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裁判例


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平成30年12月3日宣告
平成30年第38号窃盗被告事件
主文
被告人を懲役1年に処する。
この裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予し,その猶予の
期間中被告人を保護観察に付する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成30年2月9日午後8時45分頃,群馬県太田市[以下略]のA
店において,同店店長B管理のキャンディ1袋等3点(販売価格合計382円)を
窃取した。
(争点に対する判断)
第1当事者の主張等
1被告人が,判示の日時,場所において,判示の商品3点(キャンディ1袋,
クッキー菓子2袋。以下単に「被害品」という。)をジャンパー(コート)の
内側に隠匿して窃取したこと(以下「本件犯行」という。)は,証拠によって
明らかに認められる。そして,被告人に窃盗の故意及び不法領得の意思があっ
たことも,本件犯行の態様等に照らして明らかであり,弁護人も争っていない。
2弁護人は,被告人は本件犯行時,神経性やせ症,社交不安障害及び境界知能
の影響により心神耗弱の状態であった旨主張する。そこで検討すると,以下の
とおり,被告人は,本件犯行時,精神障害の影響により事理弁識能力及び行動
制御能力が著しく低下(減退)していた疑いはなく,完全責任能力を有してい
たものと認められる。
第2前提事実
証拠によれば,以下の事実が認められ,特に争いはない。なお,前記被害店
舗(以下,単に「被害店舗」という。)には防犯カメラが複数台設置されてい
たが,被害品が陳列されていたお菓子コーナー付近や被告人が被害品を衣服内
に隠匿した調味料コーナー付近を撮影するものはなく,また,被告人の様子を
写した防犯カメラ映像は,検察官によれば現存せず,これを再生したモニター
を撮影した写真が添付された捜査報告書が取り調べられているのみである。
1被告人の生活歴,病歴,犯罪歴等
⑴被告人は,平成12年に高校を卒業した後,平成25年3月まで2つの実
業団に所属して活躍した陸上(マラソン)選手である。
被告人は,高校時代に,陸上競技では体重が軽い方が有利であるとの助言
を受けて減量するようになり,最初に所属した実業団において,厳しい体重
管理を指示されたことなどから,過食をし,体重が増えないようにするため
に食べたものを吐くという食べ吐きをするようになった。そして,被告人は,
合宿中に買い食いができないように財布を取り上げられ,食べ物欲しさに万
引きをしたことをきっかけに,万引きを繰り返すようになった。
被告人は,平成24年8月,平成25年9月,平成26年1月にそれぞれ
窃盗罪(万引き)により検挙され,いずれも起訴猶予処分となり,その後,
平成26年8月及び平成27年1月に犯した万引きにより,それぞれ平成2
6年10月及び平成27年4月に略式命令を受けた。
被告人は,平成22年10月から,摂食障害の治療のための通院を開始し,
平成23年11月頃には医療機関Cに3週間入院して窃盗症の治療を受け,
平成27年2月頃まで東京等の精神科病院に通院し,通院をやめた後は,万
引き防止のため,両親が被告人の買い物に同行するようにしていた。被告人
は,不安や寂しさを感じると,それを紛らすために食べ吐きをすることを続
けていた。
⑶被告人は,平成25年8月から平成26年8月までランニングクラブにコ
ーチ兼選手として所属したが,同クラブのコーチから出資名目で多額のお金
をだまし取られ,返還してもらえなかった。また,被告人は,平成28年1
0月,交際相手と結婚式を挙げ,その費用等として高額の支払をしたものの,
平成29年1月に婚約破棄となり,民事訴訟で争われた(なお,本件犯行後
に裁判上の和解が成立した。)。
