弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
1原告らの請求を棄却する。
2訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1被告は,原告Aに対し,金2015万6211円及びこれに対する平成12
年12月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2被告は,原告B及び原告Cに対し,それぞれ金1228万2605円及びこ
れに対する平成12年12月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を
支払え。
第2事案の概要
1本件は,左大腿骨骨折により,被告の診察及び手術を受けた訴外亡Dが肺動
脈血栓塞栓症により死亡したのは,被告の過失によるものであるとして,亡D
の相続人である原告らが,被告に対し,診療契約の債務不履行又は不法行為に
基づく損害賠償を請求した事案である。
2争いのない事実又は証拠上明らかに認められる事実
(1)当事者
亡Dは,昭和10年9月15日生まれの男性で,平成12年4月14日,
64歳で死亡した。
原告Aは亡Dの妻であり,原告B及び原告Cは亡Dの子である。
被告は,E病院の名称で診療行為に従事している医師である。
(2)診療の経過
亡Dは,平成12年4月8日,建物屋根から転落し,救急車で搬送された
E病院に入院した。被告は,亡D及びその家族らに対し,手術を要すること
を告げた。
亡Dは,同月13日,被告による大腿骨骨折の手術を受けた。
同手術は,骨の内部に挿入したガイドピンと呼ばれる鋼線を伝わらせて中
空のスクリューを骨に埋め込み,プレートとねじで折れた骨を固定するものである
(compressionhipscrew法)。ガイドピンは,スクリュー
挿入後,スクリュー下部の穴から抜き取ることになる。
しかし,同手術中,ガイドピンの先端が折れて骨盤付近に残り,亡Dが亡
くなるまで抜き取られないままとなった。
亡Dは,手術翌日である同月14日の早朝午前4時頃から嘔吐を繰り返し,
さらに,呼吸困難にも陥ったため,同日午後4時50分頃,E病院からF病院へ救
急車で搬送された。しかし,F病院へ到着した同日午後5時13分時点では,既に
心肺機能停止状態であり,同日午後5時46分,死亡した(甲3,7)。
(3)亡Dの死因
亡Dの死因は,肺動脈血栓塞栓症で,静脈に生じた血栓が肺動脈を塞ぐ症
状であった。
3本件の争点と当事者の主張
(1)ガイドピンの問題
(原告らの主張)
①折損するようなガイドピンを使用した過失
被告には,手術中にガイドピンが折損するような事態が生じないよう,
手術用具の管理に十分留意し,事前確認をすべき義務を怠った過失がある。
②ガイドピンを折損させた過失
被告には,結局のところ,本件手術中にガイドピンを折損を招来した過
失がある。
③ガイドピンを放置した過失について
被告は,ガイドピンが折損し,体内に残存していることを認識しており,
残留した先端部分を速やかに除去すべきであったにも関わらず,これを怠
った過失がある。
④ガイドピンの放置と肺動脈血栓塞栓症との因果関係
折損のため体内に残されたガイドピンが体内を傷つけ,出血を来し,下
肢で血栓が形成される危険性を念頭に置かなかった点で,被告には専門医
としての注意義務違反があるといわざるを得ない。
(被告の主張)
①について
被告は,本件手術にあたり,新品のガイドピンを使用しており,その管
理体制に問題など起こりようがない。
②について
本件のガイドピンの折損は不可抗力である。
③について
本件手術中,ガイドピンを抜去した際に,その先端部の折損が判明した。
そこで,骨頭の穿孔部より長細鉗子等を挿入して探ったり,エックス線透
視下に抜去を図ったもののうまくいかなかったため,一端断念し,手術後
の亡Dの身体的状況を見て判断することにした。被告としては,ガイドピ
ンの折損を放置しておらず,むしろ,行うべき処置は行っており,注意義
務違反はない。
④について
ガイドピンの残留と肺動脈血栓塞栓症との間に因果関係はない。
(2)肺動脈血栓塞栓症の問題
(原告らの主張)
①予防措置の過失
亡Dは当時64歳で,身長157cm,体重69kgと太り気味で,手
術前の長期臥床に加え,術前術中の絶飲食,長時間にわたる手術など肺血
栓塞栓症の発症誘因を多く有していた。そうである以上,被告は肺血栓塞
栓症の危険性を認識すべきであり,場合によっては,早期に抗血栓薬であ
るヘパリンの投与など深部静脈血栓症を予防すべきであったにも関わらず,
ヘパリンさえ備えていないなど,その危険性を念頭に置いていなかった。
②術後管理の過失
また被告は,術後,呼気二酸化炭素モニター,血圧,脈拍,酸素分圧,
心電図,肺のレントゲン撮影等,肺血栓塞栓症特有の所見が見られないか
注視すべき高度の注意義務を負っていた。以上のような措置が行われてい
れば,血栓が肺に移動し,肺塞栓症を発症した時点で発見し,血栓溶解の
ための薬物療法あるいは血栓除去手術を行うことで,亡Dの死を防ぐこと
が可能であったものである。
③早期の転医措置の過失
亡Dは,(ア)手術翌日である平成12年4月14日午前3時30分,
血圧が74/44まで低下し,(イ)同日午前7時30分「えらい」との
訴えに基づき酸素吸入を開始したことからすれば,呼吸困難に陥ったと推
測され,さらに同日午前8時20分,同日午後1時15分にネオフィリン
(心不全,喘息治療剤。甲30)投与を受けたことから,呼吸不全の症状
