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平成9年(行ケ)第320号 審決取消請求事件
平成12年6月20日口頭弁論終結
         判      決
    原告   同和鑛業株式会社
    代表者代表取締役   【A】
    訴訟代理人弁護士   近藤惠嗣
    同    弁理士   【B】
    被      告   バイエル・アクチエンゲゼルシャフト
    代表者   【C】
    同          【D】
    訴訟代理人弁理士   【E】
    同          【F】
 同          【G】
      主      文
    1 特許庁が平成8年審判第2011号事件について平成9年9月29日
にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30
日と定める。
     事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 原告
   主文1、2項と同旨
 2 被告
   原告の請求を棄却する。
   訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
  被告は、発明の名称を「磁気信号記録用の金属粉末」とする特許第1733
787号発明(1979年3月10日に西ドイツ国においてした特許出願に基づく
優先権を主張して昭和55年3月7日に特許出願、平成5年2月17日に設定登
録、以下「本件発明」という。)の特許権者である。
  原告は、平成8年2月15日、本件発明に係る特許の無効の審判を請求し、
特許庁は、同請求を平成8年審判第2011号事件として審理した結果、平成9年
9月29日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本を同
年11月5日、原告に送達した。
2 本件発明の特許請求の範囲1の項
  金属鉄から本質的になり且つ平均2個以下の金属コアよりなる針状の個々の
粒子からなるものであって、該粒子は孔を平均1個より多くは含有せず、そしてカ
ルシウム、亜鉛、マグネシウム、アルミニウム、クロム、タングステン、リン(P
2O5として表して)およびホウ素(B2O3として表わして)から選ばれる少なく
とも1種の元素を0.1~7重量%含有することを特徴とする磁気信号記録用の金属
粉末。
3 審決の理由
  別紙審決書の理由の写しのとおり、①本件発明に係る明細書(以下「本件明
細書」という。)の発明の詳細な説明の欄には、本件発明に係る「粒子の形状構造
的な要件」について当業者が容易にその実施をすることができる程度にその構成が
記載されていないから、本件明細書は、特許法36条(昭和62年法律第27号に
よる改正前のもの。以下同じ。)3項に違反する(無効理由イ)、②特許請求の範
囲に記載された「粒子の形状構造的な要件」が不明瞭であるから、本件明細書は、
発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したものではなく、本件明細書は
同条4項に違反する(無効理由ロ)との無効理由が、いずれも成り立たないとし
た。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
  審決の理由Ⅰは認める。同Ⅱは、4頁7行~9行を除き、その余を認める。
同Ⅲ1は、9頁5行~11頁9行、12頁8行~12行(「主張するが、」まで)
を認め、その余は争う。同Ⅲ2は、13頁3行~14頁6行(「記載されてお
り、」まで)、同頁10行~11行(「ないが、」まで)、同頁19行(「孔の」
から)~15頁3行、17頁10行~11行(「いないが、」まで)を認め、その
余は争う。同Ⅳは争う。
  審決は、無効理由イ、ロについての認定判断を誤ったものであって、その誤
りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、違法として取り消される
べきである。
1 以下のとおり、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて
