弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
本件上告を棄却する。
         理    由
 弁護人真貝暁,同萩原道雄の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,判例の具体
的摘示を欠き,その余は,事実誤認,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の
上告理由に当たらない。
 なお,所論にかんがみ,業務上過失致死罪の成否について,職権で判断する。
 1 原判決の認定及び記録によると,本件の経過は,次のとおりである。
 (1) 被告人は,B大学総合医療センター(以下「本センター」という。)の耳
鼻咽喉科科長兼教授であり,同科の医療行為全般を統括し,同科の医師を指導監督
して,診察,治療,手術等に従事させるとともに,自らも診察,治療,手術等の業
務に従事していた。原審相被告人C(以下「C」という。)は,本件当時,医師免
許を取得して9年目の医師であり,B大学助手の地位にあって,被告人の指導監督
の下に,耳鼻咽喉科における医療チームのリーダー(指導医)として,同チームに
属する医師を指導監督して,診察,治療,手術等に従事させるとともに,自らも診
察,治療,手術等の業務に従事していた。第1審相被告人D(以下「D」という。)
は,本件当時,医師免許を取得して5年目の医師であり,本センター病院助手の地
位にあって,被告人及びCの指導監督の下に,耳鼻咽喉科における診察,治療,手
術等の業務に従事していた。
 (2) 本センターの耳鼻咽喉科における診療は,日本耳鼻咽喉科学会が実施する
耳鼻咽喉科専門医の試験に合格した医師を指導医として,主治医,研修医各1名の
3名がチームを組んで当たるという態勢が採られていた。その職制上,指導医の指
導の下に主治医が中心となって治療方針を立案し,指導医がこれを了承した後,科
の治療方針等の最終的決定権を有する科長に報告をし,その承諾を得ることが必要
とされていた。難しい症例,まれな症例,重篤な症例等では,チームで治療方針を
検討した結果を医局会議(カンファレンス)にかけて討議し,科長が最終的な判断
を下していた。なお,耳鼻咽喉科では,原則として毎週木曜日,被告人による入院
患者の回診(教授回診)が行われ,それに引き続いて医局でカンファレンスが開か
れていた。
 (3) X(以下「X」という。)は,平成12年8月23日(以下,単に月日の
みを記す場合は,いずれも平成12年中のことである。),本センターで,Dの執
刀により,右顎下部腫瘍の摘出手術を受け,術後の病理組織検査により,上記腫瘍
は滑膜肉腫であり,再発の危険性はかなりあるという検査結果が出た。滑膜肉腫は
,四肢大関節近傍に好発する悪性軟部腫瘍であり,頭頸部領域に発生することはま
れで,予後不良の傾向が高く,多くは肺に転移して死に至る難病であり,確立され
た治療方法はなかった。9月7日,上記検査結果がカンファレンスで報告されたが
,同科には,被告人を始めとして滑膜肉腫の臨床経験のある医師はいなかった。X
の治療には,前記専門医の試験に合格しているCを指導医に,Dを主治医とし,こ
れに研修医が加わった3名が当たることになった。
 (4) その後,Xは,9月25日から再入院することとなった。9月18日か1
9日ころ,Dは,同科病院助手のA医師から,VAC療法が良いと言われ,同療法
を実施すればよいものと考えた。VAC療法とは,横紋筋肉腫に対する効果的な化
学療法と認められているもので,硫酸ビンクリスチン,アクチノマイシンD,シク
ロフォスファミドの3剤を投与するものである。硫酸ビンクリスチンの用法・用量
,副作用,その他の特記事項は,同薬剤の添付文書に記載されているとおりであり
,用法・用量として通常,成人については0.02∼0.05㎎/kgを週1回静
脈注射する,ただし,副作用を避けるため,1回量2㎎を超えないものとするとさ
れており,重要な基本的事項として骨髄機能抑制等の重篤な副作用が起こることが
あるので,頻回に臨床検査(血液検査,肝機能・腎機能検査等)を行うなど,患者
の状態を十分に観察すること,異常が認められた場合には,減量,休薬等の適切な
処置を行うこととされ,本剤の過量投与により,重篤又は致死的な結果をもたらす
との報告があるとされていた。また,各種の文献においても,その用法・用量につ
いて,最大量2㎎を週1回,ないしはそれ以上の間隔をおいて投与するものとされ
,硫酸ビンクリスチンの過剰投与によって致死的な結果が生じた旨の医療過誤報告
が少なからずなされていた。
 (5) 9月18日か19日ころ,Dは,本センターの図書館で文献を調べ,整形
外科の軟部腫瘍等に関する文献中にVAC療法のプロトコール(薬剤投与計画書)
を見付けたが,そこに記載された「week」の文字を見落とし,同プロトコール
