弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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 主文
原判決を取消す。
被控訴人は、控訴人に対し、金十五万円及びこれに対する昭和三十一年一月十二
日以降右完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その各一を控訴人及び被控訴人
の各負担とする。
 この判決は、控訴人において金五万円の担保を供するときは、第二項につき仮に
執行することができる。
         事    実
 控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人に対し金三十八万二千四
百円及びこれに対する本件訴状送達の翌日以降右完済に至る迄年五分の割合による
金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審共被控訴人の負担とする。」旨の判決並び
に仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
 当事者双方の事実上の陳述は、控訴人において次のように述べた外、原判決の事
実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
 印鑑証明書は、実際の取引上重大な作用を営むものであつて、これのみによつ
て、巨万の価格を有する不動産の所有権も移転せられるのであり、又巨額の取引に
ついても公正証書が作成せられ、これにより権利義務の得喪、変更を生ぜしめるも
のであるから、印鑑証明書の交付については、いくら慎重な考慮が払われても足り
ないというべく、殊に、印鑑又はその届出もしくは証明書交付申請の代理人の真偽
については、慎重にこれを確認せられるべきであつて、かくてこそはじめて、印鑑
証明書の交付につき過誤なきを期しうるのである。このことは、a村などの小村で
あろうと、又名古屋市のごとき大都市であろうと、これに差異のあるべき理がな
い。従つて、仮にa村に、おいては、印鑑証明書の交付を請求する者が、本人でな
くても、これとじつこんの間柄であれば、その者に証明書を交付している慣行があ
り、これに従つて本件印鑑証明書の交付がなされたものであるとしても、右のよう
な慣行は、誤つた廃絶せらるべき慣行なのであるから、これに従つた証明書の交付
につき、事故が発生したときにおいても、なお、右慣行のあることをもつて、これ
に過失なしとすることは、到底できないところである。しかして、善良なる管理者
の注意をもつてすれば、右のごとき慣行に従つて印鑑証明事務を取扱うときは、本
件のような事故を生ずべきことは、当然これを予知しうべきところであり、殊に、
本件の場合は、既に届出ある印鑑の証明書の交付ではなく、新たに印鑑の届出があ
り、その場で直ちに印鑑証明書を交付したものであつて、一層危険性が大であるか
ら、これに因つて生じた損害について過失の責任を負うべきことは、多言を要しな
い。
 a村村長は、本件印鑑証明書の交付につき、重大な過失があつたのであるから、
これに因つて第三者に蒙らしめた損害は、同村において賠償の責任を負担すべきこ
というまでもない。ところで、右a村は、現在犬山市に合併せられ、同村の債権債
務は、すべて同市に承継せられたのであるから、同市は、右賠償の責任あるものと
いうべきである。しかして、控訴人は、本件印鑑証明書が真正であることを信じ
て、本件不動産を買受けたところ、これが虚偽のものであつたため、結局本件不動
産の所有権を取得することができず、又その代金として支払つた金三十八万二千四
百円をも失い、その返還を受けることができなかつたのであるから、右支払代金に
相当する損害を蒙つたものといわねばならない。そこで、控訴人は、当審において
請求を拡張し、被控訴人に対し右損害賠償として金三十八万二千四百円及びこれに
対する本件訴状送達の翌日以降右完済に至る迄五分の割合による遅延損害金の支払
を求めるものである。
 立証として、
 控訴代理人は、甲第一号証乃至第三号証、第四号証の一、二、第五号証、第六号
証、第七号証及び第八号証の各一乃至三、第九号証の一、二並びに第十号証の一乃
至四を提出し、原審における証人A及び同Bの各証言並びに控訴本人尋問の結果、
当審における証人Bの証言及び控訴本人尋問の結果を援用し、乙号証につき、その
各成立は、いずれもこれを認めた。
 被控訴代理人は、乙第一号証乃至第四号証を提出し、原審における証人C、同D
