弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主    文
1 一審原告らの一審被告三井鉱山株式会社及び被控訴人国に対する各控
訴をいずれも棄却する。
2 一審被告三井鉱山株式会社の控訴に基づき,
(1) 原判決中,一審被告三井鉱山株式会社の敗訴部分を取り消す。
(2) 一審原告らの一審被告三井鉱山株式会社に対する各請求をいずれ
も棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審を通じ,すべて一審原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 一審原告ら
 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,一審原告らに対し,それ
ぞれ原判決別紙謝罪広告目録記載の広告を,西日本新聞,朝日新聞,毎日
新聞,読売新聞,日本経済新聞及び産経新聞並びに人民日報,中国青年
報,解放日報,河北日報,明報,山西日報,遼寧日報及び中国電視報の各
朝刊の全国版下段広告欄に,2段抜きで1回掲載せよ。
(2) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,原告番号1ないし14の
一審原告らに対し,それぞれ2300万円及びこれに対する
ア 原告番号1ないし8の一審原告らについては平成12年5月26日か
ら,
イ 同9ないし11の一審原告らについては同13年5月22日から,
ウ 同12ないし14の一審原告らについては同年11月15日から,
各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,原告番号15の1ないし
5の一審原告らに対し,それぞれ460万円及びこれに対する平成12年
5月26日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(当審に
おける訴訟承継に基づき変更)。
 2 一審被告会社
  (1) 原判決中,一審被告会社の敗訴部分を取り消す。
(2) 一審原告らの一審被告会社に対する各請求をいずれも棄却する。
第2 事案の概要等
1 本件事案の概要及び本件控訴に至る経緯は,次のとおりである。
(1) 本件事案の概要
  中華人民共和国の国民である原告番号1ないし15の一審原告らは,
ア 被控訴人国は,日中戦争及び太平洋戦争を遂行する過程で生じた,主
として軍需産業の重筋労働部門における労働力不足を補うため,産業界
から働きかけを受けて中国人労働者を日本国内に移入するとの政策決定
をし,
イ 一審被告会社とともに,
ウ 一審原告らを,
(ア) その意思に関わりなく日本に強制的に連行し,
(イ) 過酷な労働条件の下で,一審被告会社の田川鉱業所及び三池鉱業
所において奴隷的な労働を強制し,
(ウ) 戦後も,上記事実を
正面から認めず,証拠を隠滅する等して,一審原告らの権利行使を妨害
し,現在に至るも謝罪,慰謝料の支払等,なすべき義務を果たしてい
ない
等と主張して,
エ 被控訴人国及び一審被告会社に対し,連帯して,
(ア) 謝罪広告の掲載(第1の1(1)参照)
(イ) 並びに不法行為及び債務(保護義務)不履行に基づき,慰謝料・
弁護士費用及びこれに対する遅延損害金の支払(第1の1(2)・(3)参
照)
を求めた。
(2) 原審は,
ア 一審被告会社に対する慰謝料・弁護士費用の各一部及びこれに対する
遅延損害金の支払のみを認め(原判決主文第1項),
イ(ア) 一審被告会社に対するその余の各請求(同第2項)
 (イ) 及び被控訴人国に対する各請求(同第3項)
をいずれも棄却した。
(3) 本件控訴
 ア 一審原告らは第1の1のとおり,
 イ 一審被告会社は第1の2のとおり
それぞれ控訴した。
2 A〔15〕の訴訟承継
  A〔15〕は,当審における訴訟係属中に死亡し,相続に伴う訴訟承継が
あったので,第1の1(3)のとおり,原告番号15の1ないし5の一審原告
らは,請求の趣旨を一部変更した。
第3 前提となる基本的事実(1)
{一審原告らを含む中国人労働者が日本に移入され,一審被告会社等で
労働に従事した経緯とその概要}
 当事者間に争いがない事実,公知の事実並びに適宜掲記した証拠及び弁論の
全趣旨によれば,一審原告らを含む中国人労働者が日本に移入され,一審被告
会社等で労働に従事した経緯とその概要は,次のとおりである(おおむね,原
判決「事実及び理由」中の「第3 前提となる事実」欄(2頁20行目から8
頁19行目まで)及び「第5 認定事実」中の「1 中国人労働者移入政策の
実際」欄から「4 原告ら各自に関する事情」欄まで(39頁初行から62頁
13行目)のとおりであるが,一部用語が不統一であったり,時期的に矛盾す
ると誤解され兼ねない部分があるので,その部分を修正するとともに,判断に
必要な限度で,事実を一部付加したものである。
1 中国人労働者移入政策の背景と政策決定に至る経緯(甲1,33の1ない
し5,35ないし40,68,92ないし99,101ないし105,12
0ないし130,134,135,乙ロ16)
(1) 戦争遂行過程における労働力不足
ア 日本は,1931年(昭和6年)の満州事変,1932年の満州国建
国を経た後,1937年7月7日,廬溝橋事件をきっかけに,当時中国
全体を実効支配していた中華民国との全面戦争(以下「日中戦争」とい
う。)に突入した。
イ 日本は,1941年(昭和16年)12月8日,真珠湾攻撃をきっか
けに,アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)及びイギリスにも
宣戦布告し,太平洋戦争を開始した。
ウ 両戦争は,当初は順調に推移するかに見えたものの,日中戦争は中華
民国の領土が広大なこと等から次第に持久戦の様相を示し,また,太平
洋戦争は戦域を南方にも拡大したため,日本は,年を経るごとに兵力を
増強せざるを得なくなった。
エ そのため,日本国内では,労働力が不足するようになり,特に戦争遂
行のために重要な位置を占める軍需会社の重筋部門で労働力が枯渇する
ようになった。
(2) 政府及び企業の対応
ア 戦争は,単に兵力のみの問題ではない。これを支える大規模な軍需産
業の存在が必要である。その生産の基礎をなすのは,オートメーション
化の進んでいなかった当時においては,何より,人的労働力であった。
イ 軍需産業の側からも,資本主義である以上,いかに戦時中ではあって
も,生産をし,そこで利潤を得ることができなければ,再生産,拡大再
生産をすることはできない。したがって,安価な労働力の確保は企業に
とっても必要不可欠であった。
ウ 被控訴人国は,上記労働力不足の事態に対処するため,国内におい
て,次のとおり法制を整備する等して,戦争遂行のための戦時経済体制
を整えた。
(ア) 1938年(昭和13年)4月,「国家総動員法」を制定して
(施行日は同年5月5日),勅令により国民を徴用できること等を定
め,1939年7月,政府は「国民徴用令」を発して,国民総動員体
制を築いた。
(イ) 1941年(昭和16年)8月,同法に基づき,「重要産業団体
令」を制定して,鉄鋼,石炭等,軍需関係の重要物資を取り扱う9業
種について12の統制会を順次設立し,その業種に属する各企業をこ
れに加盟させて,経済を軍需産業にシフトさせた。
(ウ) 1943年(昭和18年)10月「軍需会社法」を,同年12月
「軍需会社徴用規則」を制定して,企業に対する国家の支配を強める
とともに,資材,資金,労働力を軍需会社に優先的に割り当てた。
エ しかし,国内の若年男子労働者は,かなりの者が戦争にかり出されて
いたため,労働力,特に重筋部門の労働力を国内在住者のみで賄うこと
は不可能であった。
オ 国は,この事態に対処するため,まず,当時植民地として支配してい
た朝鮮人の労働力を活用することとし,1939年(昭和14年),
「国家総動員法」を朝鮮人にも適用し,さらに,1942年2月(昭和
17年),「朝鮮人労務者活用に関する方策」(カタカナ表記は適宜ひ
らがな表記にする。以下同じ。)を閣議決定し,多数の朝鮮人労働者を
日本内地に移入した。
カ しかし,重筋部門における労働力不足は,これによっても解消される
ことはなかった。
(3) 中国人労働者移入政策の決定
ア 1942年(昭和17年)閣議決定に至るまでの経過
  石炭産業界その他の産業界は,早い段階から労働力不足が起こること
を見越し,外地労働力,特に中国華北地方の労働者移入を真剣に検討し
て,日本政府に政策を提案する等し,国も,これに応えて,労働事情の
調査その他,中国人労働者の内地移入に向けての具体的準備を行った。
その主な経過は次のとおりである。
(ア) 1939年,北海道土木工業連合会内外坑労働者移入組合は,厚
生,内務両大臣に対し,「支那労働者移入に関する方法並びに処遇方
案」と題する書面を提出した。
(イ) 1940年3月,国は,商工省燃料局内に,「華人労務者移入に
関する官民合同協議会」を設置し,石炭産業界における中国人労働者
の移入方策の是非について以後官民一体となって協議,検討を進める
こととした。
(ウ) 1941年8月,石炭鉱業連合会と金属産業連合会は,企画院総
裁,商工大臣及び厚生大臣にあてて,連名で,「鉱山労務根本対策意
見書」と題する文書を提出し,外地労働力の移入を具体的に提案し
た。
(エ) 1942年(昭和17年)8ないし9月,興亜院(対中国政策一
元化のために設置された機関)は,「華北労務者の対日供出に関する
件」と題する極秘文書を作成し,その内容を関連企業に説明し,華北
地方の労働者採用希望の有無を調査した。
(オ) 同年10月,財団法人土木工業協会は,「華北労務者使役に関す
る件」と題する文書を作成し,華北地方の労働力を現実に使用するこ
とを視野に入れて「移入要領」を定め,来たるべき中国人労働者移入
に向けて具体的な準備を開始した。
(カ) 同月1日,石炭統制会も,各支部に向けて「炭鉱に俘虜並に苦力
使用の件」と題する文書を発し,近い将来に中国人労働者移入が可能
になる見通しがある旨を告げ,各支部における準備を促した。
(キ)a 同年12月,企画院の主催で各官庁関係者と石炭統制会等各産
業団体の希望者が参加して「華北(北支)労働事情使節団」が組織
され,同月から翌1943年3月にかけて華北地方の労働事情の視
察と労働者の素質の調査,及び華北労工協会等中国内における関係
諸機関との協議が行われた。
 b 一審被告会社においても,田川鉱業所の労務管理課長代理が同視
察団に参加した。 
イ 1942年閣議決定
 (ア) 1942年(昭和17年)11月27日,日本政府は,「華人労
務者内地移入に関する件」と題する閣議決定(1942年閣議決定。
別紙2)を行い,中国人労働者を日本国内に移入して重筋労働部門に
おける労働力不足を補う政策を採用し,差し当たり試験的に一定数の
中国人労働者の移入を行い,その結果を見て漸次本格実施に移すこと
とした。
 (イ) 同日,企画院は,「華人労務者内地移入に関する件第三措置に基
く華北労務者内地移入実施要領」(企画院実施要領。別紙3)によ
り,試験的に移入される中国人労働者の使用条件等について具体的実
施細目を定めた。 
ウ 試験移入の結果
 (ア) 1943年(昭和18年)の4月から11月にかけて,試験移入
として,港湾荷役関係では伏木港に,石炭産業界では一審被告会社の
田川鉱業所に,合計1420人の中国人労働者を受け入れた。 
 (イ) その結果は予想以上に良好であった。
エ 1944年次官会議決定
  そこで,日本政府は,いよいよ中国人労働者を本格的に移入すること
とし,
 (ア) 1944年(昭和19年)2月28日,「華人労務者内地移入の
促進に関する件」と題する次官会議決定(1944年次官会議決定。
別紙4)を行って,
 (イ) 中国人労働者を毎年度国民動員計画に計上することとし,
 (ウ) その実施細目として「華人労務者内地移入手続」(別紙5。甲9
9)を定めた。
2 1942年閣議決定,1944年次官会議決定及び企画院実施要領等その
細目で掲げられた方策(甲33の1ないし5,甲35)
 中国人労働者移入政策の細目は,別紙2ないし5のとおりであるが,これ
を本件に関係する華北労働者及び石炭産業界を中心に概観すると,次のとお
りであった。
(1) 移入方策
ア 移入計画
(ア) 試験移入
  約1000名を契約期間1年で荷役業及び炭鉱業に配置することと
し,華北運輸会社から荷役工を,華北労工協会から炭鉱労働者を供出
させる。
(イ) 本格移入
  1944年度国民動員計画において3万名を計上し,主として華北
地方から華北労工協会の供出・あっせんのもとに,訓練を受けた元俘
虜又は元帰順兵を受け入れるほか,募集によって,これを集める。
イ 移入機構
(ア) 現地機構
  試験移入に際しては,華北労工協会がその任に当たり,本格移入に
際しては,中央の計画に基づき,大使館,現地軍及び新国民政府(華
北寄りの場合は華北労工協会)がこれに当たる。
(イ) 中央機構
 a 官庁側では,移入連絡は大東亜省が,労務の割当てと管理は軍需
省と運輸省の協議のもとに厚生省が,取締りには内務省が当たる。
 b 民間側では,華北労工協会と関係統制会がその連絡・あっせんに
当たる。
ウ 移入条件
(ア) おおむね40歳以下の心身健全な男子労働者を選抜し,一定期間
訓練を施すことを原則とする。
  なお,本格移入においては,実際の供出の可能性に配慮し,元俘虜
又は元帰順兵の移入を主目標とし,このほかに一般募集もする。
(イ) 就労期間は,第一次試験移入の際は1年間とすることが考えられ
たが,その後は原則として2年間とされた。なお,労働者は,単身で
来日する。
(ウ) 就労に当たっては,中国人の習慣に急激な変化を生ぜしめないよ
うに留意し,食事は米食とせず,中国人労働者の通常食を給する。
(エ) 労働時間及び賃金は,内地の例によるが,留守家族への送金もで
きるよう考慮して定め,家族への送金及び持帰金については原則とし
て制限を設けない。
エ 供出方法
 供出方法としては,次の4つの方法が策定された。
(ア) 行政供出
  中国側行政機関の供出命令に基づく募集で,各省,道,県,郷村へ
と,上級庁から下部機構に対し供出員数を割り当て,責任数の供出を
行わせるもの。
(イ) 訓練生供出
  日本現地軍が作戦により得た俘虜,帰順兵で,一般良民として釈放
しても差し支えないと認められた者,及び中国側地方法院において微
罪者として釈放した者を,華北労工協会において下渡しを受け,同協
会の有する各地の労工訓練所において,一定期間(約3か月),渡日
に必要な訓練をした者を供出するもの。
(ウ) 自由募集
  主要労工資源地において,条件を示して希望者を募るもの。
(エ) 特別供出
  現地において,特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機関の在
籍労働者を供出するもの。 
(2) 配置方策
 試験移入においては,荷役業及び炭鉱業に配置することとし,本格移入
においては,国民動員計画産業中の鉱山業,荷役業,国防土木建築業及び
重要工業その他特に必要と認めるものに配置する。
(3) 処遇について
ア 処遇について,中国人労働者は,気候,風土,習慣を異にする外国で
就労するものであることに意を用い,次の点に留意する。
(ア) 事業場(移入された中国人労働者の使用を認められた事業場のこ
と。以下同じ。)に到着後まず休養を与え,必要な指導訓練を施した
後,徐々に普通の労務に服させる。
(イ) 労働時間と作業内容は,日本人及び朝鮮人と比較し,過激かつ危
険にならないようにする。
(ウ) できるだけ供出時の編制を利用し,作業に関する命令は,日系指
導員及び華系責任者を通じて発し,直接は行わない。そのため,事業
場は現地から同行した日系指導員を中国人労働者の直接の責任者とし
て連絡世話に当たらせる。
(エ) 食事は米食とせず,中国人労働者の通常食を給する。
(オ) 住宅は,湿気予防に留意する。
(カ) 慰安及び娯楽施設には意を用い,適当な施策をとる。
(キ) 4大節のほか,旧正月3日及び,端午節,中秋節各1日は必ず公
休日とする。
(ク) 就労時間は日本国内の例による。
(ケ)a 賃金は,日本国内における賃金を標準とするが,日本国内と中
国現地の賃金及び物価の間に甚だしい相違がある実情を考慮し,中
国に残留している家族に対する送金及び持帰金を確保するため,必
要な措置を講じる。
 b 賃金については,その後,特に,「昭和19年度華人労務者給与
規定要綱」(1945年2月5日次官会議報告)が定められ,郷里
への送金及び持帰金を考慮し,食事の給与のほか,就業1日につき
平均5円とし,事業主としては,上記基準に従い,能率に応じて日
本における賃金統制の基準により支給し,上記の額が5円に満たな
いときは不足額を国庫において負担することとされ,1944年4
月1日にさかのぼって実施されることとされた。
イ しかし,外国人を移入するという点に留意し,逃亡防止,防諜その他
の観点から,別紙6の「移入華人労務者取締要領」を定め,次のとお
り,厳しい態度で臨むこととされた。
(ア) 移入労働者は集団的に就労させ,日本人,朝鮮人とは作業箇所を
峻別する。
(イ) 作業場においては,朝鮮人,俘虜,満州人及び中国人船員と接触
しないよう警戒する。
(ウ) 住宅は,防諜及び公安風俗上支障のない場所を選定し,朝鮮人労
働者住宅とは接近しないよう,一線を画して設置する。
(エ) 宿舎には関係者以外の出入りを禁止し,特に在留中国人との連絡
は厳断する。
(オ) 移入した中国人労働者の思想動向,経歴を十分調査し,その動静
に注意して,不穏な動きや計画の察知に努める。
(カ) 外出は団体で行うものとし,よほどやむを得ないときでない限り
個人での外出を認めない。
(キ) 通信の発受は事業者が取りまとめて行い,これを検閲する。 
(4) 送還方策
ア 2年の契約期間が満了した時は,事業場が旅費,実費を負担して,移
入労働者を集結地まで送還する。
イ 同一人を継続使用する場合は,2年経過後の適当な時期に一時帰国を
認める。
ウ 疾病その他の理由により就労を継続できない者については,中途でも
帰国させる。
3 中国人労働者の移入と就労及び処遇と送還の実際-全体の状況-
 (甲1,2の1・2,33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,
35,36,39,40,68,80ないし83の各1・2,86ないし8
8,89の1・2,92ないし96,104,105,113ないし11
6,129,131ないし133,167の1ないし32,B〔1〕・C
〔3〕・D〔4〕及びE〔10〕各本人)
 中国人労働者がどのような方法で日本に移入され,そこでどのような労働
に従事し,処遇されたかについては,終戦後間もない時期に,外務省が,中
国人労働者が実際に働いた関係事業場から報告を徴した上,調査員を派遣し
て現地調査をし,その結果をまとめた外務省報告書(甲33の1ないし5)
が存する。
 同報告書は,甲163の52等によると,1946年(昭和21年)初め
ころ,当時の中華民国当局から中国人労働者の日本における就労状況につい
て調査がなされることに備え,これに対処するため作られたものである可能
性が強く,その作成経緯から見て保身的傾向があり,完全に正確なものとは
いい難い。また,後述するとおり,実際には日本に移入されて事業場で働い
たのに,各事業場が外務省の指示に基づき作成し,提出したいわゆる事業場
報告書(甲34の1の1・2,34の2)の名簿の記載から漏れている者も
いるので,現実の数字はもっと多いのではないかとも推察される。しかし,
外務省報告書及び事業場報告書中の統計的数値は最低限の数値は明らかにし
ていると解されるから,概況は十分把握することができる。
 そこで,以下において,主として外務省報告書を中心とし,適宜他の証拠
によって修正を加えながら,中国人労働者の移入事情と就労事情の全体像を
認定していく。
(1) 実際の移入状況
ア 供出人員
(ア) 全体数
 中国人労働者は,1943年(昭和18年)4月から1945年5
月までの間,試験移入及び本格移入を合わせて,合計3万8935人
が供出された。
(イ) 地域別の人数
  地域別に見ると,華北地域が約9割の3万5778人を占め,華中
地域が2137人,満州が1020人であった。
(ウ) 華北出身者の詳細
  華北出身者について見ると,華北労工協会がその97%の3万47
17人を供出した。同協会からの供出者は,行政供出が2万4050
人(約69%),訓練生供出が1万0667人(約31%)で,自由
募集と特別供出による者はいない。
イ 中国人労働者の素質等
(ア) 年齢
a 本来の計画では,おおむね40歳以下の男子,素質優良,心身健
全な者を選抜することとし,なるべく30歳以下の独身男性を優先
的に選抜するよう努力することとされた。
b 実際には,20歳から29歳までの者が1万7044名(43.
78%)と最も多いものの,40歳以上の者も7329名と18.
82%を占め,15歳以下も157名(0.4%),70歳以上も
12名(0.03%)を数えた。
c 行政供出された労働者の年齢構成には問題が多く,最年少は11
歳,最高齢は78歳に及び,40歳以上の者が19.6%を占め,
年齢構成は非常に高かった。
(イ) 健康状態
a 特別供出及び自由募集による者はおおむね良好であった。
b 行政供出及び訓練生供出による者,特に,1944年後半以降に
行政供出の方法により供出された者は,健康状態が極めて悪く,多
くの疾患を有していた。そのため,衰弱が激しく,本邦上陸時には
辛うじて歩行できる程度の者が多数見受けられた。
(ウ) 職業・学歴
a 職業は,圧倒的に農業が多く,次いで商業が多かったが,無職者
も相当数あった。
b 学歴も,文盲の者,専門学校又は大学を卒業した者,医師の資格
を有している者など様々であった。
ウ 華北労工協会からの行政供出者に素質不良者が多かった理由
(ア) 供出方法それ自体による矛盾
a 特別供出の方法により供出された労働者は,荷役,造船等の分野
である程度の経験を有している半熟練工であった。
b 自由募集による者は,自ら応募してきたのであるから,それなり
に労働に対する能力と意欲を有していた。
c 行政供出は,とかく頭数をそろえる必要があったことから,そも
そも供出方法それ自体に,供出者の意欲や体質等に十分意を用いな
いで供出される危険があった。
(イ) 供出機関側の事情
 a 華北労工協会(1941年7月設立)の使命は,まず第1に,華
北での労働者自給と満州への供出であり,内地への供出に専念する
ことができなかった。
 b 地域に根を張った労働者募集組織を有しておらず,業務の中心は
中央において労働者の割当てその他の事務をすることであって,募
集能力も高くなかった。
(ウ) 支配地域の縮小
  加えて,1943,4年ころには,連合国の対日反攻にも助けられ
て八路軍が華北で抗日根拠区を拡大することに成功し,華北での日本
軍の支配地域が20%程度に狭まり,これに伴って,華北労工協会が
活動できる区域も縮小の一途をたどっていた。
(エ) 当時の華北地方の経済状況
  華北では,1941,2年ころ,インフレが進行し,農民の出稼意
欲は極端に冷え込んでいた。その結果,自由募集に応じる者はほとん
どおらず,一定人数の供出者を確保するには,行政供出の方法に頼ら
ざるを得なかった。
(オ) まとめ
 a 以上の結果,華北労工協会では,1944年1月に同年の供出労
働者総数を85万人と計画したが,実際に供出できた労働者は,1
年間で44万2000人にとどまった。
 b しかし,内地への労働者供出は国民総動員計画の一環として定め
られたものであるから,計画人数はどうしても守る必要があった。
 c そこで,華北労工協会は,日本軍の協力も得て,行政供出の人数
確保に努力することとなった。
 d このようにして,本人の意思を問うことなく,とかく供出人数を
確保することが第1目的と化したため,華北労工協会から行政供出
の方法によって供出された労働者の質は,他と比べて劣ることとな
らざるを得なかった。
エ 訓練
 (ア)a 外務省は,外務省報告書を作成するに当たり,中国に人を派遣
する等して調査をすることをしていない。
  b 同報告書は,中国人労働者が故国へ送還された後に作成されたも
のであって,実際に働いた中国人に対して調査が行われているわけ
でもない。
  c したがって,日本政府が当初立てた計画では,中国人労働者は,
移入に先立ち,できる限り,一定期間(華人労務者内地移入手続で
は1か月以内)現地の適当な機関において必要な訓練をすべきこと
とされていたものの,実際に現地でどのような訓練がされたのか,
あるいはされなかったのかについては,これを知る十分な証拠がな
い。
 (イ)a 当時,日本は太平洋戦争遂行過程で保有する船舶の数が減り,
いつ乗船できるか綿密な予定を立てることができなかったので,船
待ち期間の予定が立たず,訓練所での生活の期間もこれに左右さ
れ,計画的な訓練をすることはそもそも困難な状況にあった。
b 既述のとおり,移入された中国人労働者の中には,本邦上陸時点
で既に健康を害している者も多く,そのことは,現地における待遇
が相当に悪く,訓練どころではなかった事情を推測させる。
c① 一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書(甲41ないし
49,85ないし88,91,113ないし116,167の1
ないし32)には,一部に船待ち中に駆け足訓練をさせられた等
の記載があるものの,その大半には組織的な訓練を受けたことを
示す記載がない。
 ② それどころか,大半の者は,乗船前には日本に行くことをきち
んと知らされていなかったとの記載になっている。
 ③ だとすると,その他の移入労働者も日本行きをきちんと知らさ
れていなかった可能性が強く,そのような状態で適切な就労前訓
練がされたとは考え難い。
d 外務省報告書中の「華人労務者移入・配置及送還表」(別表1は
そのうち田川鉱業所や三池鉱業所の状況を抜き刷りしたもの。甲3
5-278頁以下)には,訓練地の記載のない移送集団が数多くあ
る。
 (ウ) 以上によれば,全体の状況として,日本に向かう前に現地で適切
な訓練が行われたとは認め難い。
オ 輸送
(ア)a 既述のとおり,当時,日本は,船舶事情が逼迫していた。
 b その結果,中国人労働者の輸送については,船待ちの予定がつか
ず,食糧その他の準備が不十分のまま急きょ乗船せざるを得なくな
ったり,逆に,予定以上に船待ちをして,乗船前から備蓄食糧が不
足してしまったりすることがままあった。
(イ)a 公海はすべて戦場であり,航海は大変な危険を伴ったことか
ら,輸送期間も見通しが立たず,一応は10日以内の航海が予定さ
れ,速いものでは4日で日本に到着した船もあったが,集団輸送1
69件中,48件は10日から19日の航海を要し,20日以上か
かったものが6件,30日以上かかったものも3件あり,最高で3
9日を要した。
 b 長期間の航海はそれ自体が中国人労働者の健康に悪影響を与えた
ほか,そのような船舶では,航海途中に飲料水や食糧が欠乏するこ
とが度々あった。
(ウ) そのほか,通常の航海においても,慢性的な食糧事情の悪さ(な
いしは中国人軽視)から,食糧,特に白麺には,砂のような不純物が
混入することがあった。
(エ)a 航海には本来客船を使用することが予定されていたが,大陸か
らは,石炭,塩等多量の原料を輸入しており,その要請も充足する
必要があった。
 b そこで,航海には貨物船が利用されることも多く,その場合に
は,移入労働者は長期間,船倉内の石炭,塩,鉱石等の上に寝起き
しなければならず,衛生上多大の問題があった。
(オ) 最初のうちは船上輸送に医師の付添いがあったが,後半はその付
添いもなくなった。
(カ) 中国人労働者は,上陸後直ちに配置先の事業場まで長時間汽車等
による輸送を受けた。
(キ) 以上の諸事情から,輸送は中国人労働者の健康を大いに損ね,
 a 3万8935人の乗船人数に対し,船中において564人(1.