被告人は,平成29年7月,窃盗罪(万引き)によって検挙され,同年1
1月に懲役1年,3年間執行猶予の判決を受けた(以下「前件万引き」とい
う。)。被告人は,保釈中の同年9月に医療機関Dに入院して万引きの治療
プログラムを受け,同判決の宣告後も同年12月27日まで入院を継続し,
退院後も月に1回,同所に通院することになっていた。
⑸被告人は,医療機関Dから退院した後,実家で生活するようになり,買い
物にはできる限り両親に同行してもらうようにしていたものの,一人で買い
物に行くことが複数回あった。被告人は,食べ吐きは続いていたものの,窃
盗をしたいという衝動はしばらく生じなかったが,平成30年1月中旬頃,
地元の新聞社のニュースコラムで自分が取り上げられているのを見て,誰か
に見られているという恐怖を感じるようになって精神が不安定になり,同月
下旬頃に1度パン等を万引きしたことがあった。このとき,被告人は,父親
に相談して一緒にお店に謝罪に行くなどして検挙を免れたものの,本件犯行
までの間に医療機関を受診して相談するなどはしなかった。
被告人は,前記退院後,入院中と異なり一人でいることが多いことや,摂
食障害のことなどを気軽に打ち明けることができる相手がいないことから,
寂しさを感じることがあった。また,被告人は,依然として,前記婚約破棄
(被告人は結婚詐欺と表現する。)について悩んでいた。
⑹被告人は,本件犯行時,高額の預貯金等を保有し,両親と同居していた。
⑺被害店舗は,被告人の実家から自動車で数分の距離にあり,午後9時頃に
なるとパン等の食料品が値引きになるので,被告人はその時間帯に来店して
値引きになった商品を購入することがよくあり,本件犯行の前日(平成30
年2月8日)にも,値引きになる商品を買うために母親を誘って訪れ,被告
人が食べるための複数のパン等を購入した。
2本件犯行当日の被告人の行動等
⑴被告人は,平成30年2月9日午後8時20分頃(以下,時刻は全て同日
のものを指す。),借りていたDVDを返してくると家族に告げて自動車で
外出し,レンタルDVD店でその返却を済ませた後,被害店舗に向かった。
被告人は,午後8時43分30秒頃,かばん等を持たずに被害店舗に入り,
お菓子コーナーへ向かい,被害品及びスナック菓子2袋を手に取って買い物
かごに入れた。
⑶被害店舗の私服警備員(以下単に「警備員」という。)は,午後8時44
分頃,被告人が買い物かごの取っ手を両手で持ち,胸の前に持ってきて底が
前に見えるくらい傾けているのを目撃し,違和感を覚えて見ていると,午後
8時45分頃,調味料コーナー付近において,左手で持った買い物かごから
被害品を右手で取ってジャンパーの隙間から中に入れ,ジャンパーの襟元を
手で直すのを目撃した。
被告人は,パンコーナーへ向かい,食パン4パック(そのうちの1つには
半額の値引きシールが貼ってあり,2つは翌日が賞味期限で,もう1つの賞
味期限は不明である。)を買い物かごへ入れたり(防犯カメラ映像によると,
上記のうちのどれかは不明であるが,午後8時46分55秒頃に食パンを買
い物かごに入れている。),パンコーナーと調味料コーナーを行き来したり
した。
なお,被告人が入店した出入口からパンコーナーへは,お菓子コーナー前
を通っていくことができるが,調味料コーナーはその経路から被害店舗の奥
の方(出入口と反対側)に大きく外れたところにある。
警備員は,被告人について,歩くのも商品を手に取るのもゆっくりで,病
的で生気が感じられないような異常な雰囲気であったと供述している(ただ
し,被告人のどの行動を指しているかは明らかでない。)。
⑸被告人は,午後9時1分頃,警備員に声をかけられると,「買い物かごに
戻すつもりでした」などと述べ,午後9時2分頃,サービスカウンターへ連
行され,被害品が被告人のジャンパー内から,ズボンの内側に挟み込まれた
状態で発見された。このとき,被告人が持っていた買い物かごには前記食パ
ン4パック,前記スナック菓子2袋等が入っており,被告人は現金2万10
