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平成16年11月25日判決言渡
平成13年(ワ)第2870号 損害賠償請求事件(以下「甲事件」という。)
平成14年(ワ)第385号 損害賠償請求事件(以下「乙事件」という。)
判決
当事者の表示      別紙当事者目録記載のとおり
主文
1 甲事件原告ら及び乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,甲事件原告ら及び乙事件原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 被告らは,連帯して,甲事件原告ら及び乙事件原告ら(以下,両事件の原告らを
総称して,単に「原告ら」という。)に対し,各金10万円を支払え。
第2 事案の概要(以下において,特に年を表記しないものは平成13年を示
す。)
 本件は,内閣総理大臣である被告小泉純一郎(以下「被告小泉」という。)が8
月13日に靖國神社を参拝したこと(以下「本件参拝」という。)が,憲法20条
等に違反し,原告らの信教の自由,宗教的人格権等を侵害するとして,原告らが,
被告国に対して国家賠償法1条1項に基づき,被告小泉に対して民法709条に基
づき,上記侵害により被った精神的苦痛に対する慰謝料各10万円の連帯支払を求
めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実並びに証拠(甲7の(1)ないし(14)及び弁論の全趣
旨により容易に認定できる事実)
 (1) 当事者
  ア 原告ら
  (ア) 原告らのうち,別紙当事者目録記載番号1ないし3及び41の者ら
は,いずれも戦没者の遺族である。
  (イ) 原告らのうち,同目録記載番号4ないし32及び42ないし59の者
らは,いずれもキリスト教徒である。
  (ウ) 原告らのうち,同目録記載番号33の者は仏教徒である。
  (エ) 原告らのうち,同目録記載番号34ないし40及び60ないし63の
者らは,いずれも特定の宗教や信仰を持たない     者である。
  イ 被告ら
   被告小泉は,本件参拝当時,被告国の内閣総理大臣であった者である。
 (2) 本件参拝の態様等
   被告小泉は,8月13日午後4時30分ころ,靖國神社(宗教法人靖國神社
により設置された施設)に赴き,同神社参集所  において,「内閣総理大臣小泉
純一郎」との肩書きを付して記帳し,本殿に昇殿して祭壇に向かって黙祷した後,
一礼方式で  拝礼した。また,被告小泉は,参拝に先立って,私費で献花代3万
円を支払い,「献花 内閣総理大臣 小泉純一郎」と記載  された名札を付した
献花一対を本殿に備えさせた。なお,被告小泉は,本件参拝に際し,靖國神社への
往復に公用車を用いる  とともに,内閣総理大臣秘書官(以下「秘書官」とい
う。)を同行させた。
  本件参拝後,被告小泉は,報道陣に対し,本件参拝について,「公的とか私的
とか,私はこだわりません。総理大臣である小  泉純一郎が心を込めて参拝し
た。」と述べた。
2 争点
 (1) 原告らの本件訴えのうち,被告小泉に対する部分は訴権の濫用に当たるか。
 (2) 本件参拝は,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」なされたも
のといえるか。
 (3) 上記(2)で,本件参拝が「職務を行うについて」なされたものと認められる
場合,公務員たる被告小泉も個人責任を負う    か。
 (4) 本件参拝は違憲,違法か。
 (5) 本件参拝により,原告らの権利ないし法的利益が侵害され,損害が生じたと
いえるか。
3 争点に対する当事者の主張
 (1) 争点(1)(原告らの本件訴えのうち,被告小泉に対する部分は訴権の濫用に
当たるか。)について
  (被告小泉の主張)
   被告小泉は,自然人として,日本国憲法(以下,単に「憲法」ということが
ある。)により保障された信教の自由を享受   できるところ,本件参拝は,被
告小泉の信教の自由の実現行為である。
  原告らの本訴請求の目的は,被告小泉に対し,訴訟提起という圧力を加えるこ
とにより,憲法上保障された被告小泉の信教の 自由の実現行為たる靖國神社参拝
を一切禁じようとするものであって,その違法性の程度は著しく,本件訴訟提起自
体が訴権の 濫用であり,不適法である。
  (原告らの主張)
   被告小泉の上記主張は争う。
  被告小泉は,個人的に行っている宗教的祭事については,その日程や内容等に
ついて,公の場で表明したことはない。一方,  本件参拝について,被告小泉
は,内閣総理大臣に就任後も8月15日に靖國神社を参拝したいとか,同日の参拝
を差し控え   て,日を選んで参拝すると表明しており,これまでの被告小泉の
言動に照らせば,本件参拝は被告小泉の個人的な信教の自由  に基づくものでは
ない。
 (2) 争点(2)(本件参拝は,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」
なされたものといえるか。)について
  (原告らの主張)
   以下の事実関係からすれば,本件参拝は,被告小泉が内閣総理大臣の職務と
して行った参拝というべきである。
  ア 本件参拝に至る経緯
  (ア) 被告小泉は,4月18日の自民党総裁選の討論会で「尊い命を犠  
牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感    謝の誠をささげるの  は
政治家として当然。まして首相に就任したら,8月15日の戦没 慰霊祭の日に,
いかなる批    判があろうと必ず参拝する。」と発言した。
    さらに,被告小泉は,首相となった後の5月14日,衆議院予算  委員
会において,「靖國神社に参拝することが憲法    違反だとは思わない。」,
「首相に就任しても(靖國神社に)参拝するつもりだ。  公式か非公式かという
違いは,い    まだに分からない。どういう批判があろうとも,この気持ちは
宗教とは関係がない。」と述べるなどし,8月15日に靖    國神社に参拝す
る旨を繰り返し表明し続けた。
 (イ)  これに対し,中国政府の要人らから,被告小泉の靖國神社参拝に対す
る強い反対意見が表明されるに至り,日中間の    外交問題にまで発展してい
った。
    さらに,被告小泉の靖國神社参拝の日程について,中国,韓国等から再考
を求める声が予想以上に強く,国内でも慎重論    が広がったため,8月10
日夜,8月15日に靖國神社参拝を強行すれば政権運営に支障が出るという考慮か
ら,これを    同日以外にずらす案が政府内で浮上した。
     その結果,被告小泉は,それまで公に表明していた8月15日の靖國神
社参拝を断念して,8月13日に靖國神社を参    拝することを決断した。
    そして,福田康夫内閣官房長官(以下「福田官房長官」という。)が,同
日,本件参拝に先立って,「小泉内閣総理大臣    の談話」を発表した。
 (ウ) このように,本件参拝前から,被告小泉の靖國神社参拝の是非について
議論され,政府部内で討議された結果,靖國神    社参拝の日程を変更したと
いう経緯からしても,本件参拝が内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位と密
接な関係を    有していることは明らかである。
 イ 本件参拝の状況
 (ア) 被告小泉は,8月13日午後4時30分ころ,秘書官5名と警護のため
警視庁から派遣されたSPを同行させ,公用車   を用いて靖國神社に赴き,同
神社参集所において,「内閣総理大臣小泉純一郎」との肩書きを付して記帳した。
その後,被   告小泉は,神職の先導で,上記同行者を従えて本殿に昇殿し,祭
壇に向かって黙祷した後,一礼方式で拝礼した。また,被   告小泉は,本件参
拝に先立って,私費で献花代3万円を支払い,「献花 内閣総理大臣 小泉純一
郎」と記載された名札を   付した献花一対を本殿に備えさせていた。
 (イ) 本件参拝の態様は,上記(ア)のとおりであるところ,①被告小泉が内
閣総理大臣という国の機関であること,②本件   参拝には,被告小泉の私的行
為であれば同行しないはずの秘書官が同行していること,③被告小泉は,本件参拝
に公用車を   使用し,かつ,警視庁派遣のSPが警護のため同行したこと,④
被告小泉は,靖國神社参集所において,「内閣総理大臣小   泉純一郎」と記帳
し,「献花 内閣総理大臣 小泉純一郎」との名札を付して一対の献花をなし,記
帳や献花にあえて自己   の公的地位を称する「内閣総理大臣」との肩書きを付
したこと,⑤被告小泉は,靖國神社の神職に案内された上,秘書官や   SPら
を従えて,靖國神社の本殿に進んだこと,⑥被告小泉の本件参拝には,国内外の多
数の新聞,テレビ等の報道機関が   同行して取材し,写真やビデオを介して,
国内外に,ニュースとして報道されたこと,⑦マスコミ各社が,本件参拝を,  
  「小泉首相の日程」欄,「内閣総理大臣としての公的日程」欄等でその内容と
して報道したことからすれば,本件参拝は,   被告小泉の職務においてなされ
たことは明らかである。
 ウ 被告小泉の本件参拝に関する説明
 (ア) 「小泉内閣総理大臣の談話」
    前記ア(イ)のとおり,被告小泉は,本件参拝に先立ち,福田官房長官を
通じて,「小泉内閣総理大臣の談話」を発表し   たが,そもそも,靖國神社参
拝に際して,国内外や国民に対する公式見解として,内閣官房長官を通じて「小泉
内閣総理大   臣の談話」なるものを発表すること自体,本件参拝が被告小泉の
「内閣総理大臣としての職務たる参拝」であることを明ら   かにしているとい
うべきである。
   また,上記談話において,靖國神社に参拝することが被告小泉の内閣総理大
臣としての行為でないとは一切述べられていな   いばかりか,被告小泉は,8
月15日に靖國神社参拝を行いたい旨を表明してきたのは自己の「信念」や「真
情」に基いて   「総理として一旦行った発言」であるとした上で,国内外から
の参拝の中止を求める声があるなどしたことから,これを真   摯に受け止め,
8月15日の参拝は差し控えることにしたと述べている。そうすると,被告小泉が
「総理として」という国   の機関の立場で,8月15日に靖國神社参拝をした
いと表明し,実践しようとしてきたこと,日程の変更があったものの本   件参
拝もその意思に沿ってなされたことは明らかである。
    さらに,上記談話では,できるだけ早い機会に中国や韓国の要人らと膝を
