弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

       主   文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
この判決に対する上告についての附加期間を九〇日と定める。
       事   実
第一 当事者の求めた裁判
 原告は、「特許庁が同庁昭和五五年補正審判第二三号事件について昭和五五年一
一月一一日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を
求め、被告は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。
第二 当事者の主張
(原告の請求の原因)
一 特許庁における手続の経緯
 原告は、名称を「拡散ボンデイングプロセス」とする発明(以下「本願発明」と
いう。)について、一九七一年(昭和四六年)四月一日にアメリカ合衆国において
した特許出願(米国における出願番号第一三〇一四九号。以下「米国原出願」とい
い、この出願に提出された明細書を「米国出願明細書」という。)に基づく優先権
を主張して、昭和四七年三月三一日、同年特許願第三二五二二号をもつて特許出願
をしたものであるところ、昭和五四年七月二五日、右出願の願書に添付した明細書
(以下「本願明細書」という。)についてその一部を補正するため手続補正書を提
出した(以下この補正を「本件補正」という。)が、同年一二月一八日、本件補正
を却下するとの決定があつたので、昭和五五年三月一二日、これに対して審判を請
求し、昭和五五年補正審判第二三号事件として審理された結果、同年一一月一一
日、本件審判の請求は成り立たないとの審決があり、その謄本は、出訴のための附
加期間を三か月と定めたうえ、同月二九日、原告に対し送達された。
二 本願明細書の特許請求の範囲の記載
 γーγ′の高強度のニツケルベーススーパー合金に対する拡散ボンデイングプロ
セスにおいて、接合されるスーパー合金の組成と実質的に一致するがアルミ、チタ
ン及び炭素は実質的に除かれ、臭素が融点低下剤として約五%まで存在する組成を
有し、約一〇五四℃より高く且つスーパー合金のγ′Solvus温度範囲内にあ
る融点を有する中間層合金を用意し、
該中間層合金を〇・〇〇一二七~〇・〇一二七cmの厚さで接合されるべき表面間
にそれぞれの面を密接して保つに十分な力を加えてはさみ、前記はさまれたアセン
ブリを中間層合金の融点より高い温度に加熱し、拡散によるジヨイントの等温的固
化が起こるまでアセンブリを前記温度に保ち、ジヨイント領域に均質性を与えるた
めにアセンブリを拡散熱処理することよりなる拡散ボンデイングプロセス。
三 本件補正の内容
 本願明細書について、特許請求の範囲の欄における「臭素」の記載(一個所)及
び発明の詳細な説明の欄における「臭素」の記載の全て(計一三個所)を、いずれ
も「硼素」と補正する。
四 審決理由の要旨
 本件補正の内容は前項のとおりである。
 そこで検討するに、本願明細書には、臭素が本願発明に用いられる中間層合金の
必須の構成成分として記載されているが、硼素が右中間層合金の必須の構成分とな
ることについては何も記載されていない。また、本願明細書中に引用されている文
献(本願明細書の四頁及び五頁に記載されている米国特許明細書及び英国溶接ジヤ
ーナル誌)に臭素に関する記載のないことは認められるが、合金を構成する合金成
分は多数あるから、右各文献に臭素に関する記載のないことをもつて、直ちに、本
願発明における「臭素」が正しくは多数ある合金成分のうちの「硼素」の誤記であ
るとする根拠とすることはできない。そして、合金においては、その必須の構成成
分を、願書に最初に添付した明細書及び図面に開示されていない成分で変更するこ
とは、明細書の要旨を変更するものと認められるから、本願発明に用いられる中間
層合金の必須の構成成分としていた「臭素」を本願明細書に開示されていなかつた
「硼素」に補正することは、明細書の要旨を変更するものと認める。
