弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件各控訴を棄却する。
     当審における訴訟費用のうち鑑定人a及び証人aにそれぞれ支給した分
の各二分の一を被告人bの負担とする。
         理    由
 本件各控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官大津丞提出の各控訴趣意書及び被告
人bの弁護人鈴木悦郎、同畑中広勝、同山中善夫、同馬杉栄一が連名で提出した控
訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、検察官の控訴趣意に対する被告人b
1の答弁は、同被告人の弁護人山根喬、同鈴木貞司が連名で提出した答弁書のとお
りであるから、これらを引用し、当裁判所はこれらに対し次のように判断する。
 第一、 被告人b関係
 一、 鈴木(主任)弁護人らの控訴趣意第一(事実誤認)、第二(審理不尽・採
証法則違反)について。
 所論の概要は次のとおりである。原判決は、本件火傷事故の原因を、被告人bが
電気手術器のメス側ケーブルと対極板側ケーブルの各プラグを電気手術器の本体に
挿入して接続するに際し交互誤接続したことにあると認定した。しかし、電気手術
器による火傷事故の発生は、ケーブルの交互誤接続以外に電気手術器使用中にメス
先を接地することによつても可能であつて、本件火傷事故の原因がケーブルの交互
誤接続でなく右メス接地でなかつたかという疑問を否定できない。原判決は、右認
定の根拠の一として、本件手術中当初は電気手術器のメスの利きが弱かつたのが途
中から強過ぎる状態になつた事実を挙げ、被告人bが手術中誤接続に気付いて正接
続に改めたためであると推論する。しかし、この点につき、同被告人は、一貫し
て、手術中メスの利きが弱いと言われて点検したところ、電気手術器の本体からケ
ーブル(対極板側と思われる。)が抜け落ちているのを見つけ、空いている方の端
子に差し込んだ旨を供述しており、右供述は信憑性が高いといえる。してみれば、
原審は、「疑わしきは被告人の利益に」という原則あるいは実体的真実の発見を重
視するならば、ケーブルの誤接続及び対極板側ケーブルの離脱等の各場合について
それぞれのメスの利き具合が本件手術時に経験されたメスの利き具合に近似するか
否かを確める検証を行ない、さらに同被告人が捜査当時警察官に対して右の点につ
きどのような供述をしていたかを確めるため、同被告人の警察官に対する供述調書
を提出させ、同被告人の右供述の信憑性を判断すべきであつた。しかるに原裁判所
は、何ら右の措置をとらず、メス接地の可能性を否定できないのに、同被告人の右
供述を虚偽と断じ、本件事故原因をケーブルの交互誤接続にあると判断したのであ
るから、右原因の確定について審理を尽さず、証拠の取捨につき採証法則を誤り、
その結果判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をしたものである。
 そこで検討するのに、原判決が「第二の二、証拠の標目」の項に挙示する証拠を
総合すると、被告人bについて、原判決がその理由中の「第一、本件事故発生にい
たる経緯など」の項及び「第二の一、罪となるべき事実」の項に判示する事実を優
に認定することができ、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を
合わせ考えても、原判決に所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤
認の形跡を見出すことはできない。以下所論にかんがみ順次説明を加える。
 (一) 所論は、要するに原審公判廷に現れた証拠をもつてしては、本件火傷事
故がケーブルの誤接続に起因するのではなくメス接地に起因する可能性を否定でき
ないとの論拠に立つ。原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人aの各供述記
載、a作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書、c大学長d作成の「手術中における
事故原因調査委員会の調査結果について(回答)」と題する書面を総合すれば、本
件のような電気手術器使用中の火傷事故の原因となりうるものとして、心電計併用
下におけるケーブルの誤接続の外、ケーブルの接続が正常であつても、手術台など
の接地された金属部分に電気手術器のメス先が触れ、同時に足踏スイッチを踏んで
電気手術器を作動させた場合にも患者の身体の対極板装着部位に熱傷を生ずる可能
性のあることが認められる。しかしながら、右は諸種の条件を捨象した一般的な可
能性を示すにとどまり、実際に本件火傷事故が右メス接地に起因することの可能性
の有無は、本件手術当時の具体的状況に照らして判断しなければならない。この点
について、原判決は、実際の結果によれば、ケーブルの誤接続の場合とメス接地の
場合とを比較して対極板装着部位に生ずる熱変化の程度が前者において著しく強度
であること及び右誤接続の場合にメスの利きが著明に減弱することからみて、本件
手術時の状況はメス接地の場合よりもはるかに右誤接続の場合に適合するように認
められること、また本件手術当時の状況として本件のような高度の熱傷を生ずるに
足りるメス接地の状態が起こりえたとは思われないこと、さらに本件手術に際し用
いられた電気手術器の本体とケーブルとの接続の具合は、正接続よりも誤接続の方
がプラグがおさまりがよかつたことを挙げ、その他諸般の状況に照らし、本件事故
がメス接地によつて生じたと窺うべき状況は全く認められない旨説示するが、右判
断は後記のとおり優にこれを肯認することができる。
 (二) すなわち、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決説示のように、本件
手術に際し、当初電気手術器のメスの利きが弱く、術者側からの指示により被告人
bが電気手術器の出力を最大にまで上げたのになお利きの弱い状態が続いたが、そ
の後出力を変化させないのにメスの利きが強過ぎる状態となつたので、術者側から
の指示により同被告人が出力を下げたところ、以後はメス先の利き具合に異常がな
かつたことが認められる。他方、前掲証人兼鑑定人aの各供述記載及び同人作成の
前掲鑑定書によれば、実験の結果、本件手術に際し使用された電気手術器(eGT
1型。以下本件電気手術器という。)について、メスの効果は、ケーブルの正常接
続の場合には正常と思われる程度であるが、誤接続の場合顕著に減弱する事実の確
められたことが明らかである。従つて本件手術に際し出力を最大に上げてもなおメ
スの利きの弱い状態を脱しえない程度にまでその効果が減弱していたという事実
は、当時ケーブルが誤接続されていたことを裏付ける有力な徴憑ということができ
よう。その反面、ケーブルの誤接続を否定し、事故の原因はメス先の接地であると
いう見解のもとで右の事象を説明することはむづかしいといわなければならない。
 もつとも、所論指摘のように、同被告人は、捜査段階における検察官の取調に対
し、手術の途中で術者からメスの利きが弱いと言われ、本体のボルトコントロール
及び凝固の各ダイヤルを上げたのに、まだ弱いと言われるのて点検したところ、メ
ス側ケーブルか対極板側ケーブルのいずれかが本体から外れていたのを発見し、そ
れを拾つて本体の接続口に差し込み、外れないように手で押えたが、被告人b1か
ら強過ぎると言われたため、ボルトコントロール及び凝固の各ダイヤルをもどし、
差込んだケーブルが外れないように他のケーブルと共に絆創膏で本体に固定した旨
を述べており、原審公判廷でも、手術中電気手術器のケーブルが一つ外れていた旨
供述している。a1の検察官に対する供述調書並びに押収してある電気メスコード
(当庁昭和四九年押第七五号の1)(メス側ケーブルともいう。)、対極板付コー
ド(同号の5)(対極板側ケーブルともいう。)及び電気手術器本体(同号の8)
によれば、正常接続の場合、本体との接続がゆるくて外れやすいのは対極板側ケー
ブルの方で、メス側ケーブルにはそのような事情は認められない。そして、前掲a
の各供述記載により認められる電気手術器の機能・構造の基本的原理にかんがみ、
メス側ケーブルが本体から外れて当然メス先に電流が通じえない状態にあるのにも
かかわらずなお弱いながらもメス先が作動することは明らかに不合理である。そう
だとすると、被告人bのいう外れていたケーブルかメス側ケーブルということは考
えられず、対極板側ケーブルが外れていたと認めるのが相当である。ところが、か
りに、対極板側ケーブルが本体から離脱した状態で電気手術器を作動させた場合メ
スの利きが著しく減弱することが認められるなら、同被告人の供述するところは当
時の客観的状況にも照応し、事故の原因としてメス接地を想定することも可能であ
るといつてよいであろう。
 しかしながら、前掲証人兼鑑定人aの各供述記載によると、対極板側ケーブルが
本体から外れても、他の部分の接続が完全ならば、メスの効力に五感で認めうるよ
うな差異の生じないことが明らかである。そして関係証拠に徴しても、本件手術当
時本件電気手術器についてケーブルの接続部分を除くその他の接続箇所に異常があ
つたことを疑うに足りる何らの形跡もなく、これら接続箇所には異常のなかつたこ
とが認められる。
 してみれば、同被告人の供述する右ケーブル離脱の点は、当時術者に感じられた
メスの利きの減弱を招く作用をしないのであるから、右ケーブル離脱がメスの利き
の減弱の根拠となりえないことは明らかである。そうだとすると、原裁判所がケー
ブルの誤接続及び対極板側ケーブルの離脱等の各場合におけるメスの利き具合につ
いての検証を実施しなかつたからといつて、所論のように審理を尽くさなかつた違
法ないし不当があるということはできない。なお、当裁判所の検証調書及び当審に
おける鑑定人a作成の昭和五〇年七月三一日付鑑定書(いずれも当審において事実
取調がされたもの)に徴しても、本件電気手術器について、各ケーブルを本件に誤
接続した場合のメスの利き具合は弱いが、メス側ケーブルを本体に正常に接続して
対極板側ケーブルを本体から離脱した場合のメスの利き具合はほとんど正常である
ことが実験上明らかであつて、上記のように事故の原因がメス接地であると想定し
がたい点がいつそう明確に裏付けられる。
 さらに検討を加えると、前掲証人兼鑑定人aの供述記載(原審第三回公判調書の
分)によれば、電気手術器のメスの利き具合を減弱させる原因として、ケーブルの
誤接続の外、(1)器械の故障(2)電源電圧の低下(3)ケーブルの差込みの接
触不完全があることが認められる。しかし右(1)については、同人の右供述記載
及び同人作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書により本件電気手術器には点検の結
果故障が認められなかつたことが明らかであり、右(2)については、同人の右供
述記載、証人a2、同a3、同a4の原審公判廷における各供述、検察官古田佑紀
作成の昭和四七年一一月一六日付捜査報告書等の関係証拠を総合すると、c大学の
当時の電力関係の記録に徴し、あるいは本件手術関係者らの手術当時の経験に徴し
ても、手術中電圧の異常な変動があつたことを窺わせる徴候はなかつたことが認め
られ、メスの利き具合の著しい減弱を来す程度の電圧の低下があつたことの可能性
は乏しいと判断される。(3)についても、前掲証人兼鑑定人aの供述記載(原審
第三回公判調書の分)によれば、本件電気手術器の各ケーブルと本体の接続部分の
状態から判断してその可能性のなかつたことが認められる。してみれば、右の点を
考えてみても、ケーブルの誤接続を否定しメス先の接地に事故原因を求める見解
は、結局本件手術時にみられたメスの利きの著しい減弱を理由づける根拠を欠くも
のといわなくてはならない。
 (三) なお所論は、原判決がメス接地の事実を否定する理由の一として、本件
手術時の状況に照らし本件のような高度の熱傷を生ずるに足りるメス接地の状態が
起こりえたとは思われない旨説示している点をとらえ、右判断が根拠を欠く旨を主
張する。しかし、前掲証人兼鑑定人aの各供述記載、原審第五回公判調書中証人a
5、同第六回公判調書中証人a6の各供述記載、被告人b1の検察官に対する昭和
四七年一二月一日付供述調書及び被告人bの検察官に対する昭和四七年一二月一一
日付供述調書並びに押収してある前掲電気メスコード、ビニール鉗(当庁昭和四九
年押第七五号の11)、鉗子(同号の12)及びぬの鉗子(同号の13)を総合す
れば、原判決説示のとおり、電気手術器のメス側ケーブルに取付けられたメス先
は、手術中使用しない間は、手術台などに接触しないようにビニール管の鞘に納め
