弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         目    次
 主 文
 理 由
 第一部 控訴趣意とこれに対する判断の概要
  第一 控訴趣意
   一 検察官の控訴趣意
   二 被告人A1の弁護人の控訴趣意
   三 両控訴趣意の要旨
   四 控訴審での主な争点
  第二 当裁判所の判断の概要
 第二部 銃撃事件の銃撃実行者をA2と認めなかったのを不当とする検察官の控
訴趣意
     (A2の犯人性)について
  第一 検察官の主張
  第二 原判決の判断の要旨
  第三 事件の発生とその前後の状況
   一 事件の発生
   二 事件発生後の事情聴取状況
   三 銃撃事件の証拠の構造と輪郭
   四 被害及び現場の客観的状況
  第四 共犯者に必要な条件について(検察官の控訴趣意中、「共犯者の条件と
これを満たす人物」の主張《同控訴趣意第二章第一節》
   一 検討された対象者の範囲について
   二 共犯者に必要な適格条件について
  第五 A2の犯行現場への臨場性(その一 レンタカー借り出しの関係《同第
二節第一分節》)について
   一 原判決は検察官の主張を取り違えて判断しているとの主張について
   二 A2バンの使途に関する主張について
   1 原判決の判断及びこれに対する検察官の主張
  (一) 原判決の判断
  (二) 検察官の主張
   2 A2バンの使途に関するA2の供述経過
   3 (A)の説示を不当とする所論について
   4 (B)の説示を不当とする所論について
  (一) 第一関門(A2はK2号の入出航の遅れを知り得たか)
  (二) 第二関門(バン借り出し前の行動)
  (三) 第三関門(タイヤのパンクなど)
  (四) 第四関門(集荷中止後の行動)
  (五) 第五関門(現実の集荷と発送の遅れ)
  (六) 小括
   5 その他の集荷目的にバンが使用されたことはないとの主張について
   6 本件バンの走行距離について
   7 A2がF2レンタカーの存在を秘匿していたことについて
  第六 A2の犯行現場への臨場性(その二 いわゆるアンテナ問題《同第二節
第二分節第一》)について
   一 問題の所在
   二 E10アンテナの原物性について
   1 検察官の主張
   2 E10マストが「純正品」であることとその原物性との関係に関する所
論の主張について
   3 折損頻度に関する所論の主張について
   4 A2バン及びE10マスト自体に即した原物性の主張について
   5 レンタル契約書中の「G00D」の記載とアンテナの状態に関する所論
の主張について
   6 本件貸出し当日のマストの折損可能性に関する所論の主張について
   三 車両の特徴による同一性の識別
  第七 犯行に加担する動機の有無《同第三節第二の一》について
  第八 A2とA1との謀議《同第三節第一の一》について
   一 謀議を要する事項と謀議の必要性
   二 謀議の機会と方法
   1 謀議の機会
   2 国際電話
   3 渡米時の共謀
   4 本件前日の共謀
  第九 殺人報酬の約束と支払い《同第三節第二の一》
   一 検察官の主張
   二 A2への一八三万円の入金
   三 A1の出金
 第一〇 A2とライフル銃との結びつきについて《同第三節第二の二》
 第一一 A2のアリバイについて《同第二節第二分節第二》
 第一二 A2バンがレンタカーであった事実の主張について《同第二節第二分節
第三》
 第一三殴打事件に関するA2の言動について《同第三節第一の二》
   一 チャイナドレスの女のこと
   二 凶器のハンマーのこと
 第一四 A2を銃撃実行者とする殺人の訴因についての総合判断と結論について
《同第四節》
   一 A2の銃撃行為への関与を疑わせる事実
   二 A2の銃撃行為への関与に疑問を感じさせる事実
   三 現実性の評価
 第三部 A1の弁護人の控訴趣意中、訴因問題(同控訴趣意第二及び第四)の主
張について
  第一 手続経過
  第二 当裁判所の判断
 第四部 A1に関する自判(その一。主として、銃撃事件の銃撃実行者を氏名不
詳者とする
    殺人の予備的訴因について)
  第一 主位的訴因について
  第二 予備的訴因の追加請求とその内容
   一 予備的訴因の要旨
   二 予備的訴因の追加を相当と判断した理由
   1 争点化の必要
   2 両当事者の意見
   三 予備的訴因における実質的争点
  第三 銃撃実行者が未解明である事実
  第四 犯行の動機について(検察官が主張する情況事実 一)
   一 夫婦関係の冷却とB1に対する愛情の喪失について
   二 C1の営業資金の必要性、保険契約締結の事情等について
   三 今回渡米時に締結した保険契約について
   四 小括
  第五 共犯者の物色について(検察官が主張する情況事実 二)
   一 D1に対する打診
   二 D2に対する打診
   三 D3に対する打診
   四 D4に対する打診
   五 A2に対する打診
   六 小括
  第六 殴打事件について(検察官が主張する情況事実 三)
   一 D5供述の信用性について
   二 D5供述を信用できないとする弁護人の主張について
   一 ハンマ―様凶器による殴打について
   2 D5の供述の変遷について
   3 小括
  第七 A1が本件と酷似する殺人方法を殴打事件当時に提案していたとされる
事実について
     (検察官が主張する情況事実 四)
   一 D5供述がされた時期
   二 D5供述の特徴
   三 小括
  第八 謀議の成立に疑問を持たせる事情
   一 犯行態様と謀議の不可欠性
   二 A1にとっての謀議の機会
  第九 渡米経過と出発前後の事情について
 第一〇 銃撃現場の状況について(検察官が主張する情況事実 五)
   一 検察官がA1の犯人性を示すと主張する点
   二 目撃証言とA1の供述
   1 目撃証言の内容と証言評価に当たっての留意点
   2 A1の原審公判供述の概要
   三 白いバンの停車とその移動等
   1 白いバンの存在
   2 白いバンは先着していた
   3 バンは本件銃撃後に立ち去ったか
   四 白いバンで走り去った人物の現場での動静について
   五 銃撃の態様、銃撃位置等の関係
   六 強盗犯の存否
   1 強盗犯による銃撃の客観的可能性(銃撃の位置関係)
   2 強盗の動きは目撃されているか
   3 その他関連する情況事実の検討
   4 小括
 第一一 A1の供述の虚偽性について(検察官の主張する情況事実 六)
 第一二殺人の予備的訴因についての結論(情況事実を総合しての結論)
   一 A1の犯行関与を疑わせる事実
   二 A1の犯行関与に疑問を感じさせる事実
   三 結論
 第五部 A1に関する自判(その二。その他の事件について)
  第一 銃撃事件に関連する詐欺の訴因について
  第二 昭和六三年一二月一六日付け起訴状第二記載の詐欺の事実について
 第六部 本件全体の結論及びA1に関する自判
  (罪となるべき事実)
  (証拠の標目)省略
  (法令の適用)
  (一部無罪の理由)
  第一 起訴にかかる公訴事実の要旨
  第二 当裁判所の判断
         主    文
     一 原判決中被告人A1に関する部分を破棄する。
     同被告人を懲役一年に処する。
     同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予す
る。
     原審訴訟費用中、証人D3(原審第六八回)、同E1(同第六九回)及
び同E2(同第七〇回)に支給した分は同被告人の負担とする。
     本件公訴事実中、昭和六三年一一月一〇日付け起訴にかかる殺人、同月
一九日付け起訴にかかる詐欺及び同年一二月一六日付け起訴にかかる公訴事実第一
の詐欺の各事実については、同被告人は無罪。
     二 検察官の被告人A2に対する控訴を棄却する。
         理    由
 第一部 控訴趣意とこれに対する判断の概要
 第一 控訴趣意
 一 検察官の控訴趣意
 東京地方検察庁検察官甲斐中辰夫作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、
これに対する答弁は、被告人A1の関係では同被告人の弁護人弘中惇一郎、同鈴木
淳二、同喜田村洋一、同渡辺務、同加城千波連名作成名義の答弁書に記載のとおり
であり、被告人A2の関係では同被告人の弁護人伊藤卓藏、同安井桂之介、同加藤
義樹、同濱涯廣子、同土赤弘子連名作成名義の答弁書に記載のとおりである。
 二 被告人A1の弁護人の控訴趣意
 弁護人弘中惇一郎、同鈴木淳二、同喜田村洋一、同渡辺務、同加城千波連名作成
名義の控訴趣意書及び同補充書に記載のとおりであり(なお、同弁護人らは、控訴
趣意中、殺人の事実に関する原判決の認定を審判の請求を受けない事件について判
決したものと主張している中には、訴訟手続の法令違反の主張を含む趣旨であると
釈明した。)、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官山田弘司作成名義の答
弁書に記載のとおりである。
 これらをそれぞれ引用する。
 三 両控訴趣意の要旨
 両控訴趣意とも詳細、膨大であるが、その要旨は次のとおりである。すなわち、
 1 検察官の控訴趣意は、要するに、原審において、検察官は、「被告人A1と
同A2は、共謀の上、生命保険金を取得する目的で、被告人A1の妻B1の殺害を
企て、昭和五六年一一月一八日、a1市b1通りc1ブロックの路上で、同女の頭
部に二二口径のライフル銃で撃った銃弾を命中させて、殺害した」事実を訴因とし
て主張したところ、原判決は、被告人A2をB1銃撃の実行者と断定することには
なお合理的な疑いが残るとして、この訴因についてはA2を無罪とし、一方被告人
A1については、前記訴因を変更しないまま、「A1は氏名不詳者と共謀の上」、
その氏名不詳者に銃撃させ、B1を殺害したとの事実を認定した、しかし、原判決
が銃撃の実行者をA2と認めなかったことは、A2の関係では勿論、A1について
も、その共犯者が誰であったかに関して事実誤認であるというのであり、
 2 A1の弁護人の控訴趣意は、要するに、訴訟手続に関する主張と事実誤認に
関する主張とに分かれるが、訴訟手続に関する主張としては、
 (一) 検察官が主張する「A1はA2と共謀の上」B1を殺害したとの殺人の
訴因につき、原審裁判所が訴因変更の手続をとらないまま、判決中で突然「A1は
氏名不詳者と共謀の上」同女を殺害したと認定したのは、訴因を逸脱した認定であ
って、これは、刑訴法上、審判の請求を受けない事件について判決をした違法(刑
訴法三七八条三号)に当たるか、そうでなくても、判決に影響を及ぼすことの明ら
かな訴訟手続の法令違反(同法三七九条)に当たり、また、このような原審の手続
は憲法三一条に違反する、
 (二) 原判決は、「氏名不詳者と共謀の上」と判示するだけで、「罪となるべ
き事実」の判示に必要な具体的事実を記載せず、特に共謀共同正犯における共謀の
相手方を特定していない、更に共謀の相手方及び共謀を構成する具体的事実につい
て厳格な証明を行わせず、判決にその証拠を挙示してもいない、これらの点は、理
由不備ないし理由齟齬に当たる、
 (三) 原判決は、原審審理を通じて、訴訟関係者のすべてがA1と「A2との
共謀」の成否を争点と考え、そこに証拠調べを集中し、それ以外の主張・立証を行
っていないときに、全く釈明権を行使することもないまま、率然としてA1は「氏
名不詳者と共謀の上、その氏名不詳者が銃撃した」との事実を認定したが、その訴
訟手続には、不意打ち、審理不尽の違法がある、
 (四) 原審裁判所は、殴打事件の犯人であり、銃撃事件にとっても重要証人と
されるD5の証人尋問請求を一旦採用しながら、その後、同女が国外にいることを
理由として同女の検察官調書を刑訴法三二一条一項該当の書面(国外滞在)として
採用して取り調べ、以後同女を証人として尋問しなかった、しかしD5が国外にい
たのは原審審理期間中の一時期だけのことであって、審理の途中には帰国していた
のであるから、このような原審の審理手続は刑訴法三二一条一項の解釈を誤り、憲
法三七条に違反する、その点で判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令
違反に当たる、というのであり、
 事実誤認に関する主張としては、
 (五) 原判決は、A1が「氏名不詳者と共謀の上」B1を殺害したとの事実を
認定し、殺人(昭和六三年一一月一〇日付け起訴状)及び生命保険金等詐欺の事実
(同月一九日付け起訴状記載の公訴事実第一及び第二並びに同年一二月一六日付け
起訴状記載の公訴事実第一)につき有罪としたが、原判決がいう「氏名不詳者」は
客観的には存在せず、A1とこの「氏名不詳者」との間での殺人の共謀はあり得な
いから、これらの罪の関係で、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実
誤認がある、
 (六) 原判決は、動産保険金詐欺の事実(同年一二月一六日付け起訴状記載の
公訴事実第二)につきA1を有罪としたが、原判決が認定根拠としたE1及びE2
の各証言は信用性に乏しく、A1か破損していない商品を故意に破損させて保険金
請求をさせたとの事実を認定した点には重大な疑問があり、原判決にはその点で判
決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、等というのである。
 四 以上によれば、当控訴審での主な争点は、
 1 本件銃撃事件の銃撃実行者をA2であると認めること及びそのA2とA1と
の共謀を認めることには合理的な疑いが残るとした原判決の認定の当否の問題(A
1及びA2の両名の関係。後記第二部で判断する。)、
 2 検察官が、殺人の訴因として、「A1はA2と共謀の上」B1を殺害したと
いう事実を掲げているときに、その訴因を変更することなく、判決中で、突然、
「A1は氏名不詳者と共謀の上」同女を殺害したとの事実を認定することは訴因制
度上許されるかという訴訟手続上の問題(A1関係。後記第三部で判断する。)
 3 原判決が、原審で取調済みの証拠に基づいて、銃撃実行者を氏名不詳者とし
たまま、その者とA1との共謀成立の事実を認定したことの当否の問題(A1関
係。後記第四部で判断する。)、
 4 最後に、これと関連する保険金詐欺及びこれとは別の動産保険金詐欺の事実
認定に関する問題(A1関係。第五部で判断する。)等である。
 第二 当裁判所の判断の概要
 一 当裁判所は、原審記録及び証拠物を調査するとともに、事案の重大性にかん
がみ当審でも必要な証拠調べを尽くし、慎重な検討を続けた末に、頭書の結論に達
した。その判断の概要は次に取りまとめて述べるとおりであり、詳細な理由はそれ
に引き続いて述べるとおりである。すなわち、
 1 本件証拠によれば、原判決が、本件殺人事件の銃撃実行者をA2と断定する
ことにはなお合理的な疑いが残ると判断したのは相当であって、その点に事実誤認
があるとはいえない。
 すなわち、検察官は、銃撃実行者をA2であると主張する主たる根拠として、犯
行時に現場で目撃されたのと車種が同じで車体の塗色がよく似たカーゴバンを、A
2が、事件前日から当日にかけて、レンタカー会社から借り出していた事実がある
ことを指摘し(以下、A2が借り出していたこのバンをA2バンという。)、この
バンは本件犯行に使用する以外に使途がなかったし、また本件発生時にバンを借り
出していた事実とそのレンタカー会社名を、A2は忘れていたといって捜査機関に
素直に述べず、レンタル契約書を突きつけられてようやく認めた供述経過は、この
バンを本件犯行に使用した事実を最後まで隠そうとしたことを疑わせると主張す
る。この点に関する検察官の情況証拠の分析とこれに基づく推論は、極めて詳細、
緻密であり、その点に限っていえばかなり説得的であって、検察官がA2に対して
嫌疑を抱いたのももっともであったと一応首肯させる点がある。
 しかし、このことだけを根拠として、犯行現場で目撃されたバン(以下、現場バ
ンという。)はA2バンであったと断定することは、本件ではまだできない。すな
わち、証拠上、現場バンにはアンテナが装着されていなかったか、あるいは最初は
装着されていたが破損して無装着状態になっていたことが明らかとなっているとこ
ろ、関係証拠によれば、A2バンには、その当時、アンテナがついていた可能性が
かなり高いと推認すべき根拠があり、そうなると、両車は、車種が同じで車体の塗
色は似ているけれども、別個のバンであった疑いが生じるからである。その他、A
2には犯行に加担する動機が全く見当たらないこと、本件前にA2とA1とが謀議
をする機会が現実にはほとんどなく、かつ現実に謀議をした痕跡も全く見当たらな
いこと、犯行への加担に対する報酬授受の事実もないことなど、A2の犯行関与を
打ち消しているとしか理解できない周辺事実を含めて総合考慮すると、検察官が主
張するとおりの、銃撃実行者はA2であって、そのA2とA1との間に共謀が成立
していたとの事実を認めるには、どうみても合理的な疑いが残ると判断せざるを得
ない。
 2 A1に対する殺人の公訴事実について、検察官が訴因として、「A1とA2
との共謀」を掲げ、かつ、A1の共謀の相手方としてはA2以外には考えられない
との立証を続けた原審での審理経過を前提として、原審裁判所が、訴因変更手続を
とることなく、判決中で、突然これとは異なる「A1と氏名不詳者との共謀」を認
定した訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があり(刑訴法
三七九条)、その点で原判決は破棄を免れない。
 3 原判決を破棄した上、「氏名不詳者との共謀」の事実等について、この上更
に証拠を取り調べる余地があるのであれば、本件を原審に差し戻し、そこでより一
層の真相解明を期待することも考えられなくはない。
 しかし、何といっても本件発生後すでに一六年以上(起訴後九年以上)の年月が
経過しており、しかも事件の発生地が外国であるため証拠収集上の制約も多く、加
えて、検察官は、原審で、A2以外に銃撃犯人がいるとは考えられない旨の立証を
繰り広げてきた経過があって、今後その点について新たな証拠が現れることはほと
んど望み得ない状況にある。そして、本件の核心は、主として取調済みの情況証拠
に対する評価とこれに基づく推論過程にあることを勘案すれば、いまさら原審に差
し戻すことは適切ではなく、この段階で当審において自判するのが相当と考えられ
る。
 4 そこで、自判することとするが、検察官がA1に対して掲げる殺人の主位的
訴因の事実、すなわち銃撃実行者をA2とし、同人とA1が共謀してA2にB1を
銃撃させたとの事実については、前記のとおり合理的な疑いが残るから、証明不十
分としなければならない。
 次に、予備的訴因の事実、すなわち、直接の銃撃実行者を不明としたままで、そ
の氏名不詳の銃撃実行者とA1が共謀して、その氏名不詳者にB1を銃撃させたと
の事実について有罪の認定をするためには、本件ではその共謀がA1と本件とを結
びつける中核的事実であることにかんがみ、その者からどのような弁明や供述等が
なされても、A1がその氏名不詳者と共謀して銃撃させたことに間違いがないこと
を裏付けるに足りるだけの確かな証拠が必要だと考えられる。そこで、A1につい
てこれをみると、同人の場合には、例えば殴打事件前に共犯者探しともみえる一連
の不可解な言動が認められ、その後に発生した殴打事件をめぐる行動には被害者B
1の殺害とその保険金取得をねらったとしか思えない加害意思を読み取ることがで
き、その三か月後に起こった本件との間には犯行態様その他について何やら共通性
も見え隠れし、しかも、銃撃事件発生時の現場の状況に関するA1の供述、中でも
銃撃犯人をグリーンの車で来た二人組の強盗犯である、白いバンには気づかなかっ
たと述へる点には虚偽供述との疑いが強く持たれるなど、A2の場合よりもはるか
に強い嫌疑を抱かせる事情が認められることは否定できず、検察官が、少なくとも
A1の犯行関与は間違いがないと主張することにもかなりの程度理由があるといえ
る。
 しかし、他方、B1に引き続いてA1もライフル銃で銃撃・被弾している本件の
犯行態様からみて、本件は、共犯者抜きには考えられない態様の犯行であることは
明らかで、その点がまさに中核的な要証事実となっているところ、検察官がこの者
以外には共犯者は考えられないと主張して立証に努めたA2について、原判決は証
拠不十分の判断をし、この判断は、関係証拠に照らして、当審においても維持する
ほかなく、しかもそれ以外には共犯者とおぼしき者が全く見当たらない状況にあ
る。証拠上、共犯者が単に特定されていないというだけではなく、全く解明されて
いないのである。加えて、日本にいたA1において、アメリカにいたと想定するほ
かない氏名不詳の共犯者を新たに見つけ、その者との間で特に殴打事件後本件発生
までの間に銃撃事件について謀議をし、これを完了しておくまでの機会はほとんど
なく、かつ、現実に謀議をした痕跡は全く見当たらないこと、B1を連れて渡米し
た経過にはむしろ犯行計画を否定しているかのような事情が認められること、犯行
加担に対する報酬支払いの事実が全くないこと等々の、いずれも共犯者の存在を否
定する趣旨の情況事実が多く認められる証拠関係にあること等の周辺事実を含めて
総合考慮すると、検察官が主張するような、銃撃犯人は不明でもその氏名不詳者と
A1との間に共謀が成立していたこと及びA1がその者にB1を銃撃させたことに
間違いはないと推断するに足りるだけの確かな証拠は見当たらず、なお合理的な疑
いが残るといわざるを得ない。
 5 そうすると、A1が関与したことを前提とする前記保険金詐欺の訴因につい
ても、有罪の認定をすることはできない。
 二 本件の事実認定に関連して一言付言しておくこととする。
 1 本件は、情況証拠から諸々の間接事実を立証し、いわばモザイク状の間接事
実を多数積み重ねて犯罪事実全体の立証をするという、微妙・困難な証拠関係にあ
る事件である。ただ、このような場合、もし情況証拠から推認をする過程にいくら
かの疑問が残ることを理由として、事実の認定に決断力を欠き、安易に疑いが残る
と判断して証明不十分とするならば、情況証拠による犯罪立証の余地は、大幅に狭
められ過ぎることになりかねない。もとより、刑事裁判における有罪認定には、
「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度」の立証が必要であり、また「疑わしき
は被告人の利益に」が鉄則とされていて、そのこと自体に異論はないが、この際あ
えて言えば、ここに合理的な疑いを美し挟む余地がないとは、反対事実の疑いを全
く残さない場合をいうのではなく、抽象的には反対事実の疑いを入れる余地がある
場合であっても、社会経験上はその疑いに合理性がないと一般的に判断されるよう
な場合は、有罪認定を可能とする趣旨であって、このことは、専ら情況証拠によっ
て犯罪事実の立証を行うほかない本件のような事案の場合に強く認識しておく必要
があると考、えられる。
 その意味では検察官の意見にも首肯できる点がある。しかし、反面、このこと
は、専ら情況証拠を積み重ねて立証するほかない事案の場合には立証の程度が低く
てもよいという意味ではもとよりない。やはり、中核となる要証事実について、質
の高い情況証拠による立証が不可欠とされることは、刑事責任の帰属に関するとい
う事柄の性質上当然である。だから、もし、右に述べた観点からみても合理的な疑
いを入れる余地のない立証がされたとはいえないと判断されるときには、その人物
が第六感的感覚からはいかに疑わしいと感じられ、あるいは実際に証拠の一部に疑
わしい点が認められても、それがまだ疑わしいとの域にとどまっている限り、刑事
裁判の性質上、有罪の認定をすることはできないし、その旨判断することにはばか
るところがあってはならない。
 2 保険金取得目的で、妻を銃撃させたとされる本件公訴事実の内容は、もしそ
れが真実であるとすればいかにもおぞましい犯行であって、社会的に放置できない
ことはいうまでもない。検察官は、銃撃実行者をA2であると判断し、そのA2と
A1との間にかねての面識関係を基盤とする共謀が成立していたと認定して、両名
を起訴した。銃撃実行者をA2とするこの認定は、A2に対する刑事責任追求の前
提として必要であったことは勿論であるが、それのみにとどまらず、A1に対する
関係でも、銃撃実行者を特定することによって同人に対する立証上の難点を切り抜
けるねらいを持っていると理解される。銃撃実行者の立証を抜きにしてはA1に対
する事実の立証も容易でないことを見通したもので、検察官のこの判断は、一般論
としてはまさにそのとおりと考えられる(銃撃犯人不明のままで、A1だけを本件
殺人の共犯者として起訴に踏み切ることができたかを考えてみれば明らかであ
る。)。これに対して、原審裁判所は、銃撃行為へのA2の関与を証拠不十分と判
断し、その結果銃撃実行者不明のまま、それでもA1は氏名不詳の誰かと共謀して
B1を銃撃させたことに間違いはないと認定した。しかし、銃撃実行者は誰か、ま
たその者との共謀成立経過という、まさにA1と本件犯行とを結びつけている中核
的な要証事実の立証を欠いたままの状態で、更にいえば、A2以外にはこれに相当
する共犯者は見当たらないと検察官が主張し、立証を尽くした状態のままで、なお
A1を氏名不詳者との共謀共同正犯者と認定できるとする原審の判断には、やはり
無理があると当裁判所は考える。
 3 本件は、a1疑惑銃撃事件として、激しい報道合戦が繰り広げられたいきさ
つのある事件である。マスコミの調査報道が先行して事件を掘り起こし、これが引
き金になって警察の捜査に発展した経過があったことと、事件の謎めいた内容や、
犯人と疑われたA1の言動の特異さ等が加わって、格別世間の注目をひいた。週刊
誌や芸能誌、テレビのワイドショーなどを中心として激しい報道が繰り返された
が、こうした場面では、報道する側において、報道の根拠としている証拠が、反対
尋問の批判に耐えて高い証明力を保持し続けることができるだけの確かさを持って
いるかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回る傾向を避け難
い。
 ところが、その後公判廷での証拠調べを通じて、本件の証拠関係は極めて微妙で
あり、広く報道されているほど単純ではないことが明らかになっている。争点は極
めて多岐にわたるのに、目撃者の供述内容には変遷が多く、事案の解明につながる
物証はなく、A1の本件関係での捜査官に対する供述調書は一通もなく、またA2
についても自白調書と呼べるものはない。結局、情況証拠を洗い出し、矛盾する証
拠をも無視しないで、モザイク状の証拠と事実をつき合わせて全体像を推認してゆ
く以外には手がない証拠関係にあるところ、検察官からは、A1は、保険金取得の
ために、A2に指示してライフル銃で妻B1を銃撃させ、かつ、被害者を偽装する
目的で自分の大腿部にも銃弾を撃ち込ませたとの主張がされ、弁護人らからは、そ
のように判断できる証拠はどこにもないではないかとの反論がされて、証拠の評価
をめぐる対立は際立っている。この対立は、証拠を歪みなく評価しても当事者とし
ての立場の違いによって避けられないものなのか、それともそれぞれが都合のよい
証拠だけを強調し、そうでない証拠を無視する結果として生じているだけなのか、
証拠に直に接する機会がない者には判断のしようがない状態にある。
 ところで、証拠調べの結果が右のとおり微妙であっても、報道に接した者が最初
に抱いた印象は簡単に消えるものではない。それどころか、最初に抱いた印象を基
準にして判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が間違っているのではないかとの
不信感を持つ者がいないとも限らない。そうした誤解や不信を避けるためには、ま
ず公判廷での批判に耐えた確かな証拠によってはっきりした事実と、報道はされた
が遂に証拠の裏付けがなく、いわば憶測でしかなかった事実とを区別して判示し、
その結果、証拠に基づいた事実関係の見直しを可能にすることの重要性が痛感され
る。
 4 加えて、本件においては、原審で、A1がA2に指示して行わせた犯行であ
るという検察官が当初に描いた犯行の構図のうち、銃撃実行者をA2とする部分に
ついては十分な証拠がないとして同被告人には無罪が言い渡され、他方A1が誰か
に指示して銃撃を行わせたという限度では十分な証拠があるとして、同被告人には
無期懲役刑が言い渡されている。計画的な殺人事件について、銃撃実行者は不明、
しかし実行させた側だけは有罪というこの結果は一見分かりにくく、証拠と認定の
合理性が問われる結果となっている。証拠関係が複雑であるだけに、その判断過程
を簡明に判示するのは難しいが、当裁判所としては、以上に述べた観点から、争点
ごとに、できるだけ証拠関係と判断が分かれる理由を詳しく判示して、前記の結論
に達した理由を明らかにしたい。
 (なお、以下の判示において証拠を引用する場合、原審公判調書中の証人の供述
部分については、「〇〇の原審証言」、同じく被告人の供述部分については、「〇
〇の原審供述」などという。証拠書類については、謄本等により取調べがなされた
ものであっても、原本によって取調べがなされたのと同様、単に「〇〇の〇月〇日
付け検察官調書」などと表示し、また、その一部が取り調べられたものであっても
特にその点を明示しない。甲〇〇、物〇〇、弁A甲〇〇、弁B〇〇などとあるの
は、それぞれ原審記録中の証拠等関係カード記載の検察官請求甲〇〇号証、物〇〇
号証、A1の弁護人請求の弁A甲〇〇号証、A2の弁護人請求の弁B〇〇号証の証
拠であることを示し、控甲〇〇、控弁A〇〇などとあるのは当審記録中の証拠等関
係カード記載の検察官請求の甲〇〇号証、A1の弁護人請求の弁A〇〇号証の証拠
であることを示す。また、原審記録中の所在、参照部分を特に示すときには、例え
ば、123―4567などとして示すが、これは、原審記録一二三冊(通し冊数)
の四五六七丁(通し丁数)のことを意味する。)
 第二部 銃撃事件の銃撃実行者をA2と認めなかったのを不当とする検察官の控
訴趣意(A2の犯人性)について
まず、A2を銃撃実行者とする殺人の事実について、原判決が、A2を銃撃実行者
と認めることには合理的な疑いが残るとしたのは事実誤認であるかどうかの点から
検討する。
 右の検討に当たって先ず留意しておくべきことは、原判決は、A1を本件の首謀
者と認定した上で、そのことを前提にしても、A2を銃撃実行者と認定するだけの
証拠は不十分と判断している点である。専ら情況証拠によって犯人を推認する場合
には、共犯者中一方の犯人性の認定が、他方の犯人性認定の結果如何によって微妙
に影響されることがある。本件に即して大雑把な言い方をすれば、A2の犯人性
は、A1の犯人性が肯定されている場合により自然に納得されやすく、逆にA1と
離れてA2だけが犯行に関与したとは考えにくい。A1についてもこれに似た事情
があり、A2が銃撃実行者であるとの事実が肯定される場合には、同人に指示した
者がいるとすればそれはA1ではないかと疑われやすいのに対して、A2の犯人性
が否定される場合には、それではA1は誰に、どのようなルートを使い、どのよう
な機会に銃撃を依頼したのかという疑問に逢着し、A1が関与して実行させたと認
定するためには厳しい疑問がついてまわることを否定できない。このように、両名
の犯人性認定はどこかで影響しあう面があるから、ここにA2を銃撃実行者とする
部分から先に検討するといっても、その検討内容は、最終的にはA1についての検
討内容を視野に入れ、両者に対する総合認定の結果を念頭に置きつつ行っている趣
旨であることは勿論である(原審証拠の大半は、A1とA2の双方に共通する証拠
として取り調べられているが、一部には一方の被告人関係だけで取り調べられてい
るものがないではない。以下において証拠を摘示するときは、特に断らない限り、
直接には取調済みの当該被告人の関係で掲げている趣旨であるが、他方の被告人の
関係でも、被告人の供述等によって同趣旨の認定が可能である。)。
 第一 検察官の主張
 検察官は、原審において、本件でライフル銃を操作して銃撃を行ったのはA2で
あるとの観点から以下のとおり主張し、控訴審でもこの主張をそのまま維持しつ
つ、原判決の判断に応じて、各論点ごとに逐一詳細な反論を加えるとともに、あわ
せて原判決がした総合判断の手法について反論している。
 すなわち、まず具体的な犯行手順については、犯行前日にA1とA2がアメリカ
合衆国カリフォルニア州a1市のF1で会って、犯行の詳細に関する最終謀議を遂
げ、その謀議に基づいてA2はF2レンタカーへ行って白いF14社製のカーゴバ
ン「エコノライン」を借り出し、犯行当日これで犯行現場へ先着し、オフセット駐
車場のそばにバンを停めた、そしてバンの車内又はバンのすぐ西側付近の、東側に
建っているF3ビルからは死角になる位置から、あらかじめ入手し携行してきてい
たライフル銃を使用してB1の頭部を銃撃・命中させ、続いて、A1の犯行である
ことを隠蔽する目的で、もう一発発射してA1の大腿部に命中させた、その後すぐ
バンに乗って現場を立ち去ったと主張し、中でもA2が銃撃実行者であることを示
す主要な情況事実として、次の事実を指摘した。 (a) A2は、本件銃撃実行
者に必要と考えられるいくつかの条件をすべて兼ね備えている唯一の人物であるこ
と、
 (b) 事件前日にA1と面談しており、最終謀議を遂げたとみられること、
 (C) A2が白いバンで現場に臨場したと認められる事実、特にA2は、現場
で目撃されたバンと同色、同型のバンを前日にレンタカー会社から借り出している
が、そのバンの使途は現場へ乗って行くため以外にはなかったと認められること、
本件直後にバンを返却するまでの間の走行距離は三四マイルで、前日に犯行現場の
下見をしたと考えた場合の走行距離にほぼ見合っていること、このバンにはアンテ
ナが付いていなかった可能性があること、レンタカー会社の名前を捜査機関に秘匿
していたこと、
 (d) 商品仕入れ目的でバンを借りたのであれば、翌日である事件当日に、仕
入先に商品送付の依頼電話をしていそうなものなのに、そうしていないこと、また
事件発生時刻ころのアリバイがなく、当日午後A1と待ち合わせ約束をしていたと
いう路上で長時間待っていたというのも不自然であること、
 (e) 報酬のうち、一八三万円を受け取っており、残金をA1が踏み倒したこ
とも十分あり得ること、
 (f) 本件に関連する重要な事実、例えば本件の約三か月前におこった殴打事
件の凶器を、事件直後にA1から見せられていた事実や、a1在住時に所持してい
たライフル銃の処分に関する事実等について、ことさら虚言を弄していたこと、そ
の他である。
 第二 原判決の判断の要旨
 原判決は、検察官が主張する情況事実の中には、証拠上認定できない点や情況事
実からの推論過程に無理のある点があって、結局A2を銃撃実行者とは断定できな
いとした。その判断の要旨は、次のとおりである。
 一 A2が犯行に関与したことを疑わせる事実について
 1 共犯者の条件について
 検察官は、本件の銃撃実行者となるのに必要と考えられる条件を想定して、A2
はこれらの諸条件のすべてを具備するほとんど唯一の人物であるというが、対象者
として検討した者の範囲が限られている上、個々の条件の内容には問題のあるもの
もあり、またこのような条件を具備する者はA2だけに限られないから、A2と本
件とを結びつける情況証拠として有力なものとはいえない。
 2 A2の現場への臨場性について
 (一) A2バンと現場バンについて
 A2バンは、F14社製の一九八〇年型エコノラインで、色はウィンブルドン・
ホワイトと認められ、現場駐車場付近に駐車していて目撃されたバンと同車種で、
年式、色調とも同じと認められる。
 (二) A2の供述するバンの使途について
 しかし、当時a1市内には、同車種、同色のバンが少なくとも数百台はあったか
ら、借り出したバンの使途に関するA2の供述にある程度の不自然さがあり、また
同人がバンを借り出した事実やレンタカー会社の名前を捜査当初に秘匿していた供
述経過があったとしても、そのことからすぐにA2は借り出したバンで犯行現場に
行ったと推認するのは相当でない。
 すなわち、A2の供述をみると、同人は、バンを借りた理由について、日時が経
過しているのではっきり覚えてはいないとした上で、本件前日の一七日にA1と会
っているからおそらく商品の追加注文を受け、仕入先に集荷に行くためにカーゴバ
ンを借りたが、途中でタイヤがパンクし仕入れを断念したのだろうと述べている。
しかし、追加注文分をA2のいう貨物船に積載する可能性は、その時点では客観的
にはなかったとみられるし、途中でレンタカーのタイヤがパンクしたという弁明も
釈然としない。しかし、A2の供述は、借り出したときから七年も経過した後で右
の点を突然尋ねられ、見せられた資料から推測して述べたものであることや、A2
のいう貨物船が、当時、予定より大幅に遅れて入・出航した事実があることからみ
て、なんらかの事情でそのことを知ったA2が、追加積載できるのではないかと考
えて行動した可能性もないとはいえないから、A2がこれらの点についてあえて虚
偽の供述をしているとは断定できない。
 (三) アンテナ問題について
 犯行現場で目撃された現場バンとA2が借り出したA2バンが同一とみられるか
どうかに関して、本件直前に写されたA1写真13の左下に写っている現場バンに
はアンテナマストが写っていない、だから現場バンにはアンテナが根本部分におい
て破損して、装着されていなかったと認められるところ、A2バンにはオリジナル
のアンテナマストが装着されていた可能性が高い。そのことは、このバンが本件の
約七年後に発見されたときについていたアンテナベースやアンテナコードの製造年
月日表示、アンテナマストがエコノライン用の純正品であったことなどからみて、
そのようにいえる。また、A2がレンタカー会社から借り出したときのレンタル契
約書には、車両状態欄に「G00D」と記載されていることも、このことを裏付け
ている。レンタカー会社の経営者は、洗車時等にアンテナが折損することが多く、
そのような場合にすぐ修理しないで放置しておくこともあったとか、車両状態欄の
「G00D」という記載はアンテナが折損していなかったことを意味しない等とい
うが、この証言は、洗車を担当していた会社の幹部職員の証言や証言内容自体の不
合理さに照らして信用できない。
 (四) バンの走行距離について
 A2が借り出して返還するまでの間のバンの走行距離は三四マイルで、検察官
は、この距離について、このバンでA2が犯行現場を下見したと考えた場合の走行
距離と一致するという。しかし、下見をしたということ自体、その時間帯やわざわ
ざ犯行に使用する車両で現場に乗りつけるという点で、不自然である。また、下見
にはA1を同行すると考えるのが普通であろうが、そうすると下見終了後にはA1
を現場からF1に送らなければならなくなって、その分だけ走行距離が違ってく
る。一方、A2が弁明するルートでもおよそ三四マイルになるから、走行距離の点
だけからは何ともいえない。
 (五) A2がバン借り出しの事実を秘匿していたことについて
 A2は、本件で逮捕後もしばらくの間、捜査官に対して、バンを借り出したこと
もレンタカー会社の名前も述べなかったことが認められる。しかし、六年位も前の
日常的な事柄を思い出せなくても不自然とはいえない。レンタカー会社の名前を秘
匿していたと仮定した場合にも、一般的に嫌疑から離れた場所に自分を置きたいと
いう気持ちはあり得ないことではないから、会社名を秘匿していたことが殺害の実
行犯人と推認させる事情にはならない。また、バンを借りたことを秘匿したとされ
る点については、A2がインボイス等を調べてバンを借りたことはないと考えてい
たためであり、その供述経過に不自然な点はない。
 (六) 重大な犯行に使用するバンを、A2がレンタカー会社から実名で借りて
いる警戒心のなさは、本件全体を通じて認められる犯行の計画性、綿密性に照らし
て、むしろ不均衡が目立ち過ぎ、不合理である。
 3 その他の事情について
 事件前日の一一月一七日に、A2はF1にA1を訪ねて同人と会った事実は認め
られる。しかし、これは、A1が商用でa1を訪ねたときはいつもそうしていたと
いうのであり、不自然あるいは不合理な点はない。検察官は、A1のa1到着後の
貴重な時間帯にA2と会っていることはA2が実行犯であることを推認させるとい
うが、A1はA2と別れた後、A2以外の実行犯と会った可能性を否定できないか
ら、理由がない。
 二 A2が犯行へ関与したことに疑問を持たせる事実について
 1 動機の不存在
 検察官は、A2が、報酬金目的でA1に加担したと主張するが、A2には生活に
十分な収入があり、A1から計画を持ちかけられても、これに応ずるような状況に
はなかった。
 2 殺人報酬の不存在
 検察官は、A2が、A1から銀行を通して送金を受けた一八三万円が本件殺人報
酬の一部であるという。
 しかし、殺人報酬としてはいかにも少額過ぎる。逆に、証拠によれば、これはF
4関係の顧問料の未払分と認められる。報酬の残額未払分について、検察官は、A
2が帰国後生活状態が好転したので報酬の支払請求を放棄したというが、あまりに
も不合理過ぎる。
 3 凶器との結びつきの不存在
 証拠によると、本件狙撃に使用されたのは、二二口径で、右二八条のライフルマ
ークをもったライフル銃であるとされているが、そのようなライフル銃をA2が入
手し、保管し、処分したことを窺わせる証拠は全くなく、検察官は、その点につい
て何の主張もしていない。本件は銃の取り扱いに習熟している者の犯行と窺われる
が、A2は四・五回射撃場で練習をしたことがある程度で、ライフル銃の使用に習
熟していたとは認められない。
 4 アリバイ工作の不存在
 A1との関係が周囲に知られていたA2としては、もっとも疑いがかかりやすい
ことを予想してアリバイ工作をしておくのが本件の計画性、周到性からは自然であ
ると考えられるのに、そのような工作をした証拠はない。
 原判決は、以上に述べた有利、不利双方の情況事実を総合考慮した上で、結論と
して、A2が関与したと認定するにはまだ合理的な疑いが残るとしたのである。
 第三 事件の発生とその前後の状況
 事件の発生経過、発生前後の現場状況、目撃者らからの事件直後の事情聴取状
況、A1からの事情聴取状況、遺留品の状況等の、証拠上比較的明白な輪郭的事実
を、先に取りまとめておくこととする。なお、これらを前提とした銃撃関係につい
ての検討の詳細は、第四部で述べる。
 一 事件の発生
 1 A1夫妻は、昭和五六年(一九八一年。以下、必要に応じて西暦による表示
を併用する。)一一月一七日午後(アメリカ合衆国太平洋標準時)a1空港に到着
し、二時二〇分ころ定宿にしていたF1に到着し、その後、B1を買い物のため近
くのF5・ストアに送っていって一人でF1に戻り、そこへやって来たA2と三〇
分ないし四〇分程度面談した。面談を終えたA2はF1をあとにしたが、午後四時
ころ一人でレンタカー会社「F2レンタカー」へ現れて、白いF14社製のカーゴ
バン「エコノライン」を借り出した。一方A1は、B1を前記のストアに迎えに行
き、夕食を共にし、同夜は同モーテルに宿泊した。
 2 翌一一月一八日午前九時ころ、A1は、前日空港で借りていたレンタル車
(F14社製栗色乗用車フェアモント。以下、A1車という。)にB1を同乗させ
てF1を出発し、写真撮影をしながらa1市内を回ったもののようで、午前一〇時
四五分前後ころ、d1通りからb1通りを南進進行し、本件銃撃現場となった付近
に至り、進行車道の右側(西側)に沿った行き止まりの空き地であるオフセット駐
車場東側の辺りに、ほぼ南向きに停車させた。当時右オフセット駐車場内には六台
の乗用車が、車体をほぼ束西方向に向けて駐東しており、満車状態にあった。同通
りの東側一帯は多数の車両が駐車している広い駐車場となっており、またその東方
には約二四三メートル離れてF3ビルが建っている。
 3 A1とB1はエンジンを切らないままA1車から降りて付近で写真を撮るな
どしていたが、同日午前一一時すぎころ、右駐車場内にいたB1に対し、銃撃犯人
が二二口径のライフル銃から銃弾を発射させてその左顔面に命中させ、続いてA1
に対しても同じくライフル銃から銃弾を発射させてその左大腿部に命中させる銃撃
事件が持ち上がった。
 4 この銃撃事件発生前後の状況の一部を、前記F3ビルの八階で勤務中であっ
た四名の職員、すなわち、E3、E4、E5及びE6が、断続的に駐車場の方を見
たり目を離したりして、偶然目撃していた。同人らは、駐車場にいる者が、駐車車
両かあるいは車両内の物を何か盗んだりするのではないかとの疑いを持って目撃し
ていたもので、銃撃事件と知って目撃していたとか、目撃の結果すぐそれと分かっ
たという状況ではなかった。目撃の途中、同室の女性E7は、言われるまま警察に
電話通報した(午前一一時〇七分ころ、電話の記録[甲三二三、三二四])。その
ときの通報内容は、「誰かが駐車場の車を盗んでいるようです。彼らが入り込もう
としているのは栗色の車です。男だとか、白人だとかは、よく分かりません。見え
ないんです。どんな物を着ているかも分からない。車の向こう側なんです。」とい
うもので、銃撃の疑いは含まれていなかった(同女の宣誓供述書[甲二五、二
六]、電話の記録[前出])。この通報内容はすぐパトカーに流された。
 5 本件が発生した時刻ごろ、オフセット駐車場からb1通りの北東側約三〇メ
ートルの位置にある絨毯工場の倉庫にいたE8は、普通でない叫び声を聞きつけ、
通りに出たところ、オフセット駐車場で、女性が路上に横たわり、男性が栗色の車
のフリーウェイ側に立って手を振り、「警察、警察」と叫んでいるのを目撃した。
すぐ工場内に戻って警察に対して「何があったかはっきり分かりませんが、誰かが
地面に倒れ出血しています。もう一人が大きな声で警察を呼んでいます。事故があ
ったようです。」と電話通報したが(E7とほぼ同じ一一時〇八分ころのことであ
る。電話の記録[前出])、警察官から事態を具体的に確認するよう求められたた
め、再度現場へ行って、女性が仰向けに倒れている状態等を確認して電話口に戻
り、「交通事故です。警察と救急車が要ります。」と追加通報した。その上で、本
件駐車場の南方にある消防署に直接駆けつけて救助を依頼した(電話の記録[前
出]、E8の一九八一年一二月一七日の事情聴取書[甲三八六、三八七]、一九八
八年六月一六日の宣誓供述書[甲二七、二八]、一九九二年三月二八日の供述書
[弁A甲八、九])。
 E8の同僚であるE9は、E8が追加通報をしているころ現場へ行って状況を確
認したが、栗色の車に近づいたとき、A1と思われる一人の男が運転席側から出て
同車の後部を回って右の助手席に行き、腰をかけたと述べている(E9の一九九二
年四月四日の供述書[弁A甲一〇、一一])。
 6 前記通報により、一一時一〇分過ぎころ以降、現場に、次々と救急車やパト
ロールカーが到着し、到着した救急隊員らの手で、B1は一一時三〇分ころ、また
A1は一一時四〇分ころ、それぞれF6病院(F6メディカルセンター)に向けて
搬送された。
 病院では、緊急にB1の開頭手術が実施され、顔面頭部に散乱遺留された弾丸破
片の一部が摘出されたが、同女はいわゆる植物状態に陥っており、昭和五七年一月
二〇日F6メディカルセンターから搬送されて神奈川県伊勢原市所在のF7病院に
転院し、引き続き治療を受けたが、被害後一度も意識を回復することなく、遂に同
年一一月三〇日死亡した(被害後約一年経過。)。一方、A1は、入院約一週間後
の同五六年一一月二五日に前記F6メディカルセンターを退院した。
 二 事件発生後の事情聴取状況
 1 本件現場へ、一一時一五分ころまでの間に、G1消防士の乗車した消防車、
G2及びG3の乗車したパトカー、G4及びG5が乗車したパトカー等が順次到着
し、同人らは救護のほか、A1からの事情聴取(G2、G3、救急隊監督官G6な
ど。)、現場保存などに当たった。A1は、現場でG2らから事情を聴取されたの
に対して、犯人は銃器を持った二人組であり、グリーンの車に乗って逃走したと述
べた。そのため、この時点では犯行車両はグリーン、けん銃所持、男二名という内
容の捜査情報が流された。
 2 前記G4は、現地に到着して一五分ないし二〇分経過したころ、現地指揮官
G7に指示されてF3ビルに赴き、通報者E7及び目撃者のE3、E6らから事情
を聴取した。その際、目撃者らから、白いバンが現場に南向きに停まっていた、そ
のバンはF14のバンか、シボレーのバンであるという話を聞き出し、その内容を
FIカード(フィールドインテロゲイションカード[甲三二二])に書き残すとと
もに、無線で連絡し、その後白いバンが犯行に関係している旨の捜査情報が流され
た(交信チケット[物五五七・東京高等裁判所平成六年押第四〇七号の二八
四])。
 3 A1に対する事情聴取は搬送先の病院でもG2、G8らによって続けられ
た。A1は、この事情聴取の中で、駐車場でB1の写真を撮っていたとき二人組の
強盗に襲われた、犯人はb1通り路上に北向きに停まっていたグリーンの車に乗り
込んで、その通りを北の方に走り去ったことのほか、その車両や犯人の特徴につい
ても供述した。しかし、現場近くに停まっていた筈の白いバンについては何も供述
しなかった。
 4 一一月一九日(事件の翌日)にも、A1は犯人や車両の特徴について供述
し、捜査官はA1の説明にしたがって犯人の似顔絵などを作成した。同月二三日に
は、強盗から暴行を受けたことを説明するために、事件当時着用していた上着のシ
ャツを提出し、二四日には、B1のポシェットを証拠物として提出した(時系列記
録[甲三九七、三九八])。そして、一一月二五日に退院し、一二月四日にはB1
の転倒場所やポシェットの件について述べたいことがあると申し出て、a1市警に
おいてF8分署G8捜査官に対して詳細な事情説明をし、その内容の一部は録音テ
ープに録取された(録音装置の調子が悪く、供述の全部は録音されていない。物二
二三・同押号の一一。この翻訳文[甲四〇九])。
 5 捜査官は、一一月二五日に本件現場に車を配置するなどして事件現場の再
現、見分等を行うと同時に、F3の目撃者らからの事情聴取を行った。目撃者らの
多くは、本件現場で、A1車の近くに白いバンが停車していたこと、この白いバン
は、駐車場にいたA1と思われる男が倒れた後で現場から南方に走り去ったことを
目撃しており、またグリーンの車を見たという者らは、いずれもその車が現場付近
で停車したことはなく、その車から下車した者もいなかったと供述した。
 6 a1市警の捜査官は、現場の状況、目撃者らの供述、A1の態度その他から
A1の状況説明や態度に疑問を持ち、A1が事件に関与しているのではないかとの
疑いを抱いてポリグラフ検査をA1に持ちかけたが、A1が拒否したため、実現し
なかった。
 三 銃撃事件の証拠の構造と輪郭
 1 事件発生前後の状況をF3八階から目撃していた前記E3、E4、E5及び
E6の四名のうち、E6を除く他の三名は、原審公判廷で証言している。しかし、
この公判証言は、事件発生後八年ないし九年という長い年月を経過した後の一九八
九年(平成元年)及び一九九〇年(平成二年)になされたことに留意する必要があ
る。
 また、それらの者達が目撃した後、原審公判廷で証言するまでの間の供述経過に
も留意しておく必要がある。すなわち、目撃者らは、目撃直後にa1市警捜査官に
供述して以降、保険会社の調査関係者の面接調査や日本のマスコミ関係者から事情
を尋ねられ、a1郡検捜査官に事情を聴取され、連邦地方裁判所から任命された執
行官等の面前で宣誓供述書を作成し、その後に目撃者中の三名が原審法廷で証言
し、証言後にも、弁護人やその依頼を受けた私立探偵から事情を聴取される等して
いる(ただし、E4だけは、目撃四年後の一九八六年一月八日のa1郡検捜査官報
告書が公の供述としては最初である。)。
 2 E8は、本件発生直後に現場に近寄って、B1やA1の状態を観察・通報し
た点に特徴がある。同人は、このときの印象について、「男は取り乱しており、シ
ョック状態にあるように見えた、興奮状態であったので、負傷原因を聞かなかっ
た、倒れている女性の頭の周りにお金が散乱していたので、強盗事件とは思わなか
った、男が車のそばに立ち、女性を指しているのに女性を見ておらず、冷ややかな
感情を表していると感じた」等と述べている(E8の一九八一年一二月一七日の事
情聴取書[甲三八六、三八七]、一九八八年六月一六日の宣誓供述書[甲二七、二
八])。しかし、警察官のG2は、A1の状態について、ヒステリカルな状態で、
妻が撃たれたにしては冷静との印象は受けなかったと述べており(G2の一九八八
年六月二〇日の宣誓供述書[甲二九二、二九三、152―2123)、両者が受け
た印象は同じではない。
 3 このほか、銃撃状況なり銃撃現場に関する証拠としては、事件当日の午後零
時四五分ころから捜査官G9によって撮影された現場写真一七枚(G9写真)、B
1の体内から摘出された弾丸その他B1やA1の受傷状況に関する証拠、現場に遺
留されていた物件(薬きょうの捜索がされたが、発見されなかった。)、A1らが
事件前に現場付近で撮影したと思われる写真(いわゆるA1写真)、このA1写真
の検討・分析に関する捜査結果、事件後にa1警察によって実施された事件現場の
実況見分調書、日本側捜査官がA1写真、G9写真、A2バン(E10バン)その
他を資料として犯行現場の状況を再現し、その再現結果に基づいて銃撃可能地点や
視認状況等を検証した捜査結果、そして、それらの捜査経過に関するアメリ側及び
日本側捜査官の各供述等が主な証拠とされている。
 4 A1の供述の主なものは、a1市警捜査官への供述(前述のテープを含
む。)、保険会社関係者への供述、マスコミ関係への発言あるいは手記、労災請求
上申書(昭和五八年三月一四日付け)等であり、我が国の捜査官に対する供述調書
は、本件に関しては全くない(殴打事件に関しては調書が作成されているのに、銃
撃事件については全くない。)。捜査官に対するこの対応はやはり特異であって、
十分の留意と慎重な検討が必要である。A2の供述は、殴打事件についての参考人
調書(昭和五九年四月)以降、主として銃砲刀剣類所持等取締法違反による逮捕・
起訴、銃撃事件による逮捕・起訴までの間に多数作成され、また別件に関する裁判
所での証人尋問調書が提出されている。
 四 被害及び現場の客観的状況
 1 B1及びA1の受傷状況
 (一) B1について
 H1の原審証言(153―2301,―153―2396)、同人作成の鑑定書
(甲四二四)、H2作成の鑑定書(甲一〇二九)等を総合すると、B1を銃撃した
弾丸は顔面左頬骨突起部の下から射入して頭蓋骨中心部に向かい、中頭蓋窩の内
側、頭蓋骨底に衝突してそこに陥没を作り、弾丸が破裂・分散して、この破裂によ
って頭蓋骨底を覆っている脳硬膜は大きく裂傷を作り、大きな破片は脳硬膜下にの
めり込んでいる。そして、弾丸の射入方向及び射入角度は、B1が立位で顔面を正
面に向けていた状態を基準として、正中面に対して三〇ないし三三度内外の左外側
から射撃されたものであり、仰角は一六度内外であった(なお、原審証人H1は、
一六度というのはレントゲン写真上の投影角であるから、プラスマイナス二ないし
五度程度の誤差を見込むのが適当であると述べている。)。更に、頭部への射創に
より瞬時に意識を喪失し、射撃方向の延長上に転倒したものと認められる、とされ
ている。
 (二) A1について
 H2作成の鑑定書(前出)、検証調書(153―2380)等を総合すると、弾
丸は、本人が正面に向けて直立している状態を基準として、本人のほぼ正面から左
大腿前外側部へ向かっており、足の前後線から見て、前方から左前外側部の皮膚を
貫いて後方へ、また方向を変えずにほぼ水平方向に進み、皮下組織並びに大腿筋を
貫通、左大腿骨外側面に激突して、その厚い骨を貫き骨髄内に進入、弾は大腿骨に
衝突したため破裂し、その結果三〇以上の小さな弾の破片が大腿骨の左外側にある
筋肉を含めた柔軟組織を貫き、扇形に跳ねて散らばっている。検証調書と照合して
みると、A1の傷口と大腿部内の弾丸の破片の状態から見て、弾丸の飛来方向はお
おむね左前方三〇度の方向であった可能性が高いとされている。
 2 凶器
 H3の原審証言、同人作成の鑑定書(甲四二一)、H4作成の銃器・爆薬証拠品
分析報告(甲一〇、一一)、H5作成の鑑定書(甲一〇〇〇、一〇〇一)、H2作
成の鑑定書(前出)等によると、B1の頭部から摘出された弾片等に基づいて、凶
器は二二口径ライフル銃で右一六条の線条痕を持つ物、弾はホローポイント弾と鑑
定されており、この鑑定結果を疑問とする根拠はない。A1の左大腿部に撃ち込ま
れた弾丸の破片は、未だ摘出されておらず、その大腿部に残留したままであるが、
レントゲン写真等によって推認することは可能とされ、H2の前記鑑定書等によれ
ば、それぞれの破片の大きさ、数、割れた形、貫通力等からみて、B1に対して使
用されたのと同一又は類似のライフル銃で銃撃されたものとされている。その鑑定
結果を疑問とする根拠も見当たらない。A1が自分で自分の大腿部を撃つことを想
定するときは、凶器としてピストルの使用を疑いやすいが、証拠上は右のとおりで
ある。
 3 現場の遺留品など
 領置された主な遺留品は次のとおりである。
 (一) カメラ
 A1は今回の渡米にあたってカメラを携帯し、事件当日そのカメラを使用してA
1写真の撮影等をしていたという。G9写真(甲一四、一五、物一四二・同押号の
七)中で、A1車のボンネット上に置かれた状態で写っているのがそのカメラであ
り、A1車の助手席床上に写っているのがそのカメラのケースの一部と思われる。
捜査の主担当であったG8は、原審証言において、同人らが事件現場にあったカメ
ラを警察署に持ち帰り、その中のフィルムを現像するなどしたが、カメラ自体は証
拠品として押収せず、その後A1かA1の周辺の誰かに返還していると思うと述べ
ている(152―1939,152―2021)。これに対して、A1は、a1へ
持っていっていたのはフラッシュフジカのデート機能なしのカメラであったが、ま
だ返してもらってないと言い、両者の供述が対立している。しかし、関係証拠によ
ると、カメラについては正式な領置手続がとられておらず、関係書類(財産報告書
[物二〇、二一])上は、カメラからフィルムが取り出されたことの記載しかない
こと、E11の原審証言中にある、カメラを病院内のA1らが寝泊まりしていた施
設内で見た、A1からフィルムはa1市警が持っていったが、カメラは返してもら
ったと聞いたという供述部分(165―5681)等からみて、A1に返還された
と考えるのが自然とみられる。そして、事件後A1は父のE12にカメラを譲渡
し、そのフラッシュフジカデート付きのカメラが同人から提出されているところ
(物八一・同押号の一一六)、検察官は、本件犯行当時A1が使用していたのはこ
のカメラであると主張し、A1はそれとは別物で、事件後新たに同タイプのカメラ
(ただし、デート付き)を購入して父に譲渡したと主張している。しかし、そのカ
メラ製造会社に勤務して、カメラ設計等の仕事に従事してきたE13は、原審証言
(190―10707)中で、G9写真に写っているカメラケースの特徴からみ
て、そのカメラはフラツシュフジカのデート付きであると述べ、A1の供述を否定
していること、更にこのカメラは、製造番号からみて昭和五六年一月製造のもの
で、その直前及び直後の番号のカメラが東京都内で販売されている事実からみて、
その中間のこのカメラも同様と思われると述べていること等の諸点からみて、A1
が本件当時持っていたのは別のカメラであったとする同人の供述は信用し難い。
 (二) ネガフィルム(物二四・同押号の一三一。以下、A1フィルムとい
う。)。
 事件当日、A1がF1を出てから、事件現場に到達して銃撃事件が起こるまでの
間に撮影された写真フィルムである。これを捜査官が事件現場で入手したことは疑
う余地がないが、それが事件現場で発見されたカメラに入っていたものかどうかに
ついて争いがある。G8捜査官は、前述のとおり、これは事件現場で入手したカメ
ラに入っていたものであると言い、A1は、これは、事件現場でカメラの調子が悪
かっためカメラから取り出してA1車の中に置いていたものであって、捜査官が持
っていったカメラにはその後に新しく入れ替えた別のフィルムが入っていた筈であ
ると主張する。A1の言うところが事実であるとすると、カメラの中にあったフィ
ルムが別にもう一本存在したことになるが、記録上この主張を裏付ける痕跡は全く
なく、信用すべき根拠がない(財産報告書[物二〇、二一]の記載も、A1フィル
ムがカメラから取り出されたものと読める。)。いずれにしろ、このフィルムが、
事件当時現場で撮影されたことは明らかであり、重要な資料として検討を要する。
 (三) A1のサングラス(物二・同押号の一一九)
 財産報告書(物一、二)によると、一一月一八日の事件当日、捜査官によって、
オフセット駐車場に駐車していたフィアット(南から四台目、西向きに駐車)の運
転席側後輪付近路上から発見されたとされている。G9写真(前出)にも、右位置
付近にそのフレーム、レンズなどが写っており、その事実が裏付けられている。何
故この場所へ落ち、破損したかは全く不明である。
 (四) A1のシャツ(物二七・同押号の一三三)とそのボタン(物三〇、三
三・同押号の一三四、一三五)
 一一月二三日に、A1がG8ら捜査官に、当時着用していたものだとして男物の
シャツを提出した(財産報告書[物二〇、二一]、時系列記録[甲三九七、三九
八]、再事情聴取書[甲四〇七、五六一])。シャツのボタンが二か所取れていた
が、一一月二五日に行われた捜査官の再度の現場捜索の結果、前記フィアットの左
右後輪付近から各一個、合計二個発見された(財産報告書[物二〇、二一、時系列
記録[前出]、再事情聴取書[前出]、G8の原審証言[151―1895,15
2―1967,2030,2033])。発見された二個のボタンは、そのシャツ
から取れたボタンに相当する(証拠品分析報告[物三四、三五])。何故ボタンが
取れて、この場所へ落ちたのか、そのことにA1がいつ気づいたのか等の点は、サ
ングラスの場合と同様に、証拠上不明である。A1が、ボタンが落ちてしまったこ
とを強盗被害と結びつけ、これを裏付けるものとして特別言い立てたような情況
は、証拠上認められない。
 (五) 旅行カバン(ナイロン製のバッグ)及びその在中品等
 これらは、A1の主な所持金品を入れたものであるが、当初はA1車の中にあ
り、A1と共に病院に運ばれた。病院でこれを保管する際、その中の貴重品につい
て貴重品記録が作成された(甲四一六、四六一)。それによると、現金五五四六・
三〇ドル、日本円一一万二五〇〇円、旅行小切手一三〇〇ドル、I1、I2、I3
クレジット、I4クレジットカード、C2・バイパス、パスポート二通が記録され
ている。本件の犯人が真実強盗であるのならば、何故現場にエンジンをかけたまま
停めてあったA1車の中を物色しなかったのか疑問がないではなく、その点は、後
記のB1のポシェットから取り出してまき散らされたとされる金銭の場合と同様で
ある。
 (六) A1のズボン
 病院の衣類記録には記載がない。A1と共に病院に行ったG2は、ズボンはベッ
ドの下に置かれたといい、事件後病院に駆けつけたA2らの供述によると、看護婦
がぼろぼろになったズボンをA2らに一旦示した後どこかに持っていったとされて
いる。事件当日に処分されてしまった可能性が高く、それ以上のことは不明であ
る。
 (七) B1のポシェット(物七四・同押号の一三八)、小銭入れ(物一九・同
押号の一三〇)
 事件直後には、紐がB1の身体に掛かったままの状態であったが、救急上の必要
から、切断された。その後現場から病院に持ち込まれ、その後どの時点からかA1
が保管していたところ(A1の手に入った経緯は不明である。)、一一月二四日に
G10捜査官らが病院を訪れた際、A1が申し出て提出し、これを捜査官らが持ち
帰った経過であったことが明らかである。その後、このポシェット、小銭入れは、
証拠品として領置された
(財産報告書[甲一五、一六])。
 (八) B1の装身具
 B1は、指輪(金の指輪二本、銀の指輪一本、)、ネックレス(金のチェーンの
ネックレス一本)、ブレスレット(金のチェーンのブレスレット二本)を身に着け
ていたようであるが、これらは、病院に運び込まれ、貴重品として保管された(捜
査官報告書中の「貴重品記録」[甲四一五、四六〇])。その後、B1の退院にあ
たって返還されたと思われる。なお、これに関連して、A1は、B1がダイヤの指
輪をしていて犯人に盗まれたと説明して保険金を請求していたが、そのダイヤの指
輪は、その後昭和六三年八月一六日に捜索差押が行われた際、F9銀行F10支店
のA1名義の貸金庫内から発見された(物三七三、甲五四〇、五四一、五四二)。
A1は虚偽を記載して保険金請求をしていたことになるが、同人は、B1が渡米の
際に持っていったのをその指輪と間違って認識していたもので、別のダイヤの指輪
が盗まれたことに間違いはないと弁解している。
 (九) 紙幣(物五号・同押号の一一七)、化粧品等(物一四・同押号の一二〇
ないし一二九、一三二)
 オフセット駐車場に駐車中であった車両のうち、南から三台目の後部付近、すな
わちB1が倒れていた付近に、B1のポシェットに入っていたと思われるきっちり
一〇〇ドルの紙幣(二〇ドル札が四枚、一〇ドル札が一枚、五ドル札が一枚、一ド
ル札が五枚、合計一〇〇ドル、甲一六参照)、化粧品等が散乱していた。その様子
は、前記G9写真によって明らかである。しかし、G9がこの写真を撮影したの
は、事件当日午後零時四五分からのことであったから(前記時系列記録[甲三九
七、三九八])、事件後の救護活動等によって、事件直後の様子に多少変更が加え
られているかも知れない。それにしても、何故きっちり一〇〇ドルなのか。B1は
前日にA1のセーターや自分の下着を買い物した事実があるから、釣り銭や買い物
のレシート等を一緒に持っていてもよさそうなのに、それらが全く発見されていな
いことも、右金額と並んで注目される。これらの紙幣、化粧品等は証拠品として領
置され、財産報告書(物一、二)にも記載されている。
 4 車両等の位置関係
 本件発生当時のオフセット駐車場付近の駐車車両、A1車と白いバンの位置、銃
撃を受けたときのB1とA1の位置、A1写真13の撮影地点等は、後述の点を別
とすれば、検察官が主張する別紙図面1のとおりである(原審第七六回公判で、証
人H6に法廷資料七として提示されたものであり、更に論告要旨別冊Ⅲ―12とし
て、検察官の主張を明確にするため利用されている。論告四八〇頁参照。なお、こ
の図面は、事件発生当日にa1市警捜査官G9によって撮影されたいわゆるG9写
真、目撃者らの目撃状況、現場付近を撮影したA1写真、これらを基にした実況見
分、鑑定結果等を総合し、これらに基づいて再現されたものである。写真計測結果
報告書[甲四二九]、写真鑑定結果報告書[甲五四八]、実況見分立会報告書[甲
五四九]参照。なお、右実況見分立会報告書によると、駐車車両の配置について
は、G9写真を基に、代用車を実際に配置して、これをG9写真のG9フィルムに
重合させながらその位置を特定している。バンの位置については、まず、A1写真
13の撮影地点を特定した上、その写真の左下隅に写っている物体をエコノライン
と想定して割り出している。A1車の位置については、同車が事件後に救護等のた
めに多少動かされた事実があるので、G9写真に写っているA1車の位置を基準と
しては事件当時の位置を定めることができない。そのため、A1写真13に写って
いるとされるA1車のアンテナを指標として利用し、同写真の撮影地点にカメラを
設置し、同写真と同じ撮影方向を向いて、右のアンテナが同一の位置に入り込んで
くるところまで車両を進行させて、A1車の位置を特定したとされている。)。
 この図の中で、B1が銃撃される直前に立っていた位置は、おおむね右図面中の
W点からV点の間と想定される。現場に到着した捜査官(G4、G3)、救急隊員
(G1、G6)らがB1の倒れていた位置関係として供述しているところや、車両
の位置、路面に転倒したB1の身長等に基づいて想定されたものである。また、A
1が銃撃を受けた位置は、前記の水道局の目撃者らの供述によれば、本件オフセッ
ト駐車場に駐車していた車両のうち、南から三台目と四台目の駐車車両の間のA点
ないしB点付近と考えられるが、A1本人は、事件後間もない一二月四日のa1市
警の事情聴取に際して、それよりは、もう少し東側の、南から四台目の車両の左後
輪の付近、つまりC点付近を指示したことがあり、その意味でC点も可能性のある
位置として検討対象とされている(確かに、A1のサングラスやボタンの発見され
た位置(G9写真ナンバー12によると、サングラスのフレームやレンズは、右の
四台目車両の左後輪の付近にあったとされており、またボタンは、G8の原審証言
[151―1895,152―1967,2030,2033]によれば、一個が
同車右後輪付近から、もう一個が同車左後輪に近い三台目車両の後部付近から発見
されたとされている。)からすると、A1が銃撃された地点がC点付近である可能
性も否定できない。しかし、A1は、原審公判廷では、検察官が想定する地点より
はもっとハイウエイ側の地点で銃撃されたと説明している。A1が銃撃された地点
の特定は、A1が銃撃されたと主張する地点からの銃撃が可能かという問題の検討
に際して重要である。)。
 ただし、これとは別に、車両やB1の倒れていた地点の位置関係等の見分結果を
示している証拠がある。その一は、一九八七年(昭和六二年)七月一七日に本件現
場等で行われた実況見分(甲一七、一八)であり、その二は、一九八八年(昭和六
三年)五月二〇日に本件現場で行われた実況見分(甲一九、二〇)である。前者の
見分は、F3からの目撃証言を補強するため、目撃者であるE3、E5、E4らが
立ち会ってなされたもので、これによれば、白いバンの位置は、検察官の主張より
やや南東寄りに、A1車は相当に北東寄りになっていて、両車両を東側ビル方向か
ら見たとき、A1車の後部側車体が半分以上バンの後方にはみ出して見える位置関
係となっている。また、後者の見分は、目撃者(E8)、消防局局員(消防士G
1、機関士G11、救急隊員G12、同G13等)、警察官(G3、G4、G5)
らの目撃状況に基づいて、B1及びA1の動き、二人の位置、A1車の位置を明ら
かにするために行われたもので、この実況見分に基づく位置関係の概略は別紙図面
2、3のとおりであり、B1が倒れていた位置は、本件駐車場に駐車していた六台
の車両の南から三台目の車両のすぐ東側で、頭を西側やや南寄りにし、身体をまっ
すぐにして(つまり、車の側面のラインに平行に近い形で)、仰向けに倒れていた
との指示がされている。A1車については検察官が主張する位置よりは相当に北東
寄りである。この位置関係は、当時実際にB1が倒れていた状況を見た者達の現場
での指示に基づいているから、その意味で重視されてよい。それによると、A1車
の位置は検察官の主張と多少異なっているところ、この実況見分にはE8など比較
的早い段階で現場に駆けつけた者も参加し、同人はA1がとった行動を指示・説明
していると思われるから、軽視できない。検察官が想定する位置は、これら関係者
の指示供述と比較対照すると、A1車と駐車車両との間が狭過き、したがって、B
1が立っていたとされる位置の周辺が窮屈過ぎて、不自然との印象を拭えない。し
かし、とりあえずは検察官主張の位置関係を前提として検討し、必要に応じて右の
点を考慮すれば足りると思われる。
 以上の諸事情を前提として、以下、検察官が控訴趣意書で指摘している争点の順
序におおむね沿って、検討、判断する。
 第四 共犯者に必要な条件について(控訴趣意中、「共犯者の条件とこれを満た
す人物」の主張) 所論は、要するに、本件犯行はA1の発意に基づき、銃器を使
用して、a1市内で行われた点からみて、銃撃を実行した共犯者は、次の条件を具
有した者である筈であるとし、
 (a) A1となんらかのつながりのあった人物であること、(b)A1が信頼
をおいていた人物であること、(c)A1の近くにあって、同人を信用していた人
物であること、(d)本件当時a1に居住し(又は少なくともa1での居住経験を
有し)ていたこと、(e)ライフル銃の扱いに慣れていたこと、(f)米国製バン
の運転経験を有していたこと、(g)日本語が通じること、(h)男性であるこ
と、(ⅰ)A1が殴打事件に至るまでの共犯者物色過程で候補者として念頭に浮か
べたことのある人物であること等の諸点を挙げている。そして、これらの条件を指
標として広範な捜査を進めた結果、すべての条件を満たしている人物としてはA2
のほかにはほとんど存在しないと認められるのに、原判決はこれを受け入れず、
「検察官が条件を具備するか否かについて検討した対象者は、主として、A2とA
1が、a1におけるA1の交友者として名前を挙げたものに限られており、a1に
居住していたか、もしくはかつて居住したことがある者であって、かつ日本語の通
じる者全員を対象に検討したわけではないから、この検討をせずしてA2が条件を
満たすほとんど唯一の人物であるとすることは相当ではない。」と判断した。しか
し、この判断は、次の二点において不当である、すなわち、第一に、検討した対象
者の範囲は、原判決がいうような、「主として、A1あるいはA2がa1における
A1の交友者として供述する人物」に限定されてはいない、第二に、検討した対象
者が、共犯者となり得べきA1の関係者の全員ではなかったにしろ、共犯者に必要
とされるこの条件をよく吟味していくと、そのすべてを充足する人物としてはやは
りA2のほかにはほとんど考えられない、というのである。
 そこで考えるのに、日本に住むA1が殺人を計画し、これをa1にいる共犯者に
持ちかけて同人が実行するという検察官の描く本件の基本的構図を前提にすれば、
その犯行の共犯者となり得るためには、その者についていくつかの適格条件が必要
となることはそのとおりであろう。適格条件がある筈だという発想自体に問題はな
い。ただ、この条件が持つ意味については、一言指摘しておかなければならない。
それは、現実の共犯者には、検察官がここに掲げている適格条件のほかにも、犯行
を可能とする諸々の条件か必要と考えられ、ここに挙示された条件は、そうした多
くの適格条件のうち主として犯人の属性に関するものを掲げているに過ぎないので
はないかという点である。例えば、検察官が挙示する条件をすべて兼ね備えている
者がいたとしても、その者がすぐに犯行への加担を応諾してくれるとは限らない。
殺人という重大な犯行への加担を決断するには、その者にとってそれなりの動機が
なければならないから、そのような動機があることも、犯行の前提条件として必要
だと判断しなければならないであろう。また、もし検察官が主張するように、日本
に住むA1からの加担依頼であったとすれば、a1にいる共犯者にとっては、犯行
計画の詳細な打ち合わせを必要とすることになるであろうから、その打ち合わせ
を、どのような機会にどのような方法で行うことができるかという、その者にとっ
ての謀議可能性も、同様の意味で前提条件としなければならないであろう。更に
は、本件犯行の態様からみて、犯行に使用するバンの準備、凶器として使用する足
のつかないライフル銃の調達、習熟、処分方法、特に犯行にあたっては被害者を銃
撃するだけでなく、その直後にA1の身体の一部をねらい撃ちし、そうすることに
よって被害者であるかのように偽装する計画であったとすると、A1としてはその
共犯者の狙撃の腕前を、犯行前に、単に聞きおくだけでなく実際に確かめておかな
ければ安心できないであろうから、それらの点を事前に確認する機会を持つことも
欠かせない前提条件と判断されるかも知れない。また、犯行に加担した場合の報酬
については、事柄の性質上、普通なら前金が必要なところであろうし、そうでない
ならば、最終謀議の中で、少なくとも金額、支払時期、支払方法等があらかじめ明
確に約束されていることが前提条件となろう。ともあれ、こうした諸条件がすべて
満たされていなければ、最終的には、条件具備と判断することはできないのであっ
