弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

主文
1原告らの請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1請求の趣旨
(1)被告らは,原告X1に対し,各自,2億5814万4432円及びこれに対
する平成20年7月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払
え。
(2)被告らは,原告X2に対し,各自,220万円及びこれに対する平成20年
7月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3)被告らは,原告X3に対し,各自,220万円及びこれに対する平成20年
7月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4)訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
(5)仮執行宣言
2請求の趣旨に対する答弁
(1)被告Y1の答弁
ア原告らの被告Y1に対する請求をいずれも棄却する。
イ訴訟費用は原告らの負担とする。
(2)被告Y2の答弁
ア原告らの被告Y2に対する請求をいずれも棄却する。
イ訴訟費用は原告らの負担とする。
第2事案の概要等
1事案の概要
本件は,被告Y2が運営するタレント養成学校に所属していた原告X1が,
被告Y1が主催するイベントの開幕特別番組の製作に向けて実施した駅伝の
試走リハーサルに参加した際,被告Y1が熱中症に対する適切な予防策を講じ,
また,緊急時に対処するための救護体制の構築及び適切な救急搬送を行わなけ
ればならない安全配慮義務に違反したことにより,原告X1に重度の熱中症及
びこれを原因とする後遺障害が生じた(原告X1が熱中症に罹患したリハーサ
ル時の事故を以下「本件事故」という。)と主張して,被告Y1に対し,不法
行為または労務提供契約に付随する安全配慮義務違反を理由とする債務不履
行に基づき,被告Y2と連帯して,2億5814万4432円の損害賠償及び
これに対する本件事故日である平成20年7月25日から支払済みまで年5
分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,被告Y2は,被告Y1か
らの依頼に基づいて,原告X1を含む養成学校の生徒に対して前記リハーサル
への参加を事実上強制し,原告X1を被告Y1における無償の労務提供にあた
らせたのであって,熱中症に対する適切な予防策を講じ,派遣環境の安全性が
確認できなければ原告X1らの派遣を中止しなければならない安全配慮義務
に違反したことにより,原告X1に重度の熱中症及びこれを原因とする後遺障
害を生じさせたと主張して,被告Y2に対し,不法行為または在学契約に付随
する安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づき,被告Y1と連帯して,
2億5814万4432円の損害賠償及びこれに対する平成20年7月25
日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,原告X1の
父母である原告X2及び原告X3が,原告X1に重篤な障害をもたらした本件
事故を被告らが引き起こしたことによって精神的苦痛を被ったと主張して,被
告らに対し,不法行為に基づき,各自220万の損害賠償及びこれに対する平
成20年7月25日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払
をそれぞれ求める事案である。
2前提事実
以下の各事実は,当事者間に争いがないか,本件各証拠及び弁論の全趣旨に
より容易に認められる(証拠が掲示されていない事実は当事者間に争いがな
い。)。
(1)当事者等
ア原告X1は,昭和62年1月5日生まれ(本件事故当時満21歳)の男性
であり,本件事故当時,被告Y2が運営するタレント養成学校の大阪校に所
属していた者(以下,当該タレント養成学校に所属する者を「タレント生徒」
という。)である。
原告X2は原告X1の父であり,原告X3は原告X1の母である。
原告X1は,平成22年12月16日,大阪家庭裁判所から成年後見開始
の審判を受け,原告X2が成年後見人に選任された。
イ被告Y1は,放送番組の企画製作及び販売等を含めた放送事業を目的とす
る株式会社であり,後記(2)ア記載のイベントを主催し,駅伝のリハーサルを
含めた後記(2)イ記載の番組製作を行った。
ウ被告Y2は,演芸,映画その他各種の興行を目的として,芸能関係につい
て多岐にわたる事業を展開する株式会社であり,その一環として,タレント
の育成,マネージメント,エージェント業務に従事し,原告X1が本件事故
当時所属していたタレント養成学校を運営している。
(2)被告Y1主催の商業イベント及び駅伝リハーサルの概要
ア被告Y1は,平成20年7月26日から同年8月3日までの9日間にわ
たって実施された商業イベント(以下「本件イベント」という。)を主催し
た。本件イベントは,大阪城の西の丸庭園,本丸,二の丸,青屋門及びその
周辺を開催会場(以下「本件会場」という。)とするものであり,事前の来
場者予想数は60万人であった(乙A1)。
イ被告Y1は,本件イベントの開幕にあわせ,本件イベントの開幕日である
平成20年7月26日の午後1時54分から午後5時までの間,被告Y1で
生放送するテレビ番組(以下「本件番組」という。)を製作することとした。
同番組内では,被告Y1の番組出演者が,番組別にチームを組んで番組対抗
駅伝を行う企画が実施されることになった(乙A1)。
被告Y1は,本件番組の放送日の前日である平成20年7月25日に,番
組対抗駅伝を含めた本件番組のリハーサル(以下「本件リハーサル」といい,
特に番組対抗駅伝のリハーサルを「本件駅伝リハーサル」という。)を行う
こととした。
(3)本件駅伝リハーサルの試走者の募集
ア被告Y1は,平成20年7月17日,番組製作会社である株式会社Aを通
じて,被告Y2の従業員であるBに対し,タレント生徒を本件駅伝リハーサ
ルの試走者として参加させてほしい,募集人数は29名である,参加者には
一人あたり1000円を支給する旨を伝え,本件駅伝リハーサルに参加して
くれるタレント生徒の募集を依頼した(乙B1)。
イこれを受けて,被告Y2は,平成20年7月18日から同月24日まで,
タレント生徒に対して,本件駅伝リハーサルの参加者を募集した。当該募集
は,タレント養成学校の前年度の卒業生の中から被告Y2が雇用したアシス
タントが,タレント養成学校の授業終了直後にクラス内で呼びかける方法に
より行われた。原告X1は,平成20年7月21日,本件駅伝リハーサルへ
の参加を表明した。
ウ被告Y2のBは,平成20年7月24日,被告Y1の従業員であるCに対
し,本件駅伝リハーサルに参加する29名のタレント生徒の氏名リストをF
AXで送信し,送信書に「くれぐれも暑さ対策よろしくお願いします。(お預
かりしている大事な生徒さんなんで)」と記載した(乙B3)。
(4)本件駅伝リハーサルの状況
ア被告Y1は,平成20年7月25日,本件リハーサルを実施した。
イ本件駅伝リハーサルは,1チーム4名,合計7チームが編成され,本番と
同様の形式で実際に走行コースを試走するものであった。本件駅伝リハーサ
ルのコースは別紙図面(省略)のとおりであり,第1走者が走る第1区は約
420メートル,第2走者が走る第2区は約450メートル,第3走者が走
る第3区は約830メートル,第4走者が走る第4区は約1200メートル
となる全長約2900メートルのコースであった。
第1区はスタート地点となる西の丸庭園内を整備されたレーンに従って走
行するコース,第2区は西の丸庭園から二の丸を抜けて桜門をくぐり本丸内
の第3区中継ポイントまで走行するコース,第3区は本丸から桜門を出て水
堀沿いの下り坂を走行して極楽橋付近のアンカー中継ポイントまで向かう
コース,第4区は第3区の走者が走行してきた方向へ折り返し,水堀沿いの
登り坂を走行し,スタート地点である西の丸庭園内に戻るコースであった。
本件駅伝リハーサルにおいては2回の試走が行われ,タレント生徒は,1
回目の試走で第1区を走行した者は2回目の試走では第2区を,1回目の試
走で第2区を走行した者は2回目の試走では第3区を,1回目の試走で第3
区を走行した者は2回目の試走では第4区を,1回目の試走で第4区を走行
した者は2回目の試走では第1区をそれぞれ走行することになった(以上,
乙A1,乙A2,乙A13)。
ウ本件駅伝リハーサルに参加する原告X1を含むタレント生徒は,平成20
年7月25日正午ころ,本件会場の最寄り駅であるJR大阪城公園駅に集合
し,Aの従業員の案内で,本件駅伝リハーサルのスタート地点である西の丸
庭園に向かった。
原告X1らタレント生徒は,同日午後1時ころ,Aの従業員から,本件番
組及び本件駅伝リハーサルの内容並びに各自の役割等の説明を受けた。原告
X1は,1回目の試走では第3区を,2回目の試走では第4区を走行するこ
とになった。その後,原告X1らタレント生徒は,Aの従業員から,500
ミリリットルのミネラルウォーターが入ったペットボトル1本の配布を受け
た(以上,乙A1)。
エ同日午後4時50分ころ,本件駅伝リハーサルの1回目の試走が開始され,
原告X1は,同日午後4時53分ころ,第2区の走者からたすきを受け取っ
て第3区の走行を開始し,同日午後4時58分ころ,第4区の走者にたすき
を渡して走行を終えた。原告X1の1回目の走行時間は4分24秒であった。
1回目の試走後,原告X1らタレント生徒は,Aの従業員から,500ミ
リリットルのミネラルウォーターが入ったペットボトル1本の配布を受けた
(以上,乙A1,乙A2,乙A13)。
オ同日午後5時13分ころ,本件駅伝リハーサルの2回目の試走が開始され,
原告X1は,同日午後5時20分ころ,第3区の走者からたすきを受け取っ
て第4区の走行を開始した。
原告X1は,同日午後5時30分ころ,西の丸公園内に入り,走行距離に
して約900メートル地点までに熱中症を発症し,走行中にふらつくなどの
症状が現れたことから,かかる原告X1の走行の様子を見ていたAの従業員
が原告X1の走行を止めた(本件事故,乙A1,乙A2,乙A13)。
(5)救急搬送に至るまでの状況
原告X1は,同日午後5時40分ころ,Aの従業員に連れ添われ,西の丸庭
園近くの迎賓館に入り,長いすの上で横になり,被告Y1及びAの従業員数名
から急冷措置を受けた。
原告X1の症状が治まらなかったことから,被告Y1の従業員は,同日午後
5時50分ころ,本件イベントのために設置された救護所で勤務していたD看
護師に連絡を取った。
D看護師は,同日午後5時55分ころ,迎賓館に到着し,原告X1に対し応
急処置を施した。
被告Y1の従業員は,同日午後6時8分ころ,119番通報して救急隊員の
出動を要請し,同日午後6時26分ころ,本件会場に救急車が到着した。原告
X1は,同日午後6時49分ころ,甲病院に搬送された(以上,乙A1,乙A
3)。
(6)被告Y1から原告X1に対する支払
被告Y1は,平成21年7月10日,原告X1に対し,本件事故により発生
した原告X1の損害の塡補として,177万0481円を支払った。
3争点
(1)被告Y1の安全配慮義務の内容及びその違反の有無(争点1)
(原告らの主張)
ア原告X1は,平成20年7月25日,被告Y1が主催する本件駅伝リハー
サルに試走者として参加した。この際,原告X1らタレント生徒は,被告Y
1主催の事業を実施するために必要な労務を,被告Y1の指揮監督下で無償
により提供したものである。したがって,被告Y1は,原告X1らタレント
生徒に対し,本件駅伝リハーサルの試走にあたって安全を配慮する義務を
負っていた。
本件駅伝リハーサルの現場の気温は低めに考えても40度を超え,湿度は
約50パーセントと推定されることから,暑さの指数となるWBGT(We
t-bulbGlobeTemperature:湿球黒球温度)は31
度を下回らないものと推定される。この値は,財団法人日本体育協会が作成
する熱中症予防運動指針(以下「熱中症予防運動指針」という。)において,
原則として運動を中止するものとして警告された気象条件であり,日本産業
衛生学会の作業基準においても,極軽作業以外は許容されない暑熱条件とさ
れているものであるから,熱中症発症の危険性が極めて高い環境であった。
被告Y1は,原告らによる本件駅伝リハーサル時のWBGT値の推定の前提
となる,同年8月10日における気温の計測方法に問題があると主張するが,
同日における計測方法は被告Y1と事前協議の上で決定したものであって,
被告Y1はこれまで当該計測方法や計測数値を適正なものとして是認してい
たのであり,また,計測機器の感温部は極めて小さい部品であって,これに
はカバーが装着され,日光を一定程度遮断する状態となっていたのであるか
ら,同日における気温の計測方法に問題はない。
厚生労働省は,本件事故以前から各種通達を発し,職場において熱中症の
具体的な予防措置を講じることの周知徹底を求めていた。
以上の各事情からすれば,被告Y1は,原告X1に対し,具体的に,次の(ア)
ないし(カ)の安全配慮義務を負っていた。
(ア)本件駅伝リハーサル実施に先だって,熱中症予防についての適切な知識を
与え,タレント生徒に対し,予め暑熱順化(発汗量や皮膚血流量の増加,汗
に含まれる塩分濃度の低下,血液量の増加,心拍数の減少といった体の適応)
を行うように指示する義務
(イ)事前に自発的脱水症状現象(多量の塩分が発汗で失われたときに,水だけ
を飲むと血液の塩分濃度が低下し,体が更なる低下を防ぐために水を受け付
けなくなるとともに,水分を尿として排泄してしまうことにより脱水が進む
こと)を理解させ,水分とともに塩分を十分に補給しておくように指示する
義務
(ウ)熱中症の基本的知識を備え,熱中症の危険を予知し,熱中症を発生させる
危険性のある気象条件になれば,本件駅伝リハーサルの実施を中止する義務
(エ)本件駅伝リハーサルの実施前から常時,WBGTを計測し,かつ,熱中症
の知識を有する医療専門家を設置し,試走者を問診し全身をチェックするな
どして身体状況に異変がないかを確認するなど,試走者の体調を監視できる
体制を構築する義務
(オ)熱中症の発症リスクが高い行事の主催者は,熱中症患者に対する速やかな
医療措置を確保するために,緊急搬送先として集中治療のできる医療体制を
構築する必要があり,事前に熱中症の発生を見越して,発症の危険が高まれ
ば速やかに運動を中止させ,迅速に医療的措置を受けられるように,危険の
検知体制,医療専門家による救護体制,病院への救急搬送体制を構築する義

(カ)熱中症様の症状が発生した場合,即時にこれを検知し,熱中症の重篤性を
適切に判断して迅速な救急搬送を行い,必要な医療措置を適時に開始する義

イしかしながら,被告Y1は,以下のとおり,前記ア(ア)ないし(カ)記載の
各義務の履行を怠った。
(ア)被告Y1は,原告X1に対して,暑熱順化の指示を全く行わなかった。
(イ)被告Y1は,熱中症予防の基本的知識を備えておらず,自発的脱水症状の
危険を認識しないまま,塩分を含まないミネラルウォーターのみを支給して
いたのであり,熱中症の発症リスクを高めた。また,リハーサル試走者に対
して,医療専門家により,水分や塩分補給を行ったか否かを確認せず,自己
申告を求めただけであった。
(ウ)本件事故当時は,熱中症を発生させる危険性のある気象条件であったにも
かかわらず,被告Y1は,本件駅伝リハーサルを中止しなかった。
(エ)被告Y1は,リハーサル試走者に対し,体調不良の有無及び程度について
自己申告を求めたに過ぎず,熱中症の知識を有する医療専門家を設置せず,
各人の体調について問診等を行わなかった。これらの対応は,遅くとも,1
回目の試走終了から2回目の試走開始までの間に行うべきであった。
(オ)被告Y1は,適切な医療体制を構築しなかった。
(カ)原告X1の異変を認めて走行を中止させた時点から救急車の到着までに1
時間を要しており,被告Y1は,より早い時点において,原告X1の重篤な
体調異変を検知し,その時点で即時に救急搬送すべきであった。
被告Y1には,原告X1が自発的な水分補給ができなくなった午後5時3
5分,D看護師が,原告X1において水分補給できない様子を現認した午後
5時55分の各時点において救急搬送義務が生じたというべきであるが,被
告Y1は各時点で原告X1を救急搬送しなかった。
(被告Y1の主張)
ア被告Y1が原告X1に対して安全配慮義務を負う点は争わないが,その義
務内容は,当事者間の関係性や問題となる具体的状況によって異なるもので
あり,本件事故時の気象条件や予想されたタレント生徒の運動量等の事情か
らすれば,被告Y1が負う安全配慮義務の具体的内容は,激運動及び持久走
は避ける,積極的に休憩をとり水分補給をさせる,体力のない者又は暑さに
慣れていない者は運動を中止させる,参加者に対し適宜体調を確認し,参加
者が体調不良を訴えた場合や外見上体調が悪いと判断される場合には走行
を中止させる,熱中症が疑われる症状がみられた場合には,直ちに運動を中
止し,涼しい場所で安静にさせ,冷却その他体温を下げるなどの応急処置を
とり,必要に応じて速やかに医療機関に搬送するというものである。
イ(ア)原告らは,被告Y1には原告らが主張する高度の内容の安全配慮義務
がある旨主張する。
しかしながら,本件駅伝リハーサルは,本件番組の本番前に番組進行の確
認及びカメラワークの確認のために行われるものであり,タレント生徒は本
番におけるタレント等の代役であって,カメラワークの確認のための被写体
に過ぎないのであり,本件駅伝リハーサルに競技性は一切なく,試走者間で
の競争は求められておらず,このことは原告X1を含めたタレント生徒に対
して説明されていた。また,走行のペースや体調に応じて歩行することは各
タレント生徒の判断に委ねており,タレント生徒に対しては,歩いても止まっ
てもよい旨を積極的に伝えていた。
また,本件リハーサル時の気象条件は,熱中症予防運動指針における「厳
重警戒」に該当するものと推測され,環境省が発表した本件リハーサル時の
大阪のWBGTの実測値によると,午後4時時点で29.4度,午後5時時点
で25.9度,午後6時時点で26.3度であった。原告らは,平成20年8
月10日に第4区アンカー中継所において実測した気温と大阪管区気象台発
表の同日の気温との差をもとに,本件駅伝リハーサル時の乾球温度やWBG
Tの数値を推定して,本件駅伝リハーサルが熱中症発症の危険性が極めて高
い環境であったと主張する。しかしながら,WBGTの算定で必要となる乾
球温度(気温)は,直射日光による熱輻射の影響を除外して計測する必要が
あるにもかかわらず,平成20年8月10日における気温の実測方法は,直
射日光を当てた状態で計測されたものであり不適切である。また,原告らが
推定したWBGTの算出方法は不明瞭であり,合理的根拠が存在しない。
さらに,本件駅伝リハーサルにおいて予想されるタレント生徒の運動量は
わずかであり,原告X1の実際の運動量も,1回目の走行距離は約830メー
トル,走行時間は4分24秒であり,水分補給を行った22分間の休憩後の
2回目の走行距離は約900メートル,走行時間は約10分であったのであ
り,合計約15分間の短時間の運動量であった。
以上からすれば,原告らが主張する高度な内容の安全配慮義務を被告Y1
が負っていたとはいえない。
(イ)原告らは,被告Y1には,試走するタレント生徒に対し,暑熱順化の指示
を行う義務があった旨主張するが,被告Y1は,タレント生徒の参加経緯,
年齢及び参加者の個別要因を知りうる立場になかったのであるから,当該義
務は存在しない。本件駅伝リハーサルは,原告X1が参加の意思表明をした
日から4日後に予定されており,2週間程度を要する暑熱順化の指示そのも
のが問題となり得ない。
(ウ)原告らは,被告Y1には,試走するタレント生徒に対し,自発的脱水症状
現象を理解させ,塩分の供給を指示すべきであった旨主張する。
しかしながら,環境省が本件事故時までに発行した熱中症環境保護マニュ
アル2008(以下「保護マニュアル」という。)及び熱中症予防運動指針に
よれば,本件事故時の気象条件は「厳重警戒」に該当すると考えられ,運動
が原則として中止されているわけではない。保護マニュアルによれば,同条
件における対策として,「暑い時には水分をこまめに補給する。休憩は30分
に1回程度とるようにする。長時間の運動で汗をたくさんかく場合には,塩
分の補給も必要。」と記載されているところ,前記のとおり,本件駅伝リハー
サルにおける原告X1の運動量は,走行距離が合計約1730メートル,運
動時間は合計約15分に過ぎず,長時間の運動には該当しないから,自発的
脱水症状現象を理解させず,塩分を補給しなかったからといって,安全配慮
義務に違反するものではない。
(エ)原告らは,熱中症が発生する危険な気象条件になったが,被告Y1は本件
駅伝リハーサルの実施を中止しなかった旨主張するが,本件駅伝リハーサル
時の気象条件は,保護マニュアルにおける「厳重警戒」に該当すると考えら
れ,激運動及び持久走は避けるべきものとされていたが,本件駅伝リハーサ
ルにおける運動量は前記(ア)及び(ウ)のとおりであり,激運動や持久走に該
当するものではなく,本件駅伝リハーサルを中止する義務はなかった。
(オ)原告らは,被告Y1には,緊急搬送先として集中治療のできる医療体制を
作っておく必要があり,事前に熱中症の発生を見越して,迅速に医療的措置
を受けられるように危険の検知体制,医療専門家による救護体制,病院への
救急搬送体制を構築する義務がある旨主張するが,本件駅伝リハーサルはあ
くまで番組進行やカメラワークの確認であって,激運動や持久走を予定した
ものではないから,被告Y1は原告らが主張するような体制を構築する義務
を負わない。
