弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、補助参加によって生じた費用を含め、原告の負担とする。
       事   実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が中労委昭和六三年(不再)第一四号事件について昭和六三年一二月七日
付けでした命令を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告補助参加人らは、原告を被申立人として、昭和六二年六月二二日、東京都
地方労働委員会(以下「都労委」という。)に救済申立てをし(都労委昭和六二年
(不)第四六号事件)、都労委は、昭和六三年二月一六日付けで別紙(一)のとお
りの主文の命令(以下「初審命令」という。)を発した。
 原告は、初審命令を不服として、被告の再審査の申立てをしたところ(中労委昭
和六三年(不再)第一四号事件)、被告は、昭和六三年一二月七日付けで別紙
(二)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令書の写しは同
月二八日原告に交付された。
2 しかし、本件命令は、事実認定及び法律判断を誤った違法なものであるから、
その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1の事実は認める。
三 被告及び被告補助参加人らの主張
1 被告の主張
 本件命令の理由は別紙(二)の命令書写しの理由欄記載のとおりであり、被告の
事実認定及び法律判断に誤りはない。
2 被告補助参加人らの主張
(一) 原告が、昭和六二年六月八日、運転担当の内勤車掌であったP1に対し、電
車乗務への担当業務の指定変更(以下「本件指定変更」という。)をしたことは、
労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」にあたる。
(1) 労働組合法七条一号の「不利益な取扱」とは、経済的待遇に関する不利な
差別待遇のみでなく、広く精神的待遇等についての不利な差別待遇をも包含するこ
とは判例の一致して認めるところである。
(2) 本件指定変更前の担当である内勤車掌とは、車掌区においては、区長、助
役に次ぐ管理職的な地位である。原告東京圏運行本部新宿車掌区の運転作業要領に
も「区長ー助役ー内勤車掌ー車掌」という指揮命令系統が明記されており、内勤車
掌が職名の上では電車乗務の車掌と同じく車掌であっても、指導的、管理職的位置
付けをされていることは明白である。これに対して、変更後の担当である電車乗務
は内勤車掌に指揮命令される立場である。したがって、本件指定変更は降格であっ
て、その不利益性に疑問の余地はない。
(3) P1は、日常的な後進の指導や増収、業務上の提案等に極めて優秀な活動実
績を上げ、心から車掌の仕事を愛し、業務の経験を深めてきた。P1は、その経験を
もって後進の車掌の指導にあたりたいと考えた。同人にとって、自ら希望して就い
ていた国鉄当時の運用教導掛、それに引き続く内勤車掌の仕事からE電の電車乗務
に降格されたショックは大きかった。本件指定変更当日、P2助役が「みじめになる
よ。」と言ったのは、点呼する立場から点呼される立場への指定変更がいかなるも
のであったかを表している。
(4) 原告は、賃金、諸手当の額に変化のないこと、職名が同一であること、運
用教導掛ないし内勤車掌への希望者が少ないことをもって、不利益性を否定しよう
としているが、経済的不利益性や職名の異同は労働組合法七条一号の不利益性を肯
定するための要件ではない。また、運用教導掛ないし内勤車掌への希望者数と不利
益性とは無関係である。どのような企業にあっても、管理職的、指導的な立場に立
ってその能力を発揮したいと思う者と専門的職能を生かしたいと考える者の両方が
存在するのであり、たまたま原告主張の時期の新宿車掌区に後者に属する者が多か
ったとしても、前者に属する者にとっては、管理職的、指導的な地位から外される
ことが不利益であることはいうまでもない。
(二) 本件指定変更の動機は、P1が国鉄労働組合(以下「国労」という。)に所
属していることにあり、小集団活動に対する態度いかんではない。
(1) P1は、若手職員の信望が厚く、リーダーとしての資質はだれもが認めると
ころであった。それゆえに、原告は、同人が国労を脱退すれば、多くの若手組合員
の脱退を期待できると考え、同人に対する脱退勧奨を集中して行った。しかるに、
P1が依然国労に所属しているために、本件指定変更がなされたのであり、原告新宿
車掌区のP3区長は、被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部八王子支部新宿車掌
区分会(以下「補助参加人分会」という。)のP4分会長に対して、その動機を明白
に語っている。
(2) 原告は、本件指定変更の理由につき、「小集団活動の指導育成に力を発揮
してくれることを期待してP1を内勤車掌にしたにもかかわらず、三か月を経過して
も依然として小集団活動に否定的な態度をとっているので、やむなく元の電車業務
に戻すことにした。」と主張するが、これはまったく虚偽の主張である。
 まず、P1は、いきなり新宿車掌区本区の内勤車掌になったのではない。同人は、
国鉄当時の昭和六二年三月には、仕事上の能力を評価されて運用教導掛(中野派出
担当)になり、原告会社発足時である同年四月には、派出担当の内勤車掌となり、
同年五月には、新宿車掌区本区の内勤車掌となった。派出担当の内勤車掌から本区
の内勤車掌への異動も昇格である。もし、P1が小集団活動に否定的な態度を同年三
月以降三か月間取り続けたというのであれば、同年五月に中野派出担当の内勤車掌
から本区の内勤車掌への昇格人事が行われるはずはない。また、P1が小集団活動自
体に否定的な態度をとっていたものでないことは、新宿車掌区のP5首席助役も認め
ているところである。
(3) なお、原告は、P3区長がP4分会長に語った本件指定変更の動機に関する
発言を録音したテープの反訳書である乙第八三号証の証拠能力を争うが、右発言が
録音されたのは、P4分会長がテープレコーダーの性能を試すために持っていた偶然
の結果にすぎない。また、原告は、不当労働行為的言辞を引き出そうとしたと主張
するが、同分会長はほとんど一方的に話を聞いていただけで誘導したりしたことは
まったくない。これをもって反社会的であるとか、労使間の信義に反するなどとは
いえない。
四 原告の認否、反論
1 本件命令理由欄「第一 当委員会の認定した事実」についての認否は次のとお
りである。
(一) 「1 当事者等」について
(1) (1)の事実は認める。
(2) (2)の事実中、被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部(以下「補助
参加人東京地本」という。)の組合員数は知らない、その余の事実は認める。
(3) (3)の事実中、被告補助参加人国鉄労働組合東京地方本部八王子支部
(以下「補助参加人支部」という。)が補助参加人東京地本の下部組織であること
は認めるが、その余の事実は知らない。
(4) (4)の事実中、補助参加人分会の組合員数は知らない、その余の事実は
認める。
(5) (5)の事実中、各労働組合の組合員数は知らない、その余の事実は認め
る。
(二) 「2 本件に至るまでの労使の事情」について
(1) (1)の事実は認める。
(2) (2)の事実中、国労の組合員数が減少したことは知らない、その余の事
実は認める。
(3) (3)、(4)の事実は認める。
(4) (5)の事実中、内勤車掌について、泊り勤務経験者から日勤勤務の担当
となる人選がなされる等の運用は、国鉄当時の運用教導掛と同様であるとの事実は
否認し、その余の事実は認める。
 確かに、国鉄時代の運用教導掛については、泊り勤務経験者から日勤勤務の者が
人選されるという運用がなされていたが、原告になってからは、国鉄時代の年功序
列的人事を排し、適材適所による弾力的人事を行っているから、今後、泊り勤務の
経験を経ないで日勤勤務の担当になることは十分あり得ることである。原告が新会
社として発足した昭和六二年四月一日以降の新宿車掌区においては、日勤勤務(行
路担当、営業担当、運転担当)の指定は、P1の場合を除くと、同年四月と六月にい
ずれも営業担当に指定された二例があるにすぎず、そのいずれもが泊り勤務経験者
から指定されたことは事実であるが、それだけで国鉄当時と同様の運用がなされて
いると認定することは早計である。また、乗務する車掌が、当初、国鉄当時と同じ
く「車掌長」、「専務車掌」又は「車掌」と記載された腕章を着用していたのは事
実であるが、これは移行時の過渡的な扱いにすぎず、昭和六三年四月以降は全社員
が新しい制服を着用することになり、腕章はつけないことになった。
(5) (6)の事実中、昭和六一年一二月以降運用教導掛を中心に国労を脱退す
る者があったこと、昭和六二年六月九日以降の各労働組合員数は知らない、その余
の事実は認める。
(三) 「3 P1の勤務状況等」について
(1) (1)の事実中、P1の国労組合員としての経歴は知らない、その余の事実
は認める。
(2) (2)の事実中、P1が内勤車掌の中でトップの成績を挙げたことは否認
し、その余の事実は認める。
 昭和六二年のゴールデンウィークの増収活動とは、多人数の旅客に対応するため
に通常の出札窓口のほかに新宿駅の三、四番ホームに設置した特別改札の業務であ
ったが、この業務に内勤車掌のうち誰を何日従事させるかは、内勤車掌の自発的申
し出によるものではなく、助役が内勤車掌の業務の繁閑等を考慮して決めていたも
のであり、他の内勤車掌が一日あるいは二日しか特別改札の業務に従事しなかった
のに対して、たまたまP1が四日間連続して従事したために、結果的に同人の売上金
額が一番多くなったにすぎない。したがって、同人の成績がトップであったと評価
することはできない。
(3) (3)の事実中、P1が他の労働組合の組合員によって構成される小集団活
動グループである「あずさ会」、「研さん会」や助役クラスによって構成される
「飛燕会」に参加しなかった理由が国労組合員であったためかどうかは知らない、
その余の事実は認める。
(四) 「4 P1に対する担当業務の指定替えと区長らの言動等」について
(1) (1)の事実中、P5首席助役の発言内容は否認し、その余の事実は認め
る。
 P5首席助役は、専ら小集団活動について話をし、国労だから小集団活動に入らな
いというP1の考えは誤りであると指摘したのである。
(2) (2)の事実中、P3区長の発言内容は否認し、その余の事実は認める。
 P3区長が述べた意識改革とは、民間企業になったのだから親方日の丸的考えはや
めて民間企業の社員としてふさわしい意識を持つべきだという趣旨であって、国労
からの脱退を勧奨したものではない。
(3) (3)の事実は認める。
(4) (4)の事実中、同年六月五日にP3区長が勤務終了後のP1を呼んだこ
と、その場にP5首席助役が同席していたことは認めるが、その余の事実は否認す
る。
(5) (5)の事実中、P3区長とP1の会話内容、P5首席助役及びP2指導助役
のP1に対する各発言内容、運用教導掛ないし内勤車掌から電車乗務に指定替えにな
った例がないことはいずれも否認し、その余の事実は認める。
 P1を内勤車掌にしたのは、小集団活動の指導育成に力を発揮してくれることを期
待したからであったが、同人の小集団活動に対する否定的態度が変わらないので、
同年六月五日、P3区長がP1に対し、そのような態度をとり続けるのであれば電車
に乗務してもらうこともある旨伝えたところ、同人は、同月八日まで考えさせてほ
しいと一旦返事を保留したものの、結局当日、P3区長に対し、小集団活動に関する
考えは変わらないと回答したので、やむなくP1を元の電車乗務に戻すことにしたも
のである。同区長やP5首席助役がP1に対し国労からの脱退を勧奨したことはな
い。
 また、P1は、わずか三か月前まで電車に乗務していたものであり、電車乗務に戻
ることが「みじめになる」ということは考えられないことである。
 さらに、運用教導掛から電車乗務に指定替えになった例として、昭和五九年一一
月のP6とP7の例があり、また、新会社になってからの内勤車掌から電車乗務への
指定替えは、昭和六三年中までに東京圏運行本部全体では計一一例がある。
(6) (6)の事実中、P3区長のP4分会長に対する発言内容は否認し、その余
の事実は認める。
 本件命令は、P3区長のP4分会長に対する発言について、同分会長が同区長に無
