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       主   文
(一)、原告の請求を棄却する。
(二)、訴訟費用は、原告の負担とする。
       申   立
原告の求めた裁判
(一)、中労委昭和四〇年(不再)第一五号(再審査申立人私鉄中国地方労働組合
井笠鉄道支部(以下「組合」という。)・再審査被申立人井笠鉄道株式会社(以下
「会社」という。))及び第一六号(再審査申立人会社・再審査被申立人組合)事
件について、被告委員会が、昭和四一年七月二〇日付でした命令を取り消す。
(二)、訴訟費用は、被告の負担とする。
被告の求めた裁判
主文と同じ。
       主   張
原告の主張する請求の原因
一、組合は、会社について不当労働行為に該当する行為があつたとして、岡山地方
労働委員会(以下「地労委」という。)に対して救済の申立をし(岡労委昭和三九
年(不)第六号事件)、地労委は、昭和四〇年三月一一日、組合の申立は、一部理
由があるが一部は理由がないものと認めて、別紙(一)のような初審命令を発し
た。
二、組合及び会社は、共にその命令を不服として被告委員会に対して再審査の申立
をした(中労委昭和四〇年(不再)第一五・一六号事件)ところ、被告委員会は、
組合の申立の一部を理由があるとして容れた反面、会社側の申立を理由がないもの
と認定して全部棄却した。
三、被告委員会の命令の主文ないし理由は、別紙(二)の命令書写記載のとおりで
ある。
四、しかしながら、右命令には、事実の認定ならびに法律上の判断を誤つた違法が
ある。
 その理由は次のとおりである。
被告委員会の認定した事実中
1 当事者等の項は認める。
2 昭和三九年春闘と他社のバス乗入れ問題の項は、会社がその主張について強い
態度を示したという点を除いて認める。
3 年間臨給闘争の経過および角屋の会合の項中
(1)は認める。
(2)も認める。
(3)は、P1の欠勤の期間を除いて認める。
 P1の欠勤は、昭和三九年六月一五日から同年八月二二日までである。
(4)は、抗議のあつたことだけを認め、その余は争う。
(5)の第一段は、P2課長が会合場所を指定したとの点を除いて認めるが、その余
の段は争う。
(6)は否認する。
 角屋は特に高級な旅館ではなく、会社の従業員は、忘年会その他の会合に良く利
用していた。
(7)は争う。
 P2課長は、P1が会合の費用を支払つたものと思つていたところ、まだ支払つて
いないということで立替支払をしたのであり、後日P1から立替金の返還を受けてい
る。
(8)は認める。
(9)も争わない。
(10)も認める。
(11)も争わない。
(12)も認める。
4 井笠バス労働組合(以下「バス労」という。)の結成についての項は認める。
5 P3営業所長の言動等の項中
(1)は認める。
(2)は知らない。
 P3所長の矢掛転任がバス労強化のためであるという噂はなかつた。
(3)はメモを屑かごに破棄したという点まで及びP3所長が、P4がバス労の幹部
であることは知つていたことは認めるが、その余の事実は、知らない。
(4)は認める。
(5)は、P3所長が、当日岡山市内にある津山旅館にP5を訪ねたこと及びP6・P
7が当日休暇をとつたことは認めるが、その余は知らない。
(6)は争う。
(7)は認める。
(8)は知らない。
(9)は認める。
被告委員会の判断中角屋での会合について
(1)組合及び会社の各主張の要旨は、命令書記載のとおりである。
(2)の前文については、病気欠勤中のP1が反組合的行動を続けていた事実はな
い。
①は争う。
 会合場所である角屋は、会社従業員が日頃よく利用する程度の旅館であつて、本
件会合についても、P1等の参会者が旅館に会合を持つことを依頼した後、P2課長
に電話でその出席を求めたものであつて、P2課長が同旅館を会合の場所として選ん
だものではない。
②については、参会者が、職制上P2課長の所轄に属する運転手であることは認める
が、同人等が、当時反執行部派と目されていたわけではない。
③については、P2課長が病気欠勤中のP1が反組合的活動をしていることを知つて
いた事実はない。
④について、角屋の領収書がP1宛となつていることは認めるが、この費用は、当然
P1等の支払うべきものであるから、宛名をP1としただけであつて、何等の作為は
ない。
⑤について、P2課長が、ストライキをすることを不可であると暗示したものではな
い。
⑥について、組合の度々のストライキに対する井原市その他関係地区住民の批判
と、その結果生じた国鉄バス等の乗入申請等に関して、P1等が、その詳細な経過を
知るために、P2課長に説明を求めたものであつて見れば、その会合の日時が次に予
定されていたストの日時に接着していたとしても不思議ではなく、そのことが、直
ちに、不当労働行為の意図と結びつくものではない。
⑦について、公益事業において、一日のストライキが如何に公共の利害に影響する
ものであるかを考慮すれば、会社が組合と一戦を交えるため自らストライキを求め
ることなどできるものではない。そのストライキの原因となつた年間臨給問題に関
する組合の要求に対する会社の諾否は、専ら経理上の理由によるものである。
⑧について、多数の参会者のうち、P8一人がスト破りを呼びかけている事実並びに
同日の会合に出席していなかつた矢掛営業所においてスト当日二台のバスが動いた
事実は、却つて、会合の席上ではスト破りについての話合がなされなかつたことを
物語るものである。
⑨は認める。しかし、本件会合と組合分裂との間に何等の因果関係もない。
 本項後文の判断は誤りである。なる程、P2課長が、職責上組合問題に介入すべき
立場にないことは当然であるけれども、だからと云つて、P1等が本件のような会合
を企画したことを注意し、阻止すべき義務はない。P1等が本件会合を持つた目的
は、前述のようにストライキに対する地区住民の批難ないし他社のバス乗入問題等
についてP2課長の説明を聞くためであつたのであるから、P2課長がこれに注意を
与え、或いはこれを阻止することは、却つて、組合員の自由な活動に介入すること
になつて不当なものとなろう。
 従つて、P2課長の本件会合への出席が、ストライキ反対の組合員に物心両面での
支援を与える形となり、ひいては組合分裂を促進する一因を醸成したものであつ
て、支配介入に該当するとする被告委員会の判断は、明らかに誤りである。
被告委員会の判断中P3所長の言動について、
(1)組合及び会社の主張の要旨は命令書記載のとおりである。
(2)の前文について、P3所長の矢掛転任は、他の営業所長の配転と関連した一連
のものであつて、その配転について会社に特別の意図はなかつた。
①について、業務上の指示ないしは従業員の動向報告とは云つても、それは、二つ
の組合が併存し対立している中での職場秩序の問題に関連することであり、特に自
動車の運行中の出来事等に関することであるから、最古参の運転手であるP4にこれ
を依頼したとしても何等異とするに足りないものである。
②については、その指示・要請は、古参運転手のP4に対してしたものであり、バス
労の幹部に対してしたものではない。
③は認める。
④は知らない。
⑤については、協議したという点を除いて認める。P5部長と会つたのは旅館の前で
