弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決及び第一審判決中被告人A、同B及び同Cに関する部分を破棄す
る。
     被告人Aを懲役三月に、被告人Bを懲役一月に、被告人Cを懲役二月に、
処する。
     被告人A、同B及び同Cに対し、この裁判確定の日から一年間、その刑
の執行を猶予する。
     第一審及び原審における訴訟費用の負担を別紙のとおり定める。
     被告人Dの本件上告を棄却する。
         理    由
 (本件の経過)
 本件公訴事実の要旨は、
 被告人らは、いずれも、昭和三六年一〇月二六日旭川市立E中学校において実施
予定の全国中学校一せい学力調査を阻止する目的をもつて、当日、他の数十名の説
得隊員とともに、同校に赴いた者であるところ、
 第一 被告人D、同A、同Bは、前記説得隊員と共謀のうえ、同校校長Fの制止
にもかかわらず、強いて同校校舎内に侵入し、その後、同校長より更に強く退去の
要求を受けたにもかかわらず、同校舎内から退去せず、
 第二 同校長が同校第二学年教室において右学力調査を開始するや、
 (一) 被告人Dは、約一〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査立会人とし
て旭川市教育委員会から派遣された同委員会事務局職員Gが右学力調査の立会に赴
くため同校長室を出ようとしたのに対し、共同して同人に暴行、脅迫を加えて、そ
の公務の執行を妨害し、
 (二) 被告人Bは、右学力調査補助者Hに対し暴行を加え、
 (三) 被告人I、同B、同Cは、外三、四〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学
力調査を実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、共同して暴行、脅迫を
加えて、その公務の執行を妨害し
たものである、
というものであつて、第一の事実につき建造物侵入罪、第二の(一)及び(三)の
事実につき公務執行妨害罪、第二の(二)の事実につき暴行罪に該当するとして、
起訴されたものである。
 第一審判決は、右公訴事実第一の建造物侵入の事実については、ほぼ公訴事実に
沿う事実を認定して被告人D、同I、同Bにつき建造物侵入罪の成立を認め、第二
の(一)、(二)の各事実については、いずれも被告人D、同BがG及びHに暴行、
脅迫を加えた事実を認めるべき証拠がないとして、公務執行妨害罪及び暴行罪の成
立を否定し、第二の(三)の事実については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実の存
在を認めたが、F校長の実施しようとした前記学力調査(以下「本件学力調査」と
いう。)は違法であり、しかもその違法がはなはだ重大であるとして、公務執行妨
害罪の成立を否定し、共同暴行罪(昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力
行為等処罰に関する法律一条一項)の成立のみを認め、被告人Dを建造物侵入罪で
有罪とし、被告人I、同Bを建造物侵入罪と共同暴行罪とで有罪とし、両者を牽連
犯として共同暴行罪の刑で処断し、被告人Cを共同暴行罪で有罪とした。
 第一審判決に対し、検察官、被告人らの双方から控訴があつたが、原判決は、第
一審判決の判断を是認して、検察官及び被告人らの各控訴を棄却した。
 これに対し、検察官は、被告人I、同B、同Cに対する関係で上告を申し立て、
また、被告人らも上告を申し立てた。
 (弁護人の上告趣意について)
 弁護人森川金寿、同南山富吉、同尾山宏、同彦坂敏尚、同上条貞夫、同手塚八郎、
同新井章、同高橋清一、同吉川基道(旧姓川島)の上告趣意について
 第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に
適切でなく、第二点及び第三点は、単なる法令違反の主張であり、第四点は、事実
誤認の主張であり、第五点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案
を異にして本件に適切でなく、いずれも適法な上告理由にあたらない。
 (検察官の上告趣意第二点について)
 一  論旨
 論旨は、要するに、第一審判決及び原判決において、本件学力調査が違法である
とし、したがつて、これを実施しようとしたF校長に対する暴行は公務執行妨害罪
とならないとしているのは、本件学力調査の適法性に関する法令の解釈適用を誤つ
たものであるというのである。よつて、所論にかんがみ、職権により、本件学力調
査の適法性について判断する。
 二 本件学力調査の適法性に関する問題点
 1 本件学力調査の概要
 文部省は、昭和三五年秋ころ、全国中学校第二、三学年の全生徒を対象とする一
せい学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和三六年三月八
日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一せい学力
調査の実施期日について(通知)」と題する書面を、次いで、同年四月二七日付同
連名による「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面
に調査実施要綱を添付したものを、各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、
各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「
地教行法」という。)五四条二項に基づき、右調査実施要綱による調査及びその結
果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、(1) 本件学力調査
の目的は、(イ)文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹
立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自
校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知
り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省及び
教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、
(ニ)文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役
立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等であり、(2) 調査の対
象は、全国中学校第二、三学年の全生徒とし、(3) 調査する教科は、国語、社
会、数学、理科、英語の五教科とし、(4) 調査の実施期日は、昭和三六年一〇
月二六日午前九時から午後三時までの間に、一教科五〇分として行い、(5) 調
査問題は、文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成し、(6) 調査
の系統は、都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)は当該都道府県
内の学力調査の全般的な管理運営にあたり、また、市町村教育委員会(以下「市町
村教委」という。)は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施の
ため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補
助員に命じ、更に教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遣
し、(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立学校については市町村
教委が行い、都道府県教委において都道府県単位の集計を文部省に提出するものと
し、(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄
に調査結果の換算点を記録する、等の内容を含むものである。
 そこで、北海道教育委員会(以下「北海道教委」という。)は、同年六月二〇日
付教育長名の通達により、道内各市町村教委に対して同旨の調査及びその結果に関
する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下「旭川市教委」
という。)においては、同年一〇月二三日、同市立の各中学校長に対し、学校長を
テスト責任者として各中学校における本件学力調査の実施を命じるに至つた。
 なお、北海道教委及び旭川市教委の権限行使の根拠規定としては、それぞれ地教
行法五四条二項、二三条一七号が挙げられていた。
