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平成29年10月23日判決言渡
平成28年(行ケ)第10185号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成29年7月26日
判決
原告X
訴訟代理人弁護士高橋淳
訴訟代理人弁理士平田忠雄
角田賢二
岩永勇二
中村恵子
遠藤和光
野見山孝
伊藤浩行
被告花王株式会社
訴訟代理人弁護士木村耕太郎
訴訟代理人弁理士松嶋善之
前田秀一
岩本昭久
成瀬源一
主文
1特許庁が無効2015-800170号事件について平成28年6月24日
にした審決を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
1特許庁における手続の経緯等
被告は,発明の名称を「パンツ型使い捨ておむつ」とする特許第52252
48号(請求項の数3。以下「本件特許」という。)の特許権者である。
原告は,平成27年9月3日,本件特許につき,特許無効審判を請求した(無
効2015-800170号。以下「本件無効審判請求」という。)。
特許庁は,平成28年6月24日,「本件審判の請求を却下する。審判費用
は,請求人の負担とする。」との審決をし,その謄本は同年7月7日原告に送
達された。
原告は,平成28年8月8日,審決の取消しを求めて本件訴えを提起した。
2特許請求の範囲の記載
本件特許の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(甲26。以下,各
請求項に係る発明を総称して「本件特許発明」という。)。
「【請求項1】
液透過性の表面シート,液不透過性の防漏シート及び液保持性の吸収体を
有する吸収性本体と,該吸収性本体の該防漏シート側に配された外層体とを
具備するパンツ型使い捨ておむつにおいて,
前記外層体における着用者の胴回りに配される胴周囲部に,該胴回りの周
方向に向けて,かつ該外層体の幅方向に亘ってホットメルト粘着剤によって
配設固定された複数の胴回り弾性部材を備えており,
前記胴回り弾性部材は,前記外層体における,少なくとも前記吸収体の両
側縁よりも外方の部位に,伸縮弾性が発現されるように伸長状態で固定され
ており,且つ該吸収体が存在する部位では,切断されていることによって,
該吸収体の両側縁から内側にかけての領域に,伸縮弾性が発現されるように
配されているとともに,該部位の少なくとも中央部においては,前記ホット
メルト粘着剤によって該外層体に非伸縮の状態で配設固定されて伸縮弾性が
発現されないようになっており,
前記吸収体が存在する部位における,前記胴回り弾性部材による伸縮弾性
が発現されない範囲が,該吸収体の幅の1/2以上であるパンツ型使い捨て
おむつ。
【請求項2】
前記胴回り弾性部材が,圧接カットで切断されている請求項1記載のパン
ツ型使い捨ておむつ。
【請求項3】
前記吸収性本体と前記外層体とが部分接合で固定されている請求項1又は
2に記載のパンツ型使い捨ておむつ。」
3審決の理由の要旨
審決の理由は,別紙審決書(写し)記載のとおりであり,その要旨は次のと
おりである(要するに,請求人である原告は特許法123条2項の利害関係人
に当たらず,本件審判の請求人適格を有しないから,本件審判請求は不適法で
あって却下すべき,というものである。)。
(1)本件審判は,平成27年9月3日に請求されているから,平成26年法律
第36号による改正後の特許法(以下「平成26年改正法」ということがあ
る。)123条が適用される。そして,平成15年法律第47号による改正
前の特許法(以下「旧法」ということがある。また,改正の年次によって,
「昭和62年法」などと略称することがある。)において特許無効審判の請
求人について利害関係人に限る旨の明記はなかったが,産業財産権関連法に
おいては,請求人適格について明示的な規定がない場合には利害関係人のみ
が請求人適格を有するとの解釈が裁判例で蓄積していたところ,平成26年
改正法において,利害関係人であることを明確化する規定を確認的に設けた
ものであり,請求人の適格性の判断については,旧法下における判断と変わ
らない。
(2)そこで,請求人である原告が特許法123条2項の利害関係人に該当する
かについて検討するに,原告が利害関係人というには,原告が本件特許発明
にかかるもの(本件特許発明そのものか,あるいは,本件特許発明を利用す
