弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 原告の請求を棄却する
二 訴訟費用は原告の負担とする。
       事   実
第一 当事者の求める裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 被告が原告に対し昭和五五年一月一六日付けでした公務外認定処分を取り消
す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二 被告(答弁の趣旨)
 主文同旨の判決。
第二 当事者の主張
一 原告(請求原因)
(一) 訴外aの死亡等
 訴外a(以下「a」という)は、京都市立下鴨中学校の教諭であったが、昭和五
三年五月一二日、同中学校の修学旅行引率業務に従事中、脳内出血を発症しこれに
より死亡した。
(二) 公務災害認定請求手続等
 aの妻である原告は、被告に対し、昭和五三年一一月二八日付けで地方公務員災
害補償法(以下「地公災法」という)に基づき、aの死亡について公務災害認定請
求をしたが、被告は、昭和五五年一月一六日付けで公務外認定処分(以下「本件処
分」という)をした。
 原告は、本件処分を不服として、昭和五五年四月一二日付けで地方公務員災害補
償基金京都府支部審査会に審査請求をしたが、同支部審査会は、昭和五八年八月一
七日付けで審査請求を棄却する裁決をしたので、原告は、更にこの裁決を不服とし
て、同年九月二八日付けで地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、
同審査会は、昭和五九年九月五日付けで再審査請求を棄却する裁決をし、その裁決
書は同年一〇月九日原告代理人に送達された。
(三) aの発症・死亡の公務起因性
 aは、以下のとおり公務上死亡したものである。
 公務災害補償制度は、憲法二五条に定める生存権を具体的に保障しようとする同
法二七条に基づき被災職員とその家族の生活の保障を目的とするものであるから、
公務上死亡と認定するためには被災職員の発症ないし死亡に公務関連性があれば足
ると解すべきである。そして、aは前示のとおり、修学旅行引率業務に従事中発症
し、死亡したものであるから、これに公務関連性がある。
 仮に、被災職員の発症ないし死亡と公務の間に相当因果関係を必要とするとして
も、公務災害補償制度の前示目的、理念に則り被災職員とその家族の生活を保障す
るものでなければならないから、その内容は不法行為の場合よりも軽減されなけれ
ばならない。
(1) aの発症自体の公務起因性
イ aの死因
 aの死因は、脳内出血のうち小脳出血である。その発症は以下のとおり公務と関
連性があり、仮に、相当因果関係を必要とするとしても、発症と公務の間に相当因
果関係もあるから、aの死亡は公務上の死亡である。
 すなわち、aは、昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間京都市立高野
中学校において、次のロ、ハのとおり極めて過重な職務に従事したため、疲労が蓄
積し、ストレス、緊張が度び重なり、その結果小脳動脈の血管壁を脆弱化させ、昭
和五三年四月下鴨中学校へ転任後も引き続き極めて過重な職務に従事したため、疲
労が蓄積し、ストレス、緊張が連続して、小脳動脈の血管壁を更に脆弱化させて血
管壊死(小脳出血の準備状態)を来たし、更に昭和五三年五月一二日、重篤な風邪
に罹患した身体で特別に高度なストレスや緊張が連続した過重な職務である修学旅
行引率業務に従事した結果、一過性の血圧上昇を来たし、壊死状態の小脳内の血管
壁が破壊して小脳出血を発症したものである。
 したがって、aの発症、死亡は高野中学校、下鴨中学校の過重な職務に起因する
ものである。
ロ aの高野中学校における職務等
 aは、大正一一年一月五日生まれで、昭和二五年九月助教諭、昭和二六年七月教
諭に任命され、京都市立の久多、加茂川、洛北、高野、下鴨中学校に順次勤務し
た。昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間在職した高野中学校の職務
は、以下のとおり極めて過重であった。
 同中学校は、同和地区生徒を抱えるいわゆる同和関係校で、生徒の指導教育に多
くの意欲的実践を行なっていたが、aはその先頭に立って職務を遂行した。そのた
め、aの昭和五二年度の職務内容には、通常の教科担当、クラス担任その他の校務
のほか、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪問、校務分掌上の
庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問等があり、残業時間はい
わゆる持ち帰り残業を含めて一か月一〇〇時間を超えた。下鴨中学校に異動直前の
春休み期間中も、指導要録、観察記録簿等の作成、担当教科室の移動等極めて多忙
であり、長期にわたり蓄積された疲労が解消されないまま極めて深刻な状態になっ
ていた。
ハ aの下鴨中学校における職務等
 aは、昭和五三年四月から下鴨中学校に勤務したが、その職務は、以下のとおり
極めて過重であった。
 aは、それまでと校風が変わった職場で、しかも負担の重い三年生のクラス担任
となり、転任直後から一般の教科指導と併せて進学問題についての職務にもとりか
かり、また、転任後まもなく予定されていた修学旅行に向けての職務も極めて雑多
であり、その結果一か月の残業時間は膨大なものとなった。そして、aは、同年五
月初めころ風邪に罹患しそのうち声も出なくなったが、日程の迫った修学旅行のた
め休暇もとれず、ほとんど無言で黒板に説明事項を記載しながら勤務を続けた。
ニ 発症当日の職務と発症の経過等
 aは、昭和五三年五月一二日、日常の職務と内容が全く異なり、負担が大きく極
めて過重な職務である修学旅行引率業務に以下のとおり従事した。
 同日早朝、aは、妻である原告が見かねて休むことを勧めるほど重い風邪のため
苦しそうな状態であったが、修学旅行引率に出かけた。
 aは、同日午前八時二〇分ころ京都駅八条口において、声を出し難い体調の悪い
状態であったが生徒らの点呼を取り、持物検査等を行ない、午前九時九分新幹線で
出発し、途中で昼食指導を行なった。
 午前一一時五九分三島駅に到着し、aは、生徒らの点呼をとり、午後零時一五分
ころ同駅からバスで出発したが、その後三〇分程して、同僚のb教諭に「気分が悪
い」旨訴え、顔を窓側に向けじっと動かないままの状態であった。
 午後一時一〇分ころ、バスが元箱根に到着し、生徒らは直ちに見学に出発した
が、aのみは残り、芝生に横になったり、バス内でじっとしており、午後二時三〇
分ころ、見学から帰った生徒らとともに再度バスで出発した。途中、aは頭痛、め
まい等を訴え、時々ビニール袋を口にあてがったが、汚物は吐かなかった。
 午後二時五〇分バスが大涌谷駐車場に到着し、生徒らは直ちに見学に出かけた
が、aはそのまま座席にもたれるままの状態で残った。午後三時二五分ころ、見学
から帰ってバス内に入ったc教諭がaの異常な様子に気付き、付添医師が呼ばれて
診察したが、既にaは顔面蒼白で呼吸は停止していた。
 そして、aは午後三時五〇分ころ救急車に収容され、午後四時五分箱根二の平医
院に搬送されたが、午後四時三〇分心臓が完全に停止し死亡が確認された。その
後、後頭下穿刺によって血性髄液が認められ、死体検案書に死因として脳内出血と
記載された。
 以上のとおり、aは、極めて過重な業務に起因して一過性の血圧亢進を来たし、
午後零時四五分ころ気分が悪い旨を訴えるより以前に小脳出血を発症したものであ
る。
(2) 死亡自体と公務との間の因果関係(予備的主張)
 仮に、aの発症について公務起因性が認められないとしても、aの死亡自体と公
務との間には因果関係がある。
 すなわち、aの発症は小脳出血であり、発症時期は午後零時四五分ころ気分が悪
い旨を訴えるより以前であるが、発症時期、場所が修学旅行引率業務中のしかもバ
スに乗車中でなければ、発症後直ちに異常を発見され、時機を失することなく適切
な処置を受けることができたはずであり、その結果少なくとも生命は助かったはず
であるのに、修学旅行引率業務中でバスに乗車中であったため乗り物酔いと誤解さ
れて、発症後直ちに異常を発見されず、そのため適切な処置を受ける機会を失って
死亡したものであって、少なくともaの死亡と公務との間には因果関係があるの
で、aの死亡は公務上の死亡である。
(四) 本件請求
 以上のとおり、aの死亡が公務上の死亡であるのに、これを公務外の死亡と認定
した本件処分は違法であるから、原告は被告に対し、本件処分の取消しを求める。
二 被告(認否・主張)
1 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)の事実を認める。
(二) 同(二)の事実を認める。
(三) 同(三)冒頭の主張を争う。
 同(三)(1)イの事実を否認する。
 同(三)(1)ロ及びハの各事実中、(a)aが大正一一年一月五日生れである
こと、昭和二五年九月助教諭に、同二六年七月に教諭に任命され、京都市立の久
多、加茂川、洛北、高野、下鴨の各中学校に順次勤務したこと、高野中学校に昭和
四七年四月から同五三年三月まで六年間在職したこと、同中学校は同和地区生徒を
抱えるいわゆる同和校であったこと、昭和五二年の職務内容として、通常の教科担
当、クラス担任の他に、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪
問、校務分掌上の庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問があっ
たこと、下鴨中学校には昭和五三年四月から死亡当日まで勤務し、三年のクラス担
任となったこと、同年五月初めころ風邪に罹患したことを認め、(b)その余の事
実を否認する。
 同(三)(1)ニの事実中、(c)昭和五三年五月一二日aが修学旅行引率のた
め出かけたこと、当日午前八時二〇分ころ京都駅八条口で生徒らの点呼を取り、持
物検査等を行ない、午前九時九分新幹線で出発し、途中で昼食指導を行なったこ
と、午前一一時五九分三島駅に到着し、午後零時一五分ころ同駅からバスで出発し
たこと、午後一時一〇分ころバスが元箱根に到着し、生徒らは直ちに見学に出発し
たが、aのみが残ったこと、午後二時三〇分ころ見学から帰った生徒らとともに再
度バスで出発し、その後原告主張の経過を経て午後四時三〇分死亡が確認され、後
頭下穿刺によって血性髄液が認められ、死体検案書に死因として脳内出血と記載さ
れたことを認め、(d)その余の事実を否認する。
 同(三)(2)の事実を否認する。
(四) 同(四)の主張を争う。
2 被告の主張
(一) 公務上外認定基準について
(1) 地公災法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に
基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果
関係がなければならず、その相当因果関係の存在の立証責任は、公務上の災害と主
