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(原審・東京地方裁判所平成6年(ワ)第1218号損害賠償請求事件(原審言渡日平成1
0年11月30日))
     主      文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
     事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1控訴人ら(原告であるオランダ人)
(1)原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は,控訴人ら各自に対し,2万2000米国ドル及びこれに対す
る平成6年4月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人(被告である国)
  控訴棄却
第2 事案の概要
1 本件は,控訴人らが,第2次世界大戦中,オランダ領東インドにあった日本軍
捕虜収容所又は民間人抑留者収容所において,日本軍の構成員から,1907年の
陸戦の法規慣例に関する条約(ヘーグ陸戦条約)に附属する陸戦の法規慣例に関す
る規則(ヘーグ陸戦規則)及び1929年の捕虜の待遇に関する条約(ジュネーブ
条約)の双方又は前者に違反する虐待等の被害を受けたとして,被控訴人に対し,
ヘーグ陸戦条約の3条及び同条と同内容の国際慣習法に基づいて,損害の賠償を求
めた事案である。
 原判決は,控訴人らの請求を棄却したので,これに対して控訴人らが不服を申し
立てたものである。
2 上記のほかの当事者双方の主張は,次のとおり付加するほか,原判決の事実及
び理由欄第三記載(2頁以下)のとおりであるから,これを引用する。
 (控訴人らの当審における主張)
(1) ヘーグ陸戦条約3条に基づく請求について
 原判決は,ヘーグ陸戦条約3条は,専らヘーグ陸戦規則に違反した加害国の被害
国に対する国家の国際責任を明らかにした規定にすぎず,我が国の裁判所におい
て,ヘーグ陸戦条約3条を根拠として,国際人道法に違反する軍隊構成員の行為に
より損害を被った個人が,違反者の所属する国家に対して損害賠償を請求すること
はできないとするが,不当な判断である。
 ヘーグ陸戦条約のような戦争法規にあっては,個人が国際法の主体と認められて
いる。控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条及び同条と同内容の国際慣習法に基づい
て,被控訴人のヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約の各違反行為により被った損害
の賠償を請求する権利を有するというべきである。その理由は以下のとおりであ
る。
 ア ヘーグ陸戦条約3条が「金銭賠償(compensation)」の概念を用いているこ
とは,同条が個人の請求権を念頭に置いていることを示す。すなわち,賠
償(reparation)という概念は,国際義務違反に基づく国際責任を果たすために国
家が実行する様々な手段を示す概念として用いられている。それは,事案に応じ
て,原状回復(restitution),金銭賠償(indemnityorcompensation)及び慰
謝(satisfaction)などの形をとるのであるが,ヘーグ陸戦条約3条は,一般的な
「賠償(reparation)」という概念を用いず,特に「金銭賠償」を意味する
compensationという概念を用いている。そうすると,同条により損害賠償を請求す
ることができるのは,賠償請求を求める犠牲者個人であると解されるのである。す
なわち,ヘーグ陸戦条約3条が,「金銭賠償」(compensation)という概念を用い
たのは,その起草者の念頭に,戦争法規違反によって損害を被ったことにより賠償
請求を求める個人があったことが窺われる。
 イ ヘーグ陸戦条約3条の起草過程からすると,ヘーグ陸戦条約3条に基づく損
害賠償請求権を有するのは,損害を被った個人であることが明らかである。すなわ
ち,ヘーグ陸戦条約3条については,第2回国際平和会議の全体会合及び第2委員
会で話合いがされた。その際,ドイツ代表団は,修正案を提出した。その第1条の
文言中には,「この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その
者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。」と明記されていた
のであり,また,その際の議事録によれば,ドイツ代表等の発言は,明らかに個人
を賠償請求権者としていることが窺われる。
 ウ 条約によって混合仲裁裁判所が設置されることがあるが,これも個人の権利
を新たに創設するものではなく,もともと個人が保有している権利の行使方法を国
際的な手続段階に移行させたものにすぎない。そう解さないと,個人の被害の救済
が不十分となり,不当である。
 個人に国際法上の権利義務の受範者の地位が認められるならば,加害国の国内裁
判所への出訴権が認められる。これが当然の公理であり,そうでなければ,国際社
会での法制度の意味は失われてしまうであろう。
 個人の国際法上の権利が侵害された場合の救済方法として,国際法は一般に国内
法に基づく国内裁判所への付託,委任という仕組みを建前としている。
 国際法は,外交保護権を行使する前提として,国内的救済を完了していることを
要件としているが,これは,国際法として,国内裁判所における救済が可能とされ
るべきことを予定しているというべきである。
 「損害あるところ救済あり。」との原則は,国際社会でも妥当する。損害賠償請
求が肯定される場合,その通常の救済手段は国内裁判所による救済である。これを
否定するのであれば,これを排除する明示的合意が当事者間でなされねばならない
(オプトアウト原則と呼ばれる。)。
 エ ダンチッヒ裁判所の管轄権についての常設国際司法裁判所の勧告的意見も,
国際的合意で個人の出訴手続についてなんらの規定がなくても,個人が直接援用で
きる権利義務を規定することができるとしている。
 また,1924年7月15日のイギリス控訴院判決及びギリシャ・アテネ控訴裁
判所判決は,戦時徴用権と補償請求権の関係において,被害者個人が直接に加害国
裁判所へ出訴する権利を認めている。
 オ 捕虜が非人道的な取扱いを受けた場合に国際機関に提訴できる旨の規定はな
いが,加害国の国内裁判所に提訴することが可能である。
 カ 国家のみに相手国に対する損害賠償請求権を認めることは,戦争によって生
じた損失に対する被害者個人の正当な補償請求権の問題を複雑にし,悪化させる。
 キ ヘーグ条約前文第5段落の文章からすると,個人に直接の請求権を与えたも
のと解される。
 ク ヘーグ陸戦条約の前文には,いわゆるマルテンス条項があり,それによれ
ば,個人の直接請求権が基礎付けられる。
(2)被控訴人の当審における新たな主張について
 被控訴人は,「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)14条
(b)により,日本国及び日本国民は連合国国民に対する国内法上の権利に基づく
請求に応ずる法律上の義務が消滅した旨主張する。
 しかし,「請求権」(claim)という語が単独で使われる場合,それは国家が,自
らないしその所属する国民のために国際手続を通じて相手国に対して提出する請求
の権利を意味する。ところが,サンフランシスコ平和条約14条(b)は,「請求
権」(claim)という語を単独で使用しているにとどまり,それが私的請求権を意味