一〇分程挨拶程度の立話をしただけで協議をしたことはない。
⑥は否認する。P3所長がP4に指示ないし依頼したものではない。
⑦は認める。バス労幹部が脱退届を書いたのは八月四日であるから、P3所長がその
翌日の八月五日にP4に会つて脱退届を書いて提出するように指示ないし依頼をした
ものとすると、おかしな結果となる。この脱退届は、既に八月二日に作成されてい
たものであつて見ればなおさらである。
⑧は認める。但し、全般的にバス労加入者が多くなつたものであつて、矢掛営業所
だけに限つた現象ではない。しかも脱退届の提出は、バス労において決定したもの
であつて、P3所長の言動とは無関係である。
⑨は認める。但し、特段の意図があつた訳ではない。
⑩も認める。なる程組合からの要請によつてこの通達を出したけれども、その趣旨
は、あくまで「組合の運営に支配介入の行為をしないよう留意せよ。」というもの
であつて、会社の真意に基くものである。
⑪は争う。P3所長の証言が初審と再審とで大きく変つた事実はない。証拠物を示し
て尋問された結果、その記憶が喚起されて詳細な内容の証言となつたとしても、そ
のことの故にP3所長の証言が信用できないとするのは当らない。
とすると、本項後文において、被告委員会が、「P3所長は、営業所長たる職責を利
用し、一方の組合幹部に働きかけ、結果的には他方の組合の切崩しともなるような
指示ないし要請をしたもの」と認定したのは、事実を誤認し、ひいては、不当労働
行為でないものを不当労働行為と判断した違法がある。
五、以上のように、被告委員会の発した本件命令は、事実を誤認し、法律上の判断
を誤つた違法なものであることが明らかであり、その違法性は重大なものであるか
ら、原告はその取消を求める。
被告の答弁
一、原告の請求原因第一項の事実は認める。
二、同第二項の事実も認める。
三、同第三項も認める。
四、同第四項中、被告委員会の命令に事実誤認ならびに法律上の判断を誤つた違法
があるとの主張は争う。
なお、被告委員会の認定に反する原告の主張事実は、全部争う。
五、同第五項は争う。
       証拠(省略)
       判断
 組合は、会社について不当労働行為に該当する行為があつたとして、地労委に対
して救済申立をしたところ、地労委は、組合の申立は一部理由があるが、一部は理
由がないものと認定して、別紙(一)のような初審命令を発したこと、この初審命
令を不服として、組合及び会社の双方から被告委員会に対して再審査の申立をした
結果、被告委員会は、組合の申立を一部理由があるとして容れた反面、会社側の申
立を理由がないものと認定して棄却したものであり、その命令の主文ないし理由
が、別紙(二)の命令書写記載のとおりであることは、当事者に争いがない。
 そこで、被告委員会の事実認定並びに法律上の判断の当否について検討する。
(当事者)
 会社は、肩書地に本社を置き、地方鉄道業・自動車運送業等を営んでおり、その
従業員数は本件初審申立当時七三二名であつたこと、昭和三九年七月以前、会社内
にはその従業員をもつて組織されている単一の労働組合である本件組合があつた
が、同月一七日分裂してバス労が結成された結果、組合の組合員数は次第に減少を
続け、地労委に対して救済申立をした昭和三九年八月八日当時六八一名を数えた組
合員は、昭和四一年二月一〇日現在で約二八九名となるに至つたことは、当事者間
に争いがなく、成立に争いのない乙第九〇・九一号証によれば、昭和四〇年一一月
一八日当時、バス労の組合員数は、既に三七〇名前後に達していたことが認められ
る(この認定に反する証拠はない。)。
(昭和三九年春闘と他社の乗入問題)
 組合は、昭和三九年二月一日、会社に対して金五、〇〇〇円の賃上げ等三項目の
要求書を提出し、これについて団体交渉が続けられたが、会社側からも、鉄道合理
化などを含む三項目の条件の提示があつたりして妥結に至らず、組合は、同年三月
二七日に始発から六時までの時限ストを、同年五月二四日に二四時間ストを、同月
二七・二八日の両日四八時間ストを実施したが、二八日のストは中途で中止され
た。この春闘は、同月二九日賃上げ額金二、九〇〇円で妥結したが、この賃上げ額
は、私鉄総連傘下の組合平均よりは、四〇〇円程低いものであつた。
 これより先、昭和三八年秋頃から、会社の独占路線である井原・玉島・寄島地区
の住民が、陸運局や国鉄等に対して国鉄バスと両備バスの乗り入れ方を要望してい
たが、昭和三九年の春闘をきつかけにして、他社乗入れ要請の声がさらに強くな
り、同年六月頃には、井原で同市議会が中心となつて、全市民を対象として、他社
のバス乗入れを要請する署名を集める運動が行われるという状態となるに至つたこ
とは、当事者間に争いがない。
(年間臨給闘争と角屋の会合)
 組合は、春闘妥結の約一〇日後である昭和三九年六月八日、夏期手当及び越年手
当の年間臨時給与として金一五万円を出すよう要求したところ、会社は、同月二七
日前年実績プラス三九〇円の金八七、五〇〇円の第一次回答を行い、次いで、同月
二八日に予定されている半日ストを回避するならば金八九、〇〇円を支給するとの
第二次回答を行つた。組合は、二八日の半日ストを一応中止することにしたが、職
場討議の後、あらたに同年七月五・六日の四八時間ストライキの実施を決定したこ
とは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四六・四七号証によれば、昭
和三九年七月一日当時、組合の執行委員会においては、同月五・六日の四八時間の
ストライキが計画され、P1の属する笠岡の分会では、七月一日にその是否が職場討
議にかけられており、P1はその職場討議に出て討論に加わつた後、後記の角屋の会
合に出席したのであり、P8の属する井原の分会では、未だ七月一日の段階では、同
年五・六日のストライキが職場討議にかけられてはいなかつた。と認められ、右認
定を左右するに足りる証拠はない。
 P1は、組合に所属する組合員で、以前バスの運転手・営業所の助役等を経て、当
時は笠岡営業所に属するバスの運転手であつたが、昭和三九年二月頃、高血圧症で
あるという医師の診断によつて下車勤となり、その後下車勤務も禁止され、同年六
月頃から病気欠勤を続けていたことは、当事者間に争いがない(弁論の全趣旨によ
れば、P1の病気欠勤の期間は、昭和三九年六月中旬頃から同年八月下旬頃までであ
ると認められ、この点に関する乙第四四号証、第四六号証及び第九〇号証中の記載
はあやふやで正確さを欠き、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。)。
 成立に争いのない乙第四四号証及び第五四号証、前掲乙第四五号証及び第九〇号
証によれば、病気欠勤中のP1は、昭和三九年六月中旬頃から、単車に乗つて各職場
を廻つたり、会合を開いたりして、盛んに組合の執行部を批判する活動を行つてい
たので、組合は、P1の言動は、反組合的言動であるとして、その頃、会社の自動車
課長P2その他に対し、再三に亘つて、病気欠勤中の者がこのような活動を行うのは
問題であり、会社において適切な処置をするよう抗議し(P1の言動に関して組合よ
りP2課長に抗議のあつたことは、当事者間に争いがない。)、さらに、団体交渉の
