内障の発症促
進が指摘されているところ,原告Dは白内障にも罹患しており,この点か
らも,原告Dが放射線の影響を極めて強く受けていることが明らかであ
る。
なお,被告らは,遅発性の老人性白内障と原爆放射線の関連性を否定す
る書証として,d23医師の意見書を提出しているが,原告らは遅発性の
老人性白内障も原爆放射線の確率的影響といいうる根拠としてd24医師
の意見書を提出する。
オ原告Dの胃がんの原爆放射線起因性に関するまとめ
原告Dの被爆の機会や,放射線被曝に典型的な急性症状,放射線被曝が治
癒能力に影響を及ぼしうること,放射線被曝と癌発生との関係,さらには被
爆者に多重癌が多く見られることを前提に後遺症状をも総合的に判断する
と,原告Dは,原爆放射線に起因することを否定し得ない胃癌に罹り,放射
線の影響を否定しうる特段の事情もないことから,放射線起因性が認められ
る。
(2)要医療性
原告Dは,胃の3分の2を切除したため,固形物による食事が困難であり,
点滴により栄養を摂取しなければならない状態である。また,原告Dの胃その
ものは残っており,再発の危険性もあること等からすると,今後も厳重な医学
的管理下に置かれる必要がある。したがって,原告Dの疾病は,現に医療を要
する状態にあることは明白である。
(3)小括
以上のように,原告Dが罹患した胃がんは,原爆症と認定されるべきであ
るから,原告Dに対する本件処分Dは,取り消されるべきである。
(別紙)
原告ら主張3
1認定行政の誤り(被告らの故意・過失)
被告厚生労働大臣は,援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速やかに
認める決定をすべきであったにもかかわらず,①誤った認定基準を設け,②申請
から却下に至るまでいたずらに長期間を要し,③処分の理由を明示せずに,④誤
った却下処分を下し,その結果,本件原告はこれら4点につき共通の被害を被っ
た。これらの被告厚生労働大臣の行為は,以下のとおり,国家賠償法1条1項の
違法行為に該当することが明らかであるから,被告国は同項に基づき,原告らに
対してその損害を賠償する義務がある。
(1)非科学的で不合理な基準の機械的なあてはめによる却下
ア誤った認定基準(非科学性・不合理性について)
被告らの線量認定基準であるDS86には,実測値に合わないなどの重大
な欠陥があること,また,起因性判断について被告が用いる原因確率は解析
方法に由来する限界があること,及び集団データ解析の結果を個々の被爆者
に当てはめるのは適切でないにもかかわらず予め定めた旧審査方針を原告ら
に機械的にあてはめて原告らの原爆症認定申請を却下したことが基本的に間
違っている。
しかも,本件各処分は,以下のとおり,行政手続法上も違法である。
行政手続法5条1項は,「行政庁は,申請により求められた許認可等をす
るかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準を定
めるものとする。」とし,同条2項は,「行政庁は,審査基準を定めるに当
たっては,当該許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなけ
ればならない」と規定している。これは,処分庁の判断の客観性・合理性を
担保して,その恣意を抑制する趣旨である。
行政手続法の施行に合わせ,当時の厚生省保健局長も,原爆症認定申請に
対する審査基準を設けることを指示している。
しかし,被告らは「原告が主張する『審査の基準』なるものは存在しな
い」と述べ,本件で問題となっている旧審査方針は「申請疾病の原爆放射線
起因性を判断するに当たり,申請疾病の種類によって,申請疾病の発生が原
爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率(原因確率)又
は一定の被曝線量値(しきい値)を目安とし,更に申請者の既往歴,環境因
子,生活歴等も総合的に勘案した上で,申請疾患の放射線起因性に係る高度
の蓋然性の有無を判断するものである」と主張するだけで,行政手続法5条
1項が求めている審査基準を設け,それに従って本件認定申請の却下処分を
行ったものでないことを認めている。
よって,原告らに対する本件各処分は,審査基準を設けることを規定して
いる行政手続法5条1項に違反することは明らかである。
イ審査の遅れ
行政手続法7条は「行政庁は,申請がその事務所に到達したときは遅滞な
く当該申請者の審査を開始しなければならず」と規定する。同条は,標準処
理期間を定める同法6条の規定と相まって,申請処理の迅速化,処理手続の
透明性を図るものである。
しかし,原告らの申請から却下処分までの期間は以下のとおり極めて長期
間に及ぶものであり,同条項に違反することは明らかである。このように原
告らは,申請から却下まで長期間放置されたことにより,大きな精神的苦痛
を被った。
原告申請日却下通知日却下通知までの期間
C平成年月日平成年月日215日1382314326
A平成年月日平成年月日242日14961556
B平成年年日平成年月日271日14102515723
D平成年月日平成年月日225日1481315326
最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653頁は,
要旨次のとおり判示している。
「1公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法3条1項又は公害健康
被害補償法(昭和62年法律第97号による改正前のもの)4条2項に
基づき水俣病認定申請をした者が相当期間内に応答処分されることによ
り焦燥,不安の気持ちを抱かされないという利益は,内心の静穏な感情
を害されない利益として,不法行為法上保護の対象となる。
2上記認定申請を受けた処分庁には,不当に長期間にわたらないうちに
応答処分をすべき条理上の作為義務があり,この作為義務に違反したと
いうためには,客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えら
れる期間内に処分ができなかったことだけでは足りず,その期間に比し
て更に長期間にわたり遅延が続き,かつ,その間,処分庁として通常期
待される努力によって遅延を解消できたのに,これを回避するための努
力を尽くさなかったことが必要である。」
これを本件についてみると,原爆の放射線による被害は,難病といわれ特
殊な病象を持つ水俣病に匹敵するものであり,その原爆症の認定申請の手続
遅延について被告厚生労働大臣が何ら解消するための努力を尽くした形跡は
認められないから,同被告は不当に長期間にわたらないうちに応答処分すべ
き作為義務に違反した違法がある。手続の遅延によって,焦燥,不安の気持
ちを抱かされないという利益を侵害されたことが損害である。
ウ理由の不提示
行政手続法8条1項は「行政庁は,申請により求められた許認可等を拒否
する処分をする場合は,申請者に対し,同時に,当該処分の理由を示さなけ
ればならない」とし,同条2項は「前項本文に規定する処分を書面ですると
きは,同項の理由は,書面により示さなければならない」と規定する。これ
は,処分庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するととも
に,拒否の理由を申請者に知らせることによって,不服申立てに便宜を与え
る趣旨である(最高裁昭60年1月22日判決・民集39巻1号1頁参
照)。したがって,拒否処分に付すべき理由としては,いかなる事実関係に
基づき,いかなる判断経過をたどって原爆認定が拒否されたかを,申請者が
その記載自体から了知できるものでなければならず,単に抽象的・一般的に
審査結果のみを記載するだけでは,不十分である。
しかし,原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由は全く明らかに
されておらず,ほとんど定型的な文言が記載されているだけである。
すなわち,被告らが確定的影響と主張する血小板減少病,食道静脈瘤,肝
硬変が認定申請疾患である場合(原告A)についての通知には,「先般,疾
病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被爆状況が検討さ
れ,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されまし
たが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておら
ず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていないものと判断さ
れました。」と記載されるのみである。また,被告らが確率的影響と主張す
る膀胱がん(原告C)や胃がん(原告D)が認定申請疾患である場合は,
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被爆状
況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率(疾病等の発生
が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率をいう。
以下同じ。)を求めました。そこで,この原因確率を目安としつつ,これま
でに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿
の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,
治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていないものと判断されまし
た。」と記載されるのみである。ここに記載されているのは,審査会の審議
の結果,原爆症とは認定しないという結論のみであり,審査会においていか
なる事実を前提にいかなる審議がなされ,認定却下という処分に至ったかに
ついては全く記載されていない。
なお,行政手続法8条1項ただし書には,「法令に定められた認許可等の
要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他客観的指標により明確に定
められている場合であって,当該申請書の記載又は添付書類から明らかであ
るときは,申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる」とされてい
る。しかしながら,本件の場合には「審査基準が数量的指標その他客観的指
標により明確に定められている場合」でないことは上記被告の釈明を見ても
明らかであり,また「当該申請書の記載又は添付書類から明らかであると
き」にも該当しないことはその内容からして明らかである。
よって,本件各処分は行政手続法8条1項,2項にも違反する。
エ違法な却下処分と損害賠償
以上,原爆症認定という職務を行う公務員が,故意又は過失によって,誤
った認定基準により却下処分を行った結果,原告らに損害を与えたのは明ら
かである。本件各処分には,上記のような実体的な違法のみならず,手続的
違法も存在し,本件各処分は「その職務を行うについて,故意又は過失によ
り」原告らに損害を加えたものであることから,被告国は国家賠償法1条1
項に基づいて原告らに対してその損害を賠償する責任を免れない。
なお,カ訴訟京都地裁判決(判時1708号72頁)では,「これまでの
認定判断並びに弁論の全趣旨を総合すると,原告が本件処分当時に罹患して
いた肝機能障害及び白血球減少症状は,これらが原爆の放射線被爆による可
能性が最も高かったのであるから,被告としてはこれらの疾病が原爆医療法
11条1項所定の『原子爆弾の傷害作用に起因する』との認定をすべきであ
ったところ,T65−Dの被曝線量推定体系及びいわゆるしきい値論にした
がい原告について『起因性』を否定する意見を提出した医療審議会に同調し
て本件処分を行ったと認めるほかない。してみると,本件処分は,行政処分
の前提となる基礎事実の認定を誤った重大明白な瑕疵があり違法はものとし
て取り消しを免れない。」とし,医療審議会の審議内容について「申請者を
診察することもなく,通常申請者の主治医から意見を聴取せず,申請案件に
関する要点を記載した書面によって1件あたり数分間の検討をして結論を出
すのが通常の扱いであり,審議の記録は係官がメモ程度のものを作成するに
過ぎず医院の確認を得るような議事録は作成されていなかったことを認めら
れる」と認定し,さらに「被告厚生大臣としては医療審議会の実態が前項の
ような違法のものであることを知っていたか少なくともこれを知るべき立場
にあったのに,格別の是正措置をとることもなく,たやすく医療審議会の意
見に同調して処分の前提となる認定を誤り違法な本件処分をするに至ったか
ら,同被告においても少なくとも過失があったというほかない。」という
判断を示して,原告カに対して国家賠償法1条1項に基づいて427万08
00円の損害賠償を認めた。
(2)司法判断を無視して続けられる認定行政
ア司法判断の無視
被告厚生労働大臣は,DS86等の線量推定式の誤りや原爆症の未解明性
を基に,被爆者の被爆状況を個別具体的に検討して総合的に判断すべきとし
た判例(エ訴訟1,2審,最高裁判決,カ訴訟第1,2審判決,オ訴訟1,
2審判決)の度重なる指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとしなかっ
た。そればかりか,被告厚生労働大臣は敗訴が確定したエ最高裁判決の後の
平成13年に,これを当てはめたら当のエさえ原爆症と認定されないことに
なる「原因確率」を内容とする旧審査方針を導入し,それに基づいて各原告
の原爆症認定申請に対して次々と却下処分を行った。さらに,C型肝炎で認
定申請したオに対する訴訟において,被告厚生労働大臣は,東京地裁,東京
高裁判決において,却下処分が違法であると判断されたにもかかわらず,同
じC型肝炎に関する原爆症認定申請を却下している。
イ旧審査方針の機械的な適用による却下処分
被告らは,「原因確率論」を基準とする旧審査方針は,あたかも従前の認
定基準を改善したかのように主張しているが,その内容は非科学的であり,
不合理であるばかりか,実際の運用でも残留放射線や内部得被爆を全く無視
し,被爆距離を最重要視して原因確率を機械的にあてはめて判断しており,
個別的な検討を行っているものではない。
原爆症認定集団訴訟に関する各地裁判決において被告厚生労働大臣の却下
処分を取り消した判断は,旧審査方針を機械的に当てはめている実態を認め
たものにほかならない。被告厚生労働大臣は,本件原告らに対しても,各地
裁での原告らに対するのと同じ取扱いをしていたことはいうまでもない。
以上により,被告厚生労働大臣の各原告に対する本件各処分は,故意又は
過失によって原告らに損害を与えたのは明らかであるから,被告国は国家賠
償法1条1項に基づく責任を負わなければならない。
ウ原因確率等の機械的適用を裏付ける佐々木・草間意見書
被告らは,原告らの原爆症認定申請に対していかなる審査をしたのか,議
事録等で具体的に明らかにすることがない。このような応訴態度自体,適切
な審査をしていないことを強く推認させる事実といえるが,さらに,各原告
の認定申請疾病の放射線起因性に関して佐々木康人疾病障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会会長及び草間朋子同会長代理が連名で作成した意見書
が,原爆症認定申請に対してはDS86や原因確率,しきい値論を機械的に
適用していることをいみじくも明らかにしている。審査会の責任者2名が連
名で作成した意見書を見ても,原爆症認定申請段階で各原告が明らかにした
事情のうち,被爆時年齢・性別・被爆地点・病名しか考慮されていないこと
は明らかである。提訴後相当期間を経てすらこのような意見しか述べられる
ことがないのであるから,原爆症認定申請に対する当初の審査の段階におい
て,これを超える検討があったとは到底考えることはできない。したがっ
て,佐々木・草間意見書自身によって,旧審査方針の機械的適用が裏付けら
れたというべきである。
エ司法の行政に対する優位を宣言した近時の最高裁判決
「法の支配」が貫徹されるべき近代立憲主義国家においては,行政の専横
を司法が抑制することが強く求められるものであり,それゆえに行政訴訟制
度が設けられ,今日に至っている。このようなわが国の統治機構からすれ
ば,厚生労働省は,原爆症認定基準を策定し,援護法の精神に沿った同法の
解釈適用をしなればならなかった。この点について参考にすべき近時の裁判
例として,最高裁平成19年11月1日第一小法廷判決(甲265号証)が
ある。同判決は,被爆者健康手帳の交付を受けた者が我が国の領域を超えて
居住地を移した場合に健康管理手当等の受給権は失権の取扱となる旨の通達
の定めは,「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」と
いう。)」「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」及びこれら2
法を統合する形で制定された援護法に反することを前提に,日本国内に不法
入国した在韓被爆者についても原爆医療法の適用がある(被爆者手帳の交付
が認められる)と判断したいわゆるキ訴訟の第1審判決(福岡地裁昭和49
年3月30日判決)以降は,国の担当者は,その職務上通常尽くすべき注意
義務を尽くしていれば,それまで国が採ってきた法律の解釈及び運用(被爆
者手帳の交付を得ても国外に居住地を移した場合は失権する)が正当なもの
ではないことを認識することは可能であったとして,上記通達の作成,発出
したこと及び当該取扱いを継続したことは国家賠償法上違法の評価を免れな
いとしている。
本件では,長崎原爆5訴訟の上告審判決後に,同訴訟の原告及び京都原爆
カ訴訟の原告についても原爆症認定をすることができない基準である旧審査
方針を導入したのである。C型肝炎についてのオ訴訟高裁判決後も被告厚生
労働大臣は旧審査方針を改めない。上記最高裁判決の趣旨によれば,原爆症
認定においても,国の担当者は,長崎原爆エ訴訟の第1審判決(長崎地裁平
成5年5月26日判決)以降は,国の担当者は,その職務上尽くすべき注意
義務を尽くしていれば,それまで国がとってきた法律の解釈及び運用(DS
86としきい値論の機械的適用により被爆者を切り捨てる運用)が正当でな
いことを認識することは可能であったことから,当該取扱いを継続したこと
は国家賠償法上違法の評価を免れない。
(3)したがって,被告厚生労働大臣が旧審査方針に固執して原告らの原爆症
認定申請を却下した行為が違法な公権力の行使であることは明らかである。
2損害
(1)慰謝料200万円
原告らは,いずれも過酷な被爆体験に加え,62年間にわたって心身の不調
に悩まされ,高齢を迎える中でそれぞれの申請疾病を発症し医療を要すること
から,被告厚生労働大臣によって当然に原爆症と認定され,必要な給付を早急
に受けるべきであるにもかかわらず,長年の間放置され,結局は非科学的であ
りかつ不合理・不明確な基準によって本件各処分を下され,多大な精神的損害
を被った。そのために,原告らはいずれも原爆症で苦しんでいる中,高齢にも
かかわらず,本件訴訟を提起することを余儀なくされた。本件各処分が取り消
されたとしても,これとは別に,各原告が被った筆舌に尽くせない程の精神的
苦痛を慰謝するには,少なくとも200万円を支払うのが相当である。
(2)弁護士費用100万円
原告らは,上記のように当然認定されるべきであったのに,違法にも申請を
却下されたために裁判を起こさざるを得なくなったことから,弁護士費用が認
められるべきである。一般事件と比べ特殊かつ複雑な事件であることを考慮す
るならば,100万円を下らないことは明らかである。
(別紙)
被告ら主張1
第1DS86に基づく初期放射線の被曝線量評価の合理性
1はじめに
申請疾病の放射線起因性を判断するに当たっては,まず被曝の有無及び程度
を具体的に特定することが必要かつ重要である。旧審査方針では,初期放射線
による被曝について,日米の放射線学の第一人者が策定した広島及び長崎にお
ける原爆放射線の線量評価システム(DS86)に基づき,その被曝線量を特
定している(旧審査方針別表9)。
2DS86の概要と初期放射線による被曝線量
DS86は,広島と長崎に使用された原爆の物理学的特徴と,放出された放
射線の量及びその放射線が空中をどのように移動し建築物や人体の組織を通過
した際にどのような影響を与えたかに関する核物理学上の理論的モデルとに基
づき,放射線量の計算値を算出したものである。
すなわち,放射線物理学等の近時の科学的知見から,原爆の初期放射線の飛
散状況は理論的に解明されている。DS86は,原爆放射線を構成するγ線や
中性子線の光子や粒子の挙動や相互作用を最新の放射線物理学の理論によって
忠実に再現し,最終的にすべてのγ線と中性子線の動きを評価するものであ
る。DS86の策定に際しては,3個製造された広島型原爆の外殻のうち,使
用されずに保管されていた残りのものを利用して製作された原子炉を原爆の複
製として使い,爆弾自体の内部における状況を再現するなど,日米の合同の研
究グループが可能な限り当時の状況を再現している。そして,実際の被爆試料
を用いたγ線及び中性子線の測定結果による検証もされ,線量評価システムの
客観性が裏付けられているから,単なるシミュレーションにすぎないと一笑に
付すことのできないものである。
3DS86の問題点は,DS02の策定過程で解消し,その正確性が検証され
たこと
(1)DS02策定の経緯
アDS86の再評価の開始
DS86については,専ら,広島における熱中性子による放射化の計算
値の距離による変化,すなわち減衰の傾き全体が,熱中性子による放射化
の測定値と一致しないという問題が指摘されていた。そこで,平成12年
にDS86策定後の研究の成果を踏まえてこの問題を解決することを目的
として日米合同実務研究班が設立され,DS86の再評価が行われること
となった。
イDS86の再評価の内容
日米合同実務研究班では,DS86のときよりも精密な計算を行う一方
で,DS86のときの測定値について再検討するとともに,DS86策定
後に新たに得られた測定値を加えて,上記計算値と測定値の不一致の問題
の再検討をしたのである。
ウ原爆からの放射線出力の再計算
当初,この再評価の焦点は,原爆からの放射線出力の再計算に当てられ
ていた。爆発パラメータ,ソースタームの評価の見直しやDS86策定後
に可能になった最新の離散座標法とモンテカルロ計算の両方を行い比較検
討するなどしてDS86のときよりも精密な計算がなされ,その結果,広
島については以前の出力推定値よりも1高い出力が推定されたものの,kt
上記計算値と測定値の不一致の問題を説明できず,熱中性子に関する計算
値と測定値の不一致が,原爆からの放射線出力の計算に起因するものでは
ないことが確認された。
エ測定値の再検討
熱中性子に関する計算値と測定値の不一致が,原爆からの放射線出力の
計算に起因するものではないことが確認されたため,計算値をチェックす
るために測定された放射線測定値を含め,不一致の原因となり得る他の要
因の検討が始まった。
(2)DS02における測定値の評価
アγ線測定
DS02においては,広島・長崎におけるγ線量測定値の再評価が行わ
れ,各測定値の検証やバックグラウンドや熱ルミネセンス法による測定自
体の誤差等が検討された。
その結果,爆心地から約1.5以遠の測定値は,原爆によるγ線量km
がバックグラウンド線量と同程度に微量となり,バックグラウンド線量が
測定値に大きく影響を与えるため,測定値では原爆によるγ線量を正確に
評価できないことが判明した。そして,DS02及びDS86の各計算値
と測定値を比較したところ,計算値と測定値の全体的な一致度は,上記バ
ックグラウンド線量の問題を考慮することにより,DS02と同様,DS
86も良好であるという結論に至り,γ線量の推定においてDS86によ
る計算値の正確性が裏付けられた。
イ速中性子線測定
(ア)リン32の放射化測定
DS02では,測定されたリン32の放射能測定値の再評価がされ,
試料の位置の修正等がされ,その結果,爆心地近くではDS86とDS
02は両方とも測定値と良く一致しているとの結論に至っている。
(イ)ニッケル63の放射化測定
放射線により放射化された銅試料中のニッケル63を測定することに
より,原爆の放射線の中の速中性子を測定する方法が開発され,速中性
子の再測定が可能となった。DS02では,ニッケル63を測定するに
当たり加速器質量分析法(AMS)と液体シンチレーション計数法が使
用された。
AMSによる測定は,ストローメらによって行われ,遠距離で採取さ
れた試料について,信頼性のある速中性子線の測定値の検出に成功し
た。その結果,広島型原爆について,DS86及びDS02の計算値の
正確性が裏付けられた。
液体シンチレーション計数法によるニッケル63の測定がされ,上記
AMSから得られたバックグラウンドデータを使用して測定がされたと
ころ,AMSの結果とよく一致している。同じ測定対象を異なった方法
で測定した結果が一致したことは,データ計測の信頼性を裏付けるもの
であり,この点は十分に評価されなければならない。
ウ熱中性子線測定
(ア)ユーロピウム152の放射化測定
DS02では,被爆地において得られた岩石や建造物中に含まれるユ
ーロピウム152を抽出した試料を用いて,γ線を測定し,ユーロピウ
ム152の比放射能を求めたものと,DS86,DS02において推定
された中性子線量を基に計算により上記試料のユーロピウム152の比
放射能を求めたものとを比較検討し,熱中性子に関する計算値の正確性
を検証している。すなわち,小村和久教授らは,金沢大学において,よ
り精度の高い測定法によってユーロピウム152の放射化測定を行っ
た。小村教授らは,多量の花崗岩試料を用い,溶解などにより化学的濃
縮を行う方法により,高い回収率でユーロピウムを分離し,濃縮された
ユーロピウムを高温で加工した後,試料から発せられるγ線を,極低バ
ックグラウンド施設である尾小屋地下測定室において測定し,その際,
検出効率を高めるため,2台の大型で高感度のゲルマニウム放射線検出
器を用いた結果,精度の高い測定が可能となった。このように精度を高
めた測定法により得られたユーロピウム152の測定値とDS02によ
る計算値とを比較すると,よく一致していることが判明し,地上距離1
000mを超える距離においても,DS02の計算値の正当性が検証さ
れた。このことは,同時にDS02とほぼ同じ数値を推定しているDS
86の計算値の正当性をも検証するものであり,遠距離において測定値
と計算値とに大幅な乖離が存するという指摘は,そもそも測定値に問題
があって,測定方法を改善することによりDS86及びDS02の計算
値と合致することが明らかになった。
(イ)塩素36の放射化測定
広島・長崎で採取された鉱物試料中の熱中性子線を測定するため,加
速器質量分析法(AMS)によって塩素36の放射化測定実験が行わ
れ,バックグラウンド等の影響による測定限界について検討がされた。
アメリカにおけるAMSによる測定の結果,広島・長崎で採取された
試料における花崗岩及びコンクリート(コンクリート表面を除く)中の
塩素36の測定値は,爆心地付近から,比がバックグラウンドと36
Cl/Cl
鑑別不可能になる距離までDS02と一致した。そして,同研究によ
り,従前測定された1400m付近における塩素36の放射化測定値が
DS86,DS02の計算評価値と一致しなかった原因は,同測定にバ
ックグラウンドによる影響を受けた試料を利用していたことにあること
が明らかになった。
ドイツのミュンヘンのAMS施設においては,DS02の研究が開始
される以前に,DS86の計算値と測定値の不一致が指摘されていた地
上距離約1300mの地点の試料に重点を置いた測定が行われ,DS8
6の計算評価値と放射化測定値との間に明確な不一致が認められないこ
とが確認された。さらに,試料の表面付近の花崗岩及びコンクリート試
料を用いた塩素36の放射化測定によって,爆心地から1300m以遠
の試料になると,宇宙線並びにウラニウム及びトリウムの崩壊が測定値
に大きな影響を与えることが確認され,同結果に基づき,爆心地から1
300m以遠の測定値が大きな測定誤差を内包している可能性があるこ
とが確認された。
筑波大学においても,AMSによる花崗岩試料の塩素36の測定がさ
れた。その結果,地上距離1100m以内においては,測定値とDS0
2の計算値がよく一致していることが確認され,地上距離1100m以
遠の試料については,バックグラウンドの影響のため,塩素36の測定
が困難であることが確認された。
(ウ)コバルト60の放射化測定
DS02では,被爆地において得られた鉄の中に含まれるコバルト6
0を抽出した試料を用いてγ線を測定し,コバルト60の比放射能を求
めたものと,DS86,DS02において推定された中性子線量を基に
計算によりコバルト60の比放射能を求めたものとを比較検討し,熱中
性子に関する計算値の正確性を検証している。
その結果,コバルト60の比放射能で比較した場合,遠距離における
実測値と計算値とが完全に一致しているわけではないが,DS02は,
「広島の地上距離1300m以遠では,試料の線量カウントと検出器の
バックグランド線量とを区別する際に問題がある」,「爆弾の下では
測定値と一致するが,それ以遠では誤差が大きすぎてこれ以上の結60
Co
論を下すことができない」としており,遠距離における熱中性子により
放射化したコバルト60についての実測値と計算値の乖離を問題とする
こと自体無意味であることを明らかにしている。
したがって,コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算
値を評価することはできない。
(3)DS86の乖離の問題はDS02により既に決着済みであること
ア以上述べたように,DS86による原爆の被曝線量評価の合理性につい
て,実測値との乖離を問題とする議論も存在したが,平成15年3月公表
された新しい原爆放射線の線量評価システムであるDS02において,改
めてDS86の正確性が検証された。すなわち,DS02において,ニッ
ケル63による速中性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピ
ウム152による熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定,
既存のコバルト60,リン32,熱ルミネセンス測定値の検証やバックグ
ラウンドによる測定の誤差等が検討され,バックグラウンドの評価を丹念
に行い,バックグラウンドによる影響を極めて低くした精度の高い測定を
行うなどした結果,測定値とDS86による計算値とがよく一致している
ことが判明した。DS86による計算値と測定値のズレは,測定値の測定
に当たってバックグラウンド線量が計測されるという測定の問題であっ
て,DS86の初期放射線の被曝線量評価体系自体に欠陥があるわけでは
ないことが明らかになったのである。
イなお,被曝試料に基づく中性子線量の実測値は,爆心地から約1.5
付近までのものしか存在しないが,その理由は,それより遠くでは,km
中性子線がほとんど届かず,原爆の初期放射線による中性子線量を計るこ
とができないからである。要するに,爆心地から1.5より遠い遠距km
離地点では,実測できないほど低線量にまで中性子線量は低減しているの
である。このような遠距離における計算値と実測値との乖離を問題にする
こと自体全く意味がないのである。
ウ「新爆線量評価システム(DS86)とその後の問題」(甲19号証)
でDS86の乖離の問題を指摘した作成者の一人である広島大学原爆放射
線医学研究所の星正治教授でさえも,こうした研究結果を踏まえ,平成1
7年8月に掲載された論文(乙93号証)において,遠距離地点において
測定値よりも計算値が若干低めに評価されていたのは,測定値に問題があ
ったことが明らかになったとしてDS86の線量推定体系を全面的に是認
するに至っている。このような評価を尊重せず,絶対値では無視し得る線
量領域のわずかな乖離の問題を取り上げ,バックグラウンドの問題では済
まされないなどと論難するのは失当である。
エ最高裁平成12年7月18日第三小法廷判決は,線量推定方式としての
DS86の科学的合理性自体を否定しているものではない。更にいえば,
平成9年当時の原審の事実認定を前提として判断しているにすぎない。そ
の後,DS02策定のための見直し作業における再測定の結果,DS86
の計算値と測定値とが一致し,未解明とされた部分が解明され,DS86
の科学的合理性が改めて証明されているのであって,上記最高裁判決が前
提とする事実関係そのものが,現在では過去のものになっている。
オ以上のとおりであって,DS86による初期放射線の被曝線量評価の合
理性の問題はもはや決着済みというべきである。
(ア)γ線の線量評価について
長友教授らの研究は,広島爆心地から2050m地点のγ線の測定値
が計算値の2.2倍程度であるとするが,同報告によっても,同地点に
おいて測定されたγ線の実測値は,わずか0.129にすぎず,絶Gy
対値で見れば人の健康影響という視点からは無視し得る程度のものでし
かない。また,DS86による同地点の計算値もわずか0.0605
であり,実測値と計算値の差はわずか約0.06であって,乖離GyGy
は有意なものではない。
もう一つの長友らの報告によれば,広島の爆心地から1591∼16
35mの間の5地点の平均実測値とDS86の計算値との乖離の程度
は,爆心地から近い順に0.111,0.069,−0.222,0.
