弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
1被告日本赤十字社及び被告Cは,原告に対し,連帯して,200万円及びこれ
に対する平成14年12月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払
え。
2原告の被告日本赤十字社及び被告Cに対するその余の請求並びに被告有限責任
中間法人日本造血細胞移植学会に対する請求を棄却する。
3訴訟費用は,原告と被告日本赤十字社及び被告Cとの間で生じたものについて
はこれを5分し,その2を被告日本赤十字社及び被告Cの,その3を原告の負担
とし,原告と被告有限責任中間法人日本造血細胞移植学会との間で生じたものは
原告の負担とする。
4この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1被告C,被告日本赤十字社及び被告有限責任中間法人日本造血細胞移植学会は
原告に対し,連帯して,500万円及びこれに対する平成14年12月1日から
支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2被告有限責任中間法人日本造血細胞移植学会は,原告に対し,100万円及び
これに対する平成18年6月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を
支払え。
3被告有限責任中間法人日本造血細胞移植学会は,フォローアップ調査に関して
訴外Aから同意が得られなかった旨の学会発表につき,これを訂正する旨の学会
発表を行え。
第2事案の概要等
1事案の概要
本件は,Aが,実弟であるBのために同種末梢血幹細胞移植(PBSCH)の
ドナー(以下,単に「ドナー」という場合がある。)となるにつき,被告日本赤
十字社(以下「被告日赤」という。)が設置する京都第一赤十字病院(以下「被
告病院」という。)において顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF)製剤の投薬
を受け,末梢血幹細胞(PBSC)採取(アフェレーシス)を実施された際,被
告病院の医師である被告Cには,後記ガイドライン遵守違反,説明義務違反等が
あり,被告有限責任中間法人日本造血細胞移植学会(以下「被告学会」とい
う。)には,後記ガイドライン遵守に関する監視義務違反があるとして,Aの相
続人である原告が,被告Cに対しては不法行為に基づき,被告日赤に対しては,
選択的に,診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき,被告
学会に対しては不法行為(使用者責任)に基づき,連帯して,損害賠償金500
万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成14年12月1日から支払済
みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,さらに,被告学
会がAの症例報告につき虚偽の学会発表をしながらその訂正に応じなかったこと
により原告に精神的苦痛を与えたとして,原告が被告学会に対し,不法行為に基
づき,損害賠償金100万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成1
8年6月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金及び
名誉毀損における原状回復請求権(民法723条)に基づき,学会発表内容の訂
正を求めた事案である。なお,以下においては平成13年の出来事については,
平成13年の記載を省略する。
2前提事実
(1)当事者
アA(昭和14年2月13日生)は,多発性骨髄腫に罹患していた実弟のB
のために,同種末梢血幹細胞移植のドナーとなろうとした者であり,原告は,
Aの夫である。
イ被告日赤は,被告病院を開設している団体である。
ウ被告Cは,被告病院医師であり,B及びAの主治医であった。
エ被告学会は,同種末梢血幹細胞移植につき,同種末梢血幹細胞移植のため
の健常人ドナーからの末梢血幹細胞の動員・採取に関するガイドライン(平
成12年4月1日公表,同年7月21日改訂第2版。以下「本件ガイドライ
ン」という。)を発表しているほか,ドナーフォローアップ事業を展開して
いる。
(2)本件の経緯
アAは,7月10日,被告病院を受診し,血液検査等を受けた(被告日赤と
の間で診療契約を締結したことは争いがないが,同時点における診療契約の
内容については争いがある。)。
イ被告Cは,8月28日,同種末梢血幹細胞ドナー登録センターに対し,A
に係るドナー登録申請書を送付した。
ウAは,9月6日,被告病院に入院し,血液検査を受け,顆粒球コロニー刺
激因子(G−CSF)製剤の投薬を受けた。
エAは,9月10日及び同月11日,末梢血幹細胞を採取された。
オAは,9月12日,被告病院を退院した。
カAは,平成14年12月1日,急性骨髄性白血病により死亡した。原告は,
Aの上記損害賠償請求権を相続した。
(3)被告学会は,本件につき,有害事象報告例として学会内で発表し,ニュー
ズレターないし被告学会の開設するホームページで発表したが,その内容は,
別紙「有害事象例報告記事」のとおりである。
第3争点及び争点に対する当事者の主張
17月10日以降の被告Cの説明内容
当事者の主張は,別紙診療経過一覧表のとおりである(原告の主張は,「詳細
に対する原告の認否」及び「詳細に対する原告の主張」欄,被告日赤及び被告C
(以下,併せて「被告Cら」という。)の主張は,「診療経過」「検査・処置」
「備考」及び「詳細」欄のとおりである。)。
2過失又は注意義務違反
(1)被告Cの過失又は注意義務違反
アガイドライン遵守義務違反
(原告の主張)
本件で行われた医療行為は,疾病の治療を目的とする場合と異なり,健常
者に薬剤を投与し,身体への侵襲行為を伴い,しかも中長期の安全性が確立
されていない施術行為であるところ,本件ガイドラインは,安全・適切に同
種末梢血幹細胞採取を行うために作成されたものであるから,実施施設の主
治医としては,本件ガイドラインを遵守すべき義務があり,これを遵守しな
かった場合には,ドナーとの関係においても,注意義務違反となるというべ
きである。本件では,以下のガイドライン違反事実が存在する。
(ア)本件ガイドラインでは,ドナーの安全確保の見地から,ドナーの主治
医は,レシピエント(移植を受ける患者)の主治医の兼務を禁止されてい