て手術台の被布の上に固定しておかれるが、メス先を右鞘に納めた状態に徴して
も、そのメス先が鞘の外にはみ出して外部の物体に接触することが起こりうるとは
容易に考えがたく、そのうえ、手術中手術台のわくの金属部分はことごとく被布に
よつて隠れるようにされ、術中被布の位置がずれると被布を重ね直すとか、新たな
被布を掛けるとかして金属部分が露出しないように配慮されていること、メス接地
により本件のような高度の熱傷を生ずるには、メス先を接地したまま電気手術器を
作動させる状態が少なくとも数十秒継続することが必要であるが、本件電気手術器
は足踏スイッチを踏み続けない限り作動せず、しかも足踏スイッチを踏んでいる間
は、メス先を使用するか否かに関係なく本体の信号ランプが点燈し、かつ本体内部
から放電音が発せられ、これによつて現に本体に通電して器械が作動していること
を傍らの者にたやすく感知させる構造を備えていることが認められる。これらの事
実を合わせ考えれば、本件程度の高度の熱傷を生じさせるようなメス接地の状態が
起こりえたとは思われない旨の原裁判所の判断は十分に首肯することができ、所論
指摘のように根拠を欠くものということはできない(もつとも、原判決がメス接地
により火傷を生ずる条件の一として、メス接地の間電気手術器本体のダイヤルを廻
し続けることが必要であるかのように説示する部分は所論のとおり首肯しがたい
が、右の点を除外して考えても原判決の判断の当否が左右されるものではな
い。)。
 (四) 以上の諸点及び原判決の挙げるその余の事情を合わせ考えると、本件事
故がメス接地により生じた可能性は否定せざるをえないところであり、この点に関
する原裁判所の判断は正当である。そして前掲証人兼鑑定人aの各供述記載及び同
人作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書によつて認められる本件事故の原因として
想定されうる二つの可能性、すなわち、メス接地もしくは心電計併用下におけるケ
ーブルの誤接続のうち前者を否定し、原判示のように後者を事故原因として認定し
た場合、発生した火傷の程度、メスの利きの著しい減弱等の点で本件の実際の状況
によく適合し、矛看するところはないのであるから、この点に関する原判決の事実
認定はもとより論理則・経験則に反するものではない。また所論は、被告人bの供
述の信憑性を判断するため同被告人の警察官に対する供述調書を提出させて取調べ
るべきであつたともいうが、原判決挙示の前掲証人兼鑑定人aの各供述記載、同人
作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書、原審第七回公判調書中証人a4の供述記載
等の関係証拠に徴し、同被告人がケーブルの誤接続をしたことが原因となつて本件
事故が惹起されるに至つたことを認定することができ、これと相対比して右認定に
反する所論の同被告人の供述部分はたやすく採用しがたい。従つて、原裁判所が同
被告人の右供述調書を提出させて取調べる措置をとらず、同被告人の右供述部分を
措信しなかつたからといつて、これをとらえて必要な審理を尽さず、証拠取捨の法
則に違反し、ひいて事実を誤認したものということもできない。なお、当審(第一
回公判)において弁護人の請求により取調べた同被告人の司法警察員に対する昭和
四六年一一月一八日付供述調書(写)には、本件手術中電気手術器の本体のジヤッ
クが一本外れて落ちているのを見つけ、これを差込んだ旨、同被告人の検察官に対
する昭和四七年一二月一一日付供述調書及び原審公判廷における供述とほぼ同趣旨
の供述か記載されているが、この点も含めて右司法警察員に対する供述調書の内容
を仔細に検討しても、所論の同被告人の供述部分を採用すべきものとするには足り
ない。
 以上の次第で、論旨はいずれも理由がない。
 二、 同控訴趣意第三(法令の解釈適用の誤り)について。
 所論の概要は次のとおりである。原判決は、被告人bについて、「(同被告人
は、ケーブルの)交互誤接続の余地があつたことを知つており、かつ電気手術器は
高周波電流を患者の身体に通じその回路中に発生する高熱を利用する機械であるこ
とに照らし、ケーブルを誤つて接続するならば電流の流路に変更が生ずるなどして
患者に対し危害を及ぼすおそれがないわけでないことを知りえたものである。」旨
判示し、右程度の認識をもつて過失犯における予見可能性を充足するものとした。
しかし常識上、電気器械について誤接続をすれば器械本来の作動をしないとの認識
は可能でも事故の発生を当然予想することはできない。さらに何らかの事故という
無内容の不安を肯定したとしても、そのことから、何らかの危害が患者に及ぶかも
しれないとの予測が可能であるか疑わしい。のみならず、以下の諸点、すなわち、
(一)看護婦らにかぎらず医師らも電気手術器の原理を全く知らず、知らされてい
なかつたこと、従つて各ケーブルをそれぞれの端子に接続することがいかなる電気
的意味をもつのかなどについて無知、無関心であつたこと、(二)電気手術器によ
る本件のような事故は世界の医療史上かつてなく、医療従事者は電気手術器による
医療事故の発生に思い及ぶことが全くなかつたこと、(三)本件のような医療事故
は、ケーブルの誤接続だけでは起きる可能性がなく、心電計接地極の接地という条
件のもとで誤接続をした場合にのみ発生するのであるから、専門家も誤接続による
事故の可能性を予測しなかつたと推認されること、(四)本件事故当時事故原因と
してケーブルの誤接続を想定した者がなく、むしろlの専門家は誤接続が事故原因
であることを否定していたことを考慮すれば、同被告人の結果発生に対する認識に
ついて原判決のような認定をすることはできない。原判決のいう「患者に対し危害
を及ぼすおそれがないわけでないことを知」るという意味は不安ないし危惧感を抱
くということと同義と解されるが、かりに同被告人が右のような不安ないし危惧感
を抱きもしくは抱きえたとしても、これをもつて直ちに過失犯における結果の予見
可能性を充足するものとすることは、過失犯の構造から予見可能性を排除した結果
責任論に堕するもので失当である。要するに、同被告人は、かりにケーブルの誤接
続をしたとしても、結果の予見可能性か全くないのであつて、同被告人に右予見可
能性を認めて過失を肯定した原判決は刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであ
る。
 そこで考えてみるのに、原判決は、被告人bに対する罪となるべき事実(第二の
一)の中で、同被告人が電気手術器のメス側ケーブルと対極板側ケーブルの各プラ
グを電気手術器本体に接続するに際し、前者は本体の出力端子に、後者は対極端子
に正しく接続して事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があつたのにかかわら
ず、これを怠り、右各ケーブルと各端子を互いに誤接続させたまま手術の用に供し
た過失を認定し、右注意義務を認める前提として所論冒頭指摘のとおり同被告人に
結果の予見可能性があつた旨判示している。およそ、過失犯が成立するためには、
その要件である注意義務違反の前提として結果の発生が予見可能であることを要
し、結果の発生が予見できないときは注意義務違反を認める余地がない。ところ
で、内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度で直ちに結
果を予見し回避するための注意義務を課するのであ<要旨第一>れば、過失犯成立の
範囲が無限定に流れるおそれがあり、責任主義の見地から相当であるとはいえな
い。右にいう結果発生の予見とは、内容の特定しない一般的・抽象的な
危惧感ないし不安感を抱く程度では足りず、特定の構成要件的結果及びその結果の
発生に至る因果関係の基本的部分の予見を意味するものと解すべきである。そし
て、この予見可能性の有無は、当該行為者の置かれた具体的状況に、これと同様の
地位・状況に置かれた通常人をあてはめてみて判断すべきものである。以下所論に
かんがみ順次考察する。
 (一) 本件にあつては、既述のとおり被告人bのケーブル誤接続が原因となつ
て被害者の火傷事故を惹起したと認められるが、右結果発生について同被告人に業
務上の過失があつたかどうかを決するには、同被告人の置かれた具体的状況のもと
で、通常の間接介助看護婦として上記の意味における予見が可能であつたか否かを
検討することが必要である。a作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書、原審第三、
第四回各公判調書中証人兼鑑定人aの各供述記載を総合すれば、電気手術器は、そ
の本体に手術室などの電源から電流を取り入れて本体内部に高周波電流を発生さ
せ、これを出力端子―メス側ケープル―メス先―患者の身体―対極板―対極板側ケ
ーブル―対極端子という電気回路を通つて流通させ、右回路中メス先と患者の身体
(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接触部分の電気抵抗が大きいことによつて
同所に発生する高熱を利用して組織の凝固もしくは切開作用を行なうものである。
a作成の前掲鑑定書、同人の前掲各供述記載、医師f作成の診断書を総合すると、
ケーブルの誤接続が原因となつて惹起された本件の結果は、被害者の右足関節直上
部(対極板装着部にあたる。)に生じた第三度熱傷で、右熱傷発生の理化学的原因
関係は次のとおりであると認められる。すなわち、本件手術では心電計が併用さ
れ、その接地電極の一つが患者の右下腿部に装着され、電気手術器本体の対極部と
心電計の双方にアースが取り付けられて、右対極部と心電計の各接地電極がそれぞ
れ接地していた関係で、ケーブルを誤接続した場合、電気手術器本体の出力端子か
ら対極板側ケーブル、対極板、患者の身体(右下腿部)、心電計の接地電極、心電
計のアース、大地、電気手術器本体のアースを経て電気手術器本体の対極端子に至
る新たな電気回路が形成される。ケーブルが正常に接続されたときの電気回路も前
述のとおり一部患者の身体を通るが、この場合回路中に電気抵抗の著しく大きいメ
ス先と患者の身体(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接触部分を含むため、回
路全体の電気抵抗の総和が大きく、従つて回路に流れる電流の強さが制限される。
これに対し、ケーブルの誤接続の場合に形成される上記回路中には電気抵抗の著し
く大きいメス先と患者の身体(もしくは出血箇所をはさんだ鉗子)の接触部分が含
まれず、回路全体としての電気抵抗の総和が小さく、従つて正常接続時の回路に比
しより強い電流が流れることになる。その結果右回路中での電気抵抗の大きい箇所
である対極板と患者の身体の接触部分に電流の熱作用により多量の熱を発生し、同
所に熱傷を生じたのである。
 (二) そこで、電気手術器の原理・作用についての被告人bの認識程度につい
て検討すると、同被告人は、電気手術器には凝固・切開の二作用があり、本体のダ
イヤルの目盛を上げればメス先に発生する熱が高くなることは見知つていたが、電
気手術器の原理は全くわからなかつた旨(同被告人の検察官に対する昭和四七年一
二月六日付供述調書)、電気手術器が危険なものであることも、対極板のつけ方が
悪いと軽い火傷をすることも聞いたことがない旨(同被告人の原審第一一回公判に
おける供述)、電気手術器は電気を使うものであることはわかつていたが、その電
気がどこをどう流れるのかは知らなかつた旨(同被告人の当審公判廷における供
述)を供述しており、少なくとも、心電計併用下でケーブルを誤接続したまま電気
手術器を作動させた場合に患者の身体に熱傷を生ずるに至るその理化学的原因関係
を同被告人が認識しえなかつたことは疑いがない。しかし、過失犯の成立に必要な
結果発生の因果関係の認識はその基本的部分の認識をもつて足りると解されるの
で、右の事情はいまだ同被告人についてその過失を否定する理由となるものではな
い。
 (三) そこでさらに、同被告人の置かれていた具体的状況を検討すると、同被
告人の原審及び当審公判廷における各供述、同被告人の検察官に対する各供述調書
を総合すると、同被告人は看護婦学校で三年間看護婦としての専門教育を受け、昭
和三四年看護婦国家試験に合格して看護婦となり、g病院勤務を経て、同三八年七
月c大学h病院勤務となり、i科、j科を経て同四〇年四月以降同病院k部所属の
看護婦として勤務していたこと、電気手術器については看護婦学校では直接教えら
れたことはなく、k部に入つてから、オリエンテーションや実際の診療に際して先
輩からその使い方を教えられ、あるいは実地に先輩の操作を見習つてセットの方法
などを覚えたにすぎないこと、しかしk部配属後本件事故当時まで約五年間にわた
