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平成16年5月17日宣告 裁判所書記官 有 馬 一 博
平成13年(わ)第94号
            判        決
            主        文
        被告人を無期懲役に処する。
        未決勾留日数中880日をその刑に算入する。
            理        由
(犯罪事実)
 被告人は,夫のS’(以下「S’」という。)と共謀の上,B(当時60歳。以下「被害者」とい
う。)に対する170万円の債務の支払を免れる目的で同人を殺害しようと企て,平成12
年10月16日午後2時40分ころ,福岡県a郡b町大字cd所在の無人貸付店「C」横駐車
場において,S’が被害者に睡眠薬入りのジュースを飲ませ,同日午後6時ころ,北九州
市e区所在の「D」付近所在の「E」北口駐車場において,S’が被害者に有機リン剤であ
るアセフェートを含有する殺虫剤入りの栄養ドリンク剤を飲ませ,さらに,同日午後9時こ
ろから同日午後11時ころまでの間,福岡県a郡f町所在の「F」駐車場若しくは同町大字
gh所在の料亭「G」東側駐車場又はそれらの周辺において,S’が所携のカッターナイフ
で被害者の頸部等を数回切りつけるなどし,よって,そのころ,同所において,被害者の
左頸動脈及び左頸静脈切損に基づく失血により死亡させて殺害するとともに,上記170
万円の債務の支払を免れて同金額相当の財産上不法の利益を得た。
(証拠)
 略
(事実認定の補足説明)
 弁護人らは,被告人が被害者の殺害を決意したのは,被告人が被害者から性的な嫌
がらせを受けていたためであり,被害者に対する債務を免れる目的はなかったから,被
告人には強盗の故意がなかった,また,被告人は平成12年10月16日午前4時ころま
でにはS’を説得して本件犯行を断念させ,S’との間の共犯関係から離脱したものであ
り,本件犯行はS’が同人固有の動機に基づいて敢行した単独犯行であるから,被告人
は無罪である旨主張し,被告人も,公判廷においてこれに沿う供述をしているところ,当
裁判所は,この点につき判示のとおり認定したので,その理由を以下のとおり補足して
説明する。
 1 前掲関係各証拠によると,被害者及びS’の各遺体の発見状況,鑑定結果及び解
剖所見等について,以下の事実が認められる。
 (1) 被害者及びS’の各遺体の発見状況及び鑑定結果等
 ア 平成12年10月17日午前10時20分ころ,福岡県a郡f町大字gh所在の料亭「G」
の東側駐車場に駐車中の軽四輪乗用自動車(以下「被害者車両」という。)内から,頸部
等から血を流して助手席に横たわっている被害者の遺体が発見され,遺体の足下から
血痕の付着したカッターナイフ(以下「本件カッターナイフ」という。)が,同車両の運転席
側後部座席床下からキャップのない栄養ドリンク剤「H」の空き瓶1本が,運転席の座席
及び助手席左側から透明プラスチック手袋各1枚が,それぞれ発見押収された。助手席
背もたれは最大に倒され,遺体には上着がかけられており,遺体の下の背もたれ等に
多量の血痕が付着していた。ドアはすべて施錠されていたが,エンジンキーは発見され
なかった。他に,被害者の携帯電話機1台,「カンプ分」等の記載のある封筒,「I,J㈱」
と記載のある封筒,チョコレートの空袋のほか,保険証書,領収証,預金通帳,貸付明
細書等多数の書類等が発見押収された。しかし,遺書やそれらしきメモなどはなかっ
た。
 本件カッターナイフは,S’がその勤務先であるKで使用していたものと同種のものであ
った。
 イ 前同日の午後4時過ぎ,前記「G」から北西方向に約200メートル離れた海岸の崖
下約17.6メートルの海岸線岩盤上において,S’の遺体が発見された。着衣に血痕が
付着し,上衣はめくれ上がり,腹部は露出していた。遺体の損傷が著しく,遺体近くには
雑木の小枝が散在していた。S’の遺体の着衣のポケット内から,表面に「L」と印字され
たビニール袋の中に入っていた未開封の「H」1本,キャップの付いた「H」の空き瓶1本
及び「H」のキャップ1個のほか,袋に入ったプラスチック手袋20枚等が発見押収され
た。S’の遺体直近に「B」の署名のある「M」が落ちており,崖中腹にも「B」の署名のあ
るものを含む3枚のいずれも被害者を契約名義人とする金融会社発行のカードが遺留
されていた。S’の遺体から少し離れた海岸線海中からS’の携帯電話機1台が発見押
収された。被害者の遺体の発見現場から北西方向に約50メートル離れた草地において
害虫駆除剤「スミチオン溶剤」の容器1個が,さらに約100メートル離れた草地において
プラスチック手袋1枚が発見押収された。しかし,遺書やそれらしきメモなどはなかった。
 S’の遺体の着衣から発見押収された上記プラスチック手袋は,S’の勤務先の加工場
で使われていたプラスチック手袋と同種のものであり,また,鑑定の結果,被害者車両
内から発見押収されたプラスチック手袋2枚と,被害者の遺体発見現場近くの草地から
発見押収されたプラスチック手袋1枚は,成分・形状・干渉像に照らし同種のものである
ことが確認された。
 ウ 平成12年10月17日午後9時30分ころ,被告人の供述に基づき,福岡県a郡b町
大字cd所在の無人貸付店「C」横駐車場(以下「本件C駐車場」という。)において,うど
ん片様の物,かまぼこ片様の物及びあげ片様の物等が含まれた吐物が発見採取され
た。
 エ 鑑定の結果,被害者車両内から発見押収された「H」の空き瓶及びその内容物並
びに本件C駐車場で発見採取された吐物から,いずれも有機リン系農薬「Z’」の有効成
分であるアセフェートが検出された。また,鑑定の結果,上記吐物から,うどん,蒲鉾,
葱,あぶらあげが特定された。
 オ 鑑定の結果,被害者の血液型はO型であり,また,DNAのMCT118型は18-4
2以上型であった。S’の血液型はA型であり,また,DNAのMCT118型は30-32型
であった。
 カ 鑑定の結果,本件カッターナイフからO型のヒト血痕が検出され,また,S’の遺体
が着用していたカッターシャツの両袖部分から採取された資料から,DNAのMCT118
型で18-42以上型が検出された。被害者車両内と被害者の遺体発見現場近くの草地
からそれぞれ発見されたプラスチック手袋合計3枚からいずれもO型のヒト血痕が検出
された。
 (2) 被害者の遺体を解剖鑑定したO教授による所見等
 ア 損傷の部位及び程度
