弁護士法人ITJ法律事務所

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○ 主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
○ 事実
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上、法律上の主張および証拠関係は、次に付加するほか原判決事
実摘示のとおりであるから、これを引用する
(ただし、原判決二枚目表六行目の不動産売買残代金」の次に「三〇万円」を加え
て訂正する。)。
(控訴人の主張)
第一、原判決説示の、債権譲渡人の印鑑証明書を添付する必要がないとする論拠
が、いずれも当を得ない所以を次に明らかにする。
一、供託法および供託規則には、供託金取戻請求権の譲受人が取戻請求をする場合
において、譲渡人の印鑑証明書の添付を必要とする旨の明文の規定がないとの点に
ついて
(一) 供託規則二六条一項、不動産登記法施行細則四二条等において、供託物の
払渡請求または不動産登記申請をする際に請求人または登記義務者の印鑑証明書の
提出が要求されている趣旨は、請求人または登記義務者本人が真正に当該請求また
は登記申請をしていることを供託官または登記官をしてその形式的審査により確認
せしめ、もつて当該請求または登記申請の真正なることを担保するためである。現
行法制のもとにおいては、かかる事項の証明手段としては、印鑑証明制度を利用す
る以外に画一的な手段が見当らないので、印鑑証明書を唯一の証明手段として規定
したのである。
そして、この場合の印鑑証明書の提出は、供託物払渡請求、登記申請等の請求ない
し申請行為について、それが本人によつてなされ真正なものであることの形式的確
実性を担保するものであつて、当該行為主体が実体上正当な請求権ないし申請権限
を有する事実を証するための本のではないことに留意すべきである。
したがつて、各種申請行為に際し、行為主体の形式的確実性を担保する趣旨で当該
申請人の印鑑証明書の提出を必要とする場合については、法令に必ずその旨の明文
の規定が設けられるのが通例であるとしても、そのことから直ちに、法令により証
憑書類を添付すべきものとされ、かつ、その作成者が第三者である場合において、
右第三者の印鑑証明書を必要とすべきときについても、法令上あらためてその旨の
明文の規定が必要であるとは、必ずしも論断できない。
(二) ところで、供託規則二五条三号が、供託物取戻の場合において、払渡請求
書に権利の承認の事実を証する書面を添付すべきものとしているのは、請求人が正
当な請求権者であることを供託官をして形式的審査により確認させるためであり、
かかる権利の承認の事実を証する書面としては、後述する印鑑証明書つき私署証書
以外にも、たとえば確定判決、戸籍謄本、公正証書、官公署の証明書等、多種多様
のものがありうるので、同条号は概括的に「その事実を証する書面と規定している
のである。
ところが、真正に成立した文書であることが当該文書そのものから窺知しえない、
私人作成の譲渡証書の場合には、それだけでは供託官の形式的審査により権利の承
継があつたものと確認することができず、したがつて供託規則二五条三号の書面と
しては不完全であるので、当該文書の形式的真正を担保する必要上、これに譲渡人
の印鑑証明書を付加したものが一体として、同条号所定の書面であると解しなけれ
ば、同号の規定により権利承継の事実を証する書面な払渡請求書に添付して提出せ
しめる法意を全うすることができないことは明らかであり、このように解すること
は何ら法令の趣旨に違反しないばかりか、むしろ同条号の規定の解釈として事理の
当然というべきである。
供託法および供託規則に、証憑書類たる第三者作成の私署証書について作成者の印
鑑証明書の添付を要求する明文の規定かないことのみをもつて、前記解釈を否定す
ることは、法令のあまりにも形式的な解釈であつて、供託規則二五条三号の規定を
没却するものである。
(三) 現に、本件のごとき場合以外にも、たとえば債権不確知を理由として被供
託者を甲または乙として供託がなされ、その被供託者の一方が供託物の還付を請求
する場合には、他の被供託者の承諾書のみでは供託規則二四条二号の「還付を受け
る権利を有することを証する書面」とするに不十分であるとして、これに作成者の
印鑑証明書を添付させることが供託実務上行なわれているが、この取扱いの合理性
については、これまで異論をみない。また、不動産登記申請の際に申請書に利害関
係人の承諾書を添付すべきことが法律上要求されている場合が少なくないが、この
ような場合に、右承諾書が私署証書であるときは、法令に明文の規定を欠くにかか
わらず、登記実務上は承諾書にその作成名義人の印鑑証明書を添付させる取扱いを
しているが、その合理性は一般に承認されているところである。
これを要するに、供託規則二四条、二五条等にいう「・・・・・・・・・を証する
書面」とは、形式的審査権しか有しない供託官をして、形式的審査のみによつて、
当該書面が当該事項を証するに足りるものと判断しうる書面を意味するものと解す
るのが当然であつて、さすればかかる書面としての適格を有するものであるために
は当該書面に押捺された印鑑が当該書面の作成名義人の真正な印鑑であることを明
らかにする印鑑証明書の添付を必要とするものと解すべきである。
二、供託官の審査権限について
(一) 供託者が形式的審査権限しか有しないという意味は、審査の範圃は当該申
請行為に関する手続上および実体上の一切の法律要件に及ぶが、その審査の方法
は、申請書およびその添付書面に基づく審査に限定され、人証や検証等の方法によ
る審査の認められないこと、すなわち形式的審査主義(書面審査主義)をとつてい
ることをいうものである。
したがつて、供託官が形式的審査権限のみを有するに過ぎないということは、審査
