弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人Aの上告理由第一点について
 所論の点に関し原判決の確定した事実によると、被上告人はa町に広大な土地を
所有し、上告人を含む百十数名の者にこれを賃貸しており、終戦後何回かに亘つて
賃借人全員につき賃料の一斉値上改訂を行い、昭和三三年六月にもこれを行つた
が、次で昭和三六年二月初頃にも一斉値上を考え全賃借人に対してその申入をし
た。これに対し異議なく値上を承諾した賃借人も相当あつたが、上告人を含む相当
多数の賃借人は値上を不当として承諾できない旨の返答をしたので、被上告人会社
の代表者Bは値上を承諾しなかつた賃借人らに個別に面接折衝し、「君の賃料だけ
を値上するのではない賃借人全員に値上して貰うのである若しほかの人の賃料が値
上にならなかつたら、君のもそうするから」といつて値上の承諾を求めたところ、
同人の右言明を信じて値上を承諾した者が相当現れ、上告人も右と同趣旨のことや
「すでに大部分の人が値上を承諾している」といわれたので遂に値上を承諾し、前
記代表者の持参した借地証書に署名捺印し本件賃料値上の合意が成立した。という
のであるから、右事実に基づいて、本件賃料値上の合意は、上告人主張のように賃
借人全員が一人残らず値上を承諾することを効力発生の条件として成立したもので
はなく、かえつて、本件値上の成立した前後ないし周囲の事情からすれば、右合意
はその効力が即時に生ずることを当然の前提として若し賃借人の中にどうしても賃
料値上の実現できない者が一人でもいることが後日判明したときは、上告人の賃料
も値上しなかつたことにするという条件でなされたものと認めるのが相当であると
した原審の判断は、是認し得られないものではない。しかして、解除条件付法律行
為において当事者が条件成就の効果をその成就以前に遡らしめる意思を表示したと
きは、その意思に従うべきものであつて右原判決の趣旨もこれと同一に解すること
ができるし、前記条件が成就すれば本件賃料値上の合意は遡つて効力を失うことに
なるのであるから、右条件の成就を一定の期限にかからしめなくとも必ずしも上告
人に対し不公平となるものではない。そうすると、本件賃料の値上の合意は即時に
効力を生じ上告人は右合意に基づく賃料を支払うべき義務を負うことは当然であ
り、前記解除条件が成就したことについては上告人のなにも主張立証しないところ
であるから、上告人の右合意に基づく賃料の延滞を理由としてなした被上告人の契
約解除の意思表示により、本件賃貸借は適法に解除されたと判断した原判決は正当
といわなければならない。所論は、本件値上の合意が停止条件附でなされたとの独
自の見解に立つて原判決を論難するに帰し、原判決には所論のような法律の解釈適
用を誤つた違法はないから論旨は理由がない。
 同第二点について
 原審が「被上告会社代表者Bが上告人に対し賃料値上の交渉を行つた際既に大部
分の賃借人が値上を承諾していると述べたこと」及び「右合意のなされた当時百十
数名の賃借人のうち六割ないし七割位の員数の者が既に値上を承諾していた」との
事実を認定していることは所論のとおりである。しかし、所論のように、大部分の
者が承諾していたというがためには、九割以上の者が承諾していた場合でなければ
ならないとする経験則が存在するものとは未だ認められないから、被上告人会社代
表者が「既に大部分の賃借人が云々」と言つたとしても、それが多少の誇張であつ
たにせよ、必ずしも虚偽の事実を申向けたということはできないとした原審の判断
は正当といわなければならない。それはかりではなく、証拠上、被上告人会社の代
表者に上告人を欺罔して錯誤に陥らしめ賃料値上の承諾させようとの故意があつた
ものとは認められないとの原審の認定も、これを是認することができる。所論る述
するところは独自の見解に過ぎず、上記原判決の認定及び判断には所論のような法
律の解釈適用を誤つた違法はないから論旨前段は理由がない。
