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       主   文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
一 原告が被告に対し雇用契約上の地位を有することを確認する。二 被告は、原
告に対し、金一七四万〇四六九円及びこれに対する昭和六三年一二月一七日から支
払ずみまで年五分の割合による金員並びに同年一二月一日以降一か月金一五万円を
毎月二五日限り支払え。
第二 事案の概要
一 本件紛争の経過
1 原告は、昭和六二年三月三〇日、出版業を目的とする株式会社である被告との
間で雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結し、就労していた者であ
る。原告の賃金は月額一五万円で毎月二五日支払の約束であった。
(争いがない)
2 被告は、同年一〇月一日、原告に対し、同日限りで同人との雇用関係を終了さ
せる旨を通告したが、同人の要請に基づき同月三一日まで雇用期間を延長し、更
に、同月二八日、同人の再度の要請に基づき同年一一月末日まで雇用期間を延長し
た。
(争いのない事実、甲一八、乙四の2、証人A、原告本人)
3 原告は、同年一一月一四日、日本出版労働組合連合会・東京出版合同労組(以
下「組合」という。)に加入し、同組合と協議のうえ、同月二四日、被告に対し、
原告個人名で、①原告は被告において働き続ける意思を有しているので再考のうえ
同年一二月以降も原告を雇用してほしい、②労働条件(生理休暇の保証、残業代の
支払等)を改善してほしい旨を記載した要望書を提出したが、被告は、原告の雇用
継続を認めなかった。
(争いのない事実、甲一、一八、原告本人)
4 そこで、原告は、同年一二月三日、被告に対し、組合に加入したことを通告し
て要望書に関する団体交渉を求めた。そして、翌四日、原告及び組合書記次長Bと
被告のC社長及びA編集長との間で第一回の団体交渉がもたれ、交渉が決着するま
で原告を従業員として扱い従前どおりの仕事をさせることが合意された。その後、
組合側からは原告及びB書記次長、被告側からはA編集長及びD営業部長が出席し
て同月一四日、二一日と団体交渉が続けられ、昭和六三年一月七日に原告、被告及
び組合との間で次のような合意が成立し、確認書が作成された。
一 (略)
二 被告は、社員が残業命令に従って残業し、残業手当を請求したときは、労働基
準法の定めに従い、これを支払う。
三ないし五 (略)
六 被告は、原告に対し、これまでの残業料見合い分を支払う(支払額は原告請求
残業時間数×二分の一×七五〇円とする。)。
七 今後の原告の就労については、就業規則に基づき、①就業時間は午前九時から
午後六時とする②就業については昭和六二年一〇月一日以前の形態とする。原告の
雇用期間は昭和六三年三月三一日までとし、同日をもって原告は退職する。なお、
被告は離職票を発行する。
(争いのない事実、甲一八、乙一、四の2、証人B、同A、同D、原告、被告代表
者各本人)
5 被告は、確認書六項に従い、原告に対し、時間外賃金として金一六万〇三一二
円を支払った。
 被告は、原告に対し昭和六二年の冬季賞与を支給しなかった。
(争いがない)
6 原告は、昭和六三年三月三〇日の団体交渉において、被告に対し、翌三一日に
退職する意思はないと表明し、同年四月一日に出社したが、被告は原告の就労を拒
絶した。なお、原告は、同年三月三一日に組合を脱退した。
(甲一八、証人B、原告、被告代表者各本人)
7 以上のような経過のもとで、原告は、被告に対し、①確認書七項の退職合意
(以下「本件退職合意」という。)は効力を有しない等と主張して雇用契約上の地
位の確認を求めると共に、②昭和六三年四月から一一月までの賃金(一二〇万
円)、昭和六二年四月から一一月までの時間外賃金(二四万〇四六九円)、昭和六
二年の冬季賞与(三〇万円)の合計一七四万〇四六九円及びこれに対する訴状送達
の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、③昭和六三年
一二月以降毎月二五日限り一か月金一五万円の賃金の支払を求めている。
二 争点及びこれに関する当事者の主張
 本件の中心的争点は、原告が雇用契約上の地位及び賃金請求権を有するか否かで
あり、具体的には、本件退職合意の効力が主として問題となる。また、原告は時間
外賃金及び昭和六二年の冬季賞与の支払も求めており、これらの請求権の存否も本
件の争点である。
 これらの争点に関する当事者の主張の要旨は次のとおりである。
