弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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平成16年10月25日判決言渡
平成14年(ワ)第543号 損害賠償請求事件
判決
主文
1(1) 被告は,原告Aに対し,金1101万7823円及びこれに対する平成
14年3月28日から支払済みまで年5分の割    合による金員を支払え。
 (2) 被告は,原告Bに対し,金550万8911円及びこれに対する前同日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支    払え。
 (3) 被告は,原告Cに対し,金550万8911円及びこれに対する前同日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支    払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを2分し,その1を原告らの負担とし,その余は被告の負担
とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
 1 被告は,原告Aに対し,金2765万7629円及びこれに対する平成14
年3月28日から支払済みまで年5分の割合に  よる金員を支払え。
 2 被告は,原告Bに対し,金1382万8814円及びこれに対する前同日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払  え。
 3 被告は,原告Cに対し,金1382万8814円及びこれに対する前同日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払  え。
第2 事案の概要
 本件は,狭心症の発作を起こして被告の経営する病院に救急搬入された患者が,
その日の午後,再度発作を起こして死亡したことから,患者の遺族が,患者が死亡
したのは,被告病院の入院時の処置ないし発作に対する処置等が不適切であったた
めであるなどと主張し,被告に対し,患者の債務不履行ないし不法行為に基づく損
害賠償請求権を相続したとして,損害の賠償を求めた事案である。
1 争いのない事実等
(1) 当事者
  ア 被告は,千葉市a区において,D病院を経営する健康保険組合である。
  イ 原告Aは,亡Eの夫であり,原告B及び原告Cは,Eの子であって,E
は,平成11年7月12日午後8時22分ころ,   満64歳で被告病院におい
て死亡した。
(2) 診療契約の成立
    Eは,平成11年7月12日午前6時50分ころ,救急車で被告病院に搬
送され,被告との間で診療契約を締結した。
(3) 事実経過(以下,特に断りのない限り,平成11年中の出来事である。)
  ア Eは,2月10日,起床時に動悸があり,排尿後,意識消失をしたことか
ら,被告病院を受診したが,胸部レントゲン上   も,心電図上も,異常は見ら
れなかった。(乙5・3頁)
  イ Eは,その後も意識消失を経験したため,3月17日から同月24日ま
で,失神発作を精査するため,被告病院に入院し   た(第1回入院)。
  ウ 被告病院のF医師は,3月19日,Eについて,異型狭心症と診断した。
(乙6・16頁)
  エ Eは,3月24日,冠動脈造影検査を受検するため,G病院に転院し,同
日から同月27日までの間,同病院に入院して   検査を受けた結果,冠攣縮性
狭心症と診断された。(甲8の2,乙5・10頁,乙6・31頁)
  オ Eは,6月2日早朝,動悸とともに失神発作を起こし,被告病院に入院し
(第2回入院),F医師の指示により,ミリス   ロールの点滴を行うなどの治
療を受けたところ,状態が安定したため,6月22日,退院した。
  カ Eは,7月7日,動悸や気絶感があったため,被告病院を外来で受診し
た。
  キ Eは,7月12日午前5時30分ころ,トイレに行ったときに動悸がして
気分が悪くなったため,救急車で被告病院に搬   入され,入院したが(第3回
入院,以下「本件入院」という。),ミリスロールの点滴は行われなかった。
  ク Eは,同日午後6時43分ころ,発作を起こして(以下「本件発作」とい
う。),トイレで倒れているところを発見さ    れ,被告看護師がミオコール
スプレーを2回施行したものの,状態は改善しなかった。
  ケ 同日午後6時50分ころ,被告医師の指示でニトロペンを舌下投与した
が,心拍数は60台に低下し,血圧も測定不能,   意識低下し,自発呼吸も消
失したため,心肺蘇生術が施された。
  コ Eは,同日午後8時22分,死亡したが,死因は,致死性の狭心症発作と
診断された。(乙8・22頁)
(4) 医学的知見(乙2,4)
    異型狭心症とは,冠攣縮性狭心症の一種であり,その発作が安静時に出現
し,通常労作によっては誘発されない点で,    労作性狭心症と異なり,心電
図のST上昇を伴うのを特徴とし,その原因は,1本の太い冠動脈の攣縮であり,
冠動脈の器   質的狭窄の有無とは必ずしも関係がないとされている。
    狭心症の既往のない患者,又は半年以上発作のない狭心症患者に胸痛が出
現した場合,狭心症発作の回数や頻度が増加   した場合,あるいは発作のパタ
ーンが変わった場合,不安定狭心症として,安定狭心症と区別される。不安定狭心
症は,急性  心筋梗塞や突然死に移行し易く,早期に確実な治療が必要であると
されている。
(5) 抗狭心症薬(甲5,乙2,4)
     異型狭心症の治療には,①硝酸薬が著効を呈し,その他,②カルシウム
拮抗薬,③β遮断薬,④その他の冠拡張薬が用    いられ,①硝酸薬には,ニ
トロペン,ミリスロール,ミリステープ,ミオコールスプレー,フランドルテープ
などが,②    カルシウム拮抗薬には,ヘルベッサー,アダラート,ノルバス
クなどがある。
     異型狭心症の予防としては,カルシウム拮抗薬が第一選択となり,硝酸
薬,あるいはニコランジル(シグマート)を併    用すれば,一層効果的であ
るとされている。
     不安定狭心症の治療ないし発作の予防としては,通常,硝酸薬とカルシ
ウム拮抗薬,あるいはニコランジル(シグマー    ト)を併用し,心機能が良
好で血圧の上昇や心拍数の増加が発作の誘因と考えられる症例には,β遮断薬も併
