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裁判例


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○ 主文
原告らの、被告箕面市教育委員会がした別紙物件目録記載の一の土地の仮運勲場と
しての用途を廃止するとの決定の無効確認ないし取消しの訴を却下する。
被告箕面市長Aが、箕面市戦没者遺族会に対し、別紙物件目録記載の四の碑を除去
して同目録記載の二の土地を箕面市に対し明渡せとの請求をすること、及び箕面市
土地開発公社に対し、同公社は箕面市に一の土地の引渡しと引換えに金七、八八二
万六、八二四円を支払えとの請求をすることを各怠ることは、いずれも違法である
ことを確認する。
被告Aは、箕面市に対し、金八六万三、八四〇円と、これに対する昭和五一年三月
二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員、昭和五一年三月二一日から昭和
五六年一二月一〇日まで一日金一万〇、七九八円の割合による金員と、これに対す
る各期日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。被告A、
同Bは、箕面市に対し、各自、金四九六万二、六〇〇円と、これに対する昭和五一
年三月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用中、原告らと被告箕面市教育委員会、同C、同D、同E、同Fとの間に生
じた分は原告らの、原告らとその余の被告らとの間に生じた分は同被告らの、各負
担とする。
○ 事実
一 当事者の求める裁判とその主張は別紙のとおりである。
二 証拠関係(省略)
○ 理由
第一 本案前の主張について
一 被告らは、本件廃止決定が、無効確認ないし取消訴訟の対象とならないと主張
するので判断する。
被告委員会が、昭和五〇年五月ころ、一の土地について本件廃止決定をしたこと
は、当事者間に争いがないところ、本件廃止決定は、被告委員会の公権力の行使と
してされたものである。そして、本件廃止決定は、一の土地を仮運動場として利用
していた者に対し、運動場として利用しえなくなるという効果を与えることは明ら
かであるから、本件廃止決定は、財産の管理又は処分に相当し、住民訴訟としての
無効確認ないし取消し訴訟の対象となる行政処分に該当する。
二 しかし、成立に争いがない乙第四四号証の一、二によると、一の土地及び三の
土地は、被告委員会が、西小学校校舎の改築工事のため同小学校の運動場が使用で
きなくなるため、箕面市土地開発公社から借り受け、西小学校の仮運動場としての
用に供していたこと、同小学校の改築工事が完了し同小学校の運動場が再び使用で
きることとなつたこと、そこで、被告委員会は、昭和五五年六月一八日付で同公社
に対し三の土地の返還方を申し入れ、そのころ同公社に返還されたこと、以上のこ
とが認められ、この認定に反する証拠はない。
そうすると、一の土地は、もはや西小学校の仮運動場として使用する必要がなくな
つたのであるから、本件廃止決定の無効を確認し、又はこれを取り消して本件廃止
決定以前の状態すなわち西小学校の仮運動場に復する必要は、全くないといわなけ
ればならない。
三 まとめ
原告らの本件廃止決定の無効確認ないし取消しの訴は、その利益を欠くから、却下
を免れない。
第二 本件忠魂碑が宗教施設といえるかどうか、及び憲法二〇条三項、八九条に違
反するかどうかについて
一 当事者間に争いがない事実について
次の各事実は、当事者間に争いがない。
(一) 原告ら及び補助参加人は、いずれも箕面市の住民である。
(二) 箕面市遺族会は、箕面市内に居住する戦没者遺族を会員として組織された
団体であり、箕面市の区域を箕面、萱野、豊川、止々呂美の四地区に分けて、各地
区毎に支部を設置している。
(三) 箕面市は、昭和五〇年七月ころまで箕面市土地開発公社の所有であつた一
の土地を同公社から借り受け、被告委員会は、一の土地を西小学校の仮運動場とし
ての用に供する旨決定し、その用途に供していたところ、被告委員会は、昭和五〇
年五月ころ、本件移設のため、本件廃止決定をした。
(四) 箕面市は、昭和五〇年七月一〇日付で同公社から、同公社が公有地拡大法
に基づき取得していた一の土地を金七、八八二万六、八二四円で買い受けてその引
渡しを受け、同年一二月二〇日、箕面市<地名略>地内に建てられていた本件移設
前の碑を二の土地に移設した。そして、同市は、そのころから箕面市遺族会に対し
二の土地を管理使用させ、その後昭和五一年三月一二日、これを無償貸与した。
(五) 本件移設前の碑は、大正五年四月ころ帝国在郷軍人会篠山支部箕面村分会
によつて箕面村所有の箕面市<地名略>地内に建てられたが、戦後間もなく、基台
の部分をそのままにしてその碑石部分が取りはずされ、地中に埋められた。
(六) 被告市長は、自治法一四九条により市の財産を取得し、管理し、処分する
権限を有するものとして、箕面市の財産に閏する違法状態を是正すべき職務上の義
務がある。
(七) 本件移設や本件売買が決定され、執行されたころ、被告Aは市長、被告C
は被告委員会委員長、被告D、同Eは同委員会委員、被告Bは同委員会委員兼教育
長の各地位にあり、被告Fは昭和五〇年一〇月ころ同委員会委員に就任した。
(八) 原告ら及び補助参加人は、請求原因(二)記載のとおり本件について監査
請求をしたところ、監査委員からその理由若しくは必要がない旨の通知を受けた。
二 本件忠魂碑をめぐる事実関係について
前記争いがない事実や成立に争いがない甲第一ないし第五号証、同第一四号証、同
第四一、四二号証、同第六一号証、同第六四ないし第六六号証、同第一〇七ないし
第一一〇号証、同第一一七号証の一、二、同第一二一号証の一、二、同第一六五号
証、乙第一三号証、同第一五、一六号証、同第一九号証、同第三二号証、同第四五
号証、同第四六号証の二、原告Gの本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第
一八ないし第二〇号証、同第二四、二五号証、同第四三、四四号証、同第六七ない
し第六九号証、原告Hの本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第六二、六三
号証、弁論の全趣旨によつて成立が認められる乙第一、二号証、同第一〇号証、同
第二〇号証(但し、確定日付の部分の成立は争いがない)、同第四二号証、同第四
六号証の一、本件移設前の碑の写真であることに争いがない検甲第一号証、同第
三、四号証、本件忠魂碑及びその付近の写真であることに争いがない同第二号証、
同第一五ないし第二一号証、同第二五ないし第三二号証、検乙第五号証の一ないし
三、原告Hの本人尋問の結果によつて本件忠魂碑に内蔵されている霊璽の写真であ
ることが認められる検甲第四〇、四一号証、同第四四号証、昭和三九年六月三〇日
旧箕面市役所付近を撮影した航空写真であることに争いがない検乙第一号証、昭和
四八年一一月四日箕面市の一部を撮影した航空写真であることに争いがない同第二
号証、証人I、同J、同K(第一、二回)、同L、同M、同N、同O、同Pの各証
言、原告H、同G、同Qの各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、この
認定に反する証拠はない。
(一) 本件移設前の碑は、大正五年四月ころ、帝国在郷軍人会篠山支部箕面村分
会によつて建てられた。同分会は、これを建てるために、箕面村に対し、豊能郡<
地名略>(現在の箕面市<地名略>地内)のうち四九坪(一六一・九八平方メート
ル)の無償貸付を申し入れた。