て、その意味からすると、検察官がここに指摘している適格条件は、そうした多く
の条件の一部でしかないことを念頭に置いておくことが必要である。
 一 検討された対象者の範囲について
 まず、検察官が検討した対象者の範囲について、原判決が、それは主としてa1
におけるA1の交友者として名前の挙げられた者に限られていると判断したことの
相当性の点から検討する。当審における証人E14の証言その他の関係証拠による
と、その点の捜査の経過と内容は、次のとおりであったと認められ、これによると
A1周辺の人物に関しては、かなり広範囲に及ぶ捜査が展開されたことが明らか
で、その捜査内容は、原判決がいうような、「A1あるいはA2がa1におけるA
1と交際のある人物として供述する人物」に限定して条件具備の有無を検討してい
たわけではなかったとみるのが相当である。したがって、原判決の判示は、その点
に関しては、必ずしも適切とはいい難い。すなわち、
 1 昭和五八年一二月に、山口県警から警視庁に対して、行方不明となっている
B2の捜索依頼があり、これに基づいて同女と交友関係のあったA1の基調捜査が
開始され、続いて同五九年一月一九日、週刊J1がいわゆるa1疑惑報道を開始し
て以降、警視庁において、本件銃撃事件等の捜査も開始されたこと、
 2 昭和五九年七月一三日、D5から警視総監宛にいわゆる殴打事件に関する上
申書が提出され、同六〇年一月、A1がe1から帰国したのを機に、同年四月から
いわゆる殴打事件を中心とする捜査が展開されたこと、
 3 殴打事件の関係では、同六〇年九月一一日にA1が、翌一二日にD5がそれ
ぞれ殺人未遂の疑いで逮捕され、同年一〇月三日に両名とも殺人未遂を公訴事実と
して起訴されて捜査に一応の区切りがつき、その後捜査の重点は銃撃事件に移行し
たが、銃撃事件の捜査に当たっては、A1が誰かに銃撃行為を依頼して実行させた
との想定のもとに、実行犯割り出しを当面の標的として行われ、その捜査の必要
上、実行犯人が備えていると考えられる一応の適格要件を想定し、捜査の指標とし
て利用したこと、
 4 当初に想定された適格要件は、(a)本件時a1に滞在していること、
(b)日本語が話せること、(c)ライフル銃を使用し撃つことができること、
(d)国際免許を有し又は運転能力のあること、(e)例えば身軽な者とか、金銭
に窮した者とか、A1からの犯行依頼を受け入れる可能性があること、(f)例え
ば会社を辞めるとか、外国に出入国するとか、犯行前後に何らかの変化があるこ
と、(g)多額の報酬を得た可能性があること、以上であったこと、
 5 各種の捜査資料を基にして捜査対象を広げるうち、具体的に捜査対象として
取り上げたのは、(ア)A1の関係する会社(C1、C3、C4商会、C5オフィ
ス等)の従業員・アルバイト関係、(イ)C1の取引先(C1以外のA1が関与す
る取引先は入っていない。)関係、(ウ)C1の海外取引関係、(エ)A1の女性
関係やホモトルコ関係、ホテル等の宿泊と同伴者の有無等の状況、(オ)A1が出
入りしていたその他の場所(喫茶店、飲食店等)の関係、(カ)架電状況、(キ)
保険の関係、(ク)B1やA1の親族から得た情報の関係、(ケ)A1の住所の近
辺者、服役中の文通、面会者、前刑時の共犯者、その他捜査の過程で特に浮かび上
がった人物等、かなり広範囲にわたっていたこと、
 6 右のとおり広範囲に及ぶ捜査をしたが、最終的に不審者は浮かばなかったこ
と。すなわち、従業員関係では、資料によって把握した七五名全員について事情聴
取を行うとともに、最終的にはほぼ全員について裏付け捜査をしたが、そのうち出
入国記録のある者は七人、本件当日外国にいた者は一人で、渡航事情から判断して
容疑性は認められなかったこと、
 C1の国内取引先関係では、四三業者について、C1との架空取引の有無を中心
とする捜査をし(報酬が取引を仮装して支払われていないかの点を含めて)、更に
それらの従業員の中にA1の共犯者がいないかという観点からも捜査したこと、そ
の結果、A1と私的交際があると認められた者約一〇名について前同様の捜査をし
たが、本件当日海外にいた者は見当たらなかったこと、
 海外業者との取引関係では金銭関係の捜査が中心であったが、不審な点は発見さ
れなかったこと、 A1の女性関係については、A1から押収した手帳ほかから交
友関係が割り出された女性三三名(女性以外の者として、ホモトルコ等三件)、D
5の供述から明らかになった女性三名、関係者の聞き込みによって判明した三一名
の合計六七名を把握し、本件は男性による犯行とみられたために、ほとんどの者に
つき参考人として事情聴取をし、必要な範囲で渡航の調査もしたが、参考になる情
報は得られなかったこと(ただし、事情聴取を行った女性は全員A1を知ってお
り、肉体関係を持っていた者が二四、五名、うち二名については特に注目して事情
聴取を行ったが、さほどの情報は得られなかったこと。)、そのうち本件当日海外
にいた者は五名であり、うち三名について事情聴取を行ったが、特段の容疑性は認
められなかったこと(当審係属中に、当時照会していた一四名のほかに、五三名に
ついて渡航の調査を行ったが、犯行当日海外にいたものはいなかった。)こと、
 一般の交友者関係では、本件と多少ともつながりのある者として、保険関係者、
C6の店長や従業員、前刑時の共犯者、服役中の面会者、文通者等八名を選び出し
て捜査したが、本件当時は全員国内にいたことが確認されたこと、
 7 マスコミで報道されたことのある者として、E15、E16、D4、E1
7、E18の五名、及びこれに付随して浮上した他四名についても捜査したが、E
15はA1との面識関係が認められず、疑わしいと指摘された点も証拠上否定され
て、事件とは関係がないと判断され、E16は日本側の捜査が始まる前からa1郡
検で捜査されていて、昭和六〇年一〇月にピストル購入時の虚偽申告の関連で逮捕
され、同六二年一月に強制送還されたが、a1側の捜査では本件との関連性は立証
されず、日本側の捜査によってもA1との面識がないし、疑わしいと指摘されてい
た諸点についても、E16に有利な方向で解明され、本件とは関係がないと判断さ
れるに至っており、E17はA1とa1ヘの渡航時期が重なる点があったり、また
A1との面識があったりするものの、事件後の昭和五七年秋ころにA1と一度会っ
たという事実しか認められず、事件との関係は否定され、D4は本件発生当時、香
港ツアーに参加中でアリバイがあって、事件との関係は否定され、また原審公判係
属後にA1からの送金関係について補充捜査がされたが、不審な送金はないと認め
られたこと、E18はA1との間にマリファナの取引等があった上、A1からけん
銃の入手を頼まれたとか、銃を撃てるかと聞かれたとか、始末して欲しい人間がい
るといわれたなどと供述している事実は認められるが、同人の供述には誇張が多
く、マスコミに謝金を受け取って情報を流したりしている人物で信用できないこ
と、日本語をよく話せないことなどの点を総合すると、本件とは関係がないと判断
された等とされている。また、付随的に捜査した四名についても、いずれも本件と
無関係であることが確認された、というのである。
 ところで、この種の資料による対象者のリストアップは、対象者をできるだけ広
い範囲から取り上げ、問題人物をすべてを網羅すべく努力しても、なお限界がある
のが実際である。原判決がいうように、A1は共犯者の名前をできるだけ秘匿しよ
うと努めるであろうし、またA2が関知しないa1でのA1のプライベートな部分
もあって、どうしても漏れが生じることを根本的に避け難い。所論は、a1でA1
が出入りしていた飲食店の従業員や客、例えば寿司職人D2のような人物とか、大
麻関係で交際していた人物ならば他にもいる可能性は否定できないとする一方で、
このような人物はせいぜい一〇名前後の男性と考えれば十分であり、その者らにつ
いて共犯者として具有すべき条件を重ね合わせれば、人数は限られるという。しか
し、その点を何名と考えるにしろ、このような捜査の手法には、対象者中に共犯者
が含まれていることを高い確度で信じてよいかどうか分からない点に難点があり、
その疑問が解消できない以上、原判決の判断が間違っているとはいえない。
 二 共犯者に必要な適格条件について
 次に、検察官が挙示する個々の条件は、本件の共犯者、すなわち銃撃犯人を絞り
込むのに実質的に有効な条件といえるか、またA2はそれらのすべての条件を具備
しているといえるかを検討する。そのことに関しては、先ず適切な条件設定が不可
欠であり、本件では特にその必要が強く感じられるが、検察官が挙示している条件
には一部妥当性に疑問の持たれるものもあり、A2についての条件具備の状況が内
容的に犯人性を推認させるかは疑問である。
 1 本件の犯行内容その他の情況事実から共犯者に必要とされる適格条件を類型
的に割り出し、これによって犯人を効果的に絞り込むためには、適切な条件設定が
不可欠であるとともに、それがまた至極困難な点である。適切な条件が設定された
ために対象者を効果的に絞り込むことができる場合もあれば、適切でなかったため
に、割り出しの容易な者だけを選りだして、真に対象とすべき者を水面下に漏らし
てしまう結果となる危険も少なくない。概してばらつきを避けられない手法と思わ
れる。 本件では、A1から違法行為への加担を打診されたと供述するかつての従
業員D1、前記のD2、C1の従業員D3、女友達のD5、a1の旅行代理店経営
者D4らは、いずれも後述するとおり、A1との接点が乏しいか、又は外部から推
知されにくい者達であり、しかも犯行に加担した後は姿をくらますことをほのめか
されたと述べている点が注目され、そのことからすると、本件は、本来対象者とし
て取り込むべき者を漏らす危険の多い場合とも考えられるから、適格条件の設定や
その具備状況の判定に当たっては、その点について格別の注意が肝要である。所論
もそのことを意識し、A1には、a1での大麻の入手先等のほか、外部に知られて
いない人のつながりがあった可能性を否定できないとしている。
 2 検察官が挙示する条件の内容は、検察官が描く本件犯行の基本的構図を前提
とすれば、一応もっともな内容といえるが、個々の条件の内容を子細にみてゆく
と、それらの中には適切な条件設定とは必ずしもいえないものが含まれている。
 例えば、前記(f)の、「米国製バンの運転経験を有していたこと」という条件
は、車の運転経験一般でなく、特にバンの運転経験とすべき必要があるのか疑問で
あるし、またそれは、一見すると、バンを仕事用に運転している者を一般的に対象
者とする形式を取りながら、実は初めから対象者としてA2を想定し、同人に当て
はまるように条件を設定したのではないかとの印象を拭えない。
 また、前記(e)の、「ライフル銃の扱いに慣れていたこと」という条件は、も
し言葉どおりならばかなり問題があると考えられる。すなわち、検察官の主張によ
れば、本件では、A1は被害者を偽装するため、犯行当初からライフル銃で自己の
大腿部を銃撃させることを予定していたというのであるから、そのとおりならば、
A1は自己の身体を大変な危険にさらすことになり、ライフル銃の威力からみて、
大腿部に生じる負傷の程度をどのように予測すべきか、多少手元が狂っても本当に
生命を失ったり片足を失ったりするおそれはないのか、特に女性関係の多いA1の
場合についていえば、撃ち損ないによって生殖機能まで失ったりする危険はないの
か等々の点について、それこそ容易ならざる事態の心配をせざるを得ないであろ
う。したがって、共犯者の銃撃能力は、本件ではかなり吟味を要する適格条件であ
った筈と考えられる。特に、A1としては、少なくとも犯行前に、その点を他人任
せにしないで、自分で確認したくなるのが当然と考えられよう。A2は、かつて練
習場で何回か射撃練習をしたことがあるとされているが、その程度の射撃能力と経
験では、銃撃時の状況にもよることではあるが、本件銃撃犯人として適格条件を備
えているとはいい難いと考える方が自然と思われる。いかに至近距離からの銃撃で
あるといっても、いつ相手に気づかれないとは限らない状況であったし、特に撃た
れる立場のA1としては、とても信頼して自分を銃撃することを任せられる状況で
あったとは思えないからである。検察官も、控訴趣意中で、本件の共犯者は、二二
口径のライフル銃で頭部を撃てば殺すことができ、大腿部を撃つだけなら致命傷に
至ることは決してないということを知っており、また、B1の隙を見て手際よく発
砲し、しかも撃ち損じることがないだけの技量を持っていた者としているが、確か
にそのような技量、経験を持った者でなければ、該当しないと考えるのが適当であ
ろう。そうすると、単に「ライフル銃の扱いに慣れている」という程度の条件で満
足できるものではなかった筈と考えられる。
 更に、前記(ⅰ)の、「殴打事件までの共犯者物色過程で候補者として念頭に浮
かべたことがある人物」という条件を、共犯者選定の結果についていうとすれば疑
問がある。検察官は、共犯者は当時a1に居住していた人物であるとした上で、A
1が渡米してその人物と接触できたのは八月の殴打事件の後の一週間と九月の渡米
時の一週間だけであるから、それまで共犯者として念頭になかった人物に、短時日
のうちに働きかけて殺人への加担を応諾させられるとは考えられない、やはり、殴
打事件までの間に、A1が共犯者として脈のある人物であると一度は思い浮かべた
ことのある人物である筈だ、という。A1が犯行計画を持ちかける相手方の選定基
準としては、一応理由がある条件とみえる。しかし、犯行計画を持ちかけても、そ
の相手方に計算どおり応諾してもらえるとは限らないから、その場合にはまた別の
方面に打診せざるを得なくなる筈で、応諾の結果まで含めて考えれば、一度は思い
浮かべたことのある人物の方が早く決められるとは限らない。
 その余の条件についても同様のことがあれこれ考えられる。そして、これらの諸
条件は、射撃能力等の点を除けば、網目の粗い、それだけに絞り込み効果のあまり
強くない条件とみられるから、これは、せいぜい補助的指標の程度に理解するほか
ないであろう(所論の中には、原判決が検察官の主張をまとめるに当たって、
(ⅰ)の条件を挙げていないことを非難する点がある。しかし、それは、検察官が
論告中で、これを独立項目として掲げなかったこととも関連していると思われるか
ら、原判決の扱いに格別不当な点はない。)。
 ところで、右の条件設定に関連して疑問を感じる点が今一つある。それは、検察
官は、条件の設定に当たって、犯行への加担を求められた共犯者は一人であって、
その者が自ら銃撃等の実行行為を行う原型的な共犯の場合を想定しているように理
解されるが、本件のどこかに、共犯者を一人とする根拠が認められるかどうか、一
人の共犯者を介して、更にその先にいる者に銃撃行為の実行を持ちかける場合を全
く想定しなくてもよいものかどうかの点である。検察官は、本件の犯行態様からみ
て、そのような可能性はないと考えてよいという。
 つまり、そのような場合には、犯行露見の可能性が強まるから、おそらく相手方
は報酬の事前支払いあるいは犯行現場での授受を要求し、金銭の動きがあってしか
るべきだと思われるのに、本件ではそうした事実が認められないというのである。
これも一つの意見ではある。しかし、本件は、極めて短時間のうちに二発の銃撃を
手際よく行っているのであり、素人の犯行というよりは、銃の取り扱いに相当に手
慣れた者の犯行ではないかと感じさせる点がある。また、検察官の主張によれば、
銃撃した直後の、犯人としてはおそらく目撃を恐れて慌てていたであろう時期に、
B1のポシェツトの内容物を取り出して付近にばらまいたり、ライフル銃による銃
撃ならば現場に残しそうな薬きょうを一つも残していなかったりする点からも、素
人の仕業とは思い難く、共犯者を一人と決めてかかってよいものかどうか疑問がな
いではないからである(A2やその弁護人は、公判廷で、最も疑わしい共犯者とし
て、D4の名前を挙げている。これに対して、検察官は、D4は本件当時香港ツア
ーに参加中でアリバイがあるとした。しかし、検察官のこの判断は、共犯者が一人
であることを当然の前提としている。もし共犯者が二人、すなわちD4を介してそ
の先の者に依頼した場合を想定すると、依頼したD4としては、本件時には外国に
でも行っている方が好都合となるから、この場合にはアリバイがあるのではなく、
アリバイを故意に作ったと評価すべきことになり、事態は一挙に異なってくる。こ
こでD4の場合を例として取り上げたのは、同人が関与したと認められるからでは
ない。同人のアリバイを例としつつ、共犯者を一人と想定するか複数と想定するか
だけでも、設定条件の果たす機能が大きく影響されることを示したかったからであ
る。)。
 3 それでは、A2はこれらの適格条件をどの程度具備し、また、そのことは犯
人性に実質的につながっているとみられるか。検察官は、A2はこれらすべての条
件を具備する唯一の人物であると主張するが、当裁判所には必ずしもそのようには
思えない。A2が具備している条件もあるが、そうでない条件もあるというのが、
妥当なところであり、また、そのことが内容的にA2の犯人性を推認させるかはか
なり疑問とみられる。すなわち、
 (一) A2が高度の銃撃能力を身につけていたとの点は、本件証拠上、ほとん
ど立証されていない。同人は、原審供述中で、せいぜい射撃場へ一〇同位行って練
習をしたことがあると述べているが、A1の大腿部を銃撃すると仮定した場合に、
この程度の射撃能力で十分といえるかは大いに疑問であろうし、特に、客観的に十
分であるかどうかよりも、A1が安心して自分への銃撃を任せる気になれるものか
どうか、それは疑問だとするのが普通の感覚ではないかと考えられる。
 (二) A2は報酬の支払いに関してA1を信用していたと考えられるか。所論
は、原判決が、A2はA1から確実に報酬がもらえると信じていた筈はなく、検察
官が設定した条件(C)を具備していない、と判示した点を非難している。証拠に
よれば、A2は、C1から、約二年間にわたって、特段のトラブルもなく収入を得
ていたことは間違いないから、その点に着目すれば、A1からの支払いを信頼して
よい関係にあったといえなくはない。しかし、A2がA1から支払ってもらえる筈
の代金の中で、F4関係の顧問料の支払いが約束どおり行われていなかったことは
証拠上明白で、その点は原判決がいうとおりであるし、またA2の立場に立ってA
1の計算高い性格を考えれば、殺人という違法行為の報酬支払いに関する局面など
では、A2が報酬全額後払いという支払方法に不安を抱かなかったとは思えない。
そうすると、原判決が前述のとおり判断したのも理由のないことではない。
 (三) 共犯者はA1と何らかのつながりのあった人物であることという(a)
の条件に関して、A2の弁護人は、A1が銃撃事件以前に何らかの形で接触し、共
犯者として選択した可能性のある人物をよくみると、A1との関係を世間からあま
り知られていないか、知られていてもその関係をいつでも断つことができる点に共
通の特徴がある、その点でA2は該当しないと反論している。A2とA1との関係
はもとより公然となっていたから(A1は、本件の少し前ころ、その名刺に、A2
の住所をC1のa1のオフィスであるかのように印刷・表示して、使用していた。
弁B五〇・同押号の二八二)、a1でA1に関して何かが起これば、A2との関連
が注目される関係にあったことは疑いがない。その意味では、A2が、検察官が主
張するような形態の保険金殺人の共犯者として適当な人物であったかは大いに疑問
であって、検察官か、この条件の内容としていう「A1とのつながり」は、その内
容如何によっては条件とするのに必ずしも適当でない場合があると考えられる。
 (四) 逆に、A2には、共犯者として不適格な条件が備わっていた点がある。
すなわち、同人は、本件前、都内にあるA1の自宅へ招かれて、被害者B1に手料
理をご馳走になったことがあったし、また、本件の三か月前の殴打事件当日、治療
を受けに病院へ行くB1に同行したこともあって、すでにB1とは面識ができてい
た。だから、A2にはB1銃撃の役割を引き受け難い感情があった筈であるし、そ
れ以上に至近距離から銃撃すれば、反面相手に気づかれるおそれも強く、あるいは
銃撃に失敗すれば直ちに犯人が割れてしまう危険を抱え込むことは見え透いてい
る。だから、できれば面識のない者を銃撃犯人に選定したい事情があった筈と思え
るのである。
 このようにみてくると、これらの条件がA2にぴったり該当し、同人がすべての
条件を具備する唯一の人物であるなどといえる状態にあるとは到底思えない。この
条件具備の有無を捜査の指標にすることの適否は別として、最終認定に当たってこ
れに大きなウェイトを置くのは危険というべきである。また、この点は、後で項を
分けて述べる犯行の動機の有無、綿密な謀議をする機会の有無、報酬問題その他諸
々の条件とつき合わせて総合的に検討する必要があることを忘れてはならない。そ
うすると、原判決が、A2についての条件具備の状況を、A2の情況証拠の中で有
力なものであるとは言い難いとしたことには、十分な理由があるというべきであ
る。
 第五 A2の犯行現場への臨場性(その一 レンタカー借り出しの関係)につい

 本件犯行当時、現場に停まっていたA1車の左側に、F14社製、白色系(以
下、単に白いという。)の貨物用バン「エコノライン」と思われるカーゴバンが停
まっていたのが目撃されているところ、A2は、事件前日の一一月一七日に、レン
タカー会社から、目撃されたバンと車種が同じで、車体の塗色等がよく似た貨物用
バン「エコノライン」を借り出し、これを三四マイル走行させて、翌一八日、つま
り事件当日に返還した事実が明らかである。そこで、検察官は、このようなレンタ
ルの日時と車両の一致は偶然とは思えないこと、この走行距離は、借りてから下見
をし、翌日犯行場所に乗って行って、それから返還した場合の走行距離にほぼ相当
していること、借り出されたバンの使途を調べた結果によると、正当な用途に使用
されたことはないと認められること、そしてA2は、本件の前後約半年の間に、そ
のレンタカー会社(F2レンタカー)を一一回も利用していたのに、捜査官からの
尋問に対して、本件当日の車両レンタルの事実だけでなく、同社を利用したことが
ある事実自体を秘匿するという不自然な供述態度をとったこと等の諸点を指摘し
て、A2は、犯行時にA2バンで銃撃現場へ行ったと認められると主張したが、原
判決はそのように推断することはできないと判示した。
 検察官は、原判決のこの判断と判断の手法は誤っていると主張し、極めて綿密・
詳細な分析・推論を展開してみせている。
 一 原判決は検察官の主張を取り違えて判断しているとの主張について
 まず、検察官は、原判決は、「本件発生当時のa1には、A2が借りたのと同じ
F14社製のエコノラインが、少なくとも数百台はあったと認められるから、仮
に、検察官主張のとおり、A2には仕事のためにも私用にも、右バンを使用する理
由がないことや、A2の供述する右バンの使用目的や使用方法が不自然であるこ
と、犯行前日から当日にかけてレンタカー会社から貨物用バンを借りた事実及び利
用していたレンタカー会社名を当初秘匿していたこと、右バンの走行距離が、A2
が犯行前日に下見をしたと仮定した場合の走行距離に一致することなど諸事情があ
ったとしても、現場バンがA2バンであること、すなわち、A2が犯行車両である
貨物用バンで犯行現場に臨場したと直ちに推認することは相当でない」と判断して
いるが、これは、検察官の主張を取り違えて行った判断である、という。すなわ
ち、原審での検察官の主張は、原判決の判文中に要約記載されているような、A2
には仕事のためにも私用にも、右バンを使用する「理由がない」かどうかという観
念的なことではなく、仕事にも私用にも使わなかったという事実そのものを指摘し
た点にあった。すなわち、A2バンの使途としては、大きく分ければ私用の場合と
仕事用の場合があろうが、借りたのが貨物用の大きなバンであることからみて、私
用に使われた場合ははっきりした記憶に残るとみてよく、逆に記憶に残っていない
とすれば私用に使われていないからだと推認してよい。次に、仕事用に使用した場
合には、何年も前の古いことであっても、現存する資料の限度で点検することが可
能である、そこで本件について、A2が経営していたC7の取引関係資料と小切手
帳などを基にして点検すると、このバンはA2が述べる仕事用に使用されたことが
ないだけでなく、その余の用途にも使われていない事実を認定できる。要するに、
本件A2バンは、商用又は私用を含むいかなる正当な用途にも使用されていない事
実を認定することができるのであって、そうすると、本件現場で白いバンが目撃さ
れた当日、A2が同様のバンを借りていたのは単なる偶然ではなく、同人は、A2
バンで本件現場に臨場し、これを犯行に使用したと推認できる、そうであるのに原
判決は、正当な用途に使用した事実がないという検察官の主張について判断せず、
かわりに、使用する「理由がない」かどうかについて判断しているから、原判決は
検察官の主張内容を取り違えて判断していることは明らかで、その点で原判決の判
断は、総括的に不当である、というのである。
 しかし、原判決は、目撃された現場バンの特徴がかなりありふれた一般的なもの
であって、車両特定効果があまりないことと、A2バンの使途が全く考えられない
わけではないという後述する判断を見通して、手早く目的を達することができる判
断手順をとったに過ぎないと判断されるから、検察官のこの主張には、同調できな
い。すなわち、ここでの検察官の立証テーマは、いうまでもなく、A2が白いバン
で犯行現場に臨場したという点にあった筈である。そして、その点の立証にとって
は、A2が借り出したそのバンを、仕事にも私用にも使用したと認められないとい
う事実は、具体的な使途が見当たらないから現場へ乗っていったのではないかとい
う意味の、一つの情況事実に過ぎない。本当に現場に乗って行ったかどうかを確定
するためには、使途が見当たらないという情況事実よりも、もっと直接的な他の情
況事実(例えば、A2バンの特徴が現場バンの特徴と本当に合致するかどうか)と
照合し、それらの情況事実相互間に矛盾がないかどうか、それぞれの情況事実の持
つ証明力の程度はどうかといった点の検討をし、最終的にはそれらを総合判断すべ
き事柄だからである。ところが、検察官の主張は、A2がこのバンを仕事にも私用
にも使用したことがないとの事実が立証されれば、そのことから直ちに、A2が右
のバンで現場へ臨場したことが立証されると主張しているかのような響きを持って
いる。もし、問題をそのように理解しているとすれば、それは誤りである。このこ
とは、他の情況事実との照合を要する例として、後述する現場バンのアンテナ問題
を取り上げてみれば明らかであろう。例えば、もしA2バンにはアンテナが装着さ
れていた筈であるのに、現場バンには装着されていなかったとか、装着されていな
かった可能性が高い事実が明らかになったとすると、一方でA2バンが仕事にも私
用にも使用されていない事実が立証されても、両者を総合判断した結果、A2バン
とは別のバンが現場で目撃されたのではないかとの疑問が残り、A2の現場臨場性
を断定するには至らないとの判断がされることも、十分あり得ることだからであ
る。原判決は、本件発生当時、a1にあったと思われるエコノラインの車両台数を
引き合いに出して、「A2が犯行車両である貨物用バンで犯行現場に臨場したと直
ちに推認することは相当でない」と判示しているが、それは、他の情況事実とのつ
き合わせが必要である趣旨を、現場バンの一般的特徴を例にして判示したためと理
解される。そうだとすると、原判決の表現に指摘されるとおりの説明不足はあると
しても、判断対象を取り違えているとはいえない。
 二 A2バンの使途に関する主張について
 この点はA2を銃撃実行者とする検察官の主張にとって最も大きな争点と思われ
るので、多少詳しく述べる。
 1 原判決の判断及びこれに対する検察官の主張
 (一)原判決の判断
 原判決は、本件バンの使途に関するA2の供述中、「一一月一七日にA1とF1
で会った際、同人から、同月一六日にC1宛にインボイス#六七で送った商品と一
緒に送れるならばということで、ブレストカレンダーの追加注文を受け、間に合わ
そうと考えて、バンを借りて集荷に向かったが、その途中その車のタイヤがパンク
したため帰宅し、翌日バンを返還したと思う。」という供述部分は、関係証拠に照
らすと、客観的な合理性を欠いている(すなわち、仮に一七日にA1からブレスト
カレンダーの追加注文を受けたとしても、その時点では一一月一六日付けインボイ
ス#六七に記載の商品は、一一月一二日に後述の米国K1の手で集荷されて、すで
に船会社のコンテナヤードに届けられていたから、追加注文分をK2号に積載でき
る可能性は、客観的にはなかったと認めるのが相当である。)し、集荷に向かう途
中でタイヤがパンクしその修理に時間がかかったので仕入れを断念して帰宅したと
いう説明も釈然としない、しかし、この供述を虚偽と断定するにはなお躊躇を覚え
ると判断し、その理由として、次の(A)、(B)の二点を挙げている。
 (A) A2の供述は、はっきりした記憶に基づくものではなく、弁護人からイ
ンボイス等の資料を示され、おそらくこのようなことであったろうとの推測を述べ
たものである、示された資料からみて、その推測は自然で合理的である、A2が捜
査官からこの点の質問を受けたのは、事件から約七年経過後のことであったから、
同人にはっきりした記憶がなかったとしても不自然ではない、検察官は事件前日の
記憶が残っている筈であると主張するが、バンの使途というような日常的な事柄に
ついては忘れることもあり得る、したがって、このようないきさつでされた供述内
容が客観的な事実と矛盾し、結果的には不合理と判断される場合があっても、だか
らことさら虚偽を述べていると断定することは相当でないこと、
 (B) 追加注文を受けたブレストカレンダーを、客観的にはK2号に積むこと
ができない状態であったのにかかわらず、A2が主観的にまだ積むことができるの
ではないかと考えて、バンを使用して行動した可能性を完全には否定できないこ
と、以上の二点である。
 (二) 検察官の主張
 検察官は、原判決の右判断を不当であると主張し、その理由として、
 (A)の点に対しては、検察官は決してA2が犯行日の前日の記憶を有している
筈だと主張しているのではなく、忘れている場合があり得ることも認めた上で、し
かし仕事や私用等の、正当な目的に使用されていない事実を立証し、これによって
A2バンの使途は本件犯行以外にあり得ないことを周辺から立証したのである、つ
まりA2の供述・説明する使途が否定されるということだけでA2が虚偽の供述を
していると主張しているのではない、正当な用途に使われた可能性が客観的にない
ことを事実をもって論証したのである、それにもかかわらず、原判決は検察官の主
張を誤解し、客観的な使用状況について全く判断していない、
 (B)の点に対しては、K2号への追加積載が客観的に不可能であった事情のも
とで、A2が主観的にそれを可能と考え、A2バンを使用して行動した余地を完全
には否定できないとするためには、いくつもの条件を満たす必要がある(検察官は
これを五つの関門と名付けている。)、そして、それらの関門をすべて通過するの
は現実には困難であるから、A2バンがA2の供述どおりに使用されたことは、現
実問題としては、全くないと認めるべきである、というのである。
 2 A2バンの使途に関するA2の供述経過
 そこで(A)及び(B)の主張について検討するが、その前に、まずバンの借り
出しとその会社名をA2が捜査官に対して当初秘匿し、その後供述した経過をみて
おくこととする。A2バンの本件への関与を疑わせる大きな争点の一つであると思
われるからである。
 (一) 犯行現場に白いバンが停車していたことは、事件直後から目撃者の証言
等で明らかになり、事件との関係が早くから疑われて、重要な捜査対象とされた。
捜査官は、やがてA1に対して事件の首謀者・黒幕との疑いを強め、実際の銃撃に
当たった実行犯人の割り出しに精力を投入した。
 (二) A2からの事情聴取は、昭和五九年の週刊誌によるa1疑惑報道直後こ
ろから行われ、同六〇年九月の殴打事件によるA1の逮捕を経て、同六一年ころに
は、捜査官はA2にかなり強い疑いの目を向け始めていた(当審公判廷でのE14
証言)。A2バン関連の捜査で記録上把握できるのは、同六二年六月に大阪L1で
警察官による事情聴取がされたときである。その際、A2は、「私がA1との仕事
の上で商用でトラックなどを借りていたレンタカー会社」と題する図面を作成し、
これにレンタカー会社名を記載したが(乙八三、八四)、そこに記載された会社名
はF11とF12で、F2レンタカーの名前は記載されていない。次いで、同六二
年八月二九日に、A2は、来日中であったa1市警察の捜査官の事情聴取を受けた
が、この取調べ時にも、F11でトラックを借りたこと、F12でバンを借りたこ
とは供述したのに、F2レンタカーのことは一切供述していない(乙九〇)。
 (三) その後の同六三年一〇月一日、A2が銃砲刀剣類所持等取締法違反等で
逮捕された時点では、捜査官は、A2が本件犯行時にバンを借り出していることを
示す証拠を持ってはいなかったようであるが、A2の逮捕後、事情聴取をされたA
2の妻E19の供述から、A2がF2レンタカーからバンを借り出したことがある
事実が分かり、直ちに、a1市警を通じてその点の捜査がされて、同年一〇月一〇
日ころ、本件前日から本件当日にかけてA2がF2レンタカーからA2バンを借り
出していた事実を証明するレンタル契約書を入手するとともに、合わせて事件後転
売されて所有者が変わっていたそのバンも、そのころ発見・確保された。
 (四) こうして、捜査官はバン借り出しの事実を把握したが、そのことをA2
にはすぐには明らかにしないまま、同人の取調べを続行した。捜査官には、A2は
本件当時バンを借り出した事実を意図的に隠している、それはA2が本件に関与し
たからだと理解され、そうであれば、A2が明らかに虚偽供述を行っていることを
証拠上動かない状態にし、更にA2が他のどのような使途にもバンを使用していな
いことの裏付けを取った上で、一気に自供に追い込むことを目論んだものと推察さ
れる。
 (五) その後、A2は、一〇月一六日付け検察官調書(乙四九)中で、利用し
たレンタカー会社として、F12、F11のほかに、「もう一つのレンタカー会社
があったが、これについては今は言いたくありません。黙秘します。」と述べ、一
〇月二二日付け検察官調書(乙五三。これは、前述したレンタル契約書を見せられ
る直前のことと思われる。)中では、「犯行の前日及び当日にバンを借りたことは
ない、あわせて日頃バンを借りていた会社名は黙秘する、その理由についても黙秘
する」と述べた。
 (六) 一〇月二二日、A2は、捜査官からF2レンタカーのレンタル契約書を
初めて見せられて、以後、しばらくはその点について黙秘の態度を続けたが、その
一方で、A2の公判供述等によると、レンタル契約書からバンを借りた時間を午後
四時ころと読みとり、これを手掛りとして、A1の依頼で追加出荷のためにバンを
使用したのではないかとの推測をして、一〇月二四日ころ、接見に来た弁護人にこ
の点の調査を依頼した。
 (七) 一〇月二七日に、A2は、検察官調書中で、初めて昭和五六年一一月一
七日にF2レンタカーから白いバンを借り出し、一八日に返したことを認める供述
をしたが、この段階ではまだ、バンを借りた理由、バンを借りた後の行動等に関し
ては、黙秘を続けた(同日付けの検察官調書[乙五四])。
 (八) 一〇月二八日、弁護人がA2と接見し、真実を聞き出そうとしたが、A
2はあくまで無実を主張した。その際、弁護人は、A2に対して、事実を調査する
にしてもアメリカという地理的な困難さがあるから、黙秘するよりはむしろ弁解内
容を率直に捜査官側に話して調査してもらった方がよいとのアドバイスをし、A2
もこれを受け入れて自分の弁明内容を捜査官に話すに至った。翌日の二九日には、
A2の申し出によってポリグラフ検査も実施された(甲六四四、六四五)。
 (九) このような経過を経て、一〇月三一日付け警察官調書(乙四〇)中で、
A2は、バンを借り出した理由を初めて詳しく述べた。それによると、一一月一七
日にA1と会った際に、A1から「もし一六日の出荷分と同じ船に乗せられるな
ら」という趣旨でブレストカレンダーを追加注文する話が出て、それを集荷するた
めにバンを借りて集荷に向かったが、車が途中でパンクして修理に手間取ったた
め、集荷を諦めて帰ったと思う、と述べている。弁護人のメモを除けば、これが追
加出荷に触れた最初の調書である。A2は、この段階ではまだ、集荷先のK3とい
う会社名まではのべていないが、「f1にあるブレストカレンダーの会社」、「K
4の支社か、インボイスのブレストカレンダーの項目の上にあるK4以外の会社」
などという言い方で特定への努力をしつつ供述している。
 (一〇) 次いで、一一月二日付け検察官調書(乙五六)中で、検察官に対して
も同様の供述をし、黙秘していても立場を悪くするだけだから信頼して話した方が
よいと弁護人に言われたから述べることにした、アメリカでのことを調べて欲し
い、と申し出ている。このときの調書によれば、A2は集荷に向かったというその
f1の会社のことをK3という名前ではないと考えていたことが窺われる(これに
対して、捜査官側は、一一月一一日ころにはK3に照準を合わせた捜査をしていた
と窺われるが、何故K3に焦点を合わせることになったか、その間の経過は明らか
ではない。甲五七七)。
 (一一) 一一月三日付け検察官調書(乙五七)中では、昭和六二年ころまでの
取調べ時にF2レンタカーの名前を出さなかった理由などについて述べ、当時は実
際に名前を思い出さなかった、隠すつもりはなかった、F12レンタカーの方は印
象が強く、その名前を思い出したのである、これまで一一月一七日にバンを借りた
ことはないと答えてきたが、借りたことを隠したのではなく、思い出さなかったの
である、A1がa1に来ているときにはバンを借りる必要がなく、借りていないと
思っていた、などと述べている。
 (一二) 一一月七日付け検察官調書(乙六〇)中では、それまでの供述を総括
して、自分の弁解はいろんな意味ではっきりしない、白いバンを借りていたし、翌
日も持っていたし、事件当時の行動を説明することもできない、事件前日にB1を
交えないでA1と会っていたし、当日も会う約束をしていた、と述べている。おそ
らく、これは検察官から疑問点をまとめて突きつけられ、これに対して、A2がな
お否認の態度を維持したことを示しているとみられるが、それ以上のやりとりの詳
細は明らかでない。
 (一三) A2は、一一月一〇日にA1と共に殺人の罪で起訴された。その後の
一一月一五日付けの詐欺事件の検察官調書(乙六六)中では、追加注文があったと
いう同人の弁解に関連して、C1宛の貨物を米国K1に持ち込む場合の実務手順等
について詳細に供述しており、A2に対する右の点の取調べは大体この辺りで終了
したとみられる。
 (一四) その後、A2は、原審公判廷において、その間の経過を更に詳細に供
述した。それによると、昭和六二年ころまでは、F2レンタカーからバンを借りた
ことを実際に思い出さなかったところ、同六三年には、A2を標的としたと思われ
るマスコミ報道が始まり、現場で白いバンが目撃されたことが盛んに取り上げられ
るのをみて、心配になり、逮捕の数か月前に、妻と一緒にインボイスなどC7関係
の書類を調べるうちに、F2レンタカーで何度かバンを借りていたことを思い出し
た。しかし、その一方で、一一月一六日付けのインボイス#六七(送り状)が目に
付き、これに対応するK1作成の船荷証券(以下、B/Lということがある。)を
見ると(原審八四回公判調書添付の法廷資料一七[173―7387]、甲五七〇
[57―6014])、そこにインランド・フレイト(米国内の輸送費用)を計上
した旨の記載があることが分かり、これによってこのときはK1側に自宅まで貨物
の集荷に来てもらっていることが分かった、集荷に来てもらっている以上A2がバ
ンを借りて自ら搬送する必要はないわけだし、実際に借りていないと確信できた、
しかし、マスコミの報道状況からみると、F2レンタカーのことは話さない方がよ
かろうと考えた、逮捕当初は、捜査官の態度やマスコミ報道の状況から、自分が犯
人にされかねないという危険性を強く感じ、捜査官に情報を与えたくないという気
持ちからF2レンタカーのことを黙秘した、しかし、取調中にF2レンタカーの契
約書が机の上に置かれているのを見て、同社のことが露見したと思った、それでも
事件当日にはバンを借りたことはないと確信していたところ、契約書を見せられ、
そこに事件前日の一七日から一八日にかけて借りていたことが記載されているのを
見て愕然とした、レンタル契約書の記載上、午後四時ころに借りたことになる点を
手掛りとして記憶喚起に努め、追加注文のことに思い至った、そのことをすぐ弁護
人に話して(一〇月二四日の接見時)調査を依頼したが、まだ、自分の記憶がそれ
ほど明確でない状態のまま警察に話すと弁解がつぶされてしまうのではないかと危
惧してしばらく黙秘を続けた、その後弁護人からアドバイスを受け(一〇月二八
日)、正直に話そうという気になり、同日すぐ捜査官に話した、というのである。
 (一五) A2は、追加出荷の点に関しては、原審公判廷で、次のように述べて
いる。すなわち、一一月一七日にF1でA1と会った際、おそらくブレストカレン
ダーの追加注文を受け、F2レンタカーから借り出したバンで仕入先のK3に向か
った、ところがその途中、高速道路を走行中にタイヤがパンクし修理に手間取った
ため、その日の仕入れを断念して帰った、捜査段階では仕入先の会社名を覚えてい
なかったが、その後ブレストカレンダーの入荷に対応して振り出されていた小切手
からK3という会社名が分かった、ブレストカレンダーの当初の仕入先はK4であ
ったが、同社と取り引きずるうちに、同社の入荷先がK3であると分かり、利幅を
増やすため直接K3から仕入れることにしたが、A1にはそのことを伏せて、イン
ボイスの記載上はK4から入荷したように記載していた、というのである。A2
が、当日、ブレストカレンダーを追加出荷する必要からバンで行動したのではない
かと推測した根拠については、昭和五六年一一月一六日付けのインボイス#六七を
見ると、その最後に記載されているのがブレストカレンダー二五〇個となってお
り、これはそれ以前に注文を受けたブレストカレンダー四〇〇個の最後の出荷分と
窺われるが、その次の同年一二月三〇日付けのインボイス#六九の最初に記載され
ている商品がブレストカレンダー七〇二個となっているので、この一一月一七日に
A1からこの七〇二個分の追加注文を受けたのではないかと思った、と供述するの
である。
 (一七) A2の弁明を聞いた捜査官は、A2の供述するようなバンの使途、追
加出荷が客観的にあり得るかという観点から、A2が追加積載しようとしたという
K2号の運航状況、A2の車両レンタル状況と走行距離、更にはA2の集荷と出荷
全体の状況等に関して綿密な捜査を起訴後も精力的に続け、その結果が、原審公判
廷に証拠として順次提出された。
 A2バン借り出しと会社名秘匿に関するA2の供述経過と供述内容の大筋は以上
のとおりである。
 3 (A) の説示を不当とする所論について
 原判決は、A2バンが商用及び私用の用途に全く使用されていないとの検察官の
主張に対して明示的には何の判示もしていないことは、検察官指摘のとおりであ
る。しかし、原判決がその点に触れなかったのは、判文から察すると、(B)の点
について、後述するとおり、A2が供述する追加商品の集荷目的にバンが使用され
た可能性を完全には否定できないと判断していたためではないかと思われるから、
何ら不当ではない。すなわち、検察官は、バンは商用及び私用を含む正当な用途に
使用されていない、だからA2の用途としては本件現場へ臨場することしかなかっ
たと主張しているから、もしこのバンが、A2の供述どおり、何らかの正当な用途
に使用された可能性を否定できないと認められれば、本件現場に臨場する以外には
使用されていないとする検察官の立証に穴があき、検察官の右主張はそれだけで破
綻する筋合いである。だから、このバンが本件現場に臨場する以外には使用されて
いないとする検察官の立証と、この主張を否定して、このバンには正当な使途があ
ったとして、その中で可能性が高いと思われる使途を推測・特定して述べるA2の
立証とは、結局A2バンの現場臨場性の点に関していえば、同じ論点の表裏の関係
にあるといえる。そして、A2の現場臨場性との関連では、さしあたり、A2バン
が現場へ臨場していないかも知れないということさえ分かればそれで沢山であっ
て、バンの実際の用途を逐一検討対象とするまでの必要はないから、原判決が、A
2の主張に答える手順としてまずA2供述を取り上げて検討し、A2が推論して述
べる用途が、関係証拠に照らして肯定できるかどうか、そこに虚偽かあらわれてい
ないかどうかを先に判断し、もし肯定できるとの結論に達すれば、そのことは同時
に検察官の主張に対する判断にもなっていると考えるのは合理的であるとともに、
ここでの検討目的を手早く達するのに適切な手法であったといえる。そうだとする
と、原判決が、A2はいかなる正当な用途にも本件バンを使用しなかったという点
について直接判断するかわりに、A2の述べる用途の可能性を先に判断して結論に
達したことを不当とすべき理由はない。
 なお、検察官は、A2のバン使用の事実を調査する目的で、当時のC7の取引関
係資料や小切手帳などを基にして、バンの使途状況を丹念に再現し、点検してい
る。その手法は、ますバンの使途を商用と私用とに分け、商用のものについてはそ
れを更にC1関係とそれ以外とに分け、C1分については残存するインボイス、小
切手帳等を基にして再現し、それ以外の分と私用分については、A2の記憶を頼り
にして逐一検討して、A2バンは、商用あるいは私用のいずれにも使用された形跡
がないとしているのである。ただ、調査時から七年も前のバンの日常的使途を、残
されていた資料だけから再現した結果が実際の使用状態をどの程度正確に示してい
るかは疑問としなければならない。事柄の性質上、裏付け資料が残っている限りで
は正確といえるかも知れないが、資料に現れない使途がないとはいえない心配が常
につきまとうし、また資料に現れているのとは異なった使用実態があつたりする
と、日時の経過のため関係者の記憶がうすれて記憶によって必要な反論、修正をす
る余地がなくなってしまい、間違って資料どおりに受け取られてしまう危険もない
とはいえない。原判決が検察官の主張するこの点に特に触れていないのは、七年も
前のことを残存資料によって正確に再現できると考えるのは危険だとの判断があっ
たためではないかと感じられ、そうした判断は、経験的にみれば理由がないことで
はないと思われる。
 4 (B)の説示を不当とする所論について
 原判決は、A2がはっきりした記憶があるわけではないと断った上で、事件前日
の一七日にバンを借り出したのはブレストカレンダーの追加分を集荷及び出荷する
ためではなかったかと思うと供述している点について、この供述は、判然とした記
憶に基づくものではなく、弁護人から示された資料に基づいて記憶喚起に努め、推
測したものとされているから、その真偽の判断に当たっては、おおまかにあらすじ
を示した供述と理解して信用性を検討することが必要であり、供述の細目に事実と
違ったり、不合理な点があっても、そのことを決め手にして判断してはいけないと
した上で、
 (a) しかし、インボイス#六七の貨物は一一月一二日にA2からK1に引き
渡され、同月一三日にはK1から船会社のコンテナヤードに届けられていた、した
がって、一七日の時点でA2がA1から追加注文を受けたとしても、これを同じK
2号に追加積載できる可能性は客観的にはなかった、
 (b) しかし、A2が主観的にはそれを可能と考え、A2バンを使用して行動
した余地を完全には否定できないと判示した。
 これに対して、所論は、右のうち、(a)の判断は相当であるが、(b)の判断
は不当であると主張し、その理由として、原判決のこの点に関する説示が成立する
ためには、いくつもの前提条件(関門)をすべて通過しなければならないところ、
A2の行動はそのいずれの関門も通過できない、というのである。そこで、検察官
が指摘する各関門について、以下順次検討するが、その検討に当たって留意を要す
るのは、この点に関する検察官の主張もこれに対する原判決の判断も、共に具体的
に認定された事実に基づく議論というよりは、最もありそうに思える標準的な場合
を想定し、合理的な推論を何重にも重ねようとする議論であるから、そこに妥当性
の限界や現実とのずれが生じているかも知れないという点である。推論に多少のゆ
とりを見込んで検討する必要がありそうに思える(なお、所論の中には、原判決
が、この点の判断理由として、前記(A)と(B)を並列的に掲げているのを不当
として非難する点がある。控訴趣意書二〇〇頁。しかし、原判決の真意は、ここに
判示したとおりと理解されるから、不当ではない。)
 (一) 第一関門(A2はK2号の入出航の遅れを知り得たか)
 第一の関門として検察官が指摘するのは、一一月一七日にA1とA2がF1で会
った際、A2がA1から、K2号に載せることができるならばという趣旨でブレス
トカレンダーの追加注文を受けることは、事実としてはあり得ないこと、すなわ
ち、追加注文というからには、K2号の出航が大幅に遅れていることをA2が知っ
ていたことが大前提とされなければならないが、K2号の大幅な遅れをA2が知っ
ていた可能性は小さく、A2が知らない以上、そもそもその船にブレストカレンダ
ーを追加積載できるならばという話が出る筈がない、というのである。
 そこで、まず、K2号の運航の遅れをA2が知っていた可能性が、各段階で、ど
の程度あったと想定されるかについて検討するのに、以下に述べるところによれ
ば、この時点でA2がK2号の運航が大幅に遅れている情報を得ていた可能性は、
全く否定はできないけれども、到底高いといえる状況にはなかったと認めるのが相
当であり、その理由は次のとおりである。
 (1) この点の検討に当たっては、まず、A2の日常的な出荷手順、K2号の
運航にあわせたインボイス#六七の貨物の出荷状況等をみておかねばならない。関
係証拠によると、
 「1」 A2は、a1市で買い付けた商品をC1に出荷するに当たって、主とし
て日新運輸倉庫株式会社のアメリカ現地法人である米国K1を利用し、これに貨物
の集荷、船積み、通関手続などを依頼していた。K1は、自らは船舶を所有せず、
安い費用で輸送できる船会社のコンテナ船を選んで貨物輸送の仲介・取り次ぎをす
るほか、自ら船会社との間で一週間に一便程度のコンテナの積載枠を確保した上
で、そのスケジュール表をあらかじめ顧客に配布しておき、複数の顧客から集めた
小口の貨物を、自らの集荷場で混載コンテナに仕立てて封印し、このコンテナを予
約してある船舶の入港に合わせて船会社のコンテナヤードに運び込み、自らが荷送
人となって船会社に輸送を依頼していた(いわゆる小口混載コンテナ)。混載コン
テナの方が、独立にコンテナを仕立てるより割安であるため、A2は、多くの場
合、C1向けの出荷にはK1の混載コンテナを利用していた。
 「2」 A2は、インボイスナンバー#六七記載の貨物の出荷にあたって、K5
及びK6という二つの船会社の共同配船にかかるコンテナ船K2号に積載予定のK
1の混載コンテナを利用することにしていた。K2号の運航は、当初予定では、昭
和五六年一一月一三日にa1近郊のロングビーチ港に入港、翌一四日出航とされて
いた。混載コンテナを利用する場合、荷物を持ち込む締め切り日(カット・オフ
日)が船の入港予定日を基準として定められており、原則として、船会社に対して
は入港の前日、K1に対しては更にその前日までとされていた。だから、K2号の
場合についていえば、積載貨物をK1が船会社へ引き渡す締め切り日は同船の入港
前日である一一月一二日、客がK1に持ち込む締め切り日はそのまた前日である同
月一一日であったことになる。もっとも、カット・オフ日については、運用上、顧
客から貨物の持ち込みが締め切り日に間に合わないと事前に申し出られたような場
合には、締め切り日の翌日(すなわちK1が船会社のコンテナヤードにコンテナを
持ち込む締め切り日当日)の午前中くらいまでは猶予されることが度々あったし、
また、K1が一旦貨物の引き渡しを受け、その締め切り日を過ぎた後で、顧客か
ら、同じコンテナに貨物を追加積載して欲しいとの要望が伝えられた場合には、K
1としては、コンテナがまだコンテナヤードに届けられていない段階であれば、追
加の必要性、K1にとっての顧客の重要度、労働者の手配が可能かどうか等の事情
を考えて要望に応じる場合があったが、貨物がコンテナヤードに運ばれた後は、通
関手続や船積労働者の手配その他の関係で、追加出荷を受け付けることは不可能と
されていた。
 A2は、この取扱いを前提として、K2号に積載予定のインボイス#六七の貨物
を一一月一二日ころK1に集荷してもらって引き渡し、その貨物はK1の倉庫で混
載コンテナに仕立てられて、一一月一三日午前九時ころ、K1が利用していたトラ
ック会社K7の手で、船会社のコンテナヤード(K8ターミッナル)に持ち込まれ
たと認められる(なお、A2の弁護人は、インボイスナンバー#六七の作成日付け
が一一月一六日となっていることなどから、同日A2は荷物をK1に持ち込んだ可
能性があるというが、船会社K5作成のブッキングリスト(E20の宣誓供述書
[甲八一〇、八一一]添付)や、その基となったトレーラー・インターチェンジ・
レシート(物五四一)等の証拠によれば、以上のとおりと認められる。E20の原
審証言184―9421以下参照)。ともかく、インボイス#六七の貨物は一二日
にはA2の手を離れており、追加注文の話が出たとされる二月一七日の時点では、
とうにK1が船会社に引き渡すべき締め切り日を過ぎていただけでなく、同船の当
初出航予定日であった一四日をも過ぎていたから、A1がブレストカレンダーの追
加注文をするとしても、普通ならば次の船便で出荷するという話になる筈であっ
て、K2号への追加積載の話が出る余地はなかったことが明らかである。
 (2) ところが、本件当時、K2号の運航には大幅な遅れが生じていた。すな
わち、同船はロングビーチ港へ一一月一五日に到着し、当初予定より三日遅れの一
一月一六日午後一一時二〇分の接岸となっただけでなく、翌一七日午前零時ころか
ら積込み作業に取りかかった後も、積み込む予定のクレーン機材の到着の遅れや、
積まれていた空コンテナの仕向地変更に伴う積み下ろし作業、労働者との話し合い
の必要等のために作業が予想以上に遅れ、同船が出航したのは一一月二〇日午前六
時四〇分になるという、例のない遅れようであった(E20、E21の各原審証
言、ターミナル・ディパーチャー・レポートに関する捜査官報告書[甲六六七、八
〇五]等)。そこで、この大幅な運航の遅れをA2は何らかの方法で知っていて、
一七日にF1で追加注文の話がA1から出された際追加出荷を可能と考えた可能性
があるかどうかが問題とされることになった。
 「1」 K2号の運航遅れの状態は、まずは船会社であるK5ロングビーチ事務
所で把握される。だから、運航の遅れを知る機会がA2にあったとすれば、それは
K5ロングビーチ事務所からK1ヘ、K1からA2へ伝えられるルートと考えられ
るので、これをたどってみれば分かる筈である。
 そこで、K2号の運航遅れの情報がK5ロングビーチ事務所でどのように把握さ
れていたかについてみるのに、一一月一一日付け(一三時二八分)でK5サンフラ
ンシスコ事務所から同ロングビーチ事務所へ参考配信されたテレックス(甲六六六
[87―11123]、八〇六[91―12153])には、同船のロングビーチ
港の出航予定は一一月一五日と記載されているから、この時点では一日遅れの出航
予定であったことが窺われ、次いで、一一月一三日付けの同事務所からK8に宛て
たテレックス(甲六六六[87―11130]、八〇六[91―12160])に
は、ETA(到着予定)一一月一六日と記載されているから、この交信がされた一
一月一三日の時点では、三日遅れの到着予定と理解されていたものと判断される。
 「2」 次に、運航に遅れが生じた場合、K5ロングビーチ事務所では、そのこ
とをカット・オフ日の変更等の形でK1ないしその先の顧客へどの程度伝えていた
かについて、同事務所の関係者は、原審証言中で、その遅れが二・三日程度のとき
は原則としてカット・オフ日を変更しない、したがって何の通知もしないのが通常
の取り扱いであったが、遅れが大幅なときは通知をしていたと思う、K2号関係の
場合、関係資料によると、カット・オフ日の変更はされていないと思うと述べてい
る(E20の宣誓供述書[甲八一〇、八一一]、E20の原審証言184―943
2)。船の運航日程にはとかく狂いが生じすいことを関係者は最初から考慮に入れ
ていたと考えられるから、運航に数日程度の大幅でない遅れが生じても、カット・
オフ日を変更する必要性は乏しいと考えられるし、逆にいえば細かくカット・オフ
日を変更し、僅かな変更をいちいち各方面に通知するのは実際的でもないから、運
用上は当初予定のままとして、外部には何の通知もしないことにはそれなりの理由
があったといえる。また、遅延が大幅なときは、顧客によっては到着日の遅れを予
測して、別便での運送その他の措置を検討する必要が生じる場合もあるであろうか
ら、船会社が遅れの程度を通知することには、これまたそれなりの必要があるとい
える。こうしてみると、前記供述には十分合理的な理由が備わっていて、基本的に
は信用できる供述と理解される。
 このように、K5ロングビーチ事務所としては、運航遅れの情報をK1等にいち
いち伝える態勢にはなかった。しかし、K1側から積極的に問い合わせれば遅れを
知る機会は十分あったと考えられる。K1は、カット・オフ日から一日遅れの一三
日に船会社のコンテナヤードに貨物を搬入していたから、この際には、コンテナの
搬入が一日遅れることについてK1からK5ロングビーチ事務所へ事前連絡がさ
れ、同事務所の了解を得て、手順の調整がはかられていただろうことは容易に推認
できる。そうなると、この機会に、K2号のその時点までに判明していた運航の遅
れが同事務所からK1に伝えられた可能性は十分考えられるから、前記一三日付け
テレックスにあるような運航遅れの情報がK1側に伝えられた可能性はあるといえ
る。これを別の面から考えれば、K1としては、K1が荷主に対して交付する船荷
証券(ハウスB/L)を作成する必要上、通常、出航の日かその翌日くらいに船会
社に連絡して船積みの日(レーデン・オン・ボード)を確認していたようであるし
(山口の検察官調書[甲六六〇]等)、また、船会社がK1に発行する船荷証券
(マスターB/L)を取得する関係でも出航日に関心を持ち、予定どおり船が出航
したか、B/Lを取得できるか等を船会社に尋ねていたようであるから、K2号の
場合にも、その当初の出航予定とされていた一一月一四日ころないし運航の遅れに
あわせた一五日ころの段階で、K1が船会社にその点を照会し、同事務所から回答
を得て、K2号の遅れの程度を知ったことも予測可能な範囲内にあるとみなければ
ならない。また、一般に、船会社の気の利いたセールスマンは、船の運航に遅れが
生じたようなときには、遅れの程度に関する情報を顧客に提供することが多々あっ
たとされているし、また、K1が一旦運航の遅れを知れば、以後は絶えずその船の
運航に関心を持って船会社と連絡を取るであろうから、こうしたいろいろの方法で
K1がK2号の運航の遅れを把握していたことは、K1の運送会社としての性質
上、十分あり得たことと考えてよいであろう。
 「3」 それでは、A2は、運航の遅れに関する情報をどのようにして知ること
ができたと考えられるか。A2がこれを知るいきさつについて、原判決は、「同月
一一日、K2号が予定より二日遅れでチャールストン港を出航し、ロングビーチ港
に向かったとの連絡が船会社に入ったものと認められるから、A2が米国K1に貨
物を引き渡した際に、米国K1の担当者から、ロングビーチ港への入港が二日程度
遅れそうだとの情報を受けたとの可能性がある。」と判示している。これによる
と、A2が情報を得たのは貨物を引き渡した際のことで、その内容は二日遅れとい
うものであった、としているのである。しかし、この時A2が引き渡した貨物は、
A2が一一月一一日に自らレンタカーで集荷に行って自宅まで運び(F2レンタカ
ーのレンタル契約書[物一一六、一一七]等)、それを翌一二日ころ自宅までK1
に集荷にきてもらって引き渡したものと認められるし(K1のB/L[甲五七〇・
57―6014])には、同社による集荷を意味するインランド・フレートの記載
がある。)、このときの荷物の重量、容積等からみて直接には下請け業者に引き渡
されたであろうと考えられるので(井原康史の昭和六三年一〇月一四日付け検察官
調書[甲六六一])、A2が船の運航の遅れに関する情報をその下請け業者から得
たとは思えない。ただ、A2は、一二日の集荷に関してK1の担当者と事前に連絡
を取った事実は間違いなかろうから、これがA2にとってK1から情報を得る一つ
の機会になったことは十分考えられる。もっとも、この一二日の時点での運航の遅
れは、一日あるいは二日であったと認められるから(検察官は、原判決が、A2
は、K2号がチャールストン港を二日遅れで出航したとの情報をK1の担当者から
受けた可能性があると認定している点に関して、原判決は同船の同港の出発予定を
一一月二日と判断し、これを前提として二日遅れの認定をしているが、同船の同港
出発予定は、米国西海岸で船便のスケジュール把握に広く使用されているM1誌に
よると、一一月三日とされているから、右認定は誤っている、同船の同港の出発は
一日遅れであったにすぎない、としている。証拠に照らすと、おそらく一日遅れが
正しいと思われるが、今検討中の問題との関係では、この点を確定するまでの必要
はない。)、そのことをK1からA2が知らされたとしても、当初予定より一日あ
るいは二日遅れの一五日あるいは一六日の出航予定と理解された筈であり、したが
って出航予定日を過ぎている一一月一七日の時点で、なおその船に追加積載できる
ならばという話が出る余地があるとは考えられず、したがってこの遅れが、A2の
追加出荷の行動と結びつくとは考え難い。この点は検察官指摘のとおりといえる。
 「4」 そこで、念のため、原判決のいう一一月一二日に限らず、それ以後のい
ずれかの機会にA2が運航の遅れを知って、そのため、一七日にF1で追加出荷の
話となった可能性がないかについて検討しておかねばならない。その関係をみる
と、まずK1の側からA2に対して、積極的に運航の遅れを知らせた可能性がある
とは思えない。K2号のカット・オフ日は変更になっていないし、積載予定の混載
コンテナをK1は一三日にコンテナヤードに運び、すでにいわゆる手仕舞いをして
しまった後であるから、そのような通知をする必要は全くないからである。それで
はA2側からK1に問い合わせる可能性はなかったか。前述したとおり、A2が得
ていた可能性のある情報では、同船は遅くとも一六日ころには出航予定とされてい
たのであるから、一七日の時点では、その情報どおりならば出航済みと判断される
のが普通であろう。だから、A2において、同船の出航が、接岸後に生じた予想外
の事情で実際には大幅に遅れていた事実を知ったことがあるとすれば、それは、A
2が、何らかの必要から、同船のその後の出航状況をK1に照会して分かった場合
を想定しなければならないであろう。例えば、A2としては、A1が一七日にa1
にくる予定となっていたため、その際直近に出荷したインボイス#六七の貨物の運
送状況を報告すべく、K1に問い合わせておくということはあり得るかも知れな
い。そして、その問い合わせをした時期のいかんによっては、運航の遅れが大幅に
なっていることまで判明して、その結果貨物の日本到着が大幅に遅れることが分か
り、その影響を予測して、K1がA2に回答することも想定できる。ただ、このよ
うな理由でA2がK2号に大幅な遅れが生じている情報を得ていた可能性は、否定
はできないけれども、普通ならば決して高いとは思えない。したがって、一七日に
A2がA1とF1で会った際に、A1から追加注文の話が出たとしても、A2が船
の運航遅れに応じた対応行動にでる可能性は、全面的に否定はできないけれども、
決して高いとはいえなかった筈と考えられる。
 (二) 第二関門(バン借り出し前の行動)
 第二の関門として検察官が指摘するのは、A2がA1から右に述べた追加注文を
受けたと仮定しても、バンを借りに行くまでの同人の行動は、合理的に了解できな
い、すなわち、
 (a) 追加出荷のためバンを借りるのならば、当時の切迫した状況の下では、
まず、商品の在庫の有無とK2号への追加積載の可否を急いで確認してから行く筈
と考えられるのに、そうしていないのは不自然である、
 (b) K2号に積載できないときにどうするかについてA1と話し合わないま
ま出かけたというのは不自然である、
 (c) K1に照会すれば、追加積載は困難との回答が遅滞なく返ってきた筈で
あって、原判決がいうような、K1から一応船会社に確認してみましょうという回
答がされたり、問い合わせた先の船会社の担当者からの回答が、コンテナ積み込み
の作業の遅れを確認する必要等があって遅れたとは考えられない、
 (d) その回答を得ないまま、間にあわなくてもともととの考えでレンタカー
を借りにいくというのは不自然である等々、というのである。
 しかし、以下に述べる点からすると、A2がK3に在庫の事前確認をしないまま
集荷に行くことは、その当時の行動として必ずしも不自然とはいえないし、また意
図したとおりに追加出荷できない事態が生じたときは、その時点で、その内容に応
じた対応策を協議することとして、ともかく手続を前へ進めてみようと考えたとし
ても、十分あり得ることといえる。すなわち、
 (1) まず、A2がレンタカーを借りに行く前にK3へ在庫確認の電話をかけ
たかどうか、かけたとすれば、F1からかけたか、一旦帰って自宅からかけたかな
どの詳細は、本件証拠上全く不明である。しかし、まずK3の関係では、あらかじ
め電話で在庫確認をしていなくても、それほど不自然とは思えない。検察官は、相
当前に注文してあったブレストカレンダーが一一月一一日にようやく二五〇個出来
上がったばかりの状態であったから、それからあまり日が経っていない一七日に更
に七〇二個も完成していたかは疑わしい、という。確かに、A2がその前に仕入れ
たのは五月一日、七月一日、一一月一一日であったから(A2の第四八回公判供述
[173―7280]、同添付法廷資料一二小切手支払状況一覧表、この原資料
[甲五七三])、仕入れにはかなりの間隔がおかれていたとみえるが、考えてみる
と、カレンダーという品物の性質上、その製造・出荷が夏場に少ないのはいわば当
然のことであって、何ら不思議ではない。もっとも、一一日に引き続いて一七日に
再び仕入れに行くというのは、やや接近し過ぎではないかとの印象を持たせる点が
なくはないが、カレンダーが季節商品であることを考えると、その製造も仕入れも
年末に向かう時期に一挙に多くなるのは当然なことと理解できるし、また、七〇二
個というのは、一二月九日の段階でK3からA2方に配送されてきた数がそうであ
ったというだけのことであって、A2が、一七日のこの時点で、それだけの数が一
挙に完成していると考えていたとは限らないのである。この時点では、ある程度ま
とまった数を仕入れることができればそれで目的を達する状況であったと考えられ
る。そして、A2は一一日に仕入れに行っているから、その際に、次はいつ頃、何
個くらい入荷になるかというK3の在庫見通しをある程度把握したと考えること
に、それほどの無理はない。元来、K3がブレストカレンダーを扱った規模は必ず
しも明らかではないが、その商品の買い付け客がC1のA1だけであったとは思え
ないから、そうすると在庫の有無は、同社の生産能力もさりながら、むしろ注文や
出荷がこの時期に集中することの影響とみるのが自然であろう(K3の当時の所有
者であったE22は、K3は、一九八二年の三月にはカレンダーを作るのをやめた
が、一九八一年一一月一七日当時、二〇〇あるいはそれ以上のブレストカレンダー
のストックがあって、その日の注文に応じる可能性はあった旨供述している[弁B
一一三ないし一一八]。)。加えて、この時のA2には、A1の面前で、F1から
電話をするのは具合が悪い事情があった。すなわち、同人は、ブレストカレンダー
を三月二一日まではK4から仕入れていたが、五月一日分以降は同社の仕入先であ
るK3から直接仕入れており、他方A1にはそのことを内緒にして、あたかもK4
から仕入れているようにインボイスに記載して代金を請求し、マージンを稼いでい
た事情があったからである。そのように考えると、A2がK3に事前に在庫確認を
しないまま営業時間内に集荷に行き、そのときの在庫の範囲内で仕入れてこようと
することは十分考えられるし、当面はそれで目的を達したと考えられる。
 (2) 問題は、K1ヘの事前確認の点である。A2が、K2号の遅れを伝、え
聞いていたとしても、それが普通の遅れならば、一七日の時点では同船はもう出航
した時期と考えられたであろう。真実は、ようやくコンテナ積み込みが開始された
状態であったが、そのような実情までは、部外者には分からなかったのではないか
と思われる。だから、この時点のA2としては、K3から仕入れた場合にそれをK
2号に追加積載してもらえそうかどうか、大急ぎで確認する必要があった筈だと考
えられる。大急ぎで電話照会するとなれば、客観的にはF1から電話をするのが手
っ取り早い。ところが、F1からK1ヘは市外電話となる(控甲一九)から、電話
をすれば、A1の宿泊記録カードに電話料金の記載がある筈であるのに、本件当時
のA1の宿泊記録カード(甲五一添付)にはその点の記載がない。そのことは検察
官指摘のとおりである。ただ、K1ヘの電話をA1の面前でかけ、その結果何らか
の理由で同時にK3ヘも電話しなければならない経過になっては、前述した理由で
具合が悪いとの思いがA2には当然あったであろうから、その点からすると、同人
としてはK1ヘの電話についても、A1の面前ではない場所、例えば自宅へ帰って
から電話しようと考える方が自然ではないかと思われ、F1から電話をしなかった
こと自体は格別不自然ではない。
 その後、この電話照会をどのようにしたか、これに対するK1側の回答内容、更
にそれ以降の推移等については、全く証拠がない。だから、すべて関連証拠を基に
して推測し、一般的可能性を手懸かりとして判断せざるを得ない。まずA2が考え
た追加積載は、K1仕立ての混載コンテナにということであって、それはすでに一
三日に船会社のコンテナヤードに運び込まれており、積み込みが始まった一七日の
時点では、船会社としては、多数コンテナの再配置作業に時間をとられていた時期
にあたっているから、この時点で追加可能な状況であったとは思えない。別の混載
コンテナを仕立てて運び込めば、すでにコンテナヤードに運び込まれているコンテ
ナヘの追加という困難さは避けられるが、このときのK2号へ積み込み予定であっ
たK1の混載コンテナは一個とされており、しかも、当時はK5のオーバーブッキ
ングのためコンテナの積み残しが出ていたほどであったというのであるから(E2
0の原審証言[184―9441])、それらの点からみて、追加は客観的には難
しかったといわねばならない。そこで、原判決は、K1が一応問い合わせてみまし
ょうという応対をし、船会社からの回答がすぐには届かなかったかも知れないとい
うような事態を想定している。その時点のK2号では、一七日から積み込み開始、
ところが一八日には労働者との話し合いが必要となって作業が中断するという先行
き不明の状態にあったから、K1からの問い合わせに対する回答に手間取ったとい
うことは、一応考えられないことではない。検察官は、A2がF1から電話をせ
ず、自宅へ帰ってから電話をしたとしても、F2レンタカーへ行くのに約一五分、
借り出し手続に約五分、同レンタカーからK3へ行くのに約三〇分前後の所要時間
を見込んでも、それくらいの時間内には回答されている筈ではないかという。しか
し、K2号の異常な遅れを前にして、船会社がその対応に手を取られ、回答が後回
しにされるという事態は、世上容易に考えられることであるから、原判決のこの判
断を直ちに不当とするほどの根拠もない。それ以上の細かい判断をするには、証拠
上の決め手に欠けているのである。
 それでは、A2がK1から確かな回答を得ないまま、「間に合わなくてもとも
と」というような判断で、レンタカーを借り出してともかく仕入れに出発したとす
るのは不自然であろうか。原判決が「間に合わなくてもともと」と判示している意
味について、所論は、追加積載ができなくても仕入れるという前提であって、K2
号に追加積載できなければ仕入れをキャンセルするという趣旨ではなかった筈では
ないかと主張する。その後の一二月九日に七〇二個の入荷を受けている事実からも
そのように理解されるというのである。
 そのように考えることもできるが、逆に一七日の時点でのA2らの意思をそのよ
うに理解しなければならないとまでは必ずしも思えない。A2がF1を出た時に
は、K3からの集荷とK1ヘの追加積載希望を伝えるだけの時間は急げばあるので
はないかとみられたから、同人としては、ともかく大急ぎでその両方の手続を進め
てみようとの考えであったと判断した趣旨とも理解できる。そして、その手続のど
こかの段階で、意図したとおりことが運ばない事態が生じた場合の対応策について
は、そうした事態が生じ、そのことが判明した時点で、生じた事態の内容に応じて
考えることにして、ともかく手続を前に進めてみようとする考え方は、日常的にか
なりあり得ることであって、異例なことではない。その場合、結果的には、手続の
初めの段階で駄目になり、レンタカーを借り出すこと自体をやめてしまう場合があ
るかも知れないし、逆に手続の終わりの方で駄目になり、仕入れたが積載してもら
えないので、取りあえずA2が自宅にでも保管し、次に一緒に送る貨物が溜まるの
を待つという事態まで、段階的にいろいろな場合があり得るし、それらの中には、
もう少し注意深く考えておればこのようなことは予測できた筈と事後的に判断され
る場合も、実際にはかなりあり得ることと思われる。
 (三) 第三関門(タイヤのパンクなど)
 第三の関門として検察官が指摘するのは、A2はK3へ向かっている途中、高速
道路上でバンのタイヤがパンクし、付近のガソリンスタンドかタイヤショップに入
ったが、その修理に時間がかかって、K3の営業時間に間に合わなくなったという
点について、タイヤのパンクという希有なことが、よりによってこのとき発生した
とか、普通なら一〇分くらいで済みそうな修理に四〇分もかかったなどというのは
単なる弁解に過ぎず、到底信用できない、という。
 通常、車のパンク事故は、F2レンタカーでは、保有車両九〇台につき月一回程
度であるとするE23の証言(152―2177)を持ち出すまでもなく、経験
上、かなり希な出来事であることは明らかである。もし、運悪くそのような事故が
先を急いでいたA2の車に起こったとしても、そのレンタカーにはスペアータイヤ
が積まれていたのであるから、それを当座使用すれば、K3の営業時間に遅れて時
間切れになる事態は避けられたかも知れない。A2が、レンタカーを短時間使用し
ただけなのに、パンクした車の修理代をレンタカー会社に請求すらしていない点に
も、納得しにくいものが残るし、パンクという予想外の事態が生じたために、追加
注文の目的を達することができなかった顛末を、A1にも妻のE19にも全く話し
ていないらしい点にも、腑に落ちない。これをことさらな作り話とまでいうか否か
は別としても、可能性がかなり低いとみられることはどうしようもない。当審にお
いて、A2の弁護人から、A2がパンクの修理をしたとおぼしきスタンドに関する
写真その他の証拠が提出されたが、写真に写っているようなスタンドがその場所に
あることまでは分かるとしても、そこで本件当時修理したのが事実であるかどうか
までは全く分からないから、先に述べた判断に特に変わりはない。
 (四) 第四関門(集荷中止後の行動)
 第四の関門として検察官が指摘するのは、パンク修理に手間取った事実があった