06,0.015にすぎない。しかも,乖離の程度は爆心地から離Gy
れるに従って極小化しているのであるから,距離とともに乖離が増加す
るとはおよそ言えない。
そもそも,原爆という1つの線源から放出される放射線量は,距離の
2乗に反比例して急減する法則がある上に,空気中の分子や水蒸気との
相互作用も伴って,遠距離になればなるほど急激に低下するから,遠距
離になればなるほど,計算値と実測値の乖離は人の健康影響という視点
からみた場合には一層無視し得る問題になっていく。
(イ)中性子線の線量評価
原爆の初期放射線の成分には中性子線もあるが,主要成分は,飽くま
でもγ線である。中性子線量の全線量に対する割合は,広島の場合は1
000mで5.8%,1500mで1.7%,2000mで0.5%と
非常に低く,長崎の場合は更に低いとされている。この点は,大気中の
水(蒸気)との相互作用で減弱され,多くのエネルギーを失うという中
性子線の性質からも当然のことである。したがって,仮に中性子線量に
DS86の計算値と実測値に多少の乖離があったとしても,被爆者の被
曝線量にほとんど変化は生じない。
DS02における検討結果を踏まえ,原爆の初期放射線中の中性子を
速中性子と熱中性子に分け,計算値と実測値との関係について検討する
と,乖離を問題にすること自体失当であることが分かる。
a速中性子
銅が,速中性子により誘導されると,微量のニッケル63が生成さ
れるという性質があることを利用して,DS86及びDS02の計算
値の正確性が検証されたことは,前記()イ(イ)のとおりである。A2
MSによる測定をストローメらが行った結果,ストローメらがDS8
6の正当性を評価したのであるから,殊更,1地点の乖離を捉えて問
題視するのは失当である。
乖離が指摘されている広島におけるニッケル63の原子数の測定値
と,DS02及びDS86に基づく計算値とを,全中性子線量に換算
すると,遠距離地点においては,いずれにしても,人の健康影響とい
う視点からは無視し得るほどに低い線量の範囲内にとどまり,乖離を
問題にすること自体,失当というべきである。
b熱中性子の線量評価
(a)コバルト60
コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算値を評価
できないことは,前記()ウ(ウ)のとおりである。乖離が指摘され2
ている広島におけるコバルト60の比放射能の測定値と,DS02
及びDS86に基づく計算値とを,全中性子線量に換算すると,遠
距離地点においては,いずれにしても,人の健康影響という視点か
らは無視し得るほどに低い線量の範囲内にとどまり,乖離を問題に
すること自体,失当というべきである。
なお,熱中性子に係るDS86の計算値と実測値との乖離の問題
は,コバルト60だけではなく,DS02において行われたユーロ
ピウム152や塩素36の放射化測定の結果によっても解消されて
いる。
(b)ユーロピウム152
熱中性子により誘導されたユーロピウム152の比放射能によっ
て,DS86及びDS02の計算値の正確性が検証されたことは,
前記()ウ(ア)のとおりである。乖離が指摘されている広島におけ2
るユーロピウム152の比放射能の測定値と,DS02及びDS8
6に基づく計算値とを,全中性子線量に換算すると,遠距離地点に
おいては,いずれにしても,人の健康影響という視点からは無視し
得るほどに低い線量の範囲内にとどまり,乖離を問題にすること自
体,失当というべきである。
4原告らの主張に対する反論
(1)ア原告らは,「DS86は,コンピューターによってシミュレートさ
れた机上の計算値である」,「DS86は,実験に基づかない計算値であ
ることから,そもそもその線量推定には学問上も問題がある」と主張する
が,DS86もDS02も,実測値による検証を行いながら検討されたも
のであり,コンピューターによってシミュレートされた机上の空論などと
一笑に付すことのできないものである。
イ原告らは,乙証人が,γ線については,「長友教授らの測定によって爆
心地から2053m離れた地点における測定結果が,DS86の測定値よ
りも2.2倍も大きいことが明らかとなったこと(略)を受け,爆心地か
ら1500m以遠において測定値がDS86よりも系統的に上回っている
ことをほぼ認めている」とし,熱中性子線については,「コバルト60及
びユーロピウム152の測定値が,遠距離において系統的に計算値を上回
っていることを明らかにした」などと主張する。
しかし,上記3()イのとおり,原告らが主張する遠距離地点では,実3
測すらできないほど,中性子線量は低減しているのであり,このような遠
距離における計算値と実測値との乖離を問題にすること自体全く意味がな
いのである。上記の原告らの主張は,程度問題を全く度外視し,被曝の可
能性のみを根拠もなく針小棒大にいうものであり,許されない。
(2)原告らは,遠距離入市被爆者に表れたとされる身体症状が急性症状で
あることをもって,DS86の線量評価が不合理であると主張するようであ
る。
しかし,後記第6の4のとおり,遠距離,入市被爆者に被曝による急性症
状があったと認めることはできず,原告らが根拠とする論文やアンケート
は,いずれも,原告らの主張の裏付けとなるものではない。
(3)被爆者が広島・長崎の原爆の放射線にどの程度被曝したのかについて
は,戦後半世紀にわたる様々な研究報告の集積によって,現在では合理的に
評価することができる。原爆の人体影響を調査した放影研の疫学調査の結果
は,この被曝線量評価を前提としており,これが現在では世界的にも信頼さ
れる放射線防護の基礎データとなり,各国もこれを前提として放射線の有効
利用をしているが,その前提となる原爆の被曝線量評価が誤っているなどと
批判されることはない。原爆の放射線の被曝線量評価の合理性は世界的に受
け入れられ,異論を唱える者はいないのである。このような世界的にも正確
なものと評価されている被曝線量評価に誤りがあり,これによる評価以上の
線量の被曝をしたというのであれば,立証責任を負う原告らにおいて,自ら
被曝線量を具体的に明らかにし,これを証明すべきことは当然である。
第2放射性降下物による被曝線量評価の合理性
1放射性降下物の測定調査
残留放射能については,原爆投下直後から複数の測定者が放射線量の測定を
行い,広島では己斐・高須地区,長崎では西山地区で放射線の影響が比較的顕
著に見られることが分かり,これは,原爆の爆発直後,両地区において激しい
降雨があり,これによって放射性降下物が降下したことによるものであること
が確認された。このような原爆投下直後の初期調査により,爆発1時間後から
無限時間とどまり続けるといった現実にはあり得ない想定をした場合でも,広
島の己斐・高須地区でわずか0.006∼0.02,長崎の西山地区でGy
0.12∼0.24にすぎず,その他の地域で仮に放射性降下物が降下しGy
たとしてもこの数値を超えることはなかったことが明らかとなったのである。
この調査結果は,平成16年7月に京都大学原子炉実験所において開催され
た「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」に
おいて,広島大学の静間教授が発表した最新の調査研究報告の結果(乙169
号証)によっても裏付けられており,同報告によれば,広島の原爆によって己
斐・高須地区に降下した放射性降下物の濃度は,1950年から1960年に
かけて各国が行った大気圏核実験の結果生じ,全地球的に拡散して降下した放
射性降下物の濃度の8分の1にすぎなかったのである。
2広島の己斐・高須地区及び長崎の西山地区以外の被爆者について放射性降下
物による被曝の影響を考慮する必要はないこと
放射性降下物が最も多く降下した地域が,広島では己斐・高須地区,長崎で
は西山地区であったことは,様々な調査結果から明らかである。
被告らも,広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区以外には,放射性降下物
が全く降らなかったとまではいわないが,両地区での降下が最大と認められる
以上,両地区以外での放射性降下物による外部被曝線量が両地区のそれ(広島
の己斐・高須地区で0.006∼0.02,長崎の西山地区で0.12∼Gy
0.24)を超えることはなく,無視し得るほどの線量にしかならないこGy
とが実証的に明らかになっているというべきである。原告らの主張は,放射性
降下物の降下範囲などについてるる述べるばかりで,具体的にどの程度の線量
の放射性降下物が降下したのかという最も重要な問題についての言及を避け,
程度問題を度外視し被曝の可能性を誇張した主張をしているにすぎず,失当で
ある。
3「黒いすす」は炭素であり,原爆の核分裂によって生じた放射性物質ではな
いこと
(1)原告らは,「原爆投下後,広島・長崎には,残留放射能や放射性降下
物によって長時間広範囲にわたって放射性物質が充満していたため」,
「「黒いすす」や「黒い微粒子」は質量が軽いために,「黒い雨」以上に広
範囲にわたって降った可能性が極めて高い」」,「「黒いすす」「黒い雨」
が相当広範囲に降下した」などと,原爆投下後に大気中に放射性物質が蔓延
していたかのような主張をしている。
(2)しかし,この「放射性微粒子」とは一体何を指すものか全く不明であ
る。
この点をおくとしても,「黒いすす」の実体は,木材が燃焼して生じたも
のであり,その実態は炭素であって,原爆の核分裂によって生じた放射性物
質(核分裂生成物)ではない。そして,後記第3の2において詳述するよう
に,炭素の核断面積は,例えば鉄と比較しても,およそ900分の1と極め
て小さく,極めて放射化しにくい核種であるから(放射化するのは,いわゆ
る金属元素の一部にすぎない。),原爆の中性子によって,すすが放射化さ
れて有意な放射能を有することはない。「黒い雨」は,このような「黒いす
す」が雨と一緒に降下したことによるものである。その際に,原爆の核分裂
反応によって生じたセシウム137を代表とする核分裂生成物のごく一部
が,雨に混じって地上に降下しているが(大半は,火球とともに上昇し,成
層圏まで達して全地球的に拡散した。),それが,原爆の放射性降下物であ
る。一方,このような放射性降下物が広島・長崎にどの程度降下したかにつ
いては,上記1のとおり,実測されているのであり,広島・長崎の原爆から
放出され,地上に降り注いだ放射性降下物の量が極めて少なかったことが明
らかになっているのである。
したがって,原告らの上記主張は,原爆の放射性降下物を全く理解せず,
根拠もなくその影響を針小棒大に過大視しようとするものであり,失当であ
る。
4根拠もないのに未分裂のウランやプルトニウムが多量に降下したと主張する
ことの誤り
(1)原告らは,「広島原爆はウラン235が数十(略)が,長崎原爆でkg
はプルトニウム239が数(略)が,核分裂しないまま「きのこ雲」に含kg
まれて上昇し,放射性降下物に含まれて降下してきた。このことは測定結果
によって確認されている。」,「原爆の爆発によって生じたウラン・プルト
ニウムは火球の中にとどまっている」などと主張する。また,安齋育郎氏
も,広島では「59以上のウラン235は火球とともに上昇して風に運ばkg
れながら,周辺地域に降下したと考えられる。」,長崎でも「約7のプルkg
トニウム239は,火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降
下したと考えられる。」(甲129号証)などと若干表現をあいまいにしつ
つ,広島,長崎にほとんどの未分裂核物質が降下したかのように指摘する。
しかし,原告らが強調する「測定結果」なるものは提出されていないし,
安齋氏の意見も,実際の測定結果などの客観的データが一切示されておら
ず,個人の推測の域を出ていない。なぜなら,人の健康に影響を及ぼすほど
の未分裂ウランやプルトニウムが多量に降下したことを示す結果が出ておら
ず,ましてや59のウラン235や7のプルトニウム239が降下したkgkg
ことを示す証拠は存在しないから,そうした測定結果を提出できず,あるい
は意見書に引用できないのは当然である。原告らは,いつも,程度問題を度
外視し,被曝の可能性のみを針小棒大に誇張して主張しているにすぎないこ
とに留意されるべきである。
(2)前記のとおり,多くの大気圏内核実験で生じた放射性降下物による被
曝は,実験が行われた地点に限定されることなく,世界的に広がっているこ
とが国連放射線影響科学委員会の調査で判明し,核爆発によって生じた多く
の放射性降下物は,大気中に拡散していくものであることが実証されてい
る。
(3)そして,藤川陽子らによる「広島原爆黒い雨の中のU−235/U−
238比」によれば,被告らの主張が更に裏付けられた。
自然界に存在するウランのうち,ウラン235は約0.72%であり,残
りの大部分は核分裂の連鎖反応を起こさないウラン238である。広島に投
下された原爆は,ウラン235の濃度を約90%まで濃縮したものを用いて
いるから,広島に投下された原爆の未分裂のウラン235が有意な量降下し
ているというのであれば,広島の土壌を調査すれば自然界に存在するウラン
235よりも有意に多い割合で検出されるはずである。ところが,この研究
によれば,被爆直後に採取された広島の土壌からは,ほぼ自然に存在するの
と同じ割合でしかウラン235が検出されておらず,また,現在の広島の土
壌から検出されたウラン235は,自然に存在するものよりも極微量過剰な
ものであったことが示唆されたにすぎなかった。また,広島原爆の黒い雨の
痕跡からは,自然に存在するよりも過剰な割合でウラン235が検出された
というものの,その割合は,自然に存在するものよりもごくわずかであった
にすぎず,その放射能もセシウム137と比較してもごくわずかなものでし
かない。要するに,この研究報告によって,広島の原爆では未分裂のウラン
は,そのほとんどすべてが火球とともに成層圏まで達し,全世界的に広範囲
に拡散したということが客観的に裏付けられたというべきである。
(4)そもそも,放射性降下物による外部被曝線量は,前記1及び2のとお
り,様々な調査結果から明らかになったものである。これらの調査には被爆
地の線量率を直接測定した調査が含まれているところ,被爆地の線量率を直
接測定した調査については,特定の元素から放出される放射線のみを測定し
たものではなく,存在する未分裂のウラン(長崎ではプルトニウム)及び核
分裂生成物を含むすべての放射性降下物からの放射線を測定したものであ
る。こうした調査をも前提として広島の己斐・高須地区で0.006∼0.
02,長崎の西山地区で0.12∼0.24といった放射性降下物にGyGy
よる外部被曝線量が算定されていることを忘れてはならない。
(5)未分裂ウランの半減期は4億2900万年,未分裂プルトニウムの半
減期は2万4110年であり,これらが広島・長崎市内に有意に降下したと
いうのであれば,広島・長崎では現在もこれらの放射性物質が環境下に存在
することになり,これらから被曝をし続けていることになるが,そのような
ことをいう者はいないのである。
5東京地裁判決の誤り
(1)東京地裁判決の判示
同判決は,①台風の影響により放射性降下物が流出したことによる被曝線
量の過小評価の可能性,②測定場所が少ないため標本に偏りが生じているこ
とによる被曝線量の過小評価の可能性,③限られた核種についての現存する
測定値からの推定による過小評価の可能性を指摘するものと思われる。
(2)①台風の影響を理由とする批判,②標本の偏りを理由とする批判の誤

ア静間清らは,平成8年,「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセ
シウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」(甲61号証の1,
2)において,広島の原爆投下3日後に爆心地から5以内で収集されkm
た土壌サンプル中のセシウム137を測定し,すべての核分裂生成物によ
る累積線量に換算した結果を発表したが,その結果によっても,己斐・高
須地区における無限時間を想定した積算線量は,わずか4R(0.03
程度),それ以外では0.12±0.02R(0.001程度)でGyGy
あり,「この結果は早期の外部放射線測定による評価と良い一致をし
た。」と結論づけている。これらの試料は台風による影響前に採取された
ものであるが,仮に台風や降雨の影響で放射性降下物が希釈されたとすれ
ば,被曝線量は,台風等の影響前の試料(静間らが使用した試料)と台風
等の後の試料とで有意な差が生じていなければならないが,現実には有意
な差はなかったことが判明した。
イさらに,静間らは,放射性降下物が最も多く降下した高須地区の家屋の
内壁に残っていた黒い雨の痕跡に含まれているセシウム137の濃度を測
定する調査も行っている。この調査で使用された試料は,家屋内の壁に流
れ込んで黒い雨が付着したもののうち,黒い雨を拭き取ったものと,拭き
取られないまま数十年間保存されていたものであって,台風やその他の降
雨の影響を受けていない。その上,人体の場合,万が一,放射性降下物が
表皮に付着したとしても,約1週間も経てば垢とともに必ず脱落するのに
対し,この試料は数十年も付着し続けているものであるから,黒い雨が人
体に永遠に付着し続けたという現実にはあり得ない仮定での最大被曝線量
の重要な指標となるものである。
ところが,調査の結果,「広島の場合にはCs測定データからの集137
積線量の推定値がこれまで報告されていなかったが,本研究でそのデータ
を得ることができた。その値は3.7Rとなり,線量率からの推定値より
やや高いがほぼ一致している。」とされ,この内容は,平成16年7月に
京都大学原子炉実験所において開催された「広島・長崎原爆放射線量新評
価システムDS02に関する専門研究会」において発表された。これによ
って,各地裁判決が過小評価になっている可能性などと指摘する原爆投下
直後になされた直接測定による被曝線量とほぼ一致する結論が得られた。
ウしたがって,DS86策定後のこれらの調査結果をも考慮すれば,台風
や降雨の影響を考慮する必要がなかったことは明らかである。そもそも,
原爆投下当時の広島,長崎では,現代のようにあらゆる場所が舗装されて
いるものではないため,放射性降下物は,雨によって多少の移動はあった
としても,被曝線量が有意に変わるほどの影響は想定し難く,むしろ,そ
の場に沈着すると考えるのが自然であって,このことは,静間らによる各
調査結果からも実証的に裏付けられているのである。
エそうである以上,放射性降下物が降雨などによって広島市,長崎市全体
に広がったとか,あるいは放射性降下物によって汚染された場所が大きく
変動がしたなどと考えること自体,不合理というほかない。また,前記1
のとおり,複数の専門家が様々な期間に幅広い地域で採取した多数の試料
のほとんどが偶然にも全て放射性降下物が散乱された後の試料であり,原
爆投下直後の各調査試料には偏りがあるなどと考える発想自体も,不自
然,不合理である。
(3)③限られた核種についての現存する測定値からの推定を理由とする批
判の誤り
限られた核種についての現存する測定値からの推定がなぜ過小評価に結び
つくのか,根拠も示されておらず不明と言わざるを得ないが,仮に限られた
核種だけからの被曝線量を評価しているに過ぎないとの批判であれば,完全
な誤解である。すなわち,セシウム137の測定データから被曝線量を評価
する場合,原爆の核分裂により物理法則にしたがって生じる核分裂生成物の
うち,被曝をもたらす放射性物質ごとの被曝線量を評価しているのである。
仮に,換算方法が不適切であるとの批判と解したとしても,東京地裁判決
は,換算の意味を理解しておらず,やはり失当である。すなわち,核分裂に
よって生じる放射性物質の種類やその割合は核分裂の物理法則によって定ま
っているのであり,その時々の条件で変わらないから,換算方法には一般的
通用性があるのである。
(4)放射性降下物の最も多く降下した地域は,広島では己斐・高須地区,
長崎では西山地区であったこと
東京地裁判決は,「放射性降下物の影響が認められる地区は,広島の己斐
・高須地区,長崎の西山地区に限定されるとすることに十分な根拠があると
いえるかどうかには疑問がある」とも判示する。しかし,上記2()で述べ2
たように,広島・長崎の原爆による放射性降下物の最も多く降下した地域
が,広島では己斐・高須地区,長崎では西山地区であったことは,異論のな
いところであるから,他の地区では,これらの地区の無限時間を想定した積
算線量を超えることはなく,いずれにしても,無視し得るほどの線量にしか
ならないことが実証的に明らかになっているというべきである。
6名古屋地裁判決及び熊本地裁判決の誤り
(1)名古屋地裁判決は,放射線降下物による被曝を重視し,その理由とし
て「放射性降下物が人体に直接ないし極めて近距離に付着し(中略)た場合
には,地上1mの位置を前提とする被曝線量は必ずしも妥当せず,それより
も相当大きな値の放射線を浴びることになると解するのが合理的である。」
と判示する。熊本地裁判決も同様の判示をしている。
(2)外部被曝の積算線量を地上1mの高さで行っているのは,単に放射線
防護学の通例にならっているにすぎず,地表面に近づいたところで被曝線量
に変わりはない。
原告らが前提とする,放射線は距離に反比例して大きく低減するという法
則が当てはまるのは,一点(爆心)から放射線が放出される場合である。つ
まり,初期放射線のように,爆心からγ線が放出される場合,γ線は距離に
応じて拡散していくため,対象物が点線源に近ければ近いほど多くのγ線を
受け,点線源から離れれば離れるほどγ線量は少なくなる。しかし,放射性
降下物(及び誘導放射線)が多数環境内に散布された場合,ある一つの点線
源からのγ線には被曝しなくとも,別の点線源からのγ線に被曝することと
なり,結局,あたかもγ線が平行線束と考えるに近似し,どの点線源との間
で距離が変わろうとも,単位面積当たりのγ線はほぼ均等になるため,地表
面に近づこうが離れようが,空気の影響を考慮しても,1m程度で被曝線量
は変わらないのである。
したがって,放射化された地面や放射性降下物が降下した地面に横たわっ
たために放射性物質が皮膚に付着して被曝しても,起きあがって地上1mの
地点で被曝したとしても,被曝線量に変わりはない。まして,そのような放
射性物質のごく一部が(地面全体に存在する放射性物質の量と比較すれば,
空中に浮遊していた量がごくごく限られたものであることはいうまでもない
ことである。),皮膚に付着しただけであれば,それによる被曝線量が更に
無視し得るものであったことは明らかである。
(3)放射性降下物を含む降雨等が直接皮膚に付着することにより,被曝す
る可能性も否定はできないが,α線及びβ線は到達距離が非常に短いので,
皮膚表面より内部の皮下組織には到達せず,人の健康に影響を与えるもので
はないこと,また,γ線も,皮膚表面から深部に到達する過程で線量は著し
く減少するので,皮膚表面における被曝線量が最も高いことに変わりはな
く,高線量の放射性降下物を含んだ降雨が,皮膚に直接付着することにより
被曝するのであれば,まずは皮膚障害が生じたはずであるが,そのような皮
膚障害は発生しておらず,放射性降下物を含む降雨等が直接皮膚に付着する
ことにより人体影響が生じるような被曝をすることはなかった。
また,放射性降下物を含む降雨等が被爆者の口等から体内に入り込んだ可
能性も否定できないが,黒い雨や灰を直接浴びたことによる内部被曝の影響
も無視し得るものである。
第3誘導放射線の被曝線量評価の正当性
1はじめに
爆心地から長崎では600m,広島では700mも離れれば,誘導放射線の
影響を考慮する必要がなかった。また,爆発直後から無限時間まで爆心地にと
どまり続けたという現実にはあり得ない想定をした場合でも,その積算線量
は,広島で約0.50(約80R),長崎で0.18∼0.24(30GyGy
∼40R)であった。
2放射化の仕組み
(1)原爆から放出された中性子線と建物や地面などを構成する元素の原子
核とが核反応を起こし,それにより新たに放射性核種が生じること(放射
化)があり,この新たに生じた放射性核種からの放射線を誘導放射線と呼
ぶ。放射化は,安定した原子核(非放射性)が中性子を吸収することによっ
て生じるものであるが,吸収反応が起こる確率,すなわち,放射化の程度
(吸収断面積又は核反応断面積という。物理量(バーン)で表される。)は
中性子のエネルギーと原子核の種類によって大きく異なる(中性子を吸収し
ても,別の安定した核種となり,放射化しないものもある)。放射化する元
素は限られており,すべての元素が放射化するわけではない(γ線では放射
化は起こらない。)。例えば,鉄56の吸収断面積は,2.81バーンであ
り,必ずしも中性子を吸収しやすい核種とはいえないが,木材を構成する炭
素の吸収断面積は,わずか3ミリバーンと鉄の900分の1にすぎず,極め
て放射化しにくい核種ということができる。
(2)原爆中性子線(瞬間的な中性子照射)によって起こりやすい反応と
しては,アルミニウム,マンガン,ナトリウム,鉄といった金属元素が高
速中性子(速中性子)を吸収することによって起こされる反応があり,被
曝に寄与する可能性のある誘導放射線はこれによるものである。被曝に寄
与する誘導放射性核種は,核種ごとに半減期が物理的に決まっており,速
中性子の吸収によって新たに生じた放射性核種の半減期は比較的短いこと
が特徴である。
中性子は,爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気等との
相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へと変化する。エネ
ルギーが低くなった原爆中性子(熱中性子)の吸収によって生ずる反応(捕
獲反応)は,ホウ素,カドミウム,ユーロピウム,ガドリニウムなどの元素
に限られ,これらは土壌中にほとんど存在しないため,被曝に寄与すること
はほとんどない。
(3)要するに,中性子線による誘導放射線量は,原爆から放出された中
性子線量,放射化しやすい核反応断面積を有する金属元素の環境内におけ
る量,その半減期によって決定される。
広島の爆心地から200m離れた原爆ドーム付近で採取された土壌サンプ
ルによって,問題となり得る核種の1g当たりの重量()が判明しておmg
り,中性子を当てた場合の比放射能も判明している。これによれば,広島の
土壌中の組成で比較的高い放射能の誘導放射線を示す核種は,アルミニウム
28,マンガン56,ナトリウム24であるが,アルミニウムの半減期は,
2分程度と極めて短いため,人が爆心地地域に入り得たよりずっと前に消失
したことは明白であり,これによる被曝を考慮する必要はない(仮にこれを
考慮したとしても,爆心地における最大積算線量は,0.48にすぎなGy
い)。そうすると,原爆の誘導放射線が問題となり得る核種は,マンガン5
6とナトリウム24ということになる。
3グリッツナーらによるDS86を前提とした線量評価
(1)グリッツナーらは,DS86によって原爆の初期放射線の被曝線量評
価が策定された際に,広島・長崎の実際の「土壌中の元素の種類,含有量,
および,これらの元素の放射化断面積をもとに生成された放射能量」を計算
している。
その結果,爆発後1時間における誘導放射線量と爆心地からの距離との相
関関係は,広島では爆心地から700mの地点に至ると,1時間当たりの誘
導放射線量は,ほぼ0.001にまで低減することが明らかになっていGy
る。原爆の初期放射線中の中性子線による誘導放射化は,同地点付近ではほ
とんど起こることがなかったことが分かる。更に,爆発直後から無限時間ま
で積算した最大線量を算定すると,広島では,爆心地から2の地点に爆km
発直後から無限時間とどまり続けたというあり得ない仮定をした場合でも,
誘導放射線による被曝線量は,わずか0.000001程度にしかならGy
ないのである。
(2)グリッツナーらが計算した,爆心地における土壌の放射化による線量
率が時間とともに減衰する様子を見れば,爆発直後から急激に線量率が低
減し,爆発から1日経過した時点では,広島の爆心地では1をやや超えcGy
る程度,長崎の爆心地では0.3程度にまで低減していることが分かcGy
る。
線量率の変化は,見かけ上,3つのふくらんだ部分からなっている。第
一の部分は,主として短寿命のアルミニウム28の寄与であり,第二の部
分(約30分後から)はマンガン56及びナトリウム24の寄与,第三の
部分(1週間後から)は鉄59及びスカンジウム46の寄与による。そし
て,約1年後にはマンガン54(半減期312日)やセシウム134(半
減期2年)の寄与が主となる。
鉄やスカンジウムによる誘導放射線があるとしても,爆心地でさえ,1
時間当たりの線量率は,0.00001を下回っており,マンガン54Gy
やセシウム134といったその他の核種は,更にこれを大きく下回る。な
お,アルミニウム28による1時間当たりの線量率が極端に高いように見
えるが,アルミニウム28の半減期は2分程度と極めて短く,爆心地にお
いて爆発直後からアルミニウム28による誘導放射線の被曝をしても,そ
の最大積算線量は,0.48にすぎない。Gy
(3)以上のようなグリッツナーの研究を前提として,広島及び長崎にお
ける誘導放射線による被曝線量を定めた旧審査方針別表10をグラフ化す
ると,爆心地からの距離及び爆発からの経過時間に応じて被曝線量が低下
する様子が分かる。要するに,誘導放射線による被曝線量は,広島では爆
心地から700m,爆発から72時間を超えればほとんど無視し得る。長
崎では爆心地から600m,爆発から56時間を超えればほとんど無視し
得るのである。
このように,広島及び長崎の原爆では,誘導放射線の影響も限られたもの
であったが,それは,原爆が爆発したのが上空であったことも大きく影響し
ている。放影研もその旨を解説している。
なお,爆心地付近は当時,大火災に見舞われており,実際には立ち入るこ
とが困難であったことに留意する必要がある。
4爆心地における誘導放射線の測定調査
(1)誘導放射線は,原爆の初期放射線の中性子に起因するため,複数の研
究者らによって,広島,長崎の実際の土壌等に中性子を照射して誘導放射線
量を測定する研究が行われた。
例えば,橋詰雅らは,広島の土壌のみならず,屋根瓦,煉瓦,アスファル
ト,木材及びコンクリート・ブロック片を試料として選択し,これらに中性
子線を照射して,どのような放射性核種が生じるのかの検証をしている。そ
の結果,「土壌中の誘導放射能からのγ線量は,主として,及びに2456
NaMn
負うものであることが判明した。原爆投下後1日目に広島の爆心地付近には
いり,そこに8時間滞在した者の推定被曝線量は3である。広島の爆心rad
地から500mおよび1000mの距離における線量は,それぞれ爆心地の
線量の18%および0.07%であった。爆発直後から無限時間までの累積
γ線量は,広島では爆心地で約80,長崎では同じく約30であるとradrad
推定された。」と報告している。要するに,土壌だけでなく様々な建築資材
の存在を考慮してみても,発生した誘導放射線の量は,わずかなものにすぎ
なかったことが,こうした実証的な調査研究によって明らかにされた。
(2)DS86報告書第6章を取りまとめた岡島らは,このような調査結果
を総括し,爆発直後から無限時間を想定した爆心地における地上1mの地点
での積算線量は,広島について約80R,長崎について30∼40Rである
と推定され,これを組織吸収線量に換算すると,長崎については18∼24
(0.18∼0.24),広島では約50(0.5)になると結radGyradGy
論づけている。
5土壌の放射化のみを考慮しているのではないこと
原告らは,「爆心地付近の土壌や地上物(建物や樹木等)を構成していた誘
導放射化された原子核の一部も,衝撃波・爆風やその後の火災による破壊によ
って粉塵となって浮遊し,また,爆心地付近に生じる上昇気流に乗って,放射
性降下物となる」とし,被告らが誘導放射線による外部被曝の態様を限定的に
捉えていると主張する。
しかし,DS86が基礎とした橋詰雅らの報告書では,前記4のとおり,土
壌のみならず,屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロッ
ク片を試料として選択し,これらに中性子線を照射して,どのような放射性核
種が生じるのかの検証をしている。それによっても,「爆発直後から無限時間
radradまでの累積γ線量は,広島では爆心地で約80,長崎では同じく約30
であると推定された。」のであり,土壌だけでなく様々な建築資材の存在を考
慮してみても,発生した誘導放射線の量は,わずかなものにすぎなかったこと
が,こうした実証的な調査研究によって明らかにされているのである。
6人体が有意に放射化することはないこと
(1)原告らは,例えば原告Cについて,爆心地付近で被爆した被爆者の身
体が放射化することを前提としている。
(2)しかし,人体が有意に放射化することはない。
島本光顕らの生体誘導放射能の調査は,放射化した遺体が第三者に対して
健康に影響を与えるほどの被曝線源となることを明らかにした調査ではな
く,人体そのものが放射能汚染され得る一般的現象を明らかにしたにすぎな
い。現に,同調査をみれば,「誘導放射能はβ放射能であるが外部からのも
のはその飛程よりして考慮に入れる必要は認めないが生体内に生ずる場合は
極めて重大なる影響を生体に与えることは明らかである。」とあり,飽くま
でも,原爆の中性子に被曝した本人について,その体内におけるβ線の影響
を論じているにすぎない。結局,同調査は,原爆の中性子線が到達したと考
えられる区域内で被曝し,死亡した事例について,体内の一定の原子が放射
化し,それが当人の体内において影響を与えた可能性を指摘したにすぎず,
それが他者に影響を及ぼすほどの放射能であったなどということは一切述べ
られていない。
(3)また,同調査は,ガイガーミュラー計測器により,各臓器から放出さ