が現れたものと思われ,(ウ)同日午前9時に,左足の「大腿腫脹
(+)」が認められるた時点で転医させる義務を負っていた。しかるに同
日午後3時15分に至るまで放置していた点,被告には注意義務違反があ
る。
加えて,a手術の際の2207gもの出血,手術後のb尿量の減少,c
血圧低下,d呼吸浅薄,e嘔吐,f転医先での血液検査,血液ガス及び中
心静脈圧測定結果などからすれば,亡Dは,手術後きわめて重篤な出血性
ショックの状態に陥っていたにも関わらず,放置されていたものである。
④被告の手術と肺動脈血栓塞栓症との間の因果関係の有無
以上①ないし③に記載した適切な処置が講じられていれば,亡Dを救命
しえた高度の蓋然性がある。
(被告の主張)
①について
従来,肺血栓塞栓症は,欧米に比べて日本では少なく,最近になって治
療方法等が学会等で広く検討されるようになってきた。そして,予防,治
療方法等について報告,提案等がなされているが,抗凝固療法としてのヘ
パリン投与の当否,投与量や投与方法,投与期間など,未だその治療方法
が確立されてはいない。よって,被告のような地方の一般整形外科病院に
おいても,抗血栓薬であるヘパリン等を常備して予防的に投与すべき注意
義務があるとの原告らの主張は,当時の医療水準論からして妥当なものと
は考えられない。
②③について
被告は,亡Dの手術後,同人の覚醒を確認の上で何度も病室を訪問し,
バイタルサインのチェックを継続していた。亡Dからの「しんどい」との
訴えの後,胸内苦悶を訴えたことから,総合病院への転医を家族に勧め,
その転院中に亡Dの容態が急変して死に至る結果となったのであり,被告
の術後管理及び転医義務違反はない。
肺血栓塞栓症の臨床所見としては,突発性の呼吸困難,胸痛等が指摘さ
れているが,術後の平成12年4月14日午前7時30分ころから「しん
どい」との訴えはあったものの,肺血栓塞栓症の臨床所見が見られたわけ
ではない。血圧低下や「しんどい」との訴え自体は,外科手術後一般に見
られる症状であり,それにより肺血栓塞栓症を疑って直ちに転医措置を取
るべきであるとの原告らの主張は,あまりにも被告医師に過大な責任を負
わせるものである。
また,原告ら主張の重篤な出血性ショックの有無については,a手術時
に2207gもの出血があったわけではなく(被告本人),直ちに輸液を
行っている,b平成12年4月13日の午後11時15分に500ml,
同月14日午前2時に600mlの排尿があり,合計量は決して少なくな
い,c血圧低下は,直前に挿入されたボルタレン坐剤の副作用として一時
的に低下した可能性があり,点滴や昇圧剤の投与により回復している,d
「えらい」という訴えは術後通常に見られるものであり,被告は訴え軽減
のため,気管支拡張作用のあるネオフィリンMを投与していること,同日
午前7時30分の酸素吸入は亡Dの希望により中止されたことからすれば,
呼吸不全はそれほど重篤ではなかったと考えられる,e嘔吐は,麻酔や手
術による身体への侵襲によって術後一般的に見られる症状である,f血液
検査,血液ガス,中心静脈圧等はショックの診断基準としては一般的に用
いられていない。
④について
亡Dの転医前には重篤感はなく,また,強く肺血栓塞栓症を疑わせる症
状も認められていない。ところが転医中にその容態が急変し,死亡に至っ
たわけであり,専門施設等を有する総合病院においても救命可能性は低か
ったといえる。
(3)説明義務違反
(原告らの主張)
亡Dの左大腿骨折観血的整復固定術の前後にわたり,病状や手術内容,危
険性,手術時間の延長理由,ガイドピンの体内での残存について何らの説明
もなく,さらに,死亡後も,死因などの説明がなかった。
(被告らの主張)
被告は,亡D及び原告Aに対し,手術内容につきパンフレットを使用して
分かりやすく説明している。
また,被告は,手術後,折損したガイドピンの除去手術を,後日,状態が
落ちついた際に検討する旨説明している。
確かに,被告は,亡Dの死因について詳しく説明をしていないが,転医先
のF病院における解剖により,同病院で死因等の究明,遺族への説明が予定
されており,被告には解剖結果が届いていなかったことからすれば,被告に
説明義務が認められることはない。
第3当裁判所の判断
1以上の争いがない事実に加え,証拠(甲7,乙1ないし8,原告A本人,被
告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)診療経過について
平成12年4月8日,亡Dは,1階屋根から転落し,左大腿部の痛みのた
め救急車でE病院に搬送され,被告が診察・各種検査にあたった。
亡Dの初診時の主訴・主要な症状,検査等の所見は,以下のとおりであっ
た。
①左股部から大腿部にかけて腫脹著明,疼痛著明,不安定性著明で,運動
不能の状態であった。
②レントゲン撮影の結果,左大腿骨転子間及び転子下骨折が認められ,か
つ,骨折部の転位も認められたので,応急処置として,局所麻酔下に,左
下肢への鋼線牽引を施行した。
③顔面左眼下部に皮下溢血と腫脹があり,創傷処置を行った。
亡Dは,初診後直ちに手術のためにE病院に入院することになった。
入院後,被告は,チチナ(止血剤)+サルソニン(鎮痛剤)を静脈注射し,
セラピエース(鎮痛消炎剤),ピオセローゼ(消炎酵素剤),タンチパン
S(消化酵素剤),ノフキサン(抗生剤),トーワサール顆粒(鎮痛剤)
を内服処方した。
被告は,術前検査オリエンテーションとして,原告Aを交え,手術につい
て「パンフレットを使用しわかりやすく説明」したところ,看護婦により
「よかった様だ」とカルテに記載されている。
