弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主     文
      本件控訴を棄却する。
     理     由
 本件控訴の趣意は,量刑不当の主張であって,被告人を死刑に処するとした原判
決の量刑は,重きに失する,というのである。
 1 本件各事案の内容
 本件は,オウム真理教(以下,単に「教団」という。)に所属する出家信者であ
った被告人が,(1)教団代表者であるB’ことB,及び当時教団に所属していたC,
D,E,F,G,H,I,J,Kら多数の者と順次共謀の上,帝都高速度交通営団
地下鉄霞ヶ関駅に停車する営団地下鉄日比谷線,同千代田線,同丸ノ内線の各電車
内等にサリン(化学名イソプロピルメチルホスホン酸フルオリダート,あるいはメ
チルホスホノフルオリド酸イソプロピル)を発散させて不特定多数の乗客らを殺害
しようと企て,山梨県西八代郡甲所在の教団施設第10サティアンの実験施設(通
称ジーヴァカ棟)において生成されたサリンを含有する液体を,ナイロン・ポリエ
チレン袋に入れて準備した上,平成7年3月20日午前8時ころ,Iが営団地下鉄
日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において,Jが同
日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において,
Kが同丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において,H
が同千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内にお
いて,被告人が同丸ノ内線四ッ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行
き電車内において,それぞれサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋合計11袋を
床に置き,先端を尖らせた所携の傘で突き刺し,サリンを漏出気化させて発散さ
せ,いずれもサリン中毒又はそれに起因する疾病により,乗客ら合計12名を死亡
させて殺害したが,訴因変更にかかる乗客ら合計14名については傷害に止まり殺
害の目的を遂げなかったという殺人,殺人未遂の事案(原判示第一の事実,以下,
単に「地下鉄サリン事件」という。)及び,(2)①アブトマット・カラシニコバ19
74年式ロシア製自動小銃(以下,単に「AK74」という。)を模倣した自動小
銃約1000丁を製造しようと企て,前記B及び教団所属の多数の者と順次共謀の
上,平成6年6月下旬ころから平成7年3月21日ころまでの間,前記甲等に所在
する複数の教団施設において,工作機械を使用して鋼材を切削するなどし,同自動
小銃の部品多数を製作するなどして自動小銃約1000丁を製造しようとしたが未
遂に終わり,②前同様,Bらと共謀の上,平成6年12月下旬ころから平成7年1
月1日までの間,山梨県南巨摩郡乙所在の清流精舎と称する教団施設において,前
記①の犯行により製作した小銃の部品を取り揃え,これらを組み立てて
小銃1丁を製造した武器等製造法違反の事案(原判示第二の事実,以下,単に「自
動小銃製造事件」という。)である。
 2 地下鉄サリン事件について
 本件は,多数の乗客らで混雑した平日朝の通勤時間帯に,霞ヶ関駅に向かって走
行中の地下鉄3路線,5方面の車両内において,極めて毒性の強いサリンを同時多
発的に散布して,無差別の大量殺人を企図し,これを遂行したもので,その結果,
営団地下鉄職員2名及び一般乗客ら10名の合計12名を死亡させ,訴因が変更さ
れた者に限っても,加療等期間不詳の特に重篤な傷害を負った2名を含む合計14
名の乗客らに対して傷害を負わせたものである。その犯行は,我が国の犯罪史上に
例を見ない極めて残虐,凶悪かつ非人道的なものというほかない。
 本件犯行の直接の動機及び目的についてみると,本件当時,目黒公証役場事務長
に対する逮捕監禁致死事件が教団の犯行であるとの疑いが強まり,警察の教団に対
する強制捜査実施が危惧される状況となったことから,Bを中心とした教団幹部ら
が,強制捜査を阻止するために,平成7年3月18日ころ,東京から山梨県甲に向
かう原判示リムジンの中で,地下鉄にサリンを散布する計画が発案され(所論は,
原判決が,原判示リムジンの中で概ねの謀議が成立したかのように認定している
が,この場面について唯一具体的な供述をしているDの判決においては,リムジン
車内での共謀の成立は否定されているという。当審で取り調べたDの判決書(当審
職1)によれば,Dに対する判示内容については,所論のとおりリムジン車内での
話し合いの段階では,DとBらとの間では共謀は未だ成立していないとしている
が,一方で,その話し合いの具体的内容として,C,Dらの発言を契機に地下鉄内
でサリンを散布する計画が発案され,BはCをサリン散布の総指揮者として指名
し,Cが実行犯候補者として被告人ら4名の氏名を挙げ,BがそれにHを加えたこ
と,Bが,リムジンに同乗していたEに対してサリンを造れるか質問し,E
は条件が整えば造れる旨供述したことなどの事実自体は認定しているのであって,
これは,被告人の原審公判におけるDの証言にほぼ沿ったものであり,原判決が認
定した事実と同様であって,Dに対する判決の内容が,この点に関する原判決の事
実認定と矛盾しているとまではいえない。),警視庁のある霞ヶ関駅を通過する地
下鉄車両内にサリンを散布して首都中心部を大混乱に陥れるべく具体的な実行案を
企図して,敢行されたものである。その動機,目的自体,教団の保身のためには手
段を選ばないという極めて身勝手で独善的な発想に基づくものである。その背景に
は,当時Bが,近い将来世界最終戦争(ハルマゲドン)が勃発する,教団が国家権
力から弾圧を受けているなどと説いて教団の武装化を推し進める一方,武力による
救済を実行し,悪行を積む現代人をより高い世界に転生させるためには殺人をも
「ポア」と称して正当化するという,いわゆる「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教
義を説き,本件犯行をも正当化していたことが指摘され,反社会的性格の極めて高
い教義に基づき,教団の持つ科学的知識,設備,人員を駆使して実行された,正に
狂信的ともいうべき犯行であって,酌量すべき点は全くない。
本件犯行の態様についてみると,本件において使用されたサリンは,ナチス時
代(1938年)のドイツで軍用兵器として開発された神経ガスの一種であり,極めて
揮発性が強く,空気1立方メートル中に100ミリグラムのサリンが含有されてい
る中に1分間暴露されると半数の者が死亡するという極めて毒性の高い物質であ
る。本件においては,このサリンを含有する液体を合計5リットル程度準備して,
11袋に分け,被告人を含む実行犯5名が,通勤で混雑する時間帯を選んで車両内
に持ち込み,5方面の地下鉄車両内で一斉に散布したというのであって,本件が密
閉された空間である地下鉄車両内で同時多発的に敢行されたものであることをも併
せ考えると,多数の死傷者が出ることは必至であり,甚だ危険性が高く,悪質極ま
りない犯行である。また,本件は,Bの命令によって,Cら教団幹部が犯行計画を
策定し,具体的な指揮命令者,専門的知識と技術を活用してサリンを生成する役割
の者,サリンを散布する実行役,実行役らを送迎する自動車の運転手役など役割を
分担し,サリン散布の具体的な路線や実行方法,現場への送迎方法,実行犯がサリ
ンに触れたり中毒の症状を呈した場合の対応などについて数度にわたる打
ち合わせを行い,犯行現場の下見,サリンの袋を傘で突き刺す練習及び実行犯の変
装用具の準備などの周到な事前準備を行った上で敢行された,組織的かつ計画的な
犯行である。
 その結果,前記のとおり本件犯行によって12名もの貴重な生命が奪われた上,
加療期間が不詳で未だ回復の見込みも立たない重篤な病状の2名を含めた多数の者
がサリン中毒に罹患するなどしたのであり,発生した結果は極めて深刻かつ重大な
ものである。12名の死亡被害者は,いずれも通勤客や営団地下鉄職員であって,
当日偶然犯行現場に居合わせたにすぎず,もとより何らの落ち度もないにもかかわ
らず,理不尽な犯行に巻き込まれて,何ら事情も分からないまま意識を失い,ある
いは苦悶のうちに非業の死を遂げたものであって,その苦痛や無念の情は察するに
余りある。また,突然の凶行により夫や子供を奪われた遺族ら関係者の悲嘆,衝
撃,憤りはいずれも深く,心身共に痛めつけられて体調を崩し,職を辞した者など
もあり,同情に堪えない。重篤な傷害を負った2名の被害者については,激しく苦
悶して瀕死の状態に陥っていたところを,適切な医療措置によって生命は取り留め
たものの,意識障害,四肢機能障害,記銘力障害の程度が甚だしく,今後改善する
見込みも薄いというのであって,被害者本人の苦悩や苦痛のみならず,今後被害者
を支えていかなければならない家族らの負担や心労は,死亡した被害者
のそれに劣らず深刻なものであるとうかがわれる。さらに,他の負傷者において
も,相当な期間にわたって縮瞳,吐き気,頭痛等サリン中毒による症状に悩まさ
れ,仕事や日常の行動に支障をきたすなどしており,心身の苦痛はもとより,社会
的活動に対する影響も軽視し得ないものである。
 このように,本件犯行が被害者や遺族らに与えた影響は甚大であり,被害感情が
極めて厳しいものがあるのも当然といえる。特に,本件により死亡した被害者の遺
族が,原審において,本件関係者については極刑を望む旨,心情を吐露しており,