00円余りやクレジットカードを所持していた。
3本件犯行に関する被告人の供述
⑴被告人は,警察官取調べにおいて,「被害品をなぜ衣服内に入れてしまっ
たのか分からない。そのとき,周りが見えなくなって視界が狭くなっていた
感じだった。」「左手でジャンパーのチャックを下ろし,買い物かごに入っ
ていたお菓子を左手で取ってジャンパーの中に入れ,落ちないようにズボン
のおなか部分に入れて挟み込んだ。」旨供述した。
被告人は,1回目の被告人質問(第2回公判期日)において,「買い物か
ごに入れた被害品をどのようにして衣服内に入れたかははっきりとは覚え
ていない。被害品等を買い物かごに入れた後,小麦粉が陳列されているコー
ナーに吸い込まれるようにして入ったのは覚えているが,その後は,目の前
が雲がかかったように白くなって視界が狭くなった。パンコーナーで我に返
り,衣服の内側に商品が入っていることに気付いた。」旨供述し,2回目の
被告人質問(第4回公判期日)において,「小麦粉の売場に吸い込まれるよ
うにして入った後のことは,雲がかかったように視界が狭くなってよく覚え
ていない。パンコーナーのところで半額になるパンを探しているときも,自
分が自分でないような感じがしていた。」旨供述した。
第3E医師の意見
1意見の要旨
E医師は,意見書及び証人尋問(以下,これらを併せて「E意見」という。)
において,本件犯行時の被告人の精神障害及びこれが本件犯行に与えた影響に
ついて,要旨,以下のとおり述べている。
⑴被告人は,本件犯行時,神経性やせ症(摂食障害。過食・排出型。),社
交不安障害に罹患しており,境界知能(WAIS-Ⅲで全検査IQ72)で
あった。なお,脳MRIや脳血流シンチによっても特異な所見は認められず,
気分の落ち込みは鬱病の診断基準を満たさない。
被告人の神経性やせ症の重症度は,身体への危機のみで捉え,BMIを基
準にするDSM-5によると,軽いが,胃酸で歯が溶けてしまうほど食べ吐
きを繰り返し,骨がもろくなっていることなどを考慮すると,中等度程度と
思われる。マラソン選手として過去に苛酷な体重制限をしたことは重症度に
影響しない。
被告人は,本件犯行時,上記神経性やせ症及び境界知能により,行動制御
能力が著しく損なわれており,事理弁識能力も一部損なわれていた。神経性
やせ症(過食・排出型)の患者が万引きを繰り返すことはよくあり,その機
序に定説はないが,過食をし,体重を増やしたくないのでそれを吐き出すよ
うになり,食べるものを得るために窃盗に及ぶようになってそれが繰り返さ
れて嗜癖化し,止められなくなるというものと考えられ,窃盗症と類似の機
制である。本件犯行は過食衝動を満たすために行われたものであり,神経性
やせ症に罹患していなければ行われなかったのであるから,神経性やせ症と
密接な関係があり,過食のための窃盗の欲求が高じてそれに抵抗できずに行
われたものであるから,制御は難しかったと思われる。社交不安障害は本件
犯行に直接影響を与えていない。
⑶被告人が,①本件犯行を思い出せないことや,②被害品が衣服内に隠匿さ
れていることに気付いた後,戻せば窃盗罪にならないと思っていたことは,
万引きについての事理弁識能力が不十分であったことをうかがわせる事情で
ある。①は,被告人の公判供述のとおり,視界にもやがかかったようになり,
自分が自分と感じられなくなるという離人症の症状で,被告人は,ぼーっと
して知らない間に行動してしまう,やりたくないことをやってしまうという
解離の機制の中にあったと思われる。ただし,この症状は不安障害等によっ
ても生じ得るものであって,解離性(同一性)障害の診断は付かないし,離
人症は,自分が自分と感じられなくなって記憶がぼんやりするということを
表すだけで,その間の行動のまとまりがなくなるというものではない。警備
員が供述する,被告人が病的で生気が感じられないような異常な雰囲気であ
ったことなどは,離人症によるものとも,窃盗にとらわれてぼんやりしてい
る状態が高じたという窃盗の欲求の亢進によるものとも説明できる。