用する。以    上の併用でも無効な場合,あるいはすでに薬物治療を受けてい
た症例で症状が増悪した場合は,経口薬から注射薬に変更    するとされてい
る。
2 争点
  本件における争点は,①本件入院時の処置として,被告医師がミリスロール等
硝酸薬の点滴をしなかった点に過失があるか否 か(患者による点滴拒絶の有無,
被告医師の説明義務違反の有無を含む。),②硝酸薬点滴を行った場合の本件発作
の回避可能 性の有無(因果関係の有無),③患者に対する安静指示の点で,被告
に過失はあるか(むしろ,患者が安静指示に違反したのか 否か),④本件発作に
対する被告の処置は不適切であったか否か,⑤損害額,の5点である。
3 争点に関する当事者の主張
 (1) 争点1(本件入院時の処置)について
  (原告らの主張)
  ア Eは,平成11年から,発作が頻発し,病状は悪化していたのであり,本
件入院に至るまでの経緯やEの本件入院時の症   状からすれば,被告医師は,
ミリスロール等硝酸薬の点滴をすべきであったのに,本件入院時に,これを行わな
かった過失   がある。
  イ 被告は,Eに対してミリスロールの点滴の必要性を伝えたが拒絶されたと
主張するが,そのような事実はない。診療録等   にはそのような記載はない
し,Eは第2回入院では数日間にわたってミリスロールの点滴治療を受け,その結
果,一応の回   復を得て退院したのであるから,治療のためにミリスロールの
点滴を行うことを伝えられれば,その処置を拒否するはずが   ない。
     当日午後2時過ぎに病室に駆けつけた原告Cは,前回の入院時と異な
り,点滴をしていないことに気がつき,Eに 対   し,そのことを指摘する
と,Eは「軽かったのかね。」と答えている。
  ウ 仮に,ミリスロールの点滴を拒否されたとしても,被告医師がEに対し
て,その必要性,これをしない場合の危険性等を   十分説明していれば,同意
を得られたはずであり,このことは,被告医師に,ミリスロールの必要性を十分に
説明すべき義   務があったのに,これを怠ったことを裏付けるものである。
  (被告の主張)
  ア F医師は,入院後,Eに対し,狭心症の発作の再発であり,入院安静が必
要であること,第2回入院時に行ったミリスロ   ールの点滴が再度必要である
ことを説明したが,Eが「またあの点滴ですか。」などと言い,行動が不自由にな
ること,頭   痛がすることを訴え,点滴を拒絶したため,安静指示と内服薬等
の投与によって様子を見ることにしたのである。
  イ F医師としては,本件入院時のEの症状からすれば,ミリスロールの点滴
が必要であるとは考えたが,Eの拒絶により点   滴をすることができなかった
のであり,診療録(乙8・22頁)上も,Eの希望によりミリスロール点滴をしな
かったこと   が明記されている。
   ウ 医師は,患者に対する治療につき最適と判断する内容を患者に示す義務
はあるが,この義務は患者の自己決定権に優越   するものではないし,また,
患者の意向を無視して専断的な治療をすることは許されない。
 (2) 争点2(因果関係)について
  (原告らの主張)
   ア 本件入院時に,ミリスロールの点滴をしていれば,本件発作を防げた可
能性は大きく,ミリスロールの点滴をしなかっ    たこととEの死亡との間に
は,因果関係がある。なお,一般的に,法的因果関係について,パーセンテージに
よる厳密な    証明を求めることは難しく,医療過誤事件においては,より一
層困難といえる。
   イ Eの死亡後,F医師は,「点滴をすべきでした。しなかったのは当方の
ミスです。」と述べ,ミリスロールの点滴をし    なかったことがEの死亡の
原因であることを認めていた。
  (被告の主張)
  ア 7月12日午前9時30分ころ,Eは,ミリステープを貼用し,シグマー
ト,ヘルベッサーを内服し,午後には症状が消   失して,容態が安定していた
のであって,ミリスロールの点滴をしなかったことが,発作の原因となったという
ことはでき   ない。
  イ 本件発作が起きた医学的機序については,Eがトイレ歩行,排尿をしたこ
とが本件発作の直接的,決定的な原因であると   いえ,Eが同日午後6時30
分ころ,トイレ歩行,排尿をしなければ,その時点において,本件発作は起こらな
かったとい   えるし,仮に,ミリスロールの点滴を行っていたとしても,トイ
レ歩行,排尿をすれば,やはり,その時点で本件発作が起   きていた可能性は
高く,ミリスロールの点滴を行わなかったこととEの死亡との間に因果関係はな
い。
 (3) 争点3(患者に対する安静指示)について
  (原告らの主張)
  ア F医師は,看護師やEに対する安静の指示があいまいかつ不徹底であり,
安静の重要性についてEに理解させなかったこ   とにより,結果として,Eに
トイレでの排尿を許す状況とした。したがって,被告は,患者に対する安静指示の
徹底を欠い   た点において過失がある。
  イ 被告は,F医師が「ベッド上安静」を指示したと主張するが,入院経過用
紙(乙8・7頁)によれば,「ベッド上安静」   が明確に指示されていないこ
とが分かる。当日午後2時の段階では,「トイレは夕方までの様子で決めるとのこ
と」と看護   師が記載しているが,夕方までに決められて伝えられた形跡はな
い。午後6時30分にも「Drに安静度カクニンのためT   ELつながらず」
との記載があり,看護師は,夕方になっても,トイレについて明確な指示を受けて
いない。
  ウ 被告は,Eが尿器での排尿を拒否していたと主張するが,Eは,午後2時
過ぎのときには,尿器で排尿しており,尿器で   の排尿を断固拒否していたわ
けではない。
  (被告の主張)
  ア F医師による入院時指示によると,安静度については「ベッド上安静」,
排泄については「尿・便器」とされている。こ   の意味は,ベッド上で仰臥
(あおむけ)又は側臥(横向き)でいなければならず,排泄もベッド上で尿・便器
をあててしな   ければならないという意味であり,トイレでの排尿を許したこ
とはない。
  イ 「トイレは夕方までの様子で決めるとのこと」という記載の意味は,トイ
レについての指示が未だ無かったのではなく,   明日の夕方までの様子をみ
て,それ以降トイレに立って良いかどうかを決めるという意味であって,実際,記
入者の看護師   は,上記認識を持って記載している。
  ウ 当日午前9時30分ころ,Eが尿意を訴えたため,F医師から指示を受け
