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平成17年(行ケ)第10360号 特許取消決定取消請求事件
平成18年3月1日判決言渡,平成18年1月25日口頭弁論終結
     判    決
原 告 コニカミノルタホールディングス株式会社
 訴訟代理人弁理士 貞重和生,天野正景    
 被 告 特許庁長官 中嶋誠
 指定代理人 鹿股俊雄,前川慎喜,立川功,青木博文    
     主    文
 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は,原告の負担とする。
     事実及び理由
 本判決においては,書証等を引用する場合を含め,公用文の用字用語例に従って
表記を変えた部分がある。
第1 原告の求めた裁判
 「特許庁が異議2003-71119号事件について平成16年11月11日に
した決定を取り消す。」との判決。
第2 事案の概要
本件は,後記本件発明の特許権者である原告が,特許異議の申立てを受けた特許
庁から本件特許を取り消す旨の決定を受けたため,同決定の取消しを求めた事案で
ある。 
 1 特許庁における手続の経緯
 (1) 本件特許(甲2)
 特許権者:コニカミノルタホールディングス株式会社(特許公報上の特許権者で
あるコニカ株式会社はコニカミノルタホールディングス株式会社の旧商号)
 発明の名称:「プラスチックレンズ」
 特許出願日:平成9年8月12日
 設定登録日:平成14年8月23日
 特許番号:第3341146号
 (2) 本件手続
 特許異議事件番号:異議2003-71119号
 訂正請求日:平成16年3月15日(甲5,6。以下「本件訂正」といい,甲6
の訂正明細書を「訂正明細書」という。)
 異議の決定日:平成16年11月11日
 決定の結論:「訂正を認める。特許第3341146号の請求項に係る特許を取
り消す。」
 決定謄本送達日:平成16年12月6日(原告に対し)
 2 本件発明の特許請求の範囲の記載(下線部は訂正部分。以下,請求項番号に
対応して,それぞれの発明を「本件発明1」などという。)
【請求項1】フランジ部と,レンズ部と,フランジ部とレンズ部の間に位置する最
小肉厚部と,を有する光ピックアップ用のプラスチックレンズであって,ノルボル
ネン系又は非晶質ポリオレフィン系の材料で射出成形により形成され,フランジ部
及びレンズ部の厚みは最小肉厚部より厚く,最小肉厚部の最小肉厚T(mm)が
0.7mm以下であり,正のパワーを有することを特徴とするプラスチックレン
ズ。
【請求項2】比重1.1以下の材料で構成されたことを特徴とする請求項1に記載
のプラスチックレンズ。
【請求項3】位相差分布を光軸と平行な方向から測定したとき,最大位相差をδと
すると,δ<|50°|を満足することを特徴とする請求項1又は2に記載のプラ
スチックレンズ。
 3 決定の理由の要点
 決定は,本件訂正を認めた上で,本件訂正発明1ないし3は,いずれも引用発明
(後記)等に基づいて当業者が容易に発明できたものであるから,特許法29条2
項の規定により特許を受けることができないとした(なお,以下,決定の引用する
刊行物の番号は本訴の証拠番号に置き換える。)。
 (1) 甲7(特開平9-152548号公報。以下「引用例」という。)に記載さ
れた発明(以下「引用発明」という。)
 「光ピックアップ用のプラスチックレンズであって,ポリメタクリル酸メチル樹
脂でモールド成形により形成され,レンズ部の周縁部にあるフランジ4の厚さが
0.25mm又は0.28±0.05mm程度である,正のパワーを有するプラス
チックレンズ」 
 (2) 本件発明1について
 ア 引用発明との対比
 (ア) 一致点
 「レンズ及び肉薄のレンズ周縁部を有する光ピックアップ用のプラスチックレン
ズであって,レンズは高分子材料で射出成形により形成され,レンズ部の厚みがレ
ンズ周縁部よりも厚く,正のパワーを有することを特徴とするプラスチックレン
ズ」
 (イ) 相違点
 相違点1:「本件発明1に係るプラスチックレンズは,フランジ部がレンズ周縁
部の外周に配置され,フランジ部とレンズ部との間に最小肉厚部が位置しているの
に対し,引用発明では,本願発明でいうフランジ部に対応する構成はなく,また,
最小肉厚部についての記載もない点。」
 相違点2:「本件発明1に係るプラスチックレンズは,その材料がノルボルネン
系又は非晶質ポリオレフィン系の材料からなるのに対し,引用発明では,ポリメタ
クリル酸メチル樹脂からなる点。」
 相違点3:「本件発明1では,最小肉厚部の最小肉厚T(mm)が0.7mm以
下と規定されているのに対し,引用発明では周縁部の厚みが0.25mm又は0.