る関係にあるもの)の実施準備をしており,無効とされるべき特許発明が誤
って特許され,保護されることによって原告が不利益を被るおそれがあるこ
とを要するところ,原告の行為(事業化の一環としての特許出願,試作品の
製作,既存の紙おむつ製造業者等に対するプレゼンテーション資料の作成や
問い合わせ,インターネットサイトへの登録など)は,いずれも本件特許発
明(にかかるもの)の実施準備に該当せず,無効とされるべき特許発明が誤
って特許され,保護されることよって原告が不利益を被るおそれがあるとは
いえないから,原告は特許法123条2項の利害関係人には該当しない。
(3)したがって,原告は本件審判の請求人適格を有さず,本件審判の請求は不
適法であって,その補正をすることができないものであるから,同請求は特
許法135条の規定により却下すべきものである。
4取消事由
(1)請求人の陳述内容に関する認定の誤り(取消事由1)
(2)請求人適格に関する法令解釈の誤り(取消事由2)
(3)審理の進め方(審決の時期及び内容)に関する誤り(取消事由3)
第3当事者の主張
1取消事由1(請求人の陳述内容に関する認定の誤り)について
(原告の主張)
審決は,本人尋問における請求人の陳述の概要として,原告が「請求人は,
現在,製品の製造販売を行っているということはなく,製造販売の経験もない。」
と述べた旨認定した。しかし,原告は,「前職の企業を退職後は,製造販売を
行っていない」ということを述べたにすぎず,「製造販売の経験もない」とは
述べていない。むしろ,「前職の企業では開発の一部に従事していた」ことを
述べている(甲40・第1回口頭審理及び証拠調べ調書)。
このように,審決は,審理の対象となる請求人適格に関し,請求人の陳述内
容を誤って認定したものであり,かかる違法は審決の結論に影響を及ぼしてい
るから,審決は取り消されるべきである。
(被告の主張)
原告の主張は争う。「製造販売の経験もない」とは,「前職の企業を退職後
に,個人として,製造販売の経験もない」との意味であることが文脈上明らか
である。したがって,陳述の概要として前記のとおり認定したことは正当であ
り,何ら事実誤認はない。
そもそも,原告が前職の企業において何らかの製品開発に関与した経験があ
ることは,本件の争点とは関係がなく,審決がそのことをあえて認定していな
いからといって何ら問題はない。
よって,審決の前記認定には,審決の結論に影響を及ぼすような事実誤認は
何ら存在せず,原告の主張する取消事由1は理由がない。
2取消事由2(請求人適格に関する法令解釈の誤り)について
(原告の主張)
審決は,次のとおり,請求人適格に関する利害関係の要件を極めて厳格に解
しており,その法令解釈に誤りがあるから,取り消されるべきである。
(1)請求人適格の要件について
無効審判請求人の適格性の判断は,平成26年改正法において「利害関係
人」が明文化されたことのみをもって,厳格に行われるべきものではなく,
個別具体的事情に応じてなされるべきものである。
また,平成26年改正法の施行に伴い,経過措置によって,特許異議申立
ての対象は,平成27年4月1日以降に特許公報が発行された特許に限られ
る一方で,同日より前に請求された無効審判については,なお従前の例によ
る(何人も請求できる)とされた。このため,同日より前に特許公報が発行
された特許については,同年3月31日までに無効審判請求を行えば,請求
人適格に利害関係を必要とされないのに対し,同年4月1日以降は,請求人
適格に利害関係を要する(特許異議の申立てを行うこともできない)などと
いった,極めて不公平な事態が生じていることも考慮する必要がある。
(2)審決の誤り
ア「利害関係人」の要件に関する法令解釈の誤り
審決が「平成15年法律第47号による改正前の特許法(…)において
特許無効審判の請求人について利害関係人に限る旨の明記はなかったが,
産業財産権関連法においては,請求人適格について明示的な規定がない場
合には利害関係人のみが請求人適格を有するとの解釈が裁判例で蓄積され
ていた」と認定した点は,根拠がなく誤りである。
イ「実施」に関する認定の誤り
(ア)「実施」について
審決は,「『実施』については,特許法第2条において定義されてい
るところ,本件特許発明は,『パンツ型使い捨ておむつ』という物の発
明であるから,その物の生産,使用,譲渡等,輸出若しくは輸入又は譲
渡等の申出をする行為がこれに該当する。」とした上で,「『発明の売
り込み』の行為は,特許法でいう実施のいずれにも当たらない」と認定