ていた看護師は,尿器の使用を勧めたが,E    は,看護師の説得にもかかわ
らず,尿器では出ないと言い張り,トイレに行くと譲らなかったので,やむを得
ず,看護師    は,看護師長を呼び,二人がかりでベッドを個室内のトイレ脇
まで運び,トイレで排尿させた経緯がある。
  エ Eが倒れる直前,看護師は,Eから「トイレに行きたい。」と言われたこ
とから,尿器で排泄するように説得したが,E   は聞き入れず,あくまでトイ
レに行きたいと言い張ったため,看護師の経験上,医師から指示がなされていると
きでも,患   者が納得しない場合,医師に指示内容を再度確認し,「やはりダ
メでした。」と言うと,たいていの患者は指示に従うこと   が多いことから,
看護師は,担当医師に確認してくるから待つようにと伝え,ナースステーションへ
行ったものの,F医師   に電話がつながらなかったため,すぐに病室に戻る
と,Eが同室内のトイレで倒れていたものである。
 (4) 争点4(本件発作に対する処置)について
  (原告らの主張)
  ア 一般に,狭心症の発作時には,速効性硝酸薬の舌下を行うべきものとされ
てはいるが,硝酸薬を用いると血圧が低下する   のであるから,昇圧剤を投与
して血圧を確保してから,速効性硝酸薬等により,症状の改善をはかるべきであっ
た。被告医   師は,ミオコールスプレーを2回使用して,その副作用で血圧低
下に伴う血流量の減少を招いたにもかかわらず,さらに,   昇圧剤を投与した
り,血圧を確保することなくニトロペンを舌下させた点に過失がある。
  イ 被告医師が血圧を確保することなく,ニトロペン1錠を舌下させたため,
急激な血圧低下を招き,その結果,狭心症の    悪化・心停止を招来し,Eを
死に至らしめた。
  (被告の主張)
  ア 異型狭心症においては,冠攣縮発作が長引くと心室細動や高度房室ブロッ
クなどの致死性不整脈が出現しやすくなるの    で,発作時は速やかにニトロ
グリセリンを服用させるべきである。ニトログリセリンの副作用として,血圧の低
下を招くこ   とがあるが,狭心症発作が寛解すれば,結局,血圧が回復するこ
とになるから,まず第一に,ニトログリセリンを投与する   のであって,ニト
ログリセリンの用法・用量(合計0.9mg)に問題はなく,発作を寛解させるべ
くニトロペン1錠を舌   下させた判断に誤りはない。
  イ 本件においては,致死的な狭心症発作が起きていたのであり,脈拍低下,
血圧測定不能,自発呼吸なしなどの重篤な状態   に陥ったのは狭心症発作によ
るものであって,ニトロペン1錠を舌下したことがEの心停止の原因となったので
はない。
 (5) 争点5(損害額)について
  (原告らの主張)
   本件医療事故によって,Eは以下の損害を被った。
  ア 逸失利益 2471万4000円
  イ 死亡慰謝料 2200万円
  ウ 葬儀費用 212万1258円
  エ 弁護士費用 648万円
  (被告の主張)
   否認ないし争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
   後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の各事実が認められる。
 (1) 本件入院に至るまでの事実経過
   ア Eは,2月10日,起床時に動悸があり,排尿後,意識消失をしたこと
から,被告病院を受診したが,胸部レントゲン    上も,心電図上も,異常は
見られなかった。(乙5・3頁)
   イ Eは,3月17日から同月24日まで,失神発作の精査のため,被告病
院に入院した。
   ウ F医師は,3月19日,Eについて,異型狭心症と診断した。(乙6・
16頁)
   エ Eは,3月24日,冠動脈造影検査を受検するため,G病院に転院し,
同日から同月27日までの間,同病院に入院し    て検査を受けた結果,冠攣
縮性狭心症と診断された。(甲8の2,乙5・10頁,乙6・31頁)
   オ Eは,6月2日早朝,動悸とともに失神発作を起こし,被告病院に入院
した。
   カ 第2回入院時,F医師の指示により,ミリスロールの点滴が開始され,
内服薬はノルバスク1錠,シグマート3錠とさ    れた。ミリスロールの点滴
は,6月8日分まで行われたが,失神や胸痛等の胸部症状がなかったため,6月9
日からミリ    ステープ2枚に変更された。(乙7・13頁ないし19頁,2
3頁,25頁,26頁)
   キ Eは,第2回入院当初,頭痛を訴えていたが,ミリステープに変更され
てからは,頭痛の訴えはなくなった。(乙7・    13頁ないし22頁)
   ク Eは,6月22日,状態が安定したため退院した。F医師は,自宅での
薬剤として,アルタット1カプセル,パナルジ    ン1錠,シグマート3錠,
ノルバスク1錠,ミリステープ2枚を処方した。(乙7・35頁)
   ケ Eは,7月2日と同月5日,起床時に動悸がしたため,ミオコールスプ
レーを使用したところ,症状は改善した。(甲    4,乙8・6頁)
   コ Eは,7月7日起床時,立ち上がった途端に,動悸がして,気絶感があ
ったため,被告病院を外来で受診したところ,    F医師は,ノルバスクに変
えてヘルベッサーを処方した。(乙5・13頁,乙9・3頁)
 (2) 7月12日本件入院当日の事実経過(以下,特に断りのない限り,7月
12日の出来事である。)
   ア Eは,午前5時30分ころ,起床してトイレに行ったところ,動悸がし
て,気絶感を感じ,トイレに腰掛けて,ミオコ    ールスプレーを使用した
が,そのまま意識消失し,数分間で回復した。(乙5・13頁,乙8・5頁,6
頁)
   イ Eは,午前6時50分ころ,救急車で被告病院に搬入され,当直医であ
るH医師の診察を受けた後,F医師の指示で,    即時入院となった。(乙
5・13頁,乙8・2頁)
   ウ F医師は,入院時の指示として,安静度「ベッド上安静」,排泄「尿・
便器」使用,酸素吸入(1分間当たり1リット    ル),ミリステープ2枚
(朝,夕),心電図モニター使用,胸痛時には,ミオコールスプレーを2回まで使
用することを    指示した。(乙8・13頁,乙9・3頁)
   エ Eは,午前9時30分ころ,入室直後に尿意を訴えた。I看護師は,尿
器の使用を勧めたものの,Eが尿器では出ない    のでトイレに行くことに固
執したため,I看護師は,看護師長を呼び,ベッドをトイレの側まで動かし,トイ
