弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

       主   文
1 原判決主文第1項を取り消す。
2 原判決主文第1項に係る被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
       事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
 主文と同旨
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
(1) 本件は,アフガニスタン出身の被控訴人が,控訴人のした難民不認定処分
及びこれに対する異議申出を理由がないとした裁決を不服として,上記処分及び裁
決の取消しを求めた事案である。
(2) 原審は,難民不認定処分は違法であるとして取り消したが,裁決の取消請
求は棄却した。
(3) これに対し,控訴人が,原審が難民不認定処分を取り消した部分につき,
控訴したものである。
2 前提事実(争いのない事実,証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事
実)
(1) 被控訴人は,アフガニスタン出身の男性である。
(2) アフガニスタンの概況
ア アフガニスタンは,イラン系のパシュトゥーン族やタジク族,モンゴロイド系
のウズベク族やハザラ族等の民族が混在する多民族国家である。
イ 1979年(昭和54年)12月,ソ連軍の軍事介入の下で,カルマル社会主
義政権が誕生し,1986年(昭和61年)5月にはナジブラが書記長に就任して
政権を引き継いだ。しかし,イスラム教徒民兵組織であるムジャヒディーンがゲリ
ラ戦を展開し,ソ連軍は,1989年(平成元年)2月,ジュネーブ合意に基づき
アフガニスタンから完全に撤退し,1992年(平成4年)4月,ムジャヒデイー
ンの軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊した。
 ムジャヒディーンには,タジク族中心のイスラム協会(ラバニ派),パシュトゥ
ーン族中心のイスラム党(ヘクマチヤル派),イスラム教シーア派のハザラ族中心
のイスラム統一党(ヘビス・ワハダットという。ハリリ派等),ウズベク族中心の
イスラム国民運動党(ドストム派)が属していた。そして,1993年(平成5
年)1月,イスラム協会の最高指導者ラバニが大統領に就任したが,各派間の主導
権争いが激化し,全土が内戦状態に巻き込まれることとなった。
ウ その混乱の中,1994年(平成6年)末,イスラム教スンニー派のパシュト
ゥーン族を中心としたタリバーンと呼ばれるイスラム原理主義勢力が台頭し,イス
ラム原理主義政権の樹立を目指して勢力を拡大した。首都カブールはラバニ派を中
心とする政権が支配していたが,タリバーンは,1996年(平成8年)9月末に
はカブールを制圧し,暫定政権の樹立を宣言した。
 これに対し,ラバニ派,ハリリ派,ドストム派等の各派は,北部マザリ・シャリ
フを中心に反タリバーン同盟(通称北部同盟)を結成し,抵抗を続けた。イスラム
統一党ハリリ派も反タリバーン盟に加わっていたが,タリバーンはこれらの勢力に
対する攻勢を強めていった。
 1998年(平成10年)8月,反タリバーン同盟の拠点であったマザリ・シャ
リフがタリバーンの攻勢により陥落した。
 その後,同年9月にイスラム統一党の拠点バーミヤンも陥落し,ハザラ系市民2
000人以上が大量虐殺された旨の報道がされた。
(3) 被控訴人と難民不認定処分等
ア 被控訴人は,P1名義の旅券(以下「本件旅券」という。乙10の1)を所持
している。
 本件旅券は,1994年(平成6年)8月29日,カブール中央旅券事務所で発
行され,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタンのバルフで有効期
間が延長されたもので,旅券の対象者の生年として1968年(昭和43年)と記
載されている。
 被控訴人は,本件旅券を所持して,1995年(平成7年)1月から1997年
(平成9年)9月まで合計5回,いずれも短期滞在の在留資格(在留期間90日)
で日本に入国した(乙2)。
イ (難民認定申請及び本件処分)
 被控訴人は,さらに,1998年(平成10年)6月28日,短期滞在の在留資
格(在留期間90日)で日本に入国し,同年8月24日,控訴人に対し出入国管理
及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2に基づく難民認定の申請を
するとともに,在留期間更新許可申請を行い,その許可を受けた。
 しかし,控訴人は,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)
を行い,1999年(平成11年)6月10日付け通知書で被控訴人に通知し,上
記通知書は,同月30日被控訴人に交付された。そして,被控訴人の平成11年6
月21日付け在留期間更新許可申請も同年7月12日に不許可とされた(乙2)。
