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平成23年1月31日判決言渡
平成22年(行ケ)第10260号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成22年12月22日
判決
原告X
被告特許庁長官
指定代理人鈴木貴雄
同小谷一郎
同加藤友也
同紀本孝
同小林和男
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2009−9683号事件について平成22年6月21日にした審決
を取り消す。
第2当事者間に争いのない事実
1特許庁における手続の経緯
原告は,平成11年12月15日,発明の名称を「直噴エンジン」とする発明に
ついて,特許出願(特許法41条に基づく優先権主張の優先日:平成10年12月
15日,特願平11−376725号)をし(甲5),平成13年1月16日付けの
手続補正(甲6)に続いて,平成21年1月5日付けの手続補正をしたが(甲8),
同年3月12日に拒絶査定がされ(甲10),これに対し,同年4月15日,不服の
審判(不服2009−9683号事件)を請求するとともに,同日付けの手続補正
をした(以下「本件補正」という。甲11)。
特許庁は,平成22年6月21日,本件補正を却下した上,「本件審判の請求は,
成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし,その謄本は,平成22年
7月12日,原告に送達された。
2特許請求の範囲
(1)本件補正前の特許請求の範囲
本件補正前(平成21年1月5日付け手続補正後)の願書に添付した明細書の特
許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,本件補正前の請求項
1に係る発明を「本願発明」という。甲8)。
「【請求項1】過給機による加圧空気にて燃焼室内の排気を強制排気し,さら
に燃焼室を加圧し,ピストンで加圧して成る。排気工程でピストン下死点で排気弁
を開き排気開始,ピストン上昇,吸気弁を開き,過給機で加圧した空気を燃焼室に
押し込むことで強制排気し,ピストンが下死点から上昇する途中で排気弁を閉め,
さらに加圧後,吸気弁を閉め,さらにピストンで圧縮する。これに液体燃料及び液
体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたものを,燃焼室に直接噴射し,自己着火
及び/又は電気点火する事を特徴とする直噴エンジン。」
(2)本件補正後の特許請求の範囲
本件補正後の明細書(以下,願書に添付した図面と合わせて「本願補正明細書」と
いう。)の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,本件補正
後の請求項1に係る発明を「本願補正発明」という。なお,下線部分が補正部分であ
る。甲11)。
「【請求項1】過給機による加圧空気にて燃焼室内の排気を強制排気し,さらに
燃焼室を加圧し,ピストンで加圧して成る。排気工程でピストン下死点で排気弁を
開き排気開始,ピストン上昇,吸気弁を開き,過給機で加圧した空気を燃焼室に押
し込むことで強制排気し,ピストンが下死点から上昇する途中で排気弁を閉め,さ
らに加圧後,吸気弁を閉め,さらにピストンで圧縮する。これに液体燃料及び液体
ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたものを,燃焼室に直接噴射し,自己着火及
び/又は電気点火する事を特徴とする2サイクル直噴エンジン。」
3審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。審決の判断の概要は,以下のと
おりである。
(1)本件補正の可否
ア本件補正の目的要件の充足
請求項1に係る本件補正は,平成18年法律第55号改正附則3条1項によりな
お従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第4項2号の特許
請求の範囲の減縮を目的とするものに該当する。
イ独立特許要件の非充足
しかし,本件補正は,次のとおり,平成18年法律第55号改正附則3条1項に
よりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第5項にお
いて準用する同法126条5項(いわゆる独立特許要件)の規定に違反するので,
同法159条1項の規定により読み替えて準用する同法53条1項の規定により却
下する。
上記独立特許要件の有無の判断において検討した特開平1−121517号公報
(以下「引用文献」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という場合があ
る。)の内容,並びに本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点,容易想到性の
判断については,以下のとおりである。
(ア)引用発明の内容
「シリンダ室14内の排気をし,シリンダ室14を加圧し,ピストン3で加圧し
て成る。排気行程で排気弁を開き,吸気行程で吸気弁を開く。これにほぼ220℃
に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物を,シリンダ室14に直接噴射し,自己点
火及び/又は電気的点火する直噴ピストンエンジン。」(審決書5頁26行∼29行)
(イ)一致点
「燃焼室内の排気をし,燃焼室を加圧し,ピストンで加圧して成る。排気工程で
排気弁を開き,吸気弁を開く。これに液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の
蒸気状にしたものを,燃焼室に直接噴射し,自己着火及び/又は電気点火する直噴
エンジン。」(審決書6頁11行∼14行)
(ウ)相違点
「本願補正発明においては,『過給機による加圧空気にて燃焼室内の排気を強制排