 被害者には,①左頸動脈三角・甲状腺部,左胸鎖乳突筋部及び左外側頸三角部に創
口を持つ分岐を伴う長さ約13.4センチメートルの切創,②左耳介内側面の皮膚の切
創,③左乳突部及び左胸鎖乳突筋部の切創,④左顎下部及び舌骨部の切創,⑤左前
腕部の切創,⑥右前腕部の切創の合計6箇所の切創が認められるほか,⑦甲状軟骨
の左右の上角に骨折が認められた。
 イ 成傷器の種類及び成傷方法
 上記①の切創は,極めて鋭利な刃器を数回にわたり刺入し,圧迫的に牽引することに
よって生じたと考えられ,また,上記②ないし⑥の切創も同一の刃器で生じたとしても矛
盾しない。
 上記⑦の骨折は,作用面の小さい軟鈍体の圧迫作用によるものと考えられ,人の手
指による扼頸によって生じたとしても矛盾しない。
 ウ 薬毒物
 被害者の遺体から採取された血液,尿及び胃内容物から有機リン系農薬であるアセフ
ェートが検出されたが,その濃度は致死量に達していない。
 エ 死因及び死亡推定日時
 死因は,上記①の切創によって生じた左総頸動脈,左内頸静脈及び左外頸静脈の切
創に基づく失血であり,死亡日時は平成12年10月16日午後9時から同月17日午前3
時の間と推定される。
 オ 最後の食物摂取から死亡までの経過時間は,約3時間以内と推定される。
 2 前記1の認定事実によれば,被害者とS’の遺体発見は偶然ではなく,相互に密接
な関係があることが容易に推認される上,被害者は他殺であることがそれ自体からほぼ
確実で,S’についても他殺の可能性もあるが,自殺あるいは事故死の可能性も考えら
れ,S’が被害者を殺害した上,自ら海岸の断崖から投身自殺した可能性も少なからず
推認されるところである。
 3 そこで,両名の関係について更に見ていくと,前掲関係各証拠によれば,以下の事
実が認められる。
 (1) 被害者の携帯電話機の通話明細によれば,遺体発見前日の平成12年10月16
日,被害者は以下のとおりS’の携帯電話機等と頻繁に通話している。すなわち,①午
後1時31分49秒に公衆電話から電話が架かり,1分25秒間通話し,②午後2時8分3
4秒にS’の携帯電話機から電話が架かり,約36秒間通話し,③午後4時零分28秒に
S’の携帯電話機から電話が架かり約1分5秒間通話し,④午後4時15分49秒S’の携
帯電話機から電話が架かり約36秒間通話し,⑤午後4時32分35秒に「P」Qから電話
が架かり47秒間通話し,⑥午後5時34分25秒に被害者の妻Rから電話が架かり約1
0秒間通話し,⑦午後5時50分14秒にS’の携帯電話機から電話が架かり33秒間通
話した。
 以上のとおりであるが,それ以降,被害者の携帯電話機の着発信はなく,上記Rによ
ると,上記⑥の電話は,夫に迎えに来てもらおうと頼んだときの電話で,その時被害者
は「まだ仕事だから。」と断わった。その後,同女は同日午後9時前ころから,三,四回被
害者の携帯電話機に電話を架けたが,通話できなかった。
 他方,S’の携帯電話機の通話明細にも上記に対応する被害者の携帯電話機との通
話記録が残っている。その後,⑧同日午後10時35分28秒から約3分41秒間,⑨同日
午後11時5分39秒から約4分44秒間,それぞれ自宅に電話を架け,通話しており,⑨
が最後の通話となっている。上記⑧及び⑨の通話の時,S’は「取り返しの付かんことを
した。」「もう帰られん。」などと被告人に言い,最後に「S,S。」などと,被告人の名前を
呼ぶ声がして,電話が切れた。
 (2) 被告人,S’及び被害者の身上・経歴,借入れ及び返還督促等
 ア 被告人は,昭和29年4月14日,当時の福岡県e市で出生し,前夫と婚姻して長女
T及び長男をもうけたが,後に離婚し,平成4年4月,S’と婚姻し,平成12年10月当時
は,同人との間にもうけた2人の子どもと共に4人で肩書地の住居で暮らしていた。
 イ 被告人は,前夫との婚姻中に消費者金融会社から度々借入れをして多額の負債
を負ったことがあったが,S’と婚姻後も複数の消費者金融会社等からの借入れを続
け,平成9年初旬には,消費者金融会社等に対する債務残高は約310万円に達し,平
成12年10月当時は約120万円であった。S’も,平成9年2月ころから消費者金融会
社等から借入れをするようになり,平成12年10月当時の消費者金融会社等に対する
債務残高は約815万円にも及んでいた。
 また,被告人及びS’(以下「被告人ら」ともいう。)は,平成8年10月25日ころから,そ
れぞれの知人らに頼み知人ら名義で借入れをさせたり,さらには,知人らに資金運用先
に預けた上高額の還付金を付けて返還する旨を約束して金員を受け取るなどしていた
が,実際には資金の運用先などは存在しておらず,上記のような名目で知人らから預か
った金員は被告人らの債務の返済に充てるなどしていた。被告人らが他人名義で消費
者金融会社等から借り入れた債務残高は,平成12年10月当時約476万円に達してい
た。
 ウ 被害者は,昭和15年2月17日,東京都内において出生し,高等学校卒業後,U
に入隊し,定年退官するまでVとして勤務した後,J株式会社に再就職し,本件当時同社
のWとして稼働していた。
 被害者は,昭和42年,R(以下「R」という。)と婚姻し,長男X(以下「X」という。)ら3人
の子どもをもうけた。
 エ 被告人は,平成11年8月ころ,電気料金の集金のために被告人方を訪れた被害
者と知り合った。被告人は,同年9月ころから,被害者に対し,「娘のTが消費者金融会
社に勤めているが,娘の成績を上げるため,被害者の名義で同社から借入れをしてもら
いたい。」旨,あるいは,「娘が働いている金融会社のバックに銀行に勤めている方がい
て,上手に運用している。ここに金を預ければ高い還付金が受けられる。」旨,虚偽の事
実を申し向け,被害者を信用させ,被害者名義で消費者金融会社数社から借入れをさ
せたり,被害者から運用資金名下に複数回にわたり金員を受け取ったりしていたが,そ
の際,被害者に対し預り証等の証拠書類を一切渡さなかった。被告人らは,被害者から
受け取った金員を被告人らの債務の返済に充てるなどしていた。
 平成12年10月16日当時,被告人が被害者名義で借入れをしたり,被害者から運用
資金名下に受け取っていた金員は,同日までに被告人が被害者に還付金名下に返還し
た金額を差し引いても,合計約1180万円に上っていた。
 オ 被害者は,平成12年2月ころ,息子のXに対し,「銀行よりも利率のいいところがあ
る。4月の終わりまで預けて約70万円の還付金が付く。預けてみないか。」などと言って
