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主文
1原判決主文第1項中上告人の損害賠償請求以外の請
求に係る上告人の控訴を棄却した部分,第2項(2)
中上告人の損害賠償請求以外の請求を棄却した部分
並びに第3項(1)中12万7901円及びこれに対
する平成20年4月26日から支払済みまで年5分
の割合による金員の支払を命じた部分を超える部分
を破棄する。
2前項の破棄部分につき,本件を東京高等裁判所に差
し戻す。
3上告人のその余の上告を棄却する。
4前項に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人西村紀子,同岡田尚,同佐藤正知の上告受理申立て理由第2について
1本件は,人材派遣を業とする会社である被上告人に雇用されて派遣労働者と
して就労していた上告人が,被上告人に対し,平成17年5月から同18年10月
までの期間における時間外労働(法定の労働時間を超える時間における労働をい
う。以下同じ。)に対する賃金(以下「時間外手当」という。)及びこれに係る付
加金の支払等を求める事案である。
2原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)人材派遣を業とする会社である被上告人は,平成16年4月26日,雇用
期間を同年7月31日まで,基本給を月額41万円,賃金の計算期間を毎月1日か
ら末日までとし,毎月10日に前月分の賃金を支払う旨の約定の下に,上告人を派
遣労働者として雇用した。上告人と被上告人との間の雇用契約(以下「本件雇用契
約」という。)においては,上記のとおり基本給を月額41万円とした上で,1か
月間の労働時間の合計(以下「月間総労働時間」という。)が180時間を超えた
場合にはその超えた時間につき1時間当たり2560円を支払うが,月間総労働時
間が140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間当たり2920
円を控除する旨の約定がされている。被上告人は,就業規則において,労働時間を
1日8時間,休日を土曜日,日曜日,国民の祝日,年末年始(12月30日から1
月3日まで)その他会社が定める休日と定めている。
(2)上告人は,平成17年5月から同18年10月までの間の各月において,
いずれも1週間当たり40時間を超える労働又は1日当たり8時間を超える労働を
した。同期間の各月において,上告人の月間総労働時間は,平成17年6月にあっ
ては180時間を超え,それ以外の各月にあっては180時間以下であった。
(3)本件雇用契約は,4回更新され,上告人は,最終の契約満了日である平成
18年12月31日に被上告人を退職した。
(4)第1審は,上告人の請求の一部を認容し,①損害賠償として12万円及
びこれに対する平成19年1月1日から支払済みまで年5%の割合による金員,②
時間外手当として14万7708円及びこれに対する同月11日から支払済みまで
年14.6%の割合による金員,③上記②の時間外手当に係る付加金として2万
3097円及びこれに対する判決確定の日の翌日から支払済みまで年5%の割合に
よる金員の各支払を命ずるとともに,上記①及び②について仮執行をすることがで
きることを宣言する旨の判決を言い渡した。被上告人は,平成20年4月25日,
上告人に対し,この仮執行の宣言に基づき,上記①に係る12万7901円(元本
12万円と同19年1月1日から同20年4月25日までの遅延損害金7901円
の合計額)及び上記②に係る17万5516円(元本14万7708円と同19年
1月11日から同20年4月25日までの遅延損害金2万7808円の合計額)を
支払った。
3原審は,上記事実関係等の下において,月間総労働時間が180時間を超え
る月の労働時間のうちその超える部分における時間外労働(以下「月間180時間
を超える労働時間中の時間外労働」という。)に対する時間外手当の請求は認容す
べきであるが,その余の時間外労働(月間総労働時間が180時間を超える月の労
働時間のうち180時間を超えない部分又は月間総労働時間が180時間を超えな
い月の労働時間における時間外労働。以下「月間180時間以内の労働時間中の時
間外労働」という。)に対する時間外手当の請求は棄却すべきものとし,月間18
0時間を超える労働時間中の時間外労働に対する時間外手当3万3153円から時
間外手当として既に支給された1万9840円を控除した1万3313円及びこれ
に対する平成19年1月11日から支払済みまで年14.6%の割合による金員
(前記2(4)②の一部)の支払を命じ,また,上告人の時間外手当に係る付加金の
請求も棄却すべきものとした。その判断の要旨は,次のとおりである。
上告人と被上告人は,本件雇用契約を締結するに当たり,月間総労働時間が14
0時間から180時間までの労働について月額41万円の基本給を支払う旨を約し
たものというべきであり,上告人は,本件雇用契約における給与の手取額が高額で
あることから,標準的な月間総労働時間が160時間であることを念頭に置きつ
つ,それを1か月に20時間上回っても時間外手当は支給されないが,1か月に2
0時間下回っても上記の基本給から控除されないという幅のある給与の定め方を受
け入れ,その範囲の中で勤務時間を適宜調節することを選択したものということが
できる。これらによれば,本件雇用契約の条件は,それなりの合理性を有するもの
というべきであって,上告人の基本給には,月間180時間以内の労働時間中の時
間外労働に対する時間外手当が実質的に含まれているということができ,また,上
告人の本件雇用契約に至る意思決定過程について検討しても,有利な給与設定であ
るという合理的な代償措置があることを認識した上で,月間180時間以内の労働