 次に原判決が「かりに上告人の主張が認められるとしても(上告人が本訴で取消
の意思表示をしたのは昭和四〇年一〇月四日午前一〇時の口頭弁論期日においてで
あつて、このことは記録上明らかである)そのことにより前段説示の如き経過で本
訴提起前既になされていた本件賃貸借契約解除の効力は毫も左右されるものではな
い」との判示をなしていることは所論のとおりである。右原判決の判示は簡単に過
ぎそ意を捉え難いところであるが、原判決及びその引用する第一審判決の事実摘示
によれば、上告人は、本件賃料値上の合意は被上告人会社の代表者の詐欺に因る意
思表示に基づいてなされたもので、上告人は本訴において取消の意思表示をしたか
ら、被上告人のなした右合意に基づく賃料の催告及び契約解除はその効力がないと
の主張をなしたものであることが明らかである。そうだとすれば、右上告人の詐欺
に因る意思表示の取消の主張が認められるならば本件賃料の値上の合意は初めから
無効となるのであるから、右合意による賃料額についてなされた被上告人の催告並
びに契約解除もまた無効となる筋合である。それなのに、右上告人の主張が認めら
れるとしても、既に本訴提起前になされた本件賃貸借契約解除の効力は毫も左右さ
れないとした上記原判決の判示部分は、詐欺に因る取消の効果に関する法律の解釈
を誤つたものといわなければならない。しかしながら、前段判示のように、原判決
は、被上告人会社の代表者が上告人を詐罔して本件賃料値上を承諾させた事実は認
められないとして、この点に関する上告人の主張を適法に排斥しているのであるか
ら、上記原判決の判示部分は全く無用の説示を加えたに止まるものと解するのほか
はない。従つて右違法は何ら原判決に影響を及ぼすものではなく原判決を破毀する
事由にはならないから、結局論旨後段も理由がないことに帰する。
 同第三点について
 <要旨>土地の賃貸借契約が適法に解除されたにかかわらず、いぜん右土地の占有
を継続している賃借人が、その後相当期間に亘り賃料債務の弁済として従前
の賃料額を供託局に供託し、賃貸人が右供託金を受領したとしても、その受領の都
度賃借人に対し賃料相当額の損害金として受領する旨を通告した場合には、これに
よつて損害金につき弁済の効果が生ずるかどうかは別として右供託金の受領によつ
てさきになした契約解除の意思表示を撤回し賃貸借契約を存続せしめる意思表示を
したものと認めることはできない。
 原判決が、上告人は本件土地の賃料をいずれも従前の賃料額である月額一、七六
五円の割合で、昭和三六年一一月二四日に同年二月分から同年一〇月までの分を、
さらにその後も今日に至るまで前後何回かに亘り同年一一月分から昭和四〇年九月
分までの分をそれぞれ旭川地方法務局紋別出張所に弁済供託し、被上告人が右供託
金を受領しているとの事実を認定していることは所論のとおりである。しかし、原
判決は、本件賃貸借契約における賃料額が昭和三六年二月一日以降月額四、九八〇
円に適法に改訂され、右賃貸借契約が上告人の賃料延滞を理由に同年一〇月三〇日
に解除されたこと及び被上告人は前記昭和三六年一一月分以降の供託金について
は、その受領の都度直ちに上告人に対し右供託金を上告人の本件土地不法占有によ
る賃料相当の損害金の一部として受領した旨の通知をしたとの事実をも適法に確定
しているのであるから、被上告人が前記弁済供託金を受領した事実をもつて本件賃
貸借契約の存続を認めたものとみることはできないとした原審の判断は正当といわ
なければならない。原判決には所論のような違法はなく論旨は理由がない。
 よつて本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条、第八九条を適用して
主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 加納駿平 裁判官 杉山 孝 裁判官 島田礼介)

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