した。
しかし,特許無効審判請求制度は,特許侵害訴訟制度と表裏一体の関
係にあるところ,一般に,特許侵害を認定する際の解釈として,特許法
2条3項1号に規定された「物の発明」の「実施」のうちの「生産」に
は,「修理」や「改造」が含まれる場合もあると解されている。
原告の行為は,被告の製造する紙おむつの市販品をベースに加工,改
良を加えたサンプルを製作し,それらを交渉相手(例えば委託業者や製
造業者)に対して開示する行為である。場合によっては,サンプルを配
布することもあり得る。
ここで,市販品の加工,改良は,前記の「修理」,「改造」等に当た
るともいえ,「サンプル」だからといって,特許権侵害を構成しない,
あるいはその可能性がないとは断定できない。
したがって,審決は,「実施」行為を極めて狭く解釈している点で不
適切である。
(イ)「実施の能力」について
また,特許権侵害及び損害賠償額を認定する際には,特許権者の「実
施の能力」が考慮されることがある。この場合,「実施の能力」を譲渡
の前提となる生産及びマーケティング能力を含めた供給能力とする考え
もある。
このような場合の「生産能力」には,下請,委託生産その他の態様に
よる供給能力も含めてもよいとされており,特許権者に対して過度に厳
格な要件は求められないものと考えられる。無効審判請求人においても,
その「生産能力」は特許権者の「生産能力」と同様に弾力的に理解され
るべきである。
特に,現代においては,特許発明を事業化するためのマッチングサイ
トを運営する事業者が複数存在し,個人発明家や小規模事業者であって
も,従前よりも容易に委託生産を行うことができる環境にある。
したがって,審決は,「実施の能力」を極めて狭く解釈している点で
も不適切である。
ウ「実施準備」に関する認定の誤り
審決は,請求人である原告の特許出願(原告は,平成27年5月22日
に,発明の名称を「使い捨ておむつ用外層シート及びこれを備える使い捨
ておむつ」とする特許出願〔特願2015-104616号〕をし,この
出願を基礎出願とする国内優先権を主張して,平成28年2月12日に特
許出願〔特願2016-24443号〕をしている〔甲5,6〕。以下,
同出願を「原告出願」といい,原告出願に係る発明を「原告発明」という。)
について,「本審決時点では出願公開がされておらず,その内容が明らか
でない」とした上で,「請求人の上記陳述を参酌したとしても,使い捨て
紙おむつに関しては,既に本件特許を含む数多くの特許権が存在している
中,請求人により特許出願された特許請求の範囲の請求項に係る発明が,
本件特許発明の利用関係にあるものであるとするに足る証拠はない。」と
認定した。
しかし,原告出願は,審決時から約4か月後には公開される予定であっ
たのであるから,審理を短時間で終了しない限り,その内容を十分確認す
る時間的余裕があったはずである。したがって,審決には,原告発明につ
いて,そもそも検討を行っていないという認定の誤りがある。
また,審決は,「請求人による当該試作品に係る状況は,本件特許発明
を回避するような設備や資金面等の変更を要する程度に準備がなされてい
る状況にあるとまではいえない。」とも認定するが,個人発明家や小規模
事業者の事業活動の実態を考慮すれば,明らかに無効理由を有すると思わ
れる特許権が存在している場合にまで,その特許発明を回避するような設
備や資金面等の変更を要求することは,いたずらに利害関係の要件を厳格
化するものであり,妥当でない。
したがって,審決は,「実施準備」行為を極めて狭く解釈している点で
不適切である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。次のとおり,審決には,原告が主張するような「利害関
係」の要件に関する法令解釈の誤りはなく,原告による本件特許発明の「実施」
又は「実施準備」の認定に関する誤りもないから,原告の主張する取消事由2
は理由がない。
(1)請求人適格の要件について
審決は,「平成26年改正法において,利害関係人であることを明確化す
る規定を確認的に設けたものであり,請求人の適格性の判断については,旧
法下における判断と変わらない」と述べているだけであり,「利害関係人」
が明文化されたことにより旧法(昭和34年法及び昭和62年法)下におけ
る請求人適格の判断よりも厳しくすべきと述べているのではない。また,審
決は,原告に指摘されるまでもなく「個別具体的事情に応じて」請求人適格
を判断している。