気し,さらに燃焼室を加圧し,ピストンで加圧して成る。』,『排気工程でピストン下
死点で排気弁を開き排気開始,ピストン上昇,吸気弁を開き,過給機で加圧した空
気を燃焼室に押し込むことで強制排気し,ピストンが下死点から上昇する途中で排
気弁を閉め,さらに加圧後,吸気弁を閉め,さらにピストンで圧縮する。』及び『2
サイクル直噴エンジン。』であるのに対して,引用文献記載の発明においては,『吸
気弁』,『排気弁』,『ピストン』及び本願補正発明における『燃焼室』に相当する『シ
リンダ室14』がある『直噴エンジン』であるものの,上記本願補正発明のように
特定されていない点」(審判書6頁17行∼26行)
(エ)本願補正発明の容易想到性の判断
「『過給機による加圧空気にて燃焼室内の排気を強制排気し,さらに燃焼室を加
圧し,ピストンで加圧して成る。排気行程で排気弁を開き排気開始,ピストン上昇,
吸気弁を開き,過給機で加圧した空気を燃焼室に押し込むことで強制排気し,ピス
トンが下死点から上昇する途中で排気弁を閉め,さらに加圧後,吸気弁を閉め,さ
らにピストンで圧縮する2サイクルエンジン。』は周知(例えば,拒絶査定時におい
て示した特開平5−280344号公報,特開平4−325713号公報参照,以
下,『周知技術1』という。)であり,引用文献記載の発明に上記周知技術1を適
用するにあたって,排気行程で排気弁の開く時期をどこにするかは適宜なし得る設
計上の問題であって,下死点付近までを膨張行程とし,その後下死点から上死点に
向かう中ごろまでを排気行程とすることも周知(例えば,特開平10−24611
6号公報参照,以下,『周知技術2』という。)であることから,相違点に係る発
明のように特定することは,当業者が容易になし得るものである。
しかも,本願補正発明は,全体構成でみても,引用文献記載の発明並びに周知技
術1及び周知技術2から予測できる作用効果以上の顕著な作用効果を奏するものと
も認められない。
以上のように,本願補正発明は,引用文献記載の発明並びに周知技術1及び周知
技術2に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものと認められる。
よって,本願補正発明は,引用文献記載の発明並びに周知技術1及び周知技術2
に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法第29
条第2項の規定により特許出願の際独立して特許を受けることができないものであ
る。」(審決書6頁29行∼7頁13行)
(2)本願発明の容易想到性の判断
本願発明は,実質的に本願補正発明における発明特定事項の一部の構成を省いた
ものに相当する。そうすると,本願発明の発明特定事項の全てを含む本願補正発明
が,引用発明並びに周知技術1及び2に基づいて当業者が容易に発明をすることが
できたものである以上,本願発明も,引用発明並びに周知技術1及び2に基づいて
当業者が容易に発明をすることができたものである。よって,本願発明は,特許法
29条2項により特許を受けることができない。
第3当事者の主張
1取消事由に係る原告の主張
審決には,以下のとおり,(1)引用発明の認定等の誤り(取消事由1),(2)本願補
正発明の容易想到性判断の誤り(取消事由2)がある。
(1)取消事由1(引用発明の認定等の誤り)
審決は,引用発明の内容について「・・・ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/
水蒸気−混合物を,・・・」(審決書5頁28行)と認定し,本願補正発明と引用発
明との対比において,引用発明の「『ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−
混合物』は,本願補正発明の『液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状
にしたもの』に」(審決書6頁4行,5行)相当すると認定した。
しかし,審決の上記認定は,誤りである。すなわち,
ア引用発明の蒸発装置は,請求項1においては「燃料蒸気/水蒸気−混合物を
導入することを特徴とする方法。」,請求項3においては「燃料蒸気/水蒸気−混合
物が,1:1から3:1までの水蒸気対燃料蒸気の量の比を有することを特徴とす
る」,請求項4においては「燃料蒸気/水蒸気−混合物を,燃料蒸気/水蒸気−混合
物の燃料の露点温度より上の温度で導入することを特徴とする」,請求項8において
は「蒸発装置(11)には,圧力水を導く水導管(16a)と燃料導管(15a)
が開口しており,これらの導管は圧力側で水ポンプ(16)または燃料ポンプ(1
5)に接続されていることを特徴とする」と記載されている。
これらの記載によれば,引用発明は,燃料ポンプ,水ポンプで燃料と水に圧力を
かけて「燃料蒸気/水蒸気−混合物」とし,蒸発装置に送り,その比率が1:1か
ら3:1までの水蒸気対燃料蒸気の量の比を有し,「燃料蒸気/水蒸気−混合物」の
燃料の露点温度より上の温度で導入するものであり,蒸発装置はエンジン排気熱で
気化させ,エンジンに直噴することを特徴とする発明であるといえる。
そして,「〔課題を解決するための手段〕・・・本発明の実質的な利点は,燃料蒸気
/水蒸気−混合物に水蒸気が存在することにより,シリンダの燃焼室で燃焼蒸気が
燃焼したときに水蒸気の存在によりシリンダ室内の燃焼温度が下げられ,このため
酸化窒素部分が著しく減少することにある。膨張による水蒸気の供給と圧縮により
得ることができるエネルギーにより,同時にエンジン効率が改善されかつ容積測定
のエンジン動力が増大される。」(甲1,2頁右上欄10行∼左下欄7行)との記載
によれば,「燃料蒸気/水蒸気−混合物」を直噴する目的は,水蒸気発生により燃焼
室の温度を下げ,排気の酸化窒素を下げることと,蒸気圧力を燃料燃焼膨張圧力に
プラスすることにある。
また,引用発明は,「燃料蒸気/水蒸気−混合物」の燃料の露点温度より上の温
度で導入することを特徴とする発明であるから,エンジン停止時に圧が掛かった水
