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主文
1原告の請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告らは,原告に対し,連帯して,1386万8447円及び被告京都府に
ついてはこれに対する平成25年6月26日から,被告国についてはこれに対
する平成25年7月17日から,それぞれ支払済みまで年5分の割合による金
員を支払え。
第2事案の概要
1訴訟物
本件は,強制わいせつ致傷の被疑事実で,逮捕・勾留・公訴提起がされ,第
1審で有罪判決を受け,控訴審で無罪判決(確定)を受けた原告が,京都府警
察の警察官の捜査,並びに,京都地方検察庁の検察官の捜査,公訴提起及び公
訴追行が違法なものであったと主張して,被告京都府及び被告国に対し,国家
賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき,連帯して,損害賠償金1
386万8447円の支払を求めるとともに,これに対する被告京都府につい
ては原告の逮捕時である平成25年6月26日から,被告国については原告の
起訴時である平成25年7月17日から,各支払済みまで民法所定の年5分の
割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2前提事実(当事者間に争いがないか,後掲証拠又は弁論の全趣旨により認め
られる。)
⑴刑事事件の経過
A(当時55歳の女性。公判手続において被害者特定事項の秘匿決定がさ
れており,本判決では被害申告をした女性を「A」と呼称する。)は,平成2
5年6月3日,京都府甲警察署(以下「甲警察署」という。)の警察官に対し,
「同日,Aが勤務している京都市甲区内のカウンターバー(以下「本件店舗」
という。)において,原告から強いてわいせつな行為をされ,傷害を負った。」
旨申告した(以下,この申告を端緒とする被疑事件を「本件被疑事件」とい
う。)。原告は,同月26日,強制わいせつ致傷罪の被疑事実で逮捕され,そ
の後勾留を経て,同年7月17日に別紙1記載の公訴事実(以下「本件公訴
事実」という。)により起訴された(甲1。以下「本件被告事件」という。)。
本件被告事件の第1審で取り調べられた証拠の中には,京都地方検察庁検
察事務官h(以下「h事務官」又は「h」という。)作成にかかる統合捜査報
告書(以下「本件統合捜査報告書」という。)があり,これには,別紙2の形
状の本件店舗内のカウンターの⑦と⑧の場所から,いずれも原告の掌紋が採
取され(以下,⑦の場所から採取された原告の左手掌紋を「掌紋7番」,⑧の
場所から採取された原告の右手掌紋を「掌紋8番」といい,これらを併せて
「本件各掌紋」という。),いずれも,採取場所は「カウンター上面」であり,
指先の向き・方角は「カウンター内側(東方向)」である旨が記載されていた
(丙16)。
そして,本件統合捜査報告書は,別紙3記載の内容のe検事(以下「e検
事」又は「e」という。)作成の電話聴取書(丙20。以下「本件電話聴取書」
という。),及び,掌紋7番及び掌紋8番の採取場所を「カウンター上面」と
記載したb警察官(以下「b警察官」又は「b」という。)作成の平成25年
7月4日付け捜査報告書(丙22。以下「b報告書」という。)を原資料とし
て作成されたものであった(丙16p1~2,丙48,証人h,弁論の全趣
旨)。
京都地方裁判所は,本件被告事件について,平成26年7月7日,別紙4
記載の犯罪事実を認定した上,原告に対し懲役2年の有罪判決を言い渡した
(甲2)。
原告は,これに対し控訴したところ,本件被告事件の控訴審の審理の過程
で,本件統合捜査報告書記載の本件各掌紋の指先の向き・方角が間違ってい
たことが明らかになった。具体的には,掌紋7番は指先がカウンターの外側
向き(西向き),掌紋8番は指先がカウンター内側右方向き(南東向き)であ
った(甲3,丙7,8)。また,本件各掌紋は,カウンターの天板部(水平な
部分)ではなく,カウンターの外縁部(カウンター端の曲面の部分)に遺留
されていたことも判明した(甲3,丙7,8)。
控訴審である大阪高等裁判所は,平成27年2月13日,原告に対して無
罪判決を言い渡し(甲3),同判決は,検察官の上告なく確定した。
⑵当事者等
ア原告は,昭和48年2月5日生まれの男性である(甲1ないし3)。
イa(以下「a警察官」又は「a」という。)は,平成25年6月から平成
26年2月まで当時,甲警察署刑事課強行犯係に所属していた警察官であ
り,本件被疑事件の捜査主任官であった刑事課長を補佐し,捜査指揮を執
る立場にあった(乙16,証人ap1)。
ウb警察官は,平成25年7月当時,甲警察署刑事課強行犯係に所属して
いた警察官であった。
エc(以下「c警察官」又は「c」という。)は,平成25年6月当時,京
都府警察本部刑事部鑑識課に所属していた警察官であった。本件被疑事件
の被害申告直後に本件店舗の鑑識活動を担当し,本件各掌紋を採取した。
オd(以下「d鑑定官」又は「d」という。)は,平成25年6月当時,京
都府警察本部刑事部鑑識課において指掌紋の鑑定官として勤務していた一
般職員であった(乙7)。c警察官により採取された指掌紋の鑑定を担当し,
本件各掌紋が原告の掌紋と一致する旨の判断をした。m(以下「m主任鑑
定官」という。)は,前記当時,京都府警察本部刑事部鑑識課において指掌
紋の鑑定を行う主任鑑定官として勤務していた一般職員であり,平成26
年5月23日,本件被告事件に関し,d鑑定官とともにh事務官と面談し
た(乙15)。
カe検事は,平成23年8月から平成26年3月まで京都地方検察庁に勤
務していた検察官であり(丙45),本件被疑事件の捜査,本件被告事件の
公訴提起及び公訴提起後の補充捜査(本件電話聴取書の作成)を担当した。
キf(以下「f検事」又は「f」という。)は,平成23年7月から平成2
6年3月まで京都地方検察庁に勤務していた検察官であり(丙46),同月
まで,本件被告事件の第1審の公判を担当した。
クg(以下「g検事」又は「g」という。)は,平成26年4月から平成2
8年3月まで京都地方検察庁に勤務していた検察官であり(丙47,証人
g),平成26年4月以降,本件被告事件の第1審の公判を担当した。
3争点及び争点に対する当事者の主張
⑴e検事の公訴提起の過失
(原告の主張)
平成25年7月17日の公訴提起の時点において,e検事は,Aが「原告
が,カウンターを両手で何度もたたいた。」旨供述していたこと及びカウンタ
ーから本件各掌紋が採取されたことを知っていたのであるから,本件各掌紋
の指先の向き・方角及びカウンターの指掌紋採取状況に関する捜査資料を収
集し,本件各掌紋の指先の向き・方角及びカウンターの指掌紋の採取状況が
Aの前記供述と符合するかを確認し,Aの供述の信用性を検討した上で,原
告を起訴すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,これを怠り,前記収
集,確認,検討をすることなく,本件各掌紋の指先の向き・方角及びカウン
ターの指紋・掌紋の採取状況がAの供述と符合せず原告の嫌疑が不十分であ
ることを看過したまま,原告を起訴し,このような起訴は国賠法上違法であ
る。
本件被疑事件は,犯行を直接裏付ける物証は存在せず,原告が有罪となる
かは,被害者であるAの供述の信用性が肯定できるか否かにかかっており,
本件各掌紋は,Aの供述を裏付ける最も重要な客観証拠であった。そして,
Aの供述において,カウンター上面に原告の掌紋が付着する可能性があるの
は,原告がカウンターの外側から内側に向かってカウンターを両手でたたい
た場面以外にないから,カウンター上面で発見されたという本件各掌紋につ
いては,付着場所のみならず,その指先の向き・方角を特定しておくことが,
有罪立証のために不可欠であった。公訴提起前のAの供述は,原告と初めて
会った際の状況,わいせつ行為の内容,被害の時刻,被害の際の原告の服装,
頭部のたんこぶの傷害があったこと等の重要部分について変遷し,不自然,
不合理な部分があった。また,Aが乗ったタクシー運転手は,タクシーの発
車を原告が妨害した事実を否定し,本件店舗に戻ったAが原告と10分くら
い話をしていたと述べており,このこととAの携帯電話の通話記録等を総合
すると,原告による犯行は不可能と考えられた。さらに,AのタイツやTバ
ックに破れはなく,犯行日に本件店舗内外で大声や暴力を見聞きした者はな
く,犯行直後にAの携帯電話にかかってきたという暴言の留守番電話の開示
はなかった。したがって,Aの公訴提起前の供述は信用性が低いものであり,
本件各掌紋の指先の向き・方角は重要であった。
(被告国の主張)
公務員の職務行為が違法とされるのは,公権力の行使に当たる公務員が国
民に対して負担する職務上の法的義務に違背する場合である。検察官の公訴
提起は,起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程に
より有罪と認められる嫌疑があれば国賠法上違法とならない。そして,公訴
提起の違法性判断において斟酌すべき証拠は,検察官が現に収集した証拠資
料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料である。
本件被告事件は,Aの供述の信用性が有罪立証の柱になっていたところ,
Aの供述は,Aが右足すね及び右大腿部を負傷している旨の診断書(丙15),
Aが被害を受けたとする時刻の直後に合計6回原告がAに電話していること
(丙14),本件店舗のカウンターから原告の掌紋が採取されたことと整合
し,本件店舗のオーナーの供述とも整合していた。また,Aに虚偽供述の動
機・目的は認められず,Aの供述の変遷には合理的理由があった。被害後に
Aを乗せたというタクシー運転手の供述は,Aの供述とも原告の供述とも符
合しない部分があるため信用性に疑問があり,捜査に非協力的であって記憶
の確かさを吟味することもできないものであったから,特段Aの供述の信用
性を減ずるものではなかった。したがって,Aの供述は信用することができ
たといえる。
また,Aは,被害の際,原告はカウンターをたたいただけではなく,カウ
ンターから出てきたAに対し,激しい暴力を加え,Aも激しく抵抗した旨供
述していたから,原告の掌紋が指先がカウンターの中から外に向かう方向で
カウンターに付着する可能性もあった。したがって,本件各掌紋の指先の向
き・方角を確認するか否かによってAの供述の信用性が左右されるわけでは
なく,現にこれが控訴審における無罪判決の主たる理由となっているわけで
はない。本件各掌紋の向き・方角に関する捜査を尽くすことは通常要求され
る捜査とはいえない。
以上から,原告の起訴の時点で,合理的な判断過程により原告が有罪と認
められる嫌疑が存在していたといえ,e検事による原告の起訴は国賠法上違
法であるとはいえない。
⑵e検事の本件電話聴取書作成時の過失
(原告の主張)
平成25年7月,e検事が,公判前整理手続を担当するf検事から本件各
掌紋の向き・方角について問い合わせを受けた際,本件各掌紋は,Aによる
「犯行前に,原告が,カウンターを両手で何度もたたいた。」旨の供述と符合
し,その信用性を増強する証拠とされており,本件各掌紋の指先の向き・方
角はc警察官とd鑑定官の双方が揃わなければ確定できなかったのであるか
ら,e検事としては,本件各掌紋の採取・鑑定を担当したc警察官及びd鑑
定官と面談する等し,本件各掌紋の採取場所・付着部位・向き・方角等を正
確に確認し報告する義務があったのに,これを怠ってc警察官及びd鑑定官
からの電話聴取のみを行い,「本件各掌紋は,いずれも手の指先が店内のカウ
ンターの内側に向いた状態で採取されたものです。カウンターの内側とは店
の従業員が入るスペースのことです。」旨記載されたc警察官を発信者とす
る本件電話聴取書を作成して,これをf検事に提出した。
この点,指掌紋の向き・方角は,採取をしたc警察官と鑑定をしたd鑑定
官の双方が揃って初めて確定できるものであり,e検事がc警察官に架電し
た際,c警察官の手元には資料がなかったのであるから,c警察官が本件各
掌紋の指先の向き・方角を確定することは不可能であり,意見を述べるとは
到底考えられないため,同人の「e検事からの電話照会時には,掌紋の向き
については私に聞かれても分からない,採取時はカウンターの端を入れて外
側から内側に向かって採取したと回答した。」旨の供述は信用できる。また,
e検事は,質問の取り違いや聞き間違いの可能性を否定している。
そのため,e検事は重大な過失に基づき聴取した内容と異なる前記電話聴
取書を作成したのであり,内容虚偽の電話聴取書が作成された原因はe検事
にあるため,e検事は,職務上の注意義務に違反したものといえる。
(被告国の主張)
検察官は,刑罰法令の適正かつ迅速な適用実現のために,捜査・公判の進
展に伴い流動的に変化する証拠関係等の下で,専門的な判断に基づき捜査を
行うものであるから,検察官の行う公訴提起,捜査には,時期・内容・手段・
方法において一定の裁量があり,検察官の捜査行為が違法となるのは,法の
予定する一般的な検察官を前提として,通常考えられる検察官の個人差によ
る判断の幅を考慮に入れても,なおかつ行き過ぎで,経験則,論理則に照ら
して到底その合理性を肯定できない程度に達している場合に限られる。
掌紋の指先の向き・方角の確定は,通常要求される捜査であるとはいえな
いことは前記⑴(被告国の主張)のとおりである。また,e検事は本件各掌
紋の向きについてd鑑定官及びc警察官に照会し,回答を受けたが,c警察
官から原告が主張するような回答がされた事実はなく,本件電話聴取書記載
のとおりの回答がされたもので,その回答内容に疑義を生じさせるような事
情もなかった。したがって,e検事が,本件各掌紋の採取・鑑定を担当した
警察官らと面談する等しなかったとしても,法の予定する一般的な検察官を
前提として,通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れて
も,なおかつ行き過ぎで,経験則,論理則に照らして到底その合理性を肯定
することができない程度に達しているとはいえない。
よって,e検事の行為は国賠法上違法となるものではない。
⑶f検事の公訴追行の過失
(原告の主張)
平成25年7月17日の公訴提起から平成26年3月末まで本件被告事件
の公判担当をしていたf検事は,①本件各掌紋が「犯行前に,原告が,カウ
ンターを両手で何度もたたいた。」旨のAの供述と符合し,その信用性を増
強する唯一かつ重要な客観証拠であると認識し,②捜査記録中に本件各掌紋
の向きに関する証拠が存在しなかったため,平成25年7月下旬にe検事に
対して問い合わせを行い,c警察官の電話回答に基づいて,「いずれもそれ
ぞれの手の指先がカウンターの内側(店の従業員が入るスペース)に向いた
状態で採取された」旨の本件電話聴取書が作成され,③公判前整理手続で弁
護人が一貫して本件各掌紋がAの供述するところの「原告がカウンターをた
たいた」際に付着したことを争い,本件各掌紋を含む遺留指掌紋の遺留場所
及び遺留状態が具体的に分かる捜査資料の開示を求めており,④平成26年
2月12日にc警察官及びd鑑定官と面談した際(以下「2月面談」とい
う。)には,c警察官から「本件各掌紋は,採取した場所を特定しやすいよ
うにカウンターの端を入れて掌紋を採取転写した。転写した採取シートは向
きを間違えないように南北を軸に裏返し方位を記した。」旨の説明を受け,
d鑑定官から「木目を合わせようとすると手のひらは縦と横になるし,同じ
方向は向いていないと思う。」旨の説明を受けており,本件各掌紋の向きが
同じではないことを認識していたのであるから,2月面談の際に,c警察官
が電話聴取書記載の回答を行った根拠及び本件各掌紋の向き及び付着場所を
含む付着状況について具体的に確認するなど本件各掌紋の向き・方角を正確
に特定した上証拠化して公判に提出し,これを基に公訴を取り消すことを検
討すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠り,本件各掌紋の向
き・方角及びカウンターの指紋・掌紋の採取状況がAの供述とは符合せず,
原告の嫌疑が不十分であることを看過したまま,平成26年3月末まで公訴
追行を行った。
2月面談時に,前記④のやりとりがあったことは,c警察官及びd鑑定官
が一致して明確に証言している。また,2月面談は,f検事が,弁護人から
本件各掌紋を含む採取された指掌紋の位置・状態について具体的資料を求め
られたために行われたものであるところ,f検事自身,本件電話聴取書から
は,本件各掌紋の指先がカウンターの内側を向いているといえる理由が分か
らない状況であったから,c警察官らに対し,本件各掌紋の指先の向き・方
角を確認するのが自然であり,確認したと考えられる。また,f検事は,本
件各掌紋の指先の向きが分からなくなったとして,d鑑定官のみを再度呼び
出しており,本件電話聴取書の発信者であるc警察官が,職務分担上掌紋の
指先の向きを確定できる立場にないことを認識していたと考えられる。これ
に反するf検事の証言は採用し難い。
(被告国の主張)
公訴提起が国賠法上違法でないならば,原則として公訴の追行も国賠法上
違法とはいえない。
掌紋の指先の向き・方角の確定は,通常要求される捜査であるとはいえな
いことは前記⑴(被告国の主張)のとおりである。
さらに,2月面談の当時,争点になっていたのは,本件各掌紋の付着時期
及び本件各掌紋以外の指掌紋の遺留状況であり,本件各掌紋の向き・方角で