 請求人(原告)は、本件補正は、優先権証明書として差し出した米国出願明細書
中の「boron」を誤訳していたものを補正するものである旨主張するが、優先
権主張の証明書として提出した米国出願明細書は、出願手続上、優先権の有無につ
いての資料となるだけであつて、
本願の願書に最初に添付された明細書と認めることはできないから、優先権主張の
証明書として提出した米国出願明細書の翻訳に誤訳があつたとしても、この誤訳は
本願明細書の誤記にあたるものとは認められず、本願発明における「臭素」が「硼
素」の誤記であるとする根拠にはなりえない。
 よつて、本件補正はこれを却下すべきものである。
五 審決の取消事由
 本件補正は、次のとおり明細書の要旨を変更するものではなく、単なる誤記を補
正しようとするものであるから、これを許すべきものであるのに、これを却下すべ
きものとした審決には判断を誤つた違法がある。
1 本願明細書と本願の優先権主張の基礎となつている米国出願明細書とを対比す
れば、本願明細書中の「臭素」の記載は、米国出願明細書中の「boron」の語
を、正しくは「硼素」と翻訳すべきものを、英語「bromine」の訳語に該る
「臭素」と誤訳したことに基づくことが明らかである。このような場合には、本願
明細書中の「臭素」の記載を「硼素」と補正することは、明細書の要旨を変更する
ものではなく、単なる誤記を訂正するものとして、許されるべきものである。
(一) 審決は、右の点に関し、優先権証明書として提出された米国出願明細書は
優先権の有無についての判断資料となるにすぎない旨の判断を示しているが、本件
においては、誤記と認めるべき客観的状況が存するかどうかを問題とすべきなので
あつて、米国出願明細書を、客観的に存在する資料として、本願明細書中の「臭
素」の記載が「硼素」の誤記であると認められるか否かの判断資料の一つとするこ
とは、なんらこれを妨げる理由はないものというべきである。
(二) また、右のように解することが、実質的に考察しても、健全な社会常識、
衡平の観念に合致し、本来の特許行政の理念に沿うものである。すなわち、本願発
明については、本願明細書において本来の正確な訳語である「硼素」の語が用いら
れていたとするならば、発明者が意図したとおりの発明としてこれが特許に値する
かどうかの審査を受けることができたものであるのに、本件補正が許されないとす
れば、
たまたま誤訳があつたとの一事をもつて、右の審査を受けることもないまま葬り去
られることとなる。その結果として第三者が反射的に利益を受けることがあるけれ
ども、これを具体的に考察すれば、それは決して正当視できるものでない。例え
ば、後願があつてその発明に特許がされるという場合であれば、後願の出願人は、
他人の過誤に乗じて利益を得るものであり、健全な社会常識に照らしても、正当に
保護されるべきものに対して法的保護が与えられる結果とは到底いいえないところ
であり、むしろ先願としての本願について誤記の補正を許したうえで審査を受けさ
せることが道理にかなうものである。また、後願がないまま本願発明の技術が一般
に公開されて社会公衆の共有財産に帰するという場合であれば、せつかくの発明も
これにみあう報酬を得ないまま無償で社会に放出させられることになり、発明者の
一方的犠牲のうえに社会公衆一般への奉仕が強いられるものとして、社会衡平の観
念に著しく反する結果になるものというべきである。以上のような不都合な結果を
回避するためには、誤記があることが明らかな場合に、その誤記の補正を許したう
えで本来意図されていたとおりの発明について審査を受けさせる以外の手段はな
い。もつとも、誤記の補正の名の下に、本来未完成の発明を完成した発明とするよ
うなことは、制度を悪用するものとして排斥されなければならないけれど、本件の
ように、優先権証明書として提出された米国出願明細書と照合することによつて容
易に誤記であることが確認できる場合には、誤記の補正を認めてもなんら弊害は生
じないのである。誤記であることを確認できる資料が存在する本件のような場合
は、審査を受ける機会を与える措置をとることこそ、本来の特許行政の理念に沿つ
たあり方というべきである。