同月10日,被告は,亡Dの心電図,胸部レントゲン等の術前検査を実施
したが,特に支障となる異常は認められなかった。
(2)手術経過について
同月13日,被告は,亡Dに対し,左大腿骨折観血的整復固定術を施行し
た。手術経過は以下のとおりであった。
①局所麻酔下にガイドピンを挿入し,同日午後2時46分,手術室に搬入。
全身麻酔後,同日午後3時,執刀開始。
なお,本件で使用したガイドピン等は,亡D入院後に取り寄せた新品で
あった。
②ガイドピンに沿って,大腿骨頭にリーミング(スクリューを挿入するた
めの孔を穿孔する)を施す。
③大腿骨頭に穿孔した孔にスクリューを挿入する。
④転子下骨折の整復に移る。整復困難なため,大腿外側広筋起始部を切断
剥離し,転子下骨折を整復する。
⑤整復位を保持して(骨頭のスクリューに連結して),骨折副子プレート
を大腿骨外側に固定施行する。
同日午後4時55分,チューブプレートをあてる。通常はこれで固定し
て手術終了となるが,固定施行中,ガイドピンを抜去した際,ガイドピン
の先端部の折損が判明したため,固定途中であったプレートと骨頭に挿入
していたスクリューを一旦すべて除去する。
⑥同日午後5時10分,午後6時,午後6時06分にレントゲン。
⑦途中,残存したガイドピンの断片を捕まえるために,骨頭の穿孔部より
長細鉗子等を挿入して探るも,抜去困難なため,エックス線透視下に抜去
を図ったが上手くいかず,断念した。ガイドピン抜去に約1時間半から2
時間要した。その後,再度,大腿骨頭にスクリューを挿入し,大腿骨転子
下骨折を再整復し,プレート固定を施行して,同日午後8時46分,手術
を終了する。
⑧同日午後7時57分,出血量2207g。
ただし,骨折自体で約1000gは出血すると思われ,それに手術に伴
う出血を加えて合計2207gになったと認められる。
⑨手術後,被告は原告Aに対し,残存したガイドピンの先端が写ったレン
トゲンを見せながら,大腿骨内に残った鋼線の処置や骨折部位の転位を合
わせるのに少し時間がかかった旨説明した。
(3)術後の経過
①同日午後10時45分の診察時,声をかけると「痛い。」と答える。血
圧106/56。脈拍122。
②同日午後11時15分,自尿500ml。
③同月14日午前0時30分,被告に一般状態報告し点滴追加する。血圧
100以上で安定したら点滴中止するよう指示あり。血圧88/55。脈
拍133。
④同日午前1時25分,声かけすると開眼する。痛み軽減するも口渇訴え
る。血圧116/58。脈拍125。
⑤同日午前2時,術部痛あり。ボルタレンザポ(鎮痛坐薬)挿入し,様子
みる。一般状態落ちついているため心電図中止する。自尿600?あり。
血圧153/55。脈拍55。
⑥同日午前3時30分,気分不良となり,コーヒー様吐物あり。血圧74
/44。脈拍114。血圧低下のため点滴続行し様子みる。気分不良少し
落ちつく。
⑦同日午前7時,コーヒー様吐物あり。血圧121/52。脈拍86。
⑧同日午前7時30分,「えらい」と訴えあり。酸素吸入開始する。
⑨同日午前8時20分,本人希望にて酸素吸入中止す。被告訪室,様子み
る。血圧139/96。
ネオフィリン1A(強心利尿剤)
悪心軽減消える。口渇あり。被告,水分を十分に与えるようにと指示。
⑩同日午前9時,大腿腫脹。
⑪同日午前11時,被告訪室。もう少し様子みるように指示あり。
腹部腫脹あり,腹痛なし,排ガスあり。
⑫同日午後零時15分,全身しんどい感じ,顔色,気分とも優れず。術部
痛あり,希望にてボルタレン坐剤挿入。
⑬同日午後1時15分,導尿施行し100mlあり。相変わらず全身しん
どい感じ。血圧70/35に低下したため,指示にてネオフィリンM/A
(強心剤),エホチール1A(昇圧剤)注射。
⑭同日午後3時,お茶を飲用後嘔吐。
⑮同日午後3時15分,胸内苦悶訴え酸素吸入開始,被告に診察され総合
病院へ転医した方が良いと言われF病院転医となる。
家族の希望にてG病院に連絡するも満室で断念。F病院救急に連絡,O
Kをとる。
⑯同日午後4時15分,ストレッチャーにて1階へ搬送中,エレベーター
内にて急変,意識低下,下顎呼吸にて酸素吸入開始。心電図開始。気管内
挿管のうえ心肺蘇生施行しながら救急車にてF病院に搬送したが,同病院
において,同日午後5時46分死亡が確認された。
(4)死亡原因について
死亡当日,剖検が実施され,結果,肺動脈血栓塞栓症が直接死因とされた。
死亡直後に実施された解剖によれば,次の事実が認められる(甲7)。
亡Dの両側の肺内肺動脈には,比較的新鮮な血栓が多発しており,両肺に
多発し,血管壁に密に接着しておらず,他の部位でできた血栓が血流に乗っ
て流れてきた塞栓であると考えられる。右肺上葉の肺胞腔には,気管支肺炎
の像も見られるが,直接死因になるほど高度ではなかった。その他,肺以外
の心臓,胃,前立腺,脳には,直接死因と関連のある病変は見られず,結局,
肺動脈血栓塞栓症が直接死因と考えられた。
塞栓症とは,異常な固形物体(塞栓)が血流によって運ばれ,血管壁を機
械的に塞ぐ症状で,血栓塞栓症とは血栓の全部又は一部が剥離して遠隔部に
運ばれて塞栓症を起こすものである。
亡Dの症例として考えられる静脈性の塞栓症では,塞栓が肺動脈に到達す
るには「末梢の静脈→大動脈→右心房→右心室→肺動脈」という経路をたど
る。肺は全身の静脈血を受ける場所として塞栓症が起こりやすく,塞栓が大
きくて右心室流出路から肺動脈の主管または主枝を閉塞する場合には急死の
危険がある。静脈性塞栓症の塞栓の源は90%以上が下肢および骨盤静脈の
血栓であるが,なかでも下肢のそれが圧倒的に多い。肺塞栓症の三大主徴は