28±0.05mm程度である点。」
 イ 相違点についての判断
 (ア) 相違点1について
 「甲8(「光技術コンタクト;1996 Vol.34,No.04」P161
~178(特に,図1,図6,図7及び図8並びにその説明箇所。判決注:以下,
特に断らない限り,甲8という場合には,右部分を指すこととする。),社団法人
日本オプトメカトロニクス協会発行,平成8年4月20日)には,射出成形により
形成されるプラスチックレンズの外周にレンズ周縁部よりも厚いフランジ部が配置
されることが示されており,このようなフランジ部を引用例に記載の発明に適用す
ることは,当業者であれば容易に想到することができたものであり,また,その
際,フランジ部とレンズ部との間に位置するレンズ周縁部が最小肉厚部となること
は当然に予想されるものである。
 なお,本件発明1における「フランジ部及びレンズ部の厚みは最小肉厚部より厚
く,」との構成は,フランジ部とレンズ部との間に位置する肉薄部が最小肉厚部と
なる構成から,当然に導き出される技術的事項である。」
 (イ) 相違点2について
 「プラスチックレンズを,ノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の材料を
用いて射出成形により形成することは周知の技術手段である(周知例として…甲9
(特開平8-217860号公報),甲10(特開平8-165354号公報),
甲8,及び甲11(「OplusE;1992年10月号,No.155」(株)新技
術コミュニケーションズ発行,平成4年10月5日)を参照のこと。)。」
 (ウ) 相違点3について
 「引用発明において,周縁部の厚みが0.25mm又は0.28±0.05mm
程度であることが記載され,そして,相違点1の判断で述べたように,フランジ部
をレンズ周縁部の外周に配置すれば,そのレンズ周縁部は最小肉厚部になることは
当然に予測されるものであり,さらに,0.7mm以下という最小肉厚T(mm)
の数値に格別な臨界的な意義を認めることもできないから,結局,本件発明1のよ
うに,最小肉厚部の最小肉厚T(mm)を0.7mm以下とすることは当業者であ
れば,容易に想到することができたものである。」
 (エ) まとめ
 「したがって,本件発明1は,当業者が引用例及び甲8に記載された発明並びに
周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたものであって,本件発明
1についての特許は,特許法29条2項の規定に違反してなされたものである。」
 (3) 本件発明2について
 「上記甲8には,ノルボルネン系樹脂である「ARTON」の比重が1.08で
ある旨の記載があることから(16頁の表1参照),本件発明2のようにプラスチ
ックレンズを構成することは,当業者が引用発明及び甲8に記載の発明に基づいて
容易に想到することができたものである。したがって,本件発明2についての特許
は,特許法29条2項の規定に違反してなされたものである。」
 (4) 本件発明3について
 「甲12(特開平5-107467号公報)には,光ピックアップ用のプラスチ
ックレンズにおいて,複屈折による最大位相差が0°>δmax>-40°程度である
ことが示されており,この記載に基づけば,本件発明3のようにプラスチックレン
ズを構成することは,当業者が引用発明及び甲12に記載の発明に基づいて容易に
想到することができたものである。したがって,本件発明3についての特許は,特
許法29条2項の規定に違反してなされたものである。」
 (5) 結論
 「以上のとおりであるから,本件発明1ないし3は,特許法113条2号に該当
し,取り消されるべきものである。」
第3 原告の主張の要点
 決定は,本件発明1と引用発明との相違点1ないし3の判断を誤って本件発明1
の進歩性を否定するとともに,本件発明2及び3の判断を誤ってその進歩性をいず
れも否定したものであるから,取り消されるべきである。
 1 本件発明1について
 (1) 相違点1及び3の判断の誤り
 相違点1及び3は,密接に関連した事項であるので,両相違点についての決定の
判断は総合して検討すべきである。
 ア 本件発明1は,最小肉厚部を経てレンズ部を保持するとともに樹脂注入ゲー
トを備えた構成要素であるフランジ部と,集光機能を備えた構成要素であるレンズ