及び同Bの各証言を援用し、甲号証につき、第二号証中登記済の部分、第三号証、
第四号証の一、二、第六号証、第七号証及び第八号証の各一乃至三、第九号証一、
二並びに第十号証の一乃至四の各成立は、いずれもこれを認め、第一号証、第二号
証中前記登記済の部分を除きその余の部分及び第五号証の各成立は、いずれも不知
と述べ、第八号証の三を被控訴人の利益に援用した。
         理    由
 訴外Eが、昭和二十八年五月二十一日愛知県丹羽郡a村(当時、以下同じ)役場
において、訴外A名義の印鑑届出をすると共に、同人の印鑑証明書の交付を請求
し、同役場吏員訴外Dが即日同村長C名義の本件印鑑証明書を右Eに交付したこと
は、当事者間に争が存しない。
 しかして、成立に争のない甲第四号証の一、第八号証の一乃至三、第九号証の
一、二、乙第一号証、原審証人A、同B及び同Dの各証言によると、訴外Aが、昭
和二十七年十月頃訴外E外一名より、右両名の共有であつた本件不動産(名古屋市
b区c町d丁目e番山林八畝八歩及び同所f番山林七畝二十歩)を、名古屋鉄道株
式会社の株式一千八百株と交換して譲受けた際、Aの夫訴外Bが、右所有権の移転
登記を受けるに使用するため、Bなる既製品の認印を買求めてEに預けておいたと
ころ、同人は、同年十二月二十七日本件不動産につきA名義に移転登記を了したに
もかかわらず、右印鑑を返還することなくそれが手中にあつたところより、これを
利用してA等に無断で本件不動産を控訴人に売却しようと企て、昭和二十八年五月
二十一日同人より何等の委任も受けず全くその権限がないのに、その住所地たる前
記a村の役場に右印鑑を持参し、同役場戸籍(兼印鑑証明手続)係である訴外Dに
対し、Aの代理人であると称して同人の印鑑証明書の交付を請求したこと、右請求
によりDが同村の印鑑簿について調査したところ、未だAの印鑑届出がなかつたの
で、Eの持参した右印鑑により、同役場備付の用紙をもつて、同人に対するAの代
理委任状を作成した上、右印鑑をAの印鑑として印鑑届出を受理すると共に、同村
長C作成名義の右印鑑証明書二通を作成し、これをEに交付したものであること、
及びその一通が本件印鑑証明書であることを認めることができる。
 <要旨>そこで、次に右認定のようにAの真意に基かない印鑑届の受理及びEに対
する本件印鑑証明書の交付につきa村長の過失の有無を検討する。
 成立に争のない甲第七号証の一乃至三、乙第三号証、前掲甲第八号証の一乃至
三、原審証人C、同D、同A及び同Bの各証言並びに当審証人Bの供述によれば、
以下のごとき事実を認めることができる。即ち、本件印鑑証明書交付当時a村にお
いては、印鑑証明事務においてこれを規制すべき特別の条例、規則等の定なく、従
来の慣例に従いその事務を処理していた。同村は、僅か二百戸足らずの小村であつ
て、住民の転出人等による移動も少く、又印鑑届出人も二百五十名位に過ぎない
上、同村役場吏員は、殆んどすべてが地元民であるから、大部分の同村民と顔見知
りの間柄であり、村内の事情をよく知悉しうる状況にあつたので、同村住民の利便
をも考慮して、既に届出ある印鑑につき証明する場合のみならず、新たに印鑑届出
を受理してこれにつき証明する場合においても、特に、請求人が面識のない者であ
るとか、全く関係のない他人の印鑑につき証明の請求があるとき等の外は、印鑑届
出の本人より請求あるときは勿論、印鑑を持参した請求人とその印鑑によつて証明
を受ける届出本人と異るとき、しかも、右本人の委任状を添付していない場合にあ
つても、印鑑の持参によつて本人より印鑑持参人にその事務の委任あるものと認
め、即日役場内で委任状を作成提出せしめ、直ちに印鑑証明書を交付し、唯印鑑証
明交付簿に請求人及び届出本人の氏名を記載してその印影を止めておくことによ
り、印鑑証明事務を記録するに過ぎないことが、同村の慣行として従来より行われ
ていた。そして、永年このような慣行に従つて印鑑証明事務がなされて来たのであ
るが、これについてこれまで過誤のあつたことがなく、何等の支障もなかつた。訴
外Eは、昭和十六、七年頃より数年間、訴外B方に事務所を借受けa村地内の土地
分譲事業をしていた光正土地株式会社の社員として、B方に始終出入し、時には同
人方に宿泊し、又右会社の分譲残地の一部を同人と共有していたこともあり、戦後
においても、同人とは時折交渉があつて、昭和二十四、五年頃には右共有土地を処
分したり、更には前段認定のように本件土地を同人の妻Aに売却する等のいきさつ
もあり、B夫婦とは、取引上の関係のみでなく相当じつこんの間柄であつた。右両
者の間柄は、同村内にひろく知られていたところであり、又Eが右土地分譲の当
時、同村には村役場の外電話の設備がなかつたため、屡々電話の借用に役場へ来て