出資方を勧め,これに応じたXから300万円を預かった。被害者は,そのころ,被告人に
対し,「息子から預かった現金であり,息子が5月に結婚式を挙げる際の費用に使うの
で,それまでに返して欲しい。」などと事情を明かして,Xから預かった300万円を被告
人に渡し,被告人はこれを同年5月までには返還する旨約束した上で受け取った(以
下,上記元本300万円のほか還付金の支払を伴う金員の支払義務を「本件債務」とい
う。)。被告人は,本件債務についても被害者に対し預り証等の証拠書類を交付しなかっ
た。
 カ Xは,約束の返還期限を過ぎても300万円の返還を受けなかったことから,平成1
2年5月ころ,被害者に対し,300万円の件はどうなっているのか問い質したが,被害者
は,まだ出資先から300万円の返還を受けていないのでもう少し待って欲しい旨言っ
た。なお,被害者は,その際,出資先から証書はもらっていないと言った。
 キ 被告人は,平成12年5月ころ及び同年8月ころ,Rから,被害者が被告人らに預け
ている金員の返還を求める旨の電話を受けたが,「私はよく分かりません。」「CのZに聞
かないと分かりません。」などと言って,ごまかした。また,被告人は,同年8月上旬こ
ろ,未だ300万円の返還がなされないことなどを不審に思っていたXから電話を受け,3
00万円の返還を強く求められたが,「結婚式の費用だったんですよね。すぐ返さないと
いけないと私も言っているんですけれども,もっと早く返してくれるようによく言っておきま
す。」などと,その場を言い逃れた。その後も被告人は,Xから何度も電話で300万円の
返還を強く督促され,被害者からもその返還を求められたが,その度に,「もう少し待っ
てください。」などと言って返還をしなかった。
 ク 被告人は,平成12年9月10日ころ,被害者に前記300万円の還付金名下に約7
0万円を渡し,被害者はこれをXの銀行口座に振込入金した。
 Xは,同月11日ころ,自己の銀行口座に被害者から約70万円が振り込まれているこ
とを確認したが,300万円全額の振込みがなかったことなどから,被告人方に電話を架
け,被告人に対し残額をすべて返還するよう求めた。
 ケ 被告人は,平成12年9月25日ころ,被害者に前記300万円の元金の一部返済
名下で150万円,還付金名下で10万円の合計160万円を支払った。その際,被告人
と被害者は,被告人らが還付金を含めあと170万円を被害者に支払えば,本件債務は
完済であることを確認した。被害者は同日ころ上記160万円をXの銀行口座に振込入
金した。
 コ Xは,平成12年9月25日ころ,自己の銀行口座に被害者から160万円が振り込
まれていることを確認したが,未だ返済額が300万円に達していなかったことなどから,
被告人方に電話を架け,被告人に対し本件債務の残額の支払を強く求めた。その際,X
は,被告人に対し,被告人がお金を渡しているという相手の人の名前や電話番号を教え
て欲しい旨言ったが,教えてもらえなかったことから,被告人に対し,「電話で話していて
もらちがあかないので,週末に被告人宅に行く。その時話し合いましょう。」などと言っ
た。Xは,被害者に電話をし,被告人に電話で被告人宅に行く旨言ったことを伝えたとこ
ろ,被害者から,自分が被告人と話をつけるので,Xが被告人宅に行くことは控えるよう
に指示された。
 サ 被告人は,平成12年10月10日ころ,被告人方を訪れた被害者に対し,同日中に
本件債務の残額を支払う旨伝えた。しかし,被告人らは,同日中に残額の170万円を
用意できなかったことから,被告人は,同日夕方,被害者の携帯電話に電話を入れ,娘
のTの声色を使って,被害者に対し,170万円の支払を同月13日まで待って欲しい旨
頼んだところ,被害者はこれを了承した。
 被告人は,同月13日にも被害者から170万円の支払を求められたが,まだ用意がで
きていないなどと言って,支払を先延ばしにした。
 シ 被害者は,平成12年10月15日午後7時ころ,被告人から170万円の支払を受
けるために被告人方を訪れた。しかし,被告人らは,未だ被害者に支払うべき170万円
を用意できていなかったことから,被害者に対し,「翌16日午後2時にbのCの駐車場で
待ち合わせをし,そこで170万円を渡す。」旨を約束した。しかし,被告人らは,同月16
日までに170万円を用意する目処は立っておらず,近日中にこれを用意する当てもな
かった。
 4 以上によれば,平成12年10月15日までの被告人及びS’と被害者の関係が明ら
かとなったが,これによれば,被告人らは,本件債務の残債務,すなわち,170万円の
支払をXから強く督促されており,資金調達に窮し,何度か引き延ばしたものの,同人か
ら被告人方に出向く旨,強い態度に出られ,被害者に同月16日に本件C駐車場で170
万円を支払う旨約束したものの,金策の当てはなく,追い詰められた状況下にあったこ
とが認められ,とりわけ,被害者から300万円を受け取り,被害者やXから直接その返
還を強く求められていた被告人は,相当困惑していたことが推認される。
 ところで,被告人は,捜査段階で任意取調べ中,被告人及びS’は,上記のように追い
詰められた挙句,平成12年10月15日午後9時過ぎころ,被告人方で,翌日被害者を
殺害することを共に決意し,二人でその計画を練ったという旨の自白をし,逮捕後もしば
らくこれを維持したが,その後否認に転じ,公判段階でもこれを続け,捜査段階の自白
は任意性及び信用性がないと主張している(なお,否認の趣旨は,補足説明の冒頭に
掲記のとおりである。)。
 本件においては,事件の核心部分である平成12年10月16日当日の被告人及びS’
と被害者の行動や足取り,犯行の経過等を立証するための供述証拠は,被告人の上記
捜査段階における自白(以下「本件自白」という。)以外にはないから,以下,本件自白
の任意性及び信用性について検討する。
 5 本件自白の任意性及び信用性
 (1) 本件自白の概要
 本件自白の概要は,平成12年10月16日に被害者に170万円を支払う旨約束したも
のの支払ができる当てはなく,被害者を殺すしかないと思い,S’と話し合って自殺に見
せかけて被害者を殺すことを決めたこと,その方法は睡眠薬を被害者に飲ませ,眠った
隙に口から農薬を流しこむというものであったこと,同日午後2時に本件C駐車場で被害
者と会う約束をしたが,その前にa町の「S’’」という店で家庭用の農薬3本を,八幡西区
