弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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○ 主文
被告が原告の戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)二三条一
項一号及び同法三四条一項に基づく昭和四二年八月三〇日付遺族年金及び弔慰金請
求について昭和四三年四月二五日付でした却下処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
○ 事実
第一 当事者の申立
一 原告
主文と同旨
二 被告
1 本案前
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案につき
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
(原告)
一 請求原因
1 原告は、昭和二〇年八月六日広島市において軍務に従事中原子爆弾(以下原爆
という。)に被爆し、昭和二一年四月一〇日死亡したP1の妻である。
2 原告は、昭和四二年八月三〇日被告に対し戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和
二七年法律第一二七号・以下援護法という。)二三条一項一号及び三四条一項に基
づき遺族年金及び弔慰金の請求をしたが、被告は昭和四三年四月二五日付の厚生省
援護局長名義の通知書をもつて右請求却下の処分(以下本件処分という。)をし
た。原告はこれを不服として同年一二月五日付で行政不服審査法四条一項、六条に
基づく異議の申立をしたが被告は昭和四四年四月二二日これを棄却する旨の決定を
し、その決定書正本を同年六月一一日原告に送達してきた。
3 原告は、これより先、昭和二七年八月一日被告に対し前記法条に基づき遺族年
金及び弔慰金の請求をしたところ、被告は、昭和二八年一一月七日付をもつてP1
の死亡原因が同法に規定する公務上の傷病によるものとに認め難いとの理由により
右請求を却下し、これに対する原告の異議申立についても昭和三〇年一〇月七日付
でこれを棄却する旨の裁決をした(以下第一次処分という。)。
ところが、本件処分において被告が原告の前記請求を却下した理由は、第一に、P
1の死亡原因が援護法の定める公務上の傷病によるものではないとする判断を示し
た右第一次処分が既に確定しているというにある。
しかしながら、本件遺族年金及び弔慰金の請求に、第一次処分当時において存在し
ないか、あるいは提出することのできなかつた、後に詳記するような新資料を添え
てあらためてなされたものであるから、被告は第一次処分に拘束されることなく原
告の受給権の有無につき新資料に拠り実質的判断なすべきである。
4 次に、本件処分の理由として、原告提出の資料によつてもP1の死亡原因が公
務上の傷病によるものとは認められないとしているが、これは明らかに事実誤認で
ある。
P1は、昭和二〇年四月一七日臨時召集のため高崎三八部隊(歩兵第一二補充隊)
に応召したのち、同年七月広島に転じ、同年八月六日原爆に被爆した。終戦となつ
て、P1は、同年九月二日頃自宅療養のため本籍地の群馬県吾妻郡<以下略>に帰
つたが回復にいたらず、同二一年三月末頃十分な治療を受けるため上京したとこ
ろ、その頃三九・五度の発熱があり、食欲不振、全身倦怠、悪感戦慓などの症状が
あつた。こうして、P1は、同年四月四日医師P2の診察を受けたが、原因を明ら
かに把握できず、同医師の紹介で同月九日夕刻国立国府台病院に入院したものの、
翌一〇日午前遂に死亡するにいたり、その死亡原因は発疹チフスとされた。
5 しかしながら、P1が死亡した真実の原因は原爆病に起因するものである。以
下この点を詳述する。
(一) P1の被爆と死亡との因果関係については、原爆に遭つたことがP1の健
康に与えた影響と昭和二一年春東京地方に流行した発疹チフスが同人の健康に与え
た影響の双方について分析的に検討することが必要である。
(二) 爆心地からの距離により放射能を規定し、その放射能から健康状態を規定
する一般的な方法論については、次の点が問題である。
(1) 爆心地からの距離を基準にして受けた放射能の量が規定され、その放射能
の量によつてそこにいた人の健康が規定されるとすれば、当時広島にいた人の健康
上の被害は爆心地を中心点として同心円的に重症から軽症へと移行することになる
はずであるが、この方法のみでは広島の莫大な原爆による死者の数を説明すること
が困難である。右死者の数は二〇数万人とされるが、これは当時の広島市の人口を
四〇万ないし四四万とすると、その六〇ないし六四パーセントに当るのである。他
方、致死量の放射能線量が二・五ラドとすれば、これは爆心地より二キロメートル
隔てた地点のそれであり(乙第一一号証の表3)、その区域は約三八〇万坪である
から、当時の広島市の全域が二、二〇〇万坪であつたとすれば(乙第一号証)、そ
の一七・三パーセントにすぎない。そうすると、当時の広島市全人口の六〇ないし
六四パーセントに当る原爆死者が一七・三パーセントの市域に集中していたと考え