呼吸困難,呼吸頻数,胸痛とされている。肺循環が50%以上閉塞されると
著明な臨床症状を呈する。
亡Dの大腿骨骨折と直接死因との因果関係については,左大腿骨骨折ある
いは手術にともなう局所の出血・浮腫による静脈の圧迫,血管の走行異常や
外傷に伴う血管内皮細胞傷害によって静脈血栓が形成された可能性が高い。
肺動脈に認められる血栓は比較的新鮮なものであるが,血栓は一旦形成さ
れるとさらにその上に新しく付加されて成長する性質があり,新しい部分が
塞栓として肺に到達した場合には元の血栓の形成時期を組織学的に決定する
ことは困難であり,結局,時期を判定することは困難である。もっとも,そ
の根本原因は外傷(骨折)であり,直接死因である肺血栓塞栓症との関連が
強いと考えられる。
(5)当時の医療水準について
なお,医療水準についての文献の題名・発行年月日等を一度記載した以降
は,文献について甲号証,乙号証番号で特定することとする。
①平成5年の「臨外第50巻第11号・1995年増刊号」の「術後合併
症の予防と対策」中,H病院外科医師ら執筆による「深部静脈血栓症・肺
塞栓症」(乙6)によれば,次のような記載がある。
深部静脈血栓症(DVT)の症状は,臥床しているため発現し難い。し
たがって,原疾患の術後管理のみでなく,四肢の腫脹や疼痛,発赤などに
注意する。
また,肺塞栓症(PE)も特異的症状を欠く例が多く,早期発見は難し
い。胸痛や呼吸困難,血淡はtriasとされているが,実際には約2%
にしか認められない。したがって,PEを疑う契機はショック様症状にも
かかわらず胸部X線上の異常所見に乏しく,適切な呼吸管理に反して血液
ガスの改善が得られない場合などである。
②平成9年12月1日発行の日本医師会雑誌(甲15)によれば,特集と
して「血栓・塞栓症の病態と治療」が取り上げられており,I大学医学部
講師の「深部静脈血栓症と肺動脈血栓塞栓症」という論文中に,次のよう
な記載がある。
すなわち,肺動脈血栓塞栓症(PTE)の多くは深部静脈血栓症(DV
T)の続発症として起こるとされているが,その頻度は2∼50%と報告
者によってまちまちで,単発例より再発例において発症頻度は高いといわ
れている。DVTの原因としては外傷,骨盤内手術および長期臥床などが
知られている。DVTの症状は下腿の緊満感や圧痛でHomanssi
gn(膝関節を伸ばした状態で足関節を背屈させるとDVTでは腓腹部に
痛みを訴える)が陽性となる。われわれは急性期に対しては抗凝固療法や
線溶療法を第一選択とし,以下のとおり行っている。①抗凝固療法:ヘパ
リン1万∼1万2000単位/日を持続点滴で数日間投与し,ワルファリ
ンの経口投与に切り替えていく。②線溶療法:①と併用してウロキナーゼ
24万∼48万単位を4∼5日漸減しながら持続点滴で投与する。③その
他:患肢の挙上。
そして,急性PTEの診断の項目に,多くは急激な胸痛や呼吸困難を主
訴として救急で遭遇することが多く,時にはショック状態の場合もある。
心電図ではPTEに特異的な右心不全の所見の多くは急性期では認めにく
く,胸部X線上も肺野の透過性の亢進や肺門部肺動脈の拡大などの所見が,
急性期では顕著でないことがその一因であろう。いずれにしても,DVTの
既往の有無をチェックすることを含め,本疾患も念頭において診断を進めて
いくことが最も重要である。
③平成10年3月10日発行の「手術患者の呼吸管理マニュアル」(オペ
ナーシング1998年春季増刊号)(甲9)によれば,肺梗塞・塞栓症の
項目で,手術予定患者では術前絶食による脱水・長時間の同体位・場合に
より,下肢からの点滴路確保などの因子が重なり,深部静脈血栓症準備状
態にあると考えられる,との記載があり,肺塞栓症の項目には,次のよう
な記載がある。
すなわち,主に深部静脈炎が原因となり,術前からの長期臥床,肥満な
どが誘因となって術中から術後にかけて発生する。症状は,時に致死的で
ある。臨床的には軽症例ではまったく症状のないものからショックに陥る
ものまでさまざまである。血栓形成の予防が基本であるが,発症を認めた
場合は血栓溶解療法とヘパリン静注などの血栓形成阻止療法を行う。重症
例では手術,体外循環による管理を行う場合もある。看護上,術後は弾力
ストッキングの着用,腓腹筋マッサージなどを行って,静脈血流の停滞を
予防する。
④平成10年4月15日発行の日本医師会雑誌「症候から診断へ」(甲1
6)によれば,呼吸困難を惹起する疾患として多数の疾患が挙げられてい
る中の1つとして肺塞栓症が挙げられており,肺血栓・塞栓症という事項
欄に,手術後,長期臥床などに起こりやすい。著明な低酸素血症と胸痛,
咳嗽,呼吸困難の3主徴があれば本症の存在が示唆され,肺血流シンチグ
ラムや肺血管造影が診断上有用である。
⑤平成11年3月15日発行の「肺血栓塞栓症の臨床」(甲8)によれば,
以下の記載がある。
すなわち,臨床医にとって肺塞栓症は今なお診断,治療上の重要な問題
となっている。事実,肺血栓塞栓は全剖検例の半分以上の例で報告され,
肺塞栓の大部分(90%以上)は下肢の深部静脈に起因する。大部分の致
死的症例は腸骨大腿静脈系の静脈血栓に由来する。肺血栓塞栓症の約半分
の患者が深部静脈血栓症の臨床症状を示す。外科手術そのものによる死を
除いて,広範な肺塞栓症は純然たる整形外科術後の死因の中で最も多いも
のである。
⑥平成11年の「ICUとCCUvol.23(9)1999」「特集肺塞
栓症」中の,J病院麻酔科・救命救急センター医師ら執筆の「周術期の肺
血栓塞栓症」(乙4)によれば,次のような記載がある。