することを明示した文言は見当たらない。また,サンフランシスコ平和条約では,
連合国国民に対して直接拘束力を有するとの規定はなく,請求のみならず訴訟提起
を制限する条項を欠いているのである。サンフランシスコ平和条約が締結された当
時,連合国は,日本が復興を遂げたときには,国際法に基づいて,個人が日本の裁
判所へ訴求することが可能であるとの意向を有していたと思われるのである。そう
すると,サンフランシスコ平和条約14条(b)で放棄の対象とされた「連合国民
の請求権」は,連合国国民の私的請求権に関する国家の請求権を指しているにすぎ
ないと解さざるを得ない。サンフランシスコ平和条約14条(b)は,ヘーグ陸戦
条約に基づく請求権をも消滅させる趣旨の規定ではないというべきである。
 (被控訴人の当審における新たな主張)
 「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)は,その14条(b)に
おいて,「連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びそ
の国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接
軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定する。
 この規定により,連合国及びその国民と日本国政府及びその国民との相互の請求
権は,完全に最終的に解決され,連合国国民の請求権も連合国によって「放棄」さ
れた。すなわち,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく
請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶することができる旨
が定められたものと解すべきである。この規定は,我が国の裁判所において直接適
用できるものであるから,これに該当する裁判上の請求は上記の規定によって容認
されないこととなる。
 そうすると,控訴人らの本訴請求は,サンフランシスコ平和条約の観点からも是
認される余地がない。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も,控訴人らの請求は理由がないものと判断する。その理由は,次のと
おりである。
1 本件における争点は,控訴人らの主張する第2次世界大戦中の日本軍による戦
争犯罪行為につき,控訴人らが個人として直接に日本国に損害賠償を求めることが
できるか否かにある。すなわち,国際法において,個人の法主体性が認められるか
が,本件の主題であり,控訴人らは,特に戦争との関係で,これを認めるべきであ
ると主張している。
 ところで,国際法は,国際社会の法であり,国内社会の法ではないから,この問
題については,国際社会の成り立ちをどのように見るべきか検討しなければならな
い。
 そこで,まず,近代以降の戦争における個人と国際社会の関係等について検討す
る。
(1)19世紀中葉以降の国際社会と戦争に関する俯瞰
 国際社会は,本件の問題が発生した1942年(昭和17年)当時はもちろんの
こと,2001年(平成13年)の現在においても,その成員である政治的単位
(国家)の利益主張をめぐる相克の中に存在しているといってよい。
 人類にとって,法の支配下にある1個の国際団体の形成は,1つの理想である。
ここで法の支配下にあるというのは,団体を構成する構成員,すなわち個人や法人
が,国籍の区別や,人種の別その他あらゆる差別を受けずに,公平な取扱いを受け
ることを意味する。このような差別のない国際社会は,人類の絶えざる願望であ
る。しかし,その実現は,これまでの歴史が示すように決して容易ではない。
 これを我が国と欧米との関係においてみれば,我が国は,1854年のペリー来
航の結果,日米和親条約の締結に至り,以後,ヨーロッパ諸国の非ヨーロッパ地域
への進出を契機として形成された国際法秩序の中に組み入れられた。その当時の国
際情勢は,アジア諸国の中で欧米諸国の植民地となることを免れた国は少なく,我
が国もまた,それらの列強によって主権の一部を制限され,いつなんどき独立を失
うか分からない状況のもとにあった。その後の歴史を見ても,我が国に国力のない
時代には,日本国民は,欧米の強国からの様々な侵略の危機にさらされてきた。例
えば,1904年の日露戦争は,ロシアによる侵略の危険を感じた日本国民が,そ
のような国際社会での自己の存在をかけて戦ったものである。そして,これらの危
機を回避し,不平等な関係を解消するために,我が国及びその国民は,自らの国力
の増強に力を注いだ。その過程で,いくつかの戦争を経ることとなったが,本件で
問題となっている1941年以降のいわゆる第2次世界大戦は,最大の悲劇的な戦
争であった。この戦争は,我が国にとっては,ほぼ完全に孤立無援の戦いであった
(当時,同盟国であったドイツは,ユダヤ人の迫害などという究極の人種差別を押
し進める国であり,我が国とは全く異なる戦争をしていたということができ
る。)。我が国及びその国民は,いわゆるABCD(アメリカ,イギリス,中国,
オランダ)包囲網により,ほとんど全ての重要資源の供給を停止される中,見通し
の立たない戦争にその存立をかけることとなった。そして,日本国民は,欧米の強
国による植民地支配を受けてきた一部のアジアの民衆にのみ精神的な連帯感を覚え
たのである。しかし,やがて我が国の劣勢が明らかになると,我が国はそれらの人
々からも見放されることになり,1945年の敗戦を迎えるに至った。
 このような厳しい動乱の時代を経て,我が国及びその国民は,国際社会の中で自
己の存立を維持するために,自らの国力の増進を図るとともに,国際社会に貢献す
ることの重要性を認識し,以前にも増して多くの努力を重ねた。
 このような歴史の積み重ねの結果,19世紀の中葉である明治維新の頃あるいは
20世紀の中葉である米英2国に対する宣戦布告の頃(1941年)に比較して,
21世紀の初頭である現在では,我が国及びその国民は,国際社会の中ではるかに
平等な取扱いを受けられるようになったのである。
 現在のように民主的な国家同士の間でほとんど戦争が起こらなくなってくると,
戦争をそれによって生じる被害の側面からのみ観察する傾向が生じる。しかし,こ
れまでの歴史において,戦争が,人類の文化や社会が現在の姿をとるに当たって,
最大の影響力を有してきた事実を否定することはできない。もちろん戦争を肯定す
るものではないが,戦争は,余りにも大きな光と陰を持つ人類最大の社会現象であ
る。そして,これを規制することは,人類の英知を結集しても容易ではない。人類
は,いまなお戦争を根絶することができないでいる。また,原爆の悲劇を想起する
までもなく,科学技術の発達により戦争被害は深刻化するばかりで,その被害を減
少すること自体にも成功していないのが実情である。
 国際社会は,このような人類最大の社会現象である戦争に訴えることをも辞さな
いとして主張されることもある政治的単位(国家)同士の利益主張の中に存在して
いる。そして,国家間は,友好的なときもあれば,深刻な利害の対立等を生じるこ
ともあり,国家間の利益及び感情の衝突が極点に達したときに,戦争が勃発するの
である。現在の世界では,1945年の国際連合憲章により,国際紛争の解決手段
として,戦争に訴えることは制限されている(制限されているだけで全く否定され
ているわけではない。)。しかし,本件の問題が起こった20世紀の中葉ころは,
実質上そのような制限は無いに等しかったのである。すなわち,1928年の不戦