ざるをえないこととなるが、現実にはそのようなことはありえない。とくに、戦争
末期で建物疎開も実施されていた当時のことである。
(2) 現実には、爆心地から一キロメートル以内の被爆者で生存している人があ
る反面、四キロメートル以上はなれていても脱毛症状など身体障害が生じた人もい
る(昭和四二年一一月厚生省被爆者実態調査報告参照。)
(3) 放射能の強さの等しい点を結ぶと、爆心地から同心円とは必ずしもならな
いのである。地形、風向、降雨量その他の条件によりその地点の放射能は左右され
るのであり、また、各人の身体、生命力の強弱等の個人差によつても被爆の影響度
は相違するのである。
(三) 以上のことをふまえた上でP1が受けたであろう放射線量と同人の健康へ
の影響を検討する。
(1) 原爆投下時に同人のいた地点として次の三か所が考えられるが、そのいず
れであるか決め手となる資料はない。
大芝国民学校(爆心地より約二・四キロメートル)
崇徳中学校(同じく二・二キロメートル)
中広中学校(同じく一・五キロメートル)
そこで、右各場合について考える。
(2) 瞬間放射能の量については、現在のところ、エドワード・ヨーク大尉が一
九五七年に発表したもの、放射線医学総合研究所(NIRS)によるもの並びにO
aK Ridge National Laboratory(ORNL)の保健
物理部によるものの三種のデータがある。これらの資料によると、広島の場合、爆
心地からの距離と放射能との関係は、距離一、五〇〇メートルで三〇ないし一〇〇
ラド、二、二〇〇メートルで一ないし八ラド、二、四〇〇メートルで〇・四ないし
五ラドであるとされている。
(3) 家屋内の透過度合については、広島原爆医療史(一九六一年発行・乙第二
号証の一、乙第一一二号゛証)も概略の平均値を掲示しているにすぎないが、一九
七〇年七月一〇日号アサヒグラフ(甲第六二号゛証)は、P3(昭和二〇年八月当
時広島日赤外科医長〕の「遮蔽物としてコンクリート壁は有効で、二十センチ厚さ
の壁では放射線量は五〇%に減る。百センチ厚さの壁では同様一〇%に弱まる。」
という記述を掲載している。
(4) 残留放射能は、原爆被災後の広島へ来訪した人のなかで原爆病となり、あ
るいは死亡する例が多く見られたので注目された。その受ける最大積算線量はAB
CC(原爆傷害調査委員会)業績報告書(乙第一二号証)によれば、降下核分裂生
成物によるものは一・四ラド、中性子誘発放射能によるものは測定方法により二四
ないし一八三ラドとされ、昭和四五年七月一六日付朝日新聞(甲第五五号証)によ
れば、一二〇ラドとされている。ただ、残留放射能については、当日の風向、降雨
などによりかなり差異がある。
本件P1の場合、当日は山側からの北風と海側からの南風があり、広島駅から横川
を経て己斐駅に至る国鉄線近辺は風のぶつかり合う所であり、P1が被爆当時いた
と推定される前記三か所はいずれもこの地域に含まれ、空中飛散物は爆心地から概
ね北西方向へ流れたことを併せ考えると、P1は当時とくに空中飛教物の大量降下
する地点にいたものと考えられる。また、当日は原爆爆発後二〇分ないし一時間を
経て雨が降り始め、地域によつてに午後二時頃まで降りつづき、P1がいたと推認
される地域では大雨ないしは豪雨に近かつた。したがつて、同人はいわゆる黒い雨
を多量に浴び、さらに建物の下敷になつていたから、建物倒壊によつてまき起る粉
塵を大量に吸入したものと思われる。
(5) 爆心地からの距離と身体障害の関係については、広島原爆障害研究会の調
査結果によると、半径一キロメートルまでの屋外にいた人は致命的な影響を受け、
二キロメートルでも重大な障害を被ることが指摘され、広島原爆医療史によれば、
爆心地から一ないし二キロメートルの屋内被爆者は重篤症状が二ないし六週間続い
た末死にいたる者が大多数であり、二ないし四キロメートルの屋内被爆者は死亡は
免れうるが数か月にわたつて種々の障害を起し易いものと報告されている。
そして、放射線を一時に六〇〇レントゲン受けると致死量をこえ、一〇〇パーセン
ト死亡するところ、広島では爆心地より〇・五キロメートル以内では、これに相当
し、四〇〇レントゲンでは五〇パーセントが死亡するところ、広島では爆心地より
一・三キロメートル以内がこれに相当する。放射能症の予後は、その放射能の量、
爆心からの距離、遮蔽物との関係、体質、被爆後の安静と栄養のいかん等によつて
左右されるが、放射能症発現頻度は距離一ないし二キロメートルで屋内者が四五・
二パーセント、屋外者が四一・一パーセントであり、距離二ないし三キロメートル
で屋内者が四四・一パーセント、屋外者が三五・三パーセントであり、その症状と
して全身倦怠、食欲不振、下痢、悪心、嘔吐、発熱等がみられる。
このように、被爆当時のP1の位置、状況、その他の健康障害、症状等を総合する
と、P1が右被爆のため放射能症に罹患していたことは明らかである。
6 P1の死亡は、発疹チフスがその契機ではあつても、その基礎疾患として原爆
病があり、これが発疹チフス罹患の一因となり、さらにこれを重症化し、短時日中
に死亡したことの重要な因子となつたものと認めるべきであつて、原爆病と死亡と
の間には因果関係の存在を肯認することができる。そして、P1は応召し、命によ