と燃料が氷点下で凍った場合には,導管及び蒸留器が破損する可能性が高く,露点
温度では,更にこれを始動させることができない。水タンク,水ポンプも同様に破
損する可能性が高い。
イこれに対し,本願補正発明は,単に,液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え
高温の蒸気状にしたものを,燃焼室に直接噴射する直噴エンジンであり,燃焼で言
えば暖房機に用いられる灯油ガス化暖房にあるように,灯油をヒーターで温めて蒸
気化してから燃焼させることにより,室内に排気ガスを放出しても安全な排気を,
燃焼エンジンに求めたものである。本願補正発明においても重油と水のエマルジョ
ン燃料(燃料タンク用水抜き剤等を燃料に添加し水と乳化させ,及び/又は,攪拌
させながら超音波振動により燃料と水とを混合させたもの)を燃料に用いることは
できるが,季節によってエマルジョン燃料を露点温度以下で用いることがないよう
に燃料を選択する自由度がある。
ウそうすると,本願補正発明は,①直噴する燃料について,1:1から3:1
までの水蒸気対燃料蒸気の量の比を有する「燃料蒸気/水蒸気−混合物」に限定さ
れない点,②燃料を直噴する範囲が「露点温度より下がった時,つまり,水が凍る
時」以外の時に限定されない点においても,引用発明とは相違するといえる。審決
は,引用発明の認定を誤り,その結果,上記①及び②の相違点を看過しているから,
取り消されるべきである。本願補正発明は,構造的に水タンク,水ポンプ,水導管
を省くことができ,不凍液を使用することなく,露点温度での凍結の問題(エンジ
ンとしての致命的な欠陥)を避けることができるとの効果を有し,進歩性を有する
から,上記の相違点の看過は,審決の結論に影響を及ぼす。
(2)取消事由2(本願補正発明の容易想到性判断の誤り)
ア排気弁を開く時期を下死点と特定する本願補正発明の相違点に係る構成への
容易想到性
審決は,「引用文献記載の発明に上記周知技術1を適用するにあたって,排気行程
で排気弁の開く時期をどこにするかは適宜なし得る設計上の問題」(審判書6頁下か
ら3行,2行)であると判断した。
しかし,審決の上記判断は,誤りである。
(ア)本願補正発明の排気弁を開く時期の意義
本願補正発明においては,ピストン上死点よりピストン下死点までのストローク
全体で燃焼エネルギーをピストンに伝達することに重点をおいており,さらに,ピ
ストン下死点で排気弁を開き,排気を開始し,ピストン上昇で,吸気弁を開き,排
気弁と吸気弁のオーバラップ中に,過給機よる圧縮空気で排気を押し出すとの技術
的手段を特徴とする。通常2サイクルエンジンは,従来型の4サイクルエンジンと
比べ,同じ排気量であるならば低速トルクが貧弱で,高トルク発生の回転数の幅が
非常に狭いのが特徴であり,その原因は,ピストンストロークの途中で排気弁を開
くために,ピストン上死点から下死点までの容積(爆発エネルギー)を100%使
わないことからくるものである。しかし,本願補正発明のように,下死点まで排気
弁を開かずに下死点で排気弁を開き,ピストンを上昇させ,ここで,吸気弁を開き,
排気を過給機の圧縮圧で押し出すことにすれば,微妙な違いではあるものの,燃焼
エネルギーの伝達効率を向上させることができる。
(イ)審決が示した周知技術1の文献記載の発明
a特開平5−280344号公報(甲2)記載の発明
これに対し,審決が周知技術1の文献として示した特開平5−280344号公
報(甲2,給排気弁の開弁期間及び掃気孔の開口期間を示す【図4】)記載の発明は,
ピストン1周を8等分すると,ピストン上死点より3/8付近で排気を開始し,3.
5/8までピストンが下がる間に,給気弁を開き,その後掃気口を開き,過給機の圧
縮空気で排気を押し出し,これが5/8まで続き,排気弁,「給気弁」,掃気口の順に
閉鎖するものである。よって,甲2記載の発明は,ピストン上昇中に「給気弁」を
開くものではないし,ピストン下死点で排気弁を開くものではない。
b特開平4−325713号公報(甲3)記載の発明
また,審決が同じく周知技術1の文献として示した特開平4−325713号公
報(甲3)記載の発明は,TDC(ピストン上死点)で爆発し,その後角度約10
0°で排気弁が開くものである。よって,甲3記載の発明も,ピストン下死点で排
気弁を開くものではない。
(ウ)審決が示した周知技術2(甲4)記載の発明
さらに,審決が周知技術2の文献として示した特開平10−246116号公報
(甲4)記載の発明は,「シリンダーヘッドに吸気バルブと排気バルブを持つ2サイ
クルエンジンにおいて,吸気ポート側にコンプレッサーを設け,これにより予め吸
気の圧縮行程を行い,吸気ポート,またはチャンバー内に蓄え,ピストンが,下死
点から上死点に向かう間に,排気バルブは閉じられている状態で,吸気バルブを開
き,圧縮した吸気をシリンダー内に入れ,その後,上死点前までに吸気バルブを閉
じてから点火し,点火後から,下死点付近までを膨張行程とし,膨張行程後から吸
気行程を開始するまでの間,排気バルブを開き,排気行程とする。この様なサイク
ルで動作することを特徴とする2サイクルエンジン」(甲4,【請求項1】)である。
この2サイクルエンジンにおいては,膨張行程後期から吸気行程を開始するまでの
間,排気バルブを開き,排気行程とする2サイクルエンジンであり,排気と給気を
ピストン上昇時に別々に行うことを特徴とし,給気は機械駆動のコンプレッサー又
は排気駆動のコンプレッサーを用いて行うことを特徴とする発明である。その明細
書の実施例の記載には,「【0007】・・・各行程のタイミングの具体的な数値を一
例として以下に記載する。各行程のタイミングは,上死点前10度で混合気に点火
する。点火から,上死点を通り,下死点前30度までを燃焼膨張行程とする。下死
点前30度から下死点を通り,上死点前80度までを排気行程とする。上死点前8
0度から上死点前30度までを吸気行程とする。吸気行程後から点火までを圧縮行
程とする。」との記載がある。上記記載は「一例」としているが,これ以外の変化例