他の被害者や遺族ら関係者も,同様厳しい刑罰を望んでいるものであるが,その公
判証言からうかがわれる心情は誠に切なるものがあるといえる。
 加えて,本件犯行は,前記のとおり,大量殺人を目的とする神経ガスのサリンを
通勤客が集中する地下鉄車両内で散布したという,我が国の犯罪史上においても例
を見ない犯行であり,本件現場となった地下鉄の各路線においては,サリン中毒の
症状を呈した乗客らがパニック状態になり,首都の中心部が大混乱に陥ったもので
あって,多数の国民に与えた恐怖の念には誠に大きいものがあり,我が国の治安に
対する国際的な信頼をも揺るがせた点を含めて,本件犯行が引き起こした社会不安
など,その社会的影響は深刻である。
 所論は,地下鉄サリン事件について,犯行の当初は社会的に熾烈な処罰感情があ
り,被告人と同様に実行犯となったK,Jらに対する死刑判決は,社会の処罰感情
への配慮という側面もなきにしもあらずであったが,社会の処罰感情は時の経過に
よって緩和するものであり,現在においては,社会の受け止め方が異なってきてい
る点をも考慮すべきである,という。しかしながら,本件のような空前の凶悪犯罪
について現時点で社会感情が既に風化しているなどとは到底いえない。特に直接死
傷の被害を受けた者や遺族らの心の痛手が,時の経過と共に緩和したなどとは考え
られない。
3 自動小銃製造事件について
本件犯行は,Bが,前記のように教団武装化の一環として,教団内部で自動小銃
を量産しようと企て,ロシアから教団幹部が持ち帰ったAK74の調査を行い,金
属加工等に必要な多数の工作機械・設備を据え付けた大規模な工場を設置し,特殊
鋼材を入手した上,多数の信者を配置して自動小銃の部品を現実に量産し,その間
に,見本としてではあるが,現に相当の殺傷能力を備えた小銃1丁を製作したもの
であって,他に類を見ない大規模かつ組織的な武器製造事案として,その危険性や
悪質性は極めて高いものであるし,社会に与えた不安は多大であるといえる。
4 本件の捜査状況と被告人の検察官調書の任意性,信用性について
 (1) ところで,被告人は,地下鉄サリン事件について,捜査段階当初においては
黙秘していたが,平成7年5月30日付け検察官調書(謄本,乙19。以下,謄本
との表示は省略する。)において同事件への関与を認める供述をしたのを境に,同
事件に関する被告人の具体的な役割,行動,その際の心境等に言及した自白を内容
とする検察官調書(乙1ないし7,20,21)が作成されている。また,自動小
銃製造事件についても,同様に自白を内容とする検察官調書(乙9ないし16)が
作成されている。
 (2) 原審においては,地下鉄サリン事件に関する検察官調書が作成される以前
に,①被告人が取調警察官から暴行を受けて負傷した,②取調検察官の偽計があっ
たとして,これらの検察官調書の任意性,信用性の存否が争われたが,原判決は,
取調検察官及び警察官らの原審証言の信用性を認め,一方で被告人の原審公判供述
は信用できないとして前記検察官調書の任意性,信用性がある旨認定しているもの
である。
 所論は,被告人の原審公判供述が虚偽であるということを前提として,前記検察
官調書の任意性,信用性を肯定した原判決の事実認定にはいささかの疑問があり,
少なくとも被告人が原審公判で虚偽を述べたと断定して,これを被告人に不利に評
価した上で,死刑の判断に寄与させることには納得できない,と主張する。加え
て,後述するように,被告人は原審公判において前記検察官調書の任意性,信用性
に関わる事実についてはるる供述していたものであるが,原審第46回公判の途中
から公判廷ではほとんど口を閉ざすに至り,当審公判に至るまでその態度が変わる
ことはなかったため,本件各事実に関する被告人自身の具体的な関与の態様につい
ては,他の被告人の公判における証人尋問調書に録取されているものの,被告人自
身の心境について語られている証拠はごくわずかである。その意味で,被告人自身
の本件各犯行への関与の態様及びその際の心境等を認定するに当たっては,被告人
が原審公判で虚偽供述をしたとの原判決の認定が正当であるかを吟味することのみ
ならず,前記検察官調書の任意性,信用性の点を検討し,その証拠価値を判断する
ことが不可欠であると考えられるので,これらの点について検討を加え
ることとする。
(3) 被告人が取調警察官から暴行を受けた点の存否に関する被告人の原審公判供
述,被告人に暴行を加えたとされる原判示L巡査,同M警部補,同N警部補らの原
審証言,及び被告人を取り調べたO検事の原審証言の概要については,概ね原判決
が「本件の争点とこれに対する判断」第二の一の2において説示するとおりであ
る。
 そこで検討するに,L,M両警察官は,Lが被告人の肩附近に手を伸ばした際
に,被告人の眼鏡が床に落ちた,Lが被告人の肩附近をつかんだことはあるが,被
告人の顔面に手が当たったという記憶はない,眼鏡を拾って渡した後に,被告人が
何かを噛んでいるような,口をもぐもぐするような動作を始め,10分か15分く
らいで唇から血がにじんできたなどとほぼ一致して証言しているものであるが,両
警察官の供述するような,偶然手が被告人の眼鏡附近に当たった程度のことで,眼
鏡が床に落ちるというのはいささか不可解である。また,O検事の原審証言によれ
ば,被告人の左下唇が腫れているのを現認した同検事が,L,M両警察官に事実を
確認した際には,両警察官は,被告人の服をつかんで立ち上がらせようとした際に
顎に手が当たったかもしれない旨説明し,O検事が被告人の唇の傷について更に追
及した際には,被告人が下唇を噛んでいた際に顎に手が当たった可能性がある旨説
明したというのである。O検事のこの点に関する原審証言は,その経緯及び内容か
らも高い信用性が認められるところ,L,M両警察官の原審証言によれば,被告人
が唇を噛むような動作を始めたのは,L警察官が被告人の顔面に手が当
たる可能性のある動作を終了した後のことになるのであって,O検事に対する説明
と食い違っている。原判決は,この点の食い違いを前提としても,L警察官が被告
人を殴打したということにはならず,同証人らの証言の問題部分の信用性を致命的
に損なうものではない旨判示するが,検察官が取調警察官の被告人に対する直前の
暴行を疑って事実関係を確認している際に,L警察官らが,問題とされている被告
人の唇の傷が,被告人の自傷によるものであると認識していたのであれば,取調警
察官としては,端的にその旨検察官に説明するのが自然であって,被告人の顔面に
手が当たったことによって傷害が発生した可能性を示唆するかのような説明をする
とは考えられない。そうすると,この点に関するL,M両警察官の証言と,O検事
の証言との食い違いは,相当に重大な点に関するものであって,L,M両警察官の
原審証言の信用性について,多分に疑問を差し挟むべき点であるばかりでなく,
L,M両警察官のO検事に対する説明自体の信用性にも,疑念を差し挟むべき点に
なるといわなければならない。
 (4) 一方,原判決が被告人の原審公判供述について疑問を差し挟んでいる点につ
いて検討する。
 ① 原判決は,被告人は,5月18日の受傷後約5か月を経過した10月17
日,折れた歯の受診を申し出て,P歯科医院で治療を受けた旨供述するが,被告人
を治療したQ歯科医の原審証言によれば,健全歯が外力によって破折した場合,痛
みはその日のうちに発出し,鎮痛剤を飲んでも我慢できるような程度ではないし,
問診に際し,被告人自身1日か2日前から痛みが出た旨答えたというのであるこ
と,また,O検事の証言によれば,被告人の5月18日当時の訴えは下唇の傷に関
するものであって,歯の痛みに関するものではないことに照らして,被告人のQ歯
科医やO検事に対する痛みの訴え方は,5月18日に歯を折られたという被告人の
主張と相容れない旨判示している。
 被告人の受診の日時及び経緯,Q歯科医及びO検事に対する症状の訴えについて
は,原判決が認定判示するとおりであるが,これらの事実を前提としても,必ずし
も被告人の主張と相容れないものとはいえない。すなわち,O検事の原審証言によ
れば,被告人がO検事に対して下唇の傷に関する話をしたのは,「検事さんの紳士
的な態度には感謝いたします。警察のあるいは刑事の初日の取調べは,対応はよか
ったのですが,今日下唇にけがをしました,やはり警察はこういうものだと思って
安心した面もありますが,このような暴力に屈して話をするような私ではありませ
ん,ここにはだれも信用できる人はいません,もう今後は一切しゃべりたくありま
せん。」という趣旨の言葉によるものであったというのである。前記のとおり,被
告人はこの当時地下鉄サリン事件の事実関係については黙秘していたこと,教団内
部では警察が教団を弾圧している旨の情報が広く行き渡っていて,被告人自身もそ
れを信じていた旨供述していることなどに照らせば,この発言の内容は,警察官か
ら暴行を受けたことにより,警察が教団を弾圧しているというのが真実であると確
信が持てたが,暴力に屈して供述をすることはせず,黙秘を貫くとい
う,当時の被告人の信条を述べたものと理解できるのであって,必ずしも警察官の
暴行の事実を検察官に訴えて善処を求めたというものとは解されない。もっとも,
O検事は,被告人の負傷状況を見て,若干の事実関係を被告人に確認し,前記のと
おり取調警察官に事情を聴取するなどの措置を講じているが,これは検察官として
の立場から捜査の適正を図るため必要と考えて行ったことである。そうすると,当
時の被告人にとって,肉体的な苦痛を受けていること自体を問題として取り上げる
つもりはなく,いわば法難ともいうべき事態と捉えて忍耐していたとも考えられる