いたので、同役場内においてもよく知られていた。そして、訴外Dは、昭和十二年
以来同役場に勤務し、永年戸籍並びに印鑑証明の事務を担当して来たものであつ
て、Eのごとき同村住民でない者より、印鑑証明書の交付請求があつたことは、そ
れまでになかつたのであるが、同人とは面識がある上に、同人とB及びAとの間柄
が、前記のようにじつこんであることを知つていたので、右EよりAの代理人とし
て同人の印鑑証明書の交付請求があつたとき、その代理権限等につき何等の疑念を
もさしはさまず、従つて些かもこれにつき確認する方法を採ることもなく、従来の
慣行によつて前承認定のごとく印鑑証明書を作成交付したものである。以上の事実
を認めることができる。
 ところで、印鑑は、わが国においては、その印影の顕出あることによつて、文書
に表示せられた自己の意思を確認すると共に、その文言に責任を負う旨を表明する
ものであるとされ、取引上その他の関係において重要な作用をなし、署名と同等あ
るいはそれ以上に重視されて来たから、これについて夙に公の機関による証明制度
が設けられ、その発する印鑑証明書は、これをもつて、印鑑自体の同一性のみなら
ず、取引行為者自身の同一性乃至は、取引行為が行為者の真意に基くものであるこ
とをも確認する確実な資料として、法律関係について将来の紛争を未然に防止する
の具とせられるものであり、公正証書の作成委嘱、不動産の登記申請等をする場合
にはこれが要求せられ、それが私人の取引上において重要な機能を営むものである
ことは、いうまでもないところである。このような性質を有する印鑑証明書の証明
事務は、従つて、私人の権利義務に重大な関係を有するのであるから、これを軽々
に取扱うことは許されず、充分慎重な考慮を払つてなさるべきこと勿論であつて、
このことは、大都市であろうと小寒村であろうと、これに差異のあるべき理がな
い。右印鑑証明事務を規制すべき一般的な法令の制定は、久しく待望されながら未
だその機運に至らないが、近時東京都、名古屋市その他若干の市町村においては、
印鑑条例が制定施行せられ(成立に争のない乙第四号証によれば、被控訴人犬山市
においても昭和三十年十月一日これが制定公布せられていることを認めうる)、そ
の事務取扱において過誤なきよう慎重を期されているところである。右事務を遂行
するに当り特に考慮すべき点は、印鑑届出又は証明書の交付請求をなす本人の同一
性の慎重な確認の点である。原則として、本人よりするの外印鑑届出を受理し、証
明書を交付すべきではないが、代理人によるそれも止むをえないとすれば、代理人
の正当な代理権限の有無について、殊に厳重な確認を要すべきことは、多言を要し
ない。従つて、代理人による印鑑屈出を受理すると共に、即日直ちに証明書を交付
するがごときは、たとえ、本人及び代理人のいずれとも面識があり、本人の委任状
が添附せられていても、明らかに軽卒な事務の取扱といわねばならない。けだし、
屈出の印鑑は、これについて別段の制限なく、いわゆる三文判でなければ印判屋の
店頭に並べられてある既製品の認印のごときものであつても、差支がないのである
から、代理権限を証すべき委任状のごときは、本人の印鑑らしいものさえ入手すれ
ば、これを容易に偽造しうるところであり、本人に印鑑届出の意思があるか、その
印鑑が代理人届出のものと同一であるか、又代理人が正当な代理権限を有するかを
確認すべき手段が殆んど尽されていないに等しく、従つて、証明事務に過誤を生ず
る危険性が、極めて大であるといわねばならないからである。このような事務処理
により、誤つて本人の意思と全く関係なく印鑑届出を受理し、その印鑑証明書を交
付したときは、事務取扱者は重大な過失を犯したものとしなければならない。その
ような事務の取扱が従前よりの慣行であるとしても、それが慣行として行われる程
に、これによる事故が発生しなかつたことこそ不思議に思われ、それは誤つた慣行
というの外なく、速に廃絶さるべきものであり、これに従つた事務処理により現実
に事故が発生したときは、そのような慣行に従つて処理し、これによつて従来何等
の事故もなかつたことをもつて、その事務遂行上における過失を否定し、その責任
を免れることはできないというべきである。
 以上説示したところよりすれば、a村役場吏員Dは、前段認定のごとき印鑑届出
の受理並びに本件印鑑証明書の交付について、前段認定のような事情があつたとし
ても、重大な過失を犯したものとしなければならない。そして、右Dは、同村長C
の補助機関として右印鑑証明事務をなしたものであるから、同村長は、本件印鑑証
明書の交付につき重大な過失があつたといわねばならない。
