弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成22年4月14日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成20年(ネ)第10083号損害賠償請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所
平成19年(ワ)第2980号事件)
口頭弁論終結日平成22年1月20日
判決
控訴人不二製油株式会社
同訴訟代理人弁護士山上和則
藤川義人
杉本智則
同弁理士高津一也
同補佐人弁理士廣田雅紀
大和信也
被控訴人花王株式会社
同訴訟代理人弁護士竹田稔
木村耕太郎
同補佐人弁理士花田吉秋
加藤実
伊藤健
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1原判決を取り消す。
2被控訴人は,控訴人に対し,3億円及びこれに対する平成19年3月27日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3訴訟費用は,1,2審を通じ,被控訴人の負担とする。
42項につき仮執行の宣言
第2事案の概要
1本件は,被控訴人が「エコナクッキングオイル」等の商品名で製造販売した
食用油の製造方法(原判決にいう「被告方法」を「被控訴人方法」と読み替える。
以下,略称は,特に断らない限り,原判決に従う。)について,控訴人が,被控訴
人方法は,控訴人が有した本件特許権(発明の名称:酵素によるエステル化方法。
特許番号:第2135885号。出願番号:特願昭62−241768号。分割の
表示:特願昭55−32938号の分割。出願日:昭和55年3月14日。公告:
平成7年6月21日。登録:平成10年4月17日。存続期間満了日:平成12年
3月14日。甲1,2)を侵害するものであったと主張し,主位的には民法709
条に基づく損害賠償請求として,予備的には民法703条に基づく不当利得返還請
求として,その主張に係る損害賠償金ないし不当利得金8億円のうち5億6000
万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年3月27日から支払済
みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2原判決は,本件発明は引用発明と同一であり,本件特許は特許無効審判によ
り無効にされるべきものと認められるから,特許法104条の3により本件特許権
を行使することができないものであったと判示して,被控訴人方法による本件特許
権の侵害の成否について判断することなく,控訴人の請求を棄却したため,控訴人
がこれを不服として3億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年
3月27日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で
控訴した。
3控訴人の本訴請求を判断する前提となる事実は,次のとおり付加するほかは,
原判決の事実及び理由の第2の2(原判決2頁19行∼4頁末行)のとおりである
から,これを引用する。
(1)原判決3頁1行の「本件特許発明」を「本件発明」と改め,以下,原判決
における「本件特許発明」を「本件発明」と読み替える。
(2)原判決4頁14行の「特願昭55−32938号」の後に,「。特開昭5
7−8787号。公開:昭和57年1月18日。乙7」を加える。
(3)原判決4頁15行の「明細書を「原明細書」という」を「明細書(乙2
7)を「原出願明細書」という」と改め,以下,原判決における「原明細書」を
「原出願明細書」と読み替える。
(4)原判決4頁末行の次に,改行の上,以下を加える。
「(6)控訴人による訂正審判請求
ア控訴人は,平成20年8月29日,本件明細書を別紙訂正事項一覧のとおり
に訂正をすること(以下「本件訂正」という。)について審判を請求した(甲8
9)。なお,別紙の下線部は,訂正部分である。以下,本件訂正後の明細書(甲9
0)を「訂正明細書」,訂正明細書の【特許請求の範囲】の【請求項1】に記載さ
れた発明の構成に欠くことができない事項を「本件訂正後発明」という。)。
イ特許庁は,本件訂正審判の請求を訂正2008−390097号として審理
し,平成21年2月9日,『本件審判の請求は,成り立たない。』との審決をした
(甲96)。
ウこれに対し,控訴人は,同審決を不服とし,平成21年3月14日,知的財
産高等裁判所に同審決を取り消すことを求める審決取消訴訟を提起し,同訴訟は,
当裁判所に係属した。」
4本件訴訟の争点
本件訴訟の争点は,以下のとおりである。
(1)充足論(被控訴人方法は本件発明の技術的範囲に属するか)
ア被控訴人方法の内容(争点1−1)
イ構成要件Aの充足性(争点1−2)
ウ構成要件Cの充足性(争点1−3)
エ構成要件Dの充足性(争点1−4)
(2)無効論(本件特許は無効審判請求により無効にされるべきものか)
ア本件発明の新規性又は進歩性の欠如による無効について
(ア)引用発明1との関係での新規性の有無(争点2−1−1)
(イ)引用発明1との関係での進歩性の有無(争点2−1−2)
(ウ)引用発明2との関係での新規性の有無(争点2−2−1)
(エ)引用発明2及び4との関係での進歩性の有無(争点2−2−2)
イ分割出願に係る本件発明の新規性又は進歩性の有無(争点2−3)
ウ本件明細書の記載要件具備の有無(争点2−4)
エ本件訂正による無効理由の解消の有無
(ア)本件訂正は適法にされたか(争点2−5−1)
(イ)本件訂正により無効理由は解消されたか(争点2−5−2)
(ウ)被控訴人方法は本件訂正後発明の技術的範囲に属するか(争点2−5−
3)
(3)損害論(損害賠償額又は不当利得額)(争点3)
第3当事者の主張
1原審における主張
原審における当事者の主張は,次のとおり訂正するほか,原判決の事実及び理由
の第3の1ないし11(原判決6頁10行∼53頁15行)のとおりであるから,
これを引用する。
(1)原判決8頁9行及び9頁14行の各「a」を「a’」,8頁11行及び9
頁16行の各「b」を「b’」,8頁12行及び9頁17行の各「c」を「c’」,
8頁13行及び9頁18行の各「d」を「d’」並びに9頁20行の「e」を「e
’」に改める。
(2)原判決20頁7行「無効理由1における主位的請求〔新規性の欠如〕」を
「引用発明1との関係での新規性の有無」に改める。
(3)原判決30頁4行の「無効理由1における予備的請求〔進歩性の欠如〕」
を「引用発明1との関係での進歩性の有無」に改める。
(4)原判決33頁23行「無効理由2における主位的請求〔新規性の欠如〕」
を「引用発明2との関係での新規性の有無」に改める。
(5)原判決38頁13行の「無効理由2における予備的請求〔進歩性の欠
如〕」を「引用発明2及び4との関係での進歩性の有無」に改める。
(6)原判決43頁6行の「無効理由3」を「本件分割出願による新規性又は進
歩性の有無」に改める。
(7)原判決45頁8行の「改正前44条1項」を「平成6年法律第116号に
よる改正前の特許法44条1項(以下「改正前44条1項」という。)」に改める。
(8)原判決49頁23行の「無効理由4」を「本件明細書の記載要件具備の有
無」に改める。
(9)原判決51頁11行の「改正前36条3項」を「平成2年法律第30号に
よる改正前の特許法36条3項(以下「改正前36条3項」という。)」に改める。
(10)原判決51頁14行の「改正前36条4項」を「昭和62年法律第27号
による改正前の36条4項(以下「改正前36条4項」という。)」に改める。
2当審における主張
(1)引用発明1との関係での新規性の有無(争点2−1−1)について
〔控訴人の主張〕
原判決は,本件発明が引用発明1と同一であると認定したが,次のとおり,原判
決の認定は誤っており,本件発明の新規性を否定することはできない。
ア構成要件A’について
原判決は,引用例1の記載内容(d)及び(e)に「水を排出する系において」とい
う内容が記載されていると認定したが,これは誤っている。
引用例1の引用部分⑧には「エステル化反応による水をそれが生成されると同時
に除去するために…バブリングさせるのが好ましい。エステル化反応による水を除
去することによって,エステル化反応の程度が高くなる。」と記載されているもの
の,この記載自体には何らの裏付けもない。そして,引用例1には,上記記載の裏
付けとなる実施例として,「この合成法を適用したものは,実施例Ⅵに示す。」と
あるところ,この実施例を再現したとしても,実質的に水を排出しているとはいえ
ず,引用例1の記載内容をもって本件発明の構成要件A’と同一内容が開示されて
いるということはできない。
原判決は,被控訴人が行った引用例1の実施例Ⅵの再現実験(乙22)において
系中水分量を計算した結果(甲41)によると,「生成した水分0.135%に対
する留去量は,0.015%に過ぎない」と計算されており,生成された系中水分
量のうち11.1%余が排出されていることになり,系中水分量を基に計算しても
3.5%余の水分が排出されたことになり,いずれにしても,一定の水分が乾燥窒
素のバブリングにより系外に排出されているのであるから,引用例1の実施例Ⅵが
「実質的に水が排出されない系」であるということはできないとした。
しかしながら,控訴人が行った複数回の測定における水分の振れが測定水分に対
してどの程度であるかとの控訴人従業員による実験結果(甲82)が示すように,
乙22の再現実験程度の微量な水分量では,測定による誤差もあって「実質的に水
が排出された」ということはできない。また,乙22は,本来であれば殻を剥いた
トウゴマを使用すべきところ,殻付きのものを使用しており信用性が低いこと,乙
57図5によると,試験A及びBの水の層の色には著しい相違があり,水の組成に
相違があることが示唆されており,この相違は,この水に隣接するクリーム相中に
含まれる水の組成上にも差異がある可能性を示している。このことは,リパーゼク
リームの収率が,引用例1の実施例Ⅰ(Beans重量Shelled25gにつき80%)と
それを追試した乙22(同殻付き100gにつき30%)及び乙57(同殻付き1
00gにつき22%,殻むき100gにつき31%)との間で著しく相違しており,
双方のクリーム組成に根本的な相違があることを疑わしめることから認め得る。
イ構成要件C’について
原判決は,エステル交換反応とエステル合成反応とでは,触媒する脂質分解酵素
の役割としては,原理的に相違はないとし,「エステル交換活性を有する」との修
飾語は当然のことを記載した特に意味をなさない記載と解するのが相当であると判
示した。
しかしながら,脂質分解酵素による加水分解反応が,理論的に分解反応と合成反
応との平衡反応であるとしても,現実の反応としてすべての脂質分解酵素が合成反
応物を与えるわけではなく(例えば,特公昭51−7754号公報(甲83)は,
「加水分解側に偏っている」と記載している),特に,本件発明のような減圧など
の手段で水を系外に排出するような系ではそのようにいうことができる。酵素反応
の場というブラックボックスの中で,理論的には合成と分解が平衡していても,酵
素ごとの特性によりその平衡のズレがあり,反応の結果としてすべての酵素で分解
も合成もできるわけではない。分解以外のエステル合成やエステル交換反応を実質
的に進めることができるか否かは,酵素により異なるものである。本件明細書にも,
エステル交換活性を示さない酵素の存在が記載されており,原出願明細書の実施例
1の比較には,具体的な例示も記載されている。また,本件明細書中に引用される
特願昭55−297407号(特開昭56−127087号公報。乙11)にはエ
ステル交換活性を示さないより多くの例が示されている。そして,酵素によりエス
テル交換活性の有無が問われることに意味があることは,当業者の認識でも共通し
ている(甲84∼88等)。
以上によると,構成要件C’における「エステの交換活性を有する」が無意味な
修飾語でないことは明らかであり,この用語の意味が一義的に明らかではないので
あるから,本件明細書の発明の詳細な説明を参酌して解釈すべきことになるところ,
この発明の詳細な説明には,本件発明のエステル交換活性について,その意味内容,
測定方法が詳細に記載されており,これが当業者に疑念の余地なく理解されること
になる。
〔被被控訴人の主張〕
ア構成要件A’について
