弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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           主       文
1 被告は原告に対し,金165万円及びこれに対する平成15年12月12日から支払済みまで,年5分の割合
による金員を支払え。
  2 原告のその余の請求を棄却する。
  3 訴訟費用はこれを100分し,その3を被告の負担とし,その余を原告の 負担とする。
  4 この判決は1,3項につき仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
 一 請求の趣旨
  1 被告は原告に対し,金5805万2793円及びこれに対する平成8年5月16日から支払済みまで,年5分
の割合による金員を支払え。
  2 訴訟費用は被告の負担とする。
  3 仮執行宣言
 二 請求の趣旨に対する答弁
  1 原告の請求を棄却する。
  2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 事案の概要
一 前提事実(当事者間に争いがないか,挙示する証拠あるいは弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)
 1 当事者及び原告に対する入所保育措置
 (一) 原告は平成a年b月c日,dとe(以下「母e」という)夫妻の間に生まれた女児であり,平成f年g月h日生の兄
がある。
 (二) 被告は,i市j番地kにおいて,l保育園(以下「本件保育園」という)を開設して,運営している。
 (三) 被告は,平成5年4月1日,原告が2歳1ヶ月時に,両親が共働きのためとの理由で,児童福祉法24条(
平成9年法律74号による改正前のもの)に基づき,原告に対する本件保育園への入所保育措置をとり,原告は同日か
ら平成9年3月31日(6歳1ヶ月時)卒園するまで,「本件保育園」に通園した。(乙1の1)
2  原告の発症事故(以下「本件事故」という)
 (一) 平成8年5月16日(原告5歳時),本件保育園において,保育時間である午後1時20分ころ,原告は体
調不良となり,嘔吐を始め,トイレで嘔吐した後,午睡室の布団に寝かされ,その後,職員室の子供用ベッドに移動し
て寝かされた。担任の保母からの電話連絡を勤め先で受けた母eが,午後2時22分ころ,本件保育園に到着し,原告
かかりつけのmクリニックに電話連絡したが,同医院では当日は診察できない旨回答があった。
 (二) 担任の保母が同日午後2時46分に119番通報し,午後2時52分,救急車が到着し,原告は,午後2時
57分に救急搬出され,午後3時9分,n病院(以下「n病院」という)小児科外来に搬入され,ICU室で管理された
後,「痙攣重積症,呼吸停止,気管支喘息,肺炎,脳炎疑,脳出血疑,肺血症疑」との診断名で,入院治療を受け,同
年6月5日退院した。(乙4,甲3)
 3 その後の原告の状況
  原告は,o児童相談所での知能検査において,平成10年8月14日IQ83(精神年齢1歳の遅れ),平成1
1年5月27日IQ81(精神年齢1歳半の遅れ),同年6月14日ウィスクアールIQ60(言語66,動作61)
,平成14年5月2日IQ73(精神年齢3歳の遅れ)との診断を受け,同日,知的障害Bの判定を受け療育手帳の交
付を受け,さらに平成16年7月28日,知的障害Bの再判定を受けた。(甲1,15)
二 本件請求
  原告は,①本件保育園の保母が,嘱託医等に連絡してその指示を求めることなく,あるいは救急搬送の手配等の
措置を適時にとらず,原告に対する安全配慮義務を怠ったため,1時間以上も治療着手が遅れたことにより,呼吸停止
等による脳の酸素不足を招いて,21日間の入院治療を必要とさせ,原告に知能障害を生じさせあるいは知能障害を悪
化させる後遺障害を生じさせたと主張し,②仮に,安全配慮義務違反と上記損害発生との間に相当因果関係がないとし
ても,原告は,左手の運動障害の後遺障害が生じ,また,知能障害あるいは知能障害の悪化をさせないための最善の医
学的処置を受ける機会を喪失させられて精神的苦痛を受けたと主張して,被告の安全配慮義務違反による債務不履行責
任に基づき,被告に対し,損害賠償として,付添費,入院雑費,入院慰謝料,後遺障害逸失利益,後遺障害慰謝料,弁
護士費用合計5805万2793円(予備的に,左手の運動障害の後遺障害損害について240万円,機会喪失の損害
について慰謝料500万円)及びこれに対する本件発症事故日である平成8年5月16日から支払済みまで,民法所定
年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めた。
三 争点
  1 被告の安全配慮義務違反の有無
  2 被告の安全配慮義務違反によって,原告に入院治療の必要性が生じ,あるいは知能障害又は知能障害の悪化が
生じたか 
  3 被告の安全配慮義務違反によって,原告に左手の運動障害の後遺障害が残り,また,原告が,知能障害あるい
は知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失させられて,精神的苦痛を受けたか
  4 損害額
 四 争点についての当事者の主張
  1 被告の安全配慮義務違反の有無
  (一) 原告の主張
  (1) 本件保育園は,幼児を預かって保育する専門施設であり,保育には専門的な知識技術を習得して国家資格
を持った保育士が当たるのであるから,預かった幼児の生命身体の安全には,親権者以上の専門的な配慮をすべき義務
がある(児童福祉法18条の4)。平成8年当時の厚生省の保育所保育指針には,「保育中は,子供の状態を観察し,
何らかの異常が発見された場合には,保護者に連絡するとともに,嘱託医やかかりつけの医師と相談するなど,適切な
処置を講ずる」とされている。
      保育士養成のテキスト(新・保育士養成講座 小児保健,甲9)には,「小児に痙攣が起こった時には,
直ちに嘱託医や主治医に連絡して指示を受ける。10分以上痙攣が続いた時には救急車を呼び,医療機関での処置を受