(地位確認及び賃金請求について)
1 原告
(一) 昭和六二年一〇月一日の雇用関係終了の意思表示(解雇)の無効
 本件雇用契約は、期限の定めのない雇用契約であり、昭和六二年三月三〇日の採
用後六か月間を試用期間としたものである。被告は、本件雇用契約が同年九月末日
までの臨時雇用であると主張するが事実に反する。したがって、原告の同年一〇月
一日の雇用関係終了の通告は、試用期間経過後の通常解雇であると解すべきとこ
ろ、予告手続が全くされない即日解雇であって手続的に違法であるから無効であ
る。また、原告が右通告当時解雇理由としてあげていた「子どもっぽい」「期待に
答えない」というのは抽象的で意味不明であること、「試用期間中に夏休みをとっ
た」ことについては、原告は上司の了承を得ていること、試用期間中に原告がこれ
らの点について被告から注意を受けたことはないことに鑑みると、右解雇は解雇権
の濫用に当たり無効である。
(二) 本件退職合意の効力
(1) 錯誤による無効
 原告は、法律に無知であったため、前記解雇が解雇権の濫用であり無効であるこ
とを知らず、これが有効であると誤信して、本件退職合意をしたものであるから、
右合意は錯誤に当たり無効である。右確認書が法律を知らないまま作成されたもの
であることは、その二項で従業員が請求しない限り時間外手当を支払わないとし、
六項で原告の時間外手当につき割増し分を支払わないとするなど労働基準法三七条
に違反する合意をしていることからも明らかである。
(2) 強迫による取消し
 被告のA編集長は、原告が昭和六二年一二月三日に組合加入を通告した後、原告
に対し「帰って下さい。仕事はありません。編集部にいては邪魔です。立っていて
ください。」等と告げ、原告の同僚に対し「原告と口をきくな。」と命じる等露骨
な嫌がらせを連日にわたって行い、原告に退職を強要した。原告は、このような嫌
がらせのため、被告の解雇通告を受領すべき意思表示を強迫され、やむなく本件退
職合意をする旨の意思表示をしたものである。そこで、原告は、同六三年四月四
日、原告に対し右意思表示を取り消す旨を通知し、右通知は翌五日被告に到達した
ので、本件退職合意は効力を生じない。
(3) 確認書違反による本件退職合意の失効等
 本件退職合意は、被告が原告を昭和六二年一〇月一日以前の就業形態に戻す債務
を履行すること(従前の編集の仕事をさせること、他の社員と差別をしないこと)
を条件あるいは引換えとしており、右債務が履行されなければ効力を失うものとさ
れていた。ところが、被告は、原告に従前のような編集の仕事をさせずに倉庫で返
品整理の仕事をさせたり、残業をさせず、冬季賞与を支給せず、行事に参加させな
いという差別を行ったりして右債務を履行しなかった。したがって本件退職合意
は、条件が成就していないか引換えの債務が履行されていないから効力を生じな
い。仮にそうでないとしても、原告は、本件退職合意を債務不履行により解除でき
ると解すべきところ、原告は昭和六三年四月四日、原告に対し債務不履行により右
合意を解除する旨の通知をし、右通知は同月五日被告に到達したので、本件退職合
意は効力を生じない。少なくとも、右債務の履行をしていない被告は、信義則上、
本件退職合意に基づく雇用期限到来を主張して原告に対し退職を求めることは許さ
れない。
2 被告
(一) 原告の主張(一)について
 本件雇用契約は、昭和六二年九月末日までの期間の定めのある雇用契約であり、
被告は、同年一〇月一日、原告に対し雇用期間満了により雇用関係を終了させ、再
雇用をしない旨を告げたものである。
(二) 原告の主張(二)について
 原告の雇用問題については、当事者及び組合との間で十分な交渉が行われた結
果、原告が昭和六三年三月三一日に退職することで合意ずみである。原告は、解雇
が有効であると誤信して本件退職合意をしたものであるとして錯誤による無効を主
張するが、原告は被告との交渉において、解雇の無効を主張していたものであるか
ら、この点につき本件退職合意を無効とするような錯誤はなかったというべきであ
る。また、確認書の記載内容及び交渉の経緯からみて、本件退職合意が強迫により
されたものでないことは明白である。さらに、確認書七項の文言上から、就業を昭
和六二年一〇月以前の形態とすることが本件退職合意に基づく退職の条件あるいは
引換えとなっていると読みとることはできず、この点につき口頭の合意がされた事
実もない。また、原告に返品整理の仕事をさせたことは確認書違反とはならず、仮
になるとしても原告の抗議により速やかに是正されたものであるから解除原因には