のであって,原判決が疑問視している点である,被告人が取調官の交替を特に希望
しないと述べたことともつじつまが合うのである。また,Q歯科医の証言によれ
ば,10月17日の時点で,被告人の右下第4,5歯については,歯幹部がなく根
しか残っていない状態の虫歯になっており,炎症が広がりリンパ節の腫脹まで生じ
るなど相当悪化した状態になっていたものであるところ,これらの歯については,
外力なく虫歯によってこのような状態になったのか,5か月前に外力によって破折
しその後虫歯になったのか区別は付かず,その場合途中で痛みが治まる
ということもしばしば聞くというのであって,客観的な歯の所見や被告人の訴えと
被告人の供述の間に矛盾する点は見当たらない。もっとも,Q歯科医の証言によれ
ば,健全歯が破折した場合,通常であれば我慢できない程度の痛みがあるという
が,被告人の当時の歯の状態は,他にも虫歯や欠損歯があり,汚れも相当ひどい状
態であったことからすると,本件で問題となっている歯が破折する前に既に虫歯に
なっていた可能性も否定できない。また,被告人の留置人診療簿(甲12565添
付書類)によれば,被告人が原判示荏原警察署で勾留中に病院で受診したのは,6
月28日の下痢症及び前記一連の歯科治療以外は,9月3日以降腹痛を訴え,結局
腎臓結石であることが判明し,治療を受ける間の一連の受診であるところ,腎臓結
石については,原審公判時における被告人の病状照会の結果からも,絶えず横臥し
ていなければ耐えられないほどの激しい痛みであることがうかがわれるものであっ
て,所論のいうように,被告人が肉体的な苦痛を極限まで我慢する傾向があること
は必ずしも否定できず,通常なら訴えるであろう相当の苦痛であっても,あえて訴
えることをしなかったこともあり得ないことではない。
② 原判決は,被告人が原審公判において,L警察官の殴打によって折れた歯の
隣の歯に詰めていた金属が取れた旨供述していたにもかかわらず,客観的な証拠に
よれば,歯科医による初診時に被告人の供述する歯の金属は被さったままであるこ
とが認められ,被告人の供述は事実に反している旨判示して,この点も被告人が虚
偽供述をしているとの認定に用いている。しかしながら,被告人が金属が取れた旨
供述している歯(右下第6歯)及びその隣の歯(右下第7歯)は,いずれも被告人
が前記のとおり供述した原審公判当時においては治療のため入れていた金属が取れ
た状態になっていたものであることからすると,被告人が隣接した2つの歯を取り
違えて供述した可能性がないとはいえない。この点について原判決は,被告人が公
判廷で口の中に指を入れるなどして確認し,2本の歯のへこみ具合が異なる旨自認
しているにもかかわらず,第6歯であると明言していることからしても,取り違え
とは考えにくいという。しかし,歯の位置等については,目で見るのと異なり,手
探りではなかなか正確に認識することは難しいと思われる。被告人が第6歯と明言
していたのは,原判示歯科医の証人尋問の以前であり,第6歯と第7
歯の相違を確認したというのが,第6歯の金属が受診当時は付いた状態になってい
たことを指摘された後であることは原判決指摘のとおりであるが,勾留中に被告人
が供述するような事態が生じた場合であっても,被告人がそのこと自体をそう問題
視するつもりがなかったとすれば,その当時正確な歯の位置を確認することまでは
せず,原審公判に至って歯の位置を確認した際に取り違え,歯科医の証言等,客観
的な証拠に照らして第6歯というのが明らかな誤りであることを認識したため,公
判供述を変えたとしても何ら不自然ではなく,この点について被告人があえて虚偽
を述べたとまで断ずることは困難であると思われる。
(5) そうすると,5月18日の取調べにおいて,被告人がL警察官から殴打され
た疑いは払拭できず,反面,これに沿う被告人の原審供述については,歯が折れた
という点をも含めて,その概要において,明らかに虚偽を述べている点は見いだし
難い。この点に関する原判決の認定は,所論のいうように,必ずしも相当ではない
ものである。なお,N警察官の暴行に関する主張については,同人自身が原審証言
において,被告人が取調中に硬直した状態になった際,首や肩を動かすよう言った
り,手を出させて指を曲げさせるなどしたこと自体は認めており,その意図やこれ
が被告人の意に反するものであるか否かは別としても,被告人の原審供述と外形的
にはほぼ沿うものであって,この点についても,被告人が虚偽を供述しているもの
とは言い難い。
(6) その上で,被告人の前記検察官調書の任意性,信用性について吟味する。O
検事の原審証言によれば,同検事は,前記のとおり被告人の負傷に気付いて被告人
とL,M両警察官に対して説明を求めた上,厳重に注意を促し,両警察官を被告人
の取調べから2日間外してO検事自ら取り調べるなどの措置を講じ,被告人からは
その後警察官の取調べは非常に紳士的であるなどと聞いたというのであり,被告人
自身も地下鉄サリン事件に関する取調中は,警察官らから暴行を受けることはなく
なった旨原審公判で供述している。また,同検事は,当初被告人は雑談には応じる
ものの,事件自体については黙秘を続けていたが,同検事が折に触れて教団に関す
るマスコミ情報と教団内部での出版物を対比して教団の犯罪に関する情報を提供す
るなどした際,被告人も関心を示したこと,5月28日には被告人から「Kが認め
ているんですか」と尋ねられ,同検事がKが自供したなどと説明したところ,被告
人は,同人が無間地獄に落ちてしまうなどとして大粒の涙を流したこと,その後
「自分自身の心の中で決めました」と言い出し,実兄との接見を求めた上,同月3
0日に地下鉄サリン事件への関与について認める趣旨の概括的な供述を
始め,前記各調書が作成されたこと,地下鉄サリン事件に関する警察官調書は,同
月31日付けの概括的事実を認める調書1通しか作成されていないが,地下鉄サリ
ン事件についての起訴があった後のO検事に対する取調べの際,被告人がM警察官
らにもいつかちゃんと話さなければならないと思っていたが,申し訳ないことをし
た旨供述したことなどの証言をしている。これらの証言は具体的かつ合理的で,被
告人の検察官調書が作成された時期や前後関係などの供述経過ともよく合致してお
り,前記N警察官の原審証言とも合致していることからしても,信用性は高い。そ
うすると,被告人が取調警察官から暴行を受けた可能性は否定できないとしても,
検察官に対する供述は,その暴行による影響から遮断された状況で録取されたもの
であると認めることができる。
 (7) O検事の偽計に関する所論,すなわち,O検事が被告人に対して,調書を作
れば,Bの法廷には出廷することがない旨誓約したため,被告人がこれに応じて検
察官調書の作成に応じたという点については,原判決が説示するように,O検事自
身が原審において明確に否定しており,そのように誤解を招くような言い方をした
こともない旨証言している。O検事のこの点に関する証言についても,前記の暴行
に関するものと同様,具体的で明確であり,同検事の証言は十分に信用することが
できる。そうすると,後述するように,被告人がそのように思いこむ事項があった
かどうかは置くとしても,O検事の取調べの過程で,被告人の供述の任意性や信用
性を左右するような偽計が用いられたとは考えられない(なお,被告人のこの点に
関する原審供述は所論に沿うものであって,前記認定とは食い違うが,これが虚偽
の供述であるか,それとも被告人がそのように思い込む事情があったと認められる
かの点については後述する。)。
(8) そうすると,被告人の前記検察官調書の任意性については,これを認めるこ
とができるというべきであり,この点に関する原判決の判示は結論において相当で
ある。
 (9) ところで,被告人の前記検察官調書の信用性について,その内容を更に検討
すると,①自己の関与した犯行の客観的状況については,比較的詳細で具体的な経
緯に至るまで話しており,これらの点については,他の共犯者の供述や,信用でき
る客観的証拠とも概ね符合しており,矛盾点は認められない。更に,例えば最初に
実行犯候補者がCから呼び出されて本件に関する指示を与えられた際に,被告人が
一番最初に回答を求められたが沈黙し,Iら他の実行犯候補者がいずれも「はい」
と返答し,被告人が一番最後に「はい」と答えた点など,他の共犯者の調書に現れ
ていない事実も散見される,②一方で,推測に及ぶ事項や確信の持てない事項に関
する供述は「確かなことが分からないので供述したくない」などとして,検察官の
追及にもかかわらず避ける傾向が顕著である。また,特に捜査段階の当初において
は「B’尊師のことについては今は話せない」などとして,Bの関与についての供
述を拒否していたが,その後はやや断片的ではあるものの,Bの関与について供述
している点がある,③日時の点や他人の関与等については甚だ曖昧であり,被告人
自身も,教団内部の生活では時間や場所を気にする必要がないため,
この点の感覚が乏しい旨自認している,などの点が認められる。
前記のようなO検事の取調べを受けた際の被告人の様子に加えて,これらの諸点
を考え併せると,前記検察官調書の録取時において,何らかの理由で被告人が供述
を避けた部分があり,その意味で,被告人がO検事に対して事実を全面的に語った
ものであるとまでは評価できない。しかし,その反面,客観的な事実について被告
人が供述した内容は,時間や場所などについての曖昧さはあるものの,被告人なり
に決心してその記憶のままに供述したものと見るべきであり,他の共犯者が供述し
ていない事実や,被告人のみが体験した事実について相当具体的に供述されている