 以上の事実は、原判決が適法に確定するところである。
 2 第一審判決及び原判決の見解
 第一審判決及び原判決は、前記の過程を経て行われた本件学力調査は、文部省が
独自に発案し、その具体的内容及び方法の一切を立案、決定し、各都道府県教委を
経て各市町村教委にそのとおり実施させたものであつて、文部省を実質上の主体と
する調査と認めるべきものであり、その適法性もまた、この前提に立つて判断すべ
きものであるとしたうえ、右調査は、(1) その性質、内容及び影響からみて教
育基本法(以下「教基法」という。)一〇条一項にいう教育に対する不当な支配に
あたり、同法を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、また、
(2) 手続上の根拠となりえない地教行法五四条二項に基づいてこれを実施した
点において、手続上も違法である、と判断している。そこで、以下において右の二
点につき検討を加える。
 三 本件学力調査と地教行法五四条二項(手続上の適法性)
 (一) 原判決は、本件学力調査は、教育的価値判断にかかわり、教育活動とし
ての実質を有し、行政機関による調査(行政調査)のわくを超えるものであるから、
地教行法五四条二項を根拠としてこれを実施することはできない、と判示している。
 行政調査は、通常、行政機関がその権限を行使する前提として、必要な基礎資料
ないしは情報を収集、獲得する作用であつて、文部省設置法五条一項一二号、一三
号、二八号、二九号は、特定事項に関する調査を文部省の権限事項として掲げ、地
教行法二三条一七号は、地方公共団体の教育にかかる調査を当該地方公共団体の教
育委員会(以下「地教委」という。)の職務権限としているほか、同法五三条は、
特に文部大臣による他の教育行政機関の所掌事項についての調査権限を規定し、同
法五四条にも調査に関する規定がある。本件学力調査がこのような行政調査として
行われたものであることは、前記実施要綱に徴して明らかであるところ、原判決は、
右調査が試験問題によつて生徒を試験するという方法をとつている点をとらえて、
それは調査活動のわくを超えた固有の教育活動であるとしている。しかしながら、
本件学力調査においてとられた右の方法が、教師の行う教育活動と一部としての試
験とその形態を同じくするものであることは確かであるとしても、学力調査として
の試験は、あくまでも全国中学校の生徒の学力の程度が一般的にどのようなもので
あるかを調査するためにされるものであつて、教育活動としての試験の場合のよう
に、個々の生徒に対する教育の一環としての成績評価のためにされるものではなく、
両者の間には、その趣旨と性格において明らかに区別があるのである。それ故、本
件学力調査が生徒に対する試験という方法で行われたことの故をもつて、これを行
政調査というよりはむしろ固有の教育活動としての性格をもつものと解し、したが
つて地教行法五四条二項にいう調査には含まれないとすることは、相当でない。も
つとも、行政調査といえども、無制限に許されるものではなく、許された目的のた
めに必要とされる範囲において、その方法につき法的な制約が存する場合にはその
制約の下で、行われなければならず、これに違反するときは、違法となることを免
れない。原判決の指摘する上記の点は、むしろ本件学力調査の右の意味における適
法性の問題に帰し、このような問題として論ずれば足りるのであつて、これについ
ては、後に四で詳論する。
 (二) 次に、原判決は、地教行法五四条二項は、文部大臣において地教委が自
主的に実施した調査につきその結果の提出を要求することができることを規定した
にとどまり、その前提としての調査そのものの実施を要求する権限を認めたもので
はないから、文部省が同条項の規定を根拠として本件学力調査の実施を要求するこ
とはできず、この点においても右調査の実施は手続上違法である、と判示している。
 地教行法五四条二項が、同法五三条との対比上、文部大臣において本件学力調査
のような調査の実施を要求する権限までをも認めたものと解し難いことは、原判決
の説くとおりである。しかしながら、このことは、地教行法五四条二項によつて求
めることができない文部大臣の調査要求に対しては、地教委においてこれに従う法
的義務がないということを意味するだけであつて、右要求に応じて地教委が行つた
調査行為がそのために当然に手続上違法となるわけのものではない。地教委は、前
述のように、地教行法二三条一七号により当該地方公共団体の教育にかかる調査を
する権限を有しており、各市町村教委による本件学力調査の実施も、当該市町村教
委が文部大臣の要求に応じその所掌する中学校の教育にかかる調査として、右法条
に基づいて行つたものであつて、文部大臣の要求によつてはじめて法律上根拠づけ
られる調査権限を行使したというのではないのである。その意味において、文部大
臣の要求は、法手続上は、市町村教委による調査実施の動機をなすものであるにす
ぎず、その法的要件をなすものではない。それ故、本件において旭川市教委が旭川
市立の各中学校につき実施した調査行為は、たとえそれが地教行法五四条二項の規
定上文部大臣又は北海道教委の要求に従う義務がないにもかかわらずその義務があ
るものと信じてされたものであつても、少なくとも手続法上は権限なくしてされた
行為として違法であるということはできない。そして、市町村教委は、市町村立の
学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成につ
いて基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な
場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、旭川市
教委が、各中学校長に対し、授業計画を変更し、学校長をテスト責任者としてテス
トの実施を命じたことも、手続的には適法な権限に基づくものというべく、要する
に、本件学力調査の実施には手続上の違法性はないというべきである。
 もつとも、右のように、旭川市教委による調査実施行為に手続上の違法性はない
としても、それが地教行法五四条二項による文部大臣の要求に応じてされたという
事実がその実質上の適法性の問題との関連においてどのように評価、判断されるべ
きかは、おのずから別個の観点から論定されるべき問題であり、この点については、
四で検討する。
 四 本件学力調査と教育法制(実質上の適法性)
 原判決は、本件学力調査は、その目的及び経緯に照らし、全体として文部大臣を
実質上の主体とする調査であり、市町村教委の実施行為はその一環をなすものにす
ぎず、したがつてその実質上の適否は、右の全体としての調査との関連において判
断されなければならないとし、文部大臣の右調査は、教基法一〇条を初めとする現
行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、ひいては旭川市教委による調査実施
行為も違法であることを免れない、と断じている。本件学力調査は文部大臣におい
て企画、立案し、その要求に応じて実施されたものであり、したがつて、当裁判所
も、右調査実施行為の実質上の適法性、特に教基法一〇条との関係におけるそれは、
右の全体としての調査との関連において検討、判断されるべきものとする原判決の
見解は、これを支持すべきものと考える。そこで、以下においては、このような立
場から本件学力調査が原判決のいうように教基法一〇条を含む現行の教育法制及び
それから導かれる法理に違反するかどうかを検討することとする。
 1 子どもの教育と教育権能の帰属の問題
 (一) 子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員と
してその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけ
るために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも
欠くことのできないものである。この子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的
な形態としては、親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作
用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及
びその延長としての私的施設による教育をもつてしては、近代社会における経済的、
技術的、文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応
しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、
子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画
的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの
教育は、主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれる
という状態になつている。
 ところで、右のような公教育制度の発展に伴つて、教育全般に対する国家の関心
が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至つた一方、教育の本
質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配
し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教育に対す
る国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあが
るようになつた。このことは、世界的な現象であり、これに対する解決も、国によ
つてそれぞれ異なるが、わが国においても戦後の教育改革における基本的問題の一
つとしてとりあげられたところである。本件における教基法一〇条の解釈に関する
前記の問題の背景には右のような事情があり、したがつて、この問題を考察するに
あたつては、広く、わが国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対
していかなる態度をとつているかという全体的な観察の下で、これを行わなければ
ならない。
 (二) ところで、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰
属するとされているかについては、二つの極端に対立する見解があり、そのそれぞ
れが検察官及び弁護人の主張の基底をなしているようにみうけられる。すなわち、
一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度
は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこに
おいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体
の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の
決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるか
ら、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれ
を定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれ
らの事項について決定権限を有する、と主張する。これに対し、他の見解は、子ど
もの教育は、憲法二六条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として
行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であ
り、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性
格をもつのであつて、それ故にまた、教基法一〇条一項も、教育は、国民全体の信
託の下に、これに対して直接に責任を負うように行われなければならないとしてい
る、したがつて、権力主体としての国の子どもの教育に対するかかわり合いは、右
のような国民の教育義務の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、
子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能をもたず、教育
は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対し
て教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきも
のであり、このことはまた、憲法二三条における学問の自由の保障が、学問研究の
自由ばかりでなく、教授の自由をも含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育
のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶと解すべきことによつても裏付けられ
る、と主張するのである。
 当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも
全面的に採用することはできないと考える。以下に、その理由と当裁判所の見解を
述べる。
 2 憲法と子どもに対する教育権能
 (一) 憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条で
あるが、同条は、一項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、そ
の能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項において、
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受け
させる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。この規定は、
福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に
供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である
普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる
義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、
この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、
発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有する
こと、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足する
ための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が
存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的
権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはか
りうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。
 しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育
を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教
育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるか
という問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、
子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定
されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、
文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定している
と解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである。
 (二) 次に、学問の自由を保障した憲法二三条により、学校において現実に子
どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受
けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用する
ことができない。確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばか
りでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な
学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主
とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教
授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子ど
もとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないと
いう本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が
認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由
が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学
生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育に
おいては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、
支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師
を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を
確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に
完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければなら
ない。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授
の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも
少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止さ
れるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期
待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。
 (三) 思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく
左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すか
は、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすもの
である。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその
教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施
に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということが
できる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべき
ものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきもの
であるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかに
ついては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定に
つき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのよ
うな矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上
に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈
としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各
主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。
 そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係
により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にあ
る者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有
すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外に
おける教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育に
おける自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲において
これを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会
公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、
国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、
憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対す
る社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、
教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否
定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治
の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によ
つて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとし
て、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政
治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のご
とき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人
の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下
においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家
的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教
育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許され
ないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育
内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるもの
ではないといわなければならない。
 3 教基法一〇条の解釈
 次に、憲法における教育に対する国の権能及び親、教師等の教育の自由について
の上記のような理解を背景として、教基法一〇条の規定をいかに解釈すべきかを検
討する。
 (一) 教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わ
が国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的と
して制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における
諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定さ
れた諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言
及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式
的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をも
つものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自
体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿う
ように考慮が払われなければならないというべきである。
 ところで、教基法は、その前文の示すように、憲法の精神にのつとり、民主的で
文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには、教育が根本
的重要性を有するとの認識の下に、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人
