弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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          主      文
1 一審被告の控訴に基づき,原判決中,一審被告敗訴部分を取り消す。
2 前項の部分につき,一審原告の請求を棄却する。
3 一審原告の本件控訴を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じて,一審原告の負担とする。
          事実及び理由
第1章 当事者の求めた裁判
第1 一審原告の控訴
1 一審原告
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 一審被告は,一審原告に対し,100万円及びこれに対する平成5年7月1日から支
払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は,第1,2審を通じて,一審被告の負担とする。
(4) 仮執行の宣言
2 一審被告
(1) 主文第3項と同旨
(2) 控訴費用は一審原告の負担とする。
第2 一審被告の控訴
1 一審被告
(1)主文第1,2項と同旨
(2)訴訟費用は,第1,2審を通じて,一審原告の負担とする。
2 一審原告
(1) 一審被告の控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は一審被告の負担とする。
第2章 事案の概要 
第1 本件の事案と訴訟の経過
教科書出版会社であるA出版株式会社は,従前発行していた高等学校公民科現代社
会の教科書「高校現代社会」を平成5年度から使用に供すべく,全面改訂した「新高校
現代社会」の原稿本を申請図書として,文部大臣に対して教科書検定審査の申請をし
たところ,文部大臣は平成4年10月1日に行った検定意見の通知において,共同執筆
者の一人であった一審原告の執筆した「現在のマスーコミと私たち」及び「アジアの中の
日本」と題するテーマ学習用の各記述について複数の検定意見を通知した(以下,この
通知を「本件検定処分」ともいう。)。本件は,一審原告が,①教科書検定制度自体ない
しその運用が違憲であり,そうでないとしても,本件の教科書検定手続には検定関係法
規に違反する重大な瑕疵があるから,本件検定処分は違法である,②上記検定意見の
告知は,検定意見の告知の際の注意義務に違反しているから,本件検定処分は違法で
ある,③上記複数の検定意見は内容的に違法であり,したがって,本件検定処分は違
法であると主張して,一審被告国に対して慰謝料100万円及びこれに対する不法行為
の後である平成5年7月1日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定年5分
の割合による遅延損害金の支払を求めた国家賠償請求事件である。
原判決は,①教科書検定制度は,教育の自由(憲法13条,23条,26条,教育基本法
10条),表現の自由(憲法21条1項,国際規約(B規約),児童の権利に関する条約)及
び学問の自由(憲法23条)を侵害するものではなく,憲法が禁じている検閲又は出版の
事前抑制(憲法21条2項)に当たらず,また,憲法の適正手続に関する規範(憲法31
条)に違反するものではなく,違憲・違法性は認められない,②文部大臣による教科書
検定制度の運用が,国に向けられた憲法上の要請ないし憲法規範に明らかに違反して
いる状態にあるとは到底いえず,また,個別の検定意見の違憲性を判断するまでもなく
当然に違憲であるともいえない,さらに,本件の教科書検定手続に検定関係法規に違
反する重大な瑕疵があるということもできない,③上記複数の検定意見の通知の「アジ
アの中の日本」と題するテーマ学習用の記述に関する部分のうち,「勝海舟の「氷川清
話」の引用文も含めて,前後を端折って,都合の良いところだけを抜き出した感があるの
で,再検討していただきたい。」という検定意見の通知は,「氷川清話」の引用文との関
係では,検定基準に対する当てはめ判断に看過しがたい過誤があって違法であり,ま
た,同記述に関する部分のうち,「注⑤の後段の記述は,掃海艇派遣に関して東南アジ
ア諸国の意見を聞くべきかは疑問であり,原文記述はやや低姿勢であるから,記述を修
正する必要がある。」という検定の意見は,それが当てはめた検定基準が不明であり,
検定意見の趣旨と理由が明確性を欠くものであることが明らかであって,同通知には看
過しがたい過誤がある,④上記複数の検定意見の通知のうち,その余の検定意見の通
知には違法はないと判断し,一審原告の請求を一部認容し,その余の請求を棄却した。
そこで,一審原告と一審被告の双方が本件控訴を提起した。
なお,以下に掲げる法令の各条文は,いずれも本件検定処分が行われた当時施行され
ていたものを指す。
第2 教科書検定に関する法制度とその運用(争いのない事実と証拠により容易に認定
できる事実を含む。)
教科書検定に関する法制度とその運用は,次のとおり補正,付加するほか,原判決「事
実及び理由」欄の「第二章 事案の概要」第二(原判決4頁5行目冒頭から同43頁7行
目末尾まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決4頁9行目から10行目にかけての「教科書の発行に関する臨時措置法(昭和
二三年七月一〇日法律第一三二号)」を「教科書の発行に関する臨時措置法(昭和二
三年七月一〇日法律第一三二号。平成一〇年法律第一〇一号による改正前のもの。
以下同じ。)」と,同5頁3行目の「学校教育法(昭和二二年三月三一日法律第二六号)」
を「学校教育法(昭和二二年三月三一日法律第二六号。平成一〇年法律第一〇一号に
よる改正前のもの。以下同じ。)」と,同8行目の「教科用図書検定規則(平成元年四月
四日文部省令第二〇号)」を「教科用図書検定規則(平成元年文部省令第二〇号。平成
六年文部省令第三号による改正前のもの。以下「検定規則」という。)」とそれぞれ改め
る。
2 原判決6頁1行目冒頭から同7頁5行目末尾までを次のとおり改める。
「(二) そうすると,学校教育法上の教科用図書(以下,単に「教科書」ともいう。)は,教
科の過程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として,教授の用に供せら
れる児童又は生徒用図書であって,文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作権を
有するものをいい,小学校,中学校,高等学校その他これに準ずる学校においては,上
記にいう教科書を使用することが義務付けられているものということになる。むろん,上
記にいう教科書は主たる教材であって,唯一の教材ではなく,上記の各学校は,必要に
応じて,その他の教材で,有益適切なものを使用することができるものである(学校教育
法二一条一項,二項,四〇条,五一条,七六条)。
そして,上記の各学校において教育を受ける立場にある児童生徒は,心身ともに発達
の過程にある者であるから,その発達の過程に応じた教育的配慮がされなければなら
ず,そこで使用される教科書の内容に関しても,上記の意味での教育的配慮が施され
なければならないと考えられる。」
3 同8頁3行目から4行目にかけての「これらの規定によれば,」を「これらの規定は,」
と,同4行目の「文部大臣の行政行為であること」を「文部大臣の行政行為として行われ
るものであること」と,同5行目の「学校教育法二一条三項」を「学校教育法二一条三項
(同法四〇条,五一条,七六条で準用される場合を含む。)」とそれぞれ改める。
4 同9頁5行目から6行目にかけての「国家行政組織法四条,五条」を「国家行政組織
法(平成一一年七月一六日法律第九〇号による改正前のもの。以下同じ。)三条,五
条」と,同6行目から7行目にかけての「教科書課,教科書調査官」を「教科書課」と,同
7行目から8行目にかけての「文部省組織令(昭和五九年六月二八日政令第二二七
号。以下「組織令」という。)八条によれば,」を「文部省組織令(昭和五九年六月二八日
政令第二二七号。平成一〇年政令第三五一号による改正前のもの。以下「組織令」とい
う。)一条により,文部省には初等中等教育局が置かれるものとされ,同令八条によれ
ば,」と,同10頁2行目の「(一号)」を「(一号),」と,同8行目の「文部省設置法施行規
則九条の一一」を「組織令八条一一号,三三条一号」とそれぞれ改める。
5 同12頁1行目の「文部省組織令」を「組織令」と,同7行目から8行目にかけての「教
科用図書検定調査審議会令(昭和二五年五月一九日政令第一四〇号。以下「審議会
令」という。)」を「教科用図書検定調査審議会令(昭和二五年五月一九日政令第一四〇
号。平成一二年六月七日政令第三〇八号による改正前のもの。以下「審議会令」とい
う。)」とそれぞれ改め,同末行の「調査させるため,」の次に「同審議会には」を加え,同
13頁5行目の「職員以外の委員の」を「職員以外の者のうちから任命された委員の」と,
同14頁3行目の「選任されているが,」を「選任するのが例となっているが,」と,同15頁
末行の「取扱規定」を「取扱規程」と,同17頁4行目の「以下「審議会規則」という。))」を
「以下「審議会規則」という。)」と,同8行目の「議決とされ」から同9行目の「答申等が行
われている」を「議決とする取扱いがされ,検定審議会は,この議決に基づき,文部大臣
に対する答申等を行っている」とそれぞれ改める。
6 同18頁2行目冒頭から末尾までを「検定規則」と,同5行目から6行目にかけての
「高等学校教科用図書検定基準(平成元年四月四日文部省告示第四四号)」を「高等学
校教科用図書検定基準(平成元年四月四日文部省告示第四四号。以下「本件検定基
準」という。)」と,同6行目及び同24頁2行目の各「高等学校教科用図書検定基準」を
「本件検定基準」とそれぞれ改める。
7 同29頁8行目の順番号「6(一)」を「6」と,同8行目の「検定基準」を「本件検定基準」
とそれぞれ改め,同30頁11行目冒頭から同31頁7行目末尾までを削除する。
8同31頁9行目から10行目にかけての「前記教科用図書検定規則(以下「検定規則」
という。)」を「検定規則」と改める。
9 同33頁6行目の「著作編集関係者」を「著作編修関係者」と,同40頁1行目の「取り
消すことができる」を「取り消すものとされている」と,同3行目の「検定通知」を「検定意
見の通知」とそれぞれ改める。
10 同43頁6行目の「初等中等教育局教科書課」を「初等中等教育局教科書課長」と改
める。
第3 本件の事実経過に関する争いのない事実と証拠により容易に認定できる事実は,
次のとおり補正,付加するほか,原判決「事実及び理由」欄の「第二章 事案の概要」第
三(原判決43頁9行目冒頭から同64頁1行目末尾まで,同69頁7行目冒頭から同81
頁8行目末尾まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決52頁5行目の「(1984年)」を「(1894年)」と,同55頁1行目の「著作編集
関係者名簿」を「著作編修関係者名簿」とそれぞれ改める。
2 同56頁6行目の「しかし,」を削除する。
3 同62頁末行及び同63頁4行目の各「検定基準」を「本件検定基準」と,同4行目の
「選択・扱い及び組織・表現」を「選択・扱い及び組織・分量」とそれぞれ改める。
4同69頁7行目の順番号「4」を「3」と,同70頁4行目の順番号「5」を「4」とそれぞれ
改める。
5同71頁9行目から10行目にかけての「単行本「メディアの湾岸戦争」の一部コピー」
から同10行目から11行目にかけての「記事のコピー(甲五の二の二)」までを「一九九
一年(平成三年)六月一九日付け朝日新聞朝刊のコピー(甲五の二の一)と雑誌「文藝
春秋」(平成三年五月号)の松原久子「戦勝国アメリカよ驕るなかれ」のコピー(甲五の二
の二)」と改める。
6 同79頁4行目の「B調査官は,」の次に「A出版は,」と加え,同9行目の「聞き出した
した」を「聞き出した」と改める。
第4 本件の争点及び争点に関する当事者の主張
1 教科書検定制度の違憲性の有無ー①教育の自由を保障する憲法13条,26条,23
条,教育基本法10条違反の有無,②表現の自由を保障する憲法21条1項違反の有
無,③検閲及び出版の事前抑制の禁止を定める憲法21条2項違反の有無,④学問の
自由を定める憲法23条違反の有無,⑤適正手続の保障を定める憲法31条違反の有

上記争点についての当事者の主張は,次のとおり補正するほか,原判決「事実及び理
由」欄の「第二章 事案の概要」第四の一(原判決81頁11行目冒頭から同124頁末行
末尾まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決88頁11行目の「したがって,」を「そして,」と,同89頁1行目の「そして,」を
「また,」と,同90頁11行目の「本件検定規則及び検定基準」を「検定規則及び本件検
定基準」と,同93頁5行目の「検定基準」を「本件検定基準」と,同94頁2行目の「組織
配列」を「組織排列」とそれぞれ改める。
(2) 同98頁末行,同99頁1行目及び同3行目の各「検定基準」を「本件検定基準」とそ
れぞれ改める。
(3) 同104頁末行から同105頁1行目にかけての「網羅的に加えるものであること」を
「網羅的に適用されるものであること」と,同9行目の「本件検定制度が」を「本件検定制
度は,」とそれぞれ改める。
(4) 同108頁10行目の「検定基準」を「本件検定基準」と改める。
(5) 同111頁末行の「組織配列」を「組織排列」と改める。
(6) 同114頁1行目の「適正は」を「適正な」と,同116頁7行目から8行目にかけての
「要請があるが本件検定制度は」を「要請があるが,本件検定制度は」とそれぞれ改め
る。
2 本件検定処分において教科書検定制度の運用上の違憲又は違法が存するか否か
上記の争点に関する当事者の主張は,次のとおり補正するほか,原判決「事実及び理
由」欄の「第二章 事案の概要」第四の二(原判決125頁2行目冒頭から同144頁4行
目末尾まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決126頁9行目の「検定意見は,」を「検定審査の決定を留保して検定意見を
通知するにあたっては,」と,同128頁7行目から8行目にかけての「前記とおり審議会
が設置され(中略)」を「前記審議会が設置され(昭和五八年法律第七八号による改正
前の文部省設置法二七条一項,昭和五九年政令第二九九号による改正前の教科用図
書検定調査審議会令一条,三条一項),」とそれぞれ改める。
(2) 同130頁4行目の「含まず」を「含まれず」と改める。
(3) 同136頁4行目の「三人の各調査官が」を「三人の各調査官から」と,同137頁3行
目の「さの内」を「その内」と,同140頁7行目の「調査官は」を「検定意見の告知にあた
って,調査官が」と,同141頁6行目の「主張しつつ,実は」を「主張しているが,実際に
は」と,同7行目の「「個人的感想」なるものを,」を「「個人的感想」なるものを,同調査官
が」とそれぞれ改める。
3 教科書検定における裁量権の逸脱の有無の判断基準
上記の点に関する当事者の主張は,原判決「事実及び理由」欄の「第二章 事案の概
要」第四の三(原判決144頁6行目冒頭から同153頁7行目末尾まで)に記載のとおり
であるから,これを引用する。
ただし,原判決151頁10行目の「これに依拠された」を「これに依拠してされた」と,同1
52頁8行目の「判断するにおいては」を「判断する場合においては」と,同末行及び同1
53頁5行目の各「検定基準」を「本件検定基準」とそれぞれ改める。
4 本件検定意見の内容について
(1) 「テーマ(6)」について
(一審原告の主張)
「テーマ(6)」で告知された問題となる検定意見は次のとおりである(なお,本件訴訟の請
求原因と直接関係のない検定意見については省略する)。
ア 「テーマ(6)」全体についてのB調査官の説明(以下「調査官説明」という。)及び検定
意見
(ア) 上記の点に関する調査官説明の内容は次のとおりである。
内容が明確でなく,素材も不適当だから全面的に見直しを要する。
(イ)調査官説明から理解される検定意見
検定意見は原稿の個々の記述に対して検定基準の各必要条件ごとに具体的理由を付
して欠陥を指摘するものでなければならないが,このように考えるならば,B調査官が口
頭告知した「テーマ(6)」全体に対する内容は,天皇逝去報道や湾岸戦争について同調
査官がその後に指摘したことと切り離して,それらとは別個の独立した検定意見とはな
り得ないものである。
B調査官は,「テーマ(6)」全体について,本件検定基準のどれに該当するかは述べては
いるものの,具体的な欠陥箇所やその理由については,一切言及していないのであっ
て,この告知内容のみを取り上げて検定意見とすることには無理がある。一方,B調査
官の「テーマ(6)」全体に対する告知内容は天皇逝去報道や湾岸戦争についてB調査官
が述べたその後の告知内容のまとめとしてならば,告知内容が具体性を帯びて来るか
ら検定意見と考えることも可能である。結局,B調査官が「テーマ(6)」全体について告知
した内容(内容不明確,素材不適切)は,それ以外の告知内容のまとめという意味では
検定意見となり得ても,それ以外の告知内容とは独立した別個の検定意見とはなり得な
い。したがって,この「テーマ(6)」全体についての告知内容を独立に取り上げて違法か否
かを論じるのは,意味がない。
また,一審被告は,本件申請図書の記述のみからは,一体何が論点であり,何を生徒
に学習させるのか明確でないところがあると主張するが,B調査官は,口頭告知の際,
問題となる題材が天皇逝去報道,湾岸戦争の際の報道,コミック誌であるとは一言も述
べておらず,かつ,これらの記述から論点が不明であるとも言ってはいないのであるか
ら,B調査官の口頭告知の際に述べた告知内容を一審被告主張のような検定意見と捉
えることはできない。
イ 天皇逝去報道について
(ア) 上記の点に関する調査官説明の内容は次のとおりである。
① 本文及び「考えてみよう」欄に昭和天皇「死去」という言葉を使っているのは不適当
である。
② マスコミの天皇報道について書くなら,マスコミの追悼の意,国民の反応も入れるべ
きである。
③ 「考えてみよう」欄「1」の「特別番組を3日間つづける予定だったのを途中で2日間に
変更した」というのは事実に反する。
(イ)調査官説明から理解される検定意見
検定意見の客観的内容は,要するに「現在のマスーコミと私たち」というテーマについて
考えさせるための素材として,昭和天皇死去に際してのテレビ番組の問題を取り上げる
こと自体が不適切であるから,関係する記述やカットを削除し,何か別のものに変えよ,
というものである。
(ウ) 上記報道に関する記載部分について「論点不明確」との検定意見・補足説明が告
知されたといえるか。
平成4年10月1日の口頭告知後,B調査官は,「テーマ(6)」全体について甲3の9の2枚
目をCに渡して,「「現在のマスーコミと私たち」というテーマとの関連で取り上げようとして
いる内容が必ずしも明確でなく,素材も適切とはいいがたい。」,「マスコミの番組編成と
視聴者の反応という観点から取り上げているのであれば「考えてみよう1」の設問は,特
別番組の予定を3日間から2日間に変更したというのが事実に反する以上,適切な素材
とはいいがたい。他方,崩御に際してのマスコミ自体の対応を取り上げ,(天皇関連の特
別番組一色の編成に関し)問題提起をしようとしているのであれば,各界各層の対応全
体と併せてマスコミ各社の国民の象徴に相応しい追悼の気持ちで番組を編成するとの
方針についても触れる必要があり,これに対する視聴者の反応についてもまた説明が
必要となる。この様にするとするならば天皇制の問題をある程度正面からのテーマとし
て取り上げることになるが,「現在のマスーコミと私たち」というテーマの焦点がぼけること
になり,素材及び取り上げ方としては適切とはいいがたい。」と補足説明した。
上記メモの補足説明にある「他方」以下の部分から,一審被告主張の「「現在のマスーコ
ミと私たち」というテーマのもとで,生徒に討論させようとする論点が,マスコミの番組編
成と視聴者の反応という観点から取り上げているものか,天皇の崩御と特別の番組編
成というマスコミ自体の対応について取り上げているものか,あるいは他の事を取り上
げているものかが不明確である。」との内容を読み取ることはおよそ不可能であり,前記
主張は検定意見として告知された内容及び補足説明の内容には含まれていないと解さ
ざるを得ない。
ウ 湾岸戦争報道について
(ア) 上記の点に関する調査官説明は次のとおりである。
① 「テーマ(6)」の注①についてー「作戦というのは,もともと秘密のうちにやるはずなん
で,こんなことあるはずないじゃないか,本当とは思えない」
② 「テーマ(6)」注②についてー「こういうことがあるとは思えない。事実に反しているん
じゃないか」
なお,B調査官は,検定意見告知後の補足説明では,上記の点に関し,「安定した評価
の定まった資料で書いて下さい」との趣旨の発言をした。
(イ) 調査官説明から理解される検定意見(主位的主張)
本件の注①及び注②に関するB調査官の指摘は検定意見というべきである。
検定意見は,新聞や雑誌の記事を根拠とする記述を教科書に登載することを許さないと
いうもの,または,B調査官の発言は質問の形式を採っているが,その否定的な意味合
いからして実質的には当該箇所を修正ないし削除せよという検定意見にほかならない。
まず,前記のとおり,本件指摘が検定意見の場で,教科書調査官から「注意喚起です
が」との留保なしに伝達され,さらに,本件の注①および注②の教科書調査官の各指摘
はわざわざ小委員会(現代社会小委員会)に諮られ,しかも報告だけにとどまらず了承
を得ているのである。そして,小委員会とは申請図書の審議を行う第二部会に設けられ
ており,本件申請図書のような高等学校用の教科用図書を実質的に審査する委員会で
ある。
さらに,その後の経緯をみても,上記各指摘が実質的に検定意見であることは疑いのな
い事実といえる。考えてみても,単なる事実確認の「お願い」にすぎなければ,一審原告
側が新聞,雑誌などの客観的資料を提出した時点で確認作業はすんだはずである。ま
た,単なる事実確認の「お願い」であれば,一審原告が第一次修正表のとおり元の原稿
の修正を余儀なくされることもなかったはずである。同修正は教科書調査官の指摘が原
因となってされたものである。
(ウ) 予備的主張
万が一,上記のB調査官の指摘が検定意見そのものではないとしても,一審原告に対し
ては,検定意見と同様の強制力を有するものであり,不当に削除を要求するものとして
違法な公権力の行使に当たる。
(一審被告の主張)
ア 「テーマ(6)」全体及び天皇逝去報道について
(ア) 上記の点に関する調査官説明は次のとおりである。
a B調査官は,「テーマ(6)」全体について,「現在のマスーコミと私たち」というテーマの
関連で取り上げられている内容が不明確であり,かつ素材も適切なものとはいいがたい
ことから,全体として見直していただきたい,と伝えた。その際,指摘事項一覧表を交付
したが,その11番には本件申請図書の96,97頁(テーマ(6))が,指摘箇所として挙げ
られ,「選択・扱い及び組織・分量」の欄に丸印が付されているから,他の指摘箇所と比
較すれば,「テーマ(6)」の全体に検定意見が付されていたことは明らかである。
bB調査官は,次にメモを読み上げて,以下のとおり説明した。
昭和天皇崩御の際のマスコミの報道について,特別番組の編成とこれに対する視聴者
の反応の観点から取り扱おうとするのであれば,「考えてみよう1」の設問は,特別番組
を3日間続ける予定であったのを途中で2日間に変更したというのが事実に反する以
上,適切な素材とはいいがたい。他方,天皇崩御の際のマスコミ自体の対応を取り上
げ,問題提起をしようというものであれば,各界各層が天皇に対して追悼の意を表したこ
とと併せてマスコミ各社も国民統合の象徴である天皇に対してこれに相応しい追悼の意
を表す気持ちで番組を編成しているという方針にも触れる必要があり,これに対する視
聴者の反応についても説明する必要があるのではないか。このようにするならば,天皇
制の問題にもある程度正面からのテーマとして触れることになるが,そうすると「現在の
マスーコミと私たち」というテーマの焦点がぼけてしまうので,素材及び取り上げ方として
適切とはいいがたい。 なお,昭和天皇崩御について「死去」という表現を用いるのは学
習上適切ではない。
(イ)検定意見の内容
「テーマ(6)」に付された検定意見は,「「現在のマスーコミと私たち」というテーマとの関連
で,取り上げようとしている内容が必ずしも明確でなく,題材の選択や扱いも適切とはい
いがたい,また,不正確な記述などもみられるので,全体として見直していただきたい。」
というものであり,B調査官が上記検定意見に関し行った説明の内容は,以下のとおり
である。
a 昭和天皇崩御の際のマスコミの報道については,マスコミの番組編成と視聴者の反
応という観点から取り上げているのであれば,「考えてみよう1」の設問は,特別番組の
予定を3日間から2日間に変更したというのが事実に反する以上,適切な素材とはいい
がたい。
b 他方,崩御に際してのマスコミ自体の対応を取り上げ,問題提起をしようとしているの
であれば,各界各層の対応全体と併せてマスコミ各社の国民の象徴にふさわしい追悼
の気持ちで番組を編成するとの方針についても触れる必要があり,これに対する視聴
者の反応についても,また説明が必要となろう。
c このようにするならば天皇制の問題をある程度正面からのテーマとして取り上げるこ
とにもなるが,「現在のマスーコミと私たち」というテーマの焦点がぼけることとなり,素材
及び取り上げ方としては適切とはいいがたいのではないか。
d さらに,昭和天皇の崩御について「死去」という表現を用いることは学習上不適切で
ある。
(ウ) 上記検定意見は,本件検定基準からすれば,「第二章 各教科共通の条件」の「2
 選択・扱い及び組織・分量」の「(1) 図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要領
に示す目標,学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照ら
して不適切なところ,その他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはな
いこと。」,「(3) 話題や題材の選択及び扱いは,特定の事象,事項,分野などに偏るこ
となく,全体として調和がとれていること。」,「(4) 図書の内容に,特定の事柄を特別に
強調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはない
こと。」及び「(7) 全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標
準単位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示
す内容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること。」の各項目に
基づくものである。
イ湾岸戦争報道について
上記検定意見の通知に当たって,B調査官は,「テーマ(6)」の注①について,「マスコミ
に報道するようにしむけ」について資料を出していただきたい,また,末尾の「多国籍軍
首脳は記者たちに礼を述べたという。」も伝聞になっているから資料で確認していただき
たい,さらに,同注②についてもどんな資料で書いたのか確認していただきたいと発言し
たが,この発言は検定意見には含まれない。
すなわち,検定意見とは,検定審議会において,申請図書について,必要な修正が行わ
れた後に再度審査を行うことが適当であると認めた場合に,文部大臣が検定の決定又
は検定審査不合格の決定を留保して,修正を必要とする箇所について,検定基準の各
条件ごとに具体的理由を付して欠陥を指摘するものである(検定規則七条ただし書,家
永第一次,第三次最高裁判決)。したがって,修正を必要とする箇所について具体的理
由を付して欠陥を指摘したのではなく,単に資料の提出や事実の確認を要望することは
検定意見に当たらない。B調査官は,上記注①及び注②の記述に関しては,「記述内容
について事実確認をお願いしたい。」との趣旨の発言をしたものであって,上記記述の
欠陥を具体的に指摘しておらず,B調査官のこの点の発言は申請者側に注意を喚起す
るものであって,検定意見に当たらないことは明らかである。
一審原告がB調査官の上記発言を検定意見であると理解したのであれば,検定意見に
従った修正を行わない限り,検定合格処分は受けられないのであるから,一審原告にお
いては当然,検定意見に従った修正をしたはずであるが,一審原告のした対応は,上記
発言が検定意見であることを前提としてこれに従って修正をしたと評価できるものではな
く,一審原告が上記発言を検定意見と理解していたとは到底考えられない。
(2) 「テーマ(8)」について
(一審原告の主張)
ア 「テーマ(8)」全体についての調査官説明及び検定意見
「テーマ(8)」全体については,指摘箇所としての指摘はあったが,平成4年10月1日の
B調査官による検定意見の告知の場においては,その具体的内容は全く告知されなか
った。したがって,「テーマ(8)」全体に対する検定意見は存在しないというべきである。そ
の全体が指摘箇所となっていても,検定意見としての具体的内容と理由が不明である
から,このような検定意見は検定意見としては成立していないというべきである。
イ 「テーマ(8)」の注⑤の掃海艇派遣問題についての調査官説明及び検定意見
上記注⑤の記述に関するB調査官の告知の内容は,「我が国のタンカーの安全のため
に派遣したのであって,東南アジアの国々に意見を求める必要はない。低姿勢に過ぎる
のではないか。」というものであり,注⑤の記述のうち,後半の第二文を問題としたもの
である。B調査官が掃海艇派遣の時期,目的が記載されていない点に言及したとして
も,それはこれを書けという修正指示ではなく,「東南アジアの国々の意見を求める必要
はないではないか。」という「選択・扱い及び組織・分量」の結論の「理由」として言及した
にすぎないと解すべきである。 
したがって,上記注⑤の記述に関する検定意見は,その第二文に対して「東南アジアの
国々の意見を求める必要はない。低姿勢に過ぎる。」というものであったとみるべきであ
る。
ウ 「脱亜論」と「氷川清話」についての調査官説明及び検定意見
上記の点に関する調査官説明及び検定意見は次の内容であったと解すべきである。
(ア) 福沢が「脱亜論」を書いた背景事情を入れるべきである。
(イ) 「脱亜論」,「氷川清話」の引用について都合のいい部分を抜き書きしている。
(ウ) B調査官は,平成4年12月1日のCに対する補足説明の場において,甲3の9のD
調査官作成の「「現・社」3-136「テーマ8」の福沢諭吉と勝海舟について」と題するメモ
をCに手渡したのであるから,そのメモの内容の補足説明があったというべきである。そ
うすると,そのメモの内容も検定意見の趣旨に含まれるというべきである。
エ 新明日報についての調査官説明及び検定意見
上記の点に関し,B調査官は「やっぱり出すんですか」という意味のことを言い,どこが
問題かの指摘をしなかった。
したがって,この点に関する検定意見としては,上記の点に関し全文削除の要求があっ
たと理解すべきである。
(一審被告の主張)
ア 「テーマ(8)」についての調査官説明は,次のとおりである。
(ア) 「テーマ(8)」全体について
B調査官は,指摘事項一覧表(甲3の4)を交付したが,そこには,本件申請図書の12
8,129頁(テーマ(8))が,指摘箇所として挙げられ,「選択・扱い及び組織・分量」の欄
に丸印が付されていたから,他の指摘箇所と比較すれば,「テーマ(8)」の全体に検定意
見が付されていることが明らかである。
「テーマ(8)」はテーマ学習であるから,次の(イ)aないしgについて修正する場合には,そ
れぞれの箇所及び内容について,相互の関連にも留意しつつ,不可分のものとして扱う
必要がある。したがって,「テーマ(8)」全体を指摘箇所としたものである。
(イ) B調査官が,「テーマ(8)」の各部分について発言,指摘した内容は次のとおりであ
る。
a 「日本は平和主義を基本としているが,…」との記述については,「…が,…」が逆接
であるので,この表現では,その後に列挙されている教科書問題,大喪の礼の代表派
遣,掃海艇派遣問題は,いずれも平和主義に反する問題であるかのような誤解を招くお
それがある。
b 掃海艇の派遣は,湾岸戦争後に我が国の船舶の航行の安全を図るためになされた
ことを踏まえて記述していただきたい旨を指摘した。
なお,B調査官は,「注⑤は,湾岸戦争後,我が国の船舶の航行の安全を図るために派
遣されたのではないですか。これが落ちていますね。」と指摘し,個人的感想として「東
南アジアの国々については,声を聞かなければならないのですかねぇ。少し低姿勢では
ないですか。」と述べた。この後段部分は,「テーマ(8)」の本文において,掃海艇の派遣
が平和主義に反するかのような記述がなされており,さらに注⑤において,掃海艇派遣
問題について,「東南アジア諸国からは,派遣を決定する以前に意見を聞いてほしかっ
たとする声があいついで出された。」との記述がされていて,掃海艇派遣の問題点にの
み触れながら,掃海艇が湾岸戦争終了後に我が国の船舶の航行の安全を図る目的で
派遣されたという派遣の相当性についての記述が欠落していることから,本件記述が掃
海艇派遣の問題点のみを強調するバランスに欠けたものであることを意味するものであ
る。
c 「脱亜論」の扱いが一面的であるので,その背景事情をも考慮して記述を再検討して
いただきたい。
d 「氷川清話」については,引用の仕方が適当でなく,原典の内容についての正しい理
解が得られないおそれがある。また,本件原稿129頁の関連の注⑥も背景説明として
不適切である。
e 「考えてみよう1」について,本文中の資料の取扱いとの関連で再検討していただきた
い。
f マレーシアの華語新聞の見出しについては,他の記述箇所との関連を考慮していた
だきたい。
g 「ASEAN諸国における対日世論調査」については,出典を明示する必要がある。
イ 「テーマ(8)」についての検定意見の内容は,次のとおりである。
(ア)「テーマ(8)」に付された検定意見は,「「脱亜論」の扱い,「氷川清和」の引用,両文
献の対比のさせ方など,題材の選択・扱いに不適切な箇所がみられるので,再考してい
ただきたい。」というものである。「テーマ(8)」はテーマ学習のためのものであるから,実
際に指摘した内容に従って修正をする場合には,それぞれの箇所及び内容について,
相互の関連にも留意しつつ,不可分のものとして扱う必要があることから,「テーマ(8)」
については,全体を指摘箇所として一個の検定意見が付されたものである。
(イ) 「テーマ(8)」については,B調査官が前記ア(イ)のaないしgの各指摘をしたが,これ
らの指摘は,「テーマ(8)」に対する上記検定意見の趣旨について正確な理解を得られる
よう,上記検定意見と一体不可分のものとして補足的に行われたに過ぎないものであ
る。
(ウ) 本件申請図書に対する検定意見は,平成4年10月1日に検定規則7条ただし書
及び実施細則第二2に基づき,指摘事項一覧表を交付してB調査官から申請者に対し
口頭告知した内容がそのすべてである。したがって,平成4年11月10日の第1回目の
修正表提出後の同年12月1日に,B調査官がA出版のCに交付した甲3の9のメモの内
容が検定意見に含まれないことは明らかである。
ウ上記検定意見は,本件検定基準からすれば,「第二章 各教科共通の条件」の「2選
択・扱い及び組織・分量」の「(1) 図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要領に示
す目標,学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして
不適切なところ,その他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはないこ
と。」,「(3) 話題や題材の選択及び扱いは,特定の事象,事項,分野などに偏ることな
く,全体として調和がとれていること。」,「(4) 図書の内容に,特定の事柄を特別に強調
し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこ
と。」,「(7) 全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標準単
位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内
容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること。」及び「(11) 引
用,掲載された教材や資料については,著作権法上必要な出所や著作者名その他必
要に応じ出典,年次など学習上必要な事項が示されていること。」の各項目に基づくも
のである。
5 「テーマ(6)」に対する各検定意見の違法性の有無について
(一審原告の主張)
(1)「テーマ(6)」全体についての検定意見について
「テーマ(6)」の全体に対する独立の検定意見の通知はなく,その違法性を問題にする余
地はない。
(2) 「テーマ(6)」の全体に対する検定意見についての予備的主張
仮にB調査官の前記告知内容が一審被告主張の内容の検定意見であるとしても,次に
述べるとおり,「テーマ(6)」の記述に著しく不適当な記述はなく,上記検定意見は検定権
者の裁量権を逸脱したものであり,違法である。
ア 一審被告の,テーマ学習の場合は,ある「テーマ」があり,その下に「論点」,つまり