「粒子の形状構造的な要件」、すなわち「金属コア」「粒子」及び「孔」の意義を
確定することができず、ひいては、本件発明を実施することができないから、本件
明細書は、特許法36条3項に違反する。また、そうである以上、本件発明の特許
請求の範囲の「金属コア」「粒子」及び「孔」の意義は不明瞭であって、本件明細
書は、発明の構成に欠くことができない事項が記載されていないということになる
から、同条4項にも違反する。
(1) 「金属コア」及び「粒子」について
イ 審決は、「写真に写っている棒状の物が金属コアであると一応考えられ
る。」と認定した。
 本件明細書において、本件発明の「金属コア」は、「実質的に同一の結
晶学的配向を有する」と説明されている。この説明の下では、当業者は、「金属コ
ア」を単結晶であると理解することになる。
 ところが、本件発明に係る特許(以下「本件特許」という。)について
の願書において、本件発明の金属粉末を示すものとされる添付図面FIG.1(以
下「本件FIG.1」といい、同じく従来技術の金属粉末を示すものとされる同F
IG.2を「本件FIG.2」という。)では、どの部分が1個の単結晶として数
えられるのか不明確である。本件FIG.1では、「棒状の物」が平均2個より多
く連結して各粒子(正確には、粒子らしき物)を形成しており、「棒状の物」が単
に重なって写っているのではないことが分かる。その理由は次のとおりである。
(イ) 写真上には切り離された棒状の物が1つもない。
(ロ) 棒状の物が連なっているコーナー部には丸みが見える。すなわち、
棒状の物が単に重なっているのであれば、その辺と辺の交差しているところはシャ
ープな角度を示すはずであるが、丸みがあるということは、棒状の物が互いに連結
していることを示している。
(ハ) 棒状の物が一定の枝分かれ角度を示している。
(ニ) 当業者が実施例を追試すると、枝分かれを持つ粒子が得られた。
 これでは、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明に基づいて「金属
コア」の意味を確定することができない。
ロ本件発明の構成要件の一つは、金属粉末が平均2個以下の金属コアより
なることであるから、金属粒子が2個又はそれ以上の金属コアよりなることがある
ことは、本件発明の前提である。したがって、1個の粒子を観察して金属コアの数
を数えることができなければならない。そして、仮に1個の粒子が2個の金属コア
よりなるとすれば、その粒子には、その2個の金属コアを隔てる境界がなければな
らない。
 ところが、本件明細書には、この境界が示されていないから、当業者
は、金属コアの数を数えることができない。
 1個の粒子に複数の「金属コア」があるか否かは、結晶界面を判別する
ことによってできる。ところが、被告は、「TEM(判決注・透過型電子顕微鏡)
写真のみによって結晶界面を判別することが困難である」(被告第1準備書面12
頁5行ないし7行)としている。そして、TEM写真で判別することが困難である
にもかかわらず、どのように判別するかについて、本件明細書には何も記載されて
いない。したがって、本件発明の「金属コア」の意味は、本件明細書を参酌しても
意味を確定できず、その存否を判別する方法も見出せない。
ハ 本件FIG.1では、平均2個より多い複数の棒状の物が連結してそれ
ぞれの粒子を構成しているように見える。そうすると、審決のように「棒状の物」
が「金属コア」であると解釈しても、各粒子は、平均2個より多い「金属コア」を
含んでいることになってしまうため、本件発明の「針状の個々の粒子」の意味は、
通常の意味とは異なると理解せざるを得ない。ところが、本件明細書の発明の詳細
な説明にも「針状の個々の粒子」の特別な定義は見当たらないから、当業者は、
「針状の個々の粒子」の意味を確定することができず、ひいては、本件発明を実施
することができない。
(2) 「孔」について
イ 本件明細書の発明の詳細な説明の欄には「孔」の定義がない。そこで、
本件FIG.1の原本の複製をよく観察すると、「孔」のように見える小さな点が
観察できる。また、実施例を追試して得た粒子を電子顕微鏡で見ても、多数の点が
観察される。当業者は、通常これらの小さな点が「孔」であると解釈するが、そう
すると、本件発明における「該粒子は孔を平均1個より多くは含有せず」という構
