弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原決定及び原原決定を取り消す。
     本件を高松地方裁判所に差し戻す。
         理    由
 申立人本人の抗告の趣意は、事実誤認の主張であり、弁護人小早川輝雄、同佐藤
進、同佐野孝次、同赤松和彦の抗告の趣意は、違憲(憲法三二条、三一条違反)を
いうが、その実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張を出ないものであり、弁護
人矢野伊吉の抗告の趣意は、違憲(憲法三七条違反)をいうが、その実質は、事実
誤認、単なる法令違反の主張に帰し、以上はすべて刑訴法四三三条の抗告適法の理
由にあたらない。
 しかしながら、所論にかんがみ職権をもつて調査すると、後に詳述する理由によ
つて、原決定及び原原決定は、同法四一一条一号により取消しを免れない。
 第一 本件再審請求の経過
 一 本件再審請求の対象である確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、
「被告人(犯行当時一九才)は、借金の支払と小遣銭に窮し、a村の一人暮しのブ
ローカーAが日頃多額の現金をもつていると考え、これを場合によつては強奪しよ
うと企て、昭和二五年二月二八日午前二時過ぎころ、国防色ズボン(証二〇号)等
を身につけ、刺身包丁を携え同人方に到り、同家炊事場入口の錠である俗にゴツト
リといわれるものを刃物様のもので突いてあけて侵入、就寝中の同人の枕許あたり
を物色したが、胴巻が見当らなかつたため、いつそ同人を殺害して金員を奪おうと
とつさに決意し、同人の頭、腰、顔を多数回切りつけ突くなどし、同人の腹に巻い
てあつた胴巻の中から現金一万三千円位を強奪したあと、なおも止めを刺すべく、
心臓部に一回包丁を突き刺し、包丁を全部抜かずにさらに同じ部位を突き刺して(
後記のいわゆる二度突き)、同人を殺害した」というのである。
 二 本件申立人(以下、単に申立人という。)は、第一審の公判において捜査段
階での自白を全面的に翻して犯行を否認したが、第一審判決(昭和二七年二月二〇
日言渡し)は、右の事実を認定したうえ、関係法条を適用して申立人を死刑に処し
た。
 右の認定に供された証拠としては、申立人の昭和二五年八月二一日付の検察官に
対する第四回供述調書(以下、単に第四回検面調書という。)のほか、被害者の血
液型O型と同型の血痕の付着した国防色ズボン(証二〇号)を含め合計二六点の証
拠物、鑑定書、検証調書、被害者の妻、捜査官の各証言等が挙示されている。
 三 第二審判決(昭和三一年六月八日言渡し)は、第一審判決の事実認定を是認
し、申立人の控訴を棄却した。その理由の骨子は次のとおりである。すなわち、
 (一) 被害者の創傷のうち、とくに頭、胸、口角部、右手指等の切創は、申立
人が犯行当時の模様、凶器の用法について第四回検面調書中で供述したことと符合
し、申立人のその旨の自白を裏付けていること
 (二) 申立人が本件当夜着用していたと自白する国防色ズボン(証二〇号)右
脚表部に、O型のしかも飛沫血痕のようにみえる人血痕が付着し、鑑定書によると
これが被害者の血液型O型と一致すること
 (三) 司法警察員作成の検証調書によると、犯人の出入口と思われる炊事場入
口の板戸の錠になつているゴツトリを刃物様のもので開けて侵入した痕跡が認めら
れるが、これが第四回検面調書中の申立人の侵入口についての自白と一致すること
を挙げ、以上三点が有力な資料とされるべきであるとしたほか
 (四) 第四回検面調書の自白の真実性に疑いはないこと
 (五) 凶器の刺身包丁は申立人が犯行後帰宅の途中投げ棄てたというbc付近
の川の中から発見されていないが、検証の結果によると、包丁は流失埋没の可能性
があり、また本件後五か月を経過して捜索がおこなわれたため、これが発見されな
くても、そのことの故に凶器を右のbに投げ棄てたとの自白に真実性がないとは認
められないこと
 (六) 申立人が主張する本件当夜のアリバイは成立しないこと
 (七) 申立人に対し取調官が違法不当な取調べをしたとは認められないことな
どの四点を挙示している。
 四 上告審判決(昭和三二年一月二二日言渡し)は、一、二審における申立人の
主張を反復した上告趣意に対し、事実誤認、訴訟法違反の主張を出ないものであつ
て上告適法の理由にあたらない、第二審の控訴趣意に対する説示は正当であると認
められる、として上告を棄却し、第一審判決が確定するに至つたものである。
 五 第一次再審請求
 (一) 昭和三二年三月三〇日申立人から再審請求がされた。申立人の主張は刑
訴法四三五条一号、二号所定の再審事由があるというのであるが、その主張自体右
の再審事由にあたらないものであるところ、その理由の要旨は、
 (A) 申立人が当時はいていた靴と犯行現場の遺留足跡痕とが一致していると
いうのに、その靴が警察官に押収されたにもかかわらず証拠として公判廷に提出さ
れていないのは両者が一致していないことを示しているということ
 (B) 当時申立人が着用していたズボンは、国防色の軍人用のものであるが、
それを友人に貸したことがあり、そのズボンが証拠物として押収されているとして
も、それに付着している血痕はその友人の血かもしれないし、当時警察官をしてい
た申立人の兄Bが国防色ズボンをはいていたことがあつたが、Cという人の鉄道自
殺を警察官の兄が処理した際、Cの血がズボンに付着したものとも思われるし、ま
た被害者の血液はON型であるから、国防色ズボン(証二〇号)の付着血痕がO型
と判明しているだけでは、右ズボンの血液が被害者の血液であると断定することは
できないということ
 (C) 犯行現場のリユツクサツク、バンド、マフラー等の遺留物件に関する捜
査が不十分であり、かつ、ほかに真犯人がいると聞いているし、友人のDらが真犯
人かもしれない、また凶器の入手経路を調べてもらいたいということ
 (D) Aが殺害された日の後である昭和二五年四月一日に申立人が犯した農業
協同組合での強盗傷人罪の容疑で申立人が警察署へ車で押送される途中、本件の賍