張する原告にある。
(2) 地方公務員災害補償制度は、その費用の全部が使用者たる地方公共団体の
負担とされていること(地公災法四九条)から明らかなとおり一種の使用者責任と
しての性格を維持しているものであり、公務上外の判断にあたっては、使用者たる
地方公共団体の負担に帰せられる危険の範囲につき何らかの限定がされなければな
らず、被災職員の死亡が公務上と認定されるためには、一定の時間的限定をもった
明確な事由、すなわち「災害」概念に適合する事態の存在を必要とする。
(3) 本件のような脳血管疾患の公務上外認定について、同一の制度構造をもつ
労働者災害補償保険法(以下「労災法」という)に関して、昭和三六年二月一三日
付け基発第一一六号労働省労働基準局長通達「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒
中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」が、国家公務員災害補償法(以
下「国公災法」という)に関して、昭和五四年一〇月人事院通知「中枢神経及び循
環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の公務上外認定指針」が存在したが、右基準
及び指針は、昭和六二年に改正され、労災法に関して、昭和六二年一〇月二六日付
け基発第六二〇号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定
基準について」(以下「新基準」という)が、国公災法に関し、同趣旨の昭和六二
年一〇月二二日付け人事院事務総局職員局長通知「脳血管疾患及び虚血性心疾患等
の公務上の災害の認定について」(以下「新指針」という)が出された。
 右の新基準及び新指針(以下「新指針等」という)は、最新の医学的常識に基づ
き策定されたものであり、公務上外の認定判断はこれに即してなされるべきである
ところ、新指針等においては、脳血管疾患が公務上の災害と認定されるためには、
次の二要件を充たすものでなければならないとされている。
① 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷(医学上当該脳血管疾患の
発症の基礎となる病態をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させることが医
学経験則上認められる負荷)を発症前に受けたことが認められること。
イ 職務に関連して発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭
遇したこと。
ロ 日常の職務に比較して、特に質的に又は量的に過重な職務に従事したこと。
② 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであ
ること。
 また、新指針等は、公務上外認定にあたって問題となる過重負荷の存否を、基本
的には発症前一週間に限って採り上げるべきものとしている。即ち、
① 発症に最も密接な関係を有する職務は、発症直前から前日までの間の職務であ
るので、この間の職務が特に過重であると客観的に認められるか否かを、まず第一
に判断すること。
② 発症直前から前日までの間の職務が特に過重であると認められない場合であっ
ても、発症前一週間以内に過重な職務が継続している場合には、急激で著しい増悪
に関連があると考えられるので、この間の職務が特に過重であると客観的に認めら
れるか否かを判断すること。
③ 発症一週間より前の職務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し
難く、発症前一週間以内における職務の過重性の評価に当たって、その付加要因と
して考慮するにとどめること(新指針では、考慮すべき期間を発症前一か月に限っ
ている。)とされている。
 右判断基準は、最新の医学経験則上の知見に基づくものであり、発症前一週間よ
り前にたとえ過重な職務が継続し、疲労が蓄積していたとしても、それをもって公
務起因性ありと判断することはできない。
 さらに、新指針等は、職務による継続的な心理的負荷(いわゆるストレス)を過
重負荷とはしていない。これは、継続的な心理的負荷に対する生体反応には著しい
個体差が存すること、継続的な心理的負荷は一般生活にも同様に存在することなど
に加え、心理的負荷と発症との関連の詳細については医学的に未解明な部分があ
り、現時点で、過重負荷として評価することは困難であるからである。すなわち、
現時点における最新の医学経験則上の知見においては、単なる心理的負荷の継続を
もって公務起因性ありとすることはできない。
 脳血管疾患については、被災職員に病的素因や基礎疾病のある場合が多く、この
場合には、公務の遂行が当該疾病の自然的発生又は自然的増悪に比し著しく早期に
発症又は急速に増悪させる原因となったときに限り、公務起因性が肯定される。す
なわち、公務の遂行が当該疾病の発症、増悪に何らかの影響を与えたとしても、そ
れが当該疾病の進展を著しく促進したものでない限り公務起因性は否定されるので
ある。
 以上の新指針等に照らすと、aには頭蓋内出血に係る脳動脈瘤の基礎疾患が存在
しており、公務の遂行が当該疾病の自然的発生又は自然的増悪に比し著しく早期に
発症又は急速に増悪させる原因となったことを認めることができないから、aの死
亡に公務起因性を認めることはできない。
(二) aの疾病についての主張
 aの疾病は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血とみるのが妥当である。
 aは、昭和三四年以降の職員定期健康診断において常に正常血圧であり、aのよ
うな五〇歳以上の者について小脳出血の原因として最大のものとされる高血圧症が
なく、発症当日も小脳出血の重大な鑑別診断の要素とされている①起立歩行不能の
症状、②激しい頭痛、回転性めまいの症状、③構音障害、④重篤な嘔吐のいずれも
発現していないから、aの疾病は小脳出血ではない。また、小脳出血で頭蓋内圧が
亢進すると紅潮するはずの顔面が、逆に蒼白になっていたのであるから、小脳出血
とは考えられない。
 医学上一般に、脳動脈瘤は、脳動脈の血管分岐部の先天性の中膜欠損に、血圧、
血流の負荷が加わって嚢状に拡大するといわれている発生学上の一種の奇形を基盤
とする疾病であり、先天的に発生し自然に成長して、時、所を選ばずいつでも破裂
するものであり、外的ストレスとは無関係であるから、公務の遂行とは因果関係が
ないもので、aの疾病は、既に日常の負荷によっても破裂すべき状態にまで肥大し
ていた脳動脈瘤がたまたま公務遂行中に破裂したものに過ぎない。
 仮に、aの疾病が小脳出血であるとしても、小脳出血は小脳部の血管壁が破壊さ
れることによって生ずるものであり、血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の
基礎疾病がない限り異常亢進した血圧であるから、公務起因性が認められるために
は血管壁破壊の原因となった異常血圧亢進が公務によるものでなければならない
が、aには異常血圧亢進をもたらすような公務による過度の精神的、肉体的負担が
存在しなかったのであるから、公務起因性はない。
(三) 救命の可能性について
 aの疾病は脳動脈瘤破裂であり、その発症時期は午後二時五〇分大涌谷到着以降
であり、午後三時二五分には死亡状態になっており、短時間内に発症、死亡してい
るから、発症の場所がどこであっても救命の可能性はなかった。
 仮に、aの発症が小脳出血であり、発症時期が原告主張のとおりであったとして
も、脳外科手術可能な大病院に搬入されるのは、通常、意識障害の生じた後である
ところ、午後二時三〇分元箱根出発後午後二時五〇分大涌谷到着までの間において
も、aは少なくとも意識障害がなかったから、大病院に移送されることになるの
は、修学旅行引率業務中であるか否かを問わず、午後二時五〇分以降のはずであ
り、仮に、午後二時三〇分から午後二時五〇分ころまでのバス車中で異常を発見さ
れ大病院に移送措置がとられたとしても、手術開始までには死亡していたものであ
り、なお、昭和五三年当時の小脳出血の手術による救命率は低かったから、救命の
可能性はなかった。
 また、発症当時は修学旅行引率業務中ではあるが、付添医師が同行しており、必
要があれば受診できたのであり、しかも常に近くに同僚教諭等がおり、午後二時五
〇分以降のバスにも運転手が車内に居て、aに異常があれば直ちに発見できる状況
下にあったのであり、aの発症が修学旅行引率業務中であるからといって受療の機
会を失したことは全くない。
三 原告(被告の主張に対する認否)
 いずれも争う。
第三 証拠(省略)
       理   由
第一 当事者間に争いのない事実
 原告主張の請求原因(一)、(二)の各事実及び同三(1)ロ、ハのうち被告の
認否(三)の(a)、(c)の各事実は当事者間に争いがない。
第二 公務上災害の診断基準について
一 原告は、公務災害補償制度の目的から、公務上の災害と認定するには、被災職
員の発症ないし死亡に公務関連性があれば足る旨主張する。
 しかし、地公災法が、労働者災害補償法、国家公務員災害補償法などと同様に、
労働基準法の使用者による災害補償制度を基礎に発展してきた労災補償制度の一環
であること、現行の労災補償制度は、労働者の私生活領域における一般的事由によ
り生じた傷病から区別して、労働関係に内在ないし通常随伴する危険により生じた
労働者の死亡、負傷等の損失を、その危険の違法性や使用者の過失の有無を問わ
ず、いわゆる従属的労働関係に基づき労働力を支配する使用者の負担において補償
しようとするものであることに照らし、地公災法による職員の災害補償の対象は公
務により生じた死亡等に限られるのであって、公務に関連する発症ないし死亡のす
べてを補償の対象とすべきものと解することはできない。したがって、原告の右主
張は採用できない。
二 地公災法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に因り
死亡し、負傷し、若しくは疾病にかかり、若しくはこれらにより死亡したものを指
し(地方公務員法四五条一項参照)、右の死亡、負傷又は疾病と公務との間に相当
因果関係のあることが必要であり、かつ、これをもって足る(最判昭五一・一一・
一二集民一一九号一八九頁参照)。そして、公務上災害であることを主張する原告
において、この事実と結果との間の相当因果関係を是認しうる高度の蓋然性を証明
する責任、即ち、通常人が合理的疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちう
る程度の立証をする責任があると解するのが相当である(最判昭五〇・一〇・二四
民集二九巻九号一四一七頁)。
三 なお、原告は、相当因果関係の内容が不法行為におけるものより軽減されるべ
き旨主張するが、公務災害と認めるのに必要な相当因果関係は、使用者である地方
公共団体自身において、予見していた事情、及び健全な常識と洞察力のある者が認