生徒に討論させる具体的内容があって,それは各題材からそれらの関連性,共通性を
探るうちにあたかも共通項のように浮かび上がってこないといけない,という思考方法
は,間違っている。本件ではテーマそのものから論ずるべき事項は,テーマそのもので
あることは明らかである。
「テーマ(6)」のテーマは「現在のマスーコミと私たち」というものであり,このテーマをみれ
ば,中学生であってもおおよそ論ずべき点が分かる。また,「テーマ(6)」の三つの題材か
ら共通項をひねり出さなければいけないというものではない。実際に,討論授業の場合
には,一見して明らかな書き方は,生徒の方で「正解」を読みとってしまい,自分の頭で
考えて議論をしなくなってしまうこともあり,疑問を感じるような形や関心を示すような形
で素材を提供することの方が,討論のためには有効である。
イ 本件申請図書のテーマ学習は,図書全体の一部であり,一年間の授業の一環とし
てその一部として行なわれるものである。学習指導要領が最低限求める事項は,テーマ
学習を除いた記述で既に満たされており,テーマ学習は,その中のいくつかの事項につ
いて,多角的に理解し又は学習を深めるために存している。
そうすると,学習指導要領が求めるマスコミ関連の内容は,既に本件申請図書90頁及
び139頁の記述で満たされている。しかも「現在のマスーコミと私たち」というテーマを考
えてみれば,ここでいう「私たち」は,青年期の自己形成途上である「私たち」であると同
時に,将来,我が国の民主主義の担い手となる「私たち」でもあって,この二つの側面を
同時に併せもつ高校生が,情報化社会の担い手であり,かつ世論形成にも大きな影響
をもっているマスコミとどう向きあったらいいのか,ということがテーマであることは容易
に判明する。
もし「論点」なるものを明確にするということで,上記の90頁の本文と同様のことを書い
たとしても,それは重複となるだけである。また生徒は,上記の90頁の学習で話の筋は
見当がついているのであるから,そのような「テーマ(6)」についての教科書は,生徒の興
味を引き,学習意欲を喚起する上で,余りに工夫がないものというほかはない。
結局,「テーマ(6)」は,具体的な身近な題材を使って高校生自身が,自分の頭で総合的
に考えてみるということのために存在しているわけである。その結果,生徒において,本
件申請図書の90頁や139頁に書かれていることを納得することができればよいわけで
ある。
「テーマ(6)」での学習上の獲得目標は,第一にマスコミの現状,拡がりについて確認し,
われわれがいかにマスコミの情報の洪水の中に生きており,いかにそれに依存している
か(受け手にならざるを得ないか)について,新鮮な驚きとともに実感すること,第二に,
そのマスコミの現状や報道の問題点について,どのような問題点があるのかを具体的な
例から考えること,第三に,問題点もあるマスコミの報道に私たちは,どのように主体的
に接したらよいか,また逆にマスコミに対して自分たちの側からの働きかけが必要では
ないか,について考えることであるから,以上の論点を学ぶ上で,「テーマ(6)」は,必要
にして十分である。そして教科書を前から順に学習していくならば,上記の90頁で学ん
だことを前提として「テーマ(6)」の学習に取り組み,また「テーマ(6)」の学習の成果が上
記の139頁を学習する上で生きることになる。
ウ 学習指導要領との関連
「現在のマスーコミと私たち」というテーマの「私たち」は,青年期の自己形成途上の「私た
ち」であると同時に,将来の民主主義の担い手である「私たち」でもある。また,マスコミ
という社会存在も情報化社会の担い手であり,かつ世論形成に大きな影響を与える。つ
まり,「テーマ(6)」は,学習指導要領の内容としては「(1)現代社会における人間と文化」
の「ウ,現代社会の特質と青年期の課題」及び「(3)現代の政治経済と人間」の「ウ,日
本国憲法と民主主義」という部分に関連しているといい得るが,そもそもテーマとして,あ
る社会的事象や社会的存在をとり上げる以上,それが結果として学習指導要領の内容
の(1)から(4)の複数に関連することがあるのは,むしろ当然であって,そもそもテーマ
が学習指導要領のどこと関連するか,ということは,まずテーマそのものの内容,本件で
いえば「現在のマスーコミと私たち」のテーマに含まれる社会的事象や存在から割り出し
ていくべきものであり,編集趣意書の記載のような形式的なことから決まるものではな
い。
(3) 昭和天皇逝去報道に関連する記述部分に対する検定意見について
次に述べるとおり,上記記述部分に著しく不適当な記述はなく,この点に関する検定意
見は検定権者の裁量権を逸脱したものであり,違法である。
ア 「天皇死去報道」問題を「現代社会」の教科書に取り上げることの意義
今日の高度情報メディア社会においては,多量の情報の収集・管理・操作が政府やマス
メディアといった限られたところに集中されており,個人が自由に情報を得たり伝達する
ことができない状態となっている。こうしたいわば情報の寡占化が進んでいる社会にお
ける問題としては,画一化した情報の過剰な供与によって,国民から正当な判断の機会
を奪い去る危険性及び情報を確保する主体に対し,国民自らが接近し意見を述べるこ
との重要性がある。そして,これらの問題点については,学習指導要領の「現代社会」の
「3 内容の取扱い」及び「高等学校学習指導要領解説・公民編」によって,その学習す
ることの意義が裏付けられている。
「天皇死去報道」という素材は,上記の問題を考える上で適切であり,かつ,一審原告が
本件原稿を執筆した当時において最も新しい素材であった。天皇死去報道の過剰な実
態,天皇死去報道をめぐるさまざまな議論(「過剰」「画一的」「横並び」との批判等)をみ
ても,天皇死去報道問題は,画一化した過剰な報道を考えるための格好の素材というこ
とができる。上記議論は,様々な切り口からの議論がされており,「天皇死去報道」がマ
スコミ論を論じる上できわめて興味深い素材であることが分かるのである。
また,視聴者の抗議の声の影響によりNHKの特別番組が2日間で打ち切られたという
事実もあるから,国民の情報を確保する主体への接近の問題を情報確保主体との関わ
り合い方を考える上でも,天皇死去報道は,やはり適切な素材ということができる。
イ 検定意見の違憲・違法性
(ア) 「特別番組を3日間つづける予定だったのを途中で2日間に変更したというのは事
実に反する」との検定意見について
「昭和天皇死去の時,特別番組を3日間つづける予定だったのを途中で2日間に変更し
たという。」との記述には,何ら事実に反するところはなく,一審被告のこの点に関する
検定意見は誤りである。
a 一審被告の主張内容は,検定当時のB調査官の「特別番組は当初
から2日間に決まっていた。したがって,視聴者の声が影響を与えたこともなかった。」と
いう認識と食い違っている。
b 仮に一審被告のような本件原稿記述の読み取り方を前提にしたとしても一審被告の
検定意見は必要最小限の範囲を越えている。
「テーマ(6)」の「考えてみよう1」では,「視聴者の抗議の電話が唯一の原因なのか」など
の点はテーマとの関連では重要な問題ではない。視聴者の抗議の電話が,NHKが特
別番組を2日間で打ち切ったことの大きな要因となったということは歴然たる事実であ
る。したがって,天皇死去報道問題がマスコミ論を考える素材として適切な素材であるこ
とには何ら変わりはない。
仮に,一審被告が主張するとおりにしか本件原稿記述を読み取れないとしても,本件原
稿記述に対する検定意見としては,若干の表現の修正を求めさえすれば足りるはずで
あるにもかかわらず,本件検定意見は素材の適切さ自体を否定し,設問の全面削除を
求めた。これは,検定意見として必要最小限の範囲を越えており,合理的根拠を欠く違
法な検定意見といわざるをえない。
c 一審被告の本件申請図書の読み取り方の誤り
「天皇死去の時,特別番組を3日間つづける予定だった」という本件原稿記述は,「天皇
が亡くなった場合には3日間つづける」という意味に読み取るのが通常であり,「天皇死
去の時点で決まっていた」としか読み取れないものとは到底いえない。一審被告が,後
者のようにしか読み取れないとの前提で「事実に反する」との検定意見を付したのは誤
りである。
また,本文において,設問への答え(2日間への変更の要因)となりそうな事実として「抗
議の電話」が挙げられていることから,「抗議の電話が変更の要因の一つだったのだろ
うか」と推測する生徒は多いかもしれないが,「抗議の電話が唯一の原因だ」という読み
方をすることは少なくとも通常ではない。一審被告の主張は,設問に対する答えが,全
て,本文(本件申請図書)に記述し尽くされているはずだという考え方を前提としている。
しかし,「テーマ(6)」の頁は,教師の指導の下での生徒たちによる教室における議論や
資料調査を前提とした頁であるから,これを読む者が,設問に対する答えが全て本文に
記述されているはずとの前提で読み取るはずがなく,一審被告の上記主張は本件原稿
記述の読み方を理解していない。
d 事実の確認可能性について
一審原告は,NHKにおいて特別番組編成が3日間から2日間に変更された経緯に関す
る新聞,雑誌の記事のうち1989年(平成元年)1月10日付け朝日新聞の「メディアイン
サイド」(甲5の1の2)を資料として第一次修正表に添付して提出しており,また,B調査
官自身,検定意見を形成するに先立ち朝日,毎日,読売,日経の4紙を調査している以
上,同調査官は前記の3日間から2日間への変更の事実は検定当時において既に確認
し得たものである。
教材のテーマとの関係では「決まっていたのか」「検討されていたのか」といった点は重
要な問題ではなく,「視聴者の抗議が番組編成に影響を与えた」という点がポイントなの
であるから,検定意見としては,若干の表現の修正を求めれば足りたはずであり,「適切
な素材とはいいがたい。」と素材の適切さ自体を否定し,記述の全面削除を求めた本件
検定意見は,やはり必要最小限の範囲を越えており,違法である。
(イ) 「マスコミの天皇報道について書くなら,マスコミの追悼の意,国民の反応も入れる
べきだ。」との検定意見について
本件原稿記述は正当であり,教科書としての欠陥はなく,上記検定意見は合理的根拠
を欠くものである。
a 「各界各層の反応」,「マスコミの追悼の意」,「視聴者の反応」についても記述の追加
が必要,とする点については,マスコミが追悼の意を表して番組を編成したという事実に
ついては,「テーマ(6)」の記述中のカットに用いられているテレビ番組表中の,追悼番組
の多量性それ自体から十分に明らかである。さらに,一審被告が主張するように「各界
各層の哀悼の表明が行われ,その中で,・・・マスコミも自らの哀悼の意を表して番組を
編成した」こと,それに対する国民の反応も様々だったことについては,生徒達には自ら
の体験や常識から,また,教室での教師の指導に基づく資料調査や議論を通じても十
分に分かることである。
b 記述の追加により殊更に強調する必要性がないということ
マスコミの行う報道が過剰報道等として問題視され,議論となる場合には,マスコミ側に
そのような報道を行うに至る理由ないし「事情」が存するのが通常である。しかし,天皇
死去報道問題をマスコミ論として議論する際,このようなマスコミ側の「事情」を理解する
のにとどまったのでは意味がない。そのような「事情」を踏まえた上で,マスコミが行った
報道の問題点を考えることこそが重要なのである。
天皇死去報道は,テレビ局が「自らの哀悼の気持ちを表する」ことを重視した(あるいは
重視し過ぎた)結果,画一的かつ過剰な報道を行ってしまったケースである。その結果,
視聴者からの反応もかつてないほど大きく,新聞,雑誌等でその報道姿勢につき,①他
の情報を報道しないことは報道機関としての公的役割の放棄である,②天皇関連番組
のみを流し続けることは弔意の強制ないしキャンペーンである,などの議論がわき起こ
ったのであった。
天皇死去報道を題材にした目的は,上記のような天皇死去報道という素材を通じて,
「過剰報道の問題点を考えさせる」ことにある。そして,同題材選択の目的に照らすと,
一審被告主張のような「事情」は,(教科書に記述しなくても生徒達に十分に分かるとこ
ろをあえて,)教科書に書き加え,殊更に強調する必要はない事柄である。
「国民の反応」についても,上記の同題材選択の目的に照らすと,特別番組編成に対す
る国民の反応が様々であることは教科書に記述しなくても十分に生徒たちに分かるとこ
ろであるから,教科書の中に記述を加えて殊更に強調すべき必要性は存しない。
c 教室での議論の余地を奪うこと
「テーマ(6)」は,本文記述を踏まえて記述されたテーマ学習の頁であり,そこでは,教室
の中で教師の指導のもと,生徒たちが様々な資料を利用するなどして主体的に考えあ
るいは討論することなどが予定されている。このことにより,生徒たちの「自ら考える力」
を養うことをも一つの目的としているのである。一審被告が主張するような記述を全て書
き込むことは,教室での議論の余地を奪うことになり,テーマ学習の頁としての教材の意
義を損ないかねないのである。
(ウ) 天皇制についてある程度正面から取り上げることになり,「現在のマスーコミと私た
ち」というテーマの焦点がぼけることになる,とする点について
一審被告の主張は,「天皇死去報道」の問題と「天皇制」の問題とを混同するものであ
る。
本申請図書は,「情報化社会における,マスコミの画一的で過剰な報道」及び「国民の
情報を確保する主体への接近」という二つの問題を考える具体的素材として,天皇死去
報道を取り上げているに過ぎない。したがって,天皇制の問題に触れるとしても,それ
は,情報化社会における,マスコミの画一的で過剰な報道及び国民の情報を確保する
主体への接近という問題を考える上で必要な程度で足り,決して天皇制の問題を「正面
から」取り上げる必要など存しない。
また,教室で,「皇室報道に特有の問題」について議論が及んだ場面で,天皇制の問題
に触れることがあるかもしれないが,それは,「皇室報道に特有の問題」を議論するのに
必要な程度で足りる。
したがって,天皇制について触れるとしても,「「現在のマスーコミと私たち」というテーマ
の焦点がぼける」ほどにまで天皇制に触れることにはならない。
(エ) 「論点不明確」との主張に対する反論
仮に,この指摘が検定意見及び補足説明の内容に含まれているとしても,「テーマ(6)」
は,天皇死去報道の問題を通じて,①過剰報道の問題,及び②視聴者の情報を確保す
る主体へのアクセスの問題を取り上げているものである。①が被告の主張する「天皇の
崩御と特別の番組編成というマスコミ自体の対応」,②が「マスコミの番組編成と視聴者
の反応」に該当するようであり,そうであるとすれば,本件教材は上記①,②の両方を論
点としているのである。
このことは本件申請図書の記述自体(本文記述を含む)から明らかである。同図書の記
述には「このような観点から議論せよ」というようなあからさまな問題提起の記述はない
が,現代社会の「自ら考える力を養う」という目的からすれば,生徒たちのいわば論点抽
出能力の涵養のためには,そこまであからさまに論点を明示しておかない方がむしろ望
ましい。学習指導要領の「現代社会」「3 内容の取扱い」も「イ 社会的事象は相互に関
連し合っていることに留意し,できるだけ総合的な視点から理解させ考えさせる」と定め
ているとおり,ある一つの社会的事象を様々な角度から議論することは,現代社会の学
習において,特に必要とされていることなのである。B調査官の発言は,「現代社会」と
いう科目における上記のような重要な視点を,全く理解していない。
(オ) 検定意見の恣意性
なお,一審被告は昭和天皇の崩御について「死去」という表現を用いることは学習上不
適切であるとの検定意見を付しているが,本件検定と同年度の検定において,実教出
版の高校日本史Bの申請原稿中の「昭和天皇が死去」という表現が検定を通過している
ことは,検定意見が恣意的に付されていることを示すものである。
(4) 湾岸戦争関連報道についての記述部分に対する検定意見について
ア 次に述べるとおり,上記記述部分に著しく不適当な部分はなく,この点に関する検定
意見は検定権者の裁量権の限界を逸脱したものであり,違法である。
(ア) 「湾岸戦争報道」を「現代社会」の教科書に取り上げることの意義
今日の高度情報メディア社会においては,多量の情報の収集・管理・操作が政府やマス
メディアといった限られたところに集中されており,個人が自由に情報を得たり伝達する
ことができない状態となっている。 こうした情報の寡占化が進んでいる社会において
は,画一化した情報の過剰な供与によって,国民から正当な判断の機会を奪い去る危
険性があるという問題が生じ,また,情報を確保する主体に対し,国民自らが接近し意
見を述べることの重要性が増加する。そして,これらの問題点については,学習指導要
領の「現代社会」の「3 内容の取扱い」及び「高等学校学習指導要領解説・公民編」に
よっても,その学習することの意義が裏付けられている。
(イ) 題材としての適切性
本問題はまだ記憶に新しい湾岸戦争という大きな社会的事象に関連してマスコミを介し
た情報コントロールを考えさせようというものであって,これは題材自体から一義的に明
確であり,かつ,この点は教材としても適切なものといえる。
この題材は,文部省の「高等学校学習指導要領解説・公民編」及び「高等学校学習指導
要領の展開・公民科編」の内容にも沿うものである。 なお,付言すれば,現代情報化社
会においては,新聞やテレビ,ラジオなどのマスメディアは,世論の形成に対して圧倒的
な力をもっている。その情報自体が画一的なものに陥れば,憲法上の権利である「知る
権利」「思想・表現の自由市場」も幻想に過ぎなくなる。
一審原告は,湾岸戦争のような異常事態が常に生じていると記述しているわけではな
い。一審被告のいう「戦争という異常な事態における事例を一般化している」というの
は,何を意味しているのかが,そもそも不明である。戦争という一つの「重要な国家政
策」において,国民の民意を形成する際に,如何に情報コントロールが行われるか,ま
た,戦争という「重要な国家政策」の場面で,情報コントロールによって国民の知る権利
が如何に侵されることになるかという点でも,戦争という場面で情報コントロール(世論
操作)の問題が最も顕在化するわけである。その意味で,湾岸戦争と情報コントロール
の問題は,世論操作の道具にされたりすることも少なくない現代のマスメディアからの情
報を,主体的な立場から公正に選び取り,自らの政治的意見の形成に役立てることが
大切であることを考えさせる格好の素材ということができる。
このように,本問題は上記に指摘した情報のもつ落とし穴を,トピックな湾岸戦争での情
報コントロールを素材にして生徒に考えさせようとするものであって,情報化社会で生活
をする生徒の学習としても積極的な意義を有している。
(ウ) 本件検定意見の違法性
「テーマ(6)」の注①,注②の内容は,高校生たちに現代情報化社会の問題状況を自主
的に考えさせる点で有意義かつ適切なものであり,一審被告主張のごとく「題材の選択
や扱いが不適切」などということはない。また,上記注①,注②の記述は根拠を有する。
したがって,一審被告の検定意見は,およそ合理的な根拠もなく何らの正当性も有しな
いものと言わざるを得ない。
a 本件記述の根拠
上記注①,注②は,一審原告が執筆した当時の段階で,可能なかぎり客観性を有する
新聞や雑誌に立脚したものであって,そこに「不正確な記述」はない。また,とくに上記注
①に関しては当時の新聞記事を時系列で追っても多くの客観的事実に裏付けられてい
る。したがって,「不正確な記述」などという批判は当てはまらないのである。
b 上記注①について
本件申請図書の記述と一審原告が根拠とする記事(1991年6月19日付け朝日新聞)
の記述を比較すれば,多国籍軍が海から上陸作戦を行うと見せかけるためにマスコミ
報道を利用した事実,つまり,情報コントロールのあったことを指摘している点では全く
同一である。
すなわち,根拠とした新聞記事の記載と本件申請図書にある記述は,①多国籍軍が海
からの上陸作戦を行うかのような報道をしむけたこと,②それが成功したため記者たち
に感謝したこと,の二点で全く食い違いはない。
正確な引用ではないというのであれば,そのような検定意見を付せばよいだけの話であ
るが,そのような指摘は一切なく,B調査官は,ただ単に,新聞記事が根拠ではだめで
あると述べるにすぎなかった。
c 上記注②について
一審原告の上記注②の記載の根拠たる記事は出典を明らかにした上で事実を摘示して
いるものであり,検定意見を付される必要はないのみならず,一審被告が主張するよう
な「執筆者の注意を喚起する」ようなものでもない。
一審原告は,上記注②を雑誌「文藝春秋」1991年5月号の記事(松原久子「戦勝国ア
メリカよ驕るなかれ」)に基づいて執筆した。同記事は,スタンフォード大学フーヴァー研
究所特別研究員である著者が,アーミー・ウォー・カレッジ高官の報告をもとに書いたも
のである。一審原告が上記注②の記述にあたって引用し得る資料として松原久子の記
事はほとんど唯一の合理的裏付けのある論文であった。同著によると,イラクがクルド
族に対して,毒ガスを使用したという報道には,出典が明らかにされておらず,その証拠
を問い合わせても証拠能力の疑わしいものであったと記載されている。
イ 予備的主張 
万が一,上記注①,②についてのB調査官の告知が検定意見そのものではないとして
も,一審原告に対しては,検定意見と同様の強制力を有するものであり,不当に削除を
要求するものとして違法な公権力の行使に当たる点で差異はない。
上記告知は,検定意見の口頭告知の場でなされており,上記注①,注②の記述の問題
点を指摘して修正を求める趣旨のものというほかない。したがって,それがたとえ調査官
の主観的意図においては「事実の確認」を求める趣旨であったとしても,告知を受ける
側にとっては,それに従った修正を余儀なくされるものであり,強制力を有する。また,実
際にも,告知される側にとっては,調査官の発言の内容や口調などから,その発言が検
定意見か,単なる注意喚起かを区別することは不可能である。B調査官の上記告知に
ついて,告知される側も一審原告もこれを検定意見とは別の「注意喚起」ないし「事実確
認のお願い」などと受け取る余地は全くなかった。
(一審被告)
(1)「テーマ(6)」全体に対する検定意見について
以下に述べるとおり,「テーマ(6)」全体についての検定意見に違法な点はない。
ア 一審原告が意図したように,本件原稿の記述が,生徒に討論させることを目的とす
るのであれば,一定のテーマの下に,生徒に討論させる具体的内容,いわば論点がそ
のテーマに対応する本文記述とあいまって整理され明確になっている必要がある。そし
て,その論点も,教科書が全国の学校教育の場で使用されるものである以上,教科書
の記述自体に客観的に現れたものでなければならない。
しかるに,本件原稿は,「現在のマスーコミと私たち」というテーマの下に,昭和天皇崩御
に係るマスコミ報道,湾岸戦争の際の報道及びコミック誌の三つの題材を挙げている
が,これらの題材それぞれに後述するとおりの問題がある上,これらの題材を通して
「現在のマスーコミと私たち」というテーマの下に生徒に討論させようとする論点が明確で
はなく,生徒に対し適切な教育的配慮を欠いている。
イ 問題点抽出能力を涵養することと教科書の記述を明確にすることとは次元を異にす
るのであり,教科書の記述である以上,テーマ学習において生徒が学習すべき内容が
整理され明確になっている必要があり,討論すべき論点も,教科書の記述自体から客
観的に読み取れるものでなければ,論点抽出能力を涵養するための教材としても適切
とはいえない。
なお,本件申請図書に添付された編集趣意書は,テーマ学習に関して「全体的な問題
の視点や学び方を配慮した。」としているところ,上記編集趣意書によれば,「テーマ(6)」
は,本件申請図書の「第3章 日本国憲法と民主政治」の「第1節 現代の国家と民主政
治」に位置づけられていて,学習指導要領の公民科現代社会の「2 内容」の「(3) 現代
の政治・経済と人間」の「ウ 日本国憲法と民主政治」に対応するものと解される。上記
の位置づけからすれば,「テーマ(6)」は,タイトルは「現在のマスーコミと私たち」とされて
いるが,昭和天皇崩御に係るマスコミ報道,湾岸戦争の際の報道及びコミック誌という
三つの題材を通して「日本国憲法と民主政治」あるいは「現代の国家と民主政治」につ
いて,何を生徒に討論させようとしたものか不明確といわざるを得ない。
ウ 教科書は,いかなる生徒にとっても教育成果が上がり,また自習でも使用できるよう
にその記述が明確であって,それ自体でも生徒が理解することができるような完成度の
ものであることが要求される。そして,検定の審査は,提出された申請図書について,学
習指導要領及び検定基準を具体的な審査基準として行われ,教科書全体の適正やバ
ランス等も審査していく以上,添付書類の一つである編集趣意書の記載及び申請図書
全体の記述との関連を軽視することはできない。
なお,「テーマ(6)」と学習指導要領との対応関係については,一審原告自身の主張すら
一定していない。
(2)昭和天皇逝去報道に関連する記述部分に対する検定意見について
ア 検定意見の趣旨は,「現在のマスーコミと私たち」というテーマに照ら して,題材の
選択や扱いが生徒の学習の題材として不適切であることから,全体として見直していた
だきたいというものであり,昭和天皇崩御に際してのテレビ番組の問題を取り上げること
自体を問題としたものではない。この点をいう一審原告の主張は失当である。
イ 本件原稿は「現在のマスーコミと私たち」というテーマで生徒に討論さ せることを意
図するものとされているにもかかわらず,その記述から①マスコミの番組編成と視聴者
の反応という観点から取り上げているものか,②天皇の崩御と特別の番組編成というマ
スコミ自体の対応について取り上げているものか,③他のことを取り上げているものか
が不明確である。
ウ 上記①のマスコミの番組編成と視聴者の反応という観点から取り上げているもので
あるとすると,設問である「考えてみよう1」の「昭和天皇死去の時,特別番組を3日間つ
づける予定だったのを,途中で2日間に変更した」とする記述,特別番組に対して視聴者
からの抗議が殺到したという本文の記述からすると,本件原稿は,テレビ局は特別番組
を3日間放送することをあらかじめ決定していたが,昭和天皇崩御後の視聴者からの特
別番組に対する抗議の電話等により2日間に短縮したかのように読み取れる。しかし,
そのような事実は認められなかった。
このように,事実の確認ができない事項を前提にして設問である「考えてみよう1」の「昭
和天皇死去の時,特別番組を3日間つづける予定だったのを,途中で2日間に変更した
という。なぜそうしたのだろうか。」などという問いかけをすることは,生徒を誤導するもの
であって,不適切である。
また,「テーマ(6)」の「昭和天皇の死去が発表されると,新聞や放送は特別態勢に入り,
テレビは特別番組を次つぎと放送した。テレビ局には,視聴者からの電話が殺到し,次
第に抗議の電話が増え」という本文の記述を読み,これを前提に,設問の「考えてみよう
1」の「昭和天皇死去の時,特別番組を3日間つづける予定だったのを,途中で2日間に
変更したという。なぜそうしたのだろうか。」という問いかけに答えようとする場合には,生
徒が本件原稿を素直に読む限り,テレビ局は特別番組を3日間放送することをあらかじ
め決定していたにもかかわらず,昭和天皇崩御後の視聴者からの抗議により2日間に
短縮したのだと理解するのが自然であり,少なくとも,相当数の生徒がそのような理解を
するであろう。このような推論は成り立たないとする一審原告の主張は,教科書の執筆
者であるにもかかわらず,自己の執筆した教科書が多くの生徒にいかに受け取られる
かを配慮しない無責任な主張であるといわざるを得ない。
さらに,一審原告の本件原稿の資料である平成元年1月10日付け朝日新聞の記事
は,昭和63年9月時点で,「3日間程度の特別編成」がNHK内部で検討されたという記
事にすぎず,決して上記新聞記事だけでは事実として一般的にマスコミが同様の経過で
あったとはいえない。上記記事からは昭和天皇崩御の段階でNHKが放送の予定を変
更したか否かは不明であるのに,一審原告は,NHK等に問い合わせるなどして確認す
ることもしていない。本件原稿の記述は,一般的に認知されている事実に基づくものとは
到底いえないから,その見直しが必要なことは当然である。
教科書執筆者には正確な事実の確認に基づき記述することが求められるが,上記のよ
うな記述は,一審原告の事実確認についての安易な態度を端的に示すものである。
エ 他方,上記②マスコミの対応自体を問題とする趣旨であるとしても,前記記述は適
切でない。
確かにマスコミについては,視聴者のニーズ等を踏まえ,大きな事件や出来事に関する
報道が一つの方向に流れやすいことが問題点としてよく指摘されるところである。
しかし,昭和天皇崩御に際してマスコミが特別番組を編成したことについては,一方で,
このような視聴者のニーズ等を踏まえたマスコミのいわゆる「横並び意識」が否定できな
いものの,他方で,天皇崩御に際しては,各界各層の哀悼の意の表明が行われ,その
中で,マスコミも自らの哀悼の意を表して番組を編成したことに特徴がある。
このように,天皇崩御に際してマスコミが特別番組を編成したことは,他の特別番組の
場合とは性格を異にする面があるから,本件原稿のように,マスコミの特別番組編成の
一つの題材として天皇崩御に際しての特別番組を取り上げるのであれば,天皇崩御に
際しての各界各層の対応,その中で国民統合の象徴にふさわしい哀悼の気持ちで番組
を編成するというマスコミ各社の方針やこれに対する視聴者の反応についても配慮する
ことが必要であろう。しかるに,本件原稿の記述では,天皇崩御に際し,マスコミが特別
番組を編成した事情について全く説明がないため,この点を踏まえて指摘したものであ
る。
そして,国民統合の象徴にふさわしい哀悼の気持ちで番組を編成するとのマスコミ各社
における方針やこれに対する視聴者の反応について配慮するとなると,天皇制について
の説明等も必要となり,「現在のマスーコミと私たち」というテーマの焦点が不明確になり
かねない。したがって,本件原稿のような記述は,このテーマにおける天皇崩御に際し
ての特別番組の取上げ方として適切でないといわざるを得ない。
仮に,天皇の崩御と特別番組の編成というマスコミ自体の対応について討論させようと
するのであれば,この場合のマスコミの対応が他の事件や出来事等に関して特別番組
の編成を行うこととは異なる性格をもつことを無視しては,生徒に考えさせる素材として
客観的な事実に基づくものとはいえなくなる。すなわち,前記のとおり,マスコミが大きな
事件や出来事に関する報道が一つの方向に流れやすい傾向があること等の説明もさる
ことながら,むしろ天皇崩御に際しての各界各層の対応と,その中での国民統合の象徴
にふさわしい哀悼の気持ちで番組を編成するとのマスコミ各社における方針やこれに対
する視聴者の反応についての配慮なくしては,客観的な事実の記述として不十分であ
る。一審被告の主張は,上記のことを生徒が理解できるように記述するものでなけれ
ば,生徒の学習の題材としての配慮に欠けることになることをいうものであって,「天皇
死去報道の問題」と「天皇制の問題」を混同したものではない。
オ なお,本件原稿中,B調査官は,「死去」という言葉は不適切であるという指摘をした
点については,一審原告が検定意見の違法事由として直接主張するところではないが,
付言しておく。
学習指導要領において「民主的,平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公
民としての資質を養う」ことが公民科の「目標」とされている趣旨に照らせば,天皇につ
いての記述も,憲法及び法律の趣旨にかなうことが相当であり,したがって,天皇の崩
御について記述するのであれば,憲法1条に規定する日本国民の総意に基づく日本国
と日本国民統合の象徴としての地位にふさわしい丁寧な表現を用いることが教育上適
切であり,これを「死去」と表現することは不適切である。ちなみに,国民の代表者である
国会(憲法43条1項)の制定した法律においても,天皇の崩御について「死去」という表
現は使用されていない(皇室典範4条,25条)。
そして,申請者は第1回目の修正表では「死去」を「逝去」と訂正しているところであり,
一審原告自身が指摘に沿って修正を行っている以上,一審原告がこの点で執筆を断念
したものでもないから,その点でも,本件において違法事由として取り上げる余地はな
い。
カ 以上のとおり,本件検定意見は「テレビの天皇報道の在り方を問題とすることは許さ
ない」とする趣旨ではない上,上記の点に関して,素材,取り上げ方等に適切を欠くとし
た検定意見は正当であり,何ら違法の点はない。
(3) 湾岸戦争関連報道についての記述部分に対するB調査官の発言について
ア 「テーマ(6)」の注①,注②についてのB調査官の発言は注意を喚起するものにすぎ
ず,検定意見ではないから,一審原告の主張はその前提において誤っている。
イ B調査官の注意喚起は正当なものである。
本件検定基準によると,教科書記述の根拠となる資料については,「第三章各教科固
有の条件」の〔公民科〕の「1 選択・扱い及び組織・分量」の項目に,「(3) 著作物,資料
などを引用する場合には,評価の定まったものや信頼度の高いものを用いていること。
また,史料及び法文を引用する場合には,原典の表記を尊重していること。」と規定され
ている。すなわち,検定に当たっては,あくまでも本件検定基準にあるように,資料等が
評価の定まったもの,信頼度の高いものかどうかを基準としているのであって,一審原
告の主張するように,単に,新聞や雑誌の記事を根拠とする記述であるからという理由
でこれを教科書に登載することを認めないという運用はされていない。
一審原告は,資料収集及びその正確性についての調査等は時間がなかったので行わ
なかったとするが,教育の場で全国的に使用することを予定して作られる教科書の記述
について,その記述の根拠となる資料の正確性について,時間がないとの理由で調査
もせず,そのまま教科書の記述に利用しようとすること自体,教科書記述に特に重要な
客観性,正確性に関する一審原告の認識の不十分さを示すものである。かかる記述内
容について,資料による事実確認を求め,注意を喚起することは相当である。
6 「テーマ(8)」に対する検定意見の違法性の有無について
(一審原告)
以下に述べるとおり,「テーマ(8)」の記述に著しく不適当な部分はなく,この点に関する
検定意見は,検定権者の裁量権を逸脱したものであり,違法である。
(1)「テーマ(8)」全体についての検定意見
前述したとおり,「テーマ(8)」全体についての検定意見は存在しないから,その点の違法
を問題にする余地はない。
(2) 掃海艇派遣についての記述部分についての検定意見について
ア 検定意見の内容
前述したとおり,上記の点に関する検定意見は,「東南アジアの意見を聞く必要がない」
「低姿勢ではないか」ということを理由に「テーマ(8)の注⑤の記述の削除を求めたものに
ほかならない。
イ 上記検定意見の違法,不当性
(ア) 一審原告が,本文に「戦後,日本は平和主義を基本としているが,1982年の教科
書問題③,1989年の昭和天皇の大喪の礼の代表派遣④,1991年の掃海艇派遣問
題⑤などで,内外に議論がおこっている。」という記述をし,注⑤で「湾岸戦争中に設置さ
れたペルシャ湾内の機雷を除去するために,海上自衛隊の掃海艇が急きょ派遣され
た。東南アジア諸国からは,派遣を決定する以前に意見を聞いてほしかったとする声が
あいついで出された。」と記載したのは,一審原告がかって訪問したマレー半島,シンガ
ポールにおいても,旧日本兵による住民虐殺の記憶が残り,1991年2月に本件申請
図書の執筆準備等のために現地を訪れた際には,現地の新聞報道が自衛隊の掃海艇
派遣問題を大きく報じていたことに接し,この問題に対する東南アジアの関心が極めて
高いことを知ったばかりでなく,帰国後,日本でも多くの新聞や雑誌に掃海艇派遣に対
するアジアの反応が数多く取り上げられていたことを知り,「テーマ(8)」において,歴史の
問題ばかりでなく,現代の出来事として掃海艇派遣問題を取り上げることは,アジアの
人々の日本に対する声を知り,国際社会における日本の役割と日本人の生き方を考え
させる上で極めて有意義であると考えたからである。このような執筆動機と執筆内容
は,前述のとおり,教育基本法,学校教育法,学習指導要領,本件検定基準に適合す
る正当なものである。
したがって,上記の記述について「東南アジアの意見を聞く必要がない」「低姿勢ではな
いか」という理由で,上記注⑤の削除を要求する検定意見は全く不当なものであり,何ら
正当性がない。
(イ) 一審被告の上記検定意見は,第二次世界大戦中,日本の軍隊により悲惨な被害
を受けた東南アジアの国々から,自衛隊の掃海艇派遣に際して日本の軍国主義化を懸
念する声が挙げられていたことについて,何ら正当な理由なく「アジアの国々に意見を
求める必要はない。このような記述は低姿勢に過ぎるのではないか。」として,その記述
の削除を求めたものである。このような検定意見は,歴史に対して無反省と言うほかな
く,かつ,近隣東南アジア諸国の声を全く無視するものであって,何らの正当性を有しな
い。「自国のためであれば他国の意見を聞く必要はなく,そのような姿勢は低姿勢に過
ぎる」という発想自体,国際協調の時代に全くそぐわない傲慢な論理と言わざるを得な
い。一審被告自身,このようなアジアの国々の意見に関する記載の削除を求めた点に
ついては,争点をはぐらかすだけで,正面からその正当性を主張していない。このような
検定意見は,教育基本法の前文の趣旨及び同法1条の「教育の目的」にも真っ向から
反するものであるとともに,「国際社会における人類の連帯の意義を認識させ,国際社
会における日本の役割及び日本人の生き方について考えさせる」ことを要求するとする
