弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第二点ならびに上告人の上
告理由第一および第二について。
 原審の確定した事実によれば、訴外D製鉄株式会社は、その定款において、「鉄
鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業」を目的として定める会社である
が、同会社の代表取締役であつた被上告人両名は、昭和三五年三月一四日、同会社
を代表して、自由民主党に政治資金三五〇万円を寄附したものであるというにある
ところ、論旨は、要するに、右寄附が同会社の定款に定められた目的の範囲外の行
為であるから、同会社は、右のような寄附をする権利能力を有しない、というので
ある。
 会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、
目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、
その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包
含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的
遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく、行為の客観
的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである(最高裁昭和二四年
(オ)第六四号・同二七年二月一五日第二小法廷判決・民集六巻二号七七頁、同二
七年(オ)第一〇七五号・同三〇年一一月二九日第三小法廷判決・民集九巻一二号
一八八六頁参照)。
 ところで、会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるか
ら、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存す
ることはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人と
ひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単
位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ない
のであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、
会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要
請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。
そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすること
は、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値
と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もま
た、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災
害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力
などはまさにその適例であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程
度のかかる出捐をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属する
わけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、
したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株
主等の利益を害するおそれはないのである。
 以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法
は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであ
るが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待
することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているもの
というべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そし
て同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあ
り方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その
健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為と
して期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外
ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするも
のでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまた
その政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に
対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのよ
うな政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。上告人のその余の論
旨は、すべて独自の見解というほかなく、採用することができない。要するに、会
社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果た
すためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範
囲内の行為であるとするに妨げないのである。
 原判決は、右と見解を異にする点もあるが、本件政治資金の寄附がD製鉄株式会
社の定款の目的の範囲内の行為であるとした判断は、結局、相当であつて、原判決
に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第一点および上告人の上告
理由第四について。
 論旨は、要するに、株式会社の政治資金の寄附が、自然人である国民にのみ参政
権を認めた憲法に反し、したがつて、民法九〇条に反する行為であるという。
 憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたもの
であることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人た
る国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、
国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを
禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の
各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきである
から、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまた
は反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさ
にその自由の一環であり、会社によつてそれがなされた場合、政治の動向に影響を
与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき
憲法上の要請があるものではない。論旨は、会社が政党に寄附をすることは国民の
参政権の侵犯であるとするのであるが、政党への寄附は、事の性質上、国民個々の
選挙権その他の参政権の行使そのものに直接影響を及ぼすものではないばかりでな
く、政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはた
またま生ずる病理的現象に過ぎず、しかも、かかる非違行為を抑制するための制度
は厳として存在するのであつて、いずれにしても政治資金の寄附が、選挙権の自由
なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。会社が政治資金寄附の自由を有す
ることは既に説示したとおりであり、それが国民の政治意思の形成に作用すること
があつても、あながち異とするには足りないのである。所論は大企業による巨額の
寄附は金権政治の弊を産むべく、また、もし有力株主が外国人であるときは外国に
よる政治干渉となる危険もあり、さらに豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成す
るというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立
法政策にまつべきことであつて、憲法上は、公共の福祉に反しないかぎり、会社と
いえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得ず、これをもつて国民の参
政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない。
 以上説示したとおり、株式会社の政治資金の寄附はわが憲法に反するものではな
く、したがつて、そのような寄附が憲法に反することを前提として、民法九〇条に
違反するという論旨は、その前提を欠くものといわなければならない。原判決に所
論の違法はなく、論旨は採用しがたい。
 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第三点および上告人の上告
理由第三について。
 論旨は、要するに、被上告人らの本件政治資金の寄附は、商法二五四条ノ二に定
める取締役の忠実義務に違反するというのである。
 商法二五四条ノ二の規定は、同法二五四条三項民法六四四条に定める善管義務を
敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであつて、所論のように、通常の委任関