控訴人は,原判決が,引用例1の記載内容(d)及び(e)において,構成要件A’
が開示されていると認定したことが誤りであると主張する。
しかしながら,原判決は,引用例1の記載の引用部分⑧の「その混合物を攪拌し,
またエステル化反応による水をそれが生成されると同時に除去するために,乾燥し
た不活性ガスたとえば窒素または二酸化炭素をその混合物の中にバブリングさせる
のが好ましい。エステル化反応による水を除去することによって,エステル化反応
の程度が高くなる。」との記載によって,「エステル化反応の程度を高めるために
乾燥した不活性ガスをバブリングすることにより水分を除去するという技術内容が
明確に記載されている」と認定しているものであり,その認定に何ら誤りはない。
本件特許の出願当時,不活性ガスによるバブリングによって水分を除去する技術
は,減圧留去及びモレキュラーシーブのような乾燥剤による水分除去と並んで周知
技術であるとともに,不活性ガスの流量を増やすこと,泡を細かくすること,温度
を高くすること,あるいはこれらを組み合わせることによって,バブリングによっ
て水を排出する効率を容易に高めることができることも技術常識であったから,引
用例1の実施例Ⅵの条件では,仮に水分除去が十分でないとしても,適宜,条件を
変更することによって十分な脱水を行うことは,当業者にとって単なる設計事項で
ある。
また,控訴人従業員による実験結果(甲82)の内容自体も信用できないもので
ある(乙60)。
さらに,控訴人は,乙22は,本来であれば殻を剥いたトウゴマを使用すべきと
ころ,殻付きのものを使用しており信用性が低いと主張するが,本件では,引用例
1に「エステル化反応の程度を高めるために乾燥した不活性ガスをバブリングする
ことにより水分を除去するという技術内容が明確に記載されている」ということが
できるか否かが問題となっているのであって,乙22の実験が引用例1の実施例Ⅵ
の厳密な再現であるか否かが問題なのではなく,乙22の立証趣旨は,引用例1の
実施例Ⅵの系中水分の測定及び引用例1のトウゴマリパーゼのエステル交換活性
(Ka値およびKr値)の測定にあるのであって,実施例Ⅵの「再現」そのものを
目的としているのではない。加えて,引用例1の実施例Ⅰの「Shelled」は,「殻
つきの」とも「殻を取り除いた」とも解することができるのであるから,乙22が
「殻つきの」との解釈を前提とすることをもって信頼性がないとすることも理由が
なく,また,「殻つきの」と解した場合のエステル交換活性(Ka値)と,「殻を
取り除いた」と解した場合のエステル交換活性(Ka値)とも大差がない。
イ構成要件C’について
本件発明は「エステル化方法」の発明であり,構成要件C’の「脂質分解酵素」
は,エステル化方法に用いる脂質分解酵素(したがって,エステル化に活性を有す
る脂質分解酵素)であることが当然の前提である。原判決は,このことを踏まえた
上で,「エステル交換反応とエステル合成反応とでは,触媒する脂質分解酵素の役
割としては,原理的な相違はない」と認定し,もって構成要件C’の「エステル交
換活性を有する脂質分解酵素」は単に「脂質分解酵素」を意味すると判断したもの
であって,この判断は正当である。
(2)本件訂正は適法にされたか(争点2−5−1)について
〔控訴人の主張〕
ア訂正内容の適否
訂正事項1ないし11は,特許請求の範囲の減縮,誤記の訂正及び明瞭でない記
載の釈明を目的とするものであり,願書に添附した明細書に記載した事項の範囲内
における訂正であって,実質上,特許請求の範囲を拡張し又は変更するものでもな
い。
イ分割要件違反の有無
(ア)原出願明細書
原出願明細書には,以下の(原−あ)ないし(原−お)の事項が記載されていた。
(原−あ)本発明の基質は酸とアルコールのみに限らず…多価アルコールの部分エ
ステル,その他を包含する。…例えば基質がグリセリンまたは部分グリセリドと,
脂肪酸…との混合物であるときは,脂肪酸…を過剰量存在させるようにするのがよ
い。
(原−い)酵素を基質に作用させつつ,反応生成物の一を系外に排出することは,
上述の反応率を高め,或いはエステル化度を高める効果を増大させる。
(原−う)水または低級アルコールを系外へ排出する方法としては,減圧留去また
は吸収剤を用いて行なうのがよい。減圧の程度は,排出すべき反応生成物の,反応
温度における蒸気圧よりも低い圧力とする。
(原−え)実施例1リゾープス・ニベウス起原の市販酵素60g(水分4%)を
水250gに5℃前後で溶解し,これをゼオライト250gと混合し,次いで15
mmHgで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した。…比較として,
加工酵素剤7部にかえて市販の酵素剤1.8部を用い同様に処埋した。酵素の交換
活性,及びメチルエステル分離後のDG含量は表の通りであった。
(原−お)実施例2リゾープスジャポニカス起源の市販酵素,及び担体としてパ
ーライトを用いる他は実施例1と同様に酵素剤を調製した。市販酵素及び加工酵素
剤の活性は下表の通り。…
パーム油は精製(脱色・脱臭)後なおDG含量4.8%であった,該精製パーム
油100部をオレイン酸10部,及び上記酵素剤5部または市販酵素のまま14部
とともに,40℃で3日間撹拌しながら1乃至2mmHgの減圧下におき,しかる
後油脂を回収しDG含量を測定した。比較として,水0.2部も加え常圧下に撹件
したもの,の結果も求めた。
(イ)原出願公開公報明細書
原出願の公開前の昭和58年6月8日の手続補正によって,特開昭57−878
7号公報(乙7)の明細書には,次の(開−あ)のとおりの新たな実施例が含まれ
るようになった。
(開−あ)実施例4いずれも一級試薬であるグリセリン9部及びオレイン酸91
部を混合して,真空加熱乾燥し,これを基質とした。この基質100grを実施例
1の方法によって調製した酵素剤5grとともに,40℃の常圧下において振とう
し,毎日3grのゼオライト(実施例1と同じ)を添加して,13日間反応を行な
わせた。ゼオライトを全く添加しないで反応させることも行った。エステル化の経
時的変化は次の通りであった。
(ウ)訂正明細書
訂正明細書(甲90)には,前記第2の3のとおりの訂正事項1によって訂正さ
れた【特許請求の範囲】の【請求項】の記載に加え,訂正事項6及び8によって訂
正された【発明の詳細な説明】の以下の(訂−あ)及び(訂−い)の記載がある。
(訂−あ)例1リゾーブス・ニベウス起原の市販酵素60g(水分4%)を水2
50gに5℃前後で溶解し,これをセライト250gと混合し,次いで15mmH
gで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した(但しKa=28.5,
Kr×10=24.8)。そして,いずれも一級試薬であるグリセリン9部及び3
オレイン酸91部を混合して,真空加熱乾燥し,これを基質とした。この基質10
0grを上記酵素剤5grとともに,40℃の常圧下において振盪し,毎日3gr
のゼオライト(モレキュラーシーブ4Aタイプペレット状)を添加して,13日間
反応を行わせた。ゼオラセイトを全く添加しないで反応させることも行った。エス
テル化の経時的変化は次の通りであった。
(訂−い)例2リゾープスジャポニカス起源の市販酵素及び担体としてパーライ
トを用いる他は例1と同様にしてエステル交換能を有する酵素剤を得た(但しKa
=7.1,kr×10=15.8)。3
(エ)(訂−あ)についての検討
(訂−あ)は,以下のaないしeのとおり,要旨変更となるものではなく,原出
願明細書に記載した事項の範囲内である。
a「低水分系でエステル交換活性を有する,脂質分解酵素が担体に分散または
吸着された酵素剤」について
(訂−あ)の「リゾーブス・ニベウス起原の市販酵素60g(水分4%)を水2
50gに5℃前後で溶解し,これをセライト250gと混合し,次いで15mmH
gで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した(但しKa=28.5,
Kr×10=24.8)。」は,原出願明細書の実施例1である(原−え)の3
「リゾープス・ニベウス起原の市販酵素60g(水分4%)を水250gに5℃前
後で溶解し,これをセライト250gと混合し,次いで15mmHgで4日間乾燥
して水分約1.4%として酵素剤を調製した。」に相当する。
また,(訂−あ)において,低水分でのエステル交換活性があることを示すKa
値やKr値も(原−え)に記載されている。
b「グリセリン及び脂肪酸を含有する基質」について
(原−あ)において,「例えば基質がグリセリン…と,脂肪酸…との混合物」と
いう組合せ例が具体的に記載されており,また,(原−お)において,脂肪酸とし
てオレイン酸が具体的に例示されているので,「グリセリン及びオレイン酸」から
なる基質を用いた例は原出願明細書に記載した事項の範囲内のものであり,このよ
うな「グリセリン及びオレイン酸」からなる基質を用いた例により技術的事項は何
ら実質的な変化を受けていない。
なお,グリセリン及び脂肪酸の配合割合は,本件訂正後発明に係る技術的事項で
はない。さらに,グリセリン及び脂肪酸のエステル化反応は,本件出願前によく知
られた反応であるので,「グリセリン及び脂肪酸の配合割合」は当業者が適宜決定
することができるものであるところ,(訂−あ)の例1は,グリセリン:オレイン
酸がおおよそ1:3(モル比)であり,従来の方法と比べて特別な割合を用いてい
るものではなく,また,この配合割合により示される結果も,原出願明細書に記載
された効果である「酵素を基質に作用させつつ,反応生成物の一を系外に排出する
ことは,上述の反応率を高め,或いはエステル化度を高める効果を増大させる。」
(原−い)を具体的に示したものにすぎない。
c「40∼75℃で作用させる」について
原出願明細書に記載の実施例は,いずれも40℃で作用させており,(訂−あ)
においても同じ条件が採用されているものであるから,原出願明細書に記載した事
項の範囲内である。
d「水を減圧留去により排出する系」について
(訂−あ)は,水を「減圧留去」により排出する系には該当せず,訂正後発明に
係る技術的事項に完全に対応する実施例といえないので,「実施例」を単なる
「例」と訂正はしたが,「訂正前の本件特許発明についての実施例に相当」し,本
件訂正後発明に係る「技術的事項に対しても…裏づけの一部をなしている」のであ
るから,いわば実施例に準じる機能を果たすものである。
そして,(原−お)に示されるように,原出願明細書には減圧留去の実施例が開
示されていた。また,(原−う)において「水または低級アルコールを系外へ排出
する方法としては,減圧留去または吸収剤を用いて行なうのがよい。」と明記され
ていたのであるから,(訂−あ)の「例」において,減圧留去を採用しようが吸収
剤を採用しようが,ともに選択肢の一方であることは原出願明細書に十分開示され
ているということができる。
e「定量的反応結果」について
以上のように,「訂―あ」において,「低水分系でエステル交換活性を有する,
脂質分解酵素が担体に分散または吸着された酵素剤」を原出願明細書の実施例で開
示されたものを使用し,基質として原出願明細書に開示された「グリセリン及び脂
肪酸を含有する基質」を採用し,脂肪酸も他の実施例に具体的に開示されたオレイ
ン酸を使用し,他の実施例と同じ温度で作用させ,「水を排出する系」として「減
圧留去」が原出願明細書に開示されているのであるから,その結果を「水を排出し
ない系」と比較して具体的な数値で示したからといって,技術的事項が何ら実質的
な変化を受けるわけではなく,要旨変更の理由とされることはない。
(オ)(訂−い)についての検討
(訂−い)については,(原−お)に記載されている酵素剤の内容どおりである
から,原出願明細書の記載の範囲内の事項であることが明らかである。
(カ)小括
以上によると,本件訂正後発明は原出願明細書に開示されていた発明であり,本
件訂正後発明の一部を裏付ける「例1」によって,技術的事項が何ら実質的変化を
受けるものではないから,追加された例1をもって要旨変更であるということはで
きず,本件訂正は適法な分割出願である。
ウ訂正事項6に係る訂正要件
原出願の公開公報(乙7)の実施例1には,酵素剤の調製方法について,「実施
例1リゾープス・ニベウス起原の市販酵素60g(水分4%)を水250gに5℃前後
で溶解し,これをセライト250gと混合し,次いで15mmHgで4日間乾燥して水分約1.