る。ところが,被告Cは,ドナーとレシピエントの両方の主治医を兼ねて
いた。
また,本件ガイドラインでは,ドナー登録に際し,文書による同意が必
要とされていたにもかかわらず,被告Cは,これを得ていなかった。
(イ)本件ガイドラインでは,移植後4週間以内は,全例について短期フォ
ローアップを行い,アフェレーシス実施後,翌日,1週間後,4週間後に
血液検査を含めたフォローアップを行うべきとされている。
ところが,被告Cは,これらのフォローアップの実施を怠った。
(被告Cらの主張)
本件ガイドラインは,平成12年4月1日に公表され,同月ころ,同種末
梢血幹細胞移植の健康保険適用が承認されたところであり,同種骨髄移植の
代替法として,積極的な臨床応用が進んで間もないころのものである。
本件ガイドラインは,健常な血縁ドナーから,移植後の生着に必要な十分
量の末梢血幹細胞を安全に採取するために,G−CSF投与による末梢血幹
細胞の動員及びアフェレーシスによる末梢血幹細胞採取に関する基準をガイ
ドラインとして示したものである。本件ガイドラインは,あくまで基準を指
針として示したものであり,会員を規制するものではない。また,G−CS
Fによる末梢血幹細胞動員やアフェレーシスによる末梢血幹細胞採取の具体
的な作業基準(マニュアル)については,各施設で作業基準書を作成するこ
とを推奨するとされていた。
本件は,平成13年の出来事であり,本件ガイドラインの内容は,臨床医
学における普遍的な医療水準には到底達していなかった時期のものである。
したがって,これを遵守しなかったことが直ちに注意義務違反となるはずは
ない。
(ア)ドナーとレシピエントの主治医の兼務は禁止されていないし,被告C
は,入院診療計画書に本人の自署による同意を得ている。
(イ)被告Cは,7月10日,Aに対し,G−CSF投与後,何か月ないし
何年も経過しての合併症の報告は聞いていないが,年1回の定期検査(血
液検査)の制度がある旨説明しており(もっとも,フォローアップ制度と
いう言葉は使用していない。),これに対し,Aは,「それはいいで
す。」と言って,拒否したのであるから,被告Cには,原告主張の注意義
務違反はない。
イ説明義務違反(本件ガイドラインを遵守した上での説明義務違反も含
む。)
(原告の主張)
(ア)aAは,7月10日,被告日赤との間で,移植についての説明を受け
ることを目的とする診療契約を締結した。
したがって,被告Cは,Aに対し,ドナー候補者としてドナーとなる
ことを決定するについて必要な情報の提供を行うべき義務がある。
そして,Aから採取される末梢血幹細胞は,G−CSFを投与し,血
液中の血幹細胞を人為的に増加させた上で血液中から採取されるもので
あり,しかも,G−CSF使用後の中期及び長期の安全性は確認されて
おらず,本件ガイドラインによれば,末梢血幹細胞の採取の実施に際し,
十分な説明を行うことが求められている。
そうすると,被告Cは,Aとの上記診療契約に基づき,7月10日以
降,ドナー候補者に対する説明として,本件ガイドラインの内容,骨髄
移植と末梢血幹細胞移植のそれぞれの施術の内容,危険性,身体的負担
の程度,副作用の有無,有害事象例,術後のフォローアップの必要性,
フォローアップの内容などを説明し,ドナーとなるかどうか,なった場
合には骨髄移植と末梢血幹細胞移植のいずれを選択するかを決定するた
めに必要な情報を提供(説明)すべき義務がある。
b仮に7月10日には何ら診療契約が締結されなかったとしても,Aの
ヒト白血球抗原(HLA)型が適合することが判明した7月10日以降,
被告Cには,9月6日の末梢血幹細胞移植のための診療契約締結に先立
ち,Aの真摯な同意を得るため,契約締結に必要な情報(末梢血幹細胞
移植に関して行うべき説明は7月段階とほぼ同様である)を提供すべき
義務がある。
cまた,Aは,9月6日,被告日赤との間で,末梢血幹細胞移植のため
の診療契約を締結した。したがって,被告Cは,Aとの上記診療契約に
基づき,9月6日以降,ドナー登録者に対する説明として,本件ガイド
ラインの内容,これから実施される末梢血幹細胞移植の施術の内容,危
険性,他の代替的な手段,起こり得る副作用・合併症,フォローアップ
の必要性,フォローアップのための定期検査の存在・検査の内容・時期
・検査を受けるために必要な事項等を説明すべき義務がある。
仮に,被告Cが7月10日の時点で本件ガイドラインに沿って前記説
明を行っていたとしても,同時点では,Bの長男の血液検査の結果が出
ておらず,Aもドナーとなることを決めていたわけではなかったのであ
るから,Aは,同意不同意を判断する状況にはなかったのであり,同時
点における説明では不十分である。したがって,9月6日以降に改めて
説明すべき義務がある。
特に,本件では,9月6日時点で,既に海外でドナーの死亡事例が報
告されており,日本国内においても,産経新聞において,4月29日付
けでその旨が報じられていたのであるから,この点も含めて,急性骨髄
性白血病の発症の可能性など,起こり得る副作用,これまでの有害事象
例について説明を実施すべき義務がある。
(イ)被告Cは,7月10日,Aに対し,骨髄移植は,全身麻酔をかけた上
で,骨に何十カ所も穴を開けて骨髄を採取すること,ドナー6万人のうち
死亡例が4例あること,半分のケースで熱が出るほか,腰痛が2,3日続
くことを説明し,末梢血幹細胞移植については,全身麻酔などは不要で,
有害事象例として一時的な心停止と脾臓破裂があるが,死亡事例はないこ
と,熱が出ても微熱で腰痛も鎮痛剤で対処できることを説明した。
これらの説明内容は,骨髄移植の危険性と末梢血幹細胞移植の安全性を
強調したものであり,説明を受けたAとしては,骨髄移植よりも末梢血幹
細胞移植の方が,ドナーにとって負担もリスクも少ないという意味で理解
したであろうことは明らかであって,被告Cは,不正確な説明を行ってい
る。加えて,被告Cは,海外死亡事例が存在するにもかかわらず,死亡事
例はないと虚偽の説明を行っており,末梢血幹細胞移植実施後の短期,長
期フォローアップのための定期検査の存在・内容等の説明も怠っており,
説明義務違反があることは明らかである。
なお,被告Cらは,被告CがAに対し,定期検査制度がある旨説明した
が,Aが定期検査を受けることを拒否した旨主張するが,このような説明,
拒否の事実はいずれもない。
(被告Cらの主張)
(ア)原告主張の7月10日及び9月6日の診療契約締結の事実は否認する。
Aがドナーとなることは,BとAとの話し合いとAの同意(承諾)により