レで排尿を    させたところ,Eは,排尿後に呼吸苦を訴えた。(乙8・7
頁,乙10・2頁,証人I・5頁ないし7頁)
   オ Eは,酸素吸入を開始し,ミリステープを貼用したところ,2,3分で
落ちついてきた。I看護師は,Eに対し,シグ    マート,ヘルベッサーを内
服させ,今後は,尿器を使用することを促した。(乙8・7頁,乙10・2頁)
   カ F医師は,そのころ,訪室して,Eに対し,安静にすべきことを説明
し,ミリスロールの点滴をするように勧めたが,    Eは,「またあの点滴で
すか。」と言って,点滴に拒否的な態度を示したため,F医師は,ミリスロールの
点滴をしない    ことにした。(乙8・22頁,乙9・5頁,証人F・15
頁,16頁)
   キ Eは,午後には,症状が消失し,午後2時ころ,尿器で排尿を行った。
(乙8・7頁)
   ク 原告Cは,午後3時ころ,病室を訪れ,Eに対し,「点滴していなかっ
たんだね。」と言ったところ,Eは,「軽かっ    たのかな。」と答えた。
(原告C・5頁)
(3) 本件発作時の事実経過
   ア J看護師は,午後6時30分ころ,Eの病室を訪室したところ,Eは,
J看護師に対し,トイレでの排尿を希望した。    J看護師は,尿器の使用を
勧めたが,Eがトイレへ行きたいと希望したため,J看護師は,医師に確認をして
くる旨述べ    て病室を離れ,ナースステーションからF医師に電話をした
が,連絡は取れなかった。(乙11・3頁,証人J・7頁な    いし9頁)
   イ 午後6時43分ころ,J看護師がEの部屋に戻ると,Eがトイレで倒れ
ていたため,J看護師は,ミオコールスプレー    を1回施行したが,Eは,
「胸苦しい,苦しい。」と述べ,状態は,改善されなかった。(乙8・8頁,乙1
1・3頁,    証人J・9頁)
   ウ J看護師は,午後6時50分ころ,ミオコールスプレーを再度施行する
も,状態は変わらず,四肢冷感著明で,冷汗が    認められ,駆けつけたH医
師の指示でニトロペンを1錠舌下投与したが,心拍数は60台に低下し,血圧も測
定不能,意    識低下し,自発呼吸も消失した。(乙8・8頁,乙11・3
頁,4頁)
   エ 被告医師らは,午後7時ころ,ラクテックにて持続点滴を確保したが,
心拍数は,30台から40台に低下した。(乙    8・9頁)
   オ 被告医師らは,午後7時10分ころ,生理食塩水10mlにプロタノー
ル1Aを加えて静注,ボスミン1Aも静注し,    心臓マッサージを開始した
ところ,心拍数は,60台になった。(乙8・9頁)
   カ 被告医師らは,午後7時33分ころ,気管内挿管を実施したが,心拍数
は0となった。(乙8・10頁)
   キ Eは,午後8時22分,死亡したが,死因は,致死性の狭心症発作と診
断された。(乙8・10頁,22頁)
2 争点1(本件入院時の処置)について
 (1) この点に関する複数鑑定の結果は,概ね以下のとおりである。
  ア K鑑定
   (ア)本件患者は,狭心症発作が頻発及び増悪したために入院したものであ
り,不安定狭心症の治療を目的としている。狭     心症予防薬としてカルシ
ウム拮抗薬の内服と硝酸薬貼付がすでに施行されており,この状態で不安定化した
狭心症の治     療としては,硝酸薬あるいはこれと同様の効果が期待される
薬剤の持続静注が必要と考える。また,過去の入院で硝酸     薬の点滴静注
が有効であったことから,硝酸薬は,本件患者に対し,比較的安心して使用できる
薬剤と思われる。さら     に,心電図モニターならびに患者の状態を常時監
視できる医療状況が望ましく,狭心症発作が安定するまでの期間は,     冠
動脈疾患管理病棟(CCU)あるいは集中治療室(ICU)での管理が適当と考え
られ,本件患者の入院初期の治療     として,ミリスロール等の硝酸薬点滴
を行わなかったのは不適切であったと考える。
   (イ)不安定狭心症患者は,急性心筋梗塞に移行する可能性が高い。主治医
は,この病態を患者に十分説明し,硝酸薬点      滴を使用すべきであった
と考える。以前も同薬剤の使用により,本件患者の狭心症発作をコントロールして
おり,軽      度の副作用は認められたものの,比較的安全に使用した経緯
がある。
      患者が硝酸薬点滴を好まないケースもあるが,病状の説明,とりわけ
急性心筋梗塞に進展した場合のデメリットを説     明した後に施行すべきも
のであると考えられ,仮に,本件患者がミリスロール等の点滴に拒否的であった場
合であって     も,その必要性を十分説明して,本件患者の初期治療とし
て,ミリスロールなどの硝酸薬あるいは同等の効果が期待で     きる薬剤の
点滴を行うべきであった。
  イ L鑑定
   (ア) 狭心症の場合,硝酸薬は重要な治療薬である。また,冠動脈攣縮性
狭心症においては,カルシウム拮抗剤も重要な      治療薬である。本症例
では,ミリステープとカルシウム拮抗剤が投与されており,ミリスロール等の硝酸
薬点滴を行      わなかったことだけをもって,不適切な治療と判断するこ
とは難しい。
   (イ) 仮に,本件患者がミリスロール等の点滴に拒否的であった場合につ
いても,ミリスロール等の点滴を行わなければ      ならない状態であった
かどうかについては,判断が難しい。また,基本的に患者の了承のもとに治療を行
うわけであ      るから,了承を得られない限りはその治療を行うことはで
きないのであって,拒否する場合において点滴を強制的に      行うことが
妥当であるかどうかは疑問である。
  ウ M鑑定
   (ア) 本症例は,失神発作を繰り返していることからハイリスク群に該当
する。発作の回数が頻回である活動期の場合       は,硝酸薬,カルシウ
ム拮抗薬,ニコランジルなどの持続点滴を行うことが望ましいとされており,実際
に前回の入      院の際には発作が安定化するまで硝酸薬の持続点滴が行わ
れている。本件では,十分な量の抗狭心症薬が投与されて      おり,慢性
期の発作予防の治療としては適切であったといえるが,ハイリスク群に対する活動
期の治療としては,硝      酸薬点滴を行わなかった点は不適切であったと
いえる。
   (イ) 発作の活動期における治療の基本は,冠拡張薬の持続点滴であり,
純粋医学的には,本件の場合,必要性を十分に      説明して行うべきであ