けるようにする」旨,また意識障害の場合,「園医(嘱託医)又は主治医に連絡し指示を仰ぐと同時に,養育者にも連
絡する。救急車の手配も行う」と記載されている。
      また,乳幼児期の子供が,「①ぐったりして元気がなく,意識がはっきりしていないとき②痙攣を起こし
ているとき③呼吸が弱く,止まりかかっているときには急いで病院に連れて行くべきであり」,「引きつけが長く続く
と脳などの中枢神経系に低酸素状態による障害をおこすことがあるから,3分経っても引きつけが止まらない場合には
すぐに救急車を呼び,救急車到着まで子供の様子を観察しておくよう」,「痙攣が10分以上続く場合若しくは2回以
上痙攣があった場合は,すぐに診察を受けるよう」,「チアノーゼはすべて,かかりつけの小児科か家庭医にすぐ診て
もらい,原因を調べなければならない」旨,家庭向けの医学書(「新赤本改訂新版家庭の医学」,「最新家庭の医学百
科」)にも記載されており,保育の専門家である保育園職員は当然,これらを知っておくべきものである。
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      したがって,保育中の幼児が痙攣を起こしたときには,保育園あるいは保育士としては,それが1回だけ
でも,嘱託医あるいは主治医に指示を仰ぐと同時に,当該幼児を注意深く観察し,軽微な痙攣も見逃すべきでなく,痙
攣が治まったかどうかを着実に判断して,痙攣が3分ないし10分以上続く場合若しくは2回以上痙攣があった場合に
は,直ちに救急車を呼ぶべき義務がある。
   (2) 原告は,本件事故当日,トイレで嘔吐した後,ホール入口付近で倒れ,
     失禁し,意識が朦朧とし(傾眠ないし昏迷),午後1時45分ころには意識がなくなり,反応がなくなっ
て,嘔吐を繰り返した。顔色は白く,唇は赤く,咳き込んでおり,痙攣を起こし始め,午後2時4分ころには,痙攣を
し,心拍数も30秒間で60ないし66回位に増し,顔色は土色になっていた。午後1時45分~50分ころ,原告に
おいて,左手の中指が硬直する,眼球が左右に震えるなどしたのは,痙攣である。痙攣は,脳の電気的異常が,不随意
な骨格筋の収縮という形に表れたものであるが,骨格筋の収縮そのものの強弱が脳の電気的異常の強弱に対応している
とは限らず,骨格筋の収縮の程度,即ち痙攣の程度が小さくても,脳の電気的異常が小さいとは限らない。痙攣の程度
が小さくても,それが3分ないし10分以上継続する場合,若しくは初めの痙攣の後,完全に意識が戻らないままに2
度目の痙攣があった場合には,可及的速やかに,医師によって痙攣を止める処置を施す(気道確保,酸素投与,心電図
モニター装着,静脈路確保などを行い,抗痙攣薬の投与をする)必要がある。本件で,脳の電気的異常が起こった原因
は,てんかん発作か,喘息薬テオフィリンの影響によるものと考えられるが,原因が何であれ,痙攣が起こった場合に
なすべき処置については変わりはない。
本件においては,最初の痙攣発作は午後1時45分~50分ころであり,午後1時55分ころ2度目の痙
攣発作が確認され,その後,意識が回復する前に次の発作が反復する状態が続き,発作が終息したのは,n病院で治療
を受け,痙攣止め薬を処方され,気管挿管がされた午後3時26分ころであったから,痙攣重積状態は,午後1時45
分~50分ころ始まり,断続的に1時間36分~41分続いたことになる。n病院では90分間の痙攣重積と診断され
ている。
      したがって,本件保育園の担当保母は,午後1時45分~50分ころ,1度目の痙攣発作を確認した時点
で,直ちに医師に連絡して指示を受けるべく,また,1時55分ころに2度目の痙攣発作を確認した時点で,119番
通報をして,救急車を呼ぶ等の措置をすべき義務があった。
      しかるに,担任保母のp保育士(以下「p保母」という)は,母eに連絡をとったのみで,午後2時35分
ころになって始めてかかりつけの医師に連絡をとり,午後2時46分まで,救急車を呼ぶ措置をとらなかった。
   (3) したがって,被告には,原告に対する安全配慮義務違反がある。
  (二) 被告の反論
   (1) 本件保育園に,預かった幼児の生命身体の安全を保護すべき一定の注意義務があることは認める。そし
て,保母試験の受験科目にも保険衛生学,生理学,看護学及び実習が含められており(児童福祉法施行規則41条),
保育士は,一般人よりは,保険医療の知識が求められてはいるが,これらの知識も初歩的なレベルのものであり,専門
医の診察を受けさせるべきか,救急車の手配をすべきかどうかも常識的なレベルで判断すべき事柄にとどまる。
   (2) 原告は,倒れたり,失禁をしたり,意識が朦朧とした状態にはなく,午睡室で寝かされている際にも,保
母の呼びかけに反応して首を少し動かしたり,瞼を少し開いたりし,意識がなくなったようなことはない。
      そして,嘔吐しただけでなく,ふらつきもみられたことから,午後1時40分ころ,担任のp保母が母e
に電話して原告の様子を告げ,迎えを促したところ,母eは,仕事を午後3時に終えてから迎えに来ると答えた。
      この間,保母が「指を握ってごらん」と声かけすると,原告は,保母の指を握り返したり,名前を聞かれ
ると小さな声で「q」と答えるなど明確に反応していた。
      そして,検温をしたところ発熱はなかったが,瞼がわずかに開いた状態で眼球が左右に動くなどの軽い引
きつけ発作が数秒間認められたため,
     p保母は,母eに,再び架電し,直ちに迎えに来るように告げた。
      その後,原告の脈も平常になり,眠るなど落ち着いた様子であったことから,午後1時55分から午後2
時までの間に,職員室の子供用ベッドに移動させた。職員室に移動する前に,原告は,数秒間ずつ2度に亘り,瞼がわ
ずかに開いた状態で眼球がわずかに左右に動く,左手の指をやや中に折り込んで指先が軽く震える,一,二度,口元が
引きつくといった軽い引きつけが認められ,引きつけが治まると唇に赤みがさしてくる様子が認められ,また,心拍数
が30秒間で60~66回位になったことがあった。原告は,職員室のベッドに移動後は,寝息を立てて眠っており,
咳き込むことも嘔吐することもなかった。