はない。上記記載においては「下死点前30度までを燃焼膨張行程とする。」とある
から,膨張行程を30度分ロスしている。甲4記載の発明も,ピストン下死点に至
って初めて排気弁を開くものではないし,排気弁と吸気弁のオーバラップが発生し
ない。
(エ)本願補正発明と周知技術1及び2との排気量等の比較
ところで,排気量とは,内燃機関の燃焼行程に関わる容積の大きさを示す数値で,
エンジンの性能指標の1つである。一般的には排気量が大きくなるに従って,単位
時間当たりに多くの混合気を燃焼させられるため,エンジンのトルク及び出力は増
加する傾向にある。すなわち,エンジンのシリンダー内でピストンが上下する範囲
の体積を行程容積といい,この値とシリンダー本数との積が総排気量となる。その
計算式は,(ボア[cm]÷2)の2乗×円周率×ストローク[cm]×気筒数=総排気量であ
る。
そうであるところ,本願補正発明は,ピストン下死点まで排気弁を開くものでは
なく,計算上はピストンの上死点から爆発のエネルギーをピストンに伝える距離(ス
トローク)が周知技術1,2の発明よりも長くなるため,総排気量が大きくなり,
エンジンのトルク及び出力が増加する。
したがって,引用発明に周知技術1及び2を適用して,排気弁の開く時期を下死
点とする本願補正発明の相違点に係る構成に想到することは容易ではない。
また,本願補正発明ではこのほかに,排気コンプレッサーを設けて吸排気弁のオ
ーバラップ中に,排気を排気コンプレッサーで吸い出し,さらに,給気コンプレッ
サーの圧縮空気で排気を押し出すという技術的手段を講じた,2サイクルエンジン
及びロータリーエンジンの請求項をも含んでいる。
イ引用発明と周知技術1及び2の組合せの困難性
引用発明と,周知技術1及び2記載の発明とでは,エンジン構造と排気,給気の
タイミングと方法が異なり,組合せ発明が成り立たないから,甲1ないし4記載の
発明を組み合わせても,本願補正発明を容易に発明することができない。
ウ顕著な作用効果
審決は,「しかも,本願補正発明は,全体構成でみても,引用文献記載の発明並び
に周知技術1及び周知技術2から予測できる作用効果以上の顕著な作用効果を奏す
るものとも認められない。」(審決書7頁4行∼6行)と判断した。
しかし,審決の上記判断は,誤りである。すなわち,前記のとおり,排気弁の開
く時期を下死点とする構成により,本願補正発明は,排気弁の開く時期を下死点と
する燃焼エネルギーの伝達効率を向上させることができるという予測し得ない顕著
な作用効果を奏するものである。
2被告の反論
(1)取消事由1(引用発明の認定等の誤り)に対し
引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気一混合物」が,
本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にした
もの」に相当するとした上で,本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点を認
定した審決に,誤りはない。
ア引用発明の「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気一混合物」の意義
について
引用文献の記載(甲1,1頁左下欄5行∼右下欄2行,3頁左下欄3行∼19行)
によれば,引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合
物」は,液体燃料と水とを混合したものに熱を加えた「燃料蒸気と水蒸気とからな
る高温の混合物」であると認められる。
イ本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状
にしたもの」の意義について
本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にし
たもの」とは,「液体燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」又は「液体ガス燃
料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」を意味する。すなわち,本願補正明細書の
特許請求の範囲の【請求項1】は,「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の
蒸気状にしたもの」と記載されているが,当該発明特定事項は,「液体燃料と液体
ガス燃料との混合物」に「熱を加え高温の蒸気状」にすることを特定しているので
はなく,「液体燃料」であっても「液体ガス燃料」であっても,「熱を加え高温の
蒸気状」にして燃焼室に直接噴射することが可能であることを特定している。その
ことは,本件補正後の明細書の発明の詳細な説明の記載,例えば,「これに燃料蒸
気又は燃料ガスを燃料室に噴射し点火する事で,2サイクルエンジンとして機能さ
せるものである」(甲11,段落【0010】)との記載のほか,本件出願の願書
(甲5)に最初に添付された明細書における特許請求の範囲の請求項1及び2にお
ける記載,すなわち,「【特許請求の範囲】【請求項1】液体燃料に熱を加え高温
の蒸気状にし,燃焼室に直接噴射する事を特徴とする,直噴エンジン。【請求項2】
ガス状の燃料に熱を加え高温状態で燃焼室に直接噴射し燃焼させる事を特徴とす
る,直噴エンジン。」との記載から,合理的に理解することができる。
ウ引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気―混合物」
と,本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状に
したもの」との対比について
引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気―混合物」は,
前記のとおり,「燃料蒸気と水蒸気とからなる高温の混合物」であり,燃料蒸気の