決まったことであり,被告日赤が決めたことではないから,被告日赤はA
に対し何らの債務を負うものではなく,被告CのAに対する説明も,ドナ
ーになるかどうかを決断する前提としての必要な医療情報を提供して判断
の便宜を図ったにすぎないから,原告の説明義務の主張は前提において失
当である。
仮に,被告Cに何らかの説明義務があるとしても,医師のドナー候補者
に対する説明義務は,医学的見地から,当該ドナー候補者が医学的なドナ
ー適格者であるか否かを検査すること,ドナーとなった場合の末梢血幹細
胞採取についての検査や処置,予測される副作用,危険性,合併症発生の
可能性などの説明を適正に行うことである。
被告Cは,7月10日,Aに対し,別紙診療経過一覧表の「診療経過」
「備考」及び「詳細」欄のとおり,G−CSF製剤の短期的副作用につい
て説明し,長期的副作用については説明は困難であるものの可能な限り説
明しているし,アフェレーシスの安全性についても説明しているから,説
明義務違反はない。そして,既に7月10日に説明済みの内容を改めてド
ナーになることを決定した9月6日以降説明すべき義務もない。
(イ)a原告は,G−CSF製剤の副作用として,急性骨髄性白血病の発症
の可能性を説明すべきであると主張するが,以下のとおり,同病の発症
について,当時は予見可能性が全くなかったのであるから,被告Cには
説明義務はない。
本件が実施された平成13年当時,世界中で約3万例の同種末梢血幹
細胞移植が行われているが,本件は,末梢血幹細胞移植ドナーにおける
急性骨髄性白血病発症の1例目である。
末梢血幹細胞移植ドナーがG−CSFの投与を受けた後の合併症の発
生は,G−CSFの投与中やアフェレーシスを行っている期間あるいは
その直後に,微熱,腰痛等としてみられるが,本件のように1年2か月
後の死亡例はなく,我が国では,平成14年9月に真性多血症を発病し
た報告が1件あったのみである。
よって,本例の発症は,当時は,急性骨髄性白血病発症の予見可能性
が全くなかったのであるから,被告Cには,説明義務はない。
なお,原告は,9月6日時点で,既に海外で死亡事例が報告されてお
り,日本国内においても,産経新聞において,4月29日付けでその旨
が報じられていたのであるから,被告Cは,この点も含めて,起こり得
る副作用,これまでの有害事象について説明を実施すべき義務がある旨
主張する。
しかし,平成13年3月発行の被告学会のJSHCTLetter7
号による学会員へのお知らせでは,「海外における8例の同種末梢血幹
細胞ドナーの死亡事例は,発症時期等から見て,同種末梢血幹細胞動員
・採取に強い関連があるものと考えられます(括弧内中略)。そして8
例に共通する著しい特徴は,いずれも末梢血幹細胞採取時,ドナーは健
常とは言い難い状態であったということです。同種造血幹細胞ドナーは,
骨髄,末梢血を問わず健常人であることを前提としています。」と記載
があるところ,Aは,ドナーとしての適格性が確認された健常人であっ
たから,上記の死亡事例とは状況が異なり,Aに対し死亡事例を説明す
べき前提を欠くものである。
b原告は,同種末梢血幹細胞移植について中長期の安全性が確立されて
おらず,そのためのフォローアップ調査を実施すべきであるから,フォ
ローアップ調査の必要性について説明すべき義務がある旨主張する。
しかし,前記のとおり,被告Cは,定期検査制度の存在をAに説明し
たが,Aは,定期検査を拒否したのであるから,被告Cには,何ら説明
義務違反はない。
cまた,原告は,本件ガイドラインの内容についても説明すべきである
と主張する。
しかし,本件ガイドラインは,平成12年4月1日に公表され,同月
ころ,同種末梢血幹細胞移植の健康保険適用が承認されたところであり,
同種骨髄移植の代替法として,積極的な臨床応用が進んで間もないころ
のものである。
本件は,平成13年の出来事であり,本件ガイドラインの内容は,臨
床医学における普遍的な医療水準には到底達していなかった時期のもの
であるから,これが説明義務の内容に含まれるとする原告の主張は理由
がない。
(2)被告学会の過失(ガイドライン遵守に関する監督義務違反)
(原告の主張)
ア被告学会は,本件ガイドラインを発表しているほか,ドナーフォローアッ
プ事業を展開している。
同種末梢血幹細胞移植に協力しようとする健常人は,本件ガイドラインに
従って,より安全に同種末梢血幹細胞移植が実施されていることを信用して,
ドナーになっているのであるから,被告学会(厳密には担当者であるが,単
に「被告学会」と表記する。)は,本件ガイドラインを発表し,ドナーフォ
ローアップ事業を展開する者の責任として,少なくとも,移植を実施した施
設ないしは担当医師が提出するドナー登録や実施報告書記載の範囲で,容易
に分かる限度で,本件ガイドラインが遵守されているか否かを監視すべき注
意義務がある。
イ被告Cが作成し,被告学会同種末梢血幹細胞ドナー登録センターに提出し
た事前登録票をみれば,本件ガイドラインに反して,被告Cが,ドナーとレ
ピシエントの両方の主治医を兼ねていること,ドナーの安全確保のための手
続的な担保がされていないこと,ドナー登録に際し,文書による同意を得て
いないことが明らかであったにもかかわらず,被告学会はこれを黙認してい
たのであるから,被告学会は,本件ガイドライン遵守の監視を怠った過失が
ある。
また,フォローアップに関し,被告Cが作成した短期フォローアップ調査
票をみれば,本来全症例で検査を行って記載すべき検査結果が空欄になって
いたのであるから,前記検査が行われていないことを知り得べき立場にあっ
たにもかかわらず,被告学会は,前記検査が行われなかった理由の確認やフ
ォローアップ実施を促すことを怠ったのであるから,被告学会には,過失が
ある。
(被告学会の主張)
被告学会が,同種末梢血幹細胞を採取した病院の各担当医から資料ないし報
告書の提出を求めているのは,専ら研究,教育及び診療の向上を図るためであ
り,本件ガイドライン違反の調査のためとか,本件ガイドラインの遵守を求め
るためではないし,被告学会の学会員に対する注意義務の一環として行ってい
るものでもないから,被告学会が,各病院に対し,記載漏れを指摘したり,追
加資料の提出を求めるなどの監視をすべき注意義務はない。
被告学会は,Aがフォローアップ調査について同意が得られなかったという
報告を担当医から受け,その内容に沿った報告をしただけであり,何ら過失は
ない。
(3)被告学会の過失(学会発表等の訂正懈怠)
(原告の主張)
被告学会は,Aの事例につき,有害事象報告例として,学会内の報告のみな