係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものとは解することができな
い。ところで、もし取締役が、その職務上の地位を利用し、自己または第三者の利
益のために、政治資金を寄附した場合には、いうまでもなく忠実義務に反するわけ
であるが、論旨は、被上告人らに、具体的にそのような利益をはかる意図があつた
とするわけではなく、一般に、この種の寄附は、国民個々が各人の政治的信条に基
づいてなすべきものであるという前提に立脚し、取締役が個人の立場で自ら出捐す
るのでなく、会社の機関として会社の資産から支出することは、結果において会社
の資産を自己のために費消したのと同断だというのである。会社が政治資金の寄附
をなしうることは、さきに説示したとおりであるから、そうである以上、取締役が
会社の機関としてその衝にあたることは、特段の事情のないかぎり、これをもつて
取締役たる地位を利用した、私益追及の行為だとすることのできないのはもちろん
である。論旨はさらに、およそ政党の資金は、その一部が不正不当に、もしくは無
益に、乱費されるおそれがあるにかかわらず、本件の寄附に際し、被上告人らはこ
の事実を知りながら敢て目をおおい使途を限定するなど防圧の対策を講じないまま、
漫然寄附をしたのであり、しかも、取締役会の審議すら経ていないのであつて、明
らかに忠実義務違反であるというのである。ところで、右のような忠実義務違反を
主張する場合にあつても、その挙証責任がその主張者の負担に帰すべきことは、一
般の義務違反の場合におけると同様であると解すべきところ、原審における上告人
の主張は、一般に、政治資金の寄附は定款に違反しかつ公序を紊すものであるとな
し、したがつて、その支出に任じた被上告人らは忠実義務に違反するものであると
いうにとどまるのであつて、被上告人らの具体的行為を云々するものではない。も
とより上告人はその点につき何ら立証するところがないのである。したがつて、論
旨指摘の事実は原審の認定しないところであるのみならず、所論のように、これを
公知の事実と目すべきものでないことも多言を要しないから、被上告人らの忠実義
務違反をいう論旨は前提を欠き、肯認することができない。いうまでもなく取締役
が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績
その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な
範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附を
なすがごときは取締役の忠実義務に違反するというべきであるが、原審の確定した
事実に即して判断するとき、D製鉄株式会社の資本金その他所論の当時における純
利益、株主配当金等の額を考慮にいれても、本件寄附が、右の合理的な範囲を越え
たものとすることはできないのである。
 以上のとおりであるから、被上告人らがした本件寄附が商法二五四条ノ二に定め
る取締役の忠実義務に違反しないとした原審の判断は、結局相当であつて、原判決
に所論の違法はなく、論旨はこの点についても採用することができない。
 上告人の上告理由第五について。
 所論は、原判決の違法をいうものではないから、論旨は、採用のかぎりでない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官入江俊郎、同長部謹吾、
同松田二郎、同岩田誠、同大隅健一郎の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主
文のとおり判決する。
 裁判官松田二郎の意見は、次のとおりである。
 本件は、いわゆるD製鉄株式会社の政治献金事件に関し、その株主である上告人
の提起した株主の代位訴訟(商法二六七条)に基づく訴であり、原審は、上告人の
請求を排斥した。私は、その結果をば正当と考えるものである。しかし、その理由
は、必ずしも多数意見と同様ではない。ただ、本件の一審判決以来、これに関する
多くの批評、論文が発表されていて、細別するときは、意見はきわめて区々である
といえよう。私の意見は、次のとおりである。
 (一) 多数意見は、まず、会社の権利能力について、次のごとくいうのである。
曰く「会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけである
が、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではな
く、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれ
に包含されるものと解するを相当とする」と。これは、用語上、多少の差異あるは
別として、当裁判所従来の判例のいうところと同趣旨であるといえよう。そして、
多数意見は、会社による政治資金の寄附について、曰く「会社による政治資金の寄
附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果すためになされたものと
認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとする
に妨げない」と。これによると、多数意見は、会社による政治献金を無制限に許容
するものでなく、「会社の社会的役割を果すためになされたものと認められるかぎ
り」との制限の下に、これを是認するものと一応解される。