はなかった。2月面談時において,原告主張の④のような発言はなく,本件
電話聴取書の本件各掌紋の指先の向き・方角についてのc警察官の回答に疑
義を生じさせる具体的事情もなかった。
したがって,本件各掌紋の向き・方角について具体的に確認する義務はな
く,f検事は通常要求される捜査を尽くしていたといえる。また,f検事の
訴訟追行は現に収集した証拠資料及び通常要求されるべき捜査によって取得
され得る証拠資料に基づき合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑の
下になされていたといえ,国賠法上違法ではない。
⑷g検事の過失
(原告の主張)
平成26年4月から本件被告事件の公判担当となったg検事は,本件各掌
紋の指先の向き・方角が直接証拠であるAの供述の信用性立証の柱であると
考えており,同年5月23日過ぎ頃,「d鑑定官が,h事務官に対して『カウ
ンターの内側に2つの掌紋の指先を向けると,木目線縦方向・横方向になる
ので,一般的には同じ方向とはいえない。』旨説明した。」という情報に接し,
遅くともこの時点で,本件各掌紋が同じ向き・方角に向いていないことを認
識していたにもかかわらず,「採取番号7はカウンター上面,向きはカウンタ
ー内側(東側),採取番号8はカウンター上面,向きはカウンター内側(東側)」
旨記載し,原証拠と写真の向きを変えるなどして本件各掌紋の指先が同じ方
向を向いていることを印象付ける同年6月6日付けh事務官作成の本件統合
捜査報告書(丙16)の作成を指示し,同月10日に本件統合捜査報告書を
証拠として裁判所に提出し,同月30日の冒頭陳述及び同年7月2日の論告
において本件各掌紋がAの供述と符合することを強調する主張を行った。
平成26年5月23日,h事務官がm主任鑑定官及びd鑑定官(以下,こ
の2名を「mら」という。)と面談した際(以下「5月面談」という。),mら
が,h事務官に対し,本件各掌紋の写真のコピーを,木目にそって並べたり,
指先が同じ方向に向くように並べたりしながら,その上に手を添えて,「カウ
ンターの内側に2つの掌紋の指先を向けると,木目線が縦方向・横方向にな
るので,一般的には同じ方向とはいえない。」旨の説明をしたことは,mらの
証言・陳述するとおりである。h事務官は,そのやりとりを否定するが,5
月面談の際,h事務官は,「mらに対し,『本件各掌紋はカウンターの内側に
向かっているとの報告を受けている。』旨を伝えた。」と証言しており,その
ような問いかけがあれば,mらが誤りを訂正しないはずはないため,h事務
官の前記否定に係る証言は信用できない。そして,h事務官は,5月面談直
後,mらの前記説明をg検事に説明し,g検事は,本件各掌紋が同じ方向を
向いていないことを認識したといえる。
(被告国の主張)
5月面談の際,h事務官が,mらから「本件各掌紋が撮影された写真に木
目様の線が写っている。本件各掌紋が同じ方向に向かって印象されていない
と思われる。」との説明を受けた事実はない。本件電話聴取書の本件各掌紋の
指先の向き・方角についてのc警察官の回答に疑義を生じさせる具体的事情
はなかった。
本件各掌紋の指先の向き・方角は本件被告事件の争点にすらなっておらず,
本件統合捜査報告書についても弁護人から求められ,作成案を弁護人に示し
た上で弁護人からの要望を受け入れているのであり,g検事は本件各掌紋に
関する捜査を十分に遂行したといえる。
⑸c警察官の過失
(原告の主張)
鑑識活動としての指掌紋採取の目的は,単に現場から被疑者の指掌紋を採
取することだけではなく,その採取過程を明確にすることで,他の証拠との
整合性や証明力を判断する材料とすることも重要なポイントであり,本件被
疑事件においては採取された指掌紋がAの供述内容(特に「原告がカウンタ
ーをたたいた」ということ)に合致した場所,方向で付着しているか否かも
検証可能な状態で証拠化する必要があるところ,c警察官は,平成25年6
月4日,本件各掌紋を採取し遺留指掌紋票を作成した際,Aが「原告が,カ
ウンターを何度もたたいた。」旨供述していたことを認識し,カウンターの外
縁部が曲面状であり天板部とは明確に区別できる形状であることを認識して
いたのであるから,本件各掌紋の採取場所が外縁部であることを記載すべき
であったのに,外縁部と天板部とを区別することなく「カウンター上面」旨
記載した。
(被告京都府の主張)
捜査・公判実務に従事している警察官・検察官にとって,遺留指掌紋は現
場に被疑者がいたことを立証する重要な証拠とされるが,指先の向き・方角
が関係者の供述と合致しているかによって供述の信用性を吟味する事案はま
れであり,本件各掌紋の指先の向き・方角が「犯人がカウンターを両手でた
たいた。」旨のAの供述を裏付けるとの証拠評価は,起訴前には一切なく,起
訴後,公判担当のf検事によって発案された極めて特異な立証方法であった。
指掌紋採取者の業務は,犯罪現場における鑑識活動であり,関係者の供述
や捜査員からの情報等に左右されることなく,現場にある資料をあるがまま
に迅速に採取することが最も重要となる。本件店舗のカウンターの外縁部は
大きななだらかな流線形で上面に出ている部分が多かったこと,透明採取シ
ートの一部が天板部にかかり,天板部と外縁部の境界線をまたいでいたこと,
カウンターの天板部と外縁部が一体となってカウンター上面を構成している
ことから,遺留指掌紋票には掌紋の位置として「カウンター上面」と記載し
た。
掌紋は,指紋と異なり,隆線が複雑であり,採取者が掌紋を見て指先の向
き・方角を判断することはできなかったし,本件各掌紋の採取時には,Aは,
原告が本件店舗のカウンターをたたいた際に用いた手が片手なのか両手なの
か,原告とAとの位置関係などを供述しておらず,c警察官はこれらの情報
を知ることができなかった。
よって,c警察官には本件各掌紋がAの供述内容(特に「原告がカウンタ
ーをたたいた。」ということ)に合致した場所,方向で付着しているか否かを
検証可能な状態で証拠化することは不可能であった。
⑹b警察官の過失
(原告の主張)
b警察官は,平成25年7月4日付けのb報告書(丙22)作成時,カウ
ンターの外縁部が曲面状であり天板部とは明確に区別できる形状であること
を認識しており,c警察官から正確な採取場所を確認して現場の状況を正確
に再現した報告書を作成すべき義務を負っていたにもかかわらず,b報告書
に本件各掌紋の採取場所として外縁部と天板部を区別することなく「カウン
ター上面」と記載した。
(被告京都府の主張)
b報告書が作成された目的は,「本件店舗には1歩ないし1,2歩入ったと
ころ,Aによって店外に押し出された。」旨の原告の供述の信用性の検討にあ
ったところ,本件各掌紋が本件店舗内のカウンターから検出されたこと自体
が原告の前記供述の信用性を減殺させるものである。Aは,原告がAの両肩
等をつかんだり,抱きついたり,髪の毛を引っ張るなどしてもみ合いになっ
たと供述しており,本件各掌紋はこのもみ合いの中でついたものとしても矛
盾せず,Aの供述の信用性を裏付けるものであった。
したがって,b警察官はb報告書の作成に際し,正確な採取場所として本
件店舗のカウンターの天板部と外縁部を区別して記載する義務はなかった。
⑺a警察官の公訴提起時点の過失
(原告の主張)
捜査主任官は,すべての情報資料を総合して判断し,かつ公判での立証に
耐え得るような捜査,証拠収集活動を尽くす義務を負うところ,a警察官は,
遅くとも平成25年6月28日にe検事から本件各掌紋の採取場所の証拠化
の指示を受けた時点までに,Aが「原告が,カウンターを両手で何度もたた
いた。」旨供述していたこと,A立ち会いの犯行再現写真において,原告がカ
ウンターをバンバンたたいている様子が写されていたこと(丙12の写真④),
犯行日にはカウンターをたたいたという場面以外にカウンター上面に原告の
指掌紋が付着する機会はなかったこと,犯行日以前に原告は本件店舗を訪れ
ており,その機会にもカウンターに原告の指掌紋が付着する可能性があった
ことを認識していたことからすれば,原告がカウンターをたたいたという供
述と整合する形で本件各掌紋が付着しているかが争点になり得ることは容易
に理解できたといえるのであるから,本件各掌紋の付着場所,向き・方角等
につき捜査を尽くすよう,捜査担当者に指示又は監督すべき注意義務を負っ
ていたにもかかわらず,これを怠った。
(被告京都府の主張)
カウンターを何度もたたくと,掌紋は折り重なる等して対照不能となるか
ら,必ずしもAの供述に符合する指掌紋が採取されるわけではない。Aは捜
査段階において,原告からカウンターの外で腕や肩をつかんで振り回す,髪
の毛を引っ張る,床の上に仰向けに押し倒す等の暴行を受けた旨供述してい
た。捜査段階において,原告がカウンターをバンバンたたいた事実は原告に
よる暴行の一つとして評価されていたに過ぎない。Aの供述する原告とAと
のもみ合いの中で本件各掌紋が遺留したとすることも極めて自然な状況で
あった。
したがって,本件各掌紋の付着場所,向き・方角等につき捜査を尽くすよ
う指示する必要性はなかったといえ,a警察官に注意義務違反は認められな
い。
⑻a警察官のe検事からの照会時の過失
(原告の主張)
警察官は,事件の送致後も常にその事件に注意し,新たな証拠の収集及び
参考となるべき事項の発見に努めるべきである。a警察官は,e検事から本
件各掌紋について照会を受けた平成25年7月30日までに,原告がカウン
ターをたたいたか否かが争点になり得ることは容易に理解できたといえる
のであるから,捜査主任官として,本件各掌紋の付着場所,向き・方角等に
つき捜査を尽くすよう,捜査担当者に指示又は監督すべき注意義務を負って
いたにもかかわらず,これを怠った。
(被告京都府の主張)
a警察官は,本件店舗内には1,2歩入っただけであるという原告の供述
の信用性を吟味し,弾劾することを目的として,b報告書が平成25年7月
4日作成されたことにより,立証上の目的を達成したと認識していた。
その後起訴からわずか1週間後の検察官・弁護人双方において何らの争点
も絞られていない状況下で,必要性の説明もなく同月30日頃にe検事から
本件各掌紋の指先の向き・方角について照会を受けたa警察官は,本件各掌
紋の指先の向き・方角が訴訟における争点になることを認識することはでき
なかった。本件各掌紋は,検察官作成の同年8月6日付の証明予定事実記載
書(丙52)には犯人性の特定の証拠とされており,Aの供述の信用性を裏
付けるという位置づけではなかったところ,同年12月11日付の証明予定
事実記載書⑵(丙53)において初めて本件各掌紋の指先の向き・方角がA
の供述の信用性の裏付けとして議論の対象となったのである。
したがって,a警察官は第1審において原告がカウンターをたたいたか否
かが争点になり得ることを認識し得なかったため,本件各掌紋の向き・方角
等について捜査を尽くすよう捜査担当者に指示監督すべき注意義務は負っ
ていなかった。
⑼a警察官のf検事からc警察官及びd鑑定官が事情聴取を受けた時点の
過失
(原告の主張)
a警察官は,f検事からc警察官及びd鑑定官が事情聴取を受けた平成2
6年2月12日(2月面談)までに,原告がカウンターをたたいたか否かが
争点になり得ることは容易に理解できたといえ,e検事及びf検事の2名の
検察官が警察職員に事情聴取していた状況に鑑みると,捜査主任官として,
2月面談に関与し,本件各掌紋の付着場所,向き・方角等につき捜査を尽く
すよう,捜査担当者に指示又は監督すべき注意義務を負っていたにもかかわ
らず,これを怠った。
(被告京都府の主張)
平成25年7月30日のe検事からc警察官及びd鑑定官への電話照会以
降,平成26年2月12日(2月面談)までの間,本件被告事件第1審の公
判前整理手続において,本件各掌紋の指先の向き・方角が「原告がカウンタ
ーを手でたたいた。」旨のAの供述の信用性の立証に用いられていることに
関して,a警察官は連絡を受けておらず,そのような特異な立証方法がとら
れていることを知らなかったし,予想していなかった。
a警察官は,平成26年2月12日にf検事による事情聴取があったこと,
Aの供述の裏付けとしてe検事による誤った内容の本件電話聴取書が証拠
として用いられていることは知らされておらず,また,知り得なかった。
したがって,a警察官は本件被告事件第1審において原告がカウンターを
たたいたか否かが争点になり得ることを認識し得なかったため,本件各掌紋
の向き・方角等について捜査を尽くすよう捜査担当者に指示監督すべき注意
義務は負っていなかった。
⑽損害及び因果関係
(原告の主張)
前記⑴ないし⑼の各過失により以下のとおり損害が生じた。
ア逸失利益
被告京都府との関係460万8447円
原告は平成25年6月26日から平成27年1月6日までの560
日間,本件被疑事件及び本件被告事件により身体拘束を余儀なくされ,
その間就労できなかった。逸失利益は,基礎収入を平成25年の高卒男
子40~44歳の平均賃金である500万6200円とし,被扶養者が
1人であったため生活費控除率を40%とし,次の計算式のとおりの金
額となる。
5,006,200円×560日間÷365日×(1-0.4)=4,608,447円
被告国との関係443万5630円
検察官の違法な公訴提起等による身体拘束は,平成25年7月17日
から平成27年1月6日まで539日間であるので次の計算式のとお
りの金額となる。
5,006,200円×539日間÷365日×(1-0.4)=4,435,630円
イ慰謝料
被告京都府との関係1500万円
原告は,560日間身体を拘束され,無罪判決を受けるまでの約1年
8箇月,性犯罪の被疑者・被告人という立場に置かれ,長期間かつ多数
回にわたる審理により,多大な精神的苦痛を被った。また,原告の逮捕
は新聞で実名報道されたため,たとえ冤罪が晴れたとしても社会的影響
は取り返しがつかず,その精神的苦痛は計り知れない。さらに,原告の
逮捕・勾留・公訴提起等をきっかけとして原告の内妻の体調が悪化し,
原告と内妻との生活が破たんし,内妻は入院を余儀なくされたのであり,
原告が受けた精神的苦痛は極めて甚大である。
以上の精神的苦痛を考慮すると,その慰謝料は1500万円を下るこ
とはない。
被告国との関係1517万2817円
有罪判決の原因となったg検事の過失は特に違法性が強い。よって,
1517万2817円が相当である。
ウ損益相殺(刑事補償)700万円
エ弁護士費用126万円
本件と因果関係を有する弁護士費用は126万円である。
オ請求額(ア+イ-ウ+エ)1386万8447円
(被告国の主張)
ア逸失利益につき,原告がその主張の期間身柄を拘束され,就労できなか
ったことは認め,その余は不知ないし争う。
イ慰謝料につき,原告の身体拘束の事実,本件被告事件の審理経過につい
ては認め,その余は不知ないし争う。
ウ損益相殺につき,原告が刑事補償として700万円を受領したことは認
める。
エ弁護士費用は,争う。
(被告京都府の主張)
ア逸失利益は争う。
イ慰謝料につき,原告の身体拘束の事実,原告が無罪判決を受けたこと,
原告が実名報道されたことは認め,本件被告事件の審理経過はおおむね認
め,その余は不知ないし争う。
ウ損益相殺につき,原告が刑事補償として700万円を受領したことは知
らない。
エ弁護士費用は争う。
第3当裁判所の判断
1事実経過
前記前提事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨から次の事実が認められる。
⑴捜査の端緒及び指掌紋の採取・鑑定
ア捜査の端緒(被害申告)
平成25年6月3日夜,A(当時55歳の女性)が,連れの男性(後に
本件店舗のオーナーと判明)とともに甲警察署乙交番を訪れ,自身の勤務
する本件店舗において,名前は知らないが以前にも1度本件店舗に客とし
て来た40歳台の男性から強制わいせつの被害を受けた旨を申告した。こ
の際,Aは,店内で無理やりパンティーを脱がされるなどのわいせつ行為
を受けたことを申告したが,犯人がカウンターをたたいたことは述べてい
なかった。(乙11,丙2)
その後,同交番の警察官3名が本件店舗に臨場し,本件店舗内でAから
事情聴取を行ったが,この際にもAは犯人がカウンターをたたいたことは
述べなかった(乙11)。
当時,本件店舗(カウンターバー)は,別紙2の見取図のとおりの形状
であり,中央にL字型のカウンターが設置され,カウンターの外側に客が
座る椅子が置かれ,カウンターの内側に従業員がいて,客に酒等を提供す
る形態になっていた(丙1,10,16)。
イ鑑識活動時の被害申告の状況
前記アの被害申告を受け,被害現場の指掌紋や足跡等を採取するため,
翌4日午前0時55分から午前1時55分まで,本件店舗内において本部
鑑識課機動鑑識隊のc警察官らによる鑑識活動が行われた(乙12,丙2
2)。
機動鑑識隊長補佐であったj(以下「j」という。)が,鑑識資料の採取
場所を特定するため,本件店舗内でAから事情聴取を行ったところ,Aは,
被害当時の状況として,同月3日午前1時を過ぎたころ,以前にもお店に
客として来た男性が酒に酔って来店し,カウンターの出入口寄りの椅子に
座ったこと,帰宅を促したところ,興奮してカウンターをたたき始め,本
件店舗外に追い出そうとしたところわいせつ行為をされたこと,男性はカ
ウンターの内側には回り込んでいないことを述べた。jは,c警察官らに
対し,犯人が座っていたと思われる椅子付近やカウンターはしっかりと鑑
識活動を行うよう指示した。(乙6,12,証人c)
ウ12個の指掌紋の採取
前記イのjの指示に基づき,c警察官らは出入口付近の椅子やカウンタ