間の育成を期するとともに、普遍的で、しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育
が今後におけるわが国の教育の基本理念であるとしている。これは、戦前のわが国
の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は
極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省によるものであり、右
の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するにあたつても、強く念頭
に置かれるべきものであることは、いうまでもない。
 (二) 本件で問題とされている教基法一〇条は、教育と教育行政との関係につ
いての基本原理を明らかにした極めて重要な規定であり、一項において、「教育は、
不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきも
のである。」と定め、二項において、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目
的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」
と定めている。この規定の解釈については、検察官の主張と原判決が大筋において
採用したと考えられる弁護人の主張との間に顕著な対立があるが、その要点は、(
1) 第一に、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合は右教基法一〇条一
項にいう「不当な支配」に含まれないと解すべきかどうかであり、(2) 第二に、
同条二項にいう教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立とは、主として教
育施設の設置管理、教員配置等のいわゆる教育の外的事項に関するものを指し、教
育課程、教育方法等のいわゆる内的事項については、教育行政機関の権限は原則と
してごく大綱的な基準の設定に限られ、その余は指導、助言的作用にとどめられる
べきものかどうかである、と考えられる。
 (三) まず、(1)の問題について考えるのに、前記教基法一〇条一項は、そ
の文言からも明らかなように、教育が国民から信託されたものであり、したがつて
教育は、右の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、
その間において不当な支配によつてゆがめられることがあつてはならないとして、
教育が専ら教育本来の目的に従つて行われるべきことを示したものと考えられる。
これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて右
の意味において自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、
そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところでないと解しな
ければならない。それ故、論理的には、教育行機関が行う行政でも、右にいう「不
当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法
令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰
着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行す
る教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであ
るが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的
に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれら
の法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行
する場合を除き、教基法一〇条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮し
なければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、
教基法一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるも
のといわなければならない。
 (四) そこで、次に、上記(2)の問題について考えるのに、原判決は、教基
法一〇条の趣旨は、教育が「国民全体のものとして自主的に行われるべきものとす
るとともに」、「教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果
をあげうることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意
と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教
育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の
限界があることを宣明」したところにあるとし、このことから、「教育内容及び教
育方法等への(教育行政機関の)関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的
基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとど
まると解すべきである。」と判示している。
 思うに、子どもの教育が、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、子ど
もの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫
の余地が要請されることは原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のよ
うに戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれた
ものであることに照らせば、同法一〇条が教育に対する権力的介入、特に行政権力
によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、そ
れなりの合理性を有するけれども、このことから、教育内容に対する行政の権力的
介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計である。さ
きにも述べたように、憲法上、国は、適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、
国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法についても、法律により、直接
に又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有するのみならず、
子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のためにそのような
規制を施すことが要請される場合もありうるのであり、国会が教基法においてこの
ような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。むしろ教基法一〇条
は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要
な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教
育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないように
すべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政
権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のため
に必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するもので
あつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。
 もつとも、原判決も、教育の内容及び方法に対する教育行政機関の介入が一切排
除されていると解しているわけではなく、前述のように、権力的介入としては教育
機関の種類等に応じた大綱的基準の設定を超えることができないとするにとどまつ
ている。原判決が右にいう大綱的基準としてどのようなものを考えているかは必ず
しも明らかでないが、これを国の教育行政機関についていえば、原判決において、