条約でも,自衛のための戦争は禁止されず,自衛の戦争であるか否かは,当該国家
の判断に委ねられていた。現在でも究極の紛争解決手段として戦争を放棄しないの
が,憲法第9条により戦争を放棄した我が国を除く,ほとんどの国の態度である。
(2) 国内社会と国際社会の違い
 法は,組織された1つの社会における法である場合,すなわち,社会の,そして
個人の活動に関する社会的な共存関係の諸条件の総和であるべき場合に,はじめて
1つの動的な人間力となる。すなわち,このような法であってはじめて,人々は,
法を不公平と感じず,個人に遵法の心が生じ,その結果,法が共同社会の安全と発
展の基礎となるのである。国内社会では,このような法を定立するための政治的な
組織,我が国についていえば,国会,内閣及び裁判所といった組織が整備されてお
り,それが,さまざまな社会と個人との諸活動に,共存のための諸条件を設定して
いる。そのことがこのような人間力を生み出すのである。
 ところが,国際社会は,そのような組織された1つの社会ではない。国際社会
は,一般に組織的救済を欠いているのである。そこでは,各政治単位である国家
が,その主権を放棄することに同意して,1個の世界共同社会を形成するのでない
限り,その共同社会の共通の利益は何かを決定し,そして,これと調和的に実現さ
れるべき個人間の安定的,かつ,有効な法律関係を形成する組織や基盤は存在しな
い。すなわち,社会の,そして個人の活動に関する社会的な共存関係の総和を,そ
の組織の中で決定する仕組みが実現していないのである。そのために,国際社会で
は,自己の利益を主張しあう政治的単位である国家が合意に達した合意(条約)の
みが,法の地位を占める。そこでは,あくまでも政治的単位である国家による利益
主張の中にしか,利害調整の結果である法は存在しない。
(3) 個人の利益主張と国際法
 法は,個人の利益主張のすべてをそのまま容認するのではない。社会の,そして
個人の活動に関する社会的な共存関係の総和が法であり,その調整の結果である規
制の限度でのみ,個人の利益主張を容認するのである。そして,国際社会では,法
は,すでに繰り返し述べたように,政治的単位の利益主張の中にしか存在しないの
である。そのため,国際社会で,個人の利益主張に関する法が定められる場合に
は,個人の利益主張のうちどれをどの範囲で容認するか,そして,それを実現する
方法として,どのような機関の判定に委ね,その際の手続をどうするかも,すべて
政治的単位である国家間の外交交渉と,その成果である合意(条約)によって定め
られる。これが,法の支配下にない国際社会における利益主張の実現方法,すなわ
ち国際法なのである。
(4) 戦争被害の救済と戦争の勝敗
 戦争被害の救済は,戦争の勝敗を離れては存在しないのが現実である。戦争終了
後,戦争の後始末として,戦争被害の救済に関する外交交渉が行われ,多く場合
は,講和条約(平和条約)の一内容として,賠償に関する合意がされる。その外交
交渉は,もちろん戦争の勝敗という現実の影響下に行われるから,戦敗国が戦勝国
から賠償を受けることはまずない。賠償は,戦勝国か第三国のみが戦敗国から受け
るのである(入江啓四郎「日本講和条約の研究」222頁)。
 それゆえ,戦争が始まる前に締結された条約で,戦争の勝敗を離れて,交戦当事
者たる国の賠償責任が規定されていても,その表面上の公平性はともかくとして,
戦敗国やその国民が現実に戦勝国から賠償されることを意味するものではない。む
しろ,賠償されないと考えておいた方がよいのである。ベルサイユ講和条約は,一
般的に又は包括的に,ドイツが賠償請求権を放棄する旨規定しなかったが,全般的
にドイツの請求権を認めていなかったため,賠償請求権は放棄されたものと解され
ていた(入江啓四郎・前掲書228頁)。したがって,条約の実際上の意義は,戦
勝国や第三国が,戦敗国から戦争被害の賠償を取り立てる外交交渉を行うに当たっ
て,その請求の論拠になるというのが実際である。
(5) 個人の直接請求
 国際法において,個人が直接その戦争被害の賠償を請求できる手続が設けられた
先例として,第1次世界大戦後のベルサイユ講和条約のごく一部の条項がある。ベ
ルサイユ講和条約では,戦勝国の側の戦争被害であっても,そのすべてが賠償され
ることはなかった。近代戦の規模と,その破壊性からして,これにより戦勝国が受
けた人的損害や物的損害を,戦敗国が全面的に賠償することは不可能なことであっ
た(入江啓四郎・前掲書223頁)。また,賠償されるものも,通常は,国家間で
やりとりされたものである。そのような中で,ごく一部の被害(戦時特別措置に基
づく損害の補償請求権など)についてのみ,その被害が集団的請求になじまないこ
とから(入江啓四郎・前掲書247頁以下参照),特別に個人が直接混合仲裁機関
に出訴することができるものとされたのである。このように,戦勝国の国民の戦争
被害のごく一部について,個人の法主体性,すなわち出訴権が認められた先例があ
るが,それも,戦勝国の国民にのみ法主体性,すなわち出訴権が与えられたにすぎ
ない。
 このベルサイユ講和条約は,戦争の勝敗という現実の影響下に,戦勝国と戦敗国
との外交交渉によって,戦勝国が条約により獲得したものである。すでに述べたよ
うに,戦争の始まる前の条約で,交戦当事者の戦争被害に対する責任が規定されて
いても,それだけでは,国家でさえも賠償を受けることはできず,これを受け取る
には,外交交渉を経て条約を結ぶ必要がある。まして,個人が戦争被害の賠償を直
接請求するため,その出訴権が認められるには,戦争が開始される前の条約の規定
だけでは足りず,戦争後の外交交渉により条約が結ばれることが必要なのである。
 以上検討したところからも明らかなとおり,戦争開始前に交戦当事者である国家
の責任を規定する条約は,戦争被害について,個人に出訴権を認めるものではな
い。個人の出訴権は,戦争の勝敗という現実を背景とした外交交渉によって,認め
られることがあるにとどまる。
(6) 人道の観念と国際法
 上記のとおり,国際法は,国家間の合意の中にのみ存在する。これに反して,い
わゆる人道の観念あるいは自然法などを根拠に,戦争被害に関して,個人に請求権
を与え,その出訴権を認めることとするとどのような事態が発生するであろうか。
そのような権利を認めることは,人道の観念や自然法を法源として肯認するという
ことを意味し,それは個人の救済という観点から歓迎すべきことであるとする見解
もあるであろう。
 しかし,それは,人道という観点からみると,全く正反対の事態を生じさせるで
あろう。そのような人道法が存在することとなると,それが存在しない場合に比較
して,戦勝国及びその国民は,戦敗国及びその国民に対して,ますます有利とな
り,戦敗国とその国民は,ますます不利となる。なぜなら,国家間の合意が必要な
ら,戦勝国でも,戦敗国との外交交渉を経なければ,賠償を取り立てられない。そ
こでは,戦敗国の支払能力が考慮されるのはもちろん,戦敗国及びその国民の戦争
被害の賠償がされないこととのバランスなども,交渉の結論に反映されるはずであ
る。すなわち,賠償交渉においては,賠償額に影響させるべき全ての要素が問題と
されるのである。そして,賠償額に影響させるべき要素とは,戦争の勝敗だけでは
なく,戦後世界の復興に回すべき資源を確保しなければならないことなど,資源配
分の適正を含めて,予想される戦後世界のあらゆる事象が含まれる。
 これに対して,人道の観念から,戦争被害について,個人に出訴権を認めた場
合,賠償を認めるべきかどうか,及びその額をどの程度のものとするかは,戦争被
害のためにすでに存在するとされる損害賠償請求権により確定される。もちろん戦