り広島に滞在して服務するうち原爆に被爆したのであるから、同人の死亡は援護法
二三条にいう公務上の負傷または疾病により死亡した場合に該当するものというべ
きである。
よつて、本件処分はこの点に関する事実を誤認した違法なものであるからその取消
しを求める。
二 本案前の被告主張に対する認否と反論
1 被告主張三の1は、「原告が遺族年金並びに弔慰金の受給権を有しないことが
確定している。」との点を除き認める。
2 援護法に基づく年金・弔慰金等の受給権は、同法所定の要件を具備することに
よつて発生する公法上の権利であつて、これに関する被告の裁定は右要件を具備し
ていることを公の権威をもつて確定し、宣言する一種の確認行為であると解され
る。したがつて、被告の前記第一次処分の拘束力も、同一資料に基づいては右処分
と矛盾するような判断をなしえないというにとどまり、その当時に存在しないか、
あるいは提出不可能であつた新資料による請求については、第一次処分に拘束され
ることなく、その受給権の有無につきあらためて実質的判断を下すことが可能であ
り、また、それをなすべきである。
ことに、本件請求の場合、第一次処分以後においてともにP1の死亡と原爆の被爆
との間に因果関係を肯定した別件東京地裁判決書(昭和三九年(ワ)第九一七二号
事件)とその鑑定書を新資料として新たに請求をしたものであるから、被告行政庁
としてはこれにつき原告が実体上受給権を有するか否かにつきあらためて裁定をな
す義務があつたというべきである。
3 被告により本件年金等の請求が却下された以上、現実には原告は援護法上の給
付を受けることができないのであるから、本件処分が行政事件訴訟法三条にいわゆ
る行政庁の処分に当たること明らかである。
4 本件年金等の請求は、前記のごとく第一次処分当時には存在しないか、あるい
に提出不可能であつた新資料によるものであるから、被告主張のような出訴期間の
制限を受けることはない。もし、新資料によつても再請求が絶対に認められないと
すれば、行政庁としては、確認的行政行為について後日新資料の出現によりその判
断を改める必要が生じないようよほど完全な審査を遂げることが要求され(かかる
ことはほとんど不可能である。)、他方、仮に判断変更なすべき新資料が出現した
場合には既になした行政行為の無効原因となるものと解さざるをえないこととな
る。そうでなければ、国民の側から行政行為の誤りを是正する方法がないこととな
つて甚だ不当である。
(被告)
一 本案前の主張
1 原告に、亡夫P1が旧陸軍軍人として昭和二〇年八月六日広島市において軍務
に従事中原爆に被爆し、そのために同二一年四月一〇日死亡したとして、昭和二七
年八月一日援護法に基づく遺族年金及び弔慰金の支給を請求したが、被告は、昭和
二八年一一月七日P1の死亡原因が援護法に定める公務上の傷病によるものとは認
められないとして右請求を却下し、同日付引揚援護庁援護局長通知書をもつて原告
に通知した。原告はこれに対し同月一八日異議申立をしたが、被告は昭和三〇年一
〇月七日棄却の裁決をした。原告がその後法定の出訴期間内に訴の提起をしなかつ
たため、右却下処分及び棄却裁決(第一次処分)は確定し、原告が遺族年金並びに
弔慰金の受給権を有しないことが確定しているのである。
2 行政処分は、重大かつ明白な瑕疵があつて無効な場合のほかは、一般に公定力
を有し、相手方はもちろん行政庁もこれを有効なものとして尊重しなければならな
い。すなわち、行政処分は、一旦行政庁の一般的権限に基づいてなされたときは、
一応要件を具備した適法なものであるとの推定をうけ、権限のある行政庁の職権に
よる取消しがなされるか、一定の争訟手続によつて行政庁または裁判所による取消
しがなされるまでは、その行政処分は相手方はもちろん行政庁その他第三者をも拘
束する力を有するのである。
また、行政処分は、一定の期間内にかぎつて争訟で取消しを求めることが認められ
るにすぎず、その法定期間を経過すると、もはや普通の争訟手続をもつては争いえ
ないこととなる。ことに、異議の決定、訴願の裁決等は、一定の争訟手続に従い、
なかんずく当事者を手続に関与させて紛争の終局的解決を図ることを目的とするも
のであるから、それが出訴期間の経過等より確定すると、当事者がこれを争うこと
ができなくなるのはもとより、行政庁も特別の規定がないかぎり、それを取消しま
たは変更しえない拘束をうけるにいたるのである。
3 ところで、第一次処分は、原告が遺族年金並びに弔慰金の受給権を有しないこ
とにつき公定力を有し、かつ、法定の出訴期間を経過することによつて確定してい
る。原告は、もはやこれを争いえないのである。また、裁決はいわゆる不可変更力
を有するので、行政庁も特別の規定のないかぎりこれを取り消しまたは変更しえな
い拘束をうけるのである。
右第一次処分の公定力および形式的確定力は、国と原告との法律関係自体、つま
り、原告の遺族年金及び弔慰金の受給権の不存在について生じているものであつ
て、却下処分時の資料の範囲にかぎつて生ずるものではない。
被告において、新資料に基づき、積極判断をなしうる可能性があるとしても、この
ことから直ちに第一次処分の形式的確定力を排除して原告が新たに受給申請権を取
得することにはならない。もしも原告の主張を認めると、一定の不服申立期間を経