本件犯行は,代金を支払うための現金等を所持しており,経済的に余裕が
あり,前件万引きについて報道されたことがあった被告人が,少額の商品を
欲求が勝って盗んだものであるから,動機は了解不能である。本件犯行の態
様は,商品をエコバッグ等の中にではなく,衣服内に隠匿するという稚拙な
ものであり,後に買い物かごに戻して精算しようとしており,一貫性・合目
的性に欠ける面がある。
2E意見の信用性
⑴被告人の精神状態が心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断
であって専ら裁判所に委ねられるべき問題である(最高裁昭和58年(あ)
第753号同年9月13日第三小法廷決定・裁判集刑事232号95頁)が,
責任能力判断の前提となる生物学的要素である精神障害の有無及び程度並び
にこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度について,専門家たる精
神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には,これを採用し得
ない合理的な事情が認められるのでない限り,裁判所は,その意見を十分に
尊重して認定すべきである(最高裁平成18年(あ)第876号同20年4
月25日第二小法廷判決・刑集62巻5号1559頁)。
アE医師は,精神科医として豊富な知識,経験を有し,その資質や公平性
に問題を抱かせる事情はなく,捜査関係資料や,被告人との約3時間の面
接,心理検査,被告人の両親からの成育歴の聴取等を基礎資料として意見
書を作成し,証言に先立ち,2回目の被告人質問を傍聴しており,その意
見は,基本的に,専門的知見に基づき,精神医学の本分である精神医学的
事項等について述べるものである(ただし,事理弁識能力・行動制御能力
(の欠如又は減退)という心理学的要素は裁判所の評価に委ねられるべき
法律判断であるので,E医師が「被告人は,本件犯行時,神経性やせ症及
び境界知能により,行動制御能力が著しく損なわれており,事理弁識能力
も一部損なわれていた。」と述べる)は,神経性やせ症等
がそのような減損をもたらすほど本件犯行に大きな影響を与えたとする趣
旨であると解する。)。
イE意見の,被告人の精神障害の有無・程度に関する部分(前記1⑴)の
うち,被告人が本件犯行時神経性やせ症及び社交不安障害に罹患していた
という点及び神経性やせ症の重症度が中等度程度であったという点は信
用できる(なお,本件犯行時の被告人の体重は証拠上不明であり,E医師
の上記意見は面接時のBMI(17.3)に基づいているが,体重が本件
犯行時からそれほど大きく変化したことをうかがわせる事情はない。)。
また,被告人には検査の結果器質的な疾患の所見がなかったという部分
や,鬱病の診断基準を満たさないという点についても信用できる。
なお,被告人が境界知能であったという点は,被告人の父親が,被告人
の学業面での成績は中の上程度という認識で,知能面で問題があると感じ
たことはなかった旨証言していること,被告人は公判廷での受け答えもか
なりきちんとしていることに照らすと,信用性に疑問があるが,E医師は,
境界知能が本件犯行に与えた影響について明確に述べていないことに照ら
すと,この点は本件の結論に影響を及ぼさない。
ウそして,前記前提事実やE医師が指摘する事情に照らすと,被告人が本
件犯行時神経性やせ症等により事理弁識能力及び行動制御能力(特に後
者)が一定程度低下していたという部分も信用できる。
エしかし,E意見のうち,被告人が,神経性やせ症等により,行動制御能
力が著しく損なわれていたとする部分については,以下のとおり,これを
採用し得ない合理的な事情が認められる。
⑶アまず,以下のとおり,本件犯行時,被告人に正常(健常)な精神作用が
相当程度働いていたことを強くうかがわせる事情が存在するところ,E意
見は,これらの事情を十分考慮していない。
イ本件犯行及びその直前直後の行動をみると,被告人は,被害品を買い物