ウ被告Y1は,本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒に対し,次の
(ア)から(カ)の配慮をしたことによって安全配慮義務を履行した。したがっ
て,被告Y1には原告X1に対する安全配慮義務の違反はない。
(ア)本件リハーサル当日,被告Y1は,タレント生徒を,室温26度から27
度の迎賓館で待機させ,1回目の走行を開始するまでは木陰で待機させた。
また,タレント生徒に対し,2回にわたり,500ミリリットルのミネラル
ウォーターが入ったペットボトルを配布した。
(イ)本件駅伝リハーサルはカメラワーク等のリハーサルであって,タレント生
徒に対して全力疾走を求めていない。駅伝の番組スタッフは,タレント生徒
に対し,繰り返し,「体調は大丈夫か。」,「走るのが無理だと思ったら手を挙
げて止まってもいい。」,「倒れられるのが一番困る。しんどかったら走らんで
もええ。歩いてもいい。」と告げて,走行前又は走行中に体調の異変があれば,
いつでも走行を中止するように注意を促した。
(ウ)本件駅伝リハーサルの1回目の走行は,暑さがやわらぐ午後4時50分か
ら行うこととした。また,2回目の走行については,走行区間及び走行その
ものについて,柔軟な対応をするようにした。
(エ)1回目の走行終了後,本件番組のスタッフが,タレント生徒に対し「気分
が悪い人はいるか。」と尋ねたが,原告X1は,気分が悪いとは言わなかった。
(オ)原告X1は,1回目の走行終了時から2回目の走行開始時までの間,約2
2分間の休憩時間をとった。
(カ)原告X1が2回目の走行を開始し,約900メートル走行した時点で,被
告Y1の従業員が原告X1の異変に気がつき,走行を中止させた。そして,
室温が26度から27度に設定された迎賓館の部屋に搬入して,原告X1の
体温が低下するように応急措置を講じた上で,D看護師の手当てを受けさせ,
救急車によって病院に搬送した。
エ原告らは,被告Y1が,直ちに原告X1を救急搬送しなかったことは安全
配慮義務に違反する旨主張するが,被告Y1は,救急搬送するまでの間,保
護マニュアルに記載された処置を講じていたのであり,症状が回復しなかっ
た時点で直ちにD看護師に対応を要請し,その後はD看護師の指示に従って
いた。その間,原告X1には意識があり,D看護師らの問いかけに応じ,保
護マニュアルにおいて医療機関への搬送の指標とされている水分の自力摂取
が不可能という状況ではなかったのであるから,被告Y1が直ちに救急車の
出動要請をしなかったことをもって,原告X1に対する安全配慮義務を尽く
さなかったとはいえない。
(2)被告Y2の安全配慮義務の有無,内容及びその違反の有無(争点2)
(原告らの主張)
ア被告Y2は,タレント生徒に対し,被告Y1からの依頼に基づいて本件駅
伝リハーサルへの参加を勧誘し,事実上参加を強制して無償の労務提供にあ
たらせた。同時に,本件駅伝リハーサルへの派遣は,テレビ番組等で活躍す
る芸人育成を目的に掲げる被告Y2の教育活動の一環として,実際の現場を
体験する実地研修の一種として行われた性質も併せ有している。したがって,
被告Y2は,タレント生徒に対し,在学契約上の付随義務として,派遣先で
の労務提供及び実地体験教育における安全に配慮する義務を負っていた。
イ被告Y1は,被告Y2にとって,被告Y2の所属タレントへ仕事を発注し
て莫大な経済的利益を生み出す重要な顧客であり,被告Y2は,各種便宜を
図ってでも被告Y1と良好な関係を維持すべきとの強い動機付けが存在す
ることから,被告Y2は,かかる背景のもとで,タレント生徒に対して本件
駅伝リハーサルへの参加を強制した。
また,タレント生徒にとって,アシスタントからの指示は,被告Y2から
の指示に他ならないところ,タレント生徒は,被告Y2や関係者と良好な関
係を築いて,将来における芸人としての成功や,テレビの出演機会につなげ
てくれることを期待しており,被告Y2に対し,意欲的に仕事に取り組む姿
勢を印象づけなければならず,その意向に逆らってはならないとの心理的圧
力を常に感じていた。被告Y2は,このようなタレント生徒の立場を十分に
認識し,両者の力関係の差を利用して本件駅伝リハーサルへの参加の勧誘を
行った。
ウ被告Y2は,本件駅伝リハーサルの危険性を十分に認識し,熱中症の危険
が生じうる過酷な環境条件でリハーサル試走が行われることを予見してい
た。
エ以上の各事情からすれば,被告Y2は,原告X1に対し,具体的に,次の
(ア)ないし(ウ)の安全配慮義務を負っていた。
(ア)タレント生徒に対し,本件駅伝リハーサル実施に先だって,熱中症予防に
ついての適切な知識を与え,予め暑熱順化を行うように指示する義務
(イ)被告Y1に対し,適切な危険検知,応急治療,医療機関への搬送体制が確
保され,熱中症に対する安全な労務環境が提供されているかを確認する義務
(ウ)本件駅伝リハーサルの安全性が確保できなければ,タレント生徒の派遣を
中止する義務
オしかしながら,被告Y2は,前記エ(ア)ないし(ウ)の義務を怠った。
(被告Y2の主張)
ア被告Y2が運営するタレント養成学校は,職業訓練を目的とした私塾で
あって,全人格的な教育を行う教育機関とは異なるのであり,在学契約に付
随する義務としての安全配慮義務を負わない。少なくとも,被告Y2がタレ
ント生徒に対して安全配慮義務を負うのは,タレント養成学校のカリキュラ
ムに基づく行為が直接問題となる場面に限られるというべきであり,本件駅
伝リハーサルはタレント養成学校のカリキュラムとは無関係であって,自ら
の体調を自主的に判断及び管理することができる年齢に達した生徒が,自主
的かつ任意に本件駅伝リハーサルへ参加したものであるから,被告Y2が本
件駅伝リハーサルに関して原告X1に対して安全配慮義務を負うことはな
い。
本件駅伝リハーサルは,タレント生徒の生命及び身体に対して危険を及ぼ
すようなものではなく,仮に,何らかの危険性があったとしても,その程度
は著しく小さいものであり,被告Y2は,これを予測し得なかった。
イ原告らは,被告Y2が原告X1を強制的に本件駅伝リハーサルに参加させ
たのであり,これは無償の労務提供にあたる旨主張する。
しかしながら,被告Y1からの依頼は単なる任意の協力依頼であり,被告
Y2としては,リハーサルに参加する人数が足りなければ,被告Y1が代替
要因を用意して対応するものと認識した上で,参加希望者の募集やその取り
まとめに事実上協力したに過ぎない。また,被告Y2と被告Y1の関係は,
長年にわたる緊密な取引により,既に強固な信頼関係が構築されているため,
仮に依頼どおりの人数を集めることができなくても,それにより前記関係に
影響を及ぼすことはないし,依頼どおりの人数を集めることができたとして
も,それにより被告Y2が被告Y1から便宜を受けることができるといった
関係にはないから,被告Y2において,被告Y1の依頼どおりの人数を集め
なければならないという積極的な動機は存在しない。
また,原告X1に参加を呼びかけた2名の女性アシスタントは,原告X1
らの1期上の先輩であって,原告X1らとは友達のような関係であり,タレ
ント生徒がアシスタントを恐れるといったことや,アシスタントの指示及び
依頼に絶対に従わなければならないという雰囲気はない。実際に,タレント
養成学校のBクラスにおける募集には出席者29名中26名,Iクラスにお
ける募集には出席者22名中4名,原告X1が所属していたCクラスにおけ
る募集には出席者18名中9名が参加を拒否したのであるから,原告X1を
含むタレント生徒の本件駅伝リハーサルへの参加の意思表明は,完全に自発
的かつ任意に行われたものである。
タレント養成学校においては,生徒らの成績評価を行っておらず,生徒が
アシスタントの指示に従うか否かは,タレントとして成功することと無関係
であるから,タレント生徒においてアシスタントの指示に対する心理的圧迫
は存在しない。
以上からすると,被告Y2が,原告X1を含むタレント生徒に対して,強
制的に本件駅伝リハーサルに参加させたとはいえず,被告Y2が被告Y1に
対して無償の労務提供を行ったものではない。
ウ仮に,被告Y2が,原告X1に対して安全配慮義務を負うとしても,被告
Y2が運営するタレント養成学校は,成年又は成年に準じる者を対象として
タレント養成のための職業訓練を行うことを目的とした私塾であること,本
件駅伝リハーサルはタレント養成学校のカリキュラムとは無関係であり,運
動負荷が低く,参加者も体調等の自己判断ができる年齢であったこと,番組
製作のプロであり,野外の大型イベントを多数手懸けている被告Y1が適切
な対応をとると期待することが当然であったことなどからすると,本件駅伝
リハーサルについて被告Y2が原告X1らタレント生徒に対して負う安全
配慮義務の内容は,被告Y1に対してタレント生徒の安全面に配慮するよう
依頼すること,タレント生徒に対して一般的な暑さ対策の注意を行うことで
足りる。
エ被告Y2は,被告Y1に対して,本件駅伝リハーサル当日に十分な休憩を
取らせることや水分補給をさせるといった暑さ対策を取るよう依頼し,本件
駅伝リハーサルに参加するタレント生徒に対して,汗をかくので着替えと飲
み物を持参するよう注意喚起をしているから,原告X1に対する安全配慮義
務を履行している。
(3)原告X1の損害の発生の有無及び被告らの各安全配慮義務違反と原告X1の
損害との間の因果関係の有無(争点3)
(原告らの主張)
ア原告X1は,本件駅伝リハーサルにおいて熱中症に罹患したことにより,
意識障害,過換気症候群,横紋筋融解症,四肢麻痺(両下肢腱反射亢進,病
的反射出現,圧力の低下),小脳症状による体幹失調,歩行不能,その他の
体幹機能障害等の症状が生じ,高次脳機能障害,四肢麻痺,体幹機能障害の
後遺障害が生じた。本件事故以降に原告X1に生じた過呼吸,脱水,意識障
害及び痙攣発作は,熱中症急性期の典型的な症状であり,原告X1が熱中症
に罹患したことは明らかである。
原告X1に生じた熱中症の症状は,熱中症の重症度の区分のうち,最も重
症となるⅢ度に該当するものであった。被告らは,原告X1の体温が,甲病
院到着時においては36.9度,同日午後8時においては37.2度であった
ことを殊更に強調して,原告X1の熱中症が軽症であったと主張するが,日
本救急医学会及び日本神経救急学会において,体温による重症度の診断は,
現場での正確な体温測定が容易でなく,腋窩等の温度は正確でない場合があ
ることから,その診断基準から体温を除外しており,本件においても,腋窩
冷却の影響及び原告X1の症状に照らし,体温を理由として原告X1の熱中
症が軽度であったと判断するのは誤りである。
原告X1のその後の症状は,熱中症による脳障害が生じたことによるもの
である。これは,原告X1のその後の症状に対して行われた器質的脳障害を
前提とする治療に効果が認められたことからも明らかである。
イ本件事故直後,原告X1に過呼吸が生じたのは,熱中症を原因とするもの
である。過換気症候群が重い身体上及び精神上の後遺障害の原因となること
はないから,原告X1に過換気症候群の既往症が存在することは,熱中症の
重症度や因果関係の判断に影響を与えるものではない。
ウ小脳症状による体幹機能障害等は,画像所見に現れないことがあることが
医学分野において報告されており,原告X1にこれを示す画像所見が存在し
ないからといって,熱中症の罹患との因果関係を否定する根拠にはならない。
エ甲病院及び乙病院における入院期間中の原告X1の症状は,意識障害,て
んかん重積,過換気発作,全身性痙攣などが続き,ICUでの治療措置も必
要となるものであり,ICU退室後はゆるやかに回復する傾向もあったが,
乙病院を退院した後も心身の障害が残存しており,介助がなければ危険な状
態が続いていた。
原告X1は,平成20年9月12日から入院した丙病院において,一貫し
て熱中症の後遺障害と診断され治療を受けてきたのであり,熱中症と後遺障
害との間に因果関係が存在することは明らかである。そして,原告X1は,
その後の治療及びリハビリにより,平成23年7月の時点で,自賠責保険後
遺障害者等級における7級に相当する後遺障害を残して症状固定した。
オ被告らは,現在の原告X1の病状の原因として,心因性疾患,解離性障害
の可能性を主張するが,原告X1の熱中症の症状は重度であり,その後の症
状推移についても熱中症の自然な経過といえるのであり,被告らの前記主張
は,カルテ上の不明確な所見をもって行われているに過ぎない。
(被告らの主張)
ア熱中症のうち最も重症となるⅢ度においては,症状として高体温(40度
以上)となるが,甲病院到着時の原告X1の体温は36.9度,同日午後8
時の体温は37.2度であり,脱水症状も翌日には正常に回復し,血液検査
の数値も翌日には殆ど全ての項目において正常値に回復したことからする
と,原告X1が罹患した熱中症の症状は,Ⅰ度にとどまる可能性が高い。
イ本件事故後に生じた過呼吸は,原告の既往症である過換気症候群を原因と
するものであり,熱中症を原因とするものではない。
ウ原告X1に小脳症状による体幹失調が発生したとの主張は否認する。
原告X1が治療を受けた医療機関のいずれにおいても,脳の検査結果に器
質性の異常が報告されてない。
エ原告X1に横紋筋融解症が発生したとの主張は否認する。
仮に,横紋筋融解症であれば,本件事故後,遅くとも平成20年7月27
日の時点で血清CK値が数千にまで急上昇するはずである。しかしながら,
平成20年7月25日から同月27日までの原告X1の数値は100程度で
あるから,原告X1に横紋筋融解症の発生は認められない。
オ以下の(ア)ないし(ウ)の理由から,原告X1が本件駅伝リハーサルにおい
て罹患した熱中症と,原告らが主張する原告X1の現在の後遺障害との間の
相当因果関係の存在を争う。
(ア)原告X1は,本件事故後の平成20年8月30日,自力で起床し,階段の
昇降,移動や入浴もできることが確認されており,同年9月1日及び同月2
日には,近くのデパートに自転車で往復することができ,多少のふらつきが
あるものの,転んだり,ぶつかったりせずに往復できたにもかかわらず,同
月6日からリハビリを受けることになり,握力が0キロまで落ちたというの
である。以上の原告X1の行動及び症状は,熱中症の予後の自然経過として
説明することが困難である。
(イ)意識障害,四肢麻痺及び体幹機能障害が発生したと原告らが主張する点に
ついては,甲病院及び丁病院の診療録において,原告X1の頭部CTの結果
に異常はなく,原告X1の症状は,平成20年7月28日の時点で,心因性
疾患が強く疑われる旨の指摘を受けている。また,本件事故後の原告X1の
MRI,ルンバール,脳波及び採血の結果に脳の器質的な異常を示す症状が
認められず,解離性障害の疑いがある旨の指摘を受けている。
(ウ)高次脳機能障害の発生は否認する。
原告X1が受診したいずれの病院の診療録においても,原告X1のCT,
MRI及び脳波検査の結果において異常は認められない。
(4)原告らの損害額(争点4)
(原告らの主張)
ア原告X1に生じた損害は,以下のとおりである。
(ア)治療関係費218万0251円
(イ)入院雑費18万円
(ウ)通院交通費28万8120円
(エ)付添看護費72万円
(オ)介護費477万6000円
(カ)将来介護費8805万4060円
(キ)家屋改造費1121万2960円
(ク)自動車改造費53万8650円
(ケ)装置器具購入費92万3437円
(コ)逸失利益9273万9935円
(サ)成年後見申立費用1万1500円
(シ)入通院慰謝料429万円
(ス)後遺障害慰謝料3000万円
(自賠責保険後遺障害等級2級相当)
(セ)弁護士費用2400万円
イ原告X2及び原告X3に生じた損害は,以下のとおりである。
(ア)近親者慰謝料各200万円
(イ)弁護士費用各20万円
ウ原告X1は,被告Y1から,平成21年7月10日,損害の填補として1
77万0481円の支払を受けた。
(被告らの主張)
ア及びイは争い,ウは認める。
第3当裁判所の判断
1認定事実
前記前提事実に加え,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の各事実
が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
(1)原告X1のタレント養成学校への入所に至るまでの経歴等
ア原告X1は,平成17年3月,高等学校を卒業し,同年4月,E学園が運
営する専門学校ミュージシャン学科バンドボーカル専攻に入学した。原告X
1は,平成19年3月,同専門学校を卒業し,大学受験に向けて受験勉強を
開始し,同時期に飲食店のアルバイトをしていたが,平成20年2月ころ,
タレント養成学校への入学を希望し,同年4月,タレント養成学校31期生
として大阪校に所属した(前提事実,甲39,原告X2本人1頁)。
イ原告X1は,本件事故当時,身長168センチメートル,体重50キログ
ラムのやせ形の体型であり,本件事故時までにスポーツの主立った経験がな
く,時々原告X2と共に走ったりする程度であった(原告X2本人22頁,
同25頁,同44頁)。
ウ原告X1は,平成18年から平成19年ころ,過換気症候群を発症した経
歴を有している(乙A3-2頁,乙A4の1-9頁,乙A4の2-11頁)。
また,原告X1は,平成19年1月以前,丁病院精神神経科に通院し,薬剤
の処方を受けていた(乙A5,弁論の全趣旨)。
(2)タレント養成学校の授業内容等
ア被告Y2が運営するタレント養成学校は,芸人及びタレントを育成するこ
とを目的として,漫才やコントなどで必要となる発声や演技の他,ネタ見せ,
大喜利及びトークといった授業を開講する団体であって,業界で活躍する作
家及びタレントを講師に据え,プロの視点から実践的なアドバイスを受ける
ことができる点,タレント養成学校在学中からテレビ出演や舞台のオーディ
ションに参加する機会がある点を利点として生徒募集において強調していた
(甲4,甲5,乙B5ないし乙B8,乙B10,B証人1頁,同10頁,弁
論の全趣旨)。
イ原告X1らタレント養成学校31期生の年間スケジュールは,4月から6
月にかけては,発声及び礼儀所作等の基礎授業,7月から9月にかけては,
ダンス,ネタの作り方及び考え方等の応用授業,10月から12月にかけて
は,テレビや舞台を意識した実践的な授業を中心に構成し,イベント出演の
機会が複数設定される,翌年1月から3月にかけては,卒業公演制作という
ものであった(乙B5,乙B8)。
ウタレント養成学校では,生徒をクラス毎に振り分けており,タレント養成
学校31期生はAクラスからJクラスまで存在したところ,原告X1はCク
ラスに所属していた(弁論の全趣旨)。
エ被告Y2は,タレント養成学校における授業を補助する人材として,前年
度のタレント養成学校の卒業生の中から,授業態度,礼儀作法及び講師との
相性等の基準で選抜した者をアシスタントとして雇用し,各クラスに配置し
ている。原告X1が所属するCクラスのアシスタントは女性2名であった
(乙B10,B証人6頁,同11頁,同21頁,弁論の全趣旨)。
オタレント養成学校では,タレント生徒の成績評価を行っておらず,1年間
のカリキュラムを受講し,出席日数を満たせば卒業公演に出演することがで
き,卒業公演への出演をもってタレント養成学校を卒業することになる。タ
レント生徒において授業態度が良好であっても,芸人としての仕事に直結す
ることはなく,おもしろいか否かが芸人としての仕事を獲得するほとんど唯
一の指標であり,タレント養成学校卒業後に仕事を得るためには,オーディ
ション等で実力が認められる必要がある。被告Y2が主催する劇場の出場者
を決めるオーディションや,外部団体が主催するコンクールの出場者を決め
るための内部選抜については,被告Y2の講師や社員が審査選考を行う。
被告Y2では,特定の個人とタレント専属契約を明示的に締結することは
なく,卒業したタレント生徒に対しても,オーディションがあることを連絡
する程度であり,タレント生徒又は卒業生がオーディションで実力を示し,
被告Y2が主催する劇場に定期的に出演することで,被告Y2の所属タレン
トとして世間的に認知されるようになる(以上,乙B10,B証人2頁,同
3頁,同13頁,弁論の全趣旨)。
(3)本件駅伝リハーサル参加者の募集依頼及び被告Y2の募集態様
ア被告Y1は,本件リハーサルを平成20年7月25日に実施することとし
た。本件リハーサルにおいては,タレント生徒を除いた約30名のスタッフ
が本件会場で業務を行った。本件駅伝リハーサルの目的は,本件番組の進行
及び試走者を被写体とするカメラワークの確認であった(前提事実,乙A1,
J証人1頁,同14頁,同32頁,弁論の全趣旨)。
イ被告Y1は,本件番組の駅伝コーナーの制作にあたり,被告Y1の従業員
にチーフを担当させ,その製作をAに委託した。
Aの従業員数名は,平成20年7月13日,本件番組内で駅伝が行われる
時間帯と同じ時間帯にコース試走を行った。その結果,Aの従業員は,本件
駅伝リハーサル及び本件番組本番において相当の酷暑が予想されると判断し,
水分の供給量をペットボトル1本から2本に増やすこととした(以上,乙A
1-4頁,弁論の全趣旨)。
ウAの従業員であるFは,平成20年7月17日,被告Y2の制作営業セク
ションに所属するBに対し,本件リハーサルが同月25日に行われる旨,そ
の際,タレント生徒に本件駅伝リハーサルの試走者として協力してほしい旨,
募集人数は29名であり,一人あたり1000円を支払う旨を記載したメー
ルを送信した。この際,Fは,Bに対し,タレント生徒に向けて本件駅伝リ
ハーサル当日の暑さ対策を講じるように告知することを依頼していない(前
提事実,乙B1,乙B10,B証人21頁,弁論の全趣旨)。
Bは,タレント養成学校の担当者であるGに対し,タレント生徒を29名
募ってほしい旨伝達すると,Gは,Bに対し,当時は夏休みシーズンである
ため,帰省する生徒が多く,29名を集められない可能性がある旨を被告Y