2 仮に右1の主張が認められないとしても、本願明細書を当業者が読めば、そこ
に「臭素」と記載されているものは全て「硼素」の誤記であることを容易に認識で
きるものであるから、本件補正は単に誤記を訂正するものとして許されるべきであ
る。
(一) 本件補正が誤記の訂正として許される範囲に属するかどうかの判断にあた
つては、補正前の「臭素」の記載が正しいとすれば、本願明細書の記述中に矛盾が
生じ、あるいはありえないことが記述される結果とならないかどどうか、また、補
正前の記載を前提として当業者が明細書の文意を理解できるかどうか等の観点から
考察することが必要であり、補正によつて明細書の全体を右のような矛盾を生じる
ことなく整合的に理解できるようになる場合には、その補正は単に誤記を訂正する
ものとして許されるべきものである。
(二) そこで、補正前の「臭素」の記載が正しいものとして本願明細書を読め
ば、本願発明においては、臭素を融点低下剤として用いることになるが、このよう
なことはありえないことである。すなわち、臭素はハロゲンの一つであるが、ハロ
ゲン化合物は一般に高温採用技術における超合金に対して非常に腐食的であるこ
と、臭素は、その固体状態においても、液体状態においても、遷移金属において溶
解性があるとは考えられないこと、臭素と遷移金属との化合物である臭化物は、機
械特性に有害であること、臭素を用いても本願発明が期待している融点低下の効果
を生じないこと、元素としての臭素の沸点は摂氏六〇度であり、非常に高い蒸気圧
を有するから、本願明細書に示された結合条件では不安定であつて使用にたえない
ことなどからみて、本願発明において臭素を融点低下剤として使用することがあり
えないことであるのは明らかである。このことは、東京工業大学教授【A】の鑑定
書(甲第九号証。以下「【A】鑑定書」という。)に示された、臭素は、ニツケル
基超耐熱合金及びこれと類似の組成を持つ拡散ボンデイング用中間層合金の構成元
素としては、常識的に全く考えられない元素である旨の記述によつても裏付けられ
るところである。
 更に、右のとおり、本願発明のプロセスに臭素を使用することはありえないこと
であるから、本願明細書の「臭素」の記載は当業者の常識に全く反することにな
る。したがつて、この記載が正しいものとすれば、
本願明細書中に臭素を組成の一つとする合金の製造法が具体的に開示されているの
でなければ、当業者は本願明細書の文意を理解できないものである。しかるに、本
願明細書には、臭素を使用することについての理由も、そのための技術手段につい
ても、なんらこれを開示する記述はないのであつて、このことからも、本願明細書
における「臭素」の記載が誤記であることは明らかである。
(三) 次に、本出願前の技術水準について考察すると、本願明細書において引用
されている二つの外国文献、すなわち、米国特許第二七一四七六〇号明細書(甲第
四号証。以下「第一公知文献」という。)及び英国溶接ジヤーナル誌一九六二年三
月号所収のデイビーズ外による「ニモニツク九〇Ni―Cr―Co合金の拡散ボン
デイング及び圧力ろう付け」と題する論文(甲第二号証。以下「第二公知文献」と
いう。)には、融点低下剤として硼素が使用されることは記載されているけれど
も、審決が指摘するとおり、臭素に関する記述は全く存しない。
 同様に、冶金学的相線図の権威ある文献として知られているマグローヒル・ブツ
ク・カンパニー社一九五八年刊行のハンセン著「二元合金の構造」(甲第六号証。
以下「第三公知文献」という。)には、その二五六頁に硼素―ニツケル相線図が示
され、これによれば、純粋ニツケルの融点は摂氏一四五三度であり、これに約四重
量%の硼素を添加すると、融点が摂氏一一四〇度に低下することが示されている
が、右文献中に、臭素を含む冶金学的相線図に関する記載を見出すことはできな
い。また、アメリカン・ソサエテイ・オブ・メタルス刊行の「金属ハンドブツク」
の第六巻「溶接及びろう付け」(甲第七号証。以下「第四公知文献」という。)に
も、硼素を含むいくつかのろう付け組成が示されているが、超合金係合組成に関し
て臭素を使用するようなことはなにも記載されていない。