ウ (異議申出及び本件裁決)
 被控訴人は,平成11年7月6日,控訴人に対し,入管法61条の2の4に基づ
き本件処分について異議の申出を行ったが,控訴人は,異議の申出に理由がない旨
の裁決(以下「本件裁決」という。)を行い,1999年(平成11年)12月6
日付け通知書で被控訴人に通知し,上記通知書は,同年12月7日,被控訴人に交
付され,同日,被控訴人は収容された。
エ 被控訴人は,2000年(平成12年)2月14日,郵送で第2次難民認定申
請を行い,同年2月17日,仮放免され,同年2月28日,本件処分及び本件裁決
の取消しを求めて本訴を提起した。
 なお,被控訴人は,その後の2002年(平成14年)5月20日,P2と婚姻
の届出をした。
(4) 難民について
 入管法が定める難民とは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」とい
う。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)
1条の規定より難民条約の適用を受ける難民をいう(入管法2条3号の2)。
 そして,上記各規定によれば,難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会
的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍
国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために,その国
籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国
籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのよう
な恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないものをいう
とされている。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
(争点)
 本件の争点は,次のとおりである。
(1) 本件処分の違法性の有無
ア 難民該当性の有無
イ 手続の違法性の有無
(2) 本件裁決の違法性の有無
(争点に関する主張)
 争点に関する当事者の主張は,控訴人及び被控訴人の当審における主張を次項以
下のとおり加えるほかは,原判決の「事実及び理由」の「2 争点」(原判決4頁
22行目から10頁5行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
4 控訴人の当審における主張(要旨)
(1) 被控訴人と「P1」との同一性
 被控訴人は,「P1」でないと推認するのが合理的である。
ア 甲11の1は偽造されたものである。
イ 生年月日に関する被控訴人の供述は一貫しておらず,信用性がない。
(2) 被控訴人の戦闘経歴
 被控訴人は,シーア派,ハザラ族で統一党の兵士として戦闘に参加した経歴は認
められない。
ア 甲6の写真には被控訴人が統一党の兵士であることを示す対象物等は何ら撮影
されていないから,同写真をもって,被控訴人が統一党の兵士で,タリバーンと戦
ったことの証拠にすることはできない。
イ 甲17の写真の被写体が被控訴人とは認め難い。同写真を入手した経緯に関す
るP3の証言は,同人の陳述書(甲51中二3の甲17の説明文)の内容と異なっ
ており,これらのP3の証言,陳述書等の記載は信用できない。
(3) 難民該当性の判断
ア シーア派,ハザラ族であれば迫害を受けるおそれがあるわけでない。
 国際機関等からハザラ族であれば殺害される旨の報告はされてない。
 甲12の1の翻訳文である甲12の2は,ハザラ族が迫害されているかのような
印象を与えるべく原文にない記載が付加された信用性の低いものである。
イ 被控訴人が「P1」又は統一党の兵士として戦闘に参加した者であることを理
由に迫害されることはない。
a タリバーンは,平成6年末に台頭してきたものであり,被控訴人が戦闘から離
脱したと主張する平成6年8月ころには,まだ台頭していなかったのであるから,
タリバーンと戦闘行為をすることはあり得ない。
b 被控訴人が参加した戦闘の相手方とされるパシュトゥーン族を中心とするエテ
ハテ・サヤフもタリバーンと敵対し,反タリバーンの北部同盟に合流しており(乙
26ないし28),タリバーン政権崩壊後に発足したアフガニスタン・イスラム移
行政権にパシュトゥーン族・タジク族からも閣僚が選出されている。
(4) 被控訴人がシーア派のハザラ族であり,統一党の兵士として戦闘に参加し
た経歴の持ち主であったとしても,それゆえに迫害を受けるおそれがあったとはい
えない。
5 被控訴人の当審における主張(要旨)
(1) 控訴人は,被控訴人が「P1」であることに疑義を持っている。確かに,
親族との音信等は頻繁には行われてないけれども,アフガニスタンと我が国の社会
状況,歴史・風俗の違い,通信手段の普及の度合いを考慮に入れると,親族との音
信不通があるからといって被控訴人が「P1」でないことの根拠にすることはでき