 しかし、他面において、多数意見は、会社の行う政治献金が政党の健全な発展の
ための協力であることを強調するのである。曰く、「政党は議会制民主主義を支え
る不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も
有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなけ
ればならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、
社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様とし
ての政治資金の寄附についても例外ではないのである」(傍点は、私の附するとこ
ろである)と。そして、多数意見がこのように、会社による政治資金の寄附の根拠
を「会社の社会的実在」ということに置く以上、自然人もまた社会的実在たるから
には、両者は、この点において共通の面を有することとなろう。そして、私の見る
ところでは、多数意見は、この面を強調して会社と自然人とをパラレルに考えるも
ののごとく思われるのである。多数意見はいう。「会社は、自然人たる国民と同様、
国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由
を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり……」と。かく
て、多数意見は、会社による政治資金の寄附の自由を自然人の政治資金の寄附の自
由と同様に解するがごとく思われる。しかして、自然人が政治資金の寄附のためそ
の者の全財産を投入しても法的には何等とがむべきものを見ない以上、多数意見は、
会社による政治資金の寄附をきわめて広く承認するもののごとくさえ解されるので
ある。
 この点に関連して注目すべきは、政治献金についての取締役の責任について多数
意見のいうところである。多数意見はいう。「取締役が会社を代表して政治資金の
寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位およ
び寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内においてその金額等を
決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義
務に違反するものというべきである」と。思うに、取締役が会社を代表して政治献
金をするについて、多数意見のいう右の諸点を考慮すべきことは当然であろう。し
かしながら、多数意見が政治資金の寄附に関し、取締役に対し対会社関係において
右のごとき忠実義務に基づく厳格な制約を課するにかかわらず、会社自体のなす政
治献金について何等かかる制約の存在に言及しないのは、注目すべきことであろう。
そして、多数意見のいうところより判断すれば、あるいは多数意見は、会社自体の
なす政治資金の寄附については、取締役に課せられた制限とは必ずしも関係なく、
ただ、「定款所定の目的の範囲内」なるか否かの基準によつて、その寄附の有効無
効を決するとしているものとも思われる。しかし、判例上、会社の行為が定款所定
の目的の範囲外として無効とされたものを容易に見出し難い以上、多数意見による
ときは、会社による政治資金の寄附は、実際上、きわめて広く肯定され、あるいは、
これをほとんど無制限に近いまで肯定するに至る虞なしといえないのである。私と
しては、このような見解に対して疑を懐かざるを得ないのである。
 思うに、会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有するとの見解は、
民法四三条をその基礎とするものであるが、右法条は、わが国の民商法が立法の沿
革上、大陸法系に属するうちにあつて、いわば例外的に英米法に従い、そのいわゆ
る「法人の目的の範囲外の行為」(ultra Vires)の法理の流を汲むも
のとせられている。そして、もし、略言することが許されるならば、この法理は、
法人擬制説によるものであつて、法人はその目的として示されているところを越え
て行動するとき、それは効なしとするものといえよう。そこでは、「定款所定の目
的」と「権利能力」との間に、深い関連が認められているのである。もつとも、理
論的に考察するとき、「定款所定の目的の範囲」と「権利能力の範囲」とは、本来
別個の問題であるべきであるが、わが国の判例がかかる理論に泥むことなく、法人
は「定款所定の目的の範囲内」において「権利能力」を有するものとし、会社につ
いてはその目的の範囲をきわめて広く解することによつて、会社の権利能力を広範
囲に認めて来たことを、私は意味深く感じ、判例のこの態度に賛するものである。
判例法とは、かくのごとき形態の下に形成されて行くものであろう。そして、他の
法人に比して、会社についてその権利能力の範囲を特に広く認めるに至つたのは、
会社の営利性と取引の安全の要請に基づくものと解されるのである。
 思うに、法律上、会社は独立の人格を有し、社員の利益とは異るところの会社自
体―企業自体―の利益を有するものではあるが、営利法人である以上、会社は単に
会社自体の利益を図ることだけでは足りず、その得た利益を社員に分配することを
要するのである。株式会社について、株主の利益配当請求権が「固有権」とされて
いるのは、このことを示すのである。ここに、会社の特質が存在するのであつて、