り,仮に,本件患者がミリスロール等の点滴に拒否的であった場合であっても,そ
の必要性を      十分説明して,ミリスロール等の硝酸薬点滴を行うべき状
態であったといえる。
      ただし,必要性を十分に説明したにもかかわらず,患者側が点滴を拒
否したのであれば,医師側には非は認められな      いこととなるが,どの
程度の必要性をもって説明したかが問題となろう。
 (2)
   ア 複数鑑定の結果は,K鑑定及びM鑑定が,本件患者は,不安定狭心症の
病状にあり,又は失神発作を繰り返しているハ    イリスク群に該当すること
から,ミリスロール等の硝酸薬点滴を行うべき状態であり,本件において,硝酸薬
点滴を行わ    なかったことは不適切であったと判断している一方で,L鑑定
は,硝酸薬点滴を行わなかったことだけをもって不適切な    治療と判断する
のは難しいとしている。しかし,不安定狭心症は,急性心筋梗塞や突然死に移行し
易く,早期に確実な治    療が必要であるとされているのであり,K鑑定及び
M鑑定が指摘しているように前回の入院時にミリスロールの点滴を行    っ
て,症状が軽快しているという治療実績もあるのであって,しかも,被告医師によ
っても,本件入院時のEの病状は,    前回より決して軽くない(証人F・1
5頁)というのであるから,本件入院時において,Eは,硝酸薬点滴を必要とする
    状態であったといえる。そして,その程度については,K鑑定及びM鑑定
が指摘するように,第2回入院の退院後も発作    を繰り返して,本件入院と
なった経緯からすれば,本件患者がミリスロール等の点滴に拒否的であった場合で
あっても,    その必要性を十分説明して,ミリスロール等の硝酸薬点滴を行
うべき状態であったといわなければならない。
     もっとも,医師は,治療方法に関する患者の自己決定権を最大限尊重す
べきであるから,医師が治療行為に関する説明    義務を尽くしたにもかかわ
らず,患者が当該治療を受けることを拒絶した場合には,当該治療行為を採らなか
ったことに    つき,医師に過失があると認めることはできない。そうする
と,本件入院時にミリスロール等硝酸薬点滴をしなかったこ    とについて,
被告医師に過失があるといえるのは,被告医師が,Eに対し,硝酸薬点滴の必要性
等について十分説明し,    いわゆる説明義務を果たしたにもかかわらず,E
がこれを拒否した場合に限られるものと解するのが相当である。
     ところで,医師の負うべき説明義務は,患者の自己決定権を担保するた
めのものであることからすれば,その内容・程    度は,自ずと患者が,当該
医療行為の必要性・有用性,あるいは,それに対する危険性についての情報を得た
上で,自主    的判断の機会を確保するのに十分なものでなければならないの
であるが,他方において,十分な情報を提供されたにもか    かわらず,患者
が治療行為を拒否したのであれば,それに基づく結果について,医師がその責任を
免れることは,論をま    たない。そこで,本件において,被告医師が,Eに
対し,自己決定をする上での十分な情報を提供していたかどうかにつ    い
て,以下検討する。
   イ 入院診療録の退院時総括(乙8・22頁)に「本人の希望もあり,ミリ
スロールdiv(点滴)せずに安静で様子を見    ていた」との記載があるこ
とからすれば,F医師は,Eに対し,ミリスロールの点滴静注を提案したものの,
Eは,ミリ    スロールの点滴を希望しなかったことが認められる。
     しかしながら,医師や看護師が患者の状態等をその都度記録する入院経
過用紙(乙8・7頁ないし12頁)には,本件    入院時におけるミリスロー
ルの点滴に関するやりとりの記載はなく,F医師のミリスロールの点滴の必要性に
ついての説    明やそれに対するEの態度について,具体的な内容が明らかで
はなく,Eは,午後3時ころ,原告Cが病室を訪れて,E    に対し,「点滴
していなかったんだね。」と言ったことに対し,「軽かったのかな。」と答えたこ
とが認められること    (原告C・5頁)からすると,Eは自分の病状につい
て,やや楽観的な見方をしていたものと認められ,F医師からミリス    ロー
ル点滴の必要性について,十分な説明をされたものとは思われないこと,F医師
は,Eの印象について,「医療に対    する協力,その他治療に難渋した」,
「潔癖な方です。頑固な方です。」と述べているように(証人F・2頁,9頁),
    F医師とEとの間には,十分な意思の疎通が図れていなかったことが認め
られ,本件入院時にEがミリスロールの点滴に    拒否的な態度を示した場合
に,F医師が,あえて,Eを説得して,ミリスロールの点滴を勧めようとしなかっ
たことは,    十分考えられる状況であること,これに対し,Eは自己の症状
について,その経過を書き留めていたことが認められるこ    とからすれば
(甲4),Eとしては,自己の病状について極めて関心を抱いており,医師から十
分な説明を受ければ,医    師の提案する治療について受け入れていたであろ
うことが推測されること,などの諸事情からすれば,当時のEの病状並    び
にF医師がミリスロールの点滴の必要性等について十分に説明したとは認めること
ができず,Eは,自己の治療につい    て,十分な情報を提供された上で,そ
の選択をするという機会を与えられていなかったというべきであり,本件におい 
    て,いわゆる説明義務が果たされていたということはできない。
   ウ これに対し,被告は,本件入院時にミリスロール等硝酸薬点滴を行わな
かったのは,F医師がその必要性を十分に説明    したにもかかわらず,Eが
拒絶したからであって,被告に注意義務違反はないと主張し,F医師は,Eに対
し,ミリスロ    ールの点滴をするように勧めたが,Eは,「またあの点滴で
すか。」と言って,点滴を嫌がる態度を示したので,更に,    その必要性を
説明したものの,Eは,ミリスロールの副作用により頭痛がすること,点滴をする
ことによって,行動の自    由が制限されること,点滴をすることによって,
入院が長くなることの3点を嫌がって,点滴を拒絶したため,ミリスロ    ー
ルの点滴を行わないことにした旨供述する。
     しかしながら,F医師は,当公判廷において,Eが「またあの点滴です
か。」と言ったことは強烈に覚えている旨供述    するものの,Eに対し自ら