の資料が法令により請求人から提出される書面に限定されていることを意味するに
過ぎないのであつて、その書面としてどのようなものが要求されるかは、その書面
を法令が要求している趣旨により決すべきことがらである。本件において、供託者
の相続人名義の私署証書である譲渡証書に、作成名義人の印鑑証明書の添付を要求
することは、供託事務における形式的審査主義の要請に合致こそすれ、これと何ら
背馳するものではない。
(二) 債権譲渡証書の紙質、筆蹟、印影、記載形式および内容自体に照らして、
その成立を疑うに足りる合理的な事実が存する場合に限り、作成名義人の印鑑証明
書の提出を求めることかできるとする見解について
右見解は、帰するところ供託官が個々の譲渡証書の真否を具体的事案に即していわ
ば実質的に判断しなければならないことを意味する。かかる判断は、極めて困難で
ある。また恣意に流れるおそれも否定できない。のみならず、もしその判断を誤つ
た場合には、払渡が無効となるおそれのあることにかんがみると、大量の払渡事務
を迅速に処理しなければならない供託官としては、審査の煩に堪えない結果となる
のであつて、むしろ画一的に譲渡人の印鑑証明書を提出させることにより事務処理
の適正迅速を図ることこそ、供託官に形式的審査権限のみが与えられている趣旨に
合致するものである。原判決のごとく、供託官が個々の事案に即して譲渡証書の真
否を判断すべきものとすることは、供託官に対し形式的審査権限の範囲を逸脱した
審査義務を課するものであつて、明らかに違法というべきである。
三、民法の規定する債権譲渡の方式を修正することは許容できないとの点について
(一) 供託物取戻請求権の譲渡証書が私署証書である場合には譲渡人の印鑑証明
書の添付が必要であると解しても、民法の定める指名債権譲渡の方式と異なる特別
の債権譲渡方式の履践を要求することにはならない。
すなわち、譲渡証書が私署証書である場合には、それのみによつては何らその成立
の真正が担保されていないので、大量に行なわれる払渡事務の適正迅速な処理の要
請に応えるため、譲渡証書が真正に成立したことを形式的に担保する資料として一
律に譲渡人の印鑑証明書の添付が要求されるのであつて、それは窮極においては譲
渡証書の記載と相俟つて請求人が取戻請求権を承継したとの事実の形式的証明につ
ながるものに過ぎず、債権譲渡行為そのものを要式行為に変更する趣旨でないこと
は明らかである。
(二) もつとも供託物取戻請求権を譲り受けた者に対し、権利行使の際に一律に
譲渡人の印鑑証明書の提出を求めることは、請求権の行使に種々の障害をもたらす
との見解も存するが、しかし、供託物取戻請求権の譲渡人が譲受人に対し請求権の
行使を可能ならしめるため印鑑証明書等を交付すべき義務を負うことは、信義上肯
定しうるところである(譲渡証書自体の作成交付についてすら、民法上は債権譲渡
の方式として要求されていないが、譲受人が譲渡人に対しその交付を求めうること
は異論がないであろう。)のみならず、供託規則二五条三号所定の書面は譲渡証書
に限られないのであるから、譲渡人の印鑑証明書の入手が実際上不可能である場合
には、権利の承継の事実を証するその他の書面、たとえば確定判決等を請求書に添
付すればよい。
結局、譲渡証書に譲渡人の印鑑証明書の添付が必要であると解した場合において譲
受人の蒙る不利益は、請求権の行使に多少の不便を伴なう場合が生ずるおそれがあ
るという程度のものに過ぎない。これに反して、譲渡証書に譲渡人の印鑑証明書の
添付を要しないとすれば、たまたま不正手段により供託書正本を入手した者が、取
戻請求権の譲渡を受けた旨主張して、偽造の譲渡証書を提出することによつて容易
に供託物の払渡を受けうることとなるのであつて、国は二重払いの危険を負担する
ことを余儀なくされる。また、もし無権利者に対する払渡が債権の準占有者に対す
る弁済として有効視され、国が免責される場合には、真の権利者の権利が侵害され
る結果を生ずる。いずれにしも、そのもたらす弊害は、軽視しえない。
以上に述べた関係人の利益侵害の程度を比較衡量すれば、譲受人の蒙る不利益は、
私署証書たる譲渡証書のみでは供託規則二五条三号の書面の要件を充たさないとし
て、これに譲渡人の印鑑証明書の添付を要求する供託実務上の解釈運用が不合理で
あるとする論拠としては極めて薄弱であり、むしろ譲渡人の印鑑証明書の添付を要
しないとした場合に生ずる弊害こそ重視されなけれはならない。
第二、被控訴人の後記主張に対し、次のとおり反論する。
一、被控訴人は「供託物の取戻請求に当り、一律に譲渡人の印鑑証明書が必要とな
るならば・・・・・・・・・」として、あたかも控訴人が常に必ず一律に譲渡人の
印鑑証明書の提出を求めているかの如く主張しているが、そのよtな事実はない。
供託所としては、供託書またはその添付書類に押した印鑑と供託所あての譲渡通知
書の印鑑とが同一である場合には、印鑑証明書の提出は求めていない。また、供託
物払渡請求に際して「権利承継の事実を証する書面」として提出された譲渡証書の
印鑑が供託書またはその添付書類に押した印鑑と同一である場合にも印鑑証明書を
求めることはない。また、債権譲渡人が供託書に押印した印鑑を有する場合にも、
その印鑑によつて譲渡証書を補正すれば足り、印鑑証明書の提出を要しない。けだ
し、かかる場合には、その譲渡通知書または譲渡証書は、まさに供託規則二五条三
号の「権利承継の事実を証する書面」に該当するからである。
また、供託所では譲渡通知書または譲渡証書に押印した譲渡人の印鑑につき印鑑証
明書の提出を求めているのであつて、被控訴人の主張する如く、供託書、債権譲渡
証書、譲渡通知書に押印の印鑑にかかわりなく、ただ印鑑証明書の提出を要求して
いるというものではない。したがつて、もし譲渡通知書または譲渡証書に押印した
印鑑と印鑑証明を得た印鑑とが相違する場合には、これらの書面のほかに両者を関