過し確定した処分は、相手方においてもはや処分自体を争いえないにもかかわら
ず、新資料が生じたことを理由に新たな申請をなして処分を求め、これについて争
訟を提起することによつて、実質的には既に確定した処分を出訴期間を無視して争
うのと同一の効果をあげうることになり、行政処分について一定の出訴期間を設
け、速やかに公法上の法律関係を確定させようとする立法の趣旨を没却することに
なる。
4 したがつて、昭和四三年四月二五日付迫六九一(郷七〇)号厚生省援護局長名
通知書に、原告の弔慰金並びに遺族年金受給権の存否について、新たな裁定をした
ものではなく、既に前記一次処分によつて原告が受給権を有しないことに確定して
いる事実を通知したものであつて、原告の法律上の地位につきなんら法的効果を及
ぼすものではないから行政処分に該当しない。
よつて、本件訴は、取消訴訟の対象となりえない単なる通知行為の取消しを求める
ものであつて、不適法である。仮に、前記通知が行政処分に該当するとしても、前
記のとおり第一次処分は確定して不可争力を生じ、原告においてもはやこれを争い
えないにもかかわらず、第一次処分の取消しを求めるのと同一の効果をもたらす本
件訴は不適法であり、却下を免れない。
二 請求原因に対する認否
請求原因1、2項は認める。同3項のうち、被告の第一次処分のなされた経緯及び
被告が原告の本件請求を却下した第一の理由が原告主張のとおりであることは認
め、その余は争う。同4項のうち、P1が昭和二〇年九月二日頃本籍地へ帰つたの
ち、治療を受けるため原告主張の頃上京したこと、その頃P1が原告主張のような
症状であつた点を除きその余は認める。同5項は争う。
三 本案に関する主張
1 原告は、既に昭和二七年八月一日付で本件請求と同一事由による遺族年金及び
弔慰金の受給請求をして昭和二八年一一月七日付でP1の死亡が援護法に規定され
た公務上の傷病によるものとは認められないとして却下され、これに対する異議申
立についても棄却の裁決があり、これが確定しているのである(第一次処分)。し
たがつて、右第一次処分の公定力並びにその実質的確定力によりこれと同一事由に
よる本件年金等の請求は被告行政庁による却下を免れないのである。
2 仮に、右主張が認められないとしても、P1の死亡は公務外の発疹チフスによ
るものであつて、本件処分には原告主張のような事実誤認はない。すなわち、P1
の広島における原爆の放射能被爆量は以下に述べるとおり極めて少量であり、放射
能により生理的障害をおこしまたは生体防衛反能が低下していたとは考えられな
い。
(一) 原爆による放射能は次のとおり分類されている。
(1) 爆発時放射能
(2) 残留放射能
(ア) 降下核分裂生成物による放射能
(イ) 中性子誘発放射能
広島におけるこれらの放射能の線量は、原爆傷害調査委員会(ABCC)から業績
報告書として報告されている((1)については、業績報告書一-六八(乙第一一
号証)、(2)については業績報告書〇二-六二(乙第一二号証))。これらの業
績報告書に基づいてP1の被爆量を推定すると、次のとおりとなる。
(二) 原爆爆発の際のP1の位置については、甲第五〇号証によれば爆心地から
約二・四キロメートルの大芝小学校の校舎内であつたとしているが、爆心地から約
二・二キロメートルの崇徳中学校の校舎内であつたとする資料もあるので、仮に爆
心地により近い崇徳中学校であつたとした場合、P1が被爆したであろう線量は次
のとおりとなる。
(1) 爆発時放射能
業績報告書一-六八の五頁表三によれば、爆心地から二・二キロメートルの地点に
おける放射線量はガンマ線〇・七ラド、中性子線〇・二ラドの合計〇・九ラドであ
つたと推定されている。この線量は、遮蔽物がなく、かつ、被爆者が炸裂点に向つ
た身体表面に受ける線量であり、当該地点における最大線量と考えて差し支えな
い。P1は「校舎内で執務中に被爆し、爆風によつて破壊された校舎の下敷きとな
つて負傷し」(甲第五〇号証)たのであるから、遮蔽物としての校舎による放射線
の減衰を考えなければならない。建築物による放射線の遮蔽効果については、木造
建築物の中にいて直射を受けなかつた場合、ガンマ線については室外における線量
の四〇パーセントに、中性子線については二〇パーセントに、それぞれ減衰すると
いわれているのであるから(乙第一三号証広島原爆医療史四八頁第六表建築物によ
る遮蔽因子)、P1が実際に受けた爆発時放射能の線量は、ガンマ線については、
〇・二八ラド、中性子線については、〇・〇四ラドであつたと考えられる。
(2) 残留放射能
(ア) 降下核分裂生成物による放射能
業績報告書〇二-六二によれば、「降下核分裂生成物とは、核兵器におけるウラニ
ウムまたはプルトニウム原子の分裂過程および中性子によつて放射能を得た核兵器
被覆物が蒸発する際に発生する放射性同位元素」であり、「広島および長崎の原爆
による降下物の量は、爆発後に両市で行なわれた線量測定により比較的正確に推定
することができる」とされている。その測定結果によれば、広島では己斐-高須地
区にとくに多く見られ、一九四五年一〇月三ないし七日の調査では同地区で最高
〇・〇四五メートルラド/hrが記録されており、これをもとに一爆発の一時間後
