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平成18年4月27日判決言渡 平成16年(ワ)第22257号 損害賠償請求事件
判       決
主       文
1 被告は,原告らに対し,それぞれ1400万円及びこれに対する平成15年5月3日から支払済みまで
年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを3分し,その1を原告らの,その余を被告の負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
 被告は,原告らに対し,それぞれ2710万5477円及びこれに対する平成15年5月3日から支払済みまで
年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,Aが,脳梗塞の治療後のリハビリテーションを目的として被告の設置,運営する病院(以下「被告病
院」という。)に入院中の平成15年5月3日に上腸間膜動脈塞栓による腸管壊死により死亡したことについて,原告
らが,被告病院の医師が上腸間膜動脈閉塞症(以下「本症」という。)の発症を疑って早期に検査,治療(被告病院で
治療ができない場合には転院することも含む。以下同じ。)をすべき注意義務を怠ったなどと主張して,被告に対し,
不法行為(使用者責任)に基づいて,損害賠償及びこれに対する同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による
遅延損害金の支払を求める事案である。
 被告は,被告病院の医師がAに発症した本症について早期に検査,治療をすべきであったこと自体は争わないも
のの,検査,治療を開始すべき具体的時期及びその検査,治療を開始しなかったこととAの死亡との間の因果関係につ
いて争っている。
1 前提となる事実(証拠を掲げていない事実は,当事者間に争いがない事実である。)
 当事者等
ア A(昭和19年1月22日生)は,平成15年5月3日(以下,平成15年については月日のみを記載す
る。),上腸間膜動脈塞栓による腸管壊死により死亡した。原告らは,Aの子である。
イ 被告は,被告病院を設置し,運営している。
 診療経過の概要
 本件の診療経過の概要は以下のとおりであり,その詳細は,別紙診療経過一覧表のとおりである。
 Aは,2月6日,脳梗塞のためD病院に入院して治療を受け,その後,4月3日,リハビリテーション目的で
被告病院に入院した。同日行われた心電図検査では,心房細動が認められた。
 Aは,同月30日午前7時45分から強度の腹痛を訴え,午前10時から正午までの間には鮮血の混じった水
様便があった。その後も腹痛を訴えていたため,理学診療科から内科へ転科することになり,午後6時45分,内科病
棟へ移動した。その際の内科での診察で,Aは腹痛を訴えていたが,腹膜刺激所見は認められなかった。
 Aには,5月1日から3日にかけても腹痛,下血等が続き,同月3日午前6時には下腿にチアノーゼが現れ
た。そして,午前7時40分,看護師が,心肺停止状態となっているのを発見した。Aは,心臓マッサージ,強心剤投
与等の心肺蘇生術に反応せず,午前8時56分死亡が確認された。
2 争点及びこれに関する当事者の主張
 本件の争点は, 4月30日午前中に,本症を疑って検査をし,治療を開始すべき注意義務に違反した過失の有
無, その過失とAの死亡との間の因果関係の有無, 損害の額の3点である。
 争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。
 争点(4月30日午前中に,本症を疑って検査をし,治療を開始すべき注意義務に違反した過失の有無)につい

(原告らの主張)
 以下の事情からすると,被告病院の医師は,遅くとも4月30日午前中に,Aについて,本症を疑って検査を
し,治療を開始すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠った。
ア 本症の主たる基礎疾患は心房細動である。Aは,心房細動が原因で脳梗塞を発症したハイリスク患者であっ
た。
イ 本症は便秘が誘因となることがある。Aは,便秘に悩まされていた。
ウ 本症の主たる症状は,腹部の激痛,嘔吐,下血,下痢等である。Aは,4月30日午前中には,下腹部の激
痛,下血,水様の便(下痢)等があった。
(被告の主張)
 本症を疑って検査をし,治療を開始すべき注意義務に違反したことは争わないが,その検査をし,治療を開始
すべき時期については争う。