が,ミリスロールの点滴の必要性について,どのように説明を行ったのかについて
は,必ずし    も判然としない供述をしていること,Eが点滴を嫌がったこと
の理由として挙げたとされる上記3点は,当時のEの病     状,特にこれが
不安定狭心症のハイリスク群に該当し,硝酸薬点滴をしないと危険な状況にあるこ
とを医師から説明され    たとしても,なお,患者であるEがどうしても点滴
を拒絶する理由になるとは通常考え難いことなどからすれば,F医師    が,
Eの病状について,ミリスロール等硝酸薬点滴をすべき状態であること,かつ,そ
の必要性について,十分に説明し    ていたとは認め難く,ミリスロールの点
滴の必要性について,十分に説明したというF医師の供述を措信することはでき 
   ない。
  (3) そうすると,F医師は,Eの状態がミリスロール等の硝酸薬点滴を必
要とする状態であったのであるから,Eに対     し,Eがそのような状態で
あり,ミリスロール等の硝酸薬点滴が必要かつ有効であることを十分に説明すべき
であったの    にこれを怠り,自己決定をする上での十分な情報を提供すべき
説明をせず,その結果,ミリスロールの点滴がなされなか    ったのであるか
ら,F医師には,ミリスロールの点滴をしなかった点において過失があるというべ
きである。
3 争点2(因果関係)について
 (1) 硝酸薬点滴を行った場合の本件発作の回避可能性に関する複数鑑定の結
果は,概ね以下のとおりである。
  ア K鑑定
    不安定狭心症の治療としてのミリスロールの効果は約80パーセントと報
告されている。不安定狭心症の病態によりその   効果に差はあるが,硝酸薬な
どの薬剤が不安定狭心症を完全に安定化させるわけではない。また,急激な冠動脈
血栓形成に   対しては硝酸薬の効果は低いと考える。そうすると,ミリスロー
ル点滴を実施することで,本件発作を回避できたとは限ら   ないが,回避でき
る可能性は約70パーセントと考える。
  イ L鑑定
    冠動脈攣縮性狭心症の場合,ミリスロール等の硝酸薬の点滴が,冠動脈の
攣縮を軽減させる可能性がある。本件発作が冠   動脈攣縮性狭心症発作であっ
た可能性は十分考えられることではあるが,最終的な本件発作の原因が他にあると
すれば,ミ   リスロール点滴を行っても回避は難しい。したがって,回避可能
性について,判断することはできない。
  ウ M鑑定
    一般論からすると,持続点滴の方が経口や経皮的投与よりも有効であるこ
とは論をまたないが,持続点滴そのものの有効   性自体は100パーセントで
はないため,持続点滴をしていれば,どの程度,発作が抑えられたかについては,
判断しよう   がない。
     また,本件では,十分な量の冠拡張薬が投与されていたにもかかわら
ず,結果的に重篤な狭心症発作が起こっており,   発作の活動性がかなり高
く,発作自体が薬剤抵抗性であったと捉えることもでき,持続点滴をしていたとし
ても発作が起こ   った可能性も否定できない。
    以上のように,持続点滴によって発作が抑えられた可能性と持続点滴によ
っても発作が抑えられなかった可能性のどちら   の可能性が高いかについて
は,仮定の多い話で答えようがない。
  (2) 複数鑑定の結果によれば,K鑑定は,ミリスロールの点滴を実施する
ことで,本件発作を回避できたとは限らない      が,回避できる可能性は
約70パーセントと考えるとしているものの,L鑑定及びM鑑定は,結論として
は,回避可能     性の判断をできないとしているので,これについて検討す
る。
      K鑑定は,不安定狭心症の治療としてのミリスロールの効果は,約8
0パーセントと報告されている一方,硝酸薬な     どの薬剤が不安定狭心症
を完全に安定化させるわけではなく,心筋梗塞を発症していた可能性があること
は,硝酸薬の     効果をさらに低下させることなどを挙げて,本件発作を回
避できたとは限らないとして,その可能性を約70パーセン     トとしてい
る。
      L鑑定は,本件発作の回避可能性について,判断することはできない
としているが,その理由は,冠動脈攣縮性狭心     症の場合,ミリスロール
等の硝酸薬の点滴が,冠動脈の攣縮を軽減させる可能性があるものの,最終的な本
件発作の原     因が他にあるとすれば,ミリスロールの点滴を行っても回避
は難しいという。しかしながら,本件における発作の原因     は,病理解剖
がなされておらず,厳密には明らかではないものの,前記認定のとおり,致死性の
狭心症発作がその原因     と認められる一方で,最終的な本件発作の原因が
他にあることを窺わせる証拠はないのであって,そうすると,L鑑定     に
よれば,ミリスロール等硝酸薬点滴を行った場合には,本件発作の回避可能性があ
ったというべきである。
      M鑑定は,本件の証拠関係では,仮定の多い話で答えようがないとし
ているが,一般論からすると,持続点滴の方が     経口や経皮的投与よりも
有効であることは論をまたないとしているように,ミリスロールの点滴の有効性自
体は肯定し     ており,本件発作の回避可能性を否定するものではない。
      そうすると,各鑑定の理由を総合して検討すると,冠動脈攣縮性狭心
症の発作に対しては,ミリスロールの点滴が有     効である点においては,
一致していることに加え,K鑑定及びL鑑定は,回避可能性を肯定していると評価
できるこ      と,そもそも不作為の過失における回避可能性の判断にあた
っては,100パーセント回避が可能であったことの立証     を要求するも
のではないのであって,第2回入院時に,ミリスロールの点滴を行って,治療が奏
功していることも併せ     考慮すると,本件入院時においても,ミリスロー
ルの点滴を行っていれば,本件発作を回避できたと認めるのが相当で     あ
る。
  (3)これに対し,被告は,本件においては,他の薬剤が投与されていたこ
と,本件発作の直前のトイレ歩行,排尿を考慮す    ることなく,単に,文献
に記載されているミリスロールの一般的な有効率のみを根拠として,ミリスロール
の点滴を行わ    なかったこととEの死亡との間の因果関係を論じるのは妥当
でないとして,因果関係は存在しない旨主張する。
      確かに,被告医師は,Eに対し,ミリステープを貼用し,シグマート
及びヘルベッサーを内服させていることが認め    られ,午後には,ヘルベッ