としても、そのときから翌一八日午前中にかけてのA2の行動は不自然で、理解で
きない、すなわち、一七日にA1とA2間で、K2号に積載できなくても仕入れる
旨の話し合いがされ、この話し合いに基づいてA2が、何はともあれブレストカレ
ンダーを仕入れるつもりでレンタカーを借りたというのであれば、途中で追加積載
できないことが分かったとしても、あるいはこれに加えてA2が、当日午後六時ま
でに長女E24を託児所に迎えに行かなければならない事情があったとしても、少
なくともK3に対して、A2方へ配達するよう指示するか、又は、当日とか翌一八
日の午前中に自分で同社へ仕入れに行くか等して、自宅までの入荷は済ませておく
べき状況にあった筈であるのに、全く集荷をやめてしまい、仕入れるかどうかにつ
いてまで翌日A1の指示を待ってから決めようと考えたというのは不可解である、
当時の状況は、他の商品が集まるのを待って集荷すればよいといった間延びした状
況ではなかった、仮に次の船便ですぐ送ればC1ヘの入荷が一二月中旬ころ以前と
予測されたのに、更にその次の船便に延ばすと、C1ヘの入荷が一二月下旬にな
り、一方ブレストカレンダーの売上量は、季節商品であるため、一二月が断然多か
ったのであるから、販売の商機を逸する結果になることはA2にもはっきり分かっ
ていた筈ではないか、という。
 確かに、A2は一七日にF1でA1と別れた後レンタカーを借り出した事実があ
るのに、借り出した車で同日又は翌日にK3に集荷に行く等した事実は確認されて
いない。また、集荷に行かない代わりに商品配送の依頼をした様子も見受けられな
い。もし、原判決がいうように、A2がA1から注文された商品を急いで仕入れて
追加出荷しようとしていたというのであれば、この諦め方は腑に落ちないと検察官
がいうのももっともである。しかし、A1とA2が話し合った内容が、例えばK3
からの集荷とK1ヘの追加積載交渉を、できるかできないかは分からないがともか
く一括して大急ぎで進めてみよう、駄目な場合どうするかはその時点で決めようと
いった程度のものであったことは十分考えられることであるから、その程度の話し
合いであったとすると、このような行動も考えられないことではない。
 検察官は、二人が協議して方針を決めるのであれば、追加出荷が駄目な場合にも
仕入れだけはすると決めていなければおかしい、そうでなければ首尾一貫しない、
という。しかし、落ち着いてよくよく考えればそのとおりであっても、仕入れ商品
の確保と追加出荷の段取りをするのが先決だとして大急ぎで飛び出したような場合
には、誰もが先々のことまでを綿密に判断してから行動しているとは限らない。本
件船会社のB/Lの記載によれば、先にコンテナヤードに運ばれていたK1の混載
コンテナが実際にK2号に船積みされたのは一八日のことで、前日一七日から船積
みが始まったというのであるから、この時期に大急ぎで届ければ、別の混載コンテ
ナか何かに積載できる臨機の措置はないかと考えて躍起になることも、客観的には
見込みがないにしても、全く分からないことではない。そして、飛び出してはみた
ものの途中で思わぬアクシデントに見舞われ、もたもたしているうちに予定時間を
過ぎ、あるいは追加積載を諦めるほかないことが分かったという原判決の筋書き
も、可能性が高いとはいえないまでも、一概にあり得ないこととまではいえない。
そして、もし初めに話し合ったときに追加積載が無理ならどうするかが煮詰まって
いなかったとすると、A2が、この際は自分だけで決めないで、翌旦A1と会って
から決めようと考えることは、十分あり得るといえる。検察官は、次の船便、すな
わちカット・オフの日が二日後の一一月一九日となっていたK9号等に積めるよう
に行動していなければおかしい、仕入れるかどうかについてA2が迷う余地はなか
った筈である、とりあえず自宅まででも商品の入荷を済ませておくのが当時の状況
下では当然であって、そうしていないのは不自然であり、ひいてはA2の追加積載
の話も信用できない、という。しかし、入荷時期の如何によって売上げに波のある
季節商品のことであるから、仕入れる数量、それだけを単品で送ると輸送コストが
高くつくこと等についても確かめ、他の仕入れ商品とのかねあいを話し合って決め
ようとすることにもそれなりの理由がないことではない。検察官は、輸送コストが
高くついても、利幅には大して影響しないかのようにいうが、それは商品が売れた
場合のことであって、売れないで滞貨を抱える事態を予測すれば、到底そのように
はいえない。A2が、翌日A1に会う予定であるから、そのときにあらためて意向
を確かめてからのことにしょうと考えたとしても、不自然な選択とは思えない。所
論は、A2とA1との間で、K2号に追加積載できるか否かに関わりなく仕入れだ
けはしておくことに決まっていたことを動かし難い前提として、A2が、K3に配
達を依頼したりあるいは自分で集荷に行かなかったのを不自然たとし、特に一八日
の午前中にA2には集荷に行けないほどの仕事があったわけではない点を、当時A
2が抱えていた残オーダーなどを基にして論証しようとしている。連絡する時間が
なかったわけではないことはそのとおりであろうが、右の前提事実に疑問がないか
が問題であろう(なお、原判決は、A2が一七日にそのまま引き返した理由の一つ
として、子供を託児所に引き取りに行かなければならなかった点を挙げ、所論は、
A2が当日子供を託児所に預けていたというのは裏付けのある事実ではないし、集
荷に行った後でも引き取ることは可能であったから、この点は、A2が集荷をやめ
て引き返した理由にはならないという。確かに、仮に子供を預けていたとしても、
引き取り時間が多少遅れる旨の連絡をしておけば間に合う程度のことであり、託児
所での対応は可能であったとされているから、原判決がこの点を理由としているの
は疑問と思われる。)。
 なお、A2は、一一月一七日にA1からされたブレストカレンダーの注文は注文
済み分の集荷ではなく、追加注文であったことを強調し、だから当日の集荷と追加
積載がうまくいかないならば、あらためてA1の意向を聞く必要があったと供述し
ている。しかし、ブレストカレンダーの発注、入荷関係をみると、この年の五月に
四〇〇個、一〇月のギフトショウ後に六〇〇個それぞれ注文された(捜査官作成の
各報告書[甲七七四、七七五])分に対して、入荷は、七月七日付けインボイスナ
ンバー#五七の四八個、一一月一六日付けインボイス#六七の二五〇個であり(捜
査官作成の報告書[甲五六九])、その結果、入荷残が七〇二個になっていたもの
と認められるから、一一月一七日の段階における集荷分というのは、すでに注文済
みで仕入れ未済分に関するものであったと理解される。しかし、この場合、一一月
一七日にその残り全部が間に合うとは限らないから、それならば、その後に入荷す
る分とまとめて集荷することを含めて、A1の意向を確かめてからにしようと考え
たとしても、不自然とはいえない。
 以上述べたところによれば、A2が、一七日に追加積載を断念した後の事後措置
として、一七日中あるいは翌日すぐ自ら仕入れに行ったり、仕入れの手配をせず、
A1の意向を確かめてから決めようとしたのを不自然であるとか、これはそもそも
一七日にブレストカレンダーを仕入れる話がF1で出ていなかったことを物語って
いるとまでは断定できない。
 (五) 第五関門(現実の集荷と発送の遅れ)
 第五の関門として検察官が指摘するのは、ブレストカレンダー七〇二個が一二月
九日にA2方へ配送されたのに、その出荷が一二月二九日となっていること(イン
ボイス#六九)について、これは同人が一一月一七日に仕入れを急いだということ
と対比すれば不可解であり、逆にバンで集荷に向かった事実がないと考えたときに
初めて了解できることであると主張する。
 確かに、関係証拠によれば、一二月九日にA2宅に配送された七〇二個のブレス
トカレンダーを、A2は、一二月二九日にレンタルしたバンで他の商品と共に運送
業者K10のコンテナヤードに運び、それは一月三日に船積みされている事実が認
められる(K1のインボイスは一月五日付け。甲五六九[57―5933]、物一
一六、一一七[35―1387]、A2の第八四回原審供述[173―7304,
7317]、同公判調書添付法廷資料一三[173―7380]、一六[173―
7386])。
 (1) 検察官は、一七日に仕入れに行くことを断念した後、A2がK3に対し
て、どのような連絡を、いつしたかを問題にし、一二月九日に入荷しているという
ことは、すなわち、A2がK3に対して、一二月七日か八日まで何の連絡もしてい
なかったこと、つまり入荷を急いでいなかったことを示している、という。しか
し、この点は必ずしもそうとばかりはいえない。一一月一八日に銃撃事件が起こっ
たため、その日から一一月二五日にA1が退院するまでの間、A2は、言葉が十分
にできないA1に代わって各方面の対応に追われ、ブレストカレンダーの件の相談
どころの騒ぎではなかったかも知れないし、その後一二月初旬にはアメリカに在住
していたA2の姉の急死が伝えられて、葬儀出席等のため急きょサンフランシスコ
に出かけていることを念頭に置いておかねばならない。ところで、原判決は、この
点について、事件が起こり「指示が得られないまま日時が経過したと考えることも
できないわけではない。」と判示している。しかし、A2にとって、銃撃事件発生
後、姉が急死したとの報に接するまでの間、いかに忙しくともK3に電話連絡をす
る時間もなかったというわけではなかろう。その間の実情は、証拠上明らかではな
いが、一二月九日にA2方へ配送されている事実と、配送された数量が注文済みで
仕入れ未了であった七〇二個にきっちり相当する数であったことからすると、その
前のいずれかの時点で、K3との間で仕入れ未了の数量を確認し、その数量をまと
めて配送してもらう手配がされていたのではないかと窺われる。その手配をした時
点としては、一一月一一日に二五〇個を仕入れにA2がK3へ行ったときが考えや
すく、この時点では仕入れ未済の残量については、数量がそろい次第配送してくれ
るよう依頼してあり、その後一一月一七日にそのうちのいくらかでも引き取ること
ができれば引き取りたいと考え、引き取っておればその残量が揃い次第配送される
ことになる筈のところ、引き取りに行かなかったために、残量七〇二個がまとめて
配送されることになったと考えて不自然ではない。もとよりこれは一つの可能性に
過ぎないが、一七日に引き取りに行かなかった点について、A2がK3に何らかの
連絡をしていなければおかしいということには必ずしもならないから、その点に関
する検察官の主張は、一つの考えではあるが、そうでなければおかしいとまではい
えない。 (2) 一二月九日に配送されたブレストカレンダーを、A2は、一二
月二九日に日本に向けて船積発送の手配をしている。この場合には、C1ヘの入荷
が一月下旬となり、売れ行きへの影響を考えれば、季節商品の発送にしてはいかに
も間延びしていると感じさせられる点がある。ただ、この間のA2は、一二月一八
日ころまではa1に滞在中であったB1の母や妹の面倒をみるのに手を取られてい
たこと、一二月一〇日ころにはすでにC7の仕事を辞めて帰国しようとの気持ちに
なっていた時期で、仕事も手仕舞い状態であったこと等を考えなければならない。
もとより、それだけでは船積み発送がこのように遅れた理由の説明として十分とは
いえないから、大局的には検察官の指摘がある程度当たっていると考えられる。た
だ、発送遅れの理由としては他にもいろいろな事情が重なることが考えられ、例え
ば運送費用の関係で他の商品と一緒に送った方がよいと判断した可能性もあり得る
から、発送遅れという結果だけを根拠として、A2供述を全面的に否定しきれると
までは思えない。
 (六) 小括
 バンの使途はブレストカレンダーの追加出荷のためではなかったかというA2の
供述は、A2自身の僅かな生の記憶と、主として一一月一六日付け、一二月三〇日
付けの各インボイスの記載に基づいてなされたものであった。しかし、その供述内
容は、検察官が綿密に検討して指摘した以上の各関門との関係でみれば、いかにも
説得力に欠け、すべての関門をくぐり抜ける可能性はかなり小さいと考えられる。
そして、A2のこの供述は、もしK2号の運航が予定どおりであったときには客観
的事実と正面から矛盾してしまい、成り立たなくなる大きな危険をはらんでいた。
ところが、当時、同船の運航には希にみる大幅な運航遅れが生じていたために、A
2が追加出荷を考えたのではなかったかという丁度その時期にはまだ出航しておら
ず、貨物の積み込みを始める時期に当たっていたことが明らかになり、こうしてA
2が僅かな記憶に基づいて述べたところとK2号運航の遅れとが奇妙に一致する結
果となっているのである。この供述をした当時、勾留中であったA2が、このこと
を計算に入れてことさらこのような供述をしたと考える根拠はない(A2の前記一
〇月三一日付け警察官調書[乙四〇])。詳細な経過は今となっては分からないま
でも、このことは軽視できない点であつて、この事実があるために、ひょっとする
とK2号の運航の遅れの情報がなんらかの形でA2に伝わり、そのためA2ができ
るかどうか分からないがともかくやってみようと考えて行動した可能性を、それは
大きな可能性とは認められないけれども、全面的には否定しきれないと考えられる
のである。原判決の判断は、その意味で誤りではないといえる。
 5 その他の集荷目的にバンが使用されたことはないとの主張について
 所論は、(a)A2バンは、A2が供述するような使途に使われたことがないだ
けでなく、A2が正しい資料を与えられていれば多分思いついたであろうバンの使
途を想定しても(K2号への追加出荷のためではなく、その次の船舶便に間に合わ
せることを目的として商品の集荷などに使用するという用途)、そのような用途に
使われたことはなかった筈であるという。すなわち、A2は、インボイス#六七の
作成日付けが一一月一六日付けとなっていたのを見て、このインボイスに記載され
ている貨物を出荷したのは同日であったと誤解し、翌一七日にバンを借りたのは、
このインボイスに記載されている貨物に追加積載しようとしたためと判断したのか
も知れないが、もしA2が、このインボイス記載の貨物を出荷した日は一一月一二
日であると正しく理解していたとしたら、これへの追加積載を推測しないで、その
すぐ後の船便に積載すべく行動したと推測した筈である、しかしその場合にも、A
2の供述する行動には、前述した五つの関門との関連で合理的に了解できない点が
多く、次の船便に載せるという目的でバンを借りて行動したとも理解できない、と
いうのである。
 併せて、所論は、(b)A2バンは、ブレストカレンダ―以外の商品の集荷に使
われたことはなかったし、また(C)その他のいかなる商用にも私用にも使われた
ことはなかった、と主張する。
 (一) 検察官は、要するに、A2のバン借り出しが次の船便への積載を考えた
行動であったと考えても、矛盾や不自然さが多々あり、結局ブレストカレンダーの
追加仕入れ、出荷のためにバンを借りたことはあり得ないというのである。
 右に関して検察官が特に強調するのは、第四の関門、すなわち、A2が、パンク
の修理を終えた後、その日にも翌一八日にも仕入れをしていない点についてであ
る。もしA2が次の船便に急いで載せようと考えて行動を開始していたのであれ
ば、それはその時点での最優先の仕事であった筈であるから、一八日の午前までに
自ら集荷するなり、K3に配送依頼をすることが可能であったのに、そうしていな
いのは不自然であること、また第五の関門、すなわち、ブレストカレンダーが実際
に入荷したのは事件後約三週間を経過した一二月九日のことであるから、それまで
K3に指示しなかったり、一二月二九日まで出荷しなかったのは不自然であるこ
と、以上の二点である。
 しかし、これらの点には、先に判断したことがおおむね同様に当てはまる。確か
に、追加出荷ではなく、次の直近の船便に載せようと考えていたというのであれ
ば、一七日に予期せぬ事態が生じても、まだ時間的余裕は残されていたことになる
から、多少遅れても集荷に行ってよかったと考えられるし、少なくとも追加積載し
ようとする場合よりは、集荷に向けた行動をやめる理由は薄弱だといえる。それな
のに、翌日に集荷していないだけでなく、K3に配送依頼をしていない点でも、疑
問を持たせないではない。しかし、それ以上具体的なことは、証拠上何も分かって
はいないのである。
 (二) 次に、所論は、入手可能であったC7のインボイス等の書類を調査検討
した結果からみて、当日A2がC7の業務に関連してブレストカレンダー以外の他
の商品の集荷のためにバンで行動した可能性もないと主張する。検察官が検討対象
としたのは、主として一二月三〇日付けのインボイス#六九に記載されている「ホ
ワッツニューの商品」、「ビル・サムエルソンの商品」、そして残オーダー表に記
載されている商品等であるが、それらの商品を集荷するために、一一月一七日にバ
ンで行動した可能性があるかどうか検討したが、いずれも否定されるというのであ
る。検討された限りでは、検察官の分析過程に特段の問題はないと認められるか
ら、この分析によってC7のある程度大まかな商品の動きは明らかになっていると
いえようが、それにしても、これによって七年も前の特定日のA2の行動の全容が
解明されたといえるかについては、経験則上、かなり心許ない点が残ると考えざる
を得ない。
 (三) 更に、検察官は、A2バンは、上述した以外のいかなる商用にも私用に
も用いられていないことが判明したと主張している。
 そして、前述したとおり、他の商用使用に関しては、検察官は、一一月一日以降
C7を閉鎖するまでの間のインボイスを調査対象として、そこに記載されている商
品の集荷、出荷のために本件バンが使用された可能性のないことの論証を試みてい
る。その検討は、C1ヘの出荷関係だけでなく、それ以外の取引先関係をも含んで
おり、また、返品等のための使用にも触れていて、かなり広範囲で網羅的な検討が
されているということができ、C7の商品の流れ、取引経過はかなりの程度明らか
になっていると判断される。しかし、そうであっても、七年も前に、バンをある特
定の用途に使ったかどうかというだけでなく、いかなる商用にも使ったことがない
という、いわばすべての用途を一つの漏れもなく想定して、しかも全面的に否定す
るなどということができるものかどうか、一般的にみて疑問というべきである。
 次に、私的用途への使用に関しては、検察官は、主としてA2やその妻の使用し
た記憶がないとの供述を根拠として、もし私的なことに使用すれば当然覚えていて
よい筈であるから、それを覚えていないということは、私的な用途に使用していな
いことの証左であるという。
 確かに、A2は原審公判廷において、可能性としてはいくらでも用途は考えられ
るといいながら、具体的な使途についての記憶がイメージとして残っているわけで
はないとも言い、私的な用途にA2バンを使用した記憶のないことを認めている。
A2の妻についても、同様である。確かに、本件バンは、普通は物の搬送、商品の
集荷、出荷などの商用に使われることが多いから、私的な用途に使った場合には記
憶に残っていてもよい筈だという主張には、一応は理由があると思われる。しか
し、これだけ年月が経った後で、記憶以外に根拠がないというのでは、どうしても
不確かさがつきまとうことを否定できない。
 ところで、検察官がこのようにA2が借り出したバンの使途を全面的に否定する
趣旨は、A2が弁解するバンの使途を否定することそれ自体に目的があるのではな
く、そもそもA2が本件バンを正当な用途に使用した事実が全面的にないことを論
証することによって、そのバンの唯一の使途が、本件犯行現場への臨場以外にない
ことを立証したい趣旨であるためにほかならない。
 今、A2バンの使途という点だけに限ってみれば、検察官の主張と立証は、全面
的に成功したとはいえないにしても、かなり説得的で、理由があると考えられる。
それに較べれば、A2があるかないかの記憶をたどって推測したというバンの使途
は、全くあり得ないこととして全面的に否定できないとしても、現実問題としての
可能性はかなり小さいとみるのが適当であろう。この事実は、右の点がA2の現場
臨場性を推測させる一つの情況事実として意味を持っていることを示している。し
かし、A2の臨場性を最終的に断定するには、他の情況事実との照合が必要であ
る。その趣旨については先に述べた。
 6 本件バンの走行距離について
 所論は、A2バン借り出し中の走行距離が約三四マイルであった事実は、A2と
本件犯行とを結びつける情況事実と考えられると主張し、それなのに、原判決が、
走行距離に関する事実はA2と本件殺人事件とを結びつける有力な情況証拠とはい
えないと判示したのは不当である、という。
 すなわち、検察官は、A2がこのレンタカーを本件犯行に使用した場合の最短距
離、つまりレンタカー会社からA2方、そこから犯行現場、そしてレンタカー会社
へと走行した場合の走行距離である約二二マイルを超えているし、かえって犯行前
日にA1と犯行現場の下見をしたと仮定した場合の走行距離、すなわちレンタカー
会社から犯行現場、そこからA2方へ、翌日A2方から犯行現場、そしてレンタカ
ー会社へと走行した場合の走行距離三四・二マイルないし三五・三五マイルにほぼ
匹敵していて、下見を含む犯行準備と犯行に使用されたと判断して矛盾がない、そ
れなのに原判決は、A2が実行犯人であるとした場合、あえて前日に犯行に使用す
るバンで下見をする必要性があったか疑問の余地があるとし、その理由として、前
日に下見をするとすれば、通勤者が帰宅を始める時間帯になるが、そのような時間
帯に現場へA1車とバンを乗りつけて打ち合わせをしたりすれば、二日続けて同じ
車が駐車するのを目撃されることになって怪しまれる、もしこの場合A1をバンに
乗せて行くと、走行距離か合わなくなる、A2が供述するとおりの、追加積載する
つもりで出かけて途中で引き返した場合の走行距離もおおむね同じになるから、検
察官の主張する走行経路だけが唯一のものとはいえない等の点を指摘してこれを容
れなかったのは不当だ、というのである。
 しかし、走行距離に関する右の事実には注目をひく点がないわけではないけれど
も、直ちにA2の現場臨場性を推測させる重要な情況事実であるとまでいうのはや
やいい過ぎではないかと考えられる。その理由は以下のとおりである。
 まず、検察官は、バンの走行距離は、A2がこのバンで犯行現場に臨場したこと
と「矛盾しない」と述べている。この言い方は、単にA2が犯行現場に臨場したこ
とを否定する根拠にはならないというだけのようにも響くが、真意はそうでなく、
A2の現場臨場性を積極的に支える情況事実の一つであると主張している趣旨と理
解され、原判決もそのように理解した上でなおこれを情況事実とはいえないと判断
し、検察官もそのことを前提として、原判決の判断を不当と主張している趣旨と考
えられる。この走行距離の測定は、最も一般的と思われる経路の選定等をアメリカ
側捜査官に任せて、それに従って自動車を走らせ見分した結果であるが、おおよそ
の走行距離を知るにはこれで十分と認められるから、以下においては、これを前提
にして検討する。
 争点の一つは、A2が銃撃実行者であるとした場合、あえて事件前日に下見をす
る必要性があったか疑問の余地があるとした原判決の判断の当否である。A2が、
前日に下見をしたと仮定した場合の経路は、F2レンタカーでバンに乗り換え、そ
こから犯行現場へ行って下見をし、同日はその車で一旦A2方へ帰り、翌日再度そ
のバンを運転して犯行現場へ行き、犯行後逃走してF2レンタカーにバンを返却す
るということになるから、その間の走行距離は、具体的な経路によって多少異なる
にしても、ほぼ三四マイルというA2バンの走行距離の範囲内にあると推計され
る。これに対して、下見をしなかった場合の走行距離は、F2レンタカーを出発し
てA2方へ帰り、翌日犯行現場へ行き、犯行終了後F2レンタカーに返却するまで
の約二二マイル程度にとどまり、これではA2バンの走行距離にはるかに及ばず、
犯行に使われたとは考えにくくなる関係にある。所論は、この点をにらみながら、
本件の綿密・周到な計画性からみて必ず下見をした筈で、だから三四マイルでほぼ
一致するというのである。
 本件は、バンを犯行現場に停車させ、そのバンの中から銃撃したかそれともバン
の外から銃撃したかは別として、ともかくバンを目隠しに使って犯行を実行したと
主張されている点に特徴のある事件である。そのことからすると、犯人らにとって
は、犯行前のいずれかの時点で、バンを実際に犯行現場に停車させてみて、犯行場
所としての適否や銃撃できる死角範囲の確認その他を下見し、綿密な打ち合わせを
する必要性が高かったと考えるのが常識的であろう。また、その下見は、A2にと
ってよりもA1にとってより必要性が高かった筈と考えられる。つまり、検察官の
主張を前提にすれば、A2は犯行後人目につかないように注意して現場から逃走す
ればそれでよかったし、同人はa1に住んでいて現地の地理にもある程度通じてい
たとみられるのに対して、A1は、A2ほど地理に通じてはいなかったとみられる
上、犯行後には被害申告、そして保険金請求が予定されていて、その手続の中で疑
われないためにも、あらかじめ下見をし、その場所で強奪の被害にあったといって
も疑われそうにないかどうか、その現場の状況に通じておくことが必要であったと
思われるからである。
 下見が必要であるとしても、それを一一月の渡米前に済ませておけば、本件前日
に行う必要はなかったことになる。ところが、本件が発生した一一月の渡米時以前
に、A1がバンを使って下見をした事実があったかどうかについて、検察官からは
何らの主張も立証もされていない。むしろ、証拠によれば、A1の本件直前の渡米
時に当たる九月にはギフトショウの準備等で忙しく、A2もA1も共に、下見をす
るような時間的余裕はなかったと一致して供述しているところ、これに対して検察
官から格別の反論はされていない。また、このときには、A2がバンを借り出した
事実が認められず、下見をする条件が整っていない。そうすると、八月におこった
殴打事件後、下見が可能な機会としては一一月一七日しか残されていないことにな
る。しかしその場合、もし犯行に下見が欠かせないことが検察官主張のとおりであ
るならば、A1としては、まず下見その他の打ち合わせを念入りに行う日程を先に
取り、その上で犯行実行日を設定する筈ではないか、それなのに何故a1到着当日
という、十分な打ち合わせ時間をとることができそうにないことが最初から分かり
切っている日に下見を予定し、その翌日を犯行日に設定したのかが大きな疑問とな
る。
 そして、このとき、仮にレンタカーにA1を同乗させて一緒に本件現場の下見を
したとすると、現場を間に挟んでF1とA2の自宅とが反対方向になる地理的な位
置関係からみて、下見後、A2はまずA1を現場からF1へ送って行き、その上で
また現場方向へ戻ってきて自宅へ向かう関係になる(a1の地図[甲四三六]参
照)。そうすると、犯行現場とF1間の距離は約一・二マイルと計測されているか
ら(走行距離等に関する捜査報告書[甲七五六、七五七])、往復約二・四マイル
だけ検察官の主張よりA2バンの走行距離が延びることになり、その分だけA2バ
ンの実際の走行距離との間にずれが生じそうである。この距離加算をなくして実際
のA2バンの走行距離に合うようにしようとすると、A1はF1から自分のレンタ
カーで現場へ向かい、一方A2はA1とは別にF1からF2レンタカーへ行ってバ
ンを借り、その上で現場へ向かい、二人が別々に出かけて現場で落ち合うことが考
えられる。しかし、その場合には、A2がF2レンタカーへ行き、バンを借りた上
で現場へ戻って来るまでの間の所要時間、渋滞による予定時間の狂い等を考えなけ
ればならず、当時のA1にはB1を迎えに行くまでに限られた時間しかなかったこ
とを考慮すると、両名の協議時間がなくなってしまうことや行動予定が立ちにくい
点などで、実際的とは思えない。(一つの計測結果によると、F1からF2レンタ
カーまで約二〇分、F2レンタカーから現場まで約一四分とされている。ただし、
通勤で混雑する時間帯にかかると大幅に相違するとされている。)。
 次に、同日、A2がバンを借りたのは、レンタカーを返却した時間から逆算し
て、午後四時直前のことであったと認められるところ、このときのA1は、買い物
に出かけていたB1を間もなく迎えに行く予定を控えており、下見に割ける時間は
せいぜい五時ころまでしがなかったのではないかと思われる。一方、犯行現場付近
は、犯行現場自体が駐車場である上に、目の前一帯が大きな駐車場となっていて、
勤務時間を終えた通勤者の動きが丁度多くなる時間帯と場所に当たっていたから、
その一角にバンを長時間停車させ、人目につくような形で下見をすることには心理
的抵抗が強かった筈と推察される。検察官は、いかようにでも下見できると主張す
るが、現実的には説得力のある主張とは思えない。
 他方、原判決がいうように、追加積載のためにバンを走行させたというA2の供
述に沿って計測しても、その走行距離は、A2バンの走行距離と矛盾しないことが
認められる(A2の弁護人提出の走行距離測定報告書[弁B六〇、六一]による
と、一九九三年七月二三日N1調査員によって計測が行われた結果では、約三二・
三マイルないし約三一・二マイルとされている。もとより、現地の地理に通じてい
るA2にとって、距離を調整しながら供述することはそれほど困難でないことを考
慮しておくべきかも知れない。)。
 このようにみてくると、本件のような態様の犯行を実行するに当たっては、犯行
前に下見をしておく必要があると考えられることは、検察官主張のとおりであり、
原判決がこれを一切不要と考えたとすれば、首肯できない。しかし、下見が必要で
あるとしても、それを前日に行ったとし、三四マイルというA2バンの走行距離
を、これと結びつけて考えるのは疑問である(ちなみに、A2はF2レンタカーか
ら一一回バンを借り出しているが、その時の走行距離は、二九マイルから四七マイ
ルの間が七回となっている。レンタル契約書[物一一一、一一二、一一六、一一
七])。そうすると、先に述べた原判決の判断には、結論において不当な点がある
とはいえない。
 7 A2がF2レンタカーの存在を秘匿していたことについて
 所論は、A2は捜査官から、a1で使用していたレンタカー会社名を尋ねられた
のに対して、当初F12レンクカーとF11の名前を挙げながらF2レンタカーの
存在を供述せず、供述しなかったのは同社の存在を忘れていたためであると後日弁
解したところ、原判決はA2のこの弁解を認め、その上で、仮にA2がF2レンタ
カーの存在を秘匿していたのだとしても、自分の立場をできるだけ犯罪の容疑と離
れた場所に置きたいと考えるのは一般的にあり得ることであるから、秘匿していた
ことがA2の犯人性を推測させる事情にはならないと判断した、しかし、(a)A
2がF2レンタカーの存在を忘れる筈はなく、もし事件に無関係であれば、臆する
ことなく供述できた筈であるから、ことさら秘匿したことは明白である、(b)同
人が秘匿した事実は、A2がバンを犯行に使用したことの重要な証拠である、とい
うのである。
 (一) そこで、A2のレンタカー利用状況をみるのに、A2は、かつてO1に
勤務していた当時から、必要があるときには、バンは主としてF12レンタカーか
ら、トラックはF11から借りて使用していたこと、独立してC7を開業した後も
同様の状態が続き、その後同五六年六月からはF2レンタカーも利用するようにな
って、本件後の同五七年一月までの間に合計一一回同レンタカーを利用したことが
あり、したがって、利用した期間と回数が多いのはF12レンタカー等であるとし
ても、アメリカ滞在の最後のころ、つまり本件発生に近い時期にはF2レンタカー
を利用していたのであるから、この会社名をずっと忘れていたとは、容易に信じら
れない。
 (二) A2は、自分が借りたのと似たタイプのバンが捜査対象になっているこ
とを事件発生直後に知り、当日借り出していたことを印象深く記憶していなかった
かどうか。まず、a1市警察の初動捜査情報の中には、事件直後ころから白いバン
が関わり合っているのではないかとの情報が含まれていたから、常識的にみれば、
a1市警の捜査官とA2とのやりとりの中で、そのことが同人に伝わる機会があっ
たのではないかと推測される。もしそうであるならば、犯行の前後にバンを借りて
いたA2としては、事件の衝撃や自分が疑われるおそれをその時点で心配して、事
件当時の自分の行動やバンの使途を何度も反芻・想起し、記憶にとどめる結果にな
ったのではないかと思われるのである。しかし、そのことがどの時点でA2に伝わ
っていたことを示す明確な証拠は見当たらない。例えば、昭和五六年一二月四日、
a1市警察でA1がG8捜査官に事情を説明した際、G8捜査官は、白いバンにつ
いてA1に尋ねたと供述しているが、このときは事情聴取の途中でA2が退席した
こと等もあって、右の点がA2に伝わったかどうかの詳細が不明である。これとは
別の機会に、a1市警察の捜査情報がどれくらいA2の耳に達していたかも、総じ
て明確でない。しかし、A2は、アメリカで所持していたライフル銃を日本に持ち
帰った理由説明の中で、グリーン色の自動車が事件に関係していると聞き、自分も
同色の車を所有していたので、将来身の潔白を明らかにしなければならない事態が
生じるかも知れない不安を漠然と感じていたと述べたことがある。a1市警内部で
嫌疑車両としてグリーンの車のことが問題とされていたのは事件直後の短時間のこ
とであって、その直後には白いバンに取って代わられていたから、A2がもしグリ
ーンの車のことを耳にしていたというのであれば、同時に白いバンのことも耳にし
ていた筈ではないかと考えて特に無理はない。
 (三) A2は、本件発生後約六・七年余の期間を経過し、記憶がぼやけていて
もおかしくない時期に、捜査機関から、レンタカー借り出しの事実や会社名を尋ね
られることになった。銃砲刀剣類所持等取締法違反によるA2の逮捕後、一〇月
三、四日ころの妻E19に対する事情聴取の中で、同女が、名前は分からないが、
g1にあるレンタカー会社(F2レンタカーを指す。)からもバンを借りていたこ
とがあると供述し、この供述に基づいて、F2レンタカーの存在が分かり、A2が
同社から車両を借りたときの契約書、本件後転売されていたA2バンが発見される
に至っていたからである。その経過とこれに対するA2の供述経過と供述内容につ
いては、先に述べたとおりである。
 ところで、事件前日にバンを借りていても、格別強く印象づけられることなしに
六・七年もの期間が経過してしまえば、その後でバンの借り出しの事実を尋ねられ
ても、誰でも正確に答えられるとは限らないかも知れない。しかし、白いバンの捜
査情報を耳にする機会が多分あったのではないかとの疑いを拭えないだけに、レン
タカーを借り出していたことの記憶が全く残っていなかったというA2の供述に
は、釈然としないものが残る。
 そのことは、レンタカー会社の名前も覚えていなかつたというA2の供述によっ
て一層強められる。所論は、A2がレンタカー会社をF12からF2に変更した理
由、借りていた回数、F2がA2のアメリカでの最後のレンタカー会社であったこ
となどからして、F12レンタカーを覚えていてF2レンタカーを忘れていたとは
考えられない、という。もっともな指摘というべきである。ただ、A2にとって、
F12レンタカーはO1に勤めていた時代から利用していたレンタカー会社であっ
て、利用した期間も長いし、借りた回数もはるかに多かったから、年月を経過した
後で思い出すときには、F12レンタカーを先に思い出すこと自体は格別不自然で
はないかも知れない。しかし、よく思い返してみた結果、F12レンタカーとF1
1を思い出したというのならば、その際より新しい時期に利用していたF2レンタ
カーのことだけ思い出さなかったというのは不自然ではないか、名前まではっきり
思い出さなくても、どの辺りにあったレンタカー会社という程度には思い出しても
よさそうではないかとの印象をえない。ただ、A2は、逮捕の数か月前に取引書類
等を見直していた機会にようやく思い出したとしているが、その経過自体は不自然
とはいえず、ことさららしい点は格別見当たらない。その後思い出したがすぐには
捜査官に供述しなかったと述べている点と合わせてみれば、原判決がいうように、
人の記憶力には個人差が大きく、同じ人でも記憶に残る分野にばらつきがあるか
ら、すべてを一挙に思い出さなくてもおかしいとまではいえず、これを直ちに、こ
とさらな隠蔽行為と断定できないとする原判決の判断も、全く理解できないとまで
はいえない。また、妻のE19は、前述したとおり、A2が捜査官に対してまだ供
述していない時期にF2レンタカーのことを自分の判断で供述しているところ、そ
の供述内容は具体的で何ら不自然ではなく、何よりもA2が妻に対して口止め等し
ていなかった点は注目されてよい。 (四) 右に述べたとおり、A2は、逮捕さ
れるより前にF2レンタカーのことを思い出したのに、逮捕前はもとより逮捕後に
おいても、レンタル契約書を突きつけられるまではこれを秘匿し続けた。A2を標
的にしたと受けとられるマスコミ報道が激しくなって、ライフル銃についての捜査
経緯なども絡み、マスコミや警察に強い不信感を抱き、同人が極めて神経質になっ
ている状況の中で、前述したとおりの警戒心から秘匿する態度にでたというのであ
る。現時点からみれば疑問に感じられても、その渦中に巻き込まれ、マスコミの集
中攻撃を受けていた者のその時点での選択結果としてみれば、それなりに理解でき
ないではない。原判決は、この点について、自分を容疑と離れた場所に置きたいと
いうのもあり得ないことではないと説示しているが、理解できなくはない。
 そうすると、右の供述経過に関するA2の弁解は、全体としてみれば、疑いを招
くことの多い供述態度であることは否定できないが、最初は思い出さず、途中から
は思い出していたが、供述する気にならなかったということもある程度は考えられ
ることであり、そうすると上述したような同人の供述態度の真意は、借りたバンを
本件犯行に使用していたからであると断定するにはなお躊躇されるものが残る。
 第六 A2の犯行現場への臨場性(その二 いわゆるアンテナ問題)について
 一 問題の所在
 銃撃現場に遺留されていたカメラから取りだしたフィルムを現像したところ、そ
の中の一枚に、本件直前にB1が駐車場から南東方向を向いて撮影したと思われる
写真(A1写真13)があって、これにはA1や、その背景にやしの木等が写って
いたが、同時にその左下隅に何かの一部が写っていて、検察官は、これは目撃者が
事件現場で目撃したいわゆる現場バンの右前部窓枠の一部分であると主張してい
る。写真の背景、その位置関係などからみて、一応そのとおりと考えることができ
る(A2の弁護人は、その物体は現場バンの一部分ではなく、B1が偶々カメラを
構えたときにその場を通りかかった別のバンの一部分であると主張する点がある
が、映像にぶれがないこと等からみて、そのようには考えられない。)。ところ
が、これをバンの一部だとすると、その写真には、アンテナが写っておらず、その
ことに疑いはない。しかし、写真の構図、位置関係からみて、もしそのバンにアン
テナが装着されていたとすれば、アンテナマストは、どんなに短く畳まれていたと
しても三〇センチメートル以上はあるから(E10アンテナに関する捜査報告書
[甲一〇一三]、E10バンに関する実況見分調書[甲三一二、三一三]、E10
アンテナ[物六七四・同押号の二六四])、同写真の左下部に写っていないとおか
しい関係にある。その事実自体は検察官も認めているところである。それにもかか
わらずこれが写っていないということは、この現場バンには、アンテナマストが最
初から装着されていなかったか、あるいは最初は装着されていたがその後破損し、
無装着状態になっていたかのいずれかであろうと判断される。そこで、原判決は、
この事実を前提として、A2バンのアンテナ装着の有無を証拠に基づいて検討し、
昭和五四年にF2レンタカーがこのバン(F14社製のエコノライン)を新車で購
入した当時には、エコノライン用の純正アンテナが装着されていたこと、その後所
有者が転々と変わり、本件殺人事件の約七年後にE10のもとで発見されたときに
も、詳しくは後述するが、純正アンテナが装着されていたと認められるとし、この
ような点からすると、その中間でA2が借りたときにも、A2バンにはアンテナが
装着されていた可能性が相当に高い、とするとA2バンと現場バンとは同一でない
疑いが残るとして、この点はA2の現場臨場性に疑問を持たせると判断した。
 これに対して、検察官は、A2バンのアンテナは本件当時欠損していた可能性が
あるからこの点に関する原判決の判断は不当であるといい、補充捜査を繰り返しな
がら、原審で精力的にその点の立証に努めた。すなわち、昭和六三年一〇月に初め
てF2レンタカーの存在を知った後、調査可能な同社保有の合計二〇台のバン型車
両について、アンテナの装着、破損と補修関係の追跡調査を行い、その結果を分析
して、前述のとおり主張するのである。
 この問題を判断するに当たっては、次の二つの点にまず留意しておくことが必要
である。
 その第一は、アンテナマストの原物性(すなわち、A2バンが新車の当時から一
九八八年一〇月ころE10のもとで発見されるまでの間、終始同じアンテナマスト
がついていたかどうか、つまり、E10のもとで発見されたバンについていたアン
テナマストは、新車のときに装着されたオリジナルのものであるかどうかというこ
と。以下このことを、原物性という。)に関する検察官の主張には、破損原因に関
して、変遷があるということである。すなわち、検察官は、原審において、当初、
F2レンタカーの経営者E23の原審証言を根拠として、F2レンタカーでは、バ
ン型車両洗車の際にアンテナマストが折れることが多かったが、折れてもすぐに取
り替えはしなかった、中には一年くらい放置しておくこともあつたし、客に損害賠
償を求めることもしなかった、レンタル契約書の「貸出車両の状態」OUT欄にア
ンテナ異常のことは記載せず、同欄に「GOOD」と記載することもあった、この
取り扱いは貨物用バンのエコノラインだけについての取扱いであるが、そうした理
由は、バン型車両のアンテナマストはよく折れ、しかもエコノラインにはAMラジ
オしかついていなかったからアンテナマストがなくても困ることはなく、使用目的
との関係で外観等を重視する必要がなかったからである、などと主張した。ところ
が、その後F2レンタカーから依頼を受けて、同社のレンタカーを実際に洗車して
いた会社、F13の支配人E25が、原審で弁護側証人として証言し、洗車のため
折損することが多かったというE23の証言を否定して、本件当時は、現在の布式
洗車機に代わる前で、ブラシ式洗車機が使用されていた時期に当たっている、その
機械にはセンサーがついていて、車高の高いバン型車両の場合はトップブラシが自
動的に上方に上がる構造になっていたため、仮に車両のアンテナを畳み忘れたよう
なときでも、乗用車に較べれば、アンテナを折損することは少なかった、自分の体
験ではバンのアンテナが折損するのを見たことはないと証言して、対立した。
 原判決は、両証言の信用性を関連証拠に基づいて検討した結果、直接洗車を担当
していたE25の証言の方が信用できるとし、E23の証言を排斥したため(当審
での検討によっても、この判断は誤っていないと認められる。)、ここに至って検
察官は、洗車によってアンテナマストがよく折損したという当初の主張を捨て、本
件控訴趣意においては、原審で主張した路線を修正して、洗車よりもいたずらによ
って折れることが多かったと主張するに至っているのである。
 その第二は、検察官は、アンテナ問題を検討した結論として、A2バンに本件当
時アンテナが装着されていたかどうかはどちらとも断定できないと消極的な主張を
しているが、その趣旨は、A2の現場臨場性を示す有力な情況証拠、すなわちA2
バン借り出しの事実が存在するから、このアンテナ問題たけに限っていえば、A2
バンにアンテナが装着されていた可能性が高いとする原判決の判断を弾劾すること
によって、この点については少なくともどちらとも判断できないという程度にまで
持ち込むことができれば、それで十分であるという判断(裏返していうと、その程
度にまで立証できなければ、A2の現場臨場性に関する検察官の主張は破綻をきた
すかも知れないという判断)に立っていると理解される点である。ところで、A2
バンにアンテナが装着されていた可能性が高くなればなるほど、それだけ現場バン
とA2バンが同一でない可能性も高くなり、ひいてはA2の現場臨場性、その犯人
性か否定されやすくなることは自明である。それでは、アンテナ装着の有無の点
が、仮に検察官の目論見どおりにどちらとも断定できないという立証状態になれ
ば、A2の犯人性を立証しようとする検察官としては目的を達したことになるかと
いえば、それは疑問である。すなわち、本件において、A2の現場臨場性を支えて
いる柱の一つは、A2が借りたバンについては商用及び私用を含む正当な用途が見
当たらないから、犯行現場へ行ったに違いないと間接的に推認する点にあるが、A
2が現場へ行ったかどうかは、より直接的には、A2バンが現場に現れたかどうか
にかかっている。したがって、このアンテナ問題に関して、A2バンにアンテナが
ついていたかどうかを巡る証拠関係がいわば五分五分の状態になるということは、
これを裏返してみれば、A2バンにアンテナがついていた可能性、すなわち現場バ
ンとA2バンが同一でない可能性も半分は残るということにほかならず、このアン
テナ問題は、A2バンの現場臨場性に大きな影響を及ぼし、状況如何によってはA
2の臨場性を否定しかねない事実だと思われるのである。以上の二点に留意した上
で、以下検討を進める。
 二 E10アンテナの原物性について
 1 検察官の主張
 所論は、要するに、原判決は、(a)E10の下でA2バンが発見されたとき、
同車に装着されていたアンテナマスト(以下、E10マストという。)は、同車を
新車として製造するときに装着されたオリジナルのマストである可能性が高い、す
なわち、A2バンのアンテナマスト部分は、車両製造時からE10のもとで発見さ
れるまでの間、破損していなかった可能性が高い、(b)A2が本件前日にF2レ
ンタカーからA2バンを借り出した際のレンタル契約書には、貸出し時の車両状態
欄に「GOOD」という記載がされていて、この事実もA2バンのアンテナに異常
がなかった可能性が高いことを裏付けているとして、本件当時、A2バンにはアン
テナが装着されていた可能性が相当に高いと判断したが、これは誤りであるという
のである。そして、
 (a) の点に関しては、昭和六三年E10のもとで発見されたA2バンに純正
品のアンテナが装着されていても、折損したアンテナマストを純正部品で補修する
ことは可能であるから、そうすると、純正部品がついていても、それが原物である
かどうかは、その部品を見たたけでは識別できない、F2レンタカー保有の合計二
〇台のバン型車両について個別に検証したところ、その中に、補修に純正部品を使
用した例が発見された(F2レンタカーでは、保有車両を約五年周期で新車に買い
換えていて、本件当時にはエコノライン約五台、クラブワゴン約五台、合計約一〇
台のバン型車両《第一世代と呼んでいる。》を保有し、昭和五九年ころエコノライ
ンを五台、クラブワゴンを六台の合計一一台に買い換え《第二世代》、次いでクラ
ブワゴンは昭和六二年に五台を、エコノラインは平成元年に五台を各購入し、うち
エコノラインの一台は間もなく廃車になったので、これを除外した残りは合計九台
《第三世代》となったが、そのころF2レンタカーとA2とのつながりが判明した
ため、この第二世代、第三世代の合計二〇台の車両、すなわちA車ないしT車につ
いて個別に確認することができたというのである。)、たから右の判断に当たって
は、エコノラインのアンテナマストが折損する頻度を解明し、その実情に立脚して
判断するのが適当であるが、エコノラインのマストはいたずら等の理由でしばしば
欠損していたことが認められる(F2レンタカー保有の第二、第三世代のバン型車
両二〇台のうち、九台についてマストの欠損歴があるという。)、加えてA2バン
を本件事件の四か月後にE26という客が借り出した際のレンタル契約書の「貸出
車両の状態」欄には「アンテナ」という記載があって、これはアンテナに異常があ
ったことを示しており、その異常とは、原判決がいうアンテナの湾曲ではなく、ア
ンテナの欠損を示していると判断される、また、E10アンテナは、その発見時、
台座カバーが欠落していたが、これも、元々あったマストが現在ではなくなってい
ること、すなわち、E10マストがオリジナルでないことの証左である等といい、
 (b) の点に関しては、F2レンタカーでは、エコノラインについてはレンタ
ル契約書にマストの状態を記載しない運用をしていたから、契約書に「G00D」
と記載されていても、マストが正常な状態で装着されていたとはいえない、そのこ
とはE23の原審証言のほか、これを裏付ける実例が存在することによって分か
る、
 更に、F2レンタカーでは、マストに破損が生じたとき、すぐ補修しないで、放
置していた実例があるから、原判決が、これを否定するE25の証言を重視したの
は不当である、E25の証言は、洗車中の欠損に関してのみのことであり、原判決
は、洗車外でも欠損が多発していたことについて認識を欠いたために、その点を思
考するに至らなかったのではないか等々というのである。
 アンテナ問題に関する検察官の主張の要旨は以上のとおりである。その主張は事
項ごとに更に細かく、多岐にわたっている。以下その主な点について個別に判断す
るが、それらを総合的してみれば、以下に述べるとおり、原判決の判断ないし結論
に誤りがあるとはいえない。
 2 E10マストが「純正品」であることとその原物性との関係に関する所論の
主張について
 所論は、A2バンに新車当時の台座及びコードが装着されており、かつ、マスト
も純正品であることを認めた上で、破損したマストのあとに純正品マストを取り付
ける場合があるから、マストが純正品であっても、新車当時装着されたままの原物
であるとは限らない、F2レンタカー経営者E23は、同社では補修に純正品、非
純正品を約半々の割合で使っていたといい、個別に調査した結果では、補修に純正
品を使った例があるとして、第三世代のカーゴバン一台(Q車。マストの形状の違
いから分かるという。)と、第二世代のクラブワゴン一台(H車。レンタル契約書
中の記載により判断できるという。)の場合を挙げている。E10マストが純正品
であるというだけでは、それが新車当時につけられたままであるのか、あるいはそ
の後につけ直された物であるのか判別できないことは、所論指摘のとおりである。
所論は、その点を強調して、一九八八年一〇月にE10のもとで発見されたときの
A2バンに、新車出庫時に装着されたオリジナルの台座及びコードと共に、一九八
五年二月に設計変更がされる前の純正品マストが装着されていたことはそのとおり
であるけれども、だからといってそのマストが新車出庫時以降ずっとつけられたま
まのものであるとはいえない、だからA2がそのバンを一九八一年一一月に借り出
したのは、マストがついていたときのことなのか、あるいは欠損したまま補修未了
であったときのことなのかはっきりしない、というのである。証拠によると、A2
バンに装着されていたアンテナは、台座、コード、アンテナマスト等が一体となっ
た分離不可能型の物ではなかったから、台座とコードが原物であっても、アンテナ
マストが原物であるかどうかは、これとは全く関係のない別個の事柄であるという
ことは、事柄の抽象的な性質としては検察官主張のとおりである。しかし、別々に
装着される部品であっても、それらが一旦新車製造時に組み合わされて一括装着さ
れた場合に、一括装着された部品の一部がその後個別に取り替えられて、当初の装
着時とは別々の部品の組み合わせになるという事態が、事実上どの程度頻繁に起こ
りやすい事柄であるかは、マストの破損ないし補修頻度の観点からこれとは別個に
検討されるべき問題である。これをE10アンテナについてみると、E10マスト
自体には固有の装着履歴が表示されていないから、そのマストの原物性をマスト自
体から識別することはできない。あとは原物である可能性の程度を周辺事実から推
測するほかない。A2バンは一九八一年一一月の本件当時に借り出されてから、E
10のもとで発見されるまでに約七年間経過している。そこで、エコノラインタイ
プの車両のアンテナマストの一般的な破損率がどの程度であったかが分かればおお
よその見当をつけることができる筋合いであるが、その点の立証はされていない。
E23は洗車中によく折れたと言い、検察官は当審では洗車外で頻繁に折れたと主
張するが、よく折れたとはどの程度の比率を指している趣旨なのか、新車当時に装
着されたアンテナは平均的にはどの程度長持ちし、七年間欠損することなく保持さ
れるのは全体の何割位なのかという点になると、ほとんど不明である。取調済みの
証拠の中から関連する部分を抽出してみると、F14社のE27の回答書(弁B三
三、三四)によると、エコノラインのアンテナが折れやすいという苦情は記録され
ていないとされているが、これだけではそれ以上の内容が分からない。そこで、単
品で出荷されるアンテナの実需要はどうかをみると、一九七九年から一九八一年ま
での三年間にカリフォルニア州で売れたエコノラインは四万三六六台で、そのうち
ラジオを取り付ける車両は約七五パーセントであり(前記捜査報告書[甲一〇一
三]、前記回答書[弁B三三、三四])、一方、一九八O年から一九八二年の三年
間にF14社で製造されたエコノライン用の単品マストは八〇〇〇個(E28に対
する照会及びその回答[甲一〇一四、一〇一五、一〇一六])、そのうちa1及び
h1営業所への出荷は約二〇パーセント、つまり約一六〇〇個見当で、これが大雑
把にみて近辺の需要に応じるためのものとされているから(E28の回答書[弁B
一〇六、一〇九])、この数字だけからすれば、欠損率はそれほど高いとは思えな
い。しかし、純正品とは別に非純正品も出回っていたとされているから、これらを
含めた単品マストの実需規模となるとこれでは判然としない。そこで、これを別の
角度からみるのに、E10マストは、一九八五年三月にマストのモデルチェンジが
される前の、新車製造時と同タイプ、同規格の製品であったことは明らかであるか
ら、仮に途中で欠損してつけ直された可能性があるとしても、その補修を非純正品
で行っている場合がかなり広く存在する以上、その原物性は高いといえる。つま
り、E23は原審証言中で、F2レンタカーでは、アンテナマストが欠損したと
き、純正品と非純正品とをおよそ半々の比率で使用していたと述べているから、例
えば、新車時に装着されたアンテナマストのうち、仮に五割が何らかの理由で途中
で折損するものとし、同証言のような比率で補修をしたとすると、外見上純正マス
トが使用されていると見えるものが全体の四分の三を占め(四分の一は非純正
品)、その中の三分の二はオリジナルの純正品が占めることになる計算である。そ
して、破損比率や純正品の使用比率がこれを下回ると、外見上純正マストが使用さ
れていると見えるものの中でオリジナルの純正品が占める比率は、当然これよりも
高くなる関係にあるから、取り付けられているマストが純正品である場合には、そ
れが原物であることの可能性は、このような周辺状況次第でかなり高くなる関係に
あるといえる。更に、A2バンがE10のもとで発見されたとき、アンテナマスト
は下から四ないし五センチの位置で湾曲していたことが明らかであるから、もしこ
の湾曲したE10マストが新車時に装着されていた原物でないと仮定すると、新車
時に装着されたマストが一度破損し、その後に純正品が取り付けられ、それがまた
破損をして湾曲した状態になってE10車に残っていたこと、つまり二度破損し、
その二度目の破損は湾曲に止まったたことにならざるをえないが、この条件のすべ
てに該当する場合がそう頻繁に起こるとは、普通は想定しにくいと考えるべきでは
ないか。本件E10アンテナの台座とコードがオリシナル製品であり、かつこれに
装着されていたE10マストも一九八五年三月にモデルチェンジされる前の新車製
造時の物と同タイプ、同規格の製品であったことを前提として、これに加えて上述
した事情を総合考慮するときは、他に途中欠損の可能性を示す根拠でもない限り、
新車当時のマストが欠損することなく引き継がれてきた可能性の方が、マストだけ
が後日同タイプ、同規格の別部品と交換された可能性よりも高いと判断すること
に、一応の合理的理由があるというべきである。原判決の判断は、結局、これと同
様の発想に基づくものと考えられ、E10マストが原物である可能性を推認する論
理としては、一応合理的と理解される。
 次に、検察官は、エコノラインのアンテナ補修に当たっては、純正品と非純正品
を半々程度に使用したとするE23の原審証言を信用できるとするが、同証言に
は、全体として、かなり強気の、一方的に割り切り過ぎとみられる供述が随所に目
につき過ぎ、A2弁護人の答弁書中の意見をまつまでもなく、信用性には問題があ
ると感じられる。その上、検察官が述べる前記H車とQ車の補修品が純正品であ
り、そのことによってE23の証言が一部裏付けられているとしても、一般には純
正品の方が、アフターマーケットの非純正品よりも高価であるから、レンタカー業
者としては安い非純正品を使用する場合が多いと思われ、現にF13のE25はそ
のように述べてもいる状況の中で、それを半々程度の使用比率であったとする理由
は今一つ理解しにくい。
 以上述べたところによると、E10マストの原物性を、マスト固有の履歴から識
別することはできないが、オリジナルマストである可能性の程度については、原判
決が行っているような総合的推認方法もごく普通の発想に基づくものと認められ、
その判断過程に格別の無理があるとは考えられない。
 3 折損頻度に関する所論の主張について
 所論は、原判決が、(a)E23の、「本件当時、バンのマストは度々折れた、
その原因は洗車機によるものがもっとも多いが、いたずらによるものもよくあっ
た。」という原審証言のうち、洗車機によるものが多かったとする折損原因に関す
る部分だけでなく、度々折れたという折損頻度に関する部分についても、E25の
証言等に照らして信用できないとしたが、折損頻度に関する部分は信用できるとす
べきであるし、(b)検察官が、これを補強する趣旨で、F2レンタカーが歴代保
有してきた前記第二世代及び第三世代のバン型車両二〇台についての、マストがし
ばしば折損しているという調査結果を第一世代に当てはめて考察した点について、
これら第二及び第三世代の二〇台はいずれも洗車機が布式のものに取り替えられ、
折損頻度が高くなった時期以後のものに当たっており、本件発生当時は洗車機がブ
ラシ式で折損頻度が高くなく、両者は折損条件が大幅に違っているとして、第二及
び第三世代のバンの折損頻度を第一世代の折損頻度に当てはめることはできないと
し、(C)検察官がa1市内の一般車両一八台のアンテナマストが多数欠損してい
る事実を立証した点に関して、「これら一八台は、新車時点から約二年しか経って
いなかった本件当時のA2バンとは異なり、新車時点から相当の年数を経た古い車
両ばかりであり、かつ、その台数が極めて僅少で、統計的にほとんど無意味なもの
である。」としたことを、いずれも失当であると主張する。
 そこで、まず(b)の点をみるのに、検察官は、F2レンタカーが保有してきた
第二世代、第三世代のバン型車両二〇台のうち、アンテナの欠損歴があるものは九
台にのぼるから、両世代の車両についてみれば、マストの欠損はかなり頻繁である
といえるとし、また、欠損の原因は、検察官の選別基準によれば、九台中六台まで
が洗車外の原因による折損であるという(検察官は、右のとおり判断した選別基準
について、「1」洗車によって欠損が生じた場合には、すぐ非純正品を使って補修
したとされているから、取替品として現在純正品のマストが着けられているものは
洗車場で装着されたものではない、その折損のほとんどは洗車外の欠損と推測され
ること、「2」洗車中に折れたものについては、そのほとんどがすぐに修理され新
品が取り付けられたとされているから、折れたまま放置されていたと認められるも
のは、洗車外の欠損と推測されること、「3」レンタル契約書中のIN欄《返還時
欄》にアンテナの欠損が記載されているものは、貸し出し中に欠損が生じたもの、
すなわち洗車外の欠損と推測されること、以上の点を選別の基準としている。)。
そして、洗車外の原因で欠損する頻度は、洗車機がブラシ式の時代でもその後でも
格段変わりはなかつた筈であるから、結局、F2レンタカーでは、バンにつけられ
ていたマストはブラシ式洗車機の時代にも、洗車外の原因でかなり頻繁に折れてい
たと推認されるというのである。
 ところで、検察官が第二及び第三世代の車両についてアンテナ欠損の有無を確認
した結果は証拠上明らかである。それによれば、第二及び第三世代の車両に関し
て、相当数のマストの欠損が生じていた事実を大雑把な傾向として把握することは
できる。ただ、ここで検討対象とされた車両は、購入後、第二世代車については約
七年、第三世代車については約二年ないし四年経過した車両であったから、それら
の車両に生じた欠損の状態を、購入後二年程度経過しただけで、これらの車両より
はるかに新しかったA2バンにそのまま当てはめてよいかは疑問であろう。アンテ
ナの欠損が、車両購入後どれくらい経過した時点までに、どの程度の比率で生じて
いたかが全く把握されていないからである。また、欠損を生じた原因をみても、検
察官が用いた前記選別基準は、何といってもきめが粗く、基準性に問題がないでは
ない。例えば、選別基準とするのであれば、その前に、F13では純正品を全く使
わなかったのかどうかをより正確に確認しておく必要があるし、またレンタル契約
書中のアンテナという記載は、アンテナかどのような状態になっていることを表し
ているか、またアンテナに異常が発生した時期を、この記載だけで確定できるだけ
の点検か、貸出・返還の都度正確にされていたか等の点をもっとよく確認しておか
ねばならない等々、多くの問題があると考えられるからである。また、検察官は、
原審ては欠損の主たる原因を洗車時にあるとし、E23証言等をその根拠としてき
たのに、これがE25証言等によって疑問とされるに至ったのをみてとると、控訴
趣意書では一転して、主たる原因をいたずら等にあると主張を変更した点も問題
で、この点は、検察官による証拠検討の不確かさを示しているというよりも、証拠
それ自体の不十分さを反映しているのではないかと理解される。
 E23証言は、内容からみると、欠損頻度に関する部分と欠損原因に関する部分
の双方を含んでいて、一見両者は各別の事柄のようにみえるが、同人の証言をよく
みると、同人は、洗車機を通すとバン型車両の場合は乗用車の場合よりアンテナが
よく折れたと述べていて、アンテナの欠損を洗車機使用とのつながりで供述してい
る。そうすると、このような内容の証言である限り、これを欠損頻度と欠損原因と
に分けて、証言の信用性を別々に評価するのは適当ではない。原判決が、証言の信
用性を一体のものとして判断したのはむしろ自然であって、そのことに特段不当な
点はないというべきである。
 次に、検察官がa1市内の一般車両のアンテナマストの欠損状態を示していると
して検討対象に取り上げたのは、警視庁刑事部鑑識課勤務のH6が、A1写真13
の左下隅に写っている物体をバン型車両の右前部窓枠の一部と想定して、類似のバ
ン型車両の写真を撮影してこれと対比する目的で、一九八八年(昭和六三年)一〇
月三一日、一一月一日の両日、a1市内の路上や駐車場に駐車していたバン型車両
を無作為に撮影した写真である(甲二四二)。二七枚の写真を撮影したが、撮影目
的が右のとおりで、アンテナの点になかったため、アンテナの状態を知るのに利用
できる写真はそのうち一八枚しかなかったが、それ故にアンテナの状態を何らの意
図を加えることなく撮影する結果になっており、これによって米国におけるアンテ
ナの折損頻度や補修状況を、大雑把にではあるが知ることができると検察官は主張
する。また、これらの一八枚は、治安上の問題のない平均的地域で撮影され、撮影
された車種にも偏りがないから、一八台という台数は少ないけれども、これによっ
てアメリカにおいては日本では想像できないくらいアンテナがよく折損しているだ
けでなく、折損したまま放置されている事実がわかるというのである。
 撮影された二七台中、九台についてはアンテナの装着状態が不明又は無装着車
で、残り一八台中、欠損車八台、普通状態一〇台(うち、三台は折損歴がある)で
あったとされているから、この結果をみる限り、欠損率はかなり高いとみえる。一
つの数値的結果であるに違いはないが、何といっても母数があまりにも少ないか
ら、これを基にして全体を推計できるような数値というにはほど遠い。また、対象
写真の撮影手続が公正に行われたか、意図的に撮影されたことはないかの点にも考
慮を要する問題がないではない。この写真撮影がされた一〇月三一日、一一月一日
時点をアンテナ問題浮上の経過と対比してみると、E29の原審証言(184―9
347)等によれば、同人らが渡米していた一一月一〇日ころ、すなわち右撮影の
一〇日後には、すでにアンテナ問題が捜査上明確に浮上していた時期といえる。そ
れ以前はどうか。E10のもとでバンが確保されたのは一九八八年一〇月一一日の
ことで、このときには同車にアンテナが装着されていることが明らかになっている
から、この段階ではすでにアンテナ問題が大きな関心事になっていたとみなければ
ならないし、その後、一〇月二七日から二九日にかけて、H6はこのバンを写真撮
影したが(実況見分調書[甲三〇九、三一〇]、写真の焼増報告[甲三一一])、
そのときにアンテナをつけたり、はずしたりして撮影していることは、A2の弁護
人が指摘するとおりであるから、このとき同人が、A1写真13にアンテナが写っ
ていないこと、及びそのことが本件立証上持つ意味を意識していなかったとは考え
難い。そうすると、a1市内で前記の写真撮影を行った際のH6にとって、対象車
の選択をその観点から意識的に行う気持ちは全くなかったとしても、そのことが相
手方においても自然に納得すべき状況にあったとはいえない。また、H6が撮影し
たのは、路上に駐車していた車両が一三台、駐車場等に駐車していた車両が一四台
とされているが、路上駐車を常態とする車両の場合には、いたずら等の被害を受け
やすいことは容易に想像されるから、この数値を有料レンタルのために管理されて
いる車両にそっくり当てはめてよいかも疑問であろう。更には、このときの撮影
は、経年数のかなり高い車を中心として行われており、A2バンの場合とは車両に
質的相違がある点も無視できないであろう。このように考えると、一八台の車両を
ピツクアップして検討した結果は、一つの資料として参考にすることはできるとし
ても、これにどれほど大きな意味を持たせてよいかは、やはり問題である。
 A2が借り出したときのA2バンに、マストがついていたかどうかを判断する上
で、アンテナに欠損が生じる一般的比率以上に大きな問題と考えられるのは、生じ
た欠損がすぐに補修されていたか、長く放置されていたかの点である。欠損が生じ
ても、すぐ補修されていれば、A2バンがアンテナ欠損のまま貸し出された可能性
は低くなるからである。検察官の主張によれば、アメリカでは、いたずらなどでア
ンテナが欠損したまま放置されている例が日本よりも一般的に多い様子は窺うこと
ができる。ただ、それが一般的にどの程度であるのか、特にレンタカーというよう
な、商品として有料で貸し出すことを目的として日頃整備・管理されている車両の
場合にどうかという点は、明確ではない。A2バンについて検討する際には、そう
した点も考慮することが必要である。このようにみてくると、所論が挙げる数字を
そのまますぐに適用することはできないが、破損率や破損した場合にそのまま放置
しておく比率がおそらくアメリカでは我が国より高く、本件はそのようなアメリカ
での事象であることを前提として考えなければならないことを指摘している点で
は、考慮に値するものを含んでいる。
 4 A2バン及びE10マスト自体に即した原物性の主張について
 所論は、原判決が、E10マストを原物である可能性が高いとか、車両製造時か
らE10のもとで発見されるまでの間破損したことはなかった可能性が高いと判断
したのは不当であるとし、その理由として、(a)A2バンは、新車として一九七
九年一一月世に出てからE10のもとで発見された一九八八年一〇月までの九年間
に様々に手を加えられているから、マストについても交換された可能性があるこ
と、(b)本件発生約四か月後の一九八二年三月三〇日にE26という人物がF2
レンタカーからA2バンを借り受けたときのレンタル契約書中、「貸出車両の状
態」OUT欄に、車体の塗装、車体の損傷等の異常を示す記載と共に「アンテナ」
という記載があることからみて、このときアンテナが損傷しており、その後新しい
アンテナにつけ替えられた可能性があること、(C)E10のもとで発見されたと
き、アンテナの台座カバーがなくなっていたから、誰かが台座カバーをマストと一
緒に取り外して持ち去ろうとした可能性があること等の諸点を挙げている。(C)
は、控訴審で初めて主張された点である。順次検討する。
 (一) まず、(a)の点を証拠によってみると、本件発生当時、F2レンタカ
ーでレンタル用に使用されていたA2バンは、一九八四年三月一三日、F2レンタ
カーからF15社に売却され、その四年半後の一九八八年一〇月にE10のもとで
発見されるまでの間に板金修理等がされた(レンタル契約書等の記載[物五一八、
五二二]、実況見分調書[甲三〇六、三〇七]及び写真の焼増報告[甲三〇八]添
付の写真)ほか、屋根にはしご置き棚が、荷台内に間仕切りや棚がそれぞれ備え付
けられ、次いでE10のもとでそれらがすべて取り外されて、新たに屋根、荷台内
の設備がつけられ、後輪サスペンションの改良、油圧ジャッキヘの取り替えその他
がされ、更にラジオがAMラシオからカセットプレーヤー付きのAM―FMラジオ
に取り替えられる等の変更が加えられたことが認められる。検察官は、これだけの
変更が加えられているから、マストについても厳密な検討が必要だというのであ
る。
 しかし、検察官が指摘するこれらの車両装備の変更は、すべて本件後、しかもF
2レンタカーがF15社にA2バンを売却した前後ころ、すなわち早くても本件か
ら二年半程度経過した時期以後に加えられた変更ばかりである。いうまでもないこ
とであるが、ここでの検討課題は、本件発生当時のA2バンにアンテナマストがつ
いていたかどうかであって、発見されるまでのいずれかの時点でマストに変更が加
えられたかどうかではない。だから、A2バンの装備が変更された事実が明らかに
なっても、その変更時期がF2レンタカーから他に売却された後であれば、本件発
生当時のA2バンにアンテナがついていなかった疑いを生じさせることにはならな
い。ところで、E10マストの先端には大玉のボールチップがついていたことが明
らかであるが、大玉型マストから小玉型マストヘの設計変更がされたのは、一九八
五年二月一五日のこととされている(前掲報告書[甲一〇一三])。設計変更がさ
れても、取替用の大玉型マストがすぐに市場からなくなるわけではないようである
が、遅くとも数年後には市場で手に入れることはできなくなると考えられるから、
仮にこのマストに手が加えられたことがあったと仮定しても、手を加えることがで
きたのは、F2レンタカーかF15社のいずれかだけであると考えることができ、
また、E10のもとでラジオがAMラジオからAMIFMラジオに変更されたとき
にも、アンテナマストに手が加えられたことはないといってよい。アンテナに最も
関心を持ちそうなE10のもとでも、アンテナマストに手が加えられたことはなか
ったのである。そして、A2バンがF2レンタカーからF15社、E30、E10
と転売される間に、同バンに検察官主張のような装備変更が加えられたことはあっ
たとしても、これらの装備変更の中に、遡って転売前のF2レンタカー保有時にお
いても、本件発生時のマストの有無に影響を及ぼしそうな装備変更がされたのでは
ないかと推測させるような事情は見当たらない。
 (二) 次に、(b)の点を証拠によってみると、一九八二年三月三〇日にE2
6がF2レンタカーからA2バンを借り受けたときのレンタル契約書中の「貸出車
両の状態」OUT欄には、「左サイド塗装及び車体損傷、ハブキャブ及びアンテ
ナ」の記載がある。単に「アンテナ」と書かれていて、「アンテナブロークン」と
されてはいないから、これたけではアンテナが折損していたのか湾曲していただけ
なのか、どの程度湾曲していたのか、あるいはその他の異常を指しているのか、全
く分からない。そこで検察官は、この記載を第二世代及び第三世代の他のレンタル
車両の契約書(物六七一・同押号の二六三一中の類似の記載と対照して検討し、
「アンテナブロークン」と記載されているG車及びH車はもとより、単に「アンテ
ナ」と記載されているE車(エコノライン)及びP車(クラブワゴン)の場合に
も、その後マストが取り替えられていることを指摘し、もとよりこれだけではE車
及びP車のアンテナつけ替えは、アンテナが欠損していたためなのか湾曲しただけ
なのか分からないが、他方、アンテナに湾曲があったたけのA車及びB車の場合に
は、マストを取り替えることなく貸出が続けられ、そのまま中古車として売却され
ている事実があって、この事実からすると、F2レンタカーではアンテナの単なる
湾曲程度ではアンテナマストを取り替えなかったものと判断されるから、E車及び
P車のアンテナがつけ替えられたということは、マストが欠損していたためである
と考えるのが素直な解釈である、そうすると、E26の契約書の「アンテナ」とい
う記載は、マストの欠損を指しており、E26への貸出後につけ替えられたとみる
のが自然である、というのである。
 所論の主張も、関係証拠の一つの読み方としては、十分理由のあるところと考え
ることができ、したがってE26に貸し出された時点、すなわち本件発生の約四か
月後の時点で、A2バンのアンテナマストが折損していた可能性が全くないとはい
えない。しかし、この点については次のような読み方も可能で、あるいはこの方が
より適切ではないかとも考えられる。すなわち、「アンテナブロークン」という記
載は、文字どおりアンテナの欠損した場合を指していると理解されるが、単に「ア
ンテナ」とだけ記載されている場合は、アンテナの欠損を指すのか、湾曲を指すの
か、どの程度以上の湾曲を指すのかなど様々で、いわば雑多な破損をすべて包含し
ている趣旨と理解される。元来、この「貸出車両の状態」OUT欄の記載は、IN
欄の記載と法的性質が全く異なり、客が貸出時点での車両状態を契約書上に明示し
て、返還時に損傷が発見されてもトラブルが生じないようにあらかじめ備える趣旨
のものであるから、借り出す際、契約書上に車両の損傷をどの程度詳細に記載する
よう求めるかは、客の要求次第という面が強い筈である。正確に記載しなければ気
が済まない神経質な性格の客もいれば、そうでない客もいるというのが実際であろ
う。そして、契約書上に損傷内容を拾い出して細かく摘記することを求める客は、
そうした性格からみて、アンテナが欠損している場合には、どちらかといえば「ア
ンテナブロークン」とはっきり記載しなければ気が済まない神経質な性格の人で、
「ブロークン」と記載するに適しない損傷の場合にのみ単に「アンテナ」と記載す
ることになるのではないかと理解される。そうなると、ブロークンとはっきり記載
するのに適しないアンテナ損傷という中には本来雑多なものを含む筈で、湾曲が中
心になるとしてもそれに限られるわけではなかろうし、湾曲の程度・内容も様々
で、その中にはマストのつけ替えを要する程度の湾曲もあれば、つけ替えを要しな
い程度の湾曲にとどまるものもあるというのが実態ではないかと考えられる。そう
すると、単に「アンテナ」と記載されている場合、マスト交換をするかどうかの扱
いは、損傷の内容・程度に応じて一律ではなく、「アンテナブロークン」と記載さ
れている場合には大体つけ替えを要するのと較べれば、かなり事情が異なっている
と推測するのが自然であって、これを一律である筈たとする検察官の主張には、十