席上でも同様の抗議を行つたが、会社としては別段の措置をとらなかつた。なお、
P1は、バス労が結成された同年七月中旬以降も、相変らず夜間単車に乗つて、バス
労のための組合活動を続けていた。と認められ、右認定に反する証人P2の証言は信
用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
 P2が課長をしている本社営業部自動車課は、一般乗合自動車の営業と運行を管理
する重要な課で、観光係を除いて各自動車営業所をその所管下におき、所属の従業
員数が社内で最も多いところであるが、昭和三九年七月一日、P1の提唱で、夜九時
頃から約一時間、笠岡市内にある角屋旅館に、組合の執行委員であるP8(前掲乙第
四七号証によれば、P8は、井原営業所のバスの指導運転手兼運行管理者であると認
められる。)、井原営業所所属のバス運転手で、組合の組合員であるP9・同P10・
同P11・同P12・同P13の外、P1及びP2のバス運転関係の者八名が参集して、酒
食を共にしながら、P2から会社の経理内容及び井原・玉島・寄島地区への国鉄バス
や両備バスの乗入れ問題の状況等について説明を受けたことは、当事者間に争いが
ない。
 成立に争いのない乙第二三・二四号証、第二八号証、第三三号証、第八三号証、
前掲乙第四六号証、第九〇号証、成立に争いのない乙第四二号証によつて原本の存
在並びにその真正の成立の認められる乙第一八号証、後記信用できない部分を除く
前掲乙第四四号証及び第四七号証の記載の各一部を総合すると、会社の鉄道・バス
に依存している地区住民は、当時行事化して来た組合のストライキに困却して、国
鉄・両備のバス乗入れを要請するようになり、組合の内部においても、執行部を批
判する組合員の数が次第に勢を得て来ていた昭和三九年七月一日に右角屋での会合
となつたものであり、この会合に参集した全員が執行部批判派であつたとは速断で
きないが、殆んど大多数の者は、組合の度々行うストライキに相当批判的な立場に
立つていたものであつた。特にP1は、執行部批判の活動を公然と行つていたため、
組合から会社に対して再三に亘つて抗議の申入があり、P2としてはその抗議の相手
となつたこともあり、P8も組合の執行委員の中では、ストライキ反対の立場を相当
早くから取つていたので、P2は、当夜角屋に集まつた者達が、大部分執行部批判派
の者達であることを知つていて、その会合に出席したのであつた。P1は、組合の職
場討議に参加したため、後れて角屋の会合に出席したものであるが、その職場討議
では、既に同月五・六日の四八時間ストライキの討議がなされて、大多数の者が賛
成するに至つたものであり、角屋の会合においてもストライキの話が出ているので
あるから、出席者全員、組合が同月五・六日にストライキを決行する予定であるこ
とを了知した上で話合を進めたものであつた。その席上、先ずP2から会社の経理内
容、国鉄の乗入れ問題等について説明があり、その後雑談の中で、組合の行き方に
ついても批判が出ており、また、「ストの時、車を動かす方法はないか。」という
声もあり、これに対してP2課長は、「他社のバスを運行してもらうとか、運輸大臣
に運送命令を出してもらうとかいう方法がないでもないが、事実上それは難しいこ
とである」という趣旨の発言を行つている。又、P8が、「ストの時車を動しても良
いのではないか。」との発言をしたのに対して、P9あたりが、「そういうことはで
きない。」と反対した一幕もあつた。P2としては、その席上、「会社は非席に苦し
い実情にあるから、それを理解して協力してほしい」と訴えはしたが、「ストライ
キをやつて貰つては困る。」という趣旨の発言は行つていない。そうして、P2を除
いた参会者達は、今後職場討議を通じてなるべくスト回避の方向に努力しようと話
し合つて散会した。右の会合のあつた角屋は、笠岡市内では上流に属する旅館であ
り、会社の関係者が、忘年会、新年会、送別会等に時々利用することはあつたが、
バスの運転手達が、平常私的に利用するということは殆んどなく、その会合の申込
をしたP1も、個人的には殆んどなじみのない旅館であつて、その会合が終つて皆が
帰る際、その支払はなされなかつた。同月一二日前後頃、組合の副執行委員長であ
るP14が角屋旅館を訪れて、七月一日の会合の請求書を要求したところ、角屋旅館
では「井笠P2様」と宛名した計算書を発行した。その後同月一八日、P2が角屋旅
館に行き、七月一日の会合の代金七、八一〇円を支払い、その領収書は、P1宛に作
成させた。(その代金は、後日P1から、P2に支払われたもようであるが、判然と
しない。)と認められ、右認定に反する証人P2・P11の各証言、乙第四四号証及び
第四七号証中の記載は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。な
お、被告委員会は、角屋旅館はP2が指定したと認定しているけれども、そのように
肯認し得るに足りる資料は存在しない。
 角屋の会合より数日後である七月五・六日に四八時間ストライキが実施されたと
ころ、五日の朝、ストライキに批判的であつた組合の執行委員P6の呼びかけで、矢
掛営業所のバス運転手P15が、矢掛・井原間の、同じくP4が、美山・矢掛間のバス
を運行した。また、組合の執行委員のP16が笠岡営業所で、同じくP8が井原営業所
で、組合員であるバス運転手等に対してバスを運行するように呼びかけたが、いず
れも運行はされなかつた。右の四八時間ストライキに関し、組合側の調停申請に基
いて、地労委は、年間臨給金九六、〇〇〇円の調停案の提示を行つたが、会社側か
ら拒否回答を受けたため、引き続いて職権斡旋を行い、金九三、〇〇〇円の斡旋案
を示すに至つた。組合側はこの斡旋案を受諾したが、会社側が再三に亘つて回答を
延期したため、会社の不誠意な態度を世論に訴えようと、同月一五日から七二時間
ストライキを行うことを決定した。会社側は、右七二時間ストライキの直前になつ
て地労委の斡旋案を正式に拒否する回答をしたが、同月一五日正午頃、会社と組合
間で団体交渉が持たれた結果、年間臨給九三、〇〇〇円、ただし、欠勤控除等から
生じた原資の配分率は七〇パーセントとするということで妥結し、同日午後一時に
ストライキは中止された。そして、交渉妥結直後に、会社と組合間でトツプ交渉が
持たれ、組合側から、「不当労働行為をしないように」という趣旨の通達を会社よ
り職制あてに出すように強く要望されたため、会社は、同月二〇日付で、「労働組
合法第七条に規定する趣旨について留意されたい」旨の各職制あての通達を発し
た。ことは当事者間に争いがない。
(バス労の結成)
 従来から組合の行き方に対して批判的であつた一部組合員はP1を中心として新し
い労働組合を結成する計画を立て、総同盟の援助のもとに、昭和三九年七月一七日
午前零時から約二時間、岡山市内にある下電ホテルに会社の従業員六二名が参集し
てバス労の結成大会を開催し、その席上P1を執行委員長に、P8を副委員長に、P
6を書記長に、七月一日に角屋に集まつたP12・P10・P13等を含めて一〇名を執行
委員に選出し、その際、矢掛営業所のP4は、バス労の会計監査に選ばれた。右結成
大会の数日後である同月二〇日過ぎ頃、バス労は、地労委に対して法人登記のため