箕面村は、村議会の議決を経たうえでこれを貸与した。
碑の表面の「忠魂碑」の文字は、当時の在郷軍人会副会長福島安正陸軍大将が揮毫
した。
(二) 本件移設前の碑の前で、昭和一〇年代の前半ころまで、毎年慰霊祭が催さ
れた。その後は、戦争が激しくなつてその余裕がなかつた。
本件移設前の碑は、箕面小学校の校庭の一隅にあり、同小学校の児童は、昭和二〇
年八月の敗戦まで、登下校時にその前を通るときにはこれに拝礼するように教育さ
れた。
(三) 本件移設前の碑は、昭和二二年三月ころ、その碑石部分だけが取りはずさ
れてその付近の地中に埋められたが、基台は、そのままの状態で放置された。しか
し、朝鮮戦争の勃発に伴い箕面村から駐留軍が引揚げをはじめるにつれ、戦没者遺
族等の間で碑を再建する話が持ちあがり、昭和二六年ころ、埋めた碑石が掘り出さ
れ、本件移設前の碑が元どおり再建された(その費用は、当時の二万円位であると
思われるのに、これを負担した者が誰であるのか今もつて明らかでない)。
(四) 箕面市遺族会が昭和二七年ころ結成され、本件移設前の碑は、箕面地区の
支部遺族会が清掃管理をし、支部遺族会主催の慰霊祭が原則として毎年同碑前で行
われた。
(五) 箕面市は、箕面小学校の児童数が増加し、校舎の老朽化が進んだので、そ
の増改築を行う計画をたてたが、そのためには本件移設前の碑を他に移転する必要
に迫られた。そこで、同市は、本件移設前の碑の所有者が明らかではないが、支部
遺族会がこれを清掃し、同碑前で慰霊祭を行うなど管理、使用していたところか
ら、支部遺族会を交渉相手に選び、昭和五〇年一月ころからその代表者と折衝のう
え、碑を現状有姿のまま、かつ碑の前で慰霊祭を行うために必要な広さを確保する
などの条件で二の土地に移設する合意を取りつけた。
(六) 同市は、昭和五〇年七月一〇日付で公社から一の土地を金七、八八二万
六、八二四円で買い受けてその引渡しを受け、本件移設を行つた。
(七) 本件移設を請け負つた訴外不動建設株式会社は、昭和五〇年一〇月初めこ
ろから工事にかかり、同年一二月二〇日までに工事を完成させたが、死者にかかわ
る土木工事を行う際のこの業界の通例として、移設前と移設完成後にそれぞれ祭祀
を営んだ。支部遺族会は、これを、脱魂式、入魂式と呼んで会員を右祭祀に参加さ
せた。
(八) 本件忠魂碑は、九・五メートル四方で高さ〇・七メートルの石積が底部と
なり、中央部が幅四・三メートル、奥行き四・五メートルで高さ三・二メートルの
石積でできている二重の石積の基台の上に、高さ〇・六メートルの台石を配し、そ
の上に幅約一・五メートル、厚さ約〇・四メートル、高さ約二・五メートルの碑石
が安置されており、地上から碑石最高部までの高さは六・三メートルに及ぶ(別紙
第2図面参照)。
その周囲は、幅一二・九メートル、奥行一四・二メートル、高さ〇・五メートルの
切石積で囲まれ、正面と両側面前部は御影石の玉垣、背面と両側面後部はキンモク
セイの生け垣が巡らされている。右切石積の囲い内部には、カイヅカイブキ、マツ
等の喬木、サツキ等の灌木が随所に植えられ、白砂利が敷きつめられている。
本件忠魂碑及び右切石積内部は、右のような状況により、その周囲とは区画された
一画をなし、鎮守の森のような聖域的雰囲気をかもし出している。
(九) 支部遺族会は、昭和四一年ころ、本件移設前の碑の正面基台中に、霊璽と
して戦没者氏名を書き連ねた薄い円板を納め、その存在を示す木柱を建てたが、移
設後の本件忠魂碑にもこれを同様に蔵納し、同じ水柱を建てた。
(一〇) 支部遺族会は、本件移設後も、本件忠魂碑の前で毎年四月に、各年交替
で神式と仏式とによつて慰霊祭を行つている。
神式の慰霊祭は、中央に神籬を立てた祭壇がしつらえられ、式服を着用した神社神
職が主宰して、修祓の儀、降神の儀、献饌が行われた後、祝詞が奏上され、玉串奉
奠、撤饌、昇神の儀が続く。
仏式の慰霊祭は、供物を載せた祭壇がしつらえられ、式衣に五条架裟を着用した僧
侶が主宰して、導師による表白の後、阿彌陀経などが読まれ、焼香がされる。
慰霊祭は、戦没者遺族関係者の外、市長らが来賓として出席し、弔辞を読んだりす
るが、一般の住民の参列はない。
(一一) なお、在郷軍人会箕面村分会の清算人が昭和五一年一月二八日選任さ
れ、同清算人は、同年二月二五日、箕面市遺族会が箕面村分会の事務管理人として
箕面市との間で締結した本件移設に関する約定を箕面村分会として追認するととも
に、同年三月八日、箕面市遺族会に対し、本件忠魂碑を、同市が箕面市遺族会に二
の土地の無償使用を承認すること(市議会の承認の議決を得ること)を条件とし
て、贈与した。
箕面市は、昭和五一年三月一二日、市議会の承認決議を得て箕面市遺族会に二の土
地を無償貸与した。
三 忠魂碑の歴史等について
成立に争いがない甲第五一、五二号証、同第五六号証の一、二、同第九〇号証、同
第一〇二、一〇三号証、同第一〇六号証、同第一一三号証の一ないし六、同第一一
四号証、同第一四三号証、同第一四六、一四七号証、乙第二六、二七号証、弁論の
全趣旨によつて成立が認められる同第二九号証の一、二、証人R、同Sの各証言に
よると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 忠魂碑、招魂碑等の文字を刻した碑(以下忠魂碑という)は、西南の役
(明治一〇年)の後その戦没者を祀るため各地で建立されはじめ、かつてない多数
の戦死者を出した日清、日露戦争後盛んに建立された。当初は、地元有力者等が中
心となつて建立されたが、明治四三年在郷軍人会が組織されてからは、多くは、在
郷軍人会の各分会が主体となつて、市町村単位に、市町村有地、神社境内に建立さ
れていつた。
(二) 忠魂碑の建設の目的は、地元出身戦没者の霊を慰め、その事績を顕彰し、
同時に、戦死者の多くが直系の子孫のない若者であることから、後年無縁となるこ
とのないようにこれを祀るなどにあつた。
そして、碑に刻される文字は、多く、陸軍大将等の現役軍人が揮毫した。
(三) 靖国神社は、明治二年に創建された東京招魂社がその前身であるが、明治
一二年靖国神社と改められ、別格官幣社に列せられた。靖国神社は、明治維新前後
からの戦死者の霊を祭神とし、これを合祀した。その霊璽(神体)は、神剣及び神
鏡であるが、副霊璽は、合祀者の官位、姓名等を列記した霊璽簿(当初は巻物で、
後簿冊となつた)である。
(四) 東京招魂社が創建されたことにより、これにならつて、国難に殉じた人々
の霊を祀る施設として、各藩により招魂場が建てられ、明治四年の廃藩置県によつ
て、これらは政府の管掌下におかれ、明治八年には招魂社と名称が統一された。日
露戦争後、全国各地で建立を競うような形で招魂社、忠魂碑が建てられた。招魂社
は、ほぼ府県単位で、忠魂碑は、ほぼ市町村単位で建立された。明治政府は、これ
を民心の至情の現れだとして評価する一方、明治四〇年の「招魂社創建に関する
件」と題する内務省神社局長内牒により、招魂社の設置基準を定め、祭神は靖国神
社合祀の者に限る等の制限を加え、これら招魂社を政府の統制の下におくことに
し、その後各社に招魂社費が交付された。さらに、各招魂社は、昭和一四年、護国
神社と改称され、例祭、鎮座祭、合祀祭には神饌幣帛料が供進されることとなり、
政府の統制下に完全に神社化された。
このように、靖国神社と護国神社との系列化が進む中で、内務省神社局は、国家神
道の権威を高めるための神社行政上の立場から、忠魂碑の濫立を戒め、忠魂碑前で
の宗教儀礼を禁止するなど、忠魂碑に対し規制を加える指導をしたが、それ以前に
内閣書記官長の通達で忠魂碑参拝を奨励したこともあつて、現実には、忠魂碑は、
礼拝の対象とされ、戦没者の遺族らが軍(在郷軍人会)の支援をうけて忠魂碑の前
で毎年祭祀を行つた。