1又はAに伝えてほしいと告げた。これを受けて,Bは,平成20年7月1
8日,Fに対し,「時間を早急に下さい。あと,29人は難しそうなんですが,
最低何人なら大丈夫ですか?おそらくタレント養成学校も夏休みにはいるの
で,人数確保が難しいみたいです。本日メールを見られないので,携帯まで
電話ください」と記載したメールを送信した(乙B2,乙B10,B証人3
頁,弁論の全趣旨)。
エGは,平成20年7月18日までに,アシスタントを管理する業務を担当
する被告Y2の従業員であるHに対し,アシスタントを通じて,タレント養
成学校の各クラスに本件駅伝リハーサルへの参加を募集するように依頼した。
Hは,平成20年7月18日,アシスタントに対し,同日に授業のあった
Bクラス及びIクラスのタレント生徒に本件駅伝リハーサルへの参加を呼び
かけるように指示した。アシスタントは,同日の授業終了後,Bクラスのタ
レント生徒に本件駅伝リハーサルへの参加を呼びかけたところ,出席してい
た生徒29名中3名が参加する意思を表明した。また,同様に,Iクラスの
タレント生徒に本件駅伝リハーサルへの参加を呼びかけたところ,出席して
いた生徒22名中18名が参加する意思を表明した(乙B10,B証人6頁,
弁論の全趣旨)。
オHは,平成20年7月21日,原告X1が所属するCクラスの女性アシス
タント2名に対し,Cクラスのタレント生徒に本件駅伝リハーサルへの参加
をCクラスのタレント生徒に呼びかけるように指示した。
2名の女性アシスタントは,同日のCクラスの授業終了後,同クラスのタ
レント生徒に対して,「7月25日に本件イベントで走るエキストラ8名を募
集しています」,「ものすごく走って汗をかくので,着替えと飲み物を持って
行って下さい」と伝えたところ,同日授業に出席していた18名中の2名の
生徒がすぐに参加する意思を表明した。
アシスタントは,再度Cクラス全体に対して,「用事がなかったら参加して」,
「行けるんやったら行って」,「誰かいる?」と呼びかけ,そのうち生徒数人
に対し,個別に,「行ける?」,「日にち空いてる?」と声をかけたところ,前
記2名の他,原告X1を含む7名が参加の意思を表明した。所期の人数より
1名多かったため,生徒間で話し合いをし,そのうち1名が参加を辞退した
(以上,前提事実,乙B10,弁論の全趣旨)。
カBは,平成20年7月24日,被告Y1の従業員であるCに対し,本件駅
伝リハーサルに参加するタレント生徒の氏名リストをFAX送信し,送信書
に「くれぐれも暑さ対策よろしくお願いします。(お預かりしている大事な生
徒さんなんで)」と記載した(前提事実,乙B3)。
キ本件駅伝リハーサルに参加するタレント生徒の年齢は,概ね20歳前後で
あった(乙A1-6頁)。
(4)本件イベントの開催に向けた緊急時体制の整備等
ア被告Y1は,平成20年7月3日,本件イベントの開催に向けて,大阪府
警察本部,大阪市消防局及び大阪市交通局等と協議を行い,本件イベントに
おける緊急事態の発生に備え,緊急時の連絡体制や救急患者が発生した場合
の対応手順を策定した(乙A32,乙A33)。
イ被告Y1は,本件イベントが夏期に開催されることに鑑み,救急患者の発
生に備え,本件イベント開催初日の前日であり本件リハーサルが実施された
平成20年7月25日及び本件イベントの開催期間(平成20年7月26日
から同年8月3日)に,医師又は看護師が常駐する救護所を本丸と二の丸庭
園の2箇所に設置した。
被告Y1は,本件リハーサルが実施された平成20年7月25日午後1時
から午後6時までの間,D看護師を二の丸庭園救護所で,I看護師を本丸救
護所でそれぞれ勤務させた。同日におけるD看護師らの勤務の目的は,翌日
に開催を控えた本件イベントに向けて,救護室の資材及び機材を整えるもの
であった。
D看護師は,28年間,戊病院において看護師として勤続した経歴があり,
同病院を退職後は,短期イベントの救護業務に従事していた(以上,乙A1)。
(5)本件リハーサル時の気象条件等
ア大阪管区気象台は,本件リハーサル時における気温及び相対湿度を,別表
「大阪管区気象台発表の本件リハーサル時の気象条件」記載のとおり発表し
た。
被告Y1は,本件リハーサル当日,本件会場の気温,相対湿度及びWBG
T等の数値を測定していない(以上,乙A37,弁論の全趣旨)。
イ原告X2は,平成20年8月10日午後2時30分から午後5時40分ま
での間,被告Y1の従業員,Aの従業員及び被告Y2の従業員であるGの立
会いの下,本件駅伝リハーサルの第4区のスタート地点において,10分毎
に気温の測定を行った。当該測定は,地上からの高さ約150センチメート
ルの位置に設置した,ナイロン製の黒い帽子の上に測定センサーを直射日光
下に置いて行われた。測定センサーの感温部は,格子状のカバーで覆われて
いた。
大阪管区気象台が発表した同日の気温は,別表「平成20年8月10日の
気象条件」の「ⅰ気象台気温(度)」記載のとおりであり,前記測定の数値は,
同表「ⅱ第4区気温(度)」記載のとおりである(以上,甲10,甲60,甲
61,乙A17,乙A42ないし44,原告X2本人17頁,弁論の全趣旨)。
ウ環境省は,本件リハーサル時における大阪のWBGTの数値を,別表「環
境省発表の本件リハーサル時の大阪のWBGT」の「時分」及び「WBGT
(度)」欄記載のとおり発表した。環境省が発表した前記WBGTの数値の大
阪の観測地点は不明である(乙A41,弁論の全趣旨)。
(6)本件事故当日における1回目の試走に至るまでの経緯
ア原告X1を含む本件駅伝リハーサルに参加するタレント生徒は,平成20
年7月25日正午ころ,本件会場の最寄り駅であるJR大阪城公園駅に集合
し,Aの従業員から交通費として各自1000円を受け取った後,同人の案
内で,本件駅伝リハーサルのスタート地点となる西の丸庭園に向かった(前
提事実,乙A1)。
この際,Aの従業員は,集合したタレント生徒に対し,体調不良の者がい
ないかを確認するための呼びかけを行った(乙A1)。
イAの従業員は,同日午後1時ころ,タレント生徒に対し,西の丸庭園に設
置された本件イベントのメインステージ裏にある木陰において,本件番組及
び本件駅伝リハーサルの内容並びに本件駅伝リハーサルにおける各自の役割
等の説明を行った。また,Aの従業員は,タレント生徒に対し,本件駅伝リ
ハーサルの試走にあたり,走るのが無理だと思ったら手を挙げて途中で止
まってもよい旨,倒れられることが一番困るから体が苦しくなったら走らな
くてよく,歩いてもよい旨を繰り返し説明した。
原告X1は,1回目の試走では第3区(約830メートル)を,2回目の
試走では第4区(約1200メートル)を走行することになり,1回目の試
走では40歳代後半の男性アナウンサーの代役を,2回目の試走では30代
のアナウンサーの代役をそれぞれ務めることになった。
その後,原告X1らタレント生徒は,Aの従業員から,500ミリリット
ルのミネラルウォーターが入ったペットボトル1本の配布をそれぞれ受けた
(以上,前提事実,乙A1,乙A2,乙A13,J証人4頁,同16頁,弁
論の全趣旨)。
ウ原告X1らタレント生徒は,同日午後1時35分ころ,西の丸公園内に建
築された迎賓館に向かい,本件駅伝リハーサルが開始されるまでの間,同所
で待機した。迎賓館内は冷房が作動していた(乙A1)。
エ原告X1らタレント生徒は,同日午後3時30分ころ,迎賓館を出て,本
件駅伝リハーサルのそれぞれの走行区間のスタート位置への移動を開始した。
原告X1は,第3区のスタート地点である別紙図面の第3区中継ポイントに
向かい,本件駅伝リハーサルが開始するまで,同所付近で待機し,空いた時
間でコースを徒歩で確認した。第3区中継ポイント付近には木陰が存在する
(乙A1,乙A2,乙A13)。
(7)1回目の試走及び2回目の試走に至るまでの経緯
ア被告Y1は,同日午後4時50分ころ,本件駅伝リハーサルの1回目の試
走を開始し,第1区を担当するタレント生徒が走行を始めた(乙A1,乙A
2,乙A13)。
イ原告X1は,同日午後4時53分ころ,第2区を担当するタレント生徒か
ら1位でたすきを受け取って第3区の走行を開始し,他のタレント生徒数名
に追い抜かれ,同日午後4時57分ころ,別紙図面のアンカー中継ポイント
に到着し,走行を終えた。このときの走行時間は4分24秒であった。原告
X1は,2回目の試走までの間,アンカー中継ポイント付近で待機した。ア
ンカー中継ポイント付近には木陰が存在する(乙A1,乙A2,乙A13,
弁論の全趣旨)。
ウ被告Y1は,アンカー中継ポイントに到着した原告X1に対し,500ミ
リリットルのミネラルウォーターが入ったペットボトル1本を配布した(乙
A1)。
エ被告Y1又はAの従業員は,各中継ポイントにおいて,1回目の試走を終
えたタレント生徒に対し,体調が悪い人がいないか確認する趣旨で声をかけ
ると,第3区を走行したKが挙手をして,交代要員との交代を申し出た。し
かし,被告Y1又はAの従業員は,挙手したKの他に,同じく第3区を走行
したLが汗を大量にかいて激しく息切れをしていたことから,Lを交代要員
と交代させて,Lの2回目の試走をやめさせた。これにより,当初挙手した
Kは2回目の試走に参加することになった。この際,原告X1は体調不良を
訴えなかった(以上,乙A1,弁論の全趣旨)。
(8)2回目の試走及び試走中止までの経緯
ア被告Y1は,同日午後5時13分ころ,本件駅伝リハーサルの2回目の試
走を開始し,第1区を担当するタレント生徒が走行を始めた(乙A1,乙A
2,乙A13)。
イ2回目の試走で第1区を走行したタレント生徒の1人は,走行終了後,頭
痛を主症状とする体調不良が生じ,これに気づいた被告Y1の従業員が同タ
レント生徒に声をかけ,体を横に寝かせて冷たいお茶を首に当てるなどして
急冷措置を講じた。同タレント生徒は,第2区中継ポイントで休憩している
と,後記ウのとおり,第4区を走行する原告X1が西の丸庭園に入ってきた
ところで従業員に走行を制止させられる状況を視認した(乙A1)。
ウ原告X1は,同日午後5時20分ころ(1回目の試走終了時から約22分
後),第3区を担当するタレント生徒から3位でたすきを受け取って第4区の
走行を開始した。
原告X1は,同日午後5時30分ころ,西の丸公園内に入り,走行距離に
して約900メートル地点までに熱中症を発症し,ふらつきが目立つように
なり,原告X1の当該状況を確認したAの従業員は,原告X1に対し,走行
を止めるように背後から声を複数回かけたが,原告X1はゆっくりとしなが
らも走行を続けようとした。Aの従業員らは,原告X1の走行を中止させる
こととし,原告X1の走行を停止させた(以上,前提事実,乙A1,弁論の
全趣旨)。
(9)応急処置及び搬送時の状況
ア原告X1の走行を停止させたAの従業員は,原告X1に対し,呼吸を整え
るように声をかけるとともに,お茶が入ったペットボトルを手渡した。原告
X1は,自力でペットボトルのフタを空け,お茶を二,三口程度飲んだ。
原告X1は,Aの従業員の肩を借り,迎賓館まで歩行で向かっていたが,
迎賓館まで残り約59メートル付近でAの従業員に担がれ,同日午後5時4
0分ころ,迎賓館に搬送された(以上,乙A1,乙A26)。
イ迎賓館に到着後,Aの従業員らは,原告X1の靴を脱がし,玄関に設置さ
れていた長いすに原告X1を寝かせて,原告X1が着ていたTシャツ及び靴
下を脱がし,両脇に水が入ったペットボトルを挟み,後頭部と額に冷却剤を,
胸部に濡れたタオルをそれぞれ当てて各部を冷やし,着ていたズボンの紐を
弛めた。
その後,同所に駆けつけた被告Y1及びAの従業員らは,2名から4名の
体制で,原告X1をうちわで扇ぎ続けた。また,Aの従業員は,原告X1に
対し水を飲むか尋ねると,原告X1がうなずくように返事をしたため,ペッ
トボトルを傾けて原告X1に水を与えたところ,原告X1は少しの分量を飲
んだ。
原告X1の顔面はやや赤みがかかった状態であったが意識はあり,その場
にいた被告Y1又はAの従業員に対し,手が痺れている旨の症状の説明をし
た(以上,前提事実,乙A1,乙A16,乙A25,乙A26)。
ウ被告Y1又はAの従業員は,同日午後5時50分ころ,原告X1の症状が
改善しないことから,西の丸庭園に設置された救護所に連絡し,D看護師の
派遣を要請した。
D看護師は,同日午後5時55分ころ,迎賓館に到着し,原告X1に対す
る応急処置に加わった。
D看護師は,原告X1の呼吸が荒く,手のひらが反り,両足が突っ張った
ような状態であったことから,原告X1に熱中症と過呼吸の状態が生じてい
ると判断し,これに対処するため,ビニール袋を原告X1の口に当て,リラッ
クスして平常の呼吸に戻すように指導した。この処置により一度は原告X1
の症状も落ち着いたが,しばらくすると再び過呼吸の症状が生じ,足を蹴る
ような動作や手指を強く握りしめる動作が生じた。
D看護師は原告X1に対し水を飲ませようとしたところ,原告X1は水を
1口目は飲んだが,2口目はむせたことから,D看護師は水の補給を中止し
た(以上,乙A1,乙A16,乙A25)。
エ被告Y1の従業員は,原告X1の症状が改善しないことから,救急車の要
請を提案したところ,D看護師も原告X1を病院に搬送した方が良いと判断
してこれに同意したことから,被告Y1の従業員は,同日午後6時8分ころ,
119番通報をした。
D看護師は,救急車が到着するまでの間,過呼吸の症状に対する処置を原
告X1に講じながら,原告X1に対し,過去に同じように過呼吸の症状が生
じたことがあるかを尋ねると,原告X1は頷いて返事をし,また,過去に過
呼吸の症状が出たときは病院に行ったかを尋ねると,原告X1は頷いて返事
をした(以上,乙A1)。
オ同日午後6時26分ころ,迎賓館に救急隊員が到着し,原告X1は救急車
に収容され,同日午後6時49分ころ,原告X1は甲病院に搬送された(乙
A1,乙A3)。
(10)甲病院搬送後の同病院における原告X1の症状
ア原告X1が甲病院に搬送された当時,原告X1の体温は36.9度であり,
同日午後8時の時点では37.2度であった(いずれも測定部位は不明であ
る。)。また,搬送直後の原告X1には大量の発汗,過換気及び脱水の症状が
生じており,過換気に対してはペーパーバック法による処置が施され,脱水
に対しては点滴が施された。血圧及び心拍数に大きな異常はなかった。
甲病院搬送直後に実施された原告X1の尿検査の結果は,総ビルリン値が
正常値より高い他は特に異常が認められなかった。また,甲病院搬送直後に
実施された原告X1の血液検査の結果は,白血球数が正常値よりわずかに高
い他は特に異常が認められなかった。
甲病院搬送直後に実施された原告X1の頭部CT検査においては,目立っ
た異常が認められなかった。
意識障害の深度を表すJCSによる原告X1の甲病院搬送直後の意識レベ
ルは,JCS3であった(以上,乙A1,乙A3)。
(JCSとは,日本で主に使用される意識障害の深度に関する分類であり,
覚醒度によって3段階に分け,さらに各段階においてそれぞれ3つに区分さ
れ,具体的には次のとおり分類される。)
Ⅰ覚醒している(1桁の点数で表現)
0意識清明
1見当識は保たれているが意識清明ではない
2見当識障害がある
3自分の名前・生年月日が言えない
Ⅱ刺激に応じて一時的に覚醒する(2桁の点数で表現)
10普通の呼びかけで開眼する
20大声で呼びかけたり,強く揺するなどで開眼する
30痛み刺激を加えつつ,呼びかけを続けると辛うじて開眼する
Ⅲ刺激しても覚醒しない(3桁の点数で表現)
100痛みに対して払いのけるなどの動作をする
200痛み刺激で手足を動かしたり,顔をしかめたりする
300痛み刺激に対し全く反応しない
イ同月26日午前,原告X1の体温は36度前後を維持していた。他方で,
原告X1には過換気の発作や全身性の痙攣が生じ,意識レベルはJCS20
に低下し,一点を凝視して,質問に対しては「うん」とのみ返答する状態で
あり,構音障害が発生した。
原告X1は,関節可動域の制限や筋力低下等により,一日中ベッド上で過
ごし,日常生活動作のほぼ全てにおいて介助を要する状態であった。
平成20年7月26日に実施された原告X1の血液検査において,PaC
o2の数値は39.4mmHg,BEの数値は1.6モルリットルであった。
原告X1は,同日午後零時15分ころ,頭部CT及び血液検査の数値に異
常がないことから,甲病院を退院し,乙病院の脳外科に入院することになっ
た(以上,乙3)。
(11)乙病院入院後の原告X1の症状経過等
ア原告X1は,平成20年7月26日から同年8月21日までの間,乙病院
に入院した。
イ同年7月26日午後零時30分ころ,原告X1の意識レベルはJCS30
から100となり,また,全身性痙攣が断続的に発生したことから,原告X
1は,同日午後4時41分から同月30日午後2時20分までの間,同病院
のICUに入室することになった。ICUに入るまでの間,原告X1は,医
師や看護師からの質問に対して頷いて答えたり,体調を問われると「大丈夫」
と小声を発して返答する程度の意識は保っていた。
ICUにおける原告X1の意識レベルは,概ねJCS3を維持するもので
あり,痙攣の発生頻度は,当初は頻発していたが,徐々に低下していった。
また,痙攣の際には過換気の症状が発症することがあった。
ウ原告X1は,同年7月28日,乙病院の神経科を受診した。原告X1を診
察した神経科の医師は,原告X1の症状について,器質性疾患であるかどう
かははっきりとしないが,心因性疾患を強く疑う旨の診断を行った。
エ原告X1は,同年7月30日午後2時20分,乙病院のICUから通常の
病棟に転床した。
原告X1には,同日及び翌31日,過呼吸及び痙攣の症状が一時的に発生
した。原告X1は,同年7月30日ころから,両上肢,特に手指の痺れを訴
えるようになった一方で,頭や鼻をかいたり,おしぼりを持って体を拭いた
りする動作をすることが可能であった。
同日から同年8月21日までの原告X1の意識レベルは,JCS0から2
を推移するまでに回復した。身体の痙攣は,体を動かす等,身体に刺激が加
わる際に一時的に生じる程度となり,同年8月9日以降は一切痙攣が発生し
なくなった。また,同年8月7日以降,過呼吸の発生もなくなった。
オ原告X1は,同年8月7日,丁病院精神神経科に通院した。同病院の医師
は,原告X1を診察し,器質的な問題がないこと及びこれまでの経過から判
断して,解離性障害が疑われる旨の診断を行い,原告X2に対してこれを説
明した。また,処方薬として,原告X1に対し,精神安定剤であるソラナッ
クスを処方した。
カ原告X1は,関節可動域の制限や筋力低下等により,日常生活動作のほぼ
全てにおいて介助を要する状態であったため,同年8月8日,乙病院のリハ
ビリテーション科において,理学療法,作業療法及び言語療法による各リハ
ビリを開始した。
キ原告X2は,同年8月16日,乙病院の医師に対し,原告X1の以前の病
気は完治していると思っている,被告Y1とは訴訟になると思うので,守秘
義務を守るように告げた。
ク原告X1は,同年8月21日,乙病院を退院した。乙病院の医師は,その
最終診断として,原告X1の主病名をヒステリーと診断した。
原告X1の身体機能は,同日までに,歩行器を用いずにゆっくり歩行でき
る程度まで回復した(以上,甲10,乙A4の1,乙A4の2,乙5)。
(12)乙病院退院後の原告X1の症状経過
ア原告X1は,同年8月21日,乙病院を退院後,原告X2とともに丁病院
精神神経科に赴き,ソラナックスの処方を受け,その後自宅に到着した。
イ原告X1は,同年8月23日,軽介助を要しながら,シャワーを自分で行
い,浴槽へ入る際も,手及び足の移動を手順どおりにゆっくりと実行するこ
とが可能であった。また,浴槽に自力で座ることが可能であり,浴槽の縁及
び壁をゆっくりと手を移動させながら,左足及び右足を動かすことが可能な
状態であったが,立ち上がるときなど,体の重心が膝よりも下にあると体を
持ち上げるために介助を要する状態であった。
ウ原告X1は,同年8月28日,自宅において,胡座をかいてテレビを見た。
また,原告X1は,同年8月29日,自宅において,自力で入浴を行った。
さらに,原告X1は,同年8月30日ころ,自力で起床し,自宅1階内の移
動には松葉杖を携行しないで移動することができ,階段は右手に松葉杖を持
つことで昇降をすることができた。
エ原告X1は,同年9月1日及び翌2日の各日,自宅から約1キロメートル
離れたデパートまで,自転車を運転して当該区間を往復した。自宅から当該
デパートまでの距離は約1キロメートルであり,自宅とデパートを往復する
ためには,道中にある片道2車線合計4車線の国道を横断する必要がある。
原告X1は,多少のふらつきがあるものの,転倒したり障害物にぶつかった
りすることなく,自転車を走行して,当該区間を往復した。
オ原告X1は,同年9月6日,身体のふらつきが解消しないことから,己病
院を受診した。
カ原告X1は,同年9月8日,丙病院に通院し,同月12日から同年12月
12日までの間,同病院に入院した。
丙病院入院当初の原告X1は,全身の筋力が低下し,その握力は左右共に
0から1キログラムであり,上下肢の筋力の状態は,MMT(徒手筋力検査
法)によれば,2(重力の影響を除いた肢位でなら,運動範囲全体,または
一部にわたって動かすことができる状態)又は3(動範囲全体に渡って動か
すことができるが,徒手抵抗には抗することができない状態)であった。ま
た,両下肢の筋緊張が中程度に亢進していた。
丙病院入院当初の原告X1の動作能力は,寝返り,起き上がり動作及び座
位保持は軽介助により可能であり,移動動作,立ち上がり,立位保持及び平
行棒内の移動は,動作はゆっくりであり,手すりを把持しなければ困難であっ
た。また,握力や下肢の筋力が低下していたため,車椅子を自ら操作するこ
とは困難であった。
丙病院入院当初の原告X1の知能指数は,言語性IQが77,動作性IQ
が61,全検査IQが67であった。
キ原告X1は,同年9月20日,握力が右13.5キログラム,左13.2キ
ログラムにまで回復し,上肢を用いて車椅子の操作を行うことができるよう