 前記【A】鑑定書の七頁一二行目ないし一六行目に、「ニツケル基耐熱合金の融
点降下元素としては、炭素、けい素及び硼素の三元素が良く知られており」と記載
されているとおり、ニツケル基耐熱合金に用いる融点低下剤は、通常、炭素、
けい素又は硼素であることが技術常識となつているものである。
(四) 以上のとおりであるから、本願明細書を当業者が読めば、その発明の詳細
な説明の項に従前技術の説明をするため用いられている「臭素」の記載(本願明細
書の四頁一二行目、五頁五行目及び同一六行目)が「硼素」の誤記であることは明
らかであるうえ、本願明細書の記載全体からみれば、本願発明は融点低下剤として
臭素を選択した点に特徴的部分があるものではなく、従前慣用の融点低下剤を使用
することを前提とする発明であるものと理解できるから、本願発明において使用さ
れるとされている「臭素」の記載も誤記であつて、通常使用される炭素、けい素又
は硼素のいずれかが本来記載されているべきものであることを容易に理解できる。
しかして、本願明細書には、右の炭素、けい素及び硼素の中から炭素及びけい素が
除外されることが記載されているから、結局、本願明細書の記載自体から、当業者
は、本願発明において用いられるとされている「臭素」の記載が「硼素」の誤記で
あることを確認できるものである。
六 よつて、本件審決は違法であるので、その取消しを求める。
(請求の原因に対する被告の認否及び反論)
一 請求の原因一ないし四の事実は認める。
二 同五の主張は争う。審決に原告主張のような違法の点はない。
1 取消事由の主張1について
 本願の優先権証明書として提出された米国出願明細書は、わが国における出願に
よる発明の開示とはなんらの関係もなく、また、本願の出願時に第三者が知り得る
ものでもないから、これをもつて客観的に存在する公知技術資料とすることはでき
ない。かかる優先権証明書を利用して本願明細書に開示されている発明を解釈する
ことはできないものである。
2 取消事由の主張2について
(一) 本願明細書には、本願発明の中間層合金の構成成分として硼素を用いるこ
とについては、なにも開示されていない。金属に他の元素を添加すると融点が降下
することは技術常識であるから、原告主張のように、本願発明において融点低下剤
として使用するものとして記載された「臭素」が実は臭素ではなくて、炭素、
けい素又は硼素のいずれかであるべきであるとする技術的根拠は存しない。また、
発明は単に公知技術によつて構成されるものとは限らないから、右の「臭素」の記
載が従前慣用の融点低下剤を指すものと理解しなければならない根拠もない。更
に、従前技術についてみても、第一ないし第四公知文献には、臭素を含まず硼素を
含むものが示されているけれども、これは本願発明の構成と直接関係を有するもの
ではない。また、右各公知文献には、硼素とともに他の成分を含むものや、硼素を
含まず他の成分を含むものが示されているところ、本願発明において、これらの多
数の成分のうちから硼素を選択し、融点低下剤をこれのみに特定する根拠はなんら
示されていない。
 したがつて、本願発明の中間層合金の構成成分として用いられているものが、多
数存在する成分のうちの硼素であると特定することは、本願明細書の記載に基づい
てはできないところであつて、本願明細書の「臭素」の記載が正しくは「硼素」の
誤記であるとすることはできない。
(二) 合金の発明は、特定した合金成分を出願当初の明細書に開示して特許出願
をすべきものであつて、当初は必須の構成成分であるとしていたものを、単なる誤
記であるとして、出願当初の明細書に開示されていない成分をなんらの根拠もなし
に任意に特定し、それで文意が通るからとして、右の任意に特定した成分に補正を
しても、かかる補正は、明細書の要旨を変更するものとして、認められるべきもの
ではない。
三 よつて、原告の本訴請求は理由がなく、棄却されるべきものである。
第三 証拠関係(省略)
       理   由
一 請求の原因一ないし四の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、審決にこれを取り消すべき違法の点が存するかどうかについて判断す