いわば、会社は、本来はこのような営利目的遂行のための団体であり、そのため権
利能力を付与されたものといえよう。それは本来、政治団体でもなく、慈善団体で
もないのである。そして、会社が企業として活動をなすからには、その「面」にお
いて権利能力を広範囲に亘つて認めることが当然に要請される。けだし、これによ
つて、会社は、営利的活動を充分になし得るし、また、取引の安全を確保し得るか
らである。
 そして、近時、英米法上において ult a vires の法理を制限しま
たは廃止しようとする傾向を見、わが国において、学説上、会社につき「目的によ
る制限」を認めないものが抬頭しているのは、叙上のことに思を致すときは、容易
にこれを理解し得るのである(この点に関し、青木徹二博士が明治の末葉において
夙に民法四三条が会社に適用がないと主張されたことに対し、その慧眼を思うもの
である。もつとも、私が「目的の範囲」による制限を認めることは、既に述べたと
ころである)。
 そして、叙上の見地に立つて、わが国の判例を見るとき、近時のもののうちにさ
え、会社以外の法人、たとえば農業協同組合につき、金員貸付が「組合の目的の範
囲内に属しない」としたもの(最高裁判所昭和四〇年(オ)第三四八号同四一年四
月二六日判決、民集二〇巻四号八四九頁)を見るにかかわらず、会社については、
たとえば、大審院明治三七年五月一〇日判決が「営業科目ハ……定款ニ定メタルモ
ノニ外ナラサレハ取締役カ定款ニ反シ営業科目ニ属セサル行為ヲ為シタルトキハ会
社ハ之ニ関シ責任ヲ有セス」(民録一〇輯六三八頁)という趣旨を判示したなど、
きわめて旧時における二、三の判例を除外すれば、会社の行為をもつて定款所定の
目的の範囲外としたものを大審院並びに最高裁判所の判例中に見出し難いのである。
換言すれば、判例は、表面上、会社につき「定款所定の目的による制限」を掲げな
がら、実際問題としては、会社の行為につき、この制限を越えたものを認めなかつ
たことを示すものといえよう。これは、わが国の判例が会社については英米法上の
 ultra vires の制限撤廃に近い作用を夙に行つていたのである。
 しかし、会社に対してこのように広範囲の権利能力の認められるのは、前述のよ
うに、会社企業の営利的活動の自由、取引の安全の要請に基づくものである。した
がつて、会社といえどもしからざる面――ことに営利性と相容れざるものともいう
べき寄附――において、その権利能力の範囲を必ずしも広く認めるべき必要を見な
いものといえよう。私は、アメリカ法について知るところが少ないのではあるが、
そこでは、会社の寄附に関し、最初は、それが会社の利益のためになされた場合に
かぎり、その効力を認め、慈善のための理由だけの寄附は認められなかつたこと、
その寄附が会社事業に益し、または、従業員の健康、福祉を増進するためのもので
もあればこれを認めるに至つたこと、そして、次第に慈善事業のための寄附が広く
認められるに至つたとされることに興味を覚える。それは会社制度の発展に従い、
会社企業の行動が社会の各方面に影響することが大となるに伴つて、会社がある種
の寄附をすることが、いわば、その「社会的責任」として認められるに至つたもの
といい得よう。それは会社として義務を負担し得る範囲の拡大であり、この点で「
権利能力」の拡大といい得るにしても、しかし、それは、会社が本来の企業として
の性格に基づいて、広範囲に亘つて権利義務の主体たり得ることは、面を異にし、
これとは別個の法理に従うものであり、そこには自ら制約があるものと思うのであ
る。詳言すれば、会社の権利能力は企業としての営利的活動の面においては客観的、
抽象的に決せられ、その範囲も広いのに対し、然らざる面、ことに寄附を行う面に
おいては、会社の権利能力は個別的、具体的に決せられ、その範囲も狭小というべ
きであろう。そして、この後者について、会社は各個の具体的場合によつて「応分」
の寄附が認められるに過ぎないのである。この点に関し、商法を企業法とし、この
見地より会社法を考察したウイーラントが公共の目的や政治的プロパガンダなどの
ために、会社の利得を処分することは、営利会社の目的と合致しないとしてこれを
否定しながら、業務上通常の範囲に属すると認められる贈与は許容されるとし、ま
た、道義的、社会的義務の履行――たとえば、従業員や労働者のための年金や保険
の基金をつくること――のため会社の利得を用いることは許される旨(Karl 
Wieland,Handelsrecht,Bd.II,S.219)の主張を
しているのは、たとえ、彼の所説が既に旧時のものに属するにせよ、会社の営利性
と会社による寄附との関係の本質に言及したものとして、意味深く覚えるのである。
 私の解するところによれば、会社の行う寄附は、それが会社従業員の福祉のため、
会社所在の市町村の祭典のため、社会一般に対する慈善事業のため、あるいは、政
党のためなど、その対象を異にするによつて、各別に考察すべきものであり、その
間に段階的にニユアンスの差があるものと考える。そして、その寄附の有効無効は、
その寄附の相手方と会社との関係、その会社の規模、資産状態等諸般の事情によつ
て、会社の権利能力の範囲内に属するや否や決せられるものである。私は、この点
につき、多数意見――先に引用したところである――が、「会社は自然人たる国民
と同様国や政党の特定の政策を支持、推進または反対するなどの政治的行為をなす
自由を有するのである。政治資金の寄附も正にその自由の一環である」とし、会社