断で録音したテープの反訳書である乙第八三号証に基づいて認定した。しかし、そ
の証拠能力は否定さるべきである。
 すなわち、P4分会長は、補助参加人分会員P8の乗務停止処分問題を口実にP3区
長に面会を求め、不当労働行為的言辞を引き出して、それを無断録音した上、労働
委員会における不当労働行為救済申立事件での証拠として使用することを企図した
ものであるから、右無断録音は、録音の目的、手段、方法が著しく反社会的であ
り、労使間の信義を著しく損なう行為である。したがって、乙第八三号証は証拠能
力を有しないというべきである。
 また、仮に、同号証に証拠能力が認められるとしても、P3区長の右発言は、P
4分会長が不当労働行為的言辞を引き出そうという目的のもとに種々誘導した結果な
されたものであるから、極めて信用性に乏しいものである。
(7) (7)の事実中、掲示及び区報の記載内容について補助参加人分会員がど
のように理解したかは知らない、その余の事実は認める。
(8) (8)の事実中、P2指導助役の発言内容は否認し、その余の事実は認め
る。
 同助役は、P9助役とともに、P10、P11に対し、乗務行路や収入の確保、運転事
故防止等について話しただけである。
(9) (9)の事実中、被告補助参加人らが本件救済申立てをしたことは認める
が、その余の事実は知らない。
(10) (10)の事実は認める。
2 本件指定変更は、職名の変更を伴わない単なる担当業務の変更にすぎず、P1に
は、地位又は格付けの上でも、また、賃金面でも、さらに、組合活動面でも不利益
は生じていないから、労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」には当たらな
い。
(一) 内勤車掌は運用教導掛とは異なるものであり、本件指定変更は、職名の変
更を伴わない単なる担当業務の変更にすぎない。
(1) 国鉄時代には、車掌区従業員の職名は運用教導掛、車掌長、専務車掌と細
分されており、運用教導掛になることは職名の変更を伴うもので、いわゆる昇格に
該当した。運用教導掛になるためには、現場長の推薦に基づいて管理局での面接試
験に合格することが必要であり、その発令は管理局長が行い、辞令も交付された。
待遇面でも、運用教導掛は最低職群が七職であったから、七職になっていない者が
運用教導掛になると基本給が上がった。本件命令は、こうした国鉄時代の運用教導
掛と内勤車掌とが同一性を有するかのように捉えて、本件指定変更が国鉄時代でい
えば、二段階下位への格下げであると判断しているが、後記のように両者間には同
一性はない。
 なお、そもそも国鉄時代においてすら、むしろ圧倒的多数の職員は列車や電車に
乗務することを希望しており、車掌区の職員にとって運用教導掛になることは必ず
しも望ましいことではなく、運用教導掛を希望する職員は非常に少なかった。P1自
身も、運用教導掛になるように勧められるまでは新幹線の車掌になることを希望し
ていたのである。運用教導掛の希望者が少なかった理由としては、一日中助役の監
督下で窮屈な思いをするより、車掌として乗務する方が気楽であること、内勤にな
ると乗務手当が付かないので相当の減収になることが挙げられる。そのため、当時
ですら、運用教導掛になることが利益であるという一般的な認識はなかったのであ
り、運用教導掛を自ら希望するというのは、体調が悪かったり、年をとって体が思
うようにならず乗務に耐えないとか、他の職場に転出する準備のためなどの場合で
あった。
(2) 国鉄時代の、運用教導掛、車掌長、専務車掌といった職名の細分化に対
し、原告においては、職名を主任車掌と車掌の二種に統合した。そして、従来の運
用教導掛が行っていた業務、すなわち、操縦、概算、行路、派出、営業、運転の各
業務は、車掌職のうち内勤の者(職名ではないが、「内勤車掌」と呼ばれてい
る。)が行うことになった。原告会社の職制上、上位の職名に異動することを昇
職、賃金規程上、上位の等級に異動することを昇格、両者を伴せて昇進と呼んでい
るが、社員の昇進は、毎年全社統一で試験を実施し、社員としての自覚、勤労意
欲、執務態度、知識、技能、適格性、協調性、試験成績等の人事考課に基づいて公
正に行われることになっている。このような昇進等によって、職名、等級に異動が
生じたときは、有利、不利の評価の対象となり得る。しかし、同一の職名内におけ
る担当業務の変更は、各現場長の専権事項であり、どの社員にどの業務を担当させ
るかは、現場長が社員の能力、適性や業務の特性を考慮し、適材適所で行う事実上
の行為にすぎない。同一職名内には、比較的責任の重い業務とそうでない業務、比
較的指導的な業務とそうでない業務が含まれている場合があるが、それは質的な違
いではなく、指導命令系統上は同一レベルに属するもので、どの業務を担当するか
は、有利、不利の評価の対象にはなり得ない。
 本件指定変更は、職名の変更を伴わない単なる担当業務の指定変更であって、現
場長である新宿車掌区長の権限で、試験もなく、辞令の交付もなされず行われたも
のにすぎないのであり、P1にとって地位又は格付けの上で不利であるとはいえな
い。
(3) なお、原告会社発足に際しては、国鉄当時の運用教導掛であった者がその
まま内勤車掌に指定されたが、国鉄時代に運用教導掛が行っていた業務が新会社に
おいても存続しているのであるから、移行をスムーズに行うために人員配置体制を
そのまま新会社の体制としたものにすぎず、そのことをもって新宿車掌区における
職制が実質的に国鉄時代と同一であるということはできない。
(二) 担当業務が運転担当の内勤車掌から電車乗務に変わっても、基本給は同一
であり、諸手当はかえって増えるから、P1にとって不利益どころかむしろ利益であ
る。
 すなわち、電車乗務になると、日勤勤務の運転担当には付かなかった夜勤手当、
特勤手当、旅費が支給されることになり、それらの月当たりの平均支給額が約一万
六〇〇〇円あることから、月収はその分増えることになる。P1にも右の程度の増収
があり、何らの経済的不利益がないことは明らかである。
(三) 組合活動の面でも、本件指定変更によって不利益は生じていない。
 本件指定変更は、P1をわずか三か月前に担当していた業務に戻したものにすぎな
いから、同人の組合活動や生活の面で不利益になることはない。
3 P1が内勤車掌として期待される小集団活動の指導育成に否定的な態度を取り続
けたため、原告はやむなく同人を元の電車乗務に戻したもので、本件指定変更には
合理的理由がある。
(一) 小集団活動とは、同じ職場内の自主活動小グループが自己啓発、相互啓発
を行いながら、職場改善に継続的に取り組む活動である。原告は、健全経営のもと
で良質、斬新かつ多様なサービスの提供を目指す企業理念の実現のために、多くの
民間企業で導入されている小集団活動の実施が望ましいと考えてこれに全社的に取
り組んでいる。新宿車掌区においても、全社員に対して、小集団活動に参加して職
場の改善、活性化を図るよう指導、奨励してきており、その結果、当時でも四つの
小集団において、沿線ガイドブックや鉄道英会話集等の作成、運転事故防止研究会
の開催等の多くの成果が上げられていた。
(二) P1を内勤車掌にしたのは、主として、小集団活動の指導育成に力を発揮し
てくれることを期待したからである。新宿車掌区では、原告会社発足後、一〇項目
の管理目標を定め、その一項目毎に担当者として助役一名と内勤車掌二名を割り当
て、右管理項目の一つである「小集団活動」にはP2指導助役とP1らを配置した。
小集団活動の責任者であるP2指導助役は、P1に対し、小集団活動を担当する内勤
車掌は小集団活動を行おうとする者を指導するために自ら小集団活動を行って経験
を積む必要があるなどと再三にわたって指示したが、P1はその指示に従わず、小集
団活動に対し否定的な態度を取り続けた。P1は、小集団活動に否定的態度をとる理
由として、小集団が国労を脱退した人たちのグループであると述べていたが、小集
団活動の担当者としては、所属組合のいかんとは関係なく指導育成を行うべきもの
であり、また、他の車掌区では国労組合員が小集団活動を行っているところもあ
り、P1の述べる理由は首肯できないものであった。
(三) P3区長は、小集団活動の指導育成に力を発揮することを期待して、P1を
内勤車掌にしたにもかかわらず、三か月を経過しても依然として否定的態度をとっ
ていたので、やむなく元の電車乗務に戻すことにしたもので、本件指定変更には合
理的理由がある。本件命令は、本件指定変更を行ったのが性急にすぎるというが、
P1が小集団活動に対して否定的考えを確信的に有し、それを変えない以上、すみや
かに担当業務を変えることはむしろ当然である。
第三 証拠《省略》
       理   由
一 当事者間に争いのない事実、成立にない甲第一、第七ないし第九号証、乙第八
〇、第八一、第八七、第八八、第九〇、第九五ないし第一〇五、第一〇七、第一一
〇、第一一一、第一一三、第一一五、第一一七、第一二五、第一二六、第一二八、
第一三九、第一四三、第一四五ないし第一四七、第一四九、第一五〇号証、第一五
二号証の一ないし五、第一五五、第一五八ないし第一六〇、第一六二、第一六三号
証、丙第一二、第一三、第一六、第一七、第二一号証、証人P12の証言により真正
に成立したものと認められる甲第一〇号証、証人P13の証言により真正に成立した
ものと認められる甲第一一号証、右乙第一一〇号証により真正に成立したものと認
められる乙第八三号証、右乙一六〇号証により真正に成立したものと認められる乙
第八五号証、右乙第一五九号証により真正に成立したものと認められる乙第八六、
第一二九号証、証人P2の証言により真正に成立したものと認められる甲第二ないし
第四号証、証人P1の証言により真正に成立したものと認められる丙第一〇号証及び
証人P5、同P2、同P13、同P12、同P14、同P1の各証言並びに弁論の全趣旨によ
ると、次の事実が認められ、乙第一〇八、第一一五、第一一七、第一五五、第一五
八号証の各記載及び証人P5、同P2、同P13、同P12の各証言のうち、この認定に
反する部分は採用せず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
1(当事者等)
(一) 原告は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法に基づき、国鉄が経営
していた旅客鉄道事業のうち、青森県から静岡県の一部までの一都一六県における
事業を承継して設立された会社であり、首都圏の列車、電車の運行を司る東京圏運
行本部を設け、その下に現業機関として車掌区、電車区等を置いている。
 新宿車掌区は、東京圏運行本部の現業機関の一つであり、その担当範囲は、昭和
六二年四月当時は、列車区間として新宿から小千谷までと新宿から千葉まで、電車
区間として三鷹から千葉までと中野から三鷹までの営団地下鉄東西線であって、そ
の行路総数は六七、社員数は約一六五名であった。
 なお、国鉄当時の新宿車掌区は、東京西鉄道管理局の下の現業機関の一つであ
り、昭和六一年当時約一八五名であった。
(二) 補助参加人東京地本は、国労の下部組織であり、原告の事業地域のうち東
京を中心とする地域に勤務する者らで組織される労働組合である。
 補助参加人支部は、補助参加人東京地本の下部組織であり、原告の社員のうち横
浜線、南武線、中央線、八高線、武蔵野線、青梅線及びこれに関連する職場に勤務
する者らで組織される労働組合である。
 補助参加人分会は、補助参加人支部の下部組織であり、原告の社員のうち新宿車
掌区に勤務する者らで組織される労働組合であって、その組織率は、昭和六一年九
月ころはほぼ一〇〇パーセントであったが、昭和六二年四月から同年六月ころの間
は七割程度であった。
2 (国鉄及び原告における車掌等、特に運用教導掛及び内勤車掌の地位)
(一) 国鉄当時の就業規則によると、区長は、同車掌区の業務全般の管理、運営
を、助役は区長の補佐、代理を、運用教導掛は各助役の補佐を、車掌長は優等列車
(特急、急行)に乗務する車掌の長を、専務車掌は優等列車への乗務を、車掌は緩
行電車又は列車への乗務を、それぞれ担当業務としていた。そして、車掌区の指揮
命令系統は、就業規則の上では、本件命令書第1の2の(4)(六頁)記載のよう
に一般的に定められていたが、個別の車掌区等の実情等にあわせて別途の定めがあ
り、新宿車掌区の指揮命令系統は、運転作業内規により本件命令書右同所(七頁)
記載の表のように定められており、右指揮命令系統表は、一面においてこれら各職
相互の格付けを意味していた。
 国鉄当時は、車掌から専務車掌への昇職、専務車掌から車掌長への昇職はほぼ年