 一般に,腹痛等の症状の原因には様々なものがあり,腹痛を訴えたからといって直ちに本症を疑うべきである
とはいえない。Aについても,当初は感染による急性腸炎などの可能性が考えられた。
 Aは,被告病院に入院後に腹痛を訴えたことが何回かあり,その都度短時間で軽快していた。また,4月30
日午前7時45分ころの腹痛は排便によりいったん落ち着き,その後腹部触診所見などに明らかな異常,変化所見がな
かった(午前9時45分の時点でも激しい腹痛の訴えがなかった。)こともあり,同日の午前中に本症を疑うことはで
きなかった。Aについて本症を疑うことができたのは,同日午後6時45分に内科病棟に移動した時点以降である。
 争点(上記の過失とAの死亡との間の因果関係の有無)について
(原告らの主張)
 被告病院の医師は,Aを漫然と放置して死亡させたのであり,早期に本症と診断し,緊急手術を実施していれ
ば,Aを救命することができた。
 仮に,本症の発症が4月30日午前7時45分であるとすると,上記のとおり,被告病院の医師は,同日の午
前中には本症を疑って検査をし,治療を開始すべきであったのであるから,Aに対して,発症後12時間を遙かに下回
った時間内に血栓溶解療法を実施することができた。そうすると,発症から平均17時間経過した後の血栓溶解療法を
実施した場合の救命率71%(甲B6)を大きく超える率で救命することが可能であった。
(被告の主張)
 Aが内科に転科した後,内科担当医師が診察して腹部CT写真の読影を行ったのは,4月30日午後7時ころ
である。この際に造影剤を用いた腹部CT検査が行われ,その検査画像を判読して本症が疑われる所見が得られればE
病院に転送することになる。その場合,家族への経過説明,E病院への連絡,紹介状の作成等をした後にAを救急車で
搬送することとなり,E病院へ到着するのは同日午後9時以降になると推定される。
 そして,E病院において,消化器内科の医師の到着,医師の診察等で1時間程度,血管造影検査を行うための
放射線科医師,専門技師の到着,血管造影室の準備の時間等で血管造影検査開始まで1時間程度,検査後確定診断を
し,血栓溶解剤の投与を開始するまでには15分程度の時間(以上合計2時間15分程度)を要し,血栓溶解剤投与を
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開始するのは午後11時15分ころである。
 血栓溶解療法によっては症状が軽快しない場合には開腹手術を行うこととなるが,血栓溶解剤の投与時間,治
療効果の有無の観察時間,開腹手術の適応の有無の検討時間等を考えると,開腹手術の適応があったとしても,手術の
開始は5月1日午前10時ころである。この時点では本症が発症(発症を4月30日午前7時45分と仮定)してから
約26時間が経過している。
 本症が発症してから12時間で腸管壊死が始まるので,それ以内でないと血栓溶解療法による治療は困難であ
り,本件では直ちに開腹手術となった可能性もある。その場合においても,本症から15時間以上が経過している。
 発症から10時間程度で治療が開始されたとしても救命可能性は40%弱である(乙B5)から,以上の経過
からすると,いずれの治療経過をたどっても救命可能性は低く,因果関係を認めることはできない。
 争点(損害の額)について
(原告らの主張)
 以下のとおり,Aは合計5421万0954円の損害を被り,原告らはそれぞれ2710万5477円の損害
賠償請求権を相続した。
ア 逸失利益 1579万0954円
 Aは,家事に従事するかたわら,夫が経営していたエアコン等の修理業を手伝っていた。よって,平成15
年度賃金センサス第1巻第1表の産業計,学歴計,女子労働者の全年齢平均賃金と同額である349万0300円を基
礎として,逸失利益を算定すべきである。
 Aの死亡時の年齢は59歳であるから,就労可能年数は8年と考えられる。そこで,以上を前提にして,ラ
イプニッツ係数を6.4632,生活費控除率0.3としてAの逸失利益の現価を計算すると,次のとおり1579万
0954円となる。
3,490,300円×(1-0.3)×6.4632=15,790,954円
イ 葬儀費用 150万円
ウ 慰謝料 3200万円
 本件は,腹痛で苦しむAに対して,何らの適切な検査,治療をすることなく放置して死亡するに至らしめた
事案であり,医療事故として特に悪質である。
エ 弁護士費用 492万円
(被告の主張)
 争う。
第3 争点に対する判断
1 争点(本症を疑って検査をし,治療を開始すべき注意義務に違反した過失の有無)について
 証拠(甲B1ないし4,乙B1)によれば,本症を含む腸間膜動脈閉塞症に関し,以下の医学的知見が認められ