識し得た一切の事情を前提として、公務によって所属職員の疾病または死亡が生じ
たもので、これが公務に内在し又は通常随伴して生ずるものといえるものであるこ
と、即ち、公務なければ疾病、死亡がないといえる関係、または、それが同種の結
果発生の客観的可能性を一般的に高める事情にあると判断されることが必要であ
る。
 民法の不法行為では、事実上の因果関係と保護範囲ないし額の問題とを区別する
必要が生ずるのに対して、地公災法の死亡、疾病と公務の起因性においては、その
保護の範囲ないし額は一定であって、公務起因性が認められる以上、その責任の範
囲ないし額に差異を設ける余地はない点で、不法行為の事実上の因果関係と異なる
面があり、公務起因性の場合には前示のとおり、相当因果関係につき結果発生の客
観的可能性の予見ないし予見可能性が必要であると考える。しかしながら、この相
当因果関係は、この点を除き、不法行為における相当因果関係と異ならないのであ
って、その内容において、これに比較してより軽減すべきであるとの根拠はなく、
原告の右主張は失当である。
四 他方、被告は、被災職員の死亡が公務上の死亡と認定されるためには一定の時
間的限定をもった明確な事由としての「災害」の存在が必要である旨主張する。
 しかし、右の意味における「災害」の存在は、相当因果関係の存在を明確に判定
するための一要素ではあるけれども、これが地公災法の補償の要件であるというこ
とはできない。即ち、地公災法三一条等が補償の要件として、単に「公務上の死
亡」等を挙げるのみで、これと区別された被告の主張する不慮の出来事という意味
での「災害」を必要とする旨の規定は存在せず、かえって、同法一条は、災害とは
「負傷、疾病、障害又は死亡をいう。」と定義しているのであって、被告の主張は
実定法上の根拠を欠くこと、現行労災補償制度が、沿革的に右の意味における災害
(施設欠陥、天災地変、第三者の行為等)のみにとどまらず、これによらない業務
上疾病(災害性疾病と職業性疾病)をも併せて補償の対象としていることに照らす
と、被災職員の死亡が必ずしも被告がいう「災害」によって生じたものではなくて
も、死亡ないしその原因となった負傷ないし疾病と公務との間に相当因果関係があ
る限り「公務上の死亡」と認定すべきものである。したがって、被告の右主張は採
用できない。
五 さらに、被告は、脳血管疾患の公務(業務)上外認定について人事院通知、労
働省労働基準局長通達が存在したこと、右通知等は昭和六二年に改正され、国公災
法に関し新指針が、労災法に関し新基準が出されたが、本件もこれに即して公務上
外の認定判断をすべきである旨主張する。
 なるほど、成立に争いのない甲第一二六号証、第一三〇号証、乙第一五ないし第
一七号証、弁論の全趣旨によると、被告主張の通知ないし通達が存在し、その後、
被告主張のとおりの新指針等が出されていることが認められる。しかし、その指針
の趣旨は、右新指針等に適合する事実のある認定請求について公務(業務)上災害
の認定をすべきであることを示すものであるが、この新指針等に適合しないことの
みによって、公務外認定をすべきことを求めるものとはいえないし、もとより裁判
所がこれに拘泥して新指針等に該当しないとの一事をもって、公務外認定をすべき
ものではない。
 即ち、もともと右基準ないし指針は、いずれも行政庁である人事院ないしは労働
省が、公務(業務)上外認定を適正、迅速かつ全国統一的に遂行する必要上各疾病
の種類に応じて作成した下部行政機関に対する運用の便宜のための基準を示した通
達であって、もとより裁判所の判断を拘束するものではない。
 しかも、乙第一六号証、第一七号証によれば、新基準自体において、(解説)5
(3)ロで「この認定基準により判断し難い事案」については、「本省にりん伺す
ること」と定め、その第1部「認定基準について」7(3)②で「(業務による)
継続的な心理的負荷に対する心理学的・生理学的反応は、個人によって著しい差を
有するものであり、継続的な心理的負荷と発症との医学的因果関係も確立していな
い。したがって、医学的資料とともに、業務による継続的な心理的負荷によって発
症したとして請求された事案については、専門的検討を加える必要があるので、本
省にりん伺することとしたものである」旨の説明が付されており、とくに、労働省
の新基準作成に当たった専門家会議の「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性疾患
等の取扱いに関する報告書」において「Ⅳ2今後の検討課題」として、「近年いわ
ゆる業務による諸種の継続的な負荷、中でも心理的負荷と脳血管疾患及び虚血性疾
患等の発症との関連性が推測されているが、反面詳細について医学的に未解明の部
分があり、現時点では、過重負荷として評価することは困難である。したがって、
この分野における医学的知見の収集を図るとともに、個々の事例については、それ
ぞれ専門的検討を加え慎重に判断していく必要がある」旨の報告がされていること
が認められる。
 以上の諸点を考慮すると、右指針等は、もともと行政の適正、迅速処理のための
簡易な判定基準に過ぎないものであり、したがって、右指針等を本件の公務上外の
判断基準にそのまま使用し、本件がこの指針等に当たらないからといって、直ちに
公務起因性を否定すべきであるとの被告の前示主張は採用できない。
第三 aの発症、死亡と公務との相当因果関係の検討
 aの死亡が公務上の死亡であるというためには、前示のとおり公務と死亡との間
に公務関連性があるのみでは足らず、相当因果関係が必要であるところ、原告は、
aの死因となった発症と公務との間に相当因果関係もある旨主張するが、被告はこ
れを否認して公務起因性がないと主張し、本件の中心的争点となっているので、以
下この点につき順次検討していく。
一 aの発症までの公務と発症の経過
 証人d、同e、同fの各証言、成立に争いのない甲第七号証、第八号証の一ない
し三、第九号証、第一一ないし第一四号証、第二二号証、第二五号証、第二七ない
し第三〇号証、第三一、第三二号証、第三四ないし第三九号証、第四三、第四四号
証、第五六ないし第五八号証、乙第四号証の九、一〇、一五、一七、証人eの証言
により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証、第一五号証、第一七ないし
第二一号証、第二六号証、証人fの証言により真正に成立したものと認められる甲
第四〇号証、第一〇九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第
四号証の一八、前示当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すると、次の
事実を認定することができ、この認定を左右するに足る証拠はない。
1 aの職歴
 aは、大正一一年一月五日生まれであり、被災当時五六歳であったが、昭和二五
年九月京都市教員として助教諭に任命されて京都市立の久多中学校に勤務し、次い
で同二六年七月に教諭に任命されて、同中学校のほか、加茂川中学校、洛北中学
校、高野中学校、下鴨中学校に教員として順次勤務した。
2 aの高野中学校における勤務等
(一) aは、高野中学校に昭和四七年四月から同五三年三月まで六年間在職し
た。同校はいわゆる同和関係校であり、aはその関係の生徒の指導教育をも担当し
た。同校勤務の最終年度の昭和五二年度の職務内容としては、教科担当、クラス担
任その他の通常の校務のほか、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家
庭訪問、校務分掌上の庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問な
どがあった。
(二) 教科担当は理科で一週間の授業時間数は道徳と学活(学習活動)の各一時
間を加えて計一八時間、クラス担任は一年生で二人担任制がとられており、同和地
区生徒に対する学習会活動は三八回、六七時間で、家庭訪問は三九回、五九時間で
いずれも職員平均値より若干低い値である。なお、中学校における標準的な受け持
ち授業時間数は、二四時間程度であって、同和加配、クラス担当などで一定程度軽
減されていた。
(三) 校務分掌として、庶務部長の職にあったが庶務部にはaの他に備品担当二
名、営繕担当五名、経理担当二名が配置され事務を分担していた。
 職務としては、かなり忙しく、正規の残業時間がどの程度あったかは不明である
が、いわゆる持ち帰り残業として自宅において処理することもあった。
(四) aは、高野中学校においては、以上のような学習会、家庭訪問、育友会等
により週平均二~三回、午後七時から九時頃まで勤務する必要があった。
(五) aは、下鴨中学校に異動する直前の春休み中も、完全に休養に充てること
はできず、指導要領、観察記録等の作成、担当の理科教室の移動などがあったが、
三月二九日、三一日は自宅研修として登校しなかった。
3 下鴨中学校における勤務
(一) aは、昭和五三年四月下鴨中学校に異動し、同日から発症当日の同年五月
一二日まで同校に勤務した。
 aは、三年のクラス担任となり、一般の教科指導のほかに進学問題に関する職務
にもとりかかった。同校の校風は高野中学校と異なり、進学にとくに熱心な親達も
多いことから来る苦労もあった。
(二) 出勤状況としては、四月二日、九日、一六日、二三日、二九日、三〇日、
五月三日、五日、七日の日曜日及び祝日の休日を取ったほか、四月三日、四日、六
日は春休み期間中であったため自宅待機となっており、授業についても、四月八日
の始業式を経て四月一〇日以降開始され、一三日までは半日授業であった。
 aの右期間中の退庁時間はおおむね午後六時ころまでには退庁していた。
(三) 修学旅行については、同年五月一二日から予定されていたが、準備作業は
着任前の二年生の時点で九〇パーセントが確定して、文書化されていたが、なお、
これに向けての職務も極めて雑多なものが残っていた。
 同年五月初めころ、aは風邪に罹患し、そのうち声も出なくなったが、修学旅行
の日程が迫っていたこともあり休むこともなく、黒板に説明事項を記載しながら勤
務を続けたが、風邪で寝込むこともなかったし、また、治療のため医者にかかるこ
ともしないで、市販の風邪薬を服用し、完全に症状がなくならないまま修学旅行の
当日に至った。
 以上のとおりの事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠がない。
4 aの発症当日の職務及び発症の経過
 証人g、同h、同i、同j、同kの各証言、成立に争いのない甲第六号証、第六
七号、第六八号証、第九八号証、第九九号証、第一二三号証、乙第四号証の一ない
し七、第八号証、証人gの証言により真正に成立したものと認められる甲第七九号
証、証人hの証言により真正に成立したものと認められる甲第八〇号証、弁論の全
趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一一〇号証、前示当事者間に争い