成と整合しない。結局、当業者は本件発明の「孔」の意味を確定することができ
ず、ひいては、本件発明を実施することができない。
ロ 被告は、本件FIG.1に示されている縮尺単位によって12万倍の倍
率が把握できるから、本件発明における「孔」は、12万倍の倍率の電子顕微鏡写
真を観察することによって判定されるものであると主張する。
 【H】の鑑定書(第3)(乙第9号証。以下「【H】第3鑑定書」とい
う。)に記載された本件特許の優先権主張日(以下「本件優先日」という。)当時
の技術水準からすると、孔を観察する際の電子顕微鏡の倍率は、1万1000~5
万倍であったから、「孔」を特定の倍率と結び付けて定義することが、当業者の常
識として行われていたものではないことが明らかである。公知技術(特開昭52-
51908号公報(以下「乙第5号証刊行物」という。)及び「磁気記録研究会資
料」(社団法人電子通信学会1974年8月22日発行。以下「乙第6号証刊行
物」という。)においても、それぞれ異なった倍率の電子顕微鏡写真を用いて孔の
数を数えている。このような状況の下で、12万倍の倍率で見えるか見えないかで
「孔」の有無を判定することが当業者の常識であったということはできない。
したがって、本件発明において、特定の倍率を指定して、その倍率で観
察できるもののみを「孔」と呼び、その倍率では観察できないものは、それ以上の
倍率で観察できたとしても「孔」とは呼ばないというのであれば、本件明細書にそ
の旨の明確な記載がなければならない。
ところが、本件明細書には12万倍で撮影したことについての説明は何
もないから、当業者が12万倍という数値に格別の意義を見いだすことはあり得な
い。また、本件明細書のどこを読んでも、12万倍を超える倍率で観察できる孔が
あっても、12万倍で観察できなければ磁気的性質に影響を及ぼさないという記載
はないし、その示唆もない。
ハ そもそも、12万倍の電子顕微鏡写真においてさえ「孔」は数えられな
い。被告は、人間の目の解像力は約0.2mmであるから、2nm(ナノメート
ル)の大きさの「孔」は倍率12万倍の電子顕微鏡写真上で充分に判別できると主
張している。2nmの貫通孔であれば、12万倍で0.24mmになるから、鮮明
な電子顕微鏡写真上でならば判別できるかもしれない。しかし、これは、被告の主
張する目の解像力を前提としても、その下限に近いから、一般的には、判別は困難
である。写真が少しでも不鮮明であれば、ますます不可能になる。そのうえ、2n
mの「粒子内に閉じこめられた空隙」は、電子顕微鏡写真上では0.24mmの白
点として写るわけではない。その大きさよりも小さい範囲で周囲よりもやや薄いぼ
んやりした像が形成される可能性があるにすぎず、実際には何も写らない可能性も
ある。
 したがって、被告主張のとおり、「孔」とは、「貫通したもの、粒子内
に閉じこめられた空隙、ある程度の深さのある凹み」のいずれをも意味するもので
あるとしても、本件明細書には、その大きさについての規定はないことになる。
ニ 被告は、第1準備書面において、「凹みであって孔ではない。」として
「凹み」が「孔」ではないと言い切っていたが、第1準備書面訂正書においてこれ
を訂正し、「貫通孔ではないもの、例えば針状粒子の電子顕微鏡写真において灰白
色に見えるようなクローズド・ポアも、本件発明の空孔に該当する。」と主張する
に至った。被告は、これについて、被告代理人の見解が、本件発明の発明者の見解
と異なっていたことが判明したことによるという。しかし、被告代理人は、著名か
つ経験豊富な弁理士であり、本件特許の出願代理人であるだけでなく、本件の審判
における被請求人(被告)の代理人でもあって、何度となく本件明細書を読んでい
るはずである。その被告代理人が、何が本件発明における「孔」に該当するかにつ
いて、発明者に指摘されるまで発明者と異なる見解を有していたというのである。
このことは、当業者が、本件明細書の記載を読んだだけでは、「孔」の定義につい
て発明者の見解と一致する見解には至らないことを、図らずも証明しているもので
ある。
2 審決は、「本件発明でいうところの金属粒子は、従来のものと比べて孔の少
ないものと理解することはできるが、孔の大きさ等の具体的な定義が不明であり、
『平均2個以下の金属コア』の意味も含めて、『孔を平均1個より多くは含有しな