4%として酵素剤を調製した。」と記載されると共に,この調製された酵素剤のエ
ステル交換活性について,Ka=28.5,Kr×10=24.8であることが記載されている。3
他方,本件明細書(甲2)においては,「実施例1リゾープス・ニベウス起原
の市販酵素60g(水分4%)を水250gに5℃前後で溶解し,これをゼオライト250g
と混合し,次いで15mmHgで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した
(但しKa=28.5,Kr×10=24.8)。」と記載されており,原出願の公開公報にお3
ける酵素剤に関する記載と対比すると,脂質分解酵素を分散または吸着させる担体
(「セライト」と「ゼオライト」との異同)を除いて,エステル交換活性について
のKa=28.5,Kr×10=24.8など,残りの部分はすべて一致している。3
そして,上記のように調製された酵素剤を用いたエステル化反応について,原出
願の公開公報の実施例4及び本件明細書の実施例1には,同一の反応条件及び同一
の反応結果が記載されている。
このように,原出願の公開公報及び本件特許明細書の記載において,担体を除い
た酵素剤の調製方法及び調製された酵素剤の特性が同一であり,さらには,これを
用いたエステル化反応の反応条件及び反応結果が同一であることからすると,両者
は同一事項を記載していると解するのが技術的にみて普通の解釈であり,訂正前の
本件特許明細書の実施例1は,明りょうでない記載又は誤記を含んでいることは明
らかである。
エ本件特許の出願日
仮に,(訂−あ)の「例1」の追加が分割違反と判断される場合であっても,本
件特許の出願とみなされる日は,現実の出願日である昭和62年9月26日ではな
く,原出願において,本件訂正の「例1」に相当する「実施例4」を追加する内容
の手続補正書を提出した昭和56年6月8日となる。
すなわち,本件の分割出願に適用される平成5年法律第26号による改正前の特
許法40条(以下「改正前40条」という。)には,「願書に添附した明細書又は
図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨
を変更するものと特許権の設定の登録があった後に認められたときは,その特許出
願は,その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定さ
れている。この規定によれば,要旨を変更する手続補正書を提出した時が出願時と
みなされるので,本件訂正による「例1」に相当する補正された「実施例4」の追
加後の明細書及び図面が原出願明細書及び図面になると解される。そして,本件訂
正により,昭和62年9月26日に追加された実施例はないことになるので,その
結果,本件分割出願は適法な分割出願となり,その出願日は手続補正書を提出した
日まで遡及すると解される。
分割出願の制度を設けた趣旨が,特許法のとる一発明一出願主義のもとにおいて,
1出願により2以上の発明につき特許出願をした出願人に対し,この出願を分割す
るという方法により各発明につきそれぞれもとの出願の時に遡って出願がされたも
のとみなして特許を受けさせる途を開くという出願人保護の点にあるとともに,改
正前40条を設けた趣旨が,要旨変更になるような補正はすべて無効であるという
ような解釈を採ると特許権者にとっては余りにも苛酷にすぎるという当時の権利者
保護の考え方によるものであることからすると,第三者に不当に不利益を及ぼさな
い限りにおいては,出願人又は権利者保護の観点から法律を解釈することが妥当で
ある。そして,改正前40条によると,原出願の出願日は手続補正書を提出した日
まで繰り下がり,この原出願に基づく分割出願も手続補正書を提出した日までしか
遡及せず,第三者が不測の不利益を受けることはないので,上記のように補正後の
明細書又は図面に基づいて分割出願を認めることが法の趣旨にも合致する。
なお,当時の明細書又は図面の補正の要旨変更に関しては,補正がされた時期と
その補正が要旨変更であると認定された時期の違いから,改正前40条のほかに,
昭和60年法律第41号による改正前の特許法53条4項(以下「改正前53条4
項」という。)が規定されるが,同項には,審査段階で認定された要旨変更に関し
て,「特許出願人が第1項の規定による却下の決定の謄本の送達があった日から3
0日以内にその補正後の発明について新たな特許出願をしたときは,その特許出願
は,その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定され
ていた。改正前40条及び改正前53条4項の両規定は,「その特許出願は,その
補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」との同様の効果を享
受することを意図しているところ,改正前53条4項における新たな特許出願に係
る明細書又は図面に基づく分割出願が認められることは明らかであるので,改正前
40条においても,補正後の明細書又は図面に基づく分割出願が認められて然るべ
きである。加えて,改正前40条の「願書に添付した明細書又は図面について出願
公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと
特許権の設定の登録があった後に認められたとき」とは,特許庁の認定の誤りが後
から判明した場合ともいうことができるので,改正前53条4項の場合との均衡か
らしても,補正後の明細書又は図面に基づく分割出願が認められて然るべきである。
オ明細書の記載要件
以下の(ア)及び(イ)のとおり,本件訂正後発明は,明細書の記載要件を具備し,
平成6年法律第116号による改正前の特許法126条3項(以下「改正前126
条3項」という。)に規定する独立特許要件に違反するものではない。
(ア)改正前36条3項の要件について
訂正明細書においては,本件訂正後発明に完全に一致する実施例はないが,本来,
発明とは技術的思想の創作とされている上に,原出願当時の実施可能要件は,「発
明の詳細な説明には,その発明の属する分野における通常の知識を有する者が容易
にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しな
ければならない。」と規定され,発明の効果の記載は,当該発明の属する分野にお
ける通常の知識を有する者が容易に当該発明を実施することができる程度でよく,
必ずしも実施例の記載を要求されるものではなかった。そして,本件訂正後発明が
原出願明細書に開示されていたことは上述のとおりであり,同様のことは,訂正明
細書についてもいえるのであるから,訂正明細書の発明の詳細な説明が改正前36
条3項の要件を満たすことは明らかである。
(イ)改正前36条4項の要件について
被控訴人は,エステル交換活性を「有する」の意味がなお不明確であり,本件訂
正後発明は,技術的意義の不明確な構成要件を特許請求の範囲中に含むものであっ
て,発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したものとはいえないから,
改正前36条4項に違反する無効理由があると主張する。
しかしながら,原審における控訴人の主張のように,本件発明において「エステ
ル交換活性を有する」の意義が明確であったのと同様に,本件訂正発明においても,
不明確なところはなく,本件訂正後発明が改正前36条4項の要件を満たすことは
明らかである。
〔被控訴人の主張〕
ア訂正内容の適否
(ア)訂正事項1の「減圧留去により」との訂正について
本件明細書の「水または低級アルコールを系外へ排出する方法としては,減圧留
去または吸収剤を用いて行なうのがよい。」との記載は,「減圧留去」と「吸収剤
(を用いる方法)」とを単純に併記しているにすぎず,本件明細書には,「減圧留
去により水等を排出する方法は産業への利用上きわめて実用的であるのに対して,
吸収剤を用いて水等を排出する方法は産業への利用上実用的ではない」ことはもち
ろん,減圧留去により水等を排出する方法が,ゼオライトなどの吸収剤を用いて水
等を排出する方法に比べて,何らかの意味で優位性があるとの技術思想は,一切開
示されていない。
それどころか,本件明細書には,「吸収剤としては,ゼオライト,活性アルミナ,
シリカゲル,無水炭酸カルシウムやボウ硝などの結晶水を失った塩類,イオン交換
樹脂等を用いることができる。この中で,水及び低級アルコールのいずれに対して
も除去効果の高いものとしては,分子篩作用を呈する合成ゼオライトが細孔径を容
易に選択できて好ましい。」と記載され,吸収剤を用いて脱水する方法も,減圧留
去と少なくとも同程度に「好ましい」ことが記載されている。
したがって,「水または水及び低級アルコールを排出する系において」を「水を
減圧留去により排出する系において」とする訂正は,本件明細書に開示されていな
い技術思想を特許請求の範囲に取り込むものであり,実質上,特許請求の範囲を変
更するものであって,平成6年法律第116号による改正前の特許法126条2項
(以下「改正前126条2項」という。)の規定に違反する不適法な訂正である。
(イ)訂正事項1の脂質分解酵素「が担体に分散または吸着された酵素剤」との
訂正について
本件明細書には,脂質分解酵素を「担体に分散または吸着させ」ることと,これ
を「緩慢に減圧乾燥する」こととを不可分の構成として固定化酵素剤を調整する技
術思想が開示されているが,「緩慢に減圧乾燥する」ことを伴わずに脂質分解酵素
を担体に分散・吸着させて固定化酵素剤とする技術思想は開示されていない。
したがって,「脂質分解酵素」を「脂質分解酵素が担体に分散または吸着された
酵素剤」とする訂正は,本件明細書に開示されていない技術思想を特許請求の範囲
に取り込むものであって,実質上,特許請求の範囲を変更するものであって,改正
前126条2項の規定に違反する不適法な訂正である。
イ分割要件違反の有無
(ア)分割要件違反の判断において対比の対象となる原出願の「出願当初の明細
書」とは,文字どおりの当初明細書であり,原出願の公開前の補正後の明細書では
ないところ,本件訂正後発明に係る技術的事項は,原出願明細書に何ら記載されて
いない。
(イ)(訂−あ)及び(訂−い)は,原出願明細書に記載されておらず,また,