と自然人の行う政治資金の寄附を同様に解するごとくいうことに対して大なる疑を
持つ。けだし、自然人は、自己の有する全財産をある政党に寄附する自由があるに
しても、会社についてはこれと同様に論ずべきではないからである。
 もつとも、私の叙上の見解に対し、かかる見解を採るときは、会社による寄附が
「応分」なるか否かを具体的場合について決すべきこととなり、寄附の効力がきわ
めて不安定になるとの非難があるであろう。しかし、それは、従来、「正当の事由」
ということが、各場合の状況により具体的に判断されるに類するといえよう。そし
て、会社による寄附の効力は、新しく提起された問題であるが、やがて判例の積み
重ねによつてその基準が次第に明らかになつてゆくであろう(会社関係において画
一的基準が明らかでないことは、望ましいことではない。しかし、止むを得ない場
合には、かかることを生じるのである。たとえば、株式の引受または株金払込の欠
陥がある場合、それがいかなる程度のもののとき会社の設立無効を来すかは、具体
的に決める外はないのである)。そして、その献金が会社の権利能力の範囲外の行
為として無効と認められる場合でも、相手方の保護を全く欠くわけではない。何と
なれば、これを約した会社の代表取締役は、民法一一七条により相手方に対しその
責に任ずべきものだからである。かくて、叙上に照して多数意見を見るならば、そ
れは会社がその企業としての営利的活動の面において認められた広範囲の権利能力
をば、不当に会社の行う政治献金にまで拡大したもののごとく思われる。そして、
多数意見によるときは、会社の代表者が恣意的に当該会社としては不相応の巨額の
政治献金をしたときでも、それが有効となり、その事により会社の経営が危殆に陥
ることすら生じ得るであろう。かかることは、企業の維持の点よりしても、また、
社会的観点よりしても、寒心すべきはいうまでもないのである。
 (二) 会社による政治資金のための寄附の効力は、叙上のごとくである。しかし、
会社の代表者として政治資金のための寄附をした取締役の会社に対する責任は、別
個に考察すべき問題である。したがつて、会社の代表者として行なつたかかる寄附
が無効であり、会社が既にその出捐を了したときは、その取締役は、これにつき会
社に対して当然その責に任ずるが、たとえそのような寄附が会社の行為として対外
的に有効のときであつても、その寄附をした取締役の対会社の責任は生じ得るので
ある。これは、会社の権利能力の問題と取締役の対会社関係における善管義務、忠
実義務の問題とは、別個に考察されるべきものであるからである。たとえば、会社
の代表取締役が自己の個人的利益のため政治資金を寄附したところ、それが会社の
行為として有効と認められた場合において、かくのごときことを生じ得よう。
 (三) 今、叙上論じたところに照して本件をみるに、原審認定の事実関係の下で
は、被上告人らが訴外D製鉄株式会社の代表取締役として自由民主党に対してした
政治資金三五〇万円の本件寄附は、右会社の目的の範囲内の行為であり、かつ、取
締役の会社に対する善管義務、忠実義務の違反ともなり得ないものと解される。し
たがつて、訴外会社の株主たる上告人が株主の代位訴訟に基づき被上告人らに対し
て提起した訴につき、上告人の請求を棄却した原審の判断は正当であり、本件上告
は理由なきに帰するのである。
 裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同岩田誠は、裁判官松田二郎の意見に同調する。
 裁判官大隅健一郎の意見は、つぎのとおりである。
 私は、本判決の結論には異論はないが、多数意見が会社の権利能力について述べ
るところには、つぎの諸点において賛成することができない。
 (一) 多数意見は、会社の権利能力についても民法四三条の規定が類推適用され、
会社は定款によつて定まつた目的の範囲内においてのみ権利を有し義務を負う、と
する見解をとつている。これは、会社は、自然人と異なり、一定の目的を有する人
格者であるから、その目的の範囲内においてのみ権利義務の主体となりうるのが当
然であるのみならず、会社の社員は、会社財産が定款所定の目的のために利用され
ることを期待して出資するのであるから、その社員の利益を保護するためにも、会
社の権利能力を定款所定の目的の範囲内に限定する必要がある、という理由に基づ
くものではないかと推測される。しかしながら、会社の目的と権利能力との関係の
問題は、単に会社の法人たる性質から観念的、抽象的にのみ決するのは不適当であ
つて、会社の活動に関連のある諸利益を比較衡量して、これをいかに調整するのが
妥当であるか、の見地において決すべきものと考える。そして、このような見地に
おいて主として問題となるのは、会社財産が定款所定の目的のために使用されるこ
とを期待する社員の利益と、会社と取引関係に立つ第三者の利益である。
 おもうに、会社が現代の経済を担う中核的な存在として、その活動範囲はきわめ
て広汎にわたり、日常頻繁に大量の取引を行なつている実情のもとにおいては、そ
れぞれの会社の定款所定の目的は商業登記簿に登記されているとはいえ、会社と取
引する第三者が、その取引に当たり、一々その取引が当該会社の定款所定の目的の
範囲内に属するかどうかを確かめることは、いうべくして行ないがたいところであ
るのみならず、その判断も必ずしも容易ではなく、一般にはそれが会社の定款所定