い金属粉末』という特許請求の範囲の記載は、その『物』が明瞭に表現されている
とはいえない。」(14頁17行~15頁3行)、「上記の点で特許請求の範囲に
は、本件の物が十分に表現されていない」(17頁10行~11行)と認定してい
る。審決のこの認定が正しいものであることは、既に述べたところから明らかであ
る。
 ところが、審決は、上記正しい認定を前提にしながら、「本件特許発明の金
属粉末は、被請求人の上記の認識及び主張からみても、上記実施例に記載の手法で
得られる物と解される。」(17頁13行~16行)として、これを根拠に、本件
発明の特許請求の範囲の記載に不備はないと判断した。
  しかし、物の発明を製造方法によって特定する場合には、いわゆるプロダク
ト・バイ・プロセスの形式によって特許請求の範囲を記載しなければならないの
に、本件発明については、製造方法は特許請求の範囲に記載されていないから、こ
れを製造方法によって特定された物の発明とすることはできず、したがって、明細
書において、特定の製造方法が明らかとされていることを根拠として特許請求の範
囲の記載に不備がないと判断することは許されない。したがって、審決の上記判断
は誤りであり、この誤りが審決の判断の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
第4 被告の反論の要点
1 「金属コア」及び「粒子」について
(1) 本件明細書には、「金属コア」について、「本発明の関係において、金属
コアはいくつかの個々の孔の合体によって形成された針状粒子の幾何学的細分領域
であると理解される。」(本件公告公報4欄38~40行。以下、本件明細書の記
載の欄、行数は本件公告公報のそれによる。)、「ここで使用する「金属コア」と
いう表現は、本来均質で緻密な物質から形成されたと想像できる構造を表示するこ
とを意図し、針状結晶の種々の金属コアは実質的に同一の結晶学的配向を有す
る。」(5欄1~5行)、「この定義の文脈において、本発明による針状結晶は、
先行技術の針状材料と対照的に、平均、最大2個の金属コア、好ましくは単一の金
属コアだけからなる。」(5欄6~9行)、「この第1図から明らかなように、本
実施例で得られた磁性粉末の個々の粒子は平均1個以下の孔しか含有せず且つ単一
の金属コアからなるものである。」(10欄29~32行)、「第2図は、第1図
と同じ倍率の複数の個々の金属コアに解離した先行技術による高度の多孔性の針状
結晶である。」と説明されている。
  以上の説明によると、本件発明における「金属コア」とは、針状の形骸金
属鉄粒子がその長手方向において多数箇所において部分的に分断されて、典型的に
は、電子顕微鏡写真において数珠状に連結したものとして示されるものであること
が明らかである。
(2) 本件FIG.1においては、各針状粒子は黒く写っており、さらにその多
数の針状粒子が多数箇所で部分的に重なった状態で撮影されている。
 しかし、このFIG.1から、
 イ.各粒子はいずれも針状粒子をなしていること、
 ロ.空孔(ポア)をほとんど有しないこと、
 ハ.本件FIG.1の各粒子は、すべてほぼ一様に棒状(針状)をなしてお
り、本件FIG.2に示されているような数珠状のコアを有していないこと、
が明瞭に認められる。
(3) 「金属コア」は、多数の微細結晶が結晶学的に高度に方位化した凝集体で
あって、完全な単結晶ではなく、「単結晶状」を構成しているから、「金属コア」
の概念を解釈するに当たって、結晶界面を云々する必要はない。
2 「孔」について
(1) ゲータイト粉末(FeOOH)の加熱、脱水によって得られるヘマタイト
(Fe2O3)の針状粒子、又はこれをさらに還元して得られる針状磁性金属鉄粒子
には、顕微鏡的な孔が生成することは、本件優先日前から当業者によく知られてい
た事実である。針状磁性酸化鉄粒子又は針状磁性鉄粒子1個当りの空孔(ポア)の
数は、本件優先日前から電子顕微鏡観察によって算定されていた。
 本件明細書には、「第1図は、実施例1において製造された本発明による
金属針状結晶の電子顕微鏡写真を示す。」(7頁14欄22行ないし23行)と記
載されている。そして、本件FIG.1には、その左上隅に縮尺単位が示されてお