連づけるため、印鑑証明を得た印鑑を用いて当該債権を譲渡したことに相違ない旨
の譲渡人の証明書の補充をまつて供託規則二五条三号の書面に該当することとな
る。
二、もつとも譲渡人が印鑑証明書を交付する義務があるか否か疑問であるとの見解
もあるが、しかし、一般に供託物の払渡請求をする場合にも「供託書またはその添
付書類に押した印鑑受供託物払渡請求書またはその添付書類に押した印鑑とが同一
である場合」でなければ印鑑証明書を提出しなければならないのであつて(供託規
則二六条一項、三項)、本来供託者または被供託者本人が払渡を請求する場合にも
払渡請求者の真正を担保するために印鑑証明書の提出が必要とされる場合もあるの
であるから、払渡請求権の譲渡があつた場合に譲渡人の印鑑証明書の提出を要する
こととしても、これをもつて譲渡人に新たな負担を課したことにはならない。要す
るに供託所が譲渡人の印鑑証明書の提出を要求するのは、譲渡がない場合と異なら
ない。
三、次に、被控訴人は「譲渡人が譲渡証書は交付したが印鑑証明書の入手が実際上
不可能の場合、すなわち譲渡人が債権譲渡の事実を全然争つていない場合に、法令
にもその提出を義務づけられていない印鑑証明書の交付を求めるためどのような根
拠にもとづいてどのような訴を提起するというのであろうか。」との疑問を呈して
いる。しかしながら、かかる場合には、譲渡人または国を相手とし、供託物の払渡
請求権が、自己に帰属しているこの確認を訴求し、その勝訴の確定判決を「権利承
継の事実を証する書面」として払渡請求書に添付すれば足りる。
(被控訴人の主張)
一、供託規則二六条一項が、供託物の払渡を請求する者に対し同条三項の除外事由
のない限り印鑑証明書の提出を要求している趣旨は控訴人主張のとおり請求者が真
正な請求権者であることの確認手段としてである。
控訴人は形式的真正を担保するために印鑑証明書を提出させるというが、印鑑証明
書を必要とする場合には、必ず法にその明文が設けられているところ、供託規則二
五条には「権利の承継を証する書面」が私署証書である場合には譲渡人の印鑑証明
書を添付すべき旨の規定を欠いている。
このような規定を欠いていることは、これを本件に即していえは、被控訴人の印鑑
証明書、供託書正本、債権譲渡証、相続に関する戸籍謄本をもつて「権利承継書一
として十分であるとする趣旨である。
二、次に、供託官の審査権限について検討するに、供託法および供託規則の解釈
上、供託官の審査権限は申請者にしよつて提出された書面審理の範囲にとどまるも
のとし、その書面の成立または内容の実質的真正について審査の権限なしとするの
が原則である。すなわち、供託官は当事者が関係法令に基づいて提出した書面のみ
によつて申請の適否を判断すべく、提出された書面の実質的真正を審査するため、
当事者に対しさらに書面の提出を求めることは許されない。
したがつて、たとえは当該書面の成立の真正を担保するため法令の要求する要件が
具備している場合になおそこに押捺された印章が偽造または盗用にかかるものでな
いか否かについて、また供託の原因たる契約の存否について書面の記載内容から一
見して明らかに判断しうる場合でないのに、なお契約の効力の有無について、供託
官は審査権を行使しえないのである。
これを本件について考えると、供託官は債権譲渡証書の記載からみて債権譲渡の形
式が整つている場合、なおそこに押捺された印鑑が偽造か盗用にかかるものでない
か否かについて、さらに印鑑証明書等を提出させて審査する権限を有しないのであ
る。
原判失のいう、債権譲渡証書の紙質、筆蹟、印影、記載形式および内容自体に照ら
して、その成立を疑うに足りる合理的な事実が存する場合に限り、譲渡証書の信憑
性を担保するため、作成名義人の印鑑証明書の提出を求めることができるというの
も、法令により提出を要求されている書面を形式的に審査した結果一見して明らか
にその成立を疑うに足りる場合には印鑑証明書の提出な求めてよいという意味であ
り、供託官に個々の譲渡証書の真否を具体的事案に即して実質的に審査すべき義務
までを課したものではない。
三、ところで、控訴人の主張によれば印鑑証明書があれば私署証書である債権譲渡
証書の形式的真正な担保できるというが、すでに被控訴人が原審で述べたように、
我が国の現行の供託制度を前提とする限り、債権譲渡としての形式の整つた譲渡証
書が印鑑を冒用して作成された偽造のものかどうかは、一片の印鑑証明書を添付さ
せ、これを形式的に審査するだけではとうてい知りえないことである。
なお、控訴人は、不動産登記申請の際申請書に利害関係人の承諾書を添吋すべき場
合には右承諾書にその作成名義人の印鑑証明書を添付させる取扱をしているという
が、不動産登記制度は権利の変動があつたとき権利者の名義を譲渡人、譲受人の双
方申請に基づき原簿上変更する原簿制度をとつている点において供託制度と異つて
いるし、また登記は権利を一般に公示しこれに偽つて権利に対抗力を具備させるも
のであるから、この場合と、単に債務者債権者間において債務の一消滅原因たるに
過ぎない供託の場合とを同列にみることは相当でない。
さらに、不動産登記の場合申請書に添付される利害関係人の承諾書にはこれに押捺
されたものと同一の印鑑の印鑑証明書を添付すベきものとされておれり、本件にお
けるが如く、払渡請求の際添付を要求される印鑑証明書は、供託書押捺のものは勿
論債権譲渡証あるいは通知書に押捺の印鑑と相違していても、ただ印鑑証明書を提
出させることが譲渡証書の成立の真正を担保するという趣旨ではない。
結局、控訴人主張のように払渡請求の際に譲渡人の印鑑証明書を添付したからとい
つて、虚偽の事実に基づく請求ないし串請を可及的に防止することはできない。
四、債権譲渡という観点からみると、債権譲渡契約そのものは不要式の諾成契約で
あるにもかかわらず、一律に譲渡人の印鑑証印明書が必要となるならば、それはと