功序列的に運用されていた。また、運用教導掛への昇職は、通常、車掌長又は専務
車掌経験者中の希望者から区長の推薦を受けた者が東京西鉄道管理局の面接試験に
合格することが必要とされており、給与上の最低職群が専務車掌は五職、車掌長は
七職、運用教導掛は七職とされていたので、七職になっていない専務車掌等が運用
教導掛に任命されると七職に昇格するため基本給が上がることになり、まず、その
意味で運用教導掛になることは、職員一般に昇格と受け止められる制度上の実体を
有していた。
 そして、運用教導掛への発令についても年功序列の考えが強く、車掌等の中の希
望者のうちで経験等の長い者が選ばれるという実態があった。すなわち、運用教導
掛への発令は、助役に昇進するための階段ということではなく、むしろ、助役にな
るための中級試験に合格しなくても、勤務の年数ないしは経験が長くなっているこ
とから、指導される立場から補佐とはいえ指導する側に回すための人事であり、そ
のような運用面でも、運用教導掛になることは昇格と受け止められるだけの実体を
有していた。なお、右のような一般的運用のもとでも、逆に運用教導掛から乗務車
掌となる例は皆無ではなかったが、それは本人の特殊な希望等による例外的事例に
すぎなかった。
 また、右運転作業内規等によると、運用教導掛は、操縦担当(三名)、概算担当
(三名)、派出担当(三名)、行路担当(一名)、営業・運転担当(二名)に分か
れており、それぞれの分担する業務内容は概ね本件命令書第1の2の(4)(八
頁)記載の表のとおりである。そのうち操縦担当、概算担当、派出担当は二四時間
の交替制勤務に就くいわゆる泊り勤務が、行路担当、営業・運転担当は日勤勤務が
原則であったが、通常は、派出担当から概算担当あるいは操縦担当を経て日勤の運
用教導掛へというように、泊り勤務の運用教導掛経験者から日勤勤務の運用教導掛
に任命されることが多かった。こうした泊り勤務と日勤勤務の関係は、助役につい
ても同様であり、通常の異動の順序は、泊り勤務の当直助役から日勤の指導助役へ
という方向であって、逆はなかった。このような運用の結果、職員一般の認識とし
て、日勤勤務の者の方が泊り勤務の者よりも一段格が上とみられていた。
 新宿車掌区における派出担当の運用教導掛とは、中野駅にある中野派出所に勤務
し、同所で、乗務員の出退の確認、行路整理、要員操配、添乗を含む乗務員の指導
等の業務を行うものであり、乗務員の点呼をとり、これを指導する立場にあった。
また、運転担当の運用教導掛とは、運転作業内規の規定上は「営業・運転担当」と
営業担当と一括して記載されているが、運転担当助役の補佐及び同助役から命ぜら
れる業務を行うとともに、添乗その他により乗務員の指導訓練、車掌の育成指導等
を行うことを業務としており、乗務員の点呼をとる立場にあって、指導業務を中心
としていた。こうした指導的立場にあることも運用教導掛を一般の乗務車掌より格
上とみる根拠の一つとなっていた。
 なお、新宿車掌区においては他の大方の車掌区と同じく、列車又は電車に乗務す
る車掌は、「車掌長」、「専務車掌」、「車掌」という腕章を着用していて、それ
ぞれの立場が職員相互間で一見して識別することができるようにされていた。そし
て、当時の運用教導掛は、「運教」と通称され、また、「教導」と記したプレート
を着用していた。
(二) 原告会社の発足に伴って、国鉄当時とは異なる民間企業体としての考え方
に基づいて就業規則が新たに制定され、車掌区の社員の職名も原告主張のように変
更された。すなわち、原告の就業規則においては、一般社員の給与制度上の格付け
として、一等級から九等級までの等級区分が決められていて、その各等級内の各号
俸に分かれた基本給が定められており、その格付けが上がることを原告の就業規則
上では「昇格」という名称で呼んでいる。一方、同就業規則上の職名は、車掌区に
おいては車掌、主任車掌、助役、区長等というように定められ、このような職名が
上位に移ることを「昇職」、これと「昇格」とを併せて「昇進」と呼んでいる。
 これに対して、車掌における各担当業務の別、助役における首席、指導、当直等
の別は、右職制の上では、同一職名内の担当業務の違いという建前になっており、
したがって、当直助役が指導助役になるのも、指導助役が首席助役になるのも、ま
た、列車、電車乗務の車掌が内勤になるのも、各内勤の中で派出担当から運転担当
になるのも、すべて担当業務の指定又は変更という形式で行われることになる。そ
して、車掌等の職については、右の担当業務の指定又は変更は、現場長(新宿車掌
区では区長)の権限とされ、原則として、毎月二五日に発表される翌月一か月間の
勤務指定表により行われることになっている(なお、列車又は電車に乗務する車掌
が一勤務毎に順次乗務すべき列車又は車両の順序を定めた乗務行程のことを交番と
呼び、右勤務指定表に基づいて日々の交番表が作成されていたが、国鉄当時から勤
務指定表を通称で交番表と呼ぶ場合もあった。)。
 こうした原告の就業規則に基づく制度の建前の上では、内勤と列車又は電車への
乗務との間には、形式的な上下の関係はなく、また、いずれになったからといって
当然に基本給が変更になるといったこともなく、実際にはむしろ内勤の者より乗務
車掌の方が賃金の手取額が多くなる傾向がある。
(三) しかしながら、少なくとも原告発足から間もない本件指定変更当時は、内
勤と乗務との間に上下関係がないという建前は現実のものではなかった。
 すなわち、まず、制度について、業務の担当間の指揮命令系統を定める根拠規定
という観点からみてみると、原告の発足に伴い、就業規則の上では、車掌区の指揮
命令系統を本件命令第1の2の(5)(一〇頁)記載のように一般的に定めたもの
の、それはあくまで就業規則上の職名に対応した形式にすぎず、首席助役や当直助
役等の各助役、操縦担当や派出担当のいわゆる内勤車掌等の職場での実際の立場を
考えて、これら相互間の指揮命令系統を明示したものではなかった。そして、国鉄
におけると同様に、各個別の車掌区の実情にあわせてこれらの関係をも明示した別
途の定めがなされることになっていたが、それは、昭和六二年四月ないし六月当時
の新宿車掌区においては、未制定の状態にあった。すなわち、当時新宿車掌区で
は、前記運転作業内規に代わる運転作業要領の原案を作成して東京圏運行本部に提
出してあったもののいまだその了解は得られておらず、同要領についての東京圏運
行本部の了承が得られ、社員に配布されて施行されたのは、昭和六二年一〇月下旬
になってであって、それまでは、本件指定変更がなされた当時を含めて、従前から
の運転作業内規に基づく運用がなされていた(なお、少なくともP1が実際に就いて
いた業務内容に関する限り、右運転作業内規と右運転作業要領との間には違いがな
い。)。右運転作業要領には本件命令第1の2の(5)(一〇頁)記載の表のとお
り記載があるが、「運用教導掛」という呼称が内部規定上消滅したのは、右の時点
で運転作業要領が運転作業内規と替ったことによるものである。したがって、原告
発足に伴う就業規則制定により「運用教導掛」という職名はなくなり、これに代わ
って各担当や「内勤車掌」等の用語が実務上登場したが、昭和六二年四月ないし六
月ころの新宿車掌区の規律の上でみれば、P1の就いていた地位は、後に施行される
予定の運転作業要領の上で、「派出担当」、「運転担当」と呼ばれることが予定さ
れていただけで、実際の運用の基礎となる内規の関係では、むしろ「運用教導掛」
のままという中途半端な状態にあったことになる。
 また、現実の業務内容という観点からみても、昭和六二年四月一日の前後で現実
の業務は間断なく遂行されており、退職を前提として年次有給休暇の消化に入って
いた名目だけの者は除き、原告発足前に運用教導掛であった者は皆、原告発足後も
そのまま当該業務を担当しており、業務内容自体には何らの変更もなかった。した
がって、原告の就業規則上の建前から、内勤と列車又は電車への乗務との間に形式
的な上下関係がなくなったといっても、内勤車掌の乗務車掌に対する指導者的位置
付けに変りはなかった。とりわけ運転担当の者については、添乗等による乗務車掌
の指導が業務のかなりの比重を占め、乗務員の点呼をとり、その報告を受け、列車
又は電車に添乗して服務上の指導を行う立場にあった。
 こうした業務内容と位置付けは、原告側においても当然の前提とされていた。す
なわち、原告発足に伴って作られた「点呼マニュアル」にも、運転担当等の車掌が
「上長」と明記され、右点呼や報告の方式につき、具体的な定めがなされ、「添乗
指導の手引」にも、これを前提とした指導方法等の説明がなされていた。また、運
転担当等が添乗時の指導状況を記録する新宿車掌区の「添乗指導記録簿」には、人
事考課の直接資料ではないというものの、添乗者による指導に対する反応や「評
価」をも記載することになっていた。さらに、新宿車掌区当局においても、同年五
月一五日の区報「エスペランサ」で、内勤車掌のことをかっこ内書で「従来の運用
教導掛」と表示するなど、内勤車掌の地位につき運用教導掛との同一性を前提とす
るような扱いをしていた。
 さらに、昭和六三年四月には原告会社の制服が国鉄当時のものから変わったが、
昭和六二年度内は、列車又は電車に乗務する車掌は、国鉄当時と同じ腕章を着用す
ることになっていた車掌区が多く、新宿車掌区においても、発足後一年間は、「車
掌長」、「専務車掌」、「車掌」という腕章を国鉄当時と同様に着用していた。ま
た、原告発足当時、内勤車掌に対し引き続き「運教」あるいは「教導」という呼称
が慣用され、内勤車掌は国鉄時代の運用教導掛が着用していた「教導」と記したプ
レートを着用することになっていた車掌区が多く、新宿車掌区においても、少なく
とも発足後一年間は右「教導」のプレートを着用していた。
 また、内勤と乗務車掌の実際の賃金の手取額を比較するとむしろ乗務車掌の方が
多くなる傾向があるといっても、それは、次のような賃金支給規定のもとで相応の
労働をする結果にすぎない。すなわち、諸手当等の面をみると、いわゆる泊り勤務
をすれば二二時から五時までの時間帯の勤務に対するものとして夜勤手当が、列車
又は電車に乗務すれば特殊勤務手当が、列車又は電車に乗務又は添乗すれば乗務旅
費又は添乗旅費が、また、超過勤務をすれば超過勤務手当が、それぞれ支給される
ことになる。右諸手当等のうち、夜勤手当は日勤の者には支給される性質のもので
はないといえるが、他の手当は、それぞれ列車又は電車への乗務又は添乗あるいは
超過勤務をして支給要件を充たすことによって支給を受ける性質のものであった。
したがって、乗務車掌は、これらの支給要件を充たす場合が内勤車掌と比較して多
いのが通常であるので、内勤車掌よりも賃金が多くなる傾向があるわけであるが、
当然のことながら、乗務をすれば、時間的に不規則になり、また、肉体的負担も大
きくなるのが通常であった。
 なお、昭和六二年四月一日以降本件指定変更前までの異動状況をみると、内勤の
車掌が乗務車掌に異動した事例は東京圏運行本部全体でも一件もなかった。また、
泊り勤務経験者から日勤勤務の者が人選されるという国鉄時代の運用と同様、原告
が新会社として発足した昭和六二年四月一日以降本件指定変更までの間の新宿車掌
区における事例として、日勤勤務(行路担当、営業担当、運転担当)の指定は、P
1の場合を除くと、同年四月と六月にいずれも営業担当に指定された二例があり、そ
のいずれもが泊り勤務経験者から登用された。
3 (P1らの地位と担当業務等)
(一) P1は、昭和四六年三月国鉄に正式採用され、同年八月から新宿駅に勤務
し、昭和四九年八月新宿車掌区の車掌見習となり、同年一〇月一日車掌に、昭和六
〇年四月一日専務車掌になった。
 また、組合関係では、P1は、昭和四六年九月国労に加入して国労東京地本新宿駅
分会に所属し、昭和四七年、昭和四八年は同分会青年部常任委員、昭和五〇年から
昭和五二年までは補助参加人分会の青年部常任委員、昭和五五年以降は同分会の委
員(昭和六〇年七月から昭和六二年三月までは運転班長・当時班員数約一〇〇人)
をしていた。
 国鉄において毎年行われた転勤、転職についての希望調査結果をP1についてみる
と、第一希望は、昭和五七年度は新幹線総局、昭和五八年度から昭和六〇年度まで
東京車掌所で、いずれも新幹線関係の業務を第一志望としていたが、この間、第二
希望は一貫して運用教導掛であった。昭和六一年二月に新宿車掌区の首席助役とな
ったP5は、若手職員を運用教導掛に登用して新しい発想のもとに積極的に車掌を指
導、育成してほしいと考え、年令も若く、運転班長としてリーダーシップを発揮し