金の費消残金八千円を申立人が車の中から捨てたと警察官はいうのであるが、両手
錠をかけられ監視つきであつた申立人にそのようなことのできるはずはなく、右は
警察官の虚偽の供述であるということなどである。
 (二) 右の再審請求に対して、第一審は、以上の主張は刑訴法四三五条一号、
二号、六号所定の再審事由にあたらないとして申立人の請求を棄却した(昭和三三
年三月二〇日付決定)。
 なお、第一審は右の棄却決定と同時に即時抗告申立の期間を延長して七日間とし、
棄却決定に対して不服申立をすることができることを教示した書面を別途送付した
にもかかわらず、申立人は即時抗告の申立をしなかつた。
 六 第二次再審請求(本件)
 (一) 本件再審請求は、前記第一次再審請求棄却決定がされてから、ほぼ一一
年余を経過した昭和四四年四月、それよりさきに申立人が裁判所にあて自己の無実
の罪であることをうつたえた書信の真意が再審請求の申立であるとして扱われ、第
二次再審請求に対する手続が開始されることとなつた。
 (二) その請求の理由としては、前記五の(一)の(A)ないし(D)に掲げ
られた理由のほか主要なものとして次のような点を挙げている。すなわち、
 (A)(1) 真犯人はDであるということ
 (2) 本件は強盗殺人事件ではなく単純な殺人事件であつて申立人の犯行では
ないということ
 (3) 捜査段階の自白は、取調官の拷問に堪えかねてされた虚偽の自白であつ
て任意性がないということ
 (B)(1) 申立人作成名義の手記五通は捜査官が偽造したものであるという
こと
 (2) 国防色ズボン(証二〇号)は警察に領置されていた間に申立人の弟が普
段はいていたズボンとすりかえられたものであるということ
 (C) 第四回検面調書は、検察官が勝手に作成した内容虚偽のものであるとい
うこと
 (D)(1) 刺身包丁が、申立人が棄てたと自白した場所(bc付近)から発
見されていないのは、自白が虚偽であることの証拠であるということ
 (2) いわゆる二度突きについての自白は取調官の誘導によるものであるとい
うこと
 (3) 犯行当夜の申立人にアリバイがあるということ
 (4) 公判に提出されない捜査段階の記録が紛失しているが、これは単に事務
上の過誤では片づけられないということなどである。
 (三) 原原審の判断(昭和四七年九月三〇日付決定)
 原原審は、前記申立人の主張が刑訴法所定の再審事由各号のいずれをいうもので
あるかにつき釈明を求めることなく、審理の過程で、新たな証拠として前記手記の
筆跡鑑定を命じ、鑑定人E作成の鑑定書を取り調べたほか、第一審公判手続で取り
調べた幾多の証人を喚問するなど、公判手続の証拠調にも比肩する詳細な事実調べ
をおこなつた結果、本件再審請求は、刑訴法に定めるいずれの再審事由にもあたら
ないとしてこれを棄却した。
 (A) その理由の骨子は次のとおりである。すなわち、
 (1) Dを真犯人と認める証拠はない。
 (2) 手記五通は、その筆跡は申立人の筆跡と認めることは困難であるとのE
作成の鑑定書によつても、偽造とは認められない。
 (3) 国防色ズボン(証二〇号)が捜査官により故意にすりかえられた形跡は
なく、同ズボンに付着した血痕は鉄道自殺をしたCあるいは前記農業協同組合での
強盗傷人罪の被害者Fの血液ではない。
 (4) 凶器の刺身包丁が発見されないことから直ちに申立人の自白の真実性を
否定することにはならないとした確定判決の判断に異論はない。
 (5) 真犯人でなければわからないはずのいわゆる二度突き(胸部を一回突き
刺し、包丁を全部抜かないでさらに突き込んだため、創傷の外部所見は一個である
のに内景でV字型に分かれていること)の事実については、申立人が自白をした当
時(昭和二五年七月二九日付、同年八月五日付の司法警察員に対する各供述調書)
は捜査官はまだ鑑定書(同年八月二五日作成日付)を見ておらず、二度突きのこと
は知らなかつたのであるから、捜査官による自白の誘導はありえないとの捜査官の
証言を覆すに足りる新らしい証拠はない。
 (6) 第四回検面調書が検察官の偽造したものと認める証拠はない。
 (7) 申立人のアリバイは認められない。
 (8) 公判不提出記録を紛失した事実は認められるが、これは事務処理上の過
誤としては異例ではあるが、捜査官が故意に廃棄又は隠匿したとは認めることはで
きない、というのである。
 (B) しかしながら、原原決定は、確定判決の事実認定には個々の点につき解
明できない疑点が数々あるとしている。その要点は次のとおりである。すなわち、
 (1) 捜査官の供述によると、現場に遺留されていた血痕足跡は申立人が当時
はいていたとして発見された黒皮短靴とは寸法が違つていたというが、そうである
ならば、捜査官は申立人が犯行時にはいていたという黒皮短靴についてなお追求し
又は捜査を遂げるべきであつた。また、これを押収し、公判廷に提出して犯行現場
に残された血痕足跡が犯行当時申立人がはいていたという黒皮短靴と寸法が合うか
否かを明白にすべきであつたのにこれをしなかつたことは不可解である。
 (2) 第四回検面調書の申立人の自白の真実性には疑問がある。同調書には、
取り調べ中の申立人に国防色ズボン(証二〇号)等の証拠物を示しこれに対する供
述をさせた旨の記載があるが、これは誤りではないかとの疑問がある。その点につ
き検察官は、当時鑑定のため鑑定人に交付し自己の手許に存在しなかつた証拠物の
一部を鑑定中の岡山大学から便宜借用して警察官に持ち帰らせ、これを申立人に示
したものであると主張するが、その明確な証拠はない。同ズボンに当時検察官の手
許にあつた証拠物との通し番号がつけられているのも疑問である。
 (3) 国防色ズボン(証二〇号)から検出された血痕はごく微量であること、
国防色上衣に血痕反応が認められないことからみると、犯行時これを着用していな
かつたのではないかとの疑問がある。右ズボンに微量にしか付着していないO型血
液が申立人と犯行とを結びつける決定的証拠であるとすることは疑問である。
 (4) 凶器の刺身包丁が申立人の自白どおりa村の青年学校で盗まれたものか