ない。
(2) 甲79によれば,株式会社ティーエスエルは,P3と被控訴人とのDNA
を検査したところ,P3と被控訴人の間に血縁関係が存在しないとするよりも,全
同胞関係が存在するとしたときの総合肯定確率は99.996%であるとして「P
3とP1との間に生物学的な全同胞関係が存在するときわめて強く推定できる。」
旨の所見を述べている。
 このように,被控訴人がP3の弟であることが立証された以上,被控訴人が「P
1」であることも立証されたというべきである。
第3 当裁判所の判断
1 本件処分の違法性について
(1) 難民該当性について
ア 立証責任等について
(ア) 被控訴人は,UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民認定基準ハン
ドブックにいう灰色の利益が申請者に与えられるべきであるというのが国際原則で
ある旨主張する。
 しかし,難民条約及び難民議定書には,難民認定に関する立証責任や立証の程度
に関する規定はなく,各締結国の立法政策に委ねられていると解される。そして,
UNHCR難民認定基準ハンドブックは,各国政府に指針を与えることを目的とす
るものであって,それ自体に法的拘束力を認めることはできず,これを理由に,難
民認定の立証責任や立証の程度に関して申請者に灰色の利益を与えるべきであると
解することはできない。
(イ) また,被控訴人は,UNHCRが被控訴人を難民として認定したことから
立証責任が転換される旨主張し,第2回調査嘱託の結果によれば,被控訴人がUN
HCRからマンデート難民の認定を受けた事実が認められる。
 しかしながら,UNHCRによるマンデート難民の認定は,UNHCR事務所規
程所定の責務に基づいて独自に実施されるもので,難民条約所定の保護を与えるこ
とを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にする。その認定資料
も異なるものであって,マンデート難民の認定がなされたことが難民認定の一資料
となることはともかくとして,これにより立証責任の転換等の効力を認めることは
できない。
イ 被控訴人の主張
 被控訴人が難民であるとして主張するところは,概要,次のとおりである。
(ア) 被控訴人は,甲61の1,62の1の在テヘラン・アフガニスタン暫定行
政機構大使館発行の各証明書にあるP4とP5の子の「P1」である。
(イ) 被控訴人は,1991年(平成3年)17歳のころから,イスラム統一党
のマザーリ派のゲリラ兵士として内戦に参加し,主として,カブール市内のハザラ
族の多いα地区及びβ地区で,パシュトゥーン族やタジク族系のエテハテ・サヤフ
というゲリラ組織との市街戦に加わった。
 1992年(平成4年),α地区の被控訴人の実家がエテハテ・サヤフに破壊さ
れ,被控訴人の家族は,カブールを出てマザリ・シャリフに逃れたが,マザリ・シ
ャリフ陥落後,パキスタン等に逃れて現在離散状態にある。
 被控訴人は,イスラム統一党ゲリラとしてカブールに残ったが,1993年(平
成5年),ラバニ派のマスード派ゲリラとの戦闘に敗北し,その際α地区,β地区
のハザラ族500人近くが虐殺された。また,イスラム統一党は,1994年(平
成6年),α地区,β地区でエテハテ・サヤフとの戦闘に敗れ,非戦闘員が虐殺さ
れ,被控訴人のおじで非戦闘員のP6とP7がエテハテ・サヤフに連行され,連絡
がとれなくなり,殺害されたと伝えられた。
 被控訴人は,戦闘が嫌になり,1994年(平成6年)8月,ラバニ派に本件旅
券を発行してもらい,パキスタンのペシャワールに脱出した。
(ウ) エテハテ・サヤフは,その後タリバーンに合流しており,1995年(平
成7年),タリバーンがカブールに侵攻し,同年3月,イスラム統一党指導者マザ
ーリ師が虐殺され,また,ゲリラ基地にあったイスラム統一党ゲリラの写真付き軍
部身分証明書(ワハダットカード)がタリバーンの手に渡り,以後,ハザラ族ゲリ
ラ残党の捜査資料に使われている。
 被控訴人は,タリバーンの支配が確立するにつれ,パキスタンも危険になったた
め,アラブ首長国連邦(UAE)のドバイでおじが経営する会社を手伝い,UAE
の居住権も得た。
 被控訴人は,1998年(平成10年)6月28日,仕事のため日本に入国した
が,同年7月からタリバーンの大攻勢が始まり,パキスタンの知人から電話で,被
控訴人の軍部身分証明書等がタリバーンに渡っており空港等でチェックされていて
危険であると聞き,ドバイも危険で旅券の更新ができない旨聞いた。
 同年8月,タリバーンによってマザリ・シャリフが陥落し,被控訴人は,生命,
自由への強度の危険を感じ,このような状況下ではもやは本国には帰れないと考
え,ドバイでの居住権も放棄して,同月24日,難民認定申請をして保護を求めた
ものである。
 その後,ハザラ族の拠点であるバーミアンもタリバーンに制圧され,ハザラ系住
民が大量に虐殺され,同年9月,またいとこのP8が軍部身分証明書を基にパキス
タンで拉致・逮捕されてアフガニスタンに強制送還された。P8の生死は不明であ
るが,殺害されたものにほぼ間違いない。