り、k部所属の看護婦の日常の職務である手術の間接介助ないし直接介助の仕事を
担当し、手術に間接介助看護婦として立会う際には、同病院大方の慣行に従い、電
気手術器について、ケーブルの接続も含め、電源への接続、アース線の取り付けな
ど電気手術器のセツト一切、患者の身体に対する対極板の装着、術者の電気手術器
使用中その指示に従つての電気手術器本体のダイヤル操作等に従事し、手術に直接
介助看護婦として立会う際には、電気手術器のセットやダイヤル操作等にはあたら
ないものの、手術中術者の傍らに在つて術者の介助に従事する関係上、術者が電気
手術器を取扱う状況、特にメス先を患者の身体に触れメス先に発生する高熱を利用
して組織の凝固もしくは切開作用を行なう状況をつぶさに目撃しうる立場にあつた
ことが認められる。そうだとすれば、被告人bの立場にあつては、電気手術器の極
く基本的な原理及び作用、すなわち、電気手術器が、単に電源から電気を取り入れ
て作動させる器械というにとどまらず、対極板を患者の身体に装着し、指定どおり
メス側ケーブルを本体の出力端子に、対極板側ケーブルを対極端子に接続し足踏ス
イツチを踏み、メス先を患者の身体に触れることにより出力端子から対極端子に至
る電気回路を形成し、そのうちメス先から対極板までは患者の身体を回路の一部と
して電流を通じ、その熱作用を利用して凝固、切開作用を行なう点に特異性のある
器械であること、電気手術器の作動により患者の身体に通じられる電流の作用は、
器械の正常機能時においてもメス先と身体(もしくは出血箇所をはさむ鉗子)の接
続部位に高熱を発し肉体の一部を焼灼して凝固止血させもしくは切開する程の力を
有すること、それゆえ、もし電気手術器の機能に異常を生ずれば、本体からケーブ
ルを経て患者の身体へ通ずる電流の状態に異常を生ずる可能性があり、その程度・
態様によつては患者の身体に危害を及ぼす場合もありうることは認識可能の範囲内
にあつたものと認めることができる。そして、身体に電流が通ずる場合、その強さ
によつては身体を傷つけ、場合によつては致死の危険をも招くことは一般の常識と
いうべきである。
 (四) 次に、電気手術器は通常の家庭電気器具の類と異なり、出力端子と対極
端子が区分され、前者には「ACTIV」、後者には「PATIENT」の表示が
明記され、当該端子に接続すべきケーブルの種類が指定されているところ、無意味
に右指定がされているとは考えられないから、電気手術器としての正常、安全な機
能を営むためには右指定どおりの接続をすることが必要条件であり、もし右指定に
反したケーブルの接続をしたまま作動させるときは、他の条件と相まつて場合によ
り器械の作用に異常を来すおそれなきを保しがたいことは容易に推認しうるところ
である。もつとも、前掲aの各供述記載及び同人作成の昭和四八年三月一七日付鑑
定書によれば、心電計の併用によりその接地電極が患者に装着されるという条件な
しに、電気手術器のみを単独に使用した場合は、器械に表示された指定に反してケ
ーブルを誤接続しても電気手術器の機能に本件事故時のような異常は生じないこと
が認められる。しかし、原審第八回公判調書中証人a7の供述記載(七六二丁参
照)及び証人a8の原審公判廷における供述(九二一丁参照)を総合すれば、電気
手術器を使用して手術をする際に心電計が併用される例は少なくなく、決して特殊
な事態ではないことが認められるから、心電計併用の条件がありうることを度外視
して電気手術器の単独使用の場合のみに限つてことを論ずるのは当を得ない。
 (五)、 原審第九回公判調書中証人a9の供述記載及び検察事務官作成の昭和
四八年三月一〇日付捜査報告書を総合すれば、原判決が詳細に説示するとおりk部
備え付けの各種の電気手術器本体に各種のメス側ケーブル及び対極板側ケーブルを
任意に組み合わせると相互誤接続の可能な場合があること、特に本件手術に使用さ
れた子供用対極板のついた対極板側ケーブルを組み合わせた場合誤接続の可能な場
合が多いことが認められる。本件事故もまさに右子供用対極板のついた対極板側ケ
ーブルとメス側ケーブルが本件電気手術器本体に誤接続可能であつたことが一因と
なつて惹起されたのである。そこで、右のようにケーブルの組み合わせによつては
ケーブルが本体に誤接続可能な場合もありうることを、被告人bに認識していたか
否かの点について検討する。押収してある電気メスコード(当庁昭和四九年押第七
五号の1)、対極板付きコード(同号の5)、電気手術器本体(同号の8)によれ
ば、本件電気手術器本体のメス側ケーブルのプラグを接続すべき出力端子の接続口
と対極板側ケーブルのプラグを接続すべき対極端子の接続口は本体正面の同じ高さ
の部位に並列し、それぞれの穴の内径には差異があるけれども、その差異が僅少な
うえいずれも同じ円形を呈しており、その大きさ、形状が類似し、他方、本体手術
時これに接続して使用されたメス側ケーブルのプラグと対極板側ケーブルのプラグ
の差込み部分の太さにも顕著な差異がなく、右接続口及び各ケーブルの外観は、見
る者をして各ケーブルがそれぞれいずれの接続口にでも接続が可能なのではないか
との印象を抱かせるものということができる。次に被告人bの検察官に対する昭和
四七年一二月六日付、同月一一日付各供述調書、同被告人の原審及び当審公判廷に
おける各供述、証人a10の原審公判廷における供述、原審第七回公判調書中証人
a11の供述記載を総合すると、本件事故当時まで同病院の大方の慣行では、電気
手術器を使用して行なう手術に際し、電気手術器のメス側ケーブル及び対極板側ケ
ーブルの各プラグをそれぞれ本体の出力端子及び対極端子の各接続口に挿入して接
続する作業は、事実上手術の間接介助看護婦の担当するところであつたこと、k部
備え付けの各電気手術器本体とそれに接続すべきメス側ケーブルとは必ずしも組み
合わせが特定されておらず、少なくとも本件電気手術器もしくはこれと同型の器械
については、手術に際し直接介助看護婦が消毒ずみ材の置き場から適宜その本体に
接続可能なメス側ケーブルを持つてきて使用に供していたこと、対極板側ケーブル
は、各本体に使用すべきものがそれぞれの本体の引き出しの中に納められていた
が、子供の手術に使用するため本来の対極板側ケーブルを改造して作られた子供用
対極板のついたケーブル(本件で使用された対極板側ケーブルはこれである。)は
一個しかなく、これを接続可能な本体に共用していたこと、しかも右子供用対極板
のついたケーブルのプラグは本件電気手術器の本体も含め、各本体の対極端子の接
続ロヘのはまり具合がゆるく、たやすく抜け落ちてしまうので、被告人bを含めこ
れを扱う看護婦らは、挿入前にプラグの差込み金具を拡げ、あるいは挿入後にプラ
グが外れないように絆創膏で留めるなどの工夫をして使用していたことが認められ
る。これらの事情に徴すると、被告人bは、電気手術器のケーブルの接続を扱つて
きたそれまでの経験に照らし、本体とケーブルの組み合わせによつては本体にケー
ブルを誤接続することの可能な場合もありうることを認識していたものと認めるこ
とができる。
 (六)、 以上の諸点を総合して考察すると、叙上のとおり少なからぬ期間k部
所属看護婦の日常の職務の一部として電気手術器による手術を介助する任務に従事
し、特に間接介助の際にはケーブルの接続を含む電気手術器のセツト一切を担当
し、本体とケーブルの誤接続の可能性に対する認識もあつた被告人bにとつては、
ケーブルの接続に際しケーブルを本体に誤接続する可能性もないわけではないこ
と、もし誤接続をしたまま器械を作動させるならば、あるいは電気手術器の作用に
変調を生じ、本体からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来
し、その結果患者の身体に電流の作用による傷害を被らせるおそれがあることは、
予見可能の範囲にあつたと認められる。このことは一般通常の間接介助看護婦を被
告人bの立場において考えてみてもその結論を異にするところはないというべきで
ある。
 (七)、 所論は、我々の常識として電気器具について誤接続をしても本来の作
動をしないことの認識が可能であつても、事故の発生を当然に予想できないとし、
かりに何らかの事故という無内容の不安を肯定したとしても、それから何らかの危
害が患者に及ぶことの予測が可能であるか疑わしいというが、右は電気器具一般に
ついての立論としてはともかく、電気手術器については、それが前述のとおり単に
電気を用いて作動させるというだけのものではなく、患者の身体を電気回路の一部
としてこれに電流を通じることによつて機能する点に特異性を有する器械であるこ
となどに徴し、妥当しないものというべきである。
 (八)、 所論は、関係の医師、看護婦らが電気手術器の原理を知らず、知らさ
れてもいなかつたこと、本件のような事故はこれまで例がなく、医療従事者の思い
及ばなかつたことをいうが、被告人bが電気手術器による手術の介助看護婦として
認識しもしくは認識しえたと認められる電気手術器に関する上述の諸事情を考えれ
ば、それ以上に電気手術器の構造・原理等を詳細に認識していなかつたからといつ
て、前記予見可能性を否定することはできない。それまで同病院ないし広く医療機
関一般において長期間にわたり電気手術器が使用されながら本件と同種の事故例が
なかつたにせよ、その点は指定された方法で器械を使用する限り安全であることを
物語るものではあつても、指定に反した方法で使用しても全く安全であることまで
保障するものとはいえない。
 (九)、 所論は、本件事故当時その原因としてケーブルの誤接続を想定した者
が一人もいなかつたと主張する。
 しかし、c大学長d作成の「手術中における事故原因調査委員会の調査結果につ
いて(回答)」と題する書面、原審第八回公判調書中の証人a1の供述記載、証人
a12の当審公判廷における供述を総合すれば、本件事故の翌日c大学l研究所助
教授a12かk部の看護婦、技能員に対し事故原因の推定等につき話をした際、質
疑応答において聴き手の看護婦らの中からケーブルの誤接続と事故原因の関係につ
いて質問が出たこと、事故直後の昭和四五年七月二四日本件手術関係者を含む同病
院関係者によつて事故原因調査のための動物実験が施行された際すでにケーブルの
誤接続を想定した実験が行なわれていること(右実験が施行されたのは、事故原因
の一つとしてケーブルの誤接続が考えられる旨のa教授の見解が発表される以前の
ことである。《証人aの当審公判廷における供述》)が認められ、これらの事実に
照らして右の所論も相当でない。d作成の前掲回答書、前掲証人a1の供述記載、
前掲証人a12の供述を総合すれば、前記質疑応答における質問に対しlの専門家
である右a12助教授が、単る電気手術器本体と対極板側ケーブルの誤接続だけで
は火傷は起こらないはずである旨答えていることが認められるけれども、同人の右
応答は電気手術器の内部配線や心電計併用時の電気回路の構成を正確に把握したう
えでの判断に基づくものではなかつたことが認められる。従つて、同人の右応答を
もつて専門家すらケーブルの誤接続による傷害事故発生の可能性を認識できなかつ
たことの例証とするには適切でない。およそ、事故発生の後において事故当時の諸
条件を正確に把握総合して事故の原因となりうる各種の可能性の中から特定の事故
原因を確定することは、専門家にとつても必ずしも単純容易な作業でないことが少
なくなく、前掲aの各供述記載によれば本件事故もその例に洩れなかつたことが窺
われるが、このことは逆に事前において特定の条件を前提とした場合の事故発生の
可能性の予見が同様に困難であることを当然に意味するものではない。過失犯成立
の要件としての結果の予見可能性は、ある条件の下で発生すべき結果を逐一確定的
に予見することが可能であることまでは必要とせず、本件についていえばケーブル
の誤接続をしたまま電気手術器を作動させたとき惹起するかもしれない事態の一つ
として傷害の発生をも予見することが可能であれば十分なのである。従つて、事後
において専門家がたやすく事故の原因を特定できないことがあつたとしても、その
ことによつて当然に事前における通常人の立場からの結果に対する予見可能性が否
定されるとは論定しがたい。
 (一〇)、 所論は、本件傷害事故が心電計併用という条件の下でのみ起きうる
ものであつたことを指摘する。しかし、すでに述べたとおりそれまでにも電気手術
器による手術に際し心電計が併用されることは少なくなく、心電計併用は何ら特殊
稀有の事態ではなかつたのであるから、心電計併用の点をもつて被告人bもしくは
その立場に置かれた一般通常の間接介助看護婦にとり予想しえない特殊な条件が加
わったため事故発生に至つたものとみるのは相当でなく、所論の点は本件傷害事故
発生に対する予見可能性を肯認する妨げとなるものではないというべきである。
 (一一)、 所論は、さらに、原判決は単なる不安ないし危倶感を抱いたことも