ていたP1に対し、同掛になることを勧めたところ、P1もこれに応じて、昭和六一
年度は第一希望を運用教導掛と記載した。
 昭和六二年三月、原告の発足を前にして運用教導掛一二名中四名が退職を前提と
して年次有給休暇の消化に入ったため、その補充のために、また、同時に原告発足
後も存在する運用教導掛に対応する担当者の業務を行わせる予定で、四名の者を事
実上運用教導掛に就ける人事が行われた。原告会社への採用を決まっていたP1もそ
の一人であり、同月九日から、退職予定者の補充として派出担当運用教導掛の業務
を事実上行うようになり、同月二七日にはP3区長の推薦を受けて東京西鉄道管理局
の行う面接試験を受験し、これに合格した。
 P1は、昭和六二年四月一日の原告会社発足に際し原告に採用され、職名は運用教
導掛から車掌に変更になったものの、担当業務として派出担当を指定される形式に
より、引き続き従前どおりの職務を行っていた。
 同年五月一日、P1は、運転担当に担当業務の指定変更を受け、新宿車掌区本区に
おいて、かつての車掌長、専務車掌、車掌、車掌見習ら、列車、電車に乗務してい
る車掌の指導育成を中心とする業務に就くようになった。国鉄当時は派出担当から
の異動は一旦本区の概算担当あるいは操縦担当を経て日勤勤務に変わることが多
く、原告会社となってからもこれと異なるといえる異動事例はいまだなかったた
め、周囲の社員らは、直接日勤勤務になったのは一種の抜擢人事だという受け止め
方をした。このような人事は、P3区長が、P5首席助役らの意見も取り入れ、P1が
補助参加人分会の運転班長をしていたなどの点から「若さと行動力とリーダーシッ
プに期待する」として行ったことであった。
 右指定変更に際しては、二、三日間の業務引継ぎ期間がおかれたが、そのころ、
P1は、いわゆるゴールデンウィークにおける増収活動として、内勤者による特別改
札の提案をし、P3区長も即断でこれを採用して実施することになり、新宿駅の当時
三、四番ホームで内勤者により特別改札が同年五月二日から同月五日までの四日間
行われた。P1は、これにすべてに参加したこともあって、売上高が内勤車掌中で最
も多かった。
(二) P10は、昭和三六年国鉄に採用され、昭和四〇年八月に車掌となり、昭和
四五年以降新宿車掌区で勤務し、専務車掌を経て昭和五八年五月に車掌となったも
のであり、また、P11は、昭和三七年国鉄に採用され、昭和四三年九月に車掌とな
り、昭和四五年以降新宿車掌区で勤務し、昭和五五年三月に専務車掌となったもの
であり、いずれも原告会社発足に際し、原告に採用され、職名としてはいずれも車
掌となったものの、従前どおり、P10は、いわゆる優等列車である特急「あずさ」
に車掌の長として乗務し、P11も同特急に乗務していた。両名とも昭和三七年ない
し昭和三八年から国労組合員であった。
4 (小集団活動の導入と本件指定変更当時の位置付け等)
(一) 国鉄は、予定された民営化に備えて民間企業の各種の管理技法を導入し
た。小集団活動もその一つである。それは、企業としての観点から、社員の自発的
意欲を増進し、各人の能力と可能性を引き出し、企業の発展を目指すために、同じ
職場内の小グループが自主管理活動を通じて職場改善活動に全員参加で継続的に取
り組むというものであり、原告においては、発足以来、小集団活動推進委員会を設
置し、そのもとに事務局を設置してその事務局長に人事課長をあて、次第にこれを
充実させてきている。社員に配布される資料も平成元年の「小集団活動支援者マニ
ュアル」、平成二年の「小集団活動ガイドブック」と年を追って解説の内容も充
実、増加してきており、支援者や参加者に対する研修が行われるようになり、各種
奨励金制度も定められ、経費の補助が行われて、多数の社員が参加するようになっ
ている。もっとも、右のように奨励金制度等が実施されるようになったのは、原告
発足後一年半を経てからであり、本件指定変更当時は、小集団活動推進委員会によ
る右のような特筆すべき推進活動はいまだなされていなかった。なお、小集団活動
と認められるためには原告への登録申出をすることが前提となっている。
 これに対し、国労東日本本部の平成元年九月発行の「JRの安全を職場から総点
検する!」という冊子には、小集団活動が非人間的な労務管理の手法であるとし
て、これに反対し、反撃する旨の記載があるが、P1が、右見解にそのまま同調して
小集団活動に反対する言動を当時現実にとったことはなく、また、その後の小集団
活動の状況をみると、国労組合員だからといって小集団活動に否定的な態度をとっ
ているとはいえず、かなりの者がこれに参加している。
(二) 新宿車掌区においても、昭和六一年秋ころから、順次小集団が作られて活
動をするようになった。P1も、いわゆる鉄道マニアであったことから、同好の士を
集めて鉄道の知識に精通することによって業務に資する情報を得る研究会を作った
らどうかという考えがあり、昭和六一年暮れころからは、P5首席助役らにその旨話
していた。
(三) ところで、昭和六二年四月中に新宿車掌区で作られていた小集団グループ
は、「あずさ会」と「研さん会」の二つだけであり、その後、同年五月一日付けで
「宿研会」と「飛燕会」が結成されるようになった。その構成員をみると、「あず
さ会」は鉄道産業労働組合の、「研さん会」と「宿研会」は当時の鉄道社員労働組
合の、各組合員であった。また、「飛燕会」は助役によって構成される小集団であ
った。これらの行っていた活動状況は、「あずさ会」は同年四月及び同年五月に沿
線ガイドブックや乗務員用鉄道英会話集を作成するなどしており、「研さん会」は
国内旅行取扱主任試験の自主勉強会を行い、また、沿線ガイドを作成中であり、
「宿研会」は営業・運転七曜日カレンダーの作成に取りかかるなどしていた。
 しかし、同区におけるその活動の普及の程度は、同年五月までの時点でみれば、
その後と比較するといまだ必ずしも一般化しておらず、小集団のメンバーは、同年
四月当時は「あずさ会」の二〇名、「研さん会」の一七名の合計三七名程度にすぎ
ず、同年五月の段階で結成された「宿研会」の三名、「飛燕会」の助役六名を加え
ても四六名であった。
 区当局の態度も、昭和六二年一月になってようやく同区報「クリエイト」にそえ
て小集団活動とは何かを説明する一枚のパンフレットを配布した程度で、その後、
同年四月になって、再度右同様に、一枚のパンフレットが配布されたが、それとて
いまだ小集団活動の簡単な啓蒙措置にすぎなかった。また、同年五月付けの小集団
活動推進委員会事務局発行「小集団ガイドブック」も作られはしたものの、それ
は、社員一般に配布されていなかった。
(四) 新宿車掌区では、区長、助役、内勤車掌らが原則として毎週月曜日午前中
に集まり、管理目標の研修等のために内勤研修会を行っていたが、昭和六二年四月
二〇日以降同年五月二五日までの内勤研修会の検討を経て「昭和六二年度管理目
標」ができ上がった。それには、同年度の管理の目標として一〇項目が掲げられ、
それぞれに担当者として、一名の助役を責任者とし、これに二名程度の内勤車掌を
補佐させることとされていた。昭和六二年五月に本区の運転担当内勤車掌になった
P1は、「異常時体制の確立」と「小集団活動」の担当とされたが、小集団活動の
「支援者」は助役であり、内勤車掌はその補佐役であった。
 なお、右管理項目には、その一つとして「提案」も掲げられており、同月一八日
の内勤研修会では、「小集団活動、提案制度は続ける、中身の濃いものを」という
区長挨拶が行われ、同月二五日の内勤研修会でも、右各目標について推奨する発言
があった。P1は、内勤車掌としての特別の担当ではなかったが、運用教導掛ないし
内勤車掌になってから原告の売上向上のための各種提案をし、運転担当となったこ
の時期に二件の提案が採用されており、七曜日カレンダーの標語募集に応募して採
用されたりもしていたものであり、その他、業務自体についても添乗回数も多いな
どかなり評価さるべき勤務振りであった。
 この間、P1は、P5首席助役から、小集団活動の指導育成をするために有益なの
で、既存の小集団に参加してみたらどうかなどと言われたが、既存のグループが国
労から脱退した者によって構成されていたため、そのメンバーの中には入りずら
い、従業員中には鉄道マニアが大勢いるので、それらの者を集めて業務研究会のグ
ループを作ってみたい、などと答えていた。しかし、そのように話した構想ないし
企画の具体的内容について突っ込んで尋ねられたり、何らかの指導を受けたりした
ことは一度もなく、また、P5首席助役らから、右のような構想についてその後の進
展状況を尋ねられたりしたことはなかったし、他にも、小集団活動の推進に力を集
中するように命ぜられたりしたこともなかった。
 なお、昭和六三年夏にP1らが中心になって発足させた業務研究会は、いまだ原告
への登録届出をしておらず、小集団活動の一つとは認められていない。
5 (本件指定変更とその前後のP3区長らの言動等)
(一) 昭和六二年五月二三日、成田山へ運転事故防止祈願に出掛けた新宿車掌区
の内勤車掌らが、帰途神田の飲食店で飲食した際、P5首席助役は、P1を誘って別
の店に行き、そこで、同人に対し、「内勤は国労では困る。区長から再三言われて
いる。俺の立場も考えてくれ。変わってくれ。ケイコちゃん(国労)じゃだめだ
よ。」などと国労からの脱退を勧奨した。
(二) P3区長は、同月二五日の内勤研修会の席上、P1を含め二名の国労組合員
のいる面前で、「この中に意識改革のできていない者がいる。内勤は国労ではだめ
だ。うちの分会は組織率が高い。狙われている。ましてや内勤に国労がいるのはま
ずい。」という趣旨のことを述べて、P1らに対し、国労からの脱退を勧奨した。そ
して、同日午後の区長、助役による幹部会において、P1の扱いについての話し合い
がなされた。その後も、P2指導助役やP15当直助役が、P1に対し、それぞれ「な
んとかならないのか。」と国労からの脱退を勧めた。
(三) 同年六月五日、P3区長は、勤務終了後のP1を区長室に呼び、「決心はつ
いたか。」と国労からの脱退勧奨に対するP1の返答を求め、「上から言われている
ので、国労では内勤はだめだ。変わってくれ。」などと再度脱退を勧奨し、P1が、
「就職以来国労にいたので、そう簡単に変わるわけにはいかない。」と答えると、
「周りに何回も変わったのがいる。一回くらい変わってもかまわない。」などとさ
らに脱退を慫慂し、その場に同席していたP5首席助役において、P1に対し、同月
八日までに再考するようにと告げた。
(四) 同月八日、P1が、朝の点呼終了後区長室に赴いて、P3区長とP5首席助役
に対し、やはり国労から抜けるわけにはいかない旨答えたところ、P5首席助役は、
同日昼休み、P1に対し、「本当にこれでいいんだな。」と念をおした。
(五) 前同日午前中内勤研修会が行われた後、同日午後、P3区長は、緊急幹部会
を開き、P1の担当業務を運転担当内勤車掌から電車乗務に変更することを決定し
た。
 そして、同日午後四時ころ、P2指導助役からP1に対し、本件指定変更が通告さ
れ、翌日からE電に乗務するように命じた。その際、同助役は、P1に対し、「電車
に降りるとみじめになるよ。」と言った。
(六) 本件指定変更に伴い、P1の後を埋める一連の人事異動が行われたが、その
内容も、営業又は概算担当だった者をP1の後任に、その後任に操縦担当だった者
を、操縦担当に中野派出担当の者を、中野派出担当に車内改札担当の乗務車掌をそ
れぞれあてるというように、日勤勤務の内勤車掌、泊り勤務の内勤車掌、乗務車掌
という序列を示していた。
(七) 国鉄当時を含めて、このころまでの人事としては、月初めに勤務指定が変
更されるということは異例のことであった。翌九日から、P1はE電に乗務するよう
になったが、P1の担当業務が変更になったことはたちまち補助参加人分会員らの間
に広まり、同組合員らは、P1が脱退勧奨にもかかわらず国労を脱退しなかったため
に降格されたと受け止めた。
(八) 一方、右に先立って、補助参加人分会組合員であるP8車掌が、添乗中の区
長からの指導に反発したことを理由として乗務停止の処分を受けていた。同月九
日、P4補助参加人分会長は、P3区長に面会を求め、同日午後二時ころから約三〇
分間、区長室において同区長、P5首席助役と面談し、P8の処分について、本人が
反省の意を示した場合には宥恕してもらえるだろうかなどと尋ねた。P3区長は、現
時点では本人の反省の色がみられないとして今後の問題である旨答えたが、続い
て、「この前も言ったけど、新宿車掌区はK(国労)の組織率がずば抜けて高い。
それで、本部の方からすれば、つぶせないかということで見ている。新宿車掌区と