ー等を中心に指掌紋の採取作業を実施した(乙6)。
c警察官は,カウンター上にハケで白いアルミ粉末を刷きかけ,指掌紋
が浮かびあがると,その上に透明採取シートを貼り付けて白いアルミ粉末
を転写し,転写後の透明採取シートを透明採取シート付属の黒色の台紙に
貼り付ける方法により,指掌紋の採取を行った(乙6,丙7,証人c。以
下,断りのない限り,透明採取シートとこれを貼りつける黒色の台紙を一
体のものとして「JPシート」という。)。この指掌紋採取の際,c警察官
は,カウンターの客席側(外側)に立ってカウンター客席側(外側)から
従業員側(内側)に向かって採取活動を行っていた(乙6p4,証人cp
20)。
同日の鑑識作業の結果,本件店舗の別紙2の現場見取図の位置から本件
各掌紋を含む12個の指掌紋(カウンターからは10個の指掌紋)が採取
された(丙16,22。以下,12個の指掌紋を,採取場所に合わせて「掌
紋1番」等という。)。
本件店舗のカウンターの断面は,別紙5の断面図のとおりであり,幅約
45cmの木目のない平らで水平な天板部(以下「天板部」という。)に続
き,客席側の縁に木目のある幅約9.5cmの外縁部(以下「外縁部」とい
う。)があり,カウンター縁に向かってなだらかな曲面となっていた(丙8
p2)。掌紋7番,掌紋8番は,いずれもカウンターの外縁部に遺留されて
いた(丙7,8,24,証人c)。
エJPシートの裏面のメモ
c警察官は,JPシートで指掌紋を採取した状態における北の方角を確
認し,南北を軸にJPシートを反転させ(ペンのブッシュボタン側を北に,
ペン先を南に合わせて,JPシートを表面に向けた状態でペンのクリップ
を挟み,ペンを軸にJPシートを裏返す。),JPシートの裏面に北の方向
を「←N」と記載する方法で,JPシートの裏面に指掌紋採取時の北の方
角を記載した(JPシートの表面を見たときに,その裏面の「←N」の矢
印の先が採取場所の北の方角を指すことになる。)。また,c警察官は,J
Pシートの裏面に,本件店舗内にL字型のカウンターが配置された簡略な
図面を記載した上,同図面において掌紋7番についてはカウンターの南端
から135cm,東端から55cm,掌紋8番についてはカウンターの南端か
ら110cm,東端から55cmである旨,指掌紋付着位置は「カウンター
上面」であると記載した。本件各掌紋の指先の向き・方角については記載
しなかった。(丙7,丙22p9・10,証人c)
c警察官は,このJPシートを本部鑑識課へ送付した。この時点では,
本件店舗から採取された12個の指掌紋について,原告の指掌紋と一致す
るものがあるかは判明していなかった。また,掌紋は,指紋とは異なり隆
線(指や掌に浮き出ている線状の隆起)が複雑であって,掌の一部のみが
印象される場合も多く,鑑定官以外の者が,JPシートの表面の白い粉末
の付着状況(又は,後記オの反転写真の掌紋付着状況)を見ただけでは,
掌のどの部分が,どのような向きで遺留されているか直ちに判別できるも
のではなく,指先の向きについては明らかではなかった。(乙6,9,証人
c,丙22,弁論の全趣旨)
オ指掌紋の鑑定
京都府警察本部鑑識課の鑑定官であるd鑑定官は,c警察官らから送付
されたJPシートの指掌紋の鑑定作業を行った。鑑識課の鑑定官は,機動
鑑識隊から送付されたJPシートの指掌紋について,警察に保管されてい
る被疑者の指掌紋と一致するかを判断するが,採取場所に行くことはなく,
また,先入観・予断を排除するため,基本的には捜査情報の詳細を知るこ
とはない。鑑定官が,指掌紋が一致するという判断をするためには,12
点の一致する特徴点を指摘する必要があり,12点以上の一致する特徴点
を有しないものは,「対照不能」と判断される。(乙7,9,証人d)
d鑑定官は,c警察官らから送付されたJPシートの指掌紋について警
察に保管している指掌紋と対照する作業を行った結果,12個の指掌紋の
うち,掌紋7番が京都府警察本部に保管されていた原告の左手掌紋と,掌
紋8番が原告の右手掌紋とそれぞれ符合した。そして,d鑑定官は,平成
25年6月12日,同日付け遺留指掌紋確認通知書(以下「d通知書」と
いう。)において,掌紋7番及び掌紋8番の各遺留指掌紋票を添付した上,
掌紋7番は原告の左手掌紋と,掌紋8番は原告の右手掌紋とそれぞれ符合
する旨の報告を行った。(乙7,8,丙22)
d通知書に添付された本件各掌紋の各遺留指掌紋票(丙22p7,8)
には,c警察官が送付したJPシートの現物の表面(黒色の台紙に白いア
ルミ粉末の掌紋が浮かび上がって見えるもの。)が貼付され,これを指紋反
転焼付機で白黒を反転させた写真(白地に掌紋が黒く浮かび上がって見え
るもの。以下「反転写真」という。)が別の台紙に貼られて本体とテープで
綴じ付けされていて,JPシートの表面と反転写真とが見開きできるよう
になっていた。他方で,c警察官が採取場所・方角等をメモ書きしたJP
シートの裏面は,遺留指掌紋票の裏面に裏面どうしを内側にしてテープで
封じ,封じたテープ上にd鑑定官の契印が押してあったため,d鑑定官が
契印及びテープの封を解かない限り,JPシートの裏面の記載内容を確認
できない状態となっていた。また,JPシートの表面や反転写真には,現
場の方角を示す記載はなかったため,JPシートの表面や反転写真に現れ
た掌紋の指先が採取場所においてどの方角を向いていたかは,分からない
状態であった。(乙7,19,丙22,証人dp4)
なお,本件店舗から採取された12個の指掌紋のうち本件各掌紋以外で
対照可能であったものは掌紋1番のみであり,その他は対照不能であった
(丙22p4,丙25)。
⑵被害届提出から公訴提起までのAの供述内容
ア平成25年6月6日の被害届提出から被害再現の前まで
Aは,同月6日,甲警察署に対し,被害届を提出し,同日,同署の司法
警察員に対し,「同月3日午前1時05分頃,本件店舗内において,自称『i』
という男から,下着を脱がされる被害を受けた。その男は,その10日前
にも午後9時頃に相当酒に酔った状態で1人で来店し,カウンター越しに
Aの腕や肩をつかむ等しながら,『俺のことを愛してくれ。』等と言ってき
たので,知人女性Cや店のオーナーを本件店舗に呼んだ。その男は,自分
がヤクザとつながりがある様な下品な話をしていた。携帯電話の番号をし
つこく聞かれて仕方なく教えた。2度と店に来ないように言って,追い出
した。同月3日午前1時過ぎ頃,Aが本件店舗で1人で後片付けをしてい
た際,その男が酒に酔って来店した。Aが,閉店である旨告げ,カウンタ
ーの内側から出て出入口の方に行き男を追い出そうとしたところ,『俺の
話を聞け。』等と大声で怒鳴りながら,Aの腕や肩をつかんで振り回したり,
髪を引っ張ったりした。その上,男は,Aを本件店舗の床に仰向けに押し
倒して,ストッキングとTバックをわしづかみにし,Aが両手でストッキ
ングをつかんで止めようとしたが,ものすごい力で脱がせた。Aは,この
ままではレイプされると思い,大声をあげて抵抗し男を足蹴りにして床か
ら起き上がり,男を店外に追い出し,脱がされた下着を手に持ち,本件店
舗の出入口の鍵をかけ,本件店舗の前を通りかかったタクシーに乗り,男
がタクシーの後部座席等の窓ガラスをたたいたりしている中,タクシーの
運転手に発進を促して,自宅にタクシーで逃げ帰った。抵抗した際に右足
のすねを擦りむき,右足の付け根を打撲した。自宅に逃げ帰ってからも,
男から携帯電話に何度も電話がかかってきた。乱暴された時間は,閉店直
後であったので午前1時05分頃で間違いない。」旨供述した。同月9日,
Aは,面割写真台帳の写真から犯人として原告の写真を選ぶとともに,原
告がAの下着を脱がす前に怒鳴っていた時の状況について,「怒りにまか
せて,カウンターを掌でたたいていた。」旨を付け加えて供述した。(丙3
0,31,32)
イ平成25年6月12日の被害再現以降の警察官に対する供述状況
同月12日には,A立ち会いの下,本件店舗において被害の再現が行わ
れ,Aは,女性の警察官を犯人に見立てて被害の状況を説明し,写真が撮
影された。そこでは,犯人が本件店舗の壁をたたいている様子や,カウン
ターの天板部をカウンターの外側から内側に向かって両手の掌でたたい
ている様子(丙12写真④),Aの両肩をつかみ揺さぶる様子や,Aの髪の
毛を引っ張る様子や,床に倒れたA(マネキン)にキスをしようとする様
子や,着衣の上から乳房を揉む様子や,陰部を触る様子が犯行状況として
説明され写真が撮影された。また,同月13日,Aは,甲警察署の司法警
察員に対し,前記写真に沿って,被害状況について,原告が,壁やカウン
ターを何度もたたいたこと,原告が,Aの髪の毛を引っ張った後にキスし
ようとしたので手で遮ったこと,床に押し倒した後,何度も床にAの頭を
打ち付けたため,Aの頭にたんこぶが3個くらいできたこと,原告が床に
倒れたAにキスしようとしたので顔をそむけたこと,原告が,Aを床に倒
し着衣をめくりあげてタイツとTバックを脱がしAの陰部が露わになっ
たこと,原告がAの乳房を着衣の上から揉んだこと,その後陰部を手で触
ったこと等を加えて供述した。(丙12)
Aは,同月17日,甲警察署の司法警察員に対し,犯行時の原告の服装
につき,「丸エリの白っぽい色のTシャツ,カジュアルなベージュっぽい色
のズボン」等と述べ,また,「原告とは被害を受ける10日前に1回会った
だけで,本件店舗以外で会ったことはない。」旨供述した(丙13)。
Aは,同月21日,甲警察署の司法警察員に対し,被害に遭う10日く
らい前に原告と会った時に,本件店舗の外でも会っていた旨を初めて供述
し,「被害に遭う10日くらい前,本件店舗の開店準備をしてから,近所の
店Fで食事をしていた際,原告がAのいたテーブルの席にいきなり座って
Aに話しかけてきて,身の上等の話を始めたため,気持ち悪く,怖くなり,
知人の女性Cを呼び出した。原告は,Aが本件店舗に戻る際に付いて来て,
閉店までいた。本件店舗を閉店した後,1人で食事をとるため移動し,エ
レベーターに乗った際,原告が同じエレベーターに乗って来て,食事の店
にも付いてきて,勝手に同席し,しつこく迫ってきた。Aは,原告を無視
し,自分で代金を払い,タクシーで帰宅した。本件店舗以外で原告と会っ
たことはない旨述べたのは,正しい表現ではないが,店の外で会った時は
ストーカーされたという感覚であったためである。」旨供述した(丙11)。
Aは,同月26日,逮捕された原告を透視鏡で見て犯人に間違いない旨
述べ,「被害を受けた前日の晩に開店準備のためカウンターを雑巾できれ
いに拭いた。」旨も加えて供述した(丙33)。
ウ公訴提起前の検察官面前調書の内容
Aは,平成25年7月15日,e検事に対し,原告との被害前の面識状
況,被害の状況,被害の際の時刻,被害時の原告の服装,被害後タクシー
に乗ってからの状況について,以下のとおり供述し,検察官面前調書が作
成された(丙1。以下「本件検察官面前調書」という。)。
「原告とは,平成25年5月下旬頃,本件店舗の開店前に,近所の飲食店
Fで食事している時,いきなり同じテーブルに座られ話しかけられて知り
合った。本件店舗を1人で開けなければならず,つきまとわれたら怖いの
で,知人の女性Cに電話をかけ,来てもらった。同日,原告は,本件店舗
に付いて来て,閉店まで滞在し,自分のことを刑務所帰りと言い,Aに対
し,『俺と付き合え。』『俺のことを愛してくれ。』等と口説くようなことを
言い,髪の毛を触る等した。携帯電話の番号をしつこく聞かれて教えた。
この日,本件店舗を閉めて,居酒屋で食事するため1人でタクシーで移動
しエレベーターに乗ったところ,原告が現れて一緒にエレベーターに乗っ
てきて,居酒屋で同席して話しかけてきたが,受け流し,食事を済ませて
代金を支払って帰宅した。
同年6月2日,本件店舗の午後8時の開店の前,カウンターをいつもの
とおりダスター(紙製の布巾)でよく拭いてきれいにした。同日夜の客は
2名のみであった。客が帰り,Aが1人で閉店準備をしていた際,原告が
1人で本件店舗に入ってきた。そのときの時刻は,時計を見ていないが,
同月3日午前1時を回った頃であった。Aが,原告に対し,店が終わった
ことを告げて,帰るよう求めたところ,原告は,『俺の女になれ。』『われ,
ただで済むと思うなよ。分かってんのか。われ,承知せえへんぞ。』等と言
って,カウンターを両手の掌や拳でバンバンと強くたたいたり,カウンタ
ー席の後ろの壁をたたいたりしながら威嚇してきた。Aがバッグと本件店
舗の鍵を持ってカウンターの内側から出て,原告に帰るよう求めたところ,
原告は,大声で怒鳴り,Aの両肩をつかんで,前後左右に揺さぶり,抵抗
するAの体に抱きつき,髪の毛をつかんで引っ張り,キスしようとしてき
た。原告は,Aの肩の辺りを押して突き飛ばしてAを床に押し倒した。原
告は,仰向けに床に倒れたAの上に覆いかぶさり,肩や手を押さえつけ,
キスをしようとしてきた。原告は,Aのワンピースを腰の辺りまでまくり
上げ,タイツとTバックのショーツを一緒につかんで足の方へずり下げて
はぎ取ろうとした。Aはタイツを両手でつかんで脱がされないように抵抗
したが,原告は,ものすごい力でタイツとショーツを足の方まで下げて足
首から外し,Aの下半身を露出させ,着衣の上から乳房を揉み,その後,
陰部を手で触った。Aは,大声をあげて抵抗したが,原告は止める様子が
なく,このままではレイプされてしまうと思い,原告の股間を右足で蹴っ
たところ,原告が立ち上がり,痛そうな様子で前屈みになった。Aは,そ
の隙に,床にあったショーツとタイツを持ち,カウンター上のバッグと鍵
を持って,本件店舗の出入口から出ようとし,原告が追ってきてAの左腕
をつかんだが,そのまま外に出た。本件店舗の出入口のドアを閉めて,本
件店舗の前の車道に出たところ,追ってきた原告がAを羽交い絞めにした
が,これを振りほどく等して,ちょうど来たタクシーに乗って,ドアを閉
めた。原告はタクシーの助手席側等の窓をたたいて妨害したが,Aは,タ
クシー運転手に対し,『襲われた。』旨を告げ,発進してもらい,タクシー
は,原告から何度か前方を塞がれて停止した後,Aの自宅の方へ走行した。
途中で,本件店舗の出入口のドアの鍵をかけたか心配になり,タクシーに
本件店舗へいったん戻ってもらい,鍵がかかっていることを確認してから,
そのタクシーで自宅に帰宅した。自宅に帰った直後,原告から午前1時3
6分から午前2時3分まで合計5回電話がかかってきた。
被害に遭った時刻は,時計を見たわけではないが,閉店時刻の午前1時
より後であったこと,電話がかかってくるよりも前であったことから,午
前1時頃から午前1時37分頃までの間である。
最初の頃に警察で事情を聞かれた時には,被害に遭ったことで,はっき
り覚えていることもあれば,うろ覚えのこともあり,はっきりしないとこ
ろは,間違っていたらいけないと思って,言えないこともあった。その後,
女性の刑事さんを相手に被害時の様子を再現してみたら,襲われたときの
状況を鮮明に思い出すことができ,乳房を触られたこと,陰部を触られた
ことをはっきり思い出すことができた。
自宅に帰ってから,右足のすねや右太ももから腰にかけての辺りに擦り
傷のような傷跡があることが分かったが,原告に床に押し倒されたり,倒
された後に抵抗するために体を動かしたりしたときに負ったものだと思
う。床に押し倒された時に後頭部にたんこぶができたが,気づいたのは診
察の後であったので,医師には伝えられなかった。
犯行時の原告の服装は,白色っぽいTシャツにベージュっぽいカジュア
ルズボンであった旨の記憶があるが,顔を知っている人物であるので,服
装については注目していなかった。」
⑶公訴提起前の前記⑴⑵以外の証拠
アAの受傷の状況
平成25年6月4日,Aの右足のすねの擦過傷及び右大腿の付け根の傷
が警察官により撮影された(丙15p5)。同月5日,k医師は,右下腿を
打撲した旨の訴えに基づきAを診察し,右下腿打撲傷,右大腿打撲傷と診
断した(丙15)。
イAの携帯電話の原告からの着信履歴
Aの携帯電話には,Aが原告から被害を受けたという平成25年6月3
日の午前0時31分頃から同日午前2時3分頃までの間,合計6回の原告
からの着信履歴があった。午前0時31分頃に着信通話(呼出時間含め1
5秒),午前1時36分頃に着信通話(同5秒),午前1時37分頃に着信
通話(同10秒),午前1時37分頃に着信通話(同10秒),午前1時3
8分頃に不在着信(留守番電話センターにアクセス),午前2時3分に不在
着信があったことが記録されていた。(丙1,14)
ウ本件店舗のオーナーの供述
本件店舗のオーナーであった男性は,平成25年6月19日,司法警察
員に対し,Aから被害を打ち明けられた状況について,「同月3日の午後9
時頃,Aから電話があり,Aが『今日店に男がやってきて,いきなり私に
襲いかかってきた。10日くらい前に来て,やくざの話をしていた下品な
男。』等と述べた。Aがまだ警察に通報していないと言うため,警察に届け
るよう説得し,一緒に甲警察署の乙交番に行ったが,その際,Aは引きつ
ったように顔をこわばらせ,かなりおびえていた。」旨供述した(丙2)。
エタクシーの運転手の供述
Aが被害を受けたとする時刻の直後にAを乗せたタクシーの運転手(以
下「本件タクシー運転手」という。)は,平成25年7月3日,「丙の交差
点で,丁通りを東向きに小走りで走ってきたAを乗せた。Aは,タクシー
に乗るなり『強姦された。』と言ってかなり慌てている様子であった。戊の
交差点付近に来た時に,Aの携帯電話に電話がかかってきて,会話した後,
Aの指示で,乙交差点付近まで戻った。丁通りで東向きに止まると,北側