の「B’」で睡眠薬を1箱それぞれ買って準備したこと,被告人が被害者の引きつけ役,
S’がジュースに睡眠薬を溶かして勧める役という分担を決めていたこと,同日午後2時
40分ころ本件C駐車場においてS’が睡眠薬と降圧剤を混入したグレープフルーツジュ
ースを被害者に勧めて飲ませたこと,被告人は,S’がグレープフルーツジュースに睡眠
薬と降圧剤を混入する際,被害者の目をそらす役割を果たしたこと,被告人らと被害者
は「C’」でうどん等を食べた後2台の車に分乗し,同日午後6時10分過ぎ頃,北九州市
e区所在の「D」付近所在の「E」北口駐車場に行ったが,被告人は,同所において,S’
から「農薬をここで飲ませるから,元の場所に戻っていなさい。」旨言われたことから,一
旦同所付近を離れたこと,その後10分ほどして被告人が同所に戻ると,S’が自動車か
ら降りて被告人の側まで来て,被告人に対し,「農薬を飲ませたよ。でも,Bさんは強い
ね。まだ効かない。」などと言ったこと,被告人が被害者の様子を見に行ったところ,被
害者は自動車の助手席のシートを倒して仰向けになっており,被告人に対し,「今飲ん
だドリンクは強いみたいね。体がカッカッする。今のは効いた。」などと言ったこと,その
後被告人らと被害者は2台の車に分乗し,同日午後7時ころ本件C駐車場に行ったこ
と,被害者は本件C駐車場に着いた途端自動車から飛び降り,同駐車場でうどんを嘔吐
したこと,S’は「もうちょっと走って様子を見てみよう。」と言い,被害者を乗せ,Fの入口
前まで行ったので,被告人もそれについて車を運転して行ったこと,D’前に着くと,S’は
被告人のところに来て「まだ眠ってもいない。時間が掛かりそうだ。寝そうで寝ないから,
Sは家に帰っときい。」と言ったので,被告人は一人で家に帰ったこと,そのころが同日
午後7時20分ころだったが,あと1時間もすれば被害者は死んでしまい,S’がどこかの
崖から被害者の死体を落として一人で帰ってくると思っていたこと,などというものであ
り,要するに,被告人とS’の間に被害者殺害の共謀が成立し,かつ,これに基づいて被
告人らが被害者に睡眠薬等や農薬を飲ませるなど,具体的な実行行為を行ったというも
のである。
 (2) 本件自白の任意性について
 ア 弁護人らは,取調官が被告人に対し本件犯行の責任をすべてS’に押し付けるの
は卑怯だなどと非難攻撃を加え,脅迫や机を叩くなどの暴行に及んだり,「罪を認めても
懲役二,三年に過ぎない。」などと,偽計を用いた取調べを行うなどし,S’に被害者殺害
を持ち掛けたためにS’を犯罪者にしてしまったことに道義的責任を感じていた被告人
は,取調官の言うがままに本件自白をするに至ったもので,その任意性には疑問がある
旨主張し,被告人は,公判廷において,「取調官から耳元で大きな声で怒鳴られたり,机
を蹴飛ばされたりした。」「取調官に対し本当のことを言っても頭から嘘だと決めつけら
れ,お前は大うそつきだ,死んだ人間に全部罪をかぶせるななどと責められ,途中で,も
ういいや,もうきついと思った。とにかく苦痛だった。」「取調官から,おまえが認めない
と,取調べは2年でも3年でも続くぞと言われた。」「取調官から,罪を認めても懲役二,
三年程度だと言われた。その後,取調官から無期懲役や死刑になるなどと言われ,俺た
ちに任せていれば助けてやるなどとも言われた。」「取調官からお前もS’と一緒に睡眠
薬を買っているはずだ。そういう風に証言している人もいると言われた。」などと供述して
いる。
 イ そこで,本件自白に至る被告人の取調状況等を検討するに,第4回公判調書中の
証人E’の供述部分,証人F’の公判供述,資料の複製に関する報告書(甲157),資料
の複製並びに写真撮影報告書(甲159),承諾書1枚(平成13年押第95号の3),証人
G’の公判供述及び第18回公判調書中の被告人の供述部分によると,取調官が被告
人の取調中に,机を蹴ったり叩いたり,脅迫や偽計を用いたり,利益誘導をするなどした
ことを窺わせる事情はない上,①被告人は,平成13年1月22日,本件公訴事実と同一
内容の被疑事実で逮捕されるまでの間,任意の取調べを受けていたものであり,取調
官の出頭要求に対しこれを拒否したり,途中で退室するなどといったことは一度もなかっ
たこと,②被告人は,平成12年10月17日に家族関係やS’と被害者の関係,同月15
日から17日までの行動等について警察官による事情聴取を受け,翌11月7日ポリグラ
フテストが行われ,当時特段厳しい追及を受けていたわけではないのに,同日本件自白
の主要部分を内容とする申立書(乙3)を作成し,自白を始めたこと,③被告人は,取調
官からS’と共に「G」付近まで行ったのではないかと厳しく追及されたと供述するが,S’
と共に「G」付近に行ったことはないと当初の言い分を最後まで貫き通していること,④本
件自白が録取された警察官調書においては,被告人が被害者から性的な嫌がらせを受
けていたことや,S’がS’の前妻による被告人らへの嫌がらせに被害者が関与している
と疑っていたことなども被害者殺害の動機になっていることなどの被告人の言い分も録
取されていること(乙7)が認められる。
 以上の事実に照らすと,本件自白は任意になされたものであることが認められる。
 この点に関する弁護人らの主張は採用しない。
 (3) 本件自白の信用性について
 ア 被告人が本件自白に至る経緯及び取調状況は,前記5(2)認定のとおりであり,取
調官が違法,不当な取調べをしたと目すべき事情は何ら認められない。かえって,当時
被告人に対する取調べは任意捜査でもあり,特段厳しい追及を受けていたわけではな
いのに,自白を始めた点は重要である。被告人は公判廷で自白の動機として,S’に対
する被告人の道義的責任も挙げているところ,これは被告人の内心の事情であり,被告
人の自白がむしろ自発的なものであったことを示唆すると考えるべきである。
 イ 本件自白の内容は,具体的,詳細で,体験しなければ供述し難いものを多く含んで
いる。すなわち,本件C駐車場で被害者と待ち合わせした後,睡眠薬及び降圧剤が入っ
たグレープフルーツジュースを被害者に飲ませたというのであるけれども,降圧剤やグ
レープフルーツジュースを混ぜて飲ませた点は,被告人が供述しなければ,取調官は容
易に知り得ない事実である。その後被害者が所用で一旦別れたという点及び再び本件
C駐車場で被害者と待ち合わせをした後「D」付近に行ったという点も同様である。そし
て,三度本件C駐車場に行ったこともそうである。