部と,レンズ部をフランジ部に連結する機能を備えた構成要素である最小肉厚部と
の3つの構成要素から構成され,最小肉厚部の最小肉厚Tが0.7mm以下のプラ
スチックレンズである。
 これに対し,引用例のレンズは,レンズ1と,そのレンズ1の周縁部から突出す
るフランジ4が一体に形成され,フランジ4に樹脂注入ゲートが設けられたプラス
チックレンズで,レンズ1とフランジ4との間のレンズ周縁部はフランジ4と同じ
厚みであり,レンズ1とフランジ4の厚みよりも薄い最小肉厚部は形成されていな
い(段落【0016】,【0018】,【0019】,【0030】,図1)。す
なわち,引用例のレンズは,集光機能を備えた構成要素であるレンズ1と,レンズ
1を保持するとともに射出成形用ゲート機能を備えた構成要素であるフランジ4と
の2つの構成要素から構成されている。
 また,甲8に示されたレンズは,レンズ部の外周にレンズ周縁部よりも厚いフラ
ンジ部が配置されたプラスチックレンズで,フランジ部には樹脂注入ゲートが設け
られ,また,レンズ部とフランジ部との境界部分には,レンズ部の厚みとフランジ
部の厚みよりも薄い最小肉厚部が形成されている。甲8のレンズは,集光機能を備
えた構成要素であるレンズ部と,レンズを保持するとともに射出成形用ゲートを備
えた構成要素であるフランジ部と,レンズをフランジに連結する機能を備えた構成
要素である最小肉厚部との3つの構成要素から構成されている。
 イ 決定は,甲8のフランジ部を引用発明に適用することは,容易に想到できる
とする。しかしながら,甲8のフランジ部を引用発明に適用するという場合には,
構成要素を置換する場合と組み合わせる場合があるところ,決定はいずれの場合を
想定しているのかは明らかでない。
 引用例のレンズ1の周縁部に配置されているフランジ4を甲8のフランジ部で置
換し,引用例のレンズ1を甲8のフランジ部で保持した構成とすると,レンズ1の
周縁部とフランジ部との間の連結部が最小肉厚部を形成することになることは認め
る。しかしながら,置換した構成のレンズの周縁部とフランジ部との間に形成され
る連結部の最小肉厚部の厚さがどの程度になるかは明らかでなく,甲8に図示され
たフランジ部と最小肉厚部に基づいて,置換後の最小肉厚部の厚さを類推すること
はできない。
 また,引用例には,フランジ4の厚みが0.25mm又は0.28±0.05m
m程度であることが記載されているが,引用例のレンズは,レンズ1の周縁部とフ
ランジ4との間に薄い最小肉厚部が存在する構成ではない。引用例に記載された上
記数値は,レンズ1の周縁部とフランジ4との間に最小肉厚部が存在しない構成に
おける数値であって,最小肉厚部が存在する構成の場合にも適用できることを示す
記載は一切ない。
 したがって,引用例のフランジ4を甲8のフランジ部で置換したとしても,置換
した構成における最小肉厚部の厚みは不明で,本件発明1で規定する最小肉厚部の
最小肉厚Tが0.7mm以下のレンズを構成することはできず,上記置換した構成
は本件発明1の構成と相違する。
 次に,甲8のフランジ部を,引用例のフランジ4の外側に配置して組み合わせる
とすると,レンズ保持及び樹脂注入のためのゲート機能を備えた構成要素が二重に
配置されることになり,それぞれの構成要素が備える本来の機能の一部しか使用さ
れないことになる。また,このように組み合わせると,甲8のフランジ部の内側縁
と引用例のフランジ4の外側縁とが結合されるから,決定のいう「フランジ部とレ
ンズ部との間に位置するレンズ周縁部」に相当する部分が存在しなくなる。このよ
うな組合せは,甲8や引用例のフランジの構成と機能を無視した技術的に全く意味
のないものであり,本件発明1の課題を達成することもできない。
 ウ 本件発明1において,最小肉厚部の最小肉厚Tが0.7mm以下と規定され
ていることには,明確な意味づけが存在する。すなわち,訂正明細書の段落【00
12】~【0014】に記載されているとおり,本件発明1における「最小肉厚部
Tが0.7mm以下」という数値は,小型・薄型レンズの形状を本件発明で選択し
た樹脂材料との関連において規定されたものである。本件発明1は,薄型・小型レ
ンズを作成するときに,本件発明の課題を達成する樹脂としてノルボルネン系樹脂
又は非晶質ポリオレフィン系樹脂が好適であることを見出したものである。この前
提となる薄型・小型レンズを規定するための手段として,「最小肉厚部Tが0.7