の目的といかなる関係にあるかを顧慮することなく取引するのが通常である。した
がつて、いやしくも会社の名をもつてなされる取引行為については、それがその会
社の定款所定の目的の範囲内に属すると否とを問わず、会社をして責任を負わせる
のでなければ、取引の安全を確保し、経済の円滑な運営を期待することは困難であ
つて、いたずらに会社に責任免脱の口実を与える結果となるのを免れないであろう。
事実審たる下級裁判所の判決をみると、多数意見と同様の見解をとる従来の判例の
立場に立ちながらも、実際上会社の権利能力の範囲をできるだけ広く認める傾向に
あり、中には判例の立場をふみ越えているものも見られるのは、上述の事情を敏感
かつ端的に反映するものというほかないと思う。それゆえ、会社の権利能力は定款
所定の目的によつては制限されないものと解するのが、正当であるといわざるをえ
ない。公益法人については、公益保護の必要があり、また、その対外的取引も会社
におけるように広汎かつ頻繁ではないから、民法四三条がその権利能力を定款また
は寄附行為によつて定まつた目的の範囲内に制限していることは、必ずしも理由が
ないとはいえない。しかし、商法は、公益法人に関する若干の規定を会社に準用し
ながら(たとえば、商法七八条二項・二六一条三項等)、とくにこの規定は準用し
ていないのであるから、同条は公益法人にのみ関する規定と解すべきであつて、こ
れを会社に類推適用することは、その理由がないばかりでなく、むしろ不当といわ
なければならない。もちろん、社員は会社財産が定款所定の目的以外に使用されな
いことにつき重要な利益を有し、その利益を無視することは許されないが、その保
護は、株式会社についていえば、株主の有する取締役の違法行為の差止請求権(商
法二七二条)・取締役の解任請求権(商法二五七条三項)、取締役の会社に対する
損害賠償責任(商法二六六条)などの会社内部の制度にゆだねるべきであり、また、
定款所定の目的は会社の代表機関の代表権を制限するものとして(ただし、その制
限は善意の第三者には対抗できないが。)意味を有するものと解すべきであると考
える。従来、会社の能力の目的による制限を認めていたアメリカにおいても、その
いわゆる能力外の法理(ultra vires doctrine)を否定する
学説、立法が漸次有力になりつつあることは、この点において参考とするに足りる
であろう。
 以上のようにして、会社の権利能力は定款所定の目的によつては制限されないも
のと解すべきであるが、しかし、すべての会社に共通な営利の目的によつて制限さ
れるものと解するのが正当ではないかと考える。法は、営利法人と公益法人とを区
別して、これをそれぞれ別個の規制に服せしめているのであるから、この区別をも
無視するような解釈は行きすぎといわざるをえないからである。そして、このよう
に解しても、客観的にみて経済的取引行為と判断される行為は一般に営利の目的の
範囲内に属するものと解せられるから、格別取引安全の保護に欠けるところはない
であろう。
 (二) 多数意見は、会社の権利能力は定款に定められた目的の範囲内に制限され
ると解しながら、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資金の寄
附なども、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとすることにより、これを
会社の権利能力の範囲内に属するものと解している。それによると、会社は「自然
人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構
成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得
ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとし
ても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待な
いし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければな
らない。そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動を
することは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相
当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの
行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げ
ない。」というのである。私は、この所論の内容にとくに異論を有するものではな
いが、しかし、このような理論をもつて、右のような行為が会社の定款所定の目的
の範囲内の行為であり、したがつて、会社の権利能力の範囲内に属するとする考え
方そのものに、疑問を抱かざるをえないのである。
 多数意見が類推適用を認める民法四三条にいわゆる定款によつて定まつた目的と
は、それぞれの会社の定款の規定によつて個別化された会社の目的たる事業をいう
のであつて、これを本件訴外D製鉄株式会社についていえば、「鉄鋼の製造および
販売ならびにこれに附帯する事業」にほかならない。それは、すべての会社に共通
な営利の目的とは異なるのである。しかるに、多数意見によれば、災害救援資金の