高等学校学習指導要領,及び「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱
いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を要求する本件検
定基準にも反するものであり,違法である。
a もともと,一審被告の上記検定意見は,本文記述の曲解に基づく誤ったものである。
すなわち,一審被告は,「テーマ(8)」の本文の記述が,「教科書問題」,「昭和天皇の大
喪の礼の際の代表派遣」,「掃海艇派遣」のそれぞれが平和主義に反するものであるか
のように誤解されるおそれのある記述であり,かつ,これに付された注⑤には,掃海艇
が派遣された時期及び目的について配慮がされていないので,この問題の全体像につ
いて正しく理解することができないという点を問題としたと主張する。しかしながら,上記
主張は,まず,「テーマ(8)」の本文が平和主義に反すると読めるという前提に立って,注
⑤も問題点の指摘ともとれてバランスを失するという論理によっているが,「テーマ(8)」
の本文にある「教科書問題」等が平和主義に反するものであるかのように誤解されると
いう読み方自体,誤りである。「が」という接続詞は,広辞苑によれば,共存的事実を表
す,転じて前後が反対の結果となることの意味を表す,などとされており,全て逆接とし
て用いられるものではない。当該記述を見ても,「議論が巻き起こっている」としているだ
けで,上記の「教科書問題」等が平和主義に反するなどと結論付けていないことは一見
して明らかであって,その意味でここにおける「が」は一審被告の主張するような逆接の
接続詞ではない。このような一審被告の本件原稿記述の読み方こそ「曲解」にほかなら
ず,これに基づく本件検定意見はおよそ正当性を有しないというべきである。
b また,一審被告の主張する「テーマ(8)」本文との関係を離れても,注⑤の記述自体,
何らバランスに欠けるところはない。前述したように,上記注⑤は,掃海艇派遣の「時
期」及び「目的」については,本件申請図書の第5章「国際社会と人類の課題」に記述が
あることを前提にしてこれを引用し,「アジアの中の日本」というテーマに沿って記述がさ
れているのであって,「テーマ(8)」の記述の中で掃海艇派遣の「時期」及び「目的」を書か
なければバランスを失する,という一審被告の批判は全く当たらない。そして,これまで
も繰り返し主張してきたように,B調査官による検定意見の告知においては,「バランス
に欠けている」などという指摘は全くなされてもおらず,「低姿勢に過ぎる」という指摘は
当該記述そのものの問題点を指摘し削除を求める趣旨のものであって,バランスに欠け
るという指摘とは結びつかない。
結局,一審被告の本件検定意見は,一面的な考えを押しつけるものである。すなわち,
上記主張は,掃海艇派遣の正当性について,賛否両論の議論が巻き起こった事実を覆
い隠し,正当性のみを強調する一面的で偏ったものである。
当時の新聞報道によれば,掃海艇派遣については,憲法の平和主義に反するのではな
いかという議論が広く国内に巻き起こり,政府や自由民主党の中にさえ,憲法解釈に問
題が残るとする声が多数見られた。一審被告の主張は,これらの議論があったことから
生徒たちの眼を逸らさせ,掃海艇派遣の正当性のみを強調するものであって,一面的で
偏ったものと言わざるを得ない。掃海艇派遣問題は,学会でも広く議論され,憲法研究
者の大多数で組織する「憲法研究会」に所属する学者有志は,「自衛隊の実体の正確
な認識に基づき,違憲説が大多数である。」,「自ら軍事予算を拡大しつつ,国際貢献を
主張することは,平和憲法に照らし背理である。」などと自衛隊の海外派遣が憲法解釈
上許されないことを指摘する声明を出しているところである。一審被告は,掃海艇派遣
の正当性や憲法に違反しないものであることにつき,政府見解のみに依拠し,結果とし
てそれに対する疑義を差し挟む余地を否定しているが,これもまた,一面的で偏ったも
のと言わざるを得ない。政府の見解を鵜呑みにせず,批判精神をもって幅広い視点から
物事を見ることにより,正しい判断力を養っていくことこそが,高校の「現代社会」に求め
られているところであって,一審被告の主張はこれを無視し一面的で偏ったものである。
一審原告は,掃海艇派遣問題に関し,憲法に反するのではないかとの議論が広く巻き
起こった事実を指摘して,「アジアの中の日本」を考える討論の素材としようとしただけで
ある。掃海艇派遣が憲法に反するなどと決めつけるような記載はしていない。
しかも,掃海艇派遣は,政府のいう「我が国の船舶の航行の安全のため」という論拠も
崩れているのである(なお,わが国の船舶の航行の安全のためであれば,アジア諸国
の声を聞かなくて良いとする発想自体が問題である。「自国のためであれば他国の意見
を聞く必要はない」という考え方は,国際協調の時代に全くそぐわない傲慢な論理であ
り,特に東南アジアを侵略した歴史に対して無反省と言うほかない。)。すなわち,実際
に,アメリカと日本は掃海海域を分担したのであるが,自衛隊が掃海した海域もそのほ
とんどが我が国のタンカーの航路とは無関係な海域であった。このことからしても,掃海
艇派遣の目的が「我が国の船舶の航行の安全のため」ではなかったことは明らかであ
り,一審被告の認識自体が誤っていると言わなければならない。したがって,掃海艇派
遣が「我が国の船舶の航行の安全のため」になされたものという認識に基づいてなされ
た本件検定意見は,誤った事実認識に基づくものである。
ウ 予備的主張
仮に,「低姿勢に過ぎる」との意見が検定意見そのものではなく,「個人的感想」であると
しても,一審原告に対しては,検定意見と同様の強制力を有していたのであり,不当に
削除を要求するものとして違法な公権力の行使に当たる点で差異はない。
エ上記に述べたところから明らかなとおり,掃海艇派遣問題に関する検定意見の違法
性は,憲法上の問題を含み,運用違憲であるというべきである。すなわち,一審被告
は,検定意見の内容につき,たとえば「時期」及び「目的」についての主張を変遷させ,
たとえば「低姿勢に過ぎるのではないか。」という内容を告知はしたが,「個人的感想」に
すぎないなどと主張するなど検定意見の内容を明確にし得ない状態にある。それは,文
部大臣に答申される内容が検定意見の「概要」にすぎず,いわば「検定意見は教科書調
査官の頭の中」にあるというような教科書検定制度の運用の実態に起因するものであ
り,このような制度の運用が違憲であることは既に述べたとおりである。
(3)「脱亜論」・「氷川清話」に関する記述部分に対する検定意見について
上記の記述に著しく不適当な部分はなく,この点に関する検定意見は検定権者の裁量
権を逸脱したものであって,違法である。
ア 上記の点に関する検定意見について,一審原告と一審被告の見解は異なっている
が,一審原告は,上記検定意見は,①福沢が「脱亜論」を書いた背景事情を入れるべき
だ。②「福沢の思想をめぐっては,いろいろな議論がある,福翁自伝を読んで欲しい。」,
③「脱亜論」,「氷川清話」の引用双方について,都合のいい部分だけを抜き書きしてい
る,という趣旨であるとの前提で,検定意見の違法性を指摘し,これ加えて,一審被告
が検定意見として告知したと主張する各点の一部についても,それが違法であることを
念のため指摘することとする。
イ 違法性判断の基本的視点(一審原告の執筆意図,素材の選択の正当性)
(ア) 「脱亜論」記述を含めたテーマ(8)は,本件申請図書の「第4章 現代社会における
人間と文化」の第1節「風土と生活」の末尾に挿入されたものであるが,上記第1節での
学習を前提に討論等によりその理解を定着させ,発展させるための記述であり,一審原
告は,その一つの方法として「アジアの中の日本」というテーマを設定し,日本人のアジ
ア観,アジア諸国民の日本観を取り上げた。これは,近代日本がアジア諸国を侵略した
歴史を踏まえ,日本人のこれまでのアジア観を問い直し,アジア諸国の文化を理解さ
せ,アジア諸国民の日本観を考えさせ,真に異文化への理解に立脚した国際社会にお
ける人類の連帯を認識させようとしたものであり,小学校及び中学校での学習を基礎と
してこれを発展させようとする教育的配慮がされたものとして,学校教育法41条,42条
1項に適い,「社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,個性の確立に努め
ること」という同法42条3号に適合するものであるほか,学習指導要領,本件検定基準
にも適合するものである。本件原稿の「脱亜論」の記述内容は,このような執筆意図に
照らし,教育基本法,学校教育法,学習指導要領に適合する正当性,適切性があるの
であるが,一審被告の主張には,この基本的な観点が欠けている。すなわち,一審被告
の主張は,福沢思想に関する学説上の問題点や,歴史的な詳細な事実関係,勝海舟
の思想的な傾向など,歴史的,思想史的な視点のみに偏り過ぎている。本件原稿の「脱
亜論」の記述に関しては,どのような学習効果を狙い,生徒に対し何を問うているのかを
考慮した評価が必要である。
(イ) 第2点として,「現代社会」という科目の特殊性に十分配慮すべきである。「現代社
会」の目標は,学習指導要領によれば「現代社会の基本的な問題に対する判断力の基
礎を培う」ことにあり,扱うものは「現代社会の基本問題」であり,過去の歴史的事象や
個々人の思想の詳細ではなく,また,目指すものは知識の習得ではなく「判断力の基礎
を培う」ことなのである。そして,この科目は,社会科の学習が知識習得に傾きがちであ
った点を反省し,生徒が生涯を通じて学び続けることができるように「学び方の習得を図
る」ことを目標とされている。そして,その授業においては,生徒と先生が一緒になって
内容を考え,作っていくべきものとされる。
こうした「現代社会」の特質は,教科書の記述方法にも影響を与えるものであり,その記
述の適否を判断する際にも十分考慮に入れるべきである。
(ウ) 第3点として,本件申請図書は,高等学校の生徒に対する教科書であることに十
分留意されるべきである。高等学校での教育は,義務教育で培われた基礎の上に展開
されるものであり(学校教育法41条),その教科書においても,義務教育で施されてきた
教育の内容を前提にして記述されるのは当然のことであり,その記述の適切不適切を
論じる上でも,義務教育の教科書等においてどのような記述がなされていたのか,した
がって,高等学校の生徒が福沢についてどのような知識を習得し,理解を示しているか
ということを考慮して,総合的に評価されるべきである。
また,学校教育法42条には,高等学校教育の目標を「広く深い理解と健全な批判力を
養い,個性の確立に努めること」に置いている。したがって,教科書においては,ただ知
識を教え込むという姿勢ではなく,積極的に考えさせる教育,批判力を養う教育を目的と
すべきなのである。また,反面から言えば,高等学校の生徒は,心身の発達において批
判力を養うに足りるだけの能力を備えていると想定されていると言えるのである。教科
書の記述の適不適を論じるにあたっても,この点を考慮すべきであろう。
ウ 「脱亜論」に関する検定意見について
(ア) 「脱亜論」に関する記述の正当性
a 一審原告が「脱亜論」に関して記述したことは,①第二次世界大戦で日本軍は「大東
亜共栄圏」の建設を目指して,アジア・太平洋で戦い,敗れたこと,②これが,明治以来
の「脱亜入欧」の道,西欧近代国家への道をとり,アジアの諸民族,諸国家に犠牲を強
いた近代日本の一つの帰結であること,③「脱亜入欧」とは,福沢諭吉が発表した「脱亜
論」の主張を要約した言葉で,欧米を手本とした近代化を最優先し,そのためには,欧
米諸国同様に,アジア諸国を処分(植民地化)すべきだ,というものであること,④「脱亜
論」の最終部分の記述の引用の四点のみである。上記記述のなかで,「脱亜入欧」とは
「脱亜論」の主張を要約したものであるという点は,丸山真男氏の見解を含めて一般的
なものであり,「脱亜入欧(すなわち「脱亜論」の内容)」とは,近代化優先,アジア諸国の
植民地化容認の主張であるという点も,「脱亜論」の主張の要約として不当なものでは
なく,かつ,一審原告の記述は,福沢の対外認識,対外政策に関する思想全般につい
て言及するものではなく,福沢の啓蒙思想,平等思想を含めた思想全般について触れ
ているものでもない。また,「脱亜論」の最終部分の引用も,その論文の要約として適切
であると認められている部分の引用である。
b 「現代社会」の特質
前述したように,本件申請図書が「現代社会」であることは,上記記述の適不適の評価
をするについては,十分に考慮されなければならない。一審原告の「脱亜論」の記述の
執筆意図は,近代日本がアジア諸国を侵略した歴史を踏まえ,これまで日本がどのよう
なアジア観を有していたのかを問い直すという点にあり,長期的視点で近現代を見直
し,明治以降の時代において基底となって流れている国民思想的背景,特にアジア蔑
視の差別的な民族観について生徒に考えさせよう,ということであった。それは,現代に
おける日本人のアジア認識の問題点を取り上げ,生徒に考えさせ,判断力を養うことを
目標としている。
「現代社会」が「考えさせる」授業であるという特質から,その記述はすべてを説明するよ
うな詳細なものではなく,かつ問題点を明瞭に示すものでもないが,高校生向けの教科
書である以上,高校生の知識水準からみてそうした論点を十分汲み取り,考えることが
期待できるよう配慮されている。
一審被告は,差別的な民族観については何ら説明されていないから,一審原告の執筆
意図を読みとることができないというが,前述の記述内容からは一審原告の執筆意図は
明らかである。一審被告の上記主張が,主要な問題点がはっきりと本文で書かれなけ
ればならないというものであるとすれば,「現代社会」という科目の特殊性を考慮しない
主張である。
c 「脱亜論」の選択の妥当性,整合性
上記の執筆意図のもとに,一審原告がその素材として福沢の「脱亜論」を取り上げた理
由は,第1に,福沢は啓蒙思想家として高名であり,小中学校の教科書にも必ず登場
し,生徒の誰でもが知っているということ,第2に,「脱亜論」は明治時代の差別的な民族
観を表す著述として内外で有名であること,そして,第3に,代表的な啓蒙思想家のひと
りである福沢にして,なおアジア蔑視という国民思想的な背景と無縁ではあり得なかっ
たという問題意識を一審原告が持っていたことである。こうした理由には,十分な根拠が
ある。
① 上記の「脱亜論」の引用部分にも,アジアを文化的に低いものとして見る記述があ
り,このような認識が福沢に一貫していたことは学説上異論がない。
② 「脱亜論」にみられるアジアに対する対外強硬認識は,「脱亜論」に限られず,福沢
思想の中期以降における一般的な傾向であると指摘されている。すなわち,少なくとも
中期以降の福沢が,アジアに対する対外強硬認識を示し,侵略を正当化して,時にはこ
れを積極的に押し進めるような姿勢を示したことは学者の見解も一致している。
③ 上記のような対外強硬認識は,「脱亜論」に近接する前後の期間においても顕著に
見られる。安川寿之輔「福沢諭吉の対外認識の歩み」(甲6の1の11)によれば,「脱亜
論」の書かれた1885年3月16日の前後の時期においても,福沢の対外認識が極めて
強硬であり,武力行使を容認,慫慂するものであったことは明らかである。一方で,福沢
は,アジア人に対して侮蔑的とも言うべき言葉をかなりの頻度で使用したことも事実であ
る。福沢は,日清戦争が始まって一週間前後の時期から,「チャンチャン」「チャンチャン
坊主」という支那人に対する蔑称を頻繁に使い始めた。こうした侮蔑的表現は,日清戦
争の時期に初めて登場したのではない。1882年4月には,「朝鮮は未開の民なり。・・・
極めて頑愚」と述べており,1883年3月には「朝鮮人の無気力無定見なる・・・」,同年6
月には「支那人民の怯懦卑屈は実に法外無類のもの」など,かなり早い時期から侮蔑
的表現は使われており(甲6の1の10,6の1の11),D調査官が作成した甲3の9のメ
モにおいて「支那を高く評価していることが分かる」と書かれた「福翁自伝」においても,
同様に朝鮮人に対する蔑視の記載がある。
④ 「脱亜論」はこうした論旨の典型と言ってよい。「脱亜論」では支那と朝鮮は「古風旧
慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず・・・」とされ,「道徳さへ地を払ふて残刻不
廉恥を極め,尚傲然として自省の念なき者の如し」と述べられている。つまり,中国,朝
鮮には道徳などはない,恥なども知らない,それでいて,傲然として自分たちのいたらな
さを反省するという念もないというのである。
こうした点を考慮すると,一審原告が前述した執筆意図のもとに,福沢を取り上げ,しか
も「脱亜論」を選んだのは,素材の選択として妥当であり,執筆意図と十分な整合性を持
つものと評価されるべきである。なお,一審原告は,福沢の思想傾向そのものを取り上
げ,生徒に詳細な知識を与えようとしたわけではなく,あくまで,「現代社会」の教科書の
一部の記述として,現代におけるアジアに対する日本人の認識,態度を問題にする素
材として取り上げたにすぎない。
d 「脱亜論」の取り上げ方の正当性
① 以上述べたように,一審原告の「脱亜論」の取り上げ方は,福沢の思想の全般に触
れるものではない。執筆意図は,あくまで国民思想的背景としてのアジア蔑視観を取り
上げようとしたのであり,福沢ひとりの思想的傾向だけを取り上げようとしたものではな
い。福沢の思想の流れに関連する対外強硬認識を詳細に記述したならば,福沢がその
時代において突出した侵略的考えを抱いていたという認識を生徒に与えたかもしれない
し,また「脱亜論」の他の部分(アジア軽視・蔑視を侮蔑的とも言える言葉で表現した部
分)を引用したならば,福沢が突出した差別主義者であるとの印象を与えたかもしれな
いが,一審原告は,「脱亜論」というひとつの著述のみを取り上げ,しかも,「脱亜論」の
要約として通常引用される最終部分をそのまま引用したのみである。
② 高校生は,背景事情の説明がなくても,福沢の平等思想を十分に理解し,肯定的に
評価している。啓蒙思想家としての福沢はあまりに有名であり,高等学校の生徒ともな
れば,福沢が「天は人の上に人を造らず」「門閥制度は親の敵でござる」といった平等思
想を唱えたことを十分に学習している。前述のA出版の「倫理」の教科書では,福沢と中
江兆民を取り上げ,「西洋近代思想の受容の光と陰」と題して,「門閥制度は親の敵でご
ざる(福翁自伝)」というほど封建制度を憎み,「学問のすゝめ」において天賦人権に基づ
く人と国の平等を日本人に初めて説いた福沢が,やがて自由民権運動に反対するよう
になり,「侵略的な「脱亜論」を唱えるようになった。」と記述し,脱亜入欧思想は決して福
沢だけのものではないが,「それを誰よりも率先して明確に思想として主張し,わかりや
すく展開したのはやはり福沢である」と結論付け,さらに「現在,隣国の人々の福沢と日
本の近代に対する評価は,前にも述べたように私たちの想像を越えてきびしい。そのこ
とをしっかりと視野に入れた福沢の思想と日本の近代の批判的継承が,今私達に求め
られている。」と付言している。この記述は,基本的に一審原告が「脱亜論」を素材にした
動機と同じであるが,上記の記述においても,殆どの生徒の知識となっている福沢が
「学問のすゝめ」を出し,自由と平等を唱えたという事実を前提に記述されているのであ
る。高等学校の教育は,義務教育で培われた基礎の上に展開されるものであるから,こ
うした知識は当然の前提であり,必ず記述しなければならないというものではない。「読
者」である生徒は,こうした前提知識のもとに,福沢が「脱亜論」のような思想を唱えたこ
とを知り,驚くとともに,なぜそのようなことになったのか,考えをめぐらせることになるの
である。
結局のところ,福沢の啓蒙思想についてあえて具体的に記述する方法をとっても,具体
的に記述しない方法をとっても,生徒の受ける印象はさほど異なるものではなく,啓蒙思
想に言及しているから一面的ではなく,言及していないから一面的理解に通じる,という
ほど本質的な違いは生じない。むしろ,生徒が福沢に対し,このような積極的,肯定的な
理解をしている以上は,よほど詳細に否定的な記述がなされるようなことがない限りは,
生徒の福沢理解は容易に全面的にネガティブなものにはなることはなく,「一面的理解
に通じる」おそれはないのである。
③ 詳細な歴史的事実の記載は無用である。
「現代社会」という科目の特色は,「学び方の習得を図る」ことにある。これは,社会科と
いう科目が,ともすれば細かい知識の習得に傾きがちであった点を反省し,生徒が生涯
を通じて学び続けることができることを目指したものである。したがって,こうした科目の
特色からみれば,現代社会の教科書は生徒が学習するための素材を提供するための
ものなのである。こうした現代社会の教科書の特色と一審原告の執筆意図,素材選択
の手法をみれば,「テーマ(8)」のテーマ学習の頁で,「脱亜論」に関連して啓蒙思想を含
めた福沢思想全般に触れること,また「脱亜論」の背景となった具体的な歴史的背景事
実に触れることは,まったく無用であるというほかない。
e 引用文の選択も相当である。
「脱亜論」は,全文で2160字に達するものであり,一つのテーマを追及するための史料
として引用する場合に,全文引用のスペースを割くことはできない。一審原告が引用した
箇所は,「脱亜論」の要諦部分であり,一般に「脱亜論」の一部が引用される場合には,
まさに一審原告が挙げた部分を引用するのが通例である(例えば,山川出版社・新詳説
日本史・改訂版)。したがって,一審原告の引用文の選択も相当なものであった。
f これまで述べたように,「脱亜論」に関する一審原告の執筆意図は,「現代社会」の
「現代社会における人間と文化」に対応するものとして書かれたものとして正当なもので
あり,その素材として福沢の「脱亜論」を選択したことも執筆意図と十分整合性を持つ合
理的なものであり,その素材の扱い方,記述の仕方においても相当性が認められるか
ら,上記「脱亜論」記述は,適切なものであったと言える。
(イ) 「脱亜論を書いた背景事情を入れるべきだ」という検定意見について
上記の背景事情とは,具体的には,「脱亜論自体,前年に起こった「甲申事変」・・・福沢
の特に親しかった朝鮮人活動家が参加し,敗退している・・・との関連の中で書かれた
(甲3の9)」という事情を指すものと一応理解される。
しかし,前述したところから明らかなように,歴史教科書であれば,歴史的な背景事情の
説明が有益となる場合はあるが,本件は「現代社会」の教科書であり,その執筆意図は
前述したとおりである。そうした記述において,歴史的背景事情の説明が不可欠である
とは到底言いがたい。まして,「脱亜論」を取り上げながら,「脱亜論」が書かれた背景事
情について全く触れていない教科書は現に存在する。「A出版・倫理」の教科書では,確
かに福沢の啓蒙思想などにも触れた記述になっているが,「脱亜論」の歴史的背景事情
については一切触れていない。
背景事情の関係で重要になるのは,一審被告の立場に立つ限り,とりわけ福沢が当時
の朝鮮の開明派を支持していた,という点にあろう。その開明派が敗北したために福沢
が感情的になって「脱亜論」を書いたという「背景事情」が重要だと一審被告は主張する
のである。また,一審被告は,他の教科書では「自力で西洋化できない以上は」という限
定の上で「日本の安全のために日本が欧米側に立ってアジアを支配するのもやむを得
ないという侵略的な「脱亜論」を唱えるようになった」という記述になっていることを挙げ
て,一審原告の記述にも背景事情の説明が必要であるというが,「自力で西洋化できな
い以上は」というわずかな記述で,そうした背景事情を理解することは不可能である。実
際には,「自力で西洋化できない以上は」というのは,背景事情の説明でも,「限定を付
した」などという性質のものでもない。「脱亜論」の本文にある「我国は隣国の開明を待て
共に亜細亜を興すの猶予ある可らず」という,一審原告が本件記述で引用した部分にも
含まれている部分を現代語で意訳したものにほかならない。いわば「脱亜論」の記述そ
のものなのである。そして,この部分は,一審原告が本件「脱亜論」記述で一部引用した
なかに含まれている。つまり,背景事情の説明という点では,上記教科書と本件「脱亜
論」記述との間に本質的な差異はない。
(ウ) 「いろいろ議論がある。福翁自伝を読んでほしい。」という検定意見について
確かに,一審被告が主張するように,福沢の思想と「脱亜論」の認識について,論者に
よって様々なニュアンスの違いや,受け取り方の違いがあるのは事実である。しかし,検
定意見でB調査官が「福翁自伝」をあえて挙げたのは,全く的外れなことであったという
ほかない。ちなみに,D調査官の作成したDメモ(甲3の9)には,「もし勝や福沢のアジア
論を紹介したいのならば,「氷川清話」に対しては「福翁自伝」くらいが妥当であろうし,
それらを読めば,むしろ二人が支那を高く評価しているというような優れた精神によるア
ジア理解の共通性が浮かび上がってくるだろう。」と述べられている。ところが,「福翁自
伝」では中国とその文化を否定的に評価する記述が多数出てくるのである。原典に当た
って確認をする作業もせずに「福翁自伝」を挙げ,結果として的はずれな検定意見を述
べたのは,教科書調査官として当然尽くすべき義務に違反していると言われてもやむを
得ない。上記の検定意見の違法性は重大である。
(エ) 一審被告が検定意見として告知したと主張する「脱亜論の扱いが一面的である。」
との意見について
上記の検定意見は,一審被告の主張によれば,「これらの記述からは,福沢が一貫して
アジア諸国の植民地化を積極的に主張していたかのように読み取られ,福沢の思想の
一面的理解に通ずる。」というのである。
しかし,一審原告が本件教科書において福沢の思想について書いている内容は,①「脱
亜入欧」とは「脱亜論」の主張を要約したものであること,②「脱亜入欧」とは,近代化優
先,アジア諸国の植民地化容認の主張であること,③「脱亜論」の最終部分の引用のみ
である。つまり,脱亜入欧の概念に触れた後,福沢の一著作である「脱亜論」の内容の
みについてコメントを加え,最後に誰もが「脱亜論」の要諦部分として認める最終結論部
分を引用しているだけなのである。前述のとおり,「脱亜入欧」が福沢の「脱亜論」の主
張を要約した言葉であるということは一般に常識的な理解とされていることであり,「脱
亜入欧」の説明も同旨の記述をする教科書は多数あり,教科書検定に合格している。ま
た,引用文の選択も,同じ部分の引用は他の教科書にも見られるのであり(例えば,山
川出版社・新詳説日本史・改訂版),少なくとも「脱亜論」の本文を一部引用する場合に
は,この部分を抜粋引用するであろうと思われる部分である。
このように,一審原告の「脱亜論」の記述には問題とされるような部分はなく,一審原告
が福沢の対外認識,対外政策に関する思想全般について言及しているものでないこと
は明らかであり,ましてや,福沢の啓蒙思想,平等思想を含めた思想全般について触れ
ているものでもないことも明白である。
まして前述したように,生徒は小中学校において福沢の平等思想,自由思想について
十分学んできているのであって,この点に関して知識を有するのみならず,福沢諭吉あ
るいは福沢思想に対して,十分に肯定的な理解を有しているはずである。一審原告もこ
のことを十分考慮し,計算に入れて,本件原稿の記述を行っている。生徒が,そうした前
提的な知識,理解,評価の上に立って,本件原稿記述を読むことを考え合わせるなら
ば,本件原稿記述によって一面的理解(全面的な否定的理解)を生ずることを心配する
必要はない。
一審被告の上記検定意見には理由がなく,検定意見は違法である。
(オ) 一審被告が検定意見として告知したと主張する「背景事情を考慮して再検討して
いただきたい。」との意見について
一審原告は「背景事情も書くように」と具体的指示を受けたと主張しており,その違法性
については,前述のとおりであるが,「背景事情も考慮して再検討せよ」と言われても,
具体的に本件記述のどの部分をどういう方向で変更せよというのか,変更の理由や変
更の方向性は判然としない。
しかし,一審原告の執筆意図からみて,「脱亜論」を素材として選択した理由は前述した
とおりであり,十分に根拠があり,正当なものであったのである。そして,「脱亜論」を素
材として選択し,これに対する記述をすることは,他の教科書においても行われている。
それでは,「脱亜論」が執筆された背景事情を書き込む方向で変更を行うべきだというの
であろうか。そうであれば,前述したとおり,背景事情についてまで踏み込んだ記載をし
ているのは,歴史教科書のみであり,生徒が「考える」ための素材を提供するという「現
代社会」の教科書の記述としては適切ではない。生徒が分かるように「脱亜論」の背景
事情を書くとすれば,少なくとも,当時の朝鮮の状況について触れ,甲申事変について
説明し,福沢のこれに対する関与について触れる必要があり,ここまで記述して初め
て,生徒は「脱亜論」の背景を知ることができる。高度な内容であるだけに,短い記述で
十分理解することは難しい。他の部分の記述が短く制限されたものになっているだけ
に,これに背景事情を書き込んだとすれば,異様にその部分の記述だけ詳しい,全体と
してバランスを失した記述となる。そして,結果的には焦点がぼやけ,何を狙った「テー
マ学習」なのか分からないような記述になりかねない。
一審被告の主張する検定意見は,あまりに抽象的で曖昧模糊としており,具体的な「再
検討」の方向性についても想定することができないような内容のものと言わざるを得な
い。一審原告は,本件の執筆意図が正当であること,素材の選択が妥当であり,執筆意
図と整合性を持つものであること,執筆の方法も相当であること,を主張してきた。こうし
た全体として適切な記述に対し,曖昧模糊とした,具体的修正方法も想定できないよう
な検定意見を付するのは不当であり,一審被告の主張する上記検定意見は違法である
と言わざるを得ない。
エ 「氷川清話」に関する検定意見について
(ア) 「氷川清話」を選択したことの正当性
本件「脱亜論」の記述においては,「脱亜論」の抜粋引用に続いて,勝海舟の「氷川清
話」から「朝鮮は昔お師匠様」という文章の抜粋を引用している。いわば,福沢諭吉の
「脱亜論」に続いて,勝海舟の「氷川清話」からの抜粋が掲載され,両者が比較され,対
比されるような構成になっている。
こうして両者を比較,対比させた一審原告の意図は,福沢,勝の考え方や人生からみ
て,客観的にも合理性をもつものと言うべきである。すなわち,勝と福沢は,さまざまな
点で対比されて論じられることが多い。
a 第1に,福沢と勝は,日清戦争に対する評価において,まさに対極とも言える立場に
いた。前述したように,福沢は,すでに日清戦争開戦前の壬午事変,甲申事変のころか
ら,中国に対する出兵の必要を説き,私財から巨額の寄付を行うなどして,日清戦争終
戦に至るまで,積極的に戦争遂行に協力する立場をとったが,これに対して,勝海舟は
「氷川清話」において,かねてから日清戦争には大反対であったことを表明している。す
なわち,「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって,兄弟喧嘩だもの犬も喰はな
いヂやないか。たとえ日本が勝ってもドーなる・・・」「一体支那五億の民衆は日本にとっ
ては最大の顧客サ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋
だけでやるに限るよ」「今日になって兄弟喧嘩をして,支那の内輪をサラケ出して,欧米
の乗ずるところとなるくらいのものサ」などと述べている。
b 第2に,両者のアジアに対する考え方,西洋文明に対する考え方には,まさに対照的
なものであった。勝海舟の研究者松浦玲氏は,「福沢諭吉の「脱亜入欧」論と対比させ
ていえば,海舟は,アジアに踏み止まるという意見だった。(日本は)ヨーロッパ的な国家
になる必要はないと思っていた」(松浦玲「明治の海舟とアジア」岩波書店),「(勝海舟
は)幕末と明治の両方を生きて,日本とアジアを彼なりにつぶさに見た上で,その人生の
終わりに当って日清戦争反対を表明したのである。開戦前にも,戦争中も,自分は反対
だとだれはばかることなく言い,戦後もあの戦争は間違っていたんだよと繰り返す・・・」
(上記同)と述べている。
c こうした観点での対比,特に,両者の日清戦争に対する評価の違い,アジア観の対
照的な相違からすれば,福沢の「脱亜論」の次に勝の「氷川清話」の抜粋引用を掲載し
たのは,素材の選択としてまさに理に適っており,正当なことであった。
(イ) 「朝鮮は昔お師匠様」の文章の選択と引用の妥当性
a この引用文では,当時において朝鮮人蔑視の時代風潮が存在していることが指摘さ
れている。一審原告の執筆意図との関係では,勝海舟のような人物が,当時のアジア
蔑視の時代風潮を認めていたことを明らかにしていることは重要な意味を持つ。引用文
では,勝は,しかしこうした時代風潮は最近のことにすぎないのであって,朝鮮は古くか
ら日本と文化交流があり,日本は朝鮮から多くのことを学んできたのだ,いわばお師匠
様だったのだ,という認識を示している。この部分は,まさにアジアに踏みとどまり,アジ
アとアジアの民衆を高く評価する勝の立場を如実に現している部分と言えるであろう。一
審原告の執筆意図との関係で勝をとりあげ,「氷川清話」の一部を引用しようとするな
ら,まさにこれ以上の文章はないと言ってよいほどの文章である。一審原告は執筆目的
に適った至当な選択を行ったものというべきである。
b ところが,一審被告は,検定意見において,「引用の仕方が適当ではなく,原典の内
容についての正しい理解がえられないおそれがある」と述べたという(一審原告の検定
意見の把握では,「勝海舟の都合のいいところだけを取っている感があるから,再検討
いただきたい」ということになる。)。
その具体的意味は,一審被告の主張によれば,「氷川清話」においては本件引用文の
少し前には,「近頃は,殖民論が大繁昌の様子だが,古人は黙っていてもその実を行
い,今人はやかましくいっても口ばかりだから困るヨ」との記述があり,また文禄・慶長の
役に参加した小西行長に対しては,「行長も感心な男さ」と述べているように,豊臣秀吉
の朝鮮出兵を容認しているととれる部分もある。すなわち,本件記述が引用した「氷川
清話」の記述は,「一消一長は,世の常だから,日本も支那には勝ったが,しかし,いつ
かはまた逆運に出会わなければなるまいから,今からその時の覚悟が大切だヨ」との記
述があるように,日清戦争勝利後の我が国の風潮を戒めることを目的としているもので
ある,というのである。
しかし,前述した勝のアジア観,戦争観からみるならば,この見方には多大の疑問があ
る。このような理解が出てきたのは,一審原告が本件原稿記述を書く際に参考にした松
浦玲氏の研究の内容を知らず,したがってまた,勝がどのようなアジア観を持っていた
のか,どういう対外認識を抱いていたのかという勝の全体像についての最新の研究成
果を認識していなかったからにほかならない。
c また,一審被告の上記主張は,「氷川清話」の文章について十分な調査を行っていな
かったことも示している。第1に,上記主張で引用されている「殖民論」の前段部分(「近
頃は,殖民論が大繁昌の様子だが・・・」)は,そもそも日清戦争前に書かれたものであ
ると言われている。したがって,この文章を,日清戦争後の風潮を戒めていると理解する
ことの根拠に挙げるのは誤りである。第2に,上記主張で引用されている「殖民論」後段
部分(「一消一長は,世の常だから,日本も支那には勝ったが,しかし,いつかはまた逆
運に出会わなければなるまいから,今からその時の覚悟が大切だヨ」の部分)は,最近
編纂された「氷川清話」では,おそらくは勝海舟が述べたことではないとの理由からであ
ろうが脱落し,除かれているのである。
一審被告の上記主張部分は,テキストの批判的検証を経ておらず,根拠が薄弱であっ
たと言わざるを得ない。一審被告は,ただ「大分古い版」の氷川清話だけを読んで,適当
な部分だけを拾い出して検定意見を組み立てたものの,それは最近の研究や最近の
「氷川清話」編纂の実績から言えば,いささか的外れの見解であったということになる。
d とすれば,「氷川清話」の引用について検定意見を付そうとするのであれば,その研
究の存在を現に知っていた以上,少なくとも松浦氏の著作を調査し,「氷川清話」の最新
版に当たってみる,という程度の努力は必要であったはずである。そうした努力も払わず
に,最新の研究成果を踏まえ様々な考慮を払って引用を決めた一審原告の記述に対
し,結果的にみて根拠に乏しい意見を付した一審被告の姿勢には,多大の疑問が感じ
られ,一審被告の上記検定意見は重大な違法性を帯びているものというべきである。
(ウ) 「テーマ(8)」の注⑥の征韓論に関する検定意見について
a 前述したとおり,上記注⑥の征韓論に関しては,検定意見は存在しないから,その違
法を問題にする余地はない。
b なお,一審原告の上記注⑥の執筆意図は,次のとおりである。
すなわち,勝海舟の明治期における主要な問題の一つに,征韓論があったことは事実
であり,また,勝は終始征韓論に反対であるということで,それを日清戦争反対の主張
に結び付けたのである。勝にとって,征韓論は,これだけ重要な意味を持っていたので
あり,一審原告はこのような観点から征韓論に言及したのである。
オ 「「考えてみよう1」(「脱亜論」と「氷川清話」の対比)について,本文中の資料の取扱
いとの関連で再検討していただきたい」という検定意見について
(ア) 上記検定意見は,その根拠として,朝鮮問題そのものの脈絡が,両者では既に時
代として異なっていること,またその論述のかたちが著しく異なっていることなどから,仮
に生徒がその背景事情を調べて理解したとしても,両者の並列的な単純比較は意味を
なさないとしている。
(イ) しかし,ここで一審原告が意図したのは,日本史ないし世界史の科目におけるよう