しくは抱きえたことをもつて直ちに<要旨第一>過失犯の要件である結果の予見可能
性を充足するものと解したとしてその解釈の誤りである旨を力説する。す 一>でに説示したとおり過失犯の成立要件としての結果発生に対する予見可能性は内
容の特定しない一般的・抽象的な危倶感ないし不安感を抱くことでは足りないが、
本件において被告人bないしその立場には置かれた一般通常の間接介助看護婦にと
つて予見可能と認められるのは、上述したようにケーブルの誤接続をしたまま電気
手術器を作動させるときは電気手術器の作用に変調を生じ、本体からケーブルを経
て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、その結果患者の身体に電流の作
用による傷害を被らせるおそれがあることについてあつて、その内容は、構成要件
的結果及び結果発生に至る因果関係の基本的部分のいずれについても特定している
と解される。従つて、所論のように単なる一般的・抽象的な危倶感ないし不安感を
抱く程度にとどまるものと解することはできない。もつとも、発生するかもしれな
い傷害の種類、態様及びケーブルの誤接続が電気手術器本体から患者の身体に流入
する電流の状態に異常を生じさせる理化学的原因については予見可能の範囲外であ
つたと考えられるけれども、過失犯成立のため必要とされる結果発生に対する予見
内容の特定の程度としては、前記の限度で足りると解すべきである。通常人にとつ
て身体に流入する電流の状態に異常を生じ、その作用により傷害を被るおそれがあ
ることを知れば、その傷害の種類・態様までは予見できなくても、日常の知識・経
験に照らして危険の性質・程度を把握し、それに対処すべき措置を決定するのに何
らの支障がないからである。前記の程度を超えて傷害の種類、態様まで特定される
ことが注意義務確定上欠くことのできない要素とは考えられない。またケーブルを
誤接続したまま電気手術器を作動させることが電気手術器本体から患者の身体に流
入する電流の状態に異常を生じさせる理化学的要因がいずれにあろうとも、右誤接
続が原因となつて、患者の身体に流入する電流の状態に異常を生じ、その作用によ
り患者に傷害を被らせるに至る因果関係の基本的部分の予見が可能である以上、予
見者にとつてその結果が全く予想外の原因・経過により生ずることはありえない。
従つて、右の程度を越えて結果発生に至る因果関係の過程の詳細な予見が可能であ
ることまで必要としないと解される。そして、このことは責任主義の要請に反する
ものでないというべきである。
 (一二)、 以上の次第で、被告人bの場合、刑法上結果発生の予見可能性があ
つたといえるのであつて、これに反する所論は採用しえない。所論指摘の原判決の
説示も、帰するところ、電気手術器から患者の身体に流入する電流の状態の異常に
より患者の身体に傷害を被らせるおそれのあることについて認識可能であつたこ
と、すなわち特定の構成要件的結果発生について予見可能であつたことを意味し、
単なる危倶感ないし不安感を抱くことをもつて結果発生についての予見と同視する
趣旨ではないと解することができる。従つて、被告人bに対し本件傷害事故惹起に
ついて過失を認め業務上過失傷害罪の成立を肯認した原判決に法令の解釈適用の誤
りはない。論旨は理由がない。
 三、 検察官の被告人bに関する控訴趣意中事実誤認の論旨について。
 所論は、原判決は、被告人bに対する公訴事実について、同被告人の過失責任の
内容については訴因とほぼ同旨の事実を認めながら相被告人b1の過失の競合を否
定して被告人bの単独過失と認定した点において事実の誤認がある、というのであ
る。
 しかしながら、一件記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討
してみても、被告人b1に関する検察官の論旨について後に説示するとおり、原判
決が同被告人について刑法上の過失責任を否定したのは相当であつて、本件を被告
人bの単独の過失による犯行と認定した原判決に所論の事実誤認は存在しない。論
旨は理由がない。
 四、 同控訴趣意中量刑不当の論旨について。
 論旨は、被告人bを罰金五万円に処した原判決の量刑は軽きに過ぎて不当であ
る、というのである。
 そこで一件記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して諸
般の情状を検討すると、同被告人は、医師と協力して患者の健康を管理する看護婦
の職について久しく、電気手術器の取扱いについても経験を重ね、右器械が患者の
身体に電流を通じて作動させるもので、ケーブルの接続を誤るときは患者の身体に
通ずる電流の状態に異常を生じて患者に危害を及ぼすおそれがありうることを認識
することが可能であつたにもかかわらず、介助看護婦としての自己の受持ちの仕事
である右ケーブルの接続について、それが極めて単純容易な作業に属し、いやしく
も看護婦として通常の注意を払うならばおよそ過誤を犯すことはありえない程のも
のであるのに、作業に慎重を欠き、その接続を誤り、その結果患者である二歳の幼
児に熱傷を負わせ、右下腿切断を余儀なくさせるといういたましい事故を惹起した
ものであるから、その過失は小さくなく、発生した結果も重大であつて、その責任
を軽くみることは許されない。
 しかしながら、他方において、本件当時、電気手術器のケーブルの誤接続により
火傷事故を生じうべきことについては事故発生の因果関係も解明されておらず、こ
の種事故例の存在も知られていない状態にあり、医療関係者にとつて本件のような
事故は全く新規のものであつたので、同被告人もケーブルを誤接続した場合のこの
ような危険性について配慮が及ばなかつたものである。上記のとおり、同被告人
は、その経験を通じてケーブルの誤接続が事故発生に至るかもしれない可能性を認
識することは可能であつたから、ケーブル誤接続について過失責任を免れえないけ
れども、それまでは本件のような事故が医療関係者に全く知られていなかつた新規
のものであること、同被告人が看護婦として電気手術器の原理・作用等に関する専
門教育を受けていたわけではなく、ケーブルの誤接続の危険性について必要な予備
知識を平素与えられておらず、そのためにその危険性に対する認識を欠いた事情は
斟酌されなくてはならない。また原判決も一部指摘するように本件は直接には同被
告人の過失行為に基づき事故を惹起したものではあるけれども、その背景に事故発
生の前提条件となつた事情、すなわち当該電気手術器自体が付属品以外のケーブル
を用いるときは誤接続も可能となるような欠陥を有していたこと、電気手術器の管
理・整備を担当する同病院k部において、機器の安全確保のための日常の点検・整
備をする余裕に乏しいところから、右電気手術器についてもその構造上の欠陥に留
意してケーブルの誤接続を防止するような工夫・改造を行ない、あるいは他部品の
流用を禁止するなどの措置がとられることもなく、誤接続の危険のあるケーブルの
流用が放置されていたこと、心電計併用時の異常電流の流入を防止するための心電
計に対する安全装置の設備がなかつたこと等の諸事情の存在することが留意されな
くてはならない。
 そして、これらの諸事情に同被告人の過失が複合して本件事故を惹起するに至つ
たものであるから、本件の犯情を考慮するにあたり右の諸事情をも十分に斟酌し、
さらに同被告人の看護婦としてのそれまでの真面目な勤務態度等諸般の事情を合わ
せ考えると、本件は罰金刑をもつて処断することを相当とする案件であり、同被告
人を罰金五万円(犯行時の法定最高額)に処した原判決の量刑が軽過ぎて不当であ
るとはいえない。論旨は理由がない。
 第二、 被告人b1関係
 検察官の被告人b1に関する控訴趣意中事実誤認ないし法令の適用の誤りの論旨
について。
 所論の概要はつぎのとおりである。原判決は、被告人b1に対する業務上過失傷
害の公訴事実について、(一) 同被告人は本件電気手術器についてケーブルの誤
接続の可能性について具体的な認識を持ちえなかつた。(二) 電気手術器自体が
内蔵する危険性から直ちにケーブルの接続についての点検確認義務は生じない。
(三) 電気手術器のケーブルの接続は看護婦の業務内容であるから看護婦の責任
である。(四) 電気手術器のケーブルの接続は看護婦に任せるという慣行があつ
たものでそれに従つた同被告人に責任はない。(五) 何らかの落度があれば直ち
に刑事上過失責任を認めてよいとの論は排斥されるべきである、としたうえ、これ
らを総合すると同被告人については注意義務の懈怠があつたということはできず、
犯罪の証明は十分でないとして無罪の言渡しをした。しかし、原判決の理由のうち
右(一)については、同被告人は、電気手術器のケーブルが交互誤接続のまま使用
される可能性のあることを具体的に認識していたか少なくとも容易に認識すること
ができ、従つてケーブルの交互誤接続による何らかの事故発生を予測可能であつた
のであつて、原判決は、ケーブルが誤接続のまま使用される可能性に対する同被告
人の認識について事実を誤認したものである。右(二)については、電気手術器の
有する危険性の実態、ケーブルの正しい接続が電気手術器の所期の機能を発揮させ
る大前提であること、医師は業務の性質に照らし医療器械使用に際しても危害防止
のための最善の措置を尽すべき高度の義務が課せられていることを合わせ考える
と、医師が看護婦の行なつたケーブルの接続を二重に点検すべきことは当然である
のに、原判決は、電気手術器の有する危険性の実態を誤認し、ケーブルの接続の有
する重要性を不当に軽視し、医療器械使用に際しての医師の高度の責任を看過した
結果、ケーブルの接続についての医師の点検確認義務を否定する誤りに陥つたので
ある。右(三)については、看護婦は医師の指示のもとにはじめて診療器械の使用
に加担するのであつて、その使用責任者はあくまで医師であるとするのが法の建前
であり、電気手術器のように危険を内蔵する診療器械を使用するについてケーブル
の接続を看護婦にさせる場合は接続の誤りも分考えられるから、使用者たる医師が
接続の正否を点検・確認すべきものであり、原判決の見解は人体に危害を及ぼすお
それのある診療器械を使用して治療行為を行なう場合の医師と看護婦の責任分担の
関係を根本的に誤つたものである。さらに原判決は本件手術に際し具体的な危険発
生の予兆がなかつたとするが、電気手術器については従来対極板の装着が不完全で
その部分に軽度の火傷を也じた例もあり、具体的な事故発生の予兆もあつたのであ
るから、その点でも原判決には事実誤認がある。右(四)については、同被告人の
属したc大h病院m科n科の医師が電気手術器のケーブルの接続を間接介助看護婦
に任せ執刀医自らが接続の正否を点検・確認することがなかつたとの慣行は悪しき
慣行にすぎず、注意義務の基準となるものではない。
 しかも原判決が同病院m科という狭い領域の慣行のみを論じているのは不当であ
り、現に同病院j科では右ケーブルの接続については看護婦に責任を転嫁すること
のない態勢で手術を行なつているのであつて、原判決はj科における右取扱いを看
過して事案を誤認したものである。以上のとおりケーブル接続の点検・確認を怠つ
た同被告人の落度は、社会の信頼を受けて人の生命身体を管理する故に業務上高度
の注意義務を課せられている医師として重大な過失であつて看過しがたく、同被告
人が本件傷害事故について業務上過失傷害の刑責を負うことは明らかである。従つ
て、同被告人の過失責任を否定した原判決は重大な事実誤認をし、その結果刑法二
一一条の解釈適用を誤つたものである。
 しかしながら、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を合わせ
考えても、被告人b1の過失責任を否定した原判決には、いまだ判決に影響を及ぼ
すことの明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りを見出だすことはできない。以下
所論にかんがみ順次当裁判所の判断を示すこととする。
 一、 被告人b1のケーブル誤接続の可能性に対する認識ないしは認識の可能性
の有無。
 押収してある電気メスコード(当庁昭和四九年押第七五号の1)、対極板付コー
ド(同号の5)、電気手術器本体(同号の8)によると、本件電気手術器本体の各
ケーブルの接続口の大きさ・形状が類似し、各ケーブルのプラグの差込み部分の太
さにも顕著な差異がなく、見る者をして一見各ケーブルがいずれの接続口にでも接
続可能であるかのような印象を抱かせるものがあること、証人a10及び被告人b
の原審公判廷における各供述、原審第七回公判調書中証人a11の供述記載による
と、本件事故当時同病院k部の実情として、電気手術器の本体とケーブルの組み合
わせは必ずしも特定されておらず、手術に際し看護婦が適宜接続可能なケーブルを