になった一方で,同年9月22日には,右7.5キログラム,左8.3キログ
ラムに落ち込むなど,日によって筋力の強さにむらが生じていた。また,こ
の頃,原告X1の下肢の筋力の回復は滞っていた。
ク原告X1は,同年9月23日ころから,筋肉の過度な使用の影響により,
持続的に腰痛が生じるようになり,また,同月29日ころから,右下肢に一
時的に震えが生じるようになった。
ケ原告X1は,同年10月3日,丁病院精神神経科において,右下肢の震え
の原因がてんかんであるか否かを判断するため,脳波検査を受けたが,検査
結果からは発作系の痙攣を引き起こす脳波の反応は認められず,てんかんが
震えの原因であることには否定的である旨の診断を受けた。同病院の精神神
経科の医師は,原告X1の症状を,器質的な問題がないということであれば,
ヒステリー,身体表現性障害が考えられると診断した。また,原告X1は,
同日,同病院からソラナックスの処方を受けた。
コ丙病院の医師は,同年10月31日,原告X2及び被告Y1の担当者と面
談し,原告X1の症状について,脳が原因というよりは,骨格筋,横紋筋の
熱によるダメージと思われ,筋肉繊維が一部破壊され,筋繊維が少ない状態
と考えられる旨を説明した。
サ原告X1は,同年11月6日,庚病院の整形外科で,腰痛の治療のためM
RI検査を受けたところ,軽度の腰椎椎間板ヘルニアが認められた。同病院
の医師は,同月10日,原告X1の下肢のしびれや筋力低下と当該ヘルニア
との関連性は低く,腰痛の原因は長期臥床による筋力低下と考えられる旨の
診断を行った。
シ丙病院の医師は,同年11月15日,原告X2と面談し,原告X2に対し,
原告X1の腰痛の原因はヘルニアであるが,筋源性であり,熱中症による熱
融解により筋力が落ち,リハビリによる負荷によって痛みが起こっているか
もしれない,ただし,作業療法中は比較的長時間の車椅子の坐位が可能であ
り,精神的な要因もあり得るとの考えを説明した。
ス原告X1には,同年11月17日ころから,右下肢に加え,両上肢の末端
部に中等度から軽度の,左下肢に中等度の鈍麻の症状が生じた。
セ原告X1は,同年11月下旬ころから症状が改善し,腰痛や運動時の痛み
の訴えが減少し,右下肢の痺れも軽減し,握力は右10.3キログラム,左
8.8キログラムに回復した。また,腰痛の軽減により立位保持が改善し,
平行棒内での歩行が可能となり,歩行器を用いた歩行は二,三メートル程度
可能になった。
ソ原告X1は,同年12月12日,丙病院を退院した(以上,甲10,乙A
5ないし乙A7,乙A11,原告X2本人,弁論の全趣旨)。
(13)口頭弁論終結時までの原告X1の症状
ア原告X1は,平成22年2月ころ,原告X2及び祖父に対し,おもちゃを
買ってくるようにだだをこねることがあり,原告X2らは,これに応じて大
量におもちゃを購入した(甲11(枝番を含む。),原告X2本人13頁)。
イ原告X1は,平成23年9月ころから,飲食店でのアルバイトを始めたが,
アルバイト先から解雇されて長くは続かず,その後もアルバイト先を繰り返
し変更し,現在就労しているアルバイト先は,本件事故時から起算して6社
目の勤務先となる(原告X2本人15頁,同18頁)。
ウ原告X1は,友人から,平成23年8月7日に36万円を,平成24年6
月17日に56万円をそれぞれ借り入れ,各借入れ時に,あらかじめ印字さ
れた借用書に署名,押印した(甲44,甲45)。
エ当裁判所における審理において,当裁判所及び当事者双方は,第19回弁
論準備手続期日以降,原告X1の当事者尋問の実施を検討し,原告ら訴訟代
理人を通じて原告X1に対して尋問の実施を求めたが,前記期日から約6か
月後に開かれた第21回弁論準備手続期日に至っても,原告X1はこれに応
じず,当裁判所は,原告X1を尋問する見通しが立たないとことから,原告
X1の当事者尋問を行わないこととした(原告X2本人16頁,弁論の全趣
旨)。
(14)熱中症について
ア意義及び発生機序
熱中症は,暑熱環境における身体適応の障害によって起こる状態の総称を
いう。ヒトの深部体温は37.5度程度に厳密に制御されており,高温環境に
おいて,自律神経を介して末梢血管を拡張し,皮膚に多くの血液が分布させ
ることで,外気への熱伝導により,また,汗の蒸発に伴い熱が奪われること
により,それぞれ体温低下を図っているところ,熱中症は,血液の分布の変
化や,水分及び塩分の減少に身体が対処できず,熱の産生と熱の放出のバラ
ンスを崩し体温が上昇した状態を指す(甲1,甲6,甲20,甲21,甲4
6)。
イ発症原因
熱中症の原因は,環境因子と個人の素因に基づく。
環境因子としては,高温,多湿,風が弱い場所など,身体から外気への熱
放散が減少し,汗の蒸発が不十分になる状況が挙げられる。
個人の素因としては,脱水状態,高齢者,肥満,過度に衣服を着ている人,
運動不足,暑さに不慣れな人,体調不良の人などが挙げられる(甲20)。
ウ症状及び重症度
(ア)熱中症は,具体的な治療の必要性,熱中症が疑われる症状が生じた場合に
一般人が容易に重症度を理解することが可能となり,重症化の予防と早期発
見に役立たせるという観点から,その重症度がⅠ度からⅢ度に分類されてい
る。各分類における具体的な症状は,以下のとおりである(甲1,甲20,
甲21,甲46,甲47,乙A21(日本救急医学会熱中症に関する委員会
「本邦における熱中症の症状-HeatstrokeSTUDY2010
最終報告-」(日救急医会誌23巻211頁)))。
aⅠ度(現場にて対応可能な病態)
めまい,失神,筋肉痛・筋肉の硬直(こむら返り,熱痙攣),大量の発汗
なお,意識障害を認めない。
bⅡ度(速やかな医療機関への受診が必要な病態)
頭痛,気分の不快,吐き気,嘔吐,倦怠感,虚脱感,集中力や判断力の低
下(JCS1以下)
cⅢ度(採血,医療者による判断により入院,場合により集中治療が必要な
病態)
次の3つのうちいずれかに該当する。
(a)中枢神経症状(意識障害の程度がJCS2以上,小脳症状,痙攣発作)
(b)肝・腎機能障害(入院経過観察,入院加療が必要な程度の肝または腎障害)
(c)血液凝固異常(急性期DIC診断基準にてDICと診断)
(イ)熱中症の重症度を示す前記Ⅱ度とⅢ度の区別基準として,平成11年ころ,
以下の基準が提唱された。以下のd(a)ないし(c)の3つの兆候が全て揃う場
合は,1つ又は2つの場合に比べて死亡リスクが高まる(甲21(安岡正蔵
「熱中症の概念と重症度分類」(日本医師会雑誌第141巻第2号259
頁)))。
a対象者に暑熱への曝露がある。
b頭部外傷などの外疾患が否定される。
c深部体温(直腸温)で39度以上(腋窩温で38度以上)の高熱がある。
d前記aないしcの条件を満たし,次のいずれかの症状があれば,Ⅲ度熱中
症と診断される。
(a)脳機能障害(意識消失,せん妄状態,小脳症状,全身痙攣)
(b)肝腎機能障害(血液中のAST,ALT,BUN,クレアチニン又はCP
Kの上昇,尿中ミオグロビン)
(c)血液凝固障害(DIC)
(ウ)日本救急医学会では,体温による重症度の判断は,本質的に深部体温が用
いられるところ,現場では体温測定が容易ではなく,腋窩等の温度は,冷却
処置等により正確でない場合があり,重症度を正確に判断する指標として適
切でないとの理由から,前記(イ)の基準のうち,深部体温(直腸温)で39
度以上(腋窩温で38度以上)の高熱があること(前記c)をⅢ度該当性の
要件として採用していない(甲46,甲47,乙A21)。
(エ)熱中症は,前記(ア)記載の分類の他,従来から,その発生機転や病態,障
害の程度により,重症度の軽度な順から,日射病,熱痙攣,熱疲労,熱射病
に分類されている(当該分類を以下「旧分類」といい,前記(ア)記載の分類
を以下「新分類」という。)。
旧分類における熱中症の原因となる病態,発症者の体温,病状は,以下の
表のとおりである(以上,甲6,甲47,乙A21)。
日射病熱痙攣熱疲労熱射病
原因病態
太陽光線
相対的脱水
大量発汗
Na欠乏性脱水
大量発汗・脱水
体温調節能破綻
大量発汗・脱水
うつ熱
体温調節能破綻
体温正常又は低下38度以下38~40度40度以上


中枢
神経
頭痛・めまい
一過性意識障害
神経症状(-)
意識障害(-)
頭痛・めまい
中等度意識障害
意識障害(昏眠)
痙攣
皮膚
蒼白
発汗(+/-)
蒼白
発汗(++)
蒼白
発汗(++)
紅潮乾燥
発汗(-)
筋痙攣(-)一過性有痛性痙攣有痛性痙攣(+)(-)
その他(-)(-)
全身倦怠感
吐気
ショック
横紋筋融解症
多臓器不全
DIC
(オ)自発的脱水症状とは,大量の汗をかくことで体内の塩分が不足し,血液中
の塩分濃度が低下した状態で水分のみを摂取すると,体液浸透圧が低下し,
体が水分を受け付けず水利尿が起こり,汗から失った水分量を補給できない
状態をいう(甲19,甲22)。
エ熱中症が疑われる症状が存在する場合の対処方法
本件事故当時までに環境省が発行した「熱中症環境保護マニュアル200
8」(保護マニュアル)によれば,熱中症が疑われる症状が存在する場合には,
現場において次の手順を踏むこととされている(甲20)。
(ア)対象者の意識を確認し,意識がある場合には,涼しい環境へ避難し,脱衣
と冷却を行う。対象者の意識がないか,呼びかけに対して返事がおかしい場
合は,救急隊に出動要請した上で,前記行動を行う。
脱衣と冷却は,具体的に,衣服を脱がせる,露出した皮膚に水をかけ,う
ちわや扇風機などで扇ぐことにより体を冷やす,氷嚢などがあれば,それを
頭部,腋窩部(脇の下),鼠径部(大腿の付け根,股関節部)に当てて皮膚の
直下を流れている血液を冷やす作業を行う。
(イ)対象者の意識がある場合,脱衣と冷却を行った上で,対象者が水分を自力
で摂取できる場合には,水分及び塩分を補給し,自力で摂取できない場合に
は,直ちに医療機関へ搬送する。
オ予防方法
保護マニュアルによれば,熱中症の予防として,以下の方策を講じること
が推奨されている(甲20)。
(ア)運動時
a環境条件を把握する。環境条件の指標は,気温,湿度,輻射熱を合わせた
後記のWBGTによることが望ましいが,気温が比較的低い場合は湿球温度
を,気温が比較的高い場合には乾球温度(気温)を参考にする。
b状況に応じた水分補給を行う。暑いときにはこまめに水分を補給し,休憩
を30分に1回程度とるようにする。長時間の運動で汗をたくさんかく場合
には,塩分の補給を要する。
c体を暑さに徐々に慣らす。
d個人の条件や体調を考慮する。体力のない人,肥満,暑さになれていない
人は熱中症を起こしやすいため,運動を軽減する。また,下痢,発熱,疲労
など体調不良の場合には熱中症を起こしやすいため,無理をしない。
e服装は吸湿性や通気性のよい素材を選択する。また,直射日光は帽子で防
ぐ。
(イ)高温環境下での労働時
a作業環境の管理として,屋外作業においては直射日光を避けることのでき
る簡易な屋根等を設ける,作業場所に適度な通風や冷房を行うための設備を
設ける,作業場所に身体を適度に冷やすことのできる物品又は設備等を設け
る,作業場所の近隣に冷房室や日陰などの涼しい休憩場所を設ける,水分や
塩分を容易に補給できるようにする,作業場所に温度計や湿度計を設置し,
作業中の温湿度の変化に留意する。
b作業の管理として,気温条件,作業内容,労働者の健康状態等を考慮して,
作業休止期間や休憩時間の確保に努める,吸湿性及び通気性のよい服装にす
る,直射日光下では通気性の良い帽子等を被らせる。
c健康の管理として,作業開始前に労働者の健康状態を確認する,作業中は
巡視を頻繁に行い,声をかけるなどして労働者の健康状態を確認する,労働
者に対し,水分や塩分の補給等で必要な指導を行う,休憩時間に体温を測定
させる。
d労働衛生教育として,熱中症の症状及び予防方法,緊急時の救急措置並び
に熱中症の事例について教育を行う。
e救急措置として,救急連絡網をあらかじめ作成し,関係者に周知する,病
院,診療所等の所在地及び連絡先を把握しておく。
カWBGTについて
(ア)人体と環境の間の熱収支は,伝導,輻射,対流及び蒸発の過程に依存して
おり,具体的な環境条件としては,気温,気流,湿度及び物体表面温度(輻
射熱)が挙げられる。
WBGT(Wet-bulbGlobeTemperature:湿球
黒球温度)は,高温環境の指標に用いられる数値であり,前記4つの環境条
件のうち,気温,湿度及び輻射熱の3条件を用いて算出される数値であり,
後記平成13年通達において,暑熱環境の指数として活用することとされた。
屋外で日射がある場合におけるWBGTの算定式は,次のとおりである。
WBGT=(0.7×湿球温度)+(0.2×黒球温度)+(0.1×乾球温度)
なお,湿球温度とは,ある空気塊を一定気圧に保ちながら,その空気塊の
中に水を蒸発させることによって,飽和に達するまで断熱的に冷却した場合
に,その空気塊が持つ温度を意味し,黒球温度とは,周囲からの熱輻射によ
る影響を観測するために用いられる温度を意味し,乾球温度とは,大気の温
度(気温)を意味する。乾球温度の測定は,直射日光の影響を取り除く必要
があり,感温部が日陰になるように測定する(甲1,甲20,顕著な事実)。
(イ)日本体育協会は,本件事故当時,熱中症予防を目的として,次の運動指針
(熱中症予防運動指針)を示していた(甲20)。
aWBGT31度以上,湿球温度27度以上または乾球温度35度以上
「運動は原則中止」特別の場合以外は中止する。
bWBGT31度未満28度以上,湿球温度27度未満24度以上または乾
球温度35度未満31度以上
「厳重警戒,激運動中止」激運動及び持久走は避け,積極的に休息をとり,
水分補給する。体力のない者,暑さに慣れていない者は,運動を中止する。
cWBGT28度未満25度以上,湿球温度24度未満21度以上または乾
球温度31度未満28度以上
「警戒,積極的休息」積極的に休息をとり,水分補給する。激しい運動では,
30分おきぐらいに休息する。
dWBGT25度未満21度以上,湿球温度21度未満18度以上または乾
球温度28度未満24度以上
「注意,積極的水分補給」死亡事故が発生する可能性がある。熱中症の兆候
に注意する。運動の合間に積極的に水分を飲む。
eWBGT21度未満,湿球温度18度未満または乾球温度24度未満
「ほぼ安全,適宜水分補給」通常は熱中症の危険は小さいが,適宜水分補給
を行う。市民マラソンなどではこの条件でも要注意である。
キ本件事故時までに発せられた厚生労働省労働基準局の通達
(ア)平成8年通達(甲30)
厚生労働省労働基準局は,平成8年5月21日,夏期における屋外作業等
高温環境下での作業について,熱中症を予防するため,関係業界及び関係事
業所に対し前記オ(イ)記載の事項を適切に指導することを徹底するように求
める旨の通達(基発第329号,以下「平成8年通達」という。)を発した。
なお,平成8年通達は,本件事故後に発せられた基発第0619001号
の通達(以下「平成21年通達」という。)により廃止された。
(イ)平成13年通達(甲32)
厚生労働省労働基準局は,平成13年7月25日,都道府県労働局労働基
準部に対し,管内における熱中症の発生状況に応じ,熱中症の予防について
の広報に努めるとともに,あらゆる機会をとらえて屋外作業等高温環境で作
業を行う事業場等に対し,熱中症の要望についての適切な指導を徹底するよ
うに求める旨の通達(基安労発第22号,以下「平成13年通達」という。)
を発した。
(ウ)平成17年通達(甲33)
厚生労働省労働基準局は,平成17年7月29日,都道府県労働局長に対
し,WBGTが暑熱環境のリスクを評価する指標として有効な手段であり,
WBGTが基準値を超えた場合には,熱中症が発生するリスクが高まったと
考えることができるのであり,充実した熱中症予防対策を進めるために,各
事業者がその事業場の実情に応じてWBGTを活用し,これを基に平成8年
通達に示されている熱中症の予防対策をより徹底して実施することが望まれ
るため,これを関係事業者に徹底周知するように求める旨の通達(基安発第
0729001号,以下「平成17年通達」という。)を発した。
ク治療方法(甲21)
熱中症の新分類による重症度別の治療方法の概略は,以下のとおりである。
(ア)Ⅰ度
涼しいでの安静及び水分補給が基本であるが,必要に応じて輸液療法を
行う。
(イ)Ⅱ度
涼しいでの安静及び輸液療法が基本となる。体温調整機能は失われてい
ないため,急速冷却は通常不要であり,本人が涼しくて心地よい程度の冷却
にとどめる。原則,輸液療法を行うが,電解質異常がなく,十分に経口摂取
が可能な場合にのみ経口的な水分補給で対応可能である。いずれの場合でも,
必ず数時間は院内で経過観察し,帰宅させる場合には,十分に経口摂取がで
きる,涼しい環境が保証されている,本人を観察できる人がいるなどの条件
を満たしている場合のみであり,不安要素がある場合には入院経過観察とす
る。
(ウ)Ⅲ度
体温調整機能が破綻した状態であり,意識障害やショックの有無などを確
認した後,すみやかに必要な蘇生行為を行うと同時に急速冷却を開始する。
冷却は深部体温39度を目標とし,各種画像検査,合併している臓器障害に
対する検査及び治療は,急速冷却を妨げない範囲で速やかに行う。
ケ熱中症を原因とする後遺症の発症に関する医学的知見
(ア)昭和大学救急医学科及び公立昭和病院救急医学科嶋津基彦外「熱中症にお
ける中枢神経傷害」(甲6,日本災害医学会会誌第45巻第8号505頁)
標記論文の概要は,以下のとおりである。
労働に従事することにより引き起こされた熱中症事例5件を取り上げ,こ
こから中枢神経傷害について検討すると,5件のうち,熱射病に該当する2
件については,ともに病院搬送時から重度の意識障害(搬送時のJCSがい
ずれも200のケース),高体温(いずれも深部体温で40度以上)及びショッ
ク症状がみられ,うち1件では痙攣発作のみ認めたが,その他の明らかな神
経学的局所症状は認められなかった。退院時の神経学的所見として,前記2
件の熱射病事例につき,1件についてはパーキンソン症状と小脳症状を,1
件については精神障害,振戦,失調性歩行,構語障害を認めた。しかし,熱
射病に該当するこれら2件については,神経学的後遺症を説明しうる,急性
期又は亜急性期の神経放射線学的検査(CT,MRI)の異常所見は認めら
れなかった。
日射病,熱痙攣及び熱疲労における永久的な神経脱落症状が生じた事例は
探す限りなく,その中枢神経症状は,一般的に可逆的であり,適切な治療に
より速やかに改善するものと考えられる,他方,熱射病は,急性期における
重度の意識障害及び痙攣をはじめ,中には重篤な神経学的後遺症を残した報
告も散見され,過去の報告例をまとめると,神経学的後遺症のうち,小脳症
状,錐体外路症状,構語障害を認めるものが多く,小脳症状は熱射病におい
て特に注目すべき神経学的合併症であると考えられる。前記熱射病の2事例
も,それぞれ,1例はパーキンソン症状及び小脳症状を,1例は精神障害,
振戦,失調性歩行,構語障害を神経学的後遺症と認めており,いずれも小脳
症状を中心とし,さらに大脳皮質や基底核病変の関与も疑われるものと考え
られる。
病理組織学的所見に関する報告において,神経放射線学的検査では,5か
月後のCTや1年後のMRI検査において小脳の萎縮が見られたと報告され
ている。前記熱射病の2事例は,急性期CT及び亜急性期MRIでは明らか
な異常所見は見られず,神経放射線学的検査を踏まえた長期の経過観察が必
要であると考えられる。
熱射病における神経障害の機序としては,熱による直接的な細胞障害と,
ショックによる脳障害の増長の関与が考えられる。前者に関しては,高体温
に起因する細胞膜及び酵素の障害であるが,一般に41度以上で体温調節中
枢の障害が生じ,41.5度を超えるとミトコンドリアの酸化的リン酸化が障
害され,42から43度では細胞は数分で不可逆的損傷を被るとされている。
後者に関しては,ほとんどの症例において,低血圧,頻脈,頻呼吸及び代謝
性アシドーシスといったショック症状が著明であり,40度以上の高体温に,
全身血圧の低下による脳灌流圧低下や,低酸素血症による脳障害が神経学的
異常を修飾しているものと考えられる。
小脳症状,錐体外路症状,構語障害は,それぞれ熱射病に特徴的な神経学
的後遺症であると考えられるが,その原因や詳細な頻度に関しては不明な点
も多い。
(イ)三宅康史外「熱中症の実態調査-HeatstrokeSTUDY200
6最終報告-」(乙A19(日救急医会誌19巻309頁),同「本邦におけ
る熱中症の実態-HeatstrokeSTUDY2008最終報告-」
(乙A20,日救急医会誌21巻230頁),日本救急医学会熱中症に関する
委員会「本邦における熱中症の症状-HeatstrokeSTUDY20
10最終報告-」(甲47,乙A21,日救急医会誌23巻211頁)
標記各論文の概要は,以下のとおりである。
a意識障害の指標であるJCSと熱中症の重症度の対応関係は,意識清明で
ある0/JCSは熱中症Ⅰ度,1/JCSはⅡ度,それ以上の意識障害(2
ないし300/JCS)はⅢ度にそれぞれ対応する。
b調査検討した症状例(平成18年度は528症例(うちⅢ度は96事例),
平成20年度は913症例(うちⅢ度は198事例),平成22年度は178
1症例(うちⅢ度は498事例))のうち,入院したものについては,Ⅰ度な
いしⅢ度すべてが入院初日に最も症状が悪化していた(Ⅲ度の死亡例を除
く。)。採血結果をみると,初日から2日目までに最も悪化する症例が大多数
であった。
c入院日数をみると,重症度にかかわらず2日間が多く,Ⅰ度は2日をピー
クに1週間以内にほぼ退院し,Ⅱ度もほぼ同様の経過をたどる。Ⅲ度は11
日間以上になることが多い。
d非労作性,高齢者,精神疾患,循環器疾患,認知症などの基礎疾患を有す
る症例では重症化しやすい傾向があった。
e後遺症が発生したのはⅢ度の生存者であり,全症例のうち,平成18年度
は1.3パーセント,平成20年度は2.3パーセント,平成22年度は4.