原告の主張の意味は必ずしも明らかでないが,仮に,平成26年改正法に
おいては,旧法(昭和34年法及び昭和62年法)下におけるよりも無効審
判の請求人適格を緩く解するべきであるという趣旨であれば,そのような解
釈はあり得ない。
(2)原告が審決の誤りを指摘する点について
ア「利害関係人」の要件に関する法令解釈の誤りに関し
審決が「平成15年法律第47号による改正前の特許法(…)において
特許無効審判の請求人について利害関係人に限る旨の明記はなかったが,
産業財産権関連法においては,請求人適格について明示的な規定がない場
合には利害関係人のみが請求人適格を有するとの解釈が裁判例で蓄積され
ていた」と認定した点について,原告は根拠がなく誤りであると指摘する
が,東京高等裁判所昭和45年2月25日判決(無体裁集2巻1号44頁)
は,昭和34年法の下においても無効審判の請求人適格は旧法(大正10
年法)と異ならず利害関係を有する者に限られることを明らかにしており,
以降,審判便覧「31-02利害関係人の具体例」にもあるとおり,無
効審判の請求人が利害関係人に限られることを前提として,いかなる場合
に利害関係人と認められるかについて多くの裁判例が蓄積されている。し
たがって,審決の認定に何ら誤りはない。
イ「実施」に関する認定の誤りに関し
(ア)「実施」について
原告の製作する試作品(サンプル)は,原告発明の実施品とのことで
あり,「既存の紙おむつにおいて,胴回り弾性部材の主に中央部の伸縮
部分の構造及び接着方法を改良したものである」とはいうものの,原告
本人尋問(審判時)において開示された内容によれば,原告発明は,本
件特許発明とは(技術分野が共通するという以外には)何ら関係がなく,
本件特許発明の利用発明でもない。したがって,原告が市販の紙おむつ
を加工,改良して試作品を作るに当たって被告製品その他の本件特許発
明の実施品を用いる必然性はないし,実際,請求人である原告も,被告
製品その他の本件特許発明の実施品のみを用いているとは主張していな
い。
仮に被告の製造する紙おむつの市販品をベースに加工,改良を加えた
サンプルを製作し,それらを交渉相手に対して開示する原告の行為が本
件特許発明の「実施」に該当し,特許権侵害に当たる可能性があるとし
ても,明らかに本件特許発明の実施品ではない紙おむつ(非実施品)も
多くの種類が市販され,容易に入手可能なのであるから,原告としては
そのような非実施品を用いればよいだけのことであり,本件特許発明を
無効にすることについて法律上の利害関係を有するとはいえない。
(イ)「実施の能力」について
原告が審決のどの部分の判断を誤りであると主張しているのか,原告
の主張の趣旨は必ずしも明らかではないが,原告の主張によっても,株
式会社発明ラボックスのウェブサイトに「個人登録した」(単にIDな
いしアカウントを取得したという意味)だけであり,現に原告発明を当
該サイト上に公開して企業の協賛を募ったわけではない。審決も,この
点は認定した上で,仮に原告発明をインターネットサイト上に公開して
企業の協賛を募っていたとしても,単なる「発明の売り込み」の行為で
あって,当然に実施準備に該当するとはいえないと判断しているのであ
り,その判断に誤りはない。敷衍すれば,仮に原告との個別交渉又はサ
イト上での協賛募集の結果として紙おむつの製造業者が原告発明の実施
品を将来,業として製造,販売する可能性があるとしても,原告発明は
本件特許発明とは何ら関係がなく,本件特許発明の利用発明でもないの
だから,当該製造業者が本件特許発明を回避すればよいだけのことであ
り,原告が紙おむつの製造業者に対して原告発明の売り込み行為をする
に際して,本件特許を無効にしなければならない理由はなく,いずれに
しても,原告が本件特許を無効にすることについて法律上の利害関係を
有するとはいえない。
ウ「実施準備」に関する認定の誤りに関し
原告は,審決には,原告発明について,そもそも検討を行っていないと
いう認定の誤りがあると主張するが,原告発明の内容を審決が具体的に認
定しないのは,出願公開前であるために開示できないと請求人である原告
が主張したからである。原告発明が本件特許発明の利用発明であることの
主張立証責任は原告にあり,原告があえて主張立証しないことの不利益を
原告が被るのは当然である。
また,「請求人による当該試作品に係る状況は,本件特許発明を回避す
るような設備や資金面等の変更を要する程度に準備がなされている状況に