まず,はじめに,として,急性の肺血栓塞栓症(PTE)は病院内にお
ける予期しない死亡の原因として最も頻度が高いとされる。周術期の患者
の急変は麻酔科医が最も回避しなければならない事態であり,近年のPT
E報告例の増加は見逃せない。
次に,発症頻度の項目で,1995/1/1∼1998/12/31の4年間の当院手術室
における全身麻酔総数は9539件,その他の麻酔総数は計6948件で
あった。そのうち術中・術後に明らかなPTEを発症したのは4例(麻酔
は全て全身麻酔で,全身麻酔患者の0.04%,全手術患者の0.02
%)であった。
また,術前管理の項目で,PTEの予防には運動,下肢挙上,弾性スト
ッキング着用が勧められている。しかしストッキング着用は煩わしさもあ
り,現状では術前の予防的使用は稀である。欧米では術前よりヘパリンの
皮下注が勧められているが,本邦では手術操作や硬膜外・腰椎穿刺時の出
血を危惧し投与しない施設が多いと思われる。当院でも,術前ヘパリン投
与に対する麻酔科医,外科医双方のコンセンサスは得られていない。
そして,術中・術後管理の項目で,全身麻酔中や鎮静中には患者の自覚
症状が不明であり,血圧低下などで初めてPTEを疑うことになる。術中
でも診断可能なPTEは重症例のみといえる。
さらに,考察として,初回発作でショックを呈するPTEでは,致命的
な再発作予防のために緊急IVCフィルター留置が重要と考える。以上の
ように,IVCフィルターはPTEの予防,治療に有用性が高いにもかか
わらず,以前は当院に常備がなかった,われわれは症例経験以後これを常
備し,緊急事態に備えるようにし次の症例でその効果を確認した。
⑦平成12年2月発行の「最新医学・55巻・2号」の「特集:血栓症−
基礎と臨床−」中の,K大学第二外科教授らの執筆による「深部静脈血栓
症と肺塞栓症」(乙2)によれば,次のような記載がある。
まず,要旨として,深部静脈血栓症は,我が国においては比較的まれで
あり,また致死的合併症である肺塞栓症や遠隔期における慢性静脈うっ帯
による血栓後遺症を除けば予後良好な疾患である。しかしこれらの合併症
を併発すると,その治療に難渋することがあり,肺塞栓症も含めた予防が
これら疾患に対する診療時の最も重要な点である。
そして,深部静脈血栓症の危険因子の項目に,発生頻度について,深部
静脈血栓症全体でみると,本邦におけるUらのアンケート調査では約42
例/100万人(0.0042%)で,欧米の480例/100万人(0.
048%)と比較し1/10以下と極めて少ないと報告している。深部静
脈血栓症全体に占める割合について見ると,Vらのアンケート調査によれ
ば,外科手術後の頻度が最も多く16%であった。
続けて,前述のごとく我が国の深部静脈血栓症の発生率は欧米に比べて
約1/10程度と低いが,危険因子の中で欧米との差が特に顕著に見られ
るものは,血液凝固異常症や高脂血症などの血液性状の異常に関連する要
因が主なものである。血液凝固異常症に関して言えば,特に活性化プロテ
インCレジスタンスの頻度が大きく異なる。欧米では深部静脈血栓症を含
めた血栓症の危険因子として高頻度を占めているが,我が国においては未
だその報告は見られない。また,肥満や高脂血症も重要な危険因子として
近年注目されており,これらの頻度の差が欧米と本邦の発生率の差の一因
と考えられる。特に高脂血症に関していえば,生活習慣の欧米化より,今
後増加し,それに伴い深部静脈血栓症や肺塞栓症も増加することが予想さ
れ,今後の動向に十分注意する必要があると考えられる。
さらに,深部静脈血栓症の項目に,治療としては,急性期には保存的治
療として抗血栓療法や血栓溶解療法が行われ,外科的治療としては血栓摘
出術が行われる。遠隔期におけるそれらの治療効果には差が見られず,急
性期における治療法の選択基準に関しては,現在のところ基準が確立され
ておらず,各施設の治療方針により決定されることが多い。当施設(K大
学第二外科)では,抗血栓療法としてヘパリン10,000∼15,00
0IU/日,線溶療法としてウロキナーゼ480,000IU/日を全身
投与することを原則としている。また近年,カテーテルを用いた局所線溶
療法が開発され,良好な成績を得つつある。
そして,肺塞栓症の項目に,肺塞栓症の診療に際して最も重要なことは
発症の防止であり,さらに言えば深部静脈血栓症の予防である。特に我が
国では,少ないとはいえ外科手術後や長期臥床,脱水,血液濃縮など入院
中に発症する危険性は避けられず,これらの発症をいかに減少させるかが
重要である。我が国では深部静脈血栓症や肺塞栓症に対する認識は未だ十
分とは言い難く,診療に当たっては前述した危険因子の存在を十分念頭に
置き治療することが重要である。またこれらの危険因子が存在する場合に
は,積極的に抗凝固療法を行うことが深部静脈血栓症や肺塞栓症の予防の
ために重要であると考えている。しかし,欧米では外科手術後に抗凝固療
法を行うことはほぼ常識化しているものの我が国では未だ十分な検討がな
されておらず,抗凝固療法としてヘパリンの投与量や投与法,投与期間な
どが確立されておらず,今後十分な検討が必要である。
⑧平成12年3月25日発行の,L大学名誉教授,M大学名誉教授N著の
「血栓の話」(甲33)によれば,「左下肢に多い深部静脈血栓症」の項
目に,深部静脈血栓症は圧倒的に下肢に多く,また左側に多い(約7割以
上)こと,深部静脈血栓症の誘因の中に,骨折などによる下肢の固定が挙
げられていることが認められる。
⑨平成13年2月号の「NikkeiMedical」の「シンポジウ