分な根拠があるとは思えない。このように考えると、E26にレンタルされた際の
A2バンのアンテナの状態、すなわち単にアンテナという記載は、折損を示してい
るとは言い切れず、単に湾曲していたにすぎない可能性を否定できないといわなけ
ればならない。
 (三) A2バンがE10のもとで発見されたとき、アンテナの台座カバー、す
なわちアンテナを車体に取り付ける際に使用するマウントを上から覆うためのクロ
ムメッキされた金属製の箱状カバーがなくなっていた(甲三〇八の添付写真一九、
E10アンテナ[物六七四・同押号の二六四])。マウントとマストが残っている
のに、台座カバーたけがなくなっているという事態は通常は想定できず、かなり特
異な状態とみなければならない。その点は検察官が指摘するとおりと考えられる。
そうすると、台座カバーがいずれかの時点で取り外されたと受け取るほかないが、
取り外すのはどのような場合かを考えると、それは、(a)アンテナマストが取り
外されているときに、同時に何らかの意図で台座カバーをマウントから取り外した
か、あるいは、(b)何かの用向きでアンテナマストと台座カバーを一緒に取り外
した後、カバーだけつけ忘れたか破損したかであろう。前者は、誰かが台座カバー
をマストと一緒に取り外して持ち去ったというような可能性、例えば盗み、破壊行
為、いたずらの類を示しているし、後者は塗装などの際に取り外してつけ忘れた
か、何かの理由で変形するなどして取り付けられなくなり、これがなくても機能上
問題がないためにそのままアンテナマストが取り付けられたことを連想させる。
 一般的に考えれば、アンテナを取り外して手を加えることがあまりなかった車両
について、その台座カバーだけが無くなっていたというような場合には、いたずら
等の被害にあったのではないかと考えやすい。特に、路上駐車あるいはきちんとし
た駐車管理設備のない場所に駐車する機会が多い車両については、そのように推認
されやすいであろう。そこで、A2バンについて、E10アンテナのマストを取り
外して修理その他をしたことがどの程度あったかを証拠に照らして具体的に検討し
てみると、そのような機会として考えられるのは、まずA2バンが発見されたすぐ
後で、H6らが捜査上の必要からその写真撮影をした機会に、アンテナを取り外し
たことが認められるし、また、a1市警がE10からアンテナ、ベース、コード等
を押収する際に取り外したことも認められる。A2の弁護人は、そうした機会のど
こかで台座カバーだけが失われた可能性を指摘しているが、しかしこれらを証拠物
として観察の対象にしているときに、その一部を失うことがあるとは容易に考えら
れない。あと一つの機会として考えられるのは、A2バンの塗装をし直したときで
ある。すなわち、A2バンのレンタル契約書によると、同バンは、一九八三年六月
二四日から七月四日まで貸し出された際、車体後部右側に大きな損傷を受けたとさ
れているので、同バンがその後E10のもとで発見されたときの状態と対比する
と、その間のいずれかの時点で再塗装されていることが明らかである。そして、こ
の塗装時にアンテナベースをボンネノトから取り外したことがあり、その際には当
然台座カバーも取り外され、これが何らかの理由で装着されなかった可能性が考え
られる。検察官は、その可能性を否定し、この時の塗装はアンテナベースをボンネ
ノトに装着したままの状態で行われたと認められると主張し、その根拠として、ア
ンテナベースの両側部下縁に沿って白いペンキが僅かに付着しているのに、裏面に
はペンキの付着した跡がないことを挙げている。これは、アンテナベースを取り外
さないで、ベース側面にペンキ防止用テープを貼った状態でペンキを吹き付けたた
め、貼り残し部分からペンキが直線状に付着したことが考えられるというのであ
る。一つの見方であるが、証拠上全面的には肯定できない。すなわち、エコノライ
ンにアンテナを装着していたF16社の部品マネージャーであるE31は、一九八
九年一一月二九日にa1市警及び日本の捜査官からE10アンテナのべースを呈示
され、これを見分した上で、その「白色のペイントは、新車の段階でついたもので
はなく、その後いつかの時点で車体から台座を取り外し、車体のペイントを塗り直
し、そのペイントが乾かないうちに台座を取り付け直したためだと思う。」と述べ
ているからである(甲一〇一三)。これに対して、検察官は、ベース裏面にペイン
トが付着していないから、このベースは塗装時に取り外されなかったと判断してい
るのに対して、E31は、ベースは取り外されている、だからペイントが付着した
と思うと全く逆の判断をしているのである。現在このベースを見分すると、両側部
下縁に沿ってうっすらとペイントの付着が認められるが、裏面にはペイントが付着
したようには見えない。その点は検察官指摘のとおりである。それでは、E31
は、前述の意見を述べるに当たって、ベース裏面の状態を見分せす、あるいは注意
深く見なかったかというのに、ベースの両側部下縁に沿ったペイントに気づきなが
ら、裏面の状態を見逃すことは考え難い。また、E31のようにアンテナを日頃扱
い慣れている人物が、ベースを実際に見分し、その上で述べた意見に全く根拠がな
かったとも考えにくい。そこで、更にベースをよく見ると、現在ベースに付着して
残っているペイントが非常に薄いことが見て取れるが、E31が見分した時点で
は、裏面の全体的な状態が、少なくともペイントが乾かないうちに台座に取り付け
直したと判断できる程度の付着状態にあって、そうだからこそE31のこの意見
を、捜査官も納得して聴取したのではないか(前掲捜査報告書[甲一〇一三])、
他方、ベース裏面の現状は、E31が見分した当時のペイント付着状態と異なって
いるのではないか、ということが考えられる。E31の意見を前提にすれば、ベー
ス裏面の現在の状態に疑問が持たれ、裏面の現状を前提にすれば、E31の意見に
疑問が持たれることになるが、E31の意見がその時点で書面上固定されるのに対
して、ベース裏面の状態はいろいろな事情で経年変化を生じるから、疑問はあるけ
れども、これも一つの可能性としては考えられる。もっとも、塗装時に台座やカバ
ーを取り外しても、塗装が終われば元どおりにつけ直すのが普通であろうから、何
らかの理由で元どおりにされなかった可能性があるといっても、それは、可能性を
否定できないというだけで、その可能性が高いとまでいえるものではない。全体と
してみれば、何らかのいたずらや破壊行為が行われたために失われたのではないか
という検察官の推論にもかなりの可能性があることは否定できない。だから、検察
官からすれば、原判決が、E10のもとで発見された際のE10マストの湾曲を直
ちにE26契約書にある「アンテナ」の記載と結びつけて、E26契約書にある
「アンテナ」の記載はアンテナの湾曲を指していると推論したのを誤認だと主張し
たくなるのも全く分からないではないが、しかし、この検察官の主張にも、次のよ
うな点に疑問がある。すなわち、検察官は、いたずらの内容として、アンテナマス
トと台座カバーを取り外したというが、そのカバーは、普通の状態では、台座マウ
ントにきちんとはめ込まれていて、両者一体となるような装着状態にあった筈であ
るから、そうだとすると、いたずらをする者は何故、アンテナマストを取り外した
際に、マストだけを持ち去らないで、更にマウントから台座カバーだけを分離して
取り外したのか。台座はねじでボンネソトに装着されているから容易に取り外せな
いとしても、アンテナマストと一緒にカバーだけを取り外したというのは、いかに
も納得しにくいのである。その点では、むしろ塗装その他の必要があって、カバー
とマウントの両者を取り外した上で再装着する際、カバー部分をなくすか壊すかし
て、装着できなくなったと想定する方が理解しやすい面があるといえる。また、E
10マストは発見時にかなり湾曲していたが、そのことから同マストは二度も損傷
し、しかも二度目の損傷は湾曲程度で済んだとするのはいかにも結果から逆算し過
ぎとの印象を拭えないのであって、やはりこの湾曲は台座カバーが無くなっている
ことと全く無関係ではなく、むしろ共通する事情があってマストも台座カバーもこ
のようになってしまった可能性が少なくないと考えねばならない。
 以上述べたところによると、発見されたA2バンの、アンテナマストがかなり大
きく湾曲し、同時に台座カバーだけがなくなっていた理由については、いろいろな
場合が想定可能である。主として台座カバー紛失に着目して、塗装時等に再装着さ
れずあるいは再装着できなかったこと、マストの湾曲と台座カバーの双方に着目し
て、いたずら等の被害を受けてマストが湾曲し、同時に台座カバーもなくなったこ
と、更にはいたずらでマストが折損し、台座カバーもなくなって、新しい純正マス
トがつけられたが、それがまた被害を受けて湾曲したこと等、それぞれの場合が考
えられる。その中で、検察官主張の最後の場合が最も可能性が高いとすべき根拠は
見当たらず、結局台座カバーがなくなっていることを根拠としてアンテナマストの
折損を推断することまではできないと判断される。
 5 レンタル契約書中の「GOOD」の記載とアンテナの状態に関する所論の主
張について
 所論は、A2バンのレンタル契約書に「GOOD」と記載されていても、それは
そのときマストが正常であつたことを意味しないのに、原判決が、右の記載を、A
2バンのアンテナに異常がなかった可能性が高いと判断する根拠の一つに引用し、
E23の原審証言を信用できないとしたのは不当であるとし、その理由として、
(a)E23の証言は、契約書等に現れている営業実態によって裏付けられてい
て、信用できること、(b)F2レンタカーが所有してきた前記第二世代及び第三
世代のバン型車両二〇台の場合にも、アンテナが折損したまま貸し出され、契約書
にその点の記載があるのは一例しかないこと、(c)A2バンの契約書にも、車体
の損傷を記載しないものが多々あったこと、(d)だから、本件発生当時にも、F
2レンタカーでは、エコノラインに関して、マストの損傷は契約書の記載とは無関
係であったから、これを根拠とすることはできないこと等を主張するのである。
 (一) F2レンタカーの経営者E23は、原審証言中で、F2レンタカーで車
両を貸し出す際には、車両の状態を客に確認させ、その結果を契約書中に記載し
て、返却時のトラブル防止をはかっていたことを一般的には認めた上で、アンテナ
は、「乗用車やクラブワゴンの場合にはステレオラジオがついていてアンテナが必
要なので、折損すればすぐ取り替えるし、貸出中に折損すれば損害賠償の対象とし
ていた、乗用車やクラブワゴンの契約書中の「貸出車両の状態」欄に「GOOD」
と記載してあれば、それはアンテナが折れていないことを意味する。」が、エコノ
ラインに限っては例外であるとし、「カーゴバンでは、マストが折れた場合時々取
り替えたが、あまりにも頻繁に折れたのでそのまま放っておき、長くアンテナなし
で貸し出すことがあった、だから仮にマストが折れていても、その旨をレンタル契
約書に記載せず、客から求められても記載しなかった、したがって客がマストを折
損しても賠償を求めることもなかった。レンタル契約書中に「GOOD」と記載し
てあっても、それはアンテナに関することではないから、マストが正常であつた意
味ではない。」と証言している。そして、九〇台くらいあったというレンタカーの
中で、カーゴバン五台だけについて、しかもアンテナについてだけ例外扱いにした
のは、カーゴバンのアンテナは他の車両よりも洗車時に頻繁に折れたこと、AMラ
ジオしか搭載しておらず、アンテナがなくても支障がなかったこと、些細な損傷ま
で取り上げると貸出手続に手間がかかるので契約書には記載せず、賠償を求めない
営業方針にしていたこと等の理由を挙げている。
 エコノラインだけを例外扱いした理由について、E23は、右のとおり洗車時の
頻繁な折損等を挙げ、検察官も、原審においては同様の主張をしたことは先に述べ
たとおりである。しかし、原審における証拠調の結果、本件当時、F13での洗車
にはブラシ式洗車機が使用されていて、洗車中にマストが曲がることはよくあった
が折損することはあまりなかつたし、ときに折損したときには同社において直ちに
取り替えられていたことが明らかになった。そうすると、エコノラインだけを特別
扱いにしてそのレンタル契約書にアンテナのことを記載せず、そのため「GOO
D」と記載されていてもそれはアンテナの状態を示すものではないとする説明には
根拠がないことになる。E23が、折損原因について、何故このような証言を行っ
たのかは不明であるが、この点に関する原審での審理経過は、同人の証言の信用性
を全般的に低下させていることを否定できない。
 これに対して、検察官は、E23の証言中、折損原因に関する部分が仮に信用て
きないとしても、洗車外の理由、例えばいたずら等でエコノラインのアンテナがよ
く折れたという折損頻度に関する部分はそのとおりであるから、その点まで信用で
きないとする理由はないという。しかし、E23証言は、エコノラインについての
例外的取扱いをあくまで洗車時のアンテナ折損と結びつけて説明しているのである
から、この場合、両者を切り離して、それらの証言の信用度を別々に評価するのは
適当でないというべきである。また、洗車外の理由による折損ということになる
と、それは当然、エコノラインを含むすべての車両に共通することとなるから、そ
の場合にも、エコノラインの契約書についてだけ例外的な取扱いをする理由があっ
たとは考え難くなる。検察官は、随所で、エコノラインの場合にはマストが洗車外
の理由で度々折れていたことを強調し、そのことを前提として論旨を組み立ててい
る。第二世代及び第三世代の車両あるいはa1市内で見分された駐車車両について
の検討結果では、ある程度の数のアンテナ欠損事例がみられ、日本とは事情が異な
っている状況が窺えることについては先に述べた。ただ、検察官がF2レンタカー
の駐車場で撮影した写真には少なくとも四台(C車、D車、E車、Q車)のカーゴ
バンのアンテナに欠損を生じた跡が残っているのに、弁護人側が出向いて撮影した
写真(一九八九年八月二三日撮影の写真撮影報告書[弁B二六]、一九九三年二月
二一日及び二五日撮影の写真帳[弁B五六・同押号の三四二])では、エコノライ
ンのアンテナマストはよく整備された状態にあったようであり、E23が証言する
ような、頻繁に折損があり、それがそのまま放置されている状態とは見られないの
であつて、このような違いが何故生じるのか疑問を残したままとなっている。とこ
ろで、エコノラインのマストが洗車外で折損することが、仮に検察官が主張するよ
うに度々あったとしても、その理由は、いたずら被害にあう頻度が乗用車よりもカ
ーゴバンのほうが高かったという趣旨なのか、何故そうなのか、どの程度の違いな
のか等の、特別扱いを必要とした理由については、検察官から格別の主張も立証も
されていない。エコノラインだけを特別扱いした理由について、E23は、前述の
理由に付加する形で、手間がかかること及びエコノラインは他の車両と違ってAM
ラジオしかついておらず、これはアンテナが無くても実用上あまり支障がなかった
からであると述べている。そうすると、これは、理由があってカーゴバンだけを別
扱いにしていたというのではなく、アンテナの補修が多少他の車両の場合より遅れ
ても、客から苦情が出ることが少なかつたために、補修や契約書の記載にルーズな
点があったという程度の趣旨かと理解される。
 ところで、レンタル契約書中の「貸出車両の状態」OUT欄の記載は、前述した
とおり、客の責任範囲を事前確認し、トラブルの予防をねらいとするもので、書面
の性質上、契約書への記載は、レンタカー会社にとってよりも、顧客にとって必要
性が強いものであった。したがって、顧客から事項を特定して記載を求められれ
ば、これに応じざるを得なかつた筈である。契約書の持つこのような意味合いはエ
コノラインについても同じであるから、この車両だけを特別扱いにする理由は本来
は見当たらない。そうすると、エコノラインのアンテナについてだけは特別扱いを
して契約書に記載しなかったとか、顧客から記載を求められても断っていたという
ような証言は、容易に信用できるものではない。検察官は、契約書に記載するかど
うかはレンタカー会社側の営業上の判断にかかる事項であるというが、先に述べた
ところによれば、そのようにいえないことは明らかである。もとより、契約書の性
質上は記載すべきものであっても、実際にはこれと異なった取扱いがされるという
ことは、世間には往々にしてあり得ることではある。その理由として、E23は手
間がかかるというのであるが、本件当時、F2レンタカーが保有していた約九〇台
の車両のうち、エコノライン以外の約八五台の車両については点検して記載すると
しながら、五台のエコノラインについてだけは、しかもアンテナという、外から一
見しただけで破損の有無が分かるものについてだけは、手間がかかるから記載しな
かったというのも、素直に納得できる説明ではない。このようにみてくると、エコ
ノラインだけを特別扱いし、貸出時にアンテナが欠損していてもその点だけには触
れないで、「GOOD」と記載していたという証言に不自然さがつきまとっている
ことは否定できない。
 (二) 次に、検察官は、第二世代及び第三世代のバン型車両二〇台の場合にも
アンテナが折損したまま貸し出され、契約書にその点の記載がないのが一般的であ
ったから、そのことからみても、A2バンのレンタル契約書中の「GOOD」の記
載はアンテナの状態を示していないと主張する。
 そして、検察官は、前記第二及び第三世代のバン型車両二〇台について検討し、
エコノライン九台のうち五台(C、D、E、Q、T車)に欠損歴があった、そして
第二世代の五台のうちでは三台(C、D、E車)に欠損歴があった、ところがこれ
らの車両をF2レンタカーが保有していた全期間の全レンタル契約書について調査
したところでは、アンテナ異常の記載がされている契約書はうち一台について一通
しかなかつたという。
 検察官指摘の各写真、レンタル契約書等を点検すると、例えば第二世代のD車の
場合、八八年一〇月一〇日(甲六二六)、二月一〇日(前回)、八九年二月五日
(甲四四八)の各時点で撮影された写真によって、アンテナが折損したままの事実
が確認されるから、この車については少なくともその約四か月間、またE車の場
合、八九年二月一一日(甲四四八)、四月一〇日(甲一〇一九)の両時点で折れて
いたことが確認されているから、この車についてはその約二か月間、いずれもマス
トが欠損したまま貸し出されていた事実があることは否定できない。ところが、こ
れに対応するレンタル契約書にはアンテナ異常の記載がないことが認められる。
 他には、E車について、一九八八年五月一二日の車両返還時に「アンテナ」の記
載がされていて、同年一〇月一〇日の写真ではスカート式アンテナが装着されてい
ること、またC車にも同様の補修がされていることをそれぞれ確認できるが、いず
れも補修されない期間がどの程度あったのかは証拠上判明しない。第三世代の場
合、八九年一二月一三日時点のQ車には、リングなしタイプのアンテナが、またT
車にはリング有りタイプのアンテナがそれぞれついていたのに(甲一〇二〇)、九
一年一月一四日の時点でのQ車にはリング有りタイプの物かついており(甲一〇二
一)、また九三年二月の時点でのT車にはスカート式のアンテナがついていて(弁
B五六)、その間に欠損したことまでは分かるが、これらの第三世代車について
は、契約書の記載調査がされていないので、記載との照合関係は不明である。以上
によれば、アンテナの欠損とこれに対応するレンタル契約書とを照合することがで
きたのは、D車及びE車の二台についてだけであるか、この二台から推測する限
り、八八年から八九年にかけてのころには、エコノラインのアンテナに欠損がある
ときにも、その中に、すぐ補修しないである程度の期間放置されていた車両がある
ことは事実と認められ、また、レンタル契約書にアンテナ欠損の記載が正確になさ
れていない実情があったことも、おそらくそのとおりではないかと看取される。
 次に、これをクラブワゴンについてみると、第二世代及び第三世代のクラブワゴ
ン一一台中、四台(G、H、M、P)に欠損歴があったし、これらの車両について
もF2レンタカーが保有し始めてから欠損時期以後までの期間の全レンタル契約書
について調査したところでは、アンテナ異常の記載がされている契約書はうち三台
について確認されている。なかでも、P車の場合、前後約二か月間に合計一一回の
貸出があり、うち五回のレンタル契約書のOUT欄に「アンテナ」の記載がされて
おり、その余の六回についてはその記載がない。このことは、同車のマストはその
間補修されないままであったとみて無理がないといえる。この事実からは、この時
期にはクラブワゴンについても欠損したアンテナマストの補修に時間がかかってい
たものがあること、及びマストの異常をレンタル契約書に記載する場合もあった
が、記載しない場合もあったことが推測され、エコノラインの場合と較べると、そ
の取り扱いに若干の相異があるように感じられる。そこで、検察官は、これによっ
てE23の証言が一部裏付けられているという。しかし、問題は、A2バンのレン
タル契約書中の「GOOD」の記載は、アンテナの状態を示していないといえるか
どうかの点にある。すでに述べたところによると、第二世代及び第三世代のエコノ
ラインのアンテナ状態に関するレンタル契約書上の記載は、アンテナの状態を意識
して記載されているようにはみえないから、そのことは第一世代に当たる本件当時
のA2バンの場合にも、似たような状態ではなかったかと推測させる面があること
はそのとおりである。しかし、なお問題がないとはいえない。まず、上述の検討
は、およその傾向を推認させる点はあるが、なんといっても第一世代のA2バン以
外のエコノラインやその他の車両のレンタル契約書等、まさに直接の資料について
比較検討された結果が明らかにされていない点に大きな欠点を持っている。第一世
代のカーゴバンについての調査結果が原審法廷に提出されず、その後弁護人側の調
査でE26のレンタル契約書があることが分かりようやく開示されたという経過
が、弁護人側に強い不信感を植え付け、それが解消されていない点からすると、原
審裁判所ならずとも、判断に当たって慎重にならざるを得ないのは当然である。ま
た、右の点とも関係するが、検察官の検討は、主として第二世代、第三世代を中心
として行われており、その結果は洗車機がブラシ式であって異なっていた本件当時
の実状を正確に推認させるかどうかについては大いに疑問がある。また、先に述べ
たとおり、エコノラインだけを特別扱いする理由が今一つ明確ではないのに、その
エコノラインのレンタル契約書だけは「GOOD」と記載されていても、それはア
ンテナに触れるものではないという特別の読み方をすべきだといわれても今一つ納
得できるものではない。更に、検察官は、第二世代及び第三世代のバン型車両の一
部をとりあげていわば局部的検討をしているが、レンタル事業の営業商品である車
両についての欠損補修が全体としてどのように行われていたか、その営業実態が客
観的資料に基づいて十分明らかにされていないうらみがある。弁護人らが出向いて
F2レンタカーの駐車車両を写真撮影した際の整備状況と検察官が同様に撮影した
際の整備状況の差が何故生じているのかの疑問も解消しないままである(なお、原
判決の理由中には、捜査官らが検討のためエコノラインの写真を撮影した回数など
に関する記載部分に多少不正確な点があることは所論指摘のとおりであるが、問題
の筋道を理解する上では影響がない。)。
 (三) A2バンのレンタル契約書には、車体の損傷を記載しないものが多々あ
ったことは否定できないが、その契約書一六七枚(一九八一年一〇月から八三年一
二月までの間のもの。物五一八・同押号の二〇三、物五二二・同押号の二〇四)の
記載を通覧してみると、記載傾向の一つとして、OUT欄に顧客の指示で記載され
たと思われる車体の損傷状況が、日時の経過とともに自然に増える傾向が読みとれ
るから、大きな傾向としていえば、顧客は車体の点検を怠っておらず、一見目立っ
たり、大きかったりする車体のダメージはかなりよく拾い出されて記載されている
とみることができる。しかし、同時に、それほど大きくない損傷については、一度
記載された損傷がその後の契約書に記載されていなかったり、「GOOD」と記載
されてたりしている例があるかと思うと、更にその後の契約書に、かつて記載され
たことのあるダメージの記載が復活していたりしている部分もあって、同じダメー
ジであるのに、その点の記載を、ある者は求め、他の者は求めないというようにま
ちまちで、主として顧客の性格に左右されているようにみえる点も明らかである。
そのため、レンタル契約書のOUT欄に何らの記載がなく、あるいは「GOOD」
と記載されていても、それは必ずしもアンテナを含めて損傷がなかったことを表示
しているものではないと判断される。この意味で、原判決のこの点の判示の仕方に
は、多少問題があることは否めない。
 しかしながら、契約書のそうした記載の中で注目されるのは、一九八二年三月三
〇日のいわゆるE26契約書(論告要旨別冊別表Ⅱ―14の対照表の番号四四)の
記載である。そこには、車両状態に関して、「左側ペイントおよび車体損傷、ハブ
キャブ及びアンテナ、」と記載されている。左側ペイントという記載は、それ以前
の顧客も度々指摘し、契約書上に記載されたことのある損傷で、同人もこれを見落
とさずに指摘したものとみられるが、車体損傷の記載は、八二年三月一二日(同対
照表番号三九)に一回指摘されたことがあるだけの損傷であるから、E26が気を
つけて点検したものと推察される。また、ハブキャブの指摘記載がある契約書は、
この契約書と八二年五月二七日分(同対照表番号五七)との二回たけであるが、ハ
ブキャブの損傷はその前後に変わりなく継続していたとみられる。そして、その間
の記載はといえば、車体の塗装箇所の記載など同じ内容を指していると思われる記
載が繰り返されたり、何の記載もなかったり、あるいは「G00D」と記載されて
いたり、まちまちである。アンテナの記載がある契約書はこのとき一回だけであ
り、他にアンテナに関する記載は全くみられない。以上の一連の記載からは、この
客は通常よりも細心、神経質な人であり、車両の異常箇所を克明に点検し記載を求
めている様子を看取することができる。そのような性格からすると、アンテナがも
し欠損しておれば「アンテナブロークン」との記載を求めた客ではないか、それを
単に「アンテナ」とだけ記載し、しかも一連の損傷箇所の最後に記載しているの
は、このアンテナが一寸した湾曲等の軽度の損傷にとどまっていたためではない
か、ただその程度ではあったが、こうした性格の人であったために、その点につい
ても記載を求めたのではないかと思われるのである。E26以後の客の中にアンテ
ナについての記載を求めた者がいないのは、このときに損傷したアンテナがつけ替
えられたためと考える余地も全くないとはいえないが、一連の損傷を記載する中で
最後にアンテナのことを記載している点もあわせてみると、むしろこのときアンテ
ナの損傷が、通常の感覚をもとにして目立たない程度のものであり、E26以外の
客はアンテナについての記載を求めなかったためである可能性の方が高いのではな
いかと思われる。
 (四) 以上の検討結果によれば、一般的には、第二世代、第三世代のエコノラ
インについて、レンタル契約書に「GOOD」と記載されていても、それはアンテ
ナを含めて損傷がないことを示しているとは直ちにはいえないようであるから、疑
問がまったくないわけではないけれども、本件当時もおそらくは同じ扱いではなか
ったかと推察される。その点に関する検察官の指摘は一応納得できる点がある。し
かし、同時に、レンタル契約書中の記載は顧客の性格によってまちまちであり、多
くの顧客の場合には車両の状態を正確に表しているとはいえないようであるが、神
経質な顧客の場合には、かなり記載が正確だということもそのとおりと認められ
る。後者とみられるE26の契約書中のアンテナの記載を根拠として、これはアン
テナの欠損を指しているとか、その約四か月前の本件当時にもA2バンのアンテナ
が欠損していた根拠になる等とは到底思えない。この点は先に述べたとおりであ
る。
 6 本件貸出し当日のマストの折損可能性に関する所論の主張について
 所論は、以上に述べた各問題点について逐一詳細な論証を行った上で、E26の
レンタル契約書との関連を強調しながら、「犯行当日のA2バンのマストが装着さ
れていたか欠損していたかについては、いずれとも断定し難く、その可能性の大小
についても論じ得ず、したがってアンテナに関する証拠は、結局のところ、A2の
犯人性を判断する上で、決め手とはなり得ない無意味な証拠でしかない」、と結論
づけている。
 原判決は、A2バンにはアンテナマストがついていた可能性が相当高いとし、そ
れ故、現場バンとA2バンとが同一でない疑いがかなり残ると判断しているのに対
して、検察官は、その点は結局不明といわざるを得ないと主張するのである。しか
し、アンテナに関する上述の証拠関係からすれば、A2バンにアンテナマストがつ
いていた可能性が確かであるとか、これを根拠として現場バンとA2バンの同一性
をはっきり否定してしまえる程であるとまではいえないとしても、E10のもとで
発見されたA2バンには純正品マストがついているのにその折損を具体的に窺わせ
る証拠はなく、その痕跡も認められないことからみて、検察官が主張するような、
欠損の有無が全く判然としないというよりは、少なくともアンテナがついていた可
能性の方が高いとみるのが相当である。しかも、このアンテナ問題の検討に当たっ
て今一つ念頭に置かなければならないのは、ここで大事なのはアンテナ折損の有無
の事実それ自体ではなく、仮に折損した場合に補修しないで長く放置されていたか
どうかの点だということである。仮に折損しても、それがすぐ補修されておれば、
本件当時のA2バンにアンテナが装着されていなかった可能性はそれだけ低くな
り、アンテナ装着の有無の点で、現場バンとの同一性に疑問が生じることに変わり
はないからである。検察官は、第二世代、第三世代のバン型車両の一部に折損した
まま一定期間補修しないままであった事例があることを明らかにした。しかし、洗
車時に生じた折損については、すぐ補修されたとの証言があるほか、弁護人提出の
F2レンタカーのバン型車両の写真もよく整備された状況を示している(のみなら
ず、検察官提出の写真、例えば甲一〇二〇などによっても、その整備状況は良好と
みられる。)。そして、右は何といっても散発的な調査結果にすぎず、バン型車両
のアンテナ折損状況を全般的に、しかも客観的資料に基き明らかにするものとはい
い難い。そのような諸点を総合勘案するときは、現場で目撃されたバンとA2バン
とは同一の車両ではなかったのではないかという疑いにはかなり合理的な根拠があ
り、証拠上無視できないと考えられる。
 三 車両の特徴による同一性の識別
 所論は、原判決が、銃撃現場で目撃されたバンの車種、年式、車体の塗色等がA
2バンと同一であることを認めながら、当時のa1市内にはF14社製の白いエコ
ノラインが数百台は存在したと認められるから、A2にレンタカー借り出しに関す
る前述の諸事情が認めれるとしても、そのことから直ちに、現場バンはA2バンで
あったと推認するのは相当でない、と判断したのを不当であるとして非難する。
 そこで検討するのに、原判決は、車種だけでなく、色調、年式も同じであるとし
ているが、そのように言い切れるか、多少の疑問がないではない。まず、A2バン
は、一九八〇年型、F14社製カーゴバン、エコノライン二五〇(塗色ウィンブル
ドンホワイト)であったことが明らかである(A2バンに関する捜査報告書[物一
一一、一一二]、実況見分調書等[甲三〇六、三〇七、三〇八])。他方、現場で
目撃されたバンの車種は、目撃者であるE3やE5らの供述、A1写真13に関す
るH6鑑定(甲二四二)、H7鑑定(甲七八二、七八五)等を総合すると、同じエ
コノラインの新型と認められるから、車種の点ではまず同一とみてよい。しかし、
年式まで同じかどうかは明らかではない。つまり、同車は、一九七五年にモデルチ
ェンジし、その後は、同型式の車の生産が続けられたとされている(前掲捜査報告
書[甲一〇一三[112―16074)から、同年以降に生産されて車両のすべて
がこれに該当する可能性があるとみられ、その中で一九八〇年型であったことまで
目撃によって特定することは困難とみられるからである。次に、塗色は、エコノラ
インの場合は一五色程度あり、その中では白が三〇ないし三五パーセントを占める
とされている。色の識別を写真によって判定することは、性質上なかなか難しいこ
とであるが、両車両の同一性鑑定に当たったH6の原審証言によると、鑑定依頼外
の事項であると断った上での証言ではあるが、「非常に淡い色若しくは白系統の明
るい塗装の車」であるとされている。その趣旨は、白であるともないとも断定でき
ない、淡色系のアイボリーとか薄いクリーム色だとか、そういう非常に薄い、白っ
ぽいのに僅かに変化した種類の車であるということくらいしかわからない、という
のである(第三六回原審証言154―2770、第七六回原審証言169―662
6)。目撃者らは、白いバンと表現しているから、白っぽい色であったことは間違
いないとしても、更にそれに何かの色が混じった白っぽさであったかどうか、例え
ば七九年型及び八〇年型のエコノラインのカタログ(物七一八・同押号の三六五)
にある「ライト・サンド」のような塗色でなかったかどうかまでは、分からない。
その意味で、塗色は、両者似ているとはいえるが、それ以上に同じとまでの断定は
できない。
 また、現場で目撃されたような特徴のバン、すなわち、一九七五年以降に製造さ
れた新型エコノラインで、白っぽい塗色のバンというだけでは、原判決が指摘する
とおり、該当車両が極めて多く、当時のa1市内を多数の同型車が走行していたこ
とは間違いないことは原判示のとおりであるから(前掲回答書[弁B三三、三
四]、前掲捜査報告書[甲一〇一三])、この特徴だけでは車両の絞り込み効果を
あまり期待できそうになく、結局A2が前日に借り出したバンと似ているとはいえ
ても、それ以上の類似性は不明とするほかない。
 そうすると、本件当時現場で目撃されたバンと同車種、同系塗色のバンをA2が
本件前日に借り出し、当日に返還した事実が認められても、アンテナの疑問が解消
されず、車の特徴による同一性識別も右に述べた程度である以上、A2バンの使途
をめぐる嫌疑が検察官指摘のとおりであり、疑わしくても、A2がA2バンで現場
へ臨場した事実を認めることには合理的な疑いが残る。
 A2の犯人性を立証するに当たり、検察官としては、A2バンには正当な使途が
なかった事実をひとまず立証でき、そのことによって、A2バンが現場で目撃され
たのではないかとの疑いまでは立証できたとしても、他方現場バンとA2バンとの
同一性について、アンテナ装着の有無等をめぐって生じる疑問が以上に述べたとお
り解消できないままでは、これを全体としてみれば、A2の現場臨場性についての
立証が不十分と判断せざるを得ないのは当然である。
 第七 犯行に加担する動機の有無について
 殺人という重大な犯罪の共犯者になることを応諾する場合には、通常、納得でき
る動機が認められる筈と考えられる。原判決もそのことを指摘し、A2は、本件当
時平穏な家庭生活を営んでおり、A1から報酬を払うといって誘われても、その殺
人計画に容易に加担する状況にあったとは思えない、その意味でA2に動機は認め
られないと判断して、この事実はA2の本件犯行への関与に疑問を持たせると判示
した。この点について、所論は、人の判断は多様であり、またA1がA2をどのよ
うに言って説得したかも分からないではないかという。しかし、この点に関する検
察官の主張は、事柄の性質と本件証拠に照らすとき、全く説得力がない。以下に検
討するところによれば、本件保険金殺人、B1殺害に加担する動機がA2にあった
とは到底認められない。
 A2の本件当時の生活ぶりは、関係証拠によれば、おおよそ次のとおりであった
と認められる。すなわち、A2は、
 1 高校卒業後、二年の受験浪人生活を経験して昭和四八年に渡米し、O2大学
音声学特別講座で一年間英語を学んで同大学生物学部に入学、その後経済学部に転
部した。同五三年八月に同学部を卒業して、同地の輸入代行会社O1カンパニーに
勤務し、仕事を通じて知り合ったA1に誘われて、同五四年一二月ころ独立し、
「C7」の名称で、A1経営のC1が米国から輸入するギフト商品を、同社に代わ
って現地で仕入れ、同社宛てに発送する輸出代行業務を行うようになった。
 2 この間、昭和五二年六月、学生として知りあっていたE19と同地で婚姻
し、同五四年四月一一日に長女E24が生まれた。当初はアパートに住んでいた
が、同五四年一一月に「C7」として業務を始める直前ころ、仕事場を兼ねてa1
市i1の一戸建ての住居に移り住んだ。
 3 C7の営業活動から生じるA2の収入は、当初A1との間で、C1との取引
額の一〇パーセント、月一〇〇〇ドルは保障する約束となっており、実際それを上
回るほどの収入があった。また、これとは別に、F4とC1との間の取引に関する
顧問料として、毎月四〇〇ドルがC1から支払われる約束となっていた。更に、同
五六年六月以降は妻E19が看護婦として勤めに出て、月約一二〇〇ドルの収入が
あったが、生活費に回す必要はほとんどなかった。
 4 一方、当時の家計支出は、家賃その他を合わせても月に一〇〇〇ドル位あれ
ば足り、超えても、若干プラスすれば足りる状態であった。
 5 ところで、昭和五五、六年ころ、A2はi1の家の家主から家を売却するか
も知れないと聞かされ、同地が気にいっていたこと及び当時の家賃が五OOドルか
ら六〇〇ドルとかなり高額であったことから、頭金があればその付近に家を買いた
いと考えたが、すぐに買うまでの余裕はなかった。
 6 昭和五六年に、A2は二八〇〇ドル、妻は三〇〇〇ドル、合計五八〇〇ドル
を投資して金や銀の先物取引を行い、結局丸損をしたということがあった。
 以上によれば、A2のアメリカでの生活は、アメリカ在住の日本人としてはかな
り順調で、かっ安定していたとみられる。先物取引に手を出して損失を出したこと
はあったが、この投資は資金に余裕のある範囲内で行われており、深刻なものでは
なかった。そのことは、同人らの預金残高からも分かる(銀行預金口座の入出金に
関する捜査報告書[甲五七四]、E19の第四七回原審証言[157―3772、
3835~3837]、同公判調書添付の預金通帳の写し「9」から「11」)。
i1に家を買いたいという希望もまだ漠然としたもので、差し迫った話ではなかっ
たし、元来同人は、性格的にも自分の生活ペースを大事にしつつ家族中心の生活を
送る傾向の強い人物で、当時家庭では二歳の娘を中心として安定した平穏な生活を
送っていたとみられ、こうした身辺事情を全体としてみると、A2はようやく築き
上げたアメリカでの平穏な生活を一挙に失う危険を冒してまで、A1のため、同人
からの誘いにたやすく応じる状態にあったとは到底思えない。検察官が描く本件犯
行の構図を基にして考えれば、本件は、A1にとっては犯行による金銭的利得が考
えられるから、その点を動機と考えれば考えられるとしても、A2については大き
な危険を冒してまで犯行に加担するだけの積極的事情は全く認められない。また、
A2はかつてA1方に招かれてB1に会ったことがあったほか、その長女で、自分
の長女と年が似通った子供に会ったこともあり、同じように可愛いい盛りの子を持
つ親として、その子の母親を殺害するような行動ができる筈はなかったと述べてい
るのも、単に口先だけの弁解とは思えない。検察官も、A2に動機らしい動機が見
当たらないことは認めつつ、しかもなお、A1が絶対に発覚しない等と言って強力
に説得したかも知れないし、A2としては、その収入が主としてA1との取引に依
存していることを重視して引き受けたかも知れないから、動機となりそうな事情が
一見しただけでは見当たらないからといって、すぐにA2は犯行に関与していない
と推測するのは早計であるという。しかし、殺人という重大犯罪について、右のと
おり、ほとんど動機らしい動機がないのに、それでも関与を決断したかも知れない
という程度の理由で動機を肯定するのは、危険である。そうすると、この点は、A
2の犯行への不関与を窺わせる一つの事情として考慮するのが相当であって、その
ことを指摘した原判決に不当な点はないというべきである。
 なお、検察官は、原審での冒頭陳述において、A2は「社長である被告人A1の
部下ともいうべき立場にあった」とか、「忠実な下僕のごとく同被告人に服従する
ようになった」と述べて、A1とA2とのこのような関係が、今回の犯行の動機な
いし伏線になっていると主張したことがある。この点は、控訴趣意では触れられて
いないので、その後の審理経過からみて撤回されたものかと窺われるが、証拠によ
れば、両者の間にこのような関係は認められず、ましてそのような関係の中に本件
の動機を見いだすこともできない。
 第八 A2とA1との謀議について
 検察官は、本件犯行をA1がA2に持ちかけ、A2がこれを応諾して実行したと
するならば、犯行前に、両者間で綿密な事前打ち合わせが行われていた筈であるこ
とを認めている。しかし、その上で、最終謀議に関する原判決の判断を不当である
と非難する。すなわち、原判決は、事件前日の一一月一七日に、A2がF1にA1
を訪ねて会っている事実を認めながら、これはA2を共犯者と推認させる情況証拠
にはならないと判示し、その理由として、(a)A2は、A1がa1へ来たときに
はいつもすぐ同人と会って、A1の滞米中の仕事や日程の打ち合わせをしていたと
述べており、両者の仕事上の関係からみて納得できるから、このときも同様であっ
たと考えられること、(b)A1はA2と別れた後の時間帯に、別人の共犯者と会
っている可能性を否定できないことの二点を挙げているが、これは不当であるとい
うのである。そして、検察官は、A1の渡米は、九月以来で、二か月ぶりのことで
あったから、本件犯行を翌日に控えて最終謀議をする必要があったほか、現場を下
見して打ち合わせた筈である、B1が買い物に行ったのは謀議に必要な時間を作り
出すためにことさら買い物に行かせたのであり、こうして作り出した貴重な時間帯
に、共犯者としての諸条件をよく備えたA2がA1に会っているということは、謀
議のためであったとみるのが自然であり、これはA2が共犯者であることを示す情
況証拠になる、というのである。
 ところで、このときのA1とA2の面会については、商用メモ等の証拠は全く残
されていない。原判決の認定は、A1が商用で渡米したときのいつものやり方と何
ら変わりはなかったというA2とA1の供述に基づいているのに対し、検察官の主
張は、銃撃事件発生の結果から逆算して、事件前に最終謀議がされた筈であり、そ
の機会としてはこのとき以外にはなかった筈であるという論理と、面会直後に、A
2がレンタカーを借りに行っていることとのつながりを根拠としているものと考え
られる。
 一 謀議を要する事項と謀議の必要性
 午前一一時過ぎという白昼の時間帯に、人目の少なくないバス道路沿いの駐車場
で、目撃されることなく、B1の顔面とA1の足を引き続いて銃撃・命中させ、B
1の所持品を現場にまき散らして逃走し、強盗を偽装するという綱渡り的犯行をA
1が仕組むためには、共犯者間で、事前に相当入念な謀議を遂げておくことが必
要・不可欠と考えられることは、容易に想定できる。犯行態様からみて、入念な打
ち合わせを要する事項は少なくないと思われる。簡単に思いつくだけでも、第一
に、凶器として使用されるライフル銃の足のつかない調達方法、それをA1が調達
することは実際上考えられないから、共犯者がどのようにして調達、保管、習熟、
処分するかが問題にならざるを得ない。第二に、単にB1を銃撃するだけでなく、
偽装のためA1本人の足を同時に銃撃することを計画していたとすると、足を銃撃
するといっても、まかり間違えばA1本人に取り返しのつかないダメージを与える
危険があることは見やすい道理であるから、まずA1が、そのような銃撃の一般的
威力を得心のいくまで納得し、銃撃犯人の射撃の腕の確かさを信用でき、最悪の場
合にも予想される負傷の程度とその予測に間違いがないかどうかを確かめることは
省略できないであろう。第三に、保険金目的の犯行であるとすると、保険会社に疑
いを持たれない犯行場所と犯行態様の選定が重要であり、またF4用の写真撮影中
であったことを口実とするのであれば、それと矛盾するような不自然な場所であっ
てはならないだろう。そして何よりも、実際に銃撃を行う者にとっては、人目が少
なく、犯行をできるだけ目撃されない場所その他の現場条件を確かめることが不可
欠である。第四に、計画実施に当たっては、本件駐車場や駐車状況の下見が必要で
あろう。B1に気づかれないで銃撃するには、どの場所からどのような態様で銃撃
するかが問題で、事前検討を要するところと思われる。そのためには、バンの調達
と現場での配置方法を検討し、かつそのバンから足がつかないよう配慮しておくこ
とが必要である。第五に、報酬金額、その支払方法、支払時期等についての合意も
不可欠である。打ち合わせを要する事項は少なくなく、どうみても簡単な謀議で済
みそうにはない。例えば、犯行現場の選定問題一つを取り上げてみても、本件現場
は、バス道路沿いの狭い駐車場で、路線バスがこの時間帯には一時間に六本位は通
っている場所であり、その道路を挟んだ反対側に広い駐車場があり、駐車場には多
数の車両が駐車中で、路上駐車車両や路上駐車のできそうな場所を探して付近をう
ろうろする車もあって、そのためそうした車に対する取り締まりがよく行われてい
たと本件目撃者らが供述している場所であったから、十分な検討が必要であったと
思われる。また、現場にバンを配置すればその陰から目撃されることなく銃撃でき
るとの見込みを立てるためには、実際にバンを借り出して現場に配置してみる必要
があったであろう。特に、東方のF3ビルは、少し離れてはいるけれども現場を見
下ろせる位置に建っていて、本件では偶々八階に目撃者らがいたけれども、見下ろ
される犯人の側にとっては、何階から目撃されるか分からないことを前提として警
戒しなければならない現場状況にあったし、他に北東方向のF17ビルからも目撃
可能であり、これに駐車車両が加わることを想定すると、目撃可能性の一点だけを
取り上げても、銃撃を実行する犯人にとっては、相当真剣に検討しなければならな
かった筈と推察される。検察官は、保険金請求との関係で、銃撃被害を受けたとし
て不自然さが感じられない場所という観点からみて、本件現場は犯行に適当な場所
であったという。しかし、少なくとも短時間の打ち合わせで足りたとは到底思えな
い。
 A1と銃撃犯人とは、右の打ち合わせを、A1が日本にいることを前提として、
完了しなければならなかったことになる。本件の共謀にはこれだけの膨らみがあ
り、これを銃撃犯との間で行うには、かなりの時間と機会を必要とすることは当然
で、それは簡単に済むことではなかったとみなければならない。
 二 謀議の機会と方法
 1 謀議の機会
 本件謀議の始期について、検察官は、本件の約三か月前におこった殴打事件後の
ことと主張する趣旨のようである(原審での冒頭陳述2―81)。殴打事件に失敗
したために、手段を強めたとみるのが一般的には分かりやすい筋道である。本件の
警察側捜査の取りまとめに当たったE32証人は、当審公判廷で、殴打事件で殺害
目的は未遂に終わったが、事態が表面化することなしに終わった点で、A1にとっ
ては必ずしも失敗ではなかったと見られる、帰国後すぐにB1に行わせるアンティ
ークドレスの展示即売会の会場予約をするなどしたのは、殴打事件直後、a1にい
るときすでに銃撃事件の下準備を始めたことを示しているという。しかし、証拠上
は、全く根拠がない。
 2 国際電話
 謀議のための両者間の連絡方法としては、直接会って打ち合わせる方法と、国際
電話等による連絡とが考えられる(検察官は、これ以外の方法として、昭和五六年
一〇月に、A1がC1の社員E33に封筒を託して、これをA2に手渡したことを
挙げる。しかし、これが本件に関係する物であったことを示す証拠は存在しない。
そして、これは一方通行であって相互連絡ではなかったから、所詮補助的な連絡方
法に過ぎない。)。
 そこで、まず、殴打事件から本件に至るまでの間にA1がA2にかけた国際電話
の架電状況(A1の自宅や事務所に設置されている電話回線分)をみると、大半は
ごく短時間の通話ばかりで、その中に一〇分ないし一三分余の通話が六回あるとい
う程度に過ぎない(国際電話使用状況に関する報告書[甲六三六])。検察官は、
原審での釈明の中て、一〇月一三日以降、A1が日本国内からa1のA2に頻繁に
電話をかけて連絡をとったと述べている。しかし、同日以降分のこれに相当する電
話は四回認められるが、この電話は、すべて会社の事務所内から、通常の執務時間
内にかけられており、電話機の周辺に社員がいる状況のもとで、殺人実行の共謀が
できるとは考えられないのであって、これが共謀のためとは到底思えない。そし
て、これ以外には連絡の痕跡を証拠上窺えないから、電話を使った共謀は可能性が
低いとみなければならない。
 3 渡米時の共謀
 そうなると、A1が渡米してA2に直接会った機会に謀議をしたとみるほかない
ことになるが、これに相当する機会としては、A1の出入国記録からみて、本件の
二か月前の九月渡米時(九月一三日から同月一九日まで)と本件発生時の二回しか
ないことが明らかである。そのことを前提として、前記の打ち合わせをする手順を
考えると、普通ならば九月渡米時というのが順当なところであろう。しかし、この
ときのA1の行動については、検察官からはほとんど内容のある主張や立証はされ
ていない。かえって弁護人から、A1とA2は、A1到着翌日の一四日から、一〇
月に開催を予定していたギフトショーに参加してくれる会社探しに奔走し、実際に
二〇社位の参加を得ることができ、その覚書(メモランダム、甲七七四)を作成す
るのに忙しく、本件の打ち合わせをするような時間的余裕はなかったとされ、実際
一〇月一日、二日の両日、かねての予定どおり、F33館でC1のギフトショーを
開催した事実があるから、これによって、右のような渡米時の状況は一応裏付けら
れているといえる。このとき、バンを借り出した事実はなく、死角範囲の確認をし
た形跡も窺えない。
 A1は、一〇月五日にC1の従業員E33を渡米させ、自らは一〇月七日から一
〇月一一日までタイペイに出張している。E33渡米の目的は、ギフトショーで注
文を受けた商品のオーダーをアメリカ側に直接持参する点にあり、A1の出張は、
台湾からの直接買い付けを検討するためであったようである。もし、このころ、A
1が本当に本件犯行を画策していたのであれば、このときE33を渡米させない
で、A1本人が渡米し、その機会に本件銃撃の謀議を遂げることを考えていてよさ
そうに思われる。
 4 本件前日の共謀
 このようにみてくると、ほとんどの準備と打ち合わせが本件前日に持ち越されて
いたことになる。だから本件前日の最終謀議が欠かせなかったというのが検察官の
主張である。しかし、このように重大な犯行を計画しながら、その実行細目の大半
についての共謀が事件前日に持ち越されていたとは到底考えられない。検察官の論
法によれば、A1は、出発前にB1に生命保険をかけ、同女を連れて渡米するなど
して、いわば日本でできる犯行準備を完了して渡米していることになるのに反し
て、現地のa1では全く準備未了の状態であったことになり、あまりにも不均衡過
ぎると考えられる。そうなると、何故A1は到着翌日という、綿密な謀議をする時
間的余裕のないことが初めから分かり切った時期に本件犯行を実行することにした
のか、最終謀議を一七日に持ち越すほかない日程であったのであれば、十分な謀議
を終えて、一八日以降に実行しそうなものではないかとの疑問が生じるのである。
 これを殴打事件発生前の状況と対比してみると、このときA1は、何回にもわた
ってD5に念押しをし、打ち合わせを繰り返した跡が明らかである。両者を較べる
と、今回の犯行の方が犯行内容がはるかに複雑であるのに、その準備は殴打事件の
ときよりもはるかに不十分過ぎるようにみえ、このように準備未了の状態で本件を
実行できると本気で考えていたとすることには、少なからぬ違和感を抱かざるを得
ない。
 ただ、事件前日、A2はF1でA1と会った後、すぐレンタカー会社へ行き、そ
こで白いバンを借り出した事実があることはそのとおりである。A1と会って話し
た結果、バンの借り出しが必要になったのであろうと推測されるが、その話とは何
であったのか、それはA2のいうように取引関係のことで、その必要から借りに行
ったものなのか、あるいはそれは検察官がいうように本件の謀議のことで、犯行に
使用するために借りに行つたものなのか、いずれとも不明である。先に述べたとお
りの込み入った銃撃計画の共謀というにしては、その謀議経過も謀議内容も全く判
然としない。謀議の成立を主張する以上は、少なくとも謀議をするのに十分な機会
があったことを客観的に立証しなければならないのに、そもそも謀議の機会があっ
たのかどうかが判然としないのである。このように未解明部分の多い証拠関係を基
にして、事件前日の両者の面会は最終謀議を内容とするものであったと認定するこ
となどできるものではない。
 以上によれば、事件前日にA2がA1に面会した用件は、はっきりはしないけれ
ども、A1がa1に来たときはその都度、すぐに仕事上の打ち合わせをするのがい
つものやり方であったということは、誰にでも納得できる普通のことといえるか
ら、他の理由がない限り、その可能性が高いとみることができる。
 第九 殺人報酬の約束と支払い
 一 検察官の主張
 保険金目的の殺人への加担を応諾するときは、報酬約束がされていなければ不自
然であろう。原判決は、A2がA1から本件犯行の報酬を受け取ったと認めるに足
りる証拠はないとし、もしA2が報酬の取得を目的として犯行に加担したとするな
らば、当然報酬を受け取っていなければおかしいのに、受け取った証拠がないとい
うことは、同人が犯人でないことを窺わせる事実であると判断した。
 これに対して、検察官は、A1はA2に対する殺人報酬の支払いを踏み倒した可
能性が濃厚であるとし、踏み倒されたA2の立場については、妻子と共に帰国後、
親の資産と事業を受け継ぎ、本件犯行の翌年の昭和五七年一一月、B1が死亡した
ころにはすでに多額の収入を得るようになって生活が安定し、A1から右の報酬を
もらう必要が薄れてしまっていた、そこでこの際A1から報酬を受け取るよりも、
犯行に関与した事実の発覚を防ぐためには受け取らない方が得策と考えたことも十
分あり得る、A2がA1から報酬を受け取ったことを示す証拠がなくても、必ずし
もA2が犯人でないことを窺わせる事情とはいえない、という。しかし、以下に述
べるとおり、到底そのように認めることはできない。
 二 A2への一八三万円の入金
 関係証拠によれば、A2に本件報酬が支払われていないという原判決の認定に誤
りはないと認められる。
 すなわち、A2がA1から受け取った金員の中で、いささかでも殺人報酬の支払
いを疑わせるものとしては、昭和五七年八月にA1からA2に銀行送金された一八
三万円があるだけで、それ以外にはない。検察官もそのことを認めた上で、原審で
は、この一八三万円を本件殺人報酬の一部であると主張した。しかし、殺人の報酬
ならば、本件犯行の態様からみて、一〇〇〇万円を下ることはなかったろうと検察
官自身も認めているときに、この金額は、殺人という重大事件の報酬としてはいか
にも少額で、金額が半端過ぎる。また、もしこれが殺人事件の報酬という性質をも
つのならば、証拠を残さないように現金で授受するのが普通であろうと考えられる
のに、この金員は、昭和五七年八月二三日、A1からA2の妻E19名義のP1銀
行P2支店の普通預金口座に振り込まれ、九月四日A2がこれを払い出して、P3
銀行P4支店のE19名義の普通預金口座に振り込まれているのである。殺人報酬
の支払方法としては不自然過ぎるとの印象を拭えないのであって、その旨の原判決
の判断には十分理由がある。原判決は、この金員支払いの趣旨をF4関係の顧問料
であると認定している。A2とA1との間には、同顧問料として、月額四〇〇ドル
を支払う約束があったところ、その支払いが途中から滞り、A2がC7の営業を止
めた昭和五七年二月時点では未払総額が八〇〇〇ドルになっていて、それをその時
点での為替レートに基づいて計算して支払ったと認定しているのである。被告人両
名の原審供述がその点では一致しているほか、A2が一時帰国していた同五七年二
月九日、同人はA1に対して、F4関係の費用であることを明示して、右八〇〇〇
ドルを同年八月末までに支払うよう求める書面を作成し、これにA1の署名をもら
っていた事実(E19第四七回原審証言・同公判調書添付資料「6」[157―3
832])、未払い金額と送金金額とが当時の為替レートに基きほぼ合致している
事実、A2の後任者も同様の金員の支払いを受けている事実等によって裏付けられ
ているから、そのとおりと認めてよい。もっとも、右金員送金の表面上の名目は、
F4関係費用とはされておらず、看護料名目となっている。それは、A1が、顧問
税理士のアドバイスにしたがって、保険金から支払いたい意向であったことや、実
際B1が米国で入院中には、その看護面で看護婦資格のあるE19の世話になった
いきさつがあったために、名目をそのようにしてもよかろうとの判断があり、その
ため看護料名目で送金されたというのである。そうすると、名目は看護料となって
いても、その実質がF4関係の顧問料であったことに違いはないと認められるか
ら、これを報酬の一部だと主張する検察官の主張は採用できない。
 三 A1の出金
 A2について報酬入金の形跡がないことについては右に述べたが、これをA1側
からみても、相手は誰であれ、報酬と呼べる金員を出金した形跡は認められない。
 すなわち、検察官は、A1が管理しているすべての預金口座(単に、A1名義の
金口座だけでなく、B1、E34、E12、E35名義の口座などを含む。)の入
出金状況及びA1の海外出張中の金員の精算関係につき、主として昭和五六年八月
一九日以降(いわゆる殴打事件の際の渡米から帰国した日)、昭和五九年一月一九
日(「疑惑の銃弾」の掲載された週刊J1が発行された日)までの間の調査、検討
を行っている(論告要旨第二分冊七四九頁、同別冊IB別紙一ないし一三)。かな
り徹底した調査が行われ、これによって金員の流れはほとんど解明され、報酬の支
払いがされていないことは明らかになっている。もとより、その調査結果によって
も、使途不明金が全くないわけではないが、その金額は少額で、支払方法等からみ
て、本件に関係ある報酬は皆無とみられる。日頃のA1の金銭処理について、B1
のいとこのE36は、個人の金銭と会社の金銭とは日頃からはっきり区別され、そ
の間に混同はなかったと述べている(同女の原審証言160―4409,449
9)から、検察官の右の検討はほぼ実体を反映していると理解してよいであろう。
ところで、もし、殺人に加担したことの報酬を支払うのであれば、A2について前
述したとおり、本件発生後騒がれることなく二年以上経過している右の時期までの
間に、ある程度まとまった金額の支払いがされたであろうと考えられる。殺人報酬
というような性質の金銭支払いについて、前金なし、分割支払いというようなこと
は、通常考えられない。それにもかかわらず、その間に支払われていないというこ
とは、報酬を支払うべき必要がなかったためではないかと一応は考えざるを得ず、
共犯者がいたという検察官の主張に大きな疑問を抱かせることは否定できない。
 検察官は、控訴趣意では前述の一八三万円の性質には触れず、代わってA1はA
2に支払うべき報酬を踏み倒したとか、A2は帰国後生活に困らなくなったため
に、報酬請求を放棄したと考えてもおかしくないという。しかし、これは証拠に基
づく推論とは到底いえず、あまりにも辻褄合わせが過ぎるとの感を拭えない。も
し、真実A2が、平穏な家庭生活を一挙に破壊する危険まで覚悟して本件に加担し
たとするならば、その報酬をたやすく放棄することはあり得ないとみるべきであろ
う。 このように検討してくると、報酬支払いの事実がないのはもとよりとして、
報酬支払いの約束があったともみえない右の状況は、両者の共謀を否定する情況事
実と評価するほかなく、その旨の原判決の判断に誤りは認められない。
 第一〇 A2とライフル銃との結びつきについて
 所論は、原判決が、本件銃撃に使用されたライフル(二二口径、右一六条のライ
フルマークを持つ。)をA2が所持していたとする証拠がないこと、本件銃撃犯
は、B1の顔面に銃弾を命中させるとともに、A1に対しては致命傷を与えないよ
うにその大腿部に銃弾を命中させることのできる相当の腕前の持ち主と認められる
のに、A2は、四、五回射撃場に通って練習した程度で、射撃に習熟していたとは
認められないから、本件のような困難な銃撃を行えたか疑問であると判断したのを
不当であると主張し、a1でのライフル銃の購入、処分は極めて容易であるから、
積極的証拠がなくても犯人でないとはいえないし、また、ライフル銃はピストルと
違って命中率が極めて高く、初心者であつても間違いなく命中させることができる
から習熟は不要であり、しかもA2は自分でもライフル銃を所持していたのである
から、本人がいう以上に習熟していた筈である、と主張している。そこで検討する
のに、
 一 ライフル銃の所持関係をみると、A2は、昭和五一年八月又は九月ころ、大
学で知り合ったE37が帰国する際に、同人からルガー製の二二口径ライフル銃を
五〇ドルで買い受けた。このライフル銃は、スコープ付き、セミオートマチックの
もので、銃ケース、二ケース入り一〇〇発の弾丸、説明書などと共に受け取った。
A2は、その後の同五三年にj1通りのアパートをE38に譲ってE19と共にk
1通りのアパートに移り、更に同五四年一一月i1の一戸建ての家に移ったが、そ
の間ライフル銃はE38に預けたままで、その後、同人が日本に帰国する同五四年
一二月ころに同人から返還を受けた。そして、同五七年四月、A2が帰国するにあ
たり、前記のライフル銃と実包を、妻にも内緒で、引越荷物に紛れ込ませて日本に
持ち込み、日本到着後、梱包し直して、自宅倉庫の天井の梁の部分に隠匿して所持
していた。これが、今回、銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われた銃で、この銃が
本件銃撃に使用されたものでないことは明らかである。
 問題は、A2が、このライフル銃以外にライフル銃を所持していたことがあった
かである。この点に関して検察官は、原審での冒頭陳述中で、本件後の昭和五七年
二月二〇日ころにA2の友人であるE39、E40夫妻がa1のA2宅を訪れた
際、そこで、自動式ではないボルトアクション式のライフル銃を見たと述べている
ことを指摘した。しかし、同証人らの供述は、目撃状況に関して客観的な事実に反
する点が目立ち過ぎ、到底信用できないことは原判示のとおりと認められる。E3
9らが見たというライフル銃は、関係証拠によれば、E39がその友人と昭和五二
年夏ころに、j1のアパートにA2を訪ねたときに見たのと同じ銃で、それは、A
2が今回持ち帰ったルガー製のライフル銃であると考えるのが相当である。したが
って、今回発見されたのとは別の、本件で使用されたのと同じライフル銃をA2が
所持していたことを示す証拠は見当たらない。検察官は、アメリカではライフル銃
の購入も処分も容易であるから、所持の事実が不明であっても、だから犯人でない
とはいえない、という。しかし、犯行に使用した銃を、本件犯行前から犯行と無関
係に所持していたものであれば、あえて周囲の者に隠すこともなかったであろうか
ら、銃の捜査が行われれば、所持状況はたちまち判明しておかしくないだろうし、
もし本件への加担を求められ、応諾した後に新たに購入し、短期間内に習熟のため
練習し、使用後急いで処分したとするならば、その過程のどこかで身近の者に感づ
かれているように思われる。そして、後者の場合には、とにかく同人の手元に使用
可能なライフル銃一丁があったのであるから、新たに購入などしないでその銃を使
用し、その上でこれを処分してしまえばよかったのではないか等の疑問が解消しな
いのである。
 なお、A2は、右のとおりE37から譲り受けたルガー製のライフルを持ち帰っ
たことを妻にも話さず、聞かれたときにはアメリカでD4に譲り渡してきたと答え
てごまかしていたが、その後銃撃事件の捜査が厳しくなる中で、これを警察に提出
した。提出した理由について、A2は、捜査官から、銃撃事件については弾丸があ
るからこれによって銃の同一性は照合可能であるとの説明を受け、無実の証明が可
能と分かったので提出したというのである。銃の持ち帰りが大騒ぎになってしまっ
た後の収束策としてみれば、理解できないことではない。ところで、A2は、この
提出に先立つ昭和六二年六月一六、一七日の両日、L1で警察官による取調べが行
われた際、自分が所持していたとするライフル銃の形状等を図面に記載して提出し
ている(乙八五・同押号の三七八)が、その図にはボルトアクションのレバーに相
当する部分が書き込まれており、A2が日本に持ち帰って所持していたライフル銃
とは明らかに異なっている。これではA2は、日本に持ち帰ったライフル銃以外に
もう一丁ライフル銃を所持していたことになってしまう。このような形状のライフ
ル銃を記載した理由について、A2は、原審公判廷での説明の中で、自分の記憶は
薄れていたが、捜査官から、友人のE39の供述を伝えられて誘導されたので、間
違いないだろうと思ってそのように図示したように思う、というのである(第八六
回原審証言[174―7557,7592]、同公判調書添付資料25、第九四回
原審証言[180―8514])。しかし、もしA2が、持ち帰った銃の外にもう
一丁別のライフル銃を入手するなどして、それを本件犯行に使用していたとする
と、これらライフル銃の形状は脳裏に焼き付いていた筈であり、それに関しては神
経質なくらいの対応をしたと思われ、このように複数の銃を所持していたことにつ
ながる図面を不用意に作成するとは考えられない。この点に関するA2の供述経過
には、A2が、持ち帰っていたライフル銃以外には、ライフル銃を持っていなかっ
た事実が現われていると考えられる。
 二 また、A2の射撃能力がどの程度であったか、判明している限りでは、姉の
夫や友人らと四、五回(あるいは一〇回程度という供述もある。)射撃場に行って
射撃したことがあるという程度とされているから、まだそれほどライフル銃に習熟
していたとまではいえず、その点は原判決の判示するとおりと考えてよいと思われ
る。一方、本件の銃撃犯人は、いずれも一発でB1の顔面とA1の大腿部を撃ち損
じることなく撃つことができるだけの銃撃能力を持ち、また、ホローポイント弾を
使用していて、これで顔面を撃てば殺害でき、大腿部を撃てば致命傷にいたらない
ことを知っていた人物のようである。しかも、練習として撃つのではなく、いつ動
くかも知れない相手方を、気づかれて逃げられたりしないよう短時間内に、しかも
他人に目撃されないように気を配りながら撃つことが求められており、この役割を
落ち着いて実行できるためには、やはり相当手慣れた銃撃能力を必要とすると考え
られる。だから、落ち着いて撃てば素人でも百発百中を期待できるという検察官の
論法は、本件の局面では採用できない。
 このように考えると、本件で使用されたライフル銃とA2とのつながりが全く不
明となる。銃撃に使われた凶器とのつながりが皆目不明であるという右の事実は、
犯行の性質上、A2の犯行関与の事実を立証するに当たって大きな欠落部分がある
ことを示すものであり、この点に関する原判決の判断に不当な点は見当たらない。
 第一一 A2のアリバイについて
 所論は、原判決が、「一般に重大犯罪を犯す犯人は、後日の捜査を想定してアリ
バイ工作を行うのが自然であり、ことにA2は、a1ではA1に最も近い人物と見
られていたから、A2が殺害犯人としたならば、あらかじめ本件殺人事件当時のア
リバイ工作をしておくのが、本件の計画性、用意周到性からみて自然であると考え
られるのに、アリバイ工作を行ったと認めるに足る証拠がない。」とし、これを、
A2が犯人でないことを窺わせる事情であると判示した点を不当であると主張し、
保険金殺人の過去の事例を見ても、アリバイ工作をしている事例もあればしていな
い事例もあり、アリバイ工作がなかったとしても、そのことはその者が犯人である
ことを積極的に示す事実がないというにとどまり、犯人でないことを窺わせる事情
とはならない、というのである。また、これに付加して、A2が一切アリバイ工作
をしなかったとすることにも疑問がある、という。しかし、原判決は、A2にアリ
バイがあるとは認定していない。だから、その点に触れる検察官の主張は前提を欠
いている。また、検察官は、事件発生当日の午前及び午後のA2の行動に関する同
人の供述には疑わしい点があるとし、これは同人が犯人であることを示す重要な証
拠であるという視点を打ち出しつつも、最終的な意見はなお留保するとしているの
で、この点についても当審では特に判断しない。
 そこで、数人が共謀して、例えば保険金殺人の犯行を計画、実行する場合、アリ
バイ工作をするのが普通であるかどうかは、事案の内容と犯人の性格その他によっ
て同じではないかも知れない。しかし、これを検察官が本件事案の構図として主張
するところに沿って考えてみると、本件は被害者を偽装した保険金殺人で、その目
的達成のために種々方策を思いめぐらし、例えば露見し難いように犯行地を外国に
選定し、B1を銃撃したのに引き続いて自分の大腿部を撃たせるという手の込んだ
ことまでして被害者を偽装したということになるのであるから、その計画性、用意
周到さはかなりのものとみなければならない。それに対して、A2は、犯行地の近
くに居住し、その土地ではすでにA1やその妻B1との関係を知られていて、B1
が不測の被害に遭えばまず目にとまり、事情聴取を受けておかしくない立場にあ
り、しかもA2は、その時点ではまだ近々帰国する予定を立ててもいなかったとみ
られるから、A1の立場と較べれば、A2は極めてガードが甘い立場にあったこと
は明らかである。だから、もしA2が犯行に加担するのであれば、せめて何らかの
アリバイ工作などの発覚防止策を講じておかなければ立場がなかったろうとの印象
を拭えない。その意味では、原判決が、A2にアリバイ工作をした跡が見えず、犯
行に関与したとするには疑問を持たせる点があるとしたことは理解できる。
 検察官は、アリバイ工作をしたのにそのことが露見しない場合があるから、原判
決のように、表面をみただけで、A2はアリバイ工作をしていないと速断するのは
疑問であると主張する。確かに、アリバイ工作としては、例えば誰かから免許証を
借りてバンを借り出すとか、借りたバンの走行距離を不正に操作しておくとかの、
弁護人が主張する、絵に描いたような直接的な工作をするだけとは限らない。この
ような方法は、一見有効なようにみえても、かえってアリバイ工作自体が新たな痕
跡を残し、そこから露見する危険を抱え込むことにもなりかねないからである。と
すると、妻E19との間で、A2が犯行時刻ころには自宅にいたという、直接的で
露骨な口裏合わせをする代わりに、本件の場合にそうであったように、自宅を出た
時間は正確にはわからないが、ぐずぐずしていて遅くなったと妻に供述させ、間接
的にアリバイ的雰囲気を醸成する方がより自然であるという見方もなくはないかも
知れない。また、犯行時刻にぴったり見合った時間帯のアリバイではなく、これと
は少しずれた時間帯のことについて、例えば当日午後一時三〇分にa1市内の交差
点のところでA2はA1と待ち合わせをしていたのに、A1が来ないため事情が分
からず、一時間半もの時間、約束した路上で待ち続けていたと供述し、それを証拠
立てるために、出先から自宅のE19に対して、五分遅れて着いたがA1と会えな
いなどと電話しておき、事件発生のことを知らなかったことを仮装するというやり
方も十分想定可能なことではある。その上で、本当は事件に関与していたのに、事
件後も素知らぬ振りをして、被害者の看病をするため病院に詰め、家族の世話を
し、警察の事情聴取に対してA1の代役を努めるという手法も、世間にはよくある
手であるといえる。
 右のうち、どちらが真実であるかは、結局のところ、A2を取り巻く他の諸状況
と照合し、総合判断して決めるほかはない。ところが、それらの諸状況をみると、
別に述べたとおり、A2については、犯行に加担する動機が薄いという犯行の始ま
りの部分から、犯行終了後も報酬の授受が一切ないという結末の部分までの一切の
事情と、更に本件審理における供述内容その他を総合考慮するとき、同人の言動に
はことさらなアリバイ工作を感じ取ることができないとした原判決の判断は十分首
肯できる。
 所論は、F2レンタカーのことがE19の供述から判明したことは間違いない
が、それはA2が口止めをしていなかったからであるといえるかどうかとの点につ
いて、二人はそのように供述しているが本当に口止めしていなかったかどうかは分
からない、真実は口止めされていたのに、A2が逮捕されたため、その疑いを晴ら
そうとしてE19が敢えて述べたのかも知れないという。しかし、A2の疑いをは
らすためにE19が敢えてF2レンタカーの存在を明らかにするというのはいささ
か理解し難い筋書きであって、この点はやはり、E19と口裏を合わせておくこと
は十分できたのにそうしてはいなかったと理解してよいであろう。
 第一二 A2バンがレンタカーであった事実の主張について
 所論は、原判決が、「A2が本件バンを犯行に使用したものとすると、同車はレ
ンタカーであったから、もしその車両のナンバーを目撃されたときには、その犯人
がA2であることが直ちに判明してしまう状況にあった。しかし、同人がそのよう
な行動を採るということは、本件の計画性、綿密性に照らし、その不均衡が目立っ
ている。」と判示して、A2がレンタカーであるバンで犯行現場に臨場したことを
疑問とし、A2の現場臨場性を否定する一つの事情としている点について、これは
あまりにも些末なことであり、これが現場臨場性を否定する理由とならないことは
明白であるという。
 そこで考えるのに、ナンバーを目撃され、そのことから犯行が露見することを心
配すのであれば、所論がいうように、おそらく盗難車を使うか、偽造運転免許証を
使用して借りたレンタカーを使うか、それとも正規のナンバープレートに偽造のナ
ンバープレートを一時的に装着してカムフラージュするか等の工作をしなければな
らないであろう。しかし、本件犯行の際に、どのような手段が用いられたか、用い
られなかったかは、全く不明である。何らかの偽装がされていてもおかしくはない
が、されていなくても、不自然とはいえない。原判決も、この点を大きな疑問点と
して重視している趣旨ではないであろう。判決中におけるその点の扱い方と文脈か
らそのように読み取ることができる。むしろ、それ以上に奇妙だと感じられるの
は、一一月一七日にF2レンタカーからバンを借りて本件犯行に使用したとされる
A2が、その後も一二月二九日、翌年一月八日とたて続けに同じF2レンタカーか
らバンを借り出して使用している事実があるという点である。このことは、A2が
F2レンタカーから借り受けたバンを使用して本件銃撃を行った犯人であるとすれ
ば、疑問の大きい行動だとみなければならない。
 そうすると、原判決が指摘するような理由でA2の現場臨場性を否定することに
それほど大きい意味があるとは思えないが、A2が本件後もF2レンタカーをそれ
までと変わりなく利用している点は、A2の犯人性に大きな疑問を投げかける点だ
というべきであり、その意味ではレンタカーの使用状況に問題があるということが
でき、原判決の判断とは理由は多少異なるけれども、判断の結論は不当でないと認
められる。
 第一三 殴打事件に関するA2の言動について
 所論は、A2は、(a)銃撃事件の直後に、B1の両親から殴打事件の犯人であ
る女性に心当たりがないかと尋ねられたのに対して、その女はA2が知っている実
在の女性であるが、こちらからは連絡ができないという意味の嘘をつき、(b)週
刊誌上で「疑惑の銃弾」の連載が開始された後、B1の両親が、事情を聞きたいと