記載された事項から当業者に自明な事項ではない。
したがって,本件訂正の内容を前提とすると,本件出願は分割要件を満たさない
不適法なものとなるから,その出願日は,原出願の出願日に遡及せず,現実の出願
日である分割出願の日である昭和62年9月26日が出願日となる。
(ウ)そして,本件訂正後発明は,原出願の公開公報(乙7)に記載された発明
に対して進歩性を欠如するから,本件訂正は,改正前126条3項の独立特許要件
に違反する不適法なものである。
ウ訂正事項6に係る訂正要件
ゼオライトを(吸水剤としてではなく)担体としても用いることができることは,
特開昭58−183094号公報(乙61)の「担体法を採用する場合は,担体と
して,…ゼオライト…等を用いる」,特開昭60−203196号公報(乙62)
の「本発明のリパーゼによる油脂類のエステル交換反応方法において用いられるリ
パーゼは,その安定化,分散性の改良のため,…ゼオライト,…等の担体を共存さ
せるのが望ましく」,特開昭61−257191号公報(乙63)の「更に,固定
化担体,例えば…ゼオライト,…等の無機材料等に担持固定化した乾燥固定化酵素
を利用することもできる」の記載のとおり技術常識である。。
したがって,訂正事項6の部分については,技術的には「ゼオライト」及び「セ
ライト」のいずれでもあり得るものである以上,同部分における「ゼオライト」を
「セライト」とする訂正は,誤記の訂正とすることはできない。なお「ゼオライ
ト」の意味は明瞭であるから,明瞭でない記載の釈明にも当たらない。
エ本件特許の出願日
控訴人は,仮に,(訂−あ)の「例1」の追加が分割違反と判断される場合であ
っても,本件特許の出願とみなされる日は,現実の出願日である昭和62年9月2
6日ではなく,原出願において,本件訂正の「例1」に相当する「実施例4」を追
加する内容の手続補正書を提出した昭和56年6月8日となると主張する。
しかしながら,そのようなことは法律論としてあり得ず,分割が適法であれば原
出願の出願日(昭和55年3月14日)に遡及し,分割が不適法であれば現実の出
願日(昭和62年9月26日)が出願日となるというだけのことであって,その中
間はあり得ない。
オ明細書の記載要件
以下の(ア)及び(イ)によると,本件訂正後発明は,改正前126条3項に規定す
る独立特許要件に違反するものであるから,本件訂正は不適法である。
(ア)改正前36条3項の要件について
本件明細書の実施例1ないし6のうち減圧留去を行っているのは実施例5のみで
あり,それ以外の実施例は,すべて吸収剤(ゼオライト)を用いて脱水している。
したがって,実施例5以外の実施例は,少なくとも「減圧留去により」の要件を満
たさない点において本件訂正後発明の実施例ではない。そうであったところ,本件
訂正によって実施例5が削除されている(訂正事項10)。
その結果,訂正明細書には,実施例が1つもなくなった。なお,「実施例1」は
「例1」とされ(訂正事項6),「実施例3」は「例2」とされ(訂正事項8)て
おり,これらはいずれも,実施例ではない。
しかしながら,明細書において実施例が一つもないなどいうことは化学分野の発
明としてはあり得ないことであって,本件訂正後発明は,改正前36条3項に違反
する無効理由がある。
(イ)改正前36条4項の要件について
改正前36条4項は,「特許請求の範囲には,発明の詳細な説明に記載した発明
の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」と規定するとこ
ろ,本件訂正によって,「エステル交換活性を有する」が「低水分系でエステル交
換活性を有する」との文言に訂正されたとしても,エステル交換活性を「有する」
の意味がなお不明確であり,本件訂正後発明は,技術的意義の不明確な構成要件を
特許請求の範囲中に含むものであって,発明の構成に欠くことができない事項のみ
を記載したものとはいえないから,改正前36条4項に違反する無効理由がある。
(3)本件訂正により無効理由は解消されたか(争点2−5−2)について
〔控訴人の主張〕
ア引用発明1との関係での新規性の有無
(ア)本件訂正後発明の構成要件
本件訂正後発明の構成要件は,次のとおり,A”ないしD”に分説することがで
きる。
A”:水を減圧留去により排出する系において,
B”:グリセリン及び脂肪酸を含有する基質に,
C”:低水分系でエステル交換活性を有する,脂質分解酵素が担体に分散または
吸着された酵素剤を40∼75℃で作用させること
D”:を特徴とするアルコールのエステル化方法。
(イ)構成要件A”について
控訴人が,引用例1との相違点として本件発明で主張している事項に加え,本件
訂正後発明にあっては,「減圧留去により」という点が加わった。そして,「減圧
留去により」排出することは引用例1には記載されていない。
(ウ)構成要件B”について
構成要件B”については,本件訂正前後を問わず,引用例1に記載があることを
認める。
(エ)構成要件C”について
控訴人が,引用例1との相違点として本件発明で主張している事項に加え,本件
訂正後発明にあっては,「低水分系で」エステル交換活性を有する脂質分解酵素が
「担体に分散または吸着された酵素剤」を「40∼75℃で」作用させることとい
う点が加わっており,これらの点は引用例1には記載されていない。
(オ)構成要件D”について
構成要件D”については,本件訂正前後を問わず,引用例1に記載があることを
認める。
(カ)小括
したがって,引用例1には,少なくとも本件訂正後発明の構成要件A”及びC”
が備わっていないので,引用例1をもって,本件訂正後発明に新規性がないとする
ことはできない。
イ引用発明1との関係での進歩性の有無
(ア)本件訂正後発明と引用発明との一致点及び相違点
本件訂正後発明と引用発明1との一致点及び相違点は,以下のとおりである。
一致点:グリセリン及び脂肪酸を含有する基質に,酵素を作用させるアルコール
のエステル化方法。
相違点ア’:酵素を作用させる系が,本件訂正後発明は「水を排出する系」であ
るのに対して,引用発明1は「実用的な点から実質的に水が排出されない系」であ
る点。
相違点イ’:用いる酵素が,本件訂正後発明は「低水分系でエステル交換活性を
有する,脂質分解酵素が担体に分散または吸着された酵素剤」であるのに対し,引
用発明1は「トウゴマの実のリパーゼ調製物」である点。
相違点ウ’:水を排出する手段が,本件訂正後発明は「減圧留去」であるのに対
し,引用発明1は「乾燥した不活性ガス」を「バブリング」させるものであり,し
かも,同「バブリング」が反応系である混合物を撹拌することを兼ねている点。
相違点エ’:酵素剤を作用させる温度が,本件訂正後発明は「40∼75℃」で
あるのに対し,引用発明1は「約5℃∼20℃」である点。
(イ)相違点の検討
a相違点ア’について
引用例1(乙13)のエステル化反応は,約5℃ないし20℃の範囲の温度に制
約され,実施例Ⅵでは純グリセリンの融点約18℃を下回る10℃でエステル化が
実施されており,グリセリンが固体に近い状態でバブリングされている。
引用発明1における低温バブリングは,混合液の粘性が極めて高いところでの通
気であり,この手法では引用発明1の出願人は実用に至っておらず,問題の多い方
法だったと考えられる。当業者がこの引用発明1に触れたとしても,本件訂正後発
明の実用性の高い「減圧留去により水を排出する系」を容易に想到できるものでは
ない。本件訂正後発明の減圧留去による水の排出は,実用的には水が排出されない
引用例1の低温に限定されたバブリングと明確に区別できる程度の実質的な内容で
ある。
b相違点イ’について
引用例1に記載のリパーゼ調製物は,粗酵素標品であって,脂肪分解酵素を含有
するとともにトウゴマの実の他の成分をも含有した調製物である。引用例1には,
安定なトウゴマの実由来のリパーゼ調製物を製造する方法に関する発明が記載され
ているが,この安定とされている引用例1のリパーゼ調製物でさえ,エステル化の
温度は20℃以下とされ,実施例では10℃でエステル化を実施しているように,
純グリセリンの融点(約18℃)を下回る流動性が極めて乏しい中で反応を行わざ
るを得ないことが示されており,リパーゼの安定性が懸念されていることをうかが
い知ることができる。また,引用例1のトウゴマの実のリパーゼ調製物には,脂質
関係酵素を含む酵素が多数混在しており,これを用いた加水分解反応やエステル化
反応においては,これら混在した酵素が複雑に影響し,具体的な酵素の影響を正確
に把握することはできない。引用例1においては,加水分解反応の温度(約20∼
35℃)とエステル化反応の温度(約5∼20℃)が異なっており,それぞれ異な
る酵素が作用している可能性もある。したがって,当業者が本件出願時に引用例1
に触れたとしても,トウゴマの実のリパーゼ調製物に関して記載された引用例1に
記載の開示内容(トウゴマの実のリパーゼ調製物を用いた加水分解反応やエステル
化反応の方法)は,トウゴマの実のリパーゼ調製物特有の特性であると考える。
他方,本件訂正後発明において用いる酵素剤は,「低水分系でエステル交換活性
を有する,脂質分解酵素が担体に分散または吸着された酵素剤」であるが,脂質分
解酵素が担体に分散又は吸着された酵素剤が,低水分系(系中水分の合計は0.0
8±0.02%の範囲内)でエステル交換活性を示すことは引用例1には何ら開示
されておらず,このような担体を用いて加工された酵素剤を,水を排出する系にお
いて用いる思想は皆無である。
c相違点ウ’について
引用発明1におけるリパーゼの反応には撹拌のためにバブリングが必須とされて
おり,乾燥した不活性ガスによるバブリングを単純に減圧留去に変更する動機付け
がなく,当業者といえども容易に想到できないことが明らかである。また,酵素反
応は常温・常圧の生理的条件で液相作用するという技術常識であり,脂質分解酵素
を用いたエステル化反応において減圧留去を行うことが知られていないことからも,
減圧留去を容易に想到できないことが明らかである。
d相違点エ’について
引用発明1において,発明者は,本リパーゼ調製物を用いる加水分解反応につい
て,「反応速度を上げるためには,35℃までのより高い温度を使用してもよい。
室温より低い温度では反応速度が低下するので一般には約20∼35℃の範囲の温