5%),事業場到着前において248人(0.6%),合計812
人が死亡し,
 b 日本には到着したものの,その時点で既に健康を損ね,疾患を有
していたり,衰弱が甚だしい者も多く,事業場到着後3か月以内に
死亡した者の数は2282人(5.86%)の多きを数えた。
(2) 配置事情
ア 1943年(昭和18年)4月に最初の試験移入が行われて以来,輸
送途上で死亡した者を含め,3万8935人の中国人労働者が,35事
業者,135事業場に配置された。
イ これを,産業別業者,事業場及び移入業者別にみると次のとおりであ
る。
          業者数      事業場数      移入数
鉱山業       15        47   16,368
土木建築業     15        63   15,253
造船業        4         4    1,215
港湾荷役業      1        21    6,099
合計        35       135   38,935
ウ 一審被告会社には,10の事業場に5517人の中国人労働者が配置
され,その数は,日本港運業会に次ぎ,2番目に多かった。
(3) 就労事情
ア 中国人労働者は,先に認定したとおり,鉱業会社,土建会社,造船会
社及び港運業界に配置されたが,一部の経験者を除き,その作業内容
は,物の運搬その他土木補助的労務が大部分であった。
イ 元来の素質に輸送途中の疲労が加わり,事業場到着時には,疾病を有
していたり,虚弱となって就労に耐え得なくなった者も多く,実際の就
労人員は約74%にとどまった。
ウ 平均在留日数は271日であるが,疾病その他により就労できない期
間も多く,平均実労働日数は217日で,稼働日数も約80%にとどま
った。
(4) 処遇の実情
ア 各事業場から提出された事業場報告書は,作成された経緯を反映して
保身的な内容のものが多く,これをまとめた外務省報告書の内容は,す
べてを真実と認められるかどうかは疑わしい。
イ しかし,外務省報告書によっても,実際の処遇は,次のとおりであ
り,その実情は,処遇に当たっては,中国人労働者の民族性,慣行を十
分尊重する,労働条件については日本人及び朝鮮人と差異を生じること
がないよう平等に取り扱うという本来予定された理念(2(3)ア参照)
とは相当にかけ離れたものであった。
 (ア) 食糧
  a 戦時下においては,日本国内全体において食糧その他諸物資が不
足していた。
  b 中国人労働者には,平均して1日2500キロカロリー前後が支
給されたとみられるが,食用油,獣肉の支給の点を含めて考えれ
ば,中国人の通常食としては,十分ということはできず,重筋労働
を行う労働者に対するものとしても到底足りないものであった。
  c 冬季には生鮮野菜が不足し,ビタミン類の欠乏を招く傾向がみら
れた。
  d ごく一部には,食糧の横流しにより栄養状態に支障を生じた事例
もあった。
 (イ) 衣料
 衣料の支給も十分とはいえず,地下足袋等の支給が遅れたことによ
り,凍傷にかかる者があった。
(ウ) 住宅
a 宿舎は,中国人労働者のために特設したものが多く,135事業
場のうち67を占めたが,それまであった宿舎を改造,転用した例
もあった。
b 居室は1人当たり平均0.63坪で,畳敷のものが45%,アン
ペラ敷のものが27%,その他ゴザ敷,板敷のものがあった。
c しかし,逃走防止のため,窓等は少なく,通風採光は十分とはい
えず,移入労働者が現地で暮らしていた当時の住居と比べると悪い
とはいえないものの,全体として設備は十分ともいい難かった。
(エ) 医療衛生
 a 戦時下で全般に医師,薬品その他衛生材料が不足がちであった
が,附属病院や専門の医師がいる事業場もあり,設備としては,大
きな問題はなかった。
 b ただし,現実にどの程度医師の診療を受けていたかとなると,死
亡者数に比して受診者数が極めて少ない事業場もあり,医療に対す
る事業場側の措置に問題がないとまではいうことができないもので
あった。
(オ) 労働時間
 1日当たり平均9ないし10時間の事業場もあったが,実労働時間
はおおむね7時間以内であり,時間に関しては,無茶な労働強制はな
かった。
(カ) 指導取締り
a 敵国人を使用するという性質上,防諜及び逃走防止の観点から,
2(3)イに従い,厳重な取締りが行われた。
b 外務省報告書には戦後になると多くの事業場でそれまでの不満等
を原因として暴動が多発したことが報告されている。これからすれ
ば,戦前,警察当局は相当峻厳に取締りを行ったこと,各事業場で
も厳しい指導,生活規制が行われたことが推測される。
(キ) その他
 a 末端においては,中国人責任者に私刑を行わせたり,食糧その他
の支給品を減配,横流しする等,不正常な事態も散見された。
 b 異民族の労働者を取り扱うことに不慣れであったこと等から,関
係が適切を欠き,それが原因で虐待等が行われた事例もあった。
 c 概して,中国人労働者には処遇についての不満が大きく,どの事
業場でも逃亡は何度も起こっており,秋田の花岡鉱山では,日頃の
取扱いへの不満が爆発し,数十名が監視者を殺害の上,集団で逃走
する等,戦時中でも集団的な暴動,紛争に発展した事例(以下「花
岡事件」という。)もあった。
(5) 死亡と疾病に関する事情
 ア 死亡人数
  供出された中国人労働者の総数は3万8935人であったが,そのう
ち,812人が事業場に到着するまで,5999人が事業場において,
19人が終戦後送還前に死亡した(総計6830人)。これは移入中国
人労働者総数の17.5%を占めている。平均在留日数がわずか271
日であること,移入された労働者の中心は20代ないし30代の青年男
子であったことを考えると,これは相当に高い数値である。
イ 供出機関との関連
 (ア) 供出機関別では,華中の日華労務協会からの自由募集により来日
した労働者の死亡率が24.4%と最も高い死亡率を示している。そ
のほかはおおむね5%前後であり,唯一,華北労工協会のみが18.
3%と高い死亡率となっている。
 (イ) ところで,日華労務協会から供出された者の死亡はその大半(8
7.36%)が事業場到着後3か月経過後の死亡であるから,これは
事業場の側に問題があるというべきであり,死亡に同協会の労働者選
別の在り方ないし輸送前の待遇がかかわっていたとは考え難い。
 (ウ) これに対し,華北労務協会から供出された労働者は,輸送中ない
し事業場到着後3か月以内の死亡者が他の供出機関の者に比べて圧倒
的に多い。具体的には,事業場到着前の死亡者は合計812人である
が,そのうち華北労工協会からの供出者は804人であり,事業場到
着後3か月以内の死亡者は合計2282人であるが,そのうち華北労
工協会からの供出者は2211人である。
 (エ) なお,華北労工協会から供出された者のうちでも,供出方法別で
は行政供出の者に,供出時期としては1944年後半以降に供出され
た者に,年齢別では中年以上の者に,死亡率が高い傾向が認められ
た。
 (オ) 以上によれば,華北労工協会からの供出,特に,1944年後半
以降の行政供出は,一定数の供出を確保するため,労働者の素質を十
分検討せずにとかく頭数をそろえたり,乗船前の待遇も適切を欠く
等,相当問題があったことが窺われる。
ウ 死亡原因
(ア) 総死亡者数6830人のうち,疾病死は6434人(94.2
%),傷害死は322人(4.7%),その他自殺者が41人及び他
殺者が33人であった。疾病死中,船中において死亡し,病名不詳の
者は583人,一般疾病による者は3889人,伝染病又は伝染性疾
患による者は1962人であった。
(イ)a これを病種別に見ると,一般疾病においてはほとんど呼吸器病
及び消化器病であって,前者は1271人,後者は1180人であ
る。呼吸器病中では肺炎が圧倒的多数を占めて976人に上り,気
管支炎が187人でこれに次ぎ,消化器病は胃炎及び腸炎が954
人である。伝染病又は伝染性疾患では大腸カタルが最も多く662
人,肺結核が360人,赤痢,敗血症,肺浸潤及び肋膜炎がこれに
次いで多い。
 b 以上によれば,疾病による死亡の原因は,生来の病気というより
は,疲労,衰弱及び衛生状態の不良がその原因であることが窺われ
る。
(ウ) 傷害死のうち,公傷死は267人,私傷死は55人である。公傷
死のほとんどは,炭坑及び発電所の建設作業に従事していた者で,原
因は落盤,落石,側壁崩壊及びガス爆発によるものが多かった。私傷
死55人中35人は戦災死であって,渡船転覆の事故による者も10
人を数えた。
エ 疾病,傷害及び不具廃疾
 (ア) 員数
   輸送中又は事業所内において疾病を被った者の数は5万8954人
(うち重症は4万4288人),傷害を負った者の数は6778人
(うち重症は1448人),疾病又は傷害により不具廃疾となった者
の数は467人である。
 (イ) 内訳と不具廃疾の程度
  a 不具廃疾となった者のうちでは,失明が圧倒的に多く,217人
を数え,46.4%を占めた。次いで,16.9%に当たる79人
に視力障害が生じた。
  b 肢指欠損又はその機能障害は合計162人を数え,34.6%に
及んだ。そのうち,153人は全く労働能力を失い,残りの9人も
過激な労働には耐えられないようになった。
 (ウ) 評価
   平均在留日数がわずか271日であること,移入された労働者の中
心は最も壮健な年齢層である20代ないし30代の青年男子であった
ことを考えると,当時の中国では衛生観念が日本より発達していなか
ったことを考慮しても,疾病,傷害及び不具廃疾者の数は相当に高い
数値である。
(6) 送還に関する事情
ア 終戦前の送還
 (ア) 本格供出は1944年(昭和19年)から開始されたため,1年
の契約期間で試験移入され,その期間が満了した者が一部あるもの
の,契約期間の2年を満了した者はごく少なかった。
 (イ) しかし,1年ないし2年の契約期間を終えた試験移入者について
もそのまま継続使用した例が多く,終戦前に期間満了により送還した
集団は5つにとどまり,健康上の理由等で就労不能となった者を送還
したのも1回にとどまった。
イ 終戦後の送還
(ア) 戦争終結
 日本は,1945年(昭和20年)8月14日,ポツダム宣言を受
諾し,翌15日,太平洋戦争は終結した。
(イ) 華人労務者の取扱いの件
 日本政府は,同月17日,内務省主管防諜委員会幹事会を開き,中
国人労働者全員を帰国させることを基本方針とする「華人労務者の取
扱の件」を決定し,一審被告会社を含む135の事業主が中国人労働
者に対して差し当たり採るべき措置を次のとおり定めた(甲35-3
93頁)。
a 作業続行を中止し,現在地において保護収容する。
b 中国人労働者に対して,契約による賃金,衣食を給し,可及的に
処遇改善を図る。
c 中国人労働者に対する危害,暴行を厳に戒め,傷病者の看護に意
を用いる。
d 犯罪容疑をもって留置取調中の者は釈放する。
e 食糧も,米,油,肉を支給するなど改善に努める。
(ウ) 戦後における送還
  中国人労働者は,同年10月ころから,新潟,博多,室蘭,長崎等
の港を出発地として,日本船により1万0924人が,米軍の上陸用
船艇により1万9686人が,集団で中国に送還され,127人が個
人で帰国した。
  その結果,同年12月7日までには集団送還が終わり,翌1946
年1月末には個人送還も完了した。
ウ 残留者
  1946年2月末時点でなお日本に残留している中国人労働者は18
8人であった。うち100人は入院やその付添い,希望残留等であった
が,88人は途中で逃亡した者等であり,その所在が不明であった(そ
の中に,後記する(第5の2(2)参照)Fがいた。)。 
エ 賃金等について
(ア) 華人労務者帰国取扱要領
  日本国政府は,終戦後間もなく,「華人労務者帰国取扱要領」(甲
35-369頁以下)を策定し,帰国する中国人労働者の労働条件に
関する各事業場の義務等について,次のとおり定めた。
 a 契約期間と休業手当
  ① 1945年8月15日現在の雇用主は労働者が帰国するまで雇
用契約を継続し,この間の給与は従前どおり支給する。
  ② 就労しない場合の休業手当は,上記同日前3か月間の平均月収
に相当する額の6割以上(その日額が3円に達しないときは3
円)とする。この休業手当については国家補償の方途を講じるこ
ともある。
 b 賃金等に関する雇用主の義務
  ① 帰国に際して,雇用主は契約上の義務を完全に履行し,保管中
の貯金の返還その他の清算を完結する。
  ② 雇用主は,契約上の義務を履行するほか,手当,賞与など可及
的に優遇の方途を講じる。
  ③ 給与の支給に当たっては,可及的に現物によるよう努める。
 c 持参金に関する措置
  ① 帰国に際し持参金は換金を行う。
  ② 貨幣換算率は,北支では51倍,中支では71倍とし,上陸地
において指定銀行で両替をすることができる。
 d 監査
 上記各事項の実施については,外務省,内務省,厚生省,運輸
省,華北労工協会などが必要な監査を行なう。
(イ) 華人労務者送金要綱
  日本政府は,さらに,具体的な持参金の送金要領につき,次のとお
り「華人労務者送金要綱」(甲35-373頁以下)を策定した。
a 中国人労働者の持帰金は,雇用主が一括して所属統制会あてに送
金する。
b 統制会は,送金を受けた金額を正金銀行で?銀券建送金為替に組
み,為替受取人を北京日本大使館あてとし,その為替を中国人労働
者が帰国する船に同行する監督者に持参させる。
c 雇用主に自己の持帰金を預けた個々の中国人労働者は,下船後正
金銀行天津支店に行き,雇用主より受取った預金預証を提出し,邦
貨の51倍に該当する額面の?銀券を受け取ることができる。
(ウ) 持参金処理方針の変更
 しかし,「華人労務者送金要綱」は,1945年10月20日,連
合国最高司令部の指示により,次のとおり変更された(甲35-37
7頁)。
a 中国人労働者の持帰金は,一人当たり1000円を限度とする。
b 現地通貨との換算率は,?銀券については日本円と等価とする。
c 1000円の限度額を超える金額については,日本政府が責任を
もって保管に当たることとし,出港地の海運局がその任に当たる。
d 中国人労働者には,1000円を超過する金額について,各人あ
てに保管証を交付する。
(エ) 実際の措置
 本件全証拠によるも,賃金が支払われたかどうか,支払われたとし
てどのような方法で支払われたか,支払われたにもかかわらず,中国
人労働者に渡らなかった場合は,それが中国側の事情によるものか,
日本の雇用主側の事情によるものか,不明である。
4 一審原告らが来日した経緯等(甲33の1ないし5,34の1の1・2,
34の2,35,41ないし49,B〔1〕・C〔3〕・D〔4〕及びE
〔10〕各本人)
(1) 一審被告会社(本件で問題となる田川鉱業所及び三池鉱業所)と華北
労工協会との契約
ア 試験移入について
(ア) 試験移入については,田川鉱業所がその対象の一つとなった。
(イ) 一審被告会社は,1943年(昭和18年)6月18日,華北労
工協会との間で,次の内容の契約を締結した。
a 供出人員
  隊長1名,副隊長1名,労働者210名の合計212名とする。
b 供出方法
  華北労工協会において,石門教習所に在留中の者から適格者を選
抜する。
c 引渡し
  同月20日,塘沽において引き渡す。
d 供出及び輸送にかかる経費
  一審被告会社の負担とする。
e 使用条件
① 契約期間
  事業場到着後2年間とする。
② 賃金
  訓練期間(最初の6か月間)は1日当たり1円とし,その後は
出来高払いとする。ただし,就業1日につき1円を最低保障とす
る。
③ 労働時間
  日本人と同じとする。
f 到着後の訓練
  到着後6か月間は訓練期間とし,特に最初の1か月間は坑内作業
を行わず,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。
g 外出
  最初の3か月間は認めず,4か月目から集団的に引率者を付して
外出を認める。
h 送還
  田川鉱業所が責任者を付けて実施し,塘沽において現地機関に引
き渡す。
イ 本格移入について
(ア) 一審被告会社は,本格移入に際して,北海道及び九州において1
0の事業所で中国人労働者の移入を受け入れた。
(イ) そのうち,本件と関係する田川鉱業所と三池鉱業所については,
田川鉱業所が1944年(昭和19年)5月5日及び同年7月21
日,三池鉱業所が同年4月25日,それぞれ華北労工協会との間で,
おおむね次の内容の契約を締結した。
a 供出方法
  華北労工協会において,適格者を選抜する。
b 引渡し
  中国国内の集結地において引き渡す。
c 供出及び輸送にかかる経費
  一審被告会社の負担とする。
d 使用条件
① 契約期間
  事業場到着後2年間とする。
② 賃金
  訓練期間(最初の3か月間。田川鉱業所では1か月間)は1日
当たり2円とし,その後は5円及び出来高払い(田川鉱業所では
5円又は出来高払い)とする。
③ 労働時間
  日本人と同じとする。
e 到着後の訓練
  訓練期間は,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。
f 外出
  最初の1か月間は認めず,2か月目から集団的に引率者を付して
外出を認める。
g 送還
 一審被告会社が責任者を付けて実施する。
(2) 田川鉱業所と三池鉱業所に対する供出の実態
  田川鉱業所と三池鉱業所に供出された労働者の人数と来日時期,在留中
の死亡等に関する事情等は,別表1の「一審被告会社の九州内事業所関係
中国人労働者移入・配置・送還表」のとおりであるが,その概要は次のと
おりである。
ア 供出機関・供出方法・移入数
(ア) 供出機関と供出方法
 田川鉱業所と三池鉱業所に供出された中国人労働者は,すべて,上
記(1)の契約に基づき,華北労工協会が供出機関となって,行政供出
又は訓練生供出の方法により行われた。
(イ) 供出人数
  田川第二坑に対してが372人,田川第三坑に対してが297人,
三池宮浦坑に対してが574人,三池萬田坑に対してが1907人で
あった。
イ 移入時期,訓練地,乗船地及び上陸地等
 (ア) 田川鉱業所と三池鉱業所に移入された中国人労働者の中国国内に
おける集結地(訓練地),乗船地,出港日,上陸地及び上陸人数は別
表1のとおりである(甲35-307頁)。同表からも明らかなとお
り,三池鉱業所へ配属された労働者は,中国国内においては訓練地さ
え決められていないから,いきなり塘沽へ集められたのではないかと
推測される。
 (イ) 田川鉱業所と三池鉱業所に移入された中国人労働者は,すべて塘
沽を出港して門司に到着しており,この間航海におおむね10日前後
を要しているが,中には1か月近くを要したものもある。
 (ウ) 出港して事業場に着くまでの間に,110人が船中等で死亡し
た。
 (エ) その結果,実際に受け入れた労働者の数は,田川第二坑が371
人,田川第三坑が297人,三池宮浦坑が570人,三池萬田坑が1
802人の合計3040人にとどまった。
 (オ) なお,三池萬田坑で受け入れた労働者のうち694人は,事業場
到着後直ちに,三池四山坑に転出した。
(3) 一審原告らの来日の経緯等
ア 概観
  一審原告らが来日した時期とその経緯は,別表2中の「来日の経緯一
覧表」のとおりである。
イ 来日の経緯に関する具体的な事情
(ア) B〔1〕は,八路軍の活動をしていて,日本の意向を体した中国
人の武装団体に拘束された。
(イ) G〔5〕とH〔7〕の2人は,突然家に押し入ってきた日本兵に
銃を突きつけられ,理由も行く先も告げられないまま,徐水県の焼酎
工場ないし徐水駅に連れて行かれた。
(ウ) I〔12〕は,村の役人から国民党に入るよう勧められ,これを
断ったことをきっかけに,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅
に連れて行かれた。
(エ) J〔13〕は,農作業中,日本の意向を体した約30人の銃を持
った中国人の役人に,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連
れて行かれた。
(オ) その余の一審原告らは,いずれも,村の役人から,好条件の待遇
を提示され,あるいは義務であると言われて,保定市の飛行場造り等
中国国内での労働にいそしむつもりで村を出た。
(カ) 一審原告らのうちには,村を出る際,日本で働くことを聞かされ
ていた者は一人もいない。
ウ 日本で働くことについての承諾の有無
 (ア)a B〔1〕,G〔5〕,H〔7〕,I〔12〕及びJ〔13〕
は,いずれも,上記のとおり,働くことを目的として村を離れたも
のではない。
b その余の一審原告らは,いずれも,中国国内で労働に従事するつ
もりで村を出た。
 (イ) 日本に行くことになると聞かされた,ないし噂その他でこれを知
ったのは,B〔1〕は集結地の石家庄(石門)において,I〔12〕
は塘沽に向かう列車内で,C〔3〕,D〔4〕,K〔9〕,E〔1
0〕は塘沽で船待ちをしているとき,その余の一審原告らはようやく
日本に向かう船中においてである。
 (ウ) しかも,日本へ向かう船に乗り込むまで,一審原告らは,いずれ
も,中国人警察官ないし日本兵の厳重な監視下にあり,逃亡しようと
する者は,処罰の対象とされる等,自らの意思を行動に移すことはも
ちろん,表明することもできない環境にあった。
 (エ) 上記諸事情を考えれば,一審原告らは,いずれも,塘沽等中国国
内で華北労工協会の担当者から一審被告会社の担当者に引き渡された
時点で,日本に行き,一審被告会社において炭鉱労働に従事すること
を承諾していたとは認め難い。
エ 日本に向かう船に乗り込むまでの待遇
(ア) 一審原告らは,直ちに塘沽に連れてこられたか,それまでにどこ
かの場所で収容生活を送ったかについては違いがあるが,いずれも,
塘沽で,船待ちその他のため,一定期間収容所生活を送った。
(イ) 塘沽での生活は,いずれも,中国人警察官ないし日本兵が見張り
をし,電流を通した鉄条網で囲まれた区域での拘束生活であり,逃亡
しようとする者は,銃で撃たれたり,殴られたりした。
(ウ)a 塘沽では,滞在中に何人もの労働者が死亡した。
 b 船中及び上陸後事業場到着前に110人もの労働者が死亡した。
 c 何とか事業場に到着できた労働者のうちにも,健康を害した者が
数多くいた。
 d 以上によれば,塘沽での生活は,栄養,衛生,いずれの面でも適
切を欠く,不十分なものであったと推認される。
5 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で受けた処遇及び従事した労働の実
態(甲33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,41ないし
49,61ないし67,70,74,75,80ないし83の各1・2,8
6ないし88,89の1・2,90,113ないし116,129,167
の1ないし32,証人α,B〔1〕・C〔3〕・D〔4〕及びE〔10〕各
本人)
(1) 田川鉱業所及び三池鉱業所における処遇
ア 移入された中国人労働者の人数と年齢構成
(ア) 田川鉱業所
a 田川鉱業所では,別表1のとおり,第二坑には1943年7月と
1944年7月の2次にわたり計371人,第三坑には1944年
10月と同年11月の2次にわたり計297人の中国人労働者が事
業場に到着し,労働に従事した。
b その年齢構成は,第二坑においては,16歳から47歳まで(平
均年齢36歳),第三坑においては,13歳から60歳まで(平均
年齢31歳)であった。
(イ) 三池鉱業所
a 三池鉱業所では,別表1のとおり,1944年5月から1945
年3月まで,6次にわたり,合計2372人の中国人労働者が事業
場に到着し,労働に従事した。その内訳は,宮浦坑が570人,萬
田坑が1802人,四山坑が694人(ただしすべて萬田坑から転
入)である。
b 年齢は,13歳から61歳まで(平均年齢31.7歳)であっ
た。
イ 宿舎
(ア) 田川鉱業所
a 日本人住宅を改築し,あるいは,中国人労働者用に宿舎を新築し
て,1人当たり1.5畳(0.75坪)の広さの板張りの宿舎が提
供された。木製の大きな二階建ての建物で,二段ベッドが部屋の両
側にあった。
b 寝具としては,事業場報告書では,毛布又は代用アンペラ,ゴザ
及び綿入れ布団上下2枚を提供したとされているが,一審原告ら及
び第二次訴訟原告らの陳述録取書の多くには,毛布と掛布団が提供
されたのみで,板の上に直接寝たとの記載があり,事業場報告書の
記載と一審原告ら及び第二次訴訟原告らの記憶とは一致していな
い。以上からすると,真実布団が上下2枚提供されたかは疑わし
い。
c 宿舎は,日本人,朝鮮人の住宅とは区画を別にし,周りを板塀で
囲われていた。玄関には監視室があり,常に監視されている状態で
あった。
(イ) 三池鉱業所
a 宮浦坑と萬田坑については,従前あった宿舎を改築して中国人労
働者用に提供され,四山坑では,中国人労働者を受け入れるに当た
って,新たに宿舎が新築された。
b 労働者一人当たりの広さは,宮浦坑は0.6畳,萬田坑は0.3
8畳,四山坑は0.9畳で,日本人や朝鮮人の宿舎が1.5畳の広
さであったのと比べるとかなり狭い構造となっていた。
c 宮浦坑と萬田坑は畳敷で,四山坑は板張りであった。
d 寝具は1人当たり1枚若しくは2枚が与えられたにとどまった。
e 周囲には2メートルを超える外柵が張り巡らされ,宿舎内には警
察官が駐留する場所も設けられていた。
ウ 食糧
(ア) 事業場報告書によれば,少なくとも田川鉱業所では,作業面及び
健康保持を考慮し,深甚の注意を払い,県当局等と連絡し,中国人用
の特別配給として主食と食用油のあっせんに努力したので,食糧事情
は日本人及び朝鮮人より良好であったとされている(甲34)。
(イ) 一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書によれば,食事の
内容については,饅頭が2つ配られるだけであったとする者もあれ
ば,白湯のようなスープと漬け物がついていたとする者もあり,ま
た,米のご飯を食べていたとする者もあって,その記憶は必ずしも一
致していない。
(ウ) しかし,上記陳述録取書によれば,一審原告ら及び第二次訴訟原
告らは,事情聴取をした訴訟代理人弁護士らに対し,一様に,日本に
おける生活で何よりつらかったのは空腹であったこと,道端の野草を
採ったり,ネズミを捕まえて食べたりする者があったこと,E〔1
0〕は自らもネズミを捕まえて食べたことがあることを述べ,見つか
ると,食事の量を減らされたり,殴られたりしたと語っている。
(エ) 当時は,日本人自身も十分に食糧を摂取することができなかった
時代である。この時に中国人労働者のみが十分な栄養をとることがで
きていたとは考え難い。
(オ) 既述したとおり,事業場報告書は作成の経緯からみて保身的傾向
のあることを避け難い。
(カ) 以上によれば,事業場報告書の記載には保身的脚色があり,中国
人労働者に与えられた食事は重筋労働に従事する者に対するものとし
ては十分ではなかった,少なくとも,中国人の慣習からすると十分で
はなかったと推認するのが相当である。
エ 衣料
(ア) 事業場報告書によれば,作業服や支那服等を相当回数,十分に支
給したことになっている(甲34)。
(イ) しかし,この点についても,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの
陳述録取書のほとんどには,作業衣,タオル,地下足袋等を1回支給
されたのみであるとの記載があり,その記憶と事業場報告書の記載は
内容を異にする。
(ウ) 客観的にみても,当時は日本人自身の衣料事情も貧しかったので
あるから,敵国の中国人に対し十分な衣料が提供されたとは考え難
い。
(エ) 以上によれば,事業場報告書の記載には衣料に関する部分につい
ても保身的脚色があり,中国人労働者に与えられた衣料品は十分でな
かったと推認するのが相当である。
オ 労働の内容とその実態
(ア) 職種としては,坑内では,主として,採炭,掘進,仕繰に,坑外
では炊事その他の雑役に使用された。
(イ) 職場は,日本人及び朝鮮人と厳密に区別され,坑内への移動及び
宿舎への帰還には日本人の送迎がつき,中国人労働者と日本人の職制
のみの職場で労働に従事した。
(ウ) 労働時間は,原則として三交代8時間勤務であったが,現実には
これを超える労働時間となることもあった。
(エ)a 休日は,事業場報告書では毎月3,4日とされている。
 b しかし,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書の大半に
は,休みは正月を含め,全くなかったとの記載があり,B〔1〕,
C〔3〕,D〔4〕及びE〔10〕は,それぞれ,本人尋問におい
て同様のことを述べている。
 c 以上からすると,現実の休みは事業場報告書の記載よりはかなり
少なかったのではないかと推察される。
(オ) 日本人管理者との関係は,事業場報告書においても,作業熱心や
言語不通のため些細なことで小紛争を惹起したとされており,一審原
告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書にはその多くに,何かあると
殴られた等の記載があることにかんがみても,田川鉱業所及び三池鉱
業所では,肉体的暴行を含め,日常的に不当な取扱いが横行していた
と推認される。
カ 賃金
(ア) 賃金については,滞日中は全額積立金として事業場において保管
することとし,消耗品は一審被告会社から支給されたため,終戦まで
は支払われていない。
(イ) 終戦後の持帰金等についての取扱いは3(6)エのとおりであるが,
現実にどのように取り扱われたかについては,明確な証拠がなく,支
払われたか否か,支払われたとしてどのような方法により支払われた
か,少なくとも,大半の労働者は現実に賃金を取得していないが,そ
れが中国側の事情によるものか,日本側の事情によるものかは証拠上
明らかでない。
キ 死亡者,傷病者の実態
(ア) 田川鉱業所における死亡者
a 田川鉱業所では,別表1のとおり,受入労働者668人中,26
人(3.89%)が死亡した(甲34,35‐541頁)。
b 田川鉱業所で労働に従事した期間は,第1次受入れの134人は
2年1か月,第2次受入れの237人は1年1か月,第3次受入れ
の179人は10か月,第4次受入れの118人は9か月にしかす
ぎないのであるから,その期間の長さを考えると,死亡率は極めて
高い。
c 死因は,落盤等労働災害による者が5人,病死が20人,その他
が1人であるが,病死の者でも入院して病院で治療中に死亡した者
は9人しかおらず,しかもそのうちの4人は終戦後の死亡であるか
ら,終戦までは,病気になっても,なかなか治療の対象としてもら
えず,入院して治療を受けることとなったのはごくわずかであるこ
とが窺われる。
(イ) 三池鉱業所における死亡者
a 三池鉱業所では,別表1のとおり,受入労働者2372人中,3
83人(16.15%)が死亡した(甲34,35‐542頁,5
43頁)。
b 三池鉱業所で労働に従事した期間は,宮浦坑第1次受入れの23
1人は1年3か月,第2次受入れの339人は10か月,萬田坑第
1次受入れの412人は1年3か月,第2次受入れの551人(四
山坑への転出者272人を含む)は6か月,第3次受入れの538
人(四山坑への転出者273人を含む)は5か月,第4次受入れの
301人(四山坑への転出者149人を含む)は5か月にしかすぎ
ないのであるから,その期間の長さを考えると,死亡率は極めて高
い。
c 死因は,落盤その他労働災害による者が68人,病死が315人
である。
(ウ) 公傷(甲35の630頁,514頁)
 a 田川鉱業所では,落盤その他の公傷により,19人が重傷を,1
91人が軽傷を負った。
 b 三池鉱業所では,同じく,124人が重傷を,161人が軽傷を
負った。
 c そして,田川鉱業所では3人が,三池鉱業所では26人が肢指欠
損その他の機能障害を負い,不具廃疾となった。
 d これも上記実質的な労働期間からすると,極めて高い数字であ
る。
ク 終戦後における不満の爆発
  田川鉱業所,三池鉱業所のいずれにおいても,終戦後は,中国人労働
