弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
壱、原告が被告に対し労働契約上の権利を有することを確認する。
弐、被告は原告に対し金壱万九千九百参円及び昭和四拾壱年五月以降毎月末日かぎ
り金参万八百五拾円を支払え。
参、原告その余の請求を棄却する。
四、訴訟費用は被告の負担とする。
五、本判決第弐項中昭和四拾四年拾月末日以降に弁済期の到来する請求につき、仮
に執行することができる。
       事   実
一、当事者双方の求める裁判
(一)原告(以下Aという)ー「1原告が被告の従業員であることを確認する。2
被告は原告に対し昭和四一年四月一日から毎月三〇、八五〇円の割合による金員を
支払え。3訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び第二項につき仮執行の宣
言。
(二)被告(以下健文という)ー請求棄却、訴訟費用原告負担。
二、Aの主張
(一)請求原因
1 健文は財団法人であつて、勤労者の生活及び健康並びに医学の向上に寄与する
ことを目的として設立され、東京母子病院(板橋区<以下略>所在、以下母子病院
ともいう)を設置して経営している。
 Aは昭和三九年三月一日健文に雇傭され、母子病院(当時は東京母子診療所とい
つた)の事務長代理として勤務していたが、健文は昭和四一年三月三一日Aを解雇
したと称し、Aの雇傭契約上の権利の存在を争つている。
2 Aの昭和四一年三月三一日当時における賃金月額は三〇、八五〇円である。右
は毎月二〇日〆切末日払の約定である。
3 健文はAが右の日以降労務を提供してもこれを受領しない。
4 よつてAは健文に対し雇傭契約上の権利を有することの確認と昭和四一年四月
から毎月末日限り三〇、八五〇円の賃金の支払とを求める。
(二)抗弁に対する答弁
 抗弁事実中健文主張の日に解雇の意思表示のあつたことは認める。
(三)再抗弁
1 本件解雇はAの思想信条の故の差別的取扱である。
(1)健文の理事の大多数、及びその従業員をもつて組織する健康文化会労働組合
の執行部の中心人物は、日本共産党員であり、健文は同党の方針を基礎として運営
されてきた。
(2)Aも古くから同党員であつたが、昭和三九年三月一日母子病院開設と同時に
事務長代理に就任して以来右職務に精励し、なお党務にも尽力した。
(3)Aの夫Bも同党員であつたが、同党は昭和三八年暮ソ連が米国及び英国との
間で大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁示する条約(いわゆる部
分的核実験停止条約)を締結したことをもつて修正主義的であるとしてソ連を非難
するに至つたところ、Bはかかる同党の方針に反対し、昭和四〇年三月同党を離党
した。
(4)Aは昭和三九年八月七日頃、娘Cをソ連のルムンバ友好大学に入学させるべ
く準備中、母子病院勤務のD医師(同党員)から脅迫的態度をもつて「日本共産党
員は、その子女を同党の方針に反する修正主義的なソ連の大学に入学させるべきで
ない。」との申入をうけたが、これに従わず同月一七日頃同女をソ連に留学のため
出発せしめた。
(5)Aは昭和四〇年六月健文の理事E(同党員)から「夫Bを復党させよ。それ
ができなければ離婚せよ。」と迫られたが、いづれも実行できなかつたことは勿論
である。
(6)このような事情のためAは健文の理事及び前記労働組合の役員であつて同党
員たる者から冷く扱われるようになつた。
(7)健文の理事Eは昭和四一年三月三一日Aに解雇の旨を告げるに当り、その理
由として、
「(ⅰ)Aは昭和四〇年一一月同党主催のアカハタ祭りに際し周囲の者に対し右祭
りに強制的に参加させられることはないと称したこと、
(ⅱ)Aは、健文の看護婦が退職願をふところに入れて勤務している旨大衆に話し
たこと、
(ⅲ)Aが上司に反抗したこと、
(ⅳ)Aはその夫Bに復党するよう説得すべき旨の任務を与えられたのに、Bは日
本共産党日本のこえに走つたこと、
(ⅴ)Aは、病気の診断書を他の病院で書いてもらつたこと」を列挙した。
 ところでAが右(ⅰ)のような発言をしたことはあるが、要するに祭りへの参加
は強制的でないと当然のことを答えただけである。
 右(ⅱ)のような発言をしたことはない。Aは健文の看護婦が短期間に多数辞職
したことを話したが、健文はこれを曲げて主張したのであろう。
 右(ⅲ)の事実はない。
 右(ⅳ)のような事実は、労働者の配偶者を使用者の支持する政党に加入させら
れなかつたことを解雇理由とするもので、その不当なること説明を要しない。
 右(ⅴ)の事実は存するが、Aが欠勤のため他の病院の診断書を提出してはなら
ないことは、労働契約の内容となつておらず、またAは当初健文の医師Fに診断書
の発行を求めたところ拒まれたので、やむをえずかつて勤務したことのある富士見
病院から診断書を得てこれを提出したのである。
 このように当時健文が明らかにした解雇理由はいづれも薄弱というの外はない。
(8)健文が当時Aに交付した解雇通知書には解雇理由として、「病院の方針に反
している。」と記載されていた。
(9)健文はこのようにA及びその夫が同党の方針に忠実でないと判断し、これを
嫌悪するのあまり、以下述べるように確然とした解雇理由もなしに、Aを解雇し
た。かかる解雇の意思表示は憲法一四条労働基準法三条に違反し、公の秩序に反す
る事項を目的とするものであつてその効力を生じない。
2 解雇理由に対する認否
 健文主張の解雇理由1(1)(2)(ⅰ)ないし(ⅲ)及び(ⅴ)の事実は認め
るが(ⅳ)の事実は不知。板橋生活と健康を守る会はAの職務と無関係である。
 医療社会事業部の内容は、日本共産党の母子病院細胞の活動内容と同一であり、
同部におけるAの職務は単に健文従業員としてだけでなく、同党員としてのそれで
あり、母子病院に関係する同党員全体の役割そのもので、Aにのみ医療社会事業部
の職務の重要部分の遂行を要求するかの如き健文の主張は失当である。
 同2(1)(ⅰ)の事実中Aが母子会の事務局長であつたこと、母子病院の方針
として母子会の健康座談会の活動を重視し、GがAにその企画実施を指示したこ
と、Aが健文主張の機会等を開催したけれども、その主張の座談会等を実施しなか
つたこと、Aが母子会ニユースを健文主張のように刊行したりこれを中断したりし
たこと、Aが昭和四一年三月母子病院長に母子会の規約変更を上申したことは認
め、その余の事実は争う。
 母子会の組織強化をめざす諸活動は、医療社会事業部の業務であるばかりでな
く、日本共産党の党員としての任務でもある。
 Aは、母子会事務局長として精一杯の活動を遂行した者であり、昭和三九年から
同四一年三月にかけて町内健康診断(以下健診という)、母子会会員の健診、蓮根
団地幼児教室の健診、ユーワ・アカツキ保育所の健診、ヒバリ保育院健診を次々に
実施し、かつ町内会の母親を集めて健康座談会をやつたり母子保護月間(昭和四〇
年一一月、一二月)には、若い婦人労働者の集会で生理の問題をめぐつて懇談した