(五) 軍は、昭和一四年七月七日、内閣総理大臣を名誉会長とし、T陸軍大将を
会長とし、各省大臣、陸軍大将、海軍大将等が役員として名を連らねた財団法人大
日本忠霊顕彰会を発足させた。これは、戦地において軍によつて建てられ、遺骨等
を納める墳墓としての性格をもつ忠霊塔と同様な碑を国内一市町村一基の割合で建
設して、皇戦に殉じた戦死者の忠霊を顕彰しようとするもので、右忠霊塔は、戦没
者の遺品等を収集、展示する施設を併置するものであつた。
そして、同忠霊会は、各市町村に対し設計図等建設のための資料を交付し、資金の
調達、労働力の提供について説き、忠魂碑に手を加え遺品等を納めることができる
ように整備して忠霊塔にすることなどを指導して忠霊塔の建設を勧奨した。
忠霊塔は、戦没者の遺骨や遺品を納めるという点で墳墓の性格をも有し、従前の忠
魂碑とは異る面が見られるけれども、忠魂あるいは忠霊を顕彰し、礼拝の対象にし
ようとする点では両者に全く変りがなかつた。その後、遺骨を納める扱いをした忠
魂碑も見られるようになつたが、そのために忠魂碑が忠魂碑としての意義を失つた
わけではない。
(六) 昭和一〇年代に入つて中国大陸での戦火が拡大し、国民生活も戦時色が濃
くなるにつれ、忠魂碑前で軍将校、戦没者遺族らが参列するなかで毎年神式又は仏
式で招魂祭が盛大に催され、軍国主義と皇国史観で教育された児童、生徒、地元民
の多くが参拝した。
(七) 以上のような経過の中で、忠魂碑は、天皇のために忠義を尽して戦死した
者をあがめ祀るために建てられた石碑としての認識が広く一般に行きわたり、忠魂
を顕彰する記念碑としての性格をもつとともに、戦没者の霊を祀るという意味で霊
魂の内在を推知させる礼拝の対象としても機能する社会的存在となつた。
(八) 第二次世界大戦の終結により設置された連合国軍総司令部は、昭和二〇年
一二月一五日、軍国主義打破の一環として、「国家神道、神社神道に対する政府の
保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件」と題する覚え書、いわゆる神
道指令を発し、国家神道の廃止を中心とする徹底的な政治と宗教の分離を命じた。
そこで、この方針に従い、全国各地の多くの忠魂碑は破壊された。
「公葬等について」と題する昭和二一年一一月一四日付地方長官あて内務文部次官
通達は、政教分離の見地から必要な措置として、忠霊塔、忠魂碑その他戦没者のた
めの記念碑のうち、学校及びその構内にあるものは撤去するように命じた。
また、「昭和二七年法律第八六号について」と題する昭和二七年一一月六日付東京
都教育庁総務部長あて文部省調査局長回答では、公共団体が公の功労者殉職者(戦
没者を含む)等を記念する碑等の建設を行うには、「忠霊」、「忠魂」の文字は用
いないことが望ましい、としている。
(九) 我が国は、敗戦によつて自由化が進み、国民の価値観には多様化が生じて
いるから、国民の忠魂碑のもつ忠魂思想に対する価値評価は、区々であるが、忠魂
碑自体のもつ前記のような社会的意味が、敗戦後は異つてしまつたとは理解されて
いない。つまり、忠魂碑が、敗戦後は、「忠魂」の碑ではなくなつて、「平和」な
どの碑になつてしまつたということはない。
四 本件忠魂碑の宗教的性格について
前記争いがない事実や認定事実、弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第一三
六号証(Uの意見書)、証人R、同V、同S、同Wの各証言によつて、本件忠魂碑
の宗教的性格を考察する。
(一) 本件移設前の碑は、在郷軍人会箕面村分会によつて建てられ、その碑の前
で毎年戦没者のための慰霊祭が行われていたのであるから、
箕面村出身戦没者の慰霊のために建てられたものであるといえる。
ところで、戦没者のための碑は、戦死という悲業な死に方をした者に対するおそれ
から、戦没者の霊を慰め、その生前の事績を顕彰し、さらに戦死者の多くが子を持
たない若者であることから、後年無縁となつて祀られなくなることのないようにす
る等のために建てられたものである。また、碑文の「忠」とは、国家、君主(天
皇)に対し臣民としてその本分を尺くすことであり、「忠魂」とは、忠義を尽くし
て死んだ者の魂を意味するから、それが戦場における死を讃えるものであることは
否定できない。そして、忠魂碑は、天皇による統治、昭和初年からの数次の事変や
戦争の聖戦としての意義づけ、軍国主義教育、などのために利用された。靖国神社
とその系列下にあつた護国神社は、敗戦前まで、忠魂碑と同じ右役割を担い、その
祭祀の際には小学生を含む全国民に拝礼が強制された。大日本忠霊顕彰会の発足と
その運動は、靖国神社等によつて担われてきた右のような役割を強化して忠魂碑に
も果たさせ、さらにきめ細く国民の精神教育を行うため、従来区々に建立され、多
少ともこのような精神教育のために利用されていた忠魂碑、忠霊塔を再編強化しよ
うとしたものといわなければならない。
本件忠魂碑も、まさにこのような礼拝の対象とされた忠魂碑の一つである。そし
て、この性格は、本件移設の前後によつて変つていない。
(二) また、本件忠魂碑(本件移設前の碑を含む。以下同じ)は、玉垣で囲ま
れ、その内部には白砂利が敷きつめられ、種々の喬木、灌木が随所に植えられ、そ
の区画の中央に二重の基台を設置してその上に台石を配し、忠魂碑と大きく刻した
高さ約二・五メートルの碑石が安置され、地上からの高さは六・三メートルにも及
ぶ巨大なものである。このような構造、様式により、本件忠魂碑及び玉垣内は、侵
しがたい聖域的雰囲気をかもし出し、神社境内にただようと同じ壮厳さや神秘性を
感じさせる。そして、本件忠魂碑には、それ自体超自然的なものの具象化の現われ
である神体としての霊璽(これを神体とする例は靖国神社においてみられる)を内
蔵しており、戦没者遺族は、本件忠魂碑に霊魂が宿ると観念して、本件移設に当た
り神式で行われた祭祀を脱魂式や、入魂式(入魂、脱魂は、仏教用語であり、神式
で行われた祭祀にこの観念が成立する余地はないが、仏教が宗旨でありながら、神
棚を祭るという日本人の宗教意識の稀薄性、雑居性によるものと考えられる)と呼
び、本件忠魂碑に対して超自然的なものの存在を観念している。また支部遺族会
は、毎年一回本件忠魂碑の前で専門の宗教家である神社神職又は僧侶の主宰のもと
にそれぞれの儀式の方式に則り、本件忠魂碑を礼拝する慰霊祭を営んでいる。
本件移設の際にも、碑の前で慰霊祭を行うのに必要な広場を確保するという取決め
が市当局と支部遺族会との間でされているが、このことは、本件忠魂碑が慰霊祭を
伴うものであること、すなわち、本件忠魂碑が礼拝の対象物であることが関係者の
間で共通に認識されていたことを意味する。
(三) ところで、宗教は、観念の仕方、その現われ方が多種多様であり、これを
一義的に定義することは困難であるが、超自然的な、人の通常の認識を越えたもの
の存在の確信とこれに対する畏敬の念をもととして成立しているものといえる。そ
して、憲法二〇条、八九条にいう宗教の意義もこのようなものとして理解されなけ
ればならない。
(四) まとめ
このようにみてくると、本件忠魂碑は、現実の取扱い方からみても、忠魂碑自体の
もつ社会的評価の点からみても、右のような宗教上の観念に基づく礼拝の対象物と
なつており、宗教上の行為に利用される宗教施設であるというほかはない。
五 本件忠魂碑の所有権の帰属と本件貸与の内容について
前判示のとおり、本件移設前の碑は、大正五年四月ころ、在郷軍人会箕面村分会
が、箕面村からその敷地を借り受けて建立したものであり、昭和二二年三月ころ、
碑石部分が取りはずされて地中に埋められたが、昭和二六年ころ、埋めた碑石が掘
り出されて元通り再建された。そして昭和五一年三月八日、箕面村分会清算人によ