から無限時まで積算すると戸外被爆者の場合これは約一・四radの線量となる。
この線量はもちろん無視することはできないが生物学的障害を起こすに足る量とは
いい得ないであろう」とされている。
そこで、仮に被爆地点が崇徳中学であつたとすれば、同調査によると同地点は〇・
〇二メートルラド/hrであり、その集積線量は約〇・六ラドとなるものと推定さ
れる。この線量は当該地点の戸外において無限時までとどまつた場合の量である
が、P1は、被爆後は広島の郊外の農家に収容され(甲第四三号証)、その後八月
一三日には爆心地から約七キロメートルの地点の広島第一陸軍病院戸坂分院に入院
し、九月一〇日には帰郷療養のため群馬県に帰郷していることからみて、P1の降
下核分裂生成物による放射能による被爆線量は〇・六ラドをさらに大巾に下回つた
ものと考えなければならない。
(イ) 中性子誘発放射能
業績報告書〇二-六二によれば、「中性子誘発放射能とは中性子によつて物質に誘
発された放射能」をいうものであり、「広島および長崎においては、土壌、建築材
料、屋根瓦、石などの地表物質に、核分裂反応において放出された中性子が作用し
た。この反応によつてこれら物質中のある種元素の放射性同位元素が生まれた」と
されている。その線量は同報告によれば「爆発後一時間から無限時に至るまでに、
広島の爆心地区における中性子誘発放射能によつて受けると考えられる最大照射線
量は計算方法によつて異なるが、一八三radから二四radにわたるものと推定
される」としている。
しかしながら、この爆心地における中性子誘発放射能は一四、〇〇〇ラドをこえる
中性子線によつてひきおこされたものであり、(1)に述べたとおり爆心地から
二・二キロメートルの距離における中性子線の線量は僅か〇・二ラドであり、これ
により誘発される放射能は無視しうるものといわざるをえない。また、P1が被爆
後爆心地に近づき長時間とどまつた事実がなく、かえつて遠ざかつた事実が認めら
れるところから、爆心地近くの中性子放射能に被爆したとは考えられない。したが
つて、P1について中性子誘発放射能は無視して差し支えないものと考えられる。
以上から明らかなとおり、P1が被爆した放射能量は最大限見積つてガンマ線につ
いては爆発時放射能〇・二八ラド及び降下核分裂生成物による放射能(ほとんど無
視されるべき線量であるが、仮に〇・六ラドの半分だつたとして)〇・三ラドの合
計〇・五八ラドであり、中性子線については〇・〇四ラドであるが、実際は前述し
たとおりむしろこれをさらに下回るものであつたと推測せざるをえないのである。
(三) それでは、仮にP1の被爆量が(イ)に述べたとおりであつたとして、こ
の放射線量の被爆が人体に対していかなる意味をもつかという点について考えてみ
たい。
現在放射線の防護に関しては国際放射線防護委員会(IORP)が国際的な基準を
勧告しており、世界各国ともこの勧告に示された許容線量に基づいて防護措置を講
じている。同勧告において、「個人に対する許容線量とに、長期にわたつて蓄積さ
れるかまたは一回の被爆によるかいずれにせよ、現在の知識に照らして著しい身体
的障害または遺伝的障害の起る確率が無視できるような線量である。」(同勧告二
〇頁(乙第一四号証))として具体的な許容線量を示している。わが国においても
「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(昭和三二年法律第一
六七号)その他の放射線の防護に関する国内法においてこの基準を採用している。
すなわち、わが国の放射線防護に関する一般法たる「放射性同位元素等による放射
線障害の防止に関する法律」に基づく「放射線を放出する同位元素の数量等を定め
る件」(昭和三五年科学技術庁告示第二二号)によれば、
(1) 最大許容被爆線量(同告示第一〇条)
三月間につき三レム。ただし、皮ふのみに対する被爆の場合は三月間につき八レ
ム、手、前ぱく、足または足関節のみに対する被爆の場合は三月間につき二〇レム
(2) 最大許容集積線量(同告示第一一条)
次の数式によつて算出される数値(単位レム)
許容集積総量=5×(年令-18)
許容線量は、前述したように著しい身体的障害の起る確率が無視できるような線量
であり、とくに放射線の取扱いを職業とする者が長時間被爆することを念頭におい
て定められている。したがつて、たまたま一回この線量程度の被爆を受けたとし
て、それにより身体的障害がおこるものではない。
放射線取扱施設に事故があつた際の緊急作業に係る許容被爆線量は一二レムである
(同告示第一二条。)また、勧告によれば、一生のうちでただ一度しかおこらない
ような「二五remよりも高い線量の事故による被爆は、潜在的に重大な結果をは
らむものとみなさなければならないので、適切な治療処置・・・・・についての勧
告を求めるために、専門医にゆだねられねばならない。」となつている(同勧告五
一d項)。同勧告では、一般人については職業人の1/10の数値をとるよう勧告
しているが、これは一般人の被爆の問題は主として当該個人の生理的障害を防止し
ようというより社会全体に対する遺伝的障害を防止するため社会全体の被爆量をで
きるだけおさえようという観点からとらえられているからであり、一般人と職業人