り、西台町婦人会のガン懇談会(昭和四一年三月)を開催したりした。Aが昭和四
〇年以後健康座談会を怠慢にも実施しなかつたというのは全く虚偽である。
 Aは病院の受付、会計、医療券の手続、健康保険の請求手続、薬局の手伝いを始
め病院の日常庶務の外に、「母子会ニユース」を発行しつづけたのである。まさに
超人的努力を傾けた業績がここに躍如としている。もつともこの発行が昭和四〇年
一月から五月まで中断したのはAの病気が原因であり、同年八月から昭和四一年一
月まで中断したのは原稿が集まらなかつたからである。
 「母子会ニユース」の取材、編集、発行という作業は、それだけで相当の労働を
要する仕事であるが、Aは日常的義務の遂行とあわせてこれをやりぬいたのであ
る。健文の主張には、「ちなみに記事の取材活動や編集も他人委せであり、記事内
容も狭い私的な交友関係にすぎず、かつその態度は偏向しており、」とあるが、こ
れは日本共産党の立場からみて、「他人委せ」「狭い私的な交友関係」「偏向的態
度」ときめつけたものであるから、Aを解雇したのが、勤務成績に基いてでなく、
同党の方針を基準としたことをはしなくも告白したものである。
 そもそも母子会とは、地域の普通の母親を包含するものであり、日本共産党にと
つて最も好ましい意見をいう人ばかりを含むのではない大衆組織である。Aがその
ような母親から素直な意見をきいて取材し編集し、それが健文から気に入られない
からといつてこれを母子会活動に、「重大な障害と因難とをもたらした。」とは如
何なることであろうか。健文がAの活動を評価する基準が党派的偏向を有している
ことをこの主張は物語つている。
 昭和四〇年一一月の母子会総会は、母子病院の事務長以下の者の母子会活動が沈
滞したにもかかわらず、Aの地域住民に密着した地道な活動によつてむしろ「一五
名」も集まるという成果を挙げたのである。仮にこの人員が健文からみて少いとす
れば、同党健文細胞の会員が自己批判すべきことで、これをAの解雇理由にすると
は牽強付会も甚しいのである。
 同2(1)(ⅱ)の事実中Aがケース・ワーカーであること、板橋生活と健康を
守る会の志村坂下支部の活動に出席しなかつたことは認め、その組織活動再建状況
は不知、その余の事実は争う。
 Aはケース・ワーカーとして地域住民の家庭を戸別訪問し、病人がいれば適切な
勧告をしたり健康診断をすゝめたり、母子病院とのつながりにおいて積極的に活動
していた。入院患者や外来患者のみならず、地域の母親達から「おばちやん」とい
つて親しまれてきたのはそのような日頃のケース・ワーカーの仕事の成果である。
「板橋生活と健康を守る会」の志村坂下支部についても、Aは会員でも役員でもな
かつたが日本共産党員として活躍する熱意を充分有していた。しかしAは母子病院
の保険請求事務等の残業に忙しく、同支部の活動に時間的に参加しえなかつたにす
ぎない。
 本件解雇の効力が争われると健文又は同党細胞の活動の欠点をすべてAの責任に
転嫁するというのは、日頃労働者の味方と称する健文又はその経営実体を構成する
同党のなすべきことではない。同党が右大衆団体を私物化している証左である。
 問2(1)(ⅲ)の事実中Aが健文主張の会議に出席する職務を負つたこと、及
び東京民医連が健文主張の目的でその主張の会議を開催していたことは認め、その
余の事実は争う。
 健文は健文の管理者会議と東京民医連の医療社会事業部主務担当者会議とを混同
している。Aは前者の昭和四〇年三月一一日の会合には、G事務長から当日突然出
席してくれといわれて出席したが、これはAの義務ではなく、管理責任者たるG事
務長の職務であつた。後者についてAはたしかに担当者であつたので必らず出席す
るようにしていた。これは定期的に開かれていたものではなかつた。Aは二回程欠
席したが、その理由はたまたま当日病院の受付、薬局担当者が欠席してその職務を
代行しなければならなかつたからである。
 同2(1)(ⅳ)の事実中業務日誌の記載がAの義務であることは認め、その余
の事実は争う。
 Aは昭和四一年三月解雇される前の半年位真面目に業務日誌を記入し、それ以前
は時々未記入の日もあつた。しかし、他の従業員もその記載すべき業務日報に記載
を怠つた。Aの業務日誌及び他の従業員の業務日報にしても、Aの在職中その都度
の記入を要求されたことはない。事務長もAの書いた業務日誌を見ようともしなか
つたので、Aは張り合いがなかつた。Aが業務日誌を記入できなかつた理由は、病
院のケース・ワーカーの仕事が忙しくて手が廻らなかつたからであり、Aの怠慢に
よるものでは毛頭ない。健文は、A在勤中日誌未記入を全く問題にしていなかつ
た。
 同2(2)の事実を否認する。
 Aが必ずしも職場内の一定箇所に居らなかつたとしても、これは事務長代理とし
てのAの職務によるわけである。即ち、事務長代理とは聞こえは良いが、その職務
は病院の受付事務、医療保護、健康保険の保険金請求事務、薬局の手伝い、薬の購
入、医療券の概算書の申請、現金の両替、従業員の食事の世話連絡まで雑用万般に
わたり、しかもその間に医療社会事業部の担当者の一人として、又同党員として地
域の人々に対するケース・ワーカーの仕事を昼夜を分たず、行なつてきたのであ
る。そのためAは日曜出勤毎月二回、残業毎月四〇時間から五〇時間という苛酷な
労働条件に服したのである。しかしAは病院を発展させることが労働者のためにも
なるという健文から教えられた方針を忠実に実行したのである。
 Aの右のような職務の性質上、ケース・ワーカーの仕事は病院の内外に及ぶので
あるから、ましてや病院内を動くことは右職務遂行上不可欠のことである。
 Aは昭和四一年二月離党届を出してから、同党の細胞員の監視下におかれ、Aの
苦しみを調査室勤務のHに話しにいつたことはある。しかし、Hの仕事を助けたこ
とはあつても妨害したことは全くない。むしろ職場離脱とは、本件解雇後何とかA
の解雇理由を裏付けようとするためのつくりごとである。
 同2(3)の事実中母子病院が昭和四〇年九月頃Aに掲示について指示したこと
及びAが経営主義との批判をしたことは認め、その余の事実を争う。
 Aは管理会議の決定の内容を知らなかつたのでG事務長に掲示内容の原稿を交付
するよう要請したが、同事務長は応じなかつたので掲示できなかつた。Aは健文の
医療社会事業部会の席で、健文の増収を期するための検査料値上げをあまりにも医
療社会事業の精神に反する資本主義的経営主義であると考えて意見をのべたのであ
る。この会は、患者の立場に立つてそのような意見をのべることがむしろ許されて
いる討論の場でもあつたから極めて自然の発言であつた。
 同2(4)の事実は否認する。
 同2(5)の事実中始業時刻が午前八時三〇分と定められていたこと、Aが健文
主張の日に勤務しなかつたこと、出勤簿が備付けてあつたことは認め、その余の事
実は争う。
 大部分の健文従業員は午前九時少し前に出勤していた。健文は退勤時間が不定の
ため、出勤時刻をきびしくいえなかつた。昭和四〇年初め頃、経営者は、出勤時間