(エ) タリバーンは,ハザラ族に対する迫害を継続しており,被控訴人が帰国す
れば,外見から一目でハザラ族(モンゴロイド系)と判明する。また,本件旅券も
ラバニ派の発行したもので,軍部身分証明書によりイスラム統一党兵士として戦闘
参加の確認もされているから,P8と同様に処刑されてしまう。
 このように被控訴人には,ハザラ族という人種,イスラム教シーア派という宗教
及びイスラム統一党という特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受
けるおそれがあり,難民に該当する。
 以上が被控訴人の主張である。そこで,以下,被控訴人の難民該当性について,
検討する。
ウ 「P1」について
 在テヘラン・アフガニスタン暫定行政機構大使館発行の証明書(甲62の1)に
よれば,「P1」なる人物は,アフガニスタン国籍のP4とP5の子として197
4年(昭和49年)○月○日,アフガニスタンのカブールで出生し,次の兄弟姉妹
があるとされている。
 姉 P9(1964年〔昭和39年〕○月○日生)
 兄 P3  (1968年〔昭和43年〕○月○日生)
 姉 P10 (1970年〔昭和45年〕○月○日生)
 姉 P11 (1972年〔昭和47年〕○月○日生)
 弟 P12  (1976年〔昭和51年〕○月○日生)
 妹 P13 (1978年〔昭和53年〕○月○日生)
 また,本件証明書(イスラム統一党軍部身分証明書。甲11の1),イスラム統
一党作成の他の証明書等(甲12の1,31の1,32の1,44の1の1,44
の1の2,45の1,47の1,48の1。以下「他の証明書等」ともいう。)に
よれば,「P1」がイスラム教シーア派,ハザラ族で,イスラム統一党兵士であっ
たものとされている。
エ 被控訴人と「P1」との同一性について
 被控訴人は,前記のとおり「P1」名の本件旅券を所持しており,自分が「P
1」であって,イスラム統一党兵士として,パシュトゥーン族等との戦闘に加わっ
た旨を主張し,供述する。
 これに対し,控訴人は,被控訴人と「P1」の同一性には疑義があり,被控訴人
及びP3の供述は信用できないと主張する。
(ア) 被控訴人が「P1」であるとする点については,これを積極に解すべき証
拠ないし事実として,次の点がある。
① 本件証明書(甲11の1)や他の証明書等の記載
② 被控訴人が「P1」として本件旅券の取得,期間延長を行い,本件旅券により
パキスタン,UAE,日本の各国に入国していること。
③ 本件難民認定申請手続等において,前記の「P1」の生年月日や家族関係を供
述していること。
④ 証人P3も,被控訴人を自らの弟の「P1」である旨供述していること。
⑤ 被控訴人が当審で提出した鑑定書(甲79)
 そこで,これらについて検討する。
(イ) ①の本件証明書(甲11の1)及びその他の証明書等について
a 本件証明書(イスラム統一党軍部身分証明書。発行日は1994年7月23日
と記載されている。甲11の1)には,被控訴人の写真がはられている。
 しかし,鑑定嘱託の結果(大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所によるもの)に
よれば,本件証明書の台紙と写真上の割印は,同一のインクによるものではなく,
円画線が連続せず,同一の押印行為によるものではないことが認められる。
 そうすると,本件証明書の被控訴人の写真ははり替えられたものであって,本件
証明書が当初被控訴人とは別の人物に対し発行されたものである疑いを否定できな
い。
b また,被控訴人の提出したイスラム統一党作成の他の証明書等(甲12の1,
31の1,32の1,44の1の1,44の1の2,45の1,47の1,48の
1)は,甲11の1を再度証明するもの等であるが,証人P3の証言及び弁論の全
趣旨にかんがみると,上記各証明書等は,写真に撮影された被控訴人が「P1」で
あることを確認して作成されたとは認め難い。
 したがって,これらの証明書によって,甲11の1についての上記疑いを払拭す
ることはできない。
c この点に関し,被控訴人は,本件証明書は被控訴人の姉が再発行を受けたもの
である旨供述する。証人P3も,甲11の1,12の1(イスラム統一党軍部監督
署1994年8月1日発行とされる「P1」に対する感謝状。被控訴人の写真がは
られている。)は,被控訴人の難民認定に必要であったことから難民認定の申請後
P11から送ってもらったものである,甲11の1は,P11がかつて発行を受け
たが紛失していたものを再発行してもらったものであると証言する。
 そうすると,再発行前の元の証明書も本件証明書も,被証明者である本人に対し
て発行されたものではないことになるが,これは身分証明書の発行の仕方としては
極めて不自然であり,被控訴人の身分証明書として真実発行されたものとは認め難
いというべきである。
d 甲49の1(在ケルマーン〔イラン〕イスラム統一党代表事務局の登録名簿)
には,「P1」に関し軍役証を1994年7月23日に再発行した旨の記載がある
が,それ自体は党員ないし兵士の名簿とは認め難いし,写真が添付されているわけ