交えてアジア,太平洋の未来の平和と発展につ   いての意見を交換するととも
に,靖國神社参拝に関する自己の考えについても話すべきと述べられており,本件
参拝をめぐ   っては,諸外国との国交上重大な政治問題にまで発展したのであ
り,この点からも,本件参拝は,被告小泉の単なる私的行   為にとどまるもの
ではなく,内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位に基づくものであったこと
は明らかである。
 (イ) 被告小泉の言動
   被告小泉は,本件参拝後の記者会見で,本件参拝について,「公的とか私的
とか,私はこだわりません。総理大臣である小  泉純一郎が心をこめて参拝し
た。」と述べ,職務行為を否定することはしなかった。また,被告小泉は,平成1
6年4月7   日,「私的参拝と言っていいかもしれない。」などと述べたが,
この発言によっても本件参拝が私的参拝であったと明言して  いるわけではな
く,本件参拝以後の3回の靖國神社参拝においても,この点につき何ら明確にしな
かった。 エ 本件参拝に  対する諸外国の反応
  被告小泉は,本件参拝後の10月8日及び同月15日に,会談した中国及び韓
国の要人から,「日本の指導者が参拝すれば重
  このように,本件参拝が,内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位に密接
に関わる行為として国の内外から注目されてい  たものであることは明白であ
る。
 (被告らの主張)
 ア 
(ア)内閣総理大臣その他の国務大臣による靖國神社への参拝に関しては,昭和5
3年10月17日,安倍晋太郎内閣官房長官   が,参議院内閣委員会におい
て,政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか,玉串料等の経費を公
費で支出する  などの事情がない限り,それは私人の立場での行動とみるべきで
あり,閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等か  ら,私人としての
行動の際にも,必要に応じて公用車を使用しており,公用車を利用したからといっ
て,私人の立場を離れた  ものとはいえず,記帳に当たり,その地位を示す肩書
きを付すことも,その地位にある個人を表す場合に,慣例としてしばし  ば用い
られており,肩書きを付したからといって,私人の立場を離れたものと考えること
はできない,などという政府統一見  解を明らかにした。
   上記政府統一見解は,内閣総理大臣その他の国務大臣が有する信教の自由等
の人権との調和を図り,客観的かつ合理的な基  準を示しており,政府は,二十
数年にわたり,内閣総理大臣その他の国務大臣の靖國神社参拝の公私の別について
上記政府統  一見解に基づき判断してきているところ,内閣総理大臣の地位にあ
る者が内閣総理大臣の資格で行動する場合には,行政府の  長として政府の統一
見解に基づいて行動するのであるから,本件参拝が内閣総理大臣の資格で行われた
かどうかについては,  上記政府統一見解に則って判断されるべきである。
   そこで,これを本件参拝についてみると,本件参拝は閣議決定等により政府
の行事として実施することが決定されたもので  はなく,玉串料等の経費が公費
で支出された事実はないから,本件参拝は被告小泉が私人の立場で行ったものであ
ることは明  らかである。
   したがって,上記政府統一見解に照らし,本件参拝は私人の立場でなされた
参拝とみるべきである。
(イ)また,本件参拝における献花代3万円は被告小泉の私費で賄われているとこ
ろ,公務に係る費用を私費で賄うことはあり得  ないし,本件参拝において,被
告小泉は,他の閣僚を伴わないで参拝している。さらに,被告小泉は,本件参拝以
後,本件参  拝に関して,内閣総理大臣の資格で参拝したことを示すような発言
をしたことは一切なく,平成16年4月7日には,本件参  拝が私人の立場で参
拝したものであることを明言した上,本件と同種訴訟においても,被告小泉は本件
参拝が内閣総理大臣の  資格で行われたものではないと一貫して主張しており,
政府も,本件参拝を私人の立場で参拝したものと理解している。
(ウ)この点,最高裁判所昭和31年11月30日第二小法廷判決(民集10巻1
1号1502頁)は,国家賠償法1条1項の「  その職務を行うについて」の解
釈につき,「行為の外形において,職務執行と認め得べきもの」をもって職務執行
とする,い  わゆる外形標準説を採用した。
   しかし,上記判決の射程範囲が不明確である上,外形標準説は取引的不法行
為のように,その外形を信頼して被害を被った  場合には理解できるが,本件の
ような事実的不法行為の場合には,その外形を信頼した結果被害を受けたものでは
ないから妥  当しない。また,外形標準説が,本来職務行為でないものを,その
外形により「職務行為」に該当するとして責任を負わせる  ものであることから
すれば,国家賠償法においては,被害者が適法な職務行為であると信頼した場合に
のみ責任が生ずる余地  があることになるところ,原告らは,本件参拝を適法行
為であると信頼していなかったのであるから,本件に外形標準説を用  いて判断
することは妥当でない。
   また,本件に外形標準説が妥当するとしても,外形標準説は行為の外形によ
り判断するものである以上,本件参拝の外形そ  れ自体を斟酌すべきであり,本
件参拝前後の事情は判断の基礎となる事実にはなり得ない。
(エ) 以上より,本件参拝は,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについ
て」なされたものに当たらない。
イ 原告らの主張に対する反論
(ア)
  原告らは,被告小泉が本件参拝前から内閣総理大臣の資格で靖國神社に参拝す
る旨繰り返し表明してきた事実を挙げる が, 平成13年7月10日閣議決定の
政府答弁書のとおり,政府は,被告小泉が公的な資格で靖國神社参拝を行うか否か
検討中であ ると承知している旨答弁しており,被告小泉の上記発言は,これをも
って修正されたものである。
 次に,原告らは,本件参拝に先立って,福田官房長官が「小泉内閣総理大臣の談
話」を発表した事実を指摘する。しかし,上記 談話は,終戦記念日が近づくにつ
れて,国内外における被告小泉の靖國神社参拝に対する関心が高まりつつあったこ
とから,参 拝による影響を苦慮し,本件参拝についての被告小泉個人の真情等を
国民に明らかにするために発表したものである。そして, 内閣総理大臣の地位に
ある者が,私的な事柄について,国民に説明する必要性に応じてこれを発表するこ
とは十分にあり得るも のであるから,この事実をもって,本件参拝が内閣総理大
臣の職務としてなされたとはいえない。
(イ)
  原告らは,本件参拝に,公用車を使用した上,秘書官,警護のSPが同行した
上,秘書官やSPとともに靖國神社本殿に進ん だことは私人としての行為とは考
えられない旨主張する。しかし,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等から公用車
の使用,S P等の同行がなされるのであり,これらの事実によって被告小泉の行
動が私人の立場を離れるものではない。また,本件参拝に おいて,被告小泉が秘
書官を連れて本殿に進んだ事実はない上,一般人が本殿に参拝するに際しても,神
職が案内する場合があ るのは公知の事実というべきである。
 さらに,原告らは,被告小泉が記帳,献花に際し,「内閣総理大臣小泉純一郎」
と記載した事実を挙げるが,前記政府統一見解 のとおり,これは,内閣総理大臣
の地位を示す肩書きとして付記されたに過ぎず,慣例としてしばしば用いられるも
のである。
(ウ)
  原告らは,被告小泉が本件参拝後に,「総理大臣である小泉純一郎が心を込め
て参拝した。」と述べたことを指摘するが,  「内閣総理大臣である」というの
は,私人である「小泉純一郎」が内閣総理大臣の地位にあることを述べたに過ぎな
いから,こ れをもって内閣総理大臣の資格で参拝したことを示すとはいえない。
 加えて,原告らは,報道各社が「小泉首相の日程」欄等において本件参拝が取り
上げられて報道されたことも挙げるが,同欄に おいては,被告小泉の私的行為に
ついても報道されるのであるから,原告らの主張は当たらない。
(エ)
  以上のように,原告らが指摘する事実は,いずれも本件参拝が内閣総理大臣の
職務としてなされたことを裏付けるものではな い。
 (3)
  争点(3)(争点(2)で,本件参拝が「職務を行うについて」なされたものと認め
られる場合,公務員たる被告小泉も個人責任を 負うか。)について
 (原告らの主張)
  最高裁判所昭和53年10月20日第二小法廷判決(民集32巻7号1367
頁)は,公権力の行使に当たる公務員の職務行 為について,公務員個人は賠償責
任を負わないと判示した。
  しかし,上記判例は,公務員の個人責任について,傍論で判示したものに過ぎ
ず,本件の適切な先例とはいえない。また,公 務員個人の損害賠償責任を否定す
る見解の根拠は,個人責任を問われることによる行政事務の遅延防止,公務員の職
務遂行の萎 縮防止にあると解されるところ,本件のように,政教分離原則違反と
いう憲法上の基本原則に違反する行為にまでかかる趣旨が 及ぶものではないとい
うべきである。そして,国家賠償法が公務員の個人責任を否定する旨明記していな
いこと,違法な職務行 為(特に,故意又は重過失によるもの)は,むしろ萎縮さ
せるべきであること,国家賠償法には「公務の適正を担保する機能」 が存するこ
となどにかんがみれば,本件参拝のように悪質かつ違憲の行為に公務としての保護
は必要でなく,被告小泉に対する 直接請求が可能であるというべきである。
 (被告小泉の主張)
 原告らは,被告国に対して,国家賠償請求をしているところ,公権力の行使に当
たる公務員の職務行為について,公務員個人は 賠償責任を負わない(最高裁判所
昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁等)。
(4) 争点(4)(本件参拝は違憲,違法か。)について
(原告らの主張)
ア 
  靖國神社の性格等
  靖國神社の前身とされる東京招魂社は,天皇に忠義を捧げた「臣民」たる軍人
が死して「現人神」である天皇によって祀られ る国家宗教施設であり,その目的
は,「天皇への忠」の思想の絶対化を図ることにあった。そして,このような特徴
は,東京招 魂社が明治12年に「靖國神社」と改称された後もそのまま継承され
た。