を守るように一般従業員に勧告したのであるが、従業員から、退勤時刻も守つて欲
しいという要望が出た。また健文は従業員に対し法定の時間外手当を支給していな
いので遅刻に厳格に対処し得なかつたのである。
 母子病院は遅刻対策およびリクリエーシヨン、デモ用にマイクロバスを購入して
池袋、小豆沢病院、母子病院を毎朝運行させたがこのバスを利用しない従業員も少
くなかつた。バスに乗つても午前八時三〇分までに出勤できたわけではない。
 Aの昭和四〇年四月七日から五月三一日まで、及び同四一年二月七日から三月五
日までの欠勤はいづれも病気のための正当の欠勤である。とくに後者の場合の病気
は健文の細胞員の圧迫に原因するところ大である。
 昭和四〇年八月から一〇月までの四日間の欠勤は有給休暇であり論外である。
 出勤簿に関する事務は、庶務係のIの担当であつたが、G事務長、G夫人は健文
の職員として出勤簿なく、AとI、Jは後にまとめて捺印するという慣行であつ
た。
 同2(6)の事実は争う。健文主張の解雇理由たる事実の殆どは存在せず、Aの
認める事実だけでは社会通念上到底解雇の理由たりうるものではない。解雇理由薄
弱ということは、所詮、本件解雇がAの思想信条の故になされたことを裏付けるも
のである。
三、健文の主張
(一)請求原因に対する答弁
 同1、2の事実は認める。
(二)抗弁
 健文は昭和四一年三月三一日Aに対し解雇の意思表示をしたから、雇傭契約はこ
れにより終了した。
(三)再抗弁に対する答弁
 再抗弁事実1冒頭の事実は争う。同(1)中労働組合幹部の党籍は不知、健文の
運営方針は争う。同(2)中Aがその主張の日に母子病院事務長代理に就任したこ
とは認め、職務精励の事実は争う。同(3)中Bと日本共産党との関係は不知。同
(4)中Aが娘Cをルムンバ友好大学に入学させるため出発させたことは認め、そ
の余の事実は争う。同(5)(6)(7)の事実は争う。同(8)の事実は認め
る。同(9)の事実は争う。
 従つて本件解雇の意思表示は思想信条故の不利益取扱ではない。以下これを明ら
かにすべく解雇理由を示す。
(四)解雇理由
1 Aの職務
(1)Aは母子病院事務長代理として同病院における医療業務につき、受付事務、
会計事務、医療保護の手続、社会保険に対する医療費請求、薬局の手伝及び薬の購
入の仕事を担当した。
(2)(ⅰ)健文は働く者の立場に立ついわゆる民主医療機関であり、姉妹団体た
る医療法人財団健康文化会等、健文と性格方針を同じくする全国のいわゆる民主医
療機関とともに次の綱領を掲げる全日本民主医療機関連合会(以下民医連とい
う。)を組織している。
「綱領
われわれの病院、診療所は働くひとびとの医療機関である。
一、われわれは患者の立場に立つて親切でよい診療を行ない、力をあわせて働くひ
とびとの生命と健康を守る。
一、われわれはつねに学問の自由を尊重し、新しい医学の成果に学び、国際交流を
はかり、たゆみなく医療内容の充実と向上につとめる。
一、われわれは職員の生活と権利を守り、運営を民主化し、地域職場の人々と協力
を深め、健康を守る運動をすすめる。
一、われわれは国と資本家の全額負担による総合的な社会保障制度の確立と医療制
度の民主化のために闘う。
一、われわれは人類の生命と健康を破壊する戦争政策に反対する。
 この目標を実現するためにわれわれはたがいに団結をかため医療戦線を統一し、
独立、民主、平和、中立、生活向上をめざすすべての民主勢力と手を結んで活動す
る。」
(ⅱ)母子病院はこの綱領実現のためその事務長の指揮監督下に医療業務のほか医
療社会事業をも経営し、とくに昭和三九年中同事務長の下部組織として、医療社会
事業部を設置した。
 同部に所属する主要な業務内容は、地域に於ける低所得者層を対象とし、(イ)
生活相談、医療相談(ロ)疾病の予防・治療と患者の社会復帰とをふくむ医療的保
護(ハ)地域住民の医療状態の調査と掌握(ニ)治療中断患者の訪問及び治療継続
の促進(ホ)母子会及び板橋生活と健康を守る会の組織運営(ヘ)医療に関する諸
般の手続等である。
(ⅲ)右母子会は前記医療法人財団健康文化会経営の小豆沢診療所(後に小豆沢病
院と改称した。)に入院して出産した母親を構成員とし、右各病院勤務の医師等の
指導のもとに、母親学級、育児学級、健康座談会、及び映画会等の開催並びに新聞
の発行のほか、生活、健康、公害、法律等に関する相談、健康診断及び予防接種等
を行なつて、民医連綱領の実現に資そうとするものである。
(ⅳ)板橋生活と健康を守る会は、地域の住民とくに生活保護法による被保護者の
任意加入によつて組織され、その生活と健康とを維持向上させるため、生活保護、
家事等に関する生活相談、健康保険法、精神衛生法等に関する健康相談、借地借家
問題等を主とする法律相談を実施して、民医連綱領の実現に資そうとするものであ
る。
(ⅴ)Aは医療社会事業部設置以来その主務担当者及び昭和三九年来母子会の事務
局長という任務を与えられ、これにつき母子病院事務長の指揮を受けるものとされ
た。
2 各別の解雇理由
(1)医療社会事業部におけるAの職務怠慢
(ⅰ)Aは母子会の事務局長という要職にあつたにもかかわらず、同会の事業活動
である新聞ニユースの発行、健康座談会等の各種行事の企画立案と実施等とをとく
に昭和四〇年以降著しく怠つた。母子病院の方針として母子会活動のなかでもとり
わけ健康座談会の活動を重視し事務長GはAに三か月に一度の割合での企画実施を
指示した。その後母子会総会では右企画を二か月に一度実施に移しこの種の活動を
継続的にひろげていくことが決定された。
 Aは昭和三九年一〇月映画及び講演付の母子会総会を、同年一二月産児調節に関
する講演会及び映画会を開いたが、昭和四〇年以降は役員会及び総会を開いただけ
で映画会講演会健康座談会を全く開催しなかつた(例えば、第三回「赤ちやんの冬
に向う予防」第四回「内料(成人)疾患」などは不開催。)
 Aはまた、母子会活動の生命線でもある機関紙「母子会ニユース」を昭和三九年
七月から昭和四〇年一月まで五回刊行した後同年五月まで刊行を中断し、同年六月
ないし八月に各月一回刊行したのち再び刊行を中断し、もつて母子会活動の維持と
持続的発展とに重大な障害と困難とをもたらした。ちなみに記事の取材活動や編集
も他人任せであり、記事内容も狭い私的な交友関係にすぎず、かつその態度は、偏
向しており、健文全体の発展を顧慮する立場の著しい欠如がみられ、上司からの編
集会議を開くようにとの指示にも何度も応じなかつた。
 母子会の指導発展方向として、母親会員の医療に対する要求、保育、育児、衛生
の諸問題に対する要求等多面的な諸要求を正しく吸い上げ、母子会組織の拡大発展
を推進すべきものであつて、Aはかゝる職責を負担していたにもかかわらず、これ
に反しその私的な好みに合つた一部少数の会員のみと接触し、多数会員の要求をそ
らし母子会全体の正常な発展を阻害した。こうして、Aは母子会活動について前述
の重要な諸活動を怠け、放棄し、事務的に役員会総会をくりかえすだけで終つたの