どうかの裏付けが明白でない。
 (5) いわゆる二度突きについては、捜査官はその旨の記載のある鑑定書が到
達するまでは知りえなかつたというのであるが、本件の翌日解剖された結果を、取
調べ主任のG警部補が知らなかつたと弁解するのは不可解であり、本件担当の警察
署長がその事実を同警部補に知らせなかつたというのもいいすぎであり裁判所を誤
らせるものである。
 (6) 被害者の腹部に巻かれてあつたという胴巻には血痕が付着していない。
犯行現場の状況からすれば、これに血痕が付着すると推認できるのに、付着してい
ない理由について深い検討がなされた形跡はない。犯行直後に行われた警察官の検
証の結果によれば、胴巻は室内の着物かけにかけてあつたことが明らかであるから、
犯人において被害者が腹部に巻いていた胴巻を外して着物かけに移動させたという
ことには大きな疑問がある。また、申立人の自白によれば、手についた血を布様の
ものでぬぐつたあと胴巻をつかんだということであるが、胴巻から取り出した奪取
金の札にも血がついていたものがあるというのであるから、胴巻と財布に血痕がつ
いていないということは、胴巻が被害者の腹部に巻かれてはおらず、犯人はこれら
には手を触れていないのではないかとの疑問も否定できない。
 (7) 申立人が自白するところによれば、申立人は警察官の監視のもとで連行
途中の自動車のなかから両手錠のまま賍金の残額八千円を車外に捨てたということ
であるが、警察官に気づかれないように車外に投棄することができたか甚だ疑問で
あり、しかも申立人には当時この金員が残つていたのに、別件の農業協同組合での
強盗傷人の罪を犯したことも不合理である。
 (8) 申立人の自白は、本件捜査の過程、自白内容の変遷、裏付証拠の不足か
らしてその任意性、真実性には問題ががあり、これと関連して第四回検面調書の任
意性、真実性にも疑問なしとしない、というのである。
 なお、原原決定は、本件の公判に提出されなかつた捜査記録の一部の紛失が、前
記の疑点について真相を把握することができない結果を生じさせる一因ともなつて
いると述べている。
 (四) 原審の判断(昭和四九年一二月五日付決定)
 原審は、原原審が本件につき再審開始の事由は認められないとする判断は妥当で
あるとして原原決定を是認した。その理由の骨子は次のとおりである。すなわち、
 (A) 原審は、まず本件再審請求の理由として申立人が主張する趣旨は、確定
判決に証拠として挙示されている第四回検面調書は、申立人の任意の供述に基づい
たものではなく検察官が職権を濫用し勝手に作成した内容虚偽の公文書であるとい
うのであるから刑訴法四三五条一号、七号に、同じく国防色ズボン(証二〇号)は
捜査官がすりかえたものであるというのであるから同条一号に、それぞれあたると
解されるところ、前者は検察官が職務に関し虚偽公文書作成の罪を犯したこと、後
者は警察官が証憑偽造罪を犯したことをいうに帰着するが、いずれもその罪は公訴
時効の期間が満了し犯人に対する有罪の確定判決をうることができないので同法四
三七条による確定判決に代わる事実証明をして再審を請求するものであると解し、
この点のみが再審理由として直接判断されるべきものであるとしている。
 (B) そうして、第四回検面調書は犯罪により作成された虚偽公文書であると
はとうてい認められず、右国防色ズボン(証二〇号)を捜査官がすりかえた事実も
証明されたとはいえないとし前記の手記五通偽造の点を含めその余の申立人の主張
は前示の二点を判断するための間接的事実にすぎないものと考え、とくに手記五通
が偽造されたものでないことについては原原審の判断に異論をさしはさむ余地はな
い旨判示している。
 第二 当裁判所の判断
 本件記録を精査し、職権により原決定及び原原決定の当否を審査すると、当裁判
所は、原決定には、本件再審請求の理由として、刑訴法四三五条六号に該当する事
由があると解すべきであるのにこれを看過し、かつ原原審が申立人の請求を棄却し
ながらも、本件確定判決の事実認定における証拠判断につき、前記のような数々の
疑問を提起し上級審の批判的解明を求めるという異例の措置に出ているにもかかわ
らず、たやすく原原決定を是認した審理不尽の違法があり、原原決定にも、審理不
尽の違法があると考えるものである。
 その理由は以下のとおりである。(なお、矢野弁護人は、正規の抗告趣意書を提
出したほか、累次にわたり印刷物、著書等により、世間に対して申立人の無実を訴
え、当裁判所にもそれらのものが送付されたが、弁護人がその担当する裁判所に係
属中の事件について、自己の期待する内容の裁判を得ようとして、世論をあおるよ
うな行為に出ることは、職業倫理として慎しむべきであり、現に弁護士会がその趣
旨の倫理規程を定めている国もあるくらいである。本件における矢野弁護人の前記
文書の論述の中には、確実な根拠なくしていたずらに裁判に対する誤解と不信の念
を世人に抱かせる虞のあるものがある。もつとも論述中に裁判所の判断と部分的に
は合致する点もある〔なお、その論述中若干のものは、既に原原決定が指摘してい
るところである。〕が、論述全体を通じてみるならば、当裁判所の判断過程及び結
論とはおよそかけはなれたものであることは、以下の説示と対比すれば明らかであ
ろう。)
 一(一) まず、確定判決に証拠として挙示されている昭和二五年八月二一日付
の第四回検面調書が虚偽のものであつて、検察官の同調書作成の行為は虚偽公文書
作成の罪を構成するものではないかという点について判断する。問題は、第一に同
調書が時間的に作成不能のものであつたのではないかという点、第二に、同調書に
同日検察官が国防色ズボン(証二〇号)その他胴巻等の証拠物を申立人に示して取
り調べた旨の記載があるのは虚偽の内容を記載して作成したものではないかという
点にある。まず、第一の点についてみるのに公判記録によると、同調書は三三枚四
四項に及ぶものであるところ、原決定の挙示する証拠に照らすと、同調書の作成日
付である八月二一日の午後一、二時頃から同日午後五、六時頃までの間に作成され
たことが窺い知られる。そしてその作成の経過をみるのに、高口義輝の証言による