いうのは一番注目の的になっている。新宿車掌区だけが頑としてその数字が一定し
ていると。区当局は何をやっているんだというわけ。ましてや、運教といわれる内
勤の中にKいるじゃないか。今までだって全部出せって言われている。……組織が
崩れないのは、あなたのところの管理が悪いんですよ。ましてや内勤なんかに、中
野派出含めてKを置いておくのは間違いですよと、そういう言い方までされちゃっ
てるんだよ。……管理はまずいよ、とはっきり言われちゃう。だから、私はもうP
1君には乗ってもらう。」などと話した。この間、P4分会長からの発言は、若干の
合いの手を入れただけで、とりたてて右のような発言を誘発するような言動はなか
った。
(九) 同日、新宿車掌区事務所に、P3区長名の「区内の担当指定の変更につい
て」と題する文書が掲示された。右掲示文には、企業体としての観点から同年七月
一日以降順次担当業務の指定変更を実施し、毎月の勤務指定時に公表する旨の記載
があった。
 そして、同年六月一五日付けの新宿車掌区報「エスペランサ」には、右とほぼ同
旨の記事のほか、「長距離交番(A・B・C)・車改交番・運転交番・内勤担当等
を含め相互間の指定変更を実施いたします。」と注記されており、同月二五日に同
年七月分の指定変更の発表を行う旨記載されていた。右の注記は、列車乗務、車内
改札乗務、電車乗務、内勤車掌の相互間で指定変更があることを示したものであ
り、こうした方針を示されて、補助参加人ら組合員は、国労を脱退しないと意に反
して交番を不利益に変更されるという危惧を抱いた。
(一〇) 同月一九日午後四時前ころ、P2指導助役は、列車乗務を終えたP10及び
P11を順次自席に呼び、それぞれ氏名欄を鉛筆書きで記入した勤務指定表(同月二
五日に発表予定のもの)を示して、P10に対しては、「考えて行動をとらないとP
1君のようになる。今度の区長はやるときはやるんだから。現在の交番にいられなく
なるかも分からない。」と、P11に対しては、「氏名欄は鉛筆書きしてあるが、意
識改革がない場合にはこの交番で乗れないこともあるので、よく考えるように。」
と話した。
以上の事実が認められる。
 なお、原告は、P3区長のP4分会長に対する右5(八)の発言を録音した録音テ
ープの反訳書である乙第八三号証には証拠能力がないと主張するが、この点に関す
る当裁判所の判断は次のとおりである。
 前掲乙第八三号証の内容に前掲乙第一一〇、第一一五号証、弁論の全趣旨を総合
すると、P4分会長は、当時、補助参加人分会員が管理者に呼び出されて脱退の勧奨
を受けることが多いという認識にたち、そのような不当労働行為を阻止するために
は証拠を残す必要があると思い、同分会員に呼び出しのあったときに持たせようと
考えて、録音の前日にマイクロテープレコーダーを購入していたものであること、
もとより、同分会長は、当日は、あらかじめ無断録音をする意思で右テープレコー
ダーをポケットに入れて区長室に赴いたものであるが、その場の状況は、同分会長
の方からP3区長の不当労働行為的発言を引き出そうとした形跡は何もなく、同分会
長は、ほとんど一方的に話を聞いていただけであること、とくに、同分会長の方か
らP1の話題を出したようなこともなかったこと、また、もともと、同分会長として
は、もっぱら、P8車掌に反省の態度をとらせるなりして同人に対する処分を軽減し
てもらう方策はないかと探りに行ったものであること、このような状況からして、
テープレコーダーの性能を試すために無断録音をしたという同分会長の弁明はあな
がち排斥し得ないことがそれぞれ認められる。そして、乙第八三号証の内容をみる
と、それは、前記のように直截な不当労働行為意思の表明に終始しているものであ
って、一方において、本件訴訟の中心的争点に直接かかわる極めて重要な証拠とし
ての意味をもっているのに対して、他方において、原告の営業上の機密や話者であ
るP3区長個人の私生活上の秘密などには直接何の関係もない。以上のような事情に
照らすと、無断での録音ということ自体で原告及びP3区長の法益を害する側面があ
るとしても、それだけで著しく反社会的であるとか、労使間の信義に反するとまで
はいえず、その証拠能力を否定するのを相当とするには至らない。
二 そこで、以上の認定事実に基づいて不当労働行為の成否について判断する。
1 (本件指定変更について)
(一) 被告及び被告補助参加人らは本件指定変更が労働組合法七条一号の「不利
益な取扱」に当たると主張するのに対して、原告は右不利益性を否定しているが、
労働組合法七条一号の「不利益な取扱」とは、不当労働行為に関する法制度の目的
に照らして、労働者の団結権及び団体行動権を侵害する性質の行為、換言すれば、
組合員の組合活動意思を萎縮させ組合活動一般を抑圧ないし制約する効果を有する
ものと認められる取扱いを指すものと解すべきである。したがって、その取扱いが
「不利益」であるかどうかの判断に際しては、賃金の減少等の経済的不利益性や制
度の建前の上での不利益性の有無に限らず、当該職場における従業員等の一般的認
識内容等をも考慮し、当該組合が基盤としている従業員らの一般的認識の上でも、
また当該取扱いを受けた者としても、およそ不利益であると受け止めるような取扱
いであれば、その認識が客観的根拠を有するものである限り、「不利益」性が認め
られるものというべきである。そして、使用者において、右のような意味での不利
益性を認識した上で、それによって組合活動に対して不当な制約を加えることを企
図した場合には、不当労働行為となるものと解するのが相当である。
 これを本件についてみるに、国鉄当時においては、その就業規則上も実際の運用
上も、P1の就いていた専務車掌の職から運用教導掛になることは昇格を意味してお
り、運用教導掛の中でも泊り勤務の者よりさらに日勤勤務の者の方が異動例からみ
て一段格上とみられていたこと、そのようにみられる実質的根拠として、運用教導
掛の主たる業務が乗務車掌らに対する指導であったことやとくに運転担当運用教導
掛が添乗等による指導、訓練を行うなど乗務員らに対する指導的立場が顕著であっ
たことなどがあげられること、原告発足に伴い就業規則上の職制は国鉄当時とは異
なるものとなったが、運転担当を含む各担当のいわゆる内勤車掌は、少なくとも本
件指定変更当時、それぞれ国鉄当時における各担当の運用教導掛が行っていた指導
的業務にそのまま就いていたこと、したがって、とりわけ運転担当が乗務車掌より
格が上とみられる実質的根拠の点では国鉄当時と違いがなかったこと、原告自身が
運転担当等の車掌をもって、それが行う点呼やこれに対する乗務員の報告等につい
ての模範を示す点呼マニュアル等の資料の上で「上長」と表現していたこと、新宿
車掌区当局も内勤車掌のことをかっこ内書で「従来の運用教導掛」と表示するなど
内勤車掌が運用教導掛と同じ地位であるかのような表現を区報で用いたり、運用教
導掛の一つの略称である「教導」と記載したプレートを着用させたりするなどの取
扱いをしていたこと、後に新宿車掌区における指揮命令系統等に関する基準となっ
た運転作業要領は、当時は未制定で、運用教導掛を含む旧来の指揮命令系統を定め
た国鉄当時の運転作業内規によって実際の運用がなされていたことなどの諸事情を
総合すると、このような移行期にあった本件指定変更当時としては、新宿車掌区の
社員らが、内勤車掌につき国鉄時代と同じく「運教」という略称を使うことがあっ
たのもけだし当然であるということができ、P1はもとより補助参加人ら組合員らが
本件指定変更をもって降格と受け止めたことは客観的根拠のあるものというべきで
ある。そして、P3区長らの前記認定の諸言動に照らせば、同区長らとしては、本件
指定変更によってP1を降格するという意識をもっていたことは明らかであり、ま
た、P5首席助役が国労からの脱退はできないと述べたP1に対して、「本当にこれ
でいいんだな。」と念をおしたのは、同首席助役が、P3区長とともに期限を付して
迫った脱退勧奨をP1が拒否した以上、内勤車掌ではいられなくなるという前提のも
とでの発言とみられるし、また、P2指導助役が本件指定変更の告知をした際に、
「電車に降りるとみじめになるよ。」と言ったのは、それまで点呼をし、指導をし
てきた立場から、点呼をとられ、指導を受ける立場に転ずることが、P1にとって
「みじめ」な気持ちを引き起こすであろうことを忖度して述べた言葉であるとみる
ほかはないのであって、本件指定変更を行ったP3区長の意図は、脱退勧奨に応じな
いことへの報復、みせしめとするところにあり、これを受けたP1本人も、また、こ
れを知った各助役も、さらには補助参加人分会員らも、いずれも本件指定変更をも
って国労からの脱退を拒絶したために被った不利益な降格と受け止めたものと解さ
れる。そうすると、本件指定変更は、労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」
に当たり、かつ、不当労働行為意思に基づくものと認められる。
 なお、原告は、国鉄時代の職名の細分化に対し、職名を主任車掌と車掌の二種に
統合したから、内勤か電車乗務かという違いは、職制上の昇職にも昇格にも当たら
ないので、相互に有利か、不利かをいうことはできないと主張する。なるほど、前
記認定の一2(二)の事実によれば、内勤車掌と電車乗務の車掌との間に職制上の
上下関係はないことが認められるから、実際の運用が原告の主張するように本人の
適性や業務の特性を考慮して、もっぱら適材適所で行われるにすぎないようになっ
て、それが定着していたのであれば、担当業務の変更が「不利益」であるという受
け止め方が国鉄当時の運用から類推した単なる主観的な思い込みにすぎず、かつま
た、使用者側に「不利益な取扱」をする意図がなかったといえる場合も考えられ
る。しかしながら、前示のとおり、少なくとも、原告会社発足後間もない本件指定
変更当時には、原告主張のような定着した運用はなかったことが明らかであるか
ら、新宿車掌区の社員一般の認識としてP1が降格されたと受け止められたことが、
誤った思い込みであるということはできないし、前記一5で認定したようなP3区長
らの言動に照らせば、使用者側の「不利益な取扱」の意図は確固たるものがあった
と認められる。また、原告は、国鉄時代と異なり、適材適所による弾力的人事を行
っているとして現在の運用方針を強調するが、本件指定変更の後に原告の方針とし
て原告主張のような事態があり得るからといって、前記判断を覆すことはできな
い。
 また、原告は、本件指定変更によってP1の賃金額は減るどころか増えていると主
張するが、仮にP1に支給された賃金額が減っていないとしても、労働組合法七条一
号にいう「不利益」が経済的なそれのみを指すものでないことは前示のとおりであ
る。また、仮にP1の受ける賃金額が本件指定変更後、むしろ原告主張のように増加
したとしても、それは前示のとおり超過勤務等それなりの労働をすることによって
支給要件をみたして給付されるだけのことで、そのことのゆえに本件指定変更がP
1にとって利益な処遇として前示のような「不利益」性を喪失せしめるものとまでは
いえない。
(二) 原告は、P1が小集団活動に対して否定的な態度を取り続けたために本件指
定変更をしたと主張する。なるほど、P1が本件指定変更前に既存の小集団に加入し
ておらず、また、自ら小集団を組織してもいなかったことは前示のとおりである。
そして、小集団活動についてのP1の発言によると、既存の小集団への参加について
の同人の態度は消極的であるということができる。しかしながら、前記認定の経緯
に照らせば、本件指定変更の動機が補助参加人ら組合からの脱退勧奨に応じなかっ
たところにあることは明白であり、小集団活動に対する同人の右の態度がその動機
になったものとは到底解することができない。すなわち、当時はいまだ小集団活動
についての原告新宿車掌区での取組み自体が原告が主張するほどには活発でなかっ
たと認められるのであり、また、P5首席助役らのP1に対するこの点に関する態度
も、それをしなければ降格するというほどに明確で強いものであったとは解し得な
い。P1は、前記認定のとおり、助役の補佐役であるにせよ、同年度の管理目標上の
担当の一つとして「小集団活動」の割当てを受けたのであるから、「小集団活動」
の指導育成もP1の業務の一つであったことはいうまでもないけれども、P1が小集
団活動の担当となった五月以降本件指定変更までの約一か月間の経過をみる限り、
P1の言動には小集団活動に対して特別否定的だといえるだけのものは認められな
い。かえって、同人が既存のグループには入りずらいというものの、鉄道マニアを
集めて業務研究会のグループを作ってみたいなどと述べていたことは前記認定のと