な,歴史的な背景に基づく個人の思想の比較でもなく,また,倫理社会におけるような,
個人の思想に関する詳細な理解とその比較でもない。ここでは,ある程度長期的な視点
に立って,「近代日本のアジア観の根底にある思想」を取り上げ,その観点からみて対
照的とも思われる立場からの著述を挙げ,その両者の相違が出てきた理由について考
えさせようというものだったのである。そして「現代社会」の教科書である以上は,当然最
終的には「現代社会の基本問題」を扱うことを目的としているのであり,現代の社会にお
ける日本のアジア観や,アジア諸国の日本に対する見方に繋がるものである。
(ウ) 一審原告の執筆意図と共通した執筆意図を有する世界史の教科書にはA出版・世
界史Aの187頁の記述がある。「現代社会」の教科書の特質から,単なる「歴史」の問題
ではなく,われわれの現代のあり方を問うような,優れて現代的な課題を含んでいるの
は当然のことである。一審原告は,こうした課題のための素材として,福沢の「脱亜論」
と勝の「氷川清話」を掲げたのである。一審被告のいうような,「両者の並列的な単純比
較」といった軽々しい執筆意図ではなく,現代のわれわれのあり方にまで結びつく,重大
な問題意識を含んでいるのである。
(エ) こうした観点からすれば,「両者の論述のかたちが異なっている」などということがさ
して重要なことでないことは明らかであり,また,「脱亜論」執筆の時期(1885年)と「朝
鮮は昔お師匠様」の執筆時期(1894年)が異なるということも,本質的に重要なことと
は言えない(なお,脱亜論執筆後1894年に至るまでの間に,福沢の思想に根本的な
変換がなかったことについては,前述したことからも明瞭である。)。そもそも,勝と福沢
は,その思想全般にわたってよく比較対照され,勝の代表的「著作」は,「氷川清話」で
ある(実際は談話をまとめた「著作」である)。福沢と勝を比較対照する場合には,福沢
の論文に対して,勝の「氷川清話」の内容が対比されることが多いのは当然のことであ
ろう。
(オ) このようにして,いずれにしても,「考えてみよう1」に付された検定意見には理由が
なく,同検定意見は違法である。
(一審被告の主張)
「テーマ(8)」に対する検定意見には何ら違法な点はない。
(1) 「テーマ(8)」全体に関する検定意見について
ア 「テーマ(8)」全体に付された検定意見は,「「脱亜論」の扱い,「氷川清話」の引用,両
文献の対比のさせ方など,題材の選択・扱いに不適切な箇所がみられるので,再考して
いただきたい。」というものである。「テーマ(8)」はテーマ学習であるから,担当調査官が
実際に指摘した内容に従って修正する場合には,それぞれの箇所及び内容について,
相互の関連にも留意しつつ,不可分のものとして扱う必要があることから,「テーマ(8)」
全体を指摘箇所として一個の検定意見が付されたものである。B調査官の「テーマ(8)」
に対するその他の指摘は,これと一体不可分のものであり,検定意見の趣旨について
正確な理解を得られるよう補足的に行われたに過ぎないものである。
イ 上記検定意見は,本件検定基準からすれば,「第二章 各教科共通の条件」の「2 
選択・扱い及び組織・分量」の「(1) 図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要領に
示す目標,学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らし
て不適切なところ,その他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはない
こと。」,「(3) 話題や題材の選択及び扱いは,特定の事象,事項,分野などに偏ること
なく,全体として調和がとれていること。」,「(4) 図書の内容に,特定の事柄を特別に強
調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこ
と。」,「(7) 全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標準単
位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内
容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること。」及び「(11) 引
用,掲載された教材や資料については,著作権法上必要な出所や著作者名その他必
要に応じて出典,年次など学習上必要な事項が示されていること。」との項目に基づくも
のである。
ウ上記検定意見に違法な点はない。
(2) 一審原告主張の掃海艇派遣問題について
ア 前述したとおり,掃海艇派遣問題に関する指摘の内容は,①「日本は平和主義を基
本としているが,」との記述については,「・・・が,」が逆接であるので,この表現では,そ
の後に列挙されている教科書問題,大喪の礼の代表派遣,掃海艇派遣問題は,いずれ
も平和主義に反する問題であるかのような誤解を招くおそれがある,②掃海艇の派遣
は,湾岸戦争後に我が国の船舶の航行の安全を図るためになされたことを踏まえて記
述していただきたい,というものである。
上記に指摘した内容は,いずれも本件検定基準の第二章,2の「(4) 図書の内容に,特
定の事柄を特別に強調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていた
りするところはないこと。」の項目に該当する。
イ 指摘の正当性
この点の記述を素直に読むと,掃海艇の派遣は,平和主義に反する行為であり,そのた
めに東南アジア諸国から批判されるに至ったものと理解される。しかし,湾岸戦争の際
の掃海艇派遣については,掃海艇が湾岸戦争終了後という「時期」に,我が国の船舶の
航行の安全を図るという「目的」のために派遣されたということが理解される必要があ
り,その上で初めて注⑤に関する議論等が正当になされ得る。すなわち,掃海艇の派遣
が正式停戦が成立した状況下で行われたものであり,我が国の憲法が禁止する武力行
使あるいは海外派兵ではないという見解を理解することができ,これにより,問題の全
体像を正しく理解することができるからである。検定意見は,この点を指摘したものであ
る。本件記述が掃海艇派遣の問題点のみを強調するバランスに欠けたものとなってい
ることについて,バランスを取るよう記述の再考を求めたB調査官の指摘は,適法であ
る。
ウ(ア) 一審原告は,検定意見通知の際のB調査官による「このような記述は低姿勢に
過ぎる」との発言は調査官の感想ではあり得ず,検定意見であったと主張するが,B調
査官の上記発言は,前述のとおり,本件原稿の記述がバランスに欠けていることをいわ
んとして,付加的に述べた感想にすぎない。検定意見については,検定規則及び実施
細則において,「検定意見の通知は口頭で行う。」と定められている。その際,検定意見
の内容だけが告知されるのではなく,実務上,教科書調査官は,検定意見の趣旨につ
いて理解を得るため,補足的説明をし,申請者側との間で意見交換,質疑応答もし,ま
た,個人的感想を述べることもあり得る。上記のB調査官の個人的感想も,このような経
過のうちに述べられたものである。そして,申請者及び執筆者は,教科書調査官の発言
の趣旨に不明な点があれば,適宜その場において,その趣旨を確認することができ,ま
た,教科書調査官の個人的感想についてもその趣旨をただすこともできるが,一審原告
はこの点について確認等をしていない。したがって,口頭告知においてB調査官が個人
的感想を述べたことをもって直ちに違法とすることはできない。
(イ) 当審において追加された主張
a仮に,B調査官の上記発言が,個人的感想にとどまらなかったとしても,当該発言は
検定意見の趣旨を理解させるための補足説明や注意喚起の一環として行われたもので
あり,したがって,検定意見の適否を離れて独立の評価の対象となることはあり得ない。
前記のとおり,本件記述が掃海艇派遣の問題点のみを強調するバランスに欠けたもの
となっていることについて,バランスを取るよう記述の再考を求めたB調査官の指摘は,
適法である。したがって,検定意見の口頭告知において,上記原稿記述の欠陥を指摘
するに際して行われた補足説明にも,何ら違法の問題が生じるわけはなく,修正の必要
性を気付かせるためにされたB調査官の上記発言についても,これを違法とする理由は
ない。
b また,上記注⑤後段部分の「東南アジア諸国からは,派遣を決する以前に意見を聞
いてほしかったという声があいついで出された。」という記述については,その根拠とな
る証拠はないのである。教科書検定とは,学問的に不正確であるか否かの観点からの
み行われるものではなく,原稿記述が教育的に相当であるか否かの観点からも行われ
るものであるところ,この観点からみれば,上記注⑤後段部分の記述は「一面的な見解
を十分な配慮なく取り上げているところはないこと。」という本件検定基準に抵触している
といわざるを得ない。
したがって,仮に,B調査官の上記発言が「検定意見」と評価され得る余地があるとして
も,かかる「検定意見」が,本件検定基準に照らして,適法であることは明らかなのであ
る。
(3) 「脱亜論」・「氷川清話」に関する記載部分に対する指摘について
ア「テーマ(8)」の記述の特徴
本件原稿の「テーマ(8)」は,本文が極めて概括的でその記述もわずか8行である。ま
た,資料も,本文との対応関係が必ずしも明確でないままに,5つの資料が列挙されて
いる。さらに,4つの「考えてみよう」との設問が付されているものの,この「テーマ(8)」の
全体の文脈の中で,福沢諭吉の時事評論である「脱亜論」を,その後の日本のアジア侵
略という歴史を支えた考え方とストレートに結びつけている点,アジア観あるいはアジア
に対する態度というものに関して,上記のように位置づけられた福沢諭吉の対極にある
思想家として勝海舟が位置づけられ,紹介されている点が,全体の特徴である。
イ「脱亜論」について
(ア) 「脱亜入欧」と「脱亜論」との関連について
本件原稿の「脱亜論」に関する本文の記述を読むと,第二次世界大戦における日本軍
の「大東亜共栄圏」の建設の元をただせば,明治以来の「脱亜入欧」に行き着き,その
「脱亜入欧」の思想は,福沢が「脱亜論」で主張した思想であり,福沢諭吉は一貫してア
ジア諸国の植民地化を積極的に主張していたかのように読み取れ,少なくとも,相当数
の生徒がそのように読むことは,容易に予想される。このような読み方がされてしまう本
件原稿の記述は,生徒が福沢諭吉の思想について,客観性を欠いた一面的理解をする
おそれがあり,相当でない。
(イ) 「脱亜論」の理解をめぐる学説状況について
本件原稿では,「脱亜入欧」の思想は,福沢諭吉が発表した「脱亜論」の主張を要約した
言葉であると記述されている。確かに,「脱亜入欧」の思想と福沢諭吉の「脱亜論」の関
係について,本件「テーマ(8)」の記述のように両者を直接的に結びつける立場,解釈が
存することは事実ではあるものの,反面,丸山真男氏を始め有力な反対論も存在し,脱
亜入欧の思想と福沢諭吉の「脱亜論」とは区別すべきであるという説が支配的,一般的
であり,最大限一審原告に有利にみても,両説は,どちらが通説とも言えない状況にあ
るというべきである。
福沢諭吉の「脱亜論」は,もともと2000字余りの短文であるが,その内容,特に,最後
の段落の文章をめぐって様々な議論が行われているところである。そして,ごく大きく分
けると二つの立場に分かれる。第1は,福沢諭吉の思想の中には,基本的にアジアに
対する侵略的な考え方があり,これからすると,「脱亜論」という論説はその一番大きな
証拠であるという立場である。第2の立場は,福沢諭吉は,必ずしも現実的に朝鮮を植
民地化するとか,アジアに対して侵略をするというようなことを考えていたのではなく,
「脱亜論」は,甲申事変の敗北というような特定の歴史的な背景の下で発せられたある
種レトリックのようなものと解するものである(後者の立場に立つものとして,例えば,池
井優「日本外交史概説」(昭和58年増補版,慶應通信))。本件原稿のような理解が,通
説・定説であるとは,到底いえない状況にある。
したがって,本件原稿のような「脱亜論」に関する記述は,福沢諭吉の「脱亜論」に関す
る一面的な立場に立ったものというほかなく,このような取扱い方は,生徒に使用される
教科書の記述としては適切でない。
(ウ) 「脱亜論」が書かれた背景事情等について
また「脱亜論」については,それが書かれた背景事情等に注目する必要があり,多くの
場合,甲申事変との関連が論じられている。例えば,前述の池井氏は,「明治維新以降
日本が積極的な西洋の文物の導入に成功し,近代化を進めてゆくのに反し,清韓両国
は依然としてそれらを拒否し,伝統にしがみついているありさまに,日本は次第にそれら
の国々と相提携することに不安を感じ始めた。そして,清韓両国の近代化を待つ,ある
いは,旧態依然たる現状のままに提携するのではなく,むしろ,日本が清韓両国の国内
改革を促進し,近代化の方向に進むべきだとの考え方が出るにいたった。その代表的な
主張者は福沢諭吉である。」としている(前掲「日本外交史概説」)。また,前記丸山氏
も,「福沢が,一八八五年の時点でただ一回,「脱亜」の文字を用いて書いた「時事新
報」の短い社説は,その直前の一八八四年十二月に,李氏朝鮮で勃発した「甲申事変」
とそのクーデターの短命な崩壊の衝撃の下に執筆された。……福沢は,これら金玉均ら
朝鮮開化派の動向に,思想的にだけでなく,ある程度実践的にも早くからコミットしてい
た。それだけに,甲申の政変が文字通りの三日天下に終わったときの,福沢の失望は
甚大であり,またこの事件の背後にあった日本及び清国政府と李氏政権とが,それぞれ
の立場から,政変の失敗を日和見主義的に傍観し,もしくは徹底的に利用した態度は福
沢を焦立たせるに充分であった。「脱亜論」の社説はこうした福沢の挫折感と憤激の爆
発として読まれねばならない。……この問題を考える際に見失われがちなことは,たとい
便宜上,シナとか朝鮮とかいう同じ表現が用いられていても,福沢の思想においては,
終始,政府(政権)と国とをハッキリ区別する立場がとられ,また,政府の存亡と人民あ
るいは国民の存亡とをきびしく別個の問題として取り扱う考え方が貫かれていた,という
点である。・・・したがって,「脱亜」という表現を脱「満清政府」及び脱「儒教主義」といい
かえれば,福沢の思想の意味論として,いくらかヨリ適切なものとなるであろう。」と,「脱
亜論」の書かれた背景について説明をしている(「福沢諭吉と日本の近代化」序,「みす
ず」379号)。
以上のように,「脱亜論」は,福沢自身が朝鮮の近代化を援助するための様々な努力を
行ったにもかかわらず,その試みが成就しなかったという背景のもとに書かれたとする
説が,有力に唱えられているところである。
したがって,本件原稿のように,「脱亜論」が書かれた背景事情を考慮したことをうかが
わせる記述等もなく,「脱亜論」の末尾の部分を引用しただけでは,これを読む生徒が,
福沢がその思想全体において,「支那朝鮮」を植民地化すべきだと考えていたかのよう
に読み取るおそれがあり,題材の扱い方が一面的であることから,不適切であるといわ
ざるを得ないのである。
(エ) 以上のとおり,本件原稿記述中の「脱亜論」に関する部分が一面的であるため,本
件検定意見は,背景事情等を考慮して記述を見直すことを求めたものであるから,本件
検定意見の指摘は正当である。
ウ 「氷川清話」について
(ア) 「テーマ(8)」の本件原稿の記述中,「氷川清話」に関する部分は,「朝鮮は昔お師
匠様」と題する「氷川清話」からの引用の一節と,これに付された注⑥として,「日本国内
で征韓論が勢いを増したのに対し,勝海舟は,渡来人の時代以来,日本は繰り返して朝
鮮から文化を吸収してきたことを指摘した。」との記述と,「考えてみよう1」の「福沢諭吉
と勝海舟とでは,アジアに対する見かたが,どのようにちがっているか。また,どうしてそ
のようにちがってしまったのだろうか。」という問いから構成されている。
これらの記述を読むと,生徒は,①福沢諭吉が前述のとおりアジア諸国を植民地化すべ
きであるとの立場を採ったのに対し,勝海舟は,その反対の立場に立った,②勝海舟
は,征韓論が勢いを増したのに対し「氷川清話」の中で征韓論に反論したと理解するの
が一般であろう。このような題材の取り上げ方は,原典の内容について正しい理解が得
られないおそれがあり,適切でない。
(イ) 「氷川清話」は,吉本襄が勝海舟の談話を筆録編集したものであるが,「朝鮮は昔
お師匠様」と題する引用の前後には,例えば,「近頃は,殖民論が大繁昌の様子だが,
古人は黙っていてもその実を行い,今人はやかましくいっても口ばかりだから困るョ。」と
の記述があり,豊臣秀吉の朝鮮出兵を容認しているとも受け取れる部分(文禄・慶長の
役に参加した小西行長に対して,「行長も感心な男サ。」と述べている部分)もあり,ま
た,朝鮮人を「土人」と呼んでいるような記載もある。
このように,本件原稿では,勝海舟はアジアを評価していた思想家であるかのような位
置づけをして「氷川清話」から「朝鮮は昔お師匠様」と題する一節を引用しているが,同じ
書物の前後には,これと矛盾するような記述もある。
したがって,これを福沢諭吉の「脱亜論」に対置させる形で掲載し,両者を比較させよう
とする趣旨で「氷川清話」を取り上げるのは,その対比文献の扱い方として配慮に欠け
たものといわざるを得ない。
(ウ) 次に,上記注⑥では,「日本国内で征韓論が勢いを増したのに対し,勝海舟は渡
来人の時代以来,日本は繰り返して朝鮮から文化を吸収してきたことを指摘した。」との
記述がされているところ,これによれば,勝海舟が「氷川清話」において征韓論を批判し
ているように読み取れる。
しかし,「氷川清話」は,日清戦争前後の我が国の風潮に対して加えられた論評であり,
征韓論を批判しているものではない。しかも,征韓論は,西郷隆盛,板垣退助らが,明
治6年(1873年)に唱えたとされ,多くの教科書においてもそのように記述されていると
ころ,「氷川清話」の勝海舟の談話は明治27年(1894年)の日清戦争期であるから,
征韓論から20年以上も後のことを,上記注⑥のように「日本国内で征韓論が勢いを増
したのに対し,勝海舟は……指摘した。」と記述することは,「氷川清話」が出版された当
時の時代背景についても生徒に不正確な知識を与えるおそれがあり,不適切な記述で
ある。
(エ) 以上からすれば,「氷川清話」については引用の仕方が適当でないとし,また,本
件原稿129頁の注⑥も背景説明として不適切であるとした本件検定意見の指摘は正当
である。
エ 「脱亜論」と「氷川清話」の対比について
(ア) さらに,本件原稿の「考えてみよう1」では,福沢諭吉と勝海舟のアジア観を対比さ
せ,前述のとおり,「どうしてそのようにちがってしまったのだろうか。」と問いかけてい
る。
(イ) しかし,「脱亜論」に関する紹介の仕方の基礎となっている福沢諭吉の位置づけが
一面的であり,また,「氷川清話」の紹介,それに伴う勝海舟のアジア観が具体的ではな
く,したがって,両者を対比させようとする「考えてみよう1」の設問は,福沢諭吉の「脱亜
論」ひいてはそのアジア観について,あるいは勝海舟の思想について,ますます一面的
な理解を強調してしまう構成になっている。
そもそも,両者の思想等の背景説明が全くされていない記述から,両者を比較し,その
差異が生じた原因について学習させようとすることには無理がある。また,両者の書か
れた時代が異なることから,時代の変遷を越えて単純に両者を比較することも問題であ
る。
さらに,「脱亜論」及び「氷川清話」の各記述における朝鮮問題の脈絡も,「脱亜論」は福
沢諭吉が直接記述したものである一方,「氷川清話」は後に他者が構成して編集した談
話集であって,その論述の仕方も異なっていることからして,両者の並列的な単純比較
は適切でない。
教科書において先人の思想や文献を取り上げたり,対比させたりする場合には,その思
想や文献について全体として正しく理解することができるような取り上げ方で素材を提供
するべきである。先人の思想,著作の客観的かつ公平な取扱いがなされて初めて,討
論や意見等が展開でき,テーマ学習の効果も期待できるのであるから,教科書の記述
には,引用する思想や文献について,その背景説明や引用の仕方,対比のさせ方など
に慎重な教育的配慮が求められる。
本件記述は,こうした教育的配慮に欠けているから,検定意見においてこれを指摘する
のは当然である。
オ 以上のとおり,検定意見の「脱亜論」及び「氷川清話」に関する部分は,本件検定基
準の「第二章 各教科共通の条件」の「2 選択・扱い及び組織・分量」の観点の「(4) 図
書の内容に,特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく
取り上げていたりするところはないこと。」の項目に該当し,相当なものである。
7 検定意見の通知の方法に関する教科書調査官の注意義務違反について
(一審原告の主張)
(1) 文部大臣の義務
検定規則7条によると,検定意見は文部大臣が通知するものとされ,さらに実施細則に
よると検定意見の通知は口頭で調査官が行なうとされている。検定意見の通知が口頭
告知という処分権者の作為を通じて行なわれるのであるから,その行為(口頭告知)を
行なうに際しては当然注意義務が存する。しかも口頭告知制度は書面による告知と違
い誤解を生じやすいという性格を必然的に随伴するのであるから,告知を行う側には厳
しい注意義務が課されねばならない。
すなわち,口頭告知ではあっても行政処分においては処分の内容と理由が告知されね
ばならず,処分の相手方がこれらを正確に理解し,かつ,対応し得るような告知がされ
る必要があるのだから,検定においては検定意見つまり欠陥の指摘及びその理由につ
いて,趣旨が正確に伝わるよう,明確で一義的な形で伝える義務がある。この義務に反
した告知は違法となる。そもそも明確で一義的な伝達をする責任は告知する側にあるの
であって,処分内容の正確な理解をする責任を告知される側に転嫁することは許される
はずもない。とりわけ次々といくつもの意見をその場で伝達される側に,瞬間的に多くの
判断を求めることには無理があり,一方,告知内容を定めるについて告知を行う側には
十分な時間があるからである。
(2) そこで,次のような場合には告知は違法とされるべきである。
第1には,決定された検定意見を告知しないのであればもちろん違法となる。また告知
したとしても理由を付さず,単に撤回を迫るような告知は相手に無用な萎縮効果を与え
るので違法である。
第2には,告知された検定意見から,本来の趣旨を汲み取ることが困難であり,別の意
味にとれる場合にも質疑応答を通じて真の趣旨を正すことは期待できないので,かかる
告知は違法とされるべきである。
第3に,検定意見以外の個人的感想などを,それと断わらず告知した場合には,そもそ
も検定意見を告知すると呼びつけているのであり,かつ,告知された側からすれば検定
意見か否かの判別が困難であり,かつ,告知する側にすれば一言いえばすむ問題であ
るから,検定意見でないことが一見明白でない限り違法とされるべきである。
(3) 違法な告知
以上の(1),(2)記載の観点からすると,以下の点は違法と判断されるべきである。
ア 「テーマ(6)」に関する告知について
(ア) 平成4年10月1日告知された検定意見について
a 「テーマ(6)」全体について
仮に,「テーマ(6)」全体についてのB調査官の告知内容が,一審被告の主張の内容のも
のであったとしても,その告知内容から検定意見の趣旨を汲み取ることはできず,むしろ
その後の告知内容の前置き,あるいはまとめとしてされたと受け止めるのが自然である
ので,口頭告知の際の注意義務に違反し違法である。
b 湾岸戦争報道について
仮に,「テーマ(6)」の湾岸戦争報道に関する記述である注①,注②についてのB調査官
の発言が検定意見ではなく,「注意喚起」のための発言であったとしても,それは,検定
意見でないものを検定意見でないと断わることなく,しかも「事実でないではないか」とい
う趣旨に受け取れる極めて強い疑問形で言われたものであり,かかる発言は,口頭告
知の際の注意義務に違反し違法である。
(イ) 補足説明について
B調査官は補足説明に際して,「テーマ(6)」の注①,注②について,提出された根拠資
料につき「安定した評価の定まった資料で書いてほしい」旨述べているが,仮に注①,注
②についての口頭告知の際の発言が検定意見でないものとすると,B調査官の補足説
明に際してのこの発言は注①,注②についての問題点を指摘し,事実上記述の修正を
迫るものであって,まさにあたかもそれが検定意見であるかの印象を与えるものにほか
ならないのであるから,それが仮に個人的感想であったとしても,口頭告知の際の注意
義務に違反し違法である。
イ 「テーマ(8)」について
(ア) 平成4年10月1日告知された検定意見について
a 勝海舟について
B調査官は勝海舟について「都合のいい部分を抜きとった感がある」という趣旨の検定
意見を述べたが,まず第1に「テーマ(8)」の注⑥についてはB調査官は検定意見を述べ
なかった。上記注⑥に問題があるなら,その旨,明示した上で検定意見を言うべきとこ
ろ,それすらしていない。B調査官のいうように上記注⑥についても検定意見の趣旨の
中に入るものであるならば,その旨,明示しなかった点が,まず違法である。第2に検定
意見の趣旨が何かについては,「都合のいい部分を抜き書きした」と言うが,「氷川清
話」すべての中から「朝鮮は昔お師匠様」の項をとったのが問題なのか,「朝鮮は昔お師
匠様」の中からの一部引用が問題なのかが明示されておらず,むしろ通常は「都合のい
い部分を抜き出した」といわれれば,本件の引用が「朝鮮は昔お師匠様」という項の一
部の引用であることから,後者のことを言っていると受け取るのが自然であり,一審原告
もそのように解釈した。したがって,B調査官の告知は誤解を与える告知であり,口頭告
知の際の注意義務に違反し違法である。
b 掃海艇派遣について
B調査官は検定意見でないと断わることなく,掃海艇派遣について「東南アジアの国々
に意見を求める必要はない。このような注⑤の記述は低姿勢にすぎるのではないか」と
発言した。
仮に,これが検定意見でないとしても,明確に問題点を指摘し,記述内容を評価した上
で批判する発言である。したがって告知される側とすれば,およそ検定意見か否かの判
定をこの発言のみからするのは困難である。よって,上記発言は口頭告知の際の注意
義務に違反するものであって,違法である。
c マレーシアの華語新聞の見出しについて
この点のB調査官の発言は,何が問題なのかという理由すら明示しないものである。告
知は問題点の指摘とともに指摘理由を付することが必要であるところ,その基本的義務
すら尽くしていない。換言すれば「削れ」という結論のみを押しつけ威赫するものである。
よって,上記発言は,口頭告知の際の注意義務に違反するものであって,違法である。
(イ) 補足説明の際のメモの交付について
a B調査官は「テーマ(8)」の補足説明に際して,申請者側のCに対し,検定意見でない
部分があることを明示することなく,あたかもそこに記載されていることが全て検定意見
であるかのように言って甲3の9のメモを交付したものである。したがって,同メモの交付
を受けた側からすれば,どこが検定意見で,どこが検定意見でないのかの判別は不可
能である。
したがって,仮に甲3の9の1枚目全体が検定意見とはいえないものとしても,そのよう
なメモを一部検定意見でない部分があることを明示することなく,手渡した行為そのもの
が口頭告知の際の注意義務に違反しており,違法である。
b B調査官はマレーシアの華語新聞の見出しについて,補足説明の際にも「これは何
ですか,どうしても出さなきゃならないものか」と理由を明示することなく,もっぱら撤回を
せまっている。この補足説明も,口頭告知の際の注意義務に違反したものとして違法で
ある。
(被告の主張)
(1) 「テーマ(6)」に関する告知について
まず,前述したとおり,B調査官は,検定意見の通知に当たって,「テーマ(6)」の注①,
注②については,「記述内容について事実確認をお願いしたい。」との趣旨の発言をした
ものであって,上記注①,注②に関するB調査官の発言は注意を喚起するものにすぎ
ず,同調査官は「事実でないではないか。」という否定的趣旨に受け取れる発言はして
いないから,一審原告の主張はその前提事実を誤っている。また,一審原告の主張する
補足説明とは,平成4年11月27日又は同年12月1日にB調査官とCが相談ないし意
見交換をしたことを指すものと考えられるが,前記のとおりいずれの機会においても,B
調査官は上記注①,注②について何ら発言していないから,この点についても一審原告
の主張はその前提事実を誤っている。
次に,検定意見の告知の際の上記注①,注②に関するB調査官の上記発言は,「テー
マ(6)」に付された検定意見が,「全体を見直していただきたい。」というものであることか
ら,申請者において全体を見直して修正する際,同じ素材を用いるのであれば,事実確
認をしていただきたいという趣旨でされたものであり,教科書としてより適正な内容を確
保するために,執筆者の注意を喚起したものである。前記のとおり,およそ検定意見は
申請図書の欠陥を指摘するものであるから,仮に教科書調査官が上記注①,注②に関
して検定意見を言うのであれば,当該部分の欠陥を具体的に理由を付して指摘する必
要があるが,B調査官は,上記記述に関してはいずれも「資料を出してください」と述べ
てはいるものの,具体的な欠陥の指摘をしていない。このことからしても,この発言が検
定意見でないことは客観的に明らかであり,一審原告らにとっても容易に理解し得たも
のである。
また,一審原告がB調査官の注意喚起を検定意見であると理解したのであれば,検定
意見に従った修正を行わない限り,検定合格処分は受けられないのであるから,一審
原告においては当然,検定意見に従った修正をしたはずである。しかるに,一審原告の
した対応は,検定意見であることを前提としてこれに従って修正したと評価できるもので
はないのであって,一審原告が上記発言を検定意見と理解していたとは到底考えられ
ない。
したがって,B調査官の発言は,検定意見であるかの印象を与えるようなものでなかっ
たことは明らかである。
以上のとおり,一審原告の告知の際の注意義務違反の主張は,その前提とする事実が
誤っている上,B調査官の発言が,単なる注意喚起であって,検定意見でないことは容
易に理解し得るものであり,まして,事実上記述の修正を迫るものではあり得ないから
失当である。
(2) 「テーマ(8)」に関する告知について
ア 「テーマ(8)」の注⑥の記述について
B調査官は,検定意見告知の際に,上記注⑥についても背景説明として不適切であるこ
とを告知しているから,一審原告の主張は前提とする事実を誤っている点で失当であ
る。
イ マレーシアの華語新聞の見出しについて
B調査官は,検定意見告知の際には,上記華語新聞の見出しについて,他の記述箇所
との関連を考慮していただきたいと告知したのであって,理由を明示せずに削除を求め
たことはない。また,平成4年12月1日については,前記のとおりB調査官がこの点に
触れた発言をしたとは認められないから,一審原告の上記主張は,いずれの点におい
ても,前提とする事実を誤っている点で失当である。
ウ 補足説明の際のメモの交付について
本件申請図書についてされた検定意見の告知は,あくまで平成4年10月1日に検定規
則7条ただし書及び実施細則第二,2に基づき,指摘事項一覧表を交付してB調査官か
ら申請者(一審原告を含む。)に対し口頭告知されたものがそのすべてである。したがっ
て,同年12月1日に,B調査官が,Cに対し交付したD調査官作成のメモ(甲3の9)の
内容は,そもそも検定意見に含まれないから,一審原告の上記主張はその前提を欠き
失当である。
8 損害賠償責任の有無,損害額等
(一審原告)
(1) 前記のとおり,①本件検定手続はそれ自体が違憲であるか,運用違憲であり,仮に
違憲とまではいえないとしも,本件検定手続における瑕疵は重大であり,したがって,本
件検定処分も違法であり,また,②本件検定手続における口頭告知は,口頭告知の際
の注意義務に違反したものであって,違法といわざるを得ない。さらに,③本件検定意
見の内容も何ら根拠のないものであり,本件検定処分は違法である。
文部大臣並びにその検定行政上の補助機関である検定審議会の委員,教科書調査官
らは,国家公務員として,憲法を尊重し,擁護する義務を負うばかりでなく,法令に従っ
て職務を遂行する義務を負っているものであり,上記の各行為が違憲又は違法であるこ
とを当然に認識すべきであったのに,これを怠り,漫然と上記の各行為をしたものであ
り,文部大臣らには上記の違法な公権力の行使について過失責任がある。
(2) 一審原告は,前記のような違法な公権力の行使によって,上記のとおり本件申請図
書の担当部分の執筆の断念を余儀なくされたものであり,これによりはかり知れない精
神的苦痛を受けた。この精神的苦痛に対する慰謝料としては少なくとも100万円が相当
である。
すなわち,一審原告は,平成4年10月1日,不明確かつ根拠のない検定意見の告知を
受け,同年11月10日に第一次修正表の提出をしたが,B調査官により検定意見の真
の趣旨が伝達されたのは,CがB調査官より甲3の9の文書を交付された同年12月1日
になってからであった。その内容は,一審原告が執筆した本件原稿4頁を全面的に書き
直さざるを得ないものであった。一審原告はこれに不服であったものの,もはやその時
点では,意見申立の期間は徒過しており,かつ,本件原稿すべてを書き直すことは一審
原告にとっては不可能なことであった。その上,一審原告による書き直しが間に合わな
ければ,申請図書全体が検定審査不合格になってしまうことになり,他の執筆者に対し
ても責任を果たせず,出版社に対しても大きな打撃を与える結果になることは明らかで
あった。そのため,一審原告としては,やむを得ず,本件申請図書の本件原稿に相当す
る部分の執筆を断念せざるを得なくなった。
(一審被告) 
(1) 一審原告の主張(1)のうち,文部大臣並びにその検定行政上の補助機関である検
定審議会の委員,教科書調査官らが,国家公務員として,憲法を尊重し,擁護する義務
を負うばかりでなく,法令に従って職務を遂行する義務を負っていることは認めるが,そ
の余は争う。
(2) 一審原告の主張(2)は争う。
(3)当審における主張
原判決が違法とした「検定意見」の通知と損害との間には次に述べるとおり因果関係が
ない。
ア 原判決は,本件申請図書中の「テーマ(6)」と「テーマ(8)」に対する文部大臣の検定意
見10個の内,「脱亜論」と「朝鮮は昔お師匠様」の各引用文等に対して通知された「都
合の良いところばかりを抜き出している感があるので再検討していただきたい。」という
検定意見,及び「テーマ(8)」の注⑤の後段の記述に対して通知された「掃海艇派遣に関
して東南アジア諸国の意見を聞くべきかは疑問であり,原文記述はやや低姿勢である
から,見直しが必要である。」という2個の検定意見は,いずれも違法と認められるとした
上,一審原告は文部大臣の検定意見等を原因として最終的には「テーマ(6)」と「テー
マ(8)」に対する執筆を断念するに至ったものであるとし,一審原告がこれによって被った
精神的損害と上記「検定意見」の通知と間には因果関係があるとした。
イ(ア) しかし,文部大臣は,本件原稿のうち「テーマ(8)」については,その全体として題
材の選択・扱いについての不適切な箇所が見られることを理由として,全体を見直すよ
う求める検定意見を付したものであり,個々の指摘はそれを構成するものにすぎないの
である。そして,本件原稿には他にも修正すべき点は存したのであり,したがって,いず
れにしても,一審原告は,本件原稿を再検討しなければならないわけであるから,上記
指摘の違法と執筆断念との間に因果関係はないというべきである。
(イ) 仮に,この点をおくとしても,原判決は,B調査官が,福沢諭吉と勝海舟のアジア観
の差異の原因を考えさせる設問である「考えてみよう1」に対して示した指摘を,「高校生
の課題としては無理があるから,掲載した資料との関連で,再検討してほしい」との指摘
であると認定した上で,福沢諭吉については,「脱亜論」において主張するような思想な
いし考えを抱くに至った原因に対する理解についての学説状況は一様でないこと,勝海
舟については,「脱亜論」におけるアジア観とは異なるものであったことは推認できるも
のの,それが形成された原因に係る学説状況についての認定はできないことから,上記
設問が「高等学校の生徒に対する教科書として適切とはいえないと考えるのは,むしろ
自然な考慮であると認められる。」として,当該指摘を適法である旨判示している。
したがって,一審原告は,上記指摘により,必然的に「氷川清話」引用文の取扱いを含
めて,原稿を再構成しなければならないことになるから,上記指摘と執筆断念との間に
は因果関係はないというべきである。
(ウ) また,注⑤前段についての指摘は,既に述べてきたように,個別の検定意見であ
るか否かは別として,これが適法であることについては原判決も認めているところであ
り,これが「氷川清話」引用文と相互に関連する記述である以上,一審原告は,注⑤後
段も含め,原稿を再検討しなければならないこととなるのである。したがって,原判決が
違法と認めた指摘と,一審原告が執筆を断念したこととの間に因果関係がないことは明
らかであることから,これをもって損害を認定した原判決の判断は誤りである。
(エ) さらに,原判決が違法と認めた掃海艇の派遣に関する注⑤に対する指摘と執筆断
念及び精神的苦痛の発生という結果との間には相当因果関係がないことは,事実の発
生を時間を追って考えれば明らかである。
a B調査官が当該「検定意見」の通知を行ったのは平成4年10月1日であり,A出版が
「修正表」を提出したのは同年11月10日であるところ,その後,同年12月1日にA出版
のC氏は,B調査官に面談した際に「検定意見に従った修正がなされていない」との趣