と、検察官は、同日以前に申立人を数回取り調べた結果をメモにとつており、同日
の取調べに際してはこれに基づいて申立人が自供した事実を申立人の面前で口授し、
立会事務官が調書を録取したものであり、同調書は何回にもわたる取調べの内容を
集約して作成されたものであることが認められる。したがつて、前記のように半日
位の間に同調書を作成することは不可能ではなかつた旨の原決定の判断は肯認しう
るところである。
 次に、第二の点についてみるのに、同調書には国防色ズボン(証二〇号)その他
の証拠物を申立人に示して弁解を聴いた旨の記載があるところ、当日右の証拠物の
所在関係を明確にする資料に欠けるため、当日の香川県H警部補派出所における取
調べの際、検察官の手許に右証拠物が存在したかどうかは必ずしも明らかではない。
検察官は、勾留期間満了日(同月二三日)が切迫したので、取調べの必要上、鑑定
のため岡山大学に送付してあつた国防色ズボン(証二〇号)その他革財布、胴巻等
の証拠物を、使いを派して同大学から取り寄せたと主張し、この主張にそうかのよ
うなI作成、J巡査部長作成の各報告書、G警部補作成の回答書等が存在するが、
その内容は単なる推測の域を出ておらず、かえつてK作成の鑑定書の記載によると、
右証拠物が八月一日に同大学へ送付されたことは確実であるが、前記H警部補派出
所における検察官の取調べの際取り寄せられたということについては同大学職員L
の証言によつても真偽不明であり、他方、領置票謄本によると、同月二三日に右国
訪色ズボン(証二〇号)その他の証拠物は検察庁で受入れ命令が出され、同月二九
日に岡山大学から返還されて受入れられた旨の記載もあるところである。原決定は、
検察官主張のように一時取り寄せたという事実が必ずしもありえないことではない
旨判示するが、それは、単なる可能性をいうもので、同月二一日の取調べの際の前
記証拠物の所在が確実につきとめられたとすることはできず、解明しえない疑問と
して残らざるをえない。ただ、右のような取調べの態度が批判に値し、ひいては調
書の内容についての信用性に疑念が持たれることがありうるとしても、同調書全体
が虚偽公文書作成の罪の行為により作成されたものとまで極論することは正当では
なく、刑訴法四三七条にいう確定判決に代わる事実証明があつたものということが
できないことは原決定の判示するとおりである。(ちなみに、申立人も白紙に栂印
を押した記憶はなく、検察官が申立人と話し合つたことを書いたものを見ながら、
事務官に口授して書かせたものであることを認めているのであり、前記証言の作成
経過とも符合しているのである〔再審記録四二五丁、四三四丁〕。)
 (二) 次に、手記五通は申立人が自ら作成したものではなく、警察官がこれを
偽造したものでないのかどうかについて審案するのに、捜査官が手記五通を偽造し
たものとは認められないとした原決定の判断は一応首肯しえないではない。すなわ
ち、該手記には申立人の署名の下や誤記の訂正に押捺されている合計四三個の指印
が存在する。これらは「事実調査の結果の回答について」と題する書面中のM作成
の鑑定書によると、すべて申立人の右手栂指の指紋と一致し、かつ、申立人はこの
指紋は自分の右手栂指のものに間違いなく、申立人が押したものであることを自認
したこともあるのである。そして、申立人を当時取り調べた警察官三名(N巡査部
長、G警部補、O警部)は、いずれも、該手記は申立人が自ら作成したものであり、
申立人以外の者に申立人の字に似せて書かせて申立人に署名指印させたことはない
旨、証言している。また、香川県警鑑識課技術吏員P作成の「Qにかかる再審請求
事件に関する筆跡についての検討結果について」と題する書面によると、手記の文
字、署名は申立人の筆跡と同筆であるとしている。しかも一、二審の公判審理の過
程においても、また上告審においても、手記は偽造である旨の主張がされていない
のである。したがつて後述のE鑑定書をもつてしても捜査官の偽造により作成され
たものと証明されたとはいえないとする原判断の結論は、その限りでは一応首肯せ
ざるをえないのである。
 (三) 更に、被害者の血液型と同型の血痕が付着する国防色ズボン(証二〇号)
は、警察官が他のズボンとすりかえたものであるかどうかについて検討するのに、
該事実については、確定判決に代わる事実証明があつたとはいえないとした原決定
の判断は是認しうるところである。とくに原決定の挙示する証拠によると、申立人
が犯したとして判決のされた前述の農協強盗傷人事件の証語拠物として押収された
国防色ズボン(領置調書の記載では「国防色上衣下衣」とあるうちの下衣)は、同
事件の判決が確定した同年六月三〇日以降の日に警察官が裁判所から持ち帰つてこ
れを申立人に還付し、同人から同年八月一日に任意提出されG警部補によつて領置
(名称は国防色下服、証四六号)されたものであるが、同日香川県警鑑識課吏員が
岡山大学のK教授に鑑定のため交付したことは確実な事実である。したがつて、申
立人が主張するように、右国防色ズボン(証二〇号)は、申立人がはいていたもの
ではなく、申立人の弟がはいていたもので、前記農協強盗傷人事件の捜査中警察官
が申立人の宅に来て弟Rから脱がせて持ち帰つたズボンであつて、すりかえられた
ものだとすると、その時期は八月一日ないし当日右K教授に交付される以前の時点
でなげればならぬ筋合であるが、しかし、その頃は申立人は取調べに対して本件の
強盗殺人当時はいていたズボンは、海軍の黒サージズボン、海軍用ズボン、紺色毛
織ズボンであつたと供述していたのであつて、本件と国防色ズボン(証二〇号)と
の関連は捜査線上に浮かび出てはいなかつたのであるから、捜査官が前記農協強盗
傷人事件の際に押収したものに代えて国防色ズボン(証二〇号)にすりかえること
を画策するはずはなかつたものといわざるをえず、所論のように捜査官がすりかえ
をおこなつた事実はとうてい認められないのである。もつとも、前記G警部補作成
の領置調書によると、前記のような経過で八月一日に右ズボンが領置されているが、
申立人の同月二日付の右Gに対する供述調書によると、当日、すなわち、同月二日