度を使用するのが良い」(乙13)と記載しており,反応速度を上げるために温度
を上げることに効果があることを明確に認識しているにもかかわらず,エステル化
に関しては,「その反応を5∼20℃の範囲で起させる」と記載しており,しかも
実施例では10℃で行っている。これは明らかに,本酵素を用いるエステル化反応
は温度を高くすると不都合であると発明者が考えていたことを示しており,この発
明に接する第三者にとっても引用発明1の酵素を用いて40ないし75℃という,
引例の反応温度よりはるかに高い温度で反応を起させることを想起することは阻害
されている。
(ウ)引用発明4との組合せ
引用発明4は,「グリセリド油又は脂肪を含む脂肪反応体中の脂肪基の転位の方
法」に関する発明(甲121,乙26)であり,引用例1や本件訂正後発明のよう
な「アルコール(グリセリン)のエステル化方法」ではない。
また,引用発明4における反応は「酵素を活性化する少量の水」を必須とし,引
用例4の実施例に示されている実際の反応は,トリグセリドをジグリセリドなどに
加水分解する方向に傾いた方法,すなわちエステル化とは逆方向の反応であるので,
引用例2が本件訂正後発明の容易想到性を論理付ける根拠とならない。
さらに,引用発明4に記載の方法は,「脂肪反応体に対する比例量の水…を必要
とし,新たな基質に対し酵素を反復使用しようとする場合には,実施例6に示され
ているように,水を補充して基質に対するそれらの比例量を満足しているのであ
る」から,「水を減圧留去により排出する系において,…作用させる」本願発明の
基本とする技術思想を何ら教示しない。
そして,引用発明4は,酵素を活性化するのに十分な水を必要とするのに対し,
水を全く添加しない引用発明1の構成はそれを阻害するから,引用例1と引用例4
の組合せには阻害要因があるということができる。
(エ)小括
以上のとおり,当業者が用いようとする動機付けが極めて低い引用発明1に,本
件訂正後発明の容易想到性を論理付けるものとして不適な引用発明4を組み合わる
こと自体に無理があり,たとえ組み合わせたところで,本訂正後発明を容易に想到
し得ない。また,引用例1及び4とも,「脂質分解酵素が担体に分散または吸着さ
れた酵素剤」を「グリセリンのエステル化に用いる」ことを教示せず,かつ,「水
を減圧留去により排出する系において」作用させることを教示しないのであるから,
それらを寄せ集めて本件訂正後発明を想到できないことが明らかである。
ウ引用発明2との関係での新規性の有無
控訴人の原審での主張に加え,本件訂正によって,本件訂正後発明は,引用発明
2との関係で新規性を有することは一層明らかとなった。
エ引用発明2との関係での進歩性の有無
控訴人の原審での主張に加え,本件訂正によって,本件訂正後発明は,引用発明
2との関係で進歩性を有することも一層明らかとなった。
〔被控訴人の主張〕
ア引用発明1との関係での進歩性の有無
(ア)本件訂正後発明と引用発明1との一致点及び相違点は,以下のとおりであ
る。
一致点:水を排出する系において,グリセリン及び脂肪酸を含有する基質に,低
水分系でエステル交換活性を有する脂質分解酵素を作用させることを特徴とするア
ルコールのエステル化方法。
相違点ア”:用いる酵素が,本件訂正後発明では「脂質分解酵素が担体に分散ま
たは吸着された酵素剤」であるのに対して,引用発明1では「脂質分解酵素」であ
る点。
相違点イ”:水を排出する手段が,本件訂正後発明では「減圧留去により」であ
るのに対して,引用発明1では「乾燥した不活性ガスのバブリングにより」である
点。
相違点ウ”:酵素を作用させる温度が,本件訂正後発明では「40∼75℃で」
であるのに対して,引用発明1では「約5℃∼20℃の範囲で」である点。
なお,控訴人は,相違点ア’として,酵素を作用させる系が,本件訂正後発明は
「水を排出する系」であるのに対して,引用発明1は「実用的な点から実質的に水
が排出されない系」である点と主張するが,引用発明1は,「実質的に水が排出さ
れない系」ということはできない。
(イ)相違点の検討
a相違点ア”について
控訴人は,相違点イ’として,用いる酵素が,本件訂正後発明では「脂質分解酵
素が担体に分散または吸着された酵素剤」であるのに対して,引用発明1では「ト
ウゴマの実のリパーゼ調製物」であると主張するが,「トウゴマの実のリパーゼ調
製物」が「脂質分解酵素」であることは争いのない事実なのであるから,相違点と
しては,相違点ア”のように摘示するべきである。
そして,脂質分解酵素を担体に分散または吸着された酵素剤として用いることが
本件特許の出願当時,既に周知技術となっていたものである。
b相違点イ”について
控訴人は,相違点ウ’として,引用発明1における水を排出する手段である「乾
燥した不活性ガスのバブリング」の「バブリング」が反応系の混合物を攪拌するこ
とも兼ねていることを含めて主張するが,減圧留去であっても一般には何らかの手
段により攪拌を行うものであるから,相違点としては,相違点イ”のとおり認定さ
れる。
控訴人は,引用発明1におけるリパーゼの反応には攪拌のためにバブリングが必
須とされており,乾燥した不活性ガスによるバブリングを単純に減圧留去に変更す
る動機付けがなく,当業者といえども容易に想到できないと主張するが,引用発明
1におけるリパーゼの反応には攪拌のためにバブリングが必須とされているとの事
実はない。本件特許の出願当時,減圧留去,不活性ガスによるバブリング及びモレ
キュラーシーブのような乾燥剤による水分除去は,いずれも周知技術であり,当業
者が適宜選択すべき事項にすぎなかった。
c相違点ウ”について
酵素剤を「40∼75℃で」作用させるとの訂正事項についてみるに,本件明細
書においては,少なくとも「40℃」ということに臨界的意義がなく,引用発明1
との関係において,酵素剤を「40∼75℃で」作用させるとの限定を付したこと
を理由に進歩性を認めることはできないものである。
また,一般に,酵素反応においては,酵素が変性ないし失活しない限度でなるべ
く高温で反応させることが望ましいことは技術常識でもある。
(ウ)引用発明4との組合せについて
a引用発明4における「エステル交換反応(アシドリシス)」は,本件訂正後
発明における「エステル化」に相当するか,少なくとも,油脂化学という同一の技
術分野に属するきわめて類似の反応である。
b引用例4の実施例2ないし5では「シーライト0.25部」を添加している
が,この「シーライト」が「Celite」(一般に「セライト」と表記される。)であ
り,酵素を固定化するための担体であることは,当業者にとって自明である。また,
実施例3ないし5において「支持された酵素」を用いているが,「支持された酵
素」とは,「担体に固定化された酵素」の意味である。
したがって,引用例4には,「脂質分解酵素が担体に固定化された酵素剤」を用
いてエステル交換反応を行うことが開示されており,引用例4には,相違点ア”に
係る構成が開示されている。
c引用例4の実施例2ないし5においては,「40℃で」脂質分解酵素を作用
させており,「40℃で」脂質分解酵素を作用させてエステル交換反応を行うこと
が開示されており,実施例5では「50℃及び60℃で」も実施されているので,
引用例4には「40∼60℃で」脂質分解酵素を作用させてエステル交換反応を行
うことが開示されているということができるところ,数値限定の発明の下位概念が
引用例に開示されていれば,法律的には,数値限定の全体が開示されているのと同
じことであるから,「40∼75℃で」作用させることが開示されていることとは
同値である。
(エ)小括
以上によると,引用発明1に接した当業者が,本件特許出願当時の技術水準に基
づいて,相違点ア”及びウ”に係る引用例4に開示された構成並びに周知技術を組
み合わせ,かつ,相違点イ”に係る引用発明1の構成(乾燥した不活性ガスのバブ
リング)を他の周知技術(減圧留去)に置換して,本件訂正後発明の構成に想到す
ることは容易になし得るところである。
イ引用発明2との関係での進歩性の有無
(ア)一致点及び相違点
引用発明2と本件訂正後発明とは,「水を排出する系において,グリセリン及び
脂肪酸を含有する基質に,低水分系でエステル交換活性を有する脂質分解酵素が担
体に分散または吸着された酵素剤を作用させることを特徴とするアルコールのエス
テル化方法。」である点で一致し,以下の相違点a及びbで相違する。
相違点a:水を排出する手段が,本件訂正後発明では「減圧留去により」である
のに対して,引用発明2ではモレギュラーシーブ(脱水剤)を用いている点。
相違点b:酵素を作用させる温度が,本件訂正後発明では「40∼75℃で」あ
るのに対して,引用発明2では30℃である点。
(イ)相違点の検討
a相違点aについて
水を排出する手段として脱水剤を用いるか,減圧留去を用いるかは,液体の揮発
性,反応性の有無,実験スケール,処理装置の保有状況などの諸要素のほか,工業
生産においては,コスト,効率性,管理のしやすさ,品質安定性等の諸要素をも考
慮して,当業者が適宜選択すべき事項にすぎない。
b相違点bについて
一般に,酵素反応においては,酵素が変性ないし失活しない限度でなるべく高温
で反応させることが望ましい技術常識である。そうすると,30℃で反応させるこ
とが開示されている酵素剤であれば,酵素が変性ないし失活しない限度でなるべき
高温で反応させることが技術常識であるということができるから,引用発明2に接
した当業者は,40ないし75℃でも反応を行うことができるかを試そうとする動
機付けがある。
特に,最適な反応温度は,反応時間によっても異なり,長時間の反応では酵素が
失活するような高温でも,短時間の反応では最も効率のよい最適な温度となり得る
のであるから,引用発明2のような比較的長時間(28日間)の反応において30
℃で反応させているのであれば,当業者は,短時間の反応として,より高温でも試
すべきとすることは容易に理解することができる。
(ウ)引用例4との組合せ
引用例4(乙26)において,反応の都度,水を加えているのは実施例6のみで
あること,引用例4の全体としては,「本発明において1%以上の水または緩衝液
はあまり望ましくない」と記載され,実施例2ないし5の系中水分がわずか約0.
16%であり,さらに実施例12では約0.12%,実施例13及び14では約0.