ならない。
(時間外賃金の請求について)
1 原告
(一) 原告は、被告において就労中、次のとおり合計四二七・五時間の時間外労
働を行った。
昭和六二年四月 二七時間
同 五月 六四時間
同 六月 六八時間
同 七月 四三・五時間
同 八月 四六時間
同 九月 六七時間
同 一〇月 三八・五時間
同 一一月 七三・五時間
 原告の基本時間給は七五〇円であるから、被告は原告に対し労働基準法三七条に
基づき割増しをした時間外賃金合計四〇万〇七八一円を支払うべきところ、被告は
右時間外労働に対し一六万〇三一二円しか支払っておらず、二四万〇四六九円が未
払である。
(二) 右一六万〇三一二円は、確認書の合意に基づき上記期間中の時間外賃金と
して支払われたものであるが、右確認書における時間外賃金に関する合意(二、六
項)は、当事者が法律に無知であったため、請求があった場合にのみ時間外賃金を
支払うものとし、二割五分の割増賃金を含めず、単純に時間給に時間数をかけるこ
とにより支払金額を算出したものであるから、強行法規である労働基準法三七条に
違反し無効である。したがって、原告の時間外賃金については、同法一三条により
同法三七条が適用されるから、被告は原告に対し、未払時間外賃金として二四万〇
四六九円を支払う義務がある。
2 被告
 被告は、原告との間で、右期間中の時間外賃金につき「原告主張の残業時間数×
二分の一×七五〇円」の計算で算出した金額を支払うとの合意をし、これに基づき
一六万〇三一二円全額を支払ずみである。原告は右合意が無効であると主張する
が、本件においては、当事者間で残業の有無及び残業時間数につき争いがあり、団
体交渉の結果、右計算式で算出した額を支払うことを合意したもので、実際にされ
た残業時間数の二分の一しか支払わないとか二割五分の割増分を支払わないといっ
た合意をしたものではないから、右合意は労働基準法三七条に違反せず有効であ
る。
(昭和六二年の冬季賞与について)
1 原告
 原告と同期に入社し夏季賞与につき原告と同額の支払を受けた者は冬季賞与とし
て給与の二か月分の金額を支給された。確認書七項は、原告の就業については昭和
六二年一〇月一日以前の形態とするとしており(この点は既に同年一二月四日に合
意されていた。)、これには、原告に対し同年の冬季賞与を支給するとの趣旨が含
まれている。また、原告以外の被告の従業員は全員が冬季賞与を支給されており、
このような場合、賞与支給の合意がなくとも原告に冬季賞与が支給されるべきであ
る。したがって、被告は、原告に対し同人と同期入社の従業員と同額の冬季賞与三
〇万円を支払う義務がある。
2 被告
 被告は、原告に対し昭和六二年の冬季賞与を支給する約束をしたことはない。確
認書七項は、原告に対し冬季賞与の支給を約束したものではない。
第三 争点に対する判断
一 地位確認及び賃金請求について
1 当事者に争いのない事実及び証拠(甲一、二の2、七、九、一〇、一八、一
九、乙一、四の2、四の3の1、四の4ないし6、五、七、証人B、同A、同D、
原告、被告代表者各本人)によって認められる事実は次のとおりである。
(一) 原告は、被告に入社した後約一か月間営業部で勤務した後、編集部に異動
し、昭和六二年一一月三〇日まで主任の指示のもとに本の校正、索引作成、図版の
収集・選択・整理、原稿整理、献本発送等の仕事をしていた。
(二) 同年一〇月二日から一一月三〇日までの原被告間の雇用関係については雇
用期間延長の形がとられていたが、原告は、右延長措置が同人の雇用契約上の地位
を被告に認めさせるための便法にすぎないと考えており、右期間経過により退職す
る意思はなかった。原告は、被告から雇用の継続を拒絶された同年一二月以降も就
労の意思を有しており、同月一日は被告の指示により、翌二日は私用のためいずれ
も出勤しなかったが、二日については退職を認めたと被告に主張されるのを防ぐた
め、予め休暇届を提出しておいた。そして、原告が同月三日に出勤したところ、A
編集長は、原告に対し、同人は一一月三〇日に退職したので仕事がないから帰るよ
う何度も告げ、原告を座っていた机から引き離そうとし、原告がこれを拒否する
と、営業部長と向い合わせに座らせると言い、他の社員に「原告と口をきくな」と
命じた。結局、原告は、同日は帰宅を拒否し一日中机に座っていた。
(三) 同年一二月四日に、原告及びB書記次長と被告との間で団体交渉が行わ
れ、その際、交渉決着まで原告を従業員として扱い従前どおりの仕事をさせること
が合意された。これに基づき原告は同月二五日まで編集部で本の編集業務に従事し