でもない。そして,同事務局の統一党の担当者は,被控訴人の顔を知らず,同事務
局には「P1」の写真は存在しないというのであるから(証人P3の証言),同書
証によっても被控訴人が「P1」であることを立証することは困難である。
 そして,前記のとおり,証人P3は,被控訴人の難民認定申請の必要上,申請後
にP11から甲11の1,12の1を送ってもらったと証言するが,甲49の1に
は,「P1」の軍役証明書について,2001年(平成13年)8月15日(イラ
ン暦1380年5月24日)に再発行されたとの記載はあるものの,被控訴人が難
民認定の申請を行った1998年(平成10年)8月24日から上記書証の申出を
した2000年(平成12年)2月28日までの間に再発行されたという記載がな
い。したがって,証人P3の証言中,本件証明書の入手経緯に関する部分は,これ
らの客観的な書証の記載と食い違うのであるから,信用することができない。
e そうすると,本件証明書(甲11の1),甲12の1等の資料,甲49の1等
をもって,被控訴人が「P1」であり,イスラム統一党の兵士であったことの証拠
とすることには疑義が残る。
(ウ) 前記②の被控訴人が「P1」として旅券を取得した等の事実について
a 前記で認定のとおり,本件証明書等によると,「P1」は1974年(昭和4
9年)生まれである。
 しかし,本件旅券(乙11の1)には,その対象者が1968年(昭和43年)
生まれであると記載されており,平成10年8月24日付け難民認定申請書(乙1
の1)にも,難民調査官による平成10年9月11日の調査(乙4),入国警備官
による平成11年7月19日及び同年9月27日の各取調べ(乙12,13)にお
ける被控訴人の供述も,生年月日を1968年としていた。
 ところが,被控訴人は,入国審査官による平成11年11月18日の審査の際,
実兄とされるP3と生年が同一であると指摘されて,1974年(昭和49年)1
1月6日生まれであると供述するに至った(乙14)。そして,本人尋問では,本
件旅券の誤りには気がついていたが,そのままにしていたかのように供述してい
る。
 このような事実にかんがみると,被控訴人が「P1」でないのに,「P1」名義
で旅券の取得等をした可能性も否定し難いところである。したがって,被控訴人が
P1名義の旅券を所持して出入国を繰り返していたからといって,被控訴人が「P
1」であることの根拠にすることは困難である。
b そして,これらの事実に,被控訴人は「P1」の両親や兄弟姉妹は健在で,姉
妹から資料等の送付を受けたと述べながら,両親や兄弟姉妹と音信等があることを
うかがわせる客観的証拠が提出されていないことを併せ考慮すれば,本件旅券によ
るUAE等の往来の事実があっても,被控訴人と「P1」が同一人であることには
疑義が残るといわざるを得ない。
(エ) 前記③の点(被控訴人の「P1」に関する供述)について
a 確かに,被控訴人は,「P1」の父母の状況や父母と自己の行動等について,
何度も,相当詳しく述べている。
b しかし,平成10年8月24日の難民認定申請書等(乙1の1・2)には,家
族として「P1」の姉の「P11」及び妹の「P13」を記載していないし,その
後も平成11年7月19日の入国警備官による違反調査(乙12)に至るまで,上
記2人の姉妹について言及していなかった。
 被控訴人は,難民認定申請書(乙1の1)の家族構成欄に上記姉妹が記載されて
いない理由として,同申請書を記載した者が被控訴人の話をきちんと聞かなかった
ためであると供述するが,同申請書はP3がP14行政書士に頼んで作成してもら
ったと述べるだけで,難民認定申請書に姉妹の記載がないことについて納得のいく
弁明をしていない。このことにかんがみると,被控訴人は,難民認定申請手続にお
いて「P1」の家族関係を正確に供述したということはできない。
c そして,P14行政書士の陳述録取書には,被控訴人の家族構成について,P
3が「他にもいるが,氏名が分からない。」などと答えるので,やむを得ず,難民
認定申請書にはP3が氏名を述べた者のみを記載した旨記載されている。
 しかし,被控訴人の兄であるはずのP3が家族の氏名を「分からない」と述べる
こと自体,不自然であって,被控訴人の家族構成に関する供述や陳述書の記載の信
用性を著しく減殺するというべきである。
(オ) 前記④のP3の供述について
 上記(イ)ないし(エ)で検討した際に指摘したとおり,P3の証言や陳述書の
記載には不自然なところが多く,P3の証言部分は信用し難いというべきである。
(カ) 甲79の鑑定書について
 さらに,被控訴人は,被控訴人が「P1」と同一人物であることの立証として,
当審において甲79(鑑定書)を提出した。同書証によれば,株式会社ティーエス
エルは,P3と被控訴人とのDNAを検査したところ,P3と被控訴人の間に血縁
関係が存在しないとするよりも,全同胞関係(両親を共通とする兄弟姉妹関係)が
存在するとしたときの総合肯定確率は99.996%であるとして「P3とP1と
の間に生物学的な全同胞関係が存在するときわめて強く推定できる。」旨の所見を
述べている。