時間中の時間外労働に対する時間外手当の請求権をその自由意思により放棄したも
のとみることができる。
4しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次
のとおりである。
(1)本件雇用契約は,前記2(1)のとおり,基本給を月額41万円とした上で,
月間総労働時間が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき1時間当たり
一定額を別途支払い,月間総労働時間が140時間に満たない場合にはその満たな
い時間につき1時間当たり一定額を減額する旨の約定を内容とするものであるとこ
ろ,この約定によれば,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされて
も,基本給自体の金額が増額されることはない。
また,上記約定においては,月額41万円の全体が基本給とされており,その一
部が他の部分と区別されて労働基準法(平成20年法律第89号による改正前のも
の。以下同じ。)37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情
はうかがわれない上,上記の割増賃金の対象となる1か月の時間外労働の時間は,
1週間に40時間を超え又は1日に8時間を超えて労働した時間の合計であり,月
間総労働時間が180時間以下となる場合を含め,月によって勤務すべき日数が異
なること等により相当大きく変動し得るものである。そうすると,月額41万円の
基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割
増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきである。
これらによれば,上告人が時間外労働をした場合に,月額41万円の基本給の支
払を受けたとしても,その支払によって,月間180時間以内の労働時間中の時間
外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすること
はできないというべきであり,被上告人は,上告人に対し,月間180時間を超え
る労働時間中の時間外労働のみならず,月間180時間以内の労働時間中の時間外
労働についても,月額41万円の基本給とは別に,同項の規定する割増賃金を支払
う義務を負うものと解するのが相当である(最高裁平成3年(オ)第63号同6年
6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁参照)。
(2)また,労働者による賃金債権の放棄がされたというためには,その旨の意
思表示があり,それが当該労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でな
ければならないものと解すべきであるところ(最高裁昭和44年(オ)第1073
号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁参照),そもそも本
件雇用契約の締結の当時又はその後に上告人が時間外手当の請求権を放棄する旨の
意思表示をしたことを示す事情の存在がうかがわれないことに加え,上記のとお
り,上告人の毎月の時間外労働時間は相当大きく変動し得るのであり,上告人がそ
の時間数をあらかじめ予測することが容易ではないことからすれば,原審の確定し
た事実関係の下では,上告人の自由な意思に基づく時間外手当の請求権を放棄する
旨の意思表示があったとはいえず,上告人において月間180時間以内の労働時間
中の時間外労働に対する時間外手当の請求権を放棄したということはできない。
(3)以上によれば,本件雇用契約の下において,上告人が時間外労働をした月
につき,被上告人は,上告人に対し,月間180時間以内の労働時間中の時間外労
働についても,本件雇用契約に基づく基本給とは別に,労働基準法37条1項の規
定する割増賃金を支払う義務を負うものというべきである。
(4)なお,本件雇用契約において,基本給は月額41万円と合意されているこ
と,時間外労働をしないで1日8時間の勤務をした場合の月間総労働時間は,当該
月における勤務すべき日数によって相応に変動し得るものの,前記2(1)の就業規
則の定めにより相応の日数が休日となることを踏まえると,おおむね140時間か
ら180時間までの間となることからすれば,本件雇用契約における賃金の定め
は,通常の月給制の定めと異なる趣旨に解すべき特段の事情のない限り,上告人に
適用される就業規則における1日の労働時間の定め及び休日の定めに従って1か月
勤務することの対価として月額41万円の基本給が支払われるという通常の月給制
による賃金を定めたものと解するのが相当であり,月間総労働時間が180時間を
超える場合に1時間当たり一定額を別途支払い,月間総労働時間が140時間未満
の場合に1時間当たり一定額を減額する旨の約定も,法定の労働時間に対する賃金
を定める趣旨のものと解されるのであって,月額41万円の基本給の一部が時間外
労働に対する賃金である旨の合意がされたものということはできない。
5これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違
反があり,論旨はこの趣旨をいうものとして理由がある。
さらに,職権により判断するに,原審は,上告人の平成17年6月分の12時間
57分の時間外労働に対する時間外手当につき,1時間当たりの単価2562.5
円に時間外手当の係数1.25を乗ずるものとしながら,その計算結果を3万31
53円としているところ,この計算結果は上記計算方法と合致しないものであり,
原審の判断中この部分には判決に影響を及ぼすことが明らかな違法がある。
以上によれば,原判決中,上告人の時間外手当の請求及びこれに係る付加金の請