らず,ニューズレターの発行や学会のホームページを通じて外部に情報提供し,
その記事は,インターネットでも紹介された。
上記有害事象報告例には,「長期フォローアップの同意は得られなかっ
た。」との記載があるが,この記載によれば,読者をして,Aは,フォローア
ップ調査があることを知りながら,これについて説明を受けたにもかかわらず,
フォローアップ事業に協力することにつき同意せず,フォローアップ調査に参
加しようとしなかったとの誤解を与えるものであり,実際にも,そのような誤
解を与えている。
しかし,Aは,被告Cから,長期フォローアップ調査について説明を受けて
おらず,同意を拒否していないから,上記記載内容は,事実と異なっており,
Aの名誉を毀損するものである。
被告学会は,遅くとも調停不成立の時期には,同意が得られなかったのでは
なく,同意を得るに必要な説明をしなかったため同意を得られなかったことを
知ったのであるから,遅滞なく学会発表内容の訂正に応じる義務があり,Aの
相続人である原告は,名誉毀損における原状回復請求権(民法723条)に基
づき,学会発表内容の訂正を求める権利を有する。
原告は,被告学会に対し,訂正申立てを行ったが,被告学会はこれに応じな
かったことから,過失が認められる。
なお,被告学会が挙げる訂正に関する基準は,本件には当てはまらない。
(被告学会の主張)
被告学会は,Aがフォローアップ調査について同意が得られなかったという
報告を担当医から受け,その内容に沿った報告をしただけであり,何ら事実と
異なる記載をしていない。
報告記事の内容の訂正を求め得るには,当該事実の不真実,不当の程度が受
忍限度を超え,その当該個人が受忍限度を超えて損害を被ることを要するとさ
れているところ,本件では,Aは死亡しているし,仮に事実と異なる部分があ
るとしても,受忍限度を超えるものとは到底解されず,原告の請求は不当であ
る。
また,原告は,Aが,長期フォローアップの存在を知りながら,これに同意
しなかったという誤解を与え得る旨主張するが,誤解を与え得るというだけで,
情報の訂正を求めることはできないし,仮に誤解を与えるおそれがあるとして
も,上記記事では,個人が特定されておらず,長期フォローアップの同意が得
られなかった理由にも言及されていないから,内容を訂正しなければ,Aの人
格権が侵害されるものとはいえない。そもそも,上記記事の内容は,被告学会
の学会員を対象に,研究ないし有害事象例の再発防止の観点から記述されてい
るものであり,調査への協力の有無は問題とされるものではなく,Aの人格権
を侵害するものとはいえない。
よって,被告学会には何ら過失はないし,原告に学会発表内容の訂正を求め
る権利があるとはいえない。
3因果関係
(1)被告Cの注意義務違反との因果関係
(原告の主張)
被告Cが,前記説明を実施していれば,Aは,移植を拒否していた可能性が
あり,被告Cの説明義務違反により自己決定権を侵害されたことは明らかであ
る。
また,被告Cが本件ガイドラインに従い,自らは,レシピエントの主治医で
ある以上,ドナーであるAの主治医を兼ねていなければ,Aは,別の医師から
十分な説明を受けることができ,その結果,死亡事例があり,長短期の安全性
が確立されていないという処置の危険性を知り,処置を拒否していた可能性が
あるし,フォローアップ検査を受けることができた可能性がある。ところが,
Aは,被告Cの説明義務違反により,同機会を喪失したものである。
(被告Cらの主張)
争う。
(2)被告学会の注意義務違反との因果関係
(原告の主張)
被告学会が,適切にガイドライン遵守に関する監視義務を尽くしておれば,
Aは,ドナーの立場に立った医師の診察を受けることができ,死亡事例を含め
た十分な説明を受けることができたのであるから,被告学会の注意義務違反に
より,自己決定権が侵害された。
(被告学会の主張)
争う。
4損害
(原告の主張)
(1)Aの損害
Aは,被告Cの注意義務違反による自己決定権の侵害及びフォローアップ検
査受検機会の喪失,被告学会の注意義務違反による自己決定権の侵害により,
多大の精神的苦痛を被ったのであり,これを慰謝するのに必要な損害賠償金は
500万円を下らない。
原告は,相続人間の協議により,Aの有した上記損害賠償請求権を相続によ
り取得した。
(2)原告固有の損害
原告は,被告学会に対し,記事の訂正を求めたが,被告学会はこれに応じな
いため,原告は,日々精神的な苦痛を被っており,これを慰謝するのに必要な
損害賠償金は100万円を下らない。
(被告らの主張)
いずれも争う。
第4争点に対する判断
1事実関係について
前提事実,証拠(甲A1ないしA3,A5,B3及びB4,B12,B17な
いしB19,乙A1ないしA4,A6及びA7,B2,B11,原告本人,被告
C)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)アBは,6月14日,造血幹細胞移植の目的で,被告病院血液内科に入院
した。Bの主治医は,被告Cであった。
イAは,6月19日,被告病院において,Aの兄弟及びBの子らとともに,
HLA抗原型の検査を行った。その結果,7月2日,AとBは,HLA型が
同一の姉弟であると推定された。
ウ被告Cは,7月10日,上記検査結果を受けて,被告病院において,Aに
対し,採血,採尿,心電図検査,レントゲン撮影を行ったうえ,検査データ
の確認及びAに対する問診を行い,ドナーとしての適格があると判断し,そ
の旨をAに告げた。なお,被告病院では,医師の数の問題及びBの病状が複
雑であったことから,被告CがレシピエントであるB及びドナーであるAの
担当医となった。
被告Cは,原告及びAに対し,移植の方法として骨髄移植と末梢血幹細胞
移植とが存在すること,骨髄移植の場合,ドナーは全身麻酔の上,患者の体
重1キログラムあたり3億個の細胞数を目安として,腸骨の100カ所から
1カ所あたり5mLの骨髄液の採取を行うこと,骨髄移植のドナーとなった
6万人のうち4名の死亡例が存在すること,その他の症状として発熱が生じ,
腰痛が2,3日続くことがあること,入院は2泊3日になること,末梢血幹
細胞移植の場合,造血因子を投与して末梢血幹細胞を増やし,足の付け根か
らチューブで血液を取り出して末梢血幹細胞をドナーから採取し,末梢血幹
細胞100mLをレシピエントに投与すること,末梢血幹細胞移植のドナー
となった者の中には,心停止,脾破裂を起こした者がいるが,死者はでてい
ないこと,その他の症状として,微熱,腰痛があり,これに対しては,鎮痛