れるβ線の数を計測したものであるところ,β線の自然計数は広島で毎分1
8とされており,それと比較すれば,そもそも各臓器から放出されるβ線の
数は多いとはいえないのである。
更に,同調査の報告者も述べているとおり,脳や骨が他の臓器と比較して
若干高い値を示しているが,それは,脳や骨にはリンが多く含まれており,
このリンが誘導されたためであるところ,リンはβ線のみを放出する核種で
あり,外部被曝に寄与しない。そうすると,同調査の遺体の臓器からの被曝
を考慮する場合は,β線からの被曝に着目すればよいが,β線の飛程距離
は,空気中では1に満たないのであるから,仮に当該臓器や骨に直接触cm
れたとしても,触れた者の皮膚にはわずかに影響を与えることはあっても,
枢要な臓器が被曝することはないし,臓器や骨が露出していない遺体に触れ
た場合には,触れた者の皮膚すら被曝しないのである。同調査の報告者も,
β線の場合には,「外部からのものは考慮に入れる必要は認めない」と述べ
ていることからしても,被曝した人体から外部への影響を考慮する必要がな
いことは明白である。
(4)結局,同調査によれば,むしろ遺体からの被曝を重視する必要がない
と評価できる。
(5)平成11年9月30日に株式会社ジェー・シー・オーウラン加工工場
において臨界事故が起き,3人の作業員が被曝したが(内1人は16∼25
等量(生物学的効果比を考慮した線量)の被曝をしている。),そのGy
際,放射化によって人体がどの程度の放射線源となるかの測定が行われてい
る。その結果は,翌日の測定結果であったが,1時間当たりの等価線量は,
最大でもわずか10.1μ(中性子線は出ないため,0.000010Sv
1に相当する。ちなみに,自然放射線は,1時間当たり0.06μでGyGy
ある。)にすぎなかった。この実例からも,人体が放射化し有意な放射線源
になることはないといえる。
(6)この点,原告ら申請証人のc22医師は,人体が放射化したことによ
り,周囲の人が二次的な被曝をした事例は,「ないと思います」と述べてい
るが,何か症状が出るほどの被曝線量になるのかとの被告ら指定代理人の質
問に対しては,「わかりません」と述べ,また,他方で原爆放射線と一般の
放射線はその成分において異なることはないとも証言しているのであるか
ら,同証人の証言によっても,原爆であろうとなかろうと,周囲の人間が二
次的な被曝をするほど人体が有意に放射化することはないというべきであ
る。
第4内部被曝の影響は無視し得る程度のものであったこと
1はじめに
内部被曝とは,体内に取り込まれた放射性物質によって被曝することをいう
が,取り込まれた放射性物質の量がわずかであれば,その影響も無視し得るも
のである。この点は,放射性物質を投与して診断等を行っている現代の核医学
の例を見れば明らかなことである。前記のとおり,原爆の放射線によって生じ
た放射性物質の量がごく限られたものであることは,様々な研究結果によって
実証的に明らかとなっているのであり,そうである以上,被爆者が内部被曝に
よって有意な影響を受けたとは到底考え難い。
2考慮すべき内部被曝の態様
原爆で問題となる内部被曝は,残留放射能によるものであるが,最も問題と
なり得る残留放射能は,長崎の西山地区に降下した放射性降下物である。核分
裂生成物が最も顕著に降下し(同地区に爆発1時間後から無限時間とどまり続
けた場合の外部被曝線量は,0.12∼0.24となる。),そこで生活Gy
する者に対して継続的な被曝を与えたということができるからである。ウラン
やプルトニウムが核分裂すると,半減期の短いものから比較的長いものまで合
計約80の核種が生成されるが,その中でも生成量が多く,半減期の長い核種
が,被爆地で生活する者に継続的な被曝を与え,内部被曝に寄与することにな
るため,内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,半減期を30年と
するセシウム137,半減期を29年とするストロンチウム90ということに
なる。
放射化された核種による内部被曝も問題にならないわけではないが,誘導放
射化された核種の半減期は,一般にごく短い上に,そのような放射性物質の量
自体,ごく限られたものというべきことは,前記第3のとおりである。現在で
は,線量換算係数を用いて,摂取した放射性核種の量から内部被曝線量を特定
することができ,この手法は世界的に確立している。
そして,前記第3の2のとおり,広島の土壌中に含まれる元素の割合及びそ
の元素が放射化した場合の放射線量は判明しているから,一定の内部被曝を引
き起こすために必要な土壌量を計算により明らかにすることができる。これに
よれば,急性症状を発症する最低1の被曝をもたらすためには,例えば,Gy
マンガン56であれば,広島の爆心地の爆発直後の土壌約36を,ナトリウkg
ム24であれば,同じく111を,一度に体内に摂取する必要があることにkg
なるが,このようなことは現実問題としてあり得ないことである。原告らのよ
うな遠距離・入市被爆者が,空中に浮遊していた粉塵を吸入した可能性が全く
なかったとはいえないとしても,これによって有意な内部被曝をしたとは到底
考え難いというべきである。
3内部被曝によって体内に取り込まれた放射性核種は,人体に備わった代謝機
能により,体外に排出されること
(1)原爆の核分裂生成物であるセシウム137とストロンチウム90の物
理的半減期はそれぞれ約30年,29年である。しかし,体内に取り込まれ
た放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけでなく,人体に備わった代
謝機能により,各元素に特有の代謝過程を経て,最終的には腎臓,消化管な
どから体外に排せつされる。すなわち,「体内にとり込まれた放射性物質
は,その臓器親和性にしたがって種々の臓器・組織に分布し,その後排出さ
れる。生物学的減少は実際には複雑な過程をたどるが,指数関数的に減少す
るものと仮定し,排泄機構により体内量が1/2になるまでの時間を生物学
的半減期と呼ぶ。」とされている。例えば,セシウム137の生物学的半減
期は,約110日とされている。物理学的半減期と生物学的半減期との相乗
によって体内の放射能が半減する期間を有効半減期という。
(2)経口摂取されたセシウム137は,そのすべてが胃腸管から血中に吸
収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減期110日
で体外へ排せつされるとされているから,10年後には7.3×10,-11
すなわち100億分の1以下に減衰することになる。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経
由して血中に注入され,残りは便として排せつされるとされているから,血
液に1注入された場合でも,10年後には軟組織全体に残留しているのBq
は1.2×10すなわち約8300分の1以下に減衰することになる。-4
Bq
以上の点は,国際放射線防護委員会も認めているところである。
4内部被曝の影響は無視し得る程度のものであることが実証されていること
(1)岡島俊三博士らによる実証的な研究
ア原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならないのは,前記
2のとおり,長崎の西山地区に降下した放射性降下物によるものである。
長崎大学の岡島俊三博士らは,原爆による内部被曝の影響を調査するた
め,放射性降下物が最も多く堆積し,原爆による内部被曝線量が最も高い
と見積もられる長崎の西山地区の住民を対象として,体内に摂取されたセ
シウム137による内部被曝線量の積算を行っている。すなわち,岡島博
士らは,昭和44年,長崎の西山地区住民を対象とし,ホールボディーカ
ウンターを用いて,セシウム137による放射線量を実測し,内部被曝線
量の評価をした。その結果,対照群と比較すると,長崎の原爆の放射性降
下物による寄与は,男性で13(ピコキュリー)/,女性は10pCiKg
/であることが明らかになった。岡島博士らは,昭和56年にも,pCiKg
昭和44年の上記調査において比較的高い線量値を示した者を対象として
同様の測定調査を行ったところ,昭和44年当時の平均値である48.6
/は,15.6/にまで低下しており,環境半減期は7.4pCiKgpCiKg
年となることが明らかにされた。そして,岡島博士らは,上記のデータを
用いて,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量
を積算したところ,それは,男性でわずか0.0001,女性でわずGy
か0.00008にすぎないことを明らかにした。これは,自然放射Gy
線による年間の内部被曝線量(0.0016=すべてγ線であった場Sv
合0.0016)と比較しても格段に小さいものであるから,旧審査Gy
方針において内部被曝を考慮しないとされていることは,何ら不合理では
ない。岡島博士らの上記研究報告は,長崎の西山地区において生活し,物
理学的半減期30年の核分裂生成物(セシウム137)を継続して体内に
摂取したと考えられる住民を対象とし,体内から放出されるセシウム13
7を測定機器を用いて実測したものであり,これに勝る知見はない。
イこのことは,前記第2の1のとおり,広島,長崎の原爆により生じた
放射性降下物は,世界の核実験により生じた放射性降下物の我が国への
降下量のわずか8分の1と極めて少ないこととも符合するものである。
Csウ原告らは,「ホールボディーカウンターによって測定したのは,137
のみであり,その他の原爆によって生じた放射性物質(略)については何
ら測定されていない点において,上記岡島論文の不完全さは明らかであ
る。特に,半減期の短い放射性物質は,短い期間で大きな放射線影響を与
えたはずであるが,これらについて一切報告されていない。」,「ホール
ボディーカウンターで測定しうるのは,体外へ飛び出してくるγ線だけで
あり,α線やβ線は測定し得ないのである。」と主張する。
しかし,前記2のとおり,ウラン又はプルトニウムが核分裂して生じる
放射性核種の中で,フォールアウトによる線量への寄与が最も大きい原子
は,取り分けセシウム137であるところ,そのようなセシウム137で
すら,上記のとおり,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被
曝線量は,男性でわずか0.0001,女性でわずか0.00008Gy
にすぎないのであり,他の核分裂生成物,例えば,ストロンチウム9Gy
0を考慮したとしても,その影響が無視し得るのであることに変わりはな
い。この点は,浦上川の水に含まれていたストロンチウム90を飲んだと
しても,後記()のとおり,その影響は無視し得るものであることからも2
明らかである。ウランやプルトニウムといった未分裂の核物質は,環境下
に存在していなかったといっても過言ではないからこれによる内部被曝を
考慮する必要はない。
また,物理的半減期の短い核種は,原爆投下後の短時間のうちに環境中
から消失するので,体内に摂取される機会は極めて小さく,無視し得るも
のである。放射化された核種による内部被曝も問題にならないわけではな
いが,放射化された核種の半減期は,一般にごく短い上に,そのような放
射性物質の量自体,ごく限られているから,これによる内部被曝を考慮す
る必要がないことは,前記2のとおりである。
エ原告らは,上記ウのとおり,あたかも岡島博士らがセシウム137のγ
線による被曝線量のみを計測したかのように批判するが,岡島博士らの研
究報告は,セシウム137のγ線量を基に,β線量も加算して(なお,セ
シウム137は,α線を放出することはない。),内部被曝線量の積算を
したものであって,原告らの批判は完全な誤解に基づくものである。
(2)浦上川の水を飲んだとしても,内部被曝線量は無視し得る程度のもの
であることが明らかとなっていること
ア内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原爆の核分裂生成物
であるセシウム137とストロンチウム90である。
複数の研究者により,セシウム137の降下量が推定されているが,そ
の中でも最も高い推定値は,長崎の西山地区における900,すmCi/km2
なわち,1当たり3.3であった。核分裂によるストロンチウム9cmBq2
0の生成量はセシウム137より少ないので,ストロンチウム90の降下
量がセシウム137のそれを超えることはない。
イ長崎の西山地区では,セシウム137の降下量は,最も高いと宮Mahara
原の推定値でも900,すなわち,1当たり3.3であっmCi/kmcmBq22
たと推定されており,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられてい
る。一方,広島では,放射性核種が高く検出された己斐,高須地区におい
ても,セシウム137の降下量は3∼10とされ,上記で使用しmCi/km2
たらの推定値と比較すると90分の1以下となり,爆心地付近ではMahara
この10分の1程度と考えられている。
放射性核種によって最も高濃度に汚染された西山地区の被爆者が浦上川
の水を,浦上川の表面積で100分(約1ℓ)飲んだと仮定しても,cm2
その放射能は,セシウム137,ストロンチウム90のいずれの放射性核
種についても330(××)以下となる。Bq3.3Bq/cm10cm10cm2
その場合の内部被曝線量は,国際放射線防護委員会が承認している線量
換算係数によって客観的に算定できる。
成人がセシウム137を1経口摂取したときに肝臓の受ける等価線Bq
量の50年間の合計は1.4×10,ストロンチウム90では6.6-8
Sv
×10であるから,330経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の-10
SvBq
50年間の合計は,セシウム137が4.6×10,ストロンチウム
-6
Sv
90が2.2×10にすぎない。-7
Sv
同様に,成人がセシウム137を1経口摂取したときの実効線量のBq
50年間の合計は1.4×10,ストロンチウム90では2.8×1-8
Sv
0であるから,330を経口摂取した場合の実効線量の50年間の-8
SvBq
合計は,セシウム137が4.6×10,ストロンチウム90が9.
-6
Sv
2×10にすぎない。-6
Sv
ストロンチウム90は,骨に集積する性質があるが,そうはいっても,
これを1経口摂取したときに骨表面の受ける等価線量の50年間の合Bq
計は41×10,赤色骨髄の受ける等価線量の50年間の合計は1..Sv-7
8×10にすぎない。-7
Sv
ウしたがって,浦上川の水を大量に飲んだとしても,内部被曝線量は無視
し得る程度のものであることは明らかである。
5チェルノブイリ事故と比較しても被爆者が内部被曝の影響を受けていないこ
とは明らかであること
(1)放射性物質の中には,それぞれ特異的に集積する臓器が決まっている
ものがある。例えば,放射性ヨウ素は甲状腺に,ストロンチウム90は骨に
集積する性質がある。原告らがいうように,原爆の放射線による内部被曝の
影響が無視できないものであり,原告らのような遠距離・入市被爆者に,内
部被曝によってがんが生じたとするならば,これらの被爆者らにも,甲状腺
がんや骨がんのように特定の臓器に発生するがんが顕著に見られるはずであ
る。しかし,遠距離・入市被爆者に見られるがんも,被爆者ではない一般の
日本国民と同様,多種多様であり,内部被曝の影響があったとは考えられな
い。
(2)この点は,チェルノブイリ事故と比較しても明らかである。
チェルノブイリ事故は,昭和61年4月26日に発生したが,同年5月6
日にかけて,300Mもの膨大な量の放射性物質が放出された。Ci
広島の原爆の爆弾の総重量は約4t,ウランに換算して約25であり,kg
核分裂反応は,4%程度(ウラン約1)に生じたにすぎなかった。しかkg
も,広島原爆の場合には,上空で爆発したため,大半は,火球とともに成層
圏まで上昇し,広島市内に局所的に降下することなく,全地球的に広範囲に
拡散した。この点は,長崎の原爆も同様である。
一方,チェルノブイリ原発の核燃料は,合計180tあり,ウランの濃縮
度は2%であったから,ウランだけで3600に達していた。そして,チkg
ェルノブイリ原発は,事故により炉心が溶け,ヨウ素といった熱により拡散
しやすい揮発性の放射性物質が大量に放出され,放出された核燃料物質は,
7∼10tもあった。300Mの放射性物質のうち,ヨウ素131は40Ci
M,短寿命放射性ヨウ素が100M放出された。CiCi
チェルノブイリ事故では,事故後10年後当たりから甲状腺がんの有意な
増加が見られるようになった。同事故の一般住民に対する身体的影響は,
「原爆被爆者の場合とは大きく異なっており,甲状腺がんの発生が顕著であ
る」とされ,特に小児甲状腺がんが多数発生した。これは,ミルク摂取等に
よりヨウ素131が体内に入り,これによる内部被曝を受けたことが主因で
あるとされている。同事故では原子炉が溶解したため,揮発性の放射性ヨウ
素が拡散し,これが牧草に取り込まれ,牧草−乳牛−牛乳−人間という食物
連鎖を通じて人体内に取り込まれた結果,放射性ヨウ素による内部被曝の影
響が顕著に現れたのである。
このように,チェルノブイリ原発事故の際には,小児甲状腺がんが多数発
生したとされているが,これは,そもそも,広島の原爆とは比較にならない
ほどの大量の放射性物質(核分裂生成物)が周辺地域に放出され,特に揮発
性の放射性物質である放射性ヨウ素が大量に放出されたためである(ヨウ素
は甲状腺に局所的に集まる傾向がある。)。原爆の被爆者には,内部被曝に
より,このような特定の臓器についてがんが多発したという傾向は全く見ら
れておらず,このことは,原爆による内部被曝の影響が無視し得る程度のも
のであったことの証左である。被爆者が内部被曝の影響を受けていないこと
は,チェルノブイリ事故と比較しても明らかである。
6低線量の内部被曝の影響を過大視する原告らの主張は科学的な根拠を欠くも
のであること
(1)原告らの主張
原告らは,内部被曝の影響を殊更に過大視する旨の主張をしているが,体
内に入った放射性物質の量がどの程度であり,被曝線量がどの程度となるか
という程度問題を捨象することはできず,ほんの少しでも放射性物質が体内
に入れば,それが原因でがんになるかのように主張する原告らの主張は,失
当である。
(2)医療の現場等においても放射性物質の投与が行われていること
核医学の分野では放射性核種を投与して,診断に役立てており,それによ
って一定量の内部被曝が起きているが,それによる人体影響は何ら問題とさ
れていない。ここでも,体内に入った放射性物質の量がどの程度であり,被
曝線量がどの程度となるかが最も重要な問題である。核医学診断において
も,放射性物質が体内に入れば,その後速やかに排出されようとも,内部被
曝が起きたことは間違いなく,細胞レベルで見れば,局所的に比較的高い被
曝をした細胞があるのも事実である。しかし,それでも,その程度であれ
ば,人体に影響があるとは考えられていないのである。そして,このような
核医学は何も我が国だけで行われているものではなく,今日では世界各国の
医療現場において実施されているのであって,原告らの主張は,このように
放射線の有効利用がされている現実を全く見ようとしないものである。
(3)がんの発症メカニズムは極めて複雑であること
正常細胞ががん細胞になる仕組みのおおもとは,遺伝子につく傷だと考え
られている。がんに関係する遺伝子は,「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝
子」に大別される。しかし,たった一つの「がん遺伝子」や「がん抑制遺伝
子」に傷がついても,すぐにがんができるわけではなく,ある遺伝子の異常
に別の遺伝子の異常が重なり,そこに別の遺伝子の異常も重なるというよう
に,複数の「がん遺伝子」,「がん抑制遺伝子」に異常が起こり,それが細
胞の中で積み重なって最終的にがん細胞になると考えられている。
電力中央研究所低線量放射線研究センターの酒井一夫研究員(当時,現在
は独立行政法人放射線医学総合研究所放射線防護研究センターセンター長)
も,発がんの過程はDNA損傷に始まるとしつつも,「細胞にはまた,損傷
を受けたDNAを修復する仕組みのあることが知られている。数十にも及ぶ
とされる「DNA修復関連タンパク」が関与する複数の修復経路が知られて
いる。DNAの損傷はそのほとんどが正しく修復されると考えられている
が,ここで損傷を直しきれなかったり,修復の過程で誤りが起こったりする
と,遺伝情報の変化につながり,突然変異が生じることになる。がんの原因
は突然変異であると述べたが,単一の変異でがんになるわけではなく,複数
の変異が蓄積した結果として,正常の細胞が増殖の制御を逸脱して増え続け
る性質を獲得してしまう。これを細胞のがん化と言うが,これに対しては,
修復しきれないほどの損傷をもった細胞を死に至らしめる巧妙な仕組みのあ
ることが知られている。この仕組みはアポトーシスと呼ばれ,DNAに傷を
持った細胞が生き残ってがん化することを抑える上で有効に機能している。
免疫機能は,外部からの異物を処理する仕組みだか,身体のなかに生じた変
異細胞の処理にも役立っている。」とし,何重もの「防御機能」が発がん過
程の中で制御的に働いていることから,がんが確率的影響であるからといっ
ても,0.1以下ではがんのリスクの有意な増加は認められず(しきいGy
値なしの直線仮説(いわゆるLNT仮説)の否定),0.1を超えてGy
も,がんになるリスクは極めて低いことを明らかにしている。
このようにがんの発症メカニズムは,極めて複雑なものであり,わずかな
放射性物質が体内に入り,細胞を傷つけたからといって,それが原因で将来
がんになるとは限らないのである。放射線とがんの関係については,被曝線
量が増えるとともに発生率が増加する線量反応関係があること,すなわち,
がんの発症リスクは,被曝線量が多ければ多いほど高まり,ほとんど被曝し
ていなければ,がんが発症するリスクもほとんどないことが,放影研が被爆
者を対象として行った大規模な疫学調査の結果によっても明らかとなってい
る。だからこそ,被告らは,原告らが内部被曝をした可能性が全くないとい
えないとしても,程度問題であり,放射性物質を体内に摂取した可能性がほ
とんどなく,ほとんど被曝していない以上,原告らの申請疾病の放射線起因
性を認めることはできないと主張しているのである。
(4)原告らは細胞レベルでの現象を説明した一つの考え方を主張している
にすぎないこと
原告らは,「体内に取り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて
継続的に放射線被曝を与えるのである。しかも,ある細胞がα線に被爆した
場合には,その近傍にある細胞にも放射線影響が見られる(バイスタンダー
効果)」,また,α線被曝に関して「バイスタンダー効果といったゲノム不
安定性の機構による突然変異の可能性も指摘されている」と主張し,α線に
よる細胞レベルでの影響を殊更に強調するようである。
しかし,α線による内部被曝を考慮する必要がないことは,上記4ウの
とおりであるが,この点をおいても,原告らが指摘するバイスタンダー効果
は,細胞レベルでの現象を説明した一つの考え方にすぎず,低線量の被曝で
あれば,内部被曝であってもがんが発症するリスクがほとんどないという確
立した知見を否定しようというものではない。バイスタンダー効果というも
のがあるとしても,臓器ないし組織全体の平均線量が低い場合には,結局,
放射線被曝を原因とするがんが発症するリスクは極めて低いことに変わりは
ない。
7東京地裁判決及び仙台地裁判決の誤り
(1)多種多様な核種による内部被曝の影響を指摘した判断の誤り
上記各判決は,半減期の短い放射性降下物や多様な誘導放射化物質による
内部被曝を重視すべきというのであるが,これらの判断も,内部被曝の影響
を調査した研究報告の趣旨や放射線・放射性核種の特徴を誤解し,この誤解
に基づいて内部被曝の影響を殊更に過大視するものであって,失当である。
ア前記4()のとおり,岡島博士らの研究報告は,半減期が30年と長い1
セシウム137による内部被曝線量の積算をしたものであるところ,東京
地裁判決及び仙台地裁判決は,半減期の短い核種による内部被曝の影響を
考慮していないことを非難するようである。
しかし,そもそも,内部被曝は,長年にわたって放射性降下物を摂取
し,累積したことによる影響を評価するものであるから,半減期が短く,
継続的被曝を引き起こさない核種による内部被曝の累積的影響を考慮する
必要のないことは明らかであって,東京地裁判決及び仙台地裁判決は,内
部被曝がどういったものであるかという根本的な点の理解すら誤ってい
る。結局,内部被曝で検討すべき放射性核種は,比較的半減期の長いセシ
ウム137とストロンチウム90であるところ,ストロンチウム90をセ
シウム137と同量摂取したとしても,全身換算線量ではセシウム137
の10分の1にすぎないため,詰まるところ,岡島博士らが調査したセシ
ウム137の内部被曝を検討すれば足りるという結論に帰着する。
イ東京地裁判決は,人が体外から放射性核種を取り込み続ける事態を想定
しているが,そもそも,半減期の短い核種を長年にわたって継続的に体内
に取り込むことはその性質上あり得ないし,半減期の長い核種による内部
被曝に関する岡島らの上記研究報告は,当然,40年間放射性降下物を摂
取し続けたとの前提で行われたものであるから,東京地裁判決は,同研究
報告の内容を全く理解しないでされたものというほかない。
ウ仙台地裁判決は,放射化された物質による内部被曝まで重視しているよ
うであるが,前記第3のとおり,放射化した物質は微量であったから,そ
のうちごくごく一部の塵や灰を体内に摂取したところで,その影響は無視
し得る程度にすぎない。
具体的に述べると,前記2のとおり,現在は,線量換算係数を用いて,
摂取した放射性核種の量から内部被曝線量を特定することができ,この手
法は世界的に確立している。そして,例えば広島の土壌中に含まれる元素
の割合及びその元素が放射化した場合の放射線量は判明しているから,一
定の内部被曝を引き起こすために必要な土壌量は計算により明らかにする
ことができる。これによれば,急性症状を発症する最低1の被曝をもGy
たらすためには,広島の爆心地の土壌約23.9を体内に摂取する必要kg
がある。逆に,広島の土壌1もの量を摂取したという現実的にはあり得kg
ない想定をした場合でも,その被曝線量は,約0.04にすぎない。Gy
以上のように,被爆者が大量の放射化された物質を体内に取り込むこと
自体があり得ない以上,原告らのようにこれを大量に体内に摂取したと決
め込んだ上で,地上の放射化された物質の体内摂取を考慮していないなど
と批判し,内部被曝線量が過小評価になっている疑いを指摘するのは,前
提を欠くもので失当である。
(2)未分裂のプルトニウムによる内部被曝の影響を指摘した判断の誤り
東京地裁判決は,「プルトニウムの農作物への移行因子がセシウムの10
0分の1ないし200分の1」であったとする岡島博士らの研究について,
「摂水,経鼻,経皮等,食物以外からの摂取方法を考慮したものではな」
く,極微量で健康影響を考えるに至らない旨の被告の主張もにわかに採用で
きない旨判示する。
しかし,プルトニウム239が空気中にふらふらと長時間漂っていること
を前提に経鼻や経皮摂取を重視すること自体,常識はずれである。この点を
おいても,上記岡島らの研究によれば,長崎において,未分裂のプルトニウ
ムが農作物に取り込まれた割合は,セシウムの100分の1ないし200分
の1と非常に微量である。前記1のとおり,セシウム137の体内摂取によ
っても内部被曝の影響は無視できる程度にすぎないのであるから,仮に経
鼻,経皮といった極めて特異な態様による摂取を念頭においても,極めて少
量のプルトニウムの摂取は,何ら健康影響を及ぼす程度に至らないことは明
らかである。そして,上記第2の4のとおり,広島においても,未分裂ウラ
ン235の人体影響が無視し得ることは,実証的に明らかになっている。
そうであれば,もはや未分裂のプルトニウム239やウラン235の内部
被曝を重視すべき根拠はなくなったといって過言ではない。
(3)細胞レベルでの放射線の影響があるからといって,申請疾病の放射線
起因性を認める根拠とはなり得ないこと
東京地裁判決は,内部被曝について,「外部被曝と比べ,至近距離からの
被曝となり,人体への影響が大きいことを理論的に否定し去ることはできな
い。」と判示し,細胞レベルでの放射線の影響を問題にするようである。原
告らも,同様の一般論を指摘している。
しかし,こうした議論は,細胞が数百万から数千万個にも上る1個の臓器
や器官の疾病を問題とする本件において,全く当てはまらない。すなわち,
内部被曝の場合,線源となる微粒子が体内に入り,その周囲の細胞が集中的
に被曝すると,細胞レベルで考えれば,それらの細胞だけが細胞死を来すこ
とになるが,1個の臓器や器官の組織を構成する細胞数は数百万から数千万
個に上り,死んだ細胞の割合が少ないと,生存した細胞で代償されて臓器や
器官の機能の低下が起こらない。そもそも,外部被曝であろうと内部被曝で
あろうと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人体影響
に差異はないのである。問題は,要するに被曝線量の多寡であり,内部被曝
であることのみから危険性が高まるというものではない。そして,本件で
は,呼吸や食物摂取等により体内に取り込まれる放射性核種の量が,外部被
曝の線源となる放射性核種に比べれば,なきに等しいわずかなものであるこ
とは自明であるから,至近距離からの被曝を考慮したところで,内部被曝に
よる健康影響が外部被曝によるそれを上回る事態はほとんど考えられない。
第5原因確率を用いた放射線起因性判断の合理性
1はじめに
がんと放射線との関係を見てみると,がんは,被曝線量が増えるとともに発
生率が増加する確率的影響に係る疾病であることが分かっている。被曝線量と
がんの発症率との間には線量反応関係が見られるのが一般的であり,がんの発
症リスクは,被曝線量が多ければ多いほど高まり,ほとんど被曝していなけれ
ば,がんを発症するリスクもほとんどない。このことは,今日において異論の
ないところである。
そこで,このようながんと放射線との関係を利用して,当該がんが放射線に
起因したものか否かを合理的に判断することができる。それは,被爆者の被曝
線量を客観的に評価した上,疫学的知見を最大限に活用し,原爆の放射線が当
該がんを発症させた可能性を確率的に推定することである。これが原因確率を
利用した認定手法であり,このような判断手法は,がんの放射線起因性を合理
的に判断することができる唯一,最善の方法というべきである。
このような判断手法は,本来,放射線起因性について立証責任を負うべき申
請者(原告)にできる限り有利に放射線起因性を認めることとしているのもの
であり,原告らに不合理などと非難されるいわれは全くない。
2放影研における疫学調査
旧審査方針が用いる原因確率は,放影研における疫学調査に基づくものであ
る。この被爆者に対する疫学調査は,ABCC(原爆傷害調査委員会)によっ
て始められ,その後放影研による調査に引き継がれて現在に至っている。
ABCCは,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られ
た資料を用いて,疫学調査の固定集団の対象者となり得る人々の包括的な名簿
を作成した。この国勢調査により28万4000人の日本人被爆者が確認さ
れ,この中の約20万人が昭和25年当時,広島・長崎のいずれかに居住して
いることが確認された。1950年代後半以降,ABCCないし放影研で実施
された被爆者調査は,すべて,上記昭和25年当時,広島・長崎のいずれかに
居住していた約20万人を「基本群」とし,この「基本群」から選ばれた副次
集団について行われてきた。死亡率調査においては,厚生労働省,法務省の公
式許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報の入手が行われてい
る。また,がんの罹患率については,地域の腫瘍・組織登録からの情報(ただ
し,広島,長崎に限る。)によって調査が行われている。
(1)寿命調査
ABCCが実施した寿命調査(LSS)は,当初,「基本群」に含まれる
被爆者の中で,本籍が広島又は長崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに
在住し,効果的な追跡調査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆
者の中から抽出された寿命調査集団を対象とするものである。
当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年代後
半に拡大され,本籍地に関係なく,爆心地から2500m以内において被爆
した「基本群」全員とした。次いで,昭和55年に更に拡大され,「基本
群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から1万
m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人
の合計12万0321人の集団となっている。
これを引き継いで放影研が行っている寿命調査は,約12万人を対象とし
て,昭和25年以降の死亡率等につき調査研究を行っているもので,その規
模及び期間等から,世界的にも類例を見ない疫学的研究といわれている。
(2)成人健康調査
この調査は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率とその他の健康
情報を収集することを目的として設定された健康調査集団を対象として行わ