ことからしても,O検事の誘導や作文などが入る余地は乏しいと評価できる。
 一方で,被告人の検察官調書においては,④自己の心情等については,一応語り
得ている個所もあるものの,例えば最初にCから地下鉄にサリンを撒くという計画
について聞かされた際,「いろいろなことが頭を駆けめぐった。」などと曖昧な供
述を行い,この供述に納得しないO検事との間で,「いろいろなこと」とはどうい
うことかなどという点について,問答式の調書が作成され,結局被告人は「実際に
その場にいた者でなければ説明できないこともある。」旨返答しているなど,必ず
しも明快な表現にはなっていないこと,⑤その他,本件当時の自己の心情に関する
部分は,通り一遍の表現に止まっている点が多々あることが認められる。
 前記O検事の証言に照らすと,これらの心情に関する部分についても,被告人の
口から出た供述をまとめたという点に疑いはなく,全く根拠のないものであると
か,作文であるなどとは考えにくい。そうであれば,検察官調書については,客観
的事実及び被告人の内心双方について,信用性を認めることができるというべきで
あり,この点に関する原判決の説示も相当であるということができる。
 (10) そうすると,被告人が原審において供述している点,すなわち,被告人に
おいて,O検事が被告人に対して,Bの法廷には出廷することがない旨誓約したた
め,被告人がこれに応じて検察官調書の作成に応じたということや,自分の心情と
は異なる調書録取をされたなどという点には,客観的な事実と異なる点があると言
わざるを得ないが,以下の点にかんがみると,これが被告人の虚偽供述であると
は,必ずしも言い切れないものである。
 すなわち,O検事の証言によれば,被告人は自分の記憶のままに供述したと思わ
れ,嘘を言っているなどとは思えなかったが,被告人は心境を語るのに表現力が極
めて乏しく,調書作成の際には相当に困難であったというのである。これは,前記
検察官調書の内容,体裁からもうかがわれるところである。そうすると,捜査官と
しては,被告人の訥々とした供述を何とか理解可能な形にして録取しようと苦心し
たことは想像に難くなく,その過程で検察官なりに理解した言葉の形で反問するな
どしたことは容易に推測できる。一方で被告人としては,何がきっかけであったか
は不明であるが,ある段階から事実については供述しなければならないと考えを固
めたものと思われ,黙秘を破って供述を始め,途中までは強く抵抗を示していたB
の関与に関する供述も始めるに至った。この点については,O検事が警察官の暴行
に対する適切な対応や,教団に関する情報提供などをしてくれたことから,一種の
信頼感を抱いて供述を始めたものと推測することもできるし,自分なりに事実を語
ることに対する義務感を抱いたと推測することもできる。しかし,曖昧なことや自
分で分からないことを推測で述べるということは被告人にとって甚だ
困難なことであり,具体的客観的事実を語ることについてはまだしも,自分の当時
の心境について語ることは至難であったと思われる。それが時には「いろいろなこ
とが頭を駆けめぐった」などという言葉になり,その内容を説明することを求める
検察官との間で問答式調書が作成される結果となっているが,検察官が納得できな
いままに録取したと思われるこれらの曖昧な言葉は,被告人が自ら語った言葉を率
直に録取したと解することができる。一方,検察官は,時には具体的に言葉を挙げ
たり,具体的な質問を重ねるなどしてようやく形になった言葉を,調書に録取する
などしたこともあったと認められる。所論がサリンを散布する直前の電車に女性の
乗客がおり,辛い思いがしたなどという被告人の供述が,Hのそれと酷似している
と指摘している点などは,おそらく具体的な質問を積み重ね,その返答をまとめる
形で録取されたため,類似する結果になったのであろうと推測される。そうであれ
ば,このような調書作成の過程で,被告人が,自己の心境について作成された調書
部分について,検察官の言葉によってまとめられた供述が,必ずしも自分の心情を
的確に表現したものではないと感じられる個所があったとしても不思
議ではない。そうすると,検察官調書において,被告人が自らの心情を語っている
部分については,虚偽であるとか作文であるとか言う性質のものではなく,被告人
の表現力の限界と調書録取に内在する限界はあるものの,一応信用することができ
るものと理解するのが相当であるが,被告人が完全に納得するものでもないこと
は,これもまたやむを得ないことである。
また,Bの公判で証言したくないという点については,これに関して被告人が拒
否しているのに,O検事が調書を作成したことによって,被告人が拒否を受け入れ
てもらえたものと思った可能性が否定できない。このことは,原審公判において被
告人を尋問したR検事についても,被告人は同様に,同検事がBの公判で証言する
ことはない旨約束してくれたように思いこんでいたとしか解されない発言を公判廷
で行い,R検事がそのような約束をしたことがない旨反問すると,R検事の態度や
片言から,約束してくれたと受け取ったのに,それが裏切られたかのようなニュア
ンスの供述をしていることからもわずかに推測することができる。すなわち,被告
人にとって,Bの公判で証言するということは最も抵抗のあることで,何とかして
そのような事態は避けたいと強く考えていたことが認められる。そのような情況下
では,いかに検察官が慎重に言葉を選んで話したとしても,わずかなりとも自分の
拒否を受け入れてもらえたと受け取れる言葉や態度があれば,それにしがみつき,
検察官もそう約束してくれたと思い込みたい心情が働くことは否定できない。この
ように解すれば,O検事がBの公判証言について約束したなどという
客観的事実がないにもかかわらず,被告人がそのように解し,裏切られたとの心情
に至って,前記のような原審公判供述に及んだことが矛盾なく説明できるものであ
る。
 (11) 以上検討したとおり,前記検察官調書の任意性,信用性の点については,
結論としてこれを認めた原判決の認定は相当であって,以下の検討においても,こ
れを被告人の行った客観的行動やその際の心情を認定する上で,一応信用すべき証
拠として扱うことが相当であるといえる。しかし,その反面,被告人が原審公判に
おいてあえて虚偽の供述をしているという原判決の説示は必ずしも当を得たもので
はない。すなわち,警察官の暴行や被告人の負傷については,前記のとおりその疑
いが相当濃厚であるし,検察官の約束や心情録取の点についても,被告人なりの考
えからそのように感じ,考えた結果であるとする余地もあるのであって,あえて虚
偽を述べていると断ずることはできない。したがって,この点を量刑上不利益な事
情としている原判決の判断については,必ずしも首肯することはできない。
なお,仮に,警察官による暴行があり,被告人がそれにより苦痛を受けたとして
も,そのこと自体は量刑上考慮する余地があるが,死刑の選択を回避するに足りる
事情とまでは到底いえない。違法捜査により被告人が苦痛を受けた場合に,そのこ
とを全く量刑上の考慮の対象から外すことは,量刑事情の全般性や大きな意味での
公正さという点からして,相当でないが,その考慮の程度は,それ相応のものであ
って,量刑自体を大きく左右するような事情には一般的にならないというべきであ
る。本件では,前記のように,警察官による暴行自体を認定することまではできな
いが,被告人がこの点についてあえて虚偽を述べているとは断ずることができない
という限度でこれを考慮すれば足りるのであって,被告人が犯した重大な犯罪から
して,この点が被告人が本来負うべき責任を減軽させるに足りるものとはいえない
というべきである。
 5 被告人の本件各犯行に対する関与の程度,態様について
 以上を前提とした上で,被告人の本件各犯行に対する具体的な関与等について,
さらに検討する。
 (1) まず,地下鉄サリン事件については,被告人は,Cに呼ばれて,前記H,
I,J及びKと一緒にサリン散布の実行役を行うように指示されて,これを承諾
し,犯行の準備に寄与したほか,自ら丸ノ内線を走行する電車内でサリンを散布し
たものであって,前記のような重大凶悪な犯行の実行犯として,その責任は本件関
係者中でも格段に重いものであるといわなければならない。すなわち,被告人は,
Cに指示を受けて,逡巡しながらもこれを承諾し,その直後から,サリンを散布す
る具体的な方法を検討するにあたり,Cに,サリンを入れるのに適当な容器を探し
てくるように指示されて,Kと共に,適当と思われる容器に入った食品や,容器を
加工する道具を購入したり,Cが準備した容器に水を入れ,逆さにしてこぼす実験
を行うなど(被告人の検察官調書(乙1),証人尋問調書(乙22),K及びJの
原審証言等),犯行の準備段階から相当程度関与をしている。また,本件犯行の直
前には,最終的に被告人の送迎役となったSと同行して新宿駅及び四ッ谷駅の下見
をし,当日の行動計画を細かく立ててSに送迎時の指示をしたり,実際に新宿駅か
ら四ッ谷駅まで丸ノ内線に乗車してみるなど,被告人自ら周到な下調べを
しているものである。この時点までに,被告人は,本件が5人の実行犯によって通
勤時間帯の地下鉄車内に実行犯1人当たり約1リットルものサリンを散布するとい
う計画であることや,本件以前に,Bの説法を録音したカセットテープ,教団の出
版物の記載及びいわゆる松本サリン事件に関して教団内部で作成されたビラを見る
などして,サリンが兵器として使用され,人を死傷させる毒ガスの一種であると認
識していたこと(乙21),後述のとおり,被告人自身のサリンの吸入ができるだ
け少なくなるように,傘や靴を洗う場所を下見したり,洗浄用の水を用意したこ