にこれが領置されたとの記載がある。そして原決定は同調書の日付は八月一日の誤
記であるというのであるが、しかし、誤記として片づけてしまつてよいかは問題で
ある。なお、前述のように右ズボンと同じ経過をたどつた他の証拠物には、前記領
置調書に「裁判所提出」と記載されているが、右ズボンについては同調書上その旨
の記載がなく、単に「署保管鑑識中」とあるのみであり、また、前述のような品目
の名称変更及び証拠番号の改訂にともなう「改訂証何号」の記載も欠落していると
ころ、検察事務官作成の報告書によると、それは受理手続の際書き落したというの
であるが、しかし、何故前記のような扱いになつているかは合理的説明に苦しむと
ころである。また、確定判決の公判審理における検察官の冒頭陳述中の「右犯行が
被告人の所為である点については当時における被告人の着衣により立証する」とい
う部分では、証一八号(国防色上衣)、同一九号(軍隊用袴下)、同二一号(国防
色綾織軍服上衣)と述べられているだけで、証一九号と続き番号の、申立人が犯人
とされている強盗殺人事件のいわば唯一ともいうべき重要な物的証拠である、国防
色ズボン(証二〇号)が右の冒頭陳述から欠落していることも、不可解である。ち
なみに再審請求の第一審審理における証人としての検察官の供述によれば、その理
由は判らないというのである。
 ところで再審請求の第一審の審理において、申立人の弟Rは「農協強盗傷人事件
で申立人が逮捕されたのち、警察官が宅に来て自分がはいていたズボンを脱がせて
持ち帰つたがそれが証二〇号のズボンと同じものである」と証言している。しかし
右の証言は、申立人の兄Bの再審請求事件の証人として現物を示されたうえでの供
述と対比するとき、にわかに信を措くことができないのであつて、国防色ズボン(
証二〇号)は、申立人が八月一日に前示のような経過で任意提出したズボンではな
く弟Rから脱がせて持ち帰つたズボンとすりかえたものであるとの事実については、
確定判決に代わる事実証明がされたとはいえないものとした原決定の判断は、首肯
することができるのである。
 二 ところで確定判決の有罪認定とその対応証拠の関係につき検討を加えると、
以下のような諸点を指摘することができる。
 (一)申立人の自白によると、申立人は所携の刺身庖丁で被害者を滅多突きした
のち、被害者が腹部に巻いていた鹿革財布入り白木綿胴巻の中に手を入れ現金を奪
い取つたというのである。しかしながら、K鑑定書によると、胴巻には血痕は付着
しておらず、財布には検査をおこなえないほどの微量の人血が付着していたにとど
まるという。ところがS作成の鑑定書によると、被害者が着用していたシヤツの裾
部、パンツ等にも被害者の血痕は付着していたのであり、また、申立人の自白によ
ると、申立人の手にも血が付いたとのことであり、更に、奪い取つた札のうち三、
四枚にも血が付いたというのである。もつとも、検証調書、現場写真によると、被
害者が着用していた白ネルの腰巻様のもので犯人が血を拭きとつた痕跡が残つてお
り、それは申立人の自白するところによると、手や庖丁についた血を布様のもので
ぬぐつたというのであるが、もし胴巻が被害者の腹部に巻かれてあつたのが真実で
あるとすると、前記の状況からして胴巻に血がついていないのはきわめて不自然で
ある。しかも検証調書によると、胴巻は在中金八九円余を残したまま犯行現場の着
物かけの釣柄にかけてあつた被害者のズボンの下にかけてあつたということであり、
そのことを考え合わせると、胴巻は被害者の腹部には巻かれてはいなかつたか又は
犯人が胴巻に手を触れなかつたのではないか、ひいては金員は奪い取られていない
のではないかの諸点について疑いを持たざるをえないのである。しかるに、原原審
がこの点につき疑問を提起したのに、原審はこれを解明していない。
 (二) 申立人の自白によると、当初は倒れている被害者の腹部に巻かれていた
胴巻から金員を奪い取つた後胴巻をその場に投げておいたと供述していた(昭和二
五年七月二六日付、同月二九日付、同年八月五日付の各司法警察員に対する供述調
書、同月四日付の検察官に対する供述調書)が、後になつて胴巻をその場に捨てず
に犯行現場の四畳間の着物かけにかけたというのである(第四回検面調書)。検証
調書、現場写真によると、犯行現場は被害者方の細長い奥四畳間であるが、同間東
南側には東枕に寝具が敷き延べられ、南側の八畳間に接する鴨居の東南隅(枕のほ
ぼ上方)には着物かけがあり、胴巻はその着物かけにかけられていた仕事着(ズボ
ン)の下にかけてあり、東側の板の間に接する境にある襖のところの枕許付近に電
燈がつるされているところ、被害者は同間西南側箪笥の前に南西に頭を向け仰向け
に倒れていたものであるが、血液は左肩左胸部下方の畳上に多量に流出し約二尺平
方は血の海となつているほか、寝具下布団南側、上布団の一枚、毛布等にはいずれ
も血痕が多量に付着し、枕許の座布団にも飛沫血痕が多量に付着しているうえ、就
寝中の頭部の東側及び南側の各襖にも飛沫状血痕が付着し、枕許から西側に向つて
畳の上に敷かれてあつた敷紙上一面に擦過状の血痕が付着しているという状況であ
る。しかし、検証調書、現場写真によると、右四畳間に残されていた犯人の血痕足
跡は、死体の左胸部横に右足先端を西向きに一個、被害者の開かれた両足の中間に
一個、更に犯人が犯行後立ち去つた東側裏口の炊事場の出入口方向に向け二個合計
四個印象されているにすぎないことがきわめて明らかである。もし右の自白が真実
であるとすると、細長く狭い右の部屋に前記のように多量の血液が流出、飛散し、
被害者の死体の左側付近は右検証調書がいう血の海である状況からして、右の血痕
足跡のほかに同間の東南側隅の着物かけ付近の畳や敷いてあつた蒲団の上にも申立
人の自白する行動に符合する血痕足跡が印象されていなければならないはずである。
しかも申立人は被害者の寝ていた枕許付近にあつた電球のところで胴巻の中を調べ、
その結び目をほどいて鹿革財布をとり出したというのであるから、この行動にも合
致する血痕足跡が残されていなければならないのに、その痕跡がないことは甚だ不