剤,解熱剤で処置をすること等を説明した。
なお,骨髄移植に関して説明した死亡例は,国内での死亡例だけでなく,
海外での死亡例も含まれている。また,被告Cは,当時,この死亡例の詳細
な内容を正確な文献で確認したわけではなく,少なくとも4名の死亡例があ
るという認識であった。
被告Cは,上記説明の際,ドナーのフォローアップに関する説明にはほと
んど時間を割かず,同種末梢血幹細胞移植以降の長期フォローアップ(移植
後1,2,3,4,5年)について,年1回の定期検査があることは説明し
たが,定期検査を行う目的や具体的内容の説明,短期フォローアップ(移植
後4週間以内に実施)に関する説明,ドナー登録制度に関する説明はいずれ
も行っていない。また,同種末梢血幹細胞ドナーフォローアップ調査実施要
綱にある「ドナーフォローアップ調査参加のお願い」と題する説明書の交付
も行わなかった。また,ドナーとレシピエントの主治医を被告Cが担当する
理由についても説明を行わなかった。
その後,被告Cは,A同席の下でBの家族に対して移植に関する説明をし
た際,Bの場合,骨髄移植を行うよりも末梢血幹細胞移植を使用した方が安
全性が高いと推測されるとの説明を行った。
エその後,7月13日には,Bの子であるDの検査結果が明らかとなり,A
が最もBのHLA型と適合的であることが明らかとなった。
オ被告Cは,8月16日,B及びBの家族に対して,Bの状態が悪化してお
り,同種移植により生命が左右される危険性は,7月10日に説明した時点
よりも高いと考えられること,どうしてもBが同種移植を希望する場合は,
HLA適合ドナーである原告の同意があれば準備をする旨説明をした。
カAは,8月17日,Dから,9月7日に入院してもらいたいとの連絡を受
けた。
キ被告Cは,8月20日,Bの家族から,Aがドナーになることを承諾した
と聞いた。そこで,被告Cは,同種末梢血幹細胞ドナー登録センターにAの
データを申請した。被告学会の同種末梢血幹細胞ドナー登録センターは,8
月28日にAの同種末梢血幹細胞ドナーフォローアップ調査について,ドナ
ーフォローアップ調査協力の同意無し,ドナーとしての適格性基準を満たす
等との登録をした旨を被告病院に連絡した。また,被告病院は,Bの家族を
通じて,Aに対し,G−CSFを投与して末梢血幹細胞を採取する目的で9
月6日に被告病院に入院するよう連絡した。なお,被告病院は,Aに対して
直接,ドナーになることの確認等は行っておらず,また,Aや原告が被告病
院や被告Cに連絡をしたこともない。
クAは,9月6日,被告病院に入院する際,被告Cに対して,前日に風邪の
診察を受けたことを説明した。これに対し,被告Cは,Aに対する血液検査
の結果炎症反応がないことを確認し,予定どおり末梢血幹細胞採取を行うこ
とを説明した。また,被告Cは,Aに対し,入院診療計画書(乙A2の5
頁)にて,同種造血幹細胞移植ドナーとして入院すること,9月6日からG
−CSFを投与し,9月10日及び同月11日に末梢血幹細胞の採取を行う
が,採取数が低い場合には同月12日に3回目の採取を行うことがあること,
入院期間は約1週間と推定されることを説明し,Aは主治医から説明を受け
たとして,上記計画書の末尾に署名した。被告Cは,その際,ドナー登録や
ドナーのフォローアップに関する説明は行っていない。なお,当時,被告病
院には,ドナーになることについての同意書はなく,入院診療計画書を用い
ていた。
ケAは,入院後,幹細胞採取という手法を理解しておらず,未知の経験であ
ることや,同手法による有害事象や,副作用の有無,入院直前に風邪気味等
の体調不良があったため,末梢血幹細胞採取等に影響しないか,退院後のケ
アーはどうなっているのか等といった不安を持っており,被告病院の看護師
らに対しても不安を口にしていた。これに対して,被告Cは,9月7日にデ
パス(気分をリラックスさせ,不安や緊張感を和らげたり,寝つきをよくす
る薬)等を処方し,また,被告病院の看護師は,同月8日,現在のAの状況
と白血病の違いについて説明するとともに,アフェレーシス中は医師と看護
師が同席する旨の説明をした。
Aは,9月10日及び同月11日,末梢血幹細胞の採取を受けた。同月1
1日夜,2回の造血幹細胞採取の測定結果が判明し,十分量の末梢血幹細胞
数が採取できたことから,3回目の採取は行われないことになった。
また,原告は,9月11日も,看護師に対して,同種末梢血幹細胞移植に
対する不安,投薬の目的,退院後のケアーに対する不安等を口にしていたが,
被告Cと話す時間を作ることまでは希望しなかった。そこで,被告病院の看
護師は,Aが体調不良となった場合,近くの総合病院を受診し,被告病院で
同種末梢血幹細胞移植をしたことを告げてほしい旨伝えた。
なお,被告Cは,Aに対して,アフェレーシスの実行中,退院後,入院を
しているBに面会に来たときに声をかけてくれれば,血液検査を行うとの説
明をしたが,血液検査の目的や必要性については説明をしなかった。
コAは,9月12日,被告病院を退院した。被告病院の看護師は,Aに対し,
体に異常を感じたときは早期に受診をし,その際,被告病院にて同種末梢血
幹細胞移植をしたことを告げるよう説明した。また,退院時,被告Cは,原
告から,どのようなことを注意したらよいか尋ねられたため,特に注意する
ことはなく,これまでどおりの生活をすればよいと説明した。Aは,退院後,
被告病院での検査等を受けていない。
サ被告Cは,12月10日,被告学会に対して,書面で,Aが同種末梢血幹
細胞ドナーフォローアップ調査(長期フォローアップ調査)について,協力
が得られなかったとの連絡をした。
シAは,平成14年11月21日,急性骨髄性白血病のため和泉府中病院に
入院した。被告Cは,同日,同病院からその旨の連絡を受け,同種末梢血幹
細胞ドナー登録センターに対し,急性骨髄性白血病のために障害が生じたこ
と,G−CSFの投与開始から1年2か月後に急性骨髄性白血病を発症した
こと及びG−CSF投与前の臨床検査データに著変なしであったことから,
G−CSFと急性骨髄性白血病とは関連があるかもしれないとの意見を付し
て,Aの事例を重篤な有害事象発生例として報告した。
ス被告学会は,別紙「有害事象例報告記事」のとおり,Aの事例を有害事象
報告例として学会内で発表し,ニューズレターないし被告学会の開設するホ
ームページで発表した。
(2)同種末梢血幹細胞移植は,同種骨髄移植の代替法として,我が国でも19
90年代後半になって積極的な臨床応用が進み,平成10年までに244例の
報告がされた。また,平成12年4月の診療報酬改定で,同種末梢血幹細胞移