と,その上でSに対し,自分が戻って来なかった場合のことを予測した指示を行う
などしていることからすると,所論にもかかわらず,被告人は本件犯行によって多
数の通勤客が死傷する結果となることを優に予測していたものと認められる。それ
にもかかわらず,被告人は,本件犯行当日,あらかじめサリン予防薬を服用し,か
つらや眼鏡を使用して通勤客を装い,新聞紙に包んだサリン入りの袋2つと袋を突
き刺すため先端を尖らせた傘を携行して,予定通り新宿駅から丸ノ内線に乗車し,
混雑に紛れてサリンの袋入りの新聞包みを足元に落とし,四ッ谷駅に到
着する直前に傘の先端で包みを突き刺し,袋が破れた手応えを感じながら傘の先端
を抜き去らずそのままにおき,降車直前になってから更に複数回包みを突き刺し
て,そのまま同駅で降車し,すぐに同駅の便所で傘の先端等に付着したサリンを洗
い流して,予定通り迎えに来たSの運転する自動車で逃走しており,自分やSがサ
リン中毒に罹患するのを極力防止しながらも,犯行の実現に向けた的確な行動を取
っている。その結果,被告人の乗車した路線においては,訴因変更分に限っても,
4名の乗客に対し,加療約60日ないし37日に及ぶサリン中毒の傷害を負わせて
いるものである。このように,被告人が本件犯行において果たした役割は非常に重
大なものであるといえる。
 (2) 次に,自動小銃製造事件について検討するに,被告人は,小銃製造の責任者
としてBから指名を受け,随時B,Cらの指示を仰ぎながら,自らの持つ機械製作
の知識,経験を利用して,設計図の作成,材料の選定,外注すべき部品と内部で製
作する部品の振り分け,製法の決定など,小銃製造の重要な部分を自ら担当し,後
にBから指名されたK,Jらと共に,多数の信者を指揮して,文字通り寝食を忘れ
て小銃製造に没頭し,本件に及んだものであって,本件において被告人が果たした
役割は甚だ重要なものである。また,被告人は,警察の強制捜査が入ることを恐れ
て,小銃部品の一部を隠匿するなどもしており,本件の犯情は悪質であるといわざ
るを得ない。
 6 被告人が本件犯行に及んだ経緯,動機及び犯行への反対動機形成可能性につ
いて(いわゆるマインド・コントロールに関する所論を含む)
 (1) 被告人の身上,経歴,教団入信及び出家に至る経緯
 被告人は,本籍地において地方公務員である父と母の間に二男として出生し,両
親,兄及び祖母のいる家庭で特段の問題もなく生育した。昭和61年3月に丙工学
部応用物理学科を卒業した後は,群馬県佐波郡所在の丁株式会社群馬工場に就職し
て,電話やファックス等の接続部品を製造する機械の製作を担当していた。被告人
は,その当時,会社に何の不満もなかったものの,例えば自分の考案した機械を導
入した会社ではコスト削減等ができる一方で,従来の機械を使用していた従業員の
人員削減が行われることなどを考えて,漠然と生きることに対する虚しさを感じて
いたところ,昭和63年2月ころ,Bの著作「マハーヤーナ・スートラ」を読んで
感銘を受け,真理を追究することこそが自分の生き甲斐であると感じるようにな
り,わずか1週間ほどで教団に入信する決意を固めた旨供述している。被告人は,
間もなく教団に入信し,会社勤務のかたわら,毎週土曜日には群馬県から東京都世
田谷区にあった教団の東京本部に通うようになり,入信から約1年足らずで出家修
行者になる決意を固めて,平成元年2月には会社を退職して実家に戻り,同年5月
には教団からの連絡を受けて出家した。被告人はそれ以後,静岡県所在
の教団富士山総本部,熊本県戊所在の教団施設等でいわゆるワークに従事した後,
前記清流精舎に移り,当時所属していた同教団「真理科学研究所」(後の科学技術
省)長官であったCの下で,前記のとおり自動小銃製造に従事しており,その間に
Cから地下鉄サリン事件の実行犯となるよう指示を受けて,本件各犯行に至ったも
のである。また,被告人には前科はない。
 所論のいうように,教団に入信する前の被告人は,犯罪と無関係な生活を送って
いたことは明らかである。被告人は検察官調書及び原審公判等において,自らの性
格や嗜好等について語るところがほとんどないが,父親の原審証言によれば,被告
人は消極的な性格であるが,好きなことには熱中し,友人とも深く長い付き合いを
するタイプであった,幼少のころから絵を描くことを好み,小学校の頃は剣道に打
ち込んでいたというのであって,大学を卒業してからも,大手企業に入社し,客観
的には順調な社会生活を送っていたものであり,反社会的な傾向はうかがえない。
ところで被告人は,前記Bの著作を読む以前には宗教に対して興味関心を持つこと
もなかったというのであるが,Bの著作を読んでわずか1週間で教団への入信を決
意し,入信してわずか1年余りで出家を志して職を捨て,それから3か月余りで出
家を実行したものであり,このことからは,被告人が短期間のうちに,これまで積
み上げてきた社会生活や人間関係を捨てる決意に至るほど,教団に急速に傾倒を深
めたことが見て取れる。この間の心境について被告人が語るところはごくわずかで
あり,抽象的なものであるが,所論のいうように,きまじめな被告人
が人生や社会に対する若者ならではの悩みや疑問を抱き,Bの著作を契機に,教団
にその答えが見いだせると考えて入信し,教団における活動を通じて前記の考えが
確信に高められ,出家を敢行したものであったと考えても,あながち見当外れであ
るなどとは思われない。
 (2) 被告人が入信した平成元年当時の教団には,未だ反社会的な活動状況はうか
がえず,被告人自身はもっぱら自己の解脱を目指して入信し,修業に打ち込んでい
たことがうかがわれる。その一方で,教団自体は,平成2年の国政選挙に立候補し
たBらが落選した頃を境に,前記のとおり「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義に
基づいて急速に武装化の動きを強めていたものである。
 所論は,被告人はこのような教団の武装化とは無関係に,解脱を目指して修業し
ていたものであるという。所論のとおり,被告人がこのような教団内部の方向転換
や意思決定に何らかの関与をしていたと認められる証拠はなく,基本的には,武装
化以前と同様,与えられたワークや修行に黙々と打ち込む生活に大きな変化はなか
ったものであって,被告人が解脱を第一の目的としてこのような生活を続けていた
ことに特段疑問とすべき点はない。このことは,教団内部における被告人を知る者
が,異口同音に,被告人について「自分に与えられた作業を黙々とやる,非常に誠
実で実直な先輩」(Jの原審証言)「明るくて話しやすい,紳士的な穏やかな感じ
の人,ワークには黙々と努力するタイプ」(Kの原審証言)「真面目で責任感が強
く,不平不満を言わない,頼れる存在」(Tの当審証言)などと供述しており,被
告人は,出家して以来一貫して他人に対しては穏やかで寛容に接しながら,自分の
修行については極めて厳しく打ち込み,それに対して何ら弱音を吐いたり,不平を
漏らしたりすることがないという人物と受け取られており,これと異なる受け止め
方や,教団の変容に伴う被告人の大きな変化を感じている者が見当た
らず,むしろ本件直前ころには,一層ワークに打ち込む態度が強くなったと受け取
られていることからも裏付けられている。
 しかしながら,関係証拠によれば,平成4年頃には,自動小銃大量製造の構想が
既にあり,Bの命を受けたC及びUらが準備を進め,被告人自身は平成5年3月上
旬ころに,C及びUからAK74をモデルにした自動小銃1000丁を製造するよ
うに指示を受けてからは,シークレットワークとしてこれに打ち込み,心血を注い
でいたものであって,被告人自身の与えられたワーク自体が正に教団武装化の一端
を担うものであったことは明らかである。被告人自身,Bの説くハルマゲドンに備
えたものであると理解していた旨供述していることからしても,被告人が教団武装
化の流れと全く無縁であったかのような所論は当を得ない。
 (3) 所論は,このように,元来犯罪的な傾向が認められず,自己の解脱を目指し
ていたはずの被告人が,なぜかくも反社会的な本件各犯行に及ぶに至ったかについ
て,以下のとおり主張するので検討する。
 すなわち,前記のように,出家後の被告人の生活は,与えられたワークの他,教
団の修業システムに従った修業を黙々と行い,睡眠や食事についても辛うじて生存
に必要な程度に抑えられた異常なものであったが,被告人は,修業による解脱と悟
りを得るという目的のみでただ黙々と受け入れていたものである。被告人が逮捕,
勾留後に大幅な体調の悪化を来したのは,このような生活が原因であると思われる
ところ,このような状況が長期にわたって続けば,精神状態にも大きく影響し,社
会一般の通常の人間の思考過程は欠落し,正常な判断能力など失われていたであろ
うことは容易に認識される。さらに教団では,グルであるBへの帰依が解脱への道
であると説き,グルとの1対1の関係にひたることを強調することによっても,信
者の判断能力の喪失が容易に実現する仕組みになっていた。もともと解脱や悟りに
しか関心のなかった被告人は,専ら入信時の神秘体験や衝撃的な体験を信じ,解脱
と悟りを目指してワークに明け暮れていたのであり,教団やBに対して疑問を差し
挟むきっかけにすら出会うチャンスはなかった。このように被告人の正常な判断力
が相当程度麻痺していた中で,Cを通じてBから名指しで自動小銃製
造の指示を受けて以降は,このワークに文字通り没頭し,ほとんど自室に閉じこも
り誰とも会わず,話もせず,睡眠もほとんど取らず,食事も気が向いた時にだけ取
り,気絶するように無意識的に作業場に突っ伏して眠るという,客観的には極めて