る。
ア 腸間膜動脈閉塞症
 腸間膜動脈閉塞症は,腸間膜動脈の主幹動脈での血栓・塞栓による閉塞により発症する。基礎疾患として
は,血栓症では動脈硬化,糖尿病が,塞栓症では弁膜症,心房細動などの心疾患が多い。ほとんどは,上腸間膜動脈の
閉塞により急性の経過をとり,その支配領域腸管である小腸の広範な壊死をきたす。
イ 腸間膜動脈閉塞症の診断等
 症状
 発症時,自覚症状として急激な腹部の激痛を呈する。発症初期より嘔気,嘔吐を認め,時に下血を認め
る。発症初期には,激しい激痛のわりに,腸音の軽度亢進と中等度の腹部圧痛を認める程度で,腹部他覚所見は軽いこ
とが多い。次第に腸管壁は壊死になり,腸管壊死の進行と共に,腸音は消失し,麻痺性イレウス(腸内容物の通過が障
害された病態)となり,著明な腹部圧痛を認めるようになる。さらに,全身状態の増悪と共に,腹膜刺激症状が顕著に
なる。
 診断
 上記ア記載の基礎疾患を有する高齢者(50ないし70歳)で,激しい腹痛,血性の水溶性下痢をきたす
患者に対して,腸間膜動脈閉塞症を常に念頭において診療を行い,発症初期からの激しい腹痛と短期間の臨床経過が認
められれば,まず腸間膜動脈閉塞症を疑うことが最も重要である。腸間膜動脈閉塞症が疑われる場合には,躊躇せず可
及的速やかに血管造影検査を行って鑑別診断をする。
ウ 腸間膜動脈閉塞症の治療
 絶飲食とし,厳重な全身管理を行う。発症初期で腹膜刺激症状が出現していない場合は,ウロキナーゼやヘ
パリンなどの抗凝固薬投与による血栓溶解療法を行う。腹膜刺激症状がみられるときには,速やかに開腹手術をし(発
症から開腹までの時間が予後を決定する。),術中所見により壊死部腸管の切除を行う。
 前記前提となる事実及び証拠(乙A2)によれば,以下の事実が認められる。
 Aは,平成15年4月当時59歳であり,4月3日に被告病院に入院した際,心電図検査で心房細動が認めら
れた。
 Aは,4月30日午前7時45分に,過呼吸,冷汗,顔色不良の状態で強度の腹痛及び便意を訴えた。午前8
時45分ころには再び便意を訴えて多量の排便をし,その後,残便感はあるものの徐々に症状が落ち着いた。しかし,
午前9時45分には下腹部痛を訴え(この時の血圧は収縮期圧230,拡張期圧120),その後,午前10時15
分,午前12時にも,同様に下腹部痛を訴えた。また,午前10時以降午前12時までの間に下血(水様便に鮮血が混
じっていた。)が2度あった。
 上記及びの認定事実に基づいて,過失の有無について検討する。
ア 上記認定事実によれば,Aは,4月30日午前7時45分ころに過呼吸,冷汗,顔色不良の状態で強度の腹
痛を訴えている。そして,Aが呈したその後の症状をも総合的に考察すると,それは,上記認定の腸間膜動脈閉塞症の
症状の経過と合致するといえるので,Aは4月30日午前7時45分ころ本症を発症したものと認められる。
イ 上記認定の医学的知見によれば,① 上記ア記載の基礎疾患を有する高齢者で,激しい腹痛,血性の水溶性
下痢をきたす患者に対しては,腸間膜動脈閉塞症を常に念頭において診療を行い,② 発症初期からの激しい腹痛と上
記イ記載の短期間の臨床経過が認められれば,まず腸間膜動脈閉塞症を疑い,③ それが疑われる場合は血管造影検査
をし,④ その診断に達したときは,上記ウ記載の治療を行うべきことが明らかである。このことは,「研修医当直御
法度 症例帖」(甲B5)においても,「高齢+心房細動+激しい腹痛なのに腹膜刺激症状なし→腸梗塞の初期,と覚
えておくべきである。」と指摘されているところでもある(なお,この「腸梗塞」とは,同文献の記載上,本症を含む
ものであることが明らかである。)。
 そして,上記認定事実によれば,Aは,高齢(59歳)で,心房細動の既往があり,4月30日午前7時4
5分に,過呼吸,冷汗,顔色不良の状態で強度の腹痛及び便意を訴え,午前8時45分ころには再び便意を訴えて多量
の排便をし,その後,徐々に症状が落ち着いたものの,午前9時45分には下腹部痛を訴え,その後,午前10時15
分,午前12時にも下腹部痛を同様に訴え,また,嘔気,嘔吐は認められないものの,その間に2度の下血があったの
であるから,上記認定の医学的知見に照らすと,被告病院の医師は,遅くとも同日正午ころには腸間膜動脈閉塞症を疑
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い,直ちに検査,治療を行うべき注意義務を負っていたものと認められる。
 しかるに,被告病院の医師は,血管造影検査を実施しておらず,上記ウ認定の治療方法のうち絶食とした