      原告の顔色が土色に変化したのは,119番通報した午後2時46分よりも後のことである。
 午後2時22分ころ,母eが到着し,原告の名前を呼ぶと,原告は目を閉じたまま,涙を一筋流す反応を
した。
      mクリニックに連絡をしたが,受診できないとの回答があり,母eは自分の車で原告を病院に連れて行く
と言ったが,保母の勧めで救急車を呼ぶことになった。
   (3) 原告は事故に遭ったわけではなく,体調不良の様子を示し,上記のような症状で,痙攣とも認められない
程度の一時的に意識が混濁しただけの軽度の状態であったことからすると,保母において,まず,原告の母親に連絡を
とるのが順当であって,直ちに,救急病院への連絡や119番通報をすることが求められるものではない。
      原告は,119番通報するまでは,呼吸に問題のある様子はなく,その後に呼吸停止になることを予測す
ることは不可能であり,軽度の引きつけが,仮に痙攣重積に結びつく可能性があるものであったとしても,これは専門
医でない限り判断できないレベルのものであり,軽い引きつけ症状から重篤な症状を予期して,直ちに医師の診断を受
けさせるとか,救急車を呼ぶ義務があるとまではいえない。日本てんかん協会発行のテキストには,発作があっても「
すぐに救急車を呼ぶ必要はない」旨記載されている。
  2 被告の安全配慮義務違反によって,原告に入院治療の必要性が生じ,あるいは知能障害又は知能障害の悪化が
生じたか
(一) 原告の主張
  (1) 原告は,出生前から分娩時,出生後本件事故時まで,特に生育に異常は見られず,定期健康診断でも問題
を指摘されることなく,4歳ころから喘息が出始めた以外には,順調に成長していた。言葉が出るのが若干遅かった
が,兄が3歳になるまで1言しかしゃべらなかったことなどと比べると,特に問題はなく,成長スピードの個体差の範
囲内であった。
   (2) 本件保育園において,速やかに救急病院に連絡をとり,原告への対処方法について医師の指示を受け,1
19番通報をして,病院に救急搬送しておれば,原告は入院治療を受けることを余儀なくされることはなかったし,全
く知能障害を残さずにすんだところ,午後1時45分ころには救急車を呼ぶべきであったのに,午後2時46分になっ
てようやく救急車を呼び,救急搬送が1時間以上も遅れたために,呼吸停止等による脳などの中枢神経系の酸素不足を
招いて,その不可逆的損傷を来たして,原告に知能障害を生じさせ,21日間の入院治療を必要とさせ,さらには,知
的障害Bと判定される後遺障害を生じさせたものである。原告は,中学2年生現在,障害児学級で学んでいるところ,
九九が言えない,漢字を覚えられない,1000円と1万円の価値の違いがわからない等,小学校1,2年生時の知的
レベルまでしか発達していない。
     原告にもともと知能障害があったとしても,その場合には,痙攣重積の後遺障害として,知能障害のさら
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なる悪化の可能性がより高い。被告の安全配慮義務違反によって,原告の知能障害の悪化が生じたものであり,現在の
知能障害の5割に相当する部分は,上記の悪化によって生じたものというべきである。
   (3) 原告は,本件事故後,左手の握力が弱くなったり,左手をうまく動かせなくなって,それまでは両手で弾
けていたエレクトーンが両手で弾けなくなり,また,左目の外斜視の症状が出現し,難しいことを聞かれた時に下を向
いてじっと考え込む仕草をするようになった。また,本件事故から約10ヶ月後の平成9年4月小学校入学後,漢字や
足し算引き算が覚えられず,2年生になってからも授業中に落ち着きがない状況となった。これらの事実は,本件事故
の際の痙攣重積状態が,原告の脳に何らかの損傷を生ぜしめたことを示唆するものである。
     仮に,知能障害あるいは知能障害の悪化について相当因果関係が認められないとしても,左手の運動障害
が後遺障害として生じたものというべきである。
 (二) 被告の反論
  (1) 原告は,平成5年4月の入園当初,言葉が「あ」以外には出ず,年度末までにやっと単語を発した。生活
面でも常に手助けが必要であった。3歳になってからも,衣服の着脱等に援助が必要で,足元がしっかりせずよく転
び,友達の名前は覚えていたものの,「せんせい行った」といった2語文的しゃべり方しかできず,4歳になるまでほ
とんど成長は感じられなかった。
     4歳になってからも,食事,排泄,着脱,清潔面での基本的生活習慣の定着が進まず,個別の言葉かけを
必要とした。咀嚼力が弱く,定量を決められた時間内に食べるのが困難で,こぼしも多く,食後,口の周りや衣服の汚
れにも気づかず,失尿しても気にかけず,衣服の表裏前後がわからなかったり,ボタンの掛け違いをしていた。歩いた
り,走ったりするのが,他児に比べてかなり遅く,集団遊びなどのルールの理解が難しく,参加には保育士の援助を要
し,遊びが続かず,友達関係も広がらなかった。平成8年2月には,特に原告と自閉症の児童の2人をスーパーバイザ
ーに見てもらい,保育の助言を受けている。
      観察記録によると,次のとおりである。
     ① 平成7年4,5月 
       集団に溶け込めず,友達に関わって行こうとしない。
      はさみ,のりなどの使い方が今ひとつわかっていない。トイレにパンツを下まで下ろしてから行ったり,
ぎりぎりまで我慢するため,排尿までに失敗することが度々ある。
     ② 6~8月 保育者の質問に全く意に反する答えを言うことがある。
     ③ 9~12月 
       食べ物を奥歯でなく前歯で噛もうとするので食事に時間がかかる。体調不良を訴えられない。トイレッ
トペーパーを切ることができず,排泄後,拭こうとしない。階段の昇降,鉄棒の前回りが怖くてできない。
   ④ 平成8年1~3月 
       数の認識がなく,物を指さして数えることができない
       「首の長い動物は?」「ニャーニャー鳴く動物は?」と尋ねられても「うさぎ」「ニャーニャー」と答
え,イメージが全くない。ねこを見てたぬきと答えることもある。発音が曖昧で,「かきくけこ」が「たちつてと」に