mm以下」という表現を用いたものであり,ノルボルネン系樹脂又は非晶質ポリオ
レフィン系樹脂でないと,転写性に優れ所期の光学性能を有し,製品コストも抑え
たレンズを射出成形できない数値範囲を規定したものであるから,この数値には明
確な臨界的意義があるものである。したがって,上記数値には格別な臨界的な意義
はないとした決定の認定判断は誤りである。
 (2) 相違点2についての判断の誤り
 決定は,プラスチックレンズをノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の樹
脂材料を用いて射出成形により形成することは周知の技術手段であるとして,甲
8,9,10,11をあげる。しかしながら,これらの刊行物には,ノルボルネン
系又は非晶質ポリオレフィン系の樹脂材料が,小型・薄型レンズ,すなわち「最小
肉厚が0.7mm以下のレンズ」を構成するのに特に適した樹脂材料であるとの記
載はない。
 引用例には,PMMA(ポリメタクリル酸メチル樹脂)を使用し,フランジ4の
厚さを0.25mm,0.28±0.05mmとするレンズが開示されているが,
アクリル系樹脂により最小肉厚部が0.7mmより薄いレンズを成形する場合は,
成形条件を超高温成形にする必要があり,成形できたとしてもコスト的に量産可能
なレベルのものにはならない。引用例は,開口数が0.55以上でも収差の発生を
少なくするためには,材料としてPMMAを用いることが望ましいとの思想を開示
し,段落【0004】,【0005】にも,従来の対物レンズ(ポリカーボネイ
ト,ポリスチレン,スチレンアクリルニトリルポリマ,アモルファスポリオレフィ
ン等のプラスチック材料から構成されるもの)では,開口数を0.55以上にしよ
うとすると,収差が許容範囲を超えて大きくなり,性能が損なわれるという問題点
があったと記載されている。
 このように引用発明と本件発明とは,課題も技術思想も異なり,小型化・薄型化
したレンズに樹脂を適用した際の効果は予測し難いのであるから,引用例のPMM
Aをノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の材料に置き換えることは,当業
者が容易に想到し得ることではない。
 (3) 以上のとおり,決定は,相違点1ないし3の判断を誤り,その結果,本件発
明1の進歩性を誤って否定したものであるから,取り消されるべきである。
 2 本件発明2について
 決定は,本件発明1の進歩性を誤って否定したものであるから,その従属項であ
る本件発明2についての決定の判断も誤りである。
 3 本件発明3について
決定は,甲12には,光ピックアップ用のプラスチックレンズにおいて,複屈折
による最大位相差が0°>δmax>-40°程度であることが開示されており,本
件発明3は,引用例及び甲12に記載の発明に基づき,当業者であれば容易に想到
することができたものであると判断した。しかしながら,甲12の記載は,アクリ
ル系樹脂を使用したプラスチックレンズの位相差に関する記載であり,ノルボルネ
ン系樹脂を使用したプラスチックレンズの位相差に関する記載ではない。また,本
件発明3は,本件発明1の従属項として特許されたものである。したがって,本件
発明3の進歩性に関する決定の判断も誤りである。
第4 被告の主張の要点
 本件発明1と引用発明との相違点1ないし3についての決定の判断に誤りはな
く,また本件発明2及び3についての決定の判断についても誤りはないのであるか
ら,決定が本件発明1ないし3の進歩性を否定したことに誤りはない。
 1 本件発明1について
 (1) 相違点1の判断の誤りに対して
 甲8にはレンズ周縁部よりも厚いフランジ部をもつプラスチックレンズが開示さ
れているが,甲8の図1の図「有限共役形1986年」,図「有限共役形1992
年」をみても厚いフランジ部と凸レンズの周縁部との間にレンズ周縁部の厚みとほ
ぼ同じ厚みの最小肉厚部が形成されていることがわかる。また,このようなフラン
ジ構造をもつ光ピックアップ用プラスチックレンズは,乙1及び2にも開示されて
おり,周知といえるものである。したがって,このようなフランジ部構造を引用例
に開示された発明に適用して本件発明1に係る相違点1の構成とすることは当業者
であれば容易に想到することができたものであることは明らかであり,相違点1の
判断に誤りはない。
 (2) 相違点2の判断の誤りに対して