れた。成人健康調査によって,集団全員のすべての疾病を診断し,がんやそ
の他の疾病の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率やが
んの発生率に関する追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を
入手している。
昭和33年の集団設定当時,成人健康調査集団は,当初の寿命調査集団か
ら抽出された1万9961人から構成されており,爆心地から2000m以
内で被爆し「急性症状」を示したとされる4993人を中心グループとし,
都市・年齢・性を中心グループと一致させた3つのグループを形成してい
た。
昭和52年には,高線量被曝者の減少を懸念して,新たに3つのグループ
を加え成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人の集団となった。
3原因確率作成の基礎とされた放影研の疫学調査
(1)旧審査方針において用いられている原因確率が基礎としているのは,
児玉和紀を主任研究者とする「放射線の人体への健康影響評価に関する研
究」であるが,この研究は,放影研の「原爆被爆者の死亡率調査第12
報,第1部癌:1950−1990年」(以下「死亡率調査第12報・
癌」という。),「原爆被爆者における癌発生率。第2部充実性腫瘍,1
958−1987年」(以下「癌発生率・充実性腫瘍」という。)という調
査結果を使用している。これらの調査結果では,さらにその中から線量推定
値の明らかでない者などを除いた8万6572人(死亡率調査第12報・
癌)ないし7万9972人(癌発生率・充実性腫瘍)を調査対象集団(コホ
ート)として選択している。
(2)このような疫学調査は,何らかの共通特性を持った集団(コホート)
を追跡し,その集団からどのような頻度で疾病,死亡が発生するかを観察
し,要因と疾病等との関連を明らかにしようとするコホート研究と呼ばれる
ものである。コホート研究も,解析方法の違いによって,要因への曝露に伴
う健康影響を外部集団と比較する外部比較法と,コホート内部での曝露要因
量(線量)と健康影響(反応)との関連を見る内部比較法とに分けられる。
外部比較法の例として,一般に情報の入手しやすい全国の性,年齢別死亡
(罹患)率を外部集団の情報として用いる場合を挙げることができる。この
場合,曝露があると考えられるコホートの死亡(罹患)が,国民全体の死亡
(罹患)と比べどのような関係にあるのか評価しようとするものである。外
部比較法を採用する際に重要なことは,コホートと比較するため対照群とし
て用いる外部集団は,調査対象とする要因以外の要因について,コホートと
できるだけ質的に同一であること,すなわち調査対象とする要因以外の要因
(条件)はできるだけ異ならないことが望ましいという点であり,この点に
外部比較法を行う上での困難な問題がある。
これに対し,内部比較法は,コホートを曝露の程度に応じて群分けを行
い,曝露の程度が高い群における死亡(罹患)が,少量曝露群における死亡
(罹患)に比べどう相違するのかを観察する方法であり,比較的同質の対照
群を取りやすいため,相対危険(相対リスク)について,より正確な値を算
出することができるとされている。
(3)放影研における調査・研究では,「寿命調査第10報第一部広島
・長崎の原爆被爆者における癌死亡,1950‐82年」(以下「寿命調査
第10報」という。)から,ポアソン回帰分析と呼ばれる方法を用いた内部
比較法によるリスク推定が行われており,原因確率作成の基礎とされた放影
研の上記疫学調査もこの方法が採られている。回帰分析とは,予測しようと
する変数である目的変数(この場合は特定疾病の死亡(罹患)率)と目的変
数に影響を与える変数である独立変数(この場合は被曝線量)との関係式
(回帰式ともいう。)を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大
きさを評価することである。その関係式として,直線,二次曲線,確率分布
等を推測して当てはめることにより様々な回帰分析が行われる。この方法に
よれば,本来はコホートに含まれない非曝露群との相対リスクを得ることも
可能となる。
4リスク評価
(1)疫学的な因果関係が認められた場合,次に,その因果関係の強さは
どの程度のものかを検討する必要がある。疫学的調査・検討においては,
「リスク」という用語ないし概念が用いられる。「リスク」とは,「ある
事件が発生するであろう確率(蓋然性)」と概念され,疫学上では,例え
ば,ある個人が一定の期間や一定の年齢で罹患あるいは死亡する確率(蓋
然性)を指すが,一般には,望ましくない結果を引き起こす確率(蓋然
性)を表す様々な指標を包含する用語と説明されている。
非感染性慢性疾病においては,要因Xが原因となる疾病Dのリスクを評価
する場合,疾病Dの患者を診察してみても,これが要因Xによって発症した
ものか否かを知ることは一般に困難である。例えば,放射線被曝を要因とす
るがんと,それ以外の要因による自然発生的ながんとの区別はできない。
そこで,要因Xによる疾病Dのリスクを評価するには,要因Xに曝露され
た群(曝露群)と曝露されていない群(対照群)との比較,あるいは回帰分
析を用いて要因曝露に応じた用量−反応関係(放射線が要因曝露の場合に
は,線量−反応関係)を見ること等が必要となる。
(2)ある集団において,要因Xの及ぼす健康障害のリスク評価を行う場
合,まず要因Xがどのような健康障害を引き起こすかを知る必要がある。要
因Xが引き起こす健康障害のうち,疾病Dに関して要因Xの曝露量と疾病D
の発生状況(用量−反応関係),要因Xの曝露から疾病Dの発生までの時間
(潜伏期),疾病Dの発生状況に影響を及ぼす要因X以外の要因(修飾因
子)等についての知見が必要となる。
リスク評価において,用量−反応関係の知見は極めて重要である。リスク
評価のためには,当該疾病による死亡率や罹患率が曝露の程度によってどの
ように変化するのかを観察することになる。
(3)被曝と死亡率との関係で説明すると,リスクには,被曝群の死亡率と
対照群のそれとの比を表す「相対リスク」,調査対象となるリスク因子によ
って増加した割合を示す「過剰相対リスク」(相対リスクから1を引いたも
の)がある。また,「寄与リスク」とは,被曝群に現れた死亡(疾病)のう
ち曝露に起因するものの割合を示すものであり,過剰相対リスクを相対リス
クで除することによって求めることができる(相対リスクが2であれば,寄
与リスクは,50%ということになる。)。
5確率的影響に係る疾病に関する放射線起因性判断の合理性
(1)放影研が長年にわたり被爆者を対象にして行った,世界でも類例が
ないほどに大規模かつ高度に専門的な疫学調査の結果,がんの発症リスク
は,被曝線量,被爆時の年齢,発症部位(臓器),性別によって変化する
ことが明らかとなっている。そこで,旧審査方針では,こうした疫学的知
見を申請者の利益のために最大限活用することとし,当該原因(原爆放射
線)によって誘発された疾病発生の割合というべき原因確率を,発症部位
(臓器)ごとに,被曝線量,被爆時の年齢,性別に応じて策定し(旧審査
方針別表1∼8),これを目安として放射線起因性の判断をすることとし
ている。すなわち,疫学の分野におけるリスク推定値としての寄与リスク
は,本来,将来の死亡(疾病)の発生確率を予測するものであるが,旧審
査方針では,これを,現在生じている死亡(疾病)という結果を引き起こ
した原因の占める割合を図る目安としたものであり,これが原因確率であ
る(寄与リスクと原因確率の数学的な定義は一致している。)。
被爆後数十年が経過して発症したがんといった申請疾病に放射線起因性が
あるか否かを判断することは極めて困難であるというべきであるが,旧審査
方針では,疫学的知見を最大限に活用し,本来,放射線起因性について立証
責任を負うべき申請者にできる限り有利に放射線起因性を認めることとして
いるのである。
(2)以上の点を更にふえんすると,寄与リスク(曝露者の疾病のうち曝
露と関連するものの割合)とは,将来の疾病の発生確率を予測するリスク
推定値であり,本来,将来の疾病や死亡の発生確率を予測するものであ
る。
一方,援護法は,当該個人に現在生じている疾病の放射線起因性を原爆症
認定の要件としており,当該個人に現在生じている疾病の原因を探求するこ
とが求められている。その立証責任は,原告側にあり,原告は,自らの申請
疾病が放射線に起因するものであることを高度の蓋然性をもって立証しなけ
ればならない。しかし,そのような立証は現実には困難であるところ,精度
の高い疫学調査の結果得られた寄与リスク(個人に生じた疾病の原因を探求
する場合には原因確率という。)を用いることによって,合理的に推定でき
るのである。例えば,寄与リスクが70%もあるような場合には,同様の疾
病を持つ申請者が10人いれば7人の原因は,当該要因に基づくものである
可能性があるから,当該個人に現在生じている疾病の原因も当該要因による
ものであると高度の蓋然性をもって推認することができる。このような判断
手法は,個々のがんの発症原因を個別に特定することが極めて困難という問
題を合理的に解決しようとするものである。ところが,寄与リスクが例えば
5%しかない場合には,同様の疾病を持つ申請者が20人いても,当該要因
に基づく者は確率的には1人しかいないから,当該申請者がその1人か否か
は全く不明であり,このような場合に当該申請者の疾病が原爆の放射線に起
因すると高度の蓋然性をもっていうことはできないのである。
(3)このような原因確率の考え方は,原爆症認定のために新たに考え出
された概念ではなく,国際的にも,例えば,米国公衆衛生院国立がん研究
所においても,被曝補償を行うためのリスク評価法として使用されてお
り,英国においても同様である。国際原子力機関の公式文書である「職業
被曝による発がん率の評価方法」においても,「原因確率の算出は個人に
おいて特定のがんが放射線によって誘発された確率を系統的に定量化する
最良の方法である。それは理想的ではないが,現在利用できる唯一の実用
的な方法である。」とされている。
(4)旧審査方針では,推定した被曝線量を前提とし,このような原因確
率という確率論を用いて,一定程度以上,当該疾病が放射線に起因した可
能性があると認められるものについては,できる限り,申請者に有利に放
射線起因性を認めることとしている。すなわち,求められた原因確率がお
おむね50%を超える場合は,当該申請疾患について,一応,原爆放射線
による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因確率がおおむね10
%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした上
で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地
から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案
した上で判断を行うものとしている(旧審査方針第1の1)。
原因確率が50%を超えているということは,原爆の放射線が当該申請
疾病の発症に寄与した可能性が50%を超えているということであるた
め,それだけで放射線起因性を認めることとし,原因確率が50%を下回
った場合でも,すなわち,原爆の放射線が寄与した可能性が50%を下回
る場合でも,当該申請者の既往歴や,環境因子,生活歴等を総合的に勘案
した上で,できる限り,放射線起因性を認めるようにしている。原因確率
の手法は,上記のとおり,米国及び英国を代表とする先進諸国において
も,労働者被曝に対する補償制度等の中で採用されているが,原因確率が
50%を下回っても,それ以上の者と同額の給付金の支給をするのは,我
が国の原爆症認定制度以外にはない。
しかし,そのような我が国においても,原因確率が10%を下回る場合
には,原爆の放射線が当該申請疾病の発症に寄与した可能性が10%にも
満たないということであり,逆にいえば,原爆の放射線以外の要因で発症
した疾病である可能性が90%を超えているということであって,通常
は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとはいえないと判断されて
やむを得ないものである。旧審査方針では,それでも機械的に適用して判
断することがないように戒めているものの,原因確率が10%を下回ると
いう事実自体は,最も重視されなければならず,旧審査方針が,「おおむ
ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。」とい
うのは,このことをいうものである。
(5)以上のとおり,旧審査方針では,訴訟上放射線起因性について立証
責任を負うべき原告(申請者)の便宜を図るとともに,客観的かつ公正な
原爆症認定を行うために,がんなどのような確率的影響に係る疾病につい
ては,放影研が広島及び長崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を
用いて算出したリスク推定値を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然
性があると考えられる原因確率を算定し,これを目安として,放射線起因
性の判断をすることとしている。放影研が行った疫学調査は,世界的にみ
ても例がないほどに大規模であり,疫学的にも極めて精度の高い調査であ
って,このような調査に基づいて算定された原因確率による判断方法に不
合理な点はなく,これに勝る科学的な知見は存在しない。
6原告らの主張に対する反論
(1)原告らは,放影研の調査が,昭和25年以降のものであり,昭和20
年からの5年間に相当数の被爆者が死亡したため,結果的に,放射線による
影響を受けにくい被爆者が選択された結果,被曝によるリスクが低く算定さ
れてしまっている可能性があり,もし,この間に死亡した被爆者も含めて放
射線影響が考慮されれば,放射線の後影響評価が全く異なったものになる可
能性が極めて高いものであり,そのことを十分に認識する必要があると主張
する。
しかし,放影研が行った疫学調査に基づいて算出された寄与リスクに基づ
いて,将来,何らかの理由で被曝した者のがんの発症するリスクを検討する
場合には,放射線による影響を受けにくい被爆者が選択された結果が問題と
なる可能性も否定できないものの(ただし,それも,一つの可能性を指摘す
るものにすぎない。),ここでは,そのように選択された被爆者が発症した
がんの原因が原爆の放射線によるものか否かが問題となっているのであるか
ら,上記の点は,およそ問題とはなり得ないのである。
(2)原告らは,宝くじを1枚買って1等が当たっても100枚買って1
等が当たっても1等には変わらず,ただ,100枚買った場合の方が1枚
買った人よりも当たる確率が大きいということである。この1等がガンな
どの確率的影響の発症の有無であり,くじの枚数が被曝線量であると主張
する。
しかし,この宝くじの例は,宝くじで1等に当たる要因は宝くじを買う以
外にあり得えないケースであり,誰が当選したか判明しているとの前提での
議論である。がんと原爆の放射線との関係を見てみると,原告らは原爆放射
線以外に発がんリスクを複数持っているし,原爆の放射線を浴びてもこれが
必ずがんの発症に寄与するというものではない。また,当該原告のがんが放
射線によるものか全く分からないのであり,このような場合にどのようにし
て放射線起因性の有無を合理的に判断できるのかを議論しているのであるか
ら,原告らの上記主張は,およそ失当である。原告らは,ほんの少しでも原
爆の放射線を浴びた者が将来がんになれば,その発症に必ず当該原爆の放射
線が寄与しているという考え方を所与の前提とするものであるが,前記第4
の6(3)のとおり,がんの発症のメカニズムは複雑であり,そのような前
提自体,失当である。そもそも,被爆者を含め,人は常に自然放射線の被曝
をしており,また,医療被曝もある。原告らの前提に従えば,人は自然放射
線の影響によって,必ず全員ががんを発症するということにもなりかねない
が,そのようなことはないのである。
(3)原告らは,東京地方裁判所における児玉証人の証言を引用し,「児玉
氏が,原因確率が1%でもあれば,起因性が認められるべきだととれる証言
をし」と主張する。しかし,児玉証人は,がんが放射線による健康影響のう
ち,被曝した放射線量が多いほど影響の出現する確率が高まる確率的影響に
係る疾病であるという当然のことを述べたものにすぎず,「ほんのわずかで
も被曝をすれば,それに基づいて,がんが余分に起こってくる可能性」があ
るとしても,当該申請者のがんが放射線に起因するものであると限らないの
である。
(4)原告らは,被爆者については,がんについても非がん疾患について
も,放射線が他の要因と共に発症を促進しており,特段の事情が認められ
ない限り,放射線はすべての被爆者の発症に促進的に作用していると考え
るべき現実的な可能性があり,促進的発症がある場合には,寄与リスクは
放射線が作用して発症した人数(割合)を表すことはできず,どんなに寄
与リスクの値が小さくても全員の発症を促進していれば,原因確率は10
0%になると主張する。
しかし,そもそも,放射線によってがんの発生時期が促進されたという事
実は観察されていないのである。そうである以上,原因確率の前提となって
いる寄与リスクが疾病発生の時期まで考慮していないことはおよそ問題には
なり得ない。問題は,被爆者ががん年齢に達した際に被爆者以外の者と比較
してより多くのがん発症がみられるか,見られるとしてその割合はどの程度
であるかであって,この点は,原因確率によって正しく評価されることは,
児玉証人も認めるところである。原告らの上記主張は,およそ問題となり得
ない仮定を想定して,原因確率の問題点を指摘するにすぎず,失当である。
(5)原告らは,原因確率をめぐる議論を紹介し,これを使うべきではな
い旨をるる主張するが,だからといって,原爆の放射線にほとんど被曝し
ていない原告のがんについてまで放射線起因性を認めるべきということに
はならない。
第6遠距離・入市被爆者に「急性症状」が生じたなどと認定し,「急性症状」の
有無を根拠として,放射線起因性を認めることはできないこと
1はじめに
(1)前記第1ないし第4からも明らかなとおり,様々な実測値や計算値
は,いずれも原告らのような遠距離・入市被爆者が有意な被曝をしたとは到
底いい難いことを客観的に明らかにしている。そこで,原告らは,60年も
前の記憶に基づいて被爆後,脱毛や下痢といった身体症状や,倦怠感といっ
た体調変化があったことを訴え,これだけで被爆後数十年が経過して発症し
た様々な申請疾病の放射線起因性を認めるように求めている。遠距離・入市
被爆者にもごく一部ではあるが,被爆後に下痢や脱毛等の身体症状を訴えた
者がいたことを明らかにしたアンケート調査があることから,原告らは,こ
れを放射線被曝による急性症状であるといい,自らの身体症状もこれと同様
であるというのである。
(2)しかし,これらのアンケート調査は,被曝による急性症状を的確に把
握したものではない。例えば,これらのアンケート調査において遠距離被爆
者にみられたとされる脱毛のようなものは,放射線被曝による脱毛の症状と
は相いれないものであり,放射線被曝による脱毛ではない。遠距離・入市被
爆者の大半に被曝による急性症状の特徴を備えた下痢や脱毛等の症状が一様
に見られたというのであればともかく,そうではなく,被曝による急性症状
の特徴を備えているか否か全く不明な下痢や脱毛等の身体症状をごく一部の
遠距離・入市被爆者が訴えているにすぎないのである。このようなアンケー
ト調査も,これらが原爆の放射線によるものであると認めているわけではな
く,爆心地から2以遠において観察された脱毛が放射線の影響か否かはkm
判断できないとする論文も新たに発表されている。爆心地から1強の近km
距離被爆者の中に放射線被曝による脱毛や下痢といった急性症状に苦しんだ
者がいたことは事実であり,また,遠距離・入市被爆者といえども未曾有の
過酷な体験をしたことは,被告らも認めるものであるが,このような遠距離
・入市被爆者が,被爆後のアンケート調査において,下痢や脱毛の症状がな
かったのかと問われれば,自らの自然脱毛や円形脱毛症,ストレスや感染症
による下痢,発熱,嘔吐等を,原爆の放射線によるものではないかと考えて
申告することがあったとしても何ら不自然ではない(アンケート調査特有の
バイアスの問題である。)。
(3)原告らが訴えている被爆後の身体症状等を見ても,放射線被曝による
急性症状の特徴を全く備えていない。仮にこれが被曝による急性症状である
というのであれば,当然生じていたはずの他の症状が見られないのであり,
こうした身体症状等があることだけを根拠として,原告らが有意な被曝をし
たなどという認定をすることはできない。
(4)下痢や脱毛等の症状は,様々な原因があり得るから,仮にそのような
身体症状が見られたとしても,その存在だけで,急性症状を発症させるに足
りる程度の高線量の被曝をしたと認めることはできない。様々な原因があり
得る結果から特定の原因を認めることはできない。被曝による急性症状も,
放射線に被曝して生じるものである以上,申請疾病の放射線起因性の判断と
同様,まずは放射線にどの程度被曝したか,その被曝線量を特定しなけれ
ば,被爆者に生じた下痢や脱毛といった体調変化を被曝による急性症状だと
認定することはできないはずである。にもかかわらず,原爆放射線以外に多
々存在する発症原因を看過し,体調変化等を被曝による急性症状と安易に認
定した上で,多量の原爆放射線に被曝した事実を推認するような逆さまの認
定は許されない。
また,下痢や脱毛といった症状の存否によって申請疾病の放射線起因性を
判断することになれば,被爆者の約60年前の事実に関する不確かな記憶に
頼らざるを得ない。具体的な被曝線量の裏付けもないまま,身体症状等を不
確かな記憶のみに基づいて安易に被曝による急性症状だと認定して多量の被
曝事実を推認し,ひいては申請疾病の放射線起因性まで肯定することは,公
平,公正であるべき原爆症認定制度の趣旨を没却しかねない。
(5)遠距離・入市被爆者に生じたとされる身体症状・体調変化を根拠とし
て申請疾病の放射線起因性を判断することはできない。原告らは,世界中の
放射線防護学者が当然のことと認める常識に反した内容を前提とした主張を
する。
2放射線被曝による急性症状には,その発症経過,発症内容に明確な特徴があ
ること
(1)被曝による急性症状の特徴
様々な被曝事例から,被曝による急性症状には,しきい線量を始めとし,
発症時期,程度,継続期間にはっきりした特徴があることが医学的に明らか
にされ,現在では国際的にも確立した知見となっている。原告らのような遠
距離・入市被爆者が訴えている身体症状が放射線被曝によるものであるとい
うのであれば,当然,このような特徴を備えていなければならない。被曝に
よる急性症状の特徴をまとめると,以下のとおりである。
ア前駆症状と潜伏期
最低1以上被曝すると,数時間以内に,前駆症状として,食欲低Gy
下,嘔吐,発熱(発熱は2以上の被曝)といった症状が出現する。被Gy
曝線量が高くなれば症状出現までの時間が早くなることはあっても遅くな
ることはない。前駆期を過ぎると,一時的に前駆期に見られた症状が消
え,無症状な時期に入る。潜伏期の長さは線量に依存し,線量が高くなれ
ば短くなることはあっても長くなることはない。
潜伏期後には,多彩な主症状が出現する。以下では主症状の主なものを
挙げる。
イ出血傾向(血液・骨髄障害)
被曝による急性症状としての出血傾向(歯茎からの出血,紫斑を含む)
は,2∼3程度以上被曝した場合に骨髄が障害され,血小板が一時的Gy
に減少することによって生じる症状である。一般に,血小板数は,被曝直
後には変化が生じず,回復可能な障害の場合,被曝後10日過ぎころから
低減し,30日前後で最も低下するが,間もなく回復する。したがって,
皮下出血(紫斑)の出現も,被曝後3週間程度経過したころから出現し,
血小板数の回復に沿って消失するものであり,前駆期や潜伏期に相当する
時期に発症することもなければ,出血傾向が長期間継続することは考えら
れない。
ウ脱毛(皮膚障害)
被曝による急性症状としての脱毛は,3程度以上被曝した場合に毛Gy
母細胞が放射線により障害されて生じる症状であり,被曝後,少なくとも
8∼10日後から出現し,ほとんどの毛髪が抜けるまで2,3週間続き,
見た目にはほぼすべての毛髪がバサーっと脱落したように見える。原爆に
よる3程度以上の全身被曝をした場合,頭髪の一部だけが抜けたり,Gy
少量ずつ抜けることはない。3程度の被曝であれば,8∼12週間後Gy
には発毛が見られるが,7被曝すると永久脱毛となる。いずれにしGy
ろ,急性症状としての脱毛が1年,2年あるいは10数年と継続してその
後発毛するということはない。また,頭部の毛根に集積する放射性物質な
どないから,内部被曝によって脱毛が生ずることはない。
エ下痢
被曝による急性症状としての下痢は,まずは,5程度(4∼6)GyGy
被曝した場合に,前駆症状の一つとして,遅くとも被曝の3∼8時間後に
現れる。さらに,8程度以上の被曝をした場合には,潜伏期を経て,Gy
腸管細胞が障害されることによって生じる,消化管障害の症状としての下
痢が現れる。この場合,大量の消化管出血が見られるが,これは,腸管細
胞が死滅し,再生不能となることに起因するもので,予後は非常に悪い
(8以上の被曝の場合,致死率はほぼ100%といわれている)。Gy
オ被曝による急性症状としての特徴は確立した知見であること
以上のような被曝による急性症状の発症過程は,これまでの多くの被曝
事例から明らかになったものであり,国際原子力機関や国際放射線防護委
員会も承認した確立した知見である。
カ原告らの主張の誤り
(ア)a原告らは,急性症状が現れる被曝線量は最低でも1以上,下Gy
痢は腹部に5程度以上であるとの被告の主張は,原爆被爆ではなGy
く原発事故等にデータに基づいた知見であり,本件で妥当する根拠は
明確ではないなどと主張し,被曝による急性症状にしきい線量がある
ことについて疑問を呈しているようである。
bしかし,被曝による急性症状にしきい線量がないというのであれ
ば,こうした症状から具体的にどの程度の被曝をしたというのか推認
することはできず,また,急性症状自体は,がんやそれ以外の申請疾
病の原因となるものでないことはいうまでもないから,結局,「急性
症状」の存在は,申請疾病であるがんの放射線起因性を判断できる指
標にはなり得ない。原告らは,一方で,原告には,放射線被曝に典型
的な急性症状が現れており,しきい値を超える量の放射線を原告が浴
びたことを裏付けると主張しているが,こうした原告らの主張は矛盾
に陥っている。
cこの点をおいても,被曝による急性症状は,確定的影響,すなわ
ち,放射線によって組織・臓器を構成する細胞のうち,数十%以上の
細胞が死滅した結果,発症した器質的機能障害に属するものであるか
ら,一定程度のしきい線量があることは当然のことである。そして,
このようなしきい線量は,放射線防護の見地から,放射線に最も感受
性のある者,すなわち,被曝した集団の1∼5%の人々に異常が認め
られる最低限の線量である。これは,X線が発見されてから以後,約
100年にわたる研究の積み重ねと多くの被曝事例によって確立した
ものであり,医療現場における放射線利用や被曝事故への対応等,放
射線を扱うすべての領域において基準として用いられている。要する
に,世界の放射線防護学や放射線医学もこの知見を前提としているの
であって,疑う余地のないものである。
dそして,原告らは,乙162号証,同164号証について,「医療
被曝を前提としたもので,原爆放射線被曝の状況を念頭においたもの
ではなく,被爆者にみられた脱毛は原爆放射線以外の原因からは十分
な説明がつくものではない」,「原爆被曝ではなく原爆事故等にデー
タに基づいた知見であり,本件で妥当する根拠は明確でない」などと
主張する。しかし,原爆であろうとなかろうと,放射線であることに
変わりはないから,原爆の放射線に起因する急性症状のみに特別の発
症過程があるわけではない。原爆の場合には,熱線や爆風によって被
爆者が過酷な身体状態に置かれていたことは事実であるが,例えば,
熱線によって,脱毛が生ずることがあるとすれば,それは,やけどの
ように一瞬にして起きるものである。しかし,放射線被曝による脱毛
は,前記ウのとおり,被曝後8∼10日後から出現するものであっ
て,発症のメカニズムが全く異なるのであるから,両者の複合的な影
響を考えること自体失当であり,熱線の影響を受けていたから,脱毛
のしきい値が下がるなどということもない。
医療の現場においても,がん患者に対する放射線治療等において相
当線量の放射線の照射がされるところ,こうした場合における放射線
の照射は体力が相当程度弱った悪条件下でなされることもあるが,し
きい線量の値は,このような体力が消耗した人も含めて想定された線
量である。悪条件下にあるからといって,一般と異なったしきい値で
被曝による急性症状が生じるなどという医学的な経験則は全くない。
多少の個人差や悪条件があるとしても,しきい線量を大きく下回るよ
うな放射線被曝で急性症状を発症するようなことはあり得ず,例え
ば,1や2程度の被曝をしても,被曝による急性症状としてのGyGy
脱毛が生ずることはない。
原爆の初期放射線は,原発事故の場合において,短時間に高エネル
ギーの放射線照射が生じた場合と何ら異なるところはないし,原爆の
残留放射能について見ても,チェルノブイリ原発事故においても,前
記第4の5のとおり,周辺住民は,持続的に短・長半減期の放射性同
位元素の被曝を受けているのである。複雑な内部被曝にさらされたと
しても,頭部の毛根に集積する放射性物質などないから,内部被曝に
よって脱毛が生ずることはない。
原告らの上記主張は,全く根拠のない空想でしかなく,およそ失当
である。さらに,原告らは,急性症状はあくまでも「被曝の事実及び
その影響」の徴表であって,被曝線量の徴表として理解されるべきで
ないことに留意されるべきであると主張するが,下痢や脱毛の身体症
状を発症したことが被爆後何十年も経過した後に発症した申請疾病の
原因となるものではないから,自らの論理が破綻したことを取り繕う
ためのものでしかない。
(イ)また,丙証人は,急性症状を診察したとして,その体験を詳細に
証言した上,それが入市した人にも見られたなどと証言する。しかし,
丙証人は,被曝による急性症状としての特徴を備えた身体症状を医師と
しての専門的知見について証言しているわけではなく,同証人の証言を
みても,被曝による急性症状としての特徴を備えたものに限定して証言
しているわけではない。そして,同証人が急性症状として述べる症状
は,上記のような放射線被曝による急性症状の特徴と矛盾する点がある
上,入市被爆者についても,放射線以外の要因によるものであるとみる
べきである。
(ウ)さらに,丁氏は,平成11年9月30日に発生した株式会社ジェ
ー・シー・オーウラン加工工場における臨界事故を挙げて,JCOの臨
界事故において,従来の知見からして特異な症状の経過が見られ,原爆
による被曝も,中性子線による被曝であって同様の被曝であるから,従
来の知見に当てはめて考慮すべきでないかのように証言する。しかし,
株式会社ジェー・シー・オーウラン加工工場における臨界事故で被曝し
た3人の作業員は,前記の前駆期,潜伏期,発症期,回復期もしくは死
亡期という典型的な症状経過をたどったのであり,上記の証言には根拠
がない。
(2)被曝による身体症状が長期間に及ぶことはないこと
ア放射線の健康影響の分類には幾つかの方法があるが,被曝後の放射線障
害の発生時期に着目すれば,被曝直後から数週間以内に現れる急性障害
と,被曝後長期間の潜伏期を経て現れる晩発障害に分けることができる。
急性障害は,比較的短い期間に相当量の放射線を,全身又は身体の広い範
囲に被曝した場合に,被曝後遅くとも2∼3か月以内に現れるが,その
後,軽症であれば回復し,重症の場合には死亡してしまうことから,例え
ば,被曝による下痢が長期間にわたって継続することはあり得ない。ま
た,晩発障害は,がんのように,被曝後数年又は数十年が経ってから発症
するものであるが,疾病を発症するまではいわゆる潜伏期間として無症状
の時期であるから,その間に疲れやすいといった症状が現れることもあり
得ない。
イ被爆者の間に被爆後長年にわたって「倦怠感」等の様々な症状が見られ
ることもあるが,これは心因的な症状であって,放射線被曝によるもので
はない。疲れやすい,すなわち「倦怠感」は,症状の内容自体,極めて主
観的であり,不確かなものである。一口に「倦怠感」といっても,疲労,
精神的ストレス,栄養事情や衛生環境に起因する感染症等放射線以外の要
因によっても起こり得るものであり,あるいは,格別の要因がなくても,
誰しもが日常的に感じる種類の症状である。被曝による急性症状との関係
では,被曝後数時間後に発症することのある発熱に起因し得ると考えられ
るが,発熱自体にも様々な要因があり,「倦怠感」をもって,急性症状と
認定したり,相当量の被曝事実を認定することはできない。少なくとも,
長期間にわたる倦怠感のようなものが被曝によるものということはできな
い。原爆以外の大規模災害の被災者でも,被災する前までは風邪一つ引か
ないほどに健康であった者が,被災後に,心因的な症状として,長期間に
わたって倦怠感などの心身の不調を訴えることが実際に報告されている。
(3)不定愁訴や倦怠感は放射線の障害作用とは全く無関係であること
ア丙証人は,ぶらぶら病について「被爆者だけの特有症状」と証言し,甲
証人は「体質的偏奇という形で,放射線を浴びたために体の調子が狂って
くる。特に自律神経系統を中心にして症状が出て,体のだるさ,頭痛いわ
ゆる不定愁訴というのが出てくる」と証言し,被爆者に見られた不定愁訴
が,放射線被曝によるものであるかのようにいう。