に自転車に乗った男性がいて,その女性は,その男性が加害者である旨述
べた後,タクシーを降りて,その男性と約10分話して戻ってきた。Aが
再びタクシーに乗るとき,その男性がAに暴言を吐いている声が聞こえた。
その男性からタクシーをたたかれたり,追っかけられたりしてはいない。」
旨供述した。本件タクシー運転手は,事情聴取に訪れた警察官に対し,当
初事情を話すことを拒み,前記の供述をした後も,調書作成や運転記録の
コピー提出を拒み,警察官の協力要請にそれ以上応じなかった。(丙18)
オAの知人Cの供述
Aの知人C(女性)は,平成25年6月21日,司法警察員に対し,「A
が被害に遭った日の約10日前の午後8時か9時頃,Aから電話で,『初め
ての客と2人きりで怖いから店に入れない。来てほしい。』旨の連絡があっ
た。Aの声は,本当に嫌そうで困っている様子であった。言われた飲食店
Fに行くと,Aがiと名乗る男と食事をしていた。Aは,iに嫌々付き合
っている感じであった。食事が終わると本件店舗に3人で行き,お酒を飲
んだ。iは,刑務所帰りだと自称し,しゃべり方が荒っぽくて,やくざの
ような人という印象があった。」等と供述した(丙35の1・2)。
カ飲食店Fの店主の供述
Aが原告と初めて会った店という飲食店Fの店主は,平成25年7月1
0日,警察官から,Aと原告の写真を見せられ,警察官に対し,「Aは,近
所のスナックで働いており,毎月2,3回は来ていた。最後に来たのは5
月の下旬頃で,原告と一緒に来て,2人で楽しそうに食事し,Aが支払を
して出て行った。」旨供述した(丙37)。
⑷原告の公訴提起前の供述の内容
ア身柄拘束
平成25年6月26日,原告は強制わいせつ致傷罪の疑いで甲警察署警
察官に逮捕され,同月28日勾留された(甲5,丙42,弁論の全趣旨)。
イ原告の供述内容
原告は,平成25年6月26日,司法警察員に対し,「同月2日,ヤキト
リ屋で妻と飲み,妻が先に帰ったので,午前1時頃まで1人で飲み,その
後に1箇月以内に1度行ったことのある本件店舗に行ったところ,Aがカ
ウンターの外で顔を下に向けて床に倒れていたため,1歩だけ中に入って,
声をかけた。Aが立ち上がり,『帰って。今日は来んといて。』と言って本
件店舗の外に出たので自分も一緒に本件店舖の外へ出た。AはJRの己駅
の方へ行ったので,私は家に帰った。」旨を(丙42),同月27日には検
察官(丙44),同年7月8日には司法警察員(丙43)に対し,「本件店
舗には1,2歩入った。Aがストッキングなしの生足で床に倒れており,
Aに声をかけると,『帰って。』等と言われ,店の外に押し出された。」旨を
供述した。
また,原告は,同月3日に,司法警察員に対し,「本件被疑事件の前の1
箇月以内に本件店舗を初めて訪れたところ,Aからいったん入店を断られ
た後,誘われて一緒に近所の飲食店に行った。2人で食事をしているとA
の知人の女性が合流した。3人で本件店舗に戻り,お酒を飲みながらカラ
オケをしたりして,閉店までいた。その後,Aと2人で己駅前の居酒屋に
タクシーで行ったかもしれない。」旨供述した(丙38)。
原告は,公訴提起前,本件被疑事件を担当したe検事に対しても,警察
での供述と同様に,「被害時刻頃,本件店舗を訪れたが,本件店舗には1,
2歩しか入っていない。」旨の供述をした(丙45)。
⑸本件各掌紋についてのb報告書の作成
アe検事による報告書作成の指示
平成25年6月末頃,e検事は,Aが本件店舗のカウンターを被害日の
前日夜にダスターで清掃したとすれば,原告の掌紋と合致する本件各掌紋
が本件店舗のカウンターから採取された事実は,Aの供述の裏付けとなり,
かつ,本件店舗内に1,2歩しか入っていない旨の原告の供述を排斥する
事実であると考え,本件被疑事件の担当警察官に対し,本件各掌紋の採取
場所を明らかにする報告書の作成を指示した(丙45,証人ep26,証
人ap7)。
イa警察官の立場・権限等
a警察官は,本件被疑事件の捜査主任官である刑事課長を補佐し,捜査
指揮を執る立場にあり,本件被疑事件の実質的な捜査主任であった。
a警察官は,本件被疑事件の発覚頃から公訴提起時まで,前記⑴オの本
件各掌紋の鑑定の結果,前記⑵アイのAの供述内容,前記⑶アないしカの
各証拠の状況,前記⑷イの原告の供述内容を認識し,又は認識し得る立場
であった。他方,後記⑺⑻の本件被告事件の公判前整理手続の内容につい
ては,検察庁から連絡はなく,知り得る立場にはなかった。
(乙16,証人ap10~11)
ウa警察官による報告書作成の指示
a警察官は,e検事からの前記アの指示を受けて,平成25年6月末頃,
b警察官に対し,本件各掌紋の採取場所を明らかにする報告書の作成を命
じた。その際,a警察官は,b警察官に対し,報告書の作成目的は,本件
各掌紋の採取場所を明らかにすることにより,本件店舗内で原告からわい
せつ行為の被害を受けた旨のAの供述と本件店舗内に1,2歩しか入って
いない旨の原告の供述のどちらの信用性が高いか示すことにある旨を伝
え,また,作成に当たり,本件店舗の現場に行くよう指示はしていなかっ
た。(乙16,17,証人b,証人ap19~21・31)
エ報告書作成のための調査・原資料等
b警察官は,検察庁からd通知書を預かり,平成25年7月1日,d鑑
定官にd通知書添付の本件各掌紋の各遺留指掌紋票に貼付されたJPシ
ートの表面の契印及びテープを開封してもらい,c警察官が作成したJP
シートの裏面の採取場所及び採取時刻に関する記載(丙22p9。採取場
所についての記載内容は⑴エのとおり。)を確認した(丙22,証人bp3・
4)。bは,d通知書及びJPシートの裏面の記載に基づいて,平成25年
6月4日午前1時23分に本件店舗の「カウンター上面」から採取された
掌紋7番が原告の左手掌紋に符合し,同日午前1時31分に本件店舗の
「カウンター上面」から採取された掌紋8番が原告の右手掌紋と符合して
おり,本件各掌紋の採取場所は別紙6のとおりである旨の同年7月4日付
け報告書(b報告書)を作成した(丙22,証人bp3・4)。b報告書に
は,「遺留指掌紋票裏面」との表題でJPシートの裏面のメモも添付された
(丙22p9)。
b報告書作成の時点において,b警察官は,Aが「原告が本件店舗のカ
ウンターを手でたたいた。」と供述していること,犯行再現の写真(丙12
写真③)によれば,本件店舗のカウンターの縁が曲面になっていること,
外縁部が天板部と明確に区別できる形状であることを認識していた(証人
b)。
⑹公訴提起及び公訴提起直後のe検事による補充捜査
ア公訴提起
平成25年7月17日,e検事は,原告を別紙1記載の本件公訴事実に
より強制わいせつ致傷罪で京都地方裁判所に起訴した(甲1)。
イf検事の依頼
本件被告事件の第1審公判を担当することとなったf検事は,本件被疑
事件の記録を読み,本件被告事件が裁判員裁判対象事件であり,裁判員に
わかりやすい立証をする必要があるところ,本件各掌紋の指先の向き・方
角が,「原告がカウンター内のAの方を向いてカウンターをたたいた。」旨
のAの供述と整合するのであれば,より分かりやすくAの供述の信用性が
立証できるのではないかと考え,平成25年7月,e検事に対し,本件各
掌紋の指先の向き・方角を警察官に確認するよう依頼した(丙46,証人
fp4)。
この際,f検事は,e検事に前記依頼をする理由については特段の説明
をしなかった(証人ep17,証人fp14)。
ウd鑑定官からの聴取
e検事は,前記イのf検事からの依頼により,平成25年7月24日頃,
a警察官に本件各掌紋の指先の向き・方角を問い合わせ,a警察官は鑑識
担当のlに電話を引き継いだ。同日,lは,d鑑定官に対し,本件各掌紋
の付着状況に関しe検事が来庁するか電話をする予定である旨伝えた。
(乙18の1,証人e,証人d,証人a)
e検事は,同月30日,d鑑定官に電話をかけ,本件各掌紋の指先の向
き・方角について質問をしたところ,d鑑定官は,現場に行っていないの
で分からない,現場に行っている鑑識課のc警察官に聞いてみたらよい旨
を述べた(証人ep9。なお,証人dは,「この時の電話では本件各掌紋の
指先の向き・方角については聞かれていない。」旨証言する。しかし,そう
であるとすれば,前記イのf検事がe検事に対し本件各掌紋の指先の向
き・方角を確認するよう依頼を行った事実と沿わないし,d鑑定官との電
話の直後にe検事がc警察官に電話をかけて本件各掌紋の指先の向き・方
角を質問した事実とも沿わないこととなることから,証人eの証言と対比
して,採用できない。)。d鑑定官との電話の際,e検事は,本件各掌紋の
部位の名称をd鑑定官に尋ね,d鑑定官は,鑑識課内に保管していた反転
写真を見ながら「採取番号7の左手掌紋に符合した部分は,具体的には,
親指を除く四本の指の付け根に当たる『四指基底部』が採取されたもので
ある。採取番号8の右手掌紋に符合した部分は,具体的には,小指の付け
根の下側にある『小指球部』が採取されたものである。」旨回答し,e検事
は,その旨の電話聴取書(以下「dからの電話聴取書」という。)を作成し
た(丙19,証人dp6・8,証人ep9)。
エ本件電話聴取書の作成
平成25年7月30日,e検事は,c警察官に電話し,c警察官に対し,
本件店舗内における本件各掌紋の指先の向き・方角を確認する趣旨で質問
をしたところ,c警察官は,本件各掌紋を採取した際の自分自身の体の向
きを質問されたものと理解し,「カウンターの外側から内側に向いた状態
であった。」旨回答した。e検事は,c警察官からの聴取に基づいて別紙3
の内容の本件電話聴取書を作成した。(丙7,20)
なお,この時,本件各掌紋のJPシートが添付されたd通知書は,鑑識
課内にはなかった(証人cp9)。
オ遺留指掌紋の指先の向き・方角の問い合わせについてのa警察官の認識

e検事は,前記ウエの問い合わせの際,d鑑定官にもc警察官にも問い
合わせた理由の説明はしておらず,a警察官も両名から理由を聞いたこと
はなかった(証人ep19・20,証人ap24)。
京都府警察本部刑事部鑑識課鑑定官にとっては,遺留指掌紋の指先の向
き・方角について質問を受けるのは,年間0~1件程度であり,まれなこ
とであった(乙9,証人d)。
⑺公判前整理手続におけるf検事による補充捜査・公訴追行
ア公判前整理手続に付されたこと
本件被告事件は,公判前整理手続に付され,平成26年6月20日まで
合計15回の公判前整理手続期日が開かれた。f検事は,もう1名の検察
官とともに,同年3月31日まで本件被告事件の公判前整理手続を担当し
た。(丙3,証人f,弁論の全趣旨)
イ公判前整理手続における検察官の証明予定事実等
f検事は,平成25年8月6日,本件被告事件の証明予定事実として,
「本件店舗のカウンター上から原告の掌紋が検出されたこと等から原告
は逮捕された。」旨主張する同日付け証明予定事実記載書を提出し,これを
裏付ける証拠として,b報告書,本件電話聴取書及びdからの電話聴取書
(以下,この3通を「b報告書等3通」という。)を証拠請求したが,この
時には,「本件各掌紋が検出されたことが,Aによる原告がカウンターをた
たいた旨の供述と整合する。」旨の主張はしていなかった(丙5,52)。
f検事は,同年12月11日付け証明予定事実記載書において,初めて,
「Aは,『カウンター前通路に立った原告がカウンターの内にいたAの方
を向き,両手の平でカウンターをたたいた。』旨供述している。本件店舗の
カウンターの通路側から,原告の左手及び右手の掌紋がそれぞれ1個ずつ
検出されているところ,各掌紋は約25cm離れ,いずれも手の指先がカウ
ンターの内側に向いた状態であり,本件各掌紋の付着状況とAとの供述は
合致する。」旨の主張を行った(丙53)。
原告の弁護人n弁護士及びo弁護士(以下,両名を「弁護人ら」という。)
は,別紙1の公訴事実を全面的に争う旨の主張を行い,開示を受けたb報
告書等3通については同意・不同意の意見を留保した(丙46)。本件各掌
紋について,弁護人らは,同年12月24日付け書面において,「本件各掌
紋は,原告が同年5月下旬に本件店舗を訪れた際に付着したものであり,
原告がカウンターをたたいた際に付着したものではない。したがって,カ
ウンター上の掌紋の存在は,本件被害に関するAの供述の信用性を何ら補
強するものではない。」旨主張した(甲9)。また,弁護人らは,平成26
年1月22日付け「統合報告書案等について⑴」と題する書面において,
「b報告書記載の本件各掌紋を含む12個の指掌紋のそれぞれが,どの位
置にどのような状態で遺留していたのかが具体的に分かる写真又はそれ
に代わる資料」の証拠開示を求め,これが明らかになればb報告書等3通
につき一部を除き同意予定であるとの意見を示した(甲7)。
そこで,f検事は,本件各掌紋に関するb報告書等3通,ないし,これ
らの内容を統合した捜査報告書に対して弁護人らからの同意を得るため,
弁護人らから前記要求された事項を明らかにする捜査報告書を作成する
こととした(証人fp7)。
ウ2月5日付けp報告書
f検事は,前記イで弁護人らから要求された事項に応えるため,まず,
甲警察署の警察官に対し,b報告書の12個の指掌紋のうち本件各掌紋以
外の10個の採取場所,部位及び指先の向き等についての報告書を作成す
るよう依頼し,この依頼により,甲警察署の司法警察員p作成の平成26
年2月5日付け捜査報告書(丙24。以下「2月5日付けp報告書」とい
う。)が作成された。
2月5日付けp報告書は,本件店舗に遺留された12個の指掌紋のうち
本件各掌紋以外の10個の指掌紋の採取場所を別紙2と類似の図面等で
示したほか,採取された部位,指先の向き等を報告したものであった。同
書には,採取された部位,指先の向き等に関し,掌紋1番は「掌紋の一部
で左手小指球部,掌紋の上部が北方向」であり,本件各掌紋は「既報のと
おり」であり,その他の9個の指掌紋は「対照不能のため詳細内容の記載
が困難」である旨記載されていた。(丙24,証人f)
エ2月面談
f検事は,平成26年2月12日,前記イで弁護人らから要求された事
項のうち前記ウ以外の事項について調査するため,c警察官及びd鑑定官
と面談した(2月面談)。
2月面談の際,f検事は,c警察官に対し,掌紋の採取状況等について
質問し,「採取した場所を特定しやすいよう角になる部分を入れるので,本
件各掌紋に写っている直線はカウンターの端と考えられる。透明採取シー
トで指掌紋を採取した後,透明採取シート(JPシート)を台紙に貼りつ
け,その台紙を裏返し,裏面に採取した場所・方角を記載する。b報告書
の『遺留指掌紋票裏面』とのメモ(のコピー)が裏面のメモである。」旨の
回答を得た。また,d鑑定官に対しては,本件各掌紋の反転写真を示して,
採取された掌の部位の名称及び指先の向きについて質問し,本件各掌紋の
反転写真に写った部位の名称及び指先の向きについて教示を受けた。
面談終了後,f検事は,本件各掌紋の反転写真に写った部位の名称及び
指先の向きが分からなくなったため,同日中にd鑑定官のみを再度呼び出
し,本件各掌紋の反転写真に掌紋の部位の名称及び指先の向きを朱書きさ
せて署名させた。その記載内容は,掌紋7番については別紙7の写真部分,
掌紋8番については別紙8の写真部分のとおりであった。
2月面談の際,f検事は,c警察官及びd鑑定官に対し,Aの「原告が
カウンターをたたいた。」旨の供述を裏付けるために本件各掌紋の指先の
向き・方角が問題となっていることは伝えておらず,c警察官及びd鑑定
官はそのことを知らなかった。また,2月面談の際,c警察官及びd鑑定
官は,「c警察官がe検事の質問に対して『本件各掌紋は手の指先が本件店
舗のカウンターの内側を向いた状態で採取されたものである。』と回答し
た。」旨の本件電話聴取書が作成されたことも,証拠請求されていたことも
知らされておらず,認識していなかった。
(乙6,7,丙16,21,46,証人d,証人c,証人f)
オf検事による証拠開示
f検事は,平成26年2月12日,c警察官及びd鑑定官から聞き取っ
た内容として,前記エの聴取内容及び本件各掌紋の反転写真にd鑑定官が
採取部位の名称・指先の向きを朱書きで記入したものを添付した捜査報告
書(丙21。以下「f報告書」という。)を作成したが,同報告書には,本
件各掌紋の指先の向き・方角については記載されていなかった(丙21)。
f検事は,同月13日,弁護人らに対し,2月5日付けp報告書及びf
報告書を任意開示した(甲6,8)。
⑻g検事による補充捜査・公訴追行
ア統合捜査報告書原案に対する弁護人らの要望等
g検事は,平成26年4月1日,f検事らから本件被告事件の第1審の
公判を引き継いで担当することとなり,終局まで担当した。
g検事は,弁護人らから,本件各掌紋に関する統合捜査報告書の原案(b
報告書等3通に代えて請求予定の報告書原案)に関し,本件各掌紋以外の
指掌紋についての情報も加えてほしいとの要望がされたことから,担当警
察官に対し,掌紋1番が誰の掌紋であるかを確認した。その結果,掌紋1
番が本件店舗のオーナーのものであることが判明した。(丙26,27,証
人g)
同年5月頃,弁護人らから,掌紋1番の掌の部位及び指先の向き・方角
についても前記統合捜査報告書に記載してほしいとの要望がなされたた
め,g検事は,この点についての補充捜査を行うこととし,h事務官に対
し,警察の担当者に,掌紋1番について,本件各掌紋の反転写真にd鑑定
官が掌の部位を朱書きしたもの(丙21p3・4。別紙7,8の各写真部
分と同じ)と同様のものを作成してもらうように指示した(証人gp5・
31,証人hp3)。
イ5月面談
h事務官は,平成26年5月23日,鑑識課のm主任鑑定官及びd鑑定