りもなおさず債権譲渡契約を契約締結に際して譲渡人に書面を要求する要式行為に
変更するものである。
控訴人は譲渡証書自体の作成交付についてすら民法上は債権譲渡の方式として要求
されていないが、譲受人は譲渡人に対してその作成交付を求めうることは異論がな
いとするが、前述の如く我が民法における指名債権の譲渡は従来の債権者と譲受人
との間の無方式の契約によつて効力を生ずるのであり、スイス債務法やドイツ民法
におけるのと異なり、譲受人が権利として譲渡契約書の作成交付請求権を有すると
はいえない。
してみれば、譲渡人か譲渡契約書の作成を拒否するとき、あるいはたまたま譲受人
が譲渡証書を紛失し、譲渡人に対してその所持する証明書の交付を求めたが譲渡人
がこれを肯じないときは、債権譲渡の事実そのものを争つていると考えて確認訴訟
等を提起し、その確定判決を譲渡を証する書面として添付しなければならないもの
と思われる。
しかるに、譲渡人が譲渡証書は交付したが印鑑証明書の入手が実際上不可能の場
合、すなわち譲渡人が債権譲渡の事実を全然争つていない場合に、法令にもその提
出を義務づけられていない印鑑証明書の交付を求めるため、どのような根拠に基づ
いてどのような訴を提起するというのであろうか。
控訴人は、債権者不確知を理由として供託がなされたときにも、他の被供託者の承
諾書に作成者の印鑑証明書を添付させることが供託実務上行われていると主張する
が、すでに一、二で述べたことから考えると、慣行として行われているからといつ
でその処理方式が適正だとはいえないし、また債権譲渡の方式要件という観点から
みた本件の場合と債権者不確知の場合とを同一に論ずることができないことも明ら
かである。
(証拠)省略
○ 理由
一、訴外Aは、債権者である訴外Bに対する不動産売買残代金の弁済のため、同人
を被供託者として、昭和三〇年一一月二九日仙台法務局に対し同法務局同日受付同
年金第一六五五号をもつて金三〇万円を供託したこと(以下、右の供託、供託金を
それぞれ本件供託、本件供託金という。)、右Aは昭和四三年六月四日死亡し、同
人の相続人である訴外C、D、E、Fの四名が本件供託金の取戻請求権を相続した
こと、右相続人らの名義をもつて、昭和四四年五月七日仙台法務局長Gに対し、本
件供託金取戻請求権を同年四月二八日に被控訴人に譲渡した旨の通知があつたこ
と、被控訴人は、昭和四六年一月二五日同法務局供託官に対し、本件供託金取戻請
求権を右Cら四名から譲渡を受けたものとして、供託物払渡請求書に次の書類すな
わち、(イ)本件供託書正本、(ロ)右Aの除籍謄本および右Cら相続人四名の戸
籍謄本、(ハ)債権譲渡証書、(二)被控訴人の印鑑証明書を添付して提出し、本
件供託金の取戻しを請求したところ、同法務局供託官は同年五月二九日右供託物払
渡請求書に譲渡人たる右Cら四名の印鑑証明書が添付されていないとの理由で被控
訴人の右請求を却下したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、そして、成立に争いない乙第一、第二号証の各一、二および弁論の全趣旨によ
ると、一般に供託金取戻請求権の譲受人から供託物払渡請求書に私署証書である債
権譲渡証書を添付して供託金取戻しの請求があつた場合において、供託書またはそ
の添付書類に押した印鑑と右債権譲渡証書あるいは供託所あての債権譲渡通知書に
押した印鑑とが相違するときは、右債権譲渡証書に押した譲渡人の印鑑につき印鑑
証明書を提出させるのが従来から行われている供託実務の解釈運用であり、本件に
おいても、仙台法務局供託官は、右供託実務に従い、譲渡人の印鑑証明書の添付を
求め、その添付がないことを理由として、被控訴人の本件供託金取戻し請求を却下
したものであることが認められる。
もとより伊実実務に従つたからといつて、そのことから直ちに右却下処分が適法と
されるものでないことは被控訴人主張のとおりであるが、かかる供託実務が法規上
明文の根拠を欠く場合においても、これが十分な必要性と合理性を備え、供託関係
法規の正しい解釈に合致する限りにおいて、かかる供託実務およびこれに従つてな
された供託官の具体的処分もなお適法なものとして是認されるべきである。
三、ところで、法制度上各種の申請、請求に際して印鑑証明書の添付を求める場合
には、例えば供託規則二六条一項、不動産登記法施行規則四二条、公証人法二八条
二項にみられるようにその旨の明文の規定が設けられているのが一般であるとこ
ろ、供託法および供託規則には供託金取戻請求権を譲受けた者に譲渡人の印鑑証明
書の添付を求める旨の明文の規定がないことは被控訴人主張のとおりである。
しかし、明文の規定がなければ絶対に印鑑証明書の添付を求め得ないものと即断す
べきものではなく、供託官の職務権限の性質範囲、ないし供託事務の性質に照らし
てその当否が決せられるべきである。
そこで、供託官の職務権限について考察してみると、供託官は供託事務の処理上当
事者による各種の申請行為に対しそれが法律上の要件を具備しているか否かについ
て一定の審査を行うものであるが、供託法および供託規則の解釈からすると、その
審査権限は要するにいわゆる形式的審査権限に止まり、実質的審査権限を含まない
ものと解すべきことは被控訴人主張のとおりである。しかし、その意味するところ
は、その審査の対象たる事項という観点からすれば、当該申請行為に関する単なる
形式的ないし手続法上の事項のみならず、実質的ないし実体法上の事項をも審査の
対象とするものであり、ただ審査の方法という観点からすると、供託事務の性質か
らして供託法所定の申請書とその添付書類の記載に基づく審査に限定され、人証や
検証等の方決による審査の認められないことをいうものと解される。そして、審査
の方法を右のように申請書とその添付書類に限定する供託法規の建前は、供託官が
添付書類の形式的真正(作成名義人たる者が真実作成したこと)について調査する