あるとまではいえない。」との認定は,「仮に請求人自らが試作品と同様
の物を生産して,既存の紙おむつ製造業者に対し供給することを想定して
いた」場合に関する仮定の認定判断であり,実際には,原告(請求人)自
らが試作品と同様の物を業として生産して,既存の紙おむつ製造業者に対
し供給することを想定していたという事実はなく,そのような主張もして
いないのであるから,単なる傍論にすぎず,審決の結論に影響を与える認
定判断ではない。
審決は,「請求人が,本件特許発明について,実施の準備をしている者
と評価されるためには,例えば,紙おむつを製造販売する事業(物の発明
の生産,譲渡等を伴う事業)に必要となる製造設備や資金,販売ルート等
を備えた企業等が,本件特許発明の実施に該当する事業の準備(事業の計
画)を行うとともに,請求人が,その事業の少なくとも一部において主体
的に関与していることを立証する必要があるというべきである」と正しく
基準を示し,当該基準に照らして,「本件特許発明の実施準備を行ってい
る企業等が存在すること,そして,請求人が,その事業の少なくとも一部
において,主体的に関与していることについては,いずれも明らかにされ
ていない。そうすると,請求人の状況は,本件特許発明の実施準備をして
いるとまではいえない。」と正しく認定している。
よって,審決の認定判断に何ら誤りはない。
3取消事由3(審理の進め方〔審決の時期及び内容〕に関する誤り)について
(原告の主張)
(1)審決の時期
本件審判手続において,被請求人(被告)による答弁書提出から口頭審理
までは,僅か4か月余りであり,さらに,請求人・被請求人双方による上申
書提出から審理終結通知までは,僅か1か月余りであるところ,審判合議体
が,この短期間の間に,請求人適格だけでなく,請求人が主張する無効理由
(特許法36条,29条2項違反等)のあらゆる論点について,審理に必要
な事実を全て参酌し,取り調べるべき証拠を全て調べて,結論を出せる状態
に達したとは,到底考えられない。
また,審決は,請求人適格の審理に関して最重要事項の一つである原告出
願の内容について検討を行っていない。
したがって,本件の審理終結通知は審決をするのに熟したときよりも前に
なされたものであり,特許法156条2項に違反する。
(2)審決の内容
審決が,請求人適格のみを判断して本件審判請求を不適法却下し,上記無
効理由について判断を行わなかったことは,行政手続法上の手続的瑕疵に当
たるというべきであり,また,特許法123条及び157条の趣旨にも反す
るものであって,違法である。
(被告の主張)
(1)審決の時期
原告の主張は争う。本件審判の進行が拙速であった事実はないし,「審決
をするのに熟した」とき(特許法156条2項)とは,請求人適格の欠如を
理由に請求を却下する場合においては,請求人適格が欠如しているとの十分
な心証が得られたときがこれに当たるのであって,「請求人が主張する無効
理由(特許法36条,29条2項違反等)のあらゆる論点について,審理に
必要な事実を全て参酌し,取り調べるべき証拠を全て調べて,結論を出せる
状態に達した」ことを要するものではない。
原告の主張は,特許法156条2項の誤った解釈に基づくものである。
(2)審決の内容
原告の主張は争う。原告の主張は独自の論にすぎず,現行法の解釈として
誤りである。むしろ,請求人適格がないとの心証を得たにもかかわらず,無
効理由(特許法36条,29条2項違反等)の主張に対する実体的判断を示
すようなことがあれば,請求人の利害関係を要求する法の趣旨を没却するこ
とになり,それこそ違法である。
第4当裁判所の判断
本件の事案に鑑み,まず取消事由2(請求人適格に関する法令解釈の誤り)
から判断する。
1事実関係
後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1)原告は,平成27年5月22日にした特許出願(特願2015-1046
16号)に基づく優先権を主張して,平成28年2月12日,発明の名称を
「使い捨ておむつ用外層シート及びこれを備える使い捨ておむつ」とする特
許出願(特願2016-24443号・原告出願)をした(甲54)。
(2)原告出願に係る特許請求の範囲(請求項の数9)の記載は,次のとおりで
ある(甲54,60)。
「【請求項1】
着用者の腹側に配置される前面部と,前記着用者の背側に配置される背
面部と,前記前面部と背面部の間に位置し,前記前面部及び前記背面部よ
り幅狭に形成された股下部と,前記股下部の両側端に広がる曲線状のくび