り、その縮尺単位は0.1μが12mm(12,000μ)に相当するから、本件F
IG.1が12万倍の倍率の電子顕微鏡写真であることは当業者に自明のことであ
る。
 一方、本件明細書の実施例1には、「この第1図から明らかなように、本
実施例で得られた磁性粉末の個々の粒子は平均1個以下の孔しか含有せず且つ単一
の金属コアからなるものである。」(同5頁10欄29行ないし32行)と記載さ
れており、この記載によれば、本件発明における「孔」の数は12万倍の倍率の電
子顕微鏡写真を観察することによって判定されるものであることは明らかである。
(2) 強磁性針状粒子を貫通する空孔(ポア)や、このような貫通孔ではないも
の、例えば針状粒子の電子顕微鏡写真において灰白色に見えるようなクローズド・
ポアも、本件発明の空孔に該当する。
 被告代理人は、当初強磁性針状粒子を貫通する空孔(ポア)を「孔」と考
えていたが、本件発明の発明者により、このような貫通孔ではないもの、例えば針
状粒子の電子顕微鏡写真において灰白色に見えるようなクローズド・ポアも、本件
発明の空孔に該当することを指摘されて、直ちに訂正したのである。上記訂正は、
孔について被告代理人の見解が本件発明の発明者の見解と異なっていたことが判明
したことによりされたものであって、これを針小棒大に取り上げて行う原告の主張
は、何ら実質を伴わない挙げ足取りの議論にすぎない。
第5 当裁判所の判断
1「金属コア」及び「粒子」について
(1) 「針状」とは、針のような形状、すなわち細長い線条の形をいうことは明
らかであるから、本件発明の「針状の個々の粒子」は、細長い線条物であるものと
認められる。甲第2号証(本件明細書及び本件FIG.1、2)によれば、本件明
細書の発明の詳細な説明の欄には、「個々の針状結晶の長さは、電子顕微鏡写真に
より決定して、約0.1~2μ、好ましくは約0.3~1μの間である。針状結晶の
直径は約0.02~0.15μ、好ましくは約0.03~0.1μの間である。長さ対
直径の比は約5~20の間である。」(5欄11行~15行)との記載があること
が認められ、この記載は、本件発明の「針状の個々の粒子」が細長い線条物である
ことを裏付けるものである。
(2) 「金属コア」の意義を、特許請求の範囲の記載自体から、一義的に明確な
ものとして把握することはできない。
 発明の詳細な説明の欄の記載をみると、甲第2号証の1(本件明細書)に
よれば、同欄には、「本発明の関係において、金属コアはいくつかの個々の孔の合
体によって形成された針状粒子の幾何学的細分領域であると理解される。いくつか
の金属コアからなる針状結晶は、たとえば、金属の針状結晶を針状のα-Fe2O3
から還元により製造するときに生成し、それは、還元の間結晶体積の減少に依存し
て、孔の体積が増加するという事実による。ここで使用する「金属コア」という表
現は、本来均質で緻密な物質から形成されたと想像できる構造を表示することを意
図し、針状結晶の種々の金属コアは実質的に同一の結晶学的配向を有する。」(4
欄38行~5欄5行)との記載があることが認められるけれども、上記記載によっ
ても、本件発明の「金属コア」の意義が明らかとなったということはできない。
(3) 本件発明の金属粉末は、「平均2個以下の金属コアよりなる針状の個々の
粒子からなるもの」であるから、複数の「金属コア」から構成される「針状の個々
の粒子」も存在することを前提とするものである。ところが、本件明細書には、複
数の「金属コア」から構成される「針状の個々の粒子」について、金属コアを計数
する方法が記載されていない。
 甲第6号証(【I】作成の特許庁包袋調査報告書)によれば、本件FI
G.1の被写体は、細長い線条物が連なったような物に見えるが、細長い線条物が
他のものと切り離されて単独で写っている箇所はなく、かつ、細長い線条物が連な
っているコーナー部には、丸みを帯びている箇所がある(例えば、下部中央やや右
よりに上下方向に延びる線条と、そこから左斜め上方へ延びる線条が分岐する箇
所)ことが認められる。そうすると、本件FIG.1の被写体が細長い線条物が積
み重なっているものであるか否かは定かでなく、仮に、細長い線条物が積み重なっ
て写っているものと解釈するとしても、その中には細長い線条物が連結したものも
含まれているようにも思われる状態になっている。