して大阪にA2を訪ねてきた際にも、「その女に名刺を渡したのはA1だった。自
分はもうはっきり覚えていないが、a1で店の写真を撮ってきてくれれば、その店
を思い出すかも知れない。」などとでまかせの嘘を告げて、殴打事件はA1が仕組
んだ犯行であることをうやむやにしょうとした、これは銃撃事件の共犯者であった
ためである、(C)殴打事件の凶器であるハンマー様の物を、犯行直後にF18病
院の待合室でA1から示されていたのに、捜査官から尋ねられたときにも、証言時
にも、そのことを話そうとしなかった、これも事件との関わりを隠そうとしたもの
で、同じ理由による、という。
 一 チャイナドレスの女のこと
 殴打事件の犯人とA1が述べていた女性のことについて、A2が所論指摘のよう
な嘘をついてA1と話を合わせたことは、本件記録中、E41の供述(六三年一〇
月一四日付け検察官調書[甲一二三])、E11の供述(原審証言)、E42の供
述(原審証言)によって大体明らかであるし、A2自身争ってもいない。
 この女性のことで嘘を述べた理由について、A2は、原審公判廷で、嘘の始まり
はA1から女性関係で助け船を求められて軽い気持ちで相づちを打ったことにあっ
たと説明している。要するに、E41がA1に対して「三か月前にもB1が頭を殴
られて怪我をしたけれどもそのときの女はA1と男女の関係はないのか。」と追及
したときに、A1から「A2君、その女はアンティーク屋で会った女だけどそんな
関係ないよね。」などと言われて、目で助けを求められたために、「そんなことは
ないでしょう。」といって口裏を合わせた、またA1の退院直後に、E42が、A
1に対して、「B1に聞いたんだけど、襲った女はチャイナドレスを作っている女
と聞いているけど、A1さんどうなの。」と詰問し、A1は「それは銃撃とは関係
ないし、あのときの女はチャイナドレスを作っている、A2君も知っている人だよ
ね。」と答えた際にも同様に言ったと述べて、これか嘘であったことを認めている
(A2の五九年四月二七日付け警察官調書[乙二二]、六〇年九月二〇日付け警察
官調書[乙二四])。これによれば、A2は、A1と口裏を合わせていた事実を捜
査のかなり早い段階から認め、前記大阪空港ではE41夫妻に謝罪しており、ただ
全面的に嘘であったとまで打ち明け切れなかったけれども、それ以上に積極的に嘘
をつく姿勢ではなかったと受け取られる。もとより、その嘘が殴打事件の犯人に関
する口裏合わせであることはA2にも十分分かった筈と思われるが、その時点で
は、それが保険金目当てに引き起こされたという事情はまだ表面化しておらず、A
2の認識は単なる女性関係のもつれによるトラブルという程度の認識であったとみ
られるから、このような口裏合わせは、B1の家族が置かれていた立場を察すると
はなはだ不誠実であったけれども、世間には時にみられる態様のものとみられる。
A2は口裏合わせを認めつつも、別にそれに該当すると思われる女性が実在したよ
うにも供述しているところ、この女性の実在性については判然とせず、A2がE4
2の面前で、「あっ、あの女性ですか。」などと言ったのはどうみてもわざとらし
いが、そうであったとしても、A2は、殴打事件に関してかなり踏み込んでA1が
犯人ではないかと捜査官に指摘してもいるのであるから、この点を、所論がいうよ
うに、A2が銃撃事件の共犯者であったために本件の発覚につながりかねない殴打
事件の真相を偽ったとみるのは相当ではない。
 二 凶器のハンマーのこと
 次に、A2が、ハンマー様の凶器をA1から見せられていたのに、そのことを供
述しなかった点について検討する。A2にとって、ハンマー様凶器を見てもいない
のに、見たなどと言って作り話をする必要性は考えられないし、実際A2は、殴打
事件発生後間のない時期に、妻E19にもそのことを話していたようである。ま
た、その点に関する同人の供述内容は、具体的であって、この供述を信用できない
とする理由は見当たらない。ところがA2は、この事実をもっと早い段階で捜査機
関に供述する機会があったのに、供述しなかったのである。すなわち、本件記録に
よれば、A2がA1にハンマー様凶器を見せられたことを捜査官に初めて供述した
のは昭和六二年一〇月一三日の警視庁での取調べにおいてであり、同じ日に妻E1
9も、大阪の自宅で事情聴取をされ、その旨A2から聞かされたことがあると捜査
官に供述したことが窺われる(ただし、A2は、原審及び当審公判廷では、右警視
庁での取調べより前の昭和六二年六月にL1で取調べを受けた際にも話したという
が、それは記憶違いであったと同六三年一一月三日付けの検察官調書(乙五九)で
供述したことか窺われ、E19もその点を捜査官に初めて供述したのは九月のこと
であったと供述している。)。ともあれ、両名は、六二年になって初めて、この事
実を捜査官に供述したことが明らかである。同人らはそれまで話そうとしなかった
理由について、殴打事件の犯人はチャイナドレス云々の中国人女性と報道され、A
2の妻が中国人であったために、世間からA2が事件に関係しているのではないか
という目で見られているように感じられたこと、昭和五九年四月から六〇年九月こ
ろまでの間に何回か警察官の訪問を受け、その都度事件に関する事情説明をした
が、殴打事件の凶器のことを聞かれたことはなかったこと、ところが、その後殴打
事件の犯人としてD5が浮かび上がり、六〇年九月ころ、A2は、D5が書いたと
いう凶器の図面も見せられた。その図面は、A2の記憶とは異なっていたが、しか
しD5が現れてようやく自分達が犯人と疑われる苦境を脱したのに、ここで凶器を
見せられたことがあるとか、凶器の形状についての説明をしたりすると、D5の供
述を否定する形になって、またまた話が複雑になることが心配され、凶器を見せら
れたことは話さないことにしょうと妻との間で口裏合わせをしたこと、そのような
経過を経た上で六二年に入り、A2がA1から凶器を見せられたことを二人とも捜
査官に供述したこと等の事情を説明している。A2が述べるこのような供述経過
は、以下の事情に照らすと、同人らの当時の心情をある程度正直に反映していると
理解できる。すなわち、当時、マスコミを通じて、A2が事件に関係しているので
はないかとの疑惑報道がされ、A2としてはかなりの緊張関係にあったこと、D5
の描いた凶器とA2がその後描いた凶器との間には実際にかなりの違いがみられた
こと、A2は、E41夫妻に対しては全面的に正直ではなかったが、捜査官に対し
てはかなり率直な供述をし、六〇年九月の取調時には殴打事件当時のA1の言動の
不自然さを指摘して、「A1がD5という女性にやらせたことは間違いないと思い
ます。」と供述し、本件銃撃事件についても、「やはりA1の犯行だろう」と供述
している事実があり(昭和六〇年九月二〇日付け警察官調書[乙二四]、同月二七
日付け検察官調書[乙四五])、虚偽の供述までして殴打事件の解明を阻止しよう
としたり、捜査の手が銃撃事件に及ぶのを阻止しようとした態度は見て取れないか
らである。そうすると、A2は、殴打事件について、一方でA1の犯人性を率直に
供述しながら、他方で凶器を見せられたことを供述しなかったことに不審を持たれ
かねないが、A2にすれば、殴打事件発生当時にはロビーにいてこれに全く関与し
ていないことが明らかで、そのため仮にA1が疑われることになっても、それがA
2に波及する心配は全くなかったから、A1の犯人性に関して供述しやすかったの
に対して、凶器を見せられて関わり合いを生じるときは、その渦中に巻き込まれる
ことを危倶してそのことに触れたくなくなることは十分考えられる。思いもかけ
ず、このような立場に立たされた者のこのような態度をとらえて、それは犯人だっ
たからではないかとすぐ結びつけて考えるのは、やはり相当とは思えない。全体と
してみると、A2はできるだけ事件との関わり合いを避けたいという気持ちから、
余計なことはしゃべらないでおこうとの態度をとっていたと理解するのが相当であ
る。結局、ハンマー様凶器をA1から見せられたという事実を隠していたことを、
そのままA2の犯人性を示す証左とする検察官の主張は、採用し難い。
 第一四 A2を銃撃実行者とする殺人の訴因についての総合判断と結論について
 所論は、B1殺害を仕組んだ首謀者はA1であり、その共犯者として銃撃を実行
したのはA2以外にないと主張し、その根拠として前述したとおりの情況事実を指
摘している。そして、それらの情況事実は、どれを取り上げても、それだけては犯
人を断定し得る証明力を有しないとしても、それらの情況事実を総体として観察
し、そうした諸事実が犯人以外の人物に凝縮して存在するという偶然が、はたして
現実の社会事象の中であり得るかという視座の下で判断することが求められている
のであり、このような見地から本件を見れば、A2が銃撃実行者であることは証明
十分であるのに、原判決は証拠の読み方が不十分であるため間接事実を誤認あるい
は看過し、認定された間接事実を複合して現実的に考究する作業を尽くさなかった
ため結論を誤った、というのである。
 そこで、以上の検討結果を取りまとめて総合判断すると、次のとおり判断するの
が相当と考えられる。
 一 A2の銃撃行為への関与を疑わせる事実
 1 情況事実の中で最も重要と考えられるのは、A2が借り出した白いバンで銃
撃現場へ行ったと認められるかどうかの点である。
 まず、A2が、現場で目撃されたのと同じ車種、塗色の似た白いバンを、本件発
生の前日にレンタカー会社から借り出し、本件発生当日に返還している事実は、本
件との関連性を疑わせる。A1が本件犯行の首謀者で、A2に指示して銃撃を実行
させる場合には、両名はおそらく実行前に犯行手順について最終の打ち合わせをし
ている筈と考えられるところ、事件前日にA1と会ったことが確認されているのは
A2たけであり、そのA2は、A1をF1に訪ねて面会し、別れた直後にレンタカ
ー会社に行ってA2バンを借り出している。借り出しと返還の時期が、丁度本件の
発生と符節をあわせていることに加えて、右のバン借り出しの事実とレンタカー会
社名を共に忘れていたとして捜査開始後も供述しようとせず、昭和六三年一〇月に
逮捕後もしばらくその態度を続けた末に、捜査官からレンタル契約書を突きつけら
れて初めて供述した経過は、やはり疑いを招いてやむを得ない。A2は、そのレン
タカー会社から、同人のアメリカ在住の終わりの時期に、仕事のために一〇同程度
は借り出したことがあったのであるから、仮に本件当日に借り出した事実までは覚
えていなかったとしても、このレンタカー会社のことをすっかり忘れ、他のレンタ
カー会社名だけ覚えていたというのはいかにも不自然と考えられる。
 2 借り出したバンの使途について、A2が、事件前日にA1からブレストカレ
ンダーの追加注文を受け、その集荷・追加積載目的でバンを借りたが、集荷に行く
途中でタイヤがパンクして修理に手間取り、目的を果たせなかったと弁明する点
は、K2号のカットオフ期限との関係で客観的には追加積載の可能性がなかったこ
と、仮に主観的にそれができるかどうか分からないがやるだけやってみようと考え
て借り出したことが考えられるかというと、途中でタイヤがパンクしたため集荷し
ないで終わったという理由は現実的には考えにくいこと、当日集荷を中止しながら
翌日以降にこれにかわる集荷の連絡をした形跡がないのも、またその後入荷した貨
物を急いで発送していないのも共に不自然で、こららの諸点からみて、その可能性
はかなり低いとみられる。また、検察官が、A2バンはいかなる商用にも私用にも
使われていないと主張し、そのうち商用に使用されていない点は当時のC7の取引
関係資料を綿密に検討して立証し、私用にあてられていない点はA2やその妻の記
憶にを頼りに明らかにしている点は、推論が綿密で説得的であり、かなりの程度理
由があると考えられる。
 ただ、A2の追加注文分の集荷・追加積載目的でバンを借りたという前記弁明
は、同人が身柄を拘束されていて手元に十分な資料がない時期に述べられたもので
あったが、もしK2号の運航が当初の予定どうりであったならば、バンを借り出し
た日はすでに同船の出航後に当たっていたから、通常ならば、追加積載の余地が全
くなかった筈で、その意味で客観的事実と正面から矛盾し成り立たない危険をはら
んでいたのに、実際には、当時同船の運航に希にみる大幅な遅れが生じていて、A
2が追加出荷を考えたのではないかというその時期にはまた出航していなかった事
実か明らかであり、そのためA2が僅かな記憶を基にして述べたところとK2号の
運航遅れの事態とが奇妙に一致する結果となっているのであり、この点にはA2の
前記弁明を全面的に否定しきれないものが残る。また、A2バンがいかなる商用に
も私用にも使われていないという点は、七年も前のことであるから、すべての用途
を漏れなく想定してほぼ全面的に否定できるとすることには不安がつきまとう。
 また、A2は、本件当時実名でA2バンを借り出している。だから、そのバンを
本件犯行に使用したとすると、犯行後に同車種のバンを同じF2レンタカーから繰
り返して借り出すことははばかられた筈と思われるのに、同人は同年一二月や翌年
一月にも相次いでバンを借り出している事実があり、この点にも自然には納得でき
ないものが残る。
 しかし、以上に述べた諸事実の一連の流れからすると、A2はA2バンで本件銃
撃現場へ行ったのではないかと捜査官が疑うことにも一応の理由があることは事実
であり、右はA2の現場臨場性を示す一つの情況事実として考慮すべきものと考え
られる。
 3 A1が本件犯行を計画し、a1で共犯者に指示して銃撃させるという検察官
が主張する本件犯行の構図を前提とすれば、その銃撃実行者となり得るためには、
その者が具備しているべきいくつかの適格条件を想定することができるから、共犯
者についてそれらの条件具備の状況を検証することは、一つの合理的手法といえ
る。また、その適格条件として検察官が掲げる内容に積極的に不当とすべき点は見
当たらない。しかし、それらの条件を個別にみると、共犯者を絞り込む効果がある
のか疑問とおもわれるもの、初めからA2を対象者として想定しこれに合うように
設定されたのではないかと受け取れるもの等があり、そのため検察官がA2を共犯
者としての条件を具備するほとんど唯一の人物であると主張する点には、直ちに同
調することはできない。更に、A2については、検察官が掲げている条件とは別
に、A2の犯人性に疑問を投げかける事実が少なからず認められるから、それらの
犯人性にとって消極的な条件を合わせて考慮しなければならない。
 二 A2の銃撃行為への関与に疑問を感じさせる事実
 A2の銃撃行為への関与に疑問を感じさせる事実が少なくないことについては先
に述べたとおりである。
 1 A2がA2バンで現場へ臨場したことに疑いを抱かせる理由の一つは、現場
バンにはアンテナが装着されていなかったか、あるいは最初は装着されていたが破
損して無装着状態になっていたことが明らかとなっているのに対して、A2バンに
はアンテナがついていた可能性があり、その点で両車は同じでない疑いがかなり強
い点である。A2バンが本件の約七年後に転売先で発見されたとき、同車にはエコ
ノライン用の純正アンテナが、やや湾曲した状態で装着されていた。また、A2
が、A2バンを借り出したときのレンタル契約書の貸出車両の状態欄には、「G0
0D」の記載がされていた。これらの点をどう理解すべきかについて、検察官は証
拠の綿密な調査と分析をし、まず、A2バンのアンテナは本件当時破損し、修理未
了状態にあった可能性がある、その後純正のアンテナマストが取り付けられ、それ
が更に湾曲し、その状態でE10のもとで発見されたのかも知れないと主張し、ま
た、レンタル契約書の記載については、F2レンタカーではカーゴバンの場合だけ
は、貸出車両の状態欄に「G00D」の記載があってもそれはアンテナの状態を示
していないというE23の原審証言等を根拠として、結論として、本件当時のA2
バンにアンテナがついていた可能性の高低に言及できるたけの証拠関係にはない、
結局不明であると述べている。しかし、前述した関係証拠によれば、A2バンにア
ンテナがついていた可能性を無視することはできない。検察官の分析に沿って考え
ても、右の可能性を否定できてはいない。そのことについては先に詳しく述べたと
おりである。そうすると、現場に停車していたバンは、少なくともA2バンと同一
車両でなかった可能性が相当程度残ることは認めざるを得ない。
 目撃された現場バンの特徴についてみると、A2バンと現場バンとは、F14社
製カーゴバンという車種は同じで、車体の塗色も白っぽく見える点ではよく似てい
たといえる。また、A2バンは一九八〇年型であるところ、現場バンも同型式の車
であった。ただ、同車は、一九七五年にモデルチェンジをし、以後同型式の車とな
っていて、同年以後に製造された車はすべてが同じ型式の該当車であったことにな
り、原判決が指摘するとおり、当時のa1市内には多数の該当車が走行していたと
認められるから、この程度の車の特徴では車両の同一性を絞り込む効果をあまり期
待できず、現場バンは、A2が借り出したA2バンと似ているとはいえても、それ
以上の類似性となると分からない。
 以上によれば、結局両車両の同一性に無視できない疑問が残り、ひいてはA2の
現場臨場性に疑問が残るといわざるを得ない。
 2 本件当時のA2は、平穏な家庭生活を営んでおり、これを一挙に失う危険を
冒してまでA1の誘いに応じる状態にあったとは思えない。当時、同人の収入は、
A1との取引に依存してはいたが、そのことを考慮しても、A2には動機らしい動
機が見当たらない。また、保険金殺人への加担を応諾する場合、当然報酬約束がさ
れる筈と考えられるが、A1とA2との間でその約束がされた形跡はなく、本件後
に支払われた事実もない(A2側に受け取った事実か認められないだけでなく、A
1側に支出した形跡もない)。昭和五七年八月に、A1からA2に対して一八三万
円が銀行送金された事実はあるが、この金員は、F4関係の顧問料であることに疑
いはない。そうすると、犯行の動機、報酬のいずれの点にも疑問が残り、本件犯行
の形態等に照らすと、これらはA2の犯行関与に疑問を持たせる事情だと考えなけ
ればならない。
 3 本件態様の犯行を実行するには、共犯者間で綿密な打ち合わせを遂げておく
ことが不可欠と思われるが、関係証拠によっても、今回の渡米前にA2とA1とが
直接会ったのは九月渡米時たけであり、その間に本件の謀議をしたかどうかについ
ては全く証拠がなく、また国際電話等を通じて謀議をした形跡も認められない。検
察官は、A1がa1に到着した当日、すなわち犯行前日に、A2がF1にA1を訪
ねて三〇分ないし四〇分程度面会した機会に最終謀議を遂げたと主張するが、疑問
点が多過ぎる。すなわち、謀議に当たっては、足の着かないライフル銃の調達やそ
の処分方法、A1に取り返しのつかないダメージを与えかねない犯行態様に照応し
て銃撃犯人の腕の確かさをA1が納得できるよう確かめる必要性、保険金請求をし
ても疑われず、かつ目撃されない犯行場所の選定、バンを借り出した上これを現場
に配置して下見等をする必要性、報酬金額、支払方法等についての合意その他検討
事項が多いから、これらすべてを事件前日に、短時間内に終えることができたとは
考えられないし、また、謀議する十分な余裕がないのに何故到着翌日に実行するこ
とにしたのかも理解できない。また、本件銃撃に使用されたライフルをA2が所持
していた状況が全く窺えないこと、本件銃撃犯人は相当高い銃撃能力を持っていた
と認められるが、A2がそれほどの腕前を有していたとは認められないことも、A
2の関与に疑問を抱かせる。
 そして、以上に述べた積極、消極双方の情況事実を照合して検討すると、A2の
銃撃行為への関与を認めるには、疑問が多過ぎると判断される。
 三 現実性の評価
 検察官は、本件の証拠評価に当たっては、情況事実を総体として観察し、社会事
象としての現実性を評価することの必要性を強調している。
 1 間接事実が持つ有罪認定にとって積極・消極双方の可能性を正しく識別し、
他の関連する間接事実と照合して現実的可能性を見極めることが必要であること、
この場合、間接事実の積み重ねは、証拠評価上は、加算というよりはむしろ乗算的
に評価されるべきであるという検察官の発想は、一般論としては間違っていないと
いえる。しかし、検察官がする具体的な証拠評価の過程には疑問とすべき点があ
る。すなわち、検察官は、情況証拠を評価するに当たって、個々の情況証拠が持つ
多方面の証明力の中から、有罪認定に都合の良い可能性を持つ一面を選りだして、
これらを重畳的に重ね合わせ、その上で、これだけ多くの事実がすべて集まるのは
偶然ではないと主張しているようにみえるのである。そこでは、有罪認定をするの
に都合の悪い、いわば消極的可能性を持つ他の一面や、有罪認定とは矛盾する可能
性が高い情況証拠をも正当に評価するという視点が十分でないようにみえる。検察
官の主張にしたがって仮に情況証拠の積み重ねが積算であると仮定すると、矛盾証
拠の評価は減算では済まなくなるであろうが、検察官が行っている証拠評価にはそ
のような思考が不十分ではないかと感じられるのである。有罪認定にとって都合の
悪い証拠をあえて取り上げなかったり、強引な論理で否定したりしている点が目に
つくのである。
 2 このことを、前述した事実に基づいてやや具体的に述べることにする。例え
ば、謀議の点についてみると、検察官は、A2がA1との間でどのように謀議を進
めたかについてほとんど触れず、事件前日にF1で三〇分ないし四〇分位会ったと
きに最終謀議を遂げたに違いないという。A1とA2との仕事上のつながりからす
ると、A1の渡米直後に、両名が会って、A1の滞米中のスケジュール等の打ち合
わせをするのはごく普通のことと理解できるから、A1のa1到着直後に、A2が
A1をホテルに訪ねて会ったという事実だけからは、それが本件の最終謀議のため
であったのか、それともいつもどおりのスケジュール確認のためであったのか、い
ずれとも分からないことをまず前提としなければならない。その上で、これを関連
の間接事実と照合して検討するのに、もし検察官主張のようにこのとき最終謀議を
したのだとすると、A1は、本件のように犯行内容が手が込み、共犯者間で詳細な
打ち合わせを必要とすることが明らかな殺人行為の実行を企図しておきながら、一
方で事前に協議を遂げないまま、他方で被害者となるB1に取りあえず保険だけか
けて、見切り発車的に、同女を連れて日本を出発したということにならざるを得な
いが、これはかなり不自然なことではないか。また、検察官が述べるように、犯行
現場の下見をする必要が特にA1にとって強かったとすると、何故a1到着当日に
短時間の最終謀議を予定しただけで、下見その他に時間的余裕を取りにくい翌日を
犯行実行日に選定したと考えられるのかについて、納得できる説明が必要であるの
に、その説明はされていない。また、このときの最終謀議の結果、翌日に実行する
ことに話がまとまったという以上は、犯行加担への報酬額、支払条件についても両
者の協議が整っていた筈とみられるが、この種の報酬については、かなりまとまっ
た金額を前金として支払うのでなければA2としては到底応じられない性質の話で
あろうと思われるから、口約束だけで協議が整ったなどと考えるのはどうみても無
理と判断せざるをえない。したがって、もし前金の授受が全くないとすると、その
ことは単に報酬支払い約束がなかったことを示しているだけではなく、つまりは犯
行への協力依頼そのものがあったかどうか極めて怪しいことを意味しているのでは
ないか思われるのである。これに対して、検察官は、A1は支払いを約束したが、
犯行後に踏み倒したと考えれば説明はつく、という。しかし、他人に殺人の実行行
為を行わせておきながら、約束したこの種の報酬を、犯行後事件が表面化するまで
の二年以上にもわたって支払わず、結局踏み倒し、しかも実行犯人が文句も言わず
にこれを受け入れているというような事態は、それこそ検察官のいう現実的な問題
として、どれほど可能性のあることと考えられるだろうか。また、F1でのA2と
A1との面会を犯行についての最終謀議と位置つけるためには、ここに指摘したよ
うな諸々の関連事実と照合して無理のない説明が可能でなければならないし、逆に
そこに無理が生じるというのであれば、それはF1での面会を最終謀議と位置づけ
ることに無理があるからではないかと考え直さなければならないのではないか。先
に、有罪認定に不都合な情況証拠を強引な論理で無理に排除してはいけないと述べ
たのは、以上のような点を指している。 3 同様のことは、レンタカー借り出し
の関係についてもいえる。検察官はA2バンのアンテナ装着の状況を明らかにする
ため、A2バンを転売先をたどって発見し、同車のレンタル契約書綴り等を点検
し、いわゆる第二世代及び第三世代の車両のアンテナの折損と補修状態をそのレン
タル契約書の記載から調べあげ、その結果を第一世代、つまり本件当時の車両に当
てはめるという手法で、非常に綿密な検討と推論を試みた。しかし、その結果得た
結論は、A2バンにアンテナがついていたかついていなかったかいずれとも断定し
難く、その可能性の大小についても論じ得ず、A2の犯人性を判断する上では無意
味な証拠でしかないというのである。しかし、この点に関する検察官の立証結果に
よっても、A2バンにアンテナがついていた可能性もあるし、破損したまま修理未
了でついていなかった可能性もあるとするのがせいぜいである。いずれとも断定で
きないからすべて無視すべきだとするような証拠関係にはないことは明らかで、む
しろ、どちらかといえば、前述したとおり、A2バンにはアンテナがついていた可
能性の方が高いとさえ考えられるのであるから、現場バンとA2バンとは別車両で
あった疑いがあることはやはり覆い難い。無意味な証拠であると簡単にいって無視
してよい事柄とは思えないのである。
 このようにみてくると、原判決の判断には、多少の説明不足や争点への踏み込み
不足はあるとしても、その総合判断の手法に誤りはないと認められる。
 そして、検察官の詳細、綿密な控訴趣意にかんがみ、以上に述べた点のほか、控
訴趣意中に現れているその他の主張をも視野に入れて、記録を精査検討したが、原
判決が、銃撃実行者をA2と認めるにはなお合理的な疑いが残ると判断したことに
誤りがあるとはいえず、この点に関する検察官の論旨は理由がないとするほかはな
い。
 第三部 A1の弁護人の控訴趣意中、訴因問題(同控訴趣意第二及び第四)の主
張について
 次に、原判決が、A1と氏名不詳者との共謀による銃撃の事実を認定した点の当
否について検討する。まず、右の認定をした手続きに関するA1の弁護人の控訴趣
意は、第一部第一の三の2に摘記したとおりであるが、これに対する当裁判所の判
断結果は、次のとおりである。
 第一 手続経過
 起訴状(昭和六三年一一月一〇日付け)に記載の訴因の要旨は、「A1とA2
は、共謀の上、保険金を取得する目的で、A1の妻B1を殺害しようと企て」、銃
撃事件を実行した、というものである。検察官は、原審第一回公判期日において、
その具体的内容について釈明し、次のとおり明らかにした。すなわち、
 「(a)殺人の共謀をしたのは被告人両名に限られる、(b)被告人両名は、事
前にも共謀し、現場においても共謀した、(C)事前共謀として、被告人両名は、
昭和五六年一一月一八日午前一一時ころまでに、複数回にわたり、a1市内などに
おいて、同日、同市b1通りc1ブロノク所在の路上で、A2において、B1をラ
イフル銃で射殺し、その場で、これを強盗による犯行であるかのように装うべくA
1の大腿部をも狙撃することなどにつき、謀議した、(d)A1は、A2と共謀し
て、本件犯行現場にB1を連れ出し、同所でA2をしてB1を狙撃させたもので、
事前及び現場において共謀し、かつ、現場において実行行為を共同して行った共同
正犯者である、(e)銃弾を発射したのはA2である。」というのである。
 その後、検察官は、冒頭陳述において、訴因の内容を具体的な事実によって更に
詳細に示した。それによると、A1が共謀した相手方はA2ただ一人とされ、また
両名の謀議状況につき、A1は、「1」昭和五六年九月一三日ころ渡米し、約一週
間滞在して同月一九日に帰国した間にA2と接触し、「2」その後、同年一〇月五
日、C1の従業員E33をa1に派遣した際、茶封筒一通を同人に託してA2に渡
し、「3」同年一〇月一三日以降、日本国内からa1のA2方に頻繁に国際電話を
かけて連絡をとり、「4」その上で、事件前日の一一月一七日午後、A1が投宿し
ていたF1をA2が訪れた際に最終謀議をして、犯行現場の確定、A2がバンを借
り受け、事件当日現場の駐車場へ先着していること、A1がB1を下車させ、見通
しが困難なバンの陰に立った際、A2がライフルでB1の頭部を狙撃して殺害し、
その後A1の大腿部も撃つこと、B1の所持金品を現場に散乱させることなどにつ
いて確認しあった、と述べた。
 このような検察官の主張と立証の枠組みは、論告に至るまで変更されていない。
もとよりその間に、裁判所が、検察官に対して共謀の相手方ないし実行犯人に関し
て釈明を求めたり、訴因変更の示唆等をしたことも一切なかった。こうして、原審
での審理は、この検察官の主張と立証の枠組みを前提として進められた。
 ところが、原審裁判所は、判決中で、A2が銃撃等の行為をしたと認定すること
には大きな疑問があるとの判断を示して、右訴因につき同人を無罪とする一方で、
A1については、「氏名不詳者と共謀して本件殺人の犯行を行った」事実が認定で
きるとして、同人を有罪とした。以上が、訴因問題に関連する原審手続の経過であ
る。
 第二 当裁判所の判断
 <要旨>一 本件共謀の性質について、検察官は、前記釈明(d)の中で、「事前
及び現場において共謀し、かつ、現場において実行行為を共同して行った共
同正犯者である。」と述べている。これによると、この時点では、共謀共同正犯だ
けの主張をしていたとは受け取れないが(もっとも、その後論告等の中、検察官
は、共謀共同正犯であることを前提にしていると受け取られる論旨を展開してお
り、また、当審答弁書中では、共謀共同正犯であることを明確な形で打ち出し、そ
れを前提として陳述している。答弁書一五頁)、原判決は、判文中で、本件は共謀
共同正犯であると明確に判示している(原判決五六丁)。ところで、本件におい
て、A1は、犯行現場へB1を伴って行き、現場でB1と共にレンタカーから下車
して写真を撮りつつ付近を歩きまわり、手を振ったり、屈んだりする行為をしたと
されていて、そのことは証拠上明らかであるところ、これらの行為は、例えば銃撃
犯人に銃撃の機会を与え、その合図を送るというような、本件犯行に関連して何ら
かの意味を持つ行為であったのではないかと疑われている。もし、A1が、共謀の
相手方と示し合わせた上でこのような行為をしていたとすれば、結局A1も犯行現
場で実行行為の一部を分担した共犯者と評価できるから、その意味では、本件は、
典型的な共謀共同正犯、つまり単に共謀に関与しただけの者が、共謀の相手方が行
った行為について共謀それ自体を理由として責任を問われる場合とは異なっている
ことになる。しかし、A1が、右のとおり、B1を伴って現場へ行ったり、現場で
下車して手を振ったり、屈んだりしたという行為は、はたして犯行に関係のある行
為だったのか、それともこれとは全く無関係な、いわば単なる旅行者の行為に過ぎ
なかったのか。その点は、右行為の外形だけからはいずれとも判定できない。殺意
など全くない状態で、妻を伴ってこのような場所に行き、付近を歩いてお互いに写
真を撮りあい、その際に撮影合図として手を振るといったことは誰にでもごく普通
にあり得ることであるし、また、もしその際、真実大腿部に銃撃被害を受けたので
あれば、そのために屈んだりしてもおかしくはないといえるから、結局右の行為
は、行為自体の中に犯行への関与を読み取ることのできる性質の行為といえないこ
とは間違いない。この場合、行為の意味や、A1と犯行との結びつきを明らかにす
るのは、結局共謀の有無の点である。共謀が認定できない限り、現場でのA1のこ
のような行為の意味を判別することは不可能で、結局同人の犯行への加担を認定す
ることは難しい関係にある。このように、本件では、A1の犯人性立証にとって共
謀が決定的な重要さを持っており、原審での当事者の訴訟活動はそのことを当然の
前提として進められた経過が明瞭であるから、本件は、その意味で、典型的な共謀
共同正犯の場合と実質的にさして変わりはないということができ、本件を共謀共同
正犯と判示した原判決の判断は、大きく間違ってはいないといえる。
 二 本件において、A1の有罪認定が、実質的にA2との間の「謀議」内容にか
かっていることは右に述べたとおりである。検察官はその謀議の具体的内容を、釈
明や冒頭陳述を通じて前述のとおり明らかにした。共謀に関する部分の要点は前記
「1」ないし「4」のとおりであるが、その中で、謀議の相手方はA2だけである
ことが明らかにされている。これによって、検察官側の立証構造が具体的な形で明
確になり、被告人側の防御対象もはっきりしたといえる。
 ところで、検察官が謀議の内容として主張したところとその後の立証内容との間
にずれが生じた場合、被告人側はいずれを対象として防御すべきものか。例えば、
等しく謀議といっても、多数の者が多数回謀議する機会を持ち、各回ごとに顔ぶれ
を替えながら全体として共謀を仕上げていったというような場合には、そうした多
数回の中の一部について謀議への関与が認められなくなっても、全体としての謀議
に関与したとされる基本構造に変わりはないといえる場合があり得よう。また、本
件のように二人だけで謀議したとされる場合にも、A2と共謀したことに基本的に
変更がないのであれば、前記「1」ないし「4」に相当する具体的事実経過の内容
に部分的な変動が生じることがあっても、それだけで謀議の内容が別物になるとは
考えなくてもよいであろう。
 しかし、共謀がA2との間で、二人だけでされたと主張されているときに、その
相手方であるA2の関与がそもそも否定されてしまうという場合には、これと同様
に考えることはできない。共謀の相手方の変更は、共謀の日時、場所、方法などと
いった共謀を外部から特定するだけの事実の変更とは異なり、その者の行為を介し
て実行行為を行ったと主張されている意味で、実行行為の内容そのものに直結した
主張内容の変更であり、それは、防御対象の骨格を大幅に変えてしまう。加えて、
共謀の相手方の変更は、多くの場合に、共謀の内容とされてきた具体的事実経過に
ついても、大幅な変更をもたらさずにはおかない。すなわち、共謀の相手方をA2
とする当初の訴因は、その基礎にあるところの、A1がA2と、いつ、どこで会っ
たり、電話をしたりして、犯行についてどのような連絡を取り合ったかという具体
的事実と結びついてその上に構成されている筈であるから、その場合に、訴因上共
謀者を変更するということは、基礎にあるこのような具体的事実をこれまでとは違
う新たな事実と組み替えざるを得ないことを意味している。そうした場合には、等
しく共謀といっても、その具体的内容はかなり異なったものにならざるを得ない。
二人だけの間で共謀がされたと主張されている場合にその共謀の相手方を差し替え
ることは、事件についての基本的な主張と立証の枠組みを大きく変更させ、防御へ
の影響が極めて大きいと考えられるのである。
 三 このことは、本件に即して具体的に考えれば、一層明白になる。例えば、A
1にとって、訴因が「A2との共謀」である場合の防御方法としては、A2と直接
会ったり、同人と電話で話したりして連絡することが一切なかったことを立証する
か、そうした連絡等をした事実があるときは、その連絡の内容が本件に関する謀議
でなかったことを中心として立証することになるであろう。これを前記「1」ない
し「4」の事実に当てはめてみると、A1が渡米してa1でA2と直接会ったこと
があるのであれば、会ったのはどのような場所で、どの程度の時間であったか、そ
の際の用件は何であったか、同席者はいなかったか等の、主としてA2と一緒だっ
た時間帯の出来事を中心にして防御することになるであろうし、また国際電話での
連絡云々ということに関していえば、A1からA2への架電が、例えばA1にとっ
て人目の多い事務所以外の、いわば人目につき難い場所からされているか、電話連
絡がどの程度頻繁にあるいは長時間、どの時期にどの程度集中してされているか、
その時期には他に商用等で頻繁な電話連絡を必要とする事情はなかったのか、とい
ったことを中心として防御することになるのであろう。検察官は、本件前日の一一
月一七日午後、F1でA1はA2と三〇分ないし四〇分程度会って最終謀議をした
と主張しているから、そのときのことについていえば、弁護人としては、A1がA
2と会っていた時間、話した内容、その前後の両名の行動等を明らかにして防御す
ることが必要になるであろう。ところが、訴因が「氏名不詳者との共謀」に変更さ
れた場合には、事態は一挙に逆転する。すなわち、A1がA2と会ったり、電話連
絡をしたりしていた時間帯は、むしろ「氏名不詳者との共謀」をしていなかったこ
とが明らかで、A1にとっては防御する必要性が薄い、それだけ安全な時間帯であ
るということになるから、むしろそれ以外の、A2と一緒でなかった時間帯の行動
を中心として防御しなければならないことになる。A2がF1から帰った後でA2
以外の者と会っていないかが問題とされるようになり、A2にかけた国際電話は問
題でなくなり、代わってA2以外の者に国際電話をかけていないかが問題とされ
る。また、E33に託してA2に渡したとされる茶封筒は、全く問題でなくなる。
こうして、防御を要する範囲や事項、防御の内容はまさに一変するから、被告人や
弁護人の立場からすれば、これが防御上の大きな不利益でなくて何であるかという
ことになるのは当然である。
 このようにみてくると、訴因を「A2との共謀」とするか、「氏名不詳者との共
謀」とするかは、少なくとも本件のような事案では、防御の対象と重点を一変させ
るのであって、そのことを考えれば、共謀の相手方が誰であるかは、被告人側の防
御にとって、抽象的にも具体的にも、極めて重要であり、まさに防御上の不利益に
直結した事実と考えるべきである。したがって、原審裁判所において、「A2との
共謀」を訴因として審理を進める中で、もし「氏名不詳者との共謀」の事実を認定
するのが適当だと判断するに至ったときは、まず検察官に訴因を変更させ、その点
を手続上明確な争点とし、両当事者に攻撃、防御を尽くす機会を与えた上で、その
点に関する事実の認定をする手順を踏むべきものであったと考えられる。原審が、
訴因変更の手続をとることなく、検察官が争点としてはっきり主張していなかった
「氏名不詳者との共謀」を突然認定した手続は、違法と考えねばならない。
 四 原判決は、訴因変更を要しないと判断した理由として、「いずれの事実にお
いても、A1はB1殺害の共同正犯とされているのであり、更に、本件訴訟の経過
に鑑みると、このように認定してもA1に実質的な不利益を与えたり、その防御権
を侵害したりするものでないことは明らかである。」と述べている。
 しかし、共謀の相手方が、被告人側の防御にとって極めて重要な事実に当たって
いること、また本件の場合、その点の変更は、立証の骨格を大幅に変更させ、防御
に大きな影響を及ぼしかねない事項であったこと等については、すでに詳しく述べ
たとおりである。したがって、この点に関する原判決の判断は到底維持することが
できない。
 五 次に、検察官は、訴因変更の要否に関する原判決の判断を支持する立場か
ら、その理由として、次のとおり述べている(検察官作成の答弁書一三頁ないし四
一頁)。
 すなわち、検察官が訴因として提示する事実の中には、(a)処罰を求めようと
する訴追対象事実と、その日時、場所、方法などの、処罰を求める事実を特定する
ための周辺事実とがあり、訴追対象事実に変化があるときは、縮小認定でない以上
訴因変更が必要だが、周辺事実の変化である場合には原則として訴因変更は不要
で、被告人の防御権を侵害するときにだけ必要となる、そして、(b)共謀共同正
犯の場合、実行行為者と共謀したとの事実が訴追対象事実であって、その実行行為
者が誰であるかは訴追対象事実ではないと考えるべきである、そうすると、共謀の
相手方が「A2」であったか「氏名不詳者」であったかは周辺事実についての変化
に過ぎないことになる、(C)そこで、右の変化が被告人の防御権を侵害するかど
うかをみると、本件での防御の要点は、B1を銃撃した人物がA2であったか氏名
不詳者であったかの点にはない、それは例えば、AがBに「今だ、刺せ」と言って
刺殺行為を指示したことが目撃証言によって認められる事例の場合に、防御の要点
は、一般に、Aがした刺殺行為の指示の点にあって、実行者がBであったかどうか
という点にはないのと同じであるといい、これを本件に当てはめて、検察官は、訴
因では「白色のバンに乗っていた人物がB1を狙撃した、その人物はA2だった」
と主張したが、原審審理の結果、その人物はA2だったという後半の部分が認めら
れないとされ、白色のバンに乗っていた人物が狙撃したという前半の部分が残った
だけのことである、だからA1の防御権を侵害したことにはならない、というので
ある。
 しかし、検察官のこの意見には多くの点で同調できない。まず、検察官のよう
に、共謀共同正犯の場合、実行行為者が誰であるかは常に訴追対象事実ではなく周
辺事実であるとして、これを本件にこのような形で当てはめてよいかは大問題であ
る。本件は、実行行為者が誰であるかが実質的には特定はされていて、ただその名
前その他のネーミングに関する事項だけが不詳であるというような事案ではない。
銃撃行為があったのだから、その犯人が白いバンの中かその陰にいた筈であるとさ
れていて、そこに共犯者の影があるといわれればそうかと思うだけで、それ以上に
は共犯者像が判然としていない事案である。そのような事案の場合、検察官がいう
ところの訴追対象事実である「実行行為者と共謀した」事実とは、つまるところ銃
撃行為には犯人がいた筈だから、A1は「その犯人と共謀した」といっているに過
ぎなくなってしまう。
 また、検察官が提示する前記の設例は、本件にとって適切であるとは思えない。
すなわち、その設例では、AがBに対して「今だ、刺せ」と言って実行行為の指示
をし、その直後に、指示に従ってBが刺したことが、証拠上明らかな場合とされて
いる。つまり、この設例では、AとBは、AがBに指示する共謀関係にあったこ
と、指示した内容は「刺せ」というもので、その内容自体からして実行行為の指示
以外に理解できない明確な内容であったこと、その指示に従ってBが実行したこ
と、したがってその現場にAがいたのは加害者としてであって、被害者としていた
わけではないこと等の各事実が、いずれも目撃者等がいて証拠上明らかな場合であ
ることがはじめから前提とされている。これに対して、本件では、右の例において
AがBに「今だ、刺せ」と言って指示したとされている部分に相当するA1の行
為、換言すれば共謀を示す行為が、検察官の冒頭陳述によっても、ほとんど明らか
にされていない事例である。A1が現場へB1を伴って行き、B1と車から降り、
写真を撮るためオフセット駐車場内の駐車車両の間に立たせたことがそのとおりで
あったとしても(検察官作成の答弁書二一頁)、それは、「今だ、刺せ」というよ
うな行為とは違って、それだけで加害行為の趣旨を明らかにする性質の行為ではな
い。それが本当に犯人の銃撃に手を貸すための行為であったのか、銃撃とは全く無
関係な行為であったのか、A1がその現場にいたのは、加害者としてなのかあるい
は被害者としてなのか、それだけではいずれとも判定できない状況にあるのであ
る。もとより、B1とA1を共に銃撃した犯人がいたことは明らかであるが、その
銃撃行為をA1が指示して行わせたのかそうではないのかを識別できる事実は全く
指摘されていないのである。だから、弁護人らが、これらの点を明らかにするため
に、共謀の有無、内容に焦点を当て、共謀との関連でA1の行為の意味を明確にし
ていくほかないとの防御上の判断をすることには十分な理由があると考えなければ
ならない。検察官が提示する前記の設例は本件にとっては適切でなく、これを念頭
において本件に当てはめれば、判断を誤るおそれがあると思われる。
 また、検察官は、A2を共犯者とする当初の訴因は、その内容を分解すれば、白
色のバンに乗っていた人物が銃撃犯人であり、A1はこの人物と共謀したという部
分と、その人物はA2だったという部分の二段構えになっており、原判決はそのう
ちの前半部分だけを認定したに過ぎないことになるから、A1の防御権を侵害した
ことにはならない、という。しかし、これも理由のある主張とは思えない。すなわ
ち、検察官がA2との共謀を主張している場合には、被告人側としては、当面それ
を前提とすべきであって、「A2との共謀」に焦点を当てて防御活動を行うことは
当然と思われる。あらかじめ検察官のこの主張が立証不十分と判断されることを予
想したり、その場合には白色のバンに乗っていた男との共謀が認定されるのではな
いかなどと予想したりして、これに対する防御を先回りして行うことまで考えねば
ならないものではない。そうであるのに、いきなり判決において、A2以外の人物
との共謀を認定するのは、どうみても防御権の侵害に当たると考えるのが相当であ
る。防御の関心を「A2との共謀」に引きつけておき、その隙をついて、それまで
関心が向けられていなかった「氏名不詳者との共謀」を認定するような手法が、訴
因制度の精神に反することは明白というべきである(なお、検察官は、「氏名不詳
者との共謀」を想定しても、弁護人側が反証を行う場合、実際には銃撃状況に関連
して行うほかなく、その点の反証はすでに「A2との共謀」を前提とした審理の中
で行われているから、具体的に防御権の侵害はないという。しかし、検察官の主張
が銃撃状況を中心に行われたからといって、弁護人側からの反証がその枠内にとど
まらなければならない理由はなく、弁護人側が「A2以外の人物」との共謀が実際
に可能であるのか否か等々に関して反証を展開することは十分あり得ることと考え
られる。そのことは前述したとおりであり、そうすると検察官の前記主張は理由が
ない。)。
 更に、共謀の相手方が誰であるかを、訴追対象事実でなく、実行行為の日時、場
所などと同様に周辺事実に過ぎないとする検察官の意見は、次の点からみても疑問
だと考えられる。すなわち、原判決は、「氏名不詳者との共謀」を認め、A1を殺
人につき有罪としたのであるから、これを先に述べた検察官の意見に当てはめる
と、検察官のA1に対する訴追対象事実はそっくり原審判決で認められ、ただ共謀
の相手方という周辺事実についてだけ、これをA2とする検察官の主張が容れられ
なかったということになる筈である。訴追対象事実がすべて認められている以上、
検察官にとって控訴理由はなかった筈ではないかと考えられるが、実際には、検察
官はA2に対してだけでなく、A1に対しても、右の認定を争って控訴している。
このことは実質的には何を意味していると考えられるか。それは、検察官の意識の
中にも、A2の犯人性立証が、A1の犯人性立証の関係でも重要な意味を持ってい
ること、特に本件のようにもっぱら情況証拠を集め、これらをつき合わせて全体像
を推認してゆくほかない事件の場合には、A2について共犯性、実行行為性が認め
られるか否かがA1に対する立証面に及ぼす影響が大きく、極めて重要であるとの
判断があったためではないか。そのことは、実質的には、訴追対象事実が「A2と
の共謀による殺人」であったことを示しているのではないかと考えられる。そうす
ると、共謀の相手方が誰であるかという事実がこのような重要性を持っているとき
に、これを訴因の記載との関係では単なる周辺事実であるとして、その事実の変更
には原則として訴因変更の手続を要しないとする意見には同調できるものではな
い。
 六 以上述べたところによれば、原審裁判所が、訴因変更手続をしないで原判示
のとおり「氏名不詳者との共謀」の事実を認定したことは違法というべきである。
ところで、この手続的違法の性質について、所論は、第一次的には、審判の請求を
受けない事件について判決した場合(刑訴法三七八条三号)に当たるとし、そうで
ないとしても、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反(同法三七
九条)に当たるという。
 しかし、変更前後の両訴因とも、同じ日時、場所でおこった同一被害者に対する
ライフル銃による銃撃事件である点で変わりはなく、基本的に同一事件と考えられ
るから、審判の請求を受けない事件について判決をした場合に当たるとはいえない
と考えるのが相当である。論旨のうち、右の部分は理由がない。
 しかし、刑訴法三七九条の訴訟手続の法令違反に当たることは明らかで、それが
判決に影響することも明白である。そして、原判決は、A1について、原判示罪と
なるべき事実第一の罪とその余の原判示の各罪とを平成七年法律第九一号による改
正前の刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとし、一個の刑を言い渡している
ので、A1の弁護人のその余の主張について判断するまでもなく、原判決中A1に
関する部分は、その全部について破棄を免れない。そして、その場合、先に述べた
とおりの理由によって、この段階で当審において自判するのが相当であると判断さ
れる。
 第四部 A1に関する自判(その一。主として、銃撃事件の銃撃実行者を氏名不
詳者とする殺人の予備的訴因について)
 第一 主位的訴因について
 銃撃実行者をA2とし、そのA2とA1とが共謀して本件殺人を実行したとする
主位的訴因については証拠が不十分であり、犯罪の証明がないと判断するほかない
ことについては、すでに第二部で詳述したとおりである。ここには繰り返さない。
 第二 予備的訴因の追加請求とその内容
 以上の経過をうけて、検察官は、当審において、昭和六三年一一月一〇日付け追
起訴状記載の殺人の事実について、銃撃実行者を氏名不詳者とする予備的訴因の追
加を請求し、当裁判所は、所定の手続を経てこれを許可した。そこで、次に、本件
の銃撃実行者を氏名不詳者とする検察官主張の訴因について検討しなければならな
い。
 一 予備的訴因の要旨
 予備的訴因の要旨は、次のとおりである。
 「A1は、外一名と共謀の上、生命保険金取得目的で、昭和五六年一一月一八
日、a1市内で、白いバンで臨場した右一名において、B1の頭部に二二口径のラ
イフル銃で銃弾を発射して命中させ、同五七年一一月三〇日、右銃弾による脳挫傷
により、死亡させて殺害した。」
 二 予備的訴因の追加を相当と判断した理由
 1 争点化の必要
 本件の捜査は、A1の犯人性立証を出発点として開始され、そこから捜査範囲を
順次拡大して、A1の依頼で銃撃行為を引き受けた共犯者をA2であると特定・判
断するに至った経過であった。そのことは、原審公判での検察官の立証構造からも
読み取ることができる。ところが、原審審理の結果では、捜査を拡大して共犯者を
A2と判断した部分が証拠不十分とされ、捜査の元々の出発点であったA1の犯人
性の部分だけが、その共犯者をA2の代わりに氏名不詳者と置き換えて、有罪と認
定された。しかし、この有罪認定は、共犯者をA2であるとする当初の訴因を変更
することなく行われたために、そのままでは手続上認定できない事実を認定した違
法を抱え込むことになった。当審で自判するに当たって、もし原判決が認定してい
るとおりの有罪認定をするに足りるだけの十分な証拠が実質的にそろっているの
に、訴因上の制約という手続的な理由でその点の判断ができないというのでは、こ
とが殺人という重大な犯罪に関することであるだけに、問題である。
 やはり、あらかじめ訴因について再検討し、もし検察官において「A2との共
謀」のほかに「氏名不詳者との共謀」をも主張するのであれば、せめてその旨を手
続上明確に打ち出し、被告人側においてもこれを明確な対象と意識して防御活動を
尽くし、その上で実体判断をして決着をつけるのが相当ではないかと考えられる。
 当裁判所が控訴審の審理中、検察官に対して訴因に関する釈明を求めたのは、そ
のような考えからであった。
 2 両当事者の意見
 これに対しては、当事者双方から異論が述べられた。
 まず、検察官は、当初は、訴因変更をしなくても裁判所は「氏名不詳者との共
謀」の事実を認定することが可能であるとの考え方を強調し、本件について、実質
的には「氏名不詳者との共謀」との主張をすることは原審当時と変わりはないが、
そのことをあえて訴因変更という手続を通じて明確にするまでの必要はないという
のである。検察官からすれば、A1について、予備的訴因とはいいながら「氏名不
詳者との共謀」を掲げることは、いわばA2について予備的無罪の訴因を掲げるの
にも似て、受け入れ難いことであるに違いない。しかし、そうはいっても、「A2
との共謀」という訴因を掲げながら、隙をついて「氏名不詳者との共謀」を認定す
ることが訴因制度上適当でないことは前述したとおりであるから、もし当審でも予
備的訴因を追加しないまま最終判断の時を迎えたとすると、当審においても真実実
体判断を必要とする部分について判断できないまま審理を終わる結果になりかねな
い。原審裁判所での「氏名不詳者との共謀」という訴因変更手続を経ていない事実
について実体判断をしたことを不当とする主張がA1の弁護人の控訴趣意中でさ
れ、その点が問題として取り上げられている当審において、同じ扱いを繰り返すよ
うなことは適当でない。検察官において「氏名不詳者との共謀」の主張をするので
あれば、これが認められるかどうかの帰趨はどうであれ、そのことを訴因として明
示し、その点に暖昧さを残さないのがより適当と考えられる。結局、検察官はその
趣旨を理解し、当審第一四回公判期日において、予備的訴因を追加するという形で
疑問の解消を図ったが、適切な対応であったと考えられる。
 A1の弁護人は、このような訴因の変更を、特に控訴審の審理が最終段階を迎え
た時期に行うことは許されないと主張した。その理由はおおよそ次の三点にあると
解される。
 (a) 予備的訴因にいう「外一名」については、氏名が特定されていないだけ
でなく、住所、年齢、性別、職業、国籍、容貌、身長、体重その他およそ人を特定
するために通常用いられる要素が何一つ明らかではないから、訴因として不特定で
ある、
 (b) 予備的訴因にいう共謀について、冒頭陳述がされていない点で形式的に
刑事訴訟法二九六条の規定に違反しているだけでなく、実質的にも共謀の内容が明
らかでなく、被告人・弁護人側の防御権を侵害する、
 (c) 検察官は、原審はもとより控訴審の審理冒頭においても、「A2以外の
者との共謀」の訴因を予備的に追加する意向はないと明言していたのに、控訴審で
の証拠調べがほぼ終了した段階になって、予備的訴因を追加することは、被告人・
弁護人側に著しい不利益を課すものである、というのである。
 そこで検討するのに、予備的訴因にいう「外一名」の共犯者の氏名等が明らかで
ないことはそのとおりであるとしても、本件においては被害者名のほか、犯行の日
時、場所、手段・方法等は明らかになっていて、訴因が全体として特定に欠けてい
るとまではいえないから、(a)の主張は理由がない。もっとも、共謀の相手方を
氏名不詳の「外一名」とするほかないことに伴う当然の結果として、その者との共
謀内容は明確とはいい難い。しかし、その氏名不詳の共謀者とは、本件では、結局
のところ、原審で検察官がA2の果たした役割として主張してきたところを前提と
して、その役割を果たした者をA2から氏名不詳者に変更しただけのことであっ
て、その者が本件犯行へ関与した内容、態様、程度等の主張には何らの変更も生じ
ていない。また、追加請求をした訴因については、検察官が冒頭陳述をしておら
ず、冒頭陳述という機会に共謀の内容が明らかになる手続経過がなかったことは弁
護人ら主張のとおりであるが、冒頭陳述は証拠調べの初めに行うべきこととされて
いるだけで、審理の途中で訴因が変更されたとき、常に行わなければならないもの
ではない。そして、本件の審理経過に鑑みれば、そのことが実質的に被告人・弁護
人側の防御権・弁護権を侵害しているとはいえないから、(b)の主張も理由がな
い。最後に、この訴因変更は、従来弁護人側において、「氏名不詳者との共謀」に
ついて有罪認定をするためには、その前提として訴因を変更し、検察官の主張内容
を明示することが必要であると主張してきた手続であって、その変更手続は、それ
自体としては被告人側に格別の不利益を及ぼすものではない。弁護人らがいう趣旨
は、おそらく審理が進んだこの時期に変更するのは手遅れではないかという点にあ
ると思われる。しかし、訴因変更の要否に関する判断は、被告人側の立証状況を考
慮に入れつつなされることもあり得るのであって、その場合には審理の冒頭に近い
段階よりも、むしろ終盤で、更には控訴審での審理を踏まえてなされることも、望
ましいことではないけれども、ないとはいえない。そして、そのような訴因変更
も、審理経過からみて真に必要があり、かつ、特に不当とすべき事情がなく、被告
人側の防御に実質的な不利益を生じるおそれがないと認められる限り、許されない
ことではないと考えられる。これを本件の審理経過に照らしてみると、この予備的
訴因の追加は、先になされた証拠調べの結果を訴因の内容に反映させようとする趣
旨のものであって、控訴審段階になってからそれまでの審理結果と関連の薄い主張
を新たに行い、防御の対象を不安定にするといった性質のものではないし、また、
被告人側において特に必要があるときは、防御のため補充立証の申し出をすること
によって十分対応できる範囲内にあると認められるところ、その趣旨の補充立証が
行われている経過もあり、これらの諸点を総合考慮すると、本件予備的訴因の追加
が被告側の防御権を侵害するとは思えない。したがって、(C)の主張も理由がな
い。
 三 予備的訴因における実質的争点
 予備的訴因の内容は、要するに、当初主張した訴因のうち、銃撃実行者を当初の
訴因ではA2としていたのに代えて、氏名不詳の「外一名」とした上で、その者は
白いバンで犯行現場に臨場した人物であって、A1のいうグリーンの車に乗った二
人連れではないというのである。そこで、この訴因については、銃撃実行者はその
白いバンの男であると認められるか(グリーンの車に乗ってきた男達である疑いは
ないといえるか。)、かつ氏名不詳のその人物とA1との間に共謀成立の事実を認
めることができるかの点にあり、この二つの要証事実を念頭において情況証拠を検
討すべきことになる。 検察官が、A1の犯人性として主張する主な情況事実は、
次のとおりである。
 (a) B1殺害の動機・目的が存在したこと、
 (b) B1殺害の共犯者を物色し、犯行への加担を打診・説得したと受け取ら
れる行動が認められること、
 (c) D5と共謀して殴打事件を敢行して失敗に終わった事実があり、そこに
本件類似の犯行意図が現れていること、
 (d) 本件犯行現場にB1を連れて自ら臨場し、自動車から降りて写真を撮り
ながら、B1を駐車場内の目撃されにくい位置に立たせたり、手を挙げて銃撃の合
図を送る等の関与行為をしたこと、
 (e) 本件銃撃の状況・態様の中にA1が弁解するような強盗による銃撃では
なく同人が仕組んだ保険金殺人を窺わせる事情が存すること、
 (f) 現場に白いバンが駐車し、これ銃撃に利用されたことは明らかであるの
に、そのことを隠して、グリーンの車に乗った者達に銃撃されたかのように虚偽の
供述をしていること等の諸点である。
 第三 銃撃実行者が未解明である事実
 一 まず、予備的訴因の検討に当たって、最初に指摘しなければならないこと
は、本件では、A1に協力して銃撃を実行したとされる犯人が、関係証拠上未解明
であるだけでなく、共犯者として嫌疑濃厚と目される程度の人物も、捜査当局の長
期間に及ぶ精力的な捜査にもかかわらず見当たらないという点である。検察官は、
銃撃実行者がA2である事実が立証されなくても、A1が、誰かは分からないが、
外一名の実行者と共謀していたことは間違いない、そしてその程度の立証でも、本
件は、A1の刑責を問うことはできる場合と考えるべきであると主張する。
 しかし、本件は、A1とB1が旅行先のa1で一緒にいたところを何者かによっ
て二人とも銃撃され、死傷したという事件である。外見的には、旅行者が誰か強盗
犯に襲われたとみえる事件である。これを、A1が銃撃実行者と共謀し、仕組んだ
殺人事件であるというためには、A1の側からみて共犯となる銃撃実行者が客観的
にいたこと及びその者とA1との間で共謀が成立していたことが明らかにされなけ
ればならない。そうでなければ、本件のような態様の犯罪としては成り立たないと
考えられる。その意味で、共犯者像の確定は、本件では最も重要な事柄であって、
もし、その点の立証がおぼつかなくなれば、本件が成立する余地は決定的に難しく
なることは明らかである。
 そこで、検察官は、A2をほとんど唯一の共犯者であるとして、当初から同人の
犯人性を立証する活動を展開してきた。この点の立証は、A2の刑責を問うためで
あったことは勿論であるが、同時にA1の刑責を問うために欠かせない前提立証で
もあった。そうであればこそ、検察官は、控訴審でA1に対して予備的訴因を追加
し、共犯者を氏名不詳の「外一名」とした時点においてもなお、この氏名不詳の
「外一名」の中にはA2が含まれるとか、しかもA2が現実に最も可能性のある共
犯者であると主張したのである。しかし、A2の犯人性については、すでに第二部
で検討したとおりで、同人を銃撃実行者とするには証拠が不十分であるとする原判
決に誤認はないとの結論に達している。
 二 一般に、共犯者がいることが明白な事件の中にも、証拠上、その共犯者の見
当が皆目つかない場合もあれば、およその見当まではつくが、なお刑責追求をする
ことができるほどには特定できない場合があることは十分理解できる。検察官が、
訴因の変更を要しないと判断した理由として掲げた事例、すなわち、犯行現場にい
た二人のうちの一名が、他の一名に対して、「今だ、刺せ。」といって犯行を指示
した事実が目撃者の供述によって明らかになっているのに、刺した者を特定できな
い、という事例などは、後者の場合と理解できよう。
 しかし、それと異なり、捜査の結果から、遡って共犯事件であるかどうかそれ自
体の見直しを迫られる事件があることも否定できない。本件の場合、検察官は、A
2を最も共犯者の可能性が高い者と判断して起訴した。そして、原審及び当審を通
じて、A2を銃撃実行者とする観点から、同人以外には共犯者となりうる人物は実
際上見当たらないとの立証を尽くしてきた。当審におけるE14証言及びE32証
言等によっても明らかな如く、捜査官は、これまでの捜査過程で、疑う余地のあり
そうな者は、マスコミ等で騒がれただけの人物をも含めて、網羅的、広範囲に取り
上げてくまなく捜査したが、共犯者という視点からみると、嫌疑を抱く理由のある
者は見当たらなかった、というのである。この事実に直面するときは、遡って本件
を共犯事件とする根拠がはたして確かであったのかどうか、その点を見直す必要が
ないとはいえない。銃撃実行者不詳のまま、その者との事前共謀を認定するのはは
なはだ異例な事態であるが、あえてそのような認定を正当とするためには、その共
犯事実について、仮に氏名不詳者が見つかっても、その者からの事情聴取が必要で
ないほどの、確かで、証明力の高い証拠が備わっていることを検討・確認しなけれ
ばならない。そのことを念頭に置いて、以下の検討を進める。
 第四 犯行の動機について(検察官が主張する情況事実 一)
 検察官は、A1にはB1殺害の動機があったと主張し、具体的にはB1に対する
愛情を喪失しており、他方、その経営するC1の営業活動の維持、発展のため、多
額の営業資金を必要としていて、それらが結びついて本件を計画してもおかしくな
い状況にあった、それが具体的に表面化したのが殴打事件であり、本件渡米時にB
1に高額の海外旅行傷害保険をかけたのも、当初から保険金目当てであったという
のである。
 一 夫婦関係の冷却とB1に対する愛情の喪失について
 原審で取調済みの関係証拠によれば、A1の女性関係が乱脈を極めていたことは
覆うべくもない。A1は、当初昭和五〇年二月に結婚し、約六か月後の同年八月離
婚、翌五一年六月に再婚したが、それも二年半後の同五三年一二月に離婚してい
る。これらの結婚が、いずれも短期間で破綻した理由は必ずしも判然としないが、
同五四年七月にB1と結婚した後も家庭外で、多数の女性との性的関係が目立って
いる。例えば、同五五年夏ころから一年以上F19の女性店員と肉体関係をともな
う交際を続け、同五六年二月ころから六月ころまではE43という女性と同様の関
係を続け、同年五月ころには、後記のとおり、F20ホテルのパーティーで同女を
介してD5と知り合い、その数週間後には肉体関係ができて深い交際を続けなが
ら、同時にD5の紹介でその友人らとの肉体関係をも求め、更にはC1の従業員ら
とも同様の関係を持って、それらの中には海外に連れて行った者もいるという有様
であった。また、交際の仕方をみても、例えば、知り合いの女性二人とC1の男性
社員を一緒にホテルの一部屋へ呼び寄せ、四人一緒に肉体関係を持ってはばからな
かった事実も認められる。こうしてみると、A1の女性関係ははなはだしく常軌を
逸しており、その女性観、更にその根底にある物の考え方に普通でないものを感じ
させられる。
 ところで、夫婦の関係について、A1は、外泊、深夜帰宅もなく、日曜祭日には
「B1サンデー」と称して子供を親元に預けて二人で出かけるなどしていて、二人
の仲はよかったと述べ、B1の両親も、外からみる限りでは仲は悪くなかったと証
言している。しかし、更に立ち入ってその内実をみると、B1は激しく言い立てた
りはしていなかったものの、A1の女性関係を察知して悩んでいた事実は動かし難
い。例えば、殴打事件前、A1の海外出張中に、B1がいた自宅ヘホステスが押し
掛けてきて、自分がA1と結婚するといってB1に離婚を迫るというような異常な
出来事もあったし、B1が精神的に大きな衝撃を受けていたであろうことは否定す
べくもない。A1はそれ以外の女性関係をB1は知らなかった筈たというが、B1
の周辺にいたE36の原審証言によれば、B1は、A1がB1の友人との間でも肉
体関係を持っていると推測していたことが認められるほか、B1の遺品中にあった
シンガポール航空の絵はがきに書かれたメモ(E42の第五〇回原審証言・同公判
調書添付資料「1」[159―4260])の記載は、B1がA1の乱れた女性関
係を知って悩んでいた状況を端的に示している。しかし、本件にとって重要なの
は、B1のA1に対する思いではなく、A1のB1に対する思いの方である。B1
は悩みながらまだ愛想を尽かしていなかったとしても、A1の思い如何によって
は、本件犯行の動機が生まれてもおかしくないからである。そして、先に述べたよ
うなA1の女性関係からすれば、B1に対するA1の感情は到底誠実なものであっ
たとはいえず、状況如何によって、B1に対する犯行が起こっても、必ずしもおか
しくない素地はあったと理解される。例えば、B1が銃撃の被害を受けてF7病院
に入院中の時期にも、A1はD5をはじめ他に何人もの女性と性的関係を続けてい
たことが認められ、その行動には、口先で何と言おうと、当時のA1のB1に対す
る思いが端的に現われているとみなければならない。
 二 C1の営業資金の必要性、保険契約締結の事情等について
 殴打事件に至るまでのC1の資金需要や保険契約締結の事情については、A1の
殴打事件に関する一、二審判決が直接に証拠調べをし、詳細に認定・判示している
ところである(当裁判所に顕著な事実である。)。もっとも、同事件にっいて取り
調べられた証拠がすべて本件でも取り調べられているとは限らないから、右の判断
がそのまま本件にも当てはまるとはいえないが、主な証拠は共通しているもののよ
うで、本件記録と当審における事実取調べ結果を含めて検討しても、同判決の認定
内容には同感できる点が多い。すなわち、
 1 A1は、昭和五三年にC1を設立し、以来その経営に当たってきたが、本件
直前までの営業実績と資金繰りの状況等を中心としてみると、設立以降毎期末に赤
字状態が続いていたものの、売上高は順調に伸びていた。特に、昭和五六年当時、
アヒルのランプ等の輸入雑貨の販売が好調で、国内生産を委託開始するまでになっ
ていたし、同五五年三月にはアメリカのF4社との交渉が調い、同社の商品につき
五年間日本国内での独占販売権を取得して、これに基づき国内ではF21、F19
等の大手デパートとの間に一定数量の買取契約を締結するなどしていた。その後、
F4商品の品質上の問題からデパートが入荷を渋るようになり、紆余曲折を経た末
に、同五七年三月C1はその地位を大手企業のF22株式会社に譲渡して撤退した
が、F22から一時金のほか若干のマージン取得の権利を手にして、C1として
は、有利な解決をみる結果となっていた。売上高が伸びるとともに、資金需要も拡
大したが、同五六年八月以前の主な資金借入先としては、F23(五五年三月、三
三六万円)、F9銀行(五六年二月、八〇〇万円)、F22(五五年四、五月、二
〇〇〇万円)のほか、A1個人、その父親E12らからの短期借入れ程度であっ
て、その返済は順調に行われていたようであり、特段の問題は窺えない。また、同
五六年九月ころから仕入れ代金支払いのために手形を振り出すようになったが、資
金需要が拡大すれば、一般的に考慮されてよい支払いの手法であって、そのこと自
体を特段問題視すべき事情は見当たらない。同年九月、一〇月に、F22から一〇
〇〇万円、四四〇万円と短期の借り入れをしている事実があるが、これは仕入れ代
金を必要としたのに、A1の取引銀行であったF9銀行F10支店からは、A1本
人の定期預金など確実な担保のある範囲内でしか融資を受けられなかったために、
取引関係のあるF22に依頼して同社から融資を受けたものと認められる。しかし
それも、その直後の同年一〇月、一一月には売り上げが増加して経常収支が好転し
ているので、このことを予測して借り入れたものと了解できる範囲内にある。C1
では給与の支払い遅延等もなく、かえって同五六年九月には事務所を移転、拡大
し、同年暮れにかけてコンピューターの導入をはかるなど、企業活動は積極的で、
従業員は概して若く、活気のある職場であったと認められる。これらの事実を総合
してみると、C1の経営状況は、資金的に余裕がある状況ではなかったけれども、
資金的に特に困っているという事情にもなく、まして保険金殺人でも計画しなけれ
ば乗りきれないといった切羽詰まった資金状態は認められない。
 2 殴打事件当時、A1はB1を被保険者とする次の保険に加入していた。
 (a) F24保険相互会社との間の、同五五年一月一日付け、B1を被保険
者、A1を受取人とする死亡時保険金額一五〇〇万円(災害死亡時三〇〇〇万
円)、保険期間五年、保険料掛け捨ての集団定期保険契約(以下、F24の保険な
どという。)、
 (b) F25保険相互会社との間の、昭和五六年二月一日付け、B1を被保険
者、A1を受取人とする死亡時保険金二五〇〇万円(災害死亡時五〇〇〇万円)、
保険期間一〇年、保険料掛け捨ての定期保険契約(以下、F25の保険などとい
う。)、
 (c) F26との間の、昭和五六年八月五日締結、B1を被保険者、受取人を
法定相続人とする死亡・後遺障害保険金額七五〇〇万円、保険期間同年八月一二日
から一〇日間の海外旅行傷害保険契約(同時に、A1を被保険者、受取人を法定相
続人とするほかは同条件の保険にも加入している。)。
 以上の三つ保険契約のうち、前記殴打事件の一・二審判決において、保険契約締
結時から保険金目的の殺人の意図があったと認定されたのは前記(C)の保険契約
である。この保険契約は、後述のとおり、A1がD5にa1でのB1殺害を依頼
し、同女から承諾を取り付けて、実行計画に見通しが立った後で加入したものであ
り、その直後に実際に殴打事件が持ち上がっていることと照らし合わせて考えれ
ば、この時点で保険金取得目的の殺人の下心があり、その趣旨で加入したものと推
認されて不合理とはいえない。しかし、それ以前に加入していた(a)の保険は、
B1と再婚する前から加入していたA1本人の保険について、再婚を機に受取人の
変更など手直しをし、その時に締結した経過のあるもので、時期的な点からみて
も、特段疑わしい点があったとはみられない。また、(b)の保険についても、保
険金額は(a)と合算して四〇〇〇万円であるから、A1の当時の収入等からみれ
ば高額過ぎるとはいえない。しかし、この契約締結直後ころから、後記の共犯者物
色と推測される行動が始まっていること、そして同年八月の殴打事件に至る一連の
経過をみると、この時すでに、B1殺害による保険金取得の下心が芽生えていなか
ったか、全く疑う余地がないわけでもない。ただ、単なる疑い以上には根拠がない
から、この保険契約についても、契約締結時に保険金目当ての殺人の意図があった
とみるのは無理と判断される。
 三 今回渡米時に締結した保険契約について
 1 次に、本件当時、渡米に当たり、A1は、(d)F26との間で、同五六年
一一月一六日締結、B1を被保険者、受取人を法定相続人とする死亡・後遺障害保
険金額七五〇〇万円、保険期間同年一一月一七日から七日間の海外旅行傷害保険契
約に加入している(同時に、A1を被保険者、受取人を法定相続人とするほかは同
じ条件の保険契約にも同時に加入している)。まず、この保険への加入手続自体に
不自然な点があるかどうかを考えるのに、この保険の最高保険金額は同年七月二〇
日前は五〇〇〇万円、同日以後七五〇〇万円に改訂されていたところ、検察官は、
A1は最高保険金額が五〇〇〇万円当時には三〇〇〇万円の保険に加入するのが通
常であったのに、今回最高金額に加入しているのは保険金取得目的があったためで
あると主張する。しかし、A1は、同年九月に商用のため単身で渡米したときにも
最高金額の保険に加入していた事実が認められるし、また、保険金額の違いは一見
大きくみえても、保険料の違いは僅か二〇〇〇円程度であって、そのため海外旅行
保険では、社会的立場のある人のうち四分の三は最高金額の保険に加入する実情に
あるというのであるから、それらの点からすると、A1が最高金額の保険に加入し
た手続自体をとらえて、直ちに今回の渡米中に保険金目的の殺人を敢行する意図が
あったためであるというのは、疑問である。この点につき、この保険契約締結に関
与したF26のE44は、最高額の保険契約を同人からA1に勧めてはいない、A
1から八月と同じ金額といって申し込みを受けたと述べている。A1が、訳あって
最高額の保険に加入したかのようにも響くが、E44の立場からすると、契約締結
時には同人の側から勧めたものであっても、保険事故が起こった後では、自分の方
で勧めた契約ではなかったと言いたくなる事情もあると一般的には察せられるか
ら、この点を同人の供述だけで判断するのは適当でない。
 2 それでは、加入手続前後のその他の事情と照合してみればどのように考えら
れるか。関係証拠の内容は、一様でないようにみえる。
 何といっても、この点に関して無視できないのは、三か月前に殴打事件が起こっ
ていて、そこにはA1のB1に対する本心が露呈しているとみられることである。
当時、二人の間には、前年の昭和五五年九月に長女が生まれていて、普通ならば円
満な関係にあっておかしくなかった筈である。ところが、殴打事件が持ち上がり、
その件へのA1の関与を否定できないこととなって、そのため殴打事件直前に加入
した前記(C)の保険について、保険金取得目的の殺人の意図を否定できないこと
が後述のとおりだとすると、その事件に現れているA1のB1に対する感情は極め
て複雑で、表面上はどうであれ、腹の底では一体何を考えているか分かったもので
はない危険さに満ちていたと考えざるを得ない。そして、次にB1を連れて同じa
1に行くことになったのが、ここに問題になっている本件一一月のことなのである
から、そうすると、八月渡米時に保険金目当てに保険に加入した事実があるとされ
る以上、一一月渡米時の保険加入に当たっても、八月の保険加入時のことがA1の
頭の中に全くなかったとは考えにくい。もとより、前回そうだったからといって、
今回も同様に保険金目当ての意思があったとすぐにいえるものではない。しかし、
この時点でのA1は、B1に対する愛情を失っていなかったから保険金入手目的で
B1殺害を目論むことはあり得ない、といえるような純な状態になかったことはど
うやら確かであり、そうである以上、その点の判定に当たっては、契約締結後のA