の資格審査を申請し、地労委は、同年八月二〇日付でバス労が労働組合として適格
であるとの証明書を出すに至つた。ことは、当事者間に争いがない。
(P3所長の言動)
 会社は、昭和三九年七月三一日付で社内の人事異動を行い、福山の営業所長であ
つたP3を、矢掛営業所長兼矢掛駅長に任命した。当時矢掛営業所及び駅における従
業員数は六七名であり、内バス関係者は五九名を数え、非組合員は所長一名だけで
あつた。ことは当事者間に争いがない。
 成立に争いのない乙第三四号証及び第五四号証によれば、P3の矢掛転勤は、バス
労強化のためのものであるとの噂が流れていたので、これを警戒した組合は、執行
委員会でその対策等を検討した結果、P3が組合に対して攻撃的言動に及ぶかどう
か、バス労を支援する虞はないかを監視する必要があるとして、そのためのオルグ
派遣を決定し、同年八月一日から約一〇日間執行委員のP17等に無給休暇をとらせ
て矢掛に派遣し、常時P3の言動を監視していた。ことが認められ、右認定に反する
証拠はない。
 同年八月三日午前一一時頃、P3は、笠岡から矢掛までのバス乗務を終えて営業所
の事務室に入つて来たP4を所長席に呼び、社用の便箋に「出来るだけ早い機会に、
自動車だけでも一本にする必要がある。努力を願います。中心になつてくれ。」と
いうものと、「従業員の動向を時々メモにでもして知らせて下さい。特に変つたこ
と等があつた場合、オルグがいても何もエンリヨは要らぬ。」というものの二枚の
メモをし、それをP4に示しながら約二〇分間にわたつて話合を続け、話が終るとそ
のメモを屑かごの中に破棄した。ことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない
乙第三五号証、第三七号証及び第四三号証、前掲第三四号証によれば、右P3とP
4の話合の状況を見ていたP17は、矢掛駅の駅手P18に命じて屑かごを焼却場付近ま
で持ち出させ、メモの破片を拾い集めて宿直室に持ち帰り、同駅助役のP19と共に
復元作業を行い、これを組合のP14副委員長に手渡した。当時P3は、P4がバス労
の幹部の一人である(P4がバス労の幹部であつたことは当事者間に争いがない。)
ことをP1から聞いて承知していたものである。と認められ、右認定に反する証拠は
ない。
 前記バス労の結成大会に際して出された「新組合結成趣意書」によれば、その最
後の方に参考として「加入される方は別添加入申込書に記名捺印の上、仮事務所宛
郵送して下さい。旧組合(井笠支部)は自動的に脱退出来ます。」と記載されてい
たことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三九号証、原本の存在と
共にその成立に争いのない乙第七〇号証、前掲第九〇号証によれば、昭和三九年八
月三日頃、矢掛営業所関係従業員六七名中バス労に加入していた組合員数は、十数
名に過ぎず、P4を始めとして、バス労の組合員は、まだ誰一人として組合に対し脱
退届を提出していなかつたと認められ、右認定に反する証拠はない。
 ところが、P3は、同日(八月三日)中にP1からの連絡で、総同盟本部のオルグ
であるP5某が岡山市に来ており、津山旅館に宿泊中であることを知つたことは、当
事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四〇号証、第七三号証、第八〇・八一
号証、第八四・八五号証、前掲乙第八七号証によつて真正の成立の認められる乙第
六九号証、右乙第八四号証によつて原本の存在と共にその真正の成立の認められる
乙第一九号証、後記信用できない部分を除く前掲乙第八七号証の一部に弁論の全趣
旨を総合すると、P3は、P1から連絡を受けた次の日の八月四日、バス労の組合員
でその執行委員に選任されている矢掛営業所所属のP6及びP7の両名が、同日開催
される総同盟関係の会合に出席するからという理由で公休の請求をして来たので、
これに許可を与え、同人等は、当日会社を休んでその会合に出席して右P5某とも面
会している。そして又、P3は、右P5某から話を聞くという名目で、岡山市におい
て第四回の営業所長連絡協議会(これは営業所長の懇親を兼ねた一種の私的な集ま
りである。)の開催を提唱し、八月四日の勤務時間終了後、P3を含めて六名の会社
の各営業所長が、笠岡発一八時三〇分の列車に乗つて岡山市に赴き、津山旅館に宿
泊中のP5某を訪ねた。途中P3は、たまたま知人に会つたため、他の所長達よりも
一足後れて津山旅館に着いたが、その時は、他の所長等は既に右P5某に会つて面談
した後であり、P5某は外出しようとして玄関に出て来たところであつた。P3は、
津山旅館の玄関附近でP5某をつかまえて約一〇分前後話合をして別れた後、他の所
長等と共に食事を共にしながら、約一時間半ぐらいに亘つて種々協議をした。そし
て、その翌日頃、P3は、矢掛営業所の所長日誌の八月四日欄に、「総同盟の件、P
6・P7出席、V.okayama.H.tuyama.P5氏に各所長面接し協議」
と記載した。このVは意味不明であるが、Hはホテルの意味を表わすものであつ
た。同月七日の午後七時三〇分頃から同九時三〇分頃までの間、組合は、矢掛で、
書記長P20・青年婦人対策部長P21等が出席して青年婦人部の会合を持つたが、そ
の会の終了時、矢掛の従業員で、組合の組合員の一人が、勝手に前記営業所長日誌
を持ち出して来て、P20等幹部に提供した。同人等は、P3の記載した八月四日に関
する事項が、同人の不当労働行為を示すものであると判断し、後日の証拠とするた
めP21がその写真撮影をした。ところが、P3は、その後所長日誌の中の八月四日欄
を破り捨てて新たに書き替え作成した。P3は、岡山で前記P5某と会つた翌日の八
月五日午前一一時四〇分頃、矢掛営業所事務室内の所長席で、P4と会つて筆談をし
たが、筆談のメモを見たP4がうなずいたので、P3はにつこりして筆談に使つたメ
モ用紙を破つて屑かごに捨てた。これを目撃していた組合の鉄道分会の分会長をし
ていた矢掛駅助役のP19は、同駅々手のP22に所長用の屑かごを持参するよう指示
した。P22は、その指示に従つて所長用の屑かごを焼却場附近に持ち出し、P19・
P18等と共に右のメモの破片を拾い集め、P19が宿直室でその復元を図つた。その
完全復元は出来なかつたが、そのメモには、P3の筆跡で「総同盟闘争部長P5氏、
脱退届、名簿提出、色分ケ」と判読できる記載があり、「色分ケ」の頭には二重丸
が付されてあつた。右のP3とP4の筆談の状況は、私鉄総連から組合のために派遣
されたオルグであつたP23も、駅のプラツトホームから見守つていた。と認めら
れ、右認定に反する乙第三七号証、第三九号証、第八七号証の各記載部分、証人P
6の証言は、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
 八月七日(これは、前記認定のP3とP4の筆談後僅か二日後である。)、バス労
の幹部は、組合に対し、矢掛営業所を中心とした組合員の同月四日付の脱退届を提
出したが、その中には勿論P4も入つており、その後同月中旬頃からバス労加入者が
急速に増加し初めた。昭和三九年八月分の組合費については、バス労に加入したも