者の不満が一気に爆発した。その結果,紛争が多発し,一部では戦勝気
分も手伝ってか,集団的な略奪事件も発生した。
(2) 一審原告らの具体的な就労状況と処遇状況
ア 配属地と労働期間
 一審原告らの具体的な配属先と実際に労働に従事した期間は,「処遇
状況一覧表」(別表3)のとおりである。
(ア) B〔1〕は,試験移入により,1943年7月11日から田川第
二坑で働いた。本来の契約期間は2年であったが,これを超えて19
45年8月24日まで労働に従事したので,労働期間は,約2年1か
月である。
(イ) L〔2〕,C〔3〕及びA〔15〕は,田川第三坑において,1
944年11月19日から1945年8月24日まで労働に従事し
た。その労働期間は,約9か月である。
(ウ) D〔4〕,G〔5〕,H〔7〕,M〔8〕及びK〔9〕は,萬田
坑において,1944年5月16日から1945年8月24日まで労
働に従事した。その労働期間は,約1年3か月である(M〔8〕につ
いては甲34の2中の名簿に該当する名前がないが,出身地,年齢,
名前の近似性,船が途中大連に1泊したとの記憶が他の同時期に来日
した一審原告らの記憶と一致すること及び弁論の全趣旨〔当審第9回
口頭弁論期日における意見陳述〕からみて,同名簿中のM’がこれに
当たると認められる。)。
(エ) E〔10〕,・N〔11〕及び・O〔14〕は,宮浦坑において,
1944年5月26日から1945年8月24日まで労働に従事し
た。その労働期間は,約1年3か月である。
(オ) J〔13〕は,宮浦坑において,1944年10月30日から1
945年8月24日まで労働に従事した。その労働期間は,約10か
月である。
(カ) P〔6〕とI〔12〕は,甲34の1の1・2及び34の2のい
ずれの名簿中にも該当する名前がないが,いずれも,日本に連れてこ
られた経緯及び働いた場所が三池鉱業所であるということについては
鮮烈な記憶を有しており,日本で受けた処遇についての記憶も,他の
三池鉱業所で働いた一審原告ら及び第二次訴訟原告らのそれとおおむ
ね一致しているから,具体的な就業場所と労働に従事した期間は特定
できないものの,三池鉱業所において一定期間働いたことが認められ
る。
イ 宿舎,食糧,衣料
 (ア) 宿舎,食糧及び衣料について一審原告らの受けた処遇の具体的な
状況は,別表3の該当欄に記載のとおりである。
 (イ) その記憶は,細かな部分では食い違っているが,おおむね(1)イな
いしエで認定したとおりである。
 (ウ) 特徴的であるのは,全員が口をそろえて,空腹が一番耐え難かっ
たと述べていることである。
ウ 労働
 (ア) 一審原告らは,事業場到着後数日間ないし20日間,道具の名前
と使い方を教えられた。
 (イ) その後,体力,年齢等により,採炭,掘進,坑道ないし炭車の修
理,維持作業に従事させられた。
 (ウ) 一部昼間のみ労働する者もあったようであるが,大半の者は三交
代8時間労働であった。
 (エ) 休日については,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書
中には,休日は正月も含めて全くなかったとするものもあるが,何人
かは,10日おきくらいに休みがあったとしている。三交代の勤務が
休みなしに行い得るとは解し難いことからすると,1か月に3日程度
の休みはあったのではないかと推察される。
 (オ) 作業は,日本人職制の指導,監督のもとに行われたが,意思疎通
が不十分で,うまくいかなかったり,目標の仕事を達成できなかった
ときには,殴られたり,蹴られたりの暴行を受けることがあった。殊
に,E〔10〕はナタあるいはこれに類する工事用具で殴りつけられ
て右足大腿骨を骨折し,今でもその後遺症が残っている。
 (カ) 落盤でけがをした者も多く,H〔7〕と・O〔14〕は手術まで
受けた。
エ 賃金等
 (ア) 就労中に支給を受けた者はいない。
 (イ) 帰国後1万元の支給を受けたとする者があるが,全員ではなく,
これが賃金か,それとも中華民国政府ないし国民党からの支給金かは
証拠上明らかでない。
(3) 稼働の停止と帰国
ア 1945年8月24日,田川鉱業所及び三池鉱業所では,関係官庁か

中国人労働者の稼働停止の指示を受け,直ちに,一審原告らの就労を停止
した。
イ 同年11月22日,一審原告らは,各事業場を出発し,同月24日,
故郷へ帰るべく,日本を出国した(P〔6〕とI〔12〕は名簿に記載
がないので,証拠上明確でないが,二人だけが別の扱いを受けたとは考
えられず,同時期に事業場を出発し,出国したと認められる。)。
6 企業に対する国家補償(甲33の1ないし5,34の1の1・2,34の
2,35,40)
(1) 全体像
 中国人労働者を受け入れた事業場は,就労の成果が上がらなかった,戦
後仕事を中止してから帰国するまでの間の中国人労働者に対する休業補償
に多額の費用を要した,戦後中国人労働者による紛争事件が相次ぎ,施設
その他に損害が生じた等として,国に対して国家補償を要求し,国もその
要望を一部受け入れる措置を執ることとした。
(2) 一審被告会社の受領額
 一審被告会社は,この措置に基づき,田川鉱業所に関して97万663
1円,三池鉱業所に関し360万8619円の支給を受け,その余の事業
所を合わせ合計774万5206円の国家補償を受けた。
第4 前提となる基本的事実(2)
{戦時下における軍需会社を巡る経済法制と労働法制}
 当事者間に争いのない事実,公知の事実並びに甲52の2,76,78,7
9,92ないし94,101ないし103,120ないし128,135,乙
ロ15ないし20及び弁論の全趣旨によれば,戦時下の経済情勢,軍需会社を
巡る経済法制,労働法制として,次のとおり認められる。
1 日本経済の疲弊
 満州事変以来,日本は大陸へ進出したが,戦争遂行のため,経済は著しく
軍需産業偏重となり,アメリカ及びイギリスの対日禁輸措置等もあって,経
済,特に一般の消費経済は疲弊の度合いを強めた。
2 国家総動員法
(1) 1938年(昭和13年)5月5日,被控訴人国は,国家総動員法を
施行し,次のとおり定めて,国防目定達成のために国の全力を発揮し得る
よう,国家総動員体制をとって人的,物的資源を統制,運用することとし
た。
ア 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り帝国臣
民を徴用して総動員業務に従事せしむること」ができる(4条)。
イ 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り従業者
の使用,雇入若は解雇,就職,従業若は退職又は賃金,給料其の他の従
業条件」について必要な命令をすることができる(6条。ただし,昭和
16年法律19号による改正後のもの)。
ウ 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り総動員
業務たる事業に属する工場,事業場,船舶その他の施設…の全部又は一
部を管理,使用又は収用すること」ができる(13条1項)。
(2) なお,石炭は総動員物資であるとされ,一審被告会社も同法の適用を
受けた。
3 国民徴用令
 1939年(昭和14年)7月15日,日本政府は,国家総動員法4条に
基づき,国民徴用令を施行し,以後,毎年「国民労務動員計画」を作成して
労働力不足に対処することとした。
4 重要事業場労務管理令
(1) 1941年(昭和16年)2月24日,被控訴人国は,重要事業場に
おける労務管理の指導,監督のため,国家総動員法6条に基づき,重要事
業場労務管理令を定め,次のとおり定めた。
 ア 「事業主は命令の定むる所に依り従業規則を作成し厚生大臣の認可を
受け」なければならず,厚生大臣は必要があると認めるときにはその変
更を命じることができる(4条)。
 イ 「事業主は命令の定むる所に依り賃金規則,給料規則及昇給内規を作
成し厚生大臣の認可を受け」なければならず,厚生大臣は必要があると
認めるときにはその変更を命じることができる(10条)。
 ウ 「厚生大臣は国家総動員法第31条の規定に基き重要事業場の労務管
理の状況に関し事業主より報告を徴し又は当該官吏をして重要事業場…
に臨検し帳簿書類を検査」させることができる(21条)。また,その
前提として,重要事業場には労務管理官を置く(20条)。
(2) 一審被告会社の田川鉱業所と三池鉱業所は,いずれも重要事業場に指
定されたので,両鉱業所においては,以後,労働条件の決定及び労務管理
は被控訴人国が掌握することとなった。
(3) なお,日本国政府は,同令に基づき,鉄鋼,石炭,鉱山等の重要9業
種について実質上のカルテルとして12の統制会を設立することとし,当
該産業部門の企業にはこれに強制加入させることとしたが,石炭部門につ
いては,同年10月に石炭統制会を設立し,以後各企業への目標生産量の
割当て,資材,労働力の配分や価格,利潤の決定を同統制会を通じて一元
的に行った。
5 軍需会社法
(1) 1942年(昭和17年)12月17日,被控訴人国は,軍需会社法
を施行し,次のとおり定めて,経済の軍需化を一層進めるとともに,軍需
会社に対する国の支配を強めた。
ア 「軍需事業に従事する者は国家総動員法により徴用せられたるものと
みなす」(6条1項)。
イ(ア) 「軍需会社は命令の定むる所に依り生産責任者を選任」しなけれ
ばならない(4条1項)。
 (イ) 「生産責任者は本店…事業場における業務に関し生産担当者を任
命すること」ができる(5条1項)。
 (ウ) 生産担当者は政府に対して生産責任者の指示に従い担当業務遂行
の責任を負う(5条2項)。
ウ 「政府は軍需会社に対し期限,規格,数量…を指定し軍需物資の生
産,加工又は修理を命ずること」ができる(8条)。
エ 「政府は勅令の定むる所に依り…勤労管理…に関し必要なる命令を為
すこと」ができる(10条)。その違反には罰則が伴う(23条)。
オ 「政府は勅令の定むる所に依り軍需会社に対し定款の変更…合併若は
解散…其の他の処分に関し必要なる命令を為すこと」ができる(12
条)。
カ 「軍需会社の業務執行,株主総会…其の他軍需会社の運営に関しては
…勅令をもって別段の定を為すこと」ができる(14条)。
キ 「政府は軍需会社に対し監督上必要なる命令を発し又は処分を」する
ことができる(16条)。
ク 「政府は軍需会社の業務及び財産の状況に関し報告を徴し又は当該官
吏をして…帳簿書類,設備その他の物件を検査」させることができる
(18条)。
ケ 「政府は…軍需会社の取締役若は監査役を解任し又は業務を執行する
社員の業務執行権を喪失」させることができる(19条)。
(2) 1944年4月27日,一審被告会社は,軍需会社に指定され,同法
の適用を受けた(一審原告ら及び一審被告会社は,いずれも,同月17日
と主張するが,甲92,乙ロ20によれば,同月27日であると認められ
る。)。
6 労働者保護法制
 戦時下における経済法制は以上のとおりであるが,他方,次のとおり労働
者保護法制もなおその効力を有していた。
(1) 労働者募集規則(1940年厚生省令第50号)(甲79)
 1940年(昭和15年)11月15日に制定された労働者募集規則
は,違反者に刑罰を科すこととして,23条で次の行為を禁止していた。
ア 事実を隠蔽し,誇大虚偽の言辞を弄し,その他不正の手段を用いるこ
と(2号)
イ 応募を強要すること(4号)
ウ 応募者の外出,通信若しくは面接を妨げ,その他応募者の自由を拘束
したり,過酷な取扱いをすること(12号)
エ 応募者の所在を隠蔽したり,偽ったりすること(13号)
(2) 強制労働禁止条約(甲52の2)
ア 被控訴人国は,ILOが1930年6月10日に採択したILO29
号「強制労働禁止条約」に1932年10月15日批准,同年11月2
1日ILOに批准登録し,同条約は,同年12月6日公布され,同条約
28条により批准登録から12か月後の1933年(昭和8年)11月
21日発効した。
イ 同条約は,2条1項において,強制労働を「或者が処罰の脅威の下に
強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労務を謂
ふ」と定義し,1条1項において,「本条約を批准する国際労働機関の
各締盟国に能ふ限り最短き期間内に一切の形式に於ける強制労働の使用
を廃止することを約す」と規定すると共に,25条において,「強制労
働の不法なる強要は刑事犯罪として処罰せらるべく又法令に依り科せら
るる刑罰が真に適当にして且厳格に実施せらるることを確保することは
本条約を批准する締盟国の義務たるべし」と定めている。
第5 前提となる基本的事実(3)
{外務省報告書等の作成から公表に至る経緯及びこれに関する日本政府
の対応}
 2に補足するほか,基本的な事実は原判決「事実及び理由」中の「第5 認
定事実」中の「5 外務省報告書等の作成から公表に至る経緯及びこれに関す
る日本政府の対応」欄(62頁14行目から68頁10行目まで)のとおりで
あるから,これを引用する。
 なお,1で原判決の認定事実を要約し,前記認定の事実に,当審で調べた書
証(甲150ないし152,162及び163の1ないし60)を併せて,2
に補足認定する。
1 原判決認定の要約
(1) 外務省管理局は,連合国側からの戦犯追及に備えるために,中国人労
働者が移入されるに至った経緯とその実情及び各事業場で実際に受けた処
遇等について中国人労働者を就業させた135の事業所から事業場報告書
を提出させ,調査員らによる現地調査報告の結果をまとめた現地調査報告
書及び日本政府の関係資料を踏まえ,1946年(昭和21年)夏ころま
でに,外務省報告書として取りまとめた。
(2) 外務省報告書は,合計30部作成され,極秘扱いとされていたが,そ
の後,外務省は,戦犯追及に備える必要性がなくなったと判断し,その基
礎資料を含めすべて焼却した(ただし,この点に関しては,2で述べると
おり,1部だけは一定時期まで残されていた,あるいは現在も外務省に残
されている可能性を否定できない。)。
(3)ア 外務省報告書の作成に携わった調査員の幾人かは,将来,世に問う
ことがあるかもしれないと考え,外務省報告書及び事業場報告書を密か
に持ち出し,1950年(昭和25年)ころ,東京華僑総会にその保管
を委託した。
 イ 東京華僑総会は,その後,上記両報告書を公表することによって,本
件にかかわった者が戦犯として追及されることや,日中間に新たな紛争
が生じることを危惧し,公表を控えてきた。
(4)ア 国会その他では,戦時中の中国人労働者の移入問題につき,表面的
には殉難者慰霊や遺骨送還問題等の形をとりながら,中国人労働者の意
思に基づかずに行われた強制連行・強制労働ではないか等の追求がなさ
れた。
 イ 被控訴人国は,資料がないため詳細はつまびらかでないとしながら
も,1993年(平成5年)5月までは一貫して,中国人労働者らの就
労は自由な意思による雇用契約に基づくものであった旨の答弁を繰り返
してきた。
(5) その後,外務省報告書等が東京華僑総会に保管されていることがNH
K記者に明らかとなり,1993年(平成5年)5月17日,「クローズ
アップ現代」でスクープ報道され,同年8月14日,「NHKスペシャ
ル」(甲2の1・2)において,外務省報告書の存在及びその内容につい
て詳細な報道が行われた。
(6) そこで,外務省は,再度調査検討し,1994年6月22日,国会に
おいて外務省報告書の存在を公式に認め,中国人労働者の日本への移入が
半強制的であったと評価する答弁を行った。そして,外務省報告書のコピ
ーを外務省外交資料館において保管し,国民の閲覧に供することとした。
2 当審で調べた書証等により補足認定する事実
(1) 遺骨送還問題
ア 日本に移入された中国人労働者3万8935人のうち,5999人
は,事業場において死亡した(第3の3(5)ア参照)。
イ そのうちのかなりの者については,遺骨がそのまま放置され,少なく
とも故国である中国へ送還されていなかった。
ウ 東京華僑総会等は,1950年(昭和25年)ころから,主として花
岡事件の犠牲者の遺骨を送還するよう日本政府に要求する等してこの問
題について運動を展開してきた。
エ 1953年(昭和28年)3月,日本赤十字社を含む15団体によ
り,より広汎な運動を行うものとして,「中国人俘虜殉難者慰霊実行委
員会」が結成された。「殉難者」を「慰霊」するというのであるから,
日本に来た労働者は被害を受けたものとの認識が背景にあると解され
る。
オ 同月,中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会は,「花岡事件など中国人俘
虜殉難事件の概要」と題する小冊子を発行し,中国人労働者は食事その
他の処遇や労働の内容等で残虐な扱いを受けたとして問題にした。
カ(ア) 上記のとおり,遺骨送還運動は,単純な遺骨送還問題にとどまる
ものではなかった。
(イ) 日本政府は当初この問題に積極的でなかったが,世論の盛り上が
りには配慮すべきものがあったほか,中国在留の日本人引き揚げ問題
とも関連せざるを得なかった。
 (ウ) 結局,種々経過はあったが,日本政府も一定程度この問題に取り
組むこととなり,赤十字船により一定数の遺骨は現実に中華人民共和
国に送還されることとなって,運動はそれなりの成果を上げた。
キ 1954年(昭和29年)2月,警察庁は,遺骨収集問題に関する内
部資料を作成したが,同資料中には外務省報告書と同一内容の記載が多
くみられることからすると,警察庁は公式か非公式かは別として,何ら
かの方法で外務省報告書の全部又は一部を入手し,その内容を了知して
いたと推認される。
(2) F事件
ア 1958年(昭和33年)2月9日,北海道の山中で中国人のFが発
見された。
イ 同人は,戦時中,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に
基づいて日本に移入され,明治鉱業株式会社昭和坑で働いていたが,終
戦直前の1945年(昭和20年)7月ころ同坑を脱出し,その後,戦
争が終結したことも知らず,13年間近く,山中で逃亡生活を続けてき
た。
ウ(ア) 同人は,発見され,保護された後,支援団体の支援を受けて,日
本軍に拉致されて連行されて来日し,その意思に基づかずに強制的に
労働に従事せしめられたと主張して,被控訴人国に対して補償を要求
した。
 (イ) 被控訴人国は,この要求に対し,資料がないので詳細は明らかで
ないとしながらも,「Fは契約によって北海道で働いていたものであ
る」との立場を崩さず,「気の毒であった」,「帰国後はゆっくり静
養されたい」との官房長官談話を発表し,見舞金は交付することとし
たが,補償要求に応じることをしなかった。
エ しかし,この問題をきっかけに,日本政府も,中国人労働者移入の問
題を「調査する所存である」と答弁するようになった。
(3) 「遺骨調査」要求の高まりと日本政府(外務省)の対応
ア(ア) Fの登場により,戦時中来日した中国人労働者は強制的に徴発さ
れ,その意思に基づかずに働かされていたのではないか,という議論
はより現実味を帯び,遺骨送還運動は,再度盛り上がりを見せた。
 (イ) 1958年3月12日,中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会その他
の4団体が,政府に対し,外務省報告書が存在するはずである等とし
て,これに基づき正確な殉難者の名簿を提示されたいとの要望を行っ
た。
イ 同年6月ころ,日本政府は,これに対応して,以後,厚生省が遺骨の
調査・発掘業務を,外務省が慰霊・送還業務を行うことを決定した。
ウ 厚生省は,上記職務分担に基づき,各都道府県に指示して実態調査等
を行い,同年から翌59年にかけて遺骨の名簿等を作成した。
エ(ア) 中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会は,
① 1960年(昭和35年)3月初旬ころ,恐らくは外務省報告書
を基礎として,厚生省作成の名簿より正確な名簿を作成し,
 ② 同月12日,内閣総理大臣あてに自らが作成した名簿を提示し,
同年4月に慰霊祭を実施するので,その正確性を確認するよう求め
るとともに,政府において更にこれを補充することを要望した。
 (イ) 同委員会にかかわる国会議員の一部も,同名簿を国会に提出して
その確認を求める姿勢をとった。
 (ウ) これに対し,外務省は,国会でこの問題が取り上げられることは
中華人民共和国を刺激し,賠償問題にまで発展し兼ねないので,質問
は行わないようにされたいと与党首脳に働きかける等,一定の工作を
した。
オ(ア) 名簿確認は厚生省の所管であったが,その基礎資料は,外務省報
告書であると考えられた。
 (イ) 厚生省は,当時,外務省報告書を三分冊まで入手していたが,中
国人俘虜殉難者慰霊実行委員会が作成したエ(ア)の名簿の詳細さから
すると,同委員会は五分冊くらいまで外務省報告書を所持しているの
ではないかと推察されたので,外務省に対し,同報告書の存在につき
どう答弁するのかを慎重に検討されたい旨を提言した。
カ(ア) 同年(昭和35年)3月17日,外務省は,オ(イ)の提言に応じ,
中国課において,当時の担当課長β(以下「β課長」という。)から
事情を聴取した。
 (イ) β課長は,外務省報告書の作成経過等につき,次のとおり述べ
た。
a 同報告書は,1946年初め,中華民国の関係者が戦時中我が国
で就労した中国人労働者の実情を調査するため来日するとの噂があ
ったので,その場合に備えて管理局経済部大陸課で作成した。
b 華北労工協会の関係者も作業に参加した。
c 同報告書作成後間もなく,戦犯関係資料として使われるおそれが
生じ,官民双方の関係者に影響が及ぶことが考えられたので,1部
を除き,焼却した。
d 二世の米軍人が一度持ち出したことがあるが,その後返却を受け
た。
(ウ) アジア局長は,(イ)を受け,以後,同報告書に関しては,次のとお
り答弁することとしたいと方針を明らかにした。
 a 外務省が同報告書を作成したことは事実である。
 b その直後,戦犯問題に利用されるおそれが生じたので,中国人労
働者を就労させた事業場の関係者等に迷惑がかかることを避けるた
め,全部焼却した。
 c 現在,外務省には同報告書は1部も残っていない。
 d したがって,部外に流出したとされる同報告書の真偽についても
これを確認することはできない。
キ(ア) 上記経過を踏まえ,1960年(昭和35年)4月7日,内閣,
厚生省及び外務省の関係者が一堂に会して,打合せ会が持たれた。
 (イ) その席上,外務省からは,遺骨問題が国会等で表面化すると,中
華人民共和国からの対日賠償要求の問題にまで発展し兼ねないとし
て,少なくとも当時開催中の国会終了までは政府が巻き込まれないよ
う手を尽くすべきであるとの希望が表明された。
 (ウ) そこで,厚生省は,外務省の希望を勘案して,やむを得ない範囲
内で情報を小出しにして矛先をかわしていくこととした。
ク 上記議論の経過を踏まえ,
 (ア) 外務事務官(アジア局長)γは,同年5月3日,衆議院日米安全
保障条約等特別委員会において,外務省には現在外務省報告書は1部
も残っていないと答弁し(原判決66頁5行目から12行目までのと
おり),
 (イ) 内閣総理大臣岸信介は,同月6日付けで,衆議院議長にあてて,
「戦時中我が国に渡来した中国人労務者が,国際法上捕虜に該当する
者であったか否かについては,当時の詳細な事情が必ずしも判明して
いないので,いずれとも断定し得ない」との答弁書を提出した(原判
決66頁13行目から17行目までのとおり)。
第6 前提となる基本的事実(4)
{戦後における日本と中華人民共和国及び中華民国との外交関係}
 甲142,166の1・2,168ないし170,171及び172の各
1・2,乙ロ1,2並びに弁論の全趣旨によれば,次のとおり認められる。
1 中華人民共和国の建国と中華民国との関係
(1) 日中戦争当時,いわゆる中国は,中華民国が正統性を有する国家とし
てこれを支配していた。
(2) しかし,中国国内では,日本がポツダム宣言を受諾し,中国大陸及び
台湾島等から兵力を撤退した後,蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産
党とが覇権を争い,1949年(昭和24年)10月1日には毛沢東らに
よって中華人民共和国の建国が宣言されて以後,両政権がそれぞれ正統性
ある国家であると主張しあう状態が継続することとなった。
(3) 両政権は,いずれも,中国全体を代表する国家であると主張したが,
上記同日の時点で,中華民国が実効的に支配をしているのは,台湾と澎湖
列島だけにとどまり,大陸については,中華人民共和国がこれを実効的に
支配していた。
2 サンフランシスコ平和条約の締結
(1) 世界全体をみても,第二次世界大戦後,植民地の独立運動の発展と軌
を一にして,東欧や朝鮮半島では社会主義国家の樹立が相次ぎ,アメリカ
を中心とするいわゆる西側諸国とソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ
連」という。)を中心とする社会主義諸国とが対峙し,冷戦状態に入っ
た。
(2) そのような情勢下,日本国内では,平和条約をどの国との間で締結す
るかを巡って,単独講和か全面講和かといった論点で議論が沸騰した。
(3) 日本政府は,最終的に,いわゆる全面講和ではなく,単独講和の途を
選ぶこととし,1951年(昭和26年)9月8日,第二次世界大戦にお
ける連合国(以下「連合国」という。)中の45か国との間で,日本との
間の戦争状態を終了させ,日本の主権を完全に回復するとともに,領域,
政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するため,サ
ンフランシスコ平和条約を締結した。
(4) 同条約には,世界の有力国であるソ連は参加しなかったし,中国につ
いても,中華民国と中華人民共和国のいずれが正統性を有する国家か,諸
国の間で意見が分かれたので,そのいずれも,同条約締結に先だって開催
されたいわゆるサンフランシスコ会議に招待されず,同条約の締約国とは
ならなかった。
(5) 同条約は,1952年(昭和27年)4月28日公布され,即日発効
した。
3 サンフランシスコ平和条約の主な内容
  45か国との間で締結された同条約中,本件と関係する重要な部分の内容
は次のとおりであった。
(1) 賠償を行う方向での条項
 ア 日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償
を支払うべきことを承認する。同時に,日本には,すべての損害及び苦
痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行するためには,
その資源が充分でないことも併せて承認する(14条(a)柱書)。
 イ 日本国は,その領域が日本軍隊によって占領され,かつ,日本国によ
って損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその
他の作業における日本人の役務を当該連合国に供すること(いわゆる役
務賠償)によって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償する
ことに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始する(14条
(a)1)。
 ウ 各連合国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がこ
の条約の最初の効力発生の時にその管轄下に有する日本国及び日本国民
等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何ら
かの方法で処分する権利を有する(14条(a)2)。
 エ 日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊
の構成員に対する償いをする願望の表現として,戦争中中立であった国
又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又
は,日本国が選択するときはこれと等価のものを赤十字国際委員会に引
き渡すものとし,同委員会は,これを清算した結果生じた資金を捕虜で
あった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配する(1
6条)。
(2) 請求権の行使を妨げる方向での条項
 他方,14条(b)は,「この条約に別段の定がある場合を除き,連合
国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民
がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直
接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」と規定している。
(3) 日本国民の請求権について
  19条(a)は,「日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在した
ためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びそ
の国民のすべての請求権を放棄する」と規定している。
(4) 中国との関係
  中国(中華人民共和国を指すのか,中華民国を指すのかについては解釈
に疑義がある。)は,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった
が,同条約14条(a)2の利益を受ける権利を有することとされた(2
1条)。
4 サンフランシスコ平和条約前後の中華人民共和国首脳の発言
 サンフランシスコ平和条約締結に際して開催されたサンフランシスコ会議
に関し,中華人民共和国の周恩来首相兼外相は,「中華人民共和国中央人民
政府は,日本が平和経済を健全に発展させ,また,中日両国間の正常な貿易
関係を回復,発展させ,日本人民の生活が二度と戦争の脅威や損害を受け
ず,本当に改善されることのできる可能性があることを証明されることを望
むものである。同時に,かつて日本に占領され,甚大な損害を被ったことが
あり,しかも自力で回復することの困難な国々は,賠償を要求する権利を保
有すべきものである」と述べた。また,同国政府は,外交部スポークスマン
を通じて,「日本軍国主義者が,中国侵略戦争の期間中に,一千万人以上の
中国国民を殺戮し,中国の公私の財産に数百億米ドルに上る損害を与え,ま
た,何千何万もの中国人を捕らえて日本に連れて行き,奴隷のようにこき使
ったり,殺害したりした。日本政府は,中国人民がその受けた大きな損害に
ついて,賠償を要求する権利を持っていることを理解すべきである」と表明
した。
5 日華平和条約
(1) 日本と中華民国は,1952年(昭和27年)4月28日(サンフラ
ンシスコ平和条約の発効日),両国間の戦争状態を終了させるため,日華
平和条約を締結した。
(2) 同条約は,同年8月5日公布され,即日発効した。
(3) 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定があ
る場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として
生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するも
のとする」と規定している。
(4) 同条約の附属交換公文には,「この条約の条項が,中華民国に関して
は,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用
がある」との記載がある。
6 日中共同声明
(1) その後も,中国においては,台湾と澎湖列島を中華民国が,香港を除
く大陸を中華人民共和国が実効的に支配し,それぞれが全土について主権
を有する正当な国家であると主張しあい,世界情勢としても,一部の国は
中華民国を正当な国家と認めて同国と国交を結び,また一部の国は,中華
人民共和国を正当な国家と認めて同国と国交を結ぶという対立状態が続い
た。