で、例えば昭和四〇年一一月開催の母子会総会の出席者は役員を含めてわずか一五
名という事態に至つた。
 のみならず、Aは昭和四一年三月直接の上司である事務長になんら相談せず、母
子会の性格・内容を定めた規約を一方的に変更しようとして直接母子病院長にこれ
を具申する行動に出るに至つた。
(ⅱ)医療社会事業部の業務のうち、前記(イ)(ハ)および(ニ)についてAは
上司の屡々の指示や注意にもかかわらずこれを怠け放棄して顧りみなかつた。
 右活動はケース・ワーカーとしての本来的職務に属する。即ち治療中断中の患者
のカルテにもとずきこの者を訪問して中断の原因、患者の余後、患者と地域との関
係等を調査することは、母子病院の設立目的及び存立基盤にも影響する重要職務で
あるが、Aはこれを殆ど遂行しなかつた。
 とくに右業務の一つとして「板橋生活と健康を守る会」を組織発展させなければ
ならないところ、その志村坂下支部はかつて会員十数名を有していたのに事実上活
動をしていなかつた。そこで昭和三九年夏以降旧会員の所在調査やその戸別訪問に
よる宣伝、説得の諸活動、集団検診活動や総会の準備活動などを通じて右支部の再
建がはかられた。ところがAは医療社会事業部の主務担当者として右の再建をする
義務あるにもかゝわらず、これらの諸活動について、無関心であつたばかりでな
く、種々の口実をもうけて参加せずその職責を放棄してかえりみなかつた。
(ⅲ)Aは医療社会事業部主務担当者としての業務たる医療社会事業活動の理論及
び実践活動についての研究、情報、訓練、対策などを討議する関係機関の会議に出
席するという職責を怠つた。
 即ち健文の加盟する東京民主医療機関連合会(東京民医連)では、加盟する各病
院、診療所に働くケース・ワーカーの業務活動の経験を交流させ、これを通じて医
療ケース・ワーカーの業務能力を向上させていくため、毎月一回定期的に主務担当
者会議を開催してきたが、Aは在勤中、昭和四〇年三月一一日の会議のみに出席し
たにすぎず、その余のすべての会議はことさら欠席した。また、Aは健文さん下の
院所に勤務する医療社会事業部主務担当者による同種の会議にも殆んど欠席した。
(ⅳ)Aは医療社会事業部の主務担当者として所定の事項を業務日誌に記載するこ
とが義務づけられていたにもかかわらず、昭和四一年三月以後解雇されるまでをの
ぞき在任期間中時折これを断片的に記載していた程度で、殆んど全期間を通じ適正
な記載を怠つた。これは、Aの日常の勤務態度の不良、職務に対する著しい怠慢と
いつた具体的状況をうかがいうる点で、軽視し得ない事実である。
(2)職場離脱行為
 Aは勤務時間中職場離脱をたびたび行なつた。即ち特別な所用もなく院内をうろ
つきとくに検査室などに赴いて業務と無関係な雑談や無駄話に時間を浪費する等の
行為があり、このため検査室の正常な業務の遂行にも支障をもたらし他の従業員か
らの苦情が管理者側に持ち込まれることも屡々であつた。
(3)業務命令違反
 母子病院は昭和四〇年九月頃その院長、副院長、事務長及び婦長をもつて構成さ
れる管理会議において、「安全なお産のために初期より分娩時までの検査費用につ
いて」と題する産料の出産検査費用の説明を院内に掲示することを決定し、事務長
Gはその掲示方をAに指示した。ところがAは同年一〇月一四日の医療社会事業部
会において、公然と病院管理者側の決定した方針に背いて検査料の値上は資本主義
的経営主義であるとの発言を行なつたばかりでなく、上司からの再三の掲示方指示
にも従わなかつた。
(4)健文ないしは上司に対する中傷行為
(ⅰ)昭和四〇年一一月中旬頃婦人科担任であつたD医師が退職したため、婦人科
担当業務はK院長のみで行なわれ、手不足であつた。そのためG事務長は後任婦人
科医の補充に努めその適任者に対し就任方交渉中であつたにもかかわらず、AはK
院長夫人に対し、「後任がきまらないのはG事務長がサボつているからだ。」との
虚構の言辞を吐いて中傷を行なつた。
(ⅱ)昭和四一年一月下旬頃婦長が退職後、健文は後任者の人選について検討し、
その最も適任者と思料されるLについて就任方交渉中、Aは同人に対し、「あなた
を婦長にする気は管理者側にはない。」旨著しく虚構の言辞を吐いて健文を中傷し
た。これは事務長代理の要職にあつたAの地位、立場にあるまじき言動である。さ
らにこれは、後任予定者自身に直接向けられた言動であつたために、その後も病院
当局がLに対し意をつくして後任婦長に就任方を引きつづき懇請したにもかかわら
ず、容易には就任してもらえなかつたのである。Aの右所為はそれ自体重大な非違
として相当の処分を免れないものである。
(5)遅刻及び欠勤
 Aの勤務していた母子病院は始業時刻が午前八時三〇分と定められていたとこ
ろ、Aは午前九時過ぎ頃ようやく出勤する等遅刻は常態化していた。
 Aの在勤全期間を通じての欠勤状況をみると(但し、有給休暇及び生理休暇をの
ぞく)、昭和四〇年四月七日から同年五月三一日まで五三日間の欠勤がつづき、同
年八月以降一〇月までは合計四日間の欠勤となつている。また、昭和四一年二月七
日から三月五日に至るまでの二六日間の欠勤が続いた。
 出勤したときには出勤簿に捺印することが義務づけられていたがAはこれをこと
さら怠つた。
(6)まとめ
 Aの右各行為を総合すれば、Aは民主医療機関である健文の従業員としての適格
性を欠くというべく、これが解雇の正当事由を構成することは多言を要しない。健
文がAを解雇したのはまさにAがかゝる適格性を欠くが故であつて、その思想信条
の故ではない。
四、証拠(省略)
       理   由
一、労働契約の成立及び解雇の意思表示
 健文が勤労者の生活及び健康並びに医学の向上に寄与することを目的として設立
され、母子病院を設置して経営し、昭和三九年三月一日Aを雇入れて母子病院の事
務長代理として就労させていたが、昭和四一年三月三一日Aに対し解雇の意思表示
をしたことは当事者間に争がない。
二、解雇の効力
(一)事実
1 まず、Aが服すべきであつた仕事の内容に触れておく必要がある。
(1)健文が働く者の立場に立ついわゆる民主医療機関として姉妹団体たる医療法
人財団健康文化会その他、健文と性格方針を同じくする全国のいわゆる民主医療機
関とともに次の綱領を掲げる民医連を組織していること、
「綱領
われわれの病院、診療所は働くひとびとの医療機関である。
一、われわれは患者の立場に立つて親切でよい診療を行ない、力をあわせて働くひ
とびとの生命と健康を守る。
一、われわれはつねに学問の自由を尊重し、新しい医学の成果に学び、国際交流を
はかり、たゆみなく医療内容の充実と向上につとめる。
一、われわれは職員の生活と権利を守り、運営を民主化し、地域職場の人々と協力
を深め、健康を守る運動をすすめる。
一、われわれは国と資本家の全額負担による総合的な社会保障制度の確立と医療制
度の民主化のために闘う。
一、われわれは人類の生命と健康を破壊する戦争政策に反対する。
 この目標を実現するためにわれわれはたがいに団結をかため医療戦線を統一し、
独立、民主、平和、中立、生活向上をめざすすべての民主勢力と手を結んで活動す