みならず水蒸気も含んだ混合物である。当該「混合物」に含まれている「燃料蒸気」
は,液体燃料に熱を加え高温の蒸気状にされたものであるから,本願補正発明の「液
体燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に相当する。よって,引用発明の「ほ
ぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物」は,本願補正発明における「液
体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に相当するとした審
決の判断に誤りはない。
これに対し,原告は,本願補正発明の直噴する燃料が,引用発明のように,1:
1から3:1までの水蒸気対燃料蒸気の量の比を有する燃料蒸気/水蒸気−混合物
に限定されない点が相違点であると主張する。
しかし,原告の上記主張は採用の限りでない。すなわち,本願補正発明における
「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」という発明特定
事項は,「燃料蒸気と水蒸気との混合物」を除外するものではない。さらに,原告
自身が上記のとおり「限定されていない」と主張していることからみても,引用発
明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気―混合物」は,本願補正
発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に
含まれる。
エ燃料を直噴する範囲が露点温度より上に限定される点について
原告は,引用発明においては,燃料を直噴する範囲が露点温度より下に限定され
ると主張する。
しかし,原告の主張は理由がない。すなわち,引用文献には「燃料の露点温度よ
り上にある温度で・・・導入する」(甲1,【請求項4】,2頁左下欄11行∼1
4行)と記載されているものの,原告主張のような記載はないから,上記原告の主
張は失当である。
なお,原告は「露点温度」が「水が凍る温度」と同じであると理解して主張する
が,同主張は,誤解に基づくものである。「露点」とは,「大気中に含まれている
水蒸気が凝結を始める時の温度。」(乙2・株式会社岩波書店広辞苑第四版274
3頁)である。他方,引用文献の【請求項4】には「燃料の露点温度」と記載され
ており,「露点温度」と関連のある物理量である「沸点」が,一般的にエンジンの
燃料に用いられるガソリンの場合,30ないし200℃程度(乙3・標準化学用語
辞典109頁),軽油の場合,200ないし400℃程度(乙3,185頁)であ
ることに鑑みると,引用発明における「露点温度」とは,原告の主張するように「水」
が「凍る」温度であるとは必ずしもいえない。
オ小括
以上によれば,原告の主張はいずれも失当であり,引用発明における「ほぼ22
0℃に温められた燃料蒸気/水蒸気一混合物」が本願補正発明における「液体燃料
及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に相当すると認定した上で,
本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点を認定した審決に,誤りはない。
(2)取消事由2(本願補正発明の容易想到性判断の誤り)に対し
ア引用発明に,周知技術1の「2サイクルエンジン」を適用するとともに,当
該適用に当たって周知技術2の技術思想も考慮して,排気弁の開く時期を本願補正
発明のように「ピストン下死点で」行うものと設定することは,以下に示すとおり,
当業者が容易になし得たことであるから,これと同旨の審決に誤りはない。
すなわち,長尾不二夫「内燃機関講義・上巻」(乙6)の記載によれば,2サイ
クルエンジンにおいては,排気の掃気の効率を優先して排気孔の開きを早くすると,
不完全膨張による損失が増加してしまい,逆に,排気の完全膨張によるエネルギー
回収を優先して排気孔の開きを遅くすると,たとえ過給機を用いていても排気圧力
が十分に低下せずに吸気側に排気が逆流し新気をシリンダ内に十分に導入できな
い,といった二律背反の制約があり,当該制約のなかで適切な排気タイミングを設
計していることは,当業者にとって自明であるといえる。
なお,2サイクルエンジンにおいて排気を掃気するために新気を過圧する手段を
設けることは,例えば,「エンジンの事典」(乙7,510頁,表8.3)におい
て「掃気方法」の「システム(ポンプ)」に様々な過給方法が示されているように,
常套手段である。また,前記「内燃機関講義・上巻」(乙6)における記載事項も,
第3.16図のシリンダ内圧力変化に関する図において,「掃気圧力」が絶対圧力
[ata](横軸)で1気圧よりも大きいことからみても,新気が掃気のために過圧され
ている2サイクルエンジンを前提としていることは明らかである。
そして,2サイクルエンジンにおいて,掃気が十分可能であるとの条件の下に,
排気弁を開くタイミングをできる限り下死点に近付けようとする技術思想は,審決
が周知技術2として示したとおり周知である。なお,当該周知技術は,審決が例示
した特開平10−246116号公報(甲4)以外にも,特公平6−100094
号公報(乙8),特開昭64−53015号公報(乙9),特開平3−85327
号公報(乙10)及び特開平3−85328号公報(乙11)にも記載されている。
このように,できる限り下死点に近い位置で排気弁を開くとの技術思想が周知で
ある以上,引用文献(甲1)記載の発明に周知技術1の2サイクルエンジンを適用
するに当たり,本願補正発明のように,下死点において排気弁を開くとすることは,
当業者であれば容易になし得た設計事項であったといえる。
イ原告の主張に対する個別的な反論
(ア)原告は,周知技術1の例として審決が示した特開平5−280344号公
報(甲2)について,3.5/8までピストンが下がる間に「給気弁」を開くと指
摘しており,ピストン上昇中に「給気弁」を開くものではない旨主張する。