旨を告げられたことから,「修正表」の修正について一審原告と会い,その結果,一審原
告は執筆を断念する旨をC氏に告げたものである。
b そして,本件で争われている注⑤の記述は,平成4年11月10日に提出された第一
次修正表の段階ですでに全文削除されているのであるから,その後,「検定意見に従っ
た修正がなされていない」として更なる修正の必要性を示唆されたことが,既に削除され
た注⑤に関するものとは到底考え難く,B調査官の当該指摘は注⑤以外の他の箇所
(又は部分)に関するものと解さざるを得ない。
c したがって,注⑤に関しては,第一次修正表提出時に既に一審原告自らが全文を削
除することに応じており,当該注⑤に対する指摘は,執筆断念という結果には何の影響
も及ぼしていないのは明らかであるから,注⑤に対する指摘と執筆断念及び精神的苦
痛の発生という結果との間に相当因果関係を認めることは到底できない。この点だけを
もってしても,「検定意見」の違法と執筆断念との間に因果関係を認めた原判決は改め
られるべきである。
第3章 当裁判所の判断
第1教科書検定制度の違憲性の有無ー①教育の自由を保障する憲法13条,26条,
23条,教育基本法10条違反の有無,②表現の自由を保障する憲法21条1項違反の
有無,③検閲及び出版の事前抑制の禁止を定める憲法21条2項違反の有無,④学問
の自由を定める憲法23条違反の有無,⑤適正手続の保障を定める憲法31条違反の
有無
1 学校教育法21条1項,51条,検定規則に基づく高等学校用の教科用図書の検定
(以下「教科書検定」という。)は,教育の自由を侵害するものであり,憲法26条のほか,
憲法13条,23条,教育基本法10条に違反する旨の主張について
前記のとおり,学校教育法21条1項(同法40条,51条で準用される場合を含む。)は,
小学校,中学校及び高等学校においては,文部大臣の検定を経た教科用図書を使用し
なければならない旨を規定し,これを受けて検定規則(文部省令)は,文部大臣が行う
教科書の検定手続等を規定し,さらに実施細則(教科用図書検定規則実施細則(文部
大臣裁定))は,その実務的な運用の在り方を定めているが,教科書の検定の基準は,
検定規則3条の規定に基づいて文部省告示として定められる検定基準によることとされ
ている。そして,本件検定基準によれば,本件の高等学校用公民科の教科書等につい
ての審査は,まず,(1)「範囲及び程度」において,①学習指導要領に示す目標に従い,
学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに示す事項を不足な
く取り上げていること,②学習指導要領に示す目標,学習指導要領に示す内容及び学
習指導要領に示す内容の取扱いに照らして,不必要なものは取り上げていないこと,③
図書の内容は,生徒の心身の発達段階に適応しており,その能力からみて程度が高過
ぎるところはないことの要件を満たしているかどうか,(2)「選択・扱い及び組織・分量」に
おいて,①図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要領に示す目標,学習指導要
領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして不適切なところ,その
他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはないこと,②政治や宗教の
扱いは公正であり,特定の政党や宗派又はその主義や信条に偏っていたり,それらを
非難していたりするところはないこと,③話題や題材の選択及び扱いは特定の事象,事
項,分野などに偏ることなく,全体として調和がとれていること,④図書の内容に,特定
の事柄を特別に強調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたり
するところはないこと,⑤話題や題材が他の教科及び科目にわたる場合には十分な配
慮なく専門的な知識を扱っていないこと,⑤図書の内容に,心身の健康な安全及び健全
な情操の育成について必要な配慮を欠いているなど学校教育の全般の方針に反してい
るところはないこと,⑥全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示
す標準単位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領
に示す内容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること,⑦図書
の内容の組織及び相互の関連は適切であること,⑧図書の内容は,精選されており,
網羅的,羅列的になっているところはないこと,⑨統計などの資料は,信頼性のある適
切なものが選ばれているなど11項目の要件を満たしているかどうかを,(3)「正確性及び
表記・表現」において,①図書の内容に,誤りや不正確なところ,相互に矛盾していると
ころはないこと,②図書の内容に,生徒がその意味を理解するのに困難であったり,誤
解したりするおそれのある表現はないこと,③漢字,仮名遣い,送り仮名,ローマ字つづ
り,用語,記号,計量単位などの表記は適切であって不統一はなく,別表に掲げる表記
の基準によっていることの要件を満たしているかどうかをそれぞれ審査するものとされて
いる。したがって,教科書の検定における審査は,単なる誤記,誤植等の形式的なもの
にとどまらず,教科書の記述の実質的な内容,すなわち教育の内容に及ぶものである。
そこで,このような教科書検定が憲法26条等の規定に違反しないかどうかを検討する
こととする。
憲法中,教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法26条であるところ,
同条は,子供の教育が,専ら子供の利益のために,教育を与える者の責務として行わ
れるべきものであることを明らかにしているが,教育の内容及び方法を誰がいかにして
決定するかについては規定していない。
そこで,この点は憲法の解釈により定めるほかないが,憲法上,親は,子供に対し監護・
養育の義務を負う者として子供との間に形成される自然的関係により家庭教育等にお
いて子女に対する教育の自由を有し,教師は,高等学校以下の普通教育の場におい
て,授業等の具体的内容及び方法においてある程度の裁量が認められるという意味に
おいて教授の自由が認められ,私学教育の自由も限られた範囲において認められる
が,それ以外の領域においては,一般に社会的公共的な問題について国民全体の意
思を組織的に決定,実現すべき立場にある国は,国政の一部として広く適切な教育政
策を樹立,実施すべく,また,これをなし得るものとして,あるいは子供自身の利益の擁
護のため,あるいは子供の成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるために,必
要かつ相当と認められる範囲において,教育内容についてもこれを決定する権能を有
するというべきである。もっとも,教育は本来人間の内面的価値に関する文化的な営み
であって,党派的な政治的観念や利害によって支配されてはならないものであるところ,
国政上の意思決定は様々な政治的要因によって左右されるものであるから,教育に上
記のような政治的影響が深く入り込む危険性があると考えられ,それゆえ,国は,その
ような危険性に留意しつつ,教育に対する国家介入についてはできる限り抑制的である
ことが要請されるし,殊に個人の基本的自由を認め,その人格の独立を国政上尊重す
べきものとしている我が国の憲法の下では,子供が自由かつ独立の人格として成長す
べきことを妨げるような国家的介入,たとえば,誤った知識や一方的な観念を子供に植
え付けるような内容の教育を施すよう強制するようなことは,憲法26条,13条の規定の
上からも許されないというべきである。しかしながら,上記のような危険性があることは,
子供の教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由
にはならない。教育基本法10条は,教育に対する行政権力の不当,不要の介入は排
除されるべき旨規定しているが,これは教育行政が許容される目的のために必要かつ
合理的と認められる規制を施すことを禁止する趣旨ではないと解するのが相当である。
ところで,高等学校以下の普通教育の場においては,児童,生徒の側にはいまだ授業
の内容を批判する十分な能力が備わっていないこと,学校,教師を選択する余地も乏し
く,教育の機会均等を図る必要があることなどから,教育内容が正確かつ中立・公正
で,地域,学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準であることが要請されるの
であって,このことは,程度の差はあるが,基本的には高等学校の場合においても小学
校,中学校の場合と異ならない。このように児童,生徒に対する教育内容が,その心身
の発達段階に応じたものでなければならないことも明らかである。そして,前記のような
本件検定基準に基づいて行われる教科書における審査が,上記の各要請を実現する
ために行われるものであることは,その内容から明らかであり,その基準も,上記の目
的を達成するため必要かつ合理的な範囲を超えているということはできず,子供が自由
かつ独立の人格として成長することを妨げる内容を含むものではない。また,上記のよ
うな検定を経た教科書を使用することが,教師の授業等における前記のような裁量権を
奪うものでもない。
なお,一審原告は,憲法26条が教科書執筆の自由を保障するものであることを前提
に,教科書検定制度が上記の教科書執筆の自由を侵害する旨主張するが,憲法26条
は前記の趣旨を定めた規定であって,教科書執筆の自由を保障する趣旨の規定ではな
いから,同主張はその前提において理由がない。また,憲法23条違反をいう一審原告
の主張が理由のないことは,後記5に説示するとおりである。
したがって,前記法令に基づいて行われる教科書検定は,憲法26条,13条,教育基本
法10条の規定に違反するものとはいえない。
2 教科書検定は表現の自由等を保障する憲法21条に違反する旨の主張について
前記のとおり,小学校,中学校,高等学校においては,検定を経た教科書を使用しなけ
ればならないものとされている(学校教育法21条1項,40条,51条)ことから,検定を
経ない,あるいは検定において審査不合格となった図書は,教科書としての発行の途を
閉ざされることとなる。しかし,上記の制約は,高等学校以下の普通教育の場において
使用義務が課せられている教科書という特殊な形態に限定されるのであって,検定審
査不合格となった図書をそのまま一般図書として発行し,教師,児童,生徒を含む国民
一般にこれを公表すること,すなわち思想の自由市場に登場させることは,何ら妨げら
れるものではない。
しかして,憲法21条2項にいう検閲とは,行政権が主体となって,思想内容等の表現物
を対象とし,その全部又は一部の発表の禁止を目的として,対象とされる表現物につき
網羅的一般的に,発表前にその内容を審査した上,不適当と認めるものの発表を禁止
することをその特質として備えるものを指すと解するのが相当であるところ,前記のとお
り,教科書検定は,一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく,発表禁止目的や
発表前の審査などの特質を有していないのであって,検閲には当たらず,憲法21条2
項前段の規定に違反するものではない。
なお,一審原告は,教科書検定制度は出版の事前抑制に該当し,憲法21条に違反す
る旨主張する。しかしながら,表現行為に対する事前抑制は,表現の自由を保障し検閲
を禁止する憲法21条の趣旨に照らし,厳格かつ明確な要件の下においてのみ,これを
許容し得るものと解されるところ,教科書検定制度において検定の対象となる申請図書
は必ずしも出版市場に出る前の図書に限定されないばかりでなく,検定審査不合格とさ
れた図書でも一般図書として思想の自由市場に登場することには何らの制限もないの
であるから,上記制度をとらえて憲法21条の趣旨から禁止される一般的な事前抑制に
該当すると解することはできないから,一審原告の上記主張は,その前提を欠き理由が
ない。
また,憲法21条1項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく,公
共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり,その制限
が上記のような限度のものとして容認されるものかどうかは,制限が必要とされる程度
と,制限される自由の内容及び性質,これに加えられる具体的制限の態様及び程度等
を衡量して決せられるべきところ,高等学校以下の普通教育の場においては,教育の中
立・公正,一定水準の確保等の要請があり,これを実現するためには,これらの観点に
照らして不適切と認められる内容を含む図書の教科書としての発行,使用等を禁止する
必要があること,その制限も,上記の観点からして不適切と認められる図書についての
み,教科書という特殊な形態において発行することを禁ずるものにすぎないことを考慮
すると,教科書検定による表現の自由の制限は,合理的で必要やむを得ない限度のも
のというべきである。したがって,教科書検定は,憲法21条1項に違反するものとはい
えない。
なお,一審原告は,教科書検定制度は表現の自由の制限の範囲を「法律」によって規
定していない旨主張するけれども,教科書検定制度が法律及び法律の委任に基づき制
定された検定規則等により規制されていることは後記6(1)アに説示するとおりであるか
ら,上記主張は理由がない。また,一審原告は,本件検定基準自体が国際規約(B規
約)所定の規制限界を逸脱し,表現の自由を侵害する旨主張するが,本件検定基準を
含む教科書検定制度が国際規約(B規約)に違反していないことは,次の3に判示する
とおりであるから,上記主張も理由がない。
さらに,一審原告は,教科書検定は,審査の基準が不明確であるから憲法21条1項に
違反するとも主張するところ,本件検定基準の一部には,包括的で,具体的記述がこれ
に該当するか否かが必ずしも一義的に明確であるとは言いがたいものもあるといわざる
を得ないが,本件検定基準及びその内容として取り込まれている指導要領の教科の目
標並びに科目の目標及び内容の各規定は,学術的,教育的な観点から系統的に作成
されているものであるから,当該教科,科目の専門知識を有する教科書執筆者がこれら
を全体としてみて,その内容及び相互関係を理解するようにすれば,具体的記述への
当てはめができないほどに不明確であるとはいえない。したがって,上記違憲の主張
は,その前提において理由がない。
3教科書検定は国際規約(B規約)19条に違反する旨の主張について
国際規約(B規約)19条2項は,「すべての者は,表現の自由についての権利を有す
る。この権利には,口頭,手書き若しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法
により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自
由を含む。」と規定し,表現の自由を保障しているが,一方,同条3項は,表現の自由に
ついての権利の行使は,他の者の権利又は信用の尊重,国の安全,公の秩序又は公
衆の健康若しくは道徳の保護を目的とした法律に服する旨規定している。そして,憲法2
1条の表現の自由といえども,公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を
受けることは前記2に説示したとおりであり,表現の自由を保障した上記規約19条の規
定も,公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を否定する趣旨でないこと
は,同条3項の文言に照らして明らかである。しかして,教科書検定が表現の自由を保
障する憲法21の規定に違反するものでないことは前記2に説示のとおりであるから,教
科書検定が上記規約19条の規定に違反するとの一審原告の主張は理由がない。
4 教科書検定は児童の権利に関する条約に違反する旨の主張について
本件検定意見の通知がなされたのは,前記のとおり平成4年10月であるところ,児童
の権利に関する条約が批准されてその効力が発効したのは平成6年5月22日(平成6
年外務省告示第262号による。)であるから,本件検定意見が通知された当時,上記条
約は発効していなかったことが明らかであり,したがって,当時上記条約が発効していた
ことを前提として教科書検定の同条約違反をいう一審原告の主張は,その前提を欠き
理由がない。
5 教科書検定は学問の自由を定める憲法23条に違反する旨の主張について
教科書は,教科課程の構成に応じて組織,排列された教科の主たる教材として,普通教
育の場において使用される児童,生徒用の図書であって,学術研究の結果の発表を目
的とするものではなく,教科書検定は,申請図書に記述された研究結果が,たとえ執筆
者が正当と信ずるものであったとしても,いまだ学界において支持を得ていないとき,あ
るいは当該教科課程で取り上げるにふさわしい内容と認められないときなど検定基準の
各条件に違反する場合に,教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎな
い。教科書検定は上記のような性質のものであって,これが学問の自由を保障する憲
法23条に違反するということはできない。
6 教科書検定は適正手続の保障を定める憲法31条に違反する旨の主張について
一審原告の主張は,要するに,行政手続にも憲法31条の適用があるとし,①行政処分
の手続が適正に行われたといえるためには,その前提として,当該行政処分手続の仕
組みないし制度の実体,手続を構成する規定が法律ないしその具体的な委任に基づく
命令に基づくべしという要請が満たされていなければならないが,教科書検定の制度は
上記の要請を満たすものとなっていないこと,②検定機関の中立,公正が保障されてい
ないこと,③教科書検定の実質的基準が恣意的な運用を許さない程度に具体的かつ明
確に定められていないこと,④教科書の執筆者及び発行者に対し告知聴聞の機会が十
分に与えられていないこと,⑤検定の審議手続が公開されていないことなどから,教科
書検定は適正手続に違反するというものである。そこで,以下検討する。
(1)ア教科書検定の制度の実体,手続が法律により規制されているといえるか否かに
ついて検討する。
学校教育法21条1項,40条,51条は,文部大臣が教科書検定の権限を有すること,
高等学校以下の学校においては検定を経た教科書を使用する義務があることを定めた
ものであり,検定の主体,効果を規定したものとして,教科書検定の根拠規定であると
解することができる。このことを前提に,学校教育法88条の規定による委任に基づき,
教科書検定手続を規定する検定規則が文部省令として制定されており,また,検定規
則3条に基づき教科書検定制度の実体部分となる検定基準が文部省告示として公示さ
れている。さらに,検定基準の実質的な内容となる学習指導要領も,文部大臣が,学校
教育法43条,106条による高等学校の教科に関する事項を定める権限に基づき,同
法施行規則57条の2に基づき文部省告示として制定したものである。
ところで,教科書検定は,高等学校以下の普通教育の場においては,教育の中立・公
正,一定水準の確保等の要請があり,これを実現するため,申請図書がこれらの観点
に照らして不適切と認められる内容を含むか否かを審査するものであって,その対象は
多方面,多種の教科分野に亘り,内容的に学問的・専門的知識を必要とするものも少な
くなく,このような教科書検定の専門的技術的な性格を考慮すれば,その実体的審査基
準,手続をすべて法律の形式で規定することは困難を強いるものといわなければなら
ず,それゆえ,学校教育法等は,文部大臣等の教育行政機関に対し,教科書検定の実
体的な基準及び手続については同行政機関が学術,教育の面におけるその豊富な専
門的技術的な知識経験を活用して下位の法規でこれを定めるよう委任をしたものと解す
ることができるのであって,上記の委任立法はその必要性と合理性を有するというべき
である。そして,検定規則及び本件検定基準等は,教育基本法,学校教育法の関係条
文から明らかな教科書の要件(内容が中立・公正であり,当該学校の目的,教育の目
標,教科の内容に適合し,内容の程度が児童,生徒の心身の発達の程度に応じたもの
で,児童,生徒の便宜にかなうものであること)を審査の内容及び基準として具体化した
ものにすぎないと認められる。
してみると,上記の検定規則,本件検定基準,学習指導要領は法律の委任に基づき制
定されたものとして有効であり,これらの基準及び手続により実施される教科書検定制
度が「法律」によらないものであるということはできず,その実体と手続が,この点で憲法
の適正手続条項の趣旨に反しているということはできない。
イ(ア)検定機関の中立,公正が保障されていない旨の主張について
前記のとおり,文部省に設置されている検定審議会は,文部大臣の諮問機関であり,文
部大臣の諮問に応じて検定申請の教科書を調査するなどの所掌事務を行う機関である
から(組織令70条),行政組織上は,文部省の内部機関であって純粋の第三者機関で
はないが,学校教育法21条3項が教科書検定制度中に検定審議会を置く趣旨の規定
を設けたのは,第三者的な専門家の意見を聞くことにより,文部大臣の行う検定処分の
公正・中立,正確性等を確保しようとしたものであるということができ,それは,前述した
国の教育内容に対する介入は,必要かつ相当と認められる範囲に限られ,できるだけ
抑制的であるべきであるという憲法上の要請にも即応するものであるということができ
る。そして,検定規則によれば,文部大臣が最終的な合否を決定する際には,明白な誤
記,誤植等による場合を除いて,検定審議会の「答申に基づいて」これを行うことになっ
ているから(検定規則7条,10条),検定審議会の答申には事実上の拘束力があると解
される。
ところで,検定審議会の委員の構成を見ると,審議会令2条1項は,委員は,教育職員,
学識経験のある者及び関係行政機関の職員のうちから,文部大臣が任命すると規定し
ているが,原審B証人と弁論の全趣旨によれば,教科書検定調査の衝に当たる委員の
役割の重要性に鑑み,委員は,各方面からの推薦を受けて,それらの者の中から各教
科の専門学識者,教育について見識と経験を有する教職員が,各部会に適切に配属さ
れるよう配慮しつつ任命されており,その際には,検定の公正を確保するため,教科書
の編著作者及び発行者並びにこれらと関係のある者は除外される取り扱いとなってい
ることが認められる。次に,審議会令2条2項によれば,検定申請図書の原稿の調査事
務のために検定審議会に置かれる調査員及び専門調査員は,学識経験のある者のう
ちから,検定審議会の意見を聞いて,文部大臣が任命するのであるが,弁論の全趣旨
によれば,文部大臣は,広く各都道府県教育委員会及び大学等の長から推薦を受け
て,大学教授等の専門学識者又は実際上の経験豊富で学識の優れた学校の教員等の
中から調査員及び専門調査員の任命を行うことにしており,その際,公正確保の見地か
ら委員の場合と同様,教科書の編著作者及び発行者並びにこれらと関係のある者を除
外する取り扱いとなっていることが認められる。
上記のとおり,検定審議会の委員等の選任については,検定審議会設置の上記趣旨,
目的に照らして適切な人材を確保する仕組みが作られ,文部大臣は,この仕組みに従
い,委員等の選任手続を適正に行っているものと認めることができ,その仕組み,運用
について中立,公正を欠く点があるとは認められない。
(イ) 次に,前記記載のとおり,教科書調査官は,文部大臣の補助機関であり,上司の
命を受けて検定申請のあった教科用図書の調査に当たり(文部省設置法施行規則8条
の3),検定手続の運用では,文部大臣の検定意見その他の検定処分の形成手続に関
与し,検定処分の通知等の事務を行う者であるから,もともと第三者性を有していないこ
とは明らかである。しかしながら,弁論の全趣旨によれば,文部大臣は,補助機関であ
る教科書調査官の任命に当たっては,公務員の適材適所の配置の観点から,上記の
職務に適する人材を任命しているものと認められる。そして,教科書調査官は,文部大
臣の指揮命令下にあって関係諸法令に従って調査事務に従事するものであるし,検定
審議会の委員は,教科書調査官及び調査員の調査結果を参考にしつつ,自らの調査,
判断に基づいて審議を行うのであるから,教科書調査官の上記のような関与によって,
教科書検定の中立性,公正性が損なわれるものではないというべきである。
(ウ) 以上の検討結果に照らせば,審議会の委員等や教科書調査官の選任が公正に
行われる仕組みになっておらず,検定機関の中立,公正が保障されていないとする一審
原告の主張は,採用できない。
ウ一審原告は,教科書検定の実質的基準が恣意的な運用を許さない程度に具体的か
つ明確に定められていない旨主張するが,本件検定基準が不明確といえないことは,
前記のとおりである。
エ 結局,上記①ないし③を理由とする憲法31条違反の主張は,その前提を欠き理由
がない。
(2) また,行政処分について,憲法31条による法定手続の保障が及ぶと解すべき場合
があるとしても,行政手続は,行政目的に応じて多種多様であるから,行政処分の相手
方に事前の告知,弁解,防御の機会を与えるかどうかは,行政処分により制限を受ける
権利利益の内容,性質,制限の程度,行政処分により達成しようとする公益の内容,程
度,緊急性等を総合衡量して決定されるべきものであって,常に必ずそのような機会を
与えることを必要とするものではない。教科書検定による制約は,思想の自由市場への
登場という表現の自由の本質的な部分に及ぶものではなく,教育の中立・公正,一定水
準の確保等の高度の公益目的のために行われるものである。これらに加え,検定の公
正を保つために,文部大臣の諮問機関として,教育的,学術的な専門家である教育職
員,学識経験者等を委員とする検定審議会が設置され,文部大臣がする申請図書につ
いての合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われるものであり,文部大臣が必要
な修正を行った後に再度審査を行うのを適当と認めて検定意見を付した場合には,そ
れに対する意見申立ての制度があること,文部大臣が検定審査不合格の決定を行おう
とする場合には,検定審査不合格となるべき理由は事前に申請者に通知すべきものと
され,これに対しては申請者に反論書提出の機会が与えられ,反論書の提出があった
場合には,文部大臣はこれを当該申請図書に添えて検定審議会に諮問し,その答申に
基づいて上記審査不合格の決定を行うものとされている上,検定審議会が必要な修正
があった後に再度審査を行うことが適当であると認めるときは,あらためて文部大臣は
上記の検定意見の通知を行うものとされていること,検定意見の告知は,文部大臣の補
助機関である教科書調査官が申請者側に口頭で申請原稿の具体的な欠陥箇所等を例
示的に摘示しながら補足説明を加え,申請者側の質問に答える運用がされ,その際に
は,速記,録音機等の使用も許されていて,申請者は上記の説明応答を考慮した上で,
検定審査不合格図書を同一年度ないし翌年度に再申請することが可能であることなど
を考慮すれば,上記④,⑤のような事情があったとしても,そのことから直ちに教科書検
定が憲法31条に違反するということはできない。
第2 教科書検定の手続的運用の違憲を理由とする本件検定処分の違法の主張につ
いて
前記のとおり,教科書検定については,その公正,中立を確保するために,文部大臣の
諮問機関として,教育的,学術的な専門家である教育職員,学識経験者等を委員とする
検定審議会が設置され,文部大臣がする申請図書についての合否の決定等は同審議
会の答申等に基づいて行われるものとされているところ,この点に関し,一審原告
は,(1) 検定審議会から文部大臣への答申の際には,検定意見が告知を受ける側に明
確に分かる程度に特定された上,文章化されていることが必要であるが,本件ではそれ
がされず,さらに,調査官の検定意見案が検定審議会で十分にチェックされないまま決
定され,これが本件検定意見として告知されたと判断するほかないとし,これは法令が
定める検定手続に反するばかりでなく,その背後にある憲法31条等が求めるところの
適正手続保障の要請にも反するものであり,かかる法令の運用は違法というのみなら
ず,違憲というべきであり,したがって,かかる違憲な手続による検定意見の告知は,そ
の内容の当否を問わず,当然に国家賠償法上の違法性を帯びることになる旨主張す
る。
しかしながら,仮に,教科書検定の手続が,検定審議会を設置した目的,趣旨を没却す
るような形で運用されている場合,憲法上の適正手続の要請に反する運用として,その
手続が違憲と評価される場合があり得るとしても,一審原告の主張は,次のとおり理由
がないというべきである。
すなわち,検定意見の内容を確定する検定審議会の意思決定は行政内部における意
思決定手続の一環をなすものであり,その意思決定をするについて書面によってこれを
すべきことは法令上要請されていない。検定審議会が検定意見の内容を確定するにつ
いて書面によらないことが憲法上の適正手続の要請に反するかのようにいう一審原告
の主張は採用できない。また,弁論の全趣旨によれば,審議会の委員は各自が本件申
請図書の内容を検討した上,調査官等による調査結果を参考にして審議を尽くし,本件
検定意見の内容を確定したものと認められ,調査官の検定意見案が審議会において十
分にチェックされないまま検定意見の内容として確定され,これが検定意見として告知さ
れていると判断されるとする一審原告の主張も採用できない。なお,一審原告は,本件
検定意見の告知において,教科書調査官が検定意見として告知すべきものを告知せ
ず,「個人的感想」なるものを,それと明示することなく,検定意見として告知するなど恣
意的運用があった旨主張するが,教科書調査官が個人的感想を述べたとの点は別とし
て,そのこと以外に一審原告主張のような事実があったと認められないことは後記第5
及び第6に説示するとおりであるし,また,教科書調査官が検定意見の告知の際に個人
的感想を述べることは好ましいことではないが,偶々そのようなことがあったからといっ
て教科書検定の手続が憲法上の要請に反するということはできない。
他に,本件全証拠を検討しても,本件検定処分の手続が,検定審議会を設置した目的,
趣旨を没却するような形で運用されていることを認めるに足りる証拠はない。
第3 教科書検定の手続上の瑕疵を理由とする本件検定処分の違法の主張について
一審原告は,検定手続の運用上の瑕疵が違憲とまではいえないとしても,その運用は
検定関係法規が予定する手続を逸脱するものであり,手続上最も重要な審議会制度の
趣旨を没却するものであって,その違法性は極めて重大であるとし,この違法性の重大
性に鑑みれば,かかる違法な手続によって形成された検定意見の通知は,その内容の
当否を問わず違法とされるべきであると主張する。
そこで,検討するに,教科書検定の公正,中立を確保するため検定審議会が設置され,
検定規則上,文部大臣がする申請図書についての合否の決定等は同審議会の答申等
に基づいて行われるものとされているから,例えば必要とされる検定審議会の審議答申
等を経ることなく検定審査不合格の決定ないし検定意見の告知等がされたとき,又は審
議答申等がされてもその手続の過程に重大な法規違反があることなどによりこれを要
求した法規等の趣旨に反すると認められるときは,このような手続上の違法のゆえにそ
の検定意見の告知等が違法と評価される場合があり得ると解される。
しかしながら,前記のとおり,本件検定処分の手続が,検定審議会を設置した目的,趣
旨を没却するような形で運用されたものとは認められないから,一審原告の主張は理由
がない。
第4 裁量権濫用の判断基準について
文部大臣が検定審議会の答申に基づいて行う合否の判定,必要な修正を行った後に
再度審査を行うことが適当であると認める場合に付される検定意見の内容等の審査,
判断は,申請図書について,内容が学問的に正確であるか,中立・公正であるか,教科
の目標等を達成する上で適切であるか,児童,生徒の心身の発達段階に適応している
かなどの様々な観点から多角的に行われるものであり,学術的,教育的な専門技術的
判断であるから,事柄の性質上,文部大臣の合理的な裁量にゆだねられるものである
が,合否の判定,修正を行った後に再度審査を行うことが適当であると認める場合に付
される検定意見の内容等についての検定審議会の判断の過程に,原稿の記述内容や
欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況,教育状況についての認識や,検定
基準に違反するとの評価等に看過しがたい過誤があって,文部大臣の判断がこれに依
拠してされたと認められる場合には,上記判断は,裁量権の範囲を逸脱したものとして,
国家賠償法上違法となると解するのが相当である。そして,検定意見は,原稿の個々の
記述に対して検定基準の各必要条件ごとに具体的理由を付して欠陥を指摘するもので
あるから,各検定意見ごとに,その根拠となるべき学説状況や教育状況等も異なるもの
である。たとえば,正確性に関する検定意見は,申請図書の記述の学問的な正確性を
問題にするものであり,それは,検定当時の学界における客観的な学説状況を根拠とし
て付されるべきものであるが,検定意見には,その実質において,①原稿記述が誤りで
あるとして他説による記述を求めるものや,②原稿記述が一面的,断定的であるとして
両説併記等を求めるものなどがある。そして,上記①の場合には,検定意見の根拠とな
る学説が通説,定説として学界に広く受け入れられており,原稿記述が誤りと評価し得
るかなどの観点から,上記②の場合は,学界においていまだ定説とされる学説がなく,
原稿記述が一面的であると評価し得るかなどの観点から判断すべきである。また,内容
の選択や内容の程度等に関する検定意見は,原稿記述の学問的な正確性ではなく,教
育的な相当性を問題にするものであって,取り上げた内容が学習指導要領に規定する
教科の目標等や児童,生徒の心身の発達の段階等に照らして不適切であると評価し得
るかなどの観点から判断すべきものである。
上記の見解と異なり,原稿記述につき「看過し難い過誤がある」場合にのみ検定意見が
適法になるにすぎない旨等の一審原告の主張は,独自の見解であり,採用することは
できない。
第5 本件検定意見の内容について
本件においては,通知された検定意見の内容について,当事者間に争いがあるから,
各検定意見の違法性の有無を判断する前に,「テーマ(6)」と「テーマ(8)」に対して教科書
調査官から通知された検定意見の具体的内容について認定することとする。
1 本件検定意見の成立とその内容の確定方法
前記のとおり,検定意見とは,申請図書に対する合否の決定を留保して,個々の記述又
は単位的な記述等における欠陥を指摘し,これについて必要な記述等の修正等を行う
ことを求める文部大臣の行為である。そして,検定意見は,合否の決定の前提となる行
為であって,行政処分の場合と同様にその客観的な表示行為(通知)によって効力を生
ずるものと解される。
本件についてみると,教科書調査官が平成4年10月1日に文部省小会議室において,
執筆者等に対し検定意見であるとして口頭で告知した行為が,まさに文部大臣の検定
意見の通知であると認められる。そして,本件において通知された検定意見の内容を確
定するに当たっては,教科書調査官がその場で執筆者等に交付したた「指摘事項一覧
表」と教科書調査官が口頭で行った告知の内容を中心としてこれを認定すべきこととな
る。もっとも,本件においては,一審原告と一審被告とでは上記口頭告知の内容の認識
に差違があって争点となっており,これを検証することができる録音テープは存在しない
から,実際上は,出席者の記憶に基づく供述と出席者が取っていたというメモを経験則
に照らして検討し,これらを総合勘案して検定意見の内容を認定する以外にない。
なお,一審原告は,この点について,平成4年10月1日における検定意見の通知のほ
か,同年11月27日及び同年12月1日にB調査官が申請者側のCに対してした発言等
の中にも,検定意見と認定すべきものがあると主張するところ,前記認定の経緯事実と
原審B証人に弁論の全趣旨を総合すれば,現行検定制度における実際の運用におい
ては,検定意見の通知があった後,修正表の提出の前後を問わず,出版社の担当者等
は,検定意見の確認又は修正表の記載の在り方についての意見を求めるなどのため
に,担当の教科書調査官に面会を申し入れて事後相談を行うことが少なくなく,教科書
調査官らも,その趣旨を理解して積極的にこの相談の要請に応じていることが認められ
るのである。しかし,そもそも上記のような事後相談は,法令の根拠を持つものではな
く,検定規則と実施細則の上では,検定意見の通知に続いて又はその後に補足意見を
告知することができるという制度はないのであって,上記の事後相談は,出版社の要望
に応えて行われる事実上のいわゆる行政指導とみるのが相当であり,上記の事後相談
の場で教科書調査官が先に通知した検定意見の内容を事実上補足して説明し,又は解
説することがあるとしても,これをもって新たな検定意見の告知,あるいは新たな理由の
追加又は補充と認める余地はないというべきである。
したがって,平成4年11月27日及び同年12月1日のB調査官の上記発言等の中に検
定意見と認定すべきものがあるとする一審原告の主張は,採用することができない。
2 「テーマ(6)」に対する検定意見の内容
(1) 本件の事実経過に関する争いのない事実等に証拠(甲3の4,3の5,3の9,3の1
1,原審B証人,同C証人,原審での一審原告本人)及び弁論の全趣旨を併せれば,B
調査官はその場で申請者側に「指摘事項一覧表」を交付したが,同一覧表には,「指摘
箇所」として「96ー97」頁と「テーマ(6)」が掲げられ,指摘事項についても「現代のマスコ