前述のような教師の自由な教育活動の要請と現行教育法体制における教育の地方自
治の原則に照らして設定されるべき基準は全国的観点からする大綱的なものに限定
されるべきことを指摘し、かつ、後述する文部大臣の定めた中学校学習指導要領を
右の大綱的基準の限度を超えたものと断じているところからみれば、原判決のいう
大綱的基準とは、弁護人の主張するように、教育課程の構成要素、教科名、授業時
数等のほか、教科内容、教育方法については、性質上全国的画一性を要する度合が
強く、指導助言行政その他国家立法以外の手段ではまかないきれない、ごく大綱的
な事項を指しているもののように考えられる。
 思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の
内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重
等教基法一〇条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自
治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持
という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべき
ものと解しなければならないけれども、右の大綱的基準の範囲に関する原判決の見
解は、狭きに失し、これを採用することはできないと考える。これを前記学習指導
要領についていえば、文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教
科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内
容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ
合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学
習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超
えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても
必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、
その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束
力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、は
たしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾
分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な
教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、
全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、ま
た、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教
え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導
要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法
的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認すること
ができるものと解するのが、相当である。
 4 本件学力調査と教基法一〇条
 そこで、以上の解釈に基づき、本件学力調査が教基法一〇条一項にいう教育に対
する「不当な支配」として右規定に違反するかどうかを検討する。
 本件学力調査が教育行政機関である文部大臣において企画、立案し、その要求に
応じて実施された行政調査たる性格をもつものであることはさきに述べたとおりで
あるところ、それが行政調査として教基法一〇条との関係において適法とされうる
かどうかを判断するについては、さきに述べたとおり、その調査目的において文部
大臣の所掌とされている事項と合理的関連性を有するか、右の目的のために本件の
ような調査を行う必要性を肯定することができるか、本件の調査方法に教育に対す
る不当な支配とみられる要素はないか等の問題を検討しなければならない。
 (一) まず、本件学力調査の目的についてみるのに、右調査の実施要綱には、
前記二の1の(1)で述べたように、調査目的として四つの項目が挙げられている。
このうち、文部大臣及び教育委員会において、調査の結果を、(イ)の教育課程に
関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ハ)の学
習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)の育英、特殊教育施
設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等は、
文部大臣についていえば、文部大臣が学校教育等の振興及び普及を図ることを任務
とし、これらの事項に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関
(文部省設置法四条)として、全国中学校における教育の機会均等の確保、教育水
準の維持、向上に努め、教育施設の整備、充実をはかる責務と権限を有することに
照らし、これらの権限と合理的関連性を有するものと認めることができるし、右目
的に附随して、地教委をしてそれぞれの所掌する事項に調査結果を利用させようと
することも、文部大臣の地教委に対する指導、助言的性格のものとして不当という
ことはできない。また、右四項目中(ロ)の、中学校において、本件学力調査の結
果により、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、
その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とするという項目
は、それが文部大臣固有の行政権限に直接関係せず、中学校における教育実施上の
目的に資するためのものである点において、調査目的として正当性を有するかどう
か問題であるけれども、右は、本件学力調査全体の趣旨、目的からいえば、単に副
次的な意義をもつものでしかないと認めるのが相当であるのみならず、調査結果を
教育活動上利用すべきことを強制するものではなく、指導、助言的性格のものにす
ぎず、これをいかに利用するかは教師の良識ある判断にまかされるべきものと考え
られるから、右の(ロ)が調査目的の一つに掲げられているからといつて、調査全
体の目的を違法不当のものとすることはできないというべきである。
 (二) 次に、本件学力調査は、原判決の認定するところによれば、文部省が当
時の中学校学習指導要領によつて試験問題を作成し、二の1で述べたように、全国
の中学校の全部において一せいに右問題による試験を行い、各地教委にその結果を
集計、報告させる等の方法によつて行われたものであつて、このような方法による
調査が前記の調査目的のために必要と認めることができるかどうか、及び教育に対
する不当な支配の要素をもつものでないかどうかは、慎重な検討を要する問題であ
る。
 まず、必要性の有無について考えるのに、全国の中学校における生徒の学力の程
度がどの程度のものであり、そこにどのような不足ないしは欠陥があるかを知るこ
とは、上記の(イ)、(ハ)、(ニ)に掲げる諸施策のための資料として必要かつ
有用であることは明らかであり、また、このような学力調査の方法としては、結局
試験によつてその結果をみるよりほかにはないのであるから、文部大臣が全国の中
学校の生徒の学力をできるだけ正確かつ客観的に把握するためには、全国の中学校
の生徒に対し同一試験問題によつて同一調査日に同一時間割で一せいに試験を行う
ことが必要であると考えたとしても、決して不合理とはいえない。それ故、本件学
力調査は、その必要性の点において欠けるところはないというべきである。
 (三) 問題となるのは、上記のような方法による調査が、その一面において文
部大臣が直接教育そのものに介入するという要素を含み、また、右に述べたような
調査の必要性によつては正当化することができないほどに教育に対して大きな影響
力を及ぼし、これらの点において文部大臣の教育に対する「不当な支配」となるも
のではないか、ということである。
 これにつき原判決は、右のような方法による本件学力調査は教基法一〇条にいう
教育に対する「不当な支配」にあたるとし、その理由として、(1) 右調査の実
施のためには、各中学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上各