れ部と,を有する少なくとも1層の不織布製の外層シートであって,
前記外層シートは,所定の幅で複数回折り返された折り畳み部を有し,
前記外層シートの屈曲時に,前記折り畳み部が広がることによって,前記
着用者と前記外層シートの間に空間を生じることを特徴とする,使い捨て
おむつ用外層シート。
【請求項2】
前記折り畳み部が前記股下部に位置する,請求項1に記載の使い捨てお
むつ用外層シート。
【請求項3】
前記折り畳み部が,前記背面部に位置する,請求項1または2に記載の
使い捨ておむつ用外層シート。
【請求項4】
前記折り畳み部の折り返し部の内側に,複数の空気孔が形成された,請
求項1に記載の使い捨ておむつ用外層シート。
【請求項5】
前記外層シートの前記折り畳み部を有する部分における,前記折り畳み
部が完全に広がった状態の前記外層シートの幅と,前記折り畳み部が広が
っていない状態の前記外層シートの幅の比が,1.05~1.3の範囲に
ある,請求項1~4のいずれか1項に記載の使い捨ておむつ用外層シート。
【請求項6】
前記折り畳み部が,前記外層シート上に剥離可能に固定されてなる,請
求項1~5のいずれか1項に記載の使い捨ておむつ用外層シート。
【請求項7】
前記外層シートが,前記前面部及び/または背面部に,幅方向に弾性伸
縮性を有する弾性伸縮部を有し,前記折り畳み部が,前記弾性収縮部の幅
方向端部もしくは中央部に形成されてなる,請求項1~6のいずれか1項
に記載の使い捨ておむつ用外層シート。
【請求項8】
前記弾性収縮部における前記折り畳み部が形成された箇所が,弾性収縮
性を有さないことを特徴とする,請求項7に記載の使い捨ておむつ用外層
シート。
【請求項9】
請求項1~8のいずれか1項に記載の使い捨ておむつ用外層シートと,
前記外層シートの両表面のうちの着用者側の表面上であって,前記股下部
の全体と前記股下部に繋がる前記前面部及び前記背面部の一部にかけて配
置される液不透過性の透明性シートと,前記液不透過性の透明性シートの
前記着用者側に配置される液吸収体と,を少なくとも含むことを特徴とす
る,使い捨ておむつ。」
(3)原告出願は,平成28年12月22日,特開2016-214828号と
して出願公開された(甲60)。
(4)原告発明について
ア明細書の記載
原告出願の明細書には,次の記載がある(甲54,60)。
「【技術分野】
【0001】
本発明は,使い捨ておむつの外形を形成する外層シート,および前記
外層シートを備える使い捨ておむつに関する。
【背景技術】
【0002】
近年,布製のおむつに替わり,例えば,P&G社製の「パンパース(登
録商標)」,ユニ・チャーム社製の「ムーニーマン(登録商標)」等の,
本体が不織布からなるおむつ(いわゆる,使い捨て紙おむつ)が,多数
市場に出回っている。
これら使い捨て紙おむつの製品の質は,近年非常に向上しており,廃
棄や取り換えが容易であるといった特徴に加えて,液漏れも非常に生じ
にくく,かつその形状が着用者にフィットするため,装着後も着用者が
違和感を覚えにくいといった特徴をも兼ね備えたものとなっている。
【0003】
しかし一方で,上記した液漏れの防止やフィット感を考慮するあまり,
これらの使い捨て紙おむつが有する課題として,着用者が長時間装着し
た場合,外気との通気性が非常に悪くなり,内部に熱がこもり易いとい
った問題,あるいは予め所定の大きさにサイズが決まっているため,着
用者の成長とともにフィット感も変化し,適切なサイズの製品が見つか
らなくなる場合がある,といった問題も生じている。特に上記した通気
性の悪化は,上記の紙おむつの外層が,一般に通気性に優れるとされる
不織布製のシート材料から形成される場合であっても,尚,解消される
ことがないものである。
【0004】
例えば,特許文献1に開示されているパンツ型の紙おむつは,一般に
サイズ適性範囲が狭いという不都合があり,着用者に圧迫感を与えると
ともに,内部に熱がこもり易いため,着用者の不快感も増大し易い。
また,例えば特許文献2に開示されているパンツ型の紙おむつについ
ても,胴周りに相当する位置の外層シートの幅方向にわたり弾性伸縮部
材を有する構成であるため,着用時のフィット性が向上する一方で,着
用後には当該外層シートの縮みにより着用者が感じる圧迫感も増大して
しまう。
【0005】
加えて,上記のようなパンツ型の紙おむつを着用者が長時間着用する
と,場合によっては皮膚にかゆみを生じたり,所謂,おむつかぶれが起