る。」
 母子病院は、この綱領実現のためその事務長の指揮監督下に医療業務のほか医療
社会事業をも経営し、とくに昭和三九年中同事務長の下部組織として医療社会事業
部を設置したこと、同部の主要な業務内容は地域における低所得者を対象とし、
(イ)生活相談、医療相談、(ロ)疾病の予防、治療と患者の社会復帰とをふくむ
医療的保護、(ハ)地域住民の医療状態の調査と掌握、(ニ)治療中断患者の訪問
及び治療継続の促進、(ホ)「母子会」及び「板橋生活と健康を守る会」の組織運
営、(ヘ)医療に関する諸般の手続等であること、
 右にいう「母子会」とは医療法人財団健康文化会経営の小豆沢診療所(後に小豆
沢病院と改称した。)に入院して出産した母親を構成員とし、右各病院勤務の医師
等の指導のもとに母親学級、育児学級、健康座談会、及び映画会等の開催並びに新
聞の発行のほか、生活、健康、公害、法律等に関する相談、健康診断及び予防接種
等を行なつて、民医連綱領の実現に資そうとするものであること、
以上の事実は当事者間に争がない。
 成立に争のない乙第八号証、第九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認
められる乙第二号証、第一四号証、第二五号証及び証人M、Nの各証言を総合すれ
ば、「板橋生活を守る会」及び「板橋生活と健康を守る会」は健文の医療社会事業
の一環として地域の住民、特に生活保護法による被保護者等の任意加入によつて組
織され、その生活と健康とを維持向上させるため、生活保護、家事等に関する生活
相談、健康保険法精神衛生法等に関連する健康相談、借地借家問題等を主とする法
律相談を実施して、民医連網領の実現に資そうとするものであることが認められ、
A本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆えすに足り
る証拠はない。
(2)弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第二四号証及びA本人尋
問の結果によれば、Aは医療法人財団健康文化会経営の前記小豆沢診療所において
十数年間医療業務及び医療社会事業に従事してきた経験を買われて健文に雇われた
ものであることが認められる。Aがそれ以来母子病院の事務長代理として母子病院
の医療業務に関し、受付事務、会計事務、医療保護の手続、社会保険に対する医療
費請求、薬局の手伝、薬の購入等の労務に服する義務を負い、かつ右医療社会事業
の職務に従事すべく命ぜられ(但し、Aが「板橋生活を守る会」及び「板橋生活と
健康を守る会」の業務を担当していたとの点は争があるが、この事実は右乙第二五
号証及び証人Nの証言により認める。)、特に医療社会事業部設置と同時に、その
主務担当者に就任したことは当事者間に争がない。
2 A主張の思想信条による差別的取扱を推認させる事実の有無について考察す
る。
(1)A本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第四号証、第六号
証、第七号証、第一〇号証、第一三号証、第一五号証ないし第一七号証、成立に争
のない乙第一一号証の一ないし三、第一二号証、証人N及びEの各証言並びにA本
人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。「Aは、健文に雇わ
れる以前から、その夫小林Bとともに日本共産党の党員であつたが、健文の理事E
ら理事若干名並びにその従業員たる母子病院の院長K、事務長G、総婦長(準看護
婦学校副校長兼任)Oを始め、医師F、D及び母子病院従業員の組織する健康文化
会労働組合母子病院支部(以下、組合という。)の支部長N、書記長P等、労使の
幹部の多くが日本共産党の党員であつて、母子病院細胞を組織していたので、Aも
これに所属することとなつた。
 ところが、同細胞は、ソヴイエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連という。)が
昭和三八年米国及び英国との間において大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵
器実験を禁止する条約(いわゆる部分的核実験停止条約)を締結したことをもつて
修正主義であるとして非難する同党の方針に同調した。
 そして、Aは、その娘Cが昭和三九年七月ソ連モスクワのルムンバ友好大学に留
学する運びとなつたところ(この事実は当事者間に争がない。)、同細胞員たるD
医師から党員の子女が修正主義をとるソ連に留学するのは好ましくないとして、そ
の中止方を強硬に説得された。
 また、Aは、夫Bが部分的核実験停止条約に関し同党の方針に批判的態度を示し
たところから、Bと右細胞との間の板ばさみ状態に陥つた。そして、Bが右のよう
な政治的見解に立つて昭和四〇年三月日本共産党に離党届を出したうえ、Qらを中
心として結集された「日本共産党(日本のこえ)」に加入し、これがため日本共産
党から党員としての権利停止の処分を受けると、Aは、右細胞員らからBを同党の
方針に同調させるよう説得すべき旨の極めて困難な要求をつきつけられ、心労の
極、胃かいようを患い、同年四月七日から同年五月三一日まで欠勤のやむなきに至
つた(欠勤の事実は当事者間に争がない。)。しかも、Aは、この間同年四月二八
日同細胞所属のD及びF両医師の来訪を受け、Bの説得方を要求された。さらに、
Aは、病気欠勤明け早々の同年六月四日右細胞の細胞会議に出席したところ、前記
E、G、N、F列席の上、夫Bの政治的信条に対する非難をきかされ、挙句の果て
Eから、「Bを同党の方針に同調させ得ないなら、離婚せよ。」とまで迫られた。
Bがその後も方針を変えず、遂に同年九月七日同党中央委員会幹部会から除名処分
を受けると、Aは、同細胞員たる母子病院の幹部からBと同様、「反党修正主義
者」として疎外され、ついに昭和四一年二月三日事務長G、組合の支部長N、書記
長Pら三名の細胞員からAの母子会活動及び同党への忠誠につき強硬な態度で詰問
を受けた。ことここに至つて、Aはもはや同党にとどまれないと考え、翌四日離党
届を提出したところ、さらに右三名らから「Bの影響を受けて離党するのか。」と
激しく非難され、同党から党員としての権利停止の処分を、ついで除名処分を受け
た。かくして、Aは、精神的、肉体的疲労の果て、胃炎及び更年期障害が悪化した
ため同月七日から同年三月五日まで欠勤したが(欠勤の事実は当事者間に争がな
い。)、同月七日同細胞員F医師から「離党届を撤回しないと、むづかしいことに
なる。」と警告された後、同月三一日遂に健文を代表する同党員のEから、Aが同
党の命令に反して夫Bの説得を果さなかつたこと、Aが昭和四〇年一一月同党主催
のアカハタ祭りにおける大衆動員を妨げたこと、上司に反抗したこと、等の理由の
もとに解雇の意思表示を受けるに至つた。
 以上の事実を認めることができ、乙第二八号証、証人R、N、Eの各証言中これ