ム静脈血栓塞栓症整形外科手術後」中のO病院整形外科医長執筆の「術
後高率に生じる静脈血栓下肢運動と早期離床が重要」(乙5)によれば,
次のような記載がある。
整形外科手術は,術中の体位や術前後の安静などによって深部静脈血栓
症を発症しやすい状況にある。整形外科においては術後一定期間の安静の
後,歩行訓練を開始することが多いが,その際,それまでに形成された深
部静脈血栓が血管壁から遊離し,肺塞栓症を発生することがある。つまり
整形外科手術(特に下肢手術)は静脈血栓塞栓症の重大な危険因子の一つ
であると言っても過言ではない。
さらに,深部静脈血栓症の発生頻度は欧米並み,として,日本では今ま
で伝統的に静脈血栓塞栓症は少ないと信じられてきた。欧米と日本での深
部静脈血栓症の発生頻度の差は,主に深部静脈血栓症の診断方法の違いに
あった。欧米では静脈造影法を用いて深部静脈血栓症を客観的に診断して
いたが,日本では臨床症状に基づく診断であり,症候性の深部静脈血栓症
のみの頻度となっていたからである。
⑩平成13年3月10日第1版第1刷発行の「症候からみた診断へのアプ
ローチ」(甲14)の中に,急性の呼吸困難をきたす基礎疾患として,肺
血栓塞栓症が挙げられている。
⑪Pのホームページ(甲12)によれば,平成13年5月31日から同年
6月1日にかけて開催された「第96回中部日本整形外科災害外科学会」
において,「無症候性の深部静脈血栓症に関する検討」との題名で,Q大
学医学部整形外科,R病院,S病院所属医師ら5名による共同の学会発表
があり,その中で,次の記載がある。
すなわち,検討目的としては,下肢深部静脈血栓症(DVT)は肺塞栓
症の主原因であり,重篤な結果を招くことがあるところ,無症候性のDV
Tが認められるため,その病態について検討した。対象と方法は,平成8
年10月から平成12年11月までの間に超音波検査にて術後検出された
近位型DVT16例中,下肢の疼痛,腫脹が無く,ルーチン検査にてDV
Tと診断し得た7例を対象として検討した。検討結果からの考察として,
下肢の疼痛,腫脹などの症状を有していない症例においても術後突然に肺
塞栓症を発症する例のあることが報告されているところ,今回の検討でも,
全検出例の45%に無症候性DVTが認められており,そのうちすでに肺
塞栓症を認めた症例も含まれていた。従って,術後の症例には症状の有無
にかかわらず,超音波検査を行う必要性があると考えられた。
⑫平成13年6月27日現在での,M大学のホームページ(甲13)には,
次の記載がある。
すなわち,術後の肺塞栓症は,一旦発生すると致命的となることが多く,
欧米ではその予防法について多くのガイドラインが作成されています。し
かし,残念ながらわが国ではまだ全国的な統計が行われていないため,そ
の実態がつかめていません。欧米との食習慣,体型などが違うことから,
欧米のガイドラインをそのままわが国に応用することは無理があるかもし
れませんが,なんらかの予防処置が必要であると考えます。今回当センタ
ーとして,術後肺栓塞(原文まま)の予防法を以下のように行うことにし
たいと考えますので,ご意見を頂きたく存じます。
そして,「2.整形外科」の項目に,対象患者として,「大腿骨頚部骨
折患者(入院直後から)」など,予防法として,「ヘパリン2500単位,
皮下注,2回/日,術中から歩行開始まで」「反復圧迫治療器またはAV
インパルスの術中および術後使用」との記載がある。
さらに,参考欄に,予防処置を行わなかった場合の致死的肺塞栓症の発
生率として,大腿骨頚部骨折4.0%との記載がある。
⑬平成13年9月20日第1版第1刷発行の「急性肺動脈血栓塞栓症予防
・診療マニュアル」(甲20)によれば,「Ⅲ.急性肺動脈血栓塞栓症の
予防法」の中に,次のような記載がある。
すなわち,「看護における予防法」の項目に,血管造影検査時の看護の
「検査後」の項目に,尿量,脱水症状のチェックをする,とあり,そして,
「手術時の看護」の「手術後」の項目に,①手術後は一般的な危険因子に
加え,以下の危険因子の有無と程度を把握する,として,術式,術中の水
分出納,手術時間,術中の体位,術後の安静度,血液データが挙げられ,
②術後は特に水分バランスがくずれやすいことから脱水症に注意する。チ
ェック項目の内容としては,補液量,経口摂取量,胃管やドレーンからの
排液量,尿量,尿比重,脱水症状(口渇,皮膚粘膜の状態など),血液デ
ータが挙げられる。
⑭加えて,T病院整形外科医師らによる私的鑑定意見書(乙2)には,次
のような記載がある。
肺動脈血栓塞栓症の診断は,たとえ専門医であっても,困難であるとさ
れる。また,心電図,血液ガスモニター,肺のレントゲン写真に必ず特有
の所見があるとは限らないといわれている。整形外科医として術後発症す
る肺動脈血栓塞栓に対してはその対応には限界があり,循環器科,血管外
科,救命救急部などの協力が必要であると考える。したがって,地方の整
形外科医に,術後の肺動脈血栓塞栓症に対して,監視義務を課し,その診
断,処置を求めることは問題であろうと考える。
肺動脈血栓塞栓症は最近,整形外科領域において注目されている病態で,
一般的には,手術中,術直後は著変がなかったものが,リハビリが開始さ
れたころに,急に発現し,しかも死亡率が高いとされている。手術中ある
いは手術後に下肢に血栓が形成され,リハビリ開始時点で,血栓が移動し
肺動脈血栓塞栓症が生じるとされている。
2争点に対する判断
(1)ガイドピンの問題
上記認定事実によれば,今回被告が手術に使用したガイドピンは新品であ
り,手術中にガイドピンが折れることは滅多になく,本件折損の原因は明確