3パーセントに出現した。後遺症の内容は,高次脳機能障害が最も多く,小
脳症状,手足の筋力低下,四肢振戦,構音障害,失語症,嚥下障害及び中枢
神経傷害などが認められた。
(ウ)中村俊介外「熱中症による中枢神経系後遺症-HeatstrokeST
UDY2006,HeatstrokeSTUDY2008の結果分析」(乙
A22,日救急医会誌22巻312号)
標記論文の概要は,以下のとおりである。
a前記(イ)の平成18年度及び平成20年度の症例合計1441例のうち,
中枢神経系後遺症を生じた症例及び対照として後遺症なく生存したⅢ度熱中
症の症例を抽出し,分析する。
b中枢神経系後遺症を生じた症例は22例(うちⅢ度は21事例,Ⅱ度は1
事例)であり,(Ⅰ度及びⅡ度を含む)全症例の1.5パーセント,死亡例を
除くⅢ度の症例の6.8パーセントであった。後遺症の内容は,高次脳機能障
害15例,嚥下障害6例,小脳失調2例,失語及び植物状態が各1例であっ
た(後遺症が併発する事例がある。)。
c中枢神経系後遺症を生じた症例群(以下「後遺症群」という。)と,後遺症
なく生存し最重症時にⅢ度熱中症であった群(以下「対照群」という。)との
間で有意差が認められた数値は,次のとおりである。
(a)意識障害の程度
来院時のGCS(GlasgowComaScale)の合計点は,後
遺症群が5.8±4.4,対照群が9.9±4.5であり,GCSの合計点が3
点の症例は,後遺症群が52.6パーセント,対照群が15.9パーセントで
あった。
GCSとは,意識障害の分類で、現在世界的に広く使用されている評価分
類スケールであって,開眼,言語及び運動の3分野に分けて以下のとおり点
数化し、意識状態を簡潔かつ的確に記録できるものであり,意識状態を15
点満点で評価する。
ⅰ開眼(Eyeopening)
4点:自発的に、またはふつうの呼びかけで開眼
3点:強く呼びかけると開眼
2点:痛み刺激で開眼
1点:痛み刺激でも開眼しない
ⅱ発語(Verbalresponse)
5点:見当識が保たれている
4点:会話は成立するが見当識が混乱
3点:発語はみられるが会話は成立しない
2点:意味のない発声
1点:発語みられず
ⅲ最良運動反応(Motorresponse)
6点:命令に従って四肢を動かす
5点:痛み刺激に対して手で払いのける
4点:指への痛み刺激に対して四肢を引っ込める
3点:痛み刺激に対して緩徐な屈曲運動(除皮質姿勢)
2点:痛み刺激に対して緩徐な伸展運動(除脳姿勢)
1点:運動みられず
(b)体温
来院時の体温は,後遺症群で40度以上の症例が66.7パーセント,平均
40.3度±1.6度であり,対照群で40度以上が40.8パーセント,平均
39.2度±1.8度であった。
(c)動脈血ガス分析のbaseexcess(BE)
BEとは,血液1リットルを37度で酸素飽和し,PaCo2(二酸化炭
素分圧):40mmHgのもとで,pHを7.40に滴定するために必要な酸
の量をいう。
来院時のBEは,後遺症群で-6.4±5.3モルリットルであり,対照群
で-2.8±6.1モルリットルであった。
(15)高次脳機能障害について
ア意義(甲12)
高次脳機能障害とは,主に両側大脳半球領域の神経細胞の集団である皮質
に存在する高次の脳機能の障害をいい,器質性の神経障害である。
イ症状(甲12)
高次脳機能障害の症状は多岐にわたるが,大きく,認知障害,行動・情緒
障害及びコミュニケーション障害に分類される。
ウ診断方法(乙A17)
厚生労働省は,高次脳機能障害の診断基準として,以下の内容のガイドラ
インを作成した(段落番号はガイドラインと同じものとする。)。
Ⅰ主要症状等
1脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認
されている。
2現在,日常生活または社会生活に制約があり,その主たる原因が記憶障
害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害などの認知障害である。
Ⅱ検査所見
MRI,CT,脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病
変の存在が確認されているか,あるいは診断書により脳の器質的病変が存在
したと確認できる。
Ⅲ除外項目
1脳の器質的病変に基づく認知障害のうち,身体障害として認定可能であ
る症状を有するが上記主要症状(Ⅰ-2)を欠く者は除外する。
2診断にあたり,受傷または発症以前から有する症状と検査所見は除外す
る。
3先天性疾患,周産期における脳損傷,発達障害,進行性疾患を原因とす
る者は除外する。
Ⅳ診断
1Ⅰ~Ⅲをすべて満たした場合に高次脳機能障害と診断する。
2高次脳機能障害の診断は脳の器質的病変の原因となった外傷や疾病の急
性期症状を脱した後において行う。
3神経心理学的検査の所見を参考にすることができる。
なお,診断基準のⅠとⅢを満たす一方で,Ⅱの検査所見で脳の器質的病変
の存在を明らかにできない症例については,慎重な評価により高次脳機能障
害者として診断されることがあり得る。また,この診断基準については,今
後の医学・医療の発展を踏まえ,適時,見直しを行うことが適当である。
(16)解離性障害について
ア意義(乙A17,乙A18)
解離性障害は,過去の記憶,同一性と直接的感覚,および身体運動のコン
トロールの間の正常な統合が部分的あるいは完全に失われた状態をいう。
解離性障害は,起源において心因性であり,トラウマ的な出来事,解決し
がたく耐え難い問題,あるいは障害された対人関係と時期的に密接に関連し
ていると推定される。解離状態の全てのタイプは数週間ないし数か月後には
寛解する傾向があり,特に発症がトラウマ的な生活上の出来事と関連してい
るならばそうなる。解決不能な問題や対人関係上の困難と関連しているなら
ば,より慢性的な状態,とくに麻痺や知覚喪失に発展することがある。
解離性障害の発症メカニズムは,いまだ解明されていない。
イ症状(乙A18)
(ア)解離性昏迷
昏迷(随意運動及び光,音並びに接触のような外的刺激に対する正常な反
応性の著しい減弱あるいは欠如)の診断基準を充たすが,検査や検索によっ
て身体的原因の証拠が認められず,加えて,最近のストレス性の出来事,あ
るいは顕著な対人関係の問題ないし社会的問題での心因の積極的な証拠を要
する。
(イ)解離性けいれん
(ウ)解離性運動障害
解離性運動障害は,1つあるいはいくつかの四肢の全体あるいは一部を動
かす能力の喪失をいう。麻痺は部分的で,弱く緩徐な運動を伴うこともあれ
ば,完全なこともある。運動障害のさまざまな型や程度が,とりわけ下肢で
明瞭になることがあり,その結果,奇妙な歩行が生じたり,あるいは介助な
しに立つことができなくなる。四肢の一部分または全身に膨張された振戦や
動揺が認められることもある。
ウ診断方法(乙A18)
解離性障害の確定診断のためには,以下の事由の存在を要する。
(ア)前記イを含む個々の障害を特定する臨床的病像
(イ)病状を説明する身体的障害の証拠がないこと
(ウ)ストレス性の出来事や問題,あるいは障害された対人関係と時期的に明ら
かに関連する心理的原因の証拠
(17)過換気症候群について
ア意義及び症状(甲52,甲53,乙A34ないし36)
過換気症候群は,器質的疾患が存在せず,不安,緊張,恐怖,ストレスな
どの精神的及び心理的要因により発作的に肺胞換気が増加し,動脈血二酸化
炭素分圧(PaCo2)が正常下限以下となり,呼吸困難,手足の痺れ,動
悸,震戦,筋痙攣,胸痛などの症状を起こす心身症をいう。
生命予後は良好であり,臨床的に過換気症候群それ自体が重篤な状態にな
ることはほとんどない。
イ治療方法(甲52,甲53,乙A34ないし36)
発作時に患者を落ち着かせ,生命の危険がないことを説明して不安を取り
除き,腹式呼吸を促し,ペーパーバック呼吸法や薬物療法を行う。精神的及
び心理的因子が誘因であれば,心理療法として,精神科や心療内科と連携し
てセルフコントロールを指導する。
2争点1(被告Y1の安全配慮義務の内容及びその違反の有無)について
(1)安全配慮義務の有無及び内容の検討における判断要素
被告Y1は,本件駅伝リハーサルに参加した原告X1らタレント生徒に対し,
信義則上または役務提供契約に付随して,原告X1の生命及び身体を危険から
保護するように配慮する義務を負う場合があると解される。
被告Y1が原告X1に対して負う安全配慮義務は,リハーサルの危険性に関
する要素として,本件リハーサル時の気象条件,本件駅伝リハーサルにおける
原告X1の行動及び求められた運動量,タレント生徒がリハーサルから脱退す
ることの現実的可能性に関する要素として,原告X1の年齢や個性,本件駅伝
リハーサルに参加したタレント生徒と被告Y1の関係,本件駅伝リハーサルの
危険性に関する被告Y1の認識もしくは認識可能性に関する要素として,本件
駅伝リハーサルにおける状況認識,各通達の内容など,以上の諸要素を総合的
に考慮して,その有無及び内容が決せられるべきである。
なお,本件駅伝リハーサル時に原告X1らタレント生徒と直接の接触をもっ
たのは主にAの従業員であるが,前記認定事実(3)イのとおり,本件番組の駅
伝コーナーは,被告Y1が製作するものであり,Aは,被告Y1からその製作
の委託を受けて本件駅伝リハーサルに関与していたのであるから,Aは,被告
Y1が負う安全配慮義務の履行補助者であると認められる。
(2)本件リハーサル時の気象条件
前記認定事実(5)アのとおり,大阪管区気象台が発表した本件リハーサル当日
の気温及び相対湿度は別表「大阪管区気象台発表の本件リハーサル時の気象条
件」のとおりであり,これによれば,本件リハーサル当日の最高気温は午後2
時10分ころの36.1度であり,原告X1が迎賓館から外に出た午後3時3
0分ころの気温は34.9度,相対湿度は39パーセントであり,原告X1が
本件駅伝リハーサルで1回目の試走を開始した午後4時53分ころの気温は
33.1度,相対湿度は46パーセントであり,2回目の試走を開始した午後
5時20分ころの気温は32.7度,相対湿度は48パーセントであった。
また,前記認定事実(5)ウのとおり,環境省が発表した本件リハーサル当日
のWBGT値は別表「環境省発表の本件リハーサル時の大阪のWBGT」記載
とおりであり,同日の午後3時及び午後4時のWBGT値は,熱中症予防運動
指針において「厳重警戒,激運動中止」にあたり,同日午後5時及び午後6時
のWBGT値は,同指針において「警戒,積極的休息」にあたるものであった。
以上からすると,原告X1は,迎賓館から屋外に出たときから1回目の試走
が開始するまでの約1時間程度の間,熱中症予防運動指針において「厳重警戒,
激運動中止」とされる熱中症の発症リスクが比較的高い暑熱環境に留まり,原
告X1の体内には熱が蓄積されていたものと推認するのが相当である。そして,
本件駅伝リハーサルの試走時には,同指針において「警戒,積極的休息」とさ
れる環境条件に低下していたものの,同条件においても熱中症発症のリスクは
十分に存在し,試走を開始するまでに前記の屋外環境にいた影響がなお残存し
ていたものというべきである。そうすると,原告X1は,本件駅伝リハーサル
において,熱中症の発症リスクが相当に存在する環境に長時間留まっていたと
認められる。
この点,原告らは,大阪管区気象台が発表する気温と本件会場の気温は,別
表「平成20年8月10日の気象条件」の「ⅰとⅱ差(度)」欄記載の差があ
り,これを前提にすると,本件駅伝リハーサル時のWBGTは31度を下回ら
なかったと推定されると主張する。確かに,大阪管区気象台の観測地点と本件
会場の気象条件が正確に一致するとは認められず,本件会場の気温が大阪管区
気象台が発表した数値より高かった可能性は否定できない。しかしながら,前
記認定事実(14)カ(ア)及び甲66によれば,一般に,気温は輻射熱を遮断した
条件下で計測する必要があるところ,前記認定事実(5)イのとおり,原告X2
らによる平成20年8月10日における気温の計測は,地上からの高さ約15
0センチメートルの位置に設置したナイロン製の黒い帽子の上に測定セン
サーを直射日光下に置いて行われたのであり,温度計の感温部に格子状のカ
バーが存在することを考慮しても,別表「平成20年8月10日の気象条件」
の「ⅱ第4区気温(度)」欄記載の計測数値は,日射及び前記帽子からの輻射
熱の影響を多分に受けていたものと推認するのが相当であり,気温の計測方法
として問題があるといわざるを得ない。したがって,当該計測方法により測定
された気温を前提に原告らが算出したWBGTの推定値が本件駅伝リハーサ
ル時の実際のそれであると認めることはできず,原告らの主張は認められない。
(3)原告X1の行動及び求められた運動量
ア前記認定事実(6)エ,同(7),同(8)及び弁論の全趣旨によれば,原告X1は,
本件リハーサル当日,冷房の効いた迎賓館から外に出た午後3時30分ころ
から,本件事故が発生する午後5時30分までの約2時間,本件会場の屋外
にいたものと認められる。
この点,被告Y1は,試走が行われていない時間帯において,原告X1は
日陰や木陰で待機しており,本件駅伝リハーサルの試走以外には熱中症の発
症の危険が伴う身体活動量がなかったと主張する。しかしながら,前記認定
事実(6)エのとおり,原告X1は,試走が行われていない時間において,徒歩
でコースを確認するなどしており,待機場所付近に存在する木陰で常に待機
していたとは認められず,また,乙A2,乙A13及び弁論の全趣旨によれ
ば,原告X1らが待機した可能性のある木陰の暑熱の遮断効果は限定的なも
のであったと認められる。そうすると,原告X1は,本件駅伝リハーサル当
日の午後3時30分ころから午後5時30分までの約2時間のうち,本件駅
伝リハーサルの試走が行われていない時間帯においても,かなりの時間,暑
熱環境下に留まっていたと認められるから,本件駅伝リハーサルにおける熱
中症発症の危険性を検討するにあっては,この点を考慮する必要がある。
イ前記前提事実(4)イないしオ記載のとおり,原告X1は,1回目の試走にお
いては第3区約830メートルを4分24秒で走行し,2回目の試走におい
ては第4区のうちAの従業員に走行を止められるまで約900メートルを約
10分間走行した。
以上の走行距離や走行時間はそれ自体が長いものとはいえないが,乙A2
によれば,第3区及び第4区には傾斜角の大きい長い坂道があり,これが第
3区では下り坂,第4区では登り坂になると認められるところ,同箇所を走
行するタレント生徒の様子が撮影された映像(乙A2)からすれば,同箇所
の走行には相当の体力を要するものと認められる。
なお,原告X1については,1回目の試走終了時から2回目の試走開始時
までに約22分間の休憩時間があったが,前記ア記載のとおり,原告X1は
同時間帯も前記(2)記載の暑熱環境下で待機していたのであるから,前記休憩
時間が原告X1の熱中症を発症するリスクを大きく軽減することになったと
までは認められない。
(4)原告X1の年齢等
前記前提事実(1)ア記載のとおり,原告X1は,本件駅伝リハーサル当時満2
1歳であり,前記認定事実(3)キ記載のとおり,本件駅伝リハーサルに参加し
たその他のタレント生徒の年齢は概ね20歳前後であったものであり,いずれ
も成人かそれに準じる年齢に達しており,自己の体調や周囲の状況をある程度
正確に把握した上で,危険を回避する行動をとることが十分に期待できる年齢
であったと認められる。
一方,本件各証拠をもってしても,原告X1が,自己主張が強い性格である
とか,自己の考えをはっきり表示する傾向があるといった事情は認められない。
(5)本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒と被告Y1の関係
前記認定事実(3)及び弁論の全趣旨によれば,本件駅伝リハーサルに参加した
タレント生徒は,被告Y1が,Aを通じて被告Y2に依頼した募集に応じた者
であり,被告Y1及びAの従業員の具体的な指示のもと,本件駅伝リハーサル
におけるカメラ撮影の被写体として駅伝コースを試走するという役務を提供
することが予定されていたものと認められる。そして,乙A1,乙A2,乙A
13,J証人及び弁論の全趣旨によれば,本件リハーサルは,被告Y1及びA
等の従業員約30名が関与する比較的規模の大きいリハーサルであり,リハー
サルの内容は事前に綿密に計画されたものであったことが認められ,テレビ撮
影の現場の経験が乏しい原告X1を含むタレント生徒らは,被告Y1が策定し
た本件リハーサルのなかで,被告Y1の指示通りに動くことが要求されている
ことを認識してこれに応じていたと認められる。そして,以上のことからする
と,テレビ撮影の現場の経験が乏しい原告X1を含むタレント生徒らとしては,
試走を行わず,あるいは,試走中に止まったり歩いたりすることに対しては心
理的抵抗を有していたものと推認される。また,本件駅伝リハーサルの試走は,
本件番組の本番と同様に,番組別対抗駅伝という競争の形式を採用しており,
タレント生徒同士の競争心を煽る形となっていたことを踏まえれば,タレント
生徒らが,自己の体調を考慮して適切な対応をとることについては事実上困難
な面があったと認められる。
もっとも,この点については,前記認定事実(3)ア記載のとおり,本件駅伝リ
ハーサルの目的は,本件番組の進行及び試走者を被写体とするカメラワークを
確認することにあり,被告Y1及びAは,原告X1を含むタレント生徒に対し,
試走することを強く求めたことはなく,また,全力疾走やチーム間の競争を求
めたこともなく,かえって,前記認定事実(6)イのとおり,Aの従業員は,タ
レント生徒に対し,無理して走らなくてよい旨,走るのが無理だと思ったら手
を挙げて途中で止まってもよい旨,倒れられることが一番困るから,体が苦し
くなったら走らなくてよく,歩いてもよい旨を繰り返し説明していた。これら
のAの従業員の説明により,原告X1の試走に対する心理的負荷はある程度軽
減されていたと認められる。しかしながら,前記の各事情を総合して考慮する
と,試走することについての心理的負荷が軽い状況であったとまでは認められ
ず,後記のとおり,1回目の試走後に,交代要員を使い,他の交代要員がいな
くなった時点においては,原告X1にかかる心理的負荷は,脱退を言い出すこ
とが困難になる程度に大きくなっていたものと認められる。
(6)1回目の試走終了後における被告Y1の状況認識
ア被告Y1は,本件リハーサル当日の気温が極めて高い状態であったこと,
原告らタレント生徒が行う試走の内容,試走していない間にタレント生徒が
置かれている状況についていずれも認識していたものと認められる。
イ前記認定事実(7)エ記載のとおり,被告Y1又はAの従業員は,1回目の試
走を終えたタレント生徒に対し,体調が悪い人がいないか確認する趣旨で声
をかけたところ,原告X1が担当した第3区を走行したK及びLに体調不良
が発生したことを認識し,Lが汗を大量にかいて激しく息切れをしていたこ
とから,被告Y1又はAの従業員の判断でLを交代要員と交代させている。
前記認定事実(14)ウ(ア)及び同(エ)記載のとおり,大量の発汗は熱中症の典
型的な症状であって,Lの前記症状は熱中症の発症が疑われる徴表であるか
ら,この時点で,被告Y1は,本件駅伝リハーサルの試走には,熱中症を発
生させる相応の危険が存在することを認識し,または認識すべきであったと
いうべきである。
また,交代要員がいなくなったことから,タレント生徒の中に体調の悪化
を押して2回目の試走を行う者が出てくる可能性を予見すべきであったとい
うべきである。
(7)各種通達及び保護マニュアルの存在
前記認定事実(14)キ記載のとおり,厚生労働省労働基準局は,本件事故時ま
でに,平成8年通達,平成13年通達及び平成17年通達を発しており,事業
所においては,熱中症を予防するため,高温環境下での作業に際し,前記認定
事実(14)オ(イ)記載の各対策を講じることとされ,また,暑熱環境のリスクを
評価する指標としてWBGTが有効であるから,各事業所においてはWBGT
を活用することとされていた。また,甲20によれば,環境省は,本件事故時
までに保護マニュアルを作成し,熱中症の意義,対処法,具体的な予防策及び
WBGT等に関する知識を啓発し,熱中症の適切な予防及び対処を促していた
ことが認められる。
真夏に本件リハーサルを実施する被告Y1としては,本件リハーサル実施に
先立ち,前記の各通達及び保護マニュアルの内容を認識していたか,認識して
然るべきであったといえる。
(8)被告Y1が原告X1に対して負う安全配慮義務の内容及び違反の有無
以上の各事情をもとに,被告Y1が原告X1に対して負う安全配慮義務の内
容及び違反の有無を検討する。
ア暑熱順化を行うよう指示する義務
本件事故時までに発せられた平成8年通達,平成13年通達及び平成17
年通達のいずれにおいても,事業所に対して雇用する労働者に暑熱順化を行
うように指導されておらず,通達において,事業者に対して暑熱順化の指示
を労働者に行うように周知徹底されたのは平成21年通達が初めてである
(甲31)。そして,本件駅伝リハーサルにおける試走で予定されていたタ
レント生徒の走行の運動量は多いものとはいえず,本件駅伝リハーサルの目
的は番組進行やカメラワークの確認であり,その目的からしてタレント生徒
に対して激しい運動を求めるものではなかったのであり,以上の各事情を総
合して考慮すれば,被告Y1において,本件駅伝リハーサルにあたり,原告
X1らタレント生徒に対して暑熱順化を行うように指示する義務があった
とは認められない。
イ水分及び塩分を補給しておくよう指示する義務
保護マニュアルによれば,運動時における熱中症予防対策として,「暑い時
には水分をこまめに補給する。休憩は30分に1回程度とるようにする。長
時間の運動で汗をたくさんかく場合には,塩分の補給も必要。」とされている
ところ,本件駅伝リハーサルにおける試走で予定されていたタレント生徒の
走行の運動量は多いものとはいえず,本件駅伝リハーサルの目的は番組進行
やカメラワークの確認であり,その目的からしてタレント生徒に対して激し
い運動を求めるものではなかったことからすると,水分補給の指示義務は
あったと認められるが,塩分補給の指示義務及び塩分を含む飲料水の配給義
務があったとまでは認められない。
被告Y1は,原告X1を含むタレント生徒に対し,前記認定事実(6)イ及び
同(7)ウのとおり,1回目の試走前及び1回目の試走後2回目の試走前の2回
にわたり,500ミリリットルのミネラルウォーターが入ったペットボトル
をそれぞれ1本ずつ交付したのであり,水分補給の指示義務は履行されたも