過酷な生活状況が続いていた。このような中では,Bの指示の目的などを疑問とし
て持つすべもなく,違法状態に加担しているということを突き詰めて考えるという
心理状態にはなかった。被告人は,マハームドラーという修業の存在は知っていた
が,自動小銃の製造がそれであるという明確な理解に立っていたわけではない。ま
た,被告人は,科学技術省次官という立場ではあったが,教団内部で武装化,組織
化が進み,タントラ・ヴァジラヤーナが強調されて,教団自体が質的に変化して違
法行為を重ねていたことについては知るよしもなく,むしろ教団が毒ガス攻撃を受
けているという情報を真に受けていたものであって,その意味では被告人が教団の
違法行為を知りながらこれに加担した教団幹部であるとか,Bの教義の誤りに気付
く機会もありながらこれに目を背けたなどというのは,被告人には当てはまらない
ものである,というのである。
 その上で所論は,原審で取り調べられた社会心理学者Vの意見書(弁10),東
京地方裁判所における被告人Wの第30回公判における同Vの証人尋問調書(弁
9),同人の原審証言及び著書(弁7,8)(以下,これらの見解を総称して「V
意見」という。)によれば,被告人の前記のような状況はマインド・コントロール
と呼ばれる心理拘束の理論に沿うものとして説明が可能であるという。
 すなわち,マインド・コントロールとは,他者が自らの組織が抱く目的成就のた
めに,本人が他者から影響を受けていることを知覚しない間に,一時的あるいは永
続的に,個人の精神過程や行動に影響を及ぼし操作することである。これは,従来
心理学的に確かめられてきた対人的心理拘束力のシステムを総称する概念として一
般的に呼ばれているものであり,「破壊的カルト」と呼ばれる反社会的な活動を行
う熱狂的な組織集団が,新メンバー獲得及び集団維持,強化のために応用する心理
学的拘束のシステムと言い換えることもできる。この影響力は,個人の意志決定を
ある計画に沿った方向に誘導し,強力に作用した場合には,自己破壊的行動や社会
的規範を著しく逸脱するような判断や行動さえも辞さなくなる。マインド・コント
ロール問題の本質は,知性もあり精神的にも異常でない個人が,明白な物理的強制
を受けておらず,あたかも自由な状況で意思判断し自己決定しているように見える
点にあり,個人要因よりも環境要因の操作に力点が置かれている,その手段として
は①自由拘束(単調な生活と情報の統制),②異性感情の抑制など自然な欲求の否
定,③肉体疲労,④罰と報酬,⑤切迫感の操作,⑥外敵回避等の心理
的拘束が用いられる。
教団においては,何より解脱を求め,生きている間にできるだけ高い霊的なステ
ージを獲得することが求められており,そのためには教団のカリキュラムに従った
徹底的な修行を積むこと,Bからの放出エネルギーを受けることが必要であり,そ
うして初めて解脱の境地に達することが可能とされていた。また,解脱は個人の問
題にとどまらず,人々を救済するためには煩悩から解放された人々を多くしなけれ
ばならない,死後には転生があり,煩悩にまみれたまま死ぬと低い魂しか持たない
存在として生まれ変わるなどという教義を前提として,信者は徹底した修行と教団
への勧誘,維持の活動を行っており,それが功徳を積む行為とされる一方,神々の
意思は最終解脱に至った者(B)だけが知ることができる存在と信じ込まされてい
た。そして,信者はこのような高邁な権威によって自我を膨張させる一方で,教団
に理解を示さない者を愚かで哀れな対象とみなすようになる。Bの説いたハルマゲ
ドンの予言は,きたるべき世界の破滅に対して,教団こそがそれを救済し得るとい
うものであるが,時間が切迫しているという感覚をも信者に対して植え付けさせる
ことにより,信者らは唯一救われる途であるとして示されている徹底
した修行とワークに無意識的に誘導され,それを多面的に内省する機会すら奪われ
ていた。また,修行の厳しさも想像を絶するものであったが,このような状態にお
かれると「認知的不協和理論に基づく不十分な正当化現象」によって,辛ければ辛
いほどなおさら修行に打ち込むという心理システムに陥る。そしてこのような努力
を重ねた者に与えられる「イニシエーション」によって,Bの権威が高められ,同
時にその際の神秘的な体験や,Bがそれを言い当てるなどの経緯を経て,Bに絶対
的に服従していく。更に,教義を徹底してたたき込まれ,瞑想や記憶学習を繰り返
し行うことで,特定の記憶や思考を呼び起こさせやすい状態になり,記憶の中で検
索できる情報が限定され,意思方法が偏向する。そして最終的には意図せずに情報
の内容を受容するようになる,そうなるといかなる思考も既に受容された情報との
関連で自動的に処理されるようになり,Bの指示や教団の教義を反射的に用いて自
己決定し,行動を規定するようになる一方で,それと無関係な個人的思考はきわめ
て困難になる。その上でBから課せられる「マハームドラー」の修行により,一見
して理不尽かつ無理難題と思われる課題をも,最終解脱者の指示であ
るということから,たとえ疑念を抱いても直ちに思考停止の機能が働き,いかなる
反社会的な指示であっても実行するという規制が働く。教団においては,前記の心
理的拘束に用いられる様々の手段を駆使して,前記のようなマインド・コントロー
ルの状態を作り出していたものである。
 これを被告人に即して見ると,被告人は人一倍解脱への途を希求し,Bの説く教
義に強く共鳴しており,前記のような厳しい修行や異常なまでに極限的な生活にお
いても,充足感,幸福感すら抱いていたものであるが,これは激しく強い心理的拘
束によるものにほかならない。被告人は元来のきまじめな性格からストレートに洗
脳されたものと考えられ,違法行為に関する情報源も極めて限られていたことから
すると,たとえ他の信者の中には教団の欺瞞性に気づいた者がいたとしても,被告
人に限っては,違法行為に加担することを拒否する心理的規制は働かなかったもの
とみるのが相当であり,この点は死刑に処するのが相当か否かの判断にあたって最
大限考慮されるべき点である,というのである。
 (4) V意見が述べるところは,マインド・コントロールの一般的理解及び教団に
おけるその実態を解明する上で,心理学的見地から合理的かつ明快な分析がされて
おり,関係証拠から認められる教団内部における信者の行動や心理状態について,
このように理解すると納得のいく点が多々あり,よく符合しているものといえ,心
理的規制を説明する概念としては正しい見方を含んでいると認められる。そして,
甚だ乏しいものではあるが,前記のような出家前後に及ぶ被告人像及び教団内部に
おける被告人の行動,生活振りを照らし合わせて見た場合,被告人が前記のような
心理規制の影響下で本件各犯行に及んだものであるとする所論は,犯行前の被告人
が犯罪と全く無縁な解脱のみを目指していたはずであったにもかかわらず,なぜ本
件のような反社会性,悪質性の極めて高い犯行に及んでしまったのか,そのメカニ
ズムについて無理なく説明しているものと一応評価することができる。
 (5) しかしながら,V意見は,マインド・コントロールが強度になった際には,
通常精神医学でいわれる心神喪失(耗弱)と現象的には類似の結果になるとは述べ
ているものの,いわゆる精神病とは質的に異なるものであるとも指摘している上,
完全に人を動かすことができるというものではなく,その程度や自己決定の範囲等
について必ずしも明確にできるものではないというのである。この点について,当
審で取り調べた証人Xは,カルト教団に入った者の人格を「ゆで卵の殻が本来の人
格であるゆで卵の中身の上にかぶさった」と表現しており,本来の人格が失われた
というものではなく,その上に殻がかぶった状態である旨表現している。すなわ
ち,マインド・コントロールの理論とは,責任能力に即直結するものではなく,元
来,常識的に考えれば精神的な障害があるわけでもない一般人が,一定の閉鎖的な
集団において特定の心理的拘束状態におかれた際,権威者とされる者が指示したこ
とには,一見して不合理と思われるものであっても,それを承知しつつ自らの判断
を喪失したかのようにして唯々諾々と従うという現象が生じるが,このような現象
を心理学の立場からどのように解釈すべきか,というものである。そう
すると,例えば年齢的に幼い者が,抵抗できないような情況下において,他から強
制的に強い心理的拘束を加えられ,その影響が大きいというような限界的な場合に
おいては,行動制御能力に影響が及ぶ可能性を否定しきれないとしても,少なくと
も本件のように,知的に何の問題も認められない成人が,自らの選択で教団に入信
し,出家し,修行の途を選ぶ中で,次第に心理的拘束にはまっていくような事案に
おいては,結果的にマインド・コントロール様の状態に立ち至り,その影響が相当
に強く認められる事案といえども,結局のところは自己責任に帰するべき点が多分
にあるといわざるを得ない。
 (6) すなわち,本件において,教団に入信し,出家の途を選んだのは,あくまで
被告人自身の判断によるものである。本件において被告人が教団に入信したのは,
前記のように,年齢的には20代半ばにさしかかり,大学を卒業して就職し,社会
人としての経験もそれなりに積みつつあった時期であり,被告人にとってのきっか
けが何であったかは必ずしもはっきりしないものの,急速に教団に傾倒して出家に
至っている。このことは,被告人のように知的な能力においても,社会における地
位においても,これまでの生育歴から当然身につけていると考えられる社会常識や
規範意識の点においても,特段問題を認められないばかりか,むしろ通常よりも恵