権限に制約を加えるものではない。供託制度を適用する場合にも実体関係にそわな
い虚偽の申請、請求は可及的に排斥されるべきであるから、法令上いやしくも一定
の書類の添付が要求される以上、それが真正なものでなければならないのは当然で
あつて、供託官は、少くとも供託あるいは払渡しの効力を左右する重要な書類につ
いてはその形式的真正を確かめるため、他の形式的書面資料の提出を当事者に求め
うるし、また求めるべきものと解するのが相当である(被控訴人も、場合を限つて
のことではあるが、供託官が書面の成立を証明すべき形式的書面資料の提出を求め
る権限を有すること自体はこれを肯定している。)。
ところで、供託規則二五条三号は、供託物の取戻しを請求しようとする者が供託者
の権利の承継人であるときは「その事実を証する書面」を供託物払渡請求書に添付
すべきことを定めている。右の規定が設けられたのは、請求者が正当な権利者であ
ることを供託官をして形式的審査により確認させるためであることは明らかであ
り、かかる権利の承継の事実を証する書面としては、私署証書たる譲渡証書以外に
も、たとえば確定判決、戸籍謄本、公正証書、官公署の証明書等多種多様のものが
ありうるところから、右条号が概括的に「その事実を証する書面」と規定したもの
と解される。
そして、右のような権利承継の事実を証する各種の書面のうちでも、官公署の証明
の類いのようにその方式およ、び内容により当該書面自体においてその成立の真正
を推認することができる書面が添付されている場合には、供託官の形式的審査によ
り比較的容易に権利の承継があつたものと推認することが可能である。ところが、
私人の作成した債権譲渡証書が添付されているような場合には、その書面自体から
真正に成立したものであることを窺知しえないから、右債権譲渡証書あるいはさき
に供託官に対してなされた債権譲渡通知書に押捺されている印鑑が供託書の印鑑と
同一であるといつた特段の事情がない限り、右債権譲渡証書(あるいは右債権譲渡
通知書)からだけでは、供託官の形式的審査により権利の承継があつたことを推認
することが困難である。そうだとすると、かような場合(右の特段の事情がないと
き)には、供託事務が大量でしかも確実かつ迅速な処理を要する関係上、右債権譲
渡証書の成立の真正を担保する画一的な手段として、いわゆる印鑑証明制度が制度
の趣旨として一人につき一個の印鑑に限り登録を認め、かつ印鑑を所持する本人以
外の者に対しては原則として印鑑の証明に応じない特異性を有することに着目し
て、右債権譲渡証書に押した譲渡人の印鑑につき印鑑証明書の提出を求める取扱い
を励行することが必要かつ合理的であるというべきである。かように解すること
は、権利承継の事実を証する書面を供託物払渡請求書に添付して提出させることと
した供託法規の趣旨にそうものであり、また供託事務における形式的審査主義の要
請に合致こそすれ、これと何ら背馳するものではない。
してみると、供託金取戻請求権の譲渡を受けたと主張する者から供託金取戻しの請
求があつた場合、前示特段の事情あるときを除いて(その意味で「一律」ではな
い。)、私署証書たる債権譲渡証書に押した譲渡人の印鑑につき印鑑証明書の提出
を求めることとしている前示供託実務は、十分の必要性と合理性を備え、供託法規
の正しい解釈に合致するものとして適法なものというべきである。
四、被控訴人は、右のような供託実務は、民法の規定する債権譲渡の原則を修正す
る特別の譲渡方式を要求するものであつて、許容されるべきでない旨主張する。確
かに、供託金取戻請求権も民法上の指名債権譲渡の方式に準じて譲渡することがで
きるものと解すべきであり、そうだとすると、その譲渡は、譲渡人譲受人間の無方
式の契約によつて完全にその効力を生ずるものである。
しかし、供託金取戻請求権の譲渡を証する書面が私署証書たる債権譲渡証書である
場合に、前示特段の事情ある場合を除き、譲渡人の印鑑証明書の添付が要求される
のは、請求者が取戻請求権を承継したとの事実の形式的証明の一につながるものに
過ぎず、譲渡行為そのものを要式行為に変更する趣旨ではない。このことは、供託
金取戻請求権譲渡の効力発生要件としては、民法の規定に従えば、譲渡証書等右譲
渡の事実を直接に証する書面の作成交付すら要しないにもかかわらず、供託規則二
五条三号により右書面の添付が求められているからといつて、右条号が民法上の指
名債権譲渡の方式と異なる特別の債権譲渡方式の履践を要求したものとは解されな
いことと、少しも異ならない。被控訴人の前記主張は採用することができない。
五、また、被控訴人は、前示供託実務の解釈運用が行われると、民法上有効に供託
金取戻請求権の譲渡を受けた者の権利行使を不可能とし、あるいは種々の障害をも
たらす旨主張する。
しかし、私署証書たる債権譲渡証書をもつて供託金取戻請求権の譲渡がなされた場
合でも、供託書またはその添付書類に押捺した印鑑をもつて右譲渡証書を作成した
とき、あるいはその印鑑をもつて譲渡通知書を作成送付したときは、譲渡人の印鑑
証明書の添付を要しないことは、前記説示によつて明らかである。また、しからざ
るときにおいても、もともと供託者本人あるいはその包括承継人が自ら供託金取戻
しの請求をしようとする際は、供託規則二六条一項に明らかなように供託書または
その添付書類に押捺した印鑑を用いて取戻しを請求する等同条三項に定める除外事
由のない限り、その者の印鑑証明書の提出を要するものであるから、右供託金取戻
請求権を他に譲渡しその結果譲受人をして取戻請求をさせることとなる場合にも、
譲渡人としては、譲受人から供託書またはその添付書類に押捺した印鑑を用いて譲
渡証書あるいは譲渡通知書の作成交付(送付)するよう、そうでなければ譲渡証書
に押捺した印鑑につき印鑑証明書を添えるよう求められても、新たな負担を課され
ることとはならないし、また譲受人としても画一的に運用される前示供託実務の存