(4) 乙第2号証の2(【H】作成の鑑定書(第2)、以下「【H】第2鑑定
書」という。)によれば、同鑑定書には、「出発物(母塩)であるα-FeO(O
H)(鉱物名ゲータイト)の針状(詳細には直方体状)の単結晶粒子(実際上は、
針状単結晶粒子のほかに、一緒に生長した2個の針状粒子から成るY字状などの双
晶粒子が存在するが、これについては後述を参照)に前記(1)~(5)の化学反応と調
質を施すと、逐次α-Fe2O3の、Fe3O4の、またγ-Fe2O3の、そして最
終的にFeの各微粒子から成る凝集粒子にトポタクチックに変化するとともに、各
凝集粒子はそれぞれの容積変化を示し、針状磁性金属鉄粒子(以下、針状鉄粒子)
が生成する。これら各反応段階で母塩の形状を保持した上記の各凝集粒子内の微粒
子は、母塩α-FeO(OH)の結晶構造に関連した三次元的な結晶方位で連なっ
て、理想的には最終反応生成物として孔を含まない針状の個々の粒子が得られる。
この針状単結晶状鉄粒子1個が本件特許発明にいう1個の「金属コア」に対応する
と考えられる。・・・以上述べたとおり、「金属コア」は、ゲータイトの個々の針
状単結晶粒子から誘導されたものと、ゲータイトの双晶粒子から誘導されたものか
ら成り、個々の針状単結晶ゲータイト粒子がそのまま、針状鉄粒子に変換された場
合は、該針状鉄粒子は1個の金属コアから成り、また、Y字状のゲータイト双晶粒
子がそのまま針状鉄粒子に変換された場合は、このY字状鉄粒子は2個の金属コア
から成るはずである。しかし、α一FeO(OH)(ゲータイト)が前記(1)~(5)
の工程を経て磁性金属鉄に変換される間に、例えばゲータイトのY字状針状粒子の
枝分かれ部分の基部が化学的変化(例えば孔の形成)又は物理的な応力(撹拌等に
よる)等によって分割されて、2個の針状鉄粒子が形成されることが考えられる。
また、個々のゲータイト針状粒子についても、前記(1)~(5)の工程において、何ら
かの偶発的な応力によって、例えば複数個の金属コアからなる針状鉄粒子を形成す
ることが考えられる。しかし、本件特許発明においては、実施例等に示された多数
の実験によって得られた本件特許発明の多数の針状磁性金属粉末について電子顕微
鏡写真等による観察結果により、本件特許発明の針状磁性金属粉末は、平均2個以
下の金属コアよりなる針状の個々の粒子からなる、と特定したものと解される。」
(3頁下から3行~5頁6行)との記載があることが認められる。
 上記記載によれば、【H】第2鑑定書は、本件発明の「金属コア」の計数
について、個々の針状単結晶ゲータイト粒子が変換された針状鉄粒子は1個の金属
コアから成り、Y字状のゲータイト双晶粒子が変換されたY字状鉄粒子は2個の金
属コアから成ることを前提とし、電子顕微鏡写真等を用いた観察によって粒子の形
状を認識することにより行われるものと考えているものと解される。
 ところが、Y字状鉄粒子は、Y字状であって「細長い線条物」ではないか
ら、Y字状鉄粒子を本件発明の「粒子」と理解することはできない。そうすると、
当業者は、どのような物が2個の金属コアからなる「粒子」であるのかについて、
【H】第2鑑定書とは異なる理解をすることになり、結局、同鑑定書の方法によっ
ては、本件発明の「粒子」の金属コアの個数を数えることができないものといわざ
るを得ない。
(5) 本件明細書には、「本発明の関係において、金属コアはいくつかの個々の
孔の合体によって形成された針状粒子の幾何学的細分領域であると理解される。い
くつかの金属コアからなる針状結晶は、たとえば、金属の針状結晶を針状のα-F
e2O3から還元により製造するときに生成し、それは、還元の間結晶体積の減少に
依存して、孔の体積が増加するという事実による。」(4欄38行~5欄1行)、
「第2図は、・・・複数の個々の金属コアに解離した先行技術による高度の多孔性
の針状結晶を示す。」(14欄23行~26行)との記載があり、本件FIG.2
には、黒く見える金属に白い孔が連続ないし不連続に形成された物や、黒く見える
金属の辺が入り江状に湾曲している物や、黒く見える金属が数珠状に連なっている
物が示されていることが認められ、以上の記載によれば、先行技術における「金属
コア」は、本件FIG.2において黒く見える金属が数珠状に連なっているように