敗国及びその国民の支払能力を考慮することはできないし,戦敗国及びその国民に
は戦争被害について賠償のないことも,考慮されない。そして,戦後世界を復興さ
せるべきことや,その他賠償額に影響させて当然とされるすべての事象は,考慮さ
れないのである。
 そのような硬直化した問題の解決は,人類社会の混乱を引き起こすのみである。
人道の観念というものも,人類社会の中では万能ではなく,その相対性のゆえに,
その使い方を誤れば,かえって人類にとって,脅威の源泉となりうるのである。第
1次世界大戦後の賠償問題の処理が,戦敗国を混乱に導き,そのことが第2次世界
大戦の原因の一つとなったとの指摘があることは,広く知られたところである。
2ヘーグ陸戦条約3条について
 すでに上記1(5)において述べたとおり,戦争が開始される前に,交戦当事者
である国家の責任を規定した条約も,その戦争被害の賠償につき,個人に出訴権を
認めるものではない。それは国家間の外交交渉によって認められることがあるにと
どまる。この理は,戦争開始前に交戦当事者である国家の責任を規定しているヘー
グ陸戦条約にも当然に当てはまるものである。
 すなわち,ヘーグ陸戦条約3条は,ヘーグ陸戦規則に違反した加害国の被害国に
対する国家の国際責任を明らかにした規定にすぎない。
 本件において,控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条に基づいて,国際人道法に違反
する軍隊(日本軍)の構成員の行為により損害を被ったなどとして,その構成員の
所属する国家(日本国)に対して損害賠償の支払を求めているが,個人が加害国に
対して直接に損害賠償の請求をすることは容認されないのである。 以下,控訴人
らの控訴理由に即して判断を加える。
(1)ヘーグ陸戦条約3条の賠償の概念に関する用語について
 控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条が「金銭賠償(compensation)」の概念を用い
ていることは,同条が個人の請求権を念頭に置いていることを示すものであると主
張する。
 しかし,国際法上,「compensation」という語は,広義には,国家が国際法に違
反して他国の法益を侵害した場合に,被害国の被った損害を加害国が補填する行為
全般に対するものとして用いられる。また,それは,もっぱら金銭賠償を意味し,
特に,戦敗国と戦勝国との間の戦争賠償を意味する用語として「war
compensation」という語が使用されることもある。そして,サンフランシスコ平和
条約等においても,国家間の戦争賠償を意味する語として「compensate」という語
が用いられるのである。
 これらの事情によれば,ヘーグ陸戦条約3条が「compensation」という語を用い
ていることをもって,個人の請求権を想定しているものであるということはできな
い。
 そもそも,ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の趣旨及び目的は,陸戦における
軍隊の遵守すべき事項を定めて「戦争ノ惨害」を軽減しようということにある。ヘ
ーグ陸戦条約3条は,ヘーグ陸戦規則に違反した国家の損害賠償責任につき規定し
ているものの,賠償の相手方を明記していない。また,個人が国家に対して損害賠
償を請求するに当たっての手続規定もない。さらに,ヘーグ陸戦条約が締結された
当時の国際法において,その法主体性が認められるのは国家を原則としていたこと
は,すでに述べたとおりである。個人は,国際法においてその権利,義務について
具体的な規定が置かれたときに,例外的に国際法上の法主体性が認められるにとど
まるのである。したがって,仮に,「compensation」という語の用例が控訴人らが
主張するとおりであったとしても,上記のような理解が一般的であった中で,ヘー
グ陸戦条約が「compensation」という語を用いていることから(ただし,正文は仏
語によるものであり,indemnitÈの語が用いられている。),直ちに個人に対して
損害賠償請求権を付与したものであるなどということはできない。
(2)ヘーグ陸戦条約3条の起草過程について
 控訴人らは,ヘーグ陸戦条約3条の起草過程からすると,同条に基づいて損害賠
償請求権を有するのは,被害者個人であることが明らかである旨主張する。
 しかし,ヘーグ陸戦条約が起草された当時の個人の国際法上の地位に関する一般
的な理解は,上記のとおりであったのである。すなわち,ヘーグ陸戦条約が締結さ
れた1907年当時の国際環境において,被害者が究極の受益者であるべきである
としても,その権利は国家間の解決に委ねられるもので,個人が直接に賠償請求権
を求めることはできないと解されていたのである(「個人のクレイムの国家のクレ
イムへの没入」)。
 このような中,ヘーグ陸戦条約3条において,被害者個人に損害賠償請求権を肯
認しようというのであれば,その起草の過程において,従来の国際法上の伝統的な
国家責任の原則を修正すべきか否かという観点から,種々の議論が戦わされ,相応
の議論が尽くされたはずである。
 ところが,証拠(乙3及び4号証)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認め
られる。
 ア ドイツ代表は,ヘーグ陸戦規則に違反して中立の者を侵害した交戦当事国が
その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負うとの条項を付け加
えることを提案した。これに対し,各国の代表の関心は,もっぱら中立国の市民と
交戦国の市民とを区別することの是非に向けられた。
 イ 各国代表の発言の中には,個人の加害国に対する損害賠償請求権を認めるこ
との是非に関する格別の発言はなかった。
 ウ かえって,スイス代表は,「中立の者に対する賠償の支払は,責任ある交戦
国が被害者の国と平時関係を維持しており,両国があらゆるケースを容易にかつ遅
滞なく解決し得る状態にあるため,たいていの場合,即時に行い得るであろう。こ
のような容易さないし可能性は戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在
しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦
国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施すること
はできないであろう。」と発言した。
 エ これに対し,ドイツ代表は,自分自身もできない最高の弁明をしていただい
たとして,スイス代表に対して感謝の意を表した。
 最終的に採択されたヘーグ陸戦条約においては,ドイツ代表から当初提案された
「その者に対して」との文言は削除された。
 以上の事実が認められる。
 上記認定のとおり,ヘーグ陸戦条約3条の起草過程において,各国代表が戦争被
害を受けた個人に交戦当事国に対する直接の損害賠償請求権を与えることを意識し
て十分な議論をしたというような形跡は認められないのである。
 このような事情からすると,ドイツ代表の上記の提案も,個人が加害国に対して
直接に損害賠償を請求することを許容すべきであるとの明確な意図によるものとは
認め難い。また,各国代表が,ヘーグ陸戦条約3条の起草過程において,ヘーグ陸
戦規則違反の行為によって損害を被った個人に加害国に対する損害賠償請求権を与
えることを意図していたなどとも認められないというべきである。