寄附、地域社会への財産的奉仕、政治資金の寄附などは、会社が自然人とひとしく
社会等の構成単位たる社会的実在であり、それとしての社会的作用を負担せざるを
えないことから、会社も当然にこれをなしうるものと認められるというのである。
したがつて、それが会社の企業体としての円滑な発展をはかるうえに相当の価値と
効果を有するにしても、定款により個別化された会社の目的たる事業とは直接なん
らのかかわりがなく、その事業が何であるかを問わず、すべての会社についてひと
しく認めらるべき事柄にほかならない。しかのみならず、そのような行為が、社会
通念上、社会等の構成単位たる社会的実在としての法人に期待または要請される点
においては、程度の差はありうるとしても、ひとり会社のみにかぎらず、各種協同
組合や相互保険会社などのようないわゆる中間法人、さらには民法上の公益法人に
ついても異なるところがないといわざるをえない。その意味において、多数意見の
ように、右のような行為についての会社の権利能力の問題を会社の定款所定の目的
と関連せしめて論ずることは、意味がないばかりでなく、かえつて牽強附会のそし
りを免れないのではないかと思う。
 多数意見のように定款所定の目的の範囲内において会社の権利能力を認めるにせ
よ、私のようにすべての会社に共通な営利の目的の範囲内においてそれを認めるに
せよ、なおそれとは別に、法人たる会社の社会的実在たることに基づく権利能力が
認めらるべきであり、さきに引用した多数意見の述べるところは、まさにかような
意味における会社の権利能力を基礎づけるのに役立つものといえるのである。そし
て、本件政治資金の寄附が訴外D製鉄株式会社の権利能力の範囲内に属するかどう
かも、かかる意味における会社の権利能力にかかわる問題として論ぜらるべきもの
と考えられるのである。
 (三) 以上のように、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資
金の寄附のごとき行為は会社の法人としての社会的実在であることに基づいて認め
られた、通常の取引行為とは次元を異にする権利能力の問題であると解する私の立
場においては、その権利能力も社会通念上相当と認められる範囲内に限らるべきで
あつて、会社の規模、資産状態、社会的経済的地位、寄附の相手方など諸般の事情
を考慮して社会的に相当ないし応分と認められる金額を越える寄附のごときは、会
社の権利能力の範囲を逸脱するものと解すべきではないかと考えられる。このよう
な見解に対しては、当然、いわゆる相当(応分)の限度を越えてなされた行為は、
相手方の善意悪意を問わず、無効であるにかかわらず、その相当性の限界が不明確
であるから、法的安定を妨げる、とする批判が予想される。しかし、上述のごとき
行為については、通常の取引行為におけるとは異なり、取引安全の保護を強調する
必要はなく、むしろ会社財産が定款所定の目的を逸脱して濫費されないことについ
て有する社員の利益の保護が重視さるべきものと考える。
 叙上の点につき多数意見がどのように考えているかは必ずしも明らかでないが、
多数意見が、「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の
社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定
款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げない。」と述べているところから
みると、上述の卑見にちかい見解をとるのではないかとも臆測される。しかし、右
引用の判文は、その表現がすこぶる不明確であつて、はたして、会社による政治資
金の寄附は、会社の社会的役割を果たすため相当と認められる限度においてなされ
るかぎり、会社の定款所定の目的の範囲内、したがつて、会社の権利能力の範囲内
の行為であるとする趣旨であるかどうか(このように解するには、「客観的、抽象
的に観察して、」というのが妨げとなる。むしろ、「諸般の事情を考慮し具体的に
観察して、」とあるべきではなかろうか。)、疑問の余地があるのを免れないのみ
ならず、かりにその趣旨であるとしても、政治資金の寄附も、通常の取引行為とひ
としく、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとしながら、前者に関しての
みその権利能力につき右のような限定を加えることが理論上妥当であるかどうか、
疑問なきをえないと思う。この点においても、政治資金の寄附のごとき行為を会社
の定款所定の目的との関連においてとらえようとする多数意見の当否が疑われる。
 いずれにせよ、私のような見解に従つても、本件の政治資金の寄附は訴外D製鉄
株式会社の権利能力の範囲内に属するものと解せられるから、判決の結果には影響
がない。
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    石   田   和   外
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    飯   村   義   美
            裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    関   根   小   郷

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