のもチエツク・オフされて組合に渡されていたが、同年九月一六日付でバス労組合
員二五名が、会社にチエツク・オフの拒否を申し入れ、その後順次拒否申入者が増
加して行つた。なお、バス労は、昭和三九年中は組合費の徴収をしなかつた。こと
は、当事者間に争いがない。
(不当労働行為の成否)
 先ず、昭和三九年七月一日のP2の言動について判断する。
 もとより、会社にも言論表現の自由があり、労使の関係が極めて尖鋭化している
時点でも、会社の事務室内等において、自らの意思によつて集つた労働組合の組合
員に対し、使用者ないしその管理の職責を有する者が、会社の苦境その他を説明
し、ストライキになつた場合には会社倒産に陥る可能性のあること等会社の本当の
実情を訴えて、協力を要請すること自体は、法律上当然に許された範囲に属するも
のといわなければならないが、本件における前記認定判示の事実関係からすれば、
自動車課長として会社の監督的地位ないしは使用者の利益を代表しているP2は、ス
トライキが数日後に予定されている時機に参集者達があまりなじみを持たない相当
上流の旅館において、反執行部派と目される組合員が集つた中で、酒食を共にしな
がら会社の実情等を訴えて協力を要請したものであつて見れば、同人の意図の如何
にかかわらず、その言動は洵に軽率であつたとのそしりを免れず、外面的には、組
合内部における分派活動を支援する形になつたものであるといわざるを得ない。し
かして、労働組合法第七条第三号にいわゆる支配介入として不当労働行為を構成す
る行為は、必ずしも具体的に労働組合の団結権その他の権利を侵害する結果の発生
したことを必要とするものではなく、苟しくも外形上労働組合の結成・運営等を支
配し又はこれに介入するものであつて、抽象的にその団結権その他の権利を侵害す
る危険性を帯有している使用者側の行為であれば十分であり、もとより使用者に不
当労働行為意思の存在することも必要としないものであると解するのを相当とする
から、本件におけるP2の言動の不当性がそれ程大きなものであつたとは言えないに
しても、右のように外面的には組合内部の分派活動を支援する形を構成したもので
ある以上、それは結局は組合運営に干渉するものであつて、組合の団結権その他の
権利を侵害する方向に向つた支配介入行為に該当すると見るのが相当である。この
点使用者側の言論の自由といえども、そのなされた時期・場所・目的・方法態様な
いし対象者等の如何によつては、或る程度の制約を受けるのが当然のことであり、
本件におけるこれらの事情を総合的に考察した場合、P2の言動は、やはりその制約
の範囲を超えたものであつて、組合に対する支配介入となることについては変りが
ないものといわなければならない。
 なお、被告委員会は、右の会合に角屋を指定したのはP2であり、その角屋の会合
への出席によつて組合分裂を促進する一因を醸成したと認定判断をしているとこ
ろ、P2が会合場所として角屋を選定したとまで認定できないのは前判示のとおりで
あり、又、本件全証拠によつても、七月一日当時既に組合分裂の動きがはつきりと
出ていたとは首肯できないと同時に、P2が組合分裂を希求して角屋の会合に出席し
たものであるとも肯認することができないけれども、被告委員会の事実認定並びに
法律判断は、その大筋において正当であり、P2の言動が組合に対する支配介入とし
て不当労働行為に該当するとした判断は、前判示のとおり当裁判所もこれを是認す
ることができるから、被告委員会の命令には事実誤認・法律判断の誤りがあるとの
本件原告の主張は採用することができない。
 次に、昭和三九年八月三日ないし五日のP3の言動について判断する。
 前記認定判示の事実関係の下においては、組合の活動の中にも相当非難さるべき
点がなかつたと言うことはできないにしても、それにもまして、P3の言動は、正に
組合に対する支配介入として不当労働行為を構成すると解すべきことは多言を要し
ないところであり、この点に関する被告委員会の事実認定並びに法律判断には、殆
んど誤りはないものというべきであるから、被告委員会の命令に重大な事実誤認・
法律判断の誤りがあるとする原告の主張も又採用の限りではない。
 とすると、原告の本件請求は理由がないから、これを失当として棄却すべきであ
る。
 よつて、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条を適
用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西山要 吉永順作 瀬戸正義)
別紙(一)
       主   文
一、被申立人井笠鉄道株式会社は、申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部に対
し、下記事項を記載した文書を、本命令書が交付された日から一週間以内に手交し
なければならない。

昭和 年 月 日
私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部
 支部執行委員長 P24殿
 井笠鉄道株式会社
 代表者代表取締役 P25
 昭和三九年八月三日井笠鉄道株式会社矢掛営業所において、矢掛営業所長兼矢掛
駅長P3が、P4に対し行いました行為は、労働組合法第七条第三号に違反する不当
労働行為でありましたので、深く陳謝の意を表し、今後このような行為を再び繰返
さないことを誓約いたします。
二、申立人の損失補償請求の申立は却下する。
三、申立人のその余の申立を棄却する。
別紙(二)
命令書
中労委昭和四〇年(不再)第一五 一六号
昭和四一年七月二〇日命令
一五号事件申立人 私鉄中国地方労働
一六号事件被申立人 組合井笠鉄道支部
一五号事件被申立人
一六号事件申立人
井笠鉄道株式会社
       主   文
初審命令主文を取り消し、次のとおり変更する。
一 井笠鉄道株式会社は、本命令交付の日から七日以内に、縦一メートル、横一、
五メートルの板面に、墨書をもつて、下記のとおり明記し、会社本社および矢掛営
業所の従業員の見やすい場所に七日間掲示し、その履行状況を当委員会に報告しな
ければならない。

 昭和三九年七月一日の角屋旅館における会社自動車課長P2の言動ならびに同年八
月三日および五日の矢掛営業所長兼矢掛駅長P3の言動は、労働組合法第七条第三号
に該当する不当労働行為でありましたので、今後このような行為を再び繰り返さな
いことを誓約いたします。
昭和 年 月 日
 井笠鉄道株式会社
 代表取締役 P25
私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部
 支部執行委員長 P24殿
二 再審査申立人私鉄中国地方労働組合井笠鉄道支部のその余の申立てを棄却す
る。
三 再審査申立人井笠鉄道株式会社の申立てを棄却する。
       理   由
第一 当委員会の認定した事実
1 当事者等
(1) 第一五号事件再審査申立人・第一六号事件再審査被申立人私鉄中国地方労
働組合井笠鉄道支部(以下「組合」という。)は、井笠鉄道株式会社の従業員をも
つて組織された労働組合で、本件初審申立て当時(昭和三九年八月八日)組合員数
六八一名であつたが、昭和四一年二月一〇日においては二八九名である。