 また,靖國神社は,神権天皇制国家の理念を具体化する新神社として国家神道の
有力な支柱であり,「天皇」「軍」「神社」の 三者を一体とした性格を有してお
り,天皇の名による戦争の戦没者を神として讃え,顕彰することによって天皇の兵
士としての 忠誠心を宗教的情熱をもってかきたて,天皇のための死を美化する働
きをも有していた。
 太平洋戦争の後になって,靖國神社は単立の宗教法人として運営されることとな
ったが,天皇を「現人神」とする国家神道を志 向するその根本的性格は変わって
いない。靖國神社と天皇との結び付きは,戦後においても色濃く残され続けてきて
おり,昭和 27年以後も前後7回にわたって天皇による参拝が繰り返されたが,
これは天皇の参拝を最も重要なものとしてその祭祀の中心 に据えてきた靖國神社
の本質が失われていないことを示すものである。また,靖國神社はキリスト教等の
遺族からの切実な合祀 取下げ要求を頑として拒否し,その合祀事務は今日もなお
国が協同して行っており,政教分離原則を踏みにじる靖國神社と国家 のこのよう
な結び付きは,戦後50年以上を経ても離れることのできないほど強固なものとし
て連綿と続いている。
 このように,靖國神社は,その基本的性格として,国家神道中の軍国主義的側面
を代表する存在であり,国家神道を最も強く国 家と結び付け得る宗教施設である
が,その歴史的経過にかんがみると,日本国憲法の政教分離原則が,まさに靖國神
社と国家と の関わりを最も警戒するものとして創設されたものであることは明ら
かである。
イ 政教分離規定の趣旨とその判断基準
 憲法20条及び89条は,いわゆる政教分離原則について規定する。
 これは,戦前の日本においては,政治権力と神道とが結び付いたことにより,大
日本帝国憲法下における個々の国民の信教の自 由は,「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民
タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」と,極めて制限的に保障されていたに過ぎず,ま
た,神道が 事実上国教化された結果,個々の国民の信教の自由が侵害され,民主
主義が崩壊するなど種々の弊害をもたらしたという歴史的 事実を認識し,国家神
道が国内をはじめアジア諸国にもたらした弊害に対する反省を踏まえて,このよう
な事態の発生を未然に 防止するために規定されたものである(このような経緯
は,最高裁判所平成9年4月2日大法廷判決(民集51巻4号1673 頁(愛媛
玉串料事件))も述べるところである。)。
  そして,上記政教分離規定の趣旨等に照らせば,国家と宗教との関わりについ
ては,原則として完全分離を貫き,例外的に国  家と宗教との関わり合いが憲法
上許容される余地があるものと解すべきである。
ウ 最高裁判例に対する批判
  最高裁判所は,昭和52年7月13日大法廷判決(民集31巻4号533頁
(津地鎮祭事件))においても,前記愛媛玉串料 事件においても,「国家と宗教
との完全な分離が理想である」と明言しているにもかかわらず,国家と宗教との完
全な分離を実 現することは不可能に近く,完全分離を貫こうとすれば社会生活の
各方面に不合理な事態を招くとして,政教分離原則は,「国 家が宗教とのかかわ
り合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをも
たらす行為の目的及び効 果にかんがみ,そのかかわり合いが,我が国の社会的,
文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合 にこれを
許さないとするものであると解すべきである。」として相対分離説,目的効果基準
を採用している。
 しかし,津地鎮祭事件判決が挙げる上記「不合理な事態」の具体例は,特定宗教
と関係のある私立学校への助成,文化財である 神社,寺院の建築物や仏像等の維
持保存のための宗教団体に対する補助,刑務所等における教誨活動等であるとこ
ろ,これらに ついては,平等の原則からして,当該団体を他団体と同様に取り扱
うことが当然要請されるものであり,このような例は,政教 分離原則を国家と宗
教との完全な分離と解することによって生ずる不合理な事態とはいえず,国家と宗
教との完全な分離を貫く ことの妨げとなるものとは考えられない。憲法20条3
項の規定が,日本の過去の苦い経験を踏まえて国家と宗教との完全分離 を理想と
したものであることを考えると,目的効果基準によって宗教的活動を制限ないし限
定して解釈することは,憲法の意図 するところではない。
エ 社会通念基準論,目的効果基準に対する批判
 前記愛媛玉串料事件において,最高裁判所は,「(国家と宗教との)かかわり合
いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし相 当とされる限度を超えるものと認
められる場合にこれを許さない」,さらに,「諸般の事情を考慮し,社会通念に従
って,客観 的に判断しなければならない」と,結局のところ「社会通念」を判断
の基準としている。
 しかし,日本において国家神道に国教的な地位が与えられ,その結果種々の弊害
を生じたことは周知の事実である。憲法は,そ の反省の上に立って信教の自由を
無条件で保障し,それを確実ならしめるために国家と宗教との完全な分離を実現す
るために政 教分離の規定を設けたのである。また,日本においては宗教は多元
的,重層的に発展してきており,国民一般の宗教に対する関 心は必ずしも高くは
なく,異なった宗教に対して極めて寛容である。宗教的感覚において寛容であると
いうことは,それ自体悪 いこととはいえないが,宗教が国民一般の精神のコント
ロールを容易になし得る危険性をはらんでいるということでもある。そ の意味か
らも政教分離原則は厳格に遵守されるべきであって,「社会的,文化的諸条件に照
らし相当とされる限度」,「社会通 念に従って,客観的に判断」というような曖
昧な基準で判断されるべき事柄ではない。
 また,最高裁判所の採る目的効果基準が極めてあいまいな明確性を欠く基準であ
るということはこれまでも指摘されてきたとこ ろである。これまでの裁判例を見
ても,同じ目的効果基準を採用しても各審級ごとに結論を異にすることも多々あ
り,目的効果 基準が明確な指針たり得るかどうか大いに疑問であり,このような
あいまいな基準で国家と宗教とのかかわり合いを判断し,憲 法20条3項の宗教
的活動を限定的に解することは,国家と宗教との結び付きを許す範囲をいつの間に
か拡大させ,ひいては信 教の自由もおびやかされる可能性があるとの懸念を持た
ざるを得ない。
オ また,仮に目的効果基準を是認するとしても本件参拝は違憲である。
(ア)
  最高裁判所は,憲法が定める政教分離規定は,国家が宗教とのかかわり合いを
持つことを全く許さないとするものではなく, 宗教とのかかわり合いをもたらす
行為の目的及び効果にかんがみ,そのかかわり合いが我が国の社会的,文化的諸条
件に照らし 相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないと
するものであると解すべきであるとし,同条項にいう宗教 的活動とは,当該行為
の目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,
干渉等になるような行 為をいうものとする。
 そして,目的効果基準によって,ある行為が上記の「宗教的活動」に該当するか
否かを検討するに当たっては,①当該行為の外 形的側面のみにとらわれることな
く,②当該行為の行われる場所,③当該行為に対する一般人の宗教的評価,④当該
行為者が当 該行為を行うについての意図,目的及び宗教的意義の有無,程度,⑤
当該行為の一般人に与える効果,影響などの諸般の事情を 考慮し,社会通念に従
って,客観的に判断しなければならないとする。
 そこで,これを本件参拝について検討する。
(イ)
  上記①,②について
 本件参拝においては,神道の正式な拝礼方式「二礼二拍一礼」に則ったものでは
ないが,昇殿前に神式のお祓いを受け,靖國神 社が祭神として信仰する英霊に対
して深く一礼したなど,一部神道の方式に沿った行為が行われていること,正式な
神道方式に よらなくとも,祭神たる英霊に対して畏敬崇拝の心情を示す行為であ
ることには変わりがないことなどからすれば,本件参拝  は,その外形的側面に
のみ着目しても,神道における基本的かつ中心的な「宗教的活動」に該当する。ま
た,本件参拝が行われ たのは,靖國神社が祭神として信仰する英霊が祀られてい
る同神社本殿であり,祭神たる英霊に対する畏敬崇拝の行為をなす場 所である。
そのような場所において,一部神道の方式に従ってなされた本件参拝は,客観的に
見て,「宗教的活動」以外の何物 でもない。
(ウ)
  上記③について
 次に,靖國神社への参拝行為については,靖國神社の公的復権を求める動きがあ
ったことなどからして,政治家の参拝を望む遺 族等一般国民が存在することは事
実である。しかし,そのような側面があるとしても,神社の祭神が祀られている本
殿に昇殿  し,深く一礼するという行為は,やはり,時代の推移によって既にそ
の宗教的意義が希薄化し,完全に慣習化した社会的儀礼に 過ぎないものになって
いるとまでは到底いうことができず,一般人が,本件参拝を社会的儀礼の一つに過
ぎないと評価している とは考えがたい。本件参拝は,一般人の評価においても,
「宗教的活動」に該当するといえる。
(エ)
  上記④について
 上記(ウ)のとおり,一般人の評価において,「宗教的活動」に該当する以上,
本件参拝の行為者たる被告小泉の認識において も,それが宗教的意義を有するも
のであるという意識を大なり小なり持たざるを得ない。実際,被告小泉は,本件参
拝を行う以 前から,「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感
謝の誠をささげるのは政治家として当然。」と述べてお  り,靖國神社の祭神た
る英霊,すなわち,戦没者を畏敬崇拝する目的を明言しているのである。とすれ
ば,被告小泉の認識にお いても,明らかに本件参拝は「宗教的活動」であったと
いえる。
(オ)
  上記⑤について
 内閣総理大臣が,靖國神社という特定の宗教団体に対してのみ,本件参拝を行う
という形で特別のかかわり合いを持つことは, 一般人に対して,国が靖國神社を
特別に支援しており,それが他の宗教団体とは異なる特別のもので,国によって優
遇されてい るとの印象を与え,靖國神社への関心を呼び起こすことは明らかであ
る。このような意味においても,本件参拝は,「宗教的活 動」に該当する。