持つて来て使用していたこと、証人a10及び被告人bの原審公判廷における各供
述、a3作成の電力日誌写、当審第二回公判調書中証人a13、同第三回公判調書
中証人a10、同a3の各供述記載並びに証人a14の当審公判廷における供述に
よると、同病院では手術中もしくは手術直前に電気手術器のメス側ケーブルもしく
は対極板側ケーブルが断線などで故障して看護婦が他のケーブルを持つて来て代用
するという事態がしばしばあり、そのことは当然当該手術にあたる医師にも認識さ
れていたことが認められる。原判決は、メスの構造や使用方法などから考え、手術
中にメス側ケーブルの破損等がしばしば起こつたというようなことは容易に信用で
きず、対極板側ケーブルについても同様である旨説示するが、前掲証拠により認め
られるケーブルの故障箇所、故障の実情等に徴すると、ケーブルの故障が必ずしも
まれな事態ではなかつたことを優に認定することができる。そして、被告人b1の
検察官に対する昭和四七年一一月二九日付供述書、同被告人の原審及び当審公判廷
における各供述によれば、同被告人は、昭和四一年c大o学部大学院を卒業し、以
来同大学h病院m科副手として診療に従事し、電気手術器を使用しての手術回数は
数え切れない位あつたことが認められるから、向病院におけるケーブルの故障に関
する上記の実情を合わせ考えると、同被告人も手術の立会いなどの機会を通じて電
気手術器のケーブル共用の事実を知る機会があつたことを認めるに難くない。そし
て以上の事情を総合すると、同被告人は自らの職務経験や上述の電気手術器の外観
などにより右器機についてケーブルの誤接続がありうることを認識しうる可能性は
あつたものと認めるのが相当であり、原判決が「被告人b1においてケーブルの相
互誤接続の可能性について具体的な認識を持ちえなかつた」ものと判示している点
(原判決二九丁表二、三行目)は、右誤接続のありうることの認識の可能性をも否
定する限りにおいて事実の誤認があるものといわなければならない。
 ところで、同被告人は、捜査段階以来ほぼ一貫して、電気手術器も医療電気器械
の一としてケーブルの誤接続を含め間違いを生ずるような構造にはなつていないと
思つていた旨を主張し、その根拠として、p学会制定の医用電気機器暫定安全基準
中に関係規定があること、同病院の組織上医療器械器具の管理・点検等は同病院k
部の任務に属していたことを挙げる。右論拠のうち医用電気機器暫定安全基準につ
いては、同被告人の検察官に対する昭和四七年一一月三〇日付供述調書及び当審で
取調べたp学会雑誌(当庁昭和五〇年押第七五号の14)によると、p学会が制定
した右基準中に同被告人指摘の関係規定があることが明らかであるが、右基準の制
定された日時が昭和四五年四月で本件事故の約三か月前に過ぎないこと並びに右基
準の効力が関係団体及び官庁に対する勧告にとどまることに照らし、右基準の存在
は必ずしも被告人の右主張の裏付けとなるものとはいえない。しかし、原判決が説
示するように、同病院備えつけの各種電気手術器も、それぞれの器械の本来の付属
品であるケーブルに関する限り殆どの器械が誤接続不可能な構造になつていたので
あるから(検察事務官a9作成の昭和四八年三月一〇日付捜査報告書)、電気手術
器がケーブルの誤接続を含め間違いを生ずるような構造になつているとは思わなか
つたとの同被告人の主張は、それ自体としては根拠のなかつたことではない。さら
に、qの検察官に対する供述調書、a1の検察官に対する昭和四七年一一月二〇日
付供述調書(三、四項を除く。)、検察事務官a9作成の昭和四七年一一月七日付
報告書、原審第八回公判調書中の証人a1の供述記載、証人a14の当審公判廷に
おける供述その他関係証拠によれば、昭和三八年、それまで同病院の各科が単独も
しくは数科共同で持つていた各手術場を統合してk部が創設され、以来、手術用の
器具・器材はk部が管理し、n科の医師が手術をするときはk部が整備して提供す
る器具・器材を用いて執刀にあたることになつており、同病院長が定めたk部運営
要綱の八には「k部看護婦長は、手術開始時までに手術室に必要な器具、器材を整
備するものとする。」と規定され、手術用の器具・器材の整備点検はk部の責任と
考えられ、手術を行なうn科の医師から器械の整備について指示や注文を出す慣行
ないし事例もなかつたことが認められる。もつとも右証拠によれば、本件事故当時
までのk部の実態は、人的には看護婦を主体とし、器具・器材の十分な整備点検を
する余裕も能力もなく、手術の都度必要な器具・器材を揃え、使用に際して発見さ
れた故障に対し修理の措置をとる程度で、器具・器材の定期的点検もされていなか
つたことが認められるが、当時被告人b1がk部の右のような実態に通じていたこ
とを認めるに足りる証拠はない。してみれば、同被告人はケーブルの誤接続があり
うることを認識しうる可能性はあつたにせよ、現実にはその主張するように誤接続
がありうることの具体的認識を持つまでには至らなかつたものと認めるのが相当で
ある。
 二、 被告人b1のケーブル誤接続による傷害事故発生に対する予見可能性の程
度。
 そこで、ケーブルの誤接続による傷害事故発生に対する同被告人の予見可能性の
程度について考えるのに、右予見可能性はケーブルの誤接続がありうることについ
ての認識もしくはその可能性の存在を前提とするところ、同被告人に右認識の可能
性があつたと認められることは上記のとおりである。また、同被告人は上述のよう
に同病院m科に属する医師として診療に従事し、電気手術器を使用して手術を行な
つた経験も多数回に及ぶものであるから、その立場ないし経験に照らし、電気手術
器の原理・作用についての知識は、被告人bのように単なる介助看護婦の地位にあ
る者に比し優つていたであろうことは推察に難くない。しかしながら、他方におい
て、被告人bの場合は上記のとおりケーブルの誤接続のありうることの具体的な認
識があつたと認められるのに対し、被告人b1については右認識の可能性があつた
にとどまり認識そのものまではなかつたと認められる点において看過しがたい相違
があり、この点は、同被告人の本件傷害事故発生に対する予見の程度を評価するう
えで留意されなくてはならない。
 さらに、原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人aの各供述記載、a14の
検察官に対する供述調書、原審第五回公判調書中証人a5の供述記載、証人a1
4、同a15の当審公判廷における各供述によれば、本件事故当時の医学界におい
て電気手術器による事故として関係者に知られていたのは、患者の身体に対する対
極板の当て方が不完全な場合にその部位に軽い火傷を生ずることがあるという事実
程度で(ただし被告人b1が右事実を知つていたことを認めるに足りる証拠はな
い。)、電気手術器により本件のような重大な人身事故を惹起した事例は知られて
おらず、本件事故発生後c大l研究所教授aの調査報告が出されるまで、心電計併
用下におけるケーブルの誤接続に起因する熱傷発生の因果関係はいまだ科学的に解
明されたことがなく、医療関係者の間でも右誤接続が火傷事故を惹起する可能性に
ついて関心が持たれていたわけでなく(司法警察員作成の昭和四六年一二月一三日
付c大電気メス業務上過失傷害被疑事件捜査報告《三五九丁》によれば、昭和四六
年八月ころ本件電気手術器の製造元で出していた電気手術器の使用説明書及びカタ
ログにも心電計併用下でケーブルを誤接続して使用した場合の危険については触れ
られていないことが明らかである。)、電気手術器は安全なものとして使用されて
いたことが認められる。そして原審第五回公判調書中証人a5、同第七回公判調書
中証人a11、同第八回公判調書中証人a1の各供述記載、証人a16、同a8の
原審公判廷における各供述等関係証拠を総合すると、本件事故当時までc大h病院
では手術時の電気手術器のケーブルの接続はほとんど間接介助看護婦が行なつてお
り、執刀医もしくはその助手の医師が接続の確認をすることはないわけではなかつ
たが、それも、「使つてもいいか。」もしくは「差してくれたか。」と声をかけて
接続の有無を確める程度のもので、誤接続による事故発生の危険をおもんぱかつて
接続の仕方が誤つていないか否かを点検するという趣旨のものではなかつたことが
窺われる。所論は、同病院j科では助手が各ケーブルの接続を担当し看護婦には任
せない取扱いになつていた旨主張するが、所論の引用する原審証人a16の供述そ
の他関係証拠を検討しても、所論の事実を認定するに足りる適確な資料はなく、原
判決がケーブル接続についてj科における取扱いを看過して事実を誤認したという
のはあたらない。さらに証人a15の当審公判廷における供述によれば、本件当時
のr大学s部における電気手術器使用の実情として、同k部では各ケーブルの接続
口がそれぞれ一穴から成る電気手術器については各接続口をテープで色分けして使
つていたが、対極板側ケーブル及びメス側ケーブルを本体に接続する作業はc大h
病院におけると同様看護婦の担当するところであつたこと、もつとも接続の手順に
ついては、同病院で本件手術当時にとられた後述の方法に対比すると、対極板を患
者に装着した段階で対極板側ケーブルの接続を先にすませてしまう方法がとられ、
対極板側ケーブルとメス側ケーブルをほぼ同時に本体に接続するというものでない
点及び術者がメス側ケーブルを取り上げそのプラグ側を介助看護婦の方に下す際ほ
とんどの場合に「電気メスを下します。」と言葉をかけて明示的に接続を促してい
た点に相違があるけれども、術者がケーブルの接続状況を自らの眼で確認しもしく
は看護婦等に改めて接続の正否を確認して報告させる措置をとつていなかつた点で
は同病院の慣行と異なるものがなかつたこと、手術時における電気手術器の置き方
も、本体の裏側が手術台の方に面するように置かれて、ケーブルの接続口のある表
側は術者から視忍できない位置関係にのがほとんどであつたこと、電気手術器を使
用する場合の執刀医の関心事は、アースが完全にされていること及び患者の身体が
手術台あるいは器械盤などの金具と接触していないことにあり、ケーブルの誤接続
により事故の発止しうべきことをおもんぱかつて接続の点検に意を用いるならわし
はなかつたこと、電気手術器のケーブルの接続口のテープによる色分けももともと
他の種々の器械についてコードを誤りなく接続する便宜のためとられた工夫が電気
手術器のケーブルにも及んだもので、特に電気手術器のケーブルの誤接続が事故に
つながる危険を認識してその防止のため施されたものではなかつたことが認められ
る。ケーブルの接続に関する以上のような取扱いの実態は、本件事故当時まで電気
手術器を用いて手術にあたる医師が一般に看護婦のケーブル接続の誤りによつて事
故が発生する危険を認識していなかつた実情を示すものということができ、以上の
諸事情を合わせ考えると、本件手術の執刀医である被告人b1にとつてケーブルの
誤接続に起因する傷害事故の発生を予見しうる可能性は必ずしも高度のものではな
かつたといわなければならず、この点はひとり同被告人のみならず当時の外科手術
の執刀医一般についてみても同様であつたと考えられる。
 なお所論は、いわゆるt事件の一審判決(千葉地方裁判所昭和四七年九月一八日
判決・刑事裁判月報四巻九号一五三九頁。控訴審判決は東京高等裁判所昭和四八年
五月三〇日判決・刑事裁判月報五巻五号九四二頁)を引用し、同じく誤接続による
医療過誤事件である右事件の場合に比較して本件電気手術器はケーブルの誤接続の
可能性が大きかつた点を強調する。確かに右各判決に現れたところによる限り、右
事件の場合に比較しても、本件電気手術器の各ケーブルと本体の各端子の接続機構
は、さきに説示したとおり、メス側ケーブルの接続部分と対極板側ケーブルの接続
部分との外見上の相違が乏しく、従つて、本来接続不可能に作られていた付属品の
ケーブルを使用すれば格別、相互誤接続可能な他のケーブルを流用する場合には誤
接続を犯しかねない危険を含むものということができる。しかしながら、右各判決
によると、右t事件は、医師が供血者から電気吸引器を使用して採血するに際し、
その操作を担当した看護婦が吸引用パイプを採血器具に接続して吸引に作動させる
べきところを誤つて噴射用のパイプを接続して噴射に作動させたのに、その過誤を
看過して供血者の静脈に採血針を刺し入れ、血管に多量の空気を注入したため、同
人を空気塞栓症による脳軟化症の傷害を負わせて死亡させたという事案であるのに
対し、本件では上述のとおり、事故当時まで心電計併用下におけるケーブルの誤接
続が火傷事故を惹起する因果関係が解明されたことがなく、一般に右事故惹起の可
能性が意識され留意されることもなかつたのであるから、すでに事故発生の予見の
可能性の程度において事案を異にすることが明らかなのであつて、過失犯の成否は