 ウ ここで,三度目に本件C駐車場に行った時,同所で被害者が「うどん」を吐いたとい
う被告人の目撃供述(以下「うどんの件」という。)について検討する。
 (ア) この点については,R証言に「平成12年10月17日午前中,被害者方を訪れた
被告人から,同月16日に本件C駐車場で夫がうどんを吐いているのを見たと聞いた。」
旨の供述があるので,同供述の信用性を吟味する必要がある。
 a 上記供述は,具体性に富むものであり,内容においても格別不合理な点は認めら
れない。また,上記供述は,証人H’が,平成12年10月17日午後,I’警察署において
Rから事情聴取をした際,同人から,被告人が同月16日にうどんを吐く被害者の姿を見
たと被告人から聞かされた旨言っていたと供述していることや,H’証人が上記事情聴取
の際につけていたノート(甲153。以下「本件ノート」という。)に「16日にCで主人が吐い
た。S’の妻から聞く。」という記載があることとも合致している。
 以上によれば,Rの前記供述には基本的に信用性が認められる。
 b 弁護人らは,H’証人がRから被告人が被害者とS’の2人が吐いていたと言ってい
た旨聞いたと供述しており,また,本件ノートにも「Sの主人も吐く。」と被害者とS’の2人
とも吐いていた旨の記載があるところ,R証人は被告人から被害者がうどんを吐いてい
たことを聞いたと供述するだけで,S’も吐いていたということについては全く供述してい
ないこと,平成12年10月17日にH’が録取して作成したRの警察官調書(甲144)には
うどん嘔吐の事実は全く記載されていないことを指摘し,被告人から被害者がうどんを
嘔吐した現場に臨場していたことを聞いた旨のR証人の供述は信用できない旨主張す
る。
 しかし,H’証人がRから被告人が被害者とS’の2人が吐いていたと言っていた旨聞い
たと供述し,本件ノートに被害者とS’の2人ともうどんを吐いていた旨の記載がある点に
ついては,以下のような事情を考え併せるべきである。すなわち,第4回公判調書中の
証人Rの供述部分,甲70によれば,平成12年10月17日午前,被告人は被害者方に
赴き,Rと会い,お互いの夫の安否について話し合ったことが認められるところ,第16回
公判調書中の被告人の供述部分によれば,被告人は当時,S’に被害者殺害の疑いが
掛からないように,取調官に「K’」の名前を出し,被害者が「K’」と会うことになっていた
旨虚偽の話を作り,あたかもその人物が被害者に毒を飲ませたかのように装ったという
のである。これが全くの作り話であったことは,公判廷で被告人自身が自認しているとこ
ろであるが,そうだとすれば,被告人が,被害者のみならずS’も被害を受け共にうどん
を吐いた旨の話を作ったとしても不思議ではなく,これに従って上記の日にそのようにR
に告げた可能性は十分存在すると言わなければならない。
 次に,H’証人の供述によると,H’は,Rから事情聴取をしていた際,被害者が殺害さ
れた背後事情を探るため,被害者とS’の間の金の流れについて関心を有しており,被
害者が平成12年10月16日にうどんを嘔吐していたとの事実についてはそれほど関心
を有していなかったことが認められる。そうすると,H’が作成した平成12年10月17日
付けのRの警察官調書にうどん嘔吐の事実が記載されていないのは,H’が,その事実
について供述録取書に記載するほどの重要性を感じていなかったからに過ぎないと考
えられる。
 したがって,いずれの点もR証人の前記証言の信用性を左右するものではない。この
点に関する弁護人らの主張はいずれも採用できない。
 (イ) うどんの件は,被告人が本件自白に先立ってRに供述したことであるが,捜査官
が現場に行って,供述のとおり,「うどん」様の吐物を発見採取し,鑑定の結果,その中
から被害者の身体から検出されたのと同じ農薬成分「アセフェート」が検出されたのであ
るから,これは「秘密の暴露」とも言えるものである。
 エ さらに,被告人の本件自白は,うどんの件のほかにも,以下のとおり,その重要部
分が他の客観的な証拠や情況証拠によって十分に裏付けられている。
 (ア) 被告人らは被害者と平成12年10月16日午後2時に本件C駐車場で待ち合わ
せたが,その前に福岡県a郡a町所在の「S’’a町店」で家庭用農薬3本,すなわち,
「Y’」「X’」「Z’」を購入したこと,「Z’」は殺虫剤であり「アセフェート」を含有するが,毒性
が比較的弱いことは,前掲甲57,50及び51によって裏付けられている。
 (イ) 被告人らがi区の「B’」で睡眠薬「W’」を購入したことは,前掲甲59によって裏付
けられているし,被告人方から,開封済みの睡眠薬「W’」が押収されている(甲46)。ま
た,被告人らが福岡県a郡a町所在の「L’」でグレープフルーツジュース,紙コップ,プラ
スチック製スプーン等を購入したことは,前掲甲60によって裏付けられている。S’が病
院で「降圧剤」を処方されていたこと及び降圧剤とグレープフルーツジュースの飲み合わ
せが処方箋で禁止されていたこと,すなわち,S’が上記の飲み合わせが薬効上の理由
から有害であることを承知していたことは,前掲甲54によって裏付けられている。
 (ウ) 被告人らと被害者が「C’」でうどん等を食べたことは,前掲甲61によって裏付け
られている。
 (エ) 平成12年10月16日のS’と被害者の間の電話連絡は,すべて前掲甲66及び6
7によって裏付けられている。
 (オ) 被告人らが被害者に農薬「Z’」を栄養ドリンク剤に混入させて飲ませたことは,被
害者の遺体からその有効成分「アセフェート」が検出されたこと,同遺体のあった被害者
車両内から「H」の空き瓶から同成分が検出されたこと及びS’の遺体の着衣のポケット
からも「H」の空き瓶が発見されたことなどの情況証拠によって裏付けられている。
 オ このように見てくると,被告人は,本件自白において,「F入口前でS’及び被害者と
別れ,被告人のみ帰宅したが,あと1時間もすれば被害者が死亡し,S’がその死体をど
こかの崖から落して帰ってくると思っていた。」旨,重大な内容の供述をするが,結果的
にはそうならなかったものの,翌日崖のある海岸近くにある料亭駐車場で被害者の無残
な遺体が発見され,S’が被告人に携帯電話機で「取り返しの付かんことをした。」「もう
帰られん。」「S,S。」などと言い残して連絡を絶ち,被害者の遺体発見後間もなく上記
料亭近くの海岸の崖下でS’の転落死体が発見されており,被告人の上記供述が単なる
推測などではなく,それなりの根拠を有していたと考えざるを得ないのである。