(カ)
  本件参拝の目的
 被告小泉は,「戦没者たちに敬意と感謝の誠をささげる」と述べており,一面に
おいて戦没者の慰霊,遺族の慰謝という世俗的 目的で行われた社会的儀礼という
側面があることも否定できないが,政教分離規定成立の経緯に照らせば,たとえ相
当数の国民 がそれを望んでいるとしても,そのことのゆえに,本件参拝が世俗的
目的で行われた社会的儀礼に過ぎないものに転化するもの ではなく,その目的に
おいて,靖國神社の祭神たる英霊,すなわち,戦没者を畏敬崇拝するという,極め
て高度の宗教的意義を 有することは免れない。
(キ)
  本件参拝の効果
 また,本件参拝は,国が靖國神社に対してのみ,特別のかかわり合いを持ち,靖
國神社が,国によって特別に支援,優遇されて いるとの印象を与えるものであっ
て,その効果において,靖國神社に対する援助となるものである。
(ク)
  以上を総合考慮して判断すれば,本件参拝により,内閣総理大臣      
 たる被告小泉が靖國神社に深く関与したこと は,その目的が宗教的     
  意義を持つことを免れず,その効果が特定の宗教に対する援助,助     
  長,促 進になると認めるべきであり,これによってもたらされる国    
   と神道とのかかわり合いが我が国の社会的,文化的 諸条件に照らし   
    相当とされる限度を超えたものであって,憲法20条3項の禁止す   
    る「宗教的活 動」に当たると解するのが相当である。
カ 
  以上より,憲法20条3項の解釈において,完全分離説に立つ場合はもとよ
り,仮に最高裁判所のいう目的効果基準を採用し たとしても,被告小泉の本件参
拝は,憲法20条3項の禁止する「宗教的活動」に当たり,違憲である。
(被告らの主張)
ア 日本国憲法において,信教の自由が保障されていること,政教分離規定がある
こと,日本国憲法20条3項が国及びその機関 は宗教的活動をしてはならない旨
定めていること,原告らの主張する各最高裁判所の判決が存在することは認め,そ
の余は争  う。
イ 靖國神社は,昭和21年2月2日の宗教法人令の改正により,同令の規定によ
る宗教法人となり,昭和26年4月3日に施行 された宗教法人法に基づき,東京
都知事により規則の認証を受け,昭和27年9月30日に設立登記を完了して同法
の規定によ る宗教法人となっている。
(5) 争点(5)(本件参拝により,原告らの権利ないし法的利益が侵害され,損害が
生じたといえるか。)について
(原告らの主張)
ア 被侵害利益概念
 不法行為の要件である「権利侵害」については,明確な権利侵害でなくても不法
行為の要件を満たすことがあるとされ,「違法 性」の有無については,侵害行為
の悪質性と被侵害利益の種類を乗じて判断するという,いわゆる相関関係説が通説
的な地位を 占めてきた。国家賠償法は,明文で「違法性」をその要件として要求
しているが,ここにいう「違法性」は,上記民法上の不法 行為における違法性論
を取り込んだものと理解されている。
 本件における侵害行為は,被告小泉の靖國神社参拝という憲法の大原則である政
教分離原則に違反する行為であり,かつ,被告 小泉はかかる違憲行為についての
明確な故意を有している上,被告小泉の靖國神社参拝は本件参拝後も継続して行わ
れており, 侵害行為の悪質さは極めて強度なものである。
 とすれば,上記「違法性」概念からは,原告らに一定の被侵害利益が認められれ
ば,本件における違法性は明らかであり,被告 らが発生した損害について責任を
負うことは当然である。
イ 原告らの信教の自由(宗教的人格権)に対する侵害
 本件参拝は,以下のとおり,原告らの信教の自由(宗教的人格権)を侵害するも
のである。
(ア)
  信教の自由の意義及び内容
 憲法13条は,原告ら市民は「個人として尊重され」,また,原告らの「生命,
自由及び幸福追求に対する」権利は国政におい て最大限の尊重がなされるべきこ
とを定め,特に,憲法19条に定める「思想及び良心の自由」と憲法20条1項前
段に定める 「信教の自由」は,あらゆる基本的人権の根幹をなす精神生活におけ
る内的自由として絶対不可侵の権利とされている。
 そして,憲法20条1項前段に定める「信教の自由」の内容には,①特定の宗教
を信仰する自由,②特定の宗教又はいかなる宗 教も信仰しない自由,③特定の宗
教を信仰すること,又は信仰しないことを強制されない自由,④宗教を布教伝道す
る自由,⑤ 自己の信仰に基づいて社会的実践をする自由,⑥自己の信仰について
意見を述べる自由,⑦自己の信仰しない宗教について批判 する自由が含まれる。
(イ)
  宗教的人格権の意義
 さらに,原告らは,信教の自由の包括的態様として,「日常の市民生活におい
て,平穏かつ円満な宗教的生活を享受する権   利」,すなわち,「宗教的人格
権」を有している。
 信教の自由を,強制,禁止からの自由であり,不利益取扱いからの自由と解する
理解は,今日,世界中で承認され,既に確立さ れた原則である。しかし,個人が
ある信仰を持ちつつ(又は持たずに),個人の尊厳を確保するためには,国家によ
って,ある 宗教を強制される,又は宗教儀式への参加を強制されるなどの「強制
から免れる」だけで十分とはいえない。これらを超えて, 国家に対して,信仰を
個々人の私的,個人的事柄として尊重させなければならず,その一つとして,国家
によって一定の宗教的 意味付けをされない権利も,宗教的人格権として保障され
なければならない。
(ウ)
  宗教的人格権が保障されなければならない理由
 宗教を信仰する者にとって,畏敬崇拝する対象は自己の存在意義を裏付ける絶対
者であり,その教義は単なる規則ではなく,人 生のあらゆる場面で尊重しなけれ
ばならない行動指針である。
 このように,宗教的な事柄(どのようなものに絶対的な価値観をおき,どのよう
な信条に従って生き,自分の魂はどこに行きつ くのかなど)は,個人の人格と魂
の根元に関わる問題であるが故に,本来個々人が意味付けをし,個々人がその価値
を判断すべ き事柄といえる。よって,国家が,個人の「生」「死」「魂」のあり
方に対して宗教的意味付けをしたり,特定の宗教に優劣な どの評価を加えたりす
ることは許されない。
 以上の点から,宗教者にとっても,非宗教者にとっても,国家によって一定の宗
教的意味付けをされない権利が宗教的人格権と して保障されなければならない。
(エ)
 宗教的人格権の法的根拠
  a 信教の自由(憲法20条1項前段)
   日本国憲法が規定する信教の自由は,強制,禁止,不利益取扱いからの自由
だけを内容とするものではなく,「宗教的人格   権」もその信教の自由の一内
容として認められると解すべきであることは,前記(イ)のとおりである。
  b 政教分離原則(憲法20条3項)
   憲法20条3項は,国民に対する国の宗教教育,その他の宗教的活動を具体
的に禁止しており,その裏返しとして,国によ  る宗教教育,その他の宗教的活
動からの自由を人権として保障していると解される。また,同条項は,国家の非宗
教性,宗教  的中立性を意味する政教分離原則を定めるところ,これは,宗教が
私的,個人的事柄であり,国家が宗教的な意味付けや評価  をしないということ
を本質的要素としている。
  したがって,憲法20条3項により保障された上記人権の内容として,個人
は,国の宗教的活動(例えば靖國神社への公式参  拝)により,自分自身及び肉
親が,特定の宗教に対して宗教的意味付けをされない自由,宗教事項に関しては干
渉されない自  由,すなわち,宗教的人格権を有していると解すべきである。
  c 宗教的プライバシー権(憲法13条)
   宗教的人格権は,プライバシー権の一つとしても位置付けられる。
   すなわち,プライバシー権が認められた背後には,私的領域における自己決
定を重視するという時代の潮流がある。そし    て,精神的事項の中でも,宗
教,信仰の問題は,人格の核心,人間の魂に関わる問題であり,最も重要かつ高度
に私的,個   人的事柄といえる。
   また,戦前の天皇制の下では,国家が,戦没者の死を天皇のための死と意義
付けて,戦没者を祭神として合祀することを強   制して,国家が個人の死を管
理しており,個人が肉親の死について,国家の管理,宗教的意味付けから自由に生
きること    や,個人が,私事として肉親の死を悲しむ自由が否定されてき
た。このような歴史を踏まえて成立した日本国憲法下におい   ては,「生」や
「死」や「魂」について,個人がそれぞれ意味付けて悲しむ権利を持つことを認め
ていると解すべきであ    る。
    そうすると,宗教的人格権は,他人から干渉されないで宗教行為を行う自
由であるというプライバシー権としての側面を   有するから,憲法13条によ
っても保障されていると解すべきである。
  d 以上のように,宗教的人格権は,憲法20条1項前段の信教の自由,20
条3項の政教分離規定,13条の幸福追求権    (プライバシー権)によっ
て,三重に根拠付けられる人権であり,法的利益である。
(オ)
  下級審裁判例に対する批判
 宗教的人格権が主張された過去の訴訟において,下級審裁判例は,軒並みこれを
「主観的」「抽象的」「権利内容が曖昧」等を 理由に具体的権利性を否定してい
る(神戸地方裁判所姫路支部平成2年3月29日判決・訟務月報36巻7号122
9頁,大阪 高等裁判所平成5年3月18日判決・判例時報1457号98頁等参
照)。
 しかし,宗教的人格権は,「国家によって一定の宗教的意味付けをされない権
利」であり,明確かつ定義可能な概念である。そ して,「宗教的意味付けがなさ
れる」場合というのは,国家元首が特定の宗教施設に参拝したり,地方公共団体の
長が特定の宗 教儀式を殊更に重要視するような言動を繰り返すなど,「国家又は
地方公共団体が,個人の『魂』『生』『死』等の宗教的事項 について一定の評価
を加えること」と具体的かつ明確に観念できる。したがって,宗教的人格権は,
「権利内容が曖昧」でも, 「抽象的」でもない。
 仮に,宗教的人格権を「主観的」な概念と呼ぶことを認めたとしても,そのため
に法的権利性が否定されるものではない。すな わち,そもそも信仰が個々人の私
的,個人的事柄であるにもかかわらず,信仰の自由やプライバシー権等が法的権利
と認められ ている以上,これに連なる宗教的人格権も,法的保護に十分値すると
いえる。
 また,「主観的」な利益であっても,一般人の感受性を基準に損害が生じるか否
かを判断することは可能である。現に,いわゆ る「宴のあと」事件の東京地裁判
決は,一般人の感受性を基準にして当該個人の立場に立って耐え難い苦痛を感じる