つて箕面市遺族会に贈与されたものであるから、本件忠魂碑は、箕面市遺族会の所
有であることに帰着する。
したがつて、箕面市が、本件移設のころから、箕面市遺族会に対し二の土地を管理
使用させ、昭和五一年三月一二日これを無償貸与したことは、当事者間に争いがな
いが、右無償貸与は、法律的には本件忠魂碑の所有を目的とする使用貸借というこ
とになる(そこで、以下これを本件貸与と区別して本件使用貸借という)。
六 本件使用貸借や本件移設の違憲性について
前記争いがない事実や認定事実、前掲甲第一三六号証、証人R、同V、同S、同W
の各証言によつて、本件使用貸借や本件移設に対する憲法判断をする。
(一) 憲法二〇条一項後段、同条三項及び八九条は、いわゆる政教分離の原則を
採用し、国民の信教の自由(宗教を信じる自由又は信じない自由)を保障するにと
どまらず、国家があらゆる宗教に対して中立であることを要求し、国家が宗教との
かかわり合いをもつ場合、その目的及び効果からみて、国家のかかわり合いの程度
が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、国民の信教の自由の保障の確保という
制度の根本目的との関係で相当の限度を超えないことが要請されていると解するの
が相当である(最判昭和五二年七月一三日民集三一巻四号五三三頁参照)。
したがつて、このような政教分離の原則の意義と機能とに照らすと、憲法八九条
は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは
維持のため・・・・・・これを支出し、又はその利用に供してはならない」と規定
しているから、宗教上の組織若しくは団体に対する公の財産の支出、利用を禁じて
いるにすぎないようであるけれども、この規定は、広く信仰、礼拝、布教等の宗教
的意義を有する事業ないし活動に対し、公の財産を支出し、利用させることが、当
該宗教活動に対する援助、助長、促進等の結果をもたらす場合には、厳格な意味で
の宗教上の組織若しくは団体に対するものに限らず、これを一切禁じる趣旨である
と解するのが相当である。
また、右政教分離の原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教活動とは、
宗教の布教、教化、宣伝等の活動にとどまらず、そのほか宗教上の祝典、儀式、行
事等であつても、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援
助、助長、促進等になるようなものである限り、広くこれに含まれると解するのが
相当である。
なお、憲法二〇条三項は、「国及びその機関」が宗教的活動をしてはならないとし
ているが、「国及びその機関」とは、国及び地方公共団体、その他の公権力を行使
する一切の機関を指称すると解すべきであり、地方自治体である箕面市が右主体に
該当することはいうまでもない。
我が国の国民性は、宗教については極めて無節操であり、神と人との区別がつかな
い特異な民族である(たとえば、天皇は、昭和二一年一月一日、いわゆる「天皇の
人間宣言」の詔書を出した)。このような社会に、新憲法で採用された政教分離の
原則を根づかせるためには、この原則を厳格に解して貫き通さなければ、画餅に等
しい。当裁判所は、本件について、この原則を厳格に適用する立場をとることを付
言しておく。立法府は、昭和三八年六月八日、旧自治法二一二条を削除したが、何
故そうする必要があつたのか疑問である。
(二) この視点に立つて本件をみると、次のように結論づけられる。
本件忠魂碑(本件移設前の碑を含む)は、特定の宗旨によるものであるかどうかは
ともかくとして、宗教的観念の表現である礼拝の対象物となつている宗教施設であ
る。ところが、箕面市は、本件忠魂碑及び本件移設前の碑の敷地として市有地を無
償で使用貸借させている。そして、本件移設は、宗教施設である本件忠魂碑をその
宗教目的のために維持して使用させようとするものである。そうすると、これら
は、箕面市が、宗教活動を援助ないし助長させる行為であるというほかはない。
したがつて、箕面市遺族会が厳格な意味で宗教上の組織若しくは団体であるといえ
ないとしても、本件使用貸借や本件移設は、憲法八九条が禁じている宗教活動に対
する公の財産の支出、利用に該当することは明らかである。そうすると、箕面市の
本件使用貸借や本件移設行為は、憲法八九条に違反する。
また、箕面市は、本件忠魂碑が礼拝の対象物とされていること(慰霊祭つきの忠魂
碑であること)を認識しながら、何らの制約を加えることもなく本件使用貸借や本
件移設をしたが、その費用の多額なことや継続的関係が生じて行くことに照らし
て、同市は、宗教施設に対し過度のかかわりをもつたといえる。そのうえ、行為の
目的や効果の点から検討しても、本件使用貸借や本件移設は、その目的が宗教的意
義をもつと評価されてもやむを得ないものであり、その効果も宗教活動に対する援
助、助長、促進になることが明らかであるから、憲法二〇条三項にも違反する。
地方公共団体が主催して行ういわゆる地鎮祭が、宗教的活動に該当するかどうかに
ついての評価が分かれていることは周知のとおりであるが、地鎮祭がそのとき一回
限りのものであるのに対して、本件は継続的であり、市と忠魂碑との結びつきが極
めて強い。そして、本件忠魂碑が再建されたとき、また、本件移設の際に、本件忠
魂碑を単なる過去の遺物として取り扱うものであつて、忠魂碑として復活させるも
のでもなければ、礼拝の対象とするものでもない旨の明確な表示(たとえば「忠
魂」という文字を消除する)がなされたような場合はともかくとして、本件忠魂碑
は、いわゆる忠魂碑としての宗教的意味をもつた宗教施設として評価しなければな
らない(そのように評価する国民があることは否定できない)のであるから、市が
本件忠魂碑によつて宗教活動をし、ないしは宗教活動を援助したと評価されてもや
むを得ないといわなければならない。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、戦争で死んだ身元不明者の遺骨を納めるために必要な墓地
として国が設けたものであるが(このことは成立に争いがない乙第三五号証や証人
S、同Wの各証言によつて認める)、墓地は宗教とのかかわりの如何を問わず必要
なものであるから(墓地、埋葬等に関する法律四条一項参照)、千鳥ケ淵戦没者墓
苑自体が本来の宗教的施設であるということはできないし、また、その前で、国民
が各自の好みによつて追悼式や慰霊祭を行つたとしても、信教の自由の見地からこ
れを許容せざるを得ないから、そのために国が宗教活動をし、又は宗教活動を援助
したと評価できるものではなく、本件とは全く事情を異にする。
また、広島市主催の原爆慰霊塔前での広島市原爆死歿者慰霊式並びに平和祈念式
は、無宗教の形式で行われているものである(このことは弁論の全趣旨によつて成
立が認められる乙第三九号証の一により認める)から、本件と同列に論じることは
できない。
そして、本件で特に見落してならないことは、本件忠魂碑が、箕面小学校の校庭の
一隅に元通りに再建され、西小学校の仮運動場の一部に移設されたということ、及
び本件忠魂碑は、今もなお聖域として西小学校校門前に特殊な一区画を形成してい
るということである(これらは、前掲の昭和二一年一一月一四日付内務文部次官通
達に違反することが明らかである)。
これでは、市当局が、憲法上の政教分離の原則に全く無関心であるばかりか、積極
的に「忠魂」思想を鼓吹していると受け取られても弁解の余地がない。
第三 怠る事実の違法確認の請求について
一 被告市長が本件忠魂碑の除去を怠ることについて
(一) 本件忠魂碑が市の所有であると認めることができる証拠はない。