のみで,その他の治療を行っていないのであるから,同医師には,腸間膜動脈閉塞症を疑って検査をし,治療を開始す
べき注意義務に違反した過失があるものと認められる。
 なお,被告が主張するように,一般に腹痛等の症状の原因には様々なものがあるとしても,上記イ認定のと
おり,基礎疾患を有する高齢者で,激しい腹痛をきたす患者に対しては,腸間膜動脈閉塞症を常に念頭において診療を
行うべきであることにかんがみると,被告病院の医師は,上記注意義務を免れることはできない。
2 争点(上記1の過失とAの死亡との間の因果関係の有無)について
 証拠(甲B6,乙B3)によれば,腸間膜動脈閉塞症の症例の予後等について以下のとおり報告されていること
が認められる。
ア 平成12年から平成15年までの4年間に,浅香山病院外科で急性の本症に対して手術を施行した6症例に
ついての報告
 いずれの症例も,症状出現から手術まで20時間以上を要した。術後の生存期間は,9日,10日,22
日,1年3か月,4年のものが各1例あり(なお,これらの症例の患者はいずれも手術時63歳以上であった。),残
りの1例は4年4か月経過時点でなお生存していた(なお,この患者は手術時56歳で,本症発症後48時間経過した
時点で手術した。)。また,術後のQOL(qualityoflife・生命(生活)の質)は,術後4年4か月経過時点で生存
していた1例の患者はほぼ術前の状態に戻り良好であったが,それ以外の症例では不良であった。
イ 平成13年から平成15年までの3年間に,松江市立病院第1内科で経験した本症の6例(いずれも65歳
以上)についての報告
 診断がつかないまま死亡した症例が1例,造影CT検査により早期診断され(発症から3時間で診断),腸
管壊死がなく,血栓除去術のみを行った症例が1例,抗凝固療法を行った症例が1例(発症から診断まで17時間),
小腸広範切除術を行った症例が3例(発症から診断まで,87時間,19時間,44時間)であった。診断がついた5
症例のうち1例は短期間に死亡したが,残りの4例は報告時(平成16年発刊の雑誌に登載)においても生存してい
た。
ウ 平成13年6月に本郷中央病院外科において急性の本症を発症した77歳の患者に対して発症から約14時
間後に開腹手術を行った症例についての報告
 術後半年の時点で手術を契機に痴呆が進行し寝たきりの状態となったが,報告時(平成14年2月8日受
付)において,生存していた。
エ 平成元年から平成5年までの間に,聖マリアンナ医科大学病院,聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院で上
腸間膜動脈塞栓症30例のうち血栓溶解療法を施行した8例についての報告
 発症後10時間以内に血栓溶解療法を施行したのは2例であり,他の6例は,それより後に,症状が軽度の
もの,高齢者などに対して同療法を施行した。8例のうち6例は血栓が溶解されたが,1例は,上腸間膜動脈の完全な
再開通が得られず,バイパス手術を施行した。その予後については,1例が投与中の合併症で死亡したほかは,1か月
で死亡したものが2例,2年以上生存したものが5例(うち1例は2年で死亡)であった。
オ RolfInderbitziらが経験した本症60例についての報告(1992年)
 60症例のうち50例について開腹手術をした。発症から12時間以内に手術が開始された9例は全例生存
しているが,発症から13時間ないし24時間で手術をした13例中7例が死亡,発症から24時間以降に手術をした
10例中9例が死亡した。単開腹のみ(開腹手術のみで,塞栓摘除や腸管切除ができなかったもの)18例と,手術せ
ずに保存的療法のみの10例はすべて死亡した。
カ HakanBingolらが本症で開腹した24例についての報告(2004年)
 いずれの症例においても,塞栓摘除あるいは腸管切除と同時に局所血栓溶解療法を行った。そのうち,発症
から6時間以内でこの治療を行った12例は全例生存したが,6時間ないし12時間でこの治療を行った9例中2例が
死亡,12時間以降にこの治療を行った3例では全例死亡した。
 また,乙B5(B作成の意見書)によれば,同人が,平成17年11月28日に検索ツールPubMed(1951年
以降の世界70カ国4600誌から1100万件の論文が掲載された医学文献検索ツール)を用いて,「mesenteric
arterialthrombosismortalitymorbidity」(腸間膜動脈血栓症死亡率)「mesentericthrombosismortality
morbidity」(腸間膜血栓症死亡率)とのキーワードで検索した結果抽出された論文のうち,重複論文,英文抄録のない