おりである。したがって、仮に、原告が主張するほどに小集団活動を重視していた
というのであれば、当然、P1の述べた構想あるいは企画の中身をさらに具体的に尋
ねるなりして、それが原告会社の意図するところに合致しないというのであれば、
さらに指導するのが当然であると考えられるのに、前記のとおりそのようなことが
なされた形跡はまったくない。こうした経過なくして、漫然話はきいたが実行され
なかったとしてそれを理由に本件指定変更を決するに至ったという説明は到底納得
し難い。
(三) 以上のとおりであるから、本件指定変更は労働組合法七条一号に該当し、
また、前記認定事実によれば不利益取扱の性質を有する本件指定変更をなす権限を
持つP3区長が補助参加人ら組合の弱体化を企図してなしたものといえるから、組合
の組織、運営に介入するものとして同条三号にも該当する。
2 (P2指導助役の言動について)
 前記一5(一〇)のP2指導助役によるP10、P11に対する交番上の不利益取扱を
示唆してなした脱退勧奨は、P3区長の意を体して補助参加人ら組合の組織、運営に
介入するものとして労働組合法七条三号に該当する。
三 よって、初審命令を維持した本件命令には違法な点はないから、原告の請求は
理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用(補助参加によって生じた費用を含む。)
の負担について行訴法七条、民訴法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決
する。
(裁判官 相良朋紀 松本光一郎 岡田健)
別紙(一)
       主   文
1 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、申立人国鉄労働組合東京地方本部八王子
支部新宿車掌区分会所属の組合員P1に対し、昭和62年6月8日付で行った内勤の
運転担当から電車乗務への指定替えを撤回し、内勤の運転担当に復帰させなければ
ならない。
2 被申立人会社は、申立人分会所属の組合員に対し、申立外国鉄労働組合に所属
している限りは担当業務の不利益な指定変更がありうる旨の言動を行ってはなら
ず、また申立外同組合に所属していることを理由としてそのような担当業務の指定
変更を行ってはならない。
3 被申立人会社は、本命令書受領の日から1週間以内に、55センチメートル×
80センチメートル(新聞紙2頁大)の大きさの白紙に、下記内容を楷書で明瞭に
墨書し、被申立人会社の新宿車掌区内で従業員の見易い場所に10日間掲示しなけ
ればならない。

 昭和 年 月 日
国鉄労働組合東京地方本部
執行委員長 P16 殿
国鉄労働組合東京地方本部八王子支部
執行委員長 P17 殿
国鉄労働組合東京地方本部八王子支部新宿車掌区分会
執行委員長 P4 殿
 東日本旅客鉄道株式会社
 代表取締役 P18
 当社が、昭和62年6月8日付で、貴組合所属の組合員P1氏に対し内勤の運転担
当から電車乗務へ指定替えをしたこと、および分会員P10、P11の両氏に対し、国
鉄労働組合に所属している限りは担当業務の不利な指定変更がありうる旨の言動を
行ったことは、いずれも不当労働行為であると東京都地方労働委員会において認定
されました。
 今後、このような行為を繰り返さないよう留意します。
(注、年月日は文書を提示した日を記載すること。)
4 被申立人会社は、前第1項および第3項の命令を履行したときはすみやかに当
委員会に文書で報告しなければならない。
別紙(二)
 命令書
 東京都千代田区<以下略>
再審査申立人 東日本旅客鉄道株式会社
 代表取締役 P18
 東京都千代田区<以下略>
再審査被申立人 国鉄労働組合東京地方本部
 執行委員長 P16
 東京八王子市<以下略>
再審査被申立人 国鉄労働組合東京地方本部八王子支部
 執行委員長 P17
 東京都渋谷区<以下略>
再審査被申立人 国鉄労働組合東京地方本部八王子支部新宿車掌区分会
 執行委員長 P4
 上記当事者間の中労委昭和63年(不再)第14号事件(初審東京地労委昭和6
2年(不)第46号事件)について、当委員会は、昭和63年12月7日第1,0
43回公益委員会議において、会長公益委員P19、公益委員P20、同P21、同P
22、同P23、同P24、同P25、同P26、同P27、同P28、同P29、同P30出席し、
合議のうえ、次のとおり命令する。
       主   文
 本件再審査申立てを棄却する。
       理   由
第1 当委員会の認定した事実
1 当事者等
(1) 再審査申立人東日本旅客鉄道株式会社(以下「会社」という。)は、昭和
62年4月1日、日本国有鉄道改革法に基づき、日本国有鉄道(以下「国鉄」とい
う。)が経営していた旅客鉄道事業のうち、東日本地域(北海道を除く青森県から
静岡県の一部までの1都16県)における事業を承継して設立された会社で、肩書
地に本社を置き、本件初審申立当時その従業員は約82,000名である。
(2) 再審査被申立人国鉄労働組合東京地方本部(以下「東京地本」という。)
は、申立外国鉄労働組合(以下「国労」という。)の下部組織である労働組合で、
会社の事業地域のうち東京を中心とする地域で勤務する者等で組織し、本件初審申
立当時の組合員は約13,000名である。
(3) 再審査被申立人国鉄労働組合東京地方本部八王子支部(以下「八王子支
部」という。)は、東京地本の下部組織である労働組合で会社の従業員のうち横浜
線、南部線、中央線、八高線、武蔵野線、青梅線及びこれに関連する職場に勤務す
る者等で組織し、本件初審申立当時の組合員は約1,700名である。
(4) 再審査被申立人国鉄労働組合東京地方本部八王子支部新宿車掌区分会(以
下「分会」という。)は、八王子支部の下部組織である労働組合で、会社の東京圏
運行本部新宿車掌区に勤務する者で組織し、本件初審申立当時の組合員は118名
である。
(5)なお、会社には、国労の下部組織である東日本本部(組合員約22,000
名)があるほか、全日本鉄道労働組合総連合会(昭和62年2月結成。同年11月
当時、組合員約130,000名。以下「鉄道労連」という。)所属の東日本鉄道
産業労働組合総連合(昭和62年8月結成。同年11月当時、組合員約50,00
0名。以下「東鉄労」とう。)、東日本鉄道産業労働組合総連合(昭和62年2月
結成。同年11月当時、組合員約30,000名。以下「鉄道総連」という。)所
属の東日本鉄道産業労働組合(昭和61年12月に結成された東日本鉄道労働組合
が昭和62年3月、現在の名称に変更。同年11月当時、組合員約7,000名。
以下「東日本鉄産労」という。)等の労働組合がある。
2 本件に至るまでの労使の事情
(1) 昭和60年7月26日、国鉄監理委員会は、国鉄分割等を内容とする「国
鉄改革に関する意見」を内閣総理大臣に提出し、政府は、同年10月11日に「国
鉄改革のための基本方針」を、同年12月13日に「国鉄余乗人員雇用対策の基本
方針について」を、翌61年1月28日「日本国有鉄道改革法」案を閣議決定する
等して、鉄道改革関連法案を順次国会に提出した。しかし、同法案は、同年6月2
日衆議院の解散により廃案となり、総選挙後の同年9月11日国会に再提出され、
同年11月28日可決成立し、同年12月4日公布施行された。同日、設立委員が
任命され以降、設立委員会の開催、希望退職者の募集、承継法人の職員となる意思
確認書の提出、採用者に採用通知を行う等の準備が進められ、昭和62年4月1日
いわゆる国鉄の分割民営化が行われ、会社が設立された。
(2) 他方、昭和61年4月国労を脱退した者等は、真国鉄労働組合(以下「真
国労」という。)を結成した。同年7月18日真国労、鉄道労働組合(以下「鉄
労」という。)、国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)及び全国鉄施設労
働組合(以下「全施労」という。)は、国鉄改革労働組合協議会(以下「改革労
協」という。)を結成し、同年8月27日改革労協は、国鉄と第2次労使共同宣言
を締結した。
 そして、昭和62年2月2日鉄労、動労、日本鉄道労働組合(昭和61年12月
19日真国労、全施労が統合して結成。)及び鉄道社員労働組合(昭和62年1月
23日結成。以下「社員労」という。)は、鉄道労連を結成した。
 また、昭和61年12月から翌62年1月にかけて国労を脱退した者等により各
地域ごとに東日本鉄産労などが結成された。このためにもあって、国労の組合員
は、昭和61年4月当時の約187,000名から同62年当初において約84,
000名に、同年4月には約45,000名に減少し、その後も減少傾向が続い
た。
(3) 会社は、首都圏の列車、電車の運行を司る東京圏運行本部を設け、その下
に現業機関として車掌区、電車区等を置いている。
 新宿車掌区は、東京圏運行本部の現業機関の一つであり、その担当範囲は、列車
区間として新宿から南小谷までと千葉まで及び電車区間として三鷹から千葉まで
と、中野から三鷹までの営団地下鉄東西線であって、その行路総数は67、従業員
は昭和62年4月会社発足当初約165名であった。
 なお、国鉄当時の新宿車掌区は、東京西鉄道管理局の下の現業機関の一つであ
り、その職員は、昭和60年当時約200名、昭和61年4月当時約185名であ
った。
(4) 国鉄当時の就業規則の別表によると、車掌区の指揮命令系統は次のとおり
であり、各職の任命は、各鉄道管理局長名で発令されていた。
<03551-001>
 そして、区長は、車掌区の業務全般の管理・運営を、助役は区長の補佐・代理
を、運用教指掛(以下「運教」という。)は各助役の補佐を、車掌長は優等列車
(特急・急行)に乗務する車掌の長を、専務車掌は優等列車の乗務を、車掌は緩行
電車又は列車の乗務を、それぞれ担当業務としていた。
 また、当時の新宿車掌区の運転作業内規によると、指揮命令系統は次のとおりで
あった。
<03551-002>
 このうち、助役は首席1名、指導1名、事務1名及び当直3名で構成され、それ
ぞれの業務を分担していた。
 また、運教は、泊まり勤務の繰縦担当(3名)概算担当(3名)派出担当(3
名)と日勤勤務の行路担当(1名)、営業・運転担当(2名)があって、日勤勤務
の運教は、泊まり勤務の運教経験者から指名される運用がなされていた。
 そして、各担当運教の業務内容の概要は、次のとおりであった。
<03351-003>
<03551-004>
 なお、車掌から専務車掌へ及び専務車掌から車掌長への昇職は、ほぼ年功序列的
に運用されていた。これに対し、運教への昇職は、通常、車掌長ないし専務車掌の
経験者で、本人が希望する者の中から区長が推薦し、東京西鉄道管理局の面接試験
に合格することが必要とさせていた。そして、給与上の最低職群が専務車掌は5職
群、車掌長は7職群、運教は7職群とされていたため、運教に発令された職員が末
だ運教の最低職群に達していなかった場合には、最低職群に昇級するため基本給が
アップすることもあった。
 また、新宿車掌区の職員は、転勤転職希望等を記載する身上調書を毎年1回提出
していたが、されによると、第1希望を新宿車掌区の運教とした職員数は、次のと
おりであった。
<03551-005>
 なお、昭和61年度の車掌長31名のうち希望を記載した職員は、他区(東京西
鉄道管理局内で他車掌区)1名、運教1名の計2名であり、専務車掌67名のうち
希望を記載した職員は、他区2名、管外(東京西鉄道管理局外へ転出)6名、運教
2名の計10名であった。
(5) 会社の就業規則の別表によると、車掌区の指揮命令系統は次のとおりであ
る。
<03551-006>
 これは、国鉄当時に10職群以上の運教及び車掌長が主任車掌とされ、9職群以
下の運教、車掌長及び専務車掌はすべて車掌に統一されたものであり、新宿車掌区
においては、その職への発令は東京圏運行本部長が行うこととなった。
 また、新宿車掌区の運転作業要領によると、指揮命令系統は次のとおりとされ
た。
<03551-007>
 このうち、操縦等の各担当車掌は、内勤車掌と呼称され国鉄当時の運教の業務を
行っているが、就業規則上の職名でないため、その指名は区長の権限とされ、区長
は、車掌の中から人選して担当業務の指定をするという形式をとるようになった。
 このため、内勤車掌に指定されても、運教に昇職した場合のように基本給がアッ
プすることはなくなった。しかし、内勤車掌の業務内容、各担当の人数、泊まり勤
務経験者から日勤勤務の担当となる人選がなされる等の運用は、国鉄当時と同じく
「教導」と記載されており、さらに、列車・電車に乗務する車掌の腕章には、国鉄