のない事実、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 修学旅行は、昭和五三年五月一二日から同月一四日までの日程で行なわれ
た。修学旅行参加の生徒数は八クラスで約三四〇余名であり、その引率にあたり、
直接的な生徒の監督に当たる「生徒指導」の分掌にはl教諭他八名が充てられ、a
の分掌は他の二名の教諭とともに「生徒指揮」であり、その内容は生徒の移動時期
における引率教員間の連絡や行動の指示等であり、引率の教員等は総勢で校長以下
一五名、他に付添医師が一名であった。
(二) aは、昭和五三年五月一二日、修学旅行の引率のため、午前六時台に起床
した。自宅を出るに当たり、同人は、風邪の症状がなくなっておらず、体調が良好
ではなかったので、妻である原告は、aに修学旅行引率を休むことを勧めてみた
が、aは大丈夫である旨返答して市販の風邪薬とビタミン剤を持って出発した。
(三) 修学旅行は同日午前八時二〇分京都駅八条口集合であったので、aは、そ
のころまでには集合場所に到着し、生徒の点呼を取り、持物検査等を行なった。参
加生徒の一名が集合時間には遅刻をしたが出発時間までには到着し、事故もなく出
発することができた。
 そのころのaの様子については、多少声が出し難く、顔色が優れないように感じ
る者もあったものの、とくに異常を感じる者はいなかった。
 修学旅行は午前九時九分京都駅を新幹線で出発し、三島駅に向かった。新幹線の
中で、aは、午前一〇時ころ、添乗員が持ってきたジュースを飲まなかったが、普
通の状態で過ごしており、生徒からの注文の写真撮影には応じるなどしていた。午
前一一時ころ、昼食の折り詰め弁当が配られ、aはいったん席を立ち生徒に対する
昼食指導をしたのち、自らも弁当を食べたが、三分の一ほど残した。
(四) 列車は午前一一時五九分三島駅に到着し、aら引率の教員らは生徒の点呼
をとり、午後零時一五分ころ同駅からバスで出発した。バスの進行には、とくに変
わったこともなく、はじめは道路が平垣で屈曲も少ない状況であったが、次第に登
りの坂道で曲折も多くなった。
 aは、常にバスの左側の最前列の座席に座っていたが、バスの出発後三〇分ほど
した午後零時四五分ころ、運転手の後の最前列右側の席に座っていた同僚のb教諭
に「バスに少し酔ったようだ。」と気分が悪い旨訴えたが、座席には普通の状態で
腰を掛けていた。
 そのころ、aの状態の詳細については、aの様子を注意深く観察した者もいない
し、また、aの様子に特段の異常がなかったせいか不明であり、aが、はたして、
顔を窓側に向けじっと動かないままの状態であったかどうかについては確たる証拠
がないが、静かにしていたことは認められる。
(五) 同零時五〇分頃バスは山道でますますカーブが多くなってきた。aは、頭
痛めまいがするといい、バスに酔うとは珍しいと前記b教諭に述べている。
(六) バスは、午後一時一〇分ころ、元箱根に到着し、当初予定した駐車場が満
車で停車できず、代わりに若干足場は悪いもののバスの停車可能の場所に停車し、
生徒と引率の教員らは予定されていた杉並木等の見学に出発した。しかし、aだけ
は、一旦はバスから降りて暫く散歩したもののまだ気分がすぐれない様子で、車中
に戻り、前同教諭に気分が優れないから残る旨を告げて見学に参加しないでバスの
座席に半ば横になるようにして休み、見学を終えた生徒らの集合場所である芦ノ湖
畔に移動するバスに乗って移動した。見学後の生徒らのバスへの乗車予定地も当初
予定の駐車場が満車で他の駐車場にバスは停車した。そして、同所で生徒達がバス
に戻るのを待つこととなったが、aは、再びバスを降り、両腕を腰にあてて首をゆ
っくり前後に曲げるなど軽い体操をしたり、近くの芝生に横になったり、また、静
かに座ったりしていた。
 午後二時三〇分ころ、生徒らが見学から帰り、再度バスで大涌谷に向けて出発し
たが、バスに乗車するに際し、aは、他人の助けを借りることなく乗車した。その
ころのaの様子を見て、医師の診断や治療を受ける必要を考慮するような異常を感
じる者はいなかった。
 大涌谷に向かう途中バスは、いよいよ山道にかかり、道路もカーブが多く、aの
様子は、頭痛、めまい等を訴え、窓を開き時々吐き気を催してビニール袋を口にあ
てがってはいた。しかし、嘔吐物は出なかったし、座席には通常の姿勢で座ってお
り、横臥したり座席から転げ落ちるようなこともなかった。
 バスは、午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場に到着し、生徒らは予定されていた大
涌谷の見学に出かけたが、aは顔面が蒼く、今度はバスから降りず、座席に座った
まま、b教諭に気分が優れないからバスに残らしてもらう旨告げて残った。その
際、見学に出かけるためバスから下車するb教諭や数人の生徒から、aに対し、健
康を気づかう声がかけられたが、これに対し、aはb教諭や生徒の一部に対してう
なずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答もしないで座席に座って
眼を閉じたままであったので、生徒のうちには、aが疲労しているものと感じた者
もいた。また、一行が見学に出かけた数分後にバス内にカメラを取りに戻った生徒
には、aが疲れて寝ているように見えたりもした。しかし、バス内に残った運転手
は、aに声をかけたりしたが、格別に異常を感じることもなかった。
(七) 午後二時五五分ころ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻りaの肩を二
回程度叩いて、起きているかどうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上
に向けて手足を投げ出すようにしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていた。
(八) 午後三時二五分ころ同僚のc教諭が、aが全員の記念撮影にもバスから出
てこないのを不審に思い、その様子を見にバス内に入り、座席に座った状態のaに
声を掛けた。しかし、aから返答はなく、aの肩をゆすったところ、同人はがくっ
と頭を垂れ、しかも顔面は蒼白であったので、c教諭は、初めてaの異常に気づ
き、直ちに付添医師のmを呼んだ。
 午後三時三〇分ころ、駆けつけた同医師がaを診察したが、同人は、顔面蒼白
で、脈はなく、呼吸は停止し、瞳孔も散大していた。
 そこで、救急車が要請され、aは、午後三時四五分ころ到着した救急車に午後三
時五〇分ころ収容され、酸素マスクによる酸素吸入と心臓マッサージを受けなが
ら、箱根二の平医院に搬送され、午後四時五分到着した。
 同医院に搬入されたときは、同医院のn医師の診断によれば、aは、意識昏睡、
四肢は弛緩、顔面蒼白、チアノーゼがあり、瞳孔散大、呼吸停止、脈拍停止、心音
なしという状態であり、一応死亡と認められる状態であったが、同医師は、酸素吸
入、人工呼吸、心臓マッサージ、心臓注射、点滴の措置をとり、心電図をとった
が、心臓マッサージに対して心電図はごく小さな振幅で不規則な波動を示したのみ
で、同日午後四時三〇分、心臓マッサージを中止すると心電図の反応が完全に停止
したので、これによりaの死亡を確認した。
(九) 同医師は、aを事前に十分な診察をしたものではなく、死亡原因を把握し
えなかったので、死亡診断書の作成をすることはしなかった。そのため、警察に連
絡のうえ、死体検案が行なわれた。その際、同医師は、aの後頭下穿刺したとき血
性髄液が勢い良く出てきたので、頭蓋内出血の量は二〇〇cc以上であると考えら
れ、死体検案書に、死亡年月日時分を昭和五三年五月一二日午後四時二〇分頃推
定、死亡の場所を箱根二の平医院、死亡の種類については、「病死及び自然死」欄
に丸印を付け、直接死因を脳内出血と記載し、発病より死亡までの期間を数分と記
載した。
 その後、aの死体は解剖に付されることもなく、脳内出血の出血箇所の具体的な
特定もなされないままに終わった。
 以上のとおり認めることができ、右認定を覆すに足る証拠がない。
二 aの発症に至るまでの健康状態
 前示当事者間に争いのない事実、成立に争いのない乙第四号証の一四、弁論の全
趣旨によると、次の事実を認めることができる。
 aは、昭和二五年九月以来京都市立中学校に教員として勤務したが、昭和四三年
一〇月ころから肺結核の症状が認められ、昭和四六年ころにかけて自然に治癒し
て、昭和四七年、五一年、五二年には陳旧性肺結核の痕跡を残すが、その後取り立
てた異常がなくなり、血圧については昭和三四年以降、ずっと定期健康診断の測定
時には正常であり、昭和五一年は一二二/七六、昭和五二年は一一〇/六〇であっ
た。また、検尿でも昭和五二年蛋白(-)、糖(-)であり、昭和五二年の胃検診
異常なしであり、糖尿病その他の代謝異常等の病気も見られないままの健康状態で
過ごしてきた。
 以上のとおり認めることができ、右認定を覆すに足る証拠がない。
三 aの発症、死因の検討
1 当事者の主張
(一) 原告は、請求原因(三)(1)のとおり、aの死因が小脳出血であって、
過重な公務のため疲労が蓄積し、ストレス、緊張のため小脳動脈の血管壁を脆弱化
させて、血管壊死を来たし、それが修学旅行引率により一過性の血圧上昇により壊
死状態の小脳内血管が破壊して小脳出血を来たしたものである旨主張する。
(二) 被告は、前示被告の主張二2(二)のとおり、aは死因は脳動脈瘤破裂に
よるくも膜下出血であって、先天的中膜欠損に日常の血圧、血流の負荷によっても
破裂すべき状態にまで肥大化した脳動脈瘤がたまたま公務遂行中に破裂したにすぎ
ないと主張する。
2 死因判定の要否
 aの死因が脳出血によるものであることは前認定一4(八)、(九)の事実と弁
論の全趣旨によりこれを認めることができ、また、この事実と〈証拠略〉に照ら
し、これが小脳出血が脳動脈瘤破裂のいずれかであって、それ以外の原因を否定で
きることが認められる。
 そして、この小脳出血か、脳動脈瘤破裂かという死因論争が、本件の最大の争点
になっているが、この両者とも公務起因性が認められる場合、及び両者ともこれが
認められない場合には、相当因果関係の認定上、そのいずれであるかの確定をする
ことを要しないものである(最判昭三六・二・一六民集一五巻二号二四四頁参
照)。しかし、この両者の間で公務起因性、即ち、相当因果関係の判定に差異が生
ずる場合には、そのいずれであるかを認定する必要が生ずるので、まず、前認定一
の発症までの公務と発症の経過、同二の発症までの健康状態の各事実を踏まえつ
つ、以下、専門医師の意見、小脳出血、脳動脈瘤の臨床症状、機序、診断法などに
照らし、その判定を試みる。
3 小脳出血か脳動脈瘤かーをめぐる意見
 本件の証拠として提出された専門医師、医師などの見解は、次のとおり小脳出血
説と脳動脈瘤破裂説、断定不能説とが対立している。
(一) 各説の内容
(1) 小脳出血説
イ 天理よろず相談所病院脳神経外科医学博士o
 証人oの証言及び成立につき争いのない甲第一号証によれば、天理よろず相談所
病院脳神経外科医学博士oは、次のとおりその意見を述べている。
① 一般に、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の症例のほとんどが頭部あるいは頂