なる。のりの蓋がきちんと閉められない。
     ⑤ 平成8年度に入っても,友達から世話を受けることが多く,階段の昇降を怖がり,ゆっくり,一段一段
足を揃えて昇降する。衣類の着脱やボタンのかけはずしに時間がかかり,衣服の前後の区別ができない。はさみで線に
沿って切ることに時間がかかり,雑である。食事に時間がかかり,弁当包みも確実にできず,排尿時パンツにかかるこ
とが多い。鉄棒の前回り,うんていを怖がり,震えたり固まったりする。
      以上のように原告の発達は本件事故前から遅れており,現在の原告の知能障害は,本件事故前からあった
発達の遅れが顕在化したものであって,本件事故に起因するものではない。
   (2) n病院に到着した午後3時10分には片側痙攣,呼吸停止等の症状が認められているところ,上記痙攣が痙
攣重積であったとしても,全身的なものでないから,これが原因で知能障害が生じたとは考えられない。
     原告の痙攣は左優位の部分痙攣であったため,一過性で,左外斜視や左上肢の筋肉が落ち,左手が使いにく
くなった等の症状は出ているが,知能障害との関連性はない。
     原告はn病院入院後,極めて順調に回復しており,知能障害が生じた形跡はなく,従来の知的発達の遅れを
悪化させた可能性も極めて乏しい。
  3 被告の安全配慮義務違反によって,原告に左手の運動障害の後遺障害が生じ,また,原告が,知能障害あるい
は知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失させられて,精神的苦痛を受けたか
  (一) 原告の主張
     被告の安全配慮義務違反と知能障害あるいは知能障害の悪化との相当因果関係が認められない場合にも,
   (1) 左手の運動障害の後遺障害との間に相当因果関係はあるから,これを14級程度の後遺障害として評価す
べきである。
   (2) 原告は,知能障害あるいは知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失させら
れて精神的苦痛を受けた。
  (二) 被告の反論
   (1) 左手の運動障害については,現在は回復している。
   (2) 原告が知能障害あるいは知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失した事実は
ない。
  4 損害額(原告の主張)
  (一) 付添費 19万5000円
     原告の両親は,原告入院中21日間,病室で原告に付き添った。
     付添費は1日につき6500円が相当である。
  (二) 入院雑費 4万5000円
     入院雑費は1日につき1500円が相当である。
  (三) 入院慰謝料 53万円
  (四) 後遺障害損害
   (1) 逸失利益 3828万2793円
      原告は本件事故により,知的障害Bの判定を受ける後遺障害が残った。これは,自賠法施行令2条による
後遺障害等級5級2号に該当し,労働能力喪失率は79パーセントとなる。
      原告は症状固定した平成8年6月5日(退院日)当時5歳であり,賃金センサス平成13年度産業計全労
働者の平均年収502万9500円を基礎収入とし,18歳から67歳までの就労可能期間の逸失利益の現価をライプ
ニッツ係数によって中間利息を控除して算定すると,
     502万9500円×0.79×(19.029-9.394)=38 28万2793円となる。
  (2)後遺障害慰謝料 1400万円
  (3)予備的主張
     ① 知的障害との間に相当因果関係がないとしても,知的障害の悪化との間に相当因果関係はあり,損害の
ページ(3)
程度は,(1)の半額に相当する1900万円と考えるべきである。
     ② 知的障害あるいは知的障害の悪化との間に相当因果関係が認められない場合には,上記後遺障害の中に
包含されて評価されていた14級相当の左手の運動障害の後遺障害が顕現すべきこととなり,その損害額は240万円
と考えるのが相当である。
 (五) 予備的慰謝料請求
    知的障害あるいは知的障害の悪化との間に相当因果関係が認められないとしても,原告は,知能障害あるいは
知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失させられて精神的苦痛を受けており,これを慰
謝すべき慰謝料は500万円が相当である。
 (六)弁護士費用 500万円
第三 当裁判所の判断
 一 被告の安全配慮義務違反の有無
  1 被告の安全配慮義務の存否
    被告による本件保育園入所保育措置は,被告の給付行政における行政処分であって,被告との間で,原告の親
権者両名との間に原告のためにする保育委託契約が成立したものではなく,あるいは親権者両名の法定代理によって原
告と被告との間に保育契約が成立したものでもない。
    しかしながら,本件入所保育措置により,被告は原告を本件保育園で適切に保育し,原告はこれに従い,原告
の保護者はこれに協力すべき法律関係が
   生じたのであるから,被告は上記法律関係に伴う信義則上の債務として,必然的に,原告に対し,本件保育園に
おいて,預かった幼児である原告の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い,
これを尽くすことが必要不可欠となる。当時も,園児らの保育に当たる保母になるための保母試験の試験科目に保健衛
生学及び生理学,看護学及びその実習が含まれていた(児童福祉法施行規則41条)のは,安全配慮義務の観点から当
然に求められるところであった。
    そして,本件保育園は,幼児を預かって保育する専門施設であり,保育には,専門的な知識技術を習得して国
家資格を持った保母(保育士)が当たるのであるから,預かった幼児の生命身体の安全には,医療専門家のレベルまで
は要求されないものの,一般の親権者以上の専門的な配慮をすべき義務がある。
    甲第34号証の2によると,平成8年当時の厚生省の保育所保育指針には,「保育中は,子供の状態を観察
し,何らかの異常が発見された場合には,保護者に連絡するとともに,嘱託医やかかりつけの医師と相談するなど,適