11%であるなど,低水分系でエステル交換反応を行うことが開示されている。
(エ)小括
以上によると,本件訂正後発明は,引用発明2及び4に基づいて,当業者が容易
に発明をすることができたものである。
(4)被控訴人方法は本件訂正後発明の技術的範囲に属するか(争点2−5−
3)について
〔控訴人の主張〕
被控訴人方法は,以下のとおり,本件訂正後発明の構成要件A”ないしD”を充
足するものであるから,本件特許を侵害している。
ア構成要件A”について
被控訴人方法が,「減圧留去により」水を排出するものであることは,被控訴人
も認めている。
他方で,被控訴人は,構成要件A”について,「可及的乾燥した」という文言を
付加して解釈したり,「系」の意義について被控訴人方法の一部分のみをもって判
断すべきという主張を行っているが,いずれも理由がない。
イ構成要件B”について
被控訴人方法が同構成要件を充足することは,被控訴人も認めている。
ウ構成要件C”について
本件訂正後発明にあっては,「低水分系で」エステル交換活性を有する脂質分解
酵素が「担体に分散または吸着された酵素剤」を「40∼75℃で」作用させるこ
とという点が加わったものであるところ,被控訴人方法が,「担体に分散または吸
着された酵素剤」を「40∼75℃で」作用させるものであることは被控訴人も認
めているところである。また,被控訴人方法で使用される酵素剤が「低水分系で」
エステル交換活性を有することも認められるというべきである。
エ構成要件D”について
被控訴人方法が構成要件D”を充足することは,被控訴人も認めている。
〔被控訴人の主張〕
本件訂正後発明の構成要件A”ないしD”に沿って検討するに当たり,被控訴人
方法が,①水を「減圧留去により」排出するものであること,②「グリセリン」及
び脂肪酸を含有する基質を用いること,③脂質分解酵素が「担体に分散または吸着
された酵素剤」を作用させるエステル化方法であること,④酵素剤を「40∼75
℃で」作用させるエステル化方法であることは認めるが,以下のアないしウの理由
により,被控訴人方法は,本件訂正後発明の技術的範囲に属しない。
ア構成要件A”及びC”について
被控訴人方法においては,酵素反応を行う場所(酵素塔)と減圧留去を行う場所
(脱水槽)とを物理的に分離しているものであるから,「水を減圧留去により排出
する系」である脱水槽において「酵素剤を…作用させる」ものではないから,構成
要件A”及びC”を充足しない。
イ構成要件A”について
構成要件A”の「水を減圧留去により排出する系において」が,「水を減圧留去
により排出することによって可及的乾燥した系において」の意味に解されることは,
原審における本件発明に係る控訴人の主張と同様である。
そして,少なくとも,ジグリセリドに対する水の溶解度である約0.9%以下の
系中水分の系において酵素反応を行うのでなければ,「可及的乾燥した系におい
て」酵素反応をさせることに該当しないところ,被控訴人方法において,1,3位
選択性リパーゼを作用させる系である酵素塔内の系中水分は約0.9%以下ではな
い。
したがって,被控訴人方法は,構成要件A”を充足しない。
ウ構成要件C”について
控訴人は,「低水分系でエステル交換活性を有する」の「有する」の意義につい
て,Ka値又はKr値で表した場合に幾ら以上であることを要するかについて具体
的に主張立証をせず,「ゼロでなければよい」との解釈を固持し,構成要件C”の
意義を明らかにしておらず,これを被控訴人方法の酵素剤と対比することは不可能
である。
したがって,被控訴人方法は,構成要件C”を充足しない。
第4当裁判所の判断
1充足論の検討
被控訴人方法によって本件特許権が侵害されたかどうかについて検討する。
(1)争点1−1(被控訴人方法の内容)について
ア被控訴人は,平成2年以降ロ号方法を使用し,また,平成11年2月以降イ
号方法を使用して食用油を製造しているところ,ロ号方法は,イ号方法と同一の製
造方法によって製造された物件をコーン油に添加した食用油,すなわち,ロ号物件
の製造方法であるのに対し,イ号方法というのは,コーン油に添加しない食用油,
すなわち,イ号物件の製造方法であって,ロ号方法は,酵素による担体のエステル
化という観点からみると,イ号方法と同一ということができる。
なお,被控訴人は,以上のイ号及びロ号の被控訴人方法において,平成11年3
月18日までは担体に固定化させて固定化酵素である第1酵素剤を調整して用いて
いたが,同月19日以降は当初から担体に固定化された固定化酵素(リポザイム)
である第2酵素剤を購入して用いていると主張している。
イ被控訴人方法について,控訴人は,「真空(減圧)にすることによって水を
排出する系においてグリセリンと脂肪酸を含有する基質に1,3位選択性リパーゼ
を作用することを特徴とするアルコールのエステル化方法。」であるとして以下の
aないしdのとおり分説されると主張するのに対し,被控訴人は,「グリセリンと
脂肪酸を含有する基質に1,3位選択性リパーゼを作用させる」「アルコールのエ
ステル化方法」であることを認めるが,その余の構成は異なるとして,aに対し
「a’:減圧により脱水する系と,一定の系中水分を有する酵素反応を行う系とを
備え,当該酵素反応を行う系において,」,cに対し「c’:1,3位選択性リパ
ーゼを作用させること」及びdに対し「d’:を特徴とするジグリセリド(DG)
を主成分とする混合物の製造方法。」であると主張する。
(控訴人による分説)
a:真空(減圧)により脱水する系において
b:グリセリンと脂肪酸を含有する基質に
c:エステル交換反応に用いる1,3位選択性リパーゼを作用させること
d:を特徴とするアルコールのエステル化方法。
ウ被控訴人従業員作成の森論文(甲3)によると,「ジアシルグリセロールを
主成分とした食用油は,…1992年2月より発売されている。本稿では,ジアシ
ルグリセロール開発の背景と栄養特性について紹介したい。」,「固定化1,3位
選択性リパーゼを脂肪酸とグリセロールのエステル化反応に利用すると,化学触媒
を用いる方法に比べてマイルドな条件下でジアシルグリセロールを収率よく作るこ
とができることを見出した(図1)。さらに,効率的なジアシルグリセロール生産
条件を見出すため,反応温度,真空度,酵素濃度などの各条件下においてジアシル
グリセロールの収率と純度について検討を行った。また,反応モデル(図2)を考
案しラボスケールの反応について解析を行った。その結果,真空度が生産性に最も
大きく影響を与える因子であることが示された。」との記載があり,また,その図
1「1,3位選択性リパーゼによるエステル化」との表題の図示において,グリセ
ロールから1,3−ジアシルグリセロールへの1,3位選択性リパーゼによるエス
テル化の際,反応により生成する水が排出されていることが示されており,その図
2「ジアシルグリセロールのエステル合成反応スキーム」との表題の図示において,
「DehydrationHO(oilphase)→HO(vapor)」と図示されて,反応により生成した22
水が油相中から蒸気として脱水されていることが示されている。
そして,森論文において,平成11年(1999年)2月から発売されたと記載
されている「ジアシルグリセロールを主成分とした食用油」が被控訴人方法によっ
て製造された物件であることは当事者間に争いがない。
エ以上によると,被控訴人方法は,上記aないしdであるということができる。
なお,被控訴人は,森論文においては,脂肪酸及びグリセロールからジアシルグ
リセロールに向かってエステル化が進行するに際して水が生成されるという一般的
に知られた化学反応が記載されているものなどにすぎないとし,被控訴人方法は,
酵素反応を行う場所(酵素塔)と減圧脱水を行う場所(脱水槽)とを物理的に分離
しているものであり,「脱水する系において」「1,3位選択性リパーゼを作用さ
せる」ものではないと主張する。
しかしながら,酸素塔と脱水槽とが装置として物理的に離れているとしても,反
応物は,酵素塔から脱水槽に入り,水を除去して再度酵素塔に循環されているもの
(甲5及び弁論の全趣旨)であって,目的とするエステル化物を得るために酵素反
応と脱水とは一体不可分的に反応・操作されているのであるから,上記aの「真空
(減圧)により脱水する系において」,bないしdが行われているということがで
き,被控訴人の主張は採用できない。
(2)争点1−2(構成要件Aの充足性)について
被控訴人方法の構成a「真空(減圧)により脱水する系において」は,構成要件
Aの「水または水及び低級アルコールを排出する系において」に該当するものと認
めることができる。
なお,被控訴人は,被控訴人方法において,酵素反応を行う場所(酵素塔)と減
圧留去を行う場所(脱水槽)とが物理的に分離されていることなどから,構成要件
Aに該当しないと主張するが,上記(1)エのとおり,目的とするエステル化物を得
るために酵素反応と脱水とは一体不可分的に反応・操作されているということがで
きるものであって,被控訴人方法が構成要件Aに該当することを否定する理由とな
らない。
また,被控訴人は,構成要件Aについて,「水又は水及び低級アルコールを排出
することによって可及的乾燥した系において」の意味に解すべきであると主張する。
しかしながら,本件明細書(甲2)の【発明の詳細な説明】には,「この発明で脂
質分解酵素を作用させる系は,水または水及び低級アルコールを排出する系であり,
そのような乾燥系で酵素がエステル交換活性を示すことが必要である。系中水分は
文字通りの0であることを要しないが,目的とするエステル化物に対する水の溶解
度以下になる水の量が目安として可及的乾燥させるのがよい。…乾燥した系で作用
させることによって反応率を著しく高めることができ」との記載があり,可及的乾
燥することが好ましいことが記載されているが,これは,本件発明に係る特許請求
の範囲に記載がないものであって,本件発明の構成要件とすることはできない。
なお,被控訴人は,原出願の明細書が「可及的乾燥した系において」酵素反応を
させることを前提としていることをもって,本件発明の構成要件において「可及的
乾燥した系において」酵素反応させることを前提としないと控訴人が主張すること
は信義則に反すると主張するが,この点は,後記のとおり,本件特許出願の分割要
件の適否の問題として検討するべきものであって,本件発明の構成要件の問題とし
て考えるべきものということはできない。
(3)争点1−3(構成要件Cの充足性)について
ア「エステル交換活性」の意義
被控訴人は,「エステル交換活性」の意義は,「絶対値Ka又は相対値Krとし
て定義」されるべきものであって,本件明細書(甲2)の「この発明で,エステル
交換活性は,低水分系におけるエステルに結合する脂肪酸を交換する活性をいう」
との記載では,「低水分系」が何を指し,「活性」をどのように測定するのか不明
であるから,被控訴人方法cが構成要件Cに該当すると認められないと主張する。
しかしながら,本件発明に係る特許請求の範囲には,使用される脂質分割酵素が
低水分系において「エステル交換活性」を有するものであることが記載されている
が,「エステル交換活性」の数値限定がされているものではないから,低水分系に
おいて「エステル交換活性」を有するものであれば,絶対値Ka値や相対値Kr値
が具体的にどれだけであるかは問題としないものと認めることができ,被控訴人の
主張は採用することができない。
イ被控訴人方法の1,3位選択性リパーゼについて
上記(1)アのとおり,被控訴人方法において,被控訴人は,平成11年3月19
日以降,当初から担体に固定化された固定化酵素であるリポザイム(第2酵素剤)
を購入して用いており,第2酵素剤はエステル交換活性を有していることを自認す
る。
他方,被控訴人方法において,同月18日まで用いられた第1酵素剤について,
エステル交換活性を有することを認めるに足りる証拠はない。
ウ以上によると,平成2年当時から(ロ号方法につき),また,平成11年2
月から(イ号方法につき)それぞれ平成11年3月18日まで,第1酵素剤を使用
して行われた被控訴人方法は,構成要件Cを充足するものとは認めることができな
いが,平成11年3月19日以降,第2酵素剤を使用して行われた被控訴人方法は,
イ号方法も,ロ号方法も,構成要件Cを充足するものと認めることができる。
(4)争点1−4(構成要件Dの充足性)について
上記(1)ないし(3)のとおり,被控訴人方法は,平成11年3月19日以降は,構