部に経験したことのないような激しい痛みを訴え、一過性の意識消失を伴って発症
し、さらに、脳動脈瘤破裂により短時間で死亡する場合は発症直後より深い昏睡を
来たし意識の改善を認めることなく死亡するのが通常の臨床経過である。ところ
が、aは、三島駅からバスに乗車後三〇分してから不快を訴え、その後症状が増悪
し、一時間後には頭痛、吐き気、めまいが出現し、意識も次第に障害されつつある
ものでこれに合致しないから、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の可能性は〇パー
セントに近い。
② 他方、脳実質内出血の場合、通常は、頭痛、意識障害、片麻痺、言語障害等の
神経学的脱落症状をもって発症するが、約三分の一の例では発症直後には意識障害
を欠くか又これが見られても軽微である。
 脳実質内出血で臨床的に血性髄液の証明される症例は、視床部に出血し脳室内穿
破を来たした症例や小脳出血より第4脳室に穿破した症例にみられることが多く、
本症例では神経学的脱落症状は認められていないことにより視床部に出血し脳室に
穿破した可能性が示唆されるが、短時間で死亡に至る例は非常に少ないと考えられ
る。
 脳実質内出血で本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられるの
は、劇症型の小脳出血である。小脳出血は脳内出血の約一〇パーセントに見られ、
高度のめまい、嘔吐、歩行失調などの症状で発症するものであり、そのうち急激な
経過で意識消失し死亡に至る劇症型があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作の
みられないことなどが大脳出血との鑑別上有用であるとされており、したがって本
症例がいわゆる劇症型の小脳内出血で死亡した可能性が最も高いと考えられる。
 以上により、aの疾病を小脳出血であると判断している。
ロ 滋賀医科大学医学部脳神経外科文部教官教授p
 成立に争いのない甲第二号証によれば、滋賀医科大学医学部脳神経外科文部教官
教授pの意見は次のとおりである。
 脳動脈瘤破裂のうち、約一〇パーセントは破裂と同時に突然死をとげ、あるいは
破裂と同時に昏睡に陥り、その後も急速に悪化して速やかに死亡するとされるが、
aの発病からの経過はこれに一致しない。右の超重症例を除き、脳動脈瘤破裂のほ
とんどの症例は、全く突然に今まで経験したことがない様な激烈な頭痛が急激に発
現して発症する。多くの例は発作時多少とも意識障害を伴い、また大多数例で頑固
な悪心、嘔吐、項頭痛、項部強直、羞明を訴え、その症例は特異である。
 aは、午後零時一五分ないし四五分ころと推定される発病当時意識は保たれ、
「気分が悪い」、「酔ったらしい」と訴えながら、脳動脈瘤の診断の最大の臨床的
根拠である右のような特徴的な激烈な頭痛は全く訴えていないから、aの疾病を脳
動脈瘤破裂と考えることは極めて不自然であり、頭痛も意識喪失もないごく軽症の
例であったとすればその後数時間で死亡するに至った経過が説明しがたい。
 これに反して、aの疾病が小脳出血で、その拡大により脳幹圧迫を来たすに及ん
で急激に悪化し、死の転機を示したものと考えることは神経学の症候論上なんら矛
盾がない。
 通常、脳内出血のうち小脳出血は約一〇パーセントを占め、身体動揺感、めまい
等で初発し、小脳失調があっても運動麻痺を欠くため四肢の運動障害を自覚しない
ことが多い。しばしば発病当初は強い頭痛も欠く。血腫が漸次増大して脳幹に圧迫
を加えるようになると、脳幹障害のため意識レベルの低下、呼吸障害、循環不全な
どが出現し、放置すれば急速に以後悪化して昏睡となり呼吸麻痺を来たして死の転
機となる。
 aは、頭部激痛、意識障害で発症した形跡を欠き「バスに酔ったよう」、「気分
が悪い」等と訴えたが、これは身体動揺感、めまい、悪心(むかつき)等の表現と
考えて矛盾はない。また、報告書に「顔を窓に側に向けじっとしていた」とある
が、小脳出血時頭部を一定の位置に固定し、これを動かすとめまい、悪心などが増
強されるため、じっと動かさずにいることはしばしば観察されることで、aもこの
ような状態にあったとも考えられる。午後二時三〇分には強い頭痛とともに「めま
い」があったことがはっきりと報告書に記載され、さらに悪心、嘔吐も認められて
いる。その後の悪化は急速で、午後三時三〇分には意識はなく瞳孔散大、呼吸停止
の状態であったが、この頃には小脳血腫の増大により脳幹圧迫が発現進行したと考
えれば説明可能な経過である。なお、小脳出血が拡大すれば容易に第四脳室に穿破
して髄液は血性となることも周知の事実である。
 としたうえ、aの疾病を小脳出血と判断している。
ハ 倉敷市中央病院脳神経外科医師q
 成立に争いのない甲第三号証によれば、倉敷市中央病院脳神経外科医師qの意見
は次のとおりである。
 aに①強度の頭痛が初期症状として認められないこと、②意識障害が、発症初期
には全く認められず、死の直前にいたって急激に発生し増悪していることから脳動
脈瘤破裂によるくも膜下出血と考えるのは症候論的にみて不合理であり、また、脳
実質内出血の髄液腔内への穿破と仮定した場合には、③巣症状、特に運動まひを伴
っていないことから、天幕上の脳実質内出血は想定しがたい。
 小脳出血と仮定した場合には、①から③まで何らの矛盾なく説明可能であり、④
 バス酔いと区別しがたい症状によって発症している事実も、小脳出血の局在論的
見地から容易に説明し得る。
 として、aの疾病を小脳出血と判断している。
(2) 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血説
イ 京都府立医科大学講師r
 前掲乙第九号証によれば、京都府立医科大学講師rの意見は次のとおりである。
 aは当日のバス運行中には頭痛、悪心、めまい等を訴えていたとしても、停車直
後を除くと車外ではその様な陳述、証言はないし、顔面は蒼白かったようである
が、それは乗物酔の症状であり、死亡直前まで急性頭蓋内圧亢進症状があったとす
る事は困難である。したがって、風邪をひいて自律神経のバランスの崩れやすい状
態あるいは薬剤の影響下にあるaが乗物酔になったとしても不思義ではない。大涌
谷で感冒ないし乗物酔のため車内に残っていた時点では致命的な頭蓋内出血が発生
したと考えるべきである。その発生時刻は、生徒がカメラをバスに取りに戻った時
点ころ、即ち、バス到着後まもなくと推定される。
 小脳出血は初期起立歩行不能、構音障害、顔面神経麻痺があるが、aの場合ふら
ついて歩いていたとか、よろけるように歩いていたとか、呂律が回らない、顔が歪
んでいたとの証拠がなく、少なくとも午後二時三〇分までは起立歩行可能であった
といえるから、小脳出血とはいえない。
 五六歳で高血圧症の既往症がなく、死亡直前まで意識障害もなく片麻痺等の局所
的神経症状が明らかでなかったことを考慮すると、大涌谷バス内で脳動脈瘤が破裂
し、頭痛を訴えるまもなく一瞬のうちに意識を喪失して、急死したと考えるのが最
も適当である。
 以上のとおり、aの死因は脳動脈瘤破裂であると判断している。
ロ 医師n
 同医師は、次の(3)断定不能説イのとおり、判定不能であるが、aの死因を脳
動脈瘤破裂によるくも膜下出血と推測すると述べている。
(3) 断定不能説
イ 医師n
 成立につき争いのない甲第四号証によれば、前記のとおり救急車で運びこまれた
aの診察、治療に当たり、更に、死体検案をした箱根二の平医院の医師nは、出血
箇所や出血原因を判定することはできない。ただし、aの死因を脳動脈瘤破裂によ
るくも膜下出血の推測するとしていることが認められる。
ロ m医師
 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証によれば、付添
医師であったmは、aの発症につき、くも膜下出血の可能性が大きいが、脳内出血
による脳室内穿破の可能性もあり、くも膜下出血と断定することはできない。くも
膜下出血の原因としては、脳動脈瘤破裂が考えられるが、断定できないとしている
ことが認められる。
(二) 検討
(1) 本件死因判定の特異性と困難性
 本件は、前認定のとおり、aが修学旅行中、ひとりバスの座席に残り発症したも
ので、異常が発見され、同行医師が診察したときは既に呼吸が停止し、脈拍もな
く、瞳孔が開いていた。そして、医学的な検査ないし客観的なデータとしては、死
亡の確認後、箱根二の平医院でn医師が死体検案の際行なった後頭部下穿刺により
血性髄液が確認されただけである。しかも、小脳出血か脳動脈瘤かの判定は、本来
微妙であるうえ、通常、脳内出血の部位を特定するための解剖所見や、死亡に至る
までに医師の専門的な治療・観察が必要であるといわれているから、これのないま
までその判別を行なうことはもともと極めて困難な作業である。そこで、当裁判所
は、前認定のaの当日の言動と、本件証拠に現れた専門的文献などに指摘されてい
る小脳出血、脳動脈瘤の各機序、臨床症状等とを対比し、とくに前示専門医師など
により指摘されている両者の前駆症状との適合性ないし矛盾の有無を中心に検討し
ていくこととする。
(2) 機序、臨床症状等
イ 小脳出血
① 機序ないし誘因 一般に小脳出血は、脳血管とくに中大脳動脈穿通枝(per
forators)に類線維素変性(fibrinoid degenerati
on)が起こり、そのため血管壊死または小動脈瘤を来たし、出血するものと理解
されており、小脳部の血管壁が破壊されることによって生ずるものであって、その
血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の基礎疾病がない限り異常亢進した血
圧、つまり高血圧であるとされている(乙第六、第一三号証、甲第一〇一号証二一
四頁)。小脳出血の三分の二は高血圧小脳出血である。残りの三分の一は動静脈奇
形、出血性傾向(blood dyscrasias)、外傷、腫瘍、抗凝固剤、
動脈瘤破裂などによる。高血圧性小脳出血は五〇歳以上に多く、若年者では動静脈
奇形、出血性傾向、外傷による場合が多い(乙第一〇、第一二、第一三号証)。
② 臨床症状 一般には突発する激しい頭痛、目まい、反復する嘔気、嘔吐をもっ
て始まり、四肢に明らかな麻痺を認めないにも拘らず、起立、歩行不能が発症す
る。発作直後に意識消失することは少ないが、大多数は意識障害を伴ってくる。神
経学的症状としては、対光反射の認められる縮瞳、注視麻痺などの眼症状のほか、
病側四肢失調、末梢性眼性神経麻痺を伴う。片麻痺はない(乙第六号証、甲第一〇
一号証二一四頁)。
 もっとも、小脳出血では出血量の大小によって症状はかなり異なる。即ち、①致
死的大出血では急激に昏睡に陥り、頻回の嘔吐、呼吸不整を来たすが、②出血量が
少ない場合は、意識がほとんど障害されないので、いわゆる小脳障害が表面にあら
われる。即ち、発作は強いめまい、後頭部痛、嘔吐、運動失調、筋緊張低下、眼
振、企画しんせんなどがみられるが、めまい障害が少ないのも特徴といえる。統計
的には小脳出血の約三分の二が一側半球にのみ出血するので、病側を示した小脳症