1の行動を注意深く観察した上で判断する必要があるように思われる。
 しかし、この点については反対の事情も認められる。すなわち、当時のA1は、
C1の資金繰りに関して切羽詰まった状態にあったとは認められず、せいぜい取引
規模その他の事業拡大資金の必要があった程度と認められるに過ぎない。そうする
と、A1は、切羽詰まった事情もないのに、妻を銃撃・殺害するとともに、自分の
大腿部をも銃撃させ、一歩間違えば、将来取り返しがつかない後遺症を残すかも知
れない危険に自己の身をさらしてまで保険金取得に執着したことにならざるを得な
いが、それはどうみても不自然過ぎるのではないかという点である。
 また、保険加入の意図を探るには、そのための一つの事情として、入手された保
険金の使途が参照されてよかろう。そのような観点から、本件保険金の使途をみる
と、入手したこれらの保険金は、C1の関係でもその他の関係でも、差し迫った用
途に費消されてはいない。すなわち、B1が廃疾した関係で入手した保険金は、お
およそ昭和五七年三月一六日のF24からの三〇〇〇万円、同月二四日のF25か
らの五〇〇〇万円、同年七月九日のF26からの七五〇〇万円、合わせて一億五五
〇〇万円であるところ、これらはまずは株式、国債など有価証券や金地金の購入、
定期預金、若干の金員の支払い(これはさほど高額なものではない。)等に使われ
たこと、その後、その一部がC1関係の車両の購入資金、A1が経営する別会社
(C2)に対する貸付資金、C1が五九年に倒産したときの清算資金等に充てら
れ、その他同五八年に東京都杉並区l1に宅地を購入して家屋を建設した資金の一
部にも充てられたことが認められる。そして、ほかには、C1が同五七年四月二七
日に保険金を原資とするA1個人の一〇〇〇万円の定期預金を担保に一〇〇〇万円
を運転資金として借り入れたこと、同じくC1が同年五月二七日にB1名義の利付
き国債を担保に一五〇〇万円の当座貸越し契約を銀行との間に締結していること、
前記の宅地の購入に際して土地に根抵当権を設定するほかに保険金を原資として購
入した有価証券の一部をも担保として六〇〇〇万円の住宅ローンを組んでいること
が認められる程度であって、大体これに尽きる。こうした事実によれば、本件で支
払われた保険金は、基本的には、資産として蓄えられ運用されていたといえる。し
たがって、保険金の使途をみる限り、差し迫った資金需要という面での保険金殺人
の動機は窺い難い。
 このようにみてくると、今回の渡米時に締結した(d)の保険に加入した当時の
A1の真意は、その直後に起こった本件犯行の内容の確定を待って、これらの事情
を含めて総合判定するほかはない。 四 小括
 以上によれば、A1は、B1に対する誠実さにはなはだ欠けており、同女を裏切
って保険金取得を考えることが、A1の心理の底流においてあり得ないこととは思
えない。また、殴打事件への関与を通じて、そこにB1殺害による保険金取得への
欲求を認めざるを得ない以上、同様の欲求が、その後間のない本件当時、まだ消滅
せず残っていた疑いはかなり強い。しかし、A1がそのことを実現する時期とし
て、今回の渡米時を選定したと積極的に疑わせる事実は証拠上明らかでない。
 特に、本件の特徴は、単にB1を銃撃するだけではなく、その銃撃はA1が仕組
んだものでないことを強調するために自らの大腿部を同時に銃撃させるものだとい
う点にある。他人の殺害だけを目的とするのであれば、動機と呼べるほどの動機が
客観的にはないのに、それでも殺人を犯す者がいないではない。しかし、犯人が殺
人と同時に自分をライフルで銃撃させることとし、両者をワンセットにして実行す
るという態様の犯行は、容易に想定できるものではない。殴打事件では、自分の身
体に危険が及ぶことは一切なかったが、本件の場合には、一つ間違えば、自分の生
命に危険が及び、場合によっては一生を台無しにするかも知れない危険が伴ってい
る点で、犯行内容が全く異なっている。A1の負傷結果は前記のとおりであり、結
果として比較的早期に退院できたが、この程度で済むことが最初から分かっていた
とはいえないし、それにしてもかなりの恐怖を伴ったことに変わりはないというべ
きである。このような危険をあえて覚悟するには、余程切羽詰まった動機がなけれ
ばならないが、これまでの検討結果によると、この時期に、それほどの問題があっ
たとは思えないのである。殴打事件を通じて認められる犯行の意図が、これとは全
く内容の異なる銃撃事件に自然に発展したとは、容易に納得できないものがある。
こうしてみると、銃撃事件のような内容の犯行を犯す動機に絞ってみれば、積極的
に肯定できるとはいえない。
 第五 共犯者の物色について(検察官が主張する情況事実 二)
 検察官は、A1が、本件犯行や殴打事件以前から、何人かの者達に、保険金殺人
と察知されるような犯行計画を、いずれも突然というに近い経緯の中で持ち出し
て、加担する意思の有無を打診した事実があることを指摘して、A1がそのような
意図を以前から常々抱いていたと主張している。そこで、以下においては、それぞ
れの人物に対するA1の接触状況、意向打診の内容等を順次検討し、それらの行動
の中に現れているA1の真意と、それが本件にとってどのような意味を持つ情況事
実とみられるかを検討する。
 一 D1に対する打診
 1 D1の原審証言によると、A1がD1に接触した状況は、おおよそ次のとお
りであったと認められる。
 (a) D1は、昭和五二年六月当時、A1経営の会社で働いていたが、二か月
後に解雇された。ところが、その後の同年九月ころ、A1から突然自宅に電報が届
き、折り返し電話をしたところ、「金もうけの話がある、やってみないか、二、三
千万円になる。」と言われ、翌日、m1にあったA1経営の会社「C5オフィス」
近くのC8という喫茶店でA1と会った、
 (b) 同店でA1は、妻と別居できないか、離婚ならもっと良い、と言いなが
ら、永遠に別れるような意味の話をするので、保険金殺人かと聞くと、そうだと頷
いた。D1は、「聞きたくない。」と言って帰ろうとしたが、A1は、「いろいろ
なやり方がある、お互いの妻を殺す、相手に保険をかけて一年かそれくらい経った
時点で車で轢いて殺す。」などという話を始め、更に、「もっといろんな納得でき
る方法がある、二人で五〇〇〇万円手に入れた者がいる。」などという話を続け
た。A1は、「よく考えておいてくれ、連絡するから。」と言い、D1は「二度と
電話をくれるな。」と言って、別れた、
 (c) 帰宅してそのことを妻に話したところ、妻は怒っていた。数日後、A1
から電話があり、その妻が応対に出たそうで、「冗談じゃないと言って電話を切っ
た。」と言っていた、というのである。
 2 A1は、D1の供述を全面的に否定している。そこで検討するのに、まず、
D1が打診されたという時期は、同人の供述によると、昭和五二年九月ころとされ
ていて、A1がB1と結婚した同五四年七月よりもかなり前の時期に当たっている
から、少なくとも本件とのつながりは希薄とみられる(A1がB1と初めて会った
のは、昭和五三年六月である)。また、同人は、A1の話の概略を知人や懇意な飲
み屋の女主人らに話しておいたところ、それらの人がそのことを憶えていて、本件
の報道を見た際に思いだして連絡してきたと述べ、自己の証言が確かなことの根拠
としている。しかし、同人の供述には要領を得ない点が多過ぎる。例えば、一方
で、自宅の電話が止められていたので電報で呼び出されたといいながら、その後に
A1から電話があり妻が応対に出たと述べたり、お互いの妻に保険を掛けて保険金
を入手するというのに、被害者となるそれぞれの妻の保険料の支払負担をどうする
かの話が不明であったり、また取得した保険金は相互に相手の口座に振り込んで支
払うというのであり、これも辻褄が合わない。しかも、D1は、A1に突然解雇さ
れ、当時退職手当も支払われなかったために、こうしたA1のやり方に不満・反感
を抱いておかしくない状況にあったとみられるし、加えて同人は、テレビのワイド
ショーに出演して料金を得ていた経過もあり、そのためか本人のいうところによる
と、警察からは五、六回事情聴取をされたというものの、殴打事件では証人申請も
されなかった人物である。こうした諸事情を考慮すると、D1の供述には疑問が多
過ぎる。
 二 D2に対する打診
 1 D2の原審証言によると、A1がD2に接触した状況は、おおよそ次のとお
りであったと認められる。
 (a) D2は、昭和五六年一月ころ、a1市n1のF27で店員として働いて
いた当時、店に客として出入りしたA1と顔見知りとなった、
 (b) その後の同年二月中旬ころ、A1からの封書を同僚店員を通じて受け取
ったが、それには「男と見込んで重大な仕事を頼みたい、三月になったらa1に行
くから会って欲しい、この手紙は焼却して欲しい。」と書かれていた。D2は、咄
嗟に密輸か薬物の話を想定し、ビジネスの話とは思わなかったが、応諾の返事を出
した(物六七・同押号の三、146―182,282[手帳の写し])、
 (c) 同年三月に入ってA1から電話があり、モーテル(F1)に一人で来て
欲しいとのことであったので出かけた。そこでA1から、世間話、ビジネスの話な
どに続いて、一緒に犯罪請負の仕事をしないかという話があった。A1は、ありと
あらゆる犯罪をやってきたとか、世の中には完全犯罪も沢山ある等という話を長々
とし、当初はせいぜいマリファナなどの密輸くらいのことを考えていたところ、ピ
ストルを撃てるかとか、殺人に関係する話になってきて、更に殺人を行うことは決
して悪いことではない、いいか悪いかは結果で決まるというような話になった。要
するに殺人依頼の話と分かり、ばれないで金になるのなら悪くないとの気にもなっ
て報酬額を聞いたが、殺人に金額はない、計画が絶対発覚しないものであれば、少
ない金額でもやる価値がある、要は計画が完壁かどうかだと言われた。殺人の具体
的内容を聞いたが、今は言えないとのことであった。今住んでいるところを引き払
い、周りには「ニューヨークに仕事が見つかったから行く。」と言って仕事を辞
め、実際は日本に戻ってA1が指定するホテルで待機すれば、その時話すというも
のであった。凶器は、ピストルも日本刀もあるという話であったと思う。そのほか
に、殺す相手は全然知らない面識のない人物で、D2に頼んだのは、同人には動機
もA1との接点もないからである、偽造のパスポートも用意できる、完全犯罪だ、
ということであった、
 (d) 渋ったところ、「金とどっちが大事だ。」と言われたが、最終的には断
って席を立った。話は全部なかったことにする、警察に話しても証拠はないと言わ
れたように思う、
 (e) 本件後の昭和五八年秋、前記F27の厨房にA1が入ってきて顔を合わ
せたことがあるが、a1市警にモンタージュを見にきたとのことであった、警察に
全部話したからと言ったら、ご冗談でしょうと言っていた。口封じにきたのかと思
っている、おおむね以上のとおりである。
 これに対して、A1は、D2とF27以外で会ったことはない、同人に殺人を依
頼したことはない、ただし、F27で寿司を食べながら、新聞に載っていた殺人事
件を話題にしたことはあるから、そのことを言っているのではないか、という。た
だ、D2の同僚がC1に立寄ったとき、同人にD2宛のたわいもない内容の手紙を
預けたことがあったことを、殴打事件の公判供述中で認めている。
 2 ところで、その後の経過について、D2は、A1からこのような打診を受け
たことを後日妻になった女性や職場の同僚等に話したほか、学生E45に話した、
同人からa1のマスコミ記者の耳に伝わり、結局昭和五七年二月末から三月ころ、
a1警察の捜査官から事情聴取を受けるに至ったが、捜査官と十分な意志疎通がで
きず、犯人扱いされている印象を受けたために、その時はA1から殺人を依頼され
たわけではないということにして話を終わった、同五八年一一月ころ、週刊J1の
記者が訪ねてきたので取材に応じ、その後多数のテレビに出演したり、多くの週刊
誌等の取材に応じたりした、という。そして、A1が殴打事件で逮捕された後、昭
和六〇年九月以降に、日本の捜査官からも事情を聞かれ、検察官調書が作成され
た。D2のこうした供述経過をみると、同人は、テレビなどマスコミの取材に応じ
る際に相当多額の金員を受けとっていることが窺われるから、当時のマスコミ攻勢
に迎合して発言した部分があるのではないかと疑われる余地が全くないわけではな
い。また、その供述には、A1とF1で話をしたという日時の供述に若干の変遷が
ないではない。しかし、その供述内容は、全体として、相当具体的かつ迫真的であ
り、また返事を出したことが手帳に記載されており、しかもその内容を周辺の親し
い者に漏らしていて、事後的に作り話をし難い状況にあることや、またかなり早い
段階からa1警察の事情聴取に応じている点などからみて、前記のような話が、D
2とA1の間でなされたことは、大筋において間違いないと認められる。ただ、こ
のときの話の内容は、なお具体化された話ではなく、そのためこれを具体的な殺人
依頼であるとか、ましてB1殺害の共犯者物色行為とまではいえないにしても、A
1の発想ないし物の考え方をよく示している点がある。そして、A1がD2に、こ
のような話をした約五か月後に、D5を使った殴打事件が持ち上がったのであるか
ら、その事件との関連性は勿論であるが、本件との関連性についても無視できない
点がある。以下に述べるD3、D4らに対する言動とあわせて、再検討すべきであ
る。
 三 D3に対する打診
 1 D3の原審証言によると、A1がD3を勧誘した状況は、おおむね次のとお
りであったと認められる。
 (a) D3は、昭和五六年一月にC1に営業部員として入社し、同五七年一〇
月営業部長に昇進したものであるが、入社前にA1と面接した際、執行猶予の前科
(窃盗前科)があることを話していた、
 (b) 入社して数か月が経った昭和五六年春ころ、C1の商品仕入れの情報が
外部に漏れているのではないかという噂が流れたことがある。その内容は、同じ商
品が他の店(F28)で安く売られていて、取引先や直営店筋からクレームがあっ
たというものであったが、その後、C1の倉庫で、D3はA1から、F28の件を
調べた書面が届いて、情報漏れの内容が分かったと話されたことがある、
 (c) その後、D3は、A1から二回にわたってF20ホテルに呼び出され
た。一回目は、同年五月初めころのことであるが、同ホテルの部屋で、A1から、
「B1がF28の社長と浮気している、A1の仕事関係のインボイスが家に置いて
あるが、B1がそれを見てF28に情報を流した、結婚前からの知り合いらしく、
昼間電話してもB1はいない。」などと言われ、少し雑談した後で、今度は、「D
3、おまえ、お金のためならなんでもできる人間か。」「このまま一生働いてもい
くら貯められるか、どのくらい貯まるか分かるか。」と言われた。D3は、当初
は、大阪にC1の事務所を作ってそこに行くとか、A2のしていた仕事をa1です
る等の話を想定したが、正規の仕事以外の仕事をする趣旨かとも考えた。B1の話
が出て、その後にこのような話が出たことやその場の雰囲気から、怖くなって、
「考えてさせてください。」と答えた。その後は社員の話や女性を紹介してくれな
どという話になって、四〇分くらいで話は終わった。部屋を出るとき、「この件は
誰にもいうな。」と釘を刺された、
 (d) その後、A1から二度誘いがあり、断っていたら、同年五月終わりころ
にまたF20ホテルへ誘われた。行くと、「この間の話だが、その仕事をやる気が
あれば一生かかっても食べきれないくらいの仕事がある、やる気があればC1を六
月一杯で辞めて、社長から連絡があるまでブラブラしていろ、給料は保障する、仕
事が終わったら二、三年外国に行って遊んでくればよい。」、と言われた。具体的
には二〇〇〇万という金額が出たと思う。それから、A1の乗っている車のブレー
キを利かなくすることができるかと聞かれ、社長の車はコンピューター制御なので
できないと答えたが、その他の車はどうかなどと質問された。それについても技術
的にできないと答え、その話はそれ以上には進展しなかった。話の流れから、B1
かF28の社長を事故に見せかけて殺害する話だと思ったが、これ以上話を聞くと
断れなくなると思い、この話はなかったことにしてくれと言ってはっきり断った。
A1は、あっさりとこの話はなかったことにすると言い、その後は社員の話や異性
の話をして、この日は終わった、
 (e) 採用時に前科のことを話しておいたので、自分に頼みやすかったのかも
知れい。自分に殺人を依頼してきたものと理解している、おおよそ、以上のとおり
である。
 これに対して、A1は、これらの点を否定し、情報漏れが分かったと言って示し
た興信所の書面は、実際に興信所から報せてきたものではなく、何かの書類を思わ
せぶりに示してそのように言ったかも知れない、F20ホテルで会ったかどうかは
分からないが、人材を育てたいという趣旨から、命を懸けても俺と一緒にやってい
けるかというニュアンスで聞いたことはあるかも知れない、自動車に細工できるか
などという話は、ホテルではなく、昼に一緒に食事をした際に、その店で見ていた
テレビのワイドショー番組に関してそのような話題が出たものである、また、B1
の浮気話に関しては、自分の女性関係を正当化したくて、B1も適当にやっている
からというようなことを言っただけで、F28の社長というような具体的な話をし
たことはない、わざわざD3をF20ホテルに呼んだことはない、という。そし
て、D3の供述の信用性に関して、同人は、マスコミに乗せられて、ありもしない
話をするようになっていったかのようにいうのである。
 2 しかし、関係証拠によると、D3は、昭和五七年四月三日から一〇日までの
間、C1の商用でa1に出張することとなった際、A1もその一日前にa1へ行
き、とんぼ返りで日本に帰ってくる予定となっていることを聞き、これはa1でA
1がD3を待ち受けているのではないかと身の危険を感じて、以前にA1から聞い
た話の内容を書き留めた書簡五、六通を作成し、これを友人のE46に託したと述
べている。加えて、右の出張先のa1でD4と会った際、ねらわれることを心配す
るあまり、同人に依頼して、宿泊先のF1で、A1が宿泊した後をD3が引き継い
だ部屋の変更を申し出たり、部屋番号を外部に教えないよう依頼したりしたほか、
D4から、同人もD3と似たような殺人依頼の話をA1から持ちかけられていたこ
とを聞き及び、そこで自分も言われていたことを打ち明けたといい、その点はD4
の原審証言と一致している。これによれば、D3の供述にはかなりの裏付けがある
といえる。
 ところで、D3は、同五九年一月ころ、週刊誌に情報を流しているのは同人では
ないかとA1に疑われたことがあり、そのことが直接の原因となってC1を退職し
た経過があった。そして、マスコミの取材に対しては、前記のような事実を一切口
にしていなかったが、A1が逮捕された後同六〇年九月に警察から事情を聴取され
た段階で、初めてこの事実を供述したというのである。このような経過に照らして
みると、同人の供述は、マスコミに迎合してなされたものとはいささか趣を異にす
る上、その話は極めて具体的であり、信用性が高いと考えられる。A1から提示さ
れた具体的金額や、ブレーキの細工を打診された対象車両などの点については、そ
の供述に若干の変遷がないではないが、これに近い話かA1からされた事実は間違
いがないと判断される。そして、A1がD3をわざわざF20ホテルへ呼び出して
持ちかけていること、D3証言の自然な流れ等からみて、A1がD3に対して、D
3のいうとおり、A1はB1の殺害を依頼しようとしていたのではないかと推測す
ることに、かなりの程度理由があるとみられる。しかし、殴打事件及び本件との関
係で、この事実の持つ意味合いを検討しなければならない。
 四 D4に対する打診
 1 D4の原審証言によると、A1がD4を勧誘等した経過は、次のとおりであ
ったと認められる。
 (a) D4は、昭和五四年七月に渡米し、旅行会社に勤務する傍ら、同五六年
ころF1のフロント係にアルバイトで勤務していたとき、客として出入りしたA1
と知り合い、話をするようになった、
 (b) 同年八月又は九月ころ、A1から、A2が当時行っていたC1関係商品
の買付け代行の仕事を引き受けないかと誘われ、翌五七年二月ころから、Q1とい
う名称で、これを引き継いだ、
 (c) 右の勧誘を受けたのとほぼ同じころ、F1のロビーで、A1から、「お
金をもらえばなんでもできる人か。」とか、「二、三年a1を消えることができる
か。」等と尋ねられた。薬物犯のことかと感じた、二、三千万という話がでたよう
に思うが、仕事によって考えると返事したところ、冗談だといってそれ以上話は進
まなかった、
 (d) 翌五七年七月にD3が仕事でa1に来てF1に泊まったとき、同人から
部屋替えを求められたことがあった。D3に聞いたところでは、A1から殺人を頼
まれて断ったことがあり、しゃべられたらA1は困るので、ねらわれるのではない
かと危惧したからということであった。殺害の相手方は、話の内容からみて、B1
だと思った。自分も同じような話をA1からされたことを思い出し、そのことをD
3に話した、おおよそ以上のとおりである。
 これに対して、A1は、D4の仕事への覚悟をただすために、死にものぐるいで
何でもできるかという意味のことを言ったことはあるかも知れないが、前述のよう
な意味で、お金をもらえればa1から消えることができるかと言ったことはないと
述べて否定する。
 2 D4は、マスコミの取材には応じていないが、a1警察や日本の警察からの
事情聴取には応じており、同人の原審証言によると、昭和六二年四月、日本の警察
官調書が作成され、その後の一九八八年(昭和六三年)にはa1で宣誓供述書が作
成されたという。A1から、買付け代行以外の仕事を依頼されたというこの話は、
最初の調書には記載がなく、宣誓供述書には記載されているというのであるが、そ
こには、A1から聞いた具体的な言葉として、「D4さんは、この仕事をやめて、
飛行機に乗って一年位、他の国に行けるか。」と言われたというのであり、原審供
述よりは、この方が正しいと述べている(158―4022)。D4には、このよ
うな話を創作して述べる理由は見当たらないから、右の話は一応そのとおりと考え
てよかろうが、ただ、これが殺人依頼の話であるのかどうかはまだ具体的でなく、
ましてB1に関する依頼かどうかまでは分からない。したがって、この話を、A1
がB1殺害の計画をD4に打診した趣旨ではないかと、すぐに結びつけて判断する
のは困難である。しかし、普通でない話という印象は拭えないから、他の者に対す
る働きかけと並べて、検討するのが適当である。
 五 A2に対する打診
 A2の捜査官に対する供述調書(昭和六三年一〇月一九日付け検察官調書[乙五
一])、原審及び当審供述等によると、A2は、殴打事件よりも前に、A1から、
C1の従業員であるE33の友人がライバル会社であるF28の社長のところで働
いていて、その者からの報告によると、C1で買い付けた商品と同じものがすぐF
28にも出ているとのことだ、B1が相手の会社の人間と浮気をして情報を漏らし
ているみたいだから気をつけてくれ、という趣旨のことをいわれた、と述べてい
る。
 これに対して、A1は、当審公判廷で、A2から女性関係のことで忠告された際
に、忠告をそらす意味で、「いいんだよ、うちのも適当にやっているから。」とい
うように言ったに過ぎない、B1は会社のことを知らないから、B1が会社の情報
を漏らすことはあり得ない、そのことはA2にはすぐ分かることだから、そのよう
なことをA2にいう訳がない、という。しかし、A2は、そのような話を聞いたと
一貫して述べているのであって、女性問題の多い社長の妻の浮気といったストーリ
ーが印象に残ることは明白であることや、B1の浮気という、これと同様の話をD
3やD5も聞いていることなどからすると、この供述はかなり信用できるというべ
きである。ただし、A2に対する話は、その程度で終わっているから、せいぜいそ
こにA1のB1に対する感情を窺い知ることができる程度であって、これだけでは
殺人加担への意向打診とか、共犯者の物色などとまではいえない。
 六 小括
 A1が持ちかけた以上の話は、どれを取り上げても、個々的にはA1の打診内容
が、具体的でまとまりのある話とまでは理解できない。しかし、それらの中で、比
較的具体性のあるD3の場合を中心として、他の者に対する話とつき合わせてみれ
ば、その発想にいくつかの共通性を読み取ることができる。まず、これらの話は、
時期的には、D1への話が昭和五二年九月で他の場合とかけ離れている以外は、い
ずれも同五六年春から夏にかけてのことであり、その夏に殴打事件、秋に本件が起
こっていることとの関係からみると、その準備段階に当たっており、他方、前記F
25の保険加入との関係では、その少し後に当たっている。そして、話がされた状
況をみると、D3の場合、二回にわたってF20ホテルに呼び出され、秘密めかし
た話し方がされたというのであり、話を持ちかけた状況に特徴的ないきさつがあ
り、また、話の内容にも、情報を漏らした者としてB1の名前が出ていたり、車の
ブレーキに細工をするなどといった具体性が含まれている。ここにいう車のブレー
キ云々という事故態様の発想は、D1に対して、事故に見せかけて車で轢き殺すと
話したとされる発想と類似している。また、加担すれば高額の報酬が期待できると
いう点は、D3、D4、D1、後述するD5らに共通しているし、実行後かなりの
期間姿を消す等してA1とのつながりを断つという言い方は、D3やD2に共通し
ており、B1の浮気云々の点は、D3、D5、A2らに共通している。こうしてみ
ると、ここに現れているような発想を、A1は平素から、常々抱いていたのではな
いかと感じさせる点がある。
 また、D3に断られた三か月後に殴打事件が起こっている。したがって、その間
にD5に働きかけた順序になるが、D5説得にA1が用いたとされる話の中に、B
1の情報漏洩や浮気といった、D3に話したのとほとんど同内容の話が含まれてい
ることからすると、やはりA1は、D3を呼び出した際にすでに、B1殺害の計
画、具体的には殴打事件を頭において打診していたのではないか、もしD3が応じ
ておれば、D5との間でなされたように、犯行の日時、場所、方法等を順次具体化
させる段取りとなったのではないかと強く疑わせるものがある。
 D3の場合をこのように理解すると、その他の者に対する話についても別の見方
が可能となる。特に、D2の場合は、D3に話す約三か月前の時期に当たってお
り、わざわざA1の方から封書を人に託してD2と連絡を取り、F1に呼び出して
会ったというのであるから、D3に対するのと同様に、B1殺害を頭に置いて抽象
的な話をし、感触を探ろうとしたのではないかと理解できなくはない。D4の場合
には、同人を近々A2の後任者に予定していたから、今は仕事上密接な関係ができ
る者に弱みを握られかねないやり方は疑問と考えられるものの、言い含めてしばら
く姿を隠させる発想が見え隠れしていることや、冗談話というにしては立ち入り過
ぎていること等の点からみて、全く無視してよいとも思えない。
 ともあれ、A1がこのように何人もに対して、同傾向の話を持ちかけ、打診を繰
り返した末に殴打事件を敢行した一連の経過に着目すると、A1は、このころ保険
金殺人を発想しており、適当な共犯者を物色していたのではないかと強く疑われ
る。右は、直接には殴打事件に結びつく情況事実と考えられるが、それに失敗した
ことによって、この発想が直ちに消失したとも考えられないから、本件銃撃事件に
とっても無関係とは思えない。ただ、殴打事件が未遂に終わり、B1に疑念を植え
付ける結果になった後では、しばらく間を置き、ほとぼりが冷めるのを待つことも
あり得るから、殴打事件に失敗したからすぐに次に銃撃事件を計画したと簡単に考
えるのは問題であろう。もっとも、殴打事件後にD4に働きかけた事実が確定でき
れば、本件銃撃事件とのつながりを考えやすいとはいえるものの、同人に働きかけ
た時期は、検討してみると、証拠上明白とはいえない。ただ、A1から打診された
D2、D3、D4らは、本件の発生を聞いて一様に、A1の話と本件との関連性を
感じ取ったと述べているし、その他C1のE2も、本件が発生したことを聞いた直
後に、D3に対して、この事件はおかしいと思わないかとの直感的感想を口にした
というのであって(146―337)、関係者のこうした直感は、A1から打診さ
れたときの微妙な雰囲気を感じ取り、あるいは日頃の人柄をのみ込んだ上での自然
な受け止め方を示すものとして、軽視できない。
 第六 殴打事件について(検察官が主張する情況事実 三)
 検察官は、A1が殴打事件を敢行した事実は、本件銃撃事件についてもA1の犯
人性を示す情況事実になると主張する。この殴打事件は、本件発生の約三か月前で
ある昭和五六年八月一三日に、a1市のホテル「F29」o1号室において、保険
金目当てに、A1が女友達のD5に言い含めて、当時A1と一緒に宿泊中であった
B1の頭部を、ハンマー様の凶器で殴打して殺害しようとしたが、負傷させただけ
で未遂に終わった、とされる事件である。A1は、その件でも起訴され、否認した
が容れられず、一・二審とも有罪、目下被告人上告中である。別件のことであるか
ら、その殺人未遂事実の認定・判断は、すべてそちらの裁判手続で行われるべきこ
とであり、本件審理の中であれこれいうべき筋合いではない。しかし、両事件は、
同じ加害者・被害者間で相次いで起こったとされる事件であり、そのために、殴打
事件を生み出した動機は、同時に本件を生み出す動機にも関連しており、また殴打
事件が未遂に終わったために、より一層犯行手段を強めて、再度企てたと主張され
てもおかしくない関係にある。そして、両事件とも、摘発されにくい外国のa1
で、しかもA1が被害者を伴って行った機会に、やや特殊な状況の下で発生してい
ることなど、表面上、強い共通性も窺われて、動機を認定・理解する限度では、殴
打事件当時のA1のB1に対する感情や事件前後の言動それ自体が(つまり、それ
が殺人未遂罪に該当するか否かとは無関係に)、本件にとっても実質的に重要な意
味を持つと考えられる。そこで、本件に必要な限度では、それらの点に立ち入らざ
るを得ない。
 一 D5供述の信用性について
 殴打事件への関与をA1は一貫して否定するが、B1をホテルの一室で殴打した
とされるD5は、犯行を認めた上で、同女が実行に及んだのは、A1からB1殺害
への協力を持ちかけられたためであると供述しており、D5の右供述の信用性が最
大の争点となっている。ところで、D5自身は、本件の原審では、公判廷で直接証
人として尋問されていない。当裁判所は、同人の捜査官に対する供述調書が証拠中
で占める重要性を考慮し、弁護人側申請の証人として直接尋問した。しかし、その
事実取調べの結果を含めて検討しても、結局のところ、D5が殴打事件に関与した
経過、内容は、原判決が判示するとおりと認められる。以下においては、本件に必
要な限度で、その点を検討する。
 1 D5の供述には、後述するとおり、変遷が多い。供述が変遷した最大の理由
は、A1に好意を寄せていたことを認めたくなかった点にあったようであるが、D
5は、捜査の最終段階では、関与した内容について次のとおり述べている(D5の
検察官調書[乙八一ないし八七])。すなわち、D5は、
 (a) 昭和五六年五月初旬、F20ホテルの客室で開かれたパーティーに参加
してA1と知り合い、間もなくA1と性的関係を持つまでになった。当時D5は、
妻子ある別の男性との間で別れ話がでていたが、A1が、その男性の妻と直接交渉
をして、慰籍料三八万円を支払わせてくれたので、A1に感謝し信頼するようにな
った、
 (b) A1に仕事の紹介を依頼し、そのため七月一〇日ころA1と会ったとこ
ろ、「興信所にワイフの素行を調べさせたら、代官山にあるライバル会社にうちの
会社の情報を流したり、そこの社長と浮気をしていることが分かった。僕はワイフ
に愛情なんかない。もしD5がやってくれるんだったら、保険金の半分をD5にあ
げる。オーケーしてくれたら、僕は一生D5のことたったらなんでもしてあげるつ
もりだ。D5さえ良ければ、ワイフがいなくなった後、一緒に住んで僕の子供の面
倒をみてくれないか。」と言って、保険金殺人への加担を打診された。私の心は大
きく動いたが、殺人ということなので、発覚の心配を話すと、「ばれない。一〇〇
パーセント成功する。」と自信のある態度を示し、過去に人を殺したことがあるが
発覚しなかったなどとも話した、
 (c) A1の最愛の女性になれること、まとまった保険金の入手を想像し、翌
日、引き受ける旨の電話連絡をし、その日もA1と会って、打ち合わせた。A1
は、「完全犯罪なんて簡単にできるんだよ。一番いいのは全然結び付きのない人間
と一緒にやり、殺される者と無関係な者にやらせる方法なんだよ。」などと言い、
掛けてある保険金は三〇〇〇万円であること、このうち一五〇〇万円を自分にくれ
ること等を話してくれた。同夜も会い、A1の自宅に向かう車中及びA1の自宅の
そばに停めた車の中で話をし、この時、日本の警察は優秀だから、a1で実行する
ことに話がまとまった。翌日、F30F31営業所へ行き、a1が旅行先日程に含
まれている旅行パンフレットを集め、これをA1に見せると、A1はこれがよいと
いって八月一〇日に○印を付け、費用はA1が用意するがa1での宿泊ホテル名を
念入りに聞いておくよう指示された。A1は部屋は一人部屋を申し込むこと、旅行
に行くことは友達にも親・兄弟にも話さない方がよいと言った、
 (d) 七月一六日に、三万円を支払って正式申込みをした。A1とモーテルに
行き、殺人計画を話し合ったが、このとき、犯行態様について、ピストルを使って
B1を殺害するとか、ナイフを使ってB1を殺害するとかいう話が出たが、結局何
かでB1の頭を殴って殺すということになり、A1は、「今度a1に行くからそこ
で殴り殺すのに都合のいい道具を探してくる。」などと言っていた、
 (e) A1の誕生日である七月二七日に喫茶店で会い、旅行費用として六〇万
円を受け取り、七月三一日、旅行費用の残金四七万円を旅行社に支払った。八月六
日の一、二日前に、a1での宿泊ホテルがF29に決まったことをA1に連絡し、
八月六日に日程表を受け取り、A1とF20ホテルで最終の打ち合わせをした。A
1は、日程表を見ながら、「八月一三日は一日中オプショナルツアーになっている
から、D5が自由行動をとってもおかしくない。この日にやろう。その日の何時に
するかは一三日に僕がD5に電話して教える。この日は一日中部屋で待っていて
よ。僕もB1もF29に泊まることにしてあるから、B1をやる場所はF29の部
屋にしよう。」、「アメリカに行つてトンカチの様な形の鉄のかたまりを見つけ
た。片手で持てるものだ。」、「それでB1の頭を完全に倒れるまで、最低五発く
らいは殴れ。道具はa1に行ってから渡す。アメリカにはごろごろしているけど日
本ではあまり見かけないものだから警察が動いてもまさか日本人がやったとは思わ
ない。」、「B1をやる時間に、A2と商談をセツトしておき、部屋にはB1を一
人にしておく、B1にはドレスの仮縫いの女性が部屋を訪ねてくると話しておくか
ら、D5は仮縫いの採寸にきたふりをして部屋に入ればいい。」、「部屋に入って
すぐやれないときは、その後、仮縫いの採寸の格好をしているときにスキを見てや
ればいい。」、「B1が死んだことを確認した後、ハンドバッグやカバンから現金
や貴重品を取って、バッグの中身を部屋の中にばらまいてB1が強盗に襲われたよ
うに見せかけろ。」、「僕は完壁なアリバイを作る。B1と僕とA2の三人で食事
でもして、そのままB1を部屋に戻し、僕とA2で商談に入り、途中にD5からう
まくやったという合図があったら、僕が商談をしているところがらB1の部屋に電
話を入れ、B1の返事がないということでA2に部屋に行ってもらうことにしよ
う。A2はホテルのボーイを呼ぶことになり、ボーイとA2が中に入ると、B1が
死んでいて貴重品がなくなっているということが分かるわけで、A2が僕の完壁な
アリバイ証人になってくれる。」、「これを二人でやることで僕とD5は親や兄弟
以上の関係になれるんだから、とにかく気を楽にしろよ、保険金の使い途やアメリ
カ旅行のことを考えなよ。」などと言った、
 (f) 八月八日ころに、A1から指示されたすた袋、メジャーなどの用意をし
た。A1から、仮縫いの採寸をするふりをして隙をねらって殴れといわれていたの
で、自分の考えでメジャーを持って行くことにした。犯行時に着用する服と靴、手
袋なども順次用意した、
 (g) 出発前日の八月九日は友人のE47宅に泊まったが、失敗すれば日本に
帰れなくなるかも知れないとの不安を感じ、「危ない仕事で日本に帰ってこれなく
なるかも知れない。そのときは警察にこれを届けて。」と頼んで、A1の会社の電
話番号を書いた紙をE47に渡した、
 (h) 八月一〇日に成田を出発し、一二日午後二時過ぎころF29にチェック
インした。翌一三日はオプショナルツアーを断って部屋で待機していたところ、午
前一〇時ころA1がやってきて、犯行決行の時刻、B1の部屋番号、部屋への道順
などを教えてくれた。バッグの中から英字新聞に包まれたトンカチの様なT字型の
鉄のかたまりを取り出して、「D5、これならやれるだろう。」と言って手渡され
た。犯行手順について指示された後、「日本に帰ってからもしばらくは会わない方
がいいかも知れない。保険会社がしばらく調査するだろうからね。保険金はすぐに
出ないと思うけれど、D5には僕から生活費を度すから。ただしビシネスはビジネ
スだから、生活費や旅行費用の六〇万円は保険金のD5の取り分から差し引かせて
もらうからね。」、「夕方A2と商談をセットしてあるから、商談が始まる前、B
1が部屋に一人になったときまた電話を入れる。」などと言い、私を抱きしめなが
ら、「頑張れよD5。これが終わって日本へ帰ったら結婚しよう。」と言ったの
で、B1を殺害する意思を固めた、
 (i) 夕方六時ころA1から電話があり、これから行くように指示され、成功
した場合にはコーヒーショツプの周りを歩くようにと言われた。そこで、ずた袋に
凶器、メジャー、手袋を入れてB1の部屋に行った。何か聞かれて「イエス」とい
うと簡単にドアが開き、室内に招き入れられた。B1がドアを閉めて部屋の窓側
(奥)の方に歩いていったので、凶器の柄を握って後を追い、凶器を取り出して、
B1の後頭部をねらって殴りかかった。手応えはあったが、髪の毛の表面を滑った
ような感じもした、
 (j) B1が突進して来て、凶器を取り上げられてしまったので、「ごめんな
さい、ごめんなさい」と繰り返し言い、B1が室外へ助けを求めに行かないように
と考えて、「A1さんを呼んでください。」と言ったところ、「あなた誰なの、A
1の知り合い?」と聞いてきた。B1は「A1を呼んでくるから。」と言って一旦
部屋を出ていったが、すぐ戻ってきて、「A1は下のコーヒーショップにいるから
あなた電話で呼んでちょうだい。」と言われたので、A1に電話をかけるとすぐ部
屋にやってきた。B1は事態の成り行きを話し、凶器をA1に手渡した。B1がA
1に「この人知ってるんじゃないの。」と聞くと、A1は「知らない。」と答え、
B1は、警察を呼ぶように言ったが、A1は、「ポリスを呼ぶと二日も三日もここ
に足止めされる。それに僕もヤバイことをしているから、ポリスを呼ぶとまずいこ
とになる。」などと言ってB1を説得し、結局警察を呼ばないことにB1も納得し
た。その後、B1に言われて、A1は私の身元の分かるものを探すふりをしていた
が、やがて「出て行け。」と大声で言い、私は部屋を出た。この間二〇分から三〇
分くらいであった、と述べ、
 その後の経過について、
 (k) 同夜、ホテル一階の土産物店閉店後、店員のE48に誘われて食事に行
った先で、同人に、A1に頼まれてB1を殺そうとしたことを告白した。その後、
E48と一緒に部屋へ戻るとき、エレベーターでA1と鉢合わせすることになり、
部屋へ戻るとA1から電話があって、「しゃべったのではないだろうね、さっきの
男を待っているけれどまだ出てこないよ。」等と言われた。その後ドアをノックさ
れたり、再度電話がかかったりしたが、出なかつた、
 (L)翌日、自分の写真や住所、電話番号を記載したものをE48に渡しa1を
出発し、帰国した。おおよそ以上のとおり供述している。
 2 これに対して、A1は、殴打事件の公判廷では、次のとおり供述している。
 (1) D5と交際中、二人はマリファナを吸引して高揚感を味わっていたの
で、D5は、マリファナを安く仕入れれば友人に売って儲けることができるから、
渡米した際にマリファナを持ってきてくれないかと頼んできた。そこで、D5が自
分で渡米し持って帰るのなら、アメリカでマリファナを購入して同女に渡してやっ
てもよいと提案したところ、同女も同意した、
 (2) 八月一二日から一九日までB1とa1に旅行する計画であったので、D
5と打ち合わせ、その日程に合わせて、D5は同月一二日からa1に滞在する予定
のツアーに参加することになり、一三日にa1でマリファナをD5に渡すことを計
画した。D5の旅行費用五〇万円、マリファナ購入費用一〇〇〇ドル(当時の為替
相場で約二五万円)等はA1が立て替えて後日返済してもらう予定であった。D5
から、右の一三日にはどこかへ遊びに連れていってくれと言われてしぶしぶ了承し
たが、当日はA2を介して船会社の関係者との打ち合わせの予定となっていること
や、B1のチャイナドレスを作る予定が入っていることを話しておいた、
 (3) 同月一二日、ホテルにチェックインし、マリファナの入手先であったE
18に電話をしたところ、今はストックがないと言われた。その夜、D5にその旨
電話したが、他から入手する手だてはないかとか、翌日どこかへ連れていってくれ
と言われ、一時しのぎに明日電話すると伝えた。その電話の際に、自分とB1が泊
まっている客室番号を教えた、
 (4) 同日の夜、チャイナドレスのサンプル品をB1のため無料で作ってくれ
るという話になっていた中国人女性から電話があり、やはり有料だと言われたの
で、B1に相談して、その話を断った、
 (5) 翌日は、B1と買い物に出たため、D5に付き合うことはできず、電話
もしないまま、夕方ホテルに戻った。間もなく、A1は、ホテル一階のコーヒーシ
ョップに降りて、そこでA2や船会社の担当者と商談中、B1から電話があり、部
屋に上がったところ、部屋の奥のベッドの端にB1が腰掛け、D5が壁に寄りかか
って立っていたので、驚いてB1にどうしたのかと尋ねると、B1は、「キャンセ
ルした筈の中国人の仮縫いの女性が来たのかと思ってドアを開けたら、この人が入
ってきて、突然、「私が結婚するんだから、A1さんと別れなさい。」というの
よ。一体何なの。」と言ってきた。D5との関係が露見するのをおそれて知らない
と言い張った。B1は、「それで、びっくりして、A1さんに来てもらおうと思っ
て電話をかけようと、奥に向かったときに、後ろから、思いっきり突き飛ばされた
の。」と言い、D5の足元を指して、「あのハンマーみたいなものてぶったんじゃ
ないのかしら。」と言い、その足元には、茶色の紙袋があって、その中に濃茶色で
十字型のトーテムポールのようなものが入っていた。D5かそれでB1を殴ったと
は思わなかった。B1に「そんなことするわけないじゃないか。」と言い、次いで
D5に対し、「おまえなんかと結婚するわけないだろう。馬鹿野郎。ふざけるのも
いい加減にしろ。頭おかしいんじゃないのか。マリファナか覚せい剤のやり過ぎじ
ゃないのか。」などと言って怒鳴りつけ、D5に、「おまえなんか出ていけ。」と
言うと、同女は、「ごめんなさい。」とか「すみません。」とか言って、トーテム
ポール様のものが入っている足元の紙袋を持って出ていった。B1からの追求に対
して、D5のことを、昔付き合っていた女で偶々会ってマリファナの入手を頼まれ
たということでごまかした。その後、B1か後頭部に怪我をして出血していること
を知り、B1に対して、「A2の手前、女性が押し掛けてきて怪我をさせられたと
いうことではみっともないので、浴室て転んだことにしてくれ。」と頼んだとこ
ろ、B1もこれを承知してくれた。会社の関係では自分の知っている女のことでト
ラブルが生じたということではまずいと思ったからである。B1がD5から突き飛
ばされたのは事実であると思う。突き飛ばされたときに頭に怪我をしたと思う。傷
は首のちょっと上のところと思っている。
 B1の被害直後の状況についてA1が供述するところは、大体以上のとおりであ
る。また、帰国後にA1がD5に電話したところ、同女から、A1が一三日に約束
の電話をしなかったことや、A1とB1がたくさんの荷物を抱えて買い物から帰っ
てきた姿をロビーで見かけて、かっとなってB1の部屋に行、事件をおこしたと聞
かされた、と供述している。
 3 こうしてみると、両者の言い分は、共謀した事実の有無、D5がa1までき
た事情(A1に頼まれてB1殺害に協力するためか、それともマリファナを入手し
たいためか)、D5がB1の部屋に行った事情(A1に指示されたためか、それと
もD5自身に固有の動機があったためか)、室内でD5はB1に対してどのように
行動し、B1の怪我はどのようにして生じたか等の点で、全く対立している。両供
述の信用性について、殴打事件の一、二審判決は、D5の供述を基本的に信用すべ
きものと判断しているが、本件記録及び当審での事実取調べ結果によっても同様と
考えられる。その理由を補足説明すると、
 まず第一に、A1の供述には疑問点、信用し難い点が多過ぎる。すなわち、A1
は、当日B1の部屋へ行った女性がD5であったことを公判段階になって初めて認
めた。それまでは、中国人の仮縫いにきた女性であるなどと弁解して、D5であっ
たことをことさら秘匿していたのである。そして、D5であることを認めた後で
も、中国服を作る中国人女性は実在し、八月一二日にA1に電話をかけてきて、服
を作るのは有料だというので断ったとか、B1はその中国服を作る女性がやってき
たと誤解してD5を部屋に入れたなどと主張している。しかし、この中国服を作る
女性云々の話は、A1が、当初、D5のことを隠そうとして行った弁解の中で出て
きたもので、もともと信用性に乏しい話である上、A1からは連絡していないとい
うのに、この女性がどうしてA1の渡米やその宿泊先を知って電話をしてきたとい
うのか、納得できる説明がない。B1は、A1から、中国服を作る女性が仮縫いに
来ると聞かされていたのでドアを開けた、と帰国後その家族等に話していたことが
認められるが、B1が家族に話した経緯(後記)やこの点についてB1が虚偽の話
をしなければならない理由は全く考えられないことからみて、B1の供述は十分信
用できると思われる。そうすると、A1が、B1には中国服を作る女性が来ると言
っておき、そのころ自分はロビーで打ち合わせをしていて不在となっている丁度そ
の時間を見計らって、D5がB1の部屋へ行き、これをB1が中国服を作る女性と
間違えて部屋に入れたのは、偶然というよりは、仕組まれたものと判断せざるを得
ない。むしろ、この一連の事実は、A1が、B1に対して、D5を部屋に入れさせ
るためにそのような話を創作したことを推測させる。D5が、日本を出発する前
に、あらかじめメジャーの用意をしていたというのは、A1から中国服を作る女性
云々と聞かされた際、自分がその者に成り代わる趣旨と理解したからであると考え
られるのであり、そのことは、A1が中国服を作る女性云々のことをB1とD5の
双方に話しておき、D5が部屋へ行った際に、これをB1がすぐ室内に入れるよう
にと考えて、あらかじめ取りもっていたことを示していると理解される。また、D
5か、渡米費用をかけてでも利益を得られる程大量のマリファナをアメリカから日
本へ容易に持ち込むことができると考えていたというのはあまりにも現実的でない
し、またマリファナのせいぜい末端使用者に過ぎなかった同女が、そのように大量
のマリファナの販売ルートを見つけられると考えたというのも、理解できない。更
には、旅行費用とマリファナ購入代金をD5に渡した点について、A1は、後で返
してもらうつもりであったと弁解するが、D5の経済状態からみて回収見込は不確
かであり、不自然過ぎる。やはり、A1の計画に沿って、D5に犯行を行わせる予
定であったために、A1がその費用を渡したものと理解すべきところである。
 第二に、D5のこの時点での右供述は、非常に詳細かつ具体的で、全体としては
迫真性に満ちている。もとより、ここに至るまでの同女の供述には、かなり変遷の
跡が目立つが、犯行の核心部分に関する供述はほぼ一貫しているし、また、供述変
遷の理由も、後述のとおり、十分理解でき、核心部分の供述の信用性に大きな疑問
を生じさせるものではないと判断される(D5は、当審での期日外証人尋問におい
ても、前述した内容の供述を維持している。)。ところで、B1は、帰国後、事件
当時の模様を、実家のE41、E11夫妻、妹のE42らに話した際、最初は、ル
ームサービスで部屋に来たボーイがいきなり凶器で同女に殴りかかってきたと話
し、そのすぐ後で、妹のE42に対して、実は殴りかかってきた相手は女性であっ
たと告白したとされている。父親がA1との結婚に賛成でなかった経過があったた
めに、A1の知り合いの女性から殴られて被害を受けたなどとは言い出しにくかっ
たというのである。しかし、その後両親、E42らにも真相を話したが、その中
で、凶器はT字形をしたハンマー様のものと話している(E42の原審証言[15
9―4166]、E36の原審証言[160―4432])。右のB1の供述経過
からみて、両親に話した内容は真実と窺われるが、犯行態様についての右供述は、
凶器で殴りかかったというD5の供述を完全に裏付けている。そして、凶器を携え
て行き、これで殴りつけたという態様は、偶々嫉妬に狂って暴行を加えたというよ
りは、計画的殺意の方を強く推測させるというべきである。
 第三に、D5の供述には別の点でも裏付けがある。すなわち、D5は、前に述べ
たとおり、出発前に友人のE47にA1の会社の電話番号を書いたメモを渡し、自
分に何かあったらこれを警察に度して欲しいと伝えている。もし、渡米目的がマリ
ファナの仕入れであって、A1に資金面まで世話になっていたというのであれば、
D5がこのような奇妙な行動に出る理由はおよそ考えられない。更に、D5は、犯
行直後に、A1に頼まれて犯行に及んだという事件の核心部分を、ホテル一階のE
49の店のアルバイト店員であった前記E48に告白している。これが極めて真摯
な気持ちによるものであったことは、帰国直後のD5からE48に宛てたエアメー
ル(D5の六〇年一〇月二日付け検察官調書[甲八七]添付資料)の内容からも明
らかである。また、A1は、事件当時、ホテルのラウンジでA2や船会社の関係者
と商談中であったが、この商談をその日に設定した経過には、A2らを利用したア
リバイづくりとの印象を持たせる点がある。すなわち、A2の供述によれば、A1
はこの八月の訪米時までは、船会社の関係者から度々話があっても面会に乗り気で
なかったのに、関係証拠によると、八月一〇日ころになってから急に、面談の設定
を積極的に指示しただけでなく、A2に国際電話をかけてきて、相手方にもう一度
念押しをしておくようにと依頼してきたというのである。そして、その時期は、丁
度八月六日にD5からツアーの確定的な日程を聞いたすぐ後に当たっている。しか
もその商談を、A1のa1到着翌日、ツアーの日程でせわしいD5の宿泊予定日に
わざわざ設定していることもまことに不自然とみられる。A1の滞在予定は一九日
まであったのであるから、D5がa1を離れた後の日時に設定することも十分可能
であった筈とみられるからである。A2らがA1のアリバイ証人になってくれると
A1から聞かされたとD5は述べているが、そうすると、この点でもD5の供述は
裏付けを持っていると考えられる。
 以上によれば、D5の供述は、少なくとも犯行の核心部分に関する限り、信用で
きると判断される。
 二 D5供述を信用できないとする弁護人の主張について
 A1の弁護人は、D5の供述を信用できないと強く主張するので、その主張の主
な根拠について検討しておくこととする。
 1 ハンマー様凶器による殴打について
 弁護人は、ハンマー様凶器の存在やその形状自体疑わしいとか、D5が供述する
打撃方法と傷の位置や形状との間に整合性が欠けていて、ハンマー様凶器で殴打し
たとは認定できない、と主張する。 まず、凶器として、T字形のハンマー様の物
が使用されたことは明らかである。D5の供述は、凶器の具体的な形状、大きさ等
については必ずしも一定せず、供述に変遷があるが、右のような凶器をA1から手
渡されて犯行に使用したこと自体は、一貫している。A2は、事件直後にB1を治
療のため連れて行った先の病院で治療が終わるのを待っていたときに、A1から凶
器を見せられたと述べており、その妻E19も、その話をその直後にA2から聞い
たと述べていて、A2の供述を裏付けている。また、被害者であるB1が帰国後、
実家の両親らに説明した内容も、D5の供述を裏付けているようにみえる。
 次に、B1が負った傷の位置・形状等については、いくつかの証拠がある。すな
わち、負傷当日、B1を直接診察し、縫合等の処置を行ったE50医師の各供述調
書(甲二九六、七六、二九七、二九八、五一七、五一八、五一九、五二〇、五二
一、五二二、弁A甲二、三)及び診療録に残された図面(53―4747,478
0)、B1の帰国後に抜糸をした医師E51の供述(昭和六〇年九月二六日付け検
察官調書[甲七七]、別件殴打事件の証言調書[甲八七八])、同女から話を聞き
ながら自宅で見分したE42(原審証言)、E41(昭和六〇年九月一六日付け検
察官調書[甲一二〇])、E11(原審証言)、それにE36(原審証言)らの各
供述がある。これらを総合すると、傷の位置、形状等は、後頭部ほぼ中央に、縦
に、ほぼ直線状に生じた挫裂創であって、その長さは約一・五センチメートルから
五センチメートルの範囲内、傷は頭蓋骨まで深く裂け込んでいたが、骨には異常は
なかったと認められる。もっとも、後頭部のうちのどの位置であったかについては
各供述間に若干の差異があり、それ以上詳しい位置を特定することはできない。長
さについても同様で、右の一・五センチメートルないし五センチメートル程度とい
う以上に限定した認定はできない。弁護人は、B1の傷について、長さが一・五セ
ンチメートル、その位置は、フジワラ供述(甲五一七、五一八、弁A甲二、三)に
基づいて後頭部結節(後頭部隆起)の下であったと主張し、これを根拠として整合
性を疑問視している。同人の供述は、B1が負傷した当日に診察した担当医師の供
述であるから無視すべきではないが、しかし同時にかなりの期間が経過した後の供
述でもあるから、前記の各証拠と対照するときは、詳細を同医師の供述だけで判断
するのが適当とも思えない。
 しかし、仮にB1の負った傷害が弁護人の主張に近い位置、大きさ(長さ)であ
ったとしても、D5が供述する態様の行為によって生じたと認定することに格別の
矛盾はないというべきである。すなわち、D5は、B1の背後から、ハンマー様凶
器を左斜め上から右斜め下に振り下ろして殴打したというが、それが後頭部結節
(ぐりぐり)の下の部分に当たったとしても、B1の動き、頭の傾き、D5の姿勢
等によっては、必ずしも不自然とはいい難い。H8の鑑定(弁A甲四ないし六)
は、D5のいう殴打の態様を前提にすると、被害者の後頭部に骨に達するほどの深
い傷ができるためには、一・五センチメートル程度の傷では短か過ぎる、三センチ
メートル以上の長さが必要になるとするが、同鑑定は粘土による実験を基礎にした
ものであるところ、殴打事件におけるH1証言(甲八七九)は、頭部を鈍体で殴打
したような場合には、皮膚組織及び皮下組織は、当該外力作用に対応し、それぞれ
の持つ弾性によって瞬間的に変形し、その後凶器の作用面が皮膚面から離れれば元
に戻る性質があるから、弾性がなくかつ可塑性が極めて大きい粘土を用いては、瞬
間的に発生する外力の作用メカニズムを解明することは不可能であるとするし、更
に、本件の傷害は、皮膚面が外力によって加圧されるとともに、この部分に生じた
皮膚面への伸展作用によって皮膚面が裂ける裂挫傷に該当するところ、頭蓋骨にお
ける皮膚の裂傷の場合、皮膚の全層が断裂していることが多いとして、頭部の皮膚
構造等を基にH8鑑定を批判し、上下径が一・五センチメートル程度であっても本
件のような深い傷ができた可能性のあること、つまりD5のいう攻撃態様とB1に
できた傷害との間に矛盾はないとするから、H8鑑定を疑いのない前提とするのは
相当でない。諸事情を総合すると、D5の供述する犯行態様とB1の傷害との間に
矛盾があるとはいえないと判断される。
 2 D5の供述の変遷について
 弁護人は、D5証言はめまぐるしく変遷し、かつ不自然不合理な箇所が多くて信
用できない、また同女は、証言を求められそうなときに外国に出国し、ことさら証
言を回避した経過があるので、その点からも信用できない、という。
 D5が本件のことを周辺に述べた経過をみると、(a)犯行直後に前記E48に
漏らしたのを別とすれば、(b)同じ年の秋、本件発生前に、友人のE52に、A
1に殺人を依頼され、奥さんの頭を殴ったが殺すことはできなかった、と供述し、
(c)次いで本件によるB1の死亡を知った後の昭和五八年二ないし三月ころ、C
1を退職した知人のE53から、C1の中で殴打事件について犯人A1説との噂が
あることを聞かされてショックを受け、E53に事件の全容をほとんどありのまま
話した、そして、五九年一月にいわゆるJ1報道が始まったため、E53と相談し
た結果、警察官から事情を聴取されたら、「アメリカには事情を知らないで行った
ことにしてA1との共謀を否定し、メジャー、手袋、袋はアメリカでA1から渡さ
れたことにして計画性を否定し、アメリカでA1から脅されてB1の部屋に行っ
た。殴ったのではなく、部屋の入口で、もみ合ったときに誤って頭にぶつかってし
まった。」と言った方がよいなどと助言された、そして当時交際していた男友達や
同人に紹介されたE54弁護士に対して、ほぼこの助言に従った話を前提として相
談していたが、(d)その後、E53がJ2E55記者のインタビューをセットし
たため、これに応じて、しばらくは記事にしないとの約束でアメリカでのことまで
を話し、続きは別の機会に先送りしていたところ、約束に反してすぐ記事が掲載さ
れた。そのことを前記の男友達やE54弁護士に叱られ、そのために、(e)昭和
五九年七月一三日付け警視総監宛上申書を作成することになったというのである。
この上申書は、その男友達が尋ね、D5が答えるという形で原稿を作り、これをE
54弁護士が点検して完成したものであるが、これが、殴打事件への関与をはっき
りした形で初めて認めた供述である。ところで、この時点でのD5供述の骨子は、
前記のとおり、A1からa1で脅されて犯行に及んだという筋書きである。A1の
指示に従うポーズだけでも見せようとしてB1の部屋に行き、部屋に入って採寸の
ふりをし、凶器を出そうとして途中まで出して躊躇していたところ、B1が叫びそ
うになったので思わず殴ってしまったというのである。(f)翌昭和六〇年に入っ
て任意の取調べが始まり、順次供述調書が作成されていったが、それによると、昭
和六〇年六月二日付け及び三日付けの警察官調書中では、最終的にはa1で脅され
て犯行に及んだが、東京でアメリカ旅行を持ち出されたときにすでにB1を殺すよ
うにいわれていた、と供述しているが、同月二四日の調書中では、a1のホテルで
A1から脅されたことはなかったと供述を変遷させている。このころは、殴った状
況について、多少のニュアンスの違いはあるが、採寸のふりをして殴ったと供述し
ている。(g)その後、昭和六〇年九月一二日に逮捕され、以後多数の調書が作成
されたが、ここでは、その動機に関して、A1に対する愛情及び金銭欲から犯行に
及んだことを供述するようになり、また、犯行態様についても、しばらくの間は当
初に述べた採寸のふりをしてという供述を維持したものの、九月二一日になると、
最初に摘記した供述路線になり、以後検察官による取調べ時にも同様の供述が維持
された。ところが、A1の殴打事件の一審では、証人として、「A1から言われた
ことをやらなくてはという気持ちと、できれば逃げたいという気持ちで揺れてい
た、日本でA1から脅されていた、そのときはそれを脅しと感じてはいなかった
が、a1でA1から電話を受けた後、そのときのA1の言葉が思い出された、B1
の部屋に行ってからは、体中の血の気が引いて何がなんだか分からなくなり、殺意
はなくなっていた。」などと供述している。また、凶器の形状に関する供述にも変
遷があり、供述が進むにつれて、凶器の大きさが総じてだんだん小さくなるような
供述をしていると読み取ることができる。
 D5の供述変遷の大筋は、以上のとおりである。これによれば、D5の供述は変
遷しているが、しかし、A1からB1を殺害するように言われたためにB1を殴打
したこと、頭部を殴打したこと、ハンマー様の凶器はA1が準備した物であるこ
と、鉄製の円柱を組合わせたようなT字形をしたものであったことなど、犯行の中
核的部分についての供述は一貫しているといえる。そのことは、当審における期日
外証人尋問においても同様であった。D5自身は、自己の立場を少しでも有利に見
せたいとの気が働いてこのように供述が変遷したと説明しているところ、捜査の進
展にともなって徐々に真実を吐露していった経過とも合致しており、十分納得でき
るところと思われる。殴打事件の公判におけるD5証言は、捜査段階の供述とは多
少異なっているが、自分の被告事件の公判と並行して行われていたから、自分の置
かれている立場を配慮したと理解できなくはない。
 また、凶器についての供述に変遷があることも前述のとおりであるが、円柱型の
金属をT字形に組合わせたようなものという主要な部分は一貫して供述している
し、その大きさについては、当初は大体の感じで述べていたが、試作品を作って検
討するうちに訂正せざるを得なくなったものと窺われるのであって、その点の供述
変遷を特段不自然とはいえない。D5の供述は、B1の供述や、犯行直後にD5か
ら犯行状況、その経過を聞いたというE48の供述内容とも合致し、その供述の信
用性を高めているのに反して、この間の事情に関するA1の説明と対照するとき
は、D5の供述に以上述べたとおりの変遷があっても、その供述の信用性を否定す
るのは相当でないというべきである。
 3 小括
 D5供述の骨格部分を信用できるものとすると、本件の三ないし四か月前に、A
1がD5に、保険金取得のことや一緒に生活しようなどと話してB1殺害を持ちか
け、それを信じたD5が殴打事件を実行した事実は、それ自体が有罪と認められる
かどうかとは全く無関係に、その数か月後におこった本件の前触れという意味で、
本件の真相を理解する上でもやはり無視できない重要性を持っていると考えなけれ
ばならない。殴打事件と本件の被害者は、いずれもB1であったから、もし殴打事
件当時のA1がB1殺害の意図を抱いていたとすると、その意図がその後簡単に消
失するわけはなく、三か月後の本件発生時点においても、おそらくは同様の意図を
持ち続けていたであろうと推認されるのは当然である。もとより、A1が、殴打事
件後もそのような意図を失わず、この先適当な機会をとらえて実行しようとの意思
を持ち続けていたとしても、それはあくまでもA1の内面的な意思の範囲にとどま
るから、本件の客観的な実行行為を行ったのは誰かの問題は、A1の内心とは別に
立証されなければならない。そして、殴打事件が失敗に終わった後のA1の対応と
しては、犯行が露見していないうちに犯行手段を殴打から銃撃に高めて間をおかず
に繰り返すという発想もあり得ないではないかも知れないが、反対に、ほとぼりが
冷めるまでしばらく静観するということも多分にあり得ることであり、この方がむ
しろ一般的といえるかも知れない。前者の発想によるときは、A1は、殴打事件
後、共犯者の選定から実行に至る犯行準備の一切合切を、日本にいる状態のまま
で、極めて迅速に完了しなければならないことになるが、ことが外国での犯行であ
るだけに、短期間内に、遠隔地にいてそれだけのことをすることが可能かが問題と
ならざるをえない。また、後者の発想によるときは、そのような気持ちを持ったま
までB1をa1へ連れ出しても、それだけで殺害の実行行為と評価することはでき
ない。ともあれ、殴打事件当時、A1の内心に、B1殺害による保険金取得という
意図があったとしても、だからその後にB1の身の上に起こった不幸は、証拠の有
無に関わりなく、すべてA1の仕業であるとするような大雑把な推論はできるもの
ではなく、やはり本件を引き起こしたのは誰か、銃撃実行者が判明していない状態
の下で、何故A1が共謀に関与したといえるのかという客観的行為についての、確
かで、証明力の高い立証が必要とされることはいうまでもない。ただ、その際、両
事件とも、海外の同じa1で起こっていること、A1が被害者を同行して渡米した
機会に、やや特殊な状況の下で起こっていること等の点に強い共通性があることは
明らかであって、それがA1の犯人性を疑わせる一つの情況事実になっていること
は否定できない。それらのことを前提としつつ、情況証拠を積み重ねて、実行行為
あるいは共謀への関与をどこまで立証できるかが問われている。その点について、
十分な立証なしに、単に、A1は殴打事件を起こしたから銃撃事件も同じである筈
だと推断するのは、世間的に受けやすい論法であり、時に当たっていることもある
が、刑事責任の基礎となる事実を確定する手法としては大雑把に過ぎ、あるいはか
えって危険な一面をも持っている。その意味では、殴打事件の持つ推定力にも、一
定の限界があることを自覚しなければならない。
 第七 A1が本件と酷似する殺人方法を殴打事件当時に提案していたとされる事
実について(検察官が主張する情況事実四)
 殴打事件に関連するD5供述の中には、A1がD5に犯行への協力を説得するた
めに、考えられる犯行手段をいろいろ提案した中に、本件と酷似する犯行方法が含
まれていたとする部分がある。もし、殴打事件当時のA1の提案内容が本件と酷似
し、極端に言えば、本件の犯行予告と受け取ることができるのであれば、A1と本
件とのつながりを示す情況証拠として無視できない。その意味で、本件にとってか
なり重要で、検討を要する点である。
 一 D5供述がされた時期
 D5は、警視総監宛上申書(昭和五九年七月一三日付け[甲四八八])以降、同
六三年四月七日付け検察官調書までの間の、捜査官に対する多くの調書及び証人尋
問調書等の中で、A1から凶器使用の提案をされたことについて述べている。それ
らのD5供述がされた時期とその時点での同人に対する手続の進展状況をまず対比
してみると、殴打事件によるD5逮捕の日は昭和六〇年九月一二日(A1の逮捕は
その前日である九月一一日)、起訴の日は同年一〇月三日(A1についても同
じ)、同六一年一月八日一審で有罪判決(懲役二年六月)、同年七月一四日控訴棄
却の判決、そのころ確定という経過であったから、D5の前記供述には、逮捕前の
調書から、逮捕後取調べ中の調書、起訴後事件係属中の証人尋問調書、そして有罪
判決後仮釈放中の調書等、各段階での供述が含まれていることになる。しかし、同
時に、それらの調書はすべて、D5が殴打事件に関与した後、間もなく銃撃事件が
起こり、翌年被害者のB1が死亡し、そしてしばらく経ってからそれらの事件のこ
とがマスコミで大きく取り上げられ、犯人は誰かが大問題になって、事件全体の内
容をマスコミ報道を通じてD5も知り、相当の予備知識を持った後でなされたもの
ばかりである。そのため、同女の供述は、そのすべてが同女の経験に基づくとは限
らず、ひょっとすると報道を通じて、直接あるいは間接に同女の耳に達していたこ
とを、あたかも自己の経験であるかのように混ぜ合わせて供述しているかもしれ
ず、そのことを識別しにくい供述環境にある点に注意しなければならない。加え
て、同女の供述を聴取する捜査機関も、独自に事件内容を把握し、その知識と判断
を前提としてD5の供述聴取に当たっているから、それらが重なり合ったばあいの
誘導的影響も考慮しておかねばならない。
 二 D5供述の特徴
 これらの調書中、A1がD5に持ちかけた凶器使用に関する部分を通覧して気が
つくことの第一は、A1がD5に殴打事件への協力を持ちかける中で、ピルトルに
よる殺人の方法を提案していたことを、D5は供述の早い段階から述べており(例
えば、前記警視総監宛上申書[甲四八八])、その点の供述はその後も一貫してい
るということであり、その第二は、D5の供述内容には、けん銃とライフル銃との
違いはあるけれども、これを使ってB1を銃撃するだけでなく、発覚防止のため同
時にA1の大腿部をも銃撃し、その上で銃器を持ち去って現場に銃撃の跡を残さな
くすると言っていたことがある等の点で、本件銃撃の態様と酷似する内容が含まれ
ていることであり(同上申書、昭和六〇年三月三一日付け警察官調書[甲四八九]
ほか)、第三に、しかし、このD5供述は、全体として観察すると、取調べの進行
につれて細部に至るまで本件犯行に沿う内容になっている傾向が顕著に感じられ、
そのため、同女の供述は、本当にD5が殴打事件当時にA1から持ちかけられたと
きの記憶だけに基づいているのかどうか、銃撃事件後のマスコミ報道等による記憶
との置き換えや捜査官による誘導等の影響を受けていないのかどうか検討が必要だ
という点である。
 1 D5は、A1からピストル使用の話があったことを供述当初から述べてい
る。「ピストルが使えるか。」、「使ったことがない。」、「じゃ、ナイフでどう
だ。」、「返り血を俗びるからいやだ。」といった程度の話があったとする供述
は、その限りでは、信用してよいと思える。単に、その点の供述がその後も一貫し
ているからというだけでなく、D5がハンマーで殴打したことを認める以上、捜査
官が、ハンマーを凶器として使用することに決まった経過を尋ねるのはごく自然で
あり、むしろ当然尋問すべき事項の範囲内にあるといえる。一方、尋ねられる側の
D5としても、B1がその後死亡するという大事に発展した事態を前にして、何故
自分がA1に協力したか、またどの限度で協力したかについて弁明する必要を強く
感じていたであろう。だからこそ、最初のころは、A1に脅されて、いわばやむな
く関与したかのごときストーリーをこしらえて供述したものと理解される。そし
て、その時点の同女には、自分の場合にはハンマーによる殴打の程度にとどまった
ので、幸いB1の死亡という大事に直接は至らないで済み、その点で銃撃事件の場
合とは大変事情が違っているという安堵の思いがあったであろうし、そうなると、
ハンマーを凶器とすることに決まる過程で、A1から実際にピストルでの銃撃とか
ナイフでの刺殺とかの、より強力な手段を持ちかけられていたのであれば、同女と
しては、大事に至らないで済んだハンマー使用の事実を素直に認めるとともに、そ
のように決まった過程ではピルトル使用等の話も持ちかけられていたけれど、同女
が断ったから大事に至らないで済んだ次第を強調したくなるのは極めて自然だと考
えられ、予断、誘導なしにD5が供述しておかしくない範囲内の事柄だとみられる
のである。
 2 ところで、A1がD5に殴打事件の凶器について、ピストル、ナイフ、ハン
マー等の話を持ち出した際、特にピストルの使用方法について、A1はそれ以上に
どの程度具体的な説明をしていたか。この点は実は大問題で、もし、殴打事件の実
行を相談している時点で、それより後で起こる銃撃事件の骨格を彷彿とさせるよう
な犯行計画、例えばB1を銃撃した後、A1の大腿部も銃撃し、これによって被害
者を装って犯行が発覚しないように工作する等のことが、本当にA1の口からD5
に伝えられていたとすれば、その内容が詳細であればあるほど、A1と銃撃事件と
の関わりを強く推測させることは明らかである。A1が話していた計画どおりのこ
とがその後実際におこれば、誰でもA1が行ったと疑うのは自然だからである。し
かし、本件では、その点の判断に関して極めて微妙な問題があり、慎重な検討が必
要である。そのことを考慮しつつ考えるのに、殴打事件で逮捕されたD5の立場か
らすると、ハンマーを使用することに決まるまでの間に、A1から、凶器としてピ
ストルとかナイフを使用する方法もあると言われたことを述べれば足りた筈であ
る。だから、A1のこの提案に対して、D5がナイフでは返り血を浴びるから嫌だ
と答えてそれで終わったとすれば、ピストルについても使えないから駄目だといえ
ば、同様にそれで終わる性質の話であった筈であろう。この段階で、A1がD5に
対して、両者を特に区別して、ナイフの使用については提案をすぐ引っ込め、ピス
トルの使用についてはしつこく持ちかける理由があったとは思えない。かえって、
D5が、日本女性の普通の水準からみて、ピストルを扱えるわけがないことはA1
にとって自明のことであっただろうし、また同女に車の運転能力がないことも当然
知っていた筈とみられるから、ピストルで銃撃するという方法は、D5を実行犯に
想定する限り不可能な方法であることは初めから分かり切っていた筈だといえる。
それにもかかわらず、A1がD5に対して、そのような実行方法を子細にあれこれ
話して持ちかけたり、その方法を前提にして、a1の地図を渡すからあらかじめ約
束の場所で待ち伏せする等の提案をしてみせたりしたということは(昭和六〇年九
月一七日付け警察官調書[甲五〇二、同月二九日付け検察官調書[甲八三号
証])、どうみても不必要、不自然過ぎるといわねばならない。それなのに、D5
の調書記載をみると、ナイフについては、D5が返り血を浴びるから嫌だと言った
らそれ以上あれこれ細かい話に発展しなかったとされているのに、ピストルについ
ては、大いに異なって、A1がいろいろな場合を想定して持ちかけたとの供述が詳
しく記載されている。ナイフとピストルについてこの違いが生じた理由は、おそら
く銃撃事件では、現場状況からみて、A1とB1以外の第三者が銃器を使用してB
1とA1を撃ったことは明らかであるから、同事件での銃器使用の内容を、殴打事
件の犯行手段決定の過程で話に出たピストル、ナイフ、ハンマー等のうちのピスト
ル使用の話に関連させて供述しているためではないかと疑われるのである。
 3 そのような観点から更にD5供述をみてみると、同女の供述は、捜査が進む
につれて、次第に銃撃事件の犯行内容と同調する方向に動いているとみえる。例え
ば、最初は単にB1を撃つという供述であったものが、逮捕後の調書では、初めて
B1の「頭部」をねらって撃つという供述になっている(昭和六〇年九月一二日付
け警察官調書[甲四九九])。また、銃撃の順序についても、当初はA1以外の第
三者がB1を撃ち、A1が自分の足を撃つという内容であったものが、その後どち
らも第三者が撃つという内容に変わっている、また内容的にも、あらかじめA1が
共犯者に地図を渡しておいて、その者が犯行現場に先着し、その後にA1がB1を
連れて行って、隠れていた共犯者がA1の合図に従ってB1の頭を撃ち、更にA1
の足も撃つというように詳細化されている。そして、D5がピストルではできない
というと、A1についてだけはD5が撃てるだろうという話になったり、D5はピ
ストルを棄てるだけではどうかという話になったりしたが、結局硝煙反応が出るか
ら自分で撃つのはだめだとA1が言ったということになり、こうしてハンマーに決
まったというのである。ハンマーを使用した殴打事件の打ち合わせの中で、ナイフ
とピストルとの両方の話があったとされるうち、ナイフの使用にはあまり触れない
で、使う見込みのないピストル使用の場合についてだけA1がこれほど執着し、詳
しくD5に持ちかけたとは普通ならば考えにくい。また、昭和六三年三日三一日付
けの検察官調書(甲八九号証)には、ピストルを使った場合の銃撃の合図に関連し
て、A1がどちらかの手を上に上げる動作をしたなどという供述が記載されている
が、ピストルの使用はこの時点では到底現実味のなかった犯行方法であったから、
A1がこの時点で本当にそこまで詳しく話したとは自然には納得し難い。手を上に
上げる云々の話は、銃撃事件の際に、駐車場で写真を撮りながらA1が手を上げた
ことがあるという銃撃事件後に分かった事実に関連している。こうしてみると、要
するに、銃撃事件後に分かった事実が、あたかも殴打事件前から分かっていたかの
ように記憶され、思いこまれている点があるのではないかと疑われるのである。も
とより、D5は、昭和六〇年一〇月二日付け検察官調書(甲八七号証)中で、銃撃