成要件Aのほか,構成要件Cをも充足するものであったところ,被控訴人方法が構
成要件Bを充足することは当事者間に争いがないので,被控訴人方法dは,平成1
1年3月19日以降,構成要件AないしCを前提とする構成要件Dに該当するもの
であったと認めることができる。
(5)小括
以上によると,被控訴人方法は,平成11年3月19日以降,本件発明の技術的
範囲に属することになる。
2無効論の検討
平成11年3月19日以降の被控訴人方法は,以上のとおり,本件発明の技術的
範囲にも属するものと認められるので,この被控訴人方法は本件特許権を侵害する
ものといわなければならないところ,被控訴人は,本件特許の無効を主張するので,
本件特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるか否かについて,
以下,検討する。
(1)争点2−3(分割出願に係る本件発明の新規性又は進歩性の有無)につい

ア分割出願の適否
(ア)分割出願の要件
分割出願は原出願の出願時に遡って出願したとみなされる(平成5年法律第26
号による改正前の特許法44条2項(以下「改正前44条2項」という。)によ
る。)が,そのためには,分割出願に記載された発明に係る技術的事項が,原出願
の願書に最初に添付された明細書又は図面に記載されていることが必要である。
そこで,本件分割出願に記載された発明に係る技術事項が原出願明細書に記載し
た事項の範囲内のものであるか否かについて検討する。
(イ)原出願明細書の記載
原出願明細書には,次の記載がある。
【特許請求の範囲】
①可及的乾燥した系において基質にエステル交換活性を有する酵素を作用させ
ることを特徴とするエステル化方法。
②生成エステルが脂肪酸エステルである①記載の方法。
③反応生成物の一を系外に排出する①記載の方法。
④反応生成物が水又は低級アルコールである③記載の方法。
⑤系外への排出を減圧留去により行う③及び④記載の方法。
⑥系外への排出を吸収剤を用いて行う③及び④記載の方法。
【発明の詳細な説明】なお,以下の(原−①)ないし(原−③)は,説明のために
付加するものである。
(原−①)この発明は可及的乾燥した系において基質にエステル高(交)換活性を
有する酵素を作用させることを骨子とするエステル化方法である。
(原−②)この発明で酵素を作用させる系は,可及的乾燥した系であり,エステル
交換活性を有する酵素を選択することと相俟って本発明の骨子を形成する。すなわ
ち基質及び酵素は可及的水分を低下させたものを用い,従来のような酵素を水とと
もに加えるようなことはしない。
(原−③)酵素を基質に作用させつつ,反応生成物の一を系外に排出することは,
上述の反応率を高め,或いはエステル化度を高める効果を増大させる。排出物は,
目的とするエステル化物であっても,他の副生する反応物であってもよい。…反応
生成物が水または低級アルコールであるとき温度を低下させることなく系外へ排出
することが容易である。水は,酸とアルコールの反応によって生成し,低級アルコ
ールは,エステル交換の反応によって生成し得る。
(ウ)本件明細書の記載
本件明細書(甲2)には,次の記載がある。
【請求項1】水または水及び低級アルコールを排出する系においてアルコール及び
脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールエステルを含有する基質にエステル交換活性
を有する脂質分解酵素を作用させることを特徴とするアルコールのエステル化方法。
【発明の詳細な説明】なお,以下の(記載−①)ないし(記載−③)は,説明のた
めに付加するものである。
(記載−①)この発明は,水または水及び低級アルコールを排出する系においてア
ルコール及び脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールエステルを含有する基質にエス
テル交換活性を有する脂質分解酵素を作用させることを骨子とするアルコールのエ
ステル化方法である。
(記載−②)この発明で脂質分解酵素を作用させる系は,水または水及び低級アル
コールを排出した系であり,そのような乾燥系で酵素がエステル交換活性を示すこ
とが必要である。
(記載−③)系を可及的乾燥した状態にするのに,基質及び酵素は可及的水分を低
下させるが,後述のように酵素を基質に作用させつつ水を系外に排出することも,
系を乾燥させる。
(エ)原出願明細書と本件明細書との対比
a上記(イ)及び(ウ)の各特許請求の範囲をみると,原出願明細書では「可及的
乾燥した系において」基質に酵素を作用させることが特定されているの対して,本
件発明では「水または水及び低級アルコールを排出する系において」酵素を作用さ
せることが特定されている点において,両者は相違する。
bまた,原出願明細書と本件明細書の各発明の詳細な説明をみると,本件明細
書においては,原出願明細書の発明の詳細な説明の(原−①)ないし(原−③)は
削除され,(記載−①)ないし(記載−③)が追加されており,原出願明細書では,
酵素反応が,可及的水分を低下させた基質及び酵素を用いて行われるものと限定さ
れており,「可及的乾燥した系において」行われることが必須の事項であるのに対
し,本件明細書では,(記載−③)のように,系を乾燥させるにおいて,「基質及
び酵素は可及的水分を低下させる」場合と「酵素を基質に作用させつつ水を系外に
排出する」場合とが記載されている。
以上によると,本件明細書には,酵素反応の場が,可及的水分を低下させた基質
及び酵素を用いて行われる「可及的乾燥」した系において水を系外に排出する方法
だけでなく,基質に酵素を反応させる場が,このような「可及的乾燥」状態でなく,
可及的水分を低下させたものではない基質を用い,エステル化が行われる系全体の
どこかにおいて水を系外に排出し,そのことで系が乾燥する方法が包含されると解
されるが,このうち,後者の方法については原出願明細書に記載されていないもの
である。
cまた,原出願明細書では,「乾燥した系で作用させることによって反応率を
著しく高めることができ,また多価アルコールのエステル化物を得るにあたって完
全なエステル化物を高純度で得ることができるのである。」を受ける形で,(原−
③)において,反応生成物を系外に取り除くことによって,反応率を高め,エステ
ル化度を高める効果が増大することが記載されている。これは,エステル化反応に
ついてみるに,「エステル化とエステル加水分解」との平衡状態から更にエステル
化を進めるためには,酸とアルコールのエステル化による反応生成物である「水」
や「エステル」を反応系から取り除くことが有効であるとするものであり,また,
エステル交換反応においても,酸の低級アルコールエステルとアルコール成分が使
用され,反応生成物として「低級アルコール」と「エステル」が生成されるから,
エステル生成の方向に反応を進めるためには,反応生成物である「低級アルコー
ル」や「エステル」を反応系から取り除くことが有効であるとするものであって,
これは,当業者の技術常識にも合致するものということができる。
そして,例えば,これらのうちエステル化反応についてみると,原出願明細書の
技術事項としては,「水」を排出することによって,エステル化の方向に反応が進
み,反応率やエステル化度という効果を高めようとするものであるが,この効果を
得るためには,酵素反応の場が「可及的乾燥」していることが必要である。けだし,
酵素反応の場が「可及的乾燥」しておらず,エステル化の反応生成物以外の水が相
当量存在している場合には,エステル化による反応生成物である「水」を系外に排
出したとしても,平衡状態にある「エステル化とエステル加水分解」との状態から
更にエステル化が進む状態になるとは考え難いからである。
他方,本件明細書では,(記載−③)において「基質及び酵素は可及的水分を低
下させる」場合のほかに,「水を系外に排出すること」も「系を乾燥させる」と記
載した上で,続けて,原出願明細書における上記記載と同様の「乾燥した系で作用
させることによって反応率を著しく高めることができ,また多価アルコールのエス
テル価物を得るにあたっての完全なエステル化物を高純度で得ることができるので
ある。」との効果の記載があるが,このような効果は,酵素反応の場が「可及的乾
燥」していない場合についてもいうものであるから,上記の原出願明細書における
ようなエステル化反応の平衡状態から更にエステル化を進めるという技術的事項と
は異なるものであって,このような本件明細書の技術的事項については原出願明細
書が記載しないものであり,また,このようなことが原出願明細書の記載から自明
であるということもできない。
d控訴人は,原出願明細書の記載によると,反応が継続的に行われるときに,
作用させる場が最初だけ可及的乾燥系であると解するのは不合理であり,酵素を継
続的に作用させている反応系が可及的乾燥した系であると解され,このうち,酵素
反応時における系外への水の排出によって「可及的乾燥した系」を実現する発明を
分割出願したものが本件発明であると主張するが,上記のとおり,原出願明細書は,
酵素反応の場において「可及的乾燥」しており,基質について可及的水分を低下さ
せたものを用いることに限定することを記載するものであって,他方,本件発明に
係る技術的事項は,酵素反応の場が「可及的乾燥」しておらず,可及的水分を低下
させたものではない基質を用いる場合についても含むものであるから,控訴人の主
張は,前提を欠くものであって採用することができない。
なお,控訴人は,本件分割出願が分割違反と判断される場合であっても,本件特
許の出願とみなされる日は,原出願において「実施例4」を追加する内容の手続補
正書を提出した昭和56年6月8日となると主張するが,その主張は,本件明細書
の技術的事項が原出願明細書に記載されていないとしても,原出願は上記補正がさ
れているところ,本件明細書の技術的事項は当該補正に係る明細書に記載されてい
るので,本件出願は分割出願として適法であって,したがって,本件出願は原出願
の日ではなく,当該補正の日に出願されたものとみなされるべきであるという趣旨
に解される。
しかしながら,そもそも,原出願につき,上記補正によって「実施例4」を追加
したからといって,当該補正は原出願に係る発明の技術的事項として「可及的乾燥
した系において」基質に酵素を作用させることまで変更するものではなく,「可及
的乾燥した系において」基質に酵素を作用させること自体は当該補正の前後を通じ
て同じであるから,前記説示したところと同様に,控訴人の主張は採用し得ない。
(オ)小括
以上によると,本件発明に係る技術的事項は,原出願明細書に記載のない酵素反
応の場について「可及的乾燥」を要件とせず,可及的水分を低下させたものではな
い基質を用いることを含むものであって,原出願明細書に記載されたものというこ
とはできず,本件特許出願は,改正前44条1項に規定する適法な分割出願である
ということはできない。
イ本件発明の進歩性の検討
上記ア(オ)のとおり,本件特許出願は,改正前44条1項に規定する適法な分割
出願ということができないから,その出願とみなされる日は,現実の出願日である
昭和62年9月8日となる。
そこで,本件特許の出願前に頒布された原出願公開公報(乙7)に記載された発
明(以下「原出願発明」という。)に対して進歩性を有するか否かについて検討す
る。
(ア)本件発明の構成
再記するに,本件発明は,次のとおり分説することができる。
A:水または水及び低級アルコールを排出する系において
B:アルコール及び脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールエステルを含有する基
質に
C:エステル交換活性を有する脂質分解酵素を作用させること
D:を特徴とするアルコールのエステル化方法。
(イ)原出願発明の構成
原出願公開公報(乙7)の【特許請求の範囲】には,「(1)可及的乾燥した系
において基質にエステル交換活性を有する酵素を作用させることを特徴とするエス
テル化方法。」「(3)反応生成物の一を系外に排出する第(1)項記載の方法。」
「⑷反応生成物が水または低級アルコールである第(3)項記載の方法。」との記
載があり,以上によると,原出願発明は,次のとおり分説することができる。
a”:可及的乾燥した系において
b”:基質に
c”:エステル交換活性を有する酵素を作用させる
d”:エステル化方法
であって,かつ,
e”:反応生成物の一を系外に排出し,