可解というほかはない。そして申立人の自白する右の行動が前記の血の海に足を踏
み込む以前にされたものであつたとしても、同部屋における前記のような血痕付着
の状況からみてこれに相応するような血痕足跡が印象されるはずである。
 また、いわゆる二度突きの時点が、胴巻から財布を取り出し金員を奪い胴巻を着
物かけにかけた後だとしても、二度突きのときには被害者の胸部からは血が出なか
つたというのであるから、二度突きの前後とは関係なく前説示のような血痕足跡が
印象されるべきはずのものであつたと思われる。しかるに全記録に徴しても、この
点の吟味がされた形跡は全くない。
 (三) 次に申立人の自白によると、申立人が本件発生後一月余りを経過した同
年四月一日夕刻農協強盗傷人事件の嫌疑で自宅で逮捕されたのであるが、警察に連
行されるにあたつて着替えをした際、背広の内ポケツトにいれてあつた強奪金の費
消残金百円札約八〇枚を、オーバーの襟の内側の小さいポケツトに丸めて入れて、
ホロつきの自動車で護送される途中、手錠をかけられたまま、気付かれぬようにa
村d付近でホロと車体の間から投げ棄てたというのである。しかしながら、その頃
通用していた百円札八〇枚余を丸めて右のポケツトに入れることができたかについ
ては前記の札束の容量からみて強い疑いをもたざるをえない。のみならず、その時
同乗していた警護員は七、八名であつたということであり、それらの人達の目を盗
んで手錠をかけられた状態で、暗夜で悪路のため車の動揺が多かつた状況であつた
としても、右の札束をポケツトから取り出して車外に投げ棄てることができたかに
ついても疑いがもたれるのである。現に捜査官自らも右の自白に相応する申立人の
行動があつたことにいついては半信半疑であつたというのである(再審請求の第一
審審理におけるO警部の証言)。しかも本件の賍金一万三千円については、記録に
よつても明確な費消の裏付けがされておらず、犯行の動機として申立人が自白する
借金のあつたこと及びそのきびしい督促をうけていた事実も証拠によつて十分に明
らかにされていない。そのため奪取金員のいくらかは費消されないまま申立人が保
有していたと供述せざるをえなかつたのではないかとすら疑われるのである。のみ
ならず、真に申立人が右の八千円を保有していたならば、農協強盗傷人事件を犯す
動機も薄弱とならざるをえない。しかるに、全記録に徴しても、これらの点につい
て究明された形跡がない。
 以上の疑点がすべて解明されない限り、被害者の胴巻から一万三千円を奪取した
として強盗殺人の罪に問われている申立人の自白の信用性について疑いを抱かざる
をえない。
 (四) 本件において留意すべきその他の諸点
 (A) 全記録によると、申立人が犯行時にはいていたと自白した黒皮短靴は、
警察に領置されたのであるが、その押収関係が明らかでなく、何故それが検察庁へ
送付されず、公判廷に証拠物として提出されなかつたかも不明である。申立人の自
白によれば、前示農協強盗傷人事件の際にも使用した黒皮短靴を本件でもはいてい
たというのである。ところで、控訴審の公判手続におけるG警部補の証言によれば、
靴は三、四回家宅捜索をしたが発見できなかつたとのことであり、他方、申立人は、
右農協強盗傷人事件のときは裁判所で靴を見せられた、ほかに靴は持つていない旨
述べているので、申立人は本件犯行時にもその靴をはいていたとみることも、あな
がち理由のないことではないのである。この靴は、農協強盗傷人事件の発生後申立
人の父と兄が田の藁ぐろの下付近に埋めて隠匿していたものであつたところ、その
後家人の供述によりそのことが判明して警察官に押収され、鑑識課に回付されたが、
靴の底からは血液は検出されず、寸法は血痕足跡に合うと推定されたのであるが、
右の靴に関する関係捜査官の当時の判断は一致するところがなく、右の隠匿のため
靴の形がくずれ腐蝕膨脹していたために鑑定不能であつたと供述する者もあれば、
一方靴と現場の血痕足跡とはほぼ符合したが公判が順調に進行していたので証拠物
として提出せず警察で保管していたが腐蝕していて、証拠にならないと思い検察庁
に送付しなかつたと供述する者もおり、また、靴と血痕足跡とは若干寸法を異にし
ていたので申立人の自白は虚偽であり証拠にはしなかつたと供述する者もいたので
ある。しかし、現場に遺留された明確な血痕足跡と右の靴とが一致すれば、自白の
信用性を高めるのみならず有力な有罪の決め手の一つにもなりえたものであつたの
であるから、いかに腐蝕していたとはいえ、証拠物として提出するのが当然ではな
かつたかと思われる。前記のように、鑑識課員の推定では寸法が血痕足跡と一致す
るというのであるから、なおさらのことである。また、もし両者が不一致ならば、
さらに申立人を取り調べる際その点を確かめて然るべきであつたろうと思われる。
なお、申立人の自白によると、靴の前が半皮張りで鋲が打つてあつたということで
あり、I作成の鑑定書及び事実調査結果についてと題する書面によれば鋲のことは
記憶があいまいであるが、靴の前部に半張り革があつたように記憶するというので
あるから、黒皮短靴について慎重な取扱いをすべきであつたと考えられる。
 (B) 次に、検証調書によると、被害者方軒下に氏名の書いてあるリユツクサ
ツクが遺留されており、捜査官はこの者を取調べたというが、記録上は調書も存在
しておらず、どの程度の取り調べがおこなわれたか明らかでない。
 (C)検証調書によると、被害者方母屋西南隅前に残されたズツク靴の足跡があ
ることが記載されているが、捜査官はこれを犯人の足跡と判断した形跡があり、ま
た信用性が薄いとして採用されなかつたもののようであるが、犯行現場に残された
血痕足跡はズツク製の靴であるとの意見が提出されたこともあるのであるから、前
記黒皮短靴とともに念のためこの点をも解明すべきであつたと思われるが、それが
されていない。
 (D) 国防色ズボン(証二〇号)は本件において犯行と申立人とを結びつける
最も重要な唯一の証拠であるのに、その押収手続がずさんであつたため前述のよう
な紛議の種となつたのである。証拠物は反対尋問にさらされることもなく、その物