学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつものであること、また、(
2) 右調査は、生徒を対象としてその学習の到達度と学校の教育効果を知るとい
う性質のものである点において、教師が生徒に対する学習指導の結果を試験によつ
て把握するのと異なるところがなく、教育的価値判断にかかわる教育活動としての
実質をもつていること、更に、(3) 前記の方法による調査を全国の中学校のす
べての生徒を対象として実施することは、これらの学校における日常の教育活動を
試験問題作成者である文部省の定めた学習指導要領に盛られている方針ないしは意
向に沿つて行わせる傾向をもたらし、教師の自由な創意と工夫による教育活動を妨
げる一般的危険性をもつものであり、現に一部においてそれが現実化しているとい
う現象がみられること、を挙げている。
 そこでまず、右(1)及び(2)の点について考えるのに、本件学力調査におけ
る生徒に対する試験という方法が、あくまでも生徒の一般的な学力の程度を把握す
るためのものであつて、個々の生徒の成績評価を目的とするものではなく、教育活
動そのものとは性格を異にするものであることは、さきに述べたとおりである。も
つとも、試験という形態をとる以上、前者の目的でされたものが後者の目的に利用
される可能性はあり、現に本件学力調査においても、試験の結果を生徒指導要録に
記録させることとしている点からみれば、両者の間における一定の結びつきの存在
を否定することはできないけれども、この点は、せつかく実施した試験の結果を生
徒に対する学習指導にも利用させようとする指導、助言的性格のものにすぎないと
みるべきであるから、以上の点をもつて、文部省自身が教育活動を行つたものであ
るとすることができないのはもちろん、教師に対して一定の成績評価を強制し、教
育に対する実質的な介入をしたものとすることも、相当ではない。また、試験実施
のために試験当日限り各中学校における授業計画の変更を余儀なくされることにな
るとしても、右変更が年間の授業計画全体に与える影響についてみるとき、それは、
実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつほどのものではな
く、前記のような本件学力調査の必要性によつて正当化することができないもので
はないのである。
 次に、(3)の点について考えるのに、原判決は、本件学力調査の結果として、
全国の中学校及びその教師の間に、学習指導要領の指示するところに従つた教育を
行う風潮を生じさせ、教師の教育の自由が阻害される危険性があることをいうが、
もともと右学習指導要領自体が全体としてみて中学校の教育課程に関する基準の設
定として適法なものであり、これによつて必ずしも教師の教育の自由を不当に拘束
するものとは認められないことはさきに述べたとおりであるのみならず、本件学力
調査は、生徒の一般的な学力の実態調査のために行われたもので、学校及び教師に
よる右指導要領の遵守状況を調査し、その結果を教師の勤務評定にも反映させる等
して、間接にその遵守を強制ないしは促進するために行われたものではなく、右指
導要領は、単に調査のための試験問題作成上の基準として用いられたにとどまつて
いるのである。もつとも、右調査の実施によつて、原判決の指摘するように、中学
校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の
比較が行われ、それがはねかえつてこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教
育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育
活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置
であるかどうかについては問題がありうべく、更に、前記のように、試験の結果を
生徒指導要録の標準検査の欄に記録させることとしている点については、特にその
妥当性に批判の余地があるとしても、本件学力調査実施要綱によれば、同調査にお
いては、試験問題の程度は全体として平易なものとし、特別の準備を要しないもの
とすることとされ、また、個々の学校、生徒、市町村、都道府県についての調査結
果は公表しないこととされる等一応の配慮が加えられていたことや、原判決の指摘
する危険性も、教師自身を含めた教育関係者、父母、その他社会一般の良識を前提
とする限り、それが全国的に現実化し、教育の自由が阻害されることとなる可能性
がそれほど強いとは考えられないこと(原判決の挙げている一部の県における事例
は、むしろ例外的現象とみるべきである。)等を考慮するときは、法的見地からは、
本件学力調査を目して、前記目的のための必要性をもつてしては正当化することが
できないほどの教育に対す強い影響力、支配力をもち、教基法一〇条にいう教育に
対する「不当な支配」にあたるものとすることは、相当ではなく、結局、本件学力
調査は、その調査の方法において違法であるということはできない。
 (四) 以上説示のとおりであつて、本件学力調査には、教育そのものに対する
「不当な支配」として教基法一〇条に違反する違法があるとすることはできない。
 5 本件学力調査と教育の地方自治
 なお、原判決は、文部大臣が地教委をして本件のような調査を実施させたことは、
現行教育法制における教育の地方自治の原則に反するものを含むとして、この点か
らも本件学力調査の適法性を問題としているので、最後にこの点について判断を加
える。
 (一) 思うに、現行法制上、学校等の教育に関する施設の設置、管理及びその
他教育に関する事務は、普通地方公共団体の事務とされ(地方自治法二条三項五号)、
公立学校における教育に関する権限は、当該地方公共団体の教育委員会に属すると
される(地教行法二三条、三二条、四三条等)等、教育に関する地方自治の原則が
採用されているが、これは、戦前におけるような国の強い統制の下における全国的
な画一的教育を排して、それぞれの地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適
応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくもので
あつて、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つ
をなすものであることは、疑いをいれない。そして、右の教育に関する地方自治の
原則からすれば、地教委の有する教育に関する固有の権限に対する国の行政機関で
ある文部大臣の介入、監督の権限に一定の制約が存することも、原判決の説くとお
りである。このような制限は、さまざまの関係において問題となりうべく、前記中
学校学習指導要領の法的効力に関する問題もその一つであるが、この点については
すでに触れたので、以下においては、本件学力調査において、文部大臣が地教行法
五四条二項によつては地教委にその調査の実施を要求することができないにもかか
わらずこれを要求し、地教委をしてその実施に至らせたことが、教育に関する地方
自治の原則に反するものとして実質的違法性を生じさせるものであるかどうかを、
検討する。
 (二) 文部大臣は、地教行法五四条二項によつては地教委に対し本件学力調査
の実施をその義務として要求することができないことは、さきに三において述べた
とおりであり、このような要求をすることが教育に関する地方自治の原則に反する
ことは、これを否定することができない。しかしながら、文部大臣の右要求行為が
法律の根拠に基づかないものであるとしても、そのために右要求に応じて地教委が
した実施行為が地方自治の原則に違反する行為として違法となるかどうかは、おの
ずから別個の問題である。思うに、文部大臣が地教行法五四条二項によつて地教委
に対し本件学力調査の実施を要求することができるとの見解を示して、地教委にそ
の義務の履行を求めたとしても、地教委は必ずしも文部大臣の右見解に拘束される
ものではなく、文部大臣の右要求に対し、これに従うべき法律上の義務があるかど
うか、また、法律上の義務はないとしても、右要求を一種の協力要請と解し、これ
に応ずるのを妥当とするかどうかを、独自の立場で判断し、決定する自由を有する
のである。それ故、地教委が文部大臣の要求に応じてその要求にかかる事項を実施
した場合には、それは、地教委がその独自の判断に基づきこれに応ずべきものと決
定して実行に踏み切つたことに帰着し、したがつて、たとえ右要求が法律上の根拠
をもたず、当該地教委においてこれに従う義務がない場合であつたとしても、地教
委が当該地方公共団体の内部において批判を受けることは格別、窮極的にはみずか
らの判断と意見に基づき、その有する権限の行使としてした実施行為がそのために
実質上違法となるべき理はないというべきである。それ故、本件学力調査における
調査の実施には、教育における地方自治の原則に反する違法があるとすることはで
きない。
 五 結び