しかし,丙証人の述べる症状を見ても,被爆者に特有の症状とはいえ
ず,同人の放射線に関する知見には誤りがあり,採用されるべきでない。
また,甲証人は,「体質的偏奇」の根拠について小沼論文を参照したとい
う趣旨を述べるにすぎず,その発症機序や放射線に起因することの根拠に
ついては証言していない上,PTSDと同じような症状が出るとも証言し
ており,結局,PTSDとの違いを説明できていない。
イそもそも,自らも放射線に被曝したのではなかろうかという不安感が精
神的ストレスを増長させ,その結果,不定愁訴や倦怠感といった症状が見
られたというのであれば,そのようなことも十分に考えられるが,しか
し,だからといって,実際に放射線を浴びたということにはならないのは
当然であり,少なくとも,原告らの申請疾病の放射線起因性を判断する上
では何の意味もない議論である。
原告らは,放射線の器質的な障害作用が不定愁訴や倦怠感といった症状
の発症に寄与したとでもいうようであるが,そのような科学的知見がある
というのであれば,独自の見解であって何ら承認されたものではない。
ウ平成11年9月30日に発生した株式会社ジェー・シー・オーウラン加
工工場における臨界事故の際には,現実の被曝線量を無視した健康影響議
論が蔓延し,過大な健康影響論が一部で流布され,住民の不安が増幅した
ことが指摘されている。スリーマイル島原発事故の際にも,事故後,精神
的なストレスにより,心身症やPTSDなどの不安神経症が増加したとい
われている。さらに,チェルノブイリ事故の際にも,一般住民に対する最
大の人体影響は,スリーマイル島原発事故の場合と同様,精神的影響であ
ったとされているのである。しかし,これを放射線の器質的障害作用が寄
与したものと説明する者はいない。
原子力安全委員会は,ウラン加工工場における臨界事故の経験を踏ま
え,平成14年11月,「原子力災害時におけるメンタルヘルス対策のあ
り方について」と題する報告をまとめており,「災害の発生を契機とし
て,うつ病,PTSD等の精神疾患を発症することなどもある」,「原子
力災害時に特徴的な心理的変化として,放射線による被ばくや放射性物質
による汚染に対する不安や,被ばくや汚染が身体的な健康に影響を及ぼす
不安がある。」などと報告している。
放影研も,「放影研のアンケート調査の結果,被爆者には,洪水,地
震,火山噴火など非常に強い恐怖を伴う体験の後に発生する外傷後ストレ
ス障害といわれる症状がたくさんあったことが分かりました。症状として
は,めまい,意識喪失,頭痛,吐き気のような身体的症状から,恐怖体験
を思い出し混乱する,反応性が低下する,体の一部が動かない,罪悪感を
持つ,気持ちが落ち込むなどが報告されています。」と説明しているが,
こうした心因的な症状が放射線によるものでないことは明らかである。
エ広島・長崎の原爆投下当時においても,放射線に被曝しなかったもの
の,熱線や爆風の影響で負傷し,あるいはこのような健康不安から体調を
崩した者がいたことは容易に推認できるところである。しかし,これを放
射線被曝によるものということはできない。原告らは,被爆前と被爆後の
体調変化を放射線の影響と決めつけているようであるが,未曾有の経験を
した被爆者の中に,体調不良を訴える者が多くいたのは当然のことであ
る。しかし,これを放射線の影響ということはできないのである。
3被曝による急性症状を重視して放射線起因性を判断することは,公正公平で
あるべき原爆症認定の趣旨を没却しかねないこと
(1)様々な被曝事例から,被曝による急性症状には,しきい線量を始めと
し,発症時期,程度,継続期間にはっきりした特徴があることが医学的に明
らかにされ,現在では国際的にも確立した知見となっていること,原爆の放
射線による急性症状といえどもこれと何ら変わるところがないことは,前記
2のとおりである。
しかし,遠距離・入市被爆者にもごく一部ではあるが,被爆後に下痢や脱
毛等の身体症状を訴えた者がいたことを明らかにしたアンケート調査結果
は,回答者が急性症状の特徴を把握しないまま行った回答を基礎としている
ばかりか,回答者の不確かな記憶を基礎としている。回答者の不確かな記憶
に頼らざるを得なかった実態は,特徴のある重度脱毛ですら,調査ごとにそ
の有無についての回答を変えている者が多数いたことを明らかにした長崎大
学の横田賢一らによる研究によっても裏付けられている。
このことからも,被爆者の不確かな記憶を頼りにしたアンケート調査に依
拠して,その結果から遠距離・入市被爆者にも被曝による急性症状が生じた
と認定することが誤りであることは明白である。
(2)更に,原爆投下後も広島又は長崎に居住していた者の中には,被爆か
ら9∼17年後に実施されたABCCによる健康調査を受けた者がいるが,
そのような者の中において,本人が回答した被爆直後の身体症状等の内容
と,被爆後60年以上経過した現在,訴訟の本人尋問で供述するなどして明
らかにした被爆直後の身体症状等の内容とがほとんど一致せず,記憶が不確
かである実態が浮き彫りになっている。
このように,被爆直後の体調変化や身体症状に関する記憶は極めて不確か
であるのが現状であるから(ただし,真に被曝による脱毛や下痢があれば,
生命に危険がある程の被曝であるから,記憶があいまいなどということはそ
もそも考え難い。),放射線起因性の判断に当たり,これらの症状を被曝に
よる急性症状であると決めつけて,その症状の有無だけを重要な事情の一つ
として斟酌することの誤りは明白である(これは,ABCC調査書において
症状があった旨回答している場合でも同様である。ABCC調査書の記載内
容から,被曝による急性症状か否かの判別は極めて困難であり,同調査自体
も被曝による急性症状のみを取り上げたわけではなく,一般的な症状の有無
・程度を調査したもので,当然,急性症状とは無関係な症状を多数含んでい
る。)。
被告らが,当初から,下痢や脱毛といった症状の存否によって申請疾病の
放射線起因性を判断することになれば,被爆者の約60年前の事実に関する
不確かな記憶に頼らざるを得ず,公正公平であるべき原爆症認定の趣旨を没
却することになると強く主張しているゆえんはここにある。
4遠距離・入市被爆者のごく一部に生じたとされる身体症状を被曝による急性
症状と認めることの誤り
(1)はじめに
原告らが論拠とする調査結果は,被爆者を対象としたアンケート調査であ
り,調査時期は,原爆投下間もなくして行われたものから数十年後に行われ
たものなど様々である。これらは,一定の集団における特定の健康障害の頻
度(急性症状の発症率)とその発症要因となり得る特定の曝露要因(被曝線
量)をそれぞれ観察し,両者の関連性を検討したものであって,一応,疫学
調査の一類型と呼び得るものである。こうしたアンケート調査によれば,確
かに,広島・長崎の遠距離・入市被爆者の中にも,ごく一部ではあるが,被
爆後,下痢,脱毛といった身体症状を訴えた者がいたことを報告したものが
あるのは事実である。しかし,これらの調査は,遠距離・入市被爆者に生じ
たとされる身体症状等を被曝による急性症状と認める根拠とはならないとい
うべきである。
(2)疫学調査の結果を検討する場合の留意点
疫学調査といっても,その精度や信頼性の程度には様々なものがあり,こ
れらの調査は,後に放影研が何万人もの被爆者を対象とし,何年にもわたっ
て疾病の発生状況を観察した追跡調査(いわゆるコホート研究)とは全く次
元を異にするものであって,一応の傾向を観察し,曝露要因と健康障害との
間の関連性についての仮説を立てるための手段にすぎないレベルのものであ
る。
このような疫学調査に基づいて曝露要因と健康障害との間の関連性を判断
する場合には,まず,当該疫学調査が,当該曝露要因と健康障害との間の関
連性をみることを目的として正しくデザインされたものでなければならな
い。また,問題とされる曝露要因及び健康障害は,明確に定義され,信頼で
きる測定がされている必要がある。研究対象に選ばれた者と選ばれなかった
者との特徴の相違等,研究の結果に誤差をもたらす偏りがあると,その研究
結果の有効性は損なわれることとなる。疫学調査の結果,当該曝露要因と健
康障害との間に関連性が見受けられても,当該健康障害が当該曝露要因によ
って引き起こされたのか,それとは別の交絡因子(当該曝露要因と疾病につ
いての用量−反応関係に影響を及ぼす第三の要因)によって引き起こされた
のかを見極める必要がある。ある曝露要因とある健康障害との間に関連性が
見いだされても,交絡の結果であれば,当該曝露要因と当該健康障害との間
に真に関連性があるとはいえず,因果関係を肯定することはできない。
また,疫学調査の結果は,恣意的ではない適切な統計的検定によって有意
性が確認されたものでなければならない。有意性が確認されなかった調査
は,疫学的には意味のある調査とはされていない。
疫学調査の結果は,関連の時間性(時間的関係。原因と思われるものが結
果に先行すること),関連の強固性(関連性が強いこと),関連の一致性
(原因と思われるものと結果との関連性が,異なる対象,時期においても普
遍的に観察されること),関連の特異性(原因と結果が1対1に対応するこ
と)及び関連の整合性(実験的研究などによる他の知見とよく整合してい
て,解釈できること)といった要件に適合しているか否かを分析する必要も
あり,以上のような検討を経て,疫学的な因果関係の有無が判断される。
以上のような検討過程を経て行われる疫学的な因果関係の判断に当たって
は,高度に専門的な統計学的,疫学的知見が必要とされる。これに精通しな
いまま,単なるアンケート調査の域にとどまるような調査結果に基づいて因
果関係を肯定したり,当該疫学調査の結果から疫学的に判断し得る以上の結
論を導き出すことは,あまりに非科学的との非難を免れないものである。
(3)アンケート調査は,被曝による急性症状を的確に把握していないこと
ア前記2のとおり,今日では,様々な被曝事故の経験から,放射線被曝に
よる急性症状には,その発症時期,程度,回復時期等に極めて明確な特徴
があることが確定した知見として明らかになっている。
しかし,原告らが論拠とするアンケート調査等の類は,下痢や脱毛等
について明確な定義をせずに調査しているため,回答する側において,
どのような下痢であろうと脱毛であろうと,更にいえばそれが医学的に
見れば脱毛といえないものであろうと,それらの症状を発症した旨回答
することが可能なものである。すなわち,原告らが論拠としたアンケー
ト調査等は,そもそも症状について,医師による直接的な診察・診断を
経たものではなく,回答者による自由な回答を前提にしている。脱毛や
下痢といった症状の受け止め方は様々であるため,医師の診断を経ない
回答は,回答者の主観により大きく左右される。特に原爆の放射線影響
の特徴として脱毛が強調されていた状況下では,医学的に評価すれば自
然脱毛というべきものであっても,これを被曝による脱毛だと不安に感
じ,原爆投下後に脱毛があった旨回答することがあったとしても何ら不
自然ではない。これらアンケート調査等には,回答者への質問に使用し
た「脱毛」,「下痢」といった症状が具体的にどのような内容の症状を
指すのかを明らかにしていないという重大な欠陥がある。
イこれを裏付けるように,長崎大学の横田賢一らは,被爆直後の調査結果
と15年後以降の調査結果との一致の程度を調べることにより急性症状に
関する情報の確かさを検討することを目的とした調査を行ったが,その結
果,特に脱毛(中でも重度脱毛)については,調査ごとにその有無につい
ての回答を変えている者が多数いたことが明らかになった。横田らは,そ
の他にも,爆心地から2以遠において観察された脱毛が放射線の影響km
か否か判断できない旨の論文を発表している。こうした横田らの研究によ
っても,アンケート調査のたぐいが被曝による急性症状を的確に把握して
いたとは到底いい難いことは,明らかである。
ウ疫学調査は,前記(2)のとおり,問題とされる曝露要因及び健康障害
は,明確に定義され,信頼できる測定がされている必要があり,また,研
究対象に選ばれた者と選ばれなかった者との特徴の相違等,研究の結果に
誤差をもたらす偏りがあると,その研究結果の有効性は損なわれることと
なる。ところが,アンケート調査は,被曝による急性症状を的確に把握し
ておらず,結果である健康障害が正しく測定されていないというべきであ
る。このようなあいまいなアンケート調査ではなく,被爆直後の医師によ
る調査の結果によって,脱毛患者の発生地域は,「爆心より半径約1.0
3粁以内の地域なり」と報告されているのである。
東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告は,その根拠となっ
た「第1次調査は広島市及びその附近の特定の地点において附近居住民の
来訪を求めて行なわれたものが多く,したがって被爆後何らかの障碍を自
覚したものが余計に集った傾向があった」と指摘している。これは,この
種の疫学調査にありがちな偏りの存在を指摘するものである。すなわち,
被調査者に対し,原爆被害の調査であることを明らかにし,先入観を与え
た上で,各自の被害状況を調査した場合には,自分の症状も放射線被曝に
よるものではないかと疑い,これを回答することがあり,その結果,対照
群と比較して見かけ上の関連性を示すことがある。偏りの存在の問題は,
上記報告に限らず,その余の報告すべてに当てはまる問題であり,爆心地
に近い者ほど,あるいは屋外で被爆した者ほど,自分の症状も放射線被曝
によるものでないかと疑ってその申告をした結果,爆心地に近い地域ある
いは屋外で被爆した者の発症者数が見かけ上多くなった可能性が極めて高
い。これらの報告は,人類史上初めての体験であった原爆災害の真相をで
きる限り詳細に明らかにすることを目的としていたため,医学の従来の考
え方によれば常識的でない事項についてもあえて排除することなく調査結
果に含めたものとみるべきである。
(4)爆心地からの距離や入市時間によって急性症状の発症率に一定の傾向
が一致して見られるわけではないこと
ア遠距離被爆者に対するアンケート調査
爆心地から1強の近距離被爆者の中に,放射線被曝による急性症状km
を発症した者がいたことは,被告らも当然のこととして認めるものであ
るが,これらのアンケート調査は,爆心地から遠距離の地点を見る限
り,爆心地からの距離が遠くなるに従って発症率が低下するという相関
関係が有意に見られるわけではない。
(ア)日米合同調査団報告書
日米合同調査団報告書は,広島・長崎における被爆後20日後に生
存していた被爆者を対象として脱毛,紫斑といった身体症状の有無を
調査したものであるが,特に,爆心地から2以遠の遠距離被爆者にkm
注目し,被爆距離と被爆者の身体症状との間の相関関係を調査しよう
としたものではない。原爆の威力(被曝線量)が不明であった当時,
その被害の程度を推認するに当たって,放射線被曝によって生じると
されていた脱毛,紫斑,下痢といった症状について,被爆者の被爆地
点を爆心地から500mあるいはそれ以上の距離ごとに区切り,それ
ぞれのグループの症状の発生頻度を観察したものにすぎない。前記
(2)のとおり,疫学調査に基づいて曝露要因と健康障害との間の関
連性を判断する場合には,まず,当該疫学調査が,当該曝露要因と健
康障害との間の関連性をみることを目的として正しくデザインされた
ものでなければならない。そうである以上,これらの調査の実施者の
調査の意図や趣旨を超えて,爆心地から2以遠の遠距離被爆者のみkm
を取り出し,疫学や統計学に基づく適切な分析をしないまま,一定の
結論を出すことは許されない。
その具体的内容を見ても,脱毛を発症しているとされている者は極
めて少人数であり,この調査では,数人単位で比較して割合を算出し
ているにすぎない。また,例えば,ビルディング内の被爆者の調査結
果であるが,脱毛の割合は2.1∼2.5㎞では2.9%,2.6∼
3.0㎞では10.0%であって,爆心地からの距離が遠ざかってい
るのに脱毛が生じたとする者の割合は3倍以上に増加している。
また,広島の爆心地から2.1∼2.5㎞における遮へい状況別の
脱毛頻度を見ると,屋外または日本家屋内の脱毛の頻度が4.8%
で,屋内(ビルディング内)が8.3%となっており,遮へいの有無
と脱毛の出現率との間に関連性があるとはいえない。
紫斑その他の症状を見ても,必ずしも距離に反比例して減少してい
るわけではなく,爆心地から2以遠の遠距離被爆者について,距離km
に応じて急性症状の発症率が低下するという傾向が一致してみられる
わけではない。紫斑といっても,打撲等による皮下出血を紫斑と誤解
した可能性もあるほか,栄養不良状態等が原因となり,皮膚に出血傾
向を来した可能性もあるから,放射線によって骨髄が障害されたこと
によるものなどということはできない。
(イ)東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告
東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告は,昭和20年
10月,11月に広島市において原子爆弾の災害調査をし,その結果
をとりまとめたものである。同報告も,「放射能909傷例中その発
生頻度は
0−0.5粁(22/27)81.48%
0.6−1.0粁(230/300)76.66%
1.1−1.5粁(324/947)34.21%
1.6−2.0粁(207/1474)14.04%
2.1−2.5粁(108/1156)9.34%
2.6−3.0粁(18/502)3.58%
となり中心地区においてその頻度最も高く,1粁より2粁の間におい
て急激に減少し2粁以遠では比較的緩徐な曲線を画き3粁で終る。す
なわち1粁より2粁の間で急激に下る大体正規曲線に近い曲線を画い
ている。」と説明しているのであり,決して,2以遠の発生頻度をkm
みて,「被爆距離との相関性」があることを確認したというものでは
ない。同報告は,「発熱,下痢,食思不振および倦怠感の発現頻度は
やや不規則な曲線を示しており,また1.5粁以遠においては口内炎
症,悪心嘔吐のそれに比してすべて高くやや趣を異にする曲線を描い
ている。この点から諸症状は単に放射能障害に基づくものならず多分
に他疾患の混在を思わしめる。」とも述べているのである。
筧弘毅は,上記調査結果に基づいて「広島市における原子爆弾被爆
者の脱毛に関する統計」と題する報告をしたが,これも,「脱毛出現
最大距離は爆心よりの水平距離2.8粁で,全脱毛者の約90%は2
粁以内にある。」とするものであり,遠距離被爆者について,被爆距
離と脱毛の発症率との間に相関関係があるか否かを調べたものではな
い。筧自身,「脱毛の出現範囲,部位,方向性等に関して,従来の放
射線生物学的な考え方と多少矛盾し,または理解に苦しむような点が
あるが,特に修正を加えないこととした。」と述べている。
(ウ)於保報告
於保医師に係る「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,原爆投下
直後,広島市の爆心地に入った者の急性症状の有無を調査したもので
あるが,対照群として,爆心地に入らなかった被爆者の急性症状の有
無の調査がされている。同報告書表1の「原爆直後中心地に入らなか
つた屋内被爆者の場合」の「脱毛」欄を見ても,被曝距離が1.5㎞
までの発症率が16.7%であったのが,2.0㎞までは2.1%と
激減し,2.5㎞までは逆に5.4%と増加している。表3の「原爆
直後中心地に入らなかつた屋外被爆者の場合」の「脱毛」欄を見て
も,爆心地から2.5㎞までの発症率は10.9%であるのに対し,
3.0㎞までの発症率は12.0%と増加している。
(エ)「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」
原告らは,放影研の「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離と
の関係」を引用し,「2∼3㎞でも3%に,3㎞以遠でも1%に脱毛が
見られている」と指摘し,同報告が遠距離被爆者にも急性症状としての
脱毛があったと断じたかのようにいうが,誤りである。
a同報告は,「原爆後の急性症状として知られる脱毛(特に重度脱
毛)」としているとおり,そもそも軽度,中度の脱毛を急性症状と考
えていないということである。
bその上で,「遠距離に見られる脱毛は殆どすべてが軽度であった
が,2㎞以内では重度の脱毛の割合が高かった。このようなパターン
を総合すると,3㎞以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被曝によ
るストレスや食糧事情など,を反映しているかもしれない。従って特
に低線量領域では,脱毛と放射線との関係について論ずる場合や脱毛
のデータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる場合には注意を要
すると思われる。」と指摘しているのである。
cさらに留意を要するのは,「重度の脱毛の割合が高かった」という
2以内の脱毛であっても,例えば2地点の脱毛発症率は,わずkmkm
か5%前後にすぎず,その中で重度脱毛の割合が高いといっても,絶
対数でいえばごくごくわずかであるから,これを被曝による急性症状
と評価するのは困難であるということである。そして,2を超えkm
れば脱毛の発症率自体,3%前後という極めて低い値で推移し,しか
も,重度脱毛の割合も少ないというのであるから,急性症状としての
脱毛はまずないと考えるのが妥当である。
(オ)横田らによる2つの調査
横田らによる「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研
究」及び「被爆状況別の急性症状に関する研究」は,上記3(1)で述
べたように,これらの研究結果から遠距離における脱毛が放射線被曝に
よるものであると直ちに断することはできないなどとしたものであり,
これらの研究結果から,遠距離に放射線が到達したことが分かるという
ことはできない。
(カ)児玉証人
児玉証人は,「3㎞以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被曝によ
るストレスや食糧事情など,を反映しているのかもしれない」と論じた
前記の論文の執筆者の1人である。
原告らは,東京地方裁判所において児玉証人が同事件原告ら代理人に
よる尋問に答えて,3以遠の遠距離被爆者にも原爆放射線による影km
響が「あったかもしれない」と証言していることを殊更に強調している
が,児玉証人は,「あったというわけには言えない」とも証言している
のであり,児玉証人の証言をもって,遠距離被爆者にも被曝による急性
症状が見られたと認めることはできない。
(キ)「原子爆弾災害調査報告集」における剖検例
a原告らは,「DS86では,ほとんどあるいは全く放射線が到達し
ないとされている2㎞から3㎞での被爆でありながら,放射線被曝特
有の症状を呈して死亡した例が報告され,総て亜急性原子爆弾症のた
めに死亡したものであると結論づけられている。」と主張する。
b原告らがここでいう「原子爆弾災害調査報告集」における剖検例と
は,昭和20年9月に山口県立医学専門学校教授の家森武夫らが長崎
において行った病理解剖に基づく研究報告で紹介されている,爆心地
から3離れた自宅屋内で被爆した11歳女児の剖検例をいうものkm
と思われる。
cしかし,原告らが指摘した広島の爆心地から2.05の距離にkm
おけるγ線の初期放射線の実測値ですら,わずか0.129程度Gy
にすぎないのであり,長崎においてもこれと大差はない。そして,放
射線量は,爆心地からの距離の2乗に反比例して低下するため,更に
以遠では急激に低下するものであるところ,上記少女は,爆心地から
3も離れた,しかも,放射線に対する遮蔽効果のある家屋内で被km
爆したというのであるから,原爆の初期放射線の被曝をしていないと
断定することができる。また,法医学の専門家も,「被爆例における
放射線障害を医学的及び科学的に考察することを目的とするならば,
本報告書(剖検例)を引用することは適切でないと考える。」と指摘
している。
dそもそも,昭和20年に上記研究報告をまとめた家森は,剖検例を
「亜急性原子爆弾症によって死亡したもの」としているが,この論文
が掲載されている原子爆弾災害調査報告集では,「人体が直接および
間接に蒙る傷害を総括して原子爆弾傷と呼ぶこととする」とされ,こ
れを,「原子爆弾熱傷」,「原子爆弾外傷」,「原子爆弾放射能傷
(原子爆弾放射能症)」,「原子爆弾毒ガス傷」に分類している。こ
のことからもうかがわれるように,当時は,「原子爆弾症」を原爆の
放射線に起因する症状に限定していない。家森も,放射線被曝による
死亡者のみを対象に病理解剖したものではなく,また,その研究報告
の内容を見ても,剖検例の各臓器の病理解剖所見等を報告したにすぎ
ないものであり,それらの所見が放射線に起因したものか否かを検討
したものではない。
e上記研究報告中の第6例は,昭和20年9月16日に11歳で死亡
した少女の剖検例である。被爆当時,長崎の爆心地から約3離れkm
た木造家屋内におり,原爆の爆風で倒壊した家屋の下敷きとなって右
足を骨折している(原爆の威力の85%は,熱線と爆風であり,これ
が広範囲に及んだことと,初期放射線の影響が及んだ距離を混同して
はならない。)。死亡前に咽頭痛,発熱があったとされ,さらに,腎
臓の諸所に細菌集落の存在や白血球浸潤が認められることからすれ
ば,咽頭炎や扁桃腺炎,あるいは膀胱炎等の先行感染(細菌感染)が
あり,これらによる糸球体腎炎や腎盂腎炎を発症していたと考えら
れ,これが死因となった可能性が十分に考えられる。
fその他に,上記研究報告中の第6例では,①卵巣が変性している,
②脾臓細胞像では淋巴濾胞が減少している,③大腿骨の骨髄では黄色
髄が見られる点が指摘されている。
①の卵巣の変性とは,氏濾胞(グラーフ卵胞)の「顆粒層がgraaf
卵胞膜より剥離している」ことを指摘するものと思われる。しかし,
これは,同報告において,「卵巣では卵巣の成熟に障碍が認められ
る」と結論づけられているのであり,これと死亡する1か月前の被爆
とが無関係であることは明らかである。当時は,栄養状態が著しく悪
化しており,当該事例についても,体重は記載されていないものの,
甲状腺等の臓器の萎縮も認められていることから,栄養不良状態にあ
ったことがうかがえる。栄養不良状態にあっては,生殖機能が低下す
ることがあり,当該症例に卵巣の成熟障害が認められていたとしても
不思議ではない。
②の脾臓細胞像における淋巴濾胞(リンパ球が詰まった球状の塊)
の減少も,同報告において,「淋巴濾胞」が「減少」とされているだ
けで,どの程度の減少かも示されておらず,そもそも病的所見である
のかどうかも定かでない。また,死後13時間を経て解剖がなされて
いることからすれば,死亡後の変化によることも考えられる。したが
って,この所見を原爆放射線被曝を示す異常所見であると評価するこ
とはできない。
③の大腿骨の黄色骨髄についても,骨髄とは,胎児や生後間もなく
のころは,赤色骨髄のみからかなるが,成長するにつれて徐々に脂肪
化して黄色骨髄に置き換わるものであり,上記少女の大腿骨に黄色骨
髄が見られたということだけで造血機能に異常があったと断定するこ
とはできない。
したがって,①ないし③のいずれの所見も,上記少女が「放射線被
曝特有の症状を呈して死亡した」ことを示すものなどではない。
g仮に,死に至るほどの被曝であったとするならば,少なくとも3
程度の被曝をしていたと考えるのが妥当である。もし,そのようGy
な被曝をしていたならば,当該症例には,被曝から2∼3週間程度経
過したころに,原告らが他の事例で強く主張する急性症状である脱毛
が生じていたはずであるが,当該症例においては,脱毛はなかったこ
とが明確に記録されている。また,「被害後10日程元気であった」
とあるが,3以上の被曝をしていた場合には,被曝後1∼2時間Gy
以内には嘔吐や発熱等の症状が見られたはずである。当該症例につい
ては,剖検所見では放射線被曝を示す明らかな所見は示されておら
ず,また,常々原告らが放射線被曝の根拠として主張するいわゆる急
性症状が見られていないことから見れば,原告らの主張が失当である
ことは明らかである。
hその他の剖検例についても,「(1)病理解剖によって骨髄障害の
病因を診断するには限界があること,(2)13例中のわずか4例に
おける骨髄障害を観察したのみで,観察された骨髄障害が放射線障害
に基づくと結論することは妥当ではないこと,(3)骨髄以外の病理
解剖所見にも病因を特定できるものが認められないこと」等から,こ
うした遠距離被爆者の症例が放射線障害に基づくものと評価すること
はできない。
(ク)濱谷意見書及び濱谷証人調書
濱谷氏は,社会学者であり,その意見書は,昭和60年に被爆者を対
象として行ったアンケート調査の結果について述べるものであるが,そ
の目的は,被爆者の人たちの苦しみとか悩みと被爆との関係,原爆被害
がどれほど反人間的なものであるかの解明であるというのである。その
ため,アンケートの内容も,およそ,被曝による急性症状を把握しよう
とした医学的,疫学的研究報告ではない。このような目的で行われた調
査結果によって,遠距離・入市被爆者に放射線被曝による急性症状が発
症したという事実を認めることができないのは当然である。
(ケ)梶谷・羽田野報告
これは,上記(イ)の調査と同じであり,同じ批判が当てはまる。
(コ)「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」
調来助教授らの「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」では,
距離別脱毛の頻度は,爆心地から1.5㎞までで急激に下落し,2㎞
以遠ではほぼ変化が見られないというべきである。これをもって,爆
心地から2以遠の遠距離被爆者にも距離に応じて脱毛の発症率が低km
下するという結論を導き出すことはできない。調教授自身も,その後
当時の状況を振り返った際に,当時の調査に,急性症状の脱毛ではな
い,単なる自然脱毛が含まれていた可能性を指摘している。
また,同報告書において,下痢については,「近距離ハ頻度高ク遠
距離トナルニ従ヒ低下スル.但4外ト雖モ全ク零トナラナイノハ,km
普通ノ健康人デモ夏季中ニ一回位下痢スルコトガアルノニ起因スルモ
ノト思ハレル」とあり,当時から,調教授自身も放射線以外の原因に
よる下痢が含まれていた可能性を指摘している。
イ入市被爆者に対するアンケート調査
入市被爆者との関係では,入市被爆者の体調変化が被曝によるもので
あれば,それは,専ら誘導放射線に起因することになるが,放射化され
た元素の半減期は数分から数時間と短いものが多いから,誘導放射線量
は,原爆投下後の時間経過に伴い急速に減少する。したがって,入市被
爆者に生じたとされる体調変化の発生率も,これと同様,急激に低減す
るはずである。しかし,入市被爆者にも急性症状が見られる論拠とした
於保医師の報告を見ても,入市した日が遅れ,時間が経過しても有症率
や症状発現率に一定の減少傾向は見られないのである。入市被爆者に対
するアンケート調査の問題点については,以下のとおりである。
(ア)賀北部隊
「ヒロシマ残留放射能の四十二年」の賀北部隊の隊員に対するアンケ
ート調査は,42年も前の記憶をもとに調査したものであり,被曝によ
る急性症状を的確に把握したものか相当疑わしいといわざるを得ず,ま
た,疫学的,統計学的分析を踏まえたものでは全くないのであるから,
このような調査結果を科学的知見ということは到底できない。
(イ)於保論文
a於保源作の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,昭和32年1
月から同年7月に,原爆投下直後,広島市の爆心地に入った者の急性
症状の有無を調査したものであるが,「(1)広島原爆の直接被爆者
又は非被爆者のうち原爆の直後爆心地から1.0キロ以内の地域に入
り,10時間以上滞在した人々には容易く急性原爆症を起していた。
これは原爆の残留放射能に因ると思う。又その発した症状はそう軽く
はなかった。(2)原爆1ヵ月後中心地付近に出入した非被爆者には
その後急性原爆症を発したものは殆んどなかった。(3)残留放射能
が人体に障碍を与えた期間は大凡1ヵ月以内であった。この事実は原
爆で二次的に出来た各種の同位元素が極めて半減期の短いものであっ
たことを物語っている。」と結論づけている。
bしかし,於保源作がこれらの症状をどの程度正確に把握し,調査し
たものかについては判然としない。調査自体,原爆投下から10年以
上経過した昭和32年1月から7月に行われたものであり,広島市内
の一定地域しか調査しておらず,また,飽くまでも本人からの聞き取
り調査であり,客観的な診断を経たものではない。上記2(1)ウの
とおり,被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって破壊されるこ
とによって生ずる症状であり,被曝後,2,3週間後にバサーっと抜
けるという特徴があるが,被爆後10年以上経過した後に行われた聴
き取り調査によって,「被曝による急性症状としての脱毛」のみを的
確に把握したとは到底考え難い。脱毛の程度も発症時期も何ら明らか
にされていない。
被調査者に対し,原爆被害の調査であることを明らかにし,先入観
を与えた上で,各自の被害状況を調査した場合には,自らの脱毛や下
痢等の症状も被曝によるものではないかと疑い,これを回答すること
があったと容易に推察されるし,逆に被爆も入市もしていない者は,
急性原爆症の症状があるか問われてもそのようなものはない旨回答す
るはずである。さらに,被曝による急性症状としての脱毛や下痢等が
起こり得るようなレベルの被曝があれば,感染症等の重大な合併症を
発症させるものであることにも留意しなければならない。
cまた,放射化された元素の半減期は数分から数時間と短いものが多