 当時の国際法上の一般的な考え方によれば,ヘーグ陸戦条約3条も,国家間の賠
償について規定したにすぎないというべきである。
(3) 個人の戦争被害による救済のあり方について
 控訴人らは,①条約によって混合仲裁裁判所が設置されるのは,個人が保有して
いる権利の行使方法を国際的な手続段階に移行させたにすぎない旨,②個人に国際
法上の権利義務の受範者の地位が認められるならば,加害国の国内裁判所への出訴
権を認めるのが公理である旨,③国際法は,個人の国際法上の権利が侵害された場
合の救済方法として,国内法に基づく国内裁判所への付託,委任という仕組みを建
前としている旨,④損害あるところ救済ありとの原則は,国際社会でも妥当する
旨,⑤このような国内裁判所における救済を否定するのであれば,これを排除する
明示的合意が必要である旨,また,⑥捕虜が非人道的な取扱いを受けた場合,加害
国の国内裁判所に提訴することが可能である旨,それぞれ主張する。
 しかし,すでに上記1(3)(5)において述べたとおり,個人の被害を救済す
るかどうか,救済するとして,どの程度の救済をするか,また,救済方法をどうす
るかについては,すべて,国際社会において,国家間の外交交渉によって,その利
害の調整を経て決定されるべきものである。条約によって,個人の被害の一部につ
いて,これを救済することとし,その救済の方法として混合仲裁裁判所を設置する
旨が定められることがあるが,これも,外交交渉によって利害調整がされた結果に
よるものである。つまり,条約によってその規律が決せられたのである。このよう
な利害調整を経ずに,個人に戦争損害が生ずれば,直ちにそれが回復されなければ
ならないというものではない。
 控訴人らの主張は,法というものがどのようなものであるのか,また,国際社会
において,法となるべきものを形成するために,どのような利害調整の方法がある
のかについて,理解しないものというほかない。
 また,個人の権利を保護する趣旨が条約に規定されても,そのことのみで個人に
加害国の国内裁判所への出訴権が認められるものではない。控訴人らは,個人に国
際法上の権利義務の受範者の地位が認められるならば,加害国の国内裁判所への出
訴権を認めるのが公理であるなどと主張するが,そのような公理は存在せず,ま
た,そのような公理が認められなければ,国際社会における法がなくなるというも
のでもない。
 すでに述べたように,国際社会では,損害があるところに救済をするかどうか,
どのような救済をするか,そして,その救済の方法をどうするかは,外交交渉の結
果,国家間の条約により定められるのである。そのような国家間の合意なしに,損
害あれば救済ありというものではない。そして,国内社会でも,損害あるところに
必ずしも救済があるとは限らないのである。戦争被害については,国内社会では,
ほとんどの場合に救済されないのが現実である。そして,そのことは適法であると
考えられている。国内社会で救済されない戦争被害でも,国際社会では救済される
ことはあり得るが,それは,戦争被害について,外交交渉を経ることにより利害の
調整を行った結果,国家間の合意によってされるべきものである。そのような外交
交渉と国家間の合意(条約)には,国民主権の確立している国家では,主権者であ
るそれぞれの国民の意思が反映する(条約の批准とは国民の意思の反映を実現する
手続である。)。そのことにより,その内容に関係国とその国民の意思の支配下に
ある法であるという,法としての正統性が付与されるのである。国際社会で通用力
のある法となるということの意義は,このような点にあるのであって,それらを抜
きにして,損害あるところに救済があるなどということはできない。
 また,戦争法規が人道主義に基づく条約であるという理由だけで,当然に被害者
個人に国際法上の法主体性が認められるわけではない。
 捕虜が非人道的な取扱いを受けた場合も,捕虜個人には賠償請求権は認められ
ず,捕虜所属の国家が戦争賠償請求権を行使し得るにとどまるのである(国際法の
通説である。乙6号証・広瀬善男「捕虜の国際法上の地位」45ないし46頁及び
そこで引用されているピクテ・ジュネーブ条約解説Ⅲ(榎本=足立訳)131条,
682頁)。
 そして,控訴人らは,ヘーグ陸戦条約前文第5段落の文章からすると,個人に直
接の請求権を与えたものと解されると主張する。しかし,上記の文章は,交戦者の
行動の準則であって,これからそのような法的効果を導き出すことはできない。
なお,控訴人らは,国際法が外交保護権を行使する前提として国内的救済を完了
していることを要件としているのは,国内裁判所における救済が可能とされるべき
ことを予定しているからであるとも主張する。しかし,国際法における国内的救済
の原則は,外国において自国民がその身体及び財産を侵害されて損害を被った場
合,その国家が自国民に外交的保護を与えるには,予めその自国民が加害国におい
て利用することのできる国内的救済手段を尽くしていなければならないというもの
である(筒井若水編「国際法辞典」有斐閣148頁,島田征夫他訳ブラウンリー
「国際法学」成文堂434頁)。したがって,国内的救済の原則が,国内裁判所に
おける救済が可能とされるべきことを予定しているなどということはできない。
 控訴人らの上記各主張はいずれも採用できない。
(4) 個人直接性の承認例について
 控訴人らは,個人が直接に加害国裁判所へ出訴すること(個人直接性)が認めら
れた例として,ダンチッヒ裁判所の管轄権事件やイギリス控訴院判決及びギリシ
ャ・アテネ控訴裁判所判決等がある旨主張する。
まず,ダンチッヒ裁判所の勧告的意見(乙20号証)は,必ずしも控訴人らの主
張するようには解することができない(乙4号証の小寺彰意見書及び乙21号証の
島田征夫意見書)。すなわち,上記勧告意見の趣旨とするところは,「国際的合意
は,その締約国の意思のいかんにより解釈すべきである。」というにとどまる。ダ
ンチッヒ裁判所は,「ダンチッヒとポーランドの間の鉄道職員に関する協定(鉄道
職員協定)は国際協定であるから,条約を結ぶことだけで,直接的に個人に権利義
務を創設しえない。」としつつ,他方,「国際協定の目的が,個人の権利及び義務
を創設し,かつ国内裁判所で適用される一定の規則の採択だという可能性があるこ
とを争うことはできない。」とした。ダンチッヒ裁判所は,条約が直接適用可能性
をもつことを肯定した上で,その決定要因を締約国の意思(intention)としたので
ある。しかし,ダンチッヒ裁判所によれば,この締約国の意思は,協定の適用態様
に留意して,その協定の内容から確定されるものであり,この協定内容とは,協定
の文言(text)及び一般的趣旨(lateneurgeneral)であるというのである。した
がって,ダンチッヒ裁判所は,協定の文言や趣旨から離れた締約国の内心の意思を
問題にしたわけではない。むしろ解釈の結果,条約がその直接適用可能性を当事国
に義務付け得ることがあると述べたのである。そして,ダンチッヒ裁判所は,鉄道
職員協定の文言や規定の仕組み,また協定適用に関する状況として,ダンチッヒか
ら鉄道職員がポーランドに移された時点で,鉄道職員協定が発効したことを根拠に
して,鉄道職員協定の直接適用可能性を肯定したのである(なお,ダンチッヒ裁判
所が根拠として挙げた鉄道職員協定6条(a),(b)には,ポーランド鉄道局が
ダンチッヒからポーランド鉄道局に移る職員の権利等を承認することが規定されて
いた。)。
上記のとおり,ダンチッヒ裁判所の勧告意見は,個人に国際法上の主体性を認め
た点で画期的な判断ということができるが,これも問題の条約が,例外的に,国内
裁判所において金銭請求をし得る資格を個人に認めたというべきものである。