る。
1 原告の取消事由の主張1について
 パリ条約は、工業所有権の保護、規制について属地主義を採用し、各国特許独立
の原則の上に立つものであるから、同条約に基づく優先権を主張しての特許出願で
あつても、わが国における特許の成否は、
国内法による出願書類(願書並びにこれに添付される明細書及び必要な図面)によ
るべきことはいうまでもなく、右の出願に際して特許法第四三条第二項の規定によ
り提出される第一国出願の明細書は、たとえそれが願書の提出と同時に提出された
としても、わが国における出願手続上は、いわゆる優先権証明書として優先権の有
無を判断するための資料としての効力を有するものにすぎず、この提出をもつて出
願人に対しわが国において特許を得ようとしている発明の内容を開示させるとの機
能は法制上全く予定されていないのであるから、優先権証明書として提出された第
一国出願の明細書がわが国における出願書類としての明細書としての効力を有し、
あるいは、これを補足する性質を有するものでないことは明らかである(当庁昭和
五二年(行ケ)第四六号昭和五三年六月二七日言渡判決参照)。
 してみれば、原告の主張は、結局のところ、わが国での本件特許出願に際して出
願人である原告において出願の対象であると主観的に認識していた発明の内容を、
本願明細書に開示されたところのものとは別に、明細書以外のものをもつて確認で
きるところに従つて確定したうえ、両者の間に差異が存する場合には、これを明細
書の誤記として補正を許すべきことを主張するものに帰する。しかしながら、特許
出願の対象となる発明は、願書に添付した明細書及び図面の記載によつて特定され
るものであり、明細書又は図面を補正することによつて、当初出願の対象となつて
いた発明が別の発明になつてしまうものと認められるときは、その補正が当初出願
明細書又は図面の記載自体から誤記であることが明白な事項を訂正する意味での補
正である場合のほかは、その補正は明細書の要旨を変更するものとして許されない
ものといわざるを得ず、このことは、出願人の主観においては、当初から、原出願
明細書に記載された発明とは異なる発明について特許を求める意思であつたもので
あり、そのことが明細書又は図面の記載以外の優先権証明書等の証明によつて認め
られ得るとしても、同様であるところ、
優先権証明書として提出された米国出願明細書の記載により本願明細書中「臭素」
とあるのは「硼素」の誤記であることは明瞭であるから、本件補正は許されるべき
であるとする原告の主張は到底採用することができない。原告は、原告主張のよう
に解してもなんらの弊害はなく、また、その方が衡平の原則にもかなう旨をるる主
張するが、出願に際して明細書に必要な事項を記載しなかつたものが、その期待し
ていた利益を得られないということは当然であり、その結果第三者が利益を得るこ
とがあつても、それは出願人自らの過誤により招来されたものといえるから、これ
をもつて不衡平ということもできず、結局、原告の右主張は独自の見解に基づくも
のとして排斥を免れない。
2 原告の取消事由の主張2について
(一) 前示当事者間に争いのない事実及び成立について争いのない甲第二号証の
二(本願明細書)、同第一一号証によれば、本件補正は、本願明細書について、特
許請求の範囲の欄における前示のとおりの記載(原告の請求の原因の二参照)中の
「臭素」を「硼素」と補正するとともに、発明の詳細な説明の欄及び図面の簡単な
説明の欄における次のような文脈において次のとおり用いられた「臭素」の記載計
一三個所(以下該当部分の引用に際し傍点を付す。)をいずれも「硼素」と補正し
ようとするものであり、右以外には、本願明細書中に「臭素」の語は用いられてお
らず、他方、本願明細書中に「硼素」の語は全く用いられていないとの事実を認め
ることができる。
(1) 本願発明がスーパー合金に適用される拡散ボンデイングに係ることを明ら
かにしたうえ、この分野における従前のろう付けないし拡散ボンデイングの技術水
準を叙述する中にあらわれた、