ミと私たち」とその表題自体が記載されており,「検定基準」の欄には「選択・扱い及び組
織・分量」に○が付されていたこと,B調査官は,上記一覧表を交付した後,まず,「「テ
ーマ(6)」の「現在のマスーコミと私たち」というテーマとの関連で取り上げられている内容
が不明確であり,素材も適切であるとはいいがたい。」という趣旨の発言をしたこと,そ
れに続いて,B調査官は,自らこの問題に関して作成したメモ(甲3の9の2枚目)に目を
やりながら,「昭和天皇崩御のマスコミの報道についてであるが,テレビの特別番組の
編成あるいはこれに対する視聴者の反応というような観点から取り扱おうとするのであ
れば,「考えてみよう1」の設問において,特別番組を3日間続ける予定であったのを途
中で2日間に変更したというのは,事実に反するから,適切な素材とはいえない。また,
天皇崩御の際のマスコミ報道について問題提起をしようとするのであれば,その当時は
各界,各層の人々が国民の象徴である天皇に対して追悼の意を表しているのであるか
ら,マスコミ各社のそういう追悼の意を表すという番組編成の方針についても触れる必
要があるのではないか。そして,これに対する視聴者の反応についても記載する必要が
ある。」という趣旨の意見を述べ,さらに続けて「もし,そのようにするのであれば,天皇
制の問題にもある程度正面から触れることになりますから,そうすると,「現在のマスーコ
ミと私たち」というテーマの焦点がぼけてしまう。天皇のことを取り上げるとすれば,当然
天皇制そのものの議論を踏まえてやるべきだけれども,それをやるにはこの2頁ではと
ても収まらない大きなテーマのはずですよね。したがって,これらの取扱いは,素材及び
取扱いとしては適切ではないということになります。」という趣旨の意見を述べたこと,続
けてB調査官は,「本文」と「考えてみよう1」において使用されている「昭和天皇の死去」
という表現に関して,「「死去」という表現は,象徴という存在なんだから,もう少し丁寧な
言い回しにしてください。皇室典範25条に「天皇が崩じたときは」という表現があるのだ
から,崩御ということもあってもいいんだし,別の表現でもいいです。」との発言をしたこ
と,記録係として調査官の発言内容の記録に専念していたと認められるEのメモである
甲3の5にも「全面的に見直し」という記載があること,さらに,B調査官は,一審原告ら
に対し,「テーマ(6)」の注①の記述(すなわち「多国籍軍は,クウェート領内への反撃作
戦は海からの上陸作戦ではじめるとマスコミに報道するようにしむけ,実際は内陸から
攻め込んだ。「おかげで敵の反撃は弱かった」と,多国籍軍首脳は記者たちに礼を述べ
たという。」という記述)に関して,「そういった事実はあるのか。作戦は秘密のうちにやる
ものであり,このようなことを言うとは思えない。」との疑問を投げかけ,これに対し一審
原告が根拠資料がある旨述べたところ,同調査官はその資料の提出を求めたこと,ま
た,B調査官は,「テーマ(6)」の注②(すなわち「米国陸軍の研究所の分析によって,ク
ルド族に用いられた毒ガスは,その成分から,イラクではなく,イラク近隣諸国が所有し
ているものであることが明らかにされていた。」という記述)についても,「こういうことがあ
るとは思えない。事実に反するのではないか」という疑問を投げかけ,これに対しても一
審原告が根拠資料がある旨述べたところ,同調査官はその資料を提出するよう求めた
こと,一審原告らはこれに対し資料の提出を約束し,平成4年11月10日,A出版が文
部大臣に修正表(甲3の6)を提出した際,同時に上記事実確認の資料として,1991年
(平成3年)6月19日付け朝日新聞朝刊のコピー(甲5の2の1)と雑誌「文藝春秋」(平
成3年5月号)の松原久子「戦勝国アメリカよ驕るなかれ」のコピー(甲5の2の2)をそれ
ぞれ提出したことが認められる。
(2) 上記の事実に,前記指摘事項一覧表において指摘箇所と指摘事項の欄に「テー
マ(6)」の頁と表題が特定され,該当する本件検定基準として「選択・扱い及び組織・分
量」が記載されていたことを照らし合わせれば,B調査官の告知した「テーマ(6)」につい
ての検定意見の内容は,「「現在のマスーコミと私たち」というテーマとの関連で,取り上
げようとしている内容が必ずしも明確でなく,題材の選択や扱いも適切とは言いがたい,
また,不正確な記述なども見られるので,全体として見直していただきたい。」というもの
であり,その理由として告知された主たる点は次のとおりであったと認めるのが相当で
ある。
ア 昭和天皇逝去の際のマスコミの報道については,「マスコミの番組編成と視聴者の
反応」という観点から取り上げているのであれば,「考えてみようⅠ」の設問は,特別番
組の予定を3日間から2日間に変更したというのが事実に反するから,適切な素材とは
言いがたい。
昭和天皇逝去の際のマスコミ自体の対応を取り上げ,問題提起をしようとするのであれ
ば,各界各層の対応全体と併せて,マスコミ各社の国民の象徴にふさわしい追悼の気
持ちで番組を編成するとの方針についても触れる必要があり,これに対する視聴者の
反応についても説明が必要となろう。このように考えると,天皇制の問題をある程度正
面から題材として取り上げることにもなるが,そうすると,「現在のマスーコミと私たち」と
いうテーマの焦点がぼけることになり,素材の取り上げ方としては適切とは言いがたい。
イ 昭和天皇の逝去について「死去」という表現を用いることは,天皇の日本国及び日本
国民の統合の象徴としての地位を考慮すれば,学習上不適切である。
ウ 「テーマ(6)」の本文には「1991年の湾岸戦争では,イラクだけでなくアメリカを中心
とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを行った」という記述があり,これに続け
てその例を挙げているが,その記載がいかなる資料に基づくものか明らかでなく,また,
評価の定まった資料に基づくものとも考えにくく,適切でない。
(3) この点について,一審原告は,検定意見とは原稿の個々の記述に対して具体的理
由を付して欠陥を指摘するものでなければならないとして,B調査官の「テーマ(6)」全体
に対する見直しを求める告知内容は,具体的理由を付して欠陥を指摘するものとはなっ
ていないから,個別検定意見のまとめとしての意味を有するのみであり,独立した検定
意見としては成立していないと主張する。しかしながら,検定意見の通知において,記述
の欠陥についてどの程度の理由を付するかは,その記述の内容,関係記述との関連性
等,これに対する検定意見の趣旨,内容に照らして個別に判断しなければならない問題
であり,必ずしも一律の基準で決することはできない。前記のとおり,B調査官は,テー
マ学習の教材としては各題材を通じて何を考え,論じさせるのか,論点が明確でないな
ど,「テーマ(6)」の欠陥を指摘しているところであり,また,B調査官が告知した個別意見
は,「テーマ(6)」全体が何故に欠陥を有するか,すなわち何故にテーマとして取り上げた
内容が不明確であり,素材が適切ではないかを指摘する理由を述べたものと認められ
るのであって,上記の程度の理由の告知で「テーマ(6)」全体に対して述べられた検定意
見の趣旨,根拠が不明確であるとはいえないから,上記検定意見に理由が付されてい
ないということはできない。したがって,一審原告の上記主張は理由がない。
(4) 一審被告は,B調査官の湾岸戦争関連の注①,クルド族に関する注②についての
発言は,検定意見ではなく,申請者側に対し注意喚起をしたものにすぎないと主張す
る。しかしながら,前記のとおり,B調査官は,「テーマ(6)」について,「「現在のマスーコミ
と私たち」というテーマとの関連で,取り上げようとしている内容が必ずしも明確でなく,
題材の選択や扱いも適切とは言いがたい,また,不正確な記述なども見られるので,全
体として見直していただきたい。」とする検定意見を述べているのであって,B調査官の
上記注①,注②についての発言が,上記全体についての検定意見と無関係とは考えら
れず,むしろ,「テーマ(6)」の本文記述にある「1991年の湾岸戦争では,イラクだけでな
くアメリカを中心とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを行った」という部分の記
載内容が,上記注①,注②の記述も含めていかなる資料に基づくものであるかが明ら
かでなく,また,評価の定まった資料に基づくものとも考えにくく,適切でない,という趣旨
で述べられたものであり,「テーマ(6)」の全体についての検定意見の一つの理由として
告知されたものとして,検定意見の一部をなすものとみるのが相当である。
一方,一審原告は,B調査官からは「テーマ(6)」の全体に対する検定意見の告知はなか
ったとした上,上記注①,注②についての発言は,新聞や雑誌の記事を根拠とする記述
を教科書に登載することは許されないとし,当該箇所を修正ないし削除せよという趣旨
の検定意見にほかならない旨主張する。しかしながら,B調査官は,注①,注②に記述
について上記のとおり発言したものの,一審原告ら申請者側に対しその修正ないし削除
を求める趣旨の発言をした形跡はなく,したがって,B調査官の注①,注②に関する上
記発言をもって,当該記述の修正ないし削除を要求する趣旨のものであると解すること
はできない。
3 「テーマ(8)」に対する検定意見の内容について
(1) 本件事実経過に関する争いのない事実等に証拠(甲3の4,3の5,3の9,3の1
1,3の12,原審B証人,同C証人,原審での一審原告本人)及び弁論の全趣旨を併せ
れば,B調査官はその場で申請者側に「指摘事項一覧表」を交付したが,同一覧表に
は,「指摘箇所」として「128ー129」頁と「テーマ(8)」が掲げられ,指摘事項についても
「アジアの中の日本」とその表題自体が記載されており,「検定基準」の欄には「選択・扱
い及び組織・分量」に○が付されていたこと,B調査官は,上記一覧表を交付した後,口
頭で,①冒頭本文後段の記述について,「「戦後,日本は平和主義を基本としている
が,」とあるが,この「が」は逆接であるので,次に続く教科書問題,昭和天皇の大喪の
礼の代表派遣,掃海艇派遣問題などが平和主義に反する問題であるように読める。し
たがって,これを再検討していただきたい。」との趣旨,②「テーマ(8)」の注②の記述(す
なわち,本文中の「脱亜入欧」に付された注であり,「福沢諭吉が発表した「脱亜論」の主
張を要約したことばで,欧米を手本とした近代化を最優先し,そのためには,欧米諸国
同様に,アジア諸国を処分(植民地化)すべきだというもの。」という記述)と掲載されて
いる福沢諭吉の「脱亜論」の抜粋文につき,「「脱亜論」に関する評価は種々分かれてお
り,いろいろ議論があるが,一般には福沢諭吉の思想を代表するものとは考えられてい
ない。これでは記述が一面的になっている。朝鮮の甲申事変を契機として書かれたとい
う背景事情をも考慮して書いて欲しい。」という趣旨,③「勝海舟の「氷川清話」の引用文
も含めて,前後を端折って,都合の良いところだけを抜き出した感があるので,再検討を
していただきたい。」という趣旨,④「「考えてみよう1」は,高校生には無理だから,本文
中の資料の扱いとの関連で再検討していただきたい。」という趣旨,⑤掃海艇派遣問題
に関する注⑤について,「掃海艇は,湾岸戦争終了後,我が国のタンカーなどの船舶の
航行の安全を図るために派遣されたものですから,それが落ちている。」という趣旨,⑥
「テーマ(8)」においては,「マレーシアの華語(中国語)新聞の見出し⑦(「新明日
報」1984年8月17日付より)」という説明文の上に「日治時期蝗軍瘋狂大屠殺三百餘具無
辜白骨埋荒郊」というポイントの大きい新聞見出し文が掲載され,そこに付された注⑦に
は,「日本が統治していた時期,日本軍が大虐殺を行い,300余の白骨が荒野に埋まっ
ている,という意味」の解説が記載されているが,このマレーシアの華語(中国語)新聞
の見出しについて,「どうしても載せるのですか。載せるのであれば,他の箇所の記述と
の関連についてそれなりの配慮をしていただきたい。」という趣旨,⑦「テーマ(8)」には本
文に続いて「ASEAN諸国における対日世論調査」と題する第二次世界大戦中の日本
に対する今日の感情等を問うASEAN諸国における世論調査の結果を示す棒グラフが
掲載されているが,同棒グラフについて,「出典を明示する必要がある。」旨の,各告知
をしたことが認められる。
上記認定の事実によれば,B調査官は,上記指摘事項一覧表を交付して,上記①から
⑦に記載の意見を告知しているところ,上記指摘事項一覧表には,「テーマ(8)」全体が
指摘箇所となり,「選択・扱い及び組織・分量」の検定基準に触れる趣旨が記載されてい
ること,B調査官はその記載を前提に上記①ないし⑦の個別的意見を告知していること
からすれば,同調査官が一審原告らに告知した検定意見の内容は,「テーマ(8)」は,テ
ーマ学習用のものであるから,その相互の関連に留意しつつ一つのまとまりのある内容
とされる必要があるとの前提のもとに,「テーマ(8)」については上記①ないし⑦に記載さ
れたような観点から修正が必要であり,しかも,相互の関連に留意し全体の構成を考慮
して修正を行う必要がある旨を告知したものと認めるのが相当である。
(2) 一審被告は,上記(1)③の告知は,「氷川清話」に関する注⑥の記述に対しても向け
られたものであると主張し,原審B証人も同旨の供述をする。しかし,B調査官の発言内
容のほか,Eのメモの記載は「勝海舟の資料も含めて,前後を端折って,都合のいい部
分を抜き書きした感がある。」というものであること,聞き手のメモである前記甲3の5,
甲3の11には,B調査官が注⑥について言及したことを窺わせる記載が全くないこと,
前記認定のとおり,後日提出された修正表(第一次修正表)においても,注⑥の記載に
は何ら変更修正が加えられていなかったことを考慮すると,一審被告の上記主張に沿う
原審B証人の供述はたやすく採用できず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。した
がって,「氷川清話」に関する検定意見の告知においては,特に注⑥に対しては言及が
なかったと認めるのが相当である。
一方,一審原告は,上記(1)③の告知は,「脱亜論」の扱いに対しても述べられたもので
ある旨主張する。しかしながら,原審B証人及び弁論の全趣旨によれば,それは,上
記(1)②の告知における「脱亜論」に関する記述が背景事情を考慮することなく一面的に
なっているとの趣旨をも含んで,「勝海舟の「氷川清話」の引用文も含めて,前後を端折
って,都合の良いところだけを抜き出した感がある」という表現になったにすぎないと認
められ,「脱亜論」についての検定意見は上記(1)②の告知内容に尽きており,上記(1)③
は「脱亜論」の扱いについて言及したものではないと認めるのが相当である。
(3)ア 一審原告は,「テーマ(8)」全体については,具体的な意見の告知がなくその理由
の告知もないとして検定意見としては不成立であると主張するが,前記のとおり,「テー
マ(8)」の全体に対する検定意見は,指摘事項一覧表の記載と各記述に対する検定意見
により,その内容と理由を理解することが十分に可能であったと認められるから,この点
に関する一審原告の主張は理由がない。
イ 証拠(甲3の5,原審C証人,同B証人,原審での一審原告本人)によれば,B調査官
は掃海艇派遣問題に関する注⑤について,上記(1)⑤のとおりの発言をしたのに続け
て,「東南アジアの国々については,意見を聞かなければならないのですかねぇ。少し,
低姿勢ではないですか。」という趣旨の発言をしたことが認められる。しかし,検定意見
は,原稿の個々の記述に対して検定基準の各条件ごとに具体的理由を付して欠陥を指
摘すべきものであるところ,B調査官のこの点の発言は,検定基準の各条件ごとに理由
を示してその修正を求めたものとは解されず,一審原告の自認するとおり,教科書のベ
テラン編集者であり,検定実務についての長い経験と深い知識を有する原審C証人は,
上記発言の後段部分については調査官の個人的な感想かなと思った旨供述しているこ
とに原審B証人を併せると,上記発言は,検定意見の告知には当たらず,B調査官が掃
海艇派遣問題に関する注⑤について個人的な感想を述べたものにとどまるものと認め
るのが相当である。
第6 検定意見通知の際の文部大臣の注意義務違反について
1 一審原告は,文部大臣の検定意見の通知を教科書調査官による口頭告知の方法で
行うことがやむを得ないとしても,書面による通知の場合と異なり,口頭通知には誤解を
生じやすいという性格があるから,特に通知を受ける相手方が通知の内容を正確に理
解し,かつ,これに対応し得るようなものでなければならず,対象となる記述の欠陥の指
摘とその理由について,検定意見の趣旨が正確に伝わるよう,明確で一義的な形で通
知する注意義務があるとし,B調査官の「テーマ(6)」と「テーマ(8)」に対する検定意見の
通知に関しては,(1) 「テーマ(6)」全体に対する口頭告知,(2) 「テーマ(6)」の湾岸戦争
報道に関する注①,注②に対する口頭告知(平成4年12月1日の補足説明に関する口
頭告知を含む。),(3) 「テーマ(8)」の掃海艇派遣問題についての注⑤に対する口頭告
知,(4) 「テーマ(8)」のマレーシアの華語新聞の見出しに対する検定意見の口頭告
知,(5)「テーマ(8)」の「氷川清話」の引用文とこれについての注⑥に関する口頭告知,(6)
 平成4年12月1日の事後相談の場におけるD調査官作成のメモ(甲3の9の一枚目)
の手渡し,(7) 同日にマレーシアの華語新聞の見出しの撤回を迫ったという行為につい
て,上記の注意義務違反があり,かつ,違法であるから,B調査官につき公務員の不法
行為が成立すると主張する。
2 およそ検定意見の通知に際しては,これを行う教科書調査官において,その内容,
趣旨及び理由を明確に告知して被告知者において誤解の生ずることがないように配慮
すべき注意義務があると解することができる。そこで,この観点から上記検定意見の告
知が告知の際の注意義務に違反するか否かについて検討する。
(1) 「テーマ(6)」全体に対する検定意見の告知について
前記認定のとおり,B調査官は,「テーマ(6)」の全体について「テーマとの関連で取り上
げられている内容が不明確であり,素材も適切であるとはいいがたい。」という趣旨の発
言をし,「「テーマ(6)」全体について見直してほしい。」という趣旨の発言もしていたものと
認められ,前記指摘事項一覧表の記載と,続いて告知された検定意見の内容もその全
体に対する検定意見の理由となっていたと解されることなどを総合勘案すると,「テー
マ(6)」全体に対する検定意見の通知が,内容又は趣旨が不明確であり,理由を具備し
ないもの,又は理由が不明確であるということは必ずしもできない。したがって,この点
において,B調査官の告知方法がその注意義務に反していたと認定することはできな
い。
(2) 「テーマ(6)」の湾岸戦争報道に関する注①,注②に対する口頭告知について
B調査官が,一審原告らに対し,「テーマ(6)」の注①の記述に関して,「そういった事実
はあるのか。作戦は秘密のうちにやるものであり,このようなことを言うとは思えない。」
との疑問を投げかけ,根拠資料の提出を求め,また,「テーマ(6)」の注②についても「こ
ういうことがあるのか。」という疑問を投げかけ,この点についても根拠資料の提出を求
めたことは,前記認定のとおりである。そして,この点の発言は,上記注①,注②の記述
も含めていかなる資料に基づくものであるかが明らかでなく,また,評価の定まった資料
に基づくものとも考えにくく,適切でない,という趣旨で述べられたものであり,「テー
マ(6)」の全体についての検定意見の一つの理由として告知されたものとして,検定意見
の一部をなすものとみるべきであることも既に説示したとおりである。
一審原告は,上記注①,注②についての発言は,新聞や雑誌の記事を根拠とする記述
を教科書に登載することは許されないとし,当該箇所を修正ないし削除せよという趣旨
の検定意見にしか理解できないかのように主張する。しかしながら,一審原告のこの点
の主張が採用できないことは,前記第5の2(4)の説示に照らし明らかである。
したがって,B調査官の上記発言が口頭告知の際の注意義務に違反しているということ
はできない。
(3) 「テーマ(8)」の掃海艇派遣問題に関する注⑤に対する口頭告知について
一審原告は,B調査官は「東南アジアの国々に意見を求める必要はない。このような注
⑤の記述は低姿勢にすぎるのではないか」という趣旨の発言をしたが,告知を受ける側
において,上記の発言だけからそれが検定意見か否かを判定するのは困難であり,し
たがって,仮にそれが検定意見でないとしても,かかる発言は,口頭告知の際の注意義
務に違反する旨主張する。
前記認定によれば,B調査官は,掃海艇派遣問題に関する注⑤について,上記第5の
3(1)⑤のとおりの発言をしたのに続けて,「東南アジアの国々については,意見を聞か
なければならないのですかねぇ。少し,低姿勢ではないですか。」という趣旨の発言をし
たことが認められる。しかし,B調査官のこの点の発言は,検定基準の各条件ごとに理
由を示してその修正を求めたものではなく,上記発言は,検定意見の告知には当たら
ず,B調査官が掃海艇派遣問題に関する注⑤について個人的な感想を述べたものにと
どまるものと認めるべきことは,前記説示のとおりである。そして,上記発言の内容,そ
れが,掃海艇派遣問題に関する注⑤について「掃海艇は,湾岸戦争終了後,我が国の
タンカーなどの船舶の航行の安全を図るために派遣されたものですから,それが落ちて
いる。」という趣旨の発言に続いてされたものであり,検定基準の各条件を示して欠陥を
指摘し,その修正を求めるものでないことからすれば,一審原告ら被告知者側におい
て,上記発言がB調査官の個人的な感想にとどまると理解することはさして困難ではな
かったというべきである。加えて,一審原告らにおいて,上記発言が検定意見に当たる
か疑問を持ったのであれば,その点の確認を行うことは容易にできたことを考慮すれ
ば,B調査官の上記発言について,口頭告知の際の注意義務違反があったということは
できない。
(4) 「テーマ(8)」のマレーシアの華語新聞の見出しに対する検定意見の口頭告知等に
ついて
ア 前記認定によれば,B調査官は,「テーマ(8)」のマレーシアの華語(中国語)新聞の
見出しと,その注⑦の「日本が統治していた時期,日本軍が大虐殺を行い,300余の白
骨が荒野に埋まっている,という意味。」という解説文の記載に関して,「どうしても載せ
るのですか。載せるのであれば,他の箇所の記述との関連についてそれなりの配慮をし
ていただきたい。」という発言をしたことが認められ,これによれば,「新明日報の見出し
を載せるのであれば,他の箇所との記載に配慮していただきたい。」という趣旨の検定
意見が通知されたと認定することができるものである。原審での一審原告本人によれ
ば,一審原告ら申請者側も同様の趣旨でこれを聞いており,概ね同様の理解をしていた
と認められるから,B調査官の発言の趣旨から上記認定の検定意見の内容を理解する
ことが困難なものであったとは認められない。したがって,上記のB調査官の検定意見
の告知の方法が,口頭告知の際の注意義務に違反して不法行為を構成するとはいえな
い。
イ 一審原告は,この点について,B調査官の上記発言は,何が問題なのかという理由
を明示しないものであり,いわば「削れ」という結論のみを押しつけ威赫するものであると
主張するが,前記のとおり,検定意見においてどの程度の理由を付するかは,その検定
意見の内容,趣旨によって相違するものであり,一律に決まるものではないと考えるべ
きであるところ,上記の発言内容に照らせば,上記の検定意見に理由不備の違法があ
ったとは言いがたく,これを前記注意義務違反ということはできない。また,上記検定意
見は「削れ」という結論を押し付けるものであるとは解することはできず,この点の一審
原告の主張は失当である。さらに,一審原告は,B調査官が平成4年12月1日のCとの
面談において,上記記述部分に関して「これは何ですか,どうしても出さなきゃならない
ものか」と理由を明示することなく撤回を迫ったと主張するが,原審B証人と同C証人の
各供述に照らして,上記のような事実を認定することはできない。
(5) 「テーマ(8)」の「氷川清話」の引用文とこれに関する注⑥に対する口頭告知について
前記認定のとおり,「氷川清話」引用文等に対する検定意見は,「都合の良いところばか
りを抜き出している感があるので,再検討していただきたい。」というものであったが,上
記検定意見の対象は,「氷川清話」の引用文であり,注⑥はこれに含まれていなかった
と認められる。したがって,注⑥が検定意見に含まれることを前提とする一審原告の主
張はその前提を欠き理由がない。
また,一審原告は,「都合の良いところばかりを抜き出した」という指摘は,「氷川清話」
のすべての中から前記引用文のみを抜粋したことが問題なのか,「朝鮮は昔お師匠様」
の中からの一部引用が問題なのかが明示されておらず,通常は後者のことを言ってい
るものと受け取るのが自然であり,一審原告もそのように解釈したところ,上記検定意見
の趣旨が前者を指すのであれば,それは誤解を与える告知であり,口頭告知の際の注
意義務に違反していると主張する。しかしながら,上記検定意見の「都合の良いところば
かり抜き出した」と言うところを自然に解釈すれば,「氷川清話」のすべての中から前記
引用文のみを抜粋することを指すものであることは明らかであり,一審原告においても
そのことは容易に解釈できたと考えられるから,B調査官による上記検定意見の告知方
法に,前記注意義務に違反する点があったということはできない。
(6) 平成4年12月1日の補足説明の際のメモ(甲3の9の一枚目)の交付について
ア 前記認定によれば,平成4年11月10日に提出された修正表(第一次修正表)を見
たB調査官は,通知した検定意見の趣旨が十分に理解されていないと考え,異例の措
置ではあるが,同年12月1日の事後相談の際に,Cに内部資料であるD調査官作成メ
モ(甲3の9の一枚目)を手渡し,「良く研究してほしい」という趣旨を告げたことが認めら
れる。しかしながら,前記のとおり,上記の事後相談の場における教科書調査官の言動
は,既に通知が終了している検定意見の内容を追加,修正する性質のものではないか
ら,その際の発言等に関して,調査官が前記検定意見通知の場合におけるのと同様の
注意義務を負うということはできず,上記メモの交付行為をもって口頭告知の際の注意
義務に違反する行為と認定する余地はない。
イ 一審原告は,この点について,仮にDメモ(甲3の9の一枚目)が検定意見とはいえ
ないものとしても,そのようなペーパーを一部検定意見でない部分があることを明示する
ことなく手渡した行為そのものが違法であると主張するが,前記認定事実によれば,B
調査官のメモの手渡しは,検定意見の理解を促進するための参考資料を提供するもの
であったと認められ,これが口頭告知の際の注意義務に違反するということはできず,
一審原告の上記主張は理由がない。
3 以上のとおりであり,検定意見の告知方法等に関するB調査官の不法行為をいう一
審原告の各主張は,いずれも理由がない。
第7 本件検定意見等の違法性の有無について
1「テーマ(6)」についての検定意見が違法か否かについて
(1) 「テーマ(6)」の本文記述とこれに対する検定意見
ア 本件の事実経過に関する争いのない事実等によれば,「テーマ(6)」は,「現在のマス
ーコミと私たち」という表題の下で,横書きで本文として次の文章を掲げている。すなわ
ち,「1989(昭和64)年1月7日の朝,昭和天皇の死去が発表されると,新聞や放送は
特別態勢に入り,テレビは特別番組を次つぎと放送した。テレビ局には,視聴者からの
電話が殺到し,次第に抗議の電話が増え,街のレンタルービデオ店は数日間,大繁盛だ
ったという。また,教育テレビはいつになく視聴率があがった。(改行)1991年の湾岸戦
争では,イラクだけでなくアメリカを中心とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを
行った①。(改行)また,イラクのフセイン大統領を「中東のヒトラー」とたとえた根拠の一
つに,彼が国内のクルド族の反乱鎮圧に毒ガスを使ったことが伝えられたが,この時す
でにアメリカ政府は,それが事実でないことを知っていた②。(改行)「国民にさえも毒ガ
スを使う独裁者」という非難を,積極的に紹介したのが新聞・テレビなどのマスーコミな
ら,その時すでに政府が知っていたことを指摘したのもマスーコミであった。しかし,それ
はかなり後のことであった③。(改行)一方日本の出版状況をみてみると,マスーコミの中
でも,少年向けだけでなく,おとな向けのコミック誌も増えている。しかも,娯楽だけでな
く,社会的問題をとりあげることも少なくない。このように,情報の伝達は多様化してきて
いる,といえよう。」というものであり,最後に「考えてみよう」という欄が設けられて,「1,
昭和天皇死去の時,特別番組を3日間つづける予定だったのを,途中で2日間に変更し
たという。なぜそうしたのだろうか。(改行)2,身近におきたできごとや行事などが,新聞
やテレビのローカルニュースなどではどのように報道されたのか,その内容と実際ので
きごととを比較してみよう。(改行)3,コミック誌にも社会のできごとがとりこまれている。
最近の例ではどんなものがみられるか。調べてみよう。」
上記本文記述及び設問の趣旨を見ると,素材として,(1) 昭和天皇逝去の際に,いわゆ
るマスコミが一斉に特別態勢をとったために読者又は視聴者に顕著な影響を与えたとい
う事柄,(2) 1991年の湾岸戦争の際にイラクのみならずアメリカも徹底した情報コント
ロールを行ったという事実とその例示としてのクルド族の反乱鎮圧にイラクが毒ガスを使
用したなどの報道に関する問題,(3) 現代におけるコミック誌の出版状況(情報の伝達
の多様化)という3つの事柄を取り上げ,現在のマスコミに関する問題を考えさせようと
するものであると認められる。
イ前記のとおり,これに対する検定意見の内容は,「「現在のマスーコミと私たち」という
テーマとの関連で,取り上げようとしている内容が必ずしも明確でなく,題材の選択や扱
いも適切とは言いがたい,また,不正確な記述なども見られるので,全体として見直して
いただきたい。」というものであり,その理由として告知された主たる点は次のとおりであ
ったと認めるのが相当である。
(ア) 昭和天皇逝去の際のマスコミの報道については,「マスコミの番組編成と視聴者の
反応」という観点から取り上げているのであれば,「考えてみようⅠ」の設問は,特別番
組の予定を3日間から2日間に変更したというのが事実に反するから,適切な素材とは
言いがたい。
昭和天皇逝去の際のマスコミ自体の対応を取り上げ,問題提起をしようとするのであれ
ば,各界各層の対応全体と併せて,マスコミ各社の国民の象徴にふさわしい追悼の気
持ちで番組を編成するとの方針についても触れる必要があり,これに対する視聴者の
反応についても説明が必要となろう。このように考えると,天皇制の問題をある程度正
面から題材として取り上げることにもなるが,そうすると,「現在のマスーコミと私たち」と
いうテーマの焦点がぼけることになり,素材の取り上げ方としては適切とは言いがたい。
(イ) 昭和天皇の逝去について「死去」という表現を用いることは,天皇の日本国及び日
本国民の統合の象徴としての地位を考慮すれば,学習上不適切である。
ウ前記指摘事項一覧表等に上記イの検定意見を併せてみれば,「テーマ(6)」全体に
対する検定意見は,本件検定基準の「第二章 各教科共通の条件」の「選択・扱い及び
組織・分量」の「(1) 図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要領に示す目標,学習
指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして不適切なとこ
ろ,その他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところはないこと。」,「(3) 話
題や題材の選択及び扱いは特定の事象,事項,分野などに偏ることなく,全体として調
和がとれていること。」,「(4) 図書の内容に,特定の事柄を特別に強調し過ぎていたり,
一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと。」,「(7) 全体と
して系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標準単位数に対応する授
業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照ら
して,全体の分量及びその配分は適切であること。」に該当するものとして通知されたも
のと解される。
なお,学習指導要領の「第2款 各科目」「第1 現代社会」の「3 内容の取扱い」には,
「イ 社会的事象は相互に関連し合っていることに留意し,できるだけ総合的な視点から
理解させ考えさせるとともに,生徒が主体的に自己の生き方にかかわって考えるよう学
習指導の展開を工夫すること。(改行)ウ 科目の目標に即して基本的な事項・事柄を精
選して指導内容を構成するものとし,細かな事象や高度な事項・事柄には深入りしない
こと。(改行)エ 的確な資料に基づいて,社会的事象に対する客観的かつ公正なものの
見方や考え方を育成するとともに,学び方の習得を図ること」などが掲げられている。
(2) そこで,以上の検定意見の違法性の有無について検討する。
ア 「昭和天皇逝去の際のマスコミの報道については,「マスコミの番組編成と視聴者の
反応」という観点から取り上げているのであれば,「考えてみようⅠ」の設問は,特別番
組の予定を3日間から2日間に変更したというのが事実に反するから,適切な素材とは
言いがたい。」との指摘について
(ア) 甲5の1の5及び弁論の全趣旨によれば,昭和63年10月14日付け朝日ジャーナ
ル本誌取材班「よみがえる「神格化」の回路」は,昭和天皇逝去の約3か月以前の記事
であるが,在京の民放キーテレビ局(以下「民放テレビ局」という。)5社は,すでに昭和5
6年10月ごろの編成局長会において昭和天皇逝去の際には最短24時間から最長48
時間までの時間枠でCMの挿入がない特別番組を編成するという申し合わせをしていた
が,昭和天皇の病状急変が伝えられた直後の昭和63年9月22日の上記編成局長会
において上記の申し合わせを変更し,上記特別番組の時間枠を「崩御の発表が午後七
時以前の場合,翌日の放送終了までCMのない特別編成を組む。午後七時以後の場
合,翌々日の放送終了までとする。放送終了は最大午前五時五九分五九秒までとし,
特別編成時間が終了したら例外なくCMを入れることとする」という内容の申し合わせと
なっていたことを報じていることが認められる。また,甲5の1の10によれば,昭和天皇
の逝去後に刊行されたと認められる雑誌「新放送文化」1989年13号の岩切保人「臨
時特別編成はどう実施されたのか?」の記事も,昭和59年において上記民放テレビ局
5社の編成局長会は天皇崩御から始まる民放テレビの臨時特別編成はおおよそ2日間
とすることで原則的な合意をしており,昭和63年9月19日の昭和天皇病状急変の後の
編成部長会では,崩御の発表が午後7時以前の場合は,翌日の放送終了までとし,午
後7時を過ぎて発表があったときは翌々日の放送終了までとすることを決めていたと報
じていることが認められる。
(イ) 次に,NHKについてみると,前記甲5の1の5の朝日ジャーナルの記事によれば,
3か月以上も前に「NHKは「七二時間態勢」を取ることが決まっている。日替わりのテー
マが用意され,一日目は「陛下をしのぶ」,二日目が「さようなら昭和」,三日目が「新時
代展望」というそれぞれのテーマに基づいた番組がいつでも出せる状態にある。」と報
じ,その3日間の番組内容を「NHKの「Xデー以後」用の番組編成案(本誌入手の内部
資料)」として掲載していたことが認められ,また,前記甲5の1の10によれば,前記雑
誌「新放送文化」1989年13号に登載の大森幸男「放送は,二日間の「服喪」で何を学
んだか」の記事も,「伝えられるところでは,NHKは当初3日間の予定だった特別編成計
画を民放なみの2日間に縮め,また街頭にカメラやマイクをさかんに出して人びとの表
情や声を拾うことに意を用いたという。」という観測記事を掲載していることが認められ
る。
しかし一方では,甲5の1の2によれば,昭和天皇逝去の直後である平成元年1月10日
付け朝日新聞夕刊のコラム「メディアインサイド」は,「NHKは特別編成時間枠(教育テ
レビ,衛星第一,ラジオ第二を除く)を「崩御の発表から一時間以内に決定する」(NHK
首脳)としていた。ところが,実際に決定を公表したのは発表から八時間近くたった七日
午後三時四〇分という慎重さだった。深刻なご病状が続き,「過剰報道」の批判が相次
いだことから,昨年九月の御容体急変の時点でNHK内部で検討されていた「三日間程
度の特別編成」は「二日間」に縮小された。このため,追悼番組も前倒しの形となったほ
か,八日の放送では,街角から市民の声を数多く生中継した民放に近い形で,生放送を
予定より増やした。」との報道記事を掲載していることが認められ,NHKにおいても天皇
逝去の前には3日間の特別編成を組むとの当初予定を修正していたことを窺わせる報
道をしている。また,甲5の1の7によれば,雑誌「新聞研究」1989年5月号の担当記者
座談会「天皇報道を振り返る」の記事においては,昭和63年9月の天皇の病状急変に
際しては各新聞社とも大規模な「Xデー」の紙面計画を立てていたが,病状の長期化に
伴って「落ち着き」を取り戻し,予定稿の取扱いも縮小していった経緯が話題となってお
り,当時のNHKの橋本大二郎記者も,「病状の長期化による変化」に関する話題とし
て,病状報道において同じ原稿によるテレビ放送を連日深夜午前零時に行うという取扱