とで放射能に対する抵抗力に差がない以上、本件のように具体的に生理的障害がお
こりえたか否かが争われている場合は、職業人についての基準を比較の対象とすべ
きものと考える。
すわわち、(二)でのべたとおりP1が被爆した放射線量は最大限見積つてガンマ
線については〇・五八ラド、中性子線については〇・〇四ラドであり、実際はこれ
をさらに下回つたものと推測されるが、これをレムで表わされている許容線量と比
較するためにレムに換算するとガンマ線については〇・五八レム、中性子線につい
ては〇・四レムとなり合計〇・九八レムとなる(ガンマ線については、ラドで表わ
した線量とレムで表わした線量は等しい。中性子線についてはラドで表わした線量
にRBE(生物学的効果比率、中性子線の場合は中性子線の種類によつて異なるが
おおむね五~一〇である。)を乗じた数値がレムで表わした線量となる。)
したがつて、この放射線量は、前記のいずれの基準をも大きく下回つている。
以上から明らかなとおり、P1が広島で原爆により被爆した放射線量で身体的障害
がおこりえたとは到底考えられない。まして、この程度の線量で被爆後約七か月を
経過した時点での発疹チフスの罹患とこれによる死亡に際してなんらか因果関係が
あつたという主張は、成立しないものと考えざるをえない。
第三 証拠(省略)
○ 理由
第一 本案前の主張に対する判断
一 原告が亡夫P1の死亡は同人が広島市において軍務に従事中原爆に被爆したこ
とによるものであるとして、被告に対し昭和二七年八月一日付で援護法に基づく遺
族年金及び弔慰金の支給を請求したところ、被告は昭和二八年一一月七日付でP1
の死亡原因が同法所定の公務上の傷病によるものとは認められないとして右請求を
却下し、これに対する異議申立も被告主張の日時に棄却され(第一次処分)、これ
が確定したことについては当事者間に争いがない。
二 被告は、右第一次処分の公定力ないしは形式的確定力に遮断されて原告の本件
年金等の請求も許されない旨主張するので案ずるに、およそ行政行為は、それにつ
ぎ無効原因となるような重大かつ明白な瑕疵の存しないかぎり、一定の争訟提起期
間を徒過するともはやその効力を争いえないものとされる(形式的確定力)が、極
めて特殊な例外を除き、それ以上に裁判における既判力のような一事不再理の効力
までも有するものではない。したがつて、行政庁に対しある行政行為を求める申請
をして却下され、その処分が確定した場合でも、その当時存在しなかつた資料を新
たに発見し、または新資料の提出が可能となり、あるいは事情変更が認められるよ
うな場合に、同一行政行為を求めるため再度の申請をすることも一般に許されるも
のと解するのが相当である。
ところで、本件の場合、成立に争いのない甲第三二号証及び第五〇号証に弁論の全
趣旨を総合すると、原告は第一次処分後新たに入手した東京地裁昭和三九年(ワ)
第九一七二号事件の判決書並びに同訴訟における鑑定人P4の鑑定書を新資料とし
て被告に対し再度の請求に及んだものであること、右資料によればP1の死亡と同
人の被爆との間に因果関係を肯定していることが認められる。したがつて、かよう
な場合には、先の第一次処分が確定し、しかも、それがP1の死亡につき公務上の
傷病性を否定したものであつても、原告は被告行政庁に対し再度右受給権の有無に
つき裁定を求めることが許され、他方被告はこれに対し実質的な判断をなすべき義
務があるものというべきである。
三 原告の被告に対する本件年金等の請求に対し、被告は第一次処分が確定してい
ること、また、原告提出の資料によつてもP1の死亡原因が公務上の傷病によるも
のとは認められないことを理由にこれを却下し、昭和四三年四月二五日付厚生省援
護局長名通知書をもつてその旨を原告に通知したことは当事者間に争いがない。そ
うすると、これは原告に対し右年金等受給権の存在を否定し、その請求を却下した
被告の裁定に当ること明らかであつて、被告主張のごとく単なる事実の通知にすぎ
ないものではなく、もとより行政訴訟の対象となる行政処分であり、これは第一次
処分とは別個独立の処分であるから、これに対する取消訴訟を認めても、第一次処
分の取消しを認めたことにはならず、この点に関する被告主張は採用のかぎりでは
ない。
また、原告は右処分に対し昭和四三年一二月五日付で行政不服審査法に基づく異議
の申立をなし、これ、が昭和四四年四月二二日付で棄却され、その決定書正本が同
年六月一一日に原告に送達されたことは当事者間に争いがなく、本件訴が同月一二
日付で受付けられていることは本件記録に徴し明認されうるから、本訴は出訴期間
の遵守についても欠けるところはない。
したがつて、被告の本案前の主張はいずれも理由がないこと明らかである。
第二 本案の判断
一 本件処分が第一に、第一次処分の確定していることを理由として原告の請求を
却下したものであることは当事者間に争いがないところ、前記本案前の主張に対す
る判断で説示したところからすれば、右のような理由で原告の本件年金等の請求を
却下したことが違法であることは明らかであるから、右第一次処分の確定している
ことを前提とする被告主張は理由がない。
二 次に、P1の死亡が果して公務上の傷病によるものといえるか否かについて判
断する。