① 「或るろう付け動作はもとのろう付け温度より高い再溶融温度を有するろう付
けされたジヨイントを与える程度にまでろう付け材と基体との十分な内部合金化を
可能にする。例えば臭素の如き元素がろう付け材合金中に含まれると、ろう付け材
の融点は下がる。
その後ボンデイング動作中に臭素が迅速に基体中に拡散するとジヨイントの再溶融
温度は上昇するがこれは均質な拡散ボンデイングジヨイントを与えない。この種の
技法の代表例は第一公知文献に示されている。」(本願明細書四頁八行目ないし同
一八行目)
② 「その後の開発で、ろう付け及び拡散ボンデイングプロセスの特徴が結合され
たボンデイング法が研究された。例えば第二公知文献を参照されたい。これらの開
発では、臭素、炭素又は珪素の融点低下効果及びこれらの高拡散速度が拡散ボンデ
イングプロセスにおける界面材として用いられ……」(同四頁一九行目ないし五頁
七行目)
③ 「これらの開発中に用いられた多くのろう付け用合金の式は比較的簡単な化学
式であり従つてスーパー合金を特徴づける強化機構をあまり含んでいないが、接合
されるべきベース金属合金に臭素等の融点低下剤を所望の融点を与えるに十分な量
だけ添加してなる界面合金を用いたろう付け/拡散ボンデイングの結合した方法が
他の者により開発されたことが報告されている。」(同五頁一二行目ないし同一九
行目)
(2) 従前技術の説明を終えるに際し、従前の技法によつては結局満足すべき結
果が得られなかつたことを叙述する中にあらわれた、
④ 「種々の方法を所謂高度のスーパー合金に適用することは示唆されている程に
は簡単ではない。問題の一例として、臭素、珪素、マンガン、ニオビウム、チタン
等の示唆されている種々の融点低下剤は事実中間層合金に満足な融点を与えるが、
拡散中の有害な相の形成のためにニツケルベーススーパー合金には殆んどが使用で
きない。」(同六頁二行目ないし同九行目)
(3) 従前の技法に対し、本願発明では、「特定の組成の薄い中間層合金が接合
されるべき表面間におかれる如き拡散ボンデイングプロセスが述べられる。」(同
六頁一二行目ないし同一四行目)として、先ずその概略を説明するに当たり、中間
層合金の組成についての結論を、右結論に至る理由の説明をしないままとりあえず
提示する叙述の中にあらわれた、
⑤ 「薄い(代表的には〇・〇〇一二七~〇・〇一二七cm)中間層合金は接合さ
れるべき金属の化学式と実質的に対応する化学式で表わされる。但しアルミ、チタ
ン及び炭素は例外であり、又五重量%までの十分な臭素が、金属基体が有害な効果
なしにさらされる温度まで中間層合金の融点を下げるために存在する。」(同七頁
四行目ないし同一〇行目)
(4) 本願発明を詳細に説明する中で、その「最もクリテイカルな特徴は中間層
合金の組成及び特性である。これはベース金属が有害な効果なしにさらされる温度
において融けなければならないが、組成及び厚さに関しては、固化がその温度で起
り且つ実用的な処理時間内で化学的及び微少構造的均質性が得られるようでなけれ
ばならない。」(同一〇頁一〇行目ないし同一六行目)として、本願発明における
中間層合金の組成が選ばれるに至つた理由を叙述する中にあらわれた、
⑥ 「臭素、珪素、マンガン、ニオビウム、チタン等の種々の融点低下剤が調べら
れた。これら元素のいくつかの組合せは満足な融点を有する中間層を与える。しか
し高度のニツケルベーススーパー合金では、臭素以外のすべてはジヨイント界面に
望ましくない安定相を生じる。従つてTLPボンデイングプロセス(本願発明のボ
ンデイングプロセスを指す。―本判決註。)では臭素しか用いられない。融点とそ
の後の均質化の容易さとの間に最適のバランスを得るように臭素含有量が制御され
る。全体の中間層合金の化学式に関しては、合金は接合されるベース合金に対する
化学式に密接に一致するように表わされるが、ただ望ましくない相形成問題のため
に、アルミ、チタン及び炭素は除外される。」(同一〇頁一七行目ないし同一一頁
一一行目)
(5)本願発明の実施例を説明して、その接合されるニツケルベース合金の組成を
叙述する中にあらわれた、