状が多い。McKissockが報告した三四例の小脳出血のうち、二八例(八二
%)が急激な発症を示し、そのうち一八例は最初に意識消失はなく、また一一例は
一二時間より三日の間に意識が消失した。意識があるものでの初発症状は後頭部痛
と嘔吐がもっとも多く、ついで急激なめまい、運動失調、手足の不器用がみられ、
まれに神経錯乱や片麻痺もあった(甲第一〇一号証二一七頁)。
 なお、このほか、初発症状として、構語障害、平衡障害、小脳失調、嚥下障害な
どが認められるが、発作当初より、意識障害を示す例は五分の一と少ないとの指摘
もある(甲第一〇三号証七〇頁)。
③ 診断 臨床経過、神経学的所見のみで、高血圧性小脳出血の診断をすること
は、必ずしも容易ではなく、補助診断法との併用が必要となる。CTscan、脳
血管撮影を行うべきであるとの指摘がなされている(甲第一〇三号証七一頁)。
④ 頻度 小脳出血は特発性脳出血全症例中の約一〇パーセントを占める。これは
頭蓋内の全脳容量に対する小脳の占める割合に比例する(乙第一〇、第一二号
証)。なお、脳内出血の出血部位としては、大脳(八〇%)、橋・延髄(一〇
%)、及び小脳出血(一〇%)などで、大脳出血が断然多い(乙第六号証)。小脳
出血のうち、めまい、嘔吐、及び頭痛で発症した例は八四パーセントであり、小脳
出血の意識清明期(lucid period)は三時間内二一パーセント、三・
五時間~三・五日が五八パーセント、発症より意識が保たれlucid peri
odのないものが二一パーセントである(甲第一〇三号証七〇、七一頁)。
ロ 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血
① 機序ないし誘因 脳動脈瘤は、医学上一般に、脳動脈の血管分岐部の先天性の
中膜欠損に、血圧、血流の負荷が加わって嚢状に拡大するといわれている発生学上
の一種の奇形を基盤とする疾病であることが大多数で、先天的に発生し自然に成長
するものであるとされている。もっとも、この先天的脳動脈瘤のほか、細菌性脳動
脈瘤、動脈硬化性脳動脈瘤、外傷性脳動脈瘤、梅毒性脳動脈瘤があるが、それらは
極めて少数である(乙第一号証)。
また、一般に脳動脈瘤の破裂は、時、所を選ばずいつでも起こるといわれている。
 しかし、sの報告によると、くも膜下出血の発症の誘因ないし環境因子として、
三六%が睡眠中または休息中、三分の一は任意の活動中に起こっている。しかし、
ある種の特殊な状態(偶然の合併として)が予想される以上の頻度で(くも膜下出
血に)合併していた。その様な状態のうち目立ったものとしては、(重量物の)挙
上、(身体の)屈曲、情動的にストレスが加わった状態(精神的興奮)、性行為、
咳嗽、排泄(排尿、排便)などの肉体的、精神的負荷時にも約三〇%が出現してい
る(甲第一〇二号証八五五頁、甲第一一三号証の一、二)。
 そして、一日のうち八時間(三分の一日)を睡眠時間とすると仮定すると、くも
膜下出血(subarachnoid hemorrhage,SAH)の約三分
の一がこの間に起こっていることからみて、いかなる時間にも不規則(at ra
ndom)に起こることを示唆しており、また、このように特別の外的ストレスの
ない状況でもSAHの三分の一が起こっていることからすると破裂が外的ストレス
と特別な相関関係にないことを示しているともいえる。しかし、残りの三分の一が
性交や排便などの肉体的または精神的緊張時に発生しているが、性交や排便がどう
長く見積もっても八時間になるとは考えられず、その短い時間内にSAHが三分の
一も発生するとすれば、外的ストレスがSAHに関与したと推認でき、外的ストレ
スと無関係に起こるという仮説を否定する材料となる(s、乙第三号証三三六
頁)。
② 臨床症状 クモ膜下出血は突発する激しい頭痛であり、「引き裂かれたよう
な」「頭の中の爆発が起こったような」などの形容が用いられており、六七・九%
は高度の痛みで持続性のものが多く、拍動痛を混ずるのは二八・六%である。脳動
脈瘤の場合、破裂に先行して警告症状が認められることがある。その頻度は二七な
いし六〇%と諸家により異なるが、この警告症状は三群に分かれ、第一群は動脈瘤
及び近傍動脈の圧迫による症状で、視野障害(二・一%)、眼球運動障害(七・四
%)、眼痛(四・二%)、顔面痛(二・一%)、局所性頭痛(一七・九%)、トー
タルで三三・七%、第二群は小出血による症状で、全般性頭痛(二五・二%)、嘔
気(五・三%)、頚背部痛(六・三%)、嗜眠(八・四%)、羞明(一・一%)な
どトータルで四六・六%、第三群は血管攣縮、閉塞による局所虚血症状であって、
平衡感覚消失(四・二%)、めまい(四・二%)、下痢(三・二%)、体熱感
(二・一%)、運動障害(一・一%)、感覚障害(一・一%)、幻視(一・一
%)、抑うつ(一・一%)、トータルで二〇%であるとの報告があり(t197
3)、警告症状は概ね、全般性頭痛(二五・二%)、局所性頭痛(一七・九%)が
多く、この点はsの報告でも同様である(甲第一〇二号証八五五、八五六頁)。
③ 診断 くも膜下出血は前示臨床症状により診断されるが、一般に、その診断基
準として「1起始は激しい頭痛 2項部硬直、Kernig Brudzinsk
i現象の陽性、3血性髄液、4局所神経症状の欠如、5意識障害はむしろ一過性、
6硝子体下(網膜前)出血」などが挙げられている(文部省総合研究班・脳卒中の
診断基準、乙第一〇〇、第一〇二号証)。
④ 頻度脳血管障害の約一〇%を占める。出血の原因は、その約七〇%が脳動脈瘤
破綻による。五~一〇%が動静脈奇形からの出血、約二〇%が原因不明とされてい
る(甲第一〇二号証、乙第二号証)。
 以上の機序、臨床症状、診断、頻度の各事実は、前掲(一)挙示の各証拠、成立
に争いがない前示各項目の括弧内に挙示の各証拠、弁論の全趣旨によりこれを認め
ることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
3 判断
(一) aの発症当日の問題行動
 前認定一4の事実から次のaの発症当日の問題行動を抽出することができる。
 前認定(四)の昭和五三年五月一二日午後零時四五分ころ、aがバス内で「バス
に少し酔ったようだ。」と訴えたが、座席には普通の状態で腰を掛けていたこと、
同(五)の同午後零時五〇分頃a本人は、頭痛、めまいがするといい、バスに酔う
とは珍しいと述べていること、同(六)の(1)の同午後一時一〇分ころ、生徒と
引率の教員らが見学に出発したのにaだけが、一旦バスから下車し暫く散歩したも
ののまだ気分がすぐれず、車中に戻り、バスの座席に半ば横になるようにして休
み、見学後の生徒らのバスへの乗車地にバスが停車したところで、aが、再びバス
を降り、両腕を腰にあてて首をゆっくり前後に曲げるなど軽い体操をしたり、近く
の芝生に横になったり、また、静かに座ったりしていたこと、午後二時三〇分こ
ろ、再度バスが大涌谷に向けて出発する際、aは、他人の助けを借りることなく乗
車した。そのころのaの様子は、医者の診療を要すると考えられるような異常を感
じる者はいなかった。(2)大涌谷に向かう途中で、aが頭痛、めまい等を訴え、
窓を開き時々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていた。しかし、嘔吐物は
出なかった、座席には通常の姿勢で座っており、横臥したり座席から転げ落ちるよ
うなこともなかったこと、(3)午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場で、生徒らが見
学に出かけたが、aは顔面が蒼く、今度はバスから降りず、座席に座ったまま、バ
スに残った。その際aに対し、健康を気づかう声がかけられたが、aはb教諭や生
徒の一部に対してうなずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答もし
ないで座席に座って眼を閉じたままであったこと、同(七)の午後二時五五分こ
ろ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻りaの肩を二回程度叩いて起きているか
どうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上に向けて手足を投げ出すよう
にしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていたこと、同(八)の午後三時二五
分ころ、座席に座った状態のaは声を掛けられても、返答をせず、aの肩をゆすっ
たところ、がくっと頭を垂れ、しかも顔面は蒼白であったことなどのaの身体の一
連の動静をどうみるかにある。
 即ち、これらの不調を示す動静を風邪ないし車酔いとみるか、または小脳出血の
前駆症状とみるか、脳動脈瘤破裂の警告的症状とみるかがまず問題である。
(二) 各説の主張の疑問点
(1) 小脳出血説
 小脳出血をとる前示3(一)(1)イのo意見では、前示のとおり、①脳実質内
出血の場合、通常は、頭痛、意識障害、片麻痺、言語障害等の神経学的脱落症状を
もって発症するが、約三分の一の例では発症直後には意識障害を欠くか又これが見
られても軽微である。
 脳実質内出血で臨床的に血性髄液の証明される症例のうち、本症例では神経学的
脱落症状は認められていないことにより視床部に出血し脳室に穿破した可能性が示
唆されるが、短時間で死亡に至る例は非常に少ないと考えられる。脳実質内出血で
本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられるのは、劇症型の小脳
出血である。小脳出血は脳内出血の約一〇パーセントに見られ、高度のめまい、嘔
吐、歩行失調などの症状で発症するものであり、そのうち急激な経過で意識消失し
死亡に至る劇症型があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作のみられないことな
どが大脳出血との鑑別上有用であるとされており、したがって本症例がいわゆる劇
症例の小脳内出血で死亡した可能性が最も高いと考えられる。と述べ、さらに、前
認定(四)の昭和五三年五月一二日午後零時四五分ころ、aがバス内で「バスに少
し酔ったようだ。」と訴え、同(五)の同午後零時五〇分頃a本人は、頭痛めまい
がするといい、バスに酔うとは珍しいと述べた時点から、(六)(2)の午後二時
三〇分ころ、バスが再度大涌谷に向かう途中で、aが、頭痛、めまい等を訴え、時
々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていた。しかし、嘔吐物は出なかった
時点までの間に症状が悪化し、意識も次第に障害されつつあるので、高度のめま
い、嘔吐、歩行失調などを伴う小脳出血に適合すると判断している。なお、車酔い
の場合には、普通、下車すると簡単に回復するのに、本件ではそれがないから車酔
いではないとしている(o証言第一八回口頭弁論分一二丁表、裏)。
 そして、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の場合には頭部頭頂部に激痛があり、