が週単位で記載されているのを日単位と間違え,同プロトコールは硫酸ビンクリス
チン2㎎を12日間連日投与することを示しているものと誤解した。そのころ,D
は,Cに対し,上記プロトコールの写しを渡し,自ら誤解したところに基づき,硫
酸ビンクリスチン2㎎を12日間連日投与するなどの治療計画を説明して,その了
承を求めたが,CもVAC療法についての文献や同療法に用いられる薬剤の添付文
書を読まなかった上,上記プロトコールが週単位で記載されているのを見落とし,
Dの上記治療計画を了承した。さらに,9月20日ころ,Dは,被告人に,Xに対
してVAC療法を行いたい旨報告し,被告人はこれを了承した。被告人は,その際
,Dに対し,VAC療法の具体的内容やその注意点などについては説明を求めず,
投与薬剤の副作用の知識や対応方法についても確認しなかった。
 (6) 9月26日,Dは,医師注射指示伝票を作成するなどして,Xに硫酸ビン
クリスチン2㎎を9月27日から10月8日まで12日間連日投与するよう指示す
るなどし,9月27日からXへの硫酸ビンクリスチン2㎎の連日投与が開始された。
同日,Dは,看護師から硫酸ビンクリスチン等の使用薬剤の医薬品添付文書の写し
を受け取ったが,Xの診療録(カルテ)につづっただけで,読むこともなかった。
9月28日のカンファレンスにおいても,DはXにVAC療法を行っている旨報告
したのみで,具体的な治療計画は示さなかったが,被告人はそのままこれを了承し
た。
 (7) 9月27日から10月3日までの7日間,Xに硫酸ビンクリスチン2㎎が
連日投与され,10月1日には,歩行時にふらつき等の症状が生じ,10月2日に
は,起き上がれない,全身けん怠感,関節痛,手指のしびれ,口腔内痛,咽頭痛,
摂食不良,顔色不良等が見られ,体温は38.2度であり,10月3日には,強度
のけん怠感,手のしびれ,トイレは車椅子で誘導,口内の荒れ,咽頭痛,前頸部に
点状出血などが認められ,血液検査の結果,血小板が急激かつ大幅に減少している
ことが判明した。そこで,同日,Dの判断により,血小板が輸血され,硫酸ビンク
リスチンの投与は一時中止された。
 (8) 被告人は,9月28日の教授回診の際,Xを診察し,10月初め(10月
2,3日ころと認められる。),病棟内でXが車いすに乗っているのを見かけ,抗
がん剤の副作用で身体が弱ってきたと思い,10月4日にはXの様子を見て重篤な
状態に陥っていることを知ったが,硫酸ビンクリスチンの過剰投与やその危険性に
は思い至らず,Dらに対し何らの指示も行わなかった。
 (9) 10月6日夕方,C,D,A医師が,Dが参考にしたプロトコールを再検
討した結果,週単位を日単位と間違えて硫酸ビンクリスチンを過剰に投与していた
ことが判明した。Xは,10月7日午後1時35分,硫酸ビンクリスチンの過剰投
与による多臓器不全により死亡した。
 (10) 症例として18歳の女性に誤って5日間連続して1日2mgのビンクリス
チンを投与したものの生存した例があり,本センター救命救急センター教授Eは,
10月1日の5倍投与の段階であれば,応援要請があれば救命の自信があり,10
月4日までなら実際に治療してみないと分からないと供述している。
 2 第1審判決及び原判決が認定した過失は,次のとおりである。
 第1審判決は,Dに対し,誤った抗がん剤の投与計画を立てて連日硫酸ビンクリ
スチンを投与した過失及び高度の副作用が出ていたのに適切な対応をとらなかった
過失,C及び被告人に対し,①誤った投与計画を漫然と承認し過剰投与させた過失
,②副作用に対する対応についてDを事前に適切に指導しなかった過失をそれぞれ
認定した。これに対し,被告人と検察官が各控訴を申し立て,原判決は,C及び被
告人の①の各過失については,第1審判決の認定を是認したが,第1審判決が,副
作用への対応に関し,訴因に記載されていた副作用への対処義務を認めず,②の指
導上の過失のみを認めたことには,事実の誤認があるとして破棄・自判し,被告人
に対する犯罪事実として,次のとおりの業務上の注意義務及び過失を認定した。
 (1) 科長であり,患者に対する治療方針等の最終的な決定権者である被告人と
しては,Dの治療計画の適否を具体的に検討し,誤りがあれば直ちにこれを是正す
べき注意義務を負っていた。ところが,9月20日ころ,Dから前記化学療法計画
について承認を求められた際,その策定の経緯,検討内容(副作用に関するものを
含む。)の確認を怠り,前記化学療法を実施することのみの報告を受けて,具体的
な薬剤投与計画を確認しなかったため,それが硫酸ビンクリスチン1日2㎎を12
日間連日投与するという誤ったものであることを見逃してこれを承認し,以後,D
らをして,前記薬剤の投与間隔の誤った化学療法計画に基づいて,硫酸ビンクリス
チンを連日Xの体内に静脈注射させて過剰投与させた。