ではないことから,①被告に手術用具の管理上の過失はなく,また,②本件
折損は不可抗力といえる。
また,被告は,残存ガイドピンについては,約1時間半から2時間かけて,
鉗子を用いたりエックス線透視下で抜去を図ったが成功しなかったため断念
し,後日,亡Dの体力回復を待って,抜去手術を考えていたことから,③ガ
イドピンの体内放置に被告の過失は認められない。
④ガイドピンの放置と肺動脈血栓塞栓症との因果関係の有無については,
肺動脈血栓塞栓症及び深部静脈血栓症の原因としてはVirchowの3原
則(血流の異常,血管壁の異常,血液性状の異常)が挙げられており(甲9,
乙2,5,6など),外傷,骨盤内手術(甲15),開腹手術(特に婦人科
手術)(甲33)なども挙げられているものの,ガイドピンの放置が直接的
な因果関係を有するとまでは認められない。また,剖検結果でも,血栓の形
成が骨折から手術以前に生じたものか,手術後に生じたものかを特定できず
(甲7),やはりガイドピンの放置が直接的な因果関係を有するとまでは認
められない。
(2)肺動脈血栓塞栓症問題
説明の都合から,先に,術後管理の過失(争点(2)②)について述べる。
①術後管理の過失(争点(2)②)
原告らは,早期に胸部X線写真の撮影,血液検査,心電図検査を行って
いれば,深部静脈血栓症発症の疑いを強めて,総合病院等に転院させるこ
とができたはずである旨主張し,胸部レントゲン写真や血液ガスモニター
の重要性について,甲14及び甲16を挙げる。
しかし,原告らの掲げた文献によれば,次のような記載がある。
甲14によれば,「肺血栓塞栓症では胸部X線写真上明らかな異常陰影
を指摘できない低酸素血症を呈することがあり,診断のためこれまでは肺
動脈造影が行われてきたが,CTでは心腔内から区域枝レベルに至る血栓
が検出可能であり今後肺血栓塞栓症の診断のstandardになる可能
性がある。しかし現時点(平成13年3月10日発行。)では肺換気血流
シンチにおける換気・血流ミスマッチの証明がstandardと考えら
れている。」などと,胸部X線では明らかにできない症例を示すだけでな
く,肺血栓塞栓症の診断基準が将来変わりうることを示唆している。
甲16によれば,「息切れ」「検査の選び方・進め方」の項目に,「呼
吸困難のある患者は」として,胸部X線単純写真,動脈血ガス分析値の測
定,心電図検査等が挙げられているにすぎない。
その他,原告らの掲げる甲15によれば,急性肺動脈血栓塞栓症の診断
として,「心電図では・・(中略)肺動脈血栓塞栓症に特異的な右心不全
の所見の多くは急性期では認めにくく,胸部X線上も肺野の透過性の亢進
や肺門部肺動脈の拡大などの所見が,急性期では顕著でないことがその一
因であろう。血液ガス所見で・・(中略)有力な手がかりとなる。次いで,
心エコーで右心負荷の所見が認められれば,本症がかなり疑われる。」と
あり,心電図,胸部X線での診断が困難であることを示している。
さらに乙6では,「肺塞栓症を疑う契機はショック様症状にも関わらず
胸部X線上の異常所見に乏しく,適切な呼吸管理に反して血液ガスの改善
が得られなかった場合などである。」とされている。
加えて,上記文献を通してみても,肺塞栓症や深部静脈血栓症の診断方
法として,胸部X線写真,心電図,血液ガス,血液検査等原告ら主張の術
後監視が確定的な診断方法であるとの記載はなく,むしろ,甲14で示唆
されているとおり,確定的な診断方法は以前の肺動脈造影からCTへと将
来変わる可能性があることを示唆されている。
加えて,乙3によれば,「肺動脈血栓塞栓症の診断は,たとえ専門医で
あっても困難であるとされており,心電図,血液ガスモニター,肺のX線
写真に必ず特有の所見があるとは限らない」旨意見を述べている。
以上からすると,仮に,被告が原告ら主張の術後監視を行っていたとし
ても,亡D死亡を防ぐことができたかどうかは不明といわざるを得ない。
②転医措置の過失(争点(2)③)
亡Dは,平成12年4月14日午前3時30分に,血圧が74/44ま
で低下しているが,同日午前2時のボルタレンサポの副作用とも考えられ,
必ずしも肺血栓塞栓症の兆候であったとまではいえない。
また,同日午前7時30分,亡Dの「えらい」との訴えにより酸素吸入
を開始したが,同日午前8時20分には本人の希望で中止され,同時刻こ
ろ,被告が訪室してネオフィリンM投与をしたことからすると,呼吸不全
はさほど重篤とまでは考えられない。また,同日午後1時15分にネオフ
ィリンMを投与しているが,それをもって,必ずしも重篤な呼吸不全の症
状が現れたとまでは認められない。
そうすると,同日午前9時に,左足の「大腿腫脹(+)」が認められた
時点で,直ちに被告に転医させる義務があったとまではいえない。
同日午後3時15分に,亡Dが胸内苦悶を訴え酸素吸入を開始した時点
で症状が急速に出現したため,被告は転医を検討したのであり,それ以前
の転医義務までは認められない。
さらに,原告らは,a手術時に2207gもの多量の出血があり,手術
後のb尿量減少,c血圧低下,d呼吸浅薄,e嘔吐,f転医先での血液検
査,血液ガス,中心静脈圧測定結果などからすれば,亡Dは,手術後きわ
めて重篤な出血性ショックの状態に陥っていたにも関わらず,これを放置
した被告には過失があると主張する。
しかしながら,a出血は,大腿骨骨折時の約1000gの出血が手術時
に出てきたため合計2207gとなったと推定されること(被告本人),
b尿量も,手術後自尿500ml,自尿600ml,導尿100mlがあ
り,少ないとはいえないこと,c血圧は,手術後に2度ほど低下が認めら