見える1つ1つの単位であり、この単位を数えることにより「金属コア」の数を計
測することができるものと考える余地がある。
 しかし、本件発明の「粒子」が、数珠状に連なった状態のものと認めるに
足りる証拠はないから、上記記載によっても、本件発明の「金属コア」の数を計測
することができるということはできない。例えば、数珠状とはいえない状態でも、
本件FIG.2にも見られるように、金属に孔が開いていたり、その孔が連続して
いたり、入り江状の湾曲があったりする場合が考えられるけれども、これを2つの
「金属コア」の境界として「金属コア」の数を数えるのか否かは依然として不明の
ままなのである。
 なお、乙第2号証の2によれば、ゲータイトから誘導された粒子には、2
個の金属コア(【H】第2鑑定書が金属コアと呼ぶもの。)からなるY字状鉄粒子
も存在することが認められるが、上記Y字状鉄粒子を本件発明の「粒子」と理解す
ることができないことは前認定のとおりである。また、これが仮に本件発明の「粒
子」であるとしても、2個の金属コアからなる数珠状に連なっていない粒子がある
ことになり、やはり「金属コア」の数え方は明らかではないものといわざるを得な
い。
 この点に関して、被告は、「金属コア」は、多数の微細結晶が結晶学的に
高度に方位化した凝集体であって、完全な単結晶ではなく、「単結晶状」を構成し
ているから、「金属コア」の概念を解釈するに当たって、結晶界面を云々する必要
はないと主張する。しかし、「単結晶」であろうと「単結晶状」であろうと、2つ
の「金属コア」がある以上、両者の境界を判定することができなければならないこ
とは当然であるから、被告の主張は、以上の認定を左右するものではない。
(6) 以上のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、「金属コア」に
関して、当業者が容易にその実施をすることができる程度に本件発明の構成が記載
されていないといわざるを得ない。また、特許請求の範囲自体には、本件発明の
「金属コア」を特定するために必要な事項が記載されていないことは前述のとおり
であるから、本件明細書の発明の詳細な説明の欄の記載が上記のとおりである以
上、本件発明の特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことができない事項は記載
されていない、という以外にない。
2 「孔」について
(1) 「孔」とは、向うまで突き抜けた所を指す用語であると同時に、突き抜け
てはいないものの窪んではいる所を指すこともある用語である。しかし、本件明細
書には、その特許請求の範囲にも、発明の詳細な説明にも、本件発明の「孔」につ
いて、向うまで突き抜けた所のほかに、窪んだ所も含まれるのか、窪んだ所も含ま
れるとして、どの程度の深さに窪んだ所が含まれるのか等の形状についての定義
も、「孔」の大きさについての定義も記載されているものとは認められない。
 本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、実施例が開示されているけれど
も、前認定のとおり「孔」の形状及び大きさについての定義が記載されていない以
上、当業者が上記実施例に従って本件発明を実施しようとしても、実際にできた物
が本件発明の物であるのか、それとも何らかの条件・手法等の違いによって本件発
明の物はできていないのかということを確認することができない。したがって、本
件明細書の発明の詳細な説明の欄には、「孔」に関して、当業者が容易にその実施
をすることができる程度には本件発明の構成が記載されていないといわざるを得な
い。
 また、特許請求の範囲自体には、本件発明の「孔」を特定するために必要
な事項は記載されていないのであるから、発明の詳細な説明の欄の記載が上記のと
おりである以上、特許請求の範囲には発明の構成に欠くことができない事項が記載
されていない、という以外にない。
(2) 被告は、本件明細書の実施例1には、「この第1図から明らかなように、
本実施例で得られた磁性粉末の個々の粒子は平均1個以下の孔しか含有せず且つ単
一の金属コアからなるものである。」(5頁10欄29行ないし32行)と記載さ
れており、本件FIG.1が12万倍の倍率の電子顕微鏡写真であることは当業者