(2) 第一五号事件再審査被申立人・第一六号事件再審査申立人井笠鉄道株式会
社(以下「会社」という。)は、肩書地に本社をおき、地方鉄道業、自動車運送業
等を営み、その従業員数は本件初審申立時七三二名である。
(3) なお、会社には、後記の経過により、組合から分裂して結成された井笠バ
ス労働組合がある。
2 昭和三九年春闘と井原地区等への国鉄バスおよび両備バスの乗入れ問題につい
て、
(1) 昭和三九年二月一日、組合は会社に対し五、〇〇〇円の賃上げ等三項目の
要求書を提出し、以後団体交渉が続けられたが、会社が鉄道合理化など三項目の条
件を主張するなど強い態度を示したため、組合は、同年三月二七日に始発から六時
までの時限スト、同年五月二四日には二四時間スト、同月二七日、二八日に四八時
間スト(二八日は途中で中止された。)を実施した。
(2) 上記闘争は、同月二九日に賃上げ額二、九〇〇円で妥結したが、この金額
は、私鉄総連傘下の組合の平均より四〇〇円ほど低いものであつた。
(3) 昭和三八年秋頃から、会社の独占路線である井原、玉島、寄島地区住民
が、国鉄バスと両備バスの乗入れを、国鉄や陸運局に要望していたが、上記闘争を
きつかけにして、乗入れ要請の声が強くなり、昭和三九年六月頃には、井原で同市
議会が中心となつて、全市民の署名を集める運動が行なわれる状態であつた。
3 年間臨給闘争の経過および角屋の会合について
(1) 昭和三九年六月八日、組合は、年間臨給(夏期手当プラス越年手当)一五
万円を会社に要求した。
 これに対し、会社は、同月二七日、八七、五〇〇円(前年実績プラス三九〇円)
の第一次回答を行ない、ついで、同月二八日に予定されていた半日ストを回避する
ならば八九、〇〇〇円を支給するとの第二次回答を行なつた。
(2) 組合は、上記半日ストを一応中止するとともに、職場討議の後、あらたに
同年七月五日、六日の四八時間ストの実施を決定した。
(3) 組合員P1は、バス運転手、営業所助役を経て、当時は笠岡営業所所属のバ
ス運転手であつたが、昭和三九年二月頃、高血圧症状との医師の診断により下車勤
務となり、その後、下車勤務も禁止され、同年六月以降同年九月まで病気欠勤を続
けていた。
(4) 組合は、同年六月中旬頃、P1が病気欠勤中にもかかわらず、バイクに乗つ
て各職場をまわり、反組合的な行動をしていたとして自動車課長P2(以下「P2課
長」という。)に抗議し、また、団体交渉の席上会社側にも抗議したが、会社は別
段の措置をとつていない。
 後記、新組合結成後も、P1は、夜間、バイクで同組合のために組合活動を続けて
いた。
(5) 同年七月一日、P1の提唱で、夜九時頃から一時間ほどP2課長の指定した
笠岡市内の角屋旅館に、P2課長、組合執行委員のP8、井原営業所所属の組合員
(バス運転手)P9、同P10、同P11、同P12、同P13が集まつた。そして、酒食を
共にしながら、P2課長から会社の経理の状況および井原、玉島、寄島地区への国鉄
バス、両備バスの乗入れ問題の現状について説明を受けた。
 その後雑談の中で、組合の行き方についての批判もでており、また、「ストの
時、車を動かす方法はないか」などの声もあつたが、P2課長は、「他社に運行して
もらうとか、運輸大臣に運送命令を出してもらうとかいろいろあるが、事実上難か
しい」という趣旨の発言をしている。
 なお、P1は、遅れてこの会合に加わつている。
(6) 上記会合のあつた角屋は、笠岡市内では高級な旅館であり、会社が時々利
用することはあつたが、バス運転手等が利用することはほとんどなかつたものであ
る。
(7) 会合が終つて皆が帰る際、角屋は、当日の費用の支払いなどについてP1ら
に何の話もしていない。
 なお、この会合の経費は、同月一八日夕方、P2課長が支払い、領収書をP1あて
とさせている。
(8) 上記P2が課長をしている本社営業部自動車課は、一般乗合自動車の営業と
運行を管理する重要な課で、自動車の各営業所は、観光係を除いてその所管であ
り、所属の従業員数が社内で最も多いところである。
(9) 同月五日、六日と四八時間ストが実施されたが、五日朝、ストに批判的で
あつた執行委員P6の呼びかけで、矢掛営業所バス運転手P15が矢掛~井原間の、同
P4が美山~矢掛間のバスを運行した。また、執行委員のP16とP8はそれぞれ笠岡
と井原の営業所で、組合員である運転手らにバスを運行するよう呼びかけたが、運
行はされなかつた。
(10) 上記四八時間ストに際し、岡山県地方労働委員会(以下「地労委」とい
う。)は、九六、〇〇〇円の調停案(組合側調停申請)を提示したが、会社はこれ
を拒否し、地労委は、引きつづき職権あつせんを行ない、九三、〇〇〇円のあつせ
ん案を示した。
 これに対し、会社は回答を再三延期したので、あつせん案を受諾した組合は、会
社の不誠意な態度を世論に訴え、同月一五日から七二時間ストを行なうことを決定
した。
(11) 同月一五日、上記七二時間スト直前に至り、会社は、地労委のあつせん
案を正式に拒否したが、同日正午頃、会社と組合の間の団体交渉が行なわれ、組合
側の譲歩により年間臨給九三、〇〇〇円(ただし、欠勤控除等から生じた原資の再
配分率は七〇%とする。)ということで妥結し、同日午後一時ストは中止された。
(12) 上記交渉妥結直後、会社と組合とのトツプ交渉において、組合から「不
当労働行為をしないように」との趣旨のものを会社から会社職制に出すよう強く要
望され、その結果同月二〇日付けで、「労働組合法第七条に規定する趣旨について
留意されたい」旨各職制あての通達が出された。
4 井笠バス労働組合の結成について
(1) 従来から組合の行き方に対して批判的であつた一部組合員は、P1を中心と
して新らしい労働組合を結成する計画を立て、総同盟の援助のもとに、昭和三九年
七月一七日午前零時から約二時間、下電ホテルにおいて、六二名が参加して井笠バ
ス労働組合(以下「バス労」という。)の結成大会を開いた。
(2) この大会で、P1は執行委員長に、P8は副委員長に、P6は書記長に、P
12、P10、P13ら一〇名は執行委員に選ばれた。なお、P4は会計監査に選ばれてい
る。
 バス労は、結成のあいさつをかねて、役員名簿を会社に提出している。
(3) 結成大会に際して出された「新組合結成趣意書」の最後に「参考」とし
て、バス労に加入すれば組合からは自動的に脱退できる旨記載されている。
(4) バス労は同月二〇日すぎ、地労委に法人登記のための資格審査を申請、同
地労委は、昭和三九年八月二〇日付で適格との証明書を出している。
5 P3営業所長の言動等
(1) 昭和三九年七月三一日付で、会社は人事異動を行ない、福山営業所長P
3(以下「P3所長」という。)が矢掛営業所長兼矢掛駅長に転任した。
 当時、矢掛営業所の従業員は六七名で、うち、バス関係は五九名であり、非組合
員は所長だけであつた。
(2) この人事異動について、P3所長の矢掛転任は、バス労強化のためであると
のうわさが流れた。組合は、この人事を執行委員会で検討した結果、P3所長が①組
合に対し攻撃的言動するか否か、②バス労を支援することがあるか否か、監視の必
要があるとして、そのためのオルグ派遣を決定、同年八月一日から一〇日間、執行
委員P17らに無給休暇をとらせ、矢掛に派遣した。