いから,誘導放射能による線量は原爆投下後の時間に伴い急速に減少
するはずである。そうであれば,数日が経過した後に立ち入った者に
ついては,なおさら被曝による急性症状でないことは明らかである。
しかし,表6を見ると,原爆投下後日数が経過して入市した者でも,
有症率や症状発現率に一定の減少傾向は見られない。したがって,こ
れらを放射線被曝に起因するものと考えることはできない。
dそうである以上,於保源作の調査が10年以上前の症状の具体的内
容を客観的に把握したとは考え難く,原爆の残留放射線の影響を科学
的に検討したものとは到底考え難い。
(ウ)広島原爆戦災誌(暁部隊)
暁部隊の隊員に対するアンケート調査は,(ア)同様,被曝による急
性症状を的確に把握したものとは考えられず,疫学的,統計学的分析を
踏まえたものではなく,科学的知見などと到底いえない調査結果であ
る。
(エ)三次高等女学校の入市被爆者
三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書も,原爆投下から
約60年も経過した後に行われたもので,脱毛,下痢等の症状の具体的
内容の正確性に相当疑問がある。そして,この調査は,23人と対象者
も少なく,統計的にかなり不十分なものである上,調査結果も,原爆投
下直後に行われた実証的な被曝線量に関する調査結果と矛盾している。
更にいえば,日本人の死因の第1位はがんなのであるから,死没者の多
くががんで亡くなっていたとしても何ら奇異なことではない。
(オ)齋藤医師による「入市被爆者による脱毛について」
内容は極めて恣意的で,科学的知見と認めることはできない。
(カ)広島・長崎原爆の入市被爆者・遠距離被爆者の放射線障害に関す
る意見書
日本原水爆被害者団体協議会事務局長の田中熙巳氏の意見書の紹介す
る事例も,放射性による急性症状であるとすべき客観的な証拠は全くな
いものであり,その内容を信用することができない。
(キ)入市被爆者び「急性症状発症率」について
上記ア(ク)で指摘したとおりである。
ウ統計的な分析も行われていないアンケート調査にすぎない
疫学調査の結果は,恣意的ではない適切な統計的検定によって有意性
が確認されたものでなければならず,有意性が確認されなかった調査
は,疫学的には意味のある調査とはされていないことは,前記(2)の
とおりである。しかし,遠距離被爆者に対するアンケート調査を見て
も,これは,爆心地から遠距離の地点を見る限り,爆心地からの距離が
遠くなるに従って発症率が低下するという相関関係を何ら統計的に分析
したものではない。入市被爆者に対するアンケート調査についても同様
である。これらは,単なるアンケート調査の域を超えないものであり,
放影研が行った高度に専門的な疫学調査と同程度のものであるかのよう
にいう原告らは,疫学調査の意味を全く理解していないものである。
原告らは,これらの調査結果について,「このように,DS86によ
れば,放射線がほとんど到達していないとされる爆心地から2km以遠
においても,様々な急性症状の発症が確認されている。」などと主張す
るが,統計的分析も行わずして偶然のものではないということはできな
い。この点をおいても,遠距離・入市被爆者に対して行われたアンケー
ト調査が,放射線被曝によらない下痢や脱毛をも対象として行われた以
上,放射線との関連性を調査したものとはなり得ないこと,すなわち,
これから何らかの結論を見いだすことのできないものであることは明ら
かである。
(5)爆心地からの距離等によって急性症状の発症率が徐々に低下していく
という傾向が見られるとすることは,脱毛等の急性症状が確定的影響である
ことと矛盾すること
仮に爆心地からの距離によって徐々に急性症状の発症率が低下したり,発
症の程度が軽くなるという傾向が見られるとすれば,それは,被曝による急
性症状が確定的影響であることと矛盾することになる。
すなわち,確定的影響の場合,しきい線量を下回ると急性症状を発症しな
いから,爆心地からの距離により発症率が低下するとしても,一定の比率で
徐々に低減して最終的にゼロに至るものではなく,しきい線量を下回ったあ
る地点以降では全く発症者がいなくなるはずである。しかし,アンケート調
査の結果には,確定的影響であれば見られる傾向は全くない。他方,しきい
線量以上の被曝をして脱毛が生じる場合には,放射線を浴びた部分のほとん
どの毛髪が抜けるのであって,「軽度」に留まることはないから,アンケー
ト調査の結果に見られるような,距離が遠くなるに従って脱毛の程度が軽く
なるということもあり得ない。
5遠距離・入市被爆者に被曝による急性症状が生じたとは考え難いことは,客
観的かつ専門的な研究報告によっても明らかであること
遠距離・入市被爆者に被曝による急性症状が生じたとは考え難いことは,脱
毛患者の発生域を医学的に調査し,爆心より半径1.03以内の地域と特km
定した陸軍軍医学校の「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」,原爆投下
直後に爆心地に赴き負傷者の救護活動に従事した者の白血球数を調査したとこ
ろ,白血球数には異常が認められなかったとする実証的かつ客観的な調査報
告,「黒い雨」降雨地域における人体影響の存在は認められなかったと報告し
た「黒い雨に関する専門家会議報告書」,入市者に放射性降下物や誘導放射線
による被曝の影響がなかったことを大規模な疫学調査によって明らかにした報
告結果といった多くの実証的な科学的研究結果から明らかである。
6遠距離・入市被爆者に生じたとされる身体症状等の原因を説明し尽くさなけ
ればならないとされるいわれはないこと
(1)以上のとおりであるから,原告らや最近の地裁判決が依拠したアンケ
ート調査等の結果をもって,遠距離・入市被爆者に生じたとされる脱毛や下
痢といった症状を被曝による急性症状と認定することが誤りであることは明
白である。
原告らは,被告らが脱毛や下痢の要因を被曝以外の理由で説明し尽くさな
ければならないかのようにいう。しかし,例えば脱毛に関していえば,原告
らが依拠するアンケート調査には,そもそも医学的に見れば脱毛と評価でき
ないような自然脱毛までもが多数含まれていると考えるのが自然であり,そ
の存在すら疑わしい脱毛について,その原因の特定を被告らに求めること自
体,失当である(下痢についても同様で,1日2回程度の下痢や軟便程度の
もの,精神的ストレスによる過敏症によっても生じ得るものを,被曝による
ものとして主張している場合も多いと考えられる。)。
放射線起因性判断の立証責任は,飽くまでも原告側にある以上,被告らに
おいて,遠距離・入市被爆者のごく一部に生じたとされる身体症状の原因を
説明し尽くさなければ,これらが放射線被曝によるものであると認めるかの
ような判断をされるいわれは全くない。
仮に,脱毛や下痢といった症状それ自体の存在は認められるとしても,そ
れが放射線被曝による急性症状であれば,しきい線量,発症時期,発症態
様,回復時期など様々な観点から他の原因による脱毛や下痢と区別すること
は可能であるが,被曝による急性症状でない脱毛や下痢については,それこ
そ個々人の体調・体質や,生活状況や栄養状態といった環境要因が複雑に絡
み合うため,これを十把一絡げにして,数十年以上も前の記憶に基づく本人
の訴えのみからその原因を特定することは,本来的に困難というべきであ
る。
(2)あえて原因を挙げるとすれば,脱毛であれば不衛生による自然脱毛の
増加,栄養障害や代謝障害による脱毛,精神的ストレスによる脱毛などが考
えられ,下痢であれば栄養失調,種々のウイルスや赤痢等の感染症,極度の
ストレス,過労などが考えられる。紫斑といった皮下出血についても,打撲
等により皮下出血を来すことは十分考えられるし,栄養不良状態等が原因と
なり,皮膚に出血傾向を来した可能性もあり,そもそも,本当に紫斑であっ
たのかどうかも不明というべきである。そして何よりも,未曾有の過酷な体
験をした被爆者が,被爆後のアンケート調査において,下痢や脱毛等の症状
がなかったのかと問われ,自らの自然脱毛や円形脱毛症,ストレスや感染症
による下痢,発熱,嘔吐等も,原爆の放射線によるものではないかと考えて
申告したことが挙げられるというべきである。
(3)そして,遠距離・入市被爆者においても,被曝による急性症状として
の「脱毛,白血球減少,紫斑,歯根出血」が見られたことを客観的に証明す
る証拠は存在しないのである。この点をおいても,東京大空襲のときには,
火傷により,頭部が脱毛した事実が認められ,また,同種訴訟の原告本人
が,阪神大震災の際に脱毛が見られた旨供述している。
7小括
以上のとおりであって,遠距離・入市被爆者に見られたとされる身体症状等
が放射線被曝による急性症状であると認定すること自体,誤りというべきであ
るから,この事実を前提として,原告らに生じた身体症状等が被曝による急性
症状であると認定したり,ひいては申請疾病の放射線起因性を認定する重要な
根拠として主張する原告らの誤りは明らかである。したがって,このような不
確かなアンケート調査の結果によって,戦後半世紀にわたる様々な研究報告の
集積によって客観的に明らかとなった原爆の放射線による被曝線量評価の合理
性を否定することもできない。
(別紙)
被告ら主張2
第1原告Cについて
1被爆状況
原告Cは,援護法1条2号でいう入市被爆者であり,原爆投下時には,爆心
地から8以上離れたa5駅にいた。原告Cは,原爆投下当時はa4駅にいkm
たと述べ,a4駅は爆心地から約5の地点であったとするが,a4駅は広km
島駅から3つ目の駅であったという原告Cの供述からすれば,これはa5駅で
あるところ,a5駅の爆心地からの距離は8以上ある。km
2推定被曝線量
(1)初期放射線による被曝線量
原告Cは,広島市の入市被爆者であり,初期放射線による被曝はしていな
い。
(2)残留放射線(誘導放射線)及び放射性降下物による被曝線量
ア広島において,誘導放射線による有意な被曝の影響が考えられるのは,
時間的には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまで
の範囲に限られ,また,放射性降下物による被爆の影響については,己斐
・高須地区以外の地域においては考慮する必要がない。
イ原告Cの被爆後の行動をみるに,その供述を前提とすると,同人が通っ
た経路で最も爆心地に近い区域は,8月8日の午前中にa6町からa7橋
付近を通過し,a8中学校に向かった部分であるところ,a9小学校を出
発したのが午前9時ころであり,1時間くらいはかかったということから
すれば,a6町に到着したのはどんなに早くても午前10時を過ぎていた
ことになる。そして,それからa6町を出発し,上記経路を通ってa8中
学校に行ったということであるが,原爆投下後48時間以上経過してもな
お誘導放射能の影響があった区域(爆心地から半径400m以内)を通過
するのに要した時間は,どんなに長く見積もっても1時間程度であると推
測されるところ,原爆投下後48時間以上経過すれば,爆心地に約8時間
留まり続けた場合でもその誘導放射線による被曝線量は0.02であGy
り,原告Cの場合,これを超える被曝をしたことは考えられない。また,
同原告には,a39に滞在又は居住した経過も認められない。
したがって,原告Cについては,誘導放射線について最大限見積もった
0.02を考慮すれば足り,放射性降下物による被曝の影響についてGy
は,これを考慮する必要はない。
ウなお,意見書では,原告Cが相当量の内部被曝をしたと主張するようで
ある。しかし,「周囲が灰色であった」ことが,なぜ「誘導放射化された
と考えられる煤煙に濃密に取り囲まれていた」ことの根拠となるのか不明
で,およそ科学的な意見とはいえず,このような意見書に証拠価値は全く
ない。
そして,甲証人は,具体的に,どのような核種が誘導放射化されるかと
いう点については全く知識がないため回答することができず,専門的知見
に基づくものでないことは明らかであり,専門家でもない者が程度問題を
度外視して被曝の可能性をいうものでしかない。なお,遠距離に到達した
中性子線がごく微量であることを同証人も認めている。
(3)小括
以上によると,原告Cの被曝線量は,最大限見積もっても0.02にGy
すぎない。
3被爆後の身体状況
(1)原告Cは,「被爆後数日から数ヶ月の間に,頭痛・発熱・脱毛・下痢
・下血・歯茎からの出血という症状が出ており,これらの症状は,放射線被
曝の典型的な急性症状であり,「しきい値」を超える量の放射線を原告Cが
浴びたことを裏付けるものである。」と主張する。
アしかし,原告Cが主張する,上記のような身体症状は,様々な原因があ
り得る非特異的な症状であるから,単にそのような症状がみられたという
だけでは,健康状態に影響を与える程度の被曝を受けた可能性があるとす
る根拠にはなり得ない。
さらに,被爆者の被爆後の身体症状に関する供述等が不確かなものであ
ること,したがって,それらの症状の有無だけに依拠して安易に放射線起
因性を認めることは許されない。
そして,原告Cの被爆者健康手帳交付申請書によれば,「被爆時及びそ
の後の健康状態について簡単にかいて下さい」との欄には「異状なし」と
あり,被爆者健康手帳交付申請時の昭和49年には忘れており,その後,
原爆症申請あるいは訴訟の段階において思い出したなどということに合理
的な理由は見いだし難いから,原告Cの供述には信用性がなく,被爆後に
上記供述どおりの症状があったとは考え難い。
イ仮に,原告Cに上記供述どおりの症状があったとしても,被曝による急
性症状には,しきい線量を始めとし,発症時期,程度,継続期間,回復時
期等にはっきりした特徴があることが医学的に明らかにされ,現在では国
際的にも確立した知見となっている。頭痛や下痢のような非特異的な症状
が被曝による急性症状であると判断するためには,症状を呈した原因や発
症時期,経過を十分に精査し,医学的に検討しなければならない。
そして,原告Cの上記症状のうち,頭痛に関しては,健康診断個人票の
別紙には,「地面の高熱と大気の高温で烈しい頭痛」がしたとあり,この
頭痛は「9月初めごろまで」「毎日」続いたとする(原告C本人)もの
で,入市後どの程度の時間で発生したものか不明であり,また,その後潜
伏期があったこともうかがわれず,被曝による前駆症状としての頭痛とし
ての特徴を備えているとはいえない。
また,下痢については,8月9日から少しずつ始まり(原告C本人),
これは「水っぽい」下痢であって「8月9日くらいから,これも9月初め
ごろまで続きました。」というもので,5程度以上被曝した場合に,Gy
まずは前駆症状の下痢が,被曝の3∼8時間後に現れ,さらに,8程Gy
度以上の被曝をした場合には,潜伏期を経て,腸管細胞が障害されること
によって生じる,消化管障害としての下痢(血性の下痢)が現れるといっ
た特徴を備えているとはいえない。
このように,症状の態様や発現の仕方をみると,原告Cにあったという
頭痛や下痢は被曝による急性症状の頭痛や下痢ではない。
更に,原告Cに生じた下痢が放射線被曝によるものであったならば,原
告Cは5程度以上の被曝をしていたことになるが,3程度以上の被GyGy
曝でも,治療を受けなければ50%以上の者が30日以内に骨髄抑制によ
って死に至るほどの被曝であり,5程度以上の被曝をした場合,被曝Gy
後数時間以内に発熱や嘔吐を来たし,その後著しい白血球減少により,感
染症を合併する等,もっと重篤な症状を呈していたはずであって,原告C
が述べるような被爆後の行動ができたとは到底考え難い。すなわち,原告
Cの供述によれば,数日間も作業に従事し,作業の間には食事も摂取し,
頭痛や下痢を発症した後も,歩いて母の実家まで行ったというのであるか
ら,同人が,そのような線量の被曝をしていたとは考えられない。
また,5程度以上の被曝をしていれば,原爆放射線による被曝が全Gy
身被曝であることを考えれば,放射線被曝による脱毛,骨髄障害は被曝後
2∼3週間後に生じていたはずであるが,原告Cが述べる脱毛は,「9日
の朝,起きるころになると,救護班のほうが,顔を洗うな,歯を磨くなと
みんなに言いまして,見るとなるほど,後頭部の,ちょうどつむじのほう
が少し毛が取れていました。」,「初めは額のほうから抜けていきまし
た。それでだんだん全部。9月の初めごろまでに完全に丸坊主になりまし
た。」,「9月の初めには,もう,少しずつ生えかわってきました。」と
いうものであって,およそ被曝による脱毛の発症機序とは合致しない。骨
髄障害が生じた形跡もうかがわれない。
原告C自身も述べるとおり,当時の栄養状態,衛生状態が劣悪で,しか
も,当時赤痢,腸チフス等の腸管感染症が全国的に蔓延していたことや,
原爆投下による悲惨な状況に遭遇した原告Cの精神的なストレスは甚大な
ものであったと推察されることなどからすれば,原告Cに生じたという下
痢等が事実であるとしても,それは,不衛生,感染,栄養不良による症状
やストレスによる心身症の症状であったとみるのが自然というべきであ
る。実際,原告Cは顔も洗うな,歯も磨くなと言われたことを忠実に守っ
ていたというのであり,不衛生な状況にあったことは明らかである。歯茎
からの出血も歯を磨かないことによる口腔環境の不良などによるものであ
ると推測される。
ウ甲証人は,被曝の急性症状について,「私自身はしきい値はわかりませ
ん。」,出血傾向については,「(症状があらわれる時期は)人によって
違うと思いますけれでも,被爆をして臓器がやられて出てくるわけですか
ら,早い人だとその日のうちに出るという報告もあります。」,「脱毛は
少し遅れて出ることもあります。その日のうちにはまず出なくて,一般的
に言われているのは,三,四日ぐらいから,2週間,3週間ぐらいの間に
出てくるようです。」と証言しているが,上記イのとおり,被曝による急
性症状には,しきい線量を始めとし,発症時期,程度,継続期間,回復時
期等にはっきりした特徴があることが医学的に明らかにされ,現在では国
際的にも確立した知見となっているから,甲証人の意見は科学的根拠の全
くない,個人的な憶測に過ぎず,証拠価値は全くない。
(2)原告らは,原告Cが被爆後数年後から,膀胱炎,腎臓結石等に罹患し
たことも,被曝が原因であると主張する。
しかし,これらの疾患が原爆放射線に起因して生じるとの知見は存在しな
い上,ごく一般的にみられる疾患を複数発症しているだけであって,その原
因がすべて原爆放射線であるなどというのは,あまりに非常識である。膀胱
炎などは極めてありふれた疾患であって,これを発症したからといって特別
なことでも何でもない。
そもそも,意見書等で述べられている内部被曝の影響とこれらの疾患の発
症がどのように関係しているのか,全く不明である。この点,原告らは,原
爆放射線による健康影響,あるいは内部被曝の影響が未解明である点だけを
根拠としているようであるが,現時点で,内部被曝によっていかなる機序で
膀胱炎や腎臓結石等が生じるというのか,仮説さえも立てられない状況で
は,いくら未解明な点があるといっても,単なる想像の域を出ない。
なお,原告らは,成人健康調査第8報を挙げて,腎臓結石と放射線との関
係は男性において有意な線量・反応関係が認められていると主張する。
しかし,成人健康調査第8報では,「全体的な線形の線量反応が考えられ
た」とされているが,そのP値は0.07であり,有意なものではない。そ
して,男性において有意であったとされているが,その1当たりの相対Sv
リスクは1.47(95%信頼区間1.13∼1.96)であり,関連の強
固性が認められるのに最低限必要な相対リスク2を下回っている。そして,
被曝していないといっても過言ではない原告Cについては,なおさらそうで
ある。被曝線量をおよそ度外視し,被爆者が腎臓結石になれば,無条件で放
射線起因性が認められる,後は何も考えなくてもよいというかのような原告
らの主張は,AHS第8報の結果に照らしても失当である。また,女性につ
いては,有意な関連性は見られなかったのであり,一貫性がない。要する
に,この調査結果は仮説を示したにすぎず,この調査から腎臓結石について
放射線起因性を肯定することはできない。
(3)以上述べたとおり,原告Cの訴える身体症状等については,いずれも
放射線被曝によるものとは認められず,被曝による急性症状を発症させるほ
どの線量の被曝をしたとは考え難い。
4放射線起因性について判断すべき疾病
原告Cの申請疾病は,膀胱癌と認められる。
5申請疾病に放射線起因性が認められないこと
(1)膀胱癌は,放射線の健康影響のうち確率的影響の範ちゅうに属する疾
病とされており,疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会(以下
「医療分科会」という。)では,放射線疫学研究のなかで最も科学的価値の
高いものと国際的に評価されている放影研による原爆被爆者の疫学調査から
得られた放射線誘発がんのリスクを基に,性,被爆時年齢,被曝線量に応じ
た原因確率を求め,認定の目安として定めている。
したがって,同疾病の放射線起因性の判断にあたっては,推定された被曝
線量に基づき算定された原因確率が最も合理的な目安となるところ,膀胱癌
は尿路系がんに属し,原告Cは男性であるから,原因確率は旧審査方針別表
7−1によって算定される。原告Cの被曝線量は最大限見積もっても0.0
2であり,被曝時年齢が13歳の被爆者に発症した尿路系がんの原因確Gy
率は,被曝線量が0.05の場合に2.8%であるから,原告Cの膀胱Gy
癌の原因確率は,2.8%を上回ることはなく,科学的にみれば,原爆の放
射線が原因となって当該申請疾病が発症したとは考え難い。
その他原告Cの既往歴,環境因子,生活歴等を考慮しても,同原告の膀胱
癌が,他の一般の高齢者に見られる膀胱癌と異なるものとは認められない。
なお,甲証人は,原告Cが膀胱炎を繰り返していることも,同人の膀胱癌
の放射線起因性を認める根拠の1つとし,「一般的には女の人の病気で,男
の人で若い人がなかなかなる病気じゃないんです。膀胱炎を若いころから起
こしているということは,一定,放射線の影響もあって,感染をしやすい,
免疫の問題なんかが起きているんだろうということと,膀胱癌になるときの
幾つかの条件の中で,膀胱炎を繰り返してくる場合とか,化学的な刺激を受
けてなる場合とか,いろいろ言われています。そういう意味では,一連のも
のとして考えたほうがいいだろうということで,膀胱炎を繰り返すことも,
もしかすると放射線の影響が既にあったのではないだろうかということで考
えました。」と述べる。しかし,同人は,他方で,膀胱炎自体は感染症であ
ることを認め,「膀胱炎そのものが,放影研のほうの報告では,まだ有意差
は特に言われていません。」と,膀胱炎と原爆放射線との関連を示す知見が
ないことを自認しているのである。むしろ甲証人が述べるとおり,膀胱炎を
繰り返したことが膀胱癌の原因となったのだとすれば,膀胱炎と原爆放射線
との間に関連がない以上,その結果生じた膀胱癌にも放射線との関連はない
というべきである。
6結論
以上のとおり,本件処分Aは適法である。
第2原告Aについて
1被爆状況及び推定被曝線量
原告Aの被爆地は,長崎市a町b丁目cであり,爆心地からの距離はおよそ
4.3であるから,原爆の初期放射線に被曝していないといっても過言でkm
はない。これは,3.5の地点であったとしても同様である。したがっkm
て,同原告の初期放射線による被曝線量は,ほぼ0とみるほかない(なGy
お,審査時においては,原告Aの初期放射線による被曝線量について,同人の
申告する爆心地から3.5地点で被爆したものとし,爆心地から3地点kmkm
GyGyの被曝線量が0.004を上回ることはないとの観点から,0.004
としている。)。
また,長崎において,残留放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間
的には原爆爆発後56時間まで,距離的には爆心地から600mまでの範囲に
限られ,放射性降下物による被曝の影響については,b18地区以外の地域に
おいては全く放射性降下物が降下しなかったとまでいうものではないが,爆発
1時間後から無限時間とどまり続けるという想定をしたb18地区の積算線量
0.12∼0.24を超えることはあり得ず,その影響は無視し得る程度Gy
のものであったことは明らかである。そこで,原告Aの被爆後の行動をみる
に,同人は,原爆投下の翌日である昭和20年8月10日午前8時ころ,母,
姉と共に,叔母を捜しに爆心地から500mほどのところにあるb2に出か
け,その際,爆心地の脇を通過したが,午後4時ころ,叔母を,リヤカーに乗
せて押して帰ったと供述する。しかし,爆発直後から無限時間まで最も誘導放
射化された爆心地にとどまり続けたという現実にはあり得ない想定をした場合
でも,地上1mの地点における積算線量は,せいぜい0.24にすぎなかGy
ったのであり,原爆投下の翌日に爆心地付近を通過したことがあったとして
も,被曝自体は一時的なものにすぎない。また,同人は,放射性降下物の降下
が比較的顕著にみられたb18地区に立ち入った事実もない。そうであるなら
ば,同人が残留放射線による有意な被曝をしたとは考え難い。
以上によると,原告Aは,原爆の放射線にほとんど被曝していない。
2原告Aの被爆後にみられた身体症状は被曝によるものではないこと
(1)原告Aは,「被爆後,2週間位した8月の終わり頃から,倦怠感と,
37,8度の熱が出て,起きていられない状況になり,また,脱毛,下痢も
ずっと続いていた。これらは,放射線被曝に典型的な急性症状である。」と
主張する。しかし,原告Aがいう上記身体症状は,昭和37年8月7日のA
BCCの記録によって存在しないことが明らかとなった。仮に原告Aが現在
供述するような症状が被爆後にみられたとしても,被曝による急性症状の特
徴と合致せず,原告Aが訴える症状は放射線以外の原因でも生じ得るもので
ある。
(2)原告らは,「被告らは,b14作成の意見書に基づき原告Aの脱毛は
放射線被曝によるものではないと主張する。しかし,b14意見書が前提と
している医療被曝が原爆被曝と同様に考えることができるかの検証はされて
いないし,具体的な被曝態様によって脱毛の発言が異なることは当然であ
る。」と主張する。しかし,原爆であろうとなかろうと,放射線であること
に変わりはなく,原爆の放射線に起因する急性症状のみに特別の発症過程が
あるわけではない。上記のような原告らの主張に根拠はない。甲証人も,
「(原発の事故によって生じる放射線と原子爆弾の放射線の)種類は同じで
す。」と明確に証言しているとこ,そうであれば,放射線の種類が同じであ
るのに,原爆被爆のみ,他の放射線被曝と異なる影響が出る根拠はなく,原
告らの主張は明らかに失当である。
なお,原告らは,内部被曝の場合には,外部被曝とは異なる人体影響があ
るかのように主張するが,内部被曝で脱毛が生じることはないから,この点
においても,原告らの主張は失当である。
(3)また,原告らは,原告Aの急性症状の発症についての供述の信憑性に
ついての被告らの上記のような指摘に対し,原告Aが,ABCCの記録にお
いては,(急性)症状があった旨の申告をしていなかった点について,AB
CCの調査は信用に足りるものではないと主張する。しかし,原告らは,原
告AのABCCの医療記録の記録と同様,被爆後まもなく行われた複数のア
ンケート調査を,遠距離・入市被爆者に生じた身体症状が被曝による急性症
状であるとの根拠として,金科玉条のごとく取り上げてきたのであるから,
当時の調査結果が信用性がないなどというのはあまりにも恣意的な主張とし
か言いようがない。
さらに,原告らは,原告AのABCCの記録については,ABCCの調査
においては,原告Aが真実を伝えていなかった可能性があると主張する。し
かし,原告Aは昭和33年に被爆者健康手帳を申請しているところ,その際
に行われた原爆被爆者調査票の「原爆による急性症状」の欄にも,下痢,脱
毛等の症状があったことは全く記載していない。被爆者健康手帳を申請する
際に,被爆の影響について殊更に隠す必要性もないから,原告Aには,被爆
後には下痢,脱毛等の症状はなかったとみるべきである。原告Aは,上記の
ように被爆者健康手帳の申請をしているのであるから,被爆直後に身体症状
があったことのみを頑なに隠さなければならなかった合理的な理由があると
もいえない。
(4)また,原告Aが主張する既往歴のうち,悪性リンパ腫は存在せず,脾
腫はバンチ氏病であり,貧血は鉄欠乏性が原因であり,白血球減少及び出血
傾向(歯茎の出血等)は脾機能亢進によるものであって,いずれも,放射線
起因性を認める根拠にならない。
(5)以上のとおり,原告Aは,被爆後に急性症状を発症しておらず,急性
症状を生じるほどの被曝があったとの原告らの主張は失当であり,また,原
告Aの病歴は放射線起因性を基礎づける事情とはなり得ない。
3放射線起因性について判断すべき疾病
原告Aの申請疾病は,C型慢性肝炎に起因する肝硬変,血小板減少症,食道
静脈瘤と認められる。
4原告Aの申請疾病に放射線起因性が認められないこと
原告Aの申請疾病はそもそも放射線との関連性を裏付ける科学的知見がない
疾病であり,その関係を否定するのが放射線学の常識である。また,診療録等
に照らしても,同原告のC型肝炎及びそれに起因する肝硬変等の経過と何ら変
わるところはなく,これらに放射線起因性を認めることができない。
(1)はじめに
原告AはC型慢性肝炎に起因する肝硬変を申請疾病とし,肝硬変を含む肝
機能障害と放射線との関係を主張し,特に東京高裁判決を引用し,原告Aに
同判決の判示が当てはまるかのように主張する。しかし,東京高裁判決は,
長崎の爆心地から約1.3の地点で被曝した事案(被曝線量は1.3km
)であって,原告Aは被曝していないのであるから,同判決を前提としGy
ても,同原告のC型慢性肝炎に放射線起因性を認めることはできない。
この点をおいても,C型慢性肝炎と放射線との関係を認めた東京高裁判決
の証拠評価には重大な誤りがあり,また,同判決後に明らかとなった報告に
よって,C型慢性肝炎・肝硬変と原爆の放射線との間には関連性は認められ
ないことが再確認され,確立した知見として国際的にも評価されている。
(2)放射線被曝はC型肝炎ウイルス(HCV)の感染に寄与しないこと
放射線に被曝しようがしまいが,C型肝炎ウイルスの感染率に変化はな
い。つまり,HCVの感染に放射線は全く寄与しない。HCVの感染に放射
線が寄与することを裏付ける証拠はない。そうである以上,C型肝炎ウイル
スを原因とする慢性肝炎等に放射線起因性が認められる余地はない。この
点,大阪高裁平成12年11月7日判決(カ訴訟)では,当該原告のC型慢
性肝炎の放射線起因性については正しく否定している。
(3)C型肝炎ウイルスの感染者において,放射線被曝はC型慢性肝炎の発
症に寄与するとは認められないこと
C型肝炎ウイルスの感染者が被爆によってC型慢性肝炎の発症を促進する
かという問題についても,東京高裁判決が依拠した「成人健康調査第7報,
原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958−86年」(以下「ワ
ン論文」という。),「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫
瘍,1958−1987年」(以下「トンプソン論文」という。)又は藤原
佐枝子ら「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病
率」(以下「藤原論文」という。)といった疫学調査だけでは,放射線被曝
とC型慢性肝炎の発症に因果関係があると結論づけることはできない。疫学
調査において有意な関連性が示唆されたからといって疫学的な因果関係が認
められるとは限らないのであって,「関連性」があることと「因果関係」が
認められることを混同してはならない。しかも,C型肝炎・肝硬変について
は,そもそも,東京高裁判決において引用された調査が,C型肝炎・肝硬変
と放射線との関連を検討することを目的としたものではない上,唯一,C型
肝炎を対象とした「藤原論文」でさえも,その結論においては,原爆放射線
との関連を示唆するに留まっており,関連性があるとすら認められないもの
である。
ア疫学調査の結果を検討する場合の留意点
(ア)疫学調査といっても,その精度や信頼性の程度には様々なもの
がある。そこで,疫学調査に基づいて曝露要因と健康障害との間の関連
性を判断する場合には,まず,当該疫学調査が,当該曝露要因と健康障
害との間の関連性を見ることを目的として正しくデザインされたもので
なければならない。したがって,問題とされる曝露要因及び健康障害
は,明確に定義され,信頼できる測定がされている必要がある。
(イ)また,疫学調査の結果は,恣意的ではない適切な統計的検定によ
って有意性が確認されたものでなければならない。有意性が確認されな
かった調査は,疫学的には意味のある調査とはされていない。
(ウ)疫学調査の結果,当該曝露要因と健康障害との間に有意な関連性
が見受けられても,当該健康障害が当該曝露要因によって引き起こされ
たのか,それとは別の交絡因子(当該曝露要因と疾病についての用量−
反応関係に影響を及ぼす第三の要因)によって引き起こされたのかを見
極める必要がある。ある曝露要因とある健康障害との間に関連性が見い
だされても,交絡の結果であれば,当該曝露要因と当該健康障害との間
に真に関連性があるとはいえず,因果関係を肯定することはできない。
関連性から因果関係を導き出すには,様々な観点から検討する必要があ
るが,この問題に関しては,アメリカの公衆衛生局長諮問委員会が喫煙
の健康影響を検討する際に基礎とした基準(①関連の一致性,②関連の
強固性,③関連の時間的関係,④関連の特異性,⑤関連の整合性)がよ
く知られている。
イワン論文及びトンプソン論文は曝露要因(放射線被曝)と健康障害(C
型慢性肝炎)との間の関連性をみることを目的として正しくデザインされ
たものではないこと
(ア)ワン論文について
ワン論文は,対象となった疾患症例を,自己免疫性疾患,脂肪肝,ア1.