 以上の次第であつて、本件学力調査には、手続上も実質上も違法はない。
 そうすると、F校長の本件学力調査の実施は適法な公務の執行であつて、同校長
がこのような職務を執行するにあたりこれに対して暴行を加えた本件行為は公務執
行妨害罪を構成すると解するのが、相当である。これと異なる見地に立ち、被告人
I、同B、同CのF校長に対する暴行につき公務執行妨害罪の成立を認めず、共同
暴行罪の成立のみを認めた第一審判決及びこれを維持した原判決は、地教行法五四
条二項、二三条一七号、教基法一〇条の解釈を誤り、ひいては刑法九五条一項の適
用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼし、かつ、原判決及び第一
審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
 (結論)
 よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一
四条、三九六条により被告人Dの本件上告を棄却し、同法四一一条一号により原判
決及び第一審判決中被告人I、同B、同Cに関する部分を破棄し、なお、直ちに判
決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告人I、同B、同
Cに対する各被告事件について更に判決する。
 第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠によると、被告人I、同B、同Cは、いず
れも、昭和三六年一〇月二六日旭川市a町所在の旭川市立E中学校において実施予
定の全国中学校一せい学力調査を阻止するための説得活動をする目的をもつて、当
日、同校に赴いた者であるところ、(1) 被告人Iは、右説得活動をするために
集まつた約七〇名の者と互いにその意思を通じて共謀のうえ、同日午前八時過ぎこ
ろ、右の者らとともに、同校正面玄関から、同校校長Fの制止にもかかわらず、同
校長が管理するE中学校校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、被
告人Bは、同日午前九時ころ、前記のとおりすでに故なく校舎内に侵入していた者
らと意思を通じて、同校正面玄関から右校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造
物に侵入し、また、(2) 同校長が同日午前一一時四〇分ころから同校二階の二
年A、B、C、D各組の教室において学力調査を実施し始めたところ、(イ)被告
人Cは、同日午後零時過ぎころ、二年各組の教室前の廊下において、職務として学
力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、同校長が教室への出入り
を妨げられたためやむなく二年D組教室の外側窓から同C組教室の外側窓に足をか
けて渡つた事実をとらえて、「最高責任者である校長が窓渡りをするとはあまりに
非常識じゃないか。」等と激しく非難抗議をするに際し、手拳をもつて同校長の胸
部付近を突いて暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害し、更に、(ロ)被告人
I、同B、同Cは、そのころ、同校二階において、職務として学力調査実施中の各
教室を見回りつつあつた同校長を階下校長室に連れて行こうとして、同校長の周辺
に集まつていた約一四、五名の者と互いに意思を通じて共謀のうえ、被告人Iにお
いては同校長の右腕をかかえて二、三歩引つぱり、被告人B、同Cにおいては右の
者らとともに同校長の身近かにほぼ馬てい形にこれをとり囲み、これらの者は口々
に「テストを中止したらどうか。」とか「下へ行つて話をしよう。」などと抗議し、
あるいは促し、また、同校長の体に手をかけたり、同校長が教室内にはいろうとす
るのを出入口に立つて妨げる等して、同校長をとり囲んだままの状態で、同校長を
して、その意思に反して正面玄関側階段方向へ二年A組教室前付近まで移動するの
やむなきに至らせて同校長の行動の自由を束縛する等の暴行を加え、もつてその公
務の執行を妨害したものであることが、認めらる。
 右事実に法令を適用すると、被告人I、同Bの所為中建造物侵入の点は、行為時
においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰
金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭
和四七年法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、
犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により
軽い行為時法の刑によることとし、F校長の職務の執行に対し暴行を加えた点は、
同法六〇条、九五条一項に該当し、被告人Cの同校長の職務の執行に対し暴行を加
えた所為は、包括して同法六〇条、九五条一項に該当するところ、被告人I、同B
の建造物侵入と公務執妨害との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項
後段、一〇条により一罪として重い後者の罪につき定めた懲役刑で処断し、被告人
Cの罪につき所定刑中懲役刑を選択することとし、各刑期の範囲内において、被告
人Iを懲役三月に、被告人Bを懲役一月に、被人Cを懲役二月に処し、同法二五条
一項を適用して、被告人I、同B、同Cに対し、この裁判確定の日から一年間その
刑の執行を猶予し、また、公訴事実第二の(二)の被告人BのHに対する暴行につ
いては、その証明がないとする第一審判決の判断はこれを維持すべきであるが、同
被告人に対する判示建造物侵入の罪と牽連犯の関係にあるとして起訴されたもので
あるから、主文において特に無罪の言渡をしないこととし、なお、第一審及び原審
における訴訟費用の負担については、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、
主文第四項記載のとおり定めることとし、主文のとおり判決する。
 この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。
 検察官長島敦、同蒲原大輔、同伊藤栄樹、同臼井滋夫、同安田道夫 公判出席
  昭和五一年五月二一日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    藤   林   益   三
            裁判官    岡   原   昌   男
            裁判官    下   田   武   三
            裁判官    岸       盛   一
            裁判官    天   野   武   一
            裁判官    岸   上   康   夫
            裁判官    江 里 口   清   雄
            裁判官    大   塚   喜 一 郎
            裁判官    高   辻   正   己
            裁判官    吉   田       豊
            裁判官    団   藤   重   光
            裁判官    本   林       讓
            裁判官    服   部   高   顯
 裁判官坂本吉勝は、退官のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    村   上   朝   一
 (別紙)
 一 被告人A及び同Bに連帯負担させるもの
 第一審証人F(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同Aa、同I、同
J、同K、同L、同M、同N、同O、同P、同Q、同R、同S、同T、同U(永山
第六三回公判の分を除く。)に支給した分の二分の一及び第一審証人V(永山第三
五回公判の分を除く。)、原審証人W、同X、同Uに支給した分
 二 被告人A、同B及び同Cに連帯負担させるもの
 第一審証人F(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同H、同I、同J、
同K、同L、同M、同N、同R、同S、同Tに支給した分の二分の一及び第一審証
人Y(永山第四八回公判の分を除く。)、原審証人Zに支給した分

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
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71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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