もの,上腸間膜動脈血栓症に直接関係のないもの等を除いたものの中で,全症例数と死亡症例数が報告されている文献
(6論文)を基に集計したところ,急性腸管膜乏血(上腸間膜動脈塞栓,上腸間膜動脈血栓,上腸間膜静脈塞栓,上腸
間膜静脈血栓,非血栓性上腸管膜動脈乏血を分類することなく,急性腸管膜乏血として一括して集計された。)の死亡
率は67%(死亡例数は全481症例中322例)であったことが認められる。
 そして,乙B1(「内科学」2003年3月1日版)中の急性腸間膜動脈閉塞症に関する記載中にも,その予
後について「腸管壊死の進行がきわめて早いため,予後は不良である。死亡率は80%をこえている。」との記載がさ
れている。
 ところで,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全
証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,そ
の判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足り
るものである(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。しかも,医師が注
意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡と間の因果関係は,医師が注意義務を尽くして診
療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が
証明されれば肯定されるものと解される(最高裁平成11年2月25日第一小法廷判決・民集53巻2号235頁参
照)。
 そこで,以下,この観点に立って,因果関係の有無について検討する。
ア 前記1の認定説示によれば,次のことが明らかである。
 すなわち,被告病院医師は,4月30日正午ころには腸間膜動脈閉塞症を疑い,直ちに検査,治療を行うべ
き注意義務を負っていた。そして,その注意義務を尽くしていれば,前記1イのとおり速やかに血管造影検査を行って
本症と診断することが可能であったというべきであり,発症から約4時間15分経過した同日正午ころから長時間経過
しないうちに本症と診断できたものと認められる。そして,速やかに,本症に対する治療をすることになるが,その場
合の治療方法としては,前記1ウで認定したとおり,① 絶飲食とし,厳重な全身管理を行う,② 発症初期で腹膜刺
激症状が出現していない場合は,ウロキナーゼやヘパリンなどの抗凝固薬投与による血栓溶解療法を行う,③ 腹膜刺
激症状がみられるときには,速やかに開腹手術をし(発症から開腹までの時間が予後を決定する。),術中所見により
壊死部腸管の切除を行う,ということになる。
イ 本件では,前記前提となる事実認定のとおり,4月30日午後6時45分の内科へ移動後の診察の際にも腹
膜刺激所見は認められておらず,同日正午ころから長時間経過しないうちに本症と診断されれば,発症から12時間経
過しないうちに血栓溶解療法を選択し得たものといえる。
 そして,この治療をした場合の予後についてみると,上記エの報告によれば,同療法を施行した8例(発症
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後10時間以内に施行したのは2例のみ)のうち6例で血栓が溶解され,そのうち1か月で死亡したものが2例,2年
以上生存したものが5例(うち1例は2年で死亡)であった(なお,他の1例は,上腸間膜動脈の完全な再開通が得ら
れず,バイパス手術を施行し,また,残りの1例は投与中の合併症で死亡した。)。
ウ また,血栓溶解療法が実施されずに開腹手術となった場合の予後について検討すると,上記アないしウの報
告によれば,平成12年から平成15年の間に手術を施行した12症例のうち,7例の術後の生存期間は,9日,10
日,22日,1年3か月,4年,4年4か月経過時点でなお生存,術後半年の時点でなお生存というものであり,その
余の5例については,術後の具体的な生存期間は不明であるが,1例は短期間のうちに死亡し,残りの4例は報告時に
おいて生存していた。
エ なお,上記オ及びカ並びに認定の報告及び統計資料について付言する。これらの報告等は,死亡例として計
上されている症例の手術から死亡までの間の具体的な期間が不明であり,Aが現に死亡した時点においてなお生存し得
たか否かを判断するには必ずしも適切なものといえない面がある(上記アの報告では,術後9日,10日,22日に死
亡した症例を非救命例としており,また,Cの意見書(乙B3)では,エの報告のうち,局所血栓溶解療法施行後1か