事件の発生を聞いて犯人は絶対A1だと思ったと供述し、この思いを前提にして前
述のとおり詳しく供述している。こうした直感は、D3、D4等について先に述べ
た場合と同様に、時に真相をついていることがあるから、それなりに大事にしなけ
ればならないが、しかし、銃撃事件が起こるより三ないし四か月前の時点で、A1
がD5にピストルでの銃撃を本気で打診したり、A1の足を撃つよう依頼したりし
たことがあるという供述を、そっくり全面的に信用することは躊躇される。
 三 小括
 殴打事件の相談をしている時点で、後でおこる銃撃事件の骨格を彷佛とさせるよ
うな犯行計画がA1の口から語られたことが真実あったとすれば、それはA1の犯
人性を検討する上で、極めて重要な事実といえる。その内容が特殊であればあるほ
ど、偶然が紛れ込む要素は少なくなり、その可能性を増大させる。しかし、以上検
討したところによれば、殴打事件の打ち合わせをする過程で、A1がD5に対し
て、ピストルは使えるか、ナイフはどうかという持ちかけ方をした事実は認められ
るが、それ以上に、D5が実際に実行する役割としてピストルによる銃撃とか、引
き続き偽装のためA1を銃撃することまで話したとする点には、疑問が残る。もっ
とも、殴打事件を計画するなかで、A1の口から、銃を使用した殺害方法が持ち出
され、その数か月後に、B1が殺害されたのも銃撃によってであった事実は間違い
ないから、この手口の類似性がA1の犯人性に疑いを生じさせる側面があることは
否定できない。しかし、渡米中の強盗被害は、一般に銃器使用によるものが少なく
ないであろうから、銃器による被害というだけでは、まだ決め手とすることはでき
ない。これを一つの重大な疑いとしつつ、他にこれと矛盾する証拠がないかどうか
を検討するべきである。
 第八 謀議の成立に疑問を持たせる事情
 一 犯行態様と謀議の不可欠性
 八月に発生した殴打事件以降に、もしA1が引き続いて銃撃事件を画策し、本件
を仕組んでいたとすると、その間に本件の犯行態様等からみて、A1と銃撃犯との
間で綿密・周到な事前謀議がされている筈であり、その謀議の内容は、相当に検討
事項の多い、実質的なものであった筈と考えられるから、そのことを窺わせる痕跡
が認められてよさそうである。ところが、本件では、その痕跡が全く認められな
い。このことは、謀議の成立を疑問視させずにはおかないのであり、犯行の成否に
とっては軽視できない点である。
 謀議を要する事項と謀議の必要性、謀議の機会と方法が限られていること等の問
題点については、A2を銃撃実行者とする訴因に関連して、既に述べた。足のつか
ないライフル銃の調達、A1本人に取り返しのつかないダメージを与えないよう、
A1において銃と弾の威力、銃撃者の腕前の吟味、保険会社に疑われず、また目撃
されにくい犯行場所と犯行態様の選定、犯行場所となる駐車場の下見、目隠し用バ
ンの調達、現場での配置確認、報酬の金額、支払方法、支払時期等の決定等々、最
低限でも、これらの諸点について実質的な謀議が必要で、それを犯行場所から遠く
離れた日本にA1が一方当事者となって完了しなければならないとすると、かなり
の時間と機会を必要とした筈である。そして、殴打事件以後、銃撃事件までの間に
これだけの準備を完了することは容易ではないが、A1が計画するに当たっては、
まず共犯者を探し出し、A1の提案を応諾してもらうことが必要であるから、それ
に時間がかかることを考慮すると、ますます容易なことではない。殴打事件の時、
A1がD5を説得したことについては前述したが、このときの説得や犯行態様の協
議にやはり相当の期間を必要としているのである。A1がいわゆるプロの殺し屋を
依頼したとしても、適当な者を探し、その者と協議し、条件等がまとまるまでに
は、それ相当の時間が必要であると思われる。ところが、重ねて言えば、八月の殴
打事件以降、本件までの間に、A1が共犯者の誰かとの間でこのような打ち合わせ
をした形跡は、証拠上、全く窺えないのである。
 二 A1にとっての謀議の機会
 A1がA2との間で謀議をする機会がほとんど見当たらないことについては先に
述べた。以下においては、A1がA2以外の誰かと謀議する機会がこの時期にどの
程度あったかについてだけ、主としてA1の行動にそって検討する。
 (一) 昭和五六年八月一三日に殴打事件が起こり、A1は翌一四日以降はF2
9を引き払ってF1に移り、B1と共に同月一九日に帰国している。本件に関する
警察側捜査の取りまとめに当たったE32証人は、当審公判廷で、殴打事件では殺
害目的が未遂に終わったが、事態か表面化することなしに終わったからA1にとっ
ては必ずしも失敗ではなかったとみられ、B1に行わせるアンティークドレスの展
示即売会の会場予約を帰国後すぐにしたのは、殴打事件直後、すでにa1にいると
きから銃撃事件を計画していたことを示しているという。しかし、殴打事件直後に
は、事件がこの先表面化しないで済むかどうか、全く見通しが立たず、表面化しそ
うにないから必ずしも失敗ではなかったと安心できる状態ではなかったというべき
であろう。捜査官が、選択肢の一つとして、そのような見方をも視野に入れて捜査
する態度は首肯できるが、証拠に基づいた議論ではない。検察官も、原審での冒頭
陳述中で、「A1は殴打事件後F1に滞在していたが、B1の殺害を断念して、同
月一九日帰国した。」と主張しており、右の帰国前から銃撃事件の謀議に取りかか
ったと主張してはいない。
 (二) A1は、その後、自分で担当してF32の中のC1の店舗を三階から五
階に移動させ(九月一〇日)、それを終えて単身で渡米し(同月一三日)、一〇月
初めに東京で開催を予定していたギフトショーに向けての準備に当たり、参加会社
との交渉、関連する各種取決めの取りまとめとメモランダムの締結等に奔走し、二
〇社位の参加を得ている。また、最新の情報を入手するため、A2を同道して、商
品買い付け時に通常回っているC2、K11のほか、p1、q1、r1などの小売
店を見て回り、同月二〇日までの滞在予定を切り上げて九月一八日に帰国してい
る。
 (三) 帰国後、B1のアンティークドレスの展示即売会を手伝い(九月二八
日、二九日)、売れ残った商品は、A1の知人である女性経営者がまとめて安く引
き取ってくれて、B1としてはまずまずの結果に終わり、次いで、かねての予定ど
おり、C1のギフトショーをF33館で開催し(一〇月一日、二日の両日)、その
ショーで注文を受けた商品のオーダーのため、従業員を渡米させて、A1は、その
間にタイペイに出張している(一〇月七日から一〇月一一日まで)。そして、C1
の事務所をF34ビルからもっと広いF35ハイツに移動した(一〇月一六日)。
 こうしたA1の日程をみると、もしA1が、アメリカにいる共犯者と共謀すると
すれば、その可能性が最も高いのは九月渡米時ということになるが、この渡米時に
そのような行動をした痕跡の立証は全くされていない。また、もしA1が本件犯行
を画策していたのであれば、一〇月にA1本人がタイペイに出張するよりは渡米し
て、その機会に謀議を遂げようと考えるのが自然ではないかと思われる。電話で謀
議したとみられる跡が全くないことについては、先に述べた。
 更に、今回の渡米時の行動日程をみても、A1が誰かと謀議できる時間帯として
は、一一月一七日にF1でA2と会った後しかあり得ない。A1は、同夜、B1と
s1タウンに食事に出かけたといい、正確には分からないが、これを確かめる方法
も、特段疑う根拠もない。
 また、国際電話の架電状況をみても、この間、A1がアメリカにいるA2以外の
誰かに電話をかけたような状況は全く認められない。
 このようにみてくると、A1が、アメリカにおける共犯者と謀議をしたことを窺
わせる状況は全く浮かび上がってこない。本件は、共犯者抜きには考られない態様
の犯行であるだけに、その共犯者とA1との接点が、このように雲を掴むように不
確かな状態であることは、やはりA1の犯人性に大きな疑問を投げかける一事情だ
といわざるを得ない。
 第九 渡米経過と出発前後の事情について
 検察官は、A1はB1をa1に誘い出す下心で、まずB1にアンティークドレス
の販売の仕事を勧め、昭和五六年九月二八日、二九日の二日間、展示即売会を開か
せ、売れ残りの品物を知り合いのE56に買い取らせるなどの工作をして、今回の
B1の渡米に持ち込んだと主張している。しかし、出発までの経過は次のとおりで
あり、そこにはA1がB1の殺害を目論んでいたと疑わせるような、わざとらしさ
や不自然な出発事情は一切認められない。すなわち、
 (a) B1は、アンティークドレスの展示即売会を開き、売れ残ったドレスを
「K12」という店舗を構えているE56に買い取ってもらった際、同女から、
「本人の目で仕入れてきたものならいいものでしょうから、よろしくお願いしま
す。」などと言われた(E36の原審証言[160―4446])。この即売会
は、B1がA1の援助で開いたものであったが、B1自身も乗り気になっており、
女性の目で品物を選別して仕入れるねらい、渡米する気になったものと窺われる、
 (b) 一〇月初めころ、B1は、次のA1の渡米に同行することを決意し、E
56から注文を聞いたり(E56の検察官調書[甲二二七])、いとこのE36に
通訳としての同行を持ちかけたりし(E36の原審証言)、その意向を実家の両親
らに告げたりしていた(E11の原審証言)、
 (c) E36は、B1から友人を同行してもよいと言われたため、当時つきあ
っていた男性と一緒に行くことを検討したが、その男性の都合がつかなかったの
で、B1には、間もなく同行を断った(E36の原審証言[160―445
2])、
 (d) A1は、一一月二日に、F30F36営業所のE57に電話して、「a
1へ女房と一緒に行くことになったので頼む。」などと言って、一一月一五日出発
のa1行き日本航空便の申込みをし、それを受けてE57は発券手続をとった。し
かし、同日のうちに、A1から便名はそのままで出発日を一一月一七日にして欲し
いとの変更の申し出があった。帰国は同月二一日ころの予定であるがはっきりしな
いので必要ないということであった。航空券は一一月四日に発行され、その日のう
ちにA1に渡された(E57の検察官調書[甲六])、
 (e) 出発前にB1が風邪をひき、一一月一三日(金)、一四日(土)の二日
間、B1は実家で静養した。順調に回復し、一一月一四日夜にやって来たA1と共
に一五日の午後自宅に帰り、旅行準備をした(E11の原審証言165―568
9,5697)、
 (f) A1は、F26のE44と一〇月下旬に路上で顔を合わせた際、一一月
半ばにまた渡米すること、今回はB1も一緒であることを告げた。一一月になって
E44が連絡した際には、結婚式の関係で出発を延ばしたという話があり、更にE
44が同月一三日に連絡した際には、B1が熱を出していて予定が立たないという
話のため、その日に契約することはできなかった。出発予定前日の一六日にもう一
度連絡を入れて、この日に最高額七五〇〇万円の海外旅行者傷害保険への加入契約
が締結された(E44の原審証言163―5069,5143,5168)、以上
の経過であったと認められる。
 右の経過を前提として検討すると、まず、A1が、F30F36営業所のE57
に対して、当初一一月一五日出発の航空券を依頼しておきながらその日のうちに日
程を変更している点は、社員の結婚式出席を失念していたためであったと認められ
る。すなわち、A1は、そのころC1の従業員E58から、同従業員E2の結婚披
露宴への出席予定が入っていることを指摘されたと供述しているところ、供述どお
り、その席へ出席した事実が認められるから、E58から右の指摘を受けて直ちに
変更を依頼した点に虚偽はないと認めてよい。
 次に、アンティークドレスの仕事は、B1が自分で行うことを希望し、展示即売
会の結果を基にして、自分の目で品物を選び買い付けをしょうとしたものと考えて
無理はない。検察官は、A1が懇意なE56に働きかけて、B1が自ら買付けに行
くように工作したかのように主張するが、証拠上は根拠がない。E56が、展示会
で売れ残った商品をまとめて安く買い取った事実は認められるが、同女の商業上の
判断によるものではないという証拠はない。そもそもE56が展示即売会に参加し
たのはA1からの誘いによるのではなく、友人に誘われたからだというのであり、
またB1のa1行きはE56の勧めによるという事実も認められない。それ以上の
内情は、不明とするほかない。
 また、右の経過からすると、A1は、出発予定日にこだわってはいなかったと認
められる。当初出発予定日を一一月一五日としていたのを、社員の結婚式予定を知
らされるとすぐに日程変更しているし、B1が風邪を引き、実家で静養したときの
対応についても同様である。もし、A1が、本件銃撃事件を目論んで密かにアメリ
カにいる筈の共犯者と打ち合わせを遂げていたのであれば、その計画変更の影響は
重大であった筈であり、出発直前の慌ただしい中で、銃撃計画の変更をするなり、
逆に病気を押してでも強引に出発する態度に出るなり、いずれにしても不自然な行
動が見られたのではないかと推察されるのに、そのような行動を窺わせる証拠は見
当たらない。これは、検察官が主張する本件犯行の計画性とはかなり相容れない態
度ではないか思われる。更に、B1は、前記のとおり、当初いとこのE36に対し
て、B1の関係で通訳として同行しないかと誘っていたことが認められるが、B1
がA1の了承なしにE36を誘ったとは考えられず、A1がその了承をしていたと
すると、一〇月初めのこの時点で、A1は、E36とその友人を連れて同行するこ
と、したがって事件を仕組むことが非常に困難になることを受け入れていたことに
なるが、これも犯行を目論んでいた者の態度としてはそぐわない。
 このようにみてくると、今回のA1とB1の渡米経過に、その裏側でひそかに本
件の計画が進められていたことを示す不自然な動きは窺われず、かえって、これと
は矛盾する事情が多いようにみえる。
 第一〇 銃撃現場の状況について(検察官が主張する情況事実 五)
 一 検察官がA1の犯人性を示すと主張する点
 検察官がA1の犯人性を示す状況として特に注目している第一点は、犯行現場の
状況である。すなわち、A1と犯人以外には現場におらず、また銃撃の状況と犯行
態様の中に、A1が仕組んだ殺人事件であることを窺わせる状況があるといい、具
体的には、銃撃が、白いバンを現場付近に停車させこれで目撃されないように死角
を作り出し、このバンで臨場した人物がその陰に隠れて行ったと認められること、
犯人は犯行偽装のためB1に対する銃撃に続いてA1の大腿部をも銃撃し、またB
1のポシェットの在中物を付近に散乱させて強盗を装ったこと、もとよりA1が説
明するグリーンの車や同車から降りてきて強奪をした人物は客観的には存在しない
ことを挙げる。第二点は、銃撃時の状況について、A1は、白いバンが停車してい
たことに気づかなかったとか、実在しないグリーンの車に乗った強盗による被害な
どという虚偽をことさら述べていること、この二点である。
 二 目撃証言とA1の供述
 1 目撃証言の内容と証言評価に当たっての留意点
 (一) 留意点
 本件発生時前後の状況を目撃した四名のうち三名は、目撃した内容について、原
審公判廷でそれぞれ次項のとおり証言している。反対尋問にさらされた供述である
点では重視されてよいが、その証言にいたる経過には留意を要する点がある。すな
わち、これらの目撃者らは、目撃後証言までの長い時間経過の中で、捜査官、保険
関係者、マスコミ等から尋ねられ、宣誓供述書を作成する等した機会に、その時々
に応じて様々な供述を重ねている。とびとびにされたこれらの供述は、供述時の違
いによっておよそ四つの時期に分けて考察するのが便宜である。第一は、事件直後
から翌年二月ころまでのいわば事件後間もない時期の供述、第二はその後本件のこ
とが日本のマスコミで大きく取り上げられた昭和五九年(一九八四年)からしばら
くの間にされた供述、第三に日本で捜査が開始された後の昭和六一年(一九八六
年)初め以降の供述、第四に平成元年(一九八九年)以降の原審公判証言とその後
の供述である。このように分類して全体の供述経過をみると、三人それぞれに程度
差はあるが、全体として事件直後の供述は比較的短く、簡単であったものが、日時
が経過するにつれて供述内容が詳細、具体的になる傾向が顕著で、供述内容にかな
りの変遷があることが目立つのに、その供述変更の理由がはっきりしない部分が多
いことである(この点は、公判証言を得られなかったE6についても共通してい
る。)。もとより、日本での騒ぎが大きくなり、事情聴取をする側の発問が詳細に
なれば、それに合わせて供述が詳細になってゆくことは避けられない。しかし、こ
れたけ年月が経っているのに、後の供述の方が格段に詳しくなっているのが、単に
それだけの理由によるといえるかは、供述変更の部分や変更の経過をみると、疑問
である。むしろ、時間が経ち、供述回数を積み重ねるにつれて、供述者が相互に影
響を受けあい、例えば記憶がはっきりしない点をはっきりしているかのように思い
込み、目撃したのはとびとびで、したがって記憶は断片的なのに、他の者の供述に
よって前後のつながりがつくように埋め合わせ、更に事件後知った事件のストーリ
ーに合わせて目撃状況に意味付けをするなどして供述しているのではないかと感じ
させられる点が目につくのである。各人固有の記憶内容を慎重に見極めなければな
らない。
 次に、目撃環境に留意しなければならない。その一は、目撃地点と事件現場とは
水平距離にして約二四三メートル、直線距離にして約二五〇メートル離れていた点
である(甲四五九)。これだけ離れると、例えば動く人の方が止まったままの人よ
り認識しやすい傾向があるし、細かな動作、容貌、手に持っている物等の識別はか
なり困難で、性別の識別も着衣がくすんだ色であったり、ズボンでもはいていたり
すると容易でないのが一般である。その二は、A1が事件現場にいたのは、せいぜ
い一〇時五〇分ころからの約二〇分間程度のことであるが(A1写真に現場の北
方、b1通り上に停車して時間調整をしていた路線バスが写っており、そのバスの
発着時刻と、E7やE8の通報時刻から把握できる。)、目撃者らは、仕事中、駐
車場に目をやった理由について、当時本件駐車場で違法駐車の取締りがよく行われ
たので見ていた(E3の一九八一年一二月一七日の再事情聴取書[甲三五二、同三
五三]、E6の同日の再事情聴取書[甲三六二、同三六三])とか、泥棒がいない
か見ていた(E5の一九八四年三月二七日の電話による再事情聴取書[甲三七二、
同三七三])とか、更には友人が車両の盗難被害にあったことがあるから見ていた
(E4の一九八八年六月九日の宣誓供述書[甲三八二、同三八三])等と述べてお
り、要するに、これらの者達は、多少は注意して見ていたが、そこで銃撃という重
大事件が起こっているとか、そのときのことについて後日目撃者として証言するこ
とになるかも知れないなどとはおよそ想像もしないで見ていたのである。仕事の合
間に、席を立って見たり、仕事に戻ったりしていたもので、注意力を集中させ、正
確さを心がけて目撃していたわけではなかったといえる。
 (二) 原審公判証言の内容
 (1) E3
 「1」 b1通りの方を見たとき、窓のない白いバンが駐車しているのに気がつ
いた。そのとき栗色の車(A1車)が南に向かって走ってきて駐車場に入り、バン
の西側に停まった。「2」停車した後、二人の人物がA1車の後ろの方に現われ
た。「3」再び現場を見たときに、b1通りの東側に立っている男性に注目した。
この男性は、西側に向かって片方の腕を頭の上に上げて手を振るようにした。
「4」また、少し目を離してから現場を見たとき、同じ男性が駐車場の北側で、駐
車していた一台の車のそばにいて、南側に向かって手を振り、その後その場所から
歩き始めた。「5」それからしばらく目を離していたが、次に見たときにはその男
性は駐車していた一台の車の前にいた。それから駐車していた車のうちの二台の間
(南から三台目と四台目の間)に移動した。駐車している車の前のところまでき
て、この男性は立ち止まって東側を向いていた。それから、車の前の部分に両方の
手を置いて少し前屈みになった。そして、この姿勢でいるのを見ているうちに突然
前方に倒れて、二台の車の間に見えなくなった(下の方に沈んでいって、それから
前の方に倒れて見えなくなったともいう。)。「6」しばらく動きはなかったが、
(二台の車のうちの)北側の方に駐車している車の運転席の横に一本の手が上がっ
てくるのが見え、次に視界から消え、このような動作が三、四回繰り返された。車
にいたずらをしているのかと思った。「7」このとき、同僚の一人と何が起きてい
るのだろうと話し合い、別の同僚女性(E7)が警察を呼んだらいいんじゃないか
と言った。そのとき窓際を離れた。「8」しばらくしてから、窓のところに近づい
て再び現場を見たときは、b1通りを北から南に歩いている女性を見た。この時点
ではバンはいなかったが、どの時点でバンが現場を離れたのか覚えていない。バン
に誰かが乗り込むというところは見ていない。グリーンの車は見ていない。事件の
ことを聞いてから、バンと栗色の車は関係があったのではないかと感じた。倒れた
男性に誰かが近づいたことはなかった。
 (2) E5
 「1」 E3がE4に下の人を見ろ云々と言ったのを聞いて、西の方を見下ろし
た。「2」栗色の車が南の方を向いて停車していた。そのとき、まだバンはいなか
った。「3」男性と女性と思われる人物が右駐車場の南側とA1車との間で互いに
写真を撮っていた。「4」そのうちの一人が道路を横切って東側のやしの木のとこ
ろに来た。もう一人が多分b1通りで、やしの木のところに立った人物の写真を撮
っていた。「5」それから、二人は元の車の方に戻った。「6」再び見たときには
白色のバンがA1車の隣り、東側に平行に停まっていた。どこからあのバンが来た
のかなと独り言のように言ったところ、E59がどのバンかと聞いたので、自分の
眼鏡を彼に貸して説明した。「7」その次に見たときには、男性が駐車車両の西方
に立っていて、A1車の方に向かって手を振っていたが、誰かがその男性の写真を
撮っているような印象を持った。それから、その男性は、駐車場西側の駐車車両の
前を北や南に向かって歩き、それから車と車の間に止まったりした。それから、東
の方に向かってこようとしたが、また止まって手を振った。その次に車に寄りかか
ってしゃがみ込んだ。うずくまっているようであった。「8」その男性が座り込ん
だのと同じくらいの時に、RTDバスが一台北に向けて通過した。ほんの少しして
から、A1車のそば、もしくはバンのところ、もしくはその辺りから、別の男性が
非常に急いで車のそばでしゃがみ込んだ男性の方に走り寄った。そこでのぞき込ん
だ。走り寄った男性はA1車の方に走って帰った。車の中をのぞき込んでいるよう
に見えた。その男性はバンの後ろを回ってバンの運転手席に飛び乗り、非常な勢い
で走り去った。「9」それから、車と車の間にうずくまっていた男性は、A1車の
方に向けて今度は何か助けを呼んでいるふうに手を振った。それから一、二分の
間、そのうずくまっていた男性は、A1車の方に向けて近寄ろうという努力をして
いるように見えたが、あまり近寄らなかつた。「10」数分後女性が南に向かって
通り過ぎ、倒れた男の方を見下ろしていたが、立ち止まらずに歩いていった。グリ
ーンの車が南から北へ非常にゆっくり、しかし止まらずに走り、どこかでUターン
して現場へ帰ってきて、歩くぐらいに速度を落として通り、加速して去った。男は
なお誰かに助けを呼ぶような仕草を続けていた。「11」数分が過ぎたところで、
b1通りの東側のカーぺツトの倉庫の建物から二人の男性が現れ、倒れている男
性、A1車の方に向かっていった。
 (3) E4
 「1」 事件現場の駐車場を見ていたところ、淡い色のバンが北の方角から乗り
入れてくるのが見えたが、誰も降りてこなかった。「2」一台の車がこのバンのす
ぐ後ろの右側に停まった。それを見て、E3に麻薬の取引が行われるようだと話し
た。E3も一緒に見た。「3」後で来た車から男性と女性が現れた。二人とも車の
後部に回って、女性がカメラを手にしている様子で何かを話していた。「4」男性
は車の後部から南東に向かって歩き、やしの木の方に向かっていった。そして、女
性の方に向かって立ち、両手を頭の上で広げたり交差させたりして手を振った。女
性はカメラを顔のところに当てていた。シャッターを切ったと思う。「5」男性は
元の車の後部付近に戻ってきた。それから、トランクを開けて、何か会話をしてカ
メラに何かをした。フィルムを入れたのかも知れない。それから、二人とも、バン
の後ろに隠れる形で視界から消えた。「6」数分後男性が現れてバンの位置から西
側へ向かっていった。駐車場の南西角で女性の方に向きを変え、次に駐車車両の前
を通って北の方に向かった。男性の方が写真を撮られる側であると思っていた。そ
れから立ち止まって二台の車の間に立った。立ち止まったときに、前にある車のフ
ェンダーの部分に両手を置いた。男性は東側を向いていた。そこでその男性は倒れ
た。倒れ方は、ちょうど下にもぐり込むとか、車の横に入るような形をとった。頭
が下がった状態、屈んだような状態で下がったが、自分でコントロールしているよ
うな普通の早さであった。そのときにその男性が車から何かを盗むのか、あるいは
車自体を盗むのではないかと疑った。「7」E7が警察に電話をかけ、その間数秒
間目を離しているが、それがその男性が倒れた前か後か分からない。そのすぐ後
で、その男性の手が数秒の間隔で上がるのを見た。「8」男性が下に倒れた後でバ
ンは走り去った。「9」それから、女性が通っていくのを見た。「10」少し経っ
て二人の男性がその駐車場の通りの向かいの建物の中から現れた。
 2 A1の原審公判供述の概要
 これに対して、A1の供述内容は、概略次のとおりである。
 一一月一八日の事件当日、朝九時ころB1と共にレンタカーのフェアモントに乗
ってF1を出た。F4商品のロゴマーク作成の参考にしたいという社員の希望を容
れて、a1あるいはカリフォルニアをイメージした写真を撮るためであった。モー
テルを出た後、主としてB1が多数の写真を撮った。形のよいパームツリーを見つ
けたので、d1通りから入って、本件現場であるb1通りに面したオフセット駐車
場のそばに車を停めた。そのとき、白いバンが駐車していることには気がつかなか
った。A1車と通りの間に車は無かった。B1と二人でパームツリーの方に行った
り、また戻ってきたりしながら、お互いに写真を撮った。その間何台かの車両やバ
スが通りかかり、そのうちの何台かは写真を撮っているのを見て止まってくれた。
その中に白っぽいバンもあつた。途中でフィルムを交換した。a1の高層ビル群と
パームツリーとその下にたたずんでいる女性のイメージで撮ろうとして、B1を駐
車場の道路付近に立たせ、自分は駐車場の金網ぎりぎりのところまで下がり、カメ
ラを持って構え、ファインダーをのぞきながら、立つ位置を指示したりしていた。
そのとき、B1が、ばたんと鉛筆が倒れるように倒れた。何の声も聞こえなかった
し、銃声も聞こえなかった。
 その場面はファインダーを通して見たと記憶している。滑ったかと思って、どう
したのと声をかけた。B1の方へ行こうと思って、一、二歩動き出すか出さないう
ちに、今度は自分自身の足に衝撃があった。バンという銃声が聞こえた。ガードレ
ールを越えた位のところであった。カメラを落とし、尻もちをつくような恰好で後
ろに倒れた。そのとき、道路の方を見ると、グリーンの車が北向きに停まってお
り、その運転席側にいた男が、車の中に何か一メートル前後の細長いものを投げ入
れて自分の方に向かってくるのが見えた。その男は自分のところまで来て、私の胸
ぐらをつかみ、右の腰のところを蹴飛ばし、身体を横向きにされた。男は、ジーン
ズの後ろのポケットから現金を奪いとった。男はサングラスをし、鼻の下に口髭を
し、頭を後ろで縛った白人であった。もう一人は助手席にいた男であるが、B1の
近くでポシェットを引っ繰り返して何か探していた。白人であったと思う。それか
ら二人はグリーンの車に乗って北に向かって走り去った。その後、車を伝いながら
B1の方に行って、持っていたカメラを無意識に置いた。通行人はだれも助けてく
れなかった。一人の女性が通りかかったので助けてくれるように叫んだが、私たち
の方に近寄ってのぞき込んだだけで、立ち去った。A1車の所に行ってクラクショ
ンを鳴らした。一人の男が来た。そのとき、私は、フェアモントの横に立ち、腕を
後方に指してB1が倒れていることを示すような動作をした。その男はd1通りの
ほうに走っていった。その後、救急車やパトカーが来た。当審での供述も大体同じ
である。
 三 白いバンの停車とその移動等
 検察官は、犯行当時、オフセット駐車場のすぐ東側、b1通り沿いに白いバンが
停車しており、これが道路東側方向に対して死角を作る役割を果たし、その死角と
なった付近から本件銃撃がされたと主張している。そこで、まず、白いバンが、本
件当時その位置に停車していた事実があるかどうか、またその白いバンは、犯行前
に現場に到着し、犯行後に立ち去ったと認められるかを検討しなければならない。
 1 白いバンの存在
 前記目撃者らのうち、原審公判で証言した三名は、そろって、銃撃があったと考
えられるころ、犯行現場のすぐ東側のb1通り上に、白いバンが停車していたと述
べている。公判での証言を得られなかったE6も、公判外で同様の供述をしてい
る。E3やE6は、事件直後に事情聴取にきた警察官G4にそのことをはっきり述
べているから、その供述を疑う根拠はない。また、B1が銃撃を受ける直前に本件
現場で撮影したA1写真ナンバー13の左下部分に、車両のウィンドウピラーやド
アフレームの一部と思われるものが写っているが、車両の位置関係からみて、これ
が目撃者らが見たという白いバンの一部ではないかと考えられる。弁護人の意見中
には、道路を走行中であった車両の一部が偶々このように写ったのではないかと述
べる部分があるが、写真にぶれがないこと等からみて、そのようには考えられな
い。これらの点からみて、本件発生当時、現場に、目撃者がいう白いバンが停車し
ていたことは事実と認められる。
 2 白いバンは先着していたか
 前記のとおり、A1写真ナンバー13に写っているのが、バンと思われる車両の
一部であるとすると、白いバンとA1車が揃った後で、本件が起こったことは間違
いないことになる。
 白いバンとA1車のいずれが先着していたかについて、目撃者らの公判証言は、
必ずしも一致していない。
 すなわち、E3とE4は、バンが先に停まっていた、そこへA1車が後からやっ
て来て、オフセット駐車場に駐車中であった車両とバンとの間にいわば割り込むよ
うなかたちで停車したと述べ、E5は、反対に、最初A1車に気づいたときにはバ
ンはいなかったと述べている。
 そこで、各目撃者らの、目撃直後からの供述経過をもう少し子細に点検してみ
る。まずE3の右供述は、目撃直後に捜査官に対して右のとおり述べたのを初めと
して(FIカード[甲三二二号証]、交信チケット[物五五七]、G4の原審証
言)、その後の供述も一貫している(一九八一年一一月二五日の事情聴取書[甲三
五〇、三五一]、一九八二年二月一日のR1社の事情聴取結果報告書[物三三六、
甲五三四]、一九八六年一月一〇日のa1郡検捜査官報告書[甲三五四、三五
五]、一九八八年六月九日の宣誓供述書[甲三五六、三五七])E4の供述は、か
なり日時が経過した一九八六年以降になされているが、「横に窓のないバンがd1
通りの方から南にゆっくり進み、……駐車場南端の車の後方に停まった。……一な
いし二分後に濃い栗色の車がバンの助手席に沿って入ってきて駐車した」と供述し
(一九八六年一月八日のa1郡検捜査官報告書[甲三八〇、三八一)、同趣旨の供
述をその後も維持している(一九八八年六月九日の宣誓供述書[甲三八二、三八
三]、一九八九年七月一一日の供述書[弁A甲一九、二〇])。ところが、E5の
供述は、この点について大きく変遷している。すなわち、目撃直後の供述ではその
点に触れていなかったが、目撃翌年には、「まず白いバンが駐車しているのに気づ
き、後で小さい赤い車が走ってきて、バンのそばに通りの左側を向いて停まるのを
見た。」と述べて、小さい赤い車というのがA1車のことと思える供述をしていた
が(一九八二年二月一日のR1社の事情聴取結果報告書[前出])、一九八四年三
月、日本のマスコミからの取材を受けた時期以降には供述を変更して、A1車が先
に来て、そこへ白いバンが来たと述べている(一九八四年三月二七日の電話による
再事情聴取書[甲三七二、三七三]、一九八六年一月八日のa1郡検捜査官報告書
[甲三七四、三七五])。ところが、その後また供述を変更し、「その車が両方と
もすでにそこに駐車していたのか、又はそのうちの一台がもう片方の車より前に到
着していたのかは思い出せません。」と述べたのに(一九八八年六月八日の宣誓供
述書[甲三七六、三七七])、その後にはまたまた供述を変更して、「白いバンが
やってきてマルーン色の車の左側でやや前の方に停車したのを覚えています。」と
述べているのである(一九八九年七月一一日の供述書[弁A甲二三、二四])。も
う一名の目撃者であるE6は、当初の捜査官に対する供述等では、最初に見たとき
にはすでに両方とも駐車していたか、あるいはどちらが先にきたのか思い出せない
と述べていたが、その後一九八九年七月一一日の供述書(弁A甲二一、二二)で初
めて、先にA1車が停車していて、その後五分ほどして白いF14のバンがやって
きたと供述するようになり、更に一九九六年四月二五日の陳述書(控弁A八、九)
においても、五分ないし一〇分後に白いバンが来て、A1車の左側に停車したのを
見た旨供述している。このように、白いバンとA1車のどちらが先着していたかに
ついて、目撃者の供述は割れている。
 検察官は、E3やE4の供述が具体的であるからこの供述を信用すべきであると
主張する。もし同人らの供述どおり、白いバンが先着していたとすると、A1車が
現場へ到着する直前に、b1通りの北方の、丁度路線バスが停車して時間調整をし
ていた辺りで、A1が、路線バスの写真を撮影したり、uターンを繰り返したりし
て、やや無駄とみえる行動をしていたのは、そこからすぐ近いオフセット駐車場へ
到着する時間調整をしていたためではなかったかと考えることができ、そうなれば
一応納得できる筋書きになるところである。原判決は、E3の供述を信用すべきも
のとし、その理由として、同人の供述は目撃直後から一貫していること、現場に最
初に注目したのはE3で、他の目撃者らは同人から言われて現場に注目するように
なった経緯であったこと、同人は現場に注目した理由を具体的に述べていること等
の点を挙げている。E3の供述が、これらの目撃者らの供述の中ではもっとも一貫
しているほか、同人は記憶にあることとそうでないことをかなり正確に区別して供
述しようとしていることが、質問に対する応答から読み取れるので、誠実な証言態
度とみえ、各証言の中では最も信用できると判断される。ただ、同人の証言中に
は、二台の車が揃ったのを見て、その間で麻薬取引でも行うのではないかと感じ、
注目するようになったとする点がある。この供述どおりであったとすると、同人は
二台揃ったのを見てから、他の目撃者に見るように言った順序になるから、二台の
車が揃うところを見たのは同人だけということになりそうにもみえる。E4も、麻
薬取引云々の話をしたことを原審証言の中で認めていて、その点はE3の供述と符
合してもいる。ただ、二台揃うところを見たのはE3だけであったとまでいえるか
には多少問題がないではない。例えば、E5は、E3がE4に言ったのは、「下を
見ろ」「何をやっているんだ」「観光客のようだ、写真を撮っている」などという
ことであったように述べているし、また、車を盗んでいるようだというE7の通報
内容が、その時点での目撃者らに共通の受け止め方であったことを加味して考える
と、E3がいう麻薬取引ではないかとの不信感を抱かせる目撃状況であったとまで
は直ちにいえそうにないからである。また、E5のこの点に関する前記公判供述も
かなり具体的であるから、直ちに否定してしまうことは躊躇される。結局、白いバ
ンの先着関係に関して目撃者の供述全体を総合判断すると、目撃者の供述中では、
やはりE3の供述が他の供述よりは最も信用性が高いと考えるのが相当であるが、
白いバンが先着していたと断定することまではできない。
 3 バンは本件銃撃後に立ち去ったか
 現場に白いバンが停車していたとしても、もしそのバンが現場を離れた後で、B
1が銃撃被害を受ける事態が持ち上がったとすると、バンが本件に関係があったと
は考え難くなる。そこで、銃撃が起こったと思われる時期とこのバンが現場から走
り去った時期の前後関係を検討しておかねばならない。
 まず、E8は、叫び声を聞いて絨毯工場から道路へ出てA1やB1を発見してい
るが、このとき、付近に白いバンがいたとは供述していない。同僚のE9について
も同様である。バンがいたのならば目についたであろうと考えられるから、E8が
警察に通報した一一時〇八分の直前ごろには、バンはすでに走り去って現場にはい
なかったと考えられる。次に、事件直後に、警察官G4がF3でE3とE6から事
情聴取をし、同人らの供述を書き込んだFIカード(前出)には、「被害者が下に
沈み、バンはダイヤモンド通りの方に走り去った。」と記載されている(このFI
カードは、E3の分とE6の分の二通が作成され、右の供述内容はE3の分に記載
されているが、実際は両名から同じ機会に聴取し、両名の供述内容が同じであった
ために、E3の分にまとめて記載されたものと認められる。G4の原審証言[14
8―873,149―956,997,1006])。このとき、G4は、そのバ
ンが犯行に使用されたのではないかと考えてその旨を通信司令室に通報したことが
認められるから、これによると、E3やE6は、被害者が下に沈むのとバンが走り
去るのとを一連のつながった出来事として理解・記憶し、その旨供述したものと思
われる。そして、目撃者らは、全員、駐車場にいたA1と思われる男性が倒れるよ
うな動作をした後、白いバンが現場から走り去ったと述べている。
 ただ、右の点について、E3は、原審証言中で、バンが走り去ったところは見て
いないと述べ、また証言後の一九九六年四月二四日の陳述書(控弁A六、七)でも
同様に述べている。しかし、同人は、それまでの供述では、他の者達と同様に、男
が倒れたその後でバンが走り去ったと供述していたのであるから(一九八一年一一
月二五日の事情聴取書[前出]、同年一二月一七日の再事情聴取書[前出]、一九
八六年一月一〇日のa1郡検捜査報告書[前出]、一九八八年六月九日の宣誓供述
書[前出])、原審証言時までの日時の経過によってこの部分の記憶に欠落を生じ
たたけと窺われるから、これを実質的な供述変更とみる必要はない。また、E5の
供述中には、「バンが立ち去り、そして男が倒れ、地面をはうのを見た。」と述べ
ているものがある(一九八四年三月二七日の電話による再事情聴取書[前出])。
しかし、これは、同人の他の供述と対比すると、バンと男の様子を各別に記載した
だけで、それぞれの前後関係を表したものとは読めないから、異なった供述とは理
解されない。
 以上述べたとおり、これらの目撃者の供述等を総合すると、バンは、A1が二台
の駐車車両の間に倒れた後でその場を走り去ったと認定してまず問題はないと考え
られる。そうなると、本件では、B1が銃撃された直後にA1が銃撃されたことに
争いはなく、これは明らかな事実といってよいから、銃撃行為が持ち上がった時点
で、現場付近に白いバンが駐車していたことは、証拠上明らかだとみてよい。
 四 白いバンで走り去った人物の現場での動静について
 白いバンに乗って現場を立ち去った人物は、現場でどのような行動をしていた
か。検察官は、このバンで現場に臨場した人物がB1を銃撃し、引き続いて強盗事
件を仮装するためにA1の足を銃撃したり、B1のポシェットの中身を付近にまき
散らしたりしたと主張している。
 1 原審証言中でその点についてもっとも詳しく供述しているのはE5である。
前記のように、同人は、この人物の行動に関して、A1と思われる男性がしゃがみ
込み、ほんの少し後で、A1車のそばか、バンのところか、あるいはその周辺か
ら、別の男性が現われて、非常に急いで車のそばでしゃがみ込んだ男性の方に走り
寄り、そこでのぞき込んだ、そして、走り寄った男性はA1車の方に走って帰り、
車の中をのぞき込んでいるように見えた、その男性はバンの後ろを回ってバンの運
転手席に飛び乗り、非常な勢いで走り去った、と供述している(原審証言[155
―2920])。もし、この男の現場での行動がこの供述どおりであったとすれ
ば、バンに乗って走り去った男は、倒れていたA1に近寄って一体何をしたのかが
大きな問題にならざるを得ない。そこで、この点に関する同人の供述経過を点検す
ると、同人は、目撃直後に供述したときには、「車の間で倒れている男に誰かが近
づくのは見なかった。」と供述して、例えば強盗犯人が倒れた男に近づいたような
場面は見ていないと否定していたところ(一九八一年一一月二五日の事情聴取書
[甲三七〇、三七一])、約四年経過後に、初めてバンに乗り込んだ人物の存在に
ついて言及し、その時には「一人の男がバンから降り、バンの前を通って栗色の車
の前の方に歩くのを見た。……しばらくして二台の車の間で男が倒れるのを見た。
……一人の男がバンの後方から現われて運転席に入るところを見た。……バンが南
へ急いで走っていった。」と供述したのである(一九八六年一月八日のa1郡検の
捜査官報告書[前出])。そして、その後も同様に、「男が突然うずくまった。二
台の車のフェンダーに両手をつき、両足を前に出して、地面に沈むように見えた。
……怪我をしたようなものではなく、車の下をのぞき込んでいるように見えた。車
泥棒だと思った。……どこから現れたのか分かりませんが、違う男性に気がつい
た。この男は、先ほどの男の人と栗色の車の助手席側に近づきました。どちらに先
に近づいたかは思い出せません。それからこの男は走って白いバンの運転席に飛び
乗り、急いで車を走らせた。」と述べ(一九八八年六月八日の宣誓供述書[前
出])、バンの前部を回っていったのか、後部を回っていったのか思い出せないと
しながら、やはり、バンに乗り込んで走り去った人物が倒れた男に近づいたことを
述べ、こうして原審公判でも、同様に供述しているのである。
 2 E6は、目撃後まだ記憶の新しい時期にした供述の中で、少し目を離して
「再度この場所を見たとき、一人の男(人相不明)が白いバンの陰から白いバンの
運転席のドアまで素早く歩いて乗り込み、被害者のいるところがらb1通りを南の
方へ運転していくのを見た。このとき、駐車している二台の車の間で倒れている一
人の男が手を振っているのを見た。」と供述し(一九八一年一一月二五日の事情聴
取書[甲三六〇、三六二)、次いで「一人の男がその白いバンから降りるのを見
た。……そして(一時目を離し)三度目に外を見たとき、一人の男が青い車のそば
で倒れ、別なもう一人の男がバンに乗り込んで走り去るのを見た。」と供述し(同
年一二月一七日の再事情聴取書[甲三六二、三六三])、その後も同様に、「一人
の男がバンを降りるのに気づいた。……この人がバンの周りを回ってバンの西側へ
歩くのを見たことを急に思い出す。……バンの近くにいた人がバンに乗り込むのを
見たかどうか思い出せないが、もう一方の人が倒れた後にそのバンが去ったのは覚
えている。」(一九八六年一月八日のa1郡検捜査官報告書[甲三六四、三六
五])と述べ、全体としてみれば、ほぼ一貫して、現場でバンに乗り込む動きをし
た人物がいたことを供述しているのである。
 3 検察官は、E5やE6が、バンから降りたりこれに乗り込んだりした人物に
ついて供述していることからみて、供述どおり白いバンに乗り込んだ人物がいたこ
と、及びE5の供述にあるとおり、その男は現場でA1に近づく等の行動をしたこ
とは間違いがない、というのである。
 ところで、白いバンが南に向かって走り去った以上、そのバンを運転した者がい
た筈で、その者が運転席を出入りするような行動をし、それを一部の者が目撃した
ということは、一般的にはあり得ることと思われる。
 しかし、E3とE4が、両名とも、A1と思われる男性が倒れるような動作をし
た場面を目撃したといいながら、その倒れた男性に近づいたり、のぞき込んだりす
る行動をした者には気づかなかったと述べるのは一体どういうことなのか。E3が
その点にも注目していたことは、同人の供述を見ればよく分かる。例えば、同人
は、「突然、そして瞬時に、この男は青色の車の運転席ドアのそば辺りで倒れた。
約一分後、白いバンが走り去った。」(一九八一年一一月二五日の事情聴取書[前
出])、「二台の車の間にいる男が手を振っており、それから別の二台の駐車車両
の間に移動し、そして前方に倒れるのを見た。その動きを一分間続けてみていた
が、その間にバンは走り去った。」(一九八一年一二月一七日の再事情聴取書[前
出])、「二台の車の間に移動し、前部フェンダーに両手をついて……突然前方に
倒れてひざまずき、車の間に見えなくなった。次に手が現れては消え、また現れる
のに気づいた。しばらくの間見ていると、突然白いバンが走り去った。」(一九八
六年一月一〇日のa1郡検捜査報告書[前出])云々とのべ、その後も同様の供述
をし(一九八八年六月九日の宣誓供述書[前出])、「男が二台の車の間に沈み込
んだとき、その近くには誰も見えませんでした」と述べてもいる(一九九六年四月
二四日の陳述書[前出])。原審証言も同様である。ニ―リーも、その点について
ほとんど同様の供述をしている。これによれば、両名とも、男が倒れたことやその
後の動きによく注目していたというのに、バンが走り去るまでの間に倒れた男に近
寄った別の男がいた様子は全く目撃していないというのである。丁度そのころE7
が警察に電話をかけていたようであるから、同人らが、それにつられて一時目を離
したことも考えられないことではない。しかし、E4は、原審証言中で、目を離し
たのはごく短時間だから、その間にそのような事態が生じたとは考えられないと述
べている。
 そのような疑問を持ってE5やE6の供述を再検討すると、両名の供述にはかな
り疑問を感じさせる点が目につくといえる。まず、E5の場合、右のように供述し
始めたのは、先に述べたとおり、事件後四年以上経過した一九八六年のa1郡検捜
査官報告書においてであった。それ以前には、そのような人物がいたと供述した形
跡は全くない、むしろ目撃直後には、前記のとおり、「車の間で倒れている男に誰
かが近づくのは見なかった。」と述べていたのである。目撃直後の記憶が時間の経
過によって失われることは理解できるとしても、目撃直後には否定していたこと
を、四年経過後になって詳しく思い出すということは容易に考えられることではな
いから、この点に関するE5の供述変更には疑問が持たれて当然である。更に、一
九八四年三月二七日に電話で事情聴取されたときの供述でも、「A1車の人物
(男)が下車して何らかの行動を行っているのを見た後で、白いバンがやってきて
そこに約三〇秒くらいいて、それから南に走って行き、男が地面に倒れ、何かから
隠れようとするようにはうのを見た。」と述べておりながら、その中では、白いバ
ンの人物が倒れている男性に近寄ったというような供述は一切していない。加え
て、この一九八六年のa1郡検捜査官に対する供述中では、白いバンがその場に停
車してから、一人の男性がバンから降り、バンの前端からA1車の前の方に歩いて
行くのを見たと言って、バンから降りて行くときのことから目撃したように供述し
ていたのに、一九八八年の宣誓供述書においては、降車時の状況は目撃していない
と文脈上読みとれる趣旨の供述をしている点も目につく。これによれば、詳しく述
べ始めた当時の供述には、供述の信用性を高めようとして、誇張した点があるので
はないかと感じられる。これによれば、白いバンの男が倒れた男に近づいたり、の
ぞき込んだりしたというE5の供述を、直ちに信用することは躊躇される。
 次に、E6の供述についてみると、同人は、目撃直後にF3八階で、E3と一緒
に警察官G4の事情聴取に応じ、その結果FIカードが作成されている。したがっ
て、もし同人がそのようなバンに乗り込んだ人物を目撃していたのであれば、ある
いはこのときにそのことを目撃状況として述べ、これがFIカードに記入されてい
てもよさそうであるが、同カードには白いバンが走り去ったことの記載はあるの
に、右の人物についての記載は見当たらない。FIカードの記載は簡単であり、ま
た、供述のすべてが記載されるとは限らないかも知れない。そこで、E6のその後
の供述をみると、事件後約一週間経過した一九八一年一一月二五日の事情聴取書以
降、一九八九年七月一一日までの間の七通の供述書等の中で、大体は、男がバンか
ら降りるところも、その後バンに乗り込んで走り去るところも見たと供述してい
る。E6の供述も、E5の供述と同様に、日時経過後に詳しくなる傾向が見られる
ので、信用性について全く疑問がないわけではないが、しかし前記の限度では供述
の揺れが少ない点からみて、一応そのとおりと考えられる。しかし、同人は、バン
から降りた男の現場での動きについて、車両の間で倒れ込んだ男の近くには行かな
かったと供述しているのである(一九八九年七月一一日の供述書[弁甲A二一、二
二])。
 以上によれば、これらの供述によって、男がバンから降りたり、またバンに乗り
込んで走り去ったとの事実までは認めることができるが、バンから降りた男が、倒
れるような動作をしたA1と思われる男のそばに近寄ったり、A1車をのぞき込ん
だりする行動をしたかどうかは、結局証拠上判然とせず、認定できるほどのはっき
りした証拠関係にはないとみるべきである。
 五 銃撃の態様、銃撃位置等の関係
 B1やA1を銃撃した者が現場にいたことは、客観的には動かし難い事実であ
る。銃撃の場面を目撃した者がいてもいなくても、この事実自体には何の変わりも
ない。そこで、犯行前後の状況については目撃者があるのに、その者達の誰もが銃
撃犯人の存在や銃撃行為のそれと分かる場面を目撃していないのは、おそらく現場
付近に停車していたバン等に視野を妨げられて、銃撃がその陰に隠れて行われたか
らであろうとした原判決の判断には、一応合理的な理由があるといえる(B1の姿
の一部は見えた筈であると当事者双方が主張している点については後述する。)。
それでは、銃撃行為を、他人に目撃されないように物陰に隠れて行った者は、そこ
へ来る前には、どこからどのようにしてやってきて、銃撃後どのようにして立ち去
ったのか。その銃撃犯人は白いバンでやって来た人物であると見るのが自然なの
か、A1がいうグリーンの車でやって来た人物であるとみる余地があるのかを検討
するため、銃撃の態様や銃撃位置について検討してみなければならない。
 1 白いバンの人物にとって銃撃位置となりうる地点について、検察官は、停車
したバンとの関係で、F3ビルから死角となる位置である、より具体的には、検察
官らが、一九九一年一月一〇日から一二日までの間に、本件現場で実施した射撃可
能エリア等に関する大がかりな実況見分とその検討結果に基づいて、B1に対して
は、バンの車内やバンの西側から銃撃が可能であり、A1に対しては、バンの西
側、A1車の車内及びA1車の西側から銃撃が可能であるが、A1が主張するグリ
ーンの車又はそれを下車してすぐの地点から銃撃することは困難であると主張して
いる。ところで、銃撃の位置と態様を考えるに当たっては、本件の犯行態様に沿っ
たいくつかの前提が必要である。すなわち、本件銃撃は、B1とA1の双方に対し
て行われ、しかもいずれの銃撃行為とも、それと分かる形で目撃されていないか
ら、想定される銃撃位置は、F3ビルに対して結果的に死角となる範囲内であるこ
とが必要である。少なくとも、目撃の容易な位置というのでは、目撃状況と合致し
ない。また、B1(身長一六四センチ、靴のかかと二センチ)の顔面に射入した弾
丸の飛来角度(正中面に対して三〇ないし三三度内外の左外側から射撃されたもの
で、平面仰角は約一六度、プラスマイナス二ないし五度。ただし、顔の向きによっ
て一定ではないことがある。)に合致するかどうか、A1の大腿部に射入した弾丸
の飛来角度(左前方約三〇度)や地上高(裸足時の地上高約七〇センチ)にも合致
するかどうか、銃撃位置とB1やA1のいた位置の間に駐車車両の車体が介在する
ときは、その車体の高さ等によって視野や銃撃角度が妨げられていないかどうか、
妨げられていない場合にも、銃撃の困難さの程度はどうか等々の点を考慮しなけれ
ばならない。
 2 まず、B1に対する銃撃可能地点として、検察官は、バンの中(特に荷台)
とバンのすぐ西側を指摘している。この場合は共に、銃撃位置と被害者の位置との
間はせいぜい数メートルの至近距離ということになるが、前記実況見分の結果によ
ると、B1が別紙図面1のV点ないしV点とW点との中間点あたりの位置にいたと
すれば、バンの荷台からB1の頭部をねらって銃撃することは十分可能とみられる
(写真撮影報告書第三分冊[甲五五三]写真四三[99―13370]参照)。そ
の場合、バンの荷台のドアを大きく開放しない状態でも銃撃は可能であるが、B1
がW点にいたとすると、バンの荷台からねらうには、バンの運転席、助手席の背も
たれが邪魔になるため、ドアをある程度開放しないと不自然な姿勢を強いられる
(同写真撮影報告書第三分冊写真四五[99―13372]参照)。なお、B1が
受傷した際の弾丸の射入方向及び射入角度は、前記のとおりであるが、B1が銃撃
を受ける直前に、A1の供述するとおり、a1の高層ビル街の方向、すなわち南東
の方向を眺めていて、そこを銃撃されたとすれば、地上からある程度の高さがある
バンの荷台の床部分(地上約七〇センチ、甲三〇六参照)から銃撃しても、B1の
受傷角度と矛盾することはないとみられる。ただ、バンの荷台から銃撃する場合に
は、銃撃前にバンのドアを少し開けてあらかじめ構えておくか、そうでなければ銃
撃前にバンのドアを開放しなければならないから、至近距離ということもあって、
どうしてもB1に気づかれやすいことを考慮しなければならない。これを避けるた
めには、最初から助手席の窓を通してねらうことも考えられるが、その場合にも、
車体の直前にいるB1に気づかれる可能性が高い点は同じであろう。次に、バンの
外(西側)に出て銃撃する場合には、B1が前記したどの地点にいても、銃撃その
ものは可能であり、またB1の受傷角度と矛盾するところはないが、バンの中から
銃撃する場合以上にB1に気づかれやすく、犯人がそのような危険をあえて冒すと
はいささか考えにくい。至近距離からの銃撃であるだけに、ねらいを外すことは少
ない代りに、どうみてもB1に気づかれ、顔を見られやすい点に難点がある。
 検察官もそれらの事情を認め、A1の控訴趣意に対する答弁書中(一二六頁以
下)で、右の銃撃方法をとる場合には当然B1に気づかれるとした上で、それでも
なお隙を見て撃つことができるためには、B1が銃撃犯人に対して警戒心を持つ必
要がない状況があればよい、例えば銃撃犯人がB1と旧知であったり、A1が犯人
をB1に紹介していたりすれば可能であるとか、もしそうでないのならば、例えば
ライフルを荷台の陰に隠しておいて、隙を見て素早く銃撃等することも可能であ
り、その場合にはB1が銃撃者の方に顔を向けることもあり得るから、射入角との
間に矛盾も生じないであろうという。しかし、このような条件設定は、机上の想定
としては不可能ではないとしても、現実の問題としてどの程度実際的かとなると疑
問が多い。特に、銃撃犯との関係をB1に知られた上、未遂に終わるようなことが
あっては取り返しがつかない。このような点も考慮に入れると、難点が多過ぎると
の感を免れない。
 要するに、検察官が説明するような銃撃の態様、位置関係は想定可能であるが、
現実問題としては、机上で想定するほど容易ではなさそうに思える。そして、以上
の判断は、A1車が、検察官主張の位置より多少ずれていた場合でも、基本的には
変わりがない。
 3 次に、検察官は、A1に対する銃撃可能地点としては、バンの西側付近、A
1車の車内及びA1車の西側等を指摘している。この点の検討に当たっては、A1
がオフセット駐車場に駐車していた六台の車両中、南から三台目(スバル)と四台
目(フィアット)の車両間の、どの程度フリーウェイ寄りの位置にいたかによっ
て、銃撃方向の面で制約を受けるほか、負傷した大腿部は車両のボンネット、トラ
ンクよりも低い位置になるために、車体高による制約を受けることになる。
 そのことを前提として、まずバンの中から銃撃できるかどうかを見ると、この場
合、検察官がいうように(答弁書一三六頁以下)、前記一九九一年一月の実況見分
の結果からすれば、A1が別紙図面1のA点やB点にいたとき、抽象的には、バン
から銃撃できる可能性がなくはないが、実際にそこから撃つとすると荷台の相当高
い位置から撃つことになって、かなり不自然であることは否めない(写真撮影報告
書[甲五五一]写真一〇[99―13333]、一一[99―13334])。も
し、A1が、C点、D点にいたときには、A1車に近づくことになるため、同車の
車高が妨げになって、バンの中から銃撃することはほとんど不可能とみられる。そ
こで、車外の、バンの西側付近からの銃撃について検討すると、この場合にも銃撃
する者の姿が、バンによる死角の範囲内にある点では問題はないが、A1車のフロ
ントガラスやボンネット(ボンネット中央部の地上高約八二センチ)越しに銃撃す
ることになるし、不可能ではないにしても、銃撃地点とA1との距離がA1車の西
側に回り込んだ場合と比較すると長くなり(B点まで約三ないし四メートル)、ま
た、立った姿勢での銃撃を余儀なくされるために、銃撃目標を正確に撃ち抜くこと
が難しくなる点に難点がある。結局、A1車の西側から銃撃するのが最も間違いが
少なく、可能性が高い銃撃方法だと考えられ、そのような銃撃方法ならばA1の受
傷状況と矛盾するところがない。しかし、このような態様でA1を銃撃しようとす
れば、B1を銃撃した後で、A1銃撃のためA1車の西側に移動することが必要と
なり、移動する動きを目撃されるおそれが生じるのに、E5以外にはオフセット駐
車場内で男の動いた姿を目撃した者がいない点に疑問が残ることになる。二五〇メ
ートル程度離れた地点からは、動かない物よりも動く物ははるかに気づきやすいと
みられるからである。この場合、A1が銃撃されたときにいた位置は、同人の供述
によっても必ずしも明らかではない。しかし、それにしても、A1に対する銃撃の
地点として検察官が主張する範囲内では、A1車の西側からの銃撃が可能性が高
く、最も考えやすいといえるであろう。
 A1の弁護人は、A1車の西側で銃撃したとは認定しにくい理由として、その付
近に空薬きょうかなかったことを挙げている。確かに、ライフル銃で発砲した場
合、通常ならば発砲場所付近で空薬きょうが見つかる筈なのに、本件でそれが一つ
も見つからなかったということは、いかにも不自然である。車内から発砲して、空
薬きょうを車内に積んだまま走り去ったか、それとも一旦は付近に飛び散った空薬
きょうを、銃撃後意識的に拾い集めて持ち去ったかのいずれかとしか考えられな
い。しかし、発射された弾丸から銃器が特定されることが考えられるのに、空薬き
ょうだけを拾い集める意図ははっきりしないし、またB1のポシェットに入ってい
た現金をまき散らしておきながら、空薬きょうだけは拾い集めて持ち去ったとする
と、それは、かえって単純な強盗事犯ではないと見るべきかも知れない。ただ、こ
のことは、発砲場所がどこであっても、車内でない限り、生じる疑問であり、A1
車の西側と考える場合だけについての疑問ではない。
 B1及びA1が現実に銃撃を受けている以上、現場付近に銃撃可能な地点があっ
たことはあれこれ詳述するまでもなく明らかであるが、場所による銃撃可能性の大
小を加味していえば、その具体的地点は、B1に対しては白いバンの中あるいはそ
の西側、A1に対してはA1車の西側がもっとも可能性が高いとみられる。しか
し、その関係では、この銃撃が、白いバンで臨場した人物によって敢行されたかど
うか、またその人物は犯行を偽装するためにA1の足も銃撃したかどうかといった
点について、これを確定させるまでの情況証拠があるとはいえない。
 六 強盗犯の存否
 A1は、グリーンの車でやってきた二人組の人物に銃撃、強奪されたと主張する
が、検察官は、A1が供述するグリーンの車の強盗犯が存在しなかったといい、む
しろA1のこの主張は、A1が白いバンで走り去った人物が犯行に関与したことを
知っていて、その上でことさら白いバンのことを隠そうとしたものであり、A1の
犯人性を示す情況事実の一つと理解すべきであると主張している。そこで、A1の
いうグリーンの車の強盗犯による銃撃の可能性が現実にはなく、あるいは強盗犯は
実際には現場にいなかったといえるかを検討する。
 1 強盗犯による銃撃の客観的可能性(銃撃の位置関係)
 A1は、グリーンの車はA1車の後部付近の、b1通り上に北向きに停車し、こ
れに乗ってきた二人組の強盗が、その車内あるいは車外に出てすぐの付近から、B
1とA1を銃撃して襲ってきたと供述する。
 その供述によると、銃撃犯人はB1とA1を相次いで撃ち、銃撃後その車中に一
メートル位の長い物を投げ込んでから近づいてきたというのであるから、この場合
の銃撃位置は、B1を撃った後、間をおかずにA1を撃つことが可能な地点という
ことになる。そこで、A1のこの供述を一応の前提として、銃撃可能な地点がどの
程度あるかを前記実況見分の結果に基づいて検討すると、まず、B1の頭部を銃撃
すること自体については比較的問題が少ない(W点に近いほど銃撃がしやすく、V
点近くになると、A1車の屋根がB1に対する視界を遮る形になるが、その顔面を
銃撃すること自体は不可能ではない。)。次に、A1をねらう場合、同人がC点、
D点にいたとすれば大腿部を銃撃することは可能だが、A点、B点にいたとする
と、全く不可能ではないにしても、極めて狭い範囲に限られる。更にB1の顔面と
A1の大腿部とをほぼ同じ地点から引き続いて銃撃する場合を想定すると、B1に
対する銃撃可能範囲の問題があるために、A1がA点にいたときには更に限定され
て銃撃は殆ど不可能と認められる。検察官は、A1の左大腿部に打ち込まれた弾丸
の飛来方向が、A1の左前方約三〇度とされていることから、もしA1がB1の倒
れた方向に近づこうとしてB1の方を向いていたとすると、実際の受傷角度よりも
っと左方向から弾丸が飛来し、受傷していなければならないことになって、受傷状
況とA1の供述とが矛盾するという。しかし、足の向きが少し変われば矛盾しない
とみられ、そのような微妙な角度を確定できる程の明確な証拠は本件には提出され
ていないから、これを矛盾と断定するのは相当でない。
 問題は、銃撃を受けたときA1がどの位置にいたかの点である。検察官は、A1
が駐車車両のb1通り側からフリーウェイ側のどの地点にいたか、具体的にはA点
からD点までのどの付近にいたかを絞り込まず、すべての場合に対応できるよう広
く検討している。A1が倒れるような動作をしたと目撃者らが供述する位置(四台
目の車両のフロントガラスの付け根付近から最前部までの間)のほか、A1が供述
する地点をもすべて含んで、どれにも対応しようとするもののようである。右の目
撃者らの供述やA1自身の原審公判廷における供述(198―10424,190
―10881)等からみて、A点、B点の可能性が高いといえるが、A1は、例え
ば、事件後あまり日時の経過していない時期にa1警察に対して行った事情説明の
中では、被弾場所について、原審公判廷で述べるのよりはもっと東側、すなわち道
路寄りの地点を指示した経過があるようであり、更に例えばC点付近からはサング
ラスやシャツからとれて落ちたボタンが発見されたりしていて、この付近で銃撃さ
れた可能性も否定できない状況にある。
 2 強盗の動きは目撃されているか
 検察官が、A1の主張するグリーンの車に乗った強盗による被害を否定する根拠
として重視しているのは、前記目撃者中に、現場付近でグリーンの車が停車したと
ころやこれから誰かが降りたことを目撃した者がいないという事実である。正確に
言えば、前記四名の目撃者のうち、二名はグリーンの車そのものを目撃していな
い。他の二名は、そのような場面を目撃していないというよりは、グリーンの車を
目撃したが、その車は、現場付近で徐行はしたが停止はせず、また誰も下車しなか
った、と述べている事実である。もし、A1の前記主張が事実であれば、前記目撃
者中、グリーンの車に気づいていた者達は、当然同車の停車、下車した人物の有無
を見落とすことはあり得なかった筈と考えられる。それとも何らかの理由で、目撃
者らのすべてが目撃していないエアポケットのような時間帯が、丁度その場面で起
こったといえるかどうか。更に、検察官が重視するのは、目撃者らはA1が被弾し
たところを目撃していながら、A1が供述するグリーンの車や二人組の男を目撃し
ていないことである。目撃者らがこれを見落とす筈はなく、このことはA1の供述
するようなグリーンの車や二人組の強盗犯人が存在しなかったことを示していると
いうのである(原判決も、この点をA1の供述を排斥する最大の根拠としてい
る。)。
 この点につき、A1の弁護人は、目撃者らが目撃したのは、実はA1が銃撃され
た場面ではなかった、すなわちA1が銃撃されて一度転倒し、その姿勢からようや
く立ち上がろうとしてまた倒れた場面だったのではないか、銃撃の場面ではなかっ
たとすると、これらの目撃者が、グリーンの車やそこから現われた強盗犯人を目撃
していなくても不自然ではなく、グリーンの車が来て停車し、その車から下車した
人物がいたことを否定できないと主張する。はたしてそのように認めることができ
るか。 (一) グリーンの車に関する目撃状況について
 前記F3の目撃者らのうち、E3及びE4の両名は、現場付近でグリーンの車を
目撃したことはないと一貫して供述している(E3の一九八八年六月九日の宣誓供
述書[前出]、原審証言[149―1171]、一九九六年四月二四日の供述書
[前出]、E4の一九八八年六月九日の宣誓供述書[前出]、原審証言[149―
1282])。
 しかし、E5は、原審公判廷で、A1と思われる男性が倒れたり、通りがかりの
女性の通行人が去ったりした後で、古いグリーンの車が現場手前のb1通りを南か
ら北に向けて進行し、その先でおそらくUターンして、次に北から南に走って行っ
た、一回目に来たときにはすでに男性は倒れていた、往復ともこの車は現場付近で
は歩くようなスピードになったが停まらなかったし、車から降りた人もいなかった
と述べている(原審証言[155―2921,2938])。同人は、この公判供
述と同趣旨の供述を目撃後間もない一九八一年一一月二五日の事情聴取書(前出)
の中でもしているだけでなく、その後も繰り返し述べているので(一九八八年六月
八日の宣誓供述書[前出]。もっとも、一九八九年七月一一日の供述書[前出]中
では、A1が倒れる前のころ、グリーンの車が最初北から南へ行き、少し経ったこ
ろ南から北に向かって行つたと走行順序が反対であったかのように供述してい
る。)、この部分に関する同人の供述はほぼ一貫しているとみてよい。次に、E6
は、目撃直後から、事情聴取書や宣誓供述書の中で、繰り返して、グリーンの車は
現場付近をゆっくりした速度で通ったが、停車しなかったし、人が下車したことも
なかったと、これまた一貫して供述している(一九八一年一一月二五日の事情聴取
書[前出]、一九八一年一二月一七日の再事情聴取書[前出]、一九八六年一月八
日のa1郡検捜査官報告書[前出]、一九八八年六月一四日の宣誓供述書[甲三六
六、三六七]、一九九六年四月二五日の陳述書[前出])。
 このように、E5とE6の供述は、グリーンの車が来た時期についてはA1と思
われる男性が倒れるような動作をした後のことであると述べ、しかも同車は、現場
付近を最初は南から北に、次にその先でUターンしたらしく、北から南に向けて、
いずれもゆっくりした速度で通り過ぎたこと、しかし停車することはなく、また同
車から人が降りたこともなかったこと等の特徴的な行動を中心として、相互に符合
する供述を一貫してしているから、これらの供述を疑う根拠はほとんどないという
べきである。そして、両名のこの供述を前提とする限り、グリーンの車の動きは、
A1の供述とは大きく異なっており、同車と本件銃撃との関連性はない可能性が非
常に高いとみられる。なお、E5の供述中に、A1と思われる男性が倒れた直後こ
ろに、A1車の西側あたりから一人の男性が突然現れたという供述部分があること
については先に説明したとおりである。しかし、同人は、その人物のことについ
て、A1車の西側あたりから突然現われ、その後白いバンに乗り込んだと供述して
いるのであるから、この人物がA1の供述するグリーンの車の強盗犯人と関係があ
るとは思えない。
 (二) A1が倒れたときの状況について
 F3八階から目撃された男の倒れる場面は、銃撃場面あるいはその一部ではな
く、その後の転倒場面であったと認められるか。
 (1) 銃撃犯人は、前述したとおり、白いバンの中、その西側又はA1車の西
側付近の死角から銃撃した可能性が高い。だから、前記目撃者らが銃撃場面と分か
る形で目撃していなくても、それが銃撃場面であったことを否定できない。また、
銃撃をした犯人が、銃撃の前後に、A1車の西側に移動したり、銃撃を終えて車両
の方へ移動したりするところが目撃されていなくても、目撃者らが相当離れた位置
にいて、しかも一部始終を見続けていた訳ではなかったから、あり得ないことでは
ない。したがって、目撃者らか、A1が三台目と四台目の車両の間で倒れる体勢を
とったのを見たときに、同時に銃撃犯人とおぼしき者の動きを目撃していなくて
も、そのことはA1の転倒が銃撃によるものであったかどうかを判断する決め手に
なるものではない。
 (2) ところで、前記目撃者らの供述は、A1とおぼしき男が倒れた状況を見
て銃撃されて転倒したとは思わなかったとする点では一致している。すなわち、E
3は、「この男性は二台の車の前の方に手を置いて少し前屈みになり、突然下の方
に沈んでいって前に倒れて見えなくなった、北側の車の運転席の横から一本の手が
出て、数回上下に動いた、何か車にいたずらをするのではないかと思った。」(原
審証言[149―1158])と、E5は、「その男は東の方に来ようとしてまた
止まり、手を振った、車に寄りかかって突然しゃがみ込んだような格好で身体を落
とした、うずくまっているようであった、車に何か仕掛けているのではないか、車
の中に無理に入ろうとしているのではないかと疑った」(原審証言[155―29
20,2929])と、E4は、「その男性は二台の車の間に立ち、車のフェンダ
ーの上に両手を置き屈んでいるか寄りかかっているような態勢で、車に乗り込むよ
うな早さで倒れるというよりも、屈んだような状態で下がったという状態で車の横
に入り込むような態勢を取り、車に侵入するのか車を盗むのではないかと思った」
(原審証言[149―1262,1274])と、それぞれ供述している。また、
E6は、目撃後間のない時点での事情聴取書中では、男性が倒れるところを見たと
は述べておらず、単に「二台の車の間で倒れている男が手を振っているのを見た」
と述べるだけであったが(一九八一年一一月二五日の事情聴取書[前出])、その
後の供述中では、男が倒れた時点のことにも触れるようになり、「一人の男が青い
車のそばで倒れ、もう一人の男がバンに乗り込んで走り去るのを見た。」(一九八
一年一二月一七日の再事情聴取書[前出])、「この人はF3の方を向き、そして
突然、後方へ倒れて背中から地面に落ちた。」(一九八六年一月八日のa1郡検捜
査官報告書[前出])、「男は、三台目と四台目の車の間をフリーウェイ側へ歩い
ていき、こちら側に振り返り、両腕を斜め下方に広げ、そしてその手を二台の車の
フェンダーに置いた。間もなく、その場所でまるで沈むかのように倒れました。…
…フェンダーに両手をついたまま故意に倒れたように見えました。銃で撃たれたよ
うには見えませんでした。」(一九八八年六月一四日の宣誓供述書[前出])等と
述べている。要するに、目撃者らはすべて、この男性が、車かあるいは車の中から
の盗みをしょうとしていると感じただけで、誰もこの転倒を銃撃された場面とは思
っておらず、そのことはE7の電話通報の内容と同じと思われる。ただ、これらの
目撃者が、どのような基準で銃撃されたための転倒であるかないかを判断していた
かは明らかではない。A1は大腿部を銃撃されたのであって、身体の枢要部を銃撃
されたのではなかったから、なおさらはっきりしない。
 ところで、このときのことについて、A1は、当審公判廷において、強盗犯人が
銃撃、強奪をして立ち去った後、車に寄りかかって立ち上がり、歩こうとしたが痛
くてまた倒れたと述べている。銃撃された時に倒れ、立ち上がろうとしてまた倒れ
たというのである。検察官は、A1は当審に至るまでこのように再び立ち上がった
が倒れたと供述したことはないとし、倒れたのはやはり銃撃されたためであったろ
うと主張する。A1が、再度立ち上がろうとして倒れた旨明確に述べていないこと
はそのとおりであるが、同人は、事件後間のない一九八一年一二月四日にa1警察
でした事情説明の中で、銃撃された後一生懸命立とうとしてブルーの車に手をかけ
た旨供述しており、その点は再度の立ち上がりと通じる供述とみられるから、実質
的には原審、当審供述を含めて、大体似通った供述と理解できる。また、その供述
内容自体は、このような負傷をした場合の自然な行動とみて不自然でなく、この点
に関するA1の説明をことさらな虚偽とするのは疑問である。銃撃を受けて負傷し
た者が、立ち上がろうとしてまた倒れるということは普通に予想されることである
から、銃撃後に再度立ち上がろうとした場面があったとしてもおかしくはない。
 これを要するに、目撃されたA1の転倒場面は、銃撃場面であったのかそうでな
かったのか、右の証拠だけからはいずれとも判然としない。
 (三) 銃撃による転倒の場面が全く目撃されていなかった可能性について
 そこで、次に転倒直前の模様を目撃者らがどの程度目を離さないで目撃していた
か、目撃したのは銃撃による転倒の場面であったとはっきりいえるのか等の目撃状
況を検討する。
 (1) その点に関してまず注目されるのは、本件目撃者らの中には、B1が銃
撃された事実に気づいた者が全くいないという点である。前記の実況見分の結果
(H6の原審証言[167―6272]、実況見分立会結果報告書[甲五四九]添
付資料一二の写真[98―13278])等によると、F3八階の目撃者らの位置
からB1が銃撃された方向を見通した場合、オフセット駐車場手前に停車していた
白いバンに視界を妨げられたことは明らかである。しかし、B1の全身が終始バン
の陰に入って見えなかったかは疑問である。原判決は、目撃者がいないのであるか
ら、B1の被弾状況は、バンに遮られて目撃できなかったのであろうと認定してい
る。しかし、この点については、検察官も弁護人も、共に疑問ではないかと主張
し、その根拠を具体的に述べている。
 まず、検察官の意見によると、銃撃されたときにB1が立っていたと想定される
別紙図面1のV地点ないしW地点付近は、論告添付資料一二のCの写真(前掲実況
見分立会結果報告書[甲五四九]添付資料一二の写真に該当する。)で立て札二本
で表示された地点に相当し、いずれであってもB1の身体の一部が目撃可能であっ
た筈であるといい(答弁書五八頁)、また、A1の弁護人は、いわゆるE60報告
書(甲四五八の写真撮影報告書)添付写真によって、駐車場の車両のバンパー付近
まで視認できる状態にあるから、通常の注意を持ってすれば、目撃可能であった蓋
然性が高いという。検察官指摘の論告添付資料一二のCの写真に写っているA1車
の位置は、バンと重なり過ぎている印象を拭えないし(B1が立っていたり、銃撃
されて転倒したというにしてはあまりに車両間のスペースが狭過ぎると感じられる
し、また目撃者らの記憶では、白いバンの右側にA1車のトランク部分がもう少し
はみ出して見えていたと述べる者がいて、その供述の方が現場の状況に合致すると
感じられるからである。)、弁護人主張の場合にも、B1がバンにどの程度接近し
て立っていたかがはっきりしないため、断定できる状態にあるとは思えないが、し
かし、どちらかといえば、B1の身体の一部は目撃可能であったとみる方が自然だ
といえそうである。そして、目撃者らの中には、A1車や白いバンが到着した状