することに思いを致し譲渡契約に際して譲受人をして右のような措置を講ぜしめる
よう配慮すべきものとされても決して難きを強いることにはならない。
のみならず、前示のとおり供託規則二五条三号所定の書面は私署証書たる譲渡証書
に限らないのであるから、譲受人は、譲渡人の印鑑証明書の入手が実際上当初から
あるいは中途から困難ないし不可能であつた場合には、例えば譲渡人を相手方とし
て供託金取戻請求権が自己に帰属することの確認を訴求し、その勝訴の確定判決を
権利承継の事実を証する書面として添付すること等により、その譲受権利を行使す
る途も存する。
してみると、前示供託実務に従つて解釈運用される場合においても、供託金取戻請
求権の譲受人の権利行使が全く不可能となるものでないことは明らかであり、かり
に実際上多少の不利益、不便がありうるとしても、これと譲渡人の印鑑証明書の添
付を要しないとした場合にもたらされる、虚偽の申請、請求を可及的に排除するこ
とができないことによる大きな弊害とを比較衡量すると、前示供託実務の解釈運用
をもつて不合理であるとするのは当をえない。被控訴人の右主張も採用することが
できない。
六、以上の次第で、前示供託実務の解釈運用は適法であり、また、仙台法務局供託
官が右供託実務に従い被控訴人に対しその主張の譲受人たる前示Cらの印鑑証明書
の添付を求めたのは相当な措置であつて、その添付のないことを理由として、被控
訴人の本件供託金取戻請求を却下したことも適法というべきである。(なお、被控
訴人は、その主張を固執して、当審にいたるも本件供託金取戻請求権の譲渡を受け
た事実を肯認するに足りる立証を尽くしていない。)
よつて、本件却下処分の取消を求める被控訴人の本訴請求はその理由がないものと
してこれを棄却すべく、これと異なる原判決は失当であつて、控訴人の本件控訴は
理由があるから、原判決を取消して、被控訴人の右請求を棄却することとし、訴訟
費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松本晃平 石川良雄 小林隆夫)
主文
原告の昭和四六年一月二五日付供託金取戻請求に対し同年五月二九日被告のした却
下処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
○ 事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
主文同旨の判決。
二、被告
1、原告の請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二、請求原因
一、訴外Aは債権者訴外Bに対する不動産売買残代金を弁済の為民法第四九四条に
より仙台法務局に対し、同局昭和三〇年一一月二九日受付同年金第一六五五号をも
つて供託した。(以下右の供託および供託金をそれぞれ本件供託及び本件供託金と
略称する。)
二、右供託原因は昭和四〇年一二月三日和解成立により消滅した。
三、供託者Aは昭和四三年六月四日死亡し、同人の相続人である訴外C、同D、同
E、同Fの四名が前示法務局に対する本件供託金の取戻請求権を共同相続した。
四、右共同相続人らは、同四四年四月二八日本件供託金取戻請求権を原告に譲渡
し、該譲渡の通知は同年五月七日仙台法務局長Gに到達した。
五、そこで、原告は昭和四六年一月二五日左記書類を添付のうえ、被告に対し、本
件供託金の取戻しを請求したところ、被告は、同年五月二九日右供託金取戻請求書
に債権譲渡人たる前記四名の印鑑証明書の添付がないとの理由で請求を却下した。

(1) 本件供託書正本
(2) 相続を証する書面としてAの除籍謄本D外三名の前記共同相続人らの戸籍
謄本
(3) 債権譲渡を証する書面として債権譲渡証書
(4) 原告の印鑑証明書
六、しかし、被告の却下処分は次に述べるとおり違法である。
1、供託法及び供託規則に照らしても、供託者の死亡により共有に帰した取戻請求
権の譲渡人たる相続人の印鑑証明書の添付を求める規定はない。供託規則第二五条
第三号は「請求者が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面」
の添付を要すべきものと定めているが、譲渡人の印鑑証明書は要求されていない。
してみると、被告が右の印鑑証明書の添付を求めることは、法規上の明文なくして
原告の権利を剥奪するか、若しくは、権利行使を制限するものであり、違法と言う
きである。
2、指名債権の譲渡は債権譲渡契約によつて効力を生じ譲渡人の債務者に対する確
定日付のある通知または債務者の承諾により対抗要件を具備するものであり、譲渡
人の市町村長に対して届け出た印鑑を使用することが債権譲渡の成立及び効力発生
の要件とされるものではない。
されば、被告が譲渡人の印鑑証明書を要求することは、一つには、供託官が債権謙
渡の実質的調査をなさんとするもので、形式的審査権の範囲を逸脱した違法なもの
であり(我国の供託制度が不動産登記制度の如く、権利の変動があつたときは、権
利者の名義を譲渡人、譲受人の双方申請に基づいて原簿上変更し、その際譲渡人の
印鑑証明書を提出させるという制度をとるか、または少なくとも供託の際に供託書
押捺の印鑑と符合する印鑑証明書の添付を要するとなし、その後供託物払渡請求権
の譲渡通知書の押捺印鑑が供託書押捺印鑑と相違するときは改めて印鑑証明書の提
出がなければ供託物の払渡請求に応じないという制度をとらない限り、一片の印鑑
証明書自体は第三者による虚偽の印鑑届に基づく印鑑証明書の交付申請という事が
ありうる以上、権利存在の証拠には、なりえないのである。)、二つには、民法上
有効に債権譲渡を受けた権利者の権利行使を不可能とする結果を招くことともなる
のである。(けだし、本件の如く、供託者の共同相続人が債権譲渡人であり、しか
も、譲渡契約後二年の年月を経過している関係上、譲渡人らの現住所を調査した