(2) 日本国政府は,その後,アメリカの対中国政策の転換等を受けて,中
華人民共和国政府を中国を代表する唯一の合法政府であると承認し,19
72年(昭和47年)9月29日,中華人民共和国政府とともに,日中共
同声明に署名した。
(3) 同声明5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のた
めに,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」旨が記
載されている。
7 日中平和友好条約
(1) 日本と中華人民共和国は,その後,更に友好を深め,1978年(昭
和53年)8月12日,日中平和友好条約に署名した。
(2) 同条約は,同年10月23日公布され,同日発効した。
(3) 同条約前文には,日中共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となる
ものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守される
べきことを確認するとされている。
8 中華人民共和国民の海外渡航の可否等について
(1) 中華人民共和国には,従前,日本における出入国管理法に相当する法
律がなく,同国民は,私事の理由によっては出国することができなかっ
た。
(2)ア 1985年11月22日,中華人民共和国でも,公民出国入国管理
法(甲166の1)が制定され,翌1986年(昭和61年)2月1日
から施行されて,同国国民もようやく私事により出国することが可能と
なった。
 イ しかし,渡航の要件は厳しく,現在においても,同国国民は容易に出
国を認められない状態がなお続いている。
第7 前提となる基本的事実(5)
   {Aの死亡と相続}
 次の事実については,被控訴人国及び一審被告会社はいずれも特に争うこと
をしないので,弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。
1 Aは,2002年(平成14年)10月22日死亡した。
2 Aの相続人は,妻であるA1〔15-1〕,子であるA2〔同-2〕,A
3〔同-3〕,A4〔同-4〕及びA5〔同-5〕の5人である。
3 中華人民共和国相続法では,相続分は相続人全員が均分である。
4 A1〔15-1〕,A2〔同-2〕,A3〔同-3〕,A4〔同-4〕及
びA5〔同-5〕の間では,Aの遺産につき,いまだ遺産分割の協議はされ
ていない。
第8 争点
次のとおりである。
1 責任原因
(1) 戦前の不法行為責任(第9の1(1)参照)
(2) 戦前の保護義務違反(同1(2)参照)
(3) 戦後の保護義務違反(同1(3)参照)
(4) 戦後の不法行為責任(同1(4)参照)
ア 共同不法行為となるもの
イ 被控訴人国のみの単独不法行為となるもの
2 国家無答責の法理(同2参照。被控訴人国のみ主張)
3 時効と除斥期間(同3参照)
(1) 1(1)に基づく損害賠償請求権の民法724条の期間経過による消滅
 ア 前段(一審被告会社のみ主張)
 イ 後段
(2) 1(2)に基づく損害賠償請求権の時効消滅(一審被告会社のみ主張)
4 戦後処理を巡る諸問題(同4参照)
5 因果関係と損害(同5参照)
 (1) 賠償すべき損害額
 (2) 謝罪広告の当否
第9 争点に関する当事者の主張
 争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。
1 責任原因の有無
(1) 戦前の不法行為責任(第8の1(1)参照)
  一審原告らを日本に移入し,一審被告会社において労働に従事せしめた
こと及びその間の諸事情が被控訴人国と一審被告会社の共同不法行為を構
成するか否かについて
(一審原告ら)
ア 強制連行の事実と被控訴人国及び一審被告会社のこれへの関わり
(ア)a 被控訴人国は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決
定に基づき,日本国内において軍需産業に従事させる目的で,一審
原告らを,別表2中の「来日することとなった時期(年月)」欄の
時期に,同表「来日することとなった経緯」欄の態様で,その意思
に基づくことなく家族のもとを離れさせ,集結地及び塘沽で,同表
「集結地での待遇とそこで過ごした期間等」欄及び「塘沽での待遇
とそこで過ごした期間等」欄の処遇をした後,同表「乗船時期(年
月日)」欄の時期に日本に向けて出航し,強制的に日本に連行し
た。
 b① そのうち,G〔5〕とH〔7〕の連行には,日本兵が直接関与
した。
② 被控訴人国は,その余の一審原告らの連行には直接かかわって
いないが,同人らは,現地軍,大使館の協力により労働力を供出
するとの政策のもとに,傀儡機関である華北政務委員会が50%
出資して設立された華北労工協会が行政供出したものであるか
ら,同人らが家族のもとをその意思に基づかずに離れたことに
は,被控訴人国の関与があったというべきである。
 c 塘沽までの輸送,その間の集結地での監視,及び塘沽での監視は
日本軍がこれを行った。 
(イ) 一審被告会社は,次のとおり,上記強制連行に深く関与し,一定
の役割を果たした。
 a 一審被告会社における労働力不足を解消するため,石炭産業界の
中核として,中国人労働者を移入することを被控訴人国に積極的に
働きかけ,上記政策形成に深く関与した。
 b 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づき,中国
人労働者割当てを希望してその割当てを受けた。
 c B〔1〕については,1943年(昭和18年)6月石門で,そ
の余の一審原告らについては,別表2中の「乗船時期」欄の年月日
の少し前に塘沽で,いずれも華北労工協会の担当者から引渡しを受
けて,田川鉱業所や三池鉱業所に輸送した。 
 イ 強制労働の事実と被控訴人国及び一審被告会社のこれへの関わり
(ア) 一審被告会社は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決
定に基づいて,一審原告らの供出を受け,田川鉱業所や三池鉱業所に
おいて,別表2中の「到着日時」欄の時から1945年(昭和20
年)8月24日まで,別表3中の「宿舎」欄以下の処遇環境のもと
に,一審原告らを,その意思に基づかず,強制的に炭鉱労働に従事せ
しめた。
(イ) 被控訴人国は,
 a 国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社法その他によっ
て軍需会社に指定された一審被告会社の経営,人事を支配し,労務
管理権を有していたところ,
 b 石炭統制会を通じて一審被告会社に生産目標を明示し,国策とし
て採炭事業を行わしめるに当たり,
 c 一審原告らを国家要員と位置付けて過酷な労働を強いた。
 d そして,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,内務省が官憲
を派遣し,事業場関係者と定例的に会議を開きながら,田川鉱業所
及び三池鉱業所において,一審原告らの日常警備と取締りに当たっ
た。
 ウ 評価
(ア) 強制連行について
 a 一審被告会社を含む産業界は,中国人労働者の日本への移入を望
み,これをも受けて決定された国策に基づいて,強制連行が行われ
た。
 b 被控訴人国が,だまし,あるいは脅して,身体の自由を拘束し,
輸送途上で多数の死者が出るほど悪い栄養状態や衛生状態の下で,
一審原告らを隷属下において他国に連行した行為は,逮捕・監禁罪
その他の犯罪にも該当する違法なものである。
 c 一審被告会社は,一審原告らが家族のもとを離れることに直接関
与したものではないが,石門ないし塘沽からは一審原告らの輸送に
関わっており,その意思に基づかずに来日するものであることは十
分了知しえた。
 d したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原
告らを日本に強制的に連行したことについて責任がある。
(イ) 強制労働について
 a 宿舎に見張り所を設け,官憲の武力による威嚇のもと,多数の労
災死亡者,傷害者を出す等安全衛生に意を用いない環境下で,十分
な食事を与えないばかりか,減食処分をも制裁の一内容とし,E
〔10〕に至ってはナタあるいはこれに類する工事用具をふるって
大腿骨を骨折させる等,暴力と暴言の恐怖によって,隷従のもとに
一審原告らを炭鉱労働に従事させた行為は,強制労働禁止条約その
他戦前の労働法制にも違反し,違法である。
 b 被控訴人国は,軍需会社法その他により,一審被告会社に強い支
配権を有しており,官憲を派遣して具体的な取締りにも当たってい
た。
c したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原
告らに強制労働させた責任がある。
 エ まとめ
   よって,被控訴人国と一審被告会社は,民法709条,715条及び
719条により,強制連行・強制労働により一審原告らが被った損害に
ついて,連帯して,これを賠償する責任がある。
(一審被告会社)
ア 強制連行について
(ア) 一審被告会社は,一審原告らが中国から日本に供出される過程に
一切関与していない。確かに,日本の産業界が中国人労働者の移入を
国策とするように要請したことはあるが,欺罔又は脅迫を用いてでも
中国人労働者らの意思に反する形で強制的に連行して移入するように
要請したのではない。
(イ) 1942年閣議決定その他の中国人労働者移入政策を決定したの
は,戦争目的遂行のために国家総動員体制下において国民動員計画を
策定した被控訴人国である。一私企業にすぎない一審被告会社が被控
訴人国又は軍と共同してこれに関与することは法制度(建前)上も事
実上も全く不可能であった。今日の視点で,日中戦争・太平洋戦争当
時の個々の民間企業の立場を評価するのは誤りである。そもそも,当
時において,官民一体ということはあり得なかった。
(ウ) よって,一審原告らがその意に反して日本に強制的に連行された
事実があったとしても,一審被告会社には,この点について何ら責任
はない。
イ 強制労働について
(ア) 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で働いた事実を強制労働と
評価し得るか
a 本件は50年以上前の出来事である。一審被告会社には当時の資
料は全く残っていないから,一審原告ら主張の事業所で受けた処遇
及び労働の実態については,具体的に認否することができないし,
反証しようにもその手掛かりさえない。原判決の認定上も,一審被
告会社のどのような行為をもって強制労働と判断しているか明らか
でない。
b① 居住,食糧及び衣料に関する事情は,処遇条件であって,一審
原告らが従事した労働が強制労働であったかとは直接関係しな
い。
 ② 関係するとしても,当時は日本人も,食糧事情,居住事情及び
衣料事情が良好でなく,一審原告らの故郷である中国の事情と比
較しても,水準が下がったとはいい得ないものであったから,不
法行為を構成するほど劣悪なものであったとはいうことができな
い。
c けがその他の傷病は労働災害として捉えるべきものであって,強
制労働として損害賠償の対象となるものではない。
d① 暴力については,中国人労働者は国策として労働力を期待され
て移入されたのであるから,労働意欲低下の原因となる暴力が組
織的に行われたとは考え難い。
 ② 仮に,一部で暴力があったとしても,それは個人的な問題にす
ぎない。
e よって,一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事した
ことを強制労働であると評価することはできない。
(イ) 戦時経済体制における一審被告会社の裁量の有無
a 石炭は,国家総動員法における総動員物資とされたので,一審被
告会社は同法の適用を受け,1938年(昭和13年)5月5日の
同法施行後は,自らの利潤追求のためではなく,戦争遂行のため,
事業を行うべきこととなった。
b 被控訴人国は,1942年(昭和17年)2月,重要事業場労務
管理令を定め,一審被告会社の田川鉱業所と三池鉱業所をいずれも
重要事業場に指定したので,両鉱業所においては,「従業規則」
(同令4条),「賃金規則,給料規則及昇給内規」(同令10条)
を定めて厚生大臣の認可を受けるべきこととなり,更には,労務管
理官を派遣されて,直接従業員等の監督指導を受けることになった
から,両鉱業所においては,以後,労働条件の決定及び労務管理は
被控訴人国が完全に掌握することとなった。
c① 被控訴人国は,1942年(昭和17年)10月,軍需会社法
を制定したが,同法は,「軍需会社の営む軍需産業に従事する者
は国家総動員法により徴用せられたるものとみなす」(6条)と
して,軍需会社の従業員は被控訴人国の徴用によって就労するも
のであるとその性格を明確にし,「政府は…軍需会社に対し其の
勤労管理…に関し必要なる命令を為すことを得」(10条)と定
めて,被控訴人国が軍需会社の従業員に対して直接労務管理を行
い得ることを明確にした。
 ② のみならず,「政府は勅令の定むる所に依り軍需会社に対し定
款の変更…合併若は解散…其の他の処分に関し必要なる命令を為
すことを得」(12条),「軍需会社の業務執行,株主総会…其
の他軍需会社の運営に関しては,…勅令をもって別段の定を為す
ことを得」(14条),「政府は…軍需会社の取締役若は監査役
を解任し又は業務を執行する社員の業務執行権を喪失せしむるこ
とを得」(19条)等として,軍需会社については企業そのもの
に対する統制も強化した。
③ 一審被告会社は,1944年(昭和19年)4月17日,軍需
会社に指定され,同法の適用を受けた。
d 中国人労働者の割当て
① 1944年次官会議決定の細目である華人労務者内地移入手続
は,事業主が「華人労務者移入雇用願」を厚生省に提出し,厚生
省が中国人労働者の割当てを決定することにより,中国人労働者
の意思にかかわらず,事業主との間に労使関係が生じることを定
めた。
②中国人労働者は国家総動員計画として計上された者であり,軍
需会社法6条の趣旨等にかんがみても,一審被告会社には割り当
てられた労働者について,素質その他を考慮してこれを拒否する
自由はなかった。
e まとめ
① 以上のとおり,一審被告会社は,1944年(昭和19年)4
月27日に軍需会社に指定されてからは,国策会社の一つとし
て,その経営権や人事権を被控訴人国に握られ,また,それ以前
からも,中国人労働者の採用,労働条件の決定等については,重
要事業場労務管理令その他の関係法規によって,被控訴人国の指
示に従うほかなく,全く裁量権を有していなかった。
② 一審被告会社は,このような経済環境と労働事情のもと,被控
訴人国の生産督促に従い,目標量の石炭生産を成し遂げるべく事
業を行ってきた。
③ したがって,仮に,一審原告らの従事した労働を強制労働と評
価し得る余地があるとしても,一審被告会社は被控訴人国の全面
的な統制下,労務管理官の監督を受けながら,その指示する労働
条件で一審原告らを使役したものであるから,違法なものではな
かった。その責任を負うべきは被控訴人国であり,一審被告会社
には一審原告らを強制労働させた責任はない。
ウ よって,一審被告会社には,強制連行・強制労働のいずれにも責任は
ない。
(被控訴人国)
ア 一審原告らが来日した経緯に関し,仮に,被控訴人国の行為が不法行
為を構成するとしても,後記のとおり,戦前の権力作用たる行為につい
ては責任を負わない(いわゆる国家無答責の法理)という法理があっ
た。よって,被控訴人国は,強制連行については,具体的な認否をしな
い。
イ 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事した際の処遇環境
等は専ら一審被告会社との問題であるから,被控訴人国は,その点につ
いてはそもそも責任を負わない。
(2) 戦前の保護義務違反(第8の1(2)参照)
(一審原告ら)
ア 総論
(ア) 保護義務を含意する安全配慮義務は,「特別な社会的接触の関係
に入った当事者」間において一方又は双方が相手方に対して負うべき
信義則上の付随義務である(最高裁判所第三小法廷昭和50年2月2
5日判決・民集29巻2号143頁。以下「昭和50年判決」とい
う。)。
(イ) 最高裁判所第一小法廷平成2年11月8日判決・裁判集民事16
1号191頁(以下「平成2年判決」という。)及び同小法廷平成3
年4月11日判決・裁判集民事162号295頁(以下「平成3年判
決」という。)からも明らかなとおり,直接の契約関係にない当事者
間であっても,「指揮監督権行使により実質的に労務を受ける関係」
や「指揮・監督を受けて稼働する関係」にあれば,安全配慮義務は発
生する。そこでは,当事者間に法律関係が存在することは必要でない
し,仮に,何らかの法律関係が必要であるとしても,「契約関係ない
しこれに準じるような強固な法的結合関係」までは必要ない。
(ウ) 要するに,労働を巡る法関係における安全配慮義務の発生根拠
は,
a 使用者が被用者を自己の指揮監督下に置いて,自己の提供する施
設・器具を利用して労務を提供させている事実と,
b そのようにして他人に労務を提供させようとする使用者の意思
 の二要件の充足に求められるべきである。
  平成2年判決及び平成3年判決は,その趣旨を正面から認めたもの
と解すべきであるから,本件のように,労働者が強制労働その他労働
に従事することを承諾しておらず,雇用契約の存在が認められない場
合であっても,上記二要件が充足されているときには,安全配慮義務
の成立を認めるのが相当である。
イ 本件における「特別な社会的接触関係の存在」
(ア) 一審被告会社との関係
 a 一審被告会社は,軍需生産による利潤の帰属主体として,一審原
告らを田川鉱業所と三池鉱業所へ配置し,両鉱業所において一審原
告らを直接使役し,その労働力を利用してきた。
 b 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定では,本来は割
当てを受けた事業主と中国人労働者の間で雇用契約が締結されるこ
とが予定されており,適正な手続がとられていれば,一審被告会社
と一審原告らとの間には雇用契約が締結されていたはずである。こ
れが行われなかったのは,一審原告らがその意思に基づいて労働に
従事するものでないことを熟知していた,専ら一審被告会社側の事
情によるものである。
 c したがって,両者の間に,いわゆる安全配慮義務適用の前提とな
る「特別な社会的接触の関係」があることは明らかである。
(イ) 被控訴人国との関係
 a 被控訴人国は,国家総動員法に基づき,中国人労働者3万名を1
944年度国民動員計画に計上した。
 b① 1944年(昭和19年)4月27日には田川鉱業所と三池鉱
業所を軍需会社法における軍需会社に指定した。
  ② その結果,上記両鉱業所については,同日以降,被控訴人国が
人事・懲戒権を有し,その指揮,命令のもとで生産が行われるこ
ととなった。
 c 被控訴人国は,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,官憲を
派遣して,自ら一審原告らの宿泊所の警備,監視に当たる等してい
た。
 d 「特別な社会的接触の関係」の存在
   してみると,被控訴人国は,一審原告らを国家総動員法及び軍需
会社法上の「国家要員」と位置付けて,これを支配従属する関係に
立ち,一審原告らをして両鉱業所での軍需生産に当たらせてその労
働力を利用したのであるから,公法上の関係があったというべきで
あり,被控訴人国と一審原告らの間には,当初から,あるいは遅く
とも1944年(昭和19年)4月27日以降,いわゆる安全配慮
義務適用の前提となる「特別な社会的接触の関係」が形成されたと
いうのが相当である。
 e 「労務の支配管理性」の存在
   被控訴人国は,
  ① 当初は,国家総動員法及び重要事業場労務管理令により,従業
規則その他を介して,
  ② 一審被告会社を軍需会社に指定した後は,労務管理官を派遣す
る等して直接,現場における生産遂行の状況を常時考査し,指
導,監督しただけでなく,
  ③ 当初の試験移入の時から一貫して,「移入華人労務者取締要
領」等に基づき,内務省において官憲を派遣し,事業場関係者と
定例的に会議を開きながら,一審原告らの日常警備と取締りに当
たった
  のであるから,「労務の支配管理性」もあったというのが相当であ
る。
ウ 戦前における保護義務の内容
(ア) 被控訴人国は,1942年閣議決定,1944年次官会議決定及
びその細目で,事業場が中国人労働者を使用する場合の契約期間,賃
金,就業時間,休日,衣食住,安全衛生等の使用条件に関する基準,
指針を定め,一審被告会社は,この基準,指針に基づいて,「華人労
務者対日供出実施細目」等を定めて使用条件の細目を決定し,華北労
工協会との間で移入契約を締結した。
(イ) してみると,被控訴人国及び一審被告会社は,「特別な社会的接
触関係」に基づき,いずれも,一審原告らに対し,(ア)の決定,細目
等に定められた使用条件を最低水準として,その提供した労務に見合
う賃金を支払うとともに,その生命,健康の保全に配慮し,適切な労
働環境のもとに,意に沿わない労働が強制されることのないよう,一
審原告らを保護すべき信義則上の義務を負っていたというのが相当で
ある。
エ 保護義務違反
  しかるに,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らを,別表2中
の「到着日時」欄の時から1945年(昭和20年)8月24日まで,
全体としては第3の5(1)のとおり,個別には別表3中の「宿舎」欄以
下の処遇環境のもとに,その意思に基づかず,強制的に炭鉱労働に従事
せしめ,いずれも,上記義務を履行しなかった。
オ まとめ
  よって,被控訴人国及び一審被告会社は,民法1条2項,415条及
び416条に基づき,一審原告らに対し,連帯して,保護義務違反によ
る損害賠償をすべき責任を負う。
(被控訴人国の反論)
ア 総論
 (ア) 安全配慮義務は,「ある法律関係に基づいて特別の社会的接触の
関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当
事者の一方ないし双方が相手方に対して信義則上負う義務」である
(昭和50年判決)。
 (イ) これは,契約関係における信義則を根拠に,主たる債権債務とは
別に,一定の付随義務を認めるものであるから,契約責任の内容を拡
大する側面を有する。
 (ウ) また,私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三
者を介して実質的に契約当事者類似の関係にある者や,公法上の法律
関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間においても,信義則
上,契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行
として規律するものであるから,狭義の契約責任の主体の範囲を実質
的に拡大する側面も有する。
イ 要件
 (ア) しかし,安全配慮義務は債務不履行を理由とする賠償責任であっ
て,最高裁判所判例のいう「特別な社会的接触の関係」とは,不法行
為規範が妥当する無限定な社会的接触関係を意味するものではないか
ら,安全配慮義務が認められるためには,当事者間に,雇用契約ない
しこれに準ずる法律関係が存することが必要である(最高裁判所第一
小法廷昭和55年12月18日判決・民集34巻7号888頁(以下
「昭和55年判決」という。)参照)。
 (イ) また,安全配慮義務は,労務ないし公務遂行に当たって支配管理
する人的及び物的環境から生じうべき危険の防止について信義則上負
担するものである(最高裁判所第二小法廷昭和58年5月27日判
決・民集37巻4号477頁(以下「昭和58年判決」という。)参
照)から,その成立が認められるためには,当事者間に事実上の使用
関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立していて,使用者の設置な
いし提供する場所・施設・器具等が用いられ,これらの物的側面ない
し労務の性質が,労働者の生命,健康に危険を及ぼす可能性がある場
合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必
要である。
 (ウ) したがって,債務不履行の有無を論じる際の安全配慮義務は,当
事者間に「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在し,かつ,
当事者間に「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が
認められる場合に初めて成立するというのが相当である。
ウ 本件について
 (ア) 一審原告らと被控訴人国とは,直接の契約関係に立っていなかっ
た。
 (イ) また,被控訴人国が,軍需会社法により,一審被告会社の選任し
た生産責任者や生産担当者の指導,監督をすることができ,同法,国
家総動員法,重要事業場労務管理令及び国民徴用令により,一審原告
らの一審被告会社における労働条件等について公権的な介入を行い,
これを規律し得たとしても,それはあくまで私企業の自主的経営を前
提とし,国民に対する一方的な処分として行うものにすぎないから,
これをもって一審原告らと被控訴人国との間に,安全配慮義務成立の
前提となるに足る「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在し
たともいうことはできない。
 (ウ) 被控訴人国は,私企業の自主的経営を前提とし,一審被告会社の
選任した生産責任者や生産担当者の指導,監督を介して,戦力の増強
を図ろうとしたにすぎず,具体的な生産現場において労働者の労務を
直接的かつ具体的に支配するものとはいえないから,そこには,「直
接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があったと認める
こともできない。
エ したがって,一審原告らと被控訴人国との間には,安全配慮義務が発
生する根拠がなかったから,その違反が問題になる余地はない。
オ なお,一審原告らは,
 (ア) 平成2年判決及び平成3年判決を引用して,安全配慮義務の発生
を認めるに当たっては,「ある法律関係に基づいて」いるか否かは事
実上捨象することができ,当事者間に「契約関係若しくはこれに準ず
る法律関係」が存することは必要でない,とか,
 (イ) 松本克美教授の説に依拠して,安全配慮義務が発生する根拠は,
使用者が労働関係を設定し,労務の提供を請求するという事実上の関
係それ自体にあり,必ずしもそこに労働契約関係が存することを要し
ない
等とも主張するが,上記最高裁判所判例の趣旨を正解しない,独自の見
解であって,いずれも失当である。
(一審被告会社の反論)
ア いわゆる安全配慮義務の総論及び要件については,被控訴人国の反論
ア,イと同じであるから,これを援用する。
イ 一審被告会社と一審原告らは雇用契約を締結したものではなく,あく
までその関係は事実上のものにすぎないから,契約ないしそれと同視す
るに足る強固な法的関係を前提とする債務不履行責任である安全配慮義
務違反を論じる余地はなく,不法行為規範が適用されるべきである(そ
して,不法行為責任もないことは前記した。)。
ウ 仮に,安全配慮義務を論じる余地があるとしても,一審被告会社は,
一審原告らに対し,当時の日本人の食糧事情,衣料事情,居住事情と比
較して遜色ない処遇をしており,その水準は一審原告らの故国における
ものと比べても低下してはいなかったし,組織的に暴力を用いたり,長
時間労働や危険な労働に従事させたことはないから,一審被告会社は十
分に安全配慮義務を尽くしていた。
(3) 戦後の保護義務違反(第8の1(3)参照)
(一審原告ら)
ア 労働契約ないしそれに準ずる関係に基づく保護義務
 (ア) 日本は,1945年(昭和20年)8月14日,ポツダム宣言を
受諾し,一審原告らを含む一切の俘虜,被抑留者を解放するととも
に,これを保護し,手当を支給し,給養し,送還する義務のあること
を認めた。
 (イ) そして,第3の3(6)イ(イ)及びエのとおり,同月17日,内務省
主管防諜委員会幹事会において「華人労務者の取扱」を申し合わせ,
「華人労務者帰国取扱要領」を定めて,中国人労働者を雇用した事業
主に対し,賃金の精算と契約不履行事項の実施,慰霊祭の執行と傷病
者の介護等の措置を講じるよう義務付け,関係官庁がこれを指導,監
督することとした。
 (ウ)a 被控訴人国は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決
定では,中国人労働者と受入先企業は雇用契約を締結することを念
頭に置いていた。
b 一審被告会社は,本来,国の政策に従い,受け入れる労働者とは
雇用契約を締結すべきものであった。
c (イ)の政策は,本来あるべき姿たる労働契約ないしこれに準ずる
関係の存在を前提としている。
 (エ) 以上によれば,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審
原告らに対し,少なくとも戦後においては,その受けた被害を回復す
るため,
  a 未払賃金の支払と必要な衣食・物資の支給,
  b 帰郷費用の支給を含め,帰還のために必要な措置を講じること,
c 傷病した一審原告らに対する十分な治療や療養の給付と補償,
d 強制連行及び強制労働による肉体的,精神的苦痛に対する慰謝,
e 破壊された生活を回復し,家族関係と家庭生活を修復していくた
めの補償及び敵国に労務を提供したとの非難に対する名誉回復のた
めの措置,
f 強制連行及び強制労働の経過と実情についての事実関係の情報の
提供を行うこと
  等をその内容とする保護義務を負っているというべきである。
イ 戦前の先行行為に基づく原状回復義務としての保護義務
 (ア) 被控訴人国と一審被告会社が一審原告らをその意思に基づかず,
強制的に中国から連行し,田川鉱業所や三池鉱業所において強制的に
労働に従事せしめた行為は,(1)において述べたとおり,不法行為を
構成する。
 (イ) したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らに対
し,先行行為に基づく原状回復義務として,その被害を回復するた
め,ア(エ)の保護義務を負っている。
 (ウ) 仮に,戦前においては国家無答責の法理が適用され,国は戦前に
おいては不法行為責任を負わないとしても,1946年(昭和21
年)11月3日,日本国憲法が制定され,1947年(昭和22年)
10月27日には国賠法が制定されて,旧憲法下における国家無答責
の法理は根本から否定されたから,少なくとも戦後においては,被控
訴人国も上記先行行為に基づく原状回復義務としての保護義務を負
う。
ウ 戦後における保護義務の不履行
 しかるに,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らをそれぞれの
故郷ではなく塘沽に送り届けたのみで,賃金の精算を含め,上記保護義
務を全く履行していない。
エ まとめ
  よって,被控訴人国及び一審被告会社は,民法1条2項,415条及
び416条に基づき,一審原告らに対し,連帯して,保護義務違反によ
る損害賠償をすべき責任を負う。
(被控訴人国の反論)
ア(ア) 一審原告らは,いわゆる安全配慮義務の一内容として「保護義
務」を主張する。
 (イ) しかし,一審原告らと被控訴人国との間に安全配慮義務を発生せ
しめるに足るような「ある法律関係に基づく特別の社会的接触関係」
を認めることができないことは,(2)の保護義務違反の項で述べたと
おりである。
 (ウ) よって,一審原告らの主張は,その点だけをとっても失当であ
る。
イ(ア) 仮に,安全配慮義務(保護義務)を観念し得るとしても,
a 同義務は信義則に根拠を置くものであるから,その内容を確定す
るに当たっては,敗戦国である我が国の社会,経済情勢,技術水準