たが、午後六時に帰宅を命ぜられ、朝のミーティングにも出席しないよう指示され
たので、被告に対し抗議した。また、原告は、従前、主任から仕事の指示を受けて
いたが、右合意後はA編集長から直接指示を受けることになった。また、原告は、
被告から同月二三日開催の著者忘年会に参加しないよう指示されたため、これに抗
議した。
(四) 同年一二月一四日、二一日の団体交渉では主として原告の要求した労働条
件の改善についての話合いが行われ、原告の雇用問題については進展がみられなか
った。そして、次回交渉期日である翌六三年一月七日に原告の雇用問題を含めて交
渉を決着させることが合意された。
 原告は、昭和六二年の終業日の前日である同年一二月二四日、A編集長から来年
は出社せず翌六三年一月七日の交渉にだけ出席するよう告げられたが、前記(三)
の約束に違反すると抗議し出社の意思を表明した。原告から右事実の連絡を受けた
B書記次長も翌二五日に被告に抗議した。更に原告は、同日A編集長から再度、同
人の勤務が同日限りである旨告げられるとともに同日の社内忘年会にも出席しない
ように言われたので、これに抗議し来年も出社すると述べた。
 原告は、昭和六三年一月五日に出社したが、A編集長から仕事はないので帰るよ
う言われて就労を拒絶され、編集部の部屋に入れなかったので、同日は仕事を与え
られないまま営業部の椅子に腰掛けて自主的に読み書きをして過ごし、翌六日に出
社した際も同様の状況であった。なお、原告の机は同月五日に取り払われた。
(五) 原告及びB書記次長は、同年一月七日の団体交渉の冒頭で被告の右(四)
の各措置が前記(三)の約束違反であり、これについて謝罪し原告の机を元に戻す
ことを約束しない限り交渉に応じないと主張した。被告は、協議の結果、原告に謝
罪するとともに机を元に戻すことを約束し、これに基づき確認書の冒頭に「労使の
交渉中に約束した就労保障を破ったことについて、交渉再開に当り、就労保障をす
るとともにおわびします。」と記載した。これに引き続いて原告の雇用契約上の地
位についての交渉が行われ、被告側から、同日限り、同月二〇日限り、同年二月二
〇日限りといった退職時期の提案や退職までは自宅勤務とするといった提案があっ
たが、原告はこれらの提案をいずれも拒絶し、結局、原告が同年三月三一日に退職
すること、原告の就業については昭和六二年一〇月一日以前の形態とすること等の
合意が成立し、その旨が確認書七項に記載された。右合意の際「就業については昭
和六二年一〇月一日以前の形態とする」との内容については、自宅勤務ではなく会
社で従前やっていた編集の仕事をするということ以外には当事者間でその具体的内
容についての話合いはなく、このことが守られなければ同月三一日に退職するとの
合意が効力を失うというような話はなかった。被告は、右交渉の席上で原告に対
し、同年三月三一日付けの退職届を予め提出するよう求めたが、原告はこれを拒否
した。
(六) 原告は、同年一月七日以降、編集の仕事として本の校正等をしたが、担当
した本の冊数は昭和六二年一〇月一日以前に担当した冊数と比較するとわずかであ
り、昭和六三年二月二三日までの間、合計一七日間余りは倉庫で返品整理(返品さ
れた本のカバーの付け替え等)の仕事に従事した。原告及びB書記次長は、同年二
月二三日の団体交渉において原告の返品整理の仕事が長期間にわたっており編集の
仕事をさせないと確認書違反となると被告に抗議した。原告は、この後同年三月三
一日までの間、翌二四日から二六日まで及び三月一一日は返品整理の仕事を行った
が、その他の日は本の校正、索引作成、原稿清書等の編集作業をした。原告に対す
るこれらの仕事の指示はA編集長が行った。勤務時間については、原告は、午後六
時になると帰宅を命ぜられたのでこれに従っていた。
 原告は、同年二月三日の被告従業員のバレーボールの会に出席すべきかどうかA
編集長に相談したところ、同編集長から出なくてもよいと言われたため、同会に出
席しなかった。また、原告は、同年三月二四日に行われた被告の就業規則に関する
従業員の話合いの開催の通知を受けなかったため、右話合いに出席できなかった。
 原告及びB書記次長は、同年三月一日、一六日、二二日、三〇日に主として就業
規則の改定問題について被告と団体交渉をしたが、同月三〇日に原告が四月以降の
就労意思を表明するまで、原告が被告に対し、原告の仕事の内容等が確認書に違反
するとか本件退職合意が無効であると述べたことはなかった。
2 錯誤無効の主張について
 右認定事実によれば、原告が退職したかどうかについて原被告間に争いがあり、
交渉の結果、右争いを止めるため、被告が原告の雇用契約上の地位を認めるととも