 カ 被告人は,捜査段階で本件自白を翻したが,その理由について合理的な説明がな
い。すなわち,被告人は,第14回公判調書中の被告人の供述部分において,自白を翻
した理由について,①子供の将来を考え,自分は前科者になったらいけないと思った。
②警察の留置場の同房者に「殺人は子から孫に伝わる。」と言われた。それまで夫S’の
罪を軽減しよう,S’一人に罪を押し付けまいという気持から自白したが,同房者に「夫よ
りも生きた人をかばわな(かばわなくてはいけない。)。」旨忠告され,その気になった。
③取調官が「俺達に任せていれば助けてやる。」と言うので信用し,被告人の刑につい
ては二,三年程度の懲役を覚悟していたが,途中で「無期だ。」と言われ,騙されたと思
った。おおむね以上のような理由を挙げている。しかしながら,①②の理由は,自白する
際当然考慮するはずの事情であるから,一旦重大事件の自白をした被疑者がその自白
を翻す理由としては,いささか薄弱である。③の理由は,G’証人の証言によれば,被告
人に対する取調べは,基本的に被告人の不合理な弁解を反対の証拠や供述,アリバイ
等で崩していくという方法で行われたことがうかがわれるのであって,調書には被告人
の弁解も録取してあり,被告人が弁解するように,取調官が一方的に利益誘導をした
り,暴行・脅迫・偽計の類を用いたことはなかったことが認められるのであるから,これも
自白を撤回した理由としては合理性を欠くと言わざるを得ない。
 (4) 以上のとおりであって,これらを総合すれば被告人の本件自白は任意性があり,
かつ,曖昧な部分が残っていることは否定し難いものの,基本的には信用できるもので
ある。
 (5) 本件自白の信用性に関する被告人の弁解について検討する。
 ア 被告人は,逮捕後に本件自白を撤回し,①平成12年10月16日午後2時ころ,S’
と共に,被害者と待ち合わせ場所として約束した本件C駐車場に行ったが,被害者は現
れず,したがって,被害者に降圧剤や睡眠薬を入れたグレープフルーツジュースを飲ま
せたことはない,②S’及び被害者と共に「C’」を出た後,S’から先に帰宅して子どもを
迎えに行くようになどと言われたことから,1人で同日午後6時40分ころに帰宅した,し
たがって,S’が被害者に農薬を飲ませた現場にはいなかった,③被害者が本件C駐車
場においてうどんを嘔吐していた現場にも臨場していなかったなどと弁解し,公判廷にお
いても同様の弁解をしている。
 イ しかし,上記①の点については,前記3(2)認定のとおり,毎日のように被告人方を
訪れて本件債務の支払を求めていた被害者がその支払を受けられる約束の時刻に現
れなかったというのはいかにも不自然であるし,また,前掲甲66によると,平成12年1
0月16日午後2時前後に被害者から被告人らに対し一切電話が架けられていないこと
が認められるところ,被害者側の都合で約束の時刻に待ち合わせ場所に行くことができ
なくなったにもかかわらず,被害者の方から被告人らに対しその旨の断りの電話を架け
なかったというのは符節が合わない。
 次に,上記②の点については,S’が被告人に子どもを迎えに行くよう指示した時点で
は,まだS’は被害者に農薬を飲ませていなかったことになるが,被害者に農薬を飲ませ
るには被害者の注意をそらす役目の者が必要であるから,その前にS’が被告人に上
記のような指示をしたとは考えにくく,この点も不自然である。
 さらに,上記③の点については,被告人は,被害者が本件C駐車場においてうどんを
嘔吐しているのを見た旨供述したのは,平成12年10月16日午後9時30分ころ,本件
C駐車場にS’を迎えに行った際,本件C駐車場に残っているうどん様の吐物を見て被害
者が嘔吐したものだと思ったためであるなどと供述するが,うどん様の吐物を見ただけ
で直ちに被害者が嘔吐したものと分かったというのはいかにも唐突である。
 以上のように,被告人の上記①ないし③の供述は,その内容自体不自然,不合理で
あり,信用できない。
 (6) 弁護人らは,被告人の本件自白中被害者に農薬を飲ませた現場に臨場していた
旨の供述は,被害者に農薬を飲ませたとする時刻に著しい変遷があり,信用できない旨
主張する。
 しかし,被告人の本件自白は,被害者に農薬を飲ませた現場に臨場していたこと自体
については終始一貫しており,その具体的な時刻に関する供述に変遷があったとして
も,被告人が被害者に農薬を飲ませた現場に臨場していたとの供述の信用性が減殺さ
れることはないと言うべきである。
 被告人の本件自白について弁護人らの指摘するその余の点を検討しても,被告人の
本件自白の基本的部分の信用性が左右される事情とは言えない。
 (7) 以上のとおりであって,他に本件自白の信用性に疑いを差し挟むべき証拠はな
い。
 5 信用できる被告人の本件自白のほか,前掲関係各証拠によると,平成12年10月
15日から同月16日にかけての被告人とS’の行動について,以下の事実が認められ
る。
 (1) 被告人は,平成12年10月15日午後9時過ぎころ,被害者が被告人方を辞する
や,本件債務の支払を免れるため,いっそ被害者を殺害する気になり,S’に対し,「私,
Bさんを殺したいよ。」「本気よ。」などと言って,被害者の殺害を持ち掛けたところ,S’も
これに同意した。そして,被告人とS’は,被害者の殺害方法について話し合い,被害者
に「私の金銭の管理の件で最近S’さんにご迷惑をおかけしました。」との遺書めいた書
面を書かせていたこともあって,最終的に被害者を自殺に見せかけて殺害すること,具
体的には被害者に睡眠薬を飲ませた上,眠った被害者の鼻をつまんで農薬を飲ませて
殺害することを決めた。
 (2) 被告人らは,平成12年10月16日午前10時23分ころ,福岡県a郡a町所在の
「S’’a町店」で被害者殺害に使用するための家庭用農薬3本,すなわち「Y’」「X’」「Z’」
を購入し,また,S’は,同日午後零時12分ころ,北九州市i区j所在の「M’」で被害者殺
害に使用するための栄養ドリンク「H」及び睡眠薬「W’」等を購入した。さらに,被告人ら
は,同日午後1時39分ころ,福岡県a郡a町所在の「N’」で被害者殺害に使用するため
のグレープフルーツジュース,紙コップ,プラスチック製スプーン等を購入した。
 (3) 被告人らは,同日午後2時15分過ぎころ,本件C駐車場に来た被害者に対し,睡
眠薬を飲ませて眠らせた上で農薬を飲ませて殺害するため,被告人が被害者の注意を