等,当時の諸般の事情を踏まえ,一審原告らそれぞれの状況を具体
的に検討し,当時,我が国が信義則上何らかの具体的な対応が容易
であり,これを行うことが一審原告ら個々人に対して,法的な義務
として想定される程度のものであったかが検討されなければならな
いところ,
b 若槻泰雄・戦後引揚げの記録(乙イ第16号証-258ないし2
67頁)からも明らかなとおり,当時日本は,戦争の結果,工業設
備の多くが失われ,主要都市の建物密集地区の40%は破壊され,
全国の都市人口の30%は家と家財を焼失し,経済活動の低下によ
って多くの失業者が生じ,しかもそれは増加の一途をたどり,食糧
需給も,動物として耐え得る限界に近づきつつあった。そして,そ
こへ若年層を中心とする600万人以上の海外からの復員軍人と一
般在留邦人が引き揚げてくるという状況であった。
 (イ) 一審原告らが主張する義務内容は,上記のような終戦直後の我が
国の国民の生活状態等をも踏まえて検討されたものではなく,当時の
安全配慮義務(保護義務)に係る主張としては失当である。
(一審被告会社の反論)
ア 一審被告会社と一審原告らは雇用契約を締結したものではなく,あく
までその関係は事実上のものにすぎないから,そもそも,両者間に安全
配慮義務(保護義務)の観念を入れる余地はない。
イ 仮に,これを論じる余地があるとしても,一審原告らが「労働契約な
いしそれに準ずる関係に基づく保護義務」として論じる部分は,日本政
府がポツダム宣言の受諾を踏まえて中国人労働者の取扱いについて定め
た内容をその根拠としているものであるところ,これは,一審原告らを
含む中国人労働者と一審被告会社との直接の関係を規律するものではな
く,一審被告会社の一審原告らに対する義務としては発生していないか
ら,その点でも,一審原告らの主張は失当である。
(4) 戦後の不法行為責任(第8の1(4)参照)
(一審原告らの主張)
ア 不法行為の事実
(ア) 終戦直後の措置
  被控訴人国は,日本建設工業界その他に対し,終戦直後の1945
年(昭和20年)8月16日,中国人労働者移入に関する統計資料,
訓令,その他の重要書類の焼却を命じて,組織的な証拠隠滅工作を行
った。
(イ) 外務省報告書及び事業場報告書作成過程における不法行為の事実
a 被控訴人国は,1946年夏,各事業場から提出された事業場報
告書を基礎として外務省報告書をまとめたが,これは,中国人労働
者を強制的に日本に連行し,強制的に労働に従事せしめたことにつ
いて,連合国側,特に当時の中華民国から戦犯その他として責任追
及されるのをおそれてのことであった。
b 一審被告会社は,責任追及を免れる観点から事業場報告書をまと
め,正確には真実を明らかにしなかった。
c 被控訴人国は,現地調査を行った調査員の報告中,戦犯追及に不
利益な部分についてはこれを採用しない等,真実を覆い隠す欺瞞に
満ちた外務省報告書を作成した。
(ウ) 戦犯追及を免れた後の証拠資料の隠滅
a 被控訴人国は,その後,外務省報告書を,1通を除き,焼却し
た。
b また,各事業場に命じて,事業場報告書もすべて焼却せしめた。
c 花岡事件をきっかけに,殉難者慰霊,遺骨収集・返還運動が活発
になると,さらに中国人労働者の強制連行・強制労働が再燃するこ
とをおそれ,この活動をも妨害した。
d 一審被告会社は,その従業員が三池鉱業所における中国人労働者
処遇の実態等を調査しようとすると,不利益配転をする等して,調
査活動を妨害した。
(エ) 虚偽の国会答弁
a 国会では,戦時中の中国人労働者の移入問題につき,表面的には
殉難者慰霊や遺骨送還問題等の形をとりながら,中国人労働者の意
思に基づかずに行われた強制連行・強制労働ではないか等との追求
がなされ,外務省報告書の存否等が問題とされた。
b しかし,政府閣僚は,1993年(平成5年)にNHKがスクー
プ報道をするまで,一貫してその存在を否定する虚偽の答弁を繰り
返した。
c そして,外務省報告書が明るみに出ていないことを奇貨として,
確かめるすべはないとしながらも,中国人労働者は自らの意思によ
り来日し,契約に基づいて労働をしていたはずである等と虚偽の答
弁を繰り返した。
(オ) 外務省報告書の存在発覚後の不当な対応
a 被控訴人国は,NHKの報道その他により,外務省報告書の存在
が公になると,これが真正なものであることは認めたが,その後
も,中国人労働者の移入及び日本での労働は半強制的なものであっ
たというあいまいな態度に終始し,強制連行・強制労働の事実を正
面から認めることをしない。
b そして,本件訴訟においては,一審被告会社とともに,事実認否
すらせず,誠実な対応をしない。
(カ) 加害企業に対する補償と刑事罰の不履行
a 他方で,被控訴人国は,中国人労働者を受け入れた企業には,中
国人労働者に対し終戦後休業補償をしたとか,終戦後に不当要求や
暴行事件が起こって損失が生じた等とする企業の主張を容れ,その
要求に従って,総額5672万5474円の損失補償をし,一審被
告会社にもその13.6%に当たる774万5206円を支払っ
た。
b にもかかわらず,被控訴人国は,現在に至るも,いずれの受入企
業に対しても,強制労働禁止条約25条に定められた強制労働の実
施者の刑事訴追と処罰を行っていない。
イ 不法行為の成立
(ア)a 上記のとおり,被控訴人国及び一審被告会社は,戦後,一審原
告らに対し,中国人労働者強制連行・強制労働の事実を解明し,一
審原告らに情報を提供し,それに基づいて誠実に謝罪するととも
に,一審原告らないしその遺族が被った損害を賠償する保護義務を
負っている。
 b その義務を履行しないこと自体が不法行為を構成する。
(イ) ア(ア)ないし(エ)の各行為は,一審原告らを含め日本に強制連行さ
れた中国人労働者がその権利を行使することを妨害するものであるか
ら,その意味でも不法行為を構成する。
(ウ) ア(カ)bの行為は,強制連行及び強制労働の事実の究明,関係者の
処罰及び謝罪を待ちわびてきた一審原告らの期待を裏切るものであ
り,単なる刑事訴追義務違反にとどまらず,一審原告らに対して新た
な精神的損害を加えるものであって,それ自体が不法行為を構成す
る。
(エ) (ア),(イ)は,被控訴人国と一審被告会社の共同不法行為であり,
(ウ)は被控訴人国の単独の不法行為であるが,その損害の内容は同一
である。
ウ まとめ
 よって,一審被告会社と被控訴人国は,連帯して,民法709条,7
15条及び719条により,一審原告らが被った損害を賠償すべき責任
を負う。
(一審被告会社)
ア 一審原告らの主張中,ア(イ)b及び(ウ)dの事実をいずれも否認する。
イ 同ア(ウ)b及び(オ)bの事実は,本件は50年以上前の出来事を問題と
するものであり,正確な事実を把握することができないから具体的な認
否を控えているだけのことであって,非難されるいわれはない。
ウ その余の事実はすべて被控訴人国の行為である。これらの事実が一審
被告会社の不法行為を構成する余地はない。
(被控訴人国)
 一審原告らの主張は,前提としていかなる義務に違反しているのか明ら
かでなく,不法行為を構成するものではない。
2 国家無答責の法理について(第8の2参照)
(被控訴人国の主張)
(1) 一審原告らが戦前の不法行為として主張するところの国の行為は,国
賠法施行前に戦時政策の一環として行われた国家の権力的作用に基づく行
為である。
(2) しかし,国賠法施行前においては,公務員が職務を行うについてされ
た行為が,国家の権力的作用に該当する限り,
ア 民法の不法行為の規定の適用が排除され,
イ また,他に賠償責任を認める法令上の根拠もなかったから,
国家の権力的作用に基づく行為の結果,個人に損害が生じても,国の損害
賠償責任は認められないという実体法上の法理が確立していた(最高裁判
所第三小法廷昭和25年4月11日判決・裁判集民事3号225頁(以下
「昭和25年判決」という。)参照。国家無答責の法理)。
(3) 日本国憲法17条に基づいて制定された国賠法は,その施行後の国の
権力的行為について損害賠償請求が可能なことを認めたが,附則6項にお
いて,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例に
よる」(「従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場
合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを
意味する(有斐閣「法律用語辞典」1041~1042頁)。)として,
国賠法施行前の行為には国家無答責の法理が適用されることを明らかに
し,国は責任を負わないことを定めているところ,同項が実体法であるこ
とは昭和25年判決より明らかである。  
(4) したがって,国賠法施行前の国家の権力的作用に基づく行為を問題と
する1(1)における一審原告らの主張は法的根拠を欠く。
(5) 国家無答責の法理の合理性の有無の判断につき,問題とすべきは現行
法下におけるそれではなく,行為時におけるそれである(合理性の有無を
判断すべき基準時が行為時であることにつき,最高裁判所第二小法廷平成
15年4月18日判決・民集57巻4号366頁,同大法廷昭和35年4
月18日決定・民集14巻6号905頁参照)ところ,戦前の英米独仏諸
国はもとより,1980年代初頭の中華人民共和国においても,国家無答
責の法理がとられていた。すなわち,国賠法施行前においては,国家無答
責の法理には合理性もあった。
(6) ちなみに,現行憲法17条の下においても,国家賠償責任の要件の定
立は「立法府の政策判断」にゆだねられているところ(最高裁判所大法廷
平成14年9月11日判決・民集56巻7号1439頁),立法府は,そ
の政策判断として,国賠法附則6項において,同法の遡及的適用の規定を
設けなかった。
(一審原告らの反論)
(1) いわゆる国家無答責の法理(正確には「公権力無責任の原則」という
べきものである。)とされる法理論は判例の所産にすぎず,裁判所の判断
を一般的に拘束するものではないから,裁判所は具体的な事案に即し,責
任を認めるか否かを判断すべきである。
 ア 実定法上の根拠の有無
(ア) 民法715条の規定と特別法の有無
 a 国が不法行為責任の主体となるかどうかは現行民法制定の過程で
議論の対象となった。
 b この点につき,起草者は,公権力の行使の結果,個人に損害が生
じ,これが不法行為に当たると判断されるときには,国ないし公共
団体は官吏の使用者としてその責任を負う,これを免除するのであ
れば,例外的に特別法を制定して対処すべきであると考えていた。
 c しかし,結局において,公務員の権力行使に関する不法行為責任
に関しては,これを免除する特別法は制定されていない。
 d 民法715条の文理を素直に読む限り,同条は,国ないし公共団
体が権力的作用によって個人に損害を及ぼしたときに,不法行為責
任の主体となることを排除していない。
  (イ) 行政裁判法16条について
a わずかに,行政裁判法16条は「行政裁判所は損害要償の訴訟を
受理せず」と規定している。
b しかし,これは,行政裁判所へは損害賠償請求を提訴できないこ
とを定めた手続規定にすぎず,国又は公共団体の権力的作用による
損害について,国又は公共団体に損害賠償責任を負わないことを定
めた実体法上の規定ではない。
  (ウ) 旧民法について
   a 旧民法については,その制定過程において,当初,草案の段階で
は不法行為責任の主体に「公の事務所」も含まれていたのが,最終
的には削除された経過がある。
   b しかし,旧民法も,「委託者は…受任者が受任の職務を…行ふに
際し加へたる損害につき其責に任ず」として,国又は公共団体が不
法行為責任を負う余地をなお残している。
  (エ) まとめ
    以上によれば,国又は公共団体が不法行為に基づいて損害賠償責任
を負うか否かについては,実定法上の規定はなく,その解釈は裁判所
の判断にゆだねられていたと解するのが相当である。
 イ 戦前の判例
   そこで,国又は公共団体の不法行為責任に関する戦前の判例を概観す
ると,
(ア) 国と公共団体の活動のうち,営利を伴ういわゆる私経済作用に起
因する損害については,当初から司法裁判所が民法を適用して国又は
公共団体の損害賠償責任を認めてきた。
(イ) 公的な行政作用に起因する損害についても,
a 当初は,国又は公共団体の損害賠償責任をすべて否定していた
が,
b 徳島市立小学校遊動円棒事件の大審院大正5年6月1日判決(民
録22輯1088頁。以下「遊動円棒事件判決」という。)におい
て,徳島市に工作物責任があることを認め,
c 以後,非権力的公行政については,これを私法関係とみて民法を
適用するようになった。
 ウ 評価
   実定法に定めがあれば,解釈が変遷することはあり得ないのであるか
ら,戦前,「国又は公共団体は,不法行為により個人に損害を生じさせ
たとしても,これが権力的作用に起因するものであるときには,賠償責
任を負わない」とする解釈が行われていたとしても,それは実定法上の
根拠を有する法理ではなく,判例による法解釈の所産にすぎないという
べきである。
 エ 国家に責任を認めない場合があり得るとしてその基準について
  (ア) 現憲法は,個人の尊厳を最大の価値として,これを踏みにじる残
虐非道な行為を許さない。
  (イ) 旧憲法においても,正義は,自然法ないし条理として,その前提
をなし,かつ,旧憲法を超える価値を有していた。したがって,国又
は公共団体の行為が著しい不正義に当たるときには,旧憲法下にあっ
ても,自然法ないし条理に反するものとして許されなかったというべ
きである。
 オ 本件について
(ア) 被控訴人国が一審原告らに対して行った行為は,別表2,3のと
おり,家族とともに平穏な暮らしをしていた外国人を,何ら理由もな
いのに日本に強制的に連行し,劣悪な環境下,十分な食事も与えず,
暴力,暴言,食事制限等で畏怖させて,意に反して強制的に労働に従
事させたものであって,その行為は残虐非道で,被害は極めて甚大で
ある。
(イ) 上記は,現憲法の定める個人の尊厳の理念に著しく反するのはも
ちろん,旧憲法下においても,その根底にある条理ないし自然法に背
くものであるから,これを容認する国家無答責の法理は著しく正義に
反する。
(ウ) したがって,いわゆる国家無答責の法理が判例解釈の所産にすぎ
ないものである以上,本件については,その残虐非道性,被害の甚大
性にかんがみ,個人の尊厳を崇高の価値とする現憲法の観点,あるい
は旧憲法においても,旧憲法より高い価値を有していた条理ないし自
然法に基づき,被控訴人国の責任が肯定されるべきである。国の権力
的作用に起因する損害については,その内容いかんにかかわらずこれ
を認める余地はないとする被控訴人国の主張は失当である。
(2) 国家無答責の法理は,「国家と国民の利益は完全に一致するのである
から,国家無答責の法理は,同時に国民の利益と考えられていた」点に理
論的な根拠がある。すなわち,同法理は,もともと国王の不可謬論に基づ
くものであり,王制下にない国家においては「治者と被治者の自同性」
「国家と法秩序の自同性」の考え方が根底にある。このような利益の一致
を擬制できるのは,当該国家とその国民との関係及び自発的に当該国家の
管轄に服する外国人との関係に限定されるべきである。したがって,同法
理を我が国の統治権に服さない中国人に対する加害行為には適用できな
い。
(3) 仮に,国家無答責の法理が認められるとしても,その要件は限定的に
解釈すべきであり,本件では適用されない。その理由は,次のとおりであ
る。
 ア 国家無答責法理適用の要件
 仮に,国家無答責の法理が実体法上の根拠を有するとしても,同法理
は,実質的には,「国家(王)は悪をなさず」との思想を背景に,私人
の損害より,行政活動に麻痺,障害が生じるデメリットを重視するもの
であるから,これは謙抑的に適用されなければならず,上記実質的根拠
にかんがみれば,同法理適用には,次の要件が必要である。
(ア) 権力的作用に基づくものであること
(イ) 法律の授権があり,適法に行使されれば適法な公権力の行使と評
価され得るものであること
(ウ) 自国の主権が及ぶ範囲内(領土内)の,自国民ないし主権に服す
る者に対する行為であること
(エ) 国民の幸福を増進するために行われる,私人の権利を犠牲にして
も保護するに足る公務であること
イ 要件の欠如
 (ア) 公務の非権力性
  a 中国人労働者の移入は,戦争遂行過程における重筋労働部門にお
ける労働力不足を解消するため,1942年閣議決定及び1944
年次官会議決定に基づいて行われたものであるが,両決定及びその
実施細目である企画院実施要領及び華人労務者内地移入の促進に関
する件は,自由意思に基づき,契約によって移入と雇用がなされる
ことをその前提理念としており,方法としても募集とあっせんが考
えられているのであって,国民徴用令等に基づく徴用等の権力的契
機は念頭に置かれていない。
  b したがって,一審原告らを対象とする中国人移入政策は本来非権
力的な行政作用であって,同政策に基づき,被控訴人国が一審原告
らをその承諾なく,日本に強制的に連行した行為及びその後田川鉱
業所や三池鉱業所においてその意思に基づかず,強制的に労働に従
事させた行為は,たとえ,その過程で事実上の強制力が行使された
としても,本来の性格を見る限り,非権力的作用であるといわなけ
ればならないから,その過程で行われた不法行為について国家無答
責の法理を適用して国の責任を認めないとすることはできない。
 (イ) 適法な公権力行使権限を欠くこと及び他国民に対する行為である
こと
 仮に,一審原告らを移入等した行為が権力的なものであるとみる余
地があるとしても,
a そもそも,法律上,外国人たる中国人に対し,日本国が公権力を
行使することはできない。現に,日本政府は,これまで中国人労働
者らの移入を契約関係に基づくものと答弁してきた。
b 国家総動員法は自国民を対象とするものであるから,中国人であ
る一審原告らに対して行使し得る適法な公権力の由縁とはならな
い。
c 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定は,首相及び関
係閣僚らが合議して決定したものにすぎず,法律ではない上,そこ
で認められているのはあくまで契約(自主意思)に基づく移入のみ
であるから,本件で問題となっているような強制力の行使を基礎付
ける適法権限とはなり得ない。
(ウ) 保護するに足る公務とはいい得ないこと
  1942年閣議決定及び1944年次官会議決定が契約(自主意
思)に基づく移入政策を定めたものである以上,事実上の強制力を用
いて行われた一審原告らに対する連行行為が保護すべき公務とはいえ
ない。
ウ まとめ
  よって,一審原告らに対する行為は,権力的作用ということができな
いし,仮に,権力的作用であるとしても,他国民に対する,法律に基づ
かない行為で,保護すべき公務であるということもできないから,国家
無答責の法理が認められるための要件を充足しておらず,本件において
これを適用する余地はない。
エ 被控訴人国の再反論に対する再々反論
  被控訴人国は,
 (ア) 国家無答責の法理は既に終了した行為が損害賠償の対象となるか
否かを問題とする評価規範であって,これから行うべき公務が適法か
否かが問題となる行為規範ではないから,なすことを得るかという意
味での適法か否かとは関係なく,問題となる行為が権力的作用であれ
ばすべて責任は発生しないとか,
 (イ) 権限外の行為がされたとすれば当該公務員の個人責任が発生する
だけで国ないし公共団体の責任が発生する余地はない
 と主張するが,暴論である。
(4) 強制労働禁止条約との関係
ア 被控訴人国は,1932年(昭和7年)10月15日,強制労働禁止
条約を批准し,同条約は,同年12月6日公布され,その時点で国内法
化された。
イ 同条約は,強制労働を禁止し,刑罰をもってしてもこれを行わせては
ならないことをその内容とする。
ウ 国家無答責の法理が認められ,被控訴人国の責任が否定されるとこれ
と矛盾する結果が生じる。
エ したがって,被控訴人国が国家無答責の法理を主張することは背理で
あるから,国は同主張をすることはできない。
(5) 正義・公平の原則との関係
ア 一審原告らが強制的に連行された態様と日本において受けた処遇は,
別表2,3のとおり,人間としての尊厳を根本から否定するものであ
り,被控訴人国が行った加害行為の残虐性,非道性には目を覆わんばか
りのものがある。
イ 他方,被控訴人国は,中国人労働者を受け入れた企業には,総額で合
計5672万5494円,一審被告会社に対しても,田川鉱業所と三池
鉱業所の関係だけでも,458万5240円,会社全体では774万5
206円の国家補償をした。
ウ のみならず,被控訴人国は,既述のとおり,本件についての重要資料
である外務省報告書を1部だけ残して焼却し,国会においては資料が存
していないから確認のしようがない等と答弁して,中国人労働者の移入
政策が結局においてその意思に基づかない強制連行・強制労働であった
ことを認めず,一審原告らががその権利を行使することを妨害した。
エ 上記各事実は,法の基本理念たる正義・公平の原則に著しくもとる。
オ したがって,本件においては,仮に,被控訴人国がなした不法行為が
国家無答責の法理の要件を満たすとしても,正義・公平の原則から,被
控訴人国が同法理の適用を主張することは許されない。
(6) 国賠法附則6項の解釈について
 ア(ア) 国賠法附則6項の「従前の例」は,法令をいうものであり,判例
を含まない。
  (イ) 既述のとおり,いわゆる国家無答責の法理は判例の所産にすぎな
い。
  (ウ) よって,同法理は,「従前の例」には含まれない。
  (エ) 同項は,国賠法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とす
る国又は公共団体の賠償責任に関しては,同法の遡及適用はないこと
を規定したにとどまり,不法行為に関する規定が適用されるかについ
ては民法の解釈にゆだねたと解するのが相当である。
 イ(ア) 「従前の例」が国家無答責の法理を含むとすれば,これは,憲法
13条(個人の尊厳),98条(憲法の最高法規性)及び憲法の理念
たる民主主義及び国民主権主義に著しく反する。
  (イ) したがって,現憲法下においては,そのような解釈をとり得る余
地はない。
  (ウ) 昭和25年判決は,国賠法附則6項の「従前の例」は国家無答責
の法理を含むとし,その後も同判例を踏襲する判例が存するが,憲法
の趣旨に反する解釈であり,改められるべきである。
(7) 法解釈は最新の知見に基づいて行うべきものである。国家無答責の法
理を完全に放棄している現在において,本件不法行為時を基準時として同
法理を適用するのは,正義・公平の原則にも反し,誤りである。
(被控訴人国の再反論)
(1) 国家無答責の法理が実体法上の根拠を有すること
 ア 国又は公共団体の権力的作用による損害について,国又は公共団体に
損害賠償責任を負わせるか,負わせるとしてどの範囲で負わせるかは,
各国がどのような法政策をとるかによって決定されるすぐれて政策的な
問題である。
 イ 我が国は,次に述べるとおり,国家は権力的作用にも,非権力的作用
にも賠償責任を負わないとの法政策を採用し,その前提のもとに旧民
法,行政裁判法及び裁判所構成法を制定した。
(ア) 旧民法
  ボアソナードは,当初,旧民法草案において,不法行為責任の主体
に「公の事務所」を含めて記載し,国又は公共団体の権力的作用にも
民法を適用することとして旧民法の草案を作成した。しかし,種々議
論の結果,その部分の規定は削除された。
(イ) 行政裁判法
  行政裁判法16条は,「行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず」
と規定し,個人は,行政裁判所に対して損害要償の訴えを提起できな
い旨を定めた。
(ウ) 裁判所構成法
  同法の草案では,国又は公共団体に対する損害賠償請求については
司法裁判所が管轄権を有するとされていた。しかし,種々議論の結
果,その部分の規定は削除された。
 ウ(ア) これらはすべて国家無答責の法理をその前提として考案されたも
のである。
  (イ) 以上のように,行政裁判法及び旧民法の制定過程を考慮すれば,
立法者意思が,国家は権力的作用にも非権力的作用にも賠償責任を負
わないとするものであったことは明らかであり,1890年(明治2
3年),両法が公布された時点で,公行政については国家無答責の法
理を採用するとの法政策が確立されたというのが相当である。
  (ウ) したがって,国家無答責の法理は,判例法上の所産にとどまら
ず,実定法上の根拠を有していた。
 エ(ア) 判例も,当初は,権力的作用,非権力的作用を問わず,国と公共
団体の賠償責任を否定していた。
  (イ) 確かに,その後,判例は,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非
権力的公行政を私法関係とみて民法を適用する判断を下すようになっ
た。
  (ウ) しかし,これは,判例法の所産として非権力的公行政の分野につ
いては,民法の不法行為の規定を拡大して適用することとし,従前は
認められなかった責任が認められるようになったとみるべきである。
  (エ) 一審原告らは,上記判例等をあげながら,国家無答責の法理は判
例によって生み出されたものであると主張するが,相当でない。
 オ(ア) 上記アないしウの経過後,国ないし公共団体に対する賠償請求は
公法的性格を有し,これを認めるか否かは特別法で論じるべきもので
あって,民法の適用はないとの認識が確立した後に,現行民法(71
5条)は制定された。
  (イ) 起草者らも,特別法の制定がない限り,判例は民法の適用を認め
ることはないと述べていたところ,実際,判例はそのとおりの運用を
してきた。
  (ウ) よって,民法715条は,国家無答責の法理と矛盾しない。
(2) 国賠法附則6項の解釈について
ア 国家無答責の法理が実定法上の根拠に基づくものである以上,同法附
則6項の「従前の例」が国家無答責を意味することは,当然である。
イ 昭和25年判決以来,下級審判例はもちろん,最高裁判所(乙イ1
9,44)も,一貫してこの旨を認めてきた。
(3) 国家無答責の法理の適用要件が欠如しているとの主張について
ア 適法な公権力行使の個別的権限の存在の必要の主張について
(ア) 一審原告らは,国家無答責の法理が適用されるためには,その前
提として,当該公務員に適法に行使すれば適法な公権力の行使と評価
されるような個別的な権限が法律上与えられていることが必要である
と主張する。
(イ) しかし,公務員が権限を全く有しない行為をした場合には,私事
に関する行為として当該公務員が個人として責任を負うのみである。
そのような場合にまで国ないし公共団体の責任が問題となる余地はな
い。
 イ 権力の人的,場所的限界をいう主張について
(ア) 次に,一審原告らは,国家無答責の法理が適用されるのは主権の
及ぶ自国民に対しての領土内の行為だけであるとも主張する。
(イ) しかし,外国における外国人に対する行為であっても,これが公
権力の行使であることには変わりはない。
(ウ) そもそも,同法理が問題となるのは,既に行われた行為について
損害賠償責任を負担すべきかという評価の場面においてであって,こ
れから行おうとする行為が公権力の行使として適法かが問題となる行
為規範の場面においてではない。
ウ 保護に足る公務か否かとの主張について
(ア) 国又は公共団体が賠償責任を負うか否かは公法的性格を有するも
のであり,これについてどのような態度をとるかは立法政策の問題で
ある。
(イ) 既述のとおり,戦前の日本は,1890年(明治23年),行政
裁判法及び旧民法が公布された時点で,公権力の行使について,国及
び公共団体は損害賠償責任を負わないという法政策を確立した。
(ウ) そこでは,公権力の行使か否かのみが問題となるのであって,保
護に足る業務か否かは要件とされていない。
エ 要件についてのまとめ
  以上,要するに,国家無答責の法理は評価規範であるから,1890
年(明治23年)に確立された法政策に基づき,公務員の行為が不法行
為に該当する場合であっても,権力的作用である限り,国又は公共団体
に責任の生じる余地はないというべきである。
オ 一審原告らに対する行為が権力的作用に基づくものであること
  一審原告らの来日は,1942年閣議決定ないし1944年次官会議
決定に基づいて行われたものであるから,これが権力的作用に基づくも
のであることは明らかである。
カ まとめ
  以上,国家無答責の法理の適用要件が欠如しているとの主張は,いず
れも失当である。
(4) 強制労働禁止条約の国内法化に関する主張について
ア 強制労働禁止条約が国内法化されても,被控訴人国の行為を国家無答
責の法理の適用のない非権力的な作用に変える効果を持つものではな
い。
イ また,個人が加害者に対して損害賠償をするためには,それを基礎付
ける何らかの法的根拠が必要であるが,同条約の国内法化は個人に損害
賠償請求権を認める法創造機能を持つものでもない。
ウ したがって,この点に関する一審原告らの主張は失当である。
(5) 正義・公平の理念により国家無答責の法理の適用を制限すべきである
との主張について
ア 戦争は,勝敗とは無関係に,当事国相互の膨大な数の人間の,生命・
身体・財産等を傷つける紛争である。
イ その解決は本来国家間において集団的になされるべきものであり,い
かに正義・公平の理念を持ち出そうとも,安易に個別的救済がされるべ
きものではない。
ウ しかも,戦争状態の終結後,賠償の問題を被害者間に公平に,また,
戦後世界の実情に即して適正に解決できるのは,国家のみである(乙イ
9)。
エ 一審原告らの主張は安易に正義・公平の理念に頼るものであり,失当
である。
(6) 国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を含むとすれば,
憲法に違反するとの主張について
ア 一審原告らは,国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を
含むとの解釈は憲法に違反すると主張する。
イ 国賠法は憲法17条の授権により制定されたものであるが,同条は,
国賠法施行前の行為に憲法の各規定ないしその根本精神を遡及して適用
すべきことを定めたものではない。
ウ また,一般に,法令は,その施行後の行為に適用されることを予定し
て制定されるものであり,法的安定性にかんがみても,施行前の行為に
適用されることは予定されていない。
エ したがって,
 (ア) 立法府が国賠法制定の際に,同法施行前の行為については国家無
答責の法理が適用されることを前提に,「この法律施行前の行為に基
づく損害については,なお従前の例による」と定めて,国賠法の遡及
的適用の規定を設けなかったことは合理的裁量の範囲内である。
 (イ) 最高裁判所判例が戦後一貫して「従前の例」に国家無答責の法理
を含めて解釈していることも,何ら憲法13条,98条及び民主主
義,国民主権の理念に反するものではない。
3 時効と除斥期間(第8の3参照)
(1) 一審被告会社の主張する民法724条前段の期間経過の仮定抗弁
(一審被告会社)
ア 消滅時効期間の経過とその援用
(ア)a 一審原告らは,遅くとも1945年(昭和20年)11月22
日,日本を出国し,同月29日ころ塘沽に到着し,そのころまでに
不法行為状態を脱した。
 b また,遅くとも終戦から1年後の1946年8月15日までに
は,故郷に帰り着いて不法行為状態を脱した。
 c 日本国と中国は,1978年(昭和53年)10月23日,日中
平和友好条約を締結し,正式に国交を回復した。
(イ) 一審原告らの本訴提起は,上記各時点から3年以上経過後であ
る。
(ウ) 一審被告会社は,本訴において,上記消滅時効を援用する。
(一審原告らの反論)
ア 消滅時効期間の起算点
(ア) 基本的考え方
 a 消滅時効の存在理由の一つには「権利の上に眠れる者を保護しな
い」という考え方があるが,これは,客観的に権利を行使し得るの
にこれを放置したとの事情があって初めて妥当する。
 b したがって,上記消滅時効の起算点は,被害者が,客観的に権利