原告らは、本件移設前の碑は、市の前身である箕面村の所有地に建立されたことに
より、土地に附合して市の所有になつたと主張するが、前説示のとおり、本件移設
前の碑は、在郷軍人会箕面村分会が箕面村から敷地を借り受け、権原に基づいて同
地上に建立したものであることが明らかであるから、土地に附合したとすることは
できない。
また、箕面村分会が大正末年ころ消滅したと認めることができる証拠はなく、さら
に、本件移設前の碑の碑石部分が昭和二二年取りはずされて地中に埋められた際、
箕面村分会がその所有権を放棄したと認めることができる証拠もない。
(二) そうすると、本件忠魂碑が市の所有であることを前提とする原告らの請求
は、その余の点について判断をするまでもなく理由がないので、棄却を免れない。
二 被告市長が、箕面市遺族会に対する本件忠魂碑の収去、二の土地明渡しの請求
を怠ることについて
(一) 二の土地が箕面市の所有であること、箕面市遺族会が本件忠魂碑を所有し
て二の土地を占有していること、以上のことは前に説示したとおりである(本件忠
魂碑が市の所有でない場合に、それが箕面市遺族会の所有であるとすることについ
ては、当事者間に争いがない)。
(二) そして、本件使用貸借が憲法八九条及び二〇条三項に違反するから、本件
使用貸借は、自治法二条一六項によつて無効であるとするほかはない。
(三) そうすると、市は、二の土地の所有権に基づいて箕面市遺族会に対し本件
忠魂碑を除去して二の土地を明け渡すよう求めることができる筋合である。
(四) 市の財産を管理する権限と責任とがある被告市長は、右明渡しの請求をす
べき職務上の義務があるところ、これをしないことを正当づける何らの主張立証が
ないから、被告市長は、右請求をすることを違法に怠つているとしなければならな
い。
三 箕面市土地開発公社に対する請求を怠ることについて
(一) 本件売買が本件使用貸借や本件移設をするためにされたことは、前記のと
おりであり、本件使用貸借や本件移設が憲法八九条及び二〇条三項に違反すること
は、前に説示したとおりである。
(二) そうすると、本件売買は、右違法な目的のためになされたものであるか
ら、自治法二条一六項によつて無効であるとするほかはない。
(三) 本件売買は、無効であるから、箕面市は、右売買代金として支払つた金員
の返還を求めることができる関係にあり、被告市長には、これを請求すべき職務上
の義務があるところ、これをしないことを正当づける何らの主張立証がないから、
被告市長は、公社に対し、公社が市に、一の土地の引渡しと引き換えに金七、八八
二万六、八二四円を支払えとの請求をすることを違法に怠つているとしなければな
らない。
四 なお、怠る事実の違法確認の請求中、予備的請求については判断をしない。
第四 市に代位する損害賠償の請求について
一 前記争いがない事実や成立に争いがない甲第二、三号証、乙第一五号証、弁論
の全趣旨によつて成立が認められる同第四二号証によると、次の事実が認められ、
この認定に反する証拠はない。
(一) 本件移設前の碑は、箕面市<地名略>地内に建てられていたが、箕面市
は、昭和五〇年一二月二〇日、これを二の土地に移設した。
(二) 同市は、本件移設のため、昭和五〇年七月一〇日付で公社から一の土地を
金七、八八二万六、八二四円で買い受け、その引渡しを受けた。
(三) 本件移設や本件売買が決定され、執行されたころ、被告Aは市長、被告C
は被告委員会委員長、被告D、同Eは同委員会委員、被告Bは同委員会委員兼教育
長の各地位にあり、被告Fは昭和五〇年一〇月ころ同委員会委員に就任した。
(四) 本件移設は、箕面小学校増改築工事の敷地確保のためにされたが、その計
画は、昭和五〇年ころ、被告委員会管理部管理係が主管して立案し、教育長被告
B、市長Aの決裁を経て決定された。
それは、本件売買についての決裁権限を被告Aがもつており(地教行法二四条三号
参照)、本件移設についての決裁権限を被告Bがもつていたことによる(地教行法
二三条二号、箕面市教育委員会教育長に対する事務委任規則一条参照)。
(五) 箕面市は、本件売買及び本件移設に要する費用を予算化するため、昭和五
〇年六月一三日開催された箕面市議会定例会に予算案を提出し、同日文教委員会に
付託されて審議されたうえ、同月三〇日開催された同定例会で可決された。市長被
告A、教育長被告Bは、議案説明者として右各定例会に出常した。
(六) 本件売買や本件移設の費用の支出を命じたのは市長被告Aである(地教行
法二四条五号、箕面市教育委員会に対する事務委任規則一条一号参照)。
(七) 本件移設のために要した費用は、金七三〇万円であるが、右費用のなかに
は、本件移設前の解体費用金二三三万七、四〇〇円が含まれている。
二 ところで、本件は、原告らが自治法二四二条の二第一項に基づき市に代位して
被告らに対し損害の補填を求めるものであるが、右損害補填の制度は、原則とし
て、同項所定の普通地方公共団体の執行機関又は職員が、同項所定の一定の財務会
計上の事務を自己固有の職務権限に基づき、違法に処理したため、これにより当該
地方公共団体が損害を被つた場合、その事務を処理した当該執行機関又は職員をし
て当該地方公共団体に対しその損害補填の責に任ぜしめることを目的とするもので
あるから、被告適格があるのは、職務権限のある者であり、これを拡大するにして
も、当該違法な処理をした職員を監督する立場にある者に限ると解するのが相当で
ある。
本件で、原告らが主張している違法な処理の内容は、売買代金や移設工事費の違法
な支出であるから、以下、前記事実に基づいて個別的に検討する。
(一) まず、被告Aは、本件売買について債務負担行為としての決裁をしたほ
か、本件売買代金や本件移設の工事費の支出を命じたものであるから、被告適格が
あることは明らかである。
(二) 次に、被告Bは、本件移設の工事につき債務負担行為としての決裁をした
ものであるから、右支出に関しては被告適格があるが、本件売買代金については、
その債務負担行為としての契約締結の決裁や代金の支出命令のいずれにも直接には
関与していないのであるから、被告適格がない。
(三) 被告C、同D、同E、同F(以下被告四名という)は、本件売買及び本件
移設の工事について、債務負担行為としての契約締結の決済やその代金の支出命令
のいずれにも関与していないのであるから、被告適格がない。もつとも、被告四名
は、被告委員会の委員として本件廃止決定に関与したことがあるが、被告委員会の
右決定は、本件各公金の支出を義務づけるものではないし、被告委員会が市長被告
Aに対して監督的立場にあるわけでもないから、この点から被告適格を認めること
は無理である。
仮りに、住民訴訟の被告適格を地方公共団体が有する実体法上の請求権を履行する
義務がある者にまで拡大するとしても、原告ら主張の損害と被告四名の行為との間
に相当因果関係が認められないので、被告四名に対する請求は、棄却を免れない。
三 本件売買が違憲無効であり、本件移設が違憲であることは、前に説示したとお
りである。
したがつて、本件売買代金の支払、本件移設の工事費の支払が、公金の違法な支出
になることは、いうまでもない。
四 そこで、損害額について検討する。
(一) 箕面市が本件売買代金として金七、八八二万六、八二四円を支出したこと
により、同市は少くとも右金員が支出された後であると推認される昭和五一年一月
一日から右代金相当額に対する年五分によつて算出された一日金一万〇、七九八円
の割合による損害を被つていることは、明らかである。
箕面市は、右売買代金の支出と引換えに一の土地を取得し、その引渡しを受けたも
のであるが、本件売買が違憲無効である以上、右土地は返還しなければならないも