植の健康保険適用が承認された。これに伴って,被告学会は,同年4月1日,
「同種末梢血幹細胞移植のための健常人ドナーからの末梢血幹細胞の動員・採
取に関するガイドライン」を公表した。
被告学会は,平成12年4月1日付の書面(甲B17)にて,同種末梢血幹
細胞移植術が平成12年4月から保険導入されることになったこと,末梢血幹
細胞を採取するためにはドナーに対して,G−CSF製剤を投与する必要があ
るところ,その短期及び長期の安全性について十分認識されているとはいえな
いことから,厚生省から「ドナー及びレシピエントについて,長期フォローア
ップ調査を行うこと」との指示が出ていること,これを受けて,被告学会では,
ドナー及びレシピエントの登録センターを設置し,ドナーの短期・長期の安全
性調査及びレシピエントの調査を行うこととしたこと,これに伴い,医療機関
で実施予定の同種末梢血幹細胞移植のドナー及びレシピエントを被告学会同種
末梢血細胞ドナー登録センターへ登録し,調査票に必要事項を記入してドナー
登録センターへ送付してほしいこと,レシピエントの調査については,ドナー
の登録票及び調査票に記載したレシピエントの情報をもとに,従来のデータを
有効利用することを検討中であるが,新しい治療法であることから,追加調査
をお願いする可能性があること,保険請求の際には,ドナー登録センターから
連絡される登録番号を記載してほしいこと,同種末梢血幹細胞移植の実施に当
たっては,①本件ガイドラインを遵守して行うこと,②同種末梢血幹細胞採取
ドナーは骨髄移植ドナーの適格基準を満たすとともに,G−CSF製剤投与に
より憎悪することが報告されている疾患(高血圧,糖尿病,高脂血症,脳血管
障害,虚血性心疾患,自己免疫疾患,脾腫,血栓症,間質性肺炎,腎疾患及び
癌)を合併あるいは既往として有していない者,また,妊娠,授乳中でない者
とすることが望ましいこと,③同種末梢血幹細胞採取ドナーに骨髄移植及び末
梢血幹細胞移植術について説明するとともに,ドナー及びレシピエントに利点
と欠点を十分に説明し,同意を得ること,④同種末梢血幹細胞採取ドナーに,
移植に必要な幹細胞を採取できなかった場合,末梢血からの造血幹細胞採取の
追加採取,または,骨髄採取を行う可能性があることを十分に説明すること,
⑤ドナーに発生した有害事象は,G−CSF投与期間中,末梢血幹細胞採取時
及びG−CSF投与後の長期フォローアップ期間中に生じたあらゆる好ましく
ない医療上の出来事(臨床検査値異常変動も含む)について,調査票に記載し,
報告すること,⑥末梢血幹細胞移植は新しい採取方法・治療であるので,今後
本件に関する研究に限って使用することを条件に,ドナーとなられた方の了解
を得た上で,白血球の一部を各施設で凍結保存することの6点を留意するよう
連絡した。
また,被告学会は,平成12年3月31日,会員に対して,書面(甲B1
8)により,同年4月から同種末梢血幹細胞移植が保険で認められることに
なったことに伴い,被告学会の理事会,評議員会及び総会において,同種末梢
血幹細胞移植に関わるドナーに対するG−CSF投与後の長期予後の調査を被
告学会が責任をもって行うことを承認したこと,同種移植に伴う危険性が存在
し,今後,未だ報告されていない事象も出現してくる可能性や,健常人ドナー
にG−CSFを投与しなければならないことから派生してくる問題点などがあ
ることを十分に理解し,本治療法が,十分な施設,環境の下で,同種移植に経
験豊かな医師群の下でなされることが基本的条件であるという認識を持ってほ
しいことを連絡した。
(3)平成12年3月下旬,血縁ドナーからの末梢血幹細胞採取のためのアフェ
レーシス中にグレード4の有害事象(心停止)が発生した。被告学会は,事の
重大性を憂慮し,ドナーの安全性を確保するため,ガイドライン,特にアフェ
レーシスに関するガイドラインを強化する必要性を認め,アフェレーシスに関
する専門家集団である日本輸血学会に協力を依頼し,両学会合同の末梢血幹細
胞採取に関するガイドライン委員会を設置し,同年7月21日にガイドライン
を改訂した。
第2版のガイドライン(甲B4)は,健常な血縁ドナーから,移植後の生着
に必要な十分量の末梢血幹細胞を安全に採取するためにG−CSF投与による
末梢血幹細胞の動員及びアフェレーシスによる末梢血幹細胞採取に関する基準
をガイドラインとして示したものである。
その内容は次のとおりである。
ア説明内容
G−CSF投与による末梢血幹細胞の動員及びアフェレーシスによる末梢
血幹細胞採取を受ける予定のドナーに対して,同種骨髄移植の代替法として
の同種末梢血幹細胞移植の概略を説明した上で,G−CSF投与及びアフェ
レーシスの目的,方法,危険性と安全性について詳しく説明し,文書による
同意を得る。この際,G−CSF投与後の長期予後調査への協力を依頼する。
また,十分量の末梢血幹細胞が採取できなかった場合には,全身麻酔下の
骨髄採取が必要な場合があり得ることを説明に加える。
イ実施体制
ドナーの安全性確保の観点から,移植患者の担当医とは別の医師がドナー
の主治医を担当し,ドナーの安全性を最優先し,末梢血幹細胞の動員・採取
に当たることを原則とし,アフェレーシスによる末梢血幹細胞採取中は,少
なくとも1名の医療スタッフ(医師,看護婦,臨床工学技士)による常時監
視体制が整っていること,採取中のドナーの容態急変に備えて酸素ボンベ
(又は配管),蘇生セット,救急医療品が整備され,迅速に救急措置ができ
る医師が常に確保されていること,ドナーが数時間に及ぶアフェレーシスの
間,快適に過ごせる環境(採血専用スペース,採取専用ベッド,毛布,テレ
ビ等)が確保されていること,末梢血幹細胞採取のためのアフェレーシスの
作業基準を,各施設の条件や使用する血球分離装置の機種にあわせてマニュ
アルとして作成しておくこと,アフェレーシスの全経過を正確に記録し,採
取記録用紙を保存することが求められる。
ウアフェレーシスに関する注意
アフェレーシス当日,ドナーの体調について問診するとともに,バイタル
サインをチェックし,採取困難な体調不良がないことを確認して採取を開始
する。
アフェレーシス前,終了直後,翌日,1週間後には必ず全血球計算値,生
化学,バイタルサインチェックを行い,安全性を確認し,異常値があれば,
それが正常化するまでフォローする。
アフェレーシス中は,ECG,血圧,脈拍などの適切なモニターを行い,
アフェレーシス終了後に血小板の異常低下がないことを確認する。
アフェレーシス施行中に中等度,重度の有害事象が発生した場合は末梢血