に自明であるから、本件発明における「孔」の数は12万倍の倍率の電子顕微鏡写
真を観察することによって判定されるものであることは明らかであると主張する。
しかし、甲第6号証によれば、本件FIG.1によっても、12万倍の顕
微鏡写真でどのように見えるものが「孔」であるのかは不明であるものといわざる
を得ない。。例えば、その被写体の形状からみて本件FIG.1の原本の複製と認
められる甲第3号証添付の写真1や乙第2号証の2添付の写真1Aには、黒っぽい
金属の中にいくつかの白っぽい斑点(弁論の全趣旨によれば、向うまで突き抜けた
所か、又は突き抜けていなくても窪んだ所であると認められる。)が存在すること
が認められるが、甲第6号証によれば、上記斑点のうち相当数のものは、本件FI
G.1では識別できないことが認められる。このように12万倍の電子顕微鏡写真
では識別できても、本件FIG.1のような状態にすれば識別できない斑点(向う
まで突き抜けた所ないし窪んだ所)は、本件発明の「孔」に該当するのかしないの
か明確ではないのである。(なお、これが本件発明の「孔」ではないとすれば、
「孔」は12万倍の電子顕微鏡写真で観察することによって判定するものではない
ことになるし、これが本件発明の「孔」だとすれば、本件明細書には、どのように
観察されるものが「孔」であるかが開示されていないというべきである。)
 また、上記記載は、実施例1についてのものにすぎず、他の実施例、すな
わち、実施例2ないし5については図面ないし写真もなく、「平均1個の孔しか含
有」しないことをどのようにして確認したかについては記載がない。したがって、
上記記載をもって、本件発明の「孔」についての定義ということはできない。
 乙第9号証(【H】第3鑑定書)によれば、本件優先日以前には、ゲータ
イト(α一FeOOH)の加熱・脱水によって得られるヘマタイト(Fe2O3)の
針状の粒子には、電子顕微鏡で観察される孔が存在することが知られており、その
観察には、1万1000倍、1万2000倍、2万3000倍、5万倍等様々な倍
率が用いられていたことが認められる。しかし、上記「孔」の観察が、特定の倍率
のもとでの観察と結びつけられて定義されるという技術常識が存在していたものと
認めるに足りる証拠はない。したがって、上記事実を考慮しても、当業者が本件明
細書から、本件発明の「孔」について、12万倍の倍率により観察されるものであ
ることを知ることができるとは認められない。
3 審決は、「特許請求の範囲には、本件の物が十分に表現されていない」(1
7頁10行~11行)と認定しながら、「本件特許発明の金属粉末は、被請求人の
上記の認識及び主張からみても、上記実施例に記載の手法で得られる物と解され
る。」(17頁13行~16行)と判断している。 しかし、本件発明において、
製造方法は特許請求の範囲に記載されていないから、特許請求の範囲に記載された
物を認定するに当たり、これを「実施例に記載の手法で得られる物」と解すること
はできない。すなわち、本件発明の特許請求の範囲においては、その物がいかなる
製造方法で得られたかは問題とされていないから、実施例に記載の手法以外の手法
で得られても、本件発明の特許請求の範囲に該当すれば、本件発明の物に該当する
ことになるのである。したがって、本件発明の物を「実施例に記載の手法で得られ
る物」と解して、これを根拠に特許請求の範囲が明確であるとした審決の判断は誤
りというほかはない。
4 以上のとおりであるから、無効理由イ、ロが成り立たないとした審決の認定
判断は誤りであって、この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
審決は、違法であって取消しを免れない。
第6 よって、原告の本訴請求は、理由があるから認容することとし、訴訟費用の
負担並びに上告及び上告受理の申立てのための付加期間の付与について行政事件訴
訟法7条、民事訴訟法61条、96条2項を適用して、主文のとおり判決する。
   東京高等裁判所第6民事部
       裁判長裁判官 山  下  和  明
        
          裁判官  山  田  知  司
 
          裁判官 阿  部  正  幸

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