当時と同じく「車掌長」、「専務車掌」又は「車掌」と記載されていた。
 なお、会社では、発足時から昭和63年7月頃までは上位の職に昇進する基準が
定められておらず、その間の昇職はほとんどなかった。
(6)新宿車掌区においては、国鉄当時は、区長及び助役が管理職とされ、労働組
合に加入できないこととされていたが、会社では助役も労働組合に加入できること
とされ、首席助役以下の助役は、昭和62年5月9日結成されたJR東日本鉄輪労
働組合(その後、同年8月、東鉄労に組織統合。以下「鉄輪労」という。)に加入
した。
 また、昭和61年9月当時は運教の12名以下組合員資格有する者のほぼ100
%を国労が組織していたが、同年12月以降運教を中心に国労を脱退する者があ
り、昭和62年4月当時国労に所属する分会員は128名と、その組織は約80%
となった。そして、4月当時の国労車掌12名中国労の組合員は4名、東日本鉄産
労の組合員は3名、社員労の組合員は5名となり、また、6月9日以降国労の組合
員は2名、東日本鉄産労の組合員は4名、社員労の組合員は6名となっている。
3 P1の勤務状況等
(1) 国労に所属する分会員P1(以下「P1」という。)は、昭和46年3月国
鉄に正式採用され、同年8月から新宿駅に勤務し、昭和49年8月30日新宿車掌
区の車掌見習となり、同年10月1日車掌、昭和60年4月1日専務車掌となっ
た。そして、P1は、同62年3月9日から泊まり勤務の派出担当運教の業務を事実
上行うようになり、同月27日区長の推薦を受け、東京西鉄道管理局の面接試験に
合格した。同年4月1日P1は、会社に採用され、職名は車掌と変更になったが、業
務はそれ以前と変わらず、派出担当の内勤車掌業務であったところ、同年5月1日
同人は、日勤勤務の運転担当の内勤車掌に担当業務の指定替えをされた。
 なお、新宿車掌区長は、P1の勤務実績を評価し、職場活性化のための若手として
のリーダーシップを期待して、専務車掌のP1に対して派出担当運教の業務を事実上
行わせ、また、日勤勤務を内勤車掌に担当業務の指定替えを行ったものである。
 また、P1は、昭和46年9月、国労に加入すると同時に東京地本の新宿駅分会に
所属し、同47年、同48年同分会青年部常任委員、同50年から同52年まで新
宿車掌区分会の青年部常任委員、同57年以降分会委員(同60年7月から同62
年3月まで分会運転班の班長)を歴任している。
(2) 新宿車掌区では、会社が発足した昭和62年4月以降、10項目の管理目
標を定め、1項目毎に助役1名・内勤車掌2名を担当者として配置し業務改善を図
っている。そして、管理目標中の「提案」については国鉄当時も同様に行われてい
たところ、P1はこれに参画し、昭和61年度に採用された26件の提案のうち、同
人のものが2件採用されている。
 また、P1は、管理目標中の「フロント・サービス」に参画し、同人の応募した標
語が採用されている。さらに、P1は、管理目標中の「増収活動」に参画し、昭和6
2年のゴールデンウィークの際、他の内勤者らとともに増収活動に取り組み、内勤
車掌の中でトップの成績を挙げている。
(3) 新宿車掌区では、昭和61年9月頃から、職場の体質改善、職員1人ひと
りの隠れた能力を引き出すこと等を目的として、3名~8名程度のグループを作
り、日常の仕事とは別に自主的に職場の身近な問題を解決するための「小集団活
動」を進めてきた。
会社においても、引き続き小集団活動を推進することとなり、上記管理目標の1項
目とされた。P1は、内勤車掌としてそれの担当者の1人とされ、全員参加、全員実
践を目標にグループの指導育成等を行うよう期待されていた。
 しかしながら、昭和62年5月当時新宿車掌区内の小集団活動グループは、「あ
ずさ会」が東日本鉄産労の組合員により、「研鑽会」及び「宿研会」が鉄道労連を
構成する組合の組合員により、「飛燕会」が助役クラスにより構成されていたこと
から、P1は、国労の組合員であるためそれに参加しなかった。
 なお、上記グループの活動事例として、「あずさ会」による沿線案内資料の作
成、「研鑽会」による都区内の中央線等の沿線案内ガイドの作成、「宿研会」によ
る営業七曜日カレンダーの作成及び「飛燕会」による運転事故防止研究会の開催等
が挙げられる。
 また、P1は、首席助役P5(以下「P5首席助役」という。)から、小集団行動に
参加するよう、あるいは、自ら小集団を組織するよう勧められたが、積極的な態度
を示すことはなかったものの、鉄道マニアのグループによる業務研究会のようなも
のを作ってみたい等と述べたこともあった。
4 P1に対する担当業務の指定替えと区長らの言動等
(1) 昭和62年5月23日、新宿車掌区の内勤車掌等は、成田山に運転事故防
止祈願を行った。その帰途、神田の飲み屋で、P5首席助役は、P1に対し、「内勤
は国労では困る。区長から再三いわれている。」という趣旨のことをいった。
(2) 5月25日開かれた「内勤研修会」(区長、助役、内勤車掌らで毎週月曜
日に開催。)の席上、新宿車掌区長P3(以下「P3区長」という。)は、「この中
にも意識改革のできていない者がいる。内勤は国労ではだめだ。うちの分会は組織
率が高い。狙われている。ましてや国労がいるのはまずい。」という趣旨のことを
述べた。この席には10名ほどの者が出席していたが、分会所属の内勤車掌は、P
1を含め2名のみであった。
(3) 5月25日昼食後、新宿車掌区で開催された幹部会(区長及び首席・指
導・事務・当直の各助役により構成)において、P1が小集団の育成に取り組まず、
職場活性化に消極的であり、内勤車掌として期待に反するので、担当業務の指定替
えをしようかという意見が出された。
(4) 6月5日、P3区長は、勤務終了後のP1を呼び、「決心はついたか。」、
「上からいわれているので、国労では内勤はだめだ。変わってくれ。」という趣旨
のことをいった。これに対し、P1が「就職以来、国労にいたので、そう簡単に変わ
るわけにはいかない。」と答えたところ、P3区長は「周りに何回も変わったのがい
る、一回ぐらい変わってもかまわない。」という趣旨のことをいった。そして、同
席していたP5首席助役は、P1に対し、「月曜日(8日)までにもう一度考えるよ
う。」といった。
(5) 同月8日、朝の点呼終了後、P1が区長室に赴いたところ、P3区長は、
「決心はついたか。」と尋ね、P1は、「考えは変わらない。」と答えた。同日昼休
み、P5首席助役は、P1に対して「本当にこれでいいんだな。」と述べた。
 同日午後、緊急幹部会が開催され、P1を内勤の運転担当車掌から、電車乗務の車
掌に担当業務の指定替え(以下「本件胆務替え」という。)をすることに決定し
た。そして、同日午後4時頃、指導助役P2(鉄輪労組合員。以下「P2指導助役」
という。は、P1に対して、上記決定及び翌9日から電車に乗務するよう口頭で通知
した。その際、P2指導助役は、「電車に降りるとみじめになるよ。」等と述べた。
 P1は、翌9日から電車に乗務しており、同人の後任の運転担当内勤車掌には、営
業担当内勤車掌のP31(東鉄労組合員)が、指定替えをされた。
 ちなみに、新宿車掌区では国鉄当時から運教で身体不調を理由に電車乗務を希望
した例もあったが、運教ないし内勤車掌から電車乗務に指定替えとなった例はな
い。
(6) 同月9日、分会執行委員会長P4(以下(P4分会長」という。)は、分会
員P8の乗務停止処分問題に関して、P3区長に面会を求め、午後2時頃から約30
分間、区長室においてP3区長、P5首席助役と面談した。その話の中でP3区長は、
「新宿車掌区は、K(国労のこと)の組織率が高い。」、「本部(東京圏運行本部
のこと)から注目の的になっている。」、「本部からは運教といわれる内勤車掌に
Kをおいているのは間違いで、管理が悪いといわれている。」「私はもうP1君に乗
ってもらう(電車に乗務されること)。」、「本部は、担当課長、本物の人長(東
京圏運行本部人事課長のことで担当課長でないという意味)が実態(新宿車掌区
の)を見に来ている。」等という趣旨のことを述べた。
 なお、面談の際、P4分会長はテープレコーダーを持参し、話の内容を区長らの了
解を得ることなく録音し、再審査被申立人は、その反訳文を本件の証拠として提出
している。
(7) 6月9日、P3区長は、区長名で「区内の担当指定の変更について」と題
し、「………今回新企業体に働く社員として………各自のレベルアップを図るとい
う観点から従来の延長線からの対応から一歩踏み出した考え方に立ち、区内の担当
業務の指定変更を順次実施してゆきますので了知されたい。担当業務の指定変更は
基本的には7月1日以降順次実施してゆくこととし、毎月の勤務指定時に公表する
こととする。」との文書を掲示(以下「掲示」という。)した。
 また、6月15日付け新宿車掌区報(エスペランサ)(以下「区報」という。)
にも、上記掲示文書とほぼ同旨の内容が記載されたが、その中で、6月25日に担
当業務の指定変更(7月分)の発表を行う旨述べられており、さらに、「長距離交
番(A、B、C)・車改(車内改札のこと。)交番・運転交番・内勤担当等含め相
互間の指定変更を実施いたします。」と注記されていた。
 これらの掲示及び区報の内容について、分会員らは、国鉄当時から踏襲されてき
た車掌→専務車掌→車掌長→泊まり勤務運教→日勤勤務運教という担当業務の指定
替えとは異なる運用がなされうることを予告したものと理解し、P1に対する担当業
務の指定替えとあわせて、内勤車掌であっても電車乗務とされ、あるいは、優等列
車乗務から電車乗務とされるのではないかと理解する者もあった。
(8) 同月19日、午後3時30分過ぎ頃、P2指導助役は、列車乗務が終了した
車掌P10(分会員、国鉄当時車掌長であり、会社においても引き続き優等列車に乗
務。以下「P10」という。)及び車掌P11(分会員、国鉄当時専務車掌であり、会
社においても引き続き優等列車に乗務。以下「P11」という。)を順次に自席に呼
んだ。
 午後3時50分頃から2~3分間P2指導助役は、P10に対し、「考えて行動をと
らないとP1君のようになる。今後の区長はやる時はやるんだから。現在の交番にい
られなくなるかも知れない。」という趣旨のことを述べた。
 また、午後3時55分頃から約5分間P2指導助役は、P11に対し、「ここに7月
分の交番予定表がある。指名欄は今は鉛筆書きしてあるが、意識改革がない場合
は、この交番で乗れないこともあるので、よく考えるように。」という趣旨のこと
を述べた。
(9) P10及びP11は、P2指導助役の発言は、上記掲示、区報及びP1に対する
本件胆務替えとも照らし合わせると、国労を脱退しない場合、7月分の担当業務を
優等列車乗務から電車乗務に指定替えをされる、あるいは、乗務から外されるので
はないかという不安、危惧を抱いた。そのためもあり、分会は、当日及び翌20日
夕刻非番者集会を開き対応策を協議した。
 そして、分会らは、同月22日本件救済申立てを行った。
(10) 新宿車掌区では、毎月25日翌月の交番表を発表して、従業員各人の翌
月の担当業務及び行路を周知しているが、6月25日発表された交番では、従前の
担当業務等が大幅に変更されることはなかった。
第2 当委員会の判断
1 P1に対する担当業務の指定替えについて
(1) 会社は、初審命令が、昭和62年6月8日付けの本件担当業務をもって不
当労働行為に当たると判断したことは誤りであり取り消されるべきであるとして、
次のとおり主張する。
 国鉄当時の職制は、細分化され、現場段階で問題が生じていたため、会社は、そ
れを改めて、柔軟で機動的な業務の執行ができるように職名の簡素化を図った。車
掌区においては、国鉄当時の14職名から8職名に整理し、そのうち運教、車掌
長、専務車掌、車掌の4職名を主任車掌と車掌の2職名に統合した。その結果、指
揮命令系統上同一レベルに属する同一職名の中に、比較的責任の重い業務や比較的
指導的な業務とそうでない業務が含まれていることとなるが、その職名内の担当業
務の指定は、従業員の能力、適正、業務の特性等を考慮して適材を適所に指摘する
現場長の専権事項としたものである。したがって、同一職名内の担当業務には、
適・不適の問題がありうるとしても、それを有利不利の評価の対象とすることはで
きない。そして、P1に対する本件担務替えは、同一職名内における内勤の運転担当
車掌から電車乗務車掌への指定替えにすぎず、業務内容、勤務時間、賃金等の面は
もちろん、組合活動の面でも不利益制があるということはできない。しかも、国鉄
当時の運教は、職制上車掌長、専務車掌より上位の職とされていたが、新宿車掌区