と考えられ る場合には,プライバシー権の侵害を認めているし,後記(カ)の自
衛官合祀事件の最高裁判決も,侵害の態様,程度が社会的 に許容し得る限度を超
える場合には宗教的人格権の侵害となり得ると判示している。
(カ)
  宗教的人格権と最高裁判例
 宗教的人格権については,最高裁判所昭和63年6月1日大法廷判決(民集42
巻5号277頁(自衛官合祀事件))がこれを 否定したものだという誤った解釈
が定着している。
 しかし,上記最高裁判決は,事案を私人間の問題ととらえたものであり,本件訴
訟のように国家と私人との間で宗教的人格権の 存否が問題となった事案を念頭に
置いたものではないから,国家と私人の間においては宗教的人格権が成立する余地
があること を示したものである。
  また,上記最高裁判決は,信教の自由の侵害に当たる行為で「その態様,程度
が社会的に許容し得る限度を超える場合」に  は,法的利益の侵害を認め,その
前提として宗教的人格権の存在を認めたものであるし,本件のような国家と私人の
間において は,より緩やかな基準で侵害が認められる。
(キ)
  本件参拝は,被告小泉が,国の機関として,特定宗教である「靖國神社」と結
び付き,これに関与する行為であり,国や国の 機関の権威をもって,原告らに対
し,「靖國神社」の「宗教を賛同し,見習い,信仰せよ。これが奉じる超自然的存
在を崇拝  し,その教えを敬え。」と「靖國神社」への信仰を鼓舞し,称揚し,
これを信仰することを強制して,「靖國神社」を信仰しな い原告らの「信教の自
由」を侵害したものである。それは,同時に,原告らの日常生活における「宗教的
人格権」を侵害して, 原告らに,精神的圧力と畏怖を与えるものである。
 したがって,本件参拝は,原告らの人権を侵害するものであるから許されない。
ウ 原告らの平和的生存権に対する侵害
 日本国憲法は,戦前の日本が,個人を国家に直結して支配管理するファシズム体
制により,「靖國神社」を中核とする国家神道 の下で,個人の生命,自由,権利
を国家において一元的に支配管理し,太平洋戦争へ疾駆して,日本とアジア各国
で,数百万, 数千万の無辜の市民の命を奪ったことへの深い反省を踏まえて成立
したものである。
 その反省を踏まえ,憲法前文が宣言し,9条が具体化する「全世界の国民が,ひ
としく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生 存する権利」こそが「平和的生存
権」である。
 そして,靖國神社の成立経緯等を踏まえれば,本件参拝は,まさしく,「靖國神
社」(これが表現している「尽忠報国」「英  霊」)という戦前の全体主義的な
政治的シンボルを承認し,称揚し,鼓舞して,憲法が定める「平和主義」「戦争放
棄」の大原 則に明白に違反し,原告らの有する「平和的生存権」を侵害するもの
である。
エ 原告らの平和への思いを巡らす自由の侵害
(ア)
  原告らは,本件参拝によって,「平和への思いを巡らす権利,自由」を侵害さ
れた。
 この権利は,悲惨なアジア,太平洋戦争を経験し,その反省に立って戦争を放棄
し,平和主義に立つことを憲法に定めた日本国 民にとっては,戦争の記憶と反省
とに結び付き,あまねく共有されており,日本国民の人格の形成にとって必要不可
欠のもので ある。
(イ)
  平和への思いを巡らす自由の根拠
 この権利の根拠は,憲法前文第2段,9条,13条及び19条に求められる。
 憲法は,その前文第2段や9条において,戦争の放棄を命じ,武力の行使や武力
による威嚇を禁止し,一切の戦力の不保持を宣 言するという徹底した平和主義を
貫いている。この平和主義の理念の下で生活をしてきた戦後の日本国民の多くは,
平和が人格 的生存に不可欠の前提であること,平和に対して自由に思いを巡ら
せ,戦争や抑圧を回避すべきであることを日々の生活の中で 実感し,自己の人格
を形成するに当たって大きくこの平和主義を取り入れてきたといえる。
 また,憲法13条は,憲法の究極の理念である「個人の尊厳」を謳うとともに,
個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする 権利を包括的に定めていると解さ
れている。そして,平和主義(前文第2段,9条)が,戦後60年近くにわたって
日本外交を 一定程度規律し,これを多くの日本国民が自己の人格形成の上で根本
から取り入れている状況からすると,「平和への思いを巡 らす自由」は,この憲
法13条で定める自己の人格的生存に不可欠な人権の一つとして確立しているとい
うべきである。
 さらに,平和への思いを巡らす精神作用は,思想,信条の一つに含まれているこ
とから,憲法19条においても保障されている といえる。
(ウ) 平和への思いを巡らす自由の性質
  a 戦争体験や戦没者への思いと密接に結び付いている権利
   戦没者遺族や戦争体験者の原告らは,みなそれぞれ悲惨で労苦に満ちた体験
を経ている分,それだけ強固に戦争を憎み,平   和を希求している。それゆ
え,憲法の前文や9条で謳われている平和主義を誇りと感じており,この憲法の条
項を守り続    け,高く掲げていくことこそ戦争を知る者としての責務である
とも感じている。このような原告らにとっては,平和への思   いは,人格の中
核を構成している。
  b 憲法の定める平和主義と結び付き,人格の中核を形成する権利
   戦争体験のない者又は戦没者の遺族ではない者であっても,そのような体験
を持つ者に劣らず,強く平和を希求する市民も   多数存在しており,本件訴訟
の原告にもなっている。
   日本は,アジアの民衆を苦しめた侵略戦争を反省し,二度と戦争は行わない
と謳った平和憲法を制定した。憲法前文第2段   や9条の平和主義を定めた規
定は,日本国の平和擁護義務や戦争回避義務を定めたものであるとともに,国民の
側から見れ   ば,国民が生まれながらにして一人一人が平和のうちに生活し,
平和を希求する心情を持つ権利を定めたものであるといえ   る。
  c 平和への思いを巡らす自由は,それぞれの人格に密接に関わり,人生観そ
のものを構成する。また,この平和への思いを   巡らす自由がいったん抑圧,
弾圧されてしまった社会においては,事後的な修復はほとんど困難となってしま
う。このこと   は戦前の日本において,平和を希求する市民が抑圧,弾圧を受
け,結局「平和への思いを巡らす自由」は日本の敗戦まで日   の目を見ること
ができなかったことに端的に示されている。さらに,このような弾圧によって一人
一人の内面が徹底的に破   壊されてしまうことから,幸い社会において平和へ
の思いを巡らす自由が回復されたとしても,弾圧を受けた個人の内面は   元に
は戻らない。
   このように,平和への思いを巡らす自由は,壊れやすくもろい権利,事後的
な救済が困難な権利であるから,より一層保護   を厚くする必要がある。
(エ) 本件参拝による平和への思いを巡らす自由の侵害
   本件参拝は,かつての軍国主義の精神的支柱であった靖國神社を殊更に厚遇
し,そこに祀られている「英霊」を称揚するも   のであり,平和を真剣に希求
する原告らの平和への思いを巡らす自由を踏みにじる行為にほかならない。特に,
原告らのう   ち,平和憲法の理念を生活の上で実践に移している者,平和憲法
を誇りに思い人格の中核部分にすえている者にとっては,   自分自身の生き
様,人生の意義を否定された思いがするのである。
(オ) 下級審裁判例に対する評価
   東京地方裁判所平成8年5月10日判決(判例時報1579号62頁・判例
タイムズ916号59頁)は,「個人の内心的   な感情も,それが害されるこ
とによる精神的な苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超える場合には,人格的な利
益として国   家賠償法上の保護の対象となる場合がある」として,内心の感情
について法律上保護の対象となることを明確に理論上認め   ている。これまで
論じたとおり,「平和への思いを巡らす自由」は,戦後の平和主義の理念の下に育
った平和を愛する市民   にとっては人格に密接に結び付いた権利であり,これ
を公権力の行使によって蹂躙された場合には,著しい精神的苦痛がも   たらさ
れることは明らかであるといえ,上記裁判例の内容からしても,人格的な利益とし
て保護されるのである。
   また,判例は「平和的生存権」については消極的であると解されているが,
本件で請求している「平和への思いを巡らす自   由」は,国家に政策や作為を
求める性質のものではなく,個人の自由権の保障を求めているに過ぎず,平和的生
存権につい   ての判例の射程は及ばないと解すべきである。
  オ 本件参拝は,戦没者の死の意味をその遺族に対して強制するものであり,
戦没者遺族たる原告らの有する,遺族が他者か   らの干渉,介入を受けずに静
謐な宗教的あるいは非宗教的環境の下で,肉親の死の意味付けをし,戦没者への思
いを巡らせ   る自由を侵害し,また,特定の宗教を持たない原告らの有する,
無宗教ないし無信仰という生活(非宗教的生活)を平穏か   つ円満に享受する
権利を侵害するものである。
  カ  以上のとおり,原告らは,本件参拝により,その権利ないし法的利益を
害され,大きな精神的苦痛を被ったものであ    り,その苦痛を慰謝するには
各10万円を下らない。
 (被告らの主張)
   本件参拝により,原告らの法律上保護された具体的権利ないし法益が侵害さ
れたものとはいえない。
  ア 原告らの信教の自由を侵害するとの主張について
   信教の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限されることな
く,また,不利益を課せられないとの意味を有   するものであり,国家によっ
て信教の自由が侵害されたといい得るためには,少なくとも国家による信教を理由
とする不利   益な取扱い又は強制,制止の存在することが必要である。
   本件参拝は,原告らの信教を理由に,原告らを不利益に取り扱ったり,原告
らに特定の宗教の信仰を強要したり,あるいは   原告らの信仰する宗教を妨げ
たりするものではない。
   したがって,本件参拝は,原告らの信教の自由を侵害していない。
  イ 原告らの主張する宗教的人格権について
   原告らの主張する「宗教的人格権」なるものは,過去の判例上も否定されて
おり,国家賠償法上の法的利益とは認められな   いというべきである。
   原告らの主張によっても,「国家による一定の宗教的意味付けをされない権
利」がいかなる権利で,どのような場合に侵害   されることになるのか,ま