まれているかのように思われる者にしては,あまりにも無防備で短慮とすらいえる
ような行動である。所論のいうとおり,被告人がきまじめで純粋であることから,
教団の描く世界観や真理の追究を至上命題とするかのような教義に接した際に,こ
れこそが自分の求めていた世界であると全く疑うことなく信じ込んでしまったとい
うことであろうし,だからこそ教団に入信した後の被告人が,言われるままに人一
倍修行やワークに打ち込み,没頭していったということでもあろう。
被告人には,教団内での地位,権力の向上という契機は薄く,むしろ解脱につなが
る修行そのものに生き甲斐を感じていたという所論の指摘はその限りで妥当であ
る。しかし,被告人は多くを語らないが,教団に入信してから課せられたさまざま
のワークや修行は一定の過程を踏んで行われるものであることからすると,被告人
が所論のいう心理的拘束を強く受ける状態に少しずつ踏み込んでいく過程で,次第
に他者に全く依存し,自分の判断や決定の場を奪われていくものであることに気づ
く機会が全くなかったものとは思われない。例えば,自動小銃製造のワークに入る
以前にも,手伝い的に入ったワークの場や,銃の試射に参加した経験などから,教
団が化学物質の生成や銃に関心を抱いていることを知る機会はあったと思われる。
それにもかかわらず被告人はこれらの事情に目をつぶるかのようにして,終始自ら
を目の前のワークや修行以外は何も見ないようにしてきたものと考えざるを得ず,
その意味では「理想的な信者」であったのではあろうが,無防備に自ら教団におい
て生きる道を選択し,教団の武装化を示す情報や兆候には目をつぶるようにして教
団内部での活動に没頭し続けたことは,結局被告人の自己責任に帰する
ものであるといわざるを得ない。被告人が地下鉄サリン事件に関与した段階におい
ては,マインド・コントロール様の影響が相当に強いものであったことは否定でき
ないが,それでもなお無差別殺人という,人倫において究極の悪に加担することを
求められた際には,被告人の必ずしも十分とはいえない表現によっても「いろいろ
なことが頭をかけめぐり」返答できなくなったり,「何ともいえない辛い気持ち」
になったなど,良心の呵責,罪障感,躊躇などをうかがわせる思いがあったことは
被告人も認めているものである。これら被告人の本来の人格から来ると思われる抑
止力にいささかでも耳を傾けることができれば,地下鉄サリン事件に加担するよう
な事態もあるいは回避できたのではないかと思われる。それにもかかわらず,被告
人はあえてその心情を封殺し,自分の意識にも上らせないようにして実行行為を敢
行したものである。被告人は,犯行後Bのところへ報告に行った際,マントラを唱
えるように言われた旨供述しており,原判決はこれについて被害者を愚弄するもの
であると厳しく指弾しているが,これも見方を変えると被告人らの動揺や罪の意識
を感じ取ったBの巧妙な指示であると見る余地もあるのであって,自
分自身でその心情に気づく機会がなかったものとは考え難い。
(7)このように考えてくると,被告人が本件犯行当時マインド・コントロールを
受けた状態にあったとしても,前記のように,これを量刑上過大視することは正当
でない。特に,この点が死刑を回避すべき量刑事情となるかは慎重に検討する必要
がある。
まず,前記のように,マインド・コントロールを受けていたことは,「精神の障
害」とはいえず,責任能力に関連する領域の問題ではないというべきであるから,
心神耗弱に至らなくとも,責任能力がそれに近接して減弱している場合には,量刑
判断として,死刑を回避する事情になり得るのとは,同列に考えることはできな
い。
次に,死刑を国民の規範意識の安定化を内容とするいわゆる積極的一般予防の観
点からみた場合,マインド・コントロールの下に犯される社会に対する凶悪犯罪に
ついて,マインド・コントロールがあるからこそかかる組織的で大規模な凶悪犯罪
の遂行がより一層可能になるという側面があるから,死刑に処すべきところを,そ
れを理由に死刑を回避していたのでは,かかる凶悪犯罪を防圧することはできず,
社会がその危険にさらされた状態を防ぐことはできない。そして,国民一般に対し
て法により自らの安全が保たれているという信頼を確保するためには,かかるマイ
ンド・コントロール集団による凶悪犯罪に対して,裁判所として明確な態度を示す
ことが肝要である。
かくして,被告人について,マインド・コントロールを理由に死刑を回避するこ
とは許されないという結論になる。
 7 被告人の現在の心情について
 前記のとおり,被告人は,当審において被告人質問の機会を重ねたにもかかわら
ず,黙秘を貫き,本件各犯行に関する事項はもとより,現在の心情等についても,
ついに供述しようとはしなかった。
 所論は,被告人のこのような態度について,被告人は未だにBに対する敵愾心を
持つまでに至っていないが,脱会の意思を表示するとか,発言するとかいう形では
出てこない被告人の内心の悲しみ,悔悟の情に思いを致すべきであり,必ずしも改
しゅんの情がないからというふうに判断すべきではないし,被告人が現段階でどの
ような謝罪の言葉を述べようとも,これだけの重大,悪質な犯行について多数の被
害者に対する謝罪や供養にはならないのは自明のことであるから,むしろ,被告人
の態度は無言のうちに被害者に対する供養を行っているものと解するべきである,
という。
 当審で取り調べた証人3名,すなわち,教団において被告人と共に過ごした経験
のあるT,被告人の母親Y及び勾留中の被告人と2度にわたり接見した神学者X
は,それぞれの立場から被告人の現在の心情を推し量って証言しているが,異口同
音に,被告人が当審で沈黙を続けていることについて,せめて法廷で現在の心情の
一端でも語って欲しいと願い,それが現在被告人にできる被害者への償いであると
も共通して述べてはいるものの,その一方で被告人が内心では自らの犯した罪の重
大さを強く自覚し,深い反省と悔悟,被害者に対する謝罪の心情を持ちながら,法
廷でそれを口にすることができない,むしろ口にすることは,もはや虚しいもので
あるとの諦念を抱きつつ,せめて原始仏教を学び直し,修業に打ち込むことが被告
人なりに今できる償いなのであろうと解している。
 今は何も語ることのない被告人の現在の心情を推し量ることは甚だ困難である
が,幼少時から被告人を慈しみ育て,本件各犯行に被告人が関与したことについて
深く苦しみ悩みながらなお被告人を心配する母親,現在も教団に属しつつ,Bの教
義の欺瞞性に悩みを深めながらも自らの道を探るT証人,いわゆるカルト教団から
の脱会に長年取り組み,神学に関する造詣が深く,かつ,わずかな機会ではあるも
のの直接被告人に接してその心情に触れる会話を交わしたX証人ら,被告人の心情
を酌める立場にある者が揃って上記のような証言をしていることは,それが被告人
の真意に近いものであるからであるとも考えられなくはない。また,前に検討した
被告人の捜査段階及び原審公判における供述態度を見ると,所論のいうように,被
告人は,捜査段階において,O検事に真実を語らなければならないとの思いから訥
々と事実関係を供述していたものの,自己の心情に関する調書作成の過程で違和感
を抱いていたこともあり,原審公判において自己の供述が理解してもらえないこと
からの絶望から諦めに至り,ある時から口をつぐんでしまったものであるというの
も,必ずしも首肯できないものでもない。そうすると,現段階における
被告人の態度が,反省悔悟の情を欠如しているためであるとか,未だに教団やBに
対する帰依が深い証であるなどと即断することにも躊躇を覚えるものである。
 しかし,当審で取り調べた証人3名が,何を根拠にして被告人の心中を前記のよ
うに察しているのかについては,必ずしも具体的ではない。X証人は,被告人の心
中に悔悟の心情があることは,原審公判において被告人が「そのことは口では言い
ようがないくらいです」という意味のことを何度も述べていることからもうかがえ
るという。被告人のこれらの必ずしも十分でない言葉が,被告人なりの良心の呵責
や葛藤,重大な結果に対する悔悟を表現しようとしていると解することはできる
が,それ以上に,現在の被告人に深い反省悔悟の情が認められるとか,教団やBに
対する帰依を脱したなど,通常であれば量刑上の重要な要因となるべき点につい
て,本件における証拠上認めるのは困難である。所論が量刑について比較する,一
審で無期懲役刑を宣告されたH(確定)及びD(控訴中)については,もとより基
礎となる事実関係において大きく異なることから,単純に量刑のみを比較するのは
妥当ではないが,少なくとも反省の念を表すばかりでなく,事件の解明に大きく寄
与したことや,他の教団信者に対して脱会につながる影響力を見せたことなど,犯
行後のものとはいえ,積極的に酌むべき情状が認められる点においては,
被告人とは相違があるものといわざるを得ない。所論のような判断は下すことはで
きない。
 X証人は,被告人は現在「死の準備」をしていると考えられる旨証言し,原審で
峻厳な判決を受けた被告人が従容としてその事実をも受け入れているとの見解を述
べる一方で,被告人を含めて人は生きている限り変わっていく可能性があるのだか
ら,教団でまとった別の人格の殻を破り捨てて成長した際には,自らを語る可能性
も十分ある,という。沈黙を続ける現在の被告人が,教団で培われた人格の殻,又
は長期間の勾留中に何らかの理由で自らまとった殻にまだ覆われた状態にあること
は事実であろうが,現段階においても,被告人が他からの働きかけを全く拒んでい
るわけでもなく,自分自身で新たに勉強したり思考したりしている様子もうかがわ
れることからすると,今後教団に入信する以前の自分を取り戻すか,又は教団で培