のと認めるのが相当である。したがって,同義務違反は認められない。
ウ本件駅伝リハーサルを中止する義務
被告Y1は,前記認定事実(5)ア記載のとおり,本件駅伝リハーサル当日に,
本件会場の気温,相対湿度及びWBGT等を計測しておらず,この点は,熱
中症の危険の指標となる環境条件の測定を怠ったといわざるを得ない。次に,
前記(2),(3)及び(5)のとおり,原告X1は,本件駅伝リハーサルが開始する
までに熱中症の発症リスクが存在する環境に長時間留まり,本件駅伝リハー
サルからの脱退を表明するには心理的に困難な面がある状況の中,1回目の
試走を行ったものである。そして,被告Y1は,Aを通じて,遅くとも1回
目の試走終了後,Lに熱中症が疑われる症状が発現したことを認識したか,
又は認識し得たのであり,併せて,交代要員がいなくなり,試走者を替える
ことが困難となり,本件駅伝リハーサルからタレント生徒が脱退を申し出に
くい状況になったことを認識し,又は認識し得たものと認められる。そうす
ると,2回目の試走の運動量自体はそれ程多くないことや,原告X1が成人
であることを考慮してもなお,被告Y1は,その時点で,本件駅伝リハーサ
ルの2回目の試走において熱中症が発症する危険性が高いことを具体的に認
識し,あるいは認識し得たというべきであり,そうである以上,被告Y1は,
本件駅伝リハーサルの2回目の試走を中止すべきであったにもかかわらず,
これを中止しなかったと認めざるを得ない。
したがって,被告Y1には,本件駅伝リハーサルを中止する義務の違反が
認められる。
エ試走者の体調の監視体制,救護体制及び救急搬送体制を構築する義務
熱中症を疑うべき症状は,医学的知識のない通常人(本件においては本件
会場にいた被告Y1の従業員及びAの従業員)においても認識可能であり,
保護マニュアル記載の予防策を講じた上で,熱中症を疑うべき症状が発現し
た場合に,適切な応急処置を行い,必要に応じて医療機関に搬送すれば,熱
中症の重症化を回避することができ,平成8年通達,平成13年通達及び平
成17年通達のいずれにおいても,各事業所に対し,非常時の救急連絡網の
作成と関係者への周知を促すに留まり,医療専門家を設置した監視体制や救
急搬送体制を構築するように指導されていなかったものである。このことに,
本件駅伝リハーサルにおける試走で予定されていたタレント生徒の走行の運
動量は多いものとはいえず,本件駅伝リハーサルの目的からしてタレント生
徒に対して激しい運動を求めるものでもないという事情を併せて考慮するな
らば,被告Y1において,原告ら主張の体制構築義務があったとは認められ
ない。
オ適切な救護及び救急搬送を行う義務
被告Y1は,タレント生徒に熱中症が疑われる症状を検知した場合には,
その症状に応じて適切な処置を講じ,タレント生徒の症状に応じて救急搬送
を行う義務があったと認められる。
熱中症が疑われる症状が発現した場合の対処方法が保護マニュアルに記載
されていることは前記認定事実(14)エ記載のとおりであり,以下,時系列に
沿って,被告Y1の原告X1に対する処置が保護マニュアル記載の対処方法
に沿った適切なものであったかについて検討する。
(ア)前記認定事実(8)及び(9)のとおり,原告X1は,本件駅伝リハーサルの2
回目の試走中にふらつきが目立つようになり,Aの従業員が原告X1に対し
何度も声をかけたが,なおもゆっくりと走行を続けようとした。前記認定事
実(8)及び(9)のとおり,原告X1は,Aの従業員が原告X1の走行を止めた
後に,お茶が入ったペットボトルを手渡され,自力でペットボトルのフタを
空け,お茶を二,三口程度飲んでおり,この時点で原告X1には意識があり,
停止を求められたにもかかわらずゆっくり走行を続けようとしたものの,手
渡されたペットボトルを自力で空けてお茶を飲んでいたのであるから,呼び
かけに対して返事がおかしい状態とまでは認められない。
その上で,Aの従業員は,冷房の効いた迎賓館に原告X1を搬送し,原告
X1の靴を脱がし,玄関に設置されていた長いすに原告X1を寝かせて,原
告X1が着ていたTシャツ及び靴下を脱がし,両脇に水が入ったペットボト
ルを挟み,後頭部と額に冷却剤を,胸部に濡れたタオルをそれぞれ当てて各
部を冷やし,着ていたズボンの紐を弛め,同所に駆けつけた被告Y1及びA
の従業員らが,2名から4名の体制で,原告X1をうちわで扇ぎ続け,原告
X1に水分を与えたのであって,その処置内容は,保護マニュアルに概ね沿っ
た適切なものであったというべきである。
また,この時点においては,本件各証拠及び弁論の全趣旨によっても,原
告X1に水分の自力摂取が困難であった事情は窺われないから,被告Y1に
原告X1を医療機関へ搬送する義務が生じたとは認められない。
(イ)前記認定事実(9)のとおり,被告Y1又はAの従業員は,同日午後5時50
分ころ,原告X1の症状が改善しないことから,D看護師の派遣を要請し,
その後はD看護師が原告X1に対する応急処置を行い,被告Y1又はAの従
業員は,D看護師の指示のもとで応急処置及び救急搬送を行った。前記認定
事実(4)イのとおり,D看護師は,看護師として長い経歴を有し,看護技術及
び看護知識を豊富に有していると認められ,そうすると,被告Y1が,原告
X1に対する処置及び救急搬送の判断をD看護師の指示に委ねたことは適切
な行為であったというべきである。本件各証拠をもってしても,D看護師の
処置に不適切なところがあったとは認められず,また,D看護師の指示に従っ
て応急処置及び救急搬送を行った被告Y1に不適切なところがあったとは認
められない。
(ウ)以上のとおりであるから,被告Y1には,適切な救護又は救急搬送を行う
義務の違反は認められない。
カまとめ
以上のとおり,被告Y1は,信義則上,また,役務提供契約に付随して認
められる,本件駅伝リハーサルを中止する義務(以下「本件義務」という。)
に違反したものと認められるが,その余の義務については,義務がないか,
義務違反が認められない。
3争点2(被告Y2の安全配慮義務の有無,内容及びその違反の有無)につい

(1)安全配慮義務の有無及び内容の検討における判断要素
被告Y2が原告X1に対して信義則上又は在学契約に付随する安全配慮義務
を負うか否か,負う場合の具体的な義務の内容は,本件駅伝リハーサルにおけ
る被告Y2と被告Y1の関係,本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒と
被告Y2の関係,被告Y2による本件駅伝リハーサル参加者の募集態様,本件
駅伝リハーサルの危険性に関する被告Y2の認識等の具体的事情を総合的に
考慮して決せられるべきものである。
(2)本件駅伝リハーサルにおける被告Y2と被告Y1の関係
前記前提事実(2)イのとおり,本件番組及び本件リハーサルは被告Y1が企
画,実施し,会場の設営や人員の統括等,管理全般は被告Y1が行うものであ
り,これに被告Y1の人的及び物的能力を併せて考慮するならば,本件リハー
サル当日の気象状況や本件駅伝リハーサル参加者の身体状況等の具体的事情
については,被告Y1がその責任において把握した上で,適切な対応をとるこ
とが予定されていたというべきである。
(3)本件駅伝リハーサルへの参加に応じたタレント生徒と被告Y2の関係
アタレント生徒は,タレント養成学校に入学する際に,タレント養成学校を
運営する被告Y2との間で,被告Y2が芸人やタレントになるために必要な
技術や経験等をタレント生徒に与え,タレント生徒は対価として授業料を払
うという契約(以下「本件在学契約」という。)を締結したものと認められ
る。なお,本件在学契約は,前記認定事実(2)のとおり,タレント養成学校
が,芸人及びタレントを育成することを目的として,漫才やコントなどで必
要となる発声や演技の他,ネタ見せ,大喜利及びトークといった授業を行う
というものであり,普通教育や専門教育を行う学校教育法上の学校とは性格
を異にする。
イ前記認定事実(3)のとおり,タレント生徒のうち何人かは,本件駅伝リハー
サルに参加することを承諾しているが,後記のとおり,その参加は強制的に
もたらされたものではないから,その参加により,前記の本件在学契約によ
り規定される法律関係が変容したり,そこに新たな法律関係が付加されるこ
とはないと解される。
ウこの点につき,原告らは,本件駅伝リハーサルへの参加に応じたタレント
生徒29名と被告Y2との間で雇用契約に相当する指揮監督関係が形成され
たと主張する。
しかしながら,前記認定事実(3)のとおり,被告Y2は,被告Y1からの依
頼に応じて,募集の内容(本件駅伝リハーサルの開催日時及び場所)や,着
替え及び飲み物を持参する必要があることをタレント生徒に対して伝達した
に過ぎないのであり,これに後記のとおり,被告Y2の募集態様に強制的要
素がないことを踏まえると,被告Y2による前記伝達が,被告Y1の指示に
従うことを内容とするタレント生徒に対する業務指示と評価することはでき
ない。また,被告Y2が前記の行動以外にタレント生徒の本件駅伝リハーサ
ル時の行動に関して特段の指揮監督を行っていた事実は認められないから,
原告X1らタレント生徒が被告Y2の指揮監督の下で本件駅伝リハーサルに
おいて被告Y1に対して労務を提供したとは認められない。したがって,こ
の点の原告らの主張は認められない。
(4)被告Y2による本件駅伝リハーサル参加者の募集態様
ア乙B4によれば,本件駅伝リハーサルへのタレント生徒の参加は,前記本
件在学契約に基づき被告Y2が提供する授業のカリキュラムであったとは認
められないが,B証人及び弁論の全趣旨によれば,被告Y2は,タレント生
徒が本件駅伝リハーサルに参加することで,テレビの現場を体験できること
はタレント生徒にとって勉強になると考え,一方で,被告Y1からの要請に
応えることは被告Y2にとっても望ましいことであるとの判断の上に立って,
被告Y1からの依頼に応じてタレント生徒に参加募集を行ったものと認めら
れる。
イ前記認定事実(3)エ記載のとおり,Bクラスのアシスタントは,平成20年
7月18日,Bクラスのタレント生徒に本件駅伝リハーサルへの参加を呼び
かけたところ,出席していた生徒29名中3名が参加する意思を表明し,同
様に,Iクラスのアシスタントが同日にIクラスのタレント生徒に本件駅伝
リハーサルへの参加を呼びかけたところ,出席していた生徒22名中18名
が参加する意思を表明した。また,前記認定事実(3)オのとおり,原告X1が
所属するCクラスの女性アシスタント2名は,平成20年7月21日,Cク
ラスのタレント生徒に対して,「7月25日に本件イベントで走るエキストラ
8名を募集しています」,「ものすごく走って汗をかくので,着替えと飲み物
を持って行って下さい」と伝えたところ,同日授業に出席していた18名中
の2名がすぐに参加する意思を表明し,アシスタントは,再度Cクラス全体
に対して,「用事がなかったら参加して」,「行けるんやったら行って」,「誰か
いる?」と呼びかけ,そのうち生徒数人に対し,個別に,「行ける?」,「日に
ち空いてる?」と声をかけたところ,前記2名の他,原告X1を含む7名が
参加の意思を表明したものである。
タレント生徒に対して実際に本件駅伝リハーサルへの参加を呼びかけたア
シスタントは,前記認定事実(2)エのとおり,被告Y2が,タレント養成学校
における授業を補助する人材として前年度のタレント養成学校の卒業生の中
から雇用した者であり,被告Y2は,授業態度,礼儀作法及び講師との相性
等の基準で選抜した者をアシスタントとして雇用している。
ウ乙B7によれば,タレント養成学校への入学資格は中学卒業以上であると
認められるところ,本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒は,前記認
定事実(3)キのとおり概ね20歳前後であって,それぞれが相当の注意力及び
判断力を有していたものと認められる。
エ以上からすると,Cクラスのアシスタントは,全体に声をかけた時点で参
加意思を表明しなかった原告X1を含むタレント生徒に対して,個別に声を
かけて参加を呼びかけており,このことからすると,被告Y2は,強制的と
まではいえないものの,積極的な態様で本件駅伝リハーサル参加者の募集を
行い,原告X1が本件駅伝リハーサルに参加する契機を作出したものという
べきである。
オ原告らは,被告Y2は,被告Y1が被告Y2所属のタレントへ仕事を発注
して莫大な経済的利益を生み出す重要な顧客であるから,被告Y1と良好な
関係を維持するために,タレント生徒に対して本件駅伝リハーサルへの参加
を強制した旨主張する。
一般的に,被告Y2が被告Y1と良好な関係を維持することは,被告Y2
にとって望ましいことであるということができ,本件駅伝リハーサルについ
ても,参加者を派遣することが被告Y2にとっても望ましかったということ
はできる。しかしながら,前記ア及びイのとおり,アシスタントがタレント
生徒に対して威圧的な言動をもって本件駅伝リハーサルへの参加を呼びかけ
た事実は認められない。また,J証人,M証人,B証人及び弁論の全趣旨に
よれば,被告Y1と被告Y2の間には,長年の取引に基づく緊密な関係が既
に形成されていることが認められるところ,今回,被告Y2が被告Y1から
依頼された人数のタレント生徒を集められないからといって,当該関係が悪
化することは考えにくく,被告Y2において,タレント生徒を本件駅伝リハー
サルに参加させることについて強い動機があったとまでは認められない。以
上の各事情を踏まえ,前記アの認定事実を検討するならば,被告Y2がタレ
ント生徒に対して本件駅伝リハーサルへの参加を強制した事実は認められな
い。
カ原告らは,アシスタントからの指示はタレント生徒にとって被告Y2から
の指示に他ならないところ,タレント生徒は,被告Y2に対し,意欲的に仕
事に取り組む姿勢を印象づけなければならず,被告Y2の意向に逆らっては
ならないとの心理的圧力を常に感じていたのであり,被告Y2は,このよう
なタレント生徒の立場を十分に認識した上で,両者の力関係の差を利用して
本件駅伝リハーサルの参加を強制したとも主張する。
タレント生徒においては,被告Y2に,顔を覚えてもらい,また,実力を
見てもらう機会を得るために,被告Y2からの要請があれば,これに協力す
ることによって,前記機会を獲得したいという動機を有していた可能性は否
定できない。
しかしながら,Cクラスで当初の参加希望者が18名中2名であったこと
からすると,Cクラスのタレント生徒においては,本件駅伝リハーサルの参
加がそれ程には魅力のあるものに映っていなかったことが認められる。そし
て,前記認定事実(2)オ及び弁論の全趣旨によれば,被告Y2がタレント生徒
の成績を評価することはなく,タレント養成学校における授業態度がいくら
良好であっても,芸人としての仕事を得るためには,芸人としての技能を磨
き,最終的にはオーディション等で実力を示す必要があり,芸人としての仕
事を得るためにはおもしろいかどうかが大きなウェイトを占めるものと被告
Y2が考えていたと推認され,このこと自体はタレント生徒においても概ね
理解されていたものと認められる。
以上のことからすると,原告X1が,自己の意に反して本件駅伝リハーサ
ルへの参加を強制された事実は認められない。
よって,この点の原告らの主張は認められない。
なお,原告らは,募集告知を断る自由の有無は本質的に問題でないと主張
するが,安全配慮義務の有無及びその内容を検討するにあたっては,社会的
接触関係が発生するに至った経緯を一要素として検討することが相当である
から,この点の原告らの主張は認められない。
(5)本件駅伝リハーサルの危険性に関する被告Y2の認識
前記第3の2(2)のとおり,本件駅伝リハーサルにおける原告X1らタレント
生徒の各試走は,熱中症が発症する相当の危険がある環境下で行われたといえ
る。
しかしながら,本件駅伝リハーサルにおける熱中症発症の危険の程度は,前
記認定事実(14)イ記載のとおり,当日の本件会場の気温,相対湿度,通風等の
環境因子に大きく左右されるものであって,前記(2)のとおり,この点は被告
Y1において把握して対処すべきであるといえる。そして,被告Y2が,タレ
ント生徒を募集した際に,本件駅伝リハーサルの危険性を具体的に予見してい
たか,または予見し得たと認めるに足りる証拠はない。
また,この点に関し,乙A23及びJ証人2頁によれば,本件イベントは前
年度にも実施され,被告Y1は,その開幕に合わせて特別番組を製作し,その
番組のリハーサルにおいてもタレント生徒を駅伝リハーサルにおいて試走さ
せたことが認められるが,本件各証拠及び弁論の全趣旨によっても,前年度の
駅伝リハーサルにおいてタレント生徒に熱中症等の事故が発生したとは認め
られず,そうすると,被告Y2は,本件駅伝リハーサルにおいては,タレント
生徒が夏期の屋外において相応の距離を走ることから,夏期の屋外スポーツに
おける一般的な熱中症の危険があるという認識を持っていたにとどまるもの
と推認される。
(6)被告Y2の安全配慮義務の内容及び違反の有無
ア本件駅伝リハーサルは,被告Y2及びタレント生徒間の在学契約に基づき
提供されるカリキュラムに含まれないが,被告Y2は,タレント養成学校の
Cクラスにおいては積極的な態様で本件駅伝リハーサルへの参加を勧誘し
たものである。他方,前記のとおり,本件リハーサル当日の具体的な状況に
ついては,被告Y1がこれを把握して対策を講ずるべきであり,さらに,本
件駅伝リハーサルに参加するタレント生徒の年齢が概ね20歳前後であっ
て,それぞれが相当の注意力及び判断力を有していたこと,被告Y2におい
て本件駅伝リハーサルの具体的な危険を予見しておらず,予見すべきであっ
たともいえないこと,被告Y2は夏期の屋外スポーツにおける一般的な熱中
症の危険があるという認識を有していたにとどまることを考慮するならば,
被告Y2は,在学契約に付随するものとして,被告Y1に対してタレント生
徒の安全面に配慮するように依頼する義務及び本件駅伝リハーサルに参加
するタレント生徒に対して一般的な熱中症対策に関する注意を行う義務を
負っていたが,それ以上の義務は負っていなかったというべきである。
イ被告Y1に対して安全面の配慮を依頼する義務については,前記認定事実
(3)カ記載のとおり,被告Y2の従業員であるBが,被告Y1の従業員であ
るCに対し,「くれぐれも暑さ対策よろしくお願いします。(お預かりしてい
る大事な生徒さんなんで)」と記載したFAXを送信しており,これは,暑
さを主な原因とする熱中症の予防に向けて被告Y1において対策を講じる
ように注意喚起するものであると認められ,前記の義務を履行したものとい
える。
次に,一般的な熱中症対策に関する注意を行う義務については,前記認定
事実(2)エ及び同(3)オ記載のとおり,被告Y2は,雇用するアシスタントを
通じて,原告X1に対し,多くの距離を走って汗をかくことから,着替えと
飲み物を持って行くように指示しており,これは運動時における熱中症の一
般的な予防策の伝達と注意喚起を行っているものと認められ,前記義務を履
行したものといえる。
(7)結論
以上のとおりであるから,被告Y2が,本件在学契約に付随して原告X1に
対して負担する安全配慮義務に違反した事実は認められない。
4争点3(原告X1の損害の発生の有無及び被告らの各安全配慮義務違反と原
告X1の損害との間の因果関係の有無)について
(1)本件義務違反と原告X1の熱中症罹患との因果関係の有無
前記認定事実(8)ウのとおり,本件事故において原告X1が熱中症に罹患し
たことが認められ,被告Y1が本件駅伝リハーサルの2回目の試走を中止すべ
きであったのにこれをしなかった(本件義務違反)ために原告X1が熱中症に
罹患したと認められ,したがって,被告Y1の本件義務違反と,原告X1の熱
中症の発症により生じた損害との間に相当因果関係が存在する。
前記認定事実(11)のとおり,原告X1は,平成20年7月26日から同年8
月21日までの間,乙病院に入院して同病院で治療を受けており,その間精神
機能及び身体機能が低い水準にあったことについては,解離性障害が主たる原
因であった可能性を否定し得ないが,なお,本件義務違反に基づく熱中症及び
過呼吸の各発症からの一連の経過の中で生じたものと認められ,したがって,
本件義務違反と各機能低下との間には相当因果関係があると認めるのが相当
である。
(2)本件義務違反と原告X1の乙病院退院以降の症状との因果関係の有無
ア検討の順序
被告Y1の本件義務違反と乙病院退院以降の症状との因果関係の有無を判
断するにあたり,まず,原告X1の熱中症の重症度を新分類,旧分類及び後
遺症群との比較対照により検討し(「イ原告X1の熱中症の重症度」),次い
で,富永医院を退院した後の原告X1の症状の経過を検討し(「ウ乙病院退
院後の原告X1の症状の経過」),その上でその症状の原因として,脳の器質
的損傷の有無(「エ脳の器質的損傷の有無」)及び心因性疾患の可能性を検
討し(「オ心因性疾患の可能性」),最後に,原告X1における熱中症による
後遺障害に関する重要証拠の証明力を検討する(「カ重要証拠の証明力」)。
イ原告X1の熱中症の重症度
(ア)新分類に基づく検討
a原告らは,原告X1は,本件事故においてⅢ度の熱中症に罹患し,これを
原因として,高次脳機能障害,四肢麻痺及び体幹機能障害の後遺障害が発生
したと主張する。
この点に関連し,前記認定事実(14)ケ(イ)e及び同(ウ)bのとおり,熱中症
の罹患により中枢神経系の後遺障害が生じるケースのほとんどが,重症度の
区分のうちⅢ度に該当する事例である。そこで,以下,原告X1が罹患した
熱中症の新分類における重症度を検討する。
b前記認定事実(8)ウ及び同(9)のとおり,原告X1は,2回目の試走中にお
いて,走行を停止する直前,走行にふらつきがあり,迎賓館で応急処置を受
けている際には,過呼吸及び筋肉の不随意運動の症状が出現した。また,こ
の時期,原告X1は,D看護師からの質問に対し,頷いて返答する程度の意
識状態にあった。
前記認定事実(10)のとおり,甲病院に搬送された直後の原告X1は,体温
が36.9度であり,大量の発汗,過呼吸及び脱水の症状が認められ,意識障
害の深度はJCS3であった。また,甲病院に搬送された翌日には,全身性
痙攣が発現した。
以上の原告X1の症状を,前記認定事実(14)ウ(イ)記載のⅢ度の診断基準
にあてはめると,原告X1は本件駅伝リハーサルにおける試走により暑熱へ
の曝露が認められ(a該当),本件各証拠及び弁論の全趣旨によっても,本件
事故時に原告X1について頭部の外傷といった外疾患を疑わせる事情は認め
られない(b該当)。前記のとおり,甲病院搬送時の原告X1の体温は36.