 しかしながら,甲79の同書証によって立証されるのは,P3と被控訴人とが生
物学的な全同胞関係が存在することであって,P3の父母兄弟関係についての客観
的な資料がない(この点については,甲51,68〔いずれもP3の陳述書〕,証
人P3の証言が存在するのみである。)以上,同書証によって,被控訴人が「P
1」であることが立証されたとすることには疑問が残る。
(キ) 以上を総合するに,被控訴人が「P1」である可能性はあるけれども,こ
れを肯定するには,本件証明書の写真のはり替えその他の点において疑問が多いと
いうべきである。
オ 被控訴人の宗派,種族,戦闘経歴について
 被控訴人がイスラム教シーア派に属し,モンゴロイド系のハザラ族であること
は,本件証拠上,疑いのないところと考えられる。
 被控訴人の所属社会集団及び戦闘経歴について,被控訴人は,自分は「P1」で
あって,イスラム統一党の兵士として17歳の1991年(平成3年)から20歳
くらいの1994年(平成6年)まで,カブール市内でパシュトゥーン族やタジク
系のエテハテ・サヤフと戦い,最終的に敗れた,エテハテ・サヤフは後にタリバー
ンに合流した,イスラム統一党の名簿はタリバーンに渡っている,したがって,本
件処分当時,帰国すればタリバーンの迫害を受けたはずであるなどと主張する。
 これに対し,控訴人は,被控訴人の上記経歴そのものを疑問とした上,被控訴人
が戦闘した相手はタリバーンではなく,タリバーンが被控訴人を危険視するとは考
えられないなどと主張する。
 そこで,検討する。
(ア) 本件証明書について
 本件証明書(甲11の1)等の成立に疑問があることは先に検討したとおりであ
り,本件証明書等によって,被控訴人がイスラム統一党の兵士であったと認めるこ
とは困難である。
(イ) 写真について
a 被控訴人は,被控訴人の写真(甲6)を提出し,これらは,被控訴人がシーア
派,ハザラ族の統一党兵士としてタリバーンと戦闘した際の写真であると主張して
いる。
 しかし,これらの写真には,被控訴人が統一党の兵士であることを示す何らかの
対象物等が撮影されているわけではない。また,被控訴人は,本件各写真につき
「これは思い出として,私が自分の誇りとして,自分の民族を守ったその記念とし
て撮った写真なんです。」と供述している。したがって,これらの写真は,被控訴
人が統一党の部隊の一員として軍事行動中の一こまを撮影したものとはいえない。
b また,被控訴人は,同趣旨の立証のために甲17の写真を提出している。
 しかし,甲17の写真で,被控訴人が撮影されていると認定するのはやや困難で
ある。また,甲17の入手経路につき,P3は,証人尋問では,P3自身がイラン
に行ってケルマン市在住の「P1」の姉P11から甲17をもらってきたと証言し
ているが,陳述書(甲51)では,パキスタンのペシャワールに在住している「P
1」の姉P10が写真を保管していたので,証拠の写真として送ってもらった旨を
陳述している。すなわち,甲17の入手経路について異なる証言,陳述をしている
のである。
 上記写真の内容及びP3の証言,陳述書の矛盾にかんがみると,甲17の写真を
もって,被控訴人が統一党の兵士であることの証拠にするには疑問がある。
(ウ) P3の証言等について
 ところで,証人P3は,被控訴人が平成3年(1991年)から平成6年(19
94年)までの間,統一党兵士として戦闘に参加した旨を証言するが,同期間中P
3は我が国に在留しており,家族から連絡を受けてこの事実を知ったと証言するに
とどまるものである。
 したがって,証人P3の証言中,被控訴人が戦闘に参加したとの部分は伝聞にす
ぎず,同証言のみから,被控訴人の戦闘参加に関する供述の信用性を高める証拠と
することは困難である。
(エ) 被控訴人の供述について
a 被控訴人の戦闘経歴等に関する供述には,相当の具体性もあって,その信用性
は一概に否定し難いが,他方,その裏付けとなる的確な証拠が乏しいともいわざる
を得ないところである。
b 被控訴人の供述によっても,被控訴人は,1991年(平成3年)から199
4年(平成6年)ころまでの約3年間,カブールにとどまり,ハザラ族の居住者の
多い地区で防衛に当たっていた,パシュトゥーン族やタジク族のエテハテ・サヤフ
と抗争があったというものであるが,具体的な戦闘の状況は必ずしも語られていな
いし,たとえば,戦闘で負傷したというような事実も語られていない。
c なお,証拠(甲14,16,乙3,4)によれば,タリバーンは平成6年(1
994年)末にアフガニスタン南部に台頭したもので,被控訴人が戦闘から離脱し
たと主張する同年8月ころには,いまだ台頭していなかったことが認められる。し
たがって,被控訴人がタリバーンと直接戦闘したことは時期的にあり得ないという
べきである。
 この点につき,被控訴人は,パシュトゥーン人が即タリバーンであるかのように
供述するが,証拠(乙25ないし27)によれば,アフガニスタン国内ではタリバ
ーンが台頭する以前には,イスラム統一党ほか3つの各派が相互に覇権をめぐって
抗争を繰り返し,全土が内戦状態になっていたこと,タリバーン台頭後もタリバー