のであり、現状は、その一部が本件忠魂碑の敷地となつているだけで同市が有効に
一の土地を活用しているわけではないから、売買代金の支出による損害の発生の妨
げとなるものはない。
なお、原告らは、一日金一万〇、七九八円の支払を本件忠魂碑が除去される日まで
請求しているが、本件売買代金が返還されれば右損害は発生しなくなる関係にあ
り、しかも債務の発生が不確定な将来請求であるというべきであるから、本件口頭
弁論の終結時である昭和五六年一二月一〇日までの限度で認容する。
(二) 本件移設に要した費用は金七三〇万円であるが、本件移設前の碑を他に移
転するため解体すること自体は、箕面小学校の校庭の一隅に存置させるべきでない
ものを除去したのであるから、市が、その費用を所有者である箕面市遺族会に請求
するかどうかはともかくとして、適法な行為であつて、これに要した費用の支出を
違法な公金の支出とすべきいわれはない。
また、本件忠魂碑の一の土地からの除去は、所有者である同遺族会がその費用と責
任においてすべきものであるから、右撤去のために市に生ずべき損害はない。
したがつて、本件移設によつて市に生じた損害は、右解体費用を控除した金四九六
万二、六〇〇円(七三〇万円-二三三万七、四〇〇円)となる。
五 まとめ
被告Aは、本件売買代金の支出によつて箕面市に損害を生じさせたものであり、そ
の損害である金八六万三、八四〇円(昭和五一年一月一日から同年三月二〇日まで
一日金一万〇、七九八円の割合による八〇日分)と、これに対する本件訴状送達の
日の後であることが記録上明らかな昭和五一年三月二一日から支払ずみまで民法所
定の年五分の割合による遅延損害金、昭和五一年三月二一日から本件口頭弁論終結
の日である昭和五六年一二月一〇日まで一日金一万〇、七九八円の割合による金員
と、これに対する各期日の翌日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による
遅延損害金を同市に対して支払う義務がある。
また、被告A、同Bは、少くとも過失により本件移設によつて箕面市に損害を生じ
させたものでありその損害金四九六万二、六〇〇円と、これに対する本件訴状が同
被告らに送達された日の後であることが記録上明らかな昭和五一年三月二一日から
支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を同市に対し支払う義務が
ある。しかし、被告四名が同市に対し賠償金を支払う義務はない。
第五 むすび
原告らの本件請求のうち、被告委員会がした本件廃止決定の無効確認ないし取消し
を求める訴は不適法であるから却下することとし、その余の点は、主文第二ないし
第四項掲記の範囲で理由があるから認容し、その余の部分は失当であるから棄却
し、行訴法七条、民訴法八九条、九二条、九三条に従い、仮執行の宣言は相当でな
いから付さないこととしたうえ、主文のとおり判決する。
(裁判官 古崎慶長 孕石孟則 上原茂行)
(別紙)
第一 当事者の求める裁判
一 原告ら
(一) 被告箕面市教育委員会(以下被告委員会という)が昭和五〇年五月ころに
した、箕面市立西小学校(以下西小学校という)
仮運動場のうち別紙物件目録記載一の土地(以下一の土地という)の仮運動場とし
ての用途を廃止するとの決定(以下本件廃止決定という)は無効であることを確認
する。
仮に無効でないとしても、本件廃止決定を取り消す。
(二) 被告箕面市長(以下被告市長という)が左の行為を怠ることは違法である
ことを確認する。
1 (1)訴外箕面市戦没者遺族会(以下箕面市遺族会という)に対し、箕面市遺
族会は訴外箕面市(以下市という)に対し別紙物件目録記載二の土地(以下二の土
地という)を明渡せとの請求をし、別紙物件目録記載四の忠魂碑及びその付属物
(以下本件忠魂碑という)を二の土地から除去すること。または、
(2) 箕面市遺族会に対し、二の土地の市からの無償貸付が無効であることを理
由とし、又は同無償貸付解約の意思表示をして、箕面市遺族会は本件忠魂碑を二の
土地から除去して二の土地を市に明渡せとの請求をすること。
2 訴外箕面市土地開発公社(以下公社という)に対し、市が昭和五〇年七月一〇
日付で公社と締結した一の土地の売買契約が無効であることを理由とし、又は同契
約解除の意思表示をして、一の土地の引渡しの提供をしたうえ、公社は市に対し金
七、八八二万六、八二四円を支払えとの請求をすること。右1、2の請求がいずれ
も認められないときは
3 箕面市遺族会に対し、箕面市遺族会は神社神道上若しくは仏教上の祭祀場又は
忠魂碑の礼拝所のいずれの目的のためにも一の土地を使用してはならないとの請求
をすること。
(三) 被告A、同C、同D、同E、同F、同Bは、各自、市に対し左の各金員を
支払え。
1 昭和五一年三月二一日から本件忠魂碑が二の土地から除去されるまでの間、一
日金一万〇、七九八円と、これに対する各期日の翌日から各支払ずみまで年五分の
割合による金員。
2 金八一六万三、八四〇円とこれに対する昭和五一年三月二一日から支払ずみま
で年五分の割合による金員。
(四) 訴訟費用は、被告A、同C、同D、同E、同F、同Bの連帯負担とする。
との判決並びに第三項につき仮執行の宣言。
二 被告ら
(一) 被告委員会の本案前の答弁
本件訴のうち(一)の請求にかかる部分を却下する。
(二) 本案に対する答弁
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
との判決。
第二 当事者の主張
一 原告らの請求原因事実
(一) 原告ら及び補助参加人は、いずれも箕面市の住民である。
(二) 箕面市遺族会は、箕面市内に居住する戦没者遺族を会員として組織された
団体であり、箕面市の区域を箕面、菅野、豊川、止々呂美の四地区に分けて、各地
区毎に支部を設置している。
(三) 箕面市遺族会の箕面地区の支部(通称・箕面地区戦没者遺族会、以下支部
遺族会という)は、箕面市<地名略>に所在する碑(本件忠魂碑)を箕面地区忠魂
碑と称し、本件忠魂碑に箕面地区出身戦没者で靖国神社祭神となつている二九八柱
の英霊を合祀し、本件忠魂碑の前でこれを祭祀する儀式(戦没者慰霊祭、以下慰霊
祭という)を毎年定期的に行つている。
(四) 本件忠魂碑の碑石及びその基壇(以下本件移設前の碑という)は、昭和五
〇年一〇月ころまでは箕面市<地名略>の土地上に建てられていたが、市は、同年
一二月二〇日、これを二の土地に移設した(以下本件移設という)。本件移設に要
した費用は、金七三〇万円である。
(五) 市及び被告委員会は、本件移設にあたり、左のような措置をとつた。
1 市は、昭和五〇年七月ころまで公社の所有であつた一の土地を公社から借り受
け、被告委員会は、一の土地を西小学校の仮運動場としての用に供する旨決定し、
右用途に供していたところ、被告委員会は、昭和五〇年五月ころ、本件移設のた
め、本件廃止決定をした。
2 市は、昭和五〇年七月一〇日付で、公社から一の土地を金七、八八二万六、八
二四円で買い受け(以下本件売買という)、その引渡しを受けた。
3 市は、昭和五〇年一二月二〇日ころから箕面市遺族会に対し二の土地を管理使
用させ、その後昭和五一年三月一二日にこれを無償貸与した(以下本件貸与とい
う)。
(六) しかし、本件移設や本件貸与は、次のとおり違憲、違法である。
1 忠魂碑は、旧帝国在郷軍人会(以下在郷軍人会という)の各分会等が、全国各
地に、地域出身戦没者を「忠君に殉じた英霊」として誉めたたえ、これを「忠魂」
と表現してその功績を顕彰し、「忠死」を勧奨し、これに続く大量の「朕が忠良の
臣民」を再生産するために建立したものである。碑前においては毎年招魂祭が催さ
れ、国民に対しその拝礼が強制され、同碑はいわゆる神勅思想に基づく天皇制絶対