 光ピックアップ用のプラスチックレンズには小型化・薄型化という課題があり,
その課題の中でレンズ材料には転写性の良さが求められていること,及び光ピック
アップレンズに好適な材料としてノルボルネン系樹脂であるARTONがありその
転写性が良好であることは,甲8及び11に開示されているとおり周知であり,小
型・薄型レンズである引用例に開示されたプラスチックレンズの材料として転写性
が良好なノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の材料を採用することは当業
者ならば容易に想到できることである。
 また,原告は,PMMAを用いてはコスト的に量産できるレベルのものにはなら
ないと主張するが,ノルボルネン系樹脂又は非晶質ポリオレフィン系樹脂材料のレ
ンズだと製品コストを抑えて成形できるという効果は,転写性に優れるノルボルネ
ン系樹脂又は非晶質ポリオレフィン系樹脂を使用したことによる効果であって,こ
れらが転写性に優れることは上記のとおり本願出願前に周知の事実である。
 (3) 相違点3の判断の誤りに対して
 最小肉厚部の厚みは,成形されるプラスチックレンズが正のパワーを有するも
の,いわゆる凸レンズであれば,そのレンズの周縁部の厚みにほぼ等しくなること
は明らかである。一方,引用発明では,レンズ周縁部の厚みとほぼ等しい一定の厚
みを有するフランジ4の厚みが0.25mm又は0.28±0.05mm程度であ
ることが記載されている。してみれば,甲8に記載のフランジ部を引用例に記載の
プラスチックレンズに適用してなるプラスチックレンズの最小肉厚部の厚みは,
0.25mm又は0.28±0.05mm程度になることは明らかである。
 また,甲8には,射出成形レンズの材料としてARTON(ノルボルネン系樹
脂)が用いられ転写性が良好であること,ARTONレンズの用途として光ディス
クのピックアップレンズは好適であることが記載され,加えてARTON製の極小
レンズについても言及されている。転写性に優れたノルボルネン樹脂を用いて,射
出成形により小型のプラスチックレンズを形成する場合,レンズの小型化のために
レンズの最小肉厚部(凸レンズの場合は周縁部の厚みに相当)も小さくしようとす
ることは,当業者の通常の創意工夫に属するものである。転写性に劣るアクリル系
を用いた場合には,最小肉厚が0.7mm以下になると転写性が悪化し,光学性能
が悪いプラスチックレンズとなるとしても,それより転写性に優れることが周知の
ノルボルネン系樹脂をプラスチックレンズの材料として用いれば,最小肉厚が0.
7mmであっても,良好なプラスチックレンズを作成できることは普通に想起でき
るのであるから,0.7mmという上限値に,格別な臨界的な意義はないというべ
きである。仮に,前記上限値に一定の臨界的な意義を認めたとしても,相違点3の
ように数値範囲を特定することは当業者が容易に採用することができた
ものである。
2 本件発明2について
 原告は,本件発明1に関する決定の判断が誤っている以上,従属項である本件発
明2の判断も誤りであるというが,本件発明1についての決定の判断に誤りがない
ことは上記のとおりである。
 3 本件発明3について
 本件発明3で規定されている最大位相差の条件は良好なスポット形状を得るため
にプラスチックレンズが普遍的に備えるべき光学的特性であって,ノルボルネン系
樹脂を用いたプラスチックレンズに特有の数値とは認められない。したがって,甲
12の記載より本件発明3は容易に想到することができるとした決定の判断に誤り
はない。また,原告は,本件発明1に関する決定の判断が誤っている以上,従属項
である本件発明3の判断も誤りであるというが,本件発明1に関する決定の判断に
誤りがないことは上記のとおりである。
 
第5 当裁判所の判断
 1 本件発明1について
 (1) 相違点1の判断について
 決定は,引用発明に甲8記載の発明を適用して相違点1に係る構成とすること
は,当業者であれば容易に想到し得ることであると判断した。これに対し,原告
は,決定のこの判断は誤りであると主張する。
 ア 引用発明のプラスチックレンズが,レンズ本体及びレンズ周縁部と同じ厚み
を有するフランジ4から構成される光ピックアップ用のプラスチックレンズである
ことについては,当事者間に争いはない。また,甲8には,プラスチックレンズの