れるが,いずれもその約1時間前にボルタレン座剤の投与があり(乙1),
その副作用とも考えられ(甲31,被告本人),重篤なショック状態とは
考えがたいこと,d呼吸浅薄も,酸素吸入が亡D本人の希望で中止されて
おり,重篤なショック状態につながる呼吸困難であったとまではいえない
こと,e嘔吐について,原告らは「コーヒー様吐物」の看護記録の記載
(乙1)から,胃からの出血を推測し,解剖所見の「胃びらん」との記載
(甲7)をもってその裏付けとするが,それのみでかかる推測の裏付けに
は足りないこと,f血液検査,血液ガス,中心静脈圧の測定等,ショック
を判断する基本的なモニターをしておくべきとの原告らの主張は,出血量
が多量であったことを前提とするが,上記のとおり,前提を欠き,また,
F病院における血液ガスの検査結果(甲7の9枚目)をもとに重篤な代謝
性アシドーシスに陥っていたことが明らかであるとの主張については,こ
れら検査結果を全て把握した上で剖検をしたと思われるF病院医師作成の
FainalCPC(甲7)には何らの記載もないことからすると,重
篤な代謝性アシドーシス等に陥っていたのかどうかは不明であるといわざ
るを得ないことなど,以上aないしfのいずれからも出血性ショックがあ
ったとは認められない。
③被告の手術と肺動脈血栓塞栓症との間の因果関係の有無(争点(2)④)
平成12年4月14日,それまで,全身の懈怠感,顔色不良,気分不良
の状態が続いてはいたものの急激な症状変化は見られていないところ,同
日午後3時15分に,胸内苦悶を訴え酸素吸入を開始しており,この時点
で症状が急速に出現していることからすると,この時点で血栓が大量に移
動し,肺血栓塞栓症を生じたものと認められる(乙3)。
ところで,前記文献によれば,急性の肺血栓塞栓症の多くは,急激な胸
痛や呼吸困難を主訴として救急で遭遇することが多いこと(甲15),症
状は時に致死的であり(甲9),外科手術自体による死を除けば,広範な
肺塞栓症は純然たる整形外科術後の死因の中で最も多いこと(甲8),急
性の肺血栓塞栓症は病院内における予期しない死亡の原因として最も頻度
が高いとされること(乙4),術後の肺塞栓症が発生した場合は,致命的
となることが多いこと(甲13),一般的には,手術の前後を通じて著変
がなくても,手術中や手術後に下肢で形成された血栓が,リハビリにより
移動し肺動脈血栓塞栓症が生じるとされていること(乙3)などの記載が
認められ,仮に専門施設等を有する総合病院においても亡Dを救命しえた
高度の蓋然性があったとまではいえない。
④当時の医療水準
原告らは,平成12年4月8日の入院時点で,被告が当時の臨床医学の
水準に準拠した知識・技術を駆使して,亡Dの大腿骨を接合し,当該骨折
を治療する義務を負っていたにも関わらず,全うしていないと主張する。
確かに,亡Dの入院当時には,深部静脈血栓症が致死的合併症の肺塞栓
症を引き起こすことや,肺塞栓症の特異的症状として胸痛や呼吸困難,血
淡などであることは知られていたと思われる。
しかし,当時の医学文献について前記のとおり詳述したところに照らす
と,肺塞栓症の特異的症状を欠く例も多く早期発見は難しいこと,K大学
第二外科教室教授らですら,亡Dの入院直前の平成12年2月時点におい
て,深部静脈血栓症は,日本では比較的まれであると考えていたこと(乙
2),しかも,日本では深部静脈血栓症や肺塞栓症に対する認識は未だ十
分とは言い難く,抗凝固療法としてヘパリン投与の量,方法,期間などが
確立されておらず,今後の検討が必要とされる段階にあったこと(乙2),
亡Dの死亡から約1年経った平成13年2月時点において,今までに日本
では少ないと信じられてきた静脈血栓塞栓症は,単に欧米との診断方法の
違いによるものにすぎないとの論文が発表されるに至ったこと(乙5),
M大学ですら,平成13年6月時点においても,日本では肺塞栓症に関す
る全国的な統計が行われていないため実態がつかめていないこと,同大学
のホームページでは,予防法を紹介した上で,意見を求めているにすぎな
いこと,(甲13),同じく平成13年6月時点において,中部日本整形
外科災害外科学会において,「無症候性の深部静脈血栓症に関する検討」
が,ようやく学会に発表されたこと(甲12),などを総合的に考えれば,
地方の整形外科医である被告に,この時点での肺血栓塞栓症を予測させる
のは困難であると思われる。
⑤予防措置の過失(争点(2)①)
上記認定のとおり,肺血栓塞栓症の予防法も将来の検討を要する段階で,
各病院の治療方法もまちまちであることからすると,亡Dの肺血栓塞栓症
を予測させ,場合によっては抗血栓薬であるヘパリンを投与すべきであっ
たとする原告らの主張は採用できない。
(3)説明義務違反
上記認定事実によれば,被告は,亡Dおよび原告Aに対し,手術内容につ
きパンフレットを使用して説明していること,手術後,手術中にガイドピン
が折損したこと等を説明していることなどからすると,仮に不親切な点はあ
ったとしても,説明義務に違反しているとはいえない。また,亡Dの死因に
ついては,解剖を行ったF病院において究明等が予定されており,被告には
解剖結果すら届いていない状態であったことなどからすれば,死因について
被告の説明がなかったことは止むを得なかったといわざるを得ない。
第4結論
よって,原告らの本件請求は理由がないので,主文のとおり判決する。
岡山地方裁判所第2民事部
裁判官中川綾子

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