官(mら)と面談した(5月面談)。5月面談時,h事務官は,掌紋1番を
鑑定したm主任鑑定官に対し,掌紋1番の掌の部位,指先の向き・方角等
を質問し,本件各掌紋にd鑑定官が朱書きしたものの写し(別紙7,8の
各写真部分の写し)を示しながら,掌紋1番について,それと同じものを
作成するよう依頼した(丙48,証人hp6)。m主任鑑定官は,掌紋1番
の反転写真に掌の部位の名称,指先の向きを朱書きし,これに署名押印し
た(丙28p3)。5月面談時,h事務官が,mらに対し,掌紋1番の指先
の向き・方角について質問したところ,mらは,指先の方角は分からない
旨を答えた(乙7,15,証人h)。h事務官は,mらに対し,2月5日付
けp報告書(丙24)の「掌紋1番は掌紋の上部が北方向である。」旨の記
載を示したところ,mらは,「そのように記載されているのであれば北方向
と思われるが,指先が揃っていないので北よりやや東方向であろう。」旨説
明した(丙24,28,証人hp18・19)。
同日,h事務官は,5月面談の内容をg検事に報告するとともに,前記
の聴取内容及びm主任鑑定官に朱書きしてもらった反転写真を添付した
同日付け報告書(以下「h報告書」という。)を作成した。同報告書には,
本件各掌紋についての記載はなかった。(丙28)
ウ本件統合捜査報告書
h事務官は,g検事の指示により,平成26年6月6日,本件店舗から
採取された12個の指掌紋の採取場所,鑑定結果,対照可能であった3つ
の掌紋(本件各掌紋及び掌紋1番)の採取された掌の部位,指先の向き・
方角等について報告する同日付け本件統合捜査報告書(丙16)を作成し
た。h事務官は,本件統合捜査報告書に別紙7及び8を添付した際,本件
各掌紋の反転写真の指先の向きが上になるように,掌紋7番の反転写真を
f報告書とは90度向きを変えて貼付した(丙21,丙16p9・10)。
本件統合捜査報告書には,本件各掌紋の採取場所が「カウンター上面」で
あり,指先の向き・方角が「カウンター内側(東方向)」である旨の記載が
あった(丙16)。h事務官は,本件電話聴取書及びb報告書に基づきこれ
らの記載をした(丙16,証人h)。
g検事は,同年6月10日,本件統合捜査報告書を証拠請求し,弁護人
らはこれに同意し,裁判所は,これを採用する旨の決定をした(丙5)。b
報告書等3通の証拠請求は,撤回された(丙5)。
⑼第1審の公判期日での審理及び判決
ア公判前整理手続の終了,公判期日での審理
平成26年6月20日,第15回公判前整理手続期日において,本件被
告事件の争点は,「①被害者Aが強制わいせつの被害にあったか(事件性),
②原告が犯人であるか(犯人性)及び③原告が有罪の場合は量刑である。」
旨整理され,同手続は終了した(丙3)。
同月,本件被告事件の裁判員等選任手続期日が開催され,同年6月30
日から同年7月7日まで4回の裁判員裁判による公判期日が開かれた。原
告は一貫して犯行を否認し,弁護人らは無罪を主張した。(甲10,丙4)
本件統合捜査報告書は刑訴法326条1項の同意書面として第1回公判
期日で取調べがされた(丙3,4)。
g検事は,本件統合捜査報告書に基づき,第1回公判期日の冒頭陳述に
おいて,「被害者供述のとおり,カウンターから被告人の両手の掌紋が発見
された。」旨の主張を行い,第3回公判期日の論告においても,「客観的な
証拠」として,「被告人がカウンターをたたいたという話通りの場所,方向
に被告人の両手の掌紋があり,Aの証言は客観的状況とも符合する。」旨の
主張を行った(丙40,41)。
イ第1審でのAの証言
Aは,本件被告事件の第1審の第1回公判期日において,証言を行った。
その際,Aは,概ね,本件検察官面前調書のとおりの証言を行ったが,一
部には異なる内容もあった。具体的には,カウンターの内側から外側に出
たAが床に倒される前の状況について,「原告から,肩や胸や腰やあらゆる
ところを乱暴に触られ,胸をまさぐったり,お尻や腰を触ったりされた。」
旨を新たに述べる一方で,本件検察官面前調書で述べていた「両肩をつか
まれ左右に揺すぶられたこと」や「髪の毛をつかまれたこと」については
述べなかった。また,床に倒された後,原告からショーツとストッキング
を脱がされた状況について,「手足をバタバタしている,その一瞬の隙に履
いていたショーツとストッキングを脱ぎ取られた。大変巧みな手つきで,
ストッキングと下着を同時にお尻の方向から一気に剥がされた。」旨述べ
た。また,ショーツとストッキングを脱がされた後に,着衣の上から胸を
揉まれたり,陰部を触られたりした以外の被害として,「肩や胸や腰やお尻
を触られた。」旨を述べた。さらに,傷害の原因について,「右すねの傷は,
原告に押し倒された後もみ合った際,原告の靴が当たった時にできたもの
である。太ももの傷は,原告から斜めに押し倒され仰向けにされたときに
できたものである。」旨証言した。また,本件店舗の開店前や閉店後のカウ
ンターの清掃に関し,「閉店の後にカウンターの全体を拭くが,カウンター
の外側の角の部分は手を伸ばさないと届かないところなので,一番汚れが
取りにくいところである。カウンターの外側からも拭くが,毎回丁寧に拭
くわけではない。開店の前は汚れが目立っていれば拭いていた。原告の5
月末の前回来店時も被害日も,閉店時には適当に拭いた。端から端まで拭
かずに,ふわっと,力も入るか入らないか分からない程度に,大雑把に拭
いた。」旨の証言をした。(丙39)
ウ第1審の有罪判決
京都地方裁判所は,平成26年7月7日,原告に対して,本件被告事件
について別紙4の犯罪事実を認定した上,懲役2年の実刑判決を言い渡し
た(甲2)。
同判決は,前記犯罪事実を認定できる理由として,「Aの証言は,その供
述態度や供述の変遷状況等に照らして全面的に信用できるものではなく,
後に知った事実をもとに辻褄をあわせようとしたり,誇張して供述してい
るのではないかと疑われる部分もあるが,認定した犯罪事実の時刻頃に原
告が本件店舗を訪れていたこと,Aが本件店舗を飛び出して,その直後に
タクシーに乗ったことは間違いのない事実であり,Aの身に何らかの突発
的な事態が生じなければ,このような行動に出ることは通常考えられない
から,この頃,Aの身に何らかの突発的な事態が生じたことは間違いがな
く,Aの証言のうち,この突発的な事態の中身を原告からのわいせつ被害
であったとする部分が信用できるかが問題となる。」とした上で,「①本件
被害当日,Aから被害について相談を受けた本件店舗のオーナーの証言は
基本的に信用できるところ,同証言によれば,Aは,原告から下着を脱が
されたことを内容とするわいせつ行為を受けたことについて,当初から一
貫して述べていたこと,②Aが供述する原告が両手で本件店舗のカウンタ
ーをたたくという行為に適合する形で,原告の掌紋が採取されていること,
③本件被害の2日後に医師に受診した際に,Aは,Aの供述する原告の暴
行態様と矛盾しない傷害を負っていたこと,④Aと原告は,本件被害の日
まで1度しか会ったことがなく,Aには,ありもしないわいせつ被害をね
つ造して原告を罪に陥れる動機や利益がないことから,少なくとも,原告
から下着を脱がされ下半身を露出させる等のわいせつ行為を受けたとの
Aの証言部分は信用できる。」というものであった。同判決には,本件統合
捜査報告書が証拠の標目に挙げられていた。(甲2)
原告はこの判決に対して控訴した(甲4)。
⑽控訴審での審理,判決
ア本件各掌紋の指先の向き・方角についての審理
本件被告事件の控訴審において,n弁護人は,「本件統合捜査報告書では,
本件各掌紋の指先の向き・方角がいずれもカウンターの内側(東)を向い
ていたとされているが,それだとカウンターの木目の向きと整合しない。」
旨の指摘を行い,別紙7及び別紙8の写真部分の木目の向きを揃えたコピ
ー(そのように配置すると,掌紋の指先の向きは同一方向を向かない状態
となる。)を提出する等した(甲4p10~)。
イ平成26年11月17日聴取
これにより本件各掌紋の指先の向き・方角に疑義が生じ,平成26年1
1月17日,大阪高等検察庁検事q及びg検事により,c警察官及びd鑑
定官に対する聴取が行われた(丙7)。
この際,c警察官は,「e検事からの電話があったことは覚えているが,
詳しいことは記憶にない。その際,私は採取係なので,指紋採取のことを
聞かれていると思い,カウンターの外側から内側に向かって指掌紋の採取
活動をしたことを伝えたような気がする。私自身は,指掌紋採取活動のみ
を行っていたので,掌紋の採取活動のことを聞かれていると思ったのだと
思う。もし,e検事から掌紋の指先の方向を聞かれていると分かっていれ
ば,私だけではお答えできないので,d鑑定官とともに聞いてほしいと答
えたはずである。」旨回答した(丙7p7)。また,c警察官は,本件各掌
紋のJPシートの裏面のメモ及び反転写真を見たが,反転写真の木目のよ
うなものが何かは分からず,d鑑定官も,c警察官の説明,反転写真及び
JPシートの裏面のメモをもとに指先の向きの方角を検討したが,「現場
を見ていないので,木目や直線の位置が分からない。できれば現場のカウ
ンターを確認した方がよい。」旨の意見を述べた。(丙7)
ウ本件各掌紋の指先の向き・方角
平成26年11月21日には,c警察官及び京都府警本部刑事部鑑識課
主任鑑定官r立ち会いの下,本件店舗においてc警察官による採取状況再
現見分が行われた(丙8,29)。
c警察官は,前記⑴エの本件各掌紋のJPシートの裏面のメモに基づき,
JPシートの貼付の方向を確認し,本件店舗のカウンターを計測する等し
て採取場所を特定した。そして,r主任鑑定官が本件各掌紋の指先の方角
を読影した。その結果,掌紋7番は指先がカウンター外側向き(西向き),
掌紋8番は指先がカウンター内側右方向き(南東向き)であることが分か
り,本件統合捜査報告書の本件各掌紋の「指先の向きはカウンター内側(東
方向)」との記載が誤りであることが判明した。また,カウンターの断面図
(別紙5)も作成され,本件各掌紋は,いずれもカウンターの外縁部から
採取されたことも確認がされた。(丙8)
そして,検察官から,その旨を報告する同年12月16日付け捜査報告
書(以下「g報告書」という。)及び前記実況見分調書が証拠として請求さ
れ,これが採用されて取り調べられた(丙6,7,8)。
エ控訴審での無罪判決
平成27年2月13日,大阪高等裁判所は,本件被告事件につき,原告
を無罪とする判決を言い渡した。同月28日,同判決は,検察官からの上
告なく,確定した。(甲3,弁論の全趣旨)
同判決は,「Aの原審証言を補強するとされた本件各掌紋につき,本件統
合捜査報告書には,本件店舗のカウンター上面にいずれも指先がカウンタ
ー内側を向くようにして採取された旨の記載があるが,これは本件電話聴
取書が不正確なものであったこと等に起因する誤りであり,正しくは,本
件各掌紋は,カウンター上面(天板)ではなく,外側縁部分に遺留されて
いたものであり,掌紋7番は指先がカウンター外側向き(西向き),掌紋8
番は指先がカウンター内側右方向き(南東向き)に遺留されていたもので
あり,『原告がカウンターをたたいた。』旨のAの原審証言を補強するもの
とはいえない。原告は,本件に先立つ5月29日から30日にかけての夜
間に本件店舗を訪れているところ,Aの原審証言によれば,閉店時にダス
ターという紙素材の布巾でカウンターを大雑把に拭いている程度だとい
うのであり,本件各掌紋がカウンター内部から遠い位置にある縁にあるこ
とも考慮すると,前回来店時のものが残っていた可能性も排斥し難く,本
件各掌紋がAの原審証言を補強するとはいえない。」とした。また,同判決
は,「①Aの原審証言は,わいせつ行為により触られた部位,タイツ等を脱
がされた状況及び右下腿打撲傷等が生じた原因について捜査段階とは異
なる証言をしているから,その核心部分には看過できない変遷がある。②
第1審判決が動かし難いとした事実のうち,第1審が認定した犯罪事実の
時刻頃に原告が本件店舗を訪れていたこと,Aが本件店舗を出てタクシー
に乗ったことは間違いないといえるが,被害を受けたという後に,Aが靴
を履いたり,本件店舗のドアの鍵をかけたり,本件店舗から150m離れ
た交差点まで移動してタクシーに乗ったりしたことからすれば,Aが本件
店舗を「飛び出した」とか,「直後に」タクシーに乗ったというのは,間違
いのない事実とまでは言い難い。③Aは,午前1時には閉店するつもりで
準備しており,本件当日以外に閉店後にタクシーを利用するということが
あったと述べているから,Aが閉店後の午前1時過ぎに本件店舗を出てタ
クシーに乗ったことは,特段異常なこととはいえず,Aの身に何らかの突
発的な事態が生じたことは間違いがないとはいえない。④本件店舗のオー
ナーの証言も,Aがパンストないしタイツを脱がされたか否か不明なもの
で,ショーツについては証言もしていないもので,Aの原審証言を補強す
る力は強いものではない。⑤Aの負傷は,日常生活等によっても生じ得る
程度のものであり,Aの原審証言との整合性が特に高いとはいえない。⑥
Aが原告と会ったのは,本件時で2回目であり,わいせつ被害に遭ったと
の虚偽申告をするまでの動機があるとはいい難いが,1度会っただけで強
い否定的感情を抱いた相手を2度と店に来ないようにする手段として虚
偽申告をすることがおよそないとまではいえない。」とし,「認定の核とな
るべきAの原審証言の核心部分が信用できないことになるから,第1審判
決は,論理則,経験則等に照らして不合理である。」というものであった。
(甲3)
2争点⑴-e検事の公訴提起の過失
⑴検察官の公訴提起が国賠法上違法となる場合の判断基準
刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮
捕・勾留,公訴の提起・追行,起訴後の勾留が違法となるということはない。
なぜならば,逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由
があり,かつ,必要性が認められるかぎりは適法であり,また,公訴の提起
は,検察官が裁判所に対して犯罪の成否,刑罰権の存否につき審判を求める
意思表示にほかならないのであるから,起訴時あるいは公訴追行時における
検察官の心証は,その性質上,判決時における裁判官の心証と異なり,起訴
時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断
過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であ
るからである(最高裁判所昭和53年10月20日第二小法廷判決民集32
巻7号1367頁(以下「昭和53年判決」という。)参照)。
そして,公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であっ
て,通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと
認められる証拠資料をもって公訴提起の違法性の有無を判断する資料とする
ことは許されず,公訴の提起時において,検察官が現に収集した証拠資料及
び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理
的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば,その公訴の提起は違法
性を欠くものと解するのが相当である(最高裁判所平成元年6月29日第一
小法廷判決民集43巻6号664頁(以下「平成元年判決」という。)参照)。
そして,ここでいう通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料
には,被告人にとって有利な証拠資料も含まれる。これを検察官が現に所持
していた証拠に限定すれば,不十分な捜査しか行わなかったために不十分な
証拠しか収集し得ず,これが誤った公訴提起をもたらした場合も,公訴の提
起が違法とされ得ないことになり不合理であるからである。
以上をまとめると,検察官による公訴の提起は,①公訴の提起の時点にお
いて,②検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれ
ば収集し得た証拠資料を総合勘案して,③合理的な判断過程により有罪と認
められる嫌疑が客観的に欠如している場合に,あえて公訴の提起をしたとき
に限り,国賠法上違法となる。
⑵本件被告事件の公訴提起の違法性
ア本件被告事件の証拠構造
本件被告事件においては,検察官が別紙1の事実で公訴を提起した時点
において,被害者Aによる「原告から別紙1の事実のとおり強制わいせつ
致傷の被害を受けた。」旨の供述が存在し,その詳細な内容は,前記1⑵ウ
のとおり(本件検察官面前調書の内容)であったところ,本件被告事件で
は,原告のAに対するわいせつ行為を直接裏付ける物的証拠は存在してい
なかった。
したがって,本件被告事件の公訴提起の時点において,原告に有罪と認
められる嫌疑が客観的に欠如していたといえるかは,被害者であるAの本
件検察官面前調書における供述につき信用性が客観的に欠如していたと
いえるかによるというべきである。そして,被害者であるAの本件検察官
面前調書における供述につき,検察官が現に収集した証拠資料及び通常要
求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して,信用性が
客観的に欠如していたといえるときは,本件被疑事件の公訴提起は国賠法
上違法になる。
イAの本件検察官面前調書における供述の信用性