外周にレンズ周縁部よりも厚いフランジ部が配置され,レンズ本体とフランジ部と
の境界部分にはレンズ本体とフランジ部の厚みよりも薄い最小肉厚部を有するプラ
スチックレンズが開示されていることについても,当事者間に争いがない。
 このような甲8記載のプラスチックレンズの構成を引用発明に適用すれば,本件
発明1のようなフランジ部がレンズ周縁部の外周に配置され,フランジ部とレンズ
部との間に最小肉厚部が位置している構成となることは明らかである。引用発明及
び甲8記載の発明は,いずれもプラスチックレンズに係る発明であり,同一の技術
分野に属するものであるから,当業者であれば,甲8記載の上記構成を引用発明に
適用することは容易に想到し得るというべきである。
 イ これに対し,原告は,甲8のフランジを,引用例のフランジ4の外側に配置
して組み合わせると,レンズ保持及び樹脂注入のためのゲート機能を備えた構成要
素が二重に配置されることになると主張する。しかしながら,当業者が甲8記載の
発明に引用発明を適用する際には,両発明の構成を適宜選択して,組み合わせるも
のであり,原告の主張するように,同一の機能を有するフランジを二重に配置する
ように組み合わせるとは到底考えられない。
 ウ 原告は,引用例のレンズ1の周縁部に配置されているフランジ4を甲8記載
の発明のフランジ部で置換した場合には,レンズ部とフランジ部の間に最小肉厚部
が位置する構成になることは認めるものの,最小肉厚部の厚さがどの程度になるか
明らかではないと主張する。
 しかしながら,引用発明のレンズ1のフランジ4は,レンズ周縁部の厚みと同じ
であるから,その厚みが凸レンズ本体の厚みより薄いことは自明のことであり,ま
た甲8にはフランジ部が最小肉厚部よりも厚いレンズが開示されているのであるか
ら,引用発明に甲8記載の発明を適用した場合には,少なくとも,本件発明に係る
請求項1の「フランジ部とレンズ部の厚みは最小肉厚部より厚く」との構成となる
ことは明らかである。
 エ 原告は,引用発明のレンズのフランジ4の厚み(0.25mm又は0.28
±0.05mm)は,レンズ本体の周縁部とフランジとの間に最小肉厚部が存在す
る構成を前提としているものではないから,引用発明に甲8記載の発明を適用する
ことができるとは限らないとも主張する。しかしながら,引用発明に甲8記載の発
明を適用し,厚さ0.25mm又は0.28±0.05mm程度の最小肉厚部がレ
ンズ本体とフランジの間に位置する構成のプラスチックレンズを形成することを阻
害するような事情は,証拠上認められない。
  オ したがって,原告の主張は採用できず,相違点1についての決定の判断に
誤りがあるとはいえない。
 (2) 相違点2の判断について
 決定は,相違点2について,甲8,9,10,11に基づき,ノルボルネン系又
は非晶質ポリオレフィン系の材料を用いて射出成形によりプラスチックレンズを形
成することは周知の技術手段であると判断した。
 ア 原告は,上記各刊行物にプラスチックレンズの樹脂材料としてノルボルネン
系又は非晶質ポリオレフィン系の樹脂材料が開示されていることは認めるものの,
同材料が小型・薄型レンズを構成するのに特に適した樹脂であることを示す記載は
ないと主張する。
しかしながら,甲8(「光技術コンタクト」平成8年4月20日第34巻4号)
の佐藤康浩「高精度プラスチックレンズ成形における残留歪みと複屈折」には「ピ
ックアップの低コスト化,小型化につれて,レンズの有限共役化,小型化等も進ん
できた」(161頁)等と記載され,プラスチックレンズの小型化が周知の技術課
題であることが示されている。
 また,同じ甲8の青木修「透明耐熱樹脂「ARTON」の特性と応用展開」に
は,「ARTONの比重が最も軽い。低比重材料を用いることによる部品の軽量化
は,…大変好ましいことである。」(170頁),「ラボにおけるARTONの射
出成形テストでは,…光学歪みの小さいレンズが形状転写も良好で,安定して作成
できることが確認された。」(175頁),「温度,湿度の環境を変えたとき,A
RTONのレンズはPMMAに比べて,安定したレンズの特性が保証される事が分
かる。ARTONレンズの性能に関しては,CDのピックアップレンズについて耐
熱アクリルに比較して,レンズとして安定した性能が得られることが報告されてい
る。」(176頁)等と記載され,ノルボルネン系樹脂であるARTONが部品の
軽量化に有用であり,CDのピックアップレンズに適するとともに,転写性が優れ