た,なぜ信教の自由の保障と異なり,強制の要素がなくても保護されるのか明らか
でない。ま    た,本件参拝は,原告らが自己の信仰する宗教で個人を祀るこ
とについて何らの干渉もしていない。
  ウ 原告らの主張する平和的生存権について
   原告らの主張する平和的生存権なるものは,その概念そのものが抽象的かつ
不明確であるばかりでなく,具体的な権利内    容,根 拠規定,主体,成立
要件,法的効果等のどの点をとってみても一義性に欠け,その外延を画することさ
えできない   極めてあいま いなものであり,このような平和的生存権なるも
のをもって,国家賠償法上の被侵害利益とは到底認めるこ   とはできない。
   したがって,原告らの主張する平和的生存権なるものは,およそ国家賠償法
上保護された法益とはいえないことは明らかで   あり,原告らの主張には理由
がない。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(原告らの本件訴えのうち,被告小泉に対する部分は訴権の濫用に当た
るか。)について
 被告小泉は,被告小泉も憲法により保障された信教の自由を享受できるところ,
本件参拝は,この信教の自由の実現行為であ  り,また,原告らの本訴請求の目
的は,被告小泉に対して訴訟提起という圧力を加えることにより,被告小泉の人権
を制限しよ うとするものであるから,訴訟提起自体が訴権の濫用であり,不適法
である旨主張する。
 しかし,人権の行使が一切不法行為になり得ないとはいえない上,本件全証拠に
よっても,原告らにおいて,本件訴訟を提起す ることにより被告小泉に対し不当
な圧力ないし損害を被らせるなどの違法な目的を有していると認めることはできな
いから,本 件訴訟提起をもって直ちに訴権の濫用であるとはいえない。
 よって,被告小泉の上記主張は採用できない。
2 争点(2)(本件参拝は,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」なさ
れたものといえるか。)について
 (1) 国家賠償法1条1項は,公務員が主観的に権限行使の意思をもってする場合
に限らず,自己の利を図る意図をもってする   場合でも,客観的に職務執行の
外形を備える行為をして,これによって他人に損害を加えた場合には,国又は公共
団体に損   害賠償の責任を負わしめて,ひろく国民の権益を擁護することをも
って,その立法の趣旨とするものと解すべきである(最   高裁判所昭和31年
11月30日第二小法廷判決・民集10巻11号1502頁参照)。
   したがって,同条項所定の「職務を行うについて」なされたとは,公務員が
主観的に権限行使の意思をもってする場合に限   らず,客観的に職務執行の外
形を備える行為もこれに該当すると解すべきである。
 (2) そこで,これを本件についてみると,前記前提事実に加え,証拠(甲5,6
の(1)ないし(53),14,15,乙ロ1の(1)   及び(2),2ないし5,15,1
7の(1)及び(2))並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
  ア 本件参拝に至る経緯
  (ア) 被告小泉は,4月18日の自民党総裁選の討論会で「尊い命を犠牲に
日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の     誠をささげるのは政治家
として当然。まして首相に就任したら,8月15日の戦没慰霊祭の日に,いかなる
批判があろ     うと必ず参拝する。」と発言した。
  (イ) 内閣総理大臣に就任した被告小泉は,5月9日,報道陣に対し,「総
理として,個人として参拝する。総理大臣の肩     書きは消せない。」など
と述べた上,同月14日の衆議院予算委員会において,「靖國神杜に参拝すること
が憲法違反     だとは思わない。」と公言した。
     これに対し,中国外務省の王毅次官は,同月17日,阿南惟茂駐中国大
使を同省に呼び,被告小泉の靖國神社への参拝     の意思表明について,
「両国関係が直面している重要な問題を慎重に処理するよう厳粛に要求する。」,
「(中国)人     民の警戒心を呼び起こさずにはいられない。日本の指導者
の参拝への対応は,日本政府の過去の侵略の歴史に対する態     度を試す試
金石だ。」などと述べた。
  (ウ) 自民党の山崎拓,公明党の冬柴鉄三,保守党の野田毅の3幹事長は,
中国を訪問し,7月10日に中国の江沢民国家     主席らと会談したとこ
ろ,上記山崎らによれば,江主席は会談で日中関係を重視する姿勢を示したが,抗
日戦争の歴史     等にも触れ,「歴史的な問題はきちんと処理しなければな
らない。火をつけると大きな波風を起こす可能性がある。」     と述べ,歴
史問題での慎重な対応を求めた。
  (エ) 政府は,6月28日に提出された質問主意書に対する7月10日付け
の答弁書において,被告小泉の靖國神社参拝に     ついて,公的な資格で行
うか否かについて,諸般の事情を総合的に考慮し慎重に検討しているところである
と承知して    いるとの答弁をなした。
  (オ) 被告小泉は,7月11日夜,韓国,中国訪問から帰国した前記3幹事
長と会談した。内閣総理大臣の靖國神社参拝に    ついて「中国の反応が厳し
い。」との報告に対し,被告小泉は「熟慮してみる。」と答えた。
    また,韓国の駐日大使が,同月24日午前,前記3幹事長と会談し,「8
月15日の総理の対応を韓国の全国民は注目し    ている。」などと述べ,被
告小泉に翻意を働きかけるよう求めた。
  (カ) 田中真紀子外務大臣が同月24日に中国の唐家?外相と会談したとこ
ろ,被告小泉の靖國神社参拝方針について,唐    外相は,「首相が8月15
日に参拝すれば中国の民衆からの強い反応が出てくるに違いない。友好の基盤が崩
れることを    心配する。」と参拝中止を求めた。
    被告小泉は,同日,8月15日に靖國神社を参拝することについて,「日
本国民,日本国総理大臣として当然の行為だと    思っている。総理大臣であ
る小泉純一郎が参拝する。」と述べた。
  (キ) また,田中外務大臣は,7月26日,被告小泉が8月15日に靖國神
杜に参拝することを表明していることについ     て,「首相というポストの
人が,なぜ,あえて行くのか。行かないでいただきたい。」と述べ,首相の靖國神
社参拝に反    対する姿勢を明確にした。
  (ク) 公明党の神崎武代表は,7月29日夜,テレビ番組で参拝反対を明言
した。また,山崎幹事長も8月15日の参拝は    好ましくないとの考えを表
明した。
  (ケ) 田中外務大臣は,7月30日,被告小泉の靖國神社参拝について,
「憲法20条(政教分離)の問題もある。」と指    摘した。また同外務大臣
は,「首相は国家の意思そのもの。個人だなんだと分けるという風な姑息な手段を
使わないでい    ただきたい。」とも批判した。
    被告小泉は,同日,8月15日における靖國神社参拝について,「基本方
針として参拝する意向を持っている。」と述べ    たが,「与党3党の方々の
意見を虚心坦懐にうかがって熟慮して判断したい。」とも述べた。
  (コ) 自民党の野中広務幹事長らは8月2日,唐外相と会談したところ,唐
外相は,「長い間,日中関係を築いてきただけ    に,公式参拝となれば,来
年の日中国交正常化30周年という節目を,より友好親善の足がかりにしたいと考
えてきたこ    とが大きく崩れることになりはしないか。」と懸念を伝えた。
同幹事長は,「首相は与党と協議して熟慮すると言ってい    るので,そのこ
とに期待したい。」と答えた。
  (サ) 同月10日になって,中国,韓国などから再考を求める声が予想以上
に強く,国内でも慎重論が広がったため,同月    15日に靖國神社参拝を強
行すれば政権運営に支障が出るという判断から,参拝する日程を同日以外にずらす
案が政府内    で浮上した。
    被告小泉は,同月10日夜,与党3幹事長と会談し,近隣諸国との関係等
に配慮して慎重な対応を求められ,「もう少    し時間を貸してほしい。皆さ
んの話を参考に判断したい。」などと述べた。
  (シ) 福田官房長官は,同月13日,本件参拝に先立って,「小泉内閣総理
大臣の談話」を発表した。同談話の抜粋は,以   下のとおりである。
   「わが国は明後8月15日に,56回目の終戦記念日を迎えます。21世紀
の初頭にあって先の大戦を回顧するとき,私    は,粛然たる思いがこみ上げ
るのを抑えることができません。」,「私はここに,こうしたわが国の悔恨の歴史
を虚心に受   け止め,戦争犠牲者の方々すべてに対し,深い反省とともに,謹
んで哀悼の意を捧げたいと思います。」,「私は,このよ   うな私の信念を十
分説明すれば,わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え,総
理就任後も,8月15   日に靖國参拝を行いたい旨を表明してきました。」,
「終戦記念日における私の靖國参拝が,私の意図とは異なり,国内外   の人々
に対し,戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせか
ねないということであるならば,   それは決して私の望むところではありませ
ん。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め,この際,私自らの決断とし 
  て,同日の参拝は差し控え,日を選んで参拝を果たしたいと思っています。総
理として一旦行った発言を撤回することは,   慙愧の念に堪えません。」,
「また,今後の問題として,靖國神社や千鳥が淵戦没者墓苑に対する国民の思いを
尊重しつつ   も,内外の人々がわだかまりなく追悼の
   誠を捧げるにはどのようにすればよいか,議論をする必要があると私は考え
ております。」
  イ 本件参拝
   被告小泉は,8月13日午後4時30分ころ,公用車で靖國神社に赴き,同
神社参集所において,「内閣総理大臣小泉純一   郎」との肩書きを付して記帳
し,拝殿において神職からお祓いを受け,本殿に昇殿して祭壇に向かって黙祷した
後,一礼方   式で拝礼した。また,被告小泉は,参拝に先立って,私費で献花
代3万円を支払い,「献花 内閣総理大臣 小泉純一郎」   と記載された名札
を付した献花一対を本殿に備えさせた。なお,本件参拝のための靖國神社への往復
に際しては,秘書官及   び警視庁から派遣されているSPが被告小泉に同行し
た。