ンに対立する勢力,あるいは中道勢力にパシュトゥーン族を主体とするものがあっ
たことが認められる。この事実によれば,被控訴人の属したとみられるイスラム統
一党が専らパシュトゥーン人と抗争したわけではなく,また,パシュトゥーン人が
タリバーンにのみ所属していたわけでもないから,被控訴人がパシュトゥーン人と
戦闘していたとしても,台頭後のタリバーンに生命身体を脅かされる状況にあった
とは限らないと考えられる。
d また,タリバーン支配後,イスラム統一党指導者マザーリ師が殺害されるなど
の事実はあったと認められるが,イスラム統一党の兵士の写真付軍部身分証明書
(ワハダットカード)がタリバーンの手に渡ったことについては,明確な資料は提
出されておらず,また,被控訴人の軍部身分証明書(本件証明書)は前記のように
真正に作成されたかどうかも明らかでないのであるから,被控訴人の軍部身分証明
書がタリバーンの手に渡り,被控訴人が直ちにタリバーンから追及される具体的な
危険があったと認めるべき証拠があるとはいえない。
e さらに,被控訴人が戦ったというエテハテ・サヤフとは,イッティハティ・イ
スラミ(アフガニスタン解放イスラム同盟)を指すものと解されるところ,被控訴
人は,このイッティハティ・イスラミもタリバーンに合流したと陳述するが,実際
にはタリバーンと敵対し,反タリバーンの北部同盟に合流していることが認められ
る(乙25ないし30)。
 そうすると,被控訴人がその供述するエテハテ・サヤフとの戦闘に加わったとし
ても,それによってタリバーンから追及ないし迫害を受ける具体的なおそれがあっ
たとは断定し難い。
カ 迫害のおそれについて
 被控訴人は,シーア派に属するハザラ族はタリバーンから迫害されるおそれが強
く,更に被控訴人の場合はイスラム統一党の兵士であったから,迫害を受けること
は明らかであると主張するので,検討する。
(ア) 平成12年(2000年)の推定では,ハザラ族の数は,アフガニスタン
全人口2583万8797人の15%に上り,タリバーン支配下においても,この
ような多数のハザラ族あるいはシーア派に属する者がおよそ殺害されるおそれがあ
ったとはいえない。また,国際機関等からの報告でも,ハザラ族であれば殺される
との内容のものはなかった(以上,乙9,弁論の全趣旨)。
 また,アメリカ,イギリス,オランダ,カナダ,スイス,オーストラリアにおい
ても,およそハザラ族に属することのみをもって難民認定を行う取扱いはしておら
ず,申請者の迫害に係る個別の具体的事情等を考慮した上で難民認定の可否が判断
されていることが認められる(乙46)。
 したがって,被控訴人がシーア派のハザラ族であるからといって,タリバーンか
ら迫害を受けるおそれがあったとはいえず,また,被控訴人がイスラム統一党の兵
士として戦闘に参加した経歴を有していたとしても,前記認定のとおり,そのため
にタリバーンから迫害を受ける具体的なおそれがあったと認めることは困難であ
る。
(イ) また,被控訴人は,1996年(平成8年)12月12日,アフガニスタ
ンのバルフで旅券の有効期間の延長手続を行い,その直後にγ峠にあるδのアフガ
ニスタン出入国管理事務所から公式の出国許可を受けてパキスタンに入国した(乙
10の1)。
 当時,カブールはタリバーンの支配下にあり,かつパキスタンがタリバーンを支
援していたことにかんがみると,被控訴人がタリバーンから追及されていたとすれ
ば,パキスタンとの国境のγ峠を追及されずに出国することは困難であったと考え
られる。
 しかるに,被控訴人が無事にアフガニスタンを出国してパキスタンに入国したこ
とから照らすと,被控訴人がタリバーンから敵対人物と認識されていなかったこと
が推認される。
(ウ) さらに,被控訴人が,パキスタン及びUAE滞在中に庇護を求めていない
ことからしても,迫害を受けるおそれを抱いていたとは認め難いところである。
キ UNHCRの要請について
 証拠(甲115,平成14年5月15日付け調査嘱託の結果)によれば,国際連
合難民高等弁務官(UNHCR)日本・韓国地域事務所は,被控訴人がアフガニス
タンにおいて迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有し,ゆえ
に難民の地位に値すると結論し,平成13年7月,法務省入国管理局難民認定室あ
てに,電話で通知したほか,何度かの機会に,日本国政府に対して本件に対する同
事務所の見解を通知し,難民条約に基づき被控訴人を難民と認定するよう要請した
ことが認められる。
 しかしながら,他方,同証拠によれば,同事務所の要請の趣旨は,被控訴人が難
民の地位に関する1951年条約及び同1967年議定書規定の「難民」に該当す
ることを国連の機関である同事務所が正式に認定するものではないことが認められ
る。このことに加えて,UNHCRがどのような調査を行い,その結果どのような
具体的事実を認定したのかは,上記調査嘱託の結果からは明らかでないから,同事
務所が上記のような要請を行ったからといって,そのことから,被控訴人がアフガ