上、印鑑証明書を徴することは事実上不可能に近いばかりでなく、譲渡人のうち印
鑑届出をしていない者がいた場合に、原告がその者に対して印鑑の届出を要求し、
印鑑証明書の交付を求める権限がないのである。)
3、以上の如く、被告の処分は法規の根拠なくして原告に不能を強い、また実質上
意味のないことを強いるものであつて違法な処分である。
七、よつて、原告は、前記供託金の取戻請求を却下した被告の取消しを求めるた
め、本訴に及んだ次第である。
第三、被告の答弁及び主張
一、請求原因に対する答弁
1、第一項は認める。
2、第二項は不知、
3、第三項は認める、
4、第四項中、債権譲渡通知の到達は認めるが、その余の事実は不知、
5、第五項は認める、
6、第六項は争う。
二、被告の主張
別紙「被告の主張」のとおりである。
第四、証拠関係(省略)
○ 理由
一、訴外中塚鱗治郎が、昭和三〇年一一月二九日金三〇万円を仙台法務局に弁済供
託したこと(同法務局昭和三〇年(金)第一、六五五号。本件供託。)及び同人が
昭和四三年六月四日死亡し、訴外C、D、E、Fの四名が本件供託金取戻請求権を
相続したこと、原告が昭和四六年一月二五日前示法務局に対し、原告主張の書類を
添付して前記供託金の取戻しを請求したが、被告が、同年五月二九日右供託金取戻
請求書に債権譲渡人たる前記四名の印鑑証明書が添付されていないとの理由で右請
求を却下したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、当事者双方の主張
と弁論の全趣旨に照らすと、前記債権譲渡人らの印鑑証明書の添付の要否の点を除
き、原告提出の前示供託金取戻請求書が適式であることは当事者間に争いのないも
のと認められる。
二、本件供託金取戻請求書に債権譲渡人の印鑑証明書を添付する必要があるか否か
について判断する。
供託物取戻請求者が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面を
供託物払渡請求書に添付すべきことは供託規則第二五条第三号の定めるところであ
る。そこで、譲渡人の印鑑証明書が右規則所定の権利承継の事実を証する書面に含
まれるか否かが検討されなければならない。
1、先ず、法制度上印鑑証明書の添付を要求している場合をみるのに、例えば、供
託規則第二六条第一項において、供託物の払渡を請求する者は同条第三項の除外事
由のない限り、同人の印鑑証明書又はそれに代わる書類の添付が要求され不動産登
記法施行規則第四二条も、一定の除外事由のある場合を除いて登記申請にあたり登
記義務者の印鑑証明書の添付を要求し、また、公証人決第二八条第二項は、公正証
書作成にあたり公証人が嘱託人の氏名を知らずまたは面識がないときは嘱託人の印
鑑証明書の添付を要求する等必ず明文が設けられているところ、供託法及び供託規
則には、供託金取戻請求権を譲受けた者に譲渡人の印鑑証明書の添付を求める旨の
規定がないことは原告主張のとおりである。
2、次に供託官の審査権限について考察してみると、供託法及び供託規則の解釈
上、供託官は当事者の各種申請行為について、当該申請が法定の要件を具備するか
否かにつき審査すべく、しかも、その審査の範囲方法は、申請書に添付されている
書類の適否と、その書類を通じてのみ当該法律関係が存在するかどうかを審査しう
るに止まり(書面審査)、それより進んで右法律関係の実質を審査する権限を有し
ないものと解される。その意味において、供託官の審査権限は、いわゆる形式的審
査権限に止まり、実質的審査権を有しないものと言わなければならない。
これを本件についてみるのに、供託者は、前示四名の譲渡人が真実原告に対して債
権を譲渡したか否かを実質的に審査することは許されないが、原告が添付書類とし
て提出した債権譲渡証書の成立を疑うに足りる合理的な事由があれば、右譲渡証書
の真正を担保するに足りる書類の提出を求めることができるものと言うべきであ
る。
3、更に、供託物取戻請求権の譲渡方式という点から検討すると、右請求権の譲渡
は、民法上の指名債権譲渡の方式に従つて譲渡される権利であることは疑いがな
い。してみると、その譲渡は、譲渡人、譲受人間の債権譲渡契約によつて完全に効
力を生じ、右契約を証する書面としては、通常の場合、債権譲渡契約証があれば足
り、右譲渡契約はいわゆる要式行為ではないから、それを証する譲渡契約証に別段
の要件は法規上要求されていず、もとより市町村長に届け出でた印鑑を用いて譲渡
契約証を作成しなければならない旨の規定も存しない。
されば、被告主張のように、供託物の取戻請求に当り、一律に譲渡人の印鑑証明書
の添付を要するものと解すれば、私法上適法な債権譲渡により当該債権を取得した
者が、その後において譲渡人の印鑑証明書を所持していないとの一事をもつて権利
行使を阻害される結果を招き、原告主張の如く、債権譲渡がなされてより数年を経
過し、既に何等の交渉もない譲受人が譲渡人の現住地を調査して印鑑証明書を徴す
ることは頗る困難なことであり、また、譲渡人が印鑑届出をしていない場合は、改
めて同人に印鑑届出をなすことを要求した上、印鑑証明書の交付を受けなければな
らぬ事態が生じ、譲受人に果たしてこのようなことを要求する権利があるか否かが
問題であるばかりでなく、実際上譲渡人がこれに応じてくれるかどうかも甚だ疑問
とするところであり、更に、譲渡人が死亡しているような場合は印鑑証明書の交付
を求めるに由ないため、遂に譲受人は適法に取得した供託物取戻請求権を行使する
ことができない結果をもたらすこととなる。この点につき、被告は、供託実務上一
般に供託者の権利の承継事実を証する書面の一部として譲渡人の印鑑証明書を添付
させていると主張しているのであるが、民法の規定した債権譲渡の原則を修正する
ような特別の債権譲渡方試を要求する慣行は、これを許容することができないもの
である。ただ、前示の如く、債権譲渡証書の紙質、筆蹟、印影、記載形式及び内容