自体が犯罪事実の一部を表現するものであるから、前記の靴と同様に、事件との関
連性を明確ならしめるよう押収手続にも慎重な配慮がされなければならないのであ
る。
 (E) 本件において、いわゆる二度突きの自白は、申立人の犯行を認定するに
つき重大な意義を持つものである。すなわち、被害者の胸部の刺切創は外部所見で
は一個しかないのに、内景においては深さ五センチと八センチの二個の刺創が存在
する。それは、凶器とされている刺身庖丁を一度突き刺したうえ、刃を全部抜かな
いまま、同じ箇所を更に一度突いたことによつて生じたもののようである。このこ
とは八月二七日に捜査官に交付されたT作成の鑑定書によつて明確にされたもので
あるところ、申立人がそのことを警察官に自白したのは、右鑑定書が捜査官に到着
する以前の七月二九日及び八月二日、同月五日の取調べの時期であつたのである(
各同日付G調書)。右のような真犯人ならでは知りえない秘密性をもつ事実を右鑑
定書到着前に申立人が自白したのであれば、その供述は信用性の高いものとして、
たとえ凶器が発見されなくても申立人の有罪を認める有力な証拠として評価されて
然るべきである。そこでこの点につき検討を加えるのに、G警部補の証言によれば、
U警部補が当初主として捜査にあたつていたが、同人は色々なことを秘密にして自
分に話してくれなかつた、自分は口が軽い方だから大事なことは洩らしてくれなか
つた、とのことであり、また署長V警視の証言によれば、被害者の心臓を二度突き
していることは死体解剖に立ち会つていたので知つていた、G警部補は立ち会つて
いない、同人には先入感を与えるので話していない、というのである。ところで、
死体解剖がおこなわれたのは逸早く犯行の翌日である三月一日であるが、それには
V、U、Wの三名の警察官が立ち会つており、鑑識課技術吏員Iが鑑定人の口授す
るのを傍らで筆記していたことが認められる。したがつて右の解剖の際に、二度突
きの自白を調書に録取したG警部補が立ち会つていなかつたことは事実であるが、
一方、同人とともに申立人の取調べに従事していたN巡査部長の証言によると、鑑
定した医師が庖丁による刺創が内景でV字型になつているのは納得できないと申し
たことを外の者から聞いて、それだつたら二度突いたのでそうなつたのだろうと私
等は思つた、というのである。右の事情からすると、捜査係官らのうち重要な役割
をになつていたG警部補ひとりが二度突きのことを知らなかつたということは甚だ
訝しいことと言わざるをえず、二度突きの事実が犯人しか知りえない秘密性をもつ
事実であつたことをたやすく肯定することはできないのである。そして、本件にあ
つては、他に自白の真実性の吟味に堪えうる秘密性をもつ具体的な事実についての
申立人の供述は存しない。
 以上が確定判決の有罪認定及びその証拠関係とくに自白の内容である事実につい
ての不審をいだかせる諸点であつて、これらはいずれも解明されないままに有罪判
決が確定したのである。また、奪取した金員の費消関係、八千円投棄の事実、黒皮
短靴の点等の自白の内容についても解明し尽せないものがあつたことを捜査官が自
認していたことは注目に値する。
 三 ところで、本件再審請求事件における新証拠とみられるものは、原原審が職
権により鑑定を命じて取り調べた鑑定人E作成の鑑定書があるのみである。それに
よると、手記の筆跡と申立人の対照筆跡とは、運筆書法と文字形状に相違するもの
があるので、同一人の筆跡と認めることは困難である、としながらも、申立人が自
己の署名であることを否認する鑑定資料(21)(24)(25)(26)の申立
人作成の各略図面中の筆跡は、手記の筆跡と同一人のものと認められるというので
ある。
 ところが、原決定は、前記のように、手記がはたして偽造されたものであるかど
うかは、刑訴法四三五条一号七号所定の再審事由の有無を判断するについての間接
事実にすぎないとの見地から、新証拠は、右一号・七号所定の再審事由の存在を証
明するに足りる確定判決に代わる資料となりうるかの観点から考察し、結局、右新
証拠によつては確定判決に代わる証明があつたとすることはできないとの判断を示
している。もし右の観点からするならば、原原審で取り調べられてある前記P作成
の「筆跡についての検討結果についてと題する書面」によると、手記五通を含め全
資料には、故意に他人の筆跡を模した偽筆、あるいは作意的に自己の個癖を隠蔽し
ようとする作意筆の特徴は全くみあたらず、手記の署名は、弁護人選任届、保釈願、
意見書、供述調書、弁解録取書、略図面、上告申立書の各署名と符合するというこ
とであり、それはE鑑定と相対立するものであるが、右P意見は、正式の鑑定手続
によつたものではないのであるから、少なくとも更に再鑑定の手段をとり、同法四
三七条の確定判決に代わる証明が得られるか否かを検討すべきであつたと考える。
のみならず、本件再審請求の理由は、その形式も不備であり、その内容また必ずし
も明確とはいえないが、その趣旨を汲みとるならば同法四三五条六号所定の事由の
主張もなされているものと解するのが相当である。
 ところで、同号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決にお
ける事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のあ
る証拠をいうものと解すべきであり、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当
の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたし
てその確定判決においてされたような事実認定に到達したであろうかどうかという
観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判
断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的疑いを
生ぜしめれば足りるという意味において「疑わしいときは被告人の利益に」という