しかし,ピストン上昇中に吸気弁(甲2の「給気弁」と同じもの)を開くものも,
甲4(【図4】∼【図6】参照),乙10(第2図を参照),乙11(第2図を参
照),乙12(第4図を参照)及び乙13(第5図を参照)に示されるように周知
であるから,審決の周知技術1の認定に誤りはない。
(イ)また,原告は,特開平10−246116号公報(甲4)と本願補正発明と
は,排気弁と吸気弁のオーバラップが発生しない点において相違する旨主張する。
しかし,同公報は,下死点付近までを膨張行程とし,その後下死点から上死点に
向かう中ごろまでを排気行程とすることが周知技術であることを示すために引用さ
れたものであるから,原告の相違する旨の主張は,上記技術が周知であるとする認
定に影響を与えるものではなく,原告の主張は失当である。念のため反論すると,
特開平10−246116号公報の請求項1においては「排気バルブは閉じられて
いる状態で,吸気バルブを開き」と記載されてはいるものの,当該公報の図6によ
れば,オーバラップが生じていることが明らかである。さらに,特開平5−280
344号公報(甲2),特開平4−325713号公報(甲3),及び特開平4−
86355号公報(乙12)に開示されるように,2サイクルエンジンの掃気のた
めに,吸気弁と排気弁がともに開になるオーバラップ期間を設けることは,常套手
段であるともいえる。よって,特開平10−246116号公報(甲4)に記載の
技術を基に,排気弁と吸気弁のオーバラップ中に過給機よる圧縮空気で排気を押し
出すという技術的手段を採用することは,困難とはいえない。
(ウ)原告は,「本発明ではこの他に,排気コンプレッサーを設けて吸排気弁のオ
ーバラップ中に,排気を排気コンプレッサーで吸い出し,さらに,給気コンプレッ
サーの圧縮空気で排気を押し出すという技術的手段を講じた,2サイクルエンジン
及びロータリーエンジンの請求項も含んでいる。」旨主張する。
しかし,特許出願において複数の請求項に係る発明が含まれていたとしても,そ
のうちの1つの請求項に係る発明が特許法49条の各号のいずれかに該当する場合
には,その特許出願は全体として拒絶されるべきであるから,原告の上記主張は,
その主張自体失当である。
ウしたがって,本願補正発明は,引用文献記載の発明並びに周知技術1及び周
知技術2に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許
法第29条第2項の規定により特許出願の際独立して特許を受けることができない
ものであるとした審決の判断に,誤りはなく,この点に係る原告の主張は理由がな
い。
第4当裁判所の判断
1取消事由1(引用発明の認定等の誤り)について
当裁判所は,引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気一
混合物」が,本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の
蒸気状にしたもの」に相当するとした上で,本願補正発明と引用発明との一致点及
び相違点を認定した審決に,引用発明の認定等についての誤りはないと判断する。
(1)引用発明の「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物」につい

ア引用文献(甲1)の記載
引用文献(甲1)には,「燃料蒸気/水蒸気―混合物」に関し,次の記載がある。
「2.特許請求の範囲
(1)燃焼空気の吸入後動力用燃料をピストンエンジンのシリンダ室に供給する方
法において,上部のピストン死点に到達する前に,前に圧縮された燃焼空気に燃料
蒸気/水蒸気−混合物を導入することを特徴とする方法。
(2)・・・
(3)燃料蒸気/水蒸気−混合物が,1:1から3:1までの水蒸気対燃料蒸気の
量の比を有することを特徴とする,請求項1または2に記載の方法。
(4)燃料蒸気/水蒸気−混合物を,燃料蒸気/水蒸気−混合物の燃料の露点温度
より上の温度で導入することを特徴とする,請求項1から請求項3までのうちのい
ずれか一つに記載の方法。」(甲1,1頁左下欄5行∼右下欄2行)
「実施例では,燃料蒸気/水蒸気−混合物が燃焼行程の終わり(判決注:「圧縮
行程の終わり」の誤記であると認める。)に上部死点の近くでシリンダ室14に入
るように入口弁10が制御される。燃料蒸気/水蒸気−混合物は,ほぼ220℃に
温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物でほぼ毎秒440メートルになる音速で吹き
入れられる。このために必要な混合導管9内の圧力は流体ポンプ15,16により
発生されるが,これらの流体ポンプのうち,一方では液体状燃料を燃焼ポンプ15
(判決注:「燃料ポンプ15」の誤記であると認める。)が,他方では水を水ポン
プ16が燃料導管15aまたは水導管16aを介して蒸発装置11に導入する。蒸
発装置から過熱(判決注:「加熱」の誤記と認める。)された水蒸気を有する燃料
蒸気/水蒸気−混合物が出る。
燃料蒸気/水蒸気−混合物をシリンダ室14に供給後,入口弁10が閉じ,そし
て燃焼空気と混合された燃料蒸気/水蒸気−混合物が点火装置17を介して点火さ
れる。」(甲1,3頁左下欄3行∼19行)
イ「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物」の意義
上記引用文献の記載を参照すれば,引用発明における「ほぼ220℃に温められ
た燃料蒸気/水蒸気−混合物」は,液体燃料と水とを混合したものに熱を加えるこ
とにより得られた「燃料蒸気と水蒸気とからなる高温の混合物」であると認めるの
が相当である。
(2)本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状
にしたもの」について
本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にし
たもの」とは,「液体燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」と「液体ガス燃料