次に,1924年のイギリス控訴院判決について見ると,この判決は,第1次世
界大戦中にイギリス国内で木材を徴発されたエジプト国籍の会社が補償を求めた事
案につき,補償義務が国内法上承認されていると判断したものである。しかし,上
記の判決は,この補償請求権は国内法である1920年の賠償法に基礎付けられる
とした。すなわち,国際法上の権利としてではなく,国内法上の権利として扱われ
たのである。
 また,ギリシャ・アテネ控訴裁判所判決も,被占領地で行われた軍事徴発につ
き,適用すべきギリシア法がなかったため,ギリシア法で承認された「国際法は国
内法の一部である。」という原則に従って,ヘーグ陸戦規則を具体化した私有財産
の不可侵を認めた国際法の原則を国内法として適用したにすぎないのである。
 このようにイギリス控訴院判決及びギリシャ・アテネ控訴裁判所判決は,いずれ
も,ヘーグ条約そのものを根拠とするものではなく,それぞれの国の国内法に基づ
く請求であったものである。したがって,これらの判決は,ヘーグ陸戦条約が個人
の出訴権を認めているかどうかについての先例とはいえないことが明らかである。
控訴人らは,戦争によって被害を受けた個人が,その属する国家の外交保護権に
よらずに,直接に加害国家に対して損害賠償等の国際法上の義務の履行を求め,こ
れに応じて加害国家が上記個人に対して直接に賠償責任を果たした事例であると主
張するが,いずれもそのような趣旨の実行例とは認め難い。
そして,アメリカ合衆国第4巡回区控訴裁判所の平成4年(1992年)6月1
6日判決(乙15号証)は,米国のパナマ侵攻後の略奪及び暴動によってパナマの
企業(団体名「ゴールドスター」)が受けた損害に関する訴訟につき,「国際条約
は個人的に行使する権利を創設するものとは推定されない。」「裁判所は,条約
が,個人の出訴権を付与する意思を全体として明示している場合に限り,自動執行
性をもつと解する。」「ヘーグ陸戦条約は,個人が行使する訴権を明確に規定して
いない。我々は,同条約を全体として合理的に解釈しても,締約国がそのような権
利を付与する意図があったという結論には達しない。」との判断を示した。また,
アメリカ合衆国コロンビア特別区地方裁判所の平成6年(1994年)7月1日控
訴審判決(乙16号証)も,ナチスのホロコーストから逃れ生き残った米国人のプ
リンツがドイツ連邦共和国を相手取って提起した訴訟において,「実体的な行動規
範を定め,特定の不正行為に対して賠償が支払われるべきものという規定があるだ
けの国際条約は,(必ずしも)個人の請求権を創設するものではない。」「ヘーグ
陸戦条約のいかなる条項も同条約の違反に対して個人に損害賠償請求権を付与する
ことを示唆すらしていない。」との判断を示した。
 これらの判決は,アメリカ合衆国における国際条約と個人の権利との関係につい
て判示しており,いずれも,ヘーグ陸戦条約3条が個人に損害賠償請求権を付与し
たものといえるかという問題につき,これを否定していることが明らかである。い
ずれも,当裁判所が示したヘーグ陸戦条約3条についての解釈と基本的には同様の
考え方を示すものということができる。
(5) 戦争被害についての賠償問題と公益について
 控訴人らは,国家のみに加害国に対する損害賠償請求権を認めることは,被害者
個人の正当な賠償請求権の問題を複雑にするなどと主張する。
しかし,すでに述べたように,国家のみに損害賠償請求権を認めることによって
こそ,賠償の問題を,被害者間に公平に,また,戦後世界の実情に即して適正に解
決することができるというべきである。また,戦争による被害の解決というもの
は,戦争状態を終わらせて,戦争状態にあった国家及びその国民の間に平和的な関
係を築くためにもされるのであるが,そのような公益を実現するためにも,国家が
被害を一体としてとらえて,統一的に相手国に賠償を請求し,外交交渉を経て,合
意に達することの方が,はるかにその目的に沿うのである。もし,被害者が,それ
ぞれ個別に請求できるとすると,国家は,個別に委任を受けたものに限り,被害者
を代理して相手国との交渉に望まねばならない。しかし,それでは,全ての被害者
の被害について,一挙に解決することができない。そのために,戦争状態にあった
国家及び国民の間で戦争状態を終わらせることが,極めて困難になるであろう。戦
争状態の終結は,交戦当事者のみならず,多数の関係国とその国民にとっても必要
なことである。それは戦後世界にとって,重要な公益であって,それが,一部の者
の私益を優先することによって,害されてはならない。
 そうすると,被害者個人に加害国に対する直接の賠償請求権を認めることは,か
えって問題を複雑にするというべきである。控訴人らの上記主張は失当である。
(6) マルテンス条項について
 控訴人らは,いわゆるマルテンス条項によって個人の直接請求権を基礎付けるこ
とができる旨主張する。
 ヘーグ陸戦条約は,その前文に「一層完備シタル戦争法規ニ関スル法典ノ制定セ
ラルルニ至ル迄ハ,締約国ハ,其ノ採用シタル条規ニ含マレサル場合ニ於テモ,人
民及交戦者カ依然文明国ノ間ニ存立スル慣習,人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生
スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルヲ以テ適当ト認ム。」と
規定する(マルテンス条項)。
 しかし,このマルテンス条項は,新兵器及び戦争手段に対応する軍の行動規範に
関するものであり,その適用は主に戦争手段の規制に限られるべきものである(乙
21号証の島田征夫意見書)。したがって,マルテンス条項をもって,個人の直接
請求権を基礎付けることはできないというべきである。
3 サンフランシスコ平和条約14条(b)について
 サンフランシスコ平和条約14条(b)は,「この条約に別段の定がある場合を
除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国
民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事
費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定する。
被控訴人は,この規定(請求権放棄条項)によって,連合国国民の請求権も連合
国によって放棄され,日本国及びその国民が連合国国民による国内法上の権利に基
づく請求に応ずる法律上の義務が消滅した旨主張するので,以下に検討を加える。
(1)サンフランシスコ平和条約の締結について
 証拠(乙22号証,28ないし33号証)及び弁論の全趣旨によれば,サンフラ
ンシスコ平和条約の締結に至る経緯,その基本的内容及びその義務等の履行関係は
次のとおりである。
 ア サンフランシスコ平和条約は,1951年(昭和26年)9月8日,アメリ
カ合衆国サンフランシスコ市において締結された。
 この条約は,第2次世界大戦の連合国と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合
国最高司令官の制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するとともに,戦争
状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財
産などの問題を最終的に解決するために締結されたものである。
 控訴人らの属するオランダも,この平和条約に調印し,批准した。