原告がP1の妻であること、P1は、昭和二〇年八月六日広島市において軍務に従
事中原爆に被爆したこと、昭和二一年四月一〇日死亡したことは当事者間に争いが
ない。
三 成立に争いのない甲第三五ないし第三七号証、第四三号証、乙第一号証、第
三、第四号証の各一、二、第五、第六号証、原告本人尋問の結果によつて成立を認
めうる甲第四ないし第六号証、第二〇号証、証人P5の証言によつて成立を認めう
る甲第一六ないし第一九号証、証人P6の証言によつて成立を認めうる甲第二七、
第二八号証、第三〇号証に証人P7、同P8、同P5、同P9、同P10、同P6
の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実が認められる。
P1(明治四五年一月二〇日生)は、昭和二〇年四月召集を受け、高崎一五連隊東
部三八部隊に入隊して千葉鉄道隊に配属され、同年七月広島市に移動し、崇徳中学
校または大芝国民学校(そのいずれであるか明確ではない。)において軍務に従事
中、同年八月六日原爆に被爆し倒壊した木造建物の下敷きとなり、頭部と右手に負
傷し、同市郊外の農家に収容され、手当を受けていたが、同月一三日広島第一陸軍
病院戸坂分院に入院した。その後、自宅療養のため同年九月二日家族の疎開先であ
る群馬県吾妻群<以下略>に帰省したが、そのときのP1の様子は、頭部に包帯
し、手を肩から吊つて衰弱しやつれて歩行も十分ではないので、兄P6が途中まで
牛車で迎えに出た。早速同村栃原医院において治療を受けたが、P1の症状は、貧
血及び栄養失調が著明、心悸亢亢進、疲労感あり、無気力、痩せて体重は一一貫く
らいとなり(P1はもともと身長一七五センチメートル、体重一六貫五〇〇くらい
あつた。)、ことに頭部の創傷は肉芽創を形成し分泌物多く難治を極め、腸内出血
のためタール状の排便があり、一か月のうち三回くらい顔が黄色にむくみ、三九な
いし四〇度の発熱をみることがあつた。昭和二一年三月頃になると頭部外傷もよう
やく回復し、同月二八日上京して同年四月三日原告とともに転居のため中野区野方
より新小岩まで約二〇キロメートルの距離をリヤカーで荷物を運搬したが、その無
理が響いて同夕刻より激しい悪感と腰、腹部などの痛みを覚え、四〇度に及ぶ発熱
があり、P2医師の診察を受けたが解熱せず、タール状の血便が二回あつたので、
同医師の紹介により同月九日夕刻国立国府台病院に入院した。そのときのP1の状
態はほとんど意識不明で静脈注射も成功せず、体温が上昇した。そして、翌一〇日
未明死亡したが、その病名は発疹チフスであるとされた。当日の朝五時頃P1の遺
体に接した原告は、P1の口から血が垂れ、舌も赤黒くふくれて口腔内が暗黒色を
呈しているのを認めた。
以上の事実が認められ、国府台病院の病床日誌(乙第五号証)に「三月二十九日迄
全ク異常認メラレズ」と記載されているが、この点は前掲各証拠に照らし採用でき
ないし、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
四 前示甲第五号証、乙第五号証成立に争いのない甲第三二号証、第三四ないし第
三六号証、第四三号証、第四六号証、第五〇号証、第五六号証の一ないし四、原告
本人尋問の結果によつて成立を認めうる甲第一三号証、第一四号証の一、二、証人
P10、同元P11、同P5、同P12、同P13の各証言、京告本人尋問の結果
並びに鑑定人P14及びP15、同P3の各鑑定結果に前記認定事実を総合する
と、次の事実が認められる。
1 国府台病院においてP1の死亡病名が発疹チフスと判断されたのは、(一)三
月二九日までは全く異常が認められず(この点は前記のごとく採用できない。)、
翌三〇日悪寒、戦慄をもつて体温が三九・五度に上昇したこと、(二)四月六日背
部に著明な発疹が現われたこと、(三)症状一般に重篤で同月七日に腸出血があ
り、発疹チフスの症状としては奇異に思われるが、先に死亡した発疹チフス患者の
解剖において蜘蛛膜下の大量出血が認められたこともあるので、必ずしもありえな
い症状でもないこと、(四)血液ワイルフエリツクス反応において著明に陽性を呈
したことなどの理由によるものであり、P1の死亡後である同月一一日右のごとき
病名が決定された。当時は、東京を中心に全国的に発疹チフスが大流行し、同病院
だけでも同疾患による入院患者は八五〇名に達した。
2 しかしながらP1の死亡は、後期原爆放射能症による身体の抵抗力減弱のため
発疹チフスに罹患し、かつ、これを重篤ならしめたことに起因するものと認めるの
が相当である。すなわち、
(一) P1の受けた放射線量
当時P1のいた位置が広島市内崇徳中学校か大芝国民学校のいずれか必ずしも判然
としないが、爆心地からの距離は前者が二・二キロメートル、後者が二・四キロメ
ートルであつて、いずれにしても木造校舎内で被爆した。
(1) 瞬間放射線量 崇徳中学校では遮蔽物のない空気中においてガンマ-線、
中性子線を合せて約一ラド、大芝国民学校の場合が同じく約〇・五ラドである。
(2) 残留放射線量 P1は、昭和二〇年八月六日被爆後同人が受けたと想定さ
れる残留放射線量は、瞬間中性子線による誘発ガンマー線が約〇・〇〇五ないし
〇・〇二ラドであり、核分裂生成物(いわゆる死の灰)が地上に降下し、そこから