ニスタンにおいて迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する
旨の認定をすることはできない。
ク 本件処分当時の難民該当性について
 被控訴人は,国籍国であるアフガニスタンに帰れば,人種,宗教,及び特定の社
会的集団の構成員であること等を理由に,迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由がある恐怖を有すると主張するのであるが,以上に検討したところによれば,
本件処分当時においても,被控訴人の主張する迫害のおそれがあるという十分に理
由がある恐怖を有するとはいえず,被控訴人が難民であったことは,いまだ認め難
いというべきである。
ケ その後の情勢等について
(ア) 証拠(乙24の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば,タリバーンは2
001年(平成13年)11月カブールを放棄して事実上崩壊し,同年12月には
本拠地であるカンダハルからも完全に撤退し,政権としても組織としても完全に崩
壊するに至ったこと,その後,国際連合の主導により同年12月には暫定政権が発
足し,ハザラ人も重要閣僚に加わる等の情勢に至っていることが認められる。
(イ) 被控訴人は,シーア派ハザラ族に属し,エテハテ・サヤフと戦ったことな
どから,タリバーン政権下において迫害を受けるおそれがあると主張していたので
あるから,少なくとも,2001年12月以降は,迫害を受けるおそれはなくなっ
たということができる。
 被控訴人は,当審において,この点についても,暫定政権はぜい弱で,ハザラ族
難民に対する迫害のおそれは消失していないなどと主張するが,採用することがで
きない。
(ウ) ところで,処分の取消訴訟において,処分の違法性の有無は,原則として
処分時を基準に判断すべきものと考えられるが,難民認定処分の性格,機能等にか
んがみると,本件のように処分時においても被控訴人の難民該当性を肯定すること
ができず,本件処分を違法ということができないところ,さらに,その後の事実関
係から,迫害のおそれが消失したような場合には,難民不認定処分を取り消すこと
はできないと考えられる。
(2) 手続の違法性について
ア 被控訴人は,次のように主張する。
 被控訴人の母国語はハザラ語である。被控訴人は,ダリ語(アフガニスタンの公
用語)は理解できるが,英語や日本語はほとんど理解できない。ダリ語は,ペルシ
ャ語系言語であるが,現在ではペルシャ語と発音,意味,語順等が異なるものが多
々あり,被控訴人は,ペルシャ語では十分な意思疎通ができない。それなのに,本
件処分は,ハザラ語やダリ語の通訳を付さずに,便宜ペルシャ語の通訳をつけるな
どして行われ,被控訴人と十分な意思疎通ができずに行われたものである。本件処
分及び本件裁決に当たって作成された調書には,通訳の誤りか,被控訴人の申請事
実を把握しないまま難民調査官が不適切な質問をしてなされた記載が多々存在す
る。本件処分の通知書も,日本語と英語で記載したのみで被控訴人の母国語を使用
しておらず,本件処分は違法な手続によってなされたものである。
イ 被控訴人は,上記のように主張するが,ダリ語は,ペルシャ語のアフガニスタ
ン方言にすぎず,ペルシャ語の通訳人とダリ語が話せる被控訴人とは,十分に意思
疎通が可能であったと認められる。また,1998年(平成10年)9月11日の
難民調査官による調査は,ダリ語が使用されている(乙4)。被控訴人が十分な意
思疎通なしに調査を受けたとは認め難い。
 さらに,控訴人は,ペルシャ語の通訳人を介して通知書に記載された内容を口頭
で告知して通知書を交付している。
 したがって,本件処分の手続に違法な点があるとは認められない。
(3) 以上によれば,控訴人が,被控訴人に対し,平成11年6月10日付け通
知書でした難民の認定をしない旨の処分は適法といわなければならない。
2 本件裁決の違法性について
 被控訴人は,上記1の(2)と同様,異議申出に対する調査の際,ペルシャ語の
通訳を付しただけで被控訴人と十分な意思疎通ができなかった旨を主張するが,こ
れを認めるに足りる証拠はない。被控訴人が指摘する調書の記載内容等は,前記の
ような被控訴人の供述の不自然さにも起因すると考えられるもので,部分的に通訳
の誤りがあったとしても,直ちに通訳に関する手続的な違法を認めることはできな
い。本件裁決の告知も,被控訴人本人尋問の結果によれば,被控訴人において通訳
により理解していることが認められ,違法な点は認められない。他に,本件裁決固
有の違法な点を認めるに足りる証拠はない。
3 結論
 以上によれば,被控訴人の本件請求は,いずれも失当であるから棄却すべきとこ
ろ,これと一部結論を異にする原判決主文第1項を取り消し,同部分についての被
控訴人の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
大阪高等裁判所第9民事部
裁判長裁判官 岩井俊
裁判官 鎌田義勝
裁判官 竹田隆

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