そらせている隙に,S’が本件C駐車場に駐車中の自動車内でグレープフルーツジュー
スに睡眠薬「W’」と降圧剤を混ぜた上,同日午後2時40分ころ,これを被害者に勧めて
飲ませた。
 (4) 被害者が郵便局に用事があると言うので,同日午後3時20分ころ,被告人らと被
害者は一旦別れた。
 (5) 被告人らは,同日午後5時過ぎころ,被害者と再度本件C駐車場で待ち合わせた
上,北九州市e区k所在の「C’」に被害者と共に行ってうどん等を食べ,同日午後5時3
9分ころ,会計を済ませて店外に出た。その後,被告人の発案で被告人らと被害者は北
九州市e区所在のDに行き,さらに,同所付近の「E」北口駐車場に移動した。そして,同
所において,S’が被告人に対し「農薬はここで飲ませるから。元の場所に戻っていなさ
い。」などと言った上,農薬「Z’」を混入した「H」を被害者に飲ませた。
 (6) その後,同日午後7時ころ,被告人らは被害者と共に本件C駐車場に戻ったとこ
ろ,被害者は同駐車場に着いた途端,自動車から降りてうどんを嘔吐した。
 (7) 本件C駐車場で,S’が「ちょっと走って,様子を見てみよう。」と言って,被害者の
車を運転して同駐車場を出たので,被告人は自車を運転してついていくと,同日午後7
時20分ころ,福岡県a郡f町所在の「F」駐車場に着いた。同所で,S’が「時間が掛かり
そうだし,眠ってもいない。寝そうで寝ないから,もうSは帰っていいよ。」と言うので,被
告人は車を運転して自宅に戻った。
 (8) 同日午後10時35分と同日午後11時5分の2回,S’から携帯電話機で自宅に電
話が架かった。その時,S’は「取り返しの付かんことをした。」「証拠を残した。」「もう帰ら
れん。」などと被告人に言い,最後に「S,S。」などと,被告人の名前を呼ぶ声がして,電
話が切れた。
 6 前記1,3及び5の各認定事実を総合すれば,被告人とS’は,被害者から本件債
務の支払を強く迫られたが,支払の当てが全くなかったことから苦慮し,特に支払督促
の矢面に立たされていた被告人は困惑し,その挙句,被告人らは,平成12年10月15
日午後9時過ぎころ,被告人方において,被害者を本件C駐車場に呼び出して殺害する
ことを計画し,本件共謀が成立したこと,被告人らが本件共謀を遂げた際に決めた被害
者殺害の方法は自殺に見せかけた毒殺であり,被告人らは,その準備として,翌16
日,被害者と会う前,農薬や睡眠薬等必要な物をホームセンターや薬局等で購入し,こ
れらを秘に被害者に飲ませることに成功したが,被告人らが考えたほど農薬の毒性は
強くなく,毒殺するに至らなかったため,同日午後9時ころから同日午後11時ころまでの
間に,「F」駐車場若しくは料亭「G」東側駐車場又はそれらの周辺において,S’が所携
のカッターナイフで被害者の頸部等に切り付け,これが致命傷となったこと(失血死。そ
の後S’は自殺したと見られる。)及びカッターナイフを用いて殺害することは被告人とS’
の間で決めた計画にはなく,その意味で被告人にはS’がカッターナイフを用いて被害者
を殺害することまでの認識はなかったものの(これはいわゆる事実の錯誤に当たるが,
同一構成要件内の具体的事実の錯誤にとどまるから,被告人の故意は阻却されな
い。),被告人が,上記共謀成立後,共犯関係から離脱したとの事情,すなわち,被害者
殺害の意思を放棄し,これをS’に告げ,S’が被害者を殺害しないように説得し,これを
止めさせるため具体的な行動を起こしたことなどは全くなかったことが認められる。
 そうすると,判示のとおり,被告人はS’と共謀の上被害者に対し強盗殺人の犯行を犯
したものであることが認められると言うべきである。
 7 弁護人らは,①被告人らが被害者を殺害しても債務の支払を免れることはなく,ま
た,本件債務は被害者がXから預かった300万円を被告人に預けて生じたものであり,
被告人らは被害者よりもむしろXから強く返還を求められていたのであるから,たとえ被
害者を殺害しても,Xからの返還請求が止まらないのは明らかであるから,被告人らが
被害者殺害を決意したのは本件債務の支払を免れるためではなかった,②被告人は,
以前より被害者から性的な嫌がらせを受けており,早く被害者との縁を切りたいと思って
いたところ,平成12年10月15日午後9時ころ,被害者が,被告人宅を辞する際,被告
人に対し蜂蜜の瓶を手渡しながら「今度,これで遊ぼうね。」と言いながらにやりと笑った
りしたことなどから,被害者に対し今までになかったほどの怒りが湧き,被害者からこれ
以上の性的な嫌がらせを受けないためには被害者を殺害するしかないと決意したので
あり,被害者に対する債務の支払を免れるために殺害を決意したのではなかった,③
S’が被害者殺害を決意したのも,本件債務の支払を免れるためではなく,S’は,以前
から被告人らに数々の嫌がらせをしてきたのは被害者とS’の前妻O’(以下「O’」とい
う。)であると思いこみ,被害者に対する強い憤りから被害者殺害を決意したものである
旨主張し,上記②及び③に関し,被告人も公判廷において同旨の供述をしている。
 (1) 上記①の点については,被害者にはRやXら法定相続人がいる以上,被告人らが
被害者を殺害してもそれだけで本件債務の支払を免れることがないことは民事上当然と
しても,前記3(2)の認定事実のとおり,被告人らは被害者に対し本件債務の存在を証明
し得る預り証等の証拠書類を渡していなかった以上,被害者を殺害すれば,Xら被害者
の法定相続人らが被告人らに対し本件債務の支払を請求することが著しく困難になるこ
とは明らかであったと言うべきである。そして,これにより被告人らは被害者及びその法
定相続人からあたかも本件債務の免除の処分行為を得たのと実質上同視し得るほど
の現実の利益を受けることになるのであるから,このような場合も刑法236条2項の強
盗利得罪を構成すると解するのが相当である。
 (2) 上記②の点に関し,被告人は,平成12年10月15日午後9時ころ,被告人宅から
辞する被害者を見送りに出た際,被害者から,蜂蜜の瓶を渡され,「今度,これで遊ぼう
ね。」などと蜂蜜を使った性的嫌がらせをすることを暗示する言葉を言われたことから,
突然被害者に対する殺意が生じた旨供述しているが,被告人が被害者による性的嫌が
らせに立腹していたとすれば,なぜ蜂蜜の瓶を渡された時にこれを拒否したり,一言の
抗議もしなかったのか疑問であるし,被告人は,以前より被害者から数々の性的な嫌が
らせを受けていたが,上記の日までは被害者を殺害したいなどと考えたことはない旨も