かごの中に入れた後,パンコーナーへ向かう経路から外れた別の売場にわ
ざわざ移動した上で,片手で持った買い物かごからもう一方の手である程
度かさばる大きさの被害品を取り出してジャンパー内に隠匿し,その後襟
元を直しており,また,被害品は発見時に被告人のジャンパーと身体の間
に挟み込まれていたこと(前記第2の2⑸)に照らすと,被告人が被害品
の落下を防ぐためにそのようにしたものと認められる。この一連の行動は,
犯行が発覚することなく被害品を万引きするための,一貫していてまとま
りのある合理的・合目的的なものと評価すべきであり(E医師は,被害品
をエコバッグ等の中にではなく,衣服内に隠匿した点は稚拙であると述べ
この指摘は的を射ないものである。),被告人が,当時,犯行が発覚する
ことなく万引きをするという目的を達成するための合理的な行動をとるこ
とや,犯行の遂行に適切な状況になるまで犯行を思いとどまることができ
ていたことをうかがわせる。
次に,その前後の行動をみると,被告人は,被害店舗に入った後,速や
かに被害品が陳列されているお菓子コーナーに向かっており,被害品を隠
匿して襟元を直した後は,速やかにパンコーナーへ移動し,半額の値引き
シールが貼られている食パンや,半額になる見込みであると認識していた,
翌日が賞味期限の食パンを選んで買い物かごに入れている(具体的には,
入店から被害品の隠匿まで2分前後,入店から食パンを買い物かごに入れ
始めるまで最大で約3分25秒である。)。そ
して,被告人の供述によっても,上記の本件犯行前後の行動についての記
憶はおおむねしっかりしているし(前記第2の3),食パンは購入しよう
として買い物かごに入れたものと認められることから,本件犯行のせいぜ
い2分後には,食パンを盗まないという判断をして窃盗の衝動を制御でき
たか,その衝動がおさまっていたものと認められる。このように,被告人
は,本件犯行の前後それほど隔たりのない時点で,ほぼ正常な精神状態に
あったことがうかがわれる。
ウこのように,被告人の本件犯行及びその前後の行動からは,本件犯行時,
正常な精神作用が相当程度働いていたことが強くうかがわれ,この点から
は,事理弁識能力はもちろん,行動制御能力の著しい低下もなかったこと
が強くうかがわれるところ,これらの事情は意見書で言及されておらず,
公判廷でも,行動制御能力が大きく障害されているような場合でも前記の
ような行動をとり得ることの説明ができていない。
また,E医師は,被告人が本件犯行を思い出せないことについて,証人尋
問において,被告人の公判供述を踏まえて,被告人は,本件犯行時,離人症
という,視界にもやがかかったようになり,自分が自分と感じられなくなる
という症状で,ぼーっとして知らない間に行動してしまう,やりたくないこ
とをやってしまうという解離の機制の中にあったと思う旨述べている(前記
)。そして,弁護人は,このE意見に基づいて,警備員が指摘する被告
人の雰囲気の異常さなどと併せて考慮すると,本件犯行時被告人の意識が不
清明であった可能性が排斥できないとか,被告人には,本件犯行時,E医師
が述べるような機制の中で,やりたくもない万引きをしたものであるから,
違法性の認識について実感を備えたものとして有していたことについては疑
問があるなどと主張する。
しかし,E医師によると,被告人には解離性(同一性)障害の診断はつか
ず(本件犯行について被告人の記憶が完全に欠落しているわけではないこと,
被告人の供述によっても同様の体験をしたことは多くないことなどに照らし
て信用できる。),離人症は自分が自分と感じられなくなり,記憶がぼんや
りするということを表しているだけであり,その間の行動のまとまりがなく
なるというものではない(のであるから,解離の機制があったと
しても,その影響はそれほど大きくなかったものと考えられる。
また,本件犯行時にそのような解離の機制があったことには,以下のとお
り,疑問がある。まず,自分が自分でないような感じがしたと被告人が述べ