と異なる部分は採用できず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。
(2)健文に雇傭される者であつて解雇の意思表示を受けた実例が他に存在する旨
の証拠はない。
(3)健文主張の解雇理由については項を改めて判断する。
3 健文主張の解雇理由に言及する。
(1)医療社会事業活動
Ⅰ 母子会
(イ)Aが昭和三九年母子会の事務局長を命じられ、母子病院の事務長Gから母子
病院の重視する健康座談会を企画実施すべき旨の指示を受け、同年一〇月母子会総
会を開催し、その際映画上映及び講演を実施し、同年一二月産児調節に関する講演
及び映画会を開催したが、昭和四〇年になると、母子会の役員会及び総会を開催し
ただけで映画会、講演会、健康座談会を全く開催しなかつたことは当事者間に争が
ない。
(ロ)Aが昭和三九年七月から昭和四〇年一月まで五回にわたつて母子会の定期刊
行物たる母子会ニユースを刊行した後は、同年五月までその刊行を中断させ、同年
六月ないし八月の各月に一回ずつ、これを刊行したが、その後は再びその刊行を中
断させたことは、当事者間に争がない。
 成立に争のない乙第三号証の一ないし八(母子会ニユース)によると、Aの編集
した母子会ニユースには、S(健文理事長)、K、F、D、G、A本人らの執筆に
なる政府の医療政策等を批判する解説、母子会総会等母子会活動に関する記事、病
気の予防治療等に関する解説等が掲げられていることが明らかであるが、右記事内
容を検討しても、記事内容がA自身の狭い私的な交友関係に限られ、前記民医連網
領に副わず、健文全体の発展を顧慮しないとの非難に相当するとは判定できない。
 証人Nの証言によれば、Aは事務長Gらから母子会ニユース発行遅延につき編集
会議を開くようにと屡々言われたにもかゝわらず、これを開かなかつたことが認め
られ、A本人尋問の結果によつても右認定を左右するに足りない。
(ハ)前記甲第六号証、成立に争のない甲第八号証の一ないし三、A本人尋問の結
果並びに前記二(一)2(1)の事実を併せ考えると、Aはもともと医療社会事業
には熱心であつたのであつて、現に医療法人財団健康文化会経営の小豆沢診療所に
勤務中昭和三八年六月民医連及び東京民医連から、また母子病院に勤務するように
なつた後昭和三九年七月医療法人財団健康文化会から、それぞれ一〇年以上民医連
活動を熱心に遂行したとして表彰を受けた位であるが、それにもかゝわらず母子病
院医療社会事業部における母子会活動が前記のように停滞を来たし始めた原因は、
健文の母子会運営方針に会員が必ずしもついて来なかつたこと、及び母子会事務局
長たるAが昭和四〇年始めごろから夫Bの日本共産党離党に関連し夫と同党母子病
院細胞との板ばさみになり、心労の極健康を害し同年四月七日から同年五月三一日
まで欠勤のやむなきに至り、その後も解雇まで前記のように健文の他の職員らと思
想問題に関し種々の悶着が絶えなかつたことに存するとの事実が認められ、乙第一
六号証、第一九号証、第二四号証、第二五号証、第二七号証、証人N、Eの名証言
によつても右認定を覆えすに足らず、その他右認定を左右すべき証拠はない。
(ニ)Aが昭和四一年三月母子病院長に母子会の規約変更を上申したことは当事者
に争がない。前記甲第六号証及びA本人尋問の結果によると、Aは母子会活動の経
験に照らし、実行不可能な生活相談法律相談等の業務を規約から削除し、実行可能
な業務だけを遂行することを相当と考え、事務長Gに上申しようとしたけれども同
人がたまたま九州方面出張中のため、この旨を直接病院長に上申し、Gの帰院をま
つて同人にもその旨報告したことが認められる。
(ホ)Aがこの間において前記の諸事実のほかに母子会員全般と接触し、その諸要
求を吸い上げることをせず、私的な好みに合つた一部少数の会員とのみ接触するに
止まつたとの健文主張に副う乙第一九号証、第二四号証、第二五号証、第二七号
証、証人N、Eの各証言は、前記甲第六号証、及びA本人尋問の結果に照らし採用
できず、その他右事実を肯認するに足りる証拠はない。
Ⅱ ケース・ワーク及び「板橋生活と健康を守る会」
(イ)弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一四号証、前記乙第二
四号証、第二五号証、証人N、Eの各証言によれば、Aが医療社会事業部の業務の
うち、生活相談、医療相談、地域住民の医療状態の調査と掌握、治療中断患者の訪
問及び治療継続の促進といういわゆるケース・ワーカーの職務遂行につき、主とし
て昭和四〇年初以来積極性を欠いたことが認められるのであるが、その原因の一つ
は前記のようにAが夫の離党問題のため健文の日本共産党員たる幹部職員から圧迫
を受け心労の極に達したことにあると推認される。
(ロ)前記甲第六号証、乙第一四号証、第二五号証、証人Nの証言、A本人尋問の
結果を総合すれば、健文は、G、Nらをして「板橋生活と健康を守る会」の志村坂
下支部の組織を再建するため、昭和三九年夏以降、同支部の旧会員に対する活動を
行なわせたことを認めるに足りる。ところで、Aがこれに参加しなかつたことは当
事者間に争がない。前記甲第六号証によれば、Aが参加しなかつた理由は、母子病
院事務長代理として保険金請求事務等の残業に忙しかつたことに存することが認め
られる。
Ⅲ 東京民医連主務担当者会議
 Aが医療社会事業部主務担当者として右事業活動の理論及び実践活動についての
研究、情報、訓練、対策などを討議する関係機関の会議に出席する義務を負つたこ
と、かゝる会議の一つとして東京民医連がその加盟各診療所及び病院に勤務する医
療ケース・ワーカーの業務活動の経験交流及びこれによるその業務能力向上のため
主務担当者会議を開催したことは当事者間に争がない。
 証人Rの証言により真正に成立したと認められる乙第一号証及び証人R、Nの各
証言、A本人尋問の結果を総合すれば、Aは昭和四〇年一一月から昭和四一年三月
まで毎月一回の割合で午後二時頃から午後六時頃まで開催された右会議のうち昭和
四〇年一一月及び昭和四一年三月のそれに出席したにとどまりその余の会議に欠席
したことが認められ、右乙第一号証及び証人Rの証言中右認定に反する部分は採用
しない。A本人尋問の結果によると、Aが右のうち昭和四一年一月、二月の会議に
欠席した理由は同人の病気にあることが明らかである。
Ⅳ 業務日誌
 Aが医療社会事業部主務担当者として業務日誌に所定事項を記載する義務を負つ
ていたことは当事者間に争がない。成立に争のない乙第二九号証及びA本人尋問の
結果によれば、この日誌は社会事業部日誌と題され、当日の活動内容、明日への活
動予定、管理連絡事項、医者(又は医社)連絡事項、訪問者氏名住所、その他の記
事欄にわかれていること、Aは当初この日誌に若干記入したが、事務長Gはこれを
見ず、Aはその後記入を全く怠るに至つた後も、記入しないことにつき何ら注意を
受けなかつたこと、Aは昭和四一年三月七日(F医師から前記のように「離党届を