一過性の意識消失を伴うのに、本症例ではこれがないから、その可能性は〇パーセ
ントに近いとしている。
 しかし、この見解の疑問点は、前示3(二)(2)ロ②掲記の動脈瘤の警告的症
状に触れられていないことである。即ち、脳動脈瘤では、破裂に先行して警告症状
が認められることがある。その頻度は二七ないし六〇%と諸家により異なるが、本
症例はこの警告症状三グループのうち、第二群の小出血による症状中の嘔気、嗜眠
と、第三群の血管攣縮、閉塞による局所虚血症状のうち、平衡感覚消失、めまい、
下痢、体熱感、運動障害、抑うつに当たると解する余地がないかが問題である。こ
の点につき、前示3(一)(2)イのr意見では、脳動脈瘤破裂の警告症状は近年
u、vらの報告(同人ら・脳神経外科一九八五年)によると第一回出血(警告症
状)より再出血までの期間は六時間以内(三一・五%)が最も多いとしている。そ
こで、前認定の一4(五)の元箱根における午後零時五〇分の「気分が悪い、車に
酔うなど珍しい」といった時期以後を警告的症状ととることも不可能でないが、箱
根町下車後に持続的な頭痛、嘔吐、めまい等の存在が明らかでないので午後二時三
〇分頃までは警告症状ととることはできない。と説き、次いで、前同認定(六)
(2)の午後二時三〇分元箱根町出発後警告症状があり、同(七)の午後二時五〇
分から午後三時二五分の間に再破裂して死亡した可能性が残る、としている(乙第
九号証一〇丁表、裏)。この点当裁判所には、前認定同(五)の午後零時五〇分以
降、同認定(六)(1)(2)、(七)にいたる部分についても、前認定(2)ロ
②の脳動脈瘤の警告的症状に照らし、これが警告的症状でないかとの少なからぬ疑
問が生ずるし、このr意見にいう前同認定(六)(2)の午後二時三〇分元箱根町
出発後のaの動静を脳動脈瘤の警告的症状を示す臨床症状ではないかという合理的
疑問を払拭することはできない。
(2) 脳動脈瘤破裂説
 脳動脈瘤破裂説をとる前示3(一)(2)イのr意見では、小脳出血は初期歩行
不能、構音障害、顔面神経麻痺があるが、aの場合ふらついて歩いていたとか、よ
ろけるように歩いていたとか、呂律が回らない、顔が歪んでいたとの証拠がなく、
少なくとも午後二時三〇分まではバスの乗降も独力でできたもので起立歩行可能で
あったといえるから、小脳出血とはいえないとしている。
 しかしながら、前認定(二)(2)イの小脳出血の臨床症状として、小脳出血の
うち、同②の出血量が少ない場合、その発作は、強いめまい、後頭部痛、嘔吐、運
動失調、筋緊張低下、眼振、企画しんせんなどがみられる。小脳出血のうち、意識
があるものでの初発症状は後頭部痛と嘔吐がもっとも多く、ついで急激なめまい、
運動失調、手足の不器用がみられ、まれに精神錯乱や片麻痺もある(甲第一〇一号
証二一七頁)。なお、このほか、初発症状として、構語障害、平衡障害、小脳失
調、嚥下障害などが認められるが、発作当初より、意識障害を示す例は五分の一と
少ないとの指摘があることに照らすと、必ずしも、初期に構音障害、歩行不能、顔
面神経麻痺がなくとも、小脳出血の初期症状であることがあるといえるから、本件
症状が小脳出血の初期症状ではないかとの合理的疑いが生ずるし、とくに、前示o
意見は脳実質内出血で本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられ
るのは、劇症型の小脳出血である。小脳出血は高度のめまい、嘔吐、歩行失調など
の症状で発症するものであり、そのうち急激な経過で意識消失し死亡に至る劇症型
があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作のみられないことなどが大脳出血との
鑑別上有用であるとされており、したがって本症例がいわゆる劇症型の小脳内出血
で死亡した可能性が最も高いと考えられる。と述べ、さらに、前認定(四)の昭和
五三年五月一二日午後零時四五分ころ、aがバス内で「バスに少し酔ったよう
だ。」と訴え、同(五)の同午後零時五〇分頃a本人は、頭痛めまいがするとい
い、バスに酔うとは珍しいと述べた時点から、(六)(2)の午後二時三〇分こ
ろ、バスが再度大涌谷に向かう途中で、aが、頭痛、めまい等を訴え、窓を開き時
々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていたが、嘔吐物は出なかった時点ま
での間に症状が悪化し、意識も次第に障害されつつあるので、高度のめまい、嘔
吐、歩行失調などを伴う小脳出血に適合すると判断しているし、前同ロのp意見で
は、小脳出血は約一〇パーセントを占め、身体動揺感、めまい等で初発し、小脳失
調があっても運動麻痺を欠くため四肢の運動障害を自覚しないことが多い。しばし
ば発病当初は強い頭痛も欠く。血腫が漸次増大して脳幹に圧迫を加えるようになる
と、脳幹障害のため意識レベルの低下、呼吸障害、循環不全などが出現し、放置す
れば急速に以後悪化して昏睡となり呼吸麻痺を来たして死の転機となる。
 aは、頭部激痛、意識障害で発症した形跡を欠き「バスに酔ったよう」、「気分
が悪い」等と訴えたが、これは身体動揺感、めまい、悪心(むかつき)等の表現と
考えて矛盾はない。また、報告書に「顔を窓の側にむけじっとしていた」とある
が、小脳出血時頭部を一定の位置に固定し、これ動かすとめまい、悪心などが増強
されるため、じっと動かさずにいることはしばしば観察されることで、aもこのよ
うな状態にあったとも考えられる。午後二時三〇分には強い頭痛とともに「めま
い」があったことがはっきりと報告書に記載され、さらに悪心、嘔吐も認められて
いる。その後の悪化は急速で、午後三時三〇分には意識はなく瞳孔散大、呼吸停止
の状態であったが、この頃には小脳血腫の増大により脳幹圧迫が発現進行したと考
えれば説明可能な経過である旨を述べている。さらに、前同ハのq意見では、前示
o意見、p意見と同様であり、とくにバス酔いと区別しがたい症状によって発症し
ている事実も、小脳出血の局在論的見地から容易に説明し得るとしている(甲第三
号証〔3〕(1))。当裁判所はこれらの意見に示された本件症状が小脳出血の初
期症状であるとの合理的疑問を払拭することはできない。
(3) まとめ
 小脳出血の頻度をみると、これは前示(2)イ④のとおり小脳出血は特発性脳出
血全症例中の約一〇パーセントを占める。
 他方、前示(2)ロ④のとおり、くも膜下出血の頻度は脳血管障害の約一〇%を
占める。出血の原因は、その約七〇%が脳動脈瘤破綻による。五~一〇%が動静脈
奇形よりの出血、約二〇%が原因不明とされている(甲第一〇二号証、乙第二号
証)。
 そして、脳動脈瘤の警告的症状の発現の頻度は前示(2)ロ②のとおり、二七な
いし六〇%と諸家により異なるが、この警告症状は三群に分けられ、第一群は動脈
瘤及び近傍動脈の圧迫による症状で、視野障害(二・一%)、眼球運動障害(七・
四%)、眼痛(四・二%)、顔面痛(二・一%)、局所性頭痛(一七・九%)、ト
ータルで三三・七%、第二群は小出血による症状で、全般性頭痛(二五・二%)、
嘔気(五・三%)、頚背部痛(六・三%)、嗜眠(八・四%)、羞明(一・一%)
などトータルで四六・六%、第三群は血管攣縮、閉塞による局所虚血症状であっ
て、平衡感覚消失(四・二%)、めまい(四・二%)、下痢(三・二%)、体熱感
(二・一%)、運動障害(一・一%)、感覚障害(一・一%)、幻視(一・一
%)、抑うつ(一・一%)、トータルで二〇%であるとの報告がある(t197
3)。
 そこで、これらの統計的数字をもとに考えても、小脳出血の頻度一〇に対し、脳
動脈瘤破裂の頻度は八であって、その間に民事判決の事実認定を左右するに足る有
意の差異はなく、より細密に考察しても、小脳出血のうち、めまい、嘔吐、及び頭
痛で発症した例は八四パーセントであり、小脳出血の意識清明期は三時間内二一パ
ーセント、三・五時間~三・五日が五八パーセント、発症より意識が保たれluc
id periodのないものが二一パーセントであるから(甲第一〇三号証七
〇、七一頁)、本症例は小脳出血一〇のうち一・七六四であり(〇・八四×〇・二
一=〇・一七六四、〇・一七六四×一〇=一・七六四)、脳動脈瘤破裂八のうち、
一・一六六四ないし〇・五二四八八であって(〇・〇五三(嘔吐)+〇・〇八四
(嗜眠)+〇・〇四二(平衡感覚消失)+〇・〇四二(めまい)+〇・〇二一(体
熱感)=〇・二四三、〇・二四三×八×〇・六(警告症状)=一・一六六四ないし
〇・二四三×八×〇・二七(警告症状)=〇・五二四八八)、やや小脳出血の蓋然
性が高いが、その間に民事判決の事実認定を左右するに足る程の有意の差を見出す
ことはできない。
 したがって、当裁判所は以上のとおり丹念に細密な検討を重ねたけれども、結
局、aの死因につき小脳出血か脳動脈瘤破裂かを認定することはできないというほ
かない。これは、原告の引用するo意見ないしこれと同調するp意見、q意見は、
o証人自身が当法廷における証言において認めるとおり、司法解剖、症理解剖など
がなされていない本症例ではこの区別を正確には確定できず、いずれにしても全く
の推定によるものであって(o証言―第一八回口頭弁論分四〇丁裏)、前示のとお
り、臨床的な診断においても、臨床症状のほか補助診断法として、小脳出血の場合
には、前示3(二)(2)イ③のとおり、臨床経過、神経学的所見のみで、高血圧
性小脳出血か否かを診断することは、必ずしも容易ではなく、補助診断法との併用
が必要となる。CTscan、脳血管撮影を行うべきであるとの指摘があるのであ
って、これらの小脳出血説をとるo意見等及び脳動脈瘤破裂説をとるr意見は、裁
判上これをもってそのいずれかに認定するには不十分であって、これらにより判決
の基礎とすべき事実を認定することはできない。
四 公務起因性の検討
1 死因病名不明と公務起因性の判定の要否
 前示三2において指摘したとおり、aの死因が小脳出血か、脳動脈瘤破裂かの判
定が不能であっても、その両者につき公務との相当因果関係があれば、公務起因性
を認定することができるので、この両者について公務起因性があるか否かの判定を
する必要がある。
2 小脳出血の場合
 aが小脳出血であった場合について、原告は昭和四七年四月から昭和五三年三月
までの六年間京都市立高野中学校及び昭和五三年四月以降の下鴨中学校における過
重な職務に従事したため疲労が蓄積し、ストレス、緊張が連続して、小脳血管壁を
脆弱化させて血管壊死を来たし、更に昭和五三年五月一二日の本件修学旅行の引率
業務で一過性の血圧上昇を来たし、壊死状態の小脳血管壁が破裂して小脳出血を発
症したもので、公務起因性がある旨主張している。
 確かに、前認定一2の高野中学校におけるaの職務は、同和関係校でもあり、ま
た、公務分掌では渉外担当として、学習会、家庭訪問、育友会書記事務等により週
平均二~三回、午後七時から九時頃まで勤務する必要があったもので、負担の多い
職務であったことは否めない。また、昭和五二年度末の春休み期間中の指導要録の
作成、理科教室備品の点検整理、育友会の記録の整理等の業務に従事し、残務整理
が多かったことが認められるがこれが特に過重な職務とはいえないし、これらの疲