 しかして、印鑑証明事務は、私人の利便のために行われる公証事務であるから、
従来住所地の市町村において(会社代表者の印鑑証明事務は登記所―法務局におい
ても)取扱われているのであるが、その沿革は暫く措くとして、現行法上地方自治
法第二条第二項により、同条第三項第十六号に定める住民の身分証明等に関する事
務の一種として、地方公共団体たる市町村の処理すべき事務とされているところで
ある。従つて、それは、地方公共団体の首長たる市区町村長の職務権限に属するも
のというべく、その事務処理に過失があつて損害を発生せしめたときは、公共団体
の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、過失によつて違法に他
人に損害を加えたものとして、国家賠償法第一条により当該公共団体たる市区町村
がこれを賠償する責に任じなければならない。そうすれば、a村は、同村長Cの過
失による本件印鑑証明書の交付によつて、他人に損害を蒙らせたときは、これに対
しその賠償の責に任じなければならない。
 そこで、進んで本件印鑑証明書の交付による損害の有無について考える。
 原審における控訴本人の供述によつて、成立の真正を認めうる甲第一号証、登記
済部分につき成立の争なく、右控訴本人の供述によりその余の部分につき成立の真
正を認めうる甲第二号証、原審及び当審における証人B及び控訴本人の各供述によ
つて、成立の真正を認めうる甲第五号証、成立に争のない甲第四号証の一、二、第
六号証、第十号証の一乃至四、前掲第八号証の一乃至三、第九号証の一、二、原審
証人A及び同Bの各証言並びに原審における控訴本人の供述によれば、次のような
事実を認めることができる。
 即ち、控訴人は、昭和二十八年五月中旬頃訴外A所有の本件不動産を、同人の代
理人と僣称する訴外Eより、代金三十八万二千四百円にて買受け、右Eに対しその
手附金並びに代金の一部支払として金十万円を交付し、同年五月二十二右売買契約
書を作成の上、同日名古屋法務局広路出張所受附第九三八六号をもつて、本件不動
産の所有権移転登記を受け、同人に対し残代金二十八万二千四百円を支払つた。そ
して、控訴人は、前同日EがA作成名義の不動産売渡証書及び所有権移転登記の代
理委任状並びに同月二十一日附a村村長C作成名義のAの本件印鑑証明書を持参し
ており、これらの書類がいずれも作成名義人により真正に成立し正当なものである
と信じ、しかも、それによつて本件不動産の所有権移転登記を受けえたところよ
り、Eの正当な代理権限を疑うことなく、真実本件不動産の所有権を取得しうるも
のと考えて、右のごとく残代金を支払つたものである。しかるに、控訴人は、昭和
二十九年三月四日右Aより、本件不動産につき控訴人の受けた右所有権移転登記
は、同人の不知の間になされたものであるとして、名古屋地方裁判所に右移転登記
の抹消登記手続請求の訴訟を提起せられ(同裁判所同年(ワ)第四三〇号)、控訴
人の応訴も空しく、昭和三十年六月二十八日同裁判所において、控訴人敗訴の判決
言渡を受け、右裁判はその頃確定した。そして、右判決において控訴人敗訴の理由
とされたところは、Eは、本件不動産を売却するにつきAの正当な代理権限を有せ
ず、その所有権移転登記に使用せられたAの印鑑証明書は、Eが昭和二十八年五月
二十一日a村役場において、Aの不知の間に有合せ印を持参し同人名義で印鑑の届
出をすると共に、同村長より交付を受けた虚偽の証明書であり、Eの右無権代理行
為については、控訴人の主張したような表見代理の関係が成立する余地もないとい
うにあつた。右判決の結果、控訴人は、本件不動産につき所有権を取得しえず、従
つて、その所有権移転登記を抹消すべき義務あることが確定した。そこで、控訴人
は、右判決の後Aと折衝の末、右移転登記を抹消した上、改めて同人より本件不動
産を代金三十二万円にて譲受けて、これが所有権を取得し、同人に対し右代金を支
払つてその所有権移転登記を了した。他方、Eは、控訴人より受取つた前記金員を
その頃自己の用途に既に費消しており、その後姿をくらませて行方が知れない状態
であつたので、控訴人は、同人に対し右交付金員の返還もしくは損害賠償の請求を
なしえなかつた。以上の事実を認めることができ、他にこの認定を動かすべき証拠
はない。しかして、叙上の認定事実よりすれば、控訴人は、本件印鑑証明書の交付
により結局金二十二万円の損害を蒙つたことを認めることができる。
 控訴人は、訴外Eに対し本件不動産の代金として支払つた金員に相当する金三十
八万二千四百円の損害を蒙つた旨主張するが、右金員中金十万円は、本件印鑑証明
書交付より以前の本件不動産売買契約成立当時既に、契約手附金並びに代金の一部