幹細胞採取を中止する。
エ採取に伴う副作用
アフェレーシスに伴う副作用として,全身倦怠感のほか,四肢のしびれ,
めまい,吐き気,嘔吐など血管迷走神経反射や一過性のhypovolem
ia(脱水)による症状がみられる。特に血管迷走神経反射は,重篤な場合
は高度の徐脈が出現し,意識喪失,失禁が見られることがあり,さらに,心
停止に至る可能性もあることから,硫酸アトロピン,エホチール,エフェド
リンなどを直ちに静注するための準備が必要である。クエン酸中毒による低
カルシウム血症は,カルシウム液の持続注入によってほとんどの場合予防す
ることができる。しかし,アフェレーシス中は常にクエン酸中毒の危険があ
りうるので注意する。アフェレーシスでは,単核球だけでなく,血小板も大
量に採取されるので,採取後に血小板減少が高頻度にみられ,5万/μL未
満の高度の血小板減少も少なからず見られており,注意を要する。したがっ
て,アフェレーシス終了後1週間くらいは必ず血小板数をチェックし,採取
前値への回復を確認する。また,アフェレーシス実施中はアスピリン製剤は
使用しない。
オドナーの登録と安全性モニター
被告学会は,同種末梢血幹細胞ドナーフォローアップ調査を実施するため
に,末梢血幹細胞動員のためにG−CSF投与を受けた健常人ドナーを学会
の全国集計センター事務局に登録し,短期,中期,長期の安全性を学会の責
任においてモニターすることを決定した。この登録モニター制は,同種末梢
血幹細胞移植の保険適用をめぐる厚生省との議論,すなわち,薬剤として認
可されたG−CSF製剤を健常人に投与するという健康保険制度の中では異
例の状況を考慮して,健常人ドナーの安全性確保のために提案されたもので
ある。移植前に登録されたドナーの安全性調査は,短期(従来の市販後調査
に該当),中長期(投与後1,2,3,4,5年)に行われる。別に定めら
れた調査実施要綱にしたがって,ドナーは採取前に必ず被告学会の同種末梢
血幹細胞ドナー登録センターに登録し,移植医及び移植施設はドナーのG−
CSF投与後の長期フォローアップ調査を必ず実施する。
(4)被告学会は,平成12年8月10日付で,同種末梢血幹細胞移植ドナーの
同意を得るに際しての説明用資料(甲B19)を作成した。
上記資料では,同種末梢血幹細胞ドナーの同意を得る際は,同資料の説明内
容をもとにして,個々のドナーに適した説明を行い,ドナーの自由意思による
同意を文書で取得すべきであること,説明内容としては,同種末梢血幹細胞移
植がどのような医療であるか,末梢血幹細胞の採取方法,予想される効果及び
危険性,同種末梢血幹細胞移植以外の治療法,人権保護やプライバシーの保護
を含ませること,説明に際しては,本件ガイドラインに記載されている内容を
参考にして説明を行うべきことが記載されている。
(5)被告学会同種PBSCT小委員会は,平成13年3月,同種末梢血幹細胞
移植例につき,海外において,7例から8例の死亡例及び2例の脾臓破裂とい
う重篤な有害事象が発生していることから,本件ガイドラインを遵守するとと
もに,ドナーの同意取得にあたっては,必要な情報を正しくインフォームして
から同意を得るようにすべきである旨のお知らせ(甲B12,乙B2)を公表
した。この中には,概要以下の説明がある。
ア高齢であることや,高血圧,動脈硬化症など,特に血管障害に関するリス
クファクターを有するドナーからの採取は,本件ガイドラインを遵守して極
力避けるようにする。
イ我が国の複数施設において自主的に行われた超音波診断やCTスキャンに
よる脾臓サイズのモニターの結果,G−CSF5日間の投与により脾腫大は
ほぼ全例にみられることが報告されていることから,採取前に必ず脾臓のサ
イズを画像診断法も含めて確認するとともに,G−CSF投与開始後,脾腫
大による症状などが現れた場合には,直ちに採取スケジュールを中止する。
ウ海外における8例の同種末梢血幹細胞ドナーの死亡事例は,発症時期等か
らみて,同種末梢血幹細胞動員・採取に強い関連があるものと考えられるが,
これらの症例はいずれも末梢血幹細胞採取時,ドナーが健常とは言い難い状
態であった。同種造血幹細胞ドナーは骨髄,末梢血を問わず,健常人である
ことを前提としていることから,患者救済のためにドナー候補者を含む血縁
者の強い要請がある場合,採取(移植)医が決して健常人とはいえないドナ
ーからの末梢血幹細胞採取を考慮せざるを得ない場合があることは理解でき
るが,同種造血幹細胞移植は一人の健常人から二人の健常人を生み出す治療
であり,一度ドナーに重大な健康上の問題が発生したときには,この治療法
そのものが崩壊することもあり得ることを認識すべきである。
(6)被告学会は,平成17年4月1日,血縁造血幹細胞ドナーフォローアップ
事業の実施要綱(乙B11)を作成した。同要綱には,ドナー登録は,匿名化
をしているので,ドナーの同意の有無にかかわらず登録するようお願いしてい
ること,ドナー登録後,ドナー登録センターから送付される「中長期アンケー
ト調査参加のお願い」に従って,血縁造血幹細胞移植ドナーフォローアップ事
業の背景及び目的と,同事業で得られた情報の利用目的を説明し,ドナーに中
長期アンケートの調査の協力を依頼してほしいこと,ドナーが中長期アンケー
ト調査の協力に同意する場合,医師がドナーから調査参加同意書を受け取り,
医師はドナー登録センターに同意書を送付すること,ドナーが中長期アンケー
ト調査の協力に同意しない場合,ドナーは同意しない旨を担当医師に連絡し,
医師はドナー登録センターに,同意が得られなかった旨を文書で報告すること,
造血幹細胞採取報告書は匿名化をしているため,ドナーの同意の有無にかかわ
らず学会のドナー登録センターに提出してほしいこと,医師は,造血幹細胞採
取後30日間,ドナーの安全性に問題がないことを確認し,確認結果を造血幹
細胞採取報告書に記入し,学会のドナー登録センターに報告すること,ドナー
が中長期アンケート調査協力に同意した場合は,中長期アンケート調査参加同
意書も採取報告書に添付して送付すること等が記載されている。
2争点1(被告Cの過失又は注意義務違反)について
(1)証拠(乙B14及びB15)によれば,一般に診療ガイドラインは,作成
時点で最も妥当と考えられる手順をモデルとして示したものであることが認め
られ,具体的な医療行為を行うにあたって,ガイドラインに従わなかったとし
ても,直ちに診療契約上の債務不履行又は不法行為に該当すると評価すること
ができるものではないが,当該ガイドラインの内容を踏まえた上で医療行為を