9度であるところ,前記第3の2(8)オのとおり,被告Y1及びAの従業員は,
原告X1に熱中症の症状が生じた直後から,原告X1に対して急冷措置を講
じており,当該処置の内容は,保護マニュアルの記載(前記認定事実(14)エ)
に照らして概ね適切なものであったというべきであり,熱中症を発症した当
時の原告X1の体温は,甲病院搬送直後のそれに比べて高かったものと推認
するのが相当であって,深部温度が39度以上,腋窩で38度以上であった
可能性はあるというべきである(c該当可能性あり。なお,日本救急医学会
がcの要件を採用していないことについては前記認定事実(14)ウ(ウ)記載の
とおりである。)。さらに,原告X1は,前記のとおり,走行中のふらつき(小
脳症状)と,甲病院搬送後にJCS3の意識障害や全身性痙攣があり,脳機
能の障害が認められる(d(a)該当)。
以上からすると,原告X1が罹患した熱中症はⅢ度に分類される可能性が
高いというべきである。
cしかしながら,原告X1が罹患した熱中症は,新分類のⅢ度に該当すると
しても,以下の諸事情に鑑みるならば,後遺障害を残す程度に重篤なもので
あったとまでは認められない。
(a)新分類におけるⅢ度の位置づけ及びⅢ度症例の後遺障害の発生率
甲21(安岡正蔵「熱中症の概念と重症度分類」(日本医師会雑誌第141
巻第2号259頁))によれば,熱中症の重症度を示す旧分類のうち,最重症
度となる熱射病は,意識障害,40度以上の高熱及び発汗の停止並びに乾燥
した皮膚という3つの要素を診断の要点とするものとされてきたが,これら
の3条件を満たす状態は,熱中症が極めて進行した病態に陥っていることを
意味するものであり,必ずしもこれらの条件を満たさない重症の熱中症患者
が存在することから,旧分類の熱射病の概念では,重症例を非重症例と誤る
危険があることが指摘されており,新分類は,このような危険を回避する目
的に加え,前記認定事実(14)ウ(ア)のとおり,医学知識のない一般人が容易
に熱中症の重症度を理解することが可能となり,重症化の予防と早期発見に
役立つという観点から提唱されたものであり,甲21(249頁)によれば,
新分類は,熱中症患者を救うためならば過剰診断でも良いという救急医学の
基本姿勢をそのまま具体化したものと認められる。
そうすると,新分類におけるⅢ度は,新分類の中では熱中症の最重症型に
位置づけられているものの,旧分類における熱射病の概念と比べると幅の広
い分類というべきであって,前記認定事実(14)ウ(ア),同(イ)及び同(エ)を
比較対照すれば,Ⅲ度に該当する症例であっても,旧分類に従えば熱疲労に
該当する症例があると認められる。
そして,前記認定事実(14)ケ(ウ)bのとおり,熱中症に罹患した事例のう
ち,後遺障害の発生が認められたのは,死亡例を除いたⅢ度の症例において
6.8パーセントに留まっており,前記のとおり,Ⅲ度症例の重症度に一定の
幅があることを踏まえると,後遺障害,特に脳の障害に起因して後遺障害が
生ずる事例は,Ⅲ度の中でも相対的に重篤な症状が発生して脳に不可逆的な
器質的損傷を与える事例であると考えられる。
以上からすると,一般論として,熱中症がⅢ度に該当することをもって,
直ちに当該熱中症が後遺障害を生じさせる程度のものであったと推認するこ
とは困難である。
(b)原告X1における熱中症
原告X1には,前記認定事実(14)ウ(イ)記載のⅢ度の診断基準のd(a)ない
し(c)の3つの兆候のうち,前記のとおり,走行中のふらつき(小脳症状)と,
甲病院搬送直後にJCS3の意識障害があり,脳機能の障害が認められる
(d(a)該当)が,本件各証拠によっても,肝腎機能障害及び血液凝固障害(D
IC)の発生を疑わせる事情は認められず(d(b)及び(c)非該当),原告X1
が罹患した熱中症は,3つの兆候が存在する事例と比較すれば,死亡リスク
が低い事例であったというべきである。
また,意識障害の程度をみると,前記のとおり,熱中症発症から約40分
が経過したころ,原告X1は,D看護師からの質問に対し,頷いて返答する
程度の意識状態にあり,甲病院に搬送された直後の原告X1の意識障害はJ
CS3に留まっていたのであり,意識障害の程度が重篤なものであったとま
では認められない。
確かに,前記認定事実(11)イ記載のとおり,本件事故日の翌日である平成
20年7月26日午後零時30分ころの原告X1の意識障害はJCS30か
ら100であると診断されているが,乙4(枝番を含む。)によれば,原告X
1は,その1時間後には病院関係者からの質問や呼びかけに対してうなずい
て返答していること,ICUに入る1時間前にも,病院関係者からの質問に
対して小声を発して応答していること,ICUに入った直後の意識障害の程
度はJCS3であり,その後ICUを退室する平成20年7月30日まで概
ねJCS3の状態が維持されたことが認められ,JCS30から100の状
態が恒常的に継続していたわけではない。
以上からすると,原告X1の熱中症は,Ⅲ度の診断基準を全て満たす場合
に比べ死亡リスクの低いものであったといえる。
(イ)旧分類に基づく検討
次に,旧分類における熱射病の症状が原告X1に生じたか否かという観点
から,原告X1の熱中症の重症度を検討する。
a意識障害
前記認定事実(14)ケ(エ)記載のとおり,旧分類における熱射病の中枢神経
の病状として,昏眠に至る程度の意識障害が発生するとされているところ,
昏眠とは,意識の混濁が中等度であって,寝たままで動かず,強い刺激には
反応するが覚醒しない状態をいうことは当裁判所に顕著である。
前記(ア)c(b)記載のとおり,原告X1は,本件事故直後から,D看護師の
質問に頷いて返答し,甲病院に搬送された直後にはJCS3と診察され,本
件事故翌日も,甲病院関係者からの質問や呼びかけに対して頷いて返答した
り小声で応答したりできる程度の意識状態は概ね維持されているのであり,
原告X1の意識障害は昏眠に至る程度のものとまでは認められず,熱射病の
病状に該当する前記症状が発現したとはいえない。
b痙攣
前記認定事実(14)ケ(エ)記載のとおり,旧分類における熱射病の中枢神経
の病状として痙攣が発生するとされている(ただし,筋痙攣は,旧分類にお
ける熱痙攣及び熱疲労においても発症する症状とされている。)ところ,前記
認定事実(11)記載のとおり,原告X1は,平成20年7月26日から全身性
痙攣が生じ,その後断続的に痙攣が発生したのであり,熱射病の病状に該当
する症状が発現したといえる。
他方で,前記認定事実(1)ウ及び(17)アのとおり,原告X1は,過呼吸(過
換気症候群)の既往症を有しており,過換気症候群の症状の1つとして筋痙
攣が含まれるところ,乙A4(枝番を含む。)によれば,平成20年7月30
日及び同月31日に生じた痙攣は,過呼吸の発生に対応していることが認め
られ,原告X1に生じた痙攣の一部は,既往症の過呼吸症候群が発現したも
のとみることができる。この点については,原告らが提出するa医師の意見
書(甲34)及び被告Y1が提出するb医師の意見書(乙A12)において
も,熱中症を引き金にして原告X1の既往症である過呼吸が併発した旨の意
見が述べられているところである。
したがって,本件事故後,原告X1に生じた過呼吸を伴わない痙攣は,熱
射病に該当する病状の発現とみることができる。
c紅潮乾燥及び発汗の停止
前記認定事実(14)ケ(エ)記載のとおり,旧分類における熱射病の皮膚の病
状として,紅潮乾燥及び発汗の停止が生じるとされているところ,前記認定
事実(9)イのとおり,原告X1の顔面は,迎賓館内で応急処置を受けている際,
やや赤みがかかった状態ではあったものの,前記認定事実(10)アのとおり,
原告X1は,甲病院搬送後においても大量の発汗が生じているのであるから,
原告X1の皮膚が乾燥し,発汗が停止したとは認められず,熱射病の病状に
該当する前記症状が発現したとはいえない。
d横紋筋融解症
前記認定事実(14)ケ(エ)記載のとおり,旧分類における熱射病の病状とし
て横紋筋融解症が生じるとされている。乙A12によれば,横紋筋融解症が
発生する場合,尿中のCK(CPK)値が数千という値まで急上昇するもの
と認められ,乙3及び乙4(枝番含む。)によれば,原告X1の尿中のCK値
は,本件事故当日の平成20年7月25日は85,同月26日は102及び
126,同月27日は104,同月28日は146,同月30日は901,
同年8月1日は253,同月4日は110であったと認められる。このよう
に,原告X1の尿中のCKは,本件事故当日から起算して4日間は正常値を
示しており,熱中症が原因となって原告X1に横紋筋融解症が生じたとは認
められないというべきであり,同年7月30日に901となった原因は,同
日以前から生じている痙攣発作の影響とみるべきであって,これらの点は,a
医師,b医師及びc助教のいずれもが,原告X1に横紋筋融解症の発症は認
められないと意見するところである(甲34,乙A12,乙A17)。したがっ
て,熱射病の病状に該当する前記症状が発現したとはいえない。
e多臓器不全及び血液凝固障害(DIC)
前記認定事実(14)ケ(エ)記載のとおり,旧分類における熱射病の病状とし
て多臓器不全や血液凝固障害(DIC)が生じるとされているが,前記
(ア)c(b)記載のとおり,原告X1にこれらの病状が生じたことを窺わせる事
情は存在せず,原告X1に熱射病の病状に該当する前記症状が発現したもの
とはいえない。
fその他
前記認定事実(10)記載のとおり,甲病院搬送直後の原告X1の血圧及び心
拍数に異常はなく,尿検査や血液検査にも明らかに異常な結果は認められな
い。
gまとめ
以上からすると,旧分類の最重症型となる熱射病の病状とされるもののう
ち,本件事故により原告X1に生じた症状は,過呼吸を伴わない一部の痙攣
にとどまるというべきであり,このことからすると,原告X1に生じた症状
が,新分類におけるⅢ度症例の中で重篤な症状の部類に属するものであった
と推認することは困難であるといわざるを得ない。
(ウ)後遺症群との比較対照
a臨床結果からの比較
前記認定事実(14)ケ(ウ)記載のとおり,中村俊介らは,熱中症の症例合計
1441例のうち,中枢神経系後遺症を生じた症例(後遺症群)及び対照と
して後遺症なく生存したⅢ度熱中症の症例(対照群)を抽出して分析すると,
病院来院時の意識障害の程度,体温及び動脈血ガス分析のBEに有意差が生
じるとの報告(以下「本件報告」という。)を行っている。以下,本件報告を
基に,原告X1の症例と,後遺症群及び対照群とを比較検討する。
b意識障害の程度
本件報告においては,意識障害の程度を示す指標としてGCSが用いられ
ており,原告X1の甲病院搬入時のGCSでの評価は不明であるところ,弁
論の全趣旨によれば,並木淳らは「GCSによる意識レベルの評価法の問題
点:JCSによる評価との対比」(日本臨床救急医学会雑誌10巻1号20頁
[2007])において,JCSとGCSの対応関係を別紙「JCSとGCS
の対応表」(省略)記載のとおりに整理したことが認められる。
前記認定事実(10)ア記載のとおり,原告X1の甲病院搬入時の意識障害の
程度はJCS3であるところ,別紙「JCSとGCSの対応表」によれば,
JCS3は,GCSの要素毎に,E(開眼)が4,V(発語)が3又は4,
M(最良運動反応)が5または6に対応し,GCSの合計点としては12か
ら14に位置づけられると認められる。
前記認定事実(14)ケ(ウ)c(a)記載のとおり,来院時のGCSの合計点につ
き,後遺症群が5.8±4.4,対照群が9.9±4.5であり,原告X1の点
数は,後遺症群には属さず,対照群の軽度の症例の部類に属するものといえ
る。
c体温
前記認定事実(10)ア記載のとおり,甲病院搬入時の原告X1の体温は36.
9度であり,前記認定事実(14)ケ(ウ)c(b)記載のとおり,本件報告によれば,
来院時の体温につき,後遺症群で平均40.3度±1.6度,対照群で平均3
9.2度±1.8度であり,この数値からすると,原告X1の症例は,後遺症
群及び対照群のいずれにも属さないものと認められる。
なお,原告X1が体温を測定するまでの間に急冷措置を受け,熱中症発症
時の体温が甲病院搬送直後のそれに比べて高かった可能性は考慮する必要が
あり,他方で,本件報告において検証された症例の中には,来院時までに急
冷措置が講じられた症例も一定数含まれているものと考えられるから,その
点も併せて考慮する必要がある。以上を総合して考慮するならば,原告X1
の数値は,少なくとも後遺症群には属さないと認められる。
d動脈血ガス分析のBE
乙3によれば,本件事故日の翌日である平成20年7月26日における原
告X1のBEは1.6モルリットルであると認められ,前記認定事実(14)ケ
(ウ)c(c)記載のとおり,本件報告によれば,来院時のBEにつき,後遺症群
で-6.4±5.3モルリットル,対照群で-2.8±6.1モルリットルであ
るから,原告X1の症例は後遺症群に属さず,対照群に属するものといえる。
eまとめ
以上からすると,原告X1の熱中症の症例は,後遺症群と対照群とで有意
差が認められる数値のいずれについても後遺症群に属さないものであり,こ
のことからすると,原告X1の熱中症は,脳に器質的損傷を与え,後遺障害
を残すようなものでなかった可能性が高いというべきである。
(エ)原告X1に講じられた応急処置
前記第3の2(8)オのとおり,被告Y1及びAの従業員は,原告X1に異
常が生じた直後から,原告X1に対し急冷措置を講じており,当該処置の内
容は,保護マニュアルの記載(前記認定事実(14)エ)に照らして概ね適切な
ものであったというべきであり,原告X1の熱中症の重症化の進行をある程
度妨げたものと推認される。
(オ)まとめ
以上の各事情を総合的に考慮するならば,原告X1が罹患した熱中症は,
新分類のⅢ度に該当するとしても,脳に不可逆的な器質的損傷を与え,後遺
障害を残す程度に重篤なものであったとまでは認められない。
ウ乙病院退院後の原告X1の症状の経過
(ア)身体機能
前記認定事実(12)カ記載のとおり,原告X1は,平成20年9月上旬ころ,
握力が左右共に0から1キログラム程度に低下するなどしたが,甲12,甲
34,甲39,原告X2本人及び弁論の全趣旨によれば,原告X1は,現在
までに,握力は左右共に20キログラム前後に回復し,現時点では,歩行障
害も明らかでなく,飲食業のアルバイトを行うなど,日常生活はある程度で
きる状態であるが,一方で,走行することは未だに困難であることが認めら
れる。
(イ)精神機能
前記認定事実(13)ア記載のとおり,原告X1は,平成22年2月ころ,原
告X2及び祖父に対し,おもちゃを買ってくるように再三にわたりだだをこ
ねることがあり,精神の退行が認められる。もっとも,おびただしい数のお
もちゃを要求しており,単に精神が幼児期に退行したものではないことも考
えられる。
また,前記認定事実(12)カ記載のとおり,平成20年9月上旬ころ,丙病
院入院当初の原告X1の知能指数は,言語性IQが77,動作性IQが61,
全検査IQが67であり,甲9によれば,平成22年4月23日当時の原告
X1の知能指数は,言語性IQが82,動作性IQが54,全検査IQが6
6であり精神遅滞レベルにあったものと認められる。
さらに,前記認定事実(13)イ記載のとおり,原告X1は,平成23年9月
ころから,飲食店でのアルバイトを始めたものの解雇されて長続きしない状
態が繰り返されている。
加えて,前記認定事実(13)エ記載のとおり,当裁判所において原告X1の
当事者尋問の実施を検討し,原告ら訴訟代理人らを通じて原告X1に対して
尋問の実施を求めたが,原告X1がこれに応じず,結局原告X1の当事者尋
問は実施されなかった。
他方で,原告X1は,前記認定事実(13)ウ記載のとおり,友人から,平成
23年8月7日に36万円を,平成24年6月17日に56万円をそれぞれ
借り入れ,その都度借用書を作成している。
以上からすると,現在の原告X1は,金銭の借入れを行ったり借用書を作
成したりするなどある面の知的能力を備えていることが認められるが,一方
で,精神の遅滞や退行が存在し,精神機能に障害が存在するものと認められ
る。
(ウ)まとめ
以上からすると,原告X1は,現在,身体機能及び精神機能に前記のとお
りの障害が存在するものと認められる。
エ脳の器質的損傷の有無
(ア)原告らの主張
原告らは,前記ウ記載の原告X1の症状は,本件事故による熱中症を原因
として脳に器質的な損傷が生じたことによる,小脳症状,高次脳機能障害,
四肢麻痺,体幹機能障害といった後遺障害であると主張する。
(イ)脳の器質的損傷を示す画像所見
a前記認定事実(10)ア記載のとおり,原告X1は,本件事故後,搬入された
甲病院において頭部CT検査を受けたが,特に明らかな異常所見は認められ
なかった。また,乙A4の1によれば,乙病院が平成20年7月26日に実
施した原告X1のMRI及びMRA検査でも異常が確認されなかった。
甲9,甲12,甲15及び甲16によれば,原告X1は,平成23年2月
4日,インフルエンザに罹患したことから救命救急センターに入院し,その
際,頭部CT及びMRA又はMRI検査を受けたが,これらによって明らか
な脳の異常所見は認められず,他に原告X1の脳の器質的損傷を示す画像所
見は存在しない。
a医師は,救命救急センターで撮影された原告X1の頭部CT検査画像(甲
15,甲16)に軽度の脳萎縮を起こしている可能性がある旨をカルテ(甲
9)や意見書(甲12)において指摘しているが,a医師は原告X1に軽度
の脳萎縮があるとの確定診断をしているわけではなく,同画像(甲15,甲
16)を検討したc助教が,同画像上,原告X1に脳萎縮は認められないと
の意見を述べている(乙A17)ことからすれば,a医師のカルテ上及び意
見書上の前記記載をもって,原告X1の脳の器質的損傷を示す画像所見が存
在すると認めることはできない。
bこの点,原告らは,熱中症によりもたらされた神経学的後遺症の症例とし
て,CT及びMRI上に異常所見がなかったものがあるとの医学分野の報告
が存在し,原告X1には,画像所見に表れない脳の器質的損傷が生じた可能
性があるのであり,画像診断により脳の器質的損傷の有無を判断することに
は限界がある旨主張し,前記報告例として嶋津基彦らの論文(甲6,前記認
定事実(14)ケ(ア))を提出する。
確かに,現在の最先端の医学的知見をもってしても,重篤な熱中症の発症
により,脳にCT等の画像所見に表れない微細な損傷が生じ,これを原因と
する後遺障害の発生の可能性を否定することはできず,また,前記認定事実
(15)ウ記載のとおり,器質性の神経疾患である高次脳機能障害の診断につき
厚生労働省が作成したガイドラインにおいても,画像所見等で脳の器質的病
変の存在が明らかでない症例についても,慎重な評価により高次脳機能障害
者として診断されることがあり得るとされていることからすれば,画像所見
のみによって原告X1の脳の器質的損傷の有無を直ちに判断することはでき
ないというべきである。
しかしながら,前記認定事実(14)ケ(ア)記載のとおり,嶋津基彦らが甲6
で分析検討した,急性期の画像所見に異常がなく後遺障害が生じた2件の事
例は,いずれも旧分類の熱射病に該当し,来院時にJCS200の重度の意
識障害,深部温度が40度以上の高体温及びショック状態が認められる重篤
な熱中症の症例であり,前記イのとおり,原告X1が罹患した熱中症は,甲
6で示された2件の事例に比べると相当軽微な症例であって,脳に不可逆的
な器質的損傷を与える程度に重篤なものであったとまでは認められず,甲6
で示された2件の事例と原告X1の症例を同列に論じることは困難である。
また,前記認定事実(14)ケ(ア)記載のとおり,嶋津基彦らは,急性期に異
常が認められなかった事例において,ある事例では5か月後のCTで,ある
事例では1年後のMRIで脳の器質的病変が確認された事例があるとの報
告を受け,問題となっている前記2事例についても,神経放射線学的検査を
踏まえた長期の経過観察が必要であると指摘しており,これは,後遺障害が
発生してから相当期間が経過した後には画像所見に異常が認められる可能
性を示唆するものと解されるが,前記のとおり,本件事故後約2年6か月が
経過し,原告X1に障害とみられる症状が生じた後に撮影された検査画像に
おいても,原告X1の脳の画像所見には異常が認められない。
(ウ)乙病院退院後の原告X1の身体的機能の症状の経過
前記認定事実(12)アないしエ記載のとおり,乙病院退院後の原告X1は,
軽介助を要しながら,シャワーを自分で行い,浴槽へ入る際も,手及び足の
移動を手順どおり行うことができ,浴槽に座るまでは自力ででき,浴槽の縁
及び壁をゆっくりと手を移動させながら,左足及び右足を動かすことができ
たり,自宅において胡座をかいてテレビを見たりすることができる状態で
あった。また,原告X1は,平成20年8月30日ころ,自力で起床し,自
宅1階内の移動には松葉杖を携行しないで移動することができ,階段は右手
に松葉杖を持つことで昇降をすることができた。さらに,原告X1は,平成
20年9月1日及び翌2日の各日に,自宅から約1キロメートル離れたデ
パートまで,多少のふらつきがあるものの,転倒したり障害物にぶつかった
りすることなく自転車を運転して,片道2車線合計4車線の国道を横断する
などして当該区間を往復した。