われた別の人格を脱ぎ捨てて更に成長した人格を形成していく可能性があること自
体は否定できない。そうすると,被告人がもはや改善矯正が不可能な状態に至って
いるとまでは,必ずしも断じ難いものがあると考えられる。
ところで,改善矯正の可能性自体は,死刑という改善矯正の余地を認めない冷厳
な刑罰においても,その選択において考慮すべき一事情であることは,これまでの
裁判例の示すとおりである。
しかし,その量刑全体において占める位置は,相対的なもので,量刑の基本をな
す犯罪行為自体に関する狭義の情状により定まる量刑の大枠の中で考慮されるにす
ぎず,既に検討したように,高度に組織的に計画された同時多発的な無差別殺人の
実行行為を被告人が担当し,その結果も合計12名の死亡者を出すなどの深刻かつ
重大なものであるなどという,犯罪行為・結果の悪質性,重大性が本件の量刑を決
するに当たって圧倒的な比重を占めることは明らかであって,そのような中で改善
更生の可能性のような主観的事情を重視して死刑を回避することは相当でないとい
うべきである。特別予防を拒否する死刑の選択において,この点だけを理由として
死刑を回避することはできないというべきである。
8 その他酌むべき事情として所論が論及している点について
 (1) 被告人は,教団において主に自動小銃製造のワークに取り組んでおり,それ
以外の活動については化学物質製造の手伝いに多少関与した程度であるところ,C
から呼び出しを受けて地下鉄サリン事件の実行犯に突然指名されたことから,同事
件の実行犯として関与するに至ったものである。X証人は,被告人は実行犯の中で
も最も受け身の対応をしており,心のゆとりも用意もなく,あれよあれよという間
に巻き込まれたものであろうとの推論を述べているが,Cに呼び出されてから地下
鉄サリン事件の実行に至るまでは,比較的短期間のうちにあわただしく犯行の準備
がされ,被告人はその都度命令されたことを忠実に行っていたことからすると,こ
の推論は必ずしも的はずれなものとは思われない。そして,被告人は菩師長補の地
位にあって,間もなく昇格することを見込まれていたのみならず,科学技術省次官
の地位にあった者ではあるが,一連の教団が関与した事件について,教団内での高
い地位を得ていた者らが,ほぼ例外なく人の殺傷を伴う複数の事件に関与している
ことと対比すると,他の信者らを巻き込んで多数の事件に関与したものでもなく,
人の殺傷を伴う事案に関しては,単にCからの指示に従って地下鉄サ
リン事件にのみ関与したものであることが認められる。この点は,当審で取り調べ
たものを含む他の信者の判決結果との比較にすぎないものではあるが,被告人の量
刑を判断する上では無視し得ない事情である。
 (2) 更に,被告人が地下鉄サリン事件において直接実行に関与した路線において
は,他の実行者が担当した路線とは異なり,公訴事実の範囲に限っても,サリン中
毒者4名は出たものの死者は1名も出ていないことは,所論も指摘し,原判決も認
定するとおり,量刑上しん酌すべき点である。所論は,この点については被告人が
結局サリンの袋を1袋しか突かなかったことと因果関係があるといわざるを得ない
ところ,被告人が結局1袋しか突かなかったという客観的事実は,極限状態におい
て被告人の本来の姿が本能的に現れたとしか説明できない,という。しかしなが
ら,この点については原判決が説示するように,被告人は,検察官調書において,
降車間際にサリン入りの袋を突き,もう少し穴を開けようと思って,あと2,3回
傘を突き立て穴が開いたものと思ったと供述しているのである。前述した被告人の
供述態度の分析に照らしてみても,被告人がこのような点についてあえて虚偽の供
述をしたり,自己の考えたことを誇大に供述したりするとは思われず,この供述は
被告人の当時の客観的な行動や考えをそのまま語っているものと考えざるを得な
い。そうすると,被告人が結果的にサリンの袋を1つしか突かなかったこ
とは,多分に偶然の結果であるとしか解しようがなく,所論の解釈は必ずしも当を
得たものとは思われない。そして,地下鉄サリン事件のように,組織的に計画され
た犯行において,複数の者が実行行為に当たる場合,各実行担当者の行った行為自
体から発生した結果がまちまちになることはまま生じ得ることではあるが,このよ
うな犯行においては,実行担当者がそれと意図して個別に結果を回避する行動に出
たなどと認められる場合であればともかく,実行行為者の意図しない偶然の事情に
よって,たまたまその実行行為者の行為からは重大な結果が発生しなかったとして
も,犯行計画全体から生じた結果の重大性を当該実行行為者に対しても負わせるこ
と自体は,やむを得ないことであって,被告人の担当した路線から死者が出なかっ
たことを量刑上過大に評価することはできないといわざるを得ず,この点について
は原判決の判示のとおりである。
一般的にみて,単独犯による殺人未遂罪について死刑を選択することは,いわゆ
る責任主義に反する余地があるといえよう。いうまでもなく,死という結果が生じ
ていないのに,死刑により犯人の生命を奪うのは,罪刑の均衡を欠くきらいがある
からである。
しかしながら,本件のような多数人を一挙に殺害する大規模な凶悪組織犯罪にお
いて,偶発的事情により,実行行為者の一人による犯行が殺害の目的を遂げなくと
も,他の実行行為者らの行為により多数の殺害の結果を実現した場合には,その結
果に対して共犯者として刑事責任を負うのはもちろんのこと,自分の行為によって
は偶々殺害に成功しなかったからといって,そのことだけで死刑を回避することは
できないというべきである。
そこで問われているのは,個々の実行行為者による犯罪結果の成否ではなく,実
行行為者が構成する組織による犯罪結果の成否であり,かかる組織自体の高度の犯
罪性に着目するときには,組織自体を処罰することはできないものの,死刑のもつ
前述した積極的一般予防の目的からして,実行行為者に対して個々の実現した結果
の如何を問わず,組織全体として実現した結果に対する責任を死刑という形で負わ
せることは,何ら不当なことではない。むしろ,偶々結果が出せなかった者につい
て,そのことだけで量刑を減軽し,死刑を回避するのは,実行の目的を遂げた者と
の関係で刑の不均衡を生じさせることにもなる。そして,かかる者を含めて実行行
為者全員を狭義の情状面では同等として扱うことが,組織による凶悪犯罪を防圧す
るために必要であるというべきであり,かかる量刑態度は何ら責任主義に反するも
のではない。
 9 結論
 以上の点について検討,説示してきたところからすれば,通勤時間帯の地下鉄車
両に5名の実行犯がサリンを散布し,合計12名もの何ものにも替え難い,かけが
えのない生命を奪うなどした上,変更された訴因に限っても14名に及ぶ重傷者を
出したという,我が国の犯罪史上に例を見ない極めて残虐,凶悪かつ非人道的な地
下鉄サリン事件の犯行に,実行犯として関わり,実際にサリンを散布する行為に出
たという被告人の罪は余りに重く,その刑事責任の重大であることは否定しようが
ないものというべきである。
 一方,前記に検討したように,被告人に反省の心情が認められるかという点,原
審以来の公判廷における供述態度をいかに理解するかという点などについては,原
審と判断を異にする点が認められ,これらはいずれも被告人にとって酌むべき事情
であるといえる。
 その他,自動小銃製造事件のうち,大量生産を企図したものは未遂に終わってい
ること,教団の犯罪被害者支援基金に300万円を寄付しているなど,被害者及び
同弁護団への謝罪を行い,被害弁償の申し入れをしていることなど,被告人にとっ
て酌むべき事情があることは,原判決が認定するとおりである。
 しかしながら,慎重に検討を重ねて被告人のためにしん酌すべき事情を最大限考
慮し,所論が主張する観点から被告人に対する量刑を再考し,本件に関与した他の
被告人の量刑の実情と対比しても,地下鉄サリン事件における被告人の責任はあま
りにも重大であり,前記の酌むべき事情によっても,その刑事責任の重さを覆して
無期懲役刑を選択するには未だ至らないといわざるを得ない。被告人に対しては,
死刑を選択するほかはないものと考える。
 死刑は,人間存在の根源である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であ
り,誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であって,その適用には特に慎重を
期すべきであることは,原審のみならず当裁判所においても,同様に考える。その
上に立って,本件の記録及び証拠物を精査し,選択すべき刑について熟考を重ねて
も,被告人を死刑に処することとした原判決の量刑は,誠にやむを得ないものであ
って,これが重きに過ぎて不当であるとはいえず,当裁判所においても,是認すべ
きものといわざるを得ない。
 論旨は理由がない。
 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,当審における訴訟費用につい
ては,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし,主
文のとおり判決する。
 平成15年6月10日
東京高等裁判所第9刑事部
       裁判長裁判官  原   田   國   男
  裁判官  大   島   隆   明
裁判官田邊三保子は填補のため署名押印できない。 
       裁判長裁判官  原   田   國   男

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