行うことが必要であり,医師はその義務を負っていると解される。
(2)同種末梢血幹細胞移植は,平成12年4月の診療報酬改定で健康保険適用
が承認され,ガイドラインも策定されたが,同年3月下旬に有害事象が発生し
たため,同年7月にガイドラインの改訂がされたものであるところ,改訂後の
ガイドラインにおいて,末梢血幹細胞を採取するためには,ドナーに対し,G
−CSFを投与する必要があるが,その短期及び長期の安全性について十分認
識されていないことから,同種末梢血幹細胞移植の概略を説明した上で,G−
CSF投与及びアフェレーシスの目的,方法,危険性と安全性について詳しく
説明し,文書による同意を得るようにすること,その際,G−CSF投与後の
短期及び長期の安全性調査(フォローアップ制度)を実施し,調査への協力を
依頼することなどが定められている。
(3)しかるに,被告Cは,Aや原告に対し,ドナーの安全性を確保するための
制度として設置されたフォローアップ制度について,その目的等を説明せず,
単に年1回の定期検査があるとの説明及びBに面会に来た際に声をかけてくれ
れば血液検査を行う旨を告げたにすぎず,被告Cの説明内容は,ドナーの安全
性確保というフォローアップ制度の趣旨,目的を適切に伝えたものであるとは
いえず,本件ガイドラインを踏まえた説明をしたとは認められない。
この点,被告らは,長期フォローアップ制度の説明を行わなかったのは,年
1回の定期検査がある旨の説明に対してAが同検査を断ったためである旨主張
し,被告Cは同趣旨の供述をする。
しかし,上記認定事実からすれば,仮にAが長期フォローアップに関する検
査を断った事実が存在するとしても,それは,被告Cの説明内容が,フォロー
アップ制度の重要性等を適切に伝えるものではなかったことに起因すると認め
られるから,そのような事実があることをもって,被告らが説明責任を免れる
ものではない。したがって,この点に関する被告の主張を採用することはでき
ない。
よって,被告Cには,上記の点について説明義務違反が認められる(被告C
らは,Aに対し,何らの説明義務を負うものではない旨主張するが,到底採用
できない。)。
(4)原告らは,他に末梢血幹細胞移植についての説明が不十分であったことな
どの説明義務違反やガイドライン遵守義務違反を主張するが,上記認定事実の
とおり,被告Cは,7月10日及び9月6日に,Aに対し,骨髄移植や末梢血
幹細胞移植の治療法,危険性,安全性等の説明や,入院診療計画書によって入
院後の医療行為等の内容を説明しており,同種末梢血幹細胞移植に関して説明
どおりの投薬,アフェレーシスの実行を行っていること,被告病院の看護師ら
は,Aや原告からの質問に対して適切な回答をしてAの不安を取り除く努力を
していることが認められるところであって,被告Cの行った医療行為には本件
ガイドラインの内容と齟齬する部分(AとBの主治医を兼ねていた点)もある
が,被告Cの過失ないし注意義務違反と評価できるほどのものは認められない。
3争点2(被告学会のガイドライン遵守に関する監督義務違反)について
上記認定事実によれば,被告学会がガイドラインを発表しフォローアップ制度
を導入しているのは,すべてのドナーを事前登録して短期及び中長期の有害事象
を前方向視的に調査研究するという点にあるものと解される。
このような点にかんがみれば,ドナーの生命身体の安全管理は,同種末梢血幹
細胞移植を実施する各医療機関が,それぞれの責任において行うべき問題であり,
被告学会が,ガイドライン発表及びフォローアップ事業を展開していることを理
由として,各医療機関に対して,ガイドラインを遵守しているかどうかを監視す
る義務があると評価することはできない。
したがって,この点に関する原告の主張を採用することはできない。
4争点3(被告学会の学会発表等の訂正懈怠)について
上記認定事実によれば,被告学会は,被告Cから,フォローアップ調査につい
てAの同意が得られなかったとの報告に基づき,別紙有害事象例報告記事記載の
内容を学会内で発表し,ホームページ等で公表したにすぎない。また,記事の内
容も匿名性に配慮されたものであって,何ら違法といえるものではなく,被告学
会が,原告の求めに応じて,学会発表内容の訂正をすべき法的義務があるとは認
められない。
5争点4(因果関係)について
上記認定事実によれば,Aは,退院後のケアーについて不安を持っていたこと,
アフェレーシス終了後,被告病院を退院しており,短期フォローアップに関する
検査を受けていないことが認められるところ,被告Cがフォローアップ制度につ
いて説明義務を尽くしていれば,Aは短期及び長期フォローアップを受けていた
高度の蓋然性が認められる。
したがって,被告Cの説明義務違反と,Aが被った自己決定権侵害による精神
的苦痛との間には,因果関係が認められる。
6争点5(損害)について
上記認定事実によれば,Aが短期及び長期フォローアップに関する選択を行う
ことに関する自己決定権を侵害されたものと認められるところ,上記で認定した
本件の事実関係,特にAが自己の健康について相当な心配をしており,退院後の
ケアーについて不安感を抱いていたこと等を総合考慮すれば,Aの被った精神的
苦痛を慰謝するには,200万円が相当である。
7結論
以上によれば,原告の請求は,被告Cらに対し,上記の200万円及びこれに
対する遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し,原告のその余の
請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第17民事部
裁判長裁判官大島眞一
裁判官藤倉徹也
裁判官中村修輔
別紙
有害事象例報告記事
年齢/性63歳/女性
G−CSF投与期間2001年9月6日∼9月11日
報告受理日2002年11月22日
経過長期フォローアップの同意は得られなかった。2002年4月,
家族の勧めで近医にて検査,白血球数3,300/μLと低下
している以外は特に問題は認められなかった。2002年11
月22日,地元の病院で入院したとの知らせが採取施設にあっ
た。
有害事象内容急性骨髄性白血病の発症。初診時末梢白血球数125,000
/μL(芽球98.5%),化学療法を施行したが,肺合併症
のため死亡された。
特記事項PBSCTを受けられた患者さんは白血病以外の疾患であり,
移植後一旦退院された後,原病が再発し亡くなられたが,白血
病の発症は認めなかった。

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