行使が可能な状況の下において,具体的な事実関係に基づいて加害
者に対する権利行使ができることを認識した時と解すべきである。
(イ) 本件における考慮事情
  本件において時効の起算点をいつとすべきかを判断するに当たって
は,次の事情を考慮する必要がある。
a 一審原告らが中華人民共和国の国民であることに基づくもの
 ① 日本と中華人民共和国の間には,1972年(昭和47年)9
月29日の日中共同声明署名に至るまで国交がなかった。
 ② 国交正常化後も,中華人民共和国民は,1986年(昭和61
年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事を理
由としては出国することができなかった。
 ③ 中華人民共和国は,すべての地域を外国人に開放することをし
ない等,きびしい入国規制を設けており,日本人の側から一審原
告らに接触を試みることも困難であった。
b 日中共同声明との関係
 ① 日中共同声明5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国
民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄するこ
とを宣言する」と,個人としての損害賠償請求はできないと受け
とられ兼ねない記載があった。
 ② 本人の意思に基づかずに日本で強制労働に従事させられた一審
原告らが,被控訴人国や加害企業に対し損害賠償請求をすること
が政治的,社会的に可能となったのは,1995年(平成7年)
3月9日,銭其シン外相が,「対日戦争賠償問題について,日中
共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求
は含まれず,賠償の請求は国民の権利であり,中国政府は干渉す
べきでない」旨発言した時であった。
c 証拠との関係
 ① 一審原告らは,どこで働くかも知らされずに来日したものであ
り,国交がなかったこともあって,一審被告会社の正確な名称さ
え知りえない状態であった。
 ② 手掛かりとなるのは,唯一,外務省報告書と事業場報告書のみ
であったが,被控訴人国は,戦後一貫して外務省報告書の存在を
否定し,その存在が公的に認められたのはようやく1993年
(平成5年)5月17日にNHKがスクープ報道をしてからであ
った。
d 法律家との接触の困難
 ① 被控訴人国及び一審被告会社は,資料がない等として一審原告
らが強制連行され,強制労働に従事させられたことを認めないか
ら,損害賠償請求権を行使するには訴訟によるほかなかった。
 ② しかし,aないしcの事情により,一審原告らが日本人の弁護
士に接触することは客観的に不可能であり,本件訴訟代理人らに
本訴遂行を依頼することができたのは,ようやく2000年(平
成12年)4月になってであった。
(ウ) 時効の起算点
  以上によれば,一審原告らとの関係では,民法724条前段の時効
の起算点は,一審原告らが本件訴訟代理人らに面談し,訴訟提起を依
頼した2000年(平成12年)4月と解すべきである。
イ 信義則違反ないし権利濫用
(ア) 総論
  加害者が時効を援用することが信義に反し,その結果が,著しく正
義・公平に反するときは,当該援用は権利の濫用として排斥されるべ
きである。
(イ) 判断基準
 a 時効の存在理由は,
  ① 権利の上に眠れる者を保護しない
  ② 立証採証の困難性
  ③ 法的安定性
  の3点である。
 b 上記時効の存在理由と時効は権利消滅という重大な効果をもたら
すものであるという点を併せ考えると,権利濫用が認められるため
の判断基準(要件)は,次のとおり考えるのが相当である。
① 権利不行使につき,「権利の上に眠る者」との評価が妥当しな
いこと
② 義務の不履行が明白で,時の経過による「攻撃防御・採証上の
困難」がないこと
③ 権利の性質や加害者と被害者との関係等から,時の経過の一事
によって権利を消滅させる「公益性」に乏しいこと  
(ウ) 運用の在り方
  そして,運用の在り方としては,時効が権利消滅という重大な効果
をもたらすものであることを考えれば,(イ)bの判断基準(要件)を
満たすときには,積極的に時効援用を制限するのが相当である。
(エ) 本件において考慮すべき諸事情
 a 権利の上に眠れる者との評価が妥当するか
   一審原告らが反論した(ア(イ)d②参照)とおり,その権利を行
使することは,2000年(平成12年)4月に至るまで客観的に
不可能であった。
   したがって,一審原告らは,「権利の上に眠れる者」ではない。
 b 義務の不履行が明白で,時の経過による攻撃防御・採証上の困難
がないか
① 被控訴人国及び受入企業が中国人労働者に対し被害回復のため
に賠償義務を尽くすべきことは,これを具体化した「華人労務者
帰国取扱要領」が定められたこと等からも明らかなとおり,少な
くとも終戦直後においては,一般的な認識であり,義務の存在は
明白である。
② 一審被告会社は,各人個別の事情は別として,外務省報告書及
び事業場報告書により,全体としての状況はこれを把握すること
ができる。
③ 本件は不法行為に基づく損害賠償を求めるものであるから,反
証はともかく,弁済その他の抗弁は考えにくく,加害者側の立証
にそれほど意を用いる必要がない。
④ 以上によれば,本件は,義務の不履行が明白であって,時の経
過による攻撃防御・採証上の困難がない。
 c 権利を消滅させることの相当性
  ① 一審原告らが強制的に連行された態様と日本において受けた処
遇は,別表2,同3のとおりであって,加害行為は人間としての
尊厳を根本から否定する残虐,非道なものであり,一審原告らの
被った損害は甚大である。これを救済する必要は極めて大きい。
  ② これに対し,一審被告会社は,既述のとおり,被控訴人国とと
もに,一審原告らがその権利を行使するのを妨害ないし阻害し
た。
  ③ にもかかわらず,一審被告会社は,被控訴人国から,774万
5206円(現在の貨幣価値に換算すると,数十億円に当た
る。)の損失補償を受けた。
  ④ 両者の関係を考えると,時の経過の一事をもって一審原告らの
不法行為に基づく損害賠償請求権を消滅させることの公益性は乏
しい。
(オ) まとめ 
  以上の諸事情を総合判断すると,一審被告会社が本件において民法
724条前段の時効を援用することは信義則に反し,権利の濫用に当
たるというべきである。
(2) 一審被告会社及び被控訴人国が主張する民法724条後段の期間経過
の仮定抗弁
(一審被告会社)
ア 一審原告らが主張する不法行為は,遅くとも1945年(昭和20
年)8月15日までには終了し,一審原告らは,それから一年後の遅く
とも1946年(昭和21年)8月15日までに不法行為状態を脱し
た。
イ 1966年8月15日(昭和41年)の経過により,上記不法行為の
時から20年が経過した。
ウ 民法724条後段は,不法行為による損害賠償請求権は不法行為の時
から20年を経過した時に消滅する旨規定する。
エ これは,最高裁判所第一小法廷平成元年12月21日判決・民集43
巻12号2209頁(以下「平成元年判決」という。)及び同第二小法
廷平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁(以下「平成
10年判決」という。)が判示するとおり,不法行為によって発生した
損害賠償請求権の除斥期間を定めたものである。
オ したがって,一審原告らの一審被告会社に対する不法行為に基づく損
害賠償請求権は,1966年(昭和41年)8月15日の経過により消
滅したところ,一審原告らの本訴提起は,同消滅後のものである。
(被控訴人国)
ア 平成元年判決及び平成10年判決が判示するとおり,民法724条後
段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定
めたものである。
イ したがって,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間経過後
に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥
期間の経過により当該請求権が消滅したものと判断すべきである。
ウ 一審原告らが戦前の不法行為として主張するところは,明らかに本件
提訴より20年以上前の行為を問題とするものである。
エ 一審原告らは,平成10年判決の射程距離を考えずに,民法158条
ないし161条に規定する権利行使を不能ないし困難ならしめる事由を
全く主張しないで,著しく正義・公平の理念に反する場合には上記除斥
期間の効果が排除されるべきであると主張するにすぎない。
オ よって,一審原告らの求める不法行為に基づく損害賠償請求権は,仮
に,その成立が認められるとしても,上記除斥期間の経過により,本訴
提起の時点で既に消滅している。
(一審原告らの反論)
ア 民法724条後段の定める期間の法的性質
  同条後段の沿革,立法趣旨,法文の文言,不法行為責任について時効
として二重の期間制限を設けている諸外国の立法例,及び被害者の権利
行使は予期しない外部的事情により妨げられることが多いこと等を考慮
すると,同条後段は,長期時効期間を定めたものと解すべきである。
イ 同条後段の定める期間の起算点
(ア) 総論
 a 同条後段は長期時効を定めたものである。
 b 時効制度の存在理由の一つには,権利の上に眠る者を保護しない
という思想がある。
 c したがって,いまだ権利が発生していないときは,いかなる権利
も行使のしようがないのであるから,その起算点は,不法行為時で
はなく,損害が発生し,被害者の権利行使が客観的,一般的に期待
できる状況になった時と解すべきである。
(イ) 本件における起算点
 a 被控訴人国及び一審被告会社の加害行為は,「1(4) 戦後の不
法行為責任」中の(一審原告らの主張)「ア 不法行為の事実」の
とおり,現在も継続している。
 b また,損害は現在も拡大し続けている。
 c したがって,被控訴人国及び一審被告会社に対する不法行為に基
づく損害賠償請求権は,同条後段の関係ではいまだ時効が進行を始
めていない。
ウ 民法724条後段の効果制限
 (ア) 総論
  a 仮に,同条後段の定める期間が除斥期間であるとしても,除斥期
間の適用の結果が著しく正義・公平に反し,その効果を制限するこ
とが条理にかなうと認められる場合は,除斥期間の効果は制限され
るべきであるところ,平成10年判決はその理を認めたものであ
る。
  b 正義・公平の理念の重要性にかんがみれば,同判決は除斥期間の
効果が制限される場合を例示したものであって,これを限定的に解
すべきではない。
 (イ) 判断基準
a 除斥期間の効果を制限するのは,法的安定性を犠牲にしても,被
害者を保護すべき事情が存する場合に対処するためである。
b したがって,その判断基準(要件)は,時効の援用が信義則ない
し権利濫用として制限される場合と同じく,次のように考えるべき
である。
① 権利不行使につき,「権利の上に眠る者」との評価が妥当しな
いこと
② 義務の不履行が明白で,時の経過による「攻撃防御・採証上の
困難」がないこと
③ 権利の性質や加害者と被害者との関係等から,時の経過の一事
によって権利を消滅させる「公益性」に乏しいこと
(ウ) 運用の在り方
  そして,除斥期間は,中断も停止も認めず,時の経過という一事を
もって権利消滅という重大な効果を生じせしめるものであるから,
(イ)の判断基準(要件)を満たすときには,積極的に除斥期間の効果
制限を認めるのが相当である。
(エ) 本件において考慮すべき諸事情
 (1)中の(一審原告らの反論)イ(ウ)と同旨である。
(オ) まとめ 
  以上によれば,本件においては,被控訴人国についても,一審被告
会社についても,民法724条後段の効果は制限されるべきである。
(3) 戦前の保護義務違反の主張に対する一審被告会社の仮定抗弁
(一審被告会社の主張)
ア 仮に,一審被告会社と一審原告らとの間に,事実上の契約関係に基づ
く保護義務が発生していたとしても,同関係は,一審原告らが日本から
出国した1945年(昭和20年)11月22日には終了した。
イ その時から,1955年(昭和30年)11月22日の経過により1
0年が経過した。
ウ 一審被告会社は,本訴において,上記消滅時効を援用する。
(一審原告らの反論)
 ア 時効の起算点
   保護義務違反の関係でも,(1)中の(一審原告らの反論)アと同様,
時効の起算点は,一審原告らが本件訴訟代理人らに面談し,訴訟提起を
依頼した2000年(平成12年)4月と解すべきである。
 イ 信義則違反ないし権利濫用
   (1)中の(一審原告らの反論)イと同じ。
4 戦後処理を巡る諸問題(第8の4参照)
(被控訴人国の主張)
(1) 戦争によって個人に生じた被害を回復する方法についての総論
ア 戦争による被害は,勝敗とは無関係に,戦争当事国及び相互の国民の
広範囲に発生する。
イ かかる戦争行為によって生じた被害の賠償問題は,戦後の講和条約に
よって解決が図られるが,一般的に,賠償その他戦争関係から生じた請
求権の主体は,国際法上の他の行為により生じた請求権の主体と同様,
常に国家である。すなわち,国民個人の受けた被害は,国際法的には国
家の被害と解され,国家が相手国に対して固有の請求権を行使すること
になるのであって,国民が個人として請求権を行使し得るのは,例外的
に,条約で,被害者である国民個人に対して,請求権者として直接必要
な措置をとる方法を設けた場合のみである。
ウ 現実にも,第二次世界大戦後は,戦後賠償問題の解決に当たって,当
事国内部の利害を調整した上で,当事国が国家及びその国民が被った被
害を一体としてとらえ,相手国と統一的に交渉することによって賠償問
題に最終的な決着を図ることとされ,個々の国民の被害については,原
則として,賠償を受けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の
財政事情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られている。
(2) サンフランシスコ平和条約の締結とこれによる連合国国民に対する被
控訴人国の損害賠償義務の消滅
ア 日本国は,上記理解のもと,1951年(昭和26年)9月8日,連
合国中の45か国と,サンフランシスコ平和条約を締結した。
イ 同条約14条(b)は,「この条約に別段の定がある場合を除き,連
合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその
国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占
領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」旨を規定してい
る。
ウ これは,連合国の国民が個人として有する請求権を失わしめるもので
はないが,仮に,連合国の国民が国内法上の請求権に基づき請求をして
も,被控訴人国はこれに応じるべき法律上の義務がないこと,その義務
は同条約が効力を生じることにより消滅することを定めたものである。
エ 同条約は,1952年(昭和27年)4月28日公布され,効力を生
じた。
(3) 日華平和条約の締結と中国国民の請求に応じるべき義務の消滅
ア 中華民国は,サンフランシスコ平和条約の当事国とはならなかった
が,日本国と中華民国は,同条約発効日の上記1952年4月28日,
両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約に署名した。
イ 日華平和条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の
定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結
果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って
解決するものとする」と規定した。
ウ ここでいう「サンフランシスコ平和条約の相当規定」には,当然,同
条約14条(b)も含まれるから,被控訴人国は,これにより,日華平
和条約が発効したときには,中華民国の国民に対する関係でも,同国民
のする国内法上の請求権に基づく請求に応じるべき法律上の義務を負わ
ないことになった。
エ(ア) 当時,中華民国政府は,中国大陸についての実効的支配を失い,
台湾及び澎湖列島を実効支配するにすぎなかった。
 (イ) しかし,戦争は,国家と国家との関係として捉えられるべき事柄
であり,終戦処理の一部である賠償及び請求権の問題も国際法上の当
事者としての国家間において最終的に処理されるべき事項であるか
ら,国家内における適用地域による限定を受ける性質のものではな
い。
 (ウ) 当時,中華民国政府は,同政府が中国を代表する正統政府である
と主張し,被控訴人国は,これを承認して日華平和条約を締結したの
であるから,同条約は,当時中華人民共和国が実効的に支配をしてい
た大陸に在住する中国人との関係でも効力を有する。
オ 日華平和条約は,1952年(昭和27年)8月5日,公布され,効
力を生じた。
(4) 日中共同声明による再確認
ア 日本国と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日,
日中共同声明に署名した。
イ その5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のため
に,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」旨うた
っている。
ウ(ア) しかし,戦争状態の終了,賠償,財産及び請求権の問題は一度限
りの処分行為である。
 (イ) 日本国政府は,中華民国との間で日華平和条約を締結したのであ
るから,先の大戦にかかる日中間の戦争状態の終了,賠償,財産及び
請求権の問題は,同条約により法的に完全かつ最終的に解決済みであ
る。
エ(ア) そこで,日本国政府は,日中共同声明に署名するに先だち,上記
認識を明確に表明し,その旨を主張して交渉をした。
 (イ) 中華人民共和国は,その趣旨を十分理解した上,日中共同声明に
署名した。
オ したがって,同声明5項は,中国国民が国内法上の請求権に基づいて
日本国に請求をしても,被控訴人国のこれに応じるべき義務は日華平和
条約が効力を生じる時に消滅するとの同条約11条の趣旨を再確認した
ものである。
(一審被告会社の主張)
(1) 個人は戦争賠償の主体とはなり得ないこと
 ア 戦争により国民個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害であ
る。
 イ 戦争行為に基づく損害の賠償請求権は,原則として国家が国家に対し
行使すべきものであって,個人には国際法上主体性が認められず,これ
を行使することはできない。
 ウ したがって,個人として損害賠償を求める一審原告らの請求は失当で
ある。
(2) 請求権の放棄
ア 日本と連合国は,1952年(昭和27年)4月28日,サンフラン
シスコ平和条約を締結し,連合国国民は,これにより,戦争遂行過程で
被った損害の賠償を求める権利を放棄した。
イ(ア) 日本は,中華民国との間で,1952年4月28日,日華平和条
約を締結した。
 (イ) 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定
がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結
果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従っ
て解決するものとする」と規定する。
 (ウ) 中華民国国民は,これにより,戦争遂行過程で被った損害の賠償
を求める権利を放棄した。
ウ(ア) 日本と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29
日,日中共同声明に署名し,1978年(昭和53年)8月12日,
日中平和友好条約に署名し,同年10月23日発効した。
 (イ) 同声明の5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友
好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言す
る」とうたっており,この定めは日中平和友好条約の前文において,
厳格に遵守されるべきことが確認されている。
 (ウ) 中華人民共和国の国民は,(ア)及び(イ)により,戦争被害の賠償を
求める権利を最終的に放棄した。
(3) まとめ
以上のとおり,一審原告らの損害は,国家としての中華人民共和国の被
害として国際法上取り扱われるべきものであるところ,かかる被害に関す
る損害賠償請求権の問題は,日中共同声明及び日中平和友好条約により解
決済みである。
よって,個人として被害の回復を求める一審原告らの請求には理由がな
い。
(一審原告らの主張)
(1) 被控訴人国及び一審被告会社の「個人は国際法上の法主体となり得な
い」とする主張について
 ア 一審原告らは,個人として日本の国内法上の請求権に基づいて本訴請
求をしているものであって,国際法上の賠償請求権を主張しているもの
ではない。
 イ したがって,被控訴人国及び一審被告会社のする「個人は国際法上の
法主体となり得ない」との主張は,一審原告らの主張を正解しないもの
であり,理由がない。
(2) 国家は国民固有の損害賠償請求権を放棄できないこと,ないし被害国
民からの請求に応じるべき被控訴人国の義務は消滅しないこと
 ア 個人が自国政府を通じることなく,直接外国に賠償を請求することは
個人固有の権利である。
 イ 国家は,当該国家が他の国家に対して有する国家としての賠償請求権
や自国民の権利に関する外交保護権を条約で放棄することはできるが,
国民が個人として有する賠償請求権は,個人の承諾がない限り,条約に
よっても,これを勝手に処分し,放棄することはできない。
 ウ よって,サンフランシスコ平和条約及び日華平和条約ないしは日中共
同声明によって,一審原告らの被控訴人国及び一審被告会社に対する個
人としての賠償請求権は放棄されたとする主張には理由がない。
 エ 被控訴人国の主張が「請求権そのものが消滅するのではなく,被控訴
人国が請求に応じる義務が消滅する」とするものであるとしても,請求
権を行使し得ないという点では効果は一緒であるから,やはりその主張
には理由がない。
(3) 日華平和条約は一審原告らに対して効力を有しないこと
 ア 日華平和条約が締結されたのは,1952年(昭和27年)4月28
日である。
 イ その時点では,
(ア) 中華人民共和国が成立しており,一審原告らは,同国に帰属して
いて,中華民国の国民ではなかったし,
(イ) しかも,中華民国が実効的に支配をしていたのは台湾及び澎湖列
島のみであって,一審原告らが居住する大陸はこれを支配していなか
った。
 ウ したがって,仮に,日華平和条約によって中華民国国民の被控訴人国
ないし一審被告会社に対する請求権が消滅する,ないしは被控訴人国の
中華民国国民の国内法上の請求権に基づく請求に応じる義務が消滅する
と解し得る余地があるとしても,これが効力を有するのは,中華民国が
実効的な支配をしている地域内に居住する同国国民についてのみである
から,同条約の効力は一審原告らには及ばない。
(4) 日中共同声明においては国民の請求権は放棄されていないこと
 ア 日中共同声明5項は,単に,「中華人民共和国政府は,…日本国に対
する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」とのみうたい,サンフ
ランシスコ平和条約,日華平和条約及びその他の多数の国々との間の講
和条約とは異なり,「国民の」請求権を放棄するとはうたっていない。
 イ 一審原告らは中華人民共和国の国民であるから,本件においてまず検
討されるべきは,日本国と中華人民共和国との間の戦争賠償に関する唯
一の合意文書である日中共同声明である。
 ウ したがって,一審原告らが個人として被った被害についての賠償請求
権は,同声明によっては,放棄されていないし,被控訴人国のこれに応
じる義務も消滅していない。
(5) 被控訴人国の主張は禁反言の法理に反すること
 ア 日ソ共同宣言6項には,「日本国及びソ連は,…戦争の結果として生
じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及
び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する」と規定されてい
る。
 イ 日本政府は,従前,サンフランシスコ平和条約19条(a)や日ソ共
同宣言6項における請求権放棄条項の解釈について,「我が国が放棄し
た請求権は,国家としての我が国自身の請求権及び外交保護権であり,
日本国民が個人として有する請求権は放棄していない」との主張を繰り
返してきた。
 ウ 被控訴人国の本訴における請求権放棄条項に関する主張はこれまでの
国の主張と矛盾するものであり,条約当事者としての国際信義の観点か
らみても,禁反言の法理に反し,許されない。
5 因果関係と損害(第8の5参照)
  標記に関する当事者の主張は,原判決27頁10行目から28頁2行目ま
でのとおりであるから,これを引用する。
第10 当裁判所の判断
1 戦前の不法行為責任の成否(第8の1(1)及び第9の1(1)参照)
(1) 強制連行責任の有無
先に認定した事実によれば,次のとおり認定判断される。
ア 一審原告らの来日は強制連行か
(ア) 一審原告らのうち,
 a B〔1〕は,八路軍の活動をしていて,日本の意向を体した中国
人の武装団体に拘束され,
 b G〔5〕とH〔7〕は,突然家に押し入ってきた日本兵に銃を突
きつけられ,理由も,行く先も告げられないまま,徐水県の焼酎工
場ないし駅に連れて行かれ,
 c I〔12〕は,村の役人から国民党に入るよう勧められ,これを
断ったことをきっかけに,何の説明も受けることなく,ライ水県の
駅に連れて行かれ,
 d J〔13〕は,農作業中,日本の意向を体した約30人の中国の
役人(銃を持っていた。)に,何の説明も受けることなく,ライ水
県の駅に連れて行かれ,
 e その余の一審原告らは,いずれも,村の役人から,保定市の飛行
場造り等中国国内で労働に従事することについて,破格の好条件を
提示され,あるいは義務であると言われ,欺罔されて,
 いずれもその真意に基づかず,家族のもとを離れた。
(イ) 一審原告らは,いずれも,日本に向かう船に乗り組むまでの段階
で,日本に赴き,一審被告会社の田川鉱業所や三池鉱業所で働くこと
を承諾していない。
(ウ)a 一審原告らは,故郷を出た後,一部の者は石門等の集結地で一
定の時を過ごし,また,一部の者はいきなり塘沽に連行され,日本
に向かう船に乗船させられたが,その間,中国人の警察官や日本軍
の兵士に周りを監視され,特に塘沽では,電流を通した鉄条網で周
囲を囲まれた区画内で,逃亡しようとする者は殴られたり,銃で撃
たれたりする環境のもとで拘束を受けて過ごさせられた。
 b そのため,たとえ,この間に日本に連れて行かれる可能性が高い
と判明しても,これを拒否する等,自らの意思を行動に移すことは
もちろん,表明することさえ不可能であった。
(エ) 以上の諸点を踏まえ,第3の3(1)及び4(2)で認定した諸事実を
総合すると,自国で家族とともに平穏に暮らしていた一審原告らが田
川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事するために日本に連れてこられた
ことは,これを人倫にもとる行為であり,強制的な連行であると評価
せざるを得ない。
イ 被控訴人国の責任の有無
(ア) 一審原告らを含む中国人労働者の国内移入は,1942年閣議決
定,1944年次官会議決定等,被控訴人国の政策に基づいて行われ
た。
(イ)a G〔5〕とH〔7〕は日本兵によって拘束された。
 b B〔1〕とJ〔13〕は日本の意向を体した中国人の武装団体に
拘束された。
 c その余の一審原告らも,日本の意向を体した日本と関係の深い中
国行政機関の役人から欺罔され,あるいは脅迫されて家族のもとを
離れた。
 d 以上によれば,被控訴人国は,一審原告らが家族のもとを離れた
ことに密接不可分の深い関わりを持ち,直接ないし間接に一定の大
きな役割を果たしたというべきである。
(ウ) 塘沽への輸送及び塘沽での監視には日本軍が一定の大きな役割を
果たし,乗船するまでの一審原告らの身柄拘束にも深く関与した。
(エ) 一審原告らは,いずれも,華北労工協会によって,供出された者
であるが,華北労工協会は,日本の意向を体した機関である華北政務
委員会と北支那開発株式会社が折半で出資をして設立した機関である
から,同協会の行為は被控訴人国の指示下においてなされたと評価す
ることができる。
(オ) 供出方法をみても,
a B〔1〕は俘虜として訓練生供出されたものであるから,まさに
被控訴人国によって供出されたと評価することができる。
b その余の一審原告らは,行政供出の方法によって供出されたが,
当時これを担当した中国側行政機関はいずれも日本の意向を体した
機関であったから,これも間接的には被控訴人国によって供出され
たと評価することができる。
(カ) 以上によれば,被控訴人国は,一審原告らを日本へ強制連行した
一連の過程で,直接ないし間接に大きく関与し,大きな役割を果たし
たものとして,不法行為責任がある。
ウ 一審被告会社の責任の有無
(ア)a 企業は戦時下にあっても利潤をあげない限り,再生産及び拡大
再生産を繰り返すことができない。
 b 中国からの安価な労働力の移入は産業界もこれを熱望してきたと
ころであった。
 c 一審被告会社は当時日本有数の鉱業会社であり,石炭産業界の中
核として,第3の1(3)アで認定したとおり,1942年閣議決定
及び1944年次官会議決定等の政策が決定されるに当たって,こ
れに深く関わった。
(イ)a 一審被告会社は,少なくとも本格移入に際しては,1944年
次官会議決定の細目である華人労務者内地移入手続に従い,華人労
務者移入雇用願を厚生省に提出し,中国人労働者の供出割当てを受
けた。
 b B〔1〕を除く一審原告らは,一審被告会社が希望して割当てを
受けた者である。
(ウ)a 一審被告会社は,華北労工協会との契約書からも明らかなとお
り,石門ないし塘沽で中国人労働者の引渡しを受けた後は,日本へ
の輸送に責任者としてかかわった。
 b 石門から塘沽への輸送が日本軍兵士の監視下で行われたこと,中
国人労働者は少なくとも数日間を塘沽で過ごしたが,その間,日本
軍及びその意向を体した中国人警察官の厳しい監視を受け,逃亡し
ようとした者は銃で撃たれる等,きびしい処遇を受けた。
 c 一審被告会社の担当者は,輸送責任者としてこの状況をつぶさに
見てきたのであるから,中国人労働者のすべて(ないし少なくとも
そのほとんど)が自らの意思に基づいて来日するのでないことは当
然知り得る状況にあった。
(エ) また,一審被告会社の担当者は,輸送の責任者として,石門か
ら,あるいは少なくとも塘沽から,自らの意思で来日するのでない一
審原告らの輸送に実際にかかわり,これに深く関与した。
(オ) 以上によれば,一審被告会社は,一審原告らが家族のもとを離れ
ることには直接関与していないとしても,日本へ強制的に連行された
経緯を全体で捉えれば,これを十分知った上で,承認し,後日の自己
の事業場における受入れと後記労働につながるものであるから,被控
訴人国とともに上記強制連行の主要部分を一部共同して実行したもの
と評価することができる(民法719条1項)。被控訴人国と共同不
法行為責任があるというのが相当である。
エ まとめ
 よって,一審原告らの来日は,これを強制連行であると評価するのが
相当であり(以下「本件強制連行」という。),具体的な実行行為者を
特定することはできないが,一審原告らを日本へ連行した一連の過程
で,その実行に,
(ア) 被控訴人国は,直接ないし間接に大きく関与し,大きな役割を果