f”:反応生成物を水または低級アルコールとする,エステル化方法。
(ウ)本件発明と原出願発明との対比
本件発明と原出願発明とを対比すると,①原出願発明では,可及的乾燥した系に
おいてエステル化が行われるのに対して,本件発明では,水または水及び低級アル
コールを排出する系においてエステル化が行われることが特定されている点(相違
点1),②本件発明では,基質がアルコール及び脂肪酸又は脂肪酸の低級アルコー
ルエステルを含有するものに特定されている点(相違点2),③本件発明では,エ
ステル交換活性を有する酵素が脂質分解酵素に特定されている点(相違点3),④
本件発明ではエステル化がアルコールのエステル化であることが特定されている点
(相違点4)で一応相違している。
(エ)検討
a相違点1について
反応生成物の一を系外に排出するとの原出願発明e”に特定される反応生成物と
して,原出願発明f”に「水または低級アルコール」が特定されており,実質的に
相違点とはならない。
b相違点2について
原出願公開公報の【発明の詳細な説明】には,「本発明の基質は酸とアルコール
のみに限らず,エステル交換反応(アルコール交換反応)によって新たなエステル
を生成する場合のエステルや,多価アルコールの部分エステル,その他を包含する。
この発明で基質部分は一般に複数であり,反応率を上げるためには,除去しやすい
方の基質を理論値よりも過剰量加えるのが好ましい。例えば基質がグリセリンまた
は部分グリセリドと,脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールとのエステルとの混合
物であるときは,脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールエステルを過剰量存在させ
るようにするするのがよい。」との記載があり,基質として,アルコール,脂肪酸,
脂肪酸の低級アルコールエステルを使用することが記載されているから,これらを
基質とすることに各別の困難はなく,相違点2については,容易に想到することが
できるものである。
c相違点3について
原出願公開公報の【発明の詳細な説明】には,「本発明者は,脂質分解酵素の従
来の使用形態の概念を越えた低水分の系において使用することの重要性と同時にそ
れによる反応速度の低下をカバーする方途の研究が必要であることととの認識から,
脂質分解酵素の低水分の系における機能を研究して来た。…遂には既存の酵素には
認められないような低水分でのエステル交換高活性の製剤を調製できることを見出
した…この発明はこのような知見に基づいて完成されたものである。」との記載が
あり,原出願発明c”のエステル交換活性を有する酵素は,エステル交換活性を有
する脂質分解酵素であることが原出願発明において認められ,相違点3については,
実質的に相違点とはならない。
d相違点4について
基質がアルコールと酸である場合には,原出願発明d”のエステル化方法が「ア
ルコールのエステル化方法」となることは,当業者において明らかである。
(オ)小括
以上によると,本件発明は,当業者が原出願発明に基づいて容易に発明をするこ
とができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることが
できないものといわざるを得ず,無効とされるべきものである。
(2)本件訂正による無効理由の解消の有無について
ア本件訂正後発明の進歩性の検討
上記(1)アのとおり,本件分割出願は改正前44条1項に規定する適法な分割出
願ということができず,本件訂正後の特許出願についても,その出願とみなされる
日は,現実の出願日である昭和62年9月8日となる。
そこで,同日を基準として,本件訂正が認められるか否か,すなわち,本件訂正
後発明が独立特許要件を具備するものであるか否かについて検討する。
(ア)本件訂正後発明の構成
本件訂正後発明は,次のとおり分説することができる。
A”:水を減圧留去により排出する系において
B”:グリセリン及び脂肪酸を含有する基質に,
C”−1:低水分系でエステル交換活性を有する,脂質分解酵素が担体に分散ま
たは吸着された酵素剤を作用させること
C”−2:上記酵素剤を40∼75℃で作用させること
D”:を特徴とするアルコールのエステル化方法。
(イ)本件訂正後発明と原出願発明との対比
本件訂正後発明と上記(1)イ(イ)のa”ないしf”の構成の原出願発明とを対比
すると,①原出願発明では,可及的乾燥した系においてエステル化が行われるのに
対して,本件訂正後発明では,水を減圧留去により排出する系においてエステル化
が行われることが特定されている点(相違点1’),②本件訂正後発明では,基質
がグリセリン及び脂肪酸を含有するものに特定されている点(相違点2’),③本
件訂正後発明では,酵素が,低水分系でエステル交換活性を有する,脂質分解酵素
が担体に分散または吸着された酵素に特定されている点(相違点3’),④本件訂
正後発明では,上記酵素剤を40ないし75℃で作用させる点が特定されているこ
と(相違点4’),⑤本件訂正後発明ではエステル化がアルコールのエステル化で
あることが特定されている点(相違点5’)で一応相違している。
(ウ)検討
a相違点1’について
原出願公開公報(乙7)の【発明の詳細な説明】には,「水は,酸とアルコール
の反応によって生成し,低級アルコールは,エステル交換(アルコール交換)の反
応によって生成し得る。水または低級アルコールを系外へ排出する方法としては,
減圧留去または吸収剤を用いて行うのがよい。」との記載があり,水を減圧留去に
より排出する系においてエステル化が行われることが原出願発明において認められ,
相違点1’については,実質的に相違点とならない。
b相違点2’について
原出願公開公報の【発明の詳細な説明】には,「本発明の基質は酸とアルコール
のみに限らず,エステル交換反応(アルコール交換反応)によって新たなエステル
を生成する場合のエステルや,多価アルコールの部分エステル,その他を包含する。
この発明で基質部分は一般に複数であり,反応率を上げるためには,除去しやすい
方の基質を理論値よりも過剰量加えるのが好ましい。例えば基質がグリセリンまた
は部分グリセリドと,脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールとのエステルとの混合
物であるときは,脂肪酸または脂肪酸の低級アルコールエステルを過剰量存在させ
るようにするするのがよい。」との記載があり,基質として,グリセリン,脂肪酸
を使用することが記載されているから,これらを基質とすることに各別の困難はな
く,相違点2’については,容易に想到することができるものである。
c相違点3’について
原出願公開公報の【発明の詳細な説明】には,「この発明で使用する酵素のエス
テル交換活性の値は高い程好ましい。…一旦水素下で担体に分散または吸着させた
ものを緩慢に減圧乾燥する方法は高活性酵素剤を得る有用な方法であり,且つ繰返
し使用によく耐える酵素が得られるが,低水分系において一定のエステル交換活性
を有するものであれば,その調製方法はもとより限定されるものではない。」との
記載があり,原出願発明c”のエステル交換活性を有する酵素として,低水分系で
エステル交換活性を有する脂質分解酵素が担体に分散または吸着された酵素剤であ
ることが原出願発明において認められ,相違点3’については,実質的な相違点と
はならない。
d相違点4’について
原出願公開公報の【発明の詳細な説明】には,「反応温度は,20∼75℃にあ
り,この中でも酵素が可及的持久的に活性を呈し得る可及的高温が好ましい。」と
の記載があり,また,実施例1,2及び4において,いずれも40℃で酵素を作用
させることが示されており,以上によると,当業者において,相違点4’に係る訂
正発明C”の酵素を40ないし75℃で作用させることは容易に想到することがで
きる。
e相違点5’について
基質がアルコールと酸である場合には,原出願発明d”のエステル化方法が「ア
ルコールのエステル化方法」となることは,当業者において明らかである。
(エ)小括
以上によると,本件訂正後発明は当業者が原出願発明に基づいて容易に発明をす
ることができたものであるから,本件訂正は,独立特許要件を具備するものではな
く不適法なものといわざるを得ず,本件訂正によって本件特許の無効理由が解消さ
れるものではない。
3結論
以上の次第であるから,その余の点について検討するまでもなく,控訴人の請求
を棄却した原判決は正当であって,本件控訴は棄却されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官滝澤孝臣
裁判官本多知成
裁判官浅井憲
(別紙)
訂正事項一覧
訂正事項1:【特許請求の範囲】を次の通り訂正する。
【請求項1】水を減圧留去により排出する系において,グリセリン及び脂肪酸
を含有する基質に,低水分系でエステル交換活性を有する,脂質分解酵素が担体に
分散または吸着された酵素剤を40∼75℃で作用させることを特徴とするアルコ
ールのエステル化方法。
訂正事項2:【発明の詳細な説明】の「(湿っているものは真空乾燥により可及
び的水分を下げた)」を「(湿っているものは真空乾燥により可及的水分を下げ
た)」に訂正する。
訂正事項3:【発明の詳細な説明】の「標識脂肪酸はラウリン酸とし,メチルエ
ステル区分における標識脂肪酸の値について,完全に反応した状態(充分な反応時
間をとって脂肪酸分布が実質的に一定した状態)の値をa,時間t=1(日)におけ
る値をbとして反応率x=a/b,反応速度常数
とする。」を「標識脂肪酸はラウリン酸とし,メチルエステル区分における標識脂
肪酸の値について,完全に反応した状態(充分な反応時間をとって脂肪酸分布が実
質的に一定した状態)の値をa,時間t=1(日)における値をbとして反応率x=
b/a,反応速度常数
とする。」に訂正する。
訂正事項4:【発明の詳細な説明】の「前述特願昭55-29707号に開示した,一旦
水素下で担体に分散または吸着させたものを緩慢に減圧乾燥する方法は高活性酵素
剤を得る有用な方法であり,」を「前述特願昭55-29707号に開示した,一旦水系下
で担体に分散または吸着させたものを緩慢に減圧乾燥する方法は高活性酵素剤を得
る有用な方法であり,」に訂正する。
訂正事項5:【発明の詳細な説明】の「また多価アルコールのエステル価物を得
るにあたって」を「また多価アルコールのエステル化物を得るにあたって」に訂正
する。
訂正事項6:【発明の詳細な説明】の「実施例1リゾープス・ニベウス起原の
市販酵素60g(水分4%)を水250gに5℃前後で溶解し,これをゼオライト250gと
混合し,次いで15mmHgで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した(但
しKa=28.5,Kr×10=24.8)。」を「例1リゾープス・ニベウス起原の市販酵素3
60g(水分4%)を水250gに5℃前後で溶解し,これをセライト250gと混合し,次
いで15mmHgで4日間乾燥して水分約1.4%として酵素剤を調製した(但しKa=28.5,
Kr×10=24.8)。」に訂正する。3
訂正事項7:【発明の詳細な説明】の実施例2を削除する。
訂正事項8:【発明の詳細な説明】の「実施例3リゾープスジャポニカス起源
の市販酵素及び担体としてパーライトを用いる他は実施例1と同様にしてエステル
交換能を有する酵素剤を得た(但しKa=7.1,kr×10=15.8)。プロピレングリコ3
ール100grとオレイン酸30grに上記エステル交換活性を有する酵素剤10grと実施例
1と同じゼオライト5grを密閉容器中に入れ40℃で4日間反応させた。反応液をヤ
トロンスキャン(TLC−FID)で分析したところオレイン酸が47%,プロピレングラ
イコールモノエステルが53%,ジエステルは微量であった。」を「例2リゾープ
スジャポニカス起源の市販酵素及び担体としてパーライトを用いる他は例1と同様
にしてエステル交換能を有する酵素剤を得た(但しKa=7.1,kr×10=15.8)。」3
に訂正する。
訂正事項9:【発明の詳細な説明】の実施例4を削除する。
訂正事項10:【発明の詳細な説明】の実施例5を削除する。
訂正事項11:【発明の詳細な説明】の実施例6を削除する。

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