撤回しないとむずかしいことになる。」といわれた日)から再び記入を始めたこと
が認められる。
(2)職場離脱行為
 弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一九号証、第二一号証及び
A本人尋問の結果によれば、Aは昭和四〇年後半頃から屡々勤務時間中母子病院検
査室に同室勤務のHを訪ね、時には同人の仕事を手伝いながら身上話や世間話をし
て同人の業務を妨げたことが認められる。しかし、Aが勤務時間中特別な所用もな
く母子病院内をうろつき、右以外の雑談に時をすごしたとの主張に副う乙第一九号
証及び第二七号証は、A本人尋問の結果に照らし採用し難く、その他右事実を肯認
するに足りる証拠はない。
(3)業務命令違反
Ⅰ Aが昭和四〇年九月頃事務長Gから、母子病院の院長、副院長、事務長及び婦
長をもつて構成される管理会議において決定したところにもとずき「安全なお産の
ために初期より分娩時までの検査費用について」と題する産科の診療費用の説明を
院内に掲示すべく指示されたことは当事者間に争がない。右甲第六号証によれば、
Aはこの決定を掲示するため同事務長に右決定内容の原稿を交付するよう求めた
が、これを得られないまゝ右指示を受けたことを失念してしまつた事実が認めら
れ、乙第一九号証によつても右認定を左右するに足りない。Aが右掲示をすべき旨
の指示を再三受けたことを認めるに足りる証拠はない。
Ⅱ Aが同年一〇月一四日健文の医療社会事業部会において母子病院が当時検査料
を値上げした態度を資本主義的経営主義であるとして批判したことは当事者間に争
がない。
(4)中傷行為
Ⅰ 右甲第六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一七号
証、A本人尋問の結果によれば、Aは昭和四一年一月下旬頃事務長Gと健文の総婦
長Oとが当時欠員であつた母子病院の婦長の後任者を選考中、その候補者たるLに
つき、「Lさんは信頼がないから、婦長として適任ではない。」と話合つていたの
を聞きこみ、これをそのままLに伝えたこと、そのため、同人は、その後母子病院
の婦長に就任すべく要請されたのに、これを固辞するに至つたが、周囲の説得によ
つて、ようやく受諾したことが認められる。
Ⅱ Aが母子病院長Kの妻に対し、「D医師退職後、その後任者が決定されないの
はG事務長がサボつているからだ。」との言辞を吐いたとの主張に副う乙第一五号
証は、甲第六号証及びA本人尋問の結果に照らし採用できず、その他これを肯認す
るに足りる証拠はない。
(5)欠勤及び遅刻等
Ⅰ Aが昭和四〇年四月七日から同年五月三一日まで、及び昭和四一年二月七日か
ら同年三月五日まで欠勤したことは当事者間に争がない。その原因をみると前記
(二(一)2(1))の事実によれば、前者につき、Aが夫の離党問題をめぐり健
文勤務の日本共産党員と対立し心労の極胃かいようを患つたのでその治療のためで
あり、後者につき、右事情にA本人の離党問題もからみ右党員らからの圧迫が激化
し、ついにAは胃炎及び更年期障害の悪化を見たのでこれが治療のためであつたこ
とが明らかである。前記甲第六号証、乙第一一号証の一ないし三、第一二号証及び
A本人尋問の結果によれば、Aはこれらの欠勤につき診断書を附して健文に届出て
いることが認められる。
 Aが昭和四〇年八月から同年一〇月まで合計四日間就労しなかつたことは当事者
間に争がないが、右甲第六号証によれば、右は年次有給休暇の請求によるものであ
ることが認められる。
Ⅱ Aは毎日午前八時三〇分までに出勤すべき義務を負い、かつ母子病院に出勤簿
が備付けられていたことは当事者間に争がない。右甲第六号証、第一六号証、A本
人尋問の結果によれば、Aは毎日午前九時近くになつて出勤した上、出勤簿には数
日分を一括して押印していたが、他の従業員中にも同様の行動をとる者が多かつた
のにAを含め問責された事例はなかつたことが認められ、乙第一三号証の一、二、
第一九号証、第二七号証によつてもこの認定を左右するに足りない。
(二)評価
1 前記二(一)1、2で認定したように健文は元来民医連加盟の医療機関として
その綱領に従つて医療事業及び医療社会事業を遂行していたものであるが、たまた
ま健文の理事若干名、母子病院の院長、事務長、総婦長、医師若干名及び組合の支
部長、書記長らの地位が日本共産党員をもつて占められ、Aもまた同党員でありか
つ事務長代理兼医療社会事業部主務担当者という母子病院幹部職員ともいうべき地
位にあつて前記党員らとともに同党の活動及び健文の業務を遂行してきたところ、
部分的核実験停止条約の評価に関しAの夫で同党員であるBが同党と所信を異に
し、これを離党した上Qを中心とする「日本共産党(日本のこえ)」に加入すると
いう事態を見るに至り、ここに前示のように健文幹部党員とAとの間に反目対立を
生じ、ついにAは右幹部らの圧迫にたえかねて同党に離党届を提出し除名され、最
後に健文から解雇の意思表示を受けた際解雇理由の一つとして夫Bの同党復党を果
さなかつたことを指摘されるに至つたのである。
2 Aと健文のその他の幹部職員との間に発生した以上のような政治的信条の対立
とAの解雇との関係を判定するには、前示の解雇理由の評価に進まなければならな
い。以下これを検討する。
(1)医療社会事業活動
Ⅰ 母子会
 Aの母子会活動が停滞したことは前示のとおりである。しかし、その原因は、健
文の母子会運営方針に会員が必ずしもついて来なかつたことと、A及び夫Bが、日
本共産党員たる健文幹部職員と政治的信条につき深刻な対立関係に陥りAは前記の
ような圧迫を受け健康をも害するに至つたことに存することに徴し、Aの母子会活
動停滞の責をAのみに負わせ解雇の理由とすることは相当でない。Aがかゝる対立
関係発生以前において民医連活動に尽くしたとして表彰される位熱心な職員であつ
たことはこの判断を裏付けると考える。
 Aが直属上司たる事務長Gの出張中、同人の帰院をまてない程火急の案件とも思
われない母子会の規約改正を同人に無断で直接病院長に上申したことは、誤解を招
くおそれのある所為とはいえ、AはGの帰院後この事実を同人に報告しているので
あるから、全体として観察するときAのこの所為は解雇理由としてとり上げるに足
りないものと考える。
Ⅱ ケースワーク及び「板橋生活と健康を守る会」
 Aがケースワークに積極性を欠いたことの原因の一つが、夫の離党にからみ健文
の日本共産党員たる幹部職員から圧迫を受け心身ともに疲労の極に達したことにあ
る以上、これを解雇理由とすることは相当でない。
 Aが「板橋生活と健康を守る会」志村坂下支部の組織再建活動に参加しなかつた
ことも、その原因が事務長代理の職務の繁忙にある以上、これは解雇理由となし得
ない。
Ⅲ 東京民医連主務担当者会議
 Aの健文在職中東京民医連主務担当者会議が五回開催されたのに、Aはうち三回
も欠席したのであるが、そのうち二回はAの病気を原因とするものである以上、こ
れまた解雇理由としてとり上げるには薄弱といわざるを得ない。
Ⅳ 業務日誌