たしたものとして,
(イ) 一審被告会社は,深く関与し,被控訴人国とともにその主要部分
を一部共同したものとして,
いずれも,民法709条,715条及び719条1項に基づき,共同不
法行為責任を負うというのが相当である。
(2) 強制労働責任の有無
先に認定した事実によれば,次のとおり認定判断される。
ア 田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事したこと及びその間に受けた処
遇は強制労働か
(ア) 承諾の有無
  一審原告らは,いずれも,日本に向かう船に乗り組むまでの段階
で,日本に赴き,一審被告会社の田川鉱業所や三池鉱業所で働くこと
を承諾していない(第3の4(3)アないしウ参照)。
(イ) 宿舎の環境
a 宿舎には,防諜及び逃亡防止のため,見張り所が設けられた。
b 現場への往復は,職制の監視のもとで行われ,自由な外出も認め
られなかった。
c 逃亡する者があると,武力で制圧され,厳しい処分を受けた。
(ウ) 食事
  一審原告らは,第3の5(1)ウ,(2)イ及び別表3「食事」欄のとお
り,重筋労働に従事するに足る十分な量と質の食事を与えられず,空
腹に耐えながら,減食処分をも制裁の一内容とされて労働に従事せし
められた。
(エ) 安全衛生
a 職場環境は,第3の5(1)オのとおり,死亡者と病人が続出する
安全衛生に意を用いない劣悪なものであった。
b 第3の5(2)ウ(カ)及び別表3「その他特記事項」欄のとおり,H
〔7〕と・O〔14〕は,落盤でけがをし,手術まで受けた。
(オ) 暴言と暴行
 a 一審原告らは,いずれも,日本語を解さず,一審被告会社の職制
との間との意思疎通は極めて困難であった。
 b 一審被告会社の職制は,第3の5(1)オ(オ),(2)ウ(オ)及び別表3
「その他特記事項」欄のとおり,目標が達成できなかったり,うま
く指示どおりに作業が行われなかったりすると,一審原告らに対
し,「チャンコロ」,「バカヤロウ」等と暴言を吐いたり,殴った
り,蹴ったりする暴行を加えた。
 c E〔10〕に至っては,ナタあるいはこれに類する工事用具をふ
るって大腿骨骨折までさせられた。
(カ) まとめ
 a 確かに,一審被告会社が指摘するとおり,食事や宿舎等職場環境
は,待遇の問題であって,労働が強制されたものかと直接結びつく
ものではないし,疾病やけがは労働災害の問題であって,労働が意
思に基づくものかとは直接結びつかない。
 b しかし,好んで悪い処遇条件の下で働く者も,安全衛生に意を用
いない劣悪な職場環境を是とする者もいない。待遇に不満を述べる
ことすらできず,安全衛生を改善するよう要求することすらでき
ず,唯々諾々と労働に従事しなければならなかったのは,一審原告
らが地理もわからない異国(しかも敵国)に連れてこられ,見張り
をつけられ,自由な外出もできない隷従状態で,逃亡した場合には
官憲が武力により拘束する威嚇的な環境のもとで生活せざるを得な
かったからであった。
 c 一審原告らは,そのような環境の下,暴力と暴言により,自由な
意思を表明することもできず,減食処分すら制裁の一内容とされな
がら,敵国のために,その意思に基づかない労働に従事せざるを得
なかった。
 d 以上の諸点に,第3の5の認定事実を併せると,一審原告らは,
田川鉱業所や三池鉱業所において,敵国の国家要員と位置付けられ
て意に沿わない労働に従事させられたに等しく,このことは,人倫
にもとる人間の尊厳を著しく傷つける違法な行為であり,強制労働
であると評価せざるを得ない。
 e 一審被告会社は,当時は日本人も食糧事情が悪かったとか,当時
の中国の事情と比較すると,一審原告らの待遇は決して劣悪なもの
ではなかったとも主張する。しかし,貧しくとも,自らの意思で,
家族その他知己に囲まれて送る生活と,他国に無理やり連れてこら
れ,敵国のために労働に従事せざるを得ないのとでは,同じ生活条
件でも,質的な差があり,精神的満足度は明らかに異なる。一審原
告らは,人間性を疎外する処遇を受けていたというべきであり,そ
の点を見ない一審被告会社の主張は失当であり,採用できない。
イ 一審被告会社の責任の有無
(ア) 一審被告会社は,一審原告らを直接支配して処遇条件を定め,労
働に従事させた。
(イ) この点につき,一審被告会社は,軍需会社法その他の戦時経済法
制をあげ,当時一審被告会社は軍需会社に指定され,労働条件は被控
訴人国の指示に従わざるを得ず,一審被告会社には裁量の余地はなか
ったから,何らの責任もないと主張する。
(ウ)a 確かに,国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社法そ
の他の戦時経済法制は,被控訴人国が軍需会社に対し一定の支配権
を有することを定めてはいるが,あくまで私企業が自主的に経済的
活動を行うことを前提としている。
 b 実際,田川鉱業所と三池鉱業所が華北労工協会と交わした契約書
によれば,いずれも一審被告会社が軍需会社に指定された後の契約
でありながら,両者では,支払うべき賃金の額が異なっている(第
3の4(1)ア(イ)e②及びイ(イ)d②参照)。また,宿舎の規格や,
食事の内容も両鉱業所では完全に同一ではなく,一審原告らが食事
その他の処遇について体験したところにも両鉱業所間で幾分のずれ
がある。
 c 全体を通覧しても,外務省報告書によれば,具体的な処遇条件
は,全国の各事業所で相当に異なっていた。
(エ) 以上によれば,一審被告会社は,一審原告らを,自己の責任にお
いて,直接使用したものとして,一審原告らを,「或者が処罰の脅威
の下に強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労
務」(強制労働禁止条約2条1項は強制労働をこう定義している。)
に該当するような労働をさせたものというべきであり,強制労働と評
価することができる(以下「本件強制労働」という。)。一審被告会
社の(イ)の主張は,採用できない。
ウ 被控訴人国の責任の有無
(ア) 被控訴人国は,一審原告らを直接使用したものではない。
(イ) しかし,一審原告らは,戦争を遂行するに当たって,軍需産業の
重筋労働部門の労働力不足を補うため,国策として労働に従事せしめ
られた。
(ウ) 被控訴人国は,国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社
法その他によって,建前上では,軍需会社に指定した一審被告会社の
経営,人事を支配し,労務管理権を有していた。
(エ) 内務省は,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,官憲を派遣
し,事業場関係者と定例的に会議を開きながら,田川鉱業所及び三池
鉱業所において,実際にも一審原告らの日常警備と取締りに当たっ
た。
(オ) 以上によれば,被控訴人国は,一審被告会社が一審原告らを田川
鉱業所や三池鉱業所で強制的に労働に従事せしめるに当たって,それ
を幇助したものと評価することができる(民法719条2項)から,
一審被告会社と共同不法行為責任があるというのが相当である。被控
訴人国が,強制労働の内容につき,異を唱えていれば,一審被告会社
が上記強制労働を強い得たはずがない。本来,悪をなし得ない,なし
てはいけない高い道義性が要求されるのが,国の在るべき姿である。
一審原告らを使用したのは被控訴人国ではないと主張して,本件強制
労働に関する責任を回避しようとする弁解は,現在はもちろん当時も
許されるべきではない。
(3) 不法行為責任の成否(まとめ)
以上によれば,次のとおり判断される。
ア 家族とともに平穏に暮らしている外国人を,その意に反して他国に強
制連行した上,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で,十分
な食事を与えず,食事制限をも制裁の一内容として,暴力と暴言によ
り,人を隷従させて敵国のために強制労働させることは,
(ア) ハーグ陸戦条約,
(イ) 労働者募集規則その他の労働者保護法制,強制労働禁止条約
等の解釈を待つまでもなく,人間の尊厳に著しく背く行為である。
イ しかも,本件強制連行・強制労働は,手段・目的として不即不離の関
係にあった。
ウ してみれば,被控訴人国と一審被告会社は,民法709条,715条
及び719条1,2項により,連帯して,本件強制連行・強制労働によ
り一審原告らが被った損害を賠償する責任があるというのが相当であ
る。
2 国家無答責の法理について(被控訴人国のみ主張)(第8の2及び第9の
2参照)
 そこで,進んで,国家無答責の法理により,被控訴人国は本件強制連行・
強制労働の責任を負うことはない,との主張について判断する。
(1) 旧憲法下(正確には国賠法施行前。以下同じ。)において,複数の事
例において,大審院判例は,民法の不法行為に関する規定は公務員の権力
的作用には適用がないとの解釈をとり,国家の権力的作用に基づき,個人
に損害が生じても,国に不法行為責任を認めていなかったことは被控訴人
国の主張するとおりである。
(2)ア 公権力の作用に基づく不法行為は,公権力の行使の適否が判断の対
象となるという意味では公法的な色彩を有している。
 イ 公務員の権力的作用に基づいて個人に損害が発生したときに国又は公
共団体に責任を負わせるか,負わせるとして,それにどのような要件を
定め,どの範囲で責任を負わせるかは,各国の立法裁量にゆだねられて
いることも,被控訴人国主張のとおりである。
 ウ その意味では,旧民法の立法過程における諸議論及び民法715条の
立法過程における諸議論をあげて,特別法を設けて責任を認めなかった
以上,国家に責任を認める余地はないとする被控訴人国の主張には傾聴
すべきものがある。
(3)ア しかし,公務員の権力的作用に基づく不法行為は,私人の権利を侵
害し,その被害回復が問題となっているという意味では,私法的な側面
も有している。
 イ したがって,旧憲法下で行われた公務員の権力的作用に基づく行為で
あっても,少なくとも現憲法下において判断をする限りにおいてもすべ
て国家は責任を負わないかは,いかに公益的側面を重視するとしても,
慎重に考える必要がある。
(4) そこで検討するに,
 ア 民法715条は,文理上,公務員の権力的作用に基づく行為を同条の
適用から排除していない。
 イ 行政裁判法16条は,実体法上は公権力の行使に違法があった場合に
国に損害賠償責任が生じることを前提としながら,行政裁判所は損害賠
償請求訴訟を受理しないという訴訟手続上の定めをおいたものと解釈す
る余地がある。
(5)ア 旧民法の制定過程で,当初の草案では「公ノ事務所」として国又は
公共団体も不法行為責任(使用者責任)を負うこととされていながら,
後にこれが削除されたのは,公務員の権力的作用に基づく不法行為につ
いては特別の配慮を要すると考えられたためであると解される。
 イ しかし,我が国は成文法国家である。
(ア) 戦前も,原則的な規定としての民法709条,715条は存在し
ていた。
(イ) 法理とは,字義どおりには,法の原理であるから,例外を許さな
いものを意味すると解される。
(ウ) しかし,公務員の権力的行為に基づく不法行為に関してはすべか
らく国の責任を否定すべきであるということについては,
a 明確な実定法規定はなかったし,
b 一種の法の欠缺であったと解することまでは許されようが,
c bを超えて,当然に実体法上も,責任の成立要件がすべからく消
極的に加重されている(公務員の権力的行為に基づかないもの)と
解するのは法解釈としては異例である。
ウ(ア) すなわち,
a 民法715条が公務員の権力的作用に基づく不法行為責任の発生
する余地を文理上排斥しておらず,
b 行政裁判法16条はともかく,実体法としての特別法が制定され
ていない以上,
c 公務員の権力的作用に基づく不法行為について民法715条を適
用するか否かの解釈は,国賠法施行前においても,判例にゆだねら
れたものと解さざるを得ない。
 (イ) 大審院の判例が,当初は権力的作用と非権力的作用を問わず,私
経済的作用を除くすべての公務員の行為に責任を認めていなかったの
に,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非権力的作用については民法
の適用を認め,不法行為責任を肯定するように変遷してきたことも,
そのように解して初めて合理的に説明し得る。
エ 戦前の有力な学説も,国家無答責の法理につき,一致して支持してい
たわけでもなければ,異論がなかったわけでもない。
(6) 以上によれば,旧憲法下における事例であっても,すべての権力的作
用に基づく行為について民法が適用されないとする法理があったというの
は相当でなく,戦前の判例法理を前提としても,特段の事情がある場合に
は,国は不法行為責任を負わなければならないと解釈する余地は残されて
いたと解するのが相当である。
(7) そこで,本件をみるに,
 ア 本件強制連行は,外国において,外国人に対し,しかも,B〔1〕を
除いては,戦闘員でない平穏な暮らしをしている一般の市民に対して行
われた行為である。
 イ 一審原告らを家族のもとから離れさせた目的は,敵国で働かせること
であり,人間の尊厳に反するばかりか,たまたま一審原告らは,日本国
の敗戦という出来事によって,いわば辛うじて生き残って祖国に帰るこ
とはできたものの,多くの仲間は,連行の途中又は労働の過程で命まで
失っており,そこには個人の生命,身体を尊重するという姿勢は全くと
いってよいほどかいま見ることができない。一審原告らが被った被害は
甚大である。
(8)ア 確かに,違法か否か,公序に反するか否かは,行為当時の法令と公
序に照らして判断すべきものである(最高裁判所第二小法廷平成15年
4月18日判決・民集57巻4号366頁,同大法廷昭和35年4月1
8日決定・民集14巻6号905頁参照) 。
 イ しかし,旧憲法下においても,個人の尊厳,人間的価値は否定されて
よいものではない。
 ウ 平穏な暮らしをしている日本国の主権に服しない中国人を,いわば故
意に暴力や欺罔を用いて家族のもとから切り離し,敵国に連行して強制
的に労働に従事させることは,個人の尊厳,人間的価値を否定する,甚
だしく人倫にもとる行為である。旧憲法の基礎をなす自然法に違背し,
著しく正義・公平に反している。
 エ してみると,本件強制連行・強制労働は,公務員の権力的作用に基づ
く行為ではあるが,正義・公平の理念に著しく反し,行為当時の法令と
公序に照らしても許されない違法行為である。国家無答責の法理を適用
して責任がないというのは不当であり,民法により不法行為責任が認め
られるべきものである。
(9) しかるに,被控訴人国は,国賠法附則6項が「この法律施行前の行為
に基づく損害については,なお従前の例による」と定めている点を捉え,
戦前の行為には国家無答責の法理が適用され,国は責任を負わないと主張
するので,次に判断する。
 ア(ア) 一般に,法令の制定又は改廃があった場合において,新しい法令
を一挙に適用すると,従来の法令の下で形成されてきた社会関係は大
きな打撃を受けることがあるので,スムースに新しい制度に移行する
ことができるように,一定の限度において旧制度を存続させたり,旧
法令の効力を持続させたりする必要が生ずる。このために,法令の附
則に置かれるのが経過措置を定めた経過規定であるが,「なお従前の
例による」と「なおその効力を有する」は,ともにその経過規定の中
において用いられる法令用語であり,前者は,旧法令又は改正前の法
令の規定は完全に効力を失っており,「なお従前の例による」という
規定だけが適用の根拠となっているのに対し,「なおその効力を有す
る」という場合には,この規定によって効力を有するものとされた旧
法令又は改正前の法令の規定そのものが生きており,それが適用され
るのである。したがって,「なお従前の例による」とは,改廃直前の
法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(以
上について,改訂版「最新やさしい法令用語の基礎知識」(田島信威
著)508~509頁,有斐閣「法律用語辞典」649頁,1041
~1042頁)。「なお従前の例による」との法令用語の身近な例と
して,他に,民事訴訟法附則4条1項以下がある。
(イ) 我が国は成文法国家ではあるものの,最上級審の判例は成文法を
補うもの(としての法源)であると解されるから,ここにいう法制度
とは判例上確立したものも含まれると解される。
(ウ) しかし,判例といっても,同種の事実,事件に対して事実上拘束
力を持つにすぎないことに想到すれば,民法715条が公務員の権力
的作用に基づく行為を文理上排斥せず,ほかにこれを否定する実定法
がない以上,いわゆる国家無答責の法理は,実定法上の根拠に基づく
ものではなく,同法理を採用した判例も,国賠法施行前の当該事案限
りの解決を示した事例判決であったと解するのが相当である。
 イ しかして,本件事案は,過去の国家無答責の法理の適用事例とされた
事案とは全く異なっている。
ウ したがって,本件については,
(ア) 国賠法が遡及適用されることはないが,
(イ) 同法附則6項によっても,本件がいわゆる国家無答責の法理の適
用対象となるか否かは,当該事案の内容に即して判例の解釈するとこ
ろにゆだねられている
というのが相当であり,「従前の例による」との法令用語の意味が,被
控訴人国の主張を根拠付けるものとは解されない。
 エ してみると,国賠法施行前の判例の解釈としても,
(ア) 本件強制連行・強制労働は民法の適用対象たり得るところ,
(イ) 上記附則の存在にかかわらず,被控訴人国は民法上の責任を負う
べきもの
と解するのが相当である。
 オ エの判断は,
(ア) 戦前の判例法理によっても,本件においては不法行為責任が認め
られる余地があるとした上で,
(イ) 昭和25年判決及びその他最上級審判例の事案とも,事実関係が
異なるのであるから,それら判例に反するものでもない。
カ 被控訴人国は,最高裁判所大法廷平成14年9月11日判決・民集5
6巻7号1439頁を引用して,現行憲法17条の下においても,国家
賠償責任の要件の定立は「立法府の政策判断」にゆだねられていたと主
張して,国家無答責の法理を根拠付けるかのようである。しかしなが
ら,同判決は,国家賠償責任の要件の定立は立法府に無制限の裁量権を
付与したものではなく,郵便法68条,73条の規定のうち,書留郵便
物について,郵便業務従事者の故意又は重大な過失によって損害が生じ
た場合にも不法行為に基づく国の損害賠償責任を免除し,又は制限して
いる部分は,憲法17条に反し無効であるといっている事例判決であ
る。上記法理を根拠付けるものではない。
(10) 以上のとおりであって,本件についてはいわゆる国家無答責の法理は
適用されず,1(3)ウの被控訴人国の責任は左右されない。
3 時効と除斥期間について(第8の3及び第9の3参照)
(1) 判断の順序
 ア 一審被告会社は,請求権消滅の主張関係で,民法724条前段と後段
の双方を主張している。したがって,どちらを先に判断すべきかは両者
の法的性格,論理的関係をどう考えるのかともかかわって,問題のある
ところである。
 イ しかし,両者は請求権消滅という点では効果を同じくするから,同条
後段の期間経過により請求権が消滅していると判断されるなら,あえて
同条前段の主張について検討する必要はない。
 ウ 被控訴人国は,請求権消滅の主張関係で,同条前段の主張はせず,同
条後段のみを主張している。
 エ そこで,本件においては,まず,同条後段について判断し,その主張
が認められないときに同条前段について判断を加えることとする。
(2) 民法724条後段の法意
 ア 一審原告らは,民法724条後段(20年の期間)は長期時効を定め
たものであると主張する。
 イ 確かに,同条前段において3年の短期時効期間を定め,同条後段で
は,「20年を経過したるとき亦同し」として長期の期間を定めている
文言の体裁,立法者意思その他立法の沿革,母法であるドイツ民法が長
期の期間制限(30年)を消滅時効期間としていること,諸外国の立法
例及び被害者保護の観点等を勘案すると,有力な学説が論じるとおり,
同条後段の期間は長期時効を定めたものであるとする一審原告らの主張
は傾聴に値する。
 ウ しかし,極端な例ではあるが,百年前,二百年前のことでも,証拠さ
えはっきりしていれば,裁判上の請求が認められる可能性があるという
のでは,法的安定性を欠き,いかにも不適切である。
 エ しかして,法の目的の一つは,法的安定性を創り出すことにあること
から分かるとおり,法的安定性は大変重視すべき考慮要素である。一定
の時の経過により,どこかの時点で権利(請求権)が消滅すると規定す
るのは,法的安定性という別の意味での正義の一顕現としての法政策と
して,十分合理性があり,容認し得るところである。
 オ とすると,民法724条について,平成元年判決が判示するとおり,
(ア) 同条前段の3年の時効は,損害及び加害者の認識という被害者側
の主観的な事情によってその完成が左右されるが,
(イ) 同条後段の20年の期間は,被害者側の認識いかんを問わず,一
定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間
を画一的に定めたもの(すなわち除斥期間)
と解することには十分合理的な理由がある。
 カ 最高裁判所が,平成元年判決において民法724条後段の期間を除斥
期間であると判示し,その後,学説から猛烈な批判が浴びせられても,
第三小法廷平成2年3月6日判決(裁判集民集159号199頁),平
成10年判決及び平成13年(受)第1760号第三小法廷平成16年
4月27日判決とも判断を変えていないのは,その所以であろう。
 キ 以上の次第で,同条後段の期間は不法行為によって発生した損害賠償
請求権についての除斥期間を定めたものと解するのが相当である。
(3) 民法724条後段の期間の起算点(1945年8月24日)
 ア 民法724条後段を除斥期間と解する以上,法的安定性は重視すべき
である。その起算点は同条後段の法文に従い,「不法行為の時」と解す
べきであるが,本件強制連行・強制労働という一連の不法行為について
の起算点としての「不法行為の時」は,後記(5)イ(ア)dで述べるとお
り,本件強制連行に引き続き継続した本件強制労働が終了した1945
年(昭和20年)8月24日と解するのが相当である。
 イ(ア) 一審原告らは,行使できない権利が消滅するのは背理であるとし
て,同条後段の期間も,事実上,法律上の権利行使可能性を考慮し
て,その起算点を判断すべきであると主張する。
(イ) しかし,同条後段の除斥期間は,
a 前記したとおり,法的安定性の見地を第一義的に重要視し,被害
者側の認識いかんを問わず,一定の時の経過によって法律関係を確
定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めるものであるか
ら,その起算点については,時効と違って,被害者側の認識や権利
行使可能性(民法166条1項参照)を考慮すべきではない。
b (ア)の主張は,法文(民法166条1項,724条)の文理解釈
からも,法的安定性の見地からも,採用できない。
(4) 裁判所による民法724条後段の効果制限
 ア ところで,民法724条後段の期間を除斥期間と解すれば,被害者の
有する真実の権利は,不法行為時から一定の期間が経過したという一事
をもって消滅してしまうから,いかに法的安定性を重視するにしても,
20年という期間は短きに過ぎるとの感を免れない事案もあろう。
 イ 法的安定性も重視すべき要素ではあるが,真実の権利者保護も司法に
課せられた重要な使命である。法の目的は,法的安定性を創り出すとと
もに,正義を実現することにもあるからである。
 ウ 殊に,権利を行使する側に20年の除斥期間内に権利を行使すること
がおよそ不可能な事情があり,単に期間が経過したという一事情のみを
もって権利が消滅したとすることは,国民の正義・公平の感情に著しく
反する場合もあり得よう。
エ 平成10年判決について
 同判決は,
(ア)a 昭和27年5月19日に出生し,同年10月20日受けた集団
予防接種により,同月27日ころから種々の症状が発症し,同35
年1月ころには,高度の精神障害,知能障害,運動障害及び頻繁な
けいれん発作を伴う寝たきりの状態になっていた被害者(心神喪失
の常況にある。)が,同49年12月(上記接種後約22年2月経
過),国家賠償請求訴訟を提起し,同59年10月19日(上記接
種後約32年経過),被害者は禁治産宣告を受けて父親が後見人に
就職し,同後見人が改めて同一弁護士に訴訟追行を委任し,同年1
1月1日(禁治産宣告後13日目),二審にその旨の訴訟委任状を
提出し,同弁護士が以後の訴訟手続を追行した事案において,二審
が民法724条後段(除斥期間)に基づき,請求権が消滅したと判
断したのに対し,
 b 民法724条後段の規定を字義どおりに解し,不法行為の被害者
が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失
の常況にあるのに後見人を有しない場合にも,20年が経過する前
に不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま請
求権が消滅することになれば,被害者は,およそ権利行使が不可能
であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の
権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加
害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,
著しく正義・公平の理念に反する,このような場合にあっては,当
該被害者を保護する必要があり,民法724条後段の効果を制限す
ることは条理にもかなうとしたものである。
(イ) 正義・公平の観点を,法的安定性よりも重視すべき事案があり得
ることの一例を示した事例判決であるといえよう。
オ 民法724条後段(除斥期間)の効果制限についての解釈の指針
(ア) 正義・公平といっても多義的であるし,法的安定性もその一顕現
である。平成元年判決が判示するとおり,同法724条後段の20年
の期間は,被害者側の認識いかんを問わないのであるから,法的安定
性を重視して除斥期間を定めた民法の趣旨からして,平成10年判決
の趣旨を安易に拡張して,裁判所による除斥期間の効果を制限するこ
とも相当ではない。
(イ) しかし,平成10年判決の事案と比較し,それに匹敵するような
特段の事情がある場合には,著しく正義・公平の理念に反するものと
して,法的安定性を犠牲にしてでも,民法724条後段の効果を制限
することは条理にもかなうと解するのが相当である。
(ウ) 特段の事情としての考慮要素
平成10年判決の事案を参考にすれば,特段の事情としての考慮要
素を,次のとおり解するのが相当である。
a 加害行為の態様が悪質で,かつ,生じた被害も甚大で,看過し得
ないこと(以下「要素A」という。)
b 被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において
心神喪失の常況にある等,除斥期間経過前に権利を行使することが
客観的に不可能であること(以下「要素B」という。)
c 加害者が積極的に証拠を隠滅し,又は提訴を妨害した等,除斥期
間経過による権利消滅の利益を享受させることを不相当とする事情
が存すること(以下「要素C」という。)
d 被害者が,権利行使が可能になって速やかに権利を行使したこと
(以下「要素D」という。)
(エ) そこで,(ウ)にいう特段の事情としての考慮要素の有無について検
討するが,重要な問題をはらむので,次に,項を改めて論じる。
(5) 本件における特段の事情としての考慮要素の有無
  前記認定判断及び適宜掲記した証拠によれば,次のとおり認定判断され
る。
ア 被害の甚大性と行為態様の悪質性-救済の必要性-(要素A関係)
 (ア) 本件は,平穏な暮らしをしている中国人を,暴力や欺罔を用いて
家族のもとから切り離し,敵国に強制的に連行した上,強制的に労働
に従事させた甚だしく人倫にもとる不法行為である。
 (イ) 本件訴訟と直接の関係はないが,強制的に連行された上,強制的
に労働に従事させられたという意味では同様の境遇にあったFは,強
制労働に耐え兼ねて,終戦直前,酷寒の北海道山中に逃亡し,その後
戦争が終結したことも知らず,同山中で13年間もの逃亡生活を過ご
した。同人に代表されるとおり,移入された中国人労働者は,日本人
に著しく畏怖し,恐怖していた。
 (ウ) 一審原告らも同じく中国から移入されてきた。塘沽では電流を通
した鉄条網で囲まれた区域で,逃亡しようとすると銃で撃たれる等,
輸送途中の状況は,極めて峻烈なものであった。その恐怖は田川,三
池の各事業所に到着後も鮮明な記憶として消えなかったであろうこと
は想像に難くない。
 (エ) 加えて,一審原告らは,E〔10〕が工事用具で殴りつけられて
大腿骨を骨折させられたことで代表されるとおり,田川鉱業所や三池
鉱業所においても,暴力と暴言により隷従的状態で労働に従事させら
れた。
 イ 除斥期間内に権利行使することの困難性(要素B関係)
(ア) 帰国前
a 一審原告らと一審被告会社との間では契約が結ばれていなかっ
た。
b 一審原告らは,一定期間を田川鉱業所や三池鉱業所で過ごしたこ
とから,三井や三池の名前を覚えているが,正式には,自分が何と
いう法人で働かされたのかも正確に教えられていない。
c 日本に上陸後はそのまま直接事業場に輸送され,以後外出が禁じ
られていたので,場所についても正確な記憶はない。
d 不法行為の終了時(1945年(昭和20年)8月24日)から
同年11月22日,事業場を出発し,同月24日,故郷へ帰るべく
船に乗船するまでには約3ヶ月の期間があるが,アの諸事情を勘案
すると,その間に上記不法行為に基づく請求権を行使し得る状態に
はなかったし,そのための準備として,加害者名を調べたり,背景
事情を調査したりすることも事実上不可能であった。
(イ) 帰国後
     a 一審原告らは,そのような状態の中,とるものもとりあえず,あ
わただしく帰国した。
     b 当時,中国では既に内戦が起こり始めていた。一審原告らは,い
ずれも大陸に住んでおり,中華人民共和国の国民となったが,日本
は,同国を承認せず,両国は国交が途絶した。
     c 1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声明への署名に
より,ようやく両国の国交は回復したが,その後も,中華人民共和
国では,1986年(昭和61年)2月1日に公民出国入国管理法
が施行されるまで,私事による出国が認められず,その後も,自由
な渡航は事実上困難な状態が続いた。
     d したがって,一審原告らは,客観的にみて,少なくとも1986
年2月1日前までは,その権利を行使することが現実問題として事
実上困難であった。
ウ 証拠との関係等(要素B・C関係)
(ア)a① 1944年次官会議決定の実施細目である華人労務者内地移
入手続は,中国人が就業地に到着した時には,事業主は,管轄の
国民職業指導所に,出身地,氏名,年齢を記載した名簿を提出す
ることを義務付けていた。
② また,帰国する時には,やはり名簿を作成し,下船地,予定日
等を庁府県,内務省,厚生省及び大東亜省に報告すべきこととさ
れていた。
 ③ そして,一審被告会社と被控訴人国は,終戦の時点では,いず
れも,一審原告らが一審被告会社で働いたことを証する名簿を保
管していた。
〔以上,甲33の2,35〕
 b 一審原告らには雇用契約書等は交付されていないから,上記名簿
は,一審原告らが日本に強制連行され,一審被告会社で働いたこと
を証する客観的な唯一の証拠であった。
 c しかるに,軍需省は,終戦翌日の1945年(昭和20年)8月
16日,中国人労働者を受け入れたという意味で一審被告会社と同
様の立場にある日本建設工業会に対し,中国人及び朝鮮人に関する
統計資料,訓令その他の重要書類の焼却を命じ,これを焼きせしめ
た。