ていることが示されている。
 以上の記載によれば,本件発明に係る樹脂材料が小型・薄型のピックアップレン
ズを構成するのに適した樹脂材料であることは,本件特許の出願日当時,周知の技
術事項であったというべきである。
 イ 原告は,引用発明は,開口数が0.55以上でも収差の発生を少なくするこ
とを目的とするものであり,そのためにはPMMAが望ましいとの思想が開示され
ているなどとして,引用発明と本件発明とは,その課題及び技術思想が異なると主
張する。
 しかしながら,決定が認定した引用発明は,「光ピックアップ用のプラスチック
レンズであって,ポリメタクリル酸メチル樹脂でモールド成形により形成され,レ
ンズ部の周縁部にあるフランジ4の厚さが0.25mm又は0.28±0.05m
m程度である,正のパワーを有するプラスチックレンズ」というものであり,この
認定を前提とする限り,レンズの材料としてPMMAの使用が必須であるというこ
とはできない。引用発明のレンズをノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の
樹脂材料に置き換えることも可能というべきである。
 本件発明1と引用発明は,いずれもプラスチックレンズに関する発明である点で
技術分野を共通にする上,引用例に記載されたレンズの厚さ(1.35~1.37
mm,1.52~1.54mm)やフランジ4の厚さ(0.25mm又は0.28
±0.05mm)に照らすと,引用発明に係るレンズを形成する際には,小型化・
薄型化,転写性などの課題を考慮しなければならないことは,当業者であれば容易
に理解し得るというべきである。
 ウ 以上によれば,ノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系の材料からプラ
スチックレンズを形成することは,当業者であれば,容易に想到することができた
というべきであり,原告の主張には理由がない。
 (3) 相違点3の判断について
 原告は,本件発明1の「最小肉厚部Tが0.7mm以下」という数値には明確な
臨界的意義があり,引用例に0.25mm又は0.28±0.05mm程度のフラ
ンジ部が開示されているとしても,これはレンズの周縁部とフランジとの間に最小
肉厚部が存在しない構成の数値であるから,本件発明1の進歩性を否定する理由と
はならないと主張する。
ア 本件発明1において最小肉厚部Tを0.7mm以下とした意義について,訂
正明細書には以下の記載がある。
「【0009】ところで,プラスチックレンズ1を薄型化しようとすると,ゲート
部11から流れ込んだ樹脂材料は,最小肉厚T(mm)によって,レンズ部12の
転写性が異なった特性を示した。…
【0011】表1(判決注:表1には,最小肉厚Tが0.8,0.9,1.0の場
合において転写性が良好で,0.7,0.6の場合に転写性が不良であるとの結果
が示されている。)から明らかなように,最小肉厚Tが0.7mm以下のプラスチ
ックレンズ1を射出成形により形成しようとすると,転写性が悪化し,金型どおり
の形状に形成できず,光学性能が悪いプラスチックレンズとなった
【0012】そこで,本発明者らが,鋭意検討した結果,プラスチックレンズの薄
型化(最小肉厚T)と樹脂材料とは因果関係があることを知見した。プラスチック
レンズを射出成形する樹脂材料として,従来から,ポリメチルメタクリレート,ア
クリル系,非晶質ポリオレフィン系,ノルボルネン系など種々の樹脂材料が用いら
れているが,この種々ある光学用の樹脂材料によってその転写性が異なることを知
見し,最小肉厚Tが薄いプラスチックレンズ1であっても,良好な転写性を示すも
のがある。…
【0014】表2(判決注:表2には,最小肉厚Tが0.07mmの場合に,樹脂
材料がアクリル系,ポリメチルメタクリレートのときは転写性が不良で,非晶質ポ
リオレフィン系,ノルボルネン系樹脂のときは転写性が良好であるとの結果が示さ
れている。)から明らかなように,種々ある光学用の樹脂材料のうち非晶質ポリオ
レフィン系,ノルボルネン系を用いることにより,最小肉厚Tが0.7mmのプラ
スチックレンズを良好に射出成形により形成することができた。すなわち,転写性
に優れ,所期の光学性能を有するプラスチックレンズが得られた。また,これら非
晶質ポリオレフィン系,ノルボルネン系を用いた場合,最小肉厚がさらに小さいプ