ているのは,パンコーナーで半額のパンを探している場面であって,本件犯
行時にそのように感じたとは供述しておらずE医師は
この点を誤解している。また,本件犯行時,目の前に雲がかかったようであ
ったとか,パンコーナーで半額のパンを探している際に自分が自分でないよ
うな感じがしたという被告人の公判供述は,その供述経過に照らすと,信用
できない。すなわち,被告人は,捜査段階では,被害品を衣服内に入れてし
まった理由は分からないとか,当時周りが見えなくなって視界が狭くなって
いた感じだったとは供述しているものの,上記公判供述のような内容は述べ
ておらず(前記第2の3⑴),この点は,第1回公判期日後に実施されたE
医師との面接においても同様であり,上記公判供述のうち,自分が自分でな
いような感じがしたという内容は,1回目の被告人質問でも述べていない(前
。E医師は,被告人との面接に約3時間を費やし,その際,
本件犯行について詳しく聴取し,被告人の前記捜査段階供述から,解離を疑
い,本件犯行時の精神状態や日常生活における解離をうかがわせる体験の有
無等を確認したという事情があり,また,捜査段階供述の内容に照らせば,
捜査段階でも,本件犯行時の精神状態等についてはかなり詳しく尋ねられて
いるはずであることからすると,上記のような供述経過はかなり不自然であ
り,E医師が指摘する,治療を重ねていくうちに記憶が想起されることがあ
るという一般論では説明できないというべきである。
そして,E医師は,意見書作成時には,被告人が解離をうかがわせるよう
な体験がないと述べたため,本件犯行時に視野が狭くなったと述べている点
は窃盗をすることに集中する視野の狭窄であると考えた旨証言し,警備員が
指摘する本件犯行時の被告人の雰囲気の異常さ等も窃盗の欲求の亢進による
ものとして説明できると証言していること(前記1⑶)に照らすと,被告人
が述べる本件犯行時の精神状態は視野の狭窄でも説明できるといえる。
以上によれば,この点は,本件犯行時被告人の意識にやや清明でない部分
があった可能性があることを示すにとどまると解すべきである。
⑸さらに,E医師は,神経性やせ症等により行動制御能力が著しく損なわれ
ていたと評価する前提となった具体的根拠を十分説明できていない。
アE医師は,証人尋問において,上記のように評価する前提となった具体
的根拠の説明を求められた際,被告人は執行猶予中で,窃盗をしないよう
にしようと考えて生活していて,代金を支払うための現金等を所持してい
たのに,少額の商品を盗んでおり,窃盗が癖になっていたことであると述
べており,本件犯行の動機が了解不能であることを重視して
いるものと解される。しかし,以下のような事情に照らすと,本件犯行に
は,神経性やせ症等の影響により行動制御能力が著しく低下していたので
なければ説明できないほどの動機の異常性があるとは認められない。
被告人は,被害品は好きな商品であり食べ吐きに用いるために手に取っ
た旨供述していることに照らすと,被害品を窃取の対象にしたことに不自
然な点はない。被告人が,高額の預貯金等を保有していて代金を支払える
だけの現金等を所持し,前件万引きの執行猶予中で,その報道に苦しめら
れたのに,少額の商品を万引きしたことには容易に理解し難い面があると
いえるものの,人は,精神障害の影響がなくても,様々な動機で,冷静で
あれば思いとどまるような割に合わない犯罪行為に及ぶことがあり,被告
人が,節約したいとか,達成感等を得たいといった動機で万引きをしたと
しても,それほど不自然とはいえない(被告人は,当時高額の預貯金等を
保有していたものの,だまされるなどして多額の現金を失った経験がある
(前記第2の1⑶)上,当時安定した収入が得られていたとは認められな
いし,父親によると,被告人は生活観念があって普段から節約をすること
があり,本件犯行の前日も含め,よく値引きが始まる時間帯に被害店舗に
買い物に行っており,加えて,本件犯行は,パンを半額で購入する目的で
被害店舗を訪れた際に実行されたものであって,実際に半額になる見込み