  ウ 本件参拝後の状況
  (ア) 被告小泉は,本件参拝後,報道陣に対し,公式参拝か私的参拝かにつ
いて質問を受けると,「公的とか,私的とか,    私はこだわりません。内閣
総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけです。」と述べた。
  (イ) 韓国政府は,8月13日,本件参拝について,「繰り返し憂慮を伝え
たにもかかわらず,小泉首相が日本の軍国主義    の象徴である靖國神杜に参
拝したことに深い遺憾を表す。」という声明を発表した。
    また,中国外務省の王次官は,同日,阿南駐中国大使を同省に呼び,本件
参拝について,「中国政府と人民は強烈な憤慨    を表す。」,「参拝は中日
関係の政治的な基礎に損害を与え,中国人民とアジアの被害国人民の感情を傷つけ
た。両国関    係の今後の健全な発展に影響を与える。」などと批判した。
  (ウ) 小泉内閣のうち,4閣僚が同月14日までに靖國神社を参拝し,同月
15日には,他の5閣僚がそれぞれ参拝した。
    また,このほか,8月15日には,超党派の「みんなで靖國神社を参拝す
る国会議員の会」(会長・瓦力元防衛庁長官)    が88人で集団参拝するな
ど,自民党を中心とした国会議員の靖國神社への参拝がなされた。
  (エ) 被告小泉は,10月8日,中国の江沢民国家主席,朱鎔基首相と相次
いで会談し,日中戦争の被害者に対し,「心か    らのおわび」の意を表明し
た。江主席は,「日中間の局面は緊張緩和に向かう。」としつつ,「靖國神社には
(太平洋戦    争の)A級戦犯がまつられている。日本の指導者が参拝すれ
ば,これは複雑な結果になる。」,「靖國には日本の軍国主    義の戦犯がま
つられている。日本の指導者が参拝すれば重大な問題となる。アジアの人民は日本
が同じ道を繰り返し踏む    か,とても警戒している。」と指摘し,翌年以降
の首相の参拝に強い懸念を示した。
  (オ) 被告小泉は,同月15日,韓国を訪れ,金大中大統領と会談した。金
大統領は,靖國神社参拝問題について,「A級    戦犯の合祀が問題であり,
善処するよう切に期待する。総理が言っているような国内外の人々がわだかまりな
く祈りをさ    さげられる方法を研究して,必ず実現して欲しい。」と話し
た。
  (カ) 被告小泉は,平成15年1月28日の予算委員会において,本件参拝
について,「私が靖國に参拝するということは    大事だと思います。私が約
束したことですから。しかし,8月15日に参拝することが果たしていいことかど
うかという    ことも真剣に考えました。公約だからあくまでも靖國に8月1
5日参拝しろということで,私の公約,言ったんだからそ    のことを実現し
た場合にどうなったかということを考えると同時に,8月13日に参拝することに
よってどうなるだろう    かということを考えました。」,「日本国の総理大
臣としてあのときは私の8月15日に参拝するという約束は守れなく    ても
8月13日に参拝するという点について,これは当時の私自身の,また今でもそう
でありますけれども,参拝するこ    とによって私なりの一つの決断をしたわ
けであります。」などと述べた。
  (キ) 被告小泉は,本件参拝後も,1年に1回ずつ靖國神社に参拝し,平成
15年10月8日には,報道陣に対し,靖國神    社参拝を今後も続ける意向
を明らかにし,平成16年2月27日及び同年4月7日にも同旨の発言をした。ま
た,同日,    被告小泉は,「(靖國神社参拝は)個人的な信条に基づく参拝
だ。首相は公人だが小泉純一郎という私人の立場もあ      る。」,「私人
小泉純一郎が個人的な信条に基づいて参拝しているので,私的参拝と言っていいか
もしれない。」などと    発言した。
 エ 内閣総理大臣の靖國神社参拝とこれに関する政府の見解
  (ア) 昭和50年8月15日,三木武夫内閣総理大臣は,私的参拝となる基
準について,①公用車の不使用,②玉串料を国    庫から支出しないこと,③
記帳には肩書きを付さないこと,④公職者を同行させないことを挙げた上で,これ
にいう私人    として靖國神社に参拝した。
  (イ) 昭和53年8月15日,福田赳夫内閣総理大臣は,「私的参拝」と称
し,公用車を用い,3名の公職者を同行させ,   「内閣総理大臣福田赳夫」と
記帳し,玉串料を私費で支出して参拝した。
    同年10月17日に,政府は,「内閣総理大臣その他の国務大臣の地位に
あるものであっても,私人として憲法上信教の    自由が保障されていること
はいうまでもないから,これらの者が,私人の立場で神社,仏閣等に参拝すること
はもとより    自由であって,このような立場で靖國神社に参拝することは,
これまでもしばしば行われているところである。」,「神    社,仏閣等への
参拝は,宗教心のあらわれとして,すぐれて私的な性格を有するものであり,特
に,政府の行事として参    拝を実施することが決定されるとか,玉串料等の
経費を公費で支出するなどの事情がない限り,それは私人の立場での行    動
と見るべきものと考えられる。」,「閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の
必要等から,私人としての行動の際    にも,必要に応じて公用車を使用して
おり,公用車を利用したからといって,私人の立場を離れたものとは言えない」 
    し,「記帳に当たり,その地位を示す肩書きを付すことも,その地位にあ
る個人をあらわす場合に,慣例としてしばしば    用いられており,肩書きを
付したからといって,私人の立場を離れたものと考えることはできない。」との統
一見解を示    した。
  (ウ) 昭和55年11月17日,鈴木内閣は,「政府としては,従来から,
内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格で    靖國神社に参拝すること
は,憲法20条3項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。」,「こ
のような参拝    が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない。」,「(政
府としては)国務大臣としての資格で靖國神社に参拝するこ    とは差し控え
ることを一貫した方針としてきたところである。」との政府の見解を示した。昭和
57年,鈴木善幸内閣総    理大臣は,「公人でも私人でもない」とした参拝
を行った。
  (エ) 昭和58年4月21日,中曽根康弘内閣総理大臣は,公私の区別を表
明せず,「内閣総理大臣たる中曽根康弘」の参    拝と明言して靖國神社に参
拝した。
    また,中曽根内閣総理大臣は,昭和60年8月15日,公用車を使用し,
内閣官房長官ら2名を同行させて靖國神社に参    拝した。中曽根内閣総理大
臣は,拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し,本殿に昇殿して祭壇に一礼を
捧げた後深    く一礼した。玉串料については,供花料の形で公費から支出し
た。中曽根内閣総理大臣は,この参拝を,「内閣総理大臣    の資格で参拝し
た。いわゆる公式参拝である。」と明言した。
    藤波孝生内閣官房長官は,その談話において,昭和55年11月の政府統
一見解について慎重に検討した結果,今回のよ    うな方式ならば公式参拝を
行っても社会通念上,憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断し,その限り
において,    同統一見解を変更する旨述べた。
  (オ) 平成4年11月,宮澤喜一内閣総理大臣は,日程を事前に発表せず,
また,公用車を使用せずに靖國神社を参拝し     た。この際の費用は全て私
費で賄った。
  (カ) 平成8年7月29日,橋本龍太郎内閣総理大臣は,事前に公表するこ
となく靖國神社を参拝した。また,玉串料は支    出しなかった。
  (キ) 平成14年3月28日に行われた参議院厚生労働委員会や同年5月8
日に行われた参議院本会議において,政府は,    本件参拝を私人の立場によ
る参拝と理解している旨答弁した。
 (3) 上記(2)で認定した事実を基に,本件参拝が国家賠償法上の職務行為に該当
するか否か検討する。
  ア 内閣総理大臣の地位にある者は,その行為が社会に与える影響も自然と大
きくならざるを得ないため,それが純粋な私人   としての行為であるか否かを
明確に決することは困難な場合も多く,その職務の性質上,仮にその意思がなくと
も,職務    執行の外形を備え得る場合が多くなる立場にあるといえる。そし
て,国家賠償法上の職務行為該当性については,前記(1    )のとおり,公務員
が主観的に権限行使の意思をもってする場合に限らず,客観的に職務執行の外形を
備える行為も含まれ   ると解すべきであるから,内閣総理大臣の地位にある者
が私的行為を行う際,その行為が客観的,外形的に職務行為に該当   するか否
かにつき疑義を生じさせ得る性質を有する場合には,それが国家賠償法上の職務行
為に該当しないことを明らかに   するよう配慮して行動しなければならない立
場にあるといえる。
   ところが,本件参拝において,被告小泉は,参拝前から靖國神社を参拝する
旨公言し,参拝後も,8月15日に靖國神社に   参拝することは公約であった
旨発言した上,平成16年4月までは本件参拝が私人としての参拝であることを窺
わせる発言   をしたことは一切なく(政府が本件参拝を私的参拝と理解してい
る旨答弁していたことは,被告小泉自身がこの点に関して   明確にしなかった
ことなどに照らして,その評価を左右しないというべきである。),本件参拝の態
様を見ても,被告小泉   は,公用車を使用し,秘書官及びSPを同行させた
上,記帳,献花にあえて「内閣総理大臣」との肩書きを付して,外形    上,
本件参拝とその職務とに関連があるように見受けられる記載をした一方,前記(2)認
定の事実をみる限り,被告小泉に   おいて,本件参拝が,客観的,外形的に内
閣総理大臣としての職務行為に該当しないことが明らかになるように配慮して行 
  動した跡も窺えないことからすれば,本件参拝は,客観的に職務執行の外形を
備えた,国家賠償法上の職務行為に該当する   ものと認めるのが相当である。
  イ この点につき,被告らは,前記第2の3(2)(被告らの主張)のとおり,本
件参拝は政府統一見解に従う限り私的参拝で   あること,本件参拝は閣議決定