(イ)a ところで,外務省は,その後,1946年夏ころまでに,中華
民国からの調査に備えるため,中国人労働者の移入を受けた全事業
場から詳細な事業場報告書の提出を受け,外務省報告書を作成し
た。
 b その一部である甲34の1の1・2及び34の2には,各労働者
の氏名,出身地,年齢等が記載された名簿が付されているので,外
務省報告書と事業場報告書は,一審原告らを含む中国人労働者が来
日して一審被告会社で働いたこと,及びその際受けた待遇等を証す
る極めて重要な証拠であった。
 c しかるに,被控訴人国は,外務省報告書作成後間もない時期に,
戦犯関係資料として使われるおそれが生じたとして,官民双方の関
係者に影響が及ぶことに配慮し,同報告書を1部を除き,焼却し
た。
 d そして,原判決63頁24行目から68頁10行目までのとお
り,1993年(平成5年)5月にNHKがスクープ報道をするま
で,外務省報告書は存在しないと強弁を続けた。
エ 被控訴人国の行動の問題性(要素C関係)
(ア) 上記のとおり,外務省報告書及び事業場報告書は,一審原告らが
その権利を行使する上で,極めて重要な証拠であった。
(イ)a 被控訴人国は,一審被告会社のものを含む事業場報告書をすべ
て保有していることを,当審において自認するに至った。
 b 甲163の39によれば,警察庁には外務省報告書のうち,少な
くとも第1分冊の要旨の原本ないし写しが存在していたことが認め
られるし,甲163の46によれば,厚生省も第3分冊までは所持
していたことが認められる。
 c β課長(当時)がいうところの「1部を残して焼却した」という
1部が,要旨の写しのみであるのか,全部であるのかは現在に至る
も明らかでないが,a,bによれば,他官庁が所持するものを含め
れば,当時被控訴人国は,外務省報告書のかなりの部分を所持して
いたと推認される。
(ウ)a にもかかわらず,被控訴人国は,遺骨送還運動やF事件に関連
して,国会その他で外務省報告書の存在を追及されても,事業場報
告書を含め,文書としての資料は一切残っていないと虚偽の答弁を
続けた。
 b 甲163の54等によれば,その動機は,この問題が表面化する
と,中華人民共和国との間で賠償問題に発展し兼ねないという事情
である。
(エ)a Fは,1958年(昭和33年),北海道の山中で発見された
時,はっきりと補償等を要求した。
 b その時点であれば関係者も生存していたのであるから,中国人労
働者移入政策の実態はこれを調査することが十分可能であった。
 c しかし,被控訴人国は,資料がないとして補償等に応じることを
しなかったし,必要な調査もしなかった。
 オ 提訴時期(要素D関係)
   本件訴訟を提起したのは,
(ア) 原告番号1ないし8及び15の1ないし5の一審原告ら(15の
1ないし5の一審原告について,提訴したのは被相続人のA)は20
00年(平成12年)5月10日,
(イ) 原告番号9ないし11の一審原告らは2001年(平成13年)
5月10日,
(ウ) 原告番号12ないし14の一審原告らは同年10月30日
である(以上は本件記録から明らかである。)。
(6) 被控訴人国関係でのまとめ
 以上によれば,さらに,次のとおり判断される。
ア 要素Aについて
  一審原告らが被った被害は甚大であり,被侵害利益の面からみても,
その被害は容易に看過し得ないところ,この被害は,本来悪をなしえ
ず,また,高い道義性を求められる被控訴人国の極めて悪質な不法行為
に起因するのであるから,要素Aを具備していると評価することができ
る。
イ 要素Cについて
  被控訴人国は悪質な証拠隠滅活動をしたといわざるをえないから,要
素Cを具備していると評価することができる。
ウ 要素Bについて・その1(1972年(昭和47年)9月29日前ま
で)
 日本国と中華人民共和国とは,上記同日,日中共同声明に署名するま
で国交が途絶しており,一審原告らは,同日前までは,権利を行使する
ことが客観的に不可能であったから,平成10年判決の事例の除斥期間
経過直前6か月内における心神喪失の常況にも匹敵する事情があったと
いえよう。同日前までは,要素Bを具備していたと評価することができ
る。
エ 要素Bについて・その2(1986年(昭和61年)2月1日前ま
で)
  日中国交回復後も,1986年2月1日,中国で公民出国入国管理法
が施行されるまでは,同国国民は,私事による出国が認められていなか
ったから,一審原告らは,同日前までは,権利を行使することが事実上
極めて困難で,不法行為の時から20年を経過する前6か月内において
心神喪失の常況にある場合に匹敵する事情があったといえる余地があ
る。同日前までは,やはり要素Bを具備していたと評価する余地があ
る。
オ 要素Bについて・その3(1986年2月1日以後)
 (ア) 上記同日,公民出国入国管理法施行後は,一審原告らも私事によ
る出国が認められるようになった。
(イ) ところで,
 a ウ,エで認定した証拠の不足ないし証拠収集の困難は,勝訴の可
能性を低下せしめる事情ではあるが,権利行使それ自体を客観的に
不可能ならしめる事情ではないし, 
b 同法施行後も自由な渡航が事実上困難な状態が続いていたとして
も,それは中国国内の内部事情であって,被控訴人国は関係ないこ
とである。
いずれも,要素Bの理由になるとはいい難い。
(ウ) してみると,1986年(昭和61年)2月1日以後は,権利を
行使することが事実上極めて困難で,不法行為の時から20年を経過
する前6か月内において心神喪失の常況にある場合に匹敵する事情が
あったとはいい難い。要素Bを具備しているとは評価し得ない。
カ 要素Dについて
 (ア) 一審原告らは,三次にわたり本件訴えを提起したが,そのうち最
も早い2000年(平成12年)5月10日にしても,
  a 1986年(昭和61年)2月1日から約14年が経過し,
  b 本件不法行為が終了した1945年(昭和20年)8月24日,
またはその後,故郷へ帰るべく船に乗船し,日本を出国した同年1
1月24日からは,実に約55年(すなわち半世紀以上)が経過し
ている。
 (イ) 平成10年判決は,被害者に後見人が就職し,被害者の権利行使
が可能になった後13日目に適法に権利行使をした事例について除斥
期間の効果制限を認めたものである。同事案と比較しても,本件では
客観的に提訴が可能となった時点から現実に提訴されるまでの時間は
相当に長い。
 (ウ) したがって,本訴が最初に提起された2000年5月10日の時
点では,要素Dを具備しているとは評価し得ない。
キ 以上を総合すれば,本件で,除斥期間の効果を制限することを相当な
らしめる特段の事情があると解するのは困難であるところ,他に同事情
を認めるに足りる証拠は見出し難い。
  してみれば,本件強制連行・強制労働という不法行為に基づく一審原
告らの被控訴人国に対する損害賠償請求権は,遅くとも2000年5月
10日前に,民法724条後段の20年の除斥期間の経過により消滅し
たといわざるを得ない。
(7) 一審被告会社関係でのまとめ
 ア (4)及び(5)で説示したことは,(5)ウ,エを除き,一審被告会社の関
係でも妥当する。
 イ (5)ウ,エは,専ら,被控訴人国との関係で問題となる事情である。
この点に関して,一審被告会社が関係したことを認めるに足りる証拠は
ない。
 ウ とすると,一審被告会社との関係では,被控訴人国との関係以上に,
法的安定性は考慮すべき要素である。
 エ よって,本件強制連行・強制労働という不法行為に基づく一審原告ら
の一審被告会社に対する損害賠償請求権は,遅くとも2000年5月1
0日前に,民法724条後段の20年の除斥期間の経過により消滅した
ことに帰する。
 オ 一審被告会社が戦後被控訴人国から774万5206円の補償を受
け,これが現在の貨幣価値に換算すると数十億円に相当する(原判決8
2頁20行目から24行目まで参照)とすれば,確かに考慮に値する事
情ではあろう。しかし,長年月の経過により,同補償の相当性の有無に
つき,正確に判断する資料はない。当審において,上記補償金額を過大
に評価することは差し控えざるを得ない。ここにも,除斥期間の存在理
由の合理性をかいま見ることができよう。同補償の点を考慮に入れて
も,なお,エの結論を左右しないのである。
4 一審被告会社の戦前の保護義務違反の成否(第8の1(2)及び第9の1(2)
参照)
 そこで,次に,一審被告会社に標記保護義務違反を認める余地がないかに
ついて検討する。先の認定判断によれば,さらに,次のとおり認定判断され
る。
(1) 総論
 ア 安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に
入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方
又は双方が相手方に対して信義則上負う義務であり(昭和50年判決参
照),
 イ その後の最高裁判所判例においても,
(ア) 主として,雇用関係,労働契約関係において事故が発生した場合
の債務不履行責任を念頭において論じられてきた義務であるが(昭和
55年判決及び昭和58年判決参照),
(イ) 私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三者を介
して実質的に契約当事者類似の関係に立つ者や公法上の法律関係に基
づき契約類似の関係に入った当事者間にも,信義則上,契約上の債権
債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律してお
り(平成2年判決及び平成3年判決参照),かかる意味では,安全配
慮義務は,狭義の契約責任の主体を実質的に拡大する機能を有してい
る。
 ウ 一審原告らが請求の根拠としているのも,債務不履行責任である。
 エ その中身を,安全配慮義務と呼ぶか保護義務と呼ぶかは別として,あ
る当事者間に債務不履行責任が発生するというためには,単に不法行為
規範が妥当する程度の接触関係があるだけでは足りず,それを超えて,
債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる,直接の契約関係があ
るのと同視し得るような関係が必要であるというべきである。
(2) 一審被告会社と一審原告らとの間に,債務不履行責任を負わせること
を相当ならしめる実質的な関係があるか
 ア 一審原告らは,一審被告会社において働くことを承諾していたわけで
はないから,両者間に雇用契約が成立していたと認めることはできな
い。
 イ しかし,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定は,本来,
中国人労働者を受け入れる事業所と労働者間には,雇用契約が締結さ
れ,移入された労働者は契約に基づきその労働力を提供することが予定
されていた。
 ウ(ア) 一審原告らは,その意思に基づかずに日本へ連れてこられ,どこ
で働くかもきちんと知らされないまま,来日直後から田川鉱業所や三
池鉱業所で労働に従事した。
  (イ) 日本軍や中国人警察官の監視のもとに日本に輸送され,田川鉱業
所や三池鉱業所到着後は官憲の監視を受けた(少なくともそうするこ
とが予定されていた。)。
  (ウ) 一審原告らには労務提供を拒む自由はなかったところ,雇用契約
が締結されなかったことについて,一審原告ら側に落ち度はなかっ
た。雇用契約が締結されなかったのは,専ら一審被告会社側の事情,
強いていえば,恣意に基づくものであった。
 エ にもかかわらず,一審原告らは,いずれも,事業場到着以来1945
年8月24日に稼働を停止するまで,ほとんど休みをとることもなく,
田川鉱業所や三池鉱業所において,一審被告会社の指揮・監督の下に労
働に従事し,雇用契約を締結された場合に労働者が負うべき基本的義務
に相当する労務提供は,すべてこれを尽くした。
 オ(ア) 使用者側が,雇用契約を締結せずに労働を実質上強制することは
不法行為を構成することはいうまでもない。
  (イ) 不法行為責任と債務不履行責任は重畳的に存在し得るところ,本
来の規律に基づき,雇用契約を締結していれば債務不履行責任を負う
実態にあるのに,自らの事情で雇用契約を締結しなかった使用者側
が,労働者側を,直接支配・管理しながら義務の提供を実質上強制し
たときは,不法行為責任を負うのみで,債務不履行責任は一切これを
免れるというのは肯認し難い不条理である。
 カ 「特別の社会的接触の関係に入った当事者」との評価
(ア) 安全配慮義務は,信義則上の付随義務としての,相手方の身体,
生命,健康及び財産等に対する保護義務であると解されるから,その
違反は,一種の不完全履行であるところ,本来,事故が発生した場合
に債務不履行責任を負わせるべき付随義務として論じられてきた概念
であるから,事故が起こったことを前提に損害賠償請求をしているの
ではない本件において,安全配慮義務という言葉を使用することは適
切を欠くきらいがあるが,
a 一審被告会社は,本来締結すべき雇用契約を自らの事情ないし恣
意で締結しないまま,一審原告らを直接支配・管理し,自らの提供
する道具等を使用させながら,これを指揮・監督して,雇用契約が
締結されたと同等の労働の提供を受けたのであるから,両者の間に
は,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめるに足る,直接
の契約関係があるのと同視し得るような関係が存していたというべ
きである(平成2年判決及び平成3年判決参照)。
b 換言すれば,一審被告会社と一審原告らは,本来は雇用契約を締
結すべきであったし,事実上締結していたと評価することができる
実態関係にあったから,一審被告会社と一審原告らとの間には,債
務不履行責任を負わせることを相当ならしめる実質的な関係があ
り,「ある法律関係に基づいて」,一審被告会社は,直接の指揮・
監督の下に,一審原告らを支配・管理して,一審原告らから,雇用
契約と同等の義務の提供を受けたという「特別の社会的接触の関係
に入った当事者」であるというのが相当である。
(イ) 一審被告会社は,被控訴人国の主張を援用し,昭和55年判決の
趣旨からして,一審被告会社と一審原告らには,雇用ないしこれに準
ずる法律関係がないから,「特別の社会的接触の関係に入った当事
者」関係にはないと主張するが,同判決は,遺族固有の慰謝料につい
て判示したものであって,本件とは事実関係を異にする。(ア)a,b
の結論は左右されない。
(3) 一審被告会社の責任の有無
 ア 保護義務の内容
一審被告会社は,本来,1942年閣議決定,1944年次官会議決
定に従い,その細目たる企画院実施要領,華人労務者移入手続及び一審
被告会社が華北労工協会と締結した契約において遵守すべきことを約束
した「華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件の
内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を遵
守すべき義務を負っていたのであるから,「特別の社会的接触の関係に
入った当事者」として,信義則上,一審原告らに対し,その身体,生
命,健康及び財産等に対する保護義務を含意する安全配慮義務を負って
いたというのが相当である。
 イ 保護義務違反
  (ア) ところで,戦前,殊に本件強制労働が行われていた時代,中国国
民はもちろん,日本国民一般も,今日からは想像もできないような大
変な窮乏生活をしていたのも公知の事実であるが,かかる時代環境,
場所的・歴史的条件を十分考慮に入れても,一審被告会社が,しかる
べき報酬も支払わず,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境
で,重筋労働を行うに足る十分な食事を与えず,食事制限をも制裁の
一内容として,暴力と暴言により,一審原告らを隷従させ,積極的に
は承諾していない労働に強制的に従事せしめた実態は,保護義務に違
反したものと解するのが相当である。
(イ) 一審被告会社は十分に安全配慮義務(保護義務)を尽くしていた
と主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。
ウ まとめ
  したがって,一審被告会社は,一審原告らに対し,保護義務という債
務の不履行によって生じた損害を賠償すべき義務を負うと解するのが相
当である。
5 4で認めた損害賠償請求権の消滅時効援用による消長(第8の3(1)ア及
び第9の3(1)ア参照)
(1) 一審被告会社の主張
  一審被告会社は,上記請求権は,一審原告らが日本を出国した1945
年11月22日から10年を経過した1955年(昭和30年)11月2
2日に消滅時効の完成により消滅したとして,本訴において,同時効を援
用するので,次にその当否について検討する。
(2) 時効期間の起算点
ア 消滅時効は,「権利を行使することを得る時」から進行する(民法1
66条1項)。
イ 「権利を行使することを得る時」とは,権利を行使するについて法律
上の障害がなくなった時のことをいい,
(ア) 原則として,事実上の障害はこれに含まれない(最高裁判所第二
小法廷昭和49年12月20日判決・民集28巻10号2072頁参
照)が,
(イ) 事実上の障害であっても,権利を行使することが,現実には期待
し難い特段の事情がある場合(最高裁判所大法廷昭和45年7月15
日判決・民集24巻7号771頁,同第三小法廷平成8年3月5日判
決・民集50巻3号383頁,同第一小法廷平成15年12月11日
判決・裁判所時報1356号1頁)には,その権利行使が現実に期待
することができるようになった時以降において消滅時効が進行すると
解するのが相当である。
ウ しかして,先に認定判断したとおり,
(ア) 一審被告会社と一審原告らは,雇用契約を締結しておらず,一審
原告らは,三井や三池の名前を覚えてはいるものの,自分が何という
法人で働かされたのかも正確に教えられていないし,外出も禁じられ
ていたので,場所についても正確な記憶を有していない。
(イ) 日本と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日
に日中共同声明への署名がなされるまで国交が途絶していたし,その
後も,中華人民共和国では,1986年(昭和61年)2月1日に公
民出国入国管理法が施行されるまで,私事による出国が認められてい
なかったから,一審原告らは,1986年2月1日前は,上記損害賠
償請求権を行使するについて,
a 法律上の障害があった,
b あるいは,少なくとも,その権利行使を現実に期待し難い特段の
事情があった
と解するのが相当である。
エ 以上の諸点を勘案すると,
(ア) 1986年2月1日に公民出国入国管理法が施行され,中国にお
いても,私事による出国が認められるようになって初めて,一審原告
らに上記損害賠償請求権の行使を現実に期待することができるように
なったと解される。
(イ) 確かに,一審原告らが一審被告会社で働いたことを証するものと
して,外務省報告書は重要な資料であったところ,その存在は,19
93年(平成5年)5月17日にNHKが東京華僑総会がこれを保持
していることをスクープ報道するまで,公には認められず,どこに存
するのかも明らかでなかったことは,一審原告らにとっては大きい障
害であった。
(ウ) しかしながら,
a 外務省報告書の隠蔽に,一審被告会社が関与したことを認めるに
足りる証拠がないことは前記した。
b 上記1993年5月17日まではその権利を行使することが「事
実上困難であった」とまではいえるが,これを超えて,「権利を行
使することが,現実には期待し難い特段の事情がある場合に当た
る」と解するのは困難である。
(エ) したがって,(イ)の事情をもってしても,(ア)の結論は左右されな
い。
オ 一審原告らが本件訴訟を提起した最も早い日は,2000年(平成1
2年)5月10日である。
(3) 消滅時効完成についてのまとめ
 ア してみると,1986年2月1日から起算すれば,2000年5月1
0日でさえ14年余が経過しているから,民法167条1項所定の10
年の消滅時効が完成していることになる。
 イ 一審被告会社が本件訴訟において,同時効を援用していることは本件
記録から明らかである。
(4) 時効援用の信義則違反ないし権利濫用について
そこで,次に,(3)イの時効援用が信義則違反ないし権利濫用として許
されないとの一審原告らの主張について検討する。
ア 一審原告らは,
(ア) 一審原告らが受けた損害は甚大であるところ,その加害行為は,
人間としての尊厳を根本から否定する残虐,非道なものであり,これ
を救済する必要は極めて大きいこと,
(イ) これに対し,一審被告会社は,被控訴人国とともに,一審原告ら
がその権利を行使するのを妨害ないし阻害したこと,
(ウ) しかも,一審被告会社は,被控訴人国から,774万5206円
の損失補償を受けたが,これを現在の貨幣価値に換算すると,数十億
円に当たること,
以上両者の関係を考えると,時の経過の一事をもって一審原告らの戦前
の不法行為に基づく損害賠償請求権を消滅させることの公益性は乏し
く,一審被告会社が消滅時効を援用するのは,信義則違反ないし権利濫
用になると主張する。
イ ところで,消滅時効の援用が,信義則違反ないし権利濫用に当たる場
合とは,援用権者たる債務者側が,債権者の権利行使その他の時効中断
行為を妨げるような行為にでた場合のように,債務者に帰責事由があ
り,債権者が時効中断の措置を執らなかったことを理由に,債務者に消
滅時効の援用を容認することが,社会的相当性を欠き,一般的に許容し
難いと解されるような特段の事情がある場合を指す(例えば,最高裁判
所第二小法廷昭和54年9月7日判決・裁判集民集127号415頁,
同第三小法廷昭和51年5月25日判決・民集30巻4号554頁参
照)と解するのが相当である。
ウ そこで,上記特段の事情の有無につき判断するに,
 (ア) 一審被告会社は,戦後,被控訴人国から774万5206円の補
償を受けているところ,これが現在の貨幣価値に換算して数十億円に
相当するとすれば,確かに考慮に値する事情ではある。しかし,長年
月の経過により,その補償の相当性を正確に判断する資料もなく,判
断できない当審において,このことを過大に評価することは差し控え
ざるを得ないことは前記したが,このことはここでも妥当する。
(イ) また,ここで問題にしているのは,一審被告会社が,保護義務と
いう債務に違反し,事業場における一審原告らの健康等に十分配慮し
なかったこと(債務不履行)に基づく損害賠償責任である。一審被告
会社は十分に安全配慮義務(保護義務)を尽くしていたと主張する
が,これを認めるに足りる証拠がないことは前記したが,一審被告会
社は,50年以上という長時間の経過により立証しようにもその資料
がないと主張しているところ,その主張には,それなりの道理がある
ことも承認せざるを得ない。ここにも,長期時間の経過による問題性
をかいま見ることができよう。
(ウ) しかも,一審被告会社が,一審原告らの権利行使その他の時効中
断行為を妨げるような行為にでたことを認めるに足りる証拠はないこ
とも前記した。
(エ) 以上の諸点を総合すれば,上記特段の事情があったと認めるのは
困難であるところ,他に同事情を認めるに足りる証拠はない。
エ してみれば,一審被告会社による消滅時効の援用が信義則違反ないし
権利濫用に当たるとの一審原告らの主張は採用できない。
6 被控訴人国の戦前の保護義務違反の成否(第8の1(2)及び第9の1(2)参
照)
 そこで,次に,被控訴人国に標記保護義務違反を認める余地がないかにつ
いて検討する。
(1) 4(1)で一審被告会社について述べたことは,被控訴人国との関係でも
妥当する。
(2) そこで,次に,被控訴人国と一審原告らとの間に,債務不履行責任を
認めるに足る実質的な関係があるかについて検討するに,先の認定判断に
よれば,
ア(ア) 一審原告らは,国の戦争遂行過程における労働力不足を補うもの
として,人的,物的資源を,国家総動員法等に基づく国家総動員体制
下において統制,運用する国策のもとに,一審被告会社の事業場にお
いて本件強制労働に従事させられたし,
(イ) 被控訴人国は,軍需会社法その他により,建前上では,一審被告
会社に強い支配権を有しており,官憲を派遣して具体的な取締りにも
当たっていたし,上記事業場では,国の官憲を派遣して監視し,少な
くともそうすることが予定されてはいた。
イ しかし,一審被告会社が,1942年閣議決定,1944年次官会議
決定に従い,その細目たる企画院実施要領,華人労務者移入手続及び一
審被告会社が華北労工協会と締結した契約において遵守すべきことを約
束した「華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件
の内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を
遵守すべき義務を履行したか否かはさておき,
(ア) 一審被告会社の事業場における現場での実態は,一審被告会社の
指揮・監督の下に,一審原告らは,日々の労働に従事し,一審被告会
社が具体的な処遇に当たっていたものであり,
(イ) 被控訴人国が,一審原告らの日々の労働や処遇に,具体的に関与
していたことを認めるに足りる証拠はない。
ウ 以上の諸点に,平成2年判決及び平成3年判決の事実との比較を踏ま
えて検討すれば,
(ア) 被控訴人国は,
a もともと,一審原告らと雇用契約類似のものを締結すべきことを
予定していたのでもなければ,
b 一審原告らを直接支配・管理し,自ら提供する道具等を使用させ
ながら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労
働の提供を受けていたわけでもない。
(イ) その実態も,元請・下請関係に匹敵するように,間接的にでも,
一審原告らを支配・管理し,自らの提供する道具等を使用させなが
ら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労働の提
供を受けていたというにはほど遠い。
(ウ) すなわち,被控訴人国と一審原告らとの実態関係は,
a 本来は雇用契約を締結すべきであったとか,事実上同契約を締結
していたと評価することができる実態にあったとかいうわけではな
いから,
b① 両者間には,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる
実質的な関係があり,
② 「ある法律関係に基づいて」被控訴人国が,一審原告らを支
配・管理して,一審原告らから,雇用契約と同等の義務の提供を
受けたという「特別の社会的接触の関係に入った当事者」である
ということもできない。
(エ) 被控訴人国は,一審被告会社に強い支配権を有していたのではあ
るが,これに一審原告らが主張する義務違反に該当する事実を併せし
んしゃくしても,被控訴人国において,一審被告会社とともに,ある
いは,一審被告会社を跳び越えて,一審原告らとの間に債務不履行責
任を負わせることを相当ならしめるような関係,もしくは直接の契約
関係があるのと同視し得るような関係があったとまでいうのは困難で
あり,(ウ)の結論は動かない。
エ したがって,被控訴人国に戦前の保護義務違反を認めることはできな
い。
7 一審被告会社の戦後の保護義務違反の成否(第8の1(3)及び第9の1(3)
参照)
この点に関する一審原告らの主張は,必ずしも明らかでないが,これを措
くとしても,第9の1(3)中の(一審原告らの主張)ア(エ)のうちa・b・c
は,戦前の保護義務に包摂されるものであるし,一審被告会社と一審原告ら
の関係は,一審原告らの帰国により基本的に終了していて,戦前のように債
務不履行責任を負わしめるに足る,直接の契約関係があるのと同視しうる関
係を認めることができないから,その余の事項については,保護義務の発生
及びその違反を認める余地がない。
   一審原告らの戦後の保護義務違反の主張は失当であるといわざるをえな
い。
8 被控訴人国の戦後の保護義務違反の成否(第8の1(3)及び第9の1(3)参
照)
 先の認定判断によれば,被控訴人国は,一審原告らとの間に,戦前におい
ても債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる,直接の契約関係があ
るのと同視し得るような関係があったとはいえないのであるから,戦後も,
一審原告らが主張する内容の保護義務を認める余地はない。したがって,一
審原告ら主張の上記違反に基づく請求は理由がない。
9 戦後の新たな不法行為の成否(第8の1(4)及び第9の1(4)参照)
(1) 一審原告らの主張する戦後の新たな不法行為の内容は,要するに,
ア 被控訴人国及び一審被告会社は,中国人労働者移入に関する資料を焼
却する等して,一審原告らが権利を行使するのを困難ならしめた,
イ(ア) 被控訴人国は,国会で虚偽の答弁をしたり,外務省報告書の存在
が明らかになっても,中国人労働者の移入を強制連行・強制労働であ
ると正面から認めず,他方で一審被告会社には補償をし,
 (イ) 一審被告会社はこれを受領する等,その対応が不誠実である,
ウ 強制労働の実施者に刑事訴追と処罰を行わないのは,強制労働禁止条
約25条に違反する
 というものである。
(2) (1)ア,イの主張について
  同主張は,いかなる法的義務に違反したというのか,その内容自体が明
らかでないのみか,請求する慰謝料との関連(法的保護に値する被侵害利
益及び相当因果関係)も明らかでない。
(3) (1)ウの主張について
 (ア) 強制労働禁止条約25条に基づく義務は,他の締約国に対して負う
べき国際法上の義務であって,強制労働を課せられた個人に対する義務
ではないから,一審原告らとの関係で不法行為を構成するものではな
い。
 (イ) 国内法的にみても,犯罪の捜査及び検察官の公訴権の行使は,国家
及び社会の秩序維持という公益目的で行われるものであって,犯罪被害
者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない(最高裁判
所第三小法廷平成2年2月20日判決・裁判集民事159号161頁参
照)から,犯罪捜査の遅滞,捜査の不開始は,特段の事情がない限り,
原則として犯罪被害者に対する不法行為となるものではないところ,本
件では,上記特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。
 (ウ) よって,(1)ウの主張も理由がない。
(4) (1)の主張は,いずれも採用できない。
10 結論
  以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,
(1) 一審原告らの,被控訴人国及び一審被告会社に対する各請求は,いず
れも理由がなく,棄却を免れない。
(2) よって,原判決中,(1)と一部異なり,
ア 一審原告らの一審被告会社に対する各請求のうち,金員請求の一部を
認容した部分(原判決主文第1項)は不当であり,
イ 一審原告らの
(ア) 一審被告会社に対するその余の各請求をいずれも棄却した部分
(同第2項),
(イ) 及び被控訴人国に対する各請求をいずれも棄却した部分(同第3
項)
はいずれも相当である。
(3) したがって,(2)の趣旨に従い,
ア 一審原告らの一審被告会社及び被控訴人国に対する各控訴は理由がな
いから,これをいずれも棄却し,
イ 一審被告会社の控訴に基づき,
(ア) 原判決中,一審被告会社の敗訴部分(原判決主文第1項)を取り
消して,
(イ) 一審原告らの一審被告会社に対する各請求をいずれも棄却し,
ウ 訴訟費用は,第1,2審を通じ,すべて一審原告らに負担させること
として,
主文のとおり判決する。
  福岡高等裁判所第1民事部
        裁判長裁判官    簑   田   孝   行
           裁判官    駒   谷   孝   雄
     裁判官藤本久俊は,差し支えのため,署名押印することができな
い。
        裁判長裁判官    簑   田   孝   行
(別紙等添付省略)

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