に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」の双方の場合を意味するものと理解するのが
合理的であり(なお,原告もこのような解釈を前提としている。),「まず,液体
燃料と液体ガス燃料の混合物を作製し,次いで,これに熱を加えて高温の蒸気状に
したもの」と限定して解することはできない。この点については,本願補正明細書
の発明の詳細な説明における「これに燃料蒸気又は燃料ガスを燃料室に噴射し点火
する事で,2サイクルエンジンとして機能させるものである」(甲11,段落【0
010】)等の記載とも整合する。
(3)原告の主張に対して
原告は,引用発明では,①直噴する燃料について,水蒸気対燃料蒸気の量の比に
関して,1:1から3:1までの限定がされていること,②燃料を直噴する範囲が
露点温度(なお,原告は,水が凍る温度と同義と理解して主張する。)より下である
との限定がされていることも相違点として挙げるべきであると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。すなわち,出願に係る発明に
おける特許請求の範囲と先行発明との間で,技術的な性質を同じくする発明特定事
項について,出願に係る発明の方が先行発明より,広範な範囲を対象として規定し
ているような場合には,特段の事情のない限り,その発明特定事項に関する相違点
には当たらない。したがって,相違点を看過したことにはならない。
念のため,以下,個別に判断する。
まず,本願補正発明の直噴する燃料は,引用発明のように,1:1から3:1ま
での水蒸気対燃料蒸気の量の比を有する燃料蒸気/水蒸気−混合物に限定されない
点が相違点であると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,理由がない。すなわち,前記のとお
り,本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状に
したもの」とは,「液体燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」と「液体ガス燃
料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」の双方の場合を指すと解すべきである。他
方,引用発明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気−混合物」は,
本願補正発明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にした
もの」に含まれるから,それにさらに,「1:1から3:1までの水蒸気対燃料蒸
気の量の比」における限定を加えたものも,本願補正発明における「液体燃料及び
液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に含まれる。したがって,この
点を相違点としなかった審決の認定に誤りはない。
また,原告は,引用発明のように燃料を直噴する範囲が「露点温度より下にある
時,つまり,水が凍る時」以外の時点に限定されない点においても,本願補正発明
と引用発明とは相違すると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり採用の限りでない。すなわち,引用文献に
は「燃料の露点温度より上にある温度で・・・導入する」(甲1,【請求項4】,
2頁左下欄11行∼14行)と記載されているものの,原告の主張に即した記載は
ないから,上記原告の主張は失当である。
(4)小括
以上によれば,引用発明の認定に係る原告の主張はいずれも失当であり,引用発
明における「ほぼ220℃に温められた燃料蒸気/水蒸気一混合物」が本願補正発
明における「液体燃料及び液体ガス燃料に熱を加え高温の蒸気状にしたもの」に相
当すると認定した上で,本願補正発明と引用文献記載の発明との一致点及び相違点
を認定した審決に,誤りはない。
2取消事由2(本願補正発明の容易想到性判断の誤り)について
当裁判所は,本願補正発明の相違点に係る構成「『過給機による加圧空気にて燃焼
室内の排気を強制排気し,さらに燃焼室を加圧し,ピストンで加圧して成る。』,『排
気工程でピストン下死点で排気弁を開き排気開始,ピストン上昇,吸気弁を開き,
過給機で加圧した空気を燃焼室に押し込むことで強制排気し,ピストンが下死点か
ら上昇する途中で排気弁を閉め,さらに加圧後,吸気弁を閉め,さらにピストンで
圧縮する。』及び『2サイクル直噴エンジン。』であること」は,引用発明に周知技
術1及び2を適用することによって,当業者が容易に想到することができたとした
審決の判断に誤りはないと解する。その理由は,以下のとおりである。
(1)事実認定
長尾不二夫「内燃機関講義・上巻」(乙6)には,一般的な2サイクルエンジン
に関して,以下の記載がある。すなわち,「四サイクル式では排気はピストン自身
により排出され,また新気はピストンにより吸入され,これをクランク角の360°
以上で行うのであるが,これに対して二サイクル式は新気を以て排気を追い出し,
これをクランク角の120∼150°の短時間に行わねばならぬから,四サイクル
式のように完全なガス交換は困難である。掃気作用は二サイクル機関の性能を左右
する最も重要な問題である。第3・16図に示すように排気孔が開くとシリンダ内
ガスは臨界速度で流出し排気吹出しが行われる。そして掃気孔が開くまでにはシリ
ンダ内の圧力は少くとも掃気圧力以下に下がつていることが必要である。そうでな
いと排気が掃気孔に逆流してまじり,完全な掃気ができない。排気ガスの流出する
速度は機関の回転速度には無関係であるから,高速機関になると排気孔が開いてか
ら掃気孔の開く迄の時間が短くなり,排気圧力の下がりが悪くなる。このため排気
孔の開きを早くするか,あるいは排気孔の面積を大きくせねばならない。従つて排