を経て行われたものではないこと,内閣総理大臣の地位にある者が私的事項につい
て国民に   対して談話等を発表することはあり得るものであること,公用車を
使用し,秘書官等が同行したことは,警備の都合上やむ   を得ないものである
こと,記帳,献花に際し肩書きを付すことはその地位を示すもので慣例として用い
られていることなど   を主張する。
   しかし,政府統一見解が法解釈の最終的な判断となるものでないから,政府
統一見解に従った参拝が国家賠償法上も当然に   私的参拝であることになるも
のではなく,また,閣議決定を経ていなければ,内閣総理大臣はその職務行為を一
切行い得な   いものでもない。むしろ,前記(2)認定の事実経過のように,被告
小泉は,当初,8月15日に参拝する予定であったとこ   ろ,政府内から日に
ちを変更する旨の提案がなされ,結局,予定を変更して本件参拝に及んだことにか
んがみれば,閣議決   定を経ていなくとも,本件参拝が内閣総理大臣の職務に
関連してなされたものであるとの疑いを抱かざるを得ないところで   ある。さ
らに,内閣総理大臣との肩書きを付す行為は,内閣総理大臣の地位にある者が私的
行為を行う場合に必要やむを得   ないものとはいえない上,内閣総理大臣の地
位にある者が純然たる私的行為を行う場合に,「内閣総理大臣」との肩書きを  
 付記する慣例が存在するか否かはさておき,仮にそのような慣例があったとして
も,公的な行為か私的な行為かにつき,あ   らかじめ疑義のあった本件のよう
な場合において,あえて「内閣総理大臣」の肩書きを付して行動したことを,純然
たる私   的行為と断定してしまうことにはなお疑問が残る。加えて,かつて
は,公用車の不使用,「内閣総理大臣」との肩書きの不   使用,公職者の非同
行等が私人の立場による参拝であるとの見解が採られ,実際にこれに沿う形で,ま
た,事前に日程を公   表せずに内閣総理大臣の靖國神社参拝がなされたことも
あったのであるから,内閣総理大臣の地位にある者がこうした態様   で参拝す
ることが必ずしも不可能であるとはいえないことなども考慮すれば,被告らの上記
主張によっても,前記アの判断   を覆すものではない。
   なお,玉串料等を公費で支出せず,献花代を被告小泉が私費で賄ったこと
は,前記(2)のとおりであり,この事実は本件参   拝が職務行為であることを否
定する一事情にはなり得るとしても,このことのみで,前記アの判断を覆すことは
できない。
  ウ よって,本件参拝は,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」
なされたものといえる。
3 争点(3)(公務員たる被告小泉も個人責任を負うか。)について
 前記2で判示したとおり,本件参拝は被告小泉の内閣総理大臣としての「職務を
行うについて」なされたものと認められる。し かし,公権力の行使に当たる国の
公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加
えたとき  は,国がその被害者に対して賠償の責めに任じ,公務員個人はその責
めを負わないものと解すべきである(最高裁判所昭和30 年4月19日第三小法
廷判決・民集9巻5号534頁,同裁判所昭和47年3月21日第三小法廷判決・
裁判集民事105号3 09頁,同裁判所昭和53年10月20日第二小法廷判
決・民集32巻7号1367頁等参照)。
 したがって,原告らの被告小泉に対する請求は,公権力の行使に当たる国の公務
員である被告小泉がその職務を行うについて原 告らに与えたとする損害につき,
公務員である被告小泉の個人責任を問うものであるから,その余の点について判断
するまでも なく理由がない。
4 争点(5)(本件参拝による原告らの被侵害利益と損害)について
 (1) 原告らの信教の自由の侵害について
  原告らは,本件参拝が原告らの信教の自由を侵害するものであると主張すると
ころ,憲法20条1項前段は,何人に対しても  その信教の自由を保障している
から,公権力の行使により私人の信教の自由が不当に侵害された場合,国又は公共
団体は,国  家賠償法1条に基づき,その損害を賠償すべき責任を負うというべ
きである。
  ところで,信教の自由とは,個人の内心における,特定の宗教を信仰し,又は
信仰しない自由を意味するとともに,このよう  な宗教的信条に基づき,一定の
宗教的行為を行い,又は行わない自由をも意味するものであるところ,信教の自由
が国家賠償  責任を生じさせる程度に侵害されたというためには,当該私人の有
する上記内容の信教の自由に対して直接的かつ具体的な強  制,干渉ないし不利
益な取扱いが行われたことを必要とするものと解すべきである。
  これを本件についてみると,本件参拝の態様は既に判示したとおりであるとこ
ろ,証拠(甲7の(1)ないし(14)及び弁論の全  趣旨によれば,原告らは,戦没
者の遺族,特定の宗教を持つ者,特定の宗教や信仰を持たない者のそれぞれの思い
で,本件参  拝に対して強い不快感,憤り,あるいは不安,危惧の念等を抱いた
ことは認められるが,本件全証拠によっても,これを超え  て,本件参拝によっ
て原告らが靖國神社への信仰を強制されたり,原告らの信教(無信教を含む。)を
理由とした不利益な取  扱いをされたなど,上記信教の自由に対する直接的かつ
具体的な強制,干渉ないし不利益な取扱いを受けたとの事実を認める  ことはで
きない。
  よって,本件参拝が,原告らの信教の自由を侵害したとの原告らの主張には理
由がない。
 (2) 原告らの宗教的人格権の侵害について
  原告らは,前記第2の3(5)(原告らの主張)イのとおり,本件参拝により,憲
法13条,20条1項前段,同条3項により  保障される国家により一定の宗教
的意味付けをされない権利,すなわち,国家又は地方公共団体によって,個人の
「魂」    「生」「死」等の宗教的事項について一定の評価を加えられない法
的利益としての宗教的人格権を侵害された旨主張する。 
  しかし,原告らの主張する権利又は法的利益の内容は主観的,抽象的であり,
法律上保護に値する権利と認めるのは困難であ  るばかりか,信教の自由を直接
保障する憲法20条1項前段ないし同条2項によっても,その権利の内容は前記(1)
で判示し  たとおりであって,これを超えて,原告らが主張するような内容の権
利ないし法的利益が憲法上保障されていると解すること  はできない。
  また,憲法20条3項は,いわゆる制度的保障として政教分離原則を定め,間
接的に信教の自由を確保しようとする規定であ  って,私人に対して何らかの自
由ないし権利を直接保障するものではないから,同条項によって,原告らの主張す
る上記権利  が保障されていると解することもできない。
  このように,原告らのいう宗教的人格権は,その内容が抽象的である上,実定
法上の根拠を欠くものであって,それ自体を独  自の法律上の権利ないし法的利
益として客観的に把握し得る明確性を有するに至ったとは未だ認められない(この
点で,原告  らが主張するプライバシー権とも性質を異にする。)。
  したがって,原告らのいう宗教的人格権は,国家賠償法上の権利保護の対象た
り得ないから,これと異なる原告らの主張(A  龍谷大学法学部教授の見解(甲
第8及び第10号証)に依拠する主張)は,採用することができない。
 (3) 原告らの平和的生存権の侵害について
  原告らは,前記第2の3(5)(原告らの主張)ウのとおり,本件参拝により,憲
法前文,9条から導かれる平和的生存権を   侵害された旨主張する。
  しかし,上記各条文にいう平和とは,理念あるいは目的というような抽象的概
念であって,それ自体から国民各個人に対して  法律上保護される具体的な権利
ないし法的利益を導くことは困難であるから,原告らの上記主張は採用できない。
 (4) 原告らの平和への思いを巡らす自由の侵害について
  原告らは,前記第2の3(5)(原告らの主張)エのとおり,本件参拝が,アジ
ア,太平洋戦争を反省し,二度と戦争を起こし  てはならないと強く平和を希求
する原告らの平和への思いを巡らす自由を侵害した旨主張する。
  しかし,原告らのいう上記権利は,その内容が極めて個別的,主観的,抽象的
であり,実定法上の根拠を欠くものといわなけ  ればならない。原告らの主張
は,つまるところ,本件参拝が日本の軍国主義化を招きかねないものであり,原告
らの強く平和  を愛する気持ちを害されたという点にあると解され,そのように
平和を愛し,戦争を憎む信条を有することには理解できる点  もあるが,そうで
あるからといって,原告らの内心の静穏がかき乱され,上記のような不安感,危機
感を抱いたとしても,そ  のような原告らの感情は,法により慰謝料をもって救
済すべき具体的な権利ないし法的利益に当たるということはできない。
(5) 以上のほか,原告らは,前記第2の3(5)(原告らの主張)オのとおり,本件
参拝により,戦没者遺族たる原告らが肉親の死  の意味付けをして戦没者への思
いを巡らせる自由を,特定の宗教を有しない原告らが無宗教ないし無信仰という生
活を平穏か  つ円満に享受する権利を侵害されたなどと主張するが,既に判示し
たものと同様,これら原告らの主張する「自由」ないし   「権利」は,いずれ
も実定法上の根拠を欠くのみならず,その内容が主観的,抽象的であって,法的保
護に値する具体的な権  利ないし法的利益と認めることはできない。
(6) なお,原告らは,明確な権利侵害がなくても侵害行為の悪質性が強度であれ
ば,違法性が認められる旨主張するとともに,  当裁判所に対して,本件参拝の
違法性について判断するよう強く求めている。
  しかし,被告国に国家賠償責任を負わせるには,私人の具体的な権利ないし法
的利益が侵害されたことが前提として必要であ  り,本件においては,原告らの
主張するいかなる具体的な権利ないし法的利益に対する侵害の事実も認めることが
できないの  であるから,当裁判所が本件参拝の客観的違法性を判断する必要は
なく,原告らの上記主張を採用することはできない。
  したがって,原告らの被告国に対する請求は,その余の点につき判断するまで
もなく理由がない。
5 以上より,原告らの被告らに対する請求は,いずれも理由がないから,これを
棄却することとし,主文のとおり判決する。
千葉地方裁判所民事第5部
裁判長裁判官    安藤裕子    
裁判官    小濱浩庸    
裁判官    水倉義貴  
 (別紙)当事者目録(省略)

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