求を棄却すべきものとした部分(上記各請求に係る上告人の控訴を棄却した部分及
び被上告人の附帯控訴に基づき第1審判決を変更して上告人の請求を棄却した部
分)並びに被上告人の仮執行の原状回復申立てに基づいて上告人に被上告人に対す
る金員の支払を命じた部分のうち時間外手当の請求に係る部分は,破棄を免れな
い。そして,前記4(4)の特段の事情の有無,上告人に支払われるべき時間外手当
の額,付加金の支払を命ずることの適否及びその額,被上告人の仮執行の原状回復
申立てのうち時間外手当の請求に係る部分の適否等について更に審理を尽くさせる
ため,上記破棄部分につき本件を原審に差し戻すこととする。なお,その余の請求
に関する上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除され
たので,これを棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官櫻井龍
子の補足意見がある。
裁判官櫻井龍子の補足意見は,次のとおりである。
本件に関し,労働基準法等の趣旨を踏まえ若干指摘しておきたい点があるので,
補足意見を付しておきたい。
1労働基準法37条は,同法が定める原則1日につき8時間,1週につき40
時間の労働時間の最長限度を超えて労働者に労働をさせた場合に割増賃金を支払わ
なければならない使用者の義務を定めたものであり,使用者がこれに違反して割増
賃金を支払わなかった場合には,6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せ
られるものである(同法119条1号)。
このように,使用者が割増の残業手当を支払ったか否かは,罰則が適用されるか
否かを判断する根拠となるものであるため,時間外労働の時間数及びそれに対して
支払われた残業手当の額が明確に示されていることを法は要請しているといわなけ
ればならない。そのような法の規定を踏まえ,法廷意見が引用する最高裁平成6年
6月13日判決は,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃
金に当たる部分とを判別し得ることが必要である旨を判示したものである。本件の
場合,その判別ができないことは法廷意見で述べるとおりであり,月額41万円の
基本給が支払われることにより時間外手当の額が支払われているとはいえないとい
わざるを得ない。
便宜的に毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当
が算入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが,その場合
は,その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給
対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならな
いであろう。さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支
給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなけれ
ばならないと解すべきと思われる。本件の場合,そのようなあらかじめの合意も支
給実態も認められない。
2さらに,原審は,本件では手取額を大幅に増加させることとの均衡上変則的
な労働時間が採用されるに至ったもので合理性を有するとして,個々の労働基準法
の規定や同法全体の趣旨に実質的に反しない限りは私的自治の範囲内のものである
としているが,契約社員としての月額41万円という基本給の額が,大幅に増額さ
れたものである,あるいは格段に有利な給与設定であるとの評価は,原審の認定し
た事実関係によれば,派遣労働者である契約社員という立場を有する上告人の給与
については妥当しないと思われる。確かに,41万円という額は,正規社員として
雇用される場合の条件として被上告人から提示された基本給月額と単純に比較すれ
ば,7万円余り高額ではあるものの,上告人は契約社員であるため正規社員と異な
り,家族手当を始めとする諸手当,交通費,退職金は支給されず,毎年度の定期昇
給も対象外であるなど,契約内容の全体としては,決して格段に有利な給与設定と
いえるほどのものとは思われない。さらに,本件の場合,数か月を限った有期雇用
の契約社員であるから身分は不安定といわざるをえず,仕事の内容等も自由度や専
門性が特別高く上告人の裁量の幅が大きいものとも思えず,原判決のいうように私
的自治の範囲の雇用契約と断定できるケースとは大きな隔たりがあるように思われ
る。
3労働基準法の定める労働時間の一日の最長限度等を超えて労働しても例外的
に時間外手当の支給対象とならないような変則的な労働時間制が法律上認められて
いるのは,現在のところ,変形労働時間制,フレックスタイム制,裁量労働制があ
るが,いずれも要件,手続等が法令により相当厳格に定められており,本件の契約
形態がこれらに該当するといった事情はうかがわれない。
近年,雇用形態・就業形態の多様化あるいは産業経済の国際化等が進む中で,労
働時間規制の多様化,柔軟化の要請が強くなってきていることは事実であるが,こ
のような要請に対しては,長時間残業がいまだ多くの事業場で見られ,その健康に
及ぼす影響が懸念されている現実や,いわゆるサービス残業,不払残業の問題への
対処など,残業をめぐる種々の状況も踏まえ,今後立法政策として議論され,対応
されていくべきものと思われる。
(裁判長裁判官金築誠志裁判官宮川光治裁判官櫻井龍子裁判官
横田尤孝裁判官白木勇)

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