気の始まりは四サイクル式に較べて早く50∼80°位に選ばれているが,あまり
早くすると不完全膨張による損失が増加する。」(乙6,86頁下から3行∼87
頁12行)との記載がある。
(2)容易想到性の判断
上記記載によれば,2サイクルエンジンにおいては,排気弁が開いてから排気圧
力が低下するまで時間差があるので排気効率の観点を優先させる観点から排気弁の
開きを早く設定すると,燃料爆発後のシリンダ室内の空気膨脹が不完全となってエ
ネルギー損失が増加するし,逆に完全膨張によるエネルギーの効率的回収を優先さ
せて排気弁の開きを遅く設定すると,たとえ過給機を用いても,排気圧力が十分に
低下せずに吸気側に排気が逆流して新気をシリンダ室内に十分に導入させることが
できなくなる,との相反する状況が存在するが,当業者は,そのような点を考慮し
て,排気効率とエネルギー効率等のバランスを取りながら,適切な排気タイミング
を適宜設計していることを認めることができる。そして,2サイクルエンジンにお
いては,良好な掃気が達成され得る範囲内において,エネルギー効率の観点から排
気弁を開くタイミングをできる限り下死点に近付けようとすることは,周知の技術
的事項であったものと認められる(特開平10−246116号公報(甲4),特
公平6−100094号公報(乙8),特開昭64−53015号公報(乙9),
特開平3−85327号公報(乙10)及び特開平3−85328号公報(乙11))。
そうすると,エネルギー効率の観点から,できる限り下死点に近い位置で排気弁
を開くとの技術的思想が上記のとおり周知である以上,引用文献(甲1)記載の発
明に周知技術1の2サイクルエンジンを適用する際に,周知技術2記載の上記技術
的思想をエネルギー効率重視の方向に推し進めて,下死点において排気弁を開くも
のと設定することは,当業者であれば容易に想到し得たものであるといえる。
(3)原告の主張に対して
ア原告は,引用発明と,周知技術1及び2記載の発明とでは,エンジン構造と
排気,給気のタイミングと方法が異なり,組合せ発明が成り立たないから,甲1な
いし4記載の発明を組み合わせても,本願補正発明を容易に発明することができな
いと主張する。しかし,原告の主張は採用の限りでない。すなわち,エンジン構造
に相違があったとしても,引用発明の4サイクルエンジンに置き換えて周知技術1
記載の2サイクルエンジンを適用することに困難はないというべきであり,引用発
明(甲1)と2サイクルエンジンに係る周知技術1(甲2)との組合せが成り立た
ないとはいえない。また,排気,吸気のタイミングについては,前記のとおり効率
化を考慮して,周知技術2記載の技術を適用して,下死点において排気弁を開くよ
う設定することを困難とする理由は存しない。
イ原告は,周知技術1の例として審決が示した特開平5−280344号公報
(甲2)記載の発明は,3.5/8までピストンが下がる間に給気弁を開くもので
あって,ピストン上昇中に給気弁を開くものではないから,審決の周知技術1の認
定には誤りがある旨主張する。しかし,原告のこの点の主張も採用の限りでない。
すなわち,ピストン上昇中に吸気弁を開く構成も,甲4(【図4】∼【図6】を参
照),乙10(第2図を参照),乙11(第2図を参照),乙12(第4図を参照)
及び乙13(第5図を参照)に記載されているとおり周知の技術的事項であると認
められるから,周知技術1を前提として,本願補正発明が容易であるとした審決の
判断に誤りがあるとはいえない。
ウ原告は,排気弁の開く時期を下死点とする構成により,本願補正発明は,排
気弁の開く時期を下死点とする燃焼エネルギーの伝達効率を向上させることができ
るという予測し得ない顕著な作用効果を奏すると主張する。しかし,原告の上記主
張は採用の限りでない。すなわち,前記のとおり,排気効率と燃焼エネルギー効率
のどちらを重視するかという二律背反的な状況下において当業者はそれら双方のバ
ランスを取る観点から,できるだけ下死点に近づいた段階で排気弁を開くものとす
る技術的思想が従来から周知の技術的事項(課題)であったといえるのであるから,
排気効率の観点を後退させ,燃焼エネルギーの効率的回収の観点のみを重視して,
まさに下死点において排気弁を開くものと設定することは,当業者において当然に
予想され得たものであって,その構成によって燃焼エネルギーの伝達効率が程度の
差はともかくとして向上し得ることは当然に予想されることである。よって,排気
弁の開く時期に係る本願補正発明の構成が当業者において予想し得ない顕著な作用
効果を有するものとはいえないから,原告の上記主張は採用の限りでない。
(4)小括
以上のとおり,本件補正は,平成18年法律第55号改正附則3条1項によりな
お従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第5項において準
用する同法126条5項の規定に反するとして,同法159条1項の規定により読
み替えて準用する同法53条1項の規定によりこれを却下するとした審決の判断に
誤りはない。そして,本件補正前の特許請求の範囲の請求項1に係る本願発明は,
本願補正発明と同様の理由により,引用発明並びに周知技術1及び周知技術2に基
づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2
項の規定により特許を受けることができないとした審決の判断に,誤りはない。
3結論
以上によれば,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。その他,原告は縷々
主張するが,いずれも理由がない。よって,原告の本訴請求は理由がないから,こ
れを棄却することとし,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官
飯村敏明
裁判官
齊木教朗
裁判官
武宮英子
(別紙)「本願補正明細書図面」
【図1】【図2】
【図3】

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