こったりする懸念も生じる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平2-4364号公報
【特許文献2】特開2008-183332号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
従って本発明の目的は,サイズ適性が広いと同時に,通気性も同時に
確保された使い捨ておむつ用外層シート,及びこれを備えた使い捨てお
むつを提供することにある。」
「【0011】
本発明の使い捨ておむつ用外層シートは,サイズ適性が広いと同時に,
通気性も十分でありながら,着用者へのフィット性も失われることがな
い。加えて加工も容易であるため,生産性も非常に高い。」
イ原告発明の内容
上記明細書の記載によれば,原告発明の内容は,概要次のとおりである
と認められる。
(ア)原告発明は,使い捨ておむつの外形を形成する外層シート及びその外
層シートを備える使い捨ておむつに関する(【0001】)。
(イ)近年,布製のおむつに替わって多数市場に出回っている,いわゆる使
い捨て紙おむつは,本体が不織布からなるものであり,その製品の質が
非常に向上した結果,①廃棄や取り換えが容易である,②液漏れが非常
に生じにくい,③着用者にフィットする形状のため装着後も着用者が違
和感を覚えにくい,といった特徴を兼ね備えるようになった(【000
2】)。
(ウ)その一方で,液漏れ防止やフィット感を考慮する余り,①長時間装着
すると通気性が非常に悪くなって内部に熱がこもり易い,②製品のサイ
ズがあらかじめ決まっているため,着用者の成長とともにフィット感が
変化し,適切なサイズの製品が見つからなくなる,といった問題が生じ
ており,特に通気性の悪さは,一般に通気性に優れるとされる不織布性
のシート材料で形成しても解消されない(【0003】)。
すなわち,従来のパンツ型の紙おむつには,サイズ適性範囲が狭い,
着用者に圧迫感を与えるとともに内部に熱がこもり易いため着用者の不
快感が増大する,長時間着用すると皮膚にかゆみを生じたり,おむつか
ぶれが起こったりするという欠点があった(【0004】,【0005】)。
(エ)原告発明は,これらの課題を解決しようとするものであり,その目的
は,サイズ適性が広いとともに,通気性が確保された使い捨ておむつ用
外層シート,及びその外層シートを備える使い捨ておむつを提供するこ
とにある(【0007】)。
(オ)原告発明は,サイズ適性が広い,通気性が充分でありながら着用者へ
のフィット性も失われない,加工が容易であるため生産性が非常に高い,
といった効果を奏する(【0011】)。
(5)出願審査の請求
原告は,平成29年3月9日,原告出願について出願審査の請求をした(甲
61の1・2)。
2原告本人尋問における原告の陳述内容
本件審判手続において,請求人(原告)の本人尋問が行われていたが,当裁
判所は,改めて原告本人尋問を実施した。
その際,原告は,本件審判請求を行った動機,経緯等について,要旨次のと
おり陳述した。
(1)原告は,特許権取得のための支援活動等を行う個人事業主であり,自らも
特許技術製品の開発等を行っている。
(2)特許願(甲54)の請求項に記載されている発明(原告発明)は,自分(原
告)の発明である。
(3)原告発明に係るおむつの開発に着手した理由は,日頃から医療分野に興味
を持っていたこと,特に子供の頃から●●(省略)●●ことや,●●(省略)
●●,排せつの問題に関する知識があったこと,さらには,災害の発生,外
国人の需要などにより,商品開発をして市場に提供するチャンスがあると考
えたことによる。
(4)原告発明は,紙おむつの外層シートに新たな構造を付加することを特徴と
するものであり,弾性構造のない部分を有し,かつ,(テープ型でなく)パ
ンツ型のおむつが最も適する。
(5)原告としては,自ら発明を実施する能力がないので,ライセンスや他の業
者に委託して製造してもらうことなどを考えており,製品化の準備として,
市販品のおむつ(被告製品など)に手を加えて試作品(サンプル)を製作し
ていた。
(6)実際に上記試作品をおむつの製造業者等に持ち込んだことはまだないが,
インターネット上で特許発明の実施の仲介を行う業者や不織布を取り扱う業
者に対し,原告発明の実施の可能性について尋ねたことはある。
(7)その際,原告としては,原告発明を製品化する場合,被告の本件特許に抵
触する可能性があると考えていたので,率直にその旨を上記の業者らに伝え