(3) 同年八月三日午前一一時頃、P3所長は、笠岡から矢掛までの乗務を終え、
営業所事務室に入室してきたP4を所長席に呼び、社用の便箋に「出来るだけ早い機
会に自動車だけでも一本にする必要がある。努力を願います。中心になつてく
れ。」「従業員の動向を時々メモにでもして知らせて下さい、特に変つたこと等が
あつた場合、オルグがいても何もエンリヨは要らぬ。」とメモし、それをP4に示し
ながら約二〇分小声で話し、話が終るとそのメモを屑かごに破棄した。
 この状況を目撃していたP17は、同所駅手P18に命じ、屑かごを焼却場付近まで
持参させ、メモの破片を拾い出し、宿直室に持ちかえり、同所助役P19とともに、
復元作業を行ない、これをP14副委員長にわたした。
 なお、P3所長は、P4が組合に脱退届を出していないが、事実上バス労の幹部で
あることをP1から聞き承知していた。
 また、当時矢掛営業所所属の従業員でバス労に加入していると目されていたもの
は約一五、六人であつた。
(4) 同日、P3所長は、P1から、総同盟のオルグP5某が、岡山市に来訪、津山
旅館に宿泊中である、との連絡を受けた。
(5) 同月四日、P3所長は、P5から話を聞く名目で、第四回営業所長連絡協議
会を招集し、同人を含め六名で、笠岡発一八時三〇分の列車で岡山に赴き、津山旅
館宿泊中のP5を訪ねた。
 また同日、P3は、P6、P7某に公休を与え、両人はP5に会つている。
 なお、P3は、営業所長日誌の同日欄に「総同盟の件、P6、P7、出席、V.ok
ayama,H.tuyamaP5氏へ各所長面接し協議」と記載している。
(6) 同月五日、午前一一時四〇分頃、営業所事務室所長席で、P3所長とP4が
会い筆談した。P4がうなづき、P3所長が笑顔で筆談のメモを破り屑かごに入れる
のを目撃したP19は、同所駅手P22に所長用の屑かごを持参するよう指示し、P
22、P18、P19で前記メモの破片を拾い出し、P19が、宿直室で復元した。
 このメモには、P3所長の筆跡で「総同盟P5闘争部長と会つた。脱退届、色分
ケ」と判読できる記載があり、「色分ケ」の頭には二重丸が付せられていた。
 このP3、P4の筆談は、私鉄総連オルグP23も、プラツトホームから目撃してい
る。
(7) 同月七日、矢掛を中心にしたバス労幹部らは、組合に同月四日付脱退届を
提出した。その中にP4も入つていた。
(8) 同日、午後七時三〇分頃から九時三〇分頃まで、組合は矢掛で青年婦人部
の会合を開いた。それには、組合書記長P20および青年婦人対策部長P21が出席し
ていたが、会合の終了時、組合員某が前記(5)認定の営業所長日誌を持参し、P
21が、前記八月四日の欄を撮影した。
 一方、P3所長は、その後上記日誌の八月四日の欄を破棄し、書き換えている。
(9) 同年八月中旬からバス労加入者が急速に増加したが、同年八月分の組合費
については、バス労に加入したものも、チエツク・オフされて組合に渡された。
 しかし、同年九月一六日付で、二五名のものが、会社にチエツク・オフの拒否を
申し入れ、順次拒否者が増加した。
 なお、バス労は、昭和三九年中は組合費を徴収していない。
以上の事実が認められる。
第二 当委員会の判断
1 七月一日の角屋の会合について
(1) いわゆる角屋の会合について、組合は、
① 本件角屋での会合が行なわれた七月一日は、臨給闘争の最中であり、七月五
日、六日のストを職場討議中であつた。
② 会合を企画したP1とP2課長は、同窓生で、P1は組合分裂の首謀者である。
③ P2課長が会合の目的も知らず、電話で呼び出されるのは不自然である。
④ この会合で、P2課長は会社の事情を説明し、スト対策に言及している。
⑤ P1が、企画したとしても、企業危機ー赤字ーストの罪悪視ーストの方針変更と
いう心理的効果を狙つた内容が問題である。
⑥ 七月五日にP8がスト破りを呼びかけている。
⑦角屋は笠岡での高級旅館であり、P1が支払いをしたとは考えられず、P2課長が
支払つたものである。
以上の点よりみて、角屋の会合は会社の組合に対する支配介入行為であると主張
し、
他方、会社は、
① 会合は、P2課長が企画したものではなく、P1が企画したものである。
② P2課長は、当日夕方、P8から電話で出席依頼を受け、初めて会合を知つたの
である。
③ 出席したのは、ストに対する地元の批判、他社のバス乗入れ等を懸念したP1ら
に実情を説明してほしいと頼まれたためである。
④ 会合でスト破りの話は出ず、協力を求められたこともない。
⑤ 七月五日のスト破りは矢掛で行なわれたものであり、会合には矢掛のものは出
席していない。
⑥ 出席者には、P2課長のほか顔がきく者がいなかつたため、角屋が同人の名で計
算したにすぎず、費用はP1が支払つたものである。
従つて、本件会合について会社は何ら関知せず、責任はないと主張する。
(2) 昭和三九年七月一日夜、P2課長やP1らが集まつたいわゆる角屋の会合に
ついては、前記第一の2の(3)認定のとおり、会社の独占路線に他社バスの乗入
れ問題が発生していた一方、前記第一の3の(1)(2)(3)(4)認定のとお
り、年間臨給問題について労使間の交渉が行きづまり、七月五、六日の両日四八時
間ストが予定されており、また組合の内部事情としては、長期病気欠勤中のP1が、
反組合的行動を続け、これについて組合が、P2課長および会社に抗議したが、会社
が別段の措置もとらなかつたという諸事情を背景として行なわれているのである
が、
① 角屋は、笠岡での高級旅館で、会合の提唱者であるP1自身なじみがなく、同旅
館をP1らとの組合問題についての会合場所として選んだのはP2課長であること。
② 参集者はすべてP2課長の管轄下の運転手であり、組合員としては反執行部派と
目される者であつたこと。
③ P2課長は、P1が病気欠勤中にもかかわらず反組合的活動を続けていること
を、組合からの抗議で承知しながら、P1の提唱する会合に夜間出席していること。
④ 角屋の費用は、P2課長が支払いながら、領収書はP1あてとしており、作為的
であること。
⑤ 春季闘争における組合のストライキ実施を契機としてつよまつた他社のバス乗
入れ問題について、その実情を説明し、ストライキの不可を暗示していること。
⑥ 会合は、組合の四八時間ストライキを目前にした時期に行なわれていること。
⑦ 年間臨給問題についての会社の態度は、極めて強硬で、ストライキを回避する
というよりは、組合と一戦交える構えがあつたこと。
⑧ 参集者の一人であるP8が、七月五日スト破りを呼びかけていること。
⑨ 角屋の会合から約半月後、組合は分裂してバス労が結成されており、P1はその
執行委員長に、その他角屋の会合に出席した組合員六人のうち、四人がバス労幹部
に選任されていること。
等の諸事情からみて、角屋の会合についての会社の主張には納得し難い点が多く、
結局P2課長は、その職責上組合問題については介入すべき立場にないことを忘れ、
病気欠勤中のP1が夜間このような会合を企画したことを注意、阻止すべきであつた
にもかかわらず、これを怠り、すすんで、会合場所として高級旅館を選定したばか
りか、会合に出席し、費用まで支払うなどむしろ積極的な態度を示していること
は、P1の行動を支持し、ストライキ反対の組合員に物心両面の支援を与えた形とな