ところが,前記認定事実(12)オ及び同カ記載のとおり,原告X1は,その
数日後の平成20年9月6日,身体のふらつきが解消しないことを理由に己
病院を受診し,同月12日から丙病院に入院したが,この頃の原告X1の握
力は左右共に0から1キログラムに低下し,上下肢の筋力が落ちて,移動動
作,立ち上がり,立位保持及び平行棒内の移動は手すりを把持しなければ困
難な状態となり,車椅子を自ら操作することも困難な状態になった。
以上のとおり,原告X1の身体的機能は,乙病院を退院してから,自転車
を走行できる程度にまで改善したものの,平成20年9月6日ころを境に急
激に悪化した。
乙A17及び弁論の全趣旨によれば,脳の器質的な障害とは,脳神経細胞
の損傷によるものであり,リハビリ等によって緩徐な改善はある程度期待で
きるものの,基本的には慢性及び持続性のものであり,月単位という短期的
な期間で大きく改善し,あるいは急激に悪化したりすることは考えにくいと
いうべきであり,このことを踏まえるならば,原告X1の身体的機能の症状
の前記の推移は,原告X1の身体的機能の障害が脳の器質的な損傷を原因と
するものでないことを強く示唆するというべきである。
オ心因性疾患の可能性
以上に加え,乙病院退院後の原告X1の心身機能の障害が心因性のもので
あることを疑わせる各事情が以下のとおり存在する。
(ア)前記認定事実(1)ウ記載のとおり,原告X1には過換気症候群の既往症が存
在するところ,前記認定事実(17)ア記載のとおり,過換気症候群は,不安,
緊張,恐怖,ストレスなどの精神的及び心理的な要因により発症するもので
あり,原告X1が,従前,身体的機能に悪影響を及ぼす程度に精神面及び心
理面に問題を抱えていた可能性を否定できない。
(イ)前記認定事実(11)ウ記載のとおり,原告X1は,平成20年7月28日,
乙病院の神経科を受診し,原告X1を診察した神経科の医師から,器質性疾
患であるかどうかははっきりとしないが,心因性疾患を強く疑う旨の診断を
受けた。
前記認定事実(11)オ記載のとおり,原告X1は,平成20年8月7日,丁
病院精神神経科に通院し,同病院の医師から,器質的な問題がないこと及び
これまでの経過から判断して,解離性障害が疑われる旨の診断を受けた。
前記認定事実(11)ク記載のとおり,原告X1は,乙病院を退院後,同病院
の医師から,最終診断として主病名をヒステリーと診断された。乙A17及
び乙A18によれば,ヒステリーは,かつて解離性障害を含む概念として精
神医学において用いられていたことが認められる。
前記認定事実(12)ケ記載のとおり,原告X1は,平成20年10月3日,
丁病院精神神経科に通院し,右下肢の震えの原因がてんかんであるか否かを
判断するため,脳波検査を受けたが,同病院の精神神経科の医師から,検査
結果からは発作系の痙攣を引き起こす脳波の反応は認められず,てんかんが
震えの原因であることには否定的である旨,原告X1の症状は器質的な問題
がないということであれば,ヒステリー,身体表現性障害が考えられるとの
診断を受けた。
(ウ)乙A4の2の乙病院の看護記録において,「ストレス性によるものか?生活
聞いていると食事していなかったり,仕事的にもハードで睡眠少なく,スト
レス過度にあった様な生活ぶりである」,「やや思いつめた様子であり,母親
入院した事について知っているのか尋ねるも“うん”とは言うも一度も病院
には来ていないとの事」,「仕事・家族と事情複雑な様子であり,入院中は少
しでも入眠・気分転換出来る様,傾聴・声かけ・不眠時内服等使用し療養出
来る環境作りしていく必要あり」との記載がある(平成20年7月26日欄,
66頁)。これらの記載からすると,原告X1は,乙病院の看護師に対し,本
件事故当時の生活状況,仕事,家族関係について話し,これらの点について
悩みを抱いていたことが推認される。
(エ)乙A4の2の乙病院の看護記録において,「丁病院の心療内科に解離性障害
にて一時入院していたとの情報あり」との記載がある(平成20年8月6日
欄,74頁)。
一方,本件において,丁病院の医療記録(乙A5)は,本件事故後の平成
20年8月7日以降のものが提出されているところ,乙A5及び原告X2本
人によれば,原告X2は,平成21年7月9日,丁病院の医師に対し,裁判
の証拠とするために平成20年8月7日以降のカルテのみの開示を請求した
ことが認められる。また,前記認定事実(11)オ及び甲10によれば,原告X
2は,平成20年8月7日,丁病院精神神経科の医師から,原告X1の症状
の原因として,器質的な問題がなく,これまでの経緯からして解離性障害が
疑われる旨の説明を受けており,その一方で,原告X2作成の報告書(甲1
0)において,前記医師から原告X1の症状が熱中症の後遺症であるとの説
明を受けたかのような記載を行っていることが認められる。さらに,前記認
定事実(11)キのとおり,原告X2は,平成20年8月16日,乙病院の医師
に対し,原告X1の以前の病気は完治していると思っている,被告Y1とは
訴訟になると思うので守秘義務を守るように告げている。この点,原告X2
は,乙病院の医師に対する発言中の前記の「以前の病気」とは急性腰椎症の
ことであると供述するが(原告X2本人30頁),熱中症の発生や程度が争点
となることが予想される被告Y1との訴訟を控えた段階で,乙病院の医師に
対し,急性腰椎症の存在について守秘義務を守るように殊更に告げる必要性
は高くないというべきであり不自然である。
以上の原告X2の各行動を考慮するならば,原告X1が過去に解離性障害
に罹患したことがあり,それを原告X2において隠そうとした可能性を否定
できない。
カ重要証拠の証明力
(ア)a医師作成の診断書(甲2,甲9,甲13)及び意見書(甲12,甲34)
a医師は,現在の原告X1の身体的機能及び精神的機能の症状は,本件事
故の熱中症により脳障害を生じたことが原因で発症したものであり,高次脳
機能障害,錐体路症状,錐体外路症状及び小脳失調症状が生じたと意見を述
べ,その主な根拠は,原告X1の熱中症が熱射病に相当する病態であったこ
とを前提に,様々な機序により大脳及び小脳の中枢神経障害を来したと推測
されること,現在の症状が高次脳機能障害者にありがちな傾向であること,
器質的脳障害を前提とするリハビリの経過中に原告X1の症状が改善してい
るところ,心因性のものであれば何らかの重大な心因上の変化あるいは薬物
療法によってしか改善しないが,原告X1は薬物療法による治療を受けてい
ないというものである。
しかしながら,前記のとおり,原告X1の熱中症の症状は,熱射病に発現
するとされる症状としては過呼吸を伴わない痙攣が生じた以外,顕著なもの
は認められず,この点で,原告X1の熱中症が熱射病に相当する病態であっ
たと言い切れるか疑問であるし,また,新分類のⅢ度に該当するとしても,
脳に器質的損傷を与える程度に重篤なものとであったとまでは認められない
から,a医師の意見は,原告X1の熱中症が大脳及び小脳の中枢神経障害を
来す程度に重度なものであることを前提にする点で疑問がある。さらに,原
告X1の現在の症状が高次脳機能障害者にありがちな傾向であることは,原
告X1が高次脳機能障害である可能性を示唆するにとどまり,原告X1が高
次脳機能障害に罹患していることを推認させるとまではいえない。加えて,a
医師は,前記エ(イ)aのとおり,MRI,CT,脳波などによる検査所見が
ない状況で,どのような診断結果等に基づき高次脳機能障害の診断を行った
のか明らかでない。
以上からすると,a医師の意見書及びこれを前提とする診断書は信用性が
低いといわざるを得ない。
(イ)丙病院の医師が作成した診断書及び医学的意見書(乙A7-252頁,乙
A8,乙A9,乙A10)
丙病院の医師は,原告X1において,熱中症の後遺症を原因とする四肢麻
痺,横紋筋融解症等の症状が生じた旨の診断書及び医学的意見書を作成して
いるが,前記第3の3(2)イ(イ)dのとおり,原告X1には重度の熱中症の症
状である横紋筋融解症の発症は認められず,前記診断書及び意見書の前提が
誤った認識に立っているから,前記診断書及び意見書は全体として信用性が
低いといわざるを得ない。
キ判断
以上のとおり,原告X1が罹患した熱中症は,新分類のⅢ度に該当すると
しても,脳に不可逆的な器質的損傷を与え後遺障害を残す程度に重篤なもの
であったとまでは認められない(前記イ)。また,原告X1の脳の画像所見
及び症状の経過からして脳の器質的損傷が存在するとは認められず(前記
エ),他方,現在の原告X1の症状が心因性のものである可能性を否定でき
ない(前記オ)。以上の諸事情を総合して考慮するならば,被告Y1の本件
義務違反と,乙病院退院以降の原告X1の症状との間に相当因果関係がある
とは認められない。
原告X1に発生している現在の症状は,事実的因果関係の観点からすると,
本件事故による熱中症またはそれに伴う過呼吸を契機として生じたものと
認められ,また,仮に現在の症状が心因性のものである場合に,熱中症また
は過呼吸が心因性の障害に何らかの影響を与えている可能性も,また否定で
きない。
しかしながら,本件各証拠をもってしても,熱中症または過呼吸から現在
の症状が生ずる蓋然性が高いことについては証明があったとはいえず,また,
熱中症または過呼吸から心因性の障害が生ずる蓋然性の高さについても同
様に証明があったとはいえない。したがって,本件義務違反と乙病院退院以
降の原告X1の症状との間に相当因果関係があるとは認められない。
5原告X2及び原告X3に対する被告らの不法行為の成否について
原告X2及び原告X3は,本件事故により,原告X1の将来に対する期待が
奪われ,生涯にわたり原告X1の介護に従事することを余儀なくされ,深い精
神的苦痛を被ったと主張する。
前記4(2)ウのとおり,乙病院退院後の原告X1には,身体機能及び精神機
能に障害が存在しているものと認められるが,前記4のとおり,被告Y1の本
件義務違反と現在の原告X1の症状との間の因果関係は認められない。また,
本件義務違反と相当因果関係を有する本件事故時から乙病院退院時までの原
告X1の熱中症の症状については,診療経過その他本件に現れた一切の事情を
踏まえても,原告X2及び原告X3が,民法711条の生命侵害の場合にも
比肩し得べき精神的苦痛を受けたとは認められない。
また,前記3のとおり,被告Y2に義務違反は認められない。
以上のとおりであるから,被告らの原告X2及び原告X3に対する不法行為
は成立しない。
6争点4(原告らの損害額)について
前記4のとおり,被告Y1の本件義務違反と相当因果関係を有する原告X1
の損害は,乙病院に入院している期間までの損害にとどまる。
このことを前提にした場合の本件義務違反と相当因果関係を有すると認めら
れる原告X1の損害及び損害額は,次のとおりである。
(1)治療関係費
本件事故により発症した熱中症の急性期の治療にあたった甲病院及び乙病院
並びに各種検査を行った丁病院における治療費及び文書費のうち,証拠上(甲
41の1ないし41の11,甲41の18ないし41の21,甲41の27),
原告らが支出したと認められる31万0021円を本件義務違反と相当因果
関係を有する損害と認めるのが相当である。
他方,丙病院及び辛クリニックその他の病院並びに鍼灸院における治療に要
した費用は,本件義務違反と相当因果関係を有する損害とは認められない。
(2)入院雑費
前記認定事実(10)及び(11)のとおり,原告X1は,平成20年7月25日か
ら同年8月21日までの28日間,本件事故により発症した熱中症の急性期の
治療にあたった甲病院及び乙病院に入院しており,前記日数の入院は本件義務
違反と相当因果関係を有する損害と認めるのが相当である。入院に伴う雑費と
して1日1500円を認め,損害額は,次の計算式のとおり,4万2000円
となる。
(計算式)1500円×28日=4万2000円
他方,丙病院への入院に伴う雑費は,本件義務違反と相当因果関係を有する
損害とは認められない。
(3)通院交通費
本件事故により発症した熱中症の急性期の治療にあたった甲病院及び乙病院
並びに各種検査を行った丁病院への通院に要した交通費のうち,証拠上(甲4
1の3,甲41の12ないし41の17,甲41の22ないし41の26,甲
41の28ないし41の31),原告らが支出したと認められる8万2720
円を本件義務違反と相当因果関係を有する損害と認めるのが相当である。
他方,丙病院及び辛クリニックその他病院並びに鍼灸院への通院に要した交
通費は,本件義務違反と相当因果関係を有する損害とは認められない。
(4)付添看護費
前記(2)と同様に,本件事故により発症した熱中症の急性期の治療のための
甲病院及び乙病院への28日間の入院は,本件義務違反と相当因果関係を有す
る損害と認めるのが相当である。入院に伴う近親者の付添看護費を1日600
0円と認め,損害額は,次の計算式のとおり16万8000円となる。
(計算式)6000円×28日=16万8000円
他方,丙病院への入院に伴う近親者の付添看護費は,本件義務違反と相当因
果関係を有する損害とは認められない。
(5)丙病院退院後から将来の介護費
前記のとおり,本件義務違反と乙病院退院以降の原告X1の症状との間には
相当因果関係が認められないから,丙病院退院後の原告X1の介護費は,本件
義務違反と相当因果関係を有する損害とは認められない。
(6)家屋改造費用
甲42(枝番を含む。)及び弁論の全趣旨によれば,原告X2は,平成21
年4月以降,原告X1の症状に対処するため,原告X1が居住する自宅を改造
し,その費用として1121万2960円を支出したものと認められる。
しかしながら,前記改造は,平成20年12月12日に丙病院を退院した後
の原告X1の症状に対応するためのものであり,これに要した費用は,本件義
務違反と相当因果関係を有する損害とは認められない。
(7)自動車改造費用
甲43(枝番を含む。)及び弁論の全趣旨によれば,原告X2は,平成21年
7月14日,原告X1の症状に対応するため,原告X1の移動に用いられる自
家乗用車の助手席を改造し,その費用として53万8650円を支出したもの
と認められる。
しかしながら,前記支出は,前記(6)と同じ理由により,本件義務違反と相当
因果関係を有する損害とは認められない。
(8)各種装具及び器具購入費用
甲41の119ないし41の130及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,
平成20年8月20日以降,原告X1の症状に対処するため,松葉杖,手すり,
電池式自走車及びモータ付ベッド等の器具購入費として92万3437円を
支出したものと認められる。
しかしながら,前記支出は,前記(6)と同じ理由により,本件義務違反と相当
因果関係を有する損害とは認められない。
(9)後遺障害による逸失利益
前記のとおり,本件義務違反と乙病院退院以降の原告X1の症状との間には
相当因果関係が認められず,本件義務違反により原告X1に後遺障害が発生し
たとまではいえないから,後遺障害による逸失利益は,本件義務違反と相当因
果関係を有する損害とは認められない。
(10)成年後見人申立費用
前記前提事実(1)ア記載のとおり,原告X1は,平成22年12月16日,大
阪家庭裁判所から成年後見開始の審判を受け,原告X2が成年後見人に選任さ
れたものであり,弁論の全趣旨によれば,原告らは,前記審判の申立手続費用
を支出したものと認められる。
しかしながら,前記審判及び同審判の申立ては,平成22年12月ころの当
時の原告X1の精神上の障害をもとになされたものであって,前記のとおり,
当時の原告X1の精神上の症状と本件義務違反との間には相当因果関係が認
められないから,成年後見人申立費用は,本件義務違反と相当因果関係を有す
る損害とは認められない。
(11)入通院慰謝料
前記認定事実(10)及び(11)のとおり,原告X1は,平成20年7月25日か
ら同年8月21日までの28日間,本件事故により発症した熱中症の急性期の
治療にあたった甲病院及び乙病院に入院(うち,前記期間において丁病院に2
日通院)しており,前記日数の入通院は本件義務違反と相当因果関係を有する
損害と認めるのが相当であり,原告X1の入通院における精神的苦痛を慰謝す
るための慰謝料は,その間の病状,入通院期間を考慮して80万円を認めるの
が相当である。
他方,丙病院及び辛クリニック等への入通院は,本件義務違反と相当因果関
係を有する損害とは認められない。
(12)後遺障害慰謝料
前記のとおり,本件義務違反と乙病院退院以降の原告X1の症状との間には
相当因果関係が認められず,本件義務違反により原告X1に後遺障害が発生し
たとまでは認められないから,後遺障害慰謝料は,本件義務違反と相当因果関
係を有する損害とは認められない。
(13)弁護士費用
被告Y1の本件義務違反により原告X1に発生した弁護士費用の損害とし
ては,次の計算式のとおり,14万0274円を認めるのが相当である。
(計算式)140万2741円((1)ないし(4)及び(11)の合計額)×0.1(認
容額の10パーセント)=14万0274円(小数点以下切捨)
(14)損害額の総額
以上のとおりであるから,被告Y1の本件義務違反と相当因果関係のある原
告X1の損害額は,154万3015円であると認められる。
7被告Y1の原告X1に対する支払
前記前提事実(6)のとおり,被告Y1は,平成21年7月10日,原告X1に
対し,本件事故により発生した原告X1の損害の塡補として177万0481
円を支払っており,これは,被告Y1の原告X1に対する損害賠償債務につい
ての弁済と認められるから,原告X1の被告Y1に対する損害賠償請求権は同
日消滅したものと認められる。
8時機に後れた攻撃防御方法について
原告が第3回弁論期日(平成27年2月6日)において提出した書証(甲5
4ないし56,甲58)及び同書証に基づく主張部分については,原告の従前
の主張との関連性は認められるものの,より早期に提出することが十分に可能
であり,かつ,それらの提出を認めた場合には訴訟の完結を遅延させることに
なると認められるので,同期日において,民事訴訟法157条1項に基づき却
下することとした。
第4結論
以上からすると,原告らの請求は理由がないからいずれも棄却することとし
て,よって主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第12民事部
裁判長裁判官古谷恭一郎
裁判官富張邦夫
裁判官望月一輝
別紙図面(省略)
別表
大阪管区気象台発表の本件リハーサル時の気象条件
時分気温(度)相対湿度(%)
12:0034.044
12:1034.445
12:2033.945
12:3034.045
12:4033.945
12:5034.345
13:0034.045
13:1034.545
13:2034.245
13:3034.445
13:4034.943
13:5035.544
14:0035.042
14:1036.142
14:2035.742
14:3035.244
14:4035.740
14:5035.140
15:0035.140
時分気温(度)相対湿度(%)
15:1035.438
15:2034.940
15:3034.939
15:4034.941
15:5034.640
16:0034.943
16:1033.545
16:2033.145
16:3033.145
16:4032.947
16:5033.146
17:0032.646
17:1032.548
17:2032.748
17:3031.853
17:4031.854
17:5031.555
18:0031.357
別表
平成20年8月10日の気象条件
ⅰ「気象台気温」…大阪管区気象台発表の平成20年8月10日の気温
ⅱ「第4区気温」…原告X2らが測定した同日の第4区スタート地点の気温
時分
ⅰ気象台
気温(度)
ⅱ第4区
気温(度)
ⅰとⅱ
差(度)
14:3034.142.78.6
14:4034.441.36.9
14:5034.542.88.3
15:0034.744.69.9
15:1034.544.29.7
15:2034.140.76.6
15:3034.141.17.0
15:4033.940.16.2
15:5033.641.78.1
16:0033.539.35.8
時分
ⅰ気象台
気温(度)
ⅱ第4区
気温(度)
ⅰとⅱ
差(度)
16:1033.141.28.1
16:2033.139.46.3
16:3032.638.05.4
16:4032.938.55.6
16:5033.137.44.3
17:0032.737.64.9
17:1032.535.12.6
17:2032.436.94.5
17:3031.937.55.6
17:4032.336.34.0
別表
環境省発表の本件リハーサル時の大阪のWBGT
時分WBGT(度)
熱中症予防運動指針
による暑熱環境の状況
12:0029.3厳重警戒,激運動中止
13:0029.3厳重警戒,激運動中止
14:0029.8厳重警戒,激運動中止
15:0029.4厳重警戒,激運動中止
16:0029.4厳重警戒,激運動中止
17:0025.9警戒,積極的休息
18:0026.3警戒,積極的休息
別紙(省略)
JCSとGCSの対応表

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