 (2) 前記化学療法を実施した際には,Xに対する治療状況,副作用の発現状況
等を的確に把握し,高度な副作用が発現した場合には,速やかに適切な対症療法を
施して,Xの死傷等重大な結果の発生を未然に防止しなければならない注意義務が
あったのに,これを怠り,9月28日に実施された科長回診の際に同女のカルテ内
容の確認を怠るなどした。
 3 そこで,被告人の過失について検討する。
 (1) 2(1)の過失について
 右顎下の滑膜肉腫は,耳鼻咽喉科領域では極めてまれな症例であり,本センター
の耳鼻咽喉科においては過去に臨床実績がなく,同科に所属する医局員はもとより
被告人ですら同症例を扱った経験がなかった。また,Dが選択したVAC療法につ
いても,D,Cはもちろん,被告人も実施した経験がなかった。しかも,VAC療
法に用いる硫酸ビンクリスチンには強力な細胞毒性及び神経毒性があり,使用法を
誤れば重篤な副作用が発現し,重大な結果が生ずる可能性があり,現に過剰投与に
よる死亡例も報告されていたが,被告人を始めDらは,このようなことについての
十分な知識はなかった。さらに,Dは,医師として研修医の期間を含めて4年余り
の経験しかなく,被告人は,本センターの耳鼻咽喉科に勤務する医師の水準から見
て,平素から同人らに対して過誤防止のため適切に指導監督する必要を感じていた
ものである。このような事情の下では,被告人は,主治医のDや指導医のCらが抗
がん剤の投与計画の立案を誤り,その結果として抗がん剤が過剰投与されるに至る
事態は予見し得たものと認められる。【要旨】そうすると,被告人としては,自ら
も臨床例,文献,医薬品添付文書等を調査検討するなどし,VAC療法の適否とそ
の用法・用量・副作用などについて把握した上で,抗がん剤の投与計画案の内容に
ついても踏み込んで具体的に検討し,これに誤りがあれば是正すべき注意義務があ
ったというべきである。しかも,被告人は,DからVAC療法の採用について承認
を求められた9月20日ころから,抗がん剤の投与開始の翌日でカンファレンスが
開催された9月28日ころまでの間に,Dから投与計画の詳細を報告させるなどし
て,投与計画の具体的内容を把握して上記注意義務を尽くすことは容易であったの
である。ところが,被告人は,これを怠り,投与計画の具体的内容を把握しその当
否を検討することなく,VAC療法の選択の点のみに承認を与え,誤った投与計画
を是正しなかった過失があるといわざるを得ない。したがって,これと同旨の原判
断は正当である。
(2) 2(2)の過失について
 抗がん剤の投与計画が適正であっても,治療の実施過程で抗がん剤の使用量・方
法を誤り,あるいは重篤な副作用が発現するなどして死傷の結果が生ずることも想
定されるところ,被告人はもとよりD,Cらチームに所属する医師らにVAC療法
の経験がなく,副作用の発現及びその対応に関する十分な知識もなかったなどの前
記事情の下では,被告人としては,Dらが副作用の発現の把握及び対応を誤ること
により,副作用に伴う死傷の結果を生じさせる事態をも予見し得たと認められる。
【要旨】そうすると,少なくとも,被告人には,VAC療法の実施に当たり,自ら
もその副作用と対応方法について調査研究した上で,Dらの硫酸ビンクリスチンの
副作用に関する知識を確かめ,副作用に的確に対応できるように事前に指導すると
ともに,懸念される副作用が発現した場合には直ちに被告人に報告するよう具体的
に指示すべき注意義務があったというべきである。被告人は,上記注意義務を尽く
せば,遅くとも,硫酸ビンクリスチンの5倍投与(10月1日)の段階で強い副作
用の発現を把握して対応措置を施すことにより,Xを救命し得たはずのものである。
被告人には,上記注意義務を怠った過失も認められる。
 原判決が判示する副作用への対応についての注意義務が,被告人に対して主治医
と全く同一の立場で副作用の発現状況等を把握すべきであるとの趣旨であるとすれ
ば過大な注意義務を課したものといわざるを得ないが,原判決の判示内容からは,
上記の事前指導を含む注意義務,すなわち,主治医らに対し副作用への対応につい
て事前に指導を行うとともに,自らも主治医等からの報告を受けるなどして副作用
の発現等を的確に把握し,結果の発生を未然に防止すべき注意義務があるという趣
旨のものとして判示したものと理解することができるから,原判決はその限りにお
いて正当として是認することができる。
 よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,
主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 横尾和子 裁判官 泉 徳治 裁判官 島
田仁郎 裁判官 才口千晴)

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