り、P1らに自信を与えて結束させ、組合分裂を促進する一因を醸成したものと認め
ざるをえない。
 従つて、P2課長の職責からみて、同人の角屋会合への出席は、組合内部の分派活
動を支援し、組合の弱体化を助長せしめた支配介入行為と認めざるをえない。
2 P3所長の言動について
(1) 組合は、八月三日および五日のP3所長の言動について、
① P3所長の矢掛転任は、会社の組合分裂支配体制確立のためである。
② 八月三日のP4との話の内容は、所長の書いたメモに照らしてみても、バス労の
組織拡大状況を知ろうとしてP4に要請するとともに、バス関係だけでもバス労一本
にするよう指示、激励したものであることは明らかである。
③ 五日の話およびメモは、三日のものと密接な関連をもつており、P3所長が引き
続き組合に支配介入行為をし、分裂について指示したことを如実に示したものであ
り、八月七日の脱退届の提出は、メモが具体化されたものである。
④ メモは、P3所長が八月四日に総同盟P5闘争部長から指示をうけたものをP4に
指示したものであり、八月四日の所長日誌の内容と一致している。
⑤ 八月四日の所長日誌はその後差しかえられており、P3所長の説明には作為の跡
が認められる。
 従つて、P3所長が、八月三日と五日にP4に対し、指示、要請したことは、会社
がバス労を育成し、組合を弱めようとする意思の現れであり、明らかに組合に対す
る支配介入行為であると主張する。
 他方、会社は、八月三日および五日のP3所長の言動について
① P4が、偶々事務室に入つた際、かねてから昵懇のP3所長と話をしたもので他
意はなく、所長の前に組合員がおり、また、組合のオルグに監視されていた状況の
中でバス労育成等の指示が与えられるとは、常識上想像できない。
② メモの内容は乗務上のことについて依頼したもので、当時の情勢からみて納得
できる。
③ 仮りに話が組合活動に関するものであつても、バス労の役員たるP4を激励した
ことは、組合に対する支配介入とはなりえない。
④ 情報の収集、組合監視の依頼であつてもそれだけでは介入行為ではない。
⑤ 会社は、不当労働行為をしないように通達しており、P3所長の行為は会社の意
を体したものではない。
さらに細部についてみると、
⑥ 五日のメモは、P3所長がP4に話しながら書いたものであるとは断定できな
い。
⑦ メモは統一的内容をもつたものでなく、組合の主張は単なる推測にすぎない。
⑧ 組合は、八月四日P3所長が、総同盟P5闘争部長から組合対策の指導を受け、
五日にP4に指示をしたというが、P3、P5の話は一〇分位で組合の問題ではなく、
組合の主張は根拠がない。
⑨ 組合は所長日誌を勝手に持ち出し写真をとり、その記載内容から推測したこと
を主張するが根拠はない。
⑩ 脱退届の提出は、バス労において、八月二日にP5氏と協議のうえ決定したもの
であり、P3所長が八月五日に指示したとの組合の主張は根拠がない。
 以上いずれの点からしてもP3所長の言動は、組合に対する支配介入行為ではない
と主張する。
(2) P3所長の矢掛転任は、組合が分裂し、バス労が結成されてから約二週間後
の時期に行なわれ、同人の八月三日からの一連の行動は、前記第一の4の(3)お
よび第一の5の(1)(2)に認定のとおり、組合とバス労との間で、組織争いが
ようやく表面化した時期に行なわれているのであるが、
① 矢掛営業所には、所長を補佐する助役等がおり、業務上の指示、従業員の動向
報告等は、当然かかる職制を通じてなすべきものと考えられること。
② 八月三日の時点でP3所長は、P4がバス労幹部であることを承知しており、メ
モは明らかにバス労幹部に対する指示、要請を内容としたものであること。
③ 当時、矢掛営業所の自動車(バス)部門においては、組合員のほうが多く、バ
ス労に加入していると目されるものは一五、六人に過ぎなかつたこと。
④ 当初バス労は、組合に脱退届を出さず、隠密裡に組織を拡大しようとしていた
こと。
⑤ P3所長は、P1から総同盟P5闘争部長のことをきき、各営業所長と同道P5闘
争部長を訪ね協議していること。
⑥ P3所長の八月五日のメモは、その断片的記載事項からみて、P5闘争部長と会
つたことをP4に伝え、脱退届提出と、管下営業所における組合員とバス労組合員と
の色分けについて指示ないし依頼したものであるとする組合の主張は肯けること。
⑦ 八月七日に、矢掛を中心としたバス労幹部が、同月四日付脱退届を提出してい
ること。
⑧ 八月中旬から、バス労加入者が急増していること。
⑨ P3所長は、八月四日の行動等を記載した所長日誌をその後書き換えているこ
と。
⑩ 不当労働行為に関する会社通達は、会社が自発的に出したものではないこと。
⑪ P3所長が、同人の八月三日、四日、五日の言動について、初審における説明を
変更せざるをえなかつたのは、前記第一の5の(8)に記載する営業所長日誌の写
真が当審において証拠として提出されたことに基づくものであつて、かような組合
側の証拠の収集方法は、必ずしも適当なものでないとしても、P3所長の説明は、結
局、本件初審と再審で著しく矛盾し、その証言は信用し難いものと認めざるを得な
いこと。
等の諸事情からみて、
昭和三九年八月三日、五日におけるP3所長のP4に対する一連の言動は、P3所長
が、昵懇の間柄であるP4に対し、乗務上のことについて依頼したもので他意はない
とする会社の主張には無理があり、P3所長は、その職責上組合間の問題については
介入すべき立場にないにもかかわらず、会社内に二組合が併存し、組織争いを続け
ていることを承知のうえ、営業所長たる職責を利用し、一方の組合の幹部に働きか
け、結果的には他方の組合の切崩しともなるような指示ないし要請をしているので
あつて、事実その後組合を脱退し、バス労に加入する者が相次いでいることが認め
られるのである。
 従つて、上記の如きP3所長の言動は組合の弱体化を意図した支配介入行為と認め
ざるをえない。
3 本件不当労働行為の成否およびその救済について
 前記第二の1および2に判断のとおり、昭和三九年八月三日のP3所長の行為につ
いては初審判断のとおりであるが、同年七月一日のP2課長の行為および同年八月五
日のP3所長の行為については、初審判断は修正を免れず、上記行為はいずれも労働
組合法第七条第三号に該当する行為と認めざるをえない。
 しかして、その救済として、初審命令では陳謝文の手交を命じているのである
が、事案の内容その他、審査の全過程からみて、主文のとおり変更することを相当
と認めざるをえない。
 なお、組合は、請求する救済内容として、別に陳謝文の新聞広告、物心両面の損
失に対する補填をあげているのであるが、本件については、主文以上の救済を与え
る必要はないものと判断する。
 以上のとおり、組合の本件再審査申立てのうち、角屋における会合および八月五
日のP3所長の言動の問題については理由があり、その余の申立てには理由がない。
 また、会社の本件再審査申立てには理由がない。
 よつて、労働組合法第二五条、同第二七条および労働委員会規則第五五条を適用
して、主文のとおり命令する。

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