として支払われていたものであつて、本件印鑑証明書の交付がなければ、右Eより
その返還を求めてこれを取戻しえたであろうことを認めるべき証拠がないから、そ
れは本件損害額より除外すべきであり、又、控訴人は、その後買改めて、同一物件
で同一の価格を有すべき本件不動産の所有権を収得し、その際支払つた対価と先の
支払代金との差額の金六万二千四百円は、不可分的に補填されたものと見るべきで
あるから、これまた本件損害額より控除されるべきものであるので、控訴人の結局
蒙つた損害額は、前述の額とするのが相当であつて、控訴人主張の損害額を認める
べき資料は存しない。
 なお、被控訴人は、控訴人が本件不動産の取引によつて蒙つたとする損害は、本
件印鑑証明書の交付と何等の因果関係もない旨主張するが、a村における印鑑証明
事務が適正に処理せられて、本件印鑑証明書の交付がなければ、本件不動産の所有
権移転登記が行われえず、従つて、控訴人の残代金二十八万二千四百円の支払がな
されなかつたであろうことは、これを容易に推測しうるところであるから、右金員
の出捐により生じた損害は、本件印鑑証明書の交付に因るものとするのが相当であ
る。 次に、被控訴人主張の過失相殺の抗弁について考察する。およそ本件不動産
のごとき高額の取引に際しては、買受人は、売渡人に直接会つてその真意を確める
等、それ相当の注意をなし、これによる損害発生を自ら未然に防止すべきであると
せねばならない。しかして、成立に争のない乙第二号証、前掲甲第八号証の三、原
審及び当審における控訴本人の供述によれば、控訴人は、訴外Eと本件不動産につ
いて取引するに際し、従前より取引関係もなく、単なる知己に過ぎず、従つてたや
すく信用すべきでなかつた同人の言辞を軽信し、本件不動産の所有者たる訴外Aの
夫Bとは、面識もあり又その所在も知つていたから、右Eの代理権限の存否につ
き、容易にこれを確認しえたにもかかわらず、その挙に出でることなく、唯現地を
見分したのみで売買契約を締結し、移転登記の完了を見るや残代金を全額支払つた
ものであることを認めえられる。してみれば、控訴人は、本件不動産取引につき、
買受人として通常尽すべき注意を怠つたものというべく、前示認定の控訴人の蒙つ
た損害は、被控訴人主張のように、控訴人自らの右過失に負うところもあることを
否定しえない。なお、被控訴人は、訴外Aの控訴人に対する前示認定所有権移転登
記抹消登記手続請求訴訟の敗訴判決をたやすく確定せしめたことにつき、控訴人に
過失がある旨主張するけれども、控訴人とEとの間の本件不動産売買契約関係が、
叙上の認定のとおりであることよりすれば、右敗訴判決も止むなえないところであ
つて、これに対し上訴して争う利益がないと認められるから、弁論の全趣旨より、
控訴人は、右判決に対し一旦上訴しながら、これを取下げて確定せしめたことが窺
われるが、右控訴人の処置につき控訴人に過失は存しないというべく、従つて、被
控訴人の右主張は、理由なくこれを採用するに由ない。そこで、a村の控訴人に対
し賠償すべき損害額は、前示認定控訴人の過失を斟酌して、金十五万円をもつて相
当と思料する。
 しかして、a村が昭和二十九年四月一日被控訴人犬山市に合併せられたことは、
公知の事実であつて、被控訴人は、右合併により旧a村の債権債務を包括的に承継
したものというべく、従つて、旧a村の控訴人に対する前示損害賠償債務もまたこ
れを承継したものといわねばならない。
 右のような訳で、被控訴人は、控訴人に対し損害賠償債務金十五万円及びこれに
対する右債務の遅滞後たる本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三十
一年一月十二日以降完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う
べき義務あるものとしなければならない。従つて、控訴人の被控訴人に対する本訴
請求は、右範囲において正当としてこれを認容すべく、その余は失当としてこれを
棄却すべきものとする。
 よつて、右と見解を異にし、控訴人の請求を全部棄却した原判決は、不当である
から、これを取消すこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十六条、第
九十二条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条をそれぞれ適用し、主文のよ
うに判決する。
 (裁判長裁判官 浜田従六 裁判官 山口正夫 裁判官 吉田誠吾)

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