放射されるガンマー線は約〇・一ないし一ラドである。その他に、呼吸、飲料水、
食物とともに体内に摂取される放射能もある。なお、原爆の炸裂後初め東風が吹き
のちに北風に変じてかなりの降雨があつた。
以上を総合すると、P1は約〇・六ないし二ラドの放射線量を体外、体内より受け
たことになる。もつとも、同人は当時木造建物内にいたが、木造建物の遮蔽効果
は、P14・P15鑑定では爆心より一・六キロメートル以遠の場合無視できると
し、服部鑑定では戸外に比し約二〇〇メートルをこえない差異があるとしている。
そして、右程度の放射線量では急性放射能症を生ずることはないとされるが、現実
の発病にはその人の身体的抵抗力、栄養などの生活条件、とくに安静度が重大な影
響を及ぼし、爆心地より二ないし三キロメートルの距離で被爆しても放射能症を発
現する例があり、現に被爆して倒壊家屋の下敷きとなつていたP1を助け出した人
もその後死亡しているのである。
(二) P1の症状 前記認定(第二〇二)のごとく、P1は被爆後に頭部及び右
手の外傷が難治、全身倦怠、脱力、発熱があり、顔面浮腫、体重減少が著明で、と
きに貧血、腸出血がみられた。そして、かような身体的障害は同人が発疹チフスに
罹患し発病する以前において既に認められた。
ところで、原爆放射能症による症状は、一般に造血臓器の機能減退が顕著で、白血
球、血小板を減少させるほか、骨髄、肝臓、淋巴腺、さらに肺、胃腸、肝臓、腎
臓、内分泌線、生殖腺などの障害がみられる。そして、これを症状により次の四期
に分けることができる。
(1) 第一期-被爆後一週間ないし一〇日前後 全身倦怠、脱力感、嘔吐、口
喝、食思不振、下痢、頭痛、眩暈、睡眠障碍、発熱、血便、赤痢様症状等で、およ
そ死すべきものの九〇パーセントが死亡した。
(2) 第二期-第三週から第八週頃まで 脱毛、発熱、白血球減少、皮膚出血
斑、歯齦出血、咽頭炎、口内炎、下痢等で、この期に死すべきものの九パーセント
が死亡した。
(3) 第三期-三か月ないし四か月経過 白血球回復、解熱、消炎、出血性素因
消退、貧血残存、この期に残り一パーセントが死亡した。この死亡は敗血症、膿
胸、肺壊痕、衰弱等の併発症による。
(4) 第四期-五か月経過以降 放射原爆能症の後期に当る。急性症状は一応消
退して全身衰弱の軽度な症状は固定し、回復は遅々として進まない。全身的生活力
は減退したままで、場合により僅かなストレスにより再び増悪することがある。
P1の前記症状と被爆の状況並びにその後の臨床症状とを総合しながら、右原爆放
射能症状とを対照して考察すると、同人は昭和二〇年九月から同二一年匹月一〇日
死亡当時までにおいて後期原爆放射能症の状態にあつたものと認めるのが相当であ
る。
(三) 発疹チフス 発疹チフスの症状は急激に発熱し、二、三日中に最高の体温
上昇をきたし、発熱時より全身状態が重篤であつて致命率は一般に二〇パーセント
といわれる。しかし、昭和二一年当時の発疹チフス流行期に国府台病院が収容した
同病患者八一四ないし八一五名のうち死亡者五六名であつて、致命率六・八パーセ
ントであるが、これは患者の抵抗力の程度により大きな差異があり、年令三〇才代
では患者一二九名中死亡者は四名であつて三・一パーセントにすぎない(P1は死
亡当時三六才であつた。)。P1は、昭和二一年四月三日発熱し、翌四日タール状
の排便があるなど腸内出血がみられ、死亡当時の脳解剖所見によると、ワイルフエ
リツクス反応八〇〇倍、軟脳膜に示指頭大くらいの出血が肉眼により観察され、原
告もP1の死亡当日午前五時頃その遺体に対面したとき前記のごとく口から血が流
れていたのを認めており、以上は同人が発疹チフスに罹患していたことを示すもの
である。
(四) 原爆放射能症と死亡との関係 P1の死亡は直接的には発疹チフスによる
ものであること前記のとおりであるが、同人は原爆に被爆したことにより放射能症
におかされ、身体の抵抗力が著しく減弱し、これが要因となつて、正常人ならば発
病しないかあるいは重篤症状にいたらない程度の感染によつて容易に発疹チフスに
罹患し、増悪、重篤化して短時日のうちに死亡したものと認めるのが相当である。
五 叙上の認定に反する鑑定人P16及びP17の鑑定結果は前示各証拠に照して
採用し難く、他に同認定を動かしうる証拠もない。
右認定事実によると、P1の死亡は直接的には発疹チフスによるものではあるが、
これを誘発し、増悪、重篤化して死亡するにいたらしめたものは、同人が軍務に従
事中原爆に被爆したため後期原爆放射能症による身体の抵抗力減弱がその主因をな
しているものと認めるのが相当である。したがつて、同人の死亡は援護法にいう公
務傷病に因るものというべく、原告の本件遺族年金及び弔慰金の請求は認められる
べきであるから、これを却下した被告の本件処分は違法である。
よつて、原告の本訴請求は理由があるので認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟
法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 高津 環 牧山市治 上田豊三)

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