供述していることに照らすと,被害者から蜂蜜の瓶を渡されて性的嫌がらせを暗示する
ことを言われただけで,突然殺意が生じたというのは,いかにも不自然,不合理である。
また,被告人は,S’に被害者殺害を持ち掛けた際,S’に対し被害者から性的な嫌がら
せを受けていたことや同日被害者から性的嫌がらせを暗示することを言われたことを告
げなかったとも供述しているが,S’に被害者殺害を持ち掛ける際にこのような事情を一
切説明せず,S’も被告人に被害者殺害を決意した理由を尋ねることなく被害者殺害を
決意するに至ったというのも,極めて不自然,不合理である。被害者の膨大な数の遺留
品が発見された被害者車両内から被告人が言う「蜂蜜」に類する道具やわいせつな書
籍等は一切発見されていない。上記②の点に関する被告人の供述はにわかに信用でき
ない。
 (3) 上記③の点に関し,被告人は,以前より被告人らは何者かから数々の嫌がらせを
受けており,S’はこれをS’の前妻O’の仕業であると考えていたところ,平成12年10
月15日,家族でコンビニエンスストアに行った際,同所でO’を見かけた,しかし,被告
人らが目を離した隙にO’を見失ってしまい,それとほぼ同時に,同日被害者が被告人
方を訪れた際に乗っていた自動車と同車種の自動車がコンビニエンスストアから出るの
を見た,そのため,S’は被害者がO’とつながっていると思いこみ,被害者殺害を決意し
たなどと供述するが,それだけのことで,O’や被害者に事の真相を問いただすこともせ
ずに(O’は被害者との面識及びそのような嫌がらせをしたことをいずれも明確に否定し
ている。),直ちに被害者殺害を決意したというのは,極めて不自然,不合理であり,信
用できない。
 (4) 以上のとおりであるから,この点に関する弁護人らの主張はいずれも採用できな
い。
 8 結論
 よって,弁護人らの主張はいずれも採用できず,判示のとおり認定した次第である。
(法令の適用)
 罰条   刑法60条,240条後段
 刑種の選択   無期懲役刑を選択
 未決勾留日数の算入   刑法21条
 訴訟費用の不負担   刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
 本件は,被告人が,被害者に対する債務の支払を免れるために,夫と共謀の上,被害
者を殺害し,被害者に対する債務の支払を免れて財産上不法の利益を得たという強盗
殺人の重大事案である。
 被告人は,前示のとおり,かねて被害者名義で借金をしたり,還付金を付けて返還す
るとの約束で被害者から多額の金員を受け取っていたところ,被害者やその長男からそ
の一部である170万円の支払を厳しく求められてその支払に窮するや,被害者に対し
その債務の存在を証明し得る預り証等の証拠書類を渡していなかったことをよいこと
に,いっそ被害者を殺害して上記170万円の債務の支払を免れようとしたものであり,
その動機,目的が卑劣であるばかりか,他人の生命やその家族の生活等を犠牲にして
自己の目的を遂げようとした極めて自己中心的な犯行である。被告人らは,農薬や睡眠
薬を使い自殺に見せかけて被害者を殺害する方法を謀議し,農薬,睡眠薬,栄養ドリン
ク剤等を購入,準備した上で本件犯行に及んだものであり,本件は極めて巧妙かつ計
画的な犯行である。被告人らは,被告人らの本件債務を支払う旨の言葉を信頼して無
警戒な被害者に対し,睡眠薬や降圧剤を混入したジュースや,農薬を混入した栄養ドリ
ンク剤を飲ませるなどしつつ,長時間にわたって連れ回し,被害者が農薬によって死亡
する様子がないと見るや,さらに,鋭利なカッターナイフでその頸部等を数回切りつける
などして殺害したものであり,犯行意図は強固で,犯行態様は執拗,非情かつ残忍であ
る。被告人は被害者の殺害行為を直接実行していないものの,本件犯行を共犯者に持
ち掛けたのは被告人であり,S’と共に殺害方法を練ったり,殺害に向け農薬等を買い
に行くなどの準備行為を行い,途中でS’と別れるまで終始S’と行動を共にしてS’の実
行行為を助けており,本件犯行において被告人が果たした役割は重大である。ところ
が,被告人は,捜査段階で一旦自白したものの,その後自白を翻し,その後の捜査,公
判を通じ,本件犯行への関与を頑なに否認し,本件犯行の責任を共犯者に押し付ける
あるいは被害者のせいにする責任回避的な弁解に終始しており,真摯かつ率直な反省
の態度を窺うことはできない。被害者には格別の落ち度はなく,上記のような残忍な方
法で殺害され,その受けた肉体的,精神的苦痛が甚大であったことはもとより,突然そ
の生命を奪われ,定年退職後の幸福な家庭生活を踏みにじられ,家族の成長を見る機
会も断たれた無念さは察するに余りある。被告人が本件犯行により返済を免れた債務
の額は170万円と多額である。本件犯行の結果は極めて重大であり,良き夫・父親であ
り,定年退職後も働いてなお家族の生活を支え続けた被害者を失った遺族らの打撃,
悲しみは深く,毎回欠かさず本件公判を傍聴し続けており,それにもかかわらず,被告
人は遺族らに対し被害弁償や慰謝の措置を全く講じなかったばかりか,最後まで遺族ら
の心に届くような誠意ある謝罪の言葉を述べなかったもので,遺族らが強く憤り,被告人
に対し峻烈な処罰感情を述べているのは当然である。
 以上によれば,被告人の刑責は極めて重いと言うべきである。 
 そうすると,捜査段階で一時本件犯行を認める自白をしていたこと,カッターナイフによ
る殺害行為は被告人とS’の共謀にはなく,被告人はその現場にもいなかったこと(もっ
とも,これは被告人がS’に指示され,それに従ったからに過ぎない。),被告人には前科
がないこと,被告人には未成年の子どもがいることなど,被告人のために酌むことので
きる情状を最大限に考慮しても,被告人の刑責は重大であり,酌量減軽を相当とするほ
どの情状は認められず,被告人に対しては,法定刑のうちの無期懲役刑を選択しこれを
もって臨むほかない。
 よって,主文のとおり量刑した。
(求刑 無期懲役)
 平成16年5月17日
    福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
       裁判長裁判官   若  宮   利  信
           裁判官   出  口   博  章
           裁判官   佐  藤      卓

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