そこで,本件被告事件の公訴提起時点において,検察官が現に収集した
証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総
合勘案して,Aの本件検察官面前調書における供述について信用性が客観
的に欠如していたといえるかを検討する。
①Aは,別紙1の被害を受けた当日(以下,別紙1の犯行日時を「被害
日」や「被害時刻」等という。)に,本件店舗のオーナーであった男性に被
害を打ち明け,同日夜にその男性に連れられて警察官に被害申告をしてい
るところ(1⑴ア,⑶ウ),被害の後,間もなく,身近な者に被害を相談し
て警察官に申告したことは,性犯罪の被害者として自然な行動であるとい
える。②本件店舗のオーナーであった男性は,司法警察員に対し,被害日
の午後9時頃,Aから電話で,「今日店に来た男から襲われた。」旨を打ち
明けられ,Aを説得して一緒に警察に行ったこと,警察に行く際,Aは引
きつったように顔をこわばらせ,かなりおびえていたことを供述しており
(1⑶ウ),この供述は,Aが被害を受け恐怖を感じている状態であったこ
とを裏付けるものであり,Aの供述の信用性を高めるものと評価できる。
③原告とAは,被害当日までに本件店舗の客と従業員として1回会っただ
けという関係であることは,原告も認める事実であったところ(1⑵ア~
ウ,⑷イ),そのような関係でしかないAが,ありもしないわいせつ被害を
受けたとの虚偽供述をして原告を陥れる動機・利益があるとは直ちには認
められなかった。④原告は,被害時刻頃に本件店舗を訪れたことは認める
が,本件店舗には1,2歩しか入っていない旨述べていたところ(1⑷イ),
前日の夜,Aがダスターでよく拭いてきれいにしたと供述していた本件店
舗のカウンターから,原告の右手及び左手の各掌紋と合致する掌紋が検出
され(1⑴オ,⑵イウ),原告の前記供述の信用性は,減殺されていた。⑤
被害日の翌々日に医師が診察した際,Aには右下腿打撲傷,右大腿打撲傷
の傷害が生じており(1⑶ア),これはAの本件検察官面前調書の供述中の
原告から受けた暴行の態様と矛盾しないものであった。⑥Aの携帯電話に
は,被害時刻の直後頃の午前1時36分から午前2時3分までの間合計5
回原告からの着信履歴があり(1⑶イ),これも本件検察官面前調書でAが
述べた被害後の状況と整合するものであった。⑦被害時刻の直後にAを乗
せた本件タクシーの運転手は,Aがタクシーに乗るなり「強姦された。」と
言ってかなり慌てている様子であった旨供述し(1⑶エ),強制わいせつの
被害を受けたとするAの供述に沿うものであった。
他方,⑧Aはわいせつ行為の被害内容について,当初は,仰向けに押し
倒され下着を脱がされたとだけ供述していたが,被害日の9日後の女性の
刑事を犯人に見立てた本件店舗での犯行再現時には,これらに加えて,キ
スされそうになったこと,乳房を揉まれたこと,陰部を触られたこと,頭
部が床に当たりたんこぶができたことを供述し(1⑵アイ),供述が変遷し
ていた。その理由について,Aは,本件検察官面前調書において,「はっき
りしないところ,うろ覚えのことは,間違っていたらいけないと思って言
えないこともあった。女性の刑事さんを相手に被害時の様子を再現してみ
たら,襲われたときの状況を鮮明に思い出すことができ,乳房を触られた
こと,陰部を触られたことをはっきり思い出すことができた。」旨述べてい
るところ(1⑵ウ),性犯罪の被害に遭ってショックを受けた被害者が,当
初は被害状況について明確に記憶を喚起できず,被害現場での犯行の再現
を契機として記憶が鮮明に喚起されるのは自然な経過といえるから,変遷
に合理的な理由がないとはいえなかった。⑨本件タクシー運転手は,タク
シーの発車を原告が妨害した事実を否定し,かつ,Aは,本件店舗付近に
戻った後,原告と10分くらい話をしていた旨,Aの供述と整合しない事
実を述べていた(1⑶エ)。しかし,Aが原告と路上で10分くらい話をし
ていたとの事実は,原告の供述とも整合しない事実であり(1⑷イ),本件
タクシー運転手は,捜査に対する協力を拒み,その信用性の検討ができな
い状況であったことから(1⑶エ),本件タクシー運転手の供述は,Aの供
述の信用性を直ちに失わせるものとはいえなかった。⑩Aは,当初,原告
とは本件店舗の外で会ったことはない旨供述していたが,警察官による知
人女性Cからの事情聴取後,原告と初めて会った時には,飲食店F及び居
酒屋でも会っていた旨を供述し(1⑵アイ),供述内容に変遷が見られた。
しかし,Aは,本件店舗以外で会った時は,原告にストーカーされたとい
う感覚であったため,そのように述べたと説明しており(1⑵イ),その説
明は,Aが改めて詳細に供述した初対面時の原告の言動から理解可能とい
えるものであったし,Aが改めて供述した初対面時の状況は,知人Cの供
述と合致し(1⑶オ),飲食店Fの主人の供述(1⑶カ)及び原告自身の供
述(1⑷イ)とも矛盾はしない内容であったから,Aの供述の信用性を著
しく低下させるとは評価できなかった。⑪被害の時刻(午前1時5分頃で
間違いない,とまではいえず,午前1時頃から午前1時37分頃までの間
であること),被害の際の原告の服装(丸エリの白っぽい色のTシャツ,カ
ジュアルなベージュっぽいズボンと思うが,はっきりしたことは覚えてい
ないこと)について(1⑵ウ),当初の供述(1⑵アイ)と異なる部分もあ
るが,大きく違うというわけではなく,時刻については原告が来た時に時
計を見たわけではないと言い,服装についても顔見知りであるため注意し
ていなかったとのAの説明は了解し得るものであり,Aの供述の信用性を
失わせるとはいえない。⑫脱がされたショーツ及びタイツ若しくはその他
の着衣に破れが見られなかったからといって(甲4,10,丙5p7・1
8,弁論の全趣旨),Aの供述する被害内容に照らし,それが不合理といえ
るわけではない。⑬被害当日の午前1時過ぎの壁たたき,怒声,もみあい,
床への転倒,床でのもみあい,路上での羽交い絞め等について,近隣にこ
れを見聞きした者が現れなかったからといって(甲4,10,丙5,弁論
の全趣旨),直ちにAの供述内容が不合理であるとはいえなかった。⑭Aの
携帯電話の留守番電話の通話記録が取得できなかったからといって(丙5,
弁論の全趣旨),1,2回しか面識のないカウンターバーの客が女性従業員
に対し深夜・未明の時間帯に約30分間に5回もの頻度で電話をかけた事
実の特異性が揺らぐことはなく,Aの供述の信用性が著しく毀損されるこ
とはなかった。
ウ小括
前記イで検討したところによれば,本件被告事件の公訴提起の時点で,
検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収
集し得た証拠資料を総合勘案し,被害者であるAの本件検察官面前調書に
おける供述について,その信用性が客観的に欠如していたとはいえない。
とすれば,公訴提起の時点において,有罪と認められる嫌疑が客観的に欠
如していたとはいえないから,e検事による本件被告事件の公訴の提起は
国賠法上違法となるとはいえない。
⑶e検事が,公訴提起前に,本件各掌紋の指先の向き・方角の確認をしなか
ったことが違法ではないことについての補足的判断
ア原告指摘に係る本件各掌紋の指先の向き・方角の重要性
原告は,Aの供述において,カウンター上面に原告の掌紋が付着する可
能性があるのは,原告がカウンターの外側から内側に向かってカウンター
を両手でたたいた場面以外にはないから,本件各掌紋については,付着場
所のみならず,その指先の向き・方角を特定しておくことが,有罪立証の
ために不可欠であり,本件各掌紋の指先の向き・方角が,「原告がカウンタ
ーをたたいた。」旨のAの供述と整合するかを確認するための捜査は,検察
官に通常要求される捜査であったところ,これを怠り,前記Aの供述と整
合しないことを看過して原告を起訴したことは違法である旨主張する。
以下,この主張について,特に補足して検討する。
イAの供述中には,カウンターをたたいた以外にも,原告の掌紋が付着し
得る場面があること
しかし,Aの供述によれば,原告は,Aがカウンターの外側に出て,原
告に出ていくよう求めた際にも,「大声で怒鳴り,Aの両肩をつかんで,前
後左右に揺さぶり,抵抗するAの体に抱きつき,髪の毛をつかんで引っ張
り,キスしようとし,Aの肩の辺りを押して突き飛ばしてAを床に押し倒
し,その後,Aに覆いかぶさった。」等の行動をとり,また,Aが原告の股
間を蹴って,立ちあがった後にも,「Aが床にあったショーツとタイツを持
ち,カウンター上のバッグと鍵を持って,本件店舗の出入口から出ようと
したところ,原告が追ってきてAの左腕をつかんだ。」等というのであるか
ら(1⑵ウ),別紙2のとおり本件店舗のカウンターの外側が幅約86cm
の狭い空間であることを考慮すれば(1⑴ア),床に倒す前にAの抵抗に遭
った原告がカウンターに手をついたり,Aを逃すまいと追いすがった際に
原告がカウンターに手をつく等して,カウンターに原告の掌紋が付着する
可能性があり,Aの本件検察官面前調書の供述中,カウンターに原告の掌
紋が付着する可能性がある場面は,「原告がカウンターをたたいた。」とい
う場面以外にもあったといえる。
そして,前記⑵イ④のとおり,原告は,被害時刻頃に本件店舗を訪れた
ことは認めていたが,本件店舗には1,2歩しか入っていない旨を述べて
いたのであり,本件店舗のカウンターを被害前日の夜にダスターでよく拭
いてきれいにしたとの本件検察官面前調書におけるAの供述を前提とす
る限り,カウンターから原告の右手及び左手の掌紋が検出されたこと自体,
原告の供述の信用性を著しく減殺する事実であったというべきである。
したがって,本件各掌紋の指先の向き・方角について確認した結果,本
件各掌紋がカウンターの天板部ではなく外縁部にあり,その指先の向き・
方角が西方向ないし南東方向に向いている事実が明らかになったとして
も,カウンターに本件各掌紋が存在していたことそのものが,原告の供述
の信用性を低下させ,かつ,Aの供述を補強することに,変わりなかった
といえる。
ウ本件各掌紋の指先の向き・方角がAの供述の虚偽性を示すとはいえない
こと
また,指掌紋は,対象となる場所に採取用のアルミ粉末を刷きかけて指
掌紋が浮かび上がった場合にのみ採取されるものであり(1⑴ウ),かつ,
採取された指掌紋の12点の特徴点が一致して初めて対照可能との鑑定
ができるところ(1⑴オ),同じ場所に複数回触った場合には,指掌紋が重
なったり着衣等で指掌紋が拭われたりして,不鮮明となり,採取し得ない
状況になったり,採取できたとしても12点の特徴点が一致しない状況に
なることもあるから(乙9p5),原告がカウンターをたたけば必ず対照可
能な原告の指掌紋がカウンターから検出されるというわけではない。
他方で,原告が被害日の数日前に本件店舗を訪れたことがあること(1
⑵,⑷イ),本件店舗のカウンターから10個の指掌紋が採取されていた
ことからすれば,(1⑴ウ),原告の前回来店時以降,被害日の前日までに,
Aがカウンターをよく拭いてきれいにしたという前提が崩れた場合には,
原告の前回来店時に付着した掌紋である可能性もないとはいえなかった。
したがって,本件各掌紋がカウンターの天板部ではなく外縁部にあり,
その指先の向き・方角が西方向ないし南東方向に向いている事実が明らか
になったとしても,必ずしも「原告がカウンターをたたいた。」旨のAの供
述が虚偽であることにはならない。
エカウンターをたたく行為の裏付けの有無は有罪・無罪を根本的に左右す
るとはいえないこと。原告を無罪とした控訴審判決の理由
まして,カウンターをたたく行為は,本件被告事件の別紙1の公訴事実
のうち,実行行為を構成するものではなく,また,実行行為に密接に関わ
る行為でもないのであるから,公訴提起の時点において,Aの本件検察官
面前調書における供述の信用性について,前記⑵イ①ないし⑭のとおりの
各証拠評価ができる本件被告事件において,Aの供述中,原告がカウンタ
ーをたたいた行為に裏付けがあるか否かによって,Aの供述の信用性が根
本的に左右されるとはいえない。
このことは,原告を無罪とした控訴審判決の理由からも見て取れること
である。すなわち,控訴審判決が原告を無罪としたのは,「本件統合捜査報
告書の本件各掌紋の『カウンター上面』との付着場所が正確ではなく,か
つ,本件各掌紋の指先の向き・方角が間違いであったから,『原告がカウン
ターをたたいた。』旨のAの原審証言を補強するものとはいえない。」とい
う点にのみ,その理由があるわけではない。控訴審判決によれば,原告が
無罪となった最大の理由は,「Aの原審証言が,わいせつ行為により触ら
れた部位,タイツ等を脱がされた状況及び右下腿打撲傷等が生じた原因に
ついて捜査段階とは異なっており,その核心部分には看過できない変遷が
ある。」という点にある(1⑽エ)。また,本件各掌紋については,Aが,
第1審公判廷の証言において,カウンターの清掃状況について,「閉店時
にカウンターを拭くが,カウンターの外側の角の部分は手を伸ばさないと
届かず,一番汚れが取りにくいところである。カウンターの外側からも拭
くが,毎回丁寧に拭くわけではない。開店の前は汚れが目立っていれば拭
いていた。原告の5月末の前回来店時も被害日も,閉店時には適当に拭い
た。端から端まで拭かずに,ふわっと,力も入るか入らないか分からない
程度に,大雑把に拭いた。」旨証言したことによって(1⑼イ),カウンタ
ーの清掃・拭き取りが徹底していない事実が明らかになったため,控訴審
判決は,「本件各掌紋は,原告の前回来店時(被害日の約4日前)のものが
残っていた可能性も排斥できない。」とし,「本件各掌紋がAの原審証言を
補強するとはいえない。」と判断したものである(1⑽エ)。
そして,Aが第1審公判廷において,わいせつ行為により触られた部位,
タイツ等を脱がされた状況及び右下腿打撲傷等が生じた原因について捜
査段階と異なる証言をすること及びカウンターの清掃・拭き取りが徹底し
ていない事実について捜査段階と異なる証言をすること(1⑼イ)は,検
察官にとって,公訴提起の時点では予測し難いことであるから,公訴の提
起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって,通常の捜査を
遂行しても公訴の提起前に収集することができなかった証拠資料である
といえるから,これらを公訴提起の違法性の判断資料とすることは,もと
より,許されないことである。
オ小括
前記イないしエのとおり,本件各掌紋の指先の向き・方角についての捜
査は,公訴提起の段階において,e検事にとって,通常要求される捜査で
あるとはいえない。また,本件各掌紋の指先の向き・方角についての捜査
をすることによって,被害者であるAの本件検察官面前調書における供述
の信用性が客観的に欠如していたことが明らかになるとも評価できない。
したがって,e検事が,本件各掌紋の指先の向き・方角についての捜査
を行うことなく,公訴提起をしたことについて,通常要求される捜査を行
うことなく,有罪と認められる嫌疑が客観的に欠如していたことを看過し
たとはいえず,原告の主張は採用できない。
⑷結論
以上より,e検事による公訴の提起は,国賠法上の違法があるとはいえな
い。
3争点⑵-e検事の本件電話聴取書作成時の過失
⑴捜査の違法性についての判断基準
前記2⑴のとおり,刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで
直ちに起訴前の逮捕・勾留,公訴の提起・追行,起訴後の勾留が違法となる
ということはなく,逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当
な理由があり,かつ,必要性が認められるかぎりは適法であり,公訴提起は,
起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な
判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば適法とすべきである(昭和5
3年判決,平成元年判決参照)。また,司法警察員が行った留置についても,
刑訴法所定の留置の必要性を判断する上において,合理的根拠が客観的に欠
如していることが明らかであるにもかかわらず,あえて留置したと認め得る
ような事情がある場合に限り,国賠法上違法となる(最高裁判所平成8年3
月8日第二小法廷判決民集50巻3号408頁参照)。
つまり,無罪判決が確定したことによって,捜査,身柄拘束,公訴提起等
が結果的には妥当ではなかったということになるとしても,刑事手続におい
て,証拠及び嫌疑が捜査の進展・訴訟の進行により流動的に変化していくも
のであることに鑑みると,原因行為の違法と結果の違法とは区別して考える
べきである。したがって,検察官の捜査行為の違法性においても,①当該捜
査行為(又は当該捜査行為の不作為)の時点において,②現に収集した証拠
資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案し,
③合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず,
あえて当該捜査をした場合(又は,あえて当該捜査を行わなかった場合)に
限り,職務上の義務に違反したものとして違法となると解するのが相当であ
る。そして,この基準は,警察官の捜査行為にも当てはまるというべきであ
る(以下「捜査官の捜査一般についての基準」という。)。
⑵事実と異なる本件電話聴取書が作成された原因
アe検事の本件電話聴取書作成時の過失を判断する前提として,本件電話