サーからノルバスクへの変更を指示していることが認められる。また,後述するよ
うに,複数    鑑定の結果によれば,本件発作の誘因は,Eのトイレ歩行ない
し排尿であったことが認められる。
      しかしながら,証拠(乙15)によれば,ミリスロールの有効率は,
不安定狭心症に対し,80パーセントとされ,    ミリステープの有効率は,
54.8パーセントとされており,文献上もミリスロールの有効率の優位性が認め
られる上,    M鑑定が指摘するように,持続点滴の方が経口や経皮的投与よ
りも有効であることは明らかであること,ヘルベッサーの    有効率は,狭心
症に対し,84.7パーセント,異型狭心症に対し,90.2パーセントと認めら
れ(乙15),狭心症    発作の予防に有効な薬剤が投与されていることが認
められるものの,硝酸薬とカルシウム拮抗剤の併用は,以前からなさ    れて
いたものであり,本件においては,それを前提に,Eに対し,ミリスロールの点滴
をすべきであったとする点では,    各鑑定の結果が一致していることからす
れば,他の薬剤が投与されているとしても,ミリスロールの点滴の有効性が否定 
   されるわけではなく,そのことをもって因果関係が否定されるものでもな
い。そして,Eのトイレ歩行ないし排尿が本件    発作の誘因となっているこ
とは,被告医師がミリスロールの点滴をしなかったこととEの死亡との因果関係を
否定するも    のではなく,被害者の過失として,過失相殺において考慮すべ
き事情に過ぎないというべきである。
  (4) 以上からすれば,F医師がEに対し,ミリスロール等の硝酸薬点滴を
行っていれば,本件発作を回避することができ     たというべきであるか
ら,被告は,債務不履行ないし不法行為に基づき,原告らに対し,Eの死亡によっ
て生じた後記     損害を賠償すべき責任がある。
4 争点3(患者に対する安静指示)について
 (1) 原告らは,F医師の安静の指示があいまいであり,安静の重要性につい
てEに理解させなかったことにより,結果とし    て,Eにトイレでの排尿を
許す状況とした過失があると主張するので,以下検討する。
 (2) 前記認定事実によれば,F医師の指示については,指示表の記載(乙
8・13頁)から,安静度は「ベッド上安静」,    排泄は「尿・便器」使用
であることは明らかであり,当該指示に従って,J看護師も,午後6時30分こ
ろ,Eがトイレ    での排尿を希望したのに対し,尿器の使用を勧めたことが
認められ,当日の準夜勤帯の看護師であるJ看護師に対して     も,安静指
示について,伝達されていたと認められるのであって,F医師の安静の指示があい
まいであったということは    できず,この点において被告医師に過失は認め
られない。
     一方,Eは,午前9時30分ころにも,尿意を催した際に,看護師が尿
器の使用を勧めたにもかかわらず,尿器では出    ないと言い張って,ベッド
を移動させてまで,トイレでの排尿をしたのであり,尿器の使用については,かな
り消極的で    あったことが認められ,午後6時30分の段階でも,J看護師
に尿器の使用を勧められたにもかかわらず,トイレでの排    尿を希望したこ
とが容易に推測し得るところ,患者が固執する場合には,医師の指示を確認をした
上で,それでもダメで    あれば,納得する患者が多いことから,医師に確認
の電話をすることにしているという対応は,一般的に,尿器の使用を    嫌が
る患者に対する対応として,十分合理性があり,電話で確認するから待っているよ
うに指示した上で,確認のため,    医師に電話を掛けに行ったことについ
て,被告看護師に過失があったということもできない。
 (3) 原告らは,入院経過用紙(乙8・7頁)の記載によれば,「トイレは夕
方までの様子で決めるとのこと」とされている    にもかかわらず,その決定
がなされておらず,被告病院内で安静指示が徹底されていなかった旨主張するが,
当初の指示    が変更されたことを窺わせる記載はなく,J看護師も尿・便器
使用を前提にして,Eに尿器の使用を勧めているのであ     り,F医師が,
明示的にトイレに関する指示の変更について述べていなかったとしても,当初の指
示が継続されているの    であって,この点をもって,被告病院内で安静指示
が徹底されていなかったということはできず,被告医師らに過失があ    ると
はいえない。なお,被告は,当該記載について,「明日の夕方まで」のことである
と主張するが,午後2時ころの記    載であるにもかかわらず,「明日」との
記載がなく,翌13日は,主治医であるF医師が休暇を取る予定であったこと( 
   証人F・42頁,43頁)を考慮すると,「明日の夕方まで」と解するのは
困難であり,この点に関する被告の主張を採    用することはできない。
 (4) 以上からすれば,F医師は,Eについて,ベッド上安静,尿便器使用の
指示をしていること,被告看護師も,その指示    に基づいて,行動をしてい
たことが認められるのであって,被告病院内における,Eの安静指示について,被
告医師ない    し被告看護師に過失を認めることはできず,この点に関する原
告らの主張は,理由がない。
5 争点4(本件発作に対する処置)について
 (1) この点に関する複数鑑定の結果は,概ね以下のとおりである。
   ア K鑑定
     ニトログリセリン舌下投与を低血圧時に行うと,さらに血圧が低下する
ことが予想される。しかし,狭心症発作寛解の    ためのニトログリセリン舌
下投与に際し,禁忌となるのは重篤な低血圧と心原性ショックであり,本件発作時
はこれに該    当しない。さらに,本件発作時は,静脈ラインが確保されてい
ないと思われ,点滴のための留置針を穿刺する必要があ     る。この処置に
より心筋虚血の時間が延長することになるため,即座にニトログリセリンを舌下さ
せることは適切と考え    る。
   イ L鑑定
     ニトロペンそのものの投与は,血圧が低いことだけをもって禁忌とする
ことはできない。本件発作時の状況下でニトロ    ペン舌下に先立ち,昇圧剤
の点滴投与を行うかどうかの判断は難しい。しかし,まず,輸液ルートを確保し,
酸素吸入の    開始が望ましい処置といえ,必ずしも適切とはいえない部分が
ある。
   ウ M鑑定
     冠攣縮性狭心症の発作時の処置としては,血圧の程度いかんにかかわら