切な処置を講ずる」とされているが,本件保育園の保育士らにおいて,原告ら保育園児の健康状態を観察し,何らかの
異常が発見された場合には,嘱託医等医療専門家に相談してその指示を求め,迅速に,医療機関の医療措置を求めるな
どの適切な処置を講ずべきことは,上記保育指針を待つまでもなく,安全配慮義務の主要な内容となる。
    したがって,被告において,その履行補助者たる本件保育園の保育士等職員を通じて,園児である原告に対す
る上記の安全配慮義務を履行すべきところであって,上記義務違反によって,原告に損害を与えたときは,債務不履行
に基づく損害賠償責任を負うべきこととなる。
  2 被告の安全配慮義務違反の有無
   (一) 本件事故の経緯及び本件事故前後の原告の状況
     前提事実に甲第3ないし第7号証,第8号証の1ないし11,第16号証,第17,第18号証の各1ない
し4,第19,第20号証,第21号証の1ないし6,第22号証の1ないし8,第23号証の1,2,第24ないし
第33号証,第36号証の3,乙第1号証の5,第2ないし第4号証,第5号証の1ないし6,第6ないし第8号証,
第10ないし第14号証,第17号証の1,2,証人r,証人p,証人sの各証言,原告法定代理人eの尋問結果並びに
弁論の全趣旨を総合すると,次のとおり認定できる。
    (1) 本件事故前の原告の生育歴,発達状態
     ① 原告は,出生時,体重3220g,身長49.8cm,胸囲35c   m,頭囲33cmで,出生
後,軽い黄疸があったほかは,特に健康上   問題があったことは窺えない。
     ② 原告は,生後6ヶ月ころから喘息様気管支炎があり,内服薬テオロ   ングを1週間から10日程服
用すると治まっていた。
     ③ 原告は,運動面,精神面における成長の程度は,普通よりは遅く,   言葉の習得度も遅かったが,
両親は,原告の兄が3歳になるまで1言   しかしゃべらなかったことなどと比べると,特に問題はなく,成長ス 
  ピードの個体差の範囲内であると考えて,特に心配していなかった。  ④ 2歳1ヶ月時,本件保育園に入園し
たころには,言葉が「あ」以外   には出なかった。その後,言葉が単語として出るようにはなったが,   正確
な発音にはならず,2歳10ヶ月ころ,自分の名前や年齢が言え   るようになったが,意思疎通ができるような言
語表現には至らなかっ   た。
     ⑤ 3歳になってからも,衣服の着脱等に援助が必要で,足元がしっか      りせずよく転び,友達
の名前は覚えていたものの,「せんせい行っ       た」といった2語文的しゃべり方しかできなかった。
     ⑥ 4歳になってからも,食事,排泄,着脱,清潔面での基本的生活習      慣が定着せず,個別の
言葉かけを必要とした。咀嚼力が弱く,定量を      決められた時間内に食べるのが困難で,こぼしも多く,食
後,口の周      りや衣服の汚れにも気づかず,失尿しても気にかけず,衣服の表裏前      後がわから
なかったり,ボタンの掛け違いをしていた。歩いたり,走      ったりするのが,他児に比べてかなり遅く,集
団遊びなどのルールの      理解が難しく,参加には保育士の援助を要し,遊びが続かず,友達に      
関わって行こうとしなかった。はさみ,のりなどの使い方が今ひとつ      わかっていなかったが,保育士が,
一緒に手を添えて使い方を教えて      少しはわかるようになってきた。また,トイレにパンツを下まで下ろ 
     してから行ったり,ぎりぎりまで我慢するため,排尿までに失敗する      ことが度々あった。
       食べ物を奥歯でなく前歯で噛もうとするので食事に時間がかかり,また,体調不良を自分で訴えられ
ず,トイレットペーパーを切ることができず,排泄後,拭こうとしなかった。階段の昇降,鉄棒の前回りが援助なしで
は怖くてできなかった。
       「首の長い動物は?」「ニャーニャー鳴く動物は?」と尋ねられても「うさぎ」「ニャーニャー」と答
え,イメージが全くなく,ねこを見てたぬきと答えることもあった。発音が曖昧で,「かきくけこ」が「たちつてと」
になり,のりの蓋がきちんと閉められなかった。
       他方,原告は,ヤマハ音楽教室に通って,エレクトーンが両手で弾けるようになり,「おじいちゃん 
おばあちゃん いつまでもげんきでいてね」と母の指導によりひらがなではがきを書けるようにもなっていた。
     ⑦ 5歳近くになっても,数の認識がなく,物を指さして数えることができず,衣類の着脱やボタンのかけ
はずしに時間がかかり,衣服の前後の区別ができず,食事に時間がかかり,弁当包みも確実にできず,排尿時パンツに
かかることが多かった。また,はさみで線に沿って切ることに時間がかかり,雑であった。
       他方,「お腹が痛い」などと自己の体調不良を訴えることはできるようになり,朝「おはよう」と誰に
でも挨拶ができるようになっていた。
   (2) 本件事故及びn病院入院の経緯
     ①原告には,痙攣発作の既往はなかった。
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       原告は,本件事故日(平成8年5月16日)の2日前から,喘息様気管支炎が発症し,内服薬をテオド
ール(テオフィリンの内服用のもの)に変更し,内服していた。
     ② 本件事故日当日の午前中,原告は機嫌が良く,いつもよりにぎやかに過ごし,昼の給食は好物のハヤシ
シチューで,おかわりもした。
       午後1時20分ころ,午睡中,突然,口を押さえて布団の上に坐り,自分で立ち,担任のp保母に付き
添われて,嘔吐しながら便所に行き,汚物槽でも吐いた。午睡室へ戻る途中,再び吐き気を催し,便所に行き汚物槽で
吐き,排尿したが,p保母と午睡室に戻る途中,その入口で,ふらついて倒れた。p保母は,原告を支えて午睡室に入
り,布団に寝かせ,その間に,言葉かけをしたが,反応が鈍かったため,上席保母のt(以下「t保母」という)に報告
した(園長と主任は不在であった)。原告は,呼びかけに対する反応が鈍く,眠たそうにしており,いつもと様子が違