自体に照らして、その証書の成立を疑うに足りる合理的な事実の存する場合は、か
かる疑わしき譲渡証書を受領した譲受人の責任として、供託官は譲渡証書の信憑性
を担保する為譲受人に対して譲渡人の印鑑証明書の添付を求めることができ、譲受
人もこれを添付せずしては取戻請求権を行使することができないものと解するのが
相当である。
4、そこで、原告が添付書類として提出した除籍謄本、戸籍謄本(甲第二号証、第
三号証の一ないし三)、債権譲渡証(甲第四号証)に照らすと、債権譲渡人四名は
いずれも供託者亡Aの妻及び子であるところ、右譲渡証の紙質、筆蹟、記載形式、
記載内容に不信を抱かねばならぬ程の瑕疵がなく、その末尾に記載された譲渡人四
名の各名下の印影も概ね正規の印判による印影と窺われ、いわゆる三文判により顕
出された印影とは認めがたく、加うるに、原告が本件供託書正本を添付提出してい
る事実を併せ考えれば、右の譲渡証の真実性を疑うに足りる合理的な事由ありとは
云いがたい。従つて供託官が従前の慣行に従い慢然として原告に対し、譲渡人らの
印鑑証明書の添付を求めたのは失当であり、その添付のないことを理由として原告
の供託金取戻請求を却下したことは違法と云わなければならない。
三、以上のような次第であるから、被告の本件却下処分の取消を求める原告の本訴
請求は正当と云うべきである。
よつて原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して
主文のとおり判決する。
(別紙)
被告の主張
一、供託官の審査権限の範囲
供託官の審査権限については、供託規則二八条に「供託官は、供託金の払渡の請求
を理由があると認めるときは、」と定め、あるいは同規則三八条に「供託官
は、・・・・・・第二二条第一項(注供託物の還付、取戻)・・・・・・の申立を
理由がないと認めるときは」とそれぞれ抽象的に定めているのみで、審査権限の範
囲に関する一般的な規定は存しない。しかし、供託官が供託物の還付又は取戻によ
る払渡をなすにあたつては、その提出された書面によつて法定の形式上、実体上の
一切の要件を審査して、その払渡をすべきか否かを決すべきものであり、特にその
払渡を請求する者の権利の存否、すなわち実体上の要件については供託物払渡請求
書の記載及びこれを証する書面その他の添付書類を通じてこれを審査し、これらの
書類自体によつて払渡請求権の存否が認められず、又は払渡請求を妨げるべき事由
の存在が認められるときは右払渡処分をなすべきでないのはいうまでもなく、この
ような意味において、供託官は形式的な審査権限を有するにとどまるものである。
二、本件却下処分の適法性
(一) 供託物の取戻をしようとする者は、供託規則二二条所定の供託物払渡請求
書に同規則二五条にしたがい、供託書正本、供託の原因が消滅したことまたは供託
が錯誤によつたことを事由として取戻をしようとするときは、その事実を証する書
面、請求者が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面を添付し
なければならないものとされている。
しかして、本件供託金取戻請求は、訴外A死亡後同人の相続人らがこれを承継した
のち、原告が右取戻請求権を譲受けたというのであるから、原告は本件取戻請求に
あたり「供託者の権利の承継事実を証する書面」の添付を要するところ、その書面
の一部である譲渡人らの印鑑の証明書の添付がないため、被告は供託規則三八条に
基づき原告の供託金取戻の申立を理由がないと認めこれを却下したものである。
(二) 供託金払渡請求権の譲受人から払渡請求がたされた場合において、供託実
務上は一般に、当該取戻請求書に「供託者の権利の承継事実を証する書面」の一部
として譲渡人の印鑑の証明書を添付させているが、これは譲受けがあつたことを証
する書面の真正を担保させるため必要があるからである。すなわち、債権譲渡証書
が真正に作成されたものであつたとしても、実際的には、譲渡証書に譲渡人の押印
のないもの、あるいは三文判ないし類似の印鑑を押印したもの等があり、加えて供
託官は譲渡人と面識すら有しないから、供託官は当該譲渡証書が譲渡人の真正に作
成したものかどうか形式上判別が困難である。のみならず、供託官は譲渡人等関係
者を審議することも許されない。
かくては、債権譲渡を仮装した虚偽の供託取戻請求のなされるおそれがあり、形式
的審査権限しか有しない供託官としては取戻請求者が実体上当該供託物の払渡を求
めうべき権利を有することを判断することはできない。したがつて、供託金取戻請
求権の承継が債権譲渡の方法によるときは、特に当該債権譲渡証書が私文書である
ことにかんがみ、形式上同譲渡証書が譲渡人の意思に基づいたものであるかどうか
を明らかにしておく必要がある。そこで、市町村で行なう印鑑の証明制度が一人に
つき一個の印鑑に限り登録を認め、かつ、印鑑所持本人以外の者に対しては原則と
して印鑑の証明に応じない特異性に着目し、通常譲渡証書に押印の印鑑の証明書を
提出した場合においては、当該譲渡証書が譲渡人の意思に基づいたものであると形
式上判断しているものであり、いわゆる供託官の形式的審査権限を超え取戻請求の
基礎となる実質的権利承継の存否をも判断しようとしたものではない。ちなみに、
相続を証する戸籍抄本は公文書であるからその信憑力が高い反面、譲渡証書のごと
き私文書にあつてはその書面が真正に作成されたものであるかどうかについての信
憑力が少ないことは経験則上明らかであろう(民訴三二三条・同三二六条・不動産
登記法施行規則四二条五項・供託規則二六条三項一号参照)。
したがつて、被告か原告の本件供託金取戻請求に対してなした却下決定には何らの
違法はないから、原告の主張は失当であり、棄却されるべきである。

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