における職員の身上調書の希望内容によると、運教になるよりは乗車業務の希望が
圧倒的に多かったのであり、必ずしも運教への昇職が有利とはいえなかったのであ
る。ところが、初審命令は、国鉄当時の運教への昇職が実質的に有利であると事実
を誤認し、会社の職制組織の認識を誤り、本件担務替えに不利益性を認める誤った
判断をしている。
 また、会社は、国鉄当時に引き続き小集団活動を重視し、新宿車掌区では、管理
目標の1項目として掲げ、その担当者にP1を起用し、小集団活動の指導育成、具体
的推進を実施するよう指示し、自ら小集団活動を組織するなり、同活動に参加する
よう説得した。これに対してP1は、その指示に従わず、小集団活動に否定的態度を
取り続けた。そこで、P3区長は、小集団活動の指導育成に力を発揮することを期待
して内勤車掌に起用したP1が、3ヶ月を経過しても否定的態度であったため、従前
の担当業務である電車乗務に変更したものであり、本件担務替えには合理的理由が
ある。
(2) 本件担務替えに不利益なところがあるかどうかをみると、なるほど、前記
第1の2の(4)及び(5)認定のとおり、日勤勤務の内勤勤務の内勤車掌は、現
場長の新宿車掌区長により、主任車掌・車掌の職にある従業員の中から担当業務の
指定替えという手続によりなされ、それによって経済的に有利となるところがない
等の点において、国鉄当時の運教とは就業規則上の地位、任命手続等の面で差異が
ある。
 しかしながら、前記第1の2の(4)及び(5)認定のとおり、会社発足時の内
勤車掌は国鉄当時の運教が退散者を除いてそのまま指定され、その後も、車掌の職
にある従業員の中から勤務実績、適格性及び協調性をみて車掌区長が指定してお
り、また、その呼称は、国鉄当時と同じであり、着用するネームプレートにも国鉄
当時と同じく「教導」と記載されている。さらに、日勤勤務の内勤車掌は、泊まり
勤務の内勤車掌の中から指定されている運用がなされていることも国鉄当時と同様
であり、また、運教ないし内勤車掌から電車乗務にされた前例のないことが認めら
れる。しかも、内勤車掌は、乗務員を点呼し、あるいは添乗指導する立場にあるの
に対し、電車乗務の車掌は、内勤車掌から点呼や添乗指導するを受ける立場とな
る。
 これらよりみると、内勤勤務内勤車掌から電車乗務の車掌に担当業務の指定替え
をすることは、形式的には指揮命令系統上同一レベルの同一職名内で担当業務を変
更するにすぎないといえるが、実質的には、日勤勤務の内勤車掌→泊まり勤務の内
勤車掌→電車乗務車掌と2段階下位の業務を指定するものというべきである。な
お、前記第1の4の(5)認定のとおり、P2指導助役が本件担務替えをP1に伝え
た際に「電車に降りるとみじめになるよ。」と述べているところからみても、新宿
車掌区では一般的に実質的な格下げとみられていたことが推認できる。
 したがって、本件担務替えは不利益な取扱であると認めることが相当であり、会
社は、国鉄当時の新宿車掌区では車掌長及び専務車掌の多くが運教を希望していな
いところからすれば、職員は運教に昇職することを有利と認識していなかったとい
うべきであり、会社においても内勤車掌と乗車業務との間に有利、不利の差はない
と主張する。
 前記第1の2の(4)認定のとおり、国鉄当時の車掌長及び専務車掌は、多くが
乗車業務を希望し、運教希望者は少ないのであるが、それは車掌区の職員の多くは
乗車業務に愛着をもち、運教の業務に積極的関心を示すことが少ないという職場の
雰囲気を反映したものと推認される。しかしながら運教に昇職することが助役の昇
職のワンステップとみられていたのであるから、運教の希望者が少ないからといっ
て、運教の地位と車掌長ら乗車業務職員との間に有利、不利の差があることを否定
する理由とはなし難しいのである。したがって、この点に関する会社の主張をもっ
て、上記判断の結論を左右しうるものではない。
(3)次に、会社は、P1が小集団活動に否定的態度を取り続けたことを理由に本件
担務替えに行ったもので、その理由には合理的があると主張する。
 なるほど、前記第1の3の(3)認定のとおり、会社は国鉄当時から小集団活動
を推進し、新宿車掌区では昭和62年5月当時東日本鉄道産労の組合員及び鉄道労
連を構成する組合の組合員及びに助役クラスを構成員とする四つのグループが沿線
案内を作成する等の活動を行っていたことが認められる。
 しかしながら、前記第1の2の(2)及び(6)認定のとおり、新宿車掌区で
は、国労から脱退した従業員が社員労、東日本鉄産労に、助役が鉄輪に加入し、国
労の分会員と対立する状況にあり、また、上記の小集団活動グループは、労働組合
別に組織されていたのであって、国労に所属するP1がそれら既存のグループの活動
に参加することは困難であったと認められる。そして、P1は、前記第1の3の
(3)認定のとおり、P5首席助役の説得に対し業務研究会のようなものを作ってみ
たい等と述べているのであって、積極的小集団を組織することはなかったものの、
小集団活動を否定する態度をとっていたとは認めない。
 また、前記第1の3の(1)認定のとおり、P3区長ら新宿車掌区幹部は、P1の
勤務実績を評価し、職場活性化のため若手としてのリーダーシップを期待して、派
出担当の運教の業務の業務を命じ、また、日勤勤務の運転担当内勤車掌に担当業務
の指定替えをしている。さらに、前記第1の3の(2)及び(3)認定のとおり、
P1は、小集団活動に積極的でなかったというものの、新宿車掌区で定めた管理目標
の「提案」活動や「フロント・サービス」活動、「増収活動」に積極的に参画し、
その実績を挙げている。そして、会社は、同人が小集団活動に否定的であるという
点以外、運転担当内勤車掌として、その仕事振りが不適切であるの疎明をしていな
い。
 このような状況の下で、会社が泊まり勤務の運教の業務を行うようになってから
約3ヵ月、日勤勤務の内勤車掌となってから1ヵ月余りの時期に、P1は小集団活動
に否定的で、内勤車掌として適格性に欠けると判断して本件担務替えを行ったこと
は、いかにも性急すぎるといわざるをえず、本件担務替えの合理性には疑問があ
る。
(4) 他方、前記第1の2の(2)及び(6)認定のとおり、昭和61年後半か
ら会社発足後の昭和62年6月にかけて、国労を脱退した者等により社員労、東日
本鉄産労等が結成され、それらの組合により鉄道労連、鉄産総連が結成される等し
て、国労の組合員は一般的に減少する傾向にあるなかで、新宿車掌区においては、
国労を脱退した運教等が東日本鉄産労や社員労に加入したり、助役が鉄輪労に加入
することもあったが、比較的国労の組織率が高い傾向が続いた。そのような状況の
下において、P3区長は、前記1の4の(2)、(4)及び(6)認定のとおり、①
昭和62年5月25日の内勤研修会において、P1ほか1名の分会所属組合員が参加
している席上で、「この中にも意識改革のできていない者がいる。内勤は国労では
だめだ。うちの分会は組織率が高い。狙われている。」等と述べ、②6月5日、P
1に対して、「上からいわているので、国労では内勤はだめだ。変わってくれ。」と
いう趣旨のことを述べ、③同月9日、P4分会長に対して、「新宿車掌区は、Kの組
織率が高い。」、「本部からは運教といわれる内勤車掌にKをおいているのは間違
いで、管理が悪いといわれている。」という趣旨のことを述べている。これらのう
ち、上記①のP3区長の発言にある「意識改革」の趣旨は、昭和61年8月に国鉄監
査委員会が昭和60年度監査報告書において、親方日の丸意識を払拭し、企業意識
の発揮に努めるよう指摘していることに由来するものであるが、上記①ないし③の
P3区長の発言は、前後の事情及び表現の趣旨からみて、新宿車掌区において分会の
組織率が高いのは望ましくなく、国労に属する組合員は内勤車掌の業務に従事すべ
きでなく、国労所属の内勤車掌は国労から脱退するように勧奨したものと認められ
る。また、P5首席助役は、前記第1の4の(1)認定のとおり、同年5月23日P
1に対して、酒席の上で「内勤は国労では困る。区長から再三いわれている。」とい
う趣旨のことを述べている。これは、酒席の上における発言であるといえ、P3区長
の意を体して区長と同趣旨の発言をしたものと認められる。
 そして、前記第1の4の(5)認定のとおり、6月8日P3区長は、P1の担当業
務を内勤車掌から電車乗務とする本件担務替えを決定し、同日P2助役は、P1にそ
の旨を告げ、P1は、翌9日から電車乗務の業務に従事している。
(5) これらの事情を併せ考えると、P3区長は、内勤車掌が国労に所属したまま
でいることは困ると考え、P1をはじめとして分会員らに国労を脱退するよう勧奨す
る発言を行い、国労から脱退しないP1が小集団活動に積極的に取り組まないことを
口実にして、同人に対し国労に所属していることの故をもって本件担務替えを行っ
たものといわざるをえず、これは、会社がP1に対して、組合所属を理由に行った不
利益取扱いであるとともに、分会とその上部組織である八王子支部、東京地本及び
国労の組織の動揺を狙った支配介入に当たると判断するのが相当である。したがっ
て、初審命令の判断に誤りはない。
(6) なお、会社は、発言者に無断で録音したテープは録音の目的・手段・方法
が著しく反社会的であるから、その反訳文は証拠能力を有しないというべきとこ
ろ、初審命令は、P3区長の言動について発言者に無断で録音したテープの反訳文を
証拠として採用し、本件判断をしているのであるから取消しを免れないと主張す
る。
 しかしながら、会社の主張する録音テープは、前記第1の4の(6)に認定した
昭和62年6月9日午後2時頃から約30分間、新宿車掌区長室においてP4分会長
がP3区長及びP5首席助役と面談した際、同分会長が同区長らの了解を得ることな
く録音したものである、同区長らの了解を得ていない一事をもって証拠能力を否定
すべき理由とは認められず、この点に関する会社の主張は採用できない。
2 P2指導助役の言動について
(1) 会社は、昭和62年6月19日にP2指導助役がP10及びP11に対して、乗
務行路や収入確保、運転事故防止の話をしたのみであるにもかかわらず、初審命令
が、同助役の言動をもって支配介入に当たると判断したことは、事実誤認するもの
で取り消されるべきであると主張する。
(2) しかしながら、上記1の(4)判断のとおり、新宿車掌区のP3区長ら最高
幹部は、昭和62年5月下旬から6月上旬にかけてP1ら分会員に対して、内勤車掌
が国労に所属していることは困る旨の発言を繰り返している。また、前記第1の4
の(7)認定のとおり、6月9日の掲示及び同月15日付けの区報において、新宿
車掌区としては従来の運用と異なる担当業務の指定替えを順次実施する旨を公表
し、それに対して、分会員の中には、国労から脱退しない場合、担当業務が不利益
に指定替えされるのではないかと、その内容を理解する者もあった。このような状
況の下において、区長及び首席助役に次ぐ新宿車掌区の幹部ぶあるP2指導助役は、
6月19日にP10及びP11と面談した際、前記第1の4の(8)認定のとおり、
「考えて行動をとらないとP1君のようになる………現在に交番にいられなくなるか
も知れない。」とか、「ここに7月分の交番予定表がある。………意識改革がない
場合は、この交番で乗れないこともある」という趣旨のことを述べたものと認めら
れる。そして、これらの発言は、単に乗務行路に関するものというよりも、当時の
新宿車掌区の状況にすれば、考えて行動をとるとか、意識改革をするとかいうこと
は、国労から脱退することを意味するものであって、P2指導助役の発言の趣旨は、
国労から脱退しない場合には従来の交番表によって乗務できなくなるとの不利益を
示唆するものである。したがって、一般的な乗務行路等の話をしたのみであるとの
会社の主張は採用できない。
(3) そうとすれば、担当業務の指定替えの権限がもっぱら区長に委ねられてい
る本件にあっては、P2指導助役がP3区長の意を体して、分会員に対して国労から
脱退しない場合は、担当業務を不利益に指定替えすることがありうる旨を述べて、
国労からの脱退を慫慂したものといわざるをえず、これは会社が分会とその上部組
織である八王子支部、東京地本及び国労の組織の動揺を狙った支配介入に当たると
判断するのが相当である。したがって、初審命令の判断に誤りはない。
 以上のとおり、本件再審査申立てにはいずれも理由がない。よって、労働組合法
第25条並びに労働委員会規則第55条の規定に基づき、主文のとおり命令する。
 昭和63年12月7日
 中央労働委員会
 会長 P19 印

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