刑事裁判における鉄則が適用されるものである(当裁判所昭和五〇年五月二〇日第
一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁)。そして、この原則を具体的に適用する
にあたつては、確定判決が認定した犯罪事実の不存在が確実であるとの心証を得る
ことを必要とするものではなく、確定判決における事実認定の正当性についての疑
いが合理的な理由に基づくものであることを必要とし、かつ、これをもつて足りる
と解すべきであるから、犯罪の証明が十分でないことが明らかになつた場合にも右
の原則があてはまるのである。そのことは、単なる思考上の推理による可能性にと
どまることをもつて足れりとするものでもなく、また、再審請求をうけた裁判所が、
特段の事情もないのに、みだりに判決裁判所の心証形成に介入することを是とする
ものでもないことは勿論である。
 四 以上の見地に立つて本件の原決定及び原原決定の当否を検討した結果は、次
のとおりである。
 まず、本件有罪判決の証拠としては、第四回検面調書に録取されている申立人の
捜査段階における自白と証拠物として国防色ズボン(証二〇号)の存在が重い比重
を占めている。そして申立人の手記五通は、右の自白の任意性、信用性を担保する
意味合いをもつものである。ところが、右自白の内容には数々の疑点があることは、
さきに指摘したとおりである。ことに当裁判所が指摘したように、犯行現場に残さ
れた血痕足跡が自白の内容と合致しないこと、その他の前記指摘の疑点を合わせ考
えるときは、被害者の血液型と同じ血液型の血痕の付着した右国防色ズボン(証二
〇号)を重視するとしても、確定判決が挙示する証拠だけでは申立人を強盗殺人罪
の犯人と断定することは早計に失するといわざるをえないのである。もつとも、申
立人にとつて不利と思われる証拠もないわけではない。例えば、申立人が嫌疑をう
けて逮捕される前後の言動、すなわち、前記農協強盗傷人事件の共犯者であるDが
逮捕され右犯行を自白すれば自己の本件犯罪が発覚するおそれがあるとの配慮から
同人に固く口止めしたこと(Dの公判証言、同人の司法警察員に対する供述調書)、
日頃遊び仲間の友人に対し、犯罪を犯した翌日仕事を休むと怪しまれるから正常ど
おり仕事に出るがよい、奪つた金員を一度に費消すると嫌疑をうけるから少しずつ
使うようにし、また他から借金するがよいなどと話していたこと(Dの公判証言、
同人の司法警察員に対する供述調書)、拘禁中恰も自己が本件犯罪の犯人である旨
を自認した言辞を吐いたり、自白の中に虚偽のことを交ぜてあるから大丈夫だなど
と申したりしたこと(X、Y、Z、Aaの各公判証言)、国防色ズボン(証二〇号)
に付着したO型血痕は鉄道自殺をしたCという者の血が付着したものと主張したこ
ともあるが、Cの血液型はO型ではないことが判明したこと、前記農協強盗傷人の
犯行の際の被害者Fの血液型はO型であるが、その犯行の状況は被害者の血痕が当
時申立人が着用していたという国防色ズボン(証二〇号)に付着する状況ではなか
つたこと(Fの検察事務官に対する供述調書謄本)、申立人が主張する犯行当夜の
アリバイが認められないこと等である。さらに、申立人が、前記のように、第一次
再審請求を棄却された際、裁判所から棄却決定と同時に即時抗告申立の期間を延長
して七日間とし、棄却決定に対して不服申立をすることができる旨の詳細な書面の
送付を受けたにもかかわらず、即時抗告の申立をしなかつたことも不可解といわざ
るをえない。しかしこれらの被告人にとつて不利とみられる事実を積み重ねても、
第四回検面調書の自白の内容の疑点が解消されるものではないのである。
 右のように、申立人の自白の内容に前記のようないくつかの重大な、しかも、た
やすく強盗殺人の事実を認定するにつき妨げとなるような疑点があるとすれば、新
証拠であるE鑑定を既存の全証拠と総合的に評価するときは、確定判決の証拠判断
の当否に影響を及ぼすことは明らかであり、したがつて原審及び原原審が少くとも
E鑑定の証明力の正確性につき、あるいは手記の筆跡の同一性について、更にその
道の専門家の鑑定を求めるとか、又は鑑定の条件を変えて再鑑定をE鑑定人に求め
るとかして審理を尽すならば、再審請求の事由の存在を認めることとなり、確定判
決の事実認定を動揺させる蓋然性もありえたものと思われる。そうだとすると、原
決定は、申立人の請求が、刑訴法四三五条六号所定の事由をも主張するものである
ことに想いをいたさず、かつ、原原審が申立人の請求を棄却しながらも、本件確定
判決の事実認定における証拠判断につき、前記のような数々の疑問を提起し上級審
の批判的解明を求めるという異例の措置に出ているにもかかわらず、たやすく原原
決定を是認したことは審理不尽の違法があるというほかなく、それが原決定に影響
を及ぼすことは朋らかであり、かつ、原決定及び原原決定を取り消さなければ著し
く正義に反するものと認める。
 よつて、刑訴法四一一条一号、四三四条、四二六条二項により、原決定及び原原
決定を取り消し、本件を高松地方裁判所に差し戻すのを相当と認める。なお、差戻
しをうけた原原審が、手記の筆跡について更に鑑定の手続をとるか、第四回検面調
書における申立人の自白について当裁判所が指摘した不合理、疑点が解明されない
として、鑑定の手続をとるまでもなく自白内容を検討し、能う限りの限度で事実調
べをすることで結論を下すかは、その裁量に属するものである。
 よつて、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
  昭和五一年一〇月一二日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    岸       盛   一
            裁判官    下   田   武   三
            裁判官    岸   上   康   夫
            裁判官    団   藤   重   光

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