 イ 上記条約においては,日本国が戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,
日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認され,また,存立可能な経済を維持
すべきものとすれば,日本国の資源は,すべての上記の損害及び苦痛に対して完全
な賠償を行い,かつ同時に他の債務を履行するためには十分でないことが承認され
た(第5章「請求権及び財産」第14条)。
 ウ 上記のような事情から,我が国は,戦争中に生じさせたすべての損害及び苦
痛に対して完全な賠償を行うことまでは要求されず,希望する連合国との間で,い
わゆる役務賠償によって,日本国が与えた損害を当該連合国に補償することに資す
るため,すみやかに交渉を開始することとし(14条1),また,次のような方法
で賠償等をすることが承認された。
 (ア)一定の留保の下,各連合国は,その管轄下に有する日本国及びその国民
等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で
処分する権利を有する(14条2)。
 (イ) 日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対
する償いをする願望の表現として,日本国は,中立国又は連合国と戦争状態にあっ
た国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に
引き渡すものとする。同委員会は,これらの資産を清算して,その結果生ずる資金
を,捕虜であった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配する(1
6条)。
 エ 我が国は,上記のような賠償に係る規定に従って,連合国に対して次のよう
な支払等をした。
 (ア) フィリピンに対しては5億5000万ドル,ベトナムに対しては390
0万ドル相当の役務及び生産物を提供した。
 (イ) 連合国領域内にある約40億ドルの日本人資産は連合国政府に没収さ
れ,その収益は各国の国民に分配された。この約40億ドルは,日本円にして1兆
4400億円に相当し,これは昭和26年の我が国の一般会計の歳入約8954億
円を大きく上回る額であった。
 (ウ) 中立国及び連合国の敵国にある日本財産と等価の資金として,総額45
0万ポンドの現金を赤十字国際委員会に引き渡し,同委員会を介して,14か国,
すなわち,オーストリア,ベルギー,カンボディア,カナダ,チリ,フランス,ノ
ルウェー,ニュージーランド,パキスタン,オランダ,フィリピン,イギリス,シ
リア,ベトナムの合計20万人に上る日本軍元捕虜であった者等に分配された。
オ 他にも,我が国は,中国や朝鮮に対しても在外資産の処分を承認した。ちなみ
に,「賠償関係資料」と題する外務省調書に引用された「在外資産調査会調」の1
945年8月15日現在「我国在外財産評価額推計」によれば,終戦当時,朝鮮及
び中国に存在した日本財産は,当時の貨幣価値で,朝鮮が702億5600万円,
台湾が425億4200万円,中華民国東北が1465億3200万円,華北が5
54億3700万円,華中・華南が367億1800万円に上った。
カ 当時の内閣総理大臣吉田茂(吉田総理)は,1951年(昭和26年)9月7
日のサンフランシスコ講話会議の全体会議における平和条約受諾演説の中で,「こ
こに提示された平和条約は,懲罰的な条項や報復的な条項を含まず,わが国民に恒
久的な制限を課することなく,日本に完全な主権と平等と自由とを回復し,日本を
自由かつ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。」「我が国は,この
条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。
8400万人に及ぶ日本の人口は残りの地域に閉じ込められ,しかも,その地域は
戦争のために荒廃し,主要都市は焼失しました。また,この平和条約は,莫大な在
外資産を日本から取り去ります。条約14条によれば,戦争のために何らの損害も
受けなかった国までが日本の個人財産を接収する権利を与えられます。かくのごと
くにして,なお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うこ
とができるかどうか,はなはだ懸念をもつものであります。しかし,日本はすでに
条約を受諾した以上は誠意をもって,これが義務を履行せんとする決意でありま
す。」と述べた。
 我が国が,上記のとおり,前例のない,苛酷ともいえる条件を受け入れ,誠実に
その履行を果たしたのは,上記の吉田総理の平和条約受諾演説にもあるとおり,連
合国による占領状態から早期に独立し,主権国家として,国際社会に復帰して,連
合国と友好関係に入るためであった。
(2) 請求権放棄条項をめぐるオランダ代表団との交渉について
 サンフランシスコ平和条約14条(b)は,上記(1)のような平和条約上の苛
酷な義務の履行と引き換えに規定されたものということができる。
しかし,この請求権放棄条項をめぐっては,オランダ代表団との間で議論があっ
た。証拠(乙22号証,33ないし35号証,39号証)及び弁論の全趣旨によれ
ば,その交渉経緯は次のとおりである。
 アオランダ代表団は,上記条約を中心となって起草したアメリカ合衆国のダレ
ス代表を通じて,日本代表に対し,サンフランシスコ平和条約14条(b)に関し
て,2つの問題点を開陳した。
 その1つは,サンフランシスコ平和条約14条(b)による連合国の「戦争遂行
中に日本国及び国民がとった行動から生じた連合国民の請求権」の放棄は,国民の
私権を消滅させるもの,すなわち,私権没収の効果をもつものではなく,オランダ
国民は日本法廷に日本政府または日本国民を訴追できるが,オランダ政府は条約上
これを支持する根拠を持たないとの意味である,という解釈に同意を求めるという
ものであった。そして,他の1つは,戦争中,蘭印(オランダ領東インド)で日本
軍に抑留された一般文民に対する補償を日本政府において道義的に考えて欲しいと
いう要望であった。
 イ これに対し,我が国は,上記アの前者の問題につき,そのような解釈には法
的に承服できない旨を反論しつつ,オランダ代表の立場も考えて,「サンフランシ
スコ平和条約14条(b)は,国民の私権を消滅させるもの,すなわち,私権没収
の効果を持つものではなく,ただ条約の結果国民は請求権を日本政府または日本国
民に対し追求してくることができなくなることにとどまる。」旨を書簡で確認する
用意がある旨を伝えた。その際,ダレス代表は,我が国の主張を了承し,「救済な
き権利か。よくあることだ。」と述べた。
 そして,上記アの後者の問題については,我が国は,他の連合国国民との関係か
らして,また,国の負担能力からしても,ここで言質をも与えることは容易にでき
なかった。
 当時,ダレス代表も,「日本は,現在,国民が生きるために必要とする食糧又は
仕事をするために必要とする原材料を生産することができない4つの島に縮減され
ている。」「このような状況において,平和条約が日本に対する金銭賠償請求を有
効であるとし,又は条件付きで存続させた場合,日本の通常の商業信用は消滅し,
国民の意欲は壊滅し,そして日本国民は心神的な苦悩に陥り,容易に搾取の餌食に
なってしまうであろう。」「幻想的な夢の実現を最大限に求めて,連合国内おい
て,一層熾烈な競争が起きるであろう。」と憂慮した。
 ウ その後,オランダ代表団は我が国の上記イの書簡案に同意しないことを明ら
かにした。しかし,我が国は,何らかの形でオランダ代表団に満足を与える必要が