況、A1が下車してb1通りを東側に横切り、やしの木の方向に移動した時点から
すでに目撃しはじめ、それに引き続く移動状況についても供述している者がいるの
であるから、これと連動したB1の動きも目撃できた筈と考えられ、またその後に
B1がバンの陰に入ったのであれば、その方向に移動する同女の動きを誰かが目撃
していてよさそうに思われるのに、全く目撃されていない。また、B1が銃撃され
た時には、その受傷状況からみてかなり大きな動きがあったのではないかと思われ
るのに、そのときの行動についても、気づいていないのである。これは、一体どの
ような理由によるものと考えられるか。まず考えられるのは、A1は動きまわって
いたのに対して、B1の方はあまり動きまわらなかったために、動きまわる者が目
に付きやすかった点を指摘できるであろう。更に、初めは勤務時間中に何となく、
駐車場を見下ろす程度であったところ、その後にA1がしゃがみ込み、これを車へ
のいたずらと感じて疑った経過から、その後は主としてA1の動きに注目するよう
になったためではないかとも考えられる。これによれば、B1の動きにはあまり関
心が向けられていなかった状況のときにB1が銃撃されたために、気づかれなかっ
たと考えられる。B1の銃撃から間をおかないでA1の銃撃が持ち上がっている点
からみて、A1が銃撃された場面、つまり男が倒れる直前の時点では、目を離して
いたのではないかとの疑いがないではない。そのことに留意しつつ、目撃者の供述
を検討する。
 (2) E3
 右の点をE3の原審証言についてみると、同人は、「あるとき駐車場に目をやる
と、男が、駐車場に駐車していた何台かの車両のうち一台の車の前部と金網フェン
スとの間にいて、それから駐車していた車両のうちの二台の間(南から三台目と四
台目の間)に移動し、その車の前部付近で立ち止まった(東を向いている状態)、
それから両方の車の前の部分に両方の手を置いて少し前屈みになり、この姿勢でい
るのを見ているうちに、突然前方に倒れて、二台の車の間に見えなくなった(下の
方に沈んでいって、それから前の方に倒れて見えなくなったともいう。)」という
のである(原審証言[149―1158,1221])。この供述によると、E3
は、その男性が駐車車両の西側フェンス沿いから駐車中であった車両と車両の間に
入り、そこで左右の車両のフェンダー部分に手を置き、倒れるまで継続して目撃し
ていたことになる。しかしながら、同人は公判供述に先立つ供述中では、その点
を、右のように明確に供述してはいない。すなわち、目撃一週間後の一九八一年一
一月二五日の事情聴取書(前出)では、「男は、今度は、駐車場西側で金網フェン
スの隣にいた。バンに向かって東の方向を向いていた。再び手を振り、青色の車と
黄色の車の間の位置へ歩いていった。車の間のその男は向きを変え、再び東の方を
向いた。E3は、その男が何か体を動かしているのに気づいた。突然そして瞬時
に、この男は、青色の車の運転席ドアのそばあたりで倒れた。」と供述している。
検察官は、この供述のうち、「再び東の方を向いた。」とある点は、この男が金網
フェンスの位置から車両間を東に向いて進み、最終的に止まった地点を通り過ぎて
更に東方向に歩き、その後振り向いて西に戻り、そこでまた振り向いて東を向いた
趣旨の供述であると主張する(このことが持つ意味については後述する。)。しか
し、この供述は、その後の供述と対比してみると、そのような趣旨とは受け取れな
い。同人は、それから約三週間後の同年一二月一七日の再事情聴取書(前出)で
は、「数秒して再び外を見ると、駐車している車のうちの二台の車の間にいる男が
手を振っており、それから別の二台の駐車車両の間に移動し、そして前方に倒れる
のを見た。」と供述していて、倒れる前に東を向き、ついで西を向き、更に東を向
いたというような点についての供述は全く記載されていないのである。続いて、一
九八六年一月一〇日のa1郡検捜査官報告書(前出)では、「その男が駐車場の北
側にいたのを見たが、次に見たときには、二台の車両の間に移動し両方の車の前部
フェンダーに両手をついて体を前方に曲げたのに気づいた。」と供述されていて、
その間の動きを続けて目撃していた様子ではない。また、一九八八年六月九日にな
された宣誓供述書(前出)でも、この男性が、「駐車場の北側の車のそばで白いバ
ンの方を向き、手を振っているのをみた、次には、二台の駐車車両の間に立ってい
るのを見たことを覚えている。」と供述していて、この供述でも、二台の駐車車両
の間に立つまでの間は目を離していた趣旨と読みとれる。そして、原審公判供述後
の一九九六年四月二四日の陳述書(前出)になると、その男性が二台の車両の間に
沈み込む直前の状況については見ていなかった旨を明言している。以上のような同
人の供述経過と、同人がその供述中で、目撃中しばしば仕事のため席に戻ったと述
へていることからすると、E3は、この男性つまりA1が倒れる直前の状況を注目
し続けていたわけではなかったと判断される。
 (3) E5
 E5の原審証言は、前記のとおりである。このときの供述によると、同人は、こ
の男が駐車車両の西側を南北に歩き、二台の駐車車両の間辺りに立ち止まり、そし
て倒れるまでの間、ずっと続けて目撃していたかのようにみえる。しかし、右証言
前の同人の一連の供述内容を点検してみると、そのようには理解できない。例え
ば、供述が最も詳細な一九八八年六月八日の宣誓供述書(前出)によると、「その
男は、駐車場に駐車している車の向こう側を、南東と北西の方向に行ったり来たり
しました。その男は、栗色の車の方を向きながら、約二分間くらい片手を上げたり
下げたりする動作を繰り返していました。(中略)その後、この男は栗色の車の方
向を見ているときに、南から四台目の車の前部付近で突然うずくまりました。」と
供述しているのみであって、フェンス側から二台の車の間にくるところは目撃して
いたようであるが、「その後」も継続して見ていたのかどうかは明らかでなく、他
の供述も大体同様なのである。そして、E3と同様に、B1が銃撃された状況に気
づいていないことをも考えると、E5は、その男、つまりA1が「その後」の部分
の行動をしたころ、目を離していたのではないかと疑う余地がある。
 (4) E4
 E4の原審証言の概要は前記のとおりである。同人の供述は、右証言前の供述を
含めてみても、男が駐車車両の西側を南から北に歩き、北側二台の駐車車両の間に
立ち、そして、そこで倒れるまで続けて目撃していたかのようにみえる。しかし、
同人の供述は、その男が北側の二台の駐車車両の間に立ったと述べている点では間
違いであると考えられるし、何といっても同人が供述し始めたのは、目撃後四年以
上を経過してからのことであったから、信用性判断に注意が必要であること、同人
も他の者と同様に、B1が銃撃された状況に気づいていなかったことなどを考慮す
ると、E4もまた、A1が二台の車両の間で倒れるのを目撃するまでの間、ずっと
続けて目撃していたわけではないのではないかと判断される。
 (5) E6
 同人からは公判証言を得られなかったが、同人が最も詳細に供述しているのは、
一九八八年六月一四日の宣誓供述書(前出)である。これによると、同人は、次の
ように述べている。
 「二度目に、駐車場の方を見たとき、一人の男が駐車場に駐車している六台の車
の向こう側(南から四台目の車両の前方西側金網フェンス付近)に立ち、片手を振
っているのが見えた。少しの間そこから目を離し、次にそこを見たとき、この男が
南から三台目と四台目の間にいた。そして、この男は三台目と四台目の車の間を向
こう側(フリーウェイ側)へ歩いて行った。そして、こちら側を振り返り、両腕を
斜め下方に広げ、そしてその手を二台の車のフェンダーに置いた。それからまもな
く、その男がその場所でまるで沈むかのように倒れた。その男がフェンダーに手を
置いて故意に倒れたように見えた。銃で撃たれて倒れたようには見えなかった。そ
の男が車の下に潜り込むのだと思い、車を盗むのではないかと思った。E3も同じ
ように感じたと思う。その時誰かが「警察に連絡をしたか」と言った。」。
 E6のこの供述の特徴は、前記の三人の目撃供述と異なり、二台の車の間にいた
男が、フリーウエイ側(西側)に歩いて行き、その後振り返って、東側を向いて佇
立したと供述している点である。E6は、この宣誓供述書に先立つ一九八六年一月
八日のa1郡検捜査官報告書(前出)、その後の供述書等においてもほぼ同様の供
述をしているが、どういうわけか事件後、初期の段階の供述においては、その点に
触れていない。
 検察官は、E6のこの供述部分に注目して、A1が銃撃を受け、一度倒れたとす
ると、その後でこのように車の間を西に向かって歩く理由は考えられない、それに
もかかわらず、もしE6の供述どおりに西に向かって歩いたとすると、それはその
時点ではまだ銃撃されていなかったからであり、目撃された転倒は、紛れもなくA
1が銃撃を受けた場面であったことになり、その範囲でE6の供述は真実と認めら
れると主張する(答弁書七九頁)。E6のこの点に関する供述はかなり目をひく
し、検察官の主張にも理由がないではない。しかし、公判証言ではないため反対尋
問にさらされておらず、また、目撃後記憶の新鮮なうちになされた供述でもない点
に問題を抱えている。
 (6) 検察官は、目撃者らの前記供述からすると、男(A1)は、フェンス側
から二台の車両の間を東を向いて進み、最終的に佇立することになった地点を通り
過ぎて更に東に進み、その後振り向いて西に戻り、そこでまた振り向いて東を向い
て佇立した、そして倒れたと考えられるという。しかし、E3の供述も、E6の供
述も、共に極めて簡単な供述であって、このように微妙な事実を認定できるほど詳
細、正確なものとは到底思えない。
 目撃者らは誰も銃撃というような重大な事態に発展するとは予測していなかった
し、また仕事を放り出して、一〇分、一五分と見続けるような事態でもなかったか
ら、B1が銃撃された場面も含めて現場から目を離していた時間帯があったことは
弁護人ら主張のとおりと思われる。そうだとすると、目撃者らが現実に目撃したの
が銃撃場面そのものであるとすることについては疑問が残るというべきである。こ
の意味で、目撃者らが目撃したのは銃撃場面そのものてあったと断定して、それを
最大の根拠にして、A1の弁解を排斥した原判決の判断は相当とはいい難い。しか
し、そうであっても、A1と思われる男が転倒した場面を目撃しておりながら、そ
れとさほどに時間がずれているとは思えない別の男達の動きに誰も気づいていない
という事実は、やはりグリーンの車で来た男達がいたとか、それらの者が銃撃した
とする主張に対して疑問を持たせざるを得ない。
 (四) 目撃状況からの結論
 以上によれば、目撃者らは、グリーンの車は駐車場付近で停車しなかったし、そ
の車から人が降りたことはないと揃って供述している。この点に関する目撃者の記
憶はかなりはっきりしており、かっこれに反する目撃は見当たらないから、この供
述は重視されてよい。また、これとは別に、A1が転倒した前後の駐車場付近での
人の動きに関する目撃内容にも注目して検討したが、A1が転倒した時を含めてそ
の前後に、付近にA1のいう強盗犯人がいたことを窺わせる様子は全く判然としな
い。これら双方の事情を総合すると、グリーンの車から降りてきた強盗犯人という
A1の主張は、本件証拠上、容易に受け入れ難い。この点は、検察官主張のとお
り、A1について強い嫌疑を生じさせる情況事実とみてよいと考えられる。
 3 その他関連する情況事実の検討
 (一) 空薬きょう、紙幣の散乱等
 事件直後に本件駐車場に到着した捜査官らは、現場の交通を遮断して、銃撃に使
用された筈のライフル銃の空薬きょうの捜索もしたが、発見されなかった。現場に
空薬きょうが残されていないというこの事実は、本件にとって何を意味するか。前
述したとおり、車内から発砲して、空薬きょうを車内に積んだまま走り去ったか、
一旦付近に飛び散った空薬きょうを意識的に拾い集めて持ち去ったか、疑問の持た
れる点である。現場は路線バス通り沿いで、広い駐車場に面しており、かなり車の
通行も予想される状況下で、B1とA1を銃撃し、続いてB1の持ち物をまき散ら
した上で、更に落ち着いて空薬きょうを拾い集める等の行動ができるものか。車内
からの銃撃か、単純な強盗事犯ではないと考えられやすいが、判然としない。
 次に、B1が倒れていた付近一帯に、B1のポシェットに入っていたと思われる
紙幣(二〇ドルが四枚、一〇ドルが一枚、五ドルが一枚、一ドルが五枚、合計一〇
〇ドル)が散乱していた。検察官は、決して少額とはいえないこれら金員を、金銭
目的の強盗がわざわざまき散らして逃走したとみるのは不自然であるという。もっ
ともな指摘であるといえる。犯行現場に被害者の所持品をまき散らして強盗を仮装
することは広く見られる手口であるが、それにしても、強盗が、強奪目的とした一
〇〇ドルもの現金をまき散らすというのはいかにもことさららしいと感じさせる。
まいたのではなく、ポシェット内から紙幣を取りだした際に取り落としたのだとす
ると、現場での犯人の行動はそのように慌てたものであったかがあらたに疑問とさ
れる。また、B1が前日に買い物をした残りの金員や財布などがポシェットの中に
あったと思われる(A1は、前日三〇〇ドルか五〇〇ドル渡しているように言う。
原審公判供述[187―10303])のに、これらが発見されず、二〇ドル札等
がまかれているのも納得しにくい。もっとも、一〇〇ドルの放置状況・散乱状況に
不自然さがあったかという点については(一九八八年五月二〇日実施の実況見分に
おけるライル・E4の説明によると、B1が片方の手にいくらかの紙幣を握ってい
たという(甲一九[31―429]、二〇[31―465]。E60の公判供述
[149―1120]参照)。)、関係証拠上必ずしも明確でない点が多く、いず
れとも判断しようがない。ただ、B1のポシェットの肩紐は救助の必要上切られた
もので、犯人が切ったものではなかったから、ポシェットを持ち上げ、逆さまにし
てその中身をまき散らすといっても、ポシェット自体の可動範囲は広くなかった筈
であり、どのようにしたかについて疑問がある。
 また、事件当時、A1車の車内に置かれていたA1の旅行用バッグの中には、現
金五〇〇〇ドル以上、旅行小切手、パスポート等が入れられていた。事件発生当時
には、同車のエンジンはかかったままで、ドアはロックされていなかったから、検
察官は、もし本件が強盗によるものであるならば、このA1のバッグを見逃すこと
はなかったのではないかと主張する。これに対して、A1は、このカバンはいつも
用心のために、助手席の後部の座席の床の上に置いていたと供述している(A1の
公判供述口[187―10250])。それ以上には確かめようがなく、犯人がバ
ッグの存在に気づかなかったことを全く否定はできないにしても、釈然としない疑
問が残る。
 (二) E61供述
 事件当時d1通りとb1通りの交差点付近に存した保険局の駐車場に勤務してい
たE61は、事件直後から、グリーンの車とこれに乗った男について何回か供述し
ている。A1の弁護人は、このE61の供述は、本件銃撃がA1の供述するように
グリーンの車で現場へ来た人物によって敢行されたことを裏付ける有力な証拠であ
るという。
 そこで、同人の供述をみると、E61は、事件の一か月後には、「銃撃事件のこ
ろ、後部両サイドに各三個の尾灯がついたダークグリーンの一九六七年型のシェビ
ー・カプリスをみたことがある、b1通りを非常にゆったりとした速度で走行し、
物を盗もうとして駐車場の中を見ているように思えたので注意をひかれた、この車
は通常一一時ころから一一時半ころE61の勤務場所付近を通り、車の中には二人
乗っていることも、三人乗っていることもあった、似顔絵の男が、その車に乗って
いた男の一人であるように思う」(昭和五六年一二月一七日の事情聴取書[弁A甲
一五、一六])と述べ、七年後には、銃撃自体を見たり聞いたりはしていないとこ
とわった上で、「一九八一年(本件事件があった年)に数回、後部両サイドに各三
個の尾灯がついた古い型のグリーンのシェビー・カプリスが走っていたのを覚えて
いるが、事件当日に見たかどうかは思い出せない、非常にゆったりとした速度で走
り、駐車場の車から物を盗むかも知れないと思っていた、顔を見たことがあるのは
運転手だけである、本件犯人の似顔絵を見せられたが、その人のことを知らな
い。」と述べ(昭和六三年六月一六日の宣誓供述書[弁A甲一七、一八)、更に、
その四年後には、「事件当日の一一月一八日午前九時から一一時までの間、特定の
車が(d1通りから)南向きに通りかかるのを目撃した、車の色は日か緑であっ
た、運転手は男性で白人か少しラテン系で、髪の色は黒で後頭部からポニーテール
が突き出ており、フー・マンチューのような髭を生やしていた、最後にその車が通
りかかるのを見たとき、ブースから出てみた、その後駐車場施設の出入口通路真ん
中で技術屋と話していたところ、何分か後に、駐車場施設の中で二回大きな反響が
聞こえた、通常の車のバックファイアより大きな音で、大きな銃器からの発射音だ
ったかも知れない、技術屋が車のバックファイアにすぎないから気にするなといっ
たので、そのままになった。」(平成四年三月二八日の供述書[弁A甲一二ないし
一四])というのである。
 平成四年の供述では、E61は、本件事件当日にグリーンの車を見たと述べてい
るが、事件に接着した昭和五六年一二月一七日の供述では、それが事件当日のこと
であったのかどうか判然としていないし、昭和六三年の供述ではむしろ当日にその
車を見たかどうかは思い出せないとしている。したがって、それから更に四年近く
経過した平成四年の段階で、事件当日の出来事を正確・詳細に供述できたとは思え
ない。
 しかし、そうだとしても、同人の供述を全体としてみると、本件当時、E61が
いうような一九六七年型のダークグリーンのシェビー・カプリスが、本件の銃撃事
件が持ちあがった時間帯に本件駐車場周辺を、E61の注目をひく形で走行してい
たこと、事件後にはこの車を見かけることがなくなったことなどの同人の供述を、
全く根も葉もないこととする根拠もない。しかし、反面、それだけでは、この供述
に格別の意味を認めることもできない。この付近は、実況見分調書の写真等にある
とおり(甲一四、一五[二、四、六、八の写真]、甲五五一[一の写真)、道路両
側に不法駐車車両が続いている場所であり、そのグリーンの車も無料駐車のできる
場所を探して徘徊していたに過ぎない可能性が高いからである。しかし、興味をひ
く点が全くないというわけでもない。すなわち、同人がその車両の特徴について述
べるところは、A1が事件直後から説明しているグリーン車の車種、型式、特徴等
と酷似しているし、加えて事件後間がない時期にA1の供述を基にして捜査官が描
いた犯人の似顔絵を見せられて、そのグリーンの車に乗車していた者の一人である
と思うと供述しているからである(ただし、昭和六三年にはその記憶がなくなって
いるようであるが、六年以上経過していることを考えると、当然のことと思われ
る。)。A1と全く利害関係のない第三者であるE61が右のような供述をして、
A1の供述を一部裏付けているようにも見える点には一応留意してよい。しかし、
更に検討すると、A1が述べる車両の特徴は、ある時代のアメリカ車によく見られ
た特徴であるし、また、A1も、本件現場で、E6やE5が目撃したというグリー
ンの車を目撃していて、その特徴を基に連想をふくらませて、本件銃撃に関係した
車両に置き換えて供述することも可能、容易とみられる上、両者が述べる人物像
は、一群の人に共通の、今一つ個別性に欠ける特徴のように思われるから、E61
の供述をA1弁明の裏付けとまで評価するのは相当でない。これを要するに、E6
1の供述に、A1がいう強盗犯人の裏付けという意味での、高い証明力を認めるの
は困難と考えられる。
 4 小括
 以上、銃撃時の状況を検討してきたが、これらの証拠の内容を通覧し、全体的に
判断すると、犯行現場に白いバンが到着、停車し、事件発生直後に立ち去った事実
は目撃証言によって十分認定可能であるのに対して、A1の主張するグリーンの車
が停車したり、現場付近で誰かが下車した事実は目撃されていないというより、ど
ちらかというと積極的に否定されており、その可能性はかなり低いと判断される。
また、銃撃可能性の観点からみても、白いバンの人物の場合には比較的容易である
のに対して、グリーンの車の人物の場合には相当困難と判断される。そして、白い
バンの人物の場合には、目撃されないで犯行を行う可能性はかなりありそうである
が、グリーンの車の人物の場合には目撃者の全員が全く目撃しないままに終わる可
能性はそれほど高いとは思えない。
 また、これを事件の一般的性質に照らして考えても、A1の供述のままでは、腑
に落ちないことが多過ぎる。例えば、強盗犯人が、金品の要求を一切しないでいき
なり銃撃行為に出たということ、抵抗の予想されない女性のB1を先に銃撃し、後
で男性のA1を銃撃していること、当初から意図したかどうかの問題はあるが、結
果的にB1については頭部を銃撃し、A1については足を銃撃するにとどめている
こと、銃撃後その相手方であるA1から金品を強奪しようというのに、凶器をあえ
て自動車の中に放り込み、素手でA1に近寄ったとされていること、強盗が紙幣を
まき散らして立ち去っていること、A1車の中にあって金品の入っていたバッグを
盗まずそのままにして立ち去っていること等は、いずれも強盗らしくないのであっ
て、A1の主張は相当に疑わしく、このような銃撃現場の状況からすると、その場
から走り去った白いバンに乗車していた人物がB1とA1を銃撃した可能性の方が
はるかに高いと判断される。それでは、バンに乗っていた人物とA1との関係はど
のように判断されるか。その点は、まさに銃撃時の状況だけでなく、関連するすべ
ての情況事実を照合して、総合判断すべき事柄である。
 第一一 A1の供述の虚偽性について(検察官の主張する情況事実 六)
 検察官は、銃撃時の状況に関するA1の供述には明らかに虚偽がある、すなわち
A1は銃撃犯人としてグリーンの車で来た人物を持ち出すことによって、その反面
として、本件発生当時、現場に停車していたことが明らかな白いバンのことを記憶
していないと述べて隠している、これは明らかに虚偽供述であり、そのことはとり
もなおさず、A1が白いバンで逃走した人物と共謀して同人に銃撃を敢行させた首
謀者であることを示しており、この点はA1の犯人性を推測する上で重要な情況事
実と評価すべきである、という(検察官当審弁論要旨五五頁)。原判決がA1の犯
人性を認めるに当たって大きな根拠にしたのもこの点であった。
 一 まず、事件当日の事情聴取の段階で、G8捜査官からA1に対して、「白い
バンはいなかったか。」との確認がされたと認められる。このことは、G8が原審
証言中で、同人が事件発生直後にその旨A1に尋ねたのに対して、A1は、そのよ
うなバンはいなかったと言い、供述を避けて話題を変えた感じであったと、そのと
きのことを具体的に述べていることによって、明らかである(151―1882,
152―1949)。A1は、事件直後にバンについて聞かれたことを否定する
が、警察官G4がF3八階に赴いて目撃者らからの事情聴取をし、白いバンの情報
を得て、これを捜査情報として流していたことが認められるから、そのことは当然
G8捜査官にも伝わり、同人の前記質問になったとみるのが自然だと思われる(な
お、同捜査官は、一二月四日のa1警察での事情聴取時にもその点をA1に質問し
たというが、当日は録音機の調子が悪く、録音終了後にこの点を尋ねたというので
あり、確認できない[151―1910])。こうして、A1は、白いバンについ
て記憶がない旨当初から供述していたと考えるべき状況にある。
 そして、本件現場で、白いバンがA1の目にはっきり認識できる状態で現場に停
車していたことは明らかである。現場駐車場に白いバンとA1車のどちらが先着し
ていたかは別としても、両車が到着後、並んで停車していたことは間違いないし、
A1が銃撃された時点でも停車しており、その後で走り去ったと認められるからで
ある。また、バンが走り去る前に、A1は、駐車場周辺で写真を撮るため動きまわ
っていて、そのときに撮ったA1写真ナンバー13には、このバンと思われる車両
の一部が写っているから、動きまわる過程では当然このバンが目に入っていた筈と
思われる。目撃者のほとんどの者がこのバンに気づいていたのもそのことを裏付け
ている。
 それでは、この白いバンが、客観的には視野の範囲内にあるのに、A1の記憶に
強く残らないことがどの程度ありうることと考えられるか。
 記憶に残りにくい事情としてまず考えられるのは、b1通りでも本件オフセット
駐車場付近では、道路両側に路上駐車車両が多数連なっていたから、本件の白いバ
ンがもしそうした路上駐車車両の一台であった場合には、目立って記憶に残らない
ことが考えられないかである。同所付近の道路に路上駐車車両が連なっている状態
については、事件発生直後に撮影されたG9写真(二、四、六枚目の背景部分[甲
一四、一五])やその後の平成三年一月に行われた実況見分時の写真(写真撮影報
告書[五五一号証]。ただし、この時点では、道路沿いに建物等が新築されて、事
件発生時と条件が同じではない。)によって明らかであるが、このように多数の路
上駐車車両が連なっている中にそのうちの一台として含まれていただけであれば、
記憶に残らない場合があり得るのではないかという点である。目立たない車まです
べて記憶しているとは限らないからである。次に考えられるのは、そのバンに乗っ
て現場へきた人物が本当は銃撃していた場合でも、その人物がこのバンから下車す
るところをA1が目撃しておらず、銃撃と関連づけて印象に残らなかった事情はな
いかの点である。バンの荷台から銃撃したり、その荷台のドアを開けてバンの西側
に降り立って銃撃した場合であれば、その様子をA1の位置から目撃できた筈と考
えられる。しかし、もしバンから下車した人物が、目撃者供述の一部にあるように
(目撃供述の中には、銃撃後にバンの周りを回ってバンに乗込むところを目撃した
のではないかと思わせるものがある。)、バンの後方等を回ってバンの西側に現わ
れた場合には、A1の目には、その人物がバンから下車してきたのかそうでないの
かはっきりと意識されず、銃撃犯人がバンの周りから突然現われたとの印象だけが
記憶に強く残り、バン自体の記憶が強く残らないことが考えられるかという点であ
る。
 しかし、いずれの場合も、現実の可能性が高いとは思えない。A1は、B1と自
分が銃撃された時点でその人物を明確に認識していた筈であるし、例えば銃撃後そ
の人物がバンの東側に回り込んで姿が見えなくなったとしても、間をおかずにバン
が発進し、その後で付近にその人物の姿が見えなくなれば、事態の流れからみて、
その人物がバンに乗って立ち去ったと理解され、同車のことが印象に刻まれたであ
ろうと思われる。銃撃をした男が車の向こうに消えて見えなくなったころに、グリ
ーンの車が現場付近をことさらゆっくり通過したため、双方の印象が結びついて、
記憶に誤解・混線を生じる余地が希にないとはいえないかも知れないが、本件の場
合、A1は、グリーンの車から男が二人下車し、細長い物を車内に投げ入れてから
A1に近づいたと述べ、犯人が下車したところがら目撃していたように述べている
し、またA1車の後方にグリーンの車は停まっていて、そこから北に向けて逃走し
たと述べて、白いバンが南に向けて発進したのとは逆方向を指して述べているから
である。ただ、この時点のA1は、被弾した直後のためか、非常なパニック状態に
あったものと窺える。そのことは次の点からも分かる。例えば、A1は事件後a1
警察に赴いて供述しているが、その中で、本件駐車場西側の端に金網フェンスがあ
ったことも記憶がないと述べている。現場で写真を撮ろうとして、駐車場西端にあ
った金網フェンスに沿って移動していたのであるから、フェンスのことを覚えてい
ない筈はないと思えるのに、格別意味のあることとも思えないフェンスについて、
覚えていないと述べているからである。この供述がもしA1のこのときの記憶どお
りであるとすると、記憶に混乱が生じているとしか考えられない。A1は、銃撃後
の状況については、立ち去って行くグリーンの車の尾灯の印象と、偶々現場を通り
かかった年輩の女性に助けを求めたのに応じてもらえなかったときの模様を特に印
象深く記憶し、強調して述べている。当時大腿部にライフル弾を受けて負傷し痛み
をこらえていたA1の身にとっては、犯人がともかく立ち去りほっとしたというこ
とと、何よりまず救助を求めたことが鮮明に記憶されていることは一応合理的とい
える。しかし、フェンスについての記憶が右のとおりであったとしても、白いバン
についての記憶がこれと同様に欠落したとは直ちには推測できない。
 二 白いバンの人物がA1の共犯者であったとの考えに対して生じる大きな疑問
は、A1写真ナンバー13に白いバンの一部が写し込まれていることの意味につい
てである。もし、このバンにA1の共犯者が乗っていて、そのため事件後A1とし
ては共犯者の存在を捜査機関に悟られないようこのバンのことを覚えていないと言
って隠しているのであれば、事件発生前にB1と一緒に本件現場付近を動きまわっ
て写真撮影をしたときにも、A1としては、共犯者の乗っている白いバンが写真に
写し込まれて、事件後警察の手に渡るおそれのあるような撮影行動は、用心して極
力避けた筈ではないかと思われる。ところが、A1は、B1にカメラを渡して、白
いバンが当然写し込まれると考えられる方向や位置に自ら動いて行き、そこをB1
に撮影させ、それがA1写真13となっているのである。この写真では、偶々、バ
ンのウィンドーピラーやドアフレームの一部だけが写るだけに終わっているが、カ
メラを手にしていたのはB1であるから、そのカメラアングルは専らB1の判断に
任されていたと見なければならない。ファインダーをのぞいていたB1が撮影角度
を多少でも左に振れば、白いバンが車体部分まできっちり写し込まれるのを避け難
い状態にあり、逆に言えば、A1写真ナンバー13にバンの一部しか写し込まれな
かったのは、全くの偶然でしがなかったのである。そこで、もしバンにA1の共犯
者が乗っていたと仮定した場合、A1のとったこの行動はあまりにも不要心、無警
戒過ぎると考えねばならない。本件発生前の白いバンに対するA1の意識がこのよ
うに無警戒であったのに、事件発生後には一転して、バンに気がっかなかつたとい
って不自然な形で隠蔽に努めるというのでは、銃撃を境にしてその前後のA1の態
度があまりに不統一過ぎると考えざるを得ず、本件のような犯行を周到に準備して
計画したのと同一の人物が示す行動としては、不自然過ぎて首肯できない点が多
い。また、A1の弁護人は、もしこの白いバンが銃撃現場に死角を作るために配置
された遮蔽物であったとするならば、それが人の目に触れていることは、A1の意
識の中では、当然織り込み済みのこととなる筈であるから、そのバンのことについ
て、これを見たのに見ていないといって隠すことは、ことさら疑いを生じさせるだ
けであり、A1の対応として考えられない、ともいう。必ずしも理由のない見方で
はないが、反面、バンの関与が事実であれば、そのことをすべて積極的に認めると
ばかりもいえないであろう。
 三 次に、A1は、一一月二三日、病院でのa1警察からの事情聴取時に、犯人
の暴行によってシャツを引き裂かれたと説明し、犯行当時着用していたシャツを捜
査官に手渡したが、そのシャツから取れたボタンが、一一月二五日にa1警察の実
況見分の際、A1が説明した付近から発見された事実が認められる。また、同じ場
所付近に、A1が着用していたサングラスのフレームや割れたレンズが落ちていた
ことも、事件直後に撮られたG9写真によって明らかである。サングラスを落とし
た理由は犯人とのもみ合い以外にもいろいろ想定できるし、また、そのレンズが割
れていて、その材質からするとかなりの力が加えられたようにも推測され、一方事
件発生後の本件現場ではB1を救助するために多くの関係者が動きまわっていたか
ら、その過程で割れた可能性を否定できない。そうすると、サングラスについて
は、犯人から暴行を受けたとするA1の供述とすぐに結びつけて、その裏付けとす
るのは適当でない。しかし、シャツのボタン発見の経過には、A1の供述を一部裏
付ける点があるように思われる。すなわち、G8の原審供述によれば、G8らa1
警察の捜査官が一一月二三日に病院でA1の事情聴取を行った際、A1から、事件
当時犯人に胸ぐらを掴まれたという事実を新たに聞き出し、その過程で、その事実
を証明するものとして事件当時A1が着用していたというシャツの提出を受け(G
8の原審証言[151―1895]、時系列記録[甲二九七、三九八]、再事情聴
取書[甲四〇七、五六二)、その後現場の捜査、見分をしたところ、そのシャツか
ら取れて落ちたと認められるボタンを発見したというのである(G8の原審証言1
51―1895,152―1967,2030])。当審で取り調べたE32証人
は、A1がわざとボタンをちぎって現場に投棄しておいたのではないかとの見方を
述べているが、A1の供述経過、ボタンの発見過程には格別のわざとらしさは見当
たらない。もし、A1が、被弾直後の混乱した中で、偽装工作として、ことさらボ
タンをちぎり取って現場に投棄してきたのであれば、同人の性格からみて、二三日
にシャツを提出するより以前に、数回にわたって事情聴取が繰り返された過程のど
こかで、そのことを自分から持ち出し、強調して主張していてもよさそうに思われ
るし、マスコミからインタビューを受けたようなときに述べていてもよさそうなも
のと考えられるのに、そうした事情は見受けられないからである(シャツを提出し
た経緯についてはA1の原審公判供述[187―10299])。
 四 A1供述の虚偽性と指摘されている白いバンに気づかなかったとの点につい
て、A1の立場に立って考えれば、以上のような弁解の筋道になるであろう。その
中には、ある程度理由があると思われる点がないではなく、そのことについても述
べたとおりである。
 しかし、そうではあっても、事態を普通の感覚で見れば、A1が自分の車のすぐ
隣に停車している車体の大きな白いバンのことが全然記憶に残らなかったというこ
とは考えにくい。たから、バンのことを覚えていないという同人の供述は、総合的
に考えれば、虚偽供述である可能性の方が高いとみるのが自然である。そのことを
前提として、検察官は、もしA1が銃撃犯人と無関係であれば、右の点について虚
偽の供述をする必要はなく、逆にグリーンの車のことを強調するなどして虚偽の供
述をするということは、白いバンの存在や白いバンで立ち去った人物と何らかのつ
ながりがあり、その車や人物のことをことさら隠蔽する意図を有しているからだと
理解すべきである、結局右の事実は、本件の場合、A1の犯人性を示しているとい
う。ことさらな虚偽供述であることに間違いなければ、そのような虚偽供述をする
のは、A1と白いバンで立ち去った人物との間につながり、すなわち共謀があった
からであるというのが最も分かりやすい推測であり、A1の犯人性を示す情況事実
の一つと理解できる。しかし、白いバンの記憶がないと言ったり、否定したり、あ
るいは黙秘したりした場合に、そのことが信用できないというただそれだけの理由
で、A1が白いバンの人物と共謀していた事実を断定してよいとすることには問題
がある。先に述べた疑問が解消できていないのであるから、最終的な結論を下すに
は、以上に述べたすべての情況事実と照合して検討しなければならない。
 第一二 殺人の予備的訴因についての結論(情況事実を総合しての結論)
 そこで、以上に述べた個々の情況事実を相互に照合し、総合的に検討する。
 妻にかけた高額の保険金を取得する目的で、犯行の露見しにくい外国へ妻を連れ
出し、そこで共犯者に銃撃させて保険金を独り占めにしたとされる本件銃撃事件
は、もしそれが真実であるとすればいかにもおぞましい犯行であって、その責任が
極めて重大であることはいうまでもない。ただ、本件の場合、真実はそのとおり間
違いないのかどうか、また有罪認定を支えるに足りる確かな証拠があるのかどう
か、その点をまず検討する。
 本件は、総じて明確な証拠に乏しく、専ら情況証拠を組み合わせて全体像を推認
する以外には手がない微妙な証拠関係にあるから、事件の評価を云々する前に、ま
ず証拠によって事実関係を確定しておかねばならないからである。
 一 A1の犯行関与を疑わせる情況事実
 まず、A1の犯行関与を疑わせる情況事実として、次の諸点を挙げることができ
る。
 1 最も注目されるのは、本件動機の形成に関連して、本件の約三か月前におこ
った殴打事件を通して認められるA1の犯意との関連性の点である。
 殴打事件へのA1の関与の有無とその程度等を本件で取り調べた関係証拠に基づ
いて点検すると、右の殴打事件は、A1が、保険金取得等の目的で、女友達のD5
にB1殺害の計画を持ちかけて応諾させ、A1が持ちかけた筋書きどおりに同女に
実行させたものであって、その経過は、A1の否認供述にも関わらず、覆い難いと
認められる。そして、このときのA1の行動には、B1殺害の犯意が込められてい
たと理解するほかはない。当時のA1は、B1と結婚してまだ約二年しか経ってお
らず、二人の間に長女E34をもうけてもいたから、そのような関係にある妻に対
して、このような悪意に満ちた犯行計画を抱くとは通常ならば容易に考えにくい。
それだけに、関係証拠を注意深く検討したが、その結果によっても、右の事実は明
らかであり、ほとんど疑う余地がないと考えられる。
 このように、殴打事件発生時のA1にはB1殺害の意図があったと認定するほか
ないことと関連して、二、三の点に触れておかねばならない。その一は、A1が、
殴打事件発生の数ヵ月前の時期に、前述したとおり、D2、D3らA1周辺にいた
複数の人物に接触を求めて、保険金殺人の共犯者探しではないかと疑われかねない
ような、普通ならば口にすることのない物騒な話を持ちかけて相手方の感触を探っ
ていた経過がある事実である。打診されたこれらの者達が、打診された場面の情景
や打診された内容について述べるところは、いずれも具体的、特徴的であるだけで
なく、相互に類似性を持っていて、そのような内容の打診があったこと自体を疑う
余地はないとみられるのに対して、これを否定するA1の弁明は、全体を暖昧に否
認するだけで、いかにも陳腐な言い訳としか受け取れない。ただ、これらの者達に
打診された犯行計画の内容は、誰に対して、いつ頃、何を実行しようとするのかが
明確にされておらず、まだ具体性に欠けているから、それが単なる話だけで終わっ
ておれば、いずれもそれだけの話と受け取ることができなくはないとしても、その
後これとあまり間を置かない時期に殴打事件と銃撃事件が共にA1の周辺で相次い
で起こってみれば、この話が持つ意味合いは自ずから別に考えざるを得なくなる。
やはり、右の打診経過は、殴打事件発生時のA1に前記の意図があったこと、それ
は周辺の者達に対して右のような打診を繰り返し、それが受け入れられなかったた
めに、最終的には女性のD5を抱き込んで実行された経過を自然に納得させ、犯意
の形成過程を補強しているとみられることである。その二は、弁護人らが、A1に
は本件のような犯行を犯す動機がなかったといい、その理由として、A1は妻B1
に対する愛情を失っていなかったこと、C1の経営は順調であって、妻を殺害した
り、同時に自分の身体を銃撃させることまでして保険金取得をはからなければなら
ないような逼迫した資金状態にはなかったことを指摘している点についてである。
しかし、関係証拠上、殴打事件へのA1の関与及びそこにB1殺害の犯意が込めら
れていたと理解するほかないことが前述のとおりである以上、弁護人主張の右の点
は、その実情がどうであれ、前記の判断に影響を及ぼすものではないとせざるを得
ない。念のため付言すると、弁護人主張の二つの点を更に検討したところでは、C
1の経営は比較的順調で、経営資金の調達に苦慮しているとか、まして自らの身体
を銃撃被害にさらす危険を冒してまで保険金の取得を図るほかない逼迫した状態に
あったわけではなかったことは、先に述べたとおりである。したがって、この点に
通常ならば殺人の動機として納得できるほどの事情があったとはいえない。しか
し、妻に対する愛情を失っていなかったとの点については、弁護人主張のようには
認められない。関係証拠によれば、A1の女性に接する態度はかなり独特で、例え
ば妻以外に何人もの女性と並行的に性的関係を持ち、ときには複数のカップルが一
緒に性交渉を持つことも意に介さない感覚のようであって、一般的基準からすれ
ば、極めて乱脈、人として無節操過ぎたことが明らかである。女性との性交渉を刹
那的な遊び感覚で割り切り、相手にする女性を次々取り替えることに罪障感を持つ
ことはなかったようであるが、A1のこのような女性観は、普通人の基準とは大き
く異なっていると思われる。A1が仮にB1に対して愛情を失っていなかったと自
分では思っていたとしても、そこにあるのは通常人が持つ裏表のない誠実な愛情と
は大きく異なった感情であって、心の底に潜む問題性をA1が自分で感じ取ってい
なかっただけのことと思われる。当時のA1の普通でない女性関係を直視すれば、
妻や子供への愛情を失っていなかったとか、だから本件犯行の動機がないと判断す
ることは到底できず、この点は前記の判断にかなうことはあっても、その妨げとな
るものではない。
 次ぎに、A1の弁護人は、殴打事件の内容をそれとは別の本件裁判手続の中で評
価するのは不当であると主張する。殴打事件についての審判が、それ自体どのよう
に決着すべきかは、同事件の裁判手続に委ねられるべき事柄であって、その意味で
は、その事件の審理と必ずしも証拠関係が同じであるとは限らない本件の審理手続
内で、殴打事件の事実を認定したり、その事件について判断したりするのは、適当
でなく、またそうする積もりもない。ただ、本件と殴打事件とは発生時期が近接し
ているほか、関係者も同じという共通事情があるため、本件の犯意形成過程は殴打
事件のそれとかなりの部分が実質的に重なり合い、密接に関連している。そうであ
ればこそ、本件審理の一環として殴打事件関係の主な証拠が取り調べられたのであ
った。だから、殴打事件について認定・判断するためではなく、本件発生時のA1
のB1に対する犯意を認定する必要上、そこへ至るまでの間のA1のB1に対する
感情とその変遷を審理し、それに基づいて本件当時の犯意の有無を直接推認するこ
とはむしろ当然であって、何ら不当なことではない。
 2 右のとおり、本件発生約三か月前の時点で、A1に妻殺害の意図があったこ
とを否定できないとすると、A1のそのような意図は、殴打事件が未遂に終わった
からといってすぐ消失するという性質のものとは思えない。だから、三か月後の本
件銃撃事件発生時にも、A1の心の奥底にはこのような犯意が消えすに潜んでいた
筈で、周囲の状況如何によっては、いずれかの時点で再び浮上し、具体的な行動と
なって顕在化してもおかしくない状態にあったと考えられる。したがって、殴打事
件の三か月後に本件が起こっているという両者の時期的な近接性、また両事件とも
日本を遠く離れ、一般的には摘発されにくいと判断される外国のa1で、しかもい
ずれもA1が被害者を伴って行った機会に、B1の身の上に起こっているという事
実は、偶然というにしてはあまりに偶然過ぎるとの感を抱かせる。そのような観点
から両事件を眺めてみると、右のほかにも、例えば殴打事件に関してA1がD5に
指示したとされる事項の中で、殴打後はB1の所持品を室内にばらまいて強盗を装
うことが含まれていたとされる点等は、本件においてB1銃撃後、ポシェットの在
中品が付近にまき散らされていたのとどこか共通しているように感じられるし、ま
た、強盗という外形を取りながら、ねらいはB1への重大な殺傷行為にあるとみら
れる点も共通しているのではないかと感じられる。こうしてみると、両事件を関連
した出来事と考えた方が事件の流れとしては理解しやすい一面があることを否定で
きない。
 3 犯行現場へA1がB1を連れて行き、自動車から降りて付近で写真を撮りあ
ったりしていた間にA1が手を挙げたりしたことがあったことは、おおよそ検察官
主張のとおりであったと認められる。しかし、これらの行動は、それだけではB1
殺害の意図を示す行為とは受け取れない。殺害意思などのない普通の夫婦が、市内
観光をし、写真を撮りあう場合にも、普通にあり得る類の行動ばかりだからであ
る。したがって、これらの行為を根拠として、A1にB1殺害の意思があったとす
るのは到底無理というべきである。
 そこで、銃撃状況についてみると、銃撃犯人は、現場付近に停車していた白いバ
ンやその周辺からB1やA1を銃撃することは客観的に可能であり、目撃状況にも
合う点が多いと考えられるのに反して、グリーンの車に乗ってきた人物に銃撃され
たというA1の説明には疑問点が多い。この説明どおりに銃撃することは、銃撃位
置の点からみて、白いバン付近からの銃撃に較べればはるかに困難と認められる
上、グリーンの車は現場付近を低速で通り過ぎたが停車したことはなかったとか、
同車から下車した人物もいなかったという目撃者らの供述とも符合しない。したが
って、この点は、検察官主張のとおり、銃撃現場から白いバンに乗って走り去った
人物によって銃撃が行われた可能性の方がはるかに高いと判断される。しかし、そ
れ以上のことは具体的には全く不明であり、特にA1の大腿部への銃撃がどのよう
にして行われたか、それは本当に偽装のためわざと銃撃犯人に撃たせて行われたと
いってよいかという点になると、証拠上はなんともいえない。
 4 犯行時ころ、現場に白いバンが停車していたことは目撃者らの供述によって
明らかであるところ、A1は、そのバンのことをおぼえていないと述べ、代わりに
前記グリーンの車から下車してきた人物に銃撃されたと述べている。しかし、普通
の乗用車とは大きく異なったこの白いバンの外観、A1車のすぐ左側に接するよう
に停車していた位置関係、A1が付近を歩きまわり、写真を撮るなどしていたとき
にその視野に入っていた筈と思われること等の諸点からみて、A1がこの白いバン
のことを覚えていないというのはいかにも納得できず、その点の供述には大きな疑
問がある。A1はA1写真13に白いバンの一部が写っていることについては特に
否定せず、したがって客観的には現場付近に白いバンが停まっていた状況は前提と
した上で、しかもなおこのバンについては記憶にないと述べるのであるが、そうな
ると、A1がグリーンの車から下車してきた強盗による被害を強調するのは、ある
いはそのように述べることによって、白いバンについての供述をことさら避けてい
るのではないかとの疑いを生じる。一般に、虚偽供述の趣旨は多義的であるから、
覚えていないといって否定したからといって、それはことさら隠したのであるとす
ぐに判断できるものではないが、右の場合には、A1が白いバンの男と事前に意思
を通じていたから否定したのではないかというつながりが最も考えやすく、A1の
犯人性を疑わせる点がある。検察官が掲げる情況事実の中では最も重要なものの一
つと考えられる。
 しかし、その点の検討に当たっては、更に次の二つの点を考慮に入れておかねば
ならない。その一は、もしA1が白いバンのことを覚えていないと述べたのはバン
の人物と共謀していたからであり、何としてでもバンの存在を隠そうとしたためで
あるというのであれば、次の点はどのように理解すればよいか。すなわち、A1写
真ナンバー13にはA1と並んでこのバンの一部が写っているが、もしA1が、本
件発生後にこのバンのことをことさら隠そうとしたのであれば、同人としては、当
然、事件前に現場付近でB1と写真を撮りあっていたときにも、このバンが写真に
写らないように注意していた筈であり、少なくとも、バンが写りそうな位置、方向
に自分が立って、その自分とバンとを一緒にB1の手で写真に撮らせるような不用
意な行動は、A1としては避けていた筈ではないかと考えられる。ところが、A1
は、実際にはそのような位置、方向に立ってB1に写真を写させており、その際、
カメラアングルをもう少し左に振ってバンの車体全景を写し出すかどうかは、専ら
B1の選択に委ねていたことになるが、A1の事件前後でのこのように不統一な態
度は、検察官が主張する本件犯行の計画性、用意周到性に照らすと、不自然過ぎる
のでないかと思われる点である。その二は、A1がグリーンの車の強盗から暴行さ
れたと述べている位置付近から、A1の弁明を裏付けるかのように、シャツからと
れたボタンが二個発見されている事実である。ボタン発見の経過には何ら疑問とす
る点は見当たらないが、そのことを前提として、何故シャツのボタンが取れ、この
場所に落ちていたかについて、検察官は納得できる説明をしていない。警察捜査の
取りまとめに当たったE32証人は、当審証人として、A1がボタンをちぎって投
棄してきた疑いを指摘している。一つの見方ではあるかも知れないが、証拠上全く
根拠がないことも事実である。これらの疑問を考慮することなく、A1が白いバン
のことを覚えていないといって否定する等したのはバンのことを隠すためであった
に違いないと断定してよいかには、なお疑問が残る。
 5 検察官は、A1が殴打事件への加担をD5に働きかけた際、同女を説得する
手段として、本件と類似性のある殺害方法を持ち出したことがあった旨指摘し、強
調している。もし、A1がD5に対して、「B1を銃撃した後、A1の大腿部も銃
撃しておけば発覚しない。」というような、本件犯行と外形的な特徴が酷似する犯
行方法を持ちかけていたことがD5の供述どおりであったとすれば、本件がおこる
数か月前に、すでに本件と同様の特徴を持つ事件の発生を予告していたとみられる
ことになるから、A1の本件への関与を強く推測させる情況事実になると考えられ
るのは当然である。しかし、その点に関する同女の供述内容と供述経過を点検して
みると、犯行予告と受け取ってよいほどの言動があったとまでは認められない。す
なわち、同女の供述によると、A1がD5に対して殴打事件への加担を持ちかけた
際、考えられる殺害方法として、ナイフの使用等と並んでピストルの使用はどうか
と持ちかけたことがあることまでは、同女が捜査官に対する供述の最初の段階から
述べているとおりであり、その点は信用してよいと思われる。しかし、同女の捜査
官に対する供述は、すべて、銃撃事件が起こり、殴打事件を含むa1疑惑事件全体
の概要が世間に知れ渡って大騒ぎとなった後で、マスコミ報道を気にしつつなされ
たものであり、特に、D5は、供述を始める前、まず殴打事件に関与したことを思
い悩んで周辺の者に相談し、その結果できるだけ自己の責任転嫁を意図して、事実
関係を自己に都合がよいように修復して述べはじめた経過があったから、すべてを
記憶どおり、正直に供述しているか疑問な点が多い。同女の供述内容は、右のよう
な自己弁明の必要から、A1の働きかけが強く、同女としては応諾せざるを得なか
ったとか、同女が関与した犯行手段はハンマーの使用までで、それ以上のナイフや
ピストル使用については、持ちかけられたが断った等の点を、どうしても実際以上
に強調しがちな供述環境にある。殺害方法の例示として、ナイフ使用とかピストル
使用の話題が出たこと自体は疑いがないとしても、D5がその方法は自分にはでき
ないと言って断った後、A1がナイフの使用については話を切り上げておきなが
ら、ピストルの使用についてだけことさらこだわり、これで自分の大腿部を撃つな
どという方法についてまで詳しく話して聞かせたとは、ことの自然な成り行きから
みて、考え難い。普通の日本人女性にとってピストルの使用が現実的でないことは
初めから分かり切ったことであるのに、その点についてたけこたわったというのは
不自然過ぎると感じられる。結局、殴打事件への加担を持ちかけられた当時、「B
1を銃撃した後、A1の大腿部も銃撃しておけば発覚しない。」と言って持ちかけ
られたとするD5の前記供述は直ちに信用できず、そのような方法で依頼されたと
の事実までは認定できない。
 二 A1の犯行関与に疑問を感じさせる事実
 A1の犯人性を判断するに当たっては、A1の本件関与を疑問ではないかと感じ
させる次のような事実がある点を考慮しなければならない。
 1 まず、A1は、殴打事件が未遂に終わった後、同事件のことが表面化するか
否か全く見当もつかない時点で、再度前記の犯意を顕在化させて犯行を計画し、か
つ共犯者の選定をはじめとする一連の犯行準備をするだけの時間的余裕があったと
考えて本件証拠上無理がないかどうかの点である。
 本件は、検察官の主張によれば、単に共犯者をしてB1を銃撃させれば終わると
いう犯行ではない。引き続いてA1の身体の一部をねらい、しかも予想外の重大な
ダメージを与えないように注意した上で銃撃させなければならない、という犯行で
ある。したがって、そのような行為を手元の狂いなく行うことができる腕前の共犯
者を見つけなければ成り立たない態様の犯行であるといえる。ところが、本件で
は、肝心の共犯者が解明されていないだけでなく、その見当もついていない。検察
官は、氏名不詳の外一名が共犯者であるというが、本件は共犯者自体は具体的に把
握されていて、単にその名前その他これを特定するのに必要な事項が不明だという
事件ではない。共犯者自体が皆目見当がつかない状態にあるのである。そして、証
拠関係を通覧すると、疑問の多くが共犯者の有無に関連して生じていることが注目
されるのである。
 まず、A1の周辺に共犯者となりうべき人物が証拠上ほとんど見あたらない。検
察官は、共犯者の嫌疑が最も濃厚な人物としてA2の名を挙げ、他にはA2に匹敵
するような嫌疑のある人物は見当たらないから、A2こそが共犯者に相違ないとの
立証活動を原審以来行ってきた。しかし、その最も嫌疑が強いと主張されたA2に
ついて、原審は証拠不十分とし、当審においてもその点の判断に誤認はないと判断
されることについては先に述べたとおりである。そこで、検察官は、予備的訴因を
掲げ、氏名不詳の誰かと共謀したと主張するのであるが、それはまさに検察官がこ
れまでの立証の中で、A2に匹敵する嫌疑の強い人物は見当たらないとしてきた点
なのである。本件の立証には、共犯者という肝心の点が不明で、全く欠落している
のである(検察官は控訴趣意中[九三頁]で、殴打事件が失敗した時点で、A1が
共犯者とするに脈があると思っていた人物が残っていたとするなら、その人物が共
犯者となった可能性が高く、A2はそのような人物の一人であり、しかも、右の時
点で、そのような人物はA2のほかにはほとんどいなかったものと推量される、と
主張している。)。
 2 A2の関与が立証不十分とされても、なおA1の犯行関与の事実だけは明白
だというためには、少なくとも、共犯者は誰であれ、A1が犯行に関与したことは
間違いないことを示すよほど確かな証拠が必要だと考えられる(前記第一部第二の
4参照)。もし、A2の関与事実が認められるときには、共犯者の範囲もこれによ
って自ずから限定され、同人に実行を依頼した者がいるとすればそれはA1ではな
いかと納得されやすいのに反して、A2の関与事実が否定されるときには、A2を
基点にして対象者の範囲を事実上限定する効果は期待できなくなるから、氏名不詳
の誰かにA1が実行を依頼したとの事実を認定するためには、相手方が誰であれA
1が依頼をした事実に間違いがないことをはっきり示す証拠が必要と考えられるの
である。しかし、検察官が立証しようとした各情況事実についての検討結果は前記
のとおりであり、その中には、A1の本件への関与をかなり推測させる事実もある
が、なお、重大な疑問を抱えたままで十分解明されていない点もある。加えて、A
1には、次に述べるとおり、共犯者との間で共謀をする十分な機会が少なく、また
現実に共謀をしたことを示す形跡がほとんど認められないのである。
 3 もし、A1が、殴打事件後に、再度本件のように手のこんだ態様の犯行を計
画すのであれば、まず適切な共犯者を選定し、その共犯者との間で、犯行手順の相
談、犯行場所の選定、自分を撃たせる銃器の威力、足のつかない調達方法、犯行に
当たって目隠しに使うバンの借り出しとそれを現場に配置してする死角範囲の確
認、報酬額と支払方法など多くの事項について、あらかじめ綿密に打ち合わせてお
かねばならなかった筈であろう。ところが、関係証拠によれば、殴打事件後のA1
は、本件前には、九月に一度渡米したことがあっただけであるから、その共犯者が
アメリカにいたとすると、その者との間で謀議をする余裕はほとんどなかったよう
にみえ、もとより、現実に謀議をしたことを窺わせる痕跡は全く認められない(こ
の点に関しては、検察官も、控訴趣意中、共犯者はA1が共犯者物色過程で念頭に
置いたことのある人物であると主張する文脈の中[六五頁]で、A1がa1に居住
していた共犯者に会えたのは、殴打事件失敗後帰国するまでの八月の一週間と九月
の渡米時の約一週間しかなかったのであるから、それまで念頭になかった人物にこ
れほど短時日のうちに働き掛けて殺人に引きずり込めたとは、現実の問題として到
底考えられない、といい、本件のような共謀がたやすくできるものではないことを
認めているのである。)。かえって、A1は一〇月にC1の社用で渡米の必要が生
じたときにも、従業員を渡米させて、自らはタイペイに出張しているのである。日
本に住むA1が、アメリカで本件のような犯行の実行を計画するにしては、これで
はどうみても謀議の機会がなさ過ぎる。国際電話による謀議だけでことが運ぶとは
考えられないが、念のため電話の架電記録をみても、通話相手、通話時間、架電時
間帯、架電場所等は前述したとおりで、およそ共謀を疑わせるような通話状況は認
められない。
 検察官は、本件前日のa1到着後に最終謀議をしたかのようにいうが、これだけ
の込み入った事件の謀議を、事件前日になってから、短時間の間に行うことができ
るとは到底考えられないたけでなく、もし検察官が主張するように最終謀議が欠か
せなかったとするならば、犯行日を翌日に設定しないで、もっと先の謀議のために
時間的余裕がとれる時期に設定していそうなものと思われるのに、事件は翌日に起
こっているのである。
 A1は、殴打事件を計画したときには、D5との間で、何度も謀議を重ねている
のに、それよりはるかに犯行態様が込み入った本件について、謀議を重ねた形跡が
全く認められないのは頷けない。また、渡米経過をみても、B1の通訳としていと
こを帯同することを承諾したと思われる事実や、従業員の結婚式出席のために当初
の出発予定日を簡単に変更したりした経過があって、共犯者との共謀によってあら
かじめ犯行日程が決められ、これに沿って行動しているようには理解できないので
ある。このようにみてくると、本件当時、A1の心の奥底に殴打事件以来のB1に
対する加害意思が消失しないで潜んでいたと仮定しても、それを本件当時に顕在化
させて犯行を計画・準備したとすることには大きな疑問を持たざるを得ない。そし
て、犯行に使用されたライフル銃の調達、処分等も一切不明であるだけでなく、犯
行への加担報酬と認められるような金額を支出した事実も認められない。
 三 結論
 検察官主張の情況証拠をくまなく、かつ、何度も繰り返して検討した結果は以上
のとおりである。これによれば、A1について本件犯行への関与を疑わせる情況事
実をある程度認めることができ、またその嫌疑の程度は、A2の場合より格段強い
といえる。したがって、検察官がこれらの証拠に基づいて、A1が本件銃撃事件に
関与した事実は間違いないと主張し、原判決がこの主張を認めたことにも一応の理
由が認められないではない。しかし、重要な点について今なお未解明の部分か多い
ことも上述してきたとおりであって、検察官が主張するような、銃撃犯人は不明で
もその氏名不詳者とA1との間に共謀が成立していたことやA1がその者に銃撃を
行わせたことは間違いがないと認めさせるに足りるだけの確かな証拠は見当たら
ず、結局殺人の予備的訴因についても、まだ合理的な疑いを残さない確かな立証が
されたとはいえないと判断するほかない。
 第五部 A1に関する自判(その二。その他の事件について)
 第一 銃撃事件に関連する詐欺の訴因について
 A1に対する昭和六三年二月一九日付け追起訴状記載の各詐欺の事実及び同年一
二月一六日付け追起訴状第一記載の詐欺の事実は、いずれもA1がA2と共謀し
て、保険金取得目的で、B1を殺害したことを前提として、そうであるのにその事
実を秘して、強盗の被害に遭ったもののように装って偽罔したことによって成立す
る詐欺の事実であり、また当審において、右各事実について追加された予備的訴因
は、殺人の共謀者をA2から氏名不詳の「外一名」に予備的に変更したのに対応し
て、その趣旨の変更を部分的に加えたものであるところ、A1が銃撃行為に関与し
たことについての立証が、結局前述のとおり十分でないことに帰する以上、この各
詐欺の主位的訴因及び予備的訴因についても、偽罔行為の立証が十分でなく、犯罪
の証明がないと判断するほかない。
 第二 昭和六三年一二月一六日付け起訴状第二記載の詐欺の事実について
 A1の弁護人は、本件詐欺(動産保険金詐欺)に関して、(a)E1らに指示し
て商品を破損させて動産保険の保険金を請求したといっても、基本的にはすでに破
損しているため問題なく保険金の請求ができる商品について、手続がスムーズに行
くように破損を大きくしたにすぎない、破損させた商品の中に、破損していない商
品、保険請求のできない商品をわざと壊して混入させたことはない、(b)仮に保
険金請求の対象にならない商品を壊して保険金請求をした事実があったとしても、
A1はそのことを認識していなかった、と主張している。そして、A1も、保険金
の請求をする際に、破損の小さいものについて、破損の程度を故意に大きくして請
求したことは認めているが、それ以外に、故意に破損させて保険金請求をしたこと
はないと主張する。しかし、関係証拠、特にE1、E2の原審証言その他によれ
ば、次の事実が認められ、右の主張は理由がない。
 (a) C1では、輸入雑貨等を事務所、倉庫等に保管し、その商品管理は、E
1、E62らが中心になって行っていたが、右商品に関しては、輸入、C1での保
管、小売店への輸送、小売店からの返品等の各段階で生じる破損事故のうち、F2
6との間で締結した保険によって担保されるのは、契約上、C1の事務所等に存在
する商品を対象とし、同社への商品の搬入時点から販売先への引き度し時点までに
生じた事故に限られ、それ以外の運送中の破損等は担保外とされていた。
 (b) 昭和五六年ころ、右E1らは、破損商品について、その破損が製造、輸
入等のどの段階で生じたかを区別することなく、すべて倉庫内のダンボール箱に入
れて保管しておき、ある程度分量が溜まるのを待って、A1に指示を仰ぎ、虚偽の
口実を設け、まとめてF26に保険金請求をする運用を行っていた。
 (c) 昭和五六年一〇月一六日、C1は、事務所をF34ビルからF35ハイ
ツに移したが、A1は、その直後ころ、E1から破損品の処置について指示を求め
られたのに対して、事務所を移転する途中に生じた破損事故を装って保険金を請求
するよう指示し、同時に不良品やデッドストックとなっている商品についても、こ
の際壊して保険金の請求をするよう指示した。
 (d) E1は、A1のこの指示をE2に伝え、二人で移転先のF35ハイツの
庭で不良品であるパームツリ―ハットランプ等を落下させてことさら破損させ、そ
の際デッドストックとなっている商品をも同様に破損させた。こうして破損させた
商品のうち確認できるのは、不良品であったパームツリー四、五個、若干の破損が
あったパームツリー一個、同じく若干の破損があったパームテラコッター個、不良
品であったハットランプ三個、デッドストックであったカメラ一個、シルクハット
一個、ブルームーン一個である(パームツリーは、写真上は六個であるが、破損品
を入れていたダンボールの中にも数点入っていたとされているので、E1の供述に
したがって、不良品については四、五個、若干の破損があったものについては一個
と認める。シルクハットについても、写真上は二個であるが、同様の点を考慮し
て、一個と認定した。)。
 (e) その後、E2が偶然破損した旨の内容虚偽の事実を記載した事故報告書
を作成し、これをF26に対して、同社の代理店を営むE44を介して提出し、保
険金を請求して、同社から保険金の支払いを受けた。
 (g) このような方法を使って保険金を受け取ったのはこのときが始めてでは
なかった。すなわち、本件の少し前、昭和五六年四月ころ、A1から同様の指示を
E1やD3が受けて、E1がリストアップしたデッドストック商品を破損させ、こ
れを含めた形で保険金請求をして、その支払いを受けていたことがあったし、同じ
く本件後の同五七年五月ころにも、若干傷が付いている商品(プラスチックボック
ス)につき、わざと大きく壊して保険金請求をして、その支払いを受けたことがあ
った。そうした事情で、起訴事実については、関与者がすべて分かり合った上での
ことであったと認められる。
 以上の事実を認定することができる。なお、E2とE1は、共に不良品等の商品
を破損して保険金の虚偽請求をしたこと及びそれがA1の指示によるものであるこ
とを認めている。両者の供述には、A1から指示された経過内容、壊した商品の数
量とその状態等の細目に関して必ずしも合致しない点があるが、本件事実の大筋の
認定には影響はなく、右の点についてはE1が主体となって行っていて、同人の方
がこれらの経過、特に壊した商品の数量と状態などを正確に把握していたと考えら
れるから、同人の証言を基本的に信用すべきものと思われる。A1において、本来
保険金支払いの対象にならない商品について保険金を請求する認識があったことは
明らかというべきである。
 前記弁護人の主張はいずれも理由がない。
 なお、弁護人は、不良品については、買付け先にクレームを付けるなど正規の方
法で処理することが可能であるのに、それをしないで故意に壊して保険金詐欺をす
るのは不自然であるなどという。正規の手続による手間を厭い、破損品に関する保
険金の請求の中に、不良品を混入させて、金額的には多少不本意なところがあって
も、面倒な手続なしにいくらかでも資金の回収を図ろうと考えることは十分あり得
ることであって、弁護人がいうように、あり得ないこととは思えない。
 以上のとおりであって、本件の動産詐欺の事実は優に認定できるというべきであ
る。ただし、故意に破損させたのに偶然に破損したように装った商品数について
は、公訴事実がこれをパームツり―型ランプなど一一点(冒頭陳述によるとパーム
ツリー型ランプ七点、パームテラコッタ一点、ハットランプ三点と特定されてい
る。)としているので、証拠上、故意に壊したと認定できる商品のうち右に含まれ
る商品、すなわちパームツリー五ないし六個、パームテラコッター個、ハットラン
プ三個(うち、パームツリー、パームテラコッタ各一点については、E1らが壊す
前から若干傷が付いていたようであるが、その傷の程度は軽微で、値引きすれば売
れるような商品であったため、本来の破損品とは異なった形で保管されていたこと
が窺われるから、これらについては故意に破損させたものみて差し支えない。)の
限度内で認定するのが相当である。
 第六部 本件全体の結論及びA1に関する自判
 以上詳述したところにより、A1については、刑訴法三九七条一項、三七九条に
よって、原判決中同被告人に関する部分を破棄し、先に述べた理由により、同法四
〇〇条ただし書により、当裁判所において更に次のとおり判決することとし、また
A2については、検察官の控訴趣意については理由がなく、原判決が有罪と認定し
た銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反の点については控訴趣意として
何らの主張がなくその理由がないことに帰するから、刑訴法三九六条によって検察
官の本件控訴を棄却することとする。
 (罪となるべき事実)
 被告人A1は、株式会社C1の代表取締役であったが、同社所有の商品であるパ
ームツリー型ランプなど在庫品計九点(時価合計二六万五〇〇〇円相当)をその従
業員E2らをして故意に破損させたものであるにもかかわらず、これを秘し、あた
かもこれが偶然破損したかのように装って保険金名下に金員を騙取しようと企て、
昭和五六年一二月二一日ころ、東京都渋谷区t1u1丁目v1番w1号の同社の事
務所において、F26に対し、右在庫品九点を含む合計九五点のC1所有の商品
(時価合計一四八万五五〇〇円相当)がすべて偶然破損した旨内容虚偽の事実を記
載した事故報告書を右F26の代理店を営むE44を介して提出し、かねて株式会
社C1がF26との間に締結していたこれらの商品に関する動産総合保険契約に基
づく保険金の支払いを請求し、F26の管理部長S1をして、その旨誤信させ、よ
って、同五七年一月一一日ころ、C1の前記事務所において、同人から、右E44
を介して、動産保険金名下に、F26振出名義の小切手一通(金三七万一三七五
円)の交付を受けてこれを騙取したものである。
 (証拠の標目)省略
 (法令の適用)
 被告人A1の判示行為は平成七年法律第九一号による改正前の刑法二四六条一項
に該当するので、所定刑期の範囲内で、被告人A1を懲役一年に処し、同法二五条
一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、刑訴法一
八一条一項本文を適用して、原審訴訟費用中、証人D3(原審第六八回)、同E1
(同第六九回)及び同E2(同第七〇回)に支給した分は同被告人の負担とする。
 (一部無罪の理由)
 第一 起訴にかかる公訴事実の要旨
 一 主位的訴因
 被告人A1は、
 1 (昭和六三年一一月一〇日付け追起訴状記載の殺人の事実)
 「A2と共謀の上、A1の妻B1を被保険者とする生命保険金を取得する目的
で、同女を殺害しようと企て、昭和五六年一一月一八日午前一一時五分(アメリカ
合衆国太平洋標準時)ころ、同国カリフォルニア州a1市b1通りc1ブロックの
路上において、同女に対し、その頭部に二二口径のライフル銃で銃弾を発射して命
中させ、よって、同五七年一一月三〇日午前一時五〇分(日本国標準時)ころ、神
奈川県伊勢原市内所在のF7病院において、同女をして、右銃弾による脳挫傷によ
り、死亡させて殺害した」
 2 (昭和六三年一一月一九日付け追起訴状記載の各詐欺の事実)
 「A2をして妻B1の頭部を銃撃させ同女を廃疾状態に陥れたものであるのにか
かわらず、これを秘し、あたかも同女が何者かによって銃撃されたかのごとく装っ
て保険金名下に金員を騙取しょうと企て、
 第一 昭和五七年二月二三日ころ、東京都千代田区x1y1丁目z1番z2号の
F24保険相互会社(代表取締役T1)契約奉仕部奉仕課あてに、B1が同五六年
一一月一八日に同国カリフォルニア州a1市内で何者かに銃撃されて廃疾状態に陥
った旨内容虚偽の事実を記載した事故証明書兼事故状況報告書等を郵送し、更に、
同五七年三月一一日ころ、同課あてに、B1名義の保険金支払請求書等を追加郵送
した上、かねてA1が同社との間に締結していた被保険者をB1とする集団定期保
険契約に基づく保険金の支払いを請求し、前記奉仕課長U1をして、その旨誤信さ
せ、よって、同月一六日ころ、同人から、A1管理にかかる東京都渋谷区神宮前z
3丁目z4番z5号F9銀行F10支店のB1名義の普通預金口座に同女の廃疾保
険金等名下に三〇〇二万四三七円の振込送金を受けてこれを騙取し
 第二 同年三月二日ころ、同区t1u1丁目v1番w1号株式会社C1の事務所
において、F25保険相互会社(代表取締役V1)に対し、前同様内容虚偽の事実
を記載したA1名義の高度障害保険金支払請求書等を同社所属の外務員W1を介し
て提出した上、かねてA1が同社との間に締結していた被保険者をB1とする定期
保険契約に基づく保険金の支払いを請求し、同社契約奉仕部保険金課長X1をし
て、その旨誤信させ、よって、同月二四日ころ、同人から、前記F9銀行F10支
店のA1名義の普通預金口座に、B1の廃疾保険金等名下に五〇〇三万四円の振込
送金を受けてこれを騙取した」
 3 (昭和六三年一二月一六日付け追起訴状第一記載の詐欺の事実)
 「第一 A2をして妻B1の頭部を銃撃させて同女を廃疾状態に陥れ、かつ、右
A2をしてA1の大腿部を銃撃させて受傷したものであるのにかかわらず、これを
秘し、あたかも同女及びA1が何者かによって銃撃されたかのごとく装って保険金
名下に金員を騙取しようと企て、昭和五六年一二月二三日ころ、前記C1の事務所
において、F26(日本における代表者Y1)に対し、B1が同年一一月一八日に
同国カリフォルニア州a1市内で何者かに銃撃されて廃疾状態に陥り、その際ダイ
ヤモンド指輪を強奪された旨の内容虚偽の事実を記載したA1名義の海外旅行保険
金請求書兼状況報告書、及びB1が銃撃を受けた際に、A1も同様に何者かに銃撃
されて大腿部を受傷し、その際サングラスを破損した上、カメラを紛失した旨内容
虚偽の事実を記載したA1名義の海外旅行保険金請求書兼状況報告書を同F26の
代理店を営むE44を介して提出した上、かねてA1が同F26との間に締結して
いた被保険者をB1とする海外旅行傷害保険契約に基づく保険金及びかねて株式会
社C1が同F26との間に締結していた被保険者をA1とする海外旅行傷害保険契
約に基づく保険金の各支払いを請求し、右Y1らをして、その旨誤信させ、よっ
て、
 一 同五七年二月一七日ころから同年六月二五日ころまでの間、前後六回にわた
り、いずれも、C1の前記事務所において、同人らから、右E44を介し、A1及
びB1両名の治療費用保険金等名下に、同F26振出名義の小切手合計七通(金額
合計二五〇万三五七一円)の交付を受け
 二 同年七月九日ころ、右Y1らから、前記F9銀行F10支店のA1名義の普
通預金口座に、B1の後遺傷害保険金名下に七五〇〇万円の振込送金を受け
 三 同年八月三日ころ及び同月五日ころの二回にわたり、いずれも、右Y1及び
同人から依頼を受けたZ1をして、A1及びB1の両名が前記のとおり受傷した際
に治療を受けたa1市z6ストリートz7番地所在のF6メディカルセンターに対
し、右両名の治療費用保険金名下に、同社振出名義の小切手合計二通(金額合計二
万四〇四四ドル八六セント)を交付させもってこれらを騙取した」というものであ
る。
 二 予備的訴因
 (一) 前記殺人の訴因中、「A2と共謀の上」とある部分を「外一名と共謀の
上」と、「同女に対し、その頭部に二二口径のライフル銃で銃弾を発射して命中さ
せ」とある部分を「同所に白いバンで臨場した右一名において、同女に対し、その
頭部に二二口径のライフル銃で銃弾を発射して命中させ」とし、
 (二) 前記一一月一九日付け追起訴状記載の各詐欺の訴因中、「A2をして妻
B1の顔面を銃撃させ」とある部分を「外一名をして妻B1の顔面を銃撃させ」
と、「あたかも同女が何者かによって銃撃されたかのごとく装って」とある部分を
「あたかも同女が強盗によって銃撃されたかのごとく装って」と、「何者かに銃撃
されて」とある部分を「強盗に銃撃されて」とし、
 (三) 前記一二月一六日付け追起訴状第一記載の詐欺の訴因中、「A2をして
妻B1の頭部を銃撃させて同女を廃疾状態に陥れ、かつ、右A2をしてA1の大腿
部を」とある部分を「外一名をして妻B1の頭部を銃撃させて同女を廃疾状態に陥
れ、かつ、右一名をしてA1の大腿部を」とし、「何者かによって銃撃されたかの
ごとく装って」とある部分を「強盗によって銃撃されたかのごとく装って」とし、
「何者かに銃撃されて廃疾状態に陥り」とある部分を「強盗に銃撃されて廃疾状態
に陥り」とし、「何者かに銃撃されて大腿部を受傷し」とある部分を「強盗に銃撃
されて大腿部を受傷し」とする。
 それ以外は、主位的訴因と同じである。
 第二 当裁判所の判断
 被告人A1にかかる前記殺人の主位的訴因及び同予備的訴因、前記詐欺の主位的
訴因及び予備的訴因については、いずれも以上に詳しく述べたとおりの理由によ
り、合理的な疑いを差し挟む余地が残り、結局いすずも犯罪の証明がないことに帰
するから、無罪を言い渡すべきものである。
 よって、右の各事実について、刑訴法三三六条により同被告人に対し無罪の言渡
しをする。
 よって、主文のとおり判決する。
 検察官 山田弘司、三浦正晴各公判出席
 (裁判長裁判官 秋山規雄 裁判官 門野博 裁判官 福崎伸一郎)
<記載内容は末尾1添付><記載内容は末尾2添付><記載内容は末尾3添付>

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