に、原告が昭和六三年三月三一日限り退職することとしたものであるから、本件退
職合意は民法上の和解契約に当たる。そして和解契約において止めることを約した
争いの対象となった事項については、この点につき錯誤があっても、民法六九六条
により当事者はその無効を主張しえないと解すべきところ、本件においては、まさ
に原告の雇用契約上の地位の存否自体が争いの対象となっていたのであるから、仮
に原告が右和解契約の当時法的知識がなかったため雇用契約上の地位がないと信じ
ており、この点につき錯誤があったとしても、もはや原告はこれを理由として右和
解契約の無効を主張しえないというべきである。したがって錯誤無効の主張を採用
することはできない。
3 強迫取消しの主張について
 1で認定した被告の1(二)ないし(四)記載の各措置に対する原告の対応及び
本件退職合意をした昭和六三年一月七日の交渉の経緯、とりわけ交渉の冒頭で被告
に1(四)の措置をとったことを謝罪させると共に確認書にその旨を明記させてい
ること、右交渉には組合書記次長が同席していたこと等の事実に照らすと、原告が
被告の1(二)ないし(四)記載の各措置に畏怖して本件退職合意をしたと認める
ことはできない。したがって強迫による取消しの主張は採用できない。
4 確認書違反による本件退職合意の失効等の主張について
 原告は、同人の就業を昭和六二年一〇月一日以前の形態とする債務の履行と原告
の退職とは条件ないし引換えの関係にあり、右債務が履行されなければ本件退職合
意は効力を失うと主張するが、確認書の文言自体からはこのような関係を読み取る
ことはできない。この点につき原告は、確認書締結の際に右債務が履行されなけれ
ば本件退職合意の効力が発生しないことが口頭で確認されたと供述するが、確認書
締結の際にこのようなことが話し合われたことがないことは前記認定のとおりであ
るから、右原告の供述はこれに照らし採用することができず、他に右主張事実を認
めるに足りる証拠はない。また、そもそも被告に右債務の不履行があったと認める
ことができないことは後記説示のとおりである。したがって右主張は採用できな
い。
 次に、債務不履行による解除の主張についてみるに、前記認定事実によれば、原
告の就業を昭和六二年一〇月一日以前の形態とするとの債務の内容は原告に編集の
仕事をさせることであると解するのが相当である。原告は、右条項にはこのほか他
の従業員と差別的取扱いをしないということも含まれていると主張するが、確認書
締結の際にこの点について具体的に話し合われたことがなかったことは前記認定の
とおりであるから、このような趣旨まで含むと解することはできない。そこで、被
告に右債務の不履行があったといえるかどうかをみるに、原告は、倉庫での返品整
理の仕事をさせたことが債務不履行に該当すると主張する。しかしながら、右就業
形態に関する合意が、被告が原告に対し編集以外の業務を一切命じることができな
いとの趣旨まで含むと解することはできないこと、返品整理の仕事は被告の業務上
必要な仕事であり原告自身も右仕事をすること自体が嫌だと考えていたわけではな
いこと(甲一八)、前記1で認定したとおり、原告は昭和六三年二月二三日に返品
整理の仕事が長期にわたっていることを抗議しているが、その後は返品整理の仕事
をほとんどさせられなくなり、結局同年一月七日から三月三一日までの約三か月弱
の期間中、原告が返品整理の仕事をしたのは約二一日間で、その余の期間は編集の
仕事をしており全体としてみると編集の仕事の割合の方が多いこと、右抗議の後同
年三月三〇日に原告が四月以降の就労意思を表明するまでの間に原告が被告に対し
仕事内容が確認書に違反する旨を述べたことはなかったこと等に照らすと、返品整
理の仕事をさせたことが右条項の趣旨に違反し債務不履行となると解することはで
きない。原告は確認書締結後に従事した編集の仕事が従前の編集の仕事と異なると
も主張するが、この点につき債務不履行となるような仕事内容の差異があったと認
めるに足りる証拠はない。したがって債務不履行による解除の主張も採用すること
ができない。
 さらに、原告は、被告に債務不履行があることを前提として被告が本件退職合意
による原告の退職を主張することは信義則に違反すると主張するが、被告に債務不
履行が認められないことは右説示のとおりであり、他に被告に信義則違反となる事
実があったと認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用できない。
5 以上によれば、原告と被告との雇用関係は本件退職合意に基づき昭和六三年三