の食パンを選んで買い物かごに入れている。また,被告人は,万引きをす
ると辛さや寂しさのようなマイナスの気持ちを忘れられると供述している
ところ,本件犯行時,寂しさを感じたり,マスコミ報道に恐怖を感じたり,
婚約破棄について悩むなどしていた(前記第2の1⑶⑸)。)。また,執
行猶予中であっても,発覚しないと考えたり,発覚して刑務所に収容され
るという現実感を持たなかったりして,再犯に及ぶことは珍しくなく,被
告人も,万引きによる多数の前科前歴がありながら,前件万引きの判決宣
告後も,一人で買い物に行くという万引きをしてしまう危険性の高い行動
を複数回とっており,実際に万引きをしてしまった際にも,父親に相談し
て弁償するだけで,医師に相談するなどの対応をとっていないこと(前記
に照らすと,再度万引きをすれば刑務所に収容されることに
なるという意識を十分持っていなかったことがうかがわれる。
イ他にE医師が指摘している点は,いずれも,神経性やせ症等により行動
制御能力等が大きく障害されていたことをうかがわせるものではない。
E医師は,被告人が,衣服内に隠匿している被害品を戻せば窃盗罪にな
らないと考えていたことをもって,万引きについての事理弁識能力が不十
分であると述べている(前記1⑶の②)。しかし,被告人は,店外に持ち
出さなければ窃盗罪は成立しないなどと考えて被害品を衣服内に隠匿し
たわけではなく,その行為の意味・性質等の認識に欠けるところはないか
ら,この点は事理弁識能力の低下をうかがわせるものではない。
被告人は,午後8時45分頃に被害品をジャンパーの中に入れて窃取し
た後,警備員に声を掛けられる午後9時1分頃までの約16分もの間,店
衣服
内に隠匿した被害品を買い物かごに戻そうとしていたことをもって,一貫
性を欠くなどと主張し,この点について,E医師は,罪悪感を有している
点で普通の窃盗とは異なるなどと証言している。被告人は声を掛けて来た
警備員に対して即座に,被害品を買い物かごに戻すつもりだった旨述べて
いること(前記第2の2⑸)に照らすと,被告人にこの時点で被害品を戻
したいという意思がなかったとはいえないが,万引きするために商品を隠
匿したものの,罪悪感等により万引きするのをやめて商品を戻そうとする
ことは,特に不自然ではなく,精神障害の影響がない場合でもあり得ると
いえる。なお,被害品を隠匿した後,約16分もの間被害店舗内をうろつ
いていた点は,被害品を元に戻そうとしたもののできなかったことだけが
理由であれば,かなり不自然にも思えるが,被告人が被害店舗を訪れた目
的は半額になるパンを購入するためであり,買い物かごに半額になると被
告人が認識していた食パンを複数入れていたこと,被告人はその間パンコ
被告人も,その間,半額の値引きシールを貼ってもらってパンを半額で買
いたいという気持ちが少しはあったなどと供述していることなどに照ら
すと,被告人には,買い物かご内に入れていた食パンに午後9時頃に半額
の値引きシールが貼られるのを待つという目的も少なからずあったと認
められ,そうすると,上記の点はそれほど不自然とはいえない。
⑹このように,E意見のうち,被告人が,神経性やせ症等により行動制御能
力に著しい程度の障害を受けていたとする部分については,そのように評価
する前提となった具体的根拠を十分説明できていない上,証拠上認められる,
正常な精神作用が相当程度働いていたことをうかがわせる事情を十分考慮し
ていないという点で前提条件に問題があるから,その限度でこれを採用し得
ない合理的な事情が認められる。そして,被告人の本件犯行時における事理
弁識能力及び行動制御能力の低下の程度は,E医師の評価よりも小さかった
と認められる。
第4結論
以上を前提に,被告人の本件犯行時の責任能力について検討する。
被告人の精神障害が神経性やせ症や社交不安障害にとどまること,単純な万引
きという本件犯行の性質,本件犯行及びその前後の行動からは正常な精神作用が
相当程度働いていたことが強くうかがわれ,それほど不自然・不合理な点が見当