主義と軍国主義を鼓吹する役割を果して来た。このように、忠魂碑は、絶対君主神
権天皇に対する滅私奉公のため勇躍死に赴いたことを讃美する忠君思想を表わし、
天皇への忠義に殉じた武勇を公衆に広く顕彰しようとしたものであつて、全体主義
的軍国主義と主権在君の思想を表現して、これを広くかつ永遠に宣布伝承する働き
を客観的に持つている。したがつて、忠魂碑を維持管理することは、その主観的意
図や利用目的のいかんに拘らず、国民を主権者とし、個人を尊重し、人権を保障
し、平和を希求し、戦争放棄、戦力不保持を定めた憲法前文一項、一条、九条等の
理念に反するものである。
そして、本件移設前の碑もまた右のような忠魂碑の一つであるから、本件移設や本
件貸与は、右のような性格をもつた碑を維持、管理することに外ならず、違法であ
る。
2 箕面市遺族会は、靖国神社参拝の事業及び同神社の祭神たる英霊を顕彰し慰霊
するために、英霊の象徴としての忠魂碑を礼拝し、毎年同碑の前で戦没者慰霊祭を
開催する事業をその重要な目的事業としており、忠魂碑の前でする戦没者慰霊祭を
今後ますます盛んにすることが会の方針である。そして、支部遺族会においては、
慰霊祭は、各年交替により、神道式、仏教式の各宗教祭祀として行われることに定
まつている。
支部遺族会は、本件忠魂碑に二九八柱の戦没者を合祀しており、本件忠魂碑を、単
なる記念碑ではなく、宗教的な祭祀ないし礼拝の対象物=霊魂の象徴(神体)とし
ており、本件忠魂碑及びその敷地部分は、宗教的活動を目的とする施設すなわち宗
教施設となつている。
箕面市遺族会は、右のような組織及び事業の実体からすれば、憲法八九条にいう宗
教上の組織又は団体に該当することは明らかであり、また、慰霊祭は、それが神道
式又は仏教式で行われることからいつても、宗教的活動に外ならない。
したがつて、市がした本件移設や本件貸与は、市が宗教団体に特権を授与したもの
であり、公金その他の公の財産を宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは
維持のため支出し(又はその利用に供したことに外ならないから、憲法二〇条一項
後段、八九条に違反し、違法である。
3 本件忠魂碑の前で毎年定期的に行われる慰霊祭には、市長らが公の資格で参列
するとともに、同祭の準備や執行の作業に市の職員が勤務時間中に従事している
外、同祭のために市の財産(校舎の一部や学校の備品)が利用されている。
右のような事情をも含めて総合的にみると、本件移設や本件貸与は、市自らが宗教
的活動を行い、又はその活動の一環としてしたものというべきであるから、憲法二
〇条三項に違反し、許されない。
4 本件忠魂碑は、霊魂を合祀しこれを鎮魂慰霊するという宗教上の目的と意思に
より建立され、現にこれを合祀し同碑に入魂し、その客観的具現物として霊璽を蔵
納し、同碑は霊魂の象徴として礼拝の対象物(霊代)とされ、玉垣・敷砂利・基壇
石積・植栽等の意匠をこらした祭壇場・参拝場を設備し、例年そこで慰霊祭が行わ
れている。
このような建立の主観的意図、その目的に副う設備の物的構成、維持運営の実体を
総合すると、本件忠魂碑は、宗教的活動の目的に供される宗教上の施設(祭祀場又
は礼拝所)の物的要素となつている。市は、そのことを認識しながら、本件移設及
び本件貸与をした。
したがつて、本件移設や本件貸与は、その行為自体の性格から、実質的には市が宗
教的活動をしたことになるというべきであり、憲法二〇条三項に違反し、違法であ
る。
(七) 被告委員会のした本件廃止決定は、(六)のような市の違法行為達成の目
的のため若しくはこれに必要な前提手続としてなされたものであるから内容的に違
法であり、また、委員会決議も欠缺しており、その瑕疵は重大かつ明白である。
したがつて、本件廃止決定は無効であり、仮りにその瑕疵が重大かつ明白でないと
しても取り消されるべきである。
(八) 被告市長は、左のとおり市の財産に関する違法状態を是正する措置を怠つ
ている。
1 本件忠魂碑の引渡し及び二の土地の明渡しの請求並びに本件忠魂碑の除去
(1) 本件忠魂碑は市の所有である。すなわち、
本件移設前の碑は、大正五年四月一〇日、在郷軍人会篠山支部箕面村分会(以下箕
面村分会という)によつて市の前身である箕面村の所有地(箕面市<地名略>)に
建てられたものであるところ、右碑は、右建立と同時に右土地に附合して同土地の
一部となり箕面村の所有となつた。
仮りに右碑が建立と同時に土地に附合せず、箕面村分会がこれを所有していたとし
ても、在郷軍人会篠山支部は、大正末年ころ消滅したので、その下部組織である箕
面村分会も同時に存在する余地がなくなつた。したがつて、本件移設前の碑は無主
物となり、その建立されている土地の所有者である箕面村の所有に帰した。
仮にそうでないとしても、本件移設前の碑は、箕面村分会が、昭和二〇年ころ、そ
の所有の意思を放棄して碑石部分を取りはずし右土地中に埋没させた。これによ
り、箕面村は、本件移設前の碑の所有権を取得した。
(2) 市は、本件忠魂碑を二の土地とともに箕面市遺族会に無償で貸与している
が、本件貸与が違憲であることは前記のとおりであつて、本件貸与は地方自治会
(以下自治法という)二条一六項ないし民法九〇条により無効である。
(3) 本件貸与は、市が箕面市遺族会に対し補助をしていることに外ならない。
ところで、自治法二三二条の二によれば、市は、客観的に公益上の必要があると認
められる場合に補助をすることができる。
しかし、二の土地は、本件忠魂碑を建立し、同碑前で慰霊祭を行うために使用され
ているのであつて、右使用は、前記のとおり、憲法の理念に反する反公益的なもの
であるから、本件貸与は、自治法二三二条の二に違反し、同法二条一六項により無
効である。
(4) 被告市長が本件貸与ができることについては箕面市条例にその定めがな
く、またこれについて箕面市議会の議決もないから、本件貸与は自治法二三七条に
違反し、同法二条一六項により無効である。
(5) したがつて、市は、箕面市遺族会に対し、所有権に基づいて、本件忠魂碑
の引渡しと二の土地の明渡しを求めることができるとともに、前記のような性格を
有する本件忠魂碑を市所有地である二の土地上に存置すべきではないから、これを
除去すべきである。
2 箕面市遺族会に対する本件忠魂碑の収去と二の土地の明渡しの請求
仮りに本件忠魂碑が箕面市遺族会の所有であり、市が二の土地を箕面市遺族会に無
償貸与しているものとしても、本件貸与が無効であることは前と同様である。
したがつて、市は、箕面市遺族会に対し、本件忠魂碑を収去して二の土地を明け渡
すことを求めることができる。
3 本件売買代金の返還請求
(1) 本件売買は、前に述べたとおり、違憲であるから、自治法二条一六項ない
し民法九〇条により無効である。
(2) 一の土地は、公社が公有地の拡大の推進に関する法律(以下公有地拡大法
という)一七条一項一号のいずれかに該当するものとして取得したものであるか
ら、取得目的と同一目的に使用される場合でなければ、これを処分することができ
ない。しかし、一の土地は、忠魂碑建設及びこれにより戦没者慰霊祭を行う用地と
して市に対し売却されたものであり、これは明らかに取得目的と合致しない。した
がつて、本件売買は、公社の業務の範囲外の行為若しくは憲法の理念等に反する違
法な目的のためになされたものとして、民法九〇条により無効である。
(3) したがつて、市は、公社に対し、一の土地の引渡しと引換えのうえ、売買
代金七、八八二万六、八二四円の返還を求めることができる。
(4) 仮りに本件売買が無効でないとしても、同契約は目的の違法性(土地違法
供用)と行為の違法性(業務範囲外処分)の点で瑕疵があり、両当事者はこれを取
り消し又は解除することができる。