うため,p保母は,午後1時40分ころ,母eに原告が,嘔吐し,ふらついていつもと様子が違うので迎えに来てくれ
るよう電話連絡した。
       母eは,上記電話の内容から,切迫したものでないと判断し,仕事が一段落してから,午後3時ころ迎
えに行くと答えた。
     ③ その間,t保母,u保母(以下「u保母」という),v保母,s保母,r保母(以下「r保母」という)
が,原告を側臥位にして背中をさすったり,名前を呼びかけたり,言葉かけをしていたが,原告は眠そうにし,小さな
声で「q」と答え,入眠しかけたが,咳き込んで一口大の嘔吐をした。検温したところ,体温は35度8分であり,顔
色は青白く,唇は赤く見えた。そのうち,原告の反応は段々鈍くなり,左手の中指がやや硬直し,折り込んだ状態で指
先に軽く震えが見られ,瞼がわずかに開いた状態で,両方の眼球がわずかに左右に動き,左方向に寄ったりし,口元が
引きつった。ひきつけが治まると唇に赤みがさした。r保母は,軽い引きつけ発作であると判断し,t,u,p保母ら
にこれを告げた。p保母は,午後2時前ころ,再度,母eに,熱はないが反応がいつもと違うのですぐに迎えに来るよ
う電話連絡し,これに対し,母eは直ちに本件保育園に迎えに行く旨答えた。その間に,原告は眼球がわずかに左右に
動き,手の中指を折っており,手のひらに保母が指を入れると握り返した。左手指先に軽く震えがあり,口元が引きつ
き,顔色がさらに蒼白になり,時々身体がピクッと動き,声かけしても返事がなく,咳き込み,唾を吐いた。心臓の鼓
動が異常に速い状態となった。r保母は,2度目の軽い引きつけであると判断し,t保母,u保母らにこれを告げ,確
認した。p保母は,「家庭の医学」で小児の脈拍数を調べた上,原告の脈拍をとると,30秒間で60~66回であっ
た。原告は,午後2時ころ午睡室から事務室のベッドに移動されたが,寝入っているように見えた。
     ④ 午後2時25分ころ,母eが本件保育園に自家用車で到着し,原告の名前を呼びかけたところ,原告は
目を閉じたまま,涙を一筋流した。母eは保母らから経過説明を受け,かかりつけ医師であるmクリニックに電話連絡
したが,医師は不在で,在院の看護婦から連絡をとってもらった結果,同医院では当日は診察できない旨回答があっ
た。
       母eは,自己の運転車両に原告を乗せて病院に搬入すると言ったところ,r保母らは,それでは事故の
危険があると言って,説得し,午後2時50分ころ,p保母が119番通報して救急車を呼んだ。救急車の到着を待っ
ているころには,原告にはチアノーゼが生じており,顔色は土色になり,声をかけても反応がなくなっていた。母eが
本件保育園に到着した時点で既に,原告にチアノーゼが生じており,顔色は土色であった旨の母eの供述部分は,前掲
各証拠や,経緯に照らして,にわかに採用できず,乙第1号証の5の同旨部分は,証人pの証言によると,母eの言葉
に従いそのまま記載したものと認められるからこれを採用することはできない。
     ⑤ 午後3時に救急車が到着し,母e,p保母らが同乗して,原告をn病院に救急搬送した。その間,原告
に対し酸素吸入が施行された。
       午後3時8分,原告は,n病院の救急外来に搬入されたが,左上下肢に痙攣があり(片側痙攣),対光
反応なく,呼吸停止し,呼びかけに反応しない意識混濁,昏睡状態にあり,直ちに気管内挿管を受けた。原告は,午後
3時25分ころ,気管内挿管,ダイアップ座薬挿入後,午後3時26分ころ,痙攣は止まり,午後3時32分ころチア
ノーゼも改善したが,意識不明の状態は続き,午後4時30分,頭部CT撮影(異常はなかった)後,ICU室に搬入
され,自発呼吸が始まり,午後6時30分に覚醒して啼泣し,時々話ができるようになった。
       そして,原告は,「痙攣重積症,呼吸停止,気管支喘息,肺炎,脳炎疑,脳出血疑,肺血症疑」との診
断名で,入院治療を続行し,抗てんかん剤内服等による治療を継続した。
     ⑥ 原告は,当夜入眠し,翌17日朝,言葉が出て,立て,食事ができた。原告の父が来て,絵は下手にな
っておらず,いつもと同じように話ができることを確認した。原告は,同日,脳波検査,細菌検査等の各種検査を受け
た(CT画像,MRI画像,髄液,脳波の上で異常はなかった)。
       その後,原告は,腰部痛,背部痛を訴えたが間もなく治まった。
       5月20日朝,1回嘔吐し,咳があった。
       頚部硬直が窺えたが,原告が頚部に触るのを嫌がったために,十分な診断はできなかった。また左目の
外斜視が認められたため,眼科での診察を受けた。
       同月21日,右急性中耳炎の疑いで耳鼻科の診察を受けたが,特に異常は認められなかった。
       同月22日になって,一人でトイレに行けるようになり,左手で物を渡すとき少し震えがあった。
       同月25日,31日に嘔吐が各1回あったが,経過は良好であったため,同年6月5日退院した。
       最終診断名は,「痙攣重積症(90分間),呼吸停止,気管支喘息,肺炎(誤飲性)」であった。
   (3) その後の状況
     ① 原告は,退院後,n病院小児科外来に喘息用気管支炎治療のため 通院した。
     ② 小児科外来での診察では,原告には,興奮・緊張すると,手の震えが見られたが,明らかな退行は見ら
れなかった。
     ③ 退院後,本件保育園において,原告は,衣類の着脱,片づけ,食事等のペースは相変わらず遅かった
が,服を丁寧にたたんで始末でき,進んで手伝いをし,ピアニカで「きらきら星」が正しい指使いで吹けた。また,自
分の名前が書け,手本を見て文字を書くことができた。
     ④ 平成9年4月,小学校に入学したが,左手でドアのノブが回せず, 左手を使わないことが多く,小学
3年生時に,左手の握力が弱いこと が確認された。
     ⑤ 学校の通知表自体は,担任教師が,良い面のみをとらえて記載することもあって,問題点はないような
表現になってはいたが,小学1年生の終わり頃から,算数,漢字がなかなか覚えられず,宿題をするにも時間がかかる
ことなど,学習能力の遅れが,周りから目立つようになってきた。
       小学校2年生時には,カスタネットを皆と合わせて叩くことができ ず,授業中落ち着きがないことを