たらないことなどに照らすと,被告人の事理弁識能力は,わずかに低下していた
疑いがあるにとどまり,窃盗行為を抑制する契機として機能するのに十分なもの
であったと認められる。そして,これらの事情に照らすと,この弁識に従って行
動する能力である行動制御能力についても,神経性やせ症による衝動性の高まり
や抑制機能の障害等により一定程度低下していたと認められるものの,その程度
はそれほど大きくなかったものと認められ,必要的減軽(刑法39条2項)とい
う効果を認めるべきといえるほど著しいものであった疑いはない。以上によれば,
被告人は完全責任能力を有していたものと認められる。
(量刑の理由)
本件は,スーパーマーケットにおいて,お菓子3点を衣服内に隠して窃取したと
いう万引き1件の事案である。
万引きという犯行類型に加え,被害額は400円足らずと比較的少なく,被害品
が結果的に被害者に還付されていることからすると,本件は窃盗の中で犯情が悪い
事案とはいえない。被告人は,同種罰金前科2犯を有する上,同種犯行による懲役
1年,執行猶予3年の判決の宣告からわずか約3か月で本件犯行に及んだものであ
り,常習性が認められ,基本的に強い非難に値するというべきであるが,他方で,
神経性やせ症(摂食障害)に罹患し,自業自得とはいえ,前件の万引きについて報
道されたことなどによるストレスもあって,本件犯行時,心神耗弱といえる程度と
はいえないものの,万引きの衝動を制御する能力が低下していたものであり,この
点は非難の程度を一定程度低める事情として考慮すべきである。これらの事情に照
らすと,本件犯行の行為責任は,窃盗事犯の中で重いものとはいえない。
以上を踏まえて,刑法25条2項が規定する再度の執行猶予を付すべきかについ
て検討すると,執行猶予判決の宣告後短期間で同種故意犯に及んだものであるため
原則実刑とするのが相当とはいえるものの,その行為責任が重いものとはいえない
ことに照らすと,再度の執行猶予を認める余地がないとはいえない。そして,被告
人は,本件犯行以前も,窃盗症に対するものが中心とはいえ,医療機関に入通院し
て治療を受けるなどして再犯防止に努めていたものであるが,本件の保釈後も,医
療機関への一定期間の入院を経て,主治医等と相談の上,施設に入所した上で通院
する態勢が調えられ,治療によって神経性やせ症の症状に一定の安定が得られてお
り,被告人は,改めて,神経性やせ症に向き合い,その治療を継続する強い意欲を
示し,父親が母親とともに治療のサポートを含めた監督をする意向を公判廷で示し
ている。また,被告人がこれまで窃盗を繰り返してきたことには様々なストレスの
影響があったと認められるところ,本件犯行時のストレス要因のうち,婚約破棄に
ついては,元婚約相手との間で裁判上の和解が成立したことで相当程度緩和され,
マスコミ報道についても,対処方法を自分なりに検討したことにより,以前ほど大
きなストレスにならないことが一応期待できる。摂食障害に併発する窃盗に対して
顕著な効果のある治療方法は確立されておらず,摂食障害に対する治療はその病理
・病態の多様性や複雑さ等のため容易なものではないが,被告人が上記のような治
療を継続して受けることには再犯防止に一定の効果があるとは認められ,ストレス
状況の改善もこれを期待させる事情である。このように,被告人については,社会
内に再犯防止に向けた環境等が相当程度調えられたものと評価できることを併せ考
えると,被告人に対しては,もう一度,社会内で更生する機会を与えるのが相当で
ある。
よって,被告人に対しては,主文掲記の刑を科し,情状に特に酌量すべきものが
あるとして,再度刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。
(求刑懲役1年の実刑)
平成30年12月3日
前橋地方裁判所太田支部
裁判官奥山雅哉

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