あったため,ダレス代表やオランダ代表との間で交渉が熱心に行われた。その結
果,オランダ代表が,議場において,一般陳述の中で,上記の希望を述べ,これに
対し,我が国は,ダレス代表が「救済なき権利か。」と開陳した我が国の考え方を
表明し,また,上記の蘭印の一般文民に対する補償問題については,その要望の存
在があることを認めて,その解決を図ることで決着を見た。
 エ こうして,オランダ代表のスティツカー外務大臣は,1951年(昭和26
年)9月6日の第5回全体会議の一般陳述において,オランダの希望を述べた。そ
して,同月7日には,スティツカー外務大臣は,吉田総理に対し,「サンフランシ
スコ平和条約14条(b)は,正確な解釈上,各連合国政府が自国民の私的請求権
を剥奪することをも包含していない。」旨を記載した書簡を送付した。
 これに対し,吉田総理は,1951年(昭和26年)9月8日付けの書簡で,
「日本政府は,オランダ政府がサンフランシスコ平和条約の署名によって自国民の
私的請求権を剥奪し,その結果,上記条約発行後はかかる請求権はもはや存在しな
くなるものとは考えません。しかしながら,日本政府は,上記条約の下において連
合国国民は,かかる請求権につき満足を得ることはできないであろうということ,
しかし,オランダ政府が示唆するごとく,日本政府が自発的に処置することを希望
するであろう連合国民のあるタイプの私的請求権が存在することを,ここに指摘し
ます。」との所見を示した。
 オ 我が国は,オランダ代表から提起された日本政府が自発的に処置すべきオラ
ンダ国民の私的請求権のうち,元民間人被抑留者に対する請求権については,19
56年(昭和31年),オランダとの間で,「オランダ国民のある種の私的請求権
に関する問題の解決に関する日本国政府とオランダ王国政府との間の議定書」を締
結し,これに基づいて,オランダ政府に対し,1000万ドルを支払った。そし
て,オランダ政府は,元民間被抑留者に対し,1人当たり415フローリンを支払
った。
カ サンフランシスコ平和条約によって,我が国は,主権を回復し,これを基盤と
して,以後,政治及び経済において発展を遂げるに至った。そして,我が国及びそ
の国民は,国際社会においても,公平な人類社会の実現と人々の文化的経済的な発
展及び繁栄のために,世界の人々から歓迎される貢献を果たしてきたし,将来もま
たこれを続けるため努力している。
(3) 請求権放棄条項と連合国国民の請求権について
 上記において検討したところからすると,サンフランシスコ平和条約14条
(b)の請求権放棄条項により,連合国及びその国民と日本国及びその国民との相
互の請求権の問題は終局的に一切が解決されたものと認められる。すなわち,連合
国国民の個人としての請求権も,連合国によって「放棄」され,これによって,連
合国国民の実体的請求権も消滅したと解するのが相当である。
すなわち,上記(2)のオランダ代表と日本代表との交渉の経緯を見ると,両者
間においては,「日本政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国民の
あるタイプの私的請求権」が残るとしつつ,サンフランシスコ平和条約の効果とし
て,そのような請求権につき連合国国民が満足を得ることはできないとして決着を
見たものというべきである。
 そして,このように,連合国国民の個人としての請求権を含めて,一切の請求権
が放棄されたのは,我が国が,敗戦により,海外の領土の没収だけでなく,連合国
内のみならず,中国,台湾,朝鮮等にあった一般国民の在外資産まで接収され,さ
らに中立国にあった日本国民の財産までもが賠償の原資とされるといった過酷な負
担の見返りであった。また,それは,将来における日本の復興と国際社会への貢献
を期待しての措置であったのである。
 いみじくも,アメリカ合衆国カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所は,20
00年(平成12年)9月21日,第2次世界大戦中に日本軍の捕虜となった米国
兵士が強制労働の被害につき日本企業を相手取って提起した訴訟において,サンフ
ランシスコ平和条約14条(b)に関し,「日本との平和条約は,本件訴訟におい
て原告が主張している請求のような将来の請求を無効にする限りにおいて,原告の
完全な補償を将来の平和と引き換えたのである。歴史はこの取引が賢明であったこ
とを証明している。純粋に経済的な意味における原告の苦難に対する完全な補償
は,元捕虜及び他の無数の戦争生存者に対しては拒否されたが,自由な社会及びよ
り平和な世界における彼ら自身とその子孫の計り知れない生命の恵みと繁栄は,賠
償という債務に対する利払いとなっているのである。」旨判示している(乙37号
証)。至言というべきである。
なお,控訴人らは,サンフランシスコ平和条約14条(b)は,「請求
権」(claim)という語を単独で使用しているにとどまり,個人の私的請求権を意味
することを示す文言は見当たらないから,サンフランシスコ平和条約14条(b)
で放棄の対象とされた「連合国民の請求権」は連合国国民の私的請求権に関する国
家の請求権を指しているにすぎない旨主張する。なるほど,「claim」という語は,
一般国際法上は個人が直接加害国に請求できる権利ではなく,あくまでも国家のみ
が請求できるにすぎないとされているものである。しかし,サンフランシスコ平和
条約14条(b)における「claim」という語の用法について検討すると,その前後
の文脈等によれば,それは連合国国民の個人の私的請求権をも包含する趣旨で使用
されているものと解することができる。
 また,控訴人らは,サンフランシスコ平和条約が締結された当時,連合国は,日
本が復興を遂げたときは,国際法に基づき個人が日本の裁判所へ請求することを可
能とする意向を有していたとも主張する。
 しかし,これを認めるに足りる証拠はない。かえって,上記のサンフランシスコ
平和条約が締結された際の事情及び請求権放棄条項をめぐるオランダ代表団との交
渉の経緯等からすると,連合国が控訴人らの主張するような意向を有していたなど
とは認め難い。また,控訴人らの主張するような個人の将来における直接請求を肯
認すると,それは当該国家の外交的立場と抵触することともなり,それが国際的緊
張に繋がることも懸念される。そして,上記1(6)でも述べたように,第2次世
界大戦後の賠償に関する処理は,第1次世界大戦後の対独賠償のように,賠償問題
が戦敗国の経済を危機に陥れ,これが国際社会の安定を阻害する要因ともなったこ
とに対する反省に基づいていたのである。そこには,金銭賠償の問題を長期化させ
ないとの配慮があったはずである。このような事情からしても,サンフランシスコ
平和条約が締結された当時,連合国が上記のような意向を有していたなどとは考え
られない。
 控訴人らの本訴請求は,サンフランシスコ平和条約14条(b)によっても容認
する余地のないものというべきである。
4 以上のとおりであって,控訴人らの請求は,いずれの見地からも理由がない。
 したがって,控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は相当で,本件控訴は理
由がない。
 よって,主文のとおり判決する。
  東京高等裁判所第19民事部
     裁判長裁判官  淺 生 重 機
          裁判官  西 島 幸 夫
          裁判官  原   敏 雄 

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