いを中止したこと,その後も現場担当者が二重橋の写真のみを放映する処置を取りや
めようとの意見を出すようになったことを紹介した上,「Xデーそのものの放送について
は,先ほど当日の番組編成計画の準備をどうするか,という話をしましたが,NHKとして
は二日間は特別番組をやるけれども,三日目は世間の流れを見て決めようという方針
があったんです。もっとも,当日が土曜日ではなく別の曜日だったり,また亡くなったのが
午後か夜だったら対応が違ったと思いますが,基本的には三日が二日になったというの
が一番大きな変化だと思います。」と述べていることが認められる。また,前記甲5の1
の10の「新放送文化」の岩切保人「臨時特別編成はどう実施されたのか?」には,「NH
Kの場合は,当初,七二時間の特別編成が検討されていた。大正が終わった時に,当
時唯一の電波メディアだったラジオが,一週間にわたって一切の音曲を中止したことや,
昭和三八年のケネディ大統領暗殺時に,アメリカのテレビが四日間にわたってCMを自
粛したことなどが参考になっていたのは間違いない。しかし,昨年九月一九日から始ま
った天皇報道の一一一日間は,あまりに長かった。その間のマスコミの天皇報道は過剰
とも思われたし,放送,芸能界には自粛ムードがあふれていた。そのうち,そうした過剰
報道や自粛に対する批判が相次いだ。七二時間説を否定する編成幹部は,「その時点
での国民感情を踏まえながら,期間をどのくらいにするか判断したい」と語っていたが,
それが二日間の臨時特別編成になった,といっていい。もちろん,天皇崩御後,政府
が,「国や地方公共団体を含む官公庁については,七日から一二日までの六日間,民
間企業や一般国民については,七,八の二日間,それぞれ喪に服し,弔旗を掲げて哀
悼の意を表するように」と要請したことと無縁ではない。臨時特別編成案は,「天皇崩御
の発表時点から考えた」(堀井副総局長)と言うように,NHKの対応は実にしぶとい。」と
の観測を記載していることが認められる。
(ウ) また,証拠(乙5の1の1,5の1の3)によれば,昭和天皇逝去当日の平成元年1
月7日の読売新聞夕刊には「各局ともCMは中止,天皇関係の記録フィルムを織り込み
ながら,宮中や内閣の動きを中心にした放送一色に。民放各局のこの体制は,九日午
前六時まで二十四時間体制で続く。NHKは同九時三十分から池田芳蔵会長が「陛下ご
逝去」の告知放送を行い,特別体制へ。NHKの場合は,この体制をいつまで続けるか
は未定」という記事が掲載されていること,昭和64年1月7日付け朝日新聞夕刊の「各
界の対応」と題する表には「NHKは八日放送終了まで特別編成番組。民放はおおむね
九日午前六時ごろまでCM抜きの特別番組」との記事が掲載されたことが認められる
が,NHKについては,前記のとおり,昭和天皇逝去当日の午後3時40分ころには2日
間とする決定があったと報じられていたというのであるから,「NHKは八日放送終了ま
で特別編成番組」という記事は,上記の決定に接した後のものであると推認される。そし
て,甲5の1の1によれば,平成元年1月8日の朝日新聞朝刊では,NHKの特別番組は
1月8日の放送終了(1月9日午前零時34分)まで行われる予定であることが報じられた
ことが認められる。
(エ) これらの事実に証拠(甲5の1の6の3ないし15,甲5の1の7,甲5の1の9,甲5
の1の10)を総合すると,結局,民放テレビ局各社においては,従前から天皇崩御後の
特別番組を概ね2日間とする旨の申し合わせを有しており,NHKのみは独自に特別番
組の計画を立て,大量の報道用の素材を準備し,外国の元首逝去報道の例をも検討し
て一時は特別番組を3日間とする編成計画を立てていたところ,昭和天皇の病状が急
変した直後ころの民放テレビ局の編成部長会においては,具体的な特別番組の編成方
針を「崩御の発表が午後7時の前であれば翌日の放送終了(午前6時の直前)まで,右
発表が午後7時以降であれば,翌々日の放送終了(同前)まで」とする旨の申し合わせ
を行い,その後,天皇の病状が長期化するに伴ってマスコミ各社の冷静な報道姿勢が
支配的となり,NHKにおいても,当初の3日間の特別番組の編成方針を原則2日間とし
つつ3日目は世間の動向あるいは国民感情を考慮して決定するという方針に変更して
いたこと,昭和64年1月7日午前7時55分ごろ昭和天皇の逝去が発表されたが,民放
テレビ局各社は従前の申し合わせのとおり平成元年1月8日の放送終了(同月9日午前
6時前)まで特別番組を編成し,NHKも変更された方針に従い,昭和天皇逝去当日に
最終的に特別番組を同月8日の放送終了(同月9日午前零時34分)までとする旨決定
し,これを昭和64年1月7日午後3時40分ごろ公表したことを認めることができる。
(オ) 以上によれば,民放テレビ局においては特別番組を3日間続ける予定を有してい
た事実はなく,NHKにおいても,当初は3日間の特別番組の編成計画を有していたが,
その後天皇逝去の前に原則2日間としつつ3日目は世間の動向等をみて決定するとい
う方針に変更していたと認められる。したがって,B調査官の検定意見中,昭和天皇逝
去の際のマスコミの報道については,「マスコミの番組編成と視聴者の反応」という観点
から取り上げているのであれば,「考えてみようⅠ」の設問は,特別番組の予定を3日間
から2日間に変更したというのが事実に反するから,適切な素材とは言いがたいとの指
摘は相当なものというべきである。
イ「昭和天皇逝去の際のマスコミ自体の対応を取り上げ,問題提起をしようとするので
あれば,各界各層の対応全体と併せて,マスコミ各社の国民の象徴にふさわしい追悼
の気持ちで番組を編成するとの方針についても触れる必要があり,これに対する視聴
者の反応についても説明が必要となろう。このように考えると,天皇制の問題をある程
度正面から題材として取り上げることにもなるが,そうすると,「現在のマスーコミと私た
ち」というテーマの焦点がぼけることになり,素材の取り上げ方としては適切とは言いが
たい。」との指摘について
(ア)原審での一審原告本人及び弁論の全趣旨によれば,一審原告が,前記天皇逝去
に関するマスコミの報道を素材として取り上げた問題意識は,要するに,今日の高度情
報メディア社会においては,大量の情報の収集,管理,操作が政府やマスメディアに集
中する情報の寡占化が進んでおり,個人は自由に情報を得たり伝達することができなく
なり,一方的に情報の受け手とならざるを得ないところ,これに押し流されないように情
報を主体的に取捨選択するような判断力,理解力をつけるにはどうすれば良いか,受け
手としてマスメディアに対するアクセスが必要ではないかなどという問題を考えさせるこ
とが重要であり,特に天皇逝去報道においては,画一化した過剰報道に危険性がある
ことは多くの論者から指摘のあるところであって,国民自身がアクセスして意見を述べる
ことの重要性を理解してもらいたいという点にあったというのである。
(イ)①そこで検討するに,まず前記認定によれば,昭和天皇の逝去の際に新聞や放送
がとった特別編成方針は,その際に急きょとられたものではなく,民放テレビ局各社にお
いては,昭和56年ごろから最大2日間の特別番組を組むという申し合わせがあった上,
NHKにおいても,大正天皇の逝去の際の前例,アメリカ合衆国大統領が死去した際の
例などを検討して,当初3日間の特別編成の計画を立てるなどの準備をしていた結果実
行されたものであったことが認められる。
②また,証拠(甲5の1の6の6,甲5の1の6の8ないし10,甲5の1の6の12,甲5の
1の6の13,甲5の1の6の21,甲5の1の9,乙5の1の1,乙5の1の3,乙5の1の5,
乙5の1の7,乙5の1の9)によれば,日本放送出版協会編「昭和放送史」の橋本大二
郎「テレビは昭和の終わりをどう伝えたか」には,昭和63年10月初旬からの昭和天皇
の病状と逝去の前後ころまでの経緯をNHK担当記者が「昭和の終わり」という観点で取
材していた事実が記述されていること,「グラフNHK一九八九年二月号」の冒頭には「昭
和六四年一月七日午前六時三三分天皇陛下がお亡くなりになりました。NHKでは天皇
崩御をただちに臨時ニュースで放送するとともに,同日午前一〇時,NHKの池田芳藏
会長があいさつのあと特別番組を編成するとの放送を行いました。」との前文に続いて,
「皆様ニュースですでにご存知のとおり,天皇陛下が本日午前六時三三分崩御あらせら
れました。日本の象徴であられた天皇陛下の崩御に,謹んで哀悼の気持を述べさせて
いただきたいと存じます。天皇陛下の八七年のご生涯は,そのまま近代日本の激動の
歴史でありました。中でも陛下がご在位になった昭和の時代は,国民にとっても大きな
戦争の苦難を経て平和と繁栄への道を歩んだまさに波乱の時代でありました。私ども
は,亡くなられた陛下のお人柄を偲び,″昭和″という時代にあらためて思いをいたし,
通常の番組編成を変更し,特別番組を放送いたします。」という「会長あいさつ」を掲載し
ていること,昭和天皇逝去当日の昭和64年1月7日朝日新聞夕刊は「「その時」思いさ
まざま」「首都で」「列島で」「弔問の人波続く皇居前」との見出しで天皇逝去に対する人
々の反応に関する記事を掲載し,同日の読売新聞夕刊は「「昭和終章」悲しみの日本」
「街頭に職場に家庭に衝撃」「二重橋前,泣き伏す人々」として人々の反応を報道したほ
か,「陛下の思い出いつまでも」として10名の著名人の回顧談を掲載し,同日の毎日新
聞夕刊は「昭和から平成へ深い思い」「その時ー各地の表情」との見出しで人々の反応
を掲載し,同日の日本経済新聞夕刊は「それぞれの昭和に別れ」「一斉に服喪・弔意」
「百貨店半旗掲げ営業」「大相撲順延,九日開幕」「自主休園の遊園地も」「競馬など六
日間中止」の見出しで人々と各界の反応を報じたほか,「回想 素顔の陛下」との見出し
で6人の著名人の談話を掲載し,平成元年1月8日の日本経済新聞朝刊は「昭和の最
後静まる夜」「皇居,弔問切れ目なく 盛り場ネオン消し哀悼」「六本木ディスコ自粛 浅
草商売さっぱり」という見出しの記事を掲げ,同月9日の毎日新聞朝刊には「哀悼の人
波」「雨の中,記帳に三五万人」という見出しで人々の行動を報じ,同日の読売新聞夕刊
には「私がお会いした昭和天皇」との見出しで数人の著名人の回顧談を掲載し,同日の
日本経済新聞夕刊には「黙とうで始業式」の見出しの記事があり,毎日新聞は同月8日
から朝刊で「昭和がゆく」という連載記事を掲載したほか,同月14日の朝刊からは「昭
和天皇とその時代」という連載記事を掲載し,同年2月25日の日本経済新聞朝刊は,
大喪の礼の翌日「哀調の誄歌最後のお別れ」「武蔵野の杉林深く 皇族方白木の鍬で
「お土かけ」」という見出し記事を掲載していること,甲5の1の9の橋本大二郎「テレビは
昭和の終わりをどう伝えたか」は,昭和64年1月7日の崩御の発表直後の午前8時から
1時間のNHK総合テレビ視聴率は40・2パーセント,全テレビの視聴率は64パーセン
ト余であったと伝え,前記甲5の1の6の15の朝日新聞平成元年1月11日夕刊のコラ
ム「メディアインサイド」は,総世帯のテレビ視聴率は,昭和64年1月7日が,全日で5
3・2パーセント,ゴールデンタイム(午後7時から午後10時まで)で65・6パーセント,プ
ライムタイム(午後7時から午後11時まで)で63・4パーセントであり,平成元年1月8日
は,全日で49・4パーセント,ゴールデンタイムで63・8パーセント,プライムタイムで6
2・6パーセントであったとし,前4週間の同じ曜日の平均視聴率は,昭和64年1月7日
に相当する曜日(土曜日)が,全日で46・5パーセント,ゴールデンタイムで71・9パーセ
ント,プライムタイムで70・3パーセントであり,平成元年1月8日に相当する曜日(日曜
日)が,全日で49・0パーセント,ゴールデンタイムで71・1パーセント,プライムタイムで
68・2パーセントであったとしていることが認められる。
(ウ) 上記(イ)に認定した事実及び弁論の全趣旨によれば,テレビ各局が上記(イ)①の
ような対応をとったのは,我が国の憲法上,日本国及び日本国民の統合の象徴として
位置づけられている天皇の逝去は,国民全体として弔意と哀悼の意を表すべき出来事
であり,報道関係者としても,一般国民の意に添って相応の弔意と哀悼の意を表し,番
組内容も哀悼の意を表するにふさわしいものとすべき必要があるとの配慮に基づき,ま
た,昭和天皇の逝去は,昭和の終わりという近代日本の歴史的な意味合いを持つ出来
事であり,これを機に昭和の歴史をあらためて振り返ってみる必要があるとの観点に基
づくものと認められる。そして,前記(イ)②の各新聞記事によれば,その当時,昭和天皇
の逝去に対して,多くの国民が哀悼の気持ちをもってこの事態を受けとめたものと認め
られ,上記の新聞記事掲載の状況は,当時の国民の一般的な気持ち又は考え方を窺
わせるものであると推認することができるし,また,昭和天皇の逝去のテレビ報道の視
聴率等からみても,特別番組を含めて,昭和天皇逝去に関するマスコミ報道に対して
は,国民から高い関心が寄せられていたと認めるのが相当である。むろん,テレビ各局
のこのような弔意と哀悼の意の表し方に批判的な見解を持つ国民が存在したことも否定
できないが,その点も含めて昭和天皇の逝去に対する報道の在り方やそれが過剰な報
道ではないかという点を問題として取り上げるのであれば,我が国の天皇制の問題にも
かかわりが出てくるものと考えられる。
一審原告が有していた今日のマスメディアが抱える問題についての認識は首肯できると
ころであるが,上記のような昭和天皇の逝去についてのテレビ各局の報道姿勢,報道内
容は,憲法上の象徴としての天皇の地位,これに対する国民感情,昭和天皇の昭和と
いう時代における歴史的な位置づけ等に由来する特別の性格を有しているものであり,
上記の報道の在り方や報道姿勢を問題とすれば,天皇制の問題にも踏み込んだ議論
が必要になると考えられる。してみると,高等学校の生徒に現代のマスメディア等による
情報の寡占化,個人の情報からの隔絶化や,画一的,過剰な報道に対する受け手とし
ての国民の在り方等,今日のマスメディアが抱える問題を考えさせるために,このような
昭和天皇の逝去という特別な事柄についてのテレビ各局の報道姿勢等を素材として取
り上げるというのは,「テーマ(6)」の焦点を不明確にするものであって,適切なものとは
言いがたい。
ウ昭和天皇の逝去について「死去」という表現を用いることは,天皇の日本国及び日
本国民の統合の象徴としての地位を考慮すれば,学習上不適切であるとの指摘につい

学習指導要領によれば,公民科の目標とするところは,民主的,平和的な国家・社会の
有為な形成者としての資質を養うということであるところ,その目標に照らしてみれば,
高等学校の教科書において,憲法上,日本国及び日本国民の統合の象徴としての地位
を有する天皇の逝去について触れる場合,「死去」という表現を用いることは,学習上適
切とは言いがたい。一審原告もこの点の指摘に関してはその適法性を争っていない。
エ「テーマ(6)」の本文の記述にある「1991年の湾岸戦争では,イラクだけでなくアメリ
カを中心とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを行った」とし,これに続けてそ
の例を挙げているが,その事実確認をする手だてがなく,適切でないとの指摘について
(ア) 前記認定のとおり,注①は,本文中の「1991年の湾岸戦争では,イラクだけでなく
アメリカを中心とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを行った。」という記述に付
されたものであるところ,その内容は「多国籍軍は,クウェート領内への反撃作戦は海か
らの上陸作戦ではじめるとマスーコミに報道するようにしむけ,実際は内陸から攻め込ん
だ。「おかげで敵の反撃は弱かった」と,多国籍軍首脳は記者たちに礼を述べたとい
う。」というものであり,注②は,本文中の「また,イラクのフセイン大統領を「中東のヒトラ
ー」とたとえた根拠の一つに,彼が国内のクルド族の反乱鎮圧に毒ガスを使ったことが
伝えられたが,この時すでにアメリカ政府は,それが事実でないことを知っていた。」とい
う記述に付されたものであって,その内容は「米国陸軍の研究所の分析によって,クルド
族に用いられた毒ガスは,その成分から,イラクではなく,イラク近隣諸国が所有してい
るものであることが明らかにされていた。」というものである。そして,前記認定によれ
ば,一審原告は,B調査官の資料提出要求に応じて,A出版が平成4年11月10日に修
正表(第一次修正表)を提出した際に,この点に関する資料として,1991年(平成3年)
6月19日付け朝日新聞朝刊のコピー(甲5の2の1)と雑誌「文藝春秋」(平成3年5月
号)の松原久子「戦勝国アメリカよ驕るなかれ」のコピー(甲5の2の2)をいずれもB調査
官に提出したことが認められる。
(イ) しかるに,上記の注①,注②の記載内容は,いずれも当時の日本の社会において
公知の事実とはなっていなかったものであるし,一審原告がその根拠としてB調査官に
提出した平成3年6月19日付け朝日新聞朝刊のコピー(甲5の2の1)と雑誌「文藝春
秋」(甲5の2の2)にはそれぞれ注①ないし注②の根拠となる記事が掲載されているも
のの,新聞,雑誌の一部に掲載された上記記事は社会的に評価の定まったものという
ことはできず,他に上記記事の内容が評価の定まったものであることを裏付ける証拠は
存在しない。このように,本件原稿の記述中には,上記の注①,注②の記述内容につい
てその根拠となる事実が真実であるか否かを確認する資料が記載されておらず,他に
もこれを確認する手だてが示されていないことは明らかである。したがって,B調査官が
上記の注①,注②の記述内容に係る事実関係の存在について疑問を呈し,これの記述
内容について評価の定まった根拠資料が示されない状態で,「1991年の湾岸戦争で
は,イラクだけでなくアメリカを中心とする多国籍軍側も徹底した情報コントロールを行っ
た」という点を「テーマ(6)」の題材として取り上げるのは適切でないという趣旨の指摘を
行ったことは相当というべきである。
オ 結論
テーマ学習である以上,生徒に何を考えさせ,討論させようとしているのかが,本文の記
述と設問から明確になっていなければならない。
甲3の3によれば,本件申請図書に添付された編集趣意書は,テーマ学習について「全
体的な問題の視点や学び方を配慮した」とし,「テーマ(6)」を,本件申請図書の「第3章 
日本国憲法と民主政治」の「第1節 現代の国家と民主政治」に位置づけている。これ
は,学習指導要領の公民現代社会の「2 内容」の「(3) 現代の政治・経済と人間」の「ウ
 日本国憲法と民主政治」に対応するものと考えられる。そして,「テーマ(6)」の記述と弁
論の全趣旨によれば,一審原告が「テーマ(6)」において記載した内容は,青年期の自己
形成途上にあり,また,将来我が国の民主主義の担い手であるという2つの側面を有す
る高等学校生徒が,情報化社会の担い手であり,かつ世論形成にも大きな影響をもっ
ているマスコミとどのように向き合ったらいいのかをテーマとして考え,討論させようとす
る趣旨のものであり,具体的には,①昭和天皇逝去のマスコミ報道,②湾岸戦争におい
てマスコミが果たした役割,③コミック誌の出版状況を題材として取り上げ,上記①につ
いてはマスコミの「過剰報道」等,上記②については政治権力によるマスコミを利用した
「情報のコントロール」,上記③についてはマスコミにおけるコミック誌の比重の増加につ
いて考え,討論させようとしたものであると認められる。
しかしながら,生徒に対し上記のテーマを考え,議論させるために,昭和天皇逝去のマ
スコミ報道を取り上げることが不適切であり,また,その記述に不適当な部分のあること
は既に説示したとおりである。また,湾岸戦争における「情報のコントロール」の問題も,
「テーマ(6)」の記述にはその裏付けとなる評価の定まった資料が示されていないことか
ら,これを前提に生徒に考えさせ,討論させるのは,生徒に対し誤った認識を与えるお
それがあるから適切ではないというべきである。さらに,マスコミにおけるコミック誌の
「比重の増加」は,自然発生的な一つの社会現象であって,この問題は,一審原告が上
記①,②を取り上げた問題意識とは関連のない事柄であり,上記①,②とは別の観点か
ら考え,論ずべき問題であると考えられるものの,執筆者においていかなる観点からこ
れを問題にしようとしているのかが記述自体からは明らかでなく,上記編集趣意書の記
載との関係も明らかとはいえない。したがって,上記③の素材を上記①,②の題材と一
緒にして,生徒の思考,討論の対象とすることは,論点を不明確にするものであり,適切
とは言いがたい。
したがって,前記(1)ウの見地からされた前記(1)イの検定意見の通知に違法な点はない
というべきである。
2 「テーマ(8)」に対する検定意見が違法か否かについて
(1)「テーマ(8)」の本文記述とこれに対する検定意見
ア前記のとおり,「テーマ(8)」には,「アジアの中の日本」という表題の下で,まず,次の
とおり横書きで本文が掲げられ,それに続けて注記がされている。すなわち,本文は,
「第2次世界大戦で,日本軍は「大東亜共栄圏」①の建設をめざして,アジア・太平洋地
域で戦い,敗れた。これが,明治以来の「脱亜入欧」②の道,西欧近代国家への道をと
り,アジアの諸民族・諸国家に犠牲をしいた近代日本の一つの結末だった。(改行)戦
後,日本は平和主義を基本としているが,1982年の教科書問題③,1989年の昭和
天皇の大喪の礼の代表派遣④,1991年の掃海艇派遣問題⑤などで,内外に議論が
おこっている。」という比較的短いものであり,注①には「日本を盟主として,東アジア・東
南アジアの共存共栄をはかることを主張したスローガン。日本の侵略政策を合理化する
ために唱えられた。」という説明,注②には「福沢諭吉が発表した「脱亜論」の主張を要
約したことばで,欧米を手本とした近代化を最優先し,そのためには,欧米諸国同様に,
アジア諸国を処分(植民地化)すべきだというもの。」という説明,注③には「「侵略」を
「進出」と書き替えるように指示があったことに,近隣諸国から抗議や批判の声があがっ
たもの。東南アジアに関する記述の部分で,この指示通りに書き替えた例が,この年に
もあった。」という説明,注④には「164の国と国際機関の代表が派遣されたが,その派
遣をめぐって,いくつかの国で議論があった。」という説明,注⑤には「湾岸戦争中に設
置されたペルシャ湾内の機雷を除去するために,海上自衛隊の掃海艇が急きょ派遣さ
れた。東南アジア諸国からは,派遣を決定する以前に意見を聞いてほしかったとする声
があいついで出された。」という説明がそれぞれ加えられた。
また,上記の本文に続いて,「ASEAN諸国における対日世論調査」と題する,インドネ
シア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイの五か国における日本に対する意識を
「悪い面を忘れることができない」「今となっては気にしない」,「気にしたことがない」,
「わからない」の各項目に分けた1983年の時点と1987年の時点の世論調査の数値
の変化を示した棒グラフが掲げられており,続いて「脱亜論 福沢諭吉 (1885年)」とい
う枠内にその抜粋文「今日の謀を為すに,我国は隣国の開明を待て,共に亜細亜を興
すの猶予ある可らず,寧ろ其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし,其支那朝鮮に接
するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず,正に西洋人が之に接するの風に
従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜
細亜東方の悪友を謝絶するものなり。」を掲げ,次頁には,「朝鮮は昔お師匠様 勝海舟
⑥(1894年)」と題する枠組内に「朝鮮といえば,半亡国だとか,貧弱国だとか軽蔑する
けれども,おれは朝鮮も既に蘇生の時期が来て居ると思うのだ。・・・朝鮮を馬鹿にする
のも,ただ近来の事だヨ。昔は,日本文明の種子は,みな朝鮮から輸入したのだからノ
ー。特に土木事業などは,尽く朝鮮人に教わったのだ。いつか山梨県のあるところから,
「石橋の記」を作ってくれ,と頼まれたことがあったが,その由来記の中に「白衣の神人
来りて云々」という句があった。白衣で,そして髯があるなら,疑いもなく朝鮮人だろうヨ。
この橋が出来たのが,既に数百年前だというから,数百年も前には,朝鮮人も日本人の
お師匠様だったのサ。」という抜粋文が掲げられ,これに付された注⑥には,「日本国内
で征韓論が勢いを増したのに対し,勝海舟は,渡来人の時代以来,日本は繰り返して朝
鮮から文化を吸収してきたことを指摘した。勝海舟のこの文章では触れていないが,江
戸時代も朝鮮通信使の往来を通じて,日本は多くのことを学んだ。」という説明が加えら
れ,続いて,「マレーシアの華語(中国語)新聞の見出し⑦(「新明日報」1984年8月17日
付より)」という説明文の上に「日治時期蝗軍瘋狂大屠殺三百餘具無辜白骨埋荒郊」と
いうポイントの大きい新聞見出し文が掲載され,その注⑦として「日本が統治していた時
期,日本軍が大虐殺を行い,300余の白骨が荒野に埋まっている,という意味。」との
解説が掲げられ,次に,「マレーシア,ネグリセンビラン州セレンバンの近郊の町(文叮:
マンティン)の追悼碑」との説明文の横に上記の追悼碑の写真が掲載され,最後の「考
えてみよう」の欄には,「1,福沢諭吉と勝海舟とでは,アジアに対する見かたが,どのよ
うにちがっているか。また,どうしてそのようにちがってしまったのだろうか。(改行)2,江
戸時代の朝鮮通信使の往来によって,日本はどのようなことを学んだのだろうか。対馬
と江戸(東京)のあいだの各地には,通信使にちなむものがいくつも残っている。調べて
みよう。(改行)3,上図の追悼碑は1985年にあらたに建てられたもので,ほかにも新し
いものがいくつかある。なぜ,戦後かなりたってからこのような時期に建てられたのか,
考えてみよう。(改行)4,タイの戦争博物館には,展示の最後に,「許そう,しかし忘れま
い」という標語が掲げてある。この標語と前頁の世論調査とから,アジアの人びとの戦争
の受けとめかたについて考えてみよう。」という問いかけの文が掲載されていた。
イ前記認定のとおり,これに対する検定意見は,「テーマ(8)」は,テーマ学習用のもの
であるから,その相互の関連に留意しつつ一つのまとまりのある内容とされる必要があ
るとの前提のもとに,「テーマ(8)」については下記のaないしgに記載されたような観点か
ら修正が必要であり,しかも,相互の関連に留意し全体の構成を考慮して修正を行う必
要があるというものである。
a 冒頭本文後段の記述には「戦後,日本は平和主義を基本としているが,」とあるが,
この「が」は逆接であるので,次に続く教科書問題,昭和天皇の大喪の礼の代表派遣,
掃海艇派遣問題などが平和主義に反する問題であるように読めるから,この点を再検
討してもらう必要がある。
b 「テーマ(8)」の注②の記載と掲載されている福沢諭吉の「脱亜論」の抜粋文につき,
「脱亜論」に関する評価は種々分かれており,いろいろ議論があるが,一般には福沢諭
吉の思想を代表するものとは考えられていないものであり,本件原稿の記述は一面的
になっているから,朝鮮の甲申事変を契機として書かれたという背景事情をも考慮して
再検討してもらう必要がある。
c 勝海舟の「氷川清話」の引用文については,前後を端折って,都合の良いところだけ
を抜き出した感があるので,この点を再検討してもらう必要がある。
d 「考えてみよう1」は,高校生には無理だから,本文中の資料の扱いとの関連で再検
討してもらう必要がある。
e 掃海艇派遣問題に関する注⑤について,掃海艇は,湾岸戦争終了後,我が国のタン
カーなどの船舶の航行の安全を図るために派遣されたも のであるところ,その説明が
落ちており,記述を再検討する必要がある。
f 「テーマ(8)」には本文に続いて「ASEAN諸国における対日世論調査」と題する第二次
世界大戦中の日本に対する今日の感情等を問うASEAN諸国における世論調査の結
果を示す棒グラフが掲載されているが,同棒グラフについては,出典を明示する必要が
ある。
g マレーシアの華語(中国語)新聞の見出し「(「新明日報」1984年8月17日付より)」とい
う説明文の上に「日治時期蝗軍瘋狂大屠殺三百餘具無辜白骨埋荒郊」というポイントの
大きい新聞見出し文が掲載され,そこに付された注⑦には,「日本が統治していた時
期,日本軍が大虐殺を行い,300余の白骨が荒野に埋まっている,という意味。」の解
説がされているが,この部分を記載するのであれば,他の箇所の記述との関連につい
てそれなりの配慮をする必要がある。
ウ 上記イの検定意見は,本件検定基準からすれば,「第二章 各教科共通の条件」の
「2 選択・扱い及び組織・分量」の「(1) 図書の内容の選択及び扱いには,学習指導要
領に示す目標,学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照
らして不適切なところ,その他生徒が学習する上に支障を生ずるおそれのあるところは
ないこと。」,「(3) 話題や題材の選択及び扱いは,特定の事象,事項,分野などに偏る
ことなく,全体として調和がとれていること。」,「(4) 図書の内容に,特定の事柄を特別
に強調し過ぎていたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはな
いこと。」,「(7) 全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標準
単位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す
内容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること。」及び「(11) 引
用,掲載された教材や資料については,著作権法上必要な出所や著作者名その他必
要に応じて出典,年次など学習上必要な事項が示されていること。」との項目に基づくも
のである。
(2)上記(1)イaの指摘は,本文について正確な記述を要請したものであり,また,本件
検定基準の「第二章 各教科共通の条件」の「2 選択・扱い及び組織・分量」には「(11)
 引用,掲載された教材や資料については,著作権法上必要な出所や著作者名その他
必要に応じて出典,年次など学習上必要な事項が示されていること」との条件が示され
ているところ,上記(1)イfの指摘は,上記学習指導要領の条件に従って出典の明示を要
請したものである。さらに,上記(1)イgの指摘は,上記のマレーシアの華語(中国語)新
聞の見出し「(「新明日報」1984年8月17日付より)」の掲載及びこれについての注記が
「テーマ(8)」の他の部分の記載とどのように関連しているのかが明らかでなく,生徒に考
え,討論させようとする論点が不明確であるというものであると解され,これらの指摘は
いずれも相当なものと考えられる。一審原告もこれらの指摘についてはその適法性を争
っていない。
(3) 上記(1)イbの「「テーマ(8)」の注②の記載と掲載されている福沢諭吉の「脱亜論」に
つき,「脱亜論」に関する評価は種々分かれており,いろいろ議論があるが,一般には福
沢諭吉の思想を代表するものとは考えられていないものであり,本件原稿の記述は一
面的になっているから,朝鮮の甲申事変を契機として書かれたという背景事情をも考慮
して再検討してもらう必要がある。」との指摘について
ア 前記認定の記述間の関連を見れば,上記bの指摘は,本文中の「脱亜入欧」の成句
に付された注②の記載とその関係で掲載された前記抜粋文の双方を対象とするもので
あると認められるから,注②の記述と前記抜粋分の双方について,本件検定基準に照
らして「脱亜論の扱いが一面的であり,背景事情を考慮して記述を再検討する必要があ
る。」ということができるか否かが検討の対象となる。ところで,原審B証人によれば,本
件原稿の「脱亜論」に関する記述では,福沢諭吉が一貫した対アジア植民地主義者で
あったという印象を高等学校の生徒に与えてしまうおそれがあり,福沢諭吉には,啓蒙
思想家としての重要な側面があるのであるから,「脱亜論」が書かれた背景事情といわ
れている朝鮮の甲申事変等を考慮することなく記述するのは,一面的な紹介となり,高
等学校の生徒に福沢諭吉の思想について一面的な理解を与えるおそれがあるというこ
とが検定意見の趣旨及び動機であったことが認められる。
イ そこで,まず,注②の記述と「脱亜論」引用文掲載において「脱亜論」の扱いが一面
的であるとする指摘に誤りはないかを検討する。
(ア) 甲6の1の5によれば,「脱亜論」の論旨は,まず西洋文明が流行病のように東洋
に蔓延するのは時流の勢いであって,これを防止することはできないことを指摘し,日本
には古風老大の政府があったが,近時の文明に接して国を政府よりも大事と考えてこれ
を倒し,新政府を立てて国中朝野の別なく西洋文明を取り入れ,旧套を脱してアジアの
中で新たに一機軸となる国家を造ったが,その主義は「脱亜」であると説き,ところが隣
国の中国と朝鮮は,古来アジア的な政教風俗の下で生きてきたことは日本と同じである
が,西洋文明に接しているのに心を動かさず,古風旧慣から離れることができず,教育
においては儒教主義を行い,学校では仁義禮智を旨として,外見の虚飾を重視し,真理
原則に対する知見がないばかりか,道徳さえ低下して残酷不廉恥であって,私見によれ
ば,この二国は日本の明治維新のような政治と人心を一新する大挙があれば格別であ
るが,そうでないならば,数年後にも文明諸国に分割されて国が亡びるであろうと警告
し,さらに,輔車唇歯という隣国は相助けるとの喩えはあるが,中国と朝鮮は日本の助
けにならないばかりか,西洋人の目には,日本を中国朝鮮と同一視し,日本も同様に政
府が古風専制で法治がなく,科学主義の行われない陰陽五行の国と評価し,中国人の
ように卑屈で恥を知らず,朝鮮の残酷な刑制のように無情な国民であると考えられてし
まう例は枚挙に遑がなく,このことは,狭い村などでは村人が愚かで無法で残忍無情で
あれば,まともな者がいてもその者も同様に見られてしまうのと同じであると指摘した上
で,このような影響は既に出ており,間接的に日本の外交上の障害となっていることが
少なくなく,日本国の一大不幸というべきであると主張し,したがって,外交上の策を立
てるに当たっては,日本は隣国の開明を待ってアジア全体の隆盛を図るという余裕はな
く,むしろアジアの列を脱して西洋文明諸国と行動を共にし,中国朝鮮に対しても隣国だ
からといって気兼ねすることなく,西洋諸国と同様の手法に従ってこれを処分すべきであ
る,悪友に親しめば日本も悪名を免れない,私はアジアの悪友を謝絶する,という議論
の展開を行うものであると認められる。
なお,「テーマ(8)」に掲載された前記抜粋文は,「脱亜論」の結論部分に該当し,発表紙
誌の明示がないものの,上記結論部分を抜粋して掲載したことは,紹介の方法として特
にこれを不適切とすべきことはないと考えられる。
(イ) まず,本件原稿は,「脱亜入欧」について福沢諭吉の「脱亜論」を要約した言葉であ
るとする。
a そこで,この点に関する学説状況をみるに,証拠(甲6の1の8(安川寿之輔「増補日
本近代教育の思想構造」新評論(1992年)),甲6の1の10及び11,原審F証人)によ
れば,平成9年当時名古屋大学教授であり,社会思想史を専門とする安川寿之輔は,
初期啓蒙期から福沢の思想は,当時の明治政府の思想と一致しており,マイト・イズ・ラ
イトの国際関係認識を前提とした国権論の立場に立っていたし,明治15年7月の「壬午
軍乱」と明治17年12月の「甲申事変」以降においては,福沢はアジアへの蔑視=侵略
の先頭に立つことになるが,その原因は福沢の初期啓蒙期からのその思想に内在して
いたものであり,「脱亜論」の前後で福沢の対外認識に変化が起こったということはでき
ないとし,福沢諭吉のこのような一貫した対外認識を理解すれば,「脱亜論」の主張を
「欧米を手本とした近代化を最優先し,そのためには,欧米諸国同様に,アジア諸国を
処分(植民地化)すべきだというもの。」という意味で理解することはごく自然な解釈であ
り,「脱亜入欧」の成句の意味も,「脱亜論」の主張の要約と解釈することは自然なもの
であるとの見解を有していることが認められる。
本件原稿の上記記述は,上記見解と趣旨を同じくするものと評価できる。
b しかし,これに対して,丸山真男「「文明論之概略」を読む」下(1986年)321頁及び
322頁(乙6の1の1)には,「脱亜論」に関して「これは一回載ったきりの社説であり,時
事論であることは明白なのですが,「脱亜入欧」というコトバがあたかも福沢の思想の圧
縮的表現のように現在受けとられ,流布していますので,「序」でも一言しましたが,ここ
で当面の論点に関連して再説しておきます」「もし私が当面何かいうとすれば,次の点で
す。すなわち「脱亜入欧」というー福沢自身はこういう成語を用いていませんけれどもー
コトバを,かりに福沢の原理論と,時事論に関係させて使うならば,通念とは著しく異な
りますが,脱亜の方はあくまで時事論であるのに対し,入欧の方こそ原理論だ,というこ
とになります。入欧が原理論であるという意味は,・・・「西欧的国家システム」への加入
ということになります。」という記述があり,また,三田評論第852号(昭和59年)座談会
「近代日本と福沢諭吉」16頁(乙6の1の2)においても,丸山真男は,「福沢と言うと「脱
亜論」とくる。近代日本は福沢の引いた脱亜入欧の路線を歩んだと言うんですよ。・・・
「脱亜」という言葉は時事新報のある日の社説の題目に一度つかっただけですし,「入
欧」という言葉は福沢はつかっていない。」と述べており,丸山真男「『福沢諭吉と日本の
近代化』序」みすず第379号(1992年)17頁(乙6の1の3)には,「脱亜入欧というコト
バとイメージには二つの論点が含まれている。一つは近代日本が維新以後今日まで歩