聴取書に事実と異なる記載がされた原因について検討する。本件電話聴取
書には,「本件各掌紋は,手の指先が店内のカウンターの内側(東側)に向
いた状態で採取された。」旨の記載があるが(1⑹エ),掌紋7番は指先が
カウンター外側向き(西向き),掌紋8番は指先がカウンター内側右方向き
(南東向き)であったから(1⑽ウ),本件電話聴取書は明らかに事実と異
なる内容であった。このような事実と異なる記載がされた原因について検
討する。
イ本件電話聴取書は,平成25年7月30日のe検事とc警察官の電話で
の質問と回答に基づいて,e検事が作成したものである(1⑹エ)。
c警察官は,本件各掌紋のJPシートを本件店舗に持参すれば,採取の
ためJPシートを貼付した向き及び場所が分かり,採取場所・方角を再現
できるものの(1⑴エ,⑽イウ),本件各掌紋の反転写真を見ても掌紋の指
先の向きは直ちに判断できず,これを判断することができる者(基本的に
は,dやmやrのような鑑定官)の意見を聞かなければ,本件各掌紋の指
先の方角は分からなかった(1⑴エ,⑽イウ)。また,c警察官は,e検事
からの電話を受けた際,採取場所の方角を記載したJPシートの裏面の記
載を確認できる状況にはなく(1⑸エ,⑹エ),本件各掌紋の指先の向き・
方角を確認できる資料が手元にあったとは認められない。あらゆる意味に
おいて,c警察官は,本件各掌紋の指先の向き・方角を質問された場合,
電話で直ちに回答できる状況ではなかった。
したがって,本件電話聴取書は,①e検事が,c警察官に対し,誤解を
招く誤った質問をしたか,②e検事が,c警察官の回答を検察官立証に都
合がよいように誤解したか,③e検事が,故意にc警察官の回答と異なる
記載をしたか,④c警察官が,e検事の質問を誤解して回答をしたか,こ
れらのうちの1つないし複合した原因によって作成されたものであると推
察される。
ウ前記イのいずれであるかを検討するに,c警察官は,平成26年11月
17日のq検事らからの事情聴取の際,e検事から電話を受けた時の会話
について「e検事からの電話の際,指紋採取のことを聞かれていると思い,
カウンターの外側から内側に向かって指掌紋の採取活動をしたことを伝え
たような気がする。私自身は,指掌紋採取活動のみを行っていたので,掌
紋の採取活動のことを聞かれていると思った。」旨回答し,その旨のg報告
書が作成された(1⑽イ)。この事情聴取は,本件統合捜査報告書記載の本
件各掌紋の指先の向き・方角について疑義が生じたために行われたもので
あり(1⑽アイ),聴取を行ったq検事らは,本件統合捜査報告書の原資料
となった本件電話聴取書の作成時の電話の会話内容について特に注意して
聴取を行い,g報告書には,c警察官が述べたことが漏れなく正確に記載
されたと考えられる(証人gも,g報告書に記載した回答が,聴取当時の
c警察官の回答のすべてである旨証言している。)。c警察官自身も,e検
事からの電話の際,掌紋採取活動の体の向きを質問された旨証言している
(乙6,証人c)。もっとも,c警察官は,e検事からの電話の際,最初に,
本件各掌紋の指先の向き・方角を質問されたため「分からない。」と回答し,
次に,本件各掌紋をカウンターの外側から採取したかを質問された旨証言
する(乙6,証人c)。しかし,採取担当者がカウンターの外側から内側に
向かって本件各掌紋を採取したことが,本件被告事件の立証において意味
があるとはいえないから,e検事がc警察官にそのような質問をするとは
考え難い。e検事がc警察官に電話したのは,f検事から本件各掌紋の指
先の向き・方角について確認するよう依頼されたためであり(1⑹イ),本
件各掌紋の指先の向き・方角について,c警察官が「分からない。」旨回答
したのであれば,誰に聞けば分かるか,どのようにしたら分かるかを質問
するのが自然であり,採取担当者が本件各掌紋を採取したときの体の向き
といった無意味な質問をするとは到底考えられない。また,e検事が確認
しようとしていたのは,本件各掌紋の指先の向き・方角という唯一の比較
的単純な事項であるから,c警察官に対する質問が,本件各掌紋を採取し
た際のc警察官の体の向きを聞いていると誤解を与えるような内容であっ
たということも,考えにくいことである。
以上から,本件電話聴取書に事実と異なる記載がされたのは,c警察官
が,e検事からの電話の際,本件各掌紋の指先の向き・方角を尋ねる質問
をされたが,その趣旨を取り違え,本件各掌紋を採取した際の自らの体の
向きを尋ねられたと誤解して「カウンターの外側から内側に向いた状態で
あった。」旨回答し,これをe検事が質問に対する回答として記載したため
であると認めるのが相当である。
⑶e検事の本件電話聴取書作成における過失の検討
ア掌紋の指先の向き・方角を正確に知るための方法
c警察官は,JPシートの裏面を確認しなければ,採取場所でのJPシ
ートの表面の向き・方角が分からず,また,JPシートの表面の向き・方
角が分かっても,掌紋の隆線が複雑であることから,基本的には指先の向
きは判断できなかった(1⑴エ)。他方,d鑑定官は,JPシートの表面又
は反転写真から,掌紋の指先の向きを判断することはできるものの,現場
に行っておらず,JPシートの裏面のメモを作成したわけでもないことか
ら,指先の向き・方角を正確に答えることは困難であった(1⑴オ,⑽イ,
丙7p5)。
したがって,本件各掌紋の指先の向き・方角を知るには,少なくとも,
c警察官とd鑑定官の双方が揃って,JPシートの表面及び裏面を確認す
ることが必要であり,それを採取場所である本件店舗で行うことが最も確
実であり(1⑽イウ),電話での確認は困難であったといえる。
イe検事の確認の方法の違法性
e検事は,f検事から本件各掌紋の指先の向き・方角について確認して
ほしい旨の依頼を受けたところ,電話で,d鑑定官及びc警察官それぞれ
に本件各掌紋の指先の向き・方角を質問し,これに対するc警察官の回答
を別紙3の内容の本件電話聴取書に記載したのみで,c警察官及びd鑑定
官の双方と面談する等して別紙3の内容の正確性を確認することはしな
かった。
しかし,検察官は,本件各掌紋の採取の現場や鑑定の現場に臨場してお
らず(1⑴ウオ),また,必ずしも指掌紋の採取や鑑定の知識に富んでいる
ともいえないため(丙7,8,弁論の全趣旨),掌紋の指先の向き・方角を
確認するには,採取者であるc警察官と鑑定官であるd鑑定官の両方が揃
ってJPシートの表面及び裏面を確認する必要があること,及び,採取現
場に行かなければ確実とはいえないことを知らなかったとしてもやむを
得ない。また,c警察官は,掌紋鑑定の専門部門である鑑識課に所属して
いる者であり(乙6),本件各掌紋の採取者であったこと(1⑴ウ。b報告
書にも採取者であることが記載されている。丙22),c警察官が回答に際
して質問を誤解していると疑問を抱くべき事情もなかったことからすれ
ば(証人e),e検事が電話で質問し,その回答をそのまま信用したとして
も,やむを得ない状況であった。
したがって,e検事が,f検事から本件各掌紋の指先の向き・方角の確
認を依頼された際,c警察官に対し,電話で質問し,その回答を信用し,
面談等による詳細の確認を行うことなく,本件電話聴取書を作成したこと
については,合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるとは
いえないから,職務上の義務に違反し違法であるとは評価できない。
ウ本件各掌紋の指先の向き・方角の証拠価値
また,Aの供述にはカウンターをたたいた場面以外にも原告の掌紋がカ
ウンターに付着する可能性がある場面があり,本件各掌紋は指先の向き・
方角如何にかかわらず,それがカウンターに存在することをもって,被害
日に本件店舗内に1,2歩しか立ち入っていないとの原告の供述を弾劾し,
Aの供述の信用性を高めるものであることは,前記2⑶イのとおりである。
本件各掌紋の指先の向き・方角が,Aの供述の虚偽性を示すとはいえない
ことは前記2⑶ウのとおりであり,本件各掌紋が有罪立証の証拠としての
価値を喪失したのは,被害前日にカウンターがきれいに拭かれていたとの
前提事実が崩れたことによるのであり,本件統合捜査報告書の本件各掌紋
の指先の向き・方角が間違っていたことによるのではないことは,前記2
⑶エのとおりである。
したがって,本件各掌紋の指先の向き・方角の証拠価値という観点から
も,e検事が電話のみで確認を行ったことが,合理的根拠が客観的に欠如
していることが明らかであるとは評価できない。
⑷結論
以上より,e検事による本件電話聴取書作成は,国賠法上違法であるとは
いえない。
4争点⑶-f検事の公訴追行の過失
⑴公訴追行の違法性の判断基準
検察官の公訴追行が国賠法上違法となるかの判断基準は,前記2⑴で公訴
提起について判示したのと同様であり,①公訴追行の時点において,②検察
官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た
証拠資料を総合勘案して,③合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑
が客観的に欠如している場合に,あえて公訴の追行を行ったときに限り,国
賠法上違法となるというべきである(昭和53年判決,平成元年判決参照)。
⑵2月面談時の木目が合わない旨の会話の存否について
ア原告は,2月面談時,f検事が,d鑑定官から「木目を合わせようとす
ると手のひらは縦と横になるし,同じ方向は向いていないと思う。」旨の説
明を受け,本件各掌紋の向きが同じではないことを認識していた旨主張す
るので,まず,この事実の存否について検討する。
イこの点,c警察官及びd鑑定官は,2月面談において,本件各掌紋の指
先の向き・方角が話題となり,f検事に対し,「本件各掌紋の指先の向き・
方角は現場に行かなければ分からない。」旨を伝え,d鑑定官が「木目を合
わせようとすると手のひらは縦と横になるし,同じ方向は向いていないと
思う。」旨の説明をした旨証言する(乙7,証人cp16・43,証人dp
13・14・51)。
ウ確かに,2月面談は,弁護人らから求められた事項のうち,2月5日付
けp報告書以外の事項,すなわち,「本件各掌紋がどの位置にどのような
状態で遺留していたのかが具体的に分かる写真又はそれに代わる資料」の
開示の準備のため実施されたものであったから(1⑺イないしエ),本件
各掌紋の指先の向き・方角が改めて検討されても不自然ではない。
しかし,f検事は,2月面談時までに,本件電話聴取書を証拠請求し,
かつ,本件各掌紋の指先の向き・方角が「原告がカウンターをたたいた。」
旨のAの供述と整合する旨の主張をしていたから(1⑺イ),本件各掌紋の
指先の向き・方角については,本件電話聴取書により確たる証拠を得たと
理解していたと認められ,本件各掌紋の指先の向き・方角を改めて質問す
る必要があるとは考えていなかったと認められる。また,弁護人らは,本
件各掌紋の付着状況について資料を開示するよう求めていたが,主に主張
していたのは本件各掌紋が付着したのは被害日ではなく前回来店時であ
るという点であり,指先の向き・方角に誤りがあるとの明示的な主張はし
ていなかった(1⑺イ。そのような指摘がされたのは,n弁護人作成の控
訴趣意書が最初である。甲4,10)。さらに,2月面談の時点においては,
c警察官及びd鑑定官は,本件電話聴取書が作成された事実も,それが証
拠請求された事実も,検察官が証明予定事実として,本件各掌紋の指先の
向き・方角が「原告がカウンターをたたいた。」旨のAの供述と整合する旨
主張している事実も知らなかったから(1⑺エ),掌紋の指先の向き・方角
が問題になる事案がまれであるというのに(1⑹オ),c警察官らの方から
本件各掌紋の指先の向き・方角について話題にするとは考えにくい。そし
て,仮に,2月面談において,本件各掌紋の指先が同じ方角を向いていた
とはいえない旨の話題が出たのであれば,本件電話聴取書の内容が正しい
と信じていたf検事としては,本件電話聴取書の発信者であるc警察官に
対し,本件電話聴取書の記載内容を知らせて問いただすはずであるが,2
月面談でその話は出ていなかったというのであり(証人dp14,15,
証人cp15),不自然である。また,c警察官は,「d鑑定官が『木目が
合わない。』と発言していた。」と述べる一方で(証人cp16,23),「何
が合わないという意味かは分かっていなかった。」(証人cp42,43)
等と曖昧な証言をしている。f検事は,本件各掌紋の反転写真に写った部
位の名称及び指先の向きが分からなくなった際,d鑑定官のみを再度呼び
出しているが(1⑺エ),このことは,f検事が,c警察官には掌紋の指先
の向きの読影ができないと認識していたことを直ちに意味しない。むしろ,
同時期に作成された2月5日付けp報告書には,作成者(同書には鑑定官
とは記載されていない。丙24)による掌紋1番の指先の向きについての
読影結果が記載されていたから(1⑺ウ),掌紋の指先の向きの読影は鑑定
官でなければ難しいとの知識は,当時のf検事にとっては知り難く,鑑識
課に所属しているc警察官が掌紋の指先の向きの読影ができないとの認
識を持つことは困難であったといえる。また,f検事が,d鑑定官に作成
を依頼した本件各掌紋の反転写真への朱書きメモは,別紙7,8の各写真
部分のとおりであるところ(1⑺エ),掌紋とともに写っている筋がカウン
ターの縁や木目であり直線的に繋がっているとの教示を受けてこれらを
検討すれば,掌紋7番と掌紋8番の指先の向き・方角が同じとはいえない
疑いがあると理解できるが,そのような教示を受けずに見たときは,掌紋
7番と掌紋8番の指先の向き・方角が同じではないとの判断はもちろん,
その疑いを持つことすら容易ではないと認められる(本件被告事件でも,
n弁護人が控訴趣意書でその指摘を行うまで,担当検察官ら及び担当裁判
官らのいずれも気付くことができなかった。1⑼⑽ア)。
エしたがって,2月面談についての,前記イの各証言等は採用できず,f
検事が,d鑑定官から「木目を合わせようとすると手のひらは縦と横にな
るし,同じ方向は向いていないと思う。」旨の説明を受け,本件各掌紋の向
きが同じではないことを認識していたとの事実は,認められない。
⑶f検事の公訴追行の違法性について
ア前記⑵の認定を基に検討するに,本件被告事件の公判を担当したf検事
は,①本件被告事件の公判前整理手続において,本件各掌紋の指先の向き・
方角が「原告がカウンターを両手でたたいた。」とのAの供述と符合し,A
の供述の信用性を増強する旨の主張を行い(1⑺イ),②e検事に対し,本
件各掌紋の指先の向き・方角について補充するよう依頼し,「本件各掌紋の
指先はカウンターの内側に向いた状態で採取された。」旨の本件電話聴取書
が作成され(1⑹イエ),③弁護人らが,公判前整理手続において,本件各
掌紋は犯行があったとされる日とは別の機会に付着したものであると主張
し,本件各掌紋を含む採取された指掌紋の採取場所及び採取状況が分かる
資料の提出を求めていたことを認識し(1⑺イ),④2月面談の際,c警察
官から「本件各掌紋は,採取した場所を特定しやすいようにカウンターの
端を入れて掌紋を採取転写した。転写した採取シートは向きを間違えない
ように南北を軸に裏返し方位を記した。」旨の説明を受けたこと(1⑺エ)
は,原告主張のとおりである。
イこれらの事実を前提に判断するに,確かに,本件各掌紋の指先の向き・
方角は,弁護人らからの要求に含まれる事項であったところ,f検事は,
本件各掌紋の指先の向きがカウンターの外側から内側へ向いているといえ
る理由や根拠までは,理解していなかった(証人f)。
しかし,本件電話聴取書は別紙3の内容であって,鑑識課所属の警察官
であり,本件各掌紋を採取した者自らが,本件各掌紋の指先の向き・方角
について明解に回答したものであるから,特に疑うべき点はなかった。鑑
識課に所属している者であっても,鑑定官でなければ掌紋の指先の向きの
読影は難しいという事実を認識することが困難であったこと,別紙7,8
(本件各掌紋の反転写真に指先方向を朱書したもの)を見ただけでは,掌
紋7番と掌紋8番の指先の向き・方角が同じではないという疑いを持つこ
とすら容易ではなかったことは,前記⑵ウのとおりであった。そうすると,
2月面談で,本件各掌紋の採取の際にカウンターの端を入れたと言われた
ことや,別紙7,8の各写真部分を入手し,本件各掌紋の反転写真での指
先の向きが明らかになったことを踏まえても,なお本件各掌紋の指先の向
き・方角が同じではないことについて認識し得る状態にあったとはいえな
い。
したがって,2月面談の際に,f検事がc警察官及びd鑑定官に対し,
本件電話聴取書記載の回答を行った根拠及び本件各掌紋の指先の向き・方
角及び付着場所を含む付着状況について確認することは,通常要求される
捜査であったとはいえない。
ウなお,仮に,本件各掌紋の指先の向き・方角について確認した結果,本
件各掌紋がカウンターの天板部ではなく外縁部にあり,その指先の向き・
方角が西方向ないし南東方向に向いている事実が明らかになったとして
も,Aが公判廷で証言する前の段階である2月面談の後の時点においては,
前記2⑵イ①ないし⑭の証拠関係の下,Aの本件検察官面前調書の供述の
信用性について,合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑が客観的
に欠如していたとはいえないから,公訴取消が必要であるとはいえない。
⑷結論
f検事が,2月面談の際に,c警察官及びd鑑定官に対し,本件電話聴取