 Aが社会事業部日誌に記入をしなかつたことは、従業員として怠慢のそしりを免
れないが、そのために健文が蒙つた実害がどの程度であつたか明らかでなく、また
Aはこれにつき上司から格別の注意も受けていなかつたのであるから、これまた解
雇理由としてとりあげるには薄弱である。
(2)職場離脱行為
 Aが勤務時間中母子病院検査室においてHを相手に身上話に時を費しHの業務を
妨げたことは、事務長代理として非難さるべき行為であるが、これによつて健文運
営上解雇に値するほどの幣害を生じたものとは思われない。
(3)業務命令違反
 Aが事務長Gから指示された指示を失念したことは事務長代理として著しい失態
たるを免れないが、GにおいてAの求めに応じ原稿を交付する等の具体的な指示を
与えなかつたこともその一因であるから、指示失念が母子病院の運営に著しい悪影
響を及ぼしたとは認められない以上、Aの右失態をもつて解雇理由とするのは苛酷
である。
 Aが健文の方針を資本主義的経営主義と非難したことは、これが健文の医療社会
事業部会という討論の場で行なわれたものである以上、事務長代理として非難さる
べき所為とは思われない。
(4)中傷行為
 Aが健文の婦長後任候補者に対し選考の内情をもらし一時的とはいえ人事の停滞
を招いたことは、事務長代理として極めて無思慮な行動であつて厳しく非難さるべ
きであるが、結局健文の予定した人事が実現した以上、解雇理由としてとりあげる
のは苛酷である。
(5)欠勤及び遅刻等
 Aが長期間欠勤したことも、その原因が健文幹部職員の圧迫による病気治療のた
めである以上、これをもつて解雇理由とすることは相当でない。年次有給休暇によ
る欠勤が解雇理由となり得ないことは勿論である。Aが屡々遅刻しかつ出勤簿に数
日分を一括して押印していたことは、事務長代理として避けるべき行為であるけれ
ども、他の従業員にも同様の行動をとる者が多かつたのにこれまでAを含め問責さ
れた事例がなかつた以上、Aだけに対しこれを解雇理由として掲げるのは公平を欠
き相当でない。
 以上のような次第で、前示解雇理由は、これを個別的にみればもちろん、総合的
にみても、これだけではAを従業員として不適格ときめつけ健文から排除するに足
りるものではない。
3 そして、前示のようにA及びその夫の政治的信条が健文の幹部職員の多数を占
める日本共産党員のそれと相反するに至り、Aが種々の圧迫を受けた末、夫に同党
への復党を説得できなかつたこと等を理由として解雇の意思表示を受けたことと右
のように解雇理由の薄弱なこととを併せ考えると、Aはかかる政治的信条の対立の
故に解雇されたものと推認するに難くない。
 そうとすれば、健文が日本共産党の方針にもとずきその事業を遂行することを存
立目的とし、同党員又はその同調者であることを従業員の資格要件とすることが労
働契約の内容となつている等の、特別事情の顕れない本件においては、右のような
政治的信条の故の差別的取扱たる解雇の意思表示は、労働基準法三条に違反し、公
の秩序に反する事項を目的としたもので、その効力を生じないと解するのを相当と
する。
 以上説明のとおりであるから、Aと健文との間の労働契約はなお存続し、Aは右
契約上の権利を有するというべきである。
三、賃金
 Aの昭和四一年三月三一日現在の賃金月額が三〇、八五〇円であり、右が毎月二
〇日〆切末日払の約定であることは当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によれば、
Aが同日以降労務を現実に提供しても受領されなかつたことが認められる。従つ
て、Aは、健文に対し、同年四月末日限り同月一日から同月二〇日までの賃金とし
て一九、九〇三円、及び同年五月から毎月末日限り前月二一日以降当月二〇日まで
の賃金として三〇、八五〇円の支払を請求する権利を有するが、同年四月末日限り
支払を求める金額中右限度をこえる部分については、これを請求する権利を有しな
いというべきである。
四、結論
 よつて、Aの本訴請求のうち、Aが労働契約上の権利を有することの確認を求め
る部分については、健文が右権利の存在を争つているので確認の利益も認められる
から、これを認容し、また、賃金請求部分については、前記の限度において理由が
あり、かつ、そのうち本件口頭弁論終結時(昭和四四年一〇月一三日)にいまだ弁
済期の到来しない部分についても、健文がAの労働契約上の権利を争い賃金を任意
に弁済しない態度にかんがみ、将来のすべてにわたり予じめ請求する必要を肯認で
きるから、右の限度でこれを認容し、これをこえる部分は失当として棄却すること
とし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお、
仮執行の宣言については、Aが当庁昭和四一年(ヨ)第二、二九七号地位保全仮処
分命令申請事件において右認容賃金額全額の仮払等を命ずる仮処分決定を得たこと
は当庁に顕著な事実に属するところ、弁論の全趣旨に徴しAは右仮処分決定にもと
づき本件口頭弁論終結時までにすでに履行期の到来した賃金債権についてはその全
部の仮払を受けたものと推認すべく、従つてこの部分については今更本判決におい
て仮執行の宣言を付することの必要性は乏しいものといわざるを得ないから仮執行
宣言の申立は却下すべきであるが、本件口頭弁論終結後に履行期の到来する賃金債
権については、右の賃金仮払を命ずる仮処分決定の執行により仮払を受ける方途が
あるとはいえ、本判決にもとづく強制執行の方が執行期間等に関しAに有利であ
り、かつ、これが賃金債権であることを考慮すれば、この部分については仮執行の
宣言を付することが相当であるから同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決
する。
(裁判官 沖野威 小笠原昭夫 石井健吾)

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
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71期修習生 72期修習生 求人
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職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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シフトは週40時間以上
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経験不問です。

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履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
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