月三一日に終了したというべきであるから、原告の地位確認及び賃金請求は理由が
ない。
二 時間外賃金の請求について
 当事者間に争いのない事実及び証拠(甲一、八の1、2、一一、証人B、同A、
原告、被告代表者各本人)によれば、原告は昭和六二年一一月二四日提出の要望書
中で、同年四月から一一月までの間に同人作成のグラフに記載した時間数の時間外
労働をしたとして被告に対し時間外賃金の支払を請求したこと、被告は原告の時間
外労働の存在を争ったこと、交渉の結果、昭和六三年一月七日、「原告請求残業時
間数×二分の一×七五〇円」の計算で算出した金額を時間外賃金として支払うこと
が合意され(確認書六項)、これに基づき原告に対し一六万〇三一二円が支払われ
たこと、請求残業時間数の二分の一を計算の基礎とすることに原告が同意したのは
時間数を客観的に証明する証拠がないとの判断によるものであることが認められ
る。原告は、被告のC社長が原告作成の前記グラフに基づき原告の時間外労働の時
間数を算出してこれを認めた旨を供述するが、被告代表者本人の供述によれば、C
社長は現実の時間外労働の時間数を認めたものではなく、合意にあたって計算の基
礎となる数字として右時間数を算出したものにすぎないことが認められるから、右
原告の供述を採用することはできない。
 右事実によれば、原告の時間外賃金請求権の有無につき当事者間に争いがあった
が、交渉の結果、右争いを止めて確認書六項の金額で時間外賃金請求権を確定する
民法上の和解契約が締結されたものであるということができるから、仮に原告がそ
の主張する時間数の時間外労働をしていたとしても、右和解契約で確定された金額
を超える部分の時間外賃金請求権は民法六九六条により消滅したものである。原告
は、右和解契約が二割五分の割増賃金を含めずに支払金額を算出したもので労働基
準法三七条に違反し無効であると主張するが、右計算が現実の時間外労働時間数を
前提としたものではないことは右に認定したとおりであるから、その際に割増し計
算をしなかったことは同条に違反しない。また、原告は、確認書二項が請求しない
限り時間外賃金を支払わないとしているのは、請求の有無にかかわらず請求権を認
めた同法三七条に違反し無効であり、このことにより確認書六項の右和解契約も無
効となるとも主張するが、第二項と第六項は別個の合意であって、その効力はそれ
ぞれ独立に判断されるべきものであり、仮に二項の合意の趣旨が原告主張のとおり
であり無効であるとしても、右和解契約の効力には影響を及ぼさないと解するのが
相当である。
 したがって、原告の時間外賃金請求権は右和解契約の成立及びその履行によって
消滅したものというべきである。
三 賞与請求について
 原告は、昭和六二年一二月四日の原告を従業員として扱い従前どおりの仕事をさ
せる旨の合意及び確認書七項の「就業については昭和六二年一〇月一日以前の形態
とする」との合意中に、昭和六二年の冬季賞与を支給するとの趣旨が含まれている
と主張するが、証人B及び同Aの各証言によれば、右各合意の際に当事者間でその
具体的内容についての確認は行われなかったこと、確認書締結までの交渉の過程で
冬季賞与の支給について話題になったことがないことが認められ、これらの事実に
照らすと右各合意中に賞与支給の合意が含まれていると認めることはできない。原
告は昭和六二年の冬季賞与が原告の同期入社者を含む被告の従業員全員に支払われ
ているので支給の合意がなくとも原告にも同様に賞与が支給されるべきであると主
張するが、仮にこのような事実が認められたとしても、そのことのみから直ちに原
告の具体的な賞与請求権の発生を認めることはできず、他に原告が賞与請求権を有
すると認めるに足りる事実についての主張、立証はない。したがって、原告の冬季
賞与の請求は理由がない。
(裁判官 阿部正幸)

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採用情報


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今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
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ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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