したがつて、市は、本件売買契約を解除したうえ、公社に対し、売買代金七、八八
二万六、八二四円の返還を求めることができる。
4 箕面市遺族会に対する二の土地の使用制限の請求
右1、2、3がいずれも理由のないものとしても、市は、箕面市遺族会に対し、箕
面市遺族会が二の土地を神社神道上若しくは仏教上の祭祀場又は忠魂碑の礼拝所の
いずれの目的のためにも使用しないように使用目的を制限すべきである。
5 被告市長は、自治法一四九条により市の財産を取得し、管理し、処分する権限
を有するものとして、市の財産に関する右違法状態を是正すべき職務上の義務があ
る。
(九) (五)記載の被告らの行為は、被告Aが市長として、被告Cが被告委員会
委員長として、被告D、同E、同Fが被告委員会委員として、被告Bが被告委員会
委員兼教育長として、相互に協議ないし意思の連絡をして(被告Fは、昭和五〇年
一〇月ころ就任し、右違法行為を追認した)、違法であることを知りながら、又は
重大な過失によつてこれを知らずにしたものである。
(一〇) 市は、被告A、同C、同D、同E、同F、同Bの右違法行為によつて左
のとおりの損害を受けた。
1 本件移設費用相当(撤去費用相当分を含む)の損害金七三〇万円
2 本件売買代金七、八八二万六、八二四円が支出されたことにより、遅くとも昭
和五一年一月一日から、右支出金額に対する年五分の割合の一日金一万〇、七九八
円の損害金
(一一) 原告ら及び補助参加人は、昭和五〇年一一月二九日付(補助参加人を除
く)及び昭和五一年一二月二二日付で箕面市監査委員に対し、被告らの右違法行為
を防止、是正するための措置を講ずるよう請求した。同監査委員は、昭和五一年一
月二七日付及び昭和五二年二月一四日付で、その理由若しくは必要がないとしてそ
の旨原告ら及び補助参加人に通知した。
(一二) よつて、原告らは、被告委員会に対し、被告委員会が昭和五〇年・五月
ころにした本件廃止決定の無効確認若しくはその取消しを、被告市長に対し、被告
市長が第一の一の(二)の各行為を怠ることが違法であることの確認を、被告A、
同C、同D、同E、同F、同Bに対し(一〇)の1及び2のうち昭和五一年一月一
日から同年三月二〇日までの八〇日分金八六万三、八四〇円、合計金八一六万三、
八四〇円とこれに対する本件訴状送達の日の後である昭和五一年三月二一日から支
払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、(一〇)の2のう
ち、昭和五一年三月二一日から本件忠魂碑が二の土地から除去されるまでの間、一
日金一万〇、七九八円と、これに対する各期日の翌日から各支払ずみまで民法所定
の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二 被告らの本案前の主張及び請求原因事実に対する認否
(一) 被告委員会の本案前の主張
1 原告らの第一の一の(一)の請求にかかる被告委員会の決定は行政処分とはい
えず、無効確認ないし取消しの訴訟の対象とはなりえない。
2 行政処分であるとしても、自治法二四二条の二は、地方公共団体の財務の明朗
を期するために設けられたものであるから、訴訟の対象は、行政機関等の財務に関
する行為に限られるところ、本件廃止決定は、市の財政に影響を及ぼす行為とはい
えない。
3 仮にそうでないとしても、市は、一の土地及び別紙物件目録記載三の土地(以
下三の土地という)を西小学校の仮運動場用地として公社から借り受けていたもの
であるところ、西小学校校舎建替え工事の完了に伴ない、三の土地を運動場として
使用する必要がなくなつた。そこで、市は、昭和五五年六月一八日、公社に対し三
の土地を返還した。したがつて、原告らの右請求は、訴の利益がなくなつた。
(二) 請求原因事実に対する認否
1 請求原因事実中、(一)、(二)の各事実は認める。
2 同(三)の事実は知らない。
3 同(四)の事実のうち、市が昭和五〇年一二月二〇日本件移設前の碑を二の土
地に移設したことは認める。
本件移設前の碑が建てられていた土地は、箕面市<地名略>であり、本件移設に要
した費用は金七〇四万二、一二〇円である。
また、市が本件移設をしたのは、本件移設前の碑の敷地を箕面市立箕面小学校(以
下箕面小学校という)義務教育施設用地とするためである。
4 同(五)の事実は認める。
5 同(六)、(七)の主張は争う。
6 同(八)について
1 の事実のうち、本件移設前の碑は、大正五年四月ころ箕面村分会によつて箕面
村の所有地(ただし、土地の地番は同所<地名略>である)に建てられたこと、本
件移設前の碑は戦後間もなく碑石部分が取りはずされ地中に埋められたことは認め
るが、本件忠魂碑が市の所有であることは否認する。また、本件貸与については昭
和五一年三月一二日箕面市議会の議決を得ている。
2 の事実のうち、本件忠魂碑が箕面市遺族会の所有であることは認める。
3 の事実のうち、一の土地は公社が公有地拡大法に基づき取得した土地であるこ
とは認める。
5 の事実のうち、被告市長が原告ら主張のような権限を有することは認める。
右以外のその余の事実ないし主張は争う。
7 同(九)のうち、被告A、同C、同D、同E、同Bが(五)記載の各日時ころ
原告ら主張の職務にあつたこと、被告Fが昭和五〇年一〇月ころ被告委員会委員に
就任したことは認めるが、その余の事実は否認する。
8 同(一〇)の損害は争う。
一 の土地は、市が早晩買い取るべき義務を負つていたものであり、右買取りによ
つて市に生ずべき損害はない。
9 同(二)の事実は認める。
(三) 被告らの主張
1 いわゆる忠魂碑は、明治一〇年ころから、人間の自然の心情の発露である死者
の追悼、慰霊の観念に基づき、戦没者を記念するために、戦没者出身地の民間有志
により建設され始めたものである。
本件忠魂碑は、箕面村分会が大正五年ころ建立したものであるところ、箕面村分会
会員は予備役、後備役等であり、成人男子のほぼ全員が一度はその構成員となる団
体であつた。したがつて、本件忠魂碑も、右のような民間有志による死者に対する
追悼、慰霊のための記念碑である。
政府は、当時、右のような忠魂碑の建設に対しては消極的な態度をとり、むしろこ
れを制限、抑制しようとさえした。
ところが、昭和一四年七月七日、陸軍を推進母体とし、当時の首相Xを名誉会長と
する大日本忠霊顕彰会が発足し、忠霊顕彰のため一市町村一基の忠霊塔建設を計画
した。右忠霊塔は、「靖国神社の祭神の遺骨を安置して永遠に祀り、七生報国の精
神の昂揚を期せん」とするものであつて、忠魂碑とはその性格を著しく異にする。
原告らは、本件忠魂碑を忠霊塔と混同しているものであり、本件忠魂碑は、地域出
身の戦没者を追悼、記念するための記念施設にすぎない。
2 慰霊祭は、各年交替で仏教式あるいは神社神道式で行われていることからも明
らかなように、特定の宗派性を持たず、ある宗教の追悼、慰霊のやり方を通して民
間習俗である死者に対する追悼、慰霊の観念を表現しているにすぎず、宗教が習俗
の中に包摂され、習俗の中に行われているものである。
記念碑の前で行われるこの種の行事として、千鳥ケ淵戦没者墓苑での民間団体又は
宗教団体主催の各追悼、慰霊行事、原爆慰霊碑前での広島市主催の原爆死没者慰霊
式、平和祈念式等がある。
物件目録
一 箕面市<地名略>
宅地  九一四・七八平方メートル
二 右土地のうち、別紙第1図面イロハニイを順次直線で結んだ範囲内の部分一七
八・五一平方メートル
三 箕面市<地名略>
宅地  七、三九八・〇八平方メートル
四 二記載の土地上にある忠魂碑と刻された碑(切石積、玉垣、樹木等の物件を含
む)
第二図面(省略)

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