もとより当該具体的事情に即して慎重に判断されなくてはならず、所論は採用しが
たい。
 三、 手術開始直前のケーブル接続について、執刀医である被告人b1の介助看
護婦に対する信頼の当否。
 被告人b1の原審公判廷における供述及び同被告人の検察官に対する各供述調書
によれば、同被告人は、本件手術に際し、ケーブルの接続を含め電気手術器の取扱
いについては、被告人bら介助看護婦の処置を信頼してケーブルの接続の正否を点
検することなくこれを使用して手術を実施したことが明らかである。そこで、手術
に臨む執刀医としての被告人b1の介助看護婦のケーブルの接続に対する信頼の当
否が検討されなければならない。
 (一)、 電気手術器の危険性の実態とその認識。
 所論は、原判決が電気手術器の有する危険性の実態を誤認し、ケーブルの接続の
持つ重要性を不当に軽視したという。被告人bに関する控訴趣意に対する判断とし
て説示したとおり、電気手術器は単に電気を用いて作動させる器械というにとどま
らず、患者の身体をも回路の一部として電流を通じ、その熱作用により発生する高
熱を利用して肉体組織を焼酌し、凝固・切開作用を営む点に特異性を有する器械で
ある。従つて、器械の作用が正常に保たれている限りは安全であつても、万一その
作用に異常を生ずるようなことがあれば、患者の身体に通ずる電流に異常を来し、
その結果患者の身体に傷害を惹起する可能性もあり、その意味で危険性を内蔵する
ことは否定できない。そして、ケーブルの接続を誤らないことは器械の作用を正常
に保つ前提であるから、看護婦の行なうケーブルの接続も電気手術器使用の安全に
かかわりを持つ行為として安全保持上の意味を無視しえない。しかしながら、さき
に説示したとおり、本件事故当時まで医学界においては、電気手術器により重大な
事故を起こした事例は知られておらず、電気手術器は安全なものと考えられ、心電
計併用下でのケーブルの誤接線が原因となつて火傷事故を惹起する因果関係も認識
されておらず、誤接続による事故防止のためケーブル接続の点検等の予防措置の必
要も一般に意識されていなかつた実情にある。そうだとすると、本件事故当時の時
点における勢刀医の介助看護婦に対するケーブル接続に関する信頼の当否を判断す
るについて、すでに右誤接続が原因となつて火傷事故を惹起するに至るその因果関
係が解明され、右誤接続の危険が関係者に周知された本件事故後の観点に立つての
み電気手術器の危険性及びケーブル接続行為の重要性を強調することは、当を得た
ものとはいいがたい。この点に関する原裁判所の判断は首肯しうるところであつ
て、所論のように電気手術器の危険性の実体を誤認しケーブル接続の重要性を不当
に軽視したものというのはあたらない
 (二)、 ケーブル接続に関する業務の分担。
 (1)、 本件手術における関係者の業務分担。
 次に本件手術における右ケーブル接続をめぐる関係者の業務分担について検討す
る。原審第五回公判調書中証人a5、同第六回公判調書中証人a6、同第七回公判
調書中証人a4、同第八回公判調書中証人a1、同a17の各供述記載、証人a1
0及び被告人両名の原審公判廷における各供述、証人a14の当審公判廷における
供述、a1の検察官に対する昭和四七年一一月二〇日付供述調書(三、四項を除
く。)、a14の検察官に対する供述調書等関係証拠を総合すれば、被告人b1
は、執刀医一名、手術助手三名(うち一名は指導医を兼ねる。)、麻酔医二名、介
助看護婦(直接介助一名、間接介助二名)三名から成るチームで行なわれた動脈管
開存症の手術における執刀医として手術にあたつたものであること(五九五丁、六
六〇丁、一〇五八丁)、被告人bは右手術の間接介助看護婦として介助の任にあた
り、電気手術器のケーブルの接続も同被告人が行なつたこと(七〇三丁、七〇六
丁)、同病院では上述のとおりk部が創設された後においては、各n科の医師が手
術を行なうときにはk部所属の看護婦がk部の看護婦長に指名されて介助の任にあ
たつていたこと(一七八丁、一七九丁)、手術の介助看護婦には手を消毒して主に
執刀者に対する手術器具の手渡しを受け持つ直接介助と右の作業を除いたその余の
介助全般を受け持つ間接介助とがあること(七九九丁)、既述のとおり手術に使用
する器具・器材の整備、提供はk部の任務とされ、実際上は介助看護婦が所要の器
具・器材を手術室に準備することになつていたこと(八〇六丁、八〇七丁)、電気
手術器については、電源への接続、アース線への取付けは間接介助看護婦が行な
い、患者に対する対極板の装置もほとんど介助の看護婦がつけていたこと(九四六
丁、九四七丁)、また対極板側ケーブル及びメス側ケーブルを本体に接続するのも
まれに医師がすることもなかつたわけではないが、ほとんどの場合間接看護婦が行
なつていたこと(六二二丁、八〇八丁、八〇九丁)、助手の任務は執刀の際の鈎引
き及び血管の結さつなど手術の直接の補助にあること(六六〇丁、六六一丁)、指
導医は危険を防止し手術が間違いなく進行するよう注意を払い、術中困難な箇所に
さしかかつたときや事故が起きたときは執刀医の処置を補佐し、あるいは自らメス
をとることを義務づけられるものであること(一六一丁、五九六丁、証人a14当
審供述)、麻酔医は患者に麻酔をかける外患者の全身管理を行ない、生命に直結す
る呼吸・循環の管理をするものであること(七六〇丁、七七三丁)が認められる。
 (2)、 看護婦の補助行為の範囲と医師の監督責任の限度。
 保健婦助産婦看護婦法三七条によれば、看護婦は、主治の医師又は歯科医師の指
示があつた場合の外診療機械を使用してはならないことが規定されており、同法五
条と合わせて、診療機械の使用は医師の責任であり、看護婦は診療行為としての機
械使用については医師の指示がない限り単にその使用の補助ができるにすぎないこ
とが明らかである。c大h病院で看護婦によつて行なわれていた電気手術器の電源
への接続、アース線の取付け、及びケーブルの接続の諸作業、すなわち電気手術器
のセツトの作業は、同法三七条の法意に照らし、診療機械たる電気手術器の使用の
準備行為たるにとどまり、使用行為そのものには該当しない、と解されるから、同
条によりその都度医師の指示がなければ看護婦がしてはならない種類の行為には属
しないものとうべきである。従つて、同病院において電気手術器のケーブル接続を
その都度事前に一々医師の指示を受けることなく看護婦が行なつていたことは何ら
同条の趣旨に反するものではない。しかしながら、右ケーブルの接続は、時期的・
場所的に診療行為である医師の電気手術器の使用に密接して行なわれるのが通常で
あるから、診療行為自体ではないにしても、同法五条にいう診療の補助たる行為に
は該当するものと解すべきである。そして同条によれば、診療の補助が看護婦の業
務に属することは明らかであるが、医師の診療行為を看護婦が補助する立場にある
ものというべく、看護婦の補助行為について、それが看護婦の業務に属することを
理由に、当然に医師の監督を排除すべきものとし、もしくは不要なものと解すべき
理由はない。(従つて被告人b1の弁護人の、ケーブルの接続が治療のための準備
行為にすぎないものとし、その点を理由として直ちに右行為から生じた結果につい
ては専ら担当した看護婦の責に帰せられるべきである、とする主張は採用すること
ができない。)
 この点について所論は、危険な診療器械を使用するにあたつて、看護婦にその準
備を行なわせた場合、その準備行為が全く危険発生の余地がないときには看護婦に
一切を委ねて差しつかえないが、そうでないときには、医師の責任において点検・
確認をして使用し、発生した結果について責任を負うべきである、という。しかし
ながら、看護婦の補助行為が性質上医師の監督に服するものであるにしても、およ
そ危険を内在する補助行為については、事情の如何を問わずことごとく医師におい
て具体的な点検・確認を行なうべく、看護婦の措置を信頼する余地を許さないとす
ることは、当該医療行為における医師の役割や医師による点検の実施が当該医療行
為自体に及ぼす影響をも無視することになり首肯しうるところではない。医師が看
護婦の補助行為に対する監督としてどのような措置をとることが義務づけられるか
は、結局、補助行為の性質、当該医療行為の性質、作業の状況、医師の立場等の具
体的状況に照らして判断されるべきである。なお所論はこの点に関し、t事件の控
訴審判決(東京高等裁判所昭和四八年五月三〇日判決・刑事裁判月報五巻五号九四
二頁)の判示を引用するが、さきに述べたとおり右事件は本件と事案を異にし、本
件に適切でない。
 (3)、 チーム医療における執刀医の立場。
 前述したように本件手術は、執刀医・手術助手(うち一名は指導医を兼ね
る。)・麻酔医・介助看護婦の合計九名によつて行なわれたチーム医療であり、被
告人b1はその執刀医の地位にあつたものである。かかる場合に、執刀医は単に執
刀医としての立場にあるだけでなく、チームの総括指揮者として各人が作業に誤り
を犯すことのないように監督すべき責務をも負担すべきものではないかとの疑問が
ある。しかしながら、一般に手術がチームワークによつて行なわれる場合でも、目
的が手術の成功にあることにはいささかも変りがないのであつて、各職種がそれぞ
れ業務を分担して共同作業を行なう趣旨も、帰するところは、執刀医により行なわ
れる手術自体が支障なく円滑に遂行されうるよう執刀医に協力補佐して執刀に遺憾
なからしめ、手術の成功を期することにあると考えられる。手術を成功させるため
にはチームの各員がそれぞれの分担作業を忠実適切に遂行することが必要である
が、何といつても手術の成否の鍵を握るのは執刀医の執刀である。そしてチームワ
ークによる手術においてチームの成員による補佐があるとはいえ、執刀そのものは
常に執刀医のみに課せられた作業であつて、他の者の代りうるところではない。従
つてチームワークによる手術においても、執刀医の執刀自体に対する負担は何ら軽
減される理はなく、執刀医は、各員の協力補佐を受けながら当該チーム医療の目的
である手術の成功の鍵を握る自己の執刀に全力を尽すべき役割を有するものという
べきである。右の点に留意して考えると、チームワーク手術における執刀医の立場
は、自らは直接作業に携わらず、専ら配下の各員に指揮命令して作業を分担・遂行
させ、その状況を監督することを本旨とする純然たる統率の地位にあるものとは性
質を異にする面があるといわなければならない。手術を成功させる目的で執刀医に
協力補佐するためチームが組まれるものというべく、チームを指揮監督するために
執刀医が置かれるものとはいえない。もとよりチームワークによる手術の執刀医
も、執刀医としての立場で、自己の医療行為に対する補助者の補助行為に対する指
示ないし監督義務を負うことは当然であり(但しどの程度の監督義務を負うかは上
述のとおり具体的状況により判断されるべきである。)、また自らがチームの作業
の中核である執刀を担当する関係上、補助者に対する指示・監督の外、手術の遂行
について調整的権限を有する場合もありうると思われる。しかしながら、チームワ
ークによる手術の執刀医が、単に執刀医としての立場だけにとどまらず、右の限度
を越えて、当然にチームを指揮監督する統率者の地位にもあるものとして、その立
場を前提とするチームの成員の作業に対する監督責任まで負担すべきものと即断す
ることはできない。チームワークによる手術の執刀医の立場を右のように解するこ
とは、さきに述べた執刀医の本来の役割と対比して調和しないものがあることを否
定できない。証人a14が当審公判廷において、外科医師としての立場から、外科
医が麻酔の状態、機器の整備などにまで精力を分散することはチームワークの機能
が発揮できないことになる旨を供述している点も右の消息を窺うに足りるものとい
うことができる。
 しかも、原審第五回公判調書中証人a5の供述記載、a14の検察官に対する供
述調書、証人a14の当審公判廷における供述によると、本件手術にはu科助教授
a5が指導医兼助手として加わつていたこと、指導医は執刀医に比し経験・能力の
すぐれた者が充てられること、上述のとおり指導医は危険を防止し手術が間違いな
く進行するよう注意を払い、術中困難な箇所にさしかかつたときや事故が起きたと
きは執刀医の処置を補佐しあるいは自らメスをとることを義務づけられるものであ
ること、手術遂行の方法について見解が分れた場合の最終決定権は指導医にあるこ
とが認められる。もつとも、前掲の証拠によつても、本件手術において指導医たる
a5医師がチームの指揮統率についていかなる権限を持つていたかの点はにわかに
断定しがたいところであるが、序列においても被告人b1の上位にあるとみられる
同医師が指導医としてついている以上、少なくとも執刀医たる被告人b1が指導医
を凌駕してチームを指揮・統率すべきまでの地位になかつたことは窺うことができ