書記載の回答を行った根拠及び本件各掌紋の指先の向き・方角及び付着場所
を確認せず,公訴追行を行ったことは,合理的な判断過程により有罪と認め
られる嫌疑が客観的に欠如していることが明らかである場合に公訴追行を行
ったとはいえず,国賠法上違法であるとはいえない。
5争点⑷-g検事の過失
⑴公訴追行の違法性の判断基準
前記4⑴と同様の基準による。
⑵5月面談時の木目線についての説明の有無
ア原告は,5月面談時,d鑑定官がh事務官に対し,「カウンターの内側に
2つの掌紋の指先を向けると,木目線が縦方向・横方向になるので,一般
的には同じ方向とはいえない。」旨説明したことを前提として,この説明内
容をg検事が知っていた旨主張するので,まず,5月面談の際,前記説明
がされたかを検討する。
イこの点,d鑑定官及びm主任鑑定官は,5月面談の際に前記説明をした
旨証言・陳述する(乙7,15,証人dp18・19・33)。
しかし,mらの前記証言・陳述は,前記説明があったことを否定する証
人hの証言と対比して採用できない。その理由は,次のとおりである。
まず,h事務官は,5月面談後,その結果に基づき直ちに報告書(h報
告書)を作成したところ,同報告書には本件各掌紋に関する記載はなく(丙
28),一方のmらは5月面談の内容をメモも記録もしていなかったとい
う上(証人dp33),5月面談時,h報告書で明確に言及されている2月
5日付けp報告書について,示されたことはない旨証言しており(同p6
6),mらの5月面談時の記憶の正確性には疑問がある。また,採取の現場
に行っていない鑑定官らが(1⑴オ),掌紋の指先の向き・方角が問題とな
る事例は少ないというにもかかわらず(1⑹オ),本件各掌紋についてのみ
指先の向き・方角について積極的に意見を述べたというのは不自然さを否
めない。
ウ以上より,5月面談の際に,d鑑定官がh事務官に対し,「カウンターの
内側に2つの掌紋の指先を向けると,木目線が縦方向・横方向になるので,
一般的には同じ方向とはいえない。」旨説明した事実は認められず,これを
h事務官がg検事に伝えた事実も認められない。
⑶g検事の公訴追行の違法性について
前記⑵の認定を前提とすると,本件電話聴取書は,別紙3のとおりの内容
であり,掌紋鑑定の専門部門である鑑識課に所属し,本件各掌紋を採取した
警察官自らが,発信者として回答したものであって,特に疑うべき点がなか
ったこと,検察官にとって,鑑識課に所属している者であっても鑑定官でな
ければ掌紋の指先の向きの読影は難しいという事実を認識することは困難で
あり(3⑶イ,4⑵ウ),g検事がこれを知らなかったとしてもやむを得ない
こと,別紙7,8(本件各掌紋の反転写真に指先方向を朱書したもの)を見
ただけでは,掌紋7番と掌紋8番の指先の向き・方角が同じではないという
疑いを持つことすら容易ではなかったこと(4⑵ウ)からすれば,g検事が,
掌紋7番と掌紋8番の指先の向き・方角が同じではなく,掌紋7番及び掌紋
8番の指先の向き・方角が「カウンター内側(東方向)」ではないとの認識を
持つことは困難であったと認められる。
したがって,g検事が,掌紋7番及び掌紋8番の指先の向き・方角は「カ
ウンター内側(東方向)」である旨の誤った記載のある本件統合捜査報告書の
作成を指示し,これを証拠として裁判所に提出し,冒頭陳述及び論告におい
て,本件各掌紋がAの供述と符合することを強調する主張をしたこと(1⑻
ウ,⑼ア)は,g検事が,そのような公訴追行を行った時点においては,現
に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資
料を総合勘案しても,これが誤りであると気付くことは困難であったといえ
るから,合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであったとはいえ
ず,違法とはいえない。
⑷結論
以上から,g検事の公訴追行は国賠法上違法であるとはいえない。
6争点⑸-c警察官の過失
⑴警察官の捜査行為の違法性の判断基準
警察官の捜査行為が国賠法上違法となるかは,前記3⑴の捜査官の捜査一
般についての基準による。以下,争点⑼まで同じである。
⑵c警察官によるJPシートの裏面の記載等
本件店舗のカウンターには,木目のない平らで水平な天板部と客席側の縁
の木目のある曲面の外縁部があり,断面図は別紙5のとおりであり,天板部
と外縁部は明確に区別できる状態であったところ,本件各掌紋はいずれもカ
ウンターの外縁部から採取されたものであった(1⑴ウ)。そして,鑑識資料
の採取場所を特定するための事情聴取に対し,Aは,鑑識課の警察官jに対
し「原告がカウンターをたたいた。」旨供述していた(1⑴イ)。
このような状況下で,c警察官は,本件各掌紋を採取した際,JPシート
の裏面に,採取場所として,天板部と外縁部を区別することなく,「カウンタ
ー上面」と記載した(1⑴エ)。
⑶c警察官の前記⑵の行為の違法性の検討
犯罪の捜査・立証において,犯罪の現場に遺留された指掌紋等の客観証拠
が重要であることは,いうまでもないことである。したがって,現場におけ
る鑑識活動においては,犯罪の現場に遺留された指掌紋等の客観証拠を余す
ところなく収集することが最も重要であり,それには,捜査の端緒から可及
的に迅速に鑑識活動が遂行されることが必要である。そして,指掌紋の採取
の際に採取場所についての詳細な記録作成を要求することは,鑑識活動の迅
速性を阻害するから,採取の際には詳細な記録は要求されず,指掌紋が遺留
されていた状態を再現できる程度の記録を作成することで足りるというべき
である。
犯罪の現場に赴いた鑑識隊が行う被害者・関係者からの聴取は,鑑定資料
を採取する場所を絞り込み,特定するためのものであり,指掌紋の遺留状態
が被害者の供述と一致しているか否か,被疑者の供述の信用性を弾劾するも
のかといった証拠価値の吟味は,後の捜査で実施すれば足りる。まして,指
掌紋を採取する際には,採取された指掌紋が対照可能なものか,誰の指掌紋
か,どの部位が採取されたのかは判明していないのであるから,指掌紋の採
取の際,採取した指掌紋のすべてについて,現場での被害者・関係者の供述
との整合性や証明力の資料となるような記録を作成するよう要求すること
は,採取者に無意味な作業を強いる結果となる。
c警察官は,本件各掌紋の採取場所について,カウンターの端を基線に距
離を測定した結果と,表面から見たときの北の方角を記載し,「カウンター
上面」と記載したものであり(1⑴エ),指掌紋が遺留されていた状態を再
現できる程度の記録を作成したものであるから,必要な記載を行ったものと
評価できる。
また,鑑識活動時のc警察官においては,カウンターの天板部をカウンタ
ーの外側から内側に向かって両手の掌でたたいている犯行再現写真(丙12
写真④)等は作成されていなかったから,カウンターの外縁部と天板部を区
別すべき必要性が明らかであったとはいえず,両者を区別することなく「カ
ウンター上面」と呼称したからといって表現が間違いであるとはいえない。
よって,c警察官が,JPシートの裏面に指掌紋の採取場所を外縁部と天
板部を区別することなく「カウンター上面」と記載したことは,採取の時点
において,現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集
し得た証拠資料を総合勘案して合理的根拠が客観的に欠如していることが明
らかである,とはいえず,国賠法上違法であるとは認められない。
7争点⑹-b警察官の過失
⑴b報告書の内容等
b警察官は,平成25年7月4日付けのb報告書作成時,本件店舗のカウ
ンターの外縁部が曲面状であり,天板部とは明確に区別できる形状であるこ
とを認識していたが(1⑸エ),本件店舗に行って確認することもなく,c警
察官に事情を聴くこともなく,c警察官作成のJPシートの裏面のメモに基
づいて(1⑸エ),b報告書に本件各掌紋の採取場所として外縁部と天板部を
区別することなく「カウンター上面」と記載した。
⑵前記⑴のb報告書作成の違法性の検討
b警察官は,本件被疑事件の捜査指揮をとり,実質的な捜査主任であった
a警察官から,報告書の作成目的は,本件各掌紋の採取場所を明らかにする
ことにより,本件店舗内で原告からわいせつ行為の被害を受けた旨のAの供
述と本件店舗内に1,2歩しか入っていない旨の原告の供述のどちらの信用
性が高いかを示すことにある旨を伝えられ,作成に当たり,本件店舗の現場
に行くよう指示はされなかった(1⑸ウ)。
そして,b報告書作成時,原告は,本件店舗内に1,2歩しか入っていな
い旨供述していたところ(1⑷イ),当時は,Aは,被害日の前日の晩に開店
準備のためカウンターを雑巾できれいに拭いた旨供述していたのであるから
(1⑵イ),本件各掌紋が本件店舗内のカウンターから検出されたこと自体
が,原告の供述の信用性を低下させ,本件店舗内で被害に遭った旨のAの供
述の信用性を高めるものであった。Aの供述中には,カウンターをたたいた
場面以外にも,原告の掌紋が付着し得る場面があることは,前記2⑶イのと
おりであり,外縁部か天板部かの区別は重要とはいえなかった。さらに,本
件各掌紋がカウンターから検出されたことが「原告がカウンターをたたいた。」
とのAの供述と整合する旨の検察官の主張が初めて行われたのは,平成25
年12月であり,b報告書作成当時はそのような主張はされていなかった(1
⑺イ)。
そのため,カウンターの天板部か外縁部かを区別することなく,本件各掌
紋がカウンターから検出された事実を報告すれば,a警察官から指示された
報告書作成の目的は達成され,かつ,その目的は,当時の証拠関係から合理
的なものであった。
したがって,b警察官が,b報告書に,本件各掌紋の採取場所として外縁
部と天板部を区別することなく「カウンター上面」と記載した行為は,その
作成の時点において,現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行
すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的根拠が客観的に欠如してい
ることが明らかであるとはいえず,国賠法上違法であるとは認められない。
8争点⑺-a警察官の公訴提起時点の過失
⑴a警察官が公訴提起時までに本件各掌紋の付着場所及び指先の向き・方角
を確認していないこと
a警察官は,本件被疑事件の捜査指揮を執り,実質的な捜査主任の立場に
あった(1⑸イ)。a警察官は,公訴提起時点において,Aが「原告がカウン
ターを両手でたたいた。」旨供述していることを認識し,その状況を再現した
写真(丙12の写真④)も見ていた(1⑸イ)。a警察官は,e検事から,本
件各掌紋の採取場所を明らかにする報告書の作成を指示された時にも,公訴
提起時点においても,本件各掌紋の付着場所がカウンターのどの部分か(天
板部か外縁部か),指先の向き・方角はどちらかについて確認しなかったし,
確認するよう指示もしなかった(1⑸ウ)。
⑵a警察官の前記⑴の不作為の違法性
公訴提起の時点で,原告は,被害時刻頃には本件店舗を訪れたことは認め
ていたが,本件店舗内には1,2歩しか入っていない旨供述していたところ
(1⑷イ),当時のAの供述どおり,Aが被害日の前日の晩に開店準備のため
カウンターをきれいに拭いたとの事実を前提とする限り(1⑵イウ),カウン
ターから原告の右手及び左手の掌紋が検出されたこと自体が,原告の供述の
信用性を低下させ,本件店舗内で被害に遭った旨のAの供述の信用性を高め
るものであった。また,Aの供述中には,カウンターをたたいた場面以外に
も原告の掌紋が付着し得る場面があったことは,前記2⑶イのとおりであっ
たから,Aの供述の信用性を検討するにあたって,本件各掌紋の付着場所及
び指先の向き・方角がカウンターをたたいた場面と整合するか否かを確認す
ることが不可欠であったとはいえない。また,検察官が,本件各掌紋がカウ
ンターから検出されたことが「原告がカウンターをたたいた。」とのAの供述
と整合する旨主張したのは,平成25年12月であり,公訴提起時において
はその主張は行われていなかった(1⑺イ)。
したがって,公訴提起時点においては,本件各掌紋が本件店舗内のカウン
ターから検出されたこと自体が,原告の供述の信用性を弾劾する重要な意味
を有するのであって,本件各掌紋の付着場所がカウンターの天板部か外縁部
か,本件各掌紋の指先の向き・方角がカウンターの内側を向いているか否か
は重要ではなかったといえる。
よって,公訴提起時点において,a警察官が,本件各掌紋の付着場所がカ
ウンターのどの部分か(天板部か外縁部か),指先の向き・方角はどちらか確
認しなかったことは,当時,現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査
を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案し,合理的根拠が客観的に欠如
していることが明らかであるにもかかわらず,あえて当該捜査を行わなかっ
たとはいえないから,違法であるとは認められない。
⑶結論
a警察官の前記⑴の不作為は,国賠法上違法であるとは認められない。
9争点⑻-a警察官のe検事からの照会時の過失
⑴a警察官がe検事からの照会時に本件各掌紋の付着場所及び指先の向き・
方角を確認していないこと
a警察官は,平成25年7月24日頃に,e検事から電話で本件各掌紋の
指先の向き・方角について質問を受け,これを鑑識担当のlに引き継いだが,
a警察官は,本件各掌紋の付着場所がカウンターのどの部分か(天板部か外
縁部か),指先の向き・方角はどちらかについて確認しなかったし,確認する
よう指示もしなかった(1⑹ウ)。
⑵前記⑴のa警察官の不作為の違法性の検討
a警察官は,e検事から本件各掌紋の指先の向き・方角について質問され
た時,問い合わせの理由を説明されておらず(1⑹ウ),e検事は,d鑑定官
にもc警察官にも問い合わせた理由の説明はしておらず,a警察官も両名か
ら理由を聞いたことはなかった(1⑹オ)。
また,当時のAの供述は,「被害日の前日の夜にカウンターをダスターで拭
いてきれいにした。」との内容であったところ,これを含めた当時の証拠関係
に照らし,本件各掌紋が本件店舗内のカウンターから検出されたこと自体が
原告の供述の信用性を弾劾するものであり,付着場所が外縁部か天板部か,
本件各掌紋の指先の向き・方角がカウンターの内側を向いているかは重要で
はなかったことは,前記2⑶イウエで説示したとおりである。また,検察官
が,本件各掌紋が,「原告がカウンターをたたいた。」とのAの供述と整合す
る旨主張したのは,平成25年12月であり,e検事からの照会時にはその
主張は行われていなかった(1⑺イ)。
よって,e検事からの照会時におけるa警察官の前記⑴の不作為は,その
時点において,現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば
収集し得た証拠資料を総合勘案し,合理的根拠が客観的に欠如していること
が明らかであるにもかかわらず,あえて当該捜査を行わなかった場合に該当
せず,国賠法上違法であるとは認められない。
争点⑼-a警察官のf検事からc警察官及びd鑑定官が事情聴取を受けた
時点の過失
⑴a警察官がf検事の事情聴取時に本件各掌紋の付着場所及び指先の向き・
方角を確認していないこと
c警察官及びd鑑定官は,平成26年2月12日,f検事から本件で採取
された指掌紋についての事情聴取を受けた(2月面談。1⑺エ)。この時点で,
a警察官は,本件各掌紋の付着場所がカウンターのどの部分か(天板部か外
縁部か),指先の向き・方角はどちらかについて確認しなかったし,確認する
よう指示もしなかった(証人a)。
⑵前記⑴のa警察官の不作為の違法性の検討
a警察官は,検察庁から,本件被告事件の公判前整理手続の内容について
連絡を受けておらず,知り得る立場にはなかったため(1⑸イ),検察官が,
「本件各掌紋の指先の向き・方角が『原告がカウンターをたたいた。』旨のA
の供述を裏付けている。」旨の主張予定事実を提示し,別紙3の内容の本件電
話聴取書を証拠請求していることは知り得なかったと認められる。2月面談
が行われたことをa警察官が認識していたとも認められない。
また,2月面談当時,得られていたAの供述は,「被害日の前日の夜にカウ
ンターをダスターで拭いてきれいにした。」という内容であったのであり,こ
れを含めた当時の証拠関係に照らし,本件各掌紋が本件店舗内のカウンター
から検出されたということ自体が原告の供述の信用性を弾劾するものであり,
付着場所が外縁部か天板部か,本件各掌紋の指先の向き・方角がカウンター
の内側を向いているかは重要ではなかったことは,前記2⑶イウエで説示し
たとおりである。
したがって,前記⑴のa警察官の不作為は,その時点において,現に収集
した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総
合勘案し合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわ
らず,あえて当該捜査を行わなかった場合に該当せず,国賠法上違法である
とは認められない。
結論
以上のとおり,原告の請求は,争点⑽について判断するまでもなく,いずれ
も理由がないから,これらを棄却することとする。
よって,主文のとおり判決する。
京都地方裁判所第4民事部
裁判長裁判官伊藤由紀子
裁判官大野祐輔
裁判官伊藤祐貴

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