労が重なりaの小脳血管の脆弱化をもたらしていたことを認めるに足る的確な証拠
がない。とくに、前示三3(二)(2)イ①の小脳出血の機序、誘因に照らして、
一般に小脳出血は、脳血管の血管壊死または小脳動脈瘤を来たし、出血するものと
理解されており、小脳部の血管壁が破壊されることによって生ずるものであって、
その血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の基礎疾病がない限り異常亢進した
血圧、即ち高血圧であるとされている(乙第六、第一三号証、甲第一〇一号証二一
四頁)。小脳出血の三分の二は高血圧性小脳出血である。残りの三分の一は動静脈
奇形、出血性傾向(blood dyscrasias)、外傷、腫瘍、抗凝固
剤、動脈瘤破裂などによる。高血圧性小脳出血は五〇歳以上に多く、若年者では動
静脈奇形、出血性傾向、外傷による場合が多いとされている(乙第一〇、第一二、
第一三号証)。ところが、aの場合には、本件全証拠によっても、動静脈奇形、出
血傾向、外傷、腫瘍、抗凝固剤、動脈瘤破裂にあたることを認めるに足る的確な証
拠がなく、高血圧性小脳出血がaの年齢とも関連して疑われるのであるが、これに
は前示o意見などによると、小脳出血では五〇ないし九〇%で最も多く、本症例の
如く発症前に高血圧が指摘されていない高血圧性脳出血例が三分の一に見られると
している(甲第一号証四頁)。ところが、aの当日までの健康状態をみると、前認
定二のとおり、昭和四七年、五一年、五二年には陳旧性肺結核の痕跡を残すが、そ
の後異常はなく、血圧についても昭和三四年以降、ずっと定期健康診断の測定時に
は正常であり、昭和五一年は一二二/七六、昭和五二年には一一〇/六〇であっ
た。また、検尿でも昭和五二年蛋白(-)、糖(-)であり、昭和五二年の胃検診
異常なし、糖尿病その他の代謝異常等の病気も見られないままの健康状態で過ごし
てきたのであるから、昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間京都市立高
野中学校及び昭和五三年四月以降の下鴨中学校における職務に従事していた当時に
おいても、とくに持続的な血圧上昇があるとはいえず、またその間に特異な一過性
の血圧上昇があったことを認めるに足る的確な証拠がない。したがって、aにおい
て何らかの一過性の血圧上昇により小脳血管壁の脆弱化が進み、血管壊死を来たし
ていたとするのは推測の域を出ず、これを認めるに足る的確な証拠はないし、たと
えaの小脳血管壁にその様な血管壊死状態が発生していたとしても、使用者である
京都市において、原告主張のように一瞬即発的な小脳血管壁の脆弱化した血管壊死
状態を、本件発症前の昭和五三年五月一二日の本件修学旅行引率業務を命ずる前に
予知していたとか、これを客観的に予測し得たことを認めるに足る的確な証拠はな
い。
 したがって、たとえaの疾病が小脳出血によるものであるとしても、これとaの
公務との間に相当因果関係を認めることはできない。
 また、前認定一4の各事実の経過のとおり本件修学旅行の引率につき突発的な異
常事態は発生しておらず、通常の経過をたどったごく普通のものであって、aは従
前にも昭和三二年から昭和五一年まで前後八回にわたり日光、東京、箱根などへ修
学旅行の引率をしており、経験も豊富であるし、本件旅行では殆どバス内で休息し
ていたことが認められるのであって、一般的にはこれらの業務により一過性血圧上
昇を来たし、普通の健康人の小脳血管壁が破裂して小脳出血を発症するにいたる程
度のものとはいえないので、これにより使用者である京都市において、本件発症前
後においてaの小脳血管がすでに壊死状態にあり、これが通常の本件修学旅行の引
率業務によっても生ずる一過性の軽度の血圧上昇によっても破裂して小脳出血を発
症することを認識し、又は、認識し得べき客観的可能性があったものと認めること
ができないから、この点でも公務と小脳出血との間に相当因果関係はないというほ
かない。したがって、aの死因を劇症型の小脳出血によるものとみたとしても、そ
の公務起因性は認められない。
3 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の場合
 aの死因を脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとみた場合に、前示事実適示
のとおり、これと公務との間に相当因果関係があることを原告も主張せず、被告は
相当因果関係がないと主張しているから、むしろ相当因果関係のないことにつき当
事者間に争いがないともいえる。もっとも、前示n意見によるとaの死因を脳動脈
瘤破裂であるとしながら、これがストレス、過労が蓄積して血管の脆弱化を来た
し、一過性の高血圧で容易に破裂の原因となり得るもので、本件でも、修学旅行の
付添業務中という特殊な身体的精神的状況の下で、一過性の高血圧を起こし、それ
が誘因となって動脈瘤破裂によるくも膜下出血を起こしたと考えられると述べてい
る。しかし、aのストレスなどによる一過性の高血圧ないし持続的高血圧に基づく
小脳出血ないし脳動脈瘤破裂を認識し又はそれの認識ないし予見が可能であったこ
とが認められないことは既に前示小脳出血につき説示したとおりであって、これと
同一の理由により、公務と脳動脈瘤破裂との相当因果関係を認めることはできな
い。
五 主位的主張のまとめ
 よって、aの死因が小脳出血であって、これと公務との間に因果関係があり、a
の本件死亡につき公務起因性があるとの原告の主位的主張はいずれの点からみて
も、これを採用することはできない。
第四 致命可能性の剥奪の検討(予備的主張の判断)
一 原告は、予備的に、aが当日午後零時四五分ころ気分が悪いと訴えるころ発症
したが、修学旅行中のバスに乗車中であったため、乗り物酔いと誤解されて、発症
後直ちに異常を発見されないまま、その適切な診療を受ける機会を失って死亡した
ものであって、aの死亡との間に公務起因性がある旨主張するのでこの点につき検
討する。
 aの死亡当日の職務ないし発症の経過は、前認定第三の一4のとおりであって、
aの疾病が小脳出血ないし脳動脈瘤破裂のいずれであっても、午後零時四五分こ
ろ、バスの中でaが「バスに少し酔ったようだ」ないし「気分が悪い」と訴えてい
るが、aは、五月初めころからの風邪の症状が完治せず、休調が優れなかったので
あり、それのみでは、a自身も、また、同人の周囲で同人の様子を見ることができ
た者にとっても、同人を大病院の医師の診断を早急に受けさせなければならないも
のと判断する状態にあったとはいえない。その後も、aには吐き気をもようしたも
のの、実際には嘔吐をしてはいないこと、体調が優れないとして、生徒の見学に同
行しなかったことのほかは、とりたてて外見的に異常な行動もなく、単独で歩行
し、構音瞬害等の外観からの発見可能な異常もなかったものであり、また、午後二
時三〇分ころ元箱根出発後、午後二時五〇分ころ大涌谷到着までの間においても、
頭痛、めまい、吐き気を訴えたのみで、別段意識障害が出現してはいないから、近
くで見ているものからも異常と認められるような格別医者の診断を受けたほうがよ
いと思われるような異常はなかったものと考えられるし、少なくとも意識障害はな
く、また、付添医師が同行していたのであるから、異常があれば医師の診察を受け
ることも可能であったのに、a自身も診察の依頼をせず、その必要性を感じていな
かったというほかないし、停車したバスの中で休養していれば回復するとの判断で
過ごしていたものと認められる。そして、前認定第三の一4の事実に照らすと、a
が脳外科の専門病院へ搬送する必要を認めるに足る状態になるのは、早くとも、同
4(六)のバスが当時午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場に到着した際、aが顔面が
蒼く、今度はバスから降りず、座席に座ったまま、b教諭に気分が優れないからバ
スに残らしてもらう旨告げて残ったが、見学に出かけるためバスから下車するb教
諭や数人の生徒から、健康を気づかう声がかけられたが、これに対し、aはb教諭
や生徒の一部に対してうなずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答
もしないで座席に座って眼を閉じたままであったころから、同4(七)の午後二時
五五分ころ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻りaの肩を二回程度叩いて、起
きているかどうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上に向けて手足を投
げ出すようにしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていたころであるというほ
かない。
 したがって、同人がこの午後二時五〇分ないし五五分に異常を発見されて脳外科
の大病院へ搬送されたとしても、前認定第三の一4(九)のとおり、同人の死亡し
たのは、おそくとも同日午後三時三〇分ころ、駆けつけたm医師がaを診察し、a
が、顔面蒼白で、脈はなく、呼吸は停止し、瞳孔も散大していた時点ないし、箱根
二の平医院に搬送され、午後四時五分到着した際、同医院のn医師の診断によれ
ば、aは、意識昏睡、四肢は弛緩し、顔面蒼倉、チアノーゼがあり、瞳孔散大、呼
吸停止、脈拍停止、心音なしという状態であり、一応死亡と認められる状態であっ
た時点までの間であるから、たとえ、原告主張のようにaがその住所地である京都
市にいて、しかも、当時搬送された京都市内の病院においてCTスキャナーの設
置、稼働が十分であったと仮定したとしても、弁論の全趣旨に照らし、患者の搬送
時間、CTスキャナーなどの検査、開頭手術時間を考慮すると、この死亡時点まで
の一時間一〇分ないし一五分の短時間の間に、これらの手順を経て救命され得たも
ので、aの救命が合理的な疑いを超える程度に確実であったと認めることはできな
いし、本件全証拠をもってしてもこれを認めるに足る的確な証拠がない(最判平成
元・一二・一五刑集四三巻一三号八七九頁参照)。
 したがって、aが修学旅行の引率業務に従事中のため、あるいは、バスに乗車中
という特殊な公務環境における公務により治療を受ける機会を失い、死亡するにい
たったという原告の予備的主張も採用することができない。
第五 結論
 以上のとおり、aの死亡が公務上の災害(疾病・死亡)であることを認めるに足
る的確な証拠がないので、これを公務外の災害と認定した被告の本件処分は結論に
おいて相当であって、これに違法があるものということはできず、本件処分の取消
を求める本訴請求は失当である。
 よって、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の
負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決す
る。

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