たところ,いずれも,その問題(特許権侵害の可能性)をクリアしてからで
ないと,依頼を受けたり,検討したりすることはできないといわれ,それ以
上話が進められなかった。
(8)原告としては,設計変更等による回避も考えたが,原告発明を最も生かせ
る構造(実施例)は,被告の本件特許発明の技術的範囲にあると思われたた
め,原告発明を実施する(事業化する)には,本件特許に抵触する可能性を
解消する必要性があると判断し,また,専門家から本件特許に無効理由があ
るとの意見をもらったことから,本件無効審判請求を行った。
3検討
以上のとおり,原告は,単なる思い付きで本件無効審判請求を行っているわ
けではなく,現実に本件特許発明と同じ技術分野に属する原告発明について特
許出願を行い,かつ,後に出願審査の請求をも行っているところ,原告として
は,将来的にライセンスや製造委託による原告発明の実施(事業化)を考えて
おり,そのためには,あらかじめ被告の本件特許に抵触する可能性(特許権侵
害の可能性)を解消しておく必要性があると考えて,本件無効審判請求を行っ
たというのであり,その動機や経緯について,あえて虚偽の主張や陳述を行っ
ていることを疑わせるに足りる証拠や事情は存しない。
以上によれば,原告は,製造委託等の方法により,原告発明の実施を計画し
ているものであって,その事業化に向けて特許出願(出願審査の請求を含む。)
をしたり,試作品(サンプル)を製作したり,インターネットを通じて業者と
接触をするなど計画の実現に向けた行為を行っているものであると認められる
ところ,原告発明の実施に当たって本件特許との抵触があり得るというのであ
るから,本件特許の無効を求めることについて十分な利害関係を有するものと
いうべきである。
被告は,「請求人(原告)が,本件特許発明について,実施の準備をしてい
る者と評価されるためには,例えば,紙おむつを製造販売する事業(物の発明
の生産,譲渡等を伴う事業)に必要となる製造設備や資金,販売ルート等を備
えた企業等が,本件特許発明の実施に該当する事業の準備(事業の計画)を行
うとともに,請求人が,その事業の少なくとも一部において主体的に関与して
いること」が必要であるとした審決の判断は相当であるから,そのような事情
の認められない本件においては,利害関係の存在を肯定することはできないと
主張する。しかし,上記のような要求をするということは,原告が製造委託先
の企業等を求めようとしても,相手方となるべき企業等が,本件特許との抵触
のおそれを理由に交渉を渋るというような場合には,直ちに本件特許の無効審
判を請求することはできず,まずは,原告が自ら製造設備の導入等の準備行為
を行わなければならないという帰結をもたらすことになりかねないが,このよ
うに,経済的リスクを回避するための無効審判請求を認めず,原告(審判請求
人)が経済的なリスクを負担した後でなければ無効審判請求はできないとする
のは不合理というべきである。
また,被告は,原告発明と本件特許発明とは何ら関係がない等として,原告
による原告発明の実施が本件特許に抵触することはあり得ないという趣旨の主
張をする。しかし,原告発明は,主として折り畳み部を有する外層シートに関
する発明であるから,それだけで紙おむつを製作することができるわけではな
く,他に様々な技術を利用する必要があることは明らかであるところ,そうい
った,他に利用すべき技術の一つとして,本件特許が無効なのであれば,それ
に係る技術を利用しようとすることも考え得るところである(原告本人の陳述
は,そのような趣旨であると理解できる。)。被告は,本件特許発明以外の技
術によっても代替可能であるという趣旨の主張をするものと思われるが,本件
特許が無効なのであるとすれば,それにもかかわらず,原告が,本件特許発明
の利用を回避しなければならない理由はないというべきであり,被告の上記主
張も失当である。
4結論
以上によれば,その余の取消事由について判断するまでもなく,原告の請求
は理由がある。
よって,審決を取り消すこととして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官
鶴岡稔彦
裁判官
寺田利彦
裁判官大西勝滋は,転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官
鶴岡稔彦

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