る。そして関係証拠を精査しても、同被告人が単独で、もしくはa5指導医と並ん
で、単なる執刀医としての立場だけでなく、チームを指揮監督する統率者の地位に
もあつたことを認めるに足りる証拠は存しない。
 (4)、 本件手術の性質及び具体的状況。
 次に本件手術の性質及び手術時の状況について検討する。被告人両名の原審及び
当審公判廷における各供述、被告人b1の検察官に対する各供述調書、a11の検
察官に対する昭和四七年一一月二二日付(二項を除く。)、同月二五日付(三項を
除く。)各供述調書、原審第三、第四回各公判調書中証人兼鑑定人a、同第五回公
判調書中証人a5、同第七回公判調書中証人a4、同第八回公判調書中証人a7の
各供述記載、証人a8、同a10の原審公判廷における各供述、証人a14、同a
15の当審公判廷における各供述、a作成の昭和四八年三月一七日付鑑定書によれ
ば、以下の各事実を認めることができる。すなわち、本件手術は、原判決が摘示す
るとおりv(当時二歳)の動脈管開存症の治療の目的で施行されたのであるが、術
式名を動脈管切離と称し、大動脈から肺動脈につながる動脈管を切離する手術であ
り、心臓周辺の血管とりわけ大動脈周辺に対するものであるため一つ間違えば大量
出血を起こして大事故になるおそれがあり、神経損傷を伴うことも多く、危倶すべ
き合併症がいろいろあつて特に大出血という点に関しは最も危険性の高い手術に属
し、術中これらの事態が起きた場合には早急の処置をとる必要があり、a5医師が
指導医としてつけられたのも右事態に備えることに主眼があつたこと(五九六丁、
一〇五五丁、一一一六丁、証人a14当審供述)、従つて執刀医及び指導医として
術中最も関心を払うべきことは、動脈管を剥離する場合や鉗子ではさむ場合に大出
血や神経損傷を惹起しないよう細心の注意をすることであつたが、さらに患者が幼
児である関係上なるべく短時間に手術を終了すべく留意しなければならなかつたこ
と(六二四丁)、本件手術は同病院k部第一手術室で行なわれ(五九四丁)、午前
八時三五分麻酔開始、同九時二〇分手術開始、同九時五八分ころ動脈管遮断、同一
〇時五〇分手術終了という時間的経過をたどつたこと(七五三丁、七五四丁)、被
告人b1は、a7外一名の麻酔医が間接介助の看護婦a4及び被告人bの介助を受
けて患者の全身麻酔に着手した前後ころ手術室に入室し(七〇三丁、七〇四丁、一
一一六丁、一一一七丁)、患者の静脈に点滴をするための準備として、そけい部の
静脈を切開し、点滴用のチユーブを挿入する処置を施したうえ手洗(手術のため両
手を消毒し消毒した予防衣を着てゴム手袋をはめる行為をいう。)に赴いたこと
(一一一七丁)、被告人b1が手洗をしている間にa4看護婦及び被告人bは、指
導医兼第一助手a5の確認を受けながら患者の左側胸部が上になるよう体位を取
り、患者の右足関節直上部に対極板側ケーブル(当庁昭和四九年押第七五号の5)
の対極板(既述のように子供用に改造されたもの。)を装着したこと(五九八丁、
六〇〇丁、七〇一丁、七〇二丁、被告人b当審供述)、なおこれに先立つてすでに
患者の両手両足計四か所に心電計の電極板が取り付けられていたこと(五九九丁、
七五五丁)、右対極板装着の段階では電気手術器の本体はいまだ手術台から遠ざけ
てあり、患者の身体に装着された対極板側ケーブルのプラグ側のコードは本体に接
続されず手術台から下に垂れ下つていたこと(九四七丁、一一一八丁)、被告人b
1は、約一〇分程かけて手洗を終え手術室にもどり、同じく手洗をすませた助手と
共に切開すべき局所を中心に患者の身体を広範囲に消毒したが、手術にとつて汚染
が禁忌であるため消毒には細心の注意が払われること(一〇六〇丁、一一一八丁、
証人a14当審供述)、同被告人は、右消毒を終えた後引き続き患者の身体中術野
の部位だけを残してその余の部分に滅菌された被布を何枚も掛け、露出部分が移動
しないようその被布を皮膚に縫いつけたこと(一一一八丁、被告人b1当審供
述)、ついで術者側の四名すなわち執刀医の被告人b1、a5指導医及び助手二人
は、手術台をはさんで二人づつ相対して立ち、所定の位置についたが、その位置関
係は、手術台の頭部側寄りに台をはさんで被告人b1とa5指導医が相対し、被告
人b1の左側に助手のa6医師が、a5指導医の右側に助手のw医師が立つたこと
(五九五丁、一一二一丁、一一三一丁)、被告人b1は、右の位置についた後直接
介助看護婦a11から電気手術器のメス先を入れる鞘を渡され、それを患者の身体
に掛けてある被布に鉗子で取り付けたが(一一二二丁)、そのころ間接介助看護婦
の手によつて電気手術器の本体が手術台に近づけられ、その位置はw助手のほぼ右
側で手術台から五〇ないし六〇センチメートル位離れていたこと(一一二三丁、一
一三一丁)、本体の向きは各ケーブルの接続口のある側が手術台の方に向けられて
置かれたこと(一一三五丁、一一三六丁)、しかし同被告人の位置からでは手術台
の陰にかくれて右接続口の部分が視認できない状態にあつたこと(一一一丁、一三
三丁)、同じころ間接介助看護婦の手によつて電気手術器の足踏スイツチが術者の
傍に近づけられたこと(被告人b当審供述)、本体が手術台に近づけられた後被告
人b1は、器具台の上に置いてあるメス側コードを坂下看護婦から受取るかもしく
は自分で取るかして手にし、そのメス先を被布に取り付けた前記鞘に入れ、プラグ
側を手術台の反対側にいる被告人bの方に渡したこと(四二五丁、一一二三丁)、
被告人bは、手術台の被布の下から垂れ下つている対極板側ケーブルと被告人b1
から渡されたメス側ケーブルの各プラグを本体の各端子の接続口に挿入して接続し
たが(七〇六丁)、その際既述のとおり誤接続をしたこと(証人兼鑑定人a各供述
記載、同人作成の前掲鑑定書)(もつとも対極板側ケーブルの接続とメス側ケーブ
ルの接続の前後関係は不明であるが、対極板側ケーブルのコードの長さ《二・二八
五メートル》《一〇九丁》から考えて同ケーブルが先に接続されたとしても、その
時期は少なくとも本体が手術台に近づけられた後であると認められる。)、被告人
b1は、メス側ケーブルのプラグ側を被告人bの方に渡した後、麻酔医に「よろし
いですか。」と声をかけて患者の容態が手術を開始してもよい状態にあるか否かを
確め、「結構です。」との答を得るや、a5指導医に対し、「お願いします。」と
声をかけ、手術を開始したこと(四二五丁、六〇四丁、一一二六丁)、執刀を開始
した被告人b1は、直接介助の坂下看護婦から円刃刀と称するメスを受け取り、左
側胸部を筋膜の手前まで切開し、a5医師ら助手が出血箇所をガーゼで拭い止血鉗
子ではさみ、さらに同被告人が、鞘から電気手術器のメス先を取り上げ、足踏スイ
ツチを踏んで電気手術器を作動させ、メス先を右止血鉗子に当て出血箇所を凝固さ
せようとしたが、通常の場合に比して凝固作用が弱く時間がかかつて利きが弱いと
感じられたので、本体のダイヤル操作を担当していた被告人bに「弱い。」と言い
ながら、引き続き足踏スイツチを踏んだままメス先を出血箇所をはさんだ止血鉗子
に次々に接触させ一応止血を終えたこと(一一二七丁、一一二八丁)、他方被告人
bは、電気手術器の利きが弱いと言われたので本体の凝固のダイヤルの目盛を上げ
たが、なお利きの弱さは改まらなかつたこと(四二六丁、四二七丁、六六七丁、六
六八丁)、その後被告人b1は、筋肉層の剥離・切開につづいて肋間筋膜及び肋間
筋の切開を行ない、その際の止血のためにも電気手術器のメス先を使用したとこ
ろ、利きが強すぎる状態になつていたこと(四二七丁、一一二九丁)、ついで同被
告人は、肋膜を切開して開胸し、大動脈や肺動脈を他の組織から遊離した後、動脈
管切断時に起こりうべき大出血に備えて動脈管の分岐している付近の大動脈にテー
プをかけ、出血時にはそのテープで大動脈の血行を止められるような処置を施した
うえ、鉗子で動脈管の血行を止めておいて動脈管を切断したが、切断に際してこれ
といつた出血はなく、手術は成功したこと(一一三〇丁、一一三三丁、一一三四
丁)、その後剥離した大動脈及び肺動脈を縫合するなどの処置をとり、手術を終え
たこと(一一三四丁)、以上の事実を認めることができる。
 (5)、 手術直前における執刀医の本来的任務。
 以上によれば、被告人b1が被告人bの方にメス側ケーブルのプラグ側を渡し、
被告人bが各ケーブルのプラグを本体に接続したのは被告人b1がメスを取つて手
術に着手する以前のことであり、しかも右作業は同被告人の眼前で行なわれたので
あるから、同被告人にとつて、右接続の正否を点検することは時間的にも場所的に
も困難がなく、手術遂行上にも格別の支障を及ぼす行為ではなかつたようにも思わ
れる。確かに上記のとおり電気手術器の本体は被告人b1の眼前にあつたのである
から、たとえ、同被告人の位置からは接続口の部分を視認できず、さりとて同被告
人が自ら接続の正否を目で見て確認するため位置を移動して本体に接近することは
手術実施上最も注意すべき汚染防止の見地から避けるべきものであつたにしても、
間接介助看護婦ないし本体の傍に位置している助手に指示してケーブル接続の正否
を確認させることも可能であつて格別の手間を要するとも思われないうえに、右ケ
ーブル接続のなされた時点は、いまだ執刀に着手する前であり、しかも患者の消
毒、被窃かけはすんでいたのであるから、ケーブルの接続の正否確認のため右処置
をとる程度の余裕はあつたように考えられないではない。
 しかしながら、ケーブルの接続の点検の処置をとることが外見上一見容易に見え
ることにとらわれて、本件のような危険性の高い重大な手術を誤りなく遂行すべき
執刀医の立場に対する洞察を欠くことも許されない。
 この点について、原審第五回公判調書中証人a5の供述記載、被告人b1の原審
公判廷における供述、被告人b1の検察官に対する昭和四七年一二月一日付供述調
書、証人a14、同a15の当審公判廷における各供述によると、およそ執刀医と
しては、手術中は、操作の一つ一つが成功するしないに関係するため、術野に全神
経が集中され、間接介助の看護婦の仕事を気にすることもなく、手術室への人の出
入りも気付かないことが多く(六三一丁、六三二丁、一〇六一丁、一〇七一丁)
(現に本件手術中重要な部分が終つた時点でa5指導医が手術室を出ているのに執
刀中の被告人b1はそれに気付いていない《六三一丁、一〇六二丁》。)、手術の
内容によつても違うが、特にポイントとなるような操作が終るまではかなりの緊張
を持続するものであり(六三二丁)、執刀医の補助をする助手についてさえも、術
中は絶えず術野を注視していることを義務づけよそ見をしないように注意される程
である(証人a14当審供述)ことが認められる。してみれば、とりわけ本件のよ
うに大出血や神経損傷を伴う可能性のある危険性の高い重大な手術に携わる執刀医
は、手術開始後は術野に注意を集中して執刀に専念することが望まれ、術野以外の
分野に注意を分散することは手術の成功を阻害する原因ともなりかねないからでき
るかぎりこれを避けるべき立場にあるものといわなければならず、実際上その余裕
もないものと認められる。
 次に執刀開始直前の執刀医の立場について、被告人b1は、本件の患者は二歳の
幼児であり、動脈管が開存していたため肺や心臓に負担を与え、心臓などが弱つて
いた患者であるから、全身麻酔をかけた後は心臓などに急変を生ずるおそれがあ
り、患者の容態に気を配つていなければならないので、看護婦のケーブルの接続ま
で見ている精神的余裕がないと思う旨(同被告人の検察官に対する昭和四七年一二
月一日付供述調書)(一一二四丁、一一二六丁)、実際手術してみると術前の診断
名と異なる疾患の場合もありうるので、手術前にもそういうことを念頭において対
応方法などを検討する旨(同被告人の当審公判廷における供述)、看護婦のケーブ
ル続の正否を確めることは手術という非常に特殊な条件下なので普通の状態ではそ
ういうゆとりはない旨(同右)を供述する。前掲証人a5の供述記載(六二五
丁)、証人a15の当審公判廷における供述によれば、手術時の患者の容態の把握
は一応麻酔医に任されているが、病状によつては麻酔医の報告を待たず執刀医の側
から麻酔医に対し容態について質問をして確める場合もあり、執刀医としても患者
の容態については関心を払つていなければならない立場にあることが窺われる。そ
して本件手術当時の患者の容態については、前掲証人a5の供述記載(六〇三丁、
六〇四丁参照)によれば、本件手術開始の時点では非常に切迫したというような状
態ではなかつたと思うが、そういう事態(すなわち患者の脈はく、血圧など容態が
急激に変わつて執刀医がそれに神経を集中していなければならない状態)が起こり
うることは常に考えていたというのであつて、本件手術直前の患者の容態が執刀医
として関心を払わなくてもよい程度の状態ではなかつたことが窺われる。しかも、
本件手術は前叙のとおり大動脈から肺動脈につながる動脈管を切離する重大な手術