月後死亡したものや,2年後に死亡したものまで死亡例に分類していることからすると,医学文献上の救命例,死亡例
の取扱いについては,その具体的内容について慎重な検討を要する。)。したがって,Bの意見書(乙B5)が指摘す
るように,症例報告というものが救命実績の報告に主眼を置くものであることをも念頭に置く必要があるとしても,上
記アないしエの症例報告は,一定の期間に当該医療機関において扱った全症例に関するものであることにかんがみる
と,上記冒頭摘示の観点からの因果関係の有無の判断に当たっては,相応の資料的価値を有するものというべきであ
る。
オ 以上の認定説示を総合すれば,被告病院の医師が,4月30日正午ころないしはそれから短時間のうちにA
について本症と診断し,その後,これに対して血栓溶解療法,開腹手術等の適切な治療を施していれば,一般に本症の
予後が不良とされてはいるけれども,Aは少なくともその死亡した時点(5月3日午前8時56分。発症後3日余り)
においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性を認めることができるというべきである。
 そうすると,上記過失とAの死亡との間には,因果関係が認められる。
3 争点(損害の額)について
 Aの被った損害の額
ア 逸失利益
 証拠(乙B1)によれば,一般に本症の予後は不良であり,死亡率は80%を超えていることが認められ
る。上記2の報告及び同の統計データからしても,予後が不良であると認められる。また,上記2ア及びウの術後のQ
OLに関する報告によれば,7症例(ただし,本症発症から治療開始までの時間は,1例が14時間,残りの6例が2
0時間以上である。)のうち,術後のQOLが良好であったものは1例のみである。
 このような事実を総合的に考察すると,Aについては,その死亡した時点においてなお生存していたであろ
うことを是認し得る高度の蓋然性を認めることができるものの,その後において労働により利益を得ることが可能であ
ったとまでは認めることはできないといわざるを得ない。
 したがって,逸失利益に関する請求は,理由がない。
イ 葬儀費用
 上記2説示のとおり上記過失とAの死亡との間に因果関係が認められるので,Aの死亡に伴う葬儀費用につ
いては,150万円をもって本件と相当因果関係のある損害と認める。
ウ 慰謝料
 上記2説示のとおり上記過失とAの死亡との間に因果関係が認められるので,死亡に伴う慰謝料を損害とし
て認めることができる。そして,被告病院に入院中に本症を発症したにもかかわらず,適切な検査,治療を受けること
なく,3日間にわたり腹痛等の症状に苦しみ,ついには死に至ったAの精神的苦痛は甚大であったというべきである。
こうしたことに,以上認定した諸事実,特に被告医師の過失の内容,その他本件に顕れた一切の事情を総合すると,一
般に本症の予後が不良であることを考慮したとしても,慰謝料として2400万円を認めるのが相当である。
 以上のとおり,Aは合計2550万円の損害を被ったものと認められ,原告らは,Aの被告に対する損害賠償請
求権を2分の1ずつ相続した。そして,弁護士費用については,本件事案の性質,難易,認容額等を総合すると,本件
に要した費用のうち各原告につき125万円をもって本件と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
4 よって,原告らの請求は,それぞれ1400万円及びこれに対する平成15年5月3日(Aが死亡した日)から
支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は
いずれも理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第35部
裁判長裁判官     金   井   康   雄
裁判官     本   吉   弘   行
裁判官     望   月   千   広

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なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
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学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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