ず,まずは攣縮により閉塞した冠動脈を拡張さ    せることが重要であるた
め,ニトロペンをまず投与したこと自体は問題がない。
     しかしながら,本件において,昇圧剤の投与時期,呼吸循環状態の維
持,ボスミン投与の方法に問題があり,急変後の    処置全般について注意義
務違反が認められる。
 (2) 原告は,本件発作に対する処置については,被告医師が昇圧剤を投与し
たり,血圧を確保することなく,ニトロペン     を舌下させた点について過
失がある旨主張するが,複数鑑定の結果によれば,ニトロペンを投与すること自体
について     は,問題がないという点で,3鑑定が一致しており,この点に
ついて,被告医師の過失を認めることはできず,この点に    関する原告らの
主張は,理由がない。
 (3) L鑑定及びM鑑定は,本件発作に対する措置について,必ずしも適切で
ない部分があると指摘しているので,この点     について検討すると,L鑑
定については,まず,輸液ルートを確保し酸素吸入の開始が望ましい処置といえる
旨指摘して    いるものの,一方,その処置を行っても,救命できなかった可
能性はあるとしており,M鑑定については,早期の経静     脈的な薬剤の投
与と,中心静脈ラインの確保等に問題がある旨指摘しつつも,適切な医療行為が行
われた場合の救命率に    ついては,少なくとも0パーセントではないとして
いるのであって,いずれについても,救命可能性について,これを肯    定す
るには足りないというべきである。
 (4) 他に,本件における緊急時の処置として,医師の過失を認めるに足りる
証拠はない。
6 争点5(損害額)について
 (1) Eが本件医療事故によって被った損害は,以下のとおりと認めることが
できる。(合計4007万1295円)
   ア 逸失利益
     原告らは,Eが税理士資格を有しており,開業準備中であったとして,
全労働者全年齢平均賃金を基に逸失利益を請求    しているが,Eがすでに6
4歳と比較的高齢であったこと,狭心症の発作で入退院を繰り返しており,税理士
として開業    する蓋然性があったとは認められないことからすれば,全労働
者全年齢平均賃金を基に逸失利益を算定するのは相当でな    く,逸失利益の
算定にあたっては,女子労働者年齢別平均賃金を基に逸失利益を算定するのが相当
である。
     そこで,平成11年における女子年齢別賃金センサスである290万1
600円(女性労働者・64歳)を基礎収入と    し,生活費控除は30パー
セント,就労可能年数を64歳の平均余命の2分の1(11年)としてライプニッ
ツ式計算法   (係数は,8.3064)により中間利息を控除して算定する
と,逸失利益は1687万1295円となる。
     (290万1600円×(1-0.3)×8.3064=1687万1
295円)
   イ 死亡慰謝料 
     本件事案の内容,診療経過,結果の重要性,その他一切の事情を考慮す
ると,Eが被った精神的苦痛に対する慰謝料     は,少なくとも2200万
円を下らないものと認めるのが相当である。
   ウ 葬儀費用 
     Eの死亡に伴う葬儀費用は,120万円を本件と相当因果関係のある損
害と認めるのが相当である。
 (2) 過失相殺
   ア 複数鑑定の結果によれば,本件発作の誘因は,発作の直前のトイレ歩行
ないし排尿であると認めるのが相当である。     (K鑑定,L鑑定,M鑑
定)
   イ 前記認定事実によれば,Eは,F医師からベッド上安静,尿便器使用の
指示がなされ,J看護師からも尿器の使用を勧    められたにもかかわらず,
トイレでの排尿を希望し,J看護師に医師に確認するので待っているように指示さ
れたにもか    かわらず,その指示に反して,無断でベッドから降りて,トイ
レでの排尿を敢行したものであり,Eの死亡については,    Eが被告医師ら
のベッド上安静の指示に反して,トイレ歩行ないし排尿をしたという事情を過失相
殺事情として考慮すべ    きである。
     加えて,前記認定事実からすれば,被告医師がミリスロールの点滴の必
要性について,十分には説明をしていなかった    とはいうものの,被告医師
はミリスロール点滴を勧めており,これに対するEの拒否的な態度が被告医師の治
療方法の選    択を誤らせた面がないとはいえないことを考慮すると,E自身
の行為の関与の度合いは,決して低いものではなく,損害    の公平な分担と
いう見地からすれば,本件の過失相殺割合は5割とするのが相当である。
 (3) したがって,上記損害額に,過失相殺を行った結果は,2003万56
47円(1円未満切捨て)となる。これを原告    らが相続分に応じて相続し
たことが認められるから,被告に負担させるのが相当な損害賠償額は,原告Aにつ
いては,1    001万7823万円(1円未満切捨て)に弁護士費用相当額
100万円を加算した1101万7823円,原告Bにつ    いては,500
万8911円(1円未満切捨て)に弁護士費用相当額50万円を加算した550万
8911円,原告Cに    ついても,前記同様550万8911円となる。
第4 結論
 よって,原告らの請求は,被告に対し,原告Aが,1101万7823円及びこ
れに対する平成14年3月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による
遅延損害金の支払を求め,原告B及び原告Cが,各550万8911円及びこれに
対する前同日から支払済みまで前記同様年5分の割合による遅延損害金の支払を求
める限度で理由があるから,その限度でこれを認容し,その余の各請求はいずれも
理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,
64条本文,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項を,それぞ
れ適用して主文のとおり判決する。
千葉地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官小  磯  武  男
裁判官   見  米     正
裁判官   国  分  貴  之
            ・

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