であり、一つ間違えば大量出血を起こして大事故になるおそれがあり、神経損傷を
伴うことも多く危惧すべき合併症がいろいろあつて特に大出血という点に関しては
最も危険性の高い手術に属したのである。また、執刀直前の執刀医の心理に関連し
て、証人a15は、当審公判廷において、「やはり一番気を配るのは、その手術自
体、患者の病気、あるいはその自分がこれから行なう手術というものにやはりほと
んど精神が集中されることが多いと思います。」と供述するが、右は専門医家の経
験に基づく証言として措信しうるところである。さらに、証人兼鑑定人aは、原審
公判廷において、手術直前執刀医がケーブルの接続の確認をすることは、他に注意
すべき事項が非常に沢山あるはずで、そこまで確認する余裕はないと思われ、困難
と思う旨を供述しているが、右供述は前記三の(二)の(3)に掲げた証人a14
の供述と相まつて、手術開始直前の点検に関連して執刀医の立場を窺わせるものと
いうことができる。
 叙上の本件手術の性質、患者の容態及び執刀直前の執刀医の役割、心理状態等に
照らして考えると、本件のような危険性の高い重大な手術の執刀医としては、手術
遂行に万全を期する以上、執刀直前の時点において、患者の容態を最終的に確め、
手術を誤りなく遂行するための手順・方法を確認し、術中に起こりうべき容態の急
変、大出血、合併症等の突発事態に対処すべき方策を検討すると共に、執刀を目前
にして精神の安定と注意の集中をはかる必要があり、その時点での有形的な作業の
有無にかかわらず、手術自体以外の分野に注意を向ける精神的余裕は乏しかつたも
のと認められ、かかる立場にある執刀医に対しては執刀中に準じて手術そのものに
精神を集中しうることを可能ならしめる態勢をとることが望まれ、執刀医が注意を
他に分散して精神の集中を妨げられる結果を来すことは手術遂行に及ぼす影響も懸
念されるところで手術目的の達成上好ましからぬことといわなければならない。
 (6)、 介助看護婦の能力と作業の性質。
 ところで、本件手術に際しケーブルの接続を担当した被告人bは、昭和四〇年か
ら同病院k部に勤務していた正規の看護婦で、電気手術器を使用する手術に対する
介助の経験をも積んでいたものであり、被告人b1も、被告人bについて詳しくは
知らないものの同人がベテランの看護婦であることは承知していたこと被告人両名
の当審公判廷における各供述)、電気手術器のケーブルの接続は、既述のとおり診
療の補助行為ではあるけれども、極めて単純容易な作業に属し、その方法について
医師の指示を要するようなものではなく、およそ資格のある看護婦が担当してたや
すく誤りを犯すとは容易に考えがたい種類の行為であること、それまで看護婦のし
たケーブルの接続が誤つていたため不慮の事故を起こした例は皆無であつたことが
明らかである。このように経験を積んだ正規の看護婦が共同作業における自己の分
担として、方法につき何ら医師の指示を要しない極めて単純容易で定型的な作業を
行なつていたという点は、看護婦の当該作業に対する医師の信頼の当否を判断する
うえに斟酌さるべき一事情たることを否定できない。
 (7)、 危険の予兆の有無。
 もとより患者の安全を害しては手術の目的達成もありえないところであり、経験
を積んだ正規の看護婦が単純容易な作業をする場合であるから絶対に過誤が起りえ
ないともいえない。従つてケーブルの接続に関して過誤もしくは危険の発生の可能
性を示す何らかの予兆が認められた場合には、手術前はもとより手術中でも執刀医
は直ちに関係箇所を点検して危険防止の措置をとるべきである。しかしながら、関
係証拠を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても、本件手術に際し右の
予兆があつたことを認めるに足りる資料はない。所論は、従来対極板の装着が不完
全であつたため患者に軽度の火傷を生じた事例があることをもつて事故発生の予兆
であるというけれども、被告人b1が当時かかる事例の存在を認識していたことを
認めるに足りる証拠はないのみならず、それまで他に右事例があつたからといつ
て、これを目して本件手術時におけるケーブル接続の過誤ないし危険発生の予兆と
するに足りないことは明らかである。もつとも前叙のとおり本件手術開始後電気手
術器のメスの利きが弱く、被告人bが本体のダイヤルの目盛を上げたのにしばらく
の間その状態が改まらなかつた現象のあつたことが認められる。しかしながら、原
審第六回公判調書中証人a6の供述記載、証人a8、同a16及び被告人b1の原
審公判廷における各供述、同被告人の検察官に対する昭和四七年一二月一日付供述
調書、証人a14の当審公判廷における供述によると、本件事故当時まで同病院備
え付けの電気手術器を使用した際、本体内部の接触の具合等によるためか、ケーブ
ルの接続に誤りがないのに利きが弱くなり本体を振動させたり、各部を点検したり
しているうちに正常に復することがまれではなく、右事実は被告人b1を含め電気
手術器を使用する関係者の知るところであり、本件手術時にみられた利きの弱さも
従前に経験された域を出ないものであつたことが認められるから、右の現象をとら
えてケーブルの接続の過誤ないし危険発生の予兆があつたものとみるのは相当でな
い(加えるに、当審において取調べた鑑定人a作成の昭和五〇年七月三一日付鑑定
書によると、メス側ケーブルと対極板側ケーブルを本体に誤接続して電気手術器を
作動させた場合、対極板装着部位に温度上昇を来すが、その温度が水の沸点に到達
することを不可逆的熱傷発生の極限とすれば、その温度への到達に要する作動時間
は二分ないし五分であり、しかも水の沸点以下の温度でも不可逆的熱傷を生ずる可
能性を否定するものではない《その場合の不可逆的熱傷発生までの所要作動時間は
さらに短かくなる。》ことが認められる。従つて、本件手術中に電気手術器の利き
の弱さが感じられた以上、ケーブル誤接続ないし危険発生の予兆があつたものとし
て執刀医たる被告人b1にケーブル接続の正否の点検をすべき注意義務があつたも
のと解しても、その点検をするまでに熱傷が惹起されている可能性を否定できない
から、右点検義務の懈怠は結果の発生に対して因果関係を有しないこととなる可能
性も否定しえないのである。従つて右の点をとらえて過失犯の成立を認めることも
困難である。)。
 (8)、 執刀医の負担と事故防止方策。
 およそ、共同作業においてその誤りが重大な危険をはらむ行為に対しては、安全
保持の見地に立つて論ずる限り、二重もしくは三重の過誤防止方法か講ぜられるこ
とが望ましいことはいうまでもない。医師、看護婦が共同して行なう外科手術にお
いて、看護婦の行なう電気手術器のケーブルの接続の正否が患者の安全にかかわり
がある以上、過誤防止のためには単に接続を担当する看護婦自身の注意に依存する
だけではなく、これを補う他の適当な方策が講ぜられて然るべきである。しかし、
その方策としては、執刀医による点検が唯一の措置ではなく、執刀医に比すれば相
対的に精神的時間的余裕があつたかと思われる指導医もしくは助手による点検も考
えられ、またケーブル及び本体の接続口の色テープによる区別も誤接続防止にかな
り有効であつたと思われ、さかのぼつて事故防止のための器械・器具の総点検及び
整備が十分にされる必要のあつたことも明らかである。そして、右のうち器械自体
にかかる事故防止の手段は本来k部の講ずべきものであつたのであり、このように
誤接続防止のため他にとりうべき方策がありうるのにその措置がとられない状態
で、執刀医にのみその負担を代替させることは、少くとも執刀中もしくは執刀直前
の段階についていう限り、本件のように重大な手術遂行に重い負担を負う執刀医の
立場に照らし合理的であるとはいえない。
 四、 被告人b1の負うべき刑法上の過失責任の有無。
 右三の(一)、(二)の諸事情を総合すれば、本件の場合、チームワークによる
手術の執刀医として危険性の高い重大な手術を誤りなく遂行すべき任務を負わされ
た被告人b1が、その執刀直前の時点において、極めて単純容易な補助的作業に属
する電気手術器のケーブルの接続に関し、経験を積んだベテランの看護婦である被
告人bの作業を信頼したのは当時の具体的状況に徴し無理からぬものであつたこと
を否定できない。なお被告人b1を含め当時の外科手術の執刀医一般について電気
手術器のケーブルの誤接続に起因する傷害事故の発生を予見しうる可能性が必ずし
も高度のものでなかつたことはさきに述べたとおりである。所論は、医師は人の信
頼を受けて人の生命・健康を管理することを業とする者であるからその業務の性質
に照らし人に危害が及ぶことを防止するがために最善の措置を尽すべき高度の義務
を課せられていると主張する。確かに医師がその業務にかんがみ診療に伴う危険を
防止するため高度の注意義務を負うことは抽象的には所論のとおりであるが、その
義務が無制限に課せられてよいものではなく合理的な限界があるべきことも当然で
ある。医師の行為が刑法上制裁に値する義務違反にあたるか否かは、当該専門医と
して通常用いるべき注意義務の違反があるか否かに<要旨第二>帰着すべく、結局当
該行為をめぐる具体的事情に照らして判定される外ない。執刀医である被告人b1
にとつて、前叙のとおりケーブルの誤接続のありうることについて具体
的認識を欠いたことなどのため、右誤接続に起因する傷害事故発生の予見可能性が
必ずしも高度のものではなく、手術開始直前に、ベテランの看護婦である被告人b
を信頼し接続の正否を点検しなかつたことが当時の具体的状況のもとで無理からぬ
ものであつたことにかんがみれば、被告人b1がケーブルの誤接続による傷害事故
発生を予見してこれを回避すべくケーブル接続の点検をする措置をとらなかつたこ
とをとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反があつたものということ
はできない。
 本件当時、c大h病院もしくはr大s部における実情として、電気手術器のケー
ブルの誤接続による傷害事故の発生をおもんぱかつて執刀医ないし助手の医師が一
々ケーブルの接続の正否を点検する取扱いがされてはいなかつたことは既述のとお
りであり、本件手術に際し指導医として立会つた証人a5も、原審公判廷で、本件
事故当時までの自らの手術の経験でケーブルの接続の正否を点検したことはなく、
本件手術に際しかりに自分が執刀したとしても右点検は恐らくしなかつたと思う旨
を供述している。証人a14の、外科医が麻酔の状態、機器の整備などにまで精力
を分散することはチームワークの機能が発揮できないことになる旨の供述もさきに
摘示したとおりである。これらによれば、本件事故当時の実情として、被告人b1
と同様の立場に置かれた執刀医がケーブル接続の点検について一般に同被告人と同
じ態度に出たであろうことは窺うに難くないところである。この点にかんがみて
も、同被告人の態度をとらえ、執刀医として通常用いるべき注意義務の違反と目す
ることは相当でないといわざるをえない(所論は、原判決が、同被告人の過失を否
定するについて、同被告人がc大h病院におけるケーブル接続についての慣行に従
つた事実を考慮した点をとらえて、悪しき慣行は被告人を免責するものではない旨
主張する。およそ慣行に従つたことがそれ自体で注意義務違反から免れさせるもの
でないことは所論指摘のとおりであるけれども、上述のとおりケーブル接続の点検
に関する実情を把握することは、点検義務が執刀医として通常用うべき注意義務に
属するか否かの判定に資するものというべきであるから、この意味において慣行を
顧慮した原判決の判断は結局相当である。)。
 以上の次第で、同被告人が前記の具体的状況のもとにおいて、ケーブルの誤接続
による傷害事故の発生を予見したうえその接続の点検による結果回避の措置をとら
なかつたことは、いまだ業務上過失傷害罪における過失にはあたらないものという
べきである。従つて、同被告人につき刑事上の過失責任を否定した原判決は結論に
おいて十分に首肯しうるところである(ケーブルの誤接続のありうることに対する
同被告人の認識の可能性について原判決における上記の事実誤認は判決に影響を及
ぼさない。)。結局原判決には被告人b1に関しても判決に影響を及ぼすことの明
らかな事実誤認ないし法令の適用の誤りを見出だすことはできない。論旨はいずれ
も理由がない。
 よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用
は同法一八一条一項本文により鑑定人a及び証人aにそれぞれ支給した分の各二分
の一を被告人bに負担させることとし、主文のとおり判決をする。
 (裁判長裁判官 粕谷俊治 裁判官 高橋正之 裁判官 近藤崇晴)

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