指摘されるようになった。
       また,平成11年6月(小学3年生時)ころ,学校で尿失禁が頻回 あった。
       しかし,学校を欠席することはほとんどなく,学習発表会ではせりふを覚えて演じることができ,きち
んと授業の記録をノートにとったり,朗読や,グループ発表もできるようになっていた。
     ⑥ 原告は,o児童相談所での知能検査において,平成10年8月14日(小学2年生時)IQ83(精神
年齢1歳の遅れ),平成11年5月27日(小学3年生時)IQ81(精神年齢1歳半の遅れ),同年6月14日ウィ
スクアールIQ60(言語66,動作61),平成14年5月2日(小学6年生時)IQ73(精神年齢3歳の遅れ)
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との診断を受け,同日,知的障害B(軽度知的障害)の判定を受け療育手帳の交付を受け,さらに平成16年7月28
日,知的障害Bの再判定を受けた。
     ⑦ 原告は,現時点では,左手の運動障害は窺えない。
  (二) 被告の安全配慮義務違反の有無についての考察
     前記認定事実を,甲第9ないし第14号証,第34,第35号証の各2,乙第8,第15号証,第17号証
の1,2並びに弁論の全趣旨に照らして考察すると,次のとおり認定できる。
 (1) 痙攣は,脳の電気的異常が,発作的な全身あるいは一部の骨格筋の不随意な収縮という形に表れたものであ
るが,骨格筋の収縮そのものの強弱が脳の電気的異常の強弱に対応しているとは限らず,骨格筋の収縮の程度,即ち痙
攣の程度が小さくても,脳の電気的異常が小さいとは限らない。
   痙攣が30分以上続く場合,又は2回以上の連続する痙攣があり,その間欠期にも完全な意識回復を見な
いものを痙攣重積発作といい,放置すると不可逆的脳損傷を引き起こす可能性がある。そのため,痙攣が持続している
場合には,可及的速やかに痙攣を停止させるために,酸素投与,心電図モニター装着,静脈路確保を行い,抗痙攣薬の
投与をするなどの措置をとることが必要である。
   また,痙攣を呈さない痙攣重積もあり,痙攣がなく昏睡状態のみを呈するため,脳波をとらない限り診断
は困難で,見逃される可能性がある。医師として,痙攣性疾患を鑑別する手順は,てんかん性か非てんかん性かを鑑別
し,てんかん性なら突発性か症候性かを鑑別し,初発のてんかん性痙攣は原則として入院とする(「臨床医マニュア
ル」)。
(2) 本件で,脳の電気的異常が起こった原因は,てんかん発作か,喘息薬テオフィリンの影響によるものと考
えられる(むしろ,後者の可能性が高い)が,痙攣が起こった場合になすべき処置については変わりはない。
(3) 新保育士養成講座「小児保健」には次の趣旨の記載がある。
  ① 小児の意識障害は,緊急を要することが多い。意識障害には,意識   混濁(傾眠,昏迷,昏睡)と
意識変化(せん妄,もうろう状態)があ   る。意識障害の原因は,脳炎,痙攣性疾患,薬物中毒等,たくさん存 
  在する。したがって,意識障害を認めたならば,園医(嘱託医)又は   主治医に連絡し,指示を仰ぐと同時
に,養育者にも連絡し,救急車の   手配も行う。
  ② 痙攣は突然起こる。冷静に観察し,対処しなければならない。
痙攣を起こしたとき行う観察の要点は,(ア)全身性か局所性か,片側痙攣か両側痙攣か,眼球は正面を向
いていたか,片方を向いていたか,呼びかけに反応するかどうか,痙攣が治まるまでに何分かかったか,痙攣後に眠っ
てしまったか嘔吐したかという痙攣の状態の把握,(イ)発熱の有無,(ウ)消化器症状,かぜの症状等他の症状の有無で
あり,痙攣に対する対応は,側臥位にさせるなどして,窒息させないようにした上,直ちに嘱託医や主治医に連絡し
て,指示を受け,痙攣が10分以上続いたときには救急車を呼び,医療機関での処置を受けることである。
③ 嘔吐があったときには,側臥位にさせるなどして,窒息事故を防ぎ,嘔吐の状態をよく観察して,医師
に連絡し,診察を受けさせてから,指示をもらう。
   (4) 家庭向けの医学書(「新赤本改訂新版家庭の医学」,「最新家庭の医学百科」)には次の趣旨の記載があ
る。
      乳幼児期の子供が,「①ぐったりして元気がなく,意識がはっきりしていないとき②痙攣を起こしている
とき③呼吸が弱く,止まりかかっているときには急いで病院に連れて行くべきであり」,「引きつけが長く続くと脳な
どの中枢神経系に低酸素状態による障害をおこすことがあるから,3分経っても引きつけが止まらない場合にはすぐに
救急車を呼び,救急車到着まで子供の様子を観察しておくよう」,「痙攣が10分以上続く場合若しくは2回以上痙攣
があった場合は,すぐに診察を受けるよう」,「チアノーゼはすべて,かかりつけの小児科か家庭医にすぐ診てもら
い,原因を調べなければならない」。
(5) 本件において,これを,結果的に客観的に解析すると,原告は,午後1時55分ころから約90分間に亘っ
て痙攣重積の状態にあったものであり,午後1時45分~50分ころ,1度目の痙攣発作が確認され,間欠期において
傾眠状態にあり,さらに10分もたたない午後1時55分ころに2度目の痙攣発作があり,その後も昏睡状態が続いて
おり,救急車を待機中の午後3時前には既にチアノーゼ状態にあり,救急搬出時には呼吸停止状態に至っていたものと
いえる。
    しかしながら,上記2度の痙攣発作は,その徴候が必ずしも際立ったものではなく,医師においてすらこ
れをにわかに痙攣重積に結びつけて考えることは困難な類いのものであって,医学的専門家でない保母らに対し,痙攣
重積を予見してこれに対する適切な対処をなすべきことを期待することはできない。また,午睡時間であったことや,
原告の日頃の反応が明確なものとはいえなかったことから,原告が傾睡状態にあるのを眠そうにしているものと誤認し
たこともやむを得ないものと言わざるを得ない。
   他方,保母らにおいて,原告が嘔吐を反復し,少なくとも軽度の痙攣発作を2度に亘って起こし,呼びか
けに対する反応も平素とは違う異常な状態にあることは確認できたのであるから,保護者である母eに連絡するにとど