ラスチックレンズであっても,良好に射出成形することができた。」
 イ 上記記載によれば,0.7mm以下という最小肉厚Tの数値は,従来の樹脂
材料を用いて形成したプラスチックレンズでは十分な転写性,光学性能を得ること
ができないが,非晶質ポリオレフィン系,ノルボルネン系の材料を用いて成形した
プラスチックレンズでは十分な転写性,光学性能を得ることが可能となる最小肉厚
の数値の範囲を意味するものと認められる。
 原告は,この数値に臨界的な意義があるというが,訂正明細書には,最小肉厚T
を0.7mm以下に限定することによって格段に優れた転写性,光学性能等を奏す
る旨の記載はなく,当該数値範囲の内外で効果に顕著な差異があることも示されて
いないのであるから,0.7mmという最小肉厚Tの上限値が臨界的な意義を持つ
とは認められない(例えば,従来の樹脂材料から形成された最小肉厚Tが0.8m
mのプラスチックレンズでも転写性が良好であることは,訂正明細書の表1に示さ
れているとおりである。)。
 訂正明細書や甲8に記載されているとおり,プラスチックレンズの小型化,薄型
化は,周知の技術課題であり,当業者であればレンズ周縁部の厚みとほぼ等しい最
小肉厚部の厚さについても,レンズの形状,レンズ材料等の条件を考慮しつつ,小
さな数値範囲に最適化しようと試みるのは当然であると考えられる。前記判示のと
おり,ノルボルネン系又は非晶質ポリオレフィン系樹脂を用いてプラスチックレン
ズを形成することは,当業者であれば容易に想到し得ることである以上,これらの
樹脂材料を用いて形成したプラスチックレンズについて,その転写性,光学性能を
奏する最小肉厚の数値を実験的に確認し,所期の性能を発揮する範囲において,最
小肉厚を小さな数値範囲に最適化することも,当業者であれば,通常の創作能力の
範囲内で容易になし得るというべきである。そうすると,0.7mmという最小肉
厚部の上限値に臨界的な意義も認められない以上,最小肉厚部の最小肉厚を0.7
mm以下と規定することは,当業者が適宜なし得る設計事項にすぎないというべき
である。
 ウ したがって,相違点3の構成は,当業者が容易に想到し得たものであるとの
決定の判断にも誤りがあるということはできない(なお,原告は,相違点1及び3
を併せて検討すべきであると主張するが,両相違点を一体的に検討したとしても,
上記結論を左右するものではない。)。
 2 本件発明2について
 原告は,本件発明1に関する決定の判断が誤っている以上,従属項である本件発
明2の判断も誤りであるというが,本件発明1についての決定の判断に誤りがない
ことは前記判示のとおりである。
 3 本件発明3について
 原告は,甲12記載の発明のアクリル系樹脂を使用したプラスチックレンズにお
いて,複屈折による最大位相差が0°>δmax>-40°程度であることが開示され
ているとしても,ノルボルネン系樹脂を使用したプラスチックレンズの位相差にそ
のまま適用することはできないとして,本件発明3に関する決定の判断は誤りであ
ると主張する。
 しかしながら,甲12に記載されているのがアクリル系樹脂を使用したプラスチ
ックレンズの位相差であるとしても、プラスチックレンズに求められる光学的特性
であることに変わりはなく,引用例記載の光ピックアップ用のプラスチックレンズ
の複屈折による位相差が甲12記載の程度の位相差に収まるように、射出成形の条
件を設定することは、当業者が容易になし得る程度の事項である。したがって,甲
12の記載に基づき本件発明3は容易に想到することができるとした決定の判断に
誤りはない。
 また,原告は,本件発明1に関する決定の判断が誤っている以上,従属項である
本件発明3の判断も誤りであるというが,本件発明1に関する決定の判断に誤りが
ないことは前記判示のとおりである。
 4 結論
 よって,原告主張の取消事由はいずれも理由がないので,棄却されるべきであ
る。
  知的財産高等裁判所第4部
        裁判長裁判官
                   塚   原   朋   一
           裁判官
                   髙   野   輝   久
           裁判官
                   佐   藤   達   文

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