ルコール性肝炎,その他の肝炎をも含む概念である「慢性肝疾患および
肝硬変」と大まかに分類するだけで,ウイルス性肝炎と他の慢性肝疾患
とを全く区別しないまま,①「慢性肝疾患および肝硬変」については
「大きくはないが有意な放射線影響が観察された」と結論する。その一
方で,②「ウイルス性肝炎には統計的に有意な放射線の影響は見られな
かった」,すなわち,被爆がウイルス性肝炎に影響したとの仮説が疫学
的にみて意味があると結論することはできない,とも述べる。
したがって,「慢性肝疾患および肝硬変」にウイルス性疾患が含ま
れるのであれば,C型慢性肝炎との関連性を考える上で,①と②の結
論は明らかに整合性を欠いていると言わざるを得ない。この一事をも
ってしても,ワン論文が,ウイルス性疾患と被爆との間の関連性をみ
ることを目的として正しくデザインされていないことは明白である。
そればかりか,上記②の見解のとおり,疫学的に見て被爆がウイルス
性肝炎に影響した形跡はないというのであるから,むしろ両者の関連
性あるいは因果関係を否定する根拠とすらなり得るものといえる。
肝臓学では我が国における第一人者というべき戸田剛太郎研究員
も,ワン論文については,「慢性肝疾患の種類,進展度,活動性,成
因も検討することなく,解析がなされており,研究の評価がきわめて
困難である。」と解説している。
東京高裁判決は,ワン論文から,C型慢性肝炎の発症についても,2.
原爆放射線の被曝が影響している可能性があるとみることは十分に可
能であると断定し,その理由として,我が国の慢性肝炎患者の約7割
は,C型慢性肝炎の患者なのであるから,放射線被曝と慢性肝炎及び
肝硬変に関する研究は,実際にはその母集団の中に高率でC型慢性肝
炎を含んだ上での研究結果であると認められる点を挙げる。
しかし,ワン論文は,上記のとおり,「ウイルス性肝炎(中略)1.
には統計的に有意な放射線の影響は見られなかった」と判断している
のであり,C型慢性肝炎と原爆の放射線との間に関連性があることを認
めたものではない。また,慢性肝炎患者の7割がC型慢性肝炎ウイル
スを原因として肝炎を発症していたとしても,観察対象集団の3割も
の患者がC型肝炎ウイルスとは無関係の原因(他のウイルス,アルコ
ール,薬物,自己免疫,脂肪肝等)で疾病を発症している点を,見過
ごすことはできない。仮にC型肝炎ウイルスと被曝との間に生物学上
の因果関係がない場合であっても,残りの3割の全部又はそのいずれ
かが被曝との関係で因果関係を有するのであれば,当該分析はC型肝
炎ウイルスとの関係で有意な関連性を有するという,誤った結論が導
かれてしまうからである。
そして,放影研は,その後,昭和33年から平成10年までに行わ3.
れた原爆被爆者の成人健康調査の結果を明らかにしている。この成人
健康調査第8報では,昭和61年以降に発生した脂肪肝とそれ以外の
慢性肝疾患に分けて,放射線の影響を調査しているが,その結果,
「脂肪肝のみでは(445症例),線形線量反応が考えられた(P=
0.073,RR=1.16,95%CI:0.99∼1.31Sv
7)。他の慢性肝疾患の199症例では,放射線の影響は有意ではな
かった(RR=1.06,P=0.64,95%CI:0.84∼1Sv
1.40)。」としている。すなわち,脂肪肝のみでは放射線との線
量反応関係が考えられたが(ただし,有意な関連が示されたわけでは
ない。),他の慢性肝疾患では放射線の影響は有意ではなかったと結
論づけているのである。
したがって,C型慢性肝炎や肝硬変,肝がんなどといった肝疾患に
ついては,ワン論文の後に明らかにされた放影研の成人健康調査第8
報によって放射線との関連性が否定されたのである。
また,「慢性肝疾患および肝硬変」全体で見たとしても,1当た4.Gy
りの相対リスクはわずか1.14,寄与リスクでは8%にすぎない
(原告Aは,被曝していないから,相対リスクは1,寄与リスクは0
%である。)。相対リスクが低い場合には,バイアスや交絡因子の結
果,見かけ上の関連性が示唆されたにすぎない可能性が高いため,少
なくとも相対リスクが2以上なければ,因果関係を認めることはでき
ないところ,ワン論文で観察された原爆の放射線による「慢性肝疾患
および肝硬変」全体の相対リスクは,これに到底及ばないものであ
り,これでは,「慢性肝疾患および肝硬変」全体で見たとしても,原
爆の放射線との間に因果関係があるということはできない。
この点をおいても,寄与リスクが上記のとおり8%ということは,
原爆の放射線が関連して「慢性肝疾患および肝硬変」を発症させる可
能性があるのは100人中8人しかいないことを意味する。寄与リス
クが8%程度では,当該個人の「慢性肝疾患および肝硬変」が原爆の
放射線によるものと推認することはできない。ワン論文の結論がC型
肝炎について妥当するものであるとしても,だからといって,これを
根拠として,本件の原告AのC型肝炎が原爆の放射線に起因するもの
であると高度の蓋然性をもって推認することはできないのである。
そして,被曝していない原告Aについては,なおさらそうであるこ
とにも留意されるべきである。被曝線量をおよそ度外視し,被爆者が
C型慢性肝炎となれば,無条件で放射線起因性が認められる,後は何
も考えなくてもよいというかのような原告らの主張は,成人健康調査
第7報の結果に照らしても全く失当である。
以上から,「慢性肝疾患および肝硬変」と放射線との関連をみたワ5.
ン論文は,C型慢性肝炎と放射線との関連をみる目的で正しくデザイ
ンされた疫学調査ということはできないし,そこで観察された関連性
には因果関係を認めるほどの強固な関連性は認められていないのであ
る。ワン論文によって,原爆の放射線とC型慢性肝炎との間に関連性
が認められたとか,さらには,因果関係が認められたなどというもの
ではおよそない。
(イ)トンプソン論文について
トンプソン論文は,がんと放射線との関連性についての研究であ1.
り,C型慢性肝炎に関するものではない。したがって,その観察対象
集団の選択方法はC型慢性肝炎と放射線被曝との関連性を明らかにす
るうえで,適切とはいえない。
つまり,肝臓がんの中にはC型肝炎ウイルス以外の原因による原発2.
性肝臓がん(例えばB型肝炎ウイルス)の症例が存在する。第13回
全国原発性癌追跡調査報告によれば,原発性肝臓がんの95.6%が
肝細胞がん,その92.6%が肝炎ウイルスを原因としており,うち
C型肝臓がんが76.0%,B型肝臓がんが16.6%とされる。ま
た,原発性ではない,他の箇所から肝臓に転移したがんが多数存在す
る。がんの進行度により異なるが,剖検例では,肝移転の頻度は,胃
がん,大腸がんの50%,膵臓がんでは70%,全悪性腫瘍の40%
以上に認められるとされる。したがって,「肝臓がん」という観察対
象集団を用いた同論文の結論が,C型慢性肝炎と放射線被曝との関連
性を合理的に示すものでないことは,明白である。
(ウ)小括
以上のとおり,ワン論文及びトンプソン論文は,いずれもC型慢性肝
炎と放射線との関連をみる目的で正しくデザインされた疫学調査という
ことはできず,これらの調査結果を根拠として,原爆放射線とC型肝炎
・肝硬変との関連を肯定することは許されない。
ウ藤原論文によっても放射線被曝と慢性肝疾患との間に関連性,ましてや
因果関係は認められないこと
藤原論文は,2つのテーマについて研究している。
1つは,被爆者成人健康調査の対象者6121人について,「原爆放射
線被曝がC型肝炎ウイルス(HCV)感染陽性率を変化させるかどうか」
を調査するもので,要するに,原爆の放射線に被曝したことにより,HC
Vに感染しやすくなるかどうかを調べたものである。しかし,その結果
は,「実際の原爆放射線量とAHS対象者の抗HCV抗体陽性率とは関係
がなかった。むしろ,被曝していない人よりも被曝した人の方が陽性率は
低かった。」とされ,原爆放射線に被曝しようがしまいが,HCV感染率
に差はないことがはっきりしたのである。
藤原論文のもう1つのテーマは,「HCV感染後に慢性肝炎への進行を
促進するかどうか」であり,要するに,原爆の放射線に被曝したことによ
りC型慢性肝炎を発症しやすくなるかを調べたものである。
(ア)「抗HCV抗体の状態別に示した線量反応」(藤原論文10頁表
6)の評価
藤原論文表6は,抗HCV抗体の状態別に示した線量反応関係,つま
りHCVに感染した者(HCV陽性。なお,低抗体価は過去の感染,高
抗体価は現在の感染を示す指標とされる。)について,その被曝線量が
上がることにより,どれだけ慢性肝疾患(慢性肝炎又は肝硬変)を発症
しやすくなるかというリスクの増加率を数値により表したものであり,
抜粋すると次のとおりとなる。この「線量反応」は,1被曝線量がGy
増すごとに慢性肝疾患の相対リスクが増加する値である。
グループ線量反応P値信頼区間
陰性0.160.15−0.05∼0.46HCV
陽性(低抗体価)0.610.57−2.19∼4.09HCV
陽性(高抗体価)2.630.55−4.64∼14.64HCV
この調査結果である線量反応は,その信頼性が適切な検定により1.
検証される必要がある。その検証方法の1つがP値である。これは,
「比較しようとしている複数の群(例えば,被爆した者とそうではな
い者)の間に差がない,あるいは複数の項目の間に関係がない」とい
う帰無仮説を設定した上で,実際のデータで認められる差や統計学的
関係がこの仮説のもとで起こる確率Pを求め,このP値の大きさによ
り偶然誤差の範囲内の成績と考えられるか否かを評価するものであ
る。具体的には,P値に,ある一定の境界値(有意水準)を設け,求
められたP値がこれよりも小さい時には帰無仮説を棄却して「有意な
差あるいは有意な関連性がある」と判定し,逆に,求められたP値が
この境界値よりも大きい場合には,帰無仮説を棄却できないとして
「有意な差あるいは有意な関連性がない」と判定する。この境界値に
ついては,検定者の自由な判断で大きく設定することを認めれば,
「有意な差あるいは有意な関係」が示唆されたとの結論をたやすく導
き出せてしまうため,疫学・統計学の世界では,これを0.05以下
とすることが常識である。
このような観点で藤原論文を検討すると,問題とすべきHCV陽性
群では,いずれもP値が0.05を10倍以上も超える0.57や
0.55となっている。したがって,統計学上も,被曝線量と慢性肝
疾患発症との間に有意な関連性がないことは明らかである。この点,
藤原論文の執筆者であるb19証人も,「Pバリューが0.57とか
0.55で,全く放射線との影響が見られておりません。」と証言し
ている。
また,藤原論文の表6には,95%信頼区間が示されている。2.
ここで,95%信頼区間とは,100回の同一の調査を行い,同一
の計算方法を用いた場合,95回はこの信頼区間の中に母平均値が入
るということを表現している。
藤原論文において,ここで問題とすべきHCV陽性グループの95
%信頼区間をみてみると,いずれもマイナスからプラスまで大きな開
きが認められる。例えば,HCV陽性(低抗体価)のグループを見る
と,線量反応0.61,95%信頼区間が−2.19から4.09と
なっている。これは,同じ調査を100回行えば,そのうち95回
は,被曝線量の増加とともに相対リスクが高くなることもあれば低く
なることもあるということである。信頼区間がマイナスからプラスに
またがるということは,被曝により慢性肝疾患を発症しやすかったり
発症しにくかったりするというのであるから,被曝線量が増加するか
らといって有病率が増加する関係にあるとはいえないわけである。
藤原論文の表6によれば,上記のとおり,原爆の放射線量と肝疾患
の相対リスクとの線量反応関係は,HCV陽性者も陰性者も,信頼区
間がマイナスからプラスにまたがっており,しかも,HCV陽性者の
P値は,上記のとおり,0.5を超えているのであるから,正の線量
反応関係が有意に認められるとは到底いい難いものである。原爆の放
射線とC型慢性肝炎の発症との間に関連性があるというのであれば,
当然,HCV陽性者の被爆者集団では,被曝線量の増加とともに,肝
疾患の発症リスクが高まるという線量反応関係が見られなければなら
ないが(がんの場合にはこれが見られる。),そのような関係は全く
見られなかったわけである。そうであるならば,原爆の放射線とC型
慢性肝炎の発症との間には何の関連性も因果関係もないということに
なる。藤原論文の結論は,本来,これに尽きるのである。
戸田剛太郎研究員も,藤原論文について,「HCV抗体高力価陽性
はHCV感染が存在することを示しており,HCV抗体抗力価陽性者
においても,有病率に有意の線量反応がみられなかったことは,HC
V感染者において放射線曝露と肝疾患発症との間に関連があるとはい
えないことを示している。」と結論づけている。
(イ)抗HCV抗体の有無に基づいた線量別肝疾患相対リスク(藤原論
文10頁図2)の評価
東京高裁判決は,「藤原論文の図2は,表6記載の数値等を基に最終
的に統計的な検討を加えた上,抗HCV抗体の有無に基づいた線量別肝
疾患相対リスクを明らかにしたものである」とし,「表6に上記控訴人
主張のような記載(P値や信頼区間を示す値等)があるからといって,
直ちに,同論文から,HCV抗体陽性群について,統計学的,疫学的に
有意な線量反応関係が認められないとか,被曝線量の増加に伴って有病
率が増加する関係が認められないなどとはいえない。」と判示し,藤原
論文図2が示す結果を重視する。
図2は,東京高裁判決も判示するとおり,表6のHCV陰性群と,1.
2種類のHCV陽性群を1つのHCV抗体陽性群としたものとを,そ
れぞれグラフ化したものである。これによれば,HCV抗体陽性群全
体の相対リスクの増加率,すなわち,1の放射線を余分に被曝すGy
ることによって慢性肝疾患を発症するリスクが増加する割合は,1
あたり3.04とまとめられている。Gy
しかし,その値の検定値であるP値は,藤原論文を検討しても一切
触れられていない。藤原証人も「書いておりません。」と証言してい
る。とはいえ,図2のグラフは,表6の数値をまとめたものであると
ころ,表6のHCV抗体陽性群の相対リスクの増加率に関するP値
は,先に見たとおり,いずれも0.57,0.55であるから,いか
ように,「表6記載の数値等を基に最終的に統計的な検討を加えた」
としても,3.04という相対リスクの増加率のP値が0.5を下回
ること,更にいえば本来要求される0.05を下回ることは到底あり
得ない。この事実は,藤原証人も,3.04という値のP値につい
て,「これ(0.57,0.55)に近い値ではあろうと思われま
す。」,「これが0.05になるかと言ったら,ならないと思いま
す。」と的確に証言している。
そして,「相対リスクの増加3.04/Gy」の95%信頼区間も2.
検討すると,その値は,藤原論文9頁の本文に「陽性の場合95%C
I1.059.02」と記載され,その区間が図2の上の実線を上--
下で挟む点線で示されている。つまり,1当たりの相対リスクのGy
増加3.04は,−1.05から+9.02の間にあるということで
あり,放射線被曝により慢性肝疾患を発症しやすくなることもあれば
(0∼9.02の間),かかりにくくなることもある(−1.05∼
0の間)ということであり,図2で示された数値によっても,被曝線
量が増加するからといって有病率が増加する関係にあるとは到底いえ
ないのである。
ところが,藤原らは,個別の群ごとの線量反応関係それ自体では3.
なく,図2に記載した2つの実線(HCV陰性群の線量反応関係とH
CV陽性群の線量反応関係)の勾配の差を比較することとし(3.0
4÷0.16=19),その結果を,藤原論文において,「線量反応
関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者において20倍近く高
い勾配を示したが・・・,これはかろうじて有意な差異であった(P
=0.097)」と和訳した。
しかし,この記載には十分な注意を払う必要がある。すなわち,
0.097というP値自体,0.05を超えるものであり,HCV感
染者と非感染者における相対リスクの増加を示す勾配に有意な差があ
ったとは認められないというべきであることはもちろんであるが,そ
もそも,このP値0.097の評価対象となった「勾配の差」は,何
の数値によって構成されているかというと,表6で算出された線量反
応なのである。つまり,藤原証人自身が,全く放射線との関連が見ら
れないと評価した表6記載の線量反応関係が真実であることを仮定し
(実際は全く信頼性のない数値であることを藤原自身が認めてい
る。),その上で,勾配の差を評価しているにすぎないのである。す
なわち,この「勾配の差」の検討は,HCV抗体陽性者の線量反応関
係と,HCV抗体陰性者の線量反応関係を比較し,陽性者の方が陰性
者よりどの程度被曝による影響を受けやすいかを検討したものと推察
されるが(勾配の差を見るという解析手法は極めてまれであり,その
解析の持つ意味を藤原論文から読みとることは実際上は困難であ
る。),そもそも,図2の勾配を示す基礎となった表6の値の信頼度
が極めて低く(P値が0.5を上回り,95%信頼区間もマイナスに
及んでいる。),有意な正の線量反応関係が見られなかったのである
から,比較する図2の2つの実線が示す線量反応関係自体が根拠のな
い不確かなものであった。そうである以上,この2つの実線の「勾配
の差」について,「線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の
対象者において20倍近く高い勾配を示したが・・・,これはかろう
じて有意な差異であった(P=0.097)」などと論ずる意味は全
くなかったというほかない。だからこそ,藤原証人も,本来,関連性
を示す表6の値の信頼度が低いこと,したがって,信頼できない表6
の数値を基礎とした図2の2つの勾配に差があるとしても,それは単
なる仮説の域を出ないものであることを認めているのである。
愛知県がんセンター研究所の田中英夫(大阪府立成人病センター4.