⑦ 「TLPボンドが次の公称組成(重量%)の加工したニツケルベース合金の二
つの表面間に作られた。一五%クロム、一八・五%コバルト、三・三%チタン、
四・三%アルミ、五%モリブデン、三%臭素、バランス量のニツケルよりなる。」
(同一一頁一七行目ないし同一二頁一行目)
⑧ 「一つのテストで、加工された合金Aが次の公称組成(重量%)を有する鋳造
された合金Bに接合された。一四%クロム、四・五%モリブデン、二%ニオビウ
ム、一%チタン、六%アルミ、〇・〇一%臭素、〇・〇八%ジルコン、バランス量
のニツケル。」(同一三頁一行目ないし同六行目)
(6) 図面の簡単な説明として、「ボンデイングの準備が整つたアセンブリ」を
図示した第一図を説明する中にあらわれた、
⑨ 「第一図は実線で示された臭素の如き容易に拡散しうる材料を含む中間層合金
が接合されるべき表面間にはさまれている図、」(同一三頁二〇行目ないし同一四
頁三行目)
(二) 右のとおり、本願明細書によれば、本願発明はニツケル基スーパー合金に
対する拡散ボンデイングプロセスを提供するものであつて、種々存する融点低下剤
の中から「臭素」を選択して、これを中間層合金の必須の構成成分とすることを発
明の眼目の一つとしているものである。しかして、本願明細書における「臭素」の
記載中、これを本願発明において融点低下剤として採用された元素を指称するもの
として使用されているものは、特許請求の範囲における「臭素」の記載のほか、前
示⑤、⑥及び⑨の部分における「臭素」の各記載であつて、これらの間において
は、⑥の部分が右「臭素」を選択した理由に関するものであり、その余は⑥の部分
に理由が記載されていることを前提として単に「臭素」が用いられることを記述し
ているにすぎず、また、右6の部分以外には、本願明細書において本願発明が「臭
素」を選択したことの理由を開示する部分はないものである。これに対し、本願明
細書における「臭素」の記載中、これを合金のろう付けないし拡散ボンデイングの
技術分野で従前から融点低下剤として使用されていた元素を指称するものとして使
用されているものは、前示①ないし④の部分における「臭素」の各記載であり、ま
た、前示⑦及び⑧の部分における「臭素」は、本願発明のプロセスを実施した事例
における接合された合金の公称組成成分の一つを指称しているものである。
 したがつて、原告の主張するとおりに、
本件補正が本願明細書の記載上明らかな誤記を単に訂正するにすぎないものとして
許されるということができるためには、当業者において本願明細書の記載に接した
ときに、本願発明において採用された元素としての「臭素」の記載、とりわけ、右
採用の理由を示した前示⑥の部分における「臭素」の記載が、正しくは「硼素」と
すべきものの誤記であるものと、本願明細書の記載に即して、容易に、しかも、他
の任意の元素ではなく「硼素」の誤記であると一義的に認識できるものであること
が必要であるというべきである。
(三) そこで、右の観点に立つて、本件補正が本願明細書上自明の誤記を単に訂
正するにすぎないものかどうかについて検討する。
 成立について争いのない甲第九号証(【A】鑑定書)によれば、臭素は、常温で
液状を呈し、沸点が摂氏五八・八度と低く揮発性が強く、また、金属研究の分野で
は合金素地の溶解用薬品として用いられるように、鋼やニツケル合金などを腐食、
溶解する作用を強く有するものであつて、このような臭素をニツケル合金中に添加
するようなことは技術常識上考えられず、仮にこれを添加する必要があるとして
も、その方法は技術的に極めて想定しにくいこと、臭素を含むニツケル合金や、ニ
ツケルと臭素との二元系平衡状態図に関する文献は相当の調査によつても発見でき
るものではないこと、そのようなことからみて、ニツケル基スーパー合金に対する
拡散ボンデイング用中間層合金に添加する融点低下剤として臭素を採用すること
は、全く技術常識に反するものであると認められる。しかして、前掲甲第二号証の
二によれば、本願明細書にも、本願発明が右のとおり技術常識に全く反して臭素を
用いたとするならば記載があつて然るべき右臭素の採用の理由や、添加方法の開示