んだ現実の歴史的道程を一言に要約してこう呼ぶ風潮である。これは福沢論をはるか
にこえた近代日本論の問題となるので,この小稿で論ずるにはあまりにも巨大すぎる。
「脱亜入欧」についての,第二の論点は,この言葉が,福沢の思想とどこまで関連する
か,ということである。・・・福沢は明治十八年(1885)三月十六日の時事新報の社説を
「脱亜論」と題し,そこで「脱亜」の論旨を展開した。これが論説の標題として,また社説
の内容に,彼が「脱亜」の文字を使用した唯一のケースであって,それ以後,彼のおび
ただしい著書・論文の中で,この言葉は二度と用いられていない。ということは,少なく
も,「脱亜」という言葉が,福沢において「自由」・「人権」・「文明」・「国権」・「独立の気象」
といった言葉と並ぶような,福沢のキーワードでなかったことを物語っている。「入欧」と
いう言葉にいたっては,(したがって「脱亜入欧」という成句もまた,)福沢はかって一度も
用いたことがなかった。」との記述があることが認められる。これらの論述等によれば,
福沢諭吉は「脱亜入欧」の熟語を用いた論説ないし評論を書いたことはないというので
あるから,丸山真男の上記見解は,「脱亜入欧」の成句が福沢諭吉の著作なり論説上
の主張からある程度遊離して成立し,使用されていることを指摘するものと解される。
他の高等学校用教科書における「脱亜入欧」の用例を検討すると,例えば,A出版高等
学校公民科用「倫理」(平成5年3月検定済)128頁から129頁(甲6の1の2,乙6の1
の8)までにおいては,「西洋近代思想の受容の光と陰ー福沢諭吉と中江兆民」の項中
の,福沢諭吉に関する「天賦人権論と脱亜論」の柱書の下で,「天賦人権にもとづく人と
国家の平等を日本人にはじめて説いた福沢の「学問のすゝめ」の,「「天は人の上に人を
造らず,人の下に人を造らず」と云えり」ということばは不滅である。しかし,その福沢は
やがて,日本が欧米列強に対抗できるまでは民権よりも国権をと主張し,湧きおこった
自由民権運動に反対するようになった。また,朝鮮や中国が自力で西洋化できない以
上は,日本の安全のために日本が欧米側に立ってアジアを支配するのもやむを得ない
という,侵略的な「脱亜論」を唱えるようになった。福沢は日清戦争を「文明」と「野蛮」の
戦争とよび,その勝利を「文明」の勝利としてよろこぶ先頭に立った。もちろん,このよう
な「脱亜入欧」思想は決して福沢だけのものではない。明治政府を先頭に,かつての自
由民権派の大多数も含めた当時の多くの国民の思想でもあった。しかし,それをだれよ
りも率先して明確に思想として主張し,わかりやすく展開したのはやはり福沢である。」と
の記述を掲げ,「脱亜入欧」が福沢諭吉を含めた当時の多数の国民の「思想」を表す成
句として用いられていたことを窺わせている。また,清水書院「新日本史A」(平成5年3
月検定済)76頁(乙6の1の6)は,「岩倉使節団ー脱亜入欧への道ー」という「コラム2
3」の中で「欧州歴訪の帰路に寄港したアジア各地での見聞は,欧米体験とあいまって
使節団に欧米を「文明」とし,アジアを「野蛮」とする世界観を植えつけ,この後の明治政
府に,早急な資本主義化と,「脱亜入欧」への道を選ばせることになった。」という記述を
掲げており,福沢の「脱亜論」との関係には触れていないことが認められるのであって,
この場合,「脱亜入欧」の熟語は,明治政府の基本政策の方向ないし目標に関する表現
であるとの考え方に立っているものと認めることができる。
c 以上のような学説等の状況を見ると,「脱亜入欧」を「脱亜論」の主張の要約と解釈す
ることは自然なことであるとする見解と,「脱亜入欧」を「脱亜論」の要約と捉えることはで
きないという見解ないし「脱亜入欧」は,「脱亜論」と直接結び付く言葉ではなく,むしろ,
一般的に欧米列強と同様の外交手法をとることを求める対アジア植民地化政策論を意
味するものであるとの見解が対立しているものと認められる。
(ウ) 福沢諭吉の思想の中における「脱亜論」の位置づけに関する学説状況を見ると次
のとおりである。
a 安川寿之輔「日清戦争とアジア蔑視思想ー日本近代史像の見直しー」(甲6の1の1
0)によれば,安川寿之輔教授は,①初期啓蒙期の福沢の思想は当時の「明治政府の
思想」と一致しており,マイト・イズ・ライトの国際関係認識を前提とした国権論の立場に
立っていたことを指摘し,その例証として,明治政府の内治先行論派が強行した1874
年(明治7年)の台湾出兵に対して,福沢が同年11月の「明六雑誌」に「遂に支那をして
五〇万テールの償金を払はしむるに至たるは国のために祝す可し。・・誰か意気揚々た
らざらん者あらん。余輩も亦其揚々中の人なり。」と書き,「抑も戦争は国の栄辱の関す
る所,国権の由て盛衰を致す所」であり,今回の「勝利に由て我国民の気風を一変し,
始て内外の別を明にしてナショナリチ国体の基を固くし,此国権の余力を以て西洋諸国
との交際上に及ぼし」,将来「西洋諸国と屹立」すべしと論じたことを紹介し,また,明治
8年(1875年)の江華島攻撃を契機として朝鮮との間で不平等条約「日韓修好条規」を
締結した際,福沢が書いた「郵便報知新聞」社説「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関す
るなきの説」は,「パワー・イズ・ライト」の考えに反対したものではなく,「パワー・イズ・ラ
イト」の考えが一貫していることは,不平等条約を遠因として起こった1882年(明治15
年)の壬午の軍乱と1884年(明治17年)の甲申事変の京城事変の際に,彼が強硬な
朝鮮出兵要求キャンペーンの先頭に立ったことでも確認することができると論じている。
同教授は,②続く「福沢諭吉(近代日本)はなぜアジア侵略の道を辿ったのか」と題する
章で,福沢諭吉がアジアへの蔑視=侵略の先頭に立つことになるのは,1882年7月の
「壬午軍乱」と1884年12月の「甲申事変」以来のことであり,その原因はその思想に内
在するなどと論じ,さらに③続く「朝鮮・中国への侮蔑・偏見・マイナス評価」の章では,
福沢の思想を幕末時代から再検討し,「学問のすすめ」第十二編として起草された遺稿
中において,国家平等の萬国公法はヨーロッパ諸国の間では存在し得てもアジアでは
無惨に蹂躙されていると福沢はリアルに認識しており,だからこそ,この現実に対処する
ために「弱小をして強大に当たらしむるの下た稽古」「外国の強敵に抗せしむるの調練」
として「一身独立」を強調したと述べていると指摘し,それ以後も福沢は,欧米帝国主義
列強の武力侵攻を伴う強圧外交に対して「蟷螂の斧」を振るうアジア諸国民を一貫して
「野蛮」「未開」「暴民」「土人」の行為として罵り続けたと指摘し,その意味では福沢諭吉
は初期啓蒙期から「脱亜」の姿勢をとっていたのであり,後年彼が「脱亜論」を書いたの
はごく自然な流れであったと言えるなどと論じている。
上記「日清戦争とアジア蔑視思想ー日本近代史像の見直しー」の記載に証拠(甲6の1
の8,甲6の1の11,原審F証人)を総合すれば,安川教授の上記見解は,福沢の多数
の論説自体を内在的に研究すれば,福沢の思想は初期啓蒙期と呼ばれる時期から既
にマイト・イズ・ライトの国際関係認識を前提とした国権論の立場に立っていたことが明
らかである旨を指摘した上,明治15年7月の「壬午軍乱」と明治17年12月の「甲申事
変」以降において福沢がアジアへの蔑視=侵略の先頭に立つことになった原因は,福
沢の初期啓蒙期からの思想に内在していたとし,このような福沢諭吉の対外認識を理
解すれば,「脱亜論」の主張を「欧米を手本とした近代化を最優先し,そのためには,欧
米諸国同様に,アジア諸国を処分(植民地化)すべきだというもの。」という意味で理解
することはごく自然な解釈である,とする見解に立っていることが認められ,本件原稿記
述の注②の上記記述は,概ねこの安川教授の学説に沿うものであると認められる。
b① 他方,前掲「『福沢諭吉と日本の近代化』序」みすず第379号17頁以下(乙6の1
の3)において,丸山真男は,「脱亜論」執筆の背景について,「「脱亜」の文字を用いて
書いた「時事新報」の短い社説は,その直前の一八八四年十二月に,李氏朝鮮で勃発
した「甲申事変」とそのクーデターの短命な崩壊の衝撃の下に執筆された。このクーデタ
ーで主役を演じた金玉均・朴泳孝ら李氏朝鮮内部の「開化派」(または「独立派」)の立場
は,清国の場合と比較するならば,いわゆる「洋務派」よりは「変法派」に近かった。」「福
沢は,これら金玉均ら朝鮮開化派の動向に思想的にだけでなく,ある程度実践的にも早
くからコミットしていた。それだけに,甲申の政変が文字通りの三日天下に終わったとき
の,福沢の失望は甚大であり,またこの事件の背後にあった日本及び清国政府と李氏
政権とが,それぞれの立場から,政変の失敗を日和見主義的に傍観し,もしくは徹底的
に利用した態度は福沢を焦立たせるに充分であった。「脱亜論」の社説はこうした福沢
の挫折感と憤激の爆発として読まれねばならない。」,「しかし,そのことと,福沢がこれ
以後,中国や朝鮮に対する近代化・文明化への関心を失ったかどうか,ということはまっ
たく別個の問題である。(中略)たとい便宜上,シナとか朝鮮とかいう同じ表現が用いら
れていても,福沢の思想においては,終始,政府(政権)と国とをハッキリ区別する立場
がとられ,また,政府の存亡と人民あるいは国民の存亡とをきびしく別個の問題として取
り扱う考え方が貫かれていた」「そのことを念頭に置いて,福沢の対外政策についての
論稿を綿密に辿ると,彼が滅亡とか衰退とかいう悲観的言葉を語るのは多くの場合,そ
の実質的な対象が中国や朝鮮の人民や国民にたいしてよりは「満清政府」あるいは李
氏朝鮮政権に向けられていたことが容易に判別される。福沢はこれら旧体制の政権が
帝国主義列強の集中的な侵食に自力で抵抗する可能性を果たしてもっているか,そうし
た抵抗のために不可避な近代国家への自己変革ー自由と独立への途ーを自力できり
ひらくことができるか,という展望について,悲観的になって行ったことは否定できない。
そうした悲観や失望はあくまで旧体制の政府にたいして発せられていた。だから,日清
戦争について最強硬の「タカ派」であった福沢は,戦勝後の日本の中に,中国と中国人
とを侮辱し軽視する態度が一部に生まれていることに対し,憂慮し,警告することを忘れ
なかったのである。」「「儒教主義」にたいする福沢の根深い敵意と反対も,上に述べた
ような区別の立場を考慮せずには理解できない。すなわち,彼の攻撃目標は,儒教の
個々の徳目に向けられたというよりは,体制イデオロギーとしての「儒教主義」の病理に
向けられたのである。」「したがって,「脱亜」という表現を脱「満清政府」及び脱「儒教主
義」といいかえれば,福沢の思想の意味論として,いくらかヨリ適切なものとなるであろ
う。」という見解を述べていることが認められる。
したがって,この丸山真男の見解は,「脱亜論」は,福沢諭吉が思想的に又は実践的に
も関与していた朝鮮の「開化派」が甲申事変において三日天下に終わったことの失望の
下で執筆されたもので,「挫折感と憤激の爆発」として読まれるべきものであり,「脱亜
論」のみならず,福沢諭吉の対外認識論は,無条件で侵略的なものと理解することはで
きないというものであると考えられる。
②また,慶應義塾大学教授等を歴任した池井優は,「増補日本外交史概説」慶應通信
(昭和57年)61頁以下(乙6の1の4)の「2 脱亜と即亜」において,「幕末から維新に
かけての欧米列強のすさまじいばかりのアジアへの進出をみるにつけ,日本人の目に
は欧米列強に対し相反する二つのイメージができ上ったように思われる。その一つは,
文明先進国として日本が富国強兵を目ざすために積極的にその工業力,制度,習慣に
いたるまで手本として取り入れるべきモデル国,もう一つは,圧倒的な力にものを言わ
せて支配者として振舞い,白人以外の民族を劣等民族とみなして,あたかも飢えた狼の
ごとく侵略をほしいままにしてゆく恐るべき国といったイメージである。はじめ西洋の文明
に触れた知識人たちは,欧米社会に存在する平等観念といったものが国際社会にも通
用するものと考えた。たとえば坂本龍馬,福沢諭吉等は万国公法(国際法)によって欧
米列強とも対等のつき合いができる,あるいはまた国際場裡において対等の一国として
の待遇を受けることを期待した。しかしながら,彼らによって課された条約が著しい不平
等の側面を持っており,日本の改正要求に簡単に応じようとはしないその姿を見るにつ
け,国際情勢は力関係によって決まることを知らされたのである。(改行)以上のような
現実に直面する時,そこに考えられたのは,日本自らも積極的にその文明を取り入れ,
自ら欧米列強の列に伍する,あるいは,同じく被圧迫国であるアジアの諸国,特に清
国,韓国と提携して欧米にあたる,という相反する方向であった。」「しかしながら,明治
維新以降日本が積極的な西洋の文物の導入に成功し,近代化を進めてゆくのに反し,
清韓両国は依然としてそれらを拒否し,伝統にしがみついているありさまに,日本は次
第にそれらの国々と相提携することに不安を感じ始めた。そして,清韓両国の近代化を
待つ,あるいは,旧態依然たる現状のままに提携するのではなく,むしろ,日本が清韓
両国の国内改革を促進し,近代化の方向に進むべきだとの考え方が出るにいたった。
その代表的な主張者は福沢諭吉である。たとえば,福沢は一八八一年に書いた「時事
小言」において日本の積極的な西洋の文物導入と文明の進歩を評価し,日本は東洋諸
国の内で文明の中心にならなければいけない。したがって,清国に対し,その近代化を
促進すべきで,それはあたかも自分の家を石造りにしたからといって隣りの家が木造で
あって安全であるはずはない,隣りの家も,これと交渉を行ない,自分の家同様に石造
りにさせて後,初めて火災に対して安心である,といったたとえ話を用いて論じている。」
「しかし,こういった日清提携の考え方とは裏はらに,現実の日清関係は一八七四年の
台湾征討,一八八四年の朝鮮における甲申事変などをめぐって緊張した事態が発生し
た。特に日清関係を緊張させる主たる源泉は朝鮮半島であって,日清提携論者たちは
しばしば朝鮮をめぐって日清両国の勢力が衝突することは日本にとって得策ではなく,
またヨーロッパ勢力の介入に口実を与えるとして警戒する論調を展開した。しかし,朝鮮
に発生した壬午の変は日本の為政者に大きな刺激を与え,同事件の発生直後の一八
八二年八月一五日,山県有朋は清国を仮想敵国とする軍備拡張案を上申し,また海軍
についても岩倉右大臣によって同年九月清国を仮想敵国とする拡張案が主張された。
こうした献策に基づいて明治政府は,対清作戦を基準とする軍備拡張を計るにいたっ
た。このようにしてすでに政府レベルにおいては清国は仮想敵国となったが,民間にお
いても清国との関係は日本の国益において対処しようとする考え方が出るにいたった。
清韓両国が新しい世界情勢に対する直視を怠っている際,アジアの唯一の力である日
本が独自の行動を採ることが正統であるとの論拠から次のような論旨が生れてくる。そ
の代表的なものが次に紹介する福沢の「脱亜論」である。」とし,福沢の「脱亜論」の論
旨を要約した上,「ただ福沢の「脱亜論」を読むにあたって注意すべきことは,日本が欧
米列強とともにアジア諸国に対して侵略を行うことを肯定しているのではないことであ
る。すなわち,欧米を手本とし,それに習うこと自体に価値があるという文明の尺度から
のみこの論は成りたっている点に注目すべきである。」との議論を展開していることが認
められる。
この池井優の見解は,「脱亜論」の背景事情についてさらに広く目を向けるものというこ
とができる。すなわち,国際情勢が力関係によって決定される現実に直面した日本が,
欧米列強に伍するか,又はアジアの清国,韓国と提携して欧米に当たるかという相反す
る方向を模索する中で,次第に福沢を始めとして,日本が清韓両国の国内改革を促進
して近代化に進ましめようという考え方が成立したが,現実の日清関係は,台湾征討,
朝鮮問題などを経て次第に緊張した事態に発展し,明治政府においては清国を仮想敵
国とする軍備拡張政策を取るようになり,民間においても,日清関係を日本の国益にお
いて対処しようとする動きが出てきて,これらの背景事情の下に,アジアの唯一の力で
ある日本が独自の行動を採ることが正統であるとの論拠から出てきたのが,福沢の「脱
亜論」であるという見解である。その上で,同見解は,福沢の「脱亜論」は,日本が欧米
列強とともにアジア諸国に対して侵略を行うことを肯定しているのではないことに留意す
べきであるとしているものである。
なお,A出版高等学校地理歴史科用教科書「世界史A」(平成5年2月検定済)(甲6の1
の3)186頁以下においても,「アジアのなかの日本」という柱書の下で,「日本は,明治
以来,欧米列強に追いつき追いこせを目標に近代化をはかってきた。そして,それはみ
ずからその一部であるアジアを蔑視する風潮と結びつき,アジアへの侵略を正当化する
ことになった。明治維新から一世紀をへた今日でも,この「脱亜入欧」の姿勢はかわらな
いのではないだろうか。」との記述を掲げた上,その「脱亜入欧」に注を付して「福沢諭吉
の「脱亜論」からとられた言葉で,欧米をモデルに日本の近代化をすすめようとする思想
を意味する。」との説明が加えられていることが認められるから,ここでは,「脱亜入欧」
の熟語表現が「脱亜論」を端緒として成立したことを指摘するとともに,これを近代化を
志向する「姿勢」ないし「思想」として捉えているものと考えられる。
③ さらに,坂野潤治教授は,「福沢諭吉選集」第7巻(1981年)の末尾解説(乙6の1
の9)において,「普通,福沢の国際政治論の変遷,もしくは福沢における民権と国権の
比重の変化の軌跡は,明治八年の「文明論之概略」→明治十一年の「通俗国権論」→
明治十四年の「時事小言」→明治十五年末の「東洋の政略果たして如何せん」→明治
十八年の「脱亜論」の順序で説明される。矢印にしたがって彼の国際政治論における″
力は正義なり″の比重が増え,また国権の民権に対する比重が高まってくるとされる」と
紹介し,福沢の思想の変遷について論じている。上記の論文は,福沢諭吉の対外政策
論は,いずれも日本が当時置かれた国際状況又は当面していた外交内政問題など福
沢の抱いた「状況構造」の変化に即応するものであり,「アジア改造論」ないし「朝鮮国内
の改革派の援助」を志向する福沢の東アジア対外政策論から見れば,「脱亜論」の強攻
策の論調は当然の変化としてその必然性を指摘することができるというのであるから,
この見解では,「脱亜論」の背景は,直接的には壬午・甲申の事変ということができるも
のの,さらに福沢自身の対アジア政策論から見れば「アジア改造論」等の東アジア対外
政策論の挫折という「状況構造の変化」に関係する事情があるという考えに立つもので
ある。その上で,同論は,「脱亜論」は朝鮮国内における改革派の援助という福沢の一
貫した東アジア政策論に関する敗北宣言にすぎず,「脱亜論」をもって彼のアジア蔑視
観の開始であるとか,彼のアジア侵略論の開始であるとかいう評価は見当違いであると
するものである。
c 以上のような学説等の状況を見ると,「テーマ(8)」の注②の記述のように,「脱亜入
欧」を「脱亜論」の主張を要約した成句とした上で「欧米を手本とした近代化を最優先し,
そのためには,欧米諸国同様に,アジア諸国を処分(植民地化)すべきだというもの。」と
いう理解に関しては,福沢の対外認識論の理解からは自然な解釈であるとする見解(安
川教授)と,「脱亜論」は日本によるアジア諸国に対する侵略の肯定論ではないと明言
する学説(池井教授),「脱亜」という表現は脱「満清政府」及び脱「儒教主義」と言い換え
られるべきもので,「脱亜論」のみならず福沢諭吉の対外認識論は無条件で侵略的なも
のと解することはできないとする見解(丸山教授),及び,「脱亜論」は福沢の朝鮮国内
における改革派の援助という東アジア政策論の「敗北宣言」ともいうべきものであり,「脱
亜論」をもって彼のアジア蔑視観の開始であるとか彼のアジア侵略論の開始であるとか
いう評価は見当違いであるとする見解(坂野教授)などが対立する状況にあるものと把
握するのが相当である。
(エ) 福沢諭吉は,西欧近代思想を日本に紹介し,「学問のすすめ」において,「天は人
の上に人を造らず,人の下に人を造らず云えり」に始まる文章で,天賦人権に基づく人と
国家の平等を説き,「文明論之概略」において文明進歩の理法を説くなどした啓蒙思想
家として著名であるところ,この福沢諭吉がその後「脱亜論」という短い文章を時事新報
に登載するに至った経緯については,当然ながら当時の歴史的背景があり,これを抜き
にしてその正確な解釈評価を行うのは困難であると考えられる。そして,上記のとおり,
「脱亜入欧」が福沢諭吉の「脱亜論」を要約した言葉であるということについては学説上
必ずしも定説であるとは言いがたい状況にある上,「脱亜論」の解釈評価,「脱亜論」が
福沢の全思想の中でどのような位置を占めるかについても上記のとおり見解が分かれ
ており,この点に関して定説・通説なるものは存在していないというほかない。
そうすると,上記注②の記述は「脱亜論」に関する一方の学説見解に立つものであり,
背景事情の説明も,福沢諭吉の思想の展開,変遷等についての何の説明もない状態
で,高等学校の生徒が上記注②の記述を読めば,それが福沢諭吉の思想全体の要約
であるかのように読み取るおそれがあると考えられるから,文部大臣が,上記のような
学説状況等を前提にして,「脱亜論」の扱いが一面的であるから,これが書かれた背景
事情をも考慮して再検討する必要があるとした指摘は相当なものと評価することができ
る。
(4) 上記(1)イcの「勝海舟の「氷川清話」の引用文については,前後を端折って,都合の
良いところだけを抜き出した感があるので,再検討をしていただきたい。」という指摘につ
いて
ア 「氷川清話」引用文の内容は,「朝鮮は昔お師匠様 勝海舟 (1894年)」という表題
の下に,「朝鮮といえば,半亡国だとか,貧弱国だとか軽蔑するけれども,おれは朝鮮も
既に蘇生の時期が来て居ると思うのだ。・・・朝鮮を馬鹿にするのも,ただ近来の事だヨ。
昔は,日本文明の種子は,みな朝鮮から輸入したのだからノー。特に土木事業などは,
尽く朝鮮人から教わったのだ。いつか山梨県のあるところから,「石橋の記」を作ってく
れ,と頼まれたことがあったが,その由来記の中に「白衣の神人来りて云々」という句が
あった。白衣で,そして髯があるなら,疑いもなく朝鮮人だろうヨ。この橋が出来たのが,
既に数百年前だというから,数百年も前には,朝鮮人も日本人のお師匠様だったの
サ。」というものである。
証拠(甲6の1の7,原審D証人)によれば,今日刊行されている「氷川清話」は勝海舟の
長年に亘る談話を吉本襄が編纂した「海舟先生氷川清話」に基づいてさらに編纂された
ものであり,上記の引用文は,明治27年4月の日清戦争が始まる直前の談話であった
ことが認められる。
イ(ア) 証拠(原審B証人及び同D証人)によれば,上記引用文に対する指摘は,「氷川
清話」中には豊臣秀吉の朝鮮出兵を容認するような記事があり,このような記事を抜き
にして「朝鮮は昔お師匠様」の部分のみを引用することは適切とは言えないというもので
あったと認められる。
そして,証拠(乙6の1の5)によれば,「日本の名著」中央公論社(昭和53年)中の「氷
川清話」の中には,①「殖民論」の表題の下で,「近頃は,殖民論が大繁昌の様子だが,
古人は黙っていてもその実を行い,今人はやかましくいっても口ばかりだから困るヨ。朝
鮮征伐の時に,小西行長が,日本一の猛将加藤清正と競争して,少しも後れをとらなか
ったのは,全体行長は,堺浦の木薬屋で,手代がたくさん朝鮮におって,至る処,形勢
は明らかに聞くことができ,またその手代どもが,土人を導いて行長に従わせたからだ。
行長も感心な男サ。」という談話記事があること,②「世界の大勢と国家教育」の表題の
下で,「世界の大勢につれて,東洋の風雲がいよいよ急になってきたから,われわれ日
本人たるものは,深く注意してこれに処する方法を講じなくってはならない。それには少
なくとも,これまでのような偏狭な考えを捨てて,亜細亜の舞台に立って世界を相手に,
国光を輝かし,国益をはかるだけの覚悟が必要だ。」という記述があることが認められ
る。上記①の文章は,豊臣秀吉の朝鮮出兵を容認していると受け取られてもやむを得な
い記載になっており,また,上記文章の中では,現地の朝鮮人を土人と表現し,朝鮮人
に対する蔑視の思想が窺われるし,また,上記②の文章は,ナショナリズムの立場か
ら,あくまでも国益を重視し,世界の大勢に対処していく心構えの重要性を指摘するもの
であり,これらの談話には「朝鮮は昔お師匠様」に現れた考え方とは趣を異にする勝海
舟の思想が現れているといわざるを得ない。
(イ)そもそも,「氷川清話」は,前記のとおり,勝海舟の長年に亘る談話を吉本襄が編
纂した「海舟先生氷川清話」に基づいてさらに編纂されたものであり,勝海舟の時々の
談話を集めたものにすぎず,それぞれの談話がどのような背景事情の中で語られたも
のかは明らかでないのであって,このような断片的に語られた談話の一つを取り上げ
て,それが勝海舟の思想を表しているとすること自体に無理があるといわなければなら
ない。現に,上記(ア)のとおり,「氷川清話」の「朝鮮は昔お師匠様」の部分の前後にはこ
れと統一のとれない文章が羅列してあるのである。
もっとも,この点に関しては,松浦玲教授は,松浦玲「明治の海舟とアジア」岩波書店(1
987年)(甲6の1の14)において,明治時代における勝海舟は,もともと蘭学者であっ
たにもかかわらず同時代の日本人と異なり,ヨーロッパ文明とヨーロッパ国家を是認せ
ず,日本がそれに追従することに批判的であって,福沢諭吉の「脱亜論」との対比でい
えば,海舟の考えはアジアに踏みとどまるというものであったという研究成果を発表して
いることが認められる。しかしながら,明治期における勝海舟のアジア観等については,
上記文献以外にまとまった研究,論文は存しないことがうかがわれるのであって,高校
生の現代社会の授業において,上記学説をもって定説であるとして紹介することは相当
とは考えられない。
ウ 「テーマ(8)」における勝海舟の「氷川清話」の引用文は,これを福沢諭吉の「脱亜論」
に対置する形で掲載し,両者を比較させようとする趣旨に基づくものと認められるが,上
記イで検討したとおり,上記引用文は,勝海舟の談話の一部を記載したにとどまるもの
であり,それが同人のアジア観を示すものとはいえないから,かかる引用は適切でない
といわざるを得ない。この点に関する文部大臣の上記指摘は相当なものというべきであ
る。
(5) 上記(1)イdの「「考えてみよう1」は,高校生の課題としては無理があるから,掲載し
た資料の扱いとの関連で再検討していただきたい。」という指摘について
ア 本件原稿記述の趣旨
前記認定のとおり,福沢諭吉の「脱亜論」は「テーマ(8)」の本文記述中の「脱亜入欧」の
説明から出発し「脱亜論」原文の前記抜粋文掲載に至っているのであるが,本件原稿に
おいては,「脱亜論」原文の前記抜粋文に対比させる形で勝海舟の「氷川清話」からの
抜粋文を掲載しており,これを前提として上記のような設問が配置されている。したがっ
て,一審原告の「テーマ(8)」の記述のうちこの点に関する部分の趣旨は,福沢諭吉が植
民地政策論に立つ「侵略的」なアジア観を有し,一方,勝海舟は,福沢諭吉の考えとは
対照的に,アジアの植民地化に反対の立場を取り,アジアに踏みとどまるという見解を
有していたとの前提に立って,福沢諭吉の対極にある思想家として勝海舟を位置づけ,
生徒に両者のアジア観を対比させ,上記のように両者のアジア観に違いが生じた原因
が何かを問うものであるということができる。
イ しかしながら,「脱亜論」の解釈評価,「脱亜論」が福沢諭吉の全思想の中でどのよう
な位置を占めるかについては上記のとおり見解が分かれており,この点に関して定説・
通説なるものは存在していないこと,上記注②の記述は「脱亜論」に関する一方の学説
見解に立つものであり,これをもって福沢諭吉のアジア観であると決めつけるのは一面
的にすぎるというべきことは前記説示のとおりである。また,本件原稿に記載された「氷
川清話」の引用部分は,勝海舟の断片的な談話を集め編集された著作に登載された一
つの談話にすぎず,この談話だけから勝海舟のアジア観を見て取ることは困難であり,
勝海舟が福沢諭吉とは対極にあるアジア観を有していたとする研究論文も存するが,こ
れが定説とまでいえないことも前記説示のとおりである。
このように一面的な理解にとどまっている福沢諭吉のアジア観と勝海舟のアジアに対す
るいかなる思想を表しているか明らかでない同人の談話とを比較して,その違いを考
え,討論させるというのは,比較の対象が明確でないといわざるを得ない。また,福沢諭
吉と勝海舟がアジアに対する考え方について意見交換をしたなどの事実があることを認
めるに足りる証拠はなく,「脱亜論」と「氷川清話」の中の「朝鮮は昔お師匠様」という談
話とは,それぞれ別々の機会に相互の関係を意識せずに著され,語られたものであり,
その背景事情も当然に異なるものと考えられる。このような成立経過も背景事情も異な
る文章を抜粋して,その背景説明も,この点に関する学説状況の説明も何もなく,両者
を比較して,その違いやその違いが生じた原因を考え,討論させるというのは,高等学
校の生徒に対し無理を強いるものといわなければならない。
ウ したがって,「「考えてみよう1」は,高校生の課題としては無理があるから,掲載した
資料の扱いとの関連で再検討していただきたい。」という指摘は相当というべきである。
(6) 前記(1)イeの掃海艇派遣問題に関する注⑤について,「掃海艇は,湾岸戦争終了
後,我が国のタンカーなどの船舶の航行の安全を図るために派遣されたものであるとこ
ろ,その説明が落ちており,記述を再検討する必要がある。」という指摘について
ア 「テーマ(8)」の注⑤は,本文の「1991年の掃海艇派遣問題⑤などで,内外に議論
がおこっている。」の「掃海艇派遣問題」に付されたもので,その記述は,「湾岸戦争中に
設置されたペルシア湾内の機雷を除去するために,海上自衛隊の掃海艇が急きょ派遣
された。東南アジア諸国からは,派遣を決定する以前に意見を聞いてほしかったとする
声があいついで出された。」というものである。
原審B証人によれば,上記指摘の趣旨は,上記本文の記述は,日本は平和主義を基本
としているが,にもかかわらず「掃海艇派遣問題」などで議論が生じているという文意で
理解されるとの前提の下に,掃海艇派遣の目的及び時期を踏まえて記載してもらうこと
により,平和主義に反する問題であるかのような文意を是正し,バランスを取ろうとする
ものであったと認められる。
イ そこで検討するに,前記の「戦後,日本は平和主義を基本としているが,(中略)199
1年の掃海艇派遣問題⑤などで,内外に議論がおこっている。」という本文記述と注⑤を
素直に読めば,一般的には,我が国は平和主義を基本としているにもかかわらず,19
91年に行われた掃海艇派遣問題等は,平和主義に反するものであり,そのためにアジ
ア諸国から批判されるに至ったという文意で読まれるおそれがあると認められる。
しかしながら,証拠(甲6の2の6,31,乙6の2の1と原審B証人)によれば,政府は,平
成3年4月24日の安全保障会議と閣議で,「自衛隊法(昭和29年法律第165号)第99
条の規定に基づき,我が国船舶の航行の安全を確保するために,ペルシャ湾における
機雷の除去及びその処理を行わせるため,海上自衛隊の掃海艇等をこの海域に派遣
する。」旨の決定を行い,同日政府声明を発表し,「1 昨年8月2日のイラクのクウェイト
に対する不法な侵入及びその併合に始まった湾岸危機については,イラクが正式停戦
のため国際連合安全保障理事会決議687を受諾したことに伴い,正式停戦が成立し
た。ペルシャ湾には,この湾岸危機の間に,イラクにより多数の機雷が敷設され,これら
がこの海域における我が国のタンカーを含む船舶の航行の重大な障害となっている。こ
のため,米国,英国,フランス,ドイツ,ベルギー,サウディ・アラビア,イタリア及びオラ
ンダは,掃海艇等を派遣し,機雷の早期除去に努力しているところであるが,なお広域
に多数の機雷が残存しており,これらの処理を終えるには,相当の日月を要する状況に
ある。2 (中略)この海域における船舶の航行の確保に努めることは,今般の湾岸危機
により災害を被った国の復興等に寄与するものであり,同時に,国民生活,ひいては国
の存立のために必要不可欠な原油の相当部分をペルシャ湾岸地域からの輸入に依存
する我が国にとって,喫緊の課題である。(中略)4 今回の措置は,正式停戦が成立
し,湾岸に平和が回復した状況の下で,わが国船舶の航行の安全を確保するため,海
上に遺棄されたと認められる機雷を除去するものであり,武力行使の目的をもつもので
はなく,これは,憲法の禁止する海外派兵に当たるものではない。(後略)」という見解を
公表したこと,上記政府決定により,海上自衛隊の掃海艇等が同年4月26日に日本を
出発した後,同年8月26日ごろ上記の機雷除去作業を終了した上,帰国の途についた
ことを認めることができる。
上記認定のとおり,政府が平成3年4月に行った海上自衛隊の掃海艇の派遣は,正式
停戦が成立し,湾岸に平和が回復した状況の下で,わが国船舶の航行の安全を確保す
るために行われたものであり,政府も,今回の措置は,武力行使の目的をもつものでは
なく,これは,憲法の禁止する海外派兵に当たるものではないとの見解を表明している
ところである。したがって,教科書の記述としては,掃海艇派遣の時期,目的について説
明を加え,この点についての理解を促した上で,掃海艇の派遣に関し内外で生じた議論
について生徒に考え,討論させるのが中立・公正な記述であるというべきであり,本件原
稿が上記の説明を欠落させたのは適切を欠くものというべきである。
そうすると,文部大臣の上記指摘は相当というべきである。
(7) 「テーマ(8)」の全体に対する検定意見について
前記認定のとおり,「テーマ(8)」に対する検定意見は,「テーマ(8)」は,テーマ学習用のも
のであるから,その取り上げる題材の相互の関連に留意しつつ一つのまとまりのある内
容とされる必要があるとの前提のもとに,「テーマ(8)」の記述については前記(1)イのaな
いしgに記載された観点から修正が必要であり,しかも,相互の関連に留意し全体の構
成を考慮して修正を行う必要があるというものである。
ところで,「テーマ(8)」は,テーマ学習用のものであるから,その取り上げる題材の相互
の関連に留意しつつ一つのまとまりのある内容とされる必要があると考えられるところ,
「テーマ(8)」が取り上げる題材には前記(1)イのaないしgに記載された観点からの再検
討,修正が必要であるとの指摘が相当であることは,前記(2)ないし(6)において説示した
とおりである。このように「テーマ(8)」が取り上げた題材の大部分に再検討,修正を必要
とする部分がある以上,「テーマ(8)」については,その題材の選択,構成を含め全体の
見直しが必要になるものと考えられる。
したがって,「テーマ(8)」の全体に対する検定意見に文部大臣の裁量の逸脱・濫用があ
るということはできない。
第8文部大臣の検定意見告知に際しての行政指導の違法の有無等について
1 B調査官が,掃海艇派遣問題に関する注⑤について,上記第5の3(1)⑤のとおりの
発言をしたのに続けて,「東南アジアの国々については,意見を聞かなければならない
のですかねぇ。少し,低姿勢ではないですか。」という趣旨の発言をしたこと,上記発言
は,検定意見の告知には当たらず,B調査官が掃海艇派遣問題に関する注⑤について
個人的な感想を述べたにとどまるものであることは,前記説示のとおりである。
2 一審原告は,上記発言が検定意見そのものではないとしても,一審原告に対しては
検定意見と同様の強制力を有していたものであり,不当に削除を要求するものとして違
法な公権力の行使に当たる旨主張する。
しかしながら,検定規則によれば,検定意見の告知は口頭で行うものとされているとこ
ろ,原審B証人及び弁論の全趣旨によれば,実務上,検定意見の告知に際しては,検
定意見の趣旨を明確にするために補足説明をするほか,申請者側との間で意見交換,
質疑応答を行い,その過程で教科書調査官が個人的感想を述べることもあり得ることが
認められる。しかして,上記発言の内容,それが,掃海艇派遣問題に関する注⑤につい
て「掃海艇は,湾岸戦争終了後,我が国のタンカーなどの船舶の航行の安全を図るた
めに派遣されたものですから,それが落ちている。」という趣旨の検定意見の告知に続
いてされたものであり,B調査官が,その際に検定基準の各条件を示して欠陥を指摘
し,その修正,削除を求めるということはなかったことは前記認定のとおりである。
検定意見の告知の際に,このような個人的感想を開陳することは望ましいことではない
というべきであるが,そうであるからといって,B調査官の上記発言が一審原告を含む申
請者側に検定意見と同様の強制力を有していたとみることはできないし,これが違法な
公権力の行使に当たるとまではいうことができない。
第9 結論
以上の次第で,本件検定処分に違法な点はなく,その違法であることを前提とする一審
原告の本件請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がなく,これを棄却す
べきである。
よって,一審原告の本件請求を一部認容した原判決は相当でないから,一審被告の本
件控訴に基づき,原判決中,一審被告敗訴部分を取り消し,同部分につき一審原告の
請求を棄却することとし,また,一審原告の本件控訴は理由がないから,これを棄却す
ることとし,主文のとおり判決する。
     東京高等裁判所第3民事部
        裁判長裁判官   北   山   元   章
            裁判官 青   栁        馨
     裁判官竹内民生は,転補につき,署名・押印することができない。
        裁判長裁判官 北   山   元   章

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