調査部にてがん,慢性肝炎とがんの疫学研究に従事。現在,愛知県が
んセンター研究所疫学・予防部長,医師医学博士)は,藤原氏が藤原
論文において検討した同じデータを用い,改めて,放射線と肝障害の
発現との関係について検討したところ,「オッズ比についても,HC
V感染非被爆者,HCV感染被爆者それぞれ15.057,15.0
56と差はみられなかった」と,原爆の放射線に被曝した者であろう
となかろうと,HCV感染者の肝障害の発現に変わりはなく,放射線
が肝障害の発症に影響を及ぼしているとはいえないことを明らかにし
た。
「オッズ」とは,事象が発生する確率と発生しない確率との比(あ
る事象の起こる確率をpとして,p/(1−p)の値をいう。)を,
「オッズ比」とは,オッズとオッズの比(ある事象の,1つの群とも
う1つの群とにおけるオッズの比)を意味する。オッズ比は,ある要
因と疾患との関連性を示す統計量として用いられる。オッズ比が1を
超える場合は,考慮している要因が疾患と関連のあることを意味する
(ただし,その要因が疾患の原因であるとは限らない。)。
そこで,田中は,藤原論文で使用されたものと全く同じデータに基
づいて,非被爆者(−)かつHCV感染なし(−)の群(以下「A
群」という。)のオッズを1とし,これと,非被爆者(−)かつHC
V感染(+)の群(以下「B群」という。)と被爆者(+)かつHC
V感染(+)の群(以下「C群」という。)のオッズ比を見ることと
した。A群とB群のオッズ比を見れば,HCVに感染することにより
慢性肝炎を発症するリスクの高さが分かる。そうであれば,そのB群
と,B群と同じようにHCVに感染し,かつ被曝したC群のオッズ比
を比較すれば,同じHCV感染者において,放射線に被曝することが
慢性肝炎を発症するリスクを促進させるかどうかが分かることにな
る。ところが,上記のとおり,B群のオッズ比は15.057であ
り,A群と比較して,HCVに感染することにより慢性肝炎を発症す
るリスクが15.057倍あるというのであるが,他方,C群のオッ
ズ比も15.056であり,計算するまでもなく,B群と全く値は変
わらない。したがって,このことから,放射線に被曝しようがしまい
が,HCV感染者における慢性肝炎の発症リスクに変わりがないこと
がはっきりと分かるのである。
このことが戸田報告によって再確認され,医療分科会は,こうした
知見を踏まえ,C型肝炎については,放射線との関連性を認める科学
的知見がないことを改めて確認している(なお,藤原氏は医療分科会
の委員でもある。)。医療分科会の委員は,我が国を代表する放射線
科学者,医学関係者からなる専門家であり,援護法は,原爆症認定を
するに当たって,このような科学的知見や科学的な常識を尊重するよ
うに求めている。それにもかかわらず,こうした科学的な常識を無視
し,学術性,科学性の乏しい知見のみを一方的に取り上げて,あるい
は論文の趣旨を素人的発想で誤読,曲解して,C型肝炎の放射線起因
性を認めることは許されない。
(ウ)小括
以上のとおり,藤原論文においては,執筆者である藤原氏自身の供述
からも,被曝線量と慢性肝疾患との関連を示す値が適切な統計的検定に
よって有意性が確認されたとは認められないことが明らかであり,この
検討結果をもって,HCV抗体陽性群について,統計学的,疫学的に有
意な線量反応関係,すなわち被曝線量の増加に伴って慢性肝疾患の有病
率が増加する関係が認められたとは評価し得ない。
エ東京高裁判決の誤り
(ア)東京高裁判決は,あたかも藤原論文が,放射線と慢性肝疾患との
間に有意な関連を認めたかのようにいう。
(イ)しかし,東京高裁判決は,前記(3)ウのとおり,図2の勾配を
示す基礎となった表6の値の信頼度が極めて低く,比較する図2の2つ
の実線が示す線量反応関係自体が根拠のない不確かなものであったこ
と,そうである以上,この2つの実線の「勾配の差」について議論する
こと自体,意味のないものであったことを全く看過している。2つの実
線の「勾配の差」のP値が0.097であることの意味を問題にするこ
と自体失当であったのである。
この点をおいても,藤原証人は,通常はP値が0.05より小さくな
れば帰無仮説を棄却できるとの正しい認識を示した上,藤原論文の結論
について,「(P値が0.05にならないということは,被曝線量に伴
う相対リスクの変化について,変化がないという帰無仮説を棄却できな
かったということになるんでしょうかとの質問に対し)線量と被曝との
関係については,そういうことが言えます。」,「(実際の研究の結果
なんですけれども,P値が0.097だったということなんですが,証
人はこれは有意差があると,すなわち帰無仮説は棄却されたというふう
に結論付けていらっしゃるんでしょうかとの質問に対し)棄却されたと
は結論付けておりません。」と明確に証言し,差異が有意であったこと
を否定している。要するに,藤原らは,有意水準を0.05から0.1
まで引き上げたのではなく,有意水準は0.05に保ったまま,0.0
5から0.1までの領域を「マージナリーシグニフィカント」と英語表
現したにすぎないのである。そもそも有意水準とは,検定を行う前に決
定するものであって,P値がそれを上回ったからといって,検定後に勝
手に変更して良いなどというものではない。そのようなことになれば,
検定の意味が全くない。
そして,このマージナリーシグニフィカントとは,当時の藤原論文に
よれば,「かろうじて有意な」と和訳されているが,その意味につい
て,藤原は,「マージナリーシグニフィカントの意味は,その見られた
所見が真実でなかった可能性と,それから検出力がなかったという2つ
の可能性,だから何とも言えません。」,「だから大体統計的にはその
間をある意味でグレーラインということで,そういうふうに処理してい
るんだと思います。」,「だからその傾斜が少しわずか,統計的には有
意ではないけれど,0.09だったので,可能性を示唆していると表現
しております。」などと証言し,一貫して,有意であるとの意味ではな
いことを明らかにしている。
そうであれば,研究者であり藤原論文の執筆者である藤原ですら,有
意水準を0.05と設定した上で,有意な差異や関連は見られなかった
としているのであるから,研究者のこのような意図とは全く離れて,勝
手に有意水準を0.1にまで引き上げた上で,「藤原論文も,そのよう
な統計学的有意相関を肯認したものと認めるのが相当である。」と判示
することは,藤原論文の趣旨を完全に誤解したものというほかない。藤
原らは,東京高裁判決が研究者の意図から離れ,論文上の和訳の表現を
表面的に捉えて判示したことを受けて,最近,藤原論文9頁の「線量反
応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者において20倍近く高
い勾配を示したが,これはかろうじて有意な差異であった(P=0.0
97)。」との記載を,「・・これは有意に近いが有意ではなかった
(P=0.097)。」と訂正し,誤解のないよう有意でなかったこと
を明確にし,結論についても,「慢性肝疾患に対する放射線量反応の増
加が認められた。」との記載を,「慢性肝疾患に対する放射線量反応の
増加の可能性が示唆された。」と訂正した。
(ウ)東京高裁判決は,有意水準を0.1に引き上げて評価した理由と
して,放影研以外では0.1とすることもあり,本件調査の特殊性にか
んがみれば,0.1に引き上げて評価することも合理的な理由があるこ
とを挙げる。
しかし,藤原らが有意水準を0.1と設定して研究したものではない
以上,放影研以外では0.1に設定することもあるからといって,藤原
論文の評価方法まで変更する合理的な理由にはならない。そして,本件
疫学調査の特殊性から有意水準を引き上げてもよいとする考え方は,放
射線被曝と疾病との因果関係が存在する高度の蓋然性が立証されなけれ
ばならないことを完全に看過したものである。放射線被曝と慢性肝疾患
との間に因果関係があるということが高度の蓋然性をもって立証されな
ければならないのであって,放射線被曝と慢性肝疾患との間に有意では
ないがわずかな関連があることが高度の蓋然性をもって立証されれば足
りるということでは全くないのである。
(エ)この点をおいても,戸田報告によれば,藤原論文も含めた複数の
論文のレビューにより,C型慢性肝炎と放射線との間に関連がないこと
が明らかにされている。
(4)結語
以上のように,放射線と肝障害に関する文献レビューを行った「戸田報
告」によって示された肝機能障害と放射線被曝の関連性に関する最新の知
見,とりわけ,放射線被曝とC型肝炎及び肝硬変との関連性に関する最新の
知見からすれば,C型肝炎に原爆放射線起因性を認めることができないこと
は,明らかというべきである。
以上のとおり,肝機能障害(C型肝炎)及び肝硬変については,放射線と
の関連性を裏付ける科学的知見がない疾病であり,その関係を否定するのが
今日における放射線学の常識である。
そして,上記の点をおくとしても原告Aの肝硬変までの経過が通常の経過
と異ならない。また,血小板減少症及び食道静脈瘤については,肝硬変の進
行に伴い副次的に発症したものと考えられるところ,この点については,原
告らも,食道静脈瘤や血小板減少症は肝硬変の肝外症状と考えられるとして
いるから,肝硬変に放射線起因性が認められない以上は,肝硬変に伴う食道
静脈瘤及び血小板減少症に放射線起因性が認められないことは明らかであ
る。
5原告らの主張が失当であること
(1)原告らは,「原告Aに放射線被曝の機会があることや,放射線被爆に
典型的な急性症状と後遺症状から総合的に判断すると,原告は,原爆放射線
に起因することを否定し得ない食道静脈瘤,肝硬変,血小板減少症に罹り,
放射線の影響を否定しうる特段の事情もないことから,放射線起因性が認め
られるというべきである。」と主張するが,放射線起因性についての立証責
任は原告らにあり,当該疾病が放射線に起因する高度の蓋然性を証明しなけ
ればならないはずである。原告らがいうような「原告Aに放射線被曝の機会
がある」こと,「原爆放射線に起因することを否定し得ない」こと,「放射
線の影響を否定しうる特段の事情もないこと」などという立証のレベルでは
ないことは明らかである。
(2)原告らは,原告Aが1961年ころに罹患したリンパ腫について,甲
証人作成の意見書では良性・悪性を区別していないから,殊更に悪性である
と断定して論難しても意味がないと主張するが,原告A自身が,認定申請書
の別紙2頁目において,1961年「12月首の左右に淋巴腫が出来たので
手術をする。それを長崎の「ABCC」で検査した結果悪性の淋巴腫ですと
云われた。」と述べているのであるから,原告らの主張は前提を誤ってい
る。もし,原告らが,原告Aに見られたリンパ腫が悪性であったとの主張を
撤回し,かつ,良性であっても,放射線によるものであると主張するとの趣
旨であれば,そもそも,被曝によって良性のリンパ腫が生じることはないか
ら,原告Aにリンパ腫が見られたことは,同人の被曝の証左とはならず,原
告らの主張は失当である。
さらに,原告らは,原告Aの脾腫,貧血,白血球減少の原因が,骨髄障害
ではなく,特発性門脈圧亢進症(バンチ氏症候群)であったことが判明する
や否や,原告Aが骨髄障害を受けるほどの被曝をしていたとの主張を,免疫
異常が生じた可能性があるという主張にすり替えた。しかし,原告Aに,具
体的にどのような免疫異常が生じているのかについては,全く立証されてい
ない。原告らは,被告らが念のために検討した白血球数について,「被告ら
自身,白血球数は「免疫機能を反映する指標の一つ」としかいっておらず,
これだけをもって免疫機能は障害されていないということ自体が論理的に矛
盾している。」と論難するが,立証責任が原告にある以上,少なくとも,現
在ある客観的な医証において免疫機能障害が証明されていない限り,そのよ
うな障害はないとみなすのは当然のことである。
結局のところ,原告らは,「原爆放射線が原告Aの肝機能障害の促進に寄
与したことを否定することはできない」などと反論するに止まり,原爆放射
線が「肝機能障害の促進に寄与」した事実を主張立証することができておら
ず,原告AのC型肝炎及びこれに起因する肝硬変等が放射線起因性を有する
ことを基礎付けることはできていないのである。
(3)なお,原告らは,甲197号証,甲251号証を挙げて,原爆放射線
が免疫,炎症及び加齢に与える影響をいう。
しかし,原告らがいうところの原爆放射線が免疫,炎症及び加齢に与える
影響についての知見は,いずれも仮説の域を出るものではない。したがっ
て,これらの知見から,原爆放射線の免疫,炎症及び加齢に与える影響によ
り,原告らの申請疾病が発症したり,その発症が促進したりなどといったこ
とが認められるということはできない。
6結論
以上のとおり,本件処分Bは適法である。
第3原告Bについて
1被爆状況及び推定被曝線量
原告Bの被爆地は,広島市c1町であり,爆心地からの距離はおよそ1.7
である。km
原爆による初期放射線による被曝線量は,DS86によって合理的に推定で
きる(旧審査方針別表9)。広島の爆心地から約1.7の地点における初km
期放射線による被曝線量は0.22と推定され,更に原告Bは,遮蔽のあGy
る建物(自宅)内において被爆したと言うのであるから,原告Bの初期放射線
による被曝線量は,透過係数0.7を乗ずれば,0.154と推定されGy
る。
また,広島において,残留放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間
的には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまでの範囲に
限られ,放射性降下物による被曝の影響については,c2・c15地区以外の
地域においては考慮する必要がない。原告Bの被爆後の行動を見るに,同人
は,被爆後,c3山と呼ばれていた山に向かったが,途中で父親に会ったた
め,c4に行った,c3山に行く途中に黒い雨に当たった,翌日は,c6町に
行って母親に会い,再びc4に戻ったと供述する。しかし,この「c3山」が
「c23山」であるとすれば,c1町から南方のc24町付近にあることにな
るから,原告Bがc3山に行くためにc2付近を通ることは考え難く,放射線
降下物の影響を考慮する必要はない。なお,原告Bの姉は,c23山がc25
とc26の間辺りであり,c2地区の近くであると言うが,仮にそうであった
としても,放射性降下物についてのc2地区における無限時間を想定した被曝
線量が0.006∼0.02にすぎないから,一時的に通過した原告BらGy
の被曝線量はこれをはるかに下回り,無視し得るものである。このことは,仮
に,黒い雨によって,数もの被爆をしているのであれば,原告Bらに紅斑Gy
等の皮膚障害が生じているはずであるが,かかる事実がないことからも明らか
である。
したがって,原告Bの被曝線量は最大で0.156にすぎず,ほとんどGy
被曝していないといっても過言ではない。また,内部被曝による被曝線量を考
慮する必要はない。
2原告Bに被爆後にみられた身体症状は被曝によるものではないこと
原告Bは,被爆後から脱毛,歯茎出血,下痢といった症状があったと主張す
るが,同原告本人の供述によってさえそれらの症状の存在は認められず,その
他,それらの症状の存在を裏付ける証拠は何ら存在せず,原告Bに,被爆後,
脱毛,歯茎出血,下痢等の症状が存在した事実は認められない。同原告にみら
れたという火傷は,その発症時期や態様から見て,放射線ではなく,原爆の熱
線によるものである。
また,被曝による急性症状は,その発症の仕方や経過に特徴があるところ,
原告Bの姉二人にあったという脱毛及び下痢は,被曝による急性症状の発症経
緯に合致せず,放射線被曝による急性症状ではなく,当然,原告Bが相当量の
放射線を浴びたことの根拠となるものでない。
さらに,意見書では,晩発性障害として,種々の症状を挙げるが,これらの
症状・障害が原爆放射線の晩発性障害であるとの知見はなく,被爆後10年近
く経過して生じた症状は放射線被曝の急性症状ではない。
3放射線起因性について判断すべき疾病
原告Bの申請疾病は,腰部椎間板障害,陳旧性心筋梗塞,脳梗塞後遺症,腎
機能障害と認められる。
4原告Bの申請疾病に放射線起因性が認められないこと
(1)腰部椎間板障害について
ア原告Bは,被爆後12年が経過した昭和31年(19歳)のころからあ
るとされている腰部椎間板障害に放射線起因性があると主張する。
しかし,原告らのいう腰部椎間板障害は,ある特定の疾患を指すもので
はなく,「腰部(腰椎)椎間板に何らかの要因によって障害が生じた状
態」を指しているにすぎず,また,いかなる障害が具体的に生じているの
かすら明らかでない。原告Bが長期間にわたって腰痛を訴えていることか
ら見て,その主たる症状は慢性的な腰痛であると推察されるが,慢性的な
腰痛が被爆後に生じたからといって,その原因が原爆放射線であるという
ことはできない。
イ平成14年3月28日のc9病院心臓外科病棟入院時の診療録によれ
ば,原告Bは,同年3月28日,突然左腰部痛が出現したため,救急車で
心臓外科病棟へ入院したが,腰椎椎間板ヘルニア(座骨神経痛)の疑いで
あったために,同年4月2日には整形外科へ転科となった。整形外科での
診察の結果に,原爆放射線に起因して発症したことを疑わせる所見は全く
見当たらない。
ウ原告Bが,度々腰痛を訴えていたことについては,いつ,どの程度の腰
痛であったのかは定かではないが,原告Bは,腎盂腎炎を繰り返していた
ことがあるところ,腰痛は腎盂腎炎に伴って現れる症状の一つでもあるか
ら,同原告の腰痛も腎盂腎炎によるものとも推測できる。実際,原告B
は,腎盂腎炎で入院加療した際にも腰痛を訴えており,抗生物質の投与に
よって,腎盂腎炎が軽快するとともに腰痛も軽快し,退院のころには消失
している。
エc8病院の記録によれば,原告Bには不定愁訴があり,腰痛,関節の障
害及びそれに伴う痛みが本当にあるのか不明で,主治医でさえ,その訴え
をどの程度信用してよいか分からないとしており,被爆後から現在まで,
原告Bの申告どおりの症状が持続しているとは信用し難い。
オ原告Bは,認定申請書において「腰の骨が黒くなって」いる,本人尋問
において「もう腰の骨が真っ黒になって駄目だって。もうすかんすかんで
駄目だって。」と述べており,これはおそらく,骨粗鬆症であることを指
すものと思われ,C8病院においては,骨粗鬆症の診断も受けているよう
である。しかし,一般に,骨粗鬆症は閉経後の女性に多い疾患であり,男
性は50∼60歳代から見られるところ,女性は40歳代から発症する。
60歳代の女性では2人に1人が骨粗鬆症を起こす状態であるといわれて
おり,現在,日本には1000万人以上の患者がいると推定されているほ
ど,高齢者に広く見られる疾患である。原告Bは69歳の女性であり,骨
粗鬆症を発症していたとしても当然のことである。なお,原爆放射線が骨
粗鬆症の発症に関与するとの知見はない。
カ甲証人は,「小さいころに被爆をすると骨や軟骨に影響が来るというこ
とが書かれています。」,「発育や成長に影響が来ると書かれていま
す。」と述べるものの,それ以上に,原告Bの腰椎椎間板が原爆放射線に
よって具体的にどのような障害をどのような機序で受けたのかという点に
ついては,何ら明らかにしていない。また,若いころの骨,軟骨に発育や
成長に影響があるといいつつ,原告Bの腰椎に,具体的に発育障害や成長
障害がみられたという証言はしておらず,そのような障害の存在を示す客
観的な証拠はもちろん,原告B自身の供述さえないのであって,甲証人の
意見は前提を欠く。そもそも,甲証人は,自ら作成した原告Bについての
意見書中の「遅くとも原告が19歳のころには腰部の関節に何らかの障害
が生じていたものと思われ」(甲C7号証)との記載の趣旨を尋ねられる
と,「ただ,腰が痛いけれども原因不明というのがカルテの中の記載で
す。そのことを書いてあります。」,「(その障害と原爆放射線の関係と
いうのは,どう考えたらいいですか,との問いに対し)カルテの中を見る
と,椎間板障害を考えたんだけれども,調べてみたらよく分からないと書
いてありました。」と証言しているのであり,結局,原告Bが腰痛を訴え
たので,何の客観的根拠もないが障害があったと判断したというにすぎな
いことを自認している。
キなお,原告Bについての意見書には,「原告の腰部椎間板障害は,原爆
放射線による治癒能力の低下の影響であることを否定することができな
い。」と記載されている。しかし,放射線起因性にかかる要件は,現に医
療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又
は上記負傷又は疾病が熱線,爆風等の放射線以外の原子爆弾の傷害作用に
起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受
けているため上記状態にあることである。すなわち,原爆症の認定におい
て,原爆放射線による治癒能力の低下が問題となるのは,当該負傷又は疾
病が,原子爆弾の傷害作用のうちの熱線及び爆風による場合のみである。
しかるに,原告Bに生じているという腰椎椎間板障害は,被爆後12年が
経過した昭和31年(19歳)のころからのものであり,原子爆弾の熱線
及び爆風によるものではあり得ないから,原爆放射線による治癒能力の低
下を論じる前提を欠く。
クそして,「腰椎椎間板障害は腰に何かの形で無理が起こったときに,力
学的に腰椎の間の椎間板がずれて起こってくる病気というふうに考えま
す。」,「かなり生活の中で,先ほども,お酒を飲んだりたばこを吸った
り,いろいろしてますけれども,彼女は被爆の後学校にも行かれないでい
ると,相当大変な生活をしていたということで,かなり腰に無理のかかる
ようなこともしていたことが考えられるということです。」と,甲証人自
身自認しているとおり,原告Bの腰部椎間板障害は,被爆から相当程度時
間が経過した後,日常生活を送る中で,椎間板に物理的な負荷がかかり生
じたものであって,原爆放射線とは関係がないことは明らかである。
ケ以上のとおり,原告Bの腰椎椎間板障害に放射線起因性は認められな
い。
(2)心筋梗塞及び脳梗塞
ア心筋梗塞及び脳梗塞の発症原因及び病態について
(ア)ほとんどすべての心筋梗塞及び狭心症は,冠動脈硬化症に起因す
るものとされる。動脈硬化は,加齢とともに起こるが,偏った食生活や
運動不足などが長い間続くと,血管内にアテロームというもろい粥状の
物質が沈着しやすくなり,血管の内腔を狭くしたり,動脈硬化を促進す
るところ,動脈硬化が進むと,アテロームの表面を覆っている膜が破
れ,そこに血液成分が固まり,血栓を形成する。この血栓が大きくな
り,血流が減少すると心筋が虚血状態に陥り,胸痛発作を生じ,狭心症
が発症する。更に,血栓が大きくなり心臓の血管を完全に塞ぐと,その
血管の支配領域の心筋が壊死状態になり心筋梗塞が起こる。動脈硬化を
促進する因子は,心臓に余計な負担をかける高血圧,血液中の余分な脂
質が変性してアテロームの形成につながる高脂血症,細い動脈の動脈硬
化を促進したり血液が詰まりやすくなる糖尿病のほか,年齢,喫煙,カ
ロリー過多と脂質の過剰摂取の食習慣,肥満等であるとされる。
(イ)脳梗塞は,発生機序から,血栓性,塞栓性,血行力学性に分けら
れる。脳血栓は,血管壁の動脈硬化による障害部分に血栓が形成されて
起こる。また,血栓形成には凝固異常が関与することもある。脳塞栓
は,血流が良好に保たれている部分の末梢で栓子により動脈が閉塞され
て起こる。血行力学性(血行動態の障害)による梗塞は,通常,中枢側
の血行の狭窄あるいは閉塞により血液供給が不十分で,しかも,側副血
行も十分に機能しない場合,時には心臓の拍出力低下による脳全体の灌
流低下に伴い生じる。また,病態として,アテローム血栓性梗塞,心原
性塞栓症,ラクナ梗塞があるとされる。血管の壁は,本来弾力性がある
が,高血圧状態が長く続くと血管は常に張りつめた状態に置かれ,次第
に厚く,しかも硬くなる。これが高血圧による動脈硬化で,この動脈硬
化は,大血管にも小血管にも起こり,脳梗塞などの原因となる。すなわ
ち,高血圧は,脳梗塞の重大なリスク因子であり,脳梗塞の主因である
動脈硬化については,上記のとおりであって,典型的な生活習慣病の一
つである。
(ウ)心筋梗塞及び脳梗塞の有力な原因となり得る動脈硬化についてみ
ても,原爆放射線の影響が否定されている。
(エ)この点,甲証人は,「一番,今,私が根拠にしているのは,放影
研のほうから出している報告書です。LSSやAHSという文書が中心
になっています。」,「放影研の報告,AHSとLSSなどからみて
も,心筋梗塞,脳卒中という形での有意性があるよということが言われ
てきています。」とし,自らの判断が,LSS及びAHSに拠っている
ことを明らかにしている。しかし,放影研の寿命調査(LSS第11∼
13報)等は,被爆者を長期間追跡調査し,その死亡と被曝線量との関
連性を調べた疫学調査であること,疫学において,関連性と因果関係は
別の概念であるとされていること,上記放影研の寿命調査等は,疫学的
な関連性の存在から因果関係ありと合理的に推認できるための判断基準
を満たしておらず,同調査等において関連性ありとされたことから因果
関係を認めることは,疫学調査というものの性質上完全な誤りであるこ
とから,甲証人の判断は,その拠って立つ知見自体が誤っているもので
あって,到底合理的なものということはできない。なお,甲証人自身,
心筋梗塞等の心疾患と放射線被曝との関係について,「心血管系,心臓
のことと放射線の影響がなぜあるのかという文献が最近出てますけれ
ど,それによると,慢性の炎症が被爆者の方にはあって,そのため血管
の炎症があるだろうと。その結果として,どうも,心筋梗塞や脳血管障
害が起こってもいいんではないだろうかという,まだまだ研究段階です
けれども,そういう論文が出てきています。」,と証言しており,同証
人の見解が,いまだ研究段階の仮説にすぎないことを自認しているもの
である。
イ原告Bの心筋梗塞及び脳梗塞に放射線起因性が認められないこと
(ア)確かに,脳・心疾患のような循環器の障害と放射線との関連性の
有無が議論されることがあるが,それは,数十の被曝により,血管Gy
内壁の障害が生じることがあり得るとされているからである。しかし,
原告Bの被曝線量から見て,原爆放射線がそのような被曝による血管内
壁の障害を引き起こしたとは考えられないから,同原告の循環器障害の
発症原因となり得るなどということは,生物学的メカニズムの見地から
して考え難いところである。
(イ)また,心筋梗塞及び脳梗塞の原因である動脈硬化については,高
血圧,高脂血症,喫煙が三大危険因子であり,原告Bはこれらの全ての
要因を有している。
(ウ)原告Bは,本件処分Cに対する異議申立書において,「申立人
(原告B)は,腎機能障害,心筋梗塞,脳梗塞にかかり,繰り返し手術
を受けている。その際に,繰り返し原爆の影響が指摘され,原爆の影響
で治癒力が低下したため入院期間も比較的長くなったと医者に指摘され
ているのである。」などと主張しているが,医療機関における診療録等
客観的な医証には,主治医が,原告Bの疾病について,原爆の影響を指
摘した事実,あるいは,原爆の影響で治癒力が低下したため入院期間も
比較的長くなった旨指摘した事実は全く記載されていない。
(エ)原告Bの脳梗塞は,心筋梗塞に対するバイパス手術の合併症とし
て発症したと考えるべきであり,放射線起因性がないことは明らかであ
る。
ウ小括
以上のとおり,原告Bの心筋梗塞及び脳梗塞については,同人の被曝線
量からみても,一般論からしても,さらに,具体的な同人の疾病の経過か
らみても,原爆放射線に起因するなどといえるものでないことは明らかで
ある。
(3)腎機能障害
意見書においては,原告Bの腎機能障害について,「腎機能障害も動脈硬
化性疾患の一つであり,原告の腎機能障害もまた同様に動脈硬化症を背景に
したものと考えても矛盾しない。それゆえ,腎機能障害についても被爆の影
響を否定できない。」とされているが,昭和62年2月の入院時の診療録か
らも,原告Bの腎機能障害の原因は,慢性腎盂腎炎であることが明らかであ
る。そして,慢性腎盂腎炎は,細菌による感染症であって,原爆放射線に起
因するものではない。甲証人も,原告Bの腎機能障害が腎動脈硬化症による
ものであるとの自らの所見に何ら客観的な根拠がないことを自認し,さらに
は,腎動脈硬化症が原因であるとは言っていない旨証言して,自らの所見を
翻すに至っている。
(4)結論
以上の次第であるから,本件処分Cは適法である。
第4原告Dについて
1被爆状況
原告Dの被爆地は,d1市d2町の自宅内であり,爆心地からの距離は約
1.3である。km
2推定被曝線量
(1)初期放射線による被曝線量
原爆による初期放射線による被曝線量は,DS02によってその正当性が
検証されたDS86によって合理的に推定できる(旧審査方針別表9)。広
島の爆心地から約1.3の地点における初期放射線による被曝線量はkm
1.13と推定され,さらに,原告Dは,遮蔽のある建物(自宅)内にGy
おいて被曝したというのであるから,原告Dの初期放射線による被曝線量
は,透過係数0.7を乗ずれば,0.791と推定される。そして,被Gy
告らが上記のとおり遮へいに係る透過係数を一律に0.7としているのは,
被曝線量が推定し得る最大値となるようにするとの配慮によるものであり,
実際には,平均的な木造の日本家屋ですら,その透過係数は0.3∼0.5
程度なのであるから,実際の被曝線量は,上記の推定値をさらに下回るもの
と考えられる。
この点,原告Dは,原爆投下時の状況につき,遮へいがない状態で被爆し
たと主張するようである。しかし,原告Dの脇で就寝中であった妹が即死し
たのに,同原告が前額部と腕部の火傷程度の傷害で済んだことに照らせば,
同原告については家屋の遮へいを介して被爆したと認めるのが相当であり,
原告Dの上記主張は理由がないというべきである。
(2)残留放射線(誘導放射線)及び放射性降下物による被曝線量
ア広島において,残留放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間的
には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまでの範囲
に限られ,また,放射性降下物による被曝の影響については,d20地区
以外の地域においては考慮する必要がない。
イそこで,原告Dの被爆後の行動をみるに,その供述を前提とすると,同
原告は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域に入っ
たことはないから,前記アで述べたとおり,時間的・場所的に見て誘導放
射線による被曝の影響は考えられない。また,同原告には,d1市d20
地区に滞在又は居住した経過も認められない。したがって,原告Dについ
ては,誘導放射線及び放射性降下物による被曝の影響を考慮する必要はな
い。
(3)小括
以上によると,原告Dの被曝線量は,0.791にすぎない(仮に同Gy
原告が主張するように遮へいのない状態で被爆したとしてみても,1.13
にすぎない。)。Gy
3被爆後の身体状況
原告Dは,高熱・嘔吐・脱毛・だるさといった放射線被曝に典型的な急性症
状を発症していると主張する。
(1)原告Dは,高熱,嘔吐,だるさなどといった症状に関して,「被爆後
3日ぐらいは痛みと吐き気といった感じで,全く意識そのものがもうろうと
していたように記憶しています。」などと述べるのみで,症状発症の経過等
の詳細は不明であり,また,こうした症状は放射線被曝以外の要因によって
も一般的に生じ得る症状であるから,同原告のこうした症状が被曝によるも
のと断定することはできない。
(2)そして,脱毛については,脱毛のしきい値は3程度であり,原告Gy
Dの被曝線量からみて,同人に被曝による脱毛が生じることはあり得ない。
また,被曝による一過性の脱毛であれば,被曝後2∼3週間程度の潜伏期
の後にみられ,回復した後は繰り返し脱毛が起こることはあり得ない。
しかるに,原告Dは,脱毛が被爆後1週間位で生じ,さらに昭和30年こ
ろ,急性虫垂炎の手術のためにd8病院に入院した際に,退院後,「私の頭
髪は全て抜け落ちました。」,昭和31年ころ,d10病院に入院した際
に,「このころにも,私の頭髪は3分の2ほど抜けました。」などと供述し
ており,同原告の脱毛の状況は被曝による脱毛の特徴とは全く異なってい
る。
脱毛については,人は,もともと1日に50本程度の抜け毛があるとこ
ろ,原爆投下当時の劣悪な衛生状態,栄養状態等に照らすと,一時的に抜
け毛が増えたと感ずることがあったとしても何らおかしくはない。原告D
についても,「もうふろなんか,当時その当時入れるわけもなかったし,
ふろもなかったです。」と供述しており,同原告が原爆投下直後には劣悪
な衛生状態に置かれていたことは明らかである。
したがって,仮に原告Dの供述どおりの症状があったとしても,被曝に
よる脱毛の特徴(発症機序)から見れば,その原因は,原爆放射線とは考
えられない。そうすると,この供述を前提とする個別意見書の意見や甲証
人の証言もまた,確立した医学的知見に反しており失当である。
したがって,原告Dの訴える脱毛については,放射線被曝によるものと
は認められず,被曝により脱毛を生ずるほどの線量を被曝したとは認めら
れない。
4原告Dの申請疾病に放射線起因性が認められないこと
(1)原告Dの申請疾病は胃がんであるところ,同原告の発症は,同人が約
67歳に達した平成14年ころになってからのことである。胃がんは,放射
線の健康影響のうち確率的影響の範ちゅうに属する疾病とされており,医療
分科会では,放射線疫学研究のなかで最も科学的価値の高いものと国際的に
評価されている放影研による原爆被爆者の疫学調査から得られた放射線誘発
がんのリスクを基に,性,被爆時年齢,被曝線量に応じた原因確率を求め,
認定の目安として定めている。胃がんの放射線起因性の判断にあたっては,
推定された被曝線量に基づき算定された原因確率がもっとも合理的な目安と
なるところ,原告Dは男性であるから,原因確率は旧審査方針別表2−1に
よって算定される(旧審査方針第1の2)。同原告の被曝線量は,原告Dの
主張によったとしても1.13であり,被曝時年齢が10歳の被爆者にGy
発症した胃がんの原因確率は,被曝線量が1.2の場合に9.0%であGy
り,実際には上記のとおり,遮へいがあったことを考慮すれば,さらに下回
る(0.9のときに6.9%であるから,0.791の場合にはこれGyGy
をさらに下回る。)から,原告Dの胃がんの原因確率は,9.0%を上回る
ことはなく,科学的にみれば,原爆の放射線が原因となって当該申請疾病を
発症したとは考え難い。
なお,原告Dについては,同原告の胃がんの発症について被爆の影響を否
定することができない旨の高橋医師らの意見書が提出されているが,意見書
は,原告Dの被曝線量が10であることを前提に記載されており,証拠Gy
として値しない。
(2)そもそも,胃がんについては,我が国におけるその罹患数は10万3
685人(1999年推定値),死亡数が4万9535人(2003年推定
値)であり,罹患数では第1位,死亡数では肺がんに次いで2番目に多いが
んである。年齢とともに増加し(75∼79歳の男性の胃がん罹患率は人口
10万対562.8であり,80∼84歳の男性では646.8であ
る。),被爆者であろうとなかろうと高塩分食の摂取,野菜や果物の摂取不
足,喫煙,ヘリコバクターピロリ菌の持続感染等の要因により国民に広く見
られるものである。
原告Dについては,男性であること,高齢であること等の危険因子を有す
るのであり,上記のとおり,同原告の放射線の被曝線量は原告Dの主張によ
ったとしても1.13であるから,その他同原告の既往歴,環境因子,Gy
生活歴等を考慮しても,同原告の胃がんが,他の一般の高齢者に見られる胃
がんと異なるものとは認められず,同原告が胃がんを発症したとしても,こ
れが放射線に起因するといえないことは当然である。
(3)この点,原告Dは,「被爆者に多重癌が多く見られる」,「被爆者に
は多重癌が発生する可能性が高いことは放影研の研究者も指摘するところで
ある。」,「原告Dは,これらのがんに繰り返し罹患しているのであり,近
時被爆者には多重ガンに罹患する人が多いという報告があることにも鑑みれ
ば,これが原告Dが放射線の影響を極めて強く受けていることの証左であ
る。」とも主張する。
しかし,そもそも,発がんには一般的に放射線起因性があり,個々のが
んについて被爆者のリスクは非被爆者よりも高いのであるから,その発が
んの被爆者における高リスク性は,2番目の発がんにおいても消失せず,
被爆者が多重がんとなるリスクも高くなること自体はある意味当然であ
る。問題は,第1のがんを発症した後の第2のがんのリスク(原因確率)
が,第2のがん単体でみたときのリスク(原因確率)よりも高くなるかど
うかであるが,被爆者集団で有意にそのようなリスクが増加していること
を示す科学的知見は全くなく,科学的に実証されていない事実を認定の基
礎とすることはできない。多重がんも個々のがんには変わりなく,一般
に,治療によって治癒・延命できるがんが増加していることや寿命の延長
による高齢者増加のために多重がんの生じる機会は増加しつつあるので,
最近多重がんが増えてきたことをもって,多重がんと線量の関係が認めら
れたとはいえない。
したがって,原告Dの上記主張は,理由がなく失当である。
(4)さらに,原告らは,申請疾病ではない白内障にり患していることから
申請疾病にも放射線起因性があるかのように主張する。
しかし,原告Dが被爆後約50年以上経過した後,63歳ころになって診
断されたという白内障は,同年代の者に通常見られる老人性白内障と何ら異
なるものではないから,このような白内障の発症に,約50年以上も前のご
くわずかな原爆放射線が寄与していると考えること自体非常識である。そう
である以上,原告Dがこのような白内障に罹患したことは,原告Dの申請疾
病の放射線起因性を肯定する根拠にはならないというべきである。
6結論
以上のとおり,本件処分Dは適法である。
(別紙)
被告ら主張3
1放射線起因性を否定した本件各処分の判断には何らの誤りもなく,被告国が国
家賠償法上の責任を負う余地はない。
2新審査方針の下においては,旧審査方針の下では放射線起因性があるとは認め
られなかった者についても,これがあるものと認められて,原爆症認定を受けら
れる者もいるが,そうであっても,このような者の損害賠償請求が認められる余
地はない。
国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別
の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたと
きに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである
(最高裁平成17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁)。した
がって,ある処分が後に取り消されたとしても,それだけでは当該処分をしたこ
とが同法上違法であるということはできず,職務上通常尽くすべき注意義務を尽
くすことなく漫然と処分をしたと認め得るような事情がある場合に限って,同法
1条1項にいう違法があったとの評価を受けるにすぎない(最高裁平成5年3月
11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁)。旧審査方針の下では放射
線起因性があるとは認められなかった者が,新審査方針の下においてこれがある
ものと認められて原爆症認定を受けられたとしても,それは,旧審査方針に基づ
いてされた原爆症認定申請却下処分が科学的に誤っていたからではなく,行政上
の判断から被爆者の救済範囲を可及的に拡大する政策が新たに採用されたからに
ほかならない。旧審査方針の下において放射線起因性が認められないとしてされ
た原爆症認定申請却下処分も,十分な科学的根拠に基づいてされたものであり,
職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と処分をしたものでないこ
とは明らかであるから,これが国家賠償法上違法であるとされるいわれはない。

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