等が一切なされていないことが認められる。しかしながら、一般に、発明は従前の
技術常識に反する技術を用いるところにも成立しうるものであり、明細書も、出願
に係る発明が従前の技術常識に反する技術を採用した点に新規性、進歩性がある旨
の記載を欠くことも往々にしてあるから、本願明細書中に、本願発明は、
ニツケル基スーパー合金に対する拡散ボンデイング用中間層合金に添加する融点低
下剤として臭素を採用した旨の記載があるからといつて、そのことから直ちに、本
願明細書に接する当業者が、本願発明において用いるとされている「臭素」の記載
が正しくは他のなんらかの成分を記すべきものを誤記したものと認識するものとい
うことはできない。
 仮に、本願明細書における右「臭素」の記載を右認定の事情から誤記ではないか
との疑念をもつて当業者が本願明細書に接するとしても、本願発明において融点低
下剤として添加される「臭素」が正しくは「硼素」とあるべきものの誤記である
と、本願明細書の記載に即して一義的に認識することはできないものというほかな
い。すなわち、前掲甲第九号証によれば、ニツケル基耐熱合金の融点低下剤として
は、炭素、けい素及び硼素がよく知られたものであることが認められるところ、前
示のとおり本願明細書中の従前技術の説明部分において、融点低下剤としての炭素
及びけい素には触れるところがありながら、硼素についてはなんらの記載がないの
は不自然であること、また、成立について争いのない甲第四号証(第一公知文
献)、同第五号証(第二公知文献)によれば、本願明細書において従前技術の例と
して引用された第一及び第二公知文献には、いずれも臭素を融点低下剤として使用
することはなんら記載されておらず、硼素を使用する技術は記載されていることが
認められることに照らせば、本願明細書に接する当業者は、その従前技術の説明部
分において用いられている「臭素」の語が、正しくは「硼素」とあるべきものの誤
記であると認識できなくはないものと認められる。しかしながら、前示⑥部分で用
いられた「臭素」の語が右のとおり「硼素」の誤記であると認識されることもあり
うる本願明細書の前示①ないし④の部分の「臭素」の語と同様「硼素」の誤記であ
るということが認識しうるものということはできず、原告の主張するように、本願
発明が採用した「臭素」は従前慣用の融点低下剤としての炭素、けい素及び硼素の
中から選ばれたとする根拠も、本願明細書中に見出すことはできない。
本願明細書の前示⑥の部分においては、なんらの限定を施すことなく、融点低下剤
として「臭素、珪素、マンガン、ニオビウム、チタン等」を調べた結果、「臭素」
以外は排斥されるに至つた旨が記載されているにすぎず、金属に他の元素を添加す
ると融点が低下することは技術常識に属するから、右の「臭素」は、たとえこれが
誤記であるとの前提に立つてみるにしても、これを特定的に「硼素」の誤記である
ものと認識しなければならないことにはならず、他に多数の元素をもつて置換して
理解することが可能であるというほかない。
(四) したがつて、本件補正が本願明細書上自明の誤記を訂正するにすぎないと
いえないことは、すでに明らかである。
3 以上のとおりであるから、本件補正は、出願当初の明細書において本願発明の
中間層合金の必須の構成成分とされていたものを、なんらそこに開示されていなか
つた別の成分をもつて置換しようとするものというほかなく、かかる補正は明細書
の要旨を変更するものとして許されないとした審決の判断は相当であり、審決に原
告主張のような違法の点はない。
三 よつて、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負
担及び上告のための附加期間の定めについて行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第
八九条、第一五八条第二項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高林克已 杉山伸顕 八田秀夫)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