まるのではなく,嘱託医等の然るべき医療機関に連絡してその指示を仰ぐべき保母としての義務を怠ったことは否定で
きず,その結果,早期に,原告を救急治療する機会を喪失したものというべきである。
(三) そうすると,上記の点で,被告には安全配慮義務違反があるといわざるを得ない。
 二 被告の安全配慮義務違反によって,原告に入院治療の必要性が生じ,あるいは知能障害又は知能障害の悪化が生
じたか 
  1 入院治療の必要性
    原告は,本件事故後21日間,入院治療を受けたが,これは,初発の痙攣発作であることから,経過を観察す
るとともに,その原因解明のために検査をする必要があることや,その最終診断名からも明らかなように,気管支喘
息,肺炎(誤飲性)の治療の必要性,また,痙攣重積症の治療,予後観察のためであったものと認められる。そして,
上記のための入院治療について,被告において早期に医師に相談し,救急車を呼んでおれば,必要でなかったものと認
めうる事情は認められない。
    そうすると,被告の安全配慮義務違反によって,原告が入院治療を余儀な くされたものとは認められない。
  2 知能障害の発生又は知能障害の悪化
  (一) 原告の左手の運動障害が生じたことについては,呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって,何ら
かの不可逆的脳損傷が引き起こされた結果であるものと推認され,したがって,何らかの脳損傷が起こされたことは窺
いうるところである。
  (二) その一方で,前示認定のとおり,原告は本件事故前から,知能,運動機能面の遅れがあったことが明らかで
あって,現在における原告の知能障害が,すべて,呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって生じたものとい
うことはできない。
  (三) 呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって,何らかの不可逆的  脳損傷が引き起こされる場合に
は,知能の発達が遅れている児童の方がよ  りその影響が出やすいものといわれている。
     しかしながら,原告の退院後の経過は良好であって,退院後,退行した形跡は窺えないことや,学齢期にな
って,知的活動の範囲が拡大し,学習内容がより高度になってくると,知的な遅れによる格差がより顕在化してくるも
のと考えられることなどに照らすと,現在の原告の知能障害が,本件事故前からあった発達の遅れが顕在化したもので
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なく,悪化した結果によるものであるとまではにわかに認定し難く,悪化したものと認めうる的確な資料もない。
     そうすると,呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって,原告  の知能障害が悪化したものとも
認め難い。
 三 被告の安全配慮義務違反によって,原告に左手の運動障害の後遺障害が生じ,また,原告が,知能障害あるいは
知能障害の悪化をさせないための最善の医学的処置を受ける機会を喪失させられて,精神的苦痛を受けたか
  1 左手の運動障害の後遺障害について
    現在もなお,原告に左手の運動障害の後遺障害が残存していることを窺いうる資料はないから,上記後遺障害
が残存していることを前提とする原告の損害賠償請求は理由がない。
    しかしながら,原告に左手の運動障害の後遺障害が相当期間残存していたことは否定できないから,そのため
に,原告が受けた精神的苦痛は慰謝されるべきところである。安全配慮義務違反の程度,後遺障害の内容,程度等に鑑
みると,これを慰謝すべき慰謝料は,30万円をもって相当と認める。
  2 最善の医学的処置を受ける機会の喪失について
    原告の知能障害が,呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって生じたものということはできないこと
は前示説示のとおりである。
    そして,原告の知能障害の悪化が,呼吸停止,痙攣重積症の治療が遅れたことによって生じたものと認定でき
ないことも前示のとおりではあるが,逆にその可能性が全くないものと否定し切ることもまたできないところであっ
て,原告には,被告において前示安全配慮義務を尽くし,早期に救急治療を受ける機会を得ておれば,現在のような状
況には至っていなかったかも知れないと両親ともども残念な想いが残ることは否めず,被告の安全配慮義務違反によっ
て,最善の医学的処置を受ける機会を喪失する結果となり,これによって精神的苦痛を被っているものと認定できる。
    そして,上記精神的苦痛を慰謝するには,安全配慮義務違反の程度等に鑑み,慰謝料120万円をもって相当
と認める。
 四 本件請求についての判断
   そうすると,原告は被告に対し,上記慰謝料合計150万円の損害賠償債権を有し,本件訴訟の遂行のために弁
護士費用を要したものと認められるところ,被告の安全配慮義務違反と相当因果関係のある弁護士費用分は,15万円
が相当である。
   そして,本件請求債権は債務不履行による損害賠償請求権であるから,期限の定めのない債権であって,被告に
対して請求をなした訴状送達の日の翌日である平成15年12月12日が遅延損害金の起算日となる。
 五 結論
   してみれば,原告の被告に対する本件請求は,安全配慮義務違反による債務不履行に基づく損害賠償金165万
円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年12月12日から支払済みまで民法所定年5分の割合による
遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから,上記限度で認容し,その余は失当として棄却すべく,訴訟費用の
負担につき民訴法64条本文,61条を,仮執行宣言につき同法259条1項を各適用して,主文のとおり判決